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1954-07-27 第19回国会 衆議院 農林委員会食糧に関する小委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年七月二十七日(火曜日)    午前十時四十分開議  出席小委員    小委員長 金子與重郎君       小枝 一雄君    佐藤洋之助君       松岡 俊三君    松山 義雄君       井出一太郎君    井谷 正吉君       芳賀  貢君    川俣 清音君  小委員外出席者         議     員 和田 博雄君         農 林 技 官         (農地局建設部         長)      桜井 志郎君         参  考  人         (農業総合研究         所計画部長)  馬場啓之助君         参  考  人         (全国販売農業         協同組合連合会         会長食糧対策         協議会委員)  石井英之助君         参  考  人         (京都大学農学         部教授)    大槻 正男君         専  門  員 難波 理平君         専  門  員 岩隈  博君         専  門  員 藤井  信君     ————————————— 本日の会議に付した事件  食糧管理制度改正に関する件     —————————————
  2. 金子與重郎

    金子委員長 これより会議を開きます。  昨日に引続いて、食糧管理制度改正問題について調査を進めて参りたいと思いますが、本日は、ここに御出席を願いました参考人各位より、本問題について御意見を承ることにいたします。参考人各位には、お暑いところをお繰合せ御出席をいただきまして、厚く御礼を申し上げます。  申すまでもなく、現行食糧管理制度は、国内の経済情勢から見ましても、また国際的な農業事情から申しましても、現存管理方式行き詰まりに逢着しつつあることは御承知の通りであります。政府はかかる事態に対処して、食糧対策協議会を設けて検討の結果、この答申案を得て、鋭意政府方針研究中であるとのことであります。われわれ農林委員会といたしましては、政府研究を非常な関心を持って注視しますとともに、独自の立場から本問題について掘り下げて、何らかの結論を持ちたいという観点から調査を続けておる次第であります。このような趣旨で本日の会議を開いたわけでありますので、各位の日ごろ御研究の結果に基く食糧管理方式改正について、忌憚のない意見を承りたいと考える次第であります。  それではこれから参考人各位から、食糧管理問題についての御意見を承りたいと存じます。最初に、農業総合研究所計画部長馬場啓之助君にお願いいたします。
  3. 馬場啓之助

    馬場参考人 それでは食糧管理制度改正の問題につきまして、若干の考え方を申し上げたいと思います。  食糧管理制度改正の問題ということを考えます前提といたしまして、現在の食糧管理制度というものが果しておりまするところの役割と申しますか、機能がどういうものであるかということから考えてみたいと思います。御存じ通り食糧管理制度三つ役割を果しておるわけであります。一つは、いわば独占的な食糧流通機関であるということ。収買流通それから配給政府責任において行っておるわけでありますから、独占的な流通機関であるということ。それから制度建前から申しますと、食糧自由市場というものがないわけでありますから、その市場役割を果しておるということ。この市場役割と申しますことの中には、需給調節価格の安定、こういう二つの問題が含まれておるかと思うのでありますが、需給調節につきましては、御存じ通り、物量的な供出制度配給制度というようなことで行っておりますほかに、価格の問題につきましては、公定価格制度というものをとりまして、市場役割の代理をしておるわけであります。それから第三番目の働きといたしましては、当然食糧収買流通配給というような、広い意味での食糧流通に伴いまして、流通金融の問題という本のか、当然重要な問題として登場して来るわけでありますが、現存制度のもとにおきましては、特別会計によりまして、この流通金融の問題を担当しておる。こういうふうに流通担当機関であるということであります。それから市場機能を代行しているということ。金融の問題を国家資金を使いまして受持つていることというような三つ役割を果しておるわけであります。従ってもしこれを改正するということになりますならば、その三つ役割を、現在の制度にかわりまして、食糧需給の推移という問題とにらみ合せまして、これにかわりまする方法で来して行かなくてはならないわけであります。この三つ機能につきまして、どういうやり方によりまして機能を果して行くかという問題につきましては、この委員会あるいはその他の機関におきまする御研究があろうかと思いまするが、若干、第三者の立場といたしましての考え方を申し上げて行きたいと思います。  三つ機能と申しましたが、順序を逆にいたしまして、最初市場の機構、需給の安定、それから価格調節の問題、そういう点につきまして、現行制度にかわる場合に起りまする問題点、そういうことについて考えてみたいと思います。需給の問題につきましては、食糧全体として考えますならば、いわば需要に対しまして供給が、全体の水準として低いというような問題はもはや解消をしておるわけでありますが、現在のところ、食糧供給は、全体の水準としてはほぼノーマルに帰っておりまするけれども、その構成の割合を考えますと、戦前大体米に対しまして麦類が二割程度でありましたものか、現在では四割程度に上っておるというような点、供給におきまして麦類の占めまする割合というものか、非常に上昇をして来るのに対しまして、需要の側の条件から考えまするならば、われわれの食生活あるいは食糧に対するる嗜好というものは、短時日のうちにかわりませんので、やはり依然として米に対する執着が強いということ。それを現在までのところでは管理制度によりまして、米に対しまする潜存的な需要というものを押えて来たという点があるかと思いますが、もし統制をはずすということになりますならば、この需給の安定ということは、当然供給側条件に対応いたしまして、需要側選択をかえて行かなくてはならないわけでありますから、その選択をかえるという場合におきましては、当然不足しておりまする米の価格が、麦類にかわって上昇して行くということが自然の成行きであろうかと思います。従ってもし統制をはずすというような場合、あるいは間接統制を行うというような場合におきましても、こういう需給根本的な変化から来ますところの米価上昇ということを水準として、米価を引下げるということはおそらくむずかしいのではないだろうか。従ってかりに価格統制ということを行うといたしましても、米価の上りまする水準を引下げるということはできないわけでありまするから、ただその不安定な変動というものを抑える程度を出ないのではないかと思います。従つて問題は、おちつきます水準というものを、政策の力で自由に動かすということはむずかしいわけでありますから、移行の過程におきまして、不安定な変動を食いとめて行くということが問題になって来るかと思います。その価格調節やり方という問題につきましては、また後の問題になろうかと思いますので、一応市場の安定の問題につきまして、そういう問題があるということを申し上げておきたいと思います。  それから第二の問題に移りまするが、今度流通機関が、管理制度が後退いたしましたときに、いかにしてこれを受持つて行くかという問題になろうかと思いますが、この場合に農家が、供出制度がなくなりました際にどういう版元の仕方を行うであろうかということが、第一に考えなくてはならない問題になろうかと思います。供出制度があるなしにかかわらず、農家にとりましては、米を販売するということが、収入を確保いたしまする非常に重要な道になりまするから、米を販売するということには問題はないわけでありますが、現在の供出やり方と、農家販売の仕方というものが、制度的な統制がなくなりました場合にどうかわって行くかということが問題であるわけであります。現在のところ、自由倒産の場合に比べまして、政府需給操作建前から、早期の供出ということを懇請しております関係で、米の供出というものが十月から十二月、あるいはさらに一月から三月の間に片寄って参ります。これは農家立場から考えますならば、そういうふうに季節的に片寄って販売しなくてはならない、その時期に現金を獲得しなくてはならないという理由からそれに集中して来るわけでは決してないわけでありますが、もし供出制度というものがなくなりました場合に、どういうふうにかわつて行くかということを考えまするためには、現れ供出をいたしまして、その供出代金農家農協におきまするところの預金といたしまして振りかわって参ります。その預金のうちで、農家が払いもどしをしない分、つまり農家が特に米を販売いたしまして、現金を獲得しなくてはいけないという理由かなく、制度要請のもとに供出しているものであります。そういうものを差引きまして、現金の必要から販売をしておりますものを推定をいたしますると、大体十月から十二月の間におきまして五〇%程度、それから一月から三月の間にほぼ三〇%になろうかと思います。これはちょうど戦前の自小作の販売季節性とほぼ同じものであります。従ってもし統制がはずされるということになりますならば、農家の米の販売季節性というものは、現在よりも緩和はされまするけれども、依然として十月から十二月にほぼ販売量の半分が片寄って来るということ、従って統制をはずしました後の価格水準というものは幾らであるかということは、なかなかむずかしい問題であります。かりにそういう水準が一応おちついたものが出て来るといたしましても、季節的に集中して販売をいたしまするので、農家立場から考えますならば、十月から十二月におきまして、農家が米を敗北いたしまして受取りまする手取りが、他の季節に比べまして少くなるであろうということは、おそらく異論のないところであろうかと思います。従って農家版元の問題から考えましても、季節的に片寄って集中して販売されますものを、いわゆる平均化りに持って行くということで、この仕事は申し上げるまでもなく、協同組合仕事になって来るわけであります。ところがこういう協同組合農家の販化の季節性調節するということになりますと、当然ただ農家から買いとりまして、それを販売するという場合に比べまして、農家から買い取りましたものを一応季節的な調節のために滞貨として抱いて行く。そうして農協を通じまして市中に出して参ります場合に、これを調節をするというわけでありますから、農家から農協に出して参りました米を調節するという問題が出て参ります。これには多額資金を必要とするわけであります。ところが現在までのところ、協同組合が米の供出の専務を代行しておりますけれども、先ほど申し上げましたように、国の財政資金が前渡金の形で流れておりますので、これを使って流通担当しておりますので、農協立場から考えまして、米の集荷につきましての金融的な負担はほとんどないわけであります。これがこういう支柱がなくなりまして後に、今申しましたような農家季節的に集中して参りまする米の敗北を調節するという問題をも兼ねまして、米の販売仕事を引受けまするためには、多額資金が必要となって来るわけであります。従ってもし資金的に何らかの形におきまして農協に対する政府の援助というものがないと仮定いたしますならば、農家季節的に集中して販売するという態勢が続いて行くのではないかと思います。  そこで次の問題に入りまして、これは政府立場から考えましても、価格調節をするとか、あるいは需給の間接的な調節を行うといたしましても、全体といたしまして、米が過剰でありまする戦前のような場合でありまするならば、政府価格の支持のために財政資金を使えさえすれば、米の流通調節はできたわけでありますが、戦後の場合におきまして、米が不足ぎみであるという場合におきましては、ただ資金だけを政府が財政的に負担をいたしましても、政府だけの力で需給調節ということを支障なく行うという点につきましては、問題が残ろうかと思います。そこで考えられますることは、政府農協との間の関係を考えます場合に、農協立場から考えますならば、農家の米の販売というものを調節して参りまするために資金の必要がある。それから政府立場から考えますならば、財政資金はかりにつくり出すことかできるといたしましても、それによりまして米の流通を握るということか、必ずしも確実にできるという見通しがないわけであります。こういう二つ——政府農協系統機関の両者とも完全に流通の問題というものを担当をして、この問題を解決して行くという点には難点があるわけでありますから、考えられまするやり方といたしましては、何らかの方法によりまして、政府農協に対して資金を流す。そのかわりに農協市場の安定ということを考えまして、政府需給操作に対しましての協力をする。何かの形におきまして、系統機関政府の間に一種の双務協約というようなものがとり結ばれるということを別にいたしましては、管理制度にかわりまするところの後の米の市場におきまする疏通の担当者役割を果すということと、流通に伴いまする金融の問題を処理して行くという二つの問題が解けないのではないかと思います。従って具体的な方法といたしまして、どういうことが考えられるかという点につきましては、私にはつきりした考え方を申しげる準備がないわけでありまするけれども管理制度がなくなりましてから後におきまする金融の問題と市場の安定の問題は、農協政府の間の双務的な協約ということを結ぶことによりまして、解決をして行くべきではないかと考えるわけであります。いろいろな問題があろうかと思いますけれども、ごく簡単に私が考えておりまする荒筋だけを以上申し上げたわけであります。
  4. 金子與重郎

    金子委員長 それでは、次に全国販売農業協同組合連合会会長石井英之助君にお願いいたします。
  5. 石井英之助

    石井参考人 管理制度の問題につきまして、考えておりまする点を簡単にお話を申し上げたいと思います。  現在の国民経済段階におきまして、実際問題としては、政府の直接統制継続をいたして行かなければならないというのが、国民経済全体から見ましての一つ要請であると考えるのであります。これは単に一部の問題でなしに、産業部門全体並びに消費者関係の方の一致したる一つ生活感情であるように考えられるのでおります。ところで一方政府の直接統制継続をいたしまする基礎となつておる現在の別当供出制度というものを考えてみますると、割当によって農家から供出を求めるというこの制度は、最近の経済的な、また社会的な条件の動に伴いまして、非常に困難な事態に当面しおる。いわゆる供出割当によって集何をするということは、いわば行き詰まりの様相を呈して来ておるということは、大体各方面の一致したる見解のように思われるのであります。私どもも、政府権力関係による集荷というものは、漸次困難になつて来ており、これを続行して、ある意味においてこれを続行して行くということにいたしますると、そこに意外の大きな障害を生じまして、単に米の集荷のみならず、農政全般にとりましてはなはだおもしろくない状態を起すのではないかということを憂慮されるような感じがするのであります。かような事実に即して考えてみますると、政府相当量の米を集めて直接統制継続するということは、国民経済的な要請である。ところが政府が従来やつて参りましたいわば権力関係による割当集荷というものは限界に来ておる、この二つの事実の間に立つて、どういうふうに事態を打開し、解決をして行くかということが、現在の管理制度の当面しておる根本の問題だと考えるわけなのであります。  そこでこの解決策として、いろいろ困難は予想されると思うのでありまするけれども、やはりこの段階においては、生産者が自主的に米を売つて行く、それを適当なる方法集荷をいたして、政府の手に相当量のお米を集める、こういう行き方に転換をすべき時期が来たのではないか。その方が、いろいろ実行上には考究すべき問題もあり、また実際問題として困難はあろうと思いますけれども政府がそういう腹をきめ、そういう方針をきめて、府県の計画も、また町村の計画もそういう腹構えをしつかりときめまして、そうして集荷一体協力をして、生産者の自主的に売つて出るものを適当に集めて、政府の方に集荷をする。こういう行き方をいたすのほかは、現在の国民経済的な要請に即して米の処理をして行くという方法はないのではないか。これによつてこの困難な事態を切り抜け得るのではないか、こういうのが私ども基本考え方であるわけでございます。  その実行方法ついてはいろいろあると存じまするが、大きな筋としては、その筋に従つて具体的な個々の技術的な問題を解決して行くべきではないか、かような考え方であるのであります。過般の食糧対策協議会答申というものも、そういうものに即してできておると解釈をいたしておるのでありますが、政府がこの答申を採用せられるのかどうか、その点はまだわれわれは承知いたしておらないのであります。いずれにいたしましても問題は、政府としてこの答申趣旨をくんで政策を立てるということになりまするならば、それはほんとうに腹の底からそういう考え方に立脚をして方針をきめ、政策を立てて行くんだということがはつきりきまることが根本の問題であると思うのであります。答申行き方というものは、いわばこの困難な事態において、政府集荷団体とが協力をいたしまして、相ともにこのむずかしい事態を切り抜ける、こういうことが基本建前でございますから、その点について、しつかりと政府の腹がきまるということが根本的に必要な問題だと思うのであります。何となく答申があつたからというので、おざなりに中途半端な態度答申趣旨に即した政策をとるようなかつこうをして行くということは、絶対に禁物であると思うのであります。そういうことはむしろとらざるところであつて、それが別途の方策として適当であるとするならば 、政府責任において、また別のしつかりした方針をきめてやつてもらわなければなるまいと考えておるのであります今年の米の割当の問題、それに伴う集荷の問題というものは、これからの国民経済の運行にとりまして非常に大きな影響を及ぼすような、たいへんむずかしいというか、たいへん重大な時期であるように思いまするので、しつかりしたことで、非常にむずかしい問題と取組むのだということで、政府としては方針をおきめになることが非常に望ましいと考えておるのであります。われわれの方の集荷団体の側といたしましては、その辺の政府の腹がきまつて、先ほど来申し上げましたような制度を生かして行く、その趣旨に即して政策を進めるんだというはつきりした方針がきまりました上において、これと机協力をして進むという意味において、具体的な問題と取組んで参りたいと考えるのであります。  繰返して申し上げるのでありますが、この答申方針を採用するならば、真に腹をきめて、そうして集荷団体一体なつてやるということ、そうしてこの自主売渡し制度という生産者の気分に即応したる制度を生かして行こう、こういう方針が確固としてきまつて、初めてわれわれの集荷団体としては、行動を起し得る段階になるのだ、その辺の条件について欠くるところがございますならば、またそのときは別個の考え方をいたさなければならないのじやないか、かように考えておるわけであまして、われわれの方の農協系統組織というものは、米の集荷の上において、実際問題として多くのものの取扱いをしておりまするし、国民経済的にも大きな機能を果すべきものであると考えておるのでありますが、このむずかしい仕事をこの系統組織でやるにつきましては、以上申し上げましたような態度で考えておるのでありまして、農協事業分野関係からぜひこういうことをしたいというような考え方、そういう態度に立つておるのではないのでありまして、このむずかしい事態を切り抜けるにはこういう方法よりほかにないのではないか、であるから、むずかしい仕事であるけれども政府がそういう方針をきめて、そうしてそれを生かして行こうという考え方になるならば、困難いろいろあるけれども、ひとつ協力をしてやつて行こうという考え方に立つておるのであります。この答申の、集荷に関する解釈なり、それに伴いまする農協側態度というものにつきまして、簡単でございますが、御説明を申し上げた次第であります。
  6. 金子與重郎

  7. 大槻正男

    大槻参考人 私、食糧対策協議会審議及び答申については、いなかにおるものでございますから、新聞紙上で知る程度でございまして、詳しいことは実は知らないでおつたわけであります。電報をいただいてはせ参じたようなわけでございまして、あるいは見当はずれなことを申し上げるかもしれませんが、ひとつかんべんしてもらいたいと思います。  だが食糧対策協議会が設けられ、そして管理制度が再び改正審議の問題になつたのは、私の知る限りにおいては、これは供出がむずかしくなつた、供出が不可能になつたがゆえに、これはどうにかしなければならぬということであつたと思う。この場合、食糧管理というものも、米の問題と麦の問題は全然別個に考えなければならぬ。米は消費者保護政策である。自由に放任すれば、消費者生活が脅かされる。そういう関係で、この米の問題は消費者保護政策でございまして、麦の問題は、現在になりますと、国際価格生産者価格よりも安くなつておる。それで最低価格を支持して農民の経営、あるいは生活を保護しようというふうな政策であるのでございます。今問題になつているのは、これは米の管理の問題だと思います。米の管理の問題になりますが、この場合、やはり答申された問題に対して、この三つを区別して考えておく必要があるのじやないか。一つ食糧供出制度にかわるものとして、一般的に考えて何がいいか、これを急に自由に移してしまう、あるいは一昨年行われたような特殊制度にしてしまう、そうしてやみ米を横行させるというふうな混乱状態に陥れることは非常にいかぬ。米というものは国民生活必需品であつて、そうして非常に重要なものでありますから、かりに統制をだんだん緩和して行くにしても、緩和のし方は良心的に進めるべきものであつて、それでただちに自由市場に移すというようなことでなく、供出をよすならば、これは登録制にし、あるいは特殊団体をして集荷せしめるというふうな段階を経て、徐々に緩和をして行くという方法をとるべきものであるというような精神で、この対策協議会答申ができたと思いますが、その限りにおいては私は非常に賛成である。いい方法であると思うのでございます。しかしもう一つは、経過的やり方として、本年度どうするかという問題でございます。本年度どうするかという問題は、従来の供出制度をとる、そうしてそれ以上予約制度で集める。しかし本年度とるべき方法としての、この予約制度というものがはたしていいか。供出制度予約制度を合せた二元的な方法ですね。この答申を読んで見ますと、その理由としては、本年はすでに時期が遅れてしまつて、そうして万端の準備ができないから、やむを得ずしてそういうふうな経過的手段をとる。こういう経過的手段をとることがいいことであるかどうか、これは慎重に考えるべき問題じやないかと思う。  それからもう一つは、この答申が行われるまでは、今年の作柄というものは、これほど凶作になるような情勢にはなかつたのじやないかと思う。ところが本年の——ここ数日は暑くなりましたけれども技術者その他から聞いてみますと、昨年以上の凶作になるのじやないか。昨年凶作であつたために政府の米の手持ちが相当に減つている。さらに今年凶作になつたということでありますと、これは相当に問題になるのじやないか。この凶作事情を政府が見込んだときに、この予約制度を本年において実施することがはたして妥当なりやいなや、この三つにわけて、この問題は審議せらるべきものではないかと思うのでございます。  元にもどりまして、供出制度が非常に困難になつた。戦時中あるいは戦争直後においてはそれほど困難でなかつた供出制度が、昨年においては割当が千四百万石に減つた。三五%に減つたというふうな非常な供出割当の困難、そうして実際にまた集めたのが二千万百石程度であるということになつた。何ゆえに供出が非常に困難になつたかというと、結局これは権力供出ができなくなつたことだ。占領中においては進駐軍がおつた。あるいはサーベルというものか相当物に言つた。その時代においては権力を持つて相当強制的に供出させることができた。だが、これが占領が解かれ、それで一昨年から昨年とかけて非常にこれが困難になつて、昨年においては、ことに凶作事情も加わりまして、これが割当がかろうじて、非常に長い時間をかけて千四百万石しか割当することができなかつたというような事情に到注したように思うのでございます。しかし権力がなくなつたときに、供出がまた改善するということは、ほとんどできないことであるといつていいと思います。そうしますと、権力がなくなつた場合に、これにかわるべきものというと、これは何といつても経済供出といいますか、あるいは価格供出といいますか、あるいは自由価格供出といいますか、少くとも自由価格に近づいた価格において供出せしめる以外に、供出ということはむずかしいことだろうと思います。経済供出をするというならば、つまり権力供出でなくてほんとうの自由供出に移すというならば、これはやはりそれだけ出せるだけの価格を裏づけてやらないで出せということは、おそらくこれは困難なことだと私は思うのでございます。それで、出させる以上は、統制緩和して、自由に近づけてやらせるというならば、これは予約制度であつても、相当な高い価格で貰うということでなくちや集まりつこはありません。ところが他方からいいますと、日本国全体としてのデフレ政策という問題がありまして、消費者価格をそう上げることができない。そうして独立採算制を、大蔵省その他政府全体としてとろうとする実情があるのでございます。そうすると消費者価格を安くしよう、あるいは現在程度にしようと思うと、これは現在以上に価格を上げることができないと思う。この予約制度の予約奨励金といいますか、これをどれだけ上げ得るか。相当程度上げるという政府の腹かあつて実施されるなら相当に行くだろうと思います。しかし、それがなければこれはできないと私は思います。こういうことをおやりになるということ、ことにことしのようなた凶作気構えのときにこれを実施して米が集まるかどうかというと、非常にむずかしいことであると思うのであります。それで順序から申し上げますと、ことしのなんでございますか、この予約制度というものは、だんだんに統制緩和して行く過程としてとるべき最もいい案ではあると惑うのであります。しかし凶作ということを考えないで、第二の問題として、これが経過的問題としてやる場合、準備が十分でないかゆえに、時間がなくてできしないという場合に、これをやることがいいかどうかということは、相当私は疑問があると思う。八月に米価をきめてということになりましても、八月にきめ得るかどうか。ことにこの方式によりますと、ここに、生産者価格は米穀の再生産を確保するためにパリティ方式及び生産費方式を合せて考慮して決定するとあるか、これは非常にむずかしいことだと思う。二元的にこれをきめるということは、どういう方法でとるかわかりませんが、パリテイ米価と生産費米価を合せてとる。これは御存じのように、統計調査部のものか、二十八年がおそらく一石当り五千幾らですか、まあ六千円近くになつている。ところが他方生産者団体の方は、一万三千くらいになつている。約倍になつております。この生産費方式における生産者米価をきめることがすでにむずかしい。その生産者米価とパリテイ米価をどういうふうにつき合して本年の価格をきめるかというようなことを一箇月の間でやるといつても、これはできるものではありません。非常にむずかしいものであつて、そんなことはとうていできません。それから諸般の準備ができているかどうかということになりますと、私は相当に疑問を持つのであります。これは今申し上げたように、消費者価格をそう上げることができない。生産者価格は相当高くなくちやならぬ。これはある程度自由価格に近く決定しなければ集まらぬ。集めるということは非常にむずかしい。ですから基本価格をきめて予約奨励金を決定するということにたりますと、予約奨励金は、きめた価格とやみ価格との差額にほぼ相当したものにしなければ、なかなか集まりません。それだけ絶対的に必要かどうかはともかくとして、相当それに近づけなければ集まるものじやないと思います。それで統制を解く段階としては、もう少し政府が日本米の稀少性というもの、不足というものをもう少し補うくふうを、私はあらかじめ講ずべきじやないかと思います。そのためにはむろん日本米の増産ということがありますが、できれは、できるだけのことをやる。それから増産ができなければ輸入しなければなりません。輸入して持米を相当政府がふやさなくちやならぬ。その場合に準内地米は、これはそのまま日本米に適用上ます。ところが外米というもの、あるいは南京米、南方米というのは、日本米とはおよそ違つたものであります。これを日本米と同様に取扱うということは——管理法では同一に取扱つておりますけれども、ああいうものは愚の骨頂であると思います。ただ米という名が同じであるがゆえに、ただ名にとらわれて経済の実質を無視したところの政策であると私は思うのです。あれをもし準内地米と同じに取扱うというなら、もみ輸入をすべきであると思う。御存じのように両方米は、熱帯の多雨湿潤なところから精白して、船の底荷にして送つて来る。そうして大部分が黄変米になつて来る。黄変米にならなくても相当変質している。だから南京米そのものは、現地で食べるとそうまずいものでもなく、胸が悪くもならぬ。いつまで食べても食いあきはしないけれども、しかし南京米を日本で食べると長く続けることはできません。実際からいつてそういう性質のものです。しかしそれをほとんど生きたまま、生のままのもみ輸入をいたしまして、日本の輸入港において一貫作業で純白するというふうなやり方をするならば、準内地米——内地米に準ずるものとして日本人の消費に適するように私はできるんじやないかと思います。そうして外国一市場というものは、南においてはもうすでに買手市場なつて、売手市場じやなくなつたのです。これは相当もみ輸入という方法も考慮してやるべきものではないかと思うのです。そういう方法で、もう少し日本人の消費事情というものを参酌し、考慮した輸入方法をとつて、日本米を多くする、あるいは日本米と同様に取扱えるものを多くする必要がある。それからもう一つは、やはり麦の問題だと思います。しかし従来は麦ということになりますと、小麦の消費の奨励ばかりした。粉食、パン食ばかりの奨励をした。これは下情に通じないところの、きわめて愚策だと私は思います。貧乏人にパンを食えといつても、あるいは労働者にパンを食えといつたつて食えるものではありません。食えないものを食えといつても無理で、これは知識階級以上の問題であります。そうして国民多数というものは、下層階級であります。それを無視して、ただパン食を奨励してみたところが、すぐ底をついてしまつて、粉食というものはいろいろ政府政策をとつたにかかわらず、さつぱり消費はふえない。結局実際からいいますと、製粉業者の肩持ちみたいになつてしまいます。これは日本の下層階級あるいは労働階級が要するものというのは粒食麦であります。いざデフレになりますと、デフレになつて所得が少くなつた、何を食うかということになりますと、決してパンは食いません。必ず配給米に精麦をまぜて、まつ黒にして食べる。パンを食うなんということは、ある程度以上の所得階級でございまして、実際はできません。理想と現実は洗うのでございます。今の段階において何を食糧にするかということになりますと、粒食麦であつて食糧の増産政策も、米ができないなら麦を生産する、麦を生産するにも小麦の生産じやいけない。これは麦は安く生産できますので、どうしても粒食麦の増産ということにして、その米にかわるものをつくり出さなければならない。それから輸入もできるだけ大麦の輸入に力を注いでやる。それと同時に麦を、ただ馬が食うような精麦じやいけません。とかく食糧庁で配給するところの精麦は、馬が食うような麦とよく言うのでありますが、それじやなくて、もう少し精麦率を高めるなり、あるいはパン食を奨励するには、もつと加工技術を研究すべきである。そうしてもう少し食いやすくしまして、米の代替にして食べさせる方法をとつて、米の稀少性といいますか、あるいは米の需要量というものをできるだけ少くして、だんだん食糧の直接統制緩和して行くという方向に行くべきだ。そういうふうになつて麦だとか、あるいは外米が日本米と同じようになつて来るということになれば、米及び米に準ずるものの総体の供給が多くなるのですから、それでやみ価格も下る、自由価格も下るということになれば、集荷制度を相当かえて行くということもそれほどむずかしくなくなる。やみ価格配給価格が相当近ずくような政策をとつているかどうか、これを相当とつてやらなくちやいけない。ただパン食を奨励する、そんなことを言つたところが、アメリカの人の生活程度を考えて食糧問題を言つているということはへんなことだ。貧乏人の日本人の問題としての食糧問題として考えなくちやならぬのではないかというふうに思われる。そんな関係で、私は今年かりに凶作でなかつたとして、こういうふうな二元的な方法をとることに対してどうであるかということに、相当疑問を持ちます。それから二元的な方法というものは、非常にりこうな方法であつて、実施するときに非常にむずかしいものだと私は思います。供出割当をして供出さして、それ以上は、これを今度は集荷団体をして集荷せしめる。これが二本になる。供出さした以上、さらに超過供出などの形でなぜ政府がしないか。これ二つにするということは、これを切りかえるときに、はなはだへんなことがあるというふうに思われる。やるならば私は供出制度を残すか、あるいは集荷制度にやるか。どちらかだろうと思います。来年、再来年、平年作あるいは豊作になつたときに、これを予約制度に切りかえるようにすべきで、一本で相当の準備をしてやるということがいいんじやないかというふうに私は考えられます。  それから今度は第三の、今年が凶作である、あるいは凶作見込みが相当多いという場合、どうするかというと、私は現在凶作になつた場合に、相当の事情があつた予約制度はとりやむべきものだ、予約制度によつて米が集まるか、集まるということは、相当の価格でなくちや集まりません。あるいは予約奨励金というものか相当高くなければ集まりません。ところがその高い米価というものを消費者負担できるかどうか、あるいは国庫が負担できるかどうか、それの腹が政府に相当あるならばそれでよろしゆうございますけれども、そうでないと、それはなかなか集まりかたいものだ。どちらかというと、私の考えからいうと、政府の凶作見込みというものがどの程度であるかわかりません。政府の方ではよくわかると思いますが、相当の凶作見込みであるなら、率直に申しまして私は現行制度をそのままやる方がいいのじやないかと思います。これは御存じのように、私は今度の予約制度というものは、何しろ統制緩和といいますか、統制緩和といつても、その緩和そういう意味が、権力を用いる程度が少くなるという意味統制緩和であります。義務供出といつたような懸法上の所有権をある程度において制限する、あるいは収用するというふうな意味の強制力を用いる意味における統制を用いないで、自由意思によつて、予約によつて集めるという意味における統制緩和だと思います。統制緩和というものは、今凶作年において行うべきものなりやいなや。凶作年には、統制かなかつた年におつて統制を行うべきである。統制がなくなつた年においても、権力を相当に用いて、出荷その他に強制をもつてやるべきものだ。これが統制が行われている場合に、凶作の予想される場合に、これを緩和するということはどうか、これは逆行的じやないか、これを軽々しくやらずに、慎重に考えてやらぬと、米が集まらぬという非常にむずかしい事態が生じやしないかと思うのです。そういう意味においては、私は今年は凶作であるという特殊事情のもとにおいて、現行制度継続するということがいいんじやないかと思う。けれどもこれが今後の凶作予想というものがどうかわつて行くかわかりません。最近までの凶作予想においては、統制緩和するということは非常にむずかしいことになりはしないかという予想が持たれるわけでございます。ことに予約制度というものは、凶作になりますとなかなか実施が困難であります。凶作になりますと米が少い。そうすると価格は先上りする。先上りする場合に予約するということはありません。先上りする場合に予約するということは、なかなかむずかしいことだと思います。ごとに米が非常に下足する。現在、今年は持越し米が少い。その上に凶作ということになれは、昨年以上にむずかしい問題が起ると思う。これは相当に考えなくちやならぬじやないかというふうに思います。  それからもう一つ、これは直後関係しませんけれども食糧の問題として、だんだんに食糧緩和して行くと、どうしても価格が上りますが、価格を上げて供出量を多くしてやるか、あるいは配給米の量を少くしてやつて行くという方法をとるか、これは相当考究すべき問題かと思います。これは面接それに関係しませんから、ほかの機会に何か申し上げることがあるかと思います。私は今答申案を拝見しまして考える点はその程度でございます。これは慎重にやつていただかないと、統制緩和するということはいいけれども準備が整わぬうちに軽々しくやることがいいか、準備が整わぬがゆえに供出と予約とあわせてやる、そういうごまかし的なやり方がうまく行くかどうか。さらにもう一つは、凶作年にこういう予約制度をやるということがはたしてどうかということ。これはやはり相当に準備をして、ことに平年作あるいは豊年に入るような年に、こういうふうに移して行くべき性質のものじやないかと考えております。
  8. 金子與重郎

    金子委員長 これよりただいまの参考人各位の御意見に対して質問を許します。川俣清音君。
  9. 川俣清音

    ○川俣委員 参考人三君からいろいろ御意見をお伺いいたしまして、非常に参考になつたと思うのです。大槻先生からは、大体米価審議会等において常に御一緒に議論をいたしておりますものですから、われわれの見解とさほど開きがないのでありまして、先生を煩わす点は少いと思いますが、参考人三君に同時にお尋ねいたしたいのは、昨日も本委員会において食糧庁当局と質疑をいたしておりますが、今度の食対協議会の決定は、一体統制を強化する方向を打出しておるのか、または緩和する方向を打出しておるのか、非常にあいまいなのであります。また世間でも、これは一体強化する方法をここに打出しておるのか。これは緩和しておるのたという見方もあれは、強化しておるのだという見方もあるわけです。御承知のように、今年は政府手持ち米も少いばかりでなくして、農家の手持ち米もまた少いと見なければならない。従いまして凶作の翌年の凶作というものは、さらに天然的条件以上に窮迫を告げることは、これは私が説明するまでもないのであります。そこで今度の食対の答申というものは、——特にこれは石井さんにお尋ねしますけれども、あなたは一体強化する方法を打出したというお考えなのか、緩和するという考えで打出されたものか、どちらかという点。御返事に困るであろうからもうちよつとつけ加えますと、食糧管理法に関連する一体の法律は、そのままでおくようであります。また食対もこれらの法案を整備せいという意見を出しておらないようであります。そうすると強権というものが背後にあることは明瞭です。従つて緩和したものとも見えないわけです。おそらく緩和するということになれば、食糧管理法に関連する一連の法律の改正というものを、あるいは修正というものを打出していなければならないと思いますが、その点の打出し方も出ておりません。そういたしますれば、一体どちらの方向を向いて決定したというふうにお考えになつておるか、これは石井さんに。第三者的な立場にあります大槻さんは、大体緩和する方向だという見解のようですし、馬場さんはその点が明瞭になつていませんが、大体緩和する方向だというふうに見ておられるようでありますが、あらためてこの点について三君から御意見を承りたい。
  10. 石井英之助

    石井参考人 ただいまお尋ねの点は、私はこういうふうに考えておるのです。現在の段階では、米の直接統制をゆるめる段階ではないというのが協議会の基本態度である。ところが集荷の問題に関連をして、政府の直接統制というものが弱化し、くずれようとしておる。今このままにしてこれをくずしてはならないのだ、従つてそれにかわるべき方法として、協議会はああいう方法によつて、ほうつておけばくずれるであろう管理制度をくずさないようにして行くというのが、協議会の態度であると私は考えております。
  11. 大槻正男

    大槻参考人 さつき私は、統制意味を御説明申し上げたのですが、今度の方法は、できるだけ権力を用いなくても、強権を用いなくてもいいようなやり方にしようという意味において統制緩和。しかし最後的には法律は改正されていない。政府の必要とするだけの量が集まらないときは、群割当をして再び強制権を行使するというようなことになつているようでありますか、そうなればさつぱり緩和しないことになるかもしれません。しかしこれは方針としてはできるだけ緩和しよう。それから予約奨励金などを相当な額に高めて自由供出を、それほど強制力を用いなくても供出ができる。そして自主的に協同組合がそういう予約制度というものをとりまして、スムーズにできだけやろう。だから自主的統制という意味も含めて、権力をできるだけ行使しなくてもいいようなやり方において集めようという、そういう御苦心であろうと私は推定するのであります。
  12. 馬場啓之助

    馬場参考人 私は管理制度が適当であるかどうかという問題は全然考えませんで、管理制度を必要とした事情というものが全面的には消えておりませんけれども、運営が特に供出価で困難になつて来た。従つて根本にあります問題を、管理制度にかわりまして何らかの形でやつて行くときに、こういう点は考えなくてはならないんだということを書生流に申し上げたのであります。従つて是非というようなことは全然私考えておりません。
  13. 川俣清音

    ○川俣委員 それでは第二段尋ねいたします。特に石井さんにお尋ねするのですが、強制割当は行き詰まつて来ておる、権力的集荷制度は困難に立ち至つた政府の直接統制は弱化しつつある、こういうことなんです。これは一応何人も大体認めるところであるのであります。しかし何ゆえに一体強制割当が行き詰まつて来たのか、または権力的集荷が困難になつて来たのか、または政府がやつております直接統制がなぜ弱化して来たのかという理由を見出すことによつて、その理由のいかんによりまして、今後の対策がかわつて来ると思うのです。従いまして、これらはなぜ行き請まつて来て、なぜ一体権力的集荷が困難になつて来たのかということを見きわめることによつて、次の対策がかわつて来ると思うのです。とうてい権力集荷というものは困難たから、自由にやつた方がいいという見方も出て来るでありましようし、また権力集荷は非常に困難になつたから、別な方法で行かなければならないということにもなつて来るでしよう。一体何のためにか行き詰まつて来たかという見方によりまして、分析によりまして、次の対策がかわつて来ると思うので、これは石井さんにお伺いいたしたいのです。
  14. 石井英之助

    石井参考人 この供出制度割当制度が困難になつて来たその事情は、いろいろあると思いますが、やはり一番大きなものは、社会的な、経済的な情勢の変化というものが一番大きなものだろうと思う。先ほども大槻さんからお話があつたように、戦時中のあの経済的な社会的な条件のもとにおいて成立をした割当制度というものが、その基本は、ある意味では根本的にかわつて来たと考えてよろしいと思います。ところが終戦後においては、そういう情勢はかわつたのであるけれども一つの占領状態という、あの状態のもとにおいて、初めて権力関係による供出割当というものが可能であつたと思うのです。そのわくがはずれたということは、日本の社会的な、経済的な条件の非常な変化であると思います。それで、ほかのものはすべて自由にする。自由にするという政策の当否は別といたしまして、すべてのものをなるべく自由にしよう、少しぐらいの摩擦があつても、また国民生活上多少の不安があつても、自由にして行こうということがだんだん行われて来た今日の状態において、米というものたけについて、政府が直接末端の農家まで、これこれの数量は供出すべきものである。その供出をしない場合には、これこれの罰則があるのだというふうに、権力を背景にして、末端の小さな農家まで、政府が直接幾ら供出すべし、出さなければ云々という、こういうやり方というものは、どうしても納得のしかたい状態なつて来ておる。それが供出というものが非常に困難になつて来た一つの有力な原因だと思う。およそ制度というものは、それができ上つたときの社会的な、経済的な条件というものでその制度ができたので、その基礎がかわつて来た場合には、その制度そのものの不自然さというものが非常にはつきり現われて来て、その制度の効用というものはやはり尽きて来る。そういういわは命数を持つたものであつて割当制度というものは、やはりその命数が来ているのたということが一番大きな原因だと思います。本来供出制度に伴う困難というものは、これは初めからあつたわけでありまして、非常に公平に各農家供出量の割当をするということは、事実問題としては非常にむずかしいことなんであつて、絶対に公平を期し得るという方法は、なかなか一定の方式で割出すことができない。常にあるトラブルを生ずる可能性を持つておる制度なんだ。各農家の間の公平を期し得ないということ、これが末端においては割当制度に伴つてのいやな問題を伴つておる。それはやはり強制的に幾らく出さなければならぬというものであつて、しかもその割当数量というものが公平を期し得ないという、それがこういう構勢になつて来ると、いよいよ耐えがたいものになつて来る。これが私は基本のものであろうと思います。価格の問題も、もちろん関係がありますが、いかなる制度をとりましても、価格問題によつてその制度の欠陥を補うということも可能であろうと思います。先ほど来からお話があつたように、現在は内地米というものは、一つの稀少価値を持つた特別の商品でありますから、常に高い方向へ行く傾向を持つておるのであつて価格が十分であれば割当は必ずうまく行くというわけのものでもないのであつて、そのかたわらに必ず比較すべき何ものかが存在するという現象が起つて来る。いろいろな情勢の変化によつて、常にそういうものにさらされておるわけでありますから、価格だけでもって、価格さえ妥当ならば供出制度は必ずうまく行くというようなことを考えるわけには行くまい。むしろ問題は、前段に申し上げたところに基本の問題があるのだ、こう私は考えております。
  15. 川俣清音

    ○川俣委員 私は石井さんは総合農協一つの代表でありますので、農民的な感覚を代表しておられると思つたのですが、どうもこの感覚はいわゆる団体量の感覚のような感じがいたしたのです。というのは、強制的な権力を末端に発揮することがもう行き詰まつたのだ、私はこんなことは考えられないと思うのです。一体権力でとるから行き詰まつたので、権力でとらなければ行き詰まらないのだという見解は生まれて来ないと思う。なぜ一体農民が供出を拒むか、不公平だという原因が起つて来るかというと、犠牲をしいるところに不公平だという問題が起つて来る。義務供出だというところに不公平の問題が起つて来る。たとえばあなた方のかつて運動されたときに、早場米のわくなどは撤廃した方がよろしい、申込みがあるのにわくをしめておつて、わずかしか割当てないということは反対だということを決定されたことがあるんです。これか義務でなく、一つの権利を尊重するという建前なつて来るならば、割当が不公平であるとか、あるいは苛酷であるとか、あるいは強権的な集荷はけしからぬとかいう問題は出て来ないと思う。喜んで出すならば、強権的集荷などという議論が出て来ないと思う。不公平な割当だということも出て来ないはずだと思う。犠牲をしいるというところに、初めて強権割当反対だということや、強権集荷反対だという問題が出て来ておると思うのです。従つて犠牲をしいておるのか、しいてないのかという問題、今日犠牲をしいるというやり方については、もはや行き詰まつて来たというふうに見るべきであつて、末端にまで政府が干渉するから行き詰まつたのだという見方は当らないと私は見ている。一定の価格で強制的に物を買い上げて行くというところに行き詰まりを来たしたのだ、こう見て行かなければ、私は将来の解決はできないと思う。もしもそうでなくて、強権が悪いといつたら、法律は全部廃止してしまつた方がよい。これを全部やめられたら集荷ができないから、これを残しておこう、やはり最後は権力を背負つてやらなければ集まらないという考え方がある。一体あれだけ食糧庁が一般会計からも大きな経費を投入いたして、これだけの大きな行政機構を持ち、これだけ大きな法律的権力を背景にしてまでも、もう集荷が困難になつたということは、これ以上農民に犠牲をしいることは困難になつたと私は見るべきものだと思う。それなのに、政府がやれないで、われわれの集荷団体がやれば、うまくできますというような感覚でおやりになつたならば、とんだ失敗をしませんか。自分たちの団体であれはあるほど、自由意思が出て来るはずです。従いまして、今度は農民と集荷団体との間における衝突が起る。政府との衝突が、今度は農業団体と農民との衝突、敵対感情というものが生れて来る。その間に、いわゆる商人の集荷業者は、たくみな経済的操作をもつてこれに人づて来るというようなことになると思う。そこで問題は、そういうふうに考えて参りますと、一体今度の予約制度というものがなぜ生まれて来たかというと、食対協議会の人々は別といたしまして、政府としては、もう供出制度の奨励金はやめよう。あるいは完遂奨励金の金をやめよう。金を出さないで集過をでき易くすることは、とても政府ではやれぬから、何かうまくやれる人がないかというので、政府ですら、もうできなくなつているというのに、団体屋ができるというお考えは、どうも私は解せないのです。
  16. 石井英之助

    石井参考人 先ほど申し上げた点が、あるいは表現の関係か、十分な御理解を得なかつたように思うのでありますが、大体今お話のような事情が割当供出というものを困難にしたと考えておるのでありまして、あるいは言葉の関係で何か違つておるようにお考えになつたのかもしれぬと思いますが、大体同じように私どもも考えておるのであります。そこで今度の何は、政府は金を出さないで米を集めたい、ついては団体にちようどいいから利用してやらせようという、そういう筋で私どもは考えておるのでないことは申すまでもないのでありまして、最初にお話を申し上げましたように、ともかく今お話のあつたような事情で割当供出というものは困難になつて来ておる。しかしながら、国民経済全体からいつて、現段階においては政府の直接統制継続しなければならない、政府の手において相当量集荷をしなければならぬ、そうなつた場合においては、農家販売をする米というものは当然あるのでありますから、その農家販売をする米というものを納得づくで、ひとつ自主的に売り渡す数量をとりまとめよう、そういうことをして、所要の数量の集荷をやろう、それ以外にはこの二つの事実の間に立つて両方の要請に応ずるような打開の方法というものはないのではないか。これはしかしながら集荷団体といえども決して容易なことではないのであつて、国全体の立場からいつて、現在はそういう統制継続しなければならぬ。ついては政府の方としてその集荷団体といわば協力をして、集荷をして行こう。それには今の強権による割当というものは、いわばもう使い果した制度であつて、十分の効力を発掘するに至らなくなつてしまつたのであるから、自主的に売つて出るという行き方に転換をして集荷をして行こう。しかしながら、これは非常にむずかしいことでありますから、いろいろな条件というものは十分に考えて行かなければならぬ。と同時に政府と府県とが協力をしてこれの推進に当る、こういう考え方で、これ以外にこの際にやつて行く方法はないのじやないかという考え方なのであります。これはたまたまきよう伺つたのでありますけれども、先ほど馬場さんのお活で、かわる制度としては集荷団体政府との間の双務契約だというようなお言葉がありました。双務契約的な関係によつて集荷を遂行して行くというのかかわるべき制度であろうというようなお話が、具体問題を離れて、理論上の問題としてお話がありましたか、まさにそういう筋に沿つたものではないかというふうに、先ほどお話を伺つてつて考えたのでありますが、ちようど、そうせざるを得ない、このほかにはここを切り抜けて行く道がないというところが、この答申の案だと思うのであります。そこで国全体の立場からいつての案であつて、その場合に政府が、その答申案によつて政策をはつきりときめられるということになれは、そこでわれわれの方も集荷団体としてはそれに応じてやつて行くという態勢になるわけでありまして、そういう考え方から来ておるのであります。ただいまお話のようなことは毛頭考えておらないのであります。
  17. 川俣清音

    ○川俣委員 私のような考え方は毛頭考えていないということだけれども、実際的にはそうならざるを得ないような立場に追いやられておるのじやないか。たとえば、なぜ強制が強化されようとするかというならば、大槻さんからのお話があつたように、消費者保護政策の上からの供出であり、国民経済の問題の解決の上から強制は必要である。こういう点から言いましても、集荷という問題は今月の情勢では非常に困難なんです。農民の保護政策の上から集荷を考えているのじやなくて、まつた消費者保護と国民経済の問題解決の上から必要だという要請に基いて集荷をやらなければならないという観点なんですね。その点は大槻さんははつきりしていた。従つて消費者を保護する必要上、農民に犠牲をしいるのであるか、または他のいわゆる国民経済の上から供出というか集荷というものが生れて来るのであるから、その方において十分な負担をして農民に犠牲をしいないというふうに、経済的な条件を整えて来なければ、もはや供出制度というものは行き詰まつたのだという観点に立たねばならないと思うのです。その面から言いまして、またはこれは供出というものがもはや緩和されなければならない方向だとすればなおのこと、これは農民保護のために緩和しなければならないという考え方になるのだと思いますが、そうすればなお米価というものが上昇して来なければならない方向で集荷しなければならないということになりましようし、どつちの面から言つても、今までのような完遂奨励金あるいは超過供出奨励金、特殊制度によるところの奨励金といいますか、手数料の増大、それらいろいろなものをやつたけれども、とうとうできなかつたのだ、こういうのでありますから、それ以上の経済的な援助を与えることなしには、今後の集荷というものは困難だということにならなければならないと思うのです。従つて予約制度というものも、強化の方向から言いましても、あるいは緩和の方向から言いましても、この予約制度というものにもしも魅力を持たせるとすれば、これは経済的な大きな援助が加わるという意味で、初めて予約制度に対する魅力が加わつて来るのだと思うのです。政府がやらないで団体がやるからうまく行くのではなくて、おそらく団体がやるからにはわれわれの意思を十分尊重したような恩恵的な制度というものが出て来たのだ、こう見るところに農民の魅力が出て来、それに即応するような供出が生れて来る、私はそう見るべきもんじやないかと思うのです。従つてことしのような作柄が悪いときにはさらのこと、こういう予約制度については非常な期待がかけられて来るのです。期待というのは経済的な援助、補助、土地改良からあらゆるものを含めて国の財政出資並びに財政投資というものが加わるのだ、こういうところに初めて予約制度というものが私は意義をなして来ると思うのです。今後何年間継続して予約したものに対しては、土地改良を優先的に行うのたというような、予約の経済的裏づけをなすもの、または予約したものに対しては前の超過供出及び完遂奨励金以上の経済的な援助を与えるのだ、こういうものを持たないで、とうていこの予約制度という各市によつて集荷ができるとは思わない。直接経済援助なり間接経済援助なりというものが加わつて来なければ、予約なんというものはおそらく宣伝だけに終つて生れて来ない。特に今年のような手持ち米の不足なとき、または先上りのするようなときに予約するものはないということは、大槻さんが明言されております。その通りだと思う。従つてこういうときに予約制度をとるということになりますならは、今までの行き詰まつたものを打開するだけの大きな経済的な援助が加わるのだ、経済的な力が加つて米が買い上げられるのだということにならなければならないと思うのです。  もう一つこの際大槻さんにもお伺いしておきたいのですが、私は外国から食糧を買うなんていうばかなことはないと思うのです。日本のように農業人口も多く、しかもまだ開墾する耕地面積のある国において、外国のものを買つて来なければならないというようなはかなことはないと思うのです。これは私が説明するまでもなく、大槻さんがよくおわかりだと思うのですが、もみであろうと何であろうと、精米ならなお悪い、もみなら少しいいと言うか、もみでも私はいけないと思う。日本のように労働力の多いところに米を入れて来るということは、農業労働者を入れて来るのと同じことだと思うのです。この人吉が多くて移民をしなければならないときに、外国人を連れて来て米を生産させるような経済的な結果になるような買入れの仕方は、私はすべきでないと思うのです。この点は大槻さん賛成だろうと思うのですが、もみの輸入ならいいのだと言つて、非常に大槻さんの意思を誤解するように思われるので、このことをつけ加えて御答弁を願いたい。前段につきましては石井会長から御答弁を願いたいと思います。
  18. 石井英之助

    石井参考人 お話のありましたように、予約制度実行するについては、もちろんその効果あらしめるための条件というものは十分に考えなければならないのでありまして、今お話のありました点は、主として価格関係に関連する御意見だと思いますが、この価格の問題は、予約制度をとるにいたしましても、また他の制度をとるにいたしましても、これは農村の犠牲においてというような、そこにしわ寄せが来るような価格であつてならないということは、これはもう当然のことだと考えるのであります。さらに予約の奨励金というものについても、協議会の答申は他の奨励金は別としても、この奨励金は交付するのだということを明確にいたしておる通りでありまして、これについては政府がこの方針実行される場合には、十分な奨励金を支出さるべきものだ、かように私どもは考えておるのであります。
  19. 大槻正男

    大槻参考人 川俣君からの御質問ですが、食糧を自給生産すべきだという点においては、私は川保君に劣らない強い考えを持つておる、しかしさて現在すぐできるかどうかということになりますと、これは非常にむずかしい、相当な時間を要するんじやないか。これには組織的に増産をすることになりませんと、これは生産費が非常に高騰する生産費を非常に高騰させて、あるいは限界生産費を非常に高騰させて増産することが、国際社会における一員としての日本としてさてそれが可能かどうかというような問題があります。それで私は、ほんとうに食糧は自給の方に持つて行くベきだ、そういう意味で私はいも問題などを非常に大きく取上げておるわけでございます。それで、これはできるだけ食糧増産を行う、しかも価格的にできる方法食糧増産をはからなければならない。できない方法で増産をはかろうというような非科学的なやり方というものはいけないと思います。ことに穀粒食糧需要の側面をもう少しかえて、ただ米だけで食糧を自給生産しようなどということは不可能をしているものだと思います。そういうようなことで消費需要と関連して、並行的に食糧自給問題は解決して行く、私は第一に消費の指導というものを、国民の反省を促してやる。もう少し日本の国土でできる、日本の国土の適産物でまかなえるような方向に国民の消費需要というものを持つて行かなければならぬ、それならば可能だ、今米でこれだけの増産しようといつたつてただちにできない。しかし短期の問題としまして今食糧管理理を解く、解くんじやないけれども食糧をこういうふうに自主的供出の方向に持つて行こうというし強制供出から経済供出の方に持つて行こうとしますと、これは輸入もある期間やむを得ないんじやないかという意味で申し上げたのです。
  20. 佐藤洋之助

    ○佐藤(洋)委員 今大槻先生からお話を承り、また今の川俣君のお話からいつても、理想は国内自給で行くべきものだと思います。しかし現状からいつて、どうしてもそれができないので、いわゆる輸入に依存するということになるのですが、実は十九国会において、御承知のように食糧の増産、食生活の改善、この二つは強い決議をいたしたのです。これは毎国会現われる問題でありますが、国内自給度の向上ということは打出して、いろいろ計画をもつてつておるのだが、どうもなまはんかなんです。食生活改善ということを叫んでもなかなかそれが、不徹底なんです。今大槻さんのお話のように、大槻さんもこの前の米価審議会において食生活の改善に言及されたのは仰せの通りなんです。私もそれは同感です。なるほど粉食をいかに奨励しても、粉食は農家には無理である。これはやはり粒食で行かなければならぬというのは、これは同感なんです。そこでどつちも中途半端なんです。増産かそう思うように行かない、食生活改善も半端だというこの点において絶対量が不足なのです。実はきのうも食糧長官が来たから、絶対量は一体どうなんだと聞いたが、ただ数字的見合せによると、絶対量は数字上においてはバランスが合うわけなんです。米が約六千五百石、——凶作のときは別で、平年で六千五百万石くらい、麦は三千万石、これを米に換算して二千万、石とすると、約八千五三巨万石だから、八千五、六百万の人間が一年に一石を食うとすれば、大体バランス・シートが合うのではないかというわけです。しかし持越しがなければならぬ。端境期の食い込みもあるというので、なかなかそれが順調に行かないことは当然なんです。こういうふうな日本の食糧事情というものは、いわゆる持たざるものの悲哀からあの大きな戦争に突入した結果、今日のような破綻を来しておるのである。そして四六%の領土を失つたという現状において、日本は今一大食糧難に逢着して来たのである、いやが上にも人口がふえて、アンバランスになつて来たのは事実なんです。こういうような現在の国内情勢に立脚して、わが日本の食糧政策をどこに持つて行くか、日本の食生活改善をどこに持つて行くかという問題になつて来ると、これはなかなか現実面から困難だと思うのです。今石井さんの説かれるように、現在までの供出というものにとにかく破綻が来た。その破綻の見方は、川俣君は農民に犠牲を強いるからだと言う、それも確かに一理だと思う。その通りなんです。石井さんの一面の見方も私は理論に合うと思うのですが、要するに現段階においては、私は一つの転換期に来ておるのだと思う。農業政策においてここに一大転換を要する時代か来たのであつて、米の問題についても、私は何らかここに政府が手を打つべき時代に逢着しておるのだという感じかするのでございます。そこで今度の食対の答申案というものを拝見すると、まだ私どもは十分意に満たないのでございます。これらに対しては多くの議論がございます。しかし本日馬場さん、大槻さん、石井さんの所論を伺つても私ども得るところがあつたのですか、今後もつと実際面に即してどういうふうに持つて行くのだということについては、私も大いに考えて見なくちやならぬと思うのです。今大槻先生の言つた、たとえば米を買い入れるならばもみでいいだろう、これは川俣さんの大槻さんに対する質問の取違えは私はあるだろうと思う。入れるならばもみでいいという意味なんでしよう。私もその議論でして、実はおいでになる前にここで専門員とも話した。もみで入れるのかいいのだ。昔は郷倉というものがあつて、もみで貯蔵した。もみならば、これは数年間の貯蔵がきくのであります。比較的米の要素を失わないということはわかつておるわけなんです。それは外国ではできないのです。一連作業ですぐ白米になつて来てしまうシステムですから、できないということなんです。それは日本に持つて来るならば、もみが一番いいと思う。それが実は私も頭にあつたのですか、なかなかそれができない。きようも朝日新聞に黄変米を非常に大きく取扱つておるので、私けさ熟読翫味した。なかなかこれは問題に思うのです。すでに九州地方において六等麦が五二%もあるので、六等麦を買つてくれといつても、政府はもたもたして明確な回答を与えない。黄変米で四十億も損をしておるという。その一割も出せば六等麦は解決してしまう。そこにいろいろ私はまだまだ政府のこの問題に対する政策の欠陥があると思うのでして、深くわれわれは考えさせられるのでございます。きようは私は御三人に質問はしませんが、お暑いところ敬意を表して、一応私が考えた意味において申し上げたのであります。
  21. 川俣清音

    ○川俣委員 大槻さんにもう一点。私は米は、なるほど現段階においては増産の余地が不足だとも言えないことはない、急速な増産をするには相当無理な生産費をとつて行かなければならないと思うのです。ところが大槻さんのお得意な大麦、裸麦、特に大麦になりますと、増産の余地がないのだということは、われわれ農政上から言えないと思う。これは大いに可能性があるのです。去年小麦と裸麦、大麦の三麦価の価格をちよつと上げただけでも、あれだけの増産が可能になつたのです。ですから既存の耕地面積からいいましても、大麦、小麦、裸麦にいたしましても、これは国内において増産の余地か十分ある。ただ条件が恵まれていないというところに減産の方向をとつたり、あるいは菜種との競争で減産したりすることはあり得るようですけれども、いかに努力を払つてもできないという現状ではないと思うのです。ただ政府の施策か貧窮であるがために増産かはばまれておるというだけであつて、麦と米とを合してみて日本の円内食糧がまかない切れないものではない。それまでには十分達しうるものである。そういたしますれば、あえて食糧の輸入を麦、米、特に米につきましては輸入の必要がないんじやないか。もしわずか入れるとすれば、小麦ぐらいなものじやないか。あとは国内増産に全努力を払うことによつて、来年から可能になつて来る。もう今年の秋から可能性が生れて来るものだと大槻さんはお考えにならないかどうか。私はそう考えておるのだけれども……。
  22. 大槻正男

    大槻参考人 佐藤さんのを先に……。私はもみ輸人の問題は、外地において一貫作業であるがゆえにできると思う。あれはもみで集めまして、華僑が一貫作業で精白して出す。ですからもみのまま輸入することは、華僑の勢力といいますか、華僑の作業を何とか麻痺させるか何かして行かなければならない。これは農民はもみで集めるので、玄米で集めるのではない。従つてもみで入れることはそう障害がない。ただ取引上の問題であると思います。ただ私も南方米を輸入するなら、もみを輸入することがいいということです。  それから今の川俣君のお考えは、私は全面的に賛成でございます。どうしてもそういうふうに持つて行くべきものである。日本の麦政策というものは、昭和八年の小麦増産計画から、農事試験場初めあらゆる農業技術その他の農業関係は、小麦、の増産に奔走した。そうして大麦、裸麦は減らそうとした。ですからバランスを失して現在小麦が多く作付せられるというのが事実でございます。これはまだまだ大麦、裸麦に転換してさしつかえない。すればするほど合体としての増産が上る性質でございます。早く農林省における政策の転換を農民に明らかにして、それをことに価格政策の上に実現すべきものである。今年の麦価の決定は、そういう生産上の問題をはなはだ無視したものであつたと思います。  それからもう一つは粉食の問題です。血生活の改善ということになると、みな粉食々々ということになる。粉食がはたして川俣君のおつしやる食糧の自給生産と一致するかどうかということはさつぱり考えない。私は粉食を奨励し、パン食を奨励するなら、日本の食糧の自給度は非常に減ずると思います。うまいパンはメリケン粉でなくちや焼けません。輸入小麦でなくちや焼けるものではありません。  それから小麦の生産は、新大陸で人口の稀少な、夏乾燥する地帯の特産物なんです。これはヨーロッパ、アメリカ、アルゼンチン、ああいう夏乾燥する地帯、あるいは夏冷涼な地帯の特産物でありまして、日本で最も不適作である。ああいう不適作物によつて日本の食糧をまかなうことは、愚の骨頂だと思います。農業を捨ててしまうならともかく、パン食を奨励することは食糧の自給自足度を減じさせることである。むろん私はパン食に不賛成なんではありません。米ばかり食べることはよくありませんから、米偏食を矯正する程度において、あるいは日本人の米に対する執着を緩和する意味において、パン食をある程度奨励することはよろしい。しかし日本でパン血が普及する程度は、知識階級以上でありまして、労働者階級、下層階級には決して入りません。ことに夏のつゆから九月の間までは、労働者階級、下層階級にはこんなものは食えたものではありません。食うとすれば、少量の間食程度である。あんパンとか味つけパンとかジャム・パンとかいう程度であつて、主食として食べることは衛生上悪いと私は思います。それで日本国民の食生活の改善はパン食であるといつたような亜寒冷原地帯の風土を顧みない奨励方法というものはあつたものではない。これは明らかに改めていただきたいと私は思う。小麦の生産競争において新大陸地方にはとてもかなうものではありません。梅雨がちようど収穫期になりまして、良質な小麦はできませんし、生産費が非常に高くつきます。結局輸入になつてしまう。輸入になつてしまつたら、日本の農民は何をつくるかという問題が必ず近い将来において来るのでございまして、米食にあまり偏執することを矯正する程度のパン食の奨励はよろしゆうございますけれども、何でも食生活の改善はパン食であるといつたような風土をかえりみない奨励の仕方は、はなはだ間違つた奨励の仕方であると思います。  それからもう一つ申し上げたいことは、今度の予約集荷制度でございます。予約集荷制度をおとりになる場合は、私はできるだけ慎重にしていただきたいと思います。予約集荷制度をとる以上は、相当に予約奨励金を上げることができる。その額を相当に見積つて政府としてそれだけの腹があるならばおやりになる方がいいと思いますけれども、それができないために今度の過程的なものとしては、先に割当を行う。割当で足りないのを予約制度でとるというのです。しかし必要なだけの米が予約制度でとれなかつたらどうするかといえば、今度は再割当制度をとるということになるらしい。そういうところまで行つたらたいへんなんです。混乱します。そんなことで町割当制度はできるものではありません。そういう事態に持つて行くことがないように、慎重な考慮を払わなければならぬ。政府としてはそれだけのことをやる腹がなくておやりになると、これはとんだことになると思うのであります。これはよほど慎重になさらぬといかぬと思います。その点私は心配するのでございます。大蔵省その他も、こういう問題について相当にやるという腹があつておやりになるのであればいいと思います。何しろこれは自主的に出させるということになりますから、相当な価格でないと出しません。権力の行使を少くしただけに、今度は価格面において国がこれを補うということをしなければならぬ、その補うのが相当なものだと私は思うのです。
  23. 佐藤洋之助

    ○佐藤(洋)委員 今大槻先生のお話の、食生活改善の粉食奨励というものは食生活改善にならぬ——そう極端でもないけれども、あまり感心しないという点ですが、私もやはり食生活改善の一環として粒食奨励をしなければいかぬと思う。お説のように日本人の長い食生活の習慣としては粒食です。ことに米の飯をたいて食うということは、水分の多いもの——大体七〇%か水分ですから、日本人はずいぶん水分の多いものを食いつけておる。それで乾燥度の高いパンを食うということは困難です。現に私らは三割くらいつぶし麦を入れて食つておるのです。昔は押麦は押麦といわれて、実はあまり奨励されなかつた。最近は押麦は非常な奨励になつて、農村に近いところはほとんど二割くらい入れておりましよう。私も、二割くらい入れております。そこで大体粒食というふうに向いておるのです。それは私はいいと思うのだが、そこでこの間も私は育つたのですが、ことしのような麦価の算定は、まさに逆行なんです。大、裸麦の生産者価格というものはまことに方針に逆行なんです。そういうことを政府がやることは、私は与党だが、間違つておる。私は米価審議会においても言つたのです。こういうふうな行き方では違うじやないかということを、小笠原大蔵大臣をおいても、保利君をおいても、私は明言した。こういう行き方では、私が冒頭に言つたように、食生活の改善にもならなければ増産にもならない。やはりすき通つた政策をもつて行かなければいけないじやないかということを私は現に指摘しております。私を農林大臣にすればそんなことはしません。そういうわけですから、大槻さんの今の考え方については一応肯定せざるを得ないと思います。
  24. 金子與重郎

    金子委員長 それでは最後に委員長から、これは主として石井参考人にお伺いしたいのですが、残された二、三の問題がありますので簡単に申し上げますから、対策委員会の全体の空気をはかつて御答弁願いたいと思います。  第一は予約供出の問題が新しく打出されておりますが、予約制度を行つた場合に、政府は何らかの条件を付すと思いますが、その条件と、それから予約しなかつたもの、いわゆる飯米として保有しておいたものを、農民が協力いたしまして、次の夏作その他の生産見通しが良好になつたために追加供出いたします。その追加供出をいたしましたときのその供出に対する条件と、予約した場合の条件とを一体どういうふうに取扱うのか、同じに取扱うか、あるいは差別をするのか、その点がこの答申案を拝見したところでは出ておりませんので、その点についてどの程度まで御研究があつたかということが一点であります。  第二は集荷団体の問題でありますか、集荷団体ということを漫然と書いておりますが、これは今食糧管理の方式として、政府が指定したところの集荷という広い意味に考えますと、これには生産者団体のほかに集荷一つの団体があるわけであります。これに農業経営と密接なつながりを持つところの予約したものに対する経営上の有利な条件を与える、いわゆる貸付金をするとかいうようなことをいたします。そういう観点からしますと、これは狭い意味集荷団体、いわゆる生産者団体でなければその実行が遂げ得ないと思いますが、この中に書いてあります集荷団体というものは、広い意味に解釈しやすい。いわゆる業者団体であろうとも、あるいは生産者団体であろうとも、政府が指定した団体というふうに解釈できるように思つておりますか、その点は対策委員会としてはどういうふうに御研究なつておつたか、これが第二点であります。  第三点は、かつて窮余の策として行いました特集制度について何ら言及しておりませんが、当委員会におきましては、この特集制度というものは、一方において強権を用いる制度のほかに、しかも何か自由に行けるのたという感じを強く打出しておることによつて、かえつて割当制を阻害するという観点から、特集制度は用いるべきでないということを主張しておつたのでありますが、その点についてこの答申にはまた別に問題は出ておりませんが、この特集制度に対してはどういうふうな御意見が出ておつたか、これが第三点でございます。  第四点は、価格問題につきまして予約制度に対して相当有利な条件を付するということ、そのための財源としては、早場米供出以外の政府の財政支出をそれに振り向けるという意味だと思いますが、一面配給価格に対してこれをすえ置くということを、はつきり事実としては書いておりませんが、それに近い文章を使つて答申してあるようでありますが、そうしますとこれは当然二重米価の問題がここに出て参るのでありますが、答申案をつくる過程において、政府は今の日本における米価の決定に対して、一方生活の安定、一方生産の増大という二つの矛盾したというか、その価格面においては矛盾しておる問題をここでも同じく取扱つておりますが、この二重米価の問題になりましたときに、現在の政府は二重米価問題を非常にきらつておるのでありますが、しかしながらこれはどうしても二重米価にならざるを得ない。この答申案そうである、またわれわれもそう考えておりますが、そうした場合に、二重米価に対する限界を一体財政支出をどの程度に行うべきかという具体的な問題までつつ込んであつたか、あるいはそういう問題には特に触れておらなかつたのかという四点でございますか、簡単でよろしゆうございますか、結論だけお答え願いたいと思います。
  25. 石井英之助

    石井参考人 第一の予約奨励金と申しますか、予約によつて売渡しをいたしますものに対する取扱いの問題、これは予約奨励金という言葉ではございませんか、その予約数量の売渡しをし、生産者には奨励金を交付するということは明瞭になつておりますが、この答申案全体にわたりまして非常に細目の点までも検討するということは、この答申自体としてはいたしておらないのでありまして、この方針によつて実行をするということになれはいかなる技術的な措置をとるかということは、これから政府のいろいろな考慮が行われるであろう、それに対しては予約制度というものが行い得るような条件というものがこれからなくちやならないことは当然でありますが、それを具体的にこまかく協議会において論を起すというところまでは行つておりませんでした。これは今後の問題として研究が残されておるわけであります。  それから第二の集荷団体の問題ですか、これはこの協議会の審議の経過におきましては、この集荷団体という中には業者の団体も含まれる、こういう考え方であります。と申しますのは、現在政府集荷をいたす米の取扱いは指定集荷業者という制度がありまして、そうして業者も扱いをするし、また農業協同組合の単協もその指定集荷業者というものになつておるわけであります。その指定集荷業者を基本としたその業者の団体というものが集荷団体というふうに考えるのであります。こういうのが協議会における考え方であります。それで大体は御承知でしようが、現在の指定集荷業者というものは生産者からの登録を受けて、そうしてその登録関係に基いてその登録をした生産者から集荷をいたす業者なのであります。その登録の筋を通じての集荷団体というふうに協議会としては大体考えておつたと思うのであります。  それから特集制度に対する問題でありますが、これはこの答申の最後のところに、やみ米防止問題というところに触れておりまするが、ここに匿名供出、特別集荷等の従来実施されたものは所期の効果を収めなかつたので、さらに一層適切なる方法を考究するものとする、こういうことになつておるのであります。この特集制度というものは、従来やつたものは所期の効果を収めなかつた。そこでこのやみ米防止の問題についてはさらに別途のものを考えなければならないのだ。それをやるとすれば別の方法を考えなければならぬという意味において、消極的にここで表現をされておるわけであります。しかしこれは審議の経過におきましては、特集制度ないしはそれに類似した制度をもつとく考うべきではないかという論があつたことは大いにあつたのでありますが、それについては何ら結論を得ることができない。また事実問題として何らいい案がなかつたので、こういう結論になつておるのであります。  それから二重価格の問題につきましては、ここにも必要やむを得ざる場合にはその調整は最小限度の財政負担によつて行うということで、やむを得ない場合には二重価格制度をとるのたという方針はここにはつきり出ておることは御説の通りであります。しからばその場合の財政負担はどのくらいの財政負担を考えるのであるか、またそれか必要であろうかということの具体的な数字的な問題は、これは出ませんでした。しかし気分としてはそういう場合でも最小限度にとどめたいという結論を、そういう気持でこの最小限度の財政負担という文字が入つておるわけであります。大体協議会の審議の内容はそういうことであります。
  26. 金子與重郎

    金子委員長 ただいまの答弁に対してちよつと追加して一、二点お伺いいたしますが、予約供出制度というものによつて出しましたところの一石当りの農民の手取り合計というものと、それから農民が節米に協力して、あとで当然これをやみで流すべきものを正規の供出数量の中へ乗せて追加して供出する場合がごさいますが、そういう場合にあとで予約以外のものを出しますと、予約上なかつたときよりも不利な条件になるのかどうか。これは大きな問題でございます。そういたしますとこれは予約をどういうふうに持つて行くかということに対して技術的に重点でありますので、その点に対して何かもう少し御研究がなかつたのですか。
  27. 石井英之助

    石井参考人 協議会としてはそういう点についての研究はいたしておりません。
  28. 金子與重郎

    金子委員長 それから第二点の集荷団体に対しては、私今御説明を聞く前に、この委員のメンバーを拝見したときに、おそらく広義における集荷団体であるというふうな御解釈であろうというふうに想像はいたしたのでありますが、但しこれは狭義のいわゆる生産者団体というふうなものが大部分を占めておりますので、それに一つの方向づけるべきでなかつたかというような疑問を私がそこに持つたことは、予約制度を行うということになりますと、政府が予約という制度に対して農民が協力いたしましたときに、これが農民に与える一つの有利な条件といたしまして奨励金というふうなものの金額を増すということもありますが、同時にその予約したものはこれは予約栽培というふうな点にまで入ります。そうすると栽培上の一つの有利な融資であるとかあるいは指導であるとかというものにまで入る可能性がある。そうした場合に、業者というものか一体農民と生産条件の上にどういう関係を持つか、米を集めるということだけで行くならば、農民が登録したのだからだれであつても同じでしようけれども、そこに総合農協の下にあるものと米屋というものとの間には、非常な開きがあると思うのでありますが、その点に対する論議は、相当強く火花が散るべきであろうと私は思うのでありますが、そういうことはなかつたでありましようか。
  29. 川俣清音

    ○川俣委員 ちよつとそれに関連して一点だけ伺いたい。それは石井さんは集荷団体ということを無意識に言つておられますけれども、私は単協は集荷団体でなくて出荷団体だと思うのですよ。だからほんとうは予約奨励金というようなものは出荷団体に来るべきものであつて集荷団体に行くということはほんとうはおかしいのです。単協は出荷団体だ、あなたは団体的な考えを持つから、集何団体なんという言葉を使いますけれども、本来単協というものは集荷団体でなくて出荷団体ですよ。従つて結論から言うと、予約奨励金というようなものは出荷団体を通じて生産者に行くべきものだと思うのです。その点委員長のお尋ねとあわせて御答弁願いたい。
  30. 石井英之助

    石井参考人 まず川俣委員のお尋ねに対してお答えいたします。お話の通り生産者の方から言えば出荷団体なんでありますが、従来の管理制度の面におきましては、集荷団体とか集荷業者とかいう言葉を使つておるのですね。ですからその関係集荷団体とか集荷業者とかいう言葉を使つておるのでありまして、生産者の側から見ればこれは当然出荷団体、共同販売機関であることは明瞭でありますから、その点については実質的には何ら誤解はないのであつて、同じことなんです。ただ文字はそういう文字を使つておるということであります。  それから今の委員長のお尋ねの点、これはやがてはそういう幅の広い問題に発展し得る要素があることはきわめて明瞭であるし、いろいろ考うべき問題があると思います。しかしこの協議会の審議の過程におきましては、そこまでの問題になると非常に話が複雑かつ紛糾をするような形勢でありましたものですから、そこまでの非常に突き詰めた論議にならないでこういう結論になつておるのであります。しかし背後にそういう問題があるということは十分考えられることであるし、また一つの問題だと考えております。
  31. 金子與重郎

    金子委員長 最後に一点。ただいま川俣委員からも同じような御意見があつたのですが、この集荷団体として今の法律の中に、また取扱いもそういうふうにやつて来たことは事実でございますが、ここに予約制度を用いるというようなことになりますと、大きく考えてもらわなくてはならぬことは、もう一歩生産予約というふうなところまで発展して行く、少くとも、発展をしなくてもそういう考え方が強く出て来るわけであります。そのときに、農業生産者の構成する団体が、業者の団体と同じような意味において集荷団体というふうな見解をとつているあの今の制度自体を、私は大きく考え直さなくてはいかぬと思う。従いまして、例は違いますけれども、肥料の法律をやつたときにも、今まで肥料を取扱うものは、消費者の団体であろうと販売を業としている人であろうと一律に取扱つていたのを、今度ははつきりとそれをわけて、これは消費者の団体であるがゆえに備蓄するんだ、それからして消費者の団体であるところの全購連は、今まで業者の代表としてあらゆる場合に出ておつたけれども、今度は業者の代表ではない、要するに消費者一体なんたから全購連は消費者の代表として立たなければいけないということに法律も実際もなつたのでありますが、この全販連の場合も、これからの考え方として、業者の立場と同列に見解をとるということについては、相当私は考慮を要するものだ、こういうように考えております。ことに今度のこの問題が、何らかの形で実行されると思いますが、これは委員としての石井参考人というよりか、むしろ全販連の会長さんである石井さんに対して、特に私は、蛇足でありますけれども、問題が出ましたので、この点を強くお願いしておきたいと思います。  二重米価の問題につきましては、結局これは審議会のところは大分上手にお逃げになつたようでありますが、これは数字でありますので、最小限度と言いますが、最小限度ということになれば生産費を上げるかないしは農民の手取りをできるだけ少くするということになつて参りますので、一方においては農民に対してその意欲を増すような政策をとれということは、ほかならない金をふやせということです。一方消費者のあれを上げるなということになれば、二重価格というものを相当幅を広く持てという結論になりますし、文章としては最小限度の二重価格というふうなことを表現してありますのも、これは一つの矛盾だと私どもは解釈するのでありますが、これは意見になりますので、この程度にしておきます。
  32. 川俣清音

    ○川俣委員 ちよつとその点……。これは予約制度に伴つて大きな問題です。今の食糧管理法か、いうと、政府集荷するのを委託集荷をいたさせておる。これは政府が買い付けるわけです。従つて代理行為を営ませる、こういう集荷業者というものがあると思うのです。それから予約をする場合には、一体生産者と予約をするのか、こういう集荷団体を通じて予約をするのかという問題が出て来る。私は、この予約という意味は、おそらく生産者と予約をするという意味だと思う。集荷の予約ではない、むしろ出荷の予約だと私は見るのであります。ところが解釈によりましては、あいまいな解釈をしておりますと、集荷予約だというふうに見られないとも限らないと思うのです。私はやはり出荷予約である。生産予約である、こう見るべきであると思う。これはどうしても出荷団体を通じて予約が成立すべきものだというふうに考えて行かなければならぬ。現行法からはそうあらなければならぬ。現行法をそのまま解釈して、一体集荷業者が予約権を持つておるとは考えられない。生産者でないものが予約できるわけがない。買い付けることが不可能なんです。買い得られるものは政府だけです。政府以外が買えばやみです。これは管理法上明らかです。従つて集荷予約というようなものはできるわけのないことは、現食糧管理法から言えは明らかです。それを非常にあいまいにしておる点が答弁の中に出て来ておるわけです。それで私はこの点念を押しておるわけです。
  33. 石井英之助

    石井参考人 実質はもうお話の通りなんです。従来の関係で、これは集荷という言葉を使つて集荷団体というようなことを何しておりますけれども、要するにこれは自主的な売渡しの予約でありますから、これは生産者が主体であつて、それがそちらの側から見れは出荷団体を通じて何をする、業者の方の側は、これは業者がその予約の委託を受けてとりまとめて渡すということになります。農協関係においては、今お話の通り、実質的にはびしつとその数字に乗つて動くわけであります。その辺は少しも考え方の違いはないと御理解を願つておきたいと思います。
  34. 大槻正男

    大槻参考人 ちよつと私が申し上げたかつたことは、委員長の言う予約栽培まで入るという考え方には慎重な検討を要する、供出の予約という程度でとどめるべきではないかと思います。
  35. 金子與重郎

    金子委員長 ちよつと速記をとめてください。   〔速記中止〕
  36. 金子與重郎

    金子委員長 速記を始めてください。  参考人の方々には非常にお忙しいところ繰合せ願い、熱心にいろいろ御研究願いましてまことにありがとうございました。なおこの問題は非常に大きな、国民経済全般に影響を及ぼす重要問題でありますので、当委員会としても研究し、今後とも各位からいろ本日のような問題が起りました場合御研究、御検討願う機会がまたあろうかとも存じておりますので、その際はよろしくお願いいたします。  それではこれをもつて休想いたしまして、午後は二時から開会いたします。    午後零時五十八分休憩      ————◇—————    午後二時五十九分開議
  37. 金子與重郎

    金子委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  食糧増産の問題について、川俣委員から質疑の申入れがありますので、これを許します。川俣清音君。
  38. 川俣清音

    ○川俣委員 本委員会は、食糧問題解決のために特に設けられた委員会であります。従いまして、米及び麦を中心とする日本の農業経営の上に、また国民経済の上から、また今日の国際収支の均衡の上から申しましても、食糧の増産、米を主といたしまして、続いて麦の増産が最も要請せられておりますることは、私がるる申し上げるまでもないところでございます。  これについて、この実施面を受持つておりまする農地当局にお尋ねいたしたいのでありまするが、二十八年度よりも二十九年度が土地改良卒業に対する、また開墾事業あるいは干拓事業に対する予算、結局食糧増産の経費、事業費というものが、だんだん削減されつつあるようであります。まことに遺憾にたえないところでありますが、特に最近になりましてから、これらの土地改典あるいは開墾あるいは土地造成の上の公共事業費がまた削減にあつたようであります。実行予算と称しまして査〇%削減するのだそうでありますが、これにあたりまして、閣議では、依然として食糧増産が必要であるから事業量は減らさないのであつて、ただ物価が低落したら一〇%切るのであるけれども、結果的な事業量は減らさないのだということを声明いたしておるわけであります。この点につきましては、大臣もまた決して事業量を減らすようなことはないつもりでやつて行くのだ、こういう答弁をいたしておるようでございます。はたして一体農地局か、予算を一〇%切つて事業員を減らさないて遂行できるとお考えになつておるか、どうか、この点を桜井部長からお尋ねいたします。
  39. 桜井志郎

    ○桜井説明員 お答え申し上げるのに非常に芳しいところでありますが、まず苦しいことを先にお察しいただきたいと思います。まさに閣議ではそういう決定をされまして、一〇%削減の事務を私ども命によって進めております。また事業は減らさないというような話が閣議にあつたということも仄聞いたしております。私ども政府の職員といたしましては、その線に沿うべく最大の努力は続けております。ただ現在、少くとも今日の物価という問題を取上げてみますと、私ども仕事に物価低落という形において影響を持つて来ておるものが、まだこれというものが出ておりません。鉄鋼の卸売物価は下つておりますが、しかしまだ小売物価までははっきり下って来てはおらないというふうに今承知いたしておりますが、ただ来年の三月末日までの問題といたしまして、期待するがごとく物価が下るということによりまして、結果的には業量を削減しない形で出て来ることに私どもといたしましても最大の努力をいたしますし、またそうなるとをこいねがつて仕事を進めておる次第であります。
  40. 川俣清音

    ○川俣委員 桜井部長は非常に苦しいということでありましたが、これは予算を編成いたしました当事者あるいはこの予算の編成に対して同意を与えました大蔵当局も、今度のこれらの予算を決して過大に見積られておったものたということにはならないと思う。この日本の困難な財政事情の中において、いたずらに甘く見た予算が立てられるわけもなかったはずでありますから、そういう事情にあったのでありますから、甘い予算で組まれておらないと思う。甘い予算で組まれておらないとしますれば、これは、もしも事業量を削減しないということになると、実行不可能なことになるのではないか。一体そういう場合は責任が、もちろん設計を組んだ桜井部長にもありましようが、それよりもそれを妥当として認めて予算を組んだ大蔵省の責任もまた重大だと私は、肯わねばならないと世う。それを是認した。ところが事業量を減らさないで実行するんだというとを閣議でもきめ、あなた方にも大体そういう命令を出して実行を迫っておるものと見るんです。この場合に桜井部長は、一体予算の削減を重点に考えるのか。事業量は減らさないという建前と予算削減と、二つ要請があなたに与えられているはずでありますが、一体どっちを主体に考えておられますか。私どもから言うと、事業量を減らさないということを主体にに実施すべきものだ、これが根本建前であると思う。事業量を減らさないで予算削減ができるならば、大いにやるべしという命令だと私は理解しますけれども桜井さんはどのように御理解になつて、目下設計がえをやっておられますか、この点を……。
  41. 桜井志郎

    ○桜井説明員 ただいま私どもが受けております命令は、一〇%切つて出せ、こういうことであります。現在の場合一〇%減らすが、事業量は減らさないということは、物価が下るという期待が前提になっている。物価が下つた、下ったから減らさないというのでなしに、下るということの期待を前婦にしている。こういうことでありますので、私どもは衣ず命令により一〇%減らす、このことに今努力を集中しているわけであります。
  42. 川俣清音

    ○川俣委員 そういたしますると、一〇%削減することが主なる命令だとかは年度末になって実績を見なければわからない、こういうふうに命令を受けている、こういう態度で作業に入つておられるようでありますが、大臣や閣議の決定事項は、これは両立するものだという考えで命令したように私どもは伺っておるのであります。従ってもしも事業量が年度末において達成できないというようなことになると、責任は農地局にあるのではないか。一体を削減せよということをまっとうに受けて作業もしておられて、予算は削減したけれども、事業量が減ったということになると、所期の政府の声明並びに所期の政府の期待に反し、国民の期待に反する結果になるのであろうと思いまするけれども、その場合の責任一体どこにあるとお考えになっておりますか。
  43. 桜井志郎

    ○桜井説明員 たいへんむずかしい御質問で、私答弁に苦しむのでありますが、この問題については、時間というものが一つのフアンクシヨンに入って来ると思うのであります。一〇%減らすということは、現在の問題であります。事業量を減らさないという問題は、将来の物価の下落を期待しての問題であります。そこにもう一つ時間のフアンクシヨンが入って来なければならない。ただ一〇%減らして、ただいまの形で事業量を減らさないということを私に命令されるなら、これは私としてはほとんどど不可能ではないかということを申し上げる以外ございません。
  44. 川俣清音

    ○川俣委員 そういたしますと、年度末においては所期初期の事業量が達成できる、したがって予算も一〇%の削減ができた、事業量も年度末においては所期の計画どおりのものができ上がつた、こういうことになるような作業をやつておられますならば、私はそのままここで受け取っても了承するのです。しかしながらどうも今のやり方を見ると、一〇%切つたために事業量をさらに削減するような設計がえといいますか、計画がえをやつておられるのではないかという疑いがあるのでありますが、これは疑いですが、それとも実際は予算だけの面でやつてつて、事業量は減らないような計画ででやつておられるのですか。これは年度末にならなければわからないというようなことが言えると思いますが、今計画の変更をやつておられるということは、これはやはり事業量は減らないのだからして、今のままで行くと変なかつこうだけれども年度末にはこれに追いついて完成できるのだ、こういう設計の仕方をやつておられるのですか、それとも初めからもう事業量は関係なく、一〇%切った設計がえをしておられるのか、この点非常にお答にくいであろうことは十分察しますけれども、事重大でありますので御答弁願いたい。
  45. 桜井志郎

    ○桜井説明員 私どもの指導しております設計は、現在の事実に基いておる。現在の事実に基きますならば、やはり現在の物価と現在の賃金というものを取らざるを得ません。従いましてきよう現在の形で一〇%減らすということは、これを裏から見ますれば——何か一〇%減らし得る余裕のあるものが、予算の上に組んであつたということを前提とするならば、川俣委員のおつしやるように、一〇%は減らしたが、事業量は減らなかつたと言うことが出るわけであります。しかしそうでないという事実に基づき、かつ今日の物価、賃金と言うものに基づいて生きますならば、暫定的には事業量は減る。これは当然でございます。しかし政府が期待しておるような政治的な措置によつて、物価、賃金の下落する事を期待しておる。それからいま一つは、私は閣議の内容を詳しく存じておりませんが、さしあたつて一〇%は減らしたい、情勢によつてそのうち三%はまた復元する可能性があるという話も聞かされております。物価下落あるいはその復元、こう言うような形が相乗的な形で出まして、結果的には今年度の事業量は減らないという形が出る事を期待をし、また努力しておるわけです。
  46. 川俣清音

    ○川俣委員 事業量が減る、減らないという議論はあとまわしにしましても、一〇%の予算を削減することによつて事業に与える影響は一〇%でないのです。いろいろな齟齬を来すための仕事の遅れ、変更、そういうものが出てまいりますと、これは経済効果を非常にねらつてやらなければならないのに、こういうものを度外視した工事をやらなければならない。その要請が強いということになると、事業量と事業成績の面から行けば一〇%以上の被害を与えるということになる。単に予算の面で、そろばんの上では一〇・%であつて——これは桜井部長みずから実施されておるのですから、私よりももつと詳しくなければならぬはずだと思うのです。予算で一〇%切つたからといつて、一〇%だけでは済まされない。あなた方は事業をやつておるところを監督されておつて、よくわかつておられると思うのです。いかにその一〇%というものか被害甚大であるかということについて、私よりももつと詳しい桜井部長が、唯々諾々として一〇%を切られたつてやむを得ませんということでやるということについて、私は決して信念を疑うわけではないけれども、疑いたくなるような気がいたすのであります。  そこでそれならどうするかという問題になりますと、やはりあなた方としては、将来事業量は減らさないという閣議決定があるのであるから、当面は予算は減らすけれども、これはだんだん繰越しになつて行くものである、将来は復活するものである、もしも物価が下らなければ、補正予算か何かによつて——これは実行予算で予算は組んでありますからして、復元するものであるという信念で作業されてしかるべきではないか。もしもまじめになつて一〇%だけに力を入れて行きますと、一五%の作業率が減退するということを私はおそれるのです。大蔵省などに言わせますと、今の請負契約が言過ぎるから、清負契約だけでも五%や七%の競争入札等によつてできる可能性がある、こうも言います。しかしはたして精密な設計をやられた場合に、それだけのものが浮いて来るかどうか。もしも無理に浮かせるとすれば、工事の不正とまで行かないにしても、手抜きとなつて現われて、やはり将来の経済効果に及ぼす影響が起つて来るのじやないか。私はそう憂えるのです。これは私の憂いだけで済みますかどうか。桜井部長に専門の立場から、ひとつ御判断願つて、御答弁願いたいと思います。
  47. 桜井志郎

    ○桜井説明員 川俣委員からたいへん御同情あるお言葉をいただいて恐縮いたすのでありますが、通常の考え方でやつておりますならば、まさに御指摘の通りでございます。しかし私ども初め現地の諸君にも、こうした非常事態に対処すべく非常な努力をさして、今やらしておるわけです。できるだけ〇%の節約による諸般の支障というものを少くするように努力いたしておるわけであります。  それから今お話のありました請負のやり方によつて節約というような言葉も、私も間接的には耳にいたしております。農林省の出先機関責任をもつてつております請負形式は、御承知の通り指名競争入札を原則といたしております。また農地局の設計が非常に辛いということで、指名競争入札をやりましても、一回でなかなか落ちなこういうことからお考えいただきまして、私ども設計というものは、非常にむしろ辛く行つておるということも御賢察いただきたいと思います。
  48. 川俣清音

    ○川俣委員 私は別に桜井部長に同情してとか、農地局に同情しての発言ではないのであります。日本の食糧増産の上からぜひとも必要であるから、あなた方に無理に要請しておる。単なる同情ばかりではない。日本の食糧の増産の上からどうしてもそう願わなければならないというので、こちらからの要請でございますから、そのつもりで実は聞いていただきたい。あるいは間接的には同情になるかもしれませんか、単なる同情とか、おせじではないのであります。食糧増産という上に立つて、どうしてもあなた方にそれだけ要請しなければならないという立場でお尋ねしておることを、誤解のないようにしていただきたいと思うのでありまして、かかる観点に立ちまして、確かにあなた方の設計が相当辛いのだということで、二、三回の入札等が行われておることもわれわれは知つております。そういたしますと、一体どこでこの予算の削減ができるのか、大蔵省のように、少くとも団体とか、あるいは人件費などを多く全うとこの小規模の事業は別にして、国営のような大きな事業は、請負契約によつて生み出すことができるのだ、こう言つておりますけれども、そういう設計の組入方はできないのじやないか。それが可能であつたら、なぜ前からそういうことをやらないかということになつて来ると思いますけれども、そういう追究の意味でなく、現にそれはできないのじやないか。しからばどこから埋め合せるかということになると、どうしても事業量の縮減ということになつて来る、事業量の縮減ということになると増産の障害になつて来る。この増産の障害になるようなこと断じてわれわれは承服できない、こういうことにたると私どもは固く信じておる。きようの委員会も、主として農地局の問題ではなくて、食糧増産をはばんでおるものをいかにして阻止して行かなければならないかというところに目標を置いておるのであります。もちろんあなた方の請負契約の中には、ときには甘いようなことはなきにしもあらずと思うが、そのようなことは百分の一とか百分の二とか、例外であつて、それをもつて全体だというわけにはいかない。私はときには会計検査院から指摘されるような事項もないとは言えないから、必ずしもあなた方に扇動されて、ないとたんかを切ることはできないのですが、しかし設計の上ではそう余裕がない、相当固い設計をしておられるとすれば、事業量の縮減になつて来るおそれがある。これはわれわれの方で繕えられない、こういうことになるのでありますから、これは農地局長ともよく打合されまして、政府基本方針であります事業量を減らさないのだという点を堅持していただかなければならない。事業量が減るような場合においては、予算の復元をしてもらわなければならないという点を堅持していただきたいことを申し上げまして、大体時間がだんだん私の約束した二十分になりましたから、これで質問を終りますけれども、要はそこにあるということを念頭に置いて、あなたの最後の決意のほどを承つて私の質問を打切りたいと思います。決意が足りなければもう少し質問いたしますけれども……。
  49. 桜井志郎

    ○桜井説明員 先ほど川俣議員からお話がありました、一〇%の節約にお前は便々と従つておるのかということでございますが、食糧増産の仕事担当する一人といたしまして、決して便々と従つておるわけではございません。しかし結果的には最高指令に従うということは、政府の職員としては当然のことでございます。しかし今後の問題として、食糧増産をほんとうに国のためにやつて行かなければならぬという熱意におきましては、川俣議員にいささかも劣るものではございません。
  50. 金子與重郎

    金子委員長 そこで桜井部長に小委員長から一言、ただいまの川俣委員の質問に関連して伺いますか、具体的な問題として、今度の一割削減の問題が、各地方庁へ割当てましたところの小規模土地改良——いわゆる予算上の小規模土地改良でなしに、広義に解釈した小規模土地改良が、実際上割当のような形に行つておるのですか、それに対してどれだけの削減をしろというようなことを、地方庁へ割当変更のような形で実際やつておりますか。そういう形はとらないで済んでおるのですか。
  51. 桜井志郎

    ○桜井説明員 今の削減でございますか、これははつきり言いますと、一〇%削れ、こういうことでありますので、いろいろ考えておりましても際限のない問題になりますので、さしあたつては、各事業を問わず一〇%引く、しかし先ほど申し上げました三%復元問題がございます。この三%の復元問題を私どもは信じまして、この復元のときにさしあたつて一〇%削減によるいろいろの問題をできるだけ効果的に調整したい、そういうふうに考えて今事務をやつております。地方庁に正式に通知はまだいたしておりません。しかし事務的な下準備は進めております。といいますのは、今お話になりましたいわゆる広義の小規模土地改良につきましては、新規をとるかとらないかという問題で相当保留をいたしております。私二箇月ばかり席をはずしまして外国に行つておりましたが、帰つて来まして、また大蔵省と交渉いたしまして、ある特定の条件のものについては新規をとるという話も大蔵事務当局ともはつきりつけしました。近くその新規の採択の基準と一緒に、今の際限問題を正規に処理をいたしたいというふうに考えております。
  52. 金子與重郎

    金子委員長 それでは以上をもちまして一応本委員会を休憩いたしまして、休憩後ただちに昨日、本日にわたる皆様の御熱心な御研究をもとにしまして、懇談会において当委員員が食糧対策に対していかにあるべきかという結論を生み出したいと思いますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  53. 金子與重郎

    金子委員長 では休憩いたします。    午後三時二十六分休憩      ————◇—————   〔休憩後は開会に至らなかった〕