○
浜井参考人 私、
広島市長の
浜井でございます。本日はお忙しい中を特に
広島と
長崎に関する問題につきましてお聞きくださいまして、さらに
両市の財政問題について御検討くださることを厚く御礼申し上げます。
さつ
そく御指示によりまして、私
どもが今日当面いたしております二つの問題につきまして、お聞き取りを願いたいと思うのであります。お
手元へ、時間を節約いたしますために
資料をお配りいたしておきました。
今日お開き取り願いたい
一つの問題は、
広島市の
建設状況でございます。お
手元に
地図を配
つておきましたが、
広島市はこの
地図の赤く囲んでありますところ約四百万坪をま
つたく焼失いたしました。その他の区域の
家屋等もほとんど
原爆の爆風によ
つて大破いたしておるのでありますが、
昭和二十四年に
広島平和記念都市建設法が制定になりまして、その際この
焼け跡の四百万坪につきまして、総合的な
建設計画を
建設省とともに立てまして出発して参
つたのであります、その
延段状況は、「
昭和二十九年九月、
広島平和記念都市建設事業の進捗について」という
資料をお
手元にお配りいたしておきましたので、その
資料について御
説明申し上げたいと思いますが、その
資料の終りの方に
一覧表をつけてあります。当時これだけの
焼け跡を
建設するにつきましては、総合的な
建設計画を立てることが必要であるということから、大規模な総合的な
建設計画を立てたのであります。それが
最初の表にございます
総額二百八十億という
厖大な
事業費を持つ
計画なのであります。もつともこの中には
河川改修でありますとか、
港湾修築のような、国が
直轄事業としてや
つておる
事業も含まれておるのであります。こうした
総合計画に基きまして、その表にございますように、とりあえず
昭和二十五
年度から
広島平和記念とし
建設事業五箇年
計画というものを、
建設省の承認を経て立てまして、
昭和二十九
年度までにこの基礎的な
事業を遂行しようということで今日に至
つておるのであります。その
事業費総額は二十八億でございます。先ほどの
総合計画に基きまして立てた基礎的なものだけを抜きとりまして二十八億という
事業費を一応もくろみまして、それを
政府の
補助金と
手持ち資金とで遂行して行くというので今年に至
つておるのであります。しかるに
昭和二十九
年度、今
年度は
最終年度に
当りますが、なおかつ
相当の
事業が今日残されておるのであります。お
手元に配りました
資料の最後に「五箇年
計画残」というのがございますが、十一億円千二百七十六万というような
事業が今日残されておるのであります。私の申し上げるまでもなく
都市計画は一旦出発いたしますと、これはもう変更あるいは修正はほとんど不可能なのでありまして、何といたしましてもこれらの
計画は遂行しなければならない
状態に相な
つておるのであります。いずれにしましてもこれは今後をかけましてやり遂げなければならぬと思いますが、ここで
政府の
補助金等が打切られますと、
広島市は財政的にも非常な困難に遭遇することに相なりますので、
かたがた建設省の方へ今後なおこの
事業を継続していただくことを陳情いたしておりますが、当
委員会におかれましても何とぞ
事業継続について御
配慮をお願いいたしたいと考えるのであります。
大体
復興状況につきましては、はなはだ簡単でありますが以上にとどめまして、次に今日私
どもが非常な困難にぶつか
つておりますのは、
原爆障害者の
治療対策の問題なのでありますが、お
手元に「
昭和二十九年九月、
原爆障害者治療対策の概況」という
資料をお配りいたしておりますので、これについてごらんをお願いいたしたいと思います。
広島市の
原爆の直後に
アメリカと
日本政府では、厚生省と
共同という触れ出しだ
つたのでありますが、
共同の
事業として
広島に
原爆災害調査委員会の
施設ができまして、そこで
原爆障害者の
災害の
調査研究が行われて参
つたのであります。これを私
どもは
ABCCと称しておるのであります。それはアトミック・ボンブ・キヤジユアルテイー・コミツシヨンの頭文字をとりました略字だそうであります。この
ABCCができますときに私
どもは、ここにおきましてどういうふうな
仕事をして行くのかということにつきまして、
アメリカ側と折衝いたしたのでありますが、
アメリカ側では、
原爆障害に対する
調査研究は行うが、
治療はいたさないということであ
つたのであります。その際にも私は、
仕事それ
自体は非常に有意義なものであるといたしましても、
市民の側から、言えば、
調査研究よりも
障害それ
自体の
治療を欲しておるのであるから、
ABCCとしても、
治療をしながら
調査研究を進めて、小行くことが、
市民にほんとうに協力させるゆえんではないかということを強調いたしたのでありますが、
ワシントンの命令で
治療はできないのだということで、爾来
治療はや
つておらないのであります。
向うの
言い分を聞きますと、
日本にも
医師も
病院もあるので、
アメリカ側が
日本へ乗り込んで来て
治療まで手を出すということはよくない、
従つてABCCでは
調査をして、その
本人の
健康状態等をすべて記録に示して、それを
主治医の方にまわして、
主治医に
治療をさせるという方法をとりたい、こういうふうな
言い分なのであります。しかしながら、
ABCCに対しましては、
研究対象とな
つております
広島市の
障害者の中にも
相当反感がありますし、いろいろの問題を残しておりますので、先年私
ワシントンへ参りましたときにも、
ABCCの本部である
学術研究所の方へ参りまして、この
事情を訴え、
障害治療を、や
つてもらいたいということを強く申し出たのであります。当時その点については、
アメリカ側でも十分に研究すると言
つておりましたが、今も
つて治療はいたしておらないのであります。
原爆障害者の問題につきましては、当初われわれにも
認識不足な点が多少あ
つたと思うのでありますが、主としてあの
原爆によりまして
外傷を受けまして、非常に醜い顔になり、また手足の機能を失
つておるような者がたくさんおりますので、これらの不自由な人あるいは醜い
容貌等にな
つた人に
整形外科等を施して、できるだけそれの
治療をや
つてたらなければならないのじやないかというような、主として
外傷患者に
関心の
対象が向けられてお
つたのであります。しかしながら、だんだん
調査いたしてみますと、この
原爆障害の問題は、
外傷患者よりも、むしろ
放射能の
影響を受けた内科的な
患者に大きな問題があるということがわか
つて参
つたのであります。従いまして、
広島市といたしましては、
昭和二十七年一月に
市政調査員を使いまして、個別的に
原爆障害の要
治療者かどのくらいおるかということを調べてみたのであります。その結果、
市内に約四千三十八名という
数字が出て参りました。これらの者につきまして、
医師会と協力いたしまして、順次その診断をや
つて参りまして、その
症状を調べることにいたしたのであります。だんだん調べておりますと、これは放置できない問題であるということがわか
つて参りまして、さつ
そく市といたしましては、
医師会と市と、各
公立病院長等が
共同いたしまして、
広島市
原爆障害者治療対策協議会というものをつくりまして、この
協議会におきまして
治療対策を講じて行く、場合によ
つては、
協議会におきまして
医師を手配して
無料治療をや
つてやるという態勢を整えたのであります。しかし問題は
経費でありまして、非常に悩んだのでありますが、ハワイの同胞が
広島市に送
つてくれました
寄付金の一部をとりあえずさきまして、その
治療費に充てて、細々ながら
治療を開始いたしたのであります。その後
昭和二十八年八月一日からNHKの主催で、全国的な
寄付募集運動をや
つていただきまして、その結果
広島市に三百五十八万円という金を送
つて来られたのであります。それでとりあえず県、市が出しました八十万円の
補助金と、直接に
原爆の
障害者の
治療費に充ててくれと言
つて送
つて参りましたこの
金等で、今日までや
つて参
つておるのであります。しかしながら、この
治療費の問題は、これを市費あるいは県費で出すということになりますと、
相当厖大な
金額が必要なのでありまして、財政的にも非常に困難でありますので、ぜひ
国家において取上げていただきたいと考えまして、さきの
国会に、
原子爆弾による
障害者に対する
治療援助に関する
請願という
請願を行いまして、いずれも去年の八月に衆議院も参議院もこれを採択していただいておるのであります。そこにいろいろと今日までや
つて参りました
治療状況の
資料を簡単に載せておりますが、今後の問題といたしまして、
政府並びに
国会において御
考慮をお願いしたいと思いますととは、大体われわれの
調査に基きます推定で、
広島市に
治療を要する者が約六千人おると考えておるのであります。その六千人に対する
治療費を、ぜひ国庫において負担していただきたい。繰返して申しますが、この問題はだんだんに、
障害者を調べれば調べるほど、
一つの人道問題であり、放置できない問題であるとわれわれは考えまして、これはどうしても個人の
責任においてその
治療をまかせておくべきではない。
公共団体あるいは国が、どうしても
責任をも
つてその
治療対策を講じてやらなければならないと考えております。これを
地方において解決するとなりますと、後ほど申し上げますような非常な
厖大な
経費がいりますので、
地方財政上もはなはだ困難な点もございますから、ぜひ
国家においてこれを御
考慮願いたいと考えるのであります。大体その六千人につきまして概算いたしてみますと、六千人のうち
外科的の
治療を要する者が二千四百人、一人
当り治療費が二万円かかるといたしまして、これが四千八百万円必要でございます。次に内科的の
治療を要する者が三千人と見まして、これに一人
当り五万円の
経費がかかるといたしまして一億五千万円の金がいるわけであります。そのほかに眼科その他の
患者がおります。これを六百人と見まして一人
当り、一万五千円として九百万円の金がいるわけであります。総計いたしまして、
広島市だけで二億七百万円の
治療費が必要なのであります。
なおもう
一つ問題がありますのは、これらの
人たちは貧困な者が非常に多いのであります。
治療をするといたしましても、ある
程度治療期間の
生活保護の問題を考えてやらなければ事実上
治療ができないという者がおるのであります。これを大体一割五分と見まして、一箇月に、五千円の
保護費を与えるといたしまして、その総計が千八百万円に相なるのであります。今後これらの
原爆障害者の
治療をや
つて行くといたしますと以上申し上げたような
経費が必要なのであります。しかしながら
治療期間の
関係もあり、また
医師の人数の
問題等もありまして、これらの
患者を一どきに
治療して行くということはとうてい不可能でありますので、大体年間ただいま申し上げた
金額の四分の一
程度のもので、最も急ぐ者から
治療を開始して行
つたらいかがかとわれわれは考えておるのであります。この点につきましては、過般
長崎市と協議いたしまして、双方の
金額を合計いたしまして、
政府並びに各政党にお願いをいたしたのであります。なお将来の問題といたしましてお願いいたしたいと思いますことは—大体今
原爆を受けて生き残
つておる者が
全一国に十五万人いるはずでございます。十五万人のうち九万八千人が
広島市に住んでおるのでありますが、これらの者のうちには、現在健康そうに見えましても、将来いつ
放射能症を起して来るかわからないというようなおそれのあるものが
相当あるのでございます。これらに対しましてはやはり適当な時期に
健康管理をやりまして、時々
本人の
健康管理をして行かないと—今日内科的な
疾患を起している者でも、戦後しばらくは健康で過して来た者もおるのであります。最近になりまして非常にからだが悪くな
つたというので
医師の手にかけてみますと、やはり
放射能症であ
つたというふうなものも出て来るのでありまして、将来の問題といたしましては、少くとも
原子爆弾にあ
つた者については、
健康管理の問題を考えて行かなければならないのじやないか、特に私
ども非常に危惧いたしますのは、当時まだ小さか
つた小学校、中
学校の生徒でありまして、これらについては、ぜひ
健康管理をや
つて行きたいと考えておりますので、この問題も
国会において御
考慮をお願いいたしたいのであります、
なお
地方財政の問題とは別個であり手が、たまたま
原爆症とわれわれ称しておりますが、
放射能症につきまして、今日
治療を要する者だけでも
広島市に六千人、
原爆弾を受けた者は九万おるのでありますから、これらを
対象といたしまして、将来
放射能症に対する的確な
治療対策を講じられるということは、国としても重要なことじやなかろうか。それにつきましてはそれらの
研究機関を
広島市あるいは、
長崎市に設置されるように、
国家に要望いたしたいと考えるのであります。
以上はなはだ簡単でありますが、この問題につきまして、市といたしましても非常に悩んでおりますので、
国家におきましてもどうぞ将来の御
配慮をお願いいたしたいと考える次第であります。