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1954-02-26 第19回国会 衆議院 文部委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年二月二十六日(金曜日)     午前十時五十一分開議  出席委員    委員長 辻  寛一君    理事 相川 勝六君 理事 伊藤 郷一君    理事 坂田 道太君 理事 田中 久雄君    理事 野原  覺君       熊谷 憲一君    世耕 弘一君       竹尾  弌君    長谷川 峻君       山中 貞則君    亘  四郎君       喜多壯一郎君    町村 金五君       高津 正道君    辻原 弘市君       山崎 始男君    小林  進君       前田榮之助君    小林 信一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 大達 茂雄君  出席政府委員         文部政務次官  福井  勇君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     緒方 信一君         文部事務官         (大学学術局         長)      稲田 清助君         文部事務官         (社会教育局         長)      寺中 作雄君         文部事務官         (調査局長)  小林 行雄君         文部事務官         (管理局長)  近藤 直人君  委員外出席者         専  門  員 石井  勗君        専  門  員 横田重左衛門君     ――――――――――――― 二月二十五日  委員今井耕君辞任につき、その補欠として喜多  壯一郎君が議長の指名で委員に選任された。     ――――――――――――― 同月二十四日  義務教育学校における教育政治的中立の確  保に関する法律案内閣提出第四〇号)  教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内  閣提出第四一号) 同日  学校給食法制定等に関する請願外二件(橋本龍  伍君紹介)(第二三一三号)  同(大村清一紹介)(第二三六八号)  婦人教育振興費増額に関する請願森幸太郎君  紹介)(第二三一四号)  公立学校事務職員教育公務員特例法適用の請  願(岡村利右衞門紹介)(第二三二二号)  奈良県立医科大学の国立移管に関する請願(秋  山利恭君外四名紹介)(第二三二五号)  学校給食法制定請願外二件(逢澤寛君紹介)  (第二三六九号)  同外三件(大村清一紹介)(第二三七〇号)  教育委員会制度廃止に関する請願外二十七件(  木原津與志君紹介)(第二三七一号)  同外二十五件(鈴木茂三郎紹介)(第二三七  二号)  同外十九件(櫻井奎夫君紹介)(第二三七三  号)  義務教育教員定員確保等に関する請願小林  進君紹介)(第二三七四号)  暦法審議会設置に関する請願辻寛一紹介)  (第二三七五号) の審査を本委員会に付託された。 同日  文教施設整備に関する陳情書  (第一〇七四号)  町村教育委員会廃止に関する陳情書  (第一〇七六号)  へき地教育振興法制定に関する陳情書  (第一〇七九号)  町村教育委員会廃止に関する陳情書  (第一〇九二号)  地方教育委員会廃止反対陳情書  (第一  〇九三号)  同  (第一〇九四号)  危険校舎改築に対する国庫補助引上げ等に関す  る陳情書外一件  (第一〇九五号)  公立学校施設整備改築促進に関する陳情書  (第一〇九六号)  町村教育委員会廃止に関する陳情書外三件  (第一  一三七号)  同外一件  (第一一三八号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  義務教育学校における教育政治的中立の確  保に関する法律案内閣提出第四〇号)  教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内  閣提出第四一号)  文部行政に関する件  公聴会開会承認要求の件     ―――――――――――――
  2. 辻寛一

    辻委員長 会議を開きます。  義務教育学校における教育政治的中立確保に関する法律案教育公務員特例法の一部を改正する法律案の二案を一括して議題とし、政府より提案理由説明を聴取いたします。大達文部大臣
  3. 大達茂雄

    大達国務大臣 ただいま議題となりました義務教育学校における教育政治的中立確保に関する法律案につきまして、提案理由並びにその内容概略を御説明いたします。  そもそも教育上良識ある公民たるに必要な政治的教養が尊重されなければならないこと、及びそのためには学校においては特定政党支持しまたはこれに反対するための政治的教育が行われてはへらないことはいまさら申し上げるまでもないのであります。それは教育基本法第八条において明らかに示しているところであります。ことに義務教育は、国民教育基本をなすものでありますので、特にその政治的中立確保が期せられなければならないのであります。この法律案の所期するところは、義務教育学校において教育基本法の期待するような正しい政治教育が行われることを保障するにあります。すなわち、第一条に規定しておりますように、この法律は、教育基本法の精神に基き、義務教育学校における教育党派的勢力の不当な影響または支配から守り、もつて義務教育政治的中立確保するとともに、これに従事する教育職員自主性を養護することを目的とするものでございます。  しからば、どのような方法によつてその目的を達成するかと申しますと、この法律案の第三条に規定するように、何人についても義務教育学校教育職員に対し、児童生徒に対して、特定政党支持させまたはこれに反対させる教育を行うことを教唆し、または扇動することを禁止しようとするのであります。しかしそれには条件がつけられているのであります。第一に、教唆または扇動するにあたつては、特定政党その他の政治的団体政治的勢力伸長または減退に資する目的を有することが一つ条件となつておりまして、この目的を欠く行為禁止されないのであります。第二に、教唆または扇動するにあたりましては、学校教育法規定する学校職員を主たる構成員とする団体またはその団体を主たる構成員とする団体組織または活動を利用するということが条件となつております。もつとも、学校教育において特定政党等支持しまたはこれに反対させる教育を行うことを教唆扇動することは、いかなる目的に出るものでありましても、またいかなる手段に訴えるものであつても、教育上の見地からすれば好ましくないことではありますが、現実にこの法律をもつて禁止するのは以上のような特別の条件を備える場合のみに限定した次第であります。  次に本法違反行為に対しては罰則を設けておるのでありまして、第四条に示すように前条規定違反した者は、一年以下の懲役または三万円以下の罰金に処するとなつております。そして第五条において本法違反行為に対する罪を論ずるにあたつては、それぞれその学校を所轄する機関請求をまつて論ずることといたしました。  以上本法案の提案理由並びにその概要を申し上げました。慎重に御審議の上すみやかに可決あらんことをお願いいたします。  次に教育公務員特例法の一部を改正する法律案につきまして、提案理由並びにその内容概略を御説明いたします。  公務員政治的行為につきましては、現行制度のもとにおいても、特別職を除き、一般職公務員に関しては、国家公務員たると地方公務員たるとを問わず一定制限を加えておるのでありまして、これは、職員に対して政治的中立性を保障することにより、国及び地方公共団体行政の公正な運営確保すると同時に、職員の利益を保護する趣旨に出たものと考えられるのであります。このような政治的行為制限は、国公立学校教育公務員についても同じく適用されているのでありますが、国立学校教育公務員公立学校教育公務員との間には、現存法制上顕著な差が設けられております。すなわち国立学校教育公務員は、国家公務員として国家公務員法の定めるところにより制限されているのに対し、地方公務員たる公立学校教育公務員は、地方公務員法によつて制限を受ける結果、制限事項及び罰則の有無につき差異があるのみならず、制限を受ける地域の範囲につきまして、国立学校教育公務員が全国的に制限を受けているのに反し、公立学校教育公務員に対する制限は、原則としてその勤務する学校設置者たる地方公共団体の区域内に限られることとなつているのであります。しかしながら教育は、国民全体に直接責任を負つて行われるべきものであり、一地方限りの利害に関することではないのでありますから、職員政治的中立性を保障して、その職員職務たる学校における教育の公正な運営確保するに必要な職員政治的行為制限に関しては、公立学校教育公務員国立学校教員公務員と区別して規制することは適当でないと考えるのであります。よつて教育公務員職務特殊性を考慮し、公立学校教育公務員政治的行為制限につきまして、これを国立学校教育公務員と同様の取扱いをしようとするものであります。  以上本法律案につき概略説明いたしました。何とぞ慎重御審議の上すみやかに御可決くださるようにお願いを申し上げます。
  4. 辻寛一

    辻委員長 続いて補足説明を聴取いたします。緒方初等事教育局長
  5. 緒方信一

    緒方政府委員 大臣提案理由説明を補足いたしまして、法律案内容につき若干御説明申し上げます。  まず義務教育学校における教育政治的中立確保に関する法律案でございますが、第一条にはこの法律目的規定いたしました。  第二条では、この法律でいう義務教育学校及び教育職員の定義を定めております。義務教育学校とは学校教育法規定する小学校、中学校または盲学校聾学校もしくは養護学校小学部もしくは中学部でありまして、その設置者の区別、すなわち国立公立、私立の別は問いません。教育職員とは校長、教諭、助教諭、講師を言います。なお校長のうちには盲学校等小学部中学部が属する学校校長を含めております。  第三条はこの法律の中心をなすものでありまして、義務教育学校教育職員に対し、特定政党支持させる等の教育を行うことを教唆し、扇動することを一般禁止しております。本条について注意すべきことの第一は、本条は教育職員教育活動について直接にこれを規制しておるのではなく、教育職員特定政党支持する等の教育を行うことを、教育職員に対して教唆扇動することを禁止しておることであります。教育職員自身教育基本法第八条第二項に抵触する行為については任命権者等の処分にゆだねることとし、本法においては特別の規制を行わないことといたしました。第二に本条禁止に触れる行為になる場合は、次に述べる要件を備えた場合に限られるのであります。その要件はおおむね次の通りであります。  第一には、教育を利用して特定政党等政治的勢力伸長または減退に資するという目的をもつて行うことであります。従いまして、たとえば本来学術的な意見の発表や研究成果公表等目的とするものか、本条禁止に該当することはないのであります。  第二には、教唆扇動は、学校職員を主たる構成員とする団体組織または活動を利用して行つた場合にのみ禁止されることとしました。学校職員を主たる構成員とする団体が、義務教育学校教育職員への教育活動に対して及ぼす強い影響力を考えまして、このような組織活動を利用して行う場合を特に対象として、これを禁止したのであります。  第三には、教唆扇動相手方が、義務教育学校に勤務する教育職員であることであります。義務教育学校及び教育職員については、前条で厳密に定義してある通りでありまして、禁止される教唆扇動行為相手方は、義務教育を施すことを職務としている職員に限られるのであります。  第四に、教唆煽動内容であります。禁止されるのは、第一項に規定しておりますところの「義務教育学校児童又は生徒に対して、特定政党等支持させ、又はこれに反対させる教育を行うこと」の教唆煽動と第二項に規定しておりますところの同じく児童または生徒に対して「良識ある公民たるに必要な政治的教養を与えるに必要な限度をこえて、特定政党等支持し、又はこれに反対するに至らしめるに足りる教育」を行うことの教唆扇動であります。  第一項の場合は、児童等をしてただちに特定政党等支持し、または反対する行動に出させ、あるいは支持または反対態度にはつきりと固まらせる程度の強い効果を持つ教育教唆または扇動する場合であります。  第二項の場合は、実質的には第一項の場合と同様でありますが、児童等をしてただちに支持または反対態度に出させないとしても、時間の経過により、おのずから特定政党等支持または反対に固まらせるような教育教唆または扇動をも禁止することを明らかにしようとするものであります。すなわち、児童等は通常の場合、ただちに政治活動に出で、または特定政党等支持または反対態度を決定する場合よりも、時間の経過によりその意識の成熟または知識の吸収に伴つて特定政党等支持または反対に至るという場合が多く、必然的にかかる結果を招く教育は、前者と同年の弊害があると思われますので、これの教唆または扇動禁止を明らかにするものであります。従つて第二項の場合も、さらに特定政党等支持し、または反対するための教育が付加されて、初めて児童等支持または反対態度を決せしめるような場合をも含むものではありません。なお、この場合は、教育の即時の効果を判断の直接の基準にしているのではないので、念のために、「良識ある公民たるに必要な政治的教養を与える必要な限度をこえて」という限定を付したのであります。教育基本法第八条第一項に規定しております通り、良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならないのでありまして、本法により確保せんとしている教育政治的中立とは、正に教育が、良識ある公民たるに必要な政治的教養を与えるのに必要な限度を越えて政治的に偏向しないことにほかなりません。第一項の場合は明白にこの限度を越えたものとして、そのような教育教唆煽動禁止しているものであります。本条規定に該当しない場合でも、教育基本法趣旨に照らして適当でない政治的には片寄つた教育が行われることが考えられるのでありますが、それらについては、教職員自身の自重、自戒と、学校管理者処置にまつこととし、この法律においては、典型的なもののみに限定しその教唆扇動禁止することとしたのであります。  第四条は、第三条の規定違反した者に対する罰則規定しております。さきに申し述べましたように、前条規定は、教育職員教育活動を直接規制しているのでありませんので、この判別は教職員に対して、政治的中立を侵したことのために科せられることはありません。  第五条は、処罰の請求に関する規定であります。第三条の規定違反して党派的な教育教唆扇動した者は、前条規定により一年以下の懲役または三万円以下の罰金に処せられるのでありますが、その罪は、一定の者の請求を待つて論ずることにいたしました。すなわち、党派的教育教唆扇動は一の犯罪とされるのでありますが、その事柄は、学校内における教育職員教育活動と密接に関連しております。従いまして、学校内における教育の実情に通じており、学校運営管理責任を負つている公の機関請求を待つて、その罪を論ずることとしたのであります。  以上義務教育学校における教育政治的中立確保に関する法律案につまして、各案ごとにその、要点を御説明申し上げた次第であります。  次に教育公務員特例法の一部を改正する法律案につきまして申し上げます。  この法律案内容の主要な点は、教育公務員特例法に新たに一条を加え、公立学校教育公務員政治的行為制限及びその違反に対する罰則に関して規定を設けたことであります。  これにより、現存学校教育公務員政治的行為は、公立学校教育公務員の場合は、地方公務員法第三十六条の規定によつて、また、国立学校教育公務員の場合は、国家公務員法第百二条及びこれに基く人事院規則によつて、それぞれ別個の制限を受けているのでありますが、教育公務員政治的行為につきましては、国立学校教育公務員と同様な制限を受けることとなるのであります。  なお、この規定が加わつたことにより、第十一条第二項の規定を若干整理する必要がありますので同項の規定に必要な改正を行いました。また、附則においては、地方公務員法第二十九条及び第三十六条について、この教育公務員特例法改正に伴い必要な改正規定しました。  以上、教育公務員特例法の一部を改正する法律案内容につきまして簡単に御説明申し上げた次第であります。     —————————————
  6. 辻寛一

    辻委員長 この際本案に関する公聴会の件についてお諮りいたします。義務教育学校における教育政治的中立確保に関する法律案教育公務員特例法の一部を改正する法律案の二法案は、一般的関心を有する重要な案件と思われますので、公聴会開会し、広く一般利害関係者または学識経験者より意見を徴し、審査の慎重を期したいと存じます。つきましてはこの際本案について公聴会を開きたいと思いますが、公聴会開会にはあらかじめ議長承認を得なければなりません。委員長からその手続をとることに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 辻寛一

    辻委員長 御異議なしと認めます。それではさよう決しました。    公聴会開会承認要求書  一、公聴会を開こうとする議案    義務教育学校における教育政治的中立確保に関する法律案教育公務員特例法の一部を改正する法律案  一、意見を聞こうとする問題    義務教育学校における教育政治的中立確保に関する法律案及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案について  右によつて公聴会を開きたいから衆議院規則第七十七条により承認を求める。   昭和二十八年二月二十六日      文部委員長 辻  寛一    衆議院議長堤康次郎殿     —————————————
  8. 辻寛一

    辻委員長 次に文部行政に関する件を議題とし、前会に引続き質疑を行います。受田新吉君。
  9. 受田新吉

    受田委員 文部大臣がおいでになりますので、この前質問を保留しておきました政教分離に関する問題についてさらにお尋ねを続けたいと思います。  この間文部大臣は、宗教の世界に政治を介入せしめることは絶対にあるまじきことである。宗教団体に対しては信教の自由の立場から絶対に違法的な政治的策謀を行うものではないという意味のお言葉がありました。ことに淫祠邪教に対しては絶対に承服できないものであるから、そういうものの横行を許すことのないような情勢に持つて行きたいということを述べられました。そこで現在宗教法人法によりますると、この前大臣も御発言なさつたように、宗教法人認証するに当りまして、一通りの形式が整つておれば、これを通の場合認めるという形になつており、一ぺん認めた以上はこれを取消した事例もない。それからもしこれが不当な公序良俗に反したり犯罪を犯したりする場合には、裁判所が解散をせしめるように処置がされるのだという意味が御説明の中にあつたのであります。この宗教法人法ができて、すでに満三年になりますが、その当時の情勢とその後独立国になつて独自の見解に基く国策の遂行ができ得るようになつた今日とでは、同じ基準で判定することはならぬと思いますが、文部大臣はこの宗教法人認証して、認証しつばなしで、あとは、どうあつてもいいというような形にあることを、現行法規でこのままで行くような形にあることを御了承なさるかどうか。あるいは宗教法人法には、今申し上げたような諸点、すなわち認証後において常軌を逸脱する行為をした宗教法人とか、あるいは財政的に不当な収益を受けて善良なる国民をごまかすとかいうような点に対しては、この宗教そのもの信仰の自由というものは絶対に阻害しないけれども、その宗教一体運営に関するやり方については、一定わくをはめることが妥当であるとお認めになるかどうか。ことに宗教団体公益事事業をすることを許しております。営利事業を認めておる。宗教法人もうけ仕事をやるということになると、もうけ仕事目的にする団体が、ついでに宗教に名をかつて勢力を扶植して行くような結果も起りはしないか、こういうことも憂うる点であります。この問題についてすでに仏教保全経済会なるものがあつて、その仏教保全経済会信者保全経済会の加入を勧めて、一つ営利事業のようなものをやつたと同じ結果になつておる。また靈友会が赤い羽根、白い羽根募金運動をやる。日赤とのつながりもできて来る。こういうようなことになつてその募金のピンはねをして行く。すでにこれは司直の手によつて厳正なる批判を受けつつあるものもありますが、こういうことも考えて、文部大臣として宗教法人認証のみによつてあとをほうりつぱなしにするようなあり方でなく、その後の宗教法人行動において不当な行動があるならば、これに対して厳正なるわくをはめるような法規改正をやるか、あるいはその宗教法人信者便益を供与する、たとえば参拝をした場合における宿舎の提供とか、あるいはそのほかの便益特定の限られた消極的便益供与限度事業は認めるが、積極的に営利目的とするような事業宗教団体には認めないという法的措置をとるか、何か措置をしなければならないとお考えになつておるか。これは政教分離国策を御推進をなさる文部大臣として、その分離をはかつた以上は、それを裏づけするところの諸政策が必要であると思いますが、これに対して文部大臣はいかなる御見解を持つておられるかを伺いたいのであります。
  10. 大達茂雄

    大達国務大臣 宗教法人について、その役員をしておる人が悪いことをする、あるいはその宗教法人団体そのものを利用していろいろな犯罪が行われるというような場合には、むろんそれぞれのその行為関係する刑罰法令適用のあることは当然であります。しかしながらそういうことがあつたからといつて、ただちにその宗教法人そのもの解散を命ずるとかいうようなことには、現行法規においてもそうなつておりませんし、またそういうことは簡単になさるべきものではないと私は思つておるのであります。申すまでもないことでありますが、信仰のことでありますから、何がはたして淫祠邪教であるか、健全なる宗教であるか、これを判定するものはたれもいないはずであります。従つてどつかで、それを宗教そのものとして社会に悪い影響を与える、こういう判定をして、それに基いてその宗教法人活動規制するということは、国民信仰の自由に干渉するという結果を事実において招く場合が多いのでありますから、これはきわめて供用にされなければならないと考えるのでありします。現在の宗教法人法におきましても、宗教団体でないものが、たとえば営利目的として宗教法人の名前をもつているんなことをやつておるというのは明らかにもぐりでありますから、それは認証せらるべきものではありません。しかしそれが宗教団体であるということが認定される限りは、一定の形式的な条件がそろえば認証したければならないものであります。これに対して何らかの規制をし、その行動制限するというようなことは、ややもすれば信仰の自由に圧迫を加えるとか、この方に権力が及んで来るとかいうようなおそれが常に伴うものでありますから、これはよほどそういう関係をにらみ合せなければ、そういう立法をするにしましても、なかなかむずかしい点が非常に多いのではないかと思つております。それで営利事業は一切させないということも、一応宗教法人という立場から見れば、そういうことも考えられることでありますが、既存の宗教におきましても、やはり賽銭箱を置いておくことが——これが営利事業であるかどうか知りませんが、お札を出すとか、おかぐらをするとかいうようなことがありまして、一切合財宗教活動に付随して、——これは営利事業といいますか何というか知りませんが、そういうことが付随しておる場合も非常に多いのでありますから、これもただちに禁止するとかなんとかいうことにはなかなかなり得ない。ただ、今申し上げるように、宗教でないものが、営利目的として、宗教という仮面をかぶつていろいろなことをする、こういうことであれば、これは宗教団体としてこれを認証すべきものではない、こういうふうに思います。但し、今申し上げるように、事実宗教団体であつて、もしこれがいろいろ人に迷惑をかける、いわゆる社会の安寧の見地から見て非常に困つた存在であるという場合には、法律にありますように、裁判所がこれを認定して、そうしてその解散を命ずるのでありますが、裁判所がさようなことを処置するということは非常な例外であろうと思います。ほかの方にはあまり例がないことであろうと思いますが、これは結局、いやしくも権力が信仰の自由ということに干渉する結果を招かないための特別な配慮に出ておる法律であると私は思います。そういうわけでありますから、今これを改正をして、宗教法人活動一定わくをほめて育成するということは、非常にいい案ができますればけつこうでありますが、信仰の自由いうことと関連して、なかなか簡単にはいい案ができないのじやないか、こう思つておりますが、なおこれは私どもとしましても今後研究して参りたいと思います。
  11. 受田新吉

    受田委員 大臣の御意向にもある程度妥当性を認めるのでありますが、今認証の仕方が悪かつたのだという御説明があつた、認証に非常に慎重を期する、これは文部省の方の責任になるわけなんですが、認証した結果、はなはだこれは不届きな宗教法人であつたということが確認された場合には取消しの道もある。きわめて短かい、一年以内でしたか、この取消しの道もある。そういうときには躊躇なく取消しを断行されてはどうか。認証取消しを断行するような措置をとつて、軽はずみにわれわれが形式だけ整えたのでは認証できないのだぞという印象を、一般宗教団体にも与えるような文部省の厳たる措置をわれわれは願うものであります。認証した、しかしその後の活動については、どのようなあやまちをしても、裁判所がそれをやるので、われわれは知らぬのだということであるならば、文部省の中に宗教課なら宗教課を置いて、これを調査局長の下で仕事をさせる必要はない。宗教課の仕事はないわけです。そんな用のないような宗務課なら廃止してしまえばいい。そういう意味で、宗教法人審議会を置き、文部大臣が任命した委員が構成分子となつて、宗務課長がそれに対して事務上の協力をやつてどんどん認証して行くという形をとつている以上は、認証したものは、その後の活動についてもその価値判断をするだけの力が文部省にあつていいものではないか、宗教法人審議会もその権能を有しておるものじゃないか、こういうことを考えるのです。今裁判所がその解散を命ずるようにしているのは例外である、ほかの法律にはあまりないと言われたのですが、私もそう思います。認証したものがその後の責任を負わないような規定は、あまり多く見受けません。従つて、一たび文部省が認証した後において、その後の活動についてもその価値判断の基準をちゃんと文部省は持つておらなければいかぬ。認証しつぱなしで、形式が整つたら認証しなければならぬというような、そういう消極的な立場にこの宗教法人法が置かれておることを、文部大臣としても十分御確認いただかなければならぬと思うのです。従つて、この認証にあたつて金品の授受が行われ、汚職の火が文部省にもついた——文部省というところは汚職の府であつてはならぬところでありまして、政党政派を越えたきれいな立場で動き、最も中正の立場を守らなければならぬ文部省、そこにさえも汚職の火がついたとなれば、これは何をか言わんやであります。最近においては文化財保護委員会にも、何か斜陽族との関係でいささか穏やかならぬ風聞があるようにも聞いておるのでありますが、少くとも、ほんとうに文化国家としてはずかしくない国をつくり上げるところの元締めは文部省です。その点について、文部省を汚職の府たらしめざるような厳たる存在たらしめるように、文部大臣は御努力をなさらなければならぬ。すでに大臣就任以前にやめられた篠原さんであつても、文部省に認証をめぐるところの汚職事件があつたということは天下の人が著しく顰蹙しているところであります。この点について文部大臣はこの法律認証のしつぱなしではいけない、その後の取消しあるいは解散等にあたつて、取消しは文部省の方でも十分なし得る範囲であるが、この解散の方は裁判所がやるということについても、もう少しわくを広げて、文部省が認証した責任を最後まで果すような立場法律改正をする用意はないか、これが第一点です。一つずつお伺いします。
  12. 大達茂雄

    大達国務大臣 靈友会の場合を例にあげてのお話でありましたが、文部省が所轄官庁として認証の取消しができるのは一年以内だけである、こういうことに法律上なつております。これはすでに御承知のことと思います。そしてその取消しの条件としては、つまり、認証したことが間違つている、それは宗教団体ではないものを宗教団体としてあやまつて認証した場合とか、あるいはまた、その他の形式的の条件が不備であることを発見した場合において取消しをするということになっておるのであります。そうしてその宗教団体を足場として、あるいはそれに関連していろいろな犯罪が行われているということになれば、それはそれぞれの犯罪行為の種類に従いまして刑法その他の刑罰法規がこれに適用される、こういうことでありまして、それが宗教団体である限りは、一年以内といえどもこれを取消すことはできない。これは先ほどから申し上げますように、信仰の自由という立場から来ている法規であります。でありますからして、今日いろいろと非常にたくさんの宗教団体ができて、そうして新聞等から見ても、いろいろの犯罪がそれをめぐつて行われている、あるいは人に迷惑をかげているというようなことがあることは、私も承知しているのでありますが、これが宗教団体である限り、中味が宗教団体である限りは、犯罪があつたからといつてその認証を取消すということにはならないのです。ただ、これが犯罪の手段となり足場となる、いわば巣になつてしまうというような場合には、宗教団体という立場をかりに持っておつても、そういう特定の場合については裁判所の認定に従つてそれに解散を命ずる、こういうきわめて厳密なことになつておりますので、文部省としましてはそれ以上の仕事は実はしておらぬのであります。つまり、認証が間違いだつた、手続等で形式がそろつていないものをうつかりして認証したという場合、すなわち、事務の上で間違いがあつたという場合に取消す、しかしそれがかりに事務上の、不備があつても、宗教団体として認証されて一年以上活動を、続ける限りは、その事態を重要視して取消しはなし得ない、こういうふうな規定になつておりますので、宗教団体である限りこれを監督するとか、あるいはその行動規制するとか、そういうことは現行法によつてその建前はとつておりません。またこれは信仰の自由という点から見て、簡単にこの見地をくずして行くわけには行かないのであります。こういうふうに私は考えております。
  13. 受田新吉

    受田委員 大臣にお尋ねしているのは、そうした大臣自身もお認めになつている欠点を是正するために、法律改正する用意はないかと私はお尋ねしているのです。
  14. 大達茂雄

    大達国務大臣 ただいま申し上げますような次第でありますから、この法規を今改正するという考え方は持つておりません。研究は続けて行きたいと思いますけれども、これを今改正するということは危険でありますから、そう簡単には行かない、こう思つております。
  15. 受田新吉

    受田委員 教育に関する二つの政治活動規制の重要法案改正案を簡単にお出しになつたわけですが、簡単にこの法律改正法案をお出しになるとか、あるいは新法案をお出しになるということを勇敢に断行せられる文部大臣として、宗教法人法に大欠点があるのですが、この法人法で認めたその宗教同作がその形式を整えていなかつたというときには、一年以内に取消しの規定もあるのだということになれば、すみやかにその宗教団体内容を調査し、形式をよく見て、不備な点はないかをよく調べて、これを認証すべきであるにかかわらず、靈友会に例をとるならば、すでに政令から法律に切りかえられたあの当時に、やみドルあるいは金塊事件あるいは麻薬事件等で盛んに司直の手で取調べられつつある最中であつた。もう少しあのときに慎重に研究して、その宗教団体内容を研究し、形式も十分検討を加えて、しばらくの間これを保留とされたあの態度を続けられて、認証は待つべきであつたと私は思うのですが、しかし認証した以上は文部省が責任を持たないような形では、宗教法人法というものは私は許されないと思います。この点につきましては、大臣として認証した宗教法人に対しては、その後においてその認証した責任を果すための価値判断は常に持続し得るような法案をつくらなければ私はうそだと思うのですが、今研究はしておるが、改正する用意はないのだというお言葉に対しては、私はもう少し進んで大臣の考えを追究したいのです。これは具体的に申し上げますと、この宗教法人が身を誤つているのは、この法律営利事業をなすことができるような規定があるからです。今お説のお守り札を出すとか、賽銭箱を置くとか、こういうふうなことは信仰する人々のわずかの浄財で済むことであつて、これをわれわれは言うておるのではない。宗教法人自身が物資の共同購入をやるとか、あるいは所有地の利用をやるとかいうような積極的な営利目的とする行為が許されておる。これではその営利行為を中心として、あわせて付随して信仰をやつて行こうというような誤れる宗教法人が出ても、これはしかたがないことになります。この点についてはほかの事務系統の人にもあわせて御答弁願いたいのですが、文部省がこの宗教法人法によつて認証を与えた宗教法人が現在幾つあるか。そうしてその中でく、文部大臣が言われたような、宗教法人にけしからぬことをしているものがたくさんある、宗教信仰の自由を束縛はできないが、刑法上のいろいろな問題を起こしているのが相当あるのだが、そういう問題を起した宗教法人が幾つあるか、裁判所によつて解散の命令を受けた法人が幾つあるか、こういうものの数字を今ここにお持ちであれば御説明をいただき、お持ちでなければ後刻御提出を願いたいのであります。そういうことを考えると、取消しをしたのが一つもない、解散をしたのが幾つあるか、できれば御答弁いただきたいと思うのです。おそらくそう多数はないと思うのです。ところが淫祠邪教によつて健康体が虫ばまれたり、あるいは財政上の大きな負担を受けたり、全財産を投げ出してその宗教法人のために一家をくずしたりするような家も相当あるのですが、わけてはなはだしいのに至つては、その宗教法人政治的に特定政党支持するように結果的になるおそれがあるのです。この点においては、その宗教法人の指導者たちが特定政党の幹部級であつたり、それから閣僚であつたりして常にその宗教法人に出入をして、信者から集めたお金が特定政党の幹部とか閣僚とかあるいは国会議員とか地方会議員とかにどんどん献金されるとするならば、これはもはや事実上政党のお先棒をかつぐ宗教法人という結果になつて来るんです。信者は何も知らない間に指導者がそういうのをあやまつて犯すことがある。それをこのまま放任してよろしいものか。この点においては、教育に関しては特定法律をつくつてその中立性を守るという口実をおとりになつておられる文部大臣として、宗教法人特定政党の人々に多数の献金をするような結果になつて来た場合に、そして選挙運動においても特定の候補を推薦して、その特定の候補が特定政党に所属して、結果的に見たら特定政党支持するような選挙運動をその宗教法人がなす結果になつた場合——そういう事例もあるわけでありますが、そういう場合にこれを文部大臣としては傍観をしてよいものと認定せられるかどうか、この点をお伺いしたいのであります。
  16. 大達茂雄

    大達国務大臣 この宗教法人法は、つまり宗教法人というものに対する全般的、一般的な規定をしておるのでありまして、その場合において文部大臣の任務として、あるいは権限として、この宗教法人法に掲げられておりますことは、認証をするということであります。その後これを監督するとか何とかいうような立場はないのであります。認証するということであります。これは法律をごらんになればよくわかるのであります。先ほど申し上げましたように、信仰の問題ですから、宗教活動を一々監督するとか何とかいうことは法律の建前としてとつておらぬのでありまして、ただこれがはたして宗教活動をする団体であるか、どうかということの認証文部大臣がするというだけであります。大体においてそれだけであります。従つてこの認証をするところの文部省がその後これを一々監督をするという立場は、少くとも現行宗教法人法のとつているところではありません。先ほど申し上げましたように、認証手続その他において間違いがあつた場合には、これは事務的な誤りでありますから、それを一年以内に、取消すということはあります。これは決して監督という意味ではないので、間違えて認証したという場合を考えて、その取消しをするということが規定してあると思うのであります。それ以外においては、宗教法人法そのものの中身についての改正のご意見でありますが、少くとも文部大臣が監督するという立場はないのであります。その点は御了承をいただきたいと思うのであります。今の営利事業というような問題は、これはおそらく将来の改正の問題としては考えられる一番の要点でありましよう。けれどもこれも実際は、たとえば永平寺なら永平寺というところで大きな建物が建つて、お参りに行つたり、とめたり、宿舎のようなことをしている、これはやはり宗教活動に当然付随するものでありますから、そういう意味で、そういうことができなくならないように規定してあるものと思われますが、その辺はなかなかそう簡単に線の引けないものであろうと思います。ただこの宗教団体に関連していろいろな犯罪が行われる、これは各種の会社について、つまり営利法人である会社においていろいろな贈賄、収賄が行われるとか、個人の場合でも同じことであります。個人の場合でもその人が法律に触れるような悪いことをするというようなことはあるのでありますから、これはそれぞれの刑罰法令によつて社会の秩序が維持されるということにまつよりほかはないのでありまして、宗教法人についていわゆる一般犯罪というものが行われるから、宗教法人そのものについて何とかするという問題はなかなか出て来ないと私は思うのであります。ただそういう場合を考えて裁判所が目に余るという場合には、被害者その他一定の人の請求を待つて解散を命ずるというような措置を講ずるということになつておりまして、監督をするということはなかなかむずかしい。ただそれをめぐつて犯罪があるということは現在の事実であります。しかしこれは各個人についても会社につても、いろいろなものについて犯罪はあるのであります。それがために刑罰法令というものがあるのですから、それによつて規制するという建前のものである、こう思います。
  17. 受田新吉

    受田委員 第一に認証するときによほど慎重にやらなければならぬ、認証したらしつぱなしになつておるということの問題にこれはもどつて来るわけですが、一度宗教法人として認定したら、その団体は免税その他の税法上の特典を供与せられることは御承知の通りであります。われわれ大衆が零細なる資金を出して、大衆負担によつて出された国家の税金、その税金の一部分がそういう人々には免除せられるということになつたならば、これは大衆の犠牲において淫祠邪教を助長する結果になりはしないか、こういうことを考えると、認証する文部省としてははなはだ責任が重大であつて、その認証に当つての調査究明は徹底しなければならぬし、宗教法人審議会は宗教法人の届出されたものに対して調査を徹底的にする責任が付与されておる、その審議会の委員というものは文部大臣が任命されるわけです。こうなると文部大臣が監督権を行使されなければならぬわけで、認証にあたつては最終責任文部大臣が事実上の政治責任を負わなければならぬことになると思うのです。そういう意味からこの認証をきわめて慎重にする、一度認証した以上はあらゆる特典を持つこの宗教法人のあり方に対しては、法律上幾多の制約を加えておく必要がある、従つて今のような営利事業に対しても消極的営利事業ならよろしいが、財産等を活用するための積極的営利事業などというものは、この際認むべきものではないというような法律改正をお出しになるべきじゃないかということなんです。それから今裁判所だけが解散権を持つようになつていることに対しては、これは取消し期間を一年以内にせぬで、もつと長い期間にわたつて、その法人の行動を厳重に、宗教信仰としての立場でなくて、宗教法人として特典を与えられたる点に対する義務を遂行していないことに対して、監督をするような立場規定を設けて、取消し期間をもう少し長くしておく、こういうような法律改正案を出すべきじやないか、これは大臣として、たとえば自由党に非常に都合のいい宗教法人があつたとした場合には手をおつけにならぬ、献金でもしてくれるような宗教法人がたくさんあるとなると——閣僚の一人がそこの名誉顧問で百万とか三百万とかいうお金をいただいて、名刀もおいただきになつて、自分の名義にお書きかえあそばして、そうしてそれは借用しているのだという陳弁を繰返されるような方もあなたの同僚の中にあるわけです。こういうことを考えるとわれわれとしては文部省の認証にあたつてはなはだしく慎重を欠いており、また現在の法規においてずうずうしくも法規のわくの中で恩典に浴しながら、義務の遂行をせざる法人が多数あるということも憂えられるのであります。それを自由党は助長するような政策をおとりになるとするならば、国家の将来まことに憂うるベきものがあると思うのでありますが、文教の府の最高責任者でいらつしやる文部大臣として、この宗教法人法にある幾多の欠陥については、改正するというような腹はないということに対して、この際これはいかぬのだという反省と勇気をもつて、ひとつ天下の疑惑の焦点に立つている淫祠邪教——宗教そのものに何らわれわれは意見をさしはさむものではないが、その指導者たちの間の忌まわしい行動をする者に対しては、その指導者を罰するような規定文部大臣自身がある程度行政的処分ができるような規定を、この法律の中に盛り込む措置は必要ではないか、こう思うのであります。この点について……。
  18. 大達茂雄

    大達国務大臣 これは同じようなことになるのですが、この認証というのは、認証を願い出るというか、その手続を申請して来た団体のとる活動宗教活動であるかどうかということを認定する、それが全体として非常に世道人心を惑乱するような悪いものであるか、まことに望ましい内容を持つておるものであるか、いわゆる淫祠邪教であるかそうでないかということを認証するのではないのであります。かえつてこれはよろしい、これは悪いと実質についてそれを言えば、これは信仰の自由に反するということになる、それでありますから、それが宗教活動をする団体であるかどうかというだけを認定するのでありまして、決していいとか悪いとかいう認定ではない、あとは形式上の問題であります。そうしてこれについては十四条にもありますが、「当該団体宗教団体であること。」これだけのことでありまして、そのいい悪いというのではないのであります。宗教団体である限りはこれを認証しなければならないのであります。そこで文部省におきましては、いわゆる審議会というものがあつて、おもな各宗教を代表せられるような、つまり宗教家が審議会の委員として、そうしてこれは宗教と認むべきだ、これは宗教と認められぬ、こういうことの判定をするのであります。それがいいとか悪いとか、どうもこういう淫祠邪教がはびこつて困るからそれをさしとめるとか、そういうことはできない、またそれをすることが信仰の自由に干渉するということになるのでありますから、その点はひとつ御了承をいただきたいと思う。それが結局常識から見て、ずいぶん変なことをして、そうして裁判所へひつぱられるような、あるいは罰金懲役に入るようなことをする場合はあります。しかしそれがあるからといつて、それが宗教活動である限り圧迫する余地はない、そういう建前のものだ、この建前は私はくずすことはできないと思います。しかし宗教法人法の中になお改正した方がいいという点があれば、これについては研究をいたしたい、かように考えます。
  19. 受田新吉

    受田委員 どうも私の願つている重点についての御説明があきたらないのでありますが、この法律改正についての重要な点は——私は今宗教活動制限すると言つていないのです。宗教活動信仰の自由で憲法に保障されておる、だがその宗教法人がその指導者たちによつてその宗教活動とは別の方であやまつた行動をする、宗教法人としての免税その他の特典を与えるのにふさわしからぬ行動をしておるというような場合において、これを取消しする等の行政処分がされる必要はないか、認証した文部省として認証をあやまつたのであるから、その際に行政処分をする規定を、一年以内でなくて、さらにもう少し長期にわたつてその宗教法人をよく見て、これは認証があやまつていたという形でこれを処分するような規定を置く必要はないか、こういうことと、そうして今申し上げたような積極的財産の増殖をはかるような営利事業に対しては、これは宗教法人の本来の使命とは逸脱する方向であるから、この点については法律をもつて制約をする必要はないかということ、そうして最後に申し上げた政治的に宗教が利用されるおそれがある、政治的に自由党の立場からはなはだ不都合であるという場合の日教組の立場などに対しては、教育の中立性という立場から、自由党の立場の中立性によつてこれが処断される、こういうことになつて来る。こうなると、自由党は百年政権を夢みて、自分の意見に違うものは全部これを法律によつて制約する、自分の意見によくかなつたものはこれを助長育成する、こういう形になるおそれがある。こういう点において文部大臣は、宗教法人政治的に自由党に都合のいい候補者を立てる場合にはこれに大いに共鳴し、もし自由党以外の人が立つような宗教法人に対しては、あまりこれは感心しないと思うとかいうことになつたら、これは中立性をたいへん誤ることになる。  一例をここに申し上げますが、この前申し上げたように、靈友会が保安庁長官に対して多額の金品を贈つている。この金品を受けた保安庁長官のほかに、自由党の幹部の中には、靈友会にしばしば出て発言を試みて、自己の名前の宣伝をやつている人々が多数おる。それは現在の閣僚にもあれば、過去の閣僚にもある。そこに出て盛んに気焔をあげているのは、ほとんど自由党の幹部連中であるというような印象さえ与えている。それは靈友会が出している新聞を見ればすぐわかる。岩本信行とか、出口喜久一郎とか、少くともあなたの方の最高幹部の人が、限りなくあの新聞の全部を埋めて、靈友会会報はあたかも自由党オンペレードのごとき観を呈している。こうなつて来ると、あの新聞を読む人は、これは自由党の宣伝機関であるということは知らずして、現在の保安庁長官のあのりつぱなごあいさつの仕振りは、これは名刀の価値があるというようなことになるおそれがある。こういう点について特定宗教法人を自由党が利用するという形に結果的になる。こうなつて来ると、もはやこの宗教法人は自由党に奉仕する宗教法人となつて政治的中立を保つことができなくなる。信者は正しい道を行こうと思つても、指導者たちによつてそれが脅されるということになる。しかももう一つ問題になるのは、靈友会と関係する例の仏教保全経済会のようなものも、大谷さんはあのお人柄としては私どもまことにごりつぱな人であると思うが、それがやはり宗教法人が利用され、善良な人が悪用された。われわれはこれを悲しむものである。こういう点について、営利目的とする事業宗教法人に認める結果、かかる悪弊を及ぼしている。そうして赤い羽根募金、白い羽根募金なども、靈友会に日赤とタイアップさせて認めるというような規定をつくるから、そこで赤い羽根募金の上前をはねるような靈友会の幹部も出て来る。これはまことにおそるべきことである。この点について宗教法人に対する、そうした営利目的とする事業に対すること、あるいは結果的に特定政党の利用に供せられるようなことに対しての、信仰の自由とは別の、宗教活動とは別の方面の副次的な意味が、本来の意味になるようなおそれがありますので、それに対する法律的な制約をする必要はないかと私は申し上げている。この点について大臣の腹をお聞きしたいと思います。
  20. 大達茂雄

    大達国務大臣 宗教法人が非常に営利事業ばかりやつて宗教活動の方は投げやりにしているとか、あるいは非常に変なことばかりして、公共の福祉を阻害するというような場合は、今お話のように考え仰るのでありまして、それでありますから、宗教法人法の八十一条には「裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。」こういうことになつておりまして、「法令に違反して、著しく公共の福祉を書すると明らかに認められる行為をしたこと。」あるいは「第二条に規定する宗教団体目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。」つまり宗教活動をしないこと、こういうようなことが書いてあるのであります。この場合に、その事由ありと認定することは、だれかがそれを認定しなければならぬわけですが、だれやつてもこれは間違いがあり、あるいは不公平なことがあり得るのでありますから、そこでそれはただちに宗教活動に対する規制であり、信仰の自由を奪うということになるものでありますから、まず一番公平な立場をとつているであろうと考えられる裁判所の仕事になつているのであります。これを文部大臣が不都合であれば解散を命ずるとかいうようなことになれば、これは今受田君が言われるように、自由党内閣のときは自分に都合の悪いものはみな解散を命じてというような御心配も起り得るのであります。しかしそういうことは適当でない、こう私は考えて、これは、やはり現行法の方がよろしいと思つております。
  21. 受田新吉

    受田委員 今お尋ねしている要点は、宗教法人宗教活動を私は申し上げているのではない。その宗教法人の指導者たちが誤りを犯した場合においては、その価値判断は、やはり文部省自身も負わなければならぬ。その点について文部省は認証しつぱなしで、あとは野となれ山となれという結果になつている。そこで今例を申し上げたことについて文部大臣の御意見を伺いたいのですが、木村保安庁長官が関与された脱税等の容疑があることに対する例の靈友会の献金問題、あるいは剣を贈られたというような事件に対して、私は今ここで詳しくは申し上げません。幾多の事例を読み上げれば、何時間でも申し上げられる種を持つておりますが、そういうことは宗教法人を利用した非常に悪辣な行為であると大臣はお認めになるかどうか。
  22. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は特定の人については事情も知りませんし、新聞等で見ても、これが裁判所できまつたとか何とかいうことでもないようでありまして、この点は私がかれこれ先走つて言うべき立場でありません。しかし犯罪が行われるとすれば、そのこと自体がはなはだ社会公共の福祉を害して、よろしくない、厳罰をもつて臨むべきものである、これだけははつきり言えると思います。
  23. 受田新吉

    受田委員 特定宗教法人から、ちよつと常識で考えられないような三十万とか百万とかいう金が、顔も見せないような人に贈られるということ自身、常識的に考えてこれは妥当であるか。それが閣僚の中にいるということに対して文部大臣の御判断はどうであるか、こういうことです。顔を時折ちよつと見受けられる程度で、三十万とか百万とかいう金をもらえるということは、これはほんとうにたなからぼたもち、こういう点について大臣として現閣僚にそういう人がいることに対して、それが脱税というようなことは抜きにしても、今の献金を盛んにされているという、そのことそのものは、現下の情勢から見て、閣僚にある人としてはつつしむべきじやないかと思うのですが、いかがですか。
  24. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は事情を知りません。犯罪になるのかならぬのか、そういうことは検察官が見てきめるのであります。検察官の判断によつて、起訴するとかせぬとかいうことになるので、文部大臣がさようなことについて意見を言うべき立場ではありません。
  25. 受田新吉

    受田委員 文部大臣認証された宗教法人行為が現閣僚に及んでいるということになれば、つづまるところ、認証した文部大臣としては、その宗教法人に対する、そうした閣僚に関する限りにおけるある程度の責任はあるべきだと私は思います。その点においては、因果関係からいつても、当然大臣のもとにもどつて来る。それをよそごとのように考えるということは、たいへんなことだと思う。文部大臣はしばしば政教分離を叫んでおられる。政治宗教の世界に及んで、宗教政治に利用されることは遺憾だということを言つておられる。ところがもう一つつつ込んで言いますが、特定宗教法人特定政党の候補を政治的に支援をして、そしてこれを国会に送り、政治活動をさせるという、そのことに対しては、いかなるお考えをお持ちでありましようか。
  26. 大達茂雄

    大達国務大臣 これは別に宗教法人法において禁止せられておるというふうには、私は承知をいたしておりません。
  27. 受田新吉

    受田委員 それに対してはいかなるお考えをお持ちか。そういうことはいいことか悪いことか、あるいはよくも悪くもないことか、そういうことに対するお考え。そしてさつき解散をすることができるということであつたが、裁判所で解散を命じた宗教法人が事実あるのかどうか。これがどのくらいあるのか、こういうこともひとつ資料を出していただいて、それによつて私も質問したいのです。
  28. 大達茂雄

    大達国務大臣 そういうことがいいとか悪いとかということは、一概にはもちろん申し上げられません。個人的にもその場の事情を知らないでおつて、それはいけないときめるわけにはいかないのであります。いわんやさようなことを文部大臣として意見をきめる必要はないのであります。
  29. 小林行雄

    小林(行)政府委員 先ほどのお尋ねの中にありました、文部省が認証した宗教法人の数は、ことしの一月十日までに文部省として三百十二の宗教法人認証しております。それから現在までに、取消した宗教法人の数については、これは正確なことはわかりませんが、おそらくはないと思います。また裁判所が解散を命じた宗教法人もないと思いますが、正確にはもう一度調査いたしてお答えいたします。
  30. 受田新吉

    受田委員 裁判所がそういうことをやる規定はあるが、大臣、取消した事例はちつともないそうです。認証しさえすれば、あとは伸びのびと大地の空気を吸うて、伸びやかに伸びているのですね。大臣、こうなると、たいへんな弊害が起つた宗教法人でも、そのまますくすくと伸びて、淫祠邪教といえども認証された以上は、わが世の春をうたうような結果になるということですが、現状をそれでよいとお認めになりますか。
  31. 大達茂雄

    大達国務大臣 繰返して申し上げますように、淫祠邪教であるということをきめつける者はだれもおらぬのでありまして、その宗教信仰しておる人から言えば、これぐらいありがたいりつぱな宗教はないと思つておるのでありますから、これを淫祠邪教という判断はだれも下し得ないのであります。
  32. 受田新吉

    受田委員 この前以来大臣は、淫祠邪教がある、そういうものに対しては、われわれは何か手を打たなければならぬのだがというように、淫祠邪教の存在もお認めになつておられたと思う。それは認証した法人の中にはないということに、大臣の話はなるわけですね。そういうことになると、宗教法人が法人としての本来の使命を逸脱した行為が幾多あるが、それを裁判所その他で取調べを受けておるけれども、結果的には解散をする段階には至らない程度のものであるという結果になると大臣は認められるのでありますか。
  33. 大達茂雄

    大達国務大臣 今私は靈友会の人がどういう取調べを受けておるかよく存じませんが、これは犯罪事件としての取調べを受けているのでありまして、これが淫祠邪教であるとか何とかいう立場で裁判所が動いているものではありません。淫祠邪教があるからこれを何とかしなければならぬと、文部大臣立場で私は言うたことはないのでありまして、この前、淫祠邪教というのは、一般的に見て、世間から淫祠邪教と言われるようなものがあるかもしれない、こういうことは言いましたけれども、同町に何が淫祠邪教であるかどうかということは、これは判定できない、こういうことを言つたつもりであります。
  34. 受田新吉

    受田委員 私は靈友会が淫祠邪教ということは、一言も言うたことはないのです。その点はひとつよくお考えいただいて、靈友会の指導者の中に取調べを受けた人がおるということは現実であつて、これは世間周知のことであるから、そういうことは大臣もよくおわかりになると思うのですが、靈友会という問題がなくて、とにかくちよつと常軌を逸脱した宗教法人、つまり利益のみを追求する法人とか、あるいは身体的な制約を強力に受けさせて、苦痛を与えるが、しかも宗教立場からは喜びにたえないような信者のおる宗教もあります。こういう点については、法的に宗教活動のみでなくして、財産上の処分その他財産の増加、そういう営利行為に対する制約を文部省としてする必要はないか、これを最後にもう一ぺん念を押しておいて、深いところまでは行きません。もう追究はこれ以上はいたしませんが、もう一度、宗教が誤りを犯す最も大きな落し穴は、金もうけができるように宗教法人法の保護を受けておる点であると思う。それをちやんと認証の際に一つわくをはめるように、法律改正をされることを、私はもう一度要望しておきます。
  35. 大達茂雄

    大達国務大臣 どうも非常に身体的な苦痛を与えるからいけない宗教であるとか、あるいは信者から金を集めるからいけないということは、なかなか言えないだろうと私は思うのです。宗教というものは、私はよく知りませんが、みなそれぞれ考えがあつてすることであつて、仏教にしてみたところで非常に難行苦行する面もありましよう。それからキリスト教その他代表的なりつぱな宗教でも、非常に堂々たる伽藍を建て、教会を建てる。これはやはり信者の喜捨といいますか、そういうものにまつ場合が多いのであつて、だからこれはいけないのだ、こうきめつけることはなかなかむずかしいのじやないか、こういうことを申し上げておるのであります。
  36. 受田新吉

    受田委員 それでもう一度お尋ねしなければならなくなつたのですが、そういうことになれば、宗教法人法によつて特別の保護をするような規定をつくらなくても、もう認証制度をやめて、宗教は伸びやかに、国家の法のわく内でなくして、もう何らの制約を受けない立場で、生い立つ方がいいじゃないですか。そういうことになりはしませんか。
  37. 大達茂雄

    大達国務大臣 なるほどそれも一つのお考えであろうと思いますけれども、現行法においては、国民宗教的情操といいますか、それを涵養することが、いろいろの意味からいつて好ましいという立場で、宗教法人、つまり宗教活動をする団体に対しては、先ほどからお示しになつておるように、いろいろの恩典が与えられておる。この恩典がある限りは、宗教活動をしないものが、もぐつてただ登記所へ行つて宗教法人として届出をするというだけでもって、この恩典を受けるということがあつては困りますから、そこではたして宗教活動をする団体であるかどうかということだけは、やはり国として見なければならぬ、これがおそらく立場であろう。だから恩典も与えず、認証もしない、これも一つの立て方だと思いますけれども、現行法は宗教的情操の涵養ということが、国民の文化、道義を高める上において望ましい、この見地に立つて一定の保護を与えておるから、従つてその保護に値するだけの実際宗教団体であるかどうかということを認証したければならぬ、こういう立場であろうと思つておるのでありまして、現在のこのやり方が必ずしも悪いとは言えない。宗教というものは、御存じのように、その宗教信仰しておる人から見れば、これくらいありがたいりつぱなものはないけれども、ほかのその宗教に何も関係のない、むしろほかの宗教支持しておる人から見ると、あんなけしからぬものはない、こういう筋合いのものが多いのであります。それだから非常に淫祠邪教だとお互いに言い合う場合が多いのであるが、しかし全般的に見て、国民宗教的情操を進めて行くということはいいことだ、こういう立場でありますから、これをすぐ何にもしないでほうつておくということには簡単にはならないのじやないか、こう思うのであります。
  38. 受田新吉

    受田委員 大臣は戦時中内務大臣として重職についておられた。その傘下に神社局を置いて、全国の官幣大社、中社、小社、国幣大社、中社、小社、別格官幣社、これらの各神社に対して国費をもつて祭祀を営ましめ、国民をして強制的に信仰させました。この点について大臣はいかなる反省をお持ちですか。
  39. 大達茂雄

    大達国務大臣 私は短期間内務大臣をしたことはありますが、私がそういう制度をこしらえたわけではありません、昔からあつたのであります。
  40. 受田新吉

    受田委員 しかしあなたはその任にあられて、国費を神社に祭祀料として配付する責任者であられた。もしあなたがそのとき大臣として、そういう制度が不適当であつたとすれば、すみやかにこれを改正さるべきであつた。それを在任中そのままにしておかれたということは、その制度をまことにりつぱなものであるとお認めになつたからだと思う。その点については大臣としては重責があると思う。その点について、ちようど現在あなたがお考えのような宗教法人法一定の恩典を与えるならば、認証に対してもわくをはめるべきであるという私の意見も、十分お考えにならなければならないと思うし、もし認証をしないならば恩典を与えないという、双方同じ形で行くべきであつて、この点については宗教法人法そのものを検討すべき段階ではないかと思う。それをあなたはこの法律で大体いいのだということを盛んにこじつけて、現行宗教法人法をそのままにしておこうとしておられる。戦時中もそうした神社宗教を強力に国費をもつて強制した大臣として、この際ひとつそういう過去の大きなあやまちを改める意味においても、民主主義の立場に立つ宗教法人のりつぱな育成をはかるような法的措置をおとりになる方が賢明な策であると思う。従つて宗教法人法に対する基本的な考え方をお立てになる必要はないか、これをお伺いして、宗教に関する方の質問は一応終ります。  次に大臣学校教育に関して一、二点お伺いして、私の質問を終りたいと思います。大達国務大臣は、現在の学制制度において、大学、大学院という二つの制度のあることをいかがお考えであるかということと、大学に学ぶ学生が学問の蘊奥をきわめる立場から、さらに専門的な学問の実力をつけるという立場から、国立学校に大学院を置き、さらに専攻科を置いて、学問の蘊奥をきわめさせようとするのはどういうものであるか、これを明らかにしていただきたいと思うのであります。
  41. 大達茂雄

    大達国務大臣 御指摘のように大学院というものは、いわゆる学術の蘊奥をきわめ、深い研究をするためのものであります。従つて大学の研究所の設備におきましても、それからその教授にいたしましても、これは設備も十分充実していなければなりますまいし、第一に教える先生にいわゆる碩学の人を持つて来なければ目的が達成できない、こういう見地から、また自然そういう制約がありますから、すべての国立大学にこれを置くということは、事実上置き得ないのであります。大学院を置いてみたところで、内容がこれに伴わなければ何にもならない。こういうことで、いわゆる旧制大学等におきましては、長い伝統もあり歴史もあり、それから設備、その教授の顔ぶれ、そういう点から見て、これが学問の蘊奥をきわめるという見地から行つて適当なものでありますから、そこで現状はそういう方面に限られております。もちろん学術の深い研究をするということが重要であることは言うまでもないのでありますから、さような点から見て、将来これを伸ばし得るものは拡張して参りたい、こう思いますが、今申し上げますような制約で、今日のところでは、方針としてみな置くというわけには参らない、こういうふうに思つております。
  42. 稲田清助

    ○稲田政府委員 今日国立大学で大学院を置いているのが十二大学でございまして、旧制大学に関連のある学部に関係して設置いたしております。また昭和二十年度から医学部について設置する予定でございます。専攻科は事の性質といたしまして、できれば各学部に設置したいのでありますが、順序といたしまして、内容の充実しておりまする、主として技術教育関係のありまする学部から置くことにいたしております。
  43. 受田新吉

    受田委員 今文部大臣の大学院に関する御意見を伺つたのですが、地方の大学は設備その他教授陣容も十分でないので、そういうところには置くとは限らぬというお言葉がありました。そうすると、今まで専門学校程度だと見られて来た地方の大学がたくさんあるわけですが、今の大臣の御意見では、こういう地方の大学を整理をして、大学院を置く大学を正規の大学にする形に持つて行こうという考えが、おひそみになつているのじやないでしょうか。その点をちよつとお聞きしたい。
  44. 大達茂雄

    大達国務大臣 地方の大学ということがどういう意味ですか、国立大学の地方にあるものですね——そういう気持はないのであります。大学の数を減らすということは、ずいぶん世間でもいろいろそういうことを言う人がありますけれども、これは事実上なかなかできないことです。現存学校を開いておるものをやめてしまうというようなことは、これは責任の地位に立つていると、いい悪いは別としても、事実なかなかできない。若い人が現に通つているのに、それをやめてしまうということは、事実上政治的にもできないことでありまして、国立大学をどこかへ集めて数を減らすというようなことは、今のところちつとも考えておりません。
  45. 受田新吉

    受田委員 今の地方国立大学を整理するというお考えはないということであるが、しからば国費をもつてもう少し地方国立大学の強化育成をはからないと、地方はもはや地元の寄付等にも行き詰つておるという実情は、大臣は御承知でありましよう。この点も御郷里である島根の大学の実情も承知されておると思いますが、今後国立大学を増加するとするならば、文部省として大きな腹ができているかどうかということもお伺いしたい。  それからその次に、今の大学学術局長の御答弁に対して、専攻科を置く大学はどこどこであるか、今用意されている案をお示し願いたい。こういうことをお伺いしたいのであります。
  46. 稲田清助

    ○稲田政府委員 先ほどの各大学の設備の問題でありまするが、御承知のように、年々十九億程度の文教施設費をもちまして、その緊急の度合いに応じまして、各大学の建築を充実するとともに、年々の国立学校運営費におきまして、設備更新その他内容設備の充実も年々努めておりますが、お話のように漸次名大学に行き渡る考えでおるわけでございます。専攻科につきましては、数が多いので、これは後刻表でお目にかけたいと思います。
  47. 辻寛一

    辻委員長 暫時休憩いたしまして、午後二時から再開いたします。    午後零時十九分休憩      ————◇—————    午後二時二十七分開議
  48. 辻寛一

    辻委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  文部行政に関する質疑を行います。受田新吉君。
  49. 受田新吉

    受田委員 文部大臣の大学と大学院の関係についての御所見を、午前中の会議で伺つたのであります。同時にこの際、大学の最高学府としての権威を保持するために、さらにつつ込んでお尋ね申し上げたいのでございますが、現存日本全体の大学は、公私立、新制、短期を全部合せておよそ四百五十校ということになつております。この数は欧州その他の諸外国の例に徴しましても、人口の比率から見て非常に多い数で、諸外国にもこれだけ多数の大学を持つている国家はないように見受けます。そしてここで受入れる全学生の数は約十五万である。ところが各府県で進学適性検査を受ける高等学校生徒の数は約三十五万という計算になつておりまして、これだけ多数の者が大学に進学を希望しておる。しかし事実は十五万の学生の収容能力しかないので、大学の数はいたずらにたくさんあるが、学生の収容能力は、進学適性検査を受ける者の半分にも達せざる数であり、こうなると勢い大学の入学競争ははなはだ激甚をきわめるということになる。従つてその入学にあたつては、国立においては大してそういう不正も行われないでしようが、私立などにおいては、多額の金品を寄付した者の中から学生を吸収するというような事態が起らないとも限らない。そうすると、金のある学生、家庭的に恵まれた学生は、少々頭が悪くても、金によつて入学の道が開けるというような事態が起り得る可能性がある。こうなると適材適所で有能なる人の進出の機会が失なわれることになるので、文部省としては、大学の採用学生数に相当ゆとりを持たせて、大学に進もうとするものには十分その目的を達成するように門戸を開くこと、そのためには、地方の大学に学生を多数吸収し得るような措置をとり、地方国立大学の募集人員をふやすとか、あるいは教授、設備その他に重点を置いて、多数の優秀なる学生を地方の大学で吸収するような措置をとる必要がないか。その一つの具体的例として、夜間の学部を置いて、そこで昼間働き夜学ぶ人に道を開くようにすれば、大学に進学希望を有する多数の学生が、その一角においても相当数救済できる。学校教育法にははつきりと、大学に夜間の学部を置くことができる規定があります。また通信教育学部につきましても、学校教育法の七十条に、通信教育学部を設置する規定が掲げてあります。こういう問題について、地方国立大学にも、学校教育法による夜間の学部をそれぞれ設置して、そこへ有能な勤労学生を吸収する措置をとる用意はないか、それが第一点。  第二点は、通信教育学部を十分利用して、これまた郷土によつて働きつつ学ばんとする通信教育学生に、大学進学の機会を与える道を、さらに一層強く講ずべきではないかと思うのであるが、大臣はいかがお考えであるか。すなわち大学に進学を希望する学生に対し、できるだけその道を開くための具体的措置として二つの問題を出して、大月の御所見を伺いたいのであります。
  50. 稲田清助

    ○稲田政府委員 ただいま御質問の第一段の、夜間の学部ないし課程でございますが、御承知のように、夜間学部といたしましては、すでに横浜、神戸ないし広島に設置しております。今御審議いただいておりまする予算におきましても、新たに大阪学芸大学に夜間の過程を設ける計画と、御承知のようにすでに、これは四年制ではありませんけれども、十二の短期大学を設置しておりまして、さらに本年度御審議いただいておりまする予算におきましては、五つの短期大学を増加する予定でございます。こういうふうに、これらの施設、設備を利用いたしまする夜間の教育は、今後とも文部省として充実に努力いたしたいと思つております。  いま一つの通信教育は、国立大学におきましては、御承知のように教育学部の力を集めまして、一つの教養課程の通信教育を実施いたしております。その他におきましては、数個の私立大学が通信教育を実施いたしております。文部省といたしましては、それらに関連いたしましてしじゅう協議いたしまして、必要な助言等を行うことによつてまず私立大学の通信教育の拡充に協力したい、こういうような状況でございます。
  51. 受田新吉

    受田委員 大学学術局長の御答弁で、漸次文部省が今申し上げた諸点に関して関心をお寄せいただいておることは一応納得いたします。ところが今御指摘のわずか数校にその道を開いた程度で、全国津々浦々に至るまでの学生の希望はまだ達せられておりません。従つて国立大学に夜間大学の便が講ぜられるような措置をとらなければならない。その険路といたしまして、おそらく教授が兼務するための苦痛などもあると思いますが、そういう点については、すでに東京の国立大学の教授たちは、私立大学の方へアルバイト的な講師として、あるいは教授としておいでになつている。こういうことも考えられるのであつて、昼間の教授が夜間の教授を兼ね得ないということはあり得ないのである。この点全国各国立大学に夜間学部の設置を文部省として早急に実現されるような努力を願いたい。それに対して置く用意を進めておるかどうか、そこまで進んでお伺いしたいのが第一点であります。  その次は、通信教育学部について、局長の御答弁によると、私立大学の通信教育学部に手を伸ばして、これに補助をしようという用意のあることも伺つたのですが、この通信教育地方におる学生たちは、実はスクーリングによつて長期直接その大学に出て教育を受けなければならないわくにはめられておるのであります。こういう際に、出ても宿舎がない。あるいはそこに行くために職場において三十日、四十日という長期の休暇をもらわなければならぬが、実際はその事業主がなかなかこれを許可しないというような苦痛にも遭遇しておる。そういう点について文部省として、せつかく通信教育学部の設立の面にまでもそうした慈愛の手を差しのべようとする態度を一歩前進させて、スクーリングによつて大学に学ぼうとうとする人々に対するそうした宿舎の便益供与等について補助金を出す用意はないか。あるいはこれらの私立各大学が、各府県ごとに総合的にそうした一定のスクーリングを地方においてさせるために、これに国庫の補助をするような用意はないか。こういうことも勤労学生に対する慈愛深き文部行政の一環として実現を待望久しくしているのであるが、御所見を伺いたいのであります。
  52. 稲田清助

    ○稲田政府委員 御質疑の第一点につきましては、学部の充実に伴いながら夜間の課程あるいは短期大学の併設をでき得る限りすみやかに実現いたしたいという念願を持つております。  第二の点は、経済的の援助ではないのでありまして、まだ通信教育は創設間もないものでありますので、いろいろ計画それ自身に文部省が参画し、また各私立大学の力を結集する必要があると思いまして、そういう点についてのあつせんをいたしておるのであります。  それから今お話のスクーリングにつきましては、文部省からいろいろな方法をもちまして、雇い主の側に御協力を願うようなお願いを始終いたしますとともに、経済的な援助といたしましては、育英会の奨学金の中にスクーリングの学生のための奨学金のわくを特に設けておりまして、それによつてスクーリングの期間東京に滞在いたします人の経済的援助をいたしますとともに、それぞれの大学におきましては、いろいろ宿舎等もごあつせんになつているように伺つております。
  53. 受田新吉

    受田委員 スクーリノグの宿舎等のあつせんに大学も努力しておる。それはもちろんやつております。しかし多数の学生を吸収するにはまさに焼け石に水なのであります。こういう点について、国立大学に学ぶ者は国費によつて十分就学の目的を達しておるが、私立大学に学ぶ者はみずからの費用によつて、みずからの財政の力によつて大学の教育を受けるというようなことになつているのであるから、私立大学に今ある通信教育の学生などに対してこそ、特に国費でその道を開いてやるという恩典を与えなければならぬ。この点につきましては今各私立大学はやつておるといつても、それは焼け石に水であるということを御確認いただいて、毎年のごとく押しかけているこれらのスクーリングをやりに来る学生たちは、ほんとうに痛ましいばかりの苦痛をなめているという現状々御確認願いたいのであります。  もう一つは、育英資金の問題が出たから申し上げたいのでありますが、今度の予算で幾分増額して三十八億程度計上しておるようであります。しかし諸外国の例に徴してみましても、その育英資金の額は文教一般の経費に比べてはなはだしく少額に過ぎる。英国のごとく、あるいはアメリカのうちにも見られるような、道を求めようとする人には、実力を持つ学生には遺憾なく道が開かれる措置をしておかなければならぬのでありますが、この点において文部省として、育英資金の思い切つた大幅増額の措置をとる用意はないか。毎年ほんのベース・アップ程度の少額にとどまつておりますが、大学の数を見ましても、学生の数を見ましても、その恩典に浴する者は、大学においても教育学部の学生が一部恩典に浴している程度で、他の学部の学生というものは、これはまことに富くじを引くような現状です。こういうことについても、育英資金の大幅増額の用意があるかないか、これは大蔵省との折衝において文部大臣が大いにがんばつてくれねばいかぬ問題でありますが、かつては昭南の市長として、また内務大臣として行政手腕の高きをうたわれた白髪の名文部大臣として、この際せつかくこの難局を救うためにお立ちになつ文部大臣として、勇気を振つて、学生にあたたかい愛の手を差延べる文部行政を推進していただきたいと思うのでありますが、この点は文部大臣から御答弁を伺いたいと思います。
  54. 大達茂雄

    大達国務大臣 育英に必要な資金を漸次拡充して参りたいということは、私どもも常に念願をしておるのでありまして、昨年の国会当時におきましても、当面の目標の一つとしてこの点をお話申し上げて御了承をいただいておるのであります。ただ、いろいろ財政の都合等がありまして、急速にこれを必要かつ十分のところまで持つて行くということはなかなか困難であろうと思いますけれども、しかしわが国の育英事業というものは——これは私の申し上げるのはあるいは間違つておるかもしれません。間違つておれば大学学術局長から訂正してもらいますが、比較的に割合に貧弱である戦後の日本の教育事業といいますか、文部省の予算といいますか、それにおきましては、外国と比べましても、育英事業関係する面におきましては相当に発達をしておる。これはもともと議員の側から非常に熱心な希望があつて、いわゆる議員立法ができまして、それに基いて比較的短期の間にこれだけの発進を来したのでありまして、この点は私どもとしても非常に日ごろ感謝しておるのであります。今後ともこれを十分に拡充して参りたい。教育の機会均等の点からもぜひこれを進めて参りたい。御承知のように本年度におきましても幾分予算を増額いたしまして、単価におきましても、それから育英資金を受ける学生の数におきましても、増額をして参つておりますが、今後とも努力いたしたいと思います。
  55. 受田新吉

    受田委員 次に短期大学と新制大学のつなぎの問題でありますが、短期大学を終えた者は新制大学の三年に編入し得る規定が掲げられてあります。ところが実際はその内部で学生が学ぶ教育課程なるものは、短期大学と新制大学の二年までの分とでは非常に差異がある。実際問題としては、大学の三年に編入する道はふさがれておるという現状でありますが、これに対してせつかく学校教育法に、短期大学を終えたものが新制大学に入り得る道が開かれておるのですから、その険路をいかに救済するか、この点について実際問題を解決する具体的措置をお伺いしたいのであります。
  56. 稲田清助

    ○稲田政府委員 御承知のように、短期大学は半分職業的の性格を持つている大学であるわけであります。従いまして短期のうちに一般教育、専門教育の両方を盛り込むといたしますれば、やはりそれを終えました者が四年制大学に途中編入いたしますときに、四年制大学が下学年においていたしました種皮の一般教育をやつていない場合には、これは入学を許すわけにも参りませんし、また入学しても学生が上級学年の取得に非常に困難になつて来るわけであります。そこで短期大学の基準というものを今研究しつつあるわけであります。もつともこれも、御承知のように昨年基準をかなり幅広くしまして、かなり専門的にもできますし、またかなり一般教育的にもできるのでございます。従いましてそれぞれの短期大学が、その経営者において、上級学年に進学する人に対しましては一般教育の広い教育を与え、そうでなくただちに職業に従事したい人には専門教育に特色のある教育を与える、こういうことができるようになつております。その新しい基準にのつとつて、各短期大学が漸次それぞれのコースを用意しつつあると考えております。
  57. 受田新吉

    受田委員 大学の教授その他の研究補助に対しまして、文部省から相当の予算をとつておることはよく承知しているのですが、大学教授が申請をした場合の研究費交付ということのみでなくて、申請をしなくても、一定基準を守ることによつて、その調査研究項目を設けて、それに対してこれだけの研究費を出すというちやんとした前提をつくつてつて、そうして大学の教授がそれを目標に研究をして行くというような措置に切りかえる必要はないかどうか。この点におきまして、大学の振興の立場から積極的研究補助機関を設置するという意味から、局長でけつこうでありますけれども御答弁いただきたいのであります。
  58. 稲田清助

    ○稲田政府委員 今、申請にまつて補助するという方法をとつておりますけれども、その申請することを周知徹底せしめることがお話のように非常に大切でありますので、学術情報事業の一環といたしまして、常に学術研究者に対して、どういう助成があり、どういう方法で申請すればよいかということを極力徹底さしております。もう相当徹底したかと思つております。またお話の一部でありまするところの、申請にまたない学術助成の方法といたしましては、御承知のごとく、国立学校におきましては講座研究費という機関それ自身に伴いまする研究費がありますし、私立学校に対しましては、御承知のように、昨年度から科学研究費の中に私立大学の研究設備の助成を設けたような次第で、御趣旨のようにだんだん充実し得ることだと思つております。
  59. 受田新吉

    受田委員 大学関係の質問を一応終りまして、次に免許法関係に質問の重点を移します。  教員養成の審議会等で免許法改正に対する答申案なども出ておるのじやないかと思うのでありますが、現行教育職員の免許法は、普通一、二級、仮免許等はなはだ複雑多岐である。これを何らかの形に整理統合してもつと能率的にさせる必要はないかという声があるのでありますが、これに対して文部省はいかなる態度で臨まれるか、これが第一点、次は、従来学校を卒業しないが一定の科目の試験に合格した者に対して、検定試験による資格付与の特典があつたので、文部省がやつておりました、かつての戦時中まで行われたいわゆる文部省検定の制度、それを復活して、修学の人が直接大学に学ばなくても道が開けるような措置をとろうとしておられるかどうか、この二点をお伺いしたいのであります。
  60. 稲田清助

    ○稲田政府委員 第一点につきましては、文部省としては、免許法につきましての改正を企図いたしております。しかしこれはまだ政府部内で検討中でございまして、まだここに御披露申し上げるに至つていないのでありますが、ただ、文部大臣の諮問機関として教員養成審議会というのがございまして、それが文部大臣に答申いたしましたうちに、ただいまお話のように、従来一級、二級、仮、臨時という四段階の段階がありましたうち、仮という段階を撤廃してはどうかという意見が入つておるわけであります。私どもはこうした委員会意見を尊重しつつ目下改正案を練つております。それから第二の点は、昨年夏の臨時国会ですでに免許法を改正いたしまして、単位修得の検定試験を実施中でございます。
  61. 受田新吉

    受田委員 教育委員会法には、公立学校すなわち都道府県の設置する学校をその職務権限の範囲内に置いております。ところが私立学校はそのらち外にあつて、これが都道府県知事の所管に入つておるのでありまするが、これは実際上教育委員会法が施行されて以来、その運営の結果、私立学校公立学校が二つにわかれていることに不便の感じはなかつたか、教育行政の上にはなはだしい欠陥はなかつたか、整理統合をする専務などについても、この二つが一本になつておつたらよかろうというような事例はなかつたかという点につきまして、文部省として私立学校公立学校と同様この教育委員会職務権限の範囲内に入れるようなことについての御意見はないか、伺いたいと思います。
  62. 近藤直人

    ○近藤政府委員 お答え申し上げます。ただいまのお話は、教育委員会の中に私立学校も所管事務として入れるということの可否の問題だと思いますが、現状におきましては、ただいまお話のあつたような事務上の不便というようなことは伺つておりません。ただいまの私立学校法によりまして私立学校は所管されておる。たとえば大学におきましては、これは文部大臣がやつておる。それから高等学校につきましては都道府県知事がやつておりますし、それから公立学校につきましては、教育委員会法によりまして教育委員会がこれを所管しておるという建前におきまして、格別不自由なことも伺つておりません。現行通りで行つて行きたいと思います。
  63. 受田新吉

    受田委員 格別不便はないということでございますが、実際の問題として、学生生徒の入学等に関しまして、公立学校と私立学校との間における調整に事を欠いておる、あるいは通学区域において私立学校公立学校との間の連絡調整に事を欠く、あるいは学資金の点において、その間に何らかの授業料に対する指示をするとかいうようなことに対しても、これを都道府県の教育委員会が一本でなしたならば、はなはだ円滑に行くであろうというような事例が私としては幾多出て来ると思うのです。こういう点、私立学校は都道府県知事がやる、それから公立学校教育委員会がやる、こうなつて、同じ教育という対象の事業をやりながら二つの監督機関があつて、命令が二途に出ておるというような現状に対して、ちつとも不便を感じないという御答弁でありまするが、私どもとしては、それは実情をほんとうに理解されての上の言葉か、あるいは現行法規を守り抜こうとする立場からの御発言であるか、伺いたくなるのです。ちつとも、不便を感じないということを確認してよろしゆうございますか。
  64. 近藤直人

    ○近藤政府委員 前に教育委員会の中に、私立大学の点につきましては全部を一括して事務を処理した方が事務の簡素化上便利ではないかという意向をもちまして、そういうような案が出たことは私も承知しております。ただそれに対しまして現実いろいろな問題はあるようでございますが、今の区分のもとに、たとえば東京都につきましては東京都の総務局の視学科におきまして私立大学を所管しております。それから公立学校につきましては、教育委員会の方で所管しているということで、事務の所管の面におきましては、お話のような不都合というものはないように私は承知しております。なお具体的な問題につきまして、研究は進めて行きたいと思つております。
  65. 受田新吉

    受田委員 もう一つ、これは文部大臣から御答弁願いたいことでありますが、文部大臣は勇気を持つて教員の給与三本建を御実施あそばされました。ところがこれによつて中小学校の教員の養成を目的とする国立大学の教育学部の受験生の数がはなはだしく減少して、有能なる教師を養成するのに遺憾の点が生ずるということをわれわれは指摘しておつたのでありますが、この問題は、文部大臣として、小中学校教育を軽視するような傾向にあることをわれわれが憂えたあの発言に対して、現状は、ことしの受験生の率を見ても、中小学校の教員を志願する学部の受験生の数は、ほかの学部に比較して競争率が非常に低い、これでは優秀な学生を得るのにはなはだ支障が起ると思いますが、大臣はこれを救済する道を何らか研究して、そういう欠陥を生ぜしめないような措置をとる用意はないか。この点は法律を実行されることになられた文部大臣として重大な責任があると思いますので、御所見を伺いたいのであります。
  66. 稲田清助

    ○稲田政府委員 お話のように、私最近調べておりますけれども、特に教育学部の志願者が前年度に比較して著しく少いという事実はあまり見当らないのであります。ただ他学部に比較してというお言葉は、その通りでありまして、これはまだ遺憾ながらやはり他学部の方の志願者が例年多いのであります。これらに対しましては、私どもとしては例の育英会の奨学金の貸付の規定を昨年改正いたしまして、もし義務教育学校に勤務する場合におきましては、貸付の奨学金を返さないでもよろしいというような規定改正もいたしまして、こういうような方法をもつて志願者の確保をはかつておるような次第でございます。  さらに御承知のように、小学校課程は小学校向きの教育課程をいたしますので、もともとこれは他の希望いたさない人が入つて来るわけであります。それから中学校課程は、高等学校の免許状も、それは持てば打ち得るのでありますけれども、これは実際就職の問題におきまして、御承知のように高等学校の方は限りがあるわけでございますから、高等学校に行きたいといつても、別にそれだけ同等学校の方に行つて、中学校に就職がないというような見通しは私どもは持つていないのであります。ただ義務教育職員確保という点は、教員養成上も非常に重大でございますので、今のお言葉の趣旨のように私どもは十分進めて行きたいと思つております。
  67. 前田榮之助

    ○前田(榮)委員 ちよつと関連して……。私は大学の制度についてちよつとお尋ねいたしたいのですが、その中で、御承知のように理論物理学については本年も相当力をお入れにたつて、平和産業的な研究も進めて行くというようにお考えになつておるようでございます。ただ現実において、今の理論物理学の研究生というものが、将来の生活保障といいますか、就職の面において、あれほど世界的に名をなした日本の理論物理学の研究を相当若い学徒が夢を描きながらいたしても、さて大学の教授等になる人は限られた人であろうと思うのであります。それでその他のいろいろな職業につくといつても、アメリカのように原子爆弾等の大工場、研究所というものがあるわけでなし、従つて日本のこれらの研究生の将来について、大学の教授の中にも非常に心配されておる方があるやに私は聞いておるのであります。こういうことについて、あれほど世界的に名をなした日本の物理学でありますから、文部省は何か将来の計画といいますか、考えがなければならぬと思うのでありますが、この点はどういうお考えをなさつておるか、その点が第一点。  第二点は日本の原子力の問題で、つまり原子兵器をつくることは許さるべきものでもなく、それはまた日本の現在の力では及ばないところがあるだろうと思うのであります。ただこれが平和的な科学等に利用される部面が将来に非常に多いと思うのでありますが、これをやるのにはどうしてもウラニウム等の原子資材の採掘といいますか、採出ということに目をつけなければならぬと思うのであります。これが日本においてはどこにあるかまだ十分わからぬ状態でありますし、またそれをわからせようと学界でもしておらぬやに私どもは聞いておるのであります。これでは研究するにほんとうに力が入らぬと思うのでありますが、こういうことについての御所見をお伺いいたしたいと思うのであります。  それから第三点といたしましては、これは局長にも一度お耳に入れたと記憶いたしているのでありますが、広島大学の理論物理学の研究所が賀茂郡の竹原というところにあります。ここには長岡半太郎博士その他アメリカ等の研究者のなかなか手に入らぬ書籍があるのであります。これは私も研究所へ参りまして拝見させていただいたのでありますが、これが木造のきわめて貧弱な書庫の中に入れてある。このごろよく学校の火災等があるのでありますが、これらが万一火災にかかるということになりますると、再び手に入れることのできない書籍のように私たちは聞いております。こういうもののためにどのくらいの不燃性建築の書庫が必要かといいますと、二百万円程度でよかろうということであります。理論物理学に非常な貢献をいたしておるこれらの重要な資材というものが、こういう危険にさらされているような感じが私はいたしておるのであります。日本の世界的に名をなしたところの学術研究でありますから、文部省はもつと積極的に——こういうものに対して、二百万円そこそこの金が何とかならぬことはないと私は思うのでありますが、これをこのままほつておこうというお考えなのか、この三点をお聞かせ願いたいと思います。
  68. 稲田清助

    ○稲田政府委員 第一点は、日本の物理学が理論物理に偏しやしないかという御懸念でございます。もちろん日本には湯川あるいは朝永という理論物理の優秀な学者がありまするけれども、これと相表裏いたしまして、実験物理の面を強化するという意図のもとに、御承知のように原子核研究所というものも企図いたしたわけで、単に実験物理ばかりでなく、周辺の物理学一般を振興しなければ、へんぱな行き方では学術振興をし得るものでないということは、私どもも御意見のように考えまして努力いたしつつある次第でございます。  第二のウラニウム原鉱等につきましては、私どもも耳にはいたします。別にこれを秘匿もしなければ、特別に閑却する問題でもないのじやないかと思いますが、それらはまた地質学者の間において、今世界の重大な課題でございますので、日本におきましてもそうした点は十分研究しつつあることだと確信いたしております。  第三の竹原の問題ですが、かくのごとき問題は全国的に私も非常に心を痛めております。われわれといたしましては、学校施設の建築計画といたしまして、図書あるいは標本室というものを、できるだけすみやかに不燃性の建造物をもつて充実したいという意図をもつて進みつつあります。総合大学あたりにおきましては漸次そういう点が実現しつつありますが、御承知のように竹原に独立しておるあれは貴重な研究所であり、研究品であります。私ども心にはいたしておりますが、まだ実現し得ないのは遺憾でございますが、十分将来努力いたしたいと思つております。
  69. 辻寛一

    辻委員長 町村金五君。
  70. 町村金五

    町村委員 きょうは日本の戦後の学校制度の根本的検討といつたような問題について、二、三の観点からお伺いをしてみたいと思うのであります。  御承知の通り戦後の日本は各方面とも非常な混乱をいたしておるのであります。教育界またその例に漏れないで、私の見るところでは非常な混乱をいたしておる。この混乱は、もとより社会全体の混乱がその原因であることは申すまでもないのでありますけれども、同時にまた戦後の新しい学校制度が根本的に立てかえられているところにその大きな原因の一つがあるのではないか、私にはさように考えられるのであります。言うまでもなく学校制度というものは、国情に適合して真に教育目的を十分に達成されるようなものでなければ、決して真の学校制度としてりつぱなものと言うわけには参りかねるのであります。私外国の例はあまり存じませんけれども、諸岡の例を見ましても、みたその国情にいかにして合致せしめるかということには、非常な努力が払われておるというように私は感ずるのであります。どうも今日の学校教育というものが、今日の日本の社会の真の需要に応ずるという点について、非常な欠陥があるのじやないかという感じがいたしてならないのであります。戦後の六・三・三四の制度というものは、申し上げるまでもなく日本の国情を十分にわきまえない者の手によつて、日本に強制されてでき上つて来たというところに根源があるのでありますが、すでに十年近くの日時を経過いたしました今日におきまして、教育効果の点を考えてみても、むしろ学力は全般的にどうも低下をして来ておるということが一般に指摘されておる。また学校の設備のごときも、今日の日本の経済力をもつてしてはむしろ危険校舎のようなものが続出する方が多くて、これを追いかける方の力が間に合わないというようなことも考えられる。その他いろいろな面において、たとえば先ほどもお話の出た大学などは、いたずらに数ばかり多いけれども、これはただ形骸を擁するにすぎないというようないろいろな点を考えてみますと、私はこの学校制度というものについてもう一度根本的な再検討が必要なのじやないかという気がいたすのであります。もちろんこれは非常に重大な問題でありますから、文部大臣といたしましても、ここでただちに私に簡単な御回答をなさることは、もとよりできないことも十分に承知をいたしておりますけれども、とにかく一体今日のこのままの学校制度でよろしいのであろうかどうであろうかということに、非常な疑問を抱いておる国民が非常に多いということは、文部大臣もよく御了得に相なつておることと思うのであります。これに関連いたしまして、そういつた見地から二、三の問題について御意見を伺つてみたいと思うのであります。  まず義務教育の問題でございますが、御承知の通り、文部省が発行いたしております各国における学校系統図と教育統計というものを拝見してみますと、日本のように義務教育九年制を採用いたしておりますのはアメリカとイギリスばかりであり、ほとんどすべての国が六年制、あるいは七年制、八年制であつて、さらに四年制を採用しておるというような国もあるのであります。もちろん教育の機会均等という立場からは、この義務教育九年制が文字通り充実して行くことができるならば、これ以上の喜びはないのでありますけれども、しかしながら新制度が実施されてすでに十年近い歳月が経過しておるにかかわらず、なお依然として教員は非常に不足をしておる。建物もただいま申し上げたようにボロ校舎が多い。教員の素質のごときは、むしろだんだん低下の傾向にさえあるのではないかということが言われておるようなありさまであります。いわばいたずらに年限だけは延びたけれども、かんじんの教育の実というものは、私に言わせれば必ずしも十分に上つていないというのが日本の現状じゃないか。しかも今日のわが国の財政状態を考えてみると、当分こういうような状態から抜け出すということは、ちよつと望みがたいのじやないか。そうだとすれば、この制度の将来にも非常に悲観的な観測を下さざるを得ないような感じがいたすのであります。はなはだ乱暴なことを申し上げるようでありますが、教育というものは、必ずしも年限が長いということだけが尊いわけではなくて、要はたとい短かくても充実した教育ができるということが、本来教育の庶幾すべきものであることは申すまでもないと私は思うのであります。そこでまず今日の義務教育の六・三制については、従来も文部当局はこれをもちろん維持ということをしばしば言明もせられ、再確認をしておられるのであり、またこれをりつぱに維持し、将来その内容を充実して行き得るだけの確信を文部当局においてお持ちになつておるのであれば、われわれもこれを支持するにもちろんやぶさかなものではなく、むしろこれを大いに歓迎をいたすものであります。しかしながら今のような状態が続いて参るということが、私どもに言わせますれば、ほとんど動かしがたいような状態であるとするならば、むしろこの六・三制というものについて根本的な再検討を加えるという意味におきまして、あるいは識者を網羅いたしましたような審議会というようなものを設置されて、まじめにこの問題を研究し、これと取組んで行つていただく必要があるのじやないかということを考えるのであります。文部大臣の御意見を伺いたい。
  71. 大達茂雄

    大達国務大臣 御指摘のごとく、戦後わが国に打立てられた教育制度、義務教育を中心としての問題でありますが、とにかく教育というような、長い将来にわたつての国家の方向、運命を決するような重大な制度というものが、戦後、いまだかつて経験したことのない敗戦のあとを受けて、一般の人心がまだその向うところを知らなかつたというような混乱の時期に打立てられたということに、やはり一つの問題があると思うのであります。それともう一つは、実際の上からいつても、戦争による非常な窮乏によつて学校の施設というようなものも非常に不十分であり、義務教育機関を延長したからといつて、それに必要な校舎をどんどん拡充して行くことが、現実の問題としてまず絶対といつてもいいほど不可能の状態に置かれておる時期にこの制度が発足をした。また学校教育に当るかんじんの先生の養成についても、日本の幾多の若い俊秀な人々が戦争でなくなられており、あるいはまた戦争中教育が閑却された自然の結果として、学校の先生の方にも、十分充実した実力を持つた先生をそろえて、義務教育延長に対処するだけの準備も何もなかつた。そういうように全然無準備であり、人心安定せざるときにあたつて、この画期的な制度が発足をしたということが、実は非常に無理であつたと私は思うのであります。しかしながらその後各方面の努力、協力によりまして、いろいろな混乱はありながらも、この困難を克服しつつ今日まで参つて来たのであります。この新たに打立てられた教育制度というものを、その所期するところの理想に従つて充実をして行く。これは政府だけでなしに、朝野をあげての今日の義務であると思うのであります。幸いにして今日、いろいろ不十分なこと、また各方面に苦情はありながらも、だんだんといわば体をなして来たということは、私は非常に力強く思うのでありまして、今後この方向において、ますます教員の素質の向上、学校施設の拡充、これらの面に、せつかくできた制度でありますから、これを生かして参りたい、かように考えております。
  72. 町村金五

    町村委員 文部大臣としては、この制度を何とかして盛り立てて充実して行かなければいけないという、そのお心持はよくわかるのであります。またわれわれといたしましても、せつかく打立てた、まだアメリカとイギリスでしかやつていない義務教育九年制度というものを、りつぱに日本において充実をさせて参りますることが、今日非常な経済的困難に陥つておる日本人が、将来新たな世界的な地歩を占めて行く上においても、これは重要な基盤をなすものだと思う。従いまして、何とかしてこの義務教育九年制というものが所期の目的を達成できるようなぐあいに、今後とも盛り立てて行くことについて、一段と文部省の御努力を要望してやまないのでありますが、これに関連して私が考えますることは、どうも今日の日本の教育というもの、ことに大学教育等においてはなおさらそういうことが感ぜられますが、義務教育の中におきましても、どうも教育の実態というものがあまりに画一的に流れて、真の国民の要望に合致するような仕組みになつていない、非常に弾力性がないというような感じがいたしてならないのであります。たとえて申しますれば、今日中学校を卒業いたします者は、ほとんどその大部分がただちに実社会に出て参るわけなのであります。従つて学校を卒業してそのままただちに実社会に出ます者には、今日行われているような単なる普通教育のほかに、多少なりとも世の中に出てただちに間に合うような実業教育というものが、これらの方々にはもつと十分に施される必要があるのではないか。ところが今日の中学校は、ほとんどそういうような実業教育というものを軽視いたしておりまして、まつたく一般教養というものだけしかやつていないというのが実情だと思うのであります。従つて卒業生自体も、世の中へ出てから一向間に合わない者が来たというわけで、十分に歓迎されないような状態であり、子供らにもまことにかわいそうであるし、また受取る方の世の中にしても、あまりにどうも非実業的だというような非難を非常にあげておるというのが、今日の現状ではないか。従いましてそういうような点から考えてみまして、何とかして今日の中学校教育においては、あるいは農業なりあるいは工業なり商業というような実学科目を、少くとも中学校だけでもつて終るという者には十分に教え込んでやる。あるいはまた今日たくさんありまする中学校の中には、一部は初めから、あるいは農業中学であるとか、あるいは商工業中学というようなものに振りかえるというような、適宜な措置が必要なのではないかと思うのであります。そういう点について今日まで文部省がどういうふな措置をお講じになつていらつしやつたか、また今後いかなるお考えをもつてこれにお進みになろうとしておるかということも、伺つておきたいのであります。このことは高等学校については一層同じことか言えるのであります。一層その欠陥を指摘することができるのではないか。いかに大学がふえたとは申しましても、高等学校の卒業生が実社会にそのまま行かないで全部大学に行けるわけのものではないのでありまするし、またそういうようなことが、今日の国家の状態から考えてみて、必ずしも望ましいとばかりも言えないような実情であるのでありますから、それらのことを考えてみますと、少くとも私は今日の高等学校というものについては、相当根本的な改革をお加えになる必要があるのではないか、私は先ほど画一的でいけないということを申し上げたのでありまするが、あるいは今日の高等学校は三年でありまするけれども、その高等学校だけ卒業いたしましても、わずか三年の実業教育だけでは世の中へ出て十分に間に合わない。そうかといつて大学の卒業生は必ずしもほしくないというような実際上の世の中の事情に応じまするためには、あるいは今日の高等学校を三年制のものばかりに限定しないで、あるいは四年制の高等学校ないしは五年制の高等学校というように、いろいろ実情に応じて必要な程度の教育を施し得るような学校制度というものもお考えになつてしかるベきじやないか。あまりに六・三・三・四と固定をしてしまつて弾力性のないところが、今日の六・三制に対する批判というものが非常に起つて来ている大きな原因の一つじゃないか。世の中の事情というものは種々雑多、千差万別なんでありますから、一つの鋳型に入れたものしか世の中に供給しないという教育の方法が間違つているのじやないかというふうにも考えられるのであります。そういつたような意味合いで、何も六・三制そのものにただちに根本的改変を加えるというようなことを必ずしも考えなくても、この六・三・三・四を土台として、これにいろいろな改善を必要に応じて加えて行くというような、もう少しゆとりのある考え方というものができないものか。それによりまして、自然的に世の中の実情と要望にこたえるような者がだんだんでき上がつて行くのではないか、そこらのごくふうというものがないものであろうかということを伺つておきたい。
  73. 大達茂雄

    大達国務大臣 確かにお話の点はあると思います。今の教育制度というものが、とにかく一般的に教養の高い視野の広い人をつくり上げる、こういう見地から、そういう方面に——それが今日非常に窮迫しておる社会、また今日経済の自立ということが、国民に課せられた当面の根本的な大問題であるという情勢からいつて、あまり理想に過ぎるのじやないかということは、これは十分考えられてしかるべきことであると私は思います。産業教育振興ということが近ごろ力強く要望せられますことも、やはり御指摘になりましたような、実際の社会的な需要というものにその基礎を持つておるものであると思います。戦前のように、あるいは農学校であるとか、商業学校であるとか、あるいは各種の専門学校であるとか、とにかく教育を終えて社会に出てすぐ個人としてはそれぞれ生活の基礎になることになり、また大きくしては国の産業全体を振興させる力に結集されるという点が、今日の教育制度においては、理想の高きに過ぎる結果、その意味において国情に沿わぬというか、社会の実態、実際の必要から少し離れておるという見方は、確かに私は成立するお考えだと思います。従来におきましても、産業教育というようなものも、主として高等学校を対象として、いわゆる実業教育といいますか、これを充実するということに方向づけられておつたのでありますが、中学校の方面におきましてもこの方向を強化して、中学校を出たら、それがすぐ本人としても、また社会としても、有益なものになるようにして参りたい。これは学校の教科の内容において考えなければならぬと思うのでありまして、そういう意味で検討しておる次第でありますが、また予算等もそういう見地から産業教育が振興し得るようなことに重点を置いて参りたい、こういうことで従来とも努力をしておるのでありますが、さらに進んで、現在の教育基本的なわくというものはかりにそのままとしておきましても、そのうちで、ただいまお述べになりましたようなことを検討するということは、私も大体同感に存じます。今後十分研究して参りたいと思います。
  74. 町村金五

    町村委員 さらに私は大学の問題について一つお伺いしたいと思います。前の国会においても私はちよつとお尋ねをしたと思うのでありますが、戦後の日本の最も大きな特色は、御承知の通り各県に全部国立大学ができ上つたということだと思うのであります。これは、もし日本にそれだけの国力があり、またそれにふさわしいだけの教授が十分に配置をされるというような状態であれば、これはまことにこれ以上の喜びはないのでありまするけれども、事実はそういつたような国力もなし、また教授も昔の専門学校あるいはそれ以下の先生が、今日は国立大学の先生になつておるというような状態で、その内容はきわめておそまつなものであるということは、ほとんど一致した世間の批判のように私は承知をいたしておるのであります。従つて大学の濫設されておりまする問題で、今ただちにこれをどしどしやめてしまうか、あるいは縮小をするということは、先ほども受田君の御質問等にもあつて、容易でないという御回答を大臣はしていらつしゃいましたが、私も確かにこれはそう簡単にできるものだとは思いません。できるものだとは思いませんけれども、しかしながら大学濫設の傾向というものは、さらに今日の各地方の状況を見ますると、これが少しもとどまつていない。今度の文部省の予算などにおきましても、いろいろな新しい学部の増設というものを文部省自身もやつていらつしやる。またその他一般の私立方面におきましても、かなり新しい大学がどしどしと実は認可をされ、増設をされておるというような状態で、大学の数だけは、確かに日本はおそらく近いうちに世界一になるかもしれませんけれども、その内容は、あるいは私をして言えば、世界一貧弱なことになつてしまうおそれもなきにもあらずじやないかということを憂えるのであります。従つて、一体文部省としては、この氾濫するところの大学増設の空気というものに、いかに今後対処して行かれるおつもりであるか。私どもは大学ができるということは、旧全体の教育の水準、国民全体の学力の水準の向上を来すということが、もとより目的でなければならないと思うわけなんであります。それが必ずしも所期の目的をあげ得ないというような状態において、いたずらに大学だけがどしどしふえて参る、しかもこれに対して何ら規制するところの方法というものが加えられていないで、このままだらだらと大学だけがやたらにふえて行くという現状を放置しておくということは、文部省としてはあまりに策がなさ過ぎるんじやないか、大学教育というものについて、真剣な御検討が多少欠けておるんじやないかというような感じがいたすのであります。まずその点を一つつておきたい。
  75. 大達茂雄

    大達国務大臣 戦後大学が非常にふえたということは、これは衆目の見るところ、人の言う通りであります。ただこれは結局大学へ入学したい、もしくは父兄としては、ぜひ大学まで子供を学ばせたいという要望が非常に熾烈なものがある。その国民の非常な要望が、方針のいかんにかかわらず、実際大学が年々数がふえる、あるいは大きくなつて行く、こういう結果を来しておるのであると私は思うのであります。日本人が、戦後かような打ちのめされた状態であるにもかかわらず、しかもなお青年においても、またその父兄の人々も、向学向上の念に燃えておるということは、これは非常に日本の将来から見ても喜ぶべきことである、かように考えますし、またこれは一面においては日本の人口が非常に過剰であつて、なかなか世の中へ立つて、いわゆる市民として安定した生活を営むということの見通しが非常にむずかしい。であるからして、とにかくそれがためには、本人も親としても、ぜひ大学へ入つて、少しでも世の中に立つて行く地歩を占める上において有利な状態に持つて行く。結局日本経済の非常な窮乏が、逆に大学へ入りたい、その窮乏をがまんをしながら大学へ入りたい、こういう現象を来しておるのではないかと思うのであります。その結果、これらの国民的な要望というものが自然に反映をして、今日御承知のように大学に学部を増設してくれとか、あるいはそういう類の地方々々における要望が非常に強いのであります。私は大学が、もし町村君も言われましたように、内容が充実した、りつぱな大学であれば、国民の教養を高める上においても、また国家将来の発展の上においても、多過ぎて困るということはないと思うのであります。御指摘のように、ただ一般の大学に入りたいという要望に押されて、比較的に大学としてのあまり内容を持つておらぬようなおそまつなものが続々出て来るということは、これは決して喜ぶべきことではありません。しかしとにかく国民の熾烈なこの要望は、これを押えつけるということ、もしくはそれの需要に応ずるだけの努力をしないということは、また二面から見て国としては怠慢である、こう思うのであります。結局は大学の内容を充実し、先生もりつぱな先生とし、また施設、設備の上においてもこれを充実して行く、こういうことにおちつかざるを得ないと私は思うのであります。それでは、ただあまり現状のままでするする行つて、一向無定見、無方針ではないかということもあるかもしれませんが、しかし私は、この国民の強い要望は悪いことではないので、人間としても向上し、向学の念に燃えるのをただ抑えるということは、なかなか無理じやないか、また押えてはならぬものじゃないか、こういふうふうに思つておるのであります。この点において、私立大学というものにもりつぱな大学もあつて、従来日本の大学教育の上に非常な貢献をしておることは言うまでもありませんが、また中にはいいかげんな大学があるかもしれません。しかしこういう私立大学が、とにかく三百も四百もできておること自体が、いかに大学というものに対する国民の要望が強いかということを反面物語るものでありまして、町村君の言われることは、私はごもつともと思いますけれども、現実の問題としては、方針を立てて、金でも非常にあつて、アメリカみたいに非常な金持のところであれば、先ほどの問題にしたところで、まず一般の教養を高めるということに教育の重点を向けて行けるが、大学でも、今日は私よく存じませんが、初めの二年はやはり一般教養で、結局残る専門といえばあとの二年であるという、まことにぜいたくな楽な国の制度を、そのまま極端に貧乏な国に持つて来ているところにいろいろ困難が起こつておると思うのであります。しかしその困難を乗り越えて行くべきで、国民の向学心というものを抑制する方向をとるということは、そう簡単には行かないと思います。
  76. 町村金五

    町村委員 確かに大学が非常にふえるということは、国民の間によく言えば向学心か非常に強いということがその原因であり、自然その要望に応じて、大学だんだんとふえて参るということは、確かに大臣の言われた通りだと思うのであります。しかしここにわれわれが考えておかなければならないことは、はたして今日の大学というものは、国民から一体どういう理由で要望されておるのか、これは私はやはり日本人の一つの形式主義と申しますか、とにかく大学を卒業すれば、適当なところに就職できるかもしれないということで、実は大学にねこもしやくしもみな入ろう、こういうことから、非常に入学志願者が、ふえて参るということなのであります。その結果、今年あたりは十何万人かの大学卒業者が出るけれども、さて、はたして子供らが卒業した場合に、十分に大学の卒業生らしい就職口が得られるかというと、ほとんど今日ではとざされておつて、どこへも行けない。大学を卒業しても卒業しなくとも、実は同じだというようなところまで追い詰められておるばかりでなく、とにかく大学を卒業したにかかわらず、どこへも就職ができないということになりますれば、これらの若い人たちの気持というものも、おのずから感化せざるを総ないということは、もとより当然の事柄なのであります。これらのことを考えて参りますると、どうも私は、今のままに学校を、ただ要望があるからといつて、そのままほとんど放任的にどしどし増設して行くということをこのままにして行つていいのかということには、実は相当の研究の余地があるんじゃないか。ただいまも大臣が指摘されたように、非常におそまつな学校がずいぶんあるそうだというようなお話であつたのでありますが、一体そういうおそまつな学校までも、いわば希望して来ればどしどし認可をなさるものであるかどうか。いやしくも大学と銘打つて、日本の大事な子供を預るところの責任のある大学としては、十分に大学らしいところの教養を与えることについて、できるだけ責任の持てるようなものでなければ、私はそれを大学として認むべきものではないと思うのであります。今日地方をまわつて見ますると、何か小さな古いバラツクの建物に大学というような看板を出しているまことにおそまつなものが私どもには見受けられます、もちろん建物が悪いからといつて、あるいはそれだけで批判することは早計であるかもしれません。中にはりつぱな大学教授がたくさんそろつておられるのかもしれませんけれども、少くとも外形的に見ますると、こんなものが一体大学かと思われるようなものさえも、今日まで文部省は認可していらつしやるのじやないか、あるいは文部省の認可じゃないかもしれませんが、とにかくどういう基準を設けてああいうものをどんどん認可になつておるのかというところに、私どもは非常な疑問を抱かざるを得ないのであります。傾向としては、もちろんりつぱな大学がたくさんできるということは、もとより好ましいことなのであります。しかしこれはやはり一定内容を具備したものでなければ、ただ要望があるからといつて、簡単に認可をされるということは、私は文部省としてははなはだ無責任じやないかと思うのであります。そういつた点は、一体どういう実情になつておるのか、そういう点、今までのああいつたひどいものは、やはりそのままにしておかれるおつもりか、また今後は一体どういうふうなお考えでお進みになるつもりか、その辺をひとつ……。
  77. 稲田清助

    ○稲田政府委員 御承知のごとく、文部大臣が大学を認可いたします場合には、大学設置審議会の審議に付するわけであります。多くの大学が申請して参りますが、ただ下審査におきまして、審議で落第するということに至らずして、話合いの上、申請を撤回する数というものは非常に多いのでございます。審査で合格しない数も相当ございます。しからば審査に合格したものに、どうしてああいう古い設備があるかという、お尋ねでございますが、これは実は高等専門学校を大学に転換いたしましたあの事情から、認可いたします場合に、認可には一定の認可基準——かなり高い認可基準を持つております。それに無条件に合格したものばかりを認めるということは、非常に当時混乱を生じましたので、いろいろ厳重な条件を付して認可いたしております。建物、設備等もすみやかに充実するという条件を付して認可いたしております。さらに条件を付されました大学が、学部の拡張、あるいは大学院を置きます場合には、すでにつけました条件が十分充足してない場合の拡張は、一切押えておるような状況でございます。そういうような状況で設置以来五年たちまして、相当人的にも物的にも各大学は充実して参つたと思つておりますけれども、まだすべてが条件を充足されたという状態ではないのでございます。完全に条件のついてない大学は、国立において三校、私立において二校しかないのであります。文部省といたしましては、これら大学当局と今後とも協力いたしまして、認可の際つけました条件の充足を実現するようにいたしたいと考えております。
  78. 町村金五

    町村委員 なお、私はこの際最後にもう一つだけ、教員の養成機関の問題でお伺いをしたいと思います。  戦後は、昔の師範学校というものはなくなつてしまつたのでありまして、かわりに学芸大学とかあるいは総合大学の教育学部というようなものになつて新たに発足をしたようであります。はたして一体これらの新しいそういつた機関というものが、昔の師範学校以上にすぐれた教員を養成する上において、十分な効果を上げておるのかどうかということを伺つてみたいと思うのであります。私のきわめて狭い見聞をしたところでは、どうも昔の師範学校生徒には、ずいぶん優秀な地方の青年が入学しておつた。ところが今日の学芸大学におきましては、同じ大学であれば、他の学部に行つた方がいいというような考え方から、先ほども稲田政府委員のお答えがありました通り、学芸大学の方は比較的志願者が少い。その内容を見ますると、必ずしも初めから学校の先生になるつもりでいないで、他の学部に入ろうと思つたが、入れないので、しかたなしに実は学芸大学に入つたというような者もずいぶんあるかのように聞いておるのであります。従つて年限だけは大学ということになつたけれども、入つて来るところの学生の素質というものは、昔の師範学校に入つた者に比べてみると、はるかに素質が低下をしておる。従つて大学の卒業生ではあるけれども、教員たるの素質において、あるいは学力において、むしろ不十分なものがある。今日の学芸大学の卒業生として、他に就職しようと思つてもできない。そこでやむを得ず学校の先生になるんだというようなこともかなりあるかのように私は承つておるのであります。まずこの実情をひとつ伺つておきたい。
  79. 稲田清助

    ○稲田政府委員 御承知のごとく、国といたしましては、中小学校教員の養成をその仕事として持たされております。従いまして、大学の総一学年定員四万八千人のうち、二万二千人というものをこの教員養成にさかざるを得ないのであります。従いまして大学の教育力の相当大きな部面をこの面に費しておるわけであります。昔の師範教育と今日の大学の教員養成教育といずれが実力がつくかというお尋ねでありますが、これは中小学校教育の質の相違ということが相当問題だと思います。御承知のように昔は国定教科書を一律に教えましたので、それを実際に適用いたしまして教えることを師範学校で授けることは、比較的容易に実力がつくものだと思うのであります。今は教科書はきまらない、社会科、理科というような非常な広範な領域において、児童の生活に即した自発的教育を指導する力を与えるのでありまするから、教員養成教育に期待し、また、またなければならない点が非常に重く大きいのであります。それを充足させるという点につきましては、これは学生の素質も教員の質も高いことを要求せられるのであります。教員の方は漸次転換せられまして、充足せられて来たと思うのでありますが、学生の方は、御承知のように、昔の師範学校は給費があり、授業料がなく、しかも卒業後の義務就職があつたわけであります。今日これらがすべてほかの学部と同じ場合におきましては、やはりなかな優秀な学生を得にくいのでありますが、その点から考えまして、昨年夏御審議いただきました日本育英会法の改正におきましても、育英会の奨学金を、教育学部におきましては、かなりほかの学部よりもパーセンテージを多くして貸し付けまして、学業生が義務教育に就職する限りは、償還を猶予、免除する、こういう方法をもちまして、志はありながら、学資等の関係でほかに行けない人たちをこちらに招致するということにもなるわけであります。文部省あるいは大学当局は、そういう意味におきまして、量、質ともに充足に努めておるような次第でございます。
  80. 町村金五

    町村委員 今学芸大学についての御説明を伺つたのでありますが、私が先ほどお尋ねをいたしました通り、いい学生が集まらないというようなことでは、これは今稲田局長の言われた通り、先生陣がりつぱに整備せられても、学生自体にいい者が入つて来なければ、とうていりつぱな教員になれないということは、わかり切つた話なのであります。どうしたならば一体いい学生が得られるかということを、もつとひとつ深刻にお考えいただく必要があるのじやないか、育英会法の改正によつて、ある程度優先的に育英資金をこの方に渡すのだということで、はたしてこの問題が全面的に解決できるものであるかどうか。私はやはり昔の給費制度というようなものを復活してみるということも、この際これは十分に研究すべき一つの問題ではなかろうか、また他の大学の学部に入りそこねた者が入つて来るという弊害を防止するためには、初めから国家として、そういつたものと別箇に、新たな教員養成の機関というものを設けるか、あるいは学芸大学というものをそういうようなかつこうのものに改変をする。学校の先生にならないような者は、そこには入れないという措置を講ずるということにいたしまして、あの学校には、最も優秀な人間が喜んで入つて来るというようなことをお考えになる必要があるのじやないか。どうも今のままで、多少育英会法の改正で、学資の多少の補助をするという程度くらいの改革では、私はとうてい優秀な先生を計画的に養成するというような措置にはならないのじやないかというように思われますが、いかがでありましようか。
  81. 稲田清助

    ○稲田政府委員 ごもつともでございまして、給費の制度も研究しないではないのでございますが、かりに国費をもつて給費した場合に、給費せられました学生が、卒業とともにほかへ散つてしまうのじやぐあいが悪い。給費する以上は、やはり就職の指定がなければ、一般納税者の負担において国費で養成するということも成り立ち得ぬのじやないか、ここに問題がございます。ところで御承知のように、職業安定法第二条でございましたか、選職の自由という建前が今日とられます以上、就職指定ということが、はたして今の法制下においてやつていいのか悪いのか。そこにわれわれとして非常に躊躇する問題があるわけでございます。それから一方、お話のように一般大学と違つた養成機関ということも常に研究せられるのでありますけれども、これにつきましては、従来の師範学校が、師範教育として一般の専門学校から隔絶した点に、教育としていろいろ論ぜられる面があつたという事情も一部にございまするので、新しい学制制度におきましては、一般学生と同じ領域において教員養成教育をやるのがいいということで出発して参りました。その上において諸般の欠陥を是正するということを努めて参つた次第でございます。お説の点も根本問題でございますので、十分私ども研究いたしたいと思つております。
  82. 相川勝六

    ○相川委員 今の町村委員の質問に関連いたしまして、私も平素痛切に感じておることですから、文部大臣の御意見を伺いたいと思います。今の大学の濫設のために、その内容のいかにもそろつていないということは、まことに国家のために憂うべきであります。現在の大学を、十分に大学の面目を発揮するように設備を充実するということは、現在の国の財政状態から困難じやないかと私は思うのです。そこでこれも私のきわめて狭い視野でございまするが、大体大学ができるときには、各県で、おれのところは師範学校があつたから学芸大学にする、それに備えて何を置くというわけで、各県競つて総合大学的なものをつくつておる。そうしてその大学の内容を見ますると、十分な実験室もなければ、設備もなくて、ただ農科といい、工科といい、理科といい、水陸科といい、鉱物科といい、林業科といい、いろいろのものがある。そこで大学の先生もあまりそろつていない。また実験機関も十分でない。こういうことで、水産科を卒業としたといつても、あるいは工科を出たといつても、とうてい一般の卒業生並に行かないと思う。文部省では設備が充足しておるとおつしやるかもしれませんが、われわれの目から見ると、大学の学長自身が、これではとうていできませんと言つておる。それならこれを現在の国家財政のもとにおいて急速に実行するということは、なかなか困難だと思います。私は、各県の状態で各県ごとに、大体どういう大学を重点として置くかという御方針をおきめになつたらどうかと思う。たとえば農業県のようなところに工科を置いたつて、ろくな工業がないところに工科を置くことも変な話なんです。あるいは水産科を、その県が水産県と言われぬようなところに置くとか、あるときは県会議員あたりが競つて自分のところに農林学校、あるいは師範学校を中心に総合大学的のものを置いたわけですが、県が寄付金を出しますというわけでやつておりますが、寄付金も十分そろつていない。どうもなかなかこれは至難だと思いますけれども、大体各県の実情を見て、どの県の大学は農科と林科を置くとかして、合計してずつとお互いにきめておく。ある県は医科を盛んにする。あるいは工科を盛んにする。あるところは水産を盛んにするという、大きな視野から考えて、現在の大学の学芸部以外の課目については、整理統合をやる。そこに先生方もできるだけ集中する、そこの設備もよくするということにして、現在の大学設備の充実をはかることにすればよろしい。これは理論としてはいいと思う。ただ地元の県会議員とか、府県の要望あたりが、せつかく置いたのをやめちや困るという反対をいたしましようけれども、これは国家的見地に立つて考えるべきじやないかと思う。私は、いつか文部省に各大学の科目の一覧表、学部の一覧表をお願いしたこともありますが、あいにく手元に今持つておりませんから、私は具体的なこまかい所論ができませんので、きわめて達観的な意見でありますが、そういうやり方はできないものでしょうか、これを大臣に伺いたいと思います。
  83. 大達茂雄

    大達国務大臣 お話のようなことはまことにごもつともと思いますが、今現に各県において大学ができ、現に教育が行われておりますから、今ごろになつて、この県では水産科、この県では工科を置く、こういう切りかえをするということは、これは実際問題としてなかなかできないと思います。なかなか学生を……。(「それをやらなければいつまでもできぬじやないか」「選挙運動のためにしているからできないのだ」と呼び、その他発言する者あり)今後できるだけそういうことになるように、学部なり学科については設置するということにして参りたい。ごもつともでありますが……。(「もつともならやりたまえ」と呼ぶ者あり、笑声)もつともだからやれというが、そう簡単には行かないのです。そこで学生がその町から学校へ通つておるものを、隣の県へ行かなければ学校へ行かれないことになるということは、これはなかなか実際問題としてはむずかしいから、十分に研究させてもらいたいと思います。
  84. 坂田道太

    ○坂田(道)委員 この際大臣に承つておきたいことは、日本山岳会が、昨年に第一次のマナスルの登山に次いで、ネパールのヒマラヤの標高八千一百二十五メートルのマナスル登頂をめざしまして、十四名の隊員をもつて本年もまた三月初旬から約四箇月、六月下旬まで第二次マナスル登頂計画を表明いたしまして、すでに先遣隊四名は二月初旬に神戸を出発いたしまして、残りの堀田隊長以下十名も近く飛行機で出発せんとしておることは御承知の通りであると思います。昨年は主といたしまして酸素の不足と天候の不良のために、頂上を指呼の間にして標高七千七百五十メートル、すなわち頂上まであと三百七十五メートルを残しまして、引返して涙を呑んだわけでございます。思い起しますと、昨年ハント隊長以下の叡知と勇気を持つた英国登山隊員がエヴエレストの登頂に成功して、世界の人々を驚かし、ことに戴冠式のエリザベス女王を喜ばぜましたことは、私たちの脳裏にまだ新たなところでございます。しかしながら英国登山隊のエヴエレスト登頂成功のごときも、英国の王室地学協会と英国の山岳会が共同で企画をいたしまして、一九二一年から着手して以来三十二年、アタツクを繰返すこと九回、しかもその円多大な犠牲を払いまして、昨一九五三年成功いたしたのでございます。特に私たちがうらやましく思うのでございますが、エヴエレスト登頂に対して、英国におきましては、エリザベス女王を初め国民の一人々々がこの成功を願い、毎日々々の登攀の報告を聞いては一喜一憂しておる、まことにうるわしい民主主義の姿であると私は思うのであります。女王も、そして労働者も、青年も子供も、一つの国家的な壮挙に対して、同じ気持を持ち、またその成功を心から祈つておる英国の民主主義の教育のうるわしい実例だと私は思うのであります。たとえば愛国心というようなものも、こういうところから出発するのではなかろうかと私は考えるものでございます。そうして、こういうマナスル登頂のごとき世界的的な登山におきましては、単に冒険あるいは勇気だけで成功するのでない。まだ人類がなし得なかつた英国登山隊のエヴエレスト登頂成功の一つの原因が、優秀なる装備を提供いたしました英国の科学産業界の貢献にあつたという点であります。いま一つは、勇気とともに非常な理性、あるいは叡知、さらに自然に対する謙虚さ、そういつたものが要請されるという点でございます。昨年の登山隊がマナスルの頂上を三百七十五メートルに望みながら、登頂の成功にはやる気持を押え、心を押えて、引返す時間を守つて、山の鉄則を守つて引返すことを決意いたしました三田隊長以下のその理性、その意思力の強さにはおのずと頭が下る思いがするのでございます。ここにも自然に対する人間の限界と申しますか、あるいは人間の自然に対する謙虚さを示しておるという点において、私はきわめて教育的な意味が存するものであると思うわけでございます。零下何十度の極寒のもとに、気圧のきわめて低い、酸素の乏しい呼吸困難な状態において、重い荷を運びながら進んで行く。こういうような状態におきましては、頭が自然とぼけて来る、理性も失われて来る。こういう人間の極限と闘つておるこの状態で、なお理性を失わずに、その人間の精神の極限の状態において、人間のつくりました科学の枠を集めた装備を持つて、自然界のいまだ開拓せられざるところの世界を解明して行く。自然科学と人文科学の実地調査という科学的な、あるいは学問技術の見地からも、これほど偉大な仕事はない、またこれほど教育的な企てはないと私は思うのであります。しかも各国の登山隊が、同じ山を競いながらも功を誇らぬその態度と謙虚さ、英国のハント隊長は、今日のわれわれの成功は決してわれわれのみによつて達成されたものではないのだ、先輩の積み上げた努力、これは各国の登山隊、特にスイス隊の経験と教訓がたまたまわれわれを成功に導いたものであるという、実にうるわしい言葉で言つております。未知の世界が、各国の国境を越えた登山隊によつて、いわゆる人類全体によつて征服されんとして行くということは、この激烈な国際間のいろいろの問題があればあるだけに、私は国際親善の壮挙であろうと思うのでございます。今日ヒマラヤに対する登山は、世界各国のきわめて熱烈な注視の中にありますし、本年は数日前、米軍用飛行機によりましてわが国に立ち寄りました米国山岳会のマカル峰登山隊を初め、ニユージーランド、イギリス、フランス、イタリー、ソ連と、各国の競つて計画するところでございますが、各国の計画は、いずれも各国政府の絶大な支援によつて行われておる現状でございます。英国は王室によつて、米国は国務省によつて、フランスは国会により、ソビエトも国において、昨年のイギリス隊に対する英国政府の援助は、空軍用機による装備の輸送など、きわめて絶大なものであつたと聞いておるのでございます。一九五一年のフランス隊のアンナプルナ登峰は、全面的な国家援助によるものでございました。その計画は、フランス国議会における議決により行われ、隊員には外交官をつけ、ネパール国入国についても万全の措置をしたということが、その報告書に書いてあるわけでございます。先に申しましたように、本年のマカル峰登山のアメリカ隊は、隊員の輸送は米軍の軍用機によつてなされ、全米科学協会の支援に基いておるのであります。ひるがえつてわが国のマナスル登山に対しましては、従来二回の計画におきまして、学術的探査に対し、文部、農林両省の若干の支援がなされておると思うのでございますが、その援助はきわめて僅少であり、登山計画を積極的に支援するには至つておらないのでございます。文部省におきまして、さきの国際オリンピツクアジア大会、あるいはデイヴイスカツプ・テニス等におきましては、従来より相当な国家的援助をいたしておりますことは御承知の通りでございまして、先般の札幌における国際スケート競技に対しましても、相当額の国家の援助がなされたようでございます。私はこのような国際的なヒマラヤ登山計画につきましては、国民の愛国心の涵養という点から申しましても、あるいはその教育的見地から申しましても、国が相当の国家的援助をなすべきものであると信ずるのでありますが、大臣のお考えはどうであるか、今後の見通しにつきましてお話を伺いたいと思う次第でございます。
  85. 大達茂雄

    大達国務大臣 マナスル登山の壮挙が、教育上の効果の点から見ましても、またこれによりまして学術上に及ぼす問題といたしましても、きわめて有益であることは坂田委員と同感であります。ただ一般に、他の諸外国におけるごとく日本ではその認識が十分でない。これはまことに残念なことに思います。そこで今お話になりました問題でありますが、科学研究費として、そのうちから補助、助成ということを講ずるのも一つの道でございます。ところが科学研究費は御存じでもありましようが、学界を代表する委員の方々の手で、その研究費の使い方については厳密な審査が行われるのでありまして、さきのネパール登山による資料の収集、それを整理をし、研究をするということがまず先決である。こういうことで、実はその方に重点を置いておりまして、新しく登山する方に、科学研究費を向けられる可能性は非常に少いのが実情でございます。それからあるいは運動体育という面から助成する、こういう考え方があるわけでございますが、これは来年度の予算において、実はマナスル登山に対する助成ということを大蔵省と折衝したのでありますが、遺憾ながら予算の上に実現することができなかつたのであります。結局、残る適当な予備費を大蔵省の方に交渉して、予備費から何とか助成する道を講ずるという以外にはないのでございますが、緊縮の折柄でもあるし、また一旦予算において計上しなかつた経緯もございますから、予備費を大蔵省に何とか話して出してもらうということも相当困難であります。ことに御承知の通り今日では、現在の外貨の保有高並びにその見通し等につきまして、相当に外貨の引締めをするという段階でありますので、その点からも、金額としてはむろん大したことではないと思いますが、そう簡単でないと思います。しかしただいまお話のありましたように、これは教育の見地からも、また学術振興の見地からも、また登山によるさわやかな精神をもたらす、つまりスポーツの見地からも、いずれの見地からもきわめて望ましい大事なことだと思いますから、なお十分予備費をもらうことに努力をしたいと思つております。
  86. 坂田道太

    ○坂田(道)委員 ただいま大臣から実に心細いお話を承つて遺憾でございますけれども、ただいま私がるる申し上げましたような意味合いから、やはり英国のエヴエレスト登頂に対すると同様な支援を、国としても、国民としても、また議会としてもやるべきではないかというふうに強く考えまするので、今後とも必ずひとつ予備費を獲得できるように、格段の御努力をお願い申しまして、この質問を終ることにいたします。
  87. 辻寛一

    辻委員長 竹尾大君。
  88. 竹尾弌

    ○竹尾委員 私はごくなごやかな二つ三つの問題につきましてお尋ねをいたします。第一番目は国立近代美術館、第二番目は国立の劇場の問題、それから三番目か二番目かどつちかになりますが、松方コレクシヨンの問題、大体こういうことをお尋ねいたしますが、ひとつよろしくお願いいたします。  国立近代美術館につきましては、私がちょうど委員長の時分に、そこにおられる寺中局長から、大いに熱心な要望がありまして、あのとき予算の問題で、私相当反対の気持ではあつたけれども、寺中局長の切なる御要望と申しましようか、そういう関係国立美術館が創設されたわけであります。あのとぎ私は、実は京橋にその場所を設けるということには反対した。もつと静かなところに、もつと大きなものをと思つたところが、予算の関係等々でそれができなかつた。ところが今こしらえてみると、やはり私の考えは間違いであつたということを率直に認めます。やはりあの場所が非常にいいので、館員の諸君も非常に努力をされて、今文部省のああいう外郭機関で具体的な成果を上げておるものは、おそらく国立近代美術館だけだろうと私は思う。私はこの美術館の評議員をしておる関係もありまして、きのう久しぶりに評議員会に出席をいたしましたが、そこでいろいろ館長さんからのお話もありましたけれども、あれだけの小さい予算で、相当の効果を上げているということに対しては、私も非常に敬意を表しております。たまたま肖像画の展覧会がありまして、私も美術が好きなんですが、寺中さんは御自分で画を描かれるし、戯曲も書かれたこともあるし、文部省の役人さんは、局長、課長を通じて非常にりつぱな方々でありますが、能吏ではありますけれども、寺中さんのような文化的な局長は、たくさんはない。そういう局長が一人文部省におられるということは、非常にいいことである。私は大いに敬意を表しております。そこできのう肖像画の展覧会を見ますると、私非常に見たいと思つた絵がたくさんございまして、初期の山本芳翠、浅井忠、青木繁、こうい絵がわれわれの目には、ほとんど見当らない。安井曽太郎、梅原龍三郎、岸田劉生、中村不折の絵もありましたが、そうした初期の日本の洋画壇の大先輩の絵を見て、いろいろ理論を言つてはおりますが、日本の洋画というものはあまり進歩しないものだという気持すら感じたほど、りつぱな絵でございました。こういうものをときどき展覧されるということについては、これは非常によろしいことであつて、われわれもそういう点で微力を注ぎたいと思いますが、さてそこで問題は、予算が非常に少い。きのうちようど細川護立さんやなんかそうそうたる大家がおられまして、結論として、文部省から金をくれないから、寄付でももらつて、ひとつ何とか裏の屋敷を買い取つてやろうじゃないか、こういう雑談も出たくらいで、私は非常に自分として忸怩たるものを感じたので、あのくらいの予算でなく、もつとたくさん予算をつけなくちやいかぬということを痛感いたした次第でございます。そこできのうは一萬田総裁に何か安井さんの絵を贈つて、うんと金をもらおうかというようなじようだんも出ましたが、そういうことは二の次でありまして、文部省が国立近代美術館に対して、もう少し積極的な働きかけをしていただきたい。何しろ外郭団体であまり本省と折衝がないから、いいかげんに予算をぶち切られてしまうというきらいもなきにしもあらずです。そこで寺中局長にここで大いにがんばつていただきたいのですが、この点について局長の御所見を承りたいと思います。
  89. 寺中作雄

    ○寺中政府委員 竹尾委員から、近代美術館の業績につきましておほめの言葉をいただきまして、たいへんありがたく存じておるものの一人でございます。おつしやいます通り、近代美術館は相当の業績をあげておるのでありますが、予算的に見ますと、なお相当不十分な点があるのでありまして、私どもも将来ますます努力いたしまして、これが大いに推進をいたしたいと思つております。
  90. 竹尾弌

    ○竹尾委員 美術館はこのくらいにいたしまして、松方コレクションの問題であります。これはいろいろ新聞にも問題になりましたが、何しろ一億円の予算を請求して五百万円くらいをもらうなんということでは、いかに日本がこうした芸術方面に冷淡であるかということを立証するものでありまして、これも非常におはずかしい次第なんです。そこで日本のしうちがああいうことになつたんで、フランスの政府では、もうこれを日本にくれてやるまいとこういうようなことを言つておるそうで、フランスの議会が通るか通らぬか、非常にむずかしくなつておる、こういう現状だそうであります。この点につきましても、あれだけのコレクシヨンは世界にもまれです。日本の浮世絵あたりがアメリカに流れて行つておりますが、あべこべにあれだけのコレクシヨンを日本に持つて来るというのは、たいへん大きな仕事でございます。値にいたしますれば、何億円というものをフランスからくれるという。これはピカソにしても、マチスにしても、ロダン、ゴッホみなある。こういう門外不出のものを日本に持つて来るというのですから、これにつきましては文部省の、特に大臣といたしましても、何とか持つて来られるように御努力を願いたいのでございますが、大臣並びに局長の御所見をお伺いしたいと思います。
  91. 大達茂雄

    大達国務大臣 お話の通りであります。松方コレクシヨンというものは、ほとんど評価のできないほど貴重なものだそうです。従つてこれで一億や二億の金を出し惜しんで、もらいそこなうということはたいへんなことであります。ただ、今年の予算では、これはもともと文部省予算で計上しておりますのは、受入れてからの美術館、フランス美術館といいますか、それをつくる予算でありますが、これは今年の予算では、できるだけひとつ今まである既存の建物を利用することにして、その借入賃であるとか、あるいは修繕費であるとか、そういうもので、やつてくれという一応のことで五百万円ということになつたのであります。しかし実際の問題としまして、既存の建物で適当なものがあればいいのでありますが、それがないということになれば、それを建てないためにフランスに取上げられてしまつたのですが、もともと松方コレクシヨンですから、これをもらいそこねるということは絶対にありませんように、とにかくこれはフランス国会の議決承認を得なければならぬそうですが、今日のところでは、できるだけ外務省とも連絡をしまして、フランス政府が、フランスの国会に説明をしやすいような資料を提供したい。それには日本が熱意を持つて受取るということで、もらいそこないのないようにしておるつもりであります。この間サールという向うの偉い人が来ました。その人ともよく相談しておきましたから、まあ、もらいそこなうということはないと思います。
  92. 竹尾弌

    ○竹尾委員 次に国立劇場の問題ですが、これも私どもは、予算を獲得するときに、どうしても国立劇場を一つ建てたいということを局長にもるる御懇談申し上げて、局長も大いにこれについても賛意を表されたのであります。今、西洋の音楽や演劇がたいへんはやつております。チヤイコフスキー、モツアルト、ベートーヴエンも、みんなよろしいけれども、やはり日本の美しき伝統を守つて行かなければならぬ。浄瑠璃、狂言、あれは御承知の通り西鶴、近松あたりが盛んに活躍してつくられた世界に冠たる作品でございまして、描写しているものは心中であるとかなんとか、題材自体は悪いかもしれませんけれども、あの封建時代に、自己を守るために、時の政治勢力に抗して、やむを得ず心中の道行きを行つたということについては、題材自体は悪いけれども、あの中に盛られておりまする近代精神というものについては、私どもはこれを大いに感謝しなければならぬ。「死にに行く身をたとうれば、浅茅原の道の霜、一足ずつに消えて行く末の末こそあわれなれ。」こういう文章を見て、これを読むというと、非常に勇気を体内に感ずるわけであります。こういうものをわれわれは保持して、擁護して行かなければならぬので、そういう意味合いから国立劇場にわが国の伝統あるああした歌舞伎を、しかも安い金で、大衆的に見せるということについては、私は二年来の主張でございます。聞くところによると、一橋の一橋会館をもらうかなにかして、あそこでやろうという計画もあつたそうですが、これは絶対に中絶していただいては困るので、何とか早く国立劇場をつくつて、われわれに自由に鑑賞をする機会を与えていただきたいと思います。その点について寺中局長、ひとつ御答弁を願いたい。
  93. 寺中作雄

    ○寺中政府委員 外国でもみな国立劇場を持つております点から考えましても、日本といたしまして、文化日本を建設するためにぜひ国立劇場を得たいと考えておるのでありまして、毎年予算の要求だけは出しておるのでありますが、財政の関係でまだ思いを遂げていないような関係になつております。これは、ぜひとも文部委員会の御協力を得まして、将来は実現をいたしたい。今お話がありましたように、一橋大学の付属館である一橋講堂を、現在国民劇場運営委員会というもので運営をいたしまして、そこで企画いたしました劇を上演することを昨年以来続けておるのでありまして、こういうふうな研究を続けて行くうちに、国立劇場建設の基礎が漸次養われるというような意味で、現在実施をいたしておるような次第であります。将来の問題といたしまして、ぜひ研究いたしたいと思います。
  94. 竹尾弌

    ○竹尾委員 これに関連いたしまして、早稲田に御承知のように演劇博物館がございますが、あれは私立で、ほとんどどこからも援助を受けておらぬ。国の援助など受けておらぬ。この間、私久しぶりで見ましたけれども、非常にりつぱなもので、国はああいう民間の機関に対して補助くらい与えてやつたらいいんじやないかと思う。それから、近松にしても西鶴にしても、言葉はあの時代の言葉ですから、言葉の抵抗が非常に強いんで、あれを解釈することはなかなかむずかしいから、そうした歌舞伎の理論の解説とか、あるいは作品の解釈であるとかいうようなものから始めて行かなければならぬ。これは芸者と有閑人の見せものでないので、私らに残された非常に貴重な文化財でございますから、そういう文化財をはぐくみ育てて行くという意味で、ああいう博物館に対しても、非常に御注意を喚起していただきたいと思います。  最後に、これは能楽の問題であります。この能楽が、私はしろうとで何も存じませんけれども、作品だけは私は非常に好きだから、あの時代の能楽、謡だけは読んでおります。ああいう室町幕府の時代にでき上つた観阿弥とか世阿弥などは、作家であつて演出家であり、自分が謡つている。こんなりつぱな芸術家などというものは、ひつくり返つても今の時代には生れて来ない。そういうことを忘れている。そこでみの観世、宝生、金剛、喜多、金春、こういう流派がだんだん滅亡に瀕しております。あれを踊るのもたいへんです。一つの舞いをするのに六箇月ぐらいかかる。それをほとんど入場券だけでやつているというような次第でございます。私ども文部予算で大いに論争するのもよろしいけれども、たまにはこういうものに対して注意を喚起しなければならぬ、こう私は思つているので、幸い今日の機会を得て私はお尋ねを申し上げた次第でございますが、こういう能狂言、能楽等に対する積極的な補助をいたすおつもりかどうか、それを一つお尋ねして、これで終ることにいたします。
  95. 寺中作雄

    ○寺中政府委員 能の芸術は非常に大切な、りつぱなものであることは、私どもも十分承知しているのでありまして、ぜひこれは奨励をはかりたいと思うのでありますが、現在芸術祭の一つの部門といたしまして、必ず能の公開に対しまして、ごく少額でありますが、補助をいたしまして、少額の入場料で国民に親しんでいただくということをやつている次第でございます。その他あらゆる機会、いろいろ上演というような形で、できるだけ国民に親しむようなことを考えている次第でございます。将来ともこれが保存育成に努めて行きたいと考えております。
  96. 辻寛一

    辻委員長 本日はこれにて散会いたします。    午後四時三十二分散会