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参考人(
細田茂三郎君) 私、実はその当時、
外米の
輸入のほうを主としてや
つておりましたので、そのときの模様を申上げてみたいと思いますが、実は私
どもあとから振返
つてみまして、そういうことを非常に痛感したのでありますけれ
ども、当時御
承知のように、現在と違いまして、米は
セラーズ・マーケットでございました。つまり各国の米に対します
需要は非常に多くて、
供給がこれに伴わない。殊に
タイにおきましては、一番大きな
輸出国であるという
関係で、
イギリス、
インド、その他いわゆる
イギリス・ブロツクの
買付けと
日本の
買付けとが非常に大きな政治問題になるほどの非常に深刻な様相であ
つたわけであります。私
どもとしましては、とにかく不足する主食でありますから、あらゆる手を
使つて輸入をしたいということに非常に深刻な実は悩みを持
つてお
つた次第でございます。その点、今日あたりと
事情が全く違うのでありまして、殊に
タイが一番大きなソースを持
つた輸出国でありますために、
タイ米の取得ということには私
どもは非常に神経質に
なつてお
つたわけであります。そこで、たしか二十六年のあれは二月だ
つたかと思いますが、
タイの
商務次官が団長になられまして、
日本へ通商の協定の打合せにお見えにな
つたときにおきまする
タイ側の
態度と言いますか、それは実に何と言いますか、
セラーズ・マーケットのセランの代表であるという、実に何と申しますか、私
ども個人的に言うと忿懣するようなそういう
態度であ
つたわけです。而も御
承知のように、
タイは
麻袋が非常に不足する国でございまして、全部これは
インドから入れて賄
つておる国でありますが、再三私は、この容れ物がなくて
タイ米の積出しが非常に遅延しましたり、或いは
数量に
関係をしましたり……御
承知のように
イギリス側は全部サックは
自分で持
つて来て積込んで行くのでありますが、そういう際に、私
どもが
シャム米を入手しますためには、とにかく容れ物については断然用意があるということでなければ、今申しましたその
数量を余計もらいたいという
交渉におきまして、非常なハンディになるということが、これはもう私
どもの頭にこびりついて離れなか
つた問題なのであります。而も
タイは、これはこういう席上で申上げると甚だ言いにくいのでございますけれ
ども、実情を御了解願うためには申上げざるを得ないと思いますけれ
ども、非常に
掛引の多い国でございます。
タイと
交渉をお持ちにな
つたかたなら、すぐおわかりになると思いますけれ
ども、非常に
掛引が多いのでございまして、
只今九月に要らんということを言
つて来ておるじやないかというふうに
お話もありましたけれ
ども、私
どもは絶対にそういうものは
信用できなか
つたのであります。この
往復文書なり何なり御覧頂きますと御推察願えると思うのでありますけれ
ども、
麻袋だけの問題につきましても、どうもその腑に落ちないことが非常にたび重
なつております。例えば当時この
輸入をいたしました
商社側等の情報によれば
十分麻袋はありそうだというようなことを言う。ところが
タイの東京の出先では、どうしても、これはないから、当初の
約束通り、
麻袋は
日本側で
手当をしてもらわにやならんと言う。そういうふうな調子でありまして、結果から見ますと、何かこの、
一つの
麻袋を
向うは道具にしまして、私
どもに米の
数量の
掛引だとか、価格の
掛引をや
つてお
つたのじやないかとすら、私
どもは
あとから
考えたのでありますが、そういうことで非常に
信用ができないのであります。そこで私
どもとしましては、勿論この当時におきまして、まあ私
どもの
希望としては四十五万トン
程度是非ほしいということで
交渉をしてもら
つたのでありますけれ
ども、不幸にしまして、結果的には三十五万トンしか入らなか
つたかと思いますが、併しいずれにしても、余計とるためには、袋だけは問題なくいつでも出せると、こういう
状態に置かざるを得ないというのが、もう私
どもの常識であ
つたわけなんであります。そこで、九月、当時、そういう
電報が来たかという
お話でありますけれ
ども、私
どもは、そういう
交渉の
現実から言いまして、そんなものは全然
信用をいたしておりませんでした。その後、あの通産省の当時の通商
局長をなさいました竹内さんが、世界一周をなさいましたときに、
タイへ寄られました際にも、やはり、
日本側は、
麻袋を
供給する約束をしながら履行していないから、俺のほうは積出せないのだということを非常にやかましく言
つてお
つたぞ、それは、しつかりやらなくちや駄目じやないかということを竹内さんから言われたことを、私は今でも記憶いたしておりますが、そういうような調子でありましたので、私
どもとしましては、これはどうしても
麻袋というものは握
つて行かなくちやならんという
考え方にお
つたわけです。それで、ただ
向うが正式な文書としまして、私
どものほうへ、もう
麻袋は俺のほうで持つからということを言
つて来たのは、たしか十二月の終り頃であります。併しこれすらも、この過去の
交渉の経過から行きますと、実は首をかしげてお
つたのです。本当に来るものかどうかということに対して、私
どもとしては一〇〇%の信頼はできなか
つたのであります。で、そういうことがありまして、どうしてもこれは、やはり持
つて行きたい。
それからもう
一つのあれとしましては、御
承知のように、当時
日本としましては、麦類を外国からして二百万トン以上
輸入をいたしておりましたが、この大部分というものはバラで入
つて参ります。バラで入
つて参りますと、全部これは内地で袋詰めをいたすわけであります。そういうことで、私
どもの
麻袋需要というものは、まあこれは
相当なものであ
つたのでありますが、片や、私
どものこの
麻袋に対しまするその当時の
考え方として、常に不安に
考えておりましたのは、例の朝鮮へ、連合軍が使いますサンド・バツク用として、
日本の市場に出ております
麻袋がどんどん持
つて行かれるということであります。これは相手が軍でありますから、どのくらい要
つて、どのくらい持
つて行かれるかという見当が、我我には付かなか
つたのでありますけれ
ども、とにかく頻々として朝鮮へ持
つて行かれるという
状態で、
麻袋は非常に窮屈な年であ
つたのであります。
そういうことから言いまして、私
どもとしては、それが確かにお示しのような、三カ月前の
予告を以
つてすれば、いつ解約してもよろしいということには
なつておりまするけれ
ども、私
どもの当時そうい
つた立場におります者としては、何とかして掴んでおきたいという
気持のほうが実は先に立
つたのであります。不幸にして私
どものその見通しが誤まりまして、
検査院の御
指摘のような結果にな
つたということに対しては、私
どもの不明と言いますか、非常に遺憾に思
つておりますけれ
ども、併しこれは非常に手前味噌を申上げますけれ
ども、あれだけのものを握
つてお
つたから、私
どもとしては、当時
タイに対して、
相当何と言いますか、強い、強腰で当り得たのではないかというふうに
考えておるような次第でございます。