○
田中(久)
委員 私
ども第二班は
岐阜県と
京都へ
参つたのでありますが、
全般から見まして、
調査は静粛に行われました。かつ
関係者の
意見は非常に詳細にわた
つて伺うことができました。われわれの私見を交えずに、
参考人として触れました
人々の
意見をそのまま御
報告申し上げまして御
判断を願う方が適正だと思います。概括を申し上げますと、
岐阜の方はあまり大したことはなく、
京都の方はいずれにしても、一口に言えば相当うるさい問題であるということが感ぜられたのであります。
岐阜の方から初めますと、問題の第一にな
つておりました
益田高等学校、ここの
教員の
田中達郎という人が
破防法の嫌疑を受けまして検挙せられた。そうして
起訴をせられて目下
裁判にな
つておる。御当人はすでに合意の上で
辞表を出してやめておる、こういう
実情でありますが、この
田中達郎教諭というのはどういう人かといいますと、
学生中格別にそういう
思想活動をしたことはないということが
警察も認めておる事実のようであります。この
田中教諭は
学校の成績もたいへんよか
つたのでありますが、
学校を卒業すると同時に
先生にな
つたのが四月であります。そうしてその年の十月に検挙せられたのであります。
学校は愛知大学の経済学部を卒業しまして、その間何でもなか
つた。それがどうしてそういうことに
なつたかといいますと、
生徒の中に
中川佳也というのがお
つて、これは家庭的に非常に不幸な
子供でありまして、
父親は軍人の
少佐であ
つて、満洲で終戦を迎えて非常に苦しんだ。その後
父親が死んで母親は旅館の
裁縫師にな
つて働いておるという中におりまして、放任せられてお
つた生活のうちに、からだも非常に強くて、多少
狂暴性もあ
つて、前に同僚の
生徒に暴行を加えて
学校で処罰せられたこともあるという、家庭的に不幸な
子供でありました。これがどういうかげんか
共産党員である
斎藤彰治というその
地方では相当な
共産党員と交際し始めて、大して深い
思想はわからなか
つたかもしれませんが、非常に激越な
方向へ進んで
行つたようであります。
田中達郎教諭のところへは、この
中川初め四、五名の
学生が常時遊びに来てお
つた。そんなところからたいへん騒ぎが大きくな
つたのではないか。
中川が先か、
田中教諭が先かは
警察もわからぬというておりますが、
警察ではやはり
田中の方が
思想的には先でなか
つたかというのであります。こういうぽつんと起
つた事件でありまして、これは
教職員組合へは
組合員としては入
つておりますけれ
ども、
役員に
なつたこともなく、四月
先生にな
つて十月にやめたのでありますから全然無
関係である。ただその後において一回だけ
復職を頼みに来たことが二十八年の八月にありました。そのときに共産党の友人なる者がついて来まして
復職を頼んだそうでありますが、すでに
本人は当時の
斎藤校長に
辞表を出しておるとい
つたら、その
辞表は
校長が圧迫して書かしたということを
言つたそうでありますが、
本人を呼んで対決させますと、
校長の気持を察して私が出したということで、
共産党員はそのまま
帰つたという話であります。こういうわけで、概略でありますが、これは突然ぽつんと起
つた一つの
事件でありまして、
破防法で
起訴をせられておりますけれ
ども、その後
学校内部にも何らの動揺も起らなか
つたという特殊な
事件でありました。
もう
一つの、
恵那郡の
中津川小学校で昨年の十二月一日に、中津川の小、中
学校及び
教組主催で
大井小学校講堂で行われたという
事件であります。そのときに
松川事件の
裁判のことを取上げて、
要請書をつく
つたということが
一つの問題にな
つてお
つたのでありますが、これもその
恵那郡の
中津川教組の
委員長、
書記長及びその辺の
地教委の
連絡会長などを招致しましていろいろ
実情を聞いてみますと、これは当時その辺は
冷害地のために
欠食児童が出て来た。これに対してどうするかというのが
会議の主たる
目的でありまして、
授業は繰りかえ
授業をいたしまして、十二月一日の水曜日に行
つたものだそうであります。午前十時から十二時まで会合を持ちまして、
冷害地の
欠食児童の問題、それから
教育予算の獲得についてどうするかという問題、
人事異動の問題、こういうものを終りまして、午後は
農村教育の
研究会に入ることにな
つておりましたが、
ちようどその終りごろに列席者の一人の
教職員から、
松川事件とは一体どういうことかという
質問が行われた。これに対して執行部の方から
松川事件はこうこういうふうに聞き及んでおる、こういう答弁をした。また次々と二、三の
質問がありまして、それではというのでこの
要請書をつく
つて、鈴木
裁判長に出そうということにきま
つた。その
要請書というのはどういうのかというと、「
要請書、近ごろ新聞雑誌その他でいろいろ問題にな
つております
松川事件の公判について私たちも深い関心を持
つております。私たちは各判事の
方々の良心を信頼して公平なる
裁判が行われることを信じておりますが、あくまで司法権の独立を守り通すため、公正な
裁判を行われますよう要請いたします。一九五三年十二月一日、岐
教組恵那支部、鈴木
裁判長殿。」こういう
要請書をつく
つて出したというのであります。
要請書の文言はただいま読みました通り、格別これが一党一派に偏するものではない。また逆に
——逆にというとおかしいですが、各判事の良心を信頼しておるが、ひ
とつ公正にや
つてくれという激励のような
要請書だというのがわかりました。ただこの際少し変に思いましたのは、
集まりの
目的が
欠食児童の問題である、
教育予算である、
人事異動である、こういうときに、終りごろにぽつんと立
つて、
松川事件という直接
関係のないことを持ち込んで、しかもこれがあつという間に、五、六分でよかろうというので拍手できま
つたというのであります。その間に何か作意があ
つたのではないかということも申しましたが、当時新聞でいろいろ書いてお
つたので、多少の関心を持
つていられたものと思う。格別に計画的なものではなかろうということでありましたが、あまり突然であ
つたので、少し変な感じはいたしましたが、大した悪意はなか
つたと思われるのであります。
もう
一つは、
岐阜県の
教組が「
教育時報」というものを発表しております。そこにメーデーに参加しようと書いて大きなものが出ておる。これは五人に一枚の割合で二千部印刷して各
教組単位に分会にまかれたそうであります。これはどういう
動機でまかれたか、こういうことを尋ねますと、中
学校の三年の
社会科にはメーデー、労働祭という科目があ
つて、三省堂発行の中等
社会科六の十二ページにそういう科目がある。ところがことに
地方の
先生は、メーデー、労働祭というものがどういう起源で、どういうことが起
つて来たのか的確なことを知らない。そこで何か
参考資料はないものかという問い合せがありましたが、事はやはり教科書の
説明であるから、いろいろ探したけれ
ども的確なものがつかめない。そこで昭和二十七年、一昨年のメーデーの前後に、日本労働
組合総評議会の発行になりますメーデーの解説、これを間違うといけないと思いまして、日本労働
組合総評議会
資料より、こういうように出所をはつきりしまして、そしてこれを印刷して、あくまでも教科書の詳しい、何といいますか、
説明の
資料として配布をしたというのであります。学習の
参考資料として配布した。ところが別に二十七年は何もなか
つた。二十八年も
子供からいろいろ聞かれるからというので、やはり同じものを刷
つた。このときにはすでに別の
資料というものをつけ加えたので、別にそうは書かずに、
社会科
指導の
参考にしてください、こう書いて同じ文章をやはり同じ数量まいたというのでありまして、この間に格別な
偏向教育をやろうという
意思もむろんなく、またメーデーというものについては、ほかに
参考資料がなか
つたので、当然やらなければならぬもので、公的な
資料であ
つたと思
つて実はや
つてお
つただけのものであ
つた。こういう解釈でありまして、三人とも大体それには間違いがないように思
つたのであります。この三点が
岐阜の
調査でありました。
京都の方は駅へ到着をいたしますと、
教育委員会及び
教組から三、四名ずつ。それから旭ケ丘の
父兄の方から、旭ヶ丘の
偏向教育はないということで十四、五名陳情に来ておられまして、ぜひ
自分らの
学校へ来て見てほしい、
自分らの
学校は決して
偏向教育はないと思うということで、ぜひ見てくれという強い要望が嘆願書をも
つて述べられました。私が三人を代表いたしまして、われわれは必要とある
方々にお出でを願
つて、静かにお聞きをしたいのであ
つて、大衆の中へ出て行
つて大勢の人から聞く
意思は持
つていない。どうしてもそういう必要があれば、こちらから伺うこともあるかもしれないけれ
ども、今の段階においてはそういうことはいたしませんということを
言つて断りました。同時にあまり騒がないでいてほしい。われわれは実態を見に来たのであ
つて、皆さんの要求や
意見を聞きに来たのではないから、誤解のないようにということを強く申入れをいたしました。翌日は市役所の市
会議長の応接室を提供せられまして、きわめて静かに午前九時から開始をいたしました。まず第一に旭ケ丘の中
学校と大将軍の
小学校の両方の問題につきまして、市の
教育委員全員、それから市の
教育長及び
指導部長、それから区の
教育委員が二名立会いまして、そのほかに一、二名職員がまじりまして、約二時間近くにわた
つて詳細に
報告を聞いた次第であります。このあとで全部出てもら
つて、旭ヶ丘だけの
校長を呼びました。それから旭ケ丘の
校長が済みましてから、
偏向教育ありとする
父兄の代表五角を呼びました。それからそれが終
つて一回ごとに全部出てもらうのでありますが、
偏向教育はありませんという人を五人呼びました。それからその次に
京都市の
教組の中学部会の部長と
書記長及び
京都府の
委員長の三人においで願
つて、
教組としての
考え方を伺
つたのであります。大将軍の方も同様な方法で
校長以下別々に話を伺いました。
そこで旭ケ丘の方でありますが、これは非常にかわ
つた現象だと思いますことは、
偏向教育ありとする方の熱心な主張者は、代表的に十五人で、大多数の
父兄の方は、
偏向教育なし、非常にいい
教育が行われておるという
説明でありました。まるきり両極端であります。そこで旭ケ丘の
偏向教育ありというのはどうかといいますと、教科の
内容その他について、
子供の言動や、
子供が
学校で聞いて来ることなどについて、かなり注意深くながめておる
父兄が多い。一口に申しますと、いわゆる知識階級、大学の教授であるとか、新聞社の社長であるとか、あるいは
PTAの副
会長をしておる婦人であるとか、相当
教育の
内容について深い関心を持
つた少数の
方々であります。それからそうでない方の、千人もの、いい
教育だと言う方はどうかというと、いわゆる一般の
人々であ
つて、
PTAの
活動なんかを
先生方と一緒にたいへんにぎやかにや
つて、民主的にわれわれの
意見も通るし、よくやられておるというので満足しておる。そこに格別な危惧も持たず、ただ非常にいい
学校だ、その証拠には就職率もいいし、入学率もいいというふうに述べられておりましたが、少数の
父兄の方たちは、非常に信念的というか、非常に真剣でありまして、
偏向教育ありとする
考え方からむしろ非常に苦悩しておられる。
PTAの副
会長をしておられた婦人などは、もう涙のこぼれる寸前まで話をせられて、非常に真剣に
偏向教育ありということを、たいへん熱心に事例をあげて言われておりました。
そこで
京都市の
教育委員会は旭ケ丘中
学校長に対しまして勧告を出しております。非常に長いのでありますが読みます。
旭ヶ丘中
学校長に対する勧告旭ケ丘中
学校の
教育についてはかねて特別の関心をよせていたところ、またまた去る十二月十五日に御校保護者有志の陳情を受けた。当
教育委員会において御校の
教育の実際について検討した結果、その運営の方法において適切でない点があると認められるので左記の勧告をする。
ついては、勧告の趣旨を充分に生かして、御校
教育の改善進歩をはかられたい。
時恰も昨春は校舎の一部を焼失し、その復興も未だならず、幾多の困難を伴うことは察するに余りあるが、
校長は
学校経営の責任者として、
教職員一同の和合をはかり、保護者をはじめ、校下市民の積極的協力を願い、
生徒の努力を促し、旭ヶ丘中
学校をして、よりよい
学校たらしめるよう努められたい。
記
一、
教育計画の整備をはかり、
校長教員の責任を明らかにすること。
文部省指導要領一般篇、各教科篇及び本市
教育計画を基準として、御校の実際に即した計画を立てること。
特に特別
教育活動(ホーム・ルーム、
生徒会
活動)の年次、年間計画の設定には格段の注意を払われたい。
校長はその計画の設定及び運営については、監督及び
指導の責任を明らかにするとともに、教科担当及び顧問
教員をして、それぞれ計画実施上、責任ある
指導をせしめられたい。
二、
指導方法を検討し改善すること。
生徒の自主性をつちかい、その能力を充分にのばさせるには自由の雰囲気が必要であるが、放任であ
つてはならず、混乱であ
つてもならない。
校長始め
教職員一致してよく
生徒の発達段階と個人差に応じ、
社会的環境をも理解してたえず
指導計画の工夫改善をはかり、その方法の適正を期せられたい。
三、
教員の
組合運動と
教育実践について、その限界を明らかにして混乱を来たさざること。
教員が個人として政治的
団体や
教員組合に加入してその
団体の決定になる政策や方針を支持することは、自由であるが(但し、地公法第三十六条第一項に違反してはならない。)
生徒を対象とした
教育実践には、
学校の
教育計画を無視して、それら
団体の主義主張を直ちに持ちこむことは許されない。ことに、日本の現状から
教員が危機意識をもつとしても、徒らに焦燥感に駆られて、その危機意識が
生徒に直ちに理解され、解決されなければならないとしたり、又は唯一の解決の方途を示し、且つ誘導することは、当然避けなければならない。
四、
教育基本法第八条(政治
教育)を遵守すること。
平和を愛好する人間の育成に努めることは、
教育基本法に示されている通りである。その為に
現実の
社会的諸問題をとりあげる必要がある場合には、いかなる問題を如何にとりあげるかは、
生徒の発達段階に即して行われるべきである。且つあくまでも批判的思考力を身につけさせる
教育的考慮から為されるべきであ
つて、
生徒の
考え方に
偏向をもたらす結果となることは厳に
教育者の
良識において慎しむべきである。
五、次に具体的な問題についてのべることとする。
1、「校舎建設対策
委員会」の如き性格の会の構成員に末成熟の
生徒を参加させることについて。一般に構成員として能力に著しく差のあるものを同等な資格において
会議に参加させることは望ましくない。
「校舎建設」というような複雑な問題と解決の方法とをもつ会に
生徒を参加させることは、協議の過程における各種
意見の討議が予想される以上、適当な
教育的措置ではない。より適当な方法即ち
教育的考慮のもとで
生徒の要求や
意見を反映させるようにすべきである。
2、「洛北民主協議会」に
学校のクラブ
活動としての新聞班が加入することについて。
学校教育の一環である新聞班が正常なる
学校教育活動に非常なる
影響を与え、且つ
学校の主体性を阻害するおそれのあるような外部
団体に加入することは、その外部
団体がたとえ文化
団体であ
つても
教育上適切ではない。
3、学習の材料として特定政党又は政治的
団体の「機関紙」を使用することについて。特定の政党、政治的
団体の機関紙の報道又は主張を
教材として採用することは、その報道又は主張を正しいと断定して
生徒に示す場合は勿論、単に
説明する場合も機関紙のもつ性格から見て、基本法第八条第二項に反するおそれがあるので一般的には不適当である。
4、映画鑑賞について
学校の
教育計画の中における位置づけを明確にし、その選定の基準を各要素から検討して立て、
生徒に
教育的見地より多方面の経験を得させるようにいたされたい。あげられた
一つ一つの映画については、夫々特色があるが、全体として見るときは、その選定が一方に偏していると思われる。
5、文化祭の内灘問題の劇について。
劇そのものを見てないから
内容的に批判することは出来ないが、
現実の政治上、問題化している事柄を取り上げさせることは、
教育的に慎重を期さねばならない。ことに
生徒にと
つて直接経験していないことや、
資料不足のものを簡単に割切
つた解釈からすすめることは避けるようにいたされたい。
生徒が自主的に計画する場合にも
教員の
指導上の責任はまぬがれぬものであるから
生徒の創意と工夫との
指導に留意ありたい。
6、
学校新聞について。
学校新聞はその編輯において取材その他の
偏向が見られることは否定出来ない。
学校生活について色色の角度から編輯し、
内容のゆたかなものとなるよう
指導されたい。
7、外部
団体の主催する行事並に集会に
生徒が参加することについて。
政党的色彩の強い行事や集会へ
生徒を参加させ、又は
生徒が参加することは、基本法第八条第三項に違反する疑もあり、且つ
教育的に見ても好ましくないから避けるようにいたされたい。(以上)
長くなりましたが、これが
教育委員会から
学校長へあてて具体的ないろいろな問題についての忠告をせられた点であります。この詳細につきましては両
委員からいずれお話があろうと思いますが、当時
学校長はこれを聞いてその事実を認めまして、よく努力をするということで帰
つたのだそうでありますが、約七、八名の
先生がたいへんいいことと思
つて、そういう方面の
教育に熱を入れておる。あとの
先生は、数は多いけれ
ども、あまりそういう新しい
教育には力を入れていないために、どうも
校長がその
方向にどうしてもひつばられて行
つておるようでありました。
なおここに私が
一つ注意を要すると思いましたのは、
子供がや
つております劇団の名前が白鳩劇団という名前でありましたので、これは私の狭い経験でありますけれ
ども、私
どもの住んでおります方にも白鳩会というのがありまして、これは明らかに共産党の文化
活動である。同時にもう
一つ問題が出て来ます大将軍の方にも、白鳩幼稚園というのがありまして、これは選挙になりますと、その幼稚園が共産党の候補者の選挙事務所になるのでありまして、この名前ははたしてだれがつけたのであるか、偶然つけたのか、あるいはだれかがこれがよかろうと
言つてつけたのかと聞きましたけれ
ども、これは
先生も
父兄の方も、かわいいからつけたんじやありませんかということで、これは全然
関係がないのかもしれませんが、どうもこの
地方は、洛北民主協議会というものがありまして、相当やはり付近がそういう運動がすきなところでありまして、あるいはそういうものが織り込まれたのではないかと思います。もつとも劇団は今は解散をしてないというわけであります。
たいへん長くなりましたので大将軍の方を申し上げますが、この大将軍の方でいろいろな事例がありましたが、その示されておる事例の大半は、
校長は、これは偶然なようであ
つて、しかと認めてはおりませんでしたが、ここにも五人の代表は、非常に熱心に、明らかに
偏向教育あり、その
偏向教育も非常に極端な
教育であるということで、たいへん熱心でありました。これも世間でいう
思想が古いのかもしれませんが、知識経験に富んだ人と思われる人たちがたいへん熱心にこのことを憂えておりました。一般の奥さんたちは、
学校の
教育活動が非常になごやかに
先生と
父兄と一緒にな
つてやられておるので、そういう恐しいものではない、こう
言つてたいへんいい
学校だと
言つておりましたが、聞いておる方は両極端を聞きますので、たいへんきつねにつつまれたような気がいたしました。ただここで
一つだけ特に私がどうかと思いまして、御
参考に供したいと思いますのは、昭和二十七年の九月八日にこの
学校は突然給食を中止した。何でもないようなことでありますが、これは非常に大きなことじやないかと思
つて、私はかなりつつ込んで聞いてみたのでありますが、中止の理由はどういうわけであ
つたかと
校長に聞きますと、一学期間の要保護家族の
子供たちの払えない給食料が一万七百円に
なつた。そこで一学期に一万七百円の赤字が出ては、この赤字の解決の見通しがつかない限り、非常に責任者として困るというので、市の方へこのことを願い出たけれ
ども、これは今せつかく運動しておるが、ただちにどうというわけにいかぬ。市の方ではこれに対して給食は続けて行くように、いずれ解決するから、続けて行くように、こういうことであ
つたそうであります。ところがこのことが九月五日の新聞に大きく載
つたのです。これは
学校が発表したわけではなか
つたが、
教員の一人か二人が
教員組合へ行
つておるうちに、新聞記者と会
つて発表した。このことについては
父兄は全然知らなか
つた。ただちに
父兄の方で問題にな
つて、やかましく騒いで、ただちに給食に対する協議会が持たれまして、その結果三十三名の給食料未納の家族のうち、二十五名までが保護家族に指定せられるようにな
つて解決を見た。また
京都市において
——これは市
全般でありますが、給食費が五百万円だけ予算追加をせられて、よほどこれがよく
なつたということは、一にこの二週間給食を休んだためであるということで、
父兄はたいへんこのことを賞讃しておりましたけれ
ども、給食を受ける学童の数が約八百人でありまして、金が払えない
子供は三十三名。そうしますと、大体三五%でありまして、私
どもが聞いております全国の様子は、要保護家庭の
子供が大体百分の三から百分の四、五くらいであります。そうするとこれは
京都の大将軍
小学校だけの現象でなしに、日本全国の現象である。しかもこれに対しては各地の
PTAが
話合いをして、寄付金を集めたりして
子供にはずかしい思いをさせないでこれを解決しておる。また中には
先生がそつと
子供の給食料を払うというようなことをしておる人もあるので、この
学校だけ、まだ市役所が続けてやりなさいと
言つておるにもかかわらず突然給食をやめて、つまり一種の給食ストをや
つたというのはどういうわけか、一般ならこれは給食をやめなくても続けられておるはずのものと思うがどういうわけかと聞きましたけれ
ども、ぶすぶす
言つてはつきりしたことを言いません。結局はこれは
校長の
意思でもなか
つたようです。
父兄の
意思でもなか
つたようであります。この問題はそう軽々にしてはならぬ問題だと思いますが、これは共産党がや
つたことで、
学校には
関係のないことだと思いますけれ
ども、衆議院の選挙のまつ最中でありましたが、五日の日に給食をやめるということが夕刊に出ますと、六日の日には、すでに共産党の公認候補者は、大将軍では給食をやめた。それはこうだこうだと
言つて、貧乏な
子供に国が出すのはあたりまえだ、これは政治が悪いからだと
言つて、共産党がこれを利用したことがあるのでありますが、別にこのことは
学校が直接宣伝したわけではないのであります。ときたまたまそういうときでありましたので、非常に利用せられたということは言えると思うのであります。
なお詳細については両君からいろいろ具体的に御
報告があると思いますから概括御
報告をいたします。