運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1954-03-25 第19回国会 参議院 外務委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年三月二十五日(木曜日)    午前十時十八分開会   ―――――――――――――  出席者は左の通り。    委員長     佐藤 尚武君    理事            團  伊能君            佐多 忠隆君            曾祢  益君    委員            西郷吉之助君            杉原 荒太君            梶原 茂嘉君            高良 とみ君            羽生 三七君            加藤シヅエ君   事務局側    常任委員会専門    員       神田襄太郎君   公述人    成蹊大学教授  佐藤  功君    同志社大学学長 田畑  忍君    元  公  使 柳井 恒夫君    京都大学教授  田畑茂二郎君   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件 ○日本国アメリカ合衆国との間の相  互防衛援助協定批准について承認  を求めるの件(内閣送付) ○農産物購入に関する日本国とアメ  リカ合衆国との間の協定締結につ  いて承認を求めるの件(内閣送付) ○経済的措置に関する日本国アメリ  カ合衆国との間の協定締結につい  て承認を求めるの件(内閣送付) ○投資保証に関する日本国アメリ  カ合衆国との間の協定締結につい  て承認を求めるの件(内閣送付)   ―――――――――――――
  2. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) 只今より外務委員会公聴会を開きます。  問題は、日本国アメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定批准について承認を求めるの件、農産物購入に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件、経済的措置に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件、投資保証に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件、以上の四件についてであります。  公述に入る前に、本日御出席を頂きました公述人かたがた一言お礼を申上げたいと存じます。  本日は御多用中にかかわらず、当委員会のために御出席下さいましたことを厚く御礼を申上げます。殊に公述人の中には、遠路わざわざこの公聴会のためにおいで下すつたかたもおありであります。一段と感謝いたしておるわけであります。問題は極めて重要でありまするので、十分に御高見を拝聴いたしまして、委員会の審議に誤りなきを期したいと念願いたしております。幸いにして平素御研究の結果を十分御発表願うことができましたならば、当委員会といたしまして誠に幸甚これに過ぎるものはございません。簡単ではございますが、一言以て御挨拶といたします。  それでは只今から公述に入りたいと存じまするが、大体三十分か四十分くらいで以て、一先ず御意見を発表して頂きまして、あとは質疑に入ることにいたしたいと思います。  それでは先ず佐藤功教授から始めて頂きます。どうぞお願いいたします。
  3. 佐藤功

    公述人佐藤功君) いわゆるMSA協定と、これに関連いたします幾つかの取極につきまして、意見を述べるようにということで参上したのでありますが、私は特にMSA協定、即ち相互防衛援助協定のみにつきまして、又憲法との関連についてだけ意見を述べたいと思います。  で、それは即ちMSA協定の第八条と、第九条と日本国憲法の第九条との関係ということになるわけでございます。そこで先ず初めに結論として申上げておきますが、私はこのMSA協定をこのままの形で成立させますことには反対であります。このままの形で成立させますならば、それは憲法に抵触いたします。又ただ単に憲法に違反するというだけではございませんで、実質的、或いは政治的に見ましても、このままでこの協定を成立させるということはなすべきことではないというふうに考えるわけであります。ただここでは特に憲法との関係ということに中心を置きまして、意見を述べさして頂きたいと思います。即ち、政府はこの協定憲法には反しないと言つているわけでありますが、その説明には納得できないわけであります。で、その理由と、それから仮にこの種の協定を結ぶといとしましたならば、その場合に最小限度こういう修正を加えるべきだというふうに考えます。その修正意見を述べてみたいと思います。  そこで問題は、憲法第九条との関係ということになるわけでありますが、この第九条の解釈なり、そのいろいろの論点、いろいろ対立した意見がございますが、それにつきましては、改めて述べるまでもないのではないかと存じております。で、結論的に箇条書的にだけ申しておけば足りるのではないかと思うのでありますが、それは次のように集約できると思います。つまり第九条は、一切の戦争、即ち自衛戦争をも含めました一切の戦争を放棄しているということ、それから一切の陸海空軍その他の戦力、即ち自衛のためにも陸海空軍その他の戦力は持てないということ、それからその戦力につきましては、政府がかねて言つておりますような解釈は正しくないということ、それから自衛権はあるわけでありますが、それは通常国家自衛権とは違うということであります。即ち自衛権行使だと言いましても、通常国家軍隊戦力によります自衛権行使は、日本国憲法の下では認められないということであります。で、これらの説明は今まで幾度か触れられた問題でございますから、申上げる必要はないと思いますが、要するに私のそういう解釈は、自衛のためならば戦争もなし得る、或いは戦力も持ち得るという、いわゆる清瀬理論には反対であるわけでありますし、又自衛のためにも戦争はできないし、自衛のためにも戦力は持てないけれども、併し戦力とはこういうものだというふうに解釈いたします政府戦力解釈論にも反対だということになるわけでございます。それで今述べましたようなことが、このMSA協定の第八条、第九条との関運で考えなければならない点であるわけであります。即ち第八条にありまする軍事的義務という観念、それから防衛力という観念、それから第九条におきますこの協定は、憲法上の規定従つて実施するものとするというその規定意味、その三つの点が問題になると思うわけであります。  で、問題は、そういうわけでありますが、初めに申上げたいことは、私はこの日米MSA協定におきます根本の問題は、次のようなことだと思うわけであります。それは若しも日本MSA協定締結するといたしますならば、その日本との間のMSA協定では、一つ前提とならなければならないことがあるということであります。それは日本国憲法の下における日本防衛力というものの特殊性を考えなければならないということであります。即ち日本とのMSA協定は、若しもそれが結ばれますならば、ほかの通常国家、即ち軍備のある国家との間のMSA協定とは違つたものでなけれなばらないということであります。それが私は日本とのMSA協定前提にある根本の問題だと考えるわけです。今更改めて申上げるまでもなく、いわゆるMSAというものは、アメリカのMSA法律に基くものでございますが、どういう場合にMSA援助を与えるかということにつきましては、御承知のように、その法律の中に規定がございまして、その援助の供与が米国の安全を強化することになると大統領が認め、且つ六つ条件に被援助国が同意したときに与えられるということになつているわけであります。そうしてその六つ条件という中には、御承知のように、米国統治国とする多数国文は二国間の条約又は協定で、自国が負つている軍事的義務遂行すること、自国及び自由世界防衛力維持強化のために自国政治的及び経済的安定を損わない限度で人力、資源、施設及び一般経済条件が許す限り十分に貢献をすること、自国防衛能力強化するため必要なすべての合理的な措置を講ずること、米国が与える経済及び軍事援助が有効に利用されるこを確保するため適当な措置をとること、というような条件があるわけでありまして、今述べましたような四つの条件は、これはこの日米MSA協定の第八条に殆んどそのままに取入れられてあるということは申すまでもありません。要するに被援助国軍事的義務履行するということとその防衛力強化するということ、これを援助するために与えられるのがMSA援助であるというわけなのであります。そしてその軍事的義務履行と申しますのは、これは例えば北大西洋条約でありますとか、そのほかいろいろの米国との間の条約によつて課せられた軍事的義務履行ということであります。又その防衛力強化というのは、これは軍備、即ち正式の軍隊の増強ということであるわけであります。即ち軍隊があるからこそ軍事的義務履行し得るのであり、又防衛力強化して自由世界防衛力維持強化に貢献し得る、そうしてそれが米国の安全の強化に役立つというのがMSAの考え方でありまして、MSA協定というものは、通常そういうようなことを予想しているものであるということには疑いがないと思うわけであります。ところが日本におきましては、そこに特殊な憲法上の制約があるわけであるわけであります。その制約がいいか悪いかは別といたしまして、日本国憲法によつて、今の軍事的義務、それから防衛力という二点について、憲法上の制約があるわけであります。即ち軍隊戦力は持てない。そしてその結果として、通常意味での軍事的協力はできないという制約日本国憲法の下では存在しているわけであります。そこで日本との間のMSA協定は、若しも結ばれるといたしましたならば、それは通常国家とのMSA協定とは違つたものでなければならないということになります。この点がこの日米MSA協定では私は十分に認識されておらないというふうに感ぜざるを得ないわけでありまして、そこにこの協定違憲であると考えられる理由があると思うのであります。  ところで以上のように申しますと、それに対しては政府の立場は、これは提案理由にもございますように、その故にこそこの協定には第九条という規定があるのだ、これは日本国憲法の下における、今私が述べましたような制約があるからこそ置かれた特殊な規定であるというふうに言うわけでございましようが、私はそれでもなお不十分だというふうに考えるわけであります。即ちMSA協定の第九条を設けたから、この協定違憲ではなくなつたというふうには思われません。なぜならやはり第八条が問題だからであります。そうしてその第八条があります以上は、この第九条は単に外交辞令的な意味しかないように思われるからであります。それならば、その八条が問題だと申しましたその問題とは何であるかと申しますと、先ほどから申しておりますように、軍事的義務という観念防衛力という観念、この二つの問題でございます。先ず初めの軍事的義務のことでございますが、これは第八条に「自国政府日本国アメリカ合衆国との間の安全保障条約に基いて負つている軍事的義務履行することの決意を再確認するとともに、」云々という規定があるわけでありますが、併し日本国憲法の下においては、軍事的とか軍事的義務とかというような観念は本来あり得ないと思うのであります。若しも日米安保条約軍事的義務を課したものであつたといたしますならば、その安保条約自身違憲であると言わなければなりません。安保条約で言つている我が国義務といいますものは、これは安保条約の第一条と第二条に示されております義務以外にはないわけであります。第一条の義務と申しますのは、日本米国軍隊駐留を認めることの結果として、或いは駐留を認めたことの反射として、日本が負うているところの義務であります。それから第二条の義務と申しまするものは、そのようにして米国軍隊の利用に許与しているところの例えば基地などを第三国に許与してはならないというそういう義務であります。この二つ義務以外には安保条約義務はございません。そこでこの第八条の軍事的義務というのは、今私が申しました二つ義務のことなのであるということは、これは政府も認めているところなのであります。この二つ義務は、これらも広い意味では或いは軍事的義務であると言えるかも知れませんが、併しそれは通常MSA協定を受ける国の負う軍事的義務とは違うわけです。通常軍事的義務と申しますのは、軍事同盟的な義務或いは一定の場合には軍事行動をとる、とらなければならないというそういう義務であるわけでありますが、安保条約義務というのは、そういう軍事的義務ではございません。若しこれらの義務安保条約が負わせているのだといたしまするなら、その安保条約違憲だと言わなければなりません。従つてそういう通常意味軍事的義務ではないということが仮に言えるといたしましても、併しそこに協定筋八条に、軍事的義務という言葉が用いられているということは、通常国家が負うところの軍事的義務安保条約によつて負担せしめられているというふうに解釈される危険がある。そうして又それをMSA協定前提としているというふうに解釈される危険があると思うわけであります。最近両院におきまして、海外出兵を強制せられるのではないかという議論が強いようでございますが、それはそこに私は理由があると言えると思うのであります。  それから第二点の、第八条におきまする防衛力の問題でございますが、これは第八条の後半に「自国防衛力及び自由世界防衛力の発展及び維持に寄与し、」云々というような規定があるわけであります。それが我が国の、日本国憲法の下におきます防衛力というものは、御承知のように、具体的には保安隊自衛隊というような問題として現われて来ているわけでありますが、それは安保条約前文におきまするいわゆる自衛力漸増米国期待する、その期待に応じて進められて来ている防衛力であるわけであります。ここでこの「期待」という言葉は、これは希望するというような、希望という言葉よりは、外交文字の上で強い言葉であると言われております。そのような意味期待された自衛力漸増我が国約束をしたというのがこの安保条約意味でございます。そうしてその場合の防衛力というものが、これがただ単に国力というような広い意味ではございませんで、安保条約全体の趣旨や、その安保条約のできました背景というようなものを考えますならば、その防衛力漸増というものは、再軍備意味するものと解されると思います。それを将来においてなすべきことを期待され、且つそれを約束をしたというのが安保条約意味だと思うのであります。そうしてこのMSA協定は、更にその期待に応え、いわば責務とでもいうようなものを、それを条約上の、即ち法律上の義務にまで高めたということになるわけでありましよう。それで安保条約の「期待」という言葉を、これは法律的の意味の要求ということではないんだというふうに解しましても、MSAがそれを更に一歩高めたものであるということは否定できないと思います。で、日本国憲法の下では、この防衛力というものがあるということは、これは確かでございましよう。併しそこには限度があります。即ち戦力になつてはならないという限度があると言わなければなりません。そこにこの政府が今まで終始述べております戦力基準というものが問題になるわけであります。即ち政府の今までの説明では、保安隊や或いは今度作られまする自衛隊というものも、これは戦力ではない。従つて違憲ではない。憲法上認められた防衛力であるというふうに説明をするわけでありますが、その場合に戦力とは何ぞやということにつきまして、御承知のように、戦力とは近代戦争を有効適切に遂行するに足る程度の装備と編成を有するものをいうという基準を立てるわけであります。併しその基準そのものが、私は誤りであると考えているわけであります。即ち若しも戦力戦力でないものとを比較するといたしましたならば、そこで比較されるものとして選ばれますものは、それは警察力以外にはありません。つまり何ものが戦力なりや否やということは、それが如何なる任務を持ち、そうして如何なる実力を持つているかという、二つの点から考えられるのでありますが、警察力というものは、その任務、それからそれにふさわしい実力というものに、客観的なおのずから基準があるというふうに考えるわけであります。それと比較して、それでないものは、それは戦力だというふうに言わなければなりません。ところがその基準を、近代戦争を有効適切に遂行するに足る実力という、そういう基準に求めることはできないわけであります。それで保安隊が、これは先ほども述べました安保条約前文の、日本が間接及び直接侵略に対応する防衛力漸増する責任を負うという、その期待に応えるために、それを目指して作られたものであり、その以前の警察予備隊警察力を補充するものとして作られていたのとは違うわけであります。即ちそれは直接侵略にも対応するものを作る、その第一歩としてそれを意図しつつ設けられたものであるということで、警察任務とは違つたものを負つているわけであります。そうして、又それにふさわしい実力というものを持つていたわけであります。ところが今度作られます自衛隊ということになりますと、それは更に直接侵略そのものに対応するということを明示いたしましたし、そうして又それに応じてその実力というものも更に急速に増強されるということになるわけでありまして、そう考えますと、それを戦力ではないというふうに言うということは、私はどうしてもできないというふうに考えるわけであります。そうして政府説明は、戦力であるかないかということは、任務は問題ではないのだ、それは専ら実力規模だということだけが基準になる、それはいわば客観説であるというふうに説明をしているようでございます。そうしてその実力規模というのが、先ほどから申しております近代戦争遂行能力ということになるわけであります。併し現実におきまして保安隊実力というものは、これは巷間言われておりますように、旧陸軍の火力の四倍の実力があるというふうにも言われているわけでありまして、それが客観的に認められる警察力実力というものを超えているということはこれは疑いがないと思うのであります。そういう実態に目をつぶりながら、ただ近代戦争遂行能力という抽象的な基準をつけまして、その基準には達していない、達していないというのがいわゆる客観説である。併しそれはそういう客観的に認められる実力というものに強いて目をつぶつて、ただ論者の主観で以て、その実力には達していない、達していないというだけなのでありますから、私はそれは決して客観説とは言われない、むしろ主観説だというふうに思うわけであります。その証拠に、最近の自衛権問題を挙げることができると思います。最近本院におきましても、敵基地爆撃をするということも自衛権行使として認められるという答弁政府側がしているようでございます。そうして自衛権要件として急迫不正な侵略があつたということ、それを排除するに必要な限度で行われるということ、そして又それ以外には手段がないということ、止むを得ず行うということ、そういう点が自衛権要件である。そうして敵基地から爆撃をされる場合には、今言いました要件がある限りは、敵基地爆撃してもそれは自衛権行使として認められるということを述べておるようでございます。私はその見解は自衛権一般論としては正しいと思います。自衛権一般論としては、そういう事態に敵基地爆撃するということは、それは自衛権行使として説明されるかも知れません。併しそれは自衛権一般論としては正しいとしましても、日本国憲法の下における自衛権の問題としては正しくはありません。即ち先ほど言いましたような政府解釈は、軍隊のある通常国家における自衛権行使の態様でありまして、それを日本の場合に当てはめることはできないわけです。軍隊がない、従つて自衛権行使手段には限界があるということを認めなければなりません。即ち戦力以外のものによる自衛措置にとどまるという制約があるわけです。戦力以外のものと言いますと、先ほど習いました警察力ということになるわけですが、その警察力によつて敵基地爆撃するというようなことは到底できないはずであります。ところがそれがあたかもできるというような政府答弁は、私は図らずも前の戦力論と矛盾するのではないか、即ち敵基地爆撃して、そうしてその自衛目的を達成するというならば、それこそまさに近代戦争遂行ということになるからであります。そういう自衛権行使自衛隊が、或いは現在の保安隊がすることができるのだというのでありますならば、それは図らずも自衛隊なり保安隊戦力であるということを政府自身認めたことになり、これは私は政府戦力解釈論からいたしますと非常な矛盾だと思います。  以上要するに日本国憲法の下におきましては、この第八条の軍事的義務というものは、通常MSA援助国の負うところの軍事的義務ではないということ、それから第八条の防衛力というものは戦力ではない、防衛力であるということになるわけでありまして、若しも第八条がそういう軍事的義務なり防衛力なりについて規定を設けますならば、それはそれが以上のようなものであるということを明示しなければならないと思うわけです。それを明示しないで、協定第九条の規定があるからいいのだということには私はならないと思います。そこで私はこのMSA協定を結ぶといたしましたならば、即ちこのMSA協定を結ぶことに賛成であるおかたがたでありましても、次のような修正最小限度なさなければならないのではないかといううことを考えるわけでありまして、私の考えます修正を申して御参考にしたいと思います。  それで先ず、この第八条につきまして先ほどから申しておりますように、この軍事的義務というものが、いわゆる通常軍事的義務ではないということを明記するというために、次のような修正を加えるべきだと思うのです。それはこの第八条の二行目の下の方でございますが、「自国政府日本国アメリカ合衆国との間の安全保障条約に基いて負つている軍事的義務履行することの決意を」云々という所を「安全保障条約に基きアメリカ合衆国政府に対しその若干の軍隊自国内及びその附近における駐留の権利を許与したことにより生じた義務履行することの決意を」云々といたしまして、これは文字通り軍事的義務ではない。安保条約の一条、二条の義務だということをここで明示することが必要だと思うのです。それからその次の「自国政治及び経済の安定と矛盾しない範囲で」という所を、憲法制約もあるのだということを明記いたします意味で「自国憲法政治及び経済の安定と矛盾しない範囲で」というふうに改めます。それから第八条の最後一句を設けまして、これはこの防衛力なり軍事的義務なりが戦力には達する必要がない、戦力には達してはならない、そして又いわゆる軍事的活動を含むものではないということを明示する意味で、第八条の最後にこういう一句をつけておく必要があると思うのです。どういうのかと申しますと、「本条の規定日本国政府がその憲法の定める限度を超えてその防衛力を増強し、且つ、何らかの軍事的目的に役立たしめることを可能とするものと解釈されてはならない。」ということを明示すべきだと思います。それでそういうこの三つ修正を第八条に加えますならば、第九条は要らなくなります。第九条を削つても結構だと思います。ただ第九条の一項は、これはただいわゆる念のための規定だというのなら置いてもよろしうございましよう。それから第二里、第九条の第二項も要らなくなりますが、第八条に先ほどのような修正を加えますならば、この第二項は別の意味を示すものとして残しておいてもいいだろうと思います。別の意味と申しますのは、この協定の実施の手続その他が日本国憲法に従うものであるということを表すものとして存置してもいいと思うわけです。例えば次の第十条の二項あたりに、この協定の改正のことについてありますが、この協定の改正は憲法上の手続によつてなすのだということを示すという意味でなら存置してもいいと思います。  それでこういう修正は、私は日本政府アメリカの政府も、若しも今まで育つていることが本当でありますならば、私はそれを認め、この修正を認めるはずだというふうに考えるわけでございます。ただ一つ問題は、この承認を求められた国会が、その条約に対して修正を加えることが果して可能なりや否やというむずかしい問題がございましようが、私は、それは修正は可能だというふうに考えるわけでございます。その点は又あとで御意見があればお答えをいたしたいと思います。  以上のように第八条、第九条を修正をいたしまして、そしてなお且つ、私は以上のことと併せまして、現在提案されております自衛隊法及び防衛庁設置法は否決しなければならないというふうに考えるわけです。それで保安庁法もこれは予備隊令のところまで戻すべきであると思います。第八条、九条に先ほどのような修正を加え、且つ自衛隊法防衛庁設置法を否決し、保安庁法を予備隊法のところまで戻すならば、このMSA協定は、精神が憲法の精神に合わないということは別といたしまして、法的には私は憲法違反とはならないで済むというふうに考えるわけです。こういうふうに申上げますと、これは如何にも非実際的であり、学者の空論だというふうにお考えになろうかと存じますが、私は日本国憲法があります以上は、それは止むを得ない結論だというふうに考えるわけなのでございます。で、非実際的だと言われますのならば、それはむしろ憲法自身が非実際的だからでございます。で、その憲法を忠実に考えるなら、私はそういう非実際的な結論になるということは止むを得ないと思うわけです。ですから若しもどうしても自衛隊を設置しなければならん、MSA協定を結ばなければならんというのならば、私はこの憲法とその実際の必要というもののギヤツプを埋めるために、憲法の改正ということが必要である。併しその憲法の改正をしない間は私の言うことは止むを得ないことになり、そして又私の言うような修正を加えるべきであるというふうに考えるわけであります。そういうふうに考えましてこのMSA協定の、このままでは私は違憲であり、そして又それはなすべきことでないという意味反対をするということになるわけでございます。以上。
  4. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) 有難うございました。  諸君にお諮り申上げまするが、質疑は如何いたしましようか、公述人お二人のお話を、御意見を伺つた上でお二人に対して質疑をいたしましようか、或いは又只今佐藤教授のお話がありましたが、佐藤君に対してのみ先きに質疑いたしましようか、皆さんがたの御意見で……。
  5. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 前者の通りに願います。一応お聞きしてから……。
  6. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) 全部お聞きになつた上で質疑をなさいますか。
  7. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 そうして頂きたいと思います。
  8. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) 皆さんそれでよろしうございますか。
  9. 羽生三七

    ○羽生三七君 ちよつと事務的なことでお願いいたしますが、今の八条、九条に対する修正の御意見があつたわけでありますが、どうも十分書取れませんでしたので、あと事務局のほうにでもその部分でもちよつと知らせて下されば幸いだと思います。   ―――――――――――――
  10. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) それでは田畑学長のお話を聞いておる間に、事務局のほうで佐藤教授にお尋ねして、今の修正案を書取ることにして頂きましようか……。  それでは次に同志社大学学長田畑忍君に公述をお願い申上げます。
  11. 田畑忍

    公述人田畑忍君) 参議院の外務委員会の要請によりまして、私は以下日本国アメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定、以下略しまして防衛協定、或いはMSA協定といたしますが、この防衛協定又はMSA協定締結することは合憲的に可能であるかどうか。又それが日本のためになるかどうかということについて、私の考えを申述べることにいたしたいと存じます。  最初に簡単に結論を申上げますと、この防衛協定援助協定、或いはMSA協定というものは、明らかに日本国憲法九条に違反いたしまして、一種の陸海空軍を設けることを約束するものであります。即ちそれは憲法九条が憲法全体と相待つて、永久にあらゆる戦争、その中には自衛戦争も制裁戦争もすべて含まれるわけでありますが、あらゆる戦争と、国際紛争解決のための武力行使、又は武力威赫を否定しております。陸海空軍及びその他の戦力、即ち戦争目的を持つた国の実力一般をも否定しております。又更に交戦権をも認めないと定めていることに違反するわけでありまして、その違反に基いて陸海空軍を設定し、戦争に備えようとするものでありますから、このような内容を持つたMSA協定締結するということは、憲法的には許すべからざるものであると言わなければならんわけであります。従つて政府がこのMSA協定を用点し、これに調印いたしましたということは、憲法違反の政治をやつたということになると申さなければなりません。それ故に又国会がこの憲法違反のMSA協定承認を与えるということは、憲法的には許すべからざる事柄であると申さなければなりません。従つてたとえ国会が多数の力を以てこのMSA協定承認するといたしましても、決してそれが合憲的になるものではありません。申すまでもなく国会は国権の最高機関ではありますけれども、最高機関でありますけれども、そのような専制力は与えられてはおりません。若し国会が数の力を借りてこのMSA協定というものを承認するということになりますならば、政府と国会が共々に憲法に違反し、憲法破壊の政治をあえてしたという拭うべからざる悪事実が成立いたすことにならざるを街ないわけであります。それのみならずそのことによりまして、又その結果といたしまして、日本国日本国民及び世界人類の不幸を導くことに至らざるを得ない、かように思うわけであります。以下順を逐つてその理由を開陳いたしたいと存じます。  先ず、このMSA協定前文と本文のすべてを見ますというと、このMSA協定が平和条約及び安保条約に依拠するもののごとくに述べられているところがあります。世間でもそのように申している人たちが随分あるのであります。又確かに後に述べたいと思いますけれども、そのようなところもあるわけでありますが、併し私の考えるところでは、法の立場から申しますというと、前の二条約と今度のMSA協定とは本質的には全く異なつたものであると申さなければならんと思うのであります。それはなぜかと申しますと、前の二条約、平和条約安保条約は、当時アメリカが日本国憲法を眼中においていましたために、日本国憲法を尊重しておりましたために、日本の再軍備を命令するとか、或いは義務付けるということはしていなかつたのであります。ところが今度のMSA協定は、日本の腑甲斐なさとアメリカの日本国憲法観の変化のために、日本憲法をいささか無視して参つているわけであつて日本の再軍備を明白に義務付けることに至つているとしか考えられないからであります。勿論今度のMSA協定でも、第九条二が日本国憲法第九条を気にしているというニユアンスを残しているということは、これは注意しなければならんと思います。それは「この協定は、各政府がそれぞれ自国憲法上の規定従つて実施するものとする。」、このように規定しているからであります。併しそれは単にニユアンスであり、影のごときものであり、ただ尾を引いているものに過ぎないという感じがするのであります。勿論尾が残つているということは、決してこれは無意味なことではありません。何もないよりはましでありまして、いわゆるそれはベター・ザ・ナツシングであります。このような点、即ちMSA協定が前の二つ条約、平和条約安保条約と如何に本質的に異なるものであるかということについて、前の二条約をいま少しく詳しく考察する必要があるかと思います。世間で言つておりますように、平和条約安保条約が一つの大きな起点になつて警察予備隊軍隊化を決定し、又次にMSA協定の調印という段階に来てしまつたことは事実であります。併しながら、すでに申しましたように、この二つ条約は、平和条約安保条約は法規範的には、法的には未だ決して日本の再軍備義務付けておるものではありません。例えば平和条約の一条のb頂には「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。」とこのように定められておりますが、完全なる主権を承認すると申しますのは、日本憲法を尊重するということであるわけでありますから、日本がその平和主義の規定従つて軍備を持たず、又再軍備をしないということを承認するということであると申さなければならんと思うのであります。ただ同条約第五条a項三号に、国際連合が憲章に従つてとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与えるべき旨を定めております。又同条のc項には、「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の国有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。」とこのように定めておることが、平和主義憲法国に軍事的義務を、或いは軍備義務を課してでもいるかのような錯覚又は口実を再軍備論者に与えておるのであります。併しそれは再軍備のための錯覚又は口実に過ぎないと思うのであります。なぜかと申しますと、平和条約一条によりまして、日本国は平和主義憲法の尊重さるべきことを認められておるのであります。でありますからして、国際連合へのあらゆる援助と申しますのは、戦力的活動に参加するという戦争援助戦争への援助戦争援助以外の援助であるほかはないと考えなければならんと思うのであります。又その個別的又は集団的自衛権承認というものは、平和主義的日本国にふさわしき自衛権に限定せらるべきはずのものであるからであります。即ちそれは武力的自衛権ではなくして、平和的な自衛権というふうに解してよろしいわけです。たとえ固有の意味の武力的自衛権であるとしましても、その意味であると思うのでありますが、この自衛権であるとしましても、それは単に権利の承認であつて、そのような権利を日本が持つてもよろしいという承認であつて、再軍備義務又は戦争義務というものを日本に対して課したものでないということだけは明白であると申さなければならんと思うのであります。  次に、安保条約でありますが、安保条約は平和条約に依拠するもので、而も少しくその趣きが違つておるように思います。即ちその安保条約の第一条で、アメリカ軍の日本駐留権が設定されております。且つ又その二条におきまして、アメリカの日本における基地設定権を第三国にこれは許与しないということを主張する権利を定めているからであります。つまりそれは明らかに、日本にこの程度の軍事的義務を課しておるものであると言わなければなりません。それはやはり一つの軍事的な義務を課しているものであります。併しそれは日本に再軍備をせよという義務を課しているものではないわけでありますから、直ちに憲法違反ということにはならない、憲法には抵触しないと考えてよろしいと思うのであります。又安保条約前文に「アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊日本国内及びその附近に維持する意思がある。但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり、又は国際連合憲章の目的及び原則に従つて平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。」という一節があるからであります。これによつて明らかなことは、アメリカが日本に対しまして、日本国自体の防衛力漸増期待しているということであります。併し安保条約のこの規定日本への再軍備義務を課しているものでないことも又極めて明らかであると言わなければなりません。このことは安保条約第四条が「この条約は、国際連合又はその他による日本区域における国際の平和と安全の維持のため充分な定をする国際連合の措置又はこれに代る個別的若しくは集団的の安全保障措置が効力を生じたと日本国及びアメリカ合衆国政府が認めた時はいつでも効力を失うものとする。」、こう規定しておりまして、日本の安全保障のための国際連合による措置というものを、他の安全保障形式と共に考慮することを明らかにしておることによりましても窺い知ることができるわけであります。とにかく安保条約が条文の上では、日本国自衛戦力期待はしているけれども、未だこれを要請しているものではありません。かくしてアメリカは昭和二十六年の当時におきましては、日本の平和主義憲法を眼中に置いて配慮をめぐらしておつたということが窺えるわけであります。でありますから、日本といたしましては、ただ日本国憲法に従うべきであつたわけであり、そうして再軍備をしなければよいわけであります。即ちかくして日本アメリカの日本軍備期待に応えずしてこれを退けることができるわけであり、これを退けるならば、アメリカは止むなく日本憲法遵守に対しまして、却つて敏感を表しつつ引つ込んでしまうほかはないわけであります。即ちアメリカがその面目を、面子をつぶすことなくして、その退却の可能なようにちやんとこの条約がきめられておつたものである、このように考えることができるわけであります。ところが事実はこれらの二つ条約によりまして、平和条約安保条約によつて警察予備隊軍隊化への方向が決定せられて、憲法改悪の道が漸次開拓されるということになつてつたわけでありましたが、それはアメリカの軍需資本の経済的並びに政治的要求が、日本における軍需資本並びにミリタリストたちの自己主義に直結したためと言わなければならないと思うわけであります。即ち政府アメリカ及び日本の軍需資本等の強要に押されて、これらの条約をてこにして、これらの条約を土台にして再軍備政策を強化して来たと思うのであります。かくして警察予備隊保安隊に切換え、漸次これを戦力的なものにしておるわけであります。併し保安庁法は、法的にはまだはつきりと保安隊軍隊性というものを規定してはおりません。併し政府の政策は明らかに憲法破壊の方向を露骨に示しておるのであります。極めて巧妙に且つ狡猾に憲法と法とを破つて行くという違憲政治の実態を露呈して参つたのであります。ところが今度のMSA協定は、今申して参りました保安隊による実質的な再軍備を更に強化いたしまして、憲法違反という憲法改悪への道を決定的なものにしようとするものであるわけであります。即ちMSA協定は、平和条約安保条約のように日本国憲法の平和主義規定をもはや顧慮しているものではありません。数年前の米国側の日本国憲法に対する顧慮、又は日本国憲法尊重の態度というものがこのように変つて来ておりますわけは、言うまでもなく日本側がみずからの憲法を常に蔑視しておる、みずからの憲法をむしろ破ろうとしておるということに起因するものと申さなければならんと思うのであります。MSAと呼ばれる米国法律は、当然に米国の国防というものをその究極の目的として被援助国軍備援助をするということが主眼となつております。即ちMSA五百十一条A項の定むるところによりまして明らかなように、それは被援助国には必ず六つ軍備的な義務を課すものであります。勿論日本国以外の軍備国家にとりましては、かような軍事協定憲法上の問題には少しもなるものではありませんが、併しながら平和主義を標榜しておりますところの憲法を有する日本国にとりましては、憲法の蹂躙なくしてはMSAを受理するということはできるものではないのであります。即ち最初に申しましたように、MSA協定憲法の平和規定に反して、再軍術を義務付けるものであり、その結果といたしまして、憲法の改悪又は破棄をもたらすことにならざるを得ないものであります。この点我が国MSAを受理できる憲法体制をとつているところの他の国家と全く異なるわけであります。我が国だけはMSA協定締結することが憲法的に断じて許されないわけであります。でありますからして、この憲法の禁を破つてMSA協定締結せられることになりますならば、その締結によつてアメリカは平和条約一条b項を犯して日本国の主権と、憲法を蹂躙することになる結果になり、又日本国はみずからの憲法を無視、没却、蹂躙して、みずからの主権をみずから損うことにならざるを得ないものであります。アメリカはかくのごとき違憲、不法の協定を強いるべきではないし、日本といたしましては、勿論これに応ずべきではないのであります。MSA協定第九条二項がありましても、それで以て憲法従つているという言訳の立つものではございません。然るに政府は我々国民の反対にもかかわらず、MSA援助受理の交渉を進めて参りまして、遂にこの協定の調印を了するに至つたことを私は頗る遺憾に思うのであります。  この協定は実に多くの義務我が国に課しております。一条、二条、三条、四条、五条、六条、七条、八条、九条、いずれも皆義務規定を含んでいないものはないのでありますが、例えば六条は、特に日本政府に対しまして、輸入、輸出の際の関税及び内国税を免除しなければならないという義務を課しております。又七条は、日本政府アメリカの監督を受けなければならない義務と、行政事務費提供の義務とを課しております。又その第八条では、安保条約に基く軍事基地設定等の軍事的義務履行の再確認を強調いたしているのであります。それと共にMSA五百十一条A預の規定にかかる軍備義務を課しているものであります。この軍事的義務と、軍備義務は、これは峻別して考える必要があると思うのでありますが、MSA協定は、軍事的義務と、軍備義務の両方を課しているわけであります。それは第八条が次のごとく規定していることによつて極めて明瞭であると言わなければならんと思うのであります。「日本国政府は、国際の理解及び善意の増進並びに世界平和の維持に協同すること、国際緊張の原因を除去するため相互間で合意することがある措置を執ること並びに自国政府日本国アメリカ合衆国との間の安全保障条約に基いて負つている軍事的義務履行することの決意を再確認するとともに、自国政治及び経済の安定と矛盾しない範囲でその人力、資源、施設及び一般的経済条件の許す限り自国防衛力及び自由世界防衛力の発展及び維持に寄与し、自国防衛能力の増強に必要となることがあるすべての合理的な措置を執り、且つ、アメリカ合衆国政府が提供するすべての援助の効果的な利用を確保するための適当な措置を執るものとする。」、このように書かれております。先ほど佐藤教授がこの第八条を修正するならば憲法に違反しないものになるだろうとおつしやつたのでありますが、佐藤教授がおつしやつたような程度の修正では憲法に違反しないものにはならないと私は考えます。即ち佐藤教授の修正では、防衛能力とか、防衛力という言葉を削除するということはお考えになつていなかつたようであり、従つてそれをお話にはならなかつたようであります。ほかの点で修正がありましても、防衛力というものが残つておる限りは、一向これは憲法に違反しないものになると、こういうふうに考えることは私はできないと思うのであります。防衛力の増強に必要とか、防衛力を作れという義務を課しているのですから、これを除けてしまわない限りは、憲法に違反しないものには到底ならないと、かように考えるほかはないと思うのです。それはともかくとしまして、こういう規定でありますからして、この協定締結せられることになりますと、日本がどうしても再軍備をしなければならないことになります。ところが軍備もその他の戦力も、その他の戦力というのは先ほどもちよつと説明申しましたが、軍備、陸軍とか海軍とか空軍とか言わないでも、ほかの実力戦争目的のために用いられるならば、それは直ちに戦力になるわけであつて、それを憲法九条は「その他の戦力」と書いておると私はそう考えておるわけであります。つまり警察でありましても、或いは保安隊でありましても、消防隊でありましても、それを戦争に使うならば、それは即ち「その他の戦力」ということになると思うのであります。軍備もその他の戦力憲法の禁止しておるところでありますからして、再軍備をするためにはすでに実質的に保安隊等の戦力を設けて、日本国憲法を蹂躙しておるところの、今度は法形式の上でもこれに違反するがごとき立法をしなければならないというようなことになつて来るわけであります。否な、更に進んでは憲法は改悪しなければならないというようなことにもなりかねないのであります。その証拠には、すでに政府自衛隊法案や防衛庁設置法案というものを用意しておるのであります。これはMSA援助を受理した場合の日本の受けざるを得ない亡国的運命であると思います。然るにこの協定の第九条は、先にもちよつと述べましたように、次のごとき規定になつております。即ち九条一項は「この協定のいかなる規定も、日本国アメリカ合衆国との間の安全保障条約又は同条約に基いて締結された取極をなんら改変するものと解してはならない。」、「なんら改変するものと解してはならない。」とこう記されております。同条第二項は、「この協定は、各政府がそれぞれ自国憲法上の規定従つて実施するものとする。」、このように定められているのであります。そこでこの第九条第二項と第八条の規定とは明らかに矛盾しているわけであります。なぜかと申しますと、日本国の場合、この協定をいたします結果、一方ではMSA協定八条によりまして軍備を設けなければならないし、他方では自国憲法上の規定に従うならば、防衛力の発展又は維持又は増強を実施するということはとてもこれは許されないことであるからであります。言葉を換えて申しますならば、日本国自国憲法上の規定従つてこの協定を実施するということは、つまりこの協定憲法に矛盾するところの軍備を持つということは、これを実施しないということになるか、又は憲法規定を変えて、その変えられた規定従つてこれを実施すべしということになるかのいずれかだとも見られるわけであります。若しも後者の意味のものであるべしと考えましても、憲法九十六条の改正規定というものは、再軍備というような改悪を否定するものであります。で、憲法のこの九条の規定というものは非実際的であるとの見解もあるようでありますが、非実際的ではないのであります。極めてこれは実際的な規定なんであります。この実際的な規定であり、そうして又日本の国民のために、世界人類のためになるところの規定である、この規定の改悪をするということは、憲法第九十六条は認めていないものでありますから、やはり憲法上それは許されないということになつてしまうわけであります。ところが、政府はこの三軍、陸軍、海軍、空軍より成るところの自衛隊を、日本国憲法九条の平和主義規定に違反して用意しようとしておるわけであります。自衛隊が海外の戦線に派遣されるかどうか、されないかということは、全くこれは事態を決定する上におきまして問題になることではありません。たとい自衛隊が海外に派遣されないということでありましても、国内で戦争する目的を持つた軍隊でありますからして、その限りにおきまして、それは違憲の存在であります。それ故、かような国家防衛機関が、自衛隊という国家防衛機関が、MSA協定の九条二項の規定にふさわしき、「自国憲法上の規定従つて実施」されるものなどと考えることはできるはずはございません。  そこで、この矛盾と無理によつて自国憲法上の規定が問題になつて来るわけであります。問題になつて来ると申しますのは、即ちMSAという外国の一法律による軍事援助の受理協定でありますところの今度のMSA協定によりまして、自国の基本法が、自国の最高法がゆすぶられることになつて来るということであります。即ち、自国憲法上の規定に反してなされたMSAの受理交渉という政治的無理と、MSA協定規定、即ち八条と九条との間に内在しておるところの矛盾と、更に、MSA協定自衛隊との矛盾的同一性というものとが、自国憲法上の規定であるところの平和主義規定というものを改悪することを強要するものであるわけであります。或いは、それは自国憲法上の規定たるところの平和主義規定の有権解釈の有権的変更という現象として現われるかも知れないのであります。現にこのような努力が国内と国外において同時に行われつつあるようにも思われます。憲法解釈の政策的変更ということが憲法改悪の代用品であることは、これは言うまでもなく明らかなことであると思うのであります。とにかく、MSA協定九条二項の規定は、このような意味で謎を含んだ規定であると言つてもよろしいと思います。これを単にナンセノスな規定だとは言えないのであります。それから同じく九条一項の、今度は一項のほうの規定でありますが、一項の規定は、日本の再軍備ができ上れば、アメリカ軍は帰つてくれるだろうし、軍事基地はなくなるだろうし、やがては昔通りの日本軍が、皇軍ができるだろう、このように願つておるところの再軍備論者に致命的な打撃を与えておるのであります。つまり、この条文の意味も考えずに、このMSA協定によつて米国軍が引揚げる希望が生れるなどとまことしやかに育つている人がありますけれども、その人はよほどおめでたい人であると言わなければなりません。即ち、この協定九条二項は「この協定のいかなる規定も、日本国アメリカ合衆国との間の安全保障条約又は同条約に基いて締結された取極をなんら改変するものと解してはならない。」と、いとも明白に規定しておるからであります。安全保障並びにそれに基いてきめられた軍事協定を改変するものと解してはならない、このように明白に規定しておるからであります。むしろ、日本の再軍備が法的にも用意されまして、自衛隊ができまして、それが強化されるならば、それが強化されるだけ、それだけ日本軍を抑えるためにも、アメリカとしては軍事基地強化などを図り、その駐留軍を増強するのが戦略的の定石だからであります。そうして又、このMSA協定七条一項によつてアメリカの日本に対する監督権を強化して行くだろうと思わざるを得ないのであります。MSAで独立の軍隊ができるなどと考えることは、よほどそれはどうかした考えであつて、常識的にも科学的にも、そういうようには考えることはできないと思うのであります。然るに、このMSA協定によりまして、独立ができるとか、永遠の孤児になることから救われるなどと言つておる人がありますが、平和憲法を護つてつてこそ、日本が初めて世界の孤児になる代りに、各国と各国民から敬愛されることになり、又経済の目立も独立も本当にできることになるのであります。又すでに、厳粛なる再軍備、そういう言葉を使つて、そういう既成事実ができているのだから再軍備は止むを得ない、いやむしろ当然だという人もありますが、それは厳粛な事実ではなくて、憲法違反の実に恥ずべき事実であります。でありますから、それこそ総懺悔をしてでも違憲の既成事実を打切りにしなければならないのであります。それが日本国のためであり、日本国民のためであります。憲法違反の政治ほど国を破壊する結果を来たすものはありません。過去の軍国主義日本や、ドイツを見るだけでも、ナチス・ドイツを見るだけでもそのことは明らかにわかるはずであります。殊に日本の場合、再軍備はこの水爆、原爆の時代に少しも防衛の役に立つものではないことは、先般来ビキニ被災によりましてセンセーシヨンが起されておるわけでありますが、それによつてだけでも容易に推測ができるはずであります。恐らく、二、三発の水爆が日本に落されましたならば、日本はそれでおしまいであります。MSA軍備なんかで、この水爆を防ぐことは絶対にできるものではありません。全くそれは元陸軍中将遠藤三郎さんの言われる通りであつて、再軍備は百害あつて一利あるものではありません。故岡田啓介さん、故石原莞爾さんなんかも同意見であつたと我々は伺つております。我々は迷うことなく、MSAを断固拒否し、日本国憲法を護り、日本国日本国民とを護るべきであると思います。日本国日本国民とを犠牲にして一旗挙げようとか、一儲けしようとかいうように考える人に猛省をして頂きたいと私は思うのであります。国と正義を愛する国民が、自国憲法上の規定であるところの平和主義的規定を、他の幾多の民主主義の規定と共に、その改悪と解釈的変更とから守るために立ち上ることは歴史のこれは至上命令であると思います。そうして又MSA援助の拒否ということ、憲法改悪への反対ということ、憲法解釈の変更への反対ということ、それらのことは、すべて自国憲法上の規定の一つ一つが規範命令として、法規範命令として国民の一人々々に権利として期待し、且つ又義務として命じているところであります。このMSA協定の調印がなされたというこの段階におきましても、我々国民は決して失望してはならない。又投げやりになつてはならない。すべて日本国民は、国家の名誉にかけて、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓うたのであります。故に、我々と我々の子孫の自由と幸福のために、そうして人類全般のために、不断の努力によつて憲法と平和を擁護し、進んで世界各国を平和ならしめるべき世界史的使命に生きるものとならなければならないと思うのであります。この意味におきまして、MSA協定に私は絶対に反対をしなければならない、かように考えるわけでございます。
  12. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) 有難うございました。  それでは両公述人に対しましての質疑に入ります。質疑のあるかたはどうぞ御質疑を願います。
  13. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 佐藤先生にちよつとお伺いしたいと思います。政治的の問題ではなしに、純粋に法律論としての御見解を承わりたい。私は憲法には素人なんでよくわからないのでありますが、お教えを頂きたいと思います。憲法第九条の第一項であります。戦争放棄の条項であります。戦争というものは二国間以上で行われる、当然法律というものは、何らかの意味において法律的効果がなければ意味ないのである。何らかの形において法律的の効果というものは当然なくちやならんかと私は思うのであります。そういう観点からいつて憲法九条第一項は、法律的に如何なる意味を持つているか、法律的にどういう効果があるのかという点であります。二項につきましては、戦力を保持しない。これは言うまでもなく、まあ戦力の程度はいろいろな見方もあるでありましようけれども、これは国内の問題としてはつきりした法律的の効果があると思う。一体一項は、国内だけの問題だけじやなくて、国際間の問題であり、而も戦争放棄するという条項なんです。それは法律的に如何なる効果を持つておると見るべきかということが私の質問の第一点であります。  それから第二点は、日米安全保障条約、これ自体は憲法に違反しておるとお考えになつておるのか。これは日本憲法では違反しておらない、こういうお考えか。そのいずれかということを伺いたい。と申しますのは、基地を与えることを条約上認める、或いはアメリカ軍が駐留することを条文上認める、これはその内容であります。併しながらそれを認めるに至つた根拠は、これはやはり安保条約前文にはつきりと示しておるように、日本国自体が独立国としての主権が確認され、直接、間接の侵略に対して自衛権に基いてこれを防ぐ、併しながら現在その力がないから、アメリカ自体は勿論自衛権があるわけです。それらの自衛権行使として、基地を認め、アメリカ軍の駐留を認めるということに読むと読み得るのであります。そういう観点から言えば、自分自身は、主権としては自衛権がある、併しながらこれは行使しないという憲法がある。それを行使すれば勿論違憲になることはこれははつきりしている。併しながら他を以て、第三者をしてやらしめれば、これは違憲じやない、こういうことが果して法律的に言えるかどうか。それを考えて行くというと、安保条約自体が憲法に違反しておるというふうにもいい得るのであります。その点をどういうふうに法律的にお考えになるかどうか。  それからいま一点は、先生の御意見の、修正の最低限度、こういう修正を必要とするという御見解の点でありますが、憲法条約との優先関係であります。勿論一般的には憲法というものは条約に当然優先するというのが通説である。併しそれは如何なる場合においてもそうなのか。国際条約関係の特殊の場合、或いは特別のものについては、条約憲法に優先するということがあり得るのか、あり得ないのかということ。それに関連して、先生の修正案の御意見に、念のためにこれを書いておくのだ。丁度今度MSAの九条に、日本憲法の条章に従う云々とあります。これは何のためだということを政府説明をしておるようでありますが、それと同様の趣旨で念のためにこれを書いておくのだという御意見か。これを書けば、法律的にも憲法に違反しないんだという御見解の御意見か。その点をお伺いしたい。以上三点であります。
  14. 佐藤功

    公述人佐藤功君) 三つの点御質問がございましたが、お答え申上げますが、いずれも非常にむずかしい問題でございますが、まあ極く簡単にだけ申述べさして頂きたいと思います。  第一点の憲法の第九条一項がどういう法律的放果があるのかという問題でございますが、私は例えば従来、不戦条約でありますとか、国際連盟とか、国際連合とかいうような国際平和機構として、国際紛争を解決する手段としての戦争を各締結国が放棄するという、そういう国際条約の趣旨を日本国憲法の中に取入れたという、そういうむしろ意味があると考えているわけでございます。それでただ御質問は、こういう規定日本国憲法におきまして、日本だけが侵略的な戦争はしないというようなことを宣言したとしても、日本だけでは駄目じやないか。だからそこに法律的効果がないのじやないかというような、そういうお考えの御質問ではないかと実は思つたわけでございますが、その点は、それ限りでは私はそうだと思います。ですからこの第九条一項から、実際に日本が行うということになりますためには、この憲法ができましたときに言われましたように、世界の各国がやがてこういう同様に戦争を放棄するようになるであろうという、そういう事態になつて初めて完全な規定になつて行くということは言えるだろうと思います。ただそれまでの段階におきましては、この第二項があるから、あります以上は、日本としては国際紛争を解決する手段としての戦争なり、武力行使、武力の威嚇というものは日本としてはなし得ない。これは法律的な意味でなし得ないということになるのじやないかと思います。  それから第二点の安保条約自身憲法に違反するのか、反しないのかという御質問ですが、私は安保条約自身憲法に反しているというふうに考えるわけでございます。その理由は、一つは、先ほども私も申上げ、田畑先生も述べられましたように、前文の「期待」ということが、これが実質的に見て、再軍備、いわゆる再軍備を要請しているものであるというのが一つの理由でございます。それからもう一つは、基地を提供する等々、或いは駐留軍を認めるということ自体は、私は戦力を保持するということにはならないと解していいと思うのでございますが、そういうことによりまして、日本が自己の安全と生存を専ら米国に依頼するという形となつて来たということは、憲法前文なり、憲法の九条なりの考え方に反することになる、それがその理由でございます。  それから第三点の私が先ほど申しました修正の点でございますが、これは先ほど田畑先生もおつしやいましたが、私はこういう修正をやれば絶対に大丈夫だ、それなら私は積極的に賛成するということを申しているわけではございません。若しもこのMSA協定に賛成なお方々でも最小限度このような努力をなさつて頂きたいということを申上げているのでありまして、それをやつても私はなお疑問は残ると思います。ただ御注意願いたいのは、私が述べました修正ぼ、これだけではございませんので、自衛隊法、防衛庁設置法、そういうものを認めてはいけないということがあるわけでございますから、その点は御承知置きを願いたいと存じます。ところでその修正の件につきまして、条約憲法との優劣関係というようなことの御質問がございましたが、私はこの条約憲法に優先するものではない。憲法条約に優先するというふうに考えているわけでございます。そこで先ほどのような修正を仮に第八条に加えたとしたなら、それは念のための規定意味なのか、それとも法律的な効果のある規定としてであるのかというような御質問があつたようでございましたが、私は先ほどのように、この修正で絶対に安全だというわけではないのでありますが、若しそういう修正を加えましたならば、先ほど説明申上げましたように、現在よく唱えられるような、この第八条の誤つた解釈の乱用と申しますか、それを或る程度防げるというそういう効果があるのではないか、そういうつもりで述べたわけでございます。
  15. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 両憲法学者から御意見を聞いたわけでございますが、期せずしてお二人とも、このMSA協定憲法違反であるということを非常に明瞭に御説明になつた。実は内輪の話ですが、或いは佐藤教授は、これは憲法に違反するものでないというような説明をして下さるんじやないかと、ひそかに期待をしてお願いしたような向きもあつたんじやないかと思うのですが、それにもかかわらずはつきりと憲法違反であるという御説明を学者の良心からなされただろうと思うのです。私たちもこれはははつきり憲法違反であるというふうには前々から感じていたのですが、両専門の学者のかたがたの御意見を聞いて、更に私たちの自信を深めたわけですが、それにもかかわらず、実は国会内においては、或いは多数決を以てこれが憲法違反でなく、従つて承認すべきものだというような決定がなされるかも知れないと思うのです。そこで田畑先生にちよつとお聞きしておきたいのすが、仮に国会において、国会の多数決によつてこれが憲法に違反しないものであるという決定をなされたにしても、それはこの協定を合憲化するものではないのだという御説があつたのですが、ところが、この問題がいろいろ今までも国会で論議されまして、いやそういう憲法違反であるか違反でないかわからないような事案について、最後決定をするものは国会なんだから、国会が多数決によつてそうきめた以上は、そうきまるのだという意見があるわけです。それらの点について、実際田畑先生なんかのお考えから言えば、先ほどのように国会が多数決できめても合憲化するものじやないという御認識ですが、そうだとするとそういうものが合憲的か否かということの最高の最後的な判定をするものはどういう機関だ、どういう手続なり、どういうあれを通じてそれを決定すべきものとお考えになるか、その辺のことをもう少し……。
  16. 羽生三七

    ○羽生三七君 私今の佐多さんの質問に附加えて一緒にお答え頂きたいと思うんですが、実は今佐多さんのお話の点を、ずつと前にこのMSAの中間報告の際に政府に質しましたところが、そのときは緒方副総理が出られて、国会の多数で認めればそれが最終的判定ですか、審判が下されたものとして……、こういう解釈でありました。従つて若しそれで行きますと無限に、国会の多数の上にあぐらをかいておれば無限に再軍術を促進してどういうことをやつてもそれは合憲的だ、こういうことですね。もう全然どうする余地もないことになりそうでありますので、今佐多さんの御質問は重大な点になると思いますので、どうか何か適当な御解釈がありましたら伺いたいと思います。
  17. 田畑忍

    公述人田畑忍君) 御質問に対して簡単に答えさして頂きますが、私は国会が多数できめましても、憲法に反することをきめたならば、それはやはり違憲だと思います。違憲の決定をしたということになり、違憲承認を与えたということになると思います。その場合にどうしたらいいかということですが、その場合には、それは違憲であると考えている人たちが最高裁判所に提訴すべきであると思います。最高裁判所としてはその受理をしなければならない。そこできめてもらわなければならない。そこでこの最高裁判所がどうきめますかということはわかりませんけれども、その場合に最高裁判所がそれは合憲的であるという判定を下した場合には、一応有権的には合憲的だということになります。併し学説の純理の上から言いましたならば、最高裁判所がたとえそれを合憲的ときめても、合憲的であると考えることはできないと思う。そういう確信は我々は持つていいのじやないか、そう考えます。もう一つは、そういつた憲法に反する承認を国会が与えた場合に、それが違憲承認を得たものだと考える人たちが解散の私は要求をしてもいいのじやないかと思うんです。そうして改めてそれを新らしい国会に諮つて、その違憲承認を与えた、その承認を覆すような方法を講じて然るべきじやないか、かように考えます。なおよく考えておりませんけれども、これは結論だけ申上げるわけであります。さように考えます。
  18. 高良とみ

    高良とみ君 田畑学長御存じの通り、今までそのほかに多くの憲法違反と考えられる事件がありまして、これが提訴されましたけれども、最高裁判所におきましては、具体的なこれによる被害をこうむつた人がない場合には、これは受理しておらないわけなんです。それで提訴なさつたかたがたがこれは今よく御存じで、そういう場合に今日の最高裁判所が憲法を擁護するときに一つのリザーヴエイシヨンを持つているということがございますから、その点では最高裁判所そのものの本質に対しても検討しなければならないと思われるんです。  それからもう一つ伺いたいのは、多くの国では国策が曲り角に参りますと国会を解散して、時の総理からも、又野党のほうからも解散して、特に政府から解散して、そうしてこれを国民に問うことはドイツにおいても、その他においてもやつているのでありますが、日本においてはそういう習慣もなし、法的根処もまだできておらないかと思う。その点が不備であると考えられます。それについて御意見を伺いたい。  もう一つは、少数の人たちからも国会解放の要求ができるであろうという、不信任案が通過するであろうといいう根拠はどこにお持ちになつておられるか。そういうことは今までもたびたび国会において努力して、而もそれが否決になつているときには、多数で以てその内閣及び憲法違反に対する申入れが通つておらない現実を御存じかと思いますので、そうおつしやいます根拠を伺いたいのであります。立ちましたついでに大変恐縮ですが、佐藤教授にも、さように外務省が締結いたしましたこのMSA修正しまして、これをアメリカ側に再考慮を求め得るという法的な根拠をどこにお持ちになつていらつしやるかを御説明願いたい。
  19. 田畑忍

    公述人田畑忍君) 今の高良さんの御質問ですが、最高裁判所の問題ですけれども、これまでそういうことがありましてもなお執拗に提訴すべきじやないかと思うのです。裁判所としては受理しなければならない義務があると私は考えます。どんどんやればいい。それからなおこれまで拒否されたということの一つの原因は憲法違反とならないことを違反だと言つて提訴しているということがかなりあつたのじやないかと思います。例えば安保条約のごときは違反だ違反だと言つておりますけれども、私は違反だと思つていないのです。違反的なところはこれは見られんことはない。併しあれは憲法の精神に照して言えば遺憾なところはありますけれども、はつきり違憲だと言い切れるかどうか非常に問題があると思います。何でもかんでも悪いと考えることは違憲であると言つて来たわけですから、そういつたことから一つは受理しないというようなことも出て来ているのじやないかと思います。これはよくわかりませんけれども……。で最高裁判所としてはとにかく受理しなければならん義務がありますから、執拗に私は受理するように要請すべきであると思うのです。で、提訴を怠らずにやるべきであると、こう考えます。そういつたことを国会でも御研究になりまして早くそれについて立法的措置を講じられることも必要じやないか、それがなされていないということはこれは私は国会の怠慢だと考えております。  それから第二点でございますが、解散の問題です。高良さんおつしやいましたようにこれは国民もやはり要求すべきことなんであつて、議員のかたがたも要求すべきじやないかと思います。ただ議員のかたがたにとりましては解散というのは世の中の大敵であると思うのでありますが、大敵であるにもかかわらず勇敢に憲法の精神を尊重する意味からいたしまして、是非解散を主張して頂くべきではないかと思います。勿論解散権はこれは天皇が持つておられます。が解散についての助言と承認は内閣が持つておるわけでありますけれども、それを要求して主張するということは国会においてできることと思います。国民も又それはできることと思います。なぜ解散しなければならないかということは、つまり国会の現状が国民の要請に合致していないと考えられるとき、そのときに解散がなされる。その解散の法理ばそこにあると思うのです。ですから国会の現状が、例えばこのMSA協定承認するというような、そういう現状が国民の要請に合致していない、国民の望むところに合致していないと考えられるわけでありますから、それを根拠にして解散を主張することは十分できると思うのです。解散につきましては憲法にこういう場合に解散するということが掲げられている個所がありますが、その他におきましては、国会の現状が国民の要求に合致しておるかどうか、そこに私は根拠があると考えられるのであります。その二点でございますね……。
  20. 高良とみ

    高良とみ君 政策が変つたときに……、このような重大なる国の政策が変つて来たとき……。
  21. 田畑忍

    公述人田畑忍君) そういうことに対して国民が果してそれを承認するということを望んでおるかどうかということは重大問題です。こういうことは国民が望んでいないと考えられると私は思うのです。そう思つておるかたも相当あると思いますが、そういうかたがたは国民の要請しておるところの国会の多数の現状とは違うということを強調されて、そういうことを主張することができるのじやないか、かように考えるわけであります。  それから委員長佐藤教授に質問してもよろしいでしようか……。
  22. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 ちよつとその前に……佐藤教授に条約修正の問題についての御質問だと思いますが、それは私もあとで質問したいと思いますが、その前に今の国会の多数決は合憲性を生むものかどうかという点についての佐藤先生からの御意見も同時に聞きたい。
  23. 佐藤功

    公述人佐藤功君) 只今の問題は私は条約に限らず法律につきましても勿論同じだと思うわけでございます。で法律を国会がおきめになつた。併しそれは学者などから見ますれば憲法に明白に違反するという場合と同じだと思います。その法律の場合はただ条約とちよつと違いますのは、その条約は国際間の合意であるに対して、法律は一国の内部の意思だというその点が違うだけでございますけれども、その効力の問題は同じだと思います。で法律の場合に、例えば破防法が憲法違反の法律として、併しこれを国会は合憲なりとしておきめになつたという場合には、私はそれがその裁判所によつて違憲なりと判断せられる以前においては事実としてはそれが妥当する。それによつて国民は拘束されるということは認めなくちやならんと思いますが、ただ我々学理的に言つて違憲でないということでは決してない。条約の場合もそれと同じでございましてこのMSA協定が仮に違憲ではないとして、国会の承認を得て批准を了したといたしましたならば、それが施行されるということは認めなくちやならんと思います。ただそこに憲法憲法違反であるということで裁判の判決が要求せられ、そうしてそれが違憲でと判決せられたならば、その効力は国内的になくなつてしまうというふうに考えられるわけです。
  24. 高良とみ

    高良とみ君 例えば最高裁判所が憲法違反のMSA条約であるということを受理したとしましても、ここにありまする第九条の二項を楯にとりまして、こういう規定がちやんとできているから、ほかのほうのあらゆる種類の義務遂行してもこれは憲法範囲内で、ある例えば行政費用を日本が持つとか或いは安保条約範囲基地を提供し軍事力を増強するということはやはり憲法違反ではないという決定をする虞れもあるわけです。その点で最高の法規でありますところの、御承知の通り憲法にはこれは最高法規であるという特別な一項目が設けてあつて、これはどこまでも深く公務員も尊重しなければならんと書いてありますが、それが侵されて行きつつあるときに、殊に日本の国内に軍隊を置き、又戦力を、産業戦力を加えての話でありますが、厳密に言えば……、そういうことに対して最高法規の許諾がなくしてこういうことが行われて行くということはよその国の憲法では、各憲法ではいろいろな軟憲法とか硬憲法とかいろいろあるようですが、ところが日本ではこういうふうな憲法に疑わしい問題が出て来ても最高の法規が許諾を与えるというような形がない。これについて、憲法についてどういうふうに考えていいと御解釈になるのでしようか。内閣が、或いは国会がこれを憲法に違反しないように運営して行くという規定があるとお考えになつているか、その国民の要望に副わないとおつしやるが、それが果して副わないという証拠が世論調査或いはその他リコールによつてわかるのか、何かその点のことは法的にお考えないでしようか。常識的に申しますれば如何に第九条の二項がありましても、全体の条文がそうだと言えますけれども、それが最高裁判所がそういうものを取上げるかどうかわからない、その点についてどうでしようか。
  25. 田畑忍

    公述人田畑忍君) 今の御質問非常にむずかしい問題でございますが、私は最高裁判所は恐らくこれは違憲協定であるという判決を下すだろうという期待を持つている。併しその期待にもかかわらず最高裁判所は違憲でないという判決を下すかも知れない。そのときにはそれは判決に従うほかはないと思うのですが、併しその判決それ自身が私は違憲解釈をした判決であるとしか考えられんと思う。併しそれは学理的にそう脅えられるのであつて、実際の運用としてはその判決の通りにこれはなる、そうしてこの協定を、この国会の承認を無効にするということは、そういうことはできないことになると思います。これは止むを得ないと思うのです。  それからほかの件ですね、もう一つ……、それは何かいろいろなことが一緒になつて考えておられたように思います。国民の要望と云々というのは、これは最高裁判所との関係においてでしようか、或いは国会との関係においてでしようか。両方の意味があつたように思うのです。私が申しましたのは最高裁判所と国民の要望との間の関係ということじやないのでありまして、国会と国民の要望、国会、殊に衆議院でございます。そういうことになると思う。で国民の要望は、これはMSA協定というものを認めない、これは違憲であると、こう考えておるだろうと私は思うのです。思つてない人も相当あると思いますけれども、そういう思つておる人々は国定の意思が、或るところはMSA協定というものを、これを呑んじやいけないと考えておる、こう考えてその確信の上に立つてそうすべきものであるという議論を十分なすことができると思うのです。ほかの人がそう考えておるかも知れないということで遠慮する必要は毛頭ないと思いますが、遠慮なく自分の確信に従つて主張なさることは主張すべきだと思います。
  26. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) 先ほど田畑学長から佐藤教授に対して質問をしてもいいかというお尋ねでございましたが、私はこの公聴会は外務委員会のために設けられたものでありまして、各外務委員の参考のために意見公述人から徴するわけであります。従いまして公述人同士の間の意見の交換ということは公聴会目的を逸脱しておるかのように思います。のみならず実は時間の関係もございますので私個人といたしましてならば両教授の間の意見の相違の点において論争して下さることは非常に私どもの参考になるとは思いまするけれども、併し公聴会としての使命から申しますというと少し外れておるように思いまするのでこの際はお控えをお願いしたいと思うのでございます。
  27. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 先ほど田畑教授がこの協定によつて日本軍事的な義務を負う、同時に再軍備義務を負つたのだ、この二つは峻別して考えなければならんというようなお話でしたが、その点をもう少し詳しく御説明願いたと思います。
  28. 田畑忍

    公述人田畑忍君) それでそう先ほど申上げたのでございますが、軍事的義務と申しますのは、例えば基地を設定する義務であるとか、アメリカの駐留軍の駐留を認める義務であるとかいうようなものは、これは軍事的義務になると思います。そういう義務安保条約が課しておるところであります。そういう義務を課すことは憲法違反にはならないと思うのです。と申しますのは、憲法で禁じておるのは日本軍隊であるとか、日本軍事施設であつてアメリカの軍事施設じやないわけであります。だからそういうことは不可能なわけであります。アメリカの軍隊日本にとどまること、アメリカの軍事基地日本に設けられるということは、これは憲法が禁じていないと考えてよろしいと思います。精神から申しますならばそういうことがあることは望ましくはございませんけれども、憲法はそこまでにそういうものを禁じておるとは考えることができないのでございます。そこまで広い意味にそれを考えることは不可能であると思います。ところが安保条約ではそういう憲法違反にまで至らない。即ち軍事的義務を課しております。従つてそれは憲法違反にはならないと考えます。ところが今度のMSA協定ということになりますというと、そういう軍事的義務強化を更に確認するということをはつきり定めておりますからそういう義務をこの日本としては更に続けて受けなければならないことになるわけであります。その上に軍備を設けなければならない。陸軍とか海軍とか空軍とかいうものを、名前はどういう名前であるにいたしましても自衛軍でありましても、自衛隊でありましても、保安軍でありましても、保安隊でありましてもそれは一向問題じやないのであります。とにかく防衛力としての軍備を作らなければならんという義務を負わされておるわけであります。でありますからそれは憲法違反である。憲法が禁じているのは日本自体が防衛力を持つということでありますから軍備その他の戦力を持つということになるのでありますから、その義務MSA協定は明らかに負荷しておるものでありますから、その協定はこの憲法には違反するものであると考えなければならん。先ほど佐藤教授に質問したかつたのはその点なんでありますが、防衛力というものははつきりMSA協定の八条に書かれております。これはつまり軍備ということであり、その他の戦力を含むということであります。佐藤教授のお考えでは日本国憲法では軍備又はその他の戦力は禁じておるということを言われておる、それは私と同説であります。併しそれであるにもかかわらず防衛力を設けなければならんということを義務付けてある八条をそのままに修正されないというのは私は非常に不審に堪えないわけなんです。そこで質問したいということを申上げたわけでありますが、防衛力憲法が否定しておるとおつしやりながら、それはそのまま残しておいて憲法違反にならないということもわからないのです。これは私の考えでは防衛力というものをあの八条から取つてしまうならば、これは憲法違反にはならないと思うのです。併しそれではMSA協定にはならないのでありまして、アメリカのMSAの要求するというその五百十一条のa項のあれですね、それは何ら合致してないということになる。それはアメリカの認めないことになると思うのでありまして、それで質問したいと申上げたんです。
  29. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 その点を私から佐藤教授に質問いたします。
  30. 佐藤功

    公述人佐藤功君) 只今田畑先生から出されました問題でございますが、まあ私はそのMSA法律のほうがですね、言つております防衛力というような観念が、いわゆる通常意味における軍備のことであるということは先ほど申上げたつもりでございます。でありますからそれを認めながらその点は残しておくのじや駄目じやないかということでございますが、そこで私は先ほど申しましたようにこの第八条の一等最後のところに一項加えまして、この防衛力というのは日本国憲法の認めている、日本国憲法の下においては戦力とはなつてならないものでなければならぬということを入れておこうと、おいたならばまあまあという、そういうつもりで修正意見を申上げたわけです。併しそういうことをしましたならば恐らくMSA目的は達せられないから、アメリカとしては認めないだろうということは私も賛成でございます。それを認めさせるという前提で申上げているわけです。
  31. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 今のに関連いたしますからお伺いするのですが、御両氏にお尋ねします。今のお二人のおつしやつたことでお考えになつておることは大体わかつたようでありますけれども、なお念のためですね、はつきりさせておきたいと私は思うのです。それは今度の協定に言う防衛力なるものの範囲ですね、防衛力と言うからにはその範囲、それと憲法に言うところの陸海空軍その他の戦力という、この概念ですね、その範囲ですね、それがぴたつと合致するものだというふうに解釈しておられるかどうか、それだからもう少しわけて言えば、つまり全然その範囲が合致するとこう認めておられるのか、それから合致しない場合に、或る部分が陸海空軍その他の戦力でない防衛力というものの概念があり得ると、こういうふうに見ておられるのですか、そこのところどうですか。お二人の御見解をはつきりと一つさせて頂きたいと思うのです。
  32. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) それでは先ず田畑学長から。
  33. 田畑忍

    公述人田畑忍君) それじやお答えいたしますが、ここで言う防衛力憲法九条二項の禁じておる陸海空その他の戦力にぴたつと合致するものであると私は考えます。それ以外の防衛力というものはあり得ないと、こういう考えを私は持つております。
  34. 佐藤功

    公述人佐藤功君) 私も第八条で使つております防衛力というものを、先ほど私は申しましたような、但書のようなものを附けない限りはこれは憲法九条で言つております陸海空軍その他の戦力に当ることになるというふうに考えるわけです。
  35. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 佐藤さんのこの修正案を見ますと、むしろ今おつしやつたこととは逆でですね、むしろ両方の概念の範囲というものは必ずしもぴたつと合致しないということを前提にしていないと私はこういう修正案は出て来ないと思う。つまりこの修正案にある憲法の定める限度を超えて、その防衛力を増強してはならない。こういう意味は、つまり限度を超えない防衛力限度を超える防衛力と、二つ予想できるように見えるのですが……。
  36. 佐藤功

    公述人佐藤功君) それは言葉の使い方の問題じやないかと思いますが、私のここでの意図は、つまりこのまま放つて置いてはこの防衛力というものが憲法九条の戦力というものにぴたつとなる、或いはそれを超えることになつてしまうから、だからその憲法の言つている戦力よりも下でとめなければいけない。そういう防衛力でなければならないということをここで言おうとしているわけなのです。だから、ぴたつと一致するとかしないとかいうことでなくして、そういうつもりで書いてあるものとお読みを頂きたいと思います。
  37. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 田畑教授にもう一つお尋ねしますが、先ほどのお話で、憲法第九十六条は、憲法改正の規定であるが、それにもかかわらず、再軍備的に憲法を改悪するということは、改正自体が許されていないのだというお話のようでしたが、これはこの九条からそういうふうにおつしやるのですか、それともほかの見地からそういう意見があるのですか、その点を伺いたい。
  38. 田畑忍

    公述人田畑忍君) お答えいたします。それは第九条から申上げるのではないのです。
  39. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 九十六条……。
  40. 田畑忍

    公述人田畑忍君) 九十六条ですね、九十六条自体といたしますると、そういうものは初めから内在しているものと考えられるわけです。と申しますのは、法の改正ということは憲法だけじやございません。懸法の改正でもその他の法の改正でも、正しく改めるということであつて、正しく改めるということは悪くすることじやない。よくこれは改めること、よく改めるということはどういうことかというと、これは国民全体の幸福になるように、歴史の進んで行く方向に従つて変えるということ、それだけが改正ということになると思うのです。それだけを認めておるのであつて、それに逆行してこれを変えるということは認めていない。こういうように考えなければならない、こう思うわけであります。つまり改正ということについては、そこに法理的な限界が厳然として存在している、こう考えるわけなのです。若しそう考えないならば、結局法を変えるということによりまして、法自身を殺すことになつてしまう。自殺行為になつてしまう。改正の名前において改悪して、結局はその法を意味もないものにしてしまう。その法の持つておるところの精神とか、いいところがすつかりそれによつて潰されてしまう。自殺になる改悪は、そういう自殺を憲法でもほかの法でもこれは認めておるものではないと、こう考えられるわけです。従つて改正というのは、常にそれは国民全体の幸福になるように、歴史の線に沿うて、進歩的に変えられなければならない。それだけの改正である。法の認めておる改正というのは、そういう改正でなければならない。こういう法理から申しておるわけなのです。ほかの条文からじやないわけです。
  41. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 ちよつと関連して田畑教授に伺いたいのですが、御趣旨の点はわかるわけです。併しながら法を改正する場合においては、結果においては悪くもなる場合もある。よくなる場合もある。全体の法の体制の面においてこれが善であり、悪であるという判断をどういう方法でするか。あらかじめこれは悪であるから、従つて憲法九十六条においても手をつけ得ないのであるかということを法全体の体制において、どう確認するかということを一つ御説明を願いたいと思います。
  42. 田畑忍

    公述人田畑忍君) お答えいたします。それは改正であるかどうか、よく改めるものであるか、悪いことであるか、どういう基準の判断をしたらよろしいかという、こういう御質問だと思いますが……。
  43. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 制度としての……。
  44. 田畑忍

    公述人田畑忍君) それは基準は明確にあると思うのです。先ほど申上げました中ですでに言つたのでありますが、国民全体の幸福になるかどうか、それは歴史の線に沿うて変えるべきであるかどうか、それは私は基準だと思うのです。それ以外の基準ではないと思うのです。これは自分がいいとか悪いとか、主観的に考えるものではない。それは客観的に国民全体の考え方に立つて、国民のためになるものであれば、それは改正である。国民のためにならないように変える、歴史の線に反して変えるということは、つまり逆行的に変えるということは、即ちこれは悪く変えることだ、善悪の標準は専らそこにあると、こう考えます。
  45. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 只今の御趣旨は御尤もだと思います。ただそれを現在の態勢において決定付けるものは、例えば国民全体の意思を確かめる一つの具体的な方法は、国民の総投票に持つとか、或いはそういう一つの手段といいますか、方法によつて確認するほかないのであつて、個々の人の考え方、それによつて判断することはできないのであります。国民全体が仮に憲法九条を改正しようということになつても、それはお説のように悪であるかもわからない。悪であるかもわからないけれども、現在の態勢から言えば、そういう一つの方法によつて判断するほかないということになるのじやないでしようか。
  46. 田畑忍

    公述人田畑忍君) それは今仰せになりましたように、国民がそれを悪く変えるということが、実際の問題としてはございます。実際の政治においてもありますけれども、それをよく変えたということはできないと思うのですね。悪く変えたものはやはり悪く変えたと言わなければならんと思います。つまり憲法の改正の規定に反して悪く変えた、こういう事実が残るだけだと思います。そうしてその悪く変えた結果どうなるかというと、必ず国家、国民の不為になると思うのです。それが結果的には必ずそういうことになつて来るわけです。その例は歴史的に幾らでもこれはあると思います。そうして又国会は最高機関であるけれども、悪く変えるというようなそういう権能は与えられておりません。或いは国民はこれは主権者でありますけれども、主権者であるから、どうでもその主権者の思う通り勝手に変えていいということでもないので、主権者であるといえども悪く変えてはならない、こういう法的要請に従わなければならない。これは大事なことと思います。国の力、或いは国定の力によつて、悪く変えるということは、立憲主義の立場から申しましても許されないことであると思います。そういうふうに考えなければ、立憲主義というものは正しく運用されるということにならないと思います。こういうふうに私は考えているわけです。
  47. 羽生三七

    ○羽生三七君 どうですか、時間はまだあるのですか。
  48. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) いや十二時半ぐらいで質疑を打切りたいと思うのです。そうして一時半ぐらいまで休憩するということにお願いしなければなるまいかと思つておりましたが、併しまだ御質疑がおありでありましたならば……。
  49. 田畑忍

    公述人田畑忍君) 委員長、もう少し今のことについて、附言さして頂きたいと思います。
  50. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) 田畑先生、まだ何かございますか。
  51. 田畑忍

    公述人田畑忍君) 附言さして頂きますけれども、それは国民が主権者であるから、主権者の思う通りどうにでも変えてよろしいという学説がございます。その学説は非常に間違つた学説である。つまり専制主義的な学説であるというふうに考えているのです。立憲主義的な学説ではなくて、専制主義的な学説であるというふうに考えるよりほかない。その主権者が君主であるといたしましても、国民であるにいたしましても、その法理は変らない、こう考えております。
  52. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 御意見の点はわかるのであります。ただ例えば国内法……、普通の法律で言えば、現在国会においても、これは国民全体から見まして必ずしも好ましくない、まあ悪とまで行かなくても……、というふうな場合があり得ると思うのです。併し現在の全体の法の体制なり、民主政治のあり方から言えば、憲法に基いて政党の政治は多数によつて一応きまつて行くと思うのです。このことは法理的には一応私は是認しなければならんのじやないか、従つて憲法改正といえども、それは仮に見るところによつて悪であつて、将来国民に不幸をもたらすことがあり得ると或る非常に優れた人が考えておつても、そのときの殆んど全部のものが賛成して直して行くということであれば、それが一応正しいものと是認されるべきじやなかろうかと、まあ私は思うのであります。これはもう議論になりますからこれでやめます。
  53. 田畑忍

    公述人田畑忍君) 今の問題に関連して一応……、議論になりますけれども、今のように考えまして国会の運営がなされるとすれば、それは専制主義的な国会政治になると思います。言い換えれば、それは国会フアツシヨになつてしまうと思います。そういう相貌が多少今呈せられつつあるのは非常に私は遺憾に思つております。これはデモクラシーじやない。デモクラシーの形式を持つた専制主義だ。非常に慎まなければならんことだと思つております。
  54. 高良とみ

    高良とみ君 他の問題に移る前に条約修正ができるか伺いたい。
  55. 佐藤功

    公述人佐藤功君) 時間がございませんから簡単に述べさして頂きます。今までの条約承認を求められました際に、国会の側で修正をしたということは今までなかつたわけでございます。そういう意味でも一つやつて頂きまして、テスト・ケースにして頂きたいというふうに実は思うわけでございますが、私は条約修正はできるというふうに考えるのであります。これにはいろいろ学者の間にも意見がございまして、できないのだという説もあります。併し批准をいたしまして、批准をしたあとの、事後の承認の場合には、私は、条約の内容はすでに確定をしており、又効力も発生しているわけでございますから、それを国会が承認をする場合に修正をするということは、仮にしたといたしましても、それは新たにそういう点でその条約を変える交渉をせよという意味しかないことになると思うのです。ただ、今度のように、批准の前の条約承認につきましてならば、私は修正は可能であるというふうに考えます。そして又その根拠は、憲法自身に、条約について両院の意見が一致しなかつたときには云々という六十一条の規定がございますし、国会法の八十五条にもその場合の両院協議会のことなどについての規定がございます。これは両院の意見が一致しなかつたとき、というのは、衆議院が可決をして参議院が否決したということだけではなく、衆議院の議決に対して参議院が修正をするということも認めた趣旨だというふうに思いますので、それは両院ともできるわけでございますから、それは条約承認についての、承認の場合の修正を予想した規定だと解することができるんじやないかと思います。ただその場合に、もう一つ問題は、私が言いましたような修正は、これは新らしい条文を入れる修正でございまして、削つてしまう、今まであるやつを削つてしまうのならばできるけれども、新らしいやつを殖やすのはできないのじやないかという議論も考えられると思うのです。それの理由は、条約締結し、国会に提案するのは内閣だから、だからそれを新たに殖やすというようなことは締結権或いは発案権的なものを国会が持つていない以上はできないのだ、削除するならできるけれども、増補することはできないという、そういう説もあるんじやないかと思うのですが、併し私はそれは、例えば予算の場合でも、発案権は内閣にあるのですけれども、国会側で、増額修正ができると考えているのと同じような意味で、新たに加えるということもできるのではないかと思います。そういたしますと、国会側としてはどういう手続でそれをなさることになるかと申しますと、私は、若しも国会で、国会と申しますか、議院で修正をするというのならば、本会議におきます場合に修正の動議を出すことができると思います。その修正が否決されたならば、その修正を発議した人は、その原案に反対だということで理窟は付くんではないかと思います。そうして、それが両院の意思が仮に合致いたしまして、国会の意思がそういう修正ということにきまつたといたしましたならば、内閣はどうなるかということになりますと、私は内閣は法律的に拘束される、ただ単に政治的に拘束されるだけではなく、法律的に拘束されると考えていいのではないかと思います。それはどういう結果がそこから出て来るかと申しますと、調印をやり直す、そういう義務が出て来る、そういうふうに考えます。ただ、若しも仮に百歩譲りまして、そういう修正には疑義があるということでありますなら、私は、何ならば留保を附するということでもいいと思うのです。批准に留保を附するということは、これは条約の場合に非常にポピユラーな場合でございましよう。こういう、今私が申しましたような点を、日本国としては留保するということで批准をするということのほうが或いはわかりいいのかも知れないと存じます。以上です。
  56. 高良とみ

    高良とみ君 先ほどからの出ています一点だけ……。
  57. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) 時間がございませんのでほかの委員にお譲り願いたいと思います。
  58. 曾禰益

    ○曾祢益君 簡単に両先生に伺いたいのですが、憲法九条第二項の解釈の一部になるわけでございますが、要するに、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」、勿論日本国が保持しないという規定、これはもう明白だと思うのでありますけれども、最近になりますと、いわゆる陸海空軍、いわば軍隊というものと、次に続いて来る「その他の戦力」というものをはつきり遮断しまして、軍隊かも知れん、或いは軍隊であつてもいい。併し戦力であつてはいけない。これを切離したような解釈をするという人があるのですが、これは厳密な憲法の条文的な解釈、それから制定されたときの国会の論議等を見ると、そういうことは完全に法律的に誤りである。陸海空軍というのは最大の戦力である。その他の……、英語でポテンシヤル、英語から訳した憲法であるというようなあれがありますが、ポテンシヤルという言葉は、むしろ潜在戦力とか何とかというのが英文から来れば正しいのではないか。併しそんなことはいやしくも日本国憲法日本国でできておる以上は、それは一つの参考にしかならないかも知れませんが、併しやはり憲法九条の文理から見ましても、陸海空軍その他の戦力と言つている以上は、陸海空軍勿論戦力の最大なものである、併しそれに至らない、もつとお粗末な戦力であつてもこれは保持してはいけないという非常に厳格な意味だと、これがもう正しいように思うのですが、この点に関しまして、他の委員から御質問があつたかも知れませんが、もう一遍お尋ねいたしたい。
  59. 田畑忍

    公述人田畑忍君) 今のお尋ねでございますが、陸海空軍その他の戦力ということについての政府解釈は絶対にこれは間違つておると思います。従いまして、あなたのおつしやつたような解釈が正しいと思うのであります。全体が戦力であつて、その主なるものが陸海空軍である、こう考えなければならんと思います。従つて、「その他」というのはそこに意味があるのであつて陸海空軍に至らない程度の戦力をその他の戦力、つまり小戦力というふうに解釈しなければならん、政府解釈は、それと反対に、戦力のほうが大きくて、陸海空軍のほうが小さいというのはこれは誤解だと思う。「その他の戦力」と申しますのは、例えば警察でありますとか、或いは消防隊なんかでも、これを戦争に用いるということであればそれは戦力になると思うのです。その他の戦力になる。或いはそういうものでなくても、学校の学生、或いは一般の人間でも、何か戦争のためにこれを動員しまして、石で以て戦かわしめる、竹槍を持たして戦わすということになりましても、その他の戦力ということになると思います。そういうもの一切、つまり小戦力をその他の戦力、こういうように、憲法の「その他の戦力」というのは考えなければならん、そういうふうに私は考えております。例えば、今の保安隊にいたしましても、これは軍備ではございません。今の構成によりますと軍備ではございませんけれども、政府の政策ではこれを戦争に用いようとしております。明らかにそのことを政府はたびたび申しておりまするから、従つて保安隊はその意味においてはその他の戦力に入るわけである。従つてそういう意味におきましては、保安隊憲法違反の存在になつておる、こう考えなければならんと思います。
  60. 佐藤功

    公述人佐藤功君) 私もその問題につきましては今田畑先生がおつしやいましたと同じように考えております。先ほどの私の発言の際にも、政府のこの頃までずつと言つております例の戦力解釈論は間違いだということを申上げたのでございます。それからなお憲法ができたときのというようなお話がございましたが、これは、私はその当時、特に「その他の戦力」という規定が入りましたのは、陸海空軍だけでは不十分である、丁度ヒツトラーのときのヒツトラー・ユーゲントとか、いろいろなああいうものが生ずることをもなくするという、そういう意味で「その他の戦力」というのが入つたというふうに考えますので、曾祢先生の御意見田畑先生の御意見と同じでございます。
  61. 高良とみ

    高良とみ君 一点だけ、先ほど梶原先生が御質問になつた通り、日本の平和憲法は、ただ国内的に効果があるのでなくて、国際的な宣言であるということで、外部からの侵略というふうなものに対しても保護的な効果を持つていると私は今まで考えていたのです。まあベルギーの永世中立とか、スイスの永世中立などと同じように、日本はこういうわけだから戦力は持たない、戦争をしない、交戦権を放棄したという意味で、そういうふうに言えば、これは国内に優先するばかりでなく、アメリカが安保条約のときまでこれを考慮してくれたというばかりでなく、この平和条約と共に、やはり世界のほかの国にも影響を及ぼしていると思う。従つて、これは国際連合加盟諸国にも同じ意味で効力を及ぼしていると、こう考えて間違いありませんか。従つて、これを一国が変えた場合に、又これは裏から言えば、国際連合へ例えば日本が入る場合に、日本はそういう国であるということでこれは通つて行くものと思いますが、そのお考えは如何でございましようか、そうして国民に対しては戦争から保護して、みずから戦わないばかりでなくて、ほかからの侵略を防ぐということをすれば、こういう外部からの侵略ということに対して縷々言うことが非常に無駄な矛盾のように思われるのですが、こういうふうに考えることはどうでありますか。
  62. 田畑忍

    公述人田畑忍君) 今高良さんのおつしやいましたように、日本の平和主義の憲法というのは非常に大きな力を対外的に持つておると思います。これは原爆を日本が持つておるより日本憲法はもつと大きな力だと思う。軍隊を少し持ちましても防衛にはなりませんけれども、この憲法があることによつて日本の防衛というものは非常に完璧になつている、こう申していいのじやないか。これあるが故に、再び日本に攻めて来ることは不可能である。ところがこれをやめてしまつて、小戦力を持てばこれは侵略される虞れるがありますし、戦争に捲込まれる虞れがある。結局日本戦争に捲込まれて悲惨な運命に陥る。ところが、こういう憲法があればそういうことは絶対にない。これは非常に大きな力であつて、原爆、水爆の百倍、千倍の力を持つていると私は考えていいのじやないかと思います。
  63. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 田畑さんに伺いたいのです。私は実は法律的に非常な疑問を持つておりまして、未だに私自身は解釈的にも結論を得ないので困つておるのですが、お伺いしたい点は、中ソ友好条約、中ソ友好条約のできましたときはまだMSAのこの問題が起つていないときであります。一応あの条文の形におきましては、アメリカとの関連において日本が捲込まれるやの形になつておる。あれについてどういうふうにお考えになりますか、簡単で結構ですからお伺いしたい。
  64. 田畑忍

    公述人田畑忍君) 今の問題につきましては私はかように考えております。ああいう条約は、日本軍備を持たなければ意味がないと思います。ありましても何の意味もない。ところが日本軍備を持つことになれば非常な意味を持つて来まして、非常な力を持つて来るのじやないか、かように考えておるわけです。日本軍備を持たない間は、そういう条約が中ソ間にありましても問題ではない。併し日本が一旦軍備を持てば却つて日本にとつて非常な不利になる。従つて日本としては飽くまでも軍備を避けるべきであると思います。
  65. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) 先ほど高良委員の質問に対しまして佐藤教授、御意見がごさいましたらお答え願いたいと思います。
  66. 佐藤功

    公述人佐藤功君) 別に特に申上げることはないように思つております。
  67. 高良とみ

    高良とみ君 それに関連して、中ソ或いはインド、その他の日本が講和条約を結んでいない国と日本との関係でありますが、そういう場合には、国際条約から言いまして、そこは戦争を停止しておらないのでありまするし、又日本と平和条約を結んでいないのでありますから、そうすると法理的に言えば戦争の継続ということになる。そうして一旦国際宣言によつて兵力を捨てた国が再び持つたときには、戦争の継続で、宣戦を布告しなくても、或いは日本戦争をしかけた国がこれは戦争の継続であるとして、日本の船を拿捕し、その他をする権利が生ずるやに考えるのでありますが、その点如何ですか。ただ向うの領海に入つていたばかりでなくて、これは非常に誘発的なものだと思うわけです。そうして又もう一点は、先ほど説明があつた中ソ同盟条約でも、日本の軍国主義の侵略があつた場合にと言つておりますが、日本が再軍備した場合に、これが軍国主義であるか、そうでない、ただ単なる防衛権であるかということの判断は向うに任せるより仕方がないのではないか。向うの基地などを爆撃するということは、これは宣戦がなくてもこれは戦争の継続である、向う側から言えばそうじやないかと思いますが、それはどうですか。
  68. 田畑忍

    公述人田畑忍君) 全く私も同じように思うのです。戦争がまだ続いている状態ですから、これは平和状態に復しなければならんと思います。ところが、日本軍備ができればそういう可能性の途が断たれると思う。非常に心配なことになるのではないか、かように考えます。
  69. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) では午前中の公聴会はこれで終了いたすことにいたします。    午後零時四十八分休憩    ―――――・―――――    午後二時十五分開会
  70. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) それでは午前に引続きまして、これより外務委員会公聴会を開きます。  午後の公聴会公述人といたしましては、元公使の柳井恒夫君、それと京都大学教授田畑茂二郎君のお二方をお願いいたしましたところ、御多用中にかかわらずお繰合せを願いまして、御出席を頂きましたことを厚くお礼を申上げます。のみならず、中には遠路わざわざこの公聴会のためにおいで下すつたかたもおありでございます。一層感謝を深くするわけであります。問題は極めて重要でございますので、どうぞ御高見の次第を十分にお述べ頂きまして、委員会の審議に誤りなきを期したいと存じております。幸いに平素の御研究の結果をお漏らし下さるならば誠に幸甚に存じます。  それでは只今から公述に入りたいと存じまするが、大体三十分から、四十分くらいで、一先ず御意見の御発表を頂きまして、あとは質疑に譲つて頂くことにいたしたいと思います。それでは先ず柳井恒夫さんからお始めを願います。
  71. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 御指名によりまして、いわゆるMSA協定関係につきまして、私の思うところを率直に申上げたいと思います。私はいわゆる下手の横好きと申しますか、いつも条約をいじることが好きでございまして、そういう見地からこの条約につきましても非常な興味を持つて見ておるのでございます。いわゆる相互援助条約とか、或いは同盟条約というものは以前からありましたことは御承知の通りでございますが、今回のいわゆるMSA協定なる相互援助防衛条約は戦前に世界各国の間に行われました相互援助条約乃至同盟条約とは非常に趣きを異にしておるものなのでございます。戦前までありましたところの、いわゆる相互援助条約乃至は同盟条約というものは単なる協議条項にとどまる。協議条項と申しますのは、侵略の脅威があつた場合にはお互いにとるべき手段を協議するというような、単なる協議条項にとどまるもの、或いは共同して防衛に当る、この二つでありまして、そのうち後者の共同して防衛に当るという援助条約乃至同盟条約は、実は強国と弱国或いは小国との間の条約であつて援助に名を借りて強大国が弱小国をその支配の下に置くという条約であつたのでございます。これを条約の名前を挙げて申しますれば、一九一八年イギリスとペルシヤとの間に結ばれました同盟条約のごときは、名は同盟条約でございますが、実はペルシヤの政治経済、一切の権をイギリスに掌握してしまうという条約であつたのでございます。又その後、やはり一九二〇年頃と記憶いたしますが、イギリスとイラクとの間に結ばれました同盟条約、これ又イラクの鉄道、経済軍事一切を英国の手に掌握するという条約であつたのでございます。日本が満州国との間に結びましたいわゆる日満議定書、これはイギリスとイラクとの間の条約をまねして作つたものでございましてやはり正直のところ大国が小国を自分の支配の下に置く、こういう条約であつたのでございます。これに反しまして最近アメリカと西欧諸国乃至又今度日本と結ばれましたところの相互援助防衛条約というものは全く型を異にするのでございまして、世上往々この相互援助条約を目して日本が、或いは西欧諸国がアメリカに対して隷属的関係に入るのではないかというように見る向きもあるようでございますが、これは考えが古いのであつて、戦前多くの国において行われたいわゆる援助条約乃至同盟条約の幻影が今なお頭の中に存しておつて、ああ又これかというような即断に基くものと考えるのでございます。米国が最近世界の多数の国、及び今回日本との間に結びますところのこの相互援助条約と申しますのは、米国から見ますと相手国即ち今回の場合で言えば日本、その相手国の政治経済、治安の安定と充実を目的といたしておるのでございます。これを一つの言葉自衛能力増強という言葉で現わしておるのでございます。この相手国の政治経済、治安の安定と充実ということはアメリカ自身に対する利益であるという考えからして相手国に援助を与える、これがアメリカの考えでございまして、この点は一九五一年アメリカの相互援助法の第五百十一条aに援助のための資格という項目がございます。即ちどういう国に対して援助を与えるかということが書いてあるのでございます。その援助を与える条件なるものを見ますと、アメリカの考えが一に相手国の政治経済、治安の安定と充実を目途とし、それが同時にアメリカの利益であるという考えであることが明らかなのでございます。今回日本締結いたしました相互援助条約の第八条をアメリカの相互援助法第五百十一条のaとお比べになるとその点は極めて明瞭に出ておるのでございます。  そこで最近米国と西欧その他多数諸国との間に結ばれましたところの相互援助条約を読んだ同じ目で今度の日米条約を読んで見るとどういうことになるかと申しますと、大体において同じ様式をとつております。例えば新らしい西欧の例、即ちルクセンブルグがアメリカと結びました相互援助条約、これは一九五〇年の一月の分と一九五二年一月の分と二つからなつておりまするが、このルクセンブルグ条約日本及びアメリカとの条約を比べて見ますと、ルクセンブルグ条約の第一条は日本の第一条であり、第二条は日本の第二条、以下第四条まではずつと条文の番号まで同じでございます。ルクセンブルグ条約の第五条二項が日米条約の第本条になり、ルクセンブルグ条約の第六条が日本の第七条になるというような調子でずつと同じでございます。ルクセンブルグ条約は全文八カ条から成つておりますので、日本の条文より少いのでありまするが、ルクセンブルグ条約に出ておることは、条文の番号こそ異にいたしますが日本アメリカとの間の条約に出ておるのでございます。そこで日本のほうが条文が多い。それはどういうことであるかというと、ここに日米相互援助条約というものが、アメリカが他の多数諸国と結んだ条約と比べましていろいろ特色があるということになるのでございます。  然らば如何なる特色があるかという点を先ず見るのでございます。私といたしましては、西欧諸国の結びました条約、殊にルクセンブルグを例にとりまして日本の今度結んだ条約と比べて見ますと、日本の場合においては五つの特色があると考えるのでございます。第一の特色は、日本が主権国としてその固有の権利として自衛権を持つているということを再確認した点でございます。第二は、協定の実施は憲法上の規定に従うということを言つておる点でございます。第三は、いわゆる域外調達、アメリカがよその国に対して援助をなすために物を買う、それを日本で買うという域外調達の主義を採用しておるという点でございます。第四は、日本が支出する行政事務費は必要の最小限度に制限するという主義を確立しておる点でございます。第五は、日本の負担する軍事上の義務安全保障条約以上に出ないということを認めておる点でございます。この五つが日本の今般結びました相互援助条約において他の条約に比しての特色或いは少くとも注目すべき点であると考えるのでございます。  只今挙げました五つの特色の中の第一の点、日本は主権国としてその固有の権利たる自衛権を有すということを再確認した点、これは今度の条約前文にございます。これは非常に重要なものであると思います。殊に日本のごとく今日まで占領下にあつた国におきましては、これは極めて重要な条項でございます。国際法上、独立主権国家といたしましては幾つかの基本権なるものがあるのでございまして、自衛権というものはこれは国際法上いやしくも独立主権の国家の基本権の一つでございます。我が日本憲法第九条も、自衛のためにする実力行使というものは条文上禁止しておらないものと私は解釈をするのでございますが、仮に日本憲法第九条は自衛のためにする実力行使を禁止しておると解釈いたしましたといたしましても、これは国際法上から見れば、日本国家として、独立国家として固有に持つておるところの自衛権をただ行使しない、自分が行使しないと言つておるだけであつて、何も対外的、国際法上の自衛権がなくなつたのではございません。日本は独立国家として常に国際法上文対外的には自衛権を有しておるのでございます。そうしてこの自衛権を発動すべき状態が発生したか否かという判断は、これは常に自国、この場合においては我が日本のみがその判断をなすべき地位にあるのでございます。このことは一九二八年七月十九日不戦条約締結に当りましてフランスが発表いたしました覚書の中にも明確に記されており、いずれの諸国もこれを争わなかつたことでございまして、自衛権を発動するや否やはただ自国のみが判断をなしたものであります。言い換えれば、他国の判断によつて自衛権を発動するものではない。更に言い換えますならば、日米相互防衛援助協定を結んだからといつてその結果日本米国の判断に従つて自衛権による武力行使をしなければならんということにはならないのでございまして、常に日本自衛権を発動する、自衛権による実力行使をする場合でも日本独自の判断でするということになるのでございまして、この主義がこの条約前文によつて明らかにされておる、再確認されておるということは誠に喜ばしいことだと拝見いたしました。  次に第二の特色、即ち本協定の実施は憲法上の規定に従うということでございます。相互援助協定の第九条の第二項に記してございます。日本憲法の第九十八条において、憲法条約とはいずれも日本国の最高法規とされておるのでございます。又日本憲法を離れまして国際法上から見ますれば、いやしくも国家条約締結した以上、その条約は守らなければならない、仮に条約に反する国内法があつて条約を守ることができない場合には、この国は国際法上は条約違反の責任がある、こういうことになるのでございます。即ち我が国憲法九十八条から申しましても、又国際法上から申しましても憲法の法規と条約というものはいずれも最高のものなのでございます。従つてときによつて国家はこの間に板挾みとなつて困るということもあるのでございまして、この矛盾を解決するものが、協定の実施は憲法上の規定に従うという今回の協定の第九条第二項の精神であると申さなければならないのであります。即ち日本憲法というものがこのMSA協定よりも上にある、日本憲法の優位性をここに確立したものであると、こう考えるのでございます。又この自国憲法解釈というものは、自衛権の場合と同様、自国のみが判断する、日本憲法解釈如何は、これは日本のみが解釈することでございまして、従つて例えば我が憲法第九条第二項の解釈につきましてはいろいろの御説があるようでございますが、併しいずれにしても日本国解釈に基く憲法第九条第二項の規定に従属してこの相互援助協定というものは実施せられるのでございます。私の目から見ますると、憲法と相互援助協定との関係如何、或いは又これは憲法違反であるかないかというようなことは、実はこの協定第九条第二項によつてはつきりと解決済みである。日本憲法の優位性を確立されておる、こう考えるのであります。  第三の特色、これは日本経済の安定の重要性というものがこの協定に特に強調されておることでございます。これは協定前文及び第一条のみならず、附属書のAにも出ておるのでございます。他の国の援助条約の例を見ましても、経済の復興が重要であるというようなことが書いてあるのがございますけれども、我が国のごとく、特にこれを強調して更に経済措置協定の第一条において五千万ドル買付けのうちの四千万ドルは、我が産業の発展に充てる、そうして域外調達主義によつてこれを使うということでこれを具体化しておるのでございまして、この点は我が国の産業発展、経済の安定という上に非常に重要且つ結構なものだろうと考えるのでございます。この点につきまして実は甚だ偶然でございますが、私の知つておりますアメリカの或る有力な法律家が東京におるアメリカ人に手紙をよこしたのを入手いたしたのでございます。その手紙を見ますと、こういうことが書いてあります。自分は日本経済の前途というものには実は愛想をつかしておる。今の日本のように国内の物価が高く生産のコストが高く而も技術は幼稚である。これで世界の市場で一体如何なることができるのか、日本はもうじり貧になるにきまつておる。これをアメリカとしては何とかして助けたいという考えの人も多いが、併しアメリカにもいわゆるタクスペアーがおる。日本経済をただ救うためにといつてアメリカの国民の租税をそうは使えない。幸いにしてこの相互援助条約だとアメリカの金を出せる。その結果はアメリカの優秀なる工作機械等を使つてそうして日本経済を発展さして、日本の生産費を下げて、そうして而も技術を向上させるということに多少役立つだろう。勿論これはバケツの中に数滴の水を落すようなものではあるが、いずれにしても結構なことであるということを書いておるのでございます。この法律家は丁度本日の十二時半に東京へ着くはずでございますが、アメリカ人同士の間の手紙の往復であるというところに私は非常な興味を感じたのでございます。  第四の特色は、これは行政費を必要の最小限度に制限するという原則を明確に記したことでございます。行政事務費は日本政府が随時円貨で支出するということになつております。それはほかの国もそうでございます。これを最小限度に制限するということは当り前のようなことではありますが、今後毎年お互いの間に話するときに、この主義が明瞭に書いてあるとないではえらい違いでございます。この主義が我が国協定においては附属書Gの第一項に書いてございますが、その結果、将来この問題についての対米交渉上我が国の立場は非常に有利になるものと考えておるのでございます。これは私も多少外交交渉に関係いたしました経験のある者といたしまして、こういう主義が書いてあるとないでは非常な違いを生ずるのでございまして、誠に結構な規定と拝見いたしました。  特色の第五は、日本の負担する軍事上の義務でございます。米国の相互援助法によりますと、援助を受ける国の資格というものが六つほど掲げてございます。いずれも六つのうち他の条件は大したことはありません。国際間の友好関係を増進するとか、援助でもらつた資材やなんかを無駄に使つちやいけないというようなことが書いてございますが、そのうちに一つ軍事上の義務履行するということが書いてあるのでございまして、その結果、北大西洋条約加盟国のごときは非常な軍事上の義務がございます。又一九五〇年十月韓国がアメリカと結びました援助協定のごときは、韓国が武装軍隊を国連に提供するため云々というような言葉が書いてあるのでございます。然るに我が国においては安全保障条約による軍事上の義務ということが書いてあるのでございます。これは協定前文協定の第八条に書いてございます。安全保障条約による我が国軍事上の義務は何であるかと申しますと、第一は米軍の日本における駐留を許容するということ、第二には第三国に対して基地を提供したり第三国の軍隊通過を認めないということだけでございます。言い換えればこれは消極的義務でありまして、積極的に実力行使するという義務がない、この安全保障条約による義務だけでございます。而も協定第九条の第一項を見ますと、この援助協定というものは安全保障条約に対して何らの改変を与えない、影響を与えないとあるのでありますから、援助条約を結ぶということによつてこの安全保障条約による日本軍事上の義務、即ち消極的義務が積極的義務に変るということはないのであります。世上往往にして心配されておりますところのいわゆるこの協定を結んだ結果、日本が海外派兵の義務を負うのではないか云々という心配、これは即ち根拠のない杞憂に過ぎないということになるのでございます。  大体以上のように私は五つの特色につきまして申上げたのでございまして、これを結論として申しますならば、この協定日本の得る利益というものは何かというと、いやしくも独立の国家として自立する能力、即ち装備のみではなく、経済安定、産業の発達等一切を含んだ自衛能力、この自衛能力を高めるためにこの協定米国から援助が来るということが日本の得る利益である。そしてアメリカの受ける利益は何であるかと申しますと、日本経済が安定して自衛能力が増加する、それがアメリカの利益である。こういうことなんでございます。先ほども申上げましたアメリカの法律家、これはリツチという男でありますが、これはリツチの手紙にも、米国で一番有難いのは日本が安定した立派な国になるということだと書いてあります。これは米国識者の偽わらざる感想だろうと思います。そして而も日本はこの協定によつて勿論例えば行政費負担とか、もらつたものは横流ししないとか、そういう細かい義務は別といたしまして、根本的に見まするならば何ら新たなる重要な義務というものを日本は負つておらないのでございます。日本義務としてこの協定に出ておりますものは第八条に六つございます。それから附属書Dに貿易の統制に関する条項がございます。これだけでございます。第八条に書いてありますもの、これは要するに日本は平和条約を結んだときにすでに認めたということなんでございます。又附属書Bも同様でございます。日本の結びました平和条約前文には日本は国際連合に加入の申請をする、又国際連合憲章の原則を遵守する、これは加入をしないでも遵守すると言つておるのであります。更に平和条約第五条a項の三号には、国連のきめたいろいろな行動を日本援助する義務を国連加入前からすでに負つておるのでございまして、従つてこの協定に述べてあるところの日本義務というものは実は平和条約のときにすでに日本が負つた義務でありまして、国会の絶対多数の御承認の下に日本政府批准いたしました平和条約ですでに負つた義務なんでございます。  なおこれもよく新聞あたりに出ております意見日本はこの条約締結によつて世界の二つの陣営の一つに入つた、何も片方に入らないでもいいじやないかというような議論があるようでございますが、只今申上げましたように、これは平和条約でもきめたことなんでございます。平和条約日本は国連の枠に入つたのでございます。いわゆる平和愛好国、これは国連憲章に使つてある言葉でございまして、最初国際連合がブレトン・ウツズででき上るときに、平和愛好国の間の一つの団体にしようという言葉が使われた、爾来使われておるのであります。即ち日本は平和愛好国の群に入つたのでございます。これは国連憲章の第四条にある言葉でございます。又いわゆる二つの世界とよく言われております片つ方のソ連、このソ連も国連の一員なんでございます。従つて日本がこの国連の枠に平和条約以来入つておる、そして今回の援助協定においてもこの国連の枠の中でこの協定を結ぶ、いろいろのことをするということを以て一概にこれはソ連と反対だと考えるべきではない、ソ連もこの国際連合の一員なんでございます。  なお日本の中立性ということからこの経済統制の件、即ち附属書Dの点につきましていろいろの議論もあるようでございます。この点につきましては私は永世中立国のスイスの事例を思い起すのであります。スイスは前の国際連盟ができましたときにこれに加入いたしたのでございます。いやしくも永世中立国としてのスイスが国際連盟に加入すれば国際連盟がきめるところの武力制裁、或いは経済制裁に入らなければならない。それでは中立にならないではないかということになるのでございます。当時スイスは軍事上の制裁、軍事行動については入らない、併し経済問題については国際連盟のきめるところに従うということで国際連盟に加入いたしたのでございます。永世中立国としてすでに一八一五年以来世界各国に認められ、今では確立せる国際法の原則としてまで認められておる、由緒の深い中立国たるスイスにおいても経済に関しては国際連盟の決議に従つてその行動を共にするというふうになつておるのでございます。なおスイスのことにつきましてはジヨルジユ・ワグニエールと申すこれはスイスの公使であつて国際法学者であつた人であります。その人が非常に面白いことを言つております。曰く、スイスは常に中立を維持する、併し戦うことをこわがるものではないのだ、その証拠にはスイスは過去長い歴史において百回の戦闘をやつて来ておるのである、ただスイスの嫌うのは侵略戦争を嫌うのである、他国がスイスを侵略して来たときにはスイスはあらゆる犠牲を払つて自己の領土を守り、自己の独立を守るのである。更に又よその国同士が戦争をして、そしてそのうちの一国が我がスイスの領土を侵害するという場合には、スイスはもう一つの国と一緒になつてこれを撃退することさえあえて辞さないのである、併しスイスとしてはどこまでも国連との関係においては経済共同措置についてのみ協力する、併しそれをスイスとしてはみずから発議はしない、国際連盟のなす経済制裁に協力するという程度であつて、みずから発議しないのであるということが書いてあるのでございます。そこで今回の日米協定の附属書を見ますと、やはり果してこれが影響されておるのか、この点を政府当局がお考えになつてお書きになつたかどうか知りませんが、日本国政府は他の平和愛好国の政府と協力すると書いてございます。これはみずからは発議しないでいい、よそのやる、お付き合いをよそ並みにやつて行けばいい、こういう意味に私は解釈するのでございます。甚だ粗末でございますが、これで終ります。
  72. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) 有難うございました。柳井氏に対しまする質疑は後刻お願いすることにいたしまして、田畑公述人公述をお願い申上げます。どうぞ。   ―――――――――――――
  73. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 御指名によりまして私見を述べさして頂きたいと思いますが、私は米国といわゆるMSA協定、つまり相互防衛援助協定締結することによつて日本米国に対してどのような立場に立たされることになるかそれが果して日本の独立と安全を維持する上にプラスとなるかどうか、そういつた点を政治的な角度から話して見たいと思うのでございます。  先ず第一の点でございますが、この点で何よりも明白なことは、MSA援助を受ける代償として日本米国に対して自衛力の増強、わかりやすく申しますと、再軍備義務を負わされる、負わなければならなくなるということであります。この点を規定しておりますのは、日米相互防衛援助協定第八条でございます。そこでは、日本国政府が「自国政治及び経済の安定と矛盾しない範囲でその人力、資源、施設及び一般的経済条件の許す限り自国防衛力及び自由世界防衛力の発展及び維持に寄与し、」この寄与し、というのは、実は原文ではフール・コントリビユーシヨンになつておりまして、前に外務省が米国の相互安全保障法の訳として出ておりますものでは、全面的寄与ということになつておりますが、どういうわけでございますか、今度の日米相互援助協定におきましてはフールは訳さないで、単に寄与となつております。全面的な寄与、十分な寄与ということであります。「発展及び維持に寄与し、自国防衛能力の増強に必要となることがあるすべての合理的な措置」をとらなければならないということになつております。そこでこの第八条の規定でございますが、この規定米国の相互安全保障法、つまりMSAでございますが、MSAの第五百十一条Aを大体そのまま取入れたものでございます。この第五百十一条と申しますのは、MSAの受領国が、それに同意をした場合に初めてMSA援助を与えるというMSA援助、殊に軍事援助、防衛支持援助を受ける場合の条件規定したものでありますから前記第八条の規定MSA援助を受ける代償としての日本の一般的義務を定めたものであることは極めて明瞭かと思うのでございます。実は外務省のこの協定に対する説明書を見ましても、第八条につきましてこれはこの日本国政府が再確認し又は受諾する義務について規定するということを申しております。第八条によつて日本が新たなる義務米国に対して負うということを外務省自身も認めておるのでございますが、私の今申上げましたように、第八条の規定からいたしまして、日本は再軍備義務を負うということは明瞭かと思うのでございます。御承知のように日米安全保障条約前文におきましては、日本が「自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負う」ということを米国期待するということが示されてございます。MSA援助を受けますと、単なる期待ということだけではなくして、期待されていたに過ぎなかつた自衛力の漸増というものが条約上の義務にまで発展するということ、従つて日本自身がその再軍備するかどうかをみずから自由に決定することもできない立場に追込まれて来るということを我々としては先ず知らなければならないと思うのでございます。最もこの場合日本政治及び経済の安定と矛盾しない範囲、或いはその人力、資源、施設及び一般的経済条件の許す限りという限定が付いております。従つて自衛力増強の程度については話合いの余地が残されておるというふうに一応見られるのでございますが、併し米国の要求を日本としてどの程度まで拒否することが実際できるか、それには限度があるのじやなかろうかと思うのでございます。と申しますのは日米相互防衛援助協定の第八条を見て参りますと、米国の提供する援助は一九四九年の相互防衛援助法や一九五一年の相互安全保障法の当該援助に関する規定従つて行えるということになつておりますが、相互安全保障法の第五百十一条のCの3というところにおいては、援助はこの法律目的達成の度合に比例して与えられるとはつきり規定しているのであります。結局援助日本防衛力に比例して行われる建前になつておるのであります。MSA援助によつて今後日本の重要基礎産業の中に構造的な変化が生じて、MSAなしではやつて行けないということになりますと、結局自衛力増強の必要量の判定の鍵が米国に握られることになるのじやないか、つまり米国の意向によつて日本の再軍備の形態及び内容といつたようなものが決定される可能性があるのじやないか、こういうふうに考えるのであります。  このように相互援助協定によりまして、我が国米国の意向を汲んだ自衛力の増強、簡単にわかりやすく言えば、再軍備実施の義務を負うことになるのでございますが、更に最も我々として重要な点として注意しなければならないことは、かくして増強された日本自衛力、即ち再軍備が単に日本防衛を目的とするだけというにとどまらないという虞れがあるということであります。この点を最も明瞭にいたしましたのは、昨年の六月二十四日MSAに関しまして出した日本政府の質問に対して行われた米国政府の回答の内容でございます。この中で米国は、日本政府日本援助が与えられる場合、日本政府としてはこの援助により国内の治安と防衛とを確保することを得るに至れば、基本目的は十分達せられたものと了解するが如何と問うたのに対しまして、こういうふうに答えております。即ち、この計画に基いて日本が受けることになる援助は、日本をしてその国内の治安を維持し、且つ平和条約第五条C項において保障されている自発的な個別的又は集団的自衛の固有の権利を一層有効に行使することを可能ならしめることにより、この計画の主要目的を達成しようとするものであるというふうに答えておるのでございます。つまり日本政府が防衛の確保ということを言つたのに対しまして、米国政府は防衛という言葉を使わないで個別的又は集団的自衛権の有効な行使という文句に切換えておるのでございます。集団的自衛権につきましては、今度の相互防衛援助協定前文でも取上げておりますが、米国の回答の中で防衛という言葉の代りに、集団的自衛権という言葉が特に持出されておる点は、我々としては注意する必要があるかと思うのであります。  それではこの個別的自衛権とか、集団的自衛権というのは一体どういうものであるか。このうち個別的自衛権と申しますのは、従来自衛権と普通に考えられていたものを指すのでございまして、大体において防衛というのと同じように理解していいと思います。併しながら集団的自衛権と申しますのは第二次大戦後国際連合憲章の第五十一条において初めて登場した新らしい観念でございまして、連帯的関係にある国が他から攻撃を受けた場合、自国が攻撃を受けていなくても自国が攻撃を受けたものと同じようにみなして反撃することのできる権利をいうのであります。要するに他の国家援助するための権利でございます。このような新らしい自衛権観念が憲章第五十一条に登場しましたのには次のようないきさつがございます。即ち米大陸諸国家は国連憲章を審議いたしましたサンフランシスコ会議が開催される二月前の一九四五年の二月、メキシコのチヤプルテペツクという所におきましてチヤプルテペツク協定なるものを締結した。それによつて戦後米大陸諸国家が相互援助条約締結しようということを約束しておつたのであります。ところがサンフランシスコ会議に出て見ましたところ、そこに提出されました憲章の草案では、現在憲章の第五十三条になつているようでございますが、地域的取極を締結した場合、それに基いて強制措置を発動するというときには、あらかじめ安全保障理事会の許可がなければならないということになつておる。そしてこの安全保障理事会の決議には五大国に拒否権が認められるという形になつてつたのでございます。若しも大国の拒否権が認められるということになりますと、大国或いは大国の支持を受ける国家が攻撃をして来た場合、それに対して相互援助条約に基いて強制措置を発動しようといたしましても安全保障理事会の許可が得られないことはこれは必至であります。だからチヤプルテペツク協定約束に基きまして戦後全米諸国家が相互援助条約締結したとしても、実際は実効性のないものとなる危険性が生じたのでございます。それでは困るということからいろいろと考えた末、いわば第五十三条の抜道として工夫されたのがこの集団的自衛権観念でございまして、これを自衛権について規定しております第五十一条の中に取入れて、これも又自衛権なのだから安全保障理事会の許可がなくても相互援助ができる、強制措置が発動できるということにしたのでございます。こういういきさつによつても明らかでありますように、集団的自衛権と申しますものは、名は自衛権でございますが、実質的には相互援助の権利、即ちたとえ自国が攻撃されなくとも連帯関係にある他の国家が攻撃された場合においては、自国が攻撃されたとみなして他国援助をするという権利でございます。一九四七年九月の全米相互援助条約を初め、一九四八年三月の西ヨーロツパ五カ国条約、一九四九年四月の北大西洋条約など、戦後西欧諸国家締結いたしました相互援助条約はすべてこの権利を根拠にして作られておるのでございます。このようにして見て参りますと、米国日本に対する回答の中で、防衛という言葉を使わないで、日本が防衛に用いたら十分ではないか、こういうふうに、本条約に対しまして防衛という言葉を使わないで、その代りに集団的自衛権の有効な行使ということを持ち出して来ておるということは極めて意味深長でないかと思うのでございます。つまりMSA援助によつて作られる日本軍隊は、単に日本防衛のためだけではなく、他国の援助をも予定したものであるということを我々は認識しなければならないのではないかと思うのでございます。日本の再軍備米国がどのように考えておるか、それを示すいま一つの有力な材料といたしまして、対日講和条約が調印されましたサンフランシスコ会議における米国の大統領トルーマン氏の演説を挙げることができるかと思うのでございます。彼は今申上げました米国の回答の中で触れられておりまする講和条約第五条C項の自衛権に関する規定に関連いたしまして、次のように述べられておられるのであります。即ち太平洋における平和を維持するための適当な安全保障取極にできるだけ早く日本を包含することは絶対に必要である、これは日本自身を保護するためにも、又他の諸国を保護するためにも必要である、それ故この平和条約日本が主権国として国連憲章に基いて自衛権及び他の諸国との防衛取極に参加する権利を有すべきことを認めたのである。太平洋における防衛のため地域的取極を発展させることは、創設されることのある日本の防衛軍は太平洋における他の諸国の防衛軍と連合することとなるのを意味するものである、こういうふうに述べておるのであります。今度の日米相互防衛援助協定を見て参りますと、その中には直接相互援助とか或いは日本の海外出動を義務付けた明文の規定はございません。併しながら、第一条には相互の合意に基いてではございますが、相互に或いは他の政府に対し役務その他の援助を提供するといつたことが記されております。この規定によつて将来日本軍の他国援助、海外出動といつた事態が発生する虞れがありはしないか、その虞れなしという保障は見当らないのでございます。それに以上述べましたようなMSA協定締結の背景となつた事情、又協定前文において日本の集団的自衛権、個別的自衛権でなしに、集団的自衛権が再確認されておる点などを考えまするならば、MSA援助によつて予定されておる日本軍隊が、単に日本防衛の部隊にとどまるものであるかどうか、甚だ疑問だと言わざるを得ないのでございます。協定調印のときに外務大臣は、我が国が受諾する義務は我々が日米安全保障条約に基いて、すでに引受けた義務履行を以て完全に充足されるものであり、それと別個の新らしい軍事的義務我が国の治安部隊の海外派遣義務などを生じないのであります、という挨拶をされております。又アリソン米国大使はこの相互援助防衛協定の中には日本がその青年たちを海外に派遣しなければならないという規定はどこにも見当りません。又日本政府がその自由意思に基いて同意しないような行動を日本がとらなければならないという条項も見当りません。こういうふうに述べておられます。併しこれらの言葉によつても我々としては十分に安心することができないのでございます。成るほど協定の中には海外出兵義務というものを規定した文句はありません。だから法律的には厳密に申しますれば協定によつて日本は海外派遣の義務を負わせられてはいないということは一応言えるかと思います。併しながらそれだからといつて、こういう法律的問題がないからといつて、海外派兵の事実上の可能性が全くないとは言い切れないのでないかと思うのでございます。前に挙げました米国MSAに関する回答、それから協定前文、それから第一条の規定などを見て参りますと、日本の自発的な意思或いは日米両国の合憲といつた形で必要な場合に他国援助のための派兵が行われる可能性はないと言えないのではないか、少くとも米国としてはそういうことを期待しているということは否定できないのではないかと思うのでございます。アリソン大使の挨拶の中で、日本政府がその自由意思に基いて同意しないような行動を日本がとらなければならないという条項はないと述べていられることはこれ又極めて意味深長なものであります。これは逆に申せば、日本の自発的意思或いは日米の合憲に基いてならば日本自衛隊の海外出動といつた事態もあり得るということを暗に示したものと見ることができるのではないかと考えるのでございます。御承知のように、この行政協定の二十四条におきましては、緊急事態に対する共同防衛について規定しておりまして、日本区域において敵対行為又は敵対行為の緊迫した脅威が生じた場合に日米両国政府日本区域防衛のため必要な共同措置をとるため直ちに協議するというふうに規定されております。日本が再軍備するというふうになりますと、この規定によりまして日本自衛隊米国と共同作戦をするという可能性が出て来るわけでありますが、このたびの相互防衛協定を今先ほど申しましたいろんな事情から検討して参りますと、今度は更に一歩を進めると単に日本区域に対する武力攻撃、或いは武力攻撃の脅威があつた場合だけでなく、米国や第三国援助のために必要な場合、日米の念慮を通じて自衛隊の海外出動といつた事態が生ずる可態性が前面に現われて来たと言えるのではないだろうか。前に挙げたようないろんな事情を考えますとそうした懸念というものを払拭することができないのであります。この場合日本の自発的意思或いは日米の合意に基く派兵という形態がとられるにいたしましても、MSA援助によつて今後いよいよこの軍事的、経済的に米国に依存せざるを得なくなり、日本といたしましてはどこまで米国の要求を拒否することができるか、甚だ疑問だと言わざるを得ないのであります。要するにMSA援助による再軍備は単に日本防衛のための再軍備と言い得ないものでありまして、米国の世界政策の一環として予定された再軍備であり、海外出動可能性も全くないと言い切れないことを知らなければならないのであります。米国の相互安全保障法の第二条におきましては、MSA目的といたしまして、自由世界の相互安全保障並びに個別的及び集団的な防衛の強化といつたことが謳われております。従つてMSAを受けることによりまして日本は共産主義諸国家とはつきりと対立する自己の立場を明確にするということになると思います。更に相互防衛援助協定の附属書Dを見て参りますと、日本は世界平和の維持を脅かす国との貿易を統制する措置をとることについて、米国その他の平和愛好国と協力することが規定されております。ここでこの世界の平和の維持を脅かす国というのは一体どういう国か、恐らく中ソなど共産主義諸国を意味するものとして用いられておるのではないかと思います。これによりまして日本は好むと否とにかかわらず米国の政策によつてその対ソ、対中共貿易を制限せられるという立場に立つわけでございまして、これらの諸国家との国交調整は勢い困難になるのではないかと思うのでございます。このようにいつまでも目前にある中ソ両大国との国交調整の機会が失われ、これらの国家との対立関係の中にみずからを投ずるということが果して日本の安全を図る上に賢明な措置であるかどうか。日本の真の安全を図るためには何をおいても極東における国際的な緊張というものが緩和されることが望ましいと思うのでございます。対立が激化いたしまして万一戦争にでもなりましたならば、原子力戦争の今日の時代におきましては日本が再軍備をし、たつた三十万や五十万の軍隊を擁したといたしましてもそれはものの数ではないのでありまして、戦争の帰趨がいずれに帰するといたしましても日本全土が太平洋戦争の場合とは比べものにならない惨禍を受けることは必定と思うのでございます。日本の安全を望み、極東における国際的緊張の緩和を望む者の一人といたしまして、私はこの協定には多大の疑問を持つものでございます。以上簡単でごさいましたが、終ります。
  74. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) 有難うごさいました。  それでは両公述人に対しまして御質問のあるかたはお願いいたします。
  75. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 田畑さんに一つお尋ねしたいと思います。  集団的自衛権の発動といいますか、むしろその成立、その前提要件の一つとしてさつき先生の使われた言葉を使いますれば、いわゆる連帯関係にある国が攻撃を受けたときという、つまりその連帯関係、その点についてそれが一つの集団的自衛権の発動というか、むしろその成立の前提要件になつておるわけですが、それでいわゆる連帯関係というものは何を指すかということが問題になつて来ると思いますが、この協定はいわゆるその場合連帯関係を構成すると、こういうふうに見ておられるかどうか、つまり連帯関係は集団自衛権の成立、或いは発動の前提要件を構成するものだというふうに見ておられるかどうかということです。
  76. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 只今の御質問でございますが、連帯関係、集団的自衛権観念前提になつております連帯関係と申しますのは、必ずしも条約上の根拠を要しないというふうにかなり融通無礙に理解されておるのではないかと思うのでございます。例えばこれは実施されませんでしたが、曾つてギリシヤに対する米国援助をする場合、これが集団自衛権の権利の行使として説明されたかのように伝えられたことがあります。それに鑑みますと、必ずしもこの条約とか、他の条約というものが日本と他の国家になくても、いろいろな他の条件によつて結ばれておる、例えばこれまでの友好関係とか、そういうもの、それから地理的な接近とか、いろいろな他の要素によつて結ばれておる場合にもやはり集団的自衛権の発動ということが認められる、そういうふうに私は考えます。そういう意見がかなりございます。
  77. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 今おつしやつたように、必ずしも厳密な意味条約関係というものはなくてもよろしいと言われることは私もよくわかるのですが、併し何かそこに抑えるものがやはりなくちやならんと思うのです。その場合に一番はつきりしたものは、この協定とか、条約とかいう、非常にそれが何と言いますか、その場合が一番はつきりするわけですか……。それから私がお聞きしたいのは、この協定などがあれば、そこのいわゆる集団自衛権の発動の前提、或いは成立条件としてのいわゆる連帯関係がはつきりするというふうに言われるかどうか。
  78. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) それは私はその通りだと思います。こういうMSA援助を受けるという協定日本米国との間に作られる、そしてMSA協定というのは自由世界の集団的防衛の強化というものを目的としておるのでありまして、そういう協定米国との間に締結する、米国からそういう意味での援助を受けるということになりますならば、これは日本米国との連帯関係というものが明確になつて来ると言えると思います。
  79. 高良とみ

    高良とみ君 関連してお伺いしたいのですが、アメリカのMSAができましたのは昨年度内のたしか二月だつたと思います。そのMSAのいろいろな援助条約をまとめて作られたMSA、それができなかつた前のアメリカがいたしました条約、特に私お伺いしたいのは朝鮮とアメリカとの相互援助軍事同盟というようなものは、やはり完全な相互援助条約であると私は了解しておるのですが、そうすると、台湾と結んでいるものがどういうふうになつているか、それからトルコとアメリカ、それからパキスタンとアメリカ、これはスペイン、アメリカとのMSAとはちよつと時期が早いと思いますので、その辺国際条約上からお教え願います。どういう差がありますかということ。それは勿論同じく相互安全防衛条約と分類してよろしうございますか、どちらの先生からでも結構でございます。
  80. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) それは協定の内容の問題でございますね。
  81. 高良とみ

    高良とみ君 協定軍事的性質はどうであるか、やはりそれらの国に対する外部からのアタツクというものはすべてアメリカの安全を妨げるものとして直ちに措置をとる性質のものであるかどうか。只今の御説明のあつたような相互安全保障条約、それの強化というふうなことになると、そういう性質と了解して間違いありませんか。
  82. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) ちよつとはつきり意味が……。
  83. 高良とみ

    高良とみ君 朝鮮とアメリカとの条約はどうであるか。
  84. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 朝鮮とアメリカは昨年八月に米韓相互防衛協定でございますか、あれが締結されておりますが、それはいわゆるMSA援助というものとは違うのでございまして、それとMSAとの関係でございますか。
  85. 高良とみ

    高良とみ君 比較、更に申上げれば純粋な軍事同盟条約MSA、韓国には更にそれに……。
  86. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 例えば先ほど私が申上げましたことで幾分誤解を招くかと思いますのは、それはMSA協定ですね、この相互防衛援助協定によつて日本米国とのいわゆる相互援助条約なるものが成立したという意味ではないのでございます。米国日本援助しなければならない、日本米国援助しなければならないというふうな相互援助条約がこれによつて作られたのではないのであります。ただそのいきさつから見ますと、例えば昨年のMSAに関する米国の回答などを見ますと、集団的自衛権の有効な行使というものが日本MSA援助の主要な目的であるということを言つているという関係から、日本米国に対する義務という形でないが、日本の自発的意思或いは日米の合意というような形態をとつて集団の自衛のための行動が将来問題になつて来るのではないか、そういう意味で申したのでありまして、他の国と米国が相互援助条約を作つている場合とは性質が違つております。
  87. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 そこのところをもう少し……。他の諸国との相互援助防衛協定ですか、それと日本と違つておる点。
  88. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) こういう発展過程をとつて行くのではないかと思います。実は講和条約が調印されました年の四月の十八日、たしかそうであつたと思いますが、ダレス氏がマツカーサー元帥が罷免された後日本にやつて来られて、東京で内外の新聞記者と会見されたときに、極めて注目すべき発言をされておる。それは、今問題になつておる日米安全保障条約というものは日本軍隊を提供するという義務を負わないものである。併しこれは暫定的なものなのであつて、恒久的な相互援助条約は今後考えるつもりがあると言つております。今度のMSA協定というものはこれは相互援助条約じやないのです。併しながら、そういうダレス氏の言葉、それから先ほど私ちよつと公述の中で申上げましたサンフランシスコ会議のときのトルーマン大統領の演説の内容などを考えて見ますと、日本が再軍備をする、そしてその再軍備された日本軍隊を基礎にして相互援助の方向へ持つて行く、今度の協定はそういう相互援助条約という、日本援助しなければならない義務というところまでは行つておりませんが、これまでのダレス氏やトルーマン大統領のお話を伺いますと、将来の相互援助条約というものを目指した方向というものがここにはつきり出て来たのではないか、こういうふうに考えるのでございます。これは対日講和条約を準備する過程におきましても、たびたびダレス氏が例のヴアンデンバーグ決議というものを持出しておられる。ヴアンデンバーグ決議というのは、米国が他の国に対して軍事援助を与えるという場合、相手方も十分自衛しなければいけない、それから相手方と相互援助関係に立たなければいけないということなのであります。これを繰返し繰返し機会あるごとに申しておられるのであります。そうして日米安全保障条約はこれはまだ日本自衛力を持つておらない関係上、いわゆる相互援助条約にならなかつたという趣旨のこともこれは言われております。これは国会で吉田首相なども御答弁なすつてつたかのごとく存じております。
  89. 羽生三七

    ○羽生三七君 私もこの今度のMSA協定がいわゆる軍事同盟的な相互援助条約とは或る程度違うとは思つておるのであります。なぜかというと、これは日本の現在程度の能力では軍事同盟に値いしないのですよ。従つて自衛力漸増日本に求めて、やがて将来軍事同盟的なものに発展して行く素地を作ることが期待され、又義務付けられておるのが今度の条約の私特質だと思うのでありますが、そこでそういう場合に将来海外派兵等の疑念が起るか起らんかということになる場合に、それは日米双方の合意でありますから、日本が合意しなければよいということで非常な安易な考え方に立つておると思うのですが、その場合、これは柳井さんにお尋ねしたいと思うのですが、その合意する場合に、仮に今の政府がまだ暫らく続く、或いは吉田内閣が仮に倒れても保守連合の政権ができる、そういうものが何ら国民に世論を問うことなしに、自国憲法に何ら矛盾するものではないという解釈でそういう非常な危険な道に入つても、それは一向日本の現行憲法に抵触しないのだ、議会の多数がそれを認めれば一向差支えないのだ、そういうお考えをお持ちになるのかどうか。先ほどのお話では政治経済上種々なる点からこれは極めて有意義だというようにお話になりましたが、併し一歩解釈を誤まるならば非常に間違つた結果も出て来ると思いますので、柳井さんのお考えを承わつておきたいと思います。
  90. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 日本憲法解釈日本国自体がきめるものである、即ち日本国児が主権者でございますから、その日本国民の総意が最も客観的によく現われるという方法でやるべきものであると考えます。従つて一つの政府が専断できめるか、或いはそのときの議会がおきめになるか、或いは更に解散をして国民の総点をお問いになるか、これは日本国民のきめるところである、日本国全体としてきめるのであつて、その解釈を誤まるようなことがあればそれは日本国民自身が悪い、こう考えておるのでございます。
  91. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 今のそれとの関連ですが、そうしますと、仮にこの条約違憲だということに決定をしたとしますね。これはまあ国会或いは今度はそういうことは出ないかも知らんけれども、次の国会なり何なりにそういうことが出る可能性がある。而も今朝ほどまあ憲法学者にお聞きするところによると、二人ともこれは明白に違憲だという判定をしておられる。そういうふうに違憲だというふうに国会なりその他のところできまつた場合に、従つてその条約は一方的に破棄をするという日本政府措置は国際法上できるかどうかという問題と、特に第九条第二項の規定があるので当然にできる、特にこの規定からそういうことは当然にできると考えていいかどうか、そいつを一つお二人の方々の御意見を聞きたい。
  92. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) およそ条約国家の権利義務を定める極めて重要なものであることは御承知の通りであります。さればこそ憲法においても条約批准に当つては先ず国会の承認を得なければならんと、こういうことになつておるのでございます。先ほど申しましたように、この協定日本憲法協定に対する優位性を定めたものでございますが、仮に只今の御質問のように、この国会においてこれは憲法違反であると、こういうお考えに到達した、そういう結論に御到達になつたときには、この条約を御承認にならなければいいのであります。国会が承認しない、一国の憲法の手続きによつてこれを承認しなければ批准はできないので、条約は即ち国際法上は成立しないことになるのでございます。何ら問題は生じません。国家としては政府が作つた条約批准しようと、批准しまいと、これは国際法上国家の自由でございまして、さればこそ批准条項が存するのでございます。
  93. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 いや、私の聞いておるのは、現在の状態においては、現在の国会情勢或いは政治情勢からみれば一応違憲でないという決定がなされて、従つて批准をされる可能性が強いのです。併しこれはまあどういう手続になるか、最高裁判所なり、何なりの判決が違憲だという、或いは国会の構成が変つて、そうして違憲だという判定をしたその将来の場合、一遍条約は結ばれたけれども、国内でそういう判定がなされたとすれば、一方的に破棄することは国際法上可能なのかどうか。それから特にこの九条の特殊な規定があるから、ここからも当然それは可能と見ていいのかどうか。その問題。
  94. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) あとのほうの御質問から便宜上お答えいたしますが、この協定九条の規定がある結果といたしまして、この協定の運用に当つて日本国自身が解釈する憲法解釈、それに従わねばならんのでありますから、国際法上は日本解釈によつて将来の日本政府或いは国会、広い意味日本国解釈によつてこれを実行して行けばいいのでありまして、対米関係においては国際上は何ら問題ないと思います。  それからもう一つ、将来、つまりこの協定批准いたして、批准いたしたる後に国会の構成が変り、政府が変り、そうしてこれは憲法違反であるということを言えるかどうか、こういうお尋ねでございますね。
  95. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 いや、そういうふうに判定した場合に条約の扱い方を……。
  96. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) そういうふうに判定した場合に一方的に破棄することはできません。つまり個人間の契約であつても、契約をするまでは慎重に考える。条約又然りで、協定をするまでは慎重に国会でも御審議なさいます。いやしくも批准した後において、あとからいやあれは考えが違うといつてこれを破棄することは国際法上できないのでございます。
  97. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 日本憲法の手続に従つて一旦批准した条約というものを、あとから国会の構成が変つたという場合に一方的に破棄できるかという問題でございますが、これは国際法的には破棄できないと申さざるを得ないのでございます。それだけに今度の場合の審議は慎重審議をお願いしたいと思うのでございますが、ただ先ほども問題になつておりました第九条第二項の「各政府がそれぞれ自国憲法上の規定従つて実施するものとする。」という規定でございますが、これはまあ実施に関する重要な規定かと思います。この憲法解釈上、例えば自衛戦争を認められるんだ、憲法第九条は自衛戦争を禁止していない、更に自衛観念を拡張して集団的自衛さえも認められる、集団的自衛権行使さえも憲法に矛盾なく認められるという或る政府解釈で実施する場合、それは認められないのだという憲法解釈で実施するのとでは、これは実施の様態が違つて来ると思います。そういう解釈の場合においては、政府なり国会の構成というものがかなり重要な影響を持つて来るのではないかと思うのでございます。従つてこの第九条第二項の規定があるからと言つて先ほど申しましたような集団的自衛権行使が全くないという不安、全くないという、安心でないという一面があると同時に、この第九条第二項によりまして、将来政府なり国会の構成が変つた場合におきまして、実質的にそういう集団的自衛或いは自衛権行使というものを制限するとかというふうなことはあり得るかと思うのであります。
  98. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 そうすると、まあ一般の国際法の慣習からは、一遍きめた条約は一方的には破棄できない。それから特に第九条の二項があるからと言つても、これはこの条約の実施について規定をしていることであつて、この条約そのものが憲法に違反するからと言つて一方的に破棄することはできないのだ。ただこれはもういわば実施細則なり、その施行令なり、そういうものはこれに遵守しろということを規定しているのに過ぎないのだという解釈をとるべきなんでしようか。
  99. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 只今おつしやつた実施細則とおつしやるのとは少し違うのであります。この条約の実行振りと考えるべきだと思います。横文字のほうには、この協定はインプルメンテツド・ハイとあるが、翻訳では実施とあり、何か国内で法律を出したあと命令を出すその手続みたいなふうに見えますけれども、そうじやございません。国内手続によつて批准をして、そうして公布すると、そういうようなものじやないのでございまして、この条約を実行する実行振りは憲法規定に従うということでございますから、この条約を実行する、この条約先ほど田畑さんもお認めのように、海外派兵を義務付ける明文はないのでございます。従つて私はどういうことが果して日本鰻法違反の問題になつて来るか存じませんが、仮に何か日本憲法において認められないようなことをこれにおいて実行しようということが話に出た場合には、いや、それは我が国解釈においては憲法違反であるから実行できない、こういうことが言えるわけでございます。
  100. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 いや、我々の考え方或いは今朝はどの憲法学者の御意見によれば、日本防衛力を増強するとか、防衛力を作るとかということが自衛のためでも許されないのだ、憲法上許されないのだという判定なんですよ、今朝のかたがたは……。それから私たちもそういう意見を持つておる。勿論これは国会でどうきまるかわからない。併し仮に国会で今度はそうでなくても、これが条約がきめられてから、更に将来そういうふうな判定がなされたときに、先の柳井先生のお話だと、第九条は日本憲法の優位性を規定したものだ。だから条約がこれに従わなければならんということ、而も日本憲法解釈日本が独自にするのだということになるとすれば、それならば若しその憲法解釈としてこの条約自体が違憲なんだということになつたら、国際法或いはこの条約に違反することなしに廃棄し得るのじやないかという感じなんです。
  101. 羽生三七

    ○羽生三七君 それと関連して……。それはこういうことにするとわかりいいと思います。日本国憲法第九条の規定はもう動かすことのできない規定として認めて行くか、或いはここにある憲法はこういう抽象的な憲法で、これは将来憲法が変つて来れば、それは全然そのときの憲法に従えばいいのだ。その解釈がある。その問題でお話を願うと非常にいいと思います。
  102. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 只今の二番目の御質問でございますが、これは先ほど三十分の時間を頂戴したときに私も申したいと思つておりましたところですが、現在の憲法、更に将来変れば変つた憲法、両方を包含するものと解釈いたしたい。というのは、この協定第九条の第二項にはプレゼント・コンステイテユーシヨン・オブ・ジヤパンとは言わぬ、即ちプレゼントという字はございません。各自の解釈で、いつの憲法であろうと構わない、常に憲法の優位性を言つたものと解釈いたしております。それから次に今朝ほどの憲法学者のかたがどういうことをおつしやつたか、これは私は存じませんが、只今つた私の印象が或いは間違いているかも知れマせんが、只今つたお話の印象によると、この協定によつて日本軍隊を創設する義務を負つたように考える、そうしてその軍隊を創設することは即ち再軍備であるから日本国憲法第九条の二項に反するのだ、こういうような御議論かと思われるのであります。果してそうであるとすれば、それはこの協定解釈として私は賛成いたさないのであります。この協定においては日本自衛力を増す、自衛能力を増すということだけなのでありまして、これは現在の保安隊についても、政治家なかたにはいろいろな御議論があると思いますが、現在の保安隊の程度にして置くか、又自衛能力でございますから、他の経済上の能力を増すことにして、保安隊自身は武装なんかはもう少し新式になるのか、更に或いは最近の事態に鑑みて、原爆防備の衣服をたくさん作つてこれを一般の国民にも普及するようにするとか、こういうふうなことはすべて防衛、自衛能力であつて、そうしてそのために工業所有権及び技術上の知識の交換もできるというわけなのでありまして、日本が如何なる程度に自衛能力を増すか、経済の方面にどれだけ使うか、更に又装備についても今のような原爆被害防止のためにどれだけ使うか、或いは鉄砲をどれだけ買うか、そういうようなことはすべてこれ我が国のきめるところでございまして、この協定自体からして直ちに再軍備義務を負つたものとは私は考えないのであります。いささか私の専門外でございますが、今朝ほどのお話に関連いたしまして……、失礼いたしました。
  103. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 今の柳井さんのお話で、この防衛能力の増強云々というようなお話がありましたが、この点、それではこの条約でも、そのMSAの保障法自体でも自衛と、自衛能力とは完全に区別をして使つていると思うのです。問題になるのは自国自衛力を増強するとか、こういう問題だと思うのです。そこでその自国防衛力が一体内容的にどういうものであるかということはいろいろ議論があるのでありますが、今の柳井さんのお話のような議論もある。併し又そうでなく、これは即再軍備だ、従つて憲法違反だという議論もあるということを御紹介しているわけであります。そこでこれが違憲かどうかということの議論は別に聞くとして、仮に違憲だという判定がなされたときに、国際法上の措置として、さつきのようなことをお聞きしているわけなんです。それはやはり仮にこの条約自体が違憲だということになつても、一方的な破棄はできないのかどうか。
  104. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 条約の一方的破棄というものは国際法上できません。併し第九条第二項によりまして憲法規定に従うのでありますから、この自衛力というのはこの第八条にございますように、「自国政治及び経済の安定と矛盾しない範囲」、この政治とも矛盾しない範囲、いわんや憲法規定とも矛盾しない範囲防衛力、これは防衛力のほうであります。いわゆる防衛力を発展維持させるのでございますから、今後政権が変り、更に国会が変つて日本憲法防衛力の増強の仕方が余りにひどくして憲法違反であると考えられ、これが日本国解釈であるなら、その程度までしないでいい、この協定の運用においてしないでいい、こういう解釈でございます。但し破棄はできません。
  105. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 私お説を拝聴せずに質問するのは甚だ礼を失するわけでありますが、今の佐多さんの笠間に関連してお伺いしたい。現在のMSA協定を離れまして抽象的にお伺いしたいのでありますが、国際法と条約憲法関係であります。若しその条約日本憲法を見て有権的にこれは違憲条約であるということになつた場合に、憲法条約に優先するとすれば、一方的の破棄の問題じやなしに、当然それは無効なんだ、国内法であればこれは申すまでもなく、どういう法律が出ましてもそれが憲法に反するとすれば、私は効力を失うであろうと思います。理窟として条約においてもそれが明らかに、日本の最高裁ですかでも、有権的にそれが違憲であるということになれば、これはその条約というものは効力を失うというふうに解釈し得るのかどうか、条約は国内法と違つて仮にそれが違憲であるということが一方の国において有権的にきまつても、依然それは有効だというふうに解釈されるのか、その点を一つお教えを願いたいと思います。
  106. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 只今のこの問題を離れての御質問でございますが、いわゆる条約憲法関係というのは、古来学者の間に、偉い学者の間に議論されたところでございまして、私どもが論議するのはいささかおこがましいように思います。将来日本において、あらゆる意味において有権的に一旦批准までしたこの条約憲法違反であるということになつた場合はどうかと申しますと、我が国の国内的におきましては、これを実施することは不可能になります。政府憲法違反ときまつた条約我が国の国内的にこれを実施するということはできないことになります。従つて今回の条約に基いていろいろな立法措置がとられると思います。例えば関税免除であるとか、差押禁止、いろいろな立法措置がとられると思いますが、この一連の法律というものはいずれも無効になります。そこで国際法上はどういうことになるかと言うと、日本は自分の国の内部の事情によつて一旦約束した条約履行不能になる、即ち国際法上日本国は外国に対して履行不能の責任を持つ、外国及び国際法上はこの条約は依然有効である。いやしくも一独立国であるその国の憲法上、形式上正当な手続を経て、即ち議会の承認を経て批准した条約というものは、その後国内の事情によつてこれを破棄することはできない。又実行しないということもできない。ところが日本側から言うと実行できないのであります。即ちここに日本国条約と国内憲法との間の板挾みになり、国内的には実施できない。対外的には条約履行不能、条約違反の責めはある。こういうことになると考えます。
  107. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 そういたしますと、一方の国は条約上の義務履行し得なかつた条約違反である。併しながら条約それ自体は従つて当然有効である。そうなりますると、憲法よりも条約が優先する、こう考えていいわけですか。
  108. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) つまり国際法的と国内法的と違うわけであります。そこで日本憲法は国の最高法規といたしまして、憲法日本法律の最高の法律であるということを定めると同時に、第二項において日本の国が締結した条約は守らなければならないということになつております。これは常に二本建でございます。よつて今回の行政協定においては、この援助協定の実行に関する限りは日本憲法或いはアメリカの憲法がそれぞれ優先する、この憲法範囲でだけしか実行できない、こういうことに書いてあるのでございます。
  109. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 私の意見を申上げます。大体において私も柳井さんと同意見でございますが、ちよつとこの場合私区別して考える必要があるかと思うのでございます。で、憲法と違反する、そうしてそのためにまあ国内的に実施できないということがありましても、国際条約は国際条約として有効であると、これはその通りでございます。ただこの国内的実施の面におきまして、条約がその国の他の法令とどういう効力関係に立つかということは、各国の憲法によつて定まることだと思うのでございます。従つて例えば憲法九十八条の解釈といたしまして、条約憲法に優先する国内効力を持つのだという解釈、こういう解釈がかなり一部に有力に伝えられておりますが、若しもこういうことでありましたならば、これは国内的に違憲の問題ということなく条約が実施されるということになるのであります。私は日本憲法の九十八条の解釈といたしましては、その解釈はとりがたいと思うのでございます。九十八条は御承知のように国際条約、それから九十八条は「日本国締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」ということでございます。これは対外関係におけるこの遵守の問題は、勿論これに含まれておるわけです。同時にやはりこれは国内的な効力、条約の国内的効力、国際法の国内的効力を認めたものだということも言えるかと思います。併しこの誠実に遵守という言葉から、直ちにこの条約や一般国際法が国内的に、憲法をも含めてすべての国内法に優先して妥当するという解釈は私は取りにくいのじやないかと思うのであります。と申しますのは、憲法の改正は御承知のように国民投票というような重大な手続を経て初めて行われるものであります。条約は内閣が国会の承認を経て締結するということでございまして、条約締結憲法改正に比べて簡易なる手続になつている。これが、まあ憲法の基本的な建前とするならば、簡易な手続によつて締結される条約によつてより重要なる手続を予定している憲法が改正されるということは、憲法の全体の構造からして解釈しがたいと思うのでございます。従つて国内的実施という面で考えた場合、憲法違反の国際条約日本政府締結する、対外的には国際条約として効力を有するといたしましても、国内的にはこれはやはり憲法に優先する効力は持たない、だからこれは実施できないということになるのじやないかと思います。ただこれは国によつていろいろ建前が異つていると思います。例えば憲法で国際条約が国内においても悪法に優先することがはつきり認められているならば、これはやはりそのこと自体、憲法規定の根拠に基いているのだから、やはり国内的には条約に優先して実施されるとは考えられない。これは柳井さんの御意見と全然違つた意見ではないのでありまして、ただ日本憲法学者、国際法学者の中で、九十八条につきましてとにかく国際的に憲法に優先する効力を持つという解釈がありますから、私としての意見を申上げた次第でございます。
  110. 曾禰益

    ○曾祢益君 実はこの点に関連して両氏にお伺いしたいと思つたのですが、大体期せずして大枠においては同じようで、九十八条の規定に準拠され、又国際法、国内法にらみ合せての御意見だと思うのですが、条約締結した以上は対外的には憲法に反してもこれは有効であることは、これは大体異論がないと思うのです。ただ国内的の効果につきましては、大体御両氏の御意見は同じだと思うのですが、今田畑さんが指摘されたような、これは何もこれによつて憲法を変えるという効果はないことはこれは又明瞭だと思いまするが、憲法を逸脱する一つの事態が起ることは間違いないのである。その法的効果をいきなり無効と断じ得るかどうか。だから憲法に優先する法的拘束力を持つのではないかという説と、それは無効だとはつきり言つてしまう、その違いであつて憲法をこれによつて改正するという効果は勿論手続的にもない。併し果して無効だと断じ得るかどうかというところに少くとも法的効果として憲法にオーバーライドする、スーパーシードするような法的効果も国内的にあるのじやないかというかなり有力な見解もあるかと思います。殊にこれは占領中に作つた憲法でありまするから、当時例えばポツダム宣言との関係がどうだというような厄介な問題も起つたのでしようから、或いは当時の政府答弁というものは必ずしも法的な解釈ではないかも知れない。政府の公な当時の第一次吉田内閣の答弁によると、少くとも或る種の条約及び或る種の確立した国際法規というものは、憲法に逸脱する一つの事態を作るということまでも対内的な効果において認めていると私は見るのですが、いろいろ幾多の応酬がありましたが、大体それを貫くところの解釈は、やはり完全な無効論ではない、或る種のものについては国内的にも有効である、スーパーシードする法的効果を認めるというような解釈であつたように伺つたのですが、従いまして、もう一度くどいようですが、両氏からそういう点批判を交えて御説明願えれば結構だと思います。
  111. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 只今の御質問は一般的に条約憲法関係についての御質問と了解してよろしうございますか。
  112. 曾禰益

    ○曾祢益君 九十八条の解釈、この特定の条約じやないのです。
  113. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) これはおつしやる通り、先ほど田畑さんもおつしやつた通り、我が国憲法学者の間にも二説ございます。私は憲法九十八条は条約憲法、これは二本建で以て、この条文からはいずれを先とし、いずれを後にするということは出ないものと解釈いたします。なおポツダム宣言の問題でございますが、これは私の考えといたしましては、ポツダム宣言はあれは条約ではない、日本は受諾した、向うはこういう条件の下に降伏しろ、全面降伏しろと言つて日本はそれでただ降伏したのだ、外国側が言つているところは、あれは条約でないという考えでございます。極東軍事裁判においても、米国側はポツダム宣言は条約でないという解釈をとつておるものが非常に多かつたのでございます。そして日本を独立国と認めないで日本を占領し、そして大体においてポツダム宣言の趣旨によつて向うが実行した、日本をして実行させた、従つてこれは日本憲法以上のものである、こういう私は当時解釈を持つてつたのでございます。
  114. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 先ほど国際条約によつて国内的に憲法が改正されるかのごとく誤解を招くような表現をとりましたが、国際条約が内容的に憲法に違反しているという場合に、それが国内的に実施されるということになれば、国内における現実の法関係憲法と違つた条約によつて形成されるということになる、だから実質的には憲法改正ということがなくとも憲法が改正されたと同じような法的関係が国内的に形成されるという意味で申上げたのでございます。その点は誤解のないようにお願いいたします。  それから九十八条は、先ほど柳井さんがおつしやつたのと私同意見でございまして、国内における効力そのものは認められると思いますが、国内における他の憲法その他の法令とどういう効力関係があるかということは、この規定それ自体によつて必ずしも明確ではないということが言えると思います。ただ明確でないのだからどうにもならんかというと実際に困るのでありますが、やはりこれは憲法全体の構造からして解釈するほかない。憲法全体の構造ということになると、先ほど申上げましたように、条約締結の手続というものと憲法改正の手続というものと比べて行けば憲法の改正というものを極めて重視しているというならば、事実上憲法改正したと同じような、憲法の内容と違つた関係条約によつて国内的に形成されるというふうなことは、単なる条約締結手続という簡易な手続によつて認められると見ることはできないのではないか。
  115. 曾禰益

    ○曾祢益君 結局無効……。
  116. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 国内的には無効。ただ無効ということを公の形で確認することがやはり問題になつて来るのではないか、この点は日本憲法で申しますと、最高裁の法令審査権がそういう場合に適用されるかどうかという、ここまで参りますと、国際法学者の領域外であり、憲法学者のほうにバトンを渡さざるを得ないのであります。そういう場合も予想した細かい規定というものは憲法の中に規定すべきだつたのです。他の国の憲法を見ますと、条約や国際法の国内における効力につきましては、他の法律との効力関係について具体的な規定を持つているのが一般なのでございますが、その点日本憲法は不備なのじやないか思います。
  117. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 田畑先生にお伺いしたいのですが、これは一般の法理論ですが、或る国際法上の権利を持つておる、ところがその権利は国内法上におきましては否認されておるという場合ですが、日本の服従しなければならん法律全体からすると、結論的にはどうなりますか、その権利は日本は持つていると言えるのですか、持つていない言えるのですか。
  118. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 日本が権利を持つほうでありますか。
  119. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 ええ。
  120. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 権利を持つ場合は国内憲法の違反という形で実際どういう形で出るでしようか。
  121. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 少し一般化して言つたからわかりにくいかも知れませんけれども、具体的な例で申しますと、交戦権というものは本来国際法上の観念です。一国の他国に対する権利です。国内法上の権利ではない。そうして今条約乃至国際法で以て日本は何も交戦権が否認されていない、制限されていない。然るに憲法にはああいう規定がある、こういうことです。
  122. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 国際法上はやはり日本は交戦権なり或いは自衛権なりを持つていると思います。だから交戦権を行使するとか、自衛権行使しましても、日本は他の国から国際法違反の責任を問われるということはありません。併し権利を日本国自身が行使しないということを日本国家の建前として擬法上規定するということはあります。即ち日本の建前として、そういうものを放棄するということを規定しておるならば、交戦権や自衛権については解釈はいろいろございますが、例えば憲法で放棄しておるはずの交戦権を行使したという場合、国際法的には他の国から文句を言われるはずはないといたしましても、当該政府憲法違反という国内における批判の対象になることは、これは言うまでもないことです。そういうふうに考えます。  それからちよつと先ほどの議論に本筋とは違いますが、憲法違反の条約ということが一般的に言われておりますから、ちよつと加えますと、憲法違反の条約といつても二種類あると思うのであります。それは内容的に憲法に違反する場合、今問題になつておるのは、まさにそれだと思いまして、その形で議論いたしましたが、手続上憲法規定に従わないで条約締結された場合、即ち違憲の手続による国際条約の効力というものは、これは別に考えなければいかんと思います。例えば日本国におきまして、政府が国会の承認を事前又は事後に経た上でなければ条約締結することはできないことになつておる。ところが政府はそういう国会の同意を得ないで条約締結する、即ち違憲の手続によつて条約締結したという場合に、その条約が国際的にどういう効力を持つか、それは有効説と無効説が分れておりまして、日本でも憲法学者で二派ある。国際法学者にも二流ございます。日本憲法学者としては、有力なものは違憲手続の国際条約は無効である、東大の宮沢先住、美濃部先生、その他有力な学者はその見解でございます。国際法学者にも意見が分れておりますが、だからその点は先ほど申しました内容的に違憲の場合とは違うということを御了承願いたいと思います。
  123. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 今の御質問に関連してちよつと妙な感じがするので伺いたいのですが、交戦権と言いますが、ああいう権利は日本憲法自体において創設することはできない、言換えれば国際法上あり得る権利だろうと思います。それを日本憲法で放棄する、一方的に放棄する、これは条約の裏付とか、そういうことが起つて来れば別ですけれども、そうではなくて一方的に交戦権を放棄するということが法律的に、これを国際法的に見ましてどういう意味合があるのか、どういう効果があるのか、仮にそれを日本憲法では否認しておるけれども、日本行使したとする。権利は放棄したけれども、もともとある権利、その権利を行使した場合に、これも法律的の効果と言いますか、これは一体法律的に考えてどうなるかということを一つ伺いたい。
  124. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 今の権利放棄の問題でございますが、これ又二つに分れると思います。例えば日本が他の国と条約締結いたしまして、そうして他の国との関係におきまして権利を放棄したという場合、この場合におきましては、放棄した権利を行使すればその条約違反ということになると思います。併し例えば日本憲法の場合は国家の建前としてそれを行使しないということだけであります。他の国家との国際条約関係における放棄と違うという場合におきましては、たとえその交戦権を行使するとかいうことがありましても、他の国から国際法違反の責任を負わされることはないということなのでございます。
  125. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 国内的にはどうなりますか。
  126. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 国内的は憲法違反で、国民とか、議会が政府の責任を追及することは勿論できると思います。
  127. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 私も田畑さんと同意見でございますが、表現の仕方が違うことによつて或いは多少お役に立つかと思つて申上げたいのですが、先ほどの御質問にありました通り、交戦権というものは元来国際法上の権利でございます。戦時国際法の適用を生ぜしむる権利であります。平時国際法上は不法行為であることが戦時国際法の適用によつて不法行為でなくなる。それが即ち交戦権の法律上の効果でございます。従つて日本国内の憲法において交戦権は認めない、これは実はおかしいのでございます。つまりこの憲法が御承知の通り元来一夜作りの粗末な憲法であるが故にこういう言葉が出ておるのでございまして、この意味は要するに政府戦争をしてはならん、国民は戦争をしてはならんというだけの意味になる、或いは国際法上の交戦権をよそに向つて主張してはならん。従つて例えば自衛の必要上何らか国内で実力行使の問題が起つた、よその国からパラシユート部隊が降りて来て、そして日本の国内で又暴徒が一緒になつて何かやる、その場合にパラシユート部隊を日本警察が攻撃して外国人を殺す、平時国際法上はこれはいけないが、戦時国際法上から言うといいという場合であります。その場合に如何に解釈するかと言いますと、これは自衛権だけで解釈いたします。即ち自衛権は、自衛権なかりせば、国際法上違法であるということが、自衛権があるということによつて国際法上違法でなくなるのでありますから、平時国際法適用下における自衛権行使、そしてそのパラシユート部隊を殺したのだ、こういう意味になる、これについて国際法上の交戦権を主張してはならん、これだけの意味でありまして、これだけの規定があるからと言つて国際法上の交戦権を放棄したことにはならない、こう解釈するのであります。
  128. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 先ほど柳井さんのお説では、この協定日本軍事的義務はここで謳つてあるように安保条約以上のものではない、従つてこの協定で負わされているものは消極的義務だけで、積極的な義務を負つたものではないのだ。従つて安保条約なり或いは行政協定等々のものとちつとも変らない、今新らしい問題があるのではないのだというような御意見かと伺つたんですが、それはどうですか。
  129. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 先ほど申上げましたのは、軍事義務については安保条約は消極的義務しかないから、そしてこの協定安保条約を引いておるのであるから、安保条約以上の軍事義務というものはない、併しこの協定自体に他の義務が積極的にないかというと、これはあるのでございまして、第八条には六つ義務、そのうち初めの三つは再確認であり、残りの三つは新らしい義務でございます。更に又細かいことでお金の問題とか、受けた資材を流してはいかんとか、そういうような義務もございます。又第八条の前の三つにつきましては、これは平和の条約日本が負つた義務でございます。国際連合憲章の原則を遵守して行く、又平和条約の第五条にありますような国際連合のいろいろな規定を尊重するというような義務、これは新らしく出たわけではありませんが、従来とも存置しておる義務先ほど申上げましたのは軍事上の義務についてでございます。
  130. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 そうすると、八条の後半のほうの自国防衛力を発展させ或いは維持するために寄与するという防衛力の増強と言いますか、これは新らしい義務として負つたものというふうに考えているんですか。
  131. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) さようでございます。
  132. 高良とみ

    高良とみ君 先ほど柳井さんは、この一九五〇年の十月に韓国に武装部隊を提供することに関する条約というものを各国が締結したとおつしやいましたね。そうしますと、ああいう国連加盟の諸国でありましても、いよいよそういう安保理事会で許可された場合には、そういう特別な申合せをして、そして派遣するわけなんですから、具体的なことを想像してみて、日本がこの米軍と共同作戦をいたしましても、そういう法的な根拠をとらずしてはいけない。そのときに日本憲法違反であるかどうかということが現状のままなら勿論出て来るのです。併しその場合には、最近の世界の情勢は警察軍であつて決して宣戦布告をしないし、それから戦時体制ではないわけなんです。ですからその場合には交戦権という問題はないわけですから、裏を申しますならば、交戦権は放棄しておる。併しながら、ほかの相互援助義務上或いは将来国連軍に入つた場合は宣戦なき警察軍として適当な尽力をここに加えしめるというのが最近の世界の情勢じやないかと思います。そうなると、そこで私がほかの国とのことを伺つたわけなんでありまして、朝鮮に若しも米国との相互援助或いは今あるような、昨年提携しましたような軍事同盟を結んでいたときは、アメリカの軍隊が直ちにそこへ発動できたけれども、申上げるまでもなく、ほかの国もできたでしようけれども、そうでなかつたら非常な困難になつたと考えますときに、日本に今後極東において何か事態が起つたときには、このMSAという一つの枠内において、放棄した交戦権を使わず、又そのほかの義務行使する場合があるのではないかという具体的な想像、仮定を元にしたことを御説明願いたい。
  133. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 朝鮮の援助条約につきましては、先ほど申上げました言葉が少し足らなかつたかと存じますが、韓国はやはり一九五〇年の一月、その一九五〇年の一月というのが、ほうぼうの国がアメリカと援助条約を結んだときでございます。合衆国政府と大韓民国政府との間の相互防衛援助に関する協定、これも一九五〇年の一月一十六日に京城で署名いたして即日効力を発生いたしたのでございます。これは大体においてほかの国の相互援助条約と同じようになつておるのでございます。アメリカは韓国に対して装備、資材、役務等を与える。韓国はもらつた資材を他の目的に使つたり他に移転してはならんとか、又丁度日本協定の第二条に、たしか第二条にあると思いましたが、アメリカに不足している原料はできるだけ日本からアメリカに渡してやるということがございますが、韓国のほうの第二条もやはりそういうふうになつておる。又第三条は秘密防止、これも共通というようなわけでございまして、先ほど申しました韓国とアメリカとの間の相互防衛援助協定というようなものはやはり似たような条約でございまして、防禦にいろいろ装備や何かもらう。ただそこに違いがあるのは、何かと言いますと、韓国の負う軍事的義務でございます。それがこう書いてあるのでございます。武装軍隊を国際連合に提供するためということが書いてございます。こういう点が韓国は一足踏み込んでおる。日本はそういうような義務は負つておらんということを申したのであります。なおこれを申上げまして、あともう一つのほうをちよつとこれからお考え下さつて、おわかりでしたらそのままといたしますし、更に何かそれから又御質問あるかと思いますが、そうしたらおつしやつて下さい。
  134. 高良とみ

    高良とみ君 そうしますと、この国際条約の最近の傾向としては、殊にアメリカの世界政策の一環であるMSAを理解しますときに、アメリカはいわゆる賞戦布告した戦争というものはもう考えておらないと私どもはまあ希望観測するところであります。そうしますと、その面でいろいろなギリシアであるとか、トルコであるとか、その他の国に全部個々に起つた侵略は、自分の国に対する侵略と考えるというところから、こういう国によつて平和を固めて行く、セメントして行くというか、そういうふうな面を考えて行けば、これは極めて善意に考えたときに、それ以上に相互防衛のために人的或いはその他の日本の防衛隊をもほかの地域に使うということは、今の態勢ではできないのではないか、或いはできるのか、補助としてのあれができるのか、こういうことです。
  135. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 先ほども申上げましたように、この協定から日本が国際警察的行為としてアメリカと一緒に出兵するとかいうような義務は一つも負つておらないのでございます。これはよその国の相互防衛援助協定も似ておりますが、韓国のように出兵義務を負つたり、或いは又そのほかの国でも出兵を予想しておるようでございますが、軍事的義務として……。併し日本軍事的義務安全保障条約だけでございますから、そういうことは出て来ないのでございます。大体これも甚だ個人的批評を申上げて申訳ないのでございますが、相互防衛援助に関する協定、この協定の名前が悪いのです、防衛なんという字があるものですから非常に鬼面人を驚かす。そうして先ほど申上げましたように、先般の戦争前の援助条約或いは同盟条約というものが、とかく大国が小国を自分の支配に使つた、これを連想するのでございますが、その連想を抜きにいたしましても、ちよつとこれは題目が大げさなんでございます。
  136. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 ちよつとそれに関連してお尋ねしたいのでございますが、国連憲章との関係であります。国連憲章では直接間接の侵略に対抗して武力の発動ということを規定しておるわけであります。その武力の発動、武力行動というのはいわゆる従前の戦争のアイデアでなくて、今高良委員の言われたように、警察軍と言いますか、警察的行動であるということを観念されておるかと思うのです。日本は国連に加盟しておりませんけれども、まあ加盟の要請をしておる。加盟した場合に日本が勿論出兵するかしないか、国連憲章というものは当然加盟国に対する義務を課しておるわけでは勿論ないわけであります。いわんや今度のMSA協定から当然出兵の義務が起らないのは、これはもう普通に考えても出て来ない。ただ国連憲章に基いて海外に警察軍という観念において参加することが、日本憲法九条にいう、何と言いますか、戦争であつて憲法九条に触れるのだというふうに解釈されるかどうか、国連憲章と日本憲法との関係ですね、その点をまあ何と言いますか、国際条約的の観点からどういうふうに判断されておりますか、もう一度一つ伺いたいと思います。
  137. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 先ほど高良先住から御指摘になりまして、只今の御質問にもありました通り、今後いわゆる国際警察という名目で事実上兵力が出るということは相当多くなるかと想像いたします。これは曾つて日本も同じようなことを言つて、支那に対して実は戦端を開きながら、これを支那事変と称し、満洲において軍事行動を起してこれを満洲事変と称したのでございまして、いわゆる警察行動なるものが、当事国が警察行為であるといつても、国際法上客観的に見てこれが警察行為であつて戦争ではないとはなかなか言えない。いわゆる戦時国際法の適用があり、交戦状態になる場合が非常に多いのでございまして、然らばどういうときにこれが戦争と見て、どういうときには単なる警察と見るかということは、これは非常にその場合々々で違うのでございまして、支那事変について申しましても、日本はあれは戦争したのではないと言う。併しながら外国はあれは戦争じやないか、それでは外国は中立国としての義務を負つて、そうして日本の作戦行動を妨害しないかというと、そのほうについてはあれは戦争ではない。だから自分のほうは中立国の義務は負わないといつたようなわけでございまして、この点は過去においても将来においてもぐじやぐじやだと私は考えておるのであります。
  138. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 私のお尋ねしたのは、国連憲章に基いて、国連において編成されて海外にまあ各国が兵力を出す、その場合において日本の立場としては、憲法八条の関係からして出し得ないのだという解釈をとるのか、それは憲法九条にいうところの戦争じやない、国際憲章に基いて、国連の一つの動きとしてそれに参加して、或るまあ兵力が出る、こういう場合に面もなおそれは憲法九条に反するのだ、こうなるのかどうか、こういうことなんであります。
  139. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) これは学者の間にいろいろ説があるかと思います。私自身はたとえ警察行動なる名の下に、国連憲章によつて各国が出兵する、そうして日本日本の発意によつてこれと共に出兵するという場合には、これは私は戦争解釈いたします。従つて憲法第九条第二項による交戦権の規定には違反するものと考えております。
  140. 羽生三七

    ○羽生三七君 私の質問はいささか政治的になるかも知れませんが、いろいろ論議を承わつても結局外交は最後に力関係だ、そこでまあ国際紛争の、国際緊張の原因を除去したり、或いは又アメリカが他の国と紛争を起して日本に何らかの協力を求めたという場合、そういうときは合意しなければいいのだ、それは我が国の自主性だということで簡単に解釈されておるのですが、そういう場合に日米両国間の政治実力の相違から、その協定文面上では今現在の瞬間においては余り問題がないと仮定いたしましても、アメリカの同法に対する解釈、殊に五百十一条C頂を援用して、そうしてアリリカの何らかの措置日本に求めた場合に、実力の相違からこの解釈上にも何らかの問題を起すような疑問が全体として起るような危険はないかどうか、これは御両氏から承わりたいと思います。協定文面上に現われたことはとにかくとして、そういう国際間の実力上の相違から協定文面そのものすらが歪曲されて解釈されるかも知れないようなことに発展して行くような問題をこれは含んでおりはしないかどうか、いささか政治的になるかも知れませんが。
  141. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 政治交渉、外交的交渉におきまして、国力の相違というものがおのずからその双方の主張の強大に響いて来るということはおつしやる通りと考えます。
  142. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 私最初の公述でその点については触れたと思うのでございます。私自身先ほど申上げましたように、この協定そのものからは海外出兵義務という法律的な義務は出て来ないと思います。併しMSA協定のできます過程における昨年の六月の米国回答の内容というふうなものを検討したり、それから今度の協定前文、第一条などを見ますと、義務という形ではないけれども、日本の自発的な意思或いは日米合意という形をとつて、極東に或いは極東以外の場所に行つてもいいかと思いますが、何らか重大な事態が発生した場合に、日本自衛隊なるものが、単に日本国内にとどまつておるということでなくして、何らか出動しなければならない事態に追込まれるのじやなかろうかという心配、これは私はあります。MSA援助ということによつてMSA援助日本経済的に以前よりも一層米国との関係が緊密になるということになり、MSAなしでは一日も暮せないということになつてしまえば、米国の事実上の要請ということは、日本としては事実上どこまで拒否できるかということになりますと、かなり不安になるということなんでございます。
  143. 高良とみ

    高良とみ君 そうした場合に、只今のような場合に、ここの八条にありまする人力という中には、少くとも出兵でなくとも、役務、民間飛行士、船舶というようなものはここの八条の中には考えられていると考えてよろしうございますか。
  144. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 八条の場合は、これははつきり防衛力と言つておるわけでございまして、とにかく我々は再軍備のことじやないかと思うのでございます。先ほど第一条について育つたのは役務その他の援助ということになつておりまして、その内容はそのときどきの合意によつて決定せられるというわけでございます。
  145. 高良とみ

    高良とみ君 その防衛力の増強のほうはそれでわかりますが、その前にあるところの人力、資源及び施設的な場合というような言葉がありますから……。
  146. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) これはその人力、資源、施設及び一般的経済条件の許す範囲内において云々するということでございます。
  147. 高良とみ

    高良とみ君 ところが許す範囲でなく、「許す限り」としてある。
  148. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) その範囲内でということでなく、先ほど私の公述の中に申しました行政協定二十四条ですね、あれはやはり問題的な規定じやないかと思うのでございます。二十四条に、日本区域において敵対行為又は敵対行為の急迫した脅威が生じた場合、日米協同防衛のための協議をしなければいけない、これ又協議でございまして、合意の形でやるということでございますけれども、こういう危急の場合において合点というものが一体どういう形で行われるか、やはり日本軍隊を置いておる米国の意向というようなものはかなり強く影響するということは考えられると思います。そして日本区域における敵対行為だけでなくして、敵対行為の脅威というかなり莫然たる場合をも含めて共同防衛措置というものが考えられるならば、日本の領域が直接攻撃を受けた場合以外の場合においても共同作戦というものが場合によつては考えられやしないかという心配がないとは言えないと思います。
  149. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 御両所にお尋ねいたしたいと思います。自衛権と現在の日本と結び付けて考えた法理的の問題をいろいろ考えてみると、自衛権関係からして日本がどういう法的の性格にあるか、この一般国際法上の自衛権というものと国連憲章の、五十一条に認められている自衛権というものは、御承知の通りその範囲と言いますか、或いは発動権というか、そういう点については或る点は広く或る点は狭いという相違があるのですが、現在の日本はその二つのダブつたものを持つておるというふうに見ておられるか、或いはどれかの一つというのか、或いは日本と権利関係に立つ国とにおいて非常に違うと我々は考えるが、その場合にどういうように考えるか。
  150. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) これは先ほど公述のときに申しましたが、対日講和条約の第五条C項、そこにこの日本が側別的及び集団的自衛の権利を持つことを認めるという規定がございまして、自衛権は一般国際法上のものでございますが、集団的自衛権に関しましても講和条約の当事国国家との間においては認められておると言つていいと思います。さて、これが今度の協定前文でも確認されておるわけであります。
  151. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 そうしますと、私の質問しております点はさつき申しましたように、今言つたように日本は従来の一般国際法に基く自衛権を持つておるとして、その下に他国に対する権利を主張し得る地位にあるか或いはそうじやなくて、この国連憲章に認められている自衛権ですね、これは個別自衛権についても集団自衛権についても、要するに自衛権ですね、その範囲にしか認められていない、こういうふうに見るべきか、或いは又つまり日本と権利の関係義務はないかも知れませんけれども、権利関係に立つ相手国の如何によつてそれが又違つて来ると見るべきか、そこをどういうふうに見ておられるか。
  152. 田畑茂二郎

    ○参考人(田畑茂二郎君) ちよつとその御趣旨の意味がはつきり了解できませんのですが。
  153. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 私ここで講釈することは何だと思つて申上げなかつたのですが、例えば個別自衛権においても、これは国連憲章であつたら発動権というものが従来の一般国際法上に認められておるとしても、或いはすでに外国からの武力攻撃を発生してしまつたというときでなければ発動できなくなつておりますようにこの五十一条によるとところが一般国際法上そうじやないんですね。それからそういう意味において一般間際法上の自衛権と国連憲章による自衛権というものとは違いますね。
  154. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) それならわかりました。これはやはり通説では、一般国際法上の自衛権というものは単に武力攻撃がなされたというときだけでなくて、急迫な不法な攻撃に対して他にとるべき手段がないということで、止むを得ざる場合において発動するということも予定しておりますから、その意味におきましては、五十一条の自衛権は発動の条件を限定したということは言えると思います。
  155. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 それだから現在の日本は……。
  156. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) だから日本はその通説が正しいとするならば、少くともこの国際法上においてはそういうふうな場合をも含めての自衛権はやはりあるのだと言つておる、併しそういう自衛権日本行使することを憲法上許されるかどうか、これは別問題だと思います。併し国際法上そういうことをやることはできないかどうか、やつたならば国際法違反として他の国から責任を追及されるかという問題になるならば、日本は通説に従えば、そういう急迫性の侵害に対して反撃するという場合ですね、国際法的にはやるべき筋合はない、併し憲法第九条の解釈としまして、憲法違反ということを国内的に問題にされるということは十分にあり得るのだと言えると思います。国際法関係と国内法関係とは、そういう意味でやはり区別することはできると思います。
  157. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 私の質問していることを、私の質問の仕方が悪いのか、どうもお答えを得られないようですね。
  158. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 大体私は憲法学者でございませんから、そういうことは憲法規定といたしましては……。
  159. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 憲法、私は国際法上のことをお尋ねしているのです、つまり国際上……。
  160. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 国際法的に言えば、日本は決して国際法違反ということにはなりません。
  161. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 いや、私のお尋ねしたいのは、つまり一般国際法に基く自衛権ですね。
  162. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 日本がですか、これは持つております。
  163. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 いや、それプラス、それも認められますし、それから更に憲章に言うところの憲章上の自衛権ですね。
  164. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) それですか。
  165. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 それに認められておるというふうな、こういうふうな法的状態にあるかどうか。
  166. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) その憲章の場合は、幾分か五十一条が限定したことは、国連加盟国が自衛権を発動する場合における限定なんです。国連憲章によりますと、第二条第四項におきまして、その武力行使というものがそこで限定されております。ところが武力行使が国連憲章の中に認められている場合と申しますと、五十一条の自衛権の場合と、それから強制発動に参加するという場合、そういう限定された範囲内での武力行動というものであるが故に、一般にこの自衛権発動の条件としてまあ認められておる、急迫した不法な攻撃の場合というふうなものはこれはいけないのだ、国連の中ではそういう場合の自衛権と考えるという特に趣旨で案文を明示したわけであります。
  167. 杉原荒太

    ○杉原荒太君 どうも私が少し自分の考えておることを申述べたほうが却つてはつきりすると思いますが、つまり平和条約の五条の関係からして、あの平和条約の締約国との間においては、やはり国連憲章に認めるところの自衛権、これだけしか主張できない。それからそうでない国との関係、一般国際法上の自衛権という関係は出て来る、これは一応そうではないかと見ておるのですが、御同説であるかどうかをお尋ねしたい。
  168. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) それはやはり私は講和条約関係国家に対してはお説の通りではないかと思いますが、これは講和条約の第五条におきましては、憲章第二条の義務、特に次の義務を受諾するといたしまして、第二条第三項から五項までの規定を援用しております。第三項、第四項におきましては、これは憲章の規定になりますが、第三項におきましては、国際紛争の解決に武力を使わない。それから第四項の場合は、他の国家の領土、政治的独立を侵すために武力を行使しない。第五項の場合は、国連のとる一切の行動にあらゆる援助を与える。この国連のとる一切の行動にあらゆる援助を与えるというのは、これは註釈が必要でありまして、憲章第四十三条におきましては、軍事的便益及び援助協定は特別協定によるということになつておりますから、そういう軍事的便益及び援助協定締結というものは、第二条第五項から当然出て来る義務ではないと思います。だから第二条第五項は限定されておると思いますが、とにかくそういう関係で、日本は国連加盟国でございませんけれども、国連憲章の基本的な建前として規定した第二条、殊に第二条三項から五項までを講和条約における義務として認めるということになりますと、自衛権の発動の場合におきましても、やはりそういう点も関連した解釈が必要じやないかと思うのでございます。
  169. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 杉原さんから我々両名とおつしやつた関係もございますので、私からも申上げたいと思います。杉原さんの御質問を私はこういうふうに解釈するのでございますが、念のためにちよつと申しますから、間違えておりましたら御訂正願いたいと思います。自衛権というものは、御承知の通り国際法上国家の固有の権利である。然るに国連憲章第五十一条においては、この固有の権利を多少制限しておる。即ち国連の安全保障理事会が何か安全措置をとつてくれるまでの間だけしかできない。卑近な例で言えば、巡査が来るまでは相手を殴つていいが、巡査が来たら相手を殴つちやいかんというのが国連憲章五十一条である。然るに一般国際法における固有の権利たる自衛権というものは、何も国連の安全保障理事会がきめるまでとかいうようなことではないので、必要の存する間はやつていい。こういうふうに一般国際法の認める国家固有の権利たる自衛権行使の態様を国連憲章五十一条が若干制限しておる。そこで日本の場合について言うならば、この両方を持つておる。言換れば、平和条約締結当事国の間においては、平和条約に国連憲章五十一条が謳つてあるから、多少行使の態様を制限された自衛権であつて、然らざる国との関係においては、国際法上は一般的自衛権を持つておるのではないか。更に又日本憲法関係では、この自衛権すら行使することを遠慮することになつているのか、なつていないのか、この三つの点について考えられると、こういうお考えではありませんか……。そうでございますね。私は日本はまだ国際連合の一員ではない、ただ平和条約によつてその原則を認めておるという程度なんでございますから、この五十一条に掲げた多少制限された自衛権というものが全部日本に適用になるものとは思わない。即ち一般国際法上から言えば、日本は全面的自衛権を持つのであるが、平和条約の当事国との関係においては、どうもやはり五十一条程度に制限されたものを持つというようによその国が見ているということは否定できないと思います。併し平和条約の条文を見ますと、相手の諸国は日本が五十一条に掲げる自衛の固有の権利を有することを承認すると言つておる。それだけしか持つておらんとは言つておらんのであります。私自身としては何日本は国際法上は全部持つておるのだということに言いたいのでございますが、現実の問題としては、平和条約当事国はそれは許さないのじやないかと想像いたします。この点はその点で未決だと思います。
  170. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 自衛権に関連してちよつと議論を聞いてわからなくなつたのですが、一体自衛力というものはどういうものなんですか、自衛力の性格或いは内容ですね。国際法上その他でいろいろ使つておると思いますが、一体自衛力とは何ぞやということは、どういうように言われておるのですか。
  171. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) これはむしろ田畑さんのほうがお詳しいのかも知れませんが、自衛力、これはやはり自衛力と自衛能力とこの条約でも二つに分けておりますが、自衛能力というのは即ち、自衛力を出す元でございますから非常に範囲が広いと思います。そうして、自衛力というのは、その自衛の作用が出て来た結果から見るのでありまして、丁度自衛力が結果であつて自衛能力が原因になる、こういうことであります。然らば自衛力を具体的に言えば何かというと、これは決して軍備だけではないと思います。あらゆる方面の国の力がやはり自衛力になると思いますが、普通急迫不正の侵害に対してぽんと出て来るのは、大体において腕力でございましよう。
  172. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 いや、その腕力かも知れないが、この相互防衛援助協定あたりで、各国が援助協定をするときに、自国の防衛とか、自衛力とか言つている、その内容は普通どういうものを考えられておるか、性格或いは内容ですね。
  173. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) 田畑教授今の問題に対して何か御説明ございますか。
  174. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 というのは、特にそれを聞きたいのは、先ほど自衛力の増強の義務を新たに負つたのだということの他の言葉として、例えば田畑先生の場合には、再軍備義務を負つたのだというような御説明があつたのじやないかと思うのです。そこで自衛力というのは、そういう軍隊或いは軍備であるというふうにお考えになつているかどうか。
  175. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 自衛力という言葉は、必ずしも私国際法上の確定した術語としては考えておらないのでございますが、自衛権の場合は国際法上の用語としてあるわけですが、自衛権の発動という場合ですねこれは戦争に至らざる場合もやはりあり得ると思います。例えば暴徒が国境を越えて入るという場合ですね。警察力でそれを追つ払うというような場合ですね。これを果して戦争と言うかどうか、これは研究を要する問題じやないかと思います。ただ併し、この協定の場合で申しますと、デイフエンシイヴ・ストレングスという文句がございますね。これはやはり戦争能力戦争するための力、即ち防衛戦争、ここで言うならば、デイフイエンシイヴ・ストレングスというのはそういう場合の戦力というものですね、そういうものをやはり意味すると我々は解釈せざるを得ないと思うのでございます。ただその自衛力という概念が国際法上どうかということになりますと、その自衛権発動の力ということであるならば、これは自衛権発動というのは戦争に至ららざる場合も考え得るのじやないかと思いますから、そういう一般的な意味では必ずしも自衛力イコール戦力というふうには考えられないのでございますが、併しここでデイフエンシイヴ・ストレングスという場合には、他の国の武力攻撃に対して抵抗するということは正に戦争でございまして、そのための力というならば戦力と言わざるを得ないと思います。
  176. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 そうすると、ここで期待されておる、或いは義務を負つている自衛力は戦力だというふうに考えざるを得ないということになると、そのほうから見て、この協定従つて憲法違反だということが言えますか。
  177. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 私は憲法学者ではございませんが、憲法違反に近いと思うのでございます。
  178. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 同時にもう一つわからないのは、国際紛争というのはどういうものかという点ですが、国際紛争解決の手段としては使わないのだということを言うのですが、その場合に敵の侵略があつた場合にそれを防衛する、それを解決する手段としては使つてもいいのだ、これは国際紛争ではないのだという説明を外務大臣はしておるのですが、一体国際紛争というのはそういうふうに限定的な意味があるかどうか、今までの国際紛争或いはここで使つた場合の国際紛争というのはどういうことであるか。
  179. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 国連憲章などを見ますと、国際紛争というものは紛争と事態というふうに区別しておる。国際紛争というのは当事国が対立的に主張をするということによつて生じたものであると考えられると思います。だから国際紛争は相手国が攻めた場合に抵抗するというのとは概念的に区別されなければいけないと思います。併し私は、だからといつて憲法解釈として日本自衛のための戦力が認められたということにはなりませんので、第九条第一項の解釈からいたしましても、私は憲法学者ではございませんが、あすこの国際紛争解決の手段としての武力の行使、又は武力による威赫というだけの問題であつて、何も一つの独立した意味を以て国権の発動たる戦争そのものを永久に放棄するということと、武力による威赫又は武力の行使は国際紛争解決の手段としては放棄するという二つになつてつて、第九条第二項はすべての戦争を放棄しておるというふうに解釈いたしますから、国際紛争ということについて、先ほど申しました特殊な意味を附して参りまして、第九条第一項の場合に自衛戦争が認められたというふうには解釈いたしません。
  180. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 そうすると、戦争は国際紛争解決の手段としてでなくして、永久にこれを放棄というふうに読まれるのですか。
  181. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) そうです。
  182. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 そうして武力による威赫又は武力の行使は国際紛争の解決の手段としては放棄する。
  183. 田畑茂二郎

    公述人田畑茂二郎君) 私は憲法学者でございませんが、そういう解釈を取るのは、これは先ず英文憲法と対照して参りますと、そのことが極めて明確に出ておると思います。それから第二は、若しも一部の憲法学者のように、第九条第一項は国際紛争解決の手段としての戦争だけ放棄したので、それ以外の戦争は九条第一項は放棄しておらんというならば、じや自衛戦争や国際制裁のための戦争は勿論といたしまして、何も紛争もないのに、こちらから出し抜けにぶつかける戦争侵略戦争というようなものは第九条第一項は認めたのかというように揚げ足取りになりますが、そういうふうにも質問できるのじやないかと思います。不戦条約を見て頂きますと、国家の政策の手段としての戦争という概念が出ております。勿論国際紛争の解決の手段としての戦争というものは含まれておりますけれども、それより広く、紛争ではなくして、こちらからの侵略戦争というものも含む、広い意味戦争であります。若しも第九条第一項が国家の政策の手段としての戦争を放棄するというような場合でありますならば、私が申上げたような疑問は生じないのであります。国際紛争解決の手段としての戦争ではなくして、侵略なくして出る戦争は第九条第一項で認めたのかというような疑問が出て来るわけであります。そういたしますと、やはり九条第一項の解釈は英文憲法に記してあるように解釈するほうがすつきりしておるというふうに思うのでございます。少くとも第九条第一項の解釈については私はそういうふうに考えております。今朝の田畑さんも同意見じやなかつたかと思います。
  184. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君  先ほどの曾称さんの質問に関連して簡単に一つ伺います。平和条約自衛権の問題の御説明があつたのでありますが、例えばソヴイエトとの間にはまだ平和は回復されておらない。ソヴイエトに対して我が国自衛権を主張し得るかどうかという点が一点。それから今の御質問に関連してですが、憲法九条制定当時の戦争の姿と現在想定される姿というものは非常に趣きが変つて来ておる。いわゆる昔のように一国両国間の戦争というものは国際紛争に基いて起るということはあるかも知れませんが、ちよつとないと思います。今後起り得る戦争というものは、例えば日本限りの戦争ではなくて、ほかの戦争に捲き込まれる、これは中ソ友好条約と、それから安保条約とを見てみれば、そういうことも考え得るのじやないか。私の聞きたいのは、現在の国際法上自衛権観念なり、戦争観念、これが多少従前と変つて来つつあるのじやなかろうかという、これは素人ながらの感じがするのであります。現在の国際法上何らかの変化があるのかないのか、そういう点に触れて一つどちらからでも結構ですが、お伺いしたいと思います。
  185. 柳井恒夫

    公述人(柳井恒夫君) 只今の御質問のうちの第一点、ゾヴイエトは日本とまだ平和条約を結んでおらない。そのソヴイエトに対して日本自衛権を主張し得るかどうかという点でございます。私はすでに多数の国家から主権独立国として認められておる日本といたしましては、ソヴイエトに対しても自衛権を主張し得る、こういう考えであります。と申しますのは、そもそも国際法というのは、これは非常にいろはのようなことを申上げて恐縮でございますが、国際法というのは何かというと、国際団体の多数国の間に法規として承認されておる規則が国際法なんでございます。そうすると、すでに日本は国際団体の殆んど全部の国から主権独立の国と認められておるのでありますから、その日本が独立国として個有の権利として自衛権を主張するということはできる、これが正論だと思います。併し今度は外交上の見通しといたしましては、ソ連はこの説に同意しない。そこで国際法上二説が相争うということになると思います。これが国際外交上の見通しと考えるのでございます。  それから次に戦争観念戦争観念はすでに不戦条約のときに、戦争というものは原則として罪悪である、併しながら自衛のためには、仕方がないということで、先ず戦争の合法性というものについて多少変つて参りました。ただ御質問の趣旨は、或いはそういうことではなくて、今後起る武力的戦いというものが、先ほどの御質問に関連して、相当の程度まではこれは戦争と見られないのだ、警察と見られるのじやないかと、こういうのじやないかと思いますが、私はその点は余り変らないと思います。いやしくも当事国がこれを戦争に訴えようという意思を持ち、そしてそれがそのなした行為において客観的に戦争の意思ありと認められた場合においては、これは戦争であつて、そうでない場合はまだ戦争でない。この点は従前の国際法も今日の国際法も同じである、戦争発生の時期如何ということは同じである、こういう解釈をとつております。
  186. 佐藤尚武

    委員長佐藤尚武君) それでは本日の公聴会はこれにて散会いたすことにいたします。    午後五時十二分散会