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1954-11-12 第19回国会 衆議院 法務委員会上訴制度に関する調査小委員会及び違憲訴訟に関する小委員会連合会 第27号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年十一月十二日(金曜日)     午前十時四十六分開議  出席小委員   上訴制度に関する調査小委員会    小委員長 小林かなえ君       佐瀬 昌三君    林  信雄君       高橋 禎一君    井伊 誠一君   違憲訴訟に関する小委員会    小委員長 佐瀬 昌三君       小林かなえ君    花村 四郎君       猪俣 浩三君  小委員外出席者         参  考  人         (成蹊大学学         長)      高柳 賢三君         参  考  人         (早稲田大学教         授)      中村 宗雄君         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  上訴制度及び違憲訴訟に関する件     ―――――――――――――   〔小林上訴制度に関する調査小委員会委員  長、委員長席に着く〕
  2. 小林錡

    小林委員長 これより上訴制度に関する調査小委員会及び連憲訴訟に関する小委員会連合会を開きます。  本日は成蹊大学学長高柳賢三君、早稲田大学教授中村宗雄君より参考意見を聴取することにいたします。午前中は高柳賢三君より御意見を伺い、午後は中村教授より意見を聞く順序になつております。高柳さんにはたいへん御多忙のところおいでくださいまして、ありがとうございました。御承知のように、当小委員会におきましては、上訴制度研究と それから違憲訴訟調査を続けて参つたのであります。第十九国会終つた以後、毎月約一週間ずつ継続して来たのであります。そこで大体この小委員会における意見が一応まとまりまして、先ほどその試案として発表したのでありますが、それもお手元へ届けてあると思います。まだこれは確定的なものではありませんが、一応のまとまりをつけて、これから各方面意見も聞き、そして行く行くは成案を得て、事実の上に現わしたい、こういう考えで、われわれは非常な熱意をもつてつておる次第であります。第十九国会において、国会中心になつてやるよりほかはないという決意をしまして、これに対して法務大臣よりもぜひそうしてもらいたい、できるだけわれわれも協力をする。それから最高裁においても、そうしてもらえばわれわれも協力を惜しまぬ。こういうことでありまして、われわれが今中心になつて進めておる次第であります。われわれの思案などに対し各方面からいろいろまた批判もあるわけでありますが、われわれとしては、どこまでも早くひとつ審査を遂げて、実際の上に現わしたいというつもりでおります。高柳教授は長い間英米にもとどまり、英米法については非常な造詣をもつておられます。最近またヨーロッパ各国を歩かれまして、いろいろな方面研究も遂げられております。ことにわれわれの今問題にしておる方面については、非常な研究を遂げられておるということを聞いておりますので、ぜひ己憚のない御意見を伺いたいというみんなの意向でありまして、御無理を願つた次第であります。お手元に差上げました質問要項をごらんくだすつておると思いますが、これは一応われわれの思いついたところを書いた次第でありまして、もとよりこの順序とか、あるいは場合によつては他の方面で述べられて、必要のないものもあるかと存じますが、これを大体御念頭におかれまして、己憚のない御意見を述べていただければまことに幸いだと思います。これを速記にとどめておいていただくとぐあいがいいと思いますから、ちよつと読みます。    高柳賢三参考人に対する質問事項  一、米国における違憲審査制度概略を御説明願いたい。  (イ)この違憲審査具体的事件を通じてのみ行われるものであるか、即ち、いわゆる抽象的法令審査を許さぬものであるか。  (ロ)具体的事件を通じてのみ行われるものとすればその根拠如何。  (ハ)下級裁判所違憲審査権を有するものであるか。  (ニ)下級裁判所違憲審査権を有するものとすれば、最高裁判所違憲判決と、下級裁判所違憲判決との効力差如何。  (ホ)最高裁判所違憲判決を下した場合、国会政府下級裁判所に如何なる効力をもつものであるか。  (ヘ)適憲性推定ということについて、御説明願いたい。法律は常に適憲性推定をうけるものであるかどうか。  (ト)なお、英国における上訴制度概略を御説明願いたい。  二、我国の最高裁判所違憲審査権についての御意見を伺いたい。  (イ)我が憲法上、憲法裁判合憲違憲)は、最南裁判所裁判官全員の多数決によつて行われなければならないものであるかどうか、もし、そうだとするならば、その根拠如何。  (ロ)我が憲法上、下級裁判所にも違憲審判権ありとするものと考えられるか。  (ハ)最高裁判所小法廷は、違憲審査権を有しないから、憲法上の最高裁判所でないとの見解もあるが、所見如何。  (ニ)下級裁判所違憲判決と、最高裁判所違憲判決との効力差如何。  (ホ)輪番又は交替制等方法によつて、一時的に、違憲審査を担当しない(一般上告を担当する)最高裁判所裁判官を認めることは、憲法違反考えられるか。  三、衆議院法務小委員会における。案(十月十二日付)に対する御意見を承りたい。  四、最後に、最高裁判所機構改革についての御意見を伺いたい。  以上であります。  先ほど申し上げましたように、順序などには決して拘泥いたしません。御自由にひとつお述べ願いたい。
  3. 高柳賢三

    高柳参考人 ただいま御紹介にあずかりました高柳でございます。  一応お送りくださいました会議録中の参考人諸氏意見ざつと目を通しました。質問事項についてお答えする前に、まず最高裁あり方についての一般的な感想、最高裁機構についての私の意見を申し上げたいと思うのであります。最後に各質問事項についてお答えをしたいと思います。  第一、新憲法の認めた違憲審査権ということのために、最高裁あり方についての考え方が、相当わが国ではゆがめられておるように思われるのであります。一般人は、最高裁というのは憲法擁護者として、政府のみならず、国会をも抑制し得る極力な政治力を持つておる。かるがゆえに最高裁判官というものは、単純なる法律家ではいけないので、高慢な意識を持つた人が選ばれ、待遇大臣級待遇が与えられるということになつたんだ、こういうように考えておるのであります。しかるに冷静に考えますと、これは錯覚であることがだんだんわかつて来ておる。違憲審査権の現実というものがだんだん明らかになりつつあるのであります。たとえば一般人憲法上非常に重要であると関心を持つておる自衛隊と憲法第九条との関係について、裁判所が彼らの思うようにてきぱきと動かない。最高裁判所司法裁判所であるという弁解を最高裁長官が力説しても、農人はなかなかそれで納得はしない。また間もなく、おそらくはアメリカの政治的問題、ポリティカル・クエスチヨンズあるいはイギリスのアクト・オブ・ステーツあるいはフランスのアクト・トウ・グベルマン、そういうような法理が引用されて来て、重要な政治的問題については裁判所は関与しない。管轄権がないというようなことが展開して参りまして、ますます錯覚というものから目覚めるようになるのじやないかと思われるのであります。政治家あるいは法律家も、やはりこの一般人考え方を抱いておる者が相当多いのでありまして、最高裁を政治的に、政府及び国会を抑制する機構として考えておる。従つて抽象的な問題についても、最高裁というものに勧告的意見を与えるような制度を認めてはどうかとか、あるいはある種の問題については移送命令方法で、早く最高裁憲法解釈を下すようにしてはどうか、あるいはさらに進んで憲法を改正して、司法裁判所のほかに、別に憲法裁判所というものを設けてはどうかというようなことを考えることになつておるような状態になつております。これらは新憲法が導入したアメリカ制度と、従来違憲審査制度錯覚から来た波紋であるように思われるのであります。最高裁民事刑事行政事件終審裁判所で、ただきわめて例外的な場合に、国会の定めた法律違憲判断をして、判決を下すのにすぎないので、政治的に大したことは期待できない。また一般人関心を持つような重大な政治問題について、裁判所はおそらく指示を避ける。また避けなければならない。従つて最高裁を政治的にも過大評価するということは、これはイリュージヨン、錯覚であるということが事実によつて漸次証明されて来ることだと考えておるのであります。基本的人権を守るということについても、一番大切なのは立法の際でありまして、国会基本的人権の最大の擁護者であり、またそれに次いで大切なのは、これは裁判所法令憲法の精神に合致するように解釈、適用するということであると思います。国会の制定した法律を迷想であるとする権限は、これはまれにしか行使してはならない制度であります。もつとも憲法が改正される際の立法論としては、違憲審査制というもの自体が問題になります。違憲審査制は廃止した方がいいという考え方もあり得るのであります。私はその点については、この制度を残した方がいいというふうに考えておるのでありますが、これを政治的に過大評価しないで司法全体のうち、裁判制度全体のうちにおいて占める妥当な地位というものを正しく評価するということが現在としては非常に必要である、こういうふうに考えるのであります。  第二に、最高裁判所司法裁判所であるとする最高裁立場は正しいと考えるのであります。しかし、ときとして最高裁判所裁判官違憲審査というものを過大評価するような錯覚を抱くのではないかということを外部から疑わしめるような言説をときどき耳にするのであります。たとえば昭和二十九年の九月十五日及び九月二十五日の裁判所会議における最高裁機構改革に関する意見にこれがよく現われておると思われるのであります。この意見には、新憲法下最高裁性格通常民刑事件終審裁判所ではなく、終審としての違憲審査にある、こういうふうに断じて、この根本的な命題に基いて違憲審査に関与しない判事というものを構成員に持つことは違憲である、こういうふうに結論を出して、一般法令違反上告事件を取扱わしめるために増員するという論に対して、この見地から十一名ないし九名に減員すべきである、こういうふうに結論を出しておるのであります。そしてまた判例抵触とか法令解釈適用最高裁が重要と認めたものは最高裁の手に納めるが、一般法令違反審査するための別の機関を置こうというのであります。この意見の背後にある基本的な考えは、新憲法違憲審査権に関する錯覚に基くのではないかということがうかがわれるのであります。またそれから引出されたいろいろな論法というものは冷静に考えて、やや強弁のきらいがあるようにも思われる。またある観点からする現状維持、すなわち増員によつて最高裁裁判官地位が低下するということに対する反対の立場を、いわば弁護士的な方法で弁論をしているように響くのであります。憲法八十一条の解釈一般司法裁判所、すなわち民事刑事終局裁判所である、終審裁判所であるという前提のもとに、さらに違憲審査権を認めたものである、こういうふうにすべきが文字解釈だけでなく、各国違憲審査権を認めた最高裁判所あり方に照しても妥当な解釈だと考えられるのであります。また現実的にはそう政治的に重要性があるわけではない、最高裁判所の最も重要な仕事はやはり通常民事事件終審裁判所ということであることは、これは当然のことであるように思われるのであります。  第三に、一般法令違反事件違憲事件との処理についての日本最高裁の機能について、アメリカ連邦最高裁判所をモデルとして考えるということは、これは誤謬であつてアメリカと比較するならば、むしろ州の最高裁判所というものと対比しなければならない。この点は岩田さんの御意見の中にもちよつとあつたように記憶いたしますが、さすがは長年の実際的経験から立てられた理論です。私も州の最高裁判所と対比せらるべきで、連邦裁判所と対比せらるべきでない、こういうふうに考えるのであります。アメリカ連邦最高裁判所は、連邦憲法に列挙せられた事項についてだけ裁判権を持つだけで、州の最高裁判所のように原則的に民事事件について裁判権を持つものではない。その裁判権はいわゆる制限管轄裁判所、リミテッド・ジュリスデイクシヨンであつてコートオブ・ゼネラル・ジユリスデイクシヨン、一般管轄裁判所ではないのであります。日本裁判所は州の最高裁判所と同じく民刑事件終審裁判所であり、違憲審査権をも持つので、やはりこれは州の裁判所と同じく一般管轄裁判所である。このコートオブ・ゼネラル・ジュリスデイクションの性格を持つものと解釈しなければならないと思うのであります。アメリカ連邦最高裁違憲審査について最も重要なのは、州と連邦権限境界線を定めるということと、州の立法連邦憲法の制約に照して合憲であるか、違憲であるかということを審査するにあるので、主としてそうした点にアメリカ連邦裁判所の政治的な重要性というものがある。ちようどニュー・デイール立法の場合のように、連邦法違憲とするということは、これは必ず政治的に摩擦というものを生ずるのでありまして、これはアメリカの名判官のホームズ氏が極力警戒したところであり、現在のホームズ氏の伝統を受継いでおる最高裁判所判事たちは、連邦法違憲としたということは、一九三七年以後とつたことはないのではないかと思います。従つてそういう行政府、または国会との政治的な摩擦というものはないようであります。この点からフランス憲法学者などば、アメリカでは違憲立法審査権というものは死んでいるのだ。権限はあるけれども、それは行使されない権限である。これはつまり連邦法違憲とする、つまり同格の国会に対する関係においては、それを違憲とするということは、今ほとんどしてないのだ、これはちようどイギリスのキングの権能と同じだ、内容はからなんだ、こういうことを言つておる論文をパリで手に入れましたけれども、そういうようなことで、連邦裁判所というものでは連邦法違憲審査というものをやらない傾向が強い。そこで技術的でなく、政治的に重要な立法について、法律を無効とするということにいたしますれば、わが国においても相当の政治的摩擦を起すことになる。従つて最高裁というものは極力これを避けることになるであろうし、また避けた方がいいと思います。これは裁判所というものの地位について、アメリカのような国は法曹一元が非常に強力に成立しておりますから、裁判所国会との争いとか、あるいは大統領との争いになれば、裁判所を支持するのは裁判所だけでなく、弁護士法学者が一致して裁判所を支持する。そういうバックの力を持つている。ところが日本ではそうじやなくて、弁護士裁判所が対立したり、そういう面が非常に強いので、ちつとも法曹一元というものは実現しておらないような状態においては、ますます裁判所が影が薄くなる原因になる、そういうふうに見た方がいいのじやないかと思うのであります。  それから第四に最高裁機構改革について、九人ないし十一人に減員するとか、あるいは十五人だけ増員して三十名とするというふうな数字が現われておるのであります。私はこの場合はまず現在の調査官制度というものを永続化せしむることを前提とした数字であるのかどうかということを知りたいのであります。調査官というのは、これは高等裁判所または地方裁判所などの判事としてりつぱに第一線で働ける優秀な裁判官で、これが二十五名も第一線を去つて最高裁判所判事の下僚のような、命によつて仕事をさせられておるのが現状であります。十五人の裁判官の舞台裏には上告事件の下調べをやつて、場合によつて判決なんかも書きかねないような態勢になつておる。これは比較法学会でも私は、日本司法制度についてこういうへんな現象が起つておるということを指摘して各国学者の注意を促したのでありますが、これは非常にいけない制度だということを向うの学者がみんな言うのであります。司法制度のがんだ。よくあることだ。それでとにかくこれは世界無比悪制でありまして、行政の場合には、長官は下僚の調べたことに判を押して、それで大体スムーズに行くのでありますが、そうではなく、裁判官というものは、やはり事件を初めから終りまでみずから調べ上げるということが必要なのであります。これは英米法たると大陸法たるとを問わない、司法伝統であります。日本のようなこういう制度は現在世界にどこにもないのであります。いわゆる調査官裁判というようなことが起るものとすれば、これはゆゆしき大事で、この司法の本質にもとる、司法伝統に背反することになる重大問題で、調査官制度の廃止問題などと申しますと、表面的にはさまつな問題のように考えられるのでありますが、実はこれは本質的な問題を含むのであります。しからばなぜ世界無比のそうした司法行政化し、司法の本貫を傷つける危険性を包蔵するこの制度が起つたか、発生論的に考えてみますれば、これは旧大審院では四十五人くらいいた判事最高裁では十五人に減らしてしまつた。しかもその職務の範囲は拡大されておる。ここで、そこで調査官として優秀な裁判官裁判官補助者として第一線から引抜いて、裁判官として当然みずからやらなければならない仕事をこれにやらせるようになつた。司法行政に関する事項については十分な補助者を得て、そうしてその仕事を行わしめるということは、これは普通の行政と同じだと考えますけれども、事いやしくも裁判に関することは同じことをやることは禁物であります。アメリカ最高裁におけるように、法科大学の卒業生の優秀な人をロー・クラークスとして一人ずつ裁判官が使い得るというような制度とか、あるいは西ドイツの最高裁判所補助者がウイッセンシヤフトリーヘル・ヒルフス・アルバイターという制度がありまして、これは調査官のようにみえますけれども、これは全然違うので、主として各法律審査するために、ごく若い裁判官をウイッセンシャフトリーヘル・ヒルフス・アルバイターという名前で使つておるのであります。アメリカロー・クラークスと同じようなもので、これと今の日本調査官というものは本質的に違うので、これは第一審を強化して控訴、上告を減らすという基本的な司法政策に背反するばかりでなく、最高裁裁判官行政官として、司法の本質を傷つけるということになる。いやしくも最高裁判所機構考える場合には、現行の調査官制度というものは断固としてこれを廃止する必要がある。その上で必要な数の問題を考えなければならないと思う。九人ないし十一人、あるいは三十人という数にしても、調査官制度前提とするものであつてはならない。これは通常民刑事件の場合でも、違憲審査事件の場合でも区別さるべきものではない、そういうふうに考える。  それから第五に、新憲法のもとでも、民刑行政事件終審裁判所であることがおもで、それに関連して違憲審査権というものも行使する。また調査官はこれを廃止するという前提のもとに最高裁判事の数を合理的に考えるべきであると思うのであります。そうすると九人、十一人というのは少な過ぎやしないか、十五人でもどうかと思う。相当数増員する必要がやはりあるんじやないか。もつとも何人にするかどうかということは、私研究したわけでありませんから何とも言えませんけれども、やはり相当増員の必要があるんじやないかと考えるのであります。私は、裁判は大部分が第一審で片づいて、控訴や上告の少くなることが理想であると考えておるのであります。その実現に在朝在野法曹協力して努力すべきものだと考えております。しかし、初めから九人とか十一人に人数を減らしておいて、上告をそういう少数判事のできる範囲に縮小するという考え方は、これは本末転倒のように思われるのであります。また憲法事件こそ最高裁の任務であり、法令違反に関する事件最高裁以下の判事でよろしい、こういう考え方もやはり非常な開進いで、違憲審査制度錯覚にとらわれた、ゆがめられた司法観であつて、正しくないと私は考えるのであります。  それから第六に、英米最高裁判所では、判事少数であります。これはどの判事も、民事刑事あるいは行政憲法等上告事件が来ても、能率的に処理し得るだけの能力を持つておるということを前提としておるので、専門によつて部を設けたりしないのであります。これは法曹一元のもとに最優秀な、深い学識と広い経験を持つておる弁護士を、名誉を与え、また相当な高給を払つてえり抜いて来るという制度のもとにおいてのみこれは可能なので、日本では法曹一元は存在しておらない。最高裁を除いては、判事の任命というものは、大陸式に他の官僚と同じように子飼い主義であつて、プロモーション・システムが行われておる。ただ最高裁だけが、英米最高裁判所と同じように少数判事主義を採用したのであります。しかし英米のような法的訓練の背景というものがない日本では、どんな高給を払つたつて、そういう専門を超越して民事刑事行政憲法あらゆる事件について熟達した迅速かつ妥当に事件を処理し得るような、広い法的教養を備えた人物というものは得られないのであります。その結果は、あらゆる精神的、物質的な優遇にもかかわらずどの分野の判決も大して優秀といえないような状態となる。しかも、それも調査官がおつて初めて現在ぐらいに動いているとも言われるのであります。この英米式最高裁のやり方は、日本法曹界の現状が根本的にかわらない限りはうまく行かないと思うのでありまして、この英米式制度は、それ自身としては非常にけつこうな制度で、裁判所の権威はそれによつて大いに増すことになるので、うらやましい次第でありますが、遺憾ながら、日本でこの制度のもとに効果的にその職責を果し得るような名案がどうも見つからないので、そういう名案があれば大いに賛成でありますけれども、そうした名案をどうも私は考え出せないのであります。従つて実際問題としては、やはり各裁判所に万能を求めないで、各判事の得意の面を生かす大陸式方法に立ち返るよりほかはないのではないかと思うのであります。すなわち民事部あるいは刑事部行政部憲法部というようなふうにわけて、そうして各部に相当な判事を配して、専門的熟練から来る能率を発揮せしめて、またその専門については内外の文献を十分に研究するだけのひまを与えるようにする。この方が、現在よりも全体として能率的に動いて、現在よりは最高裁判所の権威をむしろ増すゆえんではないかというふうにも考えられるのであります。  第七に、違憲審査といつても、日本は、アメリカ連邦最高裁判所ほど複雑ではないので、アメリカ裁判所の最も必要なフエデラル・クエスチヨン、連邦問題の解決の任務というものはないのであります。おもな問題は、基本的人権公共福祉の限界を引く問題であります。この問題にしても、裁判官の数が多ければいい判決ができると考えるのは錯覚でありまして、これらについて、むしろ専門的にアメリカその他の国々の多年の経験を十分に研究して、そうして五人くらいの裁判官の合議で判断すれば、そうした専門的知識の大してない十五人の裁判官の合議によるよりも、すぐれた判決ができ、判例が成立して行くんじやないかと思うのであります。そうしてもし法律違憲であると判断する重要事件が起つた場合には、これは全員でもつて連合部にかけるような手続をとつてもさしつかえないのではないか、これは憲法上全部の判事の参加というものを必要とするからではなく、ある場合には、そうした慎重な態度をとるということが政策的に正しいという意味であります。  それから第八に、最高裁裁判官会議意見によりますと、右のような構成は違憲である、こういうことになるのでありましよう。しかし私の見るところでは、これは違憲審査権錯覚から来る独断であると思うのであります。憲法によつて与えられた最高裁権限をどういう仕組みで行使するかということは、憲法以下の問題でありまして、憲法には、違憲審査については裁判官全部が参加せねばならぬという明文はないのであります。アメリカ連邦最高裁判所では、部にわかれて裁判する慣習はありません。州の最高裁判所も、通常は部にわかつことはない。これは英米伝統でありますが、州の裁判所では、事件が非常にたまつたような場合には、部にわけてやることも相当行われておるのであります。それからまた連邦違憲判決をするときは、全員の多数を要するという慣習がありますけれども、これはこれに反したからといつて違憲であるということはあまり耳にしないのであります。州でも、やつぱりそうした慣習が相当あるようでありますが、州の憲法には、憲法問題には全員参加することを要するという規定が赴かれているところもあります。しかしそういう明文がない限りは、別に違憲というわけではないというふうに見るのが正しいんじやないかと思います。そこで日本でも、憲法事件については、大法廷でやることを要するとか、憲法事件にはすべての判事が参与をせねばならぬとかいうのは、アメリカの州のように、憲法に明文がある場合ならば、そういうふうに解釈さるべきでありますけれども、現在そういう明文がないので、相当こじつけてそういうような結論を出して来るというのは、これはどうかと思うのであります。現在小法廷で違憲ではないという判決をして、大法廷にかけないということも聞いておりますが、これもやはり私は違憲ではないと思うのであります。最高裁判事について、国民審査があるからといつて、これは判事違憲審査についての態度を基礎として国民が審査するんだ、こういう狭い解釈をとる必要も何にもない。刑法の解釈についても、民法の解釈についても、またその性格についても、いろいろ審査ということが対象になるということでありますが、これを狭く解釈して、もつて憲法には全員が参与しなければならぬのだというふうに解釈するのは間違いだというふうに考えます。  以上で私の最高裁機構改革についての意見の大綱を申し上げたのでありますが、次に十月十二日付の衆議院法務小委員会の試案中、最高裁機構に関する部分について意見を申し上げておきたいと思います。六に、最高裁の増員の数を十五名とするとあるが、これは調査官の廃止を前提として考えられた数であるとするならば、少な過ぎるのじやないかという感じが起る。もし調査官制度の存続を前提とするならば、これはぜひともやめてもらいたい。廃止してもらいたい。調査官制度というものは、全廃しなければならぬと思う。そうすると、三十人で十分であるか、現在は、調査官を入れて数えれば、四十人の裁判官最高裁において働いておるのであります。十五人じやないのであります。そこで三十人に減らしても、これで十分事件がさばけるかどうか、増員の必要がないのであるか、もう少しこの点を考えていただきたいという点が第一点であります。  それから第二点としては、この試案では、一般法令違反については、五名からなる小法廷、それから憲法違反については、九名からなる大法廷、それから憲法判例並びに一般判例の変更については、連合審査というふうになつておりますが、この制度のもとで九名の判事は、一般法令違反事件のほかに、憲法違反事件に関与するが、二十一名は一般法令事件だけである。憲法判例の変更の際だけは違憲事件に関与するということになるように見えるのであります。この試案は、私の考えでは違憲ではないと思います。しかし違憲事件は、常に大法廷における九人の判事の合議を必要とするというのは、これはどうかと思うのであります。五人からなる憲法部というもので、十分ではないかと思うのであります。同時に重大な違憲判決をしなければならぬというような場合には、政策的見地から連合審査にかけ得るということが望ましいんじやないかと思うのであります。もう少しフレキシブルな組織にしておくということが望ましいんじやないかと思うのであります。  そこで大体論は終つたのでありますが、これから質問事項についてごく簡単に申し上げたいと思います。米国における違憲審査制度概略ということでありますが、これはちよつと概略もなかなむずかしいのでありますが、これだけのことを申し上げておきたいと思うのであります。  アメリカ違憲審査制度というのは、これは大体三種類がある。州的な違憲審査制度連邦的な審査制度、国の違憲審査制度、この三つがある。それで日本違憲審査制というのは、州の法律が州の憲法に違反するかどうかを審査する、そういう権利、それから連邦裁判所が、連邦法は合衆国憲法に違反するかどうか、それを審査する権利、この二つに区画されるべきもので、連邦事件というのは日本には全然ないのであります。それをどういうふうに組み合せて、どういう手続で州と連邦関係などについて行われているかということは、私の書きました「司法権の優位」の中に詳しく書いてありますが、こういうめんどうなことは今申し上げません。  それから(イ)の違憲審査具体的事件を通じてのみ行われるものであるか、すなわち、いわゆる抽象的法令審査を許さぬものであるか。これに対しては連邦最高裁判所の場合には具体的事件を通じてのみ行われるのであります。それから州の最高裁判所の場合には、大体は連邦最高裁判所の場合と同じであるけれども、幾つかの州においてはいわゆるアドバイザリー・オピニオンというものを与える権限が認められております。このアメリカ制度にならつた最近の立法について言いますと、アイルランドではやはり勧告的意見を与えることができる。現にアイルランドの大統領が法案が出る前に最高裁にこれが違憲であるかどうかということを諮問して、これに答えております。そういう場合には政府の法案を支持する検事総長のような人が一方に出ますと、今度は裁判所が特に弁護士を任命して、逆の立場の議論を展開させる。そうしてそれを聞いて裁判をする。だから一応は両方の意見を聞いた上で判定するというふうに動いております。それからインドもやはりアドバイザリー・オピニオンを認めておる。だから新しいところではそういうのを認めるという傾向もあるのであります。従つてアメリカ制度をまねする場合にそういう抽象的な法令審査、すなわちアドバイザリー・オピニオンのようなものならば許されることにした方がいいという立法者もあるわけであります。アメリカでは少数の州だけが――マサチューセツ以下ニューイングランドの州が多いのですけれども、そういう制度を認める州が五千ある。  それから(ロ)の具体的事件を通じてのみ行われるものとすればその根拠いかん。これは連邦最高裁判所の場合には連邦憲法に明文がありまして、最高裁判所管轄権は下に列挙された事件あるいは争訟に及ぶという趣旨の規定がありまして、それと三権分立の理論というものが結びついて、それだけに限るという解釈でおるのであります。だから励行的意見は認めないという議論が出て来るわけであります。それから各州のものは各憲法を見ないとよくわかりませんから、根拠はそう明確にお答えすることはできませんけれども、やはり同じような考えに基くのじやないかと思われるのであります。  それから次は(ハ)でありますが、下級裁判所違憲審査権を有するものであるか。これはアメリカでは審査権はみな持つておる。一番下の裁判所でもこれを持つている。それでは新しいアメリカにならつた立法はどうかというと、たとえばアイルランドでは最高裁判所最高裁判所の二つしか認めていない。それから下級の裁判所には認めておりません。それからインドもやはり高等裁判所以下の裁判所にはこれを認めておらない、そういう制限を加えておるということが現われておるわけであります。  それから(二)下級裁判所違憲審査権を有するものとすれば、最高裁判所違憲判決と、下級裁判所違憲判決との効力の差いかん。これにつきましては、ただ違憲審査判決であると、他の事件判決であると区別がないのであつて、ただ最高裁判決が重く、下級裁判所判決一般効力というものは非常に軽いのだ、こういうふうに答えるよりほかないと思います。  それから(ホ)最高裁判所違憲判決をした場合、国会政府下級裁判所にいかなる効力を持つものであるか。これはアメリカのいわゆる判例拘束制の理論、つまり憲法解釈しますと、その解釈した判例が法たる効力を持つことになる。判例のいわゆるレシオ・デシデンダイ、判決の理由が法たる効力を持つ、こういう一般判例の理論が適用されるので、従つて普通の法律と同じように、判例法として国会政府等もこれを尊重しなければならない、拘束力があるということになります。  それから(ヘ)適憲性推定ということについて御説明願いたい。法律は常に適憲性推定を受けるものであるかどうか。この適憲性推定は、最高裁判所連邦国会の制定した法律については常に推定がある。その推定の基礎というのは、同じくらいに並んでおる他の部局の憲法に関する解釈に対する礼儀的な考え方から出た尊重、こういうことが基礎になつておるわけであります。それから州法の適憲性を州の最高裁判所が判定する場合にも、やはりそういう推定があるので、この場合も理由はやはり同じである。それから連邦事件の場合は趣がちよつと違うのでありまして、州法が連邦から委任されたような権限を犯した、そういう事件の場合には、適憲性推定はない。ただある州憲に対する連邦憲法の制限、それが問題になつたような違憲事件については推定があるという若干複雑性を帯びて来ます。しかしそれは今日本の方に関係がありませんからその程度にしておきます。  それから(ト)は、英国における上訴制度概略を御説明願いたいというのですが、これは一時間やそこらでは少しむずかしいと思いますから、きようは調べて参りません。  それから二のわが国最高裁判所違憲審査権について御所見を伺いたい。(イ)はわが憲法上、憲法裁判は、最高裁判所裁判官全員の多数決によつて行われなければならないものであるかどうか、もしそうだとすれば、その根拠いかん、これは回答はノーであります。全員の多数決によつて行わなければならぬという憲法上の制約はない、そういうふうにした方が政策的にワイズであるかどうかは別問題であります。  それから(ロ)は、わが憲法下級裁判所にも違憲審査権ありとするものと考えられるか、これは当然下級裁判所には憲法違憲審査権が保障されておるんだという意味においては、これはそうじやないというふうに考えなければならぬと思います。従つて下級裁判所違憲事件については裁判をしないで上級の方にまわす、そういうことの法律をつくればそれは違憲でない。つまりアイルランドやインドのような立法日本がやつた場合に、それが日本憲法違憲であるかどうか、そういう問題になりますればそれは違憲じやない、こういうふうに考えなければならぬのじやないかと思います。  それから(ハ)は、最高裁判所小法廷は、違憲審査権を有しないから、憲法上の最高裁判所でないとの見解もあるが、所見いかん、この見解は先ほど申しましたように全然間違つておると思います。小法廷でもできる、こういうふうに見るのが正しいのじやないかと思います。  それから(ニ)は、下級裁判所違憲判決最高裁判所違憲判決との効力の差いかん、これはやはり一般の判例の効力と区別する何らの理由がないと思います。だから一般の判例について日本では判例拘束性の理論というものがないのですから、それと同じに取扱えばいいので、ただ実際上普通の事件でも最高裁が法の解釈をいたしますとその解釈が尊重されると同じように、違憲に関する判例が尊重されるということになる。それ以上に特別の効力最高裁の判例に与えるという必要はないのじやないかと思います。   それから(ホ)は、輪番または交代制等の方法によつて一時的に違憲審査を担当しない(一般上告を担当する)最高裁判所裁判官を認めることは憲法違反考えられるか、これはむろん今まで申し上げた前提のもとにおいて違憲ではない、こういうふうに考えます。  これで大体質問事項に対する回答を終つたのであります。さらに何か御質問等ございましたらば、私のできるだけのお答えをいたします。
  4. 小林錡

    小林委員長 質疑がありましたら……。村専門員。
  5. 村教三

    ○村専門員 先生は増員する裁判官の数の問題は、具体的な実情に応じて数を定むべきであるというようにおつしやいましたが、学会でもそうおつしやつておられるし、本日もおつしやつておられますが、先生の議論の出発点はやはり調査官の廃止ということを前提にした議論のようでございます。そうしますと、今の二十五名と裁判官の十五名と合せて四十名になりますが、少くとも四十名以上は必要であるという最低限のお考えはやはりお持ちになるのだと思いますがどうでしようか。
  6. 高柳賢三

    高柳参考人 それは最高裁のやる仕事がどのくらいの分量になるか、これによつてきまるのだと思います。最高裁一般法令事件を原則としてやるということだつたらやはり相当ふやさなくちやいけない。四十人とか五十人とかを必要とするのじやないかと思います。
  7. 佐瀬昌三

    佐瀬委員 最高裁判所憲法審査権というのはいわば政治的に一つのイリュージョンであつて、私もきわめてこれは同感なんですが、そこで最高裁判所本質的には司法裁判所であつて、特別な憲法裁判所的権能はないのだということに理解した場合、下級裁判所違憲審査権というものについても最高裁判所と対比した場合、やはりこれは同様に理解していいのじやないか。言いかえるならば下級裁判所といえどもいわゆる法令審査権を持つてつて法令憲法に違背したことが明確なものであるという場合には適用を拒否する、そういう権能が付与されていいのじやないかというように考えるのでありますが、先ほどお説の中に最高裁判所のように憲法上保障された意味における違憲審査権は、下級裁判所にはないのだというふうにちよつとお伺いしたのですが、その辺をもう一ぺん明らかにしていただきたい。
  8. 高柳賢三

    高柳参考人 これは最近アメリカ制度をとりましたアイルランドだのインドでは、下の方の裁判所にはそういう権限はないのだ、なぜないかというと、憲法問題というのはやはり相当むずかしい問題なんです。それで高等裁判所くらいまで来ないとむだな努力をさせることになります。やはり相当能力の高いところでやらせるということが必要だ、こういうことがそれらの立法の基礎になつているのだろうと思います。そこで問題は、日本でも簡易裁判所だの裁判官にそういう違憲問題に関する判定をさせるというのは、司法裁判の時間を非常にむだに費させることになるし、無理じやないか、こういう考えもあり得るわけだと思います。そこで憲法事件はむずかしいのだから、これは簡易裁判所にはやらせないという立法をつくつて違憲じやない。便宜にどういうふうに違憲立法審査権裁判所全体として配分するか、これは自由にできるのだ、こういうふうに解釈する方がいいのじやないかと思います。
  9. 佐瀬昌三

    佐瀬委員 そこでこの委員会でもいわゆる中間判決というものがしばしば問題になつたのですが、これは下級審において憲法問題が提起された場合、その部分だけピック・アップして最高裁判所が判定したらどうかというような案が訴訟上の便宜の問題として出ておるのですが、これに対する御見解はいかがですか。
  10. 高柳賢三

    高柳参考人 これはぼくは可能だと思うのです。
  11. 佐瀬昌三

    佐瀬委員 可能であり、かつ必要というようなふうにお考えになりますか。
  12. 高柳賢三

    高柳参考人 事件によつてはこういうことが必要な場合もあると思いますね。常にそうしなくちやいかぬというところまで行くかどうか、これは立法問題としては考えなくちやならぬ問題になりますな。
  13. 佐瀬昌三

    佐瀬委員 けつこうです。
  14. 小木貞一

    ○小木専門員 先ほどの最高裁判所あり方についてというあたりでお話になつたことでありますが、最高裁判所というものは民事刑事行政事件終審裁判所であるというのが一般的な性格である、こういうふうに伺いましたんですが、その場合におきましても、ある事件の軽重とかいうような点から、たとえば現在日本では簡易裁判から起つた民事事件上告高等裁判所にやらしておるわけです。こういうことは憲法上はもちろん問題にならないと考えてよろしいのでございましようか。
  15. 高柳賢三

    高柳参考人 それは憲法上はさしつかえないと私は考えます。
  16. 小木貞一

    ○小木専門員 そういたしますと、今度はわれわれの委員会の案のように、これを民事刑事も、簡易裁判所から出発した事件は、最高裁判所一般上告をやるところでこの上告事件をやらせる。これがいいかどうかというようなこと、つまり現在の民事の場合は先ほど申しますような建前になつておりますが、これを刑事のように合せまして、上告はいずれも最高裁判所一般上告をやるところでやらせるというような建前にすることがいいかどうかについての先生の御所見があつたら承つておきたい。
  17. 高柳賢三

    高柳参考人 その点は、上告の問題についてのこまかいことは考えておりませんが、これはあらゆる問題を検討した上でその方がいいということになれば、それはもちろんそうしても違憲でないことは当然だと思いますが、その具体的の問題についてはちよつと今お答えいたしかねます。
  18. 小木貞一

    ○小木専門員 それからもう一つ、先ほどの最高裁判所あり方でわかりましたのですが、憲法問題をやる裁判官、それからそうでない一般上告をやる裁判官権限がやや違うかとも思われますが、そういう仕事の内容、権限の迷うことによつて最高裁判所裁判官の中に待遇を別にするということ、これが憲法的に見て違憲になるかどうかというような問題についてはいかがでございましよう。
  19. 高柳賢三

    高柳参考人 違憲にはならぬと私は思います。ただそういうふうに差別をつけることが賢明であるかどうかという問題については、まあ私はつけない方がいいという考えで、憲法を取扱つたから特に偉いわけでもなく、民事つて同じような偉さの人がやらなくちや困るので、憲法だけが偉い裁判官がやるというふうに考えるのはやはり錯覚の一つだと思います。
  20. 小木貞一

    ○小木専門員 もう一つ今のに関連しまして、そうなりますと、かりに上告を全部最両裁判所に狩つて行くようにしますと、これは事件が非常にふえて来る。現在ですら非常に足りないんだというような考え方もあるわけであります。先生の考え方でも、調査官を入れて実力においては四十名以上いるんじやないか、従つて調査官はやめるが、少くとも四十名ぐらいは一応、さしあたりそのくらいの数の者があつてもいいんじやないかというふうに拝聴いたしましたが、そういうふうな数になりますと、これがしかも待遇がみな同じで、現在の規格で行きますと大臣待遇を受けるわけであります。理想的なものをつくりたいのですが、まあ国力とか財政というふうなものを考えなければならぬ問題もあるものでございますから。平等でないとぐあいが悪いのでございましようか。
  21. 高柳賢三

    高柳参考人 平等にしないでも違憲じやないと思います。なるべくみな平等にしておいて、ただ仕事がみな専門にわかれるような仕組にしてほしい。ただ憲法の中で違憲とするというふうなときには、これは会員でもつてやるというようなこともときどきはやらなくちやいかぬ。それは憲法だけでなくて、ほかの事件でも起り得ると思います。そういうふうにいたしまして、もしも国家の財政がそんなには出せないというなら、今までの人は仕方がないが、あとの、将来の人は少し下げても、これは違憲じやないと思います。
  22. 佐瀬昌三

    佐瀬委員 先ほどの、最高裁判所憲法裁判所性格の問題なんですが、何か新憲法の全精神から見て、憲法の番人として、昔の枢密院にかわる位置を最高裁判所に求めようといつたような思想が相当流れておりますね。それがたまたまこの最高裁判所のそういう性格論に反映しているんじやないかと思います。しかしそういう思想はやはり民主主義憲法においてはある程度尊重さるべきであつて、それを最高裁判所機構改革においてどういう形において顧慮するかということも一応問題になつてもいいと思うのですが、何かそれに対するお考えがありますか。
  23. 高柳賢三

    高柳参考人 つまりそういう考え方がありまして、私も憲法改正の場合には違憲審査権というものを残しておく方がいいと思います。但しそれを非常な有力な番人だと見ることは、民主主義の運用の各国経験から見てナンセンスだと思います。やはり一番大切なのは国会なんです。国会基本的人権を守る第一線なんです。そこでもつて間違つて何か起つたような場合に裁判所ちよつと修正する、その程度のものは残しておいてもいい。しかし政党でもつて意見が違う場合に裁判官の判定を求める、こういうようなことに展開できると考えるのは、これは錯覚だと思う。そういうふうにすべきじやないと思う。ただ司法は補充的な作用しか営めない。司法でもつと大切なことは、法令解釈憲法の精神に合致するように解釈する、この努力がもつと大切だ。違憲立法審査権という非常にドラマティックなことばかりに目を奪われておつては、司法全体の改善にはならないと思います。
  24. 林信雄

    ○林(信)委員 先生のさつきの結論で、最高裁判所裁判官は、違憲訴訟憲法裁判には全員で当らなければならないという説があるがそうではないという結論はわかると思います。その考え方のよるところもかつてですが、憲法本質的な見解から来ているんだろうと思います。また反対します者も、最高裁判所憲法上の地位というものはおおむね本質論だと思うのであります。しかしながらしいて根拠を求めますれで、憲法七十九条、内閣の任命する裁判官構成する、そういうものを基準にしていると考えられる。でありますから、現在やつておりますような小法廷の普通事件を扱つているような最高裁判所裁判官構成する裁判所は、憲法裁判所ではないんだ、いわゆる八十一条の憲法裁判所ではないんだ。こういうふうな憲法解釈論が行われている。お伺いしたいのは、そういつたような根拠を一応きらいまして、述べておりますそれに対する反論というか、先生の批判、これはどういうふうですか。
  25. 高柳賢三

    高柳参考人 それをきよう申し上げたつもりだつたんですが、つまりそういう違憲審査権を認めた国々、それらの国々が最高裁をどういうふうに考えているのか。たとえばインドとかアイルランドとか、そういうような国では、やはり本質憲法裁判所なんだ、こう見ているのか、いや司法裁判所違憲審査権限を持つている裁判所と見ているのか。そういうような点もやはり広くこの制度を採用している月々の裁判所あり方をながめてみて、日本裁判所というものは特別なんだ、こういうふうに見るのが全体世界考え方からいつて合理的なものかどうか、そういう方面から見ることも必要だと思う。それでそういう方面から見ますと、日本法律家憲法裁判所だといつてそれを本質的なものだと見ているのは、これは連邦裁判所でも何でもない最高裁判所がそういう権限を持つて民事刑事はつけたりだと考えているのは非常に非常識だ――その面から見るとですよ。そういうふうに見えるわけです。そこで八十一条の解釈にしても、あれは憲法裁判についての終審裁判所だ、そういうふうに読めるのですが、そういうふうに必ず読まなければならぬというりつくはない。あれは終審裁判所というのは民事刑事についての終審裁判所であつて違憲審査権をも持つているんだ、こういうふうに解釈ができるじやないか。それから構成云々という文字の末にとらわれて――私ほかの憲法をまだ比較的に研究いたしておりませんけれども、おそらくはかの国だつて何かで構成されるという、ふうに出ていると思うのです。それだつてそういうふうに考えなくて普通の民事刑事が原則的だというふうに考えているんだと思います。その点は調べないとわからないけれども、そういう意味で、裁判所権威を維持するために、弁護士として雇われた場合につけるようなりくつにわれわれには見える、一方的なりくつだ、公正に各国立法例等も考えて、世界的に見て妥当な解釈が、こういうふうにはどうも思わない。何だか一方的だという感じを受けるわけなんです。
  26. 小林錡

    小林委員長 どうも御苦労さまでございました。それでは午後一時から再開することとして、暫時休憩いたします。    午後零時十五分休憩      ――――◇―――――    午後一時三十五分開議
  27. 小林錡

    小林委員長 これより上訴制度に関する調査小委員会違憲訴訟に関する小委員会連合会を午前より引続いて開きます。  これより早稲田大学教授中村宗雄君の御意見を伺うことにいたしたいと思います。中村さんにはたいへん御多忙のところ時間をおさきくださいまして、ありがとうございます。実は第十九国会後に引続きまして、わが国上訴制度、ことに最高裁機構改革の問題それから違憲訴訟に関する問題、これらについて小委員会と衆議院の法務委員会において設けまして、毎月一週間くらいずつ審議を続けて今日に至つた次第でございます。御承知のように十月中に一応この小委員会の案かまとまりまして、試案として、公になつた次第であります。もとよりこれに対しては各方面からいろいろ批判があることは了承しておりますが、最高裁意見も必ずしもこちらと一緒ではありませんし、それから法制審議会もまだまとまつておらぬという状態で、せつかくまとまつた試案についていろいろ御意見を伺つて、できるだけ完璧を期したい、こういうつもりでおるわけであります。本日は高柳教授に御意見を伺い、午後は中村さんから御意見を伺う、こういうことになつている次第であります。実は中村教授が海外へ出られる以前にそういうことを承りまして、特にこれらの点についても御調査をしていただければ、非常にわれわれの参考になるということも御依頼をしてありきたので、われわれとしては非常に期待をしておるわけでございます。きようはいろいろ自粛三法をつくることなどがあるので委員の出方が少し少くてはなはだ失礼でありますが、速記録にとどめておきますから各方面にあなたの御意向は公になることと思いますから、どうかひとつこの点をお許しくださつて忌憚のない御意見を伺いたいと思います。  それにつきまして、お手元にお届けしておいた質問要項がございますが、これはもとよりこの順序でもなければ、この内容に限つてお伺いするわけでもなく、ただ気づいたた点を書いただけでありますから、順序等は御変更くださつてけつこうであります。ちよつと一応読んでみますと、  一、独、墺における憲法裁判制度運  用の実情を承りたい。  二、最高裁判所違憲審査権範囲  は憲法上いかなるものと考えられ  るか。特に最高裁判所が具体的事  件を離れて抽象的、一般的に法令  が憲法に適合するかどうかを決定  するということは憲法解釈上可  能と考えられるか。  三、最高裁判所がある法令違憲と  判断して裁判をした場合、その裁  判は、その法令に対し、また国   会、政府及び下級裁判所に対し、  いかなる効力を及ぼすものと考え  られるか。  四、下級裁判所に係属する事件に関  して憲法解釈が問題となつた場  合、最高裁判所がその憲法解釈問  題だけを取上げて審理し裁判する  ということは、憲法解釈上可能  と考えられるか。これを可能とし  た場合、このような制度をとるこ  とは適当であろうか。  五、最高裁判所が、下級裁判所に係  属中の事件憲法解釈に関する  重要問題を含むと認めるものを移  送させて、みずからただちにその  事件について裁判することができ  るというような制度をとることは  適当であろうか。  六、最高裁判所の使命及び国民の権  益擁護の立場からして、最高裁判  所の機構及び上告制度(民、刑事  を含む)はいかにあるべきものと  考えられるか。   なお、上告制度と関連して控訴審  の手続はいかにあるべきものと考  えられるか。  七、衆議院法務小委員会の十月十二  日付試案に対する御意見を承りた  い。  これ以外にもお気づきの点はお述べを願いたいと思います。それではひとつお願いいたします。
  28. 中村宗雄

    ○中村参考人 私、中村宗雄でございます。  ただいま当委員会からの御下命によりまして、私の考えておりますことをここで申し上げたいと思います。つきましてはこの質問事項順序でお答え申し上げたいと思います。  その一は独墺における憲法裁判制度運用の実情でございますが、今委員長から仰せくださいました通り、私今夏、秋にかけまして約二箇月半、日本学術会議の命によりまして、国際比較法学会第四回総会に出席するため欧州に参りました。その前後欧州にとどまりまして、主としてドイツ及びオーストリアの司法制度を調査する予定でありましたところ、当委員長からの御下命もありましたので、多少調べて参りましたので、この点論文その他にある事項は除きまして、私の見聞いたしました特に重要なる点をここで申し上げたいと思うのであります。  憲法裁判制度はオーストリアにはすでに一九二〇年以来、つまり第一次世界大戦後に、すでに設置されておりました。これは非常置の憲法裁判所であります。  ドイツは御案内のように第二次世界大戦後一九五一年初めて設置せられまして、これはオーストリアと違いまして常置の裁判所であります。なおドイツは国と州とにわかれておりますので、憲法裁判所も各州に設置されますと同時に、国にももとより憲法裁判所が設置されておるのでございます。  まず最初国の憲法裁判所、ブンデス・フエアフアツメングス・ゲーリヒトホーフについて申し上げたいと思います。ドイツは日本と違いまして裁判所系統が六つにわかれております。すなわち民事刑事通常裁判所のほかに憲法裁判所がございます。それに特別裁判所といたしまして行政裁判所、租税裁判所、労働裁判所、社会裁判所の四つがあります。合計六つの裁判所系統になつておりまして、そのうちの一つの系統として憲法裁判所があるわけでございます。この連邦憲法裁判所はカールスルーエにございます。私ここを訪問いたしまして、刑所長のカツツ博士にお目にかかつたのであります。この連邦憲法裁判所はすでに日本にも紹介されておりますが、現在所長を加えまして二十三名の裁判官がおりまして、これが二つの部にわかれております。  第一部の方は主として憲法上の異議事件をば取扱うのであります。この方は相当事件がございまして、一九五一年から本年の七月までの間に二千五百四十二件係属いたしております。この七月末におきましてなお未済事件が五百三十一件あるようであります。これに対しまして、第二部は州と州あるいは州と国との間のもつぱら権限争議、法律争訟をば裁判する部でございます。この方はまことに事件が少うございまして、同じく一九五一年から本年の七月までにわずか二十七件しかございません。現在係属している事件は七件でございます。と申しますのはこの州と州との争訟、州と国との争訟は、多くは政治的に解決されまして訴訟事件にならない。それで驚くべきほど事件が少いのでありますが、しかしこの一部と二部との事件分配が憲法裁判所法の十四条で、法律で定まつておりますのでいかんともしがたく、一方の第一部の判事は非常に多忙をきわめているが、第二部の判事は用がなくて、このうちの大学教授は大学に入つて講義ばかりしているというような状況でございます。これは後ほど申し上げますが、第一部が非常に多忙であるために、憲法裁判所を設置した約半年後に日本調査官制度に当るウイッセンシヤフトリッヘ・ヒルフス・アルバイターという制度を設けたのでございます。これは法令には規定がないが、事実上設けてございます。これは後ほど御報告申し上げたいと思います。この憲法裁判所判事は任期が八年と四年でありまして、将来はすべて八年、四年ごとに半数交代に組織しているのでございます。この裁判官の選挙人はブンデスタークすなわち連邦議会、ブンデスラート連邦参議院とが各半数選出することになつております。連邦議会の方では間接選挙になつておりまして、連邦議会で十二名の選挙人を選びまして、その選挙人が半数を選ぶのでございますが、その最高裁判所憲法裁判所判事に選出するには十二名中九名の得票がいるということになつている、それから連邦参議院の方はこれは参議院の議員が直接に選挙するわけですが、同じく三分の二のヴオートがいるということになつているようであります。これらの判事の前経歴を見ますと、私一々当りまして経歴を聞いたのでございますが、代議士が四名、それから国の官吏が七名、大学教授が四名、裁判所判事が七名、こういうふうな前歴だということを承りました。それでこういうのは、選挙制による場合には何か憲法裁判所が政治的な悪影響を受けやしないかということを私は質問したのでございますが、これに対するカツツ副所長の答弁としては、連邦議会においては、連邦参議院においても、三分の二の得票がいる、そうなるといわゆる与党だけの得票ではとうてい選出されない、結局全員の輿望が集まらなければ事実上当選しないのであるから、一つの政党のために特に利益をはかるということは思いもしないし、また事実上あり得ない、こういうことでありました。しかし政府の意向を参酌しない場合においては、あるいは任期経過後において再選せられないというようなことがありはしないかということを申しましたら、われわれとすると、ここの判事になつているのは大体においていわば功成り名を遂げている者であるから、いずれも再選されることは期待しておらぬ。そういうような意味で政治的な影響を受けるというようなことは絶対ないということをば私はここで言えるということを申しておりました。それで事件数はただいま申しました通りあまり多くございませんので、開廷は必要に応じて開廷することになつております。いつが開延日というきまりがないようであります。ついででございますが、民事刑事最高裁判所には、ライプチッヒの帝国裁判所以来の伝統がございまして、所属弁護士が定まつております。憲法裁判所の方はいずれの弁護士といえども憲法事件を担任し出廷できるということになつているようであります。  大体そういう組織でございますが、ここでちよつとつけ加えて二、三申し上げたいことは、憲法裁判所判事がただいま申し上げました通り二十三名でございます。それから民事刑事最高裁判所判事が八十七名でございます。なおそれ以外に、行政裁判所、労働裁判所、租税裁判所、社会裁判所、これらの国の最高裁判所判事を寄せますると、統計がございませんでよくわかりませんが、大体私の計算したところによると二百名足らずのように思います。でありまするから、この国最高裁判所判事の資格というものが、日本から比べて低いということに気がついたのであります。憲法裁判所長官の資格は、スターツゼクレタールと申しまして、大体日本において事務次官の程度であります。それで通常最高裁判所の所長はそれよりやや資格が低くて、各部の裁判長――ミニステリアル・デレクトールと申しますが、これが日本で申しますと事務次官くらいに当ります。それから一般のブンデスリヒター、国判事は、ミニステリアル・レジデントと申しますが、大体日本において局長程度であります。この裁判官の資格が比較的英米法より低いということが大陸法の特徴をなしておるわけであります。  それから次に法作鑑定所、グートアハテンという制度がございます。憲法裁判所法第九十七条に、連邦国会連邦参議院及び連邦政府共同の申出により、憲法裁判所に対し一定の憲法上の問題につき法律上の鑑定をなすべきことを求めることができる、こういう規定がございます。これは法律制定前にあらかじめ憲法裁判所意見を求めるという制度であります。これが日本では、この制度によつて抽象的法律問題につきあらかじめ憲法裁判所意見を確定してもらう制度だというふうにも一部には考えられておるようなのであります。この点は本日の質問事項の第三にも重要なる関係がございますので、特に根掘り葉掘り聞いたのでありますが、この法理上の鑑定という制度は、規定はあるが事実上ほとんど運用されておらぬ――これはカツツ副所長でありますが、自分の記憶においては従来ただ一回あつただけであるということであります。それで笠岡の方法としては草案を送付して意見を求めるのかと聞きましたら、いやそうではない、個別の条項を審査しておる際に、特定の条文、特定の事項について連邦国会連邦参議院、連邦政府、これらの間の意見がまとまらない場合に、特定の条文、特定の事項についての意見を求めものである。決して抽象的法律問題に対して抽象的な立場において憲法違反なりやいなやというような鑑定をする制度ではない、こういうことをはつきり申しております。なおこの鑑定所の法的拘束力はということを聞きましたら、これは法律に規定がないがゆえに法的拘束力はない。しかしいやしくも法律に規定があつてこの憲法裁判所の名において鑑定するのであるから、いわゆる道義的拘束力は十二分に持つものと自分は考えておる。しかしながら場合によつては無視されることがある、こういうことでありました。その場合によつてと申しますのは、憲法裁判所の方にはわずか一件でございますが、それと同じような規定が旧行政裁判所法の第九条にもあるのでありまして、行政裁判所の方にはこの鑑定を求めた事例も相当あるらしいのであります。現在行政裁判所法は改正の機運になつておりまして、私がちようど向うに参りましたときにその改正の草案をもらつて参りましたが、これには鑑定所に関する規定が入つておりません。  次は憲法裁判所裁判の拘束力でございます。これは御質問の第三にも関連するわけであります。この点につきましては、ドイツでは憲法裁判所法第三十一条に、憲法裁判所裁判は国及び州の憲法上の諸機関並びに裁判所及び官庁を拘束する、こうございますので、ドイツの法制のもとにおいては何らの疑義がないのであります。  それから次は、憲法上の主として異議訴訟でありますが、これが提起せられた際に政府行政処分の一時執行停止を命じ得る規定が賞法裁判所法三十二条にございます。これは日本における行政事件許訟特例法の十条に当るわけであります。御案内のように、日本では内閣総理大臣が異議を述べるとその執行停止ができないことになつております。ドイツにおける規定は、政府から異議を申し立てても一時の仮処分の効力をば妨げないということになつております。そこで私は、行政処分の執行停止、その執行停止命令の執行停止がないとすると、政府としては緊急かつ行政的処置がとれないで非常に困難に立ち至る場合がありはせぬかということを聞きました。それに対する答弁としては、われわれはそういうことを考えるがゆえに、この一時的な仮処分は非常に慎重な態度をとつておる。最近の例としてはただ一つしかない。その例は、オーストリアから何か犯人の引渡しの要求をせられて、オーストリア人なるがゆえに本国であるオーストリアに引渡そうとしたときに、本人は、自分はオーストリア人ではない、ドイツ人であるという主張をしたために、それが憲法裁判所の第一部にかかつたのであります。この場合は本人の申立てが事実かどうかわからないが、しかしいやしくも本人がドイツ人であるというならば、それを明確にする主では犯人そのものの引渡しをば停止するのが当然と思つて停止したということであります。この一時の仮処分は、憲法裁判所法第三十二条によりますと、三月の効力を持つわけであります。さらにその期間を延長するには、三分の二の同意がなければならない。よほどの場合でなければ延長は許されない。自分の知つておる限りにおいては、延長された例はほとんど知らない、こういうことでありました。この点も、行政事件訴訟特例法の十条との対比において参考とすべき事項かと思います。  それから第一部は主として異議訴訟であります。開設以来本年の七日までに、ただいま申しました通り二千五百四十二件係属いたしております。そのうち従来異議が理由ありとされた事件がどのくらいあるかということを聞いたのでありますが、ドイツという国はふしぎで、勝訴敗訴の統計がどこの裁判所にもないのであります。この点も、憲法裁判所に統計がございませんでしたが、所長が事務局に問い合せまして、よくわからないが、大体今までは三件か四件くらいのものであつて、あとは全部異議の申立て理由なしということに帰着しておる、こういうことでありました。  それからもう一つ、はなはだ立ち入つたことでありますが、ミリタリー・ガヴアメントの干渉があつたかなかつたかということを聞きました。これはドイツ人として真相は言いたくないのでありましよう。答えとしては、憲法裁判所に関する限りにおいては、従来目に余るがごとき干渉はなかつた。裁判を変更せしめられた例がありますかと聞きましたところが、これははつきりした答弁は得られませんでした。これは私の感じでは、言葉のやりとりで、一件か二件かあつたらしいように思います。以上が連邦憲法裁判所の組織であります。各州にも憲法裁判所がございます。しかしこれは概して非常置でありまして、常置の憲法裁判所はほとんどないということでありますが、どこが常置であつたか、実はドイツ各州をまわりませんのでわかりませんでした。現在シュトウツトガルトの州憲法裁判所には一件も事件が係属しておらぬということであります。ハンブルヒに参りましたときに聞きましたところ、ハンブルヒにもほとんど事件がない。ハンブルヒの州憲法裁判所は非常置であり、州高等裁判所判事、大学教授、弁護士等によつて構成されておるということであります。  ついででございますから、ドイツの司法制度の構造について若干申し上げまして、本日の第六の御質問に対する私の立場の一つの資料といたしたいのでありまするが、ドイツは御案内のように、ただいま申しましたように、民事刑事通常裁判所系統のもの、憲法裁判所、それから特別裁判所といたしまして行政裁判所、租税裁判所、労働裁判所、社会裁判所、この社会裁判所というのは、ちようど私が参りましたときに新たに構成された裁判所でありまして、主として社会保険を扱う裁判所であります。このように六系統にわかれております。それぞれ第一、第二審が各州に設置されておる。上告裁判所が国に置かれておる。きわめて複雑な司法組織であります。従つて判事の数が非常に多いのであります。通常裁判所判事が、国及び州を合計いたしまして七千四百八十九名おります。しかしその中には憲法裁判所及び特別裁判所判事の数が入つておりません。この全体の統計を求めたのでありますが、先ほど申し上げましたように、各州を全部統一した統計というものがドイツにはないのであります。これはいろいろ事情を聞いたのでありまするが、連邦政府はあまり州の内政には、必要な限度以上にはタッチしないという意識が、ボンの政府の官吏の間にあることを私は感じたのであります。おそらく統計もそういうような意味で集計を出さないのだと思います。私各州の統計を求めましたら、必要があつたならば各州の方に問い合せるからというので統計はございませんが、私の持つております資料でいろいろ目の子算をいたしまして、西ドイツにおける判事の数は大体八千名から九千名の間、こう踏んだのであります。これは日本判事の定員二千二百名、しかもその二千二百名は全部満たされておらない。二十名そこそこ。西ドイツの人口四千五百万に対して九千名、日本の人口八千余万に対する二千名、非常にここに差があることを見出すのであります。これはドイツにおいては終戦後において、私の言葉をもつて言わせれば、あまりにも法治国家になり過ぎておる。すべてが法律によつて解決されておる。法令の数汗牛充棟ただならずというのであります。それらと相関関係で裁判所の数を相当増加する、判事の数を増加せざるを得ない、こういう状態に立ち至つておると思います。私はこう法令が多く出されておる原因として、いわゆる州権論者、州の主権をばでき得る限り拡大せんとする考え方の者と、ブントの権力を増大せんとする統一権論者とでも申しますか、この思想的闘争が相当深刻のように感じました。この闘争を解決するのは、かつてのナチスの権力国家のもとならばいざ知らず、現在の西ドイツの民主主義的な国家機構としては、国会を通ずる法律によつて解決するほかはない。そういう意味において、州と国との権限を確定する法令が非常に多いのであります。そこで判事が多数にありますると、判事専門化いたしておりまして、六つの系統にわかれておる。憲法裁判所判事は、通常裁判所事件が全然わかりません。通常裁判所判事は、労働事件は全然わかりません。これはいろいろ質問いたしましたが、全然しろうとでありまして、かつ、通常裁判所の内部におきましても、民事刑事ははつきり担当判事がわかれております。また民事の中でも、一般民事事件、商事事件、会社事件、それぞれ担当の判事が違つております。判事が非常に専門化いたしております。この点は日本裁判所の組織、判事の教養が比較的に広いのと対蹠的だと思います。そこにまた日本裁判所の組織の欠陥も含まれるんじやないか。ドイツのごとく、あまりにも多くの裁判所系統にわかれ、判事専門化することも問題でありまするが、日本のように、裁判系統を一本にとりますと、一人の判事があらゆる法律問題について権威ある裁判をなす才能を持つということは事実上不可能なんじやないか。この点から見まして日本司法制度、構造それ自身に私はさらに再検討を加える必要があるんじやないかということを痛感いたしたのであります。但し、ドイツにおきましても、現在裁判所の系統があまりにも複雑であるということは、ドイツの識者また認めているところでありまして、政府の官吏、裁判所判事、これらの方は現在の制度を肯定されておりますが、しかしながら、さらに裁判所系統がこれ以上増加することは欲しもしないし、事実上あり得ないだろう。今回ソーシャル・ゲーリヒト、社会裁判所ができたことが最終であろうというような意見でありました。たとえばハンブルヒのボエツテイツヘル教授は、ドイツはあまりにも裁判所の系統が多過ぎる、憲法裁判所はこれは非常置でよろしい、置かなくちやならない通常裁判所行政裁判所と合せることは可能であろうというような意見を述べておりました。また憲法裁判所のカツツ副所長も、現在のあまりにも異議訴訟が多いが、これは過渡期である。これが将来減つたならば憲法裁判所判事は七名か八名で事足りるであろうというような意見を述べていたことを私ここで申し上げておきたいと思います。  次は、オーストリーの憲法裁判所でございますが、これは先ほど申し上げましたように、一九二〇年、第一次世界大戦直後設立せられましたものがそのまま現在にも存続いたしております。これは、オーストリアにおきましては、憲法裁判所は非常置の裁判所でありまして、所長、副所長、ほかに判事十二名であります。もとより所長、副所長は常任でありますが、十二名の判事は各方面から選ばれた人々でありまして、非常任の人々であります。この選出方法はブンデスラート、参議院が六名推薦いたします。ナチオナルラート、すなわち国民議会といいますが、これが五名推薦いたします。それからブンデスレギールング、すなわち政府が五名推薦いたします。合計十二名推薦する、こういう制度でありまして、これらいずれも職業を持つております。判事、大学教授、弁護士、官吏、大体同数であります。但し官吏は、憲法裁判所判事に就任中は退職もしくは休職すべきものとなつているようであります。大体ドイツ、オーストリアにおける憲法裁判所制度は、私が見聞いたしましたところの大略は以上のごとくであります。なお、条文に基いたその組織につきましては、日本にもすでに若干の紹介論文がございますから、それらによつてわれわれは知ることができると思うのであります。  最後に申し上げたいことは、先ほど申し上げました調査官制度でありますが、これが現在日本においてもたいへん問題になつておりますので、この点について若干申し上げておきたいと思うのであります。  この調査官と申しまするのは、必ずしも日本調査官とは同じでございませんが、憲法裁判所が一九五一年に発足いたしました際、先ほど申し上げましたように、第一部が非常に事件が立て込んで来ておりまして、とうてい十二名の判事では片がつかないというので、ウイツセンシャフトリツヘ・ヒルフスアルバイターという制度を考え出したのだそうであります。それは、憲法事件は、各州の憲法違反というような問題が相当あるのでありますが、各州いずれも法律が違いますので、憲法裁判所判事も各州の法律までは実はあまり通暁していない、そこで各州からランデスゲーリヒツラート、すなわち日本でいうと地方裁判所判事の資格を持つている、いずれも四十才ぐらいまでの若手の者を、試験をもつて、三箇月間の任期で採用したのだそうであります。その三箇月間の俸給は国議会から予算を与えられます。国、つまり連邦で俸給を払う。自分の出身の州のその職務は、ウアラウブ、賜暇、休暇とでもいいますか、そういう形にして頼んだそうであります。それでこの三箇月間は何べんでも切り直し得ることになつております。すでに開設以来現在まで、憲法裁判所でウイツセンシヤフトリツヘ・ヒルフスアルバイターとして働いている人がおるそうでありますが、これらが裁判官の命を受けて下調べに従事いたします。各州も、自己の州の利益防衛のため優秀な者を憲法裁判所に送ります。現在第一部に十一名、このウイツセンシヤフトリツヘ・ヒルフスアルバイター、訳せば調査官とでもいいますか、これがおります。この制度がぐあいがいいというので、通常最高裁判所にも設けまして、現在そちらに十名、それから国の租税裁判所に現在五名おります。これらはなかなか優秀な若手の人々でありまして、私が各、国裁判所に参つたときに、いろいろな調査を頼み資料をもらうのはこのウイツセンシヤフトリツヘ・ヒルフスアルバイターの手を経たのであります。これは何も法律上の名称ではないのでありますから、一定の名称がありませんが、通常裁判所の方ではこれをユリステイシエ・ヒルフスアルバイターという名称を付しております。日本においては調査官裁判なんという言葉もありまして、調査官に対しては相当批判の言葉もあるようであります。これは特に私は憲法裁判所通常裁判所、租税裁判所におきましてもこの調査官制度の特質をば根掘り葉掘り聞いたのであります。いずれもこれは非常に便利な制度であるということを言つておりました。しからば調査官がそういう下調べをしたことそれ自身が裁判になるようなことはないかということを聞いたのでありますけれども、これは異口同音にそういうことはない、読んで字のごとく補助者であるということを言つておりました。しかし私あちこちで実際の状況を見ておりますと、この調査官の書いた報告書が裁判官会議においてあまり手が入れられないで、そのまま判決文になつている例もあつたように思われるのであります。しかし実際の状況を見ますと、いずれも若手であり、国判事はいずれもその先輩でりますから、結局われわれが大学の教室において助手を使うという関係でありまして、調査の助手の地位にある。決してドイツにおいては調査官のなした調査それ自身がただちに無条件に判決となるというようなことは、絶対にないように私は見たのであります。この制度がオーストリアにあるかと思いまして、オーストリアで実はこの問題を尋ねたのであります。そのときにドイツのこの通常裁判所のウイツセンシヤフトリツヘ・ヒルフスアルバイターからオーストリアの憲法裁判所に対して問合せがあつた。ドイツにはこういう制度があるがオーストリアには現在あるかないか、またこういう制度についての御意見いかがか、という問合い状があつたらしいのであります。それでオーストリアでも非公式ながらこの制度について憲法裁判所で調査したらしいのであります。結論としてオーストリアの憲法裁判所としては、裁判裁判官自身においてなすべきものである、そういう調査官を使うことは裁判の本道に反するというので、オーストリア憲法裁判所としては調査官制度に対しては反対であり、また置く意思がないという回答書をドイツの憲法裁判所に送つたそうでありまして、私その回答書の写しをもらつて参りました。結局オーストリアには今申し上げました通り、憲法調査官制度は設けず、またこの制度に反対であるということのようであります。大体以上で第一の御質問に対する私の御報告を終えたいと思います。なお御質問がありますれば、ここにいろいろ材料がございますから個別についてお答え申し上げたいと思います。  次は第二番の違憲審査権の問題でありますが、これは立法司法行政とわかれておりまして、いわゆるチエツク・アンド・バランス、相互控制とでも申しますか、その立場からいつて最高裁判所違憲審査権を与えることは必要であり、この権利を奪うことは妥当でないと私は考えます。しかし具体的事件を前にしないである法律違憲なりやいなやということの判断をする権限をば最高裁判所に与えることがいいか悪いか、これは相当御競輪があるところであります。私はこの抽象的な審査制度には反対の立場にある。その一つは元来裁判所というものは具体的な事件に対しての紛争解決を使命とするところである。適用すべき法律それ自身が憲法違反なりやいなやということ、これは憲法裁判所が設けられておれば、憲法裁判所権限に属します。日本においては憲法裁判所通常民事刑事裁判所とが一体となつておりますから、具体的事件を前にしてのその適用されるべき法律命令の合憲違憲をば決定することは当然裁判所権限であるが、それ以上は元来の裁判所権限外であるということをまず第一に申し上げたいと思います。これはいずれの学者も申すことであります。しかし裁判となるならば、抽象的な判断をすることも裁判ではないかという御議論ももとより出て参るわけであります。これは司法権と立法権とのバランスの問題だと思います。司法権優越の国であり、司法権が立法権に対して統制の立場にあるならば、立法府のつくる法律憲法違反なりやいなやを全面的に審査する権限を与えてしかるべきである。しかしながら日本は人民主権の国であります。立法府が主権行使の中核をなしていると私は思います。日本憲法機構のもとにおいて司法裁判所にそれだけ大きな重大なる権限を与うべきでないと、こう考えるのであります。ことに日本司法権の伝統から見まして、また司法裁判所を構成する人的要員の立場から見まして、現在の司法裁判所最高裁判所はそれだけの立法権を統制するだけの大なる権限を持つべき組織も内容も備えてない、こう思うのであります。明治初年において元老院に対する大審院を司法権と行政権と対等の地位に置いたのでありますが、元老院はその後における枢密院まで発展したが、大審院はただ法律適用の技術的な国家機関としてとどまつた。これらの伝統から見ましても、日本司法裁判所にそのような大きな権限を与えべきでないと私は思うのであります。しかし具体的事実が現われなければ憲法違反なりやいなや裁判所が判断しないというのでは、けんか過ぎての棒ちぎりというような事例もできないとは限らない。それらを調和するためにドイツにおいては先ほど申しました法案についての法理上の鑑定を憲法裁判所行政裁判所に求める制度があるのであります。これらを若干勘案して何らかの制度を設けるのは、これは別問題であります。広く最高裁判所に、具体的事件を雑れて抽象的一般的に法令の合憲非合憲を決定する権限を与えることに対しては、日本国家の制度の上から、法理の上から、現実の問題から、いずれの面からしても妥当でないと私は考えるのであります。  なお、具体的事件を前にして合憲違憲判決をした場合、その判決効力はというこの第三の御質問につきましては、もとよりこれはその事件限りでなく一般効力を与える必要がある。もしこれを与えないならば、最高裁判所違憲審査というものを与えた実を失うことになる。この点はドイツの憲法裁判所法三十一条に明定いたしております。日本にはそのような規定はございませんが、これは当然一般的な効力を与えうべきであると私は考えます。  それから第四番目、最高裁判所憲法解釈問題だけを切り離して審理できるかという問題であります。憲法裁判所民事刑事通常裁判所と別系統であるドイツのごとき法制ならば、これは当然のことであります。でありますからドイツ憲法第百条にも、通常裁判所において憲法上の疑義を生じた場合には手続を停止して、な法裁判所の一裁判を求めるという規定がございます。これは当然切り離さなければならないわけであります。しかしながら日本は現在のところで、民事刑事上告裁判所すなわちまた憲法裁判所になつておるのでありますが、この二つは切り離すことが制度の上からして妥当を欠くと思います。また具体事件を前にした場合に憲法違反なりやいなやという問題は、その具体的事件の内容に立ち入らなければ事実上判断でき得ない。決して民事刑事法律問題と憲法問題とはつきりわけ得られるものではない。でありますから、これは両者相関的に判断すべきものである。ただ憲法裁判所民事刑事通常裁判所と系統が違つておりますれば、これはやむを得ずして分離するのであります。現在一本建の日本裁判所系統としては、これは分離すべからざるものと思います。しかしながら将来日本裁判所系統もさらに憲法裁判所または少くとも憲法裁判所系統をば分離するという前提のもとに立つならば、過渡期の制度としてこれを分離することもまた可能であり、是認せらるべきであると思います。結局これは将来日本司法制度をどうするかという問題と関連する、現在の制度を固守する場合においては、憲法問題だけを切り離して行くことは、理論的にも、現実の制度の問題としても、私は賛成できかねる次第であります。  次は五番の、憲法解釈に関する重要問題が具体的事件に含まれておつたならば、下級裁判所に係属されておる事件をただちに最高裁判所に移送させていいか悪いかという問題であります。これは私は同じく消極的立場をとるのであります。と申すのは、現在の日本司法制度としては川事刑事裁判が主であります。その裁判の必要なる限度において憲法違反なりやいなやを審査する問題であるからといつて、ただちに最高裁判所に移送きせるならば、その事件についての具体的事件に対する裁判が従属的地位に置かれる。これをわれわれは当事者の審級の利益を侵害するという言葉で言い表わしております。当事者としては一審、二審、三審の三回の審理を受くべき制度上の利益を持つております。それを侵害してまでただちに最高裁判所事件を審理判決することは、現在の上訴制度それ自身の趣旨に合致しないのではないかと思います。もつとも、当事者がみずから審級の利益を放棄して最高裁判所に移送の申立てをする場合は別でありまして、私法上自治の原則によつて本人がその利益を放棄するならば別でありますが、制度として、憲法問題を含むがゆえに下級審の審理判決を省略してただちに最高裁判所に送るという問題は、私は民事訴訟制度自身の立場からいつてこれは反対せざるを得ないのであります。もつとも現在の裁判所法は小法廷から大法廷に移す規定が裁判所法の十条にございます。また定事訴訟法第四百六条の二には高等裁判所上告事件をば最高裁判所に移送するという規定があります。これは同一裁判所内部における移送であります。また上告審それ自体における上告審の担当裁判所をかえることでありまして、当事者の審級の利益は害してない。この問題と、下級審にある事件をば最高裁判所に移送せしめる問題とは、区別して考えなければならないと私は思うのであります。  次に大帝の最高裁判所機構及び上告制度の問題であります。これはまことに大きな問題でありまして、従来からもこれは実務家とわれわれ学究の者の間の論争の題材になつております。これは各位が十分御案内のことでありますが、日本の法体系は大陸法によつております。その代表的なものが、またわれわれの目から見て行き過ぎと思われるものがドイツの法体系であります。この大陸法においては法律解釈ということが裁判の重要なる部分、いな裁判のほとんど全部を占めております。そこで裁判官は法作家でなくてはならぬ。裁判がまた非常に法律技術的な面が多分に現われております。そのゆえにドイツにおいては、極端な例でありますが、裁判官の数が九千人になんなんとしておる。これに対して英米法は法体系が大陸法と違います。私は大陸法と英米法の差異をば、ローマ法のアクチオネン・システムの解体過程の段階の相違という言葉で表わしております。英米法におきましては一つのフォームが定まつておりまして、少数判事によつて事件裁判し得るような組織であるというふうに私は考えております。そこで英米におきまする最高裁判所判事は、必ずしも法律家でない少数の判事にやらしておる。この制度日本の現行憲法のもとに最高裁判所組織として現われている。この法体系と司法機構との食い違いがこの問題の発足点をなしておる。大陸法のもとにおいてわずか十五名の最高裁判所裁判官により、あらゆる法律事件についての上告審として裁判し得ないことは、最高裁判所を設置する以前からわかつておつた問題であります。旧大審院は代理判事を加えて五十何名おる。しかも行政事件は別に行政裁判所がある。法律についての違憲審査権はなかつた。司法行政権も裁判所は持つておらなかつた。それらを最高裁判所は下身にとりまとめて、それでは車がまわらないということは識者の意見をまたずしてもわかり切つた問題であります。そこで上告未済事件が急増したのでありますが、刑事事件の方は刑事訴訟法の改正によつて何とかまかない得る――事実上まかない得ないで刑事上告未済事件が特に増加したのであるが、刑事訴訟法の改正でこれは早晩片がつくという建前のもとに、民事訴訟法の改正だけが今より五年前すでに問題になつておる。それで法制審議会に東京高等裁判所民事上告部を置くというような案が提出されたのであります。これが御案内のように上告事件訴訟特例法という形をかえて、本年の初夏、これも遂に四年間継続して失効いたしました。民事訴訟法の上告判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背ということに限定してこの問題を片づけたのであります。しかしこれだけではとうてい片がつかないので、現在最高裁判所機構をどういうふうに改革するかということが問題になつているわけであります。私もこの法制審議会には最初から関係させていただいておりました。この議論はいろいろございましたが、大体において二つにわけることができる。一つは最高裁判所の組織には手をつけない、そうして現在の最高裁判所の機能の及ぶ程度にまで民事上告を制限するという考え方、それから上告制度は訴訟制度それ自身から徹底しなければならぬ問題である、元来あるべき上告制度についてそれを負担しきれるように、憲法改正が問題にならない程度において最高裁判所民事上告解の組織がえを考える、この二つの意見が対立いたしておつたのでございます。われわれとしてはもとより訴訟法学者としては、最高裁判所が負担しきれないがゆえに民事上告を制限するという理由はないではないか、もし最高裁判所が負担しきれないならば、最高裁判所組織自身を考えるべきである、その方に手をつけないで民事上告を制限することは、抵抗力の弱い当事者の損害において最高裁判所の組織温存ということになるのではないかということを私は法制審議会で極論し、また当時この国会において参考人としてそういう意見を申し述べた次第なのであります。それでわれわれといたしましては、当時憲法の改正ということはほとんど問題になりません。憲法に触れない範囲内において最高裁判所民事上告処理機能を高めるという立場から下級法律審を設ける、あるいは代理裁判官を設ける、あるいは最高裁判所に移送すべき事件について上告審査会を設けるというような各種の妥協案をわれわれは提出したのでありますが、いずれにせよこれらは妥協案でもとより欠陥もあるわけです。現在においてはこのような妥協案にあらずして、もつと根本的に考える必要があるのじやないか。憲法改正ということは容易ならざることでありますが、すでに憲法改正という議が一方にはあるのであります。必要があつたならば憲法を改正するという立場のもとにおいて現在の最高裁判所をいかにすべきか、さらにわが国司法制度をいかに構造すべきかという根本問題にさかのぼつて考えるべきじやないか、こう思います。しかし憲法改正というものは言うべくして実行はなかな困難であります。しかしながら必要があれば早晩改正の時期も参りましよう。でありますから、この際焦眉の急として最高裁判所の組織について改革をするなら、将来においてさらに根本的な改革をなすであろうことを前提として私は現在の最高裁判所機構を考える必要がある、こう思うのであります。現在各方面に現われておりまする最高裁判所機構改革ということにつきましては、いわば拡大案と縮小案とあるようであります。この縮小案は最高裁判所をもつぱら憲法裁判所の機能に集中して、民事刑事上告裁判所としての機能は下級上告審なり適当な方面に譲るということが眼目であります。また拡大案は、現在の憲法裁判所かつ民事刑事上告裁判所として両者の機能をかね扱わしむるというところにねらいがあるように思うのであります。私といたしまして、現在の最高裁判所の機能、その構成の裁判官の学識経験と申しますか、それらを勘案いたしまして、現在の最高裁判所の組織をもつてしては民事刑事上告裁判所として十分なる機能は発揮できないと私は考えます。そうなれば、もしそれが民事刑事上告裁判所として機能を果し得ないということが現実に証明された際には、結局最高裁判所は将来もつばら憲法裁判所としての存在を持つべき機関になさざるを得ないと思うのであります。そうなりますと、憲法裁判所としましては現在の十五名もとより多きに過ぎます。先ほど申し上げたように、ドイツにおいても憲法裁判所長は治安が落着いて純然たる憲法問題のみを扱うならば裁判官は七、八名のみをもつて足りると言い、オーストリアは非常置の憲法裁判所をもつて事足りておる。しからば将来憲法裁判所民事刑事上告裁判所とを分離するという建前に置くならば、この際は最高裁判所組織を縮小して過渡期の制度として下級法律審を設けることが適当だということも考えられるのであります。しかし私は日本現状において、大陸法系の法体系としては少くとも民事刑事上告裁判所憲法裁判所を分離しなければならぬ。行政批判所はできるならば別系統にすべきでありましようが、選挙訴訟がこれ以上ふえるようでありましたら、私は行政裁判所は別個の系統にすべきであると思います。その考え方に立脚するならば、現在においても今より、五年前妥協案として提出した下級法律審を設けるという案を私は支持せざるを得ないわけであります。しかし現在の日本において、私が今割切つて申し上げたように裁判所系統を憲法裁判所民事刑事通常裁判所行政裁判所三系統にわけるということについて必ずしも各位は御賛成になつていないかもしれない。これはもう少し現在の一本建の制度を継続してみるというお考えも案外強いのではないか。そういうお考えのもとにおいては、またそれが一般考え方であるならば、この際においては最高裁判所の増員案に行くほかないと思います。しかしこの最高裁判所の増員案についてはいろいろな障害、抵抗があることと私は考えるのであります。まず第一に増員をいたしますこの増員の程度でありまするが、この際、民事刑事上告裁判所憲法裁判所双方の機能を営ましむるには、少くとも二倍、すなわち三十名にせざるを得ない。それ以下の増員では意味をなさないと私は思います。十五名増員した場合において三十名の最高裁判所判事の資格をいかにするか。現在のごとく国務大臣待遇に置けるかどうか。また民事刑事上告裁判所としての機能を営む法律専門家としての裁判官に、政治家としての最高待遇を与えることが相当かどうかということが問題だろうと思います。そうしますると、この際において何と申しまするか、増員すると同時に同じ認証官でありましても、その資格の若干低下ということも考えなければならぬ。ここに相当の抵抗が現実問題としてあるわけであります。しからば最高裁判所裁判官にABの二つの階級を設ける。これはわれわれ反対せざるを得ない。しかし幾つかの小法廷にわかれる場合、小法廷の裁判長と裁判長にあらざる判事との附に資格の差を設けることはあり得ると思います。しかしながら現在において三十名に増加した際に小法廷の数は大体六つくらいのものであります。そうなれば十五名の裁判官の六名は現在の地位を保つとしても、あとの方をどうするか。また現在の最高裁判所判事の方が民事刑事上告裁判所の本来の機能をもつと現存以上に発揮せしむるということについて十分なる法律的な素養がおありになるかどうか。これはすなわち問題の方がおありになるのではないか。もとよりその方の才能を決して云々するわけではないのですが、民事刑事上告事件上告裁判所としては、法律の技術的な素養が必要であります。現在の最高裁判所裁判官を任用する際においてその観点から選任しておりませんから、民事刑事上告裁判所としての機能を増加せしむるについては、現在の最高裁判所裁判官のうちに必ずしもその前の経歴がそれに適当ならざる方があり得ると思います。その方をどうするかという問題について私は相当抵抗があり得る、障害があり得る。この点をどう処置されるか。これは一にかかつて国会の各位のお考え一つにあることと思います。  次に増員した場合に大法廷の問題であります。私に言わしますと、三十名集め、これであらゆる法律上の論点をば縦横に討議して、多数決による裁判をなすことは、日本の現在の法律制度法律分科の段階においては私は非常に困難であると思う。日本にはドイツ法系を中心として、フランス法系の思想あり、英米法系の思想が最近高まつております。また国立大学を中心とする官学的なものの考え方、民間私学及び弁護士を主体とする非官学的な思想系統のものの考え方、これらがまだ日本現状においては相当相剋しておる。これが日本の判例が統一しないゆえんでもある。このような状態において三十名以上の者が一堂に会して論点を整理するということは著しく困難である。だからこの制度をとる限りにおいては、大法廷の組織について私は考える必要があると思う。これについて私伺いますところによると、現在の制度の小法廷は、悪法にいう終審の憲法裁判所ではない。だから全員をもつて当らなければ憲法上の憲法裁判所を構成しないということが最高裁判所判事を減員して、小法廷を廃止するという意見の有力な根拠のように承つたのですが、私ちようど欧州出張中で、あまり詳しいことは承りませんので、あるいは誤解があるかもしれませんが、その考え方が、この小委員会の改正要綱試案の十一の憲法判例並びに一般判例の変更は、全員で連合審判に付する、ここに多少の影響があつたのではないかというふうにも考えるのであります。私は今私が述べたような意見がもしありとするならば、その意見には反対であります。憲法八十一条には、最高裁判所がこの憲法問題についての終審裁判所であるということを規定しております。それなるがゆえに、最高裁判所裁判官が全員必ず参加しなければならないという結論は出て来ないと思います。裁判所法九条には、最高裁判所は大法廷または小法廷で審理及び裁判をするとなつております。そうすると小法廷で審理するときには、小法廷すなわち最高裁判所である。また地方裁判所については裁判所法の第二十六条、一人の裁判官または裁判官の合議体でこれを取扱うことになる。これについては一人の裁判官合議体が裁判官になる。であるから実際の取扱いとしても、東京地方裁判所内部において、一部から一部に移すときに移送の手続はとつておりません。同じく東京地方裁判別の所管と見ておる。理想的に申せば最古裁判所の全員がかかわることが好ましいことでありましようが、しかしながら最高裁判所の全員が関与しないから、最高裁判所裁判にあらずということは言い得ないと私は深く信じております。この際、またドイツの例かと仰せられるかわかりませんが、ドイツの民事刑事上告裁判所は、先ほど申しました通り所長を加えて八十七名であります。これらのものが全員合議することは言うべくして行われません。この点ちよつとドイツのブンデス・ゲーリヒトの組織を簡単に申し上げさせていただきたいと思います。ドイツのブンデス・ゲーリヒトは民事六部、刑事六部になつております。それぞれ七名ないし八名をもつて構成しております。会議体を構成するのはそのうち五名であります。ですからここに表がございまするが、ある部は大体八名ですか、中には七名の部があります。そのうちの五名をもつて合議体を構成するという組織であります。従来の判例停止の問題を生じた際、それが民事事件ならば民事の大法廷で審理いたします。それから刑事事件であるならば刑事の大法廷で審理いたします。この大法廷は各部から一名ないし二名、これは内部の事務規定によつて定まりますから、一名ないし二名の適当の者を選出して、そうして民事の大法廷、これは八名、これに所長が加わりまして九名をもつて構成しております。刑事の大法廷は同じく刑事の各部から選ばれた一名ないし二名をもつて選んだ者、合計八名をもつて構成しております。これも同じく所長を加えて九名をもつて構成しております。民事大法廷、刑事大法廷それぞれ判例を停止する、もしくは新たな判例をつくる権限を持つております。なお民、刑双方に関係し、あるいは憲法問題に関係しまする際には、民事刑事双方を合わせました十六名に所長を加えて十七名をもつて、フエライニクテ・グロ一セ・セナート、合同大法廷を組織いたします。これによつて解決いたします。ですからドイツの裁判所法によれば、最高裁判所判事八十七名全員が集まつて合議するということはございません。この大法廷はいずれも非常置のものでありまして、問題が生じたときにそれぞれの場合に各部から推薦といいますか、出されたものによつて、それぞれの事件について大法廷を構成することになつております。この制度についてドイツでは、私はこれが憲法違反であるという議論は聞いておりません。何もドイツがそうであるから日本もそうだという意味ではございませんが、私は最高裁判所判事の全員がかからなければ憲法に言う憲法裁判所にあらずという所論に対しては、支持すべき理由を発言し得ないのであります。そうなりますると三十名に増員した際に大法廷の組織について勘案すれば、この点は案外問題なく解決するかと思うのであります。結局最高裁判所は現在のままには置けません、これは最高裁判所自身も認められているがゆえにみずから改組を出されたものと思われます。縮小して別に下級法律審を設けるか、拡大して最高裁判所に名実とも憲法裁判所及び民事刑事上告裁判所としての機能を持たしめるかということは法理の問題というよりむしろ政治の問題で、これはいかに解決するかということの国会の今後の御方針の上に組み立てらるべき改革案であると私は思います。私一個の考え方とするならば、現在最高裁判所判事は三十名に増員いたしましても民事刑事上告審としては十分の機能を発揮し得ない。それなるがゆえにいろいろ非難もあり反対もあり、また欠陥もあるであろうが、下級法律審を設け民、刑事上告審をもつ。はら扱わせる。しかし最高裁判所は現在のところでは憲法裁判所一本にはなりませんから、そこで憲法にかかわつた民事刑事事件を扱う機関とする。それで将来自然な人員の減少を待つ。それで将来の経過を帰るならば、私の見通しではそういう制度をとつて行くならば、とどの詰まりは現存の最高裁判所憲法裁判所の一本建になる。民事刑事裁判所と分離した憲法裁判所としてのみの存在を持つ方向に向うのではないか、こう思うのであります。しかしまた別な、国会におかれて日本の一元的な民事刑事及び憲法裁判所行政裁判所を合せた一元的な構造をなお存続した方がよろしい、さしあたりはなお将来の結果を見ようというようなお考えであるならば、これは増員案に向うほかない。しかし増員案に向うと、ただいま申したようないろいろな抵抗と申しますか、レジスタンスあるいは障害があることは考えなければならないと思うのであります。再度申し上げまするが、これは制度の問題でありますから、私は理論の問題よりは、まず第一に今後の裁判所の組織をいかにするかという、基本的な広い意味における政治の問題に立脚しておる、こう考えるのであります。  第二項の控訴審の手続はいかにあるべきか、この問題につきましては、私は年来申しておりますが、控訴審のあり方というものは一審のあり方に支配され、一審の審理が充足するならば控訴審の審理は審理範囲を縮小してよろしい。控訴審を縮小すれば上告審はさらに縮小できる。いわゆる上告制度はピラミツド型にならなければならない。一審の審理が充足しないのに、現在の刑事訴訟法のように控訴審を限定し、さらに上告審を限定するということは、訴訟制度として、権利保護の制度として十分の機能を発揮できないということを私は確信をもつて申し上げることができると思うのであります。  そこでしからば日本裁判所の一審の審理が充足しておるかどうか、これは物の見様でありますから、十分であるといえばそれまでのことでありまするが、英米法と違いまして、大陸法いわゆる。パンデクテン・システムの法体系をとつておる国柄においては、一審だけの審理だけでは事件が固まらない。一審でやつてみてぐあいが悪いと、控訴審でやつと物が固まるというのが実情じやないか。そこでドイツでは第二次世界大戦中、裁判所の負担軽減のために、控訴審において新たな訴訟資料提出を制限する臨時法令が三回出されました。三回目にはほとんど控訴審においては新資料の提出が許可されておらない。これが終戦後においてただちに司法制度復活に関する法律が出されまして、すべての控訴制限をば撤廃いたしております。これに対してオーストリアは一八九八年クラインの制定した現行民事訴訟制度以来、控訴審はきわめて制限しております。このオーストリアの制度――私は今回特に自分の専門でございまするから調査いたしたのでありまするが、オーストリアの控訴制限、これは司法当局、裁判所のお方はこれに反対しておりません。しかし民間、弁護士の間、また大学教授――大学教授は二つの陣営にわかれておりまするが、私が今より三十年前オーストリアで学びました私の先生にあたるシユペルル教授、また私と同じころ大学を出ました、いわば私の相弟子と申すべき現在のシーマ教授らと、このオーストリアの控訴制限をば極力非難いたしております。しかしそういう学者弁護士間からの非難があるにもかかわらず、オーストリアにはなぜ控訴制限が行われたか。これはクライン博士の強力なる政治的な手腕によるものでありますが、一つはさかのぼつてオーストリアの民法の法典の構成にある。オーストリア児法典は一八一一年にできたが、なお十分に。パンデクテン・システムになつておりません。フランス民法と同じようないわゆるわれわれ学者で言えば、インステイチユーテイオーネン・システム、十分に法体系が確立しておらない。なお別な言葉をもつてすれば、アクテイオーネン・システムが残存しておる法体系であります。そういう制度であればこそ、控訴制限がある程度強力に行われたのだと思うのであります。ところが日本の民法はドイツの定法と同じで、完全なるパンデクテン・システムである。すべての状況がドイツと同じである。私は現在の日本制度として、控訴審は現在の継続審をあくまで存続すべきだと思います。そうなりますと上告審も現在の制度以上には限定できない。すなわち特例法のごとき制限は日本の法体系になずまざるものである、しかしそれでは訴訟がいかにも遅延するではないかと言うかもしれない。これはしかしどうも大陸法系にまつわるところの宿命であろうと思うのであります。しからば英米法系に直せばよいではないか、こう言われるかもしれない。そうかもしれない。しかし一国の法体系というものは一朝一夕に直るものではありません。大陸法系である現在の日本の法体制において、英米法におけるがごとき強力なる上訴制限、あるいはオーストリアにおけるがごとき、多少微温的ではあるが同じく上訴制限も、ドイツと同じく、わが国においては行うべきではない、こう考えるのであります。  以上御質問事項を終りましたので、以下簡単にこの小委員会の改正要綱試案について意見を申し述べさせていただきたいと存じます。  一番の上告の範囲は民事刑事共に、判決に影響を及ぼすこと明かなる法令違背を理由とするものに限る、これは本年の夏改正せられた民事訴訟法第二百九十四条、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違背アルコトヲ理由トスルトキニ限リ」これと同じでありますが、私は実は法制審議会においてこの改正に反対いたしたのであります。というのは最高裁判所負担軽減のために、こういうふうに法律を改正するたらば、法律の条文の許す限りにおいては上告を制限するであろう。「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル」と書いてあると、いかなる上告理由でも明らかでないと言われればそれまでのこと。だからこれは逆に影響を及ぼさないことが明らかな場合においては上告棄却ができる、こう持つて行つたらどうかという案を出したのであります。結局どういう条文をつくつても、制度はひつきようするに人の問題であります。上告裁判所が手が足らないから、いろいろな方法上告を制限して手を抜こうとする。ですから今回当委員会の案にありますように、上告裁判所の機能を増加させるような形をおとりになつた場合においては、上告理由をこのようにおきめになることはしごくけつこうと思うのであります。結局法律家は良心的であります。十分な時間と、また組織があれば、十分、自分に納得行くまで問題を掘り下げるということは、これは最高裁判所判事ばかりでなく、すべての法律家通有の性格でありますから、上告制度というか、民事刑事上告審を取扱う機能が現在以上に増加するならば、上告をこの粗度に制限することは当然であろうと思います。判決に影響を及ぼさないような法令違背を上告理由とすることは、考えようによつてはこれはむだなことなのであります。その意味において一番はしごくけつこうと思うのであります。  次は「簡易裁判所事件上告審を最高裁判所とする。」これは一国の法令適用統一のためには、こういたさなければならないのであります。しかしながら簡易裁判所事件は、今回は十万円ということになりましたが、金額の安いものもある。これをばすべて最高裁判所上告事件とするというのは、いささかにわとりに対するに牛刀をもつてするような感がなきにしもあらずと思います。今より十数年前のことでありますが、からかさ一本にして、広島より東京の大審院へというような新聞日当のあつたことを聞きます。やはりこれは当事者の立場、司法制度の経済的運用という面から見ると、私は、簡易裁判所事件高等裁判所上告審として、判例統一のために現在以上裁判所が努力することを要求すべきではないか、こう思います。またその努力にしてなお判例が統一しない場合には、あるいは非常上告というような制度を設けるのもいいでありましよう。そうなるとまた四審級だという非難もあるかもしれませんが、しかしそれは少数の事件の犠牲において多くの事件が案外経済的に解決されるという利益があるのではないかと思います。これらの点は、理想として、現実の案として相当考慮を要するのではないかと思います。  第三の、刑事控訴審を継続審とする。これは私の専門でございませんが、私は少くとも現在の刑事訴訟、いわゆる事後審と称せられる制度が控訴審をあまりにも制限しているという感じを持つております。その意味において、民事のごとく継続審とせられることについては、自分の専門ではございませんが、私はこれに賛成いたしたいと思います。  第四点の、簡易裁判所事件の控訴審を地方裁判所とする。これは当然のことと思います。  第五番は訴訟手続上の問題であります。このように御決定になることに決して反対はございません。しかしただこういう手続の問題をこのように、上告状と上告申立書は必ず原審とし、上告理由書と上告趣意書は必ず最高裁判所に出すとくぎづけにすることがはたして適当かどうか。こういう点は、手続というものはあまりくぎづけにしない方がいいのではないか。裁判所の方から見ますと、すべて手続は厳重であり、くぎづけにされた方が取扱いいいのでありますが、当事者側から見ると、あまりくぎづけにすることは必ずしも適当とは言いかねる場合があるのではないかということを思います。  六番、最高裁判所裁判官の増員数を十五名とする。これは今の増加案をとるならば、少くとも十五名に増員する必要がございましよう。ただしそうなりますと、ただいま申しました待遇の問題がございますが、これは十三番と関連いたします。  第七器、小法廷を六つとする、その構成員を五名とする。五名は私は必要と思います。多くの案のうちには小法廷三名という御案もあるように思いますが、やはり裁判というものは個人的な色彩を平均化するところに多数決合議制の妙味があるのであります。最高裁判所としては、少くとも構成員五名が必要であろうと思います。ただドイツのように、一つのセナートが七名ないし八名で、五名をもつて構成しますると、必ず五名が出席をしなければ審理、判決ができないという原則が立てられます。しかしながら小法廷の構成を五名としました場合に、必ず五名が出席しなければ審理判決ができないということになりますると、さしさわりができる。そうすると定足数の問題を生じて来ますから、あまり定足数は低く置かないように、あるいはてん補の制度を考えて、構成員五名がすなわち定足数であるというようなこともお考えくださる必要があるのではないか、こう思います。  次の八番、九番、十番は関連した問題でありますが、この御案によりますると、小法廷の所管は一般法令違反として、現在よりは狭いことになります。そうしますると、大法廷の構成員九名の負担が過重になるということが考えられます。やはり裁判官相互の間の負担の平均分配ということも考えなければならぬ。ただ小法廷を一般法令違反だけにして、それ以外は大法廷にかけるとすると、大法廷の裁判官も小法廷の構成員であるから、その方の負担が過重になるということが考えられる。さらに十一番の、全員の連合審査。これは三十名の場合においては、私はしぼる案が必要ではないかと思う。もしそうでなければ、大法廷で一応の意見を決定して、連合審査の際にはそれの認否、賛成、不賛成もしくはそれに対する修正という機能を持たせるようにしなければならぬ。初めから事件を生のままこの全員の連合審査に付しても、これはなかなかまとまらないのではないか。大法廷で一応事件を内部的に判断を与えて、それを全員の審査に付する、こういう制度も考えられるのではないかと思います。  そこで私に言わしむるならば、第九番の大法廷を一つとする。これはやはりドイツの制度を私は各セナートにいろいろ聞いてみましたが、やはりこれは民事の大法廷、刑事の大法廷、連合大法廷と、大法廷を三つ設けることの方が、各裁判官の負担を平均させる上にも、裁判の内容をこまかく分析した上で裁判させる上にも適当ではないか。各部五名でありますから、たとえばそのうちの一名ずつ出て民事の大法廷を構成する、また他の一名ずつが出て刑事の大法廷を構成する。それらを連合したものを連合大法廷とドイツのようにする、あるいはそれ以外のものが民、刑事及び憲法違反事件を扱う大法廷を構成するか、これは考えようでありますが、大法廷は一つにせず、二ないし三にせられた方が裁判官の負担平均及び適材適所ということに役立つのではないかと考えるのであります。  それから第十二番目の、違憲事件につき最高裁判所に移送の問題でありますが、これは先ほど申し上げましたように、この御案のように、憲法裁判所即同時に民事刑事上告裁判所という建前からは、憲法事件について下級裁判所から、下級審の審理を成規の順序を経ないで、最高裁判所に移送させるという案については、私としては必ずしも御賛成申し上げ得ない筋合いであります。  増員せられる最高裁判所裁判官は認証官とする。これはもとより一国の判例統一を扱う最高裁判所裁判官を認証官とすべきは当然と思います。ただ現在のごとく増員せられた者ことごとく国務大臣待遇にするか。これが私は問題であろうと思う。どう処置するかということがこの案について実際におけるところのすこぶる難問ではないかというふうに考えるのであります。それから十四「最高裁判所裁判官の任命にあたつては、別に定める諮問機関の諮問に付すべきものとすること。」これは私は当然と思います。現在の選任方法のどこが悪いと私は申しません。しかしながらさらに衆知を集めた選任方法をとる必要がある、私はこう思います。そのゆえにこの諮問機関の構成それ自身も私は法律をもつて定むべきものである、こう考えるのであります。御参考に例として先ほど申し上げましたがドイツの憲法裁判所裁判官の選任は、連邦議会と連邦参議院とが双方で半数ずつ選任いたします。その選任方法裁判所法の第五条以下に規定してあります。それから民事刑事最高裁判所及び特別裁判所の国の判事の選任についてはドイツには一九五〇年リヒテル・ワールゲゼツツ、すなわち判事選任法という法律があります。これによつて国会から五十名、政府から五十名ずつで、合計百名の委員会を構成して、ここで判事を選任することになつております。しかし百名の選任は、先ほど言つたように合議でもつて定めるわけに参りません。そこでドイツでは、ランデスプリンチツプという、州主義とでもいうものが行われております。国の連邦裁判所裁判官は、どの州は何人出すという一つの割当がありまして、最初はおそらくその割当で各州から推挙した者から選んだ。それで欠員が生じますると、その欠員の生じたその判事の州から推薦を受ける。その推薦は各州の内部規定によつて倍数の候補者を出して、それが今申した判事選任法による委員会でそのうちから選任し、大統領がこれを任命する、こういう制度をとつております。私は日本においても、この最高裁判所裁判官の任命については、さらに法難をもつて委員会の構成を定めるべき必要があるということを痛感するのであります。  それから十五「調査官・秘書官制度を整理すること。」これまた整理という言葉になつておりますが、私は現在の日本調査官制度というものに賛成いたしかねます。ドイツのこれに当る先ほど申し上げましたウイツセンシヤフトリツヘ・ヒルフスアルバイター、ユリステイシエ・ヒルフスアルバイター、これは判事の命によつて、また判事の元来なし得る才能を持つ、その範囲内におけるいわゆる下調べの程度であります。いずれも地方裁判所判事四十歳以下の者であります。これらの者を自己の手足に使つて資料を集める、これは裁判の能率増進のためにいなむべきではない、むしろ推奨すべき制度と私は思います。われわれ研究室におりましても助手を使つて資料を集める。それと同じ意味において、最高裁判所判事はいずれも相当の御年配であるので、それらのお方が資料を集めるのに自己の手足として調査官をお使いになることは必要であろうと私は思いますが、今の制度では調査官というものは裁判官から独立しているようであります。また相当の資格の方が調査官になられる。事実あるかないか、私は公式の席では承りませんが、道途伝うるがごとく調査官裁判だという非難も、現在のごとき制度からいうと、あながち無稽の非難にならない。しかしながらドイツの調査官制度は、年齢の点においても、裁判官調査官との学識の関係から育つても、いかなる面から見ても調査官裁判という非難は当らないようであります。今後この調査官制度については、裁判官の手足としての調査官制度を設けられること、これを存続されることは私けつこうと思いますが、現在の調査官制度というものは根本的に改めなければならない。これこそは裁判裁判官みずからなすべきものであるという原則、これをここで再び思い出さなければならぬと思います。ただオーストリアにおきまして調査官制度に反対しておる理由は、オーストリアにおいてあまり事件がないということです。私先はど申し上げませんでしたが、オーストリアの憲法裁判所では非常置でありまして、年に四回各十四日間くらい開く、一回分受理件数は四十件ないし五十件、そして一年の事件数が大体二百件から三百件ですから、それほど事件は多くない。それからゼクレテリアート、すなわち日本の官房みたいな組織が割合に完備しており、図書館も内部にございます、し、タイプライターやその他の組織が完備しております。オーストリアの現在の憲法裁判所の組織からいうと、ことに地方裁判所判事級の調査官は助手もいらないのが実情じやないかと思つております。しかし日本の場合においては、最高裁判所判事三十名に増員しても十分なる機能は発揮できないと私は考えるのでありますが、そういう判事裁判官の手足となる調査官、むしろ助手とでもいうべきもの、裁判官の指揮によつて動くべきそういう補助機関を設けることは必要である、また置くことに私は反対はいたさないのであります。しかし現在のごとき調査官制度最高裁判所の本来の姿として置くべきではない。いわんや最高裁判所判事の数が足りないから調査官を置くというような考え方は、私は本末転倒しておると考える次第であります。以上で一応終ります。
  29. 小林錡

    小林委員長 どうも長時間にわたつてありがとうございました。  それでは質疑に入ります。猪俣君どうですか。
  30. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私は今来たばかりで大事なところを聞かないでしまつたものですから……。
  31. 小林錡

    小林委員長 小木専門員。
  32. 小木貞一

    ○小木専門員 最初にドイツの報告の分でありますが、一九五一年に西独に憲法裁判所ができて、今年の七月三十一日までに二千五百四十二件事件があつたという報告でありますが、これは結局ドイツの憲法裁判所第一部の事件、これをもつてはつきり言うならば、裁判所の要求によつてドイツの憲法裁判所にかかつた事件だと理解してよろしいものであるかどうか伺いたいのですが……。
  33. 中村宗雄

    中村参考人 憲法百条ですね。
  34. 小木貞一

    ○小木専門員 憲法百条によるあれでございますね。つまり通常裁判所の要求があつて憲法裁判所の方にこういう事件がある意味では提訴されて、事件なつた、こういう件数と理解してよいのですか。
  35. 中村宗雄

    中村参考人 そうばかりではないらしいですね。この表を見ますと、あちこちわかれているらしいのです。ここに表がございますから、これをひとつ条文に当つて件数を計算していただくといいのですが、今憲法百条の分として独立の項目になつていないのです。事件の内容によつて分解されていますから……。
  36. 小木貞一

    ○小木専門員 一部の事件と理解してよろしゆうございますか。
  37. 中村宗雄

    中村参考人 それはけつこうです。一部の事件のうちに含まれているのです。
  38. 小木貞一

    ○小木専門員 それでわかりました。それから今度はこちらの質問事項の方でありますが、質問事項の三に関連して、一応先生の御瀬見をもう少し詳細にお伺いをしておきたいと思います。日本最高裁判所が違慰の判決をやつた、その効力の問題で、一般効力を持つという意見の開陳があつたと思いました。この場合に、その一般効力というのはどういう効力であるか。法律と同じような効力を持つものであつて、言いかえまするならば、これは一般国民はもちろん、政府、それから下級裁判所等も拘束するような意味での効力であるのかどうかということ。  第二に、こういう判決があつた場合に、最高裁判所がこの判例の変更ができるものであるかどうかということ。  それからこれに関連しまして第三に、現在ではこういう点について学説はいろいろわかれて、個別効力説と一般効力説とあるようでございますが、こういうことは法律で明定する必要があるのではないかということについての御意見、この三つの点の御意見を伺つておきたいと思います。
  39. 中村宗雄

    中村参考人 一番の方は私考えますのに、抽象的な判断を与えるとなると、その裁判効力範囲ということが不明確になり、問題となると思いますが、具体的事件について具体的に適用せられる特定法令合憲違憲の判断、合憲ならばこれは問題がない。違憲の場合には、その当該法令の当該条文のみが将来失効するという効力ではないか、そうならば結局法は一種の裁判規範でありまするから、直接それによつてその裁判の拘束を受け、その法令を有効なりとし得ないものは、各裁判所であり、また政府諸機関であるわけであります。それらを通じて一般国民もその判決に拘束せられる、こういう効果じやないかと思います。これは国家学の問題でございまして、民事訴訟法プロパーの問題でないのですが、私はそういうふうに理解いたしております。  それで今の違憲なりという判決が確定したならば、その法律は失効するのでありまするが、今さらその判例の変更という問題は生じ得ない。もしそれを許すならば、法の不安定を来す。この場合むしろ問題は、裁判所系統がその法律違憲なりとし、立法府が合憲なりとした場合にどう解決するか、そういう問題までさかのぼつて、これはむしろ政治問題として法律をもつて解決すべき問題だと思う。それで現在この効力について学説の対立しておるというのは、法律に規定がないからである。私は先ほど申し上げましたように、ドイツ憲法裁判所法の三十一条と同じような法律に明定する必要がある、こう考えます。
  40. 小木貞一

    ○小木専門員 ドイツのものは、あれは抽象法令も受けるようになつておる。然も憲法裁判所は普通司法裁判所と独立した裁判所である。従つて普通の国の三権と違つた第四権的な憲法裁判所ができて、そこで一般抽象法令も扱う。従つて解釈効力も出て来るということは理解できますが、日本ではそうでない建前をとつておるのです。その点やはり同じように考えてよろしゆうございますか。
  41. 中村宗雄

    中村参考人 私は同じように考えます。ただいま第四権的と仰せられましたが、これは司法権の中が通常裁判所系統、憲法裁判所系統、特別裁判所系統とわかれて、立法権に対する司法権、この面においての司法権優位を規定する。だから私先ほど申しましたように、三権分立、これを統制するものが、現在においては権力国家でない限りは統制力がない。これをお互いに支持するものはチェック・アンド・バランスのほかはない。その意味において、この法令審査の面においては、司法権が立法権を控制しておる。また裁判所の組織、任免については、ドイツの例で言えば立法府、日本で言えば行政府が司法部を控制しておる。チエツク・アンド・バランスで相互控制して、初めてそこで三権の合体になる。私はこの法令審査権は、この面においては立法権に対する司法権の優位、こういうふうに考えております。ドイツの場合においても決してこれは四権的存在ではない。これは三つにわかれておる。日本では三つにわかれないで、司法権が一本建で最高裁判所ができておる。だから民事刑事の面においては民事刑事裁判であり、また憲法によつて与えられた法令審査権を持つておる。この法令審査権を与えた限りにおいては、それは一般効力を持たなければ意味をなさないのじやないか、こういう考えであります。
  42. 小木貞一

    ○小木専門員 いろいろ考え方はあると思いますが、ドイツのあれは抜きにしまして、先生は規定した方がいいというお考えでございますか。
  43. 中村宗雄

    中村参考人 私はそう思います。規定が有ればこそいろいろな学説が出て来る。
  44. 小木貞一

    ○小木専門員 それからちよつとまた元にもどりますが、ドイツの特別裁判所でありますが、あれはドイツの憲法では特別裁判所を認めないような立場になつておると私は思つておりますが、先ほどの特別裁判所の四つでございますね、あれは今のお話で大体わかりましたが、普通裁判所司法裁判所系統の特別事件を扱うものなんでございますか。
  45. 中村宗雄

    中村参考人 いや、これはドイツのグルンドゲゼツツ、すなわち憲法の九十二条に規定がございます。
  46. 小木貞一

    ○小木専門員 そうすると普通裁判所系統のものではない。
  47. 中村宗雄

    中村参考人 はあ、これにありますように、裁判権判事に委託せられる、それは憲法裁判所により、最高国連邦裁判所により、及びこの国家基本法によつて定められたる連邦裁判所により、及び各州の裁判所により行使せられる、こういう規定であります。
  48. 小木貞一

    ○小木専門員 憲法百一条に特別裁判所が認められないというのは、これは私も翻訳で、原本に当つていないのですが、そういうのがあつたような記憶だつたのですが……。
  49. 中村宗雄

    中村参考人 これはアウスナーメゲーリヒト、臨時裁判所と訳しております。これはドイツではスペチアル・ゲーリヒトと言つております。
  50. 小木貞一

    ○小木専門員 系統は司法裁判所の系統ですか。
  51. 中村宗雄

    中村参考人 憲法二十二条によつておるものです。
  52. 小木貞一

    ○小木専門員 そうすると、司法裁判所の系統によつて設立されておるものですね。
  53. 中村宗雄

    中村参考人 ええ。
  54. 小木貞一

    ○小木専門員 それでわかりました。  結論だけ簡単に伺いますが、最高裁判所裁判官増員、減員にしましても、ことに増員の場合に考えられるのは、増員せられる裁判官、これはいずれも最高裁判所裁判官でありますから、これは平等のと申しますか、同じ権限を持つものだという一つの命題があると思うのです。
  55. 中村宗雄

    中村参考人 あり得ます。
  56. 小木貞一

    ○小木専門員 しかしこの命題に対して、しからば待遇もこれは平等でなければならないのであるかどうか。これは法理論的に見まして、そういう点はどういうお考えをお持ちになつておるでしようか。
  57. 中村宗雄

    中村参考人 これは裁判権の行使の主体としては平等であります。しかし官吏としての官職の地位というものは、差があり得るのではないか。日本裁判所法も最高裁判所司法官と、最高裁判所判事とがある。また高等裁判所司法官と判事とあるわけです。ドイツでは所長、副所長、各部の部長及び判事、こういう四段階にわけてございます。しかしながらこれらが会議体を構成して裁判する場合には、もとより別です。ですから先ほど申し上げましたように、各部に裁判長の制度を設ければ、その方々は裁判長ならざるお方方よりは上位の待遇を受けるのは、裁判平等の問題とは別個の問題じやないか、こう思うのです。
  58. 小木貞一

    ○小木専門員 わかりました。別な考え方があるものですから先生の御意見を伺つたのです。  それから小法廷なりあるいはこれは名前は何でもいいと思いますが、要するに一般上告を扱う、そういう最高裁判所のセクションと申しますか、そういう係でございますね。この小法廷なりあるいは上告部と申しますか、そういうところでやりた判決に対する救済手段というものを何か考えておく必要があるのかどうかという点については、いかようなお考えでしようか。長高裁判所の中に小法廷――かりに大法廷を今考えまして、小法廷というところで、今のようにかりに一般上告を扱う、その判決に対しての救済方法、たとえば意義と申しますか、その判決憲法違反であるというような問題がかりにあつた場合に、これに対して救済の手段を考えておく必要があるかどうかという問題についての御違憲を伺いたい。
  59. 中村宗雄

    中村参考人 裁判というものは人がなすもので、結局一つの制度でありますから、どこかで打切らなければならぬ。いかなる組織をもつてしても人の裁判には他の人が反対し得る。ですから小法廷の裁判全員裁判ではないから、全員に対して異議の中立てをなし得る制度を設けなければならないというのも一つの議論でありましようが、日本は三審制をとつておるから、最高裁判所の名においてなした裁判には、たといそれが誤つてつても、もはや意義の方法はないのだぞということも法的の判定の上から十二分の理由をもつて私は指摘し得ると思う。結局これは現実の制度で、小法廷の裁判に人が納得の行かないような事案が多いのならば、そういう道もおかなければならぬ。またそういう小法廷の裁判に人が納得行かない事件が多いということが一般に認められるならば、その制度も改革しなければいかぬ、また異議の制度を設けなければならない。しかし最高裁判所裁判官はいずれも一流の方なんであります。それで一つの法廷がそのうちの五名をもつて構成せられ、大法廷はそれらの中から選任せられた何名かをもつて構成せられる。とにかく全体の意思というものがそこに盛られておるわけであります。全体の意思が一名によつて代表され、あるいは大法廷に選ばれた何名かによつて代表せられる。私現在の制度としてはそれらの大法廷、小法廷の裁判に対してさらに意義の方法を設ける必要はないと思う。しかしながら民訴一般考えからして再審の訴え、これはまた別問題であります。
  60. 小木貞一

    ○小木専門員 問題になつたのはこういうことであります。小法廷、一般上告をやるところで実は憲法違反裁判があつたという場合のことを想定しまして、そういう場合に何か手当をしておく必要があるかどうかという問題なんです。
  61. 中村宗雄

    中村参考人 そういう場合には再審の訴えも、民訴なら再審の訴えでかたがつきます。裁判所法に別に規定を設ける必要はないと思います。
  62. 小木貞一

    ○小木専門員 ちよつと疑問があるようですが、よろしゆうございます。
  63. 中村宗雄

    中村参考人 疑問といえば疑問ですが、結局私は訴訟法学というものは制度法学で、制度に即して理論を組み立てなければならぬ。私は再審の訴え、なるほどあれほどあれは、あの民訴四百二十条を設けたときにはそういうことを予想しておりません。しかしながら法というものは、その時代に即して解釈され、法の解釈に現在性、創造性というものが入る。それから今仰せられたようなことが顕著ならば、四百二十条第一号に該当するという態度を最高裁判所がとれば、それで十分ではないか。とらないような場合が起きたならば、そこで初めて法律を改正する、新しい法律を設けるということは考えがつくのではないか。この解釈に疑問があるから別に制度を置けるということは、屋上屋を架するゆえんではないか、こう思いますが、いかがでしようか。
  64. 小木貞一

    ○小木専門員 あとでまた伺うことといたしまして、その点はそれでやめます。  それから質問事項の八のところ、これは御説明も申し上げてなかつたし、表現がまずいからでもありましようが、これは小法廷で一応こういう事案をやり、それ以外のものはやらないという意味では実はないのです。逆にこれは大法廷の方が憲法違反事件をやつて、それ以外のものは小法廷に行くというような一応の考え方で振りわけて大小を考えてみたわけでございますが……。
  65. 中村宗雄

    中村参考人 それはわかりましたが、しかしそれにしては大法廷の裁判官の負担がアンバランスですね。
  66. 小木貞一

    ○小木専門員 これで終ります。
  67. 村教三

    ○村専門員 衆議院の法務委員会の案に対するお考えのうちで、十一の部分でございますが、この十一について先生のお教えを得たいと思つております。判例変更の場合、それは憲法判例及び一般判例の変更の場合を含めまして、会員の連合審査に付するということでありますが、ドイツの先例を先生は詳しくお調べになられまして、どうしても日本で見つからない資料等をもつてお教えいただきまして、たいへん私どもありがたく思つております。ことにそうした制度的なことを、運営の方式などにつきまして、ドイツのブンデスゲーリヒトの方についていろいろお考えをおつしやつていただきましたこと、また実例をお話ししていただきましたことにつきましては、たいへん私ども参考になつたのであります。転じて日本の場合の最高裁判所会議体の運営ということにつきまして先生がおつしやいましたことの中に、そうした多数の合議体を運営して行く場合の連合審査方法として、あらかじめ賛成とか反対の義務を持たしめた方がよいというお話がありました。またむしろその前に大法廷で事件を内部的に判断を与えて、それを基準にして審理した方がよいというような御趣旨のことをおつしやつたのでありますが、このあたり私どもちよつとわかりにくいのでありますが、いま一度御説明を願いたいと思います。
  68. 中村宗雄

    中村参考人 それは私あとの意味で申し上げたのであります。三十名では事件を生のままかけて、それについてあらゆる角度から検討し、結論を出すことは、日本の現在の法律家の才能と申しますか、法律制度現状から見て相当困難であろう、だから大法廷で一応事件に対する審理判断をして、その結論をば全員審査に付して、それの認否もしくは修正という制度をとれば、三十名の程度なればまとまるのではないか、しかしながらこれはドイツのように八十七名にもなれば議論はまとまらないのじやないかという意味であります。
  69. 村教三

    ○村専門員 それはわかりました。ちよつと元にもどりまして、ドイツのブンデス・ゲーリヒトの方では八十七名の全員判決というものはただの一回もなかつたのですか。
  70. 中村宗雄

    中村参考人 そういう制度がございません。
  71. 村教三

    ○村専門員 今フエライニクテ・グローセ・セナートと申しましたか、この方法は頻繁に開いているのですか。
  72. 中村宗雄

    中村参考人 これは事件があるたびに、非常置にアドホックに設ける連合大法廷ですと、刑事大法廷の八名、民事大法廷の八名、合計十六名に所長を加えて十七名をもつて構成する、それだけであります。これは口頭弁論を開きません。非公開であります。
  73. 村教三

    ○村専門員 やはり民事の連合法廷といいますか、刑事の連合法廷といいますか、そういうものに性格が似ておるわけですね。
  74. 中村宗雄

    中村参考人 はあ。
  75. 村教三

    ○村専門員 ありがとうございました。
  76. 小林錡

    小林委員長 ちよつと伺いますが、その八名を選出する方法はどういう手段でやつておりますか。
  77. 中村宗雄

    中村参考人 それは各部にまかせて選ばせる、適当の者を出させる、こういう説明がついております。ここにゲシユルトを持つて参りましたが、これを克明に訳せば出て来るわけであります。
  78. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私、おそく来て聞き漏らしたかもしれませんが、今の憲法裁判所判事の任命方法、これはどういうふうにやつておりますか。
  79. 中村宗雄

    中村参考人 憲法裁判所法の第五条以下に規定がありまして、連邦議会と連邦参議院とがそれぞれ半数を選挙する。それで連邦議会の方はその議員のうちから十二名の選挙人を選んでそれの三分の二の得票をもつて決定しております。それから連邦参議院の方は院議をもつて選出しますが、この場合には出席者の三分の二の投票、それを選挙する選挙人名簿はランデス・プリンチップと申しますか、州主義とでも申しますか、各州に人員が割当ててありますから、今度選出すべき州の方から候補者を推薦する、こういう方法であります。これは憲法裁判所判事の選出であります。それから民事刑事上告裁判所判事の選出は、判事選挙法の規定によつて百名の合議体で、同じくランデス・プリンチップによつて選出する、こういうことになつております。
  80. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうするとやはり国会から出るような人間は多数党の人が多く、多数党というか多数党の好みに応じた判事が多く出るようなことになりはしませんか。
  81. 中村宗雄

    中村参考人 そのことを先ほども申し上げましたが、それは選出ですから必ずしも選出せられたものは政党員とは限つておりません。先ほど配分を申し上げたのですが、代議士が全体で四名しか選出されておりません。官吏が七名、大学教授が四名、判事が七名、こういうふうに選出されております。それで今仰せられたように、極端に言えば多数党の意向をうかがうような判事が出やしないか、こういう問題であります。実は私は率直にカツツ副所長に伺つたのでありますが、それに対する答弁としては、先ほど申し述べましたように三分の二の投票でないといけない。特定政党が支持しただけでは選出されない。すべての政党の支持を受けなければ選出されない。特定の政党のために特に働くということは事実上あり得ない、こういうことであります。そこでもう一度追つかけて極端な言葉で言えば、総政党の息をうかがわないで選出されたような行動をすると二度再選されないということがありはせぬかと言うと、われわれは再選は欲しておらぬ、こういう答弁でありました。
  82. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 実は私は去年ボンに参りまして、正式に調べたのではないが、代理大使でありましたか、それに聞いてみたのですが、先生はあまりそういうことは詳しくなかつたかしれないが、やはりどうも憲法裁判所でも多数党の息のかかつたものが多くなるので、やはり多数党に便利な判決ばかり出ますよと言つていましたので、それでちよつと先生に聞いてみた。
  83. 中村宗雄

    中村参考人 それはあり得るでしよう。私は政党の方の裏にまわつて聞くということはできませんでした。相当詳しく聞いたのですが、表門からの答弁と思われる節が相当ありましたが、一応そういうように行つておるということも一つの資料であります。どうか取上げてください。
  84. 小林錡

    小林委員長 それではどうも長い時間にわたつてありがとうございました。たいへんに参考になりました。厚く感謝いたします。
  85. 中村宗雄

    中村参考人 たいへん長い間御清聴を煩わしまして、ありがとうございました。
  86. 小林錡

    小林委員長 本日はこれにて散会いたします。    午後四時十分散会