○中原
委員 最も大事なことは、誠意を傾けて事を進めて行くということでなければならぬ。労働条件に関する問題を扱う場合に特に大切なことは、やはり実を結ぶことでなければならない。中身のない
言葉だけの誠意というものは、これは誠意ではない、いわば欺瞞になる。従
つてまず実を結ばしめるような方向に持
つて行くことであらねばならぬと
考えます。従
つてまず第一には、一応このようなことにな
つて一月から実施にな
つたのでありますから、五箇月間のずれがある。そうしてその間の定期昇給等の問題も含めて、いろいろな不利な条件がそこにかもし出されて参
つておるのでありますが、このほかに——そのままの形ではまだ処理はできないかもしれませんが、しかしいずれにしてもこの穴は埋めなければならない。もう
一つは、そのような経過から結論された悲しむべき十八名の
人たちの馘首問題、これもまあしかたがあるまいというのであきらめさせるというような措置は、やはり実を結ばしめることではないと思います。この問題は、やはり何とかしかるべき
方法によ
つて釈然たらしめることができるような、いわゆる結実することのできる措置におもむかしめなければならないと私
どもは
考えます。やはり人間というものは、よかれあしかれ、何人も自分に与えられた職場を、その場の一時的な腰かけとして勤めておるのではないのでありまして、やはり自分の骨を埋める一生の職業として、身を挺してその職についておるわけであります。その者が、ただいま申し上げたようないろいろな経過から不在な結果を見たといたしますならば、これはその者にと
つては、ま
つたく断罪に値するものである、ほんとうに文字
通り死刑の宣告なんである。こう申し上げても、決して誇張ではないのであります。およそ人間がこの世において生きるためには、何とい
つても自分の身をゆだねる職業に終始服して、自分の職域の任務を果して、そうして終るというのが、当然あるべき姿であると
考えます。そうであ
つてみれば、そのことに対する深い理解を持たれて、この問題の処理のために心を込めた話合いをするこの
方法が、単なる言いのがれ的な結果に陥るような
方法であ
つてはならぬというふうに私は
考えるのでありまして、
組合の
人たちにしても、おそらくこのような結果を見ることによ
つて、今後の
組合の運営が円満に進められて行くというふうには
考えられないであろうと思います。やはり今度とられた措置の中に、論ずべき点が多々伏在しておるだけに、私はこの問題については、
組合員全体が了承をしなければならぬというふうに理解をいたします。そこで、この十八名の
人たちが犠牲になり、そして他の
組合員全体がこれをも
つてよしとして、今後ともに公企労法を忠実に守ろうという気持になるという
考えがもしあるならば、それはとんでもない錯覚だと
考えます。政府が法を守
つてほしいと願うならば、守り得るような条件をつくるように絶えず努力して行くという
立場に立たれなければならぬのではなかろうかと
考えます。最近も、しばしば耳にいたしますところでは、どうも政府側が賃金を押えて行く、いわゆる賃金ストツプ——いやストップだけではがまんできなくて、賃金をもつと落ち込んだところに追い込んで行く、こういう方針が何かの拍子にうかがわれて来るわけです。これはとんでもないことです。こういうことを今論議しても、しかたがありませんが、そういう措置をやるために、それが災いして、それで今回の
国鉄の裁定がこういうしぐさにまで追い込まれたのではないか、その最初の瀬踏みとしてこういう手が打たれたのではないか、こういうふうにさえ私
どもは感じさせられる点があるわけであります。これはひとり
国鉄だけではなくて、他の二
公共企業体その他の五現業も、もちろんそういう
意味において、今度の裁定に対する不当な措置がとられたのではないかとさえ思われる節が多々あるわけであります。そういう場合であるだけに、私は直接雇用者の
立場に立たれる
国鉄当局とされては、この問題については相当真剣な御考慮がいるのではないかというふうに思います。とにかく安く使えばそれでよろしい、劣悪な条件になるべく追い込んでおけば、それだけ有利であるというふうな
考え方は、この間においては許されないと
考えておりますし、また
組合側においても、何でもかんでも、りくつに合おうが合うまいが、たくさんとればいいという
立場に立
つておるのではなく、やはり
一つの主張をいたしますには、そこにそれを証明づけるだけのデータをも
つて、その
立場から結論を出して主張して来ておいでになるはずだと思うのであります。私はむしろ今と
つておる
組合側の主張というものは、相当弱いとさえ思われる。相当遠慮ぎみである。相当遠慮して主張しておりながら、その主張が蹂躙されるというところを見て、何でこの法律を守ることがあろうか、こういうことにさえな
つておるのではないかと
考えるのであります。このような見解から——いろいろ申し上げたいこともありますが、これ以上
当局と質疑応答をしてみても、結論は出ないと思いますのでやめますが、とにもかくにも総裁は、今度とられた、特に十八名の
解雇の問題に関しては、失礼な言い分でありますけれ
ども、ほんとうに誠心誠意を込めての御反省を願いたいと思います。そうしてその御反省の上に立たれて、この問題を納得の行く処理に持
つて行くということを、どうしてもや
つていただかなければならぬ。それと同時に、先ほどから繰返し申しますように、今日の
国鉄の従業員
諸君の労働条件の実態から
考えますと、この条件をそのままでよろしいなどと
考えることは、これはとんでもない一方的なと申しますか、御都合主義的な解釈であると思います。私は勤務の実情を見れば見るほど、これではいけない、これではがまんできないであろうということを感じさせられる面が多々ある。私はいなかにおりましたとき、
機関車に乗
つてみろと言われて乗
つてみましたが、あの汽車に対する
責任を感じて真剣にハンドルを持てば、私
どもには一時間とは持ちかねる。一時間でへとへとです、こわいと感じました。そういう真剣な仕事をしておる。また車掌
諸君の
立場を
考えてみましても、あれだけの乗客あるいは荷物等に対する全
責任を負
つて、
一つ間違えば自分の命を投げ出さなければならない。そういう
責任を負
つた条件の中で仕事をしておるのであります。これは、しろうとが外から飛び込んで
行つて感じたことでありますが、そういうようなことは1時間をとりますから申し上げませんが、実際の経験から参りましても、これはやはり何とかしなければならないものではないか。聞くところによりますと、退職してものの五年も生きるのはむずかしい、こういうことであります。それはなぜかというと、退職すると心がゆるむ。ゆるんだとたんに全身の生理状態がかわ
つて来て死に追い込まれる。私はこういうことを耳にいたしまして、ほんとうに何とも言えない暗然たる思いをさせられたのであります。これは単に口先で申し上げているのじやない。いやしくも総裁が
機関車に乗
つたり、車掌さんと一緒にあの中を歩いてごらんになることはできないかもしれませんが、少くともこの気持に徹しまして、この神聖なる職務に精魂を傾けられたい、そういうふうに感じます。そうでないと、
国鉄の労働
組合自身にしましても、労働
組合の当然背負うべき任務から
考えまして、このような形でひつ込むわけには参らぬのが当然でありまして、もしこのような形で労働
組合がひつ込んでしまうといたしますれば、もはや基本的な人権を守る
方法はいささかもなくな
つてしまいます。これは
国鉄の
職員諸君が自分
たち組合の
立場に立
つて、自分の利害得失のために専念をするというような
立場からだけではないのでありまして、これはいまさら私が釈迦に説法を申し上げる必要はございませんが、戦後日本が民主主義の体制をとろうとしたあの精神から
考えますと人一人が人間としての権利を自覚するところに、民主主義の徹底した姿が保障されて来るのでありまして、そういう見解から
考えますと、労働
組合の今回とられた措置は、この基本的な人権を守らなければならぬと同時に、民主主義を確立しなければならぬという見解にもつながる
行動であ
つたということも、私は当然だと思います。それだけに、この措置がもし不当に終りますならば一大事だと思います。そういう見解から、私はこのことを良識ある総裁以下の幹部
諸君に切にお願いしておきます。この点はどうしても相互の納得の行く団体交渉団体交渉という手続をとることが、もしあまりかた苦しくていけないとすれば、それは団交でもなんでもかまいませんが、要するに公明なる話合いの中で、みごとに結実の保証されるような条件にこれを持
つて行つていただきたい、こういうことを要望申し上げまして、私の質疑を終ることにいたします。