○帆足
委員 ただいまの御
答弁で満足でありますが、どうかただいまの点を通産省当局も
輸出政策という点からひ
とつ御検討くださ
つて、いたずらに専売当局を責めるのでなくして、専売当局としては塩を確保せなけれならぬという重要な任務がございますから、その任務を十分御理解なさりながら、なお国の
国際収支の行き詰まりと、
輸出振興の
政策をそれに織り込んでいただくように両者の合理的協調をお願いする次第であります。
次に映画の問題は先ほど午前中にも申し上げましたが、あれは簡単な問題のようで実は重大な問題でありまして、特に外務省の圧力でああいうふうに
なつたといいますけれども、外務省の情報局というのは、あれは一番頭の悪い局であることはもう出版物を通して明確でありますが、それが私どもを指導するというに至
つてはまさに言語道断、抱腹絶倒と申すよりほかはありません。英語のできる人必ずしも文化人ならず、これは論語に書いてあつたかどうか知りませんけれども、私はそう思います。そこで今
日本はユネスコにも入
つており、国際連合にも入
つておる。
日本が中国の准河の修築の映画
一つ見る機会もない。アルメニアの美しい風景も、愛らしい韃靼の美人の踊りすら見る機会がない。こういうことではいけないのでありまして、私はこういうことは許せない。そうして外務省の情報局は
日本の国民に対する思想統制をする機関では断じてない。従
つて映画の
輸入などにくちばしをさしはさむことはならぬと通産当局は言うてしかるべきである。そうして映画の
輸入の基準、映画倫理というものは、映画審査
委員会という自治機関、良識ある分化人の自治機関がありまして、せつかくそれが苦労しておるのでありますから、それを尊重すべきだ。しかるに外務省当局の圧力に遂におびえまして、中国に対しては四本の映画が行
つていて、すでに二本の
輸入権があるにかかわらず、遂に三月三十一日まで許可されなかつた。かの有名な芸術映画白毛女も遂に諸君は見ることができない。私はこういうことではならぬと思う。インドのネール氏が白毛女を見て涙を流したというのです。あの映画が何で危険でしようか。ああいう中国の映画もソ連の映画も、かの国の実情から見てはよいが、この国の平和態勢にはどぎつくて多少遠慮した方がいいということのあることも知
つております。それは映画協会とか、映画倫理審査
委員会の自粛に
まつべきであ
つて、当局がスマートであるならば、
輸入業者は適当な自粛をすると思います。それが民主政治の良識だと思います。それをアメリカ、イギリス映画がたくさん入
つているから、
輸出を振興するときにアメリカ、イギリス映画は追加する必要がないというリストの中にちよびつと中国、ソ連という名前を審議会で疲れてし
まつたときに、疲労の極に達したときに、そういうものを入れてし
まつたということは驚くべきことである。きようは外務省情報局と大蔵省を呼んで、ぜひこれは国民の代表として——見る権利、聞く権利はわれわれにあるわけです。なぜ私どもが中国の揚子江の開発の風景を見てはならぬのでしよう、なぜドニエープルストロイの
計画の進行
状況を見てはならぬのでしよう。彼を知り、おのれを知るならば百戦危うからずと古来言われておるが、そのわれわれの権利を何の権利があ
つて外務省の情報局が干渉するのか、これは呼び出してきびしく反省してもらわなければならぬと思うのでありますが、一体今日の外交というものは通商外交でなければならぬ、経済外交でなければならぬ。通産省が主であ
つて、外務省はその仕事を安からしむるための助産婦でなくてはならぬと思います。それを外務省に追随して通産省が十分に機能を発揮していないということは遺憾しごくである。私は農林省と通産省は兄弟姉妹のごとくであ
つて、そうして都会でつくつたところの機械やその他のものを農村にやり、農村からは食糧をいただき、農民の生活を改善し、一緒に
なつて外務省を教育して
輸出の振興をはからねばならぬというときに、通産省の政治力が弱いのは昔からの士農工商の遺物である。こういうりつぱな通産
大臣を持ちながら、他の省よりも比較的政治力が弱いとされておるのは何事であろうか、何よりもまず敗残のわれわれ国民は食わなければならぬ。生活が安定すれば。パチンコなどは減るのです。することがないからパチンコをしているのです。決してあれは楽しいことではないのです。痴呆
状況です。そういう点で決して通産省当局はもつと強い——通帳
大臣は非常に知性をお持ちですが、もう少し強い心臓とバイタリテイを持
つておやりになることを切に要望いたします。
委員長から御注意の来る前にこれを最後ということにして御注意をいただかなくても打切りますが、最後は原子爆弾の問題です。私は数年前からもう
特需一辺倒に依存することは間違
つておるということを声を限りに叫んで来ました。数年前にダレスさんが、
日本の憲法に失望して、アジアのスイツツルなれという
日本の緑の地図を消して
まつ黒に塗りかえました。そのときにある日ミシン業者と自転車業者が私のところに相談に来て、もうぼつぼつバズーカ砲の下請に転化すべきでしようかと相談されました。私は従業員を救うためならしかたがないでしようけれども、大局としては、平和に生きて行く以外に道がないと思う。何となれば
日本の立地条件と戦略的諸条件、原爆もやがて水爆に移る
経過を考えますと、結局日ごと夜ごと平和の力が強くなる。武器の性質もかわ
つて来るということも言いました。今日こういう実際の過渡期において二割、三割を軍需その他にたよらなければならぬ二面があるとしましても、それに一辺倒にたよるわけに行きません。何とい
つても八千万という厖大な国民の生きるためには平和の道に活路を見出さねばならぬ。そうしてすでに万国平和
会議の前夜にあるとするならば、そうして平和が続くとするならば、
貿易で生きて行く以外に残された道は絶対にないということを、私は覚悟せねばならぬと思う。その意味において、私はさつきの川上
委員の意見と多少は違う点もあるかもしれないと思いますけれども、平和の条件のもとに原子科学を研究して行くことは必要だと思います。しかし今
日本に原爆の製造工場をつくるような組織もなければ実力もありませんし、そういう政治的、国際的環境にないことも御
承知の
通りです。従いまして私どもがなすべきことは、まず安心して原子科学を研究し得るような平和の雰囲気に協力して行くこと、国際連合、ユネスコその他の平和への
努力の面に協力して行くこと、同時に、第二には原子科学について的確な
資料を集めて理解力を持つこと、第三には、原子科学の今日及び将来の
見通しと、原爆水爆のもたらすところの影響と、その影響力の強さと深さを全国民に知
つていただくことそれが今日の教養です。今日の
日本の教養とは何ぞや、原子科学に対する知識です。私は、原爆に対するイロハの知識のない者が政治家たることは、祖国に対して犯罪を犯すことであると思います。従いまして、いつぞや外務
委員会におきまして、吉田総理に対して原爆白書を一日も早く公表してください、それは国
会議員を教育することだけではなくて、全
日本国民の目を開くことですというお願いをいたしましたが、まだ十分な実行を見ないうちに、早くもわれわれは体験を通じてこれを知らねばならないという不幸に直面するに至りました。今日皆様御
承知のように、雨水を蒸溜して使
つておるところの測候所の所員たちが相次いで原子病に倒れておるという現状です。
政府は今これを調査しておると言いますけれども、青酸カリを飲んだあとで胃液の分泌を調べておるような、実に心細い
状況であります。私はもし
政府にして誠意があるならば、一応水爆の禁止をアメリカに
交渉しておいて、待
つてください、そうしてその間に影響をもう一ぺん調べて、実験をするなら害のない範囲で今度は実験を続けてもらうというようにするのが良心的な保守政治家の任務ではないかと思いますが、それすらなすことなくして、岡崎さんがお追従を言
つて水爆実験に協力するというようなことを言つたときには、私は実に怒髪天をつく思いがいたしました。この問題は私は十分に理解しておかねばならぬ問題だと思います。先日炭鉱労働組合の人々が来まして、重油と石炭の競合
状況をわれわれにアツピールしました。しかしこの問題は
バランスの問題であるから、私どもは、石炭鉱業労働者が失業しないように、
愛知さんに十分お話しするけれども、しかし根本問題は、その背後にもはや水爆が電力エネルギーとして登場しつつあるということに対して、全炭鉱労働者は決心を固めねばならぬということを率直に申しました。と申しますのは、最近外国の新聞の伝えるところによりますと、一般の原爆は一千発を越えまして、すでに過剰生産に
なつてしまいました。水爆一発について引金原爆一発がいるわけでありますから、水爆がやがて百発になれば、原爆九百発というものはもう置き場のないところの廃物になるのでございます。そうしますと、その原爆工場を閉鎖するわけにも参りませんので、その
生産力をいやでも何らかの意味において原爆以外の、民族国民のエネルギーに使わねばならぬという事態にもはや迫られております。人類の最高の
生産力であるところの原子
生産力はすでに過剰生産に来つつある、こういう恐るべき
状況を前にしておりまして、やがてこれが電力に使われるならば、先日「遂に太陽を発見した」という書物には、電力の値段が二千分の一になると書いておりました。しかし私はそういうことはあるまいと思
つて、先日わざわざ理研に同僚の
議員と一緒に出かけて——われわれ国
会議員全部がなまけ者であるはずはないのです。同僚
議員数名とともに理化学研究所に行き、この書物のことを確かめました。すると、これには計数の誤りがありましたけれども、しかしだんだん水力電気、火力電気よりも安くなる
傾向にあることは間違いのないことです、と言うのを聞いて、実は驚いた次第でございます。こういうことで、あと数箇年後には明らかに——川上君は平和にまた使つた例がないじやないかと言いましたが、まだ今日の段階はそうでありましようが、あすにはもう平和に使われることが目睫の間に迫
つておる。石炭はやがて
織物と薬をつくるための原料に
なつてしまうのも、もう目前に来ておると私は思います。こういうあらしのような、夢見るような時代に生を受けて、国の政治をお互い預か
つておるわけでございますから、保守といい革新といい、われわれはともにもう時代から遅れております。無知のやからと言われてもしかたがないでしよう。お互いにいたずらに攻撃のための攻撃をするのでなくて、十分に意見の交換をしまして、国のためによいことであるならば、相提携してやる、よくないことならば、論議を明らかにして国民の判断に
まつというふうに参りたいと存じます。先ほど川上
委員からは平和を愛する
余り原子科学予算についての批判的論議がありましたが、私も平和を愛するものであります。しかしやはり原子科学予算というものをもう少し建設的な方向に使
つていただくならば、国民の疑感を転じて福となすこともできますので、その産業面をもつぱら担当するものは
愛知さんでありますから、やはり通産省においても、この問題の担当事務官でもお置きくださいまして、今から正確な情報だけでも集めておいて、そうして
日本がこの問題に携わるチヤンスと用意はどういう点において準備すべきかということを、平和の面において御探求していただいておくということは、私は
愛知さんにふさわしい仕事の
一つであると思いまして、最後にそのことをお尋ねする次第です。