○
佐藤証人 お答えいたします。私
どもの
神社は、御
案内の名古屋のいわゆる東海財務局の管下に属しております。従いまして、
富士山の
無償譲与に対する
申請に対しましての
調査は、名古屋の出張所であります沼津の出張所の所員の方々が実際の踏査に当りまして、文部省から
本宮を初め
奥宮、八合目以上に至るまで順々に実地
調査をいたしました。しかも、
神社の所有しておる
拠証書類等につきましても十二分に
調査を遂げられまして、その
拠証のごときは、りつぱであるというので判も押していただいております。
そこで、端的に
お答え申し上げますが、そのときに出張所の方々は、所長を初め、これだけ
拠証がそろ
つておることはめずらしいくらいである、たいへんよくそろ
つておる、こういうようなお言葉もいただいておるのであります。従いまして、私
どもとしましては、
拠証がそろ
つておるとみずからも信じ、また出張所長
あたりもさように申しておられたくらいでありまして、スムーズにこれが進むであろう、かように
考えてお
つたわけであります。しかるところ、昨二十七年の二月一日に、大蔵省から私に出頭しろ、こういう命がございまして、私は二月一日に職員一名を連れまして大蔵省の管財局に出頭いたしました。その際に、前々局長の内田局長が私と局長室におきまして対談をいたしたのでありますが、その際に、
中央審査会の
委員としまして井手成三氏が、二人の対談に立会人として
委員会を代表をして立会われました。大蔵省側としては、当時の総務課長、第一課長、それに名古屋の財務局の岩沙課長も見えておりました。さらに、当時の事務官が二名加わりまして、六、七名も大蔵省側の方々が並んでおられた。私が職員をつれて参り、井手成三氏が立会いに立
つたわけでありますが、その際に、内田局長が、――書類がたくさんに重ねてありまして、また一方にメモがしてありまして、
富士山を
浅間神社に譲渡することについては、あなたの方に反対のものがこんなにあると言
つて、たくさんの陳情書類の重ねてあるのを見せました。あなたの方に賛成のものというのは二つか三つしかないじやないか、こう言う。しかも、それを並べておき、そうしてまた、記録にも両方ずつとこれを記録してありました。それを見せまして、このように
なつておるのであるからというお話でございましたので、私はまことに遺憾に思いまして、私は東海財務局の社寺
境内処分の
委員の一人をけがしておる、この法の
取扱いのいかにあるべきかということはある程度心得ておるつもりである、今お話を承ると、第三者の反対の意見が強いからそれであなたの方はだめだ、こういうお言葉のように
考えるが、それははなはだも
つていわれのないことであると私は思う、法の規定においても、第三の言を用いよと、こういうことは規定がないはずだ、当該社寺に
拠証があり、現にこれを貸与してお
つたところのものが根本であるということが法には規定されておる、そういう条章に照して
考えたときに、私は、今お話になられる第三者の、しかも反対の数が多いということを言われるが、それははなはだも
つて遺憾に思う、はたしてさようか、それであるなら、数が多いことをも
つて可とするならば、私
どもにおきましても相当の数を出すことはやぶさかでない、こういう
お答えをしました。ところが、いや、それは失礼しました、こういう
お答えであ
つた。また、いろいろと話をしておりますと、内田局長は、初めに名古屋の方からは四百四十坪だということが来たのだ、しかし、あなたの方に好意をも
つて五万坪足らずのところまでしたのだ、こういうお言葉であり、もしそれが私
どもの好意を受けないというようなことであるならば、
訴願をするなり行政訴訟をするなり、か
つてにするがよい、こういうお言葉であ
つたので、また私はすこぶる遺憾に
考えまして、きようは、局長さん、あなたは私に、
訴願をしろ、行政訴訟をしろとかいうような指図をするためにお呼びにな
つたのか、しかりとすれば、私は遺憾ながらあなたの指図は受けない、私自身の自由意思に従いましてこれはやるのである、はなはだも
つてあなたのお言葉は遺憾である、こういうふうに
お答えをしたのであります。また局長は、いやそれは失礼、こういうようなことでありました。
特に、私
ども、百二十万余坪の請求に対して、一般の平地における
神社の例をと
つて考えても、また私の方の例をとりましても、
本宮の場合を
考えてみますと、裏の森に至るまで無難に
ちようだいしておる。それを、
富士山の
頂上に限
つて、しかも
神体山ということを申しておるにかかわらず、これを無視して、しかも、あろうことか、百二十万余坪に対してわずかに四百四十坪、
奥宮の
境内地、
久須志神社、それから金明池、銀明池、そういうような地域を合せての四百四十坪、こういうような案が出たということそれ自体が、私
どもははなはだも
つて、普通の
神社の場合と比較対照しましても遺憾に思うわけであります。ましてや、沼津の出張所の実地の
調査に当
つた方々が、先刻申しましたような言葉を述べておられるような状態であるにもかかわりませず、それが名古屋の財務局におきましてかりに内田局長の言われるがごとくに四百四十坪の案を出したとするならば、これはとうてい私
どもは
考えられない。またそれが今度は
神体山を無視した
取扱いをも
つてして管財局においてそういうことが論議され――漏れ承りますと、私が呼ばれましたのが二月の一日でありますが、一月の二十七日かの
中央審査会において、そういう原案で臨んだらしいのでありますが、それに対して、五万坪足らずということになるとするならば、これは
宮司の承認納得を得たならばそれでもよかろう、しかしまず
宮司の納得を得るように局長が
宮司と談合したらどうか、こういう話があ
つたそうであります。
従つて私が二月の一日に呼ばれたのでありますが、その際の結果は前申し述べましたような形でございまして、井手立会人はその際にこう申されました。局長に向
つて、これでは話がまとまりそうにもない、局長があまりに強引過ぎる、現に自分ら
委員も、このことについては局長があまりに強いために審議を十分に尽すこともできなか
つたように思う、きよう
宮司を呼ばれての話も、さつきから聞いておれば、このままではなかなかまとまりそうにもない、きようはこれでもうお開きにしよう、こういうことにな
つたのであります。