○中村参考人 私、中村宗雄でございます。
ただいま当
委員会からの御下命によりまして、私の考えておりますことをここで申し上げたいと思います。つきましてはこの
質問事項の
順序でお答え申し上げたいと思います。
その一は独墺における
憲法裁判制度運用の実情でございますが、今
委員長から仰せくださいました通り、私今夏、秋にかけまして約二箇月半、
日本学術会議の命によりまして、国際
比較法学会第四回総会に出席するため欧州に参りました。その前後欧州にとどまりまして、主としてドイツ及びオーストリアの
司法制度を調査する予定でありましたところ、当
委員長からの御下命もありましたので、多少調べて参りましたので、この点論文その他にある
事項は除きまして、私の見聞いたしました特に重要なる点をここで申し上げたいと思うのであります。
憲法裁判制度はオーストリアにはすでに一九二〇年以来、つまり第一次世界大戦後に、すでに設置されておりました。これは非常置の
憲法裁判所であります。
ドイツは御案内のように第二次世界大戦後一九五一年初めて設置せられまして、これはオーストリアと違いまして常置の
裁判所であります。なおドイツは国と州とにわかれておりますので、
憲法裁判所も各州に設置されますと同時に、国にももとより
憲法裁判所が設置されておるのでございます。
まず最初国の
憲法裁判所、ブンデス・フエアフアツメングス・ゲーリヒトホーフについて申し上げたいと思います。ドイツは
日本と違いまして
裁判所系統が六つにわかれております。すなわち
民事、
刑事の
通常裁判所のほかに
憲法裁判所がございます。それに特別
裁判所といたしまして
行政裁判所、租税
裁判所、労働
裁判所、社会
裁判所の四つがあります。合計六つの
裁判所系統にな
つておりまして、そのうちの一つの系統として
憲法裁判所があるわけでございます。この
連邦憲法裁判所はカールスルーエにございます。私ここを訪問いたしまして、刑所長のカツツ博士にお目にかかつたのであります。この
連邦憲法裁判所はすでに
日本にも紹介されておりますが、現在所長を加えまして二十三名の
裁判官がおりまして、これが二つの部にわかれております。
第一部の方は主として
憲法上の異議
事件をば取扱うのであります。この方は相当
事件がございまして、一九五一年から本年の七月までの間に二千五百四十二件係属いたしております。この七月末におきましてなお未済
事件が五百三十一件あるようであります。これに対しまして、第二部は州と州あるいは州と国との間のもつぱら
権限争議、
法律争訟をば
裁判する部でございます。この方はまことに
事件が少うございまして、同じく一九五一年から本年の七月までにわずか二十七件しかございません。現在係属している
事件は七件でございます。と申しますのはこの州と州との争訟、州と国との争訟は、多くは政治的に解決されまして訴訟
事件にならない。それで驚くべきほど
事件が少いのでありますが、しかしこの一部と二部との
事件分配が
憲法裁判所法の十四条で、
法律で定ま
つておりますのでいかんともしがたく、一方の第一部の
判事は非常に多忙をきわめているが、第二部の
判事は用がなくて、このうちの大学教授は大学に入
つて講義ばかりしているというような状況でございます。これは後ほど申し上げますが、第一部が非常に多忙であるために、
憲法裁判所を設置した約半年後に
日本の
調査官の
制度に当るウイッセンシヤフトリッヘ・ヒルフス・アルバイターという
制度を設けたのでございます。これは
法令には規定がないが、事実上設けてございます。これは後ほど御報告申し上げたいと思います。この
憲法裁判所の
判事は任期が八年と四年でありまして、将来はすべて八年、四年ごとに半数交代に組織しているのでございます。この
裁判官の選挙人はブンデスタークすなわち
連邦議会、ブンデスラート
連邦参議院とが各半数選出することにな
つております。
連邦議会の方では間接選挙にな
つておりまして、
連邦議会で十二名の選挙人を選びまして、その選挙人が半数を選ぶのでございますが、その
最高裁判所、
憲法裁判所判事に選出するには十二名中九名の得票がいるということにな
つている、それから
連邦参議院の方はこれは参議院の議員が直接に選挙するわけですが、同じく三分の二のヴオートがいるということにな
つているようであります。これらの
判事の前経歴を見ますと、私一々当りまして経歴を聞いたのでございますが、代議士が四名、それから国の官吏が七名、大学教授が四名、
裁判所の
判事が七名、こういうふうな前歴だということを承りました。それでこういうのは、選挙制による場合には何か
憲法裁判所が政治的な悪影響を受けやしないかということを私は質問したのでございますが、これに対するカツツ副所長の答弁としては、
連邦議会においては、
連邦参議院においても、三分の二の得票がいる、そうなるといわゆる与党だけの得票ではとうてい選出されない、結局全員の輿望が集まらなければ事実上当選しないのであるから、一つの政党のために特に利益をはかるということは思いもしないし、また事実上あり得ない、こういうことでありました。しかし
政府の意向を参酌しない場合においては、あるいは任期経過後において再選せられないというようなことがありはしないかということを申しましたら、われわれとすると、ここの
判事にな
つているのは大体においていわば功成り名を遂げている者であるから、いずれも再選されることは期待しておらぬ。そういうような意味で政治的な影響を受けるというようなことは絶対ないということをば私はここで言えるということを申しておりました。それで
事件数はただいま申しました通りあまり多くございませんので、開廷は必要に応じて開廷することにな
つております。いつが開延日というきまりがないようであります。ついででございますが、
民事、
刑事の
最高裁判所には、ライプチッヒの帝国
裁判所以来の
伝統がございまして、所属
弁護士が定ま
つております。
憲法裁判所の方はいずれの
弁護士といえども
憲法事件を担任し出廷できるということにな
つているようであります。
大体そういう組織でございますが、ここでちよつとつけ加えて二、三申し上げたいことは、
憲法裁判所の
判事がただいま申し上げました通り二十三名でございます。それから
民事、
刑事の
最高裁判所の
判事が八十七名でございます。なおそれ以外に、
行政裁判所、労働
裁判所、租税
裁判所、社会
裁判所、これらの国の
最高裁判所の
判事を寄せますると、統計がございませんでよくわかりませんが、大体私の計算したところによると二百名足らずのように思います。でありまするから、この国
最高裁判所の
判事の資格というものが、
日本から比べて低いということに気がついたのであります。
憲法裁判所長官の資格は、スターツゼクレタールと申しまして、大体
日本において事務次官の程度であります。それで
通常最高裁判所の所長はそれよりやや資格が低くて、各部の
裁判長――ミニステリアル・デレクトールと申しますが、これが
日本で申しますと事務次官くらいに当ります。それから
一般のブンデスリヒター、国
判事は、ミニステリアル・レジデントと申しますが、大体
日本において局長程度であります。この
裁判官の資格が比較的
英米法より低いということが大陸法の特徴をなしておるわけであります。
それから次に法作鑑定所、グートアハテンという
制度がございます。
憲法裁判所法第九十七条に、
連邦国会、
連邦参議院及び
連邦政府共同の申出により、
憲法裁判所に対し一定の
憲法上の問題につき
法律上の鑑定をなすべきことを求めることができる、こういう規定がございます。これは
法律制定前にあらかじめ
憲法裁判所の
意見を求めるという
制度であります。これが
日本では、この
制度によ
つて抽象的
法律問題につきあらかじめ
憲法裁判所に
意見を確定してもらう
制度だというふうにも一部には考えられておるようなのであります。この点は本日の
質問事項の第三にも重要なる関係がございますので、特に根掘り葉掘り聞いたのでありますが、この法理上の鑑定という
制度は、規定はあるが事実上ほとんど運用されておらぬ――これはカツツ副所長でありますが、自分の記憶においては従来ただ一回あつただけであるということであります。それで笠岡の
方法としては草案を送付して
意見を求めるのかと聞きましたら、いやそうではない、個別の条項を
審査しておる際に、特定の条文、特定の
事項について
連邦国会、
連邦参議院、
連邦政府、これらの間の
意見がまとまらない場合に、特定の条文、特定の
事項についての
意見を求めものである。決して抽象的
法律問題に対して抽象的な立場において
憲法違反なりやいなやというような鑑定をする
制度ではない、こういうことをはつきり申しております。なおこの鑑定所の法的拘束力はということを聞きましたら、これは
法律に規定がないがゆえに法的拘束力はない。しかしいやしくも
法律に規定があ
つてこの
憲法裁判所の名において鑑定するのであるから、いわゆる道義的拘束力は十二分に持つものと自分は考えておる。しかしながら場合によ
つては無視されることがある、こういうことでありました。その場合によ
つてと申しますのは、
憲法裁判所の方にはわずか一件でございますが、それと同じような規定が旧
行政裁判所法の第九条にもあるのでありまして、
行政裁判所の方にはこの鑑定を求めた事例も相当あるらしいのであります。現在
行政裁判所法は改正の機運にな
つておりまして、私がちようど向うに参りましたときにその改正の草案をもら
つて参りましたが、これには鑑定所に関する規定が入
つておりません。
次は
憲法裁判所の
裁判の拘束力でございます。これは御質問の第三にも関連するわけであります。この点につきましては、ドイツでは
憲法裁判所法第三十一条に、
憲法裁判所の
裁判は国及び州の
憲法上の諸機関並びに
裁判所及び官庁を拘束する、こうございますので、ドイツの法制のもとにおいては何らの疑義がないのであります。
それから次は、
憲法上の主として異議訴訟でありますが、これが提起せられた際に
政府の
行政処分の一時執行停止を命じ得る規定が賞法
裁判所法三十二条にございます。これは
日本における
行政事件許訟特例法の十条に当るわけであります。御案内のように、
日本では内閣総理大臣が異議を述べるとその執行停止ができないことにな
つております。ドイツにおける規定は、
政府から異議を申し立てても一時の仮処分の
効力をば妨げないということにな
つております。そこで私は、
行政処分の執行停止、その執行停止命令の執行停止がないとすると、
政府としては緊急かつ
行政的処置がとれないで非常に困難に立ち至る場合がありはせぬかということを聞きました。それに対する答弁としては、われわれはそういうことを考えるがゆえに、この一時的な仮処分は非常に慎重な態度をと
つておる。最近の例としてはただ一つしかない。その例は、オーストリアから何か犯人の引渡しの要求をせられて、オーストリア人なるがゆえに本国であるオーストリアに引渡そうとしたときに、本人は、自分はオーストリア人ではない、ドイツ人であるという主張をしたために、それが
憲法裁判所の第一部にかかつたのであります。この場合は本人の申立てが事実かどうかわからないが、しかしいやしくも本人がドイツ人であるというならば、それを明確にする主では犯人そのものの引渡しをば停止するのが当然と思
つて停止したということであります。この一時の仮処分は、
憲法裁判所法第三十二条によりますと、三月の
効力を持つわけであります。さらにその期間を延長するには、三分の二の同意がなければならない。よほどの場合でなければ延長は許されない。自分の知
つておる限りにおいては、延長された例はほとんど知らない、こういうことでありました。この点も、
行政事件訴訟特例法の十条との対比において参考とすべき
事項かと思います。
それから第一部は主として異議訴訟であります。開設以来本年の七日までに、ただいま申しました通り二千五百四十二件係属いたしております。そのうち従来異議が理由ありとされた
事件がどのくらいあるかということを聞いたのでありますが、ドイツという国はふしぎで、勝訴敗訴の統計がどこの
裁判所にもないのであります。この点も、
憲法裁判所に統計がございませんでしたが、所長が事務局に問い合せまして、よくわからないが、大体今までは三件か四件くらいのものであ
つて、あとは全部異議の申立て理由なしということに帰着しておる、こういうことでありました。
それからもう一つ、はなはだ立ち入つたことでありますが、ミリタリー・ガヴアメントの干渉があつたかなかつたかということを聞きました。これはドイツ人として真相は言いたくないのでありましよう。答えとしては、
憲法裁判所に関する限りにおいては、従来目に余るがごとき干渉はなかつた。
裁判を変更せしめられた例がありますかと聞きましたところが、これははつきりした答弁は得られませんでした。これは私の感じでは、言葉のやりとりで、一件か二件かあつたらしいように思います。以上が
連邦憲法裁判所の組織であります。各州にも
憲法裁判所がございます。しかしこれは概して非常置でありまして、常置の
憲法裁判所はほとんどないということでありますが、どこが常置であつたか、実はドイツ各州をまわりませんのでわかりませんでした。現在シュトウツトガルトの州
憲法裁判所には一件も
事件が係属しておらぬということであります。ハンブルヒに参りましたときに聞きましたところ、ハンブルヒにもほとんど
事件がない。ハンブルヒの州
憲法裁判所は非常置であり、州
高等裁判所の
判事、大学教授、
弁護士等によ
つて構成されておるということであります。
ついででございますから、ドイツの
司法制度の構造について若干申し上げまして、本日の第六の御質問に対する私の立場の一つの資料といたしたいのでありまするが、ドイツは御案内のように、ただいま申しましたように、
民事、
刑事の
通常裁判所系統のもの、
憲法裁判所、それから特別
裁判所といたしまして
行政裁判所、租税
裁判所、労働
裁判所、社会
裁判所、この社会
裁判所というのは、ちようど私が参りましたときに新たに構成された
裁判所でありまして、主として社会保険を扱う
裁判所であります。このように六系統にわかれております。それぞれ第一、第二審が各州に設置されておる。
上告裁判所が国に置かれておる。きわめて複雑な
司法組織であります。
従つて判事の数が非常に多いのであります。
通常裁判所の
判事が、国及び州を合計いたしまして七千四百八十九名おります。しかしその中には
憲法裁判所及び特別
裁判所の
判事の数が入
つておりません。この全体の統計を求めたのでありますが、先ほど申し上げましたように、各州を全部統一した統計というものがドイツにはないのであります。これはいろいろ事情を聞いたのでありまするが、
連邦政府はあまり州の内政には、必要な限度以上にはタッチしないという意識が、ボンの
政府の官吏の間にあることを私は感じたのであります。おそらく統計もそういうような意味で集計を出さないのだと思います。私各州の統計を求めましたら、必要があつたならば各州の方に問い合せるからというので統計はございませんが、私の持
つております資料でいろいろ目の子算をいたしまして、西ドイツにおける
判事の数は大体八千名から九千名の間、こう踏んだのであります。これは
日本の
判事の定員二千二百名、しかもその二千二百名は全部満たされておらない。二十名そこそこ。西ドイツの人口四千五百万に対して九千名、
日本の人口八千余万に対する二千名、非常にここに差があることを見出すのであります。これはドイツにおいては終戦後において、私の言葉をも
つて言わせれば、あまりにも法治国家になり過ぎておる。すべてが
法律によ
つて解決されておる。
法令の数汗牛充棟ただならずというのであります。それらと相関関係で
裁判所の数を相当増加する、
判事の数を増加せざるを得ない、こういう
状態に立ち至
つておると思います。私はこう
法令が多く出されておる原因として、いわゆる州権論者、州の主権をばでき得る限り拡大せんとする
考え方の者と、ブントの権力を増大せんとする統一権論者とでも申しますか、この思想的闘争が相当深刻のように感じました。この闘争を解決するのは、か
つてのナチスの権力国家のもとならばいざ知らず、現在の西ドイツの民主主義的な国家
機構としては、
国会を通ずる
法律によ
つて解決するほかはない。そういう意味において、州と国との
権限を確定する
法令が非常に多いのであります。そこで
判事が多数にありますると、
判事が
専門化いたしておりまして、六つの系統にわかれておる。
憲法裁判所の
判事は、
通常裁判所の
事件が全然わかりません。
通常裁判所の
判事は、労働
事件は全然わかりません。これはいろいろ質問いたしましたが、全然しろうとでありまして、かつ、
通常裁判所の内部におきましても、
民事、
刑事ははつきり担当
判事がわかれております。また
民事の中でも、
一般民事事件、商事
事件、会社
事件、それぞれ担当の
判事が違
つております。
判事が非常に
専門化いたしております。この点は
日本の
裁判所の組織、
判事の教養が比較的に広いのと対蹠的だと思います。そこにまた
日本の
裁判所の組織の欠陥も含まれるんじやないか。ドイツのごとく、あまりにも多くの
裁判所系統にわかれ、
判事が
専門化することも問題でありまするが、
日本のように、
裁判系統を一本にとりますと、一人の
判事があらゆる
法律問題について権威ある
裁判をなす才能を持つということは事実上不可能なんじやないか。この点から見まして
日本の
司法制度、構造それ自身に私はさらに再検討を加える必要があるんじやないかということを痛感いたしたのであります。但し、ドイツにおきましても、現在
裁判所の系統があまりにも複雑であるということは、ドイツの識者また認めているところでありまして、
政府の官吏、
裁判所の
判事、これらの方は現在の
制度を肯定されておりますが、しかしながら、さらに
裁判所系統がこれ以上増加することは欲しもしないし、事実上あり得ないだろう。今回ソーシャル・ゲーリヒト、社会
裁判所ができたことが最終であろうというような
意見でありました。たとえばハンブルヒのボエツテイツヘル教授は、ドイツはあまりにも
裁判所の系統が多過ぎる、
憲法裁判所はこれは非常置でよろしい、置かなくちやならない
通常裁判所と
行政裁判所と合せることは可能であろうというような
意見を述べておりました。また
憲法裁判所のカツツ副所長も、現在のあまりにも異議訴訟が多いが、これは過渡期である。これが将来減つたならば
憲法裁判所は
判事は七名か八名で事足りるであろうというような
意見を述べていたことを私ここで申し上げておきたいと思います。
次は、オーストリーの
憲法裁判所でございますが、これは先ほど申し上げましたように、一九二〇年、第一次世界大戦直後設立せられましたものがそのまま現在にも存続いたしております。これは、オーストリアにおきましては、
憲法裁判所は非常置の
裁判所でありまして、所長、副所長、ほかに
判事十二名であります。もとより所長、副所長は常任でありますが、十二名の
判事は各
方面から選ばれた人々でありまして、非常任の人々であります。この選出
方法はブンデスラート、参議院が六名推薦いたします。ナチオナルラート、すなわち国民議会といいますが、これが五名推薦いたします。それからブンデスレギールング、すなわち
政府が五名推薦いたします。合計十二名推薦する、こういう
制度でありまして、これらいずれも職業を持
つております。
判事、大学教授、
弁護士、官吏、大体同数であります。但し官吏は、
憲法裁判所判事に就任中は退職もしくは休職すべきものとな
つているようであります。大体ドイツ、オーストリアにおける
憲法裁判所の
制度は、私が見聞いたしましたところの大略は以上のごとくであります。なお、条文に基いたその組織につきましては、
日本にもすでに若干の紹介論文がございますから、それらによ
つてわれわれは知ることができると思うのであります。
最後に申し上げたいことは、先ほど申し上げました
調査官の
制度でありますが、これが現在
日本においてもたいへん問題にな
つておりますので、この点について若干申し上げておきたいと思うのであります。
この
調査官と申しまするのは、必ずしも
日本の
調査官とは同じでございませんが、
憲法裁判所が一九五一年に発足いたしました際、先ほど申し上げましたように、第一部が非常に
事件が立て込んで来ておりまして、とうてい十二名の
判事では片がつかないというので、ウイツセンシャフトリツヘ・ヒルフスアルバイターという
制度を考え出したのだそうであります。それは、
憲法事件は、各州の
憲法違反というような問題が相当あるのでありますが、各州いずれも
法律が違いますので、
憲法裁判所の
判事も各州の
法律までは実はあまり通暁していない、そこで各州からランデスゲーリヒツラート、すなわち
日本でいうと地方
裁判所判事の資格を持
つている、いずれも四十才ぐらいまでの若手の者を、試験をも
つて、三箇月間の任期で採用したのだそうであります。その三箇月間の俸給は国議会から予算を与えられます。国、つまり
連邦で俸給を払う。自分の出身の州のその職務は、ウアラウブ、賜暇、休暇とでもいいますか、そういう形にして頼んだそうであります。それでこの三箇月間は何べんでも切り直し得ることにな
つております。すでに開設以来現在まで、
憲法裁判所でウイツセンシヤフトリツヘ・ヒルフスアルバイターとして働いている人がおるそうでありますが、これらが
裁判官の命を受けて下調べに従事いたします。各州も、自己の州の利益防衛のため優秀な者を
憲法裁判所に送ります。現在第一部に十一名、このウイツセンシヤフトリツヘ・ヒルフスアルバイター、訳せば
調査官とでもいいますか、これがおります。この
制度がぐあいがいいというので、
通常最高裁判所にも設けまして、現在そちらに十名、それから国の租税
裁判所に現在五名おります。これらはなかなか優秀な若手の人々でありまして、私が各、国
裁判所に参つたときに、いろいろな調査を頼み資料をもらうのはこのウイツセンシヤフトリツヘ・ヒルフスアルバイターの手を経たのであります。これは何も
法律上の名称ではないのでありますから、一定の名称がありませんが、
通常裁判所の方ではこれをユリステイシエ・ヒルフスアルバイターという名称を付しております。
日本においては
調査官裁判なんという言葉もありまして、
調査官に対しては相当批判の言葉もあるようであります。これは特に私は
憲法裁判所、
通常裁判所、租税
裁判所におきましてもこの
調査官制度の特質をば根掘り葉掘り聞いたのであります。いずれもこれは非常に便利な
制度であるということを言
つておりました。しからば
調査官がそういう下調べをしたことそれ自身が
裁判になるようなことはないかということを聞いたのでありますけれども、これは異口同音にそういうことはない、読んで字のごとく
補助者であるということを言
つておりました。しかし私あちこちで実際の状況を見ておりますと、この
調査官の書いた報告書が
裁判官会議においてあまり手が入れられないで、そのまま
判決文にな
つている例もあつたように思われるのであります。しかし実際の状況を見ますと、いずれも若手であり、国
判事はいずれもその先輩でりますから、結局われわれが大学の教室において助手を使うという関係でありまして、調査の助手の
地位にある。決してドイツにおいては
調査官のなした調査それ自身がただちに無条件に
判決となるというようなことは、絶対にないように私は見たのであります。この
制度がオーストリアにあるかと思いまして、オーストリアで実はこの問題を尋ねたのであります。そのときにドイツのこの
通常裁判所のウイツセンシヤフトリツヘ・ヒルフスアルバイターからオーストリアの
憲法裁判所に対して問合せがあつた。ドイツにはこういう
制度があるがオーストリアには現在あるかないか、またこういう
制度についての御
意見いかがか、という問合い状があつたらしいのであります。それでオーストリアでも非公式ながらこの
制度について
憲法裁判所で調査したらしいのであります。結論としてオーストリアの
憲法裁判所としては、
裁判は
裁判官自身においてなすべきものである、そういう
調査官を使うことは
裁判の本道に反するというので、オーストリア
憲法裁判所としては
調査官制度に対しては反対であり、また置く意思がないという回答書をドイツの
憲法裁判所に送つたそうでありまして、私その回答書の写しをもら
つて参りました。結局オーストリアには今申し上げました通り、
憲法調査官制度は設けず、またこの
制度に反対であるということのようであります。大体以上で第一の御質問に対する私の御報告を終えたいと思います。なお御質問がありますれば、ここにいろいろ材料がございますから個別についてお答え申し上げたいと思います。
次は第二番の
違憲審査権の問題でありますが、これは
立法、
司法、
行政とわかれておりまして、いわゆるチエツク・アンド・バランス、相互控制とでも申しますか、その立場からい
つて最高裁判所に
違憲審査権を与えることは必要であり、この権利を奪うことは妥当でないと私は考えます。しかし
具体的事件を前にしないである
法律が
違憲なりやいなやということの判断をする
権限をば
最高裁判所に与えることがいいか悪いか、これは相当御競輪があるところであります。私はこの抽象的な
審査制度には反対の立場にある。その一つは元来
裁判所というものは具体的な
事件に対しての紛争解決を使命とするところである。適用すべき
法律それ自身が
憲法違反なりやいなやということ、これは
憲法裁判所が設けられておれば、
憲法裁判所の
権限に属します。
日本においては
憲法裁判所と
通常民事刑事裁判所とが一体とな
つておりますから、
具体的事件を前にしてのその適用されるべき
法律命令の合憲
違憲をば決定することは当然
裁判所の
権限であるが、それ以上は元来の
裁判所の
権限外であるということをまず第一に申し上げたいと思います。これはいずれの
学者も申すことであります。しかし
裁判となるならば、抽象的な判断をすることも
裁判ではないかという御議論ももとより出て参るわけであります。これは
司法権と
立法権とのバランスの問題だと思います。
司法権優越の国であり、
司法権が
立法権に対して統制の立場にあるならば、
立法府のつくる
法律が
憲法違反なりやいなやを全面的に
審査する
権限を与えてしかるべきである。しかしながら
日本は人民主権の国であります。
立法府が主権行使の中核をなしていると私は思います。
日本の
憲法機構のもとにおいて
司法裁判所にそれだけ大きな重大なる
権限を与うべきでないと、こう考えるのであります。ことに
日本の
司法権の
伝統から見まして、また
司法裁判所を構成する人的要員の立場から見まして、現在の
司法裁判所、
最高裁判所はそれだけの
立法権を統制するだけの大なる
権限を持つべき組織も内容も備えてない、こう思うのであります。明治初年において元老院に対する大審院を
司法権と
行政権と対等の
地位に置いたのでありますが、元老院はその後における枢密院まで発展したが、大審院はただ
法律適用の技術的な国家機関としてとどまつた。これらの
伝統から見ましても、
日本の
司法裁判所にそのような大きな
権限を与えべきでないと私は思うのであります。しかし具体的事実が現われなければ
憲法違反なりやいなや
裁判所が判断しないというのでは、けんか過ぎての棒ちぎりというような事例もできないとは限らない。それらを調和するためにドイツにおいては先ほど申しました法案についての法理上の鑑定を
憲法裁判所、
行政裁判所に求める
制度があるのであります。これらを若干勘案して何らかの
制度を設けるのは、これは別問題であります。広く
最高裁判所に、
具体的事件を雑れて抽象的
一般的に
法令の合憲非合憲を決定する
権限を与えることに対しては、
日本国家の
制度の上から、法理の上から、現実の問題から、いずれの面からしても妥当でないと私は考えるのであります。
なお、
具体的事件を前にして合憲
違憲の
判決をした場合、その
判決の
効力はというこの第三の御質問につきましては、もとよりこれはその
事件限りでなく
一般的
効力を与える必要がある。もしこれを与えないならば、
最高裁判所に
違憲審査というものを与えた実を失うことになる。この点はドイツの
憲法裁判所法三十一条に明定いたしております。
日本にはそのような規定はございませんが、これは当然
一般的な
効力を与えうべきであると私は考えます。
それから第四番目、
最高裁判所が
憲法解釈問題だけを切り離して審理できるかという問題であります。
憲法裁判所と
民事、
刑事の
通常裁判所と別系統であるドイツのごとき法制ならば、これは当然のことであります。でありますからドイツ
憲法第百条にも、
通常裁判所において
憲法上の疑義を生じた場合には手続を停止して、な法
裁判所の一
裁判を求めるという規定がございます。これは当然切り離さなければならないわけであります。しかしながら
日本は現在のところで、
民事刑事の
上告裁判所すなわちまた
憲法裁判所にな
つておるのでありますが、この二つは切り離すことが
制度の上からして妥当を欠くと思います。また具体
事件を前にした場合に
憲法違反なりやいなやという問題は、その
具体的事件の内容に立ち入らなければ事実上判断でき得ない。決して
民事刑事の
法律問題と
憲法問題とはつきりわけ得られるものではない。でありますから、これは両者相関的に判断すべきものである。ただ
憲法裁判所と
民事刑事の
通常裁判所と系統が違
つておりますれば、これはやむを得ずして分離するのであります。現在一本建の
日本の
裁判所系統としては、これは分離すべからざるものと思います。しかしながら将来
日本の
裁判所系統もさらに
憲法裁判所または少くとも
憲法裁判所系統をば分離するという
前提のもとに立つならば、過渡期の
制度としてこれを分離することもまた可能であり、是認せらるべきであると思います。結局これは将来
日本の
司法制度をどうするかという問題と関連する、現在の
制度を固守する場合においては、
憲法問題だけを切り離して行くことは、理論的にも、現実の
制度の問題としても、私は賛成できかねる次第であります。
次は五番の、
憲法の
解釈に関する重要問題が
具体的事件に含まれておつたならば、
下級裁判所に係属されておる
事件をただちに
最高裁判所に移送させていいか悪いかという問題であります。これは私は同じく消極的立場をとるのであります。と申すのは、現在の
日本の
司法制度としては川事
刑事の
裁判が主であります。その
裁判の必要なる限度において
憲法違反なりやいなやを
審査する問題であるからとい
つて、ただちに
最高裁判所に移送きせるならば、その
事件についての
具体的事件に対する
裁判が従属的
地位に置かれる。これをわれわれは当事者の審級の利益を侵害するという言葉で言い表わしております。当事者としては一審、二審、三審の三回の審理を受くべき
制度上の利益を持
つております。それを侵害してまでただちに
最高裁判所が
事件を審理
判決することは、現在の
上訴制度それ自身の趣旨に合致しないのではないかと思います。もつとも、当事者がみずから審級の利益を放棄して
最高裁判所に移送の申立てをする場合は別でありまして、私法上自治の原則によ
つて本人がその利益を放棄するならば別でありますが、
制度として、
憲法問題を含むがゆえに下級審の審理
判決を省略してただちに
最高裁判所に送るという問題は、私は
民事訴訟
制度自身の立場からい
つてこれは反対せざるを得ないのであります。もつとも現在の
裁判所法は小法廷から大法廷に移す規定が
裁判所法の十条にございます。また定事訴訟法第四百六条の二には
高等裁判所の
上告事件をば
最高裁判所に移送するという規定があります。これは同一
裁判所内部における移送であります。また
上告審それ自体における
上告審の担当
裁判所をかえることでありまして、当事者の審級の利益は害してない。この問題と、下級審にある
事件をば
最高裁判所に移送せしめる問題とは、区別して考えなければならないと私は思うのであります。
次に大帝の
最高裁判所の
機構及び
上告制度の問題であります。これはまことに大きな問題でありまして、従来からもこれは実務家とわれわれ学究の者の間の論争の題材にな
つております。これは各位が十分御案内のことでありますが、
日本の法体系は大陸法によ
つております。その代表的なものが、またわれわれの目から見て行き過ぎと思われるものがドイツの法体系であります。この大陸法においては
法律の
解釈ということが
裁判の重要なる部分、いな
裁判のほとんど全部を占めております。そこで
裁判官は法作家でなくてはならぬ。
裁判がまた非常に
法律技術的な面が多分に現われております。そのゆえにドイツにおいては、極端な例でありますが、
裁判官の数が九千人になんなんとしておる。これに対して
英米法は法体系が大陸法と違います。私は大陸法と
英米法の差異をば、ローマ法のアクチオネン・システムの解体過程の段階の相違という言葉で表わしております。
英米法におきましては一つのフォームが定ま
つておりまして、少数
判事によ
つて事件を
裁判し得るような組織であるというふうに私は考えております。そこで
英米におきまする
最高裁判所の
判事は、必ずしも
法律家でない少数の
判事にやらしておる。この
制度が
日本の現行
憲法のもとに
最高裁判所組織として現われている。この法体系と
司法機構との食い違いがこの問題の発足点をなしておる。大陸法のもとにおいてわずか十五名の
最高裁判所の
裁判官により、あらゆる
法律事件についての
上告審として
裁判し得ないことは、
最高裁判所を設置する以前からわか
つておつた問題であります。旧大審院は代理
判事を加えて五十何名おる。しかも
行政事件は別に
行政裁判所がある。
法律についての
違憲審査権はなかつた。
司法行政権も
裁判所は持
つておらなかつた。それらを
最高裁判所は下身にとりまとめて、それでは車がまわらないということは識者の
意見をまたずしてもわかり切つた問題であります。そこで
上告未済
事件が急増したのでありますが、
刑事事件の方は
刑事訴訟法の改正によ
つて何とかまかない得る――事実上まかない得ないで
刑事上告未済
事件が特に増加したのであるが、
刑事訴訟法の改正でこれは早晩片がつくという建前のもとに、
民事訴訟法の改正だけが今より五年前すでに問題にな
つておる。それで法制審議会に東京
高等裁判所に
民事上告部を置くというような案が提出されたのであります。これが御案内のように
上告事件訴訟特例法という形をかえて、本年の初夏、これも遂に四年間継続して失効いたしました。
民事訴訟法の
上告を
判決に影響を及ぼすこと明らかな
法令違背ということに限定してこの問題を片づけたのであります。しかしこれだけではとうてい片がつかないので、現在
最高裁判所の
機構をどういうふうに改革するかということが問題にな
つているわけであります。私もこの法制審議会には最初から関係させていただいておりました。この議論はいろいろございましたが、大体において二つにわけることができる。一つは
最高裁判所の組織には手をつけない、そうして現在の
最高裁判所の機能の及ぶ程度にまで
民事上告を制限するという
考え方、それから
上告制度は訴訟
制度それ自身から徹底しなければならぬ問題である、元来あるべき
上告制度についてそれを負担しきれるように、
憲法改正が問題にならない程度において
最高裁判所の
民事上告解の組織がえを考える、この二つの
意見が対立いたしておつたのでございます。われわれとしてはもとより訴訟
法学者としては、
最高裁判所が負担しきれないがゆえに
民事上告を制限するという理由はないではないか、もし
最高裁判所が負担しきれないならば、
最高裁判所組織自身を考えるべきである、その方に手をつけないで
民事上告を制限することは、抵抗力の弱い当事者の損害において
最高裁判所の組織温存ということになるのではないかということを私は法制審議会で極論し、また当時この
国会において参考人としてそういう
意見を申し述べた次第なのであります。それでわれわれといたしましては、当時
憲法の改正ということはほとんど問題になりません。
憲法に触れない範囲内において
最高裁判所の
民事上告処理機能を高めるという立場から下級
法律審を設ける、あるいは代理
裁判官を設ける、あるいは
最高裁判所に移送すべき
事件について
上告審査会を設けるというような各種の妥協案をわれわれは提出したのでありますが、いずれにせよこれらは妥協案でもとより欠陥もあるわけです。現在においてはこのような妥協案にあらずして、もつと根本的に考える必要があるのじやないか。
憲法改正ということは容易ならざることでありますが、すでに
憲法改正という議が一方にはあるのであります。必要があつたならば
憲法を改正するという立場のもとにおいて現在の
最高裁判所をいかにすべきか、さらに
わが国の
司法制度をいかに構造すべきかという根本問題にさかのぼ
つて考えるべきじやないか、こう思います。しかし
憲法改正というものは言うべくして実行はなかな困難であります。しかしながら必要があれば早晩改正の時期も参りましよう。でありますから、この際焦眉の急として
最高裁判所の組織について改革をするなら、将来においてさらに根本的な改革をなすであろうことを
前提として私は現在の
最高裁判所の
機構を考える必要がある、こう思うのであります。現在各
方面に現われておりまする
最高裁判所の
機構改革ということにつきましては、いわば拡大案と縮小案とあるようであります。この縮小案は
最高裁判所をもつぱら
憲法裁判所の機能に集中して、
民事、
刑事の
上告裁判所としての機能は下級
上告審なり適当な
方面に譲るということが眼目であります。また拡大案は、現在の
憲法裁判所かつ
民事、
刑事の
上告裁判所として両者の機能をかね扱わしむるというところにねらいがあるように思うのであります。私といたしまして、現在の
最高裁判所の機能、その構成の
裁判官の学識経験と申しますか、それらを勘案いたしまして、現在の
最高裁判所の組織をも
つてしては
民事、
刑事の
上告裁判所として十分なる機能は発揮できないと私は考えます。そうなれば、もしそれが
民事、
刑事の
上告裁判所として機能を果し得ないということが現実に証明された際には、結局
最高裁判所は将来もつばら
憲法裁判所としての存在を持つべき機関になさざるを得ないと思うのであります。そうなりますと、
憲法裁判所としましては現在の十五名もとより多きに過ぎます。先ほど申し上げたように、ドイツにおいても
憲法裁判所長は治安が落着いて純然たる
憲法問題のみを扱うならば
裁判官は七、八名のみをも
つて足りると言い、オーストリアは非常置の
憲法裁判所をも
つて事足りておる。しからば将来
憲法裁判所と
民事、
刑事の
上告裁判所とを分離するという建前に置くならば、この際は
最高裁判所組織を縮小して過渡期の
制度として下級
法律審を設けることが適当だということも考えられるのであります。しかし私は
日本の
現状において、大陸法系の法体系としては少くとも
民事、
刑事の
上告裁判所と
憲法裁判所を分離しなければならぬ。
行政批判所はできるならば別系統にすべきでありましようが、選挙訴訟がこれ以上ふえるようでありましたら、私は
行政裁判所は別個の系統にすべきであると思います。その
考え方に立脚するならば、現在においても今より、五年前妥協案として提出した下級
法律審を設けるという案を私は支持せざるを得ないわけであります。しかし現在の
日本において、私が今割切
つて申し上げたように
裁判所系統を
憲法裁判所、
民事刑事の
通常裁判所、
行政裁判所三系統にわけるということについて必ずしも各位は御賛成にな
つていないかもしれない。これはもう少し現在の一本建の
制度を継続してみるというお考えも案外強いのではないか。そういうお考えのもとにおいては、またそれが
一般の
考え方であるならば、この際においては
最高裁判所の増員案に行くほかないと思います。しかしこの
最高裁判所の増員案についてはいろいろな障害、抵抗があることと私は考えるのであります。まず第一に増員をいたしますこの増員の程度でありまするが、この際、
民事刑事の
上告裁判所、
憲法裁判所双方の機能を営ましむるには、少くとも二倍、すなわち三十名にせざるを得ない。それ以下の増員では意味をなさないと私は思います。十五名増員した場合において三十名の
最高裁判所判事の資格をいかにするか。現在のごとく国務大臣待遇に置けるかどうか。また
民事刑事の
上告裁判所としての機能を営む
法律専門家としての
裁判官に、
政治家としての最高待遇を与えることが相当かどうかということが問題だろうと思います。そうしますると、この際において何と申しまするか、増員すると同時に同じ認証官でありましても、その資格の若干低下ということも考えなければならぬ。ここに相当の抵抗が現実問題としてあるわけであります。しからば
最高裁判所の
裁判官にABの二つの階級を設ける。これはわれわれ反対せざるを得ない。しかし幾つかの小法廷にわかれる場合、小法廷の
裁判長と
裁判長にあらざる
判事との附に資格の差を設けることはあり得ると思います。しかしながら現在において三十名に増加した際に小法廷の数は大体六つくらいのものであります。そうなれば十五名の
裁判官の六名は現在の
地位を保つとしても、あとの方をどうするか。また現在の
最高裁判所の
判事の方が
民事刑事の
上告裁判所の本来の機能をもつと現存以上に発揮せしむるということについて十分なる
法律的な素養がおありになるかどうか。これはすなわち問題の方がおありになるのではないか。もとよりその方の才能を決して云々するわけではないのですが、
民事刑事の
上告事件の
上告裁判所としては、
法律の技術的な素養が必要であります。現在の
最高裁判所の
裁判官を任用する際においてその観点から選任しておりませんから、
民事刑事の
上告裁判所としての機能を増加せしむるについては、現在の
最高裁判所の
裁判官のうちに必ずしもその前の経歴がそれに適当ならざる方があり得ると思います。その方をどうするかという問題について私は相当抵抗があり得る、障害があり得る。この点をどう処置されるか。これは一にかか
つて国会の各位のお考え一つにあることと思います。
次に増員した場合に大法廷の問題であります。私に言わしますと、三十名集め、これであらゆる
法律上の論点をば縦横に討議して、多数決による
裁判をなすことは、
日本の現在の
法律制度、
法律分科の段階においては私は非常に困難であると思う。
日本にはドイツ法系を中心として、
フランス法系の思想あり、
英米法系の思想が最近高ま
つております。また国立大学を中心とする官学的なものの
考え方、民間私学及び
弁護士を主体とする非官学的な思想系統のものの
考え方、これらがまだ
日本の
現状においては相当相剋しておる。これが
日本の判例が統一しないゆえんでもある。このような
状態において三十名以上の者が一堂に会して論点を整理するということは著しく困難である。だからこの
制度をとる限りにおいては、大法廷の組織について私は考える必要があると思う。これについて私伺いますところによると、現在の
制度の小法廷は、悪法にいう終審の
憲法裁判所ではない。だから全員をも
つて当らなければ
憲法上の
憲法裁判所を構成しないということが
最高裁判所の
判事を減員して、小法廷を廃止するという
意見の有力な根拠のように承つたのですが、私ちようど欧州出張中で、あまり詳しいことは承りませんので、あるいは誤解があるかもしれませんが、その
考え方が、この小
委員会の改正要綱試案の十一の
憲法判例並びに
一般判例の変更は、全員で連合審判に付する、ここに多少の影響があつたのではないかというふうにも考えるのであります。私は今私が述べたような
意見がもしありとするならば、その
意見には反対であります。
憲法八十一条には、
最高裁判所がこの
憲法問題についての
終審裁判所であるということを規定しております。それなるがゆえに、
最高裁判所の
裁判官が全員必ず参加しなければならないという結論は出て来ないと思います。
裁判所法九条には、
最高裁判所は大法廷または小法廷で審理及び
裁判をするとな
つております。そうすると小法廷で審理するときには、小法廷すなわち
最高裁判所である。また地方
裁判所については
裁判所法の第二十六条、一人の
裁判官または
裁判官の合議体でこれを取扱うことになる。これについては一人の
裁判官合議体が
裁判官になる。であるから実際の取扱いとしても、東京地方
裁判所内部において、一部から一部に移すときに移送の手続はと
つておりません。同じく東京地方
裁判別の所管と見ておる。理想的に申せば最古
裁判所の全員がかかわることが好ましいことでありましようが、しかしながら
最高裁判所の全員が関与しないから、
最高裁判所の
裁判にあらずということは言い得ないと私は深く信じております。この際、またドイツの例かと仰せられるかわかりませんが、ドイツの
民事、
刑事の
上告裁判所は、先ほど申しました通り所長を加えて八十七名であります。これらのものが全員合議することは言うべくして行われません。この点ちよつとドイツのブンデス・ゲーリヒトの組織を簡単に申し上げさせていただきたいと思います。ドイツのブンデス・ゲーリヒトは
民事六部、
刑事六部にな
つております。それぞれ七名ないし八名をも
つて構成しております。会議体を構成するのはそのうち五名であります。ですからここに表がございまするが、ある部は大体八名ですか、中には七名の部があります。そのうちの五名をも
つて合議体を構成するという組織であります。従来の判例停止の問題を生じた際、それが
民事事件ならば
民事の大法廷で審理いたします。それから
刑事の
事件であるならば
刑事の大法廷で審理いたします。この大法廷は各部から一名ないし二名、これは内部の事務規定によ
つて定まりますから、一名ないし二名の適当の者を選出して、そうして
民事の大法廷、これは八名、これに所長が加わりまして九名をも
つて構成しております。
刑事の大法廷は同じく
刑事の各部から選ばれた一名ないし二名をも
つて選んだ者、合計八名をも
つて構成しております。これも同じく所長を加えて九名をも
つて構成しております。
民事大法廷、
刑事大法廷それぞれ判例を停止する、もしくは新たな判例をつくる
権限を持
つております。なお民、刑双方に関係し、あるいは
憲法問題に関係しまする際には、
民事、
刑事双方を合わせました十六名に所長を加えて十七名をも
つて、フエライニクテ・グロ一セ・セナート、合同大法廷を組織いたします。これによ
つて解決いたします。ですからドイツの
裁判所法によれば、
最高裁判所判事八十七名全員が集ま
つて合議するということはございません。この大法廷はいずれも非常置のものでありまして、問題が生じたときにそれぞれの場合に各部から推薦といいますか、出されたものによ
つて、それぞれの
事件について大法廷を構成することにな
つております。この
制度についてドイツでは、私はこれが
憲法違反であるという議論は聞いておりません。何もドイツがそうであるから
日本もそうだという意味ではございませんが、私は
最高裁判所判事の全員がかからなければ
憲法に言う
憲法裁判所にあらずという所論に対しては、支持すべき理由を発言し得ないのであります。そうなりますると三十名に増員した際に大法廷の組織について勘案すれば、この点は案外問題なく解決するかと思うのであります。結局
最高裁判所は現在のままには置けません、これは
最高裁判所自身も認められているがゆえにみずから改組を出されたものと思われます。縮小して別に下級
法律審を設けるか、拡大して
最高裁判所に名実とも
憲法裁判所及び
民事、
刑事上告裁判所としての機能を持たしめるかということは法理の問題というよりむしろ政治の問題で、これはいかに解決するかということの
国会の今後の御方針の上に組み立てらるべき改革案であると私は思います。私一個の
考え方とするならば、現在
最高裁判所の
判事は三十名に増員いたしましても
民事、
刑事の
上告審としては十分の機能を発揮し得ない。それなるがゆえにいろいろ非難もあり反対もあり、また欠陥もあるであろうが、下級
法律審を設け民、
刑事の
上告審をもつ。はら扱わせる。しかし
最高裁判所は現在のところでは
憲法裁判所一本にはなりませんから、そこで
憲法にかかわつた
民事、
刑事の
事件を扱う機関とする。それで将来自然な人員の減少を待つ。それで将来の経過を帰るならば、私の見通しではそういう
制度をと
つて行くならば、とどの詰まりは現存の
最高裁判所は
憲法裁判所の一本建になる。
民事、
刑事の
裁判所と分離した
憲法裁判所としてのみの存在を持つ方向に向うのではないか、こう思うのであります。しかしまた別な、
国会におかれて
日本の一元的な
民事、
刑事及び
憲法裁判所、
行政裁判所を合せた一元的な構造をなお存続した方がよろしい、さしあたりはなお将来の結果を見ようというようなお考えであるならば、これは増員案に向うほかない。しかし増員案に向うと、ただいま申したようないろいろな抵抗と申しますか、レジスタンスあるいは障害があることは考えなければならないと思うのであります。再度申し上げまするが、これは
制度の問題でありますから、私は理論の問題よりは、まず第一に今後の
裁判所の組織をいかにするかという、基本的な広い意味における政治の問題に立脚しておる、こう考えるのであります。
第二項の控訴審の手続はいかにあるべきか、この問題につきましては、私は年来申しておりますが、控訴審の
あり方というものは一審の
あり方に支配され、一審の審理が充足するならば控訴審の審理は審理範囲を縮小してよろしい。控訴審を縮小すれば
上告審はさらに縮小できる。いわゆる
上告制度はピラミツド型にならなければならない。一審の審理が充足しないのに、現在の
刑事訴訟法のように控訴審を限定し、さらに
上告審を限定するということは、訴訟
制度として、権利保護の
制度として十分の機能を発揮できないということを私は確信をも
つて申し上げることができると思うのであります。
そこでしからば
日本の
裁判所の一審の審理が充足しておるかどうか、これは物の見様でありますから、十分であるといえばそれまでのことでありまするが、
英米法と違いまして、大陸法いわゆる。パンデクテン・システムの法体系をと
つておる国柄においては、一審だけの審理だけでは
事件が固まらない。一審でや
つてみてぐあいが悪いと、控訴審でやつと物が固まるというのが実情じやないか。そこでドイツでは第二次世界大戦中、
裁判所の負担軽減のために、控訴審において新たな訴訟資料提出を制限する臨時
法令が三回出されました。三回目にはほとんど控訴審においては新資料の提出が許可されておらない。これが終戦後においてただちに
司法制度復活に関する
法律が出されまして、すべての控訴制限をば撤廃いたしております。これに対してオーストリアは一八九八年クラインの制定した現行
民事訴訟
制度以来、控訴審はきわめて制限しております。このオーストリアの
制度――私は今回特に自分の
専門でございまするから調査いたしたのでありまするが、オーストリアの控訴制限、これは
司法当局、
裁判所のお方はこれに反対しておりません。しかし民間、
弁護士の間、また大学教授――大学教授は二つの陣営にわかれておりまするが、私が今より三十年前オーストリアで学びました私の先生にあたるシユペルル教授、また私と同じころ大学を出ました、いわば私の相弟子と申すべき現在のシーマ教授らと、このオーストリアの控訴制限をば極力非難いたしております。しかしそういう
学者、
弁護士間からの非難があるにもかかわらず、オーストリアにはなぜ控訴制限が行われたか。これはクライン博士の強力なる政治的な手腕によるものでありますが、一つはさかのぼ
つてオーストリアの民法の法典の構成にある。オーストリア児法典は一八一一年にできたが、なお十分に。パンデクテン・システムにな
つておりません。
フランス民法と同じようないわゆるわれわれ
学者で言えば、インステイチユーテイオーネン・システム、十分に法体系が確立しておらない。なお別な言葉をも
つてすれば、アクテイオーネン・システムが残存しておる法体系であります。そういう
制度であればこそ、控訴制限がある程度強力に行われたのだと思うのであります。ところが
日本の民法はドイツの定法と同じで、完全なるパンデクテン・システムである。すべての状況がドイツと同じである。私は現在の
日本の
制度として、控訴審は現在の継続審をあくまで存続すべきだと思います。そうなりますと
上告審も現在の
制度以上には限定できない。すなわち特例法のごとき制限は
日本の法体系になずまざるものである、しかしそれでは訴訟がいかにも遅延するではないかと言うかもしれない。これはしかしどうも大陸法系にまつわるところの宿命であろうと思うのであります。しからば
英米法系に直せばよいではないか、こう言われるかもしれない。そうかもしれない。しかし一国の法体系というものは一朝一夕に直るものではありません。大陸法系である現在の
日本の法体制において、
英米法におけるがごとき強力なる上訴制限、あるいはオーストリアにおけるがごとき、多少微温的ではあるが同じく上訴制限も、ドイツと同じく、
わが国においては行うべきではない、こう考えるのであります。
以上御
質問事項を終りましたので、以下簡単にこの小
委員会の改正要綱試案について
意見を申し述べさせていただきたいと存じます。
一番の
上告の範囲は
民事、
刑事共に、
判決に影響を及ぼすこと明かなる
法令違背を理由とするものに限る、これは本年の夏改正せられた
民事訴訟法第二百九十四条、「
判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル
法令ノ違背アルコトヲ理由トスルトキニ限リ」これと同じでありますが、私は実は法制審議会においてこの改正に反対いたしたのであります。というのは
最高裁判所負担軽減のために、こういうふうに
法律を改正するたらば、
法律の条文の許す限りにおいては
上告を制限するであろう。「
判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル」と書いてあると、いかなる
上告理由でも明らかでないと言われればそれまでのこと。だからこれは逆に影響を及ぼさないことが明らかな場合においては
上告棄却ができる、こう持
つて行つたらどうかという案を出したのであります。結局どういう条文をつく
つても、
制度はひつきようするに人の問題であります。
上告裁判所が手が足らないから、いろいろな
方法で
上告を制限して手を抜こうとする。ですから今回当
委員会の案にありますように、
上告裁判所の機能を増加させるような形をおとりに
なつた場合においては、
上告理由をこのようにおきめになることはしごくけつこうと思うのであります。結局
法律家は良心的であります。十分な時間と、また組織があれば、十分、自分に納得行くまで問題を掘り下げるということは、これは
最高裁判所判事ばかりでなく、すべての
法律家通有の性格でありますから、
上告制度というか、
民事、
刑事の
上告審を取扱う機能が現在以上に増加するならば、
上告をこの粗度に制限することは当然であろうと思います。
判決に影響を及ぼさないような
法令違背を
上告理由とすることは、考えようによ
つてはこれはむだなことなのであります。その意味において一番はしごくけつこうと思うのであります。
次は「簡易
裁判所事件の
上告審を
最高裁判所とする。」これは一国の
法令適用統一のためには、こういたさなければならないのであります。しかしながら簡易
裁判所事件は、今回は十万円ということになりましたが、金額の安いものもある。これをばすべて
最高裁判所の
上告事件とするというのは、いささかにわとりに対するに牛刀をも
つてするような感がなきにしもあらずと思います。今より十数年前のことでありますが、からかさ一本にして、広島より東京の大審院へというような新聞日当のあつたことを聞きます。やはりこれは当事者の立場、
司法制度の経済的運用という面から見ると、私は、簡易
裁判所事件は
高等裁判所を
上告審として、判例統一のために現在以上
裁判所が努力することを要求すべきではないか、こう思います。またその努力にしてなお判例が統一しない場合には、あるいは非常
上告というような
制度を設けるのもいいでありましよう。そうなるとまた四審級だという非難もあるかもしれませんが、しかしそれは少数の
事件の犠牲において多くの
事件が案外経済的に解決されるという利益があるのではないかと思います。これらの点は、理想として、現実の案として相当考慮を要するのではないかと思います。
第三の、
刑事控訴審を継続審とする。これは私の
専門でございませんが、私は少くとも現在の
刑事訴訟、いわゆる事後審と称せられる
制度が控訴審をあまりにも制限しているという感じを持
つております。その意味において、
民事のごとく継続審とせられることについては、自分の
専門ではございませんが、私はこれに賛成いたしたいと思います。
第四点の、簡易
裁判所事件の控訴審を地方
裁判所とする。これは当然のことと思います。
第五番は訴訟手続上の問題であります。このように御決定になることに決して反対はございません。しかしただこういう手続の問題をこのように、
上告状と
上告申立書は必ず原審とし、
上告理由書と
上告趣意書は必ず
最高裁判所に出すとくぎづけにすることがはたして適当かどうか。こういう点は、手続というものはあまりくぎづけにしない方がいいのではないか。
裁判所の方から見ますと、すべて手続は厳重であり、くぎづけにされた方が取扱いいいのでありますが、当事者側から見ると、あまりくぎづけにすることは必ずしも適当とは言いかねる場合があるのではないかということを思います。
六番、
最高裁判所裁判官の増員数を十五名とする。これは今の増加案をとるならば、少くとも十五名に増員する必要がございましよう。ただしそうなりますと、ただいま申しました待遇の問題がございますが、これは十三番と関連いたします。
第七器、小法廷を六つとする、その
構成員を五名とする。五名は私は必要と思います。多くの案のうちには小法廷三名という御案もあるように思いますが、やはり
裁判というものは個人的な色彩を平均化するところに多数決合議制の妙味があるのであります。
最高裁判所としては、少くとも
構成員五名が必要であろうと思います。ただドイツのように、一つのセナートが七名ないし八名で、五名をも
つて構成しますると、必ず五名が出席をしなければ審理、
判決ができないという原則が立てられます。しかしながら小法廷の構成を五名としました場合に、必ず五名が出席しなければ審理
判決ができないということになりますると、さしさわりができる。そうすると定足数の問題を生じて来ますから、あまり定足数は低く置かないように、あるいはてん補の
制度を考えて、
構成員五名がすなわち定足数であるというようなこともお考えくださる必要があるのではないか、こう思います。
次の八番、九番、十番は関連した問題でありますが、この御案によりますると、小法廷の所管は
一般法令違反として、現在よりは狭いことになります。そうしますると、大法廷の
構成員九名の負担が過重になるということが考えられます。やはり
裁判官相互の間の負担の平均分配ということも考えなければならぬ。ただ小法廷を
一般法令違反だけにして、それ以外は大法廷にかけるとすると、大法廷の
裁判官も小法廷の
構成員であるから、その方の負担が過重になるということが考えられる。さらに十一番の、全員の連合
審査。これは三十名の場合においては、私はしぼる案が必要ではないかと思う。もしそうでなければ、大法廷で一応の
意見を決定して、連合
審査の際にはそれの認否、賛成、不賛成もしくはそれに対する修正という機能を持たせるようにしなければならぬ。初めから
事件を生のままこの全員の連合
審査に付しても、これはなかなかまとまらないのではないか。大法廷で一応
事件を内部的に判断を与えて、それを全員の
審査に付する、こういう
制度も考えられるのではないかと思います。
そこで私に言わしむるならば、第九番の大法廷を一つとする。これはやはりドイツの
制度を私は各セナートにいろいろ聞いてみましたが、やはりこれは
民事の大法廷、
刑事の大法廷、連合大法廷と、大法廷を三つ設けることの方が、各
裁判官の負担を平均させる上にも、
裁判の内容をこまかく分析した上で
裁判させる上にも適当ではないか。各部五名でありますから、たとえばそのうちの一名ずつ出て
民事の大法廷を構成する、また他の一名ずつが出て
刑事の大法廷を構成する。それらを連合したものを連合大法廷とドイツのようにする、あるいはそれ以外のものが民、
刑事及び
憲法違反事件を扱う大法廷を構成するか、これは考えようでありますが、大法廷は一つにせず、二ないし三にせられた方が
裁判官の負担平均及び適材適所ということに役立つのではないかと考えるのであります。
それから第十二番目の、
違憲事件につき
最高裁判所に移送の問題でありますが、これは先ほど申し上げましたように、この御案のように、
憲法裁判所即同時に
民事、
刑事の
上告裁判所という建前からは、
憲法事件について
下級裁判所から、下級審の審理を成規の
順序を経ないで、
最高裁判所に移送させるという案については、私としては必ずしも御賛成申し上げ得ない筋合いであります。
増員せられる
最高裁判所の
裁判官は認証官とする。これはもとより一国の判例統一を扱う
最高裁判所裁判官を認証官とすべきは当然と思います。ただ現在のごとく増員せられた者ことごとく国務大臣待遇にするか。これが私は問題であろうと思う。どう処置するかということがこの案について実際におけるところのすこぶる難問ではないかというふうに考えるのであります。それから十四「
最高裁判所裁判官の任命にあた
つては、別に定める諮問機関の諮問に付すべきものとすること。」これは私は当然と思います。現在の選任
方法のどこが悪いと私は申しません。しかしながらさらに衆知を集めた選任
方法をとる必要がある、私はこう思います。そのゆえにこの諮問機関の構成それ自身も私は
法律をも
つて定むべきものである、こう考えるのであります。御参考に例として先ほど申し上げましたがドイツの
憲法裁判所の
裁判官の選任は、
連邦議会と
連邦参議院とが双方で半数ずつ選任いたします。その選任
方法は
裁判所法の第五条以下に規定してあります。それから
民事、
刑事の
最高裁判所及び特別
裁判所の国の
判事の選任についてはドイツには一九五〇年リヒテル・ワールゲゼツツ、すなわち
判事選任法という
法律があります。これによ
つて国会から五十名、
政府から五十名ずつで、合計百名の
委員会を構成して、ここで
判事を選任することにな
つております。しかし百名の選任は、先ほど言つたように合議でも
つて定めるわけに参りません。そこでドイツでは、ランデスプリンチツプという、州主義とでもいうものが行われております。国の
連邦裁判所裁判官は、どの州は何人出すという一つの割当がありまして、最初はおそらくその割当で各州から推挙した者から選んだ。それで欠員が生じますると、その欠員の生じたその
判事の州から推薦を受ける。その推薦は各州の内部規定によ
つて倍数の候補者を出して、それが今申した
判事選任法による
委員会でそのうちから選任し、大統領がこれを任命する、こういう
制度をと
つております。私は
日本においても、この
最高裁判所裁判官の任命については、さらに法難をも
つて委員会の構成を定めるべき必要があるということを痛感するのであります。
それから十五「
調査官・秘書官
制度を整理すること。」これまた整理という言葉にな
つておりますが、私は現在の
日本の
調査官制度というものに賛成いたしかねます。ドイツのこれに当る先ほど申し上げましたウイツセンシヤフトリツヘ・ヒルフスアルバイター、ユリステイシエ・ヒルフスアルバイター、これは
判事の命によ
つて、また
判事の元来なし得る才能を持つ、その範囲内におけるいわゆる下調べの程度であります。いずれも地方
裁判所判事四十歳以下の者であります。これらの者を自己の手足に使
つて資料を集める、これは
裁判の能率増進のためにいなむべきではない、むしろ推奨すべき
制度と私は思います。われわれ
研究室におりましても助手を使
つて資料を集める。それと同じ意味において、
最高裁判所の
判事はいずれも相当の御年配であるので、それらのお方が資料を集めるのに自己の手足として
調査官をお使いになることは必要であろうと私は思いますが、今の
制度では
調査官というものは
裁判官から独立しているようであります。また相当の資格の方が
調査官になられる。事実あるかないか、私は公式の席では承りませんが、道途伝うるがごとく
調査官裁判だという非難も、現在のごとき
制度からいうと、あながち無稽の非難にならない。しかしながらドイツの
調査官制度は、年齢の点においても、
裁判官と
調査官との学識の関係から育
つても、いかなる面から見ても
調査官裁判という非難は当らないようであります。今後この
調査官制度については、
裁判官の手足としての
調査官制度を設けられること、これを存続されることは私けつこうと思いますが、現在の
調査官制度というものは根本的に改めなければならない。これこそは
裁判は
裁判官みずからなすべきものであるという原則、これをここで再び思い出さなければならぬと思います。ただオーストリアにおきまして
調査官制度に反対しておる理由は、オーストリアにおいてあまり
事件がないということです。私先はど申し上げませんでしたが、オーストリアの
憲法裁判所では非常置でありまして、年に四回各十四日間くらい開く、一回分受理件数は四十件ないし五十件、そして一年の
事件数が大体二百件から三百件ですから、それほど
事件は多くない。それからゼクレテリアート、すなわち
日本の官房みたいな組織が割合に完備しており、図書館も内部にございます、し、タイプライターやその他の組織が完備しております。オーストリアの現在の
憲法裁判所の組織からいうと、ことに地方
裁判所判事級の
調査官は助手もいらないのが実情じやないかと思
つております。しかし
日本の場合においては、
最高裁判所の
判事三十名に増員しても十分なる機能は発揮できないと私は考えるのでありますが、そういう
判事、
裁判官の手足となる
調査官、むしろ助手とでもいうべきもの、
裁判官の指揮によ
つて動くべきそういう補助機関を設けることは必要である、また置くことに私は反対はいたさないのであります。しかし現在のごとき
調査官制度は
最高裁判所の本来の姿として置くべきではない。いわんや
最高裁判所の
判事の数が足りないから
調査官を置くというような
考え方は、私は本末転倒しておると考える次第であります。以上で一応終ります。