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1954-02-16 第19回国会 衆議院 法務委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年二月十六日(火曜日)     午前十一時十三分開議  出席委員    委員長 小林かなえ君    理事 鍛冶 良作君 理事 佐瀬 昌三君    理事 花村 四郎君 理事 古屋 貞雄君    理事 井伊 誠一君       押谷 富三君    田嶋 好文君       林  信雄君    神近 市子君       木原津與志君    佐竹 晴記君       黒田 寿男君  出席政府委員         法務政務次官  三浦寅之助君         検     事         (大臣官房調査         課長)     位野木益雄君         公安調査庁長官 藤井一郎君         公安調査庁次長 高橋 一郎君  委員外出席者         国家警察地方本         部警視正         (警ら交通課         長)      後藤田正晴君         検     事 西田  隆君         法務事務官         (公安調査庁調         査第一部長)  柏村 信雄君         法務事務官         (公安調査庁調         査第二部長)  福島 幸夫君         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 二月十一日  委員飛鳥田一雄辞任につき、その補欠として  神近市子君が議長指名委員に選任された。 同月十五日  委員山中貞則君及び高橋禎一辞任につき、そ  の補欠として田嶋好文君及び三浦一雄君が議長  の指名委員に選任された。     ――――――――――――― 二月八日  訴訟費用等臨時措置法の一部を改正する法律の  一部を改正する法律案内閣提出第一四号) 同月十一日  交通事件即決裁判手続法案内閣提出第二七  号)(予) 同月八日  名古屋保護観察所豊橋支部設置に関する請願(  八木一郎紹介)(第八四六号)  湯野村に岡山地方法務局出張所設置請願(橋  本龍伍紹介)(第九〇〇号) 同月十一日  石川町に簡易裁判所設置請願河原田稼吉君  紹介)(第一〇八二号)  大阪法務局四条畷出張所存置に関する請願(淺  香忠雄紹介)(第一〇八三号) 同月十二日  千葉地方法務局関出張所存置に関する請願(森  清君紹介)(第八九九号)  高松法務局詫間出張所存置に関する請願(福田  繁芳紹介)(第九八六号)  札幌法務局留寿都出張所存置に関する請願(椎  熊三郎君紹介)(第一一七六号)  青森地方法務局藤崎出張所存置に関する請願(  木村文男紹介)(第一三〇〇号)  松山地方法務局北条出張所存置に関する請願(  中村時雄紹介)(第一三〇一号) 同月十三日  津地方法務局内城田出張所存置に関する請願(  橋本清吉紹介)(第一三五八号)  広島法務局三良坂出張所存置に関する請願(船  越弘紹介)(第一三八六号)  広島法務局羽和泉出張所存置に関する請願(船  越弘紹介)(第一三八七号)  広島法務局布野出張所存置に関する請願船越  弘君紹介)(第一三八八号)  広島法務局宮内出張所存置に関する請願外一件  (船越弘紹介)(第一三八九号)  宮崎地方法務局東郷出張所存置に関する請願(  片島港君紹介)(第一四四一号) 同月十五日  広島法務局八重出張所存置に関する請願佐竹  新市君紹介)(第一六〇三号)  京都地方法務局物部出張所存置に関する請願(  大石ヨシエ紹介)(第一六〇四号)  広島法務局成手洗出張所存置に関する請願(中  川俊思君紹介)(第一六〇五号) の審査を本委員会に付託された。 同月十三日  戦争受刑者釈放等に関する陳情書  (第  五二〇号)  同(第  五二一号)  同(  第五二二号)  同(  第五二三号)  同(  第五二四号)  同(  第五二五号)  同  (第五二六号)  同  (第五二七号)  同  (第五二八号)  戦争犯罪人全面的釈放並びに抑留  同胞の引措完了促進に関する陳情書  (第五二九号)  同  (第五三〇号)  同  (第五三一号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  小委員及び小委員長の選任  訴訟費用等臨時措置法の一部を改正する法律の  一部を改正する法律案内閣提出第一四号)  交通事件即決裁判手続法案内閣提出第二七  号)(予)  法務行政に関する件     ―――――――――――――    午前十一時十三分開議
  2. 小林錡

    小林委員長 これより会議を開きます。  ただいま出席されておる政府の人は、三浦法務政務次官、法務省の大臣官房調査課長位野木益雄君、官房調査課検事西田隆君であります。後ほど公安調査庁から出席されることになつております。  訴訟費用等臨時措置法の一部を改正する法律の一部を改正する法律案並びに交通事件即決裁判手続法案、以上両案を一括議題となし、政府より順次その趣旨説明を聴取いたします。三浦法務政務次官
  3. 三浦寅之助

    三浦政府委員 ただいま議題になりました訴訟費用等臨時措置法の一部を改正する法律の一部を改正する法律案につきまして、提案の理由を御説明申し上げます。  執行吏は、御承知の通り、一般公務員と同様に恩給を受けることになつており、その年額執行吏手数料に対する国庫補助基準額、すなわち執行吏が一年間に収入した手数料がその額に達しないときに国庫からその不足額を支給するための基準なつている金額を俸給額とみなして算出することになつております。そしてこの執行吏国庫補助基準額は、昭和三十七年十一月一日以降は一般公務員給与増額に伴い、一万二千八百二十円ベースによる十万八千旧になりましたので同日以後に給与事由の生じた執行吏については、この増額された国庫補助基準額を依給額とみなして算出した恩給年額が支給されるごとになつたわけでありますが、昭和三十七年十月三十一日以前に給与事由の生じた執行吏については増額されないままになつているのであります。ところが、一般公務員につきましては、昭和二十七年十月三十一日以前に給与事由の生じた恩給等年額の改定に関する法律昭和二十八年法律第百五十七号)によりまして、昭和二十八年十月分以降は、昭和二十七年十月三十一日以前に給与事由の生じた恩給についても一万二千八百二十円べースヘの給与増額に応じ恩給年額計算の基礎となる俸給額増額されておりますので、執行吏につきましてもこれと歩調をあわせ、昭和二十七年十月三十一日以前に給与事由の生じた恩給についても昭和二十八年十月以降の分を増額する必要があるのであります。  これがこの法律案を提出する理由であります。何とぞよろしく御審議のほどをお願いいたします。  次にただいま議題に上りました交通事件即決裁判手続法案について御説明申し上げます。  まず、立案の趣旨について申し上げます。わが国における交通事故は、年々驚くべき増加傾向を示し、昭和二十八年中におきましては、約八万件の交通事故が発生し、この事故によつて死亡した者は約六千人、負傷した者は約六万人の多きに上り、この傾向は不自然な死傷を遂げた者の全体の約半数に当るという、まことに憂慮すべき状態にあるのであります。このような厖大な交通事故を防止するためには、道路、施設の整備拡充ということももちろん大切でありますが、何と申しましても、交通関係者のすべてが交通秩序をよく守るということが、絶対不可欠の要件であると存ぜられるのでありまして、これがため、政府は、鋭意交通事件取締り努力しておる次第であります。ところが、自動車その他の高速度交通機関の激増による交通竜飛躍的増加は、同時に交通違反事件の驚異的な増加をもたらし、その処理に当る警察警察庁及び裁判所におきましては、文字通り応接にいとまがないという状況を呈しておるのであります。試みに最近の統計によりますと、警察において取扱う交通に関する刑事事件は、全刑事事件の約三〇%、検察庁で取扱う交通に関する刑事事件は、全刑事事件の約三二%、また裁判所で取扱う交通に関する刑事事件は、全刑事事件の約六〇%を占め、事件の数から申しますときわめて大きな割合を示しているのであります。ところが、これらの交通に関する刑事事件処理は、被疑者が呼出しに応じないために、その取調べに困難を来し、また、その処罰はその大部分が刑事訴訟法略式手続によつていたため、これに伴う煩瑣な書類作成を必要するとともに、略式命令送達に非常な手数を要し、さらに被告人の所在が転々するため確定した裁判執行の面においても非常な困難を来す等、その処理に思わざる日時費用とを要し、事務の渋滞に悩みつつあるのであります。統計の示すところによりますと、この種事件の発生から裁判執行までに要する日子は、全国平均四箇月弱となつておるのでありますが、この交通に関する刑事事件は、他の一般刑事事件と比べて一瞬迅速に処理をいたすのでなければ、その取締り目的を達し得ない特殊性格を持つものでありますから、ただいま申し上げましたような事態をそのまま放置することは、とうてい許されないところであると存ぜられるのであります。   〔委員長退席佐瀬委員長代理着席〕  そこで、この際、ただいま指摘いたしました三つの難点、すなわち違反者がなかなか出頭の求めに応じないこと、書類作成及び送達に非常な手数を要すること並びに裁判執行に非常に手間取ることの諸点を克服するとともに、捜査から裁判執行に至るまでの一連の手続において、その処理段階が異なるごとに関係者にその都度出頭を求め、事件処理のための煩わしさをしいるという弊害をも取除こうという趣旨から、この極事件に関する即決裁判手続を行うため、ここに本法案の御審議をお願いすることといたした次第であります。  次に、この法案内容について申し上げます。  第一は、この法案性格についてであります。本法案交通に関する刑事事件即決裁判手続、いわば交通に関する刑事事件について、口頭による略式命令手続ともいうべきものを規定したものでありまして、その限りにおいて、これは、刑事訴訟法特別法となるわけであります。すなわち、基本法たる刑事訴訟法規定は、この法律に特別の規定がない限り、この即決裁判手続についても、常にその適用があるわけであります。  次は、即決裁判性格についてであります。即決裁判は、公判前の手続でありまして、略式手続と同様の性格を帯びております。すなわち、略式手続と異なるところは、裁判官が直接被告人を目の前において事実関係十分確めるかわりに、書類作成は極度にこれを簡易化するという仕組みにいたしたほかは、基本的な考え方略式手続とまつたく同じでありまして、被告人に異議があればこの手続を進めることができないこと、即決裁判の確定前はいつでも正式裁判を求めて三審制度による訴訟利益を享受することができること、また裁判所はいつでもこれを刑事訴訟法の定める通常の手続に引直すことができること等、いずれも略式手続に準じて被告人保護をはかつておるのであります。  次は、この手続内容についてであります。この法律は、建前としては、刑事訴訟法のそれと同様に、口頭主義公開主義をとつておりますが、それは決して公判手続を簡易化するという考え方に立つものではなく、あくまで公判前の手続といたしまして、次のように措置しているのであります。すなわち、いわゆる起訴状一本主義をはずし、伝聞法則適用を緩和し、また簡易適切な裁判手続を確保するため、職権主義を大幅に加味し、期日における検察官及び弁護人出席を自由とし、記録の作成を極度に簡易化する反面、被告人利益を守るためには十分の考慮を払い、適切妥当な裁判の確保に努めているのであります。  最後に、捜査裁判執行段階における特色についてであります。前にも申し上げましたように、交通に関する刑事事件処理に思わざる日子を要しているおもな原因は、違反者出頭を確保する手段が欠けていることと、確定した裁判執行が容易でない点にありますので、まず裁判執行につきましては、刑事訴訟法で認められている仮納付制度を、その条件を緩和することによつて、一層容易に利用することができるようにするとともに、違反者出頭を確保するために、道路交通取締法に新たに一箇条を加えることによりまして、警察及び検察庁取調べ同一場所同一日時に行えるようにし、さらに特別の事情がない限り裁判をもこれと同一日時場所で行うようにし、これまで三回ないし四回の出頭を要した手続を一回の出頭によつて終ることができるように措置したのであります。これによりまして、手続迅速化もさることながら、関係者の煩わしさも大いに省かれることと信ずるのであります。  何とぞすみやかに御審議の上、御可決あらんことをお願いいたします。
  4. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長代理 これにて両法案趣旨説明は終了いたしました。なお両法案に対する質疑はこれを次会に譲ることといたしますから、さよう御了承願います。     ―――――――――――――
  5. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長代理 次は法務行政に関する件について調査を進めます。  本日は本件のうちまず公安調査庁において調査いたしました諸般の状況について説明を聴取することといたします。公安調査庁長官藤井政府委員
  6. 藤井五一郎

    藤井政府委員 一昨年七月公安調査庁が発足いたしましてから約一年半に相なるのであります。この間機構に応じた陣容の整備を手初めといたしまして、引続き破壊活動防止法に基く各種調査努力を傾けて参つた次第であります。現在まで団体規制に関する申請をいたした例はまだ一件もないのでありますが、破壊活動容疑団体調査につきましては、限られた人員と、予算の効率的運用をはかり、漸次成果を収めているものと確信いたします。ここにおいて、私から簡単に最近の情勢について御説明申し上げてみたいと思います。  まず国際的視野に立つて見まするに、最近開催せられました四箇国外相会議も御存じのような結果と相なり、朝鮮政治会談も、たとい開催の運びとなつたといたしましても、自由、共産陣営間に根本的な主張の相違がある限り当分妥結の見込みはないようであります。従つて、ドイツ及び朝鮮は本年一九五四年も依然分割のままに残り、自由、共産陣営ともに既成事実を固めることでありましよう。昨年秋アイゼンハウアー米大統領が提案しました原子力会談は曲りなりにも何らかの協定に到達する可能性がないでもありますまいが、いずれにいたしましても、この問題が決定的な大戦勃発の有力な回避手段とはなりましようが、しかしその反面、自由、共産陣営間の冷戦は一層激化するに至るのではないでしようか。すなわち、自由主義陣営側はヨーロッパ及びアジアにおいて戦略的対ソ、対中共防衛態勢強化努力し、これに対して共産主義陣営側はこれが妨害に必死の努力を傾倒することでありましよう。その現われは、共産主義陣営側の外交及び宣伝扇動努力が、近来欧洲軍計画の破砕に集中せられており、またイラン、イラク等中東及び東南アジア、ことにインドネシアを中心とした自由主義陣営側共産主義陣営側との勢力争いから、ひいては太平洋安全保障体制確立妨害へと、冷戦の焦点がだんだん東に向つて来ているように思われます。なかんずく日本憲法改正あるいはいわゆる再軍備方向への動きは、フランスに対する欧洲軍計画阻止のための政治及び宣伝扇動工作と同様に、共産主義陣営側反対工作激化を呼ぶことは必然ではないでしようか。従つて日本は当然重要な冷戦相剋の場となるでありましよう。一方アメリカではソ連経済学者ヴアルガあるいはイギリスのコーリン・クラーク博士言つているごとく、アメリカにおける景気後退可能性の問題、ソ連はマレンコフが緩和政策を打出して、消費物資増産進展中共における経済建設五箇年計画第二年度の実績のいかんとも相まちまして、国際情勢にかなり大きな変動をもたらす可能性があると思われます。かかる情勢下にあつて日本共産党国際共産主義世界方略に基き、モスクワ、北京の意にこれ従つて、一応権力の争奪を目標とする直接的革命工作表面化を避けつつ、反米、反吉田、反再軍備国民的統一行動を大規模に推進して、その陰にあつて着実に革命勢力の伸張、暴力革命準備進展をはかろうとするでありましよう。   〔佐瀬委員長代理退席小林委員長着席日本に対する国際情勢影響は本年度特に敏感となり、なかんずく中共ソ連両国からの思想及び政治経済工作激化と、起るかもしれない米国の景気後退の直接の影響とが日本社会情勢を鋭敏に支配するに至るでありましよう。右のような国際情勢影響を度外視いたしましても、日本自体政治的経済的態勢建直しに必要な強力なる諸施策は、大なり小なり国内構勢混乱を呼ぶ可能性が強いように思われます。特に緊縮財政方針から生ずる日本自体景気後退失業者増加等は、日本共産党の幅広い統一戦線工作に最も好適なる条件を提供するおそれが多いようでございます。  そこで日本共産党の最近の動向を大観することといたします。日本共産党は終戦後の混乱期にあたり急速にその勢力を伸長して数万を数えるに至り、国民生活の安定するに至つた昭和二十五年以降はときに若干の消長はありましたが、ほぼ同程度の勢力を維持して今日に至つております。その数は必ずしも多いとは言えないのでありますが、暴力によつて現在の制度を根本から転覆することをもつて第一の目的とし、その目的のためには合法、非合法を問わずあらゆる可能な手段を利用せんとするものでありまして、その及ぼすところの影響は広汎かつ深刻なものがあると思われます。特に議会制度による国家社会の健全なる発展を否定し、しかも国会は自己目的のための暴露、扇動の場としてのみこれを利用するに努める等、常に民主主義のこの寛容さを逆用し、真に民主主義の恩恵を享受せんとする一般国民大衆利益を犠牲にして顧みないところがあるようであります。加うるに国際的連帯の名のもとに常に外国の利益に奉仕しているような傾向があるのであります。日本共産党は昨年の当初におきましては、本年こそは労働者階級指導のもとに吉田政府を打倒する全国民統一を闘いとる偉大なる行動の年であると宣言し、日本共産党全国労働組合グループ指導部は決然と攻撃前進に転移せよと指令したのでありますが、昨年の実績は必ずしも彼らの当初企図したごとくには情勢進展を見なかつたのであります。その間彼らは内外情勢分析に幾多の誤謬を犯し頼むべからざるものを頼みとして、遂には彼らの新綱領原則を逸脱する偏向まで犯したわけでありますが、その後これについて深刻な自己批判を行い、結局新綱領原則を堅持し、党の主体勢力拡大強化し、さらに反米、反吉田反町軍備統一戦線強化して革命への地道な前進をしようと企図するに至つているのでありまして、従いまして、現段階においては、彼らが昨春来唱道して参りました統一政府の樹立というような政権獲得のねらいは一時これを見送つて、あくまで大衆日常要求をもととしての行動統一をはかり、行動統一に伴う意識の統一を通じて、幅の広い反米、反吉田、反再軍備のいわゆる三反統一戦線を展開させようとしているわけでありますが、これは彼らの情勢分析が、現在においては革命勢力の劣勢であることを認めたことに基くものでありまして、今後における彼らの活動は一層巧妙陰険の度を加えて参るものと考えられるのであります。たとえば彼らの軍事行動にいたしましても、極秘裡に着々その組織拡大強化をはかりながら、当面は露骨な軍事行動を極力避けて大衆の中に食い入り、大衆の不平、不満等に基く実力闘争扇動し、みずからはその中核的指導力として活動するような方向をたどるものと考えられるのであります。また一部不穏な朝鮮人らは、かかる日本共産党活動に即応いたしまして、日本共産党指導下革命運動を展開する機運が濃厚であります。また一方右翼団体等におきましても、現下の情勢に対処すべき方向について種々画策するところがあるのであります。  以上申し述べました詳細につきましては、すべて高橋次長から説明いたすことといたしますので、何とぞお聞き取りを願いたいと存ずる次第でございます。
  7. 小林錡

  8. 高橋一郎

    高橋(一)政府委員 それでは、昨年の十一月に共産党が党内で中間綱領といつております文書を出しまして、その中で今長官も触れられたように、革命外力といわゆる反革命勢力との力関係において党はまだ弱いということを言つてつたのであります。そこで最初に党の実体というものを人員機構財政機関紙というような面から見とみたいと思います。  おととしの七月二十日、すなわち団体等規正令が存続しておつた最後の日で、公安調査庁発足の前日になるわけでありますが、そのときの団体等規正令による届出団体というものはどのくらいあつたかと申しますと、全部で四千九百四十三団体――日本共産党関係でありますが、四千九百四十三団体、その中で細胞が四千三百十三ということになつおります。その後いろいろ消長を経まして、現在われわれの方で調査の結果全部で六千二十団体、その中で基本組織である細胞は五千四百七十。その他各級委員会、すなわち中央委員会一つございます。地方委員会が九つ、それから都府県単位のものが四十五、北海道委員会が十二、それから地区委員会が二百六十、市委員会が四十九、それから細胞群委員会が百七十四ということになつております。それで党員の方は一昨年の七月二十日現在で四万八千五百七十四名ということになつております。党員数が一番多かつたのは昭和二十五年の初めでありまして、二月二十八日現在で九万八千五百名、これが届出党員としては一番多いのであります。このころにいわゆるコミンフオルム批判がありまして、共産党暴力革命方式を明示いたしまして、非合法態勢をとつたのでありますが、そのころに分派問題と実際の脱党と、それから擬装脱党も多分にあつたと思いますが、かなり届出党員数減つて、一昨年七月の四万八千名ということになつているわけであります。現在は党自体としても党員数を正確に把握することは困難であると思いますけれども、われわれの方では大体全国で十万ぐらいというふうに考えておるのであります。ただあと財政機関紙等の方面からも大体推測していただけると思うのでありますけれども、この中で半数は、いわゆる居眠り党員である。つまり常費を納め、機関紙を読み、細胞あるいは何らかの機関の要員ということで部署について積極的な活動をしているというものはほぼ半数ではないか、あと半数はかつてはそういう党員であつたでありましようが、現在では眠つているというふうに見てさしつかえないのではないかというふうに考えるのであります。組織基本となります細胞状態でありますけれども、これはいわゆる居住細胞つまり居住地における組織と、それから経営細胞と申しまして、職場における細胞がございます。都市区域経営細胞が多くて、郡部の方になりますと居住細胞が多く、それから朝鮮人などはほとんどが居住細胞なつております。この一細胞人員の問題でありますが、一昨年七月二十自現在の党員数細胞数から申しますと、一細胞が十二名であります。実際を見ますと、党員がおれば一つ細胞をつくるということになつておるのでありますけれども、二名でも独立の細胞としての機能を営んでおる場合があるようであります。これが一番少い場合でありまして、非常に多い場合になりますと、たとえば学校なんかで党員の非常に多いところでは百人を越す細胞があります。それらを平均しまして大都市区域における一つの例としては平均一三・五名ということになつております。それから地方中小都市における一つの例として五・八名というような状況なつておるのであります。  それから党員の男女の性別はどんなふうになつておるか。これは届出の面では一六%、それから大都市区域においては、最近の実際においては二〇%、それから地方中小都市における例においては一四%というような数字が出ております。  それから年齢の問題でありますけれども、これは大都市区域におきまして二十才未満が八・四%、二十代が七〇・五%、三十代が一六・二%、四十以上が四・九%で、二十代が七〇%余を占めておるという実情にあります。それから地方中小都市における例におきましては、十九才、つまり二十才未満が九%、二十代が六〇・%、三十代が三〇%、四十以上が一一%というようなことで、大体常識的に若い者が多いということが如実に示されておるわけであります。この、あとに申し上げました例の場合では、一番若いのは十七才の高等学校の生徒であります。一番年かさのは五十五になる古い党員であります。  それから婦人の入党関係につきましては、経営における婦人党員というのは格別男子の場合とかわつたことはないようでありますけれども、郡部の居住地域などではほとんどが家族関係を通じて入党したというような傾向が多分に見受けられるのであります。  それから機構の問題といたしまして、昨年中に今までなかつたところの山陽地方ビューロー、岡山、広島、山口三県を区域としますところの山陽ビューローと、それから四国四県の四国ビューローというのが新しくできております。従来はそれらの県は、大阪にある西日本ビューローの指導下にあつたわけでありますが、昨年中にこれが独立して一つのビューローとなつた。しかしさしあたつてはやはり西日本ビューローの指導下にあつて、中央ビューローに直結はいたしておりません。これらは機構整備を物語るものというふうに考えていいのではないかと思つております。軍事関係については後に電車関係のところで申し上げることにいたしまして、人員機構の面からする観察はこの程度にいたします。  次は財政面から見て党の実体はどういうものであるかということであります。この共産党財政ということは、実は非常につかみにくい問題でありまして、第一にわれわれの調査がまだ十分でないということであります。そのほかに、党自体財政の全貌はおそらく把握しておらない。下部機関から上級機関に対する財政の報告書なども相当ありますけれども、その内容も非常にまちまちでありまして、何らかそこに作為の跡が見られる、真実を報告していると思えないような点もございます。それから個人的なカンパをとつて、それを自分限りで使つてしまうというようなものは、こういうような面には現われて来ないわけであります。そのようないろいろな条件がありまして、財政問題は非常につかみにくいのであります。いろいろなたくさんの事例を通じて一応言えることだけを申し上げたいと思います。その前に各級機関財政の規模、金額でありますけれども、これがまたいろいろ変化がありまして、公安調査庁として、これは平均こうであるとか、あるいは幾らから幾らまでの間であるとかいうことは、ちよつと申し上げる段階にありません。しかし、それでは全然見当がおつきにならないと思いますので、私個人が仕事をやつておる場合に、一体どの程度と考えておるかということをちよつと申し上げたいと思います。地区委員会、地区ビューローというような段階で月額約二万円くらいと考えております。それから県の段階で約八万と考えております。東京などにおいては地区が普通の府県程度の規模になつております。大体そのようなところで概念をお持ち願いたいと思つております。  そこで最近の日共の財政を見て、その特徴と見られる点が幾つかございますが、まず党費の納入は依然として低調である。これは毎月定められた党費の五〇%から六〇%程度しか納入されておりません。党費は規約によつて各人収入の一%を納めるということになつておるのでありますが、その納入も自発的納入ということはあまり行われないようでありまして、徴収によつて納入する。それも五、六十パーセントにとどまるという状態のようであります。それから機関紙の代金、いわゆる紙代の納入もやはり低調でありまして、最近やや上まわつておるようでありますけれども、優秀な地区で六、七十パーセント、全体としては今は大体五〇%と考えておるのであります。それから党の財政は、党費と事付金、これに大口と小口がございますが、それと事業収益によつて成り立つわけであります。この中で寄付が非常に大きな比重を占めておる。地区の場合でありますと、平均して四、五十パーセント、県段階になると七、八十パーセントが寄付でまかなわれておる。この寄付の総額の中でさらに大口が非常に大きな比重を占めておる。地区段階で寄付総額の五〇%は大口カンパによる。また県段階においては八、九十パーセントくらいになるように思われます。最高の場合はむろんほとんどが大口カンパと考えてよろしいかと思います。事業体としてはいろいろあるようでありますけれども、病院、診療所と書籍の小売店が最近目立つて多くなつたように見ておるのであります。それでこういう事業体は一応党外のものとして、機関の方から経営なんかについていろいろ干渉はいたしません。しかし収益はカンパとして党に納入されるわけであります。地方などではこういう型のカンパが党財政を大体維持しておるというような事実が見られるわけであります。それから各種の資金カンパが非常に活発になつております。たとえば選挙資金カンパ、あるいは松川事件の救援でありますとか、水害の救援でありますとかいうようないろいろな救援カンパ、あるいは現在やつております「アカハタ」日刊のカンパといつたようなカンパがしきりに計画されるわけでありますが、これも後に触れますけれども、実績はきわめて低調のようであります。また選挙の場合の支出がその後の党活動に非常な負担になつておるようであります。一昨年の十月選挙のときには一億円カンパを呼びかけまして、達成したのは二千七百万円、全国百十七選挙区で、この場合は党の独自候補が百十七名となつておりまして、一人当りにして二十何万円かになるわけであります。それから昨年の四月選挙の場合には、やはり一億円カンパを呼びかけまして、三千四百万円程度達成しております。この場合は選挙区は全国百十七でありまして、党の独自候補は八十五名ということになつております。いろいろな例を見ますと、こういうカンパだけではとうてい間に合つていないようでありまして、同時に借入金が相当にございます。そういう借入金などがだんだんたまりまして、現在党財政に非常な重荷になつておるようであります。これは推算でございますけれども、一件当り二十万円くらいから四十万円くらいの借金を背負い込んでおるのではないかと考えられるのであります。それから、いろいろな救援も企てられておりますけれども、松川事件であるとか、そういつたはでな面には相当にまわつておるようでありますけれども、じみな活動を黙々としてやつておるような党員にはなかなかまわりかねるようあります。その結果として、たしか小河内工作隊だつたと思いますけれども、岩崎という党員が死んだのでありますが、それに対するカンパなども非常に不十分であつたということで、共産党が非常に自己批判をしている例などもあります。昨年の暮れあたり、困つておる同志にみかんの一つ、もちの一切れでもカンパしたいというような呼びかけがあつたのは、そのような実情を語るものであると考えるのであります。それから、党費が一体幾らくらいであるかという間頭でありますが、これは大体月額五十円程度、都市におきまして六、七十円程度と見ております。皆収入のきちんと一%を出すというわけではないと思うのでありますけれども、ほぼこれを百倍した金額が収入の大体のレベルを示すものであると思います。資金の面で、中共からの資金がどの程度であるかという問題でありますが、これはいろいろ向う側の文献などにも出ております。実際に金が送られて来たものについて見ますと、一昨年の七月から昨年の三月までの九箇月間でありますが、一億五百万円参つておるのであります。これは日中友好協会あたりに主として入つておるものであります。それから昨年の水害の救援といたしまして千七百九十五万円が送られておるのであります。このような資金はむろん日共の活動を非常に助けるものということができるのであります。支出の面においては、人件費その他の部内で使う経費がほとんどでありまして、対外宣伝費といつたような外部に対する活動に使われるものは非常に少い実情であります。党財政は党費で大体まかなつて、しかもその支出する面においては対外活動に多く使われることが健全な財政ということになるのでありますけれども、そういう意味においてかなり不健全な現象が見られると思います。  財政はこの程度にいたしまして、次に機関紙状況でありますが、一昨年七月の徳田書記長のいわゆる徳田論文以来、党が公然面の活動に力を入れるようになつたのであります。と同時に、大衆と結びつかなければならないという意味においても、宣伝活動がだんだん活発になつて参つたのであります。しかし機関紙活動が著しく活発になつたというのは、昨年の一月に出ました「機関紙活動の当面の任務」という党の決定が下部に流された以後でありまして、お手元に配付してあります厚い資料がございますが、これによりますと、昨年一月の党中央発行の機関紙誌は、公然紙、非公然紙合せて二十種類であります。ところが昨年九月になると、それが三十八種類になつております。昨年十二月も三十八種類でありますが、九月と十二月を比べてみますと、公然紙誌が九月十一種類であるのが十二月には十四種類になり、一方非公然紙誌の方は、九月二十七種類のものが十二月は二十四種類に減つておるのであります。どのような機関紙誌が出ておるかということは、添付の表に明らかにしてございますが、このように非常にたくさんの種類の機関誌を出しておるのでありまして、下部党員の方はこれを消化することがほとんど不可能である。と同時にいろいろな部局から機関紙を出しておりますので、政策的な統一も困難である。また財政上の理由も非常にあるのでありますが、最近は機関紙誌の整理統合をするということになつておりまして、昨年の終りごろからこの種類がだんだん整理されておる傾向にあるのであります。機関紙誌は大体において「アカハタ」と、それから非公然紙の「平和と独立のために」と細胞新聞を中心にして、総合的に運用される建前になつておるのでありますが、細胞新聞などが一体どの程度出ておるかという問題であります。日共の中央紙誌を除いて、地方機関ないし細胞で出しております機関紙誌の種類は、一昨年の十月から昨年の九月までの一年間において、公安調査庁で入手しましたものが八百六十八十種類、二千二百二十九部ということになつております。このうち細胞は四百五十種類、八百二十三部ということになつております。この数字でもわかります通り、一つの種類について、平均二部足らずしか入手されておりません。これは入手されなかつたのではなくて、細胞新聞というのが非常にたくさん出されておりますけれども、創刊号から第二号くらいで廃刊になつてしまうというような事例が非常に多いことを示しておるのであります。非常に続いておる細胞新聞では、すでに旬刊で七十号くらいまで出しておるところもありますけれども、多くはそういうふうな実情にあるのであります。組織の面につきましては、大体以上のような状態であります。  時間の関係で大筋をという話でありますが、それでは特に軍事の面について申し上げたいと思います。最近共産党があまり表面立つてあばれておりませんので、中には共産党暴力革命方式を転換したというようなことを申す人もありますが、これはむろん問題外でありまして、共産党が衆力革命方式を捨てるということは、共産党ではなくなることでありまして、絶対にそういうことはありません。しかし現実の毎日の行動において暴力ということを現在はやらないのではないかという感じを持つている人は相当いるのではないかと思うのであります。これについて一昨年の徳田論文以降党内にも一部そういう偏向が生じまして、これに対して一昨年十月の第三十二中央委員会総会決定の軍事方針、「武装闘争の思想と行動統一のために」は、一体武装闘争といつたようなことは武装蜂起の決定的段階においてやればいいのであつて、今日そういうことは必要ではないというような党内に一部の意見があるけれども、それは絶対に間違いである。毎日々々の成果を積み重ねて行つて初めて武装蜂起ができるものであるということを戒めているのでありますが、これはたとえば水もだんだんに熱を加えて行けば沸騰点に達して蒸気になる、量を積み重ねて行けば一定の段階において質に転化するのだという共産党の基一本理論から引出されているものであつて、今日といえどもその方針は絶対にかわりはないわけであります。ただ情勢によりまして、その現われ方がいろいろに違うわけでありまして、朝鮮休戦になりましてから後、党の政策が、いわゆる熱戦の時期の方針から冷戦の時期の方針に移つたに従いまして、軍事方針もまた若干の変更を見たのでありますけれども、これはどういうようにかわつたかということを申しますと、従来の独立した軍事組織、中核自衛隊でありますとか、あるいは独立遊撃隊であるとかいうものが独自に活動をやつてつたということではなく、どこまでも今後は大衆団体の中でその行動隊の中核になる、そうして個々の闘争を強めながら組織を拡大して行く、こういうふうな方向をとることになつておるのであります。本年の一月七日に発行されました、元「中核」と題しておつた軍事関係機関紙が、「国民の星」と改題されまして、その主張に「隊活動の新しい発展のために」というのがございますが、それがそういう方針を打出しておるわけであります。つまり具体的に言うと、労働組合の常設青年行動隊であるとか、あるいは地域の青年団といつたようなところに用事関係の要員が入り込んで、個々の闘争を強めて行く、こういうことであります。これは一昨年七月の徳田論文において、火炎びん戦術の一部の偏向を批判したときに、この際終戦後非常な発展をみた生産管理方式をあらためて考えてみなければならないということを言つておるのであります。昨年の初冬ころから、いわゆる生産管理戦術、これは広い意味でありまして、人民裁判とか、あるいに工場占拠でありますとかいうものを広く含む実力争議というふうに考えてよろしいと思うのでありますが、それを共産党があらゆる機会に指導しておつたのであります。ただこれが闘争方針と闘争の組織が十分に結びついておらなかつたと見られるのでありますが、今度の「国民の星」の主張によりまして、その点がはつきり結びついたと見られるのであります。つまり大衆団体革命化ということのためにあらゆる政治方針が集中されておるのであつて、軍事もまたその一環として、中核自衛隊あるいは青年団といつたようなものの中でこれを激化するという方向に進むことになつております。党がはたしてこの主張の通りに態勢を整えて行けるかどうか、非常にこれは注目すべき問題であると思うのでありますが、いずれは必ずそういうふうな方針が、おそかれ早かれ実際に行われるものと考えなければならないと思うのであります。昨年暮れの国鉄闘争あたりでは、国鉄の常設青年行動隊が相当実力行使に出ておるのであります。しかし現在の段階においては、まだ一般的にはあれらが共産党指導のもとにあるということは言えないと思います。しかし共産党はそういうところに非常に注意してこれを指導するという方向に向いて来ておることは、現在の情勢とにらみ合せて非常に注目すべき問題ではないかというふうに考えるのであります。  次に右翼について一言触れたいと思います。  現在の右翼に大体共通する特徴としては、第一に民族の独立統一を標榜するという点、その結果、左翼の階級闘争理論とはまつたく相いれないものでありますし、特に向ソ一辺倒あるいは向米一辺倒というようなことは、ともにこれを排する立場をとるものが多いのでありまして、当然その結果反共ということになるのであります。次にやはり資本主義の弊害を認めて、何らかの方法でこれを是正しなければならないという特徴が見られます。その次に現実の政党、国会、政府などに対して強い不満を持つておるということ、しかし、これは現在の段階ではおおむね議会主義の運営に関する問題であつて、議会主義そのものを否定するというようなものではないようであります。次に、現在の憲法は与えられた憲法であつて、これを自主的な独立憲法にかえなければならないという主張であります。但しこれは憲法のどの条項をどうするのかというような具体性はあまり見られないようであります。大体において憲法の制定のいきさつが非常に自主的でなかつたという点をついているように見えるのであります。最近の傾向といたしましては、旧右翼に大同団結の気運が非常に見られるのであります。現在のいろいろな情勢が、右翼の非常に跋扈する時代が来ることを思わせるのじやないかというようなことをときどき聞くのでありますが、右翼のテロが起つた時期、これは大体において昭和五年の十一月に浜口首相が刺されてから、毎年右翼のテロが続いているのであります。そうしてその間に満州事変、日支事変、それから日独伊防共協定、三国同盟というようなふうに時代が進んでおるのでありますが、昭和五年あたりと現在と比べて一体どういうふうに似ているか、また違うかという点を考えてみまするに、詳細の点は譲りまして、昭和五年は世界的に民族精神が高揚した時期であります。それから当時は、日本においては昭和二年ごろから、世界においては昭和四年のアメリカの大恐慌から世界的恐慌があつた時期であります。従つて当時の農村不況あるいは失業者増加といつたようなことは、これは非常なものであつたのであります。それから当時は疑獄事件、つまり賞勲局事件であるとか、私鉄疑獄事件、山梨大将事件というような疑獄事件が続きまして、政党政治に対する不満が非常にみなぎつてつた時代であります。こういうような点につきましては、程度の差がたいへんあるのでありますけれども、一応今日似たような時代ということが考えられなくもないと思うのであります。ただ当時と非常に違つているというふうに認められる点が幾つかございます。一つは、当時の右翼はナチス、フアシズムの体制の勃興期に際会しまして一応の理論を持つてつた。おおむね国家社会主義というような類型をとつてつたと思うのでありますけれども、そういうような理論を持つてつた。それから当時昭和五年四月のロンドン海軍軍縮会議に対する軍人の不満が高まつて、これがいろいろな要因から軍人の政治介入を生み出したのでありますが、そのような様相は今日見られない。それから当時おそらく右翼に対していろいろな面から政府の金が流れたのではないかという疑いがあるのでありますけれども、今日はそういうことは絶対に行われていない。何より今回の戦争の経験を通じまして、ナチやフアシズムの体制に対する魅力というものはなくなつて、いわゆる民主主義体制に対する評価が非常にかわつておるというような点が、当時とはやはり違つた情勢ではなかろうか。もちろん個人的な、偶発的な事件というものはこれはいろいろな場合にあり得ることでありますから、ゆだんはわれわれは絶対にいたしておりません。しかし今日の段階をにわかに昭和五年あたりの段階と考えることは考え過ぎではなかろうかというふうに考えておる次第であります。  以上をもつて概括の説明を終ります。
  9. 小林錡

    小林委員長 これにて当局側の説明は終りました。なおただいまの説明に対する質疑は後日これを行うことにいたします。     ―――――――――――――
  10. 小林錡

    小林委員長 この際小委員及び小委員長の選任に関する件についてお諮りいたします。すなわち、去る九日設置するに決しました違憲訴訟に関する小委員会並びに外国人の出入国に関する小委員会の小委員及び小委員長の選任につきましては、先例に従い委員長において御指名いたしたいと存じますが、御異議はありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  11. 小林錡

    小林委員長 御異議なしと認め、委員長において御指名いたします。  違憲訴訟に関する小委員には   押谷 冨三君  鍛冶 良作君   佐瀬 昌三君  田嶋 好文君   花村 四郎君  本多 市郎君   牧野 寛索君  吉田  安君   猪俣 浩三君  古屋 貞雄君   井伊 誠一君  佐竹 晴記君 それに私を加えまして、以上十三名を御指名いたします。なお小委員長には佐瀬昌三君を御指名いたします。  外国人の出入国に関する小委員には   鍛冶 良作君  佐瀬 昌三君   田嶋 好文君  花村 四郎君   林  信雄君  吉田  安君   中村三之丞君  古屋 貞雄君   木原津與志君  井伊 誠一君   木下  郁君 及びこれに私を加えまして、以上十二名を御指名いたします。なお小委員長には花村四郎君を御指名いたします。  次会は公報をもつてお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。    午後零時三十七分散会