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1954-03-18 第19回国会 衆議院 文部委員会 第20号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年三月十八日(木曜日)     午前十時五十七分開議  出席委員    委員長 辻  寛一君    理事 相川 勝六君 理事 竹尾  弌君    理事 長谷川 峻君 理事 町村 金五君    理事 野原  覺君 理事 松平 忠久君       伊藤 郷一君    岸田 正記君       熊谷 憲一君    坂田 道太君       始関 伊平君    原田  憲君       山中 貞則君    亘  四郎君       田中 久雄君    高津 正道君       辻原 弘市君    山崎 始男君       小林  進君    前田榮之助君       山村新治郎君  出席国務大臣         文 部 大 臣 大達 茂雄君  出席政府委員         人事院総裁   淺井  清君         国家地方警察本         部長官     斎藤  昇君         公安調査庁次長 高橋 一郎君         文部事務官         (大臣官房会計         課長)     内藤誉三郎君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     緒方 信一君         文部事務官         (大学学術局         長)      稻田 清助君         文部事務官         (社会教育局         長)      寺中 作雄君         文部事務官         (調査局長)  小林 行雄君         文部事務官         (管理局長)  近藤 直人君  委員外出席者         検     事         (刑事局公安課         長)      桃澤 全司君         検     事         (公安調査庁調         査第一部第四課         長)      大野  正君         専  門  員 石井つとむ君        専  門  員 横田重左衞門君     ————————————— 本日の会議に付した事件  義務教育学校における教育政治的中立の確  保に関する法律案内閣提出第四〇号)  教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内  閣提出第四一号)     —————————————
  2. 辻寛一

    辻委員長 会議を開きます。  教育委員会法の一部を改正する法律案教育委員会法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法令整理等に関する法律案市町村立学校職員給与負担法の一部を改正する法律案学校教育法事の一部を改正する法律案教育公務員特別法の一部を改正する法律案、以上五案を一括して議題となし、前会に引続き質疑を行います。質疑の御通告を願います。——質疑はありませんか。     〔「なし」と呼び、その他発言する者あり〕
  3. 辻寛一

    辻委員長 暫時休憩いたします。     午前十時五十九分休憩      ————◇—————     午後一時二十一分開議
  4. 辻寛一

    辻委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  義務教育学校における教育政治的中立の確保に関する法律案及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案の両案を一括して議題とし、前会に引続き質疑を行います。辻原弘市君。
  5. 辻原弘市

    辻原委員 各会派の持時間が一応定められておるやに聞きましたので、十分その点は考慮しつつ質問をいたすつもりであります。大臣におかれましても、ひとつ十分私の質問に対しては誠意をもつてお答えを願いたいと思います。  最初に今回の二法案について国民全般が非常に懸念している問題は、まず第一にこの法案が出されることによつて教育は一体どうなるだろうかという、このことに対する反対である。さらに言論が圧迫せられて、いわゆる思想統制の結果に陥るのではないかということが、これまた反対論拠の第二であります。次に基本的諸権利としての諸般の問題が大幅に制約されるということに対する懸念であります。しかもこれが何をほんとうの目的にして行われるのかというのが、究極する国民令般の不安の念であります。かような法案が出されるということは、民主主義の逆行ではないか。そうして一体何を考えているのだろうか。こういう点が、ただいまこの法案をめぐつて国民の間に大きな暗雲をもたらしておると私は考えるのであります。従つてまず最初にお伺いいたしますが、この法案を出された当の責任者である大臣は、今日の憲法下における教育基本法のもとにおいて行われる教育について、どういう教育観を持つているかということを明らかにする必要があると思います。前十六国会において教育勅語の問題をめぐつて大臣教育観の一端をお伺いしたいのでありますが、ここであらためて長時間をかけてお伺いしようとは思いませんけれども、再度私はこの問題について大臣の御見解を聞いておきたいと思います。  当時の記録によりますと、大臣教育勅語の持つておる精神というものは、何ら否定すべきものではない。ただその取扱いの形式がいけなかつた、こういつた趣旨のことを言つておるのでありますが、私はこの大臣考え方を肯定するわけには参りません。むしろ教育勅語は逆にこの精神、すなわち教育勅語の背後をめぐつてバツク・ボーンとなつておる精神が、それ自供憲法精神を背馳するものであるという思想的見解によつて教育勅語廃葉を議会においても決議したものであると考えるのでありますが、大臣はこれに対してどうお考えになつておりますか。十六国会における大臣の御見解と今日の御見解とには、何らお考えの上に差がないかどうか。これを伺います。
  6. 大達茂雄

    大達国務大臣 当時お答えした通りでありまして、今日なお何にもその点については私はかわつておりません。
  7. 辻原弘市

    辻原委員 やはり教育勅語精神はいいと大臣は当時の見解を述べられたのでありますが、私は戦後における日本の教育のあり方というものを、当時文部省が出した資料によりまして、ただいま大臣の申された考え方と合致しておるかどうかについて、いま一回お聞きをしてみたいと思います。と申しますのは、一九五〇年の八月に第二次教育使節団が来朝いたしました。その際文部省はその使節団に対しまして報告書をとりまとめて提出をいたしております。その報告書の中に次のようなことが書かれておるのでありますが、それについて大臣はどうお考えになりますか、これをお伺いしたい。戦後における教育改革趣旨を、文部省はどういうふうに把握しておつたかと申しますと、この報告書の中には、次のごとく書かれております。「今次の教育改革が、空前の、根本的・徹底的な改革であるというべき理由は、言うまでもなく改革が、教育の全部門にわたつて大規模に行われた事実によるばかりでない。こういう数的計量によつてのみ、根本的・徹底的な改革考えられるからではない。それは、教育の全体系をささえる根本的な理念について、教育目的の窮極に描かれる人間像について、まさに、完全な革命が遂行されたからである。」こういう一文があるのであります。次に、「その背景をなす思想的立場は、真理と自由と平和とを愛する近代民主主義精神であり、また、その基底をなしている行為的・実践的立場は、近代民主主義社会を発展せしめて来た進歩的自由主義の原理である。」こういうふうに戦後における教育改革は、ただいま大臣教育勅語について述べられたような見解とはおおよそほど遠い、すなわち精神がいいから、その精神は今日の憲法下においてもわれわれは採用して行くのだといつたようななまやさしい考え方に基いて改革が行われたものではないのであります。すなわち教育勅語が持つてつたところの明治中期における思想的背景、申すまでもなく天皇中心とした国家主義的思想背景というものは一擲すべきなんだ。そのことによつて生れて来る教育人間像というものは、これはわれわれが新教育において期待しておるものではないというその論断によつて、ここに教育改革ではなくして革命が行われたと文部省は報告しておる。従つて新たに生れて来るところの基本法に基く教育の支柱というものは、これは教育勅語による精神ではなくして、基本法による新しい精神である、こういうふうにわれわれは把握をせざるを得ないのでありますが、この点について大臣はどう考えられるか。
  8. 大達茂雄

    大達国務大臣 大体御意見の通り考えております。
  9. 辻原弘市

    辻原委員 そうすると、教育勅語精神を今日もなおとらまえられ、そうしてそれを新教育の上に具現すると言われる内容は、具体的には一体どういうことになりますか。
  10. 大達茂雄

    大達国務大臣 昨年の特別国会において私が申し上げたのは、教育勅語精神を具現するために現在の教育制度がある、かように申し上げたことはないのであります。教育勅語というものについてどう思うか、こう言われますから、教育勅語に盛られた精神というものは、わが国の伝統的な道徳精神がそこに現われておるのであつて、この精神は尊重せらるべきものである、かように考えて、申し上げたはずであります。
  11. 辻原弘市

    辻原委員 大臣見解について私が再度お聞きいたしましたのはどういう意味かと申しますと、言葉はいろいろな表現の仕方があるでありましよう。今日、あるいは愛国心の高揚であるとか、あるいは自衛力の漸増であるとかということについて、その実態と必ずしも符節しないような言葉の魔術が行われている。私は大臣教育勅語に対して述べられた考え方もそれに類するものである、かように考えます。論争はいたしませんけれども文部省が出した当時の記録においても明らかなように、教育基本法教育勅語にかわる新しい指標としてまつたく所を置きかえたものである、旧憲法下においての教育の指針というものは教育勅語にあつた、現在の新憲法下においては、当時いろいろこの問題の取扱いについて検討の結果、教育勅語はまつたく廃棄をして、新たなるものを設定すべきだというので、教育基本法が民主的に設定された、これは記録にとどまつておるのであります。従つて教育勅語精神がどうだこうだということにおいて、教育基本法の持つておる、先ほど私が読み上げたいわゆる近代社会における進歩的自由主義精神というものを否定し去るような、そういう考え方をお持になるということはもつてのほかである、かように私は申し上げざるを得ないのであります。この問題はすでに論争いたした点でありますのでこの程度にとどめ、次に問題に移ります。  次にただしておきたい問題は、ただいままでの大臣答弁ないしは委員会における質疑の段階において、非常に論争中心になつた問題は、共産党日教組関係についてでありますが、この点についていまだ大臣のはつきりした把握見解を承つておりませんので、この機会に明らかにしていただきたいと思うのであります。山口県の日記帳のほか二十四件にわたつてあげられた文部省偏向教育資料事例なるものは、今までの説明を聞いて参りますと、これことごとく日教組の指令ないしは日教組運動の結果として行われているかのごとき印象を与えておるが、私はこの点については了解に苦しむのであります。私自身もかつて日教組組織運動に携わつたことがありますので、実態についてはよく存じております。従つてそういう意味から申して、かような論断というものはきわめて不当なものであると言わざるを得ませんので、大臣にこの点を十分お聞きしたいと思います。具体的に聞きますが、日教組というこの組織体が、共産党方針を支持したり、支援をしたりして、それを組織内の活動として行つているような事実が、大臣のただいままでの日教組に対する御検討の結果、あるのかどうか。いわゆる日教組というのは組織体である。その組織体が、組織活動共産党運動を支持してやつておるという具体的事例があるのか、この一点を承りたい。
  12. 大達茂雄

    大達国務大臣 共産党日教組というものを事実上どの程度動かしておるか、これは私どもにはわかりません。過日国警本部から資料が提供されまして、それについて私どももいろいろの事実を知つたのでありまして、日教組内における共産分子日教組組合活動の上にどの程度影響を及ぼしておるか、その点は私どもとしては、とうてい把握はできないのであります。ただ国警本部から提出せられた資料によつてみますと、共産党教育方面に関する方針といいますか、それはある程度わかる。それから日教組教育に関する方針の方は日教組資料によつてわかる。この両者を比べてみると、符節を合するとは言わないまでも、きわめて近接したものであります。従つて事実上因果関係があるかどうかはわれわれの論断すべき限りではないけれども、まず常識的に考えてみて相当な影響が及ぼされておるのではないか、こういうふうに判断し得ると思います。
  13. 辻原弘市

    辻原委員 外部からする影響についてはわれわれもあながち否定するものではありません。問題は、日教組がかかる偏向事例の原因になつておる、あるいは日教組がいわゆる共産党と同じような運動方針を掲げて組織活動を行つておるやの説明がしばしば今まで行われたので、そういう組織活動日教組がその組織体として決定したという事実があるのかないのかということを私は聞いておる。
  14. 大達茂雄

    大達国務大臣 日教組共産党影響を受けておるかどうか、これは具体的にはわかりませんが、日教組の掲げる教育活動方向を、学校教育の面において児童に浸透させるべきである、あるいはまた児童を通して母親なり成人学級、そういうような方にも進めて行くべきである、こういう方向日教組がとつておることは、日教組自身提出した資料によつて言い得ると思います。
  15. 辻原弘市

    辻原委員 その場合の日教組のとつておる方針共産党方針とはどういう関係があるか、それを伺いたい。
  16. 大達茂雄

    大達国務大臣 再三申し上げるように、その間の関係はわかりません。偶然に一致しているのか、それはわからない。私の方では、日教組内における共産党日教組自身との関係は、とうていうかがい知ることができないのであります。表面に現われた事実としては、日教組内における共産グループ指導方針と、日教組の掲げておる教育方針というものとは、きわめて近似したものが認められる、こういうことを言うだけであります。その因果関係なんということはわれわれのうかがい知るべきものではありません。
  17. 辻原弘市

    辻原委員 大臣考え方把握すると、たとえば自由党と改進党とはその政策において非常に近い、そうすると改進党的影響を受けておる団体のやつておることであつても、これはとりようによつて自由党政策にきわめて近似しておるから自由党教育あるいは自由党一つ政策推進をやつておるのだろうということと同じ論理に通ずると思います。さようなあいまいな考え方でもつてこの重大な一つ組織体なら組織体、あるいは教育の上に現われておる事例判断されるということは、非常に危険な考え方だと思う。そこで私は少くともこういう組織体がいかなる組織活動をやつておるかを判断するには、やはり的確な資料があるはずなんです。そういう運動方針の結果が現われている事例が、はたしてこれがどうであるということは具体的問題を取上げて論じなければならぬけれども、その大筋になる一つ方針というものは、それぞれ組織体がきめた民主的な決定を見て判断することが一番正しい見解になると私は思う。そこで、今大臣共産党にきわめて近いようなそういうものをやつておるではないかということを申された。しかしながら、私は、今ここに、日教組の第十回定期大会における運動方針書並びにこの運動方針組織運動方針として決定されるに至る議事録を取寄せましてしさいに検討いたしましたが、それによると、最も中心的問題となつた——これはしばしば与党の委員の諸君の中からも言われておることでありますが、日教組は、ソ連中共を、平和の味方なんだ、アメリカ戦争を挑発する勢力なんだから、われわれはアメリカを敵とし、ソ連中共味方とするのだ。だから中共へ行けとか、あるいはソ連と手を握れ、日教組はそうなんだというような発言が行われておるが、私はこの運動方針を見てみますると、中に出ているのは的確な情報の把握でありますけれども、その情勢の把握、この問題についてはいろいろ論議がありました。しかし決定されておる事項についてはさような判断をしておりません。その議事録の中で、私が具体的にこれを申し上げますると、こういうふうな質疑応答がかわされている。いわゆるソ連中共アメリカ、これに対してどういうふうにわれわれが判断したらいいのであろうかという質問に対して、ソ連中共、その国をさして平和勢力アメリカをさして戦争勢力、このように規定しておるのではないのであります。国と国とを規定して、これをさして平和勢力戦争勢力とするわけ方は誤りであると考えておりますことを、これは組織体を代表する執行部の一致した見解として表明せられておるのであります。この見解に基いて運動方針がつくられ、それによつて、この一年間における日教組自体の物事の基礎の考え方方向としてこれが決定せられておるのであります。従つて、私は、ここにもし日教組共産党との関係を有する組織体であり、共産党的方向を支持する組織体であるならば、かような意思決定は行わなかつたであろうと思う。これに対して大臣はどうお考えになりますか。
  18. 大達茂雄

    大達国務大臣 先ほどから申し上げておるように、私は、共産党日教組を動かしておるということは申し上げておらぬのであります。むしろ逆に、私は、その辺はわからぬと言つておる。でありますから、そこは誤解のないようにしていただきたいと思います。従つて、きわめて近似しておる。これは速記録を見ればわかる。近似しておるという点については、これは偶然の一致かもしれぬ、こういうことをしばしば言つておる。よく聞いておつてもらいたい。国警本部から当委員会にも提供せられたその資料に基いてこれを検討してみると、日教組中央グループ指導部日教組に対する働きかけとして、その目標は、反米、反吉田、反再軍備、いわゆる三反。そうしてその具体的の内容としては、華地の取払い、米軍撤退要求、対中ソ貿易文化交流日の丸君が代抵抗軍事予算を削除し平和的緊急産業へ、それから松川事件無罪判決を出させよう、これが目標。それに対して日教組活動、これを文書によつて見ると、第十回定期大会議案平和憲法改正反対、これはいわゆる反再軍備という線に連なつておる。それから反吉田政府野党戦線結集、これは年末闘争目標であります。これも反吉田政府という点で日教組中央指導部目標に合致しているものがある。それから城崎大会においては、憲法擁護平和運動推進、これも同様な方向をたどつている。それから日共の言う対ソ貿易文化交流、これも第十回定期大会行動目標として日教組において採用されている。それから日の丸君が代抵抗、これに関係ありと思われるものは、やはり第十回定期大会議案として、天皇制復活に連なる愛国心遺徳教育の批判。それから次には、軍事予算を削除し、平和的緊急産業へという共産党目標に対して、第三十回中央委員会教育防衛闘争目的として、MSA予算粉砕軍事予算粉砕。それから松川事件無罪判決を出させようというこの方針と同じような線では、第三十回の中央委員会経過報告に、やはり松川事件についての経過報告をしております。それからこの目標に対して日共がとつている方法としては、労農同盟の結成、学校自主管理、それから実力闘争、ストライキ、ゼネスト、統一と団結、これに対応するかのごとくに、第三十一回中央委員会行動方針、それから河田町会館の議事録、この中に、これは北海道の発言でありますが、人事権自主管理ということを主張しております。それから第三十一回の中央委員会行動方針の中に実力闘争という問題を取上げている。その他まだありますが、こまかいことでありますから言いませんが、かように非常に近似している。こういうことを言つたのであつて共産党によつて日教組が牛耳られておるということを言つた覚えはありません。
  19. 辻原弘市

    辻原委員 一つ言葉も、言い方によつてその中にいろいろの性格があると思います。私はおそらく大臣がそこまで非常識なお考えを述べられたとは思わないが、たとえば憲法擁護にしても、今日、社会党、あるいは労農党、それ以外の自由党の中にだつてその問題を取上げてある。憲法擁護運動を推進する、もちろん共産党もそのことを強く主張する。それだからといつてこれが共産党であると結びつけられることは、判断としてはあまりにも非常識の部類に属すると私は思う。そこで今それと同じような論拠をるるあげられたわけであるが、翻つて今日の労働組合、それらの中の構成分子の何が発言をしたとかなんとか、そういうようなことは別でありまして、私が今持つているのは、組織体決定した事項について、その性格が明らかになるのであるから、それについてお尋ねするのだが、先ほど大臣が言われたように、軍事予策粉砕、再軍備反対をし平和憲法を擁護する、真の独立完成、いわゆるサンフランシスコ講和はこれを否定する、民主主義勢力の総結集、こういう運動方針決定している。あるいは文部大臣の直接足元におられるところの文部職員組合にしても、ここに私はその運動方針を持つておりまするが、やはりその内容を見れば、民主的労働戦線統一から始まり、あるいは選挙闘争、こういうようなそれらと同じような運動目標を掲げておるが、これは教育影響があるかどうかということとはおのずから別の問頭であり、その組織体性格がどうあるかということを私は質問している。そうするとこの自治労協一つ運動方針というものは、ただいまの論理をもつて言わしむるならば、共産党の、再軍備軍事予算粉砕、再軍備反対し、平和憲法を守れというこのスロガーン、運動方針によつて行動するということをきめておるわけです。これもやはり共産党に近似した運動組織である、こういうふうに大臣は言われるのか、この点をお伺いしたい。
  20. 大達茂雄

    大達国務大臣 繰返して申し上げますが、私は、日教組共産党に動かされているということは、言つてないんですよ。あなたは、私が言つたというふうな前提で、いつも同じことを言われますが、そうではないんです。さつき野原君もそうだと言われたが、(「そうだと言えばいいじやないか」と呼ぶ者あり)それはそうらしいとは思つておるけれども、それがわからぬから、その点ははつきり論断をするわけではないということは再三申し上げた。ですからこれは前にも申し上げたけれども日教組組合活動としての考え方がかりにどうあろうとも、私どもの直接の関心事ではない。ただこれを学校教育の場に持ち込むことを日教組が企図しているから、そこが問題だ。私ども関心はそこにある。
  21. 辻原弘市

    辻原委員 今の大臣答弁は、忠実にお答えくださつておりません。私は、あなたが日教組共産党に牛耳られておると言われたというお言葉前提にしておるのではありません。先ほどあなたが言われた、国警から出ている資料に、共産党中央指導グループの出した日教組への働きかけ方針運動方針はこうこう書いてある。そうでしよう。だからその論拠からして、あなたは日教組組織としての一つの形態というものは、共産党と近似している、こう言われる。間違いないでしよう。それじや一体自治労協はどうか、文部職組はどうかということを質問した。これはここにありますから、これを見ていただいて、お答えくださつてもいいと思う。その点について一体どうお考えになるか。(「早く結論を出せ」と呼び、その他発言する者多し)やかましい。
  22. 辻寛一

    辻委員長 御静粛に願います。
  23. 辻原弘市

    辻原委員 その点を御質問しておきます。
  24. 大達茂雄

    大達国務大臣 実は自治労協につきましては、そう詳しいことを調べるひまはありませんが、日教組は、これを教育の場に持ち込もうとしておるから、これは苦労して資料を手に入れて、調べたのであります。ほかの組合のことは知りません。
  25. 辻原弘市

    辻原委員 それは私は大臣答弁とは聞えません。あなたは自治労協は直接何ら関係ないと言われるが、しかし文部職組については重大な関心を払つておらなければならぬ。少くとも文部職組は国家公務員法に許された一つの団体としてあなたの交渉相手である。その交渉相手がどういう性格を持つているかということを知らずに、さような交渉に当られたとするならば、とんでもない考え方だ。知らぬでは済まされない。日教組がそれを教育の場に持ち込む、持ち込まぬは次の問題である。日教組はかくかくのことからそれと近寄つていると言われるから、これはどうなんですかということをお聞きしている。これはぜひお答え願いたい。
  26. 大達茂雄

    大達国務大臣 あなたは教育の場に持つて行くか行かぬかは次の問題だと言われるが、私にはそこが中心なんです。日教組性格とか実態というものは、この教育の場における偏向教育を是正しなければならぬという立場から、自然そこまできわめざるを得なくなつたのであります。文部省の職組については、これは別問題であります。いろいろ言われますが、もし文部省の職組が文部省の仕事の場に、彼らの公務としているところの仕事の場に特定のイデオロギーを持ち込むということであれば、これは重大関心を払わざるを得ない。しかしながら文部省の職員がどういう考え方を持ち、どういう政治的主張を考えているがということについては、私は直接関心を持つ必要はない。これによつて職場であるところの文部省の事務が撹乱せられるということがあり、またそのおそれがあるということであれば、重大な関心事であります。さようなことはないんです。
  27. 辻原弘市

    辻原委員 私は教育の上に及ぼすとか及ぼさぬという問題が重大でないと申し上げておるのではありません。そのことは確かに重大関心事の現われでありまするけれども、今の段階においては、まずあなたが今まで言われた一つ考え方は、最初に申したように日教組がかくかくの運動方針を立てるから、それに近いんだと、こう言われた、だから近いなら、これはどうですかということを聞いている。あなたはその見解を明らかにされる責任がある。これは近いんだから、こうなんだということを言つて、他に類似のものがあつても、それに対してはノー・コメントでおられるということは、理論的なものの立場に立つて見解を発表される態度ではないと思います。これを明らかにしていただきたい。
  28. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は労組の実態についてはつまびらかにいたしません。ただ日教組内における共産党指導部の考え方とそれが近似しているというのを、ほかの労組においてもそういうことがあるから、これは世間並であつて日教組の掲ぐる方針日教組内の共産党中央指導部考え方と近似しているということは帳消しになつて、近似していることにならぬというのですか。どうしてほかの労組の例をここに引合いに出されるか。ほかの労組のことを言われても、私にはわからない。
  29. 辻原弘市

    辻原委員 実は問題の焦点がどこにあるかということを明らかにする必要があると思うので、お尋ねしている。ということは、日教組がどうこうという限りにおいては日教組組織運動を指すもの、こう解釈せざるを得ない。従つて日教組組織体が、こういういろいろな材料をもつて共産党方針をそつくりそのまま方針として決定しておるならば、これはわれわれでも問題はさらに重要に考えます。しかし少くとも先ほど私が速記録を読み上げて申したように、この組織としての運動方針については、大臣が言われるような共産党性格を持つて決定せられたものでないということが明らかになつておるから、私はそう申すのであります。ただこれが近いとか近くないということは主観の問題、判断の問題に属すると思う。大臣考え方はそれはいいとしても、これについては一体どういう判断を下されるかということを総体論として聞いている。あなたの判断は、同じような基盤に立つてすべてのことを考えておられるということであれば、一応わかる。しかし一つのものだけに自分の主観を押しつけるということは許せないから、そう申しておるのである。  従つてこの点については治安当局の方々にもお伺いしてみたいと思うのでありますが、あなた方がこういう材料を出されるには、どういう手段によつてやられたか知りませんけれども、それぞれ労働組合なら労働組合に対するその性格なりその内部における運動の経過というものをいろいろ検討されたんだろうと思います。従いましてその場合にこの種の一つ方針というものを出して、それが同じように共産党の指導グループもそういう方針を出して、たまたまそのうちの幾つかが合致したからといつて、にわかにその組織体共産党的だというような御把握に基いて、これらの調査をおやりになつておるのかどうか、この点を伺います。
  30. 高橋一郎

    ○高橋(一)政府委員 お答えいたします。先般この委員会提出しました資料は、私どもの方で日本共産党を調査対象にしておりますので、その党活動の一部として調査した結果を委員会の方からお求めになりましたので提出いたした次第であります。それで日教組共産党との関係につきましては、公安調査庁として日教組そのものを別段調査対象にしておりませんので、これは私の個人的な常識でありますけれども、まあ大きくわければ、社会民主主義的なものではないかというふうに、政治的の見解については考えるのであります。そうしますと、これは共産党と同じ問題が相当あると思いますが、そこに共産党とそれ以外のものとの非常に決定的な違いがあろうと思います。これは大きくいえば、議会主義の否定かどうかということになりますけれども、これが組合活動なんかの場合に、先ほど文部大臣も触れられましたけれども、いわゆる業務管理方式、これをとるかとらないかということが、私はかなり大きなポイントであろうというふうに考えるのであります。日教組自体としましては、おそらく共産党にそう支配されておらないというふうにお考えになるし、またそれが当然だろうと思います。しかし、業務管理方式の点につきましては、気がつかないでかなり広汎な影響を受けているのではないだろうかという問題がございます。この業務管理方式は、たとえば日教組の場合には教壇を利用するという形で現われるのであります。終戦直後に広く共産党が産別等を通じましてその方式を指導しまして、それから一時非常に火炎びん戦術に向いたのでありますけれども、一昨年の七月の徳田論文で火炎びん戦術のいわゆる基軸主義を批判したときに、終戦後の業務管理方式というものを再び強調したのであります。そのすぐあとで一昨年の八月に、党の方で労働運動指導に関する指令というのを出しておりますけれども、それにこういうことが書いてございます。いわゆる産業防衛のための生産管理云々、これをやるかやらないかが、党と総評との偉いであるというふうなことを申しておるのであります。そういう点が非常に大きなポイントでありまして、それでしかも御承知のように党は常に大衆団体の中にまで入りまして、内部からこれを激化せしめる方針をとることは、これは日教組に限らずどこでも同じでありますが、党の方でそういう業務管方式という方法による党の方針の浸透をはかつておる一方、いろいろ新聞その他で教員が教壇を利用して批判力のない児童生徒なんかに対して政治的な影響を与えるということを耳にしますので、やはりそういう面で共産党影響が及んでおると見なければならないのではないかというふうに考えておる次第でございます。
  31. 辻原弘市

    辻原委員 公安調査庁の見解は、私は一応客観的なものだと考えます。  最後に伺いたいのは、私が先ほど出した日教組の出している方針性格というものを、調査庁の次長は、社会民主主義の範囲である、従つて共産党とはこれを区別されるものである、大別してそう申されたのであります。これらについてさらに論議を重ねるようとは思いません。ただ最後に、今調査庁の次長が申された、教壇にそういうものが現われるのは、これは共産党影響ではないか、この問題であります。おそらく大臣なりあるいは与党の諸君が行われておる点も、それらの偏向事例を見て、ほぼそれらの点の問題を取上げられているということを私は判断するのであります。そこで一体共産党影響というものはどういう形において、どういうルートから入つて来るものであるか、これは今の調査庁の次長の言葉をかりて申すならば、これは共産党一つのグループ活動であるわけであります。それと日教組組織活動というものは私はおのずから別個なものであると思う。従つて私はその点について明確にしておかなくちやならぬと思います。いわゆる共産党の党勢拡張によるグループ活動ということは、ただに日教組に対するグループ活動のみならず、あらゆる階層にわたつて行われておるものと私は判断いたします。これは当然しごくのことであります。従つてそれらのグループ活動に対して、日教組組織体はいかなる態度をとつておるのであるかということは、これは事態の問題を明らかにするには重要なポイントであります。この点についての材料は、別個にお話申し上げるよりも、すでにここにある国警なり、公安調査庁から出されたこの資料について見ますと、まず最近出された教育研究大会における日共グループの活動状況、これは調査庁が出されておる。その中にこういうことが書いてある。「二十五日夜全国グループ会議をひらいて大会斗争方針決定、これにもとずき統一委員会構成分子一七〇名を結集指導して日教組執行部の防衛線を打破り」云々ということが書かれておる。これは教育研究大会のみならず、静岡の全国大会その他においても明確にわかることでありますが、この見解というものは日教組組織形態、これを一応執行する立場に置かれておる執行部は、これは明らかにこのことの結果がどうあろうとも、その方針というものはいわゆる共産党の指導グループに対しては反対の立場にあるということを証拠づけられておるものであります。同じく府警が出された日教組内のグルーブ活動においても同様なことを述べられておる。私はこのことは重要な問題であると思う。あたかも従来の与党なりあるいは大臣把握の中においても、このグループ活動というものと、それから日教組それ自体、さらにそれを縮小すれば日教組のいわゆる指導部、執行部というものを、これを一緒くたに考えて、その間において組織として動かれる一つの結果が教育の上に現われて来たというような印象を国民に与えていることは、これは私は大きな誤りであると思う。従つて問題は、もしただいま国警なり、あるいは公安調査庁なり、文部大臣がそのことによつて教育に対する一つの偏向というものの懸念をされるとするならば、当然この指導グループに対処する方法がなければいかぬと思うけれども、ここでこの法案について考えてみた場合に、これらのグループ活動はいろいろな浸透方法をもつてつて来ると思います。その浸透活動というものをやつた場合において、この法案はどういう制約をしておるかということを具体的にお伺いをしたい。もう少し申しますると、いわゆるグループ活動一つのグループ組織を通じてやるのです。そこから現われる結果について、このグループ活動を処罰するような形にこの法律ができておるのかどうか、この二法案教育の中立性を維持するという、いわゆるその中立性を妨害する党派的影響が現実にあるという前提で出されておる。しかもその党派的影響なるものの実体というものは、共産党的影響であると、こういうふうに言われておる。そうするとその影響というものは、このグループ活動に負うところが多いということは一般常識でも言えるだろう。そうするとそのグループ活動については当然考慮されてなければならぬと思うが、この法律はそのグループ活動の行動に対していかなる規制をしようとしておるのか、これをお伺いしたい。
  32. 大達茂雄

    大達国務大臣 この法律共産党とか、そういう政党あるいはその他の団体活動を制圧するとか、そういうものじやないのです。これはこの法案をごらんになり、またしばしば説明しておるところによつてもおわかりになりますように、教室内における偏向教育を起さないようにしたいというのが眼目であります。その以外の何ものもこの法律の関知するころではないのであります。この法律共産党の政党活動というものを押えるとか、日教組内の共産党分子をなくしてあげるとか、そういうものではない。これは学校教育における偏向教育というものがないようにしたい、これだけのことであります。この場合に断つておきますが、共産党影響を受けた偏向教育だけには限らない、すべての偏向的な教育をできるならば教壇から一掃したい、そういうことが眼目でありまして、日教組内部におけるグループ活動を対象とするとか、そういうことはまつたくこの法律案とは関係のない事柄であります。
  33. 辻原弘市

    辻原委員 ただいまの大臣のお答えは、私は常識でもつてはちよつと聞きとれない御答弁だと思います。それは私は中立確保、党派的影響というものをあながち共産党に限ることはないし、もちろんそれだけに限られるということもないと思う。しかしながら先ほどの公安調査庁次長答弁によりましても、共産党影響によつて実際教育にそういうことが行われておるやの事実を開くのでということを言われておる。また大臣もしばしば言われておる。その出された偏向事例なるものは、そういう観点でもつて説明をされ、そういう印象を従来与えて来ておる。(「一つの例だ」と呼ぶ者あり)一つの例どころじやない。これが一つの例であるとするならば、ただいままでの委員会の審議はきわめて妥当でない審議であつたと思う。そういうことであるから——ここでももちろん私は政党の活動は正当に認めなければならぬということは当然であります。しかしながら、それであるけれども大臣が今まで言われたことは、かりにそうであつても、それが事教育の上にこう行われる場合においては、当然その根源を取締らなければならぬから、この法律を出したのだと、こう言われておる。また法律趣旨も明らかにそのようになつておる。政党の活動と同時に保障しなければならない国民の基本的権利、そのことについてこれは制約をしておる。政党活動もこれは憲法に定める基本的権利であります。その同じことを、それだけはやらない、しかしながら問題は、それが一番あなた方が大きいと言われておることについて一指も染められないで、そうして偏向教育を取締るのだと言われておることは——今坂田君が何か的はずれと言いましたけれども、これこそ的はずれだ、これこそ私は国民が了解が行かぬだろうと思う。これについて一体どう考えられるか。
  34. 大達茂雄

    大達国務大臣 これは法律をごらんになればわかることであつて、あくまでもこの法律は教室内の偏向教育を排除したいということ以外にはありません。ただいわゆる教唆扇動する事例、そういうものは、それでは一体現状だれがやつておるかというと、どうも日教組がやつておるようだ。その日教組がやることについはそれがどういうところから起つて来るかということから、いろいろな日教組の内輪の動向というものが、われわれの関心の対象になるのであつて、逆に、共産党がどう、それが日教にどういう影響を与えて、それだからと、こういうのじやない。教室内の中立性を破壊するような働きかけをするものがあるか、どうも日教組の動きはそうである。それで、日教組は何によつてそういう動きをするか、こういうことで、逆になつておる、わけであります。
  35. 辻原弘市

    辻原委員 少し大臣は頭を冷やして考えてみた方がいいのじやないかと思うのだが……。ただいまの問題でありますが、大臣が、教壇の教育の上に、教壇の現場に偏向が現われるのを取締るものだ、その必要からやつたのだ——私はほんとうに中立性確保というこの法律趣旨が、この法文全体の中できちつとその趣旨通り——これはいい悪いは別問題です。その通りできておるかできておらないかということについて、そこからこの問題をお尋ねしておるのである。従つて今言われたように、編向しておるとあなたが言われるならば、私は論理的に言つておるのでありますから、いい悪いは論じてはおりません。そうすると一つの方法としては、偏向をやつておる教員を直接取締るというこの方法、それからもう一つは、その松源を突きとめる、根源を突きとめるのに最も大きな——この法律言つておる、教唆扇動しておる主、それを取締桁というこの二つになると思う。その場合に、ここで私が先ほど時間をとつてお尋ねいたしたのは、日教組組織活動と、それから現われて来る事例との関係、これは判断の問題に基く、事実認定の問題には基くけれども、少くとも日教組性格からはさようなものは生れて来ない。日教組組織体としての活動は、少くとも共産党方針を支持しておるものではないということ、これは先ほど公安調査庁の次長の言われた通りだ。従つて直接そういう偏同事例共産党的に現われるということをどう把握するかということは、これは私は判断がいろいろあるであろうと思うけれども、現実問題として、これはやはり一つの指導グループなら指導グループというものの党勢拡張の働きかけというものを無視できない。従つてここにいずれを考えるかという問題は、非常に重要なこれまたポイントになつて来る。  そこで参考にいま一度公安調査庁次長にお伺いをいたしますが、一体そういう偏向事例というものは、直接的にどの種の動きから生れて来るか、あなた方はどう判断せられるか、この点をお伺いしたい。
  36. 高橋一郎

    ○高橋(一)政府委員 お尋ねの趣旨をあるいは取違えておるかもわかりませんが、共産党は常に大衆団体、つまり労働組合などの中にいる労員に、その組合のわくの中でなるべく党の影響を及ぼして、その大衆団体全体を党に近づけるという活動をする任務を与えられておるわけであります。それでこれはもう日教組の中にも事実共産党のグループがございますので、当然その方法をとつておるはずでありますし、またそれの一つの足がかりとして、統一委員会というような組織もあるわけであります。それで特に教壇利用が、つまり業務管理方法であつて、この点が共産党影響ということを見る場合の一つの重要なポイントではないかというふうに私は考えておるのでありますが、この点につきまして、いろいろございますけれども、たとえば一昨年の十二月に日教組の中央グループ指導部で、日教組グループ当面の活動方針というものを流しておるのでありますが、それによりますと、「町村学区内を家庭訪問その他の方法により調査し、父兄の階級関係、地域状態を明らかにする努力を意識的に強化し、綱領を持つことを急がなければならない……」云々ということを言つております。それから昨年の七月ごろでありますが、ある関西の県の教員組合の中におる細胞、これは結局グループ活動の面においてのことであろうと思いますが、これが解放綱領原案というものを出しております。その中に、軍事基地化反対闘争を通じて、平和運動を展開し、再軍備反対を徹底させる。そうして現実にその県のある基地の反対を教壇から児童生徒にアピールすること、こういうようなことをうたつておるわけであります。その他こういうふうな事例を根拠にいたしまして、私ども日教組全体としてそのような組織活動をしておるいうふうにはむろん見るべきでないと思いますけれども、その中の構成員の中に、かなり広汎に党の影響が及んでいると見られるのではないろうかというふうに考えておる次第であります。
  37. 辻原弘市

    辻原委員 今説明のありましたいろいろな運動形態というのは、これは共産党ないし共産党の指導グループの活動方針であります。これと日教組組織体というものを考えてみました場合に、最後に今説明があつたように、いわゆる日教組は受身の立場にある。日教組それ自体が則共産党性格のもとに活動をして、それが教育の上に影響を与えておるものとは考えられないということは、ただいまの御説明通りであります。従つて私が申し上げたのは、その偏向事例というふうなものがほんとうに懸念され、教育影響があるとするならば、この法案においては何らその目的は達しておらないと私は考えるが、この点については大臣はどういうふうに把握せられておるか。ただいまの公安調査庁の説明によると、その根源というものは共産党の党派的影響の主たる任務を持つ指導グループによつてこれが行われておるということを言われた。そうだとするならば、日教組組織体それ自体をかりにあなたがいいとされるかされないかは知らないけれども、この法律によつて完全に規制せられたとしても、そのグループ活動の存在というものは依然として存在するわけであります。私は党勢拡張によるそれらの運動を否定すべきではないと考えるけれども、あなたが言われるように、教育の上にその影響があつてはならぬということをあなた自身が真剣に取組まれたとするならば、この法律目的に沿わない法律である、かように言わなければならないと思うが、一体それはどうなんですか。
  38. 大達茂雄

    大達国務大臣 ただいま公安調査庁の次長からお話になつたのは、日教組内における共産グループ方針といいますか、要するに、言葉をかえて言えば、共産党日教組という団体に対する動きかけというふうに解釈していいだろうと思うが、その働きかけを受けた日教組はその働きかけ通りに動いておるとは私どもには断定はできません。またそれは私どもとして直接の関心事ではない。学校の先生に向つて教壇で片寄つた教育を行うようにという働きかけをする、それが私どもとしては一番の関心事であります。でありますからこれは日教組には限りません。だれであつてもそういう教唆、扇動をされることは非常に迷惑であります。そこでこの法律は、これを排除するというのが目標であります。従つて日教組目標にする、こういうことは必ずしも法律の上からは出て来ないのであります。ただしかしながら現実の状態においては、この働きかけをしておると認められる最も顕著なものが日教組であると私は思つておる。これは今言われた共産党働きかけとは別ですよ。日教組自身の各種の資料によつて日教組がさような教育を行うようにということを、その組合員たる教員に対して働きかけておる。これは私は争うべからざる事実であると思います。そこでこれは幾らでも例があります。日教組資料によつてもう無数に私は論証し得るのであります。まあ辻原君は日教組に非常に関係の深い方だから、日教組共産党のように思われるということが非常に心外で、そのぬれぎぬをすつきりと晴らしたいというお気持だろうと私は思う。けれども私は決してその日教組共産党とを同一には考えておらぬのです。またそれは私ども資料ではさような断定を下すような資料はありません。ただ従つてただいまお話になりましたように、日教組の中央執行部共産党の分子との間にはげしい論争があつたというようなことも私承知しております。これも日教組イコール共産党ではない。これは明瞭な証拠であります。しかし共産党影響をそれでは全然受けておらぬかといえば、これは私の判断でありますが、日教組はまた共産党とは非常に仲のいい面があるのであります。(辻原委員「そんな抽象的なことを言つてもだめですよ」と呼ぶ)いや抽象的じやない。具体的に言えとおつしやれば言いましようか。(辻原委員日教組組織体ですよ」と呼ぶ)その日教組という組織団体自身が世界の教員の会合に代表者を派遣しております。そうしてこの世界各国の教員の会合において日本の教育の事情を報告しておる。これは責任を持つて報告をしておると思うのです。茶飲み話をしたのではない。そうしてその報告は記録によつて日教組の中央委員会においてそれが報告されておるのです。これは間違いない。仲がいいということを言つてははなはだ失礼でありますが、その場合に共産党と非常に仲のいいことがたくさん書いてある。たとえば、ごく笑い話のようなことになりますが、御丁寧にこういうことまで経過報告には書いてある。各国代表団と交歓、日本代表団は各国代表と交歓会を持つておるが、七月二十四日には東ドイツ代表、七月二十五日に中国代表、同じく同日に参加者全員、これは儀礼的なものでしよう、このテイー・パーテイーは全部が一緒ですから。七月二十六日ソビエト代表、二十七日再び中国代表、とにかく参加者全員のテイー・パーテイーに出ておる。これは儀礼的たが、あとはみんな共産党ばかりなんです。国を離れたから多少気を許したのかしらぬが、相当はつきりしたものです。まだ三、四枚ありますが、ここで申し上げる必要はないでありましようが、だから私は共産党日教組がそう仲が悪くてけんかばかりしておるとは思わない。非常に仲のよい面も争われざるものがある。但し日教組すなわち共産党なり、そういつたような論断はむろん下しません。そういう判断をすべきでないという資料もあります。だからこれは一緒のものとは言いませんけれども、しかしとにかく私どもとしては、その点は笑い話というわけじやないけれども大した関心事じやない。日教組自身が教壇に直接呼びかける、これは日教組であつて共産党であろうとも、あるいは自由党であろうとも、改進党であろうとも、そのほかいかなるものであろうとも、教壇自身を撹乱する、さような邪悪な行為を排除する、こういうことであつて、主体がだれであろうともそれは問題じやないのです。従つてその行為が客体であります。対象するところは行為であつて団体であるとか個人とかいうものではありません。
  39. 辻原弘市

    辻原委員 だんだんと大臣の話によつて私が聞きたい点の一点は明瞭になりました。今大臣が笑い話じやないけれども仲がいいとか悪いとかおつしやいましたが、会合に出席したから仲がいいとか悪いということは、あまりにも児戯にひとしい話でありますから私は申し上げません。池田正之輔さんが中共に行つて、そうして中央を視察して向うといろいろな交歓をやり経済事情を調査した。これも行つた人は共産党と仲が非常によいのだ、その性格を持つているのだ、こういう論にも通じますので、そのことは今申し上げません。ともかく日教組組織体というものは、大臣の話、あるいは公安調査庁のそれによりまして、組織体があたかも共産党であるというふうな、従来とかくの誤解をもたらしたことについては明瞭になつたと思います。その日教組それ自体の組織活動がどのように教員に影響するかしないかは、これまた私は別個の問題として大臣見解は私の見解とは違う。これは申し上げる時期もあろうかと思いますので、これは保留しておきます。  次に少し問題の観点をかえまして、大臣の御所見を承りたいのでありますが、それはいわゆる平和ということのための教育の問題であります。前提は今日の憲法、基本方のもとにおいてこの平和のための教育と、それから大臣の言われたこの法律にうたうところの党派的影響によるものとの限界は、どこに置いておられるのかという問題であります。もう一回申しますと、俗に言う平和教育、平和のための教育、このことと、大臣の言われる、これは昨日も大臣はそのような例をあげて話をしておられましたが、党派的影響に基く平和のための教育というものとの限界は、どこに置いておるのか。と申しますのは、憲法は、申し上げるまでもなく、日本の新しい性格としては、あらゆる面にわたつて日本国内ということではなくして、世界に通ずる、世界的視野に立つての憲法であります。従つて平和の問題についても、日本の旧内の平和維持という問題にとどまらず、世界の平和に番与し、貢献をするということが、国民の使命として大きく賦与されておるのであります。これは憲法の前文を見れば明らかである。この問題について、さらに具体的に昭和二十一年の六月二十四日の貴族院の本会議において、これが質疑応答がかわされておる。どういう質疑応答であつたかと申しますと、佐々木惣一氏の質問。政府は憲法の前文に言う世界平和に寄与し貢献するという使命達成についての具体的計画をどう思つておるかということについて、当時の文部大臣である田中耕太郎氏は、次のごとく答えております。すなわち平和実現については、教育は重大なる責任を持つておる。アメリカにおける教育目的は真理と平和である。敗戦国だからというのではなくて、平和を愛好するということは、世の終りまでかわらない真理として今後教育計画の理想をそこに置いて遇進するということを答弁されておるのであります。従つて私はこの趣旨から申して、平和を維持するということが教育の根本的な理念でなければならないと思う。このことを当時の大臣は、具体的教育計画に織り込んで邁進したいと言われた。これは大臣はかわりましたけれども、少くともこの考え方というものは、基本法に基いて、あるいは憲法に基いての考え方である以上、これは今日においてもかわらない。この政策というものはかわらないと思う。そこでお伺いいたしたいのは、文部大臣はどのように具体的に教育計画の上にこの平和のために教育を織り込まれようとしておるか、また現実に織り込まれておるか、この点について、具体的にお伺いいたしたいと思います。
  40. 大達茂雄

    大達国務大臣 私ども言つておるのは、極端に片寄つた教育、すなわち偏向教育というものを対象として、そういう教育が教壇に行われないようにしたいということでありまして、その場合に平和教育という名前がつこうが、あるいは道徳教育という名前がつこうが、民主教育という名前がつこうが、何という名前がつこうとも、その教育内容が片寄つておるか片寄つておらないかということであります。そこを見ればいいのでありまして、名前が平和教育となつておるから、そこは割引きされるのだとか、よろしいということになるのだとか、そういうことはない。これはどんな名前をつけても、道徳教育という名前をつけようとも、独立教育という名前をつけようとも、平和教育という名前をつけようとも、民主教育という名前をつけようとも、愛国教育という名前をつけようとも、その教育内容が一方に偏したもの、いわゆる偏向教育というものを排除したいという意味であります。従つて平和教育がどこまで平和教育だ、平和ということはいいことだ、それを教えることを偏向教育との関係いかんということは、実は私どもとしては、それを比べて境を言う筋合のものではない。道徳を教えることはいい、だから道徳教育と偏向教育とどこが違うのだということは、ちよつと私どもの感覚からいえば、区別、境を言う問題ではない。
  41. 辻原弘市

    辻原委員 文部大臣が境がないと言われるだけ、問題は重大なんです。というのは、平和のための教育は、当然国に課せられた、国民に課せられた、しかも文部省に課せられた教育の重要な問題です。ところがそれが一歩誤まれば、この法律の罰則を受ける重大な違反になる。従つてこの限界というものは、ここで論議しておる間は、けつこうだと思いますが、一たびこれが教育の現場において取上げられたならば、きわめて重大な問題になる。この限界が明らかにされない場合は、これは善意でやつたことが、場合によつてはこの法律の対象になるということになる。そこで私は具体的にお伺いいたしますが、限界がわからないと大臣が言われた。今日の教育は、少くとも地域社会に即し、社会の実際に即して教育は行われなければならない。そういう教育一つの方法。いま一つは、教師というものはいかなる場合といえども教育にあたつては正しいこと、それから真理というものを述べなくちやならぬ。この真理を追究する国民を養成するということは、基本法に明らかに定められております。従つてこの真理というものを、教育の上において、子供に対して討つて行かなくちやならぬ。この二つの義務が教師に対して存在する。その場合に地域社会に即し、社会の発展段階に応じて、その中において生きた教育をしなくちやならぬというのが、新教育目的、方法であります。さらに、教師は真理を述べなくちやならぬ。この場合、私はかりに今の平和教育の問題について最も卑近な例をあげて質問いたしますが、かりに子供が、一体今の時代に国民が平和を守るためにはどうしたらいいのでしようかという質問を発したとします。そのと声に大臣がもしその質問を受けた先生であるならば、どうお答えになるか。もちろんこの生徒の質問の本旨というものは、単に抽象的に平和を守るためにどうしたらいいのだろうかということを考えての質問ではないのであつて、新聞その他にいろんな方法等が述べられておる、それらの記事をとらまえて賛同を発したとする。大臣はいかなるお答えをなさるか。     〔委員長退席、相川委員長代理着席〕その前に、たとえば甲の先生は、今日本の国を取巻いている情勢としては、アメリカソ連が非常にはげしい対立をしておる。その中で日本の国が平和を守つて行くためには、日本の国が戦争の状態に巻き込まれないためには、われわれは日本の憲法によつて武力というものを持たないのだから、できるだけ戦争に巻き込まれないように国民が努力することだよ、こういうふうに答えたとする。あるいは同じ問いに対して乙の先生は、いや、もしそれ日本の国の平和を脅かし戦争をしかけるようなものがあるならば、われわれはアメリカと手を組んで断固それを撃つべきである、こういう答えをしたとする。丙の先生は、その場合われわれはじつとがまんをしておる、今は国際連合というものがあるのだから、そこに訴えて、そして日本と同じような自由諸国家の国々の人々と手をつないで、その力によつて日本の国の平和を守るのだよ、こういうふうに答えたとする。大臣ならば一体いかなるお答えをなさるか、私はこれを質問いたします。
  42. 大達茂雄

    大達国務大臣 平和を守るためにはどうしたらいいか、こういう質問に対して、たとえばそれは再軍備反対することが必要である、全面講和をかちとり、講和条約を改正し、安保条約、行政協定を破棄することを闘い取らなければならぬ、あるいは中共貿易を促進して、その間の日本との友好関係を促進しなければならぬ、吉田反動内閣を打例しなければならぬ、これが平和を守るゆえんであると、かりに返事をする者があれば、これは平和教育という名前をかりて偏向的な教育をすることであります。しかるに日教組はこれを明らかに平和教育なりとして、その内容をかくのごとくに掲げておるのであります。私は平和というレツテルを張つたからといつて、それでもつて天下通用ごめんのものではないということをいつでも言つているのです。愛国教育という名前をつけようが、道徳教育という名前をつけようが、平和教育という名前をつけようが、いかなる名前をつけようとも、その教育内容が極端に一方に偏した場合には、これを称して偏向教育というのだ、こういうことを言つておるのであります。いわんや日教組がいう平和というものは……。     〔辻原委員「そんなことを聞いておるのじやありません」と呼ぶ〕
  43. 大達茂雄

    大達国務大臣 いやいや、私は何と答えるかというような質問に返事をする必要にない。あなたの賛同は、平和教育というものがどういうものかということを言つておられる。     〔辻原委員質問に対して率直に答えてもらいたい。私は事例をあげて質問しているのです」と呼ぶ〕
  44. 大達茂雄

    大達国務大臣 それを説明すれば自然とおわかりになります。——ことに日教組が平和教育というものを説明しています。日教組の平和教育内容と方法とが、日教組教育情報に書いてある。これにはいろんなことを書いて、最後にこういうことがあります。以上の結論、要旨を通じて言えることは、これらがそれぞれ政府、自由党のいう教育構想と真正面から四つに取組んで行くことである——よろしいか、これが日教組のいう平和教育の結論であります。これは日教組資料ですよ。     〔辻原委員「そんなことを質問しているのじやないですよ」と呼ぶ〕
  45. 大達茂雄

    大達国務大臣 いや、それでわかるはずです。たとえば昭和二十八年三月七日に和歌山県教組が……。     〔辻原委員大臣、それはおかしいぞ」と呼ぶ〕
  46. 大達茂雄

    大達国務大臣 お聞きになれば、あなたがお問いになろうとすることはわかります。それでわかるはずです。     〔辻原委員「本人が、わからないと言う。これくらいはつきりしたことはない」と呼ぶ〕
  47. 大達茂雄

    大達国務大臣 しまいまで聞かなければわからぬ。途中でわかるはずはない。——県民平和大会というものを開いて——私はそばへ行つて聞いたわけではないからほんとかうそか知らぬが、これによると、大山郁夫君がこの和歌山県教組主催の平和大会に出席をして、スターリン死すとも平和は死せず、自衛再軍備は米国の傭兵であり、みずからの首を締めるものだ、こういう演説をしておる。どうもスターリン死すとも自由は死せずという場合の平和というのは、普通われわれが常識で考える平和とは違うらしい。平和というものについても、それぞれの政治的イデオロギーによつてその内容は違つております。だから平和という、通ずる言葉さえ使えば、あとはレツテルでどこまでも通行ごめん——これは箱根の関を通る鑑札とは違うのです。
  48. 辻原弘市

    辻原委員 これはさつき不規則発言大臣に申し上げましたが、私はさようなことを尋ねておるのではないのです。大臣は先日、ただいまと同じように、かくかくのことをあげて教育をしたならばこれは偏向教育として取締るのだということを申されたから、その場合の先生は忠実に子供に対して質問に答えなければならぬ。そのときに現実の社会における現象を全然無視し去つてどうしたらいいかということを答えることは、これでは教師はあまりにも責任回避であります。でありますから、その中において教師としてはどう答えるべきかということはきわめて苦慮する問題である。いろいろな社会現象について——少くともこの法律義務教育の中学校三年生までを対象にしておる以上、三年生ともなればこれはある程度社会人としての知識を備えて来る段階であります。そのときに、このくらいの質問がこの子供から出ることは当然予想される。それに対して先生がどう答えるか。しかしながらただいままでの委員会質疑においては、それについてははつきりしてなかつた。単に抽象的に、党派的影響を持つたのはいかぬのだ、平和ということならばいいのだ、これでは私は理解が行かない。従つて法律をつくられた大臣が、抽象的には言えても具体的にこのことがわからなければいけないから、たとえば今の平和という問題を現実に扱う場合にいろいろなケースがあることを私はあげた……。(「間違つた平和教育をやるからいけないのだ」と呼ぶ者あり)黙つておれ。何を言うか——そういう点を私は明瞭にしなければならぬ。あげる例は少かつたかもしれません。そして片やはわれわれ社会党の左派の主張であり、片やは自由党の主張、社会党の右の主張、あるいは改進党の主張というかもしれぬ。しかしこういういろいろなものがある。そういういろいろなものについて子供に対してどう答えてやるべきかということを質問しておる。これについて少くとも大臣の言明されたことが一つの指標になるので、私はぜひとも大臣見解を伺いたい。
  49. 大達茂雄

    大達国務大臣 平和を守るためにはどうすべきかという質問を子供がした場合には、先生はそれを受取つて、自分の良心と良識に訴えて子供にゆたかな政治的教養を与えるような教育をすべきであります。この場合に画一的にどういうふうに言わなければならぬとこれをきめて、その通り右へならえという筋合いのものではありません。これは教育の闊達といいますか暢達性を阻害するのであつて、これを一律一体にどう答えるのだというように言うべきものでない。ただ私が言いたいことは、その場合に先生が片寄つた考え方、自分の極端に片寄つた考え方に偏して子供に返事をしてはならぬ、こういうことをさつきから言つているのです。だからそういう質問を受けた場合に、ただいま私が申し上げたような返事をすることはこれに偏向教育であつて、許されざることであると思う。しかしどういうふうな返事をしたらいいか。それはその先生の言い方がそれぞれあります。ありますから自分の良識に訴え、また相手の子供の知能の発育程度いかんに応じて、子供がよくわかるように、子供に政治的教養を与えるように、子供に批判力判断力を養わせるように、それは先生がくふうして返事をしてやるべきである。ただその返事をする場合に、たとえば平和教育ということであるからということで、日教組とかが平和教育なりということで支持しているような、そういう片寄つた返事をしてはなるまい、こういうことを申し上げたのであります。
  50. 相川勝六

    ○相川委員長代理 ちよつとこの際皆様にお諮りいたします。文部大臣は予算委員会に約二十分御出席になりますから御了承を願います。速記をそのままにして休憩いたします。     午後二時五十三分休憩      ————◇—————     午後三時十四分開議
  51. 相川勝六

    ○相川委員長代理 休憩前に引続き会議を続行いたします。  辻原弘市君。
  52. 辻原弘市

    辻原委員 本来でありますと、まず文部大臣にお伺いをして人事院総裁にお尋ねをする予定であつたのでありますが、大臣がもうすぐ見えるということでありますので、最初人事院総裁に特例法の改正の問題についてお伺いをいたします。  今回のこの特例法による政治活動の禁止については、本来国家公務員法に規定されてある制限事項をそつくりそのまま、例によるということで地方公務員である教職員に当てはめておるものでありますが、この場合、人事院というのはこれは国家公務員のための人事勧告ないしは管理的機関であると私は考えます。この管理機関の規則として定められた人事院規則、これをそのまま地方公務員に適用するということは、これは実際にこの法律がかりに成立を見て実行に移される場合に、管理監督をどこでおやりになるか、この地方公務員である教職員の取扱いはどこでやるのか、これについて総裁の御見解を伺いたい。
  53. 淺井清

    ○淺井政府委員 お答えを申し上げますが、政治活動禁止に関する人事院規則は、元来国家公務員のためにあるものであつて、これをそのままそつくり地方公務員にも適用するということに対するお尋ねでございましたが、この点はきわめて普通に行われておることでございまして、第一、国家公務員の給与全般は、そのまま地方公務員の給与にもなつておるので、すなわち国家公務員の例によるということにもなつておるので、この点は少しもふしぎはない、かように考えております。  それからこれはただ取扱いを国家公務員と同様にいたすということでございますから、管理機関につきましては、これは私から答弁を申し上げる筋合いのものでないように思いますが、これは従来の人事管理機関がそのまま当るのであつて、その点について別にこの法案において違いはないと考えております。
  54. 辻原弘市

    辻原委員 次にお伺いいたしますが、そういたしますと、具体的な管理は通例の意味においてそれぞれの管理機関がやるとしても、しかしながらこの規則の取扱い、あるいはそれに対する見解、こういつたものは国家公務員の場合であれば当然これは人事院がこれを所管するのであります。国家公務員全般については人事院であります。人事院がそれに対する見解を発表されたり、問合せに応じられたり、こういうようなことは従来もなさつておられますし、それをなさる権限と義務があると思うのでございます。ところがこれが地方公務員である教職員に適用される場合には、一体その人事院規則の解釈等についてはどこがおやりになるのか、この点について承りたい。
  55. 淺井清

    ○淺井政府委員 お答えを申し上げます。現在人事院のこしらえた政治活動に関する人事院規則であるからといつて、すべてこの規則の運用を人事院がやつているわけではございません。これはおのおの任命権者がやつておりますし、また罰則に触れる場合は検察庁がこれをやるというようなこともあるのであります。ただお尋ねのごとく、この問題について疑義等が起りました際は、人事院へ照介をして参りました場合に、人事院でこれに解釈を与えるということもございます。しかしながらその人事院の解釈が動かすべからざるものであるかどうかは、これはまた問題でありまして、現にこの規則の規定のあるものにつきましても、人事院の解釈と裁判所の解釈とが食い違つた例もあるのでありますから、これは必ずしも人事院が有権的にかつてに解釈をして行く、こういう性質のものではないのであります。
  56. 辻原弘市

    辻原委員 次にこの法律の中に、これは特例法ではありませんが、政治的団体という言葉をあげられております。これは国家公務員法その他にもあると思うのでありますが、この政治的団体というものを従来人事院はどのような定義でもつて取扱われて来たか、この点について伺いたい。
  57. 淺井清

    ○淺井政府委員 従来人事院の運営上の解釈といたしましては、この規則の中にある政治的団体とは、すなわち政治資金規正法の第三条の第二項でございましたか、にあるように、いわゆる「協会その他の政治的団体」あの解釈でやつてつておりまして、従来それで別に支障は起つてないように思つております。
  58. 辻原弘市

    辻原委員 人事院の従来の取扱い解釈としては、この政治的団体というものは、政治資金規正法による届出られた団体をもつて考えている、こういうふうにお答えになりましたので、私もそういうふうに考え、了承いたします。  次に、元来この人事院規則に定められておる事項というのは、国家公務員法の百二条の方に規定せられてある犯罪の構成要件というものを定められておるものと私は考えます。ところが重大な犯罪要件になるその内容を規則において定めるということは、昨日の労働委員会との連合審査会においても刑法の原則ということが言われておりましたが、やはり刑法の罪刑法定主義というものに反するやり方ではないか。もちろん法律でもつて委任するということはあり得ても、委任をする内容、範囲というものはおのずから限定されて来る。広汎にしかも重要な内容を規則にゆだねるというこの考え方、こういう法律のつくり方という問題は、やはり間違いではないかと考えるのですが、総裁はどうお考えになりますか。
  59. 淺井清

    ○淺井政府委員 お答え申し上げます。なるほどこの一種の委任命令をもつて広汎に自由を制限するという点が問題となると思います。しかしこれは学説その他において種々の御論議もあろうか思いますが、われわれ行政官庁を担当いたしますものといたしましては、国会の御意思でもつてこういう仕組みになつておると申すより答えのしようがないのでございます。
  60. 辻原弘市

    辻原委員 国会で議決したのだから、もちろんこれは正当なものであります。しかしながら、議決するまでにおいては、やはりその原則は守らなくちやならぬ。特に私は、今回のこの特例法の改正を見てみますると、国家公務員の場合は一応これは妥当ではないのじやないかと考えられますが、決定的に違法であるとか何とかいう論議は起らないと思うけれども、しかしこのたびはこれは地方公務員にさらにその規則にゆだねたものをもう一回適用させるというような二重の誤りを犯しておるように思う。これは国家公務員法が制定されて、このような一つの犯罪要件を規則にゆだねるということについてはいろいろな意見が出て、地方公務員法によつて同種の制限を付する場合には明らかにこれは法律において規定して、そうして規則においては、犯罪の構成要件というものは全然これを規定していない。そのことを考えると、せつかく地方公務員法において是正されたことが、この法律によつてもう一度くずされるということになると私は思うのですが、総裁はどういうふうに考えられるか。
  61. 淺井清

    ○淺井政府委員 例によるということは結局そういうふうにすることなんでございまして、これは現在の給与制度上においてきわめて普通に行われておることであつて、私はさしつかえないことであろうと思つております。しからば何ゆえに今回かかる例によつたかということになりますが、これは決して人事院としてお答をする筋合いのもではないのでございます。これは文部大臣よりお答えを申し上げるよりしようがないのじやないかと思います。
  62. 辻原弘市

    辻原委員 なおあとで人事院総裁に、関連して一、二お聞きいたしますが、大臣が見えましたので、大臣に、ただいまの問題に関連する事項についてお伺いいたします。なお、先ほどの平和教育云々の問題につきましてはいろいろお聞きしたいこともありますが、時間の関係上これは省きます。  次に、大臣にお伺いいしたいのは、先般本会議におきましてもやや抽象的にお伺いをいたしましたが、政治活動の禁止ないしは中立確保についての諸外国の状態であります。先般当委員会に出されました資料を詳細に検討、分析いたしますと、大体次のごとくなつておるのじやないかと考えます。まず政治活動の面においては、資料によりますると、アメリカではハツチ法にならつて若干の制限があります。その中のものを類型的にあげてみると、一つは、公有財産の政治目的への利用禁止であり、いま一つは、政治資金の授受に関してこれを禁止しておる。この二つ以外には見当らない。逆に、教育行政機関、いわば教育委員会等が、教職員に、政治活動の制限を強制するような行為を禁止している法律がある、こういうように資料に書かれております。イギリスの場合は、簡単に申すと、教員の政治活動はまつたく自由な状態に置かれておる。フランスも同様である。罰則についてこれを見れば、その最高は行政処分である。こういう状態になつておると思うのであります。次に中立確保のための措置を見れば、アメリカ、イギリス、フランスともに正規の課業の中における特定教育を排除する規定及び、正規の課業外であつても、直接生徒児童働きかける政治行為を禁止制限する、と、そのことについてのみであります。アメリカの場合は若干特殊なケースとして、いわゆる非米活動に関する規定が存在しておる。これは破壊活動を取締るものであるということにおいて若干の制限がされておる。こういう状態になつておるのでありますが、こういうふうに諸外国の禁止の状態ないしは中立確保に対する立法措置の状態を見て行くと、その諸外国における立法の観点と今回の二法案を出された観点とに非常に大きな差があるのではないかと私は思う。ということは、これらの諸外国の例を見ると、アメリカの一例にあげましたように、逆に、教育行政機関が、政治活動を教員がやろうとするのを抑圧してはならぬというような規定が置かれてある。あるいは特別に公有財産を使用したり、それを政治活動に利用したりすることを禁止するというきわめて限定されたものにのみ禁止が置かれている。この趣旨は、やはり教育という特殊な性格から、できるだけ教員に政治的理由というものを与えたいという趣旨に出たものではないかと私は推察するのであります。その点と、今回のこの法案のごとくきわめて広範な禁止制限を行うという観点とは、非常に大きなずれがあるように拝察するのでありますが、大臣の御所存はどうであるか承りたい。
  63. 大達茂雄

    大達国務大臣 外国の立法例につきましては、私どもの方で資料を集めたものもありますが、大体ただいま辻原君の言われたような状態であると思います。これはそれぞれ非常にまちまちであります。大観してみると、教員の個人的な政治行為の制限という点については、大体今回の法律案のような強い制限を付しているところは非常に少い。これに反して、中立性の保持と言いますか、そういう観点からの規定としては、現在のわが国のように、八条の二項という単純な論理規定だけにゆだねているところも少いようであります。これは、それぞれの国々の事情によつて違うことであり、またアメリカにおきましても、州によつてそれぞれの違いがあります。それぞれの国の伝統もあり、これは各国々の事情によつてきまることでありまして、外国の立法例の実情はさようでありますけれども、これを参考にはいたしましても、それを外国がこうであるから日本はどうするというものではない。日本は日本の事情に基いて必要なる法律をつくらなければならない、こう考えております。
  64. 辻原弘市

    辻原委員 その点を具体的に指摘いたしますと、特例法の改正で見た場合、提案理由にも述べておるように教育公務員の職務と責任の特殊性にかんがみ、国立学校の教職員の例によることを必要とする云々ということでかかつているのでありますが、国家公務員法を適用して、極端にまで制限、禁止をしようとしている。私はこの考え方というものは、少くとも前に申し上げましたように諸外国の実例——もちろん日本は日本だという簡単な言葉で片づけられるならば、それは別個の問題でありますけれども、少くともわれわれは諸外国の状態を一つ考える基準にしなければならない。そういう点から申してみますると、できるだけ緩和をして制限を最小限度にとどめたいとする諸外国の考え方に対しまして、この特例法の考え方は、現在地方公務員はある一定の制限を付されている、さらにそれよりも国家公務員に持つてつて制限を強化しようとするものであり、これはまるつきり逆であると私は思う。この問題について、この間公述人の瀧川教授でありましたかが言われておりましたが、教育公務員の職務と責任の特殊性ということを強調するのであれば、国家公務員と地方公務員とをどの基準によらしめるかということを考えた場合には、むしろ地方公務員のあの制限程度に持つて行くことが、教育の特殊性と責任においては妥当な方法であろうということを言われておりましたが、私はまつたくこの見解には同感であります。大臣はどうお考えになりますか。
  65. 大達茂雄

    大達国務大臣 私はそう思いません。
  66. 辻原弘市

    辻原委員 そこで問題は、この提案理由の中に、教育の職務の特殊性並びに責任の特殊性ということを言われておるのであるが、教育の職務と責任から、政治活動禁止を強化する万両に基底を持つて行かなければならぬとする理由は一体何であるか、この点を伺つておきたい。
  67. 大達茂雄

    大達国務大臣 職務の特殊性と、その見地から国家公務員と地方公務員との間に区別する何らの理由もない、これはあなたが今おつしやつた瀧川博士もその点ははつきり言つておられるのであります。ただ問題は国家公務員の方に寄せて行くか、地方公務員の方に寄せて行くか、こういう問題であります。私は教育の特殊性にかんがみて、両者の間に区別を設けるべき理由はない、そうしてこれを国家公務員の例によることを至当とする、こういうように考える。
  68. 辻原弘市

    辻原委員 教育の特殊性に基いて新たな一つの立法をやるというのであれば、これはりくつとしては通るのでありますが、教育の特殊性ということで国家公務員のように強化する例によらしめたということは納得が行きません。瀧川教授の申されたように、教育の特殊性という立場から、国家公務員あるいは地方公務員という現代の身分制度から教育公務員というものを取出して、新たに教育公務員という制度を、あるいは新たに教育公務員法といつたようなものをつくるという趣旨であるならばまだしも、それをしないで、ただ単に従来の身分制度をそのままにしておいて政治活動の部分だけを抜き出して強化する方向に持つてつた、これは私は納得が行かない。しかもその理由が教育の特殊性ということ、責任ということである。一体この提案理由に述べておる教育の特殊性、教育の責任ということは、大臣はどういう意味で定義づけられておるか、これを承りたい。
  69. 大達茂雄

    大達国務大臣 地方公務員というものは地方公共団体の公務というものを担当する、これがあたりまえの普通の観念であります。大体においてすべての地方公務員はそうであると思う。従つて地方公務員はその地域団体の全部に対する奉仕者としてその公務を担当しておると思うのであります。しかるに教育公務員の場合は、ことに義務教育については新憲法にその大本が示され、そうしてこれは瀧川博士も言われたのでありますが、これが地方公務員となつておるのは地方団体において給与をする、そうして任免その他の人事も地方で行われる。いわゆる地方分権的に行われておる、こういうことから地方公務員になつておるのでありまして、その担当する公務の内容が地域団体だけの限られた公務でないということはきわめて明瞭であります。さればこそ教職員の給与に関しましても半額は国庫において負担するという根拠はそこにあると思うのであります。従つてこれには法律にもちやんと書いてあるように、教育の事務というものは単に地域団体の全部に対する奉仕ということではなしに、国民全体に対して直接責任をもつて行われるべきものである、これもきわめて明瞭であります。これが一般の地方公務員の担当する地方公務と、地方公務員たる教育公務員の担当する公務たる教育というものとの顕著なる相違であります。この見地からこれを教育の特殊性つまり一般の地方公務との間の相違、その点に認識をしてこれを国家公務員の例によらせる、こういう考え方であります。
  70. 辻原弘市

    辻原委員 今の大臣の御説明は、地方公務員あるいは教員というものが国民に対してどういうふうな責任を負うかという、その職務の持つておる責任性の問題について言われた。私がお伺いしたのは、一体教員の職務、しかもそれが特殊である、その一体職務内容というものは何だということを聞いておる。後段の責任についての御説明ならば了承いたします。しかし職務とは一体何であるか。このことについて見解を伺いたい。
  71. 大達茂雄

    大達国務大臣 ただいま申し上げた答弁によつて明瞭である通り、一般地方公務員の公務は、その地域団体に対する公務であります。これに反して、教育職員は、その身分が、その地方団体に所属しておりましても、その担当するところの公務というものは、国家全般に通ずる事務であります。これが一般の地方公務というものを考える場合に、教育においては特殊性がある、こういうことを申し上げたのであります。
  72. 辻原弘市

    辻原委員 提案理由の中に、教育公務員の特殊性とあるならば、これは大臣説明もある程度つておるでありましよう。しかし明らかに教育は他の一般地方公務員の業務内容と比較して特殊であるということをうたつてある。その責任は国民全般に対して負わなければならぬということは当然である。これは論争を繰返す必要は私はないと思う。私の見解を申し上げれば、ここに書かれた内容はどうあろうとも、一般的に教育の特殊といわれるのは、これは教育それ自体が持つている内容であります。単に一般の地方公務員がやつておる仕事のごとき行政執行というような立場にない。教育という影響力を持つ、人を教え導いて行くというこの業務内容が、普通の意味における公務員とは違うのだということを言つておる。私は先ほど諸外国の例をあげたが、その意味は、おそらく諸外国においても、一般公務員よりも緩和された状態に置かれておる。そのことは諸外国においても教育の特殊性というものを認めておるがためであります。教育によつて民主主義的な国家の基礎をつくる。そのためには、でき得る限り教員それ自体の基本的権利、政治的活動の自由を与えるべきであるという趣旨に基いて、この教育の特殊性から一般公務員よりも緩和された状態というものが規定されておる。同時に日本における現在の地方公務員法の趣旨もそうであろうと私も思う。そうであるならば、当然これは国家公務員の例によるというような厳密な規定ではなく、緩和する方向にその規定を持つて行くべきが至当であります。しかしながらこれは論争にわたるので、その点についてはこれ以上の質疑を続けません。少くとも私の見解はそうであります。  次に、大臣は、国家公務員の例によることが一番よかつたからそうしたのだ、こう言われる。ところが教育公務員には現在教育公務員特例法というものがある。あるいは地方公務員法の五十七条には、教育公務員の特殊性というものを認めて、特段の必要がある場合には例外規定を法律でもつて定めるごとく書いてあります。もし大臣の今回立法せられたような考え方に基いてやるならば、これは便宜的にどんなことでもやれる。便宜的に国家公務員であるものを地方公務員法のある部分を適用さすことも可能でありましよう。かようなことは、地方制度なり一つの身分制度というものを非常に乱すやり方であると私は考える。もしそのことが、法律技術的にもまた制度的に見てもいいとおつしやるならば、地方公務員法の五十七条は私はいらぬと思う。もちろんこれは教育公務員だけではなく、他の者もいるから、やはり必要だという論理も成り立ちますけれども、少くとも教員のことについて書く必要はなくなつて来る。あるいは教育公務法というものも、これは別段必要ないじやないかという論理も成り立つ、一体それについて大臣はどう考えるか、もう一つ、なぜ特例法でこれを規定しなかつたか。特例法ではやれなかつた理由があるのか。この点をお聞きいたしたい。
  73. 大達茂雄

    大達国務大臣 この五十七条というものに基いて特例法で一般の地方公務員と違つた規定を設けておるのであります。今回の場合もやはりその特例法の内容として、そうして一般の地方公務員と違つて教員を国家公務員の例によることとしたのであります。この間五十七条がいらないとか、何とかいう問題はない。むしろこの五十七条に基いて規定をしようとするわけであります。
  74. 辻原弘市

    辻原委員 五十七条は、ただいま大臣説明されたように、別の規定をどういう形においてつくつてもいいということは書いてありません。明らかに地方公務員法の精神に準拠して規定されなければならぬということが書いてある。「特例は、第一条の精神に反するものであつてはならない。」ということが書いてある。この趣旨をあなたはどう解釈するのか伺いたい。
  75. 大達茂雄

    大達国務大臣 私はこの第一条に反するとは思いません。どういう点が反しますか。
  76. 辻原弘市

    辻原委員 地方公務員法の第一条の趣旨を見れば明らかであります。今大臣が立法措置としておやりになられたことは、地方公務員の中に置かれたその特例を、そつくりそのまま国家公務員の身分制度の中に当てはめさせようとしておる。かようなことは地方公務員法の第一条は言つておらないのであります。明らかに地方公務員制度というものの中においての特例としてかくかく規定するんだという趣旨をこれは述べておる。今回の法案というものはその考え方から逸脱しているのではないかと言つておるのです。
  77. 大達茂雄

    大達国務大臣 この法律は地方の公立学校の先生を国家公務員にするという規定ではありません。地方公務員という身分はそのまま残して、それに対して政治行為の制限をしようとするのがこの特例であります。この場合に国家公務員の例によるということは、国家公務員法を適用するということではありません。国家公務員と同じく政治行為の制限をする内容が同じであるということであつて、形式的に国家公務員の規定がそのまま地方公務員に適用せられる、こういうものではないのであります。この例によるという規定によつて同じ制限を受ける、こういう結果になりますから、法律的に何もこれがおかしいということはあり得ないと思います。
  78. 辻原弘市

    辻原委員 法律的に違法であるというようなことは、まさか法案提出せられるにあたつて、あなたは言われないと思います。しかし妥当な方法、最も慣例として行われておる、無理でない方法、そういう方法によつて法律はつくられ、そういう趣旨によつて運用されなければなりません。これは常識であります。今日この種の規定を国家公務員の例によるというような形で、国家公務員法のその中の政治行為に関するところを抜き出して、無理やりに適用させるといつたような無理はしなくても、他に幾らでも方法がある。先ほど私が質問した教育公務員特例法においてこれは規定できなかつたのか、教育公務員特例法というのは、法律で定まつた一つの教員の特殊な身分立法である。その中に規定されることも可能だつたと思うが、なぜそれをおやりにならなかつたかということです。
  79. 大達茂雄

    大達国務大臣 ちよつとお尋ねの意味が私にはよくわからぬのでありますが、本来同じような法律効果を及ぼす場合に、これが違つたものであれば適用という字は使えない。しかし同じ内容法律をこれに当てはめようとする場合に、例によるという字を使うのであります。これはものが違うから例による、ものが同じならば言わなくても適用されるのであります。かような立法例というものは昔から幾らでもある。国家公務員の例によるということは、何もここに初めて新しく持ち出された用例ではありません。これは幾らでもある。そのすべての場合と共通な問題でありまして、これが何か法律趣旨に反するとか非常に変なものであるということは、私はどういうりくつかよくわからない。
  80. 辻原弘市

    辻原委員 例のあるぐらいなことは私も承知をしております。ただしかし、少くとも地方公務員法の中において地方公務員たるその性格に基いて取扱われておつた政治行為に国家公務員法を適用させてやるということは、このことはすでに地方公務員である教職員について、その身分というものは少くとも国家公務員的な性格をこれに付与したものと解釈しなければならぬ。しかしながらそこに本来の身分は地方公務員としてなお置かれておる。これは政治活動の行為の点についても身分制度の中できめられることである。そのうちの一部分は国家公務員の例による、やはり国家公務員と同じ基準でもつて扱うという制度上二つにまたがるやり方をやつておられる、こういうやり方は考えとして妥当であるかということであります。
  81. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は妥当であると思います。その必要があればそういう立法をすることをさしつかえない。
  82. 辻原弘市

    辻原委員 先ほど教育公務員特例法でこれをやらなかつたのかと私が質問いたしましたのに対して、大臣はまだお答えなさつておりません、教育公務員特例法においてこの種の規定は不可能なのか。できなかつたのは何か理由があつたのか。
  83. 大達茂雄

    大達国務大臣 これは表題をごらんになればおわかりになる通り教育公務員特例法の一部改正案であります。これは教育公務員特例法のうちで今規定しておるのであります。教育公務員特例法を離れてやつているわけではありません。(「ピントはずれであつたな」と呼ぶ者あり)
  84. 辻原弘市

    辻原委員 私の質問が、ピントはずれではありませんけれども、やや言葉足らずでありました。特例法の中で独自になぜ規定しなかつたかということであります。
  85. 大達茂雄

    大達国務大臣 それは国家公務員と区別する理由がないからその例によつたのであります。丁寧にやれば国家公務員法及び人事院規則の規定をそのまま書けば一番はつきりします。しかしそれでは例によるということにはならない。片方、かりに人事規則院が改正ということになれば、この特例法によつて例によるということはそのまま改正の方について行くわけです。これを別々に書くと、こつちが改正になつても、そつちを一緒に改正しない限りはついて行かない。例によるということは、両者の間に区別すべき理由がないから例によつた。だからこつちがかわればついて自然にわかつて行く。これは区別する理由がないということで御了承を願いたい。独立して地方公務員にこれだけの制限をするという建前ではないのであります。
  86. 辻原弘市

    辻原委員 区別する必要がないと言われたことは、教員については地方公務員と国家公務員とその身分制度は一つである、そういう論拠になると私は思うが、大臣はそういうふうに考えておるのですか。
  87. 大達茂雄

    大達国務大臣 これは地方公務員たる身分とは関係ありません。その個人に課せられた政治的制限でありまして、身分の問題ではありません。
  88. 辻原弘市

    辻原委員 身分をそのままにしておいて、そのうちのその身分に関連する一部分を除いて国家公務員法の中にそれを打つて来られたといつたような場合、具体的には人事院規則によつてその取扱いの範囲がきまる。そうすると人事限規則の改廃というような問題は、これは将来どうなるかわからないけれども、現在においては人事院がこれをやる。すると身分を管理する地方公共団体あるいは地方におけるそれぞれのこれら教職員管理機関は、何らそれにはあずかり知らないことである。これが国家公務員であるならば、国家公務員の人事監督機関であり、勧告機関である人事院がやるのであるからまだ一応意味は通ずるけれでも、しかし何ら地方公務員の身分管理について人事院と直接的な関連を持つていない。その持つていないものがやつたことについて、自動的に地方公共団体が動かなければならぬということは考えようによれば一つの地方の自治権の中における人事行政なり人事管理というものを制約しておることになりはしないか。
  89. 大達茂雄

    大達国務大臣 この規定は地方公共団体に何らの事務を附加するものではありません。個人たる教職員に政治行為の制限をしておるのでありますから、もし違反が起ればこれが処罰の対象として裁判の問題になるだけであつて、地方団体の事務とは何らの関係のないことであります。これは法律であります。つまり法律としてこの規定が成立すれば、地方公共団体はどう言いますか、それをあずからぬからという苦情を申し込むわけもありませんし、第一この政治行為の制限に関する法律というものは、地方公共団体に事務的には何にも関係がないのであります。
  90. 辻原弘市

    辻原委員 長くなるのでとどめたいと思いますが、事務的には何も関係がない、法律が通ればいいのだ、こういうお話でありますが、われわれはその法律が身分の管理、そういつたものに照し合せて妥当であるかどうかを検討しておる。だから通つた後においての問題とは別であるから、そういう大臣のお話は私は了解ができません。少くとも地方の事務所と何ら関係がないと思われるけれども、こうした地方公務員の身分管理については、地方公共団体は責任があります。その中の機関あるいは地方議会といつたものもやはり責任を持つておるわけであります。それらの責任のあるものが重要な犯罪要件を決定するするについて何ら発言権を持たない。それが国会できめら内容ならこれは別です。政府の一つの国家公務員の管理機関である人事院によつてそれが左右されることが妥当であるかどうかと私は言つておるのです。
  91. 大達茂雄

    大達国務大臣 人事院によつて左右せられるということではない、国家公務員の例によるということなんであります。でありますから国家公務員法が改正をせられて、そうして国家公務員に関する政治行為の制限に何らかの変更が加えられる、この場合も当然ついて行くのであります。あるいは人事院規則をやめてこれが法律にかわつた場合にも、これはついて行くのであります。この例によるということとは、人事院の統制に服するということは意味が違うのであります。国家公務員と同じ政治制限を受けるということでありまして、身分上人事院の管理に所属するようになるという関係は毛頭あり得ないのであります。
  92. 辻原弘市

    辻原委員 具体的に申すと、国家公務員法による人事院規則というのは、教員を対象にしたものではありません。国家公務員全般を対象とした、ことに人事院は国家公務員についてその身分制度を扱つている機関であります。国家公務員のそのときの政治的動向というようなもの、あるいはその禁止制限についてその実態を現在よりもかりに緩和すべきであると考えた場合、ただちに人事院規則の改正を人事院は行うのでありましよう。これは法律でありませんので、国会はそれに対しては関与することはできない。意見は述べることがあつても、規則そのものに対しては権限がない。そうすると大臣が今述べられたように、例によるだから自動的についてまわつて、何らその状態に変化を来さなかつた地方公務員である教職員が、国家公務員の動態によつて左右されるという結果が生まれる。逆の場合を言えば、かりに人事院が国家公務員に対してさらに今よりも制限を強化する必要があると判断を加えて人事院規則を改廃する、例によつてただちについてまわつて地方公務員は強化した状態になる、かようなことはそのときに地方公共団体なり地方の人事機関、管理機関というものは、これは逆に緩和すべきものと判断をしておるという民意があり、そういう意思表示を持つておるとしても、それらの意思表示というものは何ら反映されないということ、それは地方自治体の一つの権限と一つの意向というものを無視し去る考え方に基くのじやないか、そういう結果になるのじやないかということを聞いておる、それは大臣、ならないと思いますか。
  93. 大達茂雄

    大達国務大臣 なりません。
  94. 辻原弘市

    辻原委員 具体的におつしやつていただきます。
  95. 大達茂雄

    大達国務大臣 私はあなたの言われる法律論が実際よくわからないのです、失礼ですけれども……。
  96. 辻原弘市

    辻原委員 法律論ではない、実体論です。
  97. 大達茂雄

    大達国務大臣 非常に論ぜられますけれども、一体この公務員の政治行為の制限をする場合に、地方公共団体とかそういう方面の意見を聞かなければならぬというふうにおつしやいますが、それはどういうことでありますか。地方公務員法にしても、国家公務員法にしても、それを管理しておる地方団体の意見を聞かなければならぬということが私にはわからない。先ほど申し上げたように、これは地方公共団体の事務に何らの増減を来すものではありません。公務員たる個人の政治行為を国が制限をするのであります。これが地方公共団体の事務に非常に増減を来すものであるという場合に、まず一応地方団体の意見も参照したらよかろうというなら、これは話がわかる。そうじやないのですよ。地方公共団体の事務に何の関係もない。
  98. 辻原弘市

    辻原委員 私はむしろ大臣が言われていることがよくわからない。議会で法律でもつてきめるなら、一応それは大臣の話を受取つてもよろしい。規則であります。国と地方公共団体との関係は相対的なものである。その場合に必ずしも私は厳密に言つて、法規によつて、地方公共団体の意見を聞かなければならぬというふうな、そういうことを申しておるのじやない。しかしやはり地方の民意というものを反映してきめるべきだと思う。これは国の機関として一つの制度のもとに置かれておる人事機関である。そのものによつて動かされるのです。そのことを私は言つておる。
  99. 大達茂雄

    大達国務大臣 人事院規則というものは、御承知のようにこの場合法律の授権のもとに、その制限の規定を設けておるのであります。従つて人事院規則は、その法律による授権の存在する限り、それは法律と同じことなんです。これは法律自身がきめておるのであります。御承知のように委任命令というものとその法律とは、その効果はまつたく同じものであります。だからこれは法律による場合と同じことであります。そのことを法律自身が認めておるのです。だから法律が認めておる限り、これは命令だから、命令でもつてやるのがおかしい、こういう議論は成り立たないと思う。もし非常にこれが妥当でないとすれば法律そのものを改正して、人事院規則に委任をしないで法律自身が規定をする、こういうことになるのであります。法律自身が規定するかわりに、法律が人事院にこれを委任したのであります。
  100. 淺井清

    ○淺井政府委員 私から補足さしていただきますが、今のお尋ねの中で、この人事院規則は一般国家公務員のためにあるものであるから、それを将来一般公務員の立場からかえた場合に、特殊性のある教育公務員に悪い影響を与えるのではないかというようなことを懸念したお尋ねがありましたが、この一般国家公務員の中にはたくさんの教員が入つておるのでございます。ことに一番学問上の問題がやかましい国立大学の教授というものは、すべてこの人事院規則で今取締られておるのでありますから、人事院が将来人事院規則をかえるといたしましても、決して教員の立場を無視してかえられるのではない。その点については、過去の運営におけるごとく、将来におきましても御懸念には及ぶまい、かように考えております。
  101. 辻原弘市

    辻原委員 人事院総裁の淺井さんがおつしやるのでありますから、そう受取りますが、必ずしもそうでもなかろうと思います。そこで私の次の質問は、必ずしも大臣の言われるように、国家公務員である教職員と地方公務員である教職員がまつたく同じように取扱われるかどうかについても疑問がある。これは現在の制度においてもそうです。人事院規則というものは法律でもつて委任されておると文部大臣は言われる。確かにその通り国家公務員としての政治活動を制限すべく委任した本来の目的はそうなんですが、その後にそれを改廃することは、これは人事院の権限にゆだねられておる、こう私は解釈する。その場合において起る事態を私は指摘したのです。これはしかし時間がありませんからこれ以上言いません。しかし次の問題として考えられることは、今淺井総裁の言われることについてはやや了解のしがたい点が出て来る。それは大臣がしばしば今までの御答弁に中で、今回の二法案の及ぼす結果は、これは大学教授あるいは一般学者、文化人といえども、その制限の中に包括され、非常な言論の抑圧になるじやないか、こういう質問に対してそういう心配は決していらぬ、そういう悪意を宣伝をする者はどこの団体なんだ、そういうことは決して心配いりません、こういう御答弁があつた。現在においても国家公務員法による人事院規則において何ら——これは具体的な例を申されておる、ある大学教授で相当行き過ぎた政治的発言をやつておる者すら取締られておらぬじやないか、だからこの法律ができても高等学校以下の教職員は何ら心配することはないのだ、こういうふうに申されておる、そういうふうに私は聞きましたが、それは間違いございませんですか。
  102. 大達茂雄

    大達国務大臣 私はいろいろ例示せられて、給食をもう少し普及したい、あるいは父兄の負担を減らしたい、こういうことを言つてもすぐ規則にひつかかるとか、あるいは教育予算を増してもらいたい、これがすぐひつかかるとか、はなはだしきに至つては、北海道でストーブにもう少し石炭がいるのだと言つてもひつかかる、こういう類のことがしきりと言われておるから、これらのことごとくは何らの心配がないと申し上げた。人事院規則によつて制肘を受けます限り、その規則が内容としておる政治活動はこれはできません。その点は増すわけであります。制限が加わる。これは当然のことであります。従つてどんなことをやつても何も心配はいりませんというようなことを言つたのではないので、いろいろ例をあげて言われるから、そういうことは何ら御心配はない、こういうことを申し上げたのであります。それから国家公務員についての制限が人事院規則によつてかわるたびに、地方公務員たる教育公務員がスライデイングにやはり同じ制限の内容がかわつて来る。そうすると地方公務員が人事院規則によつて、その制限の内容を終始左右されるということを言われますが、それはこの特例法の一部を改正する法律によつてそういうことをきめるのであります。従つて法律によつてきまる。人事院規則の改正によつてきまるのではなく、スライドして行くということをこの提出した法律できめておるのであります。だからそういう状態がこの法律成立後にできれば、これは法律それ自体がきめたということに御了解を願いたい。法律というものを離れてかつてに人事院規則に右ならえということはありません。
  103. 辻原弘市

    辻原委員 また大臣が附加されたので申さざるを得ないのです。純法律論とは申しません。これは実体からいえばそういう形になるわけです。その委任された内容の改廃については、これは明らかに人事院規則だということを言つておる。もし大臣が今言われたことをさらにつつ込んで考えれば、今は例によるでやつておるが、その場合は再度この特例法を改正するという趣旨であるかどうか。この法律でもつて、今のやり方で例によるでやつておられた場合、これは法律が委任したといえばそれまでの話だけれども、私が問題にしてるのは、その委任された内容言つておる。人事院規則というものを言つておる。そうすると先ほど例にあげたような、ただちにそれにスライドされるということが、どうも地方公共団なり地方公務員の実態から見て不適当であるという事態を生じた場合、そのときはあなたは、それは新たな事態であるから法律でもつて改正されるということを言われたのか。
  104. 大達茂雄

    大達国務大臣 あなたはそういう不適当な場合を生ずることがあり得る、こういうふうにお考えになるわけでありますが、私どもは国家公務員並にすることは適当だ——必ずしもその内容を一々言つているわけじやない。でありますから、国家公務員についての制度がかわつて来れば、自然にそれにならうのだ、こういうことを今提出してある法律案で規定しておるのでありますから、従つてあなたが不都合な場合が生ずるかもしれぬと、言われる事柄を、この法律が、それでよろしいということをきめるわけです。だからその点が御審議の対象になるわけであります。  なお念のために申し上げますが、こういう例として、たとえば同じように特例法のうちの二十一条の二というものがございます。「職階制は国立学校教育公務員の例に準じ」——これは例により、じやない「例に準じて、すべての公立学校教育公務員について実施するものとする。」この職階制は、御存じの通り、こまかい点についてはやはり人事院規則できまります。この場合も同じで、人事院規則がかわれば、公立学校の職階制もこれに準じて自然にかわつて来る。この点とちつともかわらない。
  105. 辻原弘市

    辻原委員 職階制と政治行為の問題を比較すべきかすべきでないか、これは良識でもつておのずから判断されることであろうと思うので、私はこれ以上追究はいたしません。とにかく不都合の場合が生じても、法律でもつて委任したのだから、またはあくまでも国家公務員の例にあらしめるのだから、そういうふうに規定するのだ、こういうふうに申された点で問題は残りますけれども、一応その点に対してはお伺いをいたしません。  なお、さきに大臣は、大学教授等については少々行き過ぎた政治的発言があつても、現在の人事院規則においては何ら縛つておらぬじやないか、こういうふうに申されました。なおこの法律が出たあと、高等学校以下の教員については個々の実例で判断するのであつて、全部がいいとは言わなかつた、こういうふうにおつしやつたのですが、大学教授については少々行き過ぎた政治的発言があるとあなたは言われておる。ではこれを適用しないのはどういう理由か、どう判断されておるのか、これをお聞きいたしたい。
  106. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は行き過ぎた発言などと申したことはない。活発なる政治的意見を発表しておられる——行き過ぎておるなんということはありません。人の言うことが行き過ぎか妥当かを判断する限りではない。その発言が人事院規則に抵触するところがないから、従つてこの発言ができる。だから公立学校教育公務員でも、少くともその程度の活発な発言をしてもさしつかえがないはずです。それを言つているのです。だから、給食をどうやらしてくれとか、予算をどうやらしてくれとか、そういうことを言つたつて何も関係ないじやないかということを言つたのです。
  107. 辻原弘市

    辻原委員 行き過ぎた発言という限り一つの尺度をもつて、人事院規則に照らして縛るべきであるが、行き過ぎであつても縛つてない、私はこういう意味で申したのでありますが、法発なということになればどうもちよつと判定がつきがたいので、具体的にお尋ねいたします。たとえば東大の矢内原総長が、今回のこの二法案は絶対反対であると、しばしばそういう講演もし、あるいは意見も発表されておる。こういう点についてはひとつ淺井さんにお聞きした方がいいと思いますが、人事院規則との関係においてはどうなつておるか。それから従来そういつた問題が生じた場合に、この人事院規則に抵触した事例があるか。この点をひとつお伺いいたします。
  108. 淺井清

    ○淺井政府委員 矢内原学長云々の話は、人事院としてそういう調査を特にやつておりませんから、ここで申し上げかねるのでありますが、もしたただいまのお尋ねが大学教授その他国家公務員たる教員の中でこの人事院規則にひつかかつた例があるかというお尋ねでありましたならば、私がただいまここで記憶しておる限りにおきましてはありません。しかし全然ひつかかつた例がないかといえばあります。それは選挙に関して特に金銭の授与したような場合がありまして、これは現に起訴されておるような例がございます。これは相当高級の官吏に属しておるのであります。  御承知のごとく、すべて法律はだれでもひつかかるようなものでありますれば、これは悪法でありますし、だれもひつかからないものでありますれば無用の法律でありますから、従来この規則の運用の上におきまして、少数のものがひつかかつておるということから、この人事院規則が決して苛酷なものではないとともに、運用もあまり間違つていなかつたのではないか、かように考えます。
  109. 辻原弘市

    辻原委員 大臣に、私のあげた例についてひとつ判断をお願いいたします。
  110. 大達茂雄

    大達国務大臣 私はさしつかえないと思います。
  111. 辻原弘市

    辻原委員 その理由は何ですか。
  112. 大達茂雄

    大達国務大臣 人事院規則の規定するいずれの行為にも該当しない……。
  113. 辻原弘市

    辻原委員 それが公衆の面前であつても該当しないと考えられますか。
  114. 大達茂雄

    大達国務大臣 人事院規則に定めてあるような特定の政治的目的を持つていない……。
  115. 辻原弘市

    辻原委員 これが特定の政治的目的を持つておるかいないかは、それぞれの事例を見て、ある場合においては主観において判断される。おそらく大臣も今主観において判断されたと思うのですが、かりにその場合に——これは矢内原総長の例はもう申し上げませんけれども、ある大学教授がそういう政治的目的を持つて、そうして矢内原総長が言われたような行為をやつた場合に、それは一体どうなるか。今の御答弁によりますと、矢内原総長の場合には政治的目的は何ら持つていないからいいのであるということですが、そうでなくて政治的目的を持つた場合……。
  116. 大達茂雄

    大達国務大臣 政治的目的というのは、この法律案反対するという政治的目的は矢内原君の場合でもありましよう。しかし人事院規則でいう政治的目的というものは、何でもかでも政的目的であればみな入るのではない治のです。人事院規則をごらんになれば——淺井先生のおられる前でありますから、淺井先生のお株を言つて、私が間違えば直していただきますが、人事院規則の五項には、政治的目的とはどういうものだということを書いてある。同じ政治的目的でもこの目的に該当しない場合には——ただこの法律案には反対だからこの法律案は成立させたくない。これだけの目的では、この人事院規則にいう政治的目的の中には入らないのです。まさか矢内原君が特定の政党を支持したり、あるいは内閣に反対するという目的であの論文を発表されたとは、私らでなくとも、だれが見てもそうは思いますまい。
  117. 辻原弘市

    辻原委員 人事院規則の5には政治的目的の定義がありますが、その中の各條項にはいろいろあります。大臣が言われたように特定の内閣に反対し、賛成するということには限りません。第五項を見れば「政治の方向影響を与える意図で特定の政策を主張し又はこれに反対すること。」そうするとこの二法案反対するということは、政治の方向影響を与える——それがなければ反対はありません。影響を与えなければそんな反対はありません。特定の政策、これはやるべきでない。公の内閣が決定した行為に対して、これは私は矢内原さんのケースを言うのではありません。それは一つの例証をあげて申しておるのであります。そういう場合においてもそのときは政治的目的はない、あなたはこう言われるのでありますか。
  118. 大達茂雄

    大達国務大臣 この政治の方向影響を与えるというのは、日教組は、これですぐひつかかる、教育予算を増してもらいたいとか、三本立ての法律をやるとかやらぬとか、そういうことをやれば、この政治の方向影響を与えるという条文ですぐやられる、これを盛んに宣伝しております。これは失礼ですけれども、人事院規則に対する研究が全然できておらぬ。これは淺井先生がおられますから、この政治の方向影響を与える意図、こういうものはどういうものであるかをひとつ淺井さんからお話をしていただきたい。
  119. 淺井清

    ○淺井政府委員 私から補足をいたしますが、実は私は、ただいまの矢内原学長云々の例をあげて、この第五番目の「政治の方向影響を与える意図で特定の政策を主張し」云々をおあげになりますよりも、むしろその次にある「国の機関又は公の機関において決定した政策の実施を妨害すること。」、こちらでおいでになるかと思つておりました。五番目の方の「政治の方向影響を与える」というのは、これは人事院の運用におきましては、日本国憲法に定められた民主主義政治の根本原則、こういうふうに解釈して今まで運用して参りましたので、そういう場合においてはほとんど影響はないように思つております。次に「国の機関又は公の機関において決定した政策(法令、規則又は、条例に包含されたものを含む)の実施を妨害すること。」、これに該当しやしないかということが当然出て来るのでございますが、この「妨害」とは、実力行使をもつて妨害することだけをただいままで取締つてつたのであります。それがゆるきに失するとかきびしきに過ぎるとかいうことは別問題でありますが、これまではそういうふうに実施して参りましたので、ただいまの特定の法案にただ反対した云々というだけでは、これにかかつて参らぬわけであります。
  120. 辻原弘市

    辻原委員 私は、厳正にそれぞれの規則、法律に照してものを申しておるのであります。そこで今の行為について、この第七項に書かれておる「本案の職務を遂行するため」云々というのと、私が例にあげた、公務員である大学教授の発言というものとを、淺井総裁はどういうふうに把握されておるか、
  121. 淺井清

    ○淺井政府委員 ただいまの例と申しますのは、何か政府の法案に対する反対でございましようか。それが「本来の職務を遂行する」に該当するかどうかは、ただ今お述べになつただけではわかりませんので、もう少しそれを具体的に、たとえば教室における授業の中で、たまたまその法律に関する問題が出て来て、それに対して教壇で意見を述べたとか、あるいはそうでなくて、雑誌に論文を寄稿したとか、いろいろその行為によつてかわつて参るだろうと思いますから、それは一概に申すことはできないだろうと思います。
  122. 辻原弘市

    辻原委員 大学は、学校教育法によつて研究機関という正確を規定づけられております。そうすると、その研究機関である大学の教授の任務は、必ずしも教壇において物事を研究するということにとどまらない。一般通念としてでも、あるいは論説を発表したり、論文を掲載したり、講演に行つて自己の研究結果を発表したり、そういう本来の大学教授の任務として、今回矢内原総長その他の方々がこの法案について研究の結果、いろいろ発言されておるのである、こう解しておる。そうしたような場合は、これは当然本来の職務遂行、いわゆる研究機関としての大学教授の任務においてそのことが必然的に行われて来るもの、かように解釈するのであるが、淺井総裁はどう解釈されるか。
  123. 淺井清

    ○淺井政府委員 これはそういう事案が起りました場合に、もつとそのこまごまのデーターから申さなければならぬ。私が教室の中の授業云々ということを申し上げましたのは、その一番わかりやすい例としてあげただけでありまして、何も教室の中だけに大学教授の任務があるという意味ではないのであります。
  124. 辻原弘市

    辻原委員 時間がございませんので、先に進みますが、ここに規定されておる本来の職務遂行というものは、今私が申しましたように、これは今淺井さんも述べられましたが、大学教授の場合は、研究機関としては、単に教室に限らず相当広範囲なものである。ところがこの人事院規則を適用することにおいて、同時に地方公務員であるところの高等学校以下の教職員にも適用されて来ると思うが、その場合に地方公務員である教職員の本来の職務というものは、どう判定したらよいか、これはひとつ大臣にお伺いいたします。
  125. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は、矢内原君が読売新聞にこの法案反対の意見を発表されたことが、大学教授の職務であるとは思いません。これは常識でわかつている。一矢内原個人の意見であります。従つて個人の意見であつても、人事院規則にはひつかからない。個人の発言を大学教授が職務としてやつた、こういうこじつけを言わなくとも、ひつかからないのであります。公立学校の先生の場合も同様であります。これはひつかからぬのであります。淺井さんの前ですが、私はさように解釈しております。公立学校の先生が職務としてどういうことをやられるか、これは大学の先生の場合と同じで、具体的なそれぞれの場合において判定しなければ、こういう場合は職務である、こういう場合は職務でないということは、一概には言えぬと思います。
  126. 辻原弘市

    辻原委員 個人でやつてもさしつかえない、こう言われるんですが、個人でやつてもさしつかえないということは、政治的目的を持たない場合だけを限定されてあなたは言われたのでありますか。
  127. 大達茂雄

    大達国務大臣 そういう抽象的なことではない。この人事院規則のいずれにも該当しない、こう言つている。
  128. 辻原弘市

    辻原委員 これは大臣がどういうことを言われたか、ちよつと私は了解に苦しむんですが、たとえば矢内原総長が発表されたと同じような事例を国家公務員である教職員ないしは地方公務員である教職員が発表したという場合、これは個人でやつてもさしつかえない、そうあなたは言われたんですか。総裁の見解と違う。
  129. 淺井清

    ○淺井政府委員 違いません。文部大臣の申されたのは、こういう場合には、人事院規則で定めた政治的目的に欠けていると認められる、こういうことだろうと思います。これは人事院の見解としても同じことであります。
  130. 辻原弘市

    辻原委員 これは今ここで判断せよということも無理でありましよう。しかしながらここに残る問題は、常に個人のあるかないかという判断によつて、これがひつかけられるという可能性をこの法律が持つているということは事実であります。事実認定に基いて、これが規則に違反するとするならば、犯罪捜査その他が行われて来る。大臣は、それは心配ないんだということを今まで相当強調されているけれども、この法律は必ずしもそうではないということを言つている。その点は、時間がないので、私は一々例をもつて申し上げることはできないけれども、ともかく淺井総裁は、あるいは第六項にひつかかるのではないかという御見解、ところが大臣は、その場合は全然さしつかえない、こういうふうに言われたことだけは速記銀に残つております。
  131. 淺井清

    ○淺井政府委員 それは違うのです。第六項の方がむしろ御質疑の的になりはしないかとおそれたということであります。決して第六項に該当すると申したのではありません。
  132. 辻原弘市

    辻原委員 時間がございませんので、政治的中立性のあとのこまかい点は、いずれ個々の逐条の問題においてお伺いをいたしますが、中で一つ心配になる事項は、「何人も、」に対してこの法律で制限を加えておるのでありますが、その「何人も、」というのは、この場合、大臣は、これは自然人、法人をも含むようにお考えになつてつくられたか。
  133. 大達茂雄

    大達国務大臣 これは法人は入りません。
  134. 辻原弘市

    辻原委員 「何人も、」は自然人だけである。間違いございませんね。  それでは伺いますが、今日までの大臣の御説明によりますと、大体与党の諸君もそういう御見解をしばしば述べられておりましたが、教員の組織団体、言いかえたら、日教組の例をあげれば一番早道だと思いますが、日教組というものと、それから一般教職員、いわゆる組合の構成員である教職員というものを別に考えられ、これを別に扱つておられるというような印象が非常に強いのであります。抽象的にこの日教組というものを別にして、その日教組組合員である教職員にあたかも対抗しておるというふうな、そういう観念でもつて考えられておるのでありますが、この法律もその点については大臣の御説明のような趣旨でもつて私はつくられているように思う。というのは、「何人も」が教員の組織する団体ないしはその運動を通じて教員に対して教唆し扇動してはならぬということ、その場合に扇動される側は教員、そうすると、その教員は日教組の構成員である場合には、これはパイプの役割を果す。教員は組織団体の構成員である。そうすると、扇動されるもの、扇動を通じて行うところのパイプの役割を果す、この組織団体、このものとは一者二者の関係ではなくして同一人の関係である。こういうことを法律は書いておるのでありますが、私はこの観念はこの法律を解釈する上において非常に複雑な問題だと思います。と申すのは、先ほど自然人だけということでありますから、法人については何らの処罰規定がない。そうすると具体的にいえば、その扇動される教員がこの法律の規定する違反する行為をそのパイプである教員の組織する団体の中で、かりに吉田内閣を打倒せよということをみずからきめたという場合、一体それは教唆扇動ということに該当するのか、これは一体どうなんですか。
  135. 大達茂雄

    大達国務大臣 日教組の内部でそういう方針をきめた、そのきめたことに参加をしておる、それがただちに教唆扇動になることはありません。
  136. 辻原弘市

    辻原委員 今の問題でありますが、これは個々の事例が違反するか違反しないかという問題でなくして、私が言つているのは、違反する行為、明らかに政治的目的をもつて、偏向の党派的影響を教員に扇動するといつたような、そういうことをこの構成員である教員がみずからその団体できめた場合、それは一体その教員に対して教唆扇動したということになるのかどうか。
  137. 大達茂雄

    大達国務大臣 自分に対して自分が教唆扇動ということはありません、しかしそのほかの学校の先生あるいはそのほかの学校にそれを呼びかけて、そうして教唆扇動ということがあればその点でここに該当する、こういうことになると思います。
  138. 辻原弘市

    辻原委員 まだ質問は半分以上残つておりますが、時間もないようでありますので、最後に大臣にお伺いいたしますが、この法律は私は先ほど申し上げたように、教職員の組織する団体、言いかえればその代表的存在である日教組を通じた場合においてのみ、この党派的影響がいかぬということを規定している。ところが第三者は、法律で規定する何人も自由にもし教唆し、扇動してやろうという目的を持つならば、あながちその団体を通じなくてもいろいろな方法でもつてこれはやり得るのであります。従つて、この法律言つておる中立性を教育において確保するという本来の趣旨は、この法律においてはまつたく貫かれてはおらぬ。いわば普通に言われる日教組の団体というもののみをこれは対象にしてつくられた法律であるということが明瞭になつておると私は思う。この点についてはさらにお尋ねいたしたいことはありますけれども、省略いたします。  最後に、特例法の提案理由の中に特に強調されておることは、教育基本法において偏向教育をやつてはならぬということを規定している云々ということが書かれておるのでありますが、これは重大な問題でありますので、教育基本法の八条についてそういう趣旨が盛り込まれておるのかどうか、そういうふうに厳密に規定されておるのかどうか、これをお伺いいたします。
  139. 緒方信一

    ○緒方政府委員 お答え申し上げます。教育基本法第八条第二項は特定の学校においては特定の政党を支持し、反対するための政治的教育を行つてはならぬ、こう言つております。これはおよそ学校においては党派的に片寄つた教育を行つてはいかぬという趣旨でございまして、その表現といたしまして特定の政党を支持し反対するための政治的教育、かように表現してあるわけであります。
  140. 辻原弘市

    辻原委員 これは十五国会において私は当時の初中局長質問をいたしております。現在の次官でありますが、速記録に残つておる。読み上げてもよろしいのでありますが、時間がありませんので申しません。それはここにいう第二項の学校は特定の教育云々ということの解釈、これは従来から問題になつた学校はというのをあなたは今学校ではと言われた。学校はというのと学校ではというのとは、これは本質的に違う。従来の文部省の解釈は、少くともそのときの私どもはこれは学校という一つの代表する人格に対して法律で規定しておる、こういうふうに解釈する。学校は、何々小学校名義でもつて選挙運動をする、何々小学校名義でもつて選挙のための金を集める、あるいは何々小学校はこの政策反対する、こういつたようないわゆる学校というその形において法的に代表する機関において特定の教育をやつてはならぬということを法律は規定しておる。あなたのように学校の中でそれをやつてはならぬという解釈は従来なかつたし、この法律からは出て来ないと思う。いつそういうふうに解釈をかえられたのか、これを承りたい。
  141. 緒方信一

    ○緒方政府委員 ただいま私が申し上げましたのは、八条二項の内容が偏向教育をやつてはいかぬということを規定しているかどうかという点に重点を置いてお話になりましたので、その点に私は重点を置いてお答えいたしたのであります。学校はということは、学校教育活動として偏向教育をしてはいけない、こういうことでございます。
  142. 辻原弘市

    辻原委員 これはあいまいです。学校はというのと学校教育はというのは違う。学校はというのは——これはこの法律が規定された当時の速記録、あるいはなぜこの法律がこう規定されたかといういろいろな理由があるのです。しかしそれは申し上げませんけれども、少くとも従来までのあれにおいては、学校ということは先ほど私が申したような公的な意味において対外的に対抗する一つのものとして解釈されておるのです。学校の中の教育がこうだという解釈は私はなかつたと思う。このことについてはさらに逐条の場合において明確にして行きたいと思います。  以上をもつて質問を打切ります。
  143. 相川勝六

    ○相川委員長代理 松平忠久君。
  144. 松平忠久

    ○松平委員 昨日の質問が今日なお残つておりますので、そのあとの部分について大臣にお伺いしたいと思うのであります。  今度の二法案の持つ内容は、大体この法案自体のあいまい性ということと、それからこれに刑罰規定をもつて臨んでおる、こういうことのためにこの法案を適用された場合におけるいろいろな行き過ぎが出て来やしないかという心配が各方面にあるわけであります。なおまたこの行き過ぎということは、ただいま申しました法案自体のあいまい性、もう一つは刑罰規定をもつて臨む、その濫用といいますか、行き過ぎが起りはしないかという懸念、もり一つの理由としては、現在の大達文部大臣考え方というか、あるいは文部省の一部の者の考え方というか、そういう文部行政をあずかる人たちの考え方が、やや半封建性を脱却し切れないで、まだ残つておるのではないかということを世間が心配しておる。そのために今のこの法律を適用した場合において、思わざるいろいろな場面が出て来るのではないかというのが、今日一般の言論界あるいは文化界の人たちの抱いておる懸念なのであります。そこでそのことについて私はまず第一にお伺いしたいと思うのですが、御承知のように日本の教育は、明治時代の教育というものを徹底的に新しいものにかえてしまつた。やり方もかえたし、その教育目的というものも、明治時代とはかわつて来ておるのであります。ところがそのかわつたことについて、大臣は十分なる認識を持つておるかどうか疑わしい点があるのではないか、こういうふうに世間では見ておる。私自身もそういう点を非常に懸念いたしておるのであります。それはなぜかと申しますと、この前の十六特別国会でも大分問題になりましたが、例の教育勅語の問題であります。道義を高揚するという教育をして行かなければならぬということの議論があつたときにおきまして、教育勅語の中の徳目——大臣考えは、徳目はそのまま適用できないけれども、その教育勅語の中に流れておる精神というか、その流れというものは現在適用して間違いないのだ、たとえば「皇運ヲ扶翼スヘシ。」ということは、国運を扶翼すべしというふうにかえればよいのだ、そういうふうに読みかえればよいのだ、こういうふうなことをこの委員会において答弁なさつたわけであります。ところがこの大臣答弁は、当時非常に教育界に波乱を巻き起しておる。大臣は、そういつた考え方教育勅語を見ておるというならば、やはり昔の古い教育を頭の中に描いておつて、そうしてその態度をもつて今後の文部行政をやつて行くという心配がある。そこへ持つて来てこういう法案が出て来た。これはつまり反動だ。こういうふうに世間は思つておるのであります。従いまして、私がお伺いしたいのは、この十六特別国会において大臣が言われた、教育勅語の中に流れておる流れというものを、現在の教育に適用して何らさしつかえない、「皇運ヲ扶翼スヘシ。」ということは国運を扶翼すべしと読みかえればよいのだ、こういう態度をもつて、この日本の教育を預かつておる、指導の立場にある文教の長として臨まれておるかどうかということについてお伺いしたいと思います。
  145. 大達茂雄

    大達国務大臣 いろいろ私の思想について御心配でございますが、そう心配されることはないと思います。教育勅語につきましては、第十一特別国会ですか、長時間にわたつていろいろお尋ねをいただいたのでありますが、私はその当時申し上げたように、教育勅語が今の戦後の日本の社会にそのままあの形において適用されるというものではない。これは昔の立憲君主制のそういう環境のもとに、それを背景とし、基礎として言われた言葉でありますから、その中に使われている言葉づかいというものは今の時世に合わないという点は申し上げたはずであります。それから教育勅語が、戦争前において、日本の学校教育における少くとも道徳教育の基本となつていた。これも今日ではその地位を失墜しておつて、そのまたかわりになるようなものをどこからか天くだりしてさし示す、こういうことも私は不賛成である、こういうことを言つたのであります。ただ教育勅語そのものについてお前はどう思うかと言われるから、それまで教育勅語精神というものは今日これをいけないものとして非難されるべきものではない。こういうことを言つたのであります。これがどういうわけで反動的であり、封建的であるか、お示しを願いたい。
  146. 松平忠久

    ○松平委員 大臣は今教育勅語精神は、これは尊重すべきである、こういう御発言があつたのであります。そうしてこの前の十六特別国会においては「皇運ヲ扶翼スヘシ。」を国運に読みかえる、こういう例を引いて、この精神は尊重するということを述べたわけでありますけれども教育勅語精神というものは上下の関係を主としている。つまり国民の教育は国家に奉仕させるということを眼目とした教育であつて、今日の教育のように個性を伸ばし、真理を追求して行くことを眼目としていないものである。つまり何と申しますか、国に対する犠牲的精神といつたものを強く出して来ているのが明治時代の教育であります。私はそういうふうに考えているのですが、大臣はどういうふうにお考えになつているか。
  147. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は繰返して申し上げるように、教育勅語を今日学校教育の基本として取上げる、こういうことを申しておるのではないのであります。ただ教育勅語精神がこれはいけないものとして排撃せられるべきものであるかどうかということについては、私はそうは思わない。こういうことを言つておるのです。たとえば今あなたが言われるように、ただ上下の服従関係だけを規定しておるものでないことは、教育勅語をごらんになればすぐわかることなんです。「徳器ヲ成就シ、」ということは人格を完成するということであります。「学ヲ修メ業ヲ習ヒ、」ということは、真理を追求し、勤労を尊ぶということであります。「智能ヲ啓発シ、徳器ヲ成就シ、」これは個人としての完成をうたつてあるのであります。どうしてこれが上下の隷属関係、いわゆるあなた方の言葉で言えば、奴隷道徳だけを宣揚しておる、こういうふうにおつしやるのか私にはわからないのです。     〔相川委員長代理退席、委員長着席〕
  148. 松平忠久

    ○松平委員 教育勅語の中の徳目については、私どもも現在の教育の新しい制度の上においてこれは認めるべきものがあるという考えは持つております。しかしながら教育勅語全般にわたるところの精神というものはそういうものではない。忠君愛国の思想をうたつたものであると理解しておるのですが、その理解が違うのですか。
  149. 大達茂雄

    大達国務大臣 毎々申し上げるように、これは日本の国体、政体が違つておる。それを基礎とし、それを背景として出されたものであります。従つて今日の社会においてそのまま適合し得ない部分があるということは、これは前から申し上げてある。
  150. 松平忠久

    ○松平委員 但しこの中を流れておるところの精神というものは現在に適用してもいいんだというふうに大臣はおつしやつたわけですが、その点はどうですか。
  151. 大達茂雄

  152. 松平忠久

    ○松平委員 その点が私と見解が違うところでありますけれども、これ以上ただしたところで、そういうふうな考えを持つておるとすれば、これはやむを得ません。  そこで今日懸念されておる一つの例を申し上げたいと思うのでありますけれども、時間が大してありませんので、簡単に結論だけお聞きしたいと思うのであります。日本人の何と申しましようか、欠陥と申しますか、そういうものがある。長所もあり、短所もある。この長所を伸ばし短所をためて行くというところに教育一つの使命があると思うのでありますけれども、われわれが自覚しておる日本人の欠陥のほかに、多くの客観的な欠陥というものを持つておる。そのうちの一つに、これは実は外国の教育を受けて来たので私も身をもつて感じておるわけでありますけれども、日本人に対する世界各国の一致したところの批評があるのであります。それはどういう批評かというと、一人の日本人は沈黙なり、ワン・ジャパニーズ・イズ・サイレント、これが日本人に対する世界の共通の批評であります。この日本人は沈黙なりということはどういうことを意味しているかというと、言うべきことを言わない、外国に対しても言うべきことを言わない、こういう意味にとられるのであります。つまり是は是とし、権利は権利として主張するというところに従来日本人が欠けておつた。それは明治時代の教育一つの欠陥がこれにあるのではないかというふうに私は思うのであります。新しい教育のもとにおいてはその欠陥を直して、真理を探求してあくまで主張すべきものは主張する、正義を愛して正義を主張するという新しい制度になつておる。口をつぐんで長いものに巻かれろというような性格の日本人をつくるべきでないということは、この新しい日本の教育制度一つの眼目であろうと思うのです。  さてここで問題になりますのは、この政治的中立の確保に関する法律案の中におきまして、警察権の干渉がどの程度あるか、つまり教育委員会なり学校長なり、この法案の中にあります機関の請求によつて罪を論ずるということがあります。文部省考え方によりますと、請求によつて罪を論ずるということであるから、警察官は干渉をみだりにしないのだ、こういうお示しがあるのでありますけれども、この点について請求を待つてすべてのそういうこと、つまり罪を論ずるに必要なる事前の手続が、すべてこの教育委員会なりあるいは付属学校においては大学校長なりの請求によつてなされるものであるかどうか、この点についてお伺いいたします。
  153. 大達茂雄

    大達国務大臣 これは厳密に申し上げれば、請求を待たなくとも警察がその権限によつて犯罪の捜査をするということは、理論上はあり得ると思います。請求のない限り一切手がけてはならぬというものではないと思います。しかし実際問題としては請求を待つて罪を論ずるのでありますから、警察官がやたらに——これは学校に普通来るというものではない。教唆扇動ということが犯罪行為でありますから、その教唆扇動というものがあつたかなかつたかは、請求を待つて初めて捜査の手あるいは取調べの手が開始せられる。実際上はこの請求を待つてという規定があるために、みだりに学園の静謐を脅かすことはないと考えておるのであります。
  154. 松平忠久

    ○松平委員 今の大臣答弁によると、理論上はあるけれど実際上はないということがあります。理論上ではなくて、法律上あり得ることであろうと思います。現に刑事訴訟法の規定によつて当然あり得ることだ。これは法律によつてそういう権限が与えられておるのであります。当然自己の立場において捜査をし、逮捕をすることもあり得るわけであります。また同時に教唆扇動した者をやるわけであるから、みだりに学園へ入つてやるのじやない、こういう話ですけれども、教唆扇動をされたかどうか、教唆扇動をされたところの事項内容学校を通じて生徒に教えたかどうかということは、学校を調べなければわからない場合が多いと思うのです。その点はどうですか。
  155. 大達茂雄

    大達国務大臣 そういう場合もありましよう。
  156. 松平忠久

    ○松平委員 従つてそこに非常に懸念を感じておるというふうに世間はとつておるのであります。言いかえれば、この判断を警察官がする場合が多いということになるわけであります。その点はどうでしようか。
  157. 大達茂雄

    大達国務大臣 重ねて申し上げるように請求を待つて罪を論ずるのでありますから、そうやたらと警察が入つて来るということはないと思います。
  158. 松平忠久

    ○松平委員 請求を待つて罪を論ずる。この罪を論ずるということは、起訴、不起訴ということを意味すると大臣は思いますか。
  159. 大達茂雄

    大達国務大臣 請求を待つて捜査、起訴、判決という手段が行われる、こういうことであります。逆にいえば、請求がなければ起訴したりあるいは裁判をしたりすることはないということであります。
  160. 松平忠久

    ○松平委員 そうしますと起訴、不起訴については請求を待つて論ずるけれども、起訴、不起訴に至る前の事前の手続は請求を待つてするのではない。捜査したりまたは逮捕する、あるいは拘置するということは起訴、不起訴の前に行われる手続でありますけれども、それは請求を待たずしてできる、こう解釈していいわけですね。
  161. 大達茂雄

    大達国務大臣 請求がなければ起訴ができないのでありますから、起訴ができないものをそうやたらと警察がものずきに調べるということは、まず普通の場合にはないだろう。あなたはポシブルの場合とプロバブルの場合と混同しておられる。そういうことがまれにあり得ても、それを非常に大げさに言つて、いかにものべつに警察が出て来るというようなことを言いふらかしておる者があるのであります。
  162. 松平忠久

    ○松平委員 少くともそれはポシブルである、こういうことは大臣もお認めになると思います。従つてその点は、実際問題としてそういうことが起り得るということについてははつきりしたわけであります。  その次にお伺いしたいのは公務員の特例法についてであります。昨日この点をお伺いしたいと思つたのですが、時間が切れてだめになつたのであります。実はこの中でずつとお伺いしたいけれども、時間の関係でただ必要なというか、思いついたところだけお伺いしたいと思うのであります。  今日こういう事例が間々起つております。教育委員会等で予算を立てた場合に、予算外の支出というものが非常にかさまつて来ることがあるのであります。一例と申しますと、旅費その他の点におきまして教育委員会について非常に予算がかさまつて来る。そのかさまつて来る一つの理由は、これは私はこの前もこの委員会か何かで申しましたけれども、今日の教育委員会における職務というものが教育委員会によく理解されておらないという点がありまして、そのために教育長のやるような仕事を教育委員会がかわつてやるということが非常に多いような傾向のあるところもあるわけであります。従つてそういうところにおいては予算外支出が非常に出て来る、こういうことであつて、そこにまた若干不正の事実も現われて来たというような事例があるのであります。そういう不正の事実が現われて来たという場合におきまして、事務監査を要求するということが当然学校から出て来るわけであります。そうした事務監査は地方自治法の七十五条に事務監査を請求することができる、その署名をすることができるという規定があるわけでありますけれども、この人事院規則によりますと——きのうも多賀谷君がちよつと触れたわけでありますが、私その点非常に心配しておるのは、この政治目的として第七号に「地方自治法に基く地方公共団体の条例の制定若しくは改廃又は事務監査の請求に関する署名を成立させ又は成立させないこと。」となつています。ところがこういう政治目的を持つたところの政治行為をした場合において、そのやり方はかりに組合あるいは学校の教員でもさしつかえないが、だれかがそれに署名させようという運動を起して、それには会費がいる、寄付金もいるというので、その金を集めるので、事務監査の請求をするというような場合があり得る。こういう場合には三年以下の懲役、十万円以下の罰金に処せられることになると思う。それは地方自治法によつて教員に与えられた一般住民に与えられたる当然の権利であります。そういう権利を何ゆえに一体剥奪するのか、これは地方自治法に違反するのですが、あなた方は違反すると思わないか。
  163. 緒方信一

    ○緒方政府委員 ただいまお述べになりましたような行為につきましては、場合によつては人事院規則に違反する場合があると思います。ただいま自治法に違反するけれども、それに対してどう考えるかというお話でございますが、現在、人事院規則におきまして、国立学校の先生あるいはそのほかの国家公務員もこの通りになつております。従いまして自治法に違反するからどうだということは、国立学校の教師だけについて起ることではございません。
  164. 松平忠久

    ○松平委員 それは、現在の人事院規則というものは、国家公務員に適用している規則なのです。従つて国家公務員が、地方の公共団体の事務監査を要求するなどということはありません。地方の事務監査を要求するのは、それ相当の利害関係があつて要求するのである。従つて教育委員会においてさような不正なことがあれば、これは地方自治法に基く当然の権利として、その権利を行使しようとして署名運動あるいは寄付金、費用を集めるという場合において、それができないというのは一体どういうわけなのだ、そんなばかな法律はどこにあるか。権利を与えておいて……。
  165. 緒方信一

    ○緒方政府委員 事務監査の直接請求でございますが、これは地方公共団体の住民一般に与えられておる権利であります。従いましてその中には国立学校の先生もありますし、その住民の中には、国家公務員もあるわけであります。それが現にこの制限を受けておるわけであります。そういう関係になつております。
  166. 松平忠久

    ○松平委員 それらの国家公務員の人たちは、地方住民の一部の構成員としておりますけれども、現にそういう例があるから私は申し上げておりますが、そういう教育委員会の内部における不正行為等の場合に、その場合の事務監査の要求をするのは、そういう利害関係が国家公務員は稀薄なのであります。むしろ最も事務監査を要求したいのは小学校なり中学校のそこにおる地域社会の最も利害関係のある人たちが事務監査を要求したいのである。そういう要求をする権利を地方自治法で認めておきながら、今度の法律で最も必要であるところのそういう事務監査を法律で禁止をしておる。しかもこれをやつた場合には、三年以下の懲役に処せられ、十万円以下の罰金に処せられる、そういう違法行為を何ゆえにこの法律で規定しておるのか、こういうことは法治国の日本としてあり得べきことか、まつたくもつて気違いのさたじやないか、どういうわけなのです。
  167. 緒方信一

    ○緒方政府委員 公立学校教育公務員が、その団体の住民であります場合に、直接請求をいたしますことは、教員としての権利であるわけじやないのでございまして、これは住民として行つて行く関係なつ参ります。その点御了承願います。その関係は、地方公共団体に住居を置く住民としての国家公務員あるいは国立学校教育公務員と何ら異なるところはないと思います。
  168. 松平忠久

    ○松平委員 まことに珍妙な答弁をなされたわけでありますけれども、もう一度申します。これは住民ににえられておる権利である。なるほど教育公務員、これも住民の一人でありましよう。一人であります。しかしながらその住民の中で、最も利害関係の深い住民なのであります。一般の利害の薄いものには権利を認めておつて、最も利害関係の深いものに認めない、一体これはどういうわけだ、教育に一番関係のある教育公務員が、教育委員会に事務監査を要求するということは当然なんだ、当然の権利としてここに認められておる、それをいかぬというふうにしてしまうというのは、どういうわけなんだかわからない。
  169. 緒方信一

    ○緒方政府委員 最も関係の深いものにこれを認めないで、関係の薄いものに認めるとおつしやいましたが、認めておりません。(「一般住民には認めているじやないか」と呼ぶ者あり)一般住民には密接な関係はございます。その公共団体の事務監査につきまして請求いたしますことは、一般住民の権利でございますけれども、公務員に対してはその制限がある、かように思います。
  170. 松平忠久

    ○松平委員 事例を申し上げます。教育委員会委員なり職員なりが、旅費の二重取りをしておるということがある、その旅費の二重取りのために、学校の経費として来るところの教育旅費が少いということが心配になつた。そこで事務監査を要求する。これが最も関係の深い教員からでなくて、住民から出る場合もあるかもしれぬが、最も関係の深い学校教職員からそれを出したら、それは三年以下の懲役、十万円以下の罰金になるなどという、そういうばかげた法律が一体どこにあるか。
  171. 緒方信一

    ○緒方政府委員 そういう請求をいたします場合は、住民としていたすわけであります。住民として権利があるわけであります。しかし公務員としては、その制限を付されておるというわけであります。
  172. 松平忠久

    ○松平委員 しからば住民として、そういうことができるのか、住民としてはできるが、教育公務員としてはできない、こういうわけですか。
  173. 緒方信一

    ○緒方政府委員 自治法に定められております直接監査をやり得るということは、一般住民の立場において与えられておるのであります。しかしながら公務員につきましては、政治的行為の制限の建前から、国立学校の教師につきましても現在これは禁止されております。ほかの国家公務員につきましても同様であります。このたびこの法律が成立いたしました場合には、公立学校の先生につきましても、制限を受けると思います。
  174. 松平忠久

    ○松平委員 国家公務員に禁止されておるのは当然でしよう。これは当然ですよ。人事院規則によつても禁止されておるし、またその禁止されておることはある程度了解できる、しかしながら地方の公務員として最も教育関係の深いところのものに、事務監査の請求を禁止しておるということの理論的根拠は一体どこにあるのです。
  175. 緒方信一

    ○緒方政府委員 繰返して申し上げますが、この規定を見ましても、「選挙権を有する者は、政令の定めるところにより、」云々、「監査の請求をすることができる。」とございます。従いまして住民として選挙権を持つておるものの立場において権限を持つておるわけでございまして、教員であるから特別の扱いをしなければならぬという関係は出て参りません。この制限は公立学校の教師も国立学校の教師も、政治的活動の制限については、同様に扱うという今度の改正法の趣旨でございますから、それから申しますと、国立学校の教師と同様の制限を受ける、こういう趣旨でございます。
  176. 松平忠久

    ○松平委員 あなたの解釈はよくわからなかつたけれども、そうすると選挙権を持つておる者に与えられたところの権利である、こういうふうに今言われたわけだけれども、教職員も選挙権は持つておるわけであります。持つておるけれども、教職員にはその権利を剥奪すると、こういうわけですか。
  177. 緒方信一

    ○緒方政府委員 一般の住民として選挙権を持つている者がこの請求権を持つわけでございますが、しかしそういうふうな政治的行為、政治的活動に国家公務員が巻き込まれること、あるいは公立学校の地方公務員が巻き込まれることを制限するというのがこの法の趣旨でございますので、その趣旨から申しまして、公立学校教育公務員につきましても制限をする、かような改正法の趣旨なのであります。     〔「だからわからない」「どういうわけでそうなるのか」と呼び、その他発言する者多し〕
  178. 辻寛一

    辻委員長 ちよつとお静かに願います。
  179. 大達茂雄

    大達国務大臣 そういう場合に、国家公務員と地方公務員とをなぜ区別をしなければならぬのですか。同じことじやありませんか。
  180. 松平忠久

    ○松平委員 地方の住民は教育委員会のもとにいろいろな教育活動をしているわけであります。そこで地域において、たとえば教育の場合に、不正等のあつた場合の事務監査をしてもらいたいという希望は、その地域における住民にもむろんありましようけれども教育活動に従事しておる人の方が切実なる利害関係、切実なる要望を持つているわけであります。その要望がある者に対して、それをやつた場合において罰則を科するということは、私は何としても承服できない。これは地方自治法において与えれておる権利であつて、しかもその与えられておる権利は住民にありますけれども、住民の中でも最も関係の深い人であります。この場合においては、私の言う場合においては、教職員から権利を剥奪するという、その反動性というか、その考え方が私は実に不可解きわまると思う。
  181. 大達茂雄

    大達国務大臣 それは教員が特に利害関係が深いから与えられた権利ではない。地方公務員として、住民として与えられておるものであります。事務監査をするとか、あるいはリコールをするとか、そういうことは一種の当該公の機関に対する一種の不信任を意味するものであります。そういう類の政治目的をもつて、ちようど投票を集めると同じように立ち入つた政治活動をする、こういうことは教職員の立場から遠慮すべきである、こういう趣旨であります。国家公務員たるの教員の場合でも、それぞれの地区の住民であり、公民でありますから、その点は同じことであります。それが公立学校の先生か教育委員会の事務監査について特殊の利害関係があるから、それだからこの場合別だ、こういうふうにおつしやるのでありましようが、しかし一般住民としてもそれはその地域の租税によつてまかなわれておる、こういうことになりますから、その点についてどこが特に利害関係が深いとか、浅いとか、そういう建前でできた規則ではないのであります。これは住民の立場、地方公務員の立場に対してそういう権利が与えられておる。教員だから権利を与えられたのではない。教員なるがゆえに特別だと、こう主張される方がおかしいと思います。
  182. 松平忠久

    ○松平委員 その点はなはだ承服しがたい議論だと思います。なるほど住民として与えられておる権利であることは間違いがない。しかしながらこの地域の教員は租税も払つておる。その租税によつてまかなわれておるところの月給なり、旅費なり、その他のものを受取つておる。この点については住民よりも教員の方が深い関係を持つておるわけであります。その深い関係を持つておる者の権利を剥奪して、一般の人の権利を残しておくというのは不可解である。一つの政治的目的というけれども、この場合においては不正な行為があつて、事務監査を要求するということなのであります。そういう行為に対して一体その権利を剥奪するという理論上の根拠というものはどういうところから出て来ておるのか。
  183. 大達茂雄

    大達国務大臣 ただいま申し上げましたように、さような場合には、署名するとか、そういうことはさしつかえない。そういう行為、政治的な、何というか、署名というものを成立させるために署名運動を企画するとか、主宰するとか、あるいは指導するとか、積極的に参与するとか、そういう指導的立場をとることをとめてあるだけであります。これは教員の立場からそういう政治運動に深入りさせない。これは一般に通ずる議論であります。
  184. 松平忠久

    ○松平委員 私の言うのは、最も利益が深いからその発議が教員から出て来る場合が多いのであります。そういう不正がある、自分の旅費が削られて、向うにまわつたということを最も早く知るのは教員なのであります。まずもつて教員からおかしいというので、これはひとつ事務監査を要求しよ、こういうことが出て来るのは当然であつて、住民の中で最も早くこれは教員のやるべき性質のものではないか。こういうふうに思うわけでありますけれども、その場合において、これをたとえば企画する人は他の人でよいが、積極的に参加するということは当然あり得ると思います。この点は、しかも参加してPTAとか、学校内の先生方に働きかけて署名してもらうということは当然あり得る。権利として認めてよいのじやないか、地方自治法が認めておる通り、そのまま解釈してよいわけでありますが、そういう権利も剥奪するというのですか。
  185. 大達茂雄

    大達国務大臣 認めていいと言われるのはあなたの御意見でありますから、これは御意見として拝承するよりほかはない。ただいま申し上げましたような立ち入つた政治活動を禁止するというのがこの法律案趣旨であります。
  186. 松平忠久

    ○松平委員 別に立ち入つたわけではないと思います。当然住民に与えられた一般権利である。特にどの政党を支持するということもない、当然不正があつた場合に、おかしいからといつて事務監査を要求する、自分たちに最も利害関係が深いのであるから、要求するということは、これは常識として当然の権利で、地方自治法が認めておる。それを剥奪するという理論的根拠というものがどこにあるのかわからない。いかにあなたが言われても承服できません。
  187. 大達茂雄

    大達国務大臣 おわかりにならなければそれまでです。
  188. 松平忠久

    ○松平委員 私は淺井総裁に答弁を要求します。これで打切ります。あまりばかにしてやがる。
  189. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 今回二つの教育に関する法案が出されましたが、この法案は一言で言いますと、教育基本法の八条の教育の中立性を守る、こういう趣旨がおそらく政府側のこの法案に対するお気持だろうと思うのであります。私は最初にお尋ねいたしたいことは、この吉田内閣がよく占領政策の是正と、こういう言葉言つておられるのでありますが、今度の二つの法案は、やはり占領政策の是正という吉田内閣のこの考え方に関する一貫した法律案でありますかどうか。
  190. 大達茂雄

    大達国務大臣 これは占領政策の是正という考え方ではありません。むしろ戦争後にできた基本法八条二項の趣旨を確保したいという意味であります。
  191. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 占領政策の是正という看板にはこれは関係ないとおつしやつたのでありますが、実を申しますとこの二つの法律案は、私の考えでは、こんなむちやな法律案はない。かように断定し得るのであります。私はこういう法律案が出ます事柄自体に対して非常な疑問を持つと同時に、政党人が文部大臣になられて、純教育的な観点の上に立つて、自分は政党人だという立場と相反する点が起ることはないかどうか、こういうふうな質問を前の岡野文部大臣にも私はいたしたのであります。あなたにもいたしたことがあります。岡野文部大臣のごときは、これは議会の答弁ではございませんが、大臣就任早々、自分は一国の文教をあずかる文部大臣ではあるが、その前に政党人であるということは厳然とした事実だということを言われたのであります。これはまことにごもつともだろうと思うのであります。私はその質問をいたした疑問が割切れずに今日まで参つたのでありますが、この二つの法律案を見ますと、いささかその疑問が了解できるような気がいたしますのと、もう一つは、今回の法律案の持つております内容において、非常に恐るべき事柄が数々ひそんでおる。そうしてみるとやはりこの法律案自体というものには、私ばかりではない、おそらく国民が非常な疑いの眼をもつておるのではないか。大臣はただいま占領政策の是正の気持ではないのだ、単なる教育基本法第八条第二項を守るだけなんだとおつしやいますが、この点は非常に私たち疑わなければならない。この二つの法律案をお出しになつた気持そのものを疑わなければならない。と申しますのは、天野文部大臣がやめられまして、政党人としての大臣がなられてから、すなわち昭和二十六年ごろから、日本の文教行政というものは、いわゆる吉田好みな教育が、吉田好みの方向へ持つてつて、あたかもあめ玉のごとく右にねじられ左にねじられる、こういうふうな傾向が多分にあるのでございます。このたびの法律案自体も、これが純法律的な観点から見ましても、あるいはまた戦後の地方分権という大きな教育改革の点から見ましても、いろいろの矛盾があるのでございますが、提案者である文部大臣自身はその矛盾にはお気づきでないと私は思いますが、これは万全なるものである、いささかも日本の教育を阻害するものではないのだと思われますか。あらためてお尋ねいたしまするが、あなたは純教育者の立場をお持ちになる自信がありましようか。ありませんか。
  192. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は当面の国情からぜひ必要な法律として提案をいたしたのであります。
  193. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 私がお尋ねしているのは必要の問題ではございません。純教育的にこの法律案を見た場合に、この二つの法律で本当に日本の教育を今後守つて行くという確信があるかどうかということであります。
  194. 大達茂雄

    大達国務大臣 この法律案に対して教育を破壊するものなりと称して、いわゆる教育防衛大会というようなものが行われております。私は何がゆえにこの法律が日本の教育を破壊するものであるかということを了解するに苦しむのであります。
  195. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 これは主観の相違ということでありますから、しかたございませんが、私は実は疑うのであります。現在の教育目標というものは何か。戦後教育委員会という新しい制度ができたのは、どういう意味か。同時に戦後から今月まで、三万五千になんなんとする日本の義務教育学校に向つて、指導要領なりその他が出されて、今日のいわゆる新教育が実践をされて来た。私今ここに文部省の事務官僚の方がたくさんおられますので、一々聞いてみたいのですが、あなた方はこの法律案をもつて万全なものとして、ほんとうに教育者的な良心でもつてこの法律案を出されたのか、率直な意見を実は聞いてみたいような気がしてならないのでありますが、しかたがございませんので、それでは私は一番大切な問題に入りたいと思います。  先ほど辻原委員もついておりましたが、どうも私はこの二つの法律案の基本となるところの教育基本法の第八条に対する文部大臣並びに文部当局の御解釈というものが、非常な誤りをおかしておるのではないか。とんでもない見当違いをこの八条に対してなさつておられるのではないか、こういう気がするのであります。私はあらためて文部大臣にこの教育基本法の第八条の意味のお考え方というものを簡単に承りたいと思うのであります。
  196. 大達茂雄

    大達国務大臣 基本法の第八条の二項の規定は、これは読んで字のごとく、特定政党を支持し、また反対するための政治教育をしてはならない、こういうことであります。
  197. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 教育基本法第八条二項を申されたのでありますが、この教育基本法の第八条というものは、第二項が単独であるべきものではなく、第一項との連関性においてあるべきものだと思うのであります。この第一項、第二項を通じての基本法第八条が持つておる根本的な性格をひとつ承りたいと思うのであります。
  198. 大達茂雄

    大達国務大臣 お話の通り一項と二項とは表裏をなすものであると思します。一項は、良識ある公民たるに必要なる政治的教養は、これを教育の上において尊重しなければならない、こういうことであります。これを言葉をかえて言えば、学童が成長して社会に立つた場合に、公民として良識をもつて各種の政治の問題、思想の問題、その他の問題等を批判し判断する、そういう良識を与える。そういう意味における政治的教養を高めるということが非常に大切である。これが第一項の意味であろうと思います。その場合にいわゆる良識ある公民たるに必要な判断力あるいは批判力というようなものを曲げて、一方的な考え方、一方的な政治的主張、そういうものをもつて子供に与える。これでは良識ある公民たるに必要な判断力、批判力というものは欠如せざるを得ないのであります。従つてさような片寄つた教育を与えるということは、その子供が大きくなつた場合に、その子供の思想あるいは政治的な立場というものを方向づけるということになるのであつて、良識ある公民たることを阻止することになる。であるからして、政治的教養は十分尊重せられると同時に、それをこわすようなことをしたらいかぬ、これが第二項の趣旨であろうと思います。第一項、第二項が相まつて、日本の教育における政治教育というもののあり方を示しておるものである、かように考えます。
  199. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 この教育基本法の第八条が、学校の教員の政治的な自由を保障をしておる条項だとはお考えになりませんか。
  200. 大達茂雄

    大達国務大臣 これは教員の問題ではありません。八条の二項に書いてあるように、これは教育の問題であります。教員という人のことに何も触れた問題ではありません。
  201. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 いよいよもつて大臣は、第八条第二項の真意について非常にとんでもない解釈をされている。なぜかと申しますと、この八条の性格というものは、学校を、教育という立場において不当な政治的な支配から守つておる。同時にこの教育基本法の八条の一、二項を通じての根本的な性格というものは、学校を不当な教育から守ると同時に、そこに働くところの教員あるいは学生の政治的自由というものを逆に補償をしておる。それがこの教育基本法の八条の根本の精神でなければならぬのであります。言いかえますならば、憲法で保障されておる自由——教員であつてももとより人間であることにかわりがございません。従つてこの教育基本法の八条は、政治的自由を与えられておる教員に、公共の福祉に反しないという一つのわくを入れるがために、この第二項において「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」という義務を負わせておる。この一項はその裏づけとして、憲法十三条に保障されておるところの教員の政治的自由の保障をしておるところの条項なのであります。私はこの国会が始まつて、あなたの御答弁を聞いておりますと、全然教育基本法の八条がおわかりになつていない。ただ表面において、学校において一党一派に偏した教育をしてはならない、こう言われる。それはたての反面しか見ていらつしやらない。よろしゆうございますか。この八条に一貫した精神というものは、教員の政治的な自由を確保しているのです。もとよりこの基本法は、憲法から来ておることは申し上げるまでもございませんが、憲法十三条における公共の福祉を守るという一つの制限において、この第二項があるのでありまして、その裏づけはあくまで教員の政治的自由を認めておるのでございます。それでなければこの教育基本法八条の性格はほんとうに理解されたとは言えない。ところが今回出ましたこの法律案というものは、時間がないから要点だけを申し上げますが、あなたはたての反面の二項だけをごらんになつて、一足飛びに、全国六十万に近い教員の政治的な自由に対して、いわゆる三年以下、十万円以下、その他の刑罰規定をもつて規律していらつしやる。これでは教育のほんとうの自由、戦後における新しい民主教育、こういうものはできないのであります。こういう点について、もう一度あなたの御見解を聞きたいのであります。
  202. 大達茂雄

    大達国務大臣 教育というものは、これを担当する教員がその良識に訴えて自分がよいと信ずる教育を行う、これは当然のことであります。その限りにおいては、教育は、その担当する先生の自由な良識により、その判断に基いて行わるべきものである、但しその場合において二項に規定してあるような片寄つた教育をしてはならない、こう書いてあるのであります。八条の二項は、教育はあくまでも、かくなくてはならないということを規定しておるものでありまして、教員自身の政治的自由をそれで確保するという筋合いのものではない。これは何も基本法でそんなことをいわなくとも、一般に教員であろうと何であろうと、憲法によつてその基本的人権というものが保障されておるわけで、何も憲法の規定に加えて、わざわざそこへ持つて来て教員の政治的自由を保障するということはあり得ないのであります。これはあくまでも教育に関する規定であつて、教員に関する規定じやありません。
  203. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 ますますもつて奇怪なお話です。あなたのお考えは、この教育基本法の八条と、教員の政治的自由を守るということとチヤンポンにされておるのです。ここに根本的の誤りがある。教員という人間の政治的な自由というものは、憲法で確保されております。しかも今日の日本の社会常識ら見て、日本には、社会主義か資本主義かあるいは共産主義か、こういうものしかないのであります。従つて教員という人間においては、政治的な中立とかいうものはないのでございます。しかしながら教育の中立性というものは厳然とあるのであります。わかりますか。つまりこの教育基本法の八条の第一項において、「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。」これはすなわち中で働く教員のことじやございません。これは学校なんです。いわゆる教育の場というものは、あくまで政治的に中立でなければならない。そこで働く人間である教員というものは、第二項において初めて、公共の福祉に反しないという建前からそこにわくをはめて、特定の教育をしてはならないとしてある。教員自身は人間なんでありますから、学校の先生が政治的に中立でなければならないという考え方と、教育が中立でなければならないというものの考え方とを混同しますと、あなたのような答弁が出て来るのです。また同時に、この教育基本法の八条の一項、二項との関連性がおわかりにならないのであります。これは非常に大切な点なのであります。でありますから教員というものは、政治的に自由である。この自由とは、共産主義者であろうと、あるいは資本主義者であろうと、そんなことはもうごかつてなのであります。そこで第二項において、憲法においてはいわゆる思想の自由その他を認めておるから、そのかわりに公共の福祉に反してはいけない、お前は教員という身分だから、学校という特定の場において特定の政党を支持したり反対をするような教育は本人の良識によつてつてはならないぞということを二項で義務づけておる。その裏づけとして一項の方は反対に教員の自由は保障しておるのであります。政治的自由を保障しておるのであります。この点が混同されておる。だから今度の法律案のよつて来る根本を皆さんは全然誤つた解釈をされておる。
  204. 大達茂雄

    大達国務大臣 あなたは今御発言中、初めの辺はこれは教育に関する規定だということをお認めになつたようであります。その限りにおいては私の説明をおいれになつたように見えました。その前提に立つて先ほどからあなたのおつしやつたことは、大体私が先ほど申し上げたことと同じことであります。ただしまいごろになつて、またこれが教員の政治的自由を保障しておる……。(山崎(始)委員「そうなんです」と呼ぶ)それならば、そこで保障しなくても、一般に人間の政治的自由というものは憲法において保障されておるのです。これはごらんになればわかるように教員とは書いてない。教育をしてはならぬとか、教育は尊重されなければならぬとか、こういうことをいつておる。何も教員の特定の個人に対する規定じやありません。それはよくごらんになればわかる。
  205. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 どうも教育政治的中立というものと教員の政治的中立というものも全然混同されております。これは教員とは書いてありませんよ。一項には教員とは書いてありませんが、その学校の場におけるところの教える人は、これは相関的な意味において教員になり学生になるのです。(「だからどうなる」と呼ぶ者あり)あなたの論法で行けば、学生が政治運動をやつてもいいのですか。学生とは書いてないじやないかと言われますよ。そんなことは書いてございません。もとより学生もいけません。(「どうもあやしくなつて来た」と呼ぶ者あり)あやしいのじやないですよ、あなた。教育基本法の八条に教員と書いてないからというて、教員の政治的自由を守つていないのだ、そんなことは憲法にあるのだから、ここにはいうてないのだというものの考え方が間違つているのです。教育基本法の八条は教員の政治的自由を守つているのです。
  206. 大達茂雄

    大達国務大臣 あなたは先ほどから教育の自由ということをおつしやつた。その意味において八条の二項は教育の自由というものを前提にして規定してある。ただその自由なあまりに、あるわくをはずれて、そうして片寄つた教育のところまで行くことがいけない。その片寄らない限りにおいて、教育は自由に教員の良識に従つて施さるべきものである、こういうことは私も同感であります。ただあなたは教育の自由と教員の政治的活動の自由、そういうことを一緒くたにおつしやるからどうも私もよくわからぬのですが、どうもあなたのお考えと私の考えはそんなに違つていないらしいです。
  207. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 半分合つているのです。二項の方の半分だけ合つている。あなたが言う一項は、あなたは字句の表面の解釈だけされているのです。この一項が教員の政治的自由を保障しているのです。保障している裏づけとして基本法の二項はわくをはめているのです。このことがおわかりにならなかつたら、今度の法律案の重大性がおわかりにならないのです。なぜということは、今度の法案はあなたは教育基本法の八条の二項の——もとより私たちといえども学校という場において片寄つた政治教育をする、一方的な政治教育ををすることには不賛成でございます。しかしながらこの法律の半面は、元来政治的に自由であるべき教員を縛つておるという、この教育基本法の一項に対する反対の現象が出ているところにあると私は申し上げておるのであります。この点は私はもう少し基本法の八条を十分お考えになつていただかなければならぬ。教育基本法の八条からこの法律が出ているとおつしやるのですから、まずこれのいかなるものかは、その持つている性格というものを十分お考えにならなければいけない。その次の教育基本法の十条に「教育は、不当な支配に服することなく云云」と書いてある。すなわち教育というものを不当な政治的な圧迫とか支配とかいうものから守らなければいけない。それが教育基本法の八条である。そうでございましよう。そのかわりには、今言うこの八条の一項は、あくまでも新しい教育というものは、自由な人間を教育するためにも、教える学校の先生が自由人でなければならない。いわゆる人間としての政治的な自由を持たずに、思うことも言えないようなことではいけないのだ、この戦後の新しい教育における学校の先生にはまず普通人以上の自由を与えなければいけないというのが、新しい憲法の趣旨でもあり、新しい教育基本法趣旨でもあり、同時に新しい教育趣旨でなければならないのであります。こういう点は戦後の新しい教育がいかにできたかということをお考えになつていらつしやれば、この教育基本法の八条の一項がどういう性格を持つているかがわかるはずだ。あなたのようにたての反面だけ見られて、二項だけ都合のいいようにごらんになつておられますが、一項との関連性、二項の持つている真意というものが全然没却されている。その没却されているのがこの罰則規定というものになつて現われて、二項を確保するにはお前たちでは信用ができないのだからというので、足に鎖をつけておくがごとき法律になつている。私が最初あなたに、今後の教育において純教育的に考えて行く確信がありますかありませんかと聞きましたのは、ここにあるのでございます。  次に、時間がありませんからさつそくお尋ねいたしますが、教育の中立性ということに対しまして、今度の法律案が非常に刑罰規定を伴つておりますのと考え合せまして、非常にあいまいな一つ言葉だと思うのでありますが、私は先日来大臣の御答弁その他自由党の方のお話を承つておりますると、今度の法律案が出ました一つのきつかけのごとき口ぶりとして、日教組は赤であるとか——赤であると申したと私は申し上げませんよ。あるかのごとき印象を非常に世間に与えていらつしやる。私の考えでは、日教組が全部赤であろうとなかろうと、私は一つも問題じやない。この法律案との関連性において私は問題じやないと思う。要点は末端における現場の日本の教育実態というものが、こういう法律案を出さねばならないような客観的な要素を持つておるかどうか。言いかえたならば、日教組の人が全部赤であつたところで、末端の教育実態というものは健全であるということであるならば、これは一つ関係がないのだ、かように実は思つておるのでありますが、この点に対しては大臣考えはどうでありますか。
  208. 大達茂雄

    大達国務大臣 同感であります。
  209. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 そうすると、今回出ましたこの二つの法律案の究極の筋道としては、あなたのお考えでは、日本の義務教育の現状は非常に片寄つた教育基本法の八条二項に反するおそれのあるものになつている、こういうお考えでありますか。
  210. 大達茂雄

    大達国務大臣 非常にとかいうのはこれは程度の問題でありますが、とにかく義務教育学校において片寄つた教育が行われておる面が相当にある、こういうふうに考えます。そうしてまたこれが、外部からの教唆、扇動ということによつて行われておるのではないか。少くともさような教育をするように教唆扇動をした事実があるやに見受けられる、こういう認識のもとにこの法律案を提案したのであります。
  211. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 私は、実は文部省がお出しになりましたこの二十四の事例資料は、教育の中立性という言葉が非常に抽象的であるだけに、今回の法律案を審議いたしまする上における政府のお考え方の結着点は、いわゆる中立性とは、中立性を侵害されておるおそれがかくかくのごとくあるのだから今度のこの法律案は必要なのだ、こういう筋道にならねばならぬと思うのでありますが、この二十四の事例、この中にはわれわれとすればいろいろな異論がございます。実地調査その他によつてみるとまことにずさんきわまるものでございまするが、かりにこの全部がまことに憂うべき現象であるといたしましても、私らの考え方では——三万五千からある学校の中で、ここに出ておりますのはわずか二十四件ではございますが、これを全部肯定するとしても、今度の二法案をお出しになるような客観性というものは私はごうも認めないのでございます。聞くところによりますと、文部大臣は、この二十四の事例というものは文部省が黙つてつてもこれだけのものが出たのだから、ほかには無数にあるだろう、こういうような意味のことを言われたということを聞くのでありますが、それは事実でございますか。
  212. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は無数にあるとは言わぬけれども、これはいわば労せずして集つた事例であります。でありますからして、さような事例が他にも相当あるのではないか、こういうふうに想像するといいますか、判断をしておるのであります。しこうしてその判断の基礎になるものは、日教組方針がさような教育をすべく指令を流しておる、この事実は確認し得る事実であります。従つてこの法律案を出す必要がある。今あなたは全国でかりに二十四に限つておるとすれば、そんなにしなくてもいいじやないかというお言葉でありましたが、私はそうは思わない。これは品物ではないのです。父兄にとつてはかけがえのない大切な子供なんです。その子供がみすみすそこなわれるという事実を眼前にして、それをうつちやつておいていいということは、あなたはそうお思いになるかもしれませんが、私はそうは思わないのであります。
  213. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 ただいまのうつちやつておいていいということはないということは私も同感でございます。そういう気持はありまするが、但し、全部がそうであつても、今度のような法律案が正当だという客観的な資料にはならないと私は思う。  時間がありませんから次の質問に移りますが、私が要求して、その裏づけとして出て来たこの二十四の事例、この中にはまことにずさんきわまるものがある。私は一々申し上げることはいたしませんが、ようもようもこんなものを今度の法律案の裏づけとして出されたものだ。私は現地へ行つてみましたが、山口県の安下庄の事件一つを見ましても、まことにずさんで、これでもつて国民の目をくらまそうとするようなことはなさらぬ方がむしろいいのじやないかと私は思うのです。一体安下庄の事件のごとき、あるいは高知県の事件のごとき、あるいは一関の事件のごとき、いろいろございましようが、私は身をもつて調査をした関係上、この安下庄の事件のごときはまつたくの事実無根——(「そんなことはない」と呼ぶ者あり)時間がありましたら私は一々申し上げるのでありますが、一体この安下庄の事件は、これは文部省の方が山口県の教育委員会へ言うておとりになつたのか、県の教育委員会の方から出て来たのか、どつちか知りませんが、私が証人調べに行つても、かんじんかなめの教育長は逃げまわつていて全然出て来ないのです。しかもこの事例たるや、野口安一という者がビラを張つたということですが、もしこの野口安一というものが気違いであつて文部省は御信用になるのですか。しかもこの野口安一という者に直接会つた人間に聞くと、自分はこのビラの内容のようなことはよう知らぬのだと言つておるのです。人口一万の町へもつてつて二枚のビラを張つたからといつて教育長が、そのビラが快念寺というお寺の前に掲示してあつたことを認めますという証明書を書いている。おそらくこういう証明書は前代未聞です。内容が中立性を侵しておるとかおらぬということの証明書じやありませんよ。快念寺の前に張つてつたことを認めますという証明書、それを文部省がまた御信用になつて、今度のこの重大な改正法案に対する裏づけとして、これとこれというふうに国民の前へお出しになるという、これは実に言語道断なことだと思うのでありますが、この安下庄の問題に対して、事務当局の方は、大臣にはこの真実性を御報告なされておるのかどうか、一ぺんお聞かせ願いたいのです。
  214. 大達茂雄

    大達国務大臣 安下庄の問題は、私の方は事実無根とは思つておりませんが、しかし安下庄の問題はともかくとしまして、あなたは二十四の例が、みな言いくるめるために、目をくらますために出したとおつしやるが、目をくらますために出した覚えはありません。文部省がかつてにいいかげんな捏造したものを出した覚えは一つもないのであります。さような卑劣なことはいたしません。そこで安下庄の問題はともかくとして、日本人の大切な子供が少しでも現に虫ばまれておるとすれば、これはそのまま放置することはできないということをただいまあなたは御承認になつた。安下庄はあなたが行つてごらんになつたのだから、あなたのおつしやることは自信があつておつしやることでありましようけれども、安下庄がかりにそうであつたからといつて、全部うそだという論拠にはならないのです。そうしてそれほどわずかなことにこんなひどい法律を出すとおつしやるが、どこがひどいのですか。この法律は、あなたがおつしやるように——あなたは八条の二項のような教育が行われてはならぬということを認めていらつしやるが、さような教育を行うことを教唆、扇動するものに対して処罰するというのであつて、教唆、扇動をしなければ、何もこわがることもなければ、何の影響もない。教唆、扇動するものだけが処罰にひつかかるのです。あなたは八条の二項のようなことは悪いことだとおつしやるが、そういう悪い教育をわざわざ学校の先生に教唆扇動すること、それさえなければ、だれもこの法律が出たために困るものは一人もおらぬのです。なぜこの法律をひどい法律だというのですか。少々の子供がそこなわれておつても、それはかまわぬ、こんな法律を出してはいかぬというのはどういうわけですか。
  215. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 時間がございませんから、要点だけ申し上げますが、これは御説の通りです。私が申し上げるのは、ただ一件あつても、いわゆる文部当局としては無関心ではおれないでしよう。それはわかります。ところが、それならば現行法規でもつてこういう虫ばまれておるという実態が矯正できるかできないかという問題になるのです。私は断然こんな五十万教員の政治活動の禁止をして、おまけに刑罰規定まで加えられるものをやらなくても現行法規でできるじやないかということが言いたいのです。できますかできませんか。
  216. 大達茂雄

    大達国務大臣 現行法規では、少くとも文部省の持つている権限ではできません。
  217. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 言葉というものはなかなか便利なものでして、私はできると思うのです。現在の地方教育委員会というものをあなたは育成をするという。こういう中央集権的な法律を出しておきながら、反面には地方教育委員会というような最も民主的なものに対して言葉の上では育成するとこう言われているのです。信用されているのです。この地方教育委員会の持つているところの行政的な権限でこれができないはずはないのであります。私は一一お聞きしたいのでありますが、時間がございませんからここで申し上げますが、昭和二十四年だつたと記憶いたしまするが、レツドパージのときには文部省はどういう処置をとられたのでありますか。私は覚えております。各都道府県の教育長を一々文部大臣の官邸に呼んで、お前の方の県にはこれだけの者がおるじやないか、これを何とか処置をせよと初めて知らされたのです。そういう方法が非合法か合法かということは別にいたしましても、教育委員会自体が行政的な処分権を持つているのですから、もしこの事例が悪いのなら悪いでできないことはないと思う。そうでしよう。そのあと押しを文部省がする。権限がないものが権限を行使した事例もあるのです。全然できないというばかなことはないのです。何もこんなむずかしい法律をつくらなくても、地方教育委員会が持つているところの正当なる行政権の発動というものによつてできるのです。しかもあなたはこの間も高津委員に対して、教育委員会は発足して間がない、これにまかしておつたのではいけないのだ、こうおつしやつている。高津委員はそのまま聞きのがしていますけれども、私はこれは重大な問題だと言いたいのです。そうでしよう。
  218. 大達茂雄

    大達国務大臣 レツドパージのときの事情は私よく知りませんが、教育委員会に対して文部省がお前の方はこれだけの者がおる。だからこれをパージで追放せよということを言つたとすれば、これは明らかに越権であります。これは当時アメリカ進駐軍の意向によつて、法規を離れて、直接選挙によつて出て来た人々を文部省がさしずをしたのであります。これはアメリカさんがいなくなつた今日ではさようなことはできません。また私は、そういう法規を離れて権力を濫用するといいますか、そういうことはできぬことだと思う。それをあなたは今日でもおつしやるのはどういうわけですか。
  219. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 地方の教育委員会が自分の持つているところの行政権、これの自主性があつたら、こういう不都合な者がおれば懲戒処分でもできる、こういうのでしよう。何もあなたがおさしずをする必要はないのです。
  220. 大達茂雄

    大達国務大臣 この法律が出れば、これが熱さましのトンプクのように一ぷくで済む、こう思つてはおらぬ。各教育委員会の協力によつて——教育委員会がその職能、機能を発揮することが必要なのです。これは何も教育委員会の仕事にじやまになるわけでもありません。こういう規定があつて、一面において教唆扇動といいますか、悪いことをするようにけしかける者を押えると同時に、教育委員会教育委員会としてこれを育成して、十分にその機能を発揮してもらいたい、かように思つているのであつて教育委員会を育成するならこれはいらぬ、こういう議論は成り立たぬと思うのであります。
  221. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 教育委員会を育成すれば云々ということを私は申し上げておるのじやないのです。現在でも、こんな法律案を出さなくても、教育の中立性を侵すようなおそれのある教育をやるということであれば、現在の法律のままでもそれが押えられ得るということを申し上げておるのであります。私はこの点を申し上げておきます。  私は時間がありませんから、次へ参りますが、あなたの御発言、あなたのお気持の中には、教育委員会制度はまだ始まつて間がないから、実力がないから、できるものでもようやらぬのだ、待つてはおれぬからこういうふうな法律案を出してやるのだという、これは私は重大だと思う。教育委員会制度という新しいものの育成を待つて——こういう行き過ぎの教育がもしありとすれば、地方民の良識により、教員の良識によつて押え得られるのです。これがまた民主主義というものでなければならない。それをあなたのお話の中には待つてはおれぬからという言葉を言われたのです、その物の考え方がとんでもない。教育のことは教育の制度でもつて解決すべきものだと私は思う。教育のことをこういう罰則でもつて解決しようという物の考え方が私は気に入らないのであります。重要な点はこの点なんであります。この点はどうお考えになりますか。
  222. 大達茂雄

    大達国務大臣 先ほど申し上げたのは、現状として文部省の権限としてはこれを押える手はない、かように申し上げたのであります。今日教育委員会がお話の通りに活発にその機能を発揮しておれば、こういう法律を出さなくともよいかもしれぬ。しかしこの法律を出すことは何にもじやまにならぬので、一般の教員には何も圧迫を加えるものではない、悪いことをけしかける者を罰するのです。これは数の少い事例であつても、現実日本の大切な子供がそこなわれておるということは放置することはできぬ、これについては御同感になつた。それを良識にまつて云々と言われるが、待つておるわけには行かぬということを申し上げるのです。
  223. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 もうとにかくあなたは相当おそるべき頭を持つておるのです。私らはこれだつたらいかに問答してもいつまでもこれは並行線に立つて、そこに多少の御反省を願えるというような余地はありません。今の待つてはおれないという言葉は簡単には聞き流せないので、私は実はいろいろ申し上げたいのでありますが、私の方の党にあてがわれた時間が来たのでまことに残念でありますが、また逐条審議のときに言わせてもらうかもしれませんが、一般質問としては一応これで打切ります。
  224. 辻寛一

    辻委員長 山村新治郎君。
  225. 山村新治郎

    ○山村委員 すでにあらゆる角度からいろいろ御質問がございましたので、わが党としては後刻松田竹千代君から質問があるはずであります。従つてわが党の持ち時間は松田竹千代君にある程度質問の応問があることを前提として、私は最も重要なる点を一、二点文部大臣にお伺いいたしたいと思います。  その前に事務当局から先にお伺いしたいのでございます。それは日教組の立場というものは労働組合の意思と考えられておりますかどうか、その点をお尋ねいたします。
  226. 緒方信一

    ○緒方政府委員 これは労働法上の組合ではありませんから、労働法の適用はありません。
  227. 山村新治郎

    ○山村委員 労働法規によつて規定されている紹介でないことはわかり切つているのです、しかしその性格上からいつて労働組合一つと政府はみなされておるか、あるいは労働組合組合法によらざるものではあるけれども、その一つとみなしておるか。全体しからざるその他の団体とみなしておるか。その点を伺いたいのであります。
  228. 緒方信一

    ○緒方政府委員 日教組は、府県の教員の職長団体であります都通府県教職員の組合を単位団体としております。そうしてその連合体をつくつておるわけであります。地方公務員法に基きますと、府県における教員団体は、地方公務員法の定める団体になつておりますけれども、その連合体につきましては、これは、全然任意の団体であります。
  229. 山村新治郎

    ○山村委員 文部大臣が思つておられることを非常に率直に申されるということについて、私は新聞紙上を通じまして非常に敬意を表しておりますが、特にこの間の例の東京裁判の問題につきまして、ずばりと所信を言われたその勇気は、ほんとうに偉いものだと私は申し上げざるを得ないのであります。その意味から、ひとつ終戦後の特に労働組合を含めたこういう組合運動のあり方につきましての御見解を承りたいのでございますが、率直に言いまして、見方によりますならば、終戦直後の占領政策の一環といたしまして、何か日本の経済力あるいは日本の復興力が阻害されるようなある程度までの施策というものがとられたのじやないかという論のありますことは、御存じの通りでございます。このことがたまたま労働組合といえば、保守系と対立しなければならないというような空気を醸成してしまつたということは、日本民族にとつて一大悲劇であるといつても私はよろしいと思うのでございます。従つて特にこのインテリの団体でありますところの先生方の組合が、いつの間にか左へ左へと片寄つてつてしまつたということは、これは一つにはその当時の世相の流れであるということも言えるかもしれませんが、一面におきましてはある程度まで日本の経済力を弱めようとするような占領方針影響文部大臣はみなされておるかどうかにつきまして、率直な御意見を承りたいのでございます。
  230. 大達茂雄

    大達国務大臣 御承知の通り、これは私のごく浅薄な意見でありますが、日本における真実の意味の労働運動というものは、戦争前にはほとんど押えつけられておつた。それが終戦後一時に非常に解放せられ、あるいはまた奨励をせられて、急速にその運動が展開せられるに至つた、何らの歴史もなく、伝統もなく、経験もなく、自然にあるべき姿であるはずの労働運動が、一時に非常に過激な方向をとつたということは言えると思う。同時にまた戦後の国内の、第一には窮乏、それから思想の混乱、そういうものがこれと相まつて、日本における労働運動というものは次第にきわめて強い政治的偏向を示して来た。今日これが現状であろうと私は思う。私の希望するところでは、一日も早くこの労働運動というものが正常な軌道に乗つて、そうして国家国民全体の福利に貢献するような形で労働運動が展開されるということを私どもとしては希望せざるを得ないのであります。  そこで日教組の場合、先ほどのお話がありましたが、これは法律上の関係は別といたしまして、その発足において明らかに労働団体を本質として発足したものである、こう思います。これもいわゆるその他の労働団体と同じように次第に政治的偏向を強くした。でありますから今日においてはその本質は労働団体であろうと思いますけれども、その実情においては非常に複雑多岐の様相を示しております。一面においては教員の団体として、教育者のアソシエーシヨンとして日本の教育の向上を期する、そういう面も確かにあると私は思う。しかし同時にまたこれがある意味では、実質的には政治団体としてきわめて強い政治活動をしておる。これに関連をしてこの組合員である学校の先生方が政治運動に狂奔をしておる。私どもは少くとも文部省の立場から考えますと、そこまでは私どものいわば関知するところではありません。ただ勢いのおもむくところ教壇をその政治運動の共に供する、教職員がその職場の教壇を組合活動と申しますか、そういう道具に使う、従つてそこには非常に片寄つた政治教育が行われるという結果になる、これが私どもとしては教育に関する限りでありますが、非常に困つたことである。このまま放置することはできない、かように考えておる次第であります。
  231. 山村新治郎

    ○山村委員 いささか私の質問とは的をはずれたのでございますが、大臣のお気持がよくわかつたのであります。ただそこで今回のこの教育法案提出された次第でございますが、この提出されるところの趣旨はよくわかるのでございます。しかしこの法案が通つたあかつきにおきまして、この組合員たるところの先生方の気持というものにどういうふうな影響を持つかということについて、お見通しになつたことがございますか。
  232. 大達茂雄

    大達国務大臣 これは先生方に対してはいろいろな影響考えられると思います。どうも私ども考えますのは、先ほどから申しますように、日本の教育の場、ことに義務教育の面において片寄つた教育を一日も早く排除することに努めたい、こういうことであります。これは非常に言い過ぎのことであるかもしれませんが、私は日本の教職員の諸君は、はなはだ失礼であるけれども、ほとんどの人が非常に穏健な、穏やかな思想を持つておられる。いわゆる善良の人が多い、こういうことをいわれております。私もその通りであると思う。ただしかしながら、ある意味では自主性を欠いておつて、そうして非常にほかの影響を受けやすい。今日世間で日教組を丹頂づるといつておる。これはたとえて言うことでありますから、それは合理性があるとかなんとかいうことではありませんが、世間ではこれは通り言葉になつておる。これは私は日教組の中にかりに一部赤の人がおるとしても、その人の誇りを傷つけるものではないと思う。白の部分こそ反省すべきである。一部の人々に左右せられて、いわゆる多数の善良な穏健な人々が自主性がなくて、わずかな一部の人々に左右せられるというそのことがいわゆる丹頂づるという言葉に現われておると思う。でありますから、日本の教員の諸君に対しては、そう言つてはおかしいけれども、とにかくある風潮といいますか流れといいますか、これが非常に教職員全体の動向を左右する要素であると思う。この法律は、御承知のように教育の中立性を確保する、こういう法律的な見地から出たものであります。しかしこれによつて教職員の諸君がいわゆる自主性をとりもどされ、今までのような難でもかでも日教組一辺倒、こういう考え方から脱却されるということであれば、これは法律が所期する以上の大きな効果を持つ、こういうふうに実は思つておるのであります。決してこれは日教組対策ということではありません。日本の教壇を守る意味において、私はそれを切に希望しておるわけです。これは私ども考えるこの二法案に伴う法律のりくつを離れて、重要な副産物、いやむしろ主産物かもしれない。これによつて教員のうちに自主性が回復せられるような健全な風潮が起る契機となれば非常にけつこうだ、こういうふうに思つております。
  233. 山村新治郎

    ○山村委員 非常に重大な答弁を聞いたのでありますが、日本の教員の大部分のものは、穏健なんだ、これは私もその通りだと思います。しかし反面におきまして、これが自主性がないのだということをおきめになつておるようでございますが、そうなりますると、この自主性のない先生方までが、いわゆる丹頂づるの赤さに踊らされていると申しましようか、あるいは扇動されていると申しましようか、どういう原因にいたしましても、その方々がこの法案に対しましては相当な反対をしているという事実は、これはわが保守党といえども認めざるを得ないと思うのです。従いまして、まず順序としてお聞きしたい点は、大臣としての目算でけつこうでございますが、先生方の中でどれくらいの人がこの法案に対して反対の意思を持たれているという見当をつけておられるのでありますか。その点を伺いたい。
  234. 大達茂雄

    大達国務大臣 これは表面に現われておるところではわからぬことでありますが、ほとんどの教職員、少くとも日教組に入つておられる教職員、これはほとんど全部の教職員でございますが、全部反対の立場をとつておられると思います。しかし、これはただいま申し上げるように——これは私の方の都合のいい観察とおつしやられればそれまででありますが、私どもの率直な感じを申し上げると、やはりこれも日教組の強力な反対運動抵抗することができなくて、いわゆる自主性の欠如によつて、ついて歩いておるという面が相当あるのではないか、実はそういうふうに思つております。  ちよつと余談になることを申し上げますが、私のところにはほとんど毎日のように非常にたくさんの手紙が来る。この手紙のうちで私の自宅に来るものは全部反対です。ただ役所に来るいろいろな投書といいますか、手紙は、また逆に全部が賛成なんです。そのうちには、教職員の諸君が相当においでになる。私の自宅を全国の先生が知つているはずがない。これはどこかで自宅のアドレスを教えてもらつて出すから、家に来るのは全部反対だ。だから自発的に出たと思われる、どこが住所かわからぬから。文部省気付で来るのは、相当に賛成の方が多いのです。でありますから、表面に現われておるように、教職員の諸君がこの法律案に対して、あれほど熾烈な反対の態度をとつておる、一致結束して反対の態度をとつておられるというようには、実は私は思つておらぬのであります。
  235. 山村新治郎

    ○山村委員 私はそこに問題があるのじやないかと思うのです。要するにあなた自身が先生方は自主性がないということをお認めになつておられて、しかもまじめな先生方が多いのだということをお認めになつておられるのです。ところが、そのまじめな先生方が、この法律が通ることによつて、どういう影響を持つかといいますれば、あるいは一部の扇動にしろ何にしろ、そのまじめな先生方が、いつの間にか保守党憎し、あるいは保守党たよるに足らずというような潜在意識を持つというおそれはないと大臣考えておられるか。
  236. 大達茂雄

    大達国務大臣 私はさようなことはないと思うのであります。今日、特例法によつて政治行為が非常に制限される、こういうことが非常に宣伝されております。多数の先生のうちには、これをそのまま真に受けておる人が相当にあろうと思います。しかしこの法律を実施してみれば——今日これは先生方には限りません。国家公務員、役人は全部であります。それから先生のうちでも、公立学校の先生とか、附属小学、附属中学の先生は、みな現状、国家公務員としての制限を受けておる。しかし、実情において、何もきゆうくつな、縛られておるような思いで生活をしておるということはないと私は思います。でありますから、この法律がほんとうに施行されてみれば、先生方はあれほど強い宣伝であつたけれども、何のことはないじやないか、こういうことに気がつくことは当然だと私は思う。今日あまりに宣伝が強いから、いかにもたいへんなことになるというような錯覚を起しているのではないか、こう思います。
  237. 山村新治郎

    ○山村委員 法律がどういう影響があるかということにつきましては、これは見方の相違でございまして、この点は見解の相違といえば、それまでになりますけれども、もしあなたの御議論のように、この法律がさしたる影響力がないのだという言葉をそのまま取上げまして、その裏を返しますならば、この法律というものは何らの拘束の権力がないのだ、従つて無力なものだという見方も成り立つのじやないか。そうなつて参りますと、無力な法律をわざわざつくつておいて、いたずらにまじめな先生方を怒らせると言いましようか、あるいはそれをいつの間にか左へ左へと無理に追いやることは、はたして賢明な政治家のやり方であるか、この点を伺いたい。
  238. 大達茂雄

    大達国務大臣 これはあまり政治に、狂奔しないでその仕事をしておる、うちに帰つては善良な市民として暮しをしておられる、こういう人々にとつて——これは多数の先生がそうだと思う。これについては今申し上げた通りであります。この法律のために何にも束縛を受けたりするような気持は起らぬ。ただ先生の中には組合活動に非常に熱中をして、そうして地方のそれぞれの組合委員長をしておるとかいろいろなことをしておつて、一部非常に熱心な政治運動をしておられる方があります。日教自身の教治運動というものも、組合員は全部国家公務員並の規制を受けるのでありますから、そういう少数の強い政治活動をする人はこの法律影響を受ける。しかし大部分の、悪くいえばいわゆる長いものにまかれておるこういう人々は何にもきゆうくつな思いをすることはないのだ、その点は理解されるのだろうと思う。
  239. 山村新治郎

    ○山村委員 いやしくも国の政治をあずかられる大臣といたしましては、こういう法律を出すことによりましての影響力というものを相当考えなければならないと思う。そのことを考えますときに、先ほどあなたがおつしやられたように、先生方の大部分が自主性がない、しかも先生方の大部分の方々がこれに反対をされておる現実をどう見るか、これは非常にわれわれ特に保守党の立場にとつて重要な問題ではないか、そういうように真剣に反対をされて、一応大した法律ではないとあなたがいくら力説されましても、大部分の先生方はこれは悪い法律だという声を上げておる。また同時に公聴会におきましてのいろいろの学者の意見を聞いてみましても、ほとんどの方々が反対の御意見が多い、こういうことを考えてみますときに、大臣が、いくら与党の方々が口をきわめてこの法律は大した法律ではないと説得されようとしましても、この法律が通つたことによつて、むしろ政治的に今まで動かなかつた方々までが、政治的な関心を持たなかつた方々までがこういう悪いたがにみなはめられたというような先入感が根強くなるということを大臣はお考えになりませんか。
  240. 大達茂雄

    大達国務大臣 そういうことも理論上考え得ることだと思います。(「実際だよ」と呼ぶ者あり)実際はわからぬが、そういう場合もあり得ると思います。しかし私はむしろ日教組の圧力から解放されたことを喜ぶ先生の方が多いと思う。
  241. 山村新治郎

    ○山村委員 私は非常に大臣の認識が甘いじやないかと思う。率直に申します。私も保守党議員の一人です。その立場から申し上げますときに、五十万の先生方が、保守党の力によつてわれわれはこういうたがをはめられたんだということになつて、そういう先入意識のもとに何年かの教育がなされた場合において、それがはたして真に教育を中立に導く方法であると考えられておりますか、かえつてむしろ左に左にと追いやるところのものは、この法律をつくつたものの力によつて追いやられる、その逆の結果が出て来るのを私は最もおそれるのでありますが、この点いかがですか。
  242. 大達茂雄

    大達国務大臣 これはただいま申し上げたように、先のことで見込みの問題でありますが、私はそういうことはないと思うのであります。というのは、これもいつか質問があつたのでありますが、今日国立学校の附属の先生なんというものは別にきゆうくつだから公立学校の方にかわりたいとか、そういうことは一つもない。現状は地方から県立の大学その他のものを国立に移管してもらいたい、これは地方民あるいは当局の人が言うだけでなくして、当該学校の先出方が非常に熱心に陳情に来られている。これはこの法律を待たぬでも、当然に国家公務員にかわつてしまうのですから、国家公務員となるということにそれほどの恐怖を抱いておられるとは、私にはどうしても思えないのです。
  243. 山村新治郎

    ○山村委員 その御見解は、私としては非常に甘い御見解じやないかということを心配するのです。確かに日教組の丹頂づるの行き過ぎは、私もあなたと同じにこれを認めるにやぶさかではございません。従つてこの行き過ぎにつきましては、日本の教育を中立に導くために、ぜひとも何らかの方策をとらなければならないと考えております。そこでお伺いいたしますが、日教組が中立になれということにつきまして、今まで大臣は、あるいは声明を出されるなり、あるいは日教組の団体そのものに飛び込んで行つて、ほんとうにその蒙を開く運動をされた御経験がございましようか。
  244. 大達茂雄

    大達国務大臣 日教組は、文部省にはことさらに何らの連絡もしないのであります。日教組は常に連絡という字は使いません。連絡という場合には、闘争という字を使つております。従つて文部省と一緒にいろいろな仕事を打合せて進めて行くという考え方は持たぬのです。それで文部省に来る場合には、常にいわゆるすわり込みであるとか、面会を求める場合でも、多数をかつて旗を立てて来るとかいうことであつて、一連の左翼の闘争方式以外には、文部省当局と折衝することはないのであります。私ども考えているところでは、これはイデオロギーの違いといいますか。世間では、私がすわり込みの問題で、感情的に非常に日教組と対立しておるというようなことを言いますが、そういうことは、私は全然ないのであります。その点からいうと、日教組の諸君が来たときには、へこむわけには行かぬから、力んで話もしますけれども、しかしそのあとでは必ずしも感情的にやつておるわけじやない。そういうわけで、私どもとしては非常に希望しますけれども、今日のように、日教組が極左に近いイデオロギーに立つておる限り、これは簡単な話合いとか連絡とかいう問題ではない。まあ強く言えば、これは人世観の違いということがありますから、ただ反省を促すとか何とかいうようなことはほとんど意味をなさない、こう思つております。
  245. 山村新治郎

    ○山村委員 お答えによりまするならば、今まで日教組とじつくり話合いをしたこともなければ、話合つても不可能だというような御見解のようでございますが、国の重大なる教育行政を預かる大臣のお言葉としては、いささか物足りない答弁だと言わざるを得ないのです。たとい極端に間違つた、左がかつた先生方といえども、日本国民の一人には違いないのです。その間違つた方々を正しく導くところに文部大臣の責任がなければならないと思うのです。見方によりますならば、日教組が今日のような左旋回をしてしまつたということは、これは自由党内閣の文部行政の失敗であるということも言えると思う。この点につきましては、大臣はどういう御見解を持つか。
  246. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は、日教組が今日のような政治方向をとつて来たことは、自由党内閣の責任というか、失政のいたすところではないと思う。ただ日教組が今日までかくのごとく強力、強大なる一種の政治団体として大きくなつて来たことについては、私は、従来の文部省はもう少しやり方があつたのじやないか、こう思つております。
  247. 山村新治郎

    ○山村委員 私は、与党の方々や大臣が、世界観の相違であるというような、見放すような気持のもとにこの問題をながめるということは、ほんとうに進歩的な保守党の立場におきまして、実際国家のために慨嘆にたえないのです。彼ら一部の方々が左旋回をしておるということは、見方によつては迷える羊なんです。この羊を導くには、権力をもつて導こうとしても無理だ。むしろ愛の力をもつてこれを導くところに政治の要諦があると思うが、この点につきましては大臣はどういうふうにお考えになるか。
  248. 大達茂雄

    大達国務大臣 去年の秋時分でありましたか、日教組の代表の諸君が私のところに見えまして、これから文部省と大いに連絡してやつて行きたい、こういうことがありました。私は非常にけつこうだという話をしたのでありますが、向うでは皮肉に思つたかもしれぬ。その場合に向うの執行委員の人が、文部大臣学校の職員というものはいわば親子のようなものだから、これから大いに連絡してほしい、こういう話でありました。私は、それは非常にけつこうだ、ぜひそういう気持になつてもらいたい。だから日教組の会合でもある場合には、文部省から出かけて行く、これは封建的な言い方かもしれぬけれども、親子だとか何とかいう言葉を使われるならば、日教組の大会があるなら、文部大臣に来て祝辞を読んでくれ、こう言うのが今までの普通の常識なんです。だからそういうふうに文部省と気持を合せて行こうということはけつこうです。これに対しては実は返答はない。日教組は、御承知のように、秘密を守る。(「組合の本質を知らぬからだ」と呼び、その他発言する者多し)何も返事をしない。そういうことはあります。
  249. 山村新治郎

    ○山村委員 ただいま答弁を伺つておりますうちに、組合というものは資本家なり経営者なりと対立すべきものであるというような考え方は、私は日本の労働組合のためにとらざる考え方ではないかと言わざるを得ないのであります。半面政府においても、自分たちの立場に理解のないものは救う余地はないと言つて投げ出すことは、政治家として一番拙劣な方法であると言わざるを得ない。その意味からこの法案がもし通つたといたしまするならば、先生の動向がますます左旋回する。このことを私は最もおそれておるのでありますが、大臣はこの点については何ら心配がないようにお考えでございますか。
  250. 大達茂雄

    大達国務大臣 私はむしろ、多数の先生は今日の日教組の左翼偏向の傾向に対しては非常に批判的である、これが偽らざる実情であると考えております。
  251. 山村新治郎

    ○山村委員 お説の通りです。多数の先生方は日教組の丹頂づるの行き過ぎに困つている、まゆをひそめておられる。時来らば、日教組改革をしなければならないということは、先生方の良心の叫びだと考えている。ところがその先生方に対して、この法律が通つた場合、はなはだ失礼でございますが、左の方々が、こういう法律を通じたものは保守党であるということについて極力宣伝する具に使われるということを大臣はお考えになりませんか。
  252. 大達茂雄

    大達国務大臣 それは現に極力宣伝をしておるのであります。
  253. 山村新治郎

    ○山村委員 現に極力宣伝しているということを認められながら、この法律が通つた後においてなお宣伝されるということについて、あなたはお考えになりませんか。
  254. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は、この法律が通つて日教組がどういう戦術に出られるかわかりません。わかりませんが、私の感ずるところでは、PTAという方面——これは私の勘でありますから、何の根拠もないので、それはお前の見方は甘いと言われればそれまででありますが、PTAの人々は大部分この法律案の成立に賛成しておられる。これは私どもが接する、特に私どものところへ来る人が、現に最近でも、私の方のPTAでは、反対の決議をしましたけれども、これは本旨とはまつたく違いますということを、わざわざ役員の人が、都内ですが、言つて来られた。何分子供を人質にとられているので、しようがありません、ですからぜひ通すようにしてください、と言つている。実はきようもそれと同じようなことを言つて来られた方があります。この表面に現われたように、国民全般が、あるいは関係の教職員でも、この法律案に対して非常なむちやな法律だと思つておられるかどうか、私は疑問だと思う。
  255. 山村新治郎

    ○山村委員 この法律の実施を見たあかつきにおきまして、偏向教育がなされた場合におきましての告発は、一応教育委員会がするようになつておるようでありますが、そういう結果になりますと、委員会の構成はさまざまの立場の方々が入り乱れておるのでございます。あるいはまた、村、町におきましては、その構成員の思想というものは相当ちぐはぐなものがあるということは認めなければならないと思います。そうしますと、その結果におきまして、ある町では告発をされたが、ある町では全然問題にされなかつたというようなことになつた場合、非常に不公平な問題が起きるおそれが多分にありますが、この点はどうお考えになりますか。
  256. 大達茂雄

    大達国務大臣 それはお話の通りであると思います。ただその教唆、扇動があつた場合に、その教唆、扇動には全然乗らない。校長さんでもしつかりしておつて、そこは何らの影響を与えなかつたという場合もありましよう。それからところによつては、非常に影響を受けて、それによつて極端な教育が行われるという事例もありましよう。教育委員会で注意しても、簡単にはそれが改まらぬ。この法律は、ただそういうことを一概に罰するということよりも、実際の学校の運営に責任を持つておる教育委員会の目で、こううるさく働きかけられて、一口で言うと、かきまわされてはとてもたまらない、こういう場合に初めて請求権というものが動くと私は思うのです。これは学校における偏向教育を是正したいというのが中心的の考えでありますから、同じ罰ならばみんな公平にやらなければならぬ、そういうことよりも、現実のねらいは偏向教育の是正という点にありますので、これはそれぞれの学校において事情が違う、その点は教育委員会がこれの責任者でありますから、その教育委員会の見るところに従つて、こううるさくやられてはどうにもならぬ、こういう場合に初めて請求権が動く、こういうように考えております。
  257. 山村新治郎

    ○山村委員 そうなりますと、教育委員の中には社会党もあれば、自由党もあれば、改進党もある、いろいろな立場があるのでございます。その立場の方にも、教育委員の方も人間ですから、巧みにこれを利用というか、悪用されまして、そのためにかえつて町村の教育というものが政争のるつぼに巻き込まれるというようなおそれはございませんか。
  258. 大達茂雄

    大達国務大臣 なるほど教育委員としてはいろいろの人がおられます。教育委員の立候補の資格に政党におる者はいけないのだというようなことはないのでありますから、けさほどもそういう何がありましたが、教育委員会というものは、必ずしも政治的に中立のものとは言えません。ただ現在の建前では、われわれが個人的に見てどうも思わしくない、不適当だとかりに思つても、とにかくその地域住民の直接選挙によつて出て来ておる人々でありますから、要するにこれらの人々の考え方は、その地域住民の考え方を代表しておる、制度としてはこう考えざるを得ないのです。従つて事実教育委員会を構成しておられる人々に、良識をもつて考えて、不適当だと思う人がかりにありましても、この点は制度がそうであれば、やはり教育委員会以外の機構にこの判断をまかせるということはできないじやないか。こう思います。
  259. 山村新治郎

    ○山村委員 私は民主主義そのものにも相当欠陥があることは反省しなければならないと思うのです。その欠陥をどういうようにして直し、その欠陥をいかにして悪用されないようにするかということを考えない法律というものは、あまりにも無責任な法律だといわざるを得ない。すなわち民主主義というものは、選挙によつてあらゆることが決せられるのです。そういうことになりますと、そこに選挙に携わる者の欠陥がいろいろ生じて来るわけなんでございます。この点が実は委員会の実際問題として、この罰則がついて、今後の委員会の運営というものがはたしてなめらかに行くかどうかということについては、多大の疑問を持たざるを得ないのであります。しかし時間がありませんので結論を急ぎますが、先ほど来いろいろお話を聞いておりますと、問題は、日教組においてぜひとも自主性を回復してもらいたいということを大臣は希望されておるようでありますけれども、もしも日教組が自主性を回復して、特に行き過ぎたる左旋回の方向を改めるというような段階に至りましたならば、大臣はこの法案を撤回する御用意があるかいなかを承りたい。
  260. 大達茂雄

    大達国務大臣 世間では、去年の秋ごろから日教組が穏健な方向方向転換をした、こういうことを一部認識しておるようであります。これは日教組自身が新聞にそういう意味のことを表明した結果であると思います。しかしこれはその後の日教組の動きを見ると、これはただ世間に対してそういうゼスチユアをしたとしか見えないのであります。むしろこれは、現に日教組の平垣書記長が山梨県の、あれは中央委員会ですかにおいて、これは決して後退ではない、むしろ前進である、こういうことをはつきり言明しておるのであります。そうして日教組のその後の動きにおきましても、いわゆる平和教育という名前のもとに、偏向教育をすることを非常に闘争目標としておる、平和闘争の一環としてそれをやつておる、これはきわめてはつきりした事実であります。かくのごとく、日教組は今日日本の教育界にとつて事実上一番強い団体であります。現に最近の振替授業のごとき、とにかく全国の七割、八割の学校日教組の指令によつて動かすほど強いものであります。かような非常に強力な団体が、しかも最近のあれは学校の運営についてであります。休むとか休まないとかは、教育の問題ではない。学校そのものの運営についてすらも日教組は事実上あれほど強い力を持つておるのです。でありますから、この非常に強力な日教組というものが、今日のごとき態度をますます進めて行つて、日本における再教育というものをこのまま推し進めて行く場合を私ども考えてみますと、子供はまだ西も東もわからないし、政治的な判断力というものはないから、純白の子供がこの日教組の一方的方針のもとに、いわゆる赤い教育というものがどんどん蔓延をして行くと思う。今日は御承知の通り二十歳で選挙権がある。このままで行くと、五年、十年もたてば日本の政治の森相はかわるじやないか、少くともその危険があると私は思う。(発言する者多し)先ほどから自省にまつとか、いろいろ言われますけれども、そんななまやさしい段階ではないと思います。だから、このままにしておくと、学校の先生方についてどういう影響が及ぶかは別としましても、今日政治的な判断力のない子供をこの調子で育てられたんでは、これはたいへんなことになる。これは決して長い先ではない。もう五年か十年すれば、これは心配過ぎかもしれませんが、この影響は表に出て来る。これは国家の将来の運命にかかわる大問題である。こういうふうに私は考える。
  261. 山村新治郎

    ○山村委員 御承知のように、現在の教育そのものにつきまして非常に左がかつていることについての御心配は、私ももちろん肯定します。それで、その実例というものはたくさんあるかもしれないが、あなたもおつしやつたように、大部分の先生方はまじめなんであります。そのまじめな先生方をわざわざ左に追いやるということについては、実際私はその気がわからないのです。特にこの問題につきましてお考えを承りたいのですが、先生の組合といえば、いわゆるインテリの組合です。そのインテリの組合が、何がゆえに輿論の反感を買うような、輿論の支持を得ないような造動方針、たとえば振替授業であるとか、一斉賜暇というようなことをやつているかということにつきまして、大臣は深く掘り下げてお考えになつたことがございますか。
  262. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は、先ほど申し上げるように、インテリであります。インテリであるけれども、インテリが必ずしも堅実のものとは私は考えておらぬのであります。そして今度のような日教組の振替授業——これは実は批評しては悪いですけれども日教組反対運動としてはきわめて拙劣な方法であると思う。これによつて一般の支持はプラスには絶対にならぬ。ただいわゆる左翼の闘争方式というものはおのずからきまつているのです。ストライキとかデモ行進であるとか、つまりこれは左翼に共通した闘争方式をそのまま踏襲しておるのであつて、こういういわば知恵がないと言つては失礼ですが、知恵のない方法をすること自体が、日教組がその本質において左翼団体である、かように考えております。
  263. 山村新治郎

    ○山村委員 見解の問題だと思うのですが、特に保守党の立場の方々にお聞き願いたいのであります。インテリの組合の方々が輿論の支持を得ないような運動方針をとるということは、どこに原因があるかと言えば、仰せの通り確かに左翼の指導方針が深く入つているからでありましよう。深く入つているということはどういうわけであるかと言いますならば、左翼の立場の方々は一応表面上においては、この法案が通らないことをこいねがつているようなゼスチユアをされるかもしれませんが、実質上はこの法案の通ることをこいねがつているかもしれません。これを大臣はお気づきになりませんか。
  264. 大達茂雄

    大達国務大臣 そういう複雑な考え方をしている人が、大勢の中だからそれはあるかもしれません。しかしそれが普通の考え方だとは私は思いません。
  265. 山村新治郎

    ○山村委員 この先日の振替授業によつてどういう影響を及ぼすかということは、十分考慮の上において組合といえどもああいう運動を展開されていると思うのです。左翼思想の方々のためにと言いながら、ああいう振替授業をしたり一斉賜暇の問題を議題にしたりするということは、どこかその中にこの法案が通る結果を生むような動きをしているのが実際なんです。ここを見きわめられて、実際においてこの法案が通ることを喜ばれるのは、大達さんも喜ばれるかもしれませんけれども、実質上においてはもつと左の方々が、保守党を攻撃する絶好の材料ができたとして、より以上喜ぶものであるということについてあなたはお考えになつておられるかどうか。
  266. 大達茂雄

    大達国務大臣 私はそういうふうには思わないのであります。左翼にはそういうひねつた考えを持つている人がいるかもしれませんが、私はそういうふうには思つておりません。
  267. 山村新治郎

    ○山村委員 時間が来ましたので、松田竹千代君にあとをお譲りいたします。大体三十分経過いたしました。
  268. 辻寛一

    辻委員長 山村君、四十五分でございましたからさよう御記憶を願います。  本日はこれにて散会いたします。     午後六時五十五分散会