○林(信)
委員 執行猶予の言い渡しを受けます者の環境におきましても、これはいろいろあると思う。その環境よろしきを得まして、その教養におきましてもかなり高度でありますものは、これは法のら外ではございませんにいたしましても、少くともその多くを法に頼らなくてもいいわけです。そういう法の対象になりますものは、どうしてもその環境よろしからず、その教養等におきましても劣
つたもので、これらのものの環境の調整であり、あるいは
指導援護ということであろうと思う。そういたしますと、この予定せられております程度ではどうかと思う。もう少しく立ち入
つてよろしい面がある。いな、立入らなければ、せつかくの
執行猶予もその効果を発揮することができないものがあるのではないか、こう
考えます場合において、遵守事項のごときにいたしましても、善行を保持するということは、これもおおよそわかるのでありますが、やはり法文として言葉が適当かどうか、これは一応
考えなければなりません。これはこの
法案だけに限
つた、問題ではないと思いますけれども、言うまでもなく、善行というのは、何か積極的に善行美談の、その善行に匹敵するような感じがする。この
法案の遵守すべき事項として
考えられておりますことは、少くとも身を持することが固くて、世の指弾を受けない程度ならよいのであ
つて、いわゆる消極的な自律態勢でよろしいと思う。これは言葉が少し強過ぎるんじやないかという感じもするのでありますが、いずれにいたしましても、これを主体にいたしまして、その
前提といたしましては一定の住居を定めて届けろなんというようなことは、第五条によ
つて掲げられております。これなんかも実際問題になりますと、その住居を定めることの力を持たない環境にある者は、非常に多いとは申しませんが、比較的に多いのじやないか。その辺の
指導からしてかからなければ、住居をきめて来い、そこで初めて
保護観察の対象になるかのような
建前でかか
つておりますようでは、まだ力のない者を力のある者として
考えて行きまするところに、ほんとうに徹底した
保護観察がなされないのじやないか。法のねら
つておりまするところが、まだ少しはずれているのじやないか、こういう感じがするのであります。たとえば
執行猶予をしまする場合に、実際に
裁判所に呼んでみますと、被害弁償が済んでおるために、
執行猶予になる場合が多いのであります。その被害弁償をするために、実は無理をして、
執行猶予期間中にさらに
事件を起すとい
つたような事例かしばしば繰返されましたことも、御
当局は御存じだろうと思う。そういうような場合には、むしろ
保護観察中において、その被害弁償を働き出すごとに協力をし、適当にその環境をつくり出し、その問に被害弁償をなせばよろしいというような
事態をつく
つてやりますならば、これは
執行猶予の言い渡しも安心してできまするし、その率もふえて来、その結果についても無理もなくなると思われるのです。その他住居以外の問題にしましても働き先の問題にしましても、今までの親族
関係の者がどういうふうに処遇してお
つたかということについての立ち入
つた世話等のことも、あれこれ一
通り法文化しておかなければならぬのであります。あるいはその
本人の習癖として、モヒの中毒、あるいはヒロポンの中毒、これらの者に対してその矯正をするために、適切な処置を命ずることかできるなどのことも、やはり何とか法文化する
建前をとらなければならぬのであります。そういうところがこの
法案自体ではまたぴんと来ない感じかする。かような点について、私の思いつきとい
つた程度でなくて、御調査なりますれば、いろいろな問題があ
つたのじやないかと思われるのでありますが、さようなものは特に
執行猶予の
裁判制度と非常に密接に
考えられて
保護観察制度をお立てになるというふうにお場
考えに
なつたものなのでありましようか。また繰返すようでありまするが、ややお急ぎにな
つて、一応この辺で、今までは野放しだ
つたんだから、ないよりはいいということでおつくりに
なつたとは
お答えにならないでしようが、私はそういう気がするのであります。私のあげつらいましたようなことについての御研究もなさ
つたのでありましようか。これらの点を伺
つておきます。