○
松永(佛)
委員 医務局なり
薬務局あるいは
保険局の
責任者として、大体来年一月一日からこれを行うも、さしたる
混乱がないというふうにお
考えのようである、こういうふうに承りました。ところが実際の面におきまして、その当事者であるところの
医師側あるいは
薬剤師側が相当先鋭化して、いろいろな問題を惹起しておる。大体その根本は
当局がそうい
つた点の
指導に欠けてお
つたということも事実であり、
昭和二十六年の六月に通過した本案に対しまして、その後
審議会もようやくこの間
設置法が通過したというような
程度で、その
休戦期間が
あまり長か
つたということは怠慢であ
つたのか、掘り下げた研究をなす
つておられたのか知らないが、いささか不満であります。ところが大体においてこの双方の
了解あるいは提携、
薬剤師と
医師と、
医師の
指導下において
薬剤師が唇歯輔車の間に立
つてこの仕事をや
つて行かなければ、
医療の正道というものは歩めるものでもないということは、わかり切
つたりくつであります。大体基本的な誤解から解いて、そうしてこの誤解をなからしめて、両者が欣然握手をして、
国民の
医療保護のために
医師も
薬剤師もまつ裸に
なつて出て行く。また役所なり
国民大衆は、これに対してできるだけの便宜と生活の安定、そして家庭的にも私生活の上における後顧の憂いをなからしめて、治療に研鑽し、あるいは薬業に専念のできるように持
つて行かなければならないということは、これは当然
当局の責任でもあり、国会としましても、この基本的な立法の精神はそこにあ
つたわけであります。たまたま
昭和二十六年の六月本案が
通りましたときには、参議院におきましては山下義信氏、本院におきましては不肖
松永が
委員長の任を帯びておりまして、どちらもが真宗の寺院の住職でありまして、十何年もみ合
つた本案をば、参議院でも衆議院でも坊主が円満に解決するということはまことにめでたいのだというような、きわめて円満なうちに、各党各派ともに賛成討論をなさ
つて、満場一致でこれが通
つたのでありまして、私は国会の権威上、これをサムス分業である、あるいは占領
当局の圧迫であるというような声も一部には聞きますが、これはもうま
つたく誤解から出発しておるということであります。もちろんサムス准将が指示をされたことは事実であり、国会提案以前におきましては、あるいは占領軍
当局の圧迫というものがあ
つたかなか
つたかは知りませんし、また敗戦
国民としてこの圧迫にあらざるも威圧に屈服したという卑屈な立場が日
本人側にあ
つたかも、それは知りません。しかし少くとも国会に提案以後においては、国会の権威としましては、サムス准将や占領軍に圧迫されたということはごうまつもありません。たとえば当時これに関与して当
委員会の
委員であ
つた青柳、亘、
高橋あるいは
有田、岡、
福田先生等が多数いらつしやいますが、その以前において、一例をあげますると、保健婦、助産婦、看護婦法等において、占領軍
当局から相当な横車を押され、日本の国情と相違する点を指摘して敢然として戦い続けた結果、大体四月一日から改正しなければならぬものが、三月三十日の大詰めに
なつてまでオーケーがとれなか
つた、占領軍の承認が得られなか
つた。よ
つて当
委員会を占領軍
当局に返上してしまうという決意を私初め一同がいたしてこれを速記録に載せた。当時の黒川厚生大臣、葛西次官が非常に面食らわれて速記録の取消しを私に承認を求められ、半面そのサムス准将に通知せられて、そうしてサムス准将の方から、ここに御臨席の青柳一郎氏、あとどなたでしたか両三名を招かれて、そうして部下の行過ぎは
監督の任にあるサムスの手落ちであ
つたことをおわびし、日本の国会の毅然たる
態度に敬意を表する、こう言
つて、わが国会の要求を、青柳一郎氏が小
委員長として成案を練られた原案を、ほとんど承認されたという例もあります。いわば日本の国会は、敗戦国でありまするが、毅然たる
態度をも
つて、当
委員会がサムス准将に反撃を加え、むしろこれに大譲歩をさせたという例がある。このサムスが去
つた後にさらに圧迫を感じたという
気持は、当
委員会にごうまつもなか
つた。これは国会の名誉のためはつきり速記録に残しておきたいと思うのであります。
これが誤解された点は、中には夜中に医者をたたき起して、
処方箋をもら
つて、また一里も一里半も山を越えて
薬局をおとずれて薬をもらう、そういう不便なことはまつぴらでございますから、どうかそういう法律改正はやめてくださいという陳情書がたくさん参ります。これはも
つてのほかであ
つて、誤解されたか、誤り伝えられたか、あるいは偶然か故意か無知か知りませんが、そういう結果に
なつておることは事実であり、また
先ほど言われました
処方箋の問題でも、当時の立法の精神は、医者のための法律であ
つてはならない、
薬剤師のための法律であ
つてはならない、結論は
国民のための法律であ
つて、それが
医療の向上、進歩を促進し、あるいは薬学の知識を普及徹底し、ひいては日本にただ
一つ認められておる、どうぞこうぞ合格点になりかけておるこの
社会保険制度というものを円満に発達さすための隘路をこれによ
つて除いて、そうして
保険制度の確立を期するということが、大きな社会保障制度にも寄与するという立場からこれが論議され、各党の
委員がこれに賛成をしたというのが当時の実情であ
つて、われわれはそんな、
処方箋を持
つて一里も走らなければならぬとか、あるいは急
患者があるのに、なおかつ
処方箋を持
つて薬局を訪れなければならないというような不便な法律ができ上ることを想像してこの法案を
審議したのでは絶対ないということは、あすでも解散にな
つた場合に備えて、私は衆議院の当厚生
委員会としての意思表示をしておく必要がある。当時立法の責任にあ
つた者としての意思表示をしておく必要があると思う。たとえば
処方箋問題につきましても、当時の
昭和二十六年六月四日の速記録の、私から
当局に対しまする
試験投薬ということはどうだろうというような問題、それから善意に解釈して病名がいかなる名義によ
つても判別しがたいものに対して、朝、昼、晩と
処方箋を書いて投薬し
——私は医学上の専門語は知りませんけれ
ども、教育学ではこれを、試行錯誤法といいますが、そういうような
試験的な投薬を与えて行く場合に、善意によ
つて医師がこれを行うのに、
処方箋を作為的に発行しなか
つたというので処罰を受けるというようなことにな
つたのでは、善良なる
医師は迷惑であります。また作為的に
試験投薬をや
つてみなければわからない、また打診時代であ
つて、はつきりした診断ができる時代ではないということを、作為的に悪質なる
医師がたまたまやるということがありますと、結果は全快してしま
つてからか死亡してしま
つてからでなければ、
決定的な診断が下されない。善意でや
つて処罰されてはたいへんだ。作為の脱法をやられては困るし、この点ひとつ
当局の見解を明らかにしてくれという私の
質問に対して、当時
医務局次長であられた現
久下保険局長はいろいろと御
答弁せられましたが、要約しますと、ただいま
委員長が御引例のような、非常に緊急な、目の前で薬を飲まして、そうして
患者のそれに対する反応を見る必要がある、いわゆる緊急治療と
試験投薬が重なるような場合におきましては、私
どももただいまの
考えとしては
処方箋を交付しなくてもよろしい、そういうような解釈をいたしておるのであります。要するに
試験的投薬なる
言葉でも
つて簡単に是非をきめる筋合いのものではない。根本的な精神に返りまして、
処方箋交付の原則というものがどこから出て来ておるかというような基本的な
考え方から行きまして、私
どもは繰返し申し上げておりますように、全体的に言いますると、これはきわめて限局した解釈と運用をすべきものであるという御
答弁です。それに対して、そういたしますと、緊急投薬を行
つて、そうしてその自覚症状を見て、すぐにまた次の対症療法を講じなければならないという場合には、
処方箋を発行しなくてもいい。ただ漠然たる意味の
試験投薬は当然義務づけられるが、それは
医師の良識にまつというわけですかという
質問に対して
久下次長は、大体ただいまの
委員長の
お話の
通りでありますという御
答弁があり、またそうい
つたことにおいて私
どももそんなきうくつなものではない。現在食糧管理法あるいは食確法というものがあるけれ
ども、現に政府は十日あまりの米の配給しかしていない。あとの大半はやみ生活を公然の秘密として行
つておる。しかし食確法は厳然として生きておるということであ
つて、私
どもは
処方箋を交付し、かつ
患者が
調剤を希望するというこの間一連の関連性を、現在より以上の不便なものにしてはならないということを
考える。そうしてこの法案が通過したということが、当時立法政府にあられてこれを必要とされた
福田昌子医学博士、岡良一博士が今日なおこの席におられるのでございますから十分御
承知の
通りである。私はかように思います。ただ自由党の丸山
委員だけが、最終に私個人の一身上において、この問題に関して政治的の解決の仕方と、私が四十年来経験いたしました信念との間になお割切れないものを持
つております。この解決にはあまりに
審議の期間が短いために私の
態度を表明したくない意向を持
つておりますので退席をいたします。貴重な
審議権を放棄いたしますことは相済まないことと存じておりますという
言葉を残して退席しておりまして、他は満場一致できめております。なぜ満場一致できめたかというと、現在の
国民の
医療より不便なものになるということを
考えてきめた議員は一人もない、より便利に、より安価に、より早く治療ができるというところに重点を置いてつくられたものであるということははつきりした事実であります、この意味において私
ども国会議員は決して医者の味方でもなければ、
薬剤師の味方でもない。
国民大衆とともにあるということを念頭に持
つておるということははつきり申し上げられるのであります。
ところが先般来、政府が急慢ながらもようやくにしてでつち上げられましたあの新
医療費体系は相当穴もあり、傷もあり、欠点もあり、欠陥もある。あるものは労働基準法違反にあらずやと思われるもの、あるいは複雑怪奇な手続を要する等の欠陥を暴露いたしましたが、しかしおよそ人間がつくるものである以上、デスク・プランにおいて完璧を期せられるということはあり得ない。これを求める人の方がよほどどうかしておる。私
どもはこれを行うて後にその欠陥を是正して行くということが第二である。第一は行わざる先にその欠陥を少からしむるという意味のことを
考えておるのですが、まず
当局の現在の政治
態勢の上から、私
どもが責任上お伺いしておきたい一点は、一月一日から
実施をするということが、実際には手続上あるいはこれを滲透さす上においあ、一月一日から
実施されては困るというお
考えか、それともぜひともこれを
実施しなければならないと
考えておられるのか、あるいは当事者が尖鋭化しておる今日、たとえ三箇月か六箇月から冷却期間、または備準期間、さらに新
医療費体系の是正期間というものを置いた方がいいとお
考えになるのか、この点は非常にむずかしくて御
答弁のしにくい点でありましようけれ
ども、忌憚のない点を一応速記録にとどめさせていただき、私はあすの解散に備えて、その責任上申し上げた次第であります。