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1953-12-17 第19回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年十二月十日  塚原俊郎君が委員長に、世耕弘一君、田渕光一  君、長谷川峻君、山口六郎次君、中野四郎君、  久保田鶴松君、小林進君が理事に当選した。     ――――――――――――― 昭和二十八年十二月十七日(木曜日)     午前十時四十二分開議  出席委員    委員長 塚原 俊郎君    理事 世耕 弘一君 理事 田渕 光一君    理事 長谷川 峻君 理事 山口六郎次君    理事 小林  進君       天野 公義君    鈴木 正文君       原田  憲君    三和 精一君       山中 貞則君    栗田 英男君       椎熊 三郎君    北山 愛郎君       山田 長司君    前田榮之助君       小林 信一君  委員外出席者         証     人         (富士山本宮浅         間神社宮司)  佐藤  東君         証     人         (大蔵省管財局         長)      窪谷 直光君         証     人         (元社寺境内地         処分中央審査会         委員)     下村 寿一君         証     人         (厚生省国立公         園部長)    森本  潔君         証     人         (文部省調査局         長)      小林 行雄君     ――――――――――――― 十二月十七日  委員丹羽喬四郎君辞任につき、その補欠として  鈴木正文君が議長の指名で委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  国有財産管理処分に関する件(富士山頂払下げ  事件)     ―――――――――――――
  2. 塚原俊郎

    塚原委員長 ただいまより会議を開きます。  国有財産管理処分に関する件(富士山頂払下げ事件)につきましては、さきに委員派遣等による現地の調査も行いまして、基礎調査も完了し、すでに調査報告書委員諸君のお手元にお届けいたした次第でありますが、この際、国有財産管理処分に関する件(富士山頂払下げ事件)につきまして、本委員会において証人を喚問し証言を求めることにいたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 塚原俊郎

    塚原委員長 御異議なければ、さよう決します。  なお、本件につきましては、理事諸君の御了承を得まして、富士山本宮浅間神社宮司佐藤東君、大蔵省管財局長窪谷直光君、元社寺境内地処分中央審査会委員下村寿一君、厚生省国立公園部長森本潔君、文部省調査局長小林行雄君、以上五名の諸君を本日証人として出頭を求める手続きをいたしておいたのでありますが、以上の諸君を本委員会証人として決定するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 塚原俊郎

    塚原委員長 御異議なきものと認めます。よつて証人として決定いたしました。     ―――――――――――――
  5. 塚原俊郎

    塚原委員長 これより国有財産管理処分に関する件(富士山頂払下げ事件)につきまして調査を進めます。ただちに証人より証言を求めることにいたします。  ただいまお見えになつておられる方は、住藤東さん、窪谷直光さんですね。――あらかじめ文書をもつて承知の通り、本日正式に証人として証言を求めることに決定いたしましたから、さよう御了承ください。  これより国有財産管理処分に関する件(富士山頂払下げ事件)につきまして証言を求めることになりますが、証言を求める前に、各証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追また処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者が、その職務知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知なつておいていただきたいと思います。なお、証人が公務員として知り得た事実が職務上の秘密に関するものであるときは、その旨を申し出ていただきたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓求めます。御起立を願います。佐藤さん、代表して宣誓書を朗読してください。     〔証人佐藤東君代表して朗読〕    宣誓書  良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  6. 塚原俊郎

    塚原委員長 では宣誓書署名捺印を願います。     〔各証人宣誓書署名捺印
  7. 塚原俊郎

    塚原委員長 尋問佐藤さんから伺いますから、窪谷さんは元の控室でしばらくお待ち願いたいと思います。  これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際にはその都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。まず委員長から概括的に証言を求め、次いで各委員から証言を求めることになりますから、御了承ください。なお、こちらから質問をしておるときはおかけになつていてよろしゆうございますが(お答えの際は御起立を願います。  佐藤さんの略歴について簡単に述べていただきたいと存じます。
  8. 佐藤東

    佐藤証人 出生は大分大分東稙田村大字寒田四〇七に出生いたしました。大分中学を卒業しましたのが大正四年でございます。大正八年に神宮皇学館の本科を卒業いたしまして卒業後間もなく熊本県立天草中学教諭心得として奉職しました。その後幾ばくもなく中等教員国語漢文及び歴史免許状無試験検定をもつて下付せられまして、熊本県立天草中学教諭に敍せられました。それから竹田中学校を経まして、大正十四年に竹田中学校を辞しまして神職会に入り、大正十四年に滋賀県の官幣大社多賀神社司典を拝命し、二年ほどたちまして昭和二年に宮崎県の宮崎市に御鎮座の官幣大社宮崎神宮祢宜を拝領、二年を経まして、昭和四年の三月五日に官幣小社波上宮宮司を拝命いたしました。三年余にいたしまして、昭和七年別格官幣社藤島神社宮司を拝命、二年を経まして、ただいまの和歌山市でございますが、官幣大社竈山神社宮司として転任をいたしました。爾来五年間奉仕をいたしまして、次いで昭和十四年に伊勢の神宮祢宜として転任をいたしました。三年間会計課長を奉職し、後二年庶務課長を経まして、昭和十九年十月の二十五日にただいまの富士山本宮浅間神社、当時の官幣大社浅間神社宮司転任いたしまして、爾来今日に及んでおるわけであります。但し、その間、本宮神社名前が、神社国家管理から離脱をいたしました関係上、官幣大社がなくなりまして、富士山本宮浅間神社と称することになつて、今日に及んでおるわけであります。
  9. 塚原俊郎

    塚原委員長 今の富士山本宮浅間神社沿革というようなものについて、これも簡単でけつこうですから、御説明願いたいと思います。
  10. 佐藤東

    佐藤証人 本宮浅間神社富士山を御神体とした神社でございます。これは、万葉集あたりを見ましても、たとえば、高橋虫麻呂が読みました万葉集の「富士の歌」によりますと、「日本の大和の国のしずめともゐます神かも」、こう歌つておりますがごとくに、遠い昔から富士山を神と仰いでおるわけであります。これは、ただ一個人ばかりでなく日本人全体が伝統的にこの富士山を神と仰ぐ、こういうことになつておりまして、そういう国民の感情がもととなりまして、富士山というものが神としてまつられる、すなわち富士山自体神そのものである、こういうように相なつたのでございます。従いまして、その神たる富士をまつるために神社が設立をされ、しこうして、神社ができたときに、今度はこれに奉仕する祭官である神職というものが起つて、今日に至つておるわけでありまして、浅間神社は、初め、垂仁天皇の御代に日本武尊が御東征になりました際に、今の神社より約一里余富士に近寄りましたところに北山村と申すのがありますが、そこに日本武尊時代社殿を営むお祭りをいたしたのであります。但し、社殿を営むと申しましても、御殿をつくつたのではありません。この神社は、神社としての形式の最も古いものでありまして、本殿等の建物がないのであります。そして富士山を真正面から拝んでまつるところの形になつておるお宮であります。それが、次いで桓武、平城の御世になりまして、坂上田村麿が蝦夷を征伐したあの時代に、命を奉じまして北山村の山宮からただいまの富士宮市にあります本宮位置に御遷宮になりまして、今日に至つておるのであります。  神社にとりましては、富士山そのもの神様であり、そして中宮として山宮というものがあつて、そして本宮というものがあつて、この三者が一致いたしまして、それでいわゆる三位一体をなして富士神宮というものが形成をされておるわけであります。従いまして、この富士山におきましては、たいへんに普通の神社の場合と形が違つておりまして、山宮はただいま申しましたように社殿がないのであります。自然のままの形でおまつりをする。それから、本宮におきましては――本宮はただいま重要文化財なつておりますが、これは全国にたつた一つの形式であります楼閣づくり、非常に高くやぐら式にできた御本殿であります。その御本殿の高いことは富士山の高いことにたぐいいたしましてできておるし、そして、御本殿の下に、御祭神のおまつりの仕方によりまして、水の徳を表わした形がございます。しかし、この神社の御本殿の中には、特に他の神社と違つておりますことは、他の神社であればたいてい神様の御神体があるのでありますが、浅間神社本宮におきましては、富士山そのものをおまつりする関係上・富士山そのものが御神体である関係上、浅間神社の御本殿の中には神様の御神体というものは普通の神社のごとくにはおまつりをしてないのであります。  従いまして、神社のお祭りの形はと申しますと、おとびらを開きまして――特にまたかわつておりますのは、神社の御本殿うしろ側おとびらがありまして、お祭りの際にこれを開いて、ただちに富士山に相対する、こういう形になつております。かようにしまして、富士山をおまつりいたします浅間神社におきましては、昔からのお祭りの仕方によりまして、先ほど申しました山宮の土地に参りまして、ほこと称して、たてとかほことかいうそのほこですが、それを持つて山宮に大宮司以下が参りまして、そして富士山のみたまをそのほこに移して本宮に捧持して帰つて本宮御殿の中に納める、そういうようにしましてお祭りをすることになつております。  こういう点が他の神社浅間神社とのおまつりの仕方において相違のあるところでございます。以上申し上げます。
  11. 塚原俊郎

    塚原委員長 富士山本宮浅間神社富士山の八合目以上との関係についてひとつ御説明願いたいと思います。
  12. 佐藤東

    佐藤証人 富士六合目以上は、先刻沿革の際に述べましたように、富士山そのものが御神体であるのでありますが、時勢が変化をいたして参りますときに、なかんずく富士山の八合目というところの位置まで――最後の神社の一番大事な八合目というところが今日では神社の御神体の主要なる部分なつて、しかも神社境内地なつておるわけであります。この富士山の八合目は、お上りになつた方は御承知でもございましようが、いわゆる胸突き八丁と申しまして、その八合から上はにわかに絶壁をなしておりまして、普通の状態とはかわつております。神様をおまつりする式から申しますと、これは「ひもろぎ」と申します。その富士山の八合目以上が神様のお宿りになる場所である、こういうことになつております。その八合目以上の大事な場所の中でも、特に噴火口を中心とした部分、これは昔から神社におきましては内院または幽宮とも申しております。そこに神のみたまがお宿りなつておるというように、古来から神社では考えもし取扱いもいたしておるわけでありまして、この八合目以上というものが、富士信仰の点から申しましても、浅間神社信仰成立の上から申しましても、これがなくしては富士信仰というものは絶対に成り立たないのであります。私どもは、この富士の八合目以上が――遠い昔はおそらく全山がすなわち御神体であつたと思うのでありますが、歴史の証し得る範囲時代になりまして、しかも文書の上におきましてはつきりとこれを証することのできるようになりましたのは、徳川時代に入りまして、神社がこれを所有しておつたということの著書もあるわけでございまして、とにもかくにも、この神社にとりましては、富士山の八合目以上というものは、神社成立の上の根本要素として絶対不可欠の大事なものになつておるのでございます。  こちらに図面を掲げてございますが、これらにつきましても、大体において富士山は御案内のことと存じまするが、登り口は、富士宮口と、御殿場口と、須走口と、それから吉田口とございます。須走口吉田口は八合目のところで一本に合わさりまして、それから上が一本になつて、久須志神社と申す神社がありますが、そこに到達いたします。この御殿場から登つた御殿場口と、富士宮の方から登つた昔からの大宮口とか、ほとんど頂上に近いところにおいて、御殿場口は表の奥宮の近く、東側で奥宮に達し、大宮口の方は奥宮まつ正面に上つて参るわけであります。そうしまして、御案内でもありましようが、富士山頂上には八峰というのがございます。その八つの峯は、この富士宮から登りましたのが奥宮でございますが、この奥宮のある場所浅間岳――「あさまがだけ」と申します。神社名前を、音でただいま「せんげん様」と、こう申しますが、事実は「あさま」と読むのが正しいのでありまして、「あさまがだけ」であり「あさま神社」であります。この浅間岳奥宮が鎮座されているわけであります。それから、その神社の前のところ、ここにありますのが駒ケ岳と申します。それから、その西に三島岳があります。さらに西北にまわりまして剣ケ峯、これはただいま観測所がある場所でございます。それから、その次が、親不知、釈迦割石を経まして山梨県側に面して白山岳がありますし、それから、こちらが久須志岳なつております。その次に、南にまわつて参りまして成就岳朝日岳というようにありまして、都合合せまして八つの峯からなつておりまして、先刻申し上げました内院というのは、これは大きな噴火口そのものでございます。それで、特に御注意願いたいことは、大まかでございますがこの線が八合の線でございまして、この登り口にいずれもみな鳥居が建設されております。なおこの八合目に鳥居があるばかりでなしに、頂上に達しましても、久須志神社におきましても、ここに図示してありますごとく、また奥宮の方におきましても、銀明水のあるこの頂上に到達する場所、それからまた奥宮そのものの前には二基も鳥居が建立されておるというようになつておりまして、さらにまた、この八つ峰そのものはそれぞれにこれを行場といたして、特にこの内院は、神様のましますところという関係上、昔はこれにおさい銭までもずいぶんたくさん登参者がみな上げた、そして敬意を払つたのでありまして、その内院にそういうようにして参拝いたすのでありますが、かようにして、この八峰そのものみな内院を遥拝する場所なつております。しかも、さらにずつとまわりまして修行を重ねること、これをいわゆる「おはちめぐり」と申します。おはちとは、この噴火口そのものをおはちと申すのでありますが、これをずつとまわる。これをまわることは、すなわち非常に難路がたくさんございますので、これをまわることによつてやはり修行をする、こういうような形になつておるのであります。  かように考えて行きますときに、特に私どもは、昔富士山を厚く信仰した富士講というものがありますが、こういう行者の方がいかなる態度をもつてこれに登つて来たかということを考えてみますと、まず本宮におきまして、お手元写真が参つておりますが、その曼荼羅の写真をごらんになると、本宮特別天然記念物がございますが、湧玉の池と申しますその池で潔斎をいたしまして、水ごりをとつてからだを清め、心を清め、そして本宮に参拝して、それからだんだんと山に登るのであります。山宮を経、そして頂上に登つて参るわけであります。いわゆる白衣をまとい六根清浄をとなえ、そして富士山頂上に到達するであります。しかも、その冨士山の頂上に到達するということは、ちよつと世俗的に考えますと、神体山であるならばこれに登るのはおかしいじやないかというようなことも、ちよつと考えもいたしまするが、それは、宗教的に考えますと、それに登つて神様の玉体に触れる、そういうことにおいて自分たちの行を重ねて行く、そしていわゆる神人合一の境地に到達する。こういう念願のもとに、ひたすらに精進潔斎して、しかも六根清浄をとなえて、そうしてお山に登つて参るわけであります。そのようにいたしまして富士山に参つているわけであります。  特に、いま一こと申し添えますが、内院遥拝所というようなものも朝日岳に設けてありまして、これあたりは、その位置からしましても、古くから相当に重んぜられております。それから、久須志岳のふもとに久須志神社と申すのがありますが、これは前にあります奥宮の末社になつておるのであります。そしてこれは、御祭神から申しますと、こちらは木花之佐久夜毘売命、浅間大神をおまつりしてありますし、久須志神社には少彦名命大名持命、このお二方をおまつりしてある。こういうようにいたしまして、富士山信仰はこの八合目以上そのものがすでに神体山でありますが、なかんずくこの内宮は特に内院と仰せられ幽宮とも仰せられて、重く用いられているわけであります。
  13. 塚原俊郎

    塚原委員長 佐藤さん、それでけつこうです。どうぞ元の位置へおもどりください。  それから、次にお尋ねいたしますが、昭和二十二年法律第五十三号(社寺等無償で貸し付けてある国有財産処分に関する法律)というものに基きまして、神社は、大蔵大臣あて富士六合目以上の譲与申請をしたことがありますか。
  14. 佐藤東

    佐藤証人 あります。
  15. 塚原俊郎

    塚原委員長 次に各項についてお答えを願いたいのですが、その申請をした年月日はいつですか。
  16. 佐藤東

    佐藤証人 昭和二十三年四月の二十三日でございましたか……。
  17. 塚原俊郎

    塚原委員長 昭和二十三年の……。
  18. 佐藤東

    佐藤証人 二十八日でございます。
  19. 塚原俊郎

    塚原委員長 四月の二十八日ですか。
  20. 佐藤東

    佐藤証人 実は、私、今はつきりした日にちを記憶いたしておりません。
  21. 塚原俊郎

    塚原委員長 それから次には、譲与を受けようとする国有財産種類及び数量、これはおわかりでしようか。もし今おわかりにならなければ、資料でお出し願つてけつこうですが、大体のところでよろしいのです。譲与を受けようとなさつた国有財産種類数量
  22. 佐藤東

    佐藤証人 おおよそのところでよろしいですか。
  23. 塚原俊郎

    塚原委員長 おおよそのところでけつこうです。
  24. 佐藤東

    佐藤証人 種類と申しますと、神社本宮における境内地、それから奥宮境内地、それから、それに付属した神社境内にありまする森林等でございます。境内地の面積はと申しますると、奥宮本宮合せて百二十二万余坪であつたと記憶しております。
  25. 塚原俊郎

    塚原委員長 その国有財産昭和二十二年法律第五十三号に規定する次の条件に該当していると思われる事実がありましたら述べていただきたいのですが、まず第一に、社寺上地地租改正、寄付などによつて国有なつた事実、この点についてお答え願いたい。
  26. 佐藤東

    佐藤証人 それは、伺いますが、富士山の八合目以上のみについての御質問でございますか。
  27. 塚原俊郎

    塚原委員長 それでけつこうです。
  28. 佐藤東

    佐藤証人 お答え申します。富士山そのものは、八合目以上につきましては、何も、社寺上地の際におきましては、神社にははつきりしたその文字がございません。しかしながら、これは、他の加賀の白山とか長野県の穂高神社などと同じように、神社そのものがこれを所管しておつた事実は明らかでありまして、今申しましたような神社などと同じような取扱いを受けまして、明治三十二年に境内地に治定のこととなつたのでございます。
  29. 塚原俊郎

    塚原委員長 次に、法律施行当時国から無償貸付を受けていた事実がありますか。
  30. 佐藤東

    佐藤証人 無償貸付を受けておりました。
  31. 塚原俊郎

    塚原委員長 それから次に、神社宗教活動上必要と思われるような事実についてひとつ御説明願います。
  32. 佐藤東

    佐藤証人 先刻来御説明を申し上げましたように、神社といたしましては、富士山そのもの神社神体山でございまして、これなくしては神社成立はできない。すなわち、神社宗教としての性格から申しましたときに、絶対不可欠のものでございます。従いまして単なる境内地より以上のものでありまして、宗教性的に絶対不可欠のものと思います。
  33. 塚原俊郎

    塚原委員長 神社申請に対する大蔵大臣からの処分通知、並びにこれに対して神社のとつた措置、及びその結果等についてお述べ願いたいと思います。
  34. 佐藤東

    佐藤証人 初め神社申請をいたしましたところが、昭和二十七年の二月の二十七日の中央審査会におきまして、富士山奥宮境内地につきましては、約五万坪、四万九千幾坪を神社譲与する、こういう決定になりました。これに対しまして、神社としては、古来からの神社富士山との関係考え、また富士山が持つところの宗教性考えまして、さらに、法律第五十三号に規定せられておりまする無償譲与を受くべき資格、条件、これを考えまするときに、神社は現に無償貸与を受けていることでもあるし、拠証につきましても、神社は、明治三十二年に「富士六合目以上浅間神社奥宮境内地二確定ノ件聞届ク」という指令をいただいて、爾来今日に至つておりまして、神社境内地として取扱われておるわけであります。しかも、このことたるや、当時の政府において十二分に検討を重ねて来られました結果がかように相なつたものでありまして、しかも、その裏づけと相なるものは、安永の年間に幕府から裁許状が出ておりまするが、そのものに、「富士六合目以上より上者大宮持たるべし」と、境界のことについて言示された。これについては、当時の幕府寺社奉行とか若年寄とか、こういう方々の連書によりまして、富士六合目以上は大宮持ちたるべし。――大宮と申しまするのは、すなわちただいまの私ども富士山浅間神社をさすものでございます。かような立場からいたしまして、本宮を合せましての百二十二万坪の請求に対しましてわずかに五万坪ということは、神体山であるという宗教性をまつたく無視したところの取扱いである、かように感じまするがゆえに、私どもは、法の定むるところに従いまして、いつなりとも訴願のできる用意をいたしておつたのでございます。但し、そこに至りまするまでの間、でき得べくんば、よく御了解をいただいて、法の示すがごとく――御案内のように、これは、政教分離の結果、拠証があり現にこれを貸与しているというような条件が具備するならば神社に返還する、こういうことが建前であるということを考えまして、以上の観点からいたしまして、私どもは常に、万一の場合には訴願をせよという準備を十二分に整えて参つていたのであります。それを、二十七年の十二月の八日であつたかと思つておりますが、初めの二月二十七日の決定の線においての通知をいただきましたので、ただちに、十日付であつたかと思つておりますが、訴願手続をとりまして、そうして、申請通りに無償譲与相なるよう政府に訴願いたしたわけであります。
  35. 塚原俊郎

    塚原委員長 委員諸君のうちでお尋ねがありましたら、どうぞ。
  36. 北山愛郎

    北山委員 私は二、三佐藤さんにただしておきたいのですが、先ほどのお話、あるいは私どもに配られている書類を拝見いたしますと、富士山神体があるというように御信仰なさつておるという点についてはよくわかるのでありますが、その信仰あるいは宗教活動をするために富士山を特に八合目以上を所有しておらなければならぬ、現在の所有権の観念に基いておるような所有をしなければ信仰なりあるい宗教活動が阻害されるという理由をまずお伺いしたいと思います。
  37. 佐藤東

    佐藤証人 ただいまの御質問に対しましてお答えいたします。神社富士六合目以上の所有を何がゆえに必要とするかと申しますと、先刻御説明を申しましたように、神体山であるがゆえに、こういう一点に帰するのでありますが、しからば、それを持たなくても信仰が成り立つのではないかというようなことも考えられるとのお言葉でございますが、今かりに普通の神社考えてみたときに、その神社のある御社地が借物であるということ、そのもの神社の所有であるとないということがいかにその神社そのもの信仰の上に重きをなすかということは、御了察を願えることかとも存ずるのであります。私どもは、神社がその土地を所有する、しかもこれは信念の問題であり信仰の問題であります。従つて、所有しなくても信仰できるじやないかと申しましても、持つていることが万全でありますし、また持つていなければ、一例を申し上げますが、かつて、ある宗派の者が富士山頂上神社の許可を得て何かの碑を立てよう、かつて気ままに碑を立てようというようなことをした時代がございました。当時は国家管理時代でございまして、官幣大社浅間神社であつたのであります。そういう時代においてすらもそういう横車を押す者がございました。かりに申せば、東京にある明治神宮境内へ持つてつて他の宗派の殿堂ができるということが明治神宮として許されないと同様に、やはり富士山におきましても、信仰の根源である神社の御神体神社の所有であることこそがほんとうに完璧である、かように私ども考えるわけでありまして、これがあるとなしとは、信念の上から、思想の上から申しましても、絶対不可欠のものであると考えるわけであります。
  38. 北山愛郎

    北山委員 次にお伺いしますが、幕府時代から富士山の八合目以上が浅間神社の所有であるという根拠といたしまして、安永八年の幕府裁許状というものを証拠として出されておるわけであります。ところが、この裁許状を拝見いたしますと、「富士六合目より上者大宮持たるべし」ということが根拠だそうでありますが、そのことの起つて来ることは、ただいまお話のように信仰の対象である神体富士山にあるからこれを大宮の所有とするという趣旨ではなくて、むしろその地域に起つておる行路病者の取扱いであるとか、あるいはおさい銭の配分であるとか、そういうことの言わば紛争から、幕府がその裁定としてそのような裁許状を出しておるように考えておるのですが、その点についてはいかがですか。
  39. 佐藤東

    佐藤証人 お答えいたします。ただいまお説のさい銭だとか、行路病者だとか、こういうことなるがゆえにとのお伺いでございますが、私ども考えますところでは、その文書はただいまそこに掲げてございますが、私の先刻申しました「八合目以上者大宮持たるべし」との言葉のありまするその前の条項をよくお読みいただきますと、富士山の境界線というものがいたく問題になつておる。特に行路病者が須走口の方面と吉田口の方面との両方にあつたのでありますが、これの取片づけにつきまして、やはりこの境界線が問題になつておるのであります。従いまして、あの安永八年におきましての場合を考察いたしますと、境界というものは最も重要なる一項目であつたと私は考えております。
  40. 北山愛郎

    北山委員 もう一点お伺いしますが、浅間神社の方で昭和二十二年法律第五十三号に基いて譲与申請をなさつたときの写しを実は拝見しておるのでありますが、その中の「譲与を受けようとする国有財産の所在、種類数量及び価格」というところの摘要の欄を読みますと、「一、譲与を受けんとする面積の内訳、本宮一七、五三五坪二合二勺、奥宮一、二二六、〇八二坪九合五勺」、その次に「二、無償貸付けを受けている全面積(本宮)」とありまして、そこには「(台帳)一七、四三九坪一合一勺、(実測)一七、七三六坪一合一勺」、こうなつておるわけであります。そこで、先ほどのお話では、譲与を受けようとする国有財産はすべて国から無償貸与を受けておるものである、その昭和二十二年法律第五十三号の施行の当時において、国から無償貸付を受けておるものであるというような御説明でありましたが、この申請書の控え、これは間違つておるかもしれませんが、これを見ますと、神社自身、全部が無償貸付を受けておると認めておらないで、その中の一万七千四百三十九坪一合一勺、本宮の分だけを無償貸付を受けておる面積と記載されておるわけであります。そういたしますと、それ以外の奥宮の百二十二万坪というようなものは、申請当時におきまして国から無償貸付を受けておらないと神社自身が認めておられるのではないか。そういたしますと、先ほどのお言葉と矛盾するのでありまして、この第二の要件である「この法律施行の際において国から国有財産法の規定によつて無償貸付を受けておる」という条件にあてはまつておるというお答えは間違つておるのではないかというふうな疑いが起るのでありますが、その点をひとつ……。
  41. 佐藤東

    佐藤証人 ただいまのお言葉によりますと、奥宮境内地のことを申請の中に記載してないというようなお話でありますが、神社はそうではございません。これを一切含めまして申請をしてあるのでございます。  それから、初めに申されました神社社寺上地云々ということについて、神社を上地であるとお答えしたかにお聞取りいただいたように承りましたけれども、私は奥宮境内地社寺上地によつてということは申していないのであります。これは他の関係の白山だとか長野県の穂高の例を引例しまして、特に地形が地形であるために、明治政府の政府組織以後においての忙しい時期にあつて、特殊な地域にあるがゆえに白山やら穂高神社、それに私らの富士山と申すものが、何と申しますか、自然の間に等閑に付せられておつたという感じがさせられるように思うわけでありまして、その点は、上地によつたものであると私が明確に申し上げたわけではないのであります。
  42. 北山愛郎

    北山委員 実は、今お答え社寺上地の問題は、私はお聞きしなかつたのであります。  今のお話をもう一つ確かめておきたいのですが、先ほど私が申し上げた神社からの申請書の中に、「譲与を受けようとする国有財産の所在、種類数量及び価格」という欄の摘要欄に、先ほど申し上げたような事実を記載しておつたかどうか。すなわち、そこの中には、一に、譲与を受けようとする面積全体を書き、第二には、現在無償貸付を受けている全面積を書いておるというふうに、区分して記載されて出しておられたかどうか。これは、私は写しを持つているだけでありますから、原文がどうなつておるかわからないのでお聞きするわけでありますが、もしもそのように申請書に記載しておるとすれば、とにかく申請を出されたときにおきましては、国から無償貸付を受けておる面積は一万七千四百三十九坪一合一勺、本宮の分だけであるということを神社自身が認めておられたのじやないかという一つの根拠になると思いますから、その点をひとつ確かめておきます。
  43. 佐藤東

    佐藤証人 神社は、富士山奥宮の八合目以上をも加えまして、全部で百二十二万何がしを陳情してあるのでございます。この点はさよう心得ております。
  44. 北山愛郎

    北山委員 私は、陳情してあるということをお聞きしておるのじやないのです。その申請書の「記」の欄の「譲与を受けようとする国有財産の所在、種類数量及び価格」という欄の中に摘要欄が書いてあるわけです。摘要欄の説明に、さつき申し上げたような説明を付してお出しになつておるのじやないか、こう思うのです。譲与を受けようとする面積というのが、本宮の分一万七千五百三十五坪二合二勺であり、奥宮の分百二十二万六千八十二坪九合五勺という点は了解しておるのです。問題は、その次に「無償貸付を受けている全面積」として、さつき申し上げたような記載をしておるか、そして申請書にそういう記載をして出したかどうかということなんです。
  45. 佐藤東

    佐藤証人 ただいま私、手元にその書類を持参いたしておりませんので、また後刻調査いたしましてお答え申し上げたいと存じます。
  46. 塚原俊郎

    塚原委員長 それでは、資料をあとでいただきます。  他にお尋ねはありませんか。
  47. 栗田英男

    ○栗田委員 富士神体山宗教であるということを承つたのでありますが、神体山宗教として、今のように富士山が国有であつても、別にこれを拝むのに神社の地位が危殆に瀕するというほどの危険がないのではないかというふうな感を持つのですが、その点に関してはいかがですか。
  48. 佐藤東

    佐藤証人 お答えします。先刻もお答えをいたしたのでございまするが、神社が持つていることが完璧でございます。但し、国家が持つてつて、そして神社にというようなこともあるいはお考えかとも思います。しかし、私どもから申しますることはおこがましいことでございまするが、いつまでも国家から特別に浅間神社だけが無償で貸与を受けるということで特別な庇護を受けることは禁止されておることと思います。従いまして、私どもはやはり、国家のものであつても成り立つではないかということもいろいろありまするが、私が先刻からお答え申し上げておるように、これは絶体不可欠の要素である、かように考え、完璧であると考えますがゆえに、あくまで法律第五十三号の規定に準拠しまして私どもの方が国から無償譲与を受けたい、かように考えております。
  49. 栗田英男

    ○栗田委員 先ほどの証人のお話では、富士山に他の神社でもできるということがあつてはたいへんだ、従つてさらに神社がこれを所有しておると万全であるというようなことでしたが、すでにこの山上は浅間神社のものになつております。山の象徴というものは頂上であります。従つて頂上富士浅間神社のものになつておりますから、ここに他の神社が進出をしてお宮をつくるなどということは考えられないと思うのであります。従つて、この神社の実体から言つて神体山宗教ということになると、この富士山全体を浅間神社のものにしてくれというのだと非常に筋も通ると思うのです。たとえば、私は栃木県ですが、あの男體山も、男體山全体が日光の二荒山神社の所有になつております。そこで、八合目以上ということになれば、頂上には神社を建てることはできない、それじやもつと便利なところに出店をつくろうということで、八合目のもつと下のところに他の神社が進出して、山上のお客さんをとるということも考えられるのでありますが、そういうような八合目以上が富士浅間神社のものになつても、なお八合目以下にもそういう危険があるではないか、こういうようにも考えられるのですが、その点はいかがですか。
  50. 佐藤東

    佐藤証人 神社といたしましては、できれば全山が神体山であるということは望ましいきわみであります。しかしながら、ただいまのところは、八合目以上ですらも困難でございます。また、せつかく皆様方がそういうありがたい御意見をお持ちくださるならば、私どもは全部頂戴することにおいてはまことにありがたいと思います。そういうことができまするように御尽力を願えれば、まことに便宜重疊でございます。
  51. 栗田英男

    ○栗田委員 第一回の答申案で、初めは四百四十坪というまことに苛酷な、われわれから見ても非常に過酷な案がきめられまして、それではぐあいが悪いというので、第二案で山上が浅間神社のものになつた。そして、いわゆる審査会がそういう答申をして、しかもその答申案に基いて大蔵大臣が許可を与えた。許可を与えておいて、神社側がこれを不服であると言つて訴願をすると、今度はまた審査会が神社訴願通りさらに答申案を出したということは、いかにも審査会に権威がなく、どうもその間がまことに不明朗であるというふうに考えるのでありますが、この点、神社側としてはどのようにお考えですか。
  52. 佐藤東

    佐藤証人 私どもは、先刻もお答えしましたように、あくまで法の命ずるところに従いまして八合目以上をちようだいしたい、かように考えておつたわけでありますが、遺憾ながら約五万坪以外はだめとのことでありまして、従つて、法で許されておる範囲であくまでこれを確保したい、こういう念願に燃えまして訴願をいたしたわけでありますが、ただ私どもとしては、いかにしてもこれを確保したい念願に燃えておるわけでありまして、しかも法律訴願ということが認められておりますので、その手続をとりましたことで、私どもにおきましては、ただそれあるのみでございます。
  53. 栗田英男

    ○栗田委員 この間調査に行きましたときに、あなたからじやないのですが、これの答申、さらにこれが、処分あたりまして、当時の管財局長がはなはだ不明朗な動きをしたというようなことを承つたのでありますが、何かその点に関しまして管財局長からあなたにそのようないわゆる圧力がかかつたような事実でもあつたかどうか、この点、承知する範囲をひとつ率直に御披瀝を願いたいと思います。
  54. 佐藤東

    佐藤証人 お答えいたします。私ども神社は、御案内の名古屋のいわゆる東海財務局の管下に属しております。従いまして、富士山無償譲与に対する申請に対しましての調査は、名古屋の出張所であります沼津の出張所の所員の方々が実際の踏査に当りまして、文部省から本宮を初め奥宮、八合目以上に至るまで順々に実地調査をいたしました。しかも、神社の所有しておる拠証書類等につきましても十二分に調査を遂げられまして、その拠証のごときは、りつぱであるというので判も押していただいております。  そこで、端的にお答え申し上げますが、そのときに出張所の方々は、所長を初め、これだけ拠証がそろつておることはめずらしいくらいである、たいへんよくそろつておる、こういうようなお言葉もいただいておるのであります。従いまして、私どもとしましては、拠証がそろつておるとみずからも信じ、また出張所長あたりもさように申しておられたくらいでありまして、スムーズにこれが進むであろう、かように考えておつたわけであります。しかるところ、昨二十七年の二月一日に、大蔵省から私に出頭しろ、こういう命がございまして、私は二月一日に職員一名を連れまして大蔵省の管財局に出頭いたしました。その際に、前々局長の内田局長が私と局長室におきまして対談をいたしたのでありますが、その際に、中央審査会委員としまして井手成三氏が、二人の対談に立会人として委員会を代表をして立会われました。大蔵省側としては、当時の総務課長、第一課長、それに名古屋の財務局の岩沙課長も見えておりました。さらに、当時の事務官が二名加わりまして、六、七名も大蔵省側の方々が並んでおられた。私が職員をつれて参り、井手成三氏が立会いに立つたわけでありますが、その際に、内田局長が、――書類がたくさんに重ねてありまして、また一方にメモがしてありまして、富士山浅間神社に譲渡することについては、あなたの方に反対のものがこんなにあると言つて、たくさんの陳情書類の重ねてあるのを見せました。あなたの方に賛成のものというのは二つか三つしかないじやないか、こう言う。しかも、それを並べておき、そうしてまた、記録にも両方ずつとこれを記録してありました。それを見せまして、このようになつておるのであるからというお話でございましたので、私はまことに遺憾に思いまして、私は東海財務局の社寺境内処分委員の一人をけがしておる、この法の取扱いのいかにあるべきかということはある程度心得ておるつもりである、今お話を承ると、第三者の反対の意見が強いからそれであなたの方はだめだ、こういうお言葉のように考えるが、それははなはだもつていわれのないことであると私は思う、法の規定においても、第三の言を用いよと、こういうことは規定がないはずだ、当該社寺に拠証があり、現にこれを貸与しておつたところのものが根本であるということが法には規定されておる、そういう条章に照して考えたときに、私は、今お話になられる第三者の、しかも反対の数が多いということを言われるが、それははなはだもつて遺憾に思う、はたしてさようか、それであるなら、数が多いことをもつて可とするならば、私どもにおきましても相当の数を出すことはやぶさかでない、こういうお答えをしました。ところが、いや、それは失礼しました、こういうお答えであつた。また、いろいろと話をしておりますと、内田局長は、初めに名古屋の方からは四百四十坪だということが来たのだ、しかし、あなたの方に好意をもつて五万坪足らずのところまでしたのだ、こういうお言葉であり、もしそれが私どもの好意を受けないというようなことであるならば、訴願をするなり行政訴訟をするなり、かつてにするがよい、こういうお言葉であつたので、また私はすこぶる遺憾に考えまして、きようは、局長さん、あなたは私に、訴願をしろ、行政訴訟をしろとかいうような指図をするためにお呼びになつたのか、しかりとすれば、私は遺憾ながらあなたの指図は受けない、私自身の自由意思に従いましてこれはやるのである、はなはだもつてあなたのお言葉は遺憾である、こういうふうにお答えをしたのであります。また局長は、いやそれは失礼、こういうようなことでありました。  特に、私ども、百二十万余坪の請求に対して、一般の平地における神社の例をとつて考えても、また私の方の例をとりましても、本宮の場合を考えてみますと、裏の森に至るまで無難にちようだいしておる。それを、富士山頂上に限つて、しかも神体山ということを申しておるにかかわらず、これを無視して、しかも、あろうことか、百二十万余坪に対してわずかに四百四十坪、奥宮境内地久須志神社、それから金明池、銀明池、そういうような地域を合せての四百四十坪、こういうような案が出たということそれ自体が、私どもははなはだもつて、普通の神社の場合と比較対照しましても遺憾に思うわけであります。ましてや、沼津の出張所の実地の調査に当つた方々が、先刻申しましたような言葉を述べておられるような状態であるにもかかわりませず、それが名古屋の財務局におきましてかりに内田局長の言われるがごとくに四百四十坪の案を出したとするならば、これはとうてい私ども考えられない。またそれが今度は神体山を無視した取扱いをもつてして管財局においてそういうことが論議され――漏れ承りますと、私が呼ばれましたのが二月の一日でありますが、一月の二十七日かの中央審査会において、そういう原案で臨んだらしいのでありますが、それに対して、五万坪足らずということになるとするならば、これは宮司の承認納得を得たならばそれでもよかろう、しかしまず宮司の納得を得るように局長が宮司と談合したらどうか、こういう話があつたそうであります。従つて私が二月の一日に呼ばれたのでありますが、その際の結果は前申し述べましたような形でございまして、井手立会人はその際にこう申されました。局長に向つて、これでは話がまとまりそうにもない、局長があまりに強引過ぎる、現に自分ら委員も、このことについては局長があまりに強いために審議を十分に尽すこともできなかつたように思う、きよう宮司を呼ばれての話も、さつきから聞いておれば、このままではなかなかまとまりそうにもない、きようはこれでもうお開きにしよう、こういうことになつたのであります。
  55. 栗田英男

    ○栗田委員 そうすると、東海財務局でまずあなた方の払下げを受けるという土地を調査したそのときに、あなた方は百二十万坪ほしいということで、証拠書類とかそういうものも非常によくそろつていると言つてほめた。今の払下げの方法等のあれを見ますと、いわゆる古老の言によつても払下げを受けているという事実も、私、調べたところが発見いたしました。そこで、いろいろ書類はそろつているが、中央の管財局長のひざ元に来たときには、百二十万坪が今度はただの四百四十坪でいいじやないかということに話がすりかえられてしまつたのですか。
  56. 佐藤東

    佐藤証人 さように考えます。
  57. 栗田英男

    ○栗田委員 そうすると、どうも、今の立会人の井手さんの話等によると、管財局長があまりにも横車を押し過ぎるというような話ですが、その管財局長という方は、何か富士山処分に関して関係ある方であるかどうか、その点に関しまして証人の知る範囲を率直にひとつお願いをいたします。
  58. 佐藤東

    佐藤証人 私の承つているところでは、内田局長は山梨県の御出身だと承つております。私どもとしましては、そういう点から考えますときに、当該主管の局長において間違いはなかろうかとも思いますが、しかし、事実、私どもがまだ運動もろくに始めていない――当時私は病気をしておりまして、二十六年の終りのころは病床にあつたのでありますが、その当時、年末に近いころ、このことがだんだんに問題になりつつあつた当時に、私どもの方で運動もせない時期に、すでに山梨の方からはバスに乗つて審査会に対して陳情に出るというようなことにもなつておりますし、かたがた、私どもとしては、いかなる理由か存じませんが、私ども、職掌柄、人を誹謗するがごときことを申すことはいさぎよしといたしません。この辺でその点につきましてはおとりやめを願いたいと思います。
  59. 栗田英男

    ○栗田委員 管財局長の手元に非常に反対意見があるというようなことを証人に言つたそうですが、われわれがその関係者にいろいろ輿論を聞いてみましても、国の象徴であるから、国で持つておけというようなことも私どもはしばしば耳にするのでありまして、当時の記憶をたどりますと、新橋駅頭あたりでは、みこしをかついで、特に富士山神社の私有化に反対であるというようなことをスローガンにいたしまして、大いに輿論の啓発に努めておつたようでありますが、国民としての淡い感情として、あれはいわゆる国の象徴なんだから国のものにしていたいというような考えを持つているかもわかりませんが、こういう考え方、あるいはその輿論、さらに富士山神社で払下げを受けた場合に神社の私有物になつてしまうのであるというような感じ、こういう点に関しまして証人の御意見を伺いたい。
  60. 佐藤東

    佐藤証人 神社は、私から申し上げるまでもなく、たとえば富士山本宮の場合について申しましても、先刻お話申し上げましたように、国民感情によつて日本富士山が神としてまつられることになり、神社もできたわけであります。従いまして、たとえば、いわゆる仏教的な言葉をもつて申しますならば、だれかが開山となつてやつたというようなものとはおのずから意味が違う、われら国民の遠い祖先たちがやむにやまれぬ気持をもつて、その国民的伝統的思想が凝り固まつて、そうしてここに神社という一つの形式をとつて来た、かように思うのでございまして、神社は一見、ただいまの法律によれば、宗教法人法によるところの法人となつておりますが、実質は、かりに私が宮司であり責任役員の一員であるといたしましても、私の一存には参らないのでありまして、信者、崇敬者、氏子、こういうようなものがたくさんバツクにおりまして、これらの監督のもとにあり、しかもまた、富士山の場合に至りましては、先刻も申しましたように、霊峰として、日本国民ひとしく国家の象徴であるとしてみながあがめているわけであります。従いまして、一般神社においてすら公共的なものがほとんど大部分を占めておりますが、いわんや富士山におきましては、それは公共的なものであり、従つてまた、ここで私の奉仕の信念を申しますならば、私は国民全体にかわりまして富士山のお祭りをする者として神様にお仕えする、言葉をかえるならば、国民にかわつて私が富士の番人になつているのだ、だから、国民の期待に沿い、国利民福に沿い、また国民の思想の上にも、私ども微力ながらこれを捧げることによつて護持されることができるならばという、ただその一念に燃えてこれに奉仕をいたしているようなわけであります、
  61. 栗田英男

    ○栗田委員 最後に、そういたしますと、神社側としては、結論は、正しく法律第五十三号の規定に基いて早急にこれが処分をしてもらいたい、こういう神社側の考え方ですか。
  62. 佐藤東

    佐藤証人 お説の通りであります。
  63. 前田榮之助

    ○前田(榮)委員 ちよつと証人にお尋ねいたしますが、あそこに写真が二葉出ておりますが、あれは証人がお出しになつたものですか。
  64. 佐藤東

    佐藤証人 さようでございます。
  65. 前田榮之助

    ○前田(榮)委員 この写真がいわゆる神体山としての何かの信憑性のあるものとしてお出しになつたのですか。
  66. 佐藤東

    佐藤証人 その写真富士曼荼羅でございまして、富士山信仰する体系を示したところの信仰図でございます。でありまして、昔からその製作は室町時代の製作にかかるものと伝えておりますが、それにありますごとくに、一番下の方にあります本宮のところでみそぎをいたしまして、湧玉池のところでみそぎをいたしまして、それからだんだんと頂上に向つてつて行く、こういうようになつておる形でありまして、白衣に白袴をはいて、精進潔斎をしつつ上に上つておる、こういう体系を示したところのものであります。
  67. 前田榮之助

    ○前田(榮)委員 前に証人は、神体山歴史的な関係から万葉集に出ておる歌の一首を例にとられて、また今ここにお写真を出されておるのでありますが、いずれも神体山という宗教の精神といいますか、宗教信仰があることは認められる状態でありますが、これがはたして今の日本の国民感情に適合いたしておるかどうかということになりますと、いろいろ議論が出て来ると思います。このこと自体は、宗教に関することでありまして、その人その人の主観的立場でやられることでありますから、議論すべきものでないのでありますが、ただ、ここにあなたが非常に自信を持つて出されたようなかつこうに出ております写真を見まして、この頂上に三体の千手観音、釈迦如来、阿弥陀如来、こういうものが掲げてあるのであります。われわれは、神体山という一つの日本の国の神道による宗教観というものが、神仏一体という言葉がありますが、そういうことであるならまたほかの考え方があるのですが、これで神体山として今日の社会に力がある証拠物件として出されるのはどうかと思います。わが国の宗教神体山の実体は神でなければならない。千手観音や釈迦如来や阿弥陀如来というものではないはずであります。その点はどういうお考えをお持ちになつておられますか。
  68. 佐藤東

    佐藤証人 私からお答え申し上げるまでもなく、御承知のことであると思いますが、日本神社神道におきましても、仏教が伝来いたしまして以来、いわゆる神仏習合ということがございます。くどくは申し上げませんが、山を主体としてまつるところのいわゆる修験道と関係のある山伏的な宗教、こういう面と、在来の日本神社神道というもの、これがマッチしてでき上つたものがいわゆる神仏習合説であります。富士山の場合においてもそれがあります。たとえば、その他の例をもつて見ましても、出羽の三山、加賀の白山、九州の霧島、それからまた大和の大台ケ原山、そういうふうにありまして、その他もありますが、とにかく神道と仏教というものが一本になりましたいわゆる神仏習合の説というものがあります。富士山も、その例に漏れずに、そういう一つの神仏習合説によつて信仰というものが成り立つたのであります。しかも、この神仏習合説によつてできた富士信仰というものをたばねておるのが、歴代の宮司でして、富士宮司と申しまして、これがお山のことをたばねておりました。現に、本宮におきましても、四長官と申しまして、大宮司、公文、案主、それに別当と申しまして、これは坊さんでありますが、この四つのものがいわゆる四長官としまして、民主的に合議制によりまして一社の運営に当つておる。こういうことになりまするが、私どもがそれを皆さんのごらんに供しましたのも、実は神仏習合によつて昔からかような信仰が行われておつた、こういう例であります。しかもそれは富士宮司がこれをたばねておつたのである、こういうことを御説明申し上げるための資料としてごらんに入れたわけであります。
  69. 小林信一

    小林(信)委員 先ほど証人が御説明になりました中で、ちよつとわからない点がありますのをお聞きいたします。これを神社が領有するということは完璧を期する、こういう説明があつて、それについて明治神宮の例をとられてお話がありましたが、その完璧というのは、富士山そのものの保存という面での完璧を期するのか、あるいは、あなたが先ほどからおつしやつておる宗教活動そのものの完璧を期する、そういう意味であるか、お伺いします。
  70. 佐藤東

    佐藤証人 私ども考えといたしましては、ただいまあなたの申されました両方ともに兼ねておるものと存じてお答えいたしておるわけであります。
  71. 小林信一

    小林(信)委員 その宗教活動の問題でござまいますが、あなたの御説明の中に、いろいろな面からお話があつたのですが、帰するところ、あなたの所属する神社を通じてという限定された富士信仰者の宗教活動を言うのか。あなたのところの神社を通しての、いわゆる背後に氏子がおいでになるというお話であつたのですが、現在、富士山に対するところの信仰というものは、あなたのところの神社だけでなくて、相当な神社を通してあるし、あるいはそういう神社を通さなくても、日本人が古来つておるそのままのものから生れた富士信仰というようなものがあると思います。あるいは、現在、信仰という面でなくて、富士山を愛好する者は、あるいはその高さに魅力を持ち、あるいは秀麗な姿に魅力を持ち、あるいは自然科学の対象としてこれに魅力を持つ。こういうふうに、国民が富士山に対して持つ感情というものはいろいろな角度から出ておると思うのです。そういうようなものもあるわけでありまして、決してあなたのところだけを通しての氏子的なものに限定されるものではないと思うのですが、あなたのおつしやる宗教活動というのはどういうものを表現されておるか、お伺いいたします。
  72. 佐藤東

    佐藤証人 私の申しましたのは、富士山本宮浅間神社としての立場からお答え申し上げたわけであります。お説のごとく、一般の方々があらゆる角度からそれぞれの立場々々におきまして信仰されて、いろいろそういうふうにしていただければ、富士山神体山としておまつりする富士山本宮浅間神社としてはまことにありがたいことでありまして、そういう面におきましても、お説のごとくに、ただ単に私ども神社のみでなく、一般の国民全体からも象徴として崇敬をされる、こういう非常に重い立場にあればあるほど、私どもは重い立場にあることを痛感するわけであります。その意味におきましても、この富士に奉仕をする上におきまして、私どもは努力をささげたい、かように思い、先ほど完璧を期すると申しましたが、それは、宗教法人の神社神社として成り立つて行き、宗教活動をする上において、神社がこれを所有することがほんとうに完全な奉仕ができる、こういう意味の言葉でございまして、さようなお含みを願いたい。
  73. 小林信一

    小林(信)委員 先ほど来、番人として富士山に対して奉仕したいというふうな御心意を承つたのですが、まことに私たちとしても敬意を表するものでございます。そういう観点から行きますと、この富士山に対するところの見方というものは、あなたの神社を通しての宗教活動の問題と、もう一つは、他の面からするところの、富士山に対する信仰というか、愛好というか、問題が二つあると思のですが、その場合に、あなたはやはり、八合目以上を一つの神社が領有して、その二つの目的が達し得られるとお考えになりますか。
  74. 佐藤東

    佐藤証人 私どもとしましては、神社の立場から申しまするならば、その神社が所有するということにおいての昔から神社成立いたしまして今日に及んでいる実態から考えてみたときに、私どもはそう考えるわけであります。また、たとえば伊勢の神宮を例にとつて申しますると、天照大神をおまつりする神社は全国にたくさんございます。しかし、五十鈴川のほとりに、あの神路、島路の山をバッグにして、そしてあの一帯をもつて神宮が成り立つておる。これはやはり伊勢の神宮だけであります。全国にたくさんありまする神明様、天照大神をまつつてある神社、こういうものもありまするが、やはりそれは天照大神を信仰する、こういう建前からいたしましたときに、伊勢の神宮が確固不抜のものになつておることは、やはり一般の方々の信仰者にとつても望ましいことであると考えられると同じように、私どもの方が確固たる神社として、そして富士山を護持するということができましたならば、一般の方々お喜びくださるのではないか、私どもはかように考えるわけであります。
  75. 小林信一

    小林(信)委員 あなたの御説明はこれはあなた自身の解釈なので、それは成り立つかもしれませんが、私などが考えますと、大分その考え方は違うように思います。そこで、私どもの意見を少し述べるならば、明治神宮をあなたが例にとられた場合には、明治神宮という一つの平地の中にあるところの神社であり、それから、皇大神宮を例にとられましたが、この皇大神宮というのは、皇大神宮という場所じやないのです。あれにはいろいろの問題があろうと思うのです。皇室中心主義のかつて日本宗教的な特殊なものからあれが厳として存在している、こういうふうなものがある。私は富士山は一つの山だと思う。やはりそこに違つたものがあると思うのであります。明治神宮を保存するとか、あるいは皇大神宮の尊厳さを維持するとかいうものと、富士山とは違つていなければならぬと思うのです。そういう意味で、やはり富士山に対する問題は二つある。あなたの考えられるような意味での完璧というものは、富士山に対する崇敬とかあるいは魅力とかいうものを限定されるような感がある、私はこう思います。これに対しまして、できるならばあなたの御意見を伺いたいのです。そこで、今まで伝統的にというふうな言葉で抽象的に御説明なさつたのですが、富士山を保存されたとか、あるいは擁護されたとかというふうなお話だつたのですが、そういう過去の事実等がありましたらお伺いしたいと思うのです。
  76. 佐藤東

    佐藤証人 神社といたしましては、八合目以上を境内地といたしておる関係上、たとえば、一つの山の上においての、八合目以上においての建造物などをするというような場合におきましても、神社がこれを監督いたしておりまして、その神社境内地にふさわしからぬような建物を建てる、また行動にいたしましても、登山者などが山の神聖を害するような行動をとる者があるときには、これをやめてもらうように懇願をするというようにしまするし、また頂上のところの道路修理などは、神社の任務をもつて、県でもやつてくれますが、また神社としましてもできるだけのことをしてこれを守つておるというふうにいたしまして、神社富士山を守る上に、特に神社境内地に室を持つておるような人たちとも協力をいたしましてそうして富士山の秩序を保ち安全をはかるというふうにして今日まで守つてつたわけであります。特に、国家管理神社官幣大社であつた当時におきましては、当時の内務省、従つて監督を移管されておりまする静岡県、県の方にも申請をし、県の協力も得ましたが、そうしてその許可を得、認証を経た上ですべてのことをやつておるというようにいたしまして、富士山の神聖を護持するように、また富士山のこれが破壊されないように守ることに十二分に努力をいたして来ておるわけであります。
  77. 小林信一

    小林(信)委員 そういうことは、これを保有するための責任を遂行したということを非常に強く私たちに印象づけるということでないと思うのです。かえつて、私たちが登山して経験するものは、そこを領有するとか、何かそこに一つ特権を持つておる者があつて、ああして観光客がたくさんに行くと、特別な地域でありますので、非常にいろいろな物価が高いとか、金をとられるようなことが目につくわけなのです。そういう場合に、その土地の人たちにあまり高過ぎるじやないかと言うと、ここに私たちがこれだけの仕事をしておるには神社の方から利権的にいろいろな金をとられる。従つてこういうふうに物価も高くしなければならないんだというようなことで、どつちかと言うと、あそこを一つの神社が領有するために、あそこでもつて登山客を相手にする人たちが、いろいろ監督という意味かもしれませんけれども神社に利権的に働かされる部面が多いというようなことで、そういうような管理はあるかもしらんけれども神社としてあそこをほんとうに保存しようというような姿は見られない。かえつてこれは、今外国人等がたくさんに来て盛んに外貨獲得の対象にもなつておるし、最近レクリエーシヨン等で一般国民の非常な愛好のところになつておるわけなのですが、もつとこれを国民のものにしたいという感じを私たちが持つても、かえつてそこに権利を持つておる者が、個人だとかあるいは一神社に限定されるような場合には、ますますそのきらいが多くなりはしないかという感じを持つわけなんですが、これは別の問題でありまして、実は私のお伺いしたがつたのは、厳島神社は宮島を、あれを神体山として保有しております。ところが、あそこでは、あそこに住んでおる人たちがたくさんあるのですが、あの人たちが死ぬと、その死体をあそこに埋めないのです。これは、神体山であるから死体でもつて汚してはいけないというので、あそこに住む人たちは墓地を対岸の広島にみんな持つておるわけです。これは一つ特別なものでございますが、そういうような神体山としての特別な何か歴史的なものがあるかどうか。
  78. 佐藤東

    佐藤証人 まことに神体山に対してのけつこうな御質問をいただいたわけでございますが、富士山におきましても、たとえば遠い昔の実例を申しましても、身録という富士講の行者、いわゆる富士講の身録派の開祖でありますが、この身録が、釈迦の割石というところで、さつき申しました上の方のあそこですが、あそこのところで入定しよう、こういうことを計画したのであります。しかし、これは神社境内地であるというので、今度は下に下りまして、五合五勺のところで入定した、こういうことがあります。それから、神社としましては、人が死んだりなんかした場合があつたならば、ただちにこれを下に下げまして、そうして昔から今日に至るまで不浄を遠ざける、こういうふうにいたしております。それからまた、特に神社信仰する、富士山信仰する行者の方々が登山して参りましても、その際に白衣に捺印をいたします。これあたりも、やはり神社がそのお山の赤土を朱や油とまぜてこね合せてつくつたところのものでありますが、そのお山の士によつてできたところの朱印を押してやる。これはやはり、神聖なるものとしてこれを喜ぶ。それからまた、富士山の山の上の石などは、かつて気ままに持つておりない。これをあくまで尊いものとして、持つておりるというふうなこともしない。こういうふうな例にもなつておりまして、信者のみならず、一般の心ある参拝者、登拝者の方々は、そういうふうな態度を持つておる。  それから、神社の側といたしましては、物価などのことにつきましては、これはお聞き及びかとも思いますが、富士山登り口が四つございますがその四つの地方のものがみな一団となりまして、山開きの前に会合いたしまして、そして物価などの統制をするわけであります。たとえば、自動車賃をどうするとか、宿泊料をどうするとか、半どまりのときはどうするかとかいうような申合せをいたしまして、その価格などもあまり高くならないように、あくまでも、世界の富士であり観光の富士であるから、こういう点について一般民衆の気分を害することのないようにしようじやないかということでいたしております。神社側といたしましては、八合以上の室主に対しましても、固く監督をいたしまして、そういう不都合のないようにするように努力をいたしておるわけであります。特に神社が室主に対して過重な負担をかけるというようなことはいたしておりません。国家が管理しておりました、いわゆる官幣大社であつた当時、県の知事にお伺いを立てまして、室を営んでおる人たちに毎年々々請願書を提出させまして、一年ごとに更改をいたしております。その場合に、一坪を四十銭ということで貸しております。これは、賃貸料というような意味よりか、むしろ神様にお初料として上げてくれ、こういう意味合いのものでありまして、今日に至るまで長い間そういうことをもつて進んでおるわけでございます。なぜそんなら四十銭なんていうことをやるかと申しますと、神社の室は、実は神社が参拝者のために便宜を供し、特にまた修験道の方々に対しては、参籠してやらなければあの山はとうてい登ることができないのであります。従いまして、そういうおこもりをする場所もほしいのでありますが、神社自体がこれを営むことができませんので、特殊な室の方々に参籠所としての経営をやつてもらう、こういうような建前でありまして、一般大衆の便益をはかることを主眼としておりますような関係上、今申しますごとくに、室主あたりをむしろ保護するような立場をとつておるような状態であります。
  79. 小林信一

    小林(信)委員 たまたま内容の点に触れられたのでありますが、そこが実は一般国民が非常に問題にするところでありまして、もし神社としてお初料と称してとるとか、あるいは競争者がある場合には、これはあなたにお伺いしようと思うところなんですが、大分利権あさり等をする人がたくさん出る、そういう場合には、賃貸料でないから、お初料といえば漠然としてわからないのですから、そういうものに左右されて、あそこに働く人たちが非常に迷惑を受ける、従つてそれが今度一般観光客に対して不快の念を与えるということになる、これはやはり、あなたのところの神社だけが保有するのでなくて、八合目以上も国有にして、そして全体の人たちのために公共のための利益をはかつてもらいたい、そういう意味での反対もあると思うのです。先ほど、山梨県だけが非常に反対されておるというふうなあなたのお話があつたのですが、実は、あなたのところの神社富士信仰の媒介者となつてお働きになると同じように、ある意味では山梨県もあなたと同じような立場で、山梨県が保有するということでなくて、ほんとうに日本国民で富士山を愛する人たちの気持を代表してやられたのがほんとうだと思うのです。内田さんも実は山梨県出身で、先ごろは自由党代議士でここに議席を持つていた方なんです。あなたの話を聞くと、内田さんが山梨県人であつたために山梨県の肩を持つたような印象を与えられたのですが、内田さんは、山梨県に帰ると、富士山頂の問題は山梨県には非常に不利だというような形になつて、あの人は山梨県からも非常に批判を受けた。私、まことにあの人に対してはかわいそうに思つておるわけなんですが、あなたのような発言がまた外へ漏れますと、内田さんはなおさら立場が苦しくなる。内田さんはやはり相当国民の立場を考えてなさつたのであつて、必ずしもあなたが解釈しておるように内田さんが山梨県人であるから山梨県の肩を持つて不公平な処置をとつたというようなことはないと私は思うのです。そういう意味で、富士山頂の問題については、公共的な立場で主張されておる方たちが、たまたまあなた方と立場を異にするために、誤解を受けたのかもしれませんが、そういうことは決してないことを私は主張する。  そこで、私はまとめてお伺いいたしますが、あなたが先ほど来この富士山に対していろいろ主張されるようなことは、あなたと同じ立場に立つている人たちがたくさんにあると思うのです。いろいろな浅間神社があの付近にもありますけれども、ほかのところにも、富士山を離れてもあると思うのですが、そういう神社の人たちは、あなたのところの神社と同じように、やはり富士山神体山として考えておるのじやないかと思います。従つて富士山をうちの神社の御神体であると言う者はたくさんあると思うのですが、法律的に何か規定をされたもので富士山を自分のところで領有したという形でなくて、漠然として富士山は私たちの神社の御神体でもあるというところに初めて富士山信仰というものが生れるのじやないか。一つの神社だけに限定されてしまつたら意味がないのじやないか。あなたのところでも、かつては全山が神体であつたけれども、今は八合目以上が神体であるというようなぐあいに移つて来ておるようですが、そういう点から見れば、必ずしも特に限定されなくても、今まで通りのような漠然たるところを神体であるとすることが、私は各神社の立場からして妥当ではないかと思うのでございますが、その点、あなたのところではどういう主張をなさつて自分のところだけで保有しようとなさるのか、お考えを承りたい。
  80. 佐藤東

    佐藤証人 お答えします。私どもは、この問題につきましては、他の浅間神社に対して私どもがその信仰を妨害する、こういうような考えはみじんも持つておりません。相ともに富士神体山として崇敬してほしい。従いまして、他の神社の方々がやはり富士山に参拝する場合、あるいはその他の宗派、神道の方々が参拝されるような場合にも、できるだけの便宜をはかつております。そして相ともに手を携えて富士山神体山として崇敬する、こういう見地に立つてどもはやつて参りつつあるわけであります。さような意味におきまして、私どもは、神社が持つておる公共性というものを深く考えまして、できるだけ一般大衆の便益もはかり、満足をいただくようにしたい。従いまして、すでに御案内の通りに、この国有境内地は国立公園の一環として富士箱根国立公園の中心をなすものであるし、国立公園法の適用を受けるわけであります。それから、先般特別名勝に指定されましたので、その法規の規制の範囲内にも入つている。従いまして、そういうような点について、これを国家が法律をもつて定めれば、私どもは、十二分にこれに協力をいたしまして、しかも国民大衆のいわゆる公益に資するようにいたしたいと思つております。しかも、これをただ単に私どもが自分のところのものだからというようなことは、神社の本質から考えましても、考えようとしても社会が大体お許しにならないことであるし、また、私どもとしては、富士山の持つところのものを国民大衆また世界の人類のために十二分に提供する、そしてできるだけ世の文明に資したい、こういうような考えを持つております。ただ、たまたまども神社が昔からこれを境内地として持つて今日に及んで来ている。従いまして、新しい法律のもとにおきまして、私どもがやはり従来と同じような形で神社のものとして確保いたしまして、先刻来申し述べますように、宗教性の確立を期して、世のためにも、世道人心のためにも資して参りたい、こういうような気持でいるわけでございますし、もし皆様に富士山はこういうふうにしてほしいというようなお気持がありますれば、私どもは、それが神社宗教性を破壊しないものであり、社会公共のためになることであれば、喜んでこれをお受けするわけでありまして、からにとじこもつているというような気持は毛頭ございません。  なお、私どもは、前にも申し述べたことがあるのでありますが、今申しました国立公園法とか、また重要文化財保護法というようなものの規制も受けまして、不謹慎なことはとうていでき得べき筋合いのものでもございませんし、のみならず、できれば、私どもは、有識の方々をもつて組織いたしました委員会というようなものをこしらえて、この運営のよろしきを得たい、こういう考えも持つているようなわけでございます。
  81. 小林信一

    小林(信)委員 あなたの今のお言葉を受けまして、私非常にうれしく思つております。というのは、私たちも何かその一つの神社が固執してこの富士山問題を論議するということは、やはり富士山の今までの美しさ、尊厳さが失われるような気がしたのですが、そういう気持を持つてこの問題をお考えなつているならば、非常に私うれしいと思います。要するに、あなたとすれば、この富士山が今まで以上にその尊厳さが保持せられるとか、あるいはここに集まる信仰心が強くなるとかいうことを念願しているわけでありまして、決してその一つの神社が固執すべきものではない、こういうことだと思うのです。私たちも同じ気持でありますが、一つ私の今まで非常に疑問に思つた点は、幾万坪では少い、幾ら幾らでなければいけないというような数字なんかが非常にこの富士山問題に集中されたわけなんです。そうすると、富士山そのものに何かけちをつけるようなことになりまして、宗教活動というようなものがかえつて醜悪なものに印象づけられるのぢやないかと思つたのですが、要するに、あなた方は、結局富士山というものがほんとうに保存され愛護されればいい、こういうふうな考えでおいでになるのだと思います。
  82. 小林進

    小林(進)委員 簡単に一、二をお伺いしたいと思うのであります。先ほどからの議論のやりとりで大分はつきりしたのでありますが、明治の初めに今おつしやる富士山が国家のものになりました。この国家に帰属をいたしました数十年の間、依然として官幣大社浅間神社は現存して来て、国有地の富士山を拝んでおられたわけでありますが、その間において信仰上どれほどの支障があつたか、これをお伺いしておきたいと思います。
  83. 佐藤東

    佐藤証人 国有地の神体山というお言葉でございますが、これは私からお答え申すまでもなく、元来神社が持つていた――あえて神社ばかりではございませんで、お寺の方も境内地というものがございまして、このお寺やお宮の境内地を、国家が社寺を保護するために、好むと好まざるとに論なくこれを国有地にいたしたのでございます。これは、ただ、明治政府の保護政策のもとにおいて、国家が国有という冠をかぶしたのであると思います。従いまして、内容におきましては、神社境内神体山としての本質にはいささかかわりはないものと私は考えます。
  84. 小林進

    小林(進)委員 将来の問題といたしましては、この土地をあなたの浅間神社へ払下げしてもらいたいというのと、これを明治維新以後の通りの国有地にしておきたいという争いがあるわけですが、将来やはり従前通り国有地にしておいたと仮定した場合、一体どういう支障が生じて来るか、これをお伺いしておきたいと思います。
  85. 佐藤東

    佐藤証人 きようの初めからたびたび御説明申し上げておるような意味におきまして、やはり神社が持つていること自体神社宗教性の確立の根源になると思つております。
  86. 小林進

    小林(進)委員 その問題でございまして、明治の初めから今日までは国有地であつた、それは国家が保護する立場において国有地にしたのであるから一向さしつかえなく、信仰はさらに盛んであつた。しかし将来はこの信仰の尊厳を維持するために従来通りの国有ならば困るという、こういうところに過去と将来に対する同じ国有地という問題に対しての解釈が非常に離れておりますので、このあなたの論旨の不統一をひとつ統一するようにお聞かせ願いたいと思います。
  87. 佐藤東

    佐藤証人 これは、新しい国会において御制定になりました政教分離によりましての、神社寺院等が持つている国有財産処分というあの法律五十三号によつて処分されることに相なつたわけでありまして、私たちは、過去がどうの現在がどうのという根拠のもとに始めたのではなく、新しい法律の趣旨に沿いまして、この神社にいただけるものと思いまして申請をいたした次第であります。
  88. 小林進

    小林(進)委員 しからば、国有地をあくまでも浅間神社に払い下げてくれというような特別の要求ではないのである、ただ法律従つてつてくださればよろしい、これだけの問題である、こういうふうに解決いたしてよろしゆうございますか。
  89. 佐藤東

    佐藤証人 私ども神社宗教性ということを根本に考えております。従いまして、その根本の宗教性の確立ということ、従つて、それには、こういう御時世になつて来たから、その御時世において許された範囲の道によつてその確立を期する、こういう意味であります。
  90. 小林進

    小林(進)委員 実は、この前あなたの神社へ同僚諸君とともにお伺いいたしたのでありまするが、その席上において、富士宮市の市長さんの言葉にも、われわれの信仰に支障がない限りにおいては、国有にしておいてわれわれに管理をまかしておいてもらつてもそれでけつこうなんだ、こういうようなお話があつたのでありますが、ここには市長は証人としてお見えになつておりませんので、この言葉は別にいたしましても、なお、その席上において、あなたのお言葉としては、どうも国家がこの土地を国有にして持つというと、時の政治勢力に押されて、あるいは政党の争い、そういうものに巻き込まれて、このわれわれの神体である富士山というものがおかしなぐあいに将来ゆがめられないとも限らない、あるいはまた利権の対象にならないとも限らない、それをわれわれ神社側にまかしておいてもらえば、あくまでも信仰の対象地として、いわゆる聖地、神域としてこれをそのままで保存して行ける、私どもがあくまでも払下げを要求いたしておるゆえんは、そうした政治や利権の対象からわれわれ自身が守り抜きたい。という意向のために、あえて払下げを要求しているのである、こういりふうにおつしやいましたが、今でもそのお言葉の通りにお考えなつておいでになるかどうか、お伺いいたしたいと思うのであります。
  91. 佐藤東

    佐藤証人 国有であれば必ずそれがそうなるというように申し上げたのではございません。国有といたしましてもそういう憂いがなきにしもあらずだ、こういう意味で申し上げました。私どもとしては、ただそういうことのためにのみそれを請求をするという意味ではありませんので、やはり神社が持つ宗教性を確立するというこの一点でございます。それから、小室市長が申されたことについてお話がありましたが、小室市長は、国家から神社に対してそういう保護をするというかたい約束ができるというようなことがあるならばという前提のもとでありましたかと私は思いまするし、のみならず、この際においてはこういう法律があるのだから、法律の示すところに従つてつてほしい、こういうように私は聞いたように覚えております。
  92. 小林進

    小林(進)委員 その問題はあとにまわすといたしまして、次にお伺いしておきたいのは、八合目以上が神体でありまして、この浅間神社成立の絶対的な要素であるとおつしやつたのでありますが、私は、実は、この行監の委員長の命令で、八月の十四日、御承知のように富士山頂上へ命がけで登つたのでありまするが、八合目以上を登つて私が率直に感じたことは、あそこにいた非常に多くの連中が、もちろん大あらしにあつたからでありますが、急いでみんなおりてしまつた。最後はわれわれだけほんとうに粛然として命がけで闘つたのであります。まだ天候のいいころには、アベックやら外人やらあらゆる人たちがたくさん登つてつたのでありますが、八合目以上から頂上で大便もすれば小便もする。いろいろなことをやつております。カン詰のからや、はな紙や、あらゆる汚物が散乱しておるのであります。その際私も生理的現象で小便を催したものでありますから、またを開いて富士山頂上から小便して、御神体の上で小便をするのは生れて初めてだというふうな感じがいたしたのでありますが、問題はこれであります。いわゆる御神体というものは有形の形にとらわれたものをあんまり高唱いたしますと、御神体の上で小便をたれたりくそをたれたりする、どこに一体尊厳があるのかということになる。これは私は宗教の本質に関する重大問題ではないかと思うのであります。やはり富士山信仰というもの、御神体を拝むということは、そういう八合目とか十合目とかいう形にとらわれておつたのでは、どつかに矛盾が生ずる。富士山というものの中に眠る無形の霊魂といいますか神霊といいますか、そういうものにわれわれは信仰の対象を求めて行くというのがほんとうである。どうしても八合目以上をおれのものにしなければ信仰にならない、あの山をおれのものにしなければ信仰にならないという有形の形にとらわれ過ぎると、そういうふうに神様の上で小便をたれたりくそをたれたり、あるいは男女がふざけて性行為をするというようなおかしな形のものができ上つて、神聖さというものが失われて来るのではないかと思われますので、この点を一体信仰の立場からどういうふうに御解釈になりますか、お聞きしたいと思うのであります。
  93. 佐藤東

    佐藤証人 富士山の上で今おつしやつたようないろいろなことがありますが、しかし、私ども神社神道の観点から申しますれば、一小部分のみをとらえて、それによつて事を律するというようなことは考えたくないのでありまして、たとえば、子供が親のひざに抱かれて小便をする、くそをたれるということがあつても、そのために親の尊厳は害せられないのであります。私どもはやはり、何と申しましても神社という神体のもつと大きなところのものをねらつておるので、人間がそこに登つて行く、また神職がそこにおつて番をするということになりますれば、これはやむを得ないというのでありまして、ただ願うことは、そういうことがなくて済むようになればまことに仕合せだと思うのでありますが、いかんせん、人間の生理的な何で、これはとどめることはできません。ただ、私ども宗教的に考えてみますときに、そういうようなことがありますので、できるだけそういう設備を整えるようにして、そうして気持のいいお山とするように心がけることが、今としましてはとるべき道ではないか、かように考えております。
  94. 小林進

    小林(進)委員 設備云々の問題もございますが、問題は設備ではなくて、私は、こういう形にとらわれて所有云云をするところに、どうも宗教の神厳さが失われて、何か非常に浅薄な感じを受けるのではないか、こういうようなことを申し上げたのでありますが、それならば、いま一度、今度は言葉をかえてお聞きしたいと思いますのは、先ほども前田委員が御質問なつたように、あるいはお釈迦様をまつつたり勢至様をまつつたり阿弥陀様をまつつたりしている。そういたしますと、われわれから言わせれば、先ほどからこれは神仏混合の結果であるということをおつしやつて、確かに神仏混合ではございますが、先ほどからしばしば繰返しておいでになるように、この浅間神社信仰富士山という御神体がなければ成立しない、富士神体のみを拝むところの非常に純粋無垢な宗教である、こういうことを言われておるが、その陰には、混合宗教で阿弥陀様もおるし、あるいは釈迦もおる、浅間もおる、こういうことになりますと、この浅間神社信仰の対象は、御神体だけでなくて、また釈迦も阿弥陀も勢至さんもおるのだから、そつちの方でまだなおかつ浅間神社の存立の意味もあるのではないか、こういう形になるのでありますが、この点いかがでしようか。
  95. 佐藤東

    佐藤証人 これは、その写真でごらんになりますと――今おつしやるような神仏習合というのは今日のことではございません。これは以前の、明治政府になります前のあり方を申し上げたのでありまして、明治になりましてからは純然たる神社神道になつております。
  96. 鈴木正文

    鈴木(正)委員 私も、こまかいことはまた別の機会といたしまして、時間もたちましたので、一、二点だけお伺いしておきます。  第一番に、あなたの今の御説明を聞いていると二点ある。説明が少し乱れておるように思つて、どちらへ重点を置かれているかわかりにくい点があつたようでありますが、第一は、さつきも明らかに言われたように、過去のいきさつとかいろいろなものが出ておりますが、そういうものにはとらわれることなしに、新しい法律に対応してこの際措置したいと明確に言われた。もしそうであるならば、従来あなたの方でとつて来た説明の大部分は第二次的の問題で、今の段階ではあなたのお考えは戦後法として出て来たあの法律関係条文によつてさしあたり処理したいのだ、こう言われた。私は、このことはあとでもう少しお聞きしますが、それよりもつとお聞きしたいことは、第二点に、あなたの方でお持ちになつても委員会をつくる、そういうものをつくることがいいかどうかわかりませんが、政府なり一般と共同して富士山全体に対して最高度に公共性というものを維持して、そしてその尊厳を維持してやつて行くのだ、だから心配ない、こういう御説明で、一応納得できそうでありますが、それでは私たちにはわからないのであつて、その考え方で臨むというのでありましたならば、むしろ神社が私有するよりは国有なり公的の運営による方があなたの考え方を実現するには当然正しいという結論になつて来ると思うのであります。もう一つわからぬのは、あなたの場合は、そういうふうに富士山神体性、神厳性を維持するために公の運営を加えて行くと言つておられるが、運営が、いわば神社の私有であれば達成されるのであつて、公有であれば達成されないという議論の根拠がわからない。それから、同じ私有であつても、富士宮浅間神社の私有でなければ達成されない、ほかの神社の私有では達成されないのだという結論もわかりにくいと思うのであります。  きようあなたのお答えを聞いておつた部分だけで結論はできませんけれども、あとで総合的なことは追つてお伺いすることにいたしますが、どうも委員の皆さんの質問に追われてその都度式にお答えなつた傾向がありますので、訂正されてもよろしゆうございますけれども、今申しました二点についてもう少し掘り下げて根本的なお答えをしていただきたい。質問を繰返す煩を避けるためにもう一度繰返して申しますると、どうもお説明をお聞きしていると、私どもの言う国家の公有、あるいは国家の公な管理の方が正しいのだという結論の要素々々をあなたがおつしやつておるように聞えますけれども、そうでないという真意がありましたならば、その点を聞かせていただきたいと思います。
  97. 佐藤東

    佐藤証人 私どもは、神社がこれを持つておる。一番初めのお説は、古いこと、そういうこと以外においてこの新しい法律でというふうに御解釈をいただいたように思いますが、私が申したのはそういう意味ではございません。
  98. 鈴木正文

    鈴木(正)委員 小林君の質問に対して、古いことにはこだわらない、今の法律の何条かによつて処置してもらいたい、それが真意だとはつきり言われたのです。
  99. 佐藤東

    佐藤証人 法律によりまして定められておりまするから、それによつてやる、しかも、この法律の条文の中を見ますと、現在無償で貸与しておるものということが言われております。現在無償で貸与されておるのでありまして、そういう条文から考えてみたときに、私ども法律のむずかしいことはわかりませんが、ただそういうふうな何がございまするので、神社が昔の通りに神社境内地として持つて行きたい、こういう意思表示をいたしましたわけでございます。
  100. 鈴木正文

    鈴木(正)委員 富士宮の浅間の私有でなければ目的は達成されない、ほかはみなだめだ……。
  101. 佐藤東

    佐藤証人 いや、とにかく私どもは、このたびの段階におきましては私の方で昔から明治政府になりましても神社の所有として参つてつた、ただ、ここに法律の改正によりまして、主として神社の所有が国家の政教分離の結果わかれるようになつたから、それで私どもとしましては、この際昔から持つておる姿のままで、新しい法律の示すところに従つて処理したい、こういう意味であります。
  102. 鈴木正文

    鈴木(正)委員 それでは、昔に返したというだけの、ただ単なる歴史的の回顧、それ以外には出ておらない、こうおつしやるのですか。
  103. 佐藤東

    佐藤証人 いや、いろいろ先刻来お話申し上げましたように、昔の歴史もありまするし、現在においての姿もあります。そういういろいろな角度からいたしましたときに、私どもは、とにかく今日まで神社境内地として参つておるといつた事実にかんがみまして、そういうふうにありたいものだ、かように思つておるわけでございます。
  104. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 この問題については小委員会まで組織されまして、私、その小委員長として、皆様のお供をして今までずつと下調査をして参つたのでありますが、先ほど以来ここで論議されておりますことは、信仰の問題と法律的の問題と、この二つにわかれておると思うのであります。結論は今から先証人や参考人の方々の御意見を聞いた上で出て来ると思うのでありますが、感情の問題、信仰の問題といたしましては了承するところがあるのでありますが、この際宮司さんに法律的な問題について心境をお伺いしたいと思うのであります。  昭和二十七年の二月に審査会は四万九千坪を譲渡する旨決定いたしました。これに対して、神社は、さきの法律に基きまして、これに対して不服であるということからいたして、同年の十二月に訴願したのであります。この問題の調査要求書が同僚議員から出ておるのを見ましても、その採決にあたつて審査会は再び開かれまして、その結果百二十二万坪全部譲与決定した、この二回目の審査に際して神社側は審査会に何か猛運動したんじやなかろうか、神社側の主張をいれて、こういうふうなとりきめに急にかわつたところに疑念が持たれて、審査会の調査の要求も出ておるのでありますが、先ほど来の質疑応答を見ましても、この富士山をめぐりまして、山梨県側である、あるいは静岡県側であるというような大きな争いになつておるところに、国民が非常に不明朗に感じておるものがあるのであります。本日宮司さんがわれわれ委員に配つたリーフレットを見ても、山梨県の反対運動によつてこの問題がこじれているということさえもはつきりここに打出しておるのを見ても、一体第二回目の審査会の決定あたりまして、神社がはたしてそういうような運動をした形跡があるかどうか、これについてまずお伺いしたいと思うのであります。
  105. 佐藤東

    佐藤証人 私どもは、この問題につきましては、初めの二月の二十七日の審査会の決定に対しては、これを不服と考えました。のみならず、その当時この決定をいたしまするにつきまして、神社から請願をいたしておりまするにもかかわらず、審査会の方におきましては、委員の方がだれも現地の調査をされていなかつたのであります。私どもは、神社申請通りに譲与してくださるものであるならば、それはいい。しかし、百二十万坪に対してわずかに五万坪足らず、こういうような結論を出されるのに、委員の方々が現地を御視察にもなつていないというようなことは何としても私どもは遺憾にたえない。であるから、委員の方々に対しまして、ぜひ現地を見ていただきたい、見ていただけば、浅間神社信仰のあり方、先刻御説明申しましたような山宮本宮との関係等も御了解を願えるのじやないか、そうすればこの問題の解決の上にも相当な再批判も願えるのではないか、こういうような気持をもちまして私どもは極力現地の視察をお願いしたのであります。その結果大蔵省の方におきましても七月、八月の開山期に富士山に登るというように案を立てられたように承つております。しかし、委員の方々がお年を召された方々が多かつた関係でありましようか、あまりお登りになる方がない。こういうようなことで、開山期ではあり、頂上を実際に調査するには最もいい時期であつたにもかかわらず、これができなかつた。それで、私どもとしては、何とかして本宮まで見てもらえば、東京から眺めて机の上で考えるよりも、実際に神社本宮を見、山宮を見、さらにまた富士山の二合目まで来て、富士山の様子を下から仰いだならば、感じも違つて来るんじやないか、こういうような意味合いから説明をいたし、お願いを申し上げましたところが、十月の二十七日でございましたか、委員の方々がおそろいで現地へ来てごらんをいただいたわけであります。そういう結果からいたしまして、十二月の二十三日でありましたか、その委員会におきまして決定の運びになつたわけであります。
  106. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 そうしますと、その間に特別な運動というものは行われていなかつたわけですか。
  107. 佐藤東

    佐藤証人 私どもは、委員の方々、大蔵当局、文部当局というような、このことに関係のある方面に対しましては、直接役所においてもお目にかかり、そして私どもの意のあるところを書類をもちましてもお願いをすることに努めまして、実地視察をお願いしたわけであります。
  108. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 富士山に対する信仰のあり方については、ここに出席している議員諸君がおのおのの持つている宗教観、信仰観からるる述べられたのでありますが、富士山の八合目以上の問題については、大蔵省は審査会の答申に基いての最後の決定はまだ出されておりません。それに対して宮司さんは根本的にどういうお考えで今から臨まれようとするのか、結論的にひとつおつしやつていただきたい。
  109. 佐藤東

    佐藤証人 私どもといたしましては、審査会の決定通りに一日も早くこれが決裁されて、確定をいたすように希望しておるわけであります。
  110. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 たとえば、その際に、最初の審査会のように、もし、あなた方の御希望通り百二十二万坪ということを審査会として答申はしておつても、大蔵大臣がその通り実行しなかつた場合にはどうされようと思つておりますか。
  111. 佐藤東

    佐藤証人 私どもは、法律によつて決定をせられ、しかもそれが私どもの是なのと信じておることの通りに運ばない場合には、私どもに許されておる範囲におきまして、できるだけの道を講じたいと思つております。
  112. 塚原俊郎

    塚原委員長 ほかに御発言もないようでありますから、佐藤証人に対する尋問はこれにて終了いたしました。  証人には長時間にわたり御苦労様でございました。  窪谷証人尋問は、時間の関係上、これを午後に行いたいと思います。  午後一時半まで休憩いたします。     午後一時五分休憩      ――――◇―――――     午後一時五十九分開議
  113. 塚原俊郎

    塚原委員長 それでは、休憩前に引続き会議を開きます。  国有財産管理処分に関する件(富士山頂払下げ事件)につきまして窪谷証人より証言を求めることにいたします。まず私から概括的に証言を求めまして、次いで各委員から証言を求めることになりますから、御了承ください。  窪谷さんの略歴を簡単に述べてください。
  114. 窪谷直光

    窪谷証人 昭和七年に学校を出まして大蔵省に奉職をいたしました。その後税務署長、税務監督局の部長、本省の事務官、課長等に就任をいたしました。なおその間、企画院でありますとか、経済安定本部とか、大蔵省と関係の深い官庁に勤務をいたしたことがございます。昭和二十四年の六月に大阪国税局長を拝命いたしまして、さらに昭和二十五年の八月に警察予備隊が創設されました際に予備隊本部の経理局長として就任をいたし、昨年の八月に保安庁に改組になりまして、引続きまして保安庁の経理局長として勤務いたしたのであります。現職に就任いたしましたのは今年の八月中旬でございまして、保安庁の経理局長から大蔵省の管材局長に転任に相なつたのでございます。
  115. 塚原俊郎

    塚原委員長 昭和二十二年法律第五十三号、社寺等無償で貸し付けてある国有財産処分に関する法律、これに基きまして、富士山本宮浅間神社大蔵大臣あて富士六合目以上の譲与申請をした事実、これは御存じですね。
  116. 窪谷直光

    窪谷証人 承知いたしております。
  117. 塚原俊郎

    塚原委員長 申請を受理したのはいつでございますか。
  118. 窪谷直光

    窪谷証人 昭和二十三年四月三十日に相なつております。申請書の日付は同年四月二十八日になつておりますが、二日遅れまして受理いたしております。
  119. 塚原俊郎

    塚原委員長 その申請に対しまして現在までどういう処置をとつて来られましたか、御説明願います。
  120. 窪谷直光

    窪谷証人 この申請を受けまして、まず第一に官庁側でやりました作業は、その決定に必要なる資料の請求――東海財務局の沼津出張所が中心になつてやつたのでありますが、それには東海財務局、本省の財務局も協力をいたしたのであります。昭和二十五年八月に本省東海財務局及び沼津の出張所の関係担当官をもつて実地調査の班を編成いたしまして、実地調査を施行いたしたのでございます。それに基きまして、大体資料が整いましたので、沼津の出張所から昭和二十五年の十一月に東海財務局にもその申請書が進達に相なつたわけであります。その後東海財務局におきましても審査をいたしまして、東海財務局から大蔵省へ昭和二十六年の八月に書類が進達に相なりました。  その後、これは御承知のように審査会の議を経て決定をいたすということに相なつておりますので、審査会に諮問をする必要があつたでございますが、その審査会におきましては、昭和二十六年十二月二十一日、昭和二十七年一月二十九日、昭和二十七年二月二十七日の三回にわたりまして、この富士山頂の処分についての審議をいたしたのでございます。最後の昭和二十七年二月二十七日の審査会におきまして、審査会の意見として決定を見たわけであります。  その決定の内容はこういうことに相なつております。譲与申請いたしました土地の総坪数が百二十二万六千二十八坪九合五勺ということに、相なつておるのでありますが、そのうち譲与を適当とすると認める面積が四万九千九百五十二坪、このうちで建造物の敷地用地といたしまして七百坪、儀式及び行事の用地といたしまして四万九千二百五十二坪、両方合せまして四万九千九百五十二坪に相なるのでありますが、これを譲与することが適当であるという決定を見たわけであります。この決定に基きまして大蔵省としての意見をきめまして、この審査会の決定通りの意見を確定いたしたのでありますが、大蔵省から東海財務局あてに、その内容に従つて譲与をせよという指示を東海財務局長に対していたしたのであります。東海財務局長は、これに基きまして、昭和二十七年十二月八日に、浅間神社に四万九千九百五十二坪を譲与するという通知をいたしたのでございます。  ところが、この処分に対しまして、浅間神社の方から不服であるというので訴願の提起があつたのであります。その訴願書によりますと、「富士山奥宮境内地神体山信仰により成立しているものであるに拘らず、これを無視した処分が行われたことは当神社の存立を危殆に瀕せしめると同時にその宗教活動を破滅に陥らしむるものである」という訴願の理由を付して不服の申立てをいたして参つたのであります。  この訴願の提起を受けまして、大蔵省では処置をいたさなければならないのでございますが、これは、同様に、訴願の裁決をいたします前に審査会の議を経る必要がございますので、その審査会に昭和二十七年十二月十五日に諮問をいたしたのでございます。その諮問を受けまして、審査会では昭和二十七年十二月二十三日に審査会の審議を経て意見を決定いたしたのでございます。  その決定の内容はこういうことでございます。富士山頂の訴願の目的地については公用または公益上必要な土地を除きこれを訴願人に譲与するのが相当であるというのが第一点でございます。さらに、第二点といたしまして、この公用または公益上必要な土地の範囲は実地の状況に即して決定すべきものであるというのでございます。なお本件の処理に際しては富士山の持つ特殊性にかんがみ将来の管理上の問題につき訴願人から誓約書を徴する等の措置を講ずることが望ましいという内容の審査会の意見の決定があつたのでございまして、現在までの段階は、この審査会の意見の決定があつたという段階でございまして、この意見に基きます大蔵省の訴願の裁決というものはまだ行われておらない状況でございます。  申請書を受理いたしましてから今日までの経過の概略を申し上げた次第であります。
  121. 塚原俊郎

    塚原委員長 社寺境内地処分中央審査会というものがありますが、このことについてちよつとお聞きしたいのですが、この会の性格はどういうものでしようか、御説明願います。
  122. 窪谷直光

    窪谷証人 これは、譲与の当の処分をいたしますのは大蔵大臣でございますが、事柄がいろいろ従来の経緯等を調べなければなりませんのと、事宗教に関しますので、大蔵大臣だけの意見でやるのは不適当だということから設置をされたのでございますが、それはもちろん、決定機関と申しますか、そこが処分決定する機関ではございません。あくまでも諮問の機関でございます。従つて大蔵大臣は必ずしもその諮問に対しまして答申のあつたところによつて処分しなければならぬというふうに拘束をされるものではございませんけれども、審査会を設けました趣旨から申しまして、その決定が尊重せらるべきことは当然であろうと思います。従いまして、一口で申しますと、決議と申しましようか、決定機関ではございませんで、諮問機関であるということに相なつております。
  123. 塚原俊郎

    塚原委員長 この構成はどういうふうになつているのですか。何人くらいの委員でやつているのですか。
  124. 窪谷直光

    窪谷証人 これは、法律によりますと、大蔵次官そのほかに十一名以内の委員をもつて構成するということに相なつております。
  125. 塚原俊郎

    塚原委員長 任命した委員のお名前はおわかりでございますか。
  126. 窪谷直光

    窪谷証人 わかつておりますから御報告申し上げます。この審査会は御承知のようにずつと前にできたのでございますが、この富士山事件を審査いたしましてから後の委員の構成を申し上げることをお許し願いたいと思いますが、まず大蔵次官は舟山正吉さん、それから職務委員になりましたのが若干あるのでありますが、その一人といたしまして大蔵省管財局長が委員なつております。当初は内田常雄さんが管財局長をしておられましたが、後に阪田泰二さんと交代をされております。文部省の関係でございますが、当初は文部次官の日高さんが委員をされておいでになりましたが、その後文部省におきます機構改正によりまして、調査局長の久保田藤麿さんが委員をされております。なお、農林省関係委員といたしまして、林野庁の林政部長の幸田午六さんが委員をしておられます。それからさらに、会計検査院の検査第四局長の大沢さんという方が、官庁側と申しましようか、純然たる民間でない側の委員として出ております。そのほかに、学識経験者といたしまして委員になられました方は、下村寿一さん、井手成三さん、有光次郎さん古川左京さん、座田司氏さん、里見達雄さん、立花俊道さんという方が学識経験者として委員をお願いいたしたということに相なつております。
  127. 塚原俊郎

    塚原委員長 この審査会はいつできて、いつ終つたのでしようか。
  128. 窪谷直光

    窪谷証人 審査会ができましたのは、一番最初の時期は、今私、はつきり記憶いたしておりませんが、終了いたしましたのは、昭和二十七年十二月三十一日にこの委員会はなくなつているということになつております。
  129. 塚原俊郎

    塚原委員長 この設置期間中委員会を何回くらいお開きになつておりますか。また処理した案件の件数がもしおわかりでしたら、御説明を願いたいと思うのであります。
  130. 窪谷直光

    窪谷証人 ちよつと、私、先ほど御報告申し上げましたのが言葉が不十分でありましたが、先ほど申し上げました委員会中央審査会というのでございます。そのほかに、各財務局の所在地に地方審査会というのがございます。これは地方的な問題を処理するのでございますが、中央に持つて来て審査をするという重要な事項を中央で審査をするということに相なつておりました。先ほど申し上げましたのはその中央審査会の構成でございます。その富士山を扱いましたのは地方審査会ではございませんで、中央審査会で扱つているということになつております。  この審査会で中央地方を通じまして処理をいたしましたのは八万三千件程度に相なつております。そのうち中央審査会で審査をいたしましたのは千五、六百というふうに記憶をいたしております。なお、開きました回数は、今ちよつと正確なことを覚えておりませんが、大体事務が輻湊いたしました時期は毎月開いておつたように記憶いたしております。
  131. 塚原俊郎

    塚原委員長 富士山本宮浅間神社申請についてこの審査会に諮問されたと思うのですが、この諮問をしたのはいつですか。
  132. 窪谷直光

    窪谷証人 この諮問は二回にわかれておりますが、最初の譲与処分の際の諮問は昭和二十六年の十二月二十一日に諮問をいたしております。それから、訴願が出て参りましてからの諮問は昭和二十七年十二月十五日に諮問をいたしております。
  133. 塚原俊郎

    塚原委員長 この諮問に対してどういう答申を得たですか。またその答申に基いて大蔵大臣はどういう処置をとられましたか。
  134. 窪谷直光

    窪谷証人 これは、先ほどの経過の御報告のときに概略申し上げたのであります。最初の処分の場合こおきます審査会の決定はこういうことでございます。譲与いたします土地は四万九千九百五十二坪、内訳として、建造物用地が七百坪、儀式及び行事用地が四万九千二百五十二坪ということに相なつておりまして、これは先ほど申し上げた通りでありますが、これを詳細内訳を申し上げますと、まず建造物用地の分でございますが、これは奥宮社殿の敷地といたしまして五百坪、久須志神社の敷地として二百坪、計七百坪ということに相なつております。儀式または行事用地といたしまして譲与いたしますことを適当としたというものが、金明水十六坪、銀明水十六坪、それから大内院、これは旧噴火口でございますが、大内院が四万七千四百坪、但しその中で中央気象台の観測所に必要な定地の百坪を除くということでございますから、差引き四万七千三百坪ということに相なります。そのほかに、飼馬社十坪、剣ヶ峰百坪、三島岳百坪、駒ケ岳百坪、朝日岳百坪、成就岳百坪、久須志岳百坪、白山岳百坪、浅間岳百坪、コノシロ池千坪、天拝所十坪、及び八合五勺目にあります参籠所の敷地として百坪、これを合計いたしますと四万九千二百五十二坪に相なるわけであります。なお、中央気象台が観測所として必要な大内院の定地百坪については、中央気象台と協議の上現地においてその地域を確定することというのが審査会におきます決定の内容でございます。大蔵大臣は、この審査会の決定に基きまして、その内容通りの決定をいたしまして、東海財務局長に指示をいたしたのであります。この財産は大蔵省所管の国有財産でございますが、直接に管理をいたしておりますのは各地の財務局長でございます。その財務局長が処分官庁に相なりますために、大蔵大臣から東海財務局長に指示をいたしまして、東海財務局長はこの内容通りの処分をいたしまして浅間神社通知をいたしているということに、相なつております。  それから、もう一つ、この決定に対しまして訴願が出て参つたのであります。その訴願に対しまして審査会の意見として決定をいたしました内容は先ほど申し上げたのでありますが、もう一ぺん念のために繰返して申し上げますと、富士山頂の訴願の目的地については公用または公益上必要な土地を除きこれを訴願人に譲与するのが適当である、公用または公益上必要な土地の範囲は実地の状況に即し決定すべきである、本件の処理に際しては富士山の持つ特殊性にかんがみ将来の管理上の問題につき訴願人から誓約書を徴する等の措置を講ずることが望ましい、というのが審査会におきます決定の内容でございます。
  135. 塚原俊郎

    塚原委員長 次にお尋ねいたしますが、富士山の八合目以上の地域に対する神社譲与申請、これは、昭和二十二年法律第五十三号及びこれに基く勅令第百九十号の規定している次に述べます譲与条件というものを備えておるかどうか、お聞きしたいと思います。  まず第一に、申請地が国有となつたことについて、社寺上地地租改正、寄附等の沿革的な事由があつたかどうか、この点についてお答え願います。
  136. 窪谷直光

    窪谷証人 古いずつと昔のことは明確ではございませんが、徳川時代に安永八年十二月五日付をもちまして徳川幕府裁許状があるのでございますが、「富士六合目より上者大宮持たるべし」という裁許状によりますと、徳川時代においては富士山の八合目以上は大宮浅間神社の所有であつたろうというふうに考えられるのであります。その後明治の初年におきまして土地制度の改革が行われたのでありますが、その際に、まず社寺上地ということが行われたのであります。社寺上地と申しますのは、明治四年の一月五日に公布されました太政官布告がありまして、その要領は、各藩の版籍奉還等の措置が行われた後になお社寺が土地人民を私有の姿でやつておるということは不相当だから、このたび社寺領は現在の境内を除くのほか一般上地仰せつけらるというふうな太政官布告があるのでございます。それから、なお明治六年の地租改正条例に基きます官有地及び民有地の区分の上のいろいろな規則があるのでありますが、それらによりまして国有に移されたということに了解をいたしておるのであります。ただ、この富士山の八合目以上のものがそういうふうにして社寺上地され、または地租改正条例によつて国有に移されたということを立証いたします特別な文書というのは見当りません。ただ当時の一般的な制度といたしまして社寺上地ということが行われ、また地租改正条例が施行されたということから、そういうふうに推定をされるのであります。これは、富士山の八合目以上のみならず、社寺上地等につきましては、それを立証する特別の文書というのは、ほかの社寺につきましてもないのがおおむねでございます。従つて、これは社寺上地地租改正条例によつて国有なつたと考えていいというふうに考えておるのであります。その後、どうもはつきりしないというふうなことから、明治の初年において、浅間神社の方から、八合目以上を浅間神社奥宮境内に確定をしてもらいたいという申請を出しておるのでありますが、それが明治三十二年の七月二十八日付の静岡県知事の書類によりまして、「富士六合目以上浅間神社奥宮境内に確定の件聞届く」という文書が残つておるのであります。これによりまして、当時においては八合目以上は浅間神社奥宮境内に確定をされたものというふうに考えられるのであります。その後、御承知のように、旧憲法時代におきましては、神社は、国の機関とは言い切れませんけれども、国と非常に密接な関係があるものとして、神社用地については国有財産のうちの公用財産という整理をいたしておつたのであります。今日の国有財産の言葉で申しますれば行政財産というふうになるかと思いますが、そういうふうにして神社の用に供するための公用財産という整理をいたしておつたのでありますが、終戦後、占領中に管理をされておりますときに、宗教と国との関係を断つという考え方からいろいろな指令が出ておりますが、その指令を受けまして、昭和二十一年の二月二日に、勅令第七十一号、いわゆるポツダム勅令と申しておつたのでございますが、それによつて、今まで神社の用に供する土地は公用財産として整理をするということになつておりましたのをとりやめまして、爾後は雑種財産として整理をするということになつたのであります。この勅令の附則を見ますと、こういう条項がございます。「本令施行ノ際現ニ国ニ於テ神社ノ用ニ供シ又ハ供スルモノト決定シタル公用財産ハ之ヲ従前ヨリ引続キ神社ノ用ニ供スル雑種財産ト看做ス」という規定がありまして、今日においては雑種財産ということに整理をされておるわけでございます。なお、先ほどちよつと説明を漏らしたのでありますが、明治三十二年七月二十八日に静岡県知事からの文書があつたのでありますが、その後、富士山の八合目以上のみならず全国の神社境内地というものが財産整理上どういうふうになるかということが必ずしも明確ではなかつたのであります。そういうことでは不都合というので、大正十年に制定されました国有財産法、それの第二十四条によりますと、「従前ヨリ引続キ寺院又ハ仏堂ノ用ニ供スル雑種財産ハ勅令ノ定ムル所ニヨリ其ノ用ニ供スル間無償ニテコレヲ当該寺院又ハ仏堂ニ貸付シタルモノト看做ス」ということに相なつておるのであります。従いまして、この八合目以上のものにつきましても、貸付の契約と申しますか、そういうふうなものはないのでございまして、この法律の一般的な規定に基きます「看做ス」ということから動いておるのでございまして、この国有財産法ができます前におきましてはただ事実上の慣行的なものとして整理をされておりましたのを、法律の上に上せまして明確にいたすということになつたのであります。従いまして、八合目以上を特別に無償でもつて浅間神社に貸し付けるぞというような書類は全然ございません。この明治三十二年の静岡県知事が出ましたのも、貸し付けるという趣旨のもではなくて、「境内に確定の件聞届く」という表現がありますのも、大体そういうことから出ておるかと推察をされるのであります。従いまして、これが現に無償浅間神社に貸与をされておるということは、事実として認定してさしつかえないというふうに考えております。
  137. 塚原俊郎

    塚原委員長 この申請地が神社宗教活動を行うのに必要であるかどうか、この点はどういうふうにお考えになりますか。
  138. 窪谷直光

    窪谷証人 当初の処分の際におきましては、先ほど申し上げました範囲のものが宗教活動に必要なものであるという認定を大蔵省でもいたしたわけであります。ところが、その後、宗教活動に必要な範囲はこれにとどまらないという意味の訴願が出て参つたのであります。その訴願の点につきましてはまだ意見がまとまつていないという状況であります。
  139. 塚原俊郎

    塚原委員長 この申請地は国土保安上国有として存置できるかどうか、この点はどういうふうにお考えになりますか。
  140. 窪谷直光

    窪谷証人 八合目以上は不毛の地でございまして、国土保安上という問題も必ずしも明確のものは出て来ないかと思います。むしろ、国土保安上と申しますよりも公益という点に問題があろうかと思います。なお、一方において富士山は今日におきましては非常に多数の人が上つておるのであります。これは必ずしも神社に参拝するというふうな考えだけでもないのでありまして、とにかく登山ということが行われておる。なおかつ、富士の山頂につきましては、学術研究上あるいは観光というふうな点から見まして、そう簡単に浅間神社譲与してしまうということはいかがかということから、最初の決定がなされたものでございます。ただ、そういうふうな、富士山というものは国民の総有と申しますか国民全体のものだというふうな国民感情というものが法律に言ういわゆる公益というものに該当するかどうかということにつきましては問題があるだろうと思います。通常法律で言つておる公益という場合には、相当具体的なものをさしておると思うのでありますが、富士山の場合におきましては、この国民感情というのは普通の場合とは違つておるのでありまして、それに対しまして、それを法律に言う公益というものの要素として考え得るかどうかというところが、やはりこの訴願の裁決についての一番大きな問題だろうというふうに考えております。これらの点につきましても、はなはだ申訳ないのでございますが、まだ大蔵省として最後的な考え方がきまつてない状況でございます。
  141. 塚原俊郎

    塚原委員長 厚生省で国立公園の管理上富士山頂の国有地を厚生省に所管がえを要望しておるということを聞いておるのですが、これに対して大蔵省はどういうお考えをお持ちですか。
  142. 窪谷直光

    窪谷証人 厚生省の方から、富士山富士箱根国立公園の中枢部であるので、厚生省に引取つて公園として管理をいたしたいというので、所管がえをしてもらいたいという意味の文書が厚生大臣から大蔵大臣あてに参つております。それに対しましては、まずこの浅間神社に対する処理がどうなるかということがきまりませんと何とも処置をいたすことが不可能なのでございまして、それに対しましては、まだ大蔵省としては、厚生大臣に所管がえをするともしないとも返事をいたしておらないような状況でございます。
  143. 塚原俊郎

    塚原委員長 どうぞ委員の中で御質問のある方は願います。
  144. 小林信一

    小林(信)委員 まず、証人はいつからこの問題に直接御関係なつたかを伺います。
  145. 窪谷直光

    窪谷証人 私は、先ほど略歴のところでも申し上げましたように、今年の八月十四日でございましたか、管財局長を拝命いたしました。それまでには全然この問題につきましては直接タツチしておりませんし、また私が関係をいたしておりました業務というものも富士山頂のことには全然関係のないことでございました。関係はしてなかつたということでございます。八月中旬に発令になりまして、着任をいたしましたのは下旬だつたと思いますが、その際に、着任後間もなく、今懸案になつておる事項についての話を各担当の課長さん方から聞いたのでありまして、その中にこの問題があつたということであります。
  146. 小林信一

    小林(信)委員 最初審査会として意見を出し、さらに訴願によつて審査会が意見をつくらなければならなかつたこの二つの段階において、審査会の委員の変更はありませんでしたか。
  147. 窪谷直光

    窪谷証人 委員の変更は、まず大蔵省管財局長からでありますが、初めの審査会のときは内田さんでございました。あとの訴願の審査会のときには阪田さんでございました。それから、文部省関係の職員の方でございますが、初めは文部次官をされておりました日高さんが委員であられたのでありますが、その後、文部省の機構改革によりまして、調査局長の久保田さんが委員に交代されております。あとの方は両委員会を通じて異動はありません。
  148. 小林信一

    小林(信)委員 そこで、これは証人にお尋ねしてもどうかと思いますが、もし御存じだつたらお伺いしたいのですが、やはり責任上大蔵省で答弁してもらわなければならないことになるわけなんですが、前の審査会の決定と、あとの訴願によつて開いた審査会の決定とが大分違うのですが、その審査会の意見が違つた根拠とか理由とかいうものが判明しておつたらお伺いしたいと思います。
  149. 窪谷直光

    窪谷証人 これは、私の承知いたしておりますところでは、まず、最初の審査会の場合におきましても、いろいろその審査の途中におきましては各委員の御意見があつたようでございます。これはまた当然のことかと思いますが、その大きな考え方というのは、神体山信仰と申しますか、神体山というものに対する考え方が、最初の審査会の場合と次の審査会の場合とで違つておるというふうに見受けられるのでありまして、最初の場合におきましては、山そのものが御神体というふうな考え方もあるにはあつたようでありますが、それよりもむしろ、何と申しますか、修験的行場と申しますか、私も宗教のことはあまりよくはわからないのでありますが、そのような行をする場所というような考え方から、従つて直接に人々が宗教的ないろいろな行動をする地域というものを浅間神社譲与すればよいのであろうということであつたようであります。ところが、その後浅間神社の方からぜひひとつ現地を見てもらいたいという御要請があつたのであります。これはまたまことにごもつともな御要請であります。最初の審査会におきましては、会として現地を視察するということはなかつたのでありますが、その後現地について見ますと、神社社殿のつくり方でありますとか、いろいろなところから、これは山そのもの神体だというところから、前の考え方をかえまして、従来無償で貸付をしておつた地域を全部原則として浅間神社譲与することが適当であろう、ただ、道路でありますとか、あるいはまた気象観測所等がありますので、その敷地等はすでに公用または公益に使われておるのであるから、その部分だけは除くが、あとの部分はやはり浅間神社譲与するのが適当であろうというふうにかわつたようであります。どうも私も宗教のことがあまりよくわかりませんので、御説明が不十分かとも思いますが、大体そういう状況であります。
  150. 小林信一

    小林(信)委員 考え方がかわつたという、これは国民が了承するには非常にむずかしいところでございまして、これを局長さんにいろいろ言つても無理なのですが、非常に問題になるところであります。ただ、これに対して今後大蔵省がこれをどういうふうに考えるかということが今問題なので、証人にお聞きすることは無理かもしれませんが、山そのものという考え方になつたというのですが、そうなればなおさら山全体なので、八合目などというのは小部分なんですから、山の形成というものはすそから全体の姿というものが山なんで、これ全体が御神体でなければ神体の価値はないと思う。これ全体が御神体で、これが私たちの神社の御神体でございますというところにやはり意味がある。八合目以上というようなところを特に御神体として一神社の所有に帰するというようなことは、審査会でどういうふうな見解で扱つたか知りませんが、私たちにはちよつと納得行かないのです。そこで、もし御存じだつたらお伺いしたいのですが、この富士山神体にすることは、この一神社ばかりでなしに、ほかの神社神体にしておるという点は当然お考えになられたと思うのですが、そういうようなことが審査会では問題になつたかならなかつたか、御承知つたらお話願いたいと思います。
  151. 窪谷直光

    窪谷証人 審査会でその話が出ましたかどうですか、私、記憶がはつきりいたしておらないのでありますが、仰せになりますように、富士山信仰の対象にいたします神社が全国で千三百程度ございます。ところが、これらのほかの神社は、従来国有地であるこの富士山の八合目以上を無償で貸し付けるという事実がなかつたということのために、審査会の審査対象に初めからならなかつたということであります。この八合目以上を無償で貸付をいたしておりましたのは富士山本宮浅間神社であるということから、これに対して譲与すべきかいなかということが論議をされたのであります。それ以外の富士山信仰の対象とする神社に対する問題は審査の対象になつていなかつたというふうに承知をいたしております。
  152. 小林信一

    小林(信)委員 あそこに久須志神社というのがあるのです。これは須走口の方の神社奥宮というふうに伺つておるのですが、須走口では、やはりそういう古文書等を持ち出して、われわれとしても八合目以上に昔から神社奥宮があり、領有するのだ、だから、そこを一神社にのみ領有を承認するのは不可解だというので、静岡県の地内にあります信者の方からも苦情があつたように聞いておりますが、これらは御検討になつておりますか。
  153. 窪谷直光

    窪谷証人 仰せになります久須志神社というのは迎久須志神社というもののことかとも思いますが、これは、仰せになりましたように、浅間神社の末社ではございません。全然別の宗教法人でございます。これに対しましては、その神社社殿の敷地はそちらの神社譲与するのが適当であろうというふうになつております。
  154. 小林信一

    小林(信)委員 今日ここで富士山本宮浅間神社宮司佐藤という名前でこういうビラがこの委員会の中に配られたのですが、この中には多分に、ほかのところは反対しないけれども、ことに山梨県がいろいろな理由を捏造して反対しておる、こういう言に迷わされることは民主主義にも反するし、またこういうことでもつてもし政治ができたならば、私たちは違憲問題としてこれを扱うという恐喝的なものが出ておるのですが、何かこういう点から考えると、今までの審査会並びに大蔵省で決定したことは反対者の政治的な活動によつて左右されたというようなことが一般に印象づけられるのですが、大蔵省としては、こういう言辞に対して、これを了解するか、あるいはそういうことは絶対にないという態度をおとりになるか、お伺いいたします。
  155. 窪谷直光

    窪谷証人 山梨県側からいろいろ浅間神社譲与することが適当でないという意味の意見があることは十分に承知をいたしております。しかしながらこれが政治的にどうのこうのというふうなことは私どもとしては考えておりません。今日まで一応訴願の答申がありましてなお決定をいたしておらないのは、はなはだ申訳ないのでありますが、それは、単に山梨県というふうなことでなしに、一般日本国民全体として一体どう考えたらいいのであろうかというような考慮からまだ決定がいたしかねておるような状況でございまして、別に山梨県側から政治的な策動があつたとかいうふうなことは全然ないのでございます。また、私どもが仕事をやつて参ります心構えといたしましても、この昭和二十二年の法律の精神を十分に生かして適正に処置をやつて行きたいということのみを考えておるのであります。別に政治的に圧迫があつたとかいうふうなことはないと思います。私になりましてからはもちろんございません。期間も短かいのでございませんが、またその前におきましてもそういうことはなかつたろうと思います。
  156. 小林信一

    小林(信)委員 私は山梨県でありますので、こういうことを一神社が言うと弁解をしなければならぬわけですが、山梨県は国民感情を代表して言つておるのであつて、一県の利権とかなんとか、そんなことを考えておるのではない。審査会の意見がかわつたり大蔵省の態度がかわつたりすると、何かこれと反対の政治運動が行われておりはしないかというような疑惑も持たれて、きよう文書を流した方の立場をかえつて非常に警戒するわけです。もちろん、それをお聞きすると、大蔵省としても、同じように、そういう政治的な圧迫を受けたことはないと、こういうふうにお答えになると思いますが、私はそういう点を公平にしていただくことを確信を持つておるわけでございまして、こういう文書に迷わされることなく御処置願いたいと思います。  最後に、先ほど委員長が御質問なさつた、厚生省の要望に対して大蔵省はどう考えるかということに対する御回答がちよつとふに落ちないのです。というのは、きまらなければその所管がえをするかどうかわからないと言われる。たしかに事務的にはそうでございますが、厚生省の方の要望あるいは厚生省の意見を支持する、国民の多数の者があるわけで、神社に払い下げてしまつたら、これは国立公園の中枢としこれを厚生省が管理をするということにならないわけでございますから、日本の風光明媚の中心であり、しかも国民感情の中心である富士山頂を厚生省として維持保存するという意見は、大蔵省としては決定の一つの材料として考えなければならぬと思うのでございますが、今のような御回答の態度は今後も持続するか、今私が申し上げたような態度でもつて、それをこの問題の解決の一つの要因としてお考えになるかどうか、そこのところをよく御説明願いたいと思います。
  157. 窪谷直光

    窪谷証人 たいへんむずかしい御質問でございますが、正式に所管がえするかどうかという返事を出しますのは、もちろん浅間神社に対する問題が片づかなければできないことは御承知の通りであります。それを待たないで考え方としてどうかというお尋ねのように存じますが、これにつきましては、そういうふうに国立公園を所管いたしております厚生省の方から意見が出て来るということは、十分にこれは考えなければならぬというふうには考えております。もちろん、厚生省の意見といたしましては、国立公園という趣旨を貫くために、浅間神社譲与するよりも直接に厚生省で管理をするのが適当であるという意見だと思います。御承知のように、国立公園の制度は、これは国立公園部長からお聞きになりました方が適当かと思いますが、必ずしも国有主義はとつておりません。その範囲に入りますれば、国有地でありましようとも、あるいはまた民有地でありましようとも――民有地であります場合はそれに対しまして法律の定めるところによつていろいろな規制ができることになつております。従つて、国有地でなければ国立公園としての機能は発揮し得ないということもまだ言い過ぎかと思います。しかしながらまた、国有地である方が管理には便利であるということも言えるだろうと思います。従いまして、その辺がやはり公益の解釈の問題とも関連をいたす問題でありまして、その辺はとくと考えを練つてきめなければならぬ問題だと考えております。
  158. 小林信一

    小林(信)委員 証人に最後に結論として伺いますが、大蔵省の態度は、この問題を決する中心が国民感情をどうするかという問題であるというふうに先ほどおつしやつたのですが、やはり富士山の問題、これは静岡、山梨という問題でなしに、日本全体の問題であることは事実なんですが、小さいことを言うのは非常に私としては遺憾でございますが、あそこは山頂は、両県の境界線がまだ不明だと思つております。こういう点は、お互い両県が、観光地の開発というようなことでもつて、いよいよこれから富士山に対しては積極的にいろいろな施設だとか経営がなされると思うのですが、そういう場合に、県境の不明のままにこれが一方の神社に所有されたというようなときに起きる問題というようなことは、考えたか考えないか、それだけお伺いいたします。
  159. 窪谷直光

    窪谷証人 境内地の処方の問題と、県境でございますとかあるいは村境でございますとかいうものとは、私どもとしては関係のない事柄であると考えております。富士山の八合目以上のところは、私も県境がはつきりしていないように了解をいたしておるのでありますが、この処分の問題というのは、この県境の画定というようなこととはまつた関係のない事項であると考えております。それをこの処分の要素の中に入れますことは、ますます問題が複雑に相なつて参りまして、帰結するところはますますわかりにくくなるというようなことから、県境の問題は全然別の問題として考えたいと思つております。
  160. 小林信一

    小林(信)委員 それは行政上の煩雑を避けるためであると思うのであります。御無理はないと思いますが、しかし、これは、今後富士山に対する観光地開発の問題としてはやはり重大だと思うのであります。大蔵省では大蔵省の仕事としてお考えになるかもしれませんが、私はそう簡単にこの問題を無視されてはならないと思うのであります。やはり今後両県の県の力というようなものが相当加わらなければ、富士山を中心とした国立公園の開発ということはできないと思うのです。大蔵省は責任を逃れようとすれば逃れられるわけですが、国民としては、やはりこれは十分考慮していただかなければならぬことであると思いますので、そういう態度ならばこれはやむを得ないのですが、これは私たちの意見として申し上げることでございまして、以上で一旦終ります。
  161. 北山愛郎

    北山委員 先ほどもちよつとお話がありましたが、今度のこの譲与申請に対して第一回の答申が出て、それによつて決定したところが、それに対する訴願が出て、それからまた審査会が別個の決定をしたということが、実に私どもとしてはへんに思うのです。これでは一体、第一回の申請に対する諮問機関と、それから訴願の場合の諮問機関とが同じであるかとすら、実はおかしく思うのですが、それがまた別個の決定をした。別個の決定をするという場合、われわれとして当然のことして考えられるのは、第一回の採決というか決定のときに調査漏れがあつて、どこか途中に落ちたところがあるとか、そういうことでもつてまた訴願の際の決定がかわつて来るということは考えられますけれども、今のように、神様神体富士山の八合目以上にどの程度あるかという問題について、いわば解釈の問題について決定が重大な変更をするというようなことは非常におかしいのじやないか。従つて、大蔵省としては、このような第一回の決定訴願の際の決定に大きな変更が出て来ておるという、こういうような審査会の権威についてどのように考えられるか、そういうふうな訴願の際の決定というものを尊重すべきかどうか、どの程度に評価しておるか、それらの点についてまずお伺いします。
  162. 窪谷直光

    窪谷証人 当初の決定訴願の採決の場合の審査の決定とが食い違つておる点についてのお尋ねでございますが、これは、私自身といたしましては必ずしも的確なことは承知をいたしておりませんが、いろいろ残つております会議録等を見ますと、先ほど申し上げましたようなことでございます。当初の決定をいたします際には、委員の皆様方も非常にお忙しくて、現地を見る時間がなく、現地を見ないで決定をした。ところが、あとの訴願の場合におきましては、その前に現地を見ていろいろ考えられたということから、考え方の相違が出て来たのじやないかというふうに考えております。
  163. 北山愛郎

    北山委員 そうすると、訴願が出て来たからその問題が出て来るわけなのですが、あとで再調査をしてみたところが全然かわつた決定が出て来た、第一回の申請の場合の決定がすでにもし間違いであつたとするならば、このような決定をする審査会というものはまことに権威のないものだ、そういうふうに考えられます。従つて、これは、客観的に見て誤つていようがいまいが、少くとも同じ審査会であるならば、やはり解釈というような問題については同じ決定でなければならぬ。もしもそれが事実問題としての調査に遺漏があつて、途中何か落ちがあつたとか、そういうことならば、あとの決定がかわつてもいいと思うのです。行つてみたところが神様が、近くに見えたのかもしれませんけれども、そういうふうに解釈が調査の結果かわるというようなことはあり得ない。そういうような審査会の決定は権威がないのじやないかと私ども考えるわけなんですが、どうでしよう。その第一回の決定すらもおかしいのじやないか。その決定従つて大蔵大臣処分をしておられる。その処分が自分でおかしいというふうになるわけじやないですか。従つて、そのような次々とかわるような決定をする審査会の意見を聞く必要がないのじやないか、そういうふうに私どもには考えられるのですが、大蔵省として一体どういうふうにお考えなつしおりますか。
  164. 窪谷直光

    窪谷証人 これは事宗教に関するものでございますので、大蔵大臣と申しますか、実際のいろいろな立案に当ります者は私ども事務当局でございますが、単純にその事務当局だけの考え方で立案するには不適当だということから、関係官庁及び学識経験者の方を集めましてその意見を聞くという仕組みに相なつておるのでありまして、この審査会の意見は当然尊重さるべきものである、しかしながらその意見に拘束されるものではないというふうに考えております。
  165. 北山愛郎

    北山委員 今のお話ですが、宗教上のことであるから、そのことは審査会の意見の決定をまつてやるのだというようなことでありますが、しかし、この問題に関する限りは神様がどこにあろうともなかろうとも、そういうことは別個の問題で、それを中心にしてこの問題を論じて行つたならば、どこまで行つても結論は出ないでしよう。従つて、この宗教なら宗教の儀式なり行事なり、そういう外形的な活動面に現われたものをとらえて、それに必要な程度に財産の問題を考えればいいのであつて、審査会もまたその範囲にその仕事が限定されておるというふうに私どもには思われる。一体、法律なり、あるいは知事の処分なり、そういうものによつて信仰の内容がふくらんだり縮んだりするようなことはあり得ないと思う。従つて、その範囲で私どもは審査会の仕事を考えればいいのであると思うのですが、まあ、ただいまの審査会の決定についてこの御意見は一応承つておきます。  次に、昭和二十二年法律第五十三号によりますと、その第二条に、「この法律施行の際、現に国有財産法によつて社寺等無償で貸し付けてある国有財産で、前条の規定による譲与をしないもののうち、その社寺等宗教活動を行うのに必要なものは、」云々とあつて、別の申請があれば、「主務大臣は、時価の半額で、随意契約によつて、これをその社寺等に売り払うことができる。」こうあるわけです。従つて、この第二条のこういうことがどういう場合起り得るかということが一つですが、要するに、無償譲与でなくて、随意契約で有償で払い下げる場合、しかもそれは譲与をしないもので、宗教活動を行うに必要なもの、それを有償で譲与するというようなものはどういう場合をさすのであるかということが一つと、こういうような規定がある限りは、この法律あるいは勅令等に列記されておる事項全体を考慮の上で、しかも主務大臣としては申請があつて譲与しないことができる場合があるということを裏書きしておるのじやないか、こういうふうに解釈するのですが、その辺はいかがですか。
  166. 窪谷直光

    窪谷証人 第一条の方は全額無償でございまして、全然ただだということであります。第二条におきましては、今仰せになりましたように、半額で譲渡することができるというふうになつております。なお、その条件といたしまして、第一条で備えておるような条件がやはり必要なのであります。そうすると、第二条の場合にはどういうものが出て来るかという御疑問はまことにごもつともだと思います。これは、こういう神体山というふうなむずかしい問題のない普通のお宮なりお寺さんの場合なのでございますが、常識的に考えて、どうも無償譲与するには少し広すぎる、しかしながら従来寺の沿革等から見て、あるいはお宮さんの沿革等から見て、やはり境内一帯として使われておるというふうなものがあるのでありまして、そういう場合には、常識的にこれだけは最小限度として境内地であることが必要であろうというところを無償譲与いたしまして、それに隣接いたします若干の土地を半額で譲与するというふうなケースであります。これは、今日まで半額譲与いたしました件数が五百五十六件ございます。この判定もなかなかむずかしいのでございまして、これらもやはり審査会に諮問をして決定をするということに相なつております。
  167. 北山愛郎

    北山委員 先ほど宮司佐藤さんにいろいろお伺いしたのですが、やはりこの神体山信仰を完全に行うためにはあの山の八合目以上を所有しておらなければならぬ、こういうふうなお話でございましたが、一体、大蔵省としては、この神体山信仰を完全に行うためにその神社でもつて所有権――これは近代法のもとでの所有権でありますが、その所有権を必要とするのであると考えるかどうか。そのものを持たなくとも、神体山に限らず、そのものに対する、太陽なら太陽を拝むというような信仰成立するような感じがいたすのでありますが、大蔵省としてはどういうふうに考えておられるか。所有するということが必須の要件であると考えられるか、そういうことを考慮してこの問題を処理しようと考えておられたか、これをお伺いいたします。
  168. 窪谷直光

    窪谷証人 はなはだ申訳ない次第でございますが、それらの点につきましてはまだ考えがきまつておりません。
  169. 小林進

    小林(進)委員 私は、まだほかに証人、参考人の方もおいでになるようですから、一点だけをお尋ねいたしたいのでありますけれども、この法律に基く境内地という問題と、宗教の内容に関する御神体というものを、一体大蔵当局は別個にお考えなつたことがあるかどうか、お尋ねいたしたいのであります。
  170. 窪谷直光

    窪谷証人 これは、私ども通称境内地と称しておりますし、また法律の用語におきましても、この審査会では社寺境内地ということに相なつております。境内地と御神体ということでは関係がないではないかというふうにも考えられるのでありますが、法律の本文の方におきますと、譲与される財産という場合には、その境内地という言葉がないのでございまして、無償で貸し付けてある土地であつて、その社寺等宗教活動を行うのに必要なものという表現をいたしておりまして、単純にいわゆる私ども考えますような境内地ということだけではないというふうに考えられるのであります。
  171. 小林信一

    小林(信)委員 その処分に関しては社寺境内地処分審査会にこれを諮るということで、あえて境内地処分審査会と言つたからには、この審査会はあくまでも社寺の境内地処分に関する審査会であつて宗教の内容に関する神体神そのものに対する処分までの権限を許されたものではないと私は解釈するのでありますが、この点いかがでありましようか。
  172. 窪谷直光

    窪谷証人 そういうふうに突き詰めて参りますと、まさに仰せの通りかと思います。法律でもつて神体を云々するということはできないことでございます。憲法の精神から申しましても、政教分離という建前から見ますれば、この法律によつて処理いたしますものは、抽象的な御神体というようなことでなしに、具体的な財産であろうというふうに考えるわけです。
  173. 小林進

    小林(進)委員 これは今局長がお答えなつた通りでありまして、富士山の八合目以上あるいは富士山というものは、先ほどから浅間神社宮司さんが言つておられるように、境内地の問題として払い下げてくれというふうな申請ではないのでありまして、これは宗教成立上絶対必要な神体である、八合目以上は神体であるから払い下げてもらいたい、こういうことに話がなつておるのであります。従つて、もし大蔵省がこの問題に介入して八合目とか全部を払い下げれば、これは、憲法でいうところの宗教には関係を持つなという国家が、間接的にはみずからその宗教というものを保護したような形が出て来るし、あるいはまた、今も言うように、四百何十坪ですか、あるいは五万坪というような形で払い下げれば、宗教の内容に立ち入つて、その神体を半分に削つたことになる。大蔵省が人の神様を半分にしたり四分の一にしたりするというようなはなはだ不謹慎きわまる行動をしたということになるのでありまして、そういう点で、境内地神体とはおのずから別個にして、慎重に構えて行つてもらわなくてはならぬのでありまして、この法律はあくまでも境内地に関する処分だけを規定したものである、神そのものの本体には大蔵省やそういう官庁、あるいは処分審査会のいたずらなる干渉を排除しておるものである、私はこういうふうに解釈をいたしておるのであります。その点、いま一度御回答をお願いいたしたい。
  174. 窪谷直光

    窪谷証人 もちろんこれは国有財産処分に関する法律でございます。別に御神体をどうのこうのという法律ではございませんのであります。その趣旨から申しますれば、何と申しますか、境内地と申しますか、とにかく具体的な財産の処分に関する法律であるというふうに考えております。
  175. 小林進

    小林(進)委員 しかし、さつきから境内地ないしは財産々々ということを言つておられますけれども、これは、私どもが言うのじやない、払下げを要求しておられる神社側ではなはだ迷惑に思つておられる。財産としての払下げを要求しておるのではないのであります。境内地としての払下げを要求しておるのではないのであります。神様の払下げをお願いいたしておるのであります。それをあなた方は求めて財産のように解釈をしておいでになるのでありますが、その解釈が私は間違いじやないかと思うのであります。相手の方は、もう一回申し上げますが、財産の払下げではないのであります。境内地の払下げではないのであります。神様を払い下げてもらいたいと言つておるのでありますが、この点、私は間違いがあるのじやないかと思いますが、いかがですか。少し行き過ぎじやないですか。
  176. 窪谷直光

    窪谷証人 神様を払下げをしてもらいたいというような申請は受けてはおらないのでございます。その内容はあくまでもこれこれの財産を譲与してもらいたいということでございます。
  177. 栗田英男

    ○栗田委員 関連して。あるいはこういう質問があつたかもわかりませんが、同じ神体山宗教で、例の筑波山と男体山がおのおの神社境内地として払下げを受けておりますが、これと冨士山との関係をお聞かせ願いたい。
  178. 窪谷直光

    窪谷証人 山を御神体にする神社が全国に若干ございます。今お話になりましたものは、そのうちの二つの例だと存ずるのであります。筑波山の場合には、北斜面でございましたか、山の片方の斜面が境内地と申しますかになつておるわけであります。それは、相当下の方に社殿がございまして、それから上に行きます片斜面が国有地の境内地なつておつたのであります。それを払下げいたしたのであります。それから、男体山につきましては、これはたしか山全体であつたと思うのでありますが、それと富士山の場合とがどういう関係に立つかということであります。この辺が最初の審査会の場合と訴願の審査会の場合とで考え方が違つて来た一つの点だろうと思います。初めの場合には、筑波山なりあるいは男体山のようなものとは必ずしも同等のものだというふうな御認定ではなかつたのではないかというふうに想像するのでありますが、訴願が出て参りましてからの審査会におきましては、同様の性格のものであろうという意見であると存ずるのであります。その場合に、筑波山なり男体山にいたしましても同じ問題はあろうかと思いますけれども富士のように、全国にとにかく知れわたり、天下の名山として、しかも多数の登山者があるというふうな状況と、ほかの山とは若干の相違があろうかというふうに考えられるのであります。その辺の相違を一体どういうふうに考えたらいいものであるかということの考え方がなかなかまとまりかねるものでありまして、そのために訴願の裁決が今日まで延びておるような状況でございます。申訳ない次第でございます。
  179. 栗田英男

    ○栗田委員 今のように、片方には男体山全体を神社に払い下げておる、片方は参拝者が多いし、日本の名山だから非常に遅れておるというこの考え方でなく、山に登山者が多いとか名山だとかいうことではなくて、やはりこれにははつきりとした法律的根拠においてこれを処分してもらわなければ困る、こういうふうに申し上げておきます。
  180. 小林進

    小林(進)委員 先ほどのお話で、審査委員諸君が現地を視察せられて、その結果また審査の結論がこのようにかわつたのであるというお話があつたのでありますが、その審査会が現地のどこを見られたか。私は、頂上を見ないのではないかとさつき言つたのですが、確かに審査委員諸君富士山に登つていないのであります。現地を視察せられたというのは浅間神社神社を見られただけなんでありまして、この問題に関しては全般的な調査が行き届いているということは申されないと私は思う。不肖小林は、それに引きかえまして時にあらしの富士山上に、あるいはまた富士神社を見たのでありまして、おそらく、両者くまなく見たのは、この問題に関する限り小林をおいてないと思つておるのでありますが、それは別にいたしましても、その富士神社を見られた委員諸君の言われるところによれば、富士神社には境内はあるのであります。事実広荘なりつぱな境内はあるのでありまして、もちろんこの富士神社境内の払下げについてはだれも文句がないのであります。ただ、現地を見られて審査委員諸君の心境に変化を来した問題は、行つてみたら、その神社にはそこに神体がない、奥の方の窓があいておつて、その窓から、十里か数十里になるか知りませんが、はるかにその富士山の頂がながめられる、いわゆる普通の神社のように神をまつらずして、その神社の奥殿の窓を開けて、そこに富士が見られる、富士神体が窓べに納まる、これすなわち富士山神体としている神社である、だからその神体は払い下げるべきであるというように心境がかわつたというのでありまして、これはいわゆる財産の問題ではない、神様であるから払い下げるべきであるというように結論がかわつています。これは私はのみ込めないのであります。どうしても財産の払下げじやない。心境の変化は、境内地の払下げじやない、神様の払下げだ、どうしても神様を払い下ぐべきだというように心境がかわつている。これは私は、当局としては神そのものに対しては国家が干渉してはいかぬという憲法の趣旨に反して、神そのものを保護するというような間違つた決定をおのずからにやつて来たのではなかろうか、こういう懸念が多分にある。これをお問いいたすのでありますが、この点いかがでございますか。
  181. 窪谷直光

    窪谷証人 私どもと申しますか、大蔵省が最初に決定をいたしました地域につきましては、そういう憂えは万々ないというふうに考えます。あと、今訴願として出ております地域につきましては、そういう点も十分に考えなければならぬ問題だろうというふうに考えます。
  182. 栗田英男

    ○栗田委員 関連して、今の小林君の質問に関連しているのですが、どうも今の小林君の質問もそうですが、富士山を御神体にしているというところに非常に私は疑問があるのです。なるほど神体山宗教ではありますが、富士山そのものが御神体じやない、こういうふうに自分は思つている。いわゆる富士山奥宮には、富士山というものはまことに秀麗である、これに配するにはどの神様をまつることが一番適当かということで、木花咲耶姫を奥宮神社にまつつておるのであつて、あくまで浅間神社の御神体富士山ではなく、木花咲耶姫である、そうでないかと私は思うのですが、この点どうですか。
  183. 窪谷直光

    窪谷証人 なかなかむずかしい御質問のようでございますが、私は富士山が御神体だというふうに聞かされておるのであります。その辺を私から申し上げるのはいかがかと思いますので、御答弁を差控えさしていただきたいと思います。
  184. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 証人にお尋ねいたしますけれども、この社寺境内の払下げを行つたこの法律的根拠、それからお尋ねいたします。
  185. 窪谷直光

    窪谷証人 これは、すでに御承知かと思いますので、釈迦に説法になるかと思いますが、憲法で政教分離と申しますか、そういう規定が出て、その精神を受けまして、昭和二十二年法律第五十三号というのが制定公布されたのであります。この二十二年法律第五十三号により社寺に対しまする措置をやつているということであります。
  186. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 それが進駐軍の干渉によつて制定された法律ですけれども、その場合に、宗教活動するものに従来の社寺境内を与えるものとするというようになつておりますけれども、その場合、与えるものとするということの解釈、必ず与えなければならぬものが、それについて大蔵当局の意見を伺いたい。
  187. 窪谷直光

    窪谷証人 第一条件を正確に表現いたしますると、社寺上地地租改正、寄付、または寄附金による購入によつて国有なつ国有財産で、この法律施行の際現に神社、寺院または教会に対し国有財産法によつて無償で貸し付けてあるもの――あとは国有林野の場合でありますが、これはさしあたり関係ございませんので、それを省きますと、無償で貸し付けてあるもののうち、その社寺等宗教活動を行うのに必要なものは、その社寺等においてこの法律施行後一年内に申請をしたときには、社寺境内地処分審査会に諮問して主務大臣がこれをその社寺等譲与することができるとなつているのでございます。ここの「できる」という意味のお尋ねかと思いますが、これは私どもといたしましてはこういうふうに解釈いたしておるのであります。「できる」ということでありますから、しなくてもいいというふうにも考えられるのでありますが、この「できる」という表現は、一般に国有財産国有財産法に基きまして法律の特別の定めがなければ無償譲与するということはできない、必ず適正な対価をとつて処分をせよということに相なつておりまして、この例外規定でございます。それで、一般の場合には無償では譲与はできないけれども、かくかくの要件を備えた場合には売り払つてよろしいという意味の権能を与えた規定だと考えております。それから、もう一つは、この「できる」というのが、権能を与えて、自由に、非常に幅の広い自由裁量の余地がある趣旨であるかという点につきましては、この法律で言つております要件を備え、また売払いをする国有財産範囲を定めました勅令の規定というものに合致をいたしました場合においては、譲与をすべきものだというふうに解釈するのが適当だと思います。一般に譲与してもしなくてもいいというふうなものでございますれば、この訴願の規定を置くということはないはずでありまして、訴願の規定を置くということは、これこれの要件を備えた場合には国有財産法の例外として無償譲与ができる、しかしながら、それも完全な自由裁量の規定でなくて、要件が備わつた場合には譲与してやれという趣旨のものであるというふうに考えております。
  188. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 今の局長の説明で、この問題を法律的に検討してみたいと思つて質問したのでありますが、明快を御答弁いただいたのであります。明らかに、進駐軍の原文によれば「シヤル・ビー・ギヴン・ツー・サツチ・インステイテユーシヨンス・フリー・オブ・チャージ」――無料で与えるものとするという積極性がある。であるから訴願というものがそこに許されておるという局長の解釈とそれが合致するのであります。従来審査会に千九百件ぐらいのものがかけられまして、なぜ一体富士山だけがこんなふうに社会の問題になつて出て来たかというところを解釈しますと、神社から沼津の出張所に書類が提出されて以来、大蔵省で審査会にかけるまで約一年半ぐらい荏苒と日を送つていた。その間に、前に佐藤証人から話が出たようないろいろな人間の名前ども出て来て、そこに私は社会的混乱が出て来たのではないかと思います。その点について大蔵省は非常に怠慢であつたのじやないかということを、一応この際局長に対して、しかも局長は新しいので、前のくされ因縁と何ら関係なく新しく問題を処理できるのじやないかという観点から、御質問したいと思つております。
  189. 窪谷直光

    窪谷証人 仰せになりましたように、申請書を受理いたしましてから相当の期間が経過をいたしております。沼津の出張所から東海財務局へ書類の進達がありました。その間にも相当の期間を経過しておるのであります。これは、申請書が出て参りましたのが二十三年四月三十日でございます。沼津の出張所が扱つておりました社寺関係の件数がたしか千百前後のものであつたかと思いますが、そういうふうな事務が相当輻湊をいたしましたのと、それから、富士山ということにつきましては相当慎重を要するというふうなことから、いろいろ古文書調査でありますとか、あるいはお宮さんにあります古文書との照合その他に時間をとりましたのと、さらに、やはり頂上まで登つて実地調査をやる必要があるということから、二十三年におきましてはそういう期間が全然なかつたのであります。二十四年もそういう計画をいたしたのでありますが、なかなかそこまで手がまわりかねるということから、二十五年の八月になりましてやつと、沼津の出張所だけでなしに、本省、財務局、沼津の出張所の各担当官が参加をいたしまして実地調査をいたしました。それから書類をとりまとめて東海財務局に進達をしたというふうな状況に相なつております。東海財務局から大蔵省に出て参りましたのも相当時間を経過いたしておるのでありますが、これも、地方の意見を付して、しかもまたこの判定をするのに必要な資料が整備されておるかどうかということを東海財務局で審査した上で東京に回付するというふうなことに相なつておりますので、それらの点から事務が遅れて参つた。なお、東海財務局で当時社寺関係の処理をいたしておりました件数は約一万程度ありました。なかなか問題がむずかしいためにあとまわしになつたということははなはだ申訳ないのでありますが、単純に事務怠慢のためにという仰せは、できますならば御容赦を願いたいというふうに考えております。
  190. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 政教分離の建前から終戦後のいろいろな法律が出た上からして、この法律は私は相当大きな意義を持つてつたと思うのでありますが、それを実施するにあたつて諮問するところの審査会のあやふやが、今日この通り委員会を開いて討論あるいは議論をしているようなかつこうになつているのでありますが、これは政府に対する今から先の警告になりますけれども、この一つの審査会の例をとつてみましても、そのメンバーを見ますと、関係官庁は別といたしまして、宗教団体に割に因縁が多いが、一番大事な憲法的な、あるいはまた行政、こういう関係の人が入つておりません。そして、一番大事な法律問題あるいは行政法、憲法という日本の根本法に関係のあることをここで律するということになつて来ると、この人選なども、これを参考として将来において大いに充実させなければならぬのではないか。さらにまた、その委員諸君などにいたしましても老齢で、委員会といえばどこの委員会でもそうですけれども、出て来ない者の方が多い。そうして出て来てちよつと日当をとるぐらいの委員会が相当たくさんあるところに、行政機構の改革が叫ばれていると思うのですが、この際においても、富士山がそれほど大事なものとして慎重審議されたと言いますけれども、だれ一人として、同僚委員が指摘するように、山に登つた者もない。第一回の決定をしたあとで訴願があつて初めて富士宮神社まで行くというふうな怠慢ぶりを演じているところに、私はこういう紛糾が起つているのではないかと思うのです。これはもう解散されたからいたし方ないのでありますが、この点十二分に将来お考えを願いたいと思うのです。  それから、ここであらためてお尋ねいたしますけれども社寺境内地処分中央審査会の答申は、今まで大蔵大臣を拘束しておりますか。
  191. 窪谷直光

    窪谷証人 審査会は中央地方ともに諮問機関であります。大蔵大臣を拘束するものではございません。
  192. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 諮問機関としますと、大蔵省独自の立場で処分ができるはずでありますが、処分するとすれば、富士山について大蔵省が従来まで法律的あるいは宗教的にどの程度の御研究をなすつておりますか。
  193. 窪谷直光

    窪谷証人 私ども宗教のことは全然しろうとでございますが、いろいろな人の話を聞いたり、若干の書籍等も読んでみたという程度でございまして、非常に深い研究をいたしておるということは申し上げかねるかと思います。
  194. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 従来申請された神社処分について、諮問機関であるところの審査会が答申したものを大蔵大臣が却下し、あるいはそれを無視して処分した案件がありますか。
  195. 窪谷直光

    窪谷証人 それは今までのところ一件もございません。
  196. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 そうしますと、従来一件もなくして、しかも先ほど以来委員質問に答えられたのを聞いておりましても、筑波山のごときにおいては七十五万坪、それから一番多いのは二荒神社、これは一千万坪、そういうふうにして片つぱしから事務的に片づいておつたのが今までの審査会並びに審査会の答申に基く大蔵省の行動だと思うのでありますが、そうしておつて、この富士山に関しては、先ほど局長からの報告がありましたように、最初の大蔵省の決定神社側が不足を唱えて訴願をし、それに対して審査会が答申をしている。その答申書を先ほど局長はお読みになりましたが、そのお読みになつた言葉のうちに、公用または公益上必要な土地を除きそれを訴願人に譲与する、しかしその際にはなお審査会において訴願人から誓約書をとる、その内容も決定されたと言つておられますけれども、その内容は一体どういうのですか。
  197. 窪谷直光

    窪谷証人 誓約書の内容は大体こういうことであります。もちろんこれは案でございますが、「今般国から当神社宗教活動を行うのに必要なものとして昭和二十二年法律第五十三号の規定により譲与を受けた富士六合目以上何坪の土地については、将来左記事項を遵守することを誓約いたします。」という書き出しでございまして、これは富士山本宮浅間神社の主管者でありまする氏子総代というので大蔵大臣あてに出す書類であります。その内容は、「一、国において公用その他公益上必要があるときは、国に対してその必要な土地を寄附し、又は無償で使用させること。二、登山、学術研究その他の目的で譲り受け地を利用する一般公衆に対しては従来どおり何等の制限を加えないことは勿論何等の名目による登山料を徴しないこと。三、登山の妨げとなる行為又は施設をしないこと。四、登山に必要な施設をする場合においても、国又は静岡県知事の指示があるときはこれを遵守すること。五、譲り受け地を対象として営利目的の行為をしないこと。六、富士山信仰の対象とする他の宗教団体その他現に富士山について特殊な関係を有する団体と協調すること。七、その他公共の利益に反する一切の行為又は施設をしないこと。」というのが誓約書の内容になつております。
  198. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 ただいまのお話は、浅間神社が、第一回の決定四万九千九百五十二坪、それが神体山宗教を阻害するものであるといたしまして、従来の関係からして八合目以上をぜひほしいという訴願をし、それに対して審査会委員が現地らしきものを踏査した結果決定した答申書の中にこういう誓約書を入れたというふうに私は解釈するものであります。先ほど以来、富士山日本の象徴であるという建前からいたしまして、非常に関心を高め、山梨県という名前にこだわらずして、そういう面からもこの際に明朗に何とかしてもらいたいという発言が今までたくさん出て来ておつたのでありますが、先ほど以来の局長の話を聞きますと、法律に基いて審査会が答申したものを大蔵省が片つぱしから決定してずつと来ている、一件も却下したものはない、しかして、八合目以上の古文書なりいろいろな法律的な書類からいたしましても、国土保安、あるいは森林経営、公営上――公益上の場合には抽象的に国民感情という問題がありますが、これを法律的に解釈いたしますと、まだ具体的なものにはなつていないのであります。そういう三つの観点からいたしましても、法律的にはほかの先例に従つて当然やらなければならなかつたはずである。しかしながら、国民感情上、これを一私有化しあるいはそれを営利に使われては困るというところから、山梨県並びにその他の諸君がおみこしまで東京にかついで来て、ここで大騒ぎしたわけなのです。そこで、審査会は、八合目以上を処分するについては、先ほど局長が読み上げたような誓約書を神社側に入れさせることとして大蔵大臣にその答申を出したように聞いているのでありますが、問題は、富士山を静岡県がとるとか山梨県がとるとかいうけちなものではなくして、この富士山を万代まできれいな姿にしておきたい、しかして、法律の前には一切が平等でありまして、一つもエクセプシヨンを残すわけには行かないのじやないか。宗教上のことは、いろんなところからそれぞれの主観において論ぜられることは必要でありますが、しかし、そういうことはお互いに政治家としてこの場合タッチすべき問題でなくて、法律の前には平等である。そうして、そのあとの管理その他においては、大蔵省が、山梨県の人々あるいはその他の同僚議員が心配されておるところを参酌されまして、またこの委員会における各種の討論と質問などを胸のうちに疊まれて、審査会の答申なども参酌され、一日も早く決定されて、富士山日本国民のものとして明朗な姿に一日も早くとりもどしていただきたいということをこの際要望いたしまして、私の質問を終ります。
  199. 鈴木正文

    鈴木(正)委員 私は最後に一点だけお伺いしておきますが、先ほどからの局長の御説明にもありましたように、この法律の運営にあたつては公益という問題が取上げられております。特に富士山の問題については、あれが全国的にもつと広い意味で普遍的に及ぼす問題を考えて見れば、かなり広い範囲に公益という問題を取上げてしかるべきものだと思つておるのであります。法律的に法律的にといいますけれども法律の中には明らかに、――先ほどから局長がるる御説明されましたような、こういう場合には、こういうふうにと、いろいろな手続方法が書いてありますけれども、同時に、公益に関係のある場合においては、それにはエクセプシヨンとして除かれるということも当然書かれておるのでありまして、この方針に従つてこの問題を検討しても、これは法律に従わなかつたということには絶対にならないと思うのであります。もしそうでないならば、同じ法律の中の条章によつて軽重をつけるということになるのでありまして、先ほどからも、明らかに、局長の御説明の中で、公益の中にはまだほんとうの最終的のコンクリートのものは固まつておらないというような意味のことを言つておられましたけれども、きわめてこの問題を大きく考えておられるということは私も聞き取れたのであります。たとえば、今筑波山の問題その他が取上げられましたけれども、これはもう性格上当然比較にはならないものであつて、何がゆえに今日富士山だけがこうして遅れたかということは、今古文書を調べるのに時間がかかつたとか、いろいろ説明しておられましたが、結局、その影響するところが大きい、そうして慎重に取組まなければならない、こういうふうに言われたのがほんとうだろうと思うのであります。それを分析して行けば、国民感情あるいはそういつたもの以外のいろいろな要素を含めたところの広い公益の問題が富士山の問題については当然取上げられて、そうして法律の総合的解釈が行われなければならないと思うのであります。私は今こまかい法律論をやろうとは思つておりませんけれども、先ほどから局長の御答弁をお聞きしていて、そういう意味がにじみ出ているように聞き取れたのでありますけれども、私の今申し上げましたことに対して、もう一度、法の直接的な運営者としての心情を率直に語つていただきたいと思います。
  200. 窪谷直光

    窪谷証人 公益とは何ぞやという問題のようでございますが、これは、先ほど申し上げましたように、通常の場合においては非常に具体的なものでなければならぬことは当然だろうと思います。たとえば、道路敷に使われる土地でありますとか、あるいは子供の遊び場に使われるとか、あるいは公衆の出入りする公園に使われるとかいうふうに、非常に具体的なものであるというのが通常の場合であろうと思います。その意味から申しますと、富士山におきましては、登山道路、それからその頂上をぐるりと一まわりいたします道路、その他その付近の土地ということに相なろうかと思うのでありますが、もう一つ、それ以外に公益というものがもう少し広い意味で解釈されないかどうかという問題があります。この点が実は私どもとしては決定が遅れておる非常に大きな理由の一つであります。単純に、公益というのをほんとうに具体的なものだけに限るということでありますれば、その問題は割合に簡単に割切れておつたのかもしれませんし、従つて、あとの、宗教活動に必要なものということから出て来た問題の処理は割合に容易にできたのではないかというふうに考えられるのでありますが、富士山の場合におきましては、単純にそういう具体的な公益というふうな問題のほかに、どうもやはり考えなければならぬ問題があるのではないかと思います。これは、富士山に登山する人も、また登山しない人も、あるいは大人も子供も、とにかく国土の象徴として崇敬をしておる山であります。この山の処置について、そういうふうな具体的な道路であるとか、あるいは遊び場であるとかいうふうな意味でないものがやはり公益というものとして考えられるのではないかというふうな問題があるわけであります。その辺を法律の執行者としてどういうふうに解釈をいたしたならば法律の精神に沿つた適正な解釈ができるものであるかということについて苦慮をいたしておるのであります。この点が今日まで決定が延びて参りました非常に大きな理由でございまして、決定が延びておりますことは何とも申訳ない次第でございますが、そういうふうな考え方から慎重に考えてみたいというふうな気持でおるわけであります。
  201. 鈴木正文

    鈴木(正)委員 ただいまの御説明で、公益という、特に富士山の場合のそれについての大体のお考え方はわかりました。そこで、具体的にお伺いしますが、たとえば、審査会で第一回と第二回であれだけの相違のある答申をしている。しかもその手続、経過に至つても、私は繰返しませんけれども、各委員から申し上げた通りである。そういう場合に、最終的に出て来たところの審査会の結論をそのまま実行して、今お話が出ましたように誓約書というものをつければ、それでもつて公益は将来にわたつて完全に保証されるのだという考えには私は反対であります。そういうことにはならないと思うのでありますが、局長はそういう方向において公益の問題を片づけようとされておられる。つまり、最終的な何かが出ても、それに誓約書を加えることによつて、公益は保護されるのだというように考えておるのであるといたしましたならば、私どもはとうていこれに賛成できないという考え方でありまして、もつと考慮を払われるならば、実質的にこの法の最終的措置自体について考えて、そうして慎重に事に当つていただきたいと思います。なお、この問題は、ただいますぐの問題でなくして、今申しましたように、お互いに過去のいきさつや感情に走ることなく、慎重に検討して結論を出したいのでありますから、しいて明確な御解釈をこの際すぐ聞かしていただきたいとは言いません。今まで局長が申しましたような、公益という問題は富士山の場合には他の場合とは違つた意味において十分それを要素として考えるべきものであるということの御答弁をもつて一応了といたしますが、さらに、私ども考えといたしましては、そうは言つても、最終的なものをそのまま実行してしまつて、そうして誓約書をつける。誓約書なんというものは、今も読み上げましたけれども、これはおそらく、その最終の結論の出た本文と実質的に同じところの力を持つているはずはないのでありまして、そういうものをもつてして今の問題を割切る、割切れなかつたものを何とかつじつまを合せるという考え方だけはどうぞやめてそうしてこの問題と慎重に取組んでいただきたいと思うのであります。
  202. 塚原俊郎

    塚原委員長 ほかに御発言がなければ、窪谷証人に対する尋問はこれにて終了いたしました。  証人には長時間にわたり御苦労さまでした。     ―――――――――――――
  203. 塚原俊郎

    塚原委員長 ただいまお見えになつておられる方は下村寿一さんと森本潔さんですね。あらかじめ文書をもつて承知の通り、本日正式に証人として証言を求めることに決定いたしましたからさよう御了承願いたいと存じます。  これより国有財産管理処分に関する件(富士山頂払下げ事件)につきまして証言を求めることになりますが、証言を求める前に各証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者が、その職務知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月、以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知なつておいていただきたいと思います。なお、証人が公務員として知り得た事実が職務上の秘密に関するものであるときは、その旨を申し出ていただきたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。下村さん、代表して宣誓書を朗読してください。     〔証人下村寿一君代表して朗読〕    宣誓書  良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  204. 塚原俊郎

    塚原委員長 それでは、宣誓書署名捺印を願います。     〔各証人宣誓書署名捺印
  205. 塚原俊郎

    塚原委員長 尋問下村さんからお伺いいたしますから、森本さんは控室でしばらくお待ち願います。  これより証言を求めることになりますが、証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際にはその都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。まず委員長から概括的に証言を求め、次いで各委員から証言を求めることになりますから、御了承ください。なお、こちらから質問をしておりまするときはおかけになつておりましてもけつこうですが、お答えの際には御起立をお願いいたします。  下村さんが元社寺境内地処分中央審査会委員に命ぜられたのはいつごろでございましようか。
  206. 下村寿一

    下村証人 昭和二十三年の五、六月であつたかと記憶しております。
  207. 塚原俊郎

    塚原委員長 それから、概略でけつこうですが、下村さんの略歴をお述べ願いたいと思います。
  208. 下村寿一

    下村証人 私は、最初地方官をやりまして、それから文部省へ転じまして、文部省参事官、文部省宗教局長、社会教育局長、普通学務局長を経まして、東京女子高等師範学校長、女子学習院長等を経まして、昭和二十二年に退官いたしました。
  209. 塚原俊郎

    塚原委員長 昭和二十二年法律第五十三号に基いて富士山本宮浅間神社大蔵大臣あて富士六合目以上の地域の譲与方を申請しておりますが、この事件に関しまして審査会は大蔵大臣より諮問を受けたことがあると思いまするが、最初に大蔵大臣から受けられた諮問の内容についてお聞かせ願いたいと思います。
  210. 下村寿一

    下村証人 最初は、富士山頂上の、奥宮境内地、それから久須志神社境内地、その他二、三の箇所について、浅間神社申請に対して四百九十九坪何がしを譲渡しようという案であつたように記憶いたします。
  211. 塚原俊郎

    塚原委員長 これに対する審査会の審議の経過並びにとられました処置について、概略でけつこうですが御説明願います。
  212. 下村寿一

    下村証人 その案が出まして、審査会の委員の大部分ちよつと意外に感じたのであります。それは、法律によりまして社寺に譲与し得る範囲がきまつておりますが、そのうちの一つの項目だけ当てはめて――社寺の工作物等の敷地というのが一項にありますが、それだけを当てはめて譲渡の範囲をきめたようであつて、その他の項目、特に神体山関係におきましては、第五号地と申しておりますが、その方面に対する考慮が全然費されていなかつたということを、これは委員一同がみな感じたようでございます。  それから先の経過も続いて申し上げましようか。
  213. 塚原俊郎

    塚原委員長 それはまたあとで伺いましよう。
  214. 下村寿一

    下村証人 そういう感じを持つたのでございます。
  215. 塚原俊郎

    塚原委員長 それから、この審査会の結果に対して大蔵大臣はどういう処置をとられましたか。
  216. 下村寿一

    下村証人 われわれは答申をいたしまして、その結果大蔵大臣はどういう処置をおとりになりましたか、まだそれは承知しておりませんでございます。
  217. 塚原俊郎

    塚原委員長 御存じありませんか。
  218. 下村寿一

    下村証人 ええ。
  219. 塚原俊郎

    塚原委員長 昭和二十七年の二月に、審査会が大蔵大臣あて富士山頂の処分に関し答申を出しておりますね。
  220. 下村寿一

    下村証人 はい。
  221. 塚原俊郎

    塚原委員長 ところが二十七年の十月ごろに現地視察をしたというふうにわれわれは聞いているのですが、これはどういう理由で現地視察をされたのですか。
  222. 下村寿一

    下村証人 これは、一応さつき申し上げましたような理由で、大蔵省の原案というものが全般にわたつての十分な考慮を加えていない点がありはしないかというところからいたしまして、審査会におきまして原案を修正いたしたのでございます。そうして、大蔵省の原案に加えまするに富士山噴火口、大内院と申しておりますが、その大内院をつけ加えて譲渡するが適当であろうという一応の決定をいたしたのでございます。しかしながら、その場合に、委員一同が――大体多数でありますか、一同でありますが、これでは神社側がとうていしんぼうしないだろう、満足しないだろうという意見であつた。しかしながら、よほど原案と審査会の答申とは距離があります。大体原案というものは強いものでその修正することも困難のように感じたのでございますが、それをとにかくそこまで広げた。それで、そういう結果を一応神社側に知らして、神社側が、ある意味における所有権の還元の請求権のようなものを持つておるわけですが、それを放棄すればそれでよろしい。つまり神社側がそれで満足するということであれば、行政処分のことでありますから、なめらかに行くからそれでよかろうというような意味で、当初の原案を四万九千何がしに変更いたしましてその結果を神社の方に通じた。ところが、神社の方は一種の請求権のごときものを放棄しない、あくまでも八合目以上の全部を神社境内として譲渡してもらいたいという熱心な強い陳情を申し出たのでございます。同時にまた、これに反対する側の、主として山梨県側であつたと思いますが、陳情も非常にたくさん参りました。そういうようなことがありまして、とにかく一応現地を調査する必要があるというようなことから、現地調査を昨年の十月二十七日から、約四日間でございましたかにわたりまして、現地の状態を調査いたしたのであります。その際、山頂にという話もありましたけれども、もう時期はとうてい許しませんし、かつまた委員の大多数は山頂にかつて登つたことがありまして、いずれも相当深い印象を持つておるので、山頂に行かなくても、富士浅間の本社、その奥にあります山宮、その他を視察すれば大体判定はつくというので、調査をいたしまして、その結果審査会におきまして一応の心証を得たわけであります。その心証によりまして、神社側から出ました訴願に対して裁決の案を答申した、こういうことになつております。その委員会がなぜそういう心証を得たかということでございますが、それは続けて申し上げてよろしゆうございますか。
  223. 塚原俊郎

    塚原委員長 よろしゆうございます。下村君にお願いいたしますが、速記を取つておりますので、御無理かもしれませんが、なるべく大きな声を出していただきたい。
  224. 下村寿一

    下村証人 そういう次第で、委員会は当初から、最初の原案というものは非常に辛くできている、これは大宮浅間神社宗教活動を阻害するおそれがあるというような懸念は持つてつたのでございます。それで、さつき申し上げましたように、一応四万九千九百何坪を譲渡すみというふうなことを答申し、さらに諸般の情勢、実地調査の結果等を考慮いたしまして、八合目以上は全部大宮浅間神社に譲渡するという決定をいたしたのでございます。  それは、一つには憲法の関係もありまして、御承知の通り憲法によつて信教の自由が保障されている。これは国政のいかなる面においても尊重すべき重大な点である。そういう憲法の何がありますから、国家は宗教団体における信仰とか伝統とかあるいは規律というものに対してはみだりに干渉してはいかぬものだ、こう考えたのでございます。但し、そういう宗教上の事項が著しく公共の福祉を害するというようなことが明らかな場合には、むろん国家は干渉できますけれども、さもない限りは、宗教上の信仰、規律、慣習、伝統等はできるだけ尊重したいというのが委員一同の大体の考え方のようでありました。  そこで、一面におきまして、富士山はああいう霊山でありまして、国民の憧憬の中心になつておりますから、そういう国民の感情というものも十分に尊重しなければならぬ、こういうことも申すまでもないことでありますが、しかし、国民感情という抽象的の概念をもとにして、宗教団体――これは私法人とよく言います。浅間神社は私法人には違いないけれども、しかしながらこれには数万の氏子、信徒というものがついておる。そういう宗教団体の古来の伝統、信仰というものは尊重すべきものである。そういう考え方もありまして、国民感情という抽象的の概念をもととして、信教の自由を傷つけるというようなことはどうだろうかというような考え方も相当あつたのでございます。  それから、行政上の平等公平の原則でありますが……。
  225. 塚原俊郎

    塚原委員長 こちらから質問したことだけについての答弁を願います。
  226. 下村寿一

    下村証人 その心証を得ました根拠を、先ほど委員長の許可を得まして申し上げたのであります。
  227. 塚原俊郎

    塚原委員長 あとでほかの委員諸君から質問があると思いますから……。  それから、証人は文化財保護委員会委員をやつておられますね。
  228. 下村寿一

    下村証人 専門審議会の委員をやつております。
  229. 塚原俊郎

    塚原委員長 その文化財保護の立場から見て、富士山頂の処分というものについてどういうお考えを持つておられますか。簡単でけつこうでございますから、ひとつお考えを述べていただきたいと思います。
  230. 下村寿一

    下村証人 富士山はかねてから史跡名勝天然記念物保存法の当時から名勝に指定されておつたようでありますが、その後文化財保護法が制定されるようになりましてから、特別名勝ということに指定されたのでございます。私はこれはまことに適当な指定であると思います。古来ああいう名勝とか天然記念物というようなものは、一面において宗教上の信仰の力によつて守られておる。あそこは非常に尊いところだ、あそこを荒すと、たとえばたたりがあるとかいうようなことで守られて来ておる部分が非常に多いのでございます。そこで、私は、富士山が名勝に指定され、そしてそれが神社境内であるということは、両面から富士山を守ることになるわけでありますから、これはまことにけつこうだ、いずれの面から言つて富士山を守る上にはけつこうなことだ、かように感じておる次第でございます。
  231. 塚原俊郎

    塚原委員長 委員諸君のうちで御発言がありましたらどうぞ。
  232. 山中貞則

    ○山中(貞)委員 下村証人のお話の中で、大蔵省からあなた方の審査会が諮問を受けられたときに四百数十坪の原案であつたのに対して、大部分の、ほとんどと言つていいくらいの委員が、ちよつと奇異な感に打たれたという話があつたようであります。すなわち、そういう場合の払下げの各条項について、ふしぎに一箇条のみに特に狭められて適用を受けているような感じであつたというお話であつたのですが、そういう感じを受けられたことについて、審査会では、大蔵省あたりのそういう線の打出し方のいきさつとか、あるいはそれの意味するものについての具体的な研究があつて、そしてそれらの過程を経て決定されたもので、あるか、お伺いをいたします。
  233. 下村寿一

    下村証人 その原案のできましたのは、名古屋の財務局の方で調査して大蔵省に上申したというふうに聞いておりますが、その財務局の調査が、何ゆえでありますか、そういうふうに非常に狭い、工作物、施設の敷地ということだけで、他に参道もあれば尊厳維持等に必要な場所もあるということを、あまり広いからでもありましうよが、当初からオミットしておつた。それには悪意も何もないのでしようが、非常に厳密に解して、工作物の敷地というような調査を大蔵省に出したものだろう、それが原因であつたろうかと思つております。
  234. 山中貞則

    ○山中(貞)委員 私のお聞きいたしておりますのは、そういう、今感じられたような点について、皆様方諮問を受けられた審査会では当然その疑義が解明されて結論が出て来るものと思うのです。それについて当局側にいろいろないきさつの説明を求められたと思うのですが、そういう経過について少し御説明願いたい。
  235. 下村寿一

    下村証人 それは、さつき申し上げましたように、各委員がやや奇異の感をもつて迎えたものでありますから、これはどうもえらく小範囲であつて、これではとうてい富士浅間の宗教活動のために足りないと思うということで、いろいろな角度から、たとえば参道はどうした、それから大内院はどうした、その他宗教活動をするスポツトスポツトがあちこちにあるのですが、そういうところはどうして省いたかというようないろいろな質問があつたのでございます。一々詳細には記憶がいたしておりませんが、そういう面でかなりどの委員からも質問があつたように記憶いたしております。
  236. 山中貞則

    ○山中(貞)委員 ということになりますると、皆様方が奇異な感じを受取られたその原因は、皆様方が審査委員として、たとえばあなたが――直接あなたじやないわけですが、審査委員として、こういう類似の案件の審査をされる場合の適用基準から考えて、この富士山頂、いわゆるこの浅間神社に関する問題だけが不当にわくが狭められているような気がする、いわゆるほかのものと一律の取扱いを受けでないというような感じを持たれたことを意味するのですか。
  237. 下村寿一

    下村証人 お答えいたします。その通りでございまして、似たようなケースがほかに幾つも出たのであります。一例を申しますと筑波山であります。これも全山になつたのでありますが、あそこにもいろいろな公益上の施設がありますけれども、各スポツトスポツトにいろいろ行場とか、あるいは祈祷所とかなんとかいうものがある。そういうものをみな含めて譲渡になつて、これは早く決定したのでございます。そういう先例もありますから、先例に対比いたしましてやや厳格過ぎるというような感じを持つた次第であります。
  238. 山中貞則

    ○山中(貞)委員 そうしますと、これは感じの問題に移りまして、答弁はまことにお気の毒だと思うのですが、そのときに、そのような異例の取扱いと思われるような措置がなされて参りましたこの浅間神社については、大蔵省が、いわゆる正しい取扱いと申しますか、今まで整理された案件通りの、大体常識通りで考えられる程度の、いわば、一方神社から言うならば、当然の権利といいますか、法律に基いて許される範囲を狭められているという感じ、すなわち、浅間神社の要求されているものに対して大蔵省はどうも冷淡というか逆に強く出て権利を少くさせようとするような動きがある、そういうような感じは持たれなかつたですか。
  239. 下村寿一

    下村証人 その点は、大蔵省が特別に何か浅間神社のために不利な処分をするというようなことではなかつたように思うのです。というのは、当時の管財局長も、これは会議を中止した座談会のようなときだつたかと思いますけれども、もう少し何とかした方がいいだろうというようなことを言われたような記憶もあります。それで、最初の四百九十何坪を約百倍に増すことにつきましても、大蔵当局はさほど難色がなかつたように思います。
  240. 山中貞則

    ○山中(貞)委員 その最初の決定をされるまでに四年九箇月ぐらい皆様方の審査会のところで時日を費しておるようですが、そういうことについては原因がございますか。
  241. 下村寿一

    下村証人 その年数は、私、はつきり覚えませんけれども、これはとにかく難件なものでありますから、何回も会議にかけたように思います。これは最後にまわされたというので自然長くかかつたかと思うのです。
  242. 山中貞則

    ○山中(貞)委員 この問題が皆様方の立場においても難件であり、そしてまたわざわざ行政監察委員会で取上げられているということは、その最終決定についても特別に国民の耳目が注がれているということであつて、難件だと思うのでありますが、こういうふうに国民がある意味においていわば疑惑を持ち、あるいはまた不審に思い、また問題が紛糾しておるということの諸原因は、かんじんなあなた方の審査会の決定の仕方が、たとえば第一回の決定をしておいて、先ほども委員長から質問になりました通り現地に視察に行つたとか、その視察に行かれたことについては先ほど御答弁がありましてやや了解いたしたわけでありますが、そうしてまた、異議申請があつた場合にすぐそれが短時日のうちに今度は神社側の要求通りに近い、ほとんどそれをのんだような答申をしておられる、そういう点なんかが、審査会はどうもこの問題にはぐらぐらしているのではないか、公平にやつているのだろうかという疑問を持たれるわけでありまして、これがてきぱきと順序通り進んで、最初から正しい線が打出されておる、またあるいは、最初に打出した線が途中で変更されていたりしなかつたならば、決して国民にこういう疑問を与えなかつただろうと思うのであります。二回目の最終の決定を皆様方が出されたときには浅間神社関係の猛運動があつた、その運動についてはいろいろ形もありましようが、単なる陳情はあまり猛運動ともわれわれの仲間では呼んでおりませんので、どういう運動か知りませんが、そういう猛烈な運動の後にこれが急遽変更されたというようなうわさ等もあるわけであります。でありまするから、先ほどのあなたの委員長に対する答弁の中で、ぐらぐらされたように国民が感じたそのものについては、だんだんぐらぐらでない真相がわかつて来たようでありますけれども、しかし、これが猛運動によつて変更されたかどうかについてはまだはつきりしておりませんが、皆様方が受けられた運動というものは、審査会の決定に影響のあるような運動であつたかどうか、お教え願いたい。
  243. 塚原俊郎

    塚原委員長 下村君、たびたび御注意申し上げますが、ひとつ大きな声でやつていただきたいと思います。
  244. 下村寿一

    下村証人 さつき申し上げましたように、一応四万九千何がしの線で納まれば、行政処分のことだからそれでよかろうと委員考えたのであります。なめらかに行けばそれでいいのだ。ところがそう行かないということになつたものですから、そうすれば、これは当然訴願も起つて来るだろう、それから訴訟問題にもなり得る、これはいわゆる法規処分的に法規の原則通りに決定しなければならぬ、こういうふうに委員たちは皆考えたのであります。初め裁量の決定があつたのでありますけれども、今度は合法的に処理しなければならぬということを考えまして、そうしてそういう面でいろいろ研究をいたしました。ところが、法律上の要件は完全に備えておる。そうすれば、やはり申立ての通りにしなければならぬのじやないだろうが、こう感じたのでございます。その間双方からいろいろな陳情がありました。山梨県側も知事を初めとして他の市町村その他の方もいろいろ運動をされたのであります。知事はあまりなさらなかつたと思いますが、地元の市長その他の運動がありました。けれども、その間、私は断固として明言いたしますが、何ら請託とかなんとかということはありません。一応なるたけ円満に収めたいという考えで臨んだが、それがいかんから、法規処分でやつて行くよりしようがなかろう、われわれがもし曲つたことを何か決定すれば訴訟になる、訴訟になるというときに、われわれの決定がくつがえされることはとうてい忍びないということを考えたのでありまして、終りの方の早くなりましたのは、官制が一ぺんなくなりまして、そうしてまた昨年の十二月まで延びたのであります。そういう関係から、急遽ごたごたしたというような点はあつたろうかと思います。
  245. 山中貞則

    ○山中(貞)委員 そうしますと、よくわかりました。最初は、大蔵省から原案を出されて、みな奇異に受取つた感じから出発したものだから、神社側の申請というものはそのまま受取られるように直接持つて行かれなかつた、しかし最後には、結局これは純粋に法的な基礎によつてのみ解釈をして結論を下そうということになつて、最終の決定がなされだということでありますか。
  246. 下村寿一

    下村証人 その通りであります。
  247. 北山愛郎

    北山委員 二、三お伺いしますが、審査会においてあとの訴願の際に審査をなさつて答申をされた場合に、その答申書の中には、意見として、富士山頂の訴願の目的について公用または公益上必要な土地を除きこれを訴願人に譲与するのが適当である、こういうふうに書いていますが、そういたしますと、公益上という問題については審査会は十分な検討をしなかつたのであつて、その分は大蔵大臣の認定にまかせたのである。こういうふうに考えてよいわけですか。というのは、先ほどのお話の中には、この問題についてはどうも法律上あるいは政令に基く要件を全部具備しておるので神社側の方にこれの譲与を受ける権利があるようであるというふうに、あらゆる一切の要件を審査会では検討をしたのであるというふうなお話がございましたが、しかし、実際には答申書の中では条件をつけておるわけなんです。公用または公益上必要なる土地を除きというふうな条件をつけておりますので、その部分については主務大臣の認定にまかせたので、審査会としては考えはないのだ、こういうふうな答申でありますか。
  248. 下村寿一

    下村証人 それはそうではありません。この公用または公益上必要なる土地というのは、参道がおもでございます。登拝の道でございます。それから、あそこに中央気象台の測候所があります。無線電信の中継所があります。そういうものがありますので、そういうものは当然これは除かなければならぬ、こういう意味で公益または公用に供しておる土地を除く。その坪数がはつきりいたしませんのは、これは調査の元がないものでありますから、何坪を除くということは書いてありません。そういうものを除くという意味でございます。
  249. 北山愛郎

    北山委員 それから、先ほどのお言葉の中に、信教の自由を尊重しなければならぬというようなお話がございました。この問題と信教の自由ということとは、この富士山頂八合目をいわゆる神体山信仰宗教であるからこれはやらなければならぬかどうかということとは別でないかと私どもは思うのですが、しかしお言葉によりますと、何か向うの請求しておる八合目以上というものを神社にやらなければ信教の自由を害するようなおそれがあるというふうなお言葉で受取れたのですが、そういうふうにお考えですか。
  250. 下村寿一

    下村証人 それは、私から申し上げるまでもなく、憲法で無条件に信教の自由は保障してありますので、その保障の中には宗教上の信仰、伝統、慣習というものを尊重する、これは国権といえどもみだりに干渉しないという意味が含まれておると、こうわれわれは解釈をいたしておつたのでございます。
  251. 北山愛郎

    北山委員 その伝統であるとか、その信仰の内容には干渉しないということと、それから、その神社なら神社が具体的な財産を要求しておる、それを断わることとは、別個の問題じやないかと思うのですが、その辺はいかがですか。というのは、たとえば太陽なら太陽でもよいのですが、かりに私の服装というものをたれかが信仰しておる、ああいいものだと拝んでおるとします。それは信仰の自由ですから、だれが拝んでも一向かまわないのですが、しかし、そのものはおれの信仰の対象であるからおれのものにしなければならぬのだといつて、私の着物を持つて行くということになれば、私としては問題だと思うのです。だから、その信仰の自由ということと、それからその財産上の自由ということとは別個じやないか。それを審査会ではこの審査の答申をつくる際に混同して考えておられるのじやないかという疑問があるのですが、その辺はいかがですか。
  252. 下村寿一

    下村証人 それはまことにごもつともなことだと思います。われわれもそれは考えました。土地の所有権の問題と、それから宗教上の信仰の問題と、両面から考えて行かなければならぬ。だから、ただ財産所有権の問題だけとしては考えずに、両方からにらみ合せたのでありますが、とにかく数万の信者の団体を持つておる信仰、伝統をなるべく傷つけぬようにしたい、そういう考え方があつたのであります。
  253. 北山愛郎

    北山委員 その問題は、先ほど来いろいろ質疑されておるところで、非常にむづかしいところですが、その程度でやめます。  最後に、この答申書につけられた誓約書でございますが、これはどなたがおつくりになつたのですか。
  254. 下村寿一

    下村証人 これは、国家が将来八合目以上の管理についてある程度の発言権を持つように誓約書を徴することが必要だということで、誓約書の案は大蔵当局がつくられたものかと思つております。審査会はその内容まできめなかつたのであります。
  255. 小林信一

    小林(信)委員 証人にお伺いしますが、審査の仕方についてわれわれ非常にふに落ちないところがあるのですが、実際問題としてお答え願いたいと思います。というのは、ほかのものは大体貸し付けてあつたものが全部譲渡されておる。そうすると、ほかのものはほんとうに寛大に取扱つて、そして富士山というものは、国民感情というような点で、一神社に払い下げることは至当でないという意見が多く出たから、これだけは少し慎重に扱つたというような意向も感ぜられるのですが、また今の証人のお話をお聞きしますと、こういうふうな点も考えられる。大体地方の財務局で調査して来て、これこれを払い下げるのが至当であると言うと、それを審査会がのんで、ただ審査会というものを通過することによつてその払下げに一つの納得をさせるとか、あるいは権威づけるとかいう形で審査会は終つていなかつたか、こんなふうな印象も受けるのですが、実際はどうだつたのですか。そこらへんをひとつ詳しく御説明願いたいと思います。
  256. 下村寿一

    下村証人 大体は原案を尊重いたしましたけれども、審査会において修正をいたしましたものも相当ございます。その件数を私記憶いたしておりませんけれども、毎回二件か三件くらいはあつたように記憶しております。必ずしも大蔵省の原案を権威づけるために審査会が審査したのではなく、かねり修正をしたものがございます。
  257. 小林信一

    小林(信)委員 そうすると、やはり審査会の性格、使命というようなものを十分お感じになつて、地方の財務局から調査しておつたものは一素材としてこれを慎重に検討したということに考えられるわけですが、そうしますと、この富士山頂の問題については、当初東海財務局から出されて来た原案というものを大体了解して――了解してというか、それと同じような結末で終つておる。     〔委員長退席、長谷川(峻)委員長代理着席〕 ところが、その後訴願が出て、再度審査会にかけられた場合には、その内容は全然かわつたものになつて出て来たということになると、今度は審査会そのものの審査の経過あるいはまたそれから生れて来る審査会の権威というものが非常に国民の疑問の的になるわけです。そういう点については証人は確たる信念を持つておいでになると思いますが、その点の経緯を御説明願いたいと思います。
  258. 下村寿一

    下村証人 その点は、さきにちよつと触れて申し上げておきましたが、最初の原案が適当でないと考えまして、一応修正しました。約百倍に広げた。それで、その神社が納得をする、神社の請求権を放棄するということになればそれでよろしいという、まあ行政処分のことでありますから、それでよろしいと考えたのでございますが、本来なれば、当初から八合目以上全部神社に譲渡すべしという答申をした方がよかつたかもしれません。それは今日でも私それを考えるのでありますが、しかし、そうも行かなかつた。大体原案というものはなかなか強いものでございまして動かすことが困難なのでございますが、まあ一応それで動かして、広げて納得すればそれでよかろう、こう考えたのでございます。そういういきさつがありますから、ちよつと奇異にお感じになるかもしれませんけれども、そういうことであります。
  259. 小林信一

    小林(信)委員 ちよつと、そこら辺がはつきりしないのです。最初私が軽くお尋ねしましたときに、審査会はそんな簡単なものじやない、ほんとうにその使命に立つてつたのだ、こういうふうな御回答があつたのでございますが、今のお話の中では、原案というものは非常にきついものだ、こういうふうなことをお聞きしますと、はからずも、富士山頂の問題では、そういう強い権威を持つた原案であつても、これが問題の紛糾することを考慮し、神社側の納得の行く点も考慮して、われわれはこれに対して善処したというお話なんですが、そうすると、やはり審査会というものは、最初私が疑問に思つたように、原案というふうなものに左右されて、たまたま富士山頂だけの問題がそうでなかつたというような印象を受けるのです。そこで、あらためてお伺いするならば、何ゆえ審査会は最初決定したものを紛糾することを考慮して第二回の決定というふうなものにしたかということなんです。それについて下村証人としてのお考えがあつたらお伺いしたいわけです。
  260. 下村寿一

    下村証人 純然たる法律上の問題になりますと、これはどうしても神社側の請求を認めなければならぬという結論になるだろう、訴願の裁決だけで最終の決定になればいいのですけれども、そうじやなく、訴訟の対象にもなるという場合に、審査会の答申が訴訟でくつがえされることは審査会としても自己の権威を保つ上において許されないということを考えたのでございます。
  261. 小林信一

    小林(信)委員 それは非常に私たちの納得できないところです。法律法律通りにやるならば、再度出した決定でよかつたのだ、こういうお話なんですが、やはり法律というものを審査会は最も重点として御審査になつて最初の答申案というものも出たのだろうと思うのですが、その点はいかがですか。最初のは法的なものでなくて、何か妥協的なものであつて、審査会としての信念的なものでなかつた、再度出したものは法律を根拠として決定を下したのだという御説明に承つたのですが、そこをはつきりしていただきたいと思います。
  262. 下村寿一

    下村証人 われわれ審査会は行政処分のことについて諮問を受けておりますので、行政処分というものは、それだけのゆとりのあるものだ、双方納得してうまく行くならばそれでよろしい、いわゆる裁量でやつて行くのだとわれわれは考えたのであります。しかし、これが訴願の対象になり、訴訟の対象になるということになれば、これは純然たる法律問題になる、その場合にはわれわれはまた考え直さなければならない、さもない限りはなるべく平地に波瀾を起さないように穏やかにまとめて行きたいと考えたのでございます。その考えが間違つておるか知りませんが、私どもはそう考えてやつたような次第でございます。
  263. 小林信一

    小林(信)委員 大体それで下村証人の審査委員としてのこの審査会に対するお考えというのは了解をいたしました。結局それは、法律というものはあまり考えずに、妥協するというふうな点を考慮して、あまり紛糾しないように問題を持つてつた、こういうふうに承るわけなんですが、これが各審査委員のお考えであるかどうかはちよつとわかりませんが、この審査会に対するところの権威というものを国民が認めないその原因は、やはりここにあるのじやないかと思うのでございます。従いまして、先ほどあなたの御説明の中にありました、その後陳情が非常に多くなつたとか、あるいはこれが将来行政訴訟になつてはならぬから、調査もしたり、再度視察もしたりしたというふうなことになつた、こう考えてもよろしゆうございますか。
  264. 下村寿一

    下村証人 その通りでございまして、最初の決定をいたしましたあと、管財局長が神社当局に話をされたことがあつたように聞いております。私はその際立ち会わなかつたわけですが、それで円満に納まればけつこうだと思つてつたのでありますが、それがそうは行かなくなつた。そうすれば、これは純然たる法規処分の問題として考えなければならぬ、こういうふうに考えた次第でございます。
  265. 小林信一

    小林(信)委員 先ほどの御説明によれば、その視察に四日間費されたわけでございますが、その四日間は大体どんな内容を視察され、どんなふうに経過したか、その点をちよつとお聞きしたいと思います。
  266. 下村寿一

    下村証人 最初富士浅間神社に参りました。これは社殿の構造が特別な構造になつているということを説明で聞いておつたのでありますけれども、実際にはわれわれ承知しなかつたのであります。それで、あの社殿の構造を調査をいたしました。そういたしますと、あそこには主神がおまつりをしてないのでございまして、社殿のうしろとびらがちやんとあけるようになつておりまして、そしてそこから富士山を拝むという独特な構造を持つておるところを見たわけでございます。それから、その富士浅間から距離にしまして一里半か二里くらいで、富士山の一合目か一合半くらいのところだと思いますが、そこに山宮という小さなほこらがありますが、そこもやはり社殿はなく、拝殿があるだけでございまして、富士山をそこにお迎えするのです。それから、その山宮から富士浅間の方にまたお移しをするというようなことが数百年来の伝統的祭事になつておるというような状況が、それらのものにつきましてよくわかつたわけであります。それから、なおできるだけ上まで、八合目に近いところまで行きたいというような考えもあつたのでありますが、雨も降り、道もとうていそこに登ることを許しませんので、二合目かそこらまでしか参らなかつたわけであります。それから、周辺の行場であるとか、祈祷場であるとか、いろいろな宗教施設があるということは、これはずつとまわつて見なければわからないということでございましたから、西麓からずつとまわつて、あそこにこういうところがある、たとえばあそこに光沢の渡しの行道があるのだ、ここに何があるのだということの説明を第二日目に聞きました。それから山梨県側の方に吉田浅間という神社がございます、これも相当の大社でありますが、そこに参りまして、社殿の構造その他を詳しく調査をいたしました。それから東麓の方をまわりまして、また大宮に帰ろうという何もありましたが、予定を変更いたしまして、ほかの場所にとまりまして、そこで会議をやつたわけであります。不十分でありましたが、とにかく一応できるだけの調査はいたしたのでございます。
  267. 小林信一

    小林(信)委員 そうすると、先ほど来からも大分話が出ておつたし、それから宮司の主張するところも今証人のおつしやるところと合つておるところがあるのですが、とびらをあけてみると富士山が見えるということは、やはり審査委員の方たちが最後の答申案を出す最も重要な要件になつたわけでございますか。
  268. 下村寿一

    下村証人 神体山であるかどうかということを決定するには一つの重要なポイントだと思います。ちよつと例をあげて申しますが、大和に大神神社という、ちようどこれと似た神社がありますが、やはり本殿はなく、拝殿があつて、そこに鳥居があり、有名な倭大物主櫛甕玉命を崇敬しておる。それと同じ形と思います。     〔長谷川(峻)委員長代理退席、委員長着席〕
  269. 小林信一

    小林(信)委員 そうすると、八合目以上を神社に払い下げるということは、結局それが御神体であるというところからその意見を出されたことになるとも考えられるわけですが、先ほど大蔵省の管財局長に、国有地払下げの場合に適用される法律から考えて意見を聞いた場合に、御神体であるから払い下げるということはない、やはりそれは宗教活動に必要なものである場合に払い下げるのだ、それは決して御神体とかなんとかいうことじやない、境内地ということも法律ではうたつていないのだというようなことまで言われたわけなんですが、その点、御神体であるなら払い下げるべきであるということになるのか、それから、八合目以上という区分されたものだけではたして御神体というものが完全になるかどうか、この二つだけお伺いします。
  270. 下村寿一

    下村証人 御神体であるから譲渡するということではないのであります。勅令の第五号に尊厳保持のために必要なる場合というのがあります。すべての神体山はそれの適用を受けまして、その尊厳保持のために必要な場合という解釈で譲与なつております。富士山もその例によつて処理されたのでございます。  それから、八合目以上だけということで神体になるかどうかということでございますが、われわれもそういう疑問を持ちましたけれども、昔から万葉とかなんとかで全部を天の神山と言われたそうであるが、われわれはそれをそのまま認めるわけには行かない。やはり古文書で判定のできる範囲しか認めるわけには行かない。慶長以来の古文書等を見まして、八合目以上というふうに認定したわけでございます。
  271. 小林信一

    小林(信)委員 最後にまとめてお伺いいたしますが、最初証人お答えは、なるべく問題を起さないように処理するという見解からしてこういうところにおちついたという点も主張されておるし、それから、今、一部でございますが、視察した結果等から、こういう理由で八合目以上を神社の領有とすることを認めるというような結論を出したともおつしやられたのですが、あとの方の視察の方は、あなたのいろいろな証言からすれば、前の方の問題の筋を立てるためにつけ加えたにすぎないというような印象を受けるのですが、その点、証人はどういうふうにお考えになりますか。
  272. 下村寿一

    下村証人 いろいろな文献で調査をいたしまして大体の見当をつけておりましたけれども、やはりこれは一応視察をした方がよろしいというように考えられたわけでございます。こういう例はほかにもちよちよいとございました。問題のあるところは、一応見当はついておるけれども、なお調査に行つたということがありまして、富士山もその例にのつとつたのであります。
  273. 鈴木正文

    鈴木(正)委員 審査会の運営、それから経過等についてはかなりまずいところがあつたと思う。まずいところという意味は、不純とかそういう意味では決してありません。そういうことはさしておりませんけれども、運び方その他には不備な点がたくさんあつたと思います。時間がありませんから、私はそれらのことは一切省いて別の機会にいたしますが、お聞きしていると、結局法律上の通りにやればそういう結論になるのだ、こういうお説のように思います。そうして、きわめて技術的な面をあげて、その持つて行き方は今申したようにまずかつた、だんだん切売りにして、一番しまいはでつかいものにして、そうして根拠を聞いてみると、古文書を調べた、しかし主たるものは、大神神社へ行つてのぞいて、みたら、うしろに山が見えた、そういうところから始まつて、だから神体山と確認せざるを得ないというような話にも聞えます。それから、先ほど大蔵省の局長も言われ、あなたも言われた公益という問題、これを全然ネグレクトしていいのだということはどなたもおつしやらない。考えたということを言つておりますが、結論から言いますと全然考えておらない。最後は、八合目以上百数十万坪はそつくり御神体とする、こういうことになつております。その決定において公益という問題を考えても見ましたと言うだけは申しておりますけれども、ほんとうに考えたならば、それはかなり具体的に結果の上に出て来なければならぬ。しかも別の法律に書いてあるのではないのでありまして、この法律には譲渡の手続その他こまごまと書いてあり、同時に、公益という問題の面からも、これは一つのチエツクというよりは、こういう意味で考えなければならぬということを同じ法律に明らかに書いてある。憲法の宗教の自由云々ということを言われましたが、それはその通りでしよう。しかし、憲法には、御承知のように、一切の権利やその他は、公益と著しく衝突し、これを阻害しない範囲において認められるのだということも書いてございます。あなたのおつしやつた宗教の自由についての憲法上の考え方について別に反駁はいたしませんけれども日本の憲法というものは並行的に公益というものを大きく取上げて、そうしてそれを軽重なく、ある場合には最終的には公益の方が優先するという精神のもとに憲法の全体は書いてあるはずであります。それならば、この際は公益は何であるか。国民感情というものをひつくるめて広い意味の国民全体の感情の問題、これは、役所の人たちがそれらの訴訟をする場合に、きわめて間違いのないようにやつて行くときには、そういうやり方もとれると思いますけれども、大局の上に立つて宗教の問題、国民全体の問題というふうなものを考える際においては、もう少し広い視野の上に立つて結論を下すべきであつたと思います。審査会がもうなくなつておりまして、これはどうにもしようがないことでありますけれども、結論としてこの際心境をお聞きしておきたいのは、なるほど神体山の説もそうでありますけれども、あの最終的に審査会がつけた結論の中には、もう一つの重要な公益というものについて、事実上はほとんど何らの考慮なしに、途中で考えてみましたという説明がついておるだけであつて、そうして結局は法律上の一つの手続上の方面だけを重視して結論をつけておるというように考えられるのであります。今なくなつた審査会の結論をかえろと言つておるのではありませんけれども、当時のほかの委員の方たち全部にお聞きしたのではないから言い切れませんが、御説明をお聞きしておると、少し細部にわたつた。いわゆる専門的にわたつた宗教問題あるいは法律の技術的な面を考えたことは、間違いではありませんけれども富士山のような大きな問題を取扱うには、もう一つ公益に対する考え方が足りなかつたと思う。たとえば、大和の大神神社はそつくり云々とさつき言われましたが、それはいわゆる神体山としての神社の構造においてそつくり云々であつたのでありましようから、だからその結論を富士山においてもつけていいという飛躍的の結論にはなつて来ないと思います。なくなつた審査会に今からどうこうと言うのではありませんが、感想でよろしゆうございますから、公益の問題についてもう少し考え方をお聞きしておきたい。
  274. 下村寿一

    下村証人 ただいまの問題は審査会においても非常に考えられたのでございまして、少数意見に、国民感情は公益と見なしてよろしいという意見もありました。けれども、多数の委員は、法文に書いてある公益というのは具体的な現実的なものをさすんだ、抽象的な概念をさすのではないという意見でありました。それから、かりにそれが公益であるといたしましても、あなた様もおつしやいましたように、著しく公共の福祉を害するということであれば信教の制限をしてもいいが、かりに富士浅間がそれを持つておりましても、必ずしもそれが著しく公共の福祉を害するという心証は得られない、今まで通り公私は考配できる、それから公益の施設についても、将来も政府が管理して発言権を持つ、それから国立公園法や文化財保護法の適用も受けるから、これは浅間神社に与えたところが著しく公共の福祉を害する心配はないということで、十分その点は考慮いたしたのであります。
  275. 鈴木正文

    鈴木(正)委員 議論にわたりますのを避けましてもう一点だけ。公益を十分考えるということが審査会において重要な問題として取上げられたとおつしやいましたが、当然だろうと思います。取上げられないはずはないと思います。そして審査会においては少数意見であつたという。けれども、御承知おきを願いたいのは、審査会においては少数意見であつたかもしれないが、全国民的にはそちらの方が大多数の意見になつておるということも十分考えていただきたい。しかし、今申しましたように、今後の措置は大蔵省なり政府当局の問題でありますから、私は、その少数意見というものはそれを国民全体の中にひつぱり出せばその反対になるということを申し上げまして、これから先は議論になりますから、あなたに対する質問はこれで終ります。
  276. 山田長司

    ○山田(長)委員 国のこの貴重な財産の払下げについては中央審査会がその面に当つておられたわけでありますが、しかもそれがなくなつた今日にとやかく申し上げるわけではないのですが、この中央審査会委員の中に払下げを受ける立場の人々がおられたということは、何かしらそういう点についてわれわれとして疑問を感ずるわけなのであります。あなたは、証人として、審査に当る期間中何かこれらについて少しまずいんじやないかというような印象をお持ちにならなかつたかどうか、これをひとつ参考に伺いたいと思います。たとえば、日光の東照宮の場合とか、あるいは鶴岡八幡宮の場合とか、これはみな利益を受ける立場に属しておつたわけでありますが、これらについて何かまずいんじやないかというようなことを考えられなかつたかどうか、参考までに伺つておきます。
  277. 下村寿一

    下村証人 今お話の日光の方は、今回の問題の前に国有境内地還付に関する件で解決しておつたかと思います。国有境内地還付問題は、主として社寺関係でありますから、利害関係の代表者、学識経験に富んでおるという方がいつも委員に任命される例になつておりますが、格別そのことをどうとも感じなかつたのであります。また審査中はおおむね公正な意見を述べておられまして、無理な要求は進んで押えるというようなことをやつておられましたから、そのために不都合があつたとは別に感じておりません。
  278. 山田長司

    ○山田(長)委員 私がなぜあらためてどういう問題をお伺いするかと申しますと、時価に見積つて大体数億円に上る立木を持つておる神社があるわけであります。これらはことごとく、別に法規に従つて許可をもらつていないと思つておりますが、それを盛んに伐採しておる。こういう事態がありますが、審査会が廃止されたあとでこれらについて何らかの指示を与えるわけには行かないと思いますが、審査会がなくなつたあとといえども、国民が尊敬している神社の立木の伐採について何らかの指示を与えられぬものであるかどうか、参考のために伺つておきたいと思います。
  279. 下村寿一

    下村証人 伐採のことは、御神木の伐採もありましようし、いろいろありましようが、今日は社寺が自分でやることはしかたがないのであります。元は御承知の通り府県知事の許可を得るということもあつたのでありますが、政教分離の結果、一切そういうことには官憲はタッチしないということになりましたから、これは社寺の良識によつてやるよりしかたがないと思つております。
  280. 塚原俊郎

    塚原委員長 ほかに御発言がなければ、下村証人に対する尋問はこれにて終了いたしました。  証人には御苦労さまでございました。     ―――――――――――――
  281. 塚原俊郎

    塚原委員長 国有財産管理処分に関する件(富士山頂払下げ事件)につきまして森本証人より証言を求めることにいたします。まず委員長から概括的に証言を求め、続いて、各委員から証言を求めることになりますから、さよう御承知ください。  森本さん、略歴を簡単に述べてください。
  282. 森本潔

    森本証人 明治四十四年一月十八日生れ。昭和十年内務省に入りまして、以後地方庁及び内務省に勤務いたしまして、昭和二十一年から厚生省に参りまして、現職につきましたのが昭和二十六年十一月一日でございます。
  283. 塚原俊郎

    塚原委員長 富士山頂は国立公園の中で特別地域というものになつておりますが、特別地域というのは一体どういうものなんでしようか。
  284. 森本潔

    森本証人 国立公園の地域は広大でございますが、景観の重要性あるいは利用の重要性という点からいたしまして、三つの区域にわけております。一つが普通地区と申します。第二が特別地域、第三が特別保護地区と呼びます。普通地区と申しますのは、現状変更の行為をする場合には届出で足る。その届出がありました場合、適当でない行為がありましたならばこれに禁止制限をするということだと思います。あまり重要でないところであつて、自由に現状変更してさしつかえないというような地域であります。それから、次の特別地域と申しますのは、これは非常に制限のやかましいところであります。法律にも書いてございますが、木竹の伐採、工作物の新築、改築、増築、それから鉱物の採掘、それから水量水位の変更を及ぼすような行為、これらの行為をいたします場合には厚生大臣の許可を受けるようになつております。その行為が風致上あるいは利用上支障ない場合は許可をし、支障のある場合は許可を与えないという扱いにいたしまして、風致上それから利用上必要な施設を最もいい方法でつくる、こういうようになつております。それから、第三番目の特別保護地区というのがございますが、これは公園の中でも景観上一番大事なところでございまして、原則として現状変更を認めないという地域でございます。そこで禁止されております行為は、先ほど申し上げました特別地域内の許可事項のほかに、きわめて軽易な事項につきましても、たとえば物件を堆積するとか、たき火、火入れをするとか、植物を採取するとか、動物を捕獲するとか、あるいは燃焼しやすいものを貯蔵するとか、こういうごくささいな行為までも許可事項なつておりまして、その扱いとしましては、原則として現状変更を認めない、こういう扱いになつております。  それで、富士山頂は現在は特別地域の扱いでございます。富士箱根国立公園の中の重要な地域としまして特別地域の扱いにしております。なお、この山頂部一帯は目下特別保護地区に指定する予定でございまして、関係各庁と協議中の状況でございます。
  285. 塚原俊郎

    塚原委員長 特別保護地区というのは、富士山の八合目以上をするのですか。
  286. 森本潔

    森本証人 五合目以上と考えております。五合目以上が大体あそこでは森林限界と申しまして、木のはえないところでございます。高山植物、高山性の動物というのがございますが、五合目以上を考えております。
  287. 塚原俊郎

    塚原委員長 五合目以上を特別保護地区に指定する準備をされておると申されますが、それが指定になれば、一体どういうことになるのですか。
  288. 森本潔

    森本証人 先ほど申し上げましたように、特別保護地区になりますと、原則として現状変更は認めないという扱いになります。ただし、公園としての利用上必要な最小限度の施設は認めます。もう一度申しますと、公園の利用上必要な最小限度の施設は認めるが、それ以外の現状変更をする行為は原則として認めない扱いになる、こういうことであります。
  289. 塚原俊郎

    塚原委員長 富士山頂の国有地を厚生省に所管がえをするように大蔵省に要求しておるということを聞いておりますが、そういうことはございますか。
  290. 森本潔

    森本証人 昭和二十六年の十二月だつたと思いますが、厚生大臣名で大蔵大臣あてに所管がえを要求いたしました。
  291. 塚原俊郎

    塚原委員長 どういう理由で所管がえを要求されたのですか。
  292. 森本潔

    森本証人 わが国の国立公園は、国有地、公有地、民有地等いろいろ含んでおりまして、国立公園とはいいながら、完全に国有地ばかりではないのでございます。国立公園法の施行令の十四条によりますと、国立公園の区域内の雑種財産、普通財産でございますが、それは特別の事情のあるものを除いては厚生大臣に移管するという規定がございます。と申しますのは、雑種財産で、しかも公園として必要なものは国が、国立公園である以上は国が管理をするのが一番いい、こういう法律の精神でございますが、現在あの場所は普通財産の扱いになつて国有地になつております。しかも富士国立公園の中で一番大事なところである。しかも産業上の問題等も何もない。もつぱら公園の目的に供してしかるべきところであります。その法律の規定もございますので、完全な国有地として、しかも厚生大臣が所管するところの公共用の新しい財産として、公園の目的に永遠に供するのがいいではないだろうか、こういう見解でございます。
  293. 塚原俊郎

    塚原委員長 国立公園法によりますと、景観維持等のため必要があれば民有地の所有権についてもこれを制限することができるようになつておりますが、そういう場合、富士山についても必ずしも国有地にしておかなくてもいいということも言えるのじやないでしようか。
  294. 森本潔

    森本証人 わが国の国立公園の制度上は、民有地に対しましても非常にやかましい制限を加えております。従いまして、富士山頂が私有地でありましても、法律の適用は、これはできるわけでございます。しかし、実際の運用の面から見て参りますと、私有地に強い権利の制限を加えるということは、法律上は可能でありましても、実際上は困難である場合が非常に多いのであります。私たち国立公園の仕事をやつておりまして一番困りますのは、私有地につきまして木竹の伐採とかあるいは自分の欲するような建物を建てたいという許可願が参りますが、景観維持という面から見ればそれはやりたくないという場合に、民有地でありますと、法律の規定は規定といたしまして実際にこれを活用することが非常に困難であります。かりに活用いたしまして不許可の処分をいたしますと、それに対して行政訴訟とかあるいは損害賠償とかの非常に複雑な問題が生じて参ります。それからまた、施設の整備等につきましても、国有地でございます、施設の整備が簡単に参りますけれども、さもなくて、民有地の買収でありますとか、あるいは借地でありますとかということになつて参りますと、なかなか簡単に参りがたい。土地収用法を活用すると、これに対する行政訴訟の問題あるいは損失補償の問題というようなむずかしい問題がございまして、運用上非常に困難でございます。従いまして、現在の国立公園の指定に際しましては、私有地はなるべく除き、国有地と公有地を区域にとる、こういう方針で参つておりますが、万やむを得ない場合には私有地も入つておりますけれども、大部分は国有地と公有地という考えでございます。従いまして、私有地に対して法律上の規定が活用できるといたしましても、これが困難でありますので、民有地はなるべく除く。また、民有地に対しましては実際の運用がむずかしい。従いまして、他の国立公園等もそうでございますが、国立公園の利用上重要な基地になるところ、たとえて申しますと、中部山岳の上高地でありますとか、湯本でありますとか、あるいは十和田国立公園の休屋というような、利用上大事なところで、しかも景観上もいいというところは、国有財産でありましても、逐次農林省から厚生省に所管がえして参つておる、こういうふうな扱いになつております。
  295. 塚原俊郎

    塚原委員長 今どういうお考えなつておるかわかりませんが、今後富士山の山頂に対してあなたの方の省では何らかの計画はお持ちなんですか。どういうふうにしようという計画はお持ちでございましようか。
  296. 森本潔

    森本証人 国立公園になりますと、どういう事項を許可するとか、あるいはどういう施設をするとかいうことにつきまして計画がございます。これを国立公園計画と申しておりますが、一つは、たとえばこの区域は樹木の伐採は認めないというような景観保護のための計画、それからもう一つは、利用の施設を整備するための計画、この二つからなつておりますが、この国立公園計画というのは、厚生大臣が国立公園審議会に諮問いたしまして決定し、これを官報に告示するわけであります。それによつて施設の整備なりあるいは保護をはかつて参る、こういう扱いになつております。その国立公園計画によりまして、富士山頂の施設の計画はできております。それから、保護の方は、先ほど申し上げましたような特別保護地区として厳重に保護して参る。施設の方は、この施設の整備計画によりまして計画を決定いたしておりますが、その概要を申しますと、あそこはあまり施設をしないというような考えでございます。利用上必要な若干の宿舎の増設でございますとか、あるいは歩道をつくるとか、たくさん人が登りました場合に休憩する広場がいりますので、広場的なものを若干増設する、あるいは山頂部に便所でありますとか塵埃処理の施設でありますとかいう程度のものでございます。一応これは計画がございます。
  297. 塚原俊郎

    塚原委員長 どなたか御質問がございませんか。――ほかに御発言がなければ、森本証人に対する尋問はこれにて終了いたしました。  証人には御苦労さまでございました。     ―――――――――――――
  298. 塚原俊郎

    塚原委員長 小林行雄さんですね。
  299. 小林行雄

    小林証人 はい。
  300. 塚原俊郎

    塚原委員長 あらかじめ文書をもつて承知の通り、本日、正式に証人として証言を求めることに決定いたしましたので、さよう御了承ください。  これより国有財産管理処分に関する件(富士山頂払下げ事件)につきまして証言を求めることになりますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者が、その職務知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知なつておいていただきたいと思います。なお、証人が公務員として知り得た事実が職務上の秘密に関するものであるときは、その旨を申出願いたいと存じます。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読を願います。     〔証人小林行雄君朗読〕    宣誓書  良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  301. 塚原俊郎

    塚原委員長 それでは宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  302. 塚原俊郎

    塚原委員長 これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際にはその都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。まず委員長から概括的に証言を求め、次いで各委員から証言を求めることになつておりまするから、御了承ください。なお、こちらから質問をしておるときはおかけになつていてよろしゆうございますが、お答えの際は御起立を願います。  現在は文部省の調査局長をされておりますね。
  303. 小林行雄

    小林証人 さようであります。
  304. 塚原俊郎

    塚原委員長 略歴を、簡単でいいですから述べてください。
  305. 小林行雄

    小林証人 昭和十一年に東京帝国大学の法学部を卒業いたしました。地方官を四年ばかりいたしまして、昭和十五年に文部省に入りました。戦争中海軍の司政官として二年半ばかり南方で教育の事務に従事いたしました。終戦直前にもどりまして、爾来文部省でやはり教育の事務をいたしております。本年の八月末に現在の調査局長の任命を受けたわけでございます。
  306. 塚原俊郎

    塚原委員長 富士山の八合目以上を富士山本宮浅間神社が、昭和二十二年法律第五十三号によりまして、大蔵大臣あて譲与申請をしておる。これは御存じですね。
  307. 小林行雄

    小林証人 存じております。
  308. 塚原俊郎

    塚原委員長 これに対して文部省としてはどういうお考えを持つておられますか、文部省のお考えを申し述べてください。
  309. 小林行雄

    小林証人 富士山頂国有地処分の問題につきまして、主として宗教行政の立場から御証言を申し上げたいと存じます。  まず同神社沿革及び現状について申し述べます。  この富士山本宮浅間神社は、静岡県富士宮市に鎮座しておりまして、御承知の通り木花之佐久夜毘売命をまつつております。近年までは単に浅間神社と言つておりました神社でございますが、わが国全体に数多い浅間神社の根本の神社、すなわち根本社でございます。もともと社殿がなかつたのであります。木花之佐久夜毘売命の鎮座まします山そのものを御神体と仰いでおつたのでございますが、垂仁天皇のみ代に現在の山宮位置に初めて社殿が造営され、平安朝初期の大同年間に現在の位置すなわち富士宮市に移されたものと言われ、現在も富士山頂にその奥宮がございます。昔から朝廷の崇敬が非常に厚く、歴史によりますると、神社の位としては正三位を与えられておつた。それから、延喜の制度では名神として待遇をされ、国幣の大社に列せられておつたと言われております。また駿河の国の一の宮とされております。また武家の時代になりましても、幕府を初めといたしまして領主等の崇敬が深く、江戸徳川時代には将軍の代がわりごとに、朱印領八百七十六石余を受けることを保証されておりました。明治四年に官幣大社に列せられましたが、終戦後は従前のような神社の制度がなくなりましたので、宗教法人として神社本庁という教団に所属いたしまして、名称を富士山本宮浅間神社と改めたものでございます。  前に申し述べましたように、本神社は山そのものを御神体とする、いわゆる御神体山神社でございます。すなわち、富士山そのものを御神体とするものでありまして、その頂上八合目以上は浅間の大神のしずまりますところ、すなわち神座とされておりまして、浅間神社の御神体山として古来信仰の対象とされて来たものでございます。従つて、同社の御本殿は一般の神社と異なりまして、その御神体である富士山を遥拝するつくりにできておりまして、俗に浅間づくりと言われておる構造でございます。本神社本宮山宮及び奥宮からなつております。富士山頂八合目以上は現にこの奥宮境内地でありまして、このことは徳川時代にも、また明治時代にも従来確認されて来たところでございます。  なお、浅間神社に対する信仰とは別に、いわゆる民間の信仰といたしまして、富士山信仰の対象としておまつりし、富士山を霊地として、ここに登山いたしまして、修行をするということを本旨とする、いわゆる富士信仰のいろいろな教団がございます。それらの教団はいずれも、戦国時代末期に富士山に入つて修行をいたしまして、世の中の平安を祈つたと言われる長谷川角行の開いたものでありまして、その道を富士道と呼んでおります。その信徒は関東地方を中心として分布しております。江戸徳川時代富士講がその中心であります。現在その系統を引く教団といたしまして、扶桑教とか、あるいは実行教、丸山教等がございます。  前に申しましたように、富士山頂八合目以上の土地は浅間の大神のみたまのしずまります場所として、信仰の対象として崇敬されておる地域であり、奥宮社殿等の敷地として、その他宗教上の儀式または行事を行うために必要な土地として、信仰上からは欠くことのできない地域であると考えられます。現にこの地域につきましては徳川時代からの富士本宮浅間神社の支配権が認められ、また同神社の奥官境内地としてその使用が公に認められて来ておりまして、同神社宗教活動上必要欠くことのできない土地であると考えられます。  なお、神社の御神体であるいわゆる御神体山といたしまして、従来この社寺等無償で貸し付けてある財産の処分に関する法律により山全体が神社譲与されましたものが相当数ございます。その代表的なものといたしまして、奈良県の大神神社に対する三輪山、栃木県の二荒山神社に対する男体山、石川県の白山比咩神社に対する白山、茨城県の筑波神社に対する筑波山等がそれでありまして、現在では富士山だけが未決定のまま残つておる状況でございます。この点をあわせて考えますと、富士本宮浅間神社のみが他の神社に比べて均衡を失した処分を受けなければならないというふうには考えられないわけでございます。従つて、国の宗教行政上の立場から申し上げますと、神社存立の意義から申しましても、境内地処分についての御神体山神社の間の均衡上から申しましても、また他面社寺等無償で貸し付けてある財産の処分に関する法律の立法の趣旨から申しましても、本件に関して同法律の定める趣旨によつて境内地処分審査会が訴願裁決につきまして専門的な見地から慎重に御審議御検討の上された本件の御答申の線に沿つて大蔵大臣処分されることが望ましいことであるというふうに考えておる次第でございます。
  310. 塚原俊郎

    塚原委員長 委員諸君の中で御質問がありましたら、どうぞお願いします。
  311. 小林信一

    小林(信)委員 文部省の意見として、私は非常に意外な感じに打たれたのであります。今のは、あなた個人の意見でなくて文部省の意見だろうと思いますが、文部省の考えておることに非常に錯綜しておるところがあると思う。というのは、富士信仰の根本社として本宮浅間神社だけを述べられておりますけれども、必ずしもこの神社を通してだけ富士信仰が成り立つておるわけではないと思います。同じような神社が相当たくさんあり、しかもあの周辺を取巻いて同じような形でもつてたくさんの神社がある。この神社を通しての富士信仰の形態というものもこれはゆるがせにできないものだと思うのです。従つて富士信仰ということからして、文部省がそういう意見を述べることはどうかと思うのです。ただ、あなたの文部省として主張されるところは、結局、この本宮浅間神社に過去においてこういう実歴を持つておるからということで、先ほど慎重な審査会の審議の結果答申されたというふうなお言葉が出ておるのですが、これはきわめて儀礼的な言葉でございまして、私たちが伺つたところでは、文部省あたりが簡単にそういう言葉を使うべき筋合いでないような審査会の実態があるわけなんであります。あまり美しい言葉を使うと文部省の権威にかかわることになると思うのですが、結局この富士信仰という点は、文部省としては除かれたらどうかと思うのです。その御主張をなさるなら、単にこの神社が持つておる過去の実績からして宗教活動の必要上としてやられたらどうか。神社の構造なんかにいたしましても、あの付近にあります神社はみな同じような形態を持つておるし、そうして奥宮というふうなものを持つておる神社はほかにもある。そして富士山信仰するいわゆる富士講というようなものも、富士講でないものも相当にたくさんあるわけでございまして、別に登らなくても、富士山を崇敬する、あるいは信仰するものと言えるわけなのです。そう言えば、大体八千万全体がそういうものじやないかと思うのです。単に神社を通してだけじやないと思うのですが、そういうようなことも考慮して文部省としての御見解を述べられなければならぬと思うのですが、その点はいかがでございますか。
  312. 小林行雄

    小林証人 他にもこの浅間神社以外に富士信仰というものがあるのじやないか、であるから、そういうところにも国有地処分の権利がある、浅間神社だけにやるのはおかしいじやないかというふうに拝聴いたしますが……。
  313. 小林信一

    小林(信)委員 そう私は申しているのじやない。富士信仰というものを主張されておつしやることはどうかと思うのです。
  314. 小林行雄

    小林証人 この富士浅間神社につきましては、御承知のように沿革的な由緒的な関係がございます。従つて境内地処分に関する法律条件にぴつたり合つておるという関係がございまして、それ以外の富士信仰にはそういう適格がないというふうに考えるのであります。またそういつた浅間神社以外の富士信仰からは、譲与申請も出てないというようなことから、この浅間神社のみに譲与されてもさしつかえないというふうに考えておるのであります。
  315. 小林信一

    小林(信)委員 富士信仰はこのお宮を通さなければ適格なものでない、こういうわけですか。
  316. 小林行雄

    小林証人 この浅間神社を通じての富士山に対する信仰以外にも、やはり神社以外に富士信仰というものがございます。ですから、それはそれとして十分宗教として成立しているものでございます。
  317. 小林信一

    小林(信)委員 だから、あなたが先ほど述べられたものは、これは速記録でわかるわけなのですが、何か特定な神社を通さなければ富士信仰は成り立たないというような印象を与えて、そういう観点から、それを一つの要素としてここに譲与すべきであるという御主張のように承つたのですが、私はもつと富士山に対する実態というものを考えなければならぬと思うのです。  それから、これは別の面からですが、今富士山というものが、これを国有にすべきか、あるいは一神社に所有さすべきかという場合に、信仰の対象としてだけ考えて行くべきかどうか、こういう点は文部省としてはいかがでございますか。
  318. 小林行雄

    小林証人 もちろん、富士山は、信仰の対象としての面以外にも、たとえば学術の面、あるいは観光の面、その他いろいろな面からも有形の文化財として考えられると思います。ただ、この山頂の国有地が浅間神社譲与せられることになりましても、学術上あるいは観光その他の面に影響を及ぼさないようにすることは、処分の仕方によつてはできるのではないかというふうに考えておる次第であります。
  319. 小林信一

    小林(信)委員 今あなたがおつしやつたところが非常に重大な問題で、そこで実はこういう意見の対立もあるだろうと思うのです。往々にして、そういうところに譲与しても、これに特別な指定をして、国家もいろいろな制限を加え、あるいは指示することができるようにしさえすれば問題がないじやないか、こう言うのですが、一体神社等が所有した場合に、そういう風致の面からしてもあるいは学術研究の面からしても大事なところであるというところがどういうふうに処理されておるか、そういう点については文部省としてこの見解を出すまでに相当検討なさつての結果でございすか、お伺いいたします。
  320. 小林行雄

    小林証人 御承知のように、たとえば文化財保護法の関係から申しますと、これは特別名勝に指定されておるのであります。従つて、この現状の変更というようなことにつきましては相当制限がございます。また、これも御承知のことと思いますが、国立公園の地域にも指定されておりますので、その方面からの制約もございます。この学術の面あるいはその他の観光の面という点でございますが、学術の面につきましては、文部省も山頂にもいろいろ学術上の施設等もございます関係上、それに支障を及ぼさない範囲でこれは譲渡されてしかるべしというそうに考えております。
  321. 小林信一

    小林(信)委員 話をする場合にはそういうふうに簡単にりくつづけられるのですが、一体あなたたちは、その関係のある文化財保護委員会等が重要文化財の保護にあたつて実際そういう理論的なものが簡単に実現されておるかどうか、お考えなつたことはないんですか。私たちが国宝と称するようなものを調査してまわつたときに、法律的にいろいろなものがきめられて、防火施設をどうしろこうしろというときに、その付近にきわめて危険な建物があつて、その中にまことに不安定な人たちが住居して、いつ失火するかわからぬというような問題も、これは一つの事例ですが、たくさん見られるのです。あなたのところのそういう問題でさえも簡単に処理できない。あなたは、理論的に簡単に、そういうふうな制度さえつくればいいだろうというふうなことで述べられるのですが、そこに非常に問題があると思うのです。富士山の一面、裏の方の山梨県としましても、あそこに大体中部地方から北海道あたりまでの植物の景観を持つた地帯があるのです。そうして一つの指定になつて、山梨県では非常な財源難で、これが一つの財源にもなるわけなのですが、これが指定されてそうして手をつけることができないようになつておる。これをこのまま放置されておくと、何らかの形でもつて管理しないというと、うまく行かないのですが、しかし、簡単に文化財保護委員会の方から手をつけていけないというようなことで放置されているために、今にあれは全滅してしまうような状態にあるのです。とにかく、品では簡単なことを言われるのですが、問題というものはそう簡単に処理できない。今厚生省の方から、これを国有地にして、そうして国立公園としての使命を全うしたいと、あなたのところとは反対の意見が出ておるわけなのです。その国立公園として存置したい、これを国有にして保全したというような根拠は、あなたのところに関係のある学術とか自然科学の対象になるとかいうような面も考えて厚生省は言つているのだろうと思うのです。国立公園の生命は単に風致の問題だけじやないと思う。あなたのところあたりの主張しなければならぬところを厚生省あたり考えて言つておる。ところが、その御本家がそういうふうな簡単な面だけでもつて主張されていいかどうか、御返答願いたいと思います。
  322. 小林行雄

    小林証人 私は文化財行政の直接担当官でございませんので、この点についての詳細な点にまでお答え申し上げることはいかがかと思いますが、ただいま、制度ができてもそれだけで理想的に運営されるものではないじやないか、従つてそう簡単に割切つてはいかぬというふうな御質問かと思います。ごもつともだと思いますが、しかし、この制度ができまして、それに伴うたとえば財政的な裏づけあるいは人事的な裏づけというようなものが行われれば、従来より以上に理想的にだんだんになつて行くのじやないかというふうに考えております。なお、国立公園にしてこれを厚生省所管に移管したらということでございますが、これにつきましては、私どもは全面的にこの厚生省の意見にただちに賛同するということはできません。国立公園法というのは、御承知のように主として風致あるいは観光の点から地域を指定いたしまして、また施設をいたしまして、できるだけ観光上の利用に供するということが主眼でございまして、文部省の立場からいたしますれば、やはり学術面あるいは文化面から、考えた文化財としての特別名勝ということで行つて、この学術上の問題も相当解決されるのじやないかというふうに考えている次第でございます。
  323. 北山愛郎

    北山委員 先ほど証人は、宗教活動富士山の八合目以上が必要だと言われました。なるほど、あの富士山がなければ神体山信仰もなかつたかもしれませんが、その意味で必要だということはわかるのです。しかし、その宗教活動に具体的にどういうふうに必要であるかということなんです。拝むのには一向さしつかえないのじやないか。で、私どもは、この財産の所有権とか、そういうものを論ずる場合に、その宗教活動の必要というものも具体的な形に現われた面でその必要を考えて行かなければならぬのではないかと思うのです。単にそこに信仰の本体、神があるからというのは、それは信仰を持つている人の頭の中にだけある問題であつて、確認された客観的なものではない。それをどうして具体的に宗教活動として必要なものと考えておられるか。その辺をお伺いします。
  324. 小林行雄

    小林証人 私が先ほど宗教活動という言葉を使いましたのは、宗教上の儀式を行う、あるいはお祭りを行うというような意味、また信者を教化育成する意味から申したのでございますが、この浅間神社並びにその氏子と申しますか信徒は、御神体として富士山をおまつりし、また拝んでいるわけであります。もちろん、この所有権がたといどうなつても、山がなくなつてしまうというわけではないから、所有権ということとは別じやないかというふうなお尋ねであつたと思いますけれども、やはり信者の信仰からいたしますれば、御神体というのは信仰上最も重要なものでございまして、それが他の所属に属するということになりますと、御神体山信仰としての存立の意味が非常に薄れて来るというふうにも一つには考えられます。また、やはり古い昔からの伝統といたしまして神社の所有ということが認められておりましたので、今度の法律従つてこれはやはり神社に還元さるべきものというふうに考えているわけでございます。
  325. 北山愛郎

    北山委員 宗教活動の要件として、やはり所有するということも非常に必要だというようなお話でございます。そうすると、今のお話の中の沿革というのは安永八年に幕府裁許状をもらつた富士山の八合目以上は大宮持ちであるということを言われているのだと思いますが、そうすると、それ以前においては神体山宗教というものはなかつたのか。富士山を拝む信仰が、所有がなければ成り立たぬということになれば、それ以前にはどうなのか。それから、明治維新になつてから国有地になつた。そういう場合には、富士山に対する浅間神社宗教活動というものがどういうふうに阻害されたのか。対象物を持つていなければならぬ、しかもその持つということが近代のいわゆる所有権の内容を持つた持ち方をしなければならぬということはどうもよくわからぬのですが、そういう沿革を言われるならば、そういうふうな所有権がなかつた場合、所有権を認められておらなかつた当時において、宗教活動の要件が欠けているのではないかと思うのですが、どうですか。
  326. 小林行雄

    小林証人 安永八年に公認される以前に一体それは浅間神社の所有であつたかどうかということ、それから、それ以前の所有権というものが認められておらなければ神社宗教活動というものが阻害されたかどうかというようなお尋ねだと思いましたが、私、この点については専門家でございませんので、はつきりしたことは申し上げられませんが、当時所有権の観念がすでにあつたかどうか、この点、まだ私としては明言できません。しかし、大体昔から、そういつた神体山信仰ということで所有権の確認がなくとも、やはり一般通念として所有しているというふうに認められておつたのではないかというふうに考えております。従つて、一般にそういうように認められておれば、神社宗教活動がその時分に阻害されたというふうには考えなくてもいいのじやないかというふうに思うわけでございます。
  327. 北山愛郎

    北山委員 そう思うのでございますということで、一向何らの根拠がないのですが、しかし、やはり文部省のような文教のことをやつておられる担当者としては、富士山を愛する。あるいは山というような国民的な感情が非常に広汎にあるということは御承知だろうと思う。そこで、そういうふうな非常に強い国民的な感情の対象物であるというような意味合いからしまして、これをそういうふうな特定の宗教団体に渡さないで国で持つているということがやはり公益のため必要であるというような意見もあるのですが、それについてはどういうふうなお考えですか。
  328. 小林行雄

    小林証人 確かに、ただいま御指摘がございましたように、富士山はわが国土の象徴あるいは言い方によつては民族精神の象徴というようなことで、国民的な愛情のもとに敬慕されていることは私どもも十分これを認めるのでございます。ただ、国民的な、あるいは民族的なものであるということはもちろんその通りでありますが、しかし、これは、必ずしも国有とか、あるいは神社有とか、あるいは公有――公有ということは起らないと思いますが、何のだれ某個人の有であるというようなことにかかわらず、もつと高い見地で、たとい何のだれ某の所有であつても、富士山は国土の象徴であるし、また民族の象徴であるということが言えるのじやないか。従つて、この所有権の問題としては、この法律の精神のあるところに従つて最も適格である浅間神社に還元されることが法律上いいのではないかというふうに考えております。
  329. 北山愛郎

    北山委員 どうも、証人は、富士山は国民の崇敬愛情の対象であるというような場合には、その問題についてはこれはだれのものになつていてもいいんじやないか、国民感情の対象物としての富士山は、私有物だろうがだれのものであろうが、その民族感情の対象としてはさしつかえないと、こういうようにしておいて、そうして、富士山浅間神社を通ずる信仰に限つては、そのものでなければ宗教活動なりその信仰が害されるというふうに言われるのは、どうも私どもはおかしいと思うのです。公益についても具体的な公益上の必要がなければならぬ、いわゆる具体性を要求されるならば、やはり信仰の部面でも、宗教活動でも、一体どういうふうな具体的な必要があるかという、いわゆる宗教活動の必要という場合にも具体性を要求しなければ権衡を失するのではないか。なぜ宗教活動にだけ、その山に神様がおるという、そういうふうな主観的な感情に基いて、何も客観的なものはなくて、それを信者たちの、あるいは神社の所有物にしておかなければならぬという理由がわからぬのですが、両方を比較検討してお答えを願いたい。
  330. 小林行雄

    小林証人 公益の問題についてのお話がただいまございましたが、私どもがこの法律で公益と言つておりますのは、たとえば道路とかあるいは水道とかいうような現実的なものであつて、そういつた民族的な愛情というようなものは必ずしもこれに該当しないのではないかというふうに考えるのでございます。しかし、万一これが該当するといたしましても、先ほど申しましたように、その所有を移すということによつてただちに一般の公益が害されるというふうには考えられないのでございます。たとえば神社で登山を禁ずるとか、あるいは学術上の施設を禁ずるというようなことがございますれば、公益を害することになると思いますが、そのことでただちに公益を害したというふうには考えられないのではないかと思つております。  なお、信仰の立場だけでは主観的な感情で、もつと客観的なものでなければならぬというふうにおつしやつたと思いますが、もちろん信仰というものは物的なものではございませんので、これは人間の観念的な、主観的なものにならざるを得ないと思いますけれども、この信仰上の立場から申しますと、やはり神社の信徒といたしましては、富士山神様の鎮座しておる御神体として拝んでおるということは否定できないわけでありまして、従つて、そういうものは否定されるべきであるというふうに私どもは簡単には考えないわけでございます。
  331. 北山愛郎

    北山委員 証人は信者の一人のような感じがいたしますが、最後に一点だけお伺いします。太陽を拝むという宗教があるのですが、そのときに、太陽がその拝む人の所有にならなければ太陽を拝むという信仰は成り立たぬか。富士山信仰どもやはりそれと同じやないかと思うのですが、太陽の場合にはどういうふうにお考えになりますか。
  332. 小林行雄

    小林証人 私は決して浅間神社の信徒でも何でもございませんので、その点は御了解いただきたいと思います。太陽を拝む宗教があるが、太陽を所有することができないじやないか、その場合はどうだというお話でありましたが、それはただいま御質問の方がおつしやつた通りであります。太陽を所有することは初めから不可能でありますが、御神体山宗教というものはそういうものと違つて、わが国の民族の伝統として、民族精神としてそういうものが生れておる。その御神体山宗教から言えば、やはり宗教活動上の所有権が必要であるというふうに申し上げてよいかと思います。
  333. 鈴木正文

    鈴木(正)委員 証人の御説明は、歴史的のことを何かこまごまと言つておられましたが、まあ文部省はうそを言うはずはない。そういうことは確かでしよう。しかし、証人の言葉の中にもちよつと出て来たのですが、あげ足をとるわけではございませんが、ほかの方から何とも言つて来なかつたから、――この材料だつて私は完璧のものだとは思いませんが、しかし、この材料で言つて来たことを尊重するというような結論であつたと思います。その点、きわめてまとまつた説明はされましたけれども、一番根本的なところでは、大きな点が文部省としては欠けていると思う。その欠けている点はどこかといいますと、今まで委員諸君が聞いたのと同じであります。結局御神体山であり、それから八合目以上に神社の御神体が鎮座ましましているというその信仰から起つていると言われる。それから、最後の方へ行くと、私はこのことを繰返し各証人に念を押しているのでありますが、法律によつて云々と言つております。一応もつともであります。ただ、法律の中には明らかに公益という問題も重要な一つの要素として書いてあります。公益の問題を考えるということは、法律を無視するものだということにはならぬどころではなく、この法律全体を総合的にバランスをとつて考えると、むろんこの問題も考えなくちやならぬので、文部省としてはむろん今日までお考えなつたろうと思うのでありますが、御神体山云々と八合目云々、そして結局は、先ほどからお聞きしていると、公益論はあまりに抽象的であつて、なるほどそのこと自体には傾聴すべき点があるけれども、しかしとらえどころがなく云々というふうに考えて、そうしてものを言つておられる。しかし、一方においては、今言つた八合目以上に神様がいるのだ、この観念でもそれ以上具体的だとは言えない。その観念が間違つているとは言いませんが、比較問題になる場合に、八合目以上の神様が鎮座ましましている、山全体が信仰の対象である云々、こういう考えと、私どもの主張するところの公益、あるいは国民の感情といいますか、言葉が悪ければ、別でもいいのでありますが、そういうものを含めたところの広い意味の公益、この公益論の方がより抽象的であつて、一方の方がより具体的であるということは言えないと思うのであります。言えるのは、古文書の読み方とか、あるいはよその浅間神社にはそういつたものがたまたま保存されておらなかつたけれども、一方には保存されておつた――その解釈というふうな問題は、それに全的によつてよいかどうか別として、確かに具体的に存在しております。しかし、それだけでもつて結論をつけて、あなたの今の結論はそういうものを並べてつけておりますが、それでよいのであつたならば、実はこの問題が起きてから今日までこれだけ大騒ぎをしなくてもおそらく済んだでありましようし、大和の大神とか筑波山とか、それと同じケースで同じ考え方で、これほどの大騒ぎをしなくておそらく解決されたろうと思います。それが解決されなかつたところの理由は、それは審査会の経緯もあり、いろいろあるでしよう。それは悪い意味ではとりませんけれども、最大の理由は、ほかのところの場合とは違つて法律の読み方を富士山の場合にはもう少し高い立場から総合的に考えて行かなければ、この法律自体がほんとうに富士山の場合に当てはめて行きがたいという特殊性の中にあつたのだと、こう思うのであります。そうすると、その特殊性をあなたは認めないとは言つておりませんけれども、今の文部省の意見なりとして発表されたそれは、結局一応は考えてはみたけれどこうだということで、事実上は認めておらない。私の言うのは、やはり考え方は、特に文部省としては、くどいようですけれども、御神体がここにあるという観念は非抽象的であつて、そして、海外の者も旅を行く人たちもことごとくわれらの富士山としてたたえているあの感情はより抽象的でもつて具体性において劣るものだという結論を、国民精神の先頭に立つ文部省が先頭に立つてつけてしまつた。そういう結論を出すことは、よその役所ならともかくとして、文部省としてはもう少し慎重に、厳に慎むべきであると思うのでありますけれども、その点についてのほんとうの気持を聞かしていただきたい。
  334. 小林行雄

    小林証人 たいへんむずかしい問題だと思いますが、ただいま公益ということについてお尋ねがございましたが、公益の解釈として、この国民的な感情、すなわちわれわれの国土の象徴であり、われわれの象徴であるという感情は、これは昔から伝統的に私どもにあるところでございまして、これは伝統として最も尊重すべきものだと私ども考えております。ただ、先ほどもお尋ねがございましてお答え申し上げたように、この考え方は尊重しなければならぬけれども、私どもは、必ずしもそれは、所有権の問題ということと結びつけて、これが神社有であるか、あるいは国有であるかということによつて影響される、あるいは左右されるというようなものではない、もつと根強い、もつと高い、もつと大きな私どもの感情、民族精神じやないかというふうに考えるわけでございます。そういつた面から、この山頂がたとえば浅間神社のものになりましても、富士山が国土の象徴であるという感情は一向減るどころかますます高まつて行くのじやないか。従つて、国民の愛国心というようなことを文部省が言つておるが、そういうことに非常に悪い影響があるというようなお尋ねにもとれましたが、もちろんそれは非常に大事なことでございますけれども、この問題があつたからといつてただちにわれわれの愛国心あるいは民族精神に重大な影響を及ぼすというふうには今のところ考えていない次第であります。
  335. 鈴木正文

    鈴木(正)委員 大分国民的の感情とか――思想という意味かどうか知りませんけれども、国民的の問題を巧妙に高いところへ押しやつて、それはもうこの委員会あたりで議論しておる問題よりははるかに高くして深いものだから、どうあろうともこれは阻害されるようなことはないのだから安心していいのだ、こういうのでありますが、それは間違つているでしよう。やはり、だれか特殊の一人の法人なり個人なりの所有になつているというその感情が、富士山を普通の国民が見ておるそういう感情の上に一つのいやな思いを与える。これは抽象的じやないかと言われるかもしれませんけれども、もともと国民思想その他というふうなものは、そういつた具体的なものを積み重ねたものでなくて、そういう直接的の、感覚的なものですが、これに明らかに大きな打撃を与える。現に、文部省はそう言つておりますけれども、審査会の委員の多くの人たちが比較的ああいう社寺あるいは宗教制度ということ自体を考えたから、いろいろと欠陥も出、意見も出ております。何も別にいずれの県に属するかというふうな問題を抜きにいたしましても、広く日本人全体にこの問題を聞いてみる場合には、多くの人たちはごく率直に――これこそ抽象的でありますが、やはり日本の国のものにしておくべきだと言うのがほんとうなんです。これが大多数の意見なんです。それが抽象的だとおつしやるけれども、私は、それが抽象的だと言うならば、それはどちらにあつても阻害されない、だれの所有になつても阻害されないと言うならば、今申しましたように、八合目以上に神様がいるということも抽象的である。そうして、それが成り立つならば、確かに富士浅間神社のものだという刻印が押されなければ富士浅間神社についての信仰は今成り立たないという実害も起きて来ないと思う。この点はもつと国民全体の感情という問題にウエイトを高くおいていただきたいと思うのであります。
  336. 小林行雄

    小林証人 国民全体の感情というものを重視せよという御意見はごもつともだと思います。ただ、もちろんその点を十分審査会としてはお考えの上そういつた結論を出されたと私は信じておるわけでございます。この法律ができました精神からいたしますと、御承知のように、新しい時代になりまして、国から宗教に援助するということが禁じられたので、国と宗教との関係を断絶するということでこの新しい法律ができたものと思います。これには必要な資格条件というものが法律上明定されておりまして、それに従つて手続されておるものでございます。もちろん、ただいま御指摘になりました国民的な感情、国民的愛情というものについては慎重に御検討があつたこととは思います。ただ、法律の適格要件として定められたものにかなつておるというので、そういつた御答申があつたものと思つておりますので、法律運営上からはそれでよろしいのではないか。また、先ほど申しましたように、民族精神と申しますか、国民的な愛情にもそれによつて大きな影響を与えることはなかろうというふうに私どもとしては考えております。
  337. 小林進

    小林(進)委員 先ほどから同じことを繰返しておるのでございますけれども、あなたは、御神体というものをやはり私有しなければ、どうもほんとうの信仰心が湧いて来ないということをおつしやるのですが、明治の初めからこれは国有地になつて、なお今日まで浅間神社は隆々として富み栄えて来た。それはちやんと国有地なんです。それを、もしあなたのように、神社の私有物にしなければどうも信仰成立たないと言うと、明治の初めから今日まで浅間神社というものは存在しなかつたことになる。この存在を一体どのように理論づけられるか、お聞きしたいと思うのであります。
  338. 小林行雄

    小林証人 終戦後国有――現在でもそうでございますが、国有地で、それを貸与されておつた、だから私有しなければ浅間神社信仰が成り立たないということはないじやないかというお尋ねかと思います。その点はごもつともだと思います。現在でも所有権といろものがないのでございますから、絶対に所有しなければ、たとえば宗教法人としての浅間神社を解散してしまうということはないと思います。ただ、こういつた制度ができておりまして、従来の沿革上、御承知のように上地しておる、それから無償貸与を受けておる、宗教活動上必要であるというような条件がそろいますれば、それを国から神社譲与することができるということになつておりますので、現在においては私有すべきである。沿革的に申しましても伝統的に言いましても私有したこともあつたわけでございますので、現在の時勢においては私有することが当然であるというふうに考えるあけでございます。
  339. 小林進

    小林(進)委員 それでは、法律ができたから私有するのが当然であるという御答弁にかわつたわけで、私有しなければこの宗教成立しないという前のお言葉と、今の法律ができたから私有するのが至当であるというお言葉の間には若干食い違いがあります。どちらの方がほんとうのあなたの御趣旨なのか、それをお聞きしておきたいと思います。
  340. 小林行雄

    小林証人 私は、ちよつと今の速記録というようなものを見ておりませんからわかりませんが、所有しなけれげこの宗教が全然解散してしまうというふうな意味に申し上げたのではないのでありまして、ただ現状では、こういう新しい制度のもとに、やはり御神体山を当然所有すべきであるというふうに考えておるわけでございます。
  341. 小林進

    小林(進)委員 先ほどからあなたの御証言をお聞きしたのでありますが、これは文部省の御意見でございますが、調査局長個人の御意見でございますか。それをひとつお聞かせ願いたい。
  342. 小林行雄

    小林証人 私、お呼出しをいただきまして、出頭命令には単に小林行雄と書いてございますので、小林として参つたつもりでございますが、しかし、私の仕事の関係上、これは当然調査局長ということがうしろについておりますので、変な言い方でございますが、調査局長である小林個人だというように考えたわけでございます。いかがでございましようか。
  343. 小林進

    小林(進)委員 これはもちろん文部省全般の御意見ではないだろうと思うのでありますが、あなたは日本の文化をつかさどるその重要な所管庁である文部省の調査局長でありますから、特に申し上げたいのでありますが、おそらく、きようやつております速記をあるいは三十年、五十年の先文化人が見たら、一つの物笑いではないか。ということは、この答弁の中にしばしば出て来たように、富士山という一つの山を御神体にして、神様にして拝むのだ、その山がなければこの宗教成立しないのだ、こういうようなことがしばしば繰返されておるのでありますが、宗教問題は、だれに言わせたつてわかるように、まず火を拝み、あるいは水を拝み、自然を拝みあるいは山を拝む、こういうようなことは原始宗教、ほんとうの宗教の初歩的のものでございます。小乗仏教の主たる始まりもそうであり、その前はああやつて男女の生殖器を拝む、あんなぶかつこうなものをまつつている。こういうようなことは時勢の進み方とともになくなつてしまつた。特に、今新しい文化の面に現われて来る宗教などについての観念というものは、俗に敬神尊仏と言つて神社というものは、天照大神のその昔から、伊勢神宮といい、明治神宮といい、乃木神社といい、大体その国に功績のあつた国の祖先あるいは国の軍神とか、歴史上にかくかくたる功績のあつた者をあがめて、われわれはそれを尊敬する、そして宗教は、真善美の三億を備えて、ある程度国民の文化心にも適応して来る大乗的なものでなければ、もう今日信ずる者はなかろう、こう言われて来て、宗教に対する観念も神に対する観念も非常に進歩して来た。そこへまた、終戦後のどさくさまぎれに、踊る宗教とか、やれ何だかんだと、日本の高度に発達した宗教をまた逆転せしめるような、小乗的な実にとるに足りない宗教が発達して、わが日本の文化というものを非常に逆転せしめたことは、文化日本の恥だと私は思つておるのであります。しかして、そうした宗教や教育をつかさどる文部省の中心地におられる方々が、原始宗教の残滓を残しているところの、山を拝むとか川を拝むとかいう、その宗教ちようちん持ちをせられて、山あらずんば、山を所有しなければこの宗教成立しないのだというようなことを言われることは、後世子孫にこの速記を残し、大いに恥ずるところがなきやと私は痛感するのでありますが、ひとつ調査局長の御所見を承りたいと思うのであります。
  344. 小林行雄

    小林証人 たいへん重大な御質疑だと思いますが、専門の宗教学等の立場からいたしますと、自然物、たとえば山とか川を信仰するというのは、発生的に原始的な宗教なのであります。宗教というものがだんだん進歩すれば、国あるいは民族に対する功労者、歴史上の偉大な人物というものを神様としてあるいは仏として信仰するようになつて来る。従つて宗教のいわば逆もどり的な現象であるというお話があつたわけでありますが、ただ、これはいいことか悪いことか存じませんけれども、わが国の現実といたしまして、自然物を崇拝するという信仰がまだかなりございます。宗教学上の限界から申して、あるいは原始宗教の残滓ということが言われるかもしれませんけれども、現実に信仰としてこれを信じている人たちから言いますと、やはり絶対的な神様であろうかと思いますので、お前の信仰は低いのだということは、私たちとしては宗教行政の立場上申されないことでございまして、お前のところは迷信であるというようなことは簡単には申せないわけでございます。日本が将来文化的にだんだんさらに進歩いたしまして、宗教の形態がかわるといたしましても、この原始宗教的なものでありましても、そう短い期間に簡単になくなるというふうには、私どもまだ現状では考えておらないわけでございます。
  345. 小林進

    小林(進)委員 問題はそこなんであります。文部省にあえてそういう原始宗教の可否を論じていただきたいというのではないのでありますけれども、先ほどからのあなたの証言によりますと、その宗教内容に入つて、それを非常に保護せられておる。憲法違反の疑いがあるということを私は申し上げたい。ということは、あなたは先ほどから法律のことを言われたのでありまするが、あの法律の精神は、やはり宗教に対する国家の保護、干渉を排除するという建前がもとでありまして、その排除の関係上、神社境内あるいは宗教活動に必要なものは無償で払い下げる、爾今神社は自己の計算においてこれを経営をして行くべきである、こういう建前なのでありまするが、今ここでわれわれが論じている富士山の八合目以上は、神社活動に必要な境内ではないのであります。私ども浅間神社境内払下げに決して反対いたしておるのではございません。先ほどから繰返すように、問題は御神体なのであります。神体というものは宗教の本質なのであります。その本質たるべきものとして今あなた方は払い下げようとせられておるのであります。同じことは筑波山の男体山というか、そういうほかの神社にも言い得ると思うのです。財産の境内を払い下げておるんじやない。御本尊であります本体自身を払い下げるという。これは宗教の内容の本質に関する問題を簡単に処理せられておるのでありまして、宗教に関する憲法の干犯これよりはなはだしいものはないと私は自分で解釈をしておるのでありまして、法律に準拠してと言われますけれども、あの法律は、私どもは眼光紙背に徹する気持で読み直してもらわねばならぬと思うのでありますが、この点はいかがでございましよろか。
  346. 小林行雄

    小林証人 文部省は浅間神社を特別に保護しているんじやないかというような趣旨のお尋ねのようにも承つたのでございますが、これだけを特に保護するというようなことは毛頭考えておりません。お尋ねの中にもございましたように、この法律は終戦までございました国と宗教との関係、少くとも経済的な援助関係を断絶するということを主眼としてできたものでございまして、従つて、財産の譲与、払下げというものも、この関係を断絶する措置としてできておるというふうに考えております。従つて、払い下げることになりましても、この浅間神社を特に保護している、国として干渉しているというようには考えておらないのでございます。  また、あれは御神体なんだ、境内ではないというような御趣旨のお尋ねのようにも思いましたが、一般の神社につきましては、御神体というものは大体お宮の中の本殿の中にあるものでございまして、従つて境内地は大体はつきりするわけでございますが、この浅間神社といたしましては、この御神体が山でございますので、山に至る参道その他境内と御神体とがある程度重なり合うといいますか、そういつたような現象もまたやむを得ないのではないか、それ以外の御神体神社についてもそういつた状況があるのではないかというふうに考えております。
  347. 小林進

    小林(進)委員 ぼくはそれが非常に重点だと思うのです。境内は財産でありますので、これは払下げには全面的に賛成いたしまするが、御神体というものは、具体的に示し得られるものではなく、頭の中にある。あなたは先ほどから、窓があつて、窓から富士山を眺めるから、どうしても富士山は御神体だとおつしやるが、どこに一体八合目以上が御神体で八合目以下が御神体でないという論旨があるか。七合目以下が御神体でないというのであれば、その御神体でないというけじめがどこにあるか。これは実に茫漠とした話である。もしも富士山自体が御神体であるというならば、富士山全部がむしろ御神体であるから、全部払い下げるべきであるという論旨に徹底してもらわなければならぬと思うのであります。そういうものを、八合目以上が御神体だなどということは、形にとらわれたつまらない妥協論であつて、ちつとも論旨が一貫していないと思う。頭脳明晰な調査局長においてなおかつこれだけの御返答しかできないということは、私は文部省の将来を思うて実に涙なきを得ないと思うのであります。私は、そんなことじやないと思う。ほんとうに神社の本尊、本体、神格というものは、国民の胸なり心の中に抱かれるものである。従つて、形によつて示すべきものではないと思う。まして、八合目以上は云々、七合目以下は云云、頂上だけではだめだ、八合目からもらわなければ神様成立しないというようなことは、私は非常に国民を愚弄する暴論ではないかと思うのであります。この点、いま一応御回答をお願いいたしたい。
  348. 小林行雄

    小林証人 浅間神社信仰によりますと、山頂大内院と申します噴火口に鎮座ましましておるというふうに考えておるようであります。大内院の底と申しますか、下の方が大体八合目に当るので、雲間にそびえる八合目以上が神のしずまります地域であるというふうに考えておるようでございます。しかし、これを実際手にして、現実にそうである、あるいはそうでないということは、信仰上の問題でございますから、物としてそれを見せることはできないと思います。
  349. 塚原俊郎

    塚原委員長 ほかに御発言がなければ、小林証人に対する尋問はこれにて終了いたしました。   証人には御苦労さまでした。   明日は午前十時より開会することにいたしまして、本日はこの程度にて散会いたします。     午後六時四十二分散会