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平井委員 最後に一点お伺いいたします。今後
防衛隊員を教育する上において精神訓練が必要であるということは、
アメリカでも今日行われておるところであります。しからば精神訓練とはどういうことをやるか。昔のように非常に厳罰に処し、あるいは厳格に、むしろそれ以上にきびしく教育することが精神訓練であるかどうか。
世界の
人類は平和を求めておる、すなわち理想に向
つて走
つておる。それは終局においては
人類の平和であります。
戦争のない
世界をつくりたい。
ソ連も
アメリカも同様であると思う。その行き方がちよつと違うだけであります。その理想に向
つて行く上においてはまことの一点であると私は思う。このまことということは
ソ連も
アメリカも
日本もあるいは全
世界の
国民に通ずることであると思うのであります。いいことならば
ソ連が見ても
アメリカが見てもいいことである。このまことということに徹しなければならぬのであります。しからばそのまことということはどういうことがまことであるか。このまことを求めることにおいて
意見は非常に食い違
つておるが、まことということはすなわち
人間が正しく生きて行くことであります。
ソ連の言う理想あるいは
アメリカの言うがごとき理想ならば、あるいはマホメットとかイエスキリストとか、釈迦とか、
日本においては親鸞、法然、日蓮のごとき人ならばこれはけんかのない
世界が生れることであろう。ものがなければ食わんでおろうというガンジーの気持ならば――。しかしそういうわけにはいかない。
人間は欲がある。
戦争は何から始ま
つたかと聞かれたならば、色と欲ということは
定義であります。色と欲から昔の
戦争は始ま
つておる。今もその
通りである。そこで欲も得も捨ててほんとうに正しい神仏のごとき気持にな
つて行きたいと思うのが
人間の理想であります。しかしなかなか凡夫というものはそうはなれない。なれないけれども、せめて
自衛隊員はまことの道に徹するように行くことが――やはり
長官以下幹部が口で言うてもつまらぬ。筆で言うてもつまらぬ。無言のうちにまことの道を教えて、そうして
日本というものはこうなくてはならぬ。こう進まなければならぬ。これをそのまことの道を教えるために昔は
軍隊で訓練してお
つた。それが少し曲
つただけであります。日清、日露のときの兵隊ならば間違いがなか
つた。しかし軍人でも政治家でもあまりのぼせてはいかぬのです。のぼせないようにほんとうに
人間の道を歩かせるということにおいて、
長官ならば日常の生活でおそらく隊員は、よくなると思いますけれども、全隊員と一緒に寝泊りするわけにいかぬのでありますから、このまことの道を徹しさせるには
長官はどういう方法をおとりになるか。そうして全
日本人から、来るべき
防衛隊員は非常にりつぱである。
防衛隊員ならばお嫁にやろうか、これは何としても模範的青年である、こういうふうに言われなければ、実際親しみはないのであります。また守れない。外敵が侵入した場合においても信頼できない
防衛隊ならば守り得ない。そこでそういうりつぱな青年を育てるのには、どういうことが一番いいと思うか、それは気にいらないものもいるでしよう。あなたの
信念の
通りやることについては、気にいらぬ人もありましようけれども、真にりつぱな
日本人をつくるためには、気にいらぬ
人間に遠慮をしてお
つてはできませんから、おれはこういう方法でや
つて行くのだという
信念を聞かせていただいて、本日はこれで私の
質疑を打切ります。