○林(信)
委員 お答えになりました前半の事柄は、われわれもそれぞれ
収容所の実態を見まして、御配慮にな
つておるような
心持が
十分処遇に現われておると存じます。決して刑務所的な
扱いでない点はきわめて適当であろうと考えております。従いましてそういう面についてとかくのことをもちろんわれわれは耳にもいたしておりません。ただその後半でありまする
密航関係の者の
在留許可に関する面でありますが、これらの
諸君がやすやすとして
在留し得る
理由があるとは、もとより私も思わないのであります。そのための
出入国管理令であるのであります。しからば
といつて、ただこれらの
諸君を入れない
建前であるのだが、一切強制送還することにな
つておるかといえば、それは
法令自体が
規定いたしておりますように、時によ
つてこれを許す。か
つて日本国民として本邦に国籍を有したことがあるというような者とか、「その他
法務大臣が特別に
上陸を許可すべき
事情があると認めるとき。」等、これはやはり実際の要請に応じてできた
規定であり、これは生かして考えて行かなければならぬと思うのです。従いまして、お述べになりましたような御
苦心があると思うのであります。それを一切合財追い返してしまうということになれば、法の
建前から行けば、
出入国管理令は
出入国禁止令の名をも
つてかえるべきが適当であ
つて、それは決して適当な
管理ではないと思う。先刻もお述べになりましたように、その
在留許可等の
取扱いはむしろ甘きに失しておるのじやないかという
お話なんですが、それほどであるといたしますれば、やはり法の一応ねら
つておりまする禁止令的な
考え方でなくて、
管理的な
法令として事に当
つておられることはうかがえるのです。しかし、
言葉じりをとらえるわけではないのでありますが、この問題は
お話のようにきわめてむずかしい問題だと思うのです。
言葉のように甘くてもこれはいけないと思うのです。辛過ぎてもいけないと思うのです。適正な
言葉を思いつきませんが、いわゆるその処理はきわめて適正でなくてはならぬ。公正であるのはもちろん、適正でなくてはならぬと思う。法に示しまするところは、きわめて抽象的な
言葉をも
つて表現せられておりますから、凡百の
具体例に至りますると、非常にむずかしい問題があると思うのですが、特にわれわれが痛感いたしますることは、
外国人といえども人なんですから、
人間はただりくつだけでは生きて行けないと思うのであります。
愛情が基盤となり、これがきずなとな
つて、
ほんとうに人生というものは過して行けるものであろう思うのです。しばしば
世上国境を越えた
愛情が美しいものとしてたたえられた例は多いのであります。
愛情というものは
国境によ
つては区別せられないのが、広く
人道上の見方ではないかと思うのであります。
国際愛に徹して、
人道上からながめました場合の問題が、この種の
密入国者の間において考えさせられるものがしばしば起
つておるであろうと存じます。私も少い
経験の間においてこれを
経験しておるのです。たとえば御
説明にあります最も数の多い
朝鮮人、次いではおそらく中華の
諸君であろうと存じますが、
朝鮮のごときは一衣帯水でありますので、戦時中のあの事態で災害を避けて疎開の
心持で避難いたしましたような
諸君、これが一家こぞ
つて朝鮮へ疎開的に移動しておりました者、あるいは夫婦わかれわかれになり、あるいは親子別々となり、あるいは
兄弟そのところを異にしてお
つたというような幾多の例があると思うのですが、それが時治ま
つて今日何
といつても親子の情、
兄弟の情、夫婦の情愛よりして一緒に暮したい。
方法としては、
日本にいる者が
朝鮮に帰り、あるいは
台湾に行く場合もありましようし、かの地より来る場合もあるのであります。そうい
つた一つの例を考えましても、またその後において特に
近親の者が重病になり、あるいは死亡したとい
つたようなところから一時渡鮮したような者、あるいは
同居生活はしていなか
つたにいたしましても、かの地において何ら扶養する者がなく、比較的
近親者にして
日本に
在留しておる者がこれを扶養してくれる十分の見込みのありますような場合等々、適当な例を私はあげ得ませんが、これらの例から見ましても、
人道上の
見地からいたしましてまことに惻隠の情禁じ得ざるものがあると思うのです。それらの者も、
国際慣例をも
つてし、ただ
日本に在住せしめることが少くとも利益するものでないというような
考え方一点ばりでその
在留を許可しない。それはそう認めたという法の
規定によ
つて扱
つておると言えば言えないことはないでしようし、違法でないのかもしれませんが、はたして法の底を流れます真の
法意に適合しておるかどうかということは考えさせられると思う。この
法令がその
規定をつく
つておりますのは、真に大所高所よりいたしまして、
日本国家として、
日本政府として、
日本人としてこうあらねばならぬというその
心持に従
つて取扱うべきであることを表現しておるものと考えるべきではないかと思う。かように私は存じますがゆえに、いたいけな
子供のあるいは
婦人の連中がかなり
集団的にや
つて来る、それはやつかいなことではあります。そのすべてが情において、来たからという一点のみをも
つてこれの
入国を許可し、あるいは
在留を許可するということの不適正であることはもちろんであります。そんな甘いことが許されようわけがないのでありますが、それらの
諸君を十分検討いたしまして、諸般の実情を慎重に、また綿密に調査いたしましたならば、さつき申しまするような
見地より、
国境を越えた高いヒューマニズムよりいたしまして、これを許すことが適当であると考えられるものがあると思う。ここにいたいけな
子供が参りまして、あちらには身寄りの者がない、あるいは遠い者であ
つて、こちらにはきわめて
近親、なかんずく父あり、母ありというようなものを引離す、実際に具体的な場合になりまして、そういう
場面を見ておると、見ておれないような悲惨なものもあるのであります。こういう、いわばそのこと
自体に区切
つて考えてみますると非
人間的といいますか、残酷な
場面をそのまま見過して、これを
密入国者として送還してしまうということは、法の
規定、法の
趣旨及び
人間愛情の問題、これにプラスいたしまして、将来の
国際親善、国交に及ぼす
影響等を思いまするとき、この問題は一層慎重に考えなければならぬ問題であると思うのであります。これらに関しまして御
当局は、従来
法務大臣の言うところは、決してただいま局長の言われたような、なるべく峻厳にしてその例を繰返さないという
一つの標準を打立てるような方針であ
つたようには承
つて来ておらぬのであ
つて、ほかにもつと
日本国として
日本国民として適当な
基準があるはずだと思う。その御
基準がありまするならばお示しを願いたいし、また具体的にあたりまして、どういう御
苦心がおありになりまするのか、これをお伺いしたいと思うのであります。