○木村武雄君 私は、自由党を代表して、ただいま
提案されました
法案に対し、内閣総理大臣と
保安庁長官に主として御質問申し上げます。
およそ世の指導者、一国の総理大臣にと
つて一番大切なことは、情勢判断を誤らないことであります。戦前、日本の指導者は、世界の情勢判断を誤
つて戦争に突入し、さらに講和の時機を誤
つて無条件降伏をいたしましたことは、忘れ得ざる国辱としてすでに国民の体験済みであります。吉田内閣は組閣して足かけ七年です。
昭和二十五年六月二十五日に突如朝鮮に勃発した南北の争いが、連合軍の参加によ
つて風雲急を告げ、一時マッカーサー司令官は満州爆撃をにおわせたことがあります。満州爆撃は、そのまま、日本に軍事基地を持つ米軍にソ連の報復爆撃となるのであります。さすれば、戦乱は再び日本を襲う危険がありました。こうした気配が濃厚と
なつたときに行われました議会における質問に対して、吉田首相は、第三次大戦は起り得ない、大陸の共産勢力はさして恐れるに足りない、
従つて日本共産党の内乱などもあり得ないと答弁されたことを記憶いたしておりますが、当時としては、ずいぶん大胆な答弁であると、われ人ともに驚いたものであります。だが、世界の情勢は、一触即発の間にあ
つた第三次大戦の気構えも一時遠のき、三年有余の朝鮮戦争も休戦して、やや小康を保
つておりますが、こうした際においても、吉田首相は、去年の
国会において、参議院議員中田吉雄氏の質問に対して、第三次大戦は一時遠のきつつあると、
昭和二十六年における答弁とやや同様の答弁をされましたが、世界情勢はまさにその
通りであります。ゆえに、ここ数年来の国際情勢に対する首相の判断は誤りなか
つたと断言し得るのでありますが、(
拍手)世界の情勢が険悪にして、しかも対岸に戦争の勃発した
昭和二十五年八月十日に
警察予備隊をつくり上げて、さらに情勢がやや静まり返
つた二十七年十月十五日にこれを
保安隊に切りかえ、さらに情勢が好転したと見られる昨今、これを補強して自衛隊に組織がえされんといたしております。一見国際情勢の推移とは逆行するもののごとき感なきにしもあらずでありますが、何ゆえの組織がえか、何ゆえの補強工作か、それとも、治にいて乱を忘れざるの構えか、これに対する総理大臣の御所見を承ります。
日本が世界に向
つて完全なる武装放棄を宣言したのは、
昭和二十年九月二日、ミズーリ号艦上であります。当時の日本は、敗れたりとはいえ、陸軍は世界一を誇り、海軍は世界三大列強の一として数えられた残滓をいまだとどめてお
つたのであります。そして戦線は、北は千島、樺太から、南はフイリピン、ジャワ、スマトラを経て遠くニユーギネアに及び、大陸は北満、中支、南支を経てビルマに
延長して、その戦線の広大なることはまさに古今の戦史にその比を見なか
つたものであります。この完全なる武装放棄はまさに神わざです。ざらに、
昭和二十一年十一月三日、軍国の鬼とのろわれた日本が、戦争放棄の平和憲法を世界に先がけて宣言したのであります。これまた前人未踏の境地であります。
しかるに、世界は、戦後両立すると思
つた米ソの対立が激化して、第三次大戦の気構えがきわめて濃厚とな
つたのであります。そして、その間大陸の情勢もまた目まぐるしく変遷して、日本に勝
つて磐石の地位を固めたと思
つた蒋介石政権は、国共の争いにもろくも破れて、天下は中共に移り、余勢は仏印にくすぶ
つて、戦乱はいまだたけなわであります。目の前の朝鮮戦争は足かけ三年余にして休戦して、一時小康を得てはおりますが、将来の予断はまた許さないものがあります。
シベリアから樺太、千島に配置されたバイカル以東のソ連兵力は五十一箇師と聞きますが、ソ連、中共、金日成と、大陸に陣した共産勢力のねらうものは、イギリスでもありません、フランス、ドイツにあらずして、ただ一つ日本なることに留意すべきであります。しかも、日本は、数多くの自由主義国家群とは平和条約を結びましたが、共産陣営とは、戦争はいまだ結んで解けない対立関係にあります。李承晩ラインにおける諸般の動きは、単なる動きとして看過すべきではありません。壱岐、対馬の周辺における日本漁船の拿捕、監禁の陰には中共の勢力ありと聞きますが、今や大陸における民族意識は燎原の火と燃えて熾烈であります。
顧みて、ソ連の参戦が北満から北鮮に及び、北鮮軍によ
つて三十八度線がけ破られたとき、南鮮に米軍の援助がなか
つたならば、朝鮮は金日成の赤一色に塗りつぶされたに違いありません。さらに、終戦のどさくさに台頭した北鮮人の日本における横暴は言語に絶して、南鮮を席巻した共産軍を日本に誘導するなどの流言飛語が行われましたが、当時を回想して戦慄するものがあります。北鮮軍の侵入を三十八度線で食いとめたのは連合軍の軍事力でありますが、こうした際に、平和憲法が勢いに乗
つた共産勢力の日本侵入を食いとめ得ると一体断言することができますかどうか。シベリアより樺太、千島に追
つたソ連軍が一衣帯水の北海道に上陸しなか
つたのは、間髪を入れずに米軍が北海道に進駐したがためだとも言われております。もし米軍が北海道に進駐しなか
つたならば、北海道は彼らの言う解放地区とな
つて、津軽海峡は日本内地との三十八度線と
なつたかもしれません。米軍が進駐せずして、なおかつソ連が日本の完全武装放棄の誠意を認めて北海道に上陸しなか
つたと断言することができますかどうか。
中共軍の北鮮参加は義勇軍の名によ
つて行われたとはいえ、その軍事力は北鮮軍以上であ
つたことは隠れもない事実であります。何のための参加かは不明でありますが、中華民国の思想にたずねて、アジアに君臨するものはわれなりとの中華思想が朝鮮の内政に干渉した根拠なりとすれば、その驥足を壱岐、対馬より九州に延ばさないとは保証し得ないのであります。現に、中共は、か
つて王侯の哲学なりとして排斥した孔孟の教えを必要のために取上げております。レーニン、スターリンが民族意識高揚のためにはピーター大帝を礼讃した実績に徴して、ぬれ手であわの日本獲得なれば、鉱工業と技術に事欠く中共の日本侵略は杞憂として蔑視するわけには参りません。だが、こうした一連の想定し得るできごとが日本に行われずに、よく九年間の平和を保ち得たのは、これら各国が日本の完全なる武装放棄の誠意を一体認めたがためでしようか。世界に先がけて平和憲法を日本が制定したためでしようか。
第一次、第二次大戦において、スイスがよく中立を緊持して平和を守り得たのは、スイスの軍事力がドイツの侵入をはばんだがためです。(笑声)ドイツの軍事力をも
つてすれば、スイスの蹂躙くらいはわけなく行われますが、そのための出血は爾後の作戦に影響するのです。ソ連のフィンランド侵入また同様です。ソ連の軍事力をも
つてすれば、フィンランドの侵入はものの数ではありますまいが、そのための出血は爾後の作戦に影響するのです。この事実に見ても、無防備の平和論は、平和にあこがれてなおかつ平和を求め得られないことを実証するだけでなく、(
拍手)逆に、備えあればよく中立を堅持して平和を守り得ることを教えた歴史であります。
日本は、日本海峡をはさんで、南は英仏のドーヴアー海峡に数倍する朝鮮海峡です。北は千島から二時間、樺太からは一晩の北海道ですが、防衛の条件はフインランド、スイスにまさること十数倍です。防衛して、しかも政治が聡明であれば、世界にいかようの動乱あろうとも、平和を守り抜くことは決して難事ではないと思いますが、総理大臣は無防備で日本の平和を守り得るとお考えになりますかどうか。過去九年間の平和維持は、軍事力のためか、それとも平和憲法のためか、それとも日本の完全なる武装放棄の誠意がこれらの共産主義国に認められたためか、厳として侵すべからざる米軍の駐屯したためか、総理大臣の所見を承ります。
さらに、平和は万人のあこがれであります。いな、人類始ま
つて以来の悲願でありますが、求めて得られずに今日に及んでおります。今世界を見渡して、実力で平和を守り得るものに米ソ両国があります。米ソにして真に平和を求めるならば世界の平和は保ち得られますが、破らんとすれば、明日にでも破り得るのです。だが、ソ連にして階級主義を捨てない限りは、真の平和主義者にはなり得ますまい。(
拍手)米国にして真のクリスチヤンに徹せざる限りは、平和主義者にはなり得ますまい。さすれば、米ソに依存した日本の平和維持にはおのずから限界があるのであります。やはり日本の平和は日本人の手によ
つて建設しなければなりません。そして、これは単に吉田内閣の課題ではありません。日本国民全般の課題であります。特に七箇年間の戦争で苦い苦しみをなめた、原子爆弾の洗礼に徹した国民全般の課題であります。だが、平和の
建設は歴史に徴して破壊の戦争以上の難事です。しかるに、徒手にして空拳にして平和を守り得ると解する者がおります。運や果報と同様に、平和は寝て待てば来るものと考えている者がおります。(
拍手)この思想は、か
つての軍国主義以上に危険な思想です。こうした思想に対する対策を誤れば、平和維持のための防衛もうちから破れて、ちまたは戦場と化する危険があります。平和
建設のための防衛思想の普及徹底は刻下の急務であると思いますが、これに対する総理大臣の御所見を承ります。
今日、世界は、米ソ対立のまま冷戦に包まれた不気味な平和が続いておりますが、爆発すれば、近代戦争は科学戦争であります。そうした科学戦争の前には一たまりもない自衛隊の
建設などは国費の濫費であ
つた、つくらざるにしかずとなす議論があります。確かに一面の直理です。だが、米ソの対立はあくまでも米ソの対立であ
つて、日ソの対立ではありません。ソ連に対立するものが日本であ
つたならば、日本の防衛はソ連と競争すべきであ
つて、相手を克服し得ない防衛は無価値となりますが、ソ連に対するものは、か
つては日本でありましたが、今日では米国であります。
その対立が冷戦のままで今日に持ち越したのは、一つは、科学兵器の
発達がいまだ頂点に達せざるためであります。今、米ソ両国とも世界に誇る原子力を持
つてはおりますが、戦えば、相手の皮を切れば肉を切られます。肉を切れば骨を切られる覚悟をしなければなりません。ゆえに、一瞬にして相手国民を殲滅するに足るだけの兵器の
発達までは両国とも戦争を回避しておると見るべきです。もう一つは戦争術の
発達です。戦争がいまだ幼稚な時代の勝敗は武将の勝負によ
つてきまりましたが、戦う部隊の勝敗が一国の興亡を決定したのはその次です。さらに、今次大戦においては、戦う部隊の戦力をまかなう補給所の強弱が勝敗を左右いたしましたが、広島、長崎に投下されました原子爆弾より将来戦を予想するとき、装備なき無辜の国民の殲滅が勝敗を決定するもののごとく思われるのであります。ゆえに、米ソ戦の将来を予想すれば、まさに民族の殲滅です。
思いをここにいたすときに、科学兵器の
発達が頂点に達した瞬間、人類の偉大なる働きが求めて得られなか
つた世界絶対平和の境地を確立しないとも限らないのであります。だが、それまでの世界は米ソの対立です。それにつながる世界の動揺であります。そして、ソ連の得意は熱戦よりも冷戦です。武力戦よりも平和攻勢です。それだけに階級戦は熾烈となり、内乱は潜行して軍事的となるのです。
日本の現状また看過し得ないものがあります。こうした軍事力に対する警察力のもろさは、二・二六事件の
説明をまつまでもありません。やはり、未発の場合でも同時多発の場合でも、軍事力に対抗するものは軍事力ですが、自衛隊をも
つてしては、よくこれに備えて日本の平和と社会の秩序を保ち得る確信がありますやいなや、
保安庁長官にお尋ねいたします。(
拍手)
これを要するに、日本の防衛の限界は、大陸に日本をうかがう共産勢力をして日本侵略の企図を放棄せしむるを頂点として、下辺はこれと関連して躍動する共産党の内乱工作に備え得れば足りるのでありますが、そうした観点のもとに計画されたのがこの自衛隊の
改正なりやいなや、これを
保安庁長官にお尋ねいたします。
アジアの平和はそのままに日本の平和でありますが、アジアの戦乱はそのままに日本の戦乱ではありません。しかるに、日本に配置された米軍の使命は米国の極東政策の一環を受持つものでありますから、そのままこれを踏襲すれば、アジアに備えた米軍の使命は果し得られますが、日本の防衛とは縁遠いものとなる危険があります。ゆえに、その配置も装備も訓練も大胆に入れかえを断行しなければならないと思いますが、それにしても、顧問団の六百名は、せつかくの自衛隊をして米国の傭兵たる感を抱かしめる危険なしとしないのであります。憂うる点は、顧問団を受けた蒋介石の軍隊が、か
つての内乱に際して一番弱く、特に寝返りを打
つた急先鋒であ
つたのであります。原因を求めれば、民族の自尊心が傷つけられたからであります。防衛について一番大事なことは民族の自尊心であります。顧問団を受けて編成される
保安隊は、米国の傭兵たる感を国民に抱かせて危険でありますが、これに対して最も明確な
政府の見解をお尋ねいたします。(
拍手)
さらに、今の
保安隊の持つ欠陥のすべては、日本的なものの所産ではなくして、米国的なものの所産であることは、過般の水害その他の面で暴露されております。出動した部隊が、か
つての日本の歩兵のごとくに健脚であ
つたなら、相当の被害を阻止し得たことや、水中に飛び込んだ
保安隊員が、か
つて日本の工兵隊のごとくに地下たび巻脚絆であ
つたならば、より以上の威力を発揮したことなどがその好例でありますが、米国への媚態が、せつかくの自衛隊をして将来に不測の災いを残さないとも言い切れないのであります。今次大戦の失敗は日本の用兵作戦の失敗ではありましたが、兵の訓練はみごとであ
つて、その戦闘ぶりは世界をして驚嘆せしめたものであります。だが、あつものに懲りてなますを吹くの愚を演じて、その訓練すら米国に見習うのは民族の堕落であります。特に、文民優位に名をかりて人選を誤り、非常時に際して指揮系統に混乱を招いて平和維持の大役を果し得ないとなれば一大事であります。
この
法案の骨子は、日本自由党、改進党、自由党が三党折衝の結果誕生したものでありまするがゆえに、平和雄持のための防衛思想の普及徹底には、三党また責任を負うものであります。(
拍手)そのための争いはあえて意に介しません。踏みにじ
つてごらんに入れます。ただ、
運営の責任は
政府にあるのでありまするが、この点に関する
政府の確信を承
つて、私の質問を終ります。(
拍手)
〔
国務大臣緒方竹虎君
登壇〕