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高橋参考人 私は
経済学を勉強しておりますけれども、
会社の経理とか
会計というふうなことについてははなはだ不勉強でありまして、そういう点からではなしに、きようは
国民経済というような見地からこの
法案に関する私の
考えを申し上げたいと思います。
初めにあそこにグラフを持
つて参りましたので、あれについて
説明をいたします。左側に
生産費と書いてあります。
生産費をわけてA、B、Cとしまして、
生産費というのは、
賃金を払う
賃金分、
原料を払う
原料分、それから
固定資産のうち、その年のうちに消耗した分に対する
償却費、
賃金と
原料と
償却の三つからな
つているわけであります。しかしその
企業なり
会社なりにすえつけてあります
固定資本の方は、一年だけで全部は消耗いたしません。あそこの場合は、図を簡単にするために四箇年間が
耐用年限、
従つてことしの分のAとしましては四分の一
償却するわけであります。あのA、B、Cの
生産費が合さりまして、次のところに書いてあります
生産物ができ上るわけであります。その
生産物のうちから
生産費にひとしいA、B、Cを除きますと、
あとへ残りますのが、かりに半分ずつにいたしてありますけれども、
企業の
利益として残るのがD、
税金として
中央政府なり
地方政府なりに持
つて行かれるのがEであります。こういう
状態が
インフレーシヨンでもなし
デフレーシヨンでもなし、つまり
会社の内部におけるいわば
帳簿価格と同じ
値段で世間でも
固定資産その他のものが売買できる。そういう
状態が続くといたしますと、大体同じ
企業は
年々歳々あれだけの
生産物をつくり、あれだけの
価格で販売しまして、Eにあたる
税金を納め、Dにあたる
利益をこの場合は全部を
配当中にまわすことにしますとおしまいになりまして、
あと来年は、A、B、Cという
生産費にあたる分を持
つておりまして、Bという
原料を仕入れ、Cという
賃金を払い、Aの方はまた
耐用年限がありますから、しばらくの間は
償却準備、あるいは更新の
準備の
資金として積んでおけばいいわけであります。もし
経済が順当に正常に進んでおればそれが
年々歳々繰返されるわけであります。そうしますと、この
企業の場合には、
年々歳々同じ
規模でずつと行くことになります。しかしもしこの
会社がさらに
規模を拡大しようということがあれば、あのDにな
つております
利益、あれをたとえば株主に
配当するのを三分の一だけにしまして、
残つた三分の二でも
つて来年はまた
固定資産、
原料、
賃金という方に支出しまして、今度は来年の場合には、今年よりもより大きな
生産費で事業を開始しましたから、
従つて来年の末の
生産物、
従つて価額はことしよりもそれだけ多いということになるわけであります。ここまでの
説明は
ただ一つの
企業のことを
考えたのでありますが、今度は
日本全体の
産業としても同じことでありまして、つまり
日本中にあります
会社を
ただ一軒の
会社の支店とか、あるいは分工場というふうにお
考えになれば、
日本全体の
産業についても
経済についてもああいうことが言えるわけであります。つまり一箇年間に
日本の
労働者に支払われます
賃金、それから一切の
企業が買い入れます
原料、それから一切の
企業が持
つております
固定資本の
償却分、それだけのものを
日本の
国民経済が
生産費として提供しまして、
まん中にあります
生産物だけの
国民生産物というものができ上るわけであります。それを
政府がいろいろな形で
税金として
E部分だけ取上げ、Dというのが
配当とか利子とか、その他の形で
国民に分配され、それが全部消耗されましても、
日本経済としては来年度もまた同じ形で同じ
規模で進んで行けるわけであります。
あとA、B、Cについては、
一つの
企業の場合と同じことであります。ここまでが先ほど申しました
インフレシーシヨンも
デフレーシヨンもない場合の
経済の運行であります。
ところがどういう理由からにかかわらず、
インフレーシヨンがあるといたしますと、
生産物の
価額が騰貴いたします。ここでは図を書く必要から
ただ二倍にいたしましたが、実際には御
承知のように、今度の
日本の場合には二百倍も三百倍も多くな
つていることは申し上げるまでもないのであります。そこで
インフレになりまして、
生産物の
価格が二倍にな
つたとしまして、その
価格を構成しておりますA、B、C、D、Eがそれぞれ全部仲よく二倍にな
つた、そういう場合を
考えますと、これは非常に簡単でありまして、
生産物そのものは、物としては増減なしに、
ただ価格の面でだけみなが同じものを二倍の金を出して買い、同じ物を売
つて二倍の金をとるというだけのことでありまして、税はE、
利益としてD、
あと同じことであります。ところが実際の問題としてそういうふうになるとは限らないわけであります。たとえば
価格が
インフレーシヨンの結果騰貴したといたしまして、何かの都合で
税金の方が二倍よりもはみ出すような仕組みにな
つているかもしれないわけであります。そうしますと、あの赤い線で書いておきましたEという
税金の方が、
利益の方に食い込んで行くかもしれないのであります。それからCの
賃金でありますが、これまた何かの
事情で二倍にな
つただけでは済まないで、その
賃金が増加するということがあれば、これまたDの方に食い込んで
利益が少くなるという場合が
考えられます。
それから
インフレの場合に
賃金もなかなか下らない、
原料代も下らないということになりますと、Bの
値段がふくれ上
つて行つて、さもなければ
固定資本の方が、
償却分として
インフレがない場合の二倍だけになるべきもののうち、あそこに書いてありますように、半分ぐらいが
原料代に食われるかもしれない。こうなりますと、
償却分としては
貨幣額だけからいえば、
インフレ前と同じ金額のものが
償却分としてと
つておかれましても、実際には、あれは四箇年
間耐用期間でありますから、四箇年
間分で元の
機械を買えるかというと、半分しか買えないわけでありまして、それではこの
会社は四年目にな
つたとたんに、半分の
規模でしか動きがとれない。こういうことになるわけであります。こういうことがもやもやとしておりましたのでは、その
企業にとりましても、その国全体の
経済にとりましても、だんだん
固定資本的な
規模、基礎が食いつぶされて行くわけでありますから、これではたいへんなことになるわけであります。もし
インフレーシヨンになり、それが安定しまして、
固定資本の
償却分としてあそこに書いてありますような合理的な
割合で
償却が行われないなら、これは国家として何か手を打つ、ある場合には強制的な
法律をつくることも必要だ、そういう議論が出て来るわけであります。ここまでのところはいわば
原則論、
抽象論でありまして、ここまでの限りについては、この問題について
違つた意見は出て来ないのではないか、だれでもそういうふうになるのじやないか、そう思います。
ただ今度問題として具体的に
考えまして、
日本経済全体は今ここでいわばああいう学校教科書的な
考え方を貫いて行けるのかどうか、確かに
日本ではAの
部分、
固定資本の
償却分として十分に
資金がとりのけられていなか
つた、それは一部の
企業家が無能だからか、あるいはそういう見せかけだけのもうけをぜいたくに使
つて遊んでしま
つたからか、そういう主観的といいますか、
経営者の無能ということから来ているのだ
つたら、それはそれで直せるわけでありますけれども、もしもつと
考えて、ほかに重要な
事情があるなら、こういう
抽象論、
原則論ではなかなか押しては行けないのではないか、そういうふうに
考えるのであります。つまり今の
日本でまだ再
評価を十分にしてない
会社が十分にや
つていないのは、その
企業の
経営者が無理なんだ、悪いのだ、やろうと思えばやれるはずだ、それをやらして
日本経済全体が円満に行くはずだという
条件があるかないかということを
考えてみなければいけないと思うのであります。
ここで
戦争前の
日本と
戦争後の
日本との根本的な違いを
考えてみる必要があると思うのであります。あそこで
原料がどの
程度の
値段で入
つたか、それから
賃金がどの
程度の
賃金で十分だ
つたかということを
考えますと、
日本の
産業にと
つて非常に重要な
石炭にしても、
鉄鉱石にしましても、塩にしましても、満州や樺太の木材、パルプなどにしましても、あるいは
石炭などにつきましても、
日本に近いところから非常に安く入
つたのであります。それから
戦前の
日本の
労働者は、安い
賃金で働きましたけれども、なぜ安い
賃金で働けたかというのは、やはりとうふの
原料に限りませんけれども、大豆が安く入
つた、いろいろな
水産業の権益を
日本が持
つていた、
南方から安く米が買えた、
南方よりも朝鮮や台湾から砂糖や米やバナナなどが安く入
つて来た。つまり
日本側からいいますと、
日本国民の勤労の結果をそれほどよけい出さないでも
割合多くの
原料や
食糧が入
つて来たということがあ
つたので、
戦争前のような
日本経済は、まあまあ均衡を保ちながら、しかも発展できたと思うのであります。ところが
終戦後は、そういう点について根本的な変化が起
つたと思うのであります。そこでどんな合理的なことを
考えましても、
食糧を手に入れるためには、
原料を手に入れるためには、
戦前の
割合よりも割の悪い
出し方を
日本側からいえばしなくちやいかぬ。その割の悪い
出し方というのはどこから持
つて来るかというと、結局あそこに書いてあります
税金を減らしてもらうか、
企業の
利益を減らしてがまんするが、
賃金を減らすかということになるわけであります。
原料も減らしたいのでありますが、
原料を減らしたのではものが生産できませんから……。それからもう
一つは、
固定資本をまあみんなでやむを得ず食いつぶすかということしかないわけであります。そう
考えますと、どうも
税金の方は、たとえば
占領が終りますまでに
日本の
政府は、五十億ドルくらいの
終戦処理費を払
つております。これは
戦争前でも相当大きな
軍事費をまかな
つたはずだから、何でもないじやないかといえば、
計算の上だけではそうでありますが、
日本の
経済が
規模が小さくな
つた上で、しかも戦後のあの縮小した時代に五十億ドルぐらい支払わされるというのは非常に大きな打撃でありまして、それはどこから来るかといえば、A、B、C、D、どこからでも来ますけれども、まわりまわ
つて固定資本の
償却分にも食い込んだはずだ、それから
原料にしても
賃金にしても、
計算の上ではよくな
つたように見えても、それほどのことはないのではないか、そういうことは
考えられるのであります。それから
占領費のせいにいたしませんでも、さらに敗戦によ
つて、あるいは
戦争中に
日本の
固定資本の性能が落ちた、
原料が悪くな
つた、それから戦後のどさくさにおいては、いくら
労働意欲があ
つても働けなか
つた、あるいはああいう
状態では
労働意欲がなかなか起らなか
つたということを
考えますと、あの
まん中に書いてあります
生産物は、
戦前に比べて同じどころではなくて、御
承知のように非常に
減つているわけであります。
減つたからとい
つてがまんできる
部分とがまんできない
部分がありますが、
賃金の
部分などは最もがまんのできにくい点であり、それから
税金の点も御
承知のように決して
減つてはいなか
つたわけであります。そういうのがまわりまわ
つて、
積り積つて固定資本の
償却を十分にできないというところに来ているのではないか、そう
考えるのであります。そういうことが根本的な
事情としてあるほかに、
戦争中からさらに
終戦後も、
日本は非常に高度の
統制経済をしておりまして、
統制経済には当然
統制価格がつきものであります。そうしますと、
統制価格のきめようによ
つては、ある
企業では
固定資本までまわすほど、つまり
償却分としてと
つておけるほどいい
値段と公定できめられた場合もありますけれども、
戦争その他に必要のない
産業については、それほどいい
価格は認めてもらえなか
つたということになりますと、この点からも
固定資本の方がおろそかになりがちだと思うのであります。それから
補給金という制度がありまして、これも
補給金をもら
つた産業、もら
つた企業については
固定資本の
償却が十分にできるかもしれませんけれども、そういうところからいわば恩典にあずか
つていない
企業については、そうともいえないわけであります。それからさらに最近というほどでもありませんけれども、何とい
つても
原料を売買する場合を
考えますと、大きな
資本、独占的な力を持
つております
企業が売り出す
価格は比較的に高いわけでありまして、そういう
原料などを買
つて加工する
企業家からいいますと、
原料代が高いので、つまり
価格のうち
原料代に食われる
部分が多くなりまして、やはり
償却の方にはまわせないということにな
つて、その辺からも
償却さるべき
固定資本がされないままに来ているのではないか、そういうこともあると思うのであります。
そういうことをいろいろ
考えてみますと、最初申し上げました
経済原論風に、あるいは
原則論的にや
つて行つて——最初申し上げたことは、つまり本来の
市場価値ですか、実際の
価値になるまで持
つている
資産を再
評価して、
従つてその再
評価された
資産に応ずべき
償却を今後どしどしやれということは、そういうことを
現実に強行して行
つたらどういうことになるかと申しますと、すぐ
考えられますことは、
賃金に対する圧迫が強くならないわけには行かないと思うのであります。この点は
戦争前と比べまして、
労働立法などがありました
関係上、確かに
企業企業にと
つては
戦前よりも
賃金が高過ぎるように感じられる節はあると思います。そこで、それでは再
評価の
法律の結果として、
法律に従うために
賃金に対するいわば攻勢を加えるということが起
つた場合に、今日の
日本の
社会、
経済、政治上の
事情からして、そういう平地に波瀾というほどのことはありませんけれども、労資の対立なり、そういうことを激化させる方向に行くことはよほど
考えなければいけないのではないか。それからもう
一つは、大きな
会社でありますと、この
法律に
従つて固定資本を再
評価して、当然
生産費が高いのだからというて
自分の
製品の
値段を上げます。そうしますと、その
会社の
製品を
原料として使わなければならない小さい
会社、あるいはほかの
産業からいうとたいへんなことになるわけでありましてその点からいうと、大きな
資本、力の強い
資本の方が、その再
評価から来る犠牲をほかの方へ
しわ寄せをするということになりかねないのでありまして、この点は、昨今ことに問題にな
つておりまする
中小企業をどうするか、
中小企業と大きな
企業との
関係調整をどうするかという問題も非常に
考えなければいけないと思うのであります。それから本来なら
外国の方に出て
行つて、この再
評価から生ずる
しわ寄せを
外国の方に向ける、つまり
日本の物を割高に売
つて外国の物を割安く買える、そういう
情勢があればたいへんけつこうなんでありますが、これは先ほど申しましたように、
戦前とは違いますので、どう
考えてもそういうことはなかなかできそうもないわけであります。そうしますと、どうも
労働と
資本の
関係、大
企業と
中小企業との
関係というものをだんだん悪くして行くという効果があるのではないか。しかし、今度はそういうまあ小さいということはないと思いますけれども、それではそういう対立なり何なりはやむを得ない。しかたがないとして、この
法律に
従つて、ここで問題にな
つております千五百ですか二千ぐらいの
会社がこの
法律に従おうと
思つて一生懸命
資産内容、
資本内容をよくして行くとしたら、一体
日本経済は全体として合理的な姿になるか、そういう問題であります。これは非常に実証的な
材料がなければ何とも申し上げられないわけでありますが、しかし
せんだつてから問題にな
つております
統制なしに、
計画なしに各
企業企業が
自分の
立場に立
つて企業を運営したり拡大する結果は、
日本全体として
過剰投資、あるいは
不良投資、二重
投資ということが起
つているわけでありまして、
たださえなけなしの
日本の
生産力、
原料なり
固定資産なり、そうい
つたものを、どうせ結局は全部は成り立たないにきま
つているような
企業の間に割込まさせるだけになりはしないか、そういうことがはたして
日本全体の限られた
経済力をうまく使う道かどうか、そういうことも
考えなければいけないと思うのであります。
それからもう
一つは、この
昭和二十九年の
財政が特にそうでありますが、そうでなくても、一般の
情勢は
デフレーシヨンの方に向いつつあるようでありまして、そうでなくてさえ
企業の
経営が困難な場合に、こういう
法律をつくりますと、先ほど申し上げたような問題がさらに深刻になるのではないか、そう
考えるのであります。それから
為替レートとの
関係は、非常にこの問題とは近いような遠いような
ちよつとわかりかねますけれども、やはり国内なり
日本以外の国で
日本の
為替レートの先行きを大いに神経質にな
つて見ているときでありますので、それとこの
法案との
関係というのもどうかな
あというふうに
考えられるのであります。
時間が
ちよつと超過いたしまして申訳ありませんけれども、最後にもう一言だけ申し上げますと、それじや結局お前はどういうふうに
考えるのかと聞かれれば、こういうふうに
考えたらどうかと思うのであります。つまり最初申し上げましたような
原則論に
従つてこの
法律を実施すれば、
一つ一つの
企業が健全になり、同時に
日本全体の
経済情勢も
社会情勢も安定し、さらに向上するというふうにはどうも私には
考えられないのであります。
原則的には正しいことでありましても、
現実の
条件がそういうふうにはな
つていない。それならどういうふうにすべきかということになりますと、これは私の言いたいと
思つておりますことを、
経済同友会の
昭和二十九年度
通常総会というものが、こういうことを言
つております。それは、つまり
日本の
経済の現状というのはそうなまやさしいものではないのだ、
中央、
地方の
財政の膨脹、
国民消費の多過ぎる点、それからさつき申しました
過剰投資とか、
過剰生産というふうなものを何とかしなくちやいかぬ、そのためには一定の
計画と
方針のもとに
総合施策を講ずることが必要だ、それには
総合計画の
中枢部として、
内閣に簡素協力なる
経済計画審議会を設け云々ということを言
つております。こういう意向は、いわゆる財界からだけではなしに、
労働組合その他の方でも、今の
日本の
経済というのは、
自由経済の
原則で、
方針で押して
行つたのでは、結局小さいもの、弱いものがあぶれてしまう。それでは黙
つていられない結果、いろいろな混乱が起りますので、結局今の同友会と同じようなことが
労働組合側からも出ているわけであります。そういう意味で、私は調べる気になればたいして多くはない
日本の
企業でありますから、それを少くとも主要なものについて徹底的な調査をされて、大局的な
立場から、大乗的な
立場から、
日本の
産業にと
つて、
日本の
経済にと
つて残しておくべきもの、残しておかないもの、あるいは転換すべきものということをはつきり打出して、それに
従つて再
評価すべきものはどしどしや
つて、
世界市場の中での
競争力を持つように、
日本経済の内部的な
実力を養うように、そういうことをお
考えにな
つてはどうか、そういうふうに
考える次第であります。
長い時間……。