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1954-04-07 第19回国会 衆議院 法務委員会 第35号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年四月七日(水曜日)     午前十一時三十五分開議  出席委員    委員長 小林かなえ君    理事 鍛冶 良作君 理事 佐瀬 昌三君    理事 花村 四郎君 理事 高橋 禎一君    理事 古屋 貞雄君 理事 井伊 誠一君       林  信雄君    本多 市郎君       牧野 寛索君    猪俣 浩三君       木下  郁君    佐竹 晴記君  出席政府委員         検     事         (民事局長)  村上 朝一君         検     事         (刑事局長)  井本 台吉君  委員外出席者         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  民事訴訟用印紙法等の一部を改正する法律案(  内閣提出第一一六号)  刑法の一部を改正する法律案八百板正君外百  三十四名提出衆法第一三号)     ―――――――――――――
  2. 小林錡

    小林委員長 これより会議を開きます。  民事訴訟用印紙法等の一部を改正する法律案を議題として質疑を行います。質疑の通告がありますからこれを許します。林信雄君。
  3. 林信雄

    ○林(信)委員 私は民事訴訟用紙法等の一部を改正する法律案について、この際若干のお尋ねをいたしておきます。  まず今回の貼用印紙額引上げの問題であります。それは一応基準をお考えなつて立案せられたものだと存じますが、この基準はいかなるものでありましようか。しこうして、その結果としてここに表わしておられますのは、在来の額の何倍かの倍数でありまして、その引上げについてはわかるのでありますが、その倍数が三倍であるものがあるかと思えば四倍強の場合、あるいは六倍の場合といつたよう区分が示されております。いわゆるお気持としては、従来の額を適正でないとお考えなつてこれを是正せられたのであろうと思いますが、それは一般論でなくて個々のものについての特殊なお考えから結論が出たものと存ずるのであります。それはいかなる理由に基くものでありましようか。すなわち本改正案全般に対しまする基準と、その数額について区分を示しております理由を伺いたいと思います。
  4. 村上朝一

    村上政府委員 この改正案内容なつております印紙額増額理由でございますが、まず第一条の訴状に貼用すべき印紙の点は、現行法における五百円まで、二千円まで、九千円まで、五千円を越えるものは千円に達するもごとにというよう区分が、現在の経済事情から見ましてあまりこまか過ぎるのではないかということから、最低区分を一万円といたしたのであります。その結果一万円以下の訴訟事件及び一万円以上でありましても、一万円に満たない区分相当する印紙額につきましては、幾らか増額の結果になつておるわけでありますけれども、全体といたしまして、これは現行法印紙額増額するねらいではないのであります。かりに百万円の訴訟について考えてみましても、現行法における印紙額改正案における印紙額とは同額でありまして、増額なつていないわけであります。  この改正案の第三の要点になつております非財産権上の請求にかかる訴状に貼用すべき印紙の額、これは現行法においては訴訟物価額を三万一千円とみなしてきめておるのであります。この三万一千円という価額は、非財産権上の訴えが地裁判所管轄とされております関係上、現在の地方裁判所事物管轄最低が三万円、その三万円に一千円だけを加えたものを非財産権上の請求にかかる訴訟物価額ということで定めてあるわけであります。別に御審議願つております裁判所法の一部を改正する法律案におきまして、簡易裁判所事物管轄引上げ、従いまして地方裁判所事物管轄最低額が上りますので、それに順応いたしますと、こちらも二十万円ということになるのでございますが、非財産権上の請求評価額というものは、必ずしも地方裁判所事物管轄最低額以上でなければならぬということもないのでありまして、今三万一千円とありますのを二十万なり二十一万円というようなことにいたしますと、数倍の増額になるわけであります。この点考慮しまして五万円程度に改めるのが相当ではないか、かよう考えたわけであります。この点は増額になるわけであります。  第三点は現行法の六条ノ二及び六条ノ三にあります印紙額でありますが、現行法では五千円を境としまして、訴訟物価額五千円以下のものについては五円、五千円を越えるものにつきましては十円ということになつております。この五千円という数字は、昭和三十三年印紙法改正になります前の簡易裁判所事物管轄最高限度でありまして、当時は五千円が簡易裁判所事物管轄とされておりましたので、簡易裁判所事件相当する事件は五円、地方裁判所事件相当するものは十円という定め方であつたわけであります。その後事物管轄が五千円から三万円に引上げられましたときも、この六条ノ二、六条ノ三につきましては改正が加えられておらぬのであります。今般先ほど申し上げましたよう裁判所法改正に伴いまして、この五千円という区分も二十万円をもつて区分するのが相当ではないかというふうに考えたわけでありますが、五千円以下の事件というのはこの際別といたしまして、五千円ないし三万円の訴訟について考えますと、現在は十円であります。ところが二十三年の改正当時の基礎になりました物価指数と現在の物価指数と対照いたしますと、約三倍ないし四倍の増加なつております。十円の三倍、すなわち三十円というものを改正案の二十万円以下の事件印紙額といたしたのであります。二十万円以上の事件につきましては、従来簡易裁判所事件に当るものの印紙額地方裁判所事件に当るものの印紙額とがちようど一対二の比例になつておりますので、二十万円以下の簡易裁判所事件に当るものの印紙額を三十円といたしました関係上、これを六十円というふうに定めたのであります。六条ノ三も同様の趣旨改正いたしたわけであります。
  5. 林信雄

    ○林(信)委員 訴訟印紙額係争物価額に応じましてそれぞれ貼用するということ、及びその財用額はおおむね変更せられなかつた、もつとも額の低いものについて一応の調整はなされたというのですが、この引上げを行わなかつたことと、ただいまもお述べになりました法律の六条ノ二、六条ノ三あるいは十条等の場合に引上げを行つたこととの取扱いの相違はどこに起因するのですか。
  6. 村上朝一

    村上政府委員 ただいま申し上げましたように、六条ノニ二、六条ノ三及び十条におきましては、簡易裁判所事物管轄限度は五千円でありました当時の定め方をそのまま残しておりまして、前回の改正の際にこの点の改正が加えられていなかつたということで実質的な増額をこの際考慮したわけでありますが、第二条の訴状貼用印紙の額につきましてはこれを最低区分を一万円単位といたしますと、この価額は現在の事情から見まして相当価額であろうということで、三条につきましては増額の必要はないというふうに考えたわけであります。
  7. 林信雄

    ○林(信)委員 お答え趣旨はわかりましたが、それにいたしましても、従前その改正を行うべきものを行わなかつたために、いわば急激に印紙額引上げられるということは、訴訟関係者に及ぼす影響とまで言わなくても、もちろん無影響ではない、少くとも印象的に急激なものを覚えると思うのであります。この点につきましてはやや考慮すべきものがあるように思うのであります。重ねて伺いますが、六条ノ二、六条ノ三、十条の関係においてそういう考えは全然必要としないものでありましようか、考慮すべきものではあると考えたが、この際やむを得ないということなのでしようか。  第二点としまして、六条ノ二、六条ノ三に比例いたしますると、十条のいわゆる答弁書等前数条以外の申立て等に関する印紙額はその引上額がやや低いのであります。いわゆる六条ノ二、六条ノ三の申立て、あるいは抗告の申立て等引上額は、従来のものよりはそれぞれ六倍に達しておりますが、十条の関係においては四倍、あるいは四・二倍にとどまつております。この差別をつけられましたのはどこに起因いたすのでありますか。この点を伺います。
  8. 村上朝一

    村上政府委員 この改正案における六条ノ二、六条ノ三、十条の額の定め方は、現在の事情のもとにおいてこの額が相当であろうという考えでこの数額を出したわけでありますが、現在の額から急激に数倍の額にふやすということの影響あるいは考慮ということについて御指摘がございましたが、この点につきましては、私ども考慮いたした次第であります。ただ従来もとかく額がきわめてわずかなものでありますために、第二条の改正の際に六条ノ二、六条ノ三の額の検討が十分になされていなかつたのではないかという感じがいたすのでありますが、今回もその六条ノ二、六条ノ三、十条の印紙額につきまして大幅な引上げが行われますことの影響も、この額が五円、十円あるいは二十円というようなものから、三十円、六十円という程度の額に引上げるわけでありまして、その額が全体としてそう大きな額でないということから、相当な額に引上げるために急激に倍率がふえるということの当事者に及ぼす影響も、さほど憂慮するに足りないではないかというふうに考えたわけであります。  それから六条ノ二、六条ノ三の印紙額と十条の印紙額とについて引上げの率が違うという点でございますが、六条ノ二、六条ノ三はいずれも申立てと申しますか、裁判所にある行為を要求する場合、この申立てがございますと、裁判所は審理あるいは裁判をしなければならぬということになるわけであります。ところが十条の方の書類、これはいろいろなものが含まれておるわけでありまして、必ずしもその書類が出たから裁判所手数をかけ、負担をかけるというものでないものを含んでおるわけでありまして、十条の方につきましては特に増額の率を低くすることが相当だ、かよう考えたのであります。
  9. 林信雄

    ○林(信)委員 その引上げ基準については、先刻お答えがありました。しかしその言葉によれば、経済事情に即応して、といつたような御趣旨であつたようであります。なおさきの次官説明によりましても、物価の上昇によりまして、その上界物価指数も、二十三年の改正当時より約三倍あるいは約四倍となつているというよう事情が述べられておつたのでありますが、この経済事情といい、あるいは物価指数の点よりいたしますれば、三、四倍で足りるのではないでありましたようか。すなわち約三、四倍のものと四倍あるいは六倍というものとは、言うまでもなく比率が異なるのでありまして、お述べになりまする経済事情あるいは物価指数というものによるという趣旨とは結論が違つて来ているように思われるのでありますが、この点はどうお考えになりますか。
  10. 村上朝一

    村上政府委員 主として民事訴訟事件の大半を占めております五千円から二十万円までの事件について考えますと、十円が三十円になる、三倍になる、ただ物価指数に応じた倍率だけという意味から申しますと、二十万円を越えるものも全部三十円ということであれば、すべてが三倍ということで収まるわけでありますが、従来の法律によります印紙額の定め方が、ある線を引きまして、訴訟物価額少額なものについては、六条ノ二、六条ノ三の印紙額少額にする、訴訟物価額のある限度以上に大きいものにつきましては、印紙額倍額にするという方針をとつておりますので、その方針に従いますと、二十万円を越えるものは、その倍額にしていいのではないかということから、結果におきまして十円が六十円になるということになつたわけであります。
  11. 林信雄

    ○林(信)委員 これは訴訟関係者に限るとはいいながら、その訴訟関係者は不特定人々であります。それらの不特定多数の人々利害関係のありまするものは、やはり考え方はいろいろありましようが、漸増の方針こそ望ましいのではないか、なかんずくこれを専門的に訴訟関係いたしている者から見ますと、急激の増加というものは、実際執務の上において影響するところが大きいと思う。この点はなお考慮すべきものがあるのではないかと思つておりますが、それはそれといたしまして、先刻からその値上げの比率よりいたしまして、この程度のものはまずまずよろしいのではないかと言われる、かりにその議論を押し通して行くこが可能であるということに考えが及びますれば、この種の一定の貼用額のものはもう少しく歯切れのいい数額にしておくことも便利じやないかと思うのです。たとえば三十円のものは五十円、あるいは六十円のものは五十円、百二十円といつたようなものは百円にとどめる。これは全体を通じて見ますと、印紙収入というものはおのずからそこに調整されて来るんじやないかと思うのですが、実際の取扱いにしましても、かりに百二十円という印紙を買うと、少くとも百円の印紙と二十円の印紙を張らなければならない。百二十円の印紙をわざわざつくってくれない。あるいは場合によつては百円と十円を二枚。これが百円がなくて十円のものを十二枚張るような場合はまた別であります。手数も記憶の点等も便利でありますから、これはもつと取扱いやすい数額にしかるべくおきめ願つたらどうかと思うのでありますが、そういうことは御考慮されたものでありましようか。そうでなかつたのでありましようか。これに関します御意見を承りたい。
  12. 村上朝一

    村上政府委員 定額で定められまする印紙額を五十円とか百円とかきりのいい数にいたしますることは、実際実務上便利であることは私どもも同感でございます。六条ノ二、六条ノ三を考えますときも、五十円、二十五円という数字考えてみたのであります。上の方をきりをよくいたしますと、下の方が二十五円というよう数字になります。どうも注文通りきりのよい数字も出しにくかつたのであります。ただ第二条の点につきましては、先ほど申し上げましたように、これは督促手続ですと二分の一になつて、控訴審ですと五割増しになるというようなことで、ややもすると非常にこまかい端数が出る。そういうことのないようにという意味で、 つまり言いかえますと、切りをよくする意味最低区分を一万円にいたしたわけであります。
  13. 林信雄

    ○林(信)委員 ただいまお尋ねいたしております申立て、その他の書類等貼用印紙関係においては、その総額二十万円以下と二十万円を越えるものと類別せられましたのは、別の法律案裁判所法の一部を改正する法律案を御提案になつておりますが、すなわち簡易裁判所事物管轄基準を二十万円にするということと対応しておるのでありましようか。もしそうであるといたしますれば、申すまでもなくその裁判所法の一部を改正する法律案はいまだ成立しておりません。その案の内容が異なる場合も想像せられる。もしそれがかりに二十万円は急激に過ぎるというようなことで十万円が適当だというよう改正がなされるといたしますれば、これに対応いたします印紙額の問題もおのずから影響はあるのでありますから、さような場合も御考慮なつたものでありましようか。あるいはそれとは無関係というお考えなんでありましようか。この点を伺いたい。
  14. 村上朝一

    村上政府委員 裁判所法における簡易裁判所事物管轄の点とこちらの法律の六条ノ二、六条ノ三の区分とは、理論上必ずしも不可分という関係はないわけでございますけれども、一応簡易裁判所事物管轄が二十万円に引上げられるということを前提といたしまして、それを目安としてこの区分を立案したのであります。もし裁判所法の一部を改正する法律案における事物管轄引上げが十万円程度にとどまるということでありますれば、こちらの方の区分も十万円で区分するのが相当であるというよう考えております。
  15. 林信雄

    ○林(信)委員 今回のこの改正案によつて国家財政収入に及ぼす影響というものが、あなた方の方でおわかりでしようか。すでに昭和二十九年度の予算面にまで影響しているのでありましようか。その数額等について概略でよろしいがお知らせを願いたい。
  16. 村上朝一

    村上政府委員 全国の裁判所民事事件に貼用しております印紙総額を申し上げますと、昭和二十六年度で一億六千八百万円。二十七年、二十八年は正確な数字は出ておりませんけれども、二十六年度の件数と印紙額等から推定いたしますと、二十七年度は一億八千百万円、二十八年度は二億円という見当になるかと思います。この中の大部分は申すまでもなく第二条の印紙でございます。これは先ほど申し上げましたように、物価指数が上りますれば訴訟物の価格も上り、従つてそれに応じて手数料、印紙の額も上つて参るわけでありますから、このたびの改正によりましては、国の歳入にそんなに影響を及ぼすことはないと考えております。その他六条ノ二、六条ノ三、十条の改正によりますと若干の歳入増加が見込まれるわけでありますけれども、先ほど申し上げました二億内外という印紙総額は、これは第二条の印紙額を含み、かつそれが大部分を占めておりまして、それと六条ノ二以下のものとの比率が実は調査ができておりませんので、六条ノ二以下の改正によりまして、どれくらいの歳入増になるかという数字は、ただいまのところ十分正確な数字が出ておりません。
  17. 林信雄

    ○林(信)委員 お話はわかりますが、そういうことで大した影響もない程度であろうかというようなところから見まして、もちろんこれは国家財政の必要に応じた印紙額引上げようというようなわけではないだろうと了承いたします。  続いて先刻から申し上げておりますように、この種の法案訴訟関係実務に当りまする裁判所職員関係あるいはその他の関係、なかんずく弁護士諸君、ひつくるめまして訴訟実務家とでも申しましようか、これらの諸君職務関係に及ぼす影響が広くかつ大きいと思います。おそらくこの改正に当りましても、裁判所関係意見はたやすく御実施できることでございますから、御参考なつておるのでございましようが、いわゆる在野法曹でありまする弁護士会において何らかの意見が、少くともこの法案に異なる意見等があつたといたしますならば、御参考にこれを承つておきたいと思います。
  18. 村上朝一

    村上政府委員 この案につきましては、裁判所及び弁護士会方面の意向も伺つたのでございますが、裁判所方面では別段異なる御意見はなかつたようでございます。弁護士会方面ではこの印紙法第二条、第三条の改正の点についてはやむを得ないであろうということで別段御意見はなかつたのでございますけれども、六条ノ二以下につきましてはやや引上げの率が急激に過ぎるのではないかという、先ほど林委員から御指摘になりましたような御意見があるようであります。
  19. 林信雄

    ○林(信)委員 次にちよつと方面が違うのでありますが、この民事訴訟用印紙というものは、どうしてもこれはやはり収入印紙をもつてやらなければ方法がないものでありましようか。たとえば他の方法といたしまして、裁判所においてその都度適当な証紙を販売して金銭を納付することによつてそれを交付する。これを貼付するということにいたすのも方法じやないかと思います。そういたしますと先刻言つておりましたような半端な金額についても、つり銭等関係郵便局に行つてかえましても、その他印紙類販売所でかえましても同じかもしれませんが、印紙を多数張らなければならない、場合によりますともよりの郵便局では高額の印紙がなくて、取寄せてもらわなくてはならない、適当な印紙が売り切れておるというような不便もあるようであります。ところで裁判所ですと、もうそれに備えまして三十円の証紙も売つていれば、百二十円の証紙もある。一枚をもらつてそのままぴたりと張りつければよろしい、こういうようなことも考えられると思うのです。これは印紙税法といいますか、何か、他の法律関係においてそういう方法は全然考えられないものでありましようか。法制的にはさしつかえないものでありましようか。さしつかえないといたしますれば何らかそれらの方法考えられてよろしいのではないか、これはその後の統計等の集録の場合にも便宜があるのじやないかとも思われます。少くともただいま申し上げましたよう訴訟関係等の利便はあると思うのでありますが、これは可能なことでしようか、不可能なことでしようか、もし可能な問題であれば御研究なつているような問題なのでありましようか、その点を承りたい。
  20. 村上朝一

    村上政府委員 裁判所民事訴訟用印紙につきましては、現行法収入印紙をもつて納付する以外の方法は認められないかと存じます。ただ方法といたしまして裁判所独得の証紙を発行するとか、あるいは現金納付を認めるというようなことも考えられるわけであります。やや性質は違いますけれども、これと類似しておりますものは登記所における登録税の問題であります。これは登録税法の解釈上現金納付の道が開かれております。申請人の側から申しましても、わざわざ印紙を買つて来て張らなくちやならない。登記所の側といたしましても、印紙の計算に相当な労力が必要である。また変造その他不正な印紙が用いられているということもございます。また使用済みになりまして、消印を押した印紙下級職員あるいは外部の者がはぎとつて、ほかへ悪用するというような例もないではないのでありまして、東京都内の一、二の登記所におきましてまず現金扱いをやつてみたのであります。日本橋出張所でありますが、銀行の出張所公衆控室の中へ置きまして、そこへ現金を納めて受取りをつけて出せば、印紙を張らずに済むという制度をやりました。これは非常に成績がいいのであります。なおその結果を検討した上で登記所といたしましては、可能なところは逐次そういう方法をとつて行くことを考えて、ただいま研究中であります。裁判所印紙につきましても、現行法のもとにおきましては収入印紙以外の方法はむずかしいと思いますが、将来の研究問題としては検討したいと思つております。
  21. 林信雄

    ○林(信)委員 ただいまの東京都内での登録税法関係印紙現金取扱い方法をやつてみた。これはいまだにおやりになつているのですね――。それは現行法制のもとでそういうふうにやつてさしつかえないのでおやりになつているのでございましようか、何か特別な措置を構ぜられたのでありましようか。
  22. 村上朝一

    村上政府委員 日本橋出張所で本年の一月一日から実施いたしまして、ずつと現在もやつております。また東京法務局の本局でも、近く現金扱いを始める予定でおります。これは登録税法に「登録税ハ印紙以テヲ納ムヘシシ勅令ノ定ムル所ニ依リ現金以テヲ徴収スルコトヲ得」ということがございます。この但書に基きまして政令の改正が行われまして、法務大臣の指定した登記所では、そういう取扱いは可能だということに現行法制止なるわけであります。この規定を動かしてやつておるわけであります。
  23. 林信雄

    ○林(信)委員 そのことがしかくさようでありますように、これは民事訴訟印紙関係も絶対の原理原則があつてのものではない。しよせんは手続に付随したものでありまして、便宜を尊重してしかるべきものだと思います。現行法のもとにおいては困難かも存じませんが、これをひとつお考えくださいましたならば、あるいは非常に便利になつてかなりいい思いつきつたということにならないものでもない。正直に申しまして私もまだ思いつきで、何も深く研究したわけではなく、むしろベテランであられまする局長の御意見を聞いて、さらに検討したいと思つておる程度でありますが、もし御研究の価値ありといたしますれば、ひとつ御研究を願いたい。  次に根本的な問題なんですが、民事訴訟関係にこういう印紙を必要とするというその本質的なものは何でありましようか。たとえばまごまごしているから訴訟しなければならぬようなつた、訴訟までして国家にやつかいをかけるんだから、一種の制裁だというような観念も、これはなきにしもあらずであります。あるいは国民としての一つの権利としてなされるものであるのだから、国民としての納税義務の一部である、いわゆる本質は租税だという考え方もございます。全般的なものじやなくて、特殊のものが裁判所にやつかいをかけるんだから手数料だ、こいう考え方もございます。印紙をもつてするということは、これは方法でありますから、結局費用を負担するのであります。その費用の負担の本質というものは、一体何でありましようか。御教示を願えますれば幸いと存じます。
  24. 村上朝一

    村上政府委員 民事訴訟印紙ちようだいすることによりまして、当事者が費用を負担するということは、要するに国家機関の役務を利用することに対する対価、手数料の性質を持つものと考えておるわけであります。もとより好んで訴訟を起し、起されるものばかりではないのでありまして、できれば無償で裁判所の制度というものが利用されることは望ましいのでありますが、一面裁判所の経費というものは、国民全体の税金でまかなわれておるわけであります。裁判所手数を煩わすについて、関係の当事者がある程度の費用を負担するということは、公平に適するのではないか、かよう考え方ではないかと思います。
  25. 林信雄

    ○林(信)委員 御趣旨はわかりますが、手数料をとるという観念からして、一つの場合に私は疑問があるのであります。すなわち国家が被告になる場合、自分が訴えられていて自分が手数料をとる、訴訟の当事者でありながら手数料をとる。これは観念論としては、訴えられたものと国家機関である裁判所とはまた別な観念という考え方もするのでありますが、実際上の国民感情からすると、何か考え方にぴつたりしないものがあるように思います。そういうように、 国家が迷惑しておる、世話してやるから、取扱つてやるからという手数料的な考えである。こういうことは少くとも国家が被告になつような場合にあるいは国家の原告に対しては、手数料を納めないという方が考え方としてはしつくりするのではないか。そういう例外も一つ考えられるのではないかと思いますが、これはどんなものでありましようか。
  26. 村上朝一

    村上政府委員 国が当事者となつ訴訟という制度を利用する場合、多くの場合に国が一私人と同様の資格に立つて争うことが多いのであります。これは手数料ばかりでなく、国が租税を納めることもございますし、各種の国に納付すべき費用というものを、国が別の資格で負担する場合があるのでありまして、財政の技術上そういうことが行われておるのではないかと考えております。一面民事訴訟だけに限つて考えますと、訴訟費用を敗訴の当事者が負担するというような場合に、国については訴訟費用が免除されるということになりますから、国を相手として訴訟したものは敗訴しても勝訴者の費用を負担しないで済むというような結果にもなります。この点必ずしも公平に適するものとも考えていないのであります。
  27. 林信雄

    ○林(信)委員 その今お話になりました訴訟費用の負担の関係で、根本的に少し感ずるものがあるのでありますが、結局訴訟関係者というものは訴訟事件が終結いたしまして、その勝訴者は敗訴者より訴訟費用を受取ることができる。受取るといたしましてもこれはそれぞれ手続がありまして、請求して任意支払いがなければ強制してでも受取ることになるのでありましようが、そういうことでこの訴訟用の印紙も、結局は訴訟費用の一部として敗訴の当事者が負担して、勝訴者に対しまして支払うことになります。そのときに計算は済むのであります。それを国家訴訟を起すときに、自分の分だけまず原告から納めさせてとつてしまう。いわば原告に訴訟費用の観念については前払いさせる。国家に納付させる。そうして原告の場合においては、勝訴して初めてそれを受取ることになる。しかしそうした場合を想定いたしまして、原告にその納付を命じないでおいて、事件が終結いたしましたときに、その実際負担するものから国家がとるようにしたらどんなものでしようか。国家はそうあわててとらなくても、訴訟関係者というものは、多くの場合日本国の国民なのです。その負担するものがきまつた場合に、その者より国家訴訟費用はとればいい。今の場合だと自分が負担する必要のないものと信じておる原告が前払いするわけです。国家はその方が便宜かもしれませんけれども国家はいうまでもなく国民に親切であることがいいと思います。たとえばその親切な規定は、私があらためて申し上げるまでもなく訴訟費用の法律には見えるのです。民事訴訟法の訴訟費用の救助のごときも親切な規定であると思うのです。あるいは民事訴訟法の九十八条のごとき、「法定代理人、訴訟代理人、裁判所書記又ハ執行吏カ故意又ハ重大ナル過失ニ因リテ無益ナル費用ヲ生セシメタルトキハ受訴裁判所ハ申立ニ因リ又ハ職権ヲ以テ此等ノ者ニ対シ共ノ費用額ノ償還ヲ命スルコトヲ得」、二項にもこれに関連した規定があるのであります。こういうふうにして訴訟においては当事者以外の第三者に対しましても裁判所は職権をもつて特殊の費用の償還命令を出すことができるようなことで、かなり立ち入つて訴訟当事者に親切な規定もなされておるのです。訴訟費用の最後の負担者がきまつたときに納付命令なんか出して印紙法の規定にありまする同額程度のものは、これは一括して請求してもいいのではないが、納付せしめても足りるのではないか、あわててというと語弊がありますが、当初においてそうとらなくたつて、その原告が必ずしも最後の負担者でなくて、むしろ訴訟の場合は原告勝訴の場合が多いのではないか。むしろ被告が支払わねばならぬ訴訟費用を原告が前払いするようなことはしばらく待つて、負担者が現実に決定いたしました場合、その者より納付を命じてとるということも親切な方法じやないか。また実行不可能な問題でもないと思います。これらのことは考える価値のない問題でありましようか。あるいは問題たり得るでありましようか。従来何か考慮せられことがあるのでしようかお伺いします。
  28. 村上朝一

    村上政府委員 林委員ようなお考え考えられると思うのですが、国は複雑な各種の作用を営んでおります。現在におきましては裁判権の主体としての国家、他の各種の行政権の主体としての国家、あるいは訴訟における当事者としての国家というものをそれぞれ別個の資格で考えることが、少くとも本件のような財政技術の上から考えて妥当なことではないか、かよう考えておる次第であります。
  29. 林信雄

    ○林(信)委員 この問題もさつき申しましたように私も深く研究した問題ではありませんが、私も将来研究してみたいと思つております。  最後に先刻も申しました国が訴訟当事者である場合の印紙の貼用の問題について参考的にお伺いをいたしておきたいと思いますが、例の行政訴訟の場合、あれの手続は大体民事訴訟法によつておるようでありますが、印紙関係はどうなつておりますか。簡単で調べればわることではないかと思うのですが。便宜のために……。
  30. 村上朝一

    村上政府委員 民事訴訟用印紙法の第三条の財政権上の請求にあらざる訴訟に該当する場合は、この規定によりまして現行法なら三万円、改正案によりますと五万という評価で印紙を納める。ただいわゆる行政事件といわれておりますものの中には、たとえば収用により損失償額の請求であるとか、あるいはその他財産権請求に当るものもあるわけです。そういうものは第二条の財産権上の請求の規定によりまして、印紙の額が定められる、かよう考えてをります。
  31. 林信雄

    ○林(信)委員 子細のものはありますが、私の質問は一応この程度でとどめたいと思います。
  32. 小林錡

    小林委員長 他に御質疑はありませんかーーなければ本案に対する本日の質疑はこの程度にとどめておきます。     ―――――――――――――
  33. 小林錡

    小林委員長 次に刑法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑に入ります。質疑の通告がありますから、順次これを許します。佐瀬昌三君。
  34. 佐瀬昌三

    ○佐瀬委員 かつて改進党及び社会党連立の芦田、片山内閣が、いわゆる昭電疑獄事件で瓦解を来しましたことは世間周知の事実でありますが、その社会党から本刑法改正案、すなわちあつせん収賄舞の掛案がなされたことはまことに皮肉の感があるのであります。特に、当時あとを承つた吉田自由党内閣は、綱紀粛正を大きな政策として掲げ、私もまたそこで設けられた綱紀粛正委員長となりまして、政界、財界、官界の綱紀粛正に邁進いたしたのでありますが、今回いわゆる造船汚職その他のスキヤンダルが勃発いたしましたこのときにあたり、特に社会党から提案された本法案を私どもが審議するということは、皮肉以上にまことに感慨にたえないものがあるのであります。しかしながら、事は恒久法である刑法の改正であります。政界、財界の汚職事件に対して、国民感情として、その粛正のために何らかの立法措置を要望するのは当然であり、おそらく社会党においてもこれにかんがみて本提案をなすに至つたものと思うのでありまして、その点については私どもも異論はないのでありますが、今申し上げるがごとくに、刑法という大法典を改正する点において、当委員会は特に慎重審議をしなければならぬと考えるのであります。以上の観点に立ちまして、私は提案者に対して以下若干の質疑を試みたいのであります。  まず第一点は、本提案の理由、動機、これは先般の提案理由の説明で一応理解したのでありますけれども、さらに具体的に動機について提案者より説明を伺つておきたいと思います。
  35. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 佐瀬委員の御説明がありました芦田内閣時代の汚職問題、これは今から考えてもまことににがにがしいことだと思うのであります。この芦田内閣が汚職によつて崩壊して第二次吉田内閣が成立いたしたとき、吉田総理は、この内閣は綱紀粛正内閣であり、いやしくも汚職の疑いあるものは徹底的に糾弾すると天下に声明し、これによつて世界の信用を高めるのだという宣言を発せられました。ところが今回それに増しますところの重大な汚職問題が連日の新聞をにぎわしておりますが、吉田総理大臣は、もつと事実が明らかになつてから善処するというようなことで、しかもこんな汚職などはそれほど心配しておらぬというようなことを発表せられたやに聞いておりまして、何かその態度について豹変せられたような感じを私どもは受けるのでありますけれども、これは、現行の涜職の規定だけでは、汚職を糾弾し、綱紀の粛正をはかるのに何か足らざるものがあるということの一つの例証ではないだろうか。浜の真砂とともにどろぼうは絶えないといいましたが、しかしこれは放任すべきものじやない。今日の時代におきましては、今新聞面をにぎわしておりまする大きな汚職のみならず、まだ世人の注意を引かざる綱紀の紊乱事件は、極端な言葉で言えば、天下に充満していると思います。私どものやつております社会党の綱紀粛正委員会で調査いたしたものだけでもおびただしい数に上つており、中央の機構関係のみならず、地方の各県におきまする汚職というものも相当現われて参つております。社会病理学的にこの根源がどこにあるかは、これは大いなる問題として経世家が十分研究すべきことでございましようが、いずれにいたしましても、われわれ立法に従事する者から見まするならば、この社会現象は放任できない。そこでいろいろ法律的にこれを取締る――われわれは法律的に規制するばかりで汚職が絶滅するとは考えておりません。広く国民運動を起す、国民の道義の高揚をはかるということも重大なことでございましようが、立法に関係いたしまするわれわれといたしましては、可能な限りにおきまして立法措置を講じ、かような汚職の原因を少からしめるとともに、世人に対しまして、われわれの覚悟を示す必要がある。私どもはこの方法といたしましては、まず刑法の涜職の罪を改正すること、一つは公職選挙法を改正いたしまして選挙の粛正をはかること、一つは政治資金規正法を改正いたしまして政治献金の不浄性を除去すること、さしあたりかような立法措置を講ずる必要があるのではないかということで、政治資金規正法の改正、公職選挙法の改正の通過に努力するとともに、いわゆる免れて恥なき徒輩の存在を許すべきほど現在は汚職については寛容な時代じやないと考えます。国民の信託にこたえる意味におきましても、かかる根源をなくいたしまして、いわゆる公務員の公務の執行を公正ならしめ、綱紀を粛正するということが急務だと考えたのであります。かよう意味におきまして、現行のこの贈収賄罪の規定を点検いたしますと、ここに一つの欠点がある。これはしかし事新しく出たことでありませんで、歴史的に今まで数回も為政者から考案せられたものでありまして、今や、まさにこれの実現をはかるべき社会情勢が十分に実つておると私は考えておるのであります。あまり世人とかけ離れた立法もまた考慮すべき余地がありますけれども、今、世論的に考えましても、刻下の必要から考えましても、刑法の盲点とせられましたるこのあつせん収賄罪を規定する必要に迫られておる。これが、われわれがこの提案をいたしました動機でありまするし、その目的は、これによりましていわゆる綱紀の粛正をはかるとともに、公務員が職務に対し公正に働くべきことを期待いたしておりまする国民の信頼という、この保護法益を全うせんがためにこの立法を計画いたしたのでありまして、これが目的であります。
  36. 佐瀬昌三

    ○佐瀬委員 ただいまの提案者の説明のような、何らかの立法措置あるいは対策がこの汚職的な社会現象に対して必要であるということは、われわれもまたもとよりこれを理解するにやぶさかではないのであります。しかし問題は、刑法によつてかくのごどきあつせん涜職罪を認めることによつて所期の目的を達することができるかどうか、また、それがはたして法の上から見て適正であるかどうかという点に問題は集約され得るのであります。刑法は、私から申し上げるまでもなく、刑は刑なきを期することをモツトーといたしまして、犯罪の多きをもつてたつとしとはいたしていないのであります。しかも刑法が犯罪を規定する場合は、他の特別法、行政法、取締法とはその本質を異にして、その前提として、社会道義規範の上から見ても犯罪とされるものを刑法が取入れるというのが刑法の立法の形態になつておるのであります。なんじ盗むなかれ、なんじ犯すなかれ、あるいはなんじ殺すなかれというような規範がすでにでき上つている。それを刑法が取入れるというところに刑法の真髄が存在いたすのであります。刑法によつて新たに犯罪を製造するということは刑法の本質に反するのであります。すでに刑法は、涜職罪については多数の犯罪を規定いたしております。いわゆる汚職罪は、職を売るということにおいて社会道義規範の上から許されない、これは、今申し上げましたよう意味において当然の刑法の規定であります。しかるに今回の提案は、それらの涜職罪とは選を異にして、社会道義の上から見てもはたして犯罪的な違法的なものであるかどうか疑わしいので今まで放任されておつたものを、ここに新たに刑法の犯罪として組み入れるというところに難点が存するのでありまして、私はここに、刑法の使命、性格から見て慎重を期さなければならぬということを提案者にあえて一言呈しておきたいのであります。すでに昭和十八年当時の戦時軍閥内閣も、今の提案者と同じよう理由のもとに、戦時刑事特別法の中に、たしか十八条ノ二でありましたか、かような規定を設けたことがあります。当時も法律家の間にはこの規定に対して相当批判が強かつた。もとより戦時刑事特別法でありますから、戦争の終了とともに廃止さるべき臨時の立法であるということでわずかにこれが許された。しかるに今回は刑法そのものを改正して恒久法の中にこれを規定して行こうというところに、われわれは深く考えをめぐらさなけばならない点があるのであります。しかも昭和十八年の軍閥独裁内閣は、今回の提案者が規定したほど広い犯罪態様ではなかつたのであります。今回は公務員一般についてその犯罪の主体性を認める。これに反して昭和十八年の戦時刑事特別法では官公署の官吏というふうに限定しております。当時の独裁政治をもつてすらもかくのごとく遠慮しながら規定したのであります。猪俣委員は社会党に属せられますけれども、社会党はフアツシヨ排撃――もとよりわれわれ自由党も同感でありますけれども、そういう立場に立つておる政党であります。それを看板にしておる政党であります。それがかつてのフアツシヨ内閣ですらできなかつたことをここにあえて立法しようとするところに、私は社会党としての矛盾撞着がありはしないかと思う。これは一種の政治論でありますけれども、これに対する猪俣委員の説明をお伺しておきます。
  37. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 刑法の原則から説かれまして、われらも非常に同感であります。刑は刑なきを期するという目的のあることもまた同感であります。また犯罪の多きをもつてとうとしとせざることは、体の大なるをもつてとうとしとせざるがごときもので、われわれもそれによつて価値標準の規定にするつもりはありません。ただあつせん収賄罪のごときは、一体これを規律する社会規範がまだできておらぬ、つまりこれは行政取締り的な性格のものであるから、これを刑法に組み入れることは賛成できないという論旨に対しましては、われわれ同意を表するわけに参りません。  すべて社会規範というものは進歩変遷することは申すまでもないことであります。旧刑法時代におきましては贈賄者を罰しなかつた。それが社会規範の変遷に従いまして、現行刑法においては贈賄者を罰せられるように相なりました。その社会現象的説明はくどくど申し上げる必要もないかと存じます。さよう意味におきましてわれわれはあつせん収賄を罰すべき社会的規範、道義的規範が存在しておると思う。現在におきまするあらゆる階層からこれに対する賛意を表しておることにおいても裏づけられる。実はざくばらんな話をいたしますと、朝日新聞社があつせん収賄罪について賛成と反対の議論を並列して記事にしたいと考えて、いろいろ学者、弁護士会その他へ記事をとりに行つてつた。そこで小野清一郎という人は相当自由主義者であるし、まあ自由党的気分を発散するんだと新聞記者がにらんだと見えて、この人は反対するだろうと思つて聞きに行つたところが、案に相違してあつせん収賄罪を早くつくることはこれはもう必然であつて、今ごろつくるのは遅かつたということになつて、とうとう今日質問に立たれております佐瀬委員だけによつてわずかに反対論をつかみ得たという新聞記者の告白を私は聞きまして、わが意を得たりと意を強うしているのであります。社会規範はまさに成立し、この立法は輿論の要請であるというふうに私どもは感じます。なおまた戦時中と今日におきましても、公務員の地位というものがかわつて来ておる。戦時中の公務員は陛下に忠誠を誓うことが忠臣でありましたでしよう。官吏服務紀律には第一にそれがあげられておる。忠良なる陛下の官吏でありました。しかし新しい憲法下におきまして民主主権の原則を確立せられましてから、公務員の性格は変遷したことは私が申すまでもない。憲法の第十五条におきましてもその点は明らかである。「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」という、いわゆる世間に言いまする国民の公僕という性格に転化しておる。なおまた国家公務員法の第九十六条を見ましても、公務員はいわゆる全体の奉仕者としてその職務に専念しなければならないということが規範として成立いたしております。私どもはこの憲法及び公務員法、しかも憲法を守るべきことは憲法自体に、憲法の九十九条に公務員が憲法を守るべきことの規定が存在しておる今日、この憲法の精神及びこれを受けて立ちましたる国家公務員法の精神から、公務員はその仕事に専念し、そうして職務を公正にして、いやしくも一部の便益をはかるような行為をなすべからざる国家的義務を負担しておると思うのであります。かよう意味におきまして社会規範といたしましても、法律規範といたしましても、まさにあつせん収賄罪はその規範に欠くるところはございません。かよう意味におきまして私どもは立法に価すると判定したものであります。なおまた東条内閣時代のことは見方によつていろいろございましよう。結局国会議員を、当時の貴衆両院議員がこのあつせん収賄罪の中に入ることを除外しております。これは御説の通りである。しかしその動機その原因につきましては研究を要するものがある。当時政党というものが解消せられ、ことごとくが翼賛政治団体に転化し、その従順なることねこのごとく、豚のごとく、ただ東条のむちのままにおどつてつた政党であります。そこでかように東条の言いなり次第に転化した政党に対しては、多少あめをしやぶらせておいて利用した方がよかろうと考えたことがフアツシヨ政治家の常套手段であり、古今東西軌を一にいたしております。おのれに従順なものに対しましてはこれをおだて上げて、自分の野心の走狗にするということが、ヒトラー当時あの官吏に対してこのくらい優秀な、このくらい実にすぐれた官吏は世界に存在しないといつて官吏をほめ上げてフアツシヨの手先に使いました。これは歴史上文献に明らかなことである。さような共通の心理に基いて東条が議員のきげんにとる意味において、お前たちはそんなことをしない人物であるから、この涜職罪から除くのだというようなことでやつたのではないか、これは諸般の事情から私の推理でございますが、その点につきましてはなおお互いに研究すべき余地があるのであつて、これをして東条すらやらぬことを計画する社会党はフアツシヨじやないかなんという結論は飛躍した論理じやないかと私ども考えられるのであります。
  38. 佐瀬昌三

    ○佐瀬委員 あらかじめお断りしておきたいのでありますが、ただいま私の意見が新聞紙に反対というふうに出ておつたという説でありますが、私はまだ法務委員としては本法案に対する賛否の態度を決定しておりません。実は提案者の理由説明をよく聞いた上で、また私の疑問に対する御回答を承つた上で、賛成すべきか反対すべきかを決定いたしたい、こう考えておるのであります。  ただいま猪俣委員から、公務員は新憲法九十九条で新たな道徳モラルが要求されておる、従つてこの種の犯罪は、祉会規範の上から見てももう確認されたものであるという結論ように承つたのでありますが、それはしばらく認識の相違の問題といたしまして、私はたまたま引用された新憲法について、本法案と関連した問題を中心に、一言政治論でありますけれどもつておきたいと思うのであります。  元来刑法学者の間では、贈収賄罪は政治的贈収賄、経済的贈収賄、社会的贈収賄及び思想的、宗教的贈収賄という範疇にこれをわけて観察いたしております。現下の造船汚職事件あるいはかつての昭電疑獄事件等は、いわゆる経済的贈収賄罪の範疇に入るべきものであります。新憲法は三十九条において私有財産権の不可侵性を宣言いたしております。従つてこれらの規定を中心に、新憲法はいわゆる資本主義憲法であるか、社会主義憲法であるかという問題について、いろいろ論議がされておるのであります。マルクス刑法理論によれば、すべて犯罪は経済の上層建築である、かような汚職事件も資本主義制度の所産であるというふうに理論づけておるのであります。そこで私は憲法が資本主義憲法か社会主義憲法かということも、本問題に関連して重味を持つものと考えるのであります。要な意かつて憲法普及会が政府の援助のもとに新憲法の普及を果すべく、いわゆる「憲法講話」という書物を公刊されたことがあります。昭和二十二、三年ごろかと思つたのでありますが、その中に社会党の幹部であり且つては社会党内閣の文部大臣をされた森戸辰男氏は、「新憲法と社会主義」という題名のもとに、新憲法は社会主義経済組織を否定しておるということを明言されております。私どもから見ると、この新憲法と社会主義との関川係をかように割切つた人が、社会党の文部大臣になることそれ自体が不可解に思つてつたのでありますが、とにかく憲法論としてはさようなことを強調されておつたのであります。私はそういう観点から見るならば、やはり社会党の政策あるいは立法を推進するには、根本的にまず憲法それ自体に手を染めてかからなければ、論理が一貫しないのではないか、末梢的な刑法の改正よりか、憲法それ自体に今や社会党は大いに反省しまたこれに対する態度を決定しなければならぬのじやないか、かようによそながら観察しておるのでありますが、その社会党は憲法擁護連盟を主宰いたしまして、憲法改正には反対されておるようであります。私は本涜職罪の根本的な問題として、この憲法に対する提案者猪俣委員の態度は現在及び将来どうなるか、この点を一応伺つておきたい、こう考えております。
  39. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私があげました憲法の公務員に関する基礎条文は十五条であります。ただ九十九条は公務員が憲法を守らなければならないという規定になつておるのでありまして、公務員が全体の奉仕者である、一部の人の便宜をはかる立場じやないのだということは、憲法の十五条であります。そこで今の佐瀬委員の御質問は本法とはあまり関係のないことでありましようが、御質問でありますので、お答えを申したいと思うのであります。私どもは現在憲法を改正する意思を持つておりません。何がゆえであるかということは、今の保守政党が憲法を改正することを叫ぶ、これはマッカーサー憲法であるというふうに叫び出す原因を考えていただけば、われわれが反対する理由ははつきりするのであります。何がゆえにかような態度をとるか。当時の憲法改正特別委員会の委員長である芦田均氏はその新憲法の成立過程について、本会議におきまして、かかるりつぱな憲法を与えられたことは、天地神明の加護によるものだと言つて感謝しております。かような芦田氏が、何がゆえにこの憲法をマッカーサー憲法と称し、これの改正に乗り出しておるのであるか。また当時の吉田総理大臣でも同じことであります。この憲法を受入れて、当時決してマッカーサー憲法なんて言わなかつた。これがドイツの為政者と非常に違う点であります。ドイツは占領中に憲法をつくることには反対いたしました。日本の吉田内閣は唯々諾々としてこれを受入れた。それを今なぜ改正を叫ぶかというと、憲法第九条を改正して、日本に再軍備をしたいためであります。他にもありましようが、それは末梢的なことである。これを絶対しないという誓いがありまするならば、われわれ憲法を研究し、改正すべき部分もあると考えております。これに賛成するにやぶさかでありません。しかし今保守勢力が強大の際に、この憲法を動かすとなると、われわれが最も欲せざるところを改正するに違いありませんし、またそれがために憲法改正論が起つて来ておることは天下自明の理であります。われわれはこの日本の平和憲法を、憲法第九条を守り抜きたいがために、とにかくそつとしておいてもらいたい。もし改正する要があるならば、いわゆる社会革新派が天下をとりましたときに、私ども改正に着手いたしたい。こういう反動期に改正いたしますならば、われわれの欲せざる方向に改正されるおそれが十二分にあるから、不満ながら現在の憲法はそつとしておきたいというのが、われわれの偽らざる告白であります。そこでさよう意味におきまして、憲法改正絶対反対という意味じやありませんが、今の時期におきまして、そうして今の保守政党の志向するような方向におきまして、憲法を改正することにはわれわれ絶反反対しおるものであることを御理念願いたいと存じます。この憲法は、森戸辰男氏がどう言うたか知りませんが、私は当時の憲法の起草の閣僚でありました金森氏の言が当つておるのじやないかとも思われる。これは社会主義憲法であるかといえば、そうでもない。さればと言うて自由経済主義的な純然たる資本主義の憲法であるかといえばそうでもない。結局ある程度社会民主主義的な穏やかな革命理論を含んだ憲法ではないか。そこで見方によつてはどういうふうにもとれるようなつているのではないかというふうに思われるのであつて、森戸氏のようにこれをマルクス主義の憲法であるとかないとかいうような割切つた考え方は私どもは今持つておりません。また森戸氏がどういう動機、目的でもつてような態度に出られたかは私ども今関知いたしておりませんが、私個人といたしましては、さようにこの憲法は割切つた一方的な立場でできているとは思われないのでありますし、また憲法のできましたその当時の実情からも、そう割切つた一方的ないわゆる世界観からこの憲法ができ上つているとは考えられないと思います。そこで憲法改正を提議しないで刑法だけなぜやるんだという御質問は以上私の答弁によつてわかつたと存じますが、憲法はさよう意味において私どもはこの保守勢力が減退せざる限り当分いじつてもらいたくありません。しかし保守勢力が中心となりまして現代のような汚職横行の時代におきましては、まずこれを取締る刑法の改正は必然だと考えております。
  40. 佐瀬昌三

    ○佐瀬委員 私の今の質問の要点は、要するに経済的贈収賄罪の成立は資本主義機構の上にこれが考えられた。しこうして現憲法は資本主義憲法であるということであるならば、刑法の改正よりかむしろ根源的に憲法それ自体を改正して、社会主義憲法となし、経済的贈収賄罪の成立の根拠をせん滅するということこそ社主義の理想に合体した立法的態度である。かよう考えるので憲法問題をここで一応引合いに出したのでありますが、以上は大体が政治論でありますから、これからはもつぱら刑法理論に立脚して本提案に対する質疑をいたしたい、かよう考えます。  そこでまず伺つておきたいのは、あつせん収賄罪の本質あるいは法益は何であるか。涜職罪全般のそれと同一にこれを理解すべきであるか、現行法上認められている贈収賄罪と本質的に違わないのか、あるいはそれと違つた新たなものをここで立法しようとするのであるかどうか、この点について伺つておきたいと思います。
  41. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あつせん収賄罪の根本的本質は現行法の贈収賄罪と私は違つておらぬと思つております。そこでその法益は何かということになりますれば、第一は国家公務員あるいは地方公務員その他一般公務員の職務の公正ということ、及びこの職務の公正に対しましての国民の信頼。これは公務員は国家統治機関の一組織分子でありまするがゆえに、しかも憲法において全体の奉仕者として規範づけられておりまするがゆえに、これは公務員の本貫から当然出て来ます法益でありまして、その職務は一部の人に奉仕せずして全般的な立場から、すなわち公正の立場に立つべきものであり、また国民の公僕となりました公務員の性格から見まして、国民の側からするなら国民が信頼を寄せているその信頼を――職務が公正に行われることに対する信頼を裏切つてはならない規範もあると存じます。そこで公務員の職務の公正と、この公正を期します国民の信頼ということがこの贈収賄罪、あつせん収賄罪の全般を通じました法益だと存じますが、ただ現行法の百九十七条は、まず公務員がその職務を公正に行うということを第一義的に考え、そうして国民の信頼を裏切らぬ。つまり国民の信頼を裏切らぬということは、一面からいえば公務員の威信を保つということに相なりましようが、この職務の執行を公正にやるということと、国民の信頼を裏切らざる公務員の威信を保つということでありまするけれども、百九十七条は職務の執行を公正にやるということを第一義的に取上げ、その背景といたしまして今言つた公務員の威信ということが第二義的に出て来る。ところが今提案いたしましたあつせん収賄罪は結局において公務員の職務の公正ということも含まれますが、直接は公務員が国民の信頼を裏切らず、その威信をそこなわないということがまず第一義的であり、ひいてそれが公務員の職務の公正をはかる法益にも関係して、それが第二義的になるというふうに私は考えているものでありまして、結局においてこのあつせん収賄罪でもあるいは百九十七条の贈収賄罪でも、本質というものは何にもかわつておらぬというふうに考えております。
  42. 佐瀬昌三

    ○佐瀬委員 私は今概括的、一般的な問題について伺つているのでありますが、もしこの新犯罪が従来の贈収賄罪と本質的に違いがないものである、法益も同じものであるという観点に立つならば、むしろ提案者が本提案の条文の中に、そのあつせんに対する不当の利益を収受したとかいつたような不当の利益とせずに、賄賂とすべきが提案の趣旨に合体するものであると考えるのであります。かつて昭和十五年の刑法改正仮案も同様の観点から不当な利益という言葉にかえて賄賂という言葉をたしか使つているはずであります。しかるに今回の提案においてこれを区別しているというのは、戦時刑事特別法と同じようにこれは一般の賄賂罪としては認めることができない、ただ新たな犯罪的現象に対する臨時的特例的措置として、かような規定であつせんに対する不当な利益の収受を罰するというふうにされたものと考えるのであります。従つて私はむしろしいて規定を設けんとするならば論理的には贈収賄罪とは別個に章をかり、新犯罪として創設すべきものであつて、賄賂罪の中にこれを入れるということは体系的に矛盾があると考えざるを得ないのであります。しかしこれはなおあとで条文の審議の際にも問題といたすことといたしまして、とりあえずもし提案者のごとくにこれを一般贈収賄罪と同質のものであるというふうに考えるならば、そこからなお幾多の問題点、疑念が発生すると思うのでありますが、それらの点について若干ここでお尋ねをいたしておきたいと思うのであります。  まず第一に一般贈収賄罪とその法益なり本質なりが同じものであるとするならば、明らかにこれは身分犯である。一定の公務員という身分によつて構成される犯罪である。しかも涜職罪の法益は、ただいまも提案者から説明がありましたように、あるいは職務の公正であり、あるいはまた職分の清廉性というものでなければならない。これはおおむね刑法学者も承認しておる点であります。従つて職務の公正あるいは職分の清廉性を害する身分を持つた者についてのみこれが犯罪の主体たり得るのだ、その者を罰するのだというのが刑法の根本原則であります。ただこれに対しましては、いわゆる正犯拡張概念というような理論を借用いたしまして、そういう身分、つまり一定の職務権限を持つた者でなくしても、共犯となればその者に犯罪の成立を肯定しようという共犯理論によつてのみこれはまかなえる。またその範囲においてのみ犯罪とすべきであるというわくがそこに成立するのであります。あつせんそれ自体は何ら本来の贈賄者の期待する、また贈収賄罪の本質とするその職務に関するものではないのであります。言いかえるならば本犯は一定の職務をなすところの職務権限を持つたものであつて、あつせん罪はその一歩手前の予備的な段階である。これを今度はこの改正によつて独立犯罪としようとするのが本法のねらいであるわけであります。従つて共犯の理論でまかなえる範囲のものであり、またまかなわなければならない範囲のものに限定して行くならば、ここでいうあつせん罪はあるいは共犯として入る場合には犯罪となり、しかもまた反面において共犯という概念に入らないものであるならば、これが解放されるというところに理論が成立する、こう私は考えるのでありますが、これに対して提案者はいかように共犯理論をこの場合に考えられたか、その点が一つと、それからついでに今申し上げますごとくに、本犯は一定の処分行為をしたりする職務権限を持つたものである。あつせん汚職罪はその一歩手前の予備的な過程のものであるということであるならば もしその本犯が非常に職務に誠実であつて、何ら職務の公正も害せられない、あるいはその職分の清廉性も害せられないものであるならば、本来これはいわゆる不能犯に属すべきものであります。本体が不能犯であるにかかわらず、その予備的段階におけるものを独立した犯罪とすることは、これは刑法の罪刑法定主義的思想に反し、刑法の理論にま正面から衝突することに相なるのであります。提案者ははたしてこの不能犯理論と本法案をいかに調節して考えられたか、この二点について伺つておきたいと思います。
  43. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 第一に共犯理論でありますが、一体フアツシヨ政治家というものは、共犯の理論の拡張解釈という方向に向うことは、ナチスの御用刑法学者がいわゆる拡張共犯理論として世界に示したところであります。あの破壊活動防止法等によりまして、広く扇動というような言葉をむやみに使いましたことは、これはフアツシヨ的傾向であり、いわゆるナチスの拡張共犯理論の亜流的な立場をとるものであるとわれわれは考えておるであります。そこで共犯の理論によりましてこれを拡張して処罰するということは、罪刑法定主義と矛盾するのであります。いやしくも民主的な刑法を持つ国におきましては、社会の必要に応じ、社会現象の進展に伴いまして、判決の積み重なるごとに、立法を促進するという情勢が生れ、ここに新立法が出て来るのであります。現在の判例を点検いたしますと、もうこの刑法百九十七条のあとう限りの拡張解釈を裁判所でもやつておる。それをやらぬと社会の現象に合わぬようなつて来ておるのであります。これはだんだんと進展して参りまして、大審院とか最高裁判所の判決として確立して来ておるのであつて、これ以上は進めない状況に相なつて来ておる。これ以上進むとなるならば、これは拡張解釈の名において立法経過をたどらざる裁判官の恣意的な法律の適用ということになるおそれがあり、罪刑法定主義と衝突するのであります。私どもはこの実情にかんがみまして、これは新しい立法を促すべきものであるとして立案をいたしましたところであります。そこで共犯理論に対します私どもの解釈は、さような態度をとつておるのであります。一体刑罰というもの、刑法の解釈というものは厳密にしなければならぬということは、これはもう法学生の一年生から習つておるところであります。これには推理解釈は許されないという厳密なる態度をとる学者もありますが、私どもは少くとも類推解釈を絶対に許さないという態度は、牧野英一博士とともにとりませんけれども、しかしむやみに便宜に乗じまして、この類推解釈をやつて行きますと、これは今言つた罪刑法定主義のらちを越えることに相なるがゆえに、社会の事象からどうしても必要になりましたならば、新しい立法をして、もつて世人の向うべきところを知らしめることこそ法治国の原則かと存じまして、私どもはこの立法をしたのであります。今佐瀬委員は、これは刑法百九十七条の予備的な行為を罰するんじやないかと申しましたが、しかし私どもは、予備的な行為として処罰を求めておるものではないのであります。これは独立犯として処罰を求めておるものであります。だから本犯が正しいことをしようがしまいが、それはさつき申した第二義的なことであり、第一義的には、佐瀬委員も申した通り公務員の廉潔、公務員たるの地位にある者は国民の信頼にこたえなければならぬ、義務違反、さよう意味におきまして、結局において公務員がその地位を売るという、このこと自身に違法性があり、その地位を利用して他の公務員に顔をきかせ働きかける、しかもそれには利益をとるということが伴う、このあつせんということと利益をとるということ自身が公務員としての廉潔、義務に違反し、全体の奉仕者としての憲法の要請に違反し、国民の信頼あるいは国民の期待を裏切る行為であるという意味で、独立の法益としてこのあつせん公務員を処罰するのでありまして、何も職務を持つている公務員の予備としてこれを処罰するのではございません。ただ、先ほど申しましたような法益は、公務員の廉潔、国民の信頼にこたえる、義務違反というようなことをあつせん収賄罪として第一義的に考えておるものでありますが、しかし第二義的には、やはりその職権を持つておる公務員に顔をきかせて働くならば、一つには、その働きかけられました公務員が不適正なる公務の執行をする危険性が多分に出て来る、また一つには、一体金をもろうて顔をきかすような男は、自分の職務に関したことなら、なおさら不公正なことをするんじやないかという世人の疑惑が生れます。すなわち信頼にこたえるゆえんではありません。そういう意味におきまして、そのあつせんする公務員自体の行為、賄路をもらつてあつせんするという、すなわち自分の地位を売るということ自体が、これは公務員の憲法上の規範違反であり、社会の信頼を裏切るという、国民の公僕として義務違反である。これは私どもは本犯に従属するような犯罪として処罰の要求をしておるものではございません。なお佐瀬委員は、賄賂ということにすべきじやないかという御説でありますが、これは佐瀬委員と同感でありまして、私どもは賄賂としてここに提案しておるのでありまして、その御心配はないと思います。この百九十七条の四としまして、「斡旋ヲ為スコト又ハ斡旋ヲ為シタルコトニ付賄賂ヲ収受シ又ハ之ヲ要求若クハ約束シタ」とやつておりまして、これは賄賂罪として統一いたしておりますから、その点に対してはよくこの法文をお読みいただきたいと存じます。  それからいま一点、これは独立の単行法とすべきじやないかという御心見であつたかと存じますが、今まで申しましたような私どもの理論構成におきましては、これは刑法の涜職罪に一条加えることか至当でありまして、独立罪とすべきものではない、法益が共通であり、共通の国家の機構、公共団体の機構の構成員としての義務違反ということが、窮極の法律的な根拠でありますがゆえに、これは刑法の一部改正という立場をとることが至当だと考えておるものであります。
  44. 佐瀬昌三

    ○佐瀬委員 ただいま共犯と不能犯論から集約的に論議をしたわけですが、私の意見は、いわゆる水かけ論にならないように、猪俣委員なりその背景をなす社会党の考え方なりに立脚していろいろ論議を展開しておるつもりであります。しかして、この新提案のあつせん収賄罪が従来の贈収賄罪と同じである、いわゆる身分犯であるということであるならば、今申し上げました共犯論と不能犯論で特別に顧慮しなければならないという考えのもとに質疑をいたしておるわけであります。要するに、共犯論についていえば、猪俣委員も論難されましたように、ナチスの正犯拡張概念ですらも、すでにかようなものを犯罪とすることは解釈上わくを越えるからできないということであるならば、今度それを立法によつて犯罪としようとするのは、ある意味においてはナチス以上の立法であるということが一つ、それからただいまも猪俣委員から指摘されましたように、かつて破防法なりあるいは教育法なりにおいて教唆等を独立犯罪にした、それ自体が非常に攻撃されておる、その筆法をもつてするならば、この身分犯である本犯を中心にして考えて、その予備的段階にあるあつせん行為を独立犯罪とするということは、破防法等における教唆を独立犯罪としたことを攻撃された立場からするならば、やはりそこに大きな矛盾があるのではないか、この場合だけその予備的段階にあるあつせん行為を独立罪とするということでは、破防法や教育法を攻撃した論理が一貫しないではないかというのが私の疑問としてここに提起した問題であります。  しかし、これは意見の相違でありますから、さらにこれらの論議を中心にして、今度は具体的に条文の内容に入つていろいろ質疑いたしたいと思うのでありますが、私は実は一時半から他にやむを得ない会合がありますので、なお次の機会を得てそれらの点に対する質疑を続行いたしたいと思います。
  45. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 しいてお答えをお求めにならなかつたようでありましたけれども、誤解なさつておるのじやないかと思われるから一応申し上げてみたいと思います。こういうあつせん収賄というような社会事象を処罰するのが適当であるかどうかということは、これは議論がありましよう。さて、私どもはこれを処罰しなければならぬとした場合に、これをあなたの言うように百九十七条の拡張解釈でやるべきじやないかという御議論には賛成できないということを言つたわけで、もしこういうあつせん収賄罪を処罰すること自体がナチスのヒットラーよりもひどいフアツシヨ的考え方とおつしやられれば、これは考え方の相違であつて、何ともしようがありません。私どもはそうは思うておらぬ。またああいう良心や思想の自由という基本的人権をいとも無雑作に抑圧するような、破壊活動防止法だの教育二法案だのを勇敢に提案せられておる自由党の佐瀬委員であられるだけに、なおそこに私どもとしては何か割切れない感じが残るのでありますが、それはそれといたしましても、この社会事象を処罰しなければならぬとしたならば、やはり刑法を改正して新たなる犯罪構成要件を明確にして世人の去就を明らかにする、これが罪刑法定主義から当然のことじやないか、これを百九十七条の拡張解釈のようなことで処罰するということは、われわれのとらざるところであるし、なおまた独立した立法とするということも、同じような法益、同じような身分犯に対して、わざわざ刑法をよけて独立立法にするということも、私ども法律体制から不適当だという意味で申し上げているのであつて、ドイツですら、ヒツトラーですら処罰しなかつた、このあつせん収賄という事実を処罰することは、ヒツトラー以上のフアツシヨだと言われれば、これは見解の相違でありまして、われわれは喜んでフアツシヨである汚名を着るでありましよう。しかしさればというて、フアツシヨと言われることを恐れて、この立法を引つこめるだけのどうもりくつにはならぬかと存ずるのであります。それからさつきちよつと言い落しましたが、不能犯についての御質問がありましたが、これはどこまでも百九十七条を本犯とし、これの付随犯だというお考えから来ることだと思いますが、私どもはこれは連関性があり、相関性があり、同じような、共通の法益保護のためであるけれども、公務員が金をとつて顔をきかす、自分の地位を売るという社会行為それ自体を、独立の犯罪として処罰を要求しておるものであつて、本犯がどうであろうとも関係がありません。ただ本犯と申しますか、百九十七条の職務を持つている公務員が、それによつて影響を受けようが受けまいが、適正にやろうが、不適正にやろうが、私どもはこの条文からは、犯罪構成要件からは、それには左右されないのであります。但しさつき申しました法益論といたしましては、かような顔をきかせる者が同じ仲間から出て来、あるいは同じ上官から出て来るということになると、非常に職務の公正を阻害する危険性がある。それは一体公務員というものは一種の集団生活をやつておりまして、同種のことをやつておる、そうして非常に上下の関係あるいは同僚の関係が厚い、そしてまた祕密が保ちやすい。ゆえに職務を持つておる公務員に対して顔を売る者があつて、かれこれ容喙いたしますならば、これは職務の公正を阻害する危険性が、他の一般の人の働きかけよりは実に強いと思いますがゆえに、公務員という身分を持つておる者のかかるあつせん行為、しかもその公務員が公務員の廉潔に違反して金をもらうことによつてつたという、そこに不法性を発見して、これを独立犯罪として処罰するのでありまして、不能論とは関係がないと存じます。
  46. 小林錡

    小林委員長 それでは本案についての質疑は、本日はこの程度にとどめておきます。  明日は午前十時半より委員会を開くこととし、本日はこれにて散会をいたします。    午後一時五十五分散会