○遠藤
公述人 私明治四十年に軍服を着ましてから終戦によ
つて軍服を脱ぐまで、かれこれ四十年近くも軍人生活をや
つて来たものでございます。その後開拓農民として百姓をや
つておりますので、まことに野人礼にならずで失礼なことを申し上げるかもしれませんか、あらかじめお許しを願います。
ただいま御婦人からたいへん景気のいいお話を承
つたあとを受継ぎまして、軍人であ
つた私がまことに不景気なお話を申し上げるのは恐縮でございますが、時間があまりありませんので、単刀直入に申し上げます。私は
MSA援助受諾には反対であります。この点賛成しておられる方々にはお耳ざわりのことが多かろうと思いますけれども、特に反対なさる方々に聞いていただきたくて来たのでありますから、どうぞがまんして聞いていただきたい。
この
協定を拝見いたしますと、なるほどその文字の上においては
憲法に抵触しないように用意周到に書かれてあるのを認めますが、それにもかかわらず、私この条項の中で気になるのが二つあります。本質的にはあとで申しますが、文面の上で気になるのが二つあります。その第一は、第三条に秘密保持の責任を負わされておることであります。これは
軍隊のあるところ必ず秘密があるのでありまして、秘密のあるところ必ずスパイかあります。スパイのあるところ必ず取締りがあります。この
援助を受けて
日本が再
軍備をいたしましたならば、この秘密保持のためにわれわれの自由がどんどん束縛されることは覚悟せなくてはならぬごとと存じます。私航空兵器総局長官時代この部屋にも参りました。そして皆様の御要望によりまして、航空兵器生産の状況を秘密会において御説明申し上げたことがあるのであります。これは私はぜひ
国民とともに憂いをともにし、喜びをともにしたいから発表さしてくれということを再三再四陸
海軍の当局にお願いしたけれども許していただけぬ。しかし議員諸公の御要望もありましたし、私はどうしても言わなければならぬと思いましたから、秘密会で申しましたところ、それでさえ遠藤は軍の機密を漏らしたから厳罰に処しろという
陸軍当局の御意向でありました。それだけじやありません。私の部下で軍需省に勤めてお
つた皇族に縁籍
関係をごく近く持
つておられる大尉でしたが、突如として憲兵に勾留されました。何のためかと思
つて調べてみますと、宮中
関係に航空兵器生産の秘密を漏らしておるからだという。それがどうしてわか
つたかというと、その部屋に勤めておるタイピストが憲兵のスパイであ
つた。私が軍人であ
つて、統率しておる
日本の役所にさえスパイが入
つたのだ。そうして宮中
関係に大した秘密でもないことを話したからというて勾留される。
沖縄
作戦の中途でございます。陸
海軍の当局は、沖縄をもう捨てる気持に
なつたらしい。本土決戦という、そんなことはできるものじやないと私は思いましたので、九州方面の飛行場を視察した帰りに、大阪に立ち寄りまして、飛行場に集ま
つた新聞記者諸君に、千台の戦車といえども船の上にあるときは何ら戦力にならない。しかし一台の戦車といえども、陸地に上
つたら手ごわいのだ。だから本土に敵を引きつけて戦争するがごときは、下の下策である。海の上で船に乗
つておる間に沈めるのが上策あり、その本拠を覆滅するのが上々策であるということを申しました。これは戦術の
原則です。それを申しただけで、東京に帰
つたらさつそく参謀次長が私のところにや
つて来まして、君は
日本の
作戦計画を批判した、あれじや困るじやないかという抗議を申し込まれた。参謀総長に私直接お目にかか
つてそのやり方のまずいことを申し上げたところ、参謀総長は、それはもつともだけれども、参謀本部の若い幕僚連中は非常に激昂しておる。君これから参謀本部に来るならば、憲兵の護衛をつけて来いということを申されたほどやかましいのです。相当私は軍の古参格でもありましたし、要職におる人でさえも
かくのごとき目にあうのです。いわんやこれから再
軍備いたしまして、一般
国民がどんなに言論の自由を束縛されるか想像に余りあります。われわれ
日本人が物質的にはなかなか恵まれそうにもない。
経済生活においてはずいぶん不自由は忍ばなければならぬと覚悟しておりますが、せめて精神生活だけでも終戦後
軍隊がなくな
つて、明朗な生活に入り得たことを喜んでおる。言論の自由が圧迫されぬで喜んでおるそのやさき、今度この
MSA援助によりまして、秘密保持のための責任を負うということになりましたら、この精神生活もまた暗くなるということを御覚悟願いたい。
その次に気になりますことは、この
付属書のD、これによりますと、どうもソビエト
陣営といいますか、赤色
陣営といいますか、ソビエトとも中共とも国交を回復するつもりなのか、しないつもりなのか、私は疑問なのであります。もし国交回復をせられぬとするならば、これは
日本の将来に私は非常に暗い影を残すものと思います。またそれが
原因とな
つて、窮地に陥りはせぬかということを心配いたします。というのは、これと国交回復せずに、
軍備を持ち、
軍隊を持てば――私は大正十一年に
陸軍大学を卒業いたしまして、その翌年から参謀本部の
作戦課において
作戦計画をみずからつくらされておりました。相当長い間参謀本部におりまして、また軍令部の
作戦課の兼勤参謀もや
つてお
つたのであります。
作戦計画をみずから立案したのですが、これがくせものであります。今これには明確にな
つておりませんけれども、おそらくあの条項から見ますと、中ソをやはり仮想敵国として
作戦計画が立案されるものと思います。
軍隊をつく
つた限りは、これは必ず
作戦計画を立案するものです。その
作戦計画を立案しておりますと、いくら
政治家がしつかり監督しておるなんていいましても、これは
軍隊の本質、軍人の本質から見まして、だんだんその
作戦計画を研究して行くうちに、ついその
作戦計画を実行したくなるのが弱点なのであります。そこを十分御警戒になりませんと、非常な誤りを来しはせぬかということが心配なのです。これは今申しましたのは、文面の上の私の心配を申し上げました。しかもこれは
憲法が正しく
解釈され、厳格に守られておるという前提のもとにさえも、この心配を私は持
つております。いわんやこの
憲法がいろいろに
解釈され、悪口を申しますれば、無視しあるいは曲解するようなことかあ
つたといたしましたら、この
軍隊がどうなるかということは、よほど慎重にお考えになりませんと、うつかりしたことはできないと思います。
ところでその再
軍備問題に当然触れなければたりません。この
協定の底に流れておるものは再
軍備であります。これは争われぬことと存じます。この再
軍備ということになりますと、これは実に重大な問題でありまして、現在の
憲法はこれを禁止しておりますから、このままやるということは、それは頭打ちしてどうせ大きなことはできない、現有の
程度のものにちよつと毛の生えるくらいでありましようが、しかしほんとうに必要なら、
憲法を直されてや
つたらよろしいと思いますが、私は軍人生活四十年の体験の結論として申し上げます。現在
軍隊をつくることは誤りであると言いたい。なぜかならば、再
軍備される人のお話を聞きますと、そこに根本的に
間違つておることが三つあると私は思う。
一つは
情勢判断です。再
軍備しようとする方は、やはり赤色
陣営の
侵略を覇に描いておられる。私ももちろんその間接
侵略に関しては非常に恐れております。が、少くとも直接
侵略に関しては私はないものと
判断しております。これは決して私が第六感だなんとい
つて言うのではありません。根拠を持
つて申し上げます。これは歴史と、もう
一つソビエトの戦力であります。その戦力も特に油の点から申し上げたい。ソビエトはどれだけ油を持
つておるか。原子時代になりましたけれども、せんだ
つて二月十五日でございましたか、湯川博士並びに伏見博士のお話を有田八郎さんのお宅で承りました。原子爆弾や何かは進歩しておりますが、まだ
軍隊がこの原子力によ
つて自動車を動かし、戦車事を動かし、飛行機を飛ばし、軍艦を動かすまでにはなかなかならぬ。いわんや
日本のごときは、そんなことは雲をつかむようなものだということであります。そうしますとソビエトは、今油の保有量から見まして、とうてい本格的武力戦をやる能力はないと
判断するのが、これは機略眼のある者は当然納得していただけることと存じます。(「いやそれは甘いな」と呼ぶ者あり)いや甘くても聞いてください。甘いかもしれません。しかしこれは決して私の独断ではありません。最近ソビエトに十四年間おりまして、そうして欧州
諸国をまわ
つてアメリカに帰りましたあのフィッシャーという
新聞記者、これが私と同じことを言うております。リーダース・ダイジェストの二月号を見ていただきます。それから先ごろ参りましたサンーローラン氏ですかカナダ首相も、第三次
大戦はないものと
判断しておられるようであります。しかしこれは
判断でございますから、あなたのおつしやるように甘いと言われるかもしれません、それで、あ
つたとまず仮定しても、はたして
日本の再
軍備が役に立つかということをお考え願いたい。大東亜戦争のときと現在とを比較しますと、攻撃兵器の進歩は実におびただしいのです。私から一々申し上げるにも及びません。その攻撃兵器の進歩した今日、現在われわれが予想し得るような
軍隊を持
つて、はたして直接
侵略ありと仮定した際に、
国防ができるかどうか。大東亞戦争のとき、太平洋を渡
つて来る敵に対して、どれだけの
防衛力をわれわれが持
つてお
つたか。硫黄島はわずか一方里半を二万五千の
軍隊をも
つてあれほど防戦に努めましたけれども、全員玉砕、その他の島も全部調べてごらんになればわかります。これは
日本の戦争だけではない。古来の戦史を御研究になりますと、上陸防禦なんというものは成り立
つたためしがない。真に武力をも
つて防禦しようと思
つたならば、兵学の鉄則に従うよりほかにない。それは攻撃は最良の防禦なりでありまして、敵が攻撃して来るであろうという、その武力の本拠を覆滅せぬ限りにおいては、絶対に防禦というものは成り立つものじやありません。いわんや、
MSA援助、その他なけなしの国費を費してつくり得るところの
軍隊に、どれだけのことができるか。大東亜戦争の末期、本土決戦をやるなんて言うたときは、無傷の
陸軍二百五十万ありました。それに
海軍を加えますれば
海軍は連合艦隊の船がなくな
つたのでおかに上
つてお
つたのですが、瀞百万の
軍隊をも
つてして、何で防禦できるか。現に
原爆二発の爆撃によりまして、降伏せざるを得ないようにな
つているのであります。こういうように
軍隊をも
つて、真に武力をも
つて侵略しようとするような敵に対して、内地にお
つて防禦するなんということは、絶対にできない相談であります。いわんや、
日本がつくる
軍隊はどういう
軍隊であるか。それは金を借りて優良な装備にするということは、あるいは不可能じやないかもしれませんけれども、
軍隊の機動力を動かすためには何が必要であるか。さつきも申しましたように、油がなければ自動車も動かぬ、飛行機も飛ばぬ、戦車も動かぬ、船も動かぬ、その油が
日本にあるかどうか、これをよく考えていただきたい。
アメリカから油をもらわぬ限りは動けない
軍隊である。生殺与奪の権がちやんと
アメリカに握られておるのでありますから、独立国が独立の
軍隊を持たなければならぬとい
つて軍隊をつくれは、ますますも
つて日本の自主性がなくなるものと私は
判断しております。
アメリカからにらまれ、油やらぬぞといわれれば、
軍隊をつく
つたつて動かない。その
軍隊を、かかしならまだ国力を消耗しませんが、食わせなければならぬ。われわれ
国民の双肩にかか
つておるのであります。それを
アメリカのごきげんをとらなければ動かぬような
軍隊をつくるのは、かえ
つて自主性がなくなるのみならず、だれが見た
つてこれは
アメリカの
軍隊であるというふうになりますから、ソビエトのマレンコフ氏がたといいくさをしたくなくとも、当の相手が
軍備を拡張すれば、
自分も拡張しなければならぬようにな
つて、ここに
軍備競争が再び起るようになると思う。その結果は、米ソ間の
関係をますます尖鋭化いたしまして、第三次
大戦に陥らぬとは断言できない心配を私持
つております。むしろ
日本は
軍隊を持たずに、
アメリカの友邦もけつこうでありますが、
アメリカの友邦であるがゆえに、ただちに中ソを敵にまわす必要はない。すみやかに友好
関係を回復いたしまして両者の間に立
つて、できる限り全力を尽して、米ソ衝突、武力衝突をなくするように努力することこそ、われわれの責務でもあり、使命でもあり、またそこにわれわれが生きがいを感ずるものと私は思
つております。
それからもう
一つ、ついでに申し上げたいのですが、これは少し失礼な言かもしれませんが、
軍隊をつく
つてほんとうに
軍隊になるかどうかということを、ほんとうに真剣に考えていただきたい。私、
軍隊におりましたので、こういうのは少し手前みそのようでありますけれども、天皇の
軍隊という誇りのもとに私どもは相当団結しておりました。それでさえ、革命の動機がしばしばあ
つた。三月事件しかり、昭和六年の十月事件しかり、五・一五事件しかり、二・二六事件のごときは、現に
軍隊を動かしているのであります。その際に師団長にして、あの反乱軍に激励の電報を打
つた者もあります。当時は統帥権が天皇に帰属してお
つたのでございまして、師団長に対して命令を与える権限は天皇しかなか
つた。幸いにあれで済んだのでございますが、決して天皇を統帥者として
軍隊をつくれという意味じやありませんよ。これからできる
軍隊と比較して申し上げたい。これからできる
軍隊は、遺憾ながら政党色があるものが人
つていることを御覚悟願いたい。自由党びいきの人もあるでございましようけれども、社会党びいきの人も入るでございましよう。あるいは改進党びいきの人もあるしようし、時によ
つたら共産党に興味を持
つている連中も入らぬとは言えない。そういうこんとんたる者が入りまして、現在の
日本の政情におきまして、しかも
日本の
経済状態におきまして、実際赤の宣伝なんかなくとも、赤にならぬとは言えないような不安な状態に置かれておる際に、その
軍隊を指揮する最高指揮官はだれになるのか。まだきま
つたわけじやないでしようけれども、おそらく総理大臣がなられるでございましよう。その際に、はたして無色透明に、真に
国民大衆のために動くかということに、私多大の疑問を持
つております。まかり間違えば、
政治家がしつかりしておればよろしい、あるいは文民優位で押えているからよいと言うかもしれませんが、やはり
軍隊をつくりますと、サーベルを下げた者が暴力を振うのは、これは争われざる事実であると思います。乾盆子事件、張鼓峯事件、ノモンハン事件におきまして、中央部でやつちやいかぬというのに現地の軍人がやる。
世界のどこの革命の歴史を見ましても、必ず
軍隊がそこに介在してお
つて、
軍隊が革命をや
つておるのであります。もしそれ
政治的に動く者がありましたら、たとえば現在の内閣をつぶしてやれという気になれば、これはサーベルを持っておる者ならわけがない。
自分で革命を起して殺すようなテロをやらぬでも、たとえばどつかの飛行機が飛んで来た、領空を侵したかどうかわからないけれども、それを撃墜する、外交問題を引起す、あるいはどつかへ兵を出すということにして、大きな外交問題、
政治問題に持
つて行く、その責任を問われれば内閣をつぶすということはわけがないことになります。私がもし軍人でそういう野心があ
つたら、それはやらぬとは言えぬほど私は恐れておる。こういうふうに非常に危険である。あまり
軍隊にけちをつけて悪いのですか、そこまで念を押しておやりになりませんと、取返しがつかぬことになります。
それからもう
一つ、今再
軍備しようとされて、現にや
つておるわけでありますが、国にどれだけの再
軍備するだけの基盤があるのか、ま
つたく基盤ができておらない。こんなとき
アメリカからもら
つた古兵器で武装したところの
軍隊というものは、役にも立たぬし、悪いことはせぬにしても、将来災いをなすのであります。というのは、これを新たなる装備の
軍隊、近代的な
軍隊にしようとするには、どうしたらできるかというのです。今からつく
つておりますと、宇垣一成さんか
陸軍大臣時代に、予算をふやさずして近代化をしようとした。
人員を整理したり、あるいはときによ
つたら師団を減したことがあります。しかしなかなか近代装備にかわり得ない 一旦こさえた
軍隊というものは、なかなか改善して行くことは困難であります。それを宇垣さんがやろうとして、評判が悪くて、何べんも総理のにおいだけかいでできなか
つた。
陸軍の反対が強い。現在行政整理を叫ばれておりますが、刀を持たない、サーベルを持たない官僚官吏諸君は、整理しようと思
つてお
つてもできない、いわんや軍刀を持
つた軍隊を今からつく
つてお
つて、将来兵器が進歩いたしまして、再
軍備するに
従つて、私はしないのですけれども、される方々が、現在
軍隊をつく
つてお
つて、将来新たにりつぱな、兵器ができて、
人員を整理いたしまして、近代装備のりつぱなものをつくろうとするときにはたしてできるかというと、非常に困難を来すものであります。そこを私は十分お考えのもとにや
つておられるかどうか。現在直接
侵略の心配はなし、そうして現在これほど窮迫に陥
つておる
日本か、あれだけの
軍事予算を組んで、そこにまわしておるがために、いわゆる基盤をつくるために使用すべき経費というものはそれだけ少くなるわけであります、つまり基盤をつくるにも遅れるわけでありますから、再
軍備を
希望される方々にも御忠告申し上げたい。されるならばしばらく基盤のできるまで待
つてお
つたらよいだろうと思います。ことにふしぎにたえないのは、今度保安庁法か改正になりまして直接
防衛任務を授けられることになるが、それができないことは先ほど申した
通り、しかし依然として国内治安
維持に関して任務を持つようである。国内の治安
維持に
軍隊を使うというとは実に矛盾しておる。国内治安の乱れる根源はどこにあるか、私から申し上げるまでもなく、
政治の貧困、伴
つて国民生活の不安から来るのであります。貧困から来るのであります。それが再
軍備によ
つていよいよ
国民生活が窮迫すること、これは争えない事実であります。それを武力をも
つて押えるなどということはとんでもないことでありまして、むしろ内乱の
原因になる、治安の乱れるのは、武器を持
つておる武装団体があるから、かえ
つてあぶない、これは決して私が抽象的に言うのじやありません。満州事変の翌年、昭和七年に私は、石原莞爾――後の中将です、関東軍の
作戦主任参謀の後任として向うに赴任いたしました。そのときあの烱眼をも
つて知られた石原参謀は、満州の治安を回復するには二十年かかるよという申送りでありました。なるほど奉天に到着してみますと、その到着の晩すでに奉天市中に銃声を聞く。馬賊の国にさらに張学長の二十万の
軍隊が治安を乱すのですから、手も足も出ない。それで最初
軍隊をも
つて討伐などやりましたけれども、なかなか治安は回復できない。
従つて地方民は、ことに
日本人は、自衛団と称して武装団体をつく
つておりました。これがかえ
つて災いをなすということがわかりましたので、私は翌年から方針をかえました。
日本の
軍隊以外のものは武装団体を全部やめさす。それから武器は全部買い上げる。どんなぼろ鉄砲でも高く買うからということで、みな買い上げました。武器の密輸入路をふさぎました。そうして満州国内から武器をなくし、武装団体をなくしましたところが、わずか二年にして治安を回復し得た経験を持
つております。これは
日本と満州とその趣きは違うでございましようが、絶対安全ということは決して言い得ぬのであります。現に武器がない共産主義者が火炎びんであばれたこともあります。火炎びんくらいは大したことはないです。それに同調するかもしれぬ武装団体をつくり、また兵器を民間において製作しておる。その兵器が革命を企図しておるところの赤の諸君にまわ
つて行
つたならば、それこそ革命もできるし、内乱もできる。そこに解放軍というような名のもとに来ないとも言い得ないのであります。ですから現在
日本が再
軍備するというのは、根本的に
間違つておると思うのでありますが、再
軍備を必要だとされる方も、現在はまだ早い。もう少し基盤を固めてからゆるゆるとお考えにな
つてそのときの
情勢に応じて決心されるべきだ。現在はどこまでも武装のない国として進むべきじやなかろうか。われわれの国の進む道は、私は終戦の御詔勅できま
つたと思う。万世のために大平を開くというのか、われわれの進むべき道であり、また人類社会の歩む正しい歩み方というものは、その方向に行
つているのじやないか。現に
世界のすみずみから
世界連邦の声も聞いております。それからせんだ
つて来られましたレスターさんもそういうようなことを言うておられました。レスターさんでちよつと思い起したのでつけ加えさせていただきますが、あの人が河井参議院議長の公邸にお呼ばれにな
つてお話されたのですが、私も呼ばれて面接お聞きしました。一番強く言われたのは、権力のあるところは必ず堕落ありということであります。これを何べんも繰返されました。このことはあながちレスターさんのお話を聞くまでもなく、私
フランスにおりましたとき、
フランスの義務教育の本をあさ
つてみました。民主国として一番先輩である
フランスが何を一番心配しているかというと、一人の君に権力を与えることは最も危険であり、最も不幸であるということを繰返し繰返し児童に教えているのであります。わが
日本がどれだけ民主的に訓練されておるか。私まだとても十分訓練されているとは思えない。マツカーサー元帥から十二才の子供とまで言われたほど幼稚かもしれません。それが今
軍隊をおつくりになりまして、その統率の権が総理大臣のところに行きます。総理大臣の権限はどれほど大きくなるか。警察官の任免権、知事を官選する、あるいは行政権を持
つておられるのは当然でありますが、なおまた多数党の総裁として立法権さえ相当
程度動かし得る、そういう絶大な権限をお持ちになるということは、たとい総理御自身は清廉であ
つても、やはり昔からいう虎の威をかる何とかやらで、まわりの者が腐敗せぬとは言い得ない。現在私どもが非常に不愉快に思
つております汚職事件あるいは疑獄等も、やはりこういうところに胚胎しておりはせぬか、これが
一つの大きな私の心配でありますし、もう
一つは
憲法をほんとうに
日本人として正しく守
つて来たと思う私どもとして、現在や
つておられるところの進み方というものは、どうしてもまじめに
憲法を守
つておられるように思えない。指導的
地位にある人が懸法をあのようにされるならば、われわれ庶民、
国民大衆は上の好むところ下これよりはなはだしきとはなし法網をくぐり、法律を軽視するのは当然――当然と言
つては相済みませんか、相当多くなることを覚悟しなければならぬ。この二つを非常に心配しております。私が再
軍備に反対するのは、何もいくさに負けてこりごりしたからではありません。いくさのことをしやべるのは相済みませんが、私は実際いくさは上手にや
つて参りました。金鵄勲章を二回ももらいましたし、感状も四回もらいました。至るところの戦場を勝ち抜いてや
つて参りました。しかし結局において負けましたから、私も敗軍の将の一人でありますが、私が再
軍備に疑問を持
つたのは、昭和二年の
海軍の軍縮
会議でジユネーヴに行
つたときから持ち始めた。それから昭和六年の軍縮
会議のとき
委員を仰せつけられまして研究したときに、相当
程度私はこれは軍縮すべきであるという確信を持
つたのでございます。満州事変に私お目付役の任務をもら
つて関東軍に行
つたのです。参謀本部の
作戦課から行
つた。そうしてあそこに行きましてお話を聞きますと、満州には理想の土地をつくるのだ、東洋のバルカンにしちやいかぬ、あそこに理想境をつくるのだということでありました。理想境をつくるにどうしたらいいかということをわれわれ相談しましたけれども、なかなかわからない。その際満州の干冲漢という学者がわれわれに教えてくれた。理想の満州をつくるならば、
軍隊のない独立
国家にしなさいということを教えてくれた。私は非常にありがたく感じました。それから
フランスに遊んでおりましたとき、あのクーデンホーフエの欧州連邦の説によりまして、近代
国家観は修正しなければならぬ、独立
国家であるからその
主権が絶対であるというような考えを持
つてお
つたのじや、いくさは絶えません。どうしてもこれは修正しなければならぬ、連邦組織にして行くべきであるということをクーデンホーフエの説によ
つて、いくらか頭を進歩させていただいたわけです。