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大槻参考人 私、
食糧対策協議会の
審議及び
答申については、いなかにおるものでございますから、
新聞紙上で知る
程度でございまして、詳しいことは実は知らないでお
つたわけであります。電報をいただいてはせ参じたようなわけでございまして、あるいは
見当はずれなことを申し上げるかもしれませんが、ひとつかんべんしてもらいたいと思います。
だが
食糧対策協議会が設けられ、そして
管理制度が再び
改正審議の問題に
なつたのは、私の知る限りにおいては、これは
供出がむずかしく
なつた、
供出が不可能に
なつたがゆえに、これはどうにかしなければならぬということであ
つたと思う。この場合、
食糧管理というものも、米の問題と麦の問題は全然別個に考えなければならぬ。米は
消費者保護政策である。自由に放任すれば、
消費者の
生活が脅かされる。そういう
関係で、この米の問題は
消費者保護政策でございまして、麦の問題は、現在になりますと、
国際価格が
生産者価格よりも安く
なつておる。それで
最低価格を支持して農民の経営、あるいは
生活を保護しようというふうな
政策であるのでございます。今問題に
なつているのは、これは米の
管理の問題だと思います。米の
管理の問題になりますが、この場合、やはり
答申された問題に対して、この
三つを区別して考えておく必要があるのじやないか。
一つは
食糧供出制度にかわるものとして、一般的に考えて何がいいか、これを急に自由に移してしまう、あるいは一昨年行われたような
特殊制度にしてしまう、そうして
やみ米を横行させるというふうな
混乱状態に陥れることは非常にいかぬ。米というものは
国民の
生活必需品であ
つて、そうして非常に重要なものでありますから、かりに
統制をだんだん
緩和して行くにしても、
緩和のし方は良心的に進めるべきものであ
つて、それでただちに
自由市場に移すというようなことでなく、
供出をよすならば、これは
登録制にし、あるいは
特殊団体をして
集荷せしめるというふうな
段階を経て、徐々に
緩和をして行くという
方法をとるべきものであるというような精神で、この
対策協議会の
答申ができたと思いますが、その限りにおいては私は非常に賛成である。いい
方法であると思うのでございます。しかしもう
一つは、
経過的やり方として、本
年度どうするかという問題でございます。本
年度どうするかという問題は、従来の
供出制度をとる、そうしてそれ以上
予約制度で集める。しかし本
年度とるべき
方法としての、この
予約制度というものがはたしていいか。
供出制度と
予約制度を合せた二元的な
方法ですね。この
答申を読んで見ますと、その
理由としては、本年はすでに時期が遅れてしま
つて、そうして万端の
準備ができないから、やむを得ずしてそういうふうな
経過的手段をとる。こういう
経過的手段をとることがいいことであるかどうか、これは慎重に考えるべき問題じやないかと思う。
それからもう
一つは、この
答申が行われるまでは、今年の作柄というものは、これほど凶作になるような
情勢にはなか
つたのじやないかと思う。ところが本年の
——ここ数日は暑くなりましたけれ
ども、
技術者その他から聞いてみますと、昨年以上の凶作になるのじやないか。昨年凶作であ
つたために
政府の米の手持ちが相当に減
つている。さらに今年凶作に
なつたということでありますと、これは相当に問題になるのじやないか。この凶作事情を
政府が見込んだときに、この
予約制度を本年において実施することがはたして妥当なりやいなや、この
三つにわけて、この問題は
審議せらるべきものではないかと思うのでございます。
元にもどりまして、
供出制度が非常に困難に
なつた。戦時中あるいは戦争直後においてはそれほど困難でなか
つた供出制度が、昨年においては
割当が千四百万石に減
つた。三五%に減
つたというふうな非常な
供出の
割当の困難、そうして実際にまた集めたのが二千万百石
程度であるということに
なつた。何ゆえに
供出が非常に困難に
なつたかというと、結局これは権力
供出ができなく
なつたことだ。占領中においては進駐軍がお
つた。あるいはサーベルというものか相当物に言
つた。その時代においては権力を持
つて相当強制的に
供出させることができた。だが、これが占領が解かれ、それで一昨年から昨年とかけて非常にこれが困難に
なつて、昨年においては、ことに凶作事情も加わりまして、これが
割当がかろうじて、非常に長い時間をかけて千四百万石しか
割当することができなか
つたというような事情に到注したように思うのでございます。しかし権力がなく
なつたときに、
供出がまた改善するということは、ほとんどできないことであるとい
つていいと思います。そうしますと、権力がなく
なつた場合に、これにかわるべきものというと、これは何とい
つても経済
供出といいますか、あるいは
価格供出といいますか、あるいは自由
価格供出といいますか、少くとも自由
価格に近づいた
価格において
供出せしめる以外に、
供出ということはむずかしいことだろうと思います。経済
供出をするというならば、つまり権力
供出でなくてほんとうの自由
供出に移すというならば、これはやはりそれだけ出せるだけの
価格を裏づけてやらないで出せということは、おそらくこれは困難なことだと私は思うのでございます。それで、出させる以上は、
統制を
緩和して、自由に近づけてやらせるというならば、これは
予約制度であ
つても、相当な高い
価格で貰うということでなくちや集まりつこはありません。ところが他方からいいますと、日本国全体としてのデフレ
政策という問題がありまして、
消費者価格をそう上げることができない。そうして独立採算制を、大蔵省その他
政府全体としてとろうとする実情があるのでございます。そうすると
消費者価格を安くしよう、あるいは現在
程度にしようと思うと、これは現在以上に
価格を上げることができないと思う。この
予約制度の予約奨励金といいますか、これをどれだけ上げ得るか。相当
程度上げるという
政府の腹かあ
つて実施されるなら相当に行くだろうと思います。しかし、それがなければこれはできないと私は思います。こういうことをおやりになるということ、ことにことしのようなた凶作気構えのときにこれを実施して米が集まるかどうかというと、非常にむずかしいことであると思うのであります。それで順序から申し上げますと、ことしのなんでございますか、この
予約制度というものは、だんだんに
統制を
緩和して行く過程としてとるべき最もいい案ではあると惑うのであります。しかし凶作ということを考えないで、第二の問題として、これが経過的問題としてやる場合、
準備が十分でないかゆえに、時間がなくてできしないという場合に、これをやることがいいかどうかということは、相当私は疑問があると思う。八月に
米価をきめてということになりましても、八月にきめ得るかどうか。ことにこの方式によりますと、ここに、
生産者価格は米穀の再生産を確保するためにパリティ方式及び生産費方式を合せて考慮して決定するとあるか、これは非常にむずかしいことだと思う。二元的にこれをきめるということは、どういう
方法でとるかわかりませんが、パリテイ
米価と生産費
米価を合せてとる。これは
御存じのように、統計
調査部のものか、二十八年がおそらく一石当り五千幾らですか、まあ六千円近くに
なつている。ところが他方
生産者団体の方は、一万三千くらいに
なつている。約倍に
なつております。この生産費方式における
生産者米価をきめることがすでにむずかしい。その
生産者米価とパリテイ
米価をどういうふうにつき合して本年の
価格をきめるかというようなことを一箇月の間でやるとい
つても、これはできるものではありません。非常にむずかしいものであ
つて、そんなことはとうていできません。それから諸般の
準備ができているかどうかということになりますと、私は相当に疑問を持つのであります。これは今申し上げたように、
消費者価格をそう上げることができない。
生産者価格は相当高くなくちやならぬ。これはある
程度自由
価格に近く決定しなければ集まらぬ。集めるということは非常にむずかしい。ですから
基本価格をきめて予約奨励金を決定するということにたりますと、予約奨励金は、きめた
価格とやみ
価格との差額にほぼ相当したものにしなければ、なかなか集まりません。それだけ絶対的に必要かどうかはともかくとして、相当それに近づけなければ集まるものじやないと思います。それで
統制を解く
段階としては、もう少し
政府が日本米の稀少性というもの、不足というものをもう少し補うくふうを、私はあらかじめ講ずべきじやないかと思います。そのためにはむろん日本米の増産ということがありますが、できれは、できるだけのことをやる。それから増産ができなければ輸入しなければなりません。輸入して持米を相当
政府がふやさなくちやならぬ。その場合に準内地米は、これはそのまま日本米に適用上ます。ところが外米というもの、あるいは南京米、南方米というのは、日本米とはおよそ違
つたものであります。これを日本米と同様に取扱うということは
——管理法では同一に取扱
つておりますけれ
ども、ああいうものは愚の骨頂であると思います。ただ米という名が同じであるがゆえに、ただ名にとらわれて経済の実質を無視したところの
政策であると私は思うのです。あれをもし準内地米と同じに取扱うというなら、もみ輸入をすべきであると思う。
御存じのように両方米は、熱帯の多雨湿潤なところから精白して、船の底荷にして送
つて来る。そうして大部分が黄変米に
なつて来る。黄変米にならなくても相当変質している。だから南京米そのものは、現地で食べるとそうまずいものでもなく、胸が悪くもならぬ。いつまで食べても食いあきはしないけれ
ども、しかし南京米を日本で食べると長く続けることはできません。実際からい
つてそういう性質のものです。しかしそれをほとんど生きたまま、生のままのもみ輸入をいたしまして、日本の輸入港において一貫作業で純白するというふうな
やり方をするならば、準内地米
——内地米に準ずるものとして日本人の消費に適するように私はできるんじやないかと思います。そうして外国一
市場というものは、南においてはもうすでに買手
市場に
なつて、売手
市場じやなく
なつたのです。これは相当もみ輸入という
方法も考慮してやるべきものではないかと思うのです。そういう
方法で、もう少し日本人の消費事情というものを参酌し、考慮した輸入
方法をと
つて、日本米を多くする、あるいは日本米と同様に取扱えるものを多くする必要がある。それからもう
一つは、やはり麦の問題だと思います。しかし従来は麦ということになりますと、小麦の消費の奨励ばかりした。粉食、パン食ばかりの奨励をした。これは下情に通じないところの、きわめて愚策だと私は思います。貧乏人にパンを食えとい
つても、あるいは労働者にパンを食えとい
つたつて食えるものではありません。食えないものを食えとい
つても無理で、これは知識階級以上の問題であります。そうして
国民多数というものは、下層階級であります。それを無視して、ただパン食を奨励してみたところが、すぐ底をついてしま
つて、粉食というものはいろいろ
政府が
政策をと
つたにかかわらず、さつぱり消費はふえない。結局実際からいいますと、製粉業者の肩持ちみたいに
なつてしまいます。これは日本の下層階級あるいは労働階級が要するものというのは粒食麦であります。いざデフレになりますと、デフレに
なつて所得が少く
なつた、何を食うかということになりますと、決してパンは食いません。必ず
配給米に精麦をまぜて、まつ黒にして食べる。パンを食うなんということは、ある
程度以上の所得階級でございまして、実際はできません。理想と現実は洗うのでございます。今の
段階において何を
食糧にするかということになりますと、粒食麦であ
つて、
食糧の増産
政策も、米ができないなら麦を生産する、麦を生産するにも小麦の生産じやいけない。これは麦は安く生産できますので、どうしても粒食麦の増産ということにして、その米にかわるものをつくり出さなければならない。それから輸入もできるだけ大麦の輸入に力を注いでやる。それと同時に麦を、ただ馬が食うような精麦じやいけません。とかく
食糧庁で
配給するところの精麦は、馬が食うような麦とよく言うのでありますが、それじやなくて、もう少し精麦率を高めるなり、あるいはパン食を奨励するには、もつと加工技術を
研究すべきである。そうしてもう少し食いやすくしまして、米の代替にして食べさせる
方法をと
つて、米の稀少性といいますか、あるいは米の
需要量というものをできるだけ少くして、だんだん
食糧の直接
統制を
緩和して行くという方向に行くべきだ。そういうふうに
なつて麦だとか、あるいは外米が日本米と同じように
なつて来るということになれば、米及び米に準ずるものの総体の
供給が多くなるのですから、それでやみ
価格も下る、自由
価格も下るということになれば、
集荷制度を相当かえて行くということもそれほどむずかしくなくなる。やみ
価格と
配給価格が相当近ずくような
政策をと
つているかどうか、これを相当と
つてやらなくちやいけない。ただパン食を奨励する、そんなことを言
つたところが、アメリカの人の
生活程度を考えて
食糧問題を言
つているということはへんなことだ。貧乏人の日本人の問題としての
食糧問題として考えなくちやならぬのではないかというふうに思われる。そんな
関係で、私は今年かりに凶作でなか
つたとして、こういうふうな二元的な
方法をとることに対してどうであるかということに、相当疑問を持ちます。それから二元的な
方法というものは、非常にりこうな
方法であ
つて、実施するときに非常にむずかしいものだと私は思います。
供出割当をして
供出さして、それ以上は、これを今度は
集荷団体をして
集荷せしめる。これが二本になる。
供出さした以上、さらに超過
供出などの形でなぜ
政府がしないか。これ
二つにするということは、これを切りかえるときに、はなはだへんなことがあるというふうに思われる。やるならば私は
供出制度を残すか、あるいは
集荷制度にやるか。どちらかだろうと思います。来年、再来年、平年作あるいは豊作に
なつたときに、これを
予約制度に切りかえるようにすべきで、一本で相当の
準備をしてやるということがいいんじやないかというふうに私は考えられます。
それから今度は第三の、今年が凶作である、あるいは凶作見込みが相当多いという場合、どうするかというと、私は現在凶作に
なつた場合に、相当の事情があ
つたら
予約制度はとりやむべきものだ、
予約制度によ
つて米が集まるか、集まるということは、相当の
価格でなくちや集まりません。あるいは予約奨励金というものか相当高くなければ集まりません。ところがその高い
米価というものを
消費者が
負担できるかどうか、あるいは国庫が
負担できるかどうか、それの腹が
政府に相当あるならばそれでよろしゆうございますけれ
ども、そうでないと、それはなかなか集まりかたいものだ。どちらかというと、私の考えからいうと、
政府の凶作見込みというものがどの
程度であるかわかりません。
政府の方ではよくわかると思いますが、相当の凶作見込みであるなら、率直に申しまして私は
現行制度をそのままやる方がいいのじやないかと思います。これは
御存じのように、私は今度の
予約制度というものは、何しろ
統制の
緩和といいますか、
統制の
緩和とい
つても、その
緩和そういう
意味が、権力を用いる
程度が少くなるという
意味の
統制緩和であります。義務
供出とい
つたような懸法上の所有権をある
程度において制限する、あるいは収用するというふうな
意味の強制力を用いる
意味における
統制を用いないで、自由意思によ
つて、予約によ
つて集めるという
意味における
統制の
緩和だと思います。
統制の
緩和というものは、今凶作年において行うべきものなりやいなや。凶作年には、
統制かなか
つた年にお
つても
統制を行うべきである。
統制がなく
なつた年においても、権力を相当に用いて、出荷その他に強制をも
つてやるべきものだ。これが
統制が行われている場合に、凶作の予想される場合に、これを
緩和するということはどうか、これは逆行的じやないか、これを軽々しくやらずに、慎重に考えてやらぬと、米が集まらぬという非常にむずかしい
事態が生じやしないかと思うのです。そういう
意味においては、私は今年は凶作であるという特殊事情のもとにおいて、
現行制度を
継続するということがいいんじやないかと思う。けれ
どもこれが今後の凶作予想というものがどうかわ
つて行くかわかりません。最近までの凶作予想においては、
統制を
緩和するということは非常にむずかしいことになりはしないかという予想が持たれるわけでございます。ことに
予約制度というものは、凶作になりますとなかなか実施が困難であります。凶作になりますと米が少い。そうすると
価格は先上りする。先上りする場合に予約するということはありません。先上りする場合に予約するということは、なかなかむずかしいことだと思います。ごとに米が非常に下足する。現在、今年は持越し米が少い。その上に凶作ということになれは、昨年以上にむずかしい問題が起ると思う。これは相当に考えなくちやならぬじやないかというふうに思います。
それからもう
一つ、これは直後
関係しませんけれ
ども、
食糧の問題として、だんだんに
食糧を
緩和して行くと、どうしても
価格が上りますが、
価格を上げて
供出量を多くしてやるか、あるいは
配給米の量を少くしてや
つて行くという
方法をとるか、これは相当考究すべき問題かと思います。これは面接それに
関係しませんから、ほかの機会に何か申し上げることがあるかと思います。私は今
答申案を拝見しまして考える点はその
程度でございます。これは慎重にや
つていただかないと、
統制を
緩和するということはいいけれ
ども、
準備が整わぬうちに軽々しくやることがいいか、
準備が整わぬがゆえに
供出と予約とあわせてやる、そういうごまかし的な
やり方がうまく行くかどうか。さらにもう
一つは、凶作年にこういう
予約制度をやるということがはたしてどうかということ。これはやはり相当に
準備をして、ことに平年作あるいは豊年に入るような年に、こういうふうに移して行くべき性質のものじやないかと考えております。