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1954-04-21 第19回国会 衆議院 人事委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年四月二十一日(水曜日)     午後一時五十八分開議  出席委員    委員長 川島正次郎君    理事 赤城 宗徳君 理事 田中  好君    理事 永田 亮一君 理事 舘林三喜男君    理事 櫻井 奎夫君       荒舩清十郎君    田中 萬逸君       西村 英一君    山口 好一君       池田 清志君    石山 權作君       加賀田 進君  出席国務大臣         国 務 大 臣 加藤鐐五郎君  出席政府委員         人事院総裁   浅井  清君         総理府事務官         (行政管理庁管         理部長)    岡部 史郎君  委員外出席者         専  門  員 安倍 三郎君         専  門  員 遠山信一郎君     ————————————— 本日の会議に付した事件  国家公務員法の一部を改正する法律案内閣提  出第一〇一号)     —————————————
  2. 赤城宗徳

    赤城委員長代理 これより開会いたします。  委員長が不在でありますので、私が委員長職務を行います。  国家公務員法の一部を改正する法律案を議題として審査を進めます。質疑の通告がありますからこれを許します。永田亮一君。
  3. 永田亮一

    永田(亮)委員 なるべく簡潔に加藤国務大臣、それから岡部さんにもお伺いいたしたいと思います。  憲法を初めとして占領期間中に行われた制度がたくさんありますが、敗戦後非常な変革を来した。それが講和発効後におきまして、なお終戦直後のやり方がよかつたか悪かつたかということの再検討をやつてみることは、当然のことだと思うのであります。この国家公務員法というものも、マツカーサー司令部の非常に強い圧力によつて——圧力というと語弊があるかもしれませんが、指導によつてでき上つたということもみなの認めるところでありますが、この国家公務員法をつくつた考え方の根本が、アメリカ軍なんかが、まず軍国主義というものを払拭しなければいけない、その軍国主義を取除く一つ方法として、封建的な官僚機構というものが軍国主義一つ要素をなしておつたのじやないか、そういう考えがあつたと思うのであります。特に終戦までの特権的な官僚機構というようなものが、軍国主義の温床になつてつたというようなことを司令部の方では考えておつたようであります。そうしてそのためには、国家公務員法をつくつて官僚機構を全面的に改革すべきであるというような考えがあつたと思われるのであります。このことは、マツカーサー司令部ばかりではなく、特に担当しておつた公務員課長のブレン・フーヴアーという人の個人的な意見も大分あつたと思うのでありますが、結果において今日見られるような国家公務員法ができ上つた。それでそのできた過程はどうあろうとも、公務員法をつくつた目的趣旨というものは、公務員法の第一条にも書かれてありますが、決して間違つてつたとは私は思わない。今でもその目的趣旨というものはりつぱなものだと考えておるものの一人であります。特に民主的であつて能率的な公務員を形成するというようなことは、どこから考えて見ても、今日においても決して間違いではない、こういうふうに考えるのであります。しかしただ問題は、その目的は非常によかつた、その目ざす理想というものはたいへんりつぱであつたと思うのでありますが、その制度がどういうふうに実施されたからうまいぐあいにはたして行われたかということが一番問題になる点だと思うのであります。この点につきまして区切つてちよつと御質問申し上げたいと思うのでありますが、大臣、この終戦後に行われた公務員法、特に人事院というものができて、その人事院のやつたことがよかつたか悪かつたか、その功罪論というようなものについて、大ざつぱなことでけつこうでございますが、一応御答弁を願いたいと思います。
  4. 加藤鐐五郎

    加藤国務大臣 憲法に「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」ということに相なつておりまして、国家公務員も、この憲法の基本によりまして、団結し、あるいは団体交渉し、争議権を行使することができ得ることに相なつておりますものでしたから、その当時におきましては、国家公務員として逸脱する行為が相当あつたと思うのでありますがゆえに、この国家公務員法を制定いたしまして、それで国家公務員のこういう団交権あるいは争議権というものを制限すると同時に、一方に公務員権利を擁護する、それらの福祉利益を擁護するという立場よりいたしまして国家公務員法が制定され、そうして人事院独立立場をもつてこれを擁護するということに相なつたのでございます。その趣旨としてはまことにけつこうなことであろうと思うのであります。
  5. 永田亮一

    永田(亮)委員 大臣の御答弁にもありますように、人事院が設けられ、国家公務員法ができた趣旨は私も賛成なんであります。ただ、さつき申しましたように、理論は非常によい、りつぱであると思うのでありますが、実際にやつてみたところが、人事院のやつたことを振りかえつてみまして、完璧であつたかどうか。私は思いますのに、実際には人事院ができたためにかなり複雑になつたこともありますし、かえつて能率を阻害したようなこともあつたと思うのであります。あるいはまたいたずらに人間がふえたり、経費がふえたりして、うまいぐあいに行かなかつた点もあると思うのであります。特に人事の問題で内閣から独立した人事院の介入によつて人事行政責任の帰趨が不明瞭になつたというような点なんかにおきまして、この人事院ができたということが、必ずしもその理論通りに行かなかつたんじやないかと思うのでありますが、こういう点をもう少し御説明願いたいと思います。
  6. 加藤鐐五郎

    加藤国務大臣 ただいま申しましたように、公務員福祉利益を擁護する目的人事院ができました趣旨はまことにけつこうでありましたが、その後、ただいまお説のごとく、実際の運行におきましては煩雑なこともありまして、運用上また機構の上においてもいろいろ行き過ぎという点もあつたのとありますがゆえに、実情に即しまして、その後の経過及びただいまの状態にぐあいよく行くように今度の改正案を出したわけでございます。
  7. 永田亮一

    永田(亮)委員 それでは浅井さんにちよつとお伺いしたいと思いますが、率直に申しまして、今人事院というものはかなり不評判であるように思うのであります。この前私ちよつと休んでおつたので、あるいは質問が重複してしまうかもしれませんが、その点御了承願いたいと思います。今人事院は、どうひいき目に見ても、評判がいいとはちよつと思われないのでありますが、そういうような人事院に対する風当りがどうして強いかというようなことについて、浅井さん、自分でお考えになつて、どういう点が評判が悪いかといういうようなことをお気づきになりましたら、ちよつとお答え願いたいと思います。
  8. 浅井清

    浅井政府委員 すべて公正中立立場にあるものは、両方から評判の悪いものでございます。たとえばベース勧告をいたしますれば、一方から評判が悪い。しなければ他方から評判が悪い。こういうことでございますから、まん中を行くものはどうしても両方から評判が悪いので、これはこういう制度を設けた宿命だろうと考えております。
  9. 永田亮一

    永田(亮)委員 今のお答えですと、つまり公務員の方の側から言うと、自分の言う要求が十分に通らない。任命権者の方から言えば、やはり自分の自由にならない。その中間にはさまつて評判が悪い。これはなるほどそうだと思うのでありますが、そういうことになりますと、たとえばこれはアメリカなんかでも同じことでありましようが、シヴイル・サービス・コミツシヨンというものがアメリカにはあります。同じような理論から言えば、アメリカシヴイル・サービス・コミツシヨンというものも、同じような理由評判が悪いでしようか。ちよつとお伺いします。
  10. 浅井清

    浅井政府委員 それは時というものを要素に入れて考えなければならぬと思つております。ことに日本現状が直面しておりますような古いものから新しいものへの移りかわりにおいて、まん中に立つておるものは、両方から非常にはげしい非難、攻撃を受けるだろうと思います。アメリカの場合は、日本が直面しております現状は、これは一つの過去の問題になつておりますから、そういう時代はすでにうしろに経過しておる。この点においては日本とよほど違つておるだろうと思つております。
  11. 永田亮一

    永田(亮)委員 私もアメリカ国情日本国情は大分違うと思います。だからこそ、アメリカの直訳ではやはり日本に合わないことが多いのではないかという気がするのでありますが、とにかく日本の官界といいますか、官僚というものは非常に複雑でありまして、アメリカのように単純ではないと思われる点、これは私の考えでありますが、日本官僚というものは昔から大体頭がいい人がよくなつてつたようであります。それも人口に比べて役人の数が非常に多い、アメリカなんかに比べると相当多いと思うのでありますが、こういう人口官僚役人の数の比率というものがわかつてつたら、またお答え願いたいと思います。それと今言つたように、日本ではいわゆる頭のいい者が官僚になる。ところがアメリカでは、私の聞くところでありますと、一流の者は官吏にはならないで、実業家なんかになるようであります。ところが日本ではビユーロークラシーが強固でありまして、特権的な官僚階級ができ上つた。そしていろいろむずかしい法律をつくつて、その牙城に立てこもつておる。そういう特権階級であつたはずのものが、戦後に人事院という変なやつができて来て、自分のなわ張りを荒らしに来た。それで頭のよい官庁の人たちが集まつて、こじゆうとめが集まつて人事院をいじめておる。私はこんなふうにも考えておるのでありますが、人事院評判の悪い理由一つに、こういう点はどうでありましようか。
  12. 浅井清

    浅井政府委員 一番先の各国の官吏の数字については、ちよつとここに材料がございませんが、日本現状は決して少くないと思つております。これはやはり国家権力の量的な違いから来ているだろうと思つております。すなわち統制経済をとりますれば、非常に多くの官吏がいるということは当然でありますし、わが国においてはそういう時代があつたそのときに、非常に多く者がふえておるのであります。それからまた人事行政人事院がやり出しましてから、その人事管理職員がふえたことは、これは事実であります。しかしこれはどうしても科学的に人事行政をやるには、ある程度はやはり従来の封建的な官僚制度のもとにおけるよりも、人はかかるのでありまして、これは他において得られるところの利益とか、経費の節減というものと相殺せらるべき性質のものだろうと思つております。  また最後のお尋ねの古いものからの反撃、それはいついかなる場合におきましても、改革をする場合には反対が起り、摩擦も起るということはこれは当然のことでありまして、ただいまお尋ねのようなところもあろうかと考えております。
  13. 永田亮一

    永田(亮)委員 それでは今度はほかの問題についてお尋ねしたいと思います。職階制のことについて加藤国務大臣、もし御都合が悪ければ岡部さんにお答え願いたいと思います。職階制をもとにした任用制度、これは人事院考え方だと思うのであります。人間というものを一人の人間として切離して、試験制度によつて採用して行く、しかしこれは任命権者の方から見ますと、人間というものはやはり自分の省なり、庁なりの中の一定の組織の中の人間でありますから、試験だけで採用したところの個人の能力だけでは、使いにくいという批判も出て来ると思うのであります。つまり人間が一人一人のものではなくして、一つ組織の中の、上にも、下にも、右にも、左にも、いろいろの関係が総合した人間として、任命権者考えるのは当然であると思うのでありますが、この職階制という制度についての功罪というか、この試験制度がよいか、あるいは組織の中の人間として考えた方が正しいか、そういう点について御意見を承りたい。
  14. 岡部史郎

    岡部政府委員 私からお答え申し上げます。ただいまのお尋ねの点は、公務員制度基礎に触れる重大なる問題であると考えるわけでありますが、従つてちよつと沿革的に申し上げますと、アメリカにおきましてこういう問題が起きたわけであります。すなわち先ほども永田委員からも仰せがありました通り職員がだんだんふえて来るに従いまして、各省、各庁にわかれておる職員の中で、大体同じような経歴を持ち、あるいは同じような仕事をやつておる職員が、各省各庁かつてばらばら給与を受ける、あるいはかつてばらばらの昇任を受けるというような状態で、これは職員の間できわめて不平が起きて参つたわけであります。それでそのような不平をそのままにしておきますと公務の能率全体にも影響があるわけでありますので、これが解決の方法としてはどうすればよいかということで、結局各省各庁の役人、すなわち職員を通じまして同じような仕事に従事して、同じような職務責任を有する者については同じような待遇を与える、同じような給与を与えることが必要ではなかろうか、また同じような職務責任を有する職につけるのには同じような資格をこれに与える。それによつていわゆるスポイルシステムを防ぐというような考え方考え出されましたのが官職分類制度、すなわち職階制と言つている制度であります。この職階制を実施いたしまして、今世紀の初頭一九〇七年ごろからアメリカにおきましては各自治体、それから次第に連邦政府におきましても、この制度が採用されることによりまして、公務員制度が公正を保つて来、また人事管理の面におきましても合理的、科学的にこれを行う基礎ができたと言われる次第でありまして、現在職階制というのが、アメリカにおける人事管理基礎になつております。すなわち新しい官吏制度公務員制度におきましては、職階制という基礎なしには合理性は得られない、すなわち職階制というものが一つの大きな基礎をなしている、こういうような考え方アメリカにおいても普遍的になつているわけであります。それでわが国においてはどうかと申しますと、戦前におきましてはわが国官吏官等俸給と申しますものは、勅令によりまして、高等官官等俸給令及び判任官俸給令によりまして、それぞれ定められておつたわけでありますが、戦後の経済事情の激変によりまして、これらの制度が役に立たなくなつて参つたわけであります。その際にこれらの従来の古い制度にかわつてどういう制度を採用するかということになりまして、アメリカにおきまして採用されている、ただいま申し上げました職階制わが国官吏制度の中に導入しようという運びになりまして、その職階制を導入する際に、アメリカの援助を得ることに相なりました。そのような考え方のもとに、実は公務員法ができ、公務員法がとつております種々の公務員制度というものは職階制基礎にして行つている、こういうことに相なるわけであります。ただ職階制と一口に申しますと、これは何か一つの固定した、動かすことのできない、科学的な、かたまつた制度のように考えられるわけでありますが、この職階制と申しますものも、これを運用するにあたりましては、それぞれの国家社会実情に応じてこれをうまく制定し、運用して行かなければならないことは、当然のことであろうと思うのであります。特にアメリカにおきましては、社会経済事情がすべて専門化し、分化しているという基礎的な基盤がありまして、その基盤の上に基きまして公務員制度も専門的に分化して参つた。それにうまく職階制が乗つかつてつたことがあろうかと思うのであります。従いまして、この職階制わが国社会経済事情、これはアメリカといろいろ違う社会経済事情があるわけであります。それの上に乗つかつている公務員制度に、この職階制を適用して行くということにつきましては、これもまたわが国のいろいろな事情をしんしやくし、わが国事情に適合するような職階制度をつくり上げて行くということが必要であろうと思うのでありますが、そういう実際の職階制のつくり方、運用というような点につきましては、いろいろ問題があるわけでありますが、一口に申しますれば職階制というものは今後のわが国の新しい公務員制度の全般、すなわち給与につきましても、任用につきましても、それらのものすべての基礎的な制度として考えて行かなければならないのじやなかろうか、こう考えられる次第であります。
  15. 永田亮一

    永田(亮)委員 非常に懇切な御説明を承つたのでありますが、職階制についてはよいと言う人もあるし、悪いと言う人もあるし、様々であると思うのでありますが、私考えますのに、人事院なんかはまず公務員を採用する方に重点を置くべきじやないか、そうして採用してしまつたあと昇給とか昇格とか、そういう方のことはなるべく、任命権者の行う行政と密接なものでありますから、任命権者に大幅に権限を委譲して行く、そしてそれをやる場合には完全に成績主義原則でやつて行く、メリツト・システムでやつて行く、こういうふうにやつた摩擦も少いし、うまく行くのじやないかという気がするのでありますが、この点について岡部さん、それからもし何でしたら総裁の御意見を承りたい。
  16. 浅井清

    浅井政府委員 これは私からお答えを申し上げますが、一応ごもつともでございますけれども、国家が一人の雇い主として数十万人の多くの雇い人を持つておるといたしました場合に、各省各庁がおのおの昇格昇給ばらばらにやりましたのでは、これはやはり平等取扱い原則にもとり、不合理を生ずると思つております。同じ資格のある人間が、甲の場所におけるよりも、乙の場所における方が利益を受けるというのであつては、やはり勤労意欲が喪失するように思つております。現にただいま団体交渉権を持つておりまする現業と、そうでない非現業との間に給与のアンバランスが生じていることに不平のあるようなのはその一例でございますが、やはりそこに一貫した規格が必要だと思いますので、その規格がやはり人事院で定める一般的、抽象的な職階制であり、また任用制度である。但しその一般的な規格の中での実際の動かし方には大きな幅があるのでありまして、これはお尋ねまつまでもなく、現行制度のもとにおきましても、任命権者に大幅に委譲せられておるのが現状であります。     〔赤城委員長代理退席委員長着席
  17. 永田亮一

    永田(亮)委員 職階制はそのくらいにしておきます。  それから次にスポイルシステムについて少しお伺いしたいと思います。このごろ地方知事選挙とか市長選挙がたびたび行われておるのでありますが、その結果選挙終つたあとで、かなり露骨な職員異動が行われておることも事実であります。私もその二、三の実例を知つておりますが、こういうぐあいにその地方知事市長などの選挙が行われるたびに、非常にその選挙の論功行賞といいますか、かなり露骨な人事異動が行われるようであります。私はこういう事実を見るにつけましても、公務員というものの地位を脅かす、そうして人事の不公正な、純粋な第三者の立場から考えてみたときに、かなりゆがめられたと思われるような人事行政が行われておると思うのでありす。こういう点につきまして、このいわゆるスポイルシステム排除ということについての御意見を承りたいと思います。
  18. 加藤鐐五郎

    加藤国務大臣 スポイルシステム排除につきましては、ただいま御意見のありましたごとく、各地においてそういう実例を見るのでありまして、これは任用にあたりましては公正に、またその地位も保障しなければならぬのでございまして、人事院存在価値がここにあると存ずるのであります。そういう弊害につきましては、まことに御同感の至りにたえません。
  19. 浅井清

    浅井政府委員 お尋ね地方公務員に関することでございまして、私からお答え申すのはおかしいのでございますが、これは国家においても同じことで、内閣が更迭した場合を考えれば同様に言い得るのでありまして、アメリカにおきまして新しい人事行政が起りましたのは、ひどいスポイルシステムに対する反対として起つて来たわけであります。これを防ぎますのには、少数の政務官的な色彩を持つておる者は別にいたしまして、いわゆる一般職官吏に対しましては、やはり身分保障制度——しかしただ制度だけではいけないのでありまして、その制度運用をよく見ているところの人事行政機関現行制度で言えば人事院地方公共団体におきましては、これに相当する委員会というものの存在はどうしても必要だろうと考えます。
  20. 永田亮一

    永田(亮)委員 今度の公務員法改正案要綱を見ておりまして、人事院権力が大分弱められるような気がするのであります。そういう法案がもし実施されたような場合に——これは加藤国務大臣お尋ねしたいのでありますが、昔よく政党がかわるたびに、公務員が大幅にかえられたことがあつたようであります。政友会憲政会がわかれて、源氏にあらずんば平家だというような調子で、巡査の端に至るまで、内閣がかわるたびにかわつたというようなこともよく耳にしておるのでありますが、こういうようなことが大正年間ごろに盛んに行われました。国家考えずして、政党利益のみを考えるというような事態が、遂に官僚の奮起となり、さらに軍部のフアツシヨの口実を与えたというような気がするのであります。今度の新しい公務員法改正によりまして、あるいはだんだんとこういうような事態にまたなつて来るのではないかというような心配もあるのでありますが、これは浅井さんがおつしやつたのだと思いますが、前にはそういう行き過ぎを防ぐために、いわゆる枢密院制度というものが設けられておつた。ところが今日では枢密院というものもなくなつておる。この事態におきまして、人事院の力をもしだんだんと弱めて行くというような傾向になりますと、再び昔のような政党が源平にわかれて争うというような事態が起りはしないか、こういう心配も持つておるのでありますが、この点について今度の改正案と関連して、大臣お答えを願いたいと思います。
  21. 加藤鐐五郎

    加藤国務大臣 内閣が更迭いたしますときに、政務官のかわるのはこれは当然なことでございまするが、一般公務員政務をやるのでなくして、国家事務を忠実にやるのでございますがゆえに、これが政変ごとに、昔のごとくかわるなどということは断じて避くべきことでございまして、こういう点よりいたしましても、人事院存在は必要であるし、ことに人事院独立性は必要であるのでありまして、この点において今回の改正は、そういう一般忠実な行政事務をやる者の身分に対しましては、何らそれを狭めるなどということはないのでございまして、従つて人事院のそういう独立性権限は少しも侵されておらないのであります。従つて政変ごと一般公務員異動などということはないのであります。
  22. 永田亮一

    永田(亮)委員 浅井さん、もし御意見がありましたら……。
  23. 浅井清

    浅井政府委員 今度の法案人事院独立性が低くなつているのじやないかという御心配があるように考えておるのでありますが、これに対して内閣側答弁といたしましては、人事官身分保障というものは従来とかわらずなつている、従つて独立性は失われていないというようなふうに終始申しているのでありますが、これは厳密に申しますれば、人事官身分保障ということと、その機関独立性とは別の問題でございます。たとえば検事総長人事院総裁と同じように身分保障は持つておりますけれども、法務大臣の指揮を受けることに相なつている、こういう点は機関独立性ということと、その機関構成者身分保障とは違う、こういうことであります。すなわち身分保障機関独立性のきわめて重要な要素であるが、必ずしも同一の観念ではないのでありまして、人事院につきましては人事官身分保障とともに、機関独立性ということが必要である。その独立性がなければ、今永田さんの仰せられた通りになるのでありますが、今回の改正の欠陥ともいうべきところは、その人事院独立性を正面からうたつた規定がないということであります。たとえば公正取引委員会にいたしましても、文化財保護委員会にいたしましても、あるいは農地調整委員会等に至りますまで、すべて行政委員会につきましては外局でございますから、その長の指揮を受けないように、委員会委員独立して職権を行うという明文が入つているのであります。これが今度の人事院改正案には入つておりませんので、いろいろここで御議論が起るのだろうと思います。ところがこの点につきましては昨日でしたか、岡部政府委員から初めて御答弁を申し上げました通り公務員法の第三条にある、内閣総理大臣に報告をする、ひつくり返して申しますれば指揮は受けない、報告のみをもつて足りるという従来の条文と解釈とがありますので、それで正面から人事院独立性をうたつた規定がなくてもさしつかえないという趣意でありまして、今回の改正におきまして特に人事院独立性を害するというような考え内閣側になかつたことは、これは申すまでもない点でございますが、ただそこのところが明確に出ておりませんために御論議があるのだろうと考えます。
  24. 永田亮一

    永田(亮)委員 次は岡部さんにちよつとお伺いしたいと思います。人事院というものを設けたために、各省人事院から要求されるいろいろな報告事務というものがあると思うのです。その人事院ができたために、各省において何人くらいその職員を置いておるか、こういうことがあるいは行政簡素化の線から考えてみますと、逆の行き方をしているじやないかというふうな気もするのであります。各省人事にまたいろいろ大きな権限を持つということになりますと、各省人事行政をふまじめなものにするという議論も出て来るのでありまして、こういう点で、今度の改革案はいろいろの面で議論の余地があるんじやないかという気もするのであります。たとえば私の考えでありますと、今度の改革案は何か中途半端のような気がするのであります。今までの人事院のあり方をもつとはつきりさせて、その趣旨を徹底させて行く、そうしてさらにその意図するところを強化して行く、こういうのであればまた一つの行き方だと思うのでありますが、公務員法改正案は、何か縮小するようなしないような中途半端な気がするのであります。どうせ縮小するのだつたらもつとうんと縮小して、各省共通の給与であるとか、期末手当とか、そういうものだけに固めてしまう、あるいは不当処分に対する審査、こういうようなことだけに限つて思い切て縮小して行く、これも私は一つのやり方だと思うのです。何か今度の改革案はどつちつかずの中途半端なような気がするのありますが、この点について、御意見を承りたいと思います。
  25. 岡部史郎

    岡部政府委員 お答え申し上げます。実はこういう意見が広く伝わつているわけであります。すなわち、戦後におきましては人事関係事務が非常に尨大になつたので、これに従事する職員が戦前に比しまして数倍、数十倍に上る。従いまして、行政事務を簡素化するためには、どうしても人事管理事務をもつと徹底的に簡素合理化しなければならぬという意見をよく聞くのであります。一面ごもつともな点もあるのであります、実は戦前におきまするわが国人事行政と申しますものは、ほとんど人事行政らしい人事行政がなかたとも言える状態なのでありまして、戦前の経験を引きまして、戦前にこうだつたから戦後も戦前程度に引きもどしたらいいじやないかというような御意見は、少し実情に即しない無理な意見ではなかろうかと思うのであります。戦後におきましてわが国人事行政らしい人事行政が初めて導入された、また中央人事機関も初めて設けられたというようなこと、それから、従来各省給与であるとか、昇進手続であるとか転任の手続であるとかいうものは、ごく簡単にやつていたわけでありますが、戦後は給与関係におきまして、地域給一つつても非常に複雑になつておるわけであります。あるいは給与ベースの問題についてもその通りであります。また職員の個々の給与の格付の問題にいたしましてもきわめて複雑で、職員権利義務に影響するものとして慎重に考慮しなければならぬ。それらがまたすべて法律基礎を置くということになつておりますので、この勢いを、先ほど申しました俸給令の昔にもどすということは、言うべくして行い得ないことを、御了承いただきたいと思うのであります。人事院ができまして、これらの新しい公務員制度の実施にあたりましては、いわば白紙に絵を書くようなものでありまするから——ことにその点におきましては、アメリカで専門的に発達いたしましたいろいろな制度人事手続に関する調査報告、統計というような制度も急激に採用するこになりましたので、当初におきましてはきわめて詳細、しかも相当煩雑な手続があつたことは認めなければならんのであります。新しい制度ができますために、そのような実情に即さない煩雑さがある程度まぬがれなかつたことは事実であり、これはやむを得ない事情があると思うのであります。従いまして、これらの人事行政事務に従事いたします職員数も相当急激に増大して参つたわけであります。昔で言えば、たとえば内閣官房の人事課が昭和十二年に設けられまして、課員がわずかに数十名というのが、終戦後におきましては、人事院一つとりましても、千人以上の職員を擁するのは多過ぎるではないかというような考え方があつたわけであります。しかし一旦実施いたしましてそれらの手続が軌道に乗り、またこれらを実地にためした上でわが国実情に即しまして、あるいはわが国行政規模から申しまして、これらの事項は簡素化すべきではないかというような意見もだんだん出て参りまして、人事院におきましてもその点の簡素化にここ数年来努めておられるのでありまして、一時に比べますればきわめて大幅に人事行政手続の簡素化が行われていることは明らかであります。また最近におきましても人事院規則の改正等しばしば行われ、その手続の簡素化に努力しておられるともこれまた明らかであります。それに伴いまして、各省人事担当部局の負担の軽減あるいは手続の簡素化ということも、これまた実際に行われているわけでありまして、ここ数年の行政整理におきましても、人事及び会計手続の簡素化ということを重点といたしまして、実情に即してこれを簡素化し、その定員の縮減をはかつて参つたわけであります。現在におきましては相当程度の縮減あるいは簡素化が行われておる。しかしなおこの人事手続につきましてはこれを簡素化し、人事事務に従事する職員を縮減する余地がずいぶんあると考えられますので、人事院及び各省においてもその点努力いたしておる次第であります。なお根本的な公務員制度の簡素化につきましては、さらに努力する余地があろうと思うのであります。しからば人事行政に従事している職員の数はどれくらいが適当なのかということ、それに関連いたしまして、現在なお多過ぎるかどうかということについて、何か客観的な基準がなかろうかということも、私どもの研究題目としていろいろ考えているわけであります。これらの人事手続につきまして、あるいは人事行政につきましてきわめて発達していると思われるアメリカにおきましても、行政改革に関するフーヴアー委員会人事行政に従事する職員が、少し多過ぎはせぬかということにつきまして各省、各庁に当つて実際に検討いたしましたところでは、大体七十五人に人事関係の職員が一人いるというのが大体の基準で、ところによりましては三十五人に一人というような数字を示しているのもあり、大体七十五人とか、八十人とか、百人以内のところがよかろうではないかという意見のようにも思われるのであります。これをわが国実情に照してみまして、どの程度の規模が妥当かということは、いろいろ事務手続の繁閑あるいは行政手続が機械化しているかどうか、能率化しているかどうかということも考えに入れなければなりませんので、なかなか早急に結論は見出し得ないのでありますが、この人事手続をわが国行政事務実情に照しますと、総体といたしましてなお簡素化し得る余地があるのではなかろうかということは、一般的に考えられているところであると申して異存はなかろうと思うのであります。
  26. 永田亮一

    永田(亮)委員 次は浅井さんにちよつとお伺いしたいと思います。憲法学者としての浅井先生にお伺いするわけですが、人事院というものは、公務員法の第三条に、内閣の所轄に属するというふうにきめられておりますけれども、今までやつておるところを見ますと、その職務はまつた独立的にやつておられたようであります。この問題は前にだれかが聞かれたかと思いますが、もし重複したらえらいごめんどうですが、もう一ぺんお答え願いたいと思います。憲法六十五条によりますと、行政権は内閣に属しており、六十六条には、内閣行政権の行使について国会に対して責任を負うということがうたつてあるわけであります。だから人事行政の執行についても、内閣は国会に対して責任を負うべきであるということになるわけでありますけれども、人事院は事実上今まで内閣の指揮監督を受けないで、かつて独立的な行動をしておつたのであります。これに対して内閣がどうして責任を負えるか。内閣は、行政権の行使について国会に対して責任を負うことをうたつてある点について、人事院がかつてにいろいろのことをやる、その責任だけを負わなければならない。こういうことは憲法上どのように解釈をされますか、その点を聞きたいと思います。
  27. 浅井清

    浅井政府委員 お尋ねは二つあると思いますが、第一は所轄という問題であろうと思つております。普通の局は内局と称し、これよりやや独立性を持つたものを外局と称し、さらにそれ以上に独立性を持つたものを所轄、こういうふうに三つにわけてやつて参つたのであります。そこで内閣の所轄と申しますれば、内閣に属しながらもそこに相当大きな独立性を持つた部局であるということになり、これは法律の規定から当然出て参ります。  そこで第二のお尋ねの、そういうことが憲法上許されるかどうかという問題になるように考えておりますが、これは前にもお答えを申し上げましたが、立法権につきましては国会を唯一の立法機関としておりまして、国会以外に立法機関はないという建前を憲法は明らかにいたしておりますし、司法権につきましては、すべて司法権は裁判所に属する、すなわち裁判所以外に司法機関はないという建前を憲法は明らかにいたしております。これに対しましてただいまお示しの条文の行政権につきましては、「行政権は、内閣に属する。」というふうになつておる次第でありまして、唯一の行政機関とも、またすべて行政権は内閣に属するとも書いてないというのが一応の建前でありますから、これを受けまして、行政権の行使について内閣が国会に対して連帯して責任を負うというのは、それは自己に属する行政権についての責任と解するほかはいたし方がないと思つております。これは人事院のみならず、すべての行政委員会独立して職権を行うということになつておりますから、同様の問題がある。ここのところはお尋ねのごとくいろいろ問題を生ずるところでございまして、すなわち三権分立のアメリカのもとにおいて発達いたしました行政委員会が、いわゆる議院内閣制をとつております日本のもとにおいて、憲法上あり得るかどうかということについては、学者の見解もいろいろわかれるところでありますが、ただいままでのところは、国家公務員法制定以来、または他の行政委員会の制定につきましても同様に、ただいま申し上げましたようなところに合憲性を求めておる次第でございます。
  28. 永田亮一

    永田(亮)委員 今の御説明ですと、新憲法では四十一条に国会は唯一の立法機関であるとありますし、七十六条には司法権はすべて裁判所に属するといつておるけれども、行政権については、ただ六十五条に、「内閣に属する。」と書いてあるだけであつて、唯一でもすべてでもない、こういうように御説明になつたと思います。なるほど憲法の条文を見てみますと、内閣については唯一——ソールとか、すべて——ホールとかいう言葉を使つてないことはたしかであります。しかしこの六十五条を見てみますと、その原文は——原文というと語弊がありますが、英文の方を見てみますと、「エクセキユーテイヴ・パワーシヤール・ビー・ヴエステツド・イン・ザ・キヤビネツト」という言葉になつてつて、唯一とかすべて——ソールとかホールとかいう字は使つてないけれども、これをただ単に「行政権は、内閣に属する。」と訳してしまうには、「シヤール・ビー・ヴエステツド・イン」という意味は、もつと強い意味ではないかと思うのです。行政権というものは必ず内閣に属さなければいけないのだという強い意味が含まれておるのではないかと思うのですが、この点いかがでしようか。
  29. 浅井清

    浅井政府委員 政府委員答弁といたしましては、英文との比較はちよつと困るのでありますけれども、永田さんが御提起になりましたここのところは、一応疑問はあると思つております。国家公務員法制定のときにも同様のいろいろな議論がありましたが、われわれ内閣側としてとつて参りましたのは、今私が御答弁申し上げたようなやり方であつて、それを国会も御承認くださつて公務員法が制定されておる。決して国会に責任をおつかぶせるわけではないのでありますが、そういう経過でこれまでやつて参つたということを言い得るであろうと考えております。
  30. 永田亮一

    永田(亮)委員 内閣というものは国会を背景として成立しておるものでありまして、これは今おつしやつたように、議院内閣主義をとつておるのを見てもわかるのでありますが、これは行政の民主化ということを保障しておると思うのです。それが、内閣は唯一でもない、すべてでもないからといつて、かつて内閣から独立した第四の機関を設けることは、憲法を貫いている民主主義の精神に反しておるように私は考えるのです。この点についても一ぺんお答え願いたいと思います。
  31. 浅井清

    浅井政府委員 ただいまのお尋ねは、国家権力が立法、司法、行政と三つにわかれ、かつ三つ以上にはわかれていないということを前提といたしますれば、あるいはそういうこともございましよう。ただ、三権分立論ということ自体にすでに問題があり、第四権を認めるものもあり、それ以上を認めるものもあるのでございますから、その点はちよつと絶対的には申し上げかねると思うのでありますが、ただいまお尋ねの点はまことにごもつともであり、国会に対して責任を負う内閣に、少くとも大部分の行政権が存在しなければならぬことは言うまでもない点であります。ただそこには同じ民主主義の他の要請があるように思います。つまり政党の交替によつてかわつて行くところの内閣にはゆだねることができない若干の恒久的な機関仕事存在する。それがいわゆる行政委員会において営まれておる、かように考えてよろしいのじやないかと思つております。現に会計検査院につきましては、憲法上の規定によりまして、これははつきり内閣から違つたものになつておるのでございます。
  32. 永田亮一

    永田(亮)委員 たとえば人事院というものに、その規則で国家公務員の政治活動を禁じておるのであります。国会においてある党派の議員とかあるいはある政党がこういう問題を取上げてその責任を追究するというようなことが起きた場合にも、これは内閣がしたことじやないのだ、こういうふうに内閣では答弁するかもしれない。また内閣がやめさせることができない人がやつておる、そうすると内閣責任を負わすわけに行かないわけであります。しかも人事院というものは、国会に対する責任を負う地位にないわけであります。人事官に対しては弾劾以外にこれを罷免することはできないのであります。民主主義政治というものは責任政治でなければならぬと思うのでありますが、こういう点についてどうも私はふに落ちない、矛盾した点があると思うのでありますが、もう一ぺんお答え願いたいと思います。
  33. 浅井清

    浅井政府委員 国家公務員法百二条の政治活動の規則についてお尋ねでございましたが、これはまことにごもつともでありまして、重要な問題を含んでおると思つております。私は、この百二条の人事院規則は、本来法律で定められるべき性質のものであつて、これは行政官庁の命令に委譲せられるべき性質のものじやないと考えております。ただこれは、成立のいろいろの経緯がございまして、今日に至つておるのでありまして、これは公務員法におきましても例外をなしておる規定であろうと考えております。従いまして、ただいまのような御疑念の起るのはもつともであろうと考えております。
  34. 永田亮一

    永田(亮)委員 大臣ちよつとお尋ねしたいと思いますが、国家公務員法によりますと、人事官の過半数が同一の政党に属してはいけないという点がうたわれておるのであります。これはたとえて言えば、社会党と改進党と自由党の人が三人人事官になつておるというような場合に、社会党の人の意見が非常に強くて、それにほかの人がついて行つたという場合もあるかもしれませんが、そういうふうに同一の政党に属してはいけないということをはつきりうたつておいて、それについて政党内閣責任を負わなくちやいけない、こういう点に何か矛盾をお感じになりませんか。その点をちよつと伺います。
  35. 岡部史郎

    岡部政府委員 ただいまのお尋ねの点は、行政機構のある種のものにつきまして非常に重大な示唆を与える点だろうと思うのであります。すなわち、先ほど浅井人事院総裁からお答え申し上げましたいわゆる行政委員会制度というものが、どうしてできたかというような点に関連して参るのでありますが、議院内閣制、あるいは大統領制のもとにおいてもそうでありますが、特定の行政部門におきましては、その行成の公平性と継続性を維持する必要がある、その公平性と継続性及び一貫性を維持するためには、議院内閣制による責任制度に対して一種のモデイフイケーシヨンあるいはアダプテーシヨンを行う、そこに何らかの調整作用を行う必要があるというのが、この行政委員会というものが認められた趣旨でありまして、従いまして、行政委員会の構成メンバーには、極力、その全体を合しまして、政治的な中立性と公平性を保たしめるくふうが講じられるわけであります。そのくふうの一つといたしまして、そのメンバーの全部またはその過半数が特定の政党に属することのないようにということがその行政機関の中立性と継続性を保障する方法考えられたわけであります。従いましてすべての行政委員会におきましては同じような趣旨の規定を設けておるわけであります。国家公安委員会しかり、公益事業委員会しかり、みなすべてそのような規定を設けておる。すなわちこれは議院内閣制あるいは責任内閣政治のもとにおける特定の行政の公平性、中立性を維持するために考え出された行政機構上のくふうである。こういうふうにお考えいただきたいと思うのでございます。
  36. 永田亮一

    永田(亮)委員 私の質問にちよつと答えが合つているところもあるのですが、私が今お尋ねしたのは、人事官の構成について過半数が同一の政党に属してはいけないということをはつきり書いてあるわけでありますが、御承知のように、議院内閣制あるいは責任政治という言葉はよく使われますが、政党内閣組織している者に対してほかの政党の人が、何かそのイデオロギーを非常に強調した意見をはいた、そうしてその意見によつて三人の意見がまとまつた、こういうような場合に、そういう結論に対してもそうでないところの政党内閣責任を負わなくちやならぬということがどうも矛盾しやしないか、こういう点についてもう少しはつきりお答えを願いたいと思うのであります。
  37. 岡部史郎

    岡部政府委員 お答え申し上げます。大体先ほど申し上げました通り、この行政委員会というのが、普通の行政機関、すなわち各省のような責任大臣制をとつている行政機関と性格が違うのだということを、まず前提としなければならないと思うのであります。先ほども申し上げました通り行政委員会が所掌する事項というものは、その行政の中立性、公平性を特に保障する必要がある行政部門に属するわけでございます。従いましてその行政委員会の構成メンバーというものが一党一派に偏しないように、特定の政党に所属するメンバーが過半数にならないようにくふうせられておるわけであります。その場合におきまして、ただいまお尋ねのありましたAという政党内閣組織している、すなわち政府与党である。Bという政党が野党である。そのBという政党に属する委員意見が、当該行政委員会意見としてまとまつたという場合におきまして、その意見がAという政府与党の意見と違う場合におきましては、そのAという政党組織している内閣責任を負うのはおかしいじやないかというお尋ねだろうと思うのでありますが、そのような場合におきましては、Bという政党に所属する委員意見が、当該委員会におきまして多数決で認められたということは、すでにその委員会意見政党色を脱しまして、その委員会の公正な意見であるということが制度上に保証されたということであろうと思うのであります。そういう意味におきまして、その委員会意見がどのような結果になろうとも、それはただちに当該政府ないしは政党と特別な関係がなくなるわけでありますが、それに対して内閣がどういう責任を負うのかという点は、これはいわゆる行政委員会内閣責任制との非常にむずかしい問題でありまして、別の面から申しまするならば、権限のないところに責任はないじやないかという一つ考え方があるわけであります。すなわち内閣がそういう権限を持たないところに、内閣としても責任を負うべきじやない、こういうような意見が成り立ちます。従いまして内閣が国会に対して連帯して責任を負うというのと矛盾するじやないかということが、一つの大きな行政委員会制度というものに対しての難点とされる点であります。従いましてそれを極論しますならば、行政委員会制度というものは、いわば憲法違反の疑いありとまで極論されるわけでありますが、それはむしろ別な見地から、現在の学者の通説では、行政委員会制度によつてそのような意見が出て来るということは、これは議院内閣制というものに対する一つの調整作用として認めなければならぬというような考え方をしておるわけであります。そういう考え方のもとに行政委員会というものができるものでありますから、従いまして行政委員会の所掌する行政事務というものは非常に特殊な、限定されたものでなければならぬ。普通の行政事務についてまで行政委員会制度をとることは、きわめて不適当ではなかろうかというような結論が出て来るわけであります。
  38. 永田亮一

    永田(亮)委員 あと一点だけで終ります。岡部さんにもう一ぺんお伺いしたいのですが、人事院というものが一応わが国官僚機構の民主化という点には、非常に寄与したということは私も認めるのにやぶさかではないのであります。ただ新憲法というものが民主主義を第一の原理としておりますから、これに矛盾するような機構はどうも合点が行かないわけでありまして、今お話のような独立行政委員会という場合にも、直接国会に対して責任を負うというような機構に直したらどうかという気がするのでありますが、この点について御意見を承りたいと思います。
  39. 岡部史郎

    岡部政府委員 ただいまのお尋ねの点は、きわめて大きな問題を含んでおるわけでありますが、原則としてはどこまでも内閣が国会に対して連帯して責任を負う。それはどういう意味かと申しますと、内閣がすべての行政機関権限の行使に対して、国権の最高機関としての国会に対して責任を負うのだという態勢は、どこまでも貫くべきものであろうと思うのでありますが、行政が複雑になり発達するにつれまして、それに対する最小限度の調整なり、くふうなりが行われて来るという方向にある建前としては、どこまでもやはり行政権というものは、内閣が直接に国会に対して責任を負うという態勢をとるべきであろうと存じます。
  40. 川島正次郎

    ○川島委員長 今日はこの程度にとどめます。次会は公報をもつて御通知いたします。  散会いたします。     午後三時十六分散会