○
高橋(一)
政府委員 それでは、昨年の十一月に
共産党が党内で
中間綱領とい
つております文書を出しまして、その中で今
長官も触れられたように、
革命外力といわゆる反
革命勢力との
力関係において党はまだ弱いということを
言つてお
つたのであります。そこで最初に党の実体というものを
人員、
機構、
財政、
機関紙というような面から見とみたいと思います。
おととしの七月二十日、すなわち
団体等規正令が存続してお
つた最後の日で、
公安調査庁発足の前日になるわけでありますが、そのときの
団体等規正令による
届出団体というものはどのくらいあ
つたかと申しますと、全部で四千九百四十三
団体――
日本共産党の
関係でありますが、四千九百四十三
団体、その中で
細胞が四千三百十三ということに
なつおります。その後いろいろ
消長を経まして、現在われわれの方で
調査の結果全部で六千二十
団体、その中で
基本組織である
細胞は五千四百七十。その他各
級委員会、すなわち
中央委員会が
一つございます。
地方委員会が九つ、それから
都府県単位のものが四十五、
北海道委員会が十二、それから
地区委員会が二百六十、
市委員会が四十九、それから
細胞群委員会が百七十四ということに
なつております。それで
党員の方は一昨年の七月二十日現在で四万八千五百七十四名ということに
なつております。
党員数が一番多か
つたのは
昭和二十五年の初めでありまして、二月二十八日現在で九万八千五百名、これが
届出党員としては一番多いのであります。このころにいわゆる
コミンフオルム批判がありまして、
共産党が
暴力革命方式を明示いたしまして、
非合法態勢をと
つたのでありますが、そのころに分派問題と実際の
脱党と、それから
擬装脱党も多分にあ
つたと思いますが、かなり
届出党員数は
減つて、一昨年七月の四万八千名ということに
なつているわけであります。現在は
党自体としても
党員数を正確に把握することは困難であると思いますけれども、われわれの方では大体
全国で十万ぐらいというふうに考えておるのであります。ただ
あとで
財政、
機関紙等の方面からも大体推測していただけると思うのでありますけれども、この中で
半数は、いわゆる
居眠り党員である。つまり
常費を納め、
機関紙を読み、
細胞あるいは何らかの
機関の要員ということで部署について積極的な
活動をしているというものはほぼ
半数ではないか、
あとの
半数はか
つてはそういう
党員であ
つたでありましようが、現在では眠
つているというふうに見てさしつかえないのではないかというふうに考えるのであります。
組織の
基本となります
細胞の
状態でありますけれども、これはいわゆる
居住細胞つまり居住地における
組織と、それから
経営細胞と申しまして、職場における
細胞がございます。
都市の
区域は
経営細胞が多くて、郡部の方になりますと
居住細胞が多く、それから
朝鮮人などはほとんどが
居住細胞に
なつております。この一
細胞の
人員の問題でありますが、一昨年七月二十自現在の
党員数、
細胞数から申しますと、一
細胞が十二名であります。実際を見ますと、
党員がおれば
一つの
細胞をつくるということに
なつておるのでありますけれども、二名でも独立の
細胞としての機能を営んでおる場合があるようであります。これが一番少い場合でありまして、非常に多い場合になりますと、たとえば学校なんかで
党員の非常に多いところでは百人を越す
細胞があります。それらを
平均しまして
大都市区域における
一つの例としては
平均一三・五名ということに
なつております。それから
地方中小都市における
一つの例として五・八名というような
状況に
なつておるのであります。
それから
党員の男女の性別はどんなふうに
なつておるか。これは届出の面では一六%、それから
大都市区域においては、最近の実際においては二〇%、それから
地方中小都市における例においては一四%というような数字が出ております。
それから年齢の問題でありますけれども、これは
大都市区域におきまして二十才未満が八・四%、二十代が七〇・五%、三十代が一六・二%、四十以上が四・九%で、二十代が七〇%余を占めておるという実情にあります。それから
地方中小都市における例におきましては、十九才、つまり二十才未満が九%、二十代が六〇・%、三十代が三〇%、四十以上が一一%というようなことで、大体常識的に若い者が多いということが如実に示されておるわけであります。この、
あとに申し上げました例の場合では、一番若いのは十七才の高等学校の生徒であります。一番年かさのは五十五になる古い
党員であります。
それから婦人の入党
関係につきましては、経営における婦人
党員というのは格別男子の場合とかわ
つたことはないようでありますけれども、郡部の居住地域などではほとんどが家族
関係を通じて入党したというような
傾向が多分に見受けられるのであります。
それから
機構の問題といたしまして、昨年中に今までなか
つたところの山陽地方ビューロー、岡山、広島、山口三県を
区域としますところの山陽ビューローと、それから四国四県の四国ビューローというのが新しくできております。従来はそれらの県は、大阪にある西
日本ビューローの
指導下にあ
つたわけでありますが、昨年中にこれが独立して
一つのビューローと
なつた。しかしさしあた
つてはやはり西
日本ビューローの
指導下にあ
つて、中央ビューローに直結はいたしておりません。これらは
機構の
整備を物語るものというふうに考えていいのではないかと思
つております。軍事
関係については後に電車
関係のところで申し上げることにいたしまして、
人員、
機構の面からする観察はこの程度にいたします。
次は
財政面から見て党の実体はどういうものであるかということであります。この
共産党の
財政ということは、実は非常につかみにくい問題でありまして、第一にわれわれの
調査がまだ十分でないということであります。そのほかに、
党自体も
財政の全貌はおそらく把握しておらない。下部
機関から上級
機関に対する
財政の報告書なども相当ありますけれども、その
内容も非常にまちまちでありまして、何らかそこに作為の跡が見られる、真実を報告していると思えないような点もございます。それから個人的なカンパをと
つて、それを自分限りで使
つてしまうというようなものは、こういうような面には現われて来ないわけであります。そのようないろいろな
条件がありまして、
財政問題は非常につかみにくいのであります。いろいろなたくさんの事例を通じて一応言えることだけを申し上げたいと思います。その前に各級
機関の
財政の規模、金額でありますけれども、これがまたいろいろ変化がありまして、
公安調査庁として、これは
平均こうであるとか、あるいは幾らから幾らまでの間であるとかいうことは、ちよつと申し上げる
段階にありません。しかし、それでは全然見当がおつきにならないと思いますので、私個人が仕事をや
つておる場合に、一体どの程度と考えておるかということをちよつと申し上げたいと思います。
地区委員会、地区ビューローというような
段階で月額約二万円くらいと考えております。それから県の
段階で約八万と考えております。東京などにおいては地区が普通の府県程度の規模に
なつております。大体そのようなところで概念をお持ち願いたいと思
つております。
そこで最近の日共の
財政を見て、その特徴と見られる点が幾つかございますが、まず党費の納入は依然として低調である。これは毎月定められた党費の五〇%から六〇%程度しか納入されておりません。党費は規約によ
つて各人収入の一%を納めるということに
なつておるのでありますが、その納入も自発的納入ということはあまり行われないようでありまして、徴収によ
つて納入する。それも五、六十パーセントにとどまるという
状態のようであります。それから
機関紙の代金、いわゆる紙代の納入もやはり低調でありまして、最近やや上まわ
つておるようでありますけれども、優秀な地区で六、七十パーセント、全体としては今は大体五〇%と考えておるのであります。それから党の
財政は、党費と事付金、これに大口と小口がございますが、それと事業収益によ
つて成り立つわけであります。この中で寄付が非常に大きな比重を占めておる。地区の場合でありますと、
平均して四、五十パーセント、県
段階になると七、八十パーセントが寄付でまかなわれておる。この寄付の総額の中でさらに大口が非常に大きな比重を占めておる。地区
段階で寄付総額の五〇%は大口カンパによる。また県
段階においては八、九十パーセントくらいになるように思われます。最高の場合はむろんほとんどが大口カンパと考えてよろしいかと思います。事業体としてはいろいろあるようでありますけれども、病院、診療所と書籍の小売店が最近目立
つて多く
なつたように見ておるのであります。それでこういう事業体は一応党外のものとして、
機関の方から経営なんかについていろいろ干渉はいたしません。しかし収益はカンパとして党に納入されるわけであります。地方などではこういう型のカンパが党
財政を大体維持しておるというような事実が見られるわけであります。それから各種の資金カンパが非常に活発に
なつております。たとえば選挙資金カンパ、あるいは松川
事件の救援でありますとか、水害の救援でありますとかいうようないろいろな救援カンパ、あるいは現在や
つております「アカハタ」日刊のカンパとい
つたようなカンパがしきりに
計画されるわけでありますが、これも後に触れますけれども、
実績はきわめて低調のようであります。また選挙の場合の支出がその後の党
活動に非常な負担に
なつておるようであります。一昨年の十月選挙のときには一億円カンパを呼びかけまして、達成したのは二千七百万円、
全国百十七選挙区で、この場合は党の独自候補が百十七名と
なつておりまして、一人当りにして二十何万円かになるわけであります。それから昨年の四月選挙の場合には、やはり一億円カンパを呼びかけまして、三千四百万円程度達成しております。この場合は選挙区は
全国百十七でありまして、党の独自候補は八十五名ということに
なつております。いろいろな例を見ますと、こういうカンパだけではとうてい間に合
つていないようでありまして、同時に借入金が相当にございます。そういう借入金などがだんだんたまりまして、現在党
財政に非常な重荷に
なつておるようであります。これは推算でございますけれども、一件当り二十万円くらいから四十万円くらいの借金を背負い込んでおるのではないかと考えられるのであります。それから、いろいろな救援も企てられておりますけれども、松川
事件であるとか、そうい
つたはでな面には相当にまわ
つておるようでありますけれども、じみな
活動を黙々としてや
つておるような
党員にはなかなかまわりかねるようあります。その結果として、たしか小河内工作隊だ
つたと思いますけれども、岩崎という
党員が死んだのでありますが、それに対するカンパなども非常に不十分であ
つたということで、
共産党が非常に
自己批判をしている例などもあります。昨年の暮れあたり、困
つておる同志にみかんの
一つ、もちの一切れでもカンパしたいというような呼びかけがあ
つたのは、そのような実情を語るものであると考えるのであります。それから、党費が一体幾らくらいであるかという間頭でありますが、これは大体月額五十円程度、
都市におきまして六、七十円程度と見ております。皆収入のきちんと一%を出すというわけではないと思うのでありますけれども、ほぼこれを百倍した金額が収入の大体のレベルを示すものであると思います。資金の面で、
中共からの資金がどの程度であるかという問題でありますが、これはいろいろ向う側の文献などにも出ております。実際に金が送られて来たものについて見ますと、一昨年の七月から昨年の三月までの九箇月間でありますが、一億五百万円参
つておるのであります。これは日中友好協会あたりに主として入
つておるものであります。それから昨年の水害の救援といたしまして千七百九十五万円が送られておるのであります。このような資金はむろん日共の
活動を非常に助けるものということができるのであります。支出の面においては、人件費その他の部内で使う経費がほとんどでありまして、対外
宣伝費とい
つたような外部に対する
活動に使われるものは非常に少い実情であります。党
財政は党費で大体まか
なつて、しかもその支出する面においては対外
活動に多く使われることが健全な
財政ということになるのでありますけれども、そういう意味においてかなり不健全な現象が見られると思います。
財政はこの程度にいたしまして、次に
機関紙の
状況でありますが、一昨年七月の徳田書記長のいわゆる徳田論文以来、党が公然面の
活動に力を入れるように
なつたのであります。と同時に、
大衆と結びつかなければならないという意味においても、
宣伝活動がだんだん活発に
なつて参
つたのであります。しかし
機関紙活動が著しく活発に
なつたというのは、昨年の一月に出ました「
機関紙誌
活動の当面の任務」という党の決定が下部に流された以後でありまして、お手元に配付してあります厚い資料がございますが、これによりますと、昨年一月の党中央発行の
機関紙誌は、公然紙、非公然紙合せて二十種類であります。ところが昨年九月になると、それが三十八種類に
なつております。昨年十二月も三十八種類でありますが、九月と十二月を比べてみますと、公然紙誌が九月十一種類であるのが十二月には十四種類になり、一方非公然紙誌の方は、九月二十七種類のものが十二月は二十四種類に
減つておるのであります。どのような
機関紙誌が出ておるかということは、添付の表に明らかにしてございますが、このように非常にたくさんの種類の
機関誌を出しておるのでありまして、下部
党員の方はこれを消化することがほとんど不可能である。と同時にいろいろな部局から
機関紙を出しておりますので、政策的な
統一も困難である。また
財政上の
理由も非常にあるのでありますが、最近は
機関紙誌の整理統合をするということに
なつておりまして、昨年の終りごろからこの種類がだんだん整理されておる
傾向にあるのであります。
機関紙誌は大体において「アカハタ」と、それから非公然紙の「平和と独立のために」と
細胞新聞を中心にして、総合的に運用される建前に
なつておるのでありますが、
細胞新聞などが一体どの程度出ておるかという問題であります。日共の中央紙誌を除いて、地方
機関ないし
細胞で出しております
機関紙誌の種類は、一昨年の十月から昨年の九月までの一年間において、
公安調査庁で入手しましたものが八百六十八十種類、二千二百二十九部ということに
なつております。このうち
細胞は四百五十種類、八百二十三部ということに
なつております。この数字でもわかります通り、
一つの種類について、
平均二部足らずしか入手されておりません。これは入手されなか
つたのではなくて、
細胞新聞というのが非常にたくさん出されておりますけれども、創刊号から第二号くらいで廃刊に
なつてしまうというような事例が非常に多いことを示しておるのであります。非常に続いておる
細胞新聞では、すでに旬刊で七十号くらいまで出しておるところもありますけれども、多くはそういうふうな実情にあるのであります。
組織の面につきましては、大体以上のような
状態であります。
時間の
関係で大筋をという話でありますが、それでは特に軍事の面について申し上げたいと思います。最近
共産党があまり表面立
つてあばれておりませんので、中には
共産党は
暴力革命方式を転換したというようなことを申す人もありますが、これはむろん問題外でありまして、
共産党が衆力
革命方式を捨てるということは、
共産党ではなくなることでありまして、絶対にそういうことはありません。しかし現実の毎日の
行動において
暴力ということを現在はやらないのではないかという感じを持
つている人は相当いるのではないかと思うのであります。これについて一昨年の徳田論文以降党内にも一部そういう偏向が生じまして、これに対して一昨年十月の第三十二
中央委員会総会決定の軍事方針、「武装闘争の思想と
行動の
統一のために」は、一体武装闘争とい
つたようなことは武装蜂起の決定的
段階においてやればいいのであ
つて、今日そういうことは必要ではないというような党内に一部の意見があるけれども、それは絶対に間違いである。毎日々々の成果を積み重ねて行
つて初めて武装蜂起ができるものであるということを戒めているのでありますが、これはたとえば水もだんだんに熱を加えて行けば沸騰点に達して蒸気になる、量を積み重ねて行けば一定の
段階において質に転化するのだという
共産党の基一本理論から引出されているものであ
つて、今日といえどもその方針は絶対にかわりはないわけであります。ただ
情勢によりまして、その現われ方がいろいろに違うわけでありまして、
朝鮮休戦になりましてから後、党の政策が、いわゆる熱戦の時期の方針から
冷戦の時期の方針に移
つたに従いまして、軍事方針もまた若干の変更を見たのでありますけれども、これはどういうようにかわ
つたかということを申しますと、従来の独立した軍事
組織、中核自衛隊でありますとか、あるいは独立遊撃隊であるとかいうものが独自に
活動をや
つてお
つたということではなく、どこまでも今後は
大衆団体の中でその
行動隊の中核になる、そうして個々の闘争を強めながら
組織を拡大して行く、こういうふうな
方向をとることに
なつておるのであります。本年の一月七日に発行されました、元「中核」と題してお
つた軍事
関係の
機関紙が、「
国民の星」と改題されまして、その主張に「隊
活動の新しい発展のために」というのがございますが、それがそういう方針を打出しておるわけであります。つまり具体的に言うと、労働組合の常設青年
行動隊であるとか、あるいは地域の青年団とい
つたようなところに用事
関係の要員が入り込んで、個々の闘争を強めて行く、こういうことであります。これは一昨年七月の徳田論文において、火炎びん戦術の一部の偏向を批判したときに、この際終戦後非常な発展をみた生産管理方式をあらためて考えてみなければならないということを
言つておるのであります。昨年の初冬ころから、いわゆる生産管理戦術、これは広い意味でありまして、人民
裁判とか、あるいに工場占拠でありますとかいうものを広く含む実力争議というふうに考えてよろしいと思うのでありますが、それを
共産党があらゆる機会に
指導してお
つたのであります。ただこれが闘争方針と闘争の
組織が十分に結びついておらなか
つたと見られるのでありますが、今度の「
国民の星」の主張によりまして、その点がはつきり結びついたと見られるのであります。つまり
大衆団体の
革命化ということのためにあらゆる
政治方針が集中されておるのであ
つて、軍事もまたその一環として、中核自衛隊あるいは青年団とい
つたようなものの中でこれを
激化するという
方向に進むことに
なつております。党がはたしてこの主張の通りに態勢を整えて行けるかどうか、非常にこれは注目すべき問題であると思うのでありますが、いずれは必ずそういうふうな方針が、おそかれ早かれ実際に行われるものと考えなければならないと思うのであります。昨年暮れの国鉄闘争あたりでは、国鉄の常設青年
行動隊が相当実力行使に出ておるのであります。しかし現在の
段階においては、まだ一般的にはあれらが
共産党の
指導のもとにあるということは言えないと思います。しかし
共産党はそういうところに非常に注意してこれを
指導するという
方向に向いて来ておることは、現在の
情勢とにらみ合せて非常に注目すべき問題ではないかというふうに考えるのであります。
次に右翼について一言触れたいと思います。
現在の右翼に大体共通する特徴としては、第一に民族の独立
統一を標榜するという点、その結果、左翼の階級闘争理論とはま
つたく相いれないものでありますし、特に向ソ一辺倒あるいは向米一辺倒というようなことは、ともにこれを排する立場をとるものが多いのでありまして、当然その結果反共ということになるのであります。次にやはり資本
主義の弊害を認めて、何らかの方法でこれを是正しなければならないという特徴が見られます。その次に現実の政党、国会、
政府などに対して強い不満を持
つておるということ、しかし、これは現在の
段階ではおおむね議会
主義の運営に関する問題であ
つて、議会
主義そのものを否定するというようなものではないようであります。次に、現在の憲法は与えられた憲法であ
つて、これを自主的な独立憲法にかえなければならないという主張であります。但しこれは憲法のどの条項をどうするのかというような具体性はあまり見られないようであります。大体において憲法の制定のいきさつが非常に自主的でなか
つたという点をついているように見えるのであります。最近の
傾向といたしましては、旧右翼に大同団結の気運が非常に見られるのであります。現在のいろいろな
情勢が、右翼の非常に跋扈する時代が来ることを思わせるのじやないかというようなことをときどき聞くのでありますが、右翼のテロが起
つた時期、これは大体において
昭和五年の十一月に浜口首相が刺されてから、毎年右翼のテロが続いているのであります。そうしてその間に満州事変、日支事変、それから日独伊防共協定、三国同盟というようなふうに時代が進んでおるのでありますが、
昭和五年あたりと現在と比べて一体どういうふうに似ているか、また違うかという点を考えてみまするに、詳細の点は譲りまして、
昭和五年は世界的に民族精神が高揚した時期であります。それから当時は、
日本においては
昭和二年ごろから、世界においては
昭和四年の
アメリカの大恐慌から世界的恐慌があ
つた時期であります。
従つて当時の農村不況あるいは
失業者の
増加とい
つたようなことは、これは非常なものであ
つたのであります。それから当時は疑獄
事件、つまり賞勲局
事件であるとか、私鉄疑獄
事件、山梨大将
事件というような疑獄
事件が続きまして、政党
政治に対する不満が非常にみなぎ
つてお
つた時代であります。こういうような点につきましては、程度の差がたいへんあるのでありますけれども、一応今日似たような時代ということが考えられなくもないと思うのであります。ただ当時と非常に違
つているというふうに認められる点が幾つかございます。
一つは、当時の右翼はナチス、フアシズムの体制の勃興期に際会しまして一応の理論を持
つてお
つた。おおむね
国家社会主義というような類型をと
つてお
つたと思うのでありますけれども、そういうような理論を持
つてお
つた。それから当時
昭和五年四月のロンドン海軍軍縮
会議に対する軍人の不満が高ま
つて、これがいろいろな要因から軍人の
政治介入を生み出したのでありますが、そのような様相は今日見られない。それから当時おそらく右翼に対していろいろな面から
政府の金が流れたのではないかという疑いがあるのでありますけれども、今日はそういうことは絶対に行われていない。何より今回の戦争の経験を通じまして、ナチやフアシズムの体制に対する魅力というものはなく
なつて、いわゆる
民主主義体制に対する評価が非常にかわ
つておるというような点が、当時とはやはり違
つた情勢ではなかろうか。もちろん個人的な、偶発的な
事件というものはこれはいろいろな場合にあり得ることでありますから、ゆだんはわれわれは絶対にいたしておりません。しかし今日の
段階をにわかに
昭和五年あたりの
段階と考えることは考え過ぎではなかろうかというふうに考えておる次第であります。
以上をも
つて概括の
説明を終ります。