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1954-04-13 第19回国会 衆議院 内閣委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年四月十三日(火曜日)     午前十時四十三分開議  出席委員    委員長 稻村 順三君    理事 江藤 夏雄君 理事 大村 清一君    理事 平井 義一君 理事 山本 正一君    理事 高瀬  傳君 理事 下川儀太郎君    理事 鈴木 義男君       大久保武雄君    永田 良吉君       長野 長廣君    山崎  巖君       須磨彌吉郎君    粟山  博君       飛鳥田一雄君    田中 稔男君       中村 高一君    辻  政信君  出席国務大臣         国 務 大 臣 木村篤太郎君  出席政府委員         保安政務次官  前田 正男君         保安庁長官官房         長       上村健太郎君         保安庁局長         (人事局長)  加藤 陽三君  出席公述人         日本ビクター株         式会社社長         (元駐米大使) 野村吉三郎君         同志社大学学長 田畑  忍君         易  断  師 佐瀬市太郎君  委員外出席者         専  門  員 亀卦川 浩君         専  門  員 小関 紹夫君     ――――――――――――― 本日の公聴会意見を聞いた事件  防衛庁設置法案及び自衛隊法案について     ―――――――――――――
  2. 稻村順三

    稻村委員長 これより内閣委員会公聴会を開会いたします。  本日は防衛庁設置法案及び自衛隊法案を議題といたし、公述人より意見を聴取いたします。本日御出席なさる公述人野村吉三郎君、田畑忍君及び佐瀬市太郎君の三名でありますが、午前の会議におきましては野村吉三郎君より御意見をお述べいただきたいと存じます。  この際公述人に一言あいさつ申し上げます。本日は雨天のところわざわざ本委員会に御出席くだいましてまことにありがとうございます。ただいま本委員会において審査中の両案は、申すまでもなく国民生活に及ぼす影響重かつ大なるものがあると存ずる次第であります。公述人におかれましては本案に関し忌憚のない御意見を十分お述べいただくことができますれば、本委員会審査のために資するところ大なるものがあると存ずる次第であります。この際公述人の方に念のために申し上げますが、御発言の最初には御氏名をお述べいただき、また発言の都度に委員長の許可を求めていただきたいと存じます。  それではこれより御意見公述をお願いいたしますが、委員よりの質疑がありますれば公述人よりの御意見開陳の後にお願いいたしたいと存じますから、さよう御了承願います。それでは野村吉三郎君。
  3. 野村吉三郎

    野村公述人 野村吉三郎であります。突然のお招きでありますし、私目をわずらつておりまして、十分準備はできておりませんが、率直に自分考えておることを申し上げようと思います。  私は政党政派には何らの関係はありません。どこの政党関係ありません。海軍に養われることが四十二年、その後またいろいろの方面で国のセキュリティという問題についてはほとんど自分生命を通して関心を持つておるのであります。この憲法マッカーサーから強要されたときには枢密院におりまして、審査委員の一員でありました。この憲法は至るところに無理があるとは思いましたが、なかんずく第九条は後来非常にやつかいな問題になるんじやないかということを痛感したのであります。審査委員会でもしばしば意見を述べ、政府の御意見も聞きました。しかし当時は無条件降服というような状況であつて、彼らの言うがままになるほかないというような空気でありまして、形の上においては枢密院もこれで通つたのであります。私は最後の折には、御前会議でありましたが、自分意見も述べたのでございます。その当時は吉田政府になつてつた政府の答弁は占領軍がおる間は日本を守つてくれるであろう、占領軍が退去したときは、そのときはそのときの問題であるというようなお答えであつたと私は今記憶しておるのであります。その後日本を守るのは占領軍が守つておりますが、どうしても憲法九条は無理だということは講和会議の前からアメリカ人の識者の間には声がありまして、新聞なんかには憲法第九条はどうしても免除せねばならぬというような祝がアメリカにも現われるようになりました。私らの友人からは、これは政府の息のかかつたものだからひとつ君らも友人にこれをばよく知らしてくれというような書面も受取つた次第でございます。  日本国は破れたりといえども日本の国を守るという国民義務は、これは国民として最高の神聖の義務であつて、国がどうなつてもいい、守らないでもいいのだというようなことはあり得べからざることであつて、そういうことは世界中大小の国どこでもないことと私は思つておるのでありますが、憲法九条によつて軍備ができないという状況になつてつて朝鮮事変になりましてマッカーサーも急に警察の予備隊という名で若干の防禦力をここで急造しておる、七万五千人を急造した。しかしだんだん自衛権というよう問題が講和条約及び安保条約と結びついてやかましく言われるようになつて憲法は修正されておりませんが、こういう今議会に提出せられるような案が、私の承知しているところでは多数の政党の一致した案というふうに承つておるのでありますが、ここまで進展して来たことは私は非常にけつこうなことで、ありがたいことだと思つて自分は非常に喜んでおるのです。直接間接攻撃に対して日本を守るということをはつきりした。今まで議会の総選挙の折の状況なんかを見てみると、間接攻撃に対しては日本人は当るのだが、直接の攻撃に対してはアメリカ人がこれを分担するというようなことを、相当知名の人から私は聞き及んでおりまして、これではならぬのじやないかというふうに私は痛感しておつたのであります。日本国民八千万人、破れたりといえども東洋においては有為国民自分の国を守るというような責任を忘れておるというのではぐあいが悪いというふうに痛感しておつたのですが、今日ここに各党のお方がこういう案まで練り上げたということについては、従来の態度より百八十度というたら言い過ぎかもしれぬけれども、非常に急角度の転換でありまして、私どもとしては非常に喜ばしいことだというふうに痛感しております。この案そのもの内容については、私はちよつとグランスしただけで、ここで意見を述べることは口はばつたいこございますが、いろいろの結果があるのじやないかというふうに感じておる。総理大臣が総指揮官になるといのは、これは民主主義の国として当然のことである。総理大臣の機関に国防長官に相当する国務大臣がおるというのも、これは当然だと思つておる。そうし三軍になつておることもこれは私非常にけつこうだと思うのです。どうしてもこれから集団保障ということになつて日本でみずからやれるだけのことはやるのですけれども世界が二つのブロックにわかれておる今日においては、自力で自分の国を守り通すということもなかなかむずかしいという点を考えれば、どうしても集団保障集団保障になれば、これは共同作戦ということになる。そうするとアメリカ日本とは相互安全保障条約によつて密接な関係にあるのでありますから、組織が同じようになつておるということは、共同作戦の上において非常に都合がいいのじやないか、これも非常にけつこうなことだと思つております。この案にある三軍を持つておるということは非常にけつこうなことだと思つておる。その他文官優越という言葉をどこから発明したのか、よく聞きますが、私は元軍人出身でありますから、登さんが聞けば我田引水のようにお聞きになるかもしれぬが、こういうことは私は初めて聞くのです。四民平等で、水平社のようなものはもうなくなつておるのだというふうに私は考えておる。有為有能の人をその位置にすえたらいい。そうして国はシヴイル・ガヴアメントが私は当然だと思う。ミリタリー・ガヴアメントをやつているのは、革命をやつた国か何かであつて日本明治以来みなシヴイル・ガヴアメントであつた。その間に少し脱線したところもありますが、私が承知しておる限りにおいては、海軍大臣なんというのはみんな輔弼の大臣で、総理大臣と協力する。海軍大臣文官なのです。次官文官なのです。それにいろいろ現役の大、中将だとか、あるいはこれを予備役に拡充するのだとかいうようないろいろの小細工をやつてシヴイル・ガヴアメントがいささか幕府的の色を呈すようになつておるのですが、私ら聞いておるのに、明治初期海軍大臣になつた西郷従道さんなんかは、フロックコートを着ておつたそうです。あれは陸軍から出た海軍大臣です。最後まで大臣次官文官になつてつた。これは私は当然だと思うのです。国民全体の政治をやる上において、軍人は非常に重点を持つておるけれども政治の全体じやないのですから、シヴィル・ガヴアメントが当然だと思います。ミリタリー・ガヴアメント、幕府ではいかぬじやないかというふうに思つております。しからばそういう位置で一旦軍服を着た者がいかぬなどといつてセクシヨナリズムの観念を持つのは新興日本としてはなはだ好ましくないことじやないか、新聞でそういう批評もあるのですけれども有為有能の人かそこにすわつたらいいのだというふうに思うのです。アメリカのアイゼンハウアーは軍人出身だけれども大統領になつておる。チャーチルは士官学校出身の男です。初めは少尉か何かで戦争に従軍しておる男です。第一次世界戦争では、海軍大臣をやめたらすぐ召集を受けて少佐か何かで従軍して、フランスのトレンチで戦つておるのです。アメリカのトルーマンでも、世界戦争の折には大尉少佐で、砲兵の隊長か何かで出陣しておるのです。しばく日本へ来るスタツセンなんかも、太平洋戦争時分に知事をやめて、ハルゼェの副官になつて少佐か何かです。日本へ来るノーランドセネタに任命されたときはパリにおつて少佐中佐で従軍しておつたのです。それだから、元軍服を着たから、元の教育はこうだからというようなことは、これは新しい日本においてあまり強く主張される必要がないのじやないか。これからの人間が軍閥に跋肩されるようなことがないようにやつたらいいのであつて、これはいくら押えて、一旦兵学校へ入つた者はどこへ行けないのだ、士官学校へ入つた者はどこへ行けないのだというようなことをやつたつて、これは私は何にもならぬと思う。こういう点は深くお考えを願いたいと思う。私ら談判の相手をしておつたハル国務長官、あれは私らにあまり言わぬけれども米西戦争に従軍した大尉です。今のように文民ということをあまりナロー・マインドで解釈すると一ぺん軍服でも着た者はもう日本から差別待遇を受けるということになるのじやないか、しかしこれではいかぬのじやないか。日清戦争ころに伊藤とか陸奥とか、参謀本部に川上とか海軍には山本というような人がおつたけれども、決して彼らは跋扈しておるのではない。跋扈したというのは跋扈した方も悪いが、跋扈させた方も悪い、両方とも責任があると思つておる。私が先輩の鈴木貫太郎さんのもとに使われておつたときに、人を使う上においてあれはだめだということを言うのは、使う方の人にも半分責任があるし、使われる人にも半分責任があるのだ、あまり人差別待遇したらいかぬということを始終言われておつたが、今まで私はそう思つてつて、今度の制度においてこういう差別待遇の文句が見出されぬのは一段の進歩である。  さらに内容に入つてみると、たとえば、これは政治の全局から見て国防長官だとかなんだとかいうものは私は文官けつこうだと思う。しかし軍務局長に当るところとか、人事局長に当る方面だとか、これはやはり専門家でなければ、私らの経験ではできないことだと思うのです。大体専門家というのは海男もいろいろありますが、兵学校を卒業し、また海上勤務をやり、そうしてさらに大学校に入つてさらに研鑑を積んで、海軍入籍以後十五年くらいたたねばほんとうの専門的知識がないのですよ。そのころようやく三十二、三歳で少佐中佐になつて自分の受持ちのことをやる。それでもいろいろの部門がある。それだから、シヴイリアン・シユプレマシイだとかいうて、東京大学を卒業した者が偉いのだということになつて、何も知らぬで、そういう研究を積まずして、いきなりやつて来て特権を得ようというようなことは時やれても、私は長続きするものじやないと思う。それだから、制度としては今こういうふうに無差別になさつておることは、私はけつこうだと思う。時代々々によつて、今の時代にこういう人間を出したらいかぬというようなことは、これは大臣の方寸でおやりになつたらいいであろうと思う。私はアメリカ側海軍人事なんかよく承知しておるのです。私の友人ブラッドレー軍令部長をしておつて、そのあとスタンレーという人がなつた折に、ブラッドレーが言うのに、おれのあとに来るのはやはりスタンレーよりないのだ。あれだけの経験を持つており、そして輿望を持つておる者はこの人間だということを言うておつた。今度会つた折にもまた言うておつた。この間ニミツツ元帥に会つたが、アメリカ海軍でいろいろ空軍との衝突問題の折にあんまりがんばつ軍令部長がしりぞけられた、そのあとにだれをすえるかというと、やはりニミツツなんかに相談してみれば、ニミツツは、海軍空気を承知しておつて、この人間がなつたらみなが承服するであろうという人間として、シャーマンという人を推薦したということを、私はニミツツから直接聞いた。大体そういうふうなんです。それだから、人事局あたりは、むろん幕僚長と相談の上でやられることだと思うのですけれども、しかし人事局などというものは、海軍で見れば、海軍内容をみなよく知つて、絶えず局員が方々をまわつて部内の空気を偵察もして、そうしてみんなが納得する人が艦隊の長官になり、軍令部長になるようになつてつたと思う。こういうような点から、軍務局長あるいに人事局長に当るような人は時は文官出身東大出身有為の人をお使いになつても、それは私ら何もどうというのではないけれども、だんだんおやりになつている間に不如意を感じて、おちつくところにおちつく、そうばたばたせぬでもいいというように私らは見ておるのです。こういうように制度を自由になさつておることは非常にけつこうだと思います。教育局があつたかなかつたか、教育局もそうですが、保安大学校長専門家をやる、これも私はけつこうなことだと思います。軍人は戦線においては自分自由意思がないのであつて、そうして勇敢に戦わねばならぬ。そういう人間をこしらえるためには、困苦欠乏に耐える人間をこしらえねばならぬ。そして自分責任を重んじて、他人に先んじて難に当るという人間をこしらえなければならぬのですから、そういう者をこしらえねば、軍隊というものは戦つて勝つことができないのですから、そういうことのよくわかつておる者といえば、やはりもち屋もち屋であろうと思う。今度自衛官となつておるようですが、これもけつこうだと思う。世界のどこを見ても、兵学校士官学校長は大体専門家がなつておる。アメリカのごときは物質文明の国だと皆さんはごらんになつておるかもしれぬけれども、なかなか精神的のところに力を入れている。兵学校長に行く人間は、非常に経験のある有為人間で、そ、うして人望のあるような人間を選んで、軍令部長の次くらいの人間が始終行つているのです。そのくらい人選を厳選しているのです。これはよけいな話ですが、学校へ行つて見ると、やはり精神教育です。精神を入れようとしておる。米国は物質文明の国と思つてつたら、あてが違つてヒロイスムなんかは非常に奨励する、スパルタ精神を非常に奨励する。そしてライブラリーなんかにも、南北戦争のメニマックの折に、司令官が、船が沈まんとしているときに、マストに自分の体をくくりつけて最後まで奮戦したというような図を掲げて、そして生徒にヒロイズムを奨励するのです。それは彼らだつて戦争はきらいです。戦争は避けなければならぬということはみな心得ておる。われわれもそう思う。戦いというものは容易にやるべきものじやない。やはり昔から大国といえども戦いを好めば必ず滅びるということがあるのであつて、これは千古の金言だと思う。戦争というものは非常の場合であつて、これは容易にやるべきものじやない。私は今度の戦争なんかも初めから反対しておる。それだから、三国同盟も反対なんです。これをやつたら、一歩戦争に近づく――私は若いときに三年ドイツ、オーストリアで勉強したので、彼らの偉いところは知つているけれども、これをやつたら、日本国情から見て非常に不利になるというふうに痛感しておつた。それだから、三国同盟も反対、今度の戦争も、どうかして、戦争にならないように持つて行きたく思つて、努力しておつた日本国情一本立ちで行けないということは、今度の戦争の発端でもはつきりわかつていると思う。日本仏印南部へ進駐し、サイゴンまで出た。これでルースヴェルトが油の禁輸をやつたんですよ。そうすると、東京では、油の禁輸をやられたら、日本のタンクにためてある数百万トンの油しかないのですから、どこか油を探さなければならぬというようなことで、デスペレートになつて、ギャンブルして、戦争を始めた。その直接の原因は何で起つたかといえば、仏印南部へ進駐したからである。私ら南方へは決して武力進駐はしないのだ、平和的に発展するのだということを、大統領にも、国務長官にも絶えず言うておつた。またそれも東京からはそれでいいというアドヴアイスも得ておつた。ところが仏印南部へ進駐した。そうすると、アメリカの方ではこれに対して油の禁輸をやつた。そ、れで海軍なんかでためている油というのは数百万トンしかないから、これがある間に何かやらなければならぬ、それでどこか油田でも探さなければならぬということになつて戦争になつた永野軍令部長がぼくに帰つて言うには、勝つか負けるかわらないけれども、やるよりしようがないじやないかというのです。これは無責任だということを言う政治家もありますけれども国情がなかなか一本立ちで行かぬ国情であるし、食物は足りないし、油もないのだし、文化生活をやろうと思えば、よその国とどうしても親善を保つて行かなければならぬ。貿易をもつて生命とせねばならぬ国情にあるのですから、こういう点から見て――話が一応横の方へはずれましたが、われわれそれを非常に考えて、そして自衛軍というものを盛り立てて行かなければならぬと思う。一人では行けない。しかしできるだけのことはやる。そして集団保障でやるということになつて来なければならぬで外ろう集団保障を受けようと思えば、やはり国際信義を全うして行かなければならぬと思うのです。始終かけひきばかりやつてつて自分だけうまいことをやつて向うだけは国を守れ、直接攻撃北海道に何かあつたらお前の国がやれ、おれらの方はうしろで見ている、それではいかぬ。これに対して、今小さいことでいろいろ申し上げたが、私は非常に進歩した案で、けつこうな案だと思つておる。  もう一つ申し上げたいことは、私は陸軍の方は予算がどうなつておるか知らぬが、海軍では金の大部分は物質の方、すなわち船、飛行機という方面に費されるのです。人件費というのは割合に少いのです。こういう点から見て、海軍省という、あの中にあつた艦政をやるところ、軍艦設計をやり、建造をやり、注文をするというようなところが非常に大きな役割をやる。航空本部もそうです。海軍自体でやるところは三分の一くらいしかできずして、あとの三分の二は民間をたよりにするのですけれども設計というものは海軍自体でできねばならぬと思うのです。そういうところに当るものがどこであるか、私はこの案で装備局というものがそれに当るものか、それがはつきりいたしませんが、これが非常に必要じやないか。去年、駆逐艦や小さい船を六、七はいつくる予算が通つておるにもかかわらず、それが着手されずして、そのままことしへ移つておる。これではいつまでたつてもできないのじやないか。それだから、こういうことをひとつ皆さんの方で政府と話し合つて通つた予算で船ができるようになるように、飛行機ができるようになるようにする。そうし日本にそれだけの人間があるのですから、それをうまくオルガナイスすればできるのです。そしているく技術が遅れているから外国の力を借りなければならぬ、これは申すまでもないのです。私は十年以上遅れているのじやないかと思うのです。飛行機なんかこのごろは長足の進歩をしておるのですから、戦争終末のような状況に持つて来るには数年を要する。それに加えて彼らが非常に進歩しておるのですから、五大国の一つだというような昔のような夢を見ておつたら、ここに華族さんもいらつしやるかもしれぬが、ちようど昔の公爵だとか伯爵だとかいうような肩書をたよりにしておるようなもので、これはどうしても努力して早く追いつかなければならぬというふうに私は感じておるのです。それだから、こういう艦艇及び飛行機建造なんというところは、よほど皆さんの御了解を得て促進していただきたいのです。  私はアメリカ人に、われわれが最善の努力をもつてしても十年の後でなければ、君らはまくらを高うして退却するわけには行かぬだろうということをよく言つている。パーソナル・ヴューとして言つている。なぜそういうことを言うかというと、朝鮮事変が起つた折に、今兵学校長に行つているジヨイという中将なんかは、私どもにもう日本も少し考え直さなければならぬときじやないかと言つた。人を集めればすぐ軍艦でも動くように思つているのですよ。彼らはその時分からフリゲートの話をしておつたのですけれども、フーリゲートを十五、六隻、LSTが五十隻、あれが動き出して日本周海をまわるようになるのに朝鮮事変から四年かかつたということを見ても、再軍備といつたつてなかなかむずかしい問題だということは明らかなんです。日本飛行機北海道の空を守り、そうしアメリカ軍の退却できるような時期は、非常に努力しても今から十年かかるのじやないか。物も一緒にこしらえてほしいけれども、人をつくる方が私は先じやないかと思う。パイロットをつくる方が先じやないか。私らが従軍した日露戦争の折は、キャピタル・シップというのは日本で一そうもできておらないのです。大きな船の十二隻というのは主としてイギリスのような外国でこしらえた。そうしてロシヤに対してあれだけのいくさをしたのです。人間日本人ですけれども外国の船でやつた。私は東洋ではやはり日本人は一番えらいのだということを確信しておるのですが、これだけの有為国民があつて、そうして人を養成し、必要に応じては外国から物をもらつてそれを使うということにすれば、まあ十年たつた後にはアメリカ軍も退却できるようになるじやないか、そうし集団保障でやるというようなことになるじやないかというふうに感じておるのであります。
  4. 稻村順三

  5. 粟山博

    粟山委員 私は野村さんにお伺いしたいと思うのですが、お話の中にアメリカをほめたたえて、ヒロイズムというのがアメリカをしてかくのごとく偉大ならしめておるように伺つたのですが、そういうヒロイスムというような考え方で日本にもやはりこれを奨励するのがよろしいというふうにお考えになつてお話でありますか、その点をお伺いしたい。
  6. 野村吉三郎

    野村公述人 私は軍隊というものを使わないように政治はやる、これは申すまでもないと思うのです。軍隊は無用の長物になるように持つて行くのが政治家のやる仕事だと思うのです。しかしながら今の世界状況で、朝鮮事変あるいは仏印で今行われておる戦争状態等を見れば、これは望まぬけれどもある場合にはあるかもしれぬ。そうすればその場合に私らは、今インターナシヨナリズムの思想も発達しておるけれども日本国民は少くとも日本民族の独立、自由を守るために努力しなければならぬ、これに対して戦うということになれば、これはやつぱり勇敢な働きをしてもらわなければ、おとなしいことばかり言つてつたのでは役に立たぬのではないか。十万の兵隊も勇将のもとには二十万人の働きをするであろうし、最新のモビリティーを与えれば十万の兵隊が昔の数十万の働きをすると思う。それに対してやはり精神というのは強い。負けないという精神は今も昔もかわらぬじやないか、急に民主主義になつて二千年来の日本の長所というものが必要ないのじやないかというように国民思つてつたならば、それは錯覚じやないか、私らの友人アメリカ人なんかも、相当老人の者が多いのですけれども日本にはいろいろ長所があるのに、今度の戦争で負けたからというてあのたくさんの長所をみな放棄してしまうのは実に残念だ、これは保存しなければならぬというように、ほんとりの親友はみなそう言う。私はそういう考えを持つております。
  7. 粟山博

    粟山委員 たいへん長い御説明でありますが、私は簡単にお伺いしたいのです。それはなるほど医家国民としては自由を守る自警心、自尊心を確立する、これは当然であります。従つて国家国民としては国を守る、これも当然のことであります。しかしながらこの国を愛して国を守る、自由の精神を確保するということのために起きる。たとえば侵害を受けた場合に、その発奮するところの動機は、国民として非常に深い信念がなければならぬと思う。その信念が深く固きものがあればこそ、私は強い争いにおいての力が結集されて、より強いものがそこに現われて来ると思う。そういう観点から考えますと、私は今ヒロイスムを奨励するということは、これはいかがなものであるかということに多大な疑いを持つものである。というのは、アメリカのことについて野村さんはいろいろおつしやつたが、かつてあなたは大使館にアタッシェとしておられたこともありましようし、名高い大使としても大事なときに任務を負わされたわけだ。それで英語もお達者であつて、常にアメリカの文化というものについては軍人でありながら多くの人よりはものわかりのよい感覚を持つておられる方だと世間でも見るように私も考えている。しかし私はアメリカが今日あの大きな力を持ちながら、思いのほかに自分の力を自分の思うがままにかつてにこれを使用しようとせずに、力を持ちながら国際的に非常に関心を持つておられるような慎重な態度をとつておるというのは、私はこれはアメリカのクリスチヤニズム、それからヒューマニズム、この二つから来ている国民の相違の現われだと考えている。なるほど国内を開拓するについてはフロンティアというとごる一のあの活発な、勇敢な荒野の西部劇の活動映画なんかに見るように、いまだにピストルの撃合いなんていうものは実に壮観なものである。しかしそれはそれであるけれども、実際いかなる知者も学者もあるいは顕官であつても官僚あるいは実業家、軍人、すべての人が一旦戦争となれば人道のためである。これは宗教の信念の上に立つというところから来る深い、強いものがあつて、私はアメリカのよさがあると思うのです。私は決してヒロイスムではないと思う。もしこういう問題について敗戦後の日本が真に肺臓をついたところの信念を固めるにあらずんば、私はいかに優秀な武器をそろえても、いかに調練が整つても国危うしと言わざるを得ないと思うのであります。この点について遺憾ながら私は旧知の野村さんに対して、私の考えを異にするのでございますが、それについてなお私を教えるところがあるならば、私は伺つておきたいと思うのであります。
  8. 野村吉三郎

    野村公述人 むろん私は今粟山さんのおつしやつたように、大きな人生観、人道等からそれほ出発していると思うのです。私の先ほど申したのは、国民はやはり人道を心得、そうしてまた勇敢なる国民がみずから進んで難に当るというような国民たることを望むのであつて、それはヒロイスムということで、ヒロイズム兵学校で奨励していると申したですが、国民全体が、理想についても、行いについても、勇敢なる国民たることを望んでおるのでありまして、言葉の言いまわしは違つておるかもしれぬけれども、私は今おつしやつたところと違つておるようには思つておりません、
  9. 粟山博

    粟山委員 もう一つ、文民優位という言葉が耳ざわりということをおつしやいましたが、私もそれは同感でございます。一体その職に上下あるべきはずではなし、それに尊卑の区別をつけるものではないと思います。なるほど今日国民の一部には自衛隊、それが軍隊の形にあることを強く否認する人もあります。しかしながらまたこれを支持する面もあるのであります。そこに問題が挫きておるのでありまするが、もしそれここに上程されておりまするところの二法案が通過いたしますれば、好むと好まざるとにかかわらず、これは外から侵略を受けた場合においては国をあげてこれと戦わなければならぬことになる、そういうような大事なものを決する場合に戦うということは、負けるために戦うのでなくて、戦うならば勝たなければならぬ、自分で勝てなければ勝てる者とともに集団的に力を合せて勝つという結論の見通しがつかなければ、私は戦うべきものじやないと思う。私どもがかつて経験いたしましたこの大東亜戦と同じことである。負けることがきまつた、とにかく専門家もあるいはその事情に通ずる人も、外から見ても内から見ても、こんなはつきりしたもののないものを戦争に導いたということを考えてみますると、実にこれくらいばかげたことを日本の歴史の上に残したものはないのであります。そういうことを考えますときに、日本の置かれたこの敗戦後の貧乏な国、困れる国、思想的にも迷える国民を八千万人もはらんでありまするこの国において、この日本の国をどこに持つて行くかということを考えまするならば、私は文の人も、武に見られるところに所属する人も、そこに区別はなくして不離一体となつて結論を出さなければならぬと思います。そういう腸骨においては昔のように軍人が跋唐をして、そうして優秀なる官吏はまつたく一つの技術者のごとく、手足のごとくに使われる、それに満足したそういうことは今は反省しなければならぬ、また武力を持つがゆえに、武器を持つかゆえに、人を殺しても満州に行けばせいたくができるということが許された、そういうことも私どもは大いに反省しなければならぬときと思うのです、それを考えますと私は、なるほど人民優位場というような形をつくることはいけない、いけないけれども、この場合においてはそういうようなことのないために、機構の上において過去の弊害を繰返さないような用意は一応あつてもいいじやないか、こう思うのである。あるいはもしそれがいけなければ摘当な機関に直せばよいのであつて、過去における経験があまりに深刻で、現在われわれが悩みつつある蜀民感情の上からいいますならば、制服の方は人格あるいは手腕、力量において卓越しておるならば、局長になつたつて、課長になつたつていいじやないかというけれども、過去におけるところのあまりに深刻な経験が今の国民感情からしてそれを容易に緩和してない。こういう場合においては、その制度は機構の上からそういう過去の苦い経験を繰返さないような用意と、深甚なる考慮を払うだけの寛大なる気持があつてしかるべきじやないかと私は思うのであります。この点について、私は野村さんと考え方においては一緒でありますけれども、その肯定における結論の仕上げについていささか異にしておるのでありますが、なおこの点について御意見がありますならば御主張を伺いたいと思うのであります。
  10. 野村吉三郎

    野村公述人 今のも私御高見として承つておきますが、潤滑油になるのならいいのですが、あまり砂をたくさんやつてきしんで物が動かぬようにならぬように御留意を願いたいと思います。
  11. 稻村順三

    稻村委員長 平井君。
  12. 平井義一

    ○平井委員 野村さんに二、三点簡単にお伺いをしたいと思います。  大東亜戦争の勃発の時期に、野村先生はアメリカ大使をやられておりましたが、野村先生が平和論者であるということは、すでに国民が承知をしておるところであります。日本が敗戦後におきまして、野村先生は枢密顧問官として新憲法制定に参与しておられるのでありますが、そのとき、無条件降伏であつたので、マッカーサー元帥から押し付けられた憲法には一応服するが、日本が独立したならばそのときのことでないか、こう今の吉田総理が言われたそうですが、日本はすでに独立したのでありますから、この際憲法を改正するがいいかどうか、野村先生の御意見を承りたいと思うのであります。  それから、かつて日本三軍を有しておつたのであります。野村先生がやはり悩まれたと思うのでありますが、海軍陸軍が非常に仲が悪かつた、これはまた国民の周知のところであります。今度の防衛庁で防衛隊といいますか、陸海空の三つの部隊ができますが、今の法案では昔のようにけんかをせぬで済むかどうか。けんかをされては何にもならぬのであります。これをけんかをしないように仲よくやつて行くには、現在の法案でよろしいのかどうか。  もう一点お伺いしますが、これは現在の保安隊から防衛隊に切りかえる法律でありますが、御承知のごとく国会は二つにわかれて、再軍備反対と再軍備賛成、今日の防衛隊を軍隊と思う、いや軍隊でない、この二つにわかれると思う。軍隊ならば憲法違反ではないか、あるいは現在の憲法の範囲においてつくつたのであるという現在の木村長官、このように意見が一つにわかれておるのでありますが、以上三点について野村先生の御高説をお伺いいたしたいと思うのであります。
  13. 野村吉三郎

    野村公述人 私はずつと前から、憲法は独立した以後は検討して、ぐあいが悪いところは修正しなければならぬというふうに思つておるのです。これはニクソンも言うている通り、私この間これはよけいな話かもしれませんがアメリカへまわつた折、自分友人らはニクソンがわれわれの言わんとすることを言うてくれた、彼らもあやまつたというふうに思つておるのです。  それから三軍の方は今度長官が一人でやるし、その下に次官がおる。また活用の上には幕僚の議長がおります。これもアメリカでは二年ごとに二軍の人ば交代するようになつておりますが、日本人はセクシヨナリズムですから、あらゆる場合に摩擦は必ず起ると思います。これを調節するのに国防長官が一人、次官がおる、議長がおる、そこは若干調節できるのじやないかというふうに考えております。
  14. 平井義一

    ○平井委員 今の、自衛隊は軍隊の形になつておりますけれども、これは軍隊といえるか、また軍隊ではないと思われますか。
  15. 野村吉三郎

    野村公述人 私はあなた方のよりに政治家ではないので、物を現実的に見ておるのですが、もう警察予備隊当時から、これはアーミーのスタートだと思つておるのです。(拍手)それを憲法と結びつけるために、議会の方で非常に御苦心のことはお察ししますが……。
  16. 稻村順三

    稻村委員長 鈴木義男君。
  17. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 ここは討論の場所でありませんから、お伺いだけいたしますが、議論になると長くなりますから、ただこういう機会に野村さんのような達識の士に承つておきたいと思います。  日本に対して侵略があるとお考えになつておるか。先ほど朝鮮事変を例にとり、あるいは仏印の問題を例にとられて、日本もゆだんができぬというように仰せられました。しかし御承知のように、朝鮮事変は南北を一つの民族で解放しようという動機から起つておる。仏印つてフランスの征服を排除して、自分たちの独立した国をつくりたいということから起つたのであります。背後にどういう主義があつても、少くもそういう形をとつておる。ところが日本に対して、どこからか日本をとろうという侵略があるか。共産主義を日本に実行しようという意味の間接侵略は、容易に想像できるのであります。直接侵略があり得るとお考えになつておるか、それを伺いたい。
  18. 野村吉三郎

    野村公述人 私は、あるということをここで申し上げることはできませんか、極東における兵備の状況を見、それからサンフランシスコにおける共産主義国の全権の語つたところあたりを見ると、絶対にないのだということは申されぬというふうに思つております。今日これだけの喜平和を日本が保つておるゆえんは、朝鮮及びインドシナのような状態にならぬのは、やはり、自由諸国の力と、反対陣営の力がバランスしておるからである、そのバランスのために平和を保つておるという、ふうに見ておるのであつて、ないということは断言できない、またあるということも断言でき参ない、あつた場合におれはないと思つてつたのだということでは浩一まぬから、できるだけのことは用意しなければならぬというふうに考えております。
  19. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 それ以上言うと議論になりますから略しますが、今かりにアメリカとソ連が戦うということが起れば、当然引込まれることになるのでありますが、かりにそういうアメリカの勢力というのと離れて考える場合に、今つくるような軍隊が、どの程度に役に立つとお考えになりましようか。
  20. 野村吉三郎

    野村公述人 武器は日に日に進歩いたしますが、最新式の兵器を持つておらねば軍隊の用をなさぬとも私は考えておらぬのであります。各地でいろいろなことが起り、そのところには必ずしも原子爆弾が使用されておるのではなし、それだからこれは原子爆弾に対しては力がないかもしれないが、原子爆弾を使用するというのには非常にいろいろの事情もありましようし、力を持つておればそれだけの役をするというふうに感じております。水素爆弾ができたからといつて軍隊はもう持たぬでもいいのだと言えば、ソビエトとアメリカ以外の諸国は、軍備はなくてもいいということになるのでありますが、各国ともそうは考えておらないのじやないか。われわれもできるだげのことをやつて、そうして国の安全をあくまでも守ろうという考えが、正当じやないかと私は思つております。
  21. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 先ほど文官優位というお言葉がありましたが、文官優位ということけ間違つた考え方で、それは憲法でいわゆるシヴィリアンでなければ国務大臣になれないという規定をしておるので、そういうことから来ておるのであろうと思う。あるいは御承知のように、憲法制定の途中において、衆議院はああいうことなしに通過した。参議院に行つてから極東委員会から御注文があつて日本の軍国主義の再台頭を恐れるから、世界十三国が希望して、将来日本の国政をつかさどる着は、少くも大東亜戦などの責任者でない者を当てろという趣旨において、ああいう条項を入れたものと私は記憶するのであります。それはしかし憲法第九条と平仄がよく合つておる。もし改正するなら両方改正しなければならない。とにかくそれは別として、今度は政治優位ということが問題になつておると思うのです。つまり軍人がかつてにいくさをするしないということをきめることは、きわめて危険なんです。そこで今度の制度で行くと、内閣総理大臣がその責任を持つことになつているが、今もつぱら議論になつておるのは、形は総理大臣がやる。昔のような帷幄上奏権というもの、あれが日本を誤つたものとわれわれは考えておりますが、それだけはなくなつた。けれども今の制度でも、幕僚長会議というようなものが、実は国務大臣もないがしろにし、総理大臣などは、もちろんあらゆることを形の上でだけやることになつておるが、実際は幕僚長会議がやりはせぬか、やることになることをおそれる」ういうことが議論の焦点になつておると思うのであります。その点について野村さんのお考えを承りたいと思います。
  22. 野村吉三郎

    野村公述人 私は政治は優位というのは当然だと思います。軍人でいくさを始めるというようなことがあつたとすれば、それは非常な間違いであると思います。それから幕僚長で総理を強要してやると言いますが、あの組織でやつたならば、幕僚長がそれだけの権力を行使することはできないと思います。今までは統帥部は帷幄上奏でやりましたけれども総理大臣政治の首脳者となつてつて、今度の制度ではそれは絶対にできないのじやないか。それから大体三人の幕僚長がある。その上に議長がある。それで相当にチエツクアンドバランスもできるのじやないかというふうに私ども考えるのであります。そういうところは政治家として御心配になるのは無理のないことであつて、そういうところにはこれからの議会方面日本は三権分立で、議会の勢力というのは、アメリカなんかよりはずつと強いと私は思つております。政府の実行部に総理大臣を送つてつておるのですから、アメリカの三権分立よりは、ずつとこつちの議会の方が強いのであります。そういうことは主権在民でやれるのじやないですか。
  23. 稻村順三

    稻村委員長 下川君。
  24. 下川儀太郎

    ○下川委員 野村さんに二、三お伺いします。先ほど野村さんは、アメリカ軍が安心して撤退するのには十年かかるということをおつしやつた。そうするとその根拠をひとつお伺いしたいのです。というのは、よく木村長官が、みずからの手でみずからを守るということをおつしやつております。みずからの手でみずからを守る、現在はアメリカの協力なくして守れないけれども、やがてはそういう軍隊をつくる、そういう軍備をするということを言外に現わしておる。従つて野村さんの言う十年後の日本がどういう軍備をしようとするのか、あるいはどういう想定のもとに十年後は安心してアメリカ軍が撤退できるというのか、その根拠をひとつお教え願いたいと思います。
  25. 野村吉三郎

    野村公述人 先ほども繰返して申し上げたように、集団保障の世の中であつて日本があらゆるケースに対して用意をするということは、これは国力が許さぬのであります。それだから十年後にかなりの海軍もでき、かなりの空軍もでき、そうして相当の人ができて来れば、アメリカ軍も引けるようになるのじやないか。今のところは、アメリカはやはり極東における反対ブロツクの兵力を見て、いろいろあんばいしておるのであろうと思う。そういうことから、十年後になつた日本がひとりで守れるとは私は思つておるのじやないのでありまして、十年ぐらいたてば、若干空軍もでき、若干海軍日本の交通線を保護するような力を持つようになり、彼らも安心して引けるということを申したかどうか知りませんが、引けるような状態になるのじやないか。非常に努力しても相当の歳月を要するということを申し上げたわけであります。
  26. 下川儀太郎

    ○下川委員 今のお話を聞いておると、具体的な根拠はなくて、いわゆる想像から言われておると思います。そうなると結局問題は、ただ軍備だけの問題をとらえて言つておられるようでありますが、御承知の通り、それには日本の経済事情が伴うし、同時にまた思想的な問題が伴つて来るのであります。たとえば各国の賠償の問題もまだ片づいておらない。あるいは貿易が非常に不振である。東南アジアとの貿易関係も、同じ民族関係でありながら、不振であるというような根拠に立つてみますと、やはり軍備を裏づける場合はおのずから経済の条件が備わらなければならぬ。そういう経済的な条件を無視して軍備というものは私はできないと思う。そういう問題をどのようにお考えになつておるのであるか。その点軍備と経済の問題について、やはり相当これは問題でございますので、何か御意見があつたらお伺いしておきたいと思います。
  27. 野村吉三郎

    野村公述人 お説はよくわかります。経済の問題、それから思想問題が非常に大切だということは、よくわかります。
  28. 下川儀太郎

    ○下川委員 きようは討論でないので、そう聞きただしませんが、もう一つは、先ほど粟山さんが話されたヒロイズムの問題、この問題はやはり今後非常に重要な問題だと思います。ということは、日本の青年諸君に対するいろいろな指導の面が目標がない。これはインド支那戦争にも関連がありますけれども、やはり思想的な立場からいろいろ批判がございましよう。しかし、御承知の通り、民族の独立あるいは自由を求める戦いでございまして、これは共産党が指導しているのだといういわゆる反共の立場でこれを押えようとしている。しかしその根本的な推移を見て参りますと、あの奴隷を解放して行くという根拠から問題が発展して来ておる。そうなつて来ると、日本にたとえば自衛隊が生れても、自衛隊それ自体に、ほんとうに日本の独立を守る、あるいは日本の自由を守るという根拠に立つた、いわゆる真実とか真理にうがつた一つの目標がなければそういう勇敢なヒロイズムは出て来ないと思う。野村さんは戦時中に、海軍あるいは外交等々において指導者としてお働きになつたでございましようけれども、私はアメリカヒロイスムと現在の日本の青年諸君のヒロイスムとは非常に相違して来ると思う。今日の日本は、見方によつていろいろ相違して来ますけれども、はたして日本が独立している情勢にあるかどうか、あるいは独立的な立場に立つての自衛隊の創設とか、あるいはまたいろんな問題からものを言われておるのか、そういう点について私たち非常に疑問に思つているのです。ほんとうの自由、ほんとうの独立は一体どれが目標なのか。いわゆるアメリカニスムのそういう形においての独立、あるいは平和、あるいは自由という考え方で問題を発展する場合と、ほんとうの自主的な、何らの鎖もない、ひもつきでない民族の自由や独立を求める場合と、幾通りもあると思うのです。そういう目標を見きわめずして青年にヒロイズムを強要することは、私は非常な間違いだと思うのですが、野村さんの見解をひとつお聞きしておきたいと思います。
  29. 野村吉三郎

    野村公述人 今の御質問に対しては、私はここでお答えする立場じやないと思いますが、私の言う勇敢なる国民というのは、子供がおぼれておる、それを君子危うきに近寄らずで救いもしない一そういうことを身を挺してやるというような気分が国民の中に盛んになつて来る、すなわち気慨のある国民ということを申したのであります。
  30. 稻村順三

    稻村委員長 辻君。
  31. 辻政信

    ○辻(政)委員 私は二十二年前、上海の公園で爆弾を受けて野村さんが倒れたときに、その壇の下におりまして犯人をつかまえた者でございます。(笑中、拍手)二十二年ぶりでお目にかかりまして非常になつかしく感じましたが、その大先輩から民族の前途を憂えられる御意見を拝聴いたしまして、非常に感激したのであります。その大先輩に対しまして、まことに小さな問題でございますが、一点お伺いいたしたい。  それは教育の問題であります。御承知の通り陸軍教育陸軍総監部でやり、これは相当厖大な機構を持つておりました。海軍はたしか海軍省教育局があつて、これもまたかなりの規模を持つてつた考えるのであります。今度の案におきましては内局に教育局をつくり、これが教育の基本に関する計画をやり、また統合幕僚会議におきましては、いわゆる三つの自衛隊の統合訓練に関する計画を立案する。それとは別個に陸上、海上、航空幕僚監部におきましては、本然の教育をやる、こういうふうになつておりまして、教育の担当部面が屋上屋を架す、内局と統幕と各幕僚監部というので、私は内局に教育局をつくることが間違いではなかろうかと思う。置くとすれば統合幕僚会議において三自衛隊の総合訓練の基本計画を示し、それに基いて実施の細部をあげて各幕僚監部にまかすのがいいのではないかと考えるのであります。小さな問題で恐縮でありますが、この点についてひとつお伺いいたします。
  32. 野村吉三郎

    野村公述人 今の御質問はちよつとお答えはよういたしませんが、陸軍教育局陸軍省と参謀本部との三つにわかれておる。海軍の方は軍制といたしまして、海軍大臣のもとに教育局を置いて兵学校等がある。それはみな行政をやるだけでありまして、大体みな校長がやるのであります。基本方針と申しますけれども予算を分配するとかいうようなことをやるのでありまして、大体学校でいろいろの研究項目をきめてやつておるのであります。兵学校兵学校でよろしい。そうして校長には相当の人材が行つておるのであります。基本計画というよりは予算をやるとか、それから行政事務を教育局がやつ薫つた。慣習、秩序いろいろ注文もありましようが、大体みな学校でやつてつたのであります。
  33. 辻政信

    ○辻(政)委員 ただいまのお話によりますと、内局でやる仕事は教育の行政に関する事項と解してよかろうと思いますが、従来このことは以前の保安局でやつてつたのであります。それを今度新しく教育局をつくろうということになつております。その必要がないように考えられるのでありますが、いかがでございましようか。ちよつと小さい問題で恐縮でございますが……。
  34. 野村吉三郎

    野村公述人 なかなかむずかしい問題で、小さいとおつしやるけれどもちよと即答をよういたしませんけれども……。
  35. 稻村順三

    稻村委員長 中村君。
  36. 中村高一

    ○中村(高)委員 先ほど野村さんの御意見の中に、自分の国を自分で守ることは当然であるという御趣旨から、今度の自衛隊法というようなものもだんだん急角度に転換をして来ておるということに対して賛意を表されたようでございます。おそらく将来はアメリカの駐留軍に帰つてもらつて日本自身の力で守るのだという御趣旨のようでありますが、今すぐにとりかかつても十年かかると言われる構想のようであります。おそらく今のでは足りないという御意見だと存じます。現在御承知の通り、保安隊などが大体十一万くらいのものでありますが、今度この自衛隊法が通過をいたしますと約十五万、防衛関係全部では十六万くらいになるようであります。この程度では自衛の目的を達するのには足りないという御意見と存じますが、これから十年間くらい一生懸命馬力をかけて日本が自衛の力を充実させることについては一体どのくらいの構想をお考えになつたことがありますか。われわれも政府の漸増計画というものについてたびたび質問をいたしておるのであります。政府は、防衛隊という形で漸増して行つてという、言葉は常に述べておりますが、それならば、たとえば陸は何十万、海においては何百トンとか、あるいは空においてはどのくらいの飛行機を要するのかというようなことを、ときに発表に近いような形で漏らしたこともありますけれども、これはわれわれにはちよつとわからないのであります。専門家であります野村さんが十年たつたら相当なものができるであろうというその構想は、どんなふうな内容をお考えになつておられますか、伺えればけつこうだと存じます。
  37. 野村吉三郎

    野村公述人 陸上部隊は数ばかりが問題ではなくて、移動力、まあ今までの軍隊と非常に形がかわつて来るんじやないか。先ほども申したように、移動力が大きければ、二十万の軍隊が五十万の働きもできるのではないかというふうに想像しておるのです。私の頭に非常にあるのは、海空の方です。海上の方は、船はフリゲートという小さい船が十八隻ある。日本は今食糧油、その他において、どうしても欠くべからざるものとして二千五、六百万トンを自由諸国から輸入しておるのでありますが、人口がふえて来るのですから、これはふえる一方でしよう。やがては三千万トンにもなる。これを必要に応じては潜水艦の攻撃あるいは飛行機攻撃に対して守つてやるという態勢を整えなければならぬと思つておるのであります。そういう点から、海軍も、大きな戦闘艦というようなことは夢にも考えておりませんが、駆逐艦とかあるいは飛行機を運ぶ小さい航空母艦とかいうものを持つて、潜水艦に対し、あるいは向うから来る飛行機に対して戦わなければならぬ。これは今までの四年間かかつてようやく今のあの海上警備隊ができておる現状にかんがみて、ずつと前から十年と言うておつたのですけれども、もう四年たつてあと六年、それではまだなかなかむずかしいのではないか。去年予算は通つて駆逐艦をこしらえると言つたけれども、計画ができずして、その予算がそのまま今年に繰越されてつも起工もしておらぬという状況でございます。  それから飛行機の方は一時は日本飛行機もえらかつたけれども、このごろの飛行機は非常に発達して来て、最近守屋という東京大学教授の各国をまわつてお話なんか聞いてみると、これを各国のレベルまで持つて行くにはどうしたらいいかつの工場を見ると、自分が神経衰弱になるということを言うておられたですが、そのくらい遅れておるのであります。今飛んでおる飛行機なんというものは一つもフアイテイングヴアリユーはないということを、ウエーランド大将は言うておりますが、今空に対しては何らの防禦がないと言うていいのであります。これからジェット機あたりでだんだん少しづつけいこをし始め、飛行機をこしらえるにしても、そう高い飛行機を平時にたくさんこしらえることはできない。たとえばイギリスが八百の戦闘機でもつてヒトラーの侵入を防いだということもあり、人を養成して、必要に応じて飛行機をすぐふやすというようなことを考えてみましても、これから着手しても十年くらいかかるのではないかという大ざつぱな話です。これは海空の方は今のところ何もないのですし、技術が進歩しておりますから、電気工学の知識も非常にいるし、人材も養成しなければならぬ。軍服を着せて、そうして連隊長をこしらえて、観兵式をやるのとは大分違うのじやないか。日本の空を守る空軍、海上からたくさんなものを輸入する日本の交通線を守るための海軍日露戦争ころの海軍といえども二十五、六万トン、飛行機の千機、二千機くらい、ほんとうに必要があれば、三千機にもして、その要員を養成するということを考えれば、どうしても十年くらいかかるのではないか、最上の努力をして十年かかる。これはあらゆる点においてなかなかそうは行かぬと私患う。それはマッカーサー日本非武装化が徹底的に女れ、銃砲なんかもどんどん進歩している、そして銃砲はレーダーで撃つというようになつておりますから、非常に努力して、少しずつこしらえて行つても、予算を離れて考えても、現状から見て、私は十年を要するのではないか。それだからあまりのんきにやつてつたんではいつまでたつてもできないつもできないということになるのではないかということを愛えるのであります。
  38. 稻村順三

    稻村委員長 他に御質疑はありませんか。――御質疑がなければ、午前の会議はこの程度にいたします。     午後零時七分休憩      ――――◇―――――     午後一時二十七分開議
  39. 稻村順三

    稻村委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  午後の会議に御出席の公述人田畑忍君及び佐瀬市太郎君であります。  公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げますが、雨の中を御出席くださいましてありがとうございました。まず田畑忍君より御意見の御開陳をお願いいたします。田畑忍君。
  40. 田畑忍

    田畑公述人 私は田畑忍でございます。防衛庁設置法案自衛隊法案につきまして愚見を述べよという招請によりまして、当委員会に参つた次第でありますが、以下この二法案に対する私の見解を率直に申し述べることにいたしたいと思います。  最初に私の考えの結論を申しますと、この二つの法案は、いずれもともに日本国憲法第九条等に違反する法規を内含しておるのでありますから、国会でこれを否決していただきたいと申し上げたいのであります。わが国には憲法違反ということを実に何でもないことのように平気で考える傾向がかなりにあるようでありますが、申すまでもなくこれはすこぶる危険なことであり悪いことであります。なぜかと申しますと、憲法違反でありますとか、あるいは憲法軽視ということは、日本の国をみずから軽んずることであり、従つて外国からも軽んぜられる結果を招き、国を大きくそこなうことになるからであります。憲法違反には罰則というものがございませんから、違反何ものぞとうそぶく政治家があるならば、その政治家政治家としても値打ちのないものであると私は考えるものであります。とにかく私は違憲の法的内容を持つた防衛庁設置法案自衛隊法案とは、ともに国会において否定さるべきものであると考えるものであります。  そこでこの二つの法案の違憲の点はいかなる点であるかということを指摘することがポイントであり、それを明らかにする必要がまずあるわけであります。そしてその点を明らかにするためには、この二つの法案をその母体と考えられる現行の保安庁法と比較検討する方法をとるのが便宜かと存じます。いな、さらにさかのぼつて、保安庁法の前身であります警察予備隊令と比較検討することが必要であろうかと思うのであります。すなわち今日国会に提案中の防衛庁設置法案自衛隊法案は、ある意味では警察予備隊令から発足しているものであるからであります。しかし私はそれらのものをある人々の言つておりますように、法的に同質のものとは考えないのであります。またそのように考えるべきではないと思うのであります。それは警察予備隊令それ自体は、憲法に対しましての違反性を持つものではない、また保安庁法といえどもいまだ十分に憲法違反性を持つものではないのにかかわらず、今度のこの二つの法案というものは、すでに明白に憲法に対する違反性をそれ自身において十分にになつておるからであります。  順序として、まず警察予備隊令から話を進めて行くことにいたしたいと思います。警察予備隊令は、御承知のごとく占領中の昭和二十五年の制定にかかるものでありまして、平和条約並びに安保条約の締結前に制定されたものでございます。言うまでもなくこの政令によりまして警察予備隊が設置されたのであります。それはマ政権の指令によるものであるといわれておりまして、警察予備隊令はその第一条に、「この政令は、わが国の平和と秩序を維持し、公共の福祉を保障するのに必要な限度内で、国家地方警察及び自治体警察の警察力を補うため警察予備隊を設け、その組織等に関し規定することを目的とする。」このように定めておりますが、これによつて明らかなことく、そうしてまた同第三条に、「警察予備隊は、治安維持のため特別の必要がある場合において、内閣総理大臣の命を受け行動するものとする。」「警察予備隊の活動は、警察の任務の範囲に限られるべきものであつて、いやしくも日本国憲法の保障する個人の自由及び権利の干渉にわたる等その権能を濫用するごととなつてはならない。」と定めておることによりましてさらに明らかなことく、法制度的には警察予備隊というものを普通の警察力を補うための特別の警察機関、治安機関として設定したものであります。従つて法的には、それは軍隊として設定されたものではございません。これを政治的に、軍隊として設定したものだと言つてしまうことは――そのように主張した人もかなりありますが、法的考察を欠いたものであることはもちろん、政治的にも不十分な見解であることを免れないと思うのであります。これを要するに警察予備隊令は憲法違反の政令ではなく、また警察予備隊軍隊らしき装備や部隊組織を有しておるにもかかわらず、法上の存在としては、いまだ憲法違反の国家機関ではなかつたのであります。ただこれを制定し、また設定した政府の意図は、これを将来の軍隊の萌芽たらしめようとするものであつたことが推測されるのでありまして、もしもそうであるとするならば、警察予備隊はすでに憲法第九条第三項のいわゆる「その他の戦力」たるべきものであつて、同条項に対する違反の存在であつたと申さなければならないのであります。またたといこのような意図が政府になかつたといたしましても、必要なる場合にはこれを自衛戦争に用いようとしていたことは、国会での政府のたびたびの説明などによりまして明らかであります。それゆえに法制度の上では、いまだ違憲の存在ではなかつた警察予備隊というものか、政策的には最初から「その他の戦力」の一つとしてすでに違憲の存在であつたことが否定されがたいのであります。しかし前述によつてきわめて明らかなように、警察予備隊令そのものは違憲性を帯びていないものと断じてよろしいのであります。  ところがその後昭和二十六年になりまして、平和条約と安保条約が締結せらるるに至りました。しかしこの両条約が日本の再軍備義務づけていないことは法理上明白であります、しかるに政府はこれをてこのごとくに利用いたしまして、その軍隊化の方向を決定いたしまして、かくして警察予備隊令を廃して保安庁法を制定し、保安隊等を設置して今日に至つたわけであります。しかし保安庁法はいまだ十分に憲法違反の法律ではなく、保安隊もまた法的には十分に違憲の存在ではなかつたと言つてよろしいと思うのであります。保安隊等の法的性格につきまして、保安庁法には左のごとく規定されております。すなわち同法第四条は、「保安庁は、わが国の平和と秩序を維持し、人命的及び財産を保護するため、特別の必要がある場合において行動する部隊を管理し、運営し、及びこれに関する事務を行い、あわせて海上における警備救難の事務を行うことを任務とする。」このように定めてありま旧す。すなわち保安庁法第四条によりまして明らかなように、それは警察予備隊令と違つて、もはや特殊的警察であるということの明文を避けておりますりそうして平和と秩序の維持と人命及び財産の保護を目的とすると実力的部隊を設置すると規定することによりまして、特殊的警察性のニユアンスを残しながら、しかもそこには特殊的軍隊性のニュアンスをも含ませておることが察知せられるわけであります。けれども政府はその設置の国会説明の中では、これらの部隊が間接侵略に対してのみ備えられるものであるということを繰返し述べていたのであります。すなわち保安庁法は、形式的にはそれが憲法九条の規定に違反するものでないとする建前をとつてつたわけでありまして、今引用いたしました条文にもその建前が示されておるわけであります。でありますからして、その限りにおいては、それはいまだ十分に軍備の設定であるとすることはできないと私は思うのであります。しかしながら保安庁法第五条では、保安庁のこのような部隊、警備隊につきまして規定しておりまして、保安隊等の軍隊的ニュアンスをいま少し濃厚に示しておるのであります。すなわち同法同条は次のごとくに定めております。「この法律において「保安隊」という場合は、長官、次長、長官官房及び各局、第一幕僚監部並びに第一幕僚長の監督を受ける部隊その他の機関を含むものとする。」「この法律において「警備隊」という場合は、長官、次長、長官官房及び各局、第二幕僚監部並びに第二幕僚長の監督を受ける部隊その他の機関を含むものとする。」、「保安隊は主として陸上において警備隊は主として海上において、それぞれ行動することを任務とする。」このような規定であります。かくしまして、保安庁の部隊の一つであるところの保安隊は、昭和二十七年十月十五日から、警察予備隊にかわつて発足するに至つたわけであります。そうしてこの保安隊が軍隊への方向をさらに一歩踏み進めたものであることは、何人にとつても疑いのないところであろうと思うのであります。この開政府は、軍備はしない、軍備はしないが、自衛力を増強する必要があるというようなことを申しましたり、あるいは不十分なる軍備国の軍備だけで一国が守れないような軍備は戦力ではないから、それは違憲ではないということを申しておりまして、そういう再軍備政策というものを、人をかえ、言葉をかえ、さらに説をかえて説明あるいは説教して参りました。かようにして保安隊への部隊組織の前進に従つて、その人員と装備が増強せられるに至つたことは申すまでもございません。警備隊についてもまつたく同じことが言えるわけであります。しかも保安隊と警備隊とをその行動部隊とするところの保安庁は、法律制度の上におきましては、依然として最も特殊の、広い意味における超弩級的な治安機関ではございましても、いまだ完全に軍隊であると言つてしまえるような、このような法の規定を備えておるものではなかつたのでありますけれども、すでにやがてはこれを軍備に発展せしめようとする法的用意のほどをしのばせるに十分なものにまで生長せしめられておることは否定できない事実であります。この意味において、憲法九条をまさに侵さんとするものであると申さなければなりません。それのみならず、特別の必要がある場合において行動する部隊というものを、治安のためということに限定しないで、防御のために必要が亙る歩合において行動する部隊であるということを認めておるというべきものでありますからして、それはいまだ法的には十分に軍隊たる性格のものでないにもかかわらず、警察予備隊以上に日本国憲法九条二項にいわゆるその他の戦力としての性格を強く帯びておるわけであります。従つて明らかに憲法に違反する国家機関になつておるわけであります。およそ、かくのごとくに再軍備への立法措置というものが保安庁の設置によつて一段と進められて参りまして、実質的にその軍隊化が強化されるに至つたことは否定しがたい事実であります。しかし保安庁法そのものをもつて違憲の法令とみなすことは、いまだ私は困難だといわなければならぬと思つておるのであります。ところが政府は今回憲法を軽視し、また国民の反対を無視しまして、MSA防衛協定の交渉をととのえまして、遂にこれに調印いたしました。そしてその承認が、この防衛二法案の提案とともに、今国会に請求されておるのであります。しかしMSA防衛協定が違憲の協定であることは、これがその協定の八条等によつて軍備義務々軍事的義務とともに、日本国に課しておるということによりましても、明白疑いなしであると申さなければなりません。この点平和条約、安保条約が、たとい好ましからざる点を多く含んでおるといたしましても、それは必ずしも違憲の条約でないのと異なつておるということができるわけであります。そこで政府はこのMSA防衛協定の交渉とその調印という、違憲的方策の線に従つて、現在の保安隊を法的にもはつきりした軍隊に切りかえるために、幾分憲法に遠慮しながら、今度の自衛隊法案防衛庁設置法案というものを用意するに至つたものであると考えられるわけであります。それは警察予備隊に始まつてこれを保安隊に強化して実質的な軍隊につくり上げた実績を法制化せんとするものであるということもできるであろうと思います。これを自衛軍と、軍と称していない点があいきようでもあり、あるいはごまかしといえばごまかしとも言うことができるのでありますが、それは問題ではございません。しかしそれは警察予備隊の設置や保安隊、保安庁の設置の場合と違いまして、もはや治安機関としてごまかしのきくものでは断じてありません。すなわち軍と呼ぶかわりに隊と呼んでいるだけでありまして、法令の上でもまごう方なき軍隊となり軍備になつておるものであります。世人はこれをMSA軍隊といい、またアメリカの傭兵軍などといつております。しかしこれもここでは問題ではありません。以下私は自衛隊法案防衛庁設置法案を検討することによりまして、このような自衛隊の法的性格をもう少し見て行きたいと思うのであります。  これらの法案によりますと、自衛隊は防衛庁長官を頂点としまして、そのもとに陸、海、空の三軍を構成し、内閣総理大臣を最高の指揮監督者としております。それは軍隊として決定されていることは、自衛隊洪案第三条に明らかに規定しておりまするように、何よりもまず直接侵略に対して備えられているというところにこれを見ることができるのであります。すなわちここに規定されておりますところの直接侵略とは、もはや安保条約に定められておるような直接侵略と解すべきものではなくして、MSAの規定、たとえば五百十一条2項などの規定の洗礼を受けた直接侵略を意味するものでありまして、明らかに外国からの直接侵略を意味ずるものであると解しなければならないからであります。すなわち自衛隊法案の第三条は以下のごとくに規定されておるのであります。いわく「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする。」「陸上自衛隊主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。」この規定の明らかにしておりますように、自衛隊の任務の第一は軍事的目的であります。第二に治安的目的であります。あるいはその他の任務が課せられております。保安庁法の規定とこの点非常に異なつていることがわかるわけであります。かくのごとくその法的性格が軍隊的であり、軍備的であり、従つて戦争を目的とするものでありますことは、自衛隊法案第六章第七十六条の規定がさらにこれを明瞭に示しておると思うのであります。ここには次のように書かれております。「内閣総理大臣は、外部からの武力攻撃(外部からの武力攻撃のおそれのある場合を含む。)に際して、わが国を防衛するため必要があると認める場合には、国会の承認(衆議院が解散されているときは、日本国憲法第五十四条に規定する緊魚集会による参議院の承認。以下本項及び次項において同じ。)を得て、自衛隊の合計又は一計の片面を命ずるごとかてきる。」また同条の二項及び三項と同七十七条はそれに関連しまして、緊急の場合における内閣総理大臣の緊急的出動権等について定めております。また同第七十八条以下におきましては、自衛隊の治安的権限について定めております。それから第八十二条におきましては、海上における警備活動について、第八十三条におきましては、災害派遣について、第八十四条におきましては、領空侵犯に対する措置について等の規定を設けているのであります。でありますからもはやこのような自衛隊が軍隊でないと言うことは断じてできるものではございません。まさに世評のごとく、自衛隊はMSA防衛協定によつて生れるべきMSA的軍隊であり、アメリカ製の軍隊であると言われねばならない」とになるわけであります。かつての皇軍というようなものではございません。次に、防衛庁設置法案を検討いたしましても同じことが見られます。すなわち防衛庁設置法案第四条は「防衛庁は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つことを目的とし、これがため、陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊を管理し、及び運営し、並びにこれに関する事務を行うことを任務とする。」と定めております。また同第下条におきましては二十二の権限を列評しておる中に「直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛し、わが国の平知と独立を守り、国の安全を保つため右動ずること。」とうたつております。こうして同第七条によりますと、その全職員十六万四千五百三十八人、そのうちの自衛官十五万二千百十五人ということになつております。またその第一十五条以下に統合幕僚会議について規定を設けております。さらに四十一条と四十三条に、国防会議について相定をいたしております。すなわち、第四十二条には「内閣に、国防会議を瞬く。」と定め、内閣総理大臣は一、国防の基本方針、二、防衛計画の大綱、三、前号の計画に関連する産業等の調整計画の大綱、四、防衛出動の可否、五、その他内閣総理大臣が必要と認める国防に関する重要事項について、国防会議に諮らなければならない、このように規定をいたしております。このように国防といい、防衛といい、自衛といい、すべて武力による国権的防衛は明らかに軍備であります。明らかに戦争を予定するものであります。すなわち、この二つの法律案の定める防衛庁、自衛隊の軍備的性格はきわめて明らかであると申さなければならないのであります。  かくして陸海空の三軍よりなる自衛隊と、かくのごとき規定の二つの法案が、日本国憲法第九条の平和主義規定にただちに違反するところの違憲的存在であることは言をまたないところであります。でありますから、かような違憲の法律と、違憲の法律によつてできるであろう国家機関が、MSA防衛協定第九条第二項の規定にふさわく第九条第二項の規定と申しますのは、御承知のごとく「この協定は、各政府がそれぞれ自国の憲法上の規定に従つて実施するものとする。」というのでありますが、その規定にふさわしく自国の憲法上の規定に従つて実施されるなどと考えることはできるものではありません。むしろこれによつて「自国の憲法上の規定」、憲法第九条の規定が問題になつて来るわけであります。問題になつて来ると申しますのは、すなわちMSAという外国の一法律による軍事援助の受理に基く、防衛協定によつて、自国の根本法である憲法がゆすぶられることになつて来るということであります。現に防衛庁設置法案自衛隊法案政府が用意したということそれ自身が、すでに憲法の蹂躙であります。そうしてこの蹂躙に基いて憲法改悪の動きと、憲法九条解釈変更の計画が次第に露骨になつて来ておることによりまして、このことは如実に示されておるところであります。日本国憲法九条は、御承知のように一切の戦争を永久に放棄しております。また国際紛争解決の手段としての武力威嚇及び武力行使を同じく永久に放棄いたしております。しかして軍備軍備以外の「その他の戦力」を否定し、さらにまた交戦権をも否認しているのでありますが、この第九条の規定が今やMSAという外国の法律をもとにしましてゆすぶられて来ておるわけであります。これは日本国日本国民にとりまして決してよいことではありません。いな、実に困つたことであるといわねばなりません。ある人たちは憲法のために国があるのではない、国のために憲法があるのであるから、既成の政治事実にじやまになるような憲法をかえねばならない、このように申しておりますが、しかしそれはどろぼうに都合のいいようなに刑法をかえろという議論とまつたく同じであります。言うまでもなく法律は事実をただすために存在する国家の規則であります。また憲法はこの法律とそれから事実、この事実をただすために設けられているところの国家の最高の法規範であります。であしますから、憲法に合うように法律と事実とをただすべきであります。憲法を悪い事実に合すように曲げてはならないのであります。すなわち本末を転倒してはならないということになるわけであります。ところが、ある人たちはみずからの利益のためにこの価値を転倒して、憲法を無視し、あるいは憲法を蹂躪し、あるいは憲法を改憲し、あるいは憲法の正しい解釈を政策的に変更しようとするのであります。しかし、かくのごとくすることによつて国が栄え、人民が幸福になつたためしは歴史的にもありません。理論的にもあるはずがありません。憲法を正しく守ることは、すなわち国を守ることであり、国民を守ることであります。しかし憲法を無視して三軍よりなる自衛隊を今度の二つの法律によりましてつくつてみましても、自衛隊によりまして国と国民を守り得られるものでは断じてございません。むしろ、結果はその逆になつてしまうであろうと思われるのであります。なるほど保安隊を自衛隊に発展させることによつて、これを正式な軍隊にすることによりまして、利益を得る人々があることは事実であります。それらの人々は、MSA協定やこの再軍備二法案を推進し、またこれに賛成されております。しかしそのような利益というものは軍需資本家とか、それに関係のある一部資本家とか、またそれに連なるきわめて少数の人々の、しかも限られた時間内での利益にすぎないのであります。これに反して、大部分の人々は、それによつて何らの利益を受けるものではありません。過去においてもそうでありましたが、軍隊によつて軍備によつて国や国民が守れるということは、今日では特に一つのあわれむべき迷信にすぎないと思います。のみならず、大部分の人々は、それによつて害を受けることになるだけであります。第一、税金が必ず高くなつて参ります。第二に、国民の生活を善美にするための教育や文化的な施設や経済的な施設に国費を使うことができなくなつて参ります。現に、すでに社会保障費が削減せられ、教育費や文化関係の費目が削られておるというありさまであります。治山治水などに思い切つて金を使えなくなります。その結果、国民は貧乏と自然の侵略にさらされて、いよいよその生活がみじめになり不幸になつて参らざるを得ません。  また自衛隊は名称はとにかく、実は軍隊でありますから、この軍隊ができれば、いまだ民主化されていない日本におきましては、かつてのように軍官民というような級階制ができ上つて国民は再び軍閥の奴隷的地位に置かれることにならざるを得ないだろうと思われます。そうし軍人にあらずんば人にあらずということにもなり、人間の値打は馬以下、兵器以下ということになり、人権も民主主義も何もかもが吹き飛んでしまうでありましよう。そうし軍隊ができれば、その軍隊の有する戦車も大砲も、戦争道具としては、もはや今日におきましては役にも足たないのにかかわらず、必ず戦争に巻き込まれるということになつて、原爆、水爆を落されることにもなり、この小さな日本はたちまち亡滅の運命に逢着せざるを得ないことになるでありましよう。この場合、国民の全滅は救いようもなければ、防止のしようもないと原子学者たちは言つております。とにかく、原爆、水爆の時代、放射線戦争時代におきまして、小さな国防軍は、金だけはかかつて、少くともナンセンスな存在であるほかはないのであります。いな、大きな国防軍をつくつてみましても、それは単に無意味なもので済めばよいけれども、遠藤さんが言われているように、百害あつて一利ないものでしかなくなるでありましよう。これは世界の識者が、たとえばイギリスのラッセルが、またアメリカの原子学者のオッペンハイマーなどがつとに警告しておるところであります。また今日ではアメリカの全軍事力を集中しても、いざ戦争ということになれば、その場合には、この水爆禍から日本を守ることはとてもできるものではない。たとえば中国やシベリヤに水爆が落ちても放射能を含んだ灰の洗礼を日本が受けざるを得ない、それによつてだけでも亡滅するということが、すでに日本の科学者の常識になつておるのであります。とにかく今日は陸海空軍その他の戦力が国防の意味と力を失つてしまつておる時代であるということを認識することが必要であります。すべての国々がもはや軍備戦争を放棄すべき時代が来ておるのであります。カントが言つたように、その時代が来ております。そこで日本は幣原さんの卓見に基いてその先がけとなつて憲法に平和規定を掲げて軍備戦争を放棄したのであります。かくのごとき平和憲法をつくつた日本が再軍備をあえてすることほどおろかでこつけいなことはありません。実際自衛軍であるとか、郷土軍であるとかいうものをつくりましても、この水爆の時代には竹やりだけの値打すらもないのであります。ソ連や中国を恐れるのあまり、ちようど火事の際にバケツを一つ持つてあわてているというような状態が、今日の日本の再軍備のありさまではないか、このように言えるであろうと思うのであります。  また再軍備論者の中には、とにかくMSAでも何でももらえればもらつた方が得なんだ、そして日本軍ができてしまえば、アメリカ駐留軍がやがては引揚げるだろうというふうに、甘く考えている人があるようでありますが、むしろ事実はその反対であつて、かえつてアメリカ軍とその基地が強化されるに至ることが必至であると思うのであります。このことはMSA防衛協定九条一項を見れば明らかであります。すなわち九条一項には「この協定のいかなる規定も、日本国アメリカ合衆国との間の安全保障条約又は同条約に基いて締結された取極をなんら改変するものと解してはならない。」と明記されておるのであります。そのほかさまぐの義務が課せられております。かくのごとくでありますから、独立国の独立軍というものをアメリカが絶対に許さないということは、少しでも戦術、戦略ということを考えるならば、実にはつきりとわかるはずであると思うのであります。日本のかつての、リタリストたちはアメリカを甘く考えて、太平洋戦争に大敗して来たのでありますが、今のアメリカを甘く考えておるということを私はむしろふしぎに思うのであります。私はこのことを特に日本の再軍備論者たちに警告いたしたいのであります。再軍備憲法違反であると同時に、日本にとりまして非常な不測であるということは、今申し述べて来たことくであります。  そこでこの再軍備義務づけるMSA防衛協定の承認に反対し、また再軍備のための立法措置であるところの防衛庁設置法案自衛隊法案とに断固として反対することが刻下の急務であると思うのであります。イデオロギーの相違であるとか、政党政派の違いであるとか、人生観、世界観の相違であるとかいうことに拘泥することではなくして、この二つの法案に反対することが国民の崇高なる責務であると考えるのであります。そしてみずからの利害を超越し、勇気を振つて、今日設置されようとしておるところの自衛隊を、軍事的な性質の国家機関から災害保安隊に切りかえるように、努力していたたきたいと思うのであります。私は日本国日本国民の将来の繁栄と人類の幸福のために、このことを特に国会議員の皆様にお願い申し上げたいのであります。  以上であります。
  41. 稻村順三

    稻村委員長 以上をもつて田畑公述人公述は終了いたしました。御質疑がありますればどうぞ。
  42. 辻政信

    ○辻(政)委員 ただいま田畑さんから国民の反対を無視してMSAを承認したとお述べになりましたが、その国民の反対というのは、国民大部の反対というのか一部の反対という意味ですか、それを伺いたいと思います。
  43. 田畑忍

    田畑公述人 私は国民の大部分が反対しておると思うのであります。
  44. 辻政信

    ○辻(政)委員 国民の大部分というのは、どういう形式でもつて判断されたか。少くも衆議院を通過したということは、国民の代表たる国会一議員の多数によつてそれが通過したことではないか。学者ともあろうあなたが、学生じやあるまいし、今のお言葉は少し無責任じやありませんか。
  45. 田畑忍

    田畑公述人 それは見解の相違でありまして、一応辻さんのおつしやつたように、形式的には衆議院でこれが通過すれば、国民の大部分が賛成しておるということが言えるであろうと思うのです。そのことは認めます。しかしそれだけでもつて国民の全体が賛成しているというふうに言いかえることはできないと思う。実質的な考察をすればそのように私は言えないと思う。両方見なければならぬと思うのです。
  46. 辻政信

    ○辻(政)委員 私は断じて国民の全部と言いません。国民の大多数が国会という形式を通じて承認をしたものと認むべきであります。あなたはその形式を無視して、衆議院の多数をもつて通過した法案を、国民の大多数が反対しておると言う。その理論的な根拠を承りたい。
  47. 田畑忍

    田畑公述人 私はそのように確信しておるのであります。形式はともかくとして、形式は一応認めておりながら、しかも国民の大部分はそれを承服していない、このように確信いたします。
  48. 辻政信

    ○辻(政)委員 あなたは議会政治を否認されますか。
  49. 田畑忍

    田畑公述人 議会政治は否認いたしません。
  50. 辻政信

    ○辻(政)委員 国民の意思は議会を通じて述べられるのであります。しかもその議会において多数をもつて通過したものは、国民の大多数の意見と見なければならぬじやありませんか。
  51. 田畑忍

    田畑公述人 それは一応そう見なければならぬのでありますが、それだけに限定して考えるということは、あまりに形式的であり、それはあまりに実質を見ない考え方だと思います。そのように考えることは議会政治を否定するということにはならないのであります。
  52. 辻政信

    ○辻(政)委員 それでは次の問題、守ることは生きる手段であると私は考えるのであります。動物も植物も自己の生命を守るという努力によつて生きておる。しかるに自衛を否定されるあなたは、人間だけ、日本人だけにその真理を無視されるのかどうか。
  53. 田畑忍

    田畑公述人 私は自衛を否定しておるのではありませんが、ただ軍隊による自衛を、日本憲法が否定しておるがりえに、憲法に従つて否定しておるのぐす。あなたは憲法を否定されるのですか、そうじやないでしよう。現在の悪法のもとに立つて言うておるのですよ。
  54. 辻政信

    ○辻(政)委員 現在の憲法はあなたは先ほど幣原さんの卓見によつて戦争を放棄したというふうにお話になつておりますが、あなたも御承知の通り、占領政策の方針として相当な圧力をかけられてつくられた憲法と私は見ておるのであります。これは何人も否定しない。そうすれば、その強制された非民主的方法によつてつくられた国家の基本法、形式的には基本法でありますが、本質的にはそうじやない。それをわれわれの手であなたは改悪とおつしやいますが、改善したらどうかと思うのであります。
  55. 田畑忍

    田畑公述人 占領軍の圧力と申されましたが、この平和規定につきましては、これはマツカーサー元帥の考え方から出ておるものじやありません。幣原さんの考えから出られたものであつ、幣原さんの意見マッカーサー元帥が従つた。その意味で私は幣原さんは実に偉かつたと思うのであります。それが一つ。それから占領中にできた憲法であるから日本のつくつた憲法でないと言われることは、私は承服できません。占領中といえども日本には議会がありました。その議会においてもしも反対するならばこの憲法というものは成立しなかつたはずです。議会の大多数が賛成したのです。あなたはそれを承認なさらないのですか。議会がこれをつくつた考えてよい。さらにこれは天皇の勅命でもつてこの改正案が議会にかけられた。この事実をあなたは否定されますか。これは天皇の欽定憲法としてできた憲法です。これを否定されるということは断じて承服できない。
  56. 辻政信

    ○辻(政)委員 今の言葉を聞いて非常に安心しました。あの憲法は国会の多数によつて通つたのである。私個人は憲法を改めてこれをやろうとするのです。しかしあなたは憲法に関する限りは議会が多数で通したからいいといつて、今度はMSAに関しては、議会が多数で通しても、それは形式であるとおつしやる。それは自己矛盾である。
  57. 田畑忍

    田畑公述人 そうじやないのです。それは憲法に従つて議会がその決定をしなければならない。議会はいかに多数で決定することができることになつておりましても、憲法に反して多数でもつて決定することは許されていない。このことが一番大事な点です。あなたはこのことを理解されておらない。これば民主主義であるかそうでないかのわかれ道です。いかに国民が主権者といえども、いかに国会が最高機関といえども憲法に従わなければならない、憲法に従つてきめなければならない。憲法に反してMSA協定に賛成するということは、憲法違反なんです。多数の力をもつてする暴力以外の何ものでもない。こう言う以外にないのです。
  58. 辻政信

    ○辻(政)委員 今日の憲法は、あれは平和を愛好する諸国の公正と信義に信頼をしてやつたのです。李承晩ラインとか東支那海の問題、あなたはあれをごらんになつたらすぐわかります。守る力のないものは生きる権利がないということがよくわかります。それをごらんにならないで、教壇の上からただ理論的におつしやるということは実情を無視されたものであります。
  59. 田畑忍

    田畑公述人 李承晩ラインのことも承知しておりますが、あの問題は軍備の力によつて解決するよりも、憲法に従つて軍備の力によらないで解決すべきものであります。憲法はそれを命じておる。それができないことはありません。政治の力、外交の力によつてできることなんです。それをしようとしないで軍備の力にまつということは間違いだと思う。私は日本が自衛されなければならぬと思います。ある人たちは日本は自衛する価値がないから今軍備が必要でないと言つておりますが、私はその説には反対なんです。日本は自衛されなければならない。りつばな国なんです。ただ自衛の方法なんです。この自衛の方法は、今日の時代軍隊によつてはできないのです。水爆が一発、二発、三発、四発ぐらい落ちて、日本軍備がありましても守れますか。あなたは守れると思うのですか。ビキニの灰の問題でも、これだけのセンセーシヨンを起しておる。中国に一発この水爆が落ちただけでも、それによつてこの灰が日本に降つて来る。それによつてどれだけの危害を日本は受けるかわからない。いわんや直接日本に水爆が四、五発落ちればおしまいです。これで日本自衛軍で守れるとあなたはほんとうに思つているのですか。真剣に日本のことを憂えていただきたい。日本を憂えていただきたい。
  60. 辻政信

    ○辻(政)委員 あなた以上に真剣に考えているのです。
  61. 田畑忍

    田畑公述人 あなた以上というのはどういうことですか。――あなた以上ということはどういうことですか。
  62. 辻政信

    ○辻(政)委員 私の言うことを聞いてからにしてください。
  63. 田畑忍

    田畑公述人 いや、私はあなた以上ということには承服できない。
  64. 辻政信

    ○辻(政)委員 まあ、私の言うことを聞いてからおつしやつてください。あなたも民主主義を信奉する人でしたら……。
  65. 田畑忍

    田畑公述人 いや、あなた以上ということは賛成できません。
  66. 稻村順三

    稻村委員長 私語をやめてください。
  67. 辻政信

    ○辻(政)委員 討論ではありません。     〔「人を呼んで失礼だ」と呼ぶ者あり〕
  68. 田畑忍

    田畑公述人 あなた以上ということは失礼ですよ。
  69. 辻政信

    ○辻(政)委員 だから、私の言うことを聞いてからおつしやつてください。
  70. 田畑忍

    田畑公述人 いや、聞かなくてもそれは取消してください。(「小さいことだ」と呼ぶ者あり)あなた以上ということは小さいことじやないのです。断じて小さいことでない。あなた以上ということは何事ですか。
  71. 辻政信

    ○辻(政)委員 人の言うことを聞いてからにしてください。
  72. 田畑忍

    田畑公述人 いや、その前に取消してください。
  73. 辻政信

    ○辻(政)委員 私は国家を守るために……。
  74. 田畑忍

    田畑公述人 私も国家を守るためにやつております。
  75. 稻村順三

    稻村委員長 お互いに私語は禁じます。
  76. 辻政信

    ○辻(政)委員 現状認識においては、私はあなた以上だというのです。
  77. 稻村順三

    稻村委員長 辻君、私語を禁じます。
  78. 田畑忍

    田畑公述人 あなた以上と言われるなら私は答えられない。
  79. 辻政信

    ○辻(政)委員 現状認識においては……。
  80. 稻村順三

    稻村委員長 私語を禁じます。
  81. 田畑忍

    田畑公述人 断じて承服できない。
  82. 稻村順三

    稻村委員長 両方とも委員長を通じて発言してください。
  83. 田畑忍

    田畑公述人 委員長に申し上げます。一人ばかりに発言させないで、ほかの方も質問したいと思つていらつしやるのですから、そう願います。
  84. 稻村順三

    稻村委員長 大久保君。
  85. 大久保武雄

    ○大久保委員 ちよつとお尋ねいたしますが、ただいま原子爆弾ができたから何にもいらないのだ、こういう御発言がございましたが、それはどういう意味でございますか。
  86. 田畑忍

    田畑公述人 私は原爆ができておるから何にもいらぬ、そういうことを言つたのじやありません。そういう表現を用いなかつたと思います。そう言つたでしようか。ただ、日本の場合憲法戦争を放棄し、軍備を放棄しているのです。日本の場合でございますよ。日本の場合は憲法に従えば軍備はできない。現在の憲法によればですね。その状態において日本が少々の軍備憲法を侵してつくるということは意味がないということなんです。従つてほかの国だつてこのことは言えるのです。ほかの国が少々軍備を持ちましても原爆の前にはそんなものは意味がない。ただスエーデンにいたしましても、スイスにいたしましても軍備がございますが、その軍備はスエーデンやスイスの国防の役には立たない。これはきわめて明瞭であります。しかしなぜあるかというと、まだあるものだからやむなくそれを続けているというふうに考えてよいと思います。やむなくです。あるものはなかなか捨て切れるものではない。そのためにあるのです。これは盲腸のごとき存在なんです。切つてしまえば必要でないのだ。すなわち日本が盲腸のごとき存在の軍隊をやめてしまう。そこで日本が水爆に備えるために再軍備するというのは無意味だということを申し上げているのです。
  87. 大久保武雄

    ○大久保委員 般的なことはまたあとで御質問します。水爆にしましても、原子爆弾にしましても、この原子爆弾自体が日本に羽がはえ、あるいは尾ひれを持つて参りますかどうか、御質問いたします。
  88. 田畑忍

    田畑公述人 ただいまの御質問よくわからなかつたのでございますが、どういう意味ですか、もう一度お願いします。
  89. 大久保武雄

    ○大久保委員 原子爆弾が、たとえばビキニに運ばれるにいたしましてもあるいは船で運ばれる、あるいは広島に洛ちた原子爆弾は飛行機で運ばれた、先生は原子爆弾がいきなり空の上から降つて来るようにおつしやいましたか、その点はさようでございますか。
  90. 田畑忍

    田畑公述人 それはたとえばロケツト砲でやればどうなりますか。シベリヤから撃つことができますよ。海を渡りなくても、飛行機で持つて来なくてもロケット砲でこれを撃ち込むことができますよ。その点はいかがでございますか。
  91. 稻村順三

    稻村委員長 大久保君にちよつと御注意申し上げますが、これは専門的な技術上の論争ではなくて、少くとも悪法を中心とした論争のようですから……。
  92. 大久保武雄

    ○大久保委員 もちろん憲法論に入りますけれども、やはり問題の核心ですから……。
  93. 稻村順三

    稻村委員長 問題の核心であつても、武器の問題などを論争するなら、ほかの専門家との間で論争すべきだと思いますから……。
  94. 大久保武雄

    ○大久保委員 今田畑先生の原子爆弾が降つて来るから何もいらないのだというお話に対して質問をしておるのです。原子爆弾を引例されましたから、原子爆弾なるものがみずから羽がはえて、尾ひれがついて日本に来るので懸るか、それは何らか運ぶものがあるのではないか。そうすればかりに原子爆弾戦においても、運んで来る飛行機に対してあるいはそれを防衛する、あるいは尾ひれがついて来るその運んで平る船に対して防衛する、こういうことが成り立たぬものでもない。それで原子爆弾が空の上から降つて来るから何をやつてもだめなんだ、これは無為にしておいた方がいい、これは私は成り立たぬということを申し上げたい。この点はいかがでございますか。
  95. 田畑忍

    田畑公述人 これは今お答えしましたように、飛行機で運ばなくても、あるいは船で運ばなくても、ロケッ十砲というような方法で撃ち込むことができると聞いております。専門のことですから、私は存じませんけれども、これはできるということです。  それから船で運んで来るにしましても、あるいは空から運んで来るにしましても、日本が少々そういうものを持つて防ぎ切れるものかといえば、防ぎ切れるものではございません。それはアメリカのオツペンハイマーという原子科学者がアメリカ議会で証言しておるのです。あなたの言うことよりもオッペンハイマーの言うことは、専門家ですから、その点は確かじやないかと思うのです。(「それは失礼だ」と呼ぶ者あり)その専門的な点については限定しております。私もこれは専門家でないから専門家意見に従うのです。オッペンハイマーの権威を認めるというのです。あなたも、私も、専門的な点についてはオツ。ヘンハイマー以上であるということは言えぬはずです。そうでしよう。オッペンハイマーは、原爆を防ぐ方法は、戦争をしないこと以外にないということを言つております。私はオッペンハイマーの権威を信じたいのです。
  96. 大久保武雄

    ○大久保委員 私が専門家であるかどうかということは、田畑先生によつて断定を下されぬでも、また断定を下す人もありましようから、先ほど辻委員を責められましたように、かつてな断定をあなたの方でされないようにお願いします。  続いてお尋ねいたしますが、最初外交問題で李承晩ラインでも何でも片づけられるのではないかという御答弁がありましたが、これは私実証的に申し上げますが、ただいままでに日本の漁船で拿捕されましたものは、ソ連、中共、すなわち共産圏から拿捕されました船が絶対に多いのです。しかもそれが返還されない船が絶対にまた多い。例を申し上げますと、中共に拿捕されました船は百三十九隻、ソ連に拿捕されました船は二百四十一隻、合計いたしまして三百八十隻、中共に抑留されております人員は一千六百九十一人、それからソ連に抑留されました人員は二千九十三人、合計三千七百八十四人、このうち未帰還の船及び人数は、中共が百二十三隻、ソ連は四十八隻、人員は、中共が三百六十五人、ソ連が五十人、合計四百十五人であります。これに比較いたしまして韓国並びに国民政府側は言うに足りない数であります。この大部分は中共、ソ連に拿捕され、抑留されておる。しかもこれらの船は、これは私断定してもよろしゆうございますが、調査のでぎる範囲内において調査した結果によりますと、ソ連の領海外において日本船及び日本人を拿捕し(行つて、しかも大多数の日本人及び船を長年にわたつて返さない。しかも日本はあくまでこれを返してくれということを外交交渉によつてつている、なぜ返さないか、日本人があるいはシベリアに移されたりあるいは、千島の監獄で呻吟している、なぜこれが解放されない、その点について御答弁願いたい。
  97. 田畑忍

    田畑公述人 その点については私はこう思います。もし日本政治力、外交力が強ければこれは解決ができます。その点日本政治力、外交力において欠けるところがあるからだと私は確信します。それは武器の力によつて解決できるものではありません。外交力、政治力です。西郷隆盛が言つたように国の道義的な勇気があれば解決ができる問題なのです。武器の力ではありません。日本国憲法は武器の力によらずしてそれを解決すべきであることを命じておるのです。それに従つてやればできることなのです。やれないというのは、政治家皆さんに力を入れてもらいたい、力の入れ方が足らぬと私は思うのです。それからさらにこれは国際法的に解決の手段があります。その手段によつて解決すればよろしいと考えております。武器によつて解決するということはできるものではありません。
  98. 大久保武雄

    ○大久保委員 私は質問を打切りますけれども、ただいまの先生の御答弁は非常に抽象的だと思うのです。たとえば出羽ヶ嶽と男女ノ川が相撲をとつて、男女ノ川が負けた、それはお前が力が足らぬから負けたんだ、しつかりやれ、そういう論説は何ら科学的な御答弁ではないと私は思うのです。頼むからしつかりやれ、力が足らぬからしつかりやれ、こういうことはわかつている話であつて、私はこれをもつて打切りますが、答弁がはなはだ抽象的で、非科学的だつたことをはなはだ遺憾とするものであります。
  99. 田畑忍

    田畑公述人 今ヂ御質問ですけれども、これは出羽ケ嶽と何とかの相撲の場合と違います。相撲の力関係とは違うのであつて、外交関係政治関係は知恵の問題なので、その知恵の力を出せばできることなんです。これは決して出羽ヶ嶽との相撲の場合にかえていうことはできない。できないことを私は言うのではないのです。できることなのです。たとえば私は出羽ケ嶽のように力の強い相撲取りになることはできない、だからお前そのような相撲取りになれといつたつてできることではないのです。ところが勇気を奮つて知恵に従つて、道義に従つた外交をやれということはできぬことを言うのではない、できることを言つておるのです。できないことでは断じてないのです。
  100. 大久保武雄

    ○大久保委員 質問を打切るつもりですけれども、もう一ぺん、りくつがないから外交が成功しないのだ、こういう御答弁でありますが体日本の漁船が北海道の釧路の南において平和なさば漁業をやつておるのを、砲艦その他がやつて来て平和な漁民を拉致して行く、これはりくつにないものです。私はこれを返してくれということは当然の要求である。正当の叫びである。その正当の叫びがソ連なり中共からいれられていないのではないですか、なぜこれを返さぬ、外交がなぜそのりくつを通さない、そのりくつを通さぬのはソ連、中共ではないか、私は先生の御答弁がきわめて抽象的であつて、何ら現実に即さないことを遺憾とするものであります。
  101. 田畑忍

    田畑公述人 お答えいたしますが、それはこちらは通るりくつを持つておる、そのりくつが通るように外交の力を発揮しなければならない、政治の力を発揮しなければならない、それにはまず」ういうことを考えていただきたいと思います。中共とソ連に対してまだ講和ができておりません。この講和をすることが第一の要件です。第一の要諦です。それからさらにそのほかに打つ手は幾らでもあるのです。その手がことごとく打たれているか、私は遺憾ながら打たれていないと思うのです。打たれているということを立証していただきたいと思うのです。
  102. 大久保武雄

    ○大久保委員 私は打切ろうと思いましたけれどももう一ぺん。講和ができていないのだ、こういうことをおつしやる、日本は無条件降伏をした、力尽き矢折れて無条件降伏で手をあげておる。無条件ですよ、その無条件降伏した国の平和な人間の漁民を拿捕し拉致して行く、こういうことは国際法上成り立ちますか。
  103. 田畑忍

    田畑公述人 それは成り立たぬことですからどんどん追究すればいいのです。その追究の方法が当を得ていない、また追究が足りない、こう考えるのです。
  104. 大久保武雄

    ○大久保委員 私ははなはだ先生の御答弁が日本国民としても残念だと思うのです。しつかりやれ、お前勝たぬのは力が足らぬのだ、ただそれだけならばものことはきわめて簡単であつて、私は学者の御議論としてはもう少し科学的な、どうしたらいいかという具体的な御証言を承れるものだと期待いたしたのでありますけれども、はなはだこの点は遺憾であります。これで打切ります。またおつしやいましたならば申し上げます。
  105. 田畑忍

    田畑公述人 これはあまり繰返してもしようがないと思うのです。ですからいいかげんで私やめたいと思いますけれども、これはやはり外交の力が足らぬと私はあくまでも思います。これは力ができれば、外交の力ができぬはずはないのです、できれば必ず解決がつく問題です。
  106. 大久保武雄

    ○大久保委員 しつかりやれという……。
  107. 田畑忍

    田畑公述人 いやそれは違うのです。力のないものに力を出せというのじやないのです。力を出し得るものに力を出せと言つているのです。それを出さないでいる状態が今日の状態です。かつまた軍備があつたからといつて解決ができるかといえば解決できない、かりに自衛隊ができまして、軍備ができて解決ができるかといえばますます私はできなくなるだろうと思います。これで打切ります。
  108. 稻村順三

    稻村委員長 中村君。
  109. 中村高一

    ○中村(高)委員 同じような議論ばかり重ねられておりますが、今田畑氏はこういうふうに述べられておつたようであります。警察予備隊の当時はまだこれは軍隊の形になつておらないからして憲法違反でない、確実に憲法違反とはいえない、さらに保安隊になりましても、これも国内の治安というようなものを目的にされておつたというごの保安隊の任務から説かれまして、これも確実に憲法違反という段階ではないが、今度の保安庁法並びに自衛隊の法案によりまするならば、陸海空軍の三軍を持ち、しかも必要がありまするならば全部または一部の出動を命ずるのだというような点からいたしまして、憲法に明らかに抵触するという、こういう段階的な御説明であつたのでありまするが、先ほど出られました元海軍大将の野村吉三郎氏は、警察予備隊からもうアーミーだとおれは見る、あのときからもうアーミーなのだと断言をしてお帰りになりました。おそらくこれは軍事専門家でありまする野村さんは警察予備隊あるいは保安隊あるいは自衛隊というステップは通つたけれども、その本質は警察予備隊のときから軍隊の様相が芽ばえておつて、それが順次自衛隊にかわつたのであるから、もう警察予備隊のときにすでに軍隊だとあの人は断定をせられておるのであります。ただいまの田畑さんのはやや形式的に見られて憲法違反でないというふうに言われておるようでありまするが、警察予備隊においてはすでに警察官の保持する武器というものは大体きまつておるのであります。ピストルもしくはおそらく警棒とかいうように常識的に判断いたしましても警察官の武器というものは限度があります。しかるに日本の警察予備隊はその程度でなくして砲車を持ちあるいは鉄砲を所有いたしておるのでありまして、そういう点からは私たちは野村さんの指摘いたしました警察予備隊からすでにアーミーなりといわれた方が的確のように思われるのでありまするが、この点についてもう一度田畑さんの御意見を拝聴いたしたいと思います。
  110. 田畑忍

    田畑公述人 野村さんの考えは私は間違つていると思います。それはさつき申しましたように、警察予備隊というものは法的には断じて軍隊じやなかつた。これは予備隊令を見ますとその中にはつきり特別の治安機関であるということが書かれているのです。特別の治安機関と軍隊とはどこが違うかといえば、軍隊戦争目的を持つておる実力団体、ところが治安機関というものは戦争目的を持つていないのです。本来そこに両者の根本的な違いがあると私は考えているのです。だから警察予備隊はその意味におきましては、断じて軍隊であつたと言うことはできないと思う。しかしながら、そのうちに軍隊的要素を持つてつたことは否定できないことは、前の陳述のときに私申した通りであります。それはどういう点かと申しますと、つまり政府はこれをやがて軍隊にしようと考えておつたと推測されます。さらにまた政府は一旦何かがあればこれを軍隊の代用品として用いようと考えておつた、そのことはしばしば政府が国会等で説明しております。その二重の意味におきまして、政策的に警察予備隊軍隊であり、その意味においては憲法違反の性格を持つてつた、だから、それは法的には軍隊でなかつたけれども、政策的な二面においては軍隊たらしめられようとしておつたものである、こう言うことができると思います。軍隊でないと言い切つてしまうこともできなければ、軍隊であると言い切つてしまうこともできない、このように私は警察予備隊というものを見ておるわけです。そして、その警察予備隊について定めておるところの予備隊令は、この政策的の面をはつきり出しておりませんから、従つて警察予備隊令が憲法違反の法令であると言うことは断じてできない、かように私は考えておるわけです。
  111. 稻村順三

    稻村委員長 平井君。
  112. 平井義一

    ○平井委員 田畑さんに二、三点お伺い申し上げます。か、あらゆる独立国はみな自衛軍なりあるいは他の形で自衛力を有しております。日本も御承知のごとく独立したのでありますが、日本においては自衛力すなわち自衛隊を持つてはならぬか、また持たぬ方がいいか悪いか、田畑さんの御所見をお伺いいたしたい。
  113. 田畑忍

    田畑公述人 それは法的には憲法がどういう自衛戦力にせよ持つてまいけないと書いておりまして、憲法に従わなければならぬと思います。それから第二に政策的にいいまして、そういつた自衛軍を持つて、それが日本の防衛の役に立つかといえば、役には立たないと考えられる。今日そういうような小さな軍備で国が守れる時代じやないということは、政府みずからが言つております。一国の軍隊でもつて守れない。だからそれは戦力でない、こう言つているくらいなんです。そういつた無意味な――自分の国を守ることができぬような軍備を持つことが意味があるかというと、意味がないと考えなければならぬ。だから法的にも政策的にも軍備を持つことは意味がない。意味がないのみならず、遠藤さんがしばしば言われるように百害あつて一利がない、こう考えるのです。
  114. 平井義一

    ○平井委員 憲法は第二の問題で、私はただ自衛力を持たぬ方がいいか悪いか、それだけを聞いたのでありまして、学者は自分の説をなかなか曲げませんから、今日の自衛隊あるいは防衛庁設置法が憲法違反であるかないかという問題には触れますまい。  そこで今日の新憲法は――午前中に野村先生が見えて、野村さんは当時憲法起草委員つたそうでありますが、野村さんの話では、マッカーサーからどうしてもこの憲法を制定せよと言われたので承認はしたが、そのときに、日本が独立したならば憲法九条は必ず問題になるぞ、こういうことを野村さんはしばしば、言うたそうであります。独立したときはしたときの話じやないかということで結局は承認をした。あなたが先ほど言つた通り、国会は大多数をもつて賛成しております。そこで国会が今度は大多数をもつて憲法改正をした場合においては、今日の自衛隊あるいは防衛庁というものをお認めになる考えがあるかどうか、あなたのお気持を伺いたい。
  115. 田畑忍

    田畑公述人 二点あつたかと思います。第一、およそ学者は説をかえぬもりだとおつしやいましたが、かえない学者もあれば、かえる学者もあります。政治家も同じことです。この憲法に賛成しておつてあとで説をかえておる政治家がたくさんある、学者もおります、これは人によつて違うのですから、学者は説をかえないものだという一説には、私は従うことはできません。  第二の点は、あなたの御質問の要点がよくわからなかつたのでございますが、憲法の改正ができるかどうかという問題でございましようか。
  116. 平井義一

    ○平井委員 新憲法は国会が認めた、今度は改正を国会が多数をもつて認むれば、それに従うのは当然であろうと思いますが、もしそうなれば、あなたは今日の自衛隊を認められるかどうかということです。
  117. 田畑忍

    田畑公述人 よくわかりました。それはさきにもほかの方の御質問のときに申し上げましたけれども、私はこういう考えを持つておるのです。申法でも法でも、ことに憲法につきましては、これを進んだ方向にかえることは――進んだ方向と申しますのは歴史的に進んだ方向、つまり国民全体の幸福になるようにかえることは、改正であつてできるわけです。憲法九十六条が認めておる改正は、そういう意味の改正です。そういう意味の改正ならば、これは国会で多数でもつておきめになることはよろしいわけです。しかし、国会の多数をもつてしても憲法は改悪することは許されない。憲法九十六条の要請している改正というのは、そういう意味の改正です。なぜそういうふうに考えなければならぬかと申しますと、改悪されるということになりますと、憲法自身が悪くなる、殺されることになる。殺されるということは憲法自体の本能として認めないはずです。そして、それは必ず国民国家のために不幸になります。そのように悪くかえるということは憲法は認めているはずがない。憲法の認めている改正は、必ず改正であつて改悪ではない。だから、いかに多数をもつてしても今の憲法を悪いものにかえることはできない。これは私の学説です。
  118. 平井義一

    ○平井委員 もう一つお尋ねします。悪いと思つてかえる人はおそらくありますまい、よいと思うから国会が多数でもつてこれを通すのである、これは見解の相違で、よろしゆうございますが、これはりつぱな憲法だ、アメリカがつくつたけれども非常によいということなら別です。アメリカが当時日本を骨抜きにして、安全保障条約によつて当分の間守つてやろうということであの憲法を押しつけたと私は思うのです。そこで、アメリカのつくつた憲法が非常に上等というならば、アメリカが今日日本国内においてとつておる行動全部をあなたは認めなさるかどうか。アメリカがなつておらぬというならば、アメリカのつくつたボロ憲法日本人の手によつてかえるべきであると思うし、それが国会で通過すれば、あなたもひとつ義を曲げてわれわれに賛同してもらいたいと思いますが、御意見いかがでしよう。
  119. 田畑忍

    田畑公述人 今ボロ憲法とおつしやいましたが、どういうことですか。
  120. 平井義一

    ○平井委員 非常に都合の悪い点がある、私はそう思う。
  121. 田畑忍

    田畑公述人 ボロということはできないと思います。ボロじやありません。(平井委員「それは私の見解です。見解の相違なんだから……」と呼ぶ)ボロということについては私は非常に異論がある。これは見解の相違だからでは済まぬと思います。憲法をそう軽く見られては困ると思う。みずからの憲法を尊重しなければ、外国日本を侮ることになります。この意識は持たなければならないと思います。  それで、この憲法アメリカから押しつけたと言われるのですけれども、私はこう思つておるのです。なるほどかなりアメリカでこの日本国憲法の草案を用意したことは事実です。けれども、押しつけてしまつたかといえばそうじやない。これは勅命でもつて帝国議会にかけられ、そこで慎重審議されて日本側でこれをきめた。もし日本側でこれは反対だといつてつてしまえば、アメリカは押しつけなかつただらろうと思います。それくらいの度量はあります。私はアメリカをそう見ている。悪いところもあるけれども、全部悪いとに思えない、そ、れは悪いところがあります。たとえば、こういう憲法に対して、現在あれは、ステークであつたとか言うようなことはめちやです、憤慨に値する、それは責めなければならぬ、相手がニクソンさんであろうがだれであろうが、断固としてその非を鳴らさければならぬ。悪いことはどこまでも責めなければならぬが、この憲法内容は、考えてみると悪い内容じやありません。一部の人には不利益かもしれませんが、日本国民全体にとつてはよい憲法です。これを悪いということは断じてできない。この憲法をかえよ、悪くせよということは、アメリカが言いましても、日本の人が言いましても間違いだと私は思います。
  122. 平井義一

    ○平井委員 私は議論はしません。ただわれわれの言うことは国民の一部だと言うて、あなたの言われることは国民全体だと言う、これはどうも私は納得が行かぬのです。今の憲法国民全体の中には喜ぶ人もあるかもしれないが、喜んでない人がおるかもしれない。これは私は全体じやないと思います。そこでやはり民主主義の原則として多数に従わなければならぬと思うが、その場合には田畑先生は多数の方に従つてくださるかということです。
  123. 田畑忍

    田畑公述人 多数は間違つたことをやりますから、間違つたことは多数でやつてもそれでよいということはできません。形式的にはそれは認めるのです。しかしそれがいいとはいえない。ただ悪いことを多数がきめたという事実が残るだけなんです。これは日本を誤り日本国民を誤ることになる。だから多数覚はよほど慎重に考えていただかなければならぬということになるわけです。多数党の責任きわめて重大ですよ。
  124. 平井義一

    ○平井委員 責任はみな感じております。多数党、少数党にかかわらず、国を思う気持に私はかわりはないと思う。ただ思い方はいろいろ違いましよう。その思い方は、お前の考えは間違つていると言つても、本人に言わせれば、おれは正しいと言うかもしれません。そこで議会が多数できめたことにでも従わぬということになれば、これは議会なんかいらぬことになる。あなたは、自分の言うことは国民全体ということを言つて、私が言えばそれが違うと言うから困るので、国民の六割なり七割が賛成なら、これは国民の気持といわざるを得ないのじやないか、そのときはいかがでしよう。
  125. 田畑忍

    田畑公述人 そういう場合でありましても、その多数が間違つたことをやるということはいえます。多数は必ず間違わないということはいえないのです。多数は必ず間違いがないということは、非常なめちやなことです。多数でも間違うことがある。この憲法を改悪すれば、多数が非常な間違いをやつたということになるわけです。多数は聞違わないということは、政治学的に断じていえません。間違うことがある。歴史に徴しましても幾らもある。その結果はいつも悪いことになつている。多数が賢明になつて、虚心坦懐に、自分を去つて、いい方にきめて行つてもらわなければならぬのです。だから多数党の責任は重大だと申し上げた。だから多数の威力をかりて、めちやをやつてもらつては困るというのです。
  126. 平井義一

    ○平井委員 あなたの言うことはよくわかる。議会政治というものは、英国がつくつたかどこがつくつたか知らぬが、多数決必ずしも正ならずということはわかつている。私たちも同じ気持です。しかし少数でもつて多数の意見を押し切つていいかどうか、これも考えなければなりません。私どもは多数党であります。けれども、十分その点は注意して、多数党は自重しなければいかぬということを私は毎日言うている。しかし少数が正しいか多数が正しいかということは、判断の下し方でなかなかむずかしい。あなたのおつしやる通りでいいのです。いいけれども、やはり民主主義というものは数できめて行くというのが実際でありますまいか。国民全般の過半数以上がこの憲法はりつぱなものだといえば、やはりりつぱとなるが、これはちよつと欠陥があるのじやないかといえば、多い方に従わなければならぬ。やはり多数できめるということはどうでしようか。
  127. 田畑忍

    田畑公述人 多数できめるごとになつているのです。だから多数は少数の意見を尊重して、(「尊重している」と呼ぶ者あり)いやこのごろはどうも尊重していない。イギリスの議会政治――これは発祥地はイギリスです。そのイギリスにおいては、多数党は決してめちやはやりません。アメリカでもそうです。日本も、めちやをやつてはいかぬのです。このころそういういかぬ点が見えますよ。ソての悪い点を直していただきたい。あなたが率先して直していただきたい。(「少数党にも言つてください」と呼ぶ者あり)少数党はもつと元気になつて、多数党に少数党の正しいところを浸透できるように奮闘努力していたたぎたい。
  128. 稻村順三

    稻村委員長 田中君。
  129. 田中稔男

    ○田中(稔)委員 私は田畑教授の烈々たる学者的気慨に大いに敬意を表するものであります。MSA協、定が、田畑教授の御見解によりますと、国民大多数の反対にもかかわらず国会を通過しておる。それから防衛関係法二法案につきましても、私は田畑教授と同じく、国民大多数が反対しておると思う。しかしながらこれも、私は不幸にして国会は通るかもしれないと思う。これは国会の多数が国民の多数をそのまま反映していないという結果だと思う。この点につきまして教授にお伺いしたいのでありますが、実際国会議員の選挙などにおきましても買収が行われる。金の力ということは、結局これは資本家の力であり、特に今日においては軍需資本家のカでありますが、そういう金の力、さらに軍需資本家の力というようなものが選挙において大きな作用をする。そういうことの結果として、国民大多数の意向が必ずしも国会に、そのまま議席の数となつて現われないという現実がある。これは実際悲しむべき現実でありますが、教授もおそらく御同感だろうと思います。この点についての御見解を確かめたいのと、それからそういう議会政治の理想と現実の食い違い、これを今日において是正するためには体どういうふうな方法、手段をとるべきであるか。選挙法の改正というようなことも一つの技術的な手段だと思いますが、いろんな方法があろうと思います。そういうことにつきまして、ひとつ教授の御見解を伺えれば幸甚だと思います。
  130. 田畑忍

    田畑公述人 今の御質問、二点あつたかと思うのですが、最初の一点は、多数党が必ずしも国民の多数を反映していないということ、そういう御見解だつたかと思います。それはおつしやる通りだと思います。ですから議会において現在多数を占めておられる党が、必ずしも真の意味においての多数であるということは、これは政治学的にはいえぬと思います。事実上の問題としては言えぬ。ただ形式的には、国民の多数を代表しているということがいえるにとどまると思います。それから第二の点につきましては、今の政界の腐敗とか選挙の腐敗をどうしたらよくできるかという問題でございますが、おつしやつた通り選挙法の改正ということも必要であります。ところがこれもなかなかむずかしい問題でありまして、選挙法の改正にいたしましても、あるいはその他の点について改めるべき点が多々あります。改めるための根本の要諦は何かということは、何人も憲法を尊重するという気持を強く持つことであろうと思う。ところが今日においては、国民の多数においてもあるいは政界においても、憲法をほんとうに尊重するという気魂が少いのじやないかと思います。これがあれば日本憲法を守れる、そして日本憲法の定めておるいい制度をどこまでも守つて行くということができると思うのです。その点欠けておるのじやないかと思います。たとえばアメリカにおきましても、悪い点はいろいろありますが、憲法を尊重するという気持は非常に強いようです。従つてまた日本憲法も尊重するという気持があつたために、平和条約の場合でも安保条約の場合でも日本国憲法を実は尊重しておるのです。日本国の主権を尊重するという規定が平和条約の第一条に掲げられておりますが、それはその現われと言つてもいいと思います。安保条約を見ましても、日本国憲法を非常に尊重しております。ところがMSA協定になりまして、日本憲法アメリカがあまり尊重しなくなつて来た。なぜかといえば、その原因は、日本側が日本国憲法を尊重していないというこの事実です。この事実によりまして、アメリカ日本憲法を尊重しないという風ができて来たのだと思います。先ほど来もそのことに触れましたけれども、そこで外国に対しましても、日本の政界を革新する意味から申しましても、日本国憲法を尊重するという、そういう憲法尊重の気風を巻き起さなければならぬと考えるのです。それがもとであると思います。
  131. 田中稔男

    ○田中(稔)委員 現行憲法アメリカ占領軍の指示によつてできたものであるというような説をなす者があります。田畑教授は必ずしもそうでないとおつしやる。私もこの憲法が必ずしもアメリカの口授のもとにできたものと思わない。しかしかりに占領軍のつくつた作文であつたといたしましても、その当時のマッカーサー司令部はまた進歩的な性格を持つてつた。当時マツカーサー元帥に従つて日本に参りました多くのニューディーラーの諸君は、日本においても一大革新をやりたいという非常な理想と情熱に燃えてやつて来ておつた連中であります。そのアドヴアイスのもとにつくられたといたしますならば、私はそれはけつこうなことだと思うし、その憲法をわれわれは今日外国の支援のもとにできたからといつて、非難する必要はない。今日政府はこういう憲法があるのに憲法ル軽視する、あるいは憲法を無視するという態度に出て、再軍備の既成事実をどんどん積量ねていることは、教授と私は見解を同じくするものでありますが、こういうことになりますと、遵法の精神というものがまつたく地を払つてしまうのであります。惑法といえどもまた法なりという言葉がある。法治国家におきましては、法律をみなが守るという、特にまた基本的な法律でありますところの憲法を守るという遵法の精神がなければ、法治国家、民主政治というものは成り立たない。ところがそういうことに対して無関心である。あるいはむしろきわめて破壊的な態度をとつているのが現在の政府であります。現在の憲法は、さつき申しましたように悪法じやない。悪法であつても、法であれば守らなければならぬという以上、いわんやこれが良法である以上、これを守ることは、今日国民のひとしく義務としなければならぬところであると私は思いますが、今申しましたように、政府が盛んにこれを破壊しておる。破壊活動防止法という法律を政府はつくりましたけれども、実は政府が先頭に立つて破壊活動をやつておる、そういうふうなことが、古い言葉で申しますと、世道人心に及ぼす悪影響というものは、非常に深刻なものだと思うのであります。教授は大学の学長の地位におありになるのでありますが、吉田内閣がこういうふうに憲法を無視する、法律を無視する、まつたく遵法精神に逆行するようなことをどんどんやつておりますが、それが日本教育の上に私は非常な悪影響を及ぼしておるのではないかと思いますが、教授はそういう点についておそらく心ひそかに心配されておると思いますか、その辺のことにつきまして、特に教育当事者としての御所感をひとつ承りたいと思います。
  132. 田畑忍

    田畑公述人 今のお説に大体私は賛成なんでありまして、政府自身が憲法破壊の政治活動をしているということにつきましては、私は非常な心配、憂慮の念に満たされております。そういうことがないようにしていただきたいと考えております。吉田さんには実は毎週電報を打ちまして、そうして平和憲法に従つて、MSA協定を受理しないようにしてくださいというお願いをしているのも、実は私のそういう憂慮の気持の一端を表わしているのにほかならないわけであります。  それから今お説の中におつしやいました、法を守らなければならない。悪法でも守らなければならない。いわんや、善法である憲法は、どうしても守らなければならない。ことにそれは善法であるのみならず、最高の法なんです。この最高の法はまず第一に守らなければならない。ところが普通は最高の法は守らないが、派生的な法は守る。最高の法は罰則がないから、守らぬでもよいという気持があるようですが、これはとんでもない間違いであると思う。憲法には罰則がありませんが、罰則がないだけに、それを守らなければならない、こう考えているわけです。そういう憲法尊重の念があれば、日本政治は私は必ずよくなると思います。また世界国民に尊敬される国家、国民になるに違いないと思うのです。憲法を尊重しない国民は、これは世界の各国民から敬愛される国民は断じてなれないと私は思います。国家として、国民として大をなすことはできないと思うのです。そういう点におきまして、お説とまつたく私は同感であります。  それから政治家皆さんの中には、先ほどのお説もありましたが、この憲法は悪い憲法だ、あるいは占領中にできた憲法だから、守らなくていいというような説がありますが、もしそうだとすれば、国会議員になつていること自身をやめなければならぬと思う。というのは、国会法は憲法に基いてできておる。占領中にできたこの憲法が悪ければ、国会法も悪い。だから国会議員にならなければいいという論理も出て来る。それがなつておいて、憲法だけが悪いということは、私はこれは矛盾していると思う。断じてそういうことは言えないと思います。もしそれが悪いとすれば、占領されたことが悪い。この占領されたことをどうして回復できるのですか。(「敗けたことが悪い」と呼ぶ者あり)敗けたことも悪いじやありませんか。それをどうして回復するのですか。それを回復しなければ、そういうことは私は断じて言えないと思う。それが根本なんだから、敗けさせたものの責任があるのです。その責任をほつておいて、憲法が悪いの何のかのということは私は言えないと思う。
  133. 稻村順三

  134. 山本正一

    山本(正)委員 一、二伺いたい点があるのでありますが、その一つは、現行憲法の中の平和条項に関する規定は相当たくさんあると思うのですが、その中で戦争を放棄する、戦力の保持を禁止するというこの二つの点につきまして、これはあなたのお説によりますと、必ずしも当時のアメリカ当局が日本に押しつけたものでなくして、当時総理大臣であつた幣原氏の一つの日本再建の基本の考え方として、それが入れられたのであるということをあなたは断定して、確信してお話があつたのであります。ところが、御承知と思いますが、その点につきましては、あなたと同じような見方を伝えている人もあなた以外におらぬわけではありませんが、しかし一面、事実はそうでなくして、それは幣原も、当時の外務大臣の吉田茂も強くこれを拒否した。ところが当時のマッカーサーは、それでは天皇の身分について保証はいたしかねるぞという、平たく申せば恫喝先方の意思はどうか知らぬが、受けた方は非常に深刻な恫喝を感じて、やむを得ずその事柄を認め、かつその草案の中に入れざるを得なくなつたということを、相当責任ある立場の者が公の席上でもすでに述べている。そこで私はその二つのいずれがほんとうのものであるか、心得のためにあなたに伺いたいのでありますが、当時の幣原総理の自発的な意見としてそれが挿入され、それをあなたが強く確信されるその根拠を少し、われわれにそういうことであつたかと思われる程度にひとつお聞かせ願いたいと思います。
  135. 田畑忍

    田畑公述人 その点につきましては、幣原さんの書きました外交五十年という本がある。あの中に幣原さんが断言しております。それを傍証するものとしては、中央大学の経済学部長の青木得三氏が――彼は幣原さんと非常に懇意であつて、よくその機微のことを知つている人のようです。その方が書近雑誌にそのことを書いております。それからさらにマッカーサー元帥がアメリカに帰りまして、アメリカの国会でその証言をいたしております。平和規定に関する限り、これは日本人の創意に出たものであるということを言つておる、マツカーサー元帥はうそを言う人でないと私は信じております。幣原さんもうそを言う人物ではありません。青木さんも、私はよく知つておりますが、うそを言う人じやありません。そういう人の書いたり言つたりしていることによりまして、私はそのことを確信しております。吉田さんについては私は存じません。恫喝されたとおつしやいましたが、それは全然存じておりません。しかし吉田さんはあの憲法会議においてどういうことを言われたかと申しますと、こういう平和の理想は、日本におきまして、内村鑑三さんがかつて盛んに書いておつたということを引用されております。だからそれに基きまして、平和主義憲法をつくることが日本としてはなすべきことであるということを言われておつたのです。今7日古田さんとしてそれをどう考えられるか知りませんけれども憲法会議においては断言されております。私はその断言は間違いじやなかつたと思うのです。今言つておられることはどうか知りませんけれども、そのように考えまして、私は第九条に関する限りは日本の発意に出ておると確信しております。  それから今ちよつと申しましたが、日本におきましては、明治初年に内村鑑三さんがすでにそういう平和主義の理想を展開しております。明治から昭和にわたりまして展開しておる。あるいは、のほか安部磯雄先生山がこういう理想を唱えておられます。その他明治の維新前後におきましては、これは熊本の横井小楠先生がそういう思想を展開しております。さらに徳川時代にさかのぼりまして、安藤昌益先生が徹底的な平和主義をとなえておつた。そういう日本人の理想が、同時にドイツにもありました。あるいはイギリスにもあります。フランスにもあります。そういう理想が凝つて日本国憲法というものになつたのだ、こう考えることがリカから押しつけられたものではないと確信しております。
  136. 山本正一

    山本(正)委員 ほくがお尋ねしておる点についてお答えを限定していただざたいのですが、要するに今のお話によりまして、あなたの確信される根拠というものは、ことごとく直接的のものではなくして、何がしの書いたもの、何がしの伝えたものの文字を通し、もしくは伝聞によるところのものであるということはよく了解されたのでありますが、それに反するところの、恫喝によつて不本意ながらこれを挿入しなければならなくなつたというこの話の根拠は、これは生存中の幣原さん自身の、あるいはその当時のいきさつ、事情というものを親しく懇談をした人の、その人自身のこれは言明なんであります。吉田氏については、これは生存者でありまするから、これはまた伝聞その他文献というものをまつまでもなく、きわめて事の真相というものは明らかだろうと思うのです。従つてそれ以上は私この際あなたに伺うことははなはだ価値のないことであるけれども、ただその確信の根拠がそういう一片の文献であり、また他旧人の、目分の立場に立つところの一つの声明というものが基礎になつておるということを伺つたことで十分と思うのであります。  第二に私が伺いたいと思うのは、先はど現行憲法は少くとも終戦直後天皇の発議によつて制定されたものであるから、その制定の形式、実質というもりは欽定憲法である、欽定憲法である以上は、これを名実ともに守らなければいかぬ、私はこの平面的の御意見にはまつたく同感なんであります。欽定憲法である以上は――欽定という意味については多少述べなければならぬ点がありますが、それは言いかえれば国民の真に欲したところの、自由意思によるところの憲法である以上は、これをどのような犠牲を払つてでも守り抜くということでなければいかぬということは、これは国民に共通する常識であります。その点においてはまつたく同感であります。そこで伺いたいと思うのは、天皇が発議をされたことは、形においてはまさにその通りであります。そこで伺いたいのは、その天皇の憲法改正に対する発議が真に天皇が自由意思に基いて発議をされたものであるか、あるいは当時占領せられておつた、この抵抗するに方法のない、まつたく不本意なる環境においてやむなく発議せられたものであるのか、その点についてのあなたの御見解を伺つておきたいと思う。
  137. 田畑忍

    田畑公述人 二点あるかと思います。一点につきましては、今お話のごとく片の文献でもつてそういう確信をすることは間違いだというお説だつたと思います。しかしすべてのことはやはり文献によらなければ、書いたものなり聞いたことによらなければできないのであつて、何事もそうなんです。このことに関してのみ書いたものによつちやいけぬということは、私は言えないと思うのです。やはり書いておるものを信頼しなければならない。あるいは信憑性のないものもあります。うそを書く人もありますから、ずいぶんそういうものもありますけれども、幣原さんにせよ、マッカーサーさんにせよ、あるいは青木さんにしろ、うそを言う人ではないと私は考えております。それからなおかつそのほかに、やはりこれは幣原さんの書かれたものによるわけでありますが、それだけじやありません、ほかの文献にもよるわけでありますが、最初米国側が帝国憲法の改正について示した要綱があります。その中には軍備を捨てろとか、戦争をやめろという指示事項はなかつたのです。後にこれが加わつた。いかにしてこれが後に加わつたかといえば、これは幣原さんのそういうアドヴアイスがあつて、そのアドヴアイスにマッカーサー元帥が負けた結果であると私は見ておるのです。その意味におきまして、幣原さんは偉いと思うのです。これは改進党の先輩ですよ。改進党の先輩である幣原さんは、そういう卓見をもつて政治的大胆行為をやつてのけたので、私は彼の勇気に感服しております。それから第二点でありますが、今言つてるうちにちよつと忘れてしまつたのでございますが、もう一度お願いいたします。
  138. 山本正一

    山本(正)委員 現行憲法に改正するときの天皇の発議は自由意思……。
  139. 田畑忍

    田畑公述人 わかりました。それは恫喝されて勅命を下されたというようなことは、私は考えるこはできぬと思います。そういうことはあり得ません。きわめて明瞭です。そういうことは考えることのできないことです。
  140. 山本正一

    山本(正)委員 質問の中心を伺うことのできないことは遺憾でありますが、あなたと論議をしても仕方のないことでありますから、そこでひとつ別の事柄について伺いたいのであります。日本もドイツもイタリアも、過ぐる大戦で大体同じような境遇であつた。このうちの西ドイツが、国際連合軍に占領ソ連の関係もありましようが、とにかく占領されて、それで日本と同じような事情で憲法の改訂を要求されたときに、あそこの学者、特に学者が先頭に立つたようですが、刀と鉄砲、要するに外国の軍事力のある環境において、国民のほんとうの自由と意思というものは表明する方法がない、であるから、こういう環境におる間は震法は制定すべきでない、自由の意思で憲法が定められる環境になるまでの間、基本法というものをつくるべきであるといつて憲法をつくることを拒否されておるわけです。その点においては日本政治家も学者も、非常に見識と勇気に欠けるものがあつたと思うのですが、その西ドイツのとられた、そういう環境では憲法をつくるべきものではない、つくつてみたところで住民のほんとうの自由意思というものは憲法に現われるはずがないじやないか、だから自由意思を得るまでは基本法で経過するんだという、この西ドイツのとつた態度見識に対して、あなたはど)いうお感じを持つておいででしようか。
  141. 田畑忍

    田畑公述人 今ドイツのお話が出ましたが、ドイツの憲法はなるほどあなたおつしやいました通りに、戦争及び軍備についての規定としましては、永久に戦争を放棄するとか、軍備を放棄するということは書いてないのです。かつまた今おつしやいましたように時的の憲法であるということをきめております。しかしそういう憲法をきめたということ、ことに日本憲法のような平和規定をつくらなかつたということは、これは同じようにアメリカが占領しておるのです、しかもそれがないということは、ドイツには幣原さんはどの政治家がなかつたということを証明するわけです。幣原さんほどの人物がドイツにあれば、必ず日本憲法のような憲法をつくられただろうと思います。ドイツにはそれがなかつた日本には幣原さんがあつたので、このよた平和憲法ができた。私はさらにあらためて幣原さんに敬意を表さざるを得ない。
  142. 山本正一

    山本(正)委員 どうも問題点がそれるようでありますが、もう一つ伺いたい、あなたのお話の中に、MSA協定に至つてアメリカ日本憲法を尊重しなくなつた、その前の安全保障条約時代には、アメリカ日本の現行憲法を尊重しておつた、MSAに至つてこれが尊重されなくなつたというお話がありました。その話の内容は、日米安全保障条約、それを基本とする行政協定というようなもの、すべてをあなたはこれをお認めになる、つまり積極的に賛成をしてお認めになるということの上に立つてのお言葉であろうと思いますが、そう解釈してよろしいのですか。
  143. 田畑忍

    田畑公述人 必ずしも私はそう思つておりません。好ましからざるものであるということを先ほど申しましたけれども、違憲的性格はまだ持つていないということなんです。違憲的性格があるということと、好ましくないということと、これは別の問題です。一緒のこともありますが、これは別のことと思います。安保条約及び平和条約は、好ましからざるところは多々あるのであります。けれども遅憲の性質を持つていない。なぜかと言えば、そういつた条約におきまして、日本国の再軍備義務づけていないのです。これは日本国憲法九条を尊重しているゆえんであるということができると思うのです。ところが今度のMSA協定はそうじやないのです。日本の再軍備義務づけておる。八条にはつきりそのことが書いてあります。そのほかの条文を見ましてもそのことが書いてあるのです。ゆえにMSA協定は、日本国憲法を導車していないものであるということが断言できるわけなんです。ただMSA協定の九条の二項におきましては、いかにも日本憲法を尊重して実施されなければならぬということが書いてあります。けれども軍備義務づけておりながら、そのことを言つているのですから、いかにもこれはおかしいのです。そんなことは言えないのだけれども、なお憲法に対する遠慮の気持がそこに残つているのではないかというふうに私は考えております。
  144. 山本正一

    山本(正)委員 もう一つ伺いたい。先ほどお話の中に、憲法は守らぬでもよいということを言つておる人があるというようなお言葉があつたのですが、それはきようのこの公聴会の範囲ではなかろうと思います。きようの場合はそういうことは伺つておらぬのですが、はたしてそういうことを口外しておる者があるとすると、それははなはだ表現が適当でないのか、心得が根底において建つておるのか、ともかくも憲法が現付する以上は、これを守らなければいかぬ、守ることが国家将来のために不便であり、不利益である場合は、これを改正する方向に向わなければいかぬ、私はそう考えておるのです。どういうものであろうとも、ある以上はこれを守らなければいかぬという点においては、あなたとまつたく同感なんです、そこで先ほど来他の委員からもその点にはちよつと触れておるのですが、民キ政治政治に現われる形というものは、やはり議会政治でございますから、国会における少数、多数というものは、民主政治を認める以上、これを尊重する以上は、やはりこの上に立つてものを判断し、処理して行かなければならぬのだろうと思います。それを国会に現われた多数、少数というものを否定するということは、民主政治の否定に通ずるものでなければならぬと私は思うのです。それは先ほどもどなたかちよつと触れ、あなたのお言葉も触れておつたのでありますが、お言葉が非常に長過ぎて、趣意がどの辺にあるかがちよつと理解に苦しんだ点がありますので、簡明にその点御意見を伺つておきたいと思います。
  145. 田畑忍

    田畑公述人 議会政治は、これは多数党政治です。多数党政治でありますけれども、その多数党の専制を許すという行き方ではない。多数党といえども憲法を守らなければいかぬ、多数党であるから憲法くらいひつくりかえしてもいいということは間違いだということを申し上げておるのです。たとえばMSA協定をのんでしまう、あるいは憲法違反の法律をつくるということは、多数党といえども憲法的にはできないことです。憲法的にできないことをやるということは専制なんです。形式は、つまり民主主義の形式をとつて専制政治をやるということにならざるを得ない、そういうことが行われてはならぬから強調しているわけです。そういうことはあり得るわけなんです。
  146. 山本正一

    山本(正)委員 その今のお話のことは、非常に繰返しお話になるが、よくわかつておるのです。多数党が憲法に違反して、あえて横暴専恣をしてよいと考えるのはまず気違い以外にないのであつて、私は多数党の横暴を認めろとか、多数党なるがゆえに憲法その他の法条を蹂躙して何事をやつてもよいということの意味に言つているのではないのです。議会政治である以上は、多数党、少数党というものを認めて、国民の意思というものが多数の党を通して政治に現われて行く、その多数が今お説のごとく憲法を蹂躙し、常識を踏み越えて専恣横暴してよいなんということは、これはもう議論のほかであつて、それはあなたからえらいお気づかいをいただくまでもなく、おのおのみずから戒めて善処しておりますから、それはひとつ御放念を願いたいと思う。そういうことは今ここで伺わなくても、すでにわれわれここに参る以上は心得ておる。私はそれを言うのではない。民主政治である以上は議会政治でなければならぬし、議会政治である以上には、国民の賛成を得て来ているこの思想の多数少数というものが尊重されるということでなければならぬ。それが実質的に、買収が行われたとかどうとかいうふうな問題がまくらになつて、そういうことであるから多数党というものは認められるとか、認められぬということになることは、すなわちこれはやがて民主政治の否定に通ずるものであるということを、あなたはお認めになられるのであるかどうであるか、その点を私は伺つておるのであります。
  147. 田畑忍

    田畑公述人 多数党は、今あなたのおつしやいましたように、そういう性質を持つているものです。そういう性質を持つておればおるほど、あなたはそんなことは聞かなくてもわかつておるとおつしやいますけれども、それはわかつているに違いないけれども、なお念のために、さらに念のために言わなければならぬのです。多数党が決して専制政治をやつてはいかぬということを言つているのです。この専制政治をやれば結局それは民主主義政治じやないのです。これは非常に大事なことです。わかつていると言つても実際にやつておられるところを見ると、往往にしてそれをはずれることが出ておりますから、特にそのことを私は強調いたしたいのです。
  148. 山本正一

    山本(正)委員 もう多くは議論いたしません。私はこの発言をもつて終、ろうと思いますが、それは日本にも特殊なる思想及びその思想の上に行動をとつている人も御承知のようにあるのであります。その方々は自分らの意見が少数であるということ、自分らの行動がその少数意見に基いているということは御承知であろうけれども、とにかくその一部の少数の人の思想及び行動に合わない大多数の思想及び行動は、反動という言葉をもつて片づけてしまうのであ、ます。ここで反動として片づけられている大多数の考え方なり行動というものが、今お話のようなことで、多数党の横暴であるとかいうふうなことで片づけられるということは、それ自体が非常に民主政治というものを否定する線に強くつながつている。これは形のかわつた右のフアツシヨもある、左のフアッシヨもある。まつたくこれは左の方のきわめて危険なる独裁的な思想であると私は思つている。(「ノーノー」)私はそう思つている。けれどもそれはあなたと少しセンスが違うようでありますから、またきようはあなたの御高見を拝承するということであり、討論をするのではありませんから、私はあえてこれ以上議論を進めません。これで終ります。
  149. 田畑忍

    田畑公述人 一言…(「けつこうだ」と呼ぶ者あり)しかし言わなければならぬ。私は右のフアッシヨでもなければ左のフアツシヨでもございません。ただ憲法主義の立場に立つてものを言つているのです。憲法尊重の精神に立つてものを言つているのです。その精神に立つて、多数党でも少数党でも憲法を尊重しなければなりませんよということを言つているのです。これは非常に大事なことです。(「わかつた」と呼ぶ者あり)わかつていただいたらたいへんけつこうです。     〔「多数を否定している」と呼ぶ者あり〕
  150. 田畑忍

    田畑公述人 多数を否定しているのではありません。この多数が憲法を…。
  151. 稻村順三

    稻村委員長 公述人に申し上げます。委員長の許可を得て発言してください。――鈴木君。
  152. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 憲法学者である田畑さんがおいでになつたのでありますからこの機会に承つておきたいと思います。  私どもはどうも国会において、憲法違反を犯し、法律違反を犯すことを始終見ておつて、実に不愉快にたえない。それを多数の名においてやるのです。たとえば逮捕要求が来る。刑事訴訟法は十日間逮捕することができることになつているのに、七日間だけ逮捕しろというような決議をする。私は憤慨して、かくのごとき恥ずべき院議は……と言つたところが懲罰である。(「よけいなことを言うな」と呼ぶ者あり)言うなじやない、教えている。それから今も逮捕要求が来ているが、それをいろいろ告案設けて延ばし証拠隠滅をはかる機会を与えるということを同僚中村議員が言つたら、これまた懲罰だとか、取消しだとか、そういうふうにして議会といえども法律に久するがごとき行動はできないのだということがわからない。これフアツシヨにあらずして何ぞや。だからフアツシヨを養成しているものは今日の多数党であることを私どもは憂えておる。いかにもほかの方にあるようなことを言つておる。だから憤慨するのです。そこでMSAも憲法違反である。この法律二つも憲法違反とわれわれは信じておる。その他警察法も、いろいろなものが憲法違反ですけれども、これを直截明快に解決する道がない。憲法裁判所というものがない。裁判所に持つて行くと、いや、それは裁判所の権限ではない、具体的事案について憲法違反であるかどうかを争つてからやつてくれというのでありますから、三年もかかつてしまう。そこでそういう点について、田畑さんはどういうふうにお考えになつておられるか承りたいのであります。
  153. 田畑忍

    田畑公述人 今鈴木さんから、多数党がそういう憲法に違反した横暴をやつておるというお話を聞いた。私は議会におりませんから知りませんが、鈴木さんがおつしやつているから事実ではないかと思い、はなはだ遺憾と思うのです。そういう点がありましたら、議会皆さんに反省していただきたいと思います。それからあとの点でございますが、それについては、たとえば憲法裁判についての法律がまだできていないので、そういう法律を国会でつくるように勢力をしていただきたいと思うのであります。その努力がまだなされていないと思うのでありまして、その点は国云の怠慢ではないかと私は思つているのです。そういうものをつくつていただきたいと思うのです。裁判所とししは、具体的な事例がなくても、私の考えからすれば、そういう訴訟がありましたら、受理しなければならぬものだと思つております。詳論は省きますけれども、しかしそういう手続の法規がつくられることが必要だと思いますから、そういう法規をつくつてくださるように御努力を願いたいと思うのです。
  154. 稻村順三

    稻村委員長 田畑公述人に関する御質疑はございませんか。――なければこれで終了いたしました。  次に佐瀬市太郎君の公述をお願いいたします。
  155. 佐瀬市太郎

    ○佐瀬公述人 私は佐瀬市太郎でございます。  私は防衛庁設置法及び自衛隊法の制定に賛成であります。その理由としては、右両法案に対する医務大臣の提案理由説明に述べられましたことく、現在の国際及び国内の諸情勢にかんがみ、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、この際さらに自衛力を増強することがきわめて適切なる国策なりと信じますので、これに対応する法令の制定こそ当然の措置でありまして、政府提案の両法案は大体において適当と存じます。よつて昭和二十九年度予算もすでに成立した今日、一日もすみやかに国会の議決あらんことを願うものであります。但し、緊急の場合の自衛隊の海上行動に関しましては、自衛隊法第八十二条において適切に規定せられておるところでありますけれども、航空機侵略に対する自衛隊の行動に関する第八十四条の規定は、不徹底のきらいがあると私は信じます。すなわち、かりに国籍不明の飛行機が突然侵入して来て爆弾を落したりなんかしたときに、この防衛庁設置法及び自衛隊法の規定は、実にどうも不徹底である。そん話をなぐられて、まあまあなぐらないでくれ――キリスト教のバイブルにある、右のほほをたたく者があつたら左のほほも出してたたいてくれなんという、そんな時代遅れのことでは国民は立つて行かれません。でありますから、自衛隊法第八十二条において規定してあるような意味に第八十四条を改めていただきたい。もつと現実的に、暴力に対しては暴力で防ぐのもいたし方がありません。個人の場合でも、盗難と暴力を防ぐ特別法があり、正当防衛の範囲がずいぶん拡張されている。現在はそういう時代ですから、これは大いに直していただきたい、木村保芳長官に武道の嘩人と思いますけれども、あんまり遠慮している。これは直していただきたい。これは立法技術に関する問題で、賢明なる国会議員に対してはなはだ礼を失するようなことになるかもしれませんけれども、防衛庁設置法の冒頭に、保安庁法の全部を改正するとありますが、これは実にこつけいきわまる。これは結局国民政治に対する信をつなぐ重要なる根本問題に属しております。すなわち、その実質は改正にあらずして、新たに防衛庁設置法及び自衛隊法を制定するものであると信じます。ですから、防衛庁設置法の附則に保安庁法を廃止する条文を入れ、国民をして法律の尊厳をさとらす。従つて立法府たる国会の権威を高め、政治に対する国民の信頼をつなぐゆえんの措置を講ぜられをとを希求するものであります。  次に憲法第九条の解釈として、吉田首相並びに木村国務大臣は、自衛隊は戦力を持たないのであるから憲法違反にあらずと議会答弁をなされておられますが、私はここがたいへん違う。自衛隊は戦力を持つているものと認めます。戦力です。但し、憲法第九条は、その第一項並び第二項においても、よく見ていただきたい。明らかに戦争しかけをしないということを意味する規定であります。すなわち、日本国民は武力侵略をしない、好戦国民でないということを明らかにした条文です。国権の発動の一部たる自衛権の行動に関しては規定していないのであるから、自衛隊が戦力を保持しても決して憲法違反にあらずと私は確信するのであります。これは文理解釈上疑いをさしはさむ余地なきものと存じます。世人あるいは憲法第九条第二項末段に「国の交戦権は、これを認めない。」と規定してあるから、この条文より見て、国の能動的並びに受動的両面の交戦権はすべてこれを認めないと解釈する者があるならば、これは法律の正当なる解釈力を持たない者の主張で、第一項は明らかに能動的交戦権否認の規定である。戦争を仕掛けない、武力侵略をしませんということから出発した規定であある。条文を読んで見れば一点の疑いをはさむ余地がありません。いかなる憲法学者が現われても、私は断固として、確信をもつて撃破いたします。そんなくだらない論議は、これは論議としては自由だけれども憲法解釈の問題だ。これは大事なところです。よくそこを頭に、失礼な話だけれども、入れておいていただきたい。交戦権否認の規定で、受動的すなわち自衛権の場合の規定ではありません。また第二項は、「前項の目的を達するため、」ということで、第一項の規定を受けている規定で、すなわち能動的交戦規定であるのです。もし第二項末段の「国の交戦権は、これを認めない。」という条文が受動的すなわち自衛権まで及ぶものとしたならば、当然第三項として第一項、第二項と並べて規定されなければなりません。第二項末段に置いたならば、第一項を受けての第二項だ。受動的の自衛権というものに関係ありません。しかるに第一項を受けての第二項中にあるより見て、「国の交戦権は、これを認めない。」こういう条文はすなわち自衛権にあらざる第一項規定の能動的交戦権、すなわち戦争をしかけないという意味に解釈すべきもので、国の自衛権の発動による戦力保持禁止ないし交戦権放棄は、憲法第九条の規定外の問題であります。従いまして、自衛権の発動による戦力保持、交戦権保有は、決して憲法違反にあらずと私は信じております。  私は昭和二十一年二月、幣原総理大臣に明則安国論なるところの建白書を奉りましたが、憲法上全面的戦争放棄は世界中一国もない。世界の外交通は、日本は茶番狂言を演ずるのであるかといつて、みんな笑つていた時代であります。それでありますから、私は国を思うの一片取々の赤誠よりこの明則安国論宇宙の法則を明らかにして国は戦力を捨てちやならぬという意味であります。そういう場合であつたから、日本憲法改正にあたつて戦争放棄については、この点大いに意を注がねばならぬことを力説しておきました。また私はマッカーサー元帥にも書簡を送つて、天皇制護持を力説した。金森徳次郎氏ら、いな政府並びに国会の努力で、まことに意味深長なところの現憲法が生れた。論語において孔子は、正道と権道をあわせ用いる者でなければ座を同じゆうして語るべからずと言つているが、政治家たるものは正道と権道を適当に使いわけてもらわなければ困る。その意味深長なるところの現憲法が生れ、憲法上放棄していない国の自衛権の発動による戦力保持は憲法上さしつかえないものと私は確信しておつたのです。最初からそう思つておりました。ああ、おれの建白したことを幣原氏以下みな幾分か認めて意味深長なる憲法をつくつてくれたなあ、いや実に、日本国の現在の立場から考えてもあれはよかつたあというので、自分一人としては、自衛権の発動につ。戦力保持は憲法上さしつかえないものと最初から確信していたのであります。だから、この際はつきりと私の信念を申し上げて御参考にいたします。そうしてさらに、憲法改正、再軍備問題は、今や日本の当面する最大の政治問題となりつつあります。現在の憲法第九条においては能動的交戦権を放棄してあるのであるから、戦争をしかけないということ、武力侵略をしないということを明らかにうたつてありますから、このままでは日本は国連加盟の資格なきものと私は信じます。国連憲章をよく読んでごらんなさい。場合によつては武力でとつちめてやるということが明らかになつている。そうすると、国連に入るならば、その憲章に従つて、場合によつては国連軍に加盟してこつちから進んで武力を用いなければならぬ場合もある。だから、現在における憲法では、ほんとうを言つたならば国連加盟の資格はないと私は信じます。それからまた昨年締結せられましたところの日米安全保障条約以外に、かりに太平洋安全保障条約のごときものができる場合にも、今のままでは加盟の資格がないものと予想せられます。そうして、ある一部の政治家のとなえる日本の厳正中立論のごときは、現在の国際情勢のような、だれが中立を保障してくれるかという課題に答えることができないような段階にあつては、これは痴人の夢にも等しいと私は信ずるのであります。軍備の程度は財政とにらみ合せて国力にふさわしいものとすることはもちろんでありますが、近き将来において憲法を改正して、一面国連加盟の資格をつくり、一面太平洋安全保障条約のごとき集団安全保障機構成立の場合に処して、財政上安価なる犠牲のもとに国土防衛を全うする素地をつくることは、きわめて賢明なる国策であると私は信ずる次第であります。  御清聴を感謝いたします。
  156. 稻村順三

    稻村委員長 以上をもつて佐瀬公述人公述を終了いたしました。  何か御質疑はございませんか。御質疑がなければ本日はこの程度で散会いたします。     午後三時三十七分散会