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政府委員(
佐藤達夫君) 第一点は、結論としては、要するに
自衛権というものと交戦権というものとの対比といいますか、交錯
関係と申しますか、そういう点から御
説明をすべきことであろうと思います。国として
独立しておる以上、
自衛権というものはもう固有の権利として認められておる、これは申すまでもないことでありまして、国の一種の生存権でありまして、これはもう天然自然の権利として
自衛権があることは当然であると思います。その意味において、敵の急迫な武力の侵害を受けました場合には、決してそのまま八千万の
国民がのたれ死をする、撃たれ死をするというべきではなくて、それ相応にそれを防ぐ作用を営むことが
独立国としては当然であろう、そういう原理がそれらに伴うわけであります。それに又必要な限度においては、敵の攻めて来たものに対する害敵行為と申しますか、場合によ
つては必要最小限度において殺人ということもあり得るであろう。これはもう
自衛の限界内のことであるならば、普通の国の生存権の維持という限度においては当然許されることである。これが
自衛権の実態及びその発動の場合であろうと思います。ところが交戦権を持
つておる場合ということを
考えますと、交戦権というのは、
自衛の場合を除いて、一般平時の状態においてそういうことをやつたとすれば許されないであろうような行為ということに、まあ帰着すると思いますけれども、要するに、今例えば敵から攻められた場合を
考えてみましても、その攻められたことに伴
つて国を守る必要最小限度の実力行使は
自衛権の
範囲に入りますけれども、ついでに敵の本拠まで追いかけて行
つて、現在の危険でなしに、将来又攻めて来るような禍根を断つというような意味で、敵の本国を大いに蹂躪して全滅さしてやれという活動が実際上
考えられます。交戦権があればそれができると思います。併しながら
自衛権の
範囲においては、そういうことはできないということが要点であります。そこで敵から長距離砲を射
つて来たらどうのこうのという
お話がたびたび出て参
つておるのでありますが、これは私どもは、交戦権がない以上は
自衛権の限界の
範囲内においてその場合にどういう程度のことができるであろうかという純理論を強いて問い詰められましたからお答えしているので、その純理論と申しますのは、先ほど申しましたように、
国民全部が敵に攻められて、そのままであれば全滅しなければならんという場合に、それを防ぐに必要な必要最小限度の防禦手段というものができるであろう。飛行機が攻めて来るという場合であれば高射砲で射ち落すということで、手段があるわけです。その場合に飛行機の基地まで出て行
つて爆撃するということはあり得ないのが原則でございます。高射砲で迎え撃つというのが普通でございます。これは
自衛権の普通の発動の場合でございます。ところが長距離砲で射
つて来た大砲の弾丸を途中で激撃することはできるかということになると、今までの科学の力ではできないでしよう。
従つてこの根本から出て来ないような措置をこの根本に対してとらなければならんでしよう。こつちも長距離砲を持
つていれば、
向うの長距離砲の出て来るその根本をこつちから長距離砲で射
つて、いながらにして根本をとめることができましよう。それができないということになれば、射的の場合に腕を伸ばしながら射ちますように、多少領海の外くらいまで出て弾丸を射ち出すということもできましよう。これは純理論としては可能である、そういう意味で申上げておるわけであります。
それから第二点として、前文の「諸
国民の公正と信義」云々のお
言葉がございましたが、これは大乗的な意味と小乗的な意味と隻方の意味があります。今の
吉田委員のお尋ねは、或いは小乗的な意味、小乗的と言
つても悪い意味で言
つているのではありませんけれども、それに重的を置いたお尋ねだつたと思います。大乗的な意味から申しますと、勿論お互いに
戦争しなけれげならん、そういう嫌な原因を作りたくたい、そういう原因を、
日本もそうであるが、「諸
国民の公正と信義に信頼して、」およそ世界からこういう切つかけのないようにしたい、これは大乗的に当然出て来る原理であろう。この原理は何ら我々して変えて
考える必要はない。勿論堅持すべき原理であろうと思います。小乗的の原理として、何か敵からやつつけられたときは、よその国に
日本は頼んだりしないというような意味が出て来るとすれば、だんだん
自衛力を
漸増して行
つて、よその国の力を借りずに
日本でぽんぽんやつつけることができるということに
なつたら、それに矛盾しやしないかという問題が出て来ましようと思います。併しながら小乗的な意味から申しまして
戦力というものが持てませんから、
戦力を持てればいいのですが、持てない以上は、小乗的な意味において、やはり「諸
国民の公正と信義に信頼」しなければならない部面が残るわけであります。大乗的と小乗的な意味からい
つても、何ら矛盾しないということに結論はなろうと思います。
それから第三点の、
自衛のためでも戦闘力は持てないのじやないか、九条第二項の解釈としてそういうことになるだろう——私どもが言
つておるのはまさにその
通りであります。
自衛のためといえども
戦力は持てない。ただ戦闘力というお
言葉がございましたが、
戦力という
言葉を戦う力、こう読んでしまいますというと、それは広い意味の戦闘力にな
つて、一切いけない、戦う力ということになりますと、
国内の暴徒を鎮圧する、これも戦う力、内乱が起つた、内乱を抑える、これも戦う力、それを禁止されては、これ又
憲法はナンセンスにな
つてしまうから、我々としては
戦力というものに一定の合理的な限界を設けてそれを持つことを許されないと、こういうふうに解釈しております。