○
田畑公述人 私は
田畑忍でございます。
防衛庁設置法案と
自衛隊法案につきまして愚見を述べよという招請によりまして、当
委員会に参
つた次第でありますが、以下この二法案に対する私の見解を率直に申し述べることにいたしたいと思います。
最初に私の
考えの結論を申しますと、この二つの法案は、いずれもともに
日本国憲法第九条等に違反する法規を内含しておるのでありますから、国会でこれを否決していただきたいと申し上げたいのであります。わが国には
憲法違反ということを実に何でもないことのように平気で
考える傾向がかなりにあるようでありますが、申すまでもなくこれはすこぶる危険なことであり悪いことであります。なぜかと申しますと、
憲法違反でありますとか、あるいは
憲法軽視ということは、
日本の国をみずから軽んずることであり、従
つて外国からも軽んぜられる結果を招き、国を大きくそこなうことになるからであります。
憲法違反には罰則というものがございませんから、違反何ものぞとうそぶく
政治家があるならば、その
政治家は
政治家としても値打ちのないものであると私は
考えるものであります。とにかく私は違憲の法的
内容を持
つた防衛庁設置法案と
自衛隊法案とは、ともに国会において否定さるべきものであると
考えるものであります。
そこでこの二つの法案の違憲の点はいかなる点であるかということを指摘することがポイントであり、それを明らかにする必要がまずあるわけであります。そしてその点を明らかにするためには、この二つの法案をその母体と
考えられる現行の保安庁法と比較検討する方法をとるのが便宜かと存じます。いな、さらにさかのぼ
つて、保安庁法の前身であります警察
予備隊令と比較検討することが必要であろうかと思うのであります。すなわち今日国会に提案中の
防衛庁設置法案と
自衛隊法案は、ある意味では警察
予備隊令から発足しているものであるからであります。しかし私はそれらのものをある人々の言
つておりますように、法的に同質のものとは
考えないのであります。またそのように
考えるべきではないと思うのであります。それは警察
予備隊令それ自体は、
憲法に対しましての違反性を持つものではない、また保安庁法といえ
どもいまだ十分に
憲法違反性を持つものではないのにかかわらず、今度のこの二つの法案というものは、すでに明白に
憲法に対する違反性をそれ自身において十分ににな
つておるからであります。
順序として、まず警察
予備隊令から話を進めて行くことにいたしたいと思います。警察
予備隊令は、御承知のごとく占領中の昭和二十五年の制定にかかるものでありまして、平和条約並びに
安保条約の締結前に制定されたものでございます。言うまでもなくこの政令によりまして警察
予備隊が設置されたのであります。それはマ政権の指令によるものであるといわれておりまして、警察
予備隊令はその第一条に、「この政令は、わが国の平和と秩序を維持し、公共の福祉を保障するのに必要な限度内で、国家地方警察及び自治体警察の警察力を補うため警察
予備隊を設け、その組織等に関し規定することを目的とする。」このように定めておりますが、これによ
つて明らかなことく、そ
うしてまた同第三条に、「警察
予備隊は、治安維持のため特別の必要がある場合において、内閣
総理大臣の命を受け行動するものとする。」「警察
予備隊の活動は、警察の任務の範囲に限られるべきものであ
つて、いやしくも
日本国憲法の保障する個人の自由及び権利の干渉にわたる等その権能を濫用するごととな
つてはならない。」と定めておることによりましてさらに明らかなことく、法
制度的には警察
予備隊というものを普通の警察力を補うための特別の警察機関、治安機関として設定したものであります。従
つて法的には、それは
軍隊として設定されたものではございません。これを
政治的に、
軍隊として設定したものだと言
つてしまうことは――そのように主張した人もかなりありますが、法的考察を欠いたものであることはもちろん、
政治的にも不十分な見解であることを免れないと思うのであります。これを要するに警察
予備隊令は
憲法違反の政令ではなく、また警察
予備隊は
軍隊らしき装備や部隊組織を有しておるにもかかわらず、法上の存在としては、いまだ
憲法違反の国家機関ではなか
つたのであります。ただこれを制定し、また設定した
政府の意図は、これを将来の
軍隊の萌芽たらしめようとするものであ
つたことが推測されるのでありまして、もしもそうであるとするならば、警察
予備隊はすでに
憲法第九条第三項のいわゆる「その他の戦力」たるべきものであ
つて、同条項に対する違反の存在であ
つたと申さなければならないのであります。またたといこのような意図が
政府になか
つたといたしましても、必要なる場合にはこれを自衛
戦争に用いようとしていたことは、国会での
政府のたびたびの説明などによりまして明らかであります。それゆえに法
制度の上では、いまだ違憲の存在ではなか
つた警察
予備隊というものか、政策的には最初から「その他の戦力」の一つとしてすでに違憲の存在であ
つたことが否定されがたいのであります。しかし前述によ
つてきわめて明らかなように、警察
予備隊令そのものは違憲性を帯びていないものと断じてよろしいのであります。
ところがその後昭和二十六年になりまして、平和条約と
安保条約が締結せらるるに至りました。しかしこの両条約が
日本の再
軍備を
義務づけていないことは法理上明白であります、しかるに
政府はこれをてこのごとくに利用いたしまして、その
軍隊化の方向を決定いたしまして、かくして警察
予備隊令を廃して保安庁法を制定し、保安隊等を設置して今日に至
つたわけであります。しかし保安庁法はいまだ十分に
憲法違反の法律ではなく、保安隊もまた法的には十分に違憲の存在ではなか
つたと言
つてよろしいと思うのであります。保安隊等の法的性格につきまして、保安庁法には左のごとく規定されております。すなわち同法第四条は、「保安庁は、わが国の平和と秩序を維持し、人命的及び財産を保護するため、特別の必要がある場合において行動する部隊を管理し、運営し、及びこれに関する事務を行い、あわせて海上における警備救難の事務を行うことを任務とする。」このように定めてありま旧す。すなわち保安庁法第四条によりまして明らかなように、それは警察
予備隊令と
違つて、もはや特殊的警察であるということの明文を避けておりますりそ
うして平和と秩序の維持と人命及び財産の保護を目的とすると実力的部隊を設置すると規定することによりまして、特殊的警察性のニユアンスを残しながら、しかもそこには特殊的
軍隊性のニュアンスをも含ませておることが察知せられるわけであります。けれ
ども、
政府はその設置の国会説明の中では、これらの部隊が
間接侵略に対してのみ備えられるものであるということを繰返し述べていたのであります。すなわち保安庁法は、形式的にはそれが
憲法九条の規定に違反するものでないとする建前をと
つてお
つたわけでありまして、今引用いたしました条文にもその建前が示されておるわけであります。でありますからして、その限りにおいては、それはいまだ十分に
軍備の設定であるとすることはできないと私は思うのであります。しかしながら保安庁法第五条では、保安庁のこのような部隊、警備隊につきまして規定しておりまして、保安隊等の
軍隊的ニュアンスをいま少し濃厚に示しておるのであります。すなわち同法同条は次のごとくに定めております。「この法律において「保安隊」という場合は、
長官、次長、
長官官房及び各局、第一幕僚監部並びに第一
幕僚長の監督を受ける部隊その他の機関を含むものとする。」「この法律において「警備隊」という場合は、
長官、次長、
長官官房及び各局、第二幕僚監部並びに第二
幕僚長の監督を受ける部隊その他の機関を含むものとする。」、「保安隊は主として陸上において警備隊は主として海上において、それぞれ行動することを任務とする。」このような規定であります。かくしまして、保安庁の部隊の一つであるところの保安隊は、昭和二十七年十月十五日から、警察
予備隊にかわ
つて発足するに至
つたわけであります。そ
うしてこの保安隊が
軍隊への方向をさらに一歩踏み進めたものであることは、何人にと
つても疑いのないところであろうと思うのであります。この開
政府は、
軍備はしない、
軍備はしないが、自衛力を増強する必要があるというようなことを申しましたり、あるいは不十分なる
軍備国の
軍備だけで一国が守れないような
軍備は戦力ではないから、それは違憲ではないということを申しておりまして、そういう再
軍備政策というものを、人をかえ、言葉をかえ、さらに説をかえて説明あるいは説教して参りました。かようにして保安隊への部隊組織の前進に従
つて、その人員と装備が増強せられるに至
つたことは申すまでもございません。警備隊についてもま
つたく同じことが言えるわけであります。しかも保安隊と警備隊とをその行動部隊とするところの保安庁は、法律
制度の上におきましては、依然として最も特殊の、広い意味における超弩級的な治安機関ではございましても、いまだ完全に
軍隊であると言
つてしまえるような、このような法の規定を備えておるものではなか
つたのでありますけれ
ども、すでにやがてはこれを
軍備に発展せしめようとする法的用意のほどをしのばせるに十分なものにまで生長せしめられておることは否定できない事実であります。この意味において、
憲法九条をまさに侵さんとするものであると申さなければなりません。それのみならず、特別の必要がある場合において行動する部隊というものを、治安のためということに限定しないで、防御のために必要が亙る歩合において行動する部隊であるということを認めておるというべきものでありますからして、それはいまだ法的には十分に
軍隊たる性格のものでないにもかかわらず、警察
予備隊以上に
日本国憲法九条二項にいわゆるその他の戦力としての性格を強く帯びておるわけであります。従
つて明らかに
憲法に違反する国家機関にな
つておるわけであります。およそ、かくのごとくに再
軍備への立法措置というものが保安庁の設置によ
つて一段と進められて参りまして、実質的にその
軍隊化が強化されるに至
つたことは否定しがたい事実であります。しかし保安庁法そのものをも
つて違憲の法令とみなすことは、いまだ私は困難だといわなければならぬと
思つておるのであります。ところが
政府は今回
憲法を軽視し、また
国民の反対を無視しまして、MSA防衛協定の交渉をととのえまして、遂にこれに調印いたしました。そしてその承認が、この防衛二法案の提案とともに、今国会に請求されておるのであります。しかしMSA防衛協定が違憲の協定であることは、これがその協定の八条等によ
つて軍備的
義務々軍事的
義務とともに、
日本国に課しておるということによりましても、明白疑いなしであると申さなければなりません。この点平和条約、
安保条約が、たとい好ましからざる点を多く含んでおるといたしましても、それは必ずしも違憲の条約でないのと異な
つておるということができるわけであります。そこで
政府はこのMSA防衛協定の交渉とその調印という、違憲的方策の線に従
つて、現在の保安隊を法的にもはつきりした
軍隊に切りかえるために、幾分
憲法に遠慮しながら、今度の
自衛隊法案と
防衛庁設置法案というものを用意するに至
つたものであると
考えられるわけであります。それは警察
予備隊に始ま
つてこれを保安隊に強化して実質的な
軍隊につくり上げた実績を法制化せんとするものであるということもできるであろうと思います。これを
自衛軍と、軍と称していない点があいきようでもあり、あるいはごまかしといえばごまかしとも言うことができるのでありますが、それは問題ではございません。しかしそれは警察
予備隊の設置や保安隊、保安庁の設置の場合と違いまして、もはや治安機関としてごまかしのきくものでは断じてありません。すなわち軍と呼ぶかわりに隊と呼んでいるだけでありまして、法令の上でもまごう方なき
軍隊となり
軍備にな
つておるものであります。世人はこれをMSA
軍隊といい、また
アメリカの傭兵軍などとい
つております。しかしこれもここでは問題ではありません。以下私は
自衛隊法案と
防衛庁設置法案を検討することによりまして、このような自衛隊の法的性格をもう少し見て行きたいと思うのであります。
これらの法案によりますと、自衛隊は防衛庁
長官を頂点としまして、そのもとに陸、海、空の
三軍を構成し、内閣
総理大臣を最高の指揮監督者としております。それは
軍隊として決定されていることは、自衛隊洪案第三条に明らかに規定しておりまするように、何よりもまず直接侵略に対して備えられているというところにこれを見ることができるのであります。すなわちここに規定されておりますところの直接侵略とは、もはや
安保条約に定められておるような直接侵略と解すべきものではなくして、MSAの規定、たとえば五百十一条2項などの規定の洗礼を受けた直接侵略を意味するものでありまして、明らかに
外国からの直接侵略を意味ずるものであると解しなければならないからであります。すなわち
自衛隊法案の第三条は以下のごとくに規定されておるのであります。いわく「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保
つため、直接侵略及び
間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする。」「陸上自衛隊主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。」この規定の明らかにしておりますように、自衛隊の任務の第一は軍事的目的であります。第二に治安的目的であります。あるいはその他の任務が課せられております。保安庁法の規定とこの点非常に異な
つていることがわかるわけであります。かくのごとくその法的性格が
軍隊的であり、
軍備的であり、従
つて戦争を目的とするものでありますことは、
自衛隊法案第六章第七十六条の規定がさらにこれを明瞭に示しておると思うのであります。ここには次のように書かれております。「内閣
総理大臣は、外部からの武力
攻撃(外部からの武力
攻撃のおそれのある場合を含む。)に際して、わが国を防衛するため必要があると認める場合には、国会の承認(衆議院が解散されているときは、
日本国憲法第五十四条に規定する緊魚集会による参議院の承認。以下本項及び次項において同じ。)を得て、自衛隊の合計又は一計の片面を命ずるごとかてきる。」また同条の二項及び三項と同七十七条はそれに関連しまして、緊急の場合における内閣
総理大臣の緊急的出動権等について定めております。また同第七十八条以下におきましては、自衛隊の治安的権限について定めております。それから第八十二条におきましては、海上における警備活動について、第八十三条におきましては、災害派遣について、第八十四条におきましては、領空侵犯に対する措置について等の規定を設けているのであります。でありますからもはやこのような自衛隊が
軍隊でないと言うことは断じてできるものではございません。まさに世評のごとく、自衛隊はMSA防衛協定によ
つて生れるべきMSA的
軍隊であり、
アメリカ製の
軍隊であると言われねばならない」とになるわけであります。か
つての皇軍というようなものではございません。次に、
防衛庁設置法案を検討いたしましても同じことが見られます。すなわち
防衛庁設置法案第四条は「防衛庁は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つことを目的とし、これがため、陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊を管理し、及び運営し、並びにこれに関する事務を行うことを任務とする。」と定めております。また同第下条におきましては二十二の権限を列評しておる中に「直接侵略及び
間接侵略に対しわが国を防衛し、わが国の平知と独立を守り、国の安全を保
つため右動ずること。」とうた
つております。こ
うして同第七条によりますと、その全職員十六万四千五百三十八人、そのうちの
自衛官十五万二千百十五人ということにな
つております。またその第一十五条以下に統合幕僚
会議について規定を設けております。さらに四十一条と四十三条に、国防
会議について相定をいたしております。すなわち、第四十二条には「内閣に、国防
会議を瞬く。」と定め、内閣
総理大臣は一、国防の基本方針、二、防衛計画の大綱、三、前号の計画に関連する産業等の調整計画の大綱、四、防衛出動の可否、五、その他内閣
総理大臣が必要と認める国防に関する重要事項について、国防
会議に諮らなければならない、このように規定をいたしております。このように国防といい、防衛といい、自衛といい、すべて武力による国権的防衛は明らかに
軍備であります。明らかに
戦争を予定するものであります。すなわち、この二つの法律案の定める防衛庁、自衛隊の
軍備的性格はきわめて明らかであると申さなければならないのであります。
かくして陸海空の
三軍よりなる自衛隊と、かくのごとき規定の二つの法案が、
日本国憲法第九条の平和主義規定にただちに違反するところの違憲的存在であることは言をまたないところであります。でありますから、かような違憲の法律と、違憲の法律によ
つてできるであろう国家機関が、MSA防衛協定第九条第二項の規定にふさわく第九条第二項の規定と申しますのは、御承知のごとく「この協定は、各
政府がそれぞれ自国の
憲法上の規定に従
つて実施するものとする。」というのでありますが、その規定にふさわしく自国の
憲法上の規定に従
つて実施されるなどと
考えることはできるものではありません。むしろこれによ
つて「自国の
憲法上の規定」、
憲法第九条の規定が問題にな
つて来るわけであります。問題にな
つて来ると申しますのは、すなわちMSAという
外国の一法律による軍事援助の受理に基く、防衛協定によ
つて、自国の根本法である
憲法がゆすぶられることにな
つて来るということであります。現に
防衛庁設置法案と
自衛隊法案を
政府が用意したということそれ自身が、すでに
憲法の蹂躙であります。そ
うしてこの蹂躙に基いて
憲法改悪の動きと、
憲法九条解釈変更の計画が次第に露骨にな
つて来ておることによりまして、このことは如実に示されておるところであります。
日本国憲法九条は、御承知のように一切の
戦争を永久に放棄しております。また国際紛争解決の手段としての武力威嚇及び武力行使を同じく永久に放棄いたしております。しかして
軍備と
軍備以外の「その他の戦力」を否定し、さらにまた交戦権をも否認しているのでありますが、この第九条の規定が今やMSAという
外国の法律をもとにしましてゆすぶられて来ておるわけであります。これは
日本国と
日本国民にとりまして決してよいことではありません。いな、実に困
つたことであるといわねばなりません。ある人たちは
憲法のために国があるのではない、国のために
憲法があるのであるから、既成の
政治事実にじやまになるような
憲法をかえねばならない、このように申しておりますが、しかしそれはどろぼうに都合のいいようなに刑法をかえろという議論とま
つたく同じであります。言うまでもなく法律は事実をただすために存在する国家の規則であります。また
憲法はこの法律とそれから事実、この事実をただすために設けられているところの国家の最高の法規範であります。であしますから、
憲法に合うように法律と事実とをただすべきであります。
憲法を悪い事実に合すように曲げてはならないのであります。すなわち本末を転倒してはならないということになるわけであります。ところが、ある人たちはみずからの利益のためにこの価値を転倒して、
憲法を無視し、あるいは
憲法を蹂躪し、あるいは
憲法を改憲し、あるいは
憲法の正しい解釈を政策的に変更しようとするのであります。しかし、かくのごとくすることによ
つて国が栄え、人民が幸福にな
つたためしは歴史的にもありません。理論的にもあるはずがありません。
憲法を正しく守ることは、すなわち国を守ることであり、
国民を守ることであります。しかし
憲法を無視して
三軍よりなる自衛隊を今度の二つの法律によりましてつく
つてみましても、自衛隊によりまして国と
国民を守り得られるものでは断じてございません。むしろ、結果はその逆にな
つてしまうであろうと思われるのであります。なるほど保安隊を自衛隊に発展させることによ
つて、これを正式な
軍隊にすることによりまして、利益を得る人々があることは事実であります。それらの人々は、MSA協定やこの再
軍備二法案を推進し、またこれに賛成されております。しかしそのような利益というものは軍需資本家とか、それに
関係のある一部資本家とか、またそれに連なるきわめて少数の人々の、しかも限られた時間内での利益にすぎないのであります。これに反して、大部分の人々は、それによ
つて何らの利益を受けるものではありません。過去においてもそうでありましたが、
軍隊によ
つて、
軍備によ
つて国や
国民が守れるということは、今日では特に一つのあわれむべき迷信にすぎないと思います。のみならず、大部分の人々は、それによ
つて害を受けることになるだけであります。第一、税金が必ず高くな
つて参ります。第二に、
国民の生活を善美にするための
教育や文化的な施設や経済的な施設に国費を使うことができなくな
つて参ります。現に、すでに社会保障費が削減せられ、
教育費や文化
関係の費目が削られておるというありさまであります。治山治水などに思い切
つて金を使えなくなります。その結果、
国民は貧乏と自然の侵略にさらされて、いよいよその生活がみじめになり不幸にな
つて参らざるを得ません。
また自衛隊は名称はとにかく、実は
軍隊でありますから、この
軍隊ができれば、いまだ民主化されていない
日本におきましては、か
つてのように軍官民というような級階制ができ上
つて、
国民は再び軍閥の奴隷的地位に置かれることにならざるを得ないだろうと思われます。そ
うして
軍人にあらずんば人にあらずということにもなり、
人間の値打は馬以下、兵器以下ということになり、人権も
民主主義も何もかもが吹き飛んでしまうでありましよう。そ
うして
軍隊ができれば、その
軍隊の有する戦車も大砲も、
戦争道具としては、もはや今日におきましては役にも足たないのにかかわらず、必ず
戦争に巻き込まれるということにな
つて、原爆、水爆を落されることにもなり、この小さな
日本はたちまち亡滅の運命に逢着せざるを得ないことになるでありましよう。この場合、
国民の全滅は救いようもなければ、防止のしようもないと原子学者たちは言
つております。とにかく、原爆、水爆の
時代、放射線
戦争の
時代におきまして、小さな国防軍は、金だけはかか
つて、少くともナンセンスな存在であるほかはないのであります。いな、大きな国防軍をつく
つてみましても、それは単に無意味なもので済めばよいけれ
ども、遠藤さんが言われているように、百害あ
つて一利ないものでしかなくなるでありましよう。これは
世界の識者が、たとえばイギリスのラッセルが、また
アメリカの原子学者のオッペンハイマーなどがつとに警告しておるところであります。また今日では
アメリカの全軍事力を集中しても、いざ
戦争ということになれば、その場合には、この水爆禍から
日本を守ることはとてもできるものではない。たとえば中国やシベリヤに水爆が落ちても放射能を含んだ灰の洗礼を
日本が受けざるを得ない、それによ
つてだけでも亡滅するということが、すでに
日本の科学者の常識にな
つておるのであります。とにかく今日は陸海空軍その他の戦力が国防の意味と力を失
つてしま
つておる
時代であるということを認識することが必要であります。すべての国々がもはや
軍備と
戦争を放棄すべき
時代が来ておるのであります。カントが言
つたように、その
時代が来ております。そこで
日本は幣原さんの卓見に基いてその先がけとな
つて憲法に平和規定を掲げて
軍備と
戦争を放棄したのであります。かくのごとき平和
憲法をつく
つた日本が再
軍備をあえてすることほどおろかでこつけいなことはありません。実際
自衛軍であるとか、郷土軍であるとかいうものをつくりましても、この水爆の
時代には竹やりだけの値打すらもないのであります。ソ連や中国を恐れるのあまり、
ちようど火事の際にバケツを一つ持
つてあわてているというような状態が、今日の
日本の再
軍備のありさまではないか、このように言えるであろうと思うのであります。
また再
軍備論者の中には、とにかくMSAでも何でももらえればもら
つた方が得なんだ、そして
日本軍ができてしまえば、
アメリカ駐留軍がやがては引揚げるだろうというふうに、甘く
考えている人があるようでありますが、むしろ事実はその反対であ
つて、かえ
つてアメリカ軍とその基地が強化されるに至ることが必至であると思うのであります。このことはMSA防衛協定九条一項を見れば明らかであります。すなわち九条一項には「この協定のいかなる規定も、
日本国と
アメリカ合衆国との間の安全保障条約又は同条約に基いて締結された取極をなんら改変するものと解してはならない。」と明記されておるのであります。そのほかさまぐの
義務が課せられております。かくのごとくでありますから、独立国の独立軍というものを
アメリカが絶対に許さないということは、少しでも戦術、戦略ということを
考えるならば、実にはつきりとわかるはずであると思うのであります。
日本のか
つての、リタリストたちは
アメリカを甘く
考えて、太平洋
戦争に大敗して来たのでありますが、今の
アメリカを甘く
考えておるということを私はむしろふしぎに思うのであります。私はこのことを特に
日本の再
軍備論者たちに警告いたしたいのであります。再
軍備が
憲法違反であると同時に、
日本にとりまして非常な不測であるということは、今申し述べて来たことくであります。
そこでこの再
軍備を
義務づけるMSA防衛協定の承認に反対し、また再
軍備のための立法措置であるところの
防衛庁設置法案と
自衛隊法案とに断固として反対することが刻下の急務であると思うのであります。イデオロギーの相違であるとか、
政党政派の違いであるとか、人生観、
世界観の相違であるとかいうことに拘泥することではなくして、この二つの法案に反対することが
国民の崇高なる責務であると
考えるのであります。そしてみずからの利害を超越し、勇気を振
つて、今日設置されようとしておるところの自衛隊を、軍事的な性質の国家機関から災害保安隊に切りかえるように、努力していたたきたいと思うのであります。私は
日本国と
日本国民の将来の繁栄と人類の幸福のために、このことを特に国
会議員の皆様にお願い申し上げたいのであります。
以上であります。