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1954-03-20 第19回国会 衆議院 法務委員会 第23号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年三月二十日(土曜日)     午前十一時十三分開議  出席委員    委員長 小林かなえ君    理事 鍛冶 良作君 理事 佐瀬 昌三君    理事 田嶋 好文君 理事 花村 四郎君    理事 高橋 禎一君 理事 井伊 誠一君       押谷 富三君    若林 信雄君       本多 市郎君    牧野 寛索君       猪俣 浩三君    木原津與志君  出席政府委員         法務政務次官  三浦寅之助君         検     事         (大臣官房調査         課長)     位野木益雄君         検     事         (刑事局長)  井本 臺吉君  委員外出席者         検     事         (刑事局公安課         長)      桃澤 全司君         判     事         (最高裁判所事         務総局人事局         長)      鈴木 忠一君         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 三月十九日  利息制限法案内閣提出第一〇六号) の審査を本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  裁判所職員定員法等の一部を改正する法律案(  内閣提出第九三号)  法務行政に関する件     ―――――――――――――
  2. 小林錡

    小林委員長 これより会議を開きます。  裁判所職員定員方等の一部をを改正する法律案を議題となし質疑に入ります。  この際お諮りいたします。本案審議最高裁判所当局より出席説明したいとの要求があります場合にはこれを承認いたしたいと存じますが、御異議はありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 小林錡

    小林委員長 御異議なしと認め、さようとりはからいます。  それでは質疑通告がありますからこれを許します。林信雄君。
  4. 林信雄

    ○林(信)委員 ただいま付議されました裁判所職員定員法等の一部を改正する法律案の二、三についてお尋ねをいたします。多数の法案がなお審議されておる折からでありまするから、時間の関係上一括して申し上げます。たくさんの数ではないのですから、とりまとめてお答えを願いたい。  今や各行政機関における職員定員縮減のことがなされております。これは諸般の情勢よりいたしまして適宜の措置かと存じておりますが、それにいたしましても、特殊性を持ちまする裁判所職員であります。これらのものが、一般情勢に対応するとは言いながら、その縮減のことはかなり困難ではないかと思われるのです。御当局におかれてそれら司法行政事務簡素化等をもつてせられるということは一つ方法であることはもちろんでありますが、そのことはただに今日に始まつた問題ではないと思います。すなわち司法行政事務が煩雑であつたりあるいは繁文褥礼に流れるということは、現在まで継続せられておつていいわけはないのでありますが、それらのことは過去において十分留意せられてその線に沿つて来られたものであろう。それにもかかわらず、この際特にその事務簡素化をやろうということになりますると、どういう点がねらわれておるのか抽象的には言えるのでありますが、一般行政事務と違いまして裁判事務という限られた特殊の事務、それに対応いたしまする行政事務でありまするので、特段の簡素化が困難ではないかという懸念を持つのであります。従いましてその点に関しまする心構え、具体的に予定せられるものがあるといたしまするならは、これらのことは従来、司法行政事務影響等を勘案せられてどういうふうに交渉せられておりまするか、これが一点であります。  次は奄美群島における裁判所職員定員の問題でありますが、これは私より申し上げるまでもなく、前国会におきまして奄美群島復帰に伴う法令の適用の暫定措置として、いわばできたてのほやほやのものがただちにまたここに縮減を伴うということになりますると、その実際面においてたいへんな不自由があるのではないか。といいまするのは、あらためて申すまでもないのでありますが、従来そこへ一つ組織の納まりがありまするところでは格別でありますけれども、かように突如として軍政下より国内政治へ移行して参りましたこの地方におきましては、かなりの混乱があるのではないかと思うのですから、平常の時期と違いました今日においては、その辺に無理が行くのではないか。伝え聞くところによりますると、かなり手きびしくこたえておるらしい。もしさようなことで裁判の実際事務影響するところがありといたしまするならば、きわめて雪天な時期にこの種定員あるいは経費のことよりして、その影響はあまりに強過ぎるのではないかということが懸念せられるのであります。全然そういう懸念なしとしての処置でありまするか、十分懸念はせられるけれども、もつてやむなし、ただベストを尽すといつたような考えであるのか、これらの点について伺つておきたいと思います。  いま一つは、この法律案附則でありまするこのたびの裁判所職員人員整理につきまして、一般公務員人員整理の場合に準じて一定の猶予期間を設け、その間は新定員を越える員数裁判所職員定員のほかに赴くことができるとともに、新定員またはこれに基いて定められる配置定数を越えることとなる員数職員配置転換が困難な事情にある者について最高裁判所ルールで定め、本年の六月三十日までの間において、その職員臨時待命を命じまたはこれを承認することができるといつたようなことになるのでありますが、官吏の待命という処遇は必ずしも新しいものではないと存じますが、裁判所職員等について、それらのことが過去にあつたのでありますか。いずれにいたしましても、今度の場合、その待命を命ずるというようなルールは大体どういうふうに構想せられておるのでございますか。なおそれは命令であつて、それに服しないわけには行かないものであるのか。あるいは御説明の中にありましたように、これを承認するといえば、その申出をなす者を承認せられるという意味もあるのだが、全部本人の任意の申出を待つてこれを承認するという形式をとられるのか等々、その構想を伺つておきたいと思います。  今申し上げましたことは大体三点でありますが、一括してお答えを願いたいと思います。
  5. 鈴木忠一

    鈴木最高裁判所説明員 ただいまの御質問についてお答えを申します。第一点は、このたびの裁判所職員定員法等の一部を改正する法律案によつて裁判所職員の数が法律上減少する、その減少する点は結局は事務簡素化ということでまかなわざるを得ないのであるけれども、具体的にはどういう方法でその簡素化をはかるか、こういう御質問が第一点のように承りましたが、これはただいま林委員からも仰せられました通り、固有の裁判事務方面事務は、これは法律なりルールでもうきまつておりますから、それを改めない限り手を抜く、簡素化するということはほとんど不可能と存じます。従つて簡素化するということになれば、裁判事務の背後になるところの行政事務の方を簡素化する以外には、私どもの方といたしましては手がないわけでございます。具体的には、行政事務系統最高裁判所高等裁判所地方裁判所家庭裁判所というようにピラミツト型になつていろいろな事務運営をされておりますので、そういう方面における報告事項であるとか認可事項というようなものを層整理をしてそうしてこれを簡素化する。それから第二には事務局組織合理化をはかる、場合によつては各課であるとか各係であるとかいうようなものを統合して、それによつて員数縮減する。具体的に申せば、ただいま地方裁判所等には訴訟事務下仕事をするような、書記官下仕事をするような訟廷課というのがございます。この訟廷課を廃止するというようなことも、おそらく実現するのじやないかというふうに考えております。訟廷課を廃止して、首席書記官のもとに訟廷課事務を持つて行つてやらせるというふうなことでもつて人員を浮かせるというようなことも考えておるわけであります。  それから第二には奄美大島人員縮減のことでございますが、御承知のように奄美大島内地への復帰の際は、ともかく現在裁判所職員として働いておる者はそのまま整理をしないで引継ぐ、しかしこれは暫定的にそういうように認める、従つてその経費既定経費でまかなうということでありました。その当時引継いだ職員は三十九名ございました。引継ぎ当時から奄美大島職員については、結局新しい会計年度の際にはつきりとした線を出すというような含みでありましたので、今回三十名という定員なつたわけでございますけれども、三十名になつたから、それなら三十九名のうち八名をすぐ減らす措置をとるかと申しますと、それは内地定員との振合いを考えまして若干融通ができる面があろうかと思いますので、三十名になつたから、とたんに三十九名のうち八名を縮減するということはただちにはとらないつもりであります。  それから第三は待命の実施をどういうようにするか、具体的に最高裁判所の規則でどういう点を定めるかということでございますがこれは般の行政職員臨時待命についてやはり法律が出ますので、それと矛盾しないように最高裁判所ルールで、それは結局最高裁判所の方としてはこの四項でそれを準用もしておりますので、附則第十項から十七項までというような規定になりますが、それでまかなうという方針でございます。ですから、裁判所なるがゆえの利益、不利益というものは、般行政職員との間に生じない結果となるわけであります。以上であります。
  6. 林信雄

    ○林(信)委員 第二点に対するお答えなんですがお示しになりまする報告だとか、認可関係書類等を含む事務、これは限られた程度事務であろうと思うのであります。そのことは、ここで少々簡素化しましたところで大したことではなく、また実際において簡素化しがたいものではないかと思います。従いまして、実際に大きなねらいの対象になりますものは、一般的な事務能率をどうして上げるかということではないかと考えるのです。人を多くしても必ずしも仕事の結果が多く出るとはきまらない。これはただ官庁の事務にとどまらない。何といつたつて、当の本人の手腕、熱意の問題であると思う。従いまして、お示しの訟延課を廃してといつたような、それらの組織面のことも、これは端的に結果は出て来るであろうと思うけれども、しからばといつて、これらの事務体系というものが、さように無意味にできておつたとはわれわれも考えない。やはり置くべき理由があつて設けられ、そうしてまたそのねらいは、ある程度達しておるとも思われる。それをただ入れかえて、廃してしまつてただ人員を減らすということにして、はたして能率的に行くかどうかということも考えなければならぬ。結局押し進めて参りますと、当該事務に当ります者が、熱心に努力してその法の主眼といたしますところ、いわば時局の要請しておりまする線に沿つて、うんとしつかりやるんだ、こういうことでなくてはならぬと思います。これはただにかような事態に処してばかりではないと思います。このような事態になりますれば、趣旨をよくその衝に当る者に理解させ、監督者はもちろんでありますが、人々々に徹底してやつてもらうということに御当局が十分御注意くださることが非常に重要なことじやないかと思いますので、その点を特に老婆心ながら申し上げて齢く次第であります。  なお、法務省位野木政府委員がお見えのようでありますが、あなたの方は今度定員法による縮減関係でどういうふうな影響があるのでございますか、またどういうふうに対処されておるものでしようか、この際参考までに伺つておきたいと思います。
  7. 位野木益雄

    位野木政府委員 政府行政職員削減法務省といたしまして、今定員は約四万五千ですが、今度の整理によります削減人員は千九百名余、約三七%ということになりておりまして、比較的整理割合は少いのであります。これはやはり今仰せられました事務簡素化能率化によつてまかなうというふうな方針で今具体策を考究いたしております。
  8. 井伊誠一

    井伊委員 裁判所職員定員法等の一部を改正する法律案上程のこの際、ちよつと承つておきたいと思います。検察審査会運営の実際はどういうふうになつておりましようか。その今の状態をお尋ねしたい。
  9. 鈴木忠一

    鈴木最高裁判所説明員 検察審査会は、全国二百三箇所に置かれております。そうしてその事務局長というのは、裁判所職員の中では比較的経験のある者がやつております。結局現在の状態では、審査会の性質であるとか、活動とか、そういうものが割合に世間に知られておりませんので、その方の宣伝普及というようなことにもかなり力を注いでおるのであります。全国的に申しますと、各検察審会は、それぞれ事件が非常にあるという状態ではなく、事件の数から言えば割合少い状態なんです。でありますから、人員整理というようなこともからみ合いまして、検察審査会はもつと重点的に置いたらどうか、法律では二百何箇所ということが規定されておりますが、その法律を改めまして、もう少し重点的に圧縮をしたらどうかというようなことが現に内々の議論になつておりまして、場合によつて検察審査会法案議会に提出して、その設置箇所数を改めて、それによつて人間の減少をはかつたらどうかというような議が現在ありますけれども、いろいろな関係で、今議会にはまだ検察審査会の改正案なるものが上程される程度に至つておらない状態であります。
  10. 井伊誠一

    井伊委員 この検察審査会事件はきわめて少い、これは減少してもよい、そういうふうな考え方を持つておられるということでありますが、その審査会運営のどういうところが縮小して行つていいということになるか、その点についてお伺いしたい。
  11. 鈴木忠一

    鈴木最高裁判所説明員 検察審査会のことについては、私専門家ではありませんし、その事務に詳細タッチしておりませんので、はつきりしたことを申し上げられないのは残念でございますが、大体私どもがそばにおつていろいろ論議されておるのを聞いておるところを申し上げますと、結局一地方裁判所に数箇所設けるため、事務量というものが実際ある、だろうかどらだろうか、だからその点から考えて、二百三箇所の現在の数をどの程度の数に減少するかということは、いろいろ論議されておりますけれども、そういう意味で、設置場所が多過ぎやしないか、だから同じ管内で五箇所あるところは三箇所にするというようなことを考えた方が、事務量の点からいつてむしろ望ましいのじやないかというのが、論議の対象になつているように考えております。  それから、今は事件を主にして申し上げましたが、それ以外に交通の便不便というようなことも考えて、辺鄙なところに集中をすれば、かえつてその方が般の民衆のためにもいいんじやないか、こういう考えも加わつておるようでございます。
  12. 井伊誠一

    井伊委員 この制度が設けられました当初から、この制度のほんとうの必要性がそれほどあるかということは相当疑問視されておつたのでありますが、その重点は、検察審査会そのものの選定の方法抽籤によるということ。これは厳正な選挙によるという方法をとれば、その準備のために相当費用を要する。それほどの費用をかけてやるほどのことはないというので、結局抽籤という制度をとつたのでありますが、その所期の目的を大部分達しないようなことになるのではないか。現に検察官が不起訴処分にしたというような法律的な要素を持つているものを、一般庶民からくじ引きに当つた人が六箇月間ではたしてそういう事件のめどが立つか、処理ができるか、そういうことも考えられておつたわけであります。現に見るところによると、片寄つた地方においては運営されているけれども、他の方はほとんど裁判所の見学をしているとか、あるいは検察審査会の何ものであるかということを教育しておるというふうに見えるのであります。こういうことは裁判所事務官運営、指導の事務に当つているというようなことでもあり、裁判所としてもこのために相当事務の点で手数をかけているが、実績はどうも上つていない。自然に忘れられて行くような現在の状況である。もつとも大きな政治犯といつたようなものがここに上つて来るような場合なきにしもあらず。そういう場合には大いに効果を発揮するかもしれないけれども一般地方においてはこういうものはそれほど必要がないのじやないかというので、持て余しているようなところが見えるのであります。  そこで私は実際上はもちろんわかつておられると思うが、今お聞きするところによれば、数を減らして、重点的にするというようにだんだん縮小して行くというお考えのようでありますが、これは検察審査会委員選出方法をそのままにして、ただ検察審査会の数だけを減らして行くという考えか、もつと根本的にお考えになるのか、あるいはやがてこれは自然に縮小してしまつて、なくしてしまおうというようなお考えもあるのではないか。その辺はどうであろうかということをお聞きしているわけであります。
  13. 鈴木忠一

    鈴木最高裁判所説明員 ただいま御指摘になりましたように、検察審査会制度は終戦後のきわめて新しい制度で、日本にまつたくなかつた制度、ことにアメリカなどの制度をモデルにしてつくつたことは言うまでもないわけであります。従つてその運営についてはまだ結論を出す時期には達しておらないと存じますけれどもただただいま申し上げましたように、事件の数、交通の便不便、当事者の便不便というようなことを考えて、もう少し集中的に場所考えたらいいじやないかということが主になつております。同時にただいま御指摘なつたような抽籤検察審査会委員を選ぶその結果は、審査員の粒がそろわないという非難も確かにあるのであります。従つて場所的に集中主義をとるということと並んで、委員の選び方をどういうようにするかということも、具体的にはいろいろ考えております。結局委員にはもう少し程度の高い人になつてもらうような選出方法を具体的には考えなければならないのじやないかということで、最高裁判所事務当局でも法務省あたりと意見の交換をいたしつつ考えておりますけれども、まだ具体的にこういう方法によるということには達しておらないようであります。  それから検察審査会の将来の存置ないしは廃止の見通しはどうかという御質問でございましたけれども、少くとも最高裁判所の方としては、この制度はせつかくスタートしたのだし、検察ということが民主的に行われるということから見ても、やはり存置しておいた方がいいのではないか、結論としてはそういう考えでおります。従いまして将来、ほつておいて自然の成行きにまかして、つぶれてしまつてもいいのだという考えにはむしろ反対なので、形は現在のようなたくさんの数にしておくか、もつと圧縮した形になるかという点では、さいぜん申し上げたように考えておりますけれども、消滅させていいものだというようには事務局の方としては考えていないのであります。
  14. 小林錡

    小林委員長 他に御質疑はありませんか。――それでは本件は本日はこの程度にとどめておきます。     ―――――――――――――
  15. 小林錡

    小林委員長 次に法務行政に関する件について調査を続行いたします。発言の通告がありますから、順次これを許します。猪俣浩三君。
  16. 猪俣浩三

    猪俣委員 きのうに引続きまして、教育に関します二法案について、主として刑罰関係につきましての質疑を続行したいと存じます。聞くところによれば文部委員ではほとんど逐条審議をしておらない。かような画期的な教育者をその言論、思想の公表を事由として処罰するというがごとき重大な立法に対しまして、犯罪構成要件すら逐条審議しておらないということは、実に国会の権威にかかわる問題だと存じます。その意味におきまして、少くとも法務委員会においては事を明らかにしたいと存じますので、質疑を重ねる次第であります。ただ当の責任者である法務大臣がお見えにならぬために、大きな問題についてお尋ねすることができないのをはなはだ遺憾といたします。そこで義務教育学校における教育政治的中立確保に関する法律案刑罰をもつて守らんとする法益は一体何であるか、その御説明を願いたい。
  17. 井本臺吉

    井本政府委員 義務教育学校における教育中立性ということに帰着すと思います。
  18. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると結局教育中立性とは何ぞやということが、その法自体の解釈につきましても重大な関係があると思う。教育中立ということは、これは法的概念でありますか、どうですか。
  19. 井本臺吉

    井本政府委員 教育基本法八条第二項に規定する点で明らかだと思います。法律概念であると考えます。
  20. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうするとこの法は教育中立性ということが法益であり、教育中立ということは法的概念であると承るのでありますが、今日この法案に対しまして幾多の学者法律専門家が論評を下しておりますけれども教育中立性ということに対する見解は不明確であり、曖昧模糊としておる。ことに法的概念といたしました際に、いかなる定義づけをするのか、教育基本法という法律と、刑罰を含みますこの法律とは違うのですよ。処罰に値する、刑罰をもつて守らんとする法益教育中立だ、教育中立というのは教育基本法に書いてあるのだとおつしやつても、教育基本法を見たつて教育中立とは何であるかわかりません。どういうことなのですか定義してください。今まで私が調べた範囲においても学者で定義を下したものはない。何のことかわからないということをみな言つておるのです。その教育中立性というのは何でありますか。
  21. 井本臺吉

    井本政府委員 この義務教育学校における教育政治的中立確保に関する法律案の第一条に規定してあります「教育基本法精神に基き、義務教育学校における教育党派的勢力の不当な影響又は支配から守り、もつて義務教育政治的中立確保するとともに、これに従事する教育職員自主性を擁護する」これが目的なわけでありまして、従つて先ほど擁護すべき法益教育中立性の保持だと申し上げたのは、これに帰着すると考えます。
  22. 猪俣浩三

    猪俣委員 教育基本法精神に従わざる者は、教育基本法において制裁がある。しかるに処罰という重刑をもつて臨まなければならぬとするならば、この法律において特殊な法益というものが想定せられなければならぬと私は考える。おそらく教育中立性などという法益とは前代未聞の話だろうと思う。それをあなたが法的概念とされるというと、博士論文でも書いてもらわぬとわからぬ。しかしこれはこれとしておきましよう。これはなお法務大臣なり文部大臣にお尋ねしなければならぬかも存じません。そこでこの法益それ自体が不明確でありまするがゆえに、犯罪構成要件というものが実に不明確きわまるのであります。今までの刑罰の伴う法律で、このくらいわけのわからぬ犯罪構成要件を備えている法律はないと考えます。よく法務省がこれをおつくりなつたものだと思う。いかに圧迫がありといえども、諸君がこんな法案をおつくりなつたことは、私は法務省のために惜しむのであります。そこで第三条にいわゆる独立罪としての教唆扇動が出ております。そこでお尋ねしたいことは、義務教育学校の教職員が何か教唆扇動を受けて、教室で児童に偏向教育をやつた。その実際偏向教育をやつた人自身は合法なんです。処罰対象になつておりません。しかるに扇動をした者が処罰される。刑法の教唆罪は申すまでもなく教唆を受けた人間不法行為、しかもそれが実行に着手したことを条件としておる。しかるに本法は実行した人間行為は合法でありながら、扇動した者を不法として処罰する。そこでかような扇動された人間行為合法行為をやつておるのに、扇動した者たけが処罰されるというような、一体こういう変則的な教唆罪というものは他の法律にありますかどうか承りたい。
  23. 井本臺吉

    井本政府委員 国税犯則取締法の第二十二条には、納税をしないことを扇動した者を処罰する規定がございます。もちろん納税をしないということは非難されるべき行為ではありますが、刑罰にはなつていないのでございます。典型的なのはその例が一つであると私は記憶しております。
  24. 猪俣浩三

    猪俣委員 税法などというものとこういう実体法というものとごつちやにしてお考えになつておられるが、税法などは普通の自然犯、刑事犯と違う取扱いが多々ありましよう。法人も処罰される。あるいは第三者の行為によつて本人処罰されるという規定がたくさんある。普通刑事責任は、行為者自身の責任であると理解されているにかかわらず、第三者の行為によつて本人が責任を負うということが税法等にはたくさんある。しかしかようなことは刑事責任の本則ではありません。刑罰における直流、本流の考え方ではないことは申すまでもない。こんな国税違反処罰などというところにだけしかないような問題を、いきなり教員の教育活動に当てはめる。私はここに非常に危険性があると思うのであります。そうして刑事責任の本質に反したことをやつておる。刑法の原則は、被教唆者が突行ずることを条件として教唆処罰するということであります。但しこの原則は近ごろ非常にくずれて来ております。破壊活動防止法その他において非常にくずれて来ている。いわゆる権力を握る者に便利なように、処罰しやすいようにくずれて来ておりますが、教育公務員特例法においてはそれ以上の飛躍をしておつて、被教唆者がやることは合法でありながら教唆者だけを処罰する。しかもそれを実行しようがしまいがかまわないというような、二段飛びの変則的な規定をやられている。ここに非常な危険性のある、そして刑罰の本質に違反している条項であるということを私は指摘いたします。そうするとあなたのお考えでは、今あげられたような税法の取締り規則以外にありませんか。
  25. 井本臺吉

    井本政府委員 被扇動者が処罰されないで扇動者だけが処罰されるというのは、私の知つております限りでは、今の国税犯則取締法の第二十二条の規定だけであつた考えております。
  26. 猪俣浩三

    猪俣委員 実にそれはもう比較にならぬ。そんな税法の刑罰の本質からはずれたものしかない。実にこれは刑罰の責任体制を乱す立案であります。  それからこの第三条の中にある「学校教育法に規定する学校職員を主たる構成員とする団体」、この意味でありますが、これは「学校職員を主たる構成員とする」という意味は、数の上から言うのであるか、実際の指導者、実際団体を動かす幹部がこの学校職員であれば、たとえは委員長、書記長、執行委員というものはずらりと全部学校職員である。しかし数から言うとそうじやないもの――あるいは高等学校の先生とかあるいはPTAであるとか、そうじやないものがあるという団体は、これに含まれないのであるかどうか。要するに「主たる構成員とする」という意義いかん。これを伺いたい。
  27. 井本臺吉

    井本政府委員 数を問題にしておるのでありまして、半数以上であれは、主たる構成員とする団体であるというように考えております。
  28. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると結局これは、主たる構成員と称するのは、人数の上から見て半数以上が義務教育職員であり、これがここに言う主たる構成員とする団体ということになる。こう承つてよろしいか。
  29. 井本臺吉

    井本政府委員 法律規定があります通り、「学校教育法に規定する学校職員を主たる構成員とする団体」というのは、義務教育関係の職だけではなくて、学校教育法に規定する学校職員のことをさすのでございます。なお今の「主たる」というのは、数の上で半数以上であということは今申し上げた通りでございます。
  30. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、この「学校職員を主たる構成員とする団体」、教員組合のような団体、ここへ来て政党人その他大学の先生等が偏向教育的な扇動をやつた。そこで先生がその教育にそれを利用した偏向教育をやつたという場合ですが、この場合の扇動は、もちろん演説をやつてアジつた人でありましようが、この人を招聘して、この人に講演をさせましたら、この教員の団体は共犯関係に立つのですか。教唆罪が独立犯であるならば、共犯あるいは幇助、そういう関係考えなければならぬと思いますが、どういうことになりましようか。
  31. 井本臺吉

    井本政府委員 刑法の総則の適用が当然あると思います。
  32. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで問題なんだ。そうすると、この一体自身が刑法の適用を受ける。そうするとその団体の構成員で、実際教室で偏向教育を児童に行つた者はどういう関係に立ちますか。
  33. 井本臺吉

    井本政府委員 この規定にあります通り、教室でこの規定の第三条にあるような教育をした者は処罰対象になつていないのでありまして、あくまでもこの第三条に規定するような義務教育学校教育職員に対して教唆扇動した者を処分するということになるかと思います。
  34. 猪俣浩三

    猪俣委員 私のお尋ねするのは、第三条の教唆罪、これが成立したとしますと、そういう教唆者に講演を頼んだ団体が、いわば刑法の共犯その他の適用があるという、そこでそれはどこまで及ぶか、構成員体に及ぶか、どうかという問題です。
  35. 井本臺吉

    井本政府委員 一体は別に処分しておりませんので、その団体を構成する個人が、この三条の規定するような目的を持ち、かつ組織または活動を利用いたしまして、義務教育の教員に対して、ここに規定されておるような教唆扇動をしたということになれば、当然処罰対象になるということを申し上、げた次第であります。
  36. 猪俣浩三

    猪俣委員 今、大学の先生が教員組合で演説をやつた、そうするとその教員組合自体は共犯になるおそれがある、それからその先生の言うたことを教室で先生が児童生徒にしやべつて偏向教育をしたということになると、この大学の先生、教唆者を呼んだ団体は共犯になる。団体の構成員で実際そういう教育をやつた個人は、偏向教育をやつたとすると、教唆者の共犯ということになりますかなりませんか。教唆というのは独立罪でしよう。そうしてそれを実際その効果あらしめた、つまり教員組合の団体の個人が教室で生徒に言うことによつて教唆が実行に移された場合、実際この行為をやつた先生は、教唆の共犯、幇助という関係に立たぬかどうか。
  37. 井本臺吉

    井本政府委員 お話の扇動的な演説をやつたという者と共犯になれば、それは第三条の規定になりますが、教室で教育をしたということは、何回も申し上げます通り、別に犯罪としてはいないのでありまして、教唆扇動という点において共犯であるかどうかという結論が出ると存ずる次第でございます。
  38. 猪俣浩三

    猪俣委員 どうも私の質問が悪いか、あなたの答弁が悪いか、はつまりわからない。私どもは将来具体的事案が現われることを想定してお尋ねしておるのです。だから事は平明に解釈していただいて、ある教員組合がある大学の教授を招聘して講演を頼んだ、ところが非常なアジ的演説をやつた、それをまた心からそうだと合点した先生が、別に扇動者に頼まれたわけでも何でもありませんよ、先生がその扇動した人、扇動者とにらまれた人の言うたことと同じことを実際教室で言うても、それは何ら三条の対象にならぬのか、直接に扇動者と称せられる、あるいは教唆者と称せられる人の意見を聞いて感奮興起した人が、教室でその通りのことを子供に伝えて、いわゆる偏向教育をやつたという場合において、要するに普通で言うならば教唆がまさに実行に移されて、その先生が教室でそういう教育活動をやつたんだから、教唆者が処罰されるのは普通の現象でしよう。ところが今回は教唆罪独立罪として処罰される、そこはわかつた。わかつたが、その独立罪として処罰される人の言うたことに共感を覚えて、その通りだということで、すぐそれを子供に教えた場合に、いわゆる教唆という独立罪の幇助だとか共犯だとかということで取調べを受けるようなことがないのかということを言うているんです。
  39. 井本臺吉

    井本政府委員 今のお話の感奮興起して教育をしたという方は、第三条の規定に当りません。もちろんほかの公務員法その他によつて行政罰等の処分の対象にはなるものかもしれませんが、少くとも今問題の法律の第三条には当りません。
  40. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、ある教員組合がある講師を呼んで来る。もちろんどういう講演をしてくれと頼んたのじやない。東大の総長矢内原さんの意見を、あるいは講義を聞きたいということで頼んで来たところが、矢内原さんはこの教育法案に猛烈に反対するんだから、この立案をした吉田内閣、自由党、これを攻撃し、これを救うもの社会党にありというようなことを言うた。そこで教員諸君は自分たちも反対したことであるから、まさにしかりだ、そこで教室で、東大の矢内原さんという偉い人がこういうことを言うた、その通りだ、自由党なんというものが長く政権をとつてつたら日本はつぶれてしまうというような教育をしたといたします際に、あなたのさつきの答弁では、矢内原さんを試演に頼んで来たその組合は共犯になるかもしれぬというお話があつた。ところが生徒に直接偏向教育をやつた者は三条にひつかからぬ、こう言う。そこでとうして第三条からその区別ができて来るのか。こういう偏向の講演をしてくれということで、よしやろうということで来たなら、あなたのおつしやるように、この団体自身に共犯というような関係が出て来るかもわかりませんが、ただ矢内原さんに時局問題について講演してくれといつて頼んだだけだ。ところが矢内原さんは激越な口調で――これは矢内原さんに対して、名前を出してはくあい悪いかもしれぬが――演説をなさつたという場合に、どうしてそれが共犯になるのであるか。そういう場合はどうですか。
  41. 井本臺吉

    井本政府委員 お話の某大学教授が第三条に当るような講演をしたという場合、その内容を知りながら依頼すれは、これは今の教唆扇動の共犯になりますが、ただ某大学教授に講演をお願いする、ところがお願いした結果、某大学教授が非常に政治的偏向をもたらすような、第三条に規定するような教唆扇動をやつたというような場合には、そのやつた人だけがその規定の罰の対象になるので、その講演の内容をあらかじめ知らなかつたという場合は、依頼した者はこれは犯罪にはなりません。
  42. 猪俣浩三

    猪俣委員 わかりました。それならわかりました。それからこの三条はいわゆる目的罪だと思うのであります。何々の目的というのが犯罪構成要件になつておる。この目的罪は、破防法も、昔の治安維持法も、これは目的罪であつたかと思うのですが、自的というものは一つ行為のしぼりにはなるのであります。ところが今までのわれわれの実験によると、この目的罪ほど人権蹂躪が行われる。なぜなら、目的というような人間の意思解釈、しかもそれが出なければ犯罪構成要件を満たさないということになつて、無罪にしなければならぬことになりますがゆえに、目的罪というものは、人権蹂躪の立場からいうと、非常に危険性がある。目白を強要する危険がある。またその誘惑を与える。その目的さえあるならは処罰できる。しかるに目的というものは本人の意思解釈になつて来る。そこで自由を強要する危険性が多分にある。その点法務省ではどういうふうにお考えになつているか。そういうことに対して特に配慮されたのであるかないか、今までの目的罪と人権蹂躪の関係調査なされたことがあるかないか、それをお尋ねします。
  43. 井本臺吉

    井本政府委員 目的犯罪構成要件規定いたしましたのは、少くとも目的罪としないよりも、狭いわくを一つはめたわけでありまして、目的がない場合には処分できないということになるわけでございます。ただお話の通り、目的というものについては、法律上動機説であるとかあるいは認容説であるとかいろいろな説がありますが、本件については認容説程度考え方を持つております。お話の、さような本人の主観的な意思を追究するために調べが困難で人権蹂躪が行われないかという点でありますが、私ども考えといたしましては、かような目的にわくをかけまして、構成要件を厳粛にして、さような目的のないものが刑罰にひつかかるというようなことのないようにするためにかような規定を設けたのでございます。お話の目的があるためにどういうような人権蹂躪が行われたかということは、私まだ調査資料を集めてはおりません。先ほど申しましたように、この目的規定いたしましたのは、この刑罰自身相当厳重なわくでなければ処分されないという意味においてかような規定を設けた点、御了承いただきたいと思います。
  44. 猪俣浩三

    猪俣委員 第三条でありますが「特定の政党その他の政治団体の政治的勢力の伸長又は減退に資する目的」、本人がそういう目的を持つてつたと自白すれは明らかでありますが、そんな目的はないのだと言つた以上は、これは客観的に判定しなければならぬ。そこで本人の言うた言論が「政治的勢力の伸長又は減退に資する目的のもの」であるかどうか、なおまたその終りの方にも「特定の政党を支持させ、又はこれに反対させる教育」とこうある。これもまことに抽象的で、はなはだ漠として、刑罰構成要件としてはほとんどとらえることのできないような文句である。たとえば登仮、利島へ参りまして――わが党のここにいらつしやる木原議員は親しく行つて来た。あそこで再軍備してはならないということを言うたとすると、これはたいへんな問題なんである。木原氏もえらい目にあつて来ている。なぜ軍艦をつくらない、なぜ軍隊をつくらない、島民のほとんど全部がそう考えている。そこで、軍備なんぞしてはいかぬ、憲法なと改正してはいかぬ、絶対に自衛隊なんか持つちやいかぬ、また自衛権の発動なんと言つて外国と事を構えてはいけない、左派社会党はそういうことをもつて徹底的に政策としてやつておるのたから、この政党がよるしいというようなこと言つたとしますと、対馬なんぞではまつたくのマイナスになる。ははあ、左派社会党というのはそんなのか、そんなだら幹の政党はごめんこうむると、木原君はさんざんな目にあつちやつた。一体そういつたことは政治的勢力の伸長をはかつたのであるか減退をはかつたのであるか、特定の政党を支持させようとしたのであるか、あるいはこれに反対させようとしたのであるか、それをお答え願いたい。
  45. 井本臺吉

    井本政府委員 何々政党というのを明示いたしまして、その政党はかくかくである、それを支持せよとかあるいは反対せよとかということになれば、明らかにこの条文に出て来る「特定の政党等を支持させ、又は反対させる」ということになると思います。ただ特定の政党を明示しない場合には、政策だけでは、簡単に論議いたしましても、この第三条の「特定の政党等を支持させ又は反対させる」ということにすぐには帰着しない、かように考えております。
  46. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、今度は「特定の政党等を支持させ」ということは、社会党なら社会党の名前を出せば支持さしたことになるし、名前を出さないで、ただ政策だけ言つたのじや特定の政党等を支持させたという客観的な判定は下せない、こういう意味になりますか。
  47. 井本臺吉

    井本政府委員 簡単な政策の批判だけでは目的にはならぬということを申し上けたので、それが政策の問題でも、その政策のよつて来るゆえんを詳細に説明いたしまして、この第三条第二項にあるような「特定の政党等を支持し、又はこれに反対するに至らしめるに足りる教育」ということになれば、この罰条を受けるということもあり得ますが、普通の政策の批判だけではこの範疇には当らぬ、かように考えておりします。
  48. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、今日本で最大の政治問題になつておりまする憲法の改正あるいはMSA協定、これは時事問題として、やはり社会科で教育すべき問題だろうと考える。その際に、自由党じやこう言つている、改進党はこうだ、左右の社会党はこうだ――そこで今度は政策を羅列しただけでは教育にならない。教育とは価値判断を子供に教えることであります。教育ということは、物の報告じやないのです。価値判断である。教育というものには必ず批判がつく。批判活動のない教育というのはあり得ない。教育とは、エデュケーシヨン、引出すことでありまするがゆえに、刺激を与えて子供の能力を引出し、成長せしめることである。だから、教育とは批判活動であります。価値判断活動であります。されは、自由党はこう言つている、あるいは改進党はこう言つている、左右の社会党はこう言つている。そこでこれを現在の日本の情勢、世界の平和確立という観点から見るならば、この社会党の掲げている政策が正しいと思う。――それでは具体的にひとつ承ります。これを對馬でやつたらどうなります。
  49. 井本臺吉

    井本政府委員 對馬の人気がどうなつているか、私は実は知らないのであります。ただ政策の批判は前に申し上げます通り、これはさしつかえないのでありまして、この政策を批判した上でその特定の政党を支持させる、または反対させる状況に至れば、これはこの罰条に触れることになりますが、何回も申し上げます通り政策の批判は別に問題にはならぬ、かように考えます。
  50. 木原津與志

    ○木原委員 それなら今の質問に関連してお尋ねするのですが、政党の政策でなくて、時の政府の掲げておる政策を批判の対象としてやつた場合、その政府の母体となる政党との関係はどうなりますか。あなたはさつき政党の批判攻撃ということを言われたが、政党でなくて、直接時の政府の掲げる政治施策というようなものに対する批判攻撃、反対するとか賛成というようなものは、この「特定の政党」という観念の中に入りますかどうか、ちよつとお答え願いたい。
  51. 井本臺吉

    井本政府委員 政策の批判が、特定の支持または反対になるという場合には問題になり得るのでありましてだだ単なる政策の批判というたけでは問題にはならない、こう考える次第であります。
  52. 木原津與志

    ○木原委員 だから時の政府の政策について批判して、政府の施策を支持させる、あるいは反対させるというような場合に、その政策が実際上は現在の自由党の掲げておる政策であり、施策であつて、自由党を母体にしておる政府というような場合もこの中に含むのかどうかということです。
  53. 井本臺吉

    井本政府委員 自由党という特定の政党の支持または反対になるということにならなければ、この罰条には触れた請いと考えます。
  54. 猪俣浩三

    猪俣委員 今のに関連する問題になるか上りませんが、それは非常にデリケートな問題だと思うのです。あなた方もおざなりでない答弁をしないとあとで非常に問題となるが、吉田茂という人は今、日本においては第一流中の一流の人物で、この人をおいてはほとんど総理大臣になる人はない、そこでこの吉田内閣というものは、日本が楽園になるまではどうしても総理の地位に立つて、そして内閣を組織して政治をやつてもらわなければならない。吉田内閣の存続することは日本の発展のために必要欠くべからざるものであるという演説をよく自由党諸君はやつているのでありますが、この自由党諸君がやつているような意味のことを自由党びいきの学者教育団体に話をしたという場合におきまして、これは一体「特定の政党等を支持させ、」ということになるのかならぬのか。これは吉田内閣は政党内閣でありますがゆえに問題になる。学者が本法に対して反対をする理由の一つは、政党内閣制のある限りは政治的批判ということが行われるし、そうなるとどうも一方の政党を支持するとかしないとかいうデリケートしな問題になつて、はなはだ不明確になるということが学者の批判であります。そういう意味におきまして、吉田総理大臣ないし吉田内閣を謳歌し、これのますます長く続き、この内閣の強固ならんことを願うような意味を児童生徒に話をした、これと違うことを言つているのはみな赤たぞというふうな教育をしたという場合に、これはどうなります。
  55. 井本臺吉

    井本政府委員 吉田内閣支持が、結局自由党という特定の政党の支持になるということ一であつて、しかもこの第三条に規定されておるようなやかましい目的韻、団体その他の組織を利用しておるというような要件が全部備われば第三条の規定になるというように申し上げるだけでございます。
  56. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、先ほどあなたは政党の名前を言うということをおつしやつたのでこの疑問が出て来るのだが、明らかに自由党と言わないでも、吉田内閣と言つて、その強固発展を願う、これが現下の日本を救う道であるというようなことを演説する者があつた――もちろんその他の条件、第三条に当てはまらなければならぬことは申すまでもないが、「特定の政党等を支持させ、」という文句にからみまして、自由党という名前を言わない、言わないですけれども、吉田内閣こそ日本を救うもので、これに反対する者はたいてい社会党なんで、容共で、ロシアから金をもらつているのたというような話をする。(笑声)あなた方お笑いになるけれども、去年の四月の選挙には、自由党のお歴々が教員組合というのはロシアからみな金をもらつているのだ、中共からみんな金をもらつているということを堂々と選挙の立会い演説に言つていらつしやる。これは日教組がら告発されておる。これも私はあなたにずつと質問しようと思つて忘れてしまつたのですが、質問書を何回も出じているはずだ。この名誉職損に対する告発をとう処置されたかわからない。わからないが、実に政党の最高幹部の方々が堂々と選挙の立会い演説会においてかような根拠のないことを大衆にやつております。ですから、あなた方日教組というと、みんな社会党はかりのように考えていらつしやるけれども、あれは丹頂鶴と言われている、地方組織なんかは自由党、改進党びいきの省がた~さんいる。だから自由党諸君もあまり日教組をいじめると、これはかえつて選挙にためにならないのです。そういうことな頭に置いてもらわなければならない、そしてまた大学教授と称しても、実に勇猛果敢な者が出て来ておるのだ。日本を神国にしなければならない。また八紘一宇なんて唱え出して来ているのです。地方のそういう教育団体に行つて吉田謳歌の、吉田内閣礼讃の一席をぶつた。そうするとその地方の民心に与える影響、吉田内閣イコール自由党、吉田さんが彼らの地区から選挙に出ていない際には、吉田内閣の礼讃は吉田さんの選挙区以外においては自由党への投票になります。自由党という名前は出さぬにしても、吉田内閣を非常に礼讃することをやつた場合に、それが一体この三条に、かかるかかからぬか。今言つたように特定の政党を支持させようという内容だけです。自由党という名前は言わない。しかし自由党を基盤に立つている自由党の総裁である吉田内閣を支持せよ、吉田内閣が日本唯一の日本を救う内閣である、こういうことをやつた場合に特定の政党を支持されたことになるかならぬか。具体的にどうなんですか。
  57. 井本臺吉

    井本政府委員 お話のように吉田内閣の支持が自由党の支持になろうということで、しかもさような教育を行うことを義務教育学校の先生に教唆扇動したということになれば。この第三条に当るということになります。
  58. 猪俣浩三

    猪俣委員 それからこの第三条の二項、これはまた一項に輪をかけたようなとりとめのない規定であるが、一々やつてつたらさつぱりわけがわからぬ。「良識ある公民たるに必要な政治的教養を与えるに必要な限度をこえて、」これはきのうも同僚議員が質問しましたから私もあまり繰返しませんけれども、これもさつぱりわけがわからぬ。「必要の限度をこえて、」そうすると必要の限度というものがここにあり、それを越えるということにならなければならぬが、そこで一体「必要な限度」というのはどこなのだ。「良識ある公民たるに必要な政治的教養を与えるに必要な限度」それを越えてはならぬのなら、まずその限度が明らかにならぬと越えたか越えないかわからぬ。どこなんですか、その必要な限度というのは。
  59. 井本臺吉

    井本政府委員 結局ここに「良識ある公民たるに必要な政治的教養を与えるに必要な限度」というのは社会的通念できまつていると私は考えるのでありまして、それによつて判断するよりいたしかたないと思います。
  60. 猪俣浩三

    猪俣委員 それは非常に強引だな。「良識ある公民たるに必要な政治的教養を与えるに必要な限度」というものは社会的通念できまつているなんというのはそれはとんでもない間違いじやないか。そんなことがきまつていますか。私は学者のあれを見てもみなこれはわからぬと言つている。法務省だけはさまつているかもしらぬが、法務省検察庁だけがきまつてつて、ほかの人がきまらぬようなことは困るので、そこでこれは問題になるのです。文部省とそれから法務省ではさまつているかもしらぬが、一般の人はわからない。学校の先生なんかおそらくわからぬだろう。学者先生はみなわからぬと言つている。いろいろな批判の論文を私読んでみましたけれども、これを明確で社会通念できまつているなんぞと言うた人は一人も見当らぬ。今井本局長から初めて承つた。ところがそれは、法務省の局長はそういうふうにきまつているとお考えになつても、客観性がないとなると、これは法律構成要件としては不適当だということになるわけです。まあ最後の解釈は裁判所において社会通念を参酌して決定するようになるだろうという御説明ならあるいは納得いたします。しかしあなたの説明は、もう必要な限度なんというものは社会的通念できまつているんだ、とこうおつしやる。そうすると私だけがわからぬでほかの人はみなわかつているんだろう、こう思うのですよ。、どうなんですか。そうきまつていますかい。これはちよつとあなたの説明の仕方が違つているのじやないかな。これはきまつてないと私は認定します。「良識ある公民たるに必要な政治的教養を与えるに必要な限度」なんていうものは今社会的通念として出ておらぬ。  それからいま一つ、妙な文句がある。「特定の政党等を支持し、又はこれに反対するに至らしめるに足りる教育」。この「至らしめるに足りる」これは一体どういう意味なんです。「特定の政党等を支持し、又はこれに反対するに至らしめるに足りる教育」というと、どういうことになるか。それと一体こんな文句が今までの刑罰法規にありましようか。「至らしめるに足りる」なんという、これは新らしい熟語じやないかと思うのです。今までの法律構成概念としてこういうような文句があつたかないか。それから一体これはどういう意味なんですか、「至らしめるに足りる」ということは。
  61. 井本臺吉

    井本政府委員 第一点の「良識ある公民たるに必要な政治的教養を与えるに必要な限度」というのは、結局教育基本法の八条に前に規定があるのでありまして、学校の先生はこの教育基本法によつて教育しているということになります。私は社会的通念というのはかような意味である程度固まつてつて先生も教育しているというふうに考えているのでございます。猪俣さん御指摘のようにこの法律の最後の解釈はいわゆる裁判所がきめなければきまらぬと考えている次第でございます。  それから第二点の「特定の政党等を支持し、又はこれに反対するに至らしめるに足りる」というのは、この第一項の規定と第二項の場合とは大体同じでありまして、児童などをしてただちに支持または反対の態度に出させないとしても、時間的経過によつておのずから特定の政党などの支持または反対に固まらせるような教育教唆または扇動を禁止することを明らかにするものでございます。もちろん昨日も佐瀬さんから御質問があつて、第一項で足らぬ点を補充的に規定したものでありますからある程度一項よりも拡がつてはおりますが、結局「良識ある公民たるに必要な政治的教養を与えるに必要な限度」を越えた場合にだけ問題であるということでわくをはめているのでありまして、さような趣旨と御了承を願いたいのであります。
  62. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると「これに反対するに至らしめるに足りる」ということは、これは私は新らしい言葉だと思うのですが、たとえば今何か話をした、しかしそれはそのときは偏向教育でなくても、時間の経過するに伴つてそれが偏向教育になるおそれのあるような教育、こういう意味なんですか。そうするとこれは奇妙きてれつなことになりますよ。アメリカで名誉毀損罪が問題になつた。それは甲乙の男があつて、甲が乙をお前かはみたいな男だと言うた、五年たつて動物園でもつてかばを見て、それから憤激して名誉毀損罪といつて訴えた、というような話がありますが、そんなようなことなんですか、これは。
  63. 井本臺吉

    井本政府委員 御説明の場合とは少し違うのでありまして、児童などが通常の場合ただちに政治活動に出、または特定の政党などの支持または反対の態度を決定する場合よりも、時間の経過によりまして、その意識の成熟または知識の吸収に伴つて特定の政党などの支持または反対に至るというような場合が必然的になる、さような場合は第一項の規定の場合と同様に相当に弊害があるので、これらも取締るという趣旨でこの規定ができておるのであります。ただ先ほど申しました通り、さような教育でも、良識ある公民たる必要な政治的教養を与えるに必要な限度を越えなければ、もちろん問題にならないということになると考えます。
  64. 猪俣浩三

    猪俣委員 この法律は刑法の原理を破壊している点が多々あるのです。責任論においてもそうですが、一方また行為論においても、教唆したそのときでなくて、それから時間を経過して、そうしてさかのぼつて価値判断をやるというようなことは、これは実に今までの刑罰体系としてはないことじやないかと思うのです。そうすると、ある男がある男を傷つけた、そのときはけがだけであつたが、その後どうもからだの調子があまりよくなくて、一年か二年、だんだん経過するに従つてぐあいが悪くなつて死んだという場合に、やはりこれは殺人罪。そうすると、死ぬまでは殺人であるか傷害であるかわからぬから、不起訴のままにしておいて、あるいは傷害罪で起訴しておいて、死んだら殺人罪に振りかえるというようなことになるのですか。その行為をやつたときじやなくて、それから時間が経過してから、やつた行為を今度は価値判断して処罰する、こういうことで、これはどうですかね、あなた方も法律専門でやつておられる方ですが、こんな犯罪構成要件というのはほかにありますかね。
  65. 井本臺吉

    井本政府委員 「特定の政党等を支持し、又はこれに反対するに至らしめるに足りる教育」というのは、もちろんそのときの教育そのものを問題にするので、その教育自体が、第一項のように非常にはつきりした「特定の政党等を支持させ、又はこれに反対させる教育」というよりも、これは少しく拡げてありしはするので、さような規定になつておるのでありまして、後にさような特定の政党等を支持しまたはこれに反対するに至らしめたからさかのぼつて犯罪になるのだというような趣旨ではございません。さような「至らしめるに足りる教育と」いうような用語例は、ほかの法律にはあまりございませんが、この教育政治的中立確保に関する法律案は、特殊な事情、環境のもとに立案せられたのでありまして、かような規定もこれはやむを得ないと考える次第でございます。
  66. 猪俣浩三

    猪俣委員 これはあなたやむを得ないと大連の顔を立てるのは一時のことで、今度の文教政策なり刑罰体系というものはこれは永久のことですよ。妙な法律をつくるとこれは法務省の恥になりますよ。そうすると、あなたの論拠から言えば、なすほど人を傷つけたそのときの価値判断によつて処罰するんだと言うけれども、ある人を傷つけた、これはもうちよつとたつて来るときつと死ぬかもしれぬという判断がある場合に、これは殺人罪だ、こういうことになるわけですか。そのときじやないのだ、そのときにすぐ人を殺しはしないが、時間の経過において死ぬかもしれぬという場合には、これは殺人だ、殺人未遂ならわかりますけれども、殺人既遂としてこれは処罰するのですか。そういう趣旨になりはしませんか。
  67. 井本臺吉

    井本政府委員 実行正犯としましては、お話のように意思がないのに殺人の既遂罪ということはございませんか、教唆扇動の段階でありますから、人を殺せというような教唆扇動になれは、当然それは刑法犯としますれば殺人の教唆罪であるというふうな形でございます。もちろんこれは、何回も説明しております通り、刑法犯の教唆犯、従属犯説と違いまして、独立罪といたしておりますので形態は違いますけれども、おのずから教唆扇動罪だという点において普通の実行正犯を扱うようには参らぬ、かように考える次第であります。
  68. 猪俣浩三

    猪俣委員 私は例で言うただけなんで、第二項の場合も、これは教唆犯の既遂としてやられるんでしよう。その教唆犯の既遂と認定する場合に、今言つた限度それ自体がどういう影響を及ぼすかということじやなくして、時間的経過において偏向教育になるおそれがある場合は、そのおそれある扇動をやつた教唆をしたということで今処罰する、こういうわけなんです。だからその教唆行為のあつたそのとき、これは第三条の違反になるかならないかの価値判断を時間的の経過を置いて考えるというところに問題がある。これは非常な問題じやないかと思う。今は平気であつても、二年か三年たつときき目が現われるかもしれぬという場合に、今の犯罪行為として処罰する。問題はそのことなんです。この「反対するに至らしめるに足りる教育」というのは時間的経過だ、とこう言うのです。今言うたことは、すぐ三条の偏向教育にならぬかもしれぬが、二年か三年たつておるうちに、そのきき目が現われて来るかもしれぬという場合は、処罰する。これは私は刑罰法規にないことだと思うのですがね。これを刑罰の原理とどう調和するのですか。
  69. 井本臺吉

    井本政府委員 先ほど申し上げましたのは、教唆扇動をなす教育の内容、教育の効果を申し上げたのでありまして、教唆扇動自体としてはただちに犯罪が成立するのでございます。二年も三年も先のことに対して、経過を待つて、結果が発生をしてから論ずるというような趣旨ではないので、あくまでも教唆扇動が相手方に到達すれは、そこで犯罪が成立するという考え方でございます。
  70. 猪俣浩三

    猪俣委員 だからあなた方の考え方というものは違うのじやないか。今あろ偏向教育教唆をしたというやつでこれを処罰する、それなら、はわかる。こういうものは客観的に見て確かに偏向教育になる、それならよいのだけれども、今じやすぐならぬかもしれぬが、時間がたつとなるかもしれぬというものまでも処罰する。そこに問題があるのです。その行為それ自体をとらえて、その行為をやつたときにおける客観的な価値判断に基かずして、今はそうであつても、そのうちにきき目が現われるであろうということでもつて処罰する。そこに問題があるのです。そういうことは刑罰法規の体系にないことだと思うのです。新しくここに創設するのだと思う。そんなことをやられたらたまつたもんじやない。そういう考え方は容易ならぬことだ。教唆処罰する場合に、今やつたことがすぐ偏向的な心配があるというなら、この法律目的と矛盾なく説明できるわけです。そうじやなくして、今は何でもないことでも、そのうちにきき目が出ると思われる場合に、今処罰する。そんな法律はありやしませんよ。そういう趣旨であるとすれば、これはたいへんな問題だ、これはもう少し考えてもらわなければならぬ。それで、それはあなた方も考えていただく、私ども考えなければならぬ。これは大きな問題です。ここで問題になることは、取調べ官憲、告発する官憲のわがままな恣意的な価値判断が行われる余地がここに出て来る。だから罪刑法定主義に反しているわけであります。現在における犯罪権威要件が明確にならない。罪刑法定主義という人権尊重の第一原則にこれは非常に反している。取調べ官憲の恣意的解釈が十二分に施される余地がある。こういうあいまいな文句で、そうして権力を持つている者が、自由自在に犯罪に引つかけられるような法律、しかも対象学者だとか学校の先生とかという良心の自由を保障せられておる人たちであります。この人たちを頭に描きながら、かように広範囲な、いかようにも解釈できるようなあいまいな法律をつくつてこれを弾圧しようとする、ここに私は大きな問題があると思う。そうして普通のしろうとが見ると何でもないような文句できめてありますが、法律専門家から見ると実に危険千万なる文句がここに含まれておる。相当な超法規的な解釈ができる余地があるのです。これは罪刑法定主義に違反する法律と申さなければならない。それを今あなたに言うてもわからぬ。これは破壊活動防止法のときにも、それからこういう人権問題とからみまする際に、今まで幾多問題になつたのであります。その際に、私どもも人権の保障といつても無制限に保障するわけじやありませんから、公共の福祉との調和点というものが民主政治におきまする大きな問題である。この人権の保障と公共の福祉の調和点をどこに置くかということは、破壊活動防止法のときでもしばしば問題になつたことであります。そこでアメリカあたりにおける最も良識の代表者と認められておる大審院の判事諸公の、この公共の福祉と人権保障の調和点というようなことを、私どもいつも聞いて、正しているのでありますが現実的な明白な危険の存在するときだけに人権の抑制があるんだというこの限界点、これがある程度現在においては正しい点じやないかと思う。具体的にして明白な差迫つた危険がある場合に、われわれの基本的人権の抑制が行われる、そこに調和点を見出すという一つの標準、私どもはこれを堅持しなければならぬと思う。しかるに今のこの法案を見ますると、今あなたが説明なさつたような現実的にして差し迫つた明白な危険もないのにかかわらづ人の言論の自由を圧迫せんとすることは、この基準からみましても、憲法に保障されている良心の自由、思想の自由を抑する法律だとみなされます。そんな将来にかかつておるものまでも処罰するというのは、現実的にして差迫つた明白な危険というものが標準にならなければならぬという点から見まして、これはどういうことになりますか。疑うに足りるというような文句は、それに合致しますか。
  71. 井本臺吉

    井本政府委員 現在の状況におきまして、義務教育学校における教育が党派的偏向教育の危険が相当ある。かような不当な影響または支配から守つて義務教育政治的中立確保しなければならぬというような現実の状況に基いてかような法律が立案されたのでありまして、私どもの見解といたしましては、かような法律をつくることがぜひ必要であると考える次第でございます。
  72. 猪俣浩三

    猪俣委員 たくさん問題がありますが、これ以上刑事局長にそういうことを質問しましてもしかたがありませんから、いま一点教育公務員特例法一部改正案でありますが、これに対して一点だけお尋ねします。教員は特例法によりまして、地方公務員よりは広汎な、政治活動を許されております。それを、地方公務員を飛び越して、今度国家公務員と同じようなふうに二段飛びに教員の政治活動というものを制限される。そこでその処罰を見ましても、教員は地方公務員とほとんど同性質を持っておるものでありますが、この地方公務員が政治活動をやつた場合には懲戒処分になる。しかるに今回は教員につきまして政治活動をやつたということになると、いきなり刑罰に処せられるというような仕組みになつております。これは人事院規則の政治活動の規定を見ますると、教室の中でも政治活動が行われるようになつています。だから地域をかげんしましても、引つかけようと思えば引つかけられるようになつておるのです。これはその地位を利用して政治的影響を与えたものは政治活動とみなされるということか人事院規則に書いてある。そうすると教員が教員という地位を利用して政治的影響を及ぼすような政治活動をやつたとなれば、これは人事院規則の政治活動をつたことになり、従つて公務員法によつて処罰されることになる。地方公務員は懲戒で済んでいるのに、教員だけは刑罰に処せられる。どういうわけでかような均衡を失した取扱いをなさつたのであるか、それを伺いたい。
  73. 井本臺吉

    井本政府委員 教育公務員の特例法を考えましたのは、結局教育公務員の職務と責任の特殊性から、かような刑罰にかからしめた方がいいということで立案された次第でございまして、お話の教室における政治活動というのは、人事院規則では、おそらく多くの場合触れない方が多いと私は考える次第でございます。
  74. 猪俣浩三

    猪俣委員 ところが大運なんという、ああいう酋長の首祭りなんていう思想を持つている人が文部大臣であつて、そうしてこれが発言権がなかなか強いそうであるが、これが号令をかけて、何しろ日教組というと目の敵にしているのですから、これは片つ端からやるのじやないかと思う。またそんなめつたに触れそうもないようなものなら、何も地方公務員と違うような取扱いをして教員だけを敵視するような立法をなさる必要はないと思う。これによつて気に入らない、今の大達の好みに合わぬ教員を弾圧する口実をつくろうとなさつてるの、だとわれわれは認定する。そうでなければ、そんな地方公務員法と違う特別扱いにして、刑罰に処して、先生方を縛るという意味がわかりません。それからなおこの過程において、実際問題として問題を考えますと、多々あることでありますが、たとえば教育委員会がこれを請求する、この法案違反として請求するにしても、証拠を固めなければいかぬ。そうなりますと、これは場合によつては児童生徒、ことにさつき申しました教育公務員特例法の改正案によりまして、教室における授業さえ政治活動として見なされるおそれがある場合に、これを処罰しようとする際には、子供を調べなければならない。お前の先生はどういうことを言うた、悪いことをしているんだが、こういうことを言いやせぬかと児童生徒を取調べて、そうして基礎資料をつくるということになる。まつたくの教育破壊法になります。しかしこれをあなたに言うても始まらぬ。(笑声)  それだから、私はこれで質問を打切ります。
  75. 佐瀬昌三

    ○佐瀬委員 私も簡単に第三条二項についてお尋ねしておきたいのですが、大体この法案は、事は教育に関する問題でありますけれども刑罰法規を含む上において、われわれ法務委員会としても相当検討を要する法案であると思うのであります。しかもその観点から見ると、非常にずさんな、ラフな立法体裁であり、法務当局も共同の立案者とされたかもしれませんが、非常に苦心されたものと考えております。そこで今質疑にありました「特定の政党等を支持し、又はこれに反対するに至らしめるに足りる教育」、この問題でありますが、この「足りる教育」であるかどうかということは教唆のときに決定さるべきものであると考えるのでありますが、教唆を独立犯罪とした性格から見ても、教唆行為のときを基準にして、またいろいろの条件を基準にして特殊政党に対する偏向教育であるかどうかということを決定すべきものと思うのであります。その点に対する見解を承つておきたい。
  76. 井本臺吉

    井本政府委員 御質問の通りでございます。
  77. 佐瀬昌三

    ○佐瀬委員 そこで問題は、その教育をたとえば来年の三月の本業式の機会をとらえてやるといつて、本年の十月なら十月に行つた、その十月当時の教唆のときを基準にすればそういう危険はなかつた。しかし来年の三月卒業式当時になりますと、客観情勢の変化等に基いて第二項のいわゆる「足りる教育」という条件を満たすという場合もあり得ると思いますが、そういう場合はやはり教唆時だけの条件に基いた判定でよいのかどうか。検挙が来年三月以後に起つた場合に初めてそれが問題になると思いますが、その点に対する解釈を承りたい。
  78. 井本臺吉

    井本政府委員 あくまでも教唆扇動独立罪でございますから、本年十月に教唆扇動したというのであれば、そのときを基準にいたしまして犯罪の成否を論ずべきものであると考えております。
  79. 佐瀬昌三

    ○佐瀬委員 わかりました。そこで次にもう一点念を押しておきたいのでありますが、この特定の政党の支持または反対に至らしめるに足りる教育というこの「足りる」という意味は、的にむずかしい言葉で言うと、いわゆる可能性を意味するか、蓋然性を意味するか、ポシビリティか、プロバビリティをさすのかという問題があると思いますが、これはある程度そのい、ずれかの概念だということが学問的に解決できるわけでありますが、これに対する法務省の見解を承りたい。
  80. 井本臺吉

    井本政府委員 至らしめるに十分なという意味と御了承願いたいと思います。
  81. 佐瀬昌三

    ○佐瀬委員 至らしめるに十分だということになると、足りるというよりかはかなり限定された意味にとれるようですが、それでさしつかえないのでありますか。
  82. 井本臺吉

    井本政府委員 法案に「至らしめるに足りる教育」という文字を使いましたのは、非常に苦心の存するところでありまして、先ほど申し上げました教育そのものが、現在ではすぐに特定の政党を支持しまたは反対するということになりませんけれども、その集積によつてさような結果になるという場合に、第三条二項にわたるということを考えたのでございます。もちろん何回も申し上げます通り、それでは少し広過ぎる場合があるかもしれないというので、「良識ある公民たるに必要な政治的教養を与えるに必要な限度」を越えた場合に処分するということでこのわくをきめて、広過ぎないようにかような規定を設けたのでございます。結局今申し上げた十分なということは、少し説明が足りなかつたのでありますが、「至らしめるに足りる」というのは、至らしめるに十分なという意味で、終始反対させるに十分なという意味ではないのでありまして、至らしめるに足りるというのは、至らしめるに十分なというふうに御了解いただきたいと考える次第であります。
  83. 佐瀬昌三

    ○佐瀬委員 いずれまた他の機会に質疑を続行したいと思います。今日はこれでやめておきます。
  84. 小林錡

    小林委員長 それでは次会は来る二十二日午後一時より理事会、一時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会することにいたします。    午後一時十六分散会