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1954-04-03 第19回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年四月三日(土曜日)     午前十一時三十八分開議  出席委員    委員長 塚原 俊郎君    理事 高木 松吉君 理事 田渕 光一君    理事 中野 四郎君       天野 公義君    鍛冶 良作君       鈴木 仙八君    山中 貞則君       久保田鶴松君    山中日露史君       佐竹 新市君    矢尾喜三郎君       小林 信一君  委員外出席者         証     人         (新夕刊新聞社         社長)     山崎 一芳君     ————————————— 本日の会議に付した事件  保全経済会等特殊利殖機関に関する件     —————————————
  2. 塚原俊郎

    塚原委員長 ただいまより会議を開きます。  この際御報告申し上げます。先日本委員会において証言を求めた法務省刑事局長井本台吉君より本委員会あてに回答が参つておりますので、これを朗読の上会議録にとどめることにいたします。  法務省刑事第八七五〇号   昭和二十九年四月一日      法務省刑事局長 井本台吉衆議院行政監察委員会御中伊藤斗福等に対する詐欺業務横領並びに背任等告訴事件調査についてさる三月二十九日貴委員会において依頼のありました標記の件に関し、左記の通り回答いたします。      記   伊藤斗福等に対する詐欺業務横領並びに背任等告訴事件について、昭和二十七年十二月十五日東京地方検察庁がなした不起訴処分に対し、同月中に告訴人から最高検察庁抗告申立(不服の申立)があり、昭和二十八年十二月同申立が認められたとの事実の有無について、調査したところ、告訴人から東京高等検察庁に対し昭和二十八年十二月十八日抗告申立の事実があり、これについては目下関係官において慎重検討中であるとのことである。以上の通りであります。  それでは、前会に引続き保全経済会等特殊利殖機関に関する件について調査を進めます。ただちに証人より証言を求めることといたします。  山崎証人に申し上げますが、宣誓趣旨及び偽証罰則等については前回申し述べた通りであります。  それでは、宣誓趣旨及び偽証罰則等について御了承の上、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読を願います     〔証人山崎一芳朗読〕    宣誓書  良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  3. 塚原俊郎

    塚原委員長 それでは宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  4. 塚原俊郎

    塚原委員長 これより保全経済会等特殊利殖機関に関する件について証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際には、その都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。  天野公義君。
  5. 天野公義

    天野委員 前回に引続いてお伺いをいたしますが、まず保全からあなたの方の新夕刊に出された金でまだ納得の行かない点があるので、この点をお伺いしたいと思います。  前回のあなたの御証言では、出資金として総額四千二百二十五万円伊藤から金が来ているように承つたのでございますが、こちらの方の調べによりますと、資本金出資したほかに総額六千二十五万円に上る仮払金保全から新夕刊に出ておることになつており、この間の食い違いが非常に大きいので納得が行かないのですが、御説明を願います、
  6. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。その二千万円と一千五百万円、合計三千五百万円というものは、私の方で受領した覚えがございませんので、私の方の帳簿と食い違つております。
  7. 天野公義

    天野委員 そうすると、こちらの方の新夕刊関係仮払金明細表というので、昭和二十七年十二月四日土地建物二千万円、それから二十八年九月三日ちらし印刷代内金四十万までずつとあるのですが、これに間違いがあるかどうか、ひとつ御確認を願いたいと思います。大体この合計が六千百三十五万円でありまして、そのうち保全の方にもどした金が百十万円あります。そうすると差引六千二十五万円になるわけですが、これをごらんになつてひとつ御確認を願います。
  8. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。この表にありますうち、これについて御説明申し上げます。一等初めに載つております十二月四日土地建物二千万円というものは私の方で受取つておりません。二十八年一月六日土地建物百二十五万円となつておりますが、この土地建物というのはどういうのか私わかりませんけれども、そちらでお調べになつたものでありますから……。この百二十五万円は二十八年の十二月三十日に受取つたものでありますが、正月のお休みになりましたので、向う帳簿かおそらく一月六日になつているのではないかと思います。帳簿に記載するりに一月六日を起したのではないかと思います。二十八年二月六日の五百万円は受取つております。その次の二月九日増資引当一千五百万円というのがありますが、これは私の方は受取つておりません。四月二十日の百七十万円、五月七日の五十万円、五月八日の四十万円、五月八日の五十万円、五月十六日の五百万円、五月二十五日の六十万円、七月十八日の四百万円——この間に増資引当三十万円とありますが、これは何ですか——三十万円は受取つております。七月十八日四百万円、七月三十一日十万円、八月三日二百九十万円、八月八日三百万円、以上でありまして、あと印刷代金等は、工務局というのが内職に仕事をいたしておりますので、そちらの方に入つた金でありまして、この帳簿は全然別の帳簿なつております。それまでのものを私の方は新夕刊新聞社として受入れており、これが二千五百二十五万円、かようになつております。
  9. 天野公義

    天野委員 そうしますとこちらの方の資料と大分食い違いが出て来るのですが、どういうわけで食い違いが出ているか、あなたのお感じはどうですか。約四千万円違いますが、どういうお感じですか。
  10. 山崎一芳

    山崎証人 四千万円じやなく、三千五百万円の食い違いでございます。二千万円と千五百万円が私の方に入つておりませんから……。
  11. 天野公義

    天野委員 そうすると、今の食い違いのほかに、今度は仮払いでなく正式にあなたの方で出資金として受けられたのが千七百万円と了解してよろしゆうございますか。
  12. 山崎一芳

    山崎証人 その通りでございます。
  13. 天野公義

    天野委員 そうすると、この食い違いの約三千五百万円については、あなたは全然御存じないし、そういうようなことがあつたということもお気づきになつておられなかつたわけですね。
  14. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。それは、行政監察委員会中間報告というものを本年でしたか昨年でしたか御発表になつたと思います。それを見まして初めてこういう数字向う帳簿に載つているということがわかり、この帳簿行監で御発表になつた中間報告数字はどこからお調べになつたかということを承りましたところ、それは保全帳簿にあるということを承りましたので、私は保全帳簿にそういうことが載つているのかということを先方の監査課の方に尋ねましたところ、確かにさように帳簿に載つているというので、これはたいへんな食い違いがある、これは非常に困る、私の方では認め得ないからということを申し出まして、それを監査課の者が伊藤斗福氏に伝えたと思つております。そのことを究明しようと思つておりますうちに伊藤さんが検挙されましたので、これはそのままになつておりまするが、私の方はあくまで二千万円と千五百万円というものは受取つたものではありませんので、そのように申しております。また、それをどういうためにそういうふうに書き上げられてあるかということにつきましては、私はちよつとわかりかねます。
  15. 塚原俊郎

    塚原委員長 山崎君にお尋ねしますが、そのときの監査課の方がこの間お話になつた松本さんですか。監査課のどなたですか。
  16. 山崎一芳

    山崎証人 神崎君です。
  17. 天野公義

    天野委員 そうすると、保全の方とあなたの方の帳簿食い違いが約三千五百万円あつたのですが、それは保全の方から神崎君が来て帳簿をつき合せたときに出て来たものと思われるが、そのときに、その金について一体どういうふうに考えられたのであろうかというようないろいろなことを神崎君に話したと思いますが、神崎君は一体どういうことを言つておられましたか。
  18. 山崎一芳

    山崎証人 自分にもわからない、これは結局理事長に聞かなくてはならない、こういうことを申されたので、あと神崎君に聞きましたら、そのことを理事長言つたところが、それは新夕刊関係金一封を出した。だからその金は載せてあるのだ、こういうふうに言つたということでありますが、これは神崎君からの話でございまして、伊藤さんその人の口からは承つておりません。
  19. 天野公義

    天野委員 そうすると、今度は別に、先般の御証言にもあつたように、三浦さんへ第一回千五百万円、第二回目に八百万円、児玉氏を通じて高源氏へ百五十万円、計二千四百五十万円というものが出ているわけですが、この金が大体この差額でまかなわれておるというふうに了解していいのですか。また、問題は別なところにあるのでございますか。あなたの知つている範囲でお答えください。
  20. 山崎一芳

    山崎証人 この数字はどういうふうなつもりで伊藤さんが記載させたものか、あるいは他に何らかお使いになつたものをいわゆる水増しをしてつけかけをなすつたのか、その辺のことが了解に苦しむのでありますが、三浦さんに差上げました千五百万円と、児玉さんを通じて高源氏に渡した百五十万円、それから三浦さんに渡しました八百万円、それをこの数字であてはめようとしたのかどうかということは、私もいまだに疑問に存じております。
  21. 天野公義

    天野委員 今あなたのおつしやつた夕刊帳簿、こういうようなものに出ておる金以外に、あなた個人伊藤さんからもらつた金はございますか。
  22. 山崎一芳

    山崎証人 百万円ずつ二回借り受けたことがありまして、百万円は返してございます。あとの百万円は三回ぐらいにわたつて現金をもつてお返しいたしましたが、最後の三十万円程度のものかと記憶しておりますが、これは新聞社長として機密費もいることだろうから小づかいにしてくれたまえと言つてあとの三十万円はそのままちようだいしたように記憶しております。
  23. 天野公義

    天野委員 今おつしやつたのは、富士銀行動坂支店伊藤斗福の口座から、二十七年六月十二日百万円、二十七年八月二十五日百万円、計二百万円出ておる、その金だと思うのですが、どうですか。
  24. 山崎一芳

    山崎証人 その通りでありまして、それは小切手伊藤さんが書いてくれまして、富士銀行動坂支店からおろしたものであります。
  25. 天野公義

    天野委員 そうすると、その金は伊藤個人の金ですか、保全の金ですか、御存じありませんか。
  26. 山崎一芳

    山崎証人 ほかで保全から出資などを受けます場合には、主として勧業銀行の馬喰町支店小切手であつたと記憶しておりますので、これは伊藤さん個人のお金ではないか、かように私は解釈しております。
  27. 天野公義

    天野委員 それから、先般の御証言の中で、三浦義一さんが私財約四千万円を新聞に投じておつたというふうなお話があつたのでありますが、あなたは新夕刊社長なつて、それまでの経営状態並びに帳簿その他をよくお調べになつたと思うのであります。そうした場合に、はたして三浦さんが新聞社にどの程度私財を投じておつたか、これは大体おわかりじやないかと思うのですが、あなたのお調べ範囲ではどの程度であつたか、お話を願いたい。
  28. 山崎一芳

    山崎証人 はなはだおはずかしい話でありますが、私が継承いたしますまではまつた三浦さん個人の御経営であつて、ほとんど帳簿というものがなかつたようでございます。これは実にずさんな話でありますが、前任者のことを私はとやかく申すものではありません。その当時の財産は、新聞発行権などは含めずに、固定資産が三千五百万円くらい。それに対してやはりその程度の御出資はなすつていたのではないか、かように私は感じとして受取つておりますし、また前任者の幹部の人たちからさようなことを承つておりましたが、あの赤字続き新聞経営なさいましたので、二年間に三、四千万円の金はおつぎ込みになつていた、かように私は推察しております。
  29. 天野公義

    天野委員 そうすると、会社自体赤字を出して借入れしたその債権・債務というものは、全額あなたがお引受けになつたわけですね。そうして、三浦さんがつぎ込んだ表に現われない金は、ある程度あとから補償された形になつたと思うのですが表に現われた債権は引受けたと了解していいのですか。それともまた、そういう点も含めてあとで補償したと了解してよいのですか。そういう点についてお話を願いたい。
  30. 山崎一芳

    山崎証人 それは、帳簿以外の三浦さん個人の借入金もたくさんあつただろうと思います。私自身の考えとしましては、また三浦さんに、その後の話になりますけれども金一封を差上げたときに、三浦さんのお借りになつた帳簿に載つておるものも、やはり自分責任においてお返しする、こういうことでありましたし、また事実そのもの責任をとつて三浦さんがお返しなつておられるので、これは表に出たものあるいは裏でおつぎ込みになつたもの、そのもの三浦さんの責任においてお返しになつたものと思います。
  31. 天野公義

    天野委員 そうすると、あなたのお感じでは、伊藤から三浦義一氏に対して二回にわたつて合計二千三百万円の金が渡されておるわけでありますが、今までの新聞経営使つた金並び三浦個人が借金をしてそれが会社残つてつた金、そういうようなものを大体二千三百万円の金で補償するというか、解決がついたもの、またつき得るものと御了解していらつしやつたのか、もしくは、この金額では少し三浦にやり過ぎるという気持か、さもなければ、逆に、足りないのではないかというお感じをお持ちになつたか、その点についてお話を願いたい。
  32. 山崎一芳

    山崎証人 むしろその程度の金では、三浦さんが二年間苦心して御経営になつたその殊勲に対して少いのではないか、私はかような感じを持ちました。
  33. 天野公義

    天野委員 それから、あなたは、児玉氏を通じて高源重吉氏に百五十万円の金を渡した、このことを御存じですね。——そうすると、そのほか伊藤から児玉渡つた金が一体どのくらいあるか、あなたのお知りになつておる範囲お話願えれば幸いだと思います。
  34. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。新聞社関係といたしまして、児玉さんの手を通じて高源重吉——元の社主に対する敬意を表した百五十万円は存じておりますけれども児玉さん対伊藤さんにおける金銭の関係は私は何ら存じておりません。
  35. 天野公義

    天野委員 次にお伺いいたしたい点は、あなたが東京会館で、広川氏、三浦氏と会合をなさつたときに、先般の証言でも、立法化についての話は出なかつたという御証言であつたのでありますが、その点、もう一度話していただきたい。
  36. 山崎一芳

    山崎証人 全然、立法化とか、あるいは何をするからというような——何をするということは非常にあいまいでありますが、立法化などということはその日に出ておりません。
  37. 天野公義

    天野委員 そうして、そのすぐあとに、三浦氏と広川氏と同道して、夜伊藤さんの宅へ行つて、千五百万円を渡されたというお話でありますが、伊藤さんのところに行くような連絡をしたのはどなたですか。
  38. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。先般も申し上げました通り三浦さんから東京会館において金一封をほしいという申出があり、これを伊藤さんが了承されたのであります。その後、あるいはその翌日だつたというような記憶もしますが、二日か三日たつてからだ、私はかように考えておりますが、三浦さんからたびたび電話がございまして、ぜひあの金一封を早く出すように君から伝えてほしい、こういうことでありましたから、伊藤さんの事務所へお電話いたしましたところが、今晩それではうちでお渡しいたしますから、ちようど茶室もつくりかかつておるから、ここへ来てもらいたい、かたがたうちへおいでを願いたい、こういうような話があつたのであります。そのことを三浦さんに電話でお伝えいたしましたら、夕方の六時ごろ私のところへ広川さんとお二人でおいでになつたのであります。そこで、そのお二人を御案内して、駒込伊藤さんのところに行つたのであります。これは先日申し上げたことと少しも違つておりません。
  39. 天野公義

    天野委員 その千五百万円の金は、伊藤が直接三浦さんに何か包んだものを渡して、それを三浦さんが持つて帰られた、このように了解していいのですか。
  40. 山崎一芳

    山崎証人 その通りでありまして、包んで、大きなハンド・バツクですか、カバンにとにかく入れて、二つカバンであつたと記憶いたしますが、それを渡しまして——伊藤さんが直接それを三浦さんに渡されまして、三浦さんの運転手がそれを自分の自動車に載せて帰られたように記憶しております。
  41. 天野公義

    天野委員 そのときに、その中に千五百万円の金が入つておるというようなことを言つて三浦さんに渡されて、三浦さんがそれを点検されてお持ちになつたのですか、そのままカバンを、そうですかと言つてつて行つてしまつたのですか。
  42. 山崎一芳

    山崎証人 千五百万円という金のことも申されませんし、またそれを一々点検するようなこともいたしておりません。そのままありがとうと言つてつて行つて、あくる日、千五百万円確かにちようだいした、こういうふうなことを三浦さんから電話で知らせがあつたので、私はその千五百万円ということを察したのであります。
  43. 天野公義

    天野委員 そうすると、あなたもその場に立ち会つておられて、カバン二つ前に出されて、それを三浦さんが持つて行つて、それで運転手に渡して三浦さんが持つて行つた、ですからあなたもそのとき千五百万円カバンに入つてつたかどうかということもわからなかつた、このように了解していいわけですね。
  44. 山崎一芳

    山崎証人 その通りでございます。そのときは、それが千五百万円であるか千万円であるか、どれだけの金額のものであるか、私はわからなかつたのであります。
  45. 天野公義

    天野委員 先般の本委員会における平野証言においては、中村高委員が、二十七年九月ごろ東京会館の別館で広川弘禅氏が伊藤理事長会つた、そのとき伊藤広川氏に、この立法化について自由党の方の工作をしてもらえないかどうかということを頼んだところ、広川氏はそれを引受けたという話があり、また広川氏は駒込伊藤邸伊藤から三千万円受取つた。その後広川氏が伊藤池田邸に連れて来た云云、こういう質問に対して、平野氏は直接伊藤理事長が金を渡したということは知らないけれども、実は休業後この話を伊藤から聞いたと言つて伊藤から聞いたという話でその裏書きをしておるのです。こういうことが事実としては間違つてつた事実無根の話だつた、こういうわけですね。
  46. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。事実無根——これは、今の話によりますと、中村さんは平野さんから聞いた、平野さんは伊藤さんから聞いたというように、伝聞伝聞のように受取れます。私は全部そうではないということをここで断言はできませんが、少くとも私の知る範囲、私の関係した範囲におきましては、先日の委員会また本日の委員会において御答弁申し上げておる通りでありまして、その限りにおいては、だれが何と申されても、このことが真実である、他の人の言うことは偽りである、かように存じております。
  47. 天野公義

    天野委員 そうすると、平野さんの話、すなわち立法化広川さんが依頼されて、伊藤の家へ行つて、そうして三千万円を伊藤から広川さんが受取つたこういう話は事実なかつた事実無根であるということをあなたから裏書きされたわけですが、さらに、もう一つお伺いいたしたい点は、池田邸へあなたが行かれたときに、連絡は一体だれがされたのですか。
  48. 山崎一芳

    山崎証人 失礼ですが、ただいまの御質問の要旨がちよつとわかりませんでしたので、もう一度……。
  49. 天野公義

    天野委員 池田勇人氏邸へあなたが行かれたときに、連絡は一体どなたがされて、そうして、池田さんのところへあなたは同道されましたか。
  50. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。三浦さんから電話がありまして、きよう広川さんの都合がいいし、池田さんも都合がいいから来てくれ、——きようでなくて前の日であります。あしたの朝八時ごろに広川さんの家へ行くようにという電話がありましたので、そのことを私はまた伊藤さんにお伝えしました。そうして、そのあくる朝伊藤さんと一緒に広川さんの家へ行き、広川さんが案内して池田さんの家へ行つた池田さんの家へ行つたときには、私は別室で待つてつた広川さんが伊藤さんを連れて池田さんの部屋へ入つた。その間わずか三分間ぐらいだつた。こういうことであります。
  51. 天野公義

    天野委員 そのときに何か持つて行きませんでしたか。
  52. 山崎一芳

    山崎証人 何かというのはどういうことですか、それは帽子とかカバンとかいうものを持つてつたかということだろうと思うのですが、そういうものは全然持つておりません。これはもうはつきり申しますが、何も持つておりません。
  53. 天野公義

    天野委員 それでは、別な点を御質問したいと思います。あなたは、伊藤理事長と二十七年の春お知合いになつてから休業後に至るまで、しばしば伊藤と接触されたと思うのであります。伊藤との接触の度合い並びに伊藤との友情というか友達関係はどの程度まで行つてつたか、その点をお伺いしたい。
  54. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。先般申しました通り昭和二十七年の四月ごろに伊藤さんと存じ上げまして、その後たくさんの御出資をして新聞事業を援助してくださつたのでございます。そのために、私としてはかなりこの人に対して感謝の気持を持つております。後に至つてかような不始末の事態ができ、大衆に御迷惑をかけたということになつたのでありますから、これは少くとも早くこの問題を解決して、そうして出資者の方々に御迷惑をかけないようにさせなければならぬということが、私ども出資を受けておる者として当然の責任と私は考えましたので、常に自分の考え方というものを伊藤さんに進言していた次第でございまして、私はかなり深く伊藤さんとは存じ上げているつもりでございます。しかし、伊藤さんという方は非常に秘密の多い方でありまして、同じ部屋で他の人が訪問されても、前の人に再びその人を引合せるというようなことは絶対になかつたのでございます。従つて自身は、かなり自分として心やすく願つておる、かように思いましても、何かこう疑われているような、懐疑的なものがあるように存じているときもありましたので、そういうときは二箇月間も伊藤さんにお会いしなかつたこともございます。しかし、私はかなり伊藤さんという人に対しては自分は尽さなければならないという気持を持つておりましたので、ただいまのお言葉でございますが、友人という関係よりも、むしろ私どもに御出資くだすつておる株主に対する敬意というものにおいて尽して来たもの、また尽しつつあつたのでございます。だから、ただいまのお言葉の、親しかつたかということになりますと、かなり親しかつたということでございます。
  55. 天野公義

    天野委員 あなたが伊藤理事長のところに初めて行かれて、そうして記事をおとりになつたそのものが「新人物」という雑誌に出ております。この「新人物」の中に記載されております記事によりますと、伊藤は最初から、投資銀行の構想というので、盛んにここで投資銀行のあり方について話をしているのです。伊藤はあなたに初めて会つたときにこの投資銀行の話をされておるわけですが、その後において伊藤はあなたにこの投資銀行並びに保全立法化ということについてお話になつたことがありますか。これをお伺いします。
  56. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。投資銀行法案というものをつくつて、裏打ちのできる、いわゆる法的の根拠のある機関にしたい、アメリカではこういうものが非常にりつぱに行われておるから、日本でもそういうものをつくりたいと思うということは、そのときにはつきり私に申したので、それを私は速記のままに記事として表わしたのでありますが、その後において伊藤さんが特に立法化のために力をどういうふうに尽したいとか、どういうふうにしてくれとかいうことは申しておらなかつたように私は記憶いたします。ただ休業後におきましては、立法化、そういうふうなことを申しておりましたので、立法化といつても、これは取締りの立法、同じ法律であつても、取締る法律はできるだろうが、あなたの考えておるような、これを援助するような法律はおそらく国会において賢明な皆さんが御承認になるはずはない、かように申したところが、いやそんなことはない、それはできるというようなことを言つたことがございましたが、その辺のところは私と見解を異にしておりましたが、立法化という言葉を使いましのたは、保全休業なつてから盛んに立法化ということは申しておりました。その前には、初めて私がお話したときに、ただアメリカの投資銀行法というようなものによつてこれを裏づけたものをつくつて行きたい、かようには申しておりました。
  57. 天野公義

    天野委員 そうすると、初めて会つたときに投資銀行の演説をぶつて、それから二回目の投資銀行立法化の話が出たのは休業後であつて、その間の非常に親しい長い間のつき合いの間には、この立法化並びに投資銀行の話は、あなたと伊藤さんの間に一つもかわされなかつた、またこういうような運動をしているのだというような話をあなたは一ぺんも聞いたこともなかつた、このように了解していいわけですか。
  58. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。その通りでありまして、その間にさような運動とか、あるいは立法化のためにどうするということは、かつて私は耳にしたことはございません。
  59. 塚原俊郎

    塚原委員長 中野四郎君。
  60. 中野四郎

    ○中野委員 昨日でしたか、いろいろお話を述べておられるのですが、私は山崎さんに率直に御注意を申し上げておきたい。この委員会の本質から言つても、東京会館の内容あるいは保全経済会とあなたとの関係等は、いろいろ委員の方が聞いておられますけれども、どうも検察庁や警視庁のような調べ過程のようなあまりこまかい点はここで聞く必要はないのであります。従つて、あまり神経を使われて、つじつまを合せたり、それから関係の方に都合の悪くないようにというような証言は、万あるまいと思いますが、なるべく御注意なさつた方がいいと思う。率直に申し上げるが、私もいささかあなたの新聞経営状態については存じ上げているつもりであります。従つて、そんなやぼなことを伺つて検察庁のまねをするようなことは厳に私も慎んでおります。  本件解明のためにあなたにおいでを願つてどうしても聞いておかなければならぬという一点は、六千百万円のあなたの方に行つた金が、実質上においては三千五百万円の金が社に入つていないという、この使途が問題であります。このことについて御存じ範囲をば率直に聞きたいというのが各委員の願いであります。私はあまりややこしいことは伺いませんが、一つ最初に伺つておかなければならぬことは、あなたは警視庁なりあるいは検察庁で一応調べを受けておられるはずでありますから、ただ問題点は、ここで御証言になることが内容がまつたく同じかどうかということです。もし食い違つておりますと、そのことも相当考慮に入れなければならぬことであります。ただ、警視庁にいたしましても検察庁にいたしましても、非常に慎重を期しておりますから、必ずしもこの事案を捜査中においてただちに食い違いがあるというようなことは明らかにいたすまいと存じます。しかし、ある程度のことは私らも知つておるつもりでありますが、今までの御証言と、それからあなたが警視庁で述べられたことと、まつたく同一の観点に立つて述べられているかどうかという点を伺つておきたい。これは、先ほども申し上げたように、東京会館の中で三浦さんや、あなたや、広川さん、あるいは伊藤さんがお会いになつてどういうお話をなさつたか、あるいはその経緯等については、これはなかなか解明困難な問題であります。デリケートな問題を含んでおります。従つて、私はそれを聞こうとは思つておりません。しかし、各委員がいろいろな角度から聞かれた質問に対してのお答えが、必ずしも私は一致していないような気がするのであります。この点について、まず検察当局において述べられました事実と委員会質問に対して答弁をされた事実とが一致しているかどうか。それからまた、あなたは近いうちに、私の想像するところでは、さらに検察当局において聞かれなければならぬ点もあるのではなかろうかと思いますので、——ただ私は想像でありますが、どの方も一番心配をしておりますのは、委員会におきまして証言をしたことと検察当局において調書をとられる場合とに食い違いのあつた場合は、国会における証言食い違いはただちに、先刻宣誓の際に読みましたごとく偽証告発となつて体刑をもつて臨むという点で、この点をどの証人も考慮に入れております。非常にこの点は慎重に取扱わなければならぬ点であります。従つて、私は今の一点をまず伺つておきにいと思うのであります。
  61. 山崎一芳

    山崎証人 その道のヴエテランである中野先生から非常な慎重なるお言葉をもつての御質問でありますが、私は、警視庁において調書をとられましたことを当委員会において申し述べていることと、何ら違つておりません。また、三千五百万円の食い違いのことにつきましてはいまだどこからもお調べを受けておりません。私の方は、事実は事実としての帳簿を差出し、またそのようなものを出しておりますので、おそらく今後このお調べはあるものと私は確信しております。しかし、私は、事実は事実としたものを——この前申しましたけれどもそのものの調書をいまだとられておりません。従つて、今日まで警視庁で私が述べ、またなお当委員会で先日及び本日申し述べたことと、何らの食い違いはありません。
  62. 中野四郎

    ○中野委員 検察当局の取調べ過程は、すでに御承知のように、保全経済会そのものの内容と、伊藤斗福が投資事業として受けた分と、それから詐欺的行為をもつて処理した点とを分離してただいませつかく取調べ中です。特に政党献金、政治献金の問題は、犯罪の要素があるかないかという点にも重点を置きまするが、さらに非常に広範囲にわたつてデリケートな問題を含んでおりますから、勢い一段落して伊藤君らの取調べの済んだ過程においてこれを取上げるというのは常識で考えられることです。従つて、今日まで児玉誉士夫君の取調べは一応あつたと思う。三浦義一君並びに広川君らの取調べは今後に移されるものと私は推定するのです。そこで、今あなたのお答えになつたように、三千五百万円の金がどこへ行つたかという点については、今後にもたらされる問題でありまして、調書をとられないのが当然であります。私の方は、すでに御承知のように、あなたのところへ水増しのこのようなつけかけがしてありますのみならず、保全経済会の実態を解明して参りますと、保全経済会というものがたとい投資事業にいたしましても、あるいは匿名組合に準じてやつたにいたしましても、その集められた金が伊藤個人の名によつて相当使途不明の金があることであります。これはすでに御承知だろうと思います。その金額も、朝鮮特需の影響によつて株価等が暴落したことによつて受けた損害から比較いたしますれば、使途不明の金が非常に多いことであります。その不明の一部分に、あなたのところの新聞社に現に三千五百万円入らざる金が入つたかのようにつけておるのでございます。特に、山崎さんのおいでを願う過程においては、政党献金あるいは政治献金というものに深い関連ありという観点に立つてお尋ねをしておるのであります。先刻来お話しましたように、東京会館における広川君にいたしましても三浦君にいたしましても、たとい三浦君が箔をつけるからといつて広川君を漠然と連れて来たといいましても、今日の状況から言えばなるほどそういうような言葉も通用するかもしれないが、当時の広川君は、総理の吉田さんの御寵愛めでたくして、なかなか簡単には動かない男なのです。昔の広川なら少し軽率な点が多々あるくらいでしたけれども、近ごろはどうしてなかなかそういう風格は見えない。その広川君を多忙の最中に三浦君が連れて行かれた政治力は大いに私は買います。しかも、その広川君とあなたが特に伊藤君の家をたずねておられます。こういつた一連の関係を想像いたしますと、昭和二十七年の八月二十八日のあの抜打ち解散があつて、当時政治家はみんな金に飢えておつた。この飢えた政治家が、いわゆる命をかけて闘う選挙の最中ですから、相当無理な金を求めようとすることは当然だと思う。いわんや広川君が、あの場合の立場から言うと、相当資金を求めたい、——これは、保全経済会が今のようにしつぽを出しておるときには別でありますが、あの時分には後光がさしておつたような勢いでありますから、資を求めて伊藤に接したいという気持は、おそらく政治家の心理としてあつたのだろうと思うのです。これが何らの金銭的な関係なしに、いわゆるあの忙しい最中に親切と三浦君のはくをつけるという見地に立つていろいろ行動されるということは常識では判断できませんが、私はこれをここで追究しようとは思つておらない。ただ、三千五百万円の使途がどういうふうに使われたかということを想像いたしますれば、あなたも相当な方なんですから、おおよその想像はつくだろうと思いますが、こういう速記の手前においては、なかなか言えるものではありません。ただ、私は、先ほどからあなたのお話を聞いておつてふしぎに思うのは、平野言つたことはつくり話であろうということを一昨日証言されております。井上君のいわゆる政党寄金ということについても、それはつくり話であろうということを言つておられます。広川がどういう言葉を使つておるか知りませんけれども平野君の証言がつくり話だというあなたの根拠はどこにあるのでありますか。私は率直に申し上げます。山崎さんともある人が、平野の話を全部つくり話だと言う根拠があると言われることは疑わしいと思うのです。私は平野の話が全部が全部真実であると肯定をする根拠はありません。しかし平野君の証言の半分以上のものは真実なりと肯定する根拠を私は持つております。従つて、あなたが平野証言はつくり話だと思う、井上の話もつくり話だと思うと言う根拠はどこにあるか。あなたが全然伊藤君と関係のない人であるならば、あるいは広川君らのあつせんについて何らの関係を持たない方ならば、そういうことも言われると思います。しかし、いやしくも山崎さんともあろう人が、そういうことを言うということは、少し言葉が過ぎはせぬか。もし断じてつくり話とおつしやるのならば、その根拠を示していただきたい。私は全部がうそだとは断じて否定でき得ない根拠があるのでありますから、それについての立証をしろとおつしやるならば、あえて立証する用意を持つて、お尋ねをします。
  63. 山崎一芳

    山崎証人 ただいま御質問のございました、平野さん及び井上君のメモはでたらめである、真実のものでなかろうということは、私が一昨日申しました。それではその真実でない根拠があるのかというただいまの話でございますが、それは中野先生と私の考えの違いだと思いますが、私はああいうものはうそであろうと、かように考えております。中野先生は確実なる証拠を持つておるからと言われますが、私はここで中野先生から立証して御説明願わなくてもけつこうですが、私の考えでは、ああいうものはどうも信じられないと考えておるのであります。
  64. 中野四郎

    ○中野委員 これは、他の方なら私はこういうことは申さないはずなんですが、少くとも天下の輿論を喚起して政治の正しきを示そうとする新聞社社長として、あなたのところにもたくさんの取材の記者もおいでになるだろうと思います。しかし、あなたくらいの人が、ただ主観の相違で平野の話がうそだという考え方を持つてもしこの国会の証言に臨まれるなら、何をか言わんやです。失礼ですが、少くとも、この証言について同じ御答弁をなさるのでも、つくり話だと思う、うそだと思思うとおつしやらずに、もう少し言葉をかえて表現する方法があろうとぼくは思う。一昨日来私はあまり質問をせぬ意思でおつたのですけれども、あなたはこういう点になるとばかにはつきりしたことをおつしやるので、そこに私が、どうしても納得のできぬ点があるのですが、あなたがこれは主観の相違だとあえておつしやるならば、それまでであつて、今後の進展にまつほかはありません。  そこで、もう一点伺つておきたいのですが、広川君と三浦君とが同道して新夕刊行つて伊藤君の家を知らないから教えてくれというので、あなたが一緒に行かれたというのです。その際の千五百万が三浦さんへ行つたかどこへ行つたか、これも私が聞いてみたところで始まらぬことではありますが、少くとも広川君があの忙しい最中に三浦君とともにあそこへ行かれるということは、一体どういう意味なんでしよう。この点について山崎さんの御承知の点があるならば、御想像をされた点でもけつこうですが、率直に述べていただきたいと思うのです。私は他の人を傷つけることが目的ではないのです。この証言の速記をごらんになればわかりますが、広川君はどうも行つた覚えがないと言うのですよ。新たにあなたから、三浦君とあなたが同道して行つたということを今度御証言になつたのでありますが、なぜ広川君が行かなければならなかつたという点に常識上の疑惑を持つわけなんです。この点について御承知の点があるならば、御説明を願いたいと思うのです。
  65. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。三浦さんと広川さんは非常に深い仲だつに、こういうことを前から申しておりましたが、伊藤さんがぜひああいう池田さんとか広川さんに会わしてもらいにいということを頼んでおつたからといつて、あの当時農林大臣でありましん広川さんが初め東京会館へすぱつと来られたということは、これは、私自身としても、広川さんも非常に友情に厚い人だ、三浦さんにいわゆる箔をつけるためにおいでくださるし、また夜もわざわざ御一緒においでになるのだから、広川さんという人はかなり友情を重んじる人だ、かように考えたのであります。それ以上のことは、私の想像をもつてしましても、本日答弁いたしますことは御勘弁願いたいと思います。
  66. 中野四郎

    ○中野委員 三浦君と広川君との間がいつごろから心やすくなつて、また広川君がどういう性格で、三浦君がどういう人かということもよく知つておるのですから、くどいことはお尋ねいたしません。しかし、私らの常識をもつて律しては、ただ単なる箔づけに広川さんが二度重ねて伊藤君の家まで同道する理由はないのです。東京会館で十二分に役は立つておる。それほどひまではないのであります。しかし、これもいずれ正式のは機関を通じてあなたの方にお尋ねがあるでしようから、私は控えましよう。  そこで、あなたが新夕刊社長におなりになりました経緯をちよつと伺つておきたいと思うのです。元来あの新聞は、昭和十八年でしたか、なくなられた岩田富美夫さんが社長をしておられて、私も実は因縁浅からぬ新聞であります。その後、新橋のふろ屋さんでしたか、そのあとを改造して日本夕刊となり、さらに名前を改めて今日新夕刊なつておるようでありますが、どうも、そこらの系統からずつと考えてみますと、あなたが社長におなりになる経緯がちよつとわからない。どなたの推挙でどういう経緯をふんで社長におなりになつたか、これもこの機会にひとつ伺つておきたいと思います。
  67. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。昭和二十七年の春、幹部としてあそこにおりました——その当時は三浦さん個人経営でありますから、どなたも別に代表とかなんとかいう名前をつけておりませんでしたけれども、栗原一夫君と大庭勝一君と後藤勇君の三人によつて経営をされておつたのであります。社主が三浦さんで、金が足りなければ三浦さんのところに行つて金をもらつて来て、給料を払い不足金を払うというような状態を続けておつたのでありますが、三浦さんもほとほと手を焼かれて、もう金が出ないという状態になつたときに、後藤勇君は国民新聞の政治部長をやつてつた当時からの私の古い友人でありますが、その後藤君が私のところに白羽の矢を立てまして、私は銀座に事務所を持つておりましたが、毎日々々実に根よく私を説得においで下さつたのです。私は貧弱でありまして、大した資産もございません。その当時は毎月百万円が赤字であるということでありましたが、これは、後に至つて私入つてみてわかりました。百万円の赤字どころではなかつたのであります。とにかく新聞経営して行くということは並たいていのことでないというので、私はかなり逡巡いたした次第でございますが、たつてというお話があり、そのうちに三浦さんからのお話があり、御手洗辰雄さんからも、君ならやつて行けると思うから引受けてくれというお話がありました。これは先般も申しました通り、そのころたまたま伊藤さんを存じ上げましたので、私が伊藤さんに、新聞を引受けるから出資してくれぬかと申しましたら、私も文化的仕事に大いに興味を持ち、また私は新夕刊には昔世話になつたこともある、そういうお話で、ちようどそのころ正力さんの方にも一億の株を持つことになつておりましたが、東京でも新聞をやりたいと思つてつた、それでは力になりましようというお話でありました。その当時金額をどれだけのものを御出資くださるというかたい約束はございませんでしたけれども、とにかく財政的バツクになつてやろうというお話がありましたので、それではということで、私は決意を新たにして経営を引受けたのであります。筋から申しますと、大体があそこの新聞はそのころまでは右翼系の新聞でありまして、私のごとき未熟な、ことに思想的に左でも右でもない、そういう者が引受けることは、特に中野先生などはそういう御関係があつたのでいろいろ奇異の感を抱かれると思いますが、経緯はその通りであつて、その後ずつと今日まで苦闘を続けている、こういうことでございます。
  68. 中野四郎

    ○中野委員 新聞経営の難儀なことはよくわかりますし、三浦君があの新聞の仕事のために非常な犠牲を払つた事実もよく了承できるのです。しかし、今度の場合、先刻来の話を聞いておりますと、千五百万円に八百万円ですか、それと百五十万円でしたか、金額から言うときわめて少額なものですね。今日まで三浦君がつぎ込んで来られた金というものは、あなたの御証言を聞くと約四千万円と本人は言うておられる。それですつぱり手を切つてしまうというのはどういうわけでしようかね。つまり、スポンサーがつかないならばとにかく、保全経済会という有力なスポンサーがついたときに安くまけて放すということはどういうわけでしようか。本来ならば、高く金をとつてその手を切つて経営の万全をはかるというのが常識なんです。ところが、あなたのところは逆に、いいスポンサーがついたにもかかわらず安い値段で手を切つてしまう、それで一切済んだんだ、こういう話はちよつと常識では受取れない点があるのですが、これは何か含むところでもあるのですか。含むところがないまでも、何かそれに経緯がなくてはかなわぬと思うのですが、この点はいかがですか。
  69. 山崎一芳

    山崎証人 ちよつと御質問の意味がわかりかねますが、保全というスポンサーがついたから三浦さんにもつとたくさん金をやるべきだ、こういう御意見でございますが、これは、三浦さんともあろう人が、私はなお金がほしいということは申しておりました。はつきり申し上げておきます。しかし、伊藤さんという人がむやみに金をぱつぱと出したように皆さん御了解になるかもしれませんが、これまでに金を出させるのは並たいていのことではなかつたのでありまして、百万円の金を貸してくれと言つた場合には、約手はとらないで、先づけの小切手でその期日に振り込むというやり方、——私は、こうなつたから内幕を申し上げますが、暮れにボーナスを出したいと思つて行つたところが、とんでもない、赤字を出している新聞社がボーナスを出すというばかなことがあるか、こういうことがありました。これは夏も暮れもそうでありました。それで、私はある人のところに行つて頼みまして、借入れをして来てボーナスを出したのであります。また私も自分のささやかな土地とか建物を担保に入れて銀行から金を借りてボーナスを出した。そういう人で、なかなか思うように金を出す人ではない。従つて、私はあとで考えたのですが、九百五十万円と、八百万円と百五十万円と区切つたところなどに伊藤斗福氏の面目が躍如としているのじやないか。八百万とか二百万とか出すものを、百五十万と削つた。それは向う帳簿にはどういうふうに載つておるかわかりませんが、とにかくそういうことです。三浦さんが千五百万と八百万円で少な過ぎるじやないかという中野先生のお話でありますが、一応私と児玉さんの顔を立てて、君が経営するのならというので、不承ながら承諾になつたのではないか、かように思います。
  70. 中野四郎

    ○中野委員 三浦さんだから、なおさら私は高くとらなければならぬと思うので、三浦君だからあきらめて安くとつたというのは少し変なんで、そんな話は通らない。特に私はここに疑惑がわいて来るのは、新夕刊に六千百万円の出資をしたという保全経済会の帳簿と照し合せてみて、どうしても金銭の問題は食い違いが生じて来るのです。そこにいろいろな疑惑もありましよう。しかし、その疑惑はいずれ解明されるときがあると思います。けれども、私は一つ山崎さんに申し上げておきますが、国会の証言はある程度までそれで済むかもしれませんけれども、なかなか済まない事実が各方面に持たれておることは考えなければならぬことです。たとえば平野力三君がこの委員会においてやはり証言をされております。しかし、なかなか練達の士ですから、顧問料以外には、ほかのわずかな自動車とかビルの金等で、それ以外はもらつておらぬと言いながら、事実は、現在の段階においてはけた違いの金が平野君のふところに入つておることだけは明らかになつておる。こういうことは私はここであえて問い詰めては行きませんけれども、常識論としても、金の用意の十二分にある保全経済会がうしろだてとなつ出資をするという段階になれば、その場合現金は千五百万円であろうと、かりに二千五百万円であろうと、一応話はその場で了承しても、あとに何らか残されるというのが常識なんです。あとの千五百万円あるいは二千万円くらいはいずれの機会かにくれるのがあたりまえだという話がなくては、常識にはならぬ。三浦さんがりつぱな人だからといつて、そんなことで新聞社を手放すようなことはちよつとあり得ない。非常に経営困難の新夕刊であれば、あるいは勇気を出して、よし山崎、お前やれ、一番お前の男を買うと来るのが仁侠のしからしむるところであります。けれども、いいお客がついているのに、値段を負けて何らの意味なく引下るということは、私らの常識にはないんです。しかし、これもあえてお聞きしません。  もう一つお伺いたいのは、あなたは保全経済会からの借入金については先ほど天野委員の質員に対してお答えになつておられますが、借入金あるいはあらゆる意味の金銭の授受が、伊藤斗福並びに保全経済会関係者からあなたのところへ金が入つた事実があるかないか。保全経済会の関係者と申しまするのは、むろん広い意味を含んでおりまするが、児玉誉士夫君も三浦義一君も、あらゆる意味において名前の出ている人、こういう方面の金銭の授受があつたかないかという点を明らかにしていただきたいと思います。
  71. 山崎一芳

    山崎証人 もう一度お願いします。
  72. 中野四郎

    ○中野委員 私の言うのは、広い意味から、保全経済会に関する限りの関係者から新夕刊あるいは山崎一芳氏としまして金銭の授受の経緯があるかどうか、この点を伺つておきたい。
  73. 山崎一芳

    山崎証人 保全経済会の関係という言葉ちよつと了解できないのでありが、保全経済会の理事の人とか顧問の人とか、そういう人から金銭の授受があるかということならばわかります。保全経済会の関係と言いますが、児玉さんは保全経済会に関係ないのでありますが、児玉さんは私のために相当の金を援助してくださつている。三浦さんからは盆暮れにはわずかなつけ届けがあります。
  74. 中野四郎

    ○中野委員 私の質問の表現がまずいかもしれませんが、もう一ぺん申し上げます。あなたはジャーナリズムの経営者だから、そういう言葉を使つたんですが、保全経済会に関係をして近ごろ新聞に出ておる人がおりますね。たとえば広川とか平野とか児玉三浦、望月、井上とか、いろいろ出ております。そういう常識の範囲における人との間に金銭の授受の関係があるかどうか。これは重要な問題なんであります。もしありとするならば、だれとどういうふうにおありか、その事情を述べていただきたい。なければないでけつこうです。明らかに速記にとどめておく必要がありますので……。
  75. 山崎一芳

    山崎証人 平野さんとは金銭の授受は何らありません。三浦さんは、ただいま申しました通り、盆暮れにわずかなつけ届けをちようだいしております。それから望月京一君は、これは日動商事という金貸しの会社をいたしておりまして、そこからわずかばかりの融資を受けております。三十万程度で、月三分の利子を払つております。井上君は、伊藤さんのかわりとなつ出資してくださいまして、その金はこの四千二百二十五万円の中の一部に加わつているわけです。児玉さんは、困ると五十万とか三十万とかときどき融通してくれております。また盆暮れにはまとまつた——まとまつたということは五十万円とか百万円の金でありますが、つけ届けしてくれております。その程度でございます。
  76. 中野四郎

    ○中野委員 広川君と金銭関係は絶対ございませんか。
  77. 山崎一芳

    山崎証人 全然ございません。こちらから株を持つてくれといつて申入れをしたことがありますが、みごとに断られました。
  78. 中野四郎

    ○中野委員 もう一点だけ伺つておきたいんですが、先ほど天野君の質問の中でちよつとわからぬ点があつたのでありますが、広川君の証言はすでに新聞でお読みになつた通りであります。その当日、産業経済と読売新聞には池田勇人君が意思表示をしております。九月二十五日でございましたか、某人を通じて、ただいま広川伊藤君があなたに会いたいと言うておる、従つてこれについて向うでは政治献金をしたいという意思表示をしておる、——この某氏というのがはつきりしなければならぬと思うのですが、あなたの証言によつても、広川君の証言によつても、九月二十五日の朝、池田勇人君のうちをおたずねになつたことだけは明らかであります。その内容においてはまちまちの意見があります。そこで、あなたが広川君、伊藤君と三人で池田君のうちをたずねられますには、どういう経緯をふんで、どういう人を通じて面会されたかということが、お答えはあつたようでしたが、はつきりいたしません。重ねて伺いたいのですが、どういう経緯と、どういう人を通じて、どういう方法で面会を申し込まれたか、これをこの機会に伺つておきたいと思います。
  79. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。東京会館三浦さん、広川さんと会見いたしましたときに、池田さんに紹介してくれと申しましたところ、二人とも快く了承くだすつたのであります。後に至つて駒込の屋敷に来たときも、確かにそういう言葉を述べたやに私は記憶しております。その後三浦さんから電話がありまして、池田さんは都合がいいそうだから、明日たずねるようにということでありました。そのとき、私は、三浦さんが御紹介くだすつて三浦さんが連れて行つてくださるもの、かように解釈したのですが、それは広川君が案内してくれるそうだから、広川君のうちへ行つてくれたまえ、こういうことでありました。秋の九月、十月ごろかと思つておりますが、時間は朝の八時ごろであつたと思います。そのことを私はただちに伊藤さんに、明日池田さんが都合がいいそうだからお会いになつたらいかがですかと三浦さんから電話があつたことをお伝えいたしました。それではというので、私が朝うちの社に待つてつて、自動車で来られて、その自動車に乗つて伊藤氏は初めて広川さんを訪問するのですから、広川さんのうちに案内しました。入つて行くと同時に広川さんは、待つているから行こう行こうとむぞうさに立ち上りまして、それから自動車で池田さんのうちへ行つた。これが事実であります。そして、私は別室に待つており、すぐ会見されて出て来られた。そして伊藤さんと私は自動車で一緒に帰つた。こういうことであります。
  80. 中野四郎

    ○中野委員 あなたのところへ三浦さんから電話があつたそうですね。そうしますと、池田さんが都合がいいということを確かめた方は三浦さんという結論になりますね。そうしますと、某氏としてありますからどなたかはわかりませんけれども、あえて推定をすれば、三浦さんが池田さんに話したとも言えるし、また三浦さんの使いの方が話したとも解釈できるのですが、その点はどうなんでしようか。新聞社社長として、お読みになつていらつしやるでしようから、当時のこの記事をお読みになればおわかりになろうと思うのです。もし当時の記事をお忘れならば、ここにありますからごらんに入れます。だれが一体池田さんとの交渉をなすつたとおぼしめすか、この点を聞きたいと思います。
  81. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。それは産業経済に載つていた記事かと記憶いたします。当時私もあの新聞記事を見まして、その点は非常に不可解なことだ、どういうわけで池田さんがそういうことを言われているのか、その新聞によりますと、うちで待つているからとかいうことを書いてあつたようですが、そうでしようか。
  82. 中野四郎

    ○中野委員 そうです。
  83. 山崎一芳

    山崎証人 私ども行つたときには、池田さんはうちの中におられた。旅行から帰られたということはそのとき聞きました。大分たくさんの新聞社の人もたずねておられましたし、その朝広島から帰られたように私は聞いております。その前に池田さんにそういうことを話されたということは、どういう筋からそういうことが行つておるものか、私はわかりませんし、伊藤氏にその前に池田氏に会つたことがあるかと尋ねたこともありましたが、全然そういうことはないということでした。
  84. 中野四郎

    ○中野委員 これはまた、池田君がおいでになれば、だれから依頼を受けたかよくわかることでありますから、あなたの御証言はそれで正しいと思うのです。  それから、東京会館広川君とあなた方と四人でお会いになつたときに、広川君の証言を見ますと、新夕刊へ金を出してくれといつて頼まれたんだ、——これは広川君の勘違いだろうと思うのです。三浦君のいわゆる箔をつける意味で広川君が同道して、そうしてできるだけあなたの方の経営をゆたかにする意味において、三浦君に対する金をば伊藤君から出してやつてもらおう、こういう意味に善意に解釈すれば了承できると思うのです。しかし、ここでちよつと問題点になりますのは、すでに伊藤君と非常にお心安かつたのでありますし、それから、伊藤君の方からあなたの方でお借りになつていらつしやる金ですね、仮払金と、それからそのほかの金との関係を見ますと、お宅のは昭和二十七年の十二月四日ごろから借方に勘定はついております。あなたの方は仮払金は一体いつごろ保全から受取つておられたのでしようか。実際上社の内容を見ますと、少し時期的にずれがあるのです。  それから、もう一つ、ついでに伺つておきたいことは、保全経済会の帳簿を見ますと、あなたのところの輪転機とかあるいは什器等を担保に入れて、土地、建物は自分のものだというふうにいうております。しかも資産報告の中でそれをしておりますが、私の方で調べました内容を見ますと、この土地、建物にいたしましても登記がかわつておりませんでしたが、これはどういう食い違いなんでしようか。保全経済会ではあなたのところの社屋及び土地並びに輪転機等のものが資産評価として発表しております。しかし、名義が当然かわるべきであると思うのですが、この場合依然として従前の人の登記になつたままでありますが、これらの経緯について一応御説明願いたいと思います。
  85. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。金銭の授受がありましたのは五月、六月ごろからであります。それは百二十万と八十万、これは後に株代に振りかわつております。八月までに百万円ずつ二回借りております。金銭の授受のあつたのは十月以前であります。  それから、今お話のございました土地、建物がそのままになつておる、それから向う帳簿にはそれが買い受けたようになつておるというお話でありますが、それは非常な誤りでありまして、株式会社へ株の投資をなさつているものが、株式会社の土地、建物を先方で買収するということは、これはりくつに合わないことだ、それが二千万円という、悪い言葉で申しますればいわゆるつけかけになつているのに、そういうふうなことを土地、建物を買つたというように向うは解釈しておるのではないか、私はかように思つております。従つて、名義の変更のできない事情は、この前申し上げました通り、これは高源重吉氏の名義になつております。それを、私が経営を引受ける前に銀行にその土地、建物が担保に入つております。それが、貧乏会社でありまするために、今日まで漸次なしくずしに銀行へ消却しておりまして、今はわずかな金でございますが、それがためにいまだに名義が変更になつておらない。しかし、これはいつでも名義を変更することになるという確かな証書は高源氏から児玉さんの立合いのもとに受取つておる。そういう状態であつて向うで土地、建物を買つてあるというふうに考えるということは、これは何かの誤りじやないかと思います。
  86. 中野四郎

    ○中野委員 実は、私は皆さん方の今度の政党献金、政治献金の面をいささか知つておりますかげん上、おそらくここ旬日を出ずしてこの問題は検察庁の取調べ過程に入ると思うので、あまりここでいろいろな点聞くこともどうかと私は逡巡した一人なんですけれども、これについて最後にもう一つ伺つておきたいのは、たとえば保全経済会が和議が成立いたします、あるいは破産の宣告を受けるかもしれない。その場合においては、保全経済会の貸し方の方には六千二十五万円という厳たる帳簿がある限りにおいては、その過程に従つてあなたの方へそれぞれの処置をするだろうと思う。あなたの方では実際上は三千五百万の金は自分の社に入つておらぬ、当社に入つておらぬということになりますると、新たに出資者の同盟あるいは出資者の人々があなたのところへ請求する場合に、あなたの方がこれを拒否する場合において相当なトラブルが想像されるのであります。しかも、そのトラブルが想像される過程においては、今申し上げた政党献金、これは犯罪のきめ手になるかならぬかはわれわれの知るところではありませんが、政治家あるいは政党等に、あるいは隠匿財産の一部にもたらされたと思われる節もないわけではありませんから、これが本件解明の相当重要なポイントになつておると思うのです。その場合に、あなたの方では、この三千五百万円の金は絶対入つておらぬ、その使途については絶対におれは知らない、しかし広川君とあなたあるいは三浦君が伊藤君の屋敷に行かれたときに千五百万円の金、あるいは八百万円、ほかに百五十万円の金一封を包んでおるから、あるいはそれがその金なのではなかろうかとあなたは答えられるつもりなのか、あるいは、それは全然別個なものだ、伊藤が別な観点からこれをつけ書きしたのだ、こういうふうにお答えをなさるつもりなのか。この三千五百万円の使途不明の金についての追究はかなり重要な点であろうと私は思うのですが、もう一回この点についての御証言を願つでおきたいと思います。あまり自分がこの際詰問することは適当な時期でないと私は考えまするので、以上をもつて私の質問は終りまするけれども、この点を、あなたの社にとつてもたいへんな問題だし、政党献金の行方をきわめる上においても重大な問題ですから、伺つておきたいと思います。
  87. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。確かに、中野先生のおつしやる通り、三千五百万円の食い違いというものは私の社にとりましても重要な問題であります。だから、私は、この問題を徹底的に追究し、またこの問題を解明しなくてはならぬと思います。しかし、これを書かせた、こういうことを命じた人が伊藤さんであるということは、保全の職員に聞きますとはつきりしております。従つて、検察庁なり、あるいは取調べ御当局におきまして、この辺ははつきりさせてくださるだろうと思います。従つて出資者組合が六千二十五万円という数字帳簿に載つておるから、これを君の方で承諾して、これに対して代物を支払えと言われても、私は絶対に——いかなる争いをいたしましても、このことについては私は絶対に承諾できないのであります。承服いしません。しかし、これはわずかな金でありませんものですから、その使途というものは明確になるものと私は確信しております。またそうしていただかなければならないものと考えております。
  88. 塚原俊郎

  89. 久保田鶴松

    ○久保田(鶴)委員 田渕さんの時間でございますが、ちよつと関連して、時間の関係上簡単に伺いたいと思います。  山崎さんに伺うのですが、二十八年の春ごろでございますか、保全経済会会理事長として伊藤斗福なる者が書い本を一応出版したい、そのためにその出版いたしますについての祝賀の会というものを催したい——これは帝国ホテルでございますかそのときにあなたが出席されたこういうことになつておりますが相違ございませんか。
  90. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。出版するからということではなく伊藤さんが本を出版されたのであります。「私はこう考える」という本を出版されて、その出版記念会というものを催すのだ、——これは帝国ホテルではありませんで、丸の内日活会館でございます。そこで催しまして、私は出席しております。
  91. 久保田鶴松

    ○久保田(鶴)委員 そうするとその会合の主催者はだれでございますか。
  92. 山崎一芳

    山崎証人 出版元のコスモポリタン社、これは伊藤さんと同国の韓国出身者がやつておりますが、この出版社が主催でございます。
  93. 久保田鶴松

    ○久保田(鶴)委員 そのときに出席されましたおもなる方々はどういう方々でございましたか。
  94. 山崎一芳

    山崎証人 非常に記憶が薄らいでおりますけれども、おもな人は、大谷さん、平野力三さん、松本信次さん、それから京都の中外日報の真渓さんの奥さん、ちよつと記憶が薄らいでおりますが、その程度の人が出席しております。
  95. 久保田鶴松

    ○久保田(鶴)委員 そのとき池田勇人さんとか、あるいは広川弘禅さんは出席されておりませんでしたか。
  96. 山崎一芳

    山崎証人 出席されておりません。
  97. 久保田鶴松

    ○久保田(鶴)委員 それでは欠席されたのでございますならば、そのときに祝電といいますか、そういうようなことを電報で祝辞を送つておられるように聞いておるのですが、さようなことを披露されましたことの記憶はございますか。
  98. 山崎一芳

    山崎証人 祝電は十数通来ておつたと思いますが、池田さんとか、今お話のありました方のお名前は記憶いたしておりません。名士として祝電を寄せられた方の名前は私は今記憶しておりませんが、その後週間朝日か何かで、こういう人が祝電を寄せられたということを記事として拝見しております。
  99. 久保田鶴松

    ○久保田(鶴)委員 このときの会合はなかなかはでな会合であつたらしいので、五十万円近い費用を使われておるということを聞いておるのでございますが、その費用はやはり保全経済会の方の費用等で持いれておられるのでございましようね。
  100. 山崎一芳

    山崎証人 そのような多額のごちそうではなかつたのですが、人五百円ずつの会費を徴収してやりましたので、その不足分はこれは出版記念会の通例といたしまして、出版元が大体負担することになつております。
  101. 久保田鶴松

    ○久保田(鶴)委員 私続いてもうつ二つ伺いたいのですが伊藤斗福駒込の私邸に千数百万円の金を投じて庭園、茶室等の増築というようなことをやつております。それの竣工式等、これまた非常にはでにやつておるのでございますが、そのときに山崎さんは出席されておりますか。
  102. 山崎一芳

    山崎証人 出席しております。
  103. 久保田鶴松

    ○久保田(鶴)委員 出席されておるといたしますなら、そのときにやはり、さきの帝国ホテルで催されたと同様に、これまた出席された方々が記憶にありましたら、一応話してもらいたいと思います。
  104. 山崎一芳

    山崎証人 その当日に出席された方というのは、ほんとうは内輪同士の——ども内輪同士と申しますとおかしいのですが、そうした人たちだけのように記憶しております。ただ、新聞社の方で初めて見えられた方の紹介をされた方もございましたけれども、別に幹部の方はお見えにならなかつた。いわゆる新聞の広告などを保全経済会で出しておりました取引関係新聞社の方はお見えになつておつたと思います。そのほか特に名士としてお見えになつた方はないと思います。ただ三浦義一さんはおいでくださつております。
  105. 久保田鶴松

    ○久保田(鶴)委員 そうすると池田さんとか広川さんなどは、主席はむろんされておらないとお答えになるでしようが、これに対する祝電と申しましようか、このようなことはなかつたですか。
  106. 山崎一芳

    山崎証人 むろん御出席もなくまた当日は祝電等の披露等もございませんでした。
  107. 塚原俊郎

  108. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 この際委員長にお願いをいたしておきますが、先日証人に喚問しました広川弘禅氏の証言と、その当時新聞発表されました池田勇人氏の談話との間に大きな食い違いがあるという点において、中野委員より二月二日の委員会において、至急池田勇人氏を喚問するようにという御提唱がございまして、池田勇人氏はその後理事会において喚問することになつておるのでございますが、今また、一昨日から本日にかけまして証人として喚問をいたしました山崎証人の喚問によりまして、池田勇人氏を訪問した際におけるところの食い違い、また広川証言によれば単に新夕刊に投資の依頼をしたのみで金銭の授受その他に対しては何ら関知しないこういう証言でございましたが山崎証人証言によりますと当時一千五百万円の現金の授受をしておる、広川氏の懇請によつて千五百万円の金が現に授受されておるという事実、そういう点を総合いたしますと、かつて広川証言とただいまの山崎証言との間におきましても相当大きな食い違いをしておる。また池田勇人氏の談話の点におきましても相当食い違いをしておる。この食い違いをしておるということは、いずれかが偽証を行うておるという結果になるのでございますから、当委員会の名誉のために委員長は速記録その他を十分調査せられまして、善処いたすよう、この際委員長にお願いをいたしておきます。
  109. 塚原俊郎

    塚原委員長 矢尾君にお答えいたします。ただいま矢尾君の御発言のありました点につきましては速記録を調べました上善処いたしたいと考えております。  ほかに御発言がなければ山崎証人に対する尋問はこれにて終了いたします。  証人には長時間にわたつて御苦労でありました。  次会は公報をもつてお知らせいたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後一時十六分散会