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1954-03-22 第19回国会 衆議院 外務委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年三月二十二日(月曜日)     午前十時三十二分開議  出席委員    委員長 上塚  司君    理事 今村 忠助君 理事 富田 健治君    理事 福田 篤泰君 理事 野田 卯一君    理事 並木 芳雄君 理事 穗積 七郎君    理事 戸叶 里子君       麻生太賀吉君    大橋 忠一君       北 れい吉君    佐々木盛雄君       福井  勇君    増田甲子七君       喜多壯一郎君    須磨彌吉郎君       上林與市郎君    福田 昌子君       細迫 兼光君    加藤 勘十君       河野  密君    西尾 末廣君  出席国務大臣         外 務 大 臣 岡崎 勝男君  出席公述人         静岡大学教授  鈴木 安蔵君         法政大学教授  安井  郁君         愛知大学教授  入江啓四郎君         一橋大学教授  大平 善梧君         時事新報主幹  内海 丁三君  委員外出席者         専  門  員 佐藤 敏人君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  日本国アメリカ合衆国との間の相互防衛援助  協定批准について承認を求めるの件(条約第  八号)  農産物の購入に関する日本国アメリカ合衆国  との間の協定締結について承認を求めるの件  (条約第九号)  経済的措置に関する日本国アメリカ合衆国と  の間の協定締結について承認を求めるの件(  条約第一〇号)  投資の保証に関する日本国アメリカ合衆国と  の間の協定締結について承認を求めるの件(  条約第一一号)     ―――――――――――――
  2. 上塚司

    ○上塚委員長 これより外務委員会公聴会を開会いたします。  本日は、日本国アメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定批准について承認を求めるの件外三件につきまして、公述人より意見を聴取することといたします。  開会にあたり、本日御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。申すまでもなく、目下本委員会において審議中の日本国アメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定批准について承認を求めるの件外三件は、今国会における最も重要なる案件の一つであります。よつて委員会においては、すでに前後十日間にわたり連日審議を重ね、ようやく総括的質問を終了したところであります。これより逐条審議に入るにあたり、さらに広く各層にわたり学識経験者各位の御意見を聞き、参考に資したいと考えます。従つて各位におかれましては、その立場々々より御腹蔵なき御意見の開陳をお願いいたします。本日は、御多忙中のところ貴重な時間をおさきくださいまして御出席いただきましたことは、委員長といたしまして厚く御礼を申し上げる次第であります。  なお議事の順序を申し上げますと、公述人発言の時間は大体三十分程度といたし、その後において委員より質疑もあることと存じますが、これに対してもおさしつかえのない限り、忌憚なきお答えをお願いいたしたいのであります。なお念のため申し上げておきますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を受けることになつております。また発言内容は、意見を聞こうとする案件範囲を越えてはならないことになつております。また委員公述人に対し質疑することはできますが、公述人委員に対して質疑することはできませんから、さよう御了承願います。なお発言の劈頭に職業と氏名を御紹介願います。  それではまず静岡大学教授鈴木安蔵君にお願いいたします。
  3. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 静岡大学において憲法を担任しております鈴木安蔵であります。公述人として意見を求められたのは、日本国アメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定その他関係協定三件でありますが、私の専門といたしますところから、主として相互防衛援助協定自体について意見を述べたいと思います。約三十分ということでございましたが、多少時間が超過するかもしれませんので、御了承いただきたいと思います。  憲法学者としてこの問題に対します際に、法律解釈論政策論と、この二つが課題になるのであります。狭い意味憲法学、すなわち憲法解釈論という点から申しますと、法律解釈論だけが憲法学者の任務とされておりますが、私はそう思いません。憲法というような国政の基準を定める法規範に関する意見の陳述におきましては、当然にその研究すべき協定なら協定がどのような実際的な政治効果を持つかということを考えずして法律解釈論は十分ではありません。しかし、本日は主として法律解釈論に限りたいと思います。必要がある場合に、政策論に若干論及したいと思います。  さて、そういう観点から第一に問題になりますのは、すなわちこの協定憲法に適合するかしないか、この点であります。それには、まず日本国憲法が何を定めておるかということを確定しなければなりません。申すまでもなく、日本国憲法は国の最高法規でありまして、憲法自体において、特に天皇を初め、一切の公務員が尊重し、擁護する義務を買うと定めております。そうしてその尊重し、擁護する義務を負うというのは、九十九条に明記してありますように、この憲法、すなわち現行日本国憲法であります。ちなみに最近一般社会におきましても、ある場合には学界の一部におきましても、この憲法自体が、形式的には日本国現在の最高法規であるけれども、その制定由来にかんがみて、今日一応独立した日本においては、真実の実質的な最高法規たる権威を十分に認めることができない、こういう見解があるのでありますが、もしもそういう見解がある程度の真実性を持つとするならば、私どもはただいま読み上げました憲法尊重し、擁護する義務を負うということを、心から憲法上の義務として受入れることができない。それで私もその問題に一応触れておきたいと思うのであります。日本国憲法典をひもといてみますと、まつ先昭和二十一年十一月三日のあの上諭またその副書によつて明らかであると思うのでありますが、この憲法はその制定政治的由来はどうあれ、日本国として公式に制定公布したものであること申すまでもありません。従つてども日本国民として、また日本政府として、また日本国会国会議員としてこれを外部的な圧力によるものである、押しつけられたものであるというような判断を下すことはできません。日本国として公式に責任をとつて制定いたしました憲法でありまして、法理論的に見れば、あくまでもわれわれが今日において日本国として、日本国民として当然にこれを尊重し、その責任を負うべき正式の憲法典である、すなわち最高法規としてあくまでも尊重、遵守されなければならないものであると思います。もしもその内容について不満がある、あるいは今日の情勢において、この条文をもつてしては国政の正しい運用、すなわち国民全体の基本的人権尊重をなし得ないと考えまするならば、当然に正式に改正をいたすべきものでありまして、改正されない限り、すなわちこの憲法の存在する限り、何人尊重し擁護しなければなりません。  さて現行憲法は、問題の戦争ないしは条約に関して何を定めておるか。申すまでもなく前文における宣言にありますように、この憲法は、人類普遍原理である国民主権原理をみずからの基本原理といたすのでありますが、その国民主権原理を採用いたします根本理由として、前文冒頭において、再び政府行為によつて戦争惨禍を巻き起さないように、そういうことのために、この人類普遍原理であるところの国民主権原理を採用するものであるということを宣言しておるのであります。また第二項におきましては、日本国民の安全と生存、すなわちいわゆる自衛権の問題の解決について、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する、こういう態度宣言いたしております。さらに進んで、何人も恐怖と缺乏から免れ、平和のうちに生存する権利があるということを確認しております。最後に以上の理想は、国家の名誉にかけて、全力をあげてこれを達成する、こういうことを誓つておるのであります。前文は、申すまでもなく日本国憲法におきましては、憲法典の一部であります。他の憲法条規とその法規的効力において区別すべきものではありません。学者によつて前文条文規定のように法規範としての、たとえば裁判規範としての妥当性を持ち得ないと言う学者もあるのでありますけれども、これは誤解である。日本国憲法を見ますると、前文とここで申しておりますのは、われわれが通称そう申すのでありましてたとえば第四フランス共和国憲法の場合のように、特に前文として条文から切り離してはございません。憲法典の一部でありまして、そうである限り、なるほど各条文規定のように、比較的裁判規範としても適用され得るような具体性を持たない形である部分もありますけれども、しかし十分に法規範としての一般的な具体性を持つておる。従つてどもはいわゆる前文における条文を他の憲法条文と特に区別して、それは単なる宣言である、単なる理想のプログラム・フオールシユリフトであるというような解釈はとりません。従つて以上前文において述べられてあります。ところのことは、すなわち何よりも先に、日本国憲法が、政府行為によつて再び戦争惨禍が起らない、こういうことを期待した、そのためにこそ国民主権ということが必要である。もしも国民主権を確立しないで、明治憲法基本原理である天皇主権を存続せしめるならば、再び政府行為によつて戦争惨禍が巻き起を危険がある、こういう反省と論理との上に立つておるのであります。また日本国民生存と安全、すなわちいわゆる自衛権の問題の解決の仕方におきましては、この憲法制定されますまでの国際通念であつたとも言い得るところの考え方によりますと、一国の生存と安全は、究極するところその国の実力担保とする、力及ばずといえども、急迫不正の攻撃が起つた場合には、国の全力をあげてこれと戦う。今日国際法が比較にならないほど発展しておりますけれども、なお現在国際社会におきましては、絶対主権国家が対立しておる。ある場合には不法侵略も行われるかもしれない。こういう想定のもとに、みずからの生存と安全は、究極するところ自国の実力担保とする、こういう考え方であつたと思うのでありますが、この憲法は一そういう考え方をさらに越えて、いやしくも全世界の諸国民は平和を愛好するものである。従つてその平和愛好の諸国民、すなわち全世界の諸国民の公正と信義は信頼し得るものである。かりそめにも、ある国が突如不法侵略をする、あるいは自衛に名をかりて侵略戦争をしかける、そういうような懐疑を持たない、不信の念を持たないのであります。従つて従来の国際法上の自衛権観念をさらに超克いたしまして、そういう平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれ自身自衛の問題は安んじて解決することができる。こういう態度をとつておると私は解釈するのであります。従いまして、この憲法前文自体において、日本国民生存と安全ということを言つておるのでありますから、いわゆる自衛権を否定するものではもちろんない。ただ、自衛権行使するにあたつて、従来国際法上考えられておつたところのそういう実力軍隊、そういうものによつて一切それを守るというような考え方を一歩超克しておると申さなければなりません。従つて第九条の規定におきましては、何人も明らかなように、戦争放棄、こういう標題を付しておる。つまり侵略戦争放棄であるとか、そういうものではありません。戦争一般について、戦争というものを放棄する、こういう題を定めておるのであります。そういたしますと、今日戦争には侵略戦争自衛戦争、あるいは制裁戦争、この三つがあると普通言うのでありますけれども日本国憲法においてはそういう区別をしない。いやしくも戦争なるものを放棄する、こういう標題を付しておるのであります。それはただいま申しました前文考え方にまさに照応するものである。従つて、第九条の規定解釈いたします際に、私どもは以上のような前文においてすでに宣明された一般原則の上に立たなければならない。  次に第九条に入りますると、第九条の第一項は、条文を読み上げるまでもなく、この中には御承知のように、国際紛争解決する手段としては、戦争その他これに類似する行為をすべて永久に放棄すると定めております。今日までの本院における論議はつぶさに拝見する機会がないのでありますけれども、私は次の三点において、学界における論議と比して、若干の理論的の不十分さがあるのではないかと思うので、本日の公述もその点に重点を置きたいと思うのでありますが、第一に、人々はこの第九条第一項の規定につきまして、これは一九二八年のいわゆる不戦条約第一条の定める趣意をとつたものである。不戦条約においては、御承知のように明文をもつてそのことを規定いたしませんけれども、当時の了解事項として、相互に通告された事項として、自衛戦争制裁戦争、こういうものは、ここで放棄していない、侵略戦争を主として放棄するものであるというふうにされておるのであります。そこで、第九条第一項は、この不戦条約意味をそのまま持つて来たのであるというふうに考えられておるようでありますが、私はその点が第一理論的に注意が足りないと思う。いわゆる不戦条約の第一条は、国家政策手段としての戦争放棄しておるにすぎないのであります。もちろん同条の明記いたしますように、「国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ、」こういうことがある。けれども直接にこの不戦条約放棄しておりますのは、国際紛争解決のための戦争放棄しておるのでありません。国際紛争解決のため戦争に訴えることはいけないからと申してはおりますが、直接に放棄いたしておりますのは、国家政策手段としての戦争であります。これは私は違う。日本国憲法第九条第一項におきましては、国家政策手段としての戦争放棄しておるというような簡単なものではありません。国際紛争解解決手段としては戦争放棄する、武力による威嚇を放棄し、武力行使放棄する、つまり不戦条約に比して次のような点においてさらに前文の徹底した平和主義に即応しておるのであります。すなわち国際紛争解決する手段としてはということは、国家政策としての戦争放棄するということよりもはるかに広い、たとえば他国よりいわゆる侵略される、あるいは邦人の生命財産その他の諸権益が侵された、こういう場合に、今日の国際法上の通念から申しますと、これに対して抗議する、あるいは相手の国の行動中止を要求する、そういう不法な侵略はけしからぬから至急やめてもらいたいということを、相手国に対しましてもその他の諸国に対しても当然呼びかける、そうして原状の回復ないしは救済を求めるのであります。こういう行動は、私どもの解するところによれば、すでにりつぱな国際紛争であります。国と国との間において、あるいは一国と数多の国との間において、一定相互に了解し合わない事態について争う、これは当然国際紛争である。それが侵略された国といたしましてそういう要求をいたしました場合に、単に要求しただけではいられない、またじつとしておれば国が滅びるというようなことによつて武力行使あるいはそういう不法な侵略国に対してはわれわれは絶対に外交関係を持つことができない、われわれも当然これに対して戦いを宣言する、つまり国際法上の厳密な意味における戦争宣言をする、こういうような事態は、今日までの常識から申しますと当然展開されるのでありますけれども、そういう場合には、かりにそれが一方から考えて自衛戦争と考えられます場合にも、私は日本国憲法においては、すでに国際紛争解決する手段としては一切のものを放棄するといつている以上、これはできない。つまりそこまで不可能ならしめるほどに憲法は厳密に制限しておる。これがかりに国家政策としての戦争放棄するという、不戦条約規定でありますならば、ただいま申しましたようなことは当然合法的になし得るのであります。しかし「国際紛争解決する手段としては、」という日本国憲法規定から申しますならば、すでにそういう場合も合憲的にはとうていできないと考えるのであります。  次に、同じことでありますが、今日までの論議において言われておるように、自衛権発動の場合ならば戦争行為もなし得るというようなことは、これはもちろん日本国憲法の許すところではありません。かりにも戦争というものは、国際法上これをいれられなければ戦争行為に入るという条件付最後通牒を発する、あるいは公然と宣戦布告をして開始するか、いずれにせよそういう戦争行為でありますが、そういうものは必ずや単に盲めつぽうに宣戦を布告するということはありません。そこで宣戦を布告する、あるいは最後通牒を発する国際紛争が必ずあるのでありますから、かりにそれが自衛権発動と考えられる場合でありましても、そういう意味自衛戦争はできない。ただ一つなし得ることは、実際問題として、私は今日の国際社会においてそういう事態が起るということはとうてい考え得ないのでありますが、論理的に推し進めて参りまするならば、突如としてある国より不法侵略された、こういう場合に、敵国軍隊がわれわれの領土の中に入つて来て、縦横無尽に略奪暴行をほしいままにするというような事態、この際われわれがそれぞれの方法をもつてこれに抵抗する、こういうことは当然に自立行為として生ずるでありましようし、またそれを否定することはできない。それは当然憲法にも容認するところであろうと思う。しかしながらそれはぎりぎりとそういう場合でありまして、さらにそういう際に、つまり国際紛争段階に、今日の国際社会においては当然ただちに入るのでありますが、そういう場合に、戦争行為あるいは武力行使を警告をするということは憲法は認めない、あくまでもやむを得ざる、まつたく緊急不正の急迫したそういう危害をやむを得ず力をもつて防ぐというぎりぎりの一線は認めますけれども、一歩立ち直つて、さらに相手軍隊領土から追い払う、あるいはそういうことについて世界に対し相手国に対してこの中止を要求する、こういう段階に入りましたならば、そういう事実上の実力抵抗さえも日本国憲法は認めない、これは今日まで解釈されましたのとは若干違うと思うのであります。つまり憲法はすでに前文において宣言しておりまするように、そもそもそういうような事態が起るということを予想しない、そういうことはあり得ない。つまり平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する、そういう態度をとつておるのでありますから、第九条におきましても、不戦条約とは違いまして徹底的に従来のあらゆる国際法自衛のための戦争自衛のための正当防衛というふうに考えられて認められた行動につきましても、なし得ないような規定を、すでに第一項に置いておるといわなければなりません。第一項は、従つてすでに不戦条約以上に日本国としての、日本国民としての、そういういわゆる緊急不正の危害に対しましても、とり得る組織的の実力的の行動について、非常に厳密な制限を置いておる規定でありますが、第二項に入りますると、これはさらに諸国憲法にまつたく類例のないところの徹底した平和主義規定をとつておるのであります。すでに第一項の規定自身不戦条約を越えておる、さらに国際連合憲章等において個別的あるいは集団的安全保障、こういうような概念において考えられておるよりも、はるかに徹底してみずからの行動制限する規定を設けておるのでありますが、第二項に入りますると、さらにそれが徹底しておるのであります。前項の目的を達するためというのは、これは立法者の意図によりますると、つまり自衛のための軍隊は持ち得る、こういう解釈を生ぜしめるために、あえて当時帝国議会において修正したのであると今日称せられておりますけれども、しかし前文及び第一項の以上の趣旨から考えて参りますると、そういう立法者の修正は決して十分に成功しておるとは申せません。なぜならば、以上のような立場に立ちまして、一切の軍備を持たない、軍備に類するものを持たない、こういうことによつて初めて前項のような、ただいま申しましたような徹底した自粛、自己制限が可能となるのであります。そうでありませんならば、一定軍隊を持つておる、あるいはこれに類似する実力を持つておる、戦力を持つておるという場合に、実際問題といたしまして、必ずや憲法第九条第一項の制限しておりますような限度にとどまらないで、進んで敵を撃つ、あるいはさらに外交交渉を重ねつつ実力をもつてみずからの主張を貫く、こういう事態が起ることは必然であるのでありましてそういうことを一切なからしめるために、すなわち「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」という大胆な規定をいたしたものといわなければなりません。特に第一項において「正義秩序基調とする国際平和を誠実に希求し、」と言つておるのでありますから、そういう態度は、かりにもある国は侵略するであろうというような仮想敵国を考えてそれに対抗するためには、万一の場合を考えて軍備を持たなければならない、こういうような従来のありふれた国家態度でないことは、これは前文において明瞭であります。さらに正義秩序基調とする国際平和を誠実に希求するという九条第一項の言葉自体がそのことを意味しておるといわなければなりません。またこの自衛のための軍備国際紛争解決手段たる行為をなし得る軍備と、この二つ観念上もちろん区別することはできるのでありますけれども、実の問題として、ことに今日の科学兵器の発達にかんがみまして、このことを区別することは不可能である。いや、しくも憲法がそういう重大な問題について、現実的にとうてい識別することのできない概念を採用しておるとは私には考えられない。たとえば日本自衛、安全、防衛、おのおのニユアンスはありますけれども、そういう言葉によつて意味せられますことを、もしも冷静に軍事科学的に今日考えましたならばどういうことになるでありましようか。私は太平洋戦争におきまして第二国民兵役として最後軍隊ひつぱられたのではありますが、この問題は、しろうとではありますけれども、非常に熾烈な関心を持つておる。そして私ども戦争中多くの友人、先輩たち、かなりまじめにそういう人々言葉に耳を傾けた経験から申しますと、これは本院の本会議、あるいは委員会におきましてそういう発言があつたことが新聞によつてわかるのでありますが、日本のほんとうの安全のために、日本本土を真に自衛し得るために、当時の考え方からは、少くとも満州国、あるいは華北方面は絶対の国防線であると考えられた。さらにある論者は、少くともハバロフスク以東、あるいはさらに上海方面、こういう方面を真に日本と友好的な支配にしておく、あるいは日本自身の力のもとに置く、こういうことにしなければ日本の安全はないという考え方であつたと思うのであります。当時においてもそうであつたとするならば、今日の科学兵器のもとにおいても当然そうであると思う。ウラジオストツクはもちろんでありまするが、少くともハバロフスク――ここにはソ連の相当有力な航空基地のあることは、すでに周知のことでありますが、こういうところを、さらに瀋陽、北京、上海、すべてこの地域の範囲内における敵の原爆搭載機日本本土攻撃いたします。そういう基地先制攻撃を加えるということでなければ、今日の軍事科学常識から申しまして、日本本土の安全ということは考えられないと私は思う。他方もしも米英と再び戦争をするというような不幸な状態を論理的に考えますならば、ハワイ、ウエーキ、アラスカ、フイリピン、こういう線を当然に先制攻撃を加えなければ、今日の状態においては日本本土の安全ということはあり得ません。しかるに以上のような、場合によつて先制攻撃も加え得るようなものがかりに自衛のための軍備であり、戦力であるといたしますならば、今日の常識において、当然これは国際紛争解決手段としてきわめて有力な軍備戦力となるのであります。従つて現実の問題として、その二つは区別することができない。ゆえに憲法は、前項の目的を達するためには一切軍備なるものを持たない、持たないことによつて初めて、絶対にそういう国際紛争解決する手段として行動することもしないということを保障しておるものと解釈するのであります。  なお「陸海空軍その他の戦力」と憲法規定しておるのでありますが、これは陸軍、海軍、空軍三軍が統合されることを禁止されているというような、そういうものではありません。陸軍、海軍、空軍おのおのや、もちろんそれらの統合されたものも持たない、またその陸軍、海軍、空軍が現代の科学兵器のもとにおいて有力に外国と戦闘し得るそういう実力、こういうことを憲法は何ら定めておりません。そういう力が弱くても正規の陸軍、海軍、空軍、あるいは陸海空軍というものでありまするならばそれは持たない、率直にそう申しておるのであります。またその他の戦力――「陸海空軍その他の戦力」とありますが、これは文脈上何人にも明らかなように、陸軍、海軍、空軍、あるいは陸海空軍というそういう正規の軍隊は持たない、しかしさらにそれのみならずそういう正規の軍隊にまで立ち至らない、つまり実力において、その組織において、その訓練において陸海空軍よりも劣るところのその他のものも、つまり第二次的に憲法がこれを禁止しておることはきわめて明瞭であります。従つて陸海空軍であつても、戦力を持たなければ持つてさしつかえないということは、論理上とうてい解釈が出て来ない。その他の戦力――戦力については憲法自体何ものも定めておりません。憲法自身がそれについて条文解釈をいたしておりません限りは、私どもとしましては、これは国民主権憲法でありますから、現代の国民生活において通念として妥当とするそういう考え方を、当然憲法は前提としておるといわなければなりません。専制国家においては、国民一般の理解し得ないような、特に専門家あるいは支配階級のみが用いるような用語を法律上用いることが通例でありましたけれども、現代の国民主権国家においてそのようなことはあり得ない。従つて戦力というような言葉は、一般国民生活において常識的に承認し得る内容のものと解釈してよろしいのであります。あるいはまた、一般に社会科学において、あるいは他の国の憲法において採用されておるところのそういう考え方によつて解釈すべきものであります。  それらを総合いたしますと、憲法において武力行使、あるいはこれまでの関係法規において兵力というような言葉を使つておるのとある程度一致いたしますが、さらに広いと思う。私ども太平洋戦争のさ中において、戦力という言葉をいろいろと使いましたけれども、それは実に今日のいわゆる総力戦のもとにおきましては、非常に広汎な範囲に及んでおるのであります。私個人の見解といたしましては、少くとも国内の治安を維持するに必要にして十分な実力、装備、それがすなわち警察力の観念でありますが、それを越ゆると客観的に判断されるところの実力、装備、施設、またこれらを可能ならしめる諸産業、すなわちこれが戦力であります。そう解釈する方が、太平洋戦争に際して、戦力増強という言葉をわれわれ国民全体がまじめ信じて、そういう運動をしたわけでありますが、そういう場合の戦力概念にも一致する、また今日の社会科学において戦力という考え方にも一致する。憲法はそれを拒否して、近代戦を有効に遂行し得るところのそういう力、そういうふうに解釈する理由は全然ないと思うのであります。従つてつまり何ものも持ち得ない。持ち得るのはつまり警察力であるというのが、憲法の趣旨であるということはきわめて明瞭であろうと思う。  さらに「国の交戦権は、これを認めない。」、これについても、学界においてはほぼ異議がないところであると考えるのであります。すなわちそれは単に国際法上認められるところの交戦国の権利、しかもそれを狭く解釈しまして、敵性諸船舶の拿捕、あるいは俘虜、そういうような狭い交戦国としての権利のみに限らない、つまり交戦し得る権利、戦闘行為をなし得る権利、平時ならばとうてい認められないところの、相手敵国人といえどもひとしく人類でありますが、そういうものを当然のこととして殺傷し得る権利、戦闘行為を交える権利、戦争をなし得る権利、これをあわせ含むことは申すまでもないと思うのであります。そうしますと、「国の交戦権は、これを認めない。」ということは、以上申し述べましたような趣旨をさらに徹底して、一切の戦闘行為日本国として不可能ならしめるように憲法は定めたものと解釈しなければなりません。さらに、かりに反対説のように、この憲法自衛のための軍備は持ち得る、自衛のための戦争行為はなし得るということを前提とする憲法でありまするならば、いやしくもそういう自衛のための軍隊の存在を容認する、自衛のための戦争行為を容認するのでありますならば、これはきわめて重要な国政作用でありまして、当然日本国憲法原理から申しますると、行政権の最高機関がこれをつかさどるものと思うのでありますが、そういう重要な事項について、憲法第七十二条ないし第七十三条がこれについての定めをしないということは考え得ない。日本国憲法は比較的詳細な成文憲法でありますが、第七十三条は、内閣の権限に関して一般行政事務のほか特に重要なものを列記しているのでありますが、当然そういうところに統帥権あるいは兵力量決定の問題、これらに関して――兵力量決定の問題は、そういう論理で仮定いたしますならば、憲法のもとにおいては当然国会の権限であると思いますが、統帥権ということになれば、これは行政権が当然扱うものであろうと思う。そういうことについての規定を置かないということは考えられない。学者によつては、統帥権といつて明治憲法の場合とは性質が違うから、あえて第七十三条に列記しなくても当然のこととして、内閣総理大臣の権限である一般行政事務のうちに入るというのでありますが、これほど詳細に諸事項について規定しているところの憲法が、統帥権というような重要な事項に関して何らの規定も置かないということは考えられない。つまり憲法自体としていかなる形態においても軍隊は持たない、いかなる形態においても戦争行為はしないということを前提としているから、こういう憲法構成が了解されると思うのであります。さらにこの憲法制定のとき、旧刑法第八十一条、第八十二条を改めまして、また第八十三条、八十四条、八十五条、八十六条は廃止しております。時間の関係上読み上げませんけれども、旧刑法のただいまの条文は、つまり通敵行為あるいは自国の軍隊の機密を敵国に知らせる、こういうようなことを重罪をもつて禁止しておるところの規定であります。かりにも自衛のための軍隊を持つてよい、自衛のためには戦争行為をしてもよいという憲法でありまするならば、それに相関連する付属法典において、若干の修正はいたしましても、そういう条項を削る必要はない。つまり当時の憲法制定者及び一般立法関係者は、当然のこととして、そのようなことはあり得ないとして、旧刑法の第八十一条から八十六条までについて根本的な改廃を行つたものと解釈することができるのであります。これを要するに現行憲法は、自衛のためといえども軍隊その他それに類似するものは一切持たない、また一切の交戦権はこれを認めないという態度であることがきわめて明瞭であると思うのであります。これについては、制定当時の総理大臣その他憲法関係大臣たちのたくさんの発言がございますが、これは時間の関係上省略いたします。いずれも以上のように解釈された日本国憲法平和主義を認めておるのであります。これが憲法のありのままの規定である、ありのままの精神である。  そういたしますると、私どもは今回問題となつておりまする協定を、現行憲法の以上のような観点から判断せざるを得ないのであります。この協定は申すまでもなく独立した、これ自身として独立的に私どもの判断の対象になるのでございますが、しかし外務省の説明書及び政府の提案理由説明にもありますように、これは昨年六月アメリカ合衆国議会において成立した相互安全保障法改正法に基くところの防衛援助についての協定なのであります。日本国内の立法機関だけにおいて立法する法案でありますならば、独立的に考察してよいのでありますけれども、これは条約の一種であるところの重要な協定である。相手国のあることでありますから、この本協定自身を考察する前に、その根源となつておるところのこのアメリカ自身の法を一応見る必要がある。  これを以下簡単にMSAと略称いたしますが、MSAは一体いかなる性格を持つた法であるか、その性格いかんによつては、そういう法に基くところの条約協定というものを日本国として結ぶことが合憲的にできるかどうかという問題が起ると考えるのであります。さてMSAは、これはすでに文書のあることでありますから簡単に申しますが、何よりも先にアメリカの安全保障を強化するために……。
  4. 上塚司

    ○上塚委員長 鈴木君に申しますが、時間もすでに経過いたしておることでありますから、なるべく簡単にお願いいたします。
  5. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 承知いたしました。――アメリカの国家的利益のためのものと明記されておりますが、これは当然でありましよう。いずれの国といえども、自国の安全、自国の利益のために法を定めることは当然であります。従つて日本国としましては、そういうことを了解しなければならない。かかる見地から、MSAは被援助国が自国の防衛能力及び自由世界防衛力の増進及び維持のために、全面的に協力を行うことを要求しておるのであります。またその地域における集団的安全保障を推進する計画に参加することを要求する法であります。そうすると本協定ではなしに、アメリカの法であるMSA自身にいうところのものは、日本国憲法の以上申しましたような基本原理及び規定から申しますと、非常に相いれないものである。すでに以上のような憲法を有する日本が、このような性格を持つ法に基く外交交渉に応ずるということが、憲法上はたして適当であるかどうか、私はこれはきわめて不適当であると思う。なおこのMSAにいうところの防衛能力、防衛力、こういう言葉は、本協定に出て参るのでありますけれども、アメリカの法における防衛能力、防衛力ということは、これは申すまでもなく、今日の通念におけるところのいわゆる軍備軍隊戦力、こういう言葉とまつたく同じであることは、一点の疑いもありません、さて本協定自身に入りますと、すでに以上述べましたような点から申しまして、私は日本国憲法立場から、合憲的にとうてい結ぶことができない協定ではないか。つまり防衛力とか防衛能力ということを政府当局はすでに周知のように解釈して、そしてさしつかえないとするのでありますけれども、私はそうは認められない。防衛力、防衛能力、あるいは政府解釈する戦力、そういう考え方日本国憲法の厳密な考え方からいうと認められない。そうすると、すでにこれは憲法に違反した協定を結ぶことになる。憲法に違反しないとするには、すでに周知のような解釈を持つて来ざるを得ない。けれどもその解釈自身は、とうてい認めることができない。従つて最小限度憲法を改正いたしまして、しかる後でなければこの協定は実質的に合憲的に結ぶことが私はできないと思う。但し以上述べましたような、日本国憲法の他の諸国憲法に類例のない本質的な特質を、憲法改正の形式的手続によつてこれを変更いたしますことが、日本国憲法自身にどういう影響を与えるかということは、これはおのずから別個の問題であります。私の考えでは、そういう改正が形式的に合憲的になされましたならば、その瞬間において現行日本国憲法の法的本質は失われると考えるのであります。  なお一言いたしておきますと、防衛とか自衛とか、こういうことにつきましては、国際法の諸教授も後に触れられると思うのでありますが、憲法に相関連する限りにおいて申し上げますと、私どもの理解するところでは、今日の国際法上の通念としても、単に突如として不法侵略されたから、これに対して正当防衛的に力をもつて抵抗する、こういうことだけを認めておるのではありません。そういうような自衛権行使と認められるような諸条件が発生した場合には、時として先制攻撃を加えることも、自衛権の当然の行使として認められる、これが国際法上において主張されておる一つの主張であります。そういたしますと、ちようど日本が真珠湾を攻撃いたしましたのも、アメリカ側から見ますと、不法戦争を開始したものと見られておりますけれども、当時の論理におきましては、おそらく真珠湾を先制攻撃を加えなければ、もはや日本自身の安全が保たれない、こういう論理であつたと思うのであります。これは今後といえどもなお繰返される可能性がある。つまり今日海外出兵することは何ら要求していないと申しますけれども自衛権行使という条件がそろうという場合には、当然のこととして先制攻撃を加える。ましていわんや敵の航空機を追つてさらに領海以上に出る、あるいはまた相当相手国の沿岸に接近して、先方の侵略的攻撃の息の根をとめるというようなことは、自衛権観念上も当然に生ずることでありますし、また一たび一定軍隊を持ち、一定のそういう自衛権戦争を肯定する段階に入りましたならば、近代戦の当然の内在的の論理として、そういう事態は必然的に展開して参るのであります。そういたしますと、もはや日本国憲法は、その前文、その第九条、その憲法の全構造からいたしまして、根本から破壊されてしまう。のみならず、いやしくもこの協定を結びますと、すでに問題になつておりますように、秘密保護法というものができる。あるいはまたこの秘密保護法は、単に憲法第二十一条に抵触するというだけのものではないと思う。すでに政府当局は、二十二、三万円までの壮丁ならば義勇志願兵でよろしいが、それ以上越える場合には、徴兵制をしかなければならないだろうということを言つておる。これは事実でありましよう。そうすると、それは単に憲法第十八条に反するというだけではございません。つまり基本的人権に関する日本国憲法の重要な性格が、この協定を結んだその結果として当然に変更されると考えるのであります。
  6. 上塚司

    ○上塚委員長 ありがとうございました。時間の節約の都合上、質問は午前中の公述人三君の公述の終りましたあとでお願いすることといたしまして、次は法政大学教授安井郁君にお願いいたします。
  7. 安井郁

    ○安井公述人 日米相互防衛援助協定を中心とするいわゆるMSA協定は、日本の運命にとつてきわめて重大な意義を持つものでありますから、これに対してはあらゆる角度から徹底的な検討と批判が加えられなければなりません。この公聴会においても、各方面の方々からそれぞれの意見が述べられることになつておりますが、私は主として国際政治と国際法立場から、特に国際政治の立場から、MSA協定に対する反対意見を述べることにいたします。日本国憲法との関係については、ただいまも鈴木教授から憲法学者としての専門的な意見が述べられましたが、私の立場からも憲法の問題に触れる必要があると思います。  最初に、協定とか条約とかいうものの基本的な見方について一言しておくことは、決して無用のわざではありません。私たちが一つの協定に対する賛否を決定する場合に、まずその規定内容を検討するのは当然のことであります。しかし個々の条項の形式的、技術的考察に終始していては、その協定に対する真の批判はできません。私たちは個々の条項の形式的、技術的考察を越えて、さらにその協定の背景、現実的機能の探究へと進まなければなりません。それらを正しく認識したときに、私たちは初めて、その協定に対する賛否を決定することができるのであります。これは国際法学の方法論の根本に触れる問題であると言えるでありましよう。私は昨年日米通商航海条約に関する公聴会において、この方法論を述べましたので、御記憶くださる方もあろうかと思います。  今一例をサンフランシスコ平和条約及び百米安全保障条約にとることにいたしましよう。これらの条約を形式的、技術的に考察すれば、平和条約日本に主権と独立を与え、安保条約日本の平和と安全を守るものでありますが、これらの条約の営む現実的機能は、それとは遠いものであります。平和条約の発効後も、日本に真の主権と独立はなく、日本にとつて重大な意義を持つ中国問題の処理についても、自由は認められておりません。しかも全国には幾百の軍事基地が設けられてしまいました。今となつては、これらの軍事基地を取除くことは容易なことではありません。私たちがサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約に反対したのは、それらがかかる結果をもたらすことを見通したからであります。  当面の問題であるMSAは、第二次世界戦争後の国際情勢を背景として、数年前にアメリカのつくり出した体制であります。スターリンは「ソ同盟における社会主義の経済的諸問題」と題する論文の中で、第二次世界戦争の最も重要な経済的帰結は、全体を包括する単一世界市場の崩壊であり、この事情は、世界資本主義体制の全般的危機を一層深めたと述べております。まことに第二次世界戦争後における共産圏の拡大が、資本主義世界に与えた影響は深刻なものがあり、ここに米ソの矛盾は、国際情勢において支配的な地位を占めるに至りました。この国際情勢のもとに、アメリカは総力をあげて、全世界にわたる反共体制の確立に乗り出したのであり、MSA体制はその重大な一環として取上げられたわけであります。  MSA体制の背景をなす国際情勢は、今日においても依然として続いております。私もこれを全面的に否定するものではありません。しかしそれと同時に、昨年あたりから国際情勢の根本的変化の兆候が現われ始めたことに、重大な関心を抱かずにはいられません。この変化をもたらした大小の要因はいろいろありますが、決定的な要因は、原子力の巨大な進歩であると思います。わが広島と長崎に落された原爆は、アイゼンハウアー大統領の言葉をかりれば、原子時代の夜明けころの原爆でありました。原子力の最近の進歩がいかなるものであるか、私たちはその詳細を知るよしもありませんが、その一端は、最近のビキニ事件を通じてこれを察知することができるのであります。日本国民に降りかかつたこの第三の原爆悲劇、あるいは第一の水爆悲劇は、原子力の恐しさを全人類に警告したものと言えるでありましよう。  この原子力の進歩と国際情勢との関係を考える場合に大切なのは、アメリカによる原爆、水爆の独占がすでに過去のものとなつたことであります。マレンコフ首相は、昨年八月、ソ連の水爆保有を世界に向つて宣言いたしました。これは明らかにアメリカの世界戦略に重大な影響を与え、国際情勢の底流はそのころから大きく変化し始めたのであります。昨年十二月のバーミユー会談の直後に、アイゼンハウアー大統領は国連総会において演説し、原子力の国際管理を提唱いたしました。本年一月から二月にかけては四国外相会議がベルリンで開かれ、その決定に基いて、アジア平和会議が近くジユネーヴで開かれようとしております。それらのあらゆる動きを一本の赤い糸のように貫いているものがあります。それは国際的緊張の緩和ということであります。この言葉は今や冷たい戦争という言葉にかわつて、新しい国際情勢を象徴する合言葉となろうとしております。  国際情勢がこのような転換期にあるときに日本がMSA協定を結ぶのは、まさに国際情勢に逆行するものといわなければなりません。たとえて言うならば、MSAは数年前にアメリカが運転し始めたバスであります。その後かなり多くの国々がこれに便乗いたしました。しかし今やそのバスの行く手には、非常な危険のあることがわかつて参りました。しかもすでに満員のバスは、新しい乗客にとつてはあまり乗り心地がよさそうでもありません。そのバスに日本がこれから乗り込もうとするのは、あまりにも愚かなことではないでしようか。  私は日本がMSAの方向に進むことなく、国際的緊張の緩和の方向に向つて進むことを希望いたします。その具体的な措置としては、中共やソ連との国交調整が最も重要な問題であります。世界各国のうちで、すでに二十六国が中共政府国際法上正式に承認しております。この二十六国のうちには、イギリスその他多くのいわゆる自由諸国が含まれております。今まで中共政府承認しなかつたフランスその他の諸国の間にも、昨年あたりから、中共政府承認の動きが次第に高まつております。ジユネーヴのアジア平和会議に中共の参加が認められたことは、その方向への動きをさらに促進するでありましよう。この国際情勢の動きに従つて日本も今こそ中共やソ連との国交調整を真剣に考慮しなければなりません。数個の水爆によつて日本全国が焦土と化するという原子力の時代に、どうしてMSAによる再軍備をもつて日本国民の幸福を守りきれるのでしようか。それよりも、国際的緊張の緩和に努めることが真に日本防衛する道であります。  かつてのサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約への動きは、ソ連と中共を強く刺激し、中ソ友好同盟相互援助条約締結へと導きました。その第一条において、中ソ両国は、「日本国又は直接に若しくは間接に日本国と侵略行為について連合する他の国の侵略の繰返し及び平和の侵害を防止するため、両国のなしうるすべての必要な措置を共同して執ること」を約束し、また「締約国の一方が日本国又はこれと同盟している他の国から攻撃を受けて戦争状態に陥つた場合には、他方の締約国は、直ちになしうるすべての手段で軍事的の又は他の援助を与える」ものと定めております。ここにいう、日本と連合または同盟する他の国が、主としてアメリカをさすものであることは、何人にも明らかなことであります。  国会における内閣総理大臣その他政府当局者の答弁の中で、中ソ両国は、日本仮想敵国としているということがしばしば述べられておりますが、私たちは、中ソの動きと日米の動きが相関関係にあることを正しく認識する必要があります。MSA協定締結によつて、この対立がさらに深められることを私は痛切に憂慮いたしております。  MSA協定を形式的技術的に考察するときはともかくとして、その現実的機能についてこれを探求するときには、それが日本の再軍備を大きく前進させるものであることは否定すべくもありません。さきに述べた通り、日米安全保障条約に基いて、日本全国にアメリカの軍事基地が設けられました。今やMSA協定に基いて、アメリカから多数の軍事顧問団が派遣されようとしております。日本の再軍備がアメリカの世界戦略の一環たることは、ますます明瞭になつて参りました。  このように日本の再軍備を前進せしめるMSA協定は、明らかに日本国憲法の精神及び原則に違反するものであります。一部の政治家や法律家は、この数年の再軍備ヘの動きが憲法違反でないことを強弁しておりますが、国民の健全な常識は、そのような議論に少しの信頼をも寄せておりません。日本国憲法基調をなす平和主義の精神と第九条第三項の「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁止する条項は、実質的にはすでに著しく侵害されておりますが、MSA協定は、さらにそれに対して決定的な打撃を加えるものであります。  御承知の通り憲法第九十八条は、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と規定しております。条約協定締結は言うまでもなく「国務に関する行無」の一つであります。私は前述のような現実的機能を持つMSA協定の調印は、憲法第九十八条の規定従つて無効ではないかと考えております。日米相互防衛援助協定第九条第二項に、「この協定は、各政府がそれぞれ自国の憲法上の規定従つて実施するものとする。」と規定されていることをもつて、MSA協定の合憲性を主張する論拠となし得ないことは言うまでもありません。  日本国憲法の精神及び原則に違反する再軍備の強行は、憲法改正の手続をとらずしてこれを実質的に改変するものといえるでありましよう。かくて憲法第九十六条により国会国民に与え、られた憲法改正に関する権能は、現実に侵害されることになります。多くの国民は、このような憲法無視の行為をはげしい憤りを持つてながめております。私は社会教育者としての立場から、国民の各階層に親しく接する多くの機会を持ち、国民の声なき声にも努めて耳を傾けておりますが、本日はその立場からも、MSA協定に対する反対の意見を述べる責任を痛感するものであります。  MSA協定に対する反対意見について、ときにそれが反米的であるという非難が投げかけられることがあります。この問題は簡単に断定することなく、深く掘り下げて検討する必要がありますが、これについてアメリカの経済学者ポール・スウイージーの述べている意見は、私たちが参考とするに値すると思います。MSA協定に関する日米交渉が進行し始めました昨年八月、スウイージーは「日本人への忠告」と題する論文を書き、日本の雑誌とアメリカの雑誌を通じてこれを公表いたしました。この論文の中でスウイージーは、最近の世界情勢のもとに、日本の置かれている地位を科学的に分析し、日本の進むべき道について切々たる忠言を寄せております。  スウイージーによれば、日本は地理、人口、天然資源などの諸条件から見て、現在の国際関係の中で次の三つの道のいずれかを選ばなければなりません。第一は、近隣のアジア、太平洋諸国を侵略する道であります。スウイージーはこれを帝国主義の道と呼んでおります。第二は、アメリカの援助にすがり、その代償としてアメリカの衛星国となることであります。スウイージーはこれを被援助の道としております。第三は、日本の経済をその潜在的な貿易相手国の要求に合せることであります。スウイージーは、その相手国の主たるものは、日本に近いアジア大陸の諸国、特に中共であるとし、この第三の道を簡単に中共との取引と名づけております。  日本が第一及び第二の道を選ぶときいかなる結果を生ずるかについて、スウイージーは次のように述べております。かつて日本の帝国主義の道は、中国を征服しようという一つの試みに出た。さて今は被援助の道は、それが具体化されたら、第二の試みにかり立てられようとしている。日本がアメリカの援助を受けて生き長らえようとするならば、その隣国に向けて再軍備をするというだけでは治まらず、事実上アメリカのアジアにおける反革命十字軍の先棒かつぎになるわけである。この第一と第二との試みの差といえば、前者は、日本が自分自身でやろうとしたのに対して、今度はアメリカの政策の道具となつて行くことである。どちらも干渉戦争となり、アジア大陸の侵略となる。それが日本にとつて国を破壊する道だということは、もうみなが経験済みではないか。以上がスウイージーの意見であります。  ここにおいてスウイージーが第一の帝国主義の道と、第二の被援助の道とは、詰まるところ同じになると主張しているのは注目に値すると思います。かくてスウイージーによれば、日本に残された唯一の正しい道は、日本の経済を他の諸国、特に中共の限りなく増大して行く取引の要求に合せることであります。それには多くの困難があるが、それらの困難をよく直視し、断固としてそれらの困難に打ち勝つ以外に、日本を救う道はないとスウイージーは述べております。  かく論じ来つてスウイージーは、次のような言葉をもつてその論文を結んでおります。日本国内で右の第三の道を主張する人々は、反米論者とののしられ、またそのうち多くの人々は、自分自身でも反米主義なのだと思い込むであろう。しかしわれわれアメリカにあつて、アメリカ民衆の真の利害を見ている者は、そうした人々こそ真にアメリカの最上の友であり、ほんとうの親米論者なのだということをよく知つている。これらの人々日本の内部で強くなればなるほど、われわれもアメリカで強くなれるのであり、究極において、日米両国も共通の場において真の相互依存と友情の精神のうちに互いにかたく結ばれ合つて行くであろう。これがスウイージーの日本人への忠告の結びの言葉であります。少しスウイージーの引用が長過ぎたかもしれません。しかしMSA協定に対する態度決定を迫られているこの重大な時期に、アメリカの良心的な経済学者日本に対するこのような忠告に耳を傾けることは、深い意義を持つことであると思います。  アメリカのすぐれた国際政治学者ハンス・モーゲンソーの著書の邦訳が最近「世界政治と国家理性」と題して公刊されましたが、その中でモーゲンソーは、アメリカの外交政策のきびしい自己批判を行い、その結論の中で、どのように徳があり力があつても、世界をその考え通りにする使命を持ち得る国があるなどという十字軍的な考えを忘れよと警告しております。アメリカの声も決して一つではありません。私がさきに反米か親米かの問題を深く掘り下げて検討する必要があると述べたのは、この意味においてであります。  スウイージーが結びの言葉の中で自己の立場を、われわれアメリカにあつて、アメリカ民衆の真の利害を見ている者と表現しているのは、注目に値すると思います。MSA協定の問題についても、国家防衛とか国家の利益とかいう言葉がよく使われますが、私たちはその内容を具体的に規定してかからなければなりません。特定の人々の利害と一般国民の利害とは、必ずしも一致するものではなく、この点を明らかにせずして抽象的に国家防衛国家の利益を論ずることは許されないのであります。  私はMSA協定が一般国民の利益になるものでないと認め、その立場からこれに反対するものであることをここに言明しておきたいと思います。  サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約からMSA協定へと進むこのはげしい流れの中に立つて私たちの胸に浮ぶのは、日本があの悲惨な太平洋戦争への道を進みつつあつたときのことであります。私は当時積極的に行動した人々が、必ずしもすべて非良心的であつたとは思いません。しかし政治の場においては、単に主観的に良心をもつて行動したというだけでは足るものではなく、何よりもその行動の客観的な結果に対する正確な見通しを持つことが必要であります。ドイツの偉大な社会科学者マツクス・ウエーバーがその学問と政治的体験を傾け尽した「職業としての政治」と題する晩年の講演において、政治家の決定的な資格として、見通しの正確さということをあげ、政治家は単に主観的に正しく行動するというだけではなく、自己の行動の結果に対して責任を負うという意味において、責任倫理の原則のもとに行動すべきであると述べているのは、政治の本質を鋭くついたものであると思います。  これは科学者が政治的発言をする場合にも当てはまるものであります。私も国際法及び国際政治を専攻する学徒の一人として、満州事変より太平洋戦争に至る過程に祖国の悲劇を未然に防止することについて、自己の任務を十分に果し得なかつたことを衷心より遺憾に思つております。たといそれに対する法律的責任は解除されても、さらに深い道義的、政治的責任は、永久に解除されるものではありません。それを償うためにはどうすればよいのか。ただ一つの道は、将来において日本が再び重大な過失を犯し、一般国民惨禍をもたらすことのないように全力を尽すことであります。危険な事態はすでにかなり進行しておりますが、MSA協定に対する承認を拒否する憲法上の権限がいまだ国会の手に握られているこの機会に、私は、政党政派のいかんを問わず、良識ある国会議員の努力によつて日本の進路が大きく切りかえられ、一般国民の自由と幸福が守られることを切に望んでやみません。これをもつてMSA協定に対する私の反対意見の陳述を終ることにいたします。
  8. 上塚司

    ○上塚委員長 ありがとうございました。  次は愛知大学教授入江啓四郎君。
  9. 入江啓四郎

    ○入江公述人 協定内容に入りまして、全般論、それから個々の問題について私の見解を申し上げてみたいと思います。  今度の本協定の方には、防衛力の発展維持と防衛能力の増強を約束することになつておりますが、ここに防衛力というのは、その協定でもMSAや相互防衛援助法から援用しておりますし、その中で防衛力とは何をさしているかという点を探つてみますと、相互防衛援助法の中に統合された防衛武力、ザ・インテグレーテツド・デイフエンシヴ・アームド・ストレングスでありますから、防衛力、デイフエンシヴ・ストレングスというのはデイフエンシヴ・アームド・ストレングスと解釈されなければならないのであります。もつともただいま引用しましたのはMDA、相互防衛援助法の百一条であります。従つて北大西洋条約諸国についての軍事援助に関連して規定された表現でありますけれども、デイフエンシヴ・アームド・ストレングスというのは、決して北大西洋条約に対する軍事援助だけについて限定されて掲げられた表現ではなくしてどの地域、どの国に対する軍事援助にも共通する援助の性格を表わしたものであります。そうしますと、デイフエンシヴ・アームド・ストレングス、特にアームド・ストレングス、武装された力、これが憲法規定と両立するかどうかということになるのであります。MSA関係協定の中で特に憲法について言及しておりますのは、今回の新協定だけであります。国際条約の中には、アメリカの参加しておりますもののうちにも、憲法従つて実施する憲法尊重条項を設けたものもありますけれども、それはそれぞれ別の意味であるのでありまして、MSA関係協定では、特にこの新協定に限つてこれが掲げてありますから、従つてこれは独特な意味を持つものとして解釈しなければならないわけであります。諸国憲法規定によりましても、征服戦争とか、侵略戦争とか、あるいは国策の手段としての戦争、あるいは国際紛争解決する手段としての戦争を排除しておりますが、しかし軍備までは禁止しておりません。これはそれらの諸国憲法と同じように解釈するならば、この協定に限つて憲法尊重条項を掲げた意味がなくなるのであります。そうしますと、日本憲法で陸海空その他の戦力規定されているが、特にそれについて重点を置いて憲法尊重条項を掲げた、こう解釈しなければなりませんが、もちろん起案者の立場としては、この新協定憲法と両立するという立場から、さらにそれを基礎として、適用についても憲法条項を尊重するということでありますが、憲法第九条についてはいろいろの立場から解釈が行われておりますが、この新協定を採吊することによつて憲法の条項に一つのはつきりとした解釈をつけ加えることになるのであります。そもそもその出発点からしてデイフエンシヴ・アームド・ストレングス、軍隊、――どう考えても、アメリカの相互防衛援助法で規定されている軍隊そのものを日本が備えることになる新協定が、憲法と両立するかどうか、その点が問題となるのであります。  その次には、安全保障条約の軍事義務に関する条項であります。この条項には「自国の防衛力及び自由世界防衛力の発展及び維持に」全的に寄与する、フル・コントリビユーシヨン――新協定の中には、安全保障条約で負担した義務を何ら改変するものではないとありますが、安全保障条約の中には、日本防衛力漸増については、前文の中にアメリカの希望として、あるいは期待として掲げられております。それをとりましても、日本防衛力漸増ということではありますけれども日本のほかに「及び」となつておりまして、「及び自由世界防衛力の発展」、これは安全保障条約にはない新たな軍事的義務ではないか、安全保障条約義務を変改するものではないといつても、この協定自体に、すでに安全保障条約には規定されていない自由世界防衛力のためにフル・コントリビユーシヨン、全的の寄与を行う、もちろんそれについては、政治的安定とか経済的安定と両立するという制約はついておりますけれども、それにしても、そういう安全保障条約にはない新たな一つの約束をするという点が問題になると思うのであります。これを合理的に解釈すれば、日本防衛力を漸増すること自体が、自由世界防衛力の発展に寄与するということかもしれませんけれども、しかし規定自体はそういうことになつておらずに、自国の防衛力及び自由世界防衛力の発展ということでありますから、条文の正確な解釈上、無理のない解釈上、これは新たな義務を追加することになるのではないか、かように考えるのであります。  それから行政協定第二十四条との関連でありますが、行政協定は、日本区域で敵対行為または敵対行為の急迫した脅威が生じた場合、双方が共同の措置をとるとか、あるいは安全保障条約の第一条に掲げた目的のために双方の政府が協議する、こういうことになつておりますが、安全保障条約締結されました当時、日本には戦力はもちろんなかつた、少くともそういう解釈に立ち、また戦力も創設されないという立場であります。そういう場合の協力といつても、もちろん非軍事的な協力、このように解釈されたのでありますけれども、MSA協定とこの行政協定の結びつきで、これが相当実質的な変化を来すものではないか。第一に、日本区域、ザ・ジヤパン・エリアとありますが、これは日本領土、領海に限定するものかどうか、もつとそれより広い意味を持つているものではないか。それから安全保障条約第一条の規定にいたしましても、日本に対する侵略が起つた場合だけを考慮されているのでなくして、もう少し広い範囲での軍隊の使用ということが規定されているのでありますから、その行政協定や安全保障条約、新協定を結び合せますと、日本以外で、そして日本領土、領海より越えて、日本に対する侵略以外の場合に、MSA協定によつて装備された日本の現実の力、実力が共同行動をとらなければならぬということになると思いますが、その場合に、そういう建前の協定日本憲法と両立するかどうかということになると、ここでまた最初の問題に帰ると思います。  以上が新協定憲法との関連で、もちろん全般的なことでありますが、その次に別の個別的な問題について、他の協定内容に立ち入つて考えてみたいと思うのであります。それは経済措置協定の中には、この協定の目的に寄与するという意味で、経済協力法の中の投資保証の条項が援用されております。投資保証については別の協定があり、さらに経済措置協定の中で、この協定が二重に同じ条項を援用している。経済協力法の同じ条項を援用してある。二元的に規定されているその意味が私にはよくわからないのであります。もし経済措置協定が経済協力法の経済援助協定と同じ形式をそろえるために、イギリス・アメリカ、フランス・アメリカ、あるいはスペインとアメリカ、そういう援助協定の中に規定された通りにこの投資保証条項を入れたとするならば、それはあまりに形式的なことであつて意味がないと思われるのであります。ところが注意をしなければなりませんのは、この協定の目的に立つこの協定というのは、投資保証協定でなくて、経済措置協定を指しているのであります。経済措置協定は、余剰農産物の売却収益をある部分は日本側に贈与し、他の部分はアメリカが自由に使用する。それについて投資保証の原則を持つて来たというのは一体どういう意味になるのか私にはわかりません。ただこれを、特にこの協定の目的達成に寄与するということをしいて解釈してみますと、アメリカが自由に使用するもの、自由に使用するというのでありますけれども、もちろんこれには、公式議事録を見ましても、ある制約はついているのでありますけれども、しかし日本国内における物資及び役務の調達、日本国内での物資、役務の調達ということは、必ずしも日本企業からの調達ということではないのであります。そうしますと、日本国内における日本企業以外の企業から物資及び役務を調達するということも、協定の文言自体から見ますと、これは可能でありますが、それとこの協定の目的を達成するということをあわせて考えてみますと、アメリカの自由に使用する売却益金は、結局は日本国内でアメリカの民間資金になる。アメリカ側の民間資本となる。そういうものに対して投資保証を行う、こういうことに無理に解釈すればなるのではないか。その場合に投資保証協定自体から見ますと、それにしましても交換公文によりまして一応の制約がついて、日本政府承認を先決とするというように制約がついておりますが、この経済措置協定の条項は、そういう投資保証協定とはかかわりなく、そういう制約によらずに、経済協力法上の危険保証条項が適用されるのではないか。ここいらの点がはつきりされていないように思うのであります。  その次には同じく投資保証協定に関する問題でありますが、アメリカが危険保証の条項を実行いたしました上は、アメリカの民間投資者の権利、権原、利益がアメリカ政府に移転する。これに関連して生ずる請求権、訴訟の原因に対してアメリカ政府が代位する、こういうことになつております。そのアメリカの請求権が、日本政府に対する場合は政府間の交渉、あるいはそれができない場合は仲裁手続による。こういうことになつておりますが、疑問を持ちますのは、日本政府に対する請求でなくして、アメリカが代位したその請求が日本の民間企業である場合、そうしますと、それに対してアメリカ政府が請求権を行う、あるいは訴権を行使する。訴訟の原因――コーズ・オブ・アクシヨンとありますが、訴訟を起させる原因となる事実、結局訴権を行使する。そこで民間業者としては、その争訟では受動的な訴訟行為を受ける側に立つが、はたして能動的な訴訟行為ができるか。アメリカ政府相手として日本国内で訴権を行使することができるか。行政協定第十八条第七項契約から生じた紛争に関する解決、民訴を起すことができるか。日本国内で日本の裁判所に対しアメリカ政府相手として裁判ができるか。これは英米法系では――おそらく日本でもそうかと思いますけれども、一国が他国の政府に対し国家に対して訴権を行使することはできない、こういうことでありますからして、アメリカ政府が訴権をとつて日本の業者を訴えることはできるけれども、その紛争で逆に日本の業者側から日本の裁判所に訴権を行使するということはできない。その点はどうなつているのか。これに対して疑問を持つのであります。  第三点は、域外買付についてでありますが、域外買付については、附属書Aにも記載して掲げられております。それからMSA法上の固有の域外買付かどうかは知りませんけれども、広い意味の域外買付、農産物の売却収益の使用、それを日本国内での買付に充てる広い意味での域外買付と思いますが、このように域外買付についての申合せがありますが、その場合に、日本で調達したものに対しては、一定の免除あるいは払いもどしを行うということになつております。これは間接の輸出奨励金の付与ということに結果的にはなるかと思うのでありますが、そうしますと、MSA協定農産物購入に関する協定をも含みますそういう一連の関係の協定の中に、その機構に乗る産業は、その域外買付を通じて輸出される。同種の協定、台湾なりフイリピンなり、その他の国とアメリカとの協定日本で域外買付を行つて、それらの国に提供される輸出品については、間接な輸出奨励金が付与される。そういたしますと、それとは違う他の日本の競争産業は差別待遇をされる結果になる。このように思われるのであります。  以上が条約協定その他に関連して、内容に立ち入つて若干の疑問として提起したものであります。もちろん私自身として、それについて自己の疑問を持つてつたものをそのままここで申し上げました。従つてそのような点で私の疑問を提起したという意味でお聞きとり願いたいと思います。
  10. 上塚司

    ○上塚委員長 ありがとうございました。これにて三公述人の陳述は終了いたしました。  これより公述人に対する質疑を許します。なお質問の通告が七人もございますので、できるだけ時間を節約するため、質問は簡単に集約して行われんことをお願いいたします。大橋忠一君。
  11. 大橋忠一

    ○大橋(忠)委員 鈴木教授にお尋ねします。鈴木教授は、占領治下にできた憲法もりつぱな憲法である、憲法としての効力にごうも影響はないという御意見のようでありますが、GHQの重圧のもとにできた憲法、あるいは法律というものは、ある意味においてポツダム宣言のもとにできた政令に似た性格を持つたものでありまして、民主主義の国民の総意に基いて法律をつくり、憲法をつくる国柄においては、はたしてそういうものがフルな効力を持つておるやいなや。ドイツにおいては、憲法においても占領が終つたあと、すなわち国民の意思が自由に暢達し得る時期、それまでしか効力がないというような規定をしておると聞いておるのであります。従いまして、占領治下にできた憲法というものの効力については、非常な疑いを私は持つておるものであります。しかしかりに効力が完全にあると規定いたしましても、憲法というものは元来非常に大ざつぱに綱領のみを規定しとあるのでありますが、実はその国内外の客観的情勢の変化とともに、やはり憲法解釈というものも変えて行かぬことにはいけない。客観情勢が根本的にかわつたにかかわらず、憲法制定当時立法者の考えた通りに解釈しておつては国が持つて行かないというような場合があるのであります。従つて英国のごときは不文憲法にしておる。そして時勢の変化とともに、やはり憲法を自然にかえ得るような弾力性を持たしておる。アメリカ憲法でも、やはりアメリカ最高法院の解釈というものは常にかわつておる。たとえばカリフオルニアの土地法というものがあつた。排日熱の非常に盛んなときには、憲法違反のわが方の訴えに対して、アメリカの最高法院では、憲法違反にあらず、人種、宗教その他によつて差別待遇をしないという憲法の条章に違反しないという判決をしておる。しかるに排日熱がなくなつた加州の最高法院においては、憲法違反であるという解釈をしておるのでありまして、憲法解釈に非常に弾力性を持たして、実際に合うように解釈をしておる。私はこれがほんとうじやないかと思うのであります。国家つて憲法であり、憲法つて国家ではないのであります。その憲法解釈が、立法者の意思通りに解釈しておつては国が持たないというときになれば、やはり実情に適するような解釈をするのが、これが国家を維持する上において当然のことだろうと思うのであります。従いまして今日のMSA協定に関しましても、やはりこれは相当拡張解釈であることは事実でありまするが、しかしこれはやむを得ない解釈じやないか。従つてこれを憲法違反と断ずることは、必ずしも妥当じやない、こういうふうに私は思つておるのでありまするが、その点に関する御答弁を願います。
  12. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 たいへんに重要な問題で、長時間を要するように思うのでありますが、時間がありませんので、簡単に申し上げます。  第一の点については、これは私自分の著書「憲法改正」その他においてたびたび表明したところでありますが、実際問題と、それから法形式の問題と二つあると思います。私が申し上げましたのは、かりにも当時の憲法制定権者である天皇上諭を付して、明治憲法第七十三条に基いて、しかも当時日本国民の代表機関である帝国議会において、御承知のように相当長期にわたつて審議をする。日本共産党の諸君及びここにお見えになつておる穗積七郎君、あるいは南原総長、私の恩師である佐々木惣一博士のごときは、終始徹底的に反対意見を述べられて、採決においても反対投票をされておる。つまり日本はもちろん占領下にあつたのでありまして、この大きい政治的圧力というものは無視できませんけれども、占領末期におけるいわゆるポツダム政令の場合のように、それほど押しつけ的のものではない。むしろ当初におきましては、私どもの判断するところによると、ポツダム宣言において自由な国民の意思の表明ということを強くうたつており、また当時初期の対日理事会におきましては、連合諸国が比較的一致して当つておりましたので、そういう実質的な面から見ましても、これを単にポツダム政令と同じようなものだというふうに考えることはできない。ましていわんや天皇上諭を付し、帝国議会の慎重な審議を経、反対意見も十分に陳述して、帝国議会において相当多く原案に対して修正もなされておるわけでありますが、そういう過程を経て、合憲的に公布された国の最高法規に対して、今日卒然として押しつけられた憲法であるというようなことを言つて責任を免れることはできない。太平洋戦争の際に、われわれは反対であつたが、東条さんに圧迫されて心ならずも賛成したというようなことは、これは事情了とすべき点はありますが、私は政治家として非常に節操に欠けておると思う。同じようについ七年前の、しかも比較的自由に、しかも明治憲法所定の手続によつて十分に審議の機会を与えられ、あらゆる反対意見も述べられ、採決において反対投票もなされて、しかも最後天皇の裁可を経て、上諭を付して発布されました憲法について、私ども日本国として責任があると思うのであります。  またもう一つつけ加えますことは、私どもこの終戦後ただちに明治憲法の廃止、民主的憲法制定運動を微力ながらやつたのであります。この草案はいち早く発表いたしまして、御記憶の方もあると思うのでありますが、これは少くとも当時政府が準備いたしました松本烝治案に比しまして、私ども憲法研究会の草案は、非常にこの日本国憲法に近づいておる。私ども草案のうちから、現行憲法の第二十五条の規定は原案にはありませんでしたけれども、これが採用されておるのであります。従つてこれは、実質的にも私ども明治憲法に反対いたし、新しい憲法をつくる努力をしたものから見ると、単に押しつけられた憲法というような感じはいたさない。あくまでも明治憲法のいわゆる松本四原則を固執した政府当局としては、押しつけられたと言えるかもしれないけれども、私ども民間にあつて民主憲法制定しようという国民運動を起しておつたものから見ると、われわれの要求が国際的にいれられた、こういうふうに考えておるのであります。そういう政情は別といたしましても、国の法形式としてきわめてこれは尊重すべき、正規の、合憲的に発布されたものでありまして、日本国家として責任がある。  それから第二の点につきましては、これはしばしば憲法議論としても申されるのでありますが、私の公述が不十分でありましたために、立法理由、制定者の立法意図に基いて解釈することは時代に合わぬのではないかという御質問を受けたのでありますが、私は必ずしもそう申したのではない。立法者の理由がいかにあろうとも、法は、従つて憲法は、その憲法の条規に従つて解釈されること、これはもう言うまでもありません。ただ立法理由は、いやしくもその法が成立いたします際に何を保護し、何を制限しようという意図を持つたものでありますから、条文解釈において不明確なものがある際に、第二義的に立法論を参酌するということは、これは許されると思います。私はそういう観点から、日本国憲法規定全文、それらを客観的に判断いたしますと、こういう結論にならざるを得ない。しかもこれは立法理由でもあつたということを申し上げたのであります。それからイギリス及びアメリカについての御懇切な説明がありましたが、これは私ども承知をいたしております。ただ日本国憲法は成文憲法典であります。成文憲法の建前は、やはりあとう限り憲法条規を正確に解釈し、もちろん御指摘のように一般的抽象規定をもつてしてあるのでありますけれども、しかしこれは単なる宣言ではない、法規範であります。法規範は、かりに憲法条文のどの条項をとりましても、必ずしもそんなに具体的なことは書けない。民法条文と刑法条文とでそういう一般条文の相対的相違はありますけれども、しかしそんなに法規範的な本質的な差異はない。やはり私どもは、成文憲法典を有する国においても、憲法条文を単なるそういうふうに――ただいま御質問のようなふうにではなしに、法規範として、法規定として厳密に解釈し、それが一般的抽象的でありますれば、国会においてその立法権を行使されて、これを実定法として間違いないものに具体化して行く、こういう責任があると思う。従つて成文憲法典の国におきましては、可能な限り現行憲法の条規、法規定を厳密に解釈し、それに基いて国政を行うということが要求されます。イギリスの場合と異なるわけであります。アメリカもひとしく成文憲法典の国でありますが、御指摘のように、最高裁の判例によつて実質的に運用をかえて参ります。しかしながら、それは、アメリカにはそれだけの史的理由があるのでありましようし、また現に、そういう最高裁の判例によつてもどうにもできないところは、御承知のように数多くの修正改正をいたしております。日本国憲法においては憲法改正の規定があります。これは比較憲法的に申しますと、決して憲法改正においてもそんなに困難な手続を定めておりません。私はむしろ比較的にたやすい改正方法だろうと思います。非常に日本国憲法における改正の手続を困難なもののように言う人があるが、そうではありません。諸国現行憲法を見ますと、むしろ日本国憲法の改正の手続は簡単な方であると思うのでありまして、そういうことを憲法は設けております。つまり存在する限り、改正されない限り、あくまで厳密に解釈して、これに基いて国政を行うという万全の努力をする。それでもいけない、もうこれでは国がやつて行けない、国民基本的人権が保障されないというどたんばに参りますならば、これは堂堂と改正することを憲法は認めておるのでありまして、もしもこの趣旨を没却いたしますならば、この国内においてこう解釈したがいい、ああ解釈したがいいと、まさに憲法つてなきがごとし、ことに日本の場合は、イギリスの場合のように法治主義であるとか、そういう基本観念が残念ながら少いと言わざるを得ないと思うのでありまして、そういう際に、ただいまのようなお考えで憲法に対しますと、実は最高法規なるものが、極端な言い方をしますと、あつてなきがごとき状態になるのではあるまいかと思うのであります。
  13. 上塚司

    ○上塚委員長 大橋忠一君。御注意申し上げますが、安井公述人は午後一時十分ごろには本会議場を退出せられることになつておりますから、安井君に対する御質問がありましたら、まず先にお願いいたします。  なお公述人各位に申し上げますが、時間の都合がありますから、できるだけ後答弁は簡潔明瞭にお願いいたします。
  14. 大橋忠一

    ○大橋(忠)委員 第一の点の点についていま少し鈴木教授に……。  実は憲法制定当時の日本政府にしても、国会にしても、これは当時家政婦政権と言われたのでありまして、主権は実はアメリカにあつたのじやありませんか。従つてその主権者たるアメリカ側が制定した憲法であると言つてさしつかえないだろうと思うのであります。従つて日本が独立をした以上は、これは一応再検討する必要があるのではないかというふうに思つているわけであります。従つてはたしてどこまでその効力があるか、その点については私は大いに意見を持つておりまして、無効であるとさえ思つておる。重大なる瑕疵がある。それから第二には、実は英米法の根本というものは、その法律が時代に合わなくなれば、これは無効になる、死んでしまうというのが、これが根本原則であります。しかるに憲法制定当時の世界情勢というものは、日本をスイスにしようとマツカーサーが声明をしておりました通りに、世界は米ソがうまく行つて、結局平和になるという実は仮定のもとに立つてできた憲法であります。しかるに今日は御承知の通りの状態なつた。事態が全然かわつて来ている。かくのごとく事態が全然かわつて来た今日において、その当時の憲法立法者の考えた通りに解釈しておつては、とうてい日本の実情に合わないのです。従つて現在とつておる政府解釈というものは、決して無理ではないと思つておるのでありますが、それについて少し御説明を願います。
  15. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 先ほどお答えした点で、ただいまの再度の御質問にも答えておると思うのでありまして、非常に私も興味があることでありますから、詳細に申し上げたいのでありますが、時間が、ございませんので、もしもそういう機会が許されましたならば、大橋さんともつと立ち入つて意見の交換をいたしたいと思います。先ほどの陳述で尽きておると思いますが、ただ一つ、憲法を改正すべきかどうかということ、これはあくまでも法律的には合意的な最高法規でありますけれども、またこの七年間の経験は必ずしも十分とは思いませんけれども、これは大いにやつてよろしい、研究すべきだと思います。私ども憲法研究会草案にも、当時の状態から十年を経た後には、国民投票に付して憲法を改正すべきかどうかということをまずきめるべしという附則をつけて発表いたしましたのも、そういう趣旨であります。しかしながら現行成文憲法が明文をもつて書いておるときに、俗な言葉で申しますならば、さぎをからすと言いくるめるような解釈は、アメリカの最高裁の判例でもそういうことはないのでありまして、これはとうてい許されない。その点若干おかしいと思うのでありますが、(「ノーノー」「賛成」と呼ぶ者あり)それならば、たとえば一例をあげましよう。憲法第二十八条においては、御承知のように団結権ということが書いてある。罷業権ということは書いてない。これを厳密に解釈いたしますと、団結権、団体交渉その他の団体行動をなす権利を有すると書いてあるか、罷業権ということが入つてないと言い得るのであります。現にそう言うておる人もある。しかしながら、憲法制定権者はどう考えたか明らかでありませんけれども、今日の通念として、団結権という以上は、単に団結するだけではなくて、団結してストライキに訴えるということが、当然団結権を与える趣旨であろう。第二十一条の結社の点を越えて二十八条を設けたゆえんは、当然罷業権が入ると見なければならない。あるいはまた問題になつております示威行進、これは日本国憲法のどこを見ても示威行進の自由ということが書いてない。他国の憲法にはあるものがありますが……。それで御承知のように裁判所は、憲法二十一条には言論その他一切の表現の自由とありますが、この一切の表現の自由が、すなわち示威行進をする権利を保障したものである、こういうことを数多くの判例で言つておりますが、これは私どもから考えればおかしいと思う。言論その他一切の表現の自由というのは、ラジオであるとか、絵画であるとか、こういうものをさすことは、文脈上明らかでありまして、示威行進の自由――現代の社会通念から認めております平穏な示威行進は、やはり二十八条にいうその他の団体行動、それから二十一条にいう集会、結社の自由、こういうものと相応じて憲法が与えておるというべきである。これはほんの一例でありますが、こういうふうに、時代の必要に応じてかえて行くことはさしつかえない。けれども第九条におきます陸海空軍その他の戦力を、ただいまの多くの人々解釈のように解釈することは、今大橋さんのおつしやられたような、憲法の合理的な解釈によるアダプテーシヨン、こういうものとはとうてい認められない。それを簡潔に先ほどの言葉で申し上げたのでありまして、時間がありますならば、もつと詳細に申し上げたいと思いますが、これでお許し願います。
  16. 福田篤泰

    福田(篤)委員 関連して。今鈴木教授の御説明を拝聴いたしましたが、かつてスト規制法が本国会において成立いたしました直後、総評の高野君が、これは悪法であるから守る必要はない、こういう非常な暴言を吐いた。私どもはこのような議会政治自身を無視するような暴言を吐く意思もなければ、そういう考えも持つておりませんが、ただ今大橋委員の質問されました、当時の主権の所在並びに内容につきまして、制定上重大な瑕疵ありとの見解を持つております。  これに関連いたしまして、時間がありませんから具体的に二点お伺いして教えを受けたいと思うことは、一つは自衛権の問題であります。あなたはこの憲法について、戦力の保持は明らかに禁止されておると言われた、これはもちろん私も同感でありますが、同時にあなたは、自衛権は認められた。ところがその説明において、実力を伴うものはいけないと言われておる。私は戦力に至らざる実力を伴わなければ、自衛権の実体の行使はできないと思うのであります。空疎な、実力の裏づけのない自衛権というのは一体いかなるものでありましようか、これについての疑問。  もう一つは、この憲法の九条を中心とした解釈では、いわゆる仮想敵国を予想しておらないのはもちろんであります当時の、全面的に日本が無条件降伏して、しかもアメリカの対日政策、極東政策がきわめて間違つた方向によつて日本を分断しよう、無力にしようとした当時から考えまして、これは当然その精神によつて解釈すべきである。ところがその後朝鮮動乱が勃発する前におきまして、あなたも御承知の通り、中ソ軍事同盟が締結された。これは発表された共同コミユニケの内容を見ましても、はつきりとわが国を仮想敵国の一つに指摘しております。こうなると、この憲法で予想しておらなかつた仮想敵国が、すでに現実において隣国にその例を見ておる。こういう、憲法が全然予想しておらなかつた新しい具体的な客観事実ができた場合に、この憲法はすでに大きな予想しない欠陥を暴露しておる、この二点についてどうお考えになりますか、お教えを願いたい。
  17. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 憲法制定上瑕疵ありという点は、先ほど申し上げた通りでありますから、繰返してお答え申し上げません。別の機会に詳細に申し上げます。  それから自衛権については、自衛権観念国際法に非常に関連がありますので、私もいつも調べておるのでありますが、私も同意見であります横田喜三郎教授の意見を紹介いたしますと、実力を伴わないと、従来自衛権ということは空疎なものであると考えられた。しかし日本国憲法は、その実力放棄しているのである、それでは頼りないじやないか、だれしもそう思いますけれども、しかし日本国憲法はそれをあえてしたのでありまして、しからばどこに求めるか、これは横田教授とまつたく同意見でありますから、あえて同君の意見を言うのでありますが、そのために他国の軍事援助を受けても、それはかまわない、つまり緊急不正の攻撃があつた場合に、全世界平和愛好諸国に対してそれを訴え、その力によつてそういうことを救済する、現状を回復するということはかまわない、あるいはまた国際連合が――つまりそれは国際連合自身日本が自国のそういう保障を求めることでありましようが、そういう方法だけが憲法上考えられる唯一のことである、つまり日本自身実力を持たないために、自衛権が空疎であると言つてみれば空疎であるが、しかしこの憲法はあえてそれを押し切つたのである、こういう態度であります。それから、これから先は私個人の意見でありますが、日本がそういう緊急不正の危害をこうむらないためになすべき態度は、実力を持たないということを規定した憲法上からいつても、他に方法があるのじやないか、たとえば、今日はほとんど現実政治の面においては顧みられませんが、学会においてはしばしば問題になつた永世中立の要求――これは不可侵条約を結んでおつても、いつ何時破られるかわからないから、不安だと言つてしまえばそれまででありますけれども国際社会の一方においては、二大陣営の対立というようなことをいわれるけれども、他方においては、比較にならないくらい平和に対する要求も強くなつておる、また国際社会における国際法的の道徳も高くなつておる、そういう場合に、前にそういう不安定なことがあつたから頼りにならないということで、そう簡単に捨てないで、日本国自身を二大陣営の間の緩衝地帯にする、どちらの陣営もこれに対して一切自国の衛星国にするようなことをしない、日本に対してどちらの陣営も一切軍事基地を設けるようなことはしない、日本はまつたく非武装に徹する、三十八度線を中心にした緩衝地帯、そういうとりきめに日本自身が先頭に立つて働きかける、こういう方法もやはり憲法前文の考えておるところの自国の生存と安全とを確保する一つの外交的手段だと思うのであります。それから、もしも緊急不正の危害が起つたような場合にいたしましても、どんな強力な軍隊を持つておりましても、真にその土地の民心を得なければ占領が長く続くということは考えられないのでありまして、日本の労働者に真に愛国の気持があるならば、それこそゼネストという方法もあるでありましよう、多くの国が第一次大戦において経験しましたレジスタンスの諸形態もあるでありましよう、そういうことは、民族精神が確立して来ており、平和憲法の趣旨に徹底しておれば、まだまだ日本の民族を滅ぼさないところの方法は考えられるのじやないか。つまり、軍隊を持たなければ自衛権は空疎なものになるという考え自身を、少くともこの憲法は否定しておる、それについて疑惑を持つならば、これは憲法を改正するほかはないのでありますが、私ども憲法を改正するよりも、そうでない、憲法自身にのつとつた努力を尽すことの方が現在は必要ではないかと考えているわけであります。
  18. 福田篤泰

    福田(篤)委員 今の鈴木教授の御意見を伺いますと、自衛権の問題について、たとえば外国から助けてもらう、あるいは国連その他の集団保障の形をとれば、自衛権行使もさしつかえないではないかという御説明でありますが、これでは自衛権自体の法的性格がきわめて不明確になる。自衛権自体が独立国の持つ国有の権利でありましてこの主権の制限、あるいは不明確な弱められた主権によつてみずから守るということは、自衛権自体の法的解釈がきわめて不明確であり、あいまいであります。それについてよく御研究願い、また私もあらためてあなたの時間のあるときに、ゆつくり二人でお話したいと思います。  第二の点は、今あなたから日本の非武装化についての話がありました。私自身は、実は世界連邦論者でありますが、しかしそれには大前提として、中共、北鮮からの軍事基地の撤廃が絶対必要なんだ。いわゆるソ連の衛星国並びに共産主義国家の高度の武装化はこれを容認しながら、日本だけが非武装化をやろうというのは、これは理論的にも矛盾であるし、実際的にも国際法にあり得ない、この点は現実に立脚して米ソ両方に対し、てもつと公平なあなたの御見解を承つておきたい。
  19. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 安井教授がもう時間がなくなるので、ただいまの点についてお答えするとなると、非常に長時間を要しますので、あらためて別個の機会に検討いたしましよう。ただ中ソに非常に高度の武装があるのに、日本はないのはどうかということでありますが、これはもう初めからわかつていることで、つまり世界の国はみな軍備を持つている。しかし日本はさきがけて平和に徹しようというのがこの憲法でありますから、この憲法に立つ限り、観念論と仰せられても、これはいたし方ありません。
  20. 並木芳雄

    ○並木委員 私は、それでは安井教授に先に一言だけお尋ねをいたしたいと思います。先ほど安井さんのお話を聞いておりますと、むしろ政治論の方が多かつたかと感じました。教育の立場にある方の御意見は、厳正公平な意見として国民も耳を傾けますので、先ほどのお話を聞いておりますと、何ですか、一方に偏しておつたように感じたのであります。安井教授のお考えを率直に述べられたことに対しては、私も大いに敬意を表しますけれども、あるいは安井教授は、一方の立場を考えるゆとりが心の中にないのではないか、やや自分のことに没頭してしまつて、一方的に物を見て結論を急がれているのではないかと思いますので、その点をお尋ねいたします。それで、世界の情勢がただいま緊張から緩和へ向つているこの際にMSA協定を結ぶということは策を得たるものではない、こういう見方はあるいはあるかもしれません。しかしながら私たちの考えは、自由主義諸国家において防衛力を強め、たとえばMSAの援助などによつて結ばれることに原因をして、率直な表現を用いますと、強くなつて来た。強くなつて来たがために、かえつて最近の国際間の緊張が緩和に向つているのではないか。こういう見方は一応成り立たないでしようか、安井教授はそういう一方をごらんになつたでしようか、こういうことであります。  それから、さつきのお話を聞いておりますと、中共の承認問題が大きく取上げられておりました。MSA協定を結ぶと、中共の承認はむしろ遠ざかつて行く。MSA協定よりも先に中共の承認という問題を考えて、国際緊張の緩和に努力すべきであるという御意見のようでございました。これは岡崎大臣にも私はお尋ねしたいのでありますけれども、これも見方をかえて申しますれば、何もMSA協定を結んだからといつて、将来必要が起つた場合に中共を承認できないというようなことはないのではないかと思います。先ほど申しましたように、MSA協定を結んで、自由主義国家間の団結が強まれば、かえつて力の均衡という見地から、中共などの政策も折れて来るのではないかというふうにも考えられるのですが、この点をお尋ねしたいのであります。特にその中で教授は、中ソ友好同盟条約を引用されましたけれども、これなども私たちが率直に感じますのは、いち早く、何を好んで中共とソ連はああいう友好同盟を結んだかということについては、ふに落ちない点がございます。むしろ中共とソ連が友好同盟条約を結ぶことによつて、われわれの方へ先に先制挑戦をやつて来たのではないかというふうに考えるのであります。その点についてどうお考えになりますか、安井教授の御返答を聞いて、そうしてそのあと岡崎大臣からこれに対する所信を披瀝していただきたいと思います。
  21. 安井郁

    ○安井公述人 並木委員の御質問に簡単にお答えいたします。最初に一方に偏しているかどうか、その問題について率直に私の態度を申し述べたいと思います。今の私は、かつて米英が鬼畜であるというふうな、一つの片寄つた態度がとられたことを非常に痛切に思い起しまして、今またその動きが、やはり一方に片寄つているものじやないか、そういう心配を私としては実に深く持つものでありましてきようはむしろその逆の方向の見方がアメリカの一部にもあるこのとき、われわれは態度が違いますと、お互いに非常に感情的に快くないとかいろいろな点が出て参りますけれども、やはり他の方の見方、またアメリカにもあるそういう見方に耳を傾ける必要があるのではないか、非常に痛切な私の憂いから、きようはその点を取り上げたわけであります。  もう一つの中ソ同盟条約の問題につきましては、私はこれは先ほど公述いたしました中で、相関関係という言葉を非常にはつきりと使つておりますので、日米の安全保障条約に関する動き、それと中ソのあの同盟条約の動きが関連を持つております。あの同盟条約は時間的には先になつたと思いますが、しかしその間には非常に深い関連があるのでありまして、私はきようはそれを指摘したい。その意味において、私は率直に言うならば、ソ連、中共に対しても従来の外交政策について反省を求めたいという気持はあります。同時にまた、他面アメリカに対しても反省を求めたい。その点は、繰返して言えば、両者微妙な相関関係にある、一方が他方を仮想敵国とするというその断定は、やはり片寄つたものである。それが私の見解であります。  それから中共承認問題とMSA等との関係につきましては、私は先ほど来申しますように、個々の協定が必ずしも一々の具体的効果をどの程度まで出すかということ、それを申すのではありません。ずつと長い流れ、それはサンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約から今日まで至つておるのでありまして、これは私は先ほど指摘しましたように、第二次世界戦争のあの当時の険しい情勢、それを背景として生れて来た一つの流れだろうと思います。そうして私は、それが今もある意味において続いているということは先ほど申しました。しかし今やそれと違う方向をとらなければならないということは、アメリカの側においても、またソ連中共の側においても、感じ始められているのではないか。そうして日本としては、その線に沿うて最高の努力をすることがやはり正しいのではないか、私としてはそういう観点から先ほどの意見を申し述べたのであります。  時間がないようでありますから、並木委員に対して、簡単ではありますが、この程度の答弁でお許しをいただきたいと思います。
  22. 上塚司

    ○上塚委員長 外務大臣、委員会ではありませんが、お答えの何がありますれば……。
  23. 岡崎勝男

    ○岡崎国務大臣 簡単に言いましよう。いろいろな意見はありましようけれども責任ある者の地位としては、おおかみがおばあさんの着物を着ているようなときに、これをおばあさんだ、おばあさんだと言つて安心しているわけに行かない。中ソ同盟条約についてもいろいろな意見がありましようけれども、私はそれの論理的な議論をしておるのじやない。実際の情勢から見て国政を担当して行かなければならぬ。そのときはおばあさんの着物を着ていても、中身はおおかみでなければならぬということは、はつきり考えなければならぬと思つております。
  24. 細迫兼光

    細迫委員 安井教授が急いでおられるようでございますから、他の教授への質問を留保いたしまして、安井教授関係の質問をいたします。  第一は、国連憲章との関係でございます。このMSA協定にも国連憲章を引用いたしておりまして、国連憲章の目的及び原則に従つてということをこの協定前文もうたつております。ところがこのMSA協定そのものを見ますれば、はつきりと「自由世界防衛力」という字句を使つております。これは言葉の使用慣習に従いますれば、常識上共産圏と対立する国家群の意味に使われておるのであります。このいわゆる自由諸国家防衛力増進ということを、何としても観念的に主たる目的にしておる協定だと思うのであります。国連憲章は申すまでもなく「われら連合国の人民は、」中略「寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に共存し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を」合せる、こういうことを「決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することを決定した。」こういうふうに前文では書いておるのであります。これをあわせ考えますと、MSAの協定に盛られた精神は非常に矛盾するものではないか、いわゆる対立する一方の勢力の増強を目的としたものであつて、国連憲章の精神と相反するものではないか、こういう感じを持つのでございますが、いかがでございましようか。すなわちこの協定は、国連憲章に反するものであると私は思うのでありますが、いかがでありましよう。
  25. 安井郁

    ○安井公述人 細迫委員にお答えいたしますが、今の御質問の前提は、むしろ国際連合そのもののあり方に関連して、そのことを明らかにしなければならないと思います。国際連合は、今細迫委員がおつしやいましたような精神をもつて、第二次世界戦争惨禍の後につくられておりますけれども、その後の世界情勢が、やはり国際連合のあり方に影響して来ておるのではないでしようか。その点から、国際連合が二つ世界の対立を反映するように、そういう一つの動きをやや示した面もある。そこで最近においては、一方においては国際連合というものをいわば自由世界防衛的なもの、そういうはつきりとした性格の国際的な組織に持つて行こうという意見もあれば、それではいけない、国際連合の生れたときの精神に返らなければならない、そういう二つの動きがあるだろうと思います。その点を考慮に入れながら考えますと、令細迫委員が言われたような問題も私は出て来ると思うのであります。その点について、私が先ほど申し上げました立場から検討いたしますと、国際連合憲章そのものとの法律的矛盾ということをどの程度まで客観的に断定できるか、実は私は多少躊躇いたします。むしろそういう意味の国際連合のあり方について世界がもう一度反省し、国際連合が真に二つ世界を包摂するような国際組織に名実ともになるか、それともそうでない方向をたどつて、あるいはソ連、中共等の脱退というような事件も、むしろ私としては問題のキー・ポイントに触れるのではないかと思います。この御答弁は細迫委員もおそらく御不満ではないかと思います。私は国際連合というものを形式的に考えないで、そういう見方から見ております。そういうお答えを申し上げたい。
  26. 細迫兼光

    細迫委員 ずばりと言い切れないところに、私もお言葉のように不満を感じますが、それはそれで置きます。  次はきわめてばからしい質問でありますが、国際的知識に権威を持たれるお言葉をちようだいいたしたいと思いまして、あえてお尋ねするのでありますが、世界的に、すなわち防衛のための軍隊自衛のための軍隊と揚言しない、たとえば侵略のためにわが国は軍隊を持つておるのだというような建前で戦力武力を備えておる国がありますかどうか、お尋ねしておきたいと思うのであります。
  27. 安井郁

    ○安井公述人 もちろんそういう侵略を目標として、それを正式に掲げまして、そういう意味国家戦力を保つというような国はないと思います。
  28. 穗積七郎

    穗積委員 安井教授はお急ぎのようでありますから、他の質問を留保いたしまして、簡潔にお尋ねいたします。  MSA協定の本協定の方の前文の中の解釈で、ございますが、これは念のためにちよつと教援の御意見を伺つておきたい。これに関しましては、お願いいたしておきますが、入江教授からもあとでお答えをいただきたいと思つております。個別的及び集団的自衛権は、国連憲章の中で原則として認められておりますが、これが幾たびか今度の協定の交渉並びに条文の中にアメリカ側から主張されて、取入れられておりますが、この個別的並びに集団的自衛権発動につきまして、特にお尋ねいたしたいと思つておりますのは、集団的自衛権発動について、特別に軍事的協定を伴わないで、固有の権利としてこれが立ちどころに発動し得るかどうか、これは学界におきましても二つ解釈があるようでありますが、両教授はこれに対してどういう解釈を持つておられるか、その点を一点だけ、時間がありませんから簡潔にお尋ねしておきたいと思います。
  29. 安井郁

    ○安井公述人 穗積委員にお答えいたします。個別的集団的自衛といわれておりますが、従来は、自衛というものは主として個別的であつたと思います。最近の情勢に基きまして、国連憲章において、特に集団的自衛というような言葉が大きく浮び上つて来たのだろうと思います。今の御質問に関連しますのは、むしろ個別的自衛の場合であろうと思います。これは国家間、特に条約規定されなくても、国際法上現在まで認められていたものと解釈するのが、普通の見方ではございませんでしようか。集団的自衛となりますと、これは、その自衛についてすでに一定の集団的約束がなければ行うことがむずかしいではないでしようか。その点で、集団的自衛の問題になりますと、私はやはりそれが正規に発動する場合においては、何らか事前に国家群の間に一定のとりきめがあることを必要とするものではないかと思います。きようはこの程度にとどめておきたいと思います。
  30. 今村忠助

    ○今村委員 ものの考え方の基礎になるというような点で、二つの点からお尋ねしてみたいと思います。  今自衛権の問題が出ております。いわゆる戦力なき自衛力というような言葉が生れて、これについて、ものの考え方の違う両方面からのいろいろな議論があるわけです。そこで私は、安井教授は、自衛権というものを認めておるとしたならば、すなわち自衛力というものをどの程度に考えられておるか。ことに共産主義の武力革命ということが現実の問題として世界の至るところに起きておる。そういう際において、一体自衛力というものは、今いう憲法で認められていない、いわゆる戦力なき自衛力というものをどの程度に考えるべきであるか。このものの考え方の点を聞いておきたい。  第二は、二つ世界の対立、これも現実の問題だと思う。そういう場合において、安井教授は、この二つ世界の対立のほかにあつて、第三者的立場というか、中立的立場というものは維持できるというように考えておられるかどうか。安井教授は、進んでソ連の共産主義圏とでもいうようなものに加わつた方がいいとお考えになつているか。そこらのものの考え方をはつきりさせていただきたい。そうすることによつて、あなたの御説明も納得できるものがあるのでございます。つまり立場の違つた人の意見として聞くことができるのであつて、中正の意見という立場ではわれわれは聞かれぬと思う。この点をひとつはつきりお答え願いたいと思います。
  31. 安井郁

    ○安井公述人 第一の戦力なき自衛と申しますか、その点につきましては、私は先ほどのような解釈で、日本国憲法第九条によりますと、極端に戦力を持つことのできない状態日本が置かれておる。しかも国際法自衛権は私も認めるところであります。ではそのときにほんとうにそれができるかどうか。私はその場合、大きな国際的な武力行使が起つたならば、日本としては非常にあぶない立場に立つと思います。そこで問題は、それに対処する、真に日本の国を守ると申しますか、私が先ほど言つた意味において、日本の平和安全を守るためどの方向へ進むのだということが一つの考え方。だから日本も一つの戦力を養成して行く方向へだんだん行かざるを得ないという考え方があると思います。ただ私がそれに対して今痛切に憂えておるのは、この原子力の時代に、その方向ではたして目的が達成されるのであろうか。そこは見解がわかれるかもしれません。私はその場合、むしろ他の方向をとつて、国際的な情勢をながめながら日本の安全を守る方向へ行くべきではないか、これが私の考え方であります。  それから第二の三つの世界の対立、それに対して第三者的云々という言葉がございましたが、これは私としては一言したいと思つてつたところに触れておりますので、私の意見を述べることにいたします。たとえばインドのネール首相の考え方は、第三勢力という言葉をきらわれまして、第三地域というようなことを言つておるようであります。ああいう考え方世界に現在存在するであろうと思います。私はそういう第三地域を願つておるというネール首相の気持は、何か理解できるように思います。しかしそういうものが非常に大きくなる、あるいはそれにもかかわらず、二つ世界の対立が決定的になる、そこが大事なポイントであります。私ははつきり申し上げまして、日本がただちに共産陣営に投ずるのだということが、今日の私の意見の裏づけにはなつておりません。世の中では、共産主義体制と資本主義体制の対立ということ、それの共存ということ、それから共産主義国家群と資本主義国家群の対立または共存ということをたいへん混同されておる。理論的にも、実際的にも混同されておるように思います。私が今日申し上げておるのは、その国家群の対立、一体平和的に共存できる可能性があるかどうかという問題でありまして、その点に関する限り、私はこの原子力の脅威がこれほど両陣営を脅かすようになつたこの時期に、この二つ国家群、すなわち共産主義をとる国家群と資本主義をとる国家群との間に平和的共存の可能性が増して来た。そしてそれをさらに増大するような方向へ行くのが正しいのだというように考えておるのであります。日本とそれとの関係については、私は今日述べるべき内容ではないかと思います。私は日本は独自の歴史、伝統、それからまた日本の条件に従つて日本の社会をよりよくするために行くべきであると思います。アメリカの社会的のあり方が、そのまま日本に適用さるべきではなく、いわんやソ連のあり方がそのまま日本に適用さるべきではないと思つております。そういう意味で、何か世界に大きな一つの流れがあると思いますが、その流れの中で、その二つ国家群が共存し、またそれに対してインドその他が第三地域を念願しながら一生懸命に自分の幸福を求めておる。それが大体大ざつぱに言つて世界の情勢ではないかと思います。そしてMSAの問題につきましては、私は単純に法律学の理論を放棄して政治学をやるというのが真意ではありません。私は大体私の学問の重点を、国際法学から国際政治学に移しております。先ほども言われた通り、アメリカ等においては、今国際法学より国際政治学の研究に非常に力が入れられておるのであります。今日も私はどちらかというと、最初はつきりお断りしましたように、私が二十年来やつて来た国際法学に、数年来学問の力点を置いた国際政治学の立場から若干の意見を申し述べた、そういうふうに了解していただけば私としてはありがたいと思います。
  32. 今村忠助

    ○今村委員 なおはつきりしない。私の質問したい点は、二つの思想的な対立がある。それであなたのとる立場は、そのいずれでもなくて、第三者的立場なのか、むしろあなたの御意見を聞いておると、共産陣営という立場からものを見るという立場をとつておられるのか、こういう点を聞いたのでありまして、現在の研究の態度とか、その陣営の共存の可能とか、二次的なものの考え方でなくして、あなた自身のものの考えでありまして、その主観となつて来る点は、どちらの側からものをお考えになつておるか、こういうことをお聞きしておるのです。
  33. 安井郁

    ○安井公述人 重ねてお答えいたします。私は先ほどのお答えですでに尽きておるように思うのですが、非常に真剣な御質問でありますから、お答えをいたしたいと思います。私はソ連的共産主義の立場をとつておるものではありません。これは明言をいたします。また明言するまでもないと思います。非常につつ込んだ御質問でありますから、それを明言いたします。但し、先日カナダの首相が国賓として参りましたときに、中共をたとえば承認するとか、しないとかいうことは、その制度を是認するとか、あるいはきらうとか、そういうこととは関係がない、むしろ事実を事実として認めるのが、国際法上の承認の真のあり方だということを、私は新聞報道を通じて見たのであります。私はそれが正しいと思うのでありまして、共産主義を是認するものだけが、共産圏の国々と仲よくする、そういうものではないのでありまして、そこに私は重大な混同が起らないように、切に希望したいと思うものであります。
  34. 福田篤泰

    福田(篤)委員 今安井教授から大事な問題についてお話がありました。しかもまた同僚今村委員からの質問に対しまして、最初にお述べになりましたお話と大分中和された御意見をあとで補足的に説明された。私はこの二つ世界に関連して、あなたが国際政治学者として、大事な点を一つ指摘してお答えいただき美いことは、あなたの公述の中に重大な発言が一つあつた。それは、日本は中共を承認しない、並びに日本国内にアメリカの軍事基地が非常にたくさんある、この二点を根拠として、日本は平和条約を結んだが独立国になつていない、こういうことをはつきり言つておられる。これは親ソ容共派の立場において政治家が言うならば別であります。人によつてめいめい信念がありますから、大いにその信念を述べればよいのですが、少くとも純粋な真理を追求する立場に立つ学者であるあなたが、日本がまだ中共を承認していない、並びに日本の国内にアメリカの軍事基地を認めておるという二点だけで日本が独立国ではないと言われるのは、きわめて重大なお言葉であります。たとえば英国その他がアメリカと喜んで軍事基地協定を結んでおる。これは御存じのように、イギリスのアトリー労働党内閣のときに結んでおります。さらにまた中共問題にしましても、各国とも微妙な外交政策として論議されておる問題であつて、この二点によつて日本が独立国でないというふうにあなたが断定されるということは、これは非常に重大な問題だと思う。もし日本が独立国でないというお考え方で大事な子弟を教育されているとするならば、われわれとしても重大な関心を持たなければならぬ。この二点によつて日本が独立国でないということを断定される勇気があるのかどうか、もう一点お伺いして参考にいたしたいと思います。
  35. 安井郁

    ○安井公述人 福田委員にお答えをいたします。今の点につきましては、私先ほど国際政治学の立場からということを申し上げましたが、私の意見の重点は、先ほどは特に中国問題が中心になつたのでありますが、その中国問題の処理については、日本は真の独立国として、自由にこれを処理するところの立場を認められなかつた。その点を先ほどの意見では言つたのであります。
  36. 福田篤泰

    福田(篤)委員 具体的に例を……。
  37. 安井郁

    ○安井参考人 たとえば日本は。中共貿易の問題であるとか、またその他の政治的な調整の問題であるとか、そこに完全なる自由があるかどうか、それで福田委員と私の見方がわかれることになつたのかと思います。私としては、そこに自由はないというふうに認めたわけであります。   〔発言する者多し〕
  38. 上塚司

    ○上塚委員長 時間がないから、静粛に願います。
  39. 安井郁

    ○安井公述人 委員長、きよう私は午後二時から講演をする先約をしておりまして、それで委員会に午前は出席するということで、特別にはからつてもらつたわけでありますから、ではこれで失礼いたします。
  40. 上塚司

    ○上塚委員長 一言福田委員から……。
  41. 福田昌子

    福田(昌)委員 毎々のことですが、社会党の委員になると、時間が来ましたという御発言がいつもあるのです。私は別にひがんでいるわけではないのですが、これまでの慣例上そういうことになつておりますから、ひとつ民主的におとりはからい願いたいと思います。私、いろいろな点でお教え願いたいと思つておりましたが、時間がないというどたんぱに推し進められましたから、ただ一点だけお尋ねをいたします。  安井先生に、欧州でMSAを受諾いたしました国の国民の輿論と、その国にありますカントリー・チームの権限、この点を第一にお尋ねいたしたいと思います。  第二には、英国ではすでにMSAを受諾しておりますが、その英国でありながら、援助よりも貿易ということを叫んでおります。そうしてまた昨年のごときは、ソ連圏に対しまして貿易の使節団を送りまして、共産圏との貿易を切望いたしております。この英国内における情勢というものはどういうところにあるのか、なぜMSAを受けながら強く援助よりも貿易ということを叫ぶのか。またソ連圏に使節団を出したということは、受諾したMSA協定に、日本式に考えれば反すると思う場が、そういうことは抵触しないのかどうか、こういう点をお尋ねしたいと思います。
  42. 安井郁

    ○安井公述人 福田さんのせつかくのお尋ねでありますけれども、欧州におけるこまかいいろいろな事実については、私確実な知識を持合せておりませんのでお答えいたしかねます。ただ一言、先ほどの私の意見の陳述の関係において述べることのできますことは、MSAを受入れるかどうかということは、各国においてその実情が異なるということ、さらにまたその時代において意義が異なるということ、この二点をわれわれは確認しなければいけないではないかと思います。その点を確認した上で、各国がどういう利害を持つてそれを受入れられたか、あるいはこれを拒否したか、それが重点でありまして、私は現在の日本の情勢においてこれを受入れることの意味、その点についての意見を申し上げたのであります。
  43. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 お急ぎのようでありますから、私は簡単に質問いたしますので、簡単に御答弁願つてけつこうであります。安井さんと鈴木さんに、あなた方のお立ちになつている立場につき承りたいのです。先ほどの安井さんの論旨や鈴木さんのお話を承つておりますと、結論的に申して、国際連合に参加することも、安全保障条約、平和条約に参加することも、これはことごとく防衛力を前提としたものである、従いまして、参加するということは、鈴木さんの立場から言うならば憲法に抵触するとか、安井さんの立場から言うならば、これは適当でない、こういうふうな結論に私は承つたのであります。そうすると、あなた方は平和条約、安保条約、あるいは国際連合に参加することは適当でない、あるいは違法である、こういうお立場でございましようか。
  44. 安井郁

    ○安井公述人 佐々木委員にお答えをいたします。国際連合との関係については、先ほど細迫委員ですかにお答えしたことが当てはまるわけでありまして、国際連合のあり方に関すると思います。国際連合が真に世界の平和及び安全を守るためのものであるならば、私は当然日本もそれに参加すべきものであると思つております。それとサンフランシスコ平和条約及び安保条約とは多少性質を異にしていると思いますので、それへの加入は国際連合への加入と別個に考えるべきものである、それが私の立場であります。
  45. 上塚司

    ○上塚委員長 ありがとうございました。安井君、どうぞお引取りを願います。――鈴木君、御答弁ありますか。
  46. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 佐々木さんにお答えいたします。これは前から学界において言つておりますように、国連に入ると武力供与その他の義務がある、しかし日本の場合には、極東委員会においても承認したこういう絶対非武装の憲法を持つているのであるから、当然そういうことを条件にしてもらつている。また国連がほんとうに国際紛争を国際的に解決する機関であるならば、日本の非武装ということは、全連合国が極東委員会を通じて承認したことであるから、日本が非武装であつても、従つて武力を提供するというような義務は免除しても、国際紛争解決の国際的機関としておそらく加入を認めるだろう。それが認められないならば、日本憲法自身の建前からいつて入るわけに行かないけれども、しかし国連の大目的がそうであるならば、当然世界平和のために、日本武力を供与できないという条件のもとに加入が認められるのではないか、またそういうように加入を求めるべきではないか、現在私どもはそう考えております。
  47. 上塚司

    ○上塚委員長 加藤勘十君。
  48. 加藤勘十

    ○加藤(勘)委員 私はきわめて簡単に一言だけ鈴木教授にお伺いします。それはMSA援助協定は、MSAの性格上日本にとつては合憲的には締結されない、こういうお言葉でありました。私どももまつたく同一の見解をとつております。それで問題は、政府当局はこれに対して、協定の第九条の二項に「この協定は、各政府がそれぞれ自国の憲法上の規定従つて実施するものとする。」という規定があるから憲法違反ではない、こういう解釈をとつておるのでありますが、これに対して教授はどのような御見解をお持ちになつているか、それをお伺いしたいと思います。
  49. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 どうも私どもは、政府の公に示された憲法解釈とは違う立場をとつておりますので、ただいまのような条文は矛盾するといわざるを得ない。憲法自身の許さないところの事柄を協定して、その協定の中に憲法従つてやるということは、私は矛盾であると思う。つまり違憲性を阻却しない。(「その通り」「ノーノー」)その点はまさに見解の相違であります。
  50. 加藤勘十

    ○加藤(勘)委員 そこで当然疑問が起つて来ると思うのです。協定第八条の諸般の規定、すなわち六箇条件は、明らかに日本憲法に抵触するものである。ところが第九条においては、今言うように、憲法規定従つて実施する、こういうことでありますから、この同一の協定そのものの中の八条と九条とは、明らかに矛盾するのです。八条の解釈とつたときには憲法はナンセンスである。もし九条の規定をとれば、八条の条項はまつた意味をなさぬことになる。実際にこの解釈をする場合に、いずれの条文を重しとして見るか、当然こういう矛盾が起つて来るわけですが、これらに対して教授はどうお考えでしようか。
  51. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 それは先ほどから私が申し上げましたように、つまりこういう協定自身現行日本国憲法のもとにおいては合憲的に結ばれないと思うのでありますから、ただいまの矛盾はもう問題にならないと思います。つまり今の憲法を改正しない限りは、私は合憲的には、法律論としてこれを認めることはできないと思います。(その通り「見解の相違だ」と呼ぶ者あり)
  52. 戸叶里子

    戸叶委員 関連して。ただいまの問題ですが、教授の立場にお立ちになりますと、これが憲法違反である。ところが政府は、これは憲法違反でないとごまかしていらつしやいます。そこで問題は、憲法違反だということを最高裁判所なり何なりに提訴いたしましても、それをきめつけるきめ手が今のところ日本には、ございません。そこでそのままに、違憲であるにかかわらずそういうふうな条約締結されましたときには、日本の国はその条約を守らなければならないというふうな状態に押し込まれて行く。そこで憲法の九十八条の二項だと思いますけれども、この憲法を守ると同時に、条約を守らなければならないという規定政府がどんどん既定方針通り続けて行く。そうすると、憲法違反のものであつてもかまわずに、そういうふうな違憲の条約でもだんだん累積して行つて、そして遂には、政府というよりも私どもの非常に好ましからざるものの方へ持つて行くという危険性が、多分にあるのではないかと思うのでありますが、この点がどうであるかという点がまず第一点。  もう一点は、先ほどもおつしやいましたように、日本で考えておりますところの戦力という言葉、あるいは防衛力、防衛能力という解釈と、国際的に解釈しております言葉とは、明らかに違つていると思います。そこでもしも言葉の上でなくて内容的な問題が起つて来た場合において、日本の国がどんなに戦力なり自衛力なり防衛力をこう解釈するのだと言つても、外国からそうじやないのだと言われました場合には、やはり国際上の通念解釈されてしまい、日本が非常に不利な立場に置かれるというふうになるのではないかということを私どもは懸念いたします。その二点についてお伺いいたします。
  53. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 私どもの考えからいたしますと、これは違憲のものであります。しかし福田さんなんかのお言葉によると、これはそうでないというのですから、これは相対立するわけですが、日本国憲法のもとにおいてそういういろいろな解釈の対立が起ることは、これはもちろん許しておるのでありまして、やむを得ない。しかしこの違憲の条約――私どもは明白に違憲だと思うのでありますが、これが、私ども立場から言えば不幸にして、違憲でないという御意見国会の多数を制しまして、所定の手続に従つて条約が成立した、こういう場合にどうなるかというお言葉でありましたが、そのときには、御承知のように形式的に合憲性を持つたわけであります。憲法に定めるところの手続で合憲的に成立したのでありますから……。しかし形式的に合憲性を持つておる条約であつても、私どもの判断からすると、実質的には違憲の条約であると思うのであります。そういう場合には、私どもはこれの裁決をどこに求めるかということになると、国内法規と違いまして、現在の裁判所法及び最高裁判所の権限、こういうものから考えて、大陸諸国におけるような憲法裁判の制度が確立していない。つまり社会党の予備隊提訴の場合に現われましたように、この条約は違憲であるという一般的な争いとして現在の最高裁判所に提訴いたしましても、それは権限外だといつて棄却されてしまう。そこで私どもは立法論になりますけれども、そういう一般的な抽象的な立法なり条約なり、それについて違法の疑いがある場合には、これはやろうと思えばできるわけでありますから、現行法規を改正いたしまして、憲法第八十一条が定めるように、直接憲法裁判所の制度を導入すれば、そういうことについて一応の結論が出るのではないか。一方の人々は、相当有力な人々がこれは違憲だとあくまでも考えている。他方はすでに国会の多数をもつて合憲のものであるとして条約を結んだということは、これは決して望ましくない。それを、私はやはり憲法裁判所の制度によつて、国として合憲な条約であるかどうかということを実質的にも決定し得る必要があると思います。現在のところでは、憲法第九十八条がありますけれども、そのことについてそれを確定する裁判所制度はできていない。しかしこの条約によつて、私は門外漢でありますから本日申し上げませんでしたけれども、入江教授が指摘されたような、関税の免除であるとかその他いろいろございますが、そういう場合に、これを一定の争いの種として関係業者が、自分たちと違うこういう特典を受けておる、これは第十四条の法のもとの平等に反する、明らかに自分たちのこういう職業上の利益が侵されている、これはその根源をなすところのこの協定が違憲のものであつて無効だから、自分たちはそういう差別待遇には甘んじられないというふうに民事訴訟の形で出て参りましたならば、現行法のもとにおいても、最後に最高裁判所において、この協定が違憲であるかどうかという審査があると思います。これが第一点のお答え。  それから第二点については、これは先ほど時間がないので陳述の中では漏らしましたけれども、このMSAに基く日本に対する援助については、御承知のように昨年すでにアメリカの上院において報告書が出ております。そのときの多数決、すなわち上院外交委員会としての報告自身はこれを肯定したのでありますが、これには少数意見が付されております。その少数意見は、ウイスコンシン州出身のスミス議員の名前で発表されておりますが、七月十七日ニユーヨーク発の外電によりますと、これは日本国民の背後に隠れて日本を再軍備するものである、日本憲法第二章第九条に戦力という文句があるが、これは大切なことである、今米国はこの規定を無視して日本戦力を与えようとしている、ホーム・ガードとか、警察力とか、保安隊とかいろんな名前で呼んでも、この根本的事実はかえることができない。この少数派は、以上のような意味において、対日軍事援助を与えることはいけないといつて反対して、そのことを少数意見として発表したわけであります。このMSA協定自身の動きを見ましても、デイフエンシヴ・アームストレングスという言葉を使つておりますが、これは社会科学上の通念から申しましても、普通の国際的な常識から申しましても、陸海空軍その他の戦力を包含することは疑いないと思います。
  54. 上塚司

    ○上塚委員長 西尾末廣君。
  55. 西尾末廣

    ○西尾委員 鈴木教授にお尋ねいたします。この日本憲法には自衛権を積極的にしておる条項はないけれども、積極的にしていないから自衛権があるのだ、こういうふうに今まで言われておるのでありますが、積極的に自衛権を認めるような憲法にした方がいいのかどうかということについて、憲法制定当時からお考えになつたことがありますか。あるいは現在の憲法ができた時分に、自衛力の問題、自衛権の問題について、この憲法ははなはだ不完全であるとお考えになつたことがありましようか。
  56. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 これは西尾さんも御記憶と思いますが、私どもの発表いたしました憲法研究会草案では、このことには全然触れておりません、それは当時相当多くの人々が集まつたのでありますけれども、気がつかなかつた、つまり軍備撤廃というところまでは考えていなかつたのであります。私としては、率直に申しまして、自分の著書、論文がございますから、それによつて認めていただけばよいのでありますが、一番最初に出した「日本憲法」という憲法解釈集には、この憲法には軍備を全然持たないと規定してある、これは過去において日本が誤まつた軍備の増強によつて国威を発揚しようとした、その考えに対する深刻な反省としては妥当であるけれども、しかし独立国として軍備を持たないということは、今の国際情勢上おかしいのじやないか、そこで将来国民の間で研究した場合、第一共和国フランス憲法――当時はまだ草案でありましたが、その程度の規定の方がより妥当ではないか、こういうことを書いております。その第一共和国憲法草案には、皆様御承知の通り、こういうことが書いてあります。すなわち国際平和を追求するから、フランス国としては相互的であるということを条件として、国の主権の制限に同意する、しかし一切の侵略戦争は行わない、いかなる民族の自由に対しても武力行使しない、こういう規定であります。私個人としては、当時そのように考えたのであります。つまりこれは日本だけが軍備をなくしてしまうことは片手落ちではないか。やはり軍備を持ち戦争をするということは、国の主権の発動と従来考えられておりましたから、私はほんとうによりよきものとしては、国際平和のために相互的であることを条件として、国の主権の制限に同意することであると思う。それからいかなる侵略戦争もしない、いかなる民族の自由に対しても武力行使することをしない、つまりこの程度のものがいいのではないかと当時考えておつたのであります。そこでこの点は、徹底した平和主義者から見ると考えが至らないということになるでありましよう。現在私は、そういうことを自分の著書、論文に公にしておきましたから、この問題は自分一個の問題としても考えておるのでありますが、現在の場合においては、私はこの徹底的な平和主義者の立場、これは自分が理論的に十分に整理できないけれども、自分の全人間的な気持からいうと、戦争というものは徹底的にいやである。私は理論的には相当この戦争のやむを得ないこと、自然に起るであろう、起らざるを得ない危険のあることも判断できるのでありますが、自分の気持としては、戦争というものは徹底的にいやである、それからまた日本の現在置かれておる状態のもとにおいて、この日本の再軍備――独立国として最小限度の軍隊を持たなければならぬというような一般的の考えからいうと、どうしても軍備を持つということになるけれども、現在の日本のもとにおいて、自衛権の裏づけになるようなそういう軍隊は持ち得ない。つまり山川均氏の比喩的な言葉で言うと、おもちやの軍隊である、のみならず、そのおもちやの軍隊を持つことによつて国民生活が破綻するとか、あるいは忌まわしき軍国主義が再興する危険があるということを考えると、私は日本で再軍備することは、政策としては策を得たものではないと考えます。  それからまた第三の点として、日本が今日再軍備する場合、ほんとうに独立国日本自衛のために、軍隊を持てる可能性があるか。われわれの力によつてでなくて、その軍隊の性格において、そういうことが不可能ではないか。そういうことを考えると、私は現行憲法の完全完施を守る絶対平和主義者と歩調をひとしくして、別個の外交的工作において国の安全を守るように努力する方が、策として賢明であるという考えにおちついておるわけであります。
  57. 西尾末廣

    ○西尾委員 もう一つ、憲法学者としての鈴木さんにお尋ねするのでありますが、すでに第九条の点においても、その他の点においても、現在の憲法についてそれぞれ重大な解釈の相違がある。日本の国の政治の基本となる憲法に、解釈において重大な違いがあるということは、憲法自身の不完全さから来ておるのではないかと思う。そうすると、不完全な憲法をより正しい憲法にすることが必要だろうと思うのでありますが、憲法学者としての鈴木教授のお考えを伺いたい。
  58. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 第一の点は、これは必ずしもそうでありますまい。アメリカの場合にも、最高裁判所の判決をちよつとごらんになつても、絶えず少数意見、多数意見が相当載つておりますし、国内におきましても、先ほどの上院外交委員会――これは日本の場合にはどうなるか知りませんけれども、アメリカの相当責任ある外交委員としては、思い切つた発言だろうと思うのでありますが、それはあつていいのではないか。むしろ明治憲法の場合にも若干ありましたけれども、今日ほど国会において、まだ国民全体において問題にならなかつたのは、つまりああいう前民主主義的な時代のためでありまして、私はこれは争いがあつてもいいと思います。ただ願わくば、最高法規でありますから、この基本的な点において見解を異にしない方が望ましいと思います。  ただそれが憲法の不備から来ているかどうかという第二の質問でありますが、これは率直に申しまして、その点もあると思います。これは他の機会にも申しましたように、明治憲法を見ますと、これは非常に体系的にも表現的にも正確にできております。井上毅氏は学問もあり、文章もりつぱでありまして、さすがに非常に正確にできておる。ところがこれは、(「アメリカ人が書いたんじやないか」と呼ぶ者あり)アメリカ人の、ことに弁護士諸君がおもに書いたが、それから日本の法制局の皆さんもこれに直接お触れになつて、御承知のように、昼夜兼行で議論したのでありますから、アメリカ人が書いたからずさんだとばかりは言えないのであります。しかし基本はそうであります。そして英米法は、一般的に申しまして、常識的で、つまりドイツ法的に緻密な概念規定をいたしませんために、そういう点におきまして、体系性においても概念規定においても、非常にあいまいな点があると思います。私どもは、やはり日本国憲法としては、そういう点からいつても、改正すべきであると考えます。  それから、この七年間の経験では、まだ十分ではありますまいけれども、たとえば解散権の問題にいたしましても、それからいろいろな労働団体との問題が起つております団結権の問題にいたしましても、たくさん直す必要があると思います。財政の章なんかに至りましては、継続費を認めることがはたしていいのかどうか、学者によりましては合憲であると言う人もありますけれども、現在の財政の規定から見ると、継続費を認めることは違憲ではないかという意見もあるのでありまして、そういう点は、やはり改正しなければならないところであります。ことにわれわれ自身の、国民主権憲法でありますから、徹底的に改正ということについて絶えず研究している必要があると思います。私自身も、改正するならば、どういう点を改正するかということは、自分の著書、論文においても、機会があれば書いております。
  59. 今村忠助

    ○今村委員 先ほど安井教授の際にもお聞きしておいたことでありますが、重ねてこの点をお聞きするわけであります。  まず第一は、鈴木教授のお説は、MSA援助等を受けると、軍備するというような方向に行くから、現在の憲法の建前から思わしくないのだとおつしやられるのかどうか。すなわち憲法が改められれば、MSA援助のごときを受けて、自衛力を高めて行く、本来私はそういうふうにありたいと考えておる、こういうように言われるのかどうか。お話の向きでは、西尾委員の質問に答えて、本来独立国では戦力を持つような憲法が完全なのだというように言われたものですから、この点をひとつ明らかにしてもらいたい。  第二点は、ものの考え方の基礎であります。これは先ほど安井教授に聞いたように、今の憲法を批判され、またMSA援助の問題についてあなたが御批判されるその基礎となるものは、社会主義的立場に立つて御批判になるのか、自由主義的立場に立つて御批判になるのか、これを明らかにしていただきたい。ものの見方の基礎でございます。
  60. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 第一の点については、私は、この公聴会において要求されましたのがそこでありましたし、また何よりも先に、それこそが現実政治についてあまり詳しく知らない私として一番ふさわしいと思いましたから、現行憲法をあくまでも尊重する――大橋さんから御質疑があつたように、これは、こういうことさえも疑わしいのではないかという態度ではなしに、国の最高の法規として擁護し、尊重するという立場から見まして、現行憲法のもとにおいてこの協定を結ぶことは、とうてい法理論として認められない、こういうことであります。  第二の点として、しからば政策論として、こういうことの必要があれば、憲法を改正するならばむしろ望ましい、これはどうかという点につきましては、今西尾さんにお答えしましたように、現在私といたしましては、こういうことは政策論として望ましくないのではないかという考えを持つております。ただこれについては、現実政治の皆さんに御納得の行くように説明する自信はありませんけれども政策論としても現行憲法尊重して、もう少し政治外交の面において努力すべき余地があるのではないか、その方が当面よろしいのではないか、こう考えております。  第三の点については、社会主義と申しましても、いろいろな解釈がございまして、簡単明瞭にとおつしやるとむずかしいので、ございますが、私の著書……(「簡単に」と呼ぶ者あり)そう簡単に参りません。史的唯物論と政治学という私の著書がありますから、これを、ごらんいただきたい。(「あなたのものの考え方を言つてもらえばいいんだ」と呼ぶ者あり)それでは少し時間をとりますけれども……(「簡単にやれ」と呼ぶ者あり)そう簡単には参りません。「(信念がないから言えないんだろう」と呼ぶ者あり)それでは国会議員としての希望を尊重して若干時間をさきましよう。  社会主義という場合に、(「二百六十もあるぞ」と呼ぶ者あり)私は二百六十種までは存じておりませんけれども、大別いたしまして、民主社会主義とか社会民主主義とか、それから共産主義の第一段階としての社会主義という考え方がある、あるいはまた社会通念で、統制経済をやるのも社会主義という見方もある。(「そのどれに立つているのか」と呼ぶ者あり)民主社会主義であります。(「それでいい」と呼ぶ者あり)私はハロルド・ラスキを最も尊敬いたしておりまして、あと一週間もたてば、私の編纂したラスキの小巻が出ますけれども、あなた方はそれでよろしいと簡単にお考えになるけれども、民主社会主義でラスキに同調するといつても、私とラスキとではまた違う。それは正確に表現しなければ、そう簡単には行かない。私が社会党左派なり右派なりに入党すれば、簡単でありますけれども、そう簡単に……(「簡単に言えばいいんだ」と呼ぶ者あり)では申しましよう。民主社会主義である。   〔「了解」「もうよろしい」と呼ぶ者あり〕
  61. 並木芳雄

    ○並木委員 簡単に質問してみたいと思います。先ほど鈴木教授は、憲法九条の戦争放棄の条項で、不戦条約を引用されました。不戦条約を引用されて、それには国家政策手段として、と言われている、しかし今度の憲法九条の国際紛争解決する手段というものは、不戦条約における国家政策手段というよりも広いものである、もつと強い制限であるという意見の御開陳だつたと私は聞きました。私どもはむしろ反対に考えておりますので、国際紛争というものは、国際司法裁判所その他事前に平和的手段をもつて解決するいろいろな方法ができている今日でありますから、むしろ国家政策手段としてという方が、国際紛争解決する手段というよりも、今日では広いのではないか、こう逆に考えます。従つて国際紛争解決する手段としてでなければ、武力行使あるいは武力による威嚇というものはさしつかえない、こう考えるのでありますが、その点どうお考えになりますか。
  62. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 これは入江教授の方が専門でございますが、私の考えるところでは、つまり不戦条約においては、国家政策としての戦争放棄すると書いてあります。しかし国家政策としての戦争という場合には、もちろん国際紛争解決する手段としての戦争も入りますけれども、それよりも狭いのではないか。つまり国の政策として戦争しよう、国の政策としてこれは戦争に訴えよう、こういうように、かなり主体的な目的意識的なものが入つた戦争ではない。これに反して、国際紛争解決手段としては、先ほど申しましたように、突如として不法侵入されて、これに対してとりあえず総蹶起してレジスタンスをする、しかしそれは当然戦争ではない。ところが諸外国にも呼びかけをなして、相手国に対して、至急そういう不法なことをやめろ、すぐ撤兵しろ、損害賠償をせよという要求をする、そういう交渉段階に入つたならば、これはもうどう考えても国際紛争だと言わなければならない。そういうことをも日本国憲法は禁じておるのであつて不戦条約よりも一歩進んで、不戦条約ならば認められた自衛戦争というものも日本国憲法は禁止した、こういうふうに解釈せられるのではないかということを申し上げたのであります。なお研究してみますけれども、私の趣旨はそういうわけでありますから、御了承願います。
  63. 並木芳雄

    ○並木委員 もう一つお伺いします。それはただいまもお話のありました通り、鈴木教授は自衛権発動たる実力行使を否定しておらないと思います。自衛権発動として、自衛行為としての実力行為は、日本憲法で認められておることを否定しておりません。ただ問題は、憲法九条第二項で交戦権を放棄しております。そこで先ほどのような交戦権の解釈をされますと、自衛行動として緊急、緊迫の不正の侵害に対して行うところの事実行動、いうところの自衛行動といえども、交戦権というものを放棄していると、何らなすすべがないのではないか、こういうような印象を私は受けたわけであります。そこでお尋ねをいたしますけれども自衛権発動として実力行使を行い得る場合には、交戦権というものの制限はたな上げをされるのであるかどうか、そのとたんに交戦権禁止の否認の条項は全部ゼロになつてしまうのか、それとも交戦権の範囲というものは制限されるのか、どちらでありましようか。
  64. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 それがいろいろと非常に困難で、学界においても絶えず論争のもとになつておるのでありますが、現実の問題としてそういう状態が起るということは、私の判断からは考えられないのでありますが、論理の過程上、突如として不法な侵略を受ける場合ということを言つたのであります。そういう場合にあらゆる力をもつてレジスタンスをする、これは人間的な本能から当然起るだろう。もしもそういう事態が起りましたならば、それを憲法は禁止もしていないし、またそういうことを防ぐこともできない、これは当然のことである。けれども憲法はそれを自衛戦争として、つまり国際法上に言う戦争として、継続してさらに行つて行くということは認めていない規定であると言つたのであります。それから交戦権というのは、国際法上の観念に言うところの戦争をする権利も含むといわなければなりませんから、ただいま申しましたように、緊急不正の侵害に対して正当防衛的にあらゆるレジスタンスをするという段階はこれに触れませんけれども、それが国際紛争段階に入る、外交交渉段階に入る、あるいはそういう不法な蹂躙をされるのを無視していることはできないというので、ちようどパールハーバーをやられたからアメリカもいよいよ腰を上げて日本宣戦をしたというような段階になると、これは交戦権を認めないという憲法に抵触する。結局ぎりぎりの一線において、降りかかつた火の粉をとつさに払うというきわめて原始的なことは、憲法はそこまで禁止していないけれども、それ以上少しく立て直つて、そしていわゆる自衛戦争とか、そういうことをするということは、今の憲法では合憲的にはできない、こう解釈いたします。
  65. 上塚司

    ○上塚委員長 並木君、時間が大分経過しておりますから、これでひとり……。
  66. 並木芳雄

    ○並木委員 今の御答弁の中で、本能的に行う実力行為という場合に、交戦権がどうなるかということに対して私がお聞きしたことにはまだちよつと触れておらないのです。つまり私がお聞きしたいのは、本能行為として侵略にぶつかつて行く、あるいは侵害に対してぶつかつて行くときには、そのとたんに憲法九条のいわゆる交戦権は無関係になつてしまうのであるかどうか、それとも交戦権は制限されるのかどうか、こういう点なんです。
  67. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 私が申し上げましたのは、交戦権というものは、事実的の実力闘争、戦闘行為をするということを含みません。つまり戦闘をする権利、一定の条件を備えた戦争をする権利、交戦国としての権利のほかに――よろしいですか、戦争というものは、事実上の戦闘行為、レジスタンス行為そのものではない、こう考えれば説明できると思います。
  68. 並木芳雄

    ○並木委員 実力行使に無関係ですね。
  69. 鈴木安蔵

    鈴木公述人 無関係ではない。実力行使をやりまして、それが相手に対してこちらも宣戦を布告する、それから国際法上の戦争法規が適用されるような状態まで拡大して行くという場合に、それまでは無関係である、こういうことであります。
  70. 上塚司

    ○上塚委員長 福田昌子君。
  71. 福田昌子

    福田(昌)委員 一点だけお尋ねさせていただきたいと思います。入江先生のお話を伺わせていただきまして、そのいうところの防衛力の問題におきましても、また日本の区域の問題にしましても、また大きくは経済措置協定、あるいは投資保証協定の点におきましても、私どもが非常に心配をしております点を御指摘いただいたわけであります。こういう点から考えまして、入江教授のお気持は、こういうMSA協定を今日日本政府が受諾すること、この協定を結ぶことが、日本にとつてプラスになるかマイナスになるかということを、ごく簡単にお答え願いたいと思います。
  72. 入江啓四郎

    ○入江公述人 私は、憲法とそれから新協定との関連で、条約解釈論として申し上げたので、それからひいて武装された軍隊、デイフエンシヴ・アームド・ストレグスを形成することになる協定は、憲法の現在の規定に抵触するという立場から申し上げた。それから結論が出ているのでありまして、憲法に抵触するものを結んで、それがプラスになるかマイナスになるかというような実際上の問題をお話したわけではございません。但し、しいてプラスになるかマイナスになるかについて、前とは関係なく意見を述べろという御注文だとするならば、私今の憲法を決して完全とは思つておりませんけれども、不完全だからといつて、簡単に、たとえば第九条を修正しまして第二項をとつてしまうと、その反動は恐ろしい結果になるわけですから、やはり日本としては、最初に憲法第九条を設けたその趣旨をぎりぎりのところまで維持することが日本のためである。軍備のために国費を費す結果になり、だんだんと再武装をすれば、おのずからその軌道を走ることになつて、拡大しなければならぬ。その軍備のためよりか、憲法はまだ幾つかの基本的な原則を掲げているのでありますから、それだけの余力があれば、福祉国家としての方向にまわすべきものである。それから国際情勢からしましても、日本が再軍備をすることについてはかなり疑惑がある、ソビエト圏だけでなく、東南アジア諸国でも相当疑惑を持つているのでありますから、そういう点から考えましても、現在の憲法の条章、少くとも第九条はそのまま置いておいた方がいい、このように考えます。
  73. 福田昌子

    福田(昌)委員 入江先生のたいへんお苦しいような御答弁を伺いましたが、しかし御趣旨はよくわかるのであります。結局入江先生のお考えは、MSAは、現在の憲法の上に立つてみれば違憲である、そして自分としては現在の憲法の、ことに第九条は守りたい、こういう御趣旨であると解釈してよろしうございますか。
  74. 上塚司

    ○上塚委員長 お答えがありますか。――これにて三公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位には、御多用中にもかかわらず、長時間にわたり種々に専門的御意見を開陳していただき、まことにありがとうございました。委員長より厚く御礼を申し上げます。  これにて暫時休憩いたします。  午後二時半より再開いたします。    午後二時一分休憩      ――――◇―――――    午後二時五十八分開議
  75. 上塚司

    ○上塚委員長 休憩前に引続き公聴会を開きます。  公述人各位には、お忙しいところを長時間お待たせいたしまして、まことに恐縮に存じます。御陳述の後委員より質問があるはずでありますから、御陳述の時間は一応三十分程度におとめを願います。それではまず一橋大学教授大平善梧君にお願いいたします。
  76. 大平善梧

    ○大平公述人 三月八日に調印されましたMSA協定、それに三つの付属的な協定がついておりますが、それに関する意見を求められたのであります。  この協定に関しまして、全般的にちよつと考えたことを申し上げたいのでありますが、国会条約承認を求めるということにつきまして、行政府があまりにも秘密を守り過ぎないかという点が問題になると思うのであります。歴史は夜つくられる、従つて外交も、秘密的な外交でなければならないところはあるのでありますが、しかし今日のごとくに、重大なるMSA協定批准というような問題で国論がわかれているというふうな事態をつくつたのはだれの責任であるかというようなことを考えますと、条約締結にあたりましては、十分国民を指導する必要がありはしないか、こう考えられるのであります。また衆知を集めて相当交渉を有利に展開するという方策が考えられるのじやないか。そのためには、一体アメリカの条約締結にあたりまして、たとえば条約締結する前に、通称授権法というようなものをつくつて、あらかじめ国会に――これこそほんとうにあらかじめ国会承認を求めておく、こういうような方法、あるいは交渉の全権団に議員を参加させるというふうな方法、あるいは特別交渉につきまして、現実にやつておられるかもしれませんが、国会その他の方面と連絡するというふうなことが必要ではないか。突然たくさんの協定を持つて来まして、これを見ろ、そしてその意見を述べるというふうになつて来て、しかも厳粛なる事実を前にいたしましては、十分にそれを読みこなすことができないうちに賛成せざるを得ないというふうなことになるとすれば、きわめて重大なことではないか、こう考えるのであります。  第二の点は、日本の特殊事情によりますけれども観念論を少ししてやしないか。理想もいいのでありますが、形式に流れているような議論がありはしないか。そのためにかえつて外交交渉が、相手の方に対する交渉でなくて、うしろを見ながら交渉しなければいけないというふうな言い訳の条文をつくつているというようなことが出て来はしないかということを考えるのであります。われわれは外交にあたりましては感情論、形式論ではなくて、ナシヨナル・インタレスト、国民全体の利益を考えて、大所高所から問題を判定すべきである、こう考えるのであります。  こういうふうな見解のもとに今度の条約を読んだわけでありますが、いろいろ意見はあると思いますし、先ほどの議論を聞いておりますと、憲法第九条の関係が一番問題になつているように思うのであります。新しい軍事義務を、日本がMSA協定を受諾することによつて受けたかという点が当然問題になると思うのでありまして、それは第八条に規定されているところでございます。「自国の防衛力及び自由世界防衛力の発展及び維持に寄与し、自国の防衛能力の増強に必要となることがあるすべての合理的な措置を執り、」これが日本に新しく加えられた軍事義務だと考えてよろしいかと思うのでざいます。これは、安保条約前文自衛力の漸増ということがうたつてあるのでありますが、これは国際協定から申しますと、前文でございますので、まだはつきりしたものがなかつた、今度は具体的にこの規定によりまして、国際条約上の軍事義務日本に課せられた、防衛能力というものが、憲法第九条との問題がそこに起つて来るわけでございます。  次に、海外派兵の義務の点についても、いろいろ問題になつているようでありますが、その点につきましては、特に海外派兵の義務というようなものは、今度の協定には出ておりません。自由世界防衛力の発展及び維持に寄与するというふうな意味におきまして、集団的自衛態勢をとる限りにおきましては、今度の協定規定外において、集団的な安全保障義務というものを履行する場合がないとは限らぬが、それは今度の協定外のことである。従つて海外派兵義務というふうなものは、派兵するとも書いてなければ、派兵しないとも書いてない、こういうわけでございます。  次に、ひもつきであるかどうかという点を考えてみますが、この点につきまして、顧問団というようなものの性格が問題になると思います。この点は人数、その性格、費用という点につきまして、日本の外務当局が最後まで粘つて交渉を続けられた問題でありますが、その点につきまして私は顧問団が期限がつけてない、いつまで顧問団がいるかということの期限がつけてないという点に一つの問題を提起したいのであります。これは付属の返還協定の中にあるのでありますが、日本が供与されましたところの品物を返す場合に、アメリカ合衆国政府に対して、軍事顧問団を通じてその返すということを申し立てるということを言つておりますから、品物を借りているうちは顧問団がいる、こう解釈せられる余地があるのであります。この点はどういうふうに考えてよいか。金額の点についてはここで規定してございますが、人数も具体的には表面には出ておりませんで、日本側としては、なるべく少いというふうに要求したわけでありましようが、今日のような状態になつておるわけであります。私といたしましては、なるべくその点が明瞭であつたならばよろしかろう、こう考えるわけであります。そうしてこちらの援助を受けました品物でありますが、どういうものが借りられるか、われわれといたしましては、古くさい武器、弾薬を借りるというよりも、最新式のものを借りたいとか、あるいは日本でつくらせてもらいたいというような希望を持つておるわけでありますが、その点が細目協定に譲られておる。これは秘密になりますか、ちようど条約による授権と申しますか、委任というような形になりまして、結局この協定批准されるならば、それに基いて政府が行政協定というような形ですることになつて、今後議会の監視からのがれることになりはしないか、こういうふうに考えるところであります。  それからこの援助を受けました物資の所有権につきましては、何らの規定がないわけでありますが、結局民法の五百九十三条による使用貸借みたいなものになりはしないか、日本に所有権を渡してしまつたんだけれども、やはり返還の義務がある。そうすれば使用、収益させて、しかる後にそのものを返還するというならば、日本の民法でいう使用貸借だ、そうすると、そういう品物が日本にあるのだから、それが有効に使用されるということを監視するというような意味で顧問団が相当活躍する余地があるのじやないか、そういたしますと、その点において、これは今後の運営の仕方でありますが、いわゆるひもつきというものの意味がそこに出て来るというふうにも感ぜられるのであります。これは今後の運営でありますし、その点はつきりしない。これは援助であつて決して貸与ではない、こういうふうに言われておるのであります。しかしながらグラントというようなものであるというものが、後になりましてガリオア、あれはただでやつたんではないのだ、返してもらいたい、こういうようなことがあるのでありまして、やはり返還というようなことがあつて、向うから返還しろということを要求できることになつておるのでありますから、その点につきまして、これも無償で安心して借りたというだけには言えないというふうに考えられる点があるのであります。  それから投資につきまする保証でございます。これは経済投資の問題であつて、MSAの受諾というものは形式的なものであるということを言わんがために、これをいちずにやつたというふうに考えられるのでありますが、この点につきまして、アメリカの民間投資を奨励するところの道を開いたという点はありますが、日本人の個人の債務が結局アメリカ政府の公の債権になる、従つてそれにもまた日本政府の方で保証するというふうな形になつて、個人的な貸借関係が国家間の貸借関係というものに切りかえられるものである、これは投資を奨励する意味においてやむを得ない、またこれは少し便利な方法であるのでありますが、やはり国際的な意味から言いますと、相当に重大な関係を持つて来るのではなかろうか。たとえばイランの石油の問題ですが、あれは、アングロ・イラニアンという個人の財産でなくて、株の面から申しますと、実質的には実はイギリスの国有の会社なんでありますが、そういうようなものも、結局個人の財産というような関係で、国際法的に処理される。それが国家の関係ということで、もう少し強く表面に出て来るという場合には、この投資の問題も決してゆるがせにすることのできない問題を含んでおると考えられます。それから農産物の購入につきましても、それが見返り資金というような形で特別勘定になりまして、これの使途につきましては、向うから相当な関係が出て来ると考えられるのであります。そういうふうにいたしまして、いろいろ問題はあると思うのですが、特にこの中で私が愉快に、そして興味を持つている協定は、MSA協定の第九条第二項であります。これは注意規定解釈されておるようでありまするが、しかしこの規定ぐらい実にナンセンスと申しますか、国際法的にどうも意味がわからないというような規定はないのであります。先ほどのうしろを向いて条約ができておるというのは、何かこれにも関係があるのではないかと実は思つておるのであります。その中に「憲法上の規定従つて実施する」こういうふうに言つておるのでありますが、これは協定を実施するというならば、国際法規定従つて実施をしなければならない、条約規定従つて実施をしなければならないのでありまして、それを憲法規定従つて実施するということは、どうもわからない。これは向うが日本憲法尊重して、それに基いてこれを実施する、こういう意味にとるとすると、アメリカから日本憲法尊重してもらうというたいへんいい保障を受けるわけでありますが、憲法の保障を受けるということは、独立国としては決して名誉ではない。そういうふうに考えますと、これはどうもよくわからない。そこで、一番合理的に考えると、この実施という意味は英語のインプリメントというのですから、結局憲法規定従つて批准その他これの効力を発生するように十分にやる、こういう意味ならば、これはわかります。これは私の解釈でありますが、これならば普通に解釈ができるのですが、それ以上になりますと、何のためにこの規定を置いたのかわからない。しかして憲法規定に違反するとするならば、実は九条二項を置いたからでなくして、一条、二条、三条全部の規定憲法規定に反するか、反しないか、しかもそれは政府及び国会がきめるべきではないかと思うのであります。これはいろいろむずかしい点があるのであります。  最後に、日本国民の願望というものは、結局この協定を受諾することによつて、アメリカが日本における駐兵をすみやかに切り上げる可能性が出て来るのではないか、この点が国民の希望するところであり、また私もその点を重視したいと思うのであります。この点につきましては、三月八日アリソン大使の演説によつて明らかにされておりますが、この協定には、駐兵を切り上げるというような文句は少しも入つておらないのであります。この安保条約前文に暫定措置であるというようなことが書いてあるし、第四条の規定から行つて、安保条約を確認するというようなことだけしか書いてない。汪精衛がかつて日本の傀儡政権をつくつたとき、汪精衛政権は、駐兵権の問題については命を賭して日華基本条約においても拒否しているのであります。これは駐兵権を議論すべき段階ではないけれども、われわれは駐兵は一日も早く切り上げて、アメリカと日本との間の摩擦を非常に少くするということが必要だというときに、協定のどこかにこれを入れてあつたならばよかつたんじやないか。これは外交の技術でありまして、MSAという一つの法律に基いてアメリカがするのでありますから、そういう文句を入れれば、それは権限外というようにアメリカ側は言うかもしれませんが、そういうような望みはあるわけであります。  しからば、この協定全体をはたしてのむかのまないか。すでに厳粛なる事実がわれわれの面前にあるのでありまして、われわれはこの問題をやはり大所高所から考えなければならない。そこで、それは非武装という線を固守いたしまして、一人でやつて行くという自主独往の態度で行く、そして最後にはほんとうにそういうふうになつて、容共向ソの線を強く出そうとするならば、今までの既成事実というものを打破ることはできるでありましよう。しかしながらそうでなくして、やはり国家として自衛武装の必要がある、さらに日本の力だけでなくして、相互援助の必要がある、こう考え、しかも自由主義国家群の中において独立と名誉ある地位を占めたいということを考えるならば、共産主義に走るとか、しかも観念的な中立というものをとることができないとするならば、結局相互援助、場合によつて自衛武装、いな自衛武装は、私自身といたしましては必要だと考えているのでありますが、そういう点から見ますれば、日本がだだをこねまわして、よき友人を一人も世界から求めることができないというような立場、永遠の孤児になるというよりは、厳粛なる事実の前に、従来の関係から、MSA協定によりまして、集団的自衛態勢が一歩前進することによつて日本が進んだならばよいではないか、こう考えているのであります。私の態度を説明する一つの材料といたしまして、一体中立条約を破棄して対日参戦をしたものはたれであるか。さらに対日中ソ同盟条約というものが現在できているのである。第三に、朝鮮戦争という、われわれの目の先に冷たい戦争でなくて熱い戦争があつたじやないか。さらにまた、日本が国連加入の申込みをしたのに、その加入を拒否したものはたれであるか。こう考えますと、今度のMSA協定は決して完全なものではない、一体外交に完全なものというのはあり得ない、条約というものは常に不満足なものであるということを言つてよろしいのであります。しかしながら一歩々々前進することによつて日本の独立と栄誉とを全うし、特に経済的な自立をはかつて行くようにしたいと思うのであります。
  77. 上塚司

    ○上塚委員長 ありがとうございました。  次は、時事新報主幹内海丁三君にお願いいたします。
  78. 内海丁三

    ○内海公述人 午前中のお方がみな学者のお方で、ただいまも学者のお方のように拝聴いたしたのであります。私は一介の新聞記者の少し年をとつた者でありまして、法律的なことはわかりません。それで、そういう関係でなくて、今日のこの段階において、MSA協定というものがこの国会で否認されてだめになつたがいいか、それとも通過した方がいいか、こういう目の前の問題に関する賛否の意見を申し上げたい、そうしてその場合、私は成立した方がいい、こう考えております。その場合に、先ほど来、また午前中にも御意見のありました違憲論その他の法律論との関係をちよつとお答えいたしますと、いろいろ違憲論その他御議論があつて、もつともだと思うこともたくさんございます。しかし私は、この場合MSA協定に対する態度ということをここで問題にされるならば、その違憲論は特にこのMSA協定だけについての問題じやない。これはもつと大きな、先ほどから言つておられました大平先生の厳粛なる事実、それから同じく厳粛なる事実の一つでありましようけれども、サンフランシスコ条約以来の日本の国策の大局、こういうものが違憲になるかならぬかという大きな問題についての解決はどなたかにしていただきたい。私はそれについての意見を言う資格がないし、今日MSAがいいか悪いかというならば、違憲論はしばらくたな上げして、一応今までの関係において、この段階においてこの協定ができたがいいか、できないがいいか、そういうふうに考えたいのであります。  それからもう一つ、それでは違憲ということに対してどういう態度か、これはお断りいたしますが、もし違憲であるということになるならば、そこでその違憲の点を正して、違憲にならないようにしてこれをやつていただきたい、こういうつもりでありますが、それはきようの場合は別問題にしたいと思います。  そんならお前はなぜ賛成か、こういうことについて簡単に申し上げますと、二つの点があります。一つは、歴史的にといつて言葉が大ぎようでありますが、終戦以来、特にこの七、八年の間日本が歩んで来た、あるいは現実にずつと進行しておつた事実においては、今日MSA協定は何の関係もなくて、事実は同じ事実が進行するのでありまして、つまり、最初からいろいろな意味の援助を受けて来て、それがアメリカの国内法上の変化、あるいは国内手続上の変化に従つて、占領軍費となり、あるいは国防省の経費となり、あるいは何とか本部の経費となる、向うの国内法あるいは国内取扱い上の変化に応じて、日本はいろいろなまた形の上でかわつた援助を受けているようでありますけれども、今日MSA協定というものを結んだからといつて、今までのその関係はかわらない。ですから、今までの関係がずつと進行して行くものという意味において、今日は形式的な協定が行われるものだ、こういうふうに理解するのが一つ。  それからもう一つは、この関係、このアメリカとMSA的な関係を持つておる国は日本だけではない。いろいろこまかくは多少の相違はあるように承つておりますけれども世界に五十箇国近い、あるいはそれ以上のものがあると聞いております。そうすると、横に考えて、その世界の多くの自由な国たち、その国がアメリカとの間に入つている関係とその同じようなものに日本が入る。そういう意味において、別に取立ててこの段階でひどく反対するということには私の気持が全然ならぬ。この二つの関係からこれに賛成したい、こういうわけであります。  これで私の態度と多少のその説明はおしまいなのでありますが、今度は、多少次に弁解、あるいは反対論の一、二に対しての考え方を申し上げますと、二つの点がある。一つは、こういう協定を結ぶために平和が乱れるということと、それから従属関係がひどくなる、こういう意見がいろいろございますが、先ほど申しましたように、今までの関係はかわらない、世界の多くの国もこれに入つているという意味において、特に日本の従属関係が深まつたり、あるいは特にそれによつて平和が乱されるということについては、どこにもそれを信ずる根拠が見当らない、こういう意味であります。  それからもう一つ、経済上非常な負担になる、将来民生の向上に害があるという御意見に対しては、私は新聞記者でありますが、三十年来経済問題を取扱つて来まして、経済の問題は、大体電車の中でも、寝てもさめても頭の中にある、その素朴な考え方から直感的に結論を得ました。軍備というものが国民経済の向上を害するということは、私に少し過激な言葉を用いさせていただきますと、一つの迷信だ、こう考えております。これを抽象的に申し上げますと、いかに軍備的消費がふえても、つまりそれは戦争になつて絶対絶命の消耗がふえるという場合は別としまして、軍備そのものは、それは生産力の増大と一致する場合は、国民経済の安定を害しない。その例を一つとりますと、アメリカと日本は違いますけれども、アメリカの国防費というのは、御承知の通り多い場合は連邦予算の七割以上を占めております。今年の予算においては六割以上、六割五分くらいになるかと思いますが、そういう大きな率を占める直接関接の国防費が、アメリカの国民生活をいささかでも低下させておるかというこの例を考えてみますと、厖大な生産力のあるところにおいては、その消費の性質が軍備であるか何であるかということによつては、国民生活には関係ない、こう考えております。  以上で終ります。(拍手)
  79. 上塚司

    ○上塚委員長 これにて公述人の陳述は終了いたしました。  これより公述人に対する質疑を許します。福田篤泰君。
  80. 福田篤泰

    福田(篤)委員 ただいま大平教授と内海主幹のお二人のきわめて具体的、客観的な妥当性を持つた意見を承りまして、おおむね同感の意を表しますが、まず大平教授に一つお断り申し上げたいことは、最初の一般論の中におきまして、行政府の秘密によつてこの重大なMSA協定が、突如としてこれを批准をするかどうかという結論を突きつけられておるというお話がありましたが、実はあなたの誤解であつて、これは十箇月間日米間で交渉して、その間本国会の本会議また委員会等において、数十回にわたつて各党の立場からそれぞれあらゆる角度から厳密に批判せられ、また質問応答があつて、中間報告も一度ならず行われました。また国会を通じてあらゆる報道機関がこれを十分国民に周知徹底せしめて参つたのでありまして、この点は、突如として秘密外交の結果やられたものではないということを、まず御了解願いたいと思います。これはソ連だとか衛星国との間の協定には見られない民主的な方法でやつて来たということは、ぜひ御了解願いたいと思いますが、ただ問題は、お話の新しい軍事的義務という点につきまして、これは私の了解では、事前の交換公文において、従来の安保条約以外に絶対に責任を負わないということは確認しております。この点について新しい義務という言葉がありましたが、これによつて安保条約以上の新しい義務日本は負担するというようなものがあるのかどうか。あるとすればどういう点であるか、御説明いただきたいと思います。
  81. 大平善梧

    ○大平公述人 憲法規定によりまして、内閣が条約締結する場合には、事前、場合によつては事後に国会承認を求めてもよろしい、こういう規定がございまして、事前という意味は、日本憲法学者は、批准をする場合に国会に出せばよろしい、こういうふうに解釈しておるわけであります。従つて私は、それは一応それでよろしいのでありますが、民主主義的な外交の運営という上から言うならば、なるべく国会、できれば国民にも、特に国論のわくような重大な問題につきましては、事前に批准を求めるという意味の事前ではなくて、事前に条約の大綱を知らせるという必要があるのではないかと考えるのであります。実は私は行政協定の場合に、やはり公聴会に呼ばれたのでありますが、結局条文を完全に読まないで、質問をしたり何かしているというような非難を、実はある方面から聞いておるのであります。事実なかなか条約というものはむずかしいのでありまして、実際それをつくつた人の説明をつつ込んで聞かないと、わからないようなところがあるのでございまして、批准をする場合に、でき上つてしまつたものを批准をするというのは当然でございますけれども、やはり国会の方と十分に連絡がとつてつたとすれば、今のようなことは非常に賛成であります。たとえば新聞に出ましたことを外務省の方に聞くと、いやあれはうそだ、三分の一くらいは当つている、いや三分の二くらいは当つている、どこが当つているかということは言えない、それを言えば、Y項追放というものは今はないかもしれませんが、そういうようなおそれもないわけではないのであります。そういうふうなことでありまして、私は大体において次第に独立国らしく外交が公開されつつある。そしてまた外務省の内部におきましても、かなりいろいろな知識を持つている人の協力を得て、側近だけではなくてやつて行きつつあるという現実を私は認識はいたしておりますが、しかしながら、まだそういうことを私がここで述べてもいいのじやないかというふうに考えておるのであります。今度の場合につきまして、私は国論がわかれているということは、やはり若干なりともそのような指導に足らないところがあつたのではないかという気がするから申し上げたのでありますが、もし間違つておれば訂正いたします。  それから第二の点でありますが、軍事義務と申しまするものがもし全然ないとするならば、安保条約締結した以上に、もはや条項を入れる必要はないわけであります。従つて安保条約義務を確認するとともに、やはりそういう条項を入れたのでありますから、自由世界防衛力を強化し、また日本防衛能力を増加するということをやはり協定しているのですから、その点については、やはり安保条約以上の義務があると私は考えております。
  82. 上塚司

    ○上塚委員長 福田君、よろしゆうございますか。
  83. 福田篤泰

    福田(篤)委員 けつこうです。
  84. 上塚司

    ○上塚委員長 次は並木芳雄君。
  85. 並木芳雄

    ○並木委員 大平教授にお尋ねしますが、今度のMSA協定については、日本として何らかの母法が必要ではないかと感ずるのであります。と申しますのは、アメリカではMSAというアメリカの基本法がございます。ところが日本には、MSA協定を結ぶことを授権した母法がございません。ですからこの母法がありとすれば、教授はどこへ求めておれますか。私としては、このMSA協定を結ぶという基本になる母法が必要ではないか。岡崎外務大臣初め政府委員の答弁を今まで聞いておりますと、これは新しい義務を設定するものではなくて、たとえば協定第八条のごときものも、MSA援助を受ける資格を列記したにすぎない、新たなる義務ではない、こういうふうに言つております。これは単なる実施規定であつて、そこに新しい権利義務というものをつくるものではないという答弁が出ております。そうだとすると、ちようど安保条約に対する行政協定に相当するようなものだといわなければならないと思います。従つてこれを一種の行政協定と同じようなものに見れば、私どもとしては安保条約に相当するものが必要ではないかと思いますが、教授はこの母法を必要とするかしないかについて御検討されましたかどうか。
  86. 大平善梧

    ○大平公述人 これはアメリカにおきまして特別な三権分立の制度がございまして、条約締結する場合には上院の三分の二の同意を必要とする。その三分の二の同意を得るということがなかなか困難でございますので、それにかわるものといたしまして、あらかじめ両院の同意を得て授権法というものをつくつてもらいまして、それに基きまして、大統領が単独で行政協定締結する義務を与えられる、こういうことになつておるのでありまして、三権分立の制度をとり、かつその上院の三分の二の同意を得るということが条約締結の必要条件になつておるアメリカにおいて、一定のわくをきめて、条約を上院にまわさなくてもいいような仕組みにいたしまして、母法をつくつておるのでございます。従つて母法のわくの中においては、自由に行政協定ができ得るようになつておりまして、MSAという法律に基きまして、アメリカが援助を受ける国と個別的に行政協定締結しておるわけであります。従つて日本におきましては、そういうような母法をあらかじめつくつておくというのは、ちよつと国会にかければよろしいのですから、それは必要でないと思います。ただ私は先ほど申し上げましたように、憲法論ではありませんで、これは政治論的になりますけれども、非常に重大な条約締結するというような場合には、もし外交を民主的に運営するという場合には、あらかじめこういうものが必要だからというようなことを国会に諮るべきではないかということが、政治論的に申されるということであります。
  87. 並木芳雄

    ○並木委員 しいて日本条約なり法律にこの母法的なものを求めようとすれば、教授はこれをどこに求められますか。平和条約ですか。私はあるいは平和条約ではないかとも思うのです。と申しますのは、過ぐる日、自由主義国の仲間入りをして調印をして参りましたあの平和条約第五条には、個別的自衛権、集団的自衛権、さらに集団的安全保障とりきめを結ぶことも容認されております。そういうような点を考えますと、MSA協定締結する根源というものは平和条約に求めることができるのではないかと思うのですが、いかがでしようか。あるいは政府がしばしば言う通り、国際連合協力の線という抽象的なところに求めらるべきものでしようかどうかという点でございます。
  88. 大平善梧

    ○大平公述人 先ほど私は厳粛なる事実と申し上げましたが、それはいろいろな意味がありますが、その一つが今御質問になつた点でありまして、決して講和条約だけではありませんで、講和条約、安保条約、場合によりましては行政協定いうようなものによりまして、自由主義諸国と密接なる連絡関係、結合関係ができておるのでありますが、それを一歩前進せしめた、こういう意味であります。ただ母法というふうに申しますと、授権するというようなことで、国会にかけなくてもいいというように誤解されると思うのでありまして、別に母法とまでは言わなくてもいい。それがそういう講和条約締結して集団的な自衛権が認められ、それに基いて安保条約ができ、さらに自衛力漸増という線が強化されて、軍事的援助というところに至つた、こういうふうに考えてよろしいかと思います。
  89. 並木芳雄

    ○並木委員 これは直接MSAとは関係ないのでありますけれども、MSAによつて日本防衛力が増強して参りますと、例の自衛隊がだんだん一本立ちをして参ります。そうすると、ただいま日本に駐留をしておる駐留米軍との間の共同作戦が出て参ります。日本に対する侵略その他危険の場合に共同動作をしなければならないということが、行政協定第二十四条できめられております。行政協定二十四条では日米両政府が協議するということになつておるだけでありまして、あの場合はまだ日本自衛力が整つておらない、いわば一方的にアメリカだけが日本を守る義務を負うというときの協定ですから、完全なものじやありません。ところが今度自衛隊がだんだんと伸び来て共同作業をする場合には、この指揮権をどういうふうに解釈すべきであるか、どちらにあると解釈すべきかということが、現行の条約協定範囲では判断に苦しむわけであります。教授は先ほど来いろいろの顧問団の時期とか、あるいは所有権の帰属だとか、協定第九条の二項の解釈だとか、ふに落ちないところをあげられて非常にわれわれ傾聴したのでありますけれども、ただいま私が申し上げました点については、教授は御研究になりましたかどうか。緊急事態において共同動作をする場合に、どの条項によつてきめられるべきものであるか、もしないとするならば、何らかの条項、協定を新たに設ける必要があるのではないか、そうしないと指揮の系統が乱れて来る、どちらが最後の決定をするかということがわからない、こういう点であります。
  90. 大平善梧

    ○大平公述人 今の点は非常にデリケートな問題でございまして、かつて憲法で軍統帥の大権が非常にやかましく言われたときにおきまして、美濃部先生の本には、軍統帥の大権を外国に渡すということは絶対できないという説に反対されまして、第一次大戦における連合軍の例を引いて本に書いてあり、また公認されております。従つてこの連合軍というものが組織され、国際連合軍というようなものに、日本は講和条約によりまして、国際連合のとるべき行動に援助をするということになつておりまするから、具体的に特別協定というものができて、そういうものに参加するという場合には、その特別係定によつて国際連合軍の指揮のもとに入る可能性はあると思うのでありましてそういう場合には、そういう特別協定に基いてそれが起ると思います。ただ私読みましたところでは、このMSA協定の第一条に、「この協定の両署名政府が各場合に合意するその他の政府に対し、援助」するというふうなことが書いてあるのです それですから、日本にアメリカが援助するということばかりでなく、また日本において持つていた武器を相手に渡すばかりでなく、日本側が借りている武器を向うに渡すというか、日本もまた援助するということができ得るといいう規定が、第一条に書いてある。これは詳しいことは外務当局に聞かないとわからないですが、そういう意味もありまして、集団的自衛権というものを背後に置いてこの全体の態勢が出ておるのでありますから、全然日本自衛力を増強するという線で、厳格にそれだけだと言い切ることは、神ならぬではできぬと思います。
  91. 並木芳雄

    ○並木委員 指揮命令の最後の決定権がどちらにあるかということについては、やはり新しい何か協定を結ばなければならぬ、こういうふうにお考えになりますか。
  92. 大平善梧

    ○大平公述人 今おつしやる通りです。今の場合には、日本の保安隊なら保安隊は、日本の指揮のもとに立つ、従つてこれ以上の具体的な協定がなければ、それは指揮命令をゆだぬべきじやない。他から受けない。もし他から受けるならば、講和条約第一条の日本の主権を認めることにならぬと思います。
  93. 並木芳雄

    ○並木委員 内海さんにお尋ねいたします。内海さんはたんたんとしてMSAの協定というものを取扱つておられるようで、実は私も同感なんです。MSAの協定が出て来たからといつて、ここで別に新たに日本の国の運命が左右されるとか、そんな大げさなことではないと思います。平和条約以来日本の運命はきまつており、方向はきまつておると思う。それがただ一歩進めて具体化されて来た現象だというふうに感じるんです。それがなぜ大げさに取扱われるかというと、結局今の吉田内閣というものが、かなり無理をして今日まで来ております。これは御承知の通り、警察予備隊の初めから保安隊、今度の自衛隊に至るまでの間、あるいは軍隊でないとか、保安隊は増強しないとか、直接侵略に当らないとか、憲法は改正しないとか、いろいろ軍事的色彩をなるべく払拭せしめるようにと、内輪にカムフラージして国会で言明しておるために、国民の間に疑心暗鬼を生ぜしめておると私は感じております。ですから、もし私の方の改進党が内閣をとつてつたとするならば、事はすこぶる簡単だと思うのです。自衛軍隊をつくつて、もし必要なら憲法を改正するというところまではつきりしていますから、反対の立場の方々が突いて来る攻撃材料というものは、ほとんど無力になるのであります。私もその点、内海さんがたんたんとして述べられた点は、ほんとうに同感であります。そこでそういう見地から見ますと、率直に申して、私どもはやはりMSAによつて経済的に潤う点が非常にあると思うのです。岡崎国務大臣は最初は、これは経済的援助に重きを置いて交渉を進めますと言つたために、あとから反対の立場に立つ方から、何だ経済的援助がないじやないか、軍事的援助ではないかと言われて、経済的援助とは申しませんでした、経済的利益がある、こういうふうに申したつもりでありますと言葉をかえております。そういう苦しい答弁をしなければならぬようなやり方が、要するにかえつてMSAというものを深刻に扱わしておるのではないかと思いますが、内海さん得意の経済的見通しからいつて、MSAを受けることによつて特にどういう方面に経済的に利益がもたらされるか、先ほどのお言葉をもう少し具体的に説明をしていただきたいと思います。
  94. 内海丁三

    ○内海公述人 むずかしい問題を出されましてちよつと困るのでありますが、前半の吉田内閣云々という、今までのこの問題の発展経過に関して、政治家として扱いがまずい、あるいは下手だということがいろいろな異論を起しておると思う。こういうふうに並木委員は申されたようですが、そういう点に限らず、今日いろいろな点から異論が起つてどもから見れば、こまかい、直接関係のなさそうなところにまで議論が発展して問題が紛糾しておるごとく見える。そのことを分析いたしますと、いろいろ言えると思うのであります。しかし私は、それは今日の段階では、政治的にいろいろ議論の種になりましようが、これは条約批准さるべきであるかどうかという問題には、たんたんと言つてしまえば関係がない、こういうふうに私は思うのであります。  それから後の方の経済援助の点について、この機会に多少考えを言わせていただきますと、経済援助というものは、学者らしく定義いたしますと、この場合二通りの意味があると思う。一つは法律的な意味の経済援助で、一つは常識的な経済援助であります。このMSA協定は、経済援助は入つていなくて軍事援助だけである、こういう場合は、その経済援助は法律的な意味のものであると私は理解しております。つまりアメリカのMSA法という法律の中に、経済援助と軍事援助という二つ――もつと技術援助という言葉もあるそうですが、そういうようにいろいろと観念がわけられておる。そのうちの軍事援助の条項に基いて締結される、アメリカの国内で言えば先ほどの行政協定、それに今度われわれはここで直面しておるのでありますから、そういうものを締結する経過において、アメリカ側としては経済援助という言葉をこの協定の中に入れることができなかつた、こう私は、考えており、そう解釈しております。しかし経済援助という言葉をもつと常識的に解釈しまして、経済的な援助、日本に経済的効果のある援助、こういうふうに、法律用語じやなくて広く解釈いたしますると、このMSA協定の結果、アメリカから日本に対して経済的援助、日本の経済を改善する援助というものがその中にもあり、背後にもある、こういうふうに理解しております。その意味は、第一番に、完成武器をくれる、あるいは貸す、その場合に、ほんとうに完成されたる武器をあちらから日本へ運んで来られるときは、これは当らないと思います。しいて当ると言えば、日本がそれだけの武器をつくつて軍備を設ける場合に、それだけ財政上の負担が軽くなるという意味において、消極的には一種の財政援助になりましようけれども、これは今別といたしますと、その完成兵器の一部もあるかもしれませんが、完成兵器でない、たとえば砲弾その他が日本の国内で調達される場合、この場合はアメリカが日本に引渡すべき軍需物資を日本国内で調達して渡すということで日本の産業に貢献し、労働の雇用状態をよくするという意味で、これは経済的な援助の効果がある。これは法律的には軍事援助であつても、日本に対して経済的に効果があるんだということ。それからその他小麦の協定なんというのは、もちろん経済援助になりましようが、アメリカが第三国に渡す援助物資をも日本の国内で注文することがあるという関係も、また経済援助になるだろう。法律的の意味の経済援助でなくて、実際の意味の経済援助になるだろう。こういうふうに理解しておりまして、MSA協定というのは、日本の経済に貢献する。もしそんな貢献でない、ほかの貢献でもいいんだ、軍事に関係した貢献でない方がいいんだというならば、あるいはそれもいいかもしれませんが、今日の前にあるのは、軍事援助という名目のもとに、間接、直接に経済的援助が日本へ来るかどうかという問題でありますから、これは経済的援助として効果があるだろう、こういうふうに思うのであります。それで、先ほどうしろ向きの条項があると思われるとおつしやつたことについては私も同感で、経済援助という条項を入れようとしたために、国会にこの議案がかかつたときに、経済援助という言葉もあるんじやないかというふうに説明したかつたんではないかと推察するのであります。そのために相当押問答が長く続いて去年の八月末ごろから、この経済援助という問題は大分長い間ひねくられたように聞いております。でありますから、うしろ向きの条項として経済援助という言葉を言いたかつたらしいということは想像されますが、それがなくたつて経済的な援助の効果はある、こう考えております。  ついでにちよつと申し上げますが、総じて条約というものは、そんなに隅から隅まで合理的なものでない、いろいろよそ行きの条項も入るものであるということについて、一つの雑誌の中に出ました意見を御紹介したいと思います。それはサンフランシスコ条約ができますときに、岩波書店から出ております、あの有名な「世界」という雑誌が、いろいろな学者、政治家その他にアンケートしまして聞きました中に、いろいろありましたが、その四つか、五つか聞きました中に、この平和条約は合理的なものであると思うかどうかという箇条があります。それに対して多くの人が答えられたところは、大体一致して反対的であつたと思いますが、一人京都大学の文学部の教授で、今ちよつと名前を忘れましたが、その人の答えはこうだつた。およそ条約というものは、合理的な法律理論から発するのではなくて、すつたもんだの国際的利害関係から、結局しまいに落ちつくものが条約である。だから、これが法律的に筋が通る、通らぬということを極端に言うことは当らない。こういう返事をしておりましたが、今度の場合も、結局両国の利害、経済的利害ばかりでなくて、いろいろな都合だとか、利害だとかつき合せまして、それがすつたもんだと八箇月もんだあげくにできたものでありますから、いろいろ妙なところもあるだろうと思います。しかしこれは余分でありますが、今お聞きくださつた経済援助という点は、法律的にはない、しかし経済的にははつきりある、こう考えております。
  95. 並木芳雄

    ○並木委員 それではもう一つお聞きしておきます。かくしてMSAの協定が結ばれ、援助が参るようになりますと、日本の軍需生産に携わる工場も動いて来るのではないかと思います。その場合に内海さんは、原則としてどういう工場の運営方針をとることがよいとお考えになりましようか。と申しますのは、戦前の軍需産業の経営、今後の軍需産業の経営が同じであつていいだろうかどうだろうか、こういう点については、私ども真剣に考えなければならないと思うのです。日本の国として所有をしておりました旧工廠というものもかなりばらばらになつおります。しかしこういう工廠を復活さして、軍需生産は原則として国有国営でやるのがいいとお思いになられますか、あるいは国有民営がいいとお考えになりますか。それとも原則としては民有民営という方法でやつて行くことがいいとお考えになりますでしようか。そうしてその場合に、陸海空のどの点から日本経済として入ることが一番望ましいか、特に先ほど、たとい軍備を持つても必ずしも国民経済を害するとは限らない、厖大な生産力のあるところは大丈夫であるというお言葉でございましたので、日本の経済を分析して、ただいま私が指摘しましたような点については、どこから入つてどういう形式をとつて行くことが、今後健全な日本の経済と防衛力増強の調和がとれるであろうかということについて、お答え願いたいと思います。
  96. 内海丁三

    ○内海公述人 少からず重大な御質問で、私は新聞記者で経営者ではありませんので、そういうことに答えるのが少しなまいきなのではないかと思います。御質問の意味が確実にはつかめないのでありますけれども、軍需産業というものと日本の将来の経済構造、あるいは経済全体の安定の問題というふうに理解してお答えしますと、御承知のように、軍需産業というものは非常に安定性の少い、長く続くか、どこまで続くか、特に今日の場合のごとく、外国の援助で日本の産業が潤う、それを当てにして息をついて行くというような状態では、経済の安定というものは非常に困難なのでありまして、アメリカなどでも戦争中たいへん大きな消耗をまかなつたあの経済が、戦後平和産業への転換ということではずいぶん苦労し、一時は危機に見舞われたような状態があつたと聞いておりますが、今後アメリカにおいても同じような問題が常になしくずし的にあるのだろうと思います。日本の場合はそれが特に、今申しますように外国の援助を当てにしてやつている、向うの都合でかわるかもしれぬ、かわらないという保証は少くとも立てられない。常識上多分むやみに急激な変化は起らないのだろうということを当てにしてやるという程度のことでございまして、はなはだ不安定なものであります。そういう意味においては、先ほど申したように軍事援助でない、ほかのもつと平和的で恒久的な関係が何かこの援助を通じて現われてほしいと私どもは思いますけれども、そういうふうに考えますと、たとえば民営でなくて昔の砲兵工廠その他のような非経済的な生産のプラントは、国営でやるとかなんとかいうこともあるいは研究の余地があるかもしれません。その辺についてのはつきりした意見は、実はそういうことについでははつきり考えてもおりませんので、今申し上げかねますし、また私どもがそんなことを申し上げる柄でもありません。でありますが、将来こういう軍事援助がだんだんと経済的な安定した恒久的なものに変化して行くということは、はなはだ望ましいことでありまして、局に立つ当局者、ことに改進党内閣が近くできるといたしますれば、並木さんなどによく将来そういうふうに導いていただく、あるいはそういう希望を常に間断なく持つていただく、こういうことが日本の経済のために必要なのじやないか、こう思つております。
  97. 上塚司

    ○上塚委員長 次は細迫兼光君。
  98. 細迫兼光

    細迫委員 大平教授にお伺いいたしますが、大平教授はいわゆる厳粛なる事実というお言葉をお使いになりまして、ぬれぬ先こそ露をもいとえ、毒を食わば皿までという御意見のような印象を私どもとしては受けたのであります。そしてきわめて安易な、しかもあきらめ的な態度であるように受取つたのであります。これは内海主幹においても基本的に大体同じような態度だと思うのでありますが、その厳粛な事実というものが、終戦以来大体三段階の階段を踏んで来ておると私思うのであります。すなわち安保条約と抱き合された平和条約、それから第二段階が行政協定、今や第三段階といたしまして自衛隊、その他共産圏諸国との貿易制限などいろいろ抱き合されたMSA協定、こういう段階で今やまさに第三段階の深みへ踏み込もうとしておるのがわれわれの置かれた状態だと、かように考えるのであります。つい妊娠も八箇月になつたのだから、もう人工流産するのもたいへんだし、まあ産んでしまえというようなことではなしに、第三段階の深みへ入ろうとしておるのだが、一体その第三段階の深みへ入つた方がいいか、ここで踏みとどまつた方がいいか、まだこういう問題です。しかもそのいいか悪いかという基本的な観点は後にお伺いしますが、内海主幹の御意見は、ことにいわゆる経営者、資本家と申しましようか、その立場のみで非常にめがねが小さく考えられるのであります。もう少し小さく言えば、軍需製造家というものを考えておられるように思うのでありますが、われわれの預かつておるものは国民の運命であり、国家の前途であります。大きくはアメリカと抱き合い心中をして世界の複雑な国際情勢に処して行くかどうかという問題であります。御承知のように第一次大戦においては、アメリカ、イギリスと結んでああいう態度をとりました。第二次大戦においては、ドイツ、イタリーと反共同盟を結んでああいう態度をとりました。そうしておのおのそれは重大な根本的な国家の運命を決したのであります。そういう立場からいたしまして、アメリカと抱き合い心中と申しますか、一蓮托生の運命に日本を置き、もう目の前に火花が散ることでもあれば、三十分か一時間の間にシベリアその他の方からも、あるいは原子爆弾をこうむろうというような立場日本を置くというようなことがよいか悪いか、利益か不利益かという問題なのであります。そういう立場からいたしまして、ここ第三段階の深みへ入るのがいいと思われるのか、ここで踏みとどまることが国の運命、国民の安全にとつていいか悪いかということにつきまして、いかにお考えであるか、御意見を承りたいと思います。
  99. 大平善梧

    ○大平公述人 私は宣伝するようでありますが、勁草書房で出しました「新しい日本の進路」という本がありますけれども、その中で私は「憲法第九条と国際法」という割に長い一編を書いております。大体憲法第九条の問題並びに日本の運命に関する問題は、この「新しい日本の進路」に出しておるわれわれのグループの意見はまとまつておるわけであります。憲法第九条は非常に理想主義的なものでございますが、国が戦力放棄して無防備になるというふうに宣言することは、他国から侵略されることはないという保障にはならないということです。この点が徹底していないように考えるのであります。従つて私は、従来考えておりました考え方がいろいろ発展しておるのでありますが、軍事専門家にときどき聞きまして、またいろいろ外国の本を読みまして、一、二の点を申し上げますと、一つは、戦争が起つてしかる後に援助を受けるということではおそいということであります。それからまたこちらは侵略者であり、こちらは被侵略者である、こちらは正しい戦争をしたものであり、こちらは正しくない戦争をしたものであるということを判定して、しかる後に戦争を始めてはおそいということなのであります。従つて、先ほど実は並木さんから御質問があつたのでありますが、この付属文書の中にも武器の標準化ということが書いてあります。これはやはり共同動作をとるその他の意味における準備であります。いわばある程度の準備がなければ援助を効果的にすることができないということが考えられるのであります。そういうような意味からいたしまして、無防備であるということは、軍事的だけの目的から申しますと、きわめて侵略しやすい地域であるということが言えるのであります。そうして地上的な戦争の場合におきまして、日本世界武力的な攻撃を受けた、侵略を受けたという場合に、これを一箇月なり二箇月なり食いとめるという程度の自衛力というものは、日本は持てると思うのであります。決して独力で世界の大軍を引受けて第二回の太平洋戦争を引起すというようなことを考えておるばかものは、一人もいないのでありまして、結局戦争をなくするために防衛力をつくるという意味におきまして自然にそういうように固めるという意味で、私は自衛力を持つということを考えておるのであります。従つてもちろん日本の経済力とか、その他の点において無理な防備をするということを言つておるのではありません。その点は賢明なる政治家が御判断くださればよろしいと思います。
  100. 細迫兼光

    細迫委員 私の求めまする御答弁は、遺憾ながら受けられなかつたのであります。しかし大体において教授の基本的なものの考え方、また現在立つておられる立場というものは理解することができましたので、これ以上申しましても結局押し問答に相なると思いますし、また次の質問者の時間をも考えまして、大平教授への質疑は省略いたします。  次に内海主幹にお尋ねをいたしますが、先ほど私が申しましたように、利害ということを考えるにあたつての御観点が非常に狭いという、私は失礼ながら印象を持つのであります。すなわち大きな国の運命、その中には国民の名誉というようなことまでも含むのでありますが、そういうふうに大きく実は考えなければいけないと思うのであります。そういう大きな問題は別といたしまして、経済というより狭い問題におきまして、なお一層小さく軍需産業という狭い観点に立ちましても、私は内海主幹のおつしやるように必ずしも運んでいない、これこそ厳粛なる事実が示しておると思うのであります。すなわち今日軍需産業といたしまして非常に人からうらやまれるような立場にありました日平産業は、もうすでに不渡り手形を続出しておるではありませんか。これは厳粛なる事実であります。あるいは小松製作所はどういう状態になつておるか。今後MSAを受けましても、同じ状態であろうということをわれわれに予見させる事実があります。あなたが指さされた狭い軍需生産の面におきましても、さような事実がわれわれの前に厳粛な事実として現われております。これを一般産業にもう少し拡大いたしますれば、MSAは、たとえば一千万ドルの小麦代価の贈与ということを中心にしまして、いろいろな経済的な利益があると大いに宣伝をせられておるのでありますが、マイナスの面が非常に多く、連れ子として抱き合されておるということも、これはプラス、マイナスを考慮して利害を見なければならぬのだと思う。あるいはその一つとしては、自衛隊にたくさんの金がいる、現在の予算におきましても、軍事費だけはたくさんにしなければならぬという犠牲を国民が払わなければならぬということは別といたしまして、経済面に限りましても、MSAを受けるものはアメリカと一蓮托生の道を進むということから当然に出て来ます、いわゆる共産圏との貿易の制限という問題につきまして、たとえば造船業なんかにおいては、造船台はもう手を上げて待つておる。六十五万総トンの能力を持ちながら、三十五万トンくらいの仕事しか擁していない。しかもソ連の修繕船だけでも五十隻から八十隻の注文をしたがつておる。それを日本のアメリカ一辺倒の方針によつて引受けることができない。造船台は半分から遊んでおるような状態です。こういうマイナスを少しも考えておられないようなことは、私としては大いに疑問に思います。こういうように抱き合された連れ子をわれわれが持ち込まなければならぬというようないろいろなマイナスをいかに見ておられるか、これらを総合的に見て利害問題を考えていただきたいと思うのでありますが、このマイナス点をも総合して、やはり同一の御意見であるかどうかをお尋ねいたしたいと思うのであります。
  101. 内海丁三

    ○内海公述人 ただいまの御質問にまず一応直接お答えいたしますと、私が経済的に効果があるということを繰返しましたことは、MSA協定に賛成する唯一の理由のごとく申し上げたのではないのでありまして、たまたま並木委員から、この協定に経済的援助ということがないが、実際にどうだというふうな御質問を受けたと思いますので、協定にはないけれども、実際にこうこうこういうことが利益になるのだ、こう申し上げたつもりでありまして、この利益だけを唯一の、もしくはおもなる根拠としてこういう協定の可否を論ずべきである、こう主張しておるのではないのであります。それをひとつ御了解を願いたい。それから大局といいますと、実は私どもこういう協定に賛成の立場をとつておるものは、自分らのつもりでは、非常に大局的に考えておるつもりなんです。ここで先ほど最初にも申し上げたように、この段階においてMSAを拒否して不成立にし、あるいは左翼の方が主張されるように、アメリカ軍をおつぱらつて全然中立の国にした方がいいか悪いかというふうなことを頭の中だけで考えないで、大きく歴史の動き、現段階日本の地位というものを大局から考えて結論を出したい。そういう意味から来ているのでありまして、細迫委員は先ほど三段階とおつしやいましたが、おつしやるような三つの段階を経ても、深いふちに臨み、あるいは深みへはまらんとしているというには私どもは考えませんで、実はその段階のとり方は違つているかもしれませんが、こういうふうに考えております。日本は三段階を経なければなりません。今まで最初は、敗戦によつて占領時代というのがあつた。その占領時代から脱するために、占領統治状態から脱するために、サンフランシスコ条約を結んで今度は駐留状態なつた。占領軍が駐留軍になつた。さらにこの駐留軍にどうぞお帰りください、もうけつこうですということを言うためには、日本はこれにそのままかわるべきものじやなくても、何らかの実力部隊を相当に必要とする。実力部隊を設けて、そうして駐留状態から脱して、第三段階の無駐留の自衛状態にしたい。実はこういう三段階を経るべきものであつて、過去の二段階から今や第三段階の初期に入りつつある今日、日本は終戦直後の独立を喪失した状態からだんだん独立を回復しつつある。まだ完全な独立国でないことは駐留軍がおることでもわかります。そうしてこの状態からさらに完全な独立に近い状態に入るためには、実力部隊をみずから持たなければいかぬだろう。こういうふうに思つておりますので、この日本が置かれており、また日本が歩みつつあるこの歴史の動きは、深みへ入るよりはむしろ明るい方向へ行つておる、こういうふうに考えます。
  102. 細迫兼光

    細迫委員 お説を承りましてはまた何をか言わんやという結論に相なるのでありまして、最も善意に御意見解釈するといたしましても、ちよつと私が深みへ入ると申す状態が、独立へ近づく道だとはどうしても考えられないのであります。インドあるいはインドネシアは、別に軍備を約束いたさなくても、独立を遂げたのであります。だがこれは並行線を走るようなものでありますから、議論は続けないことにいたします。  最後に一点簡単に伺いますが、何もMSAを受けても独立を阻害することはないのだ、世界各国たくさん受けておるんだというお話であります。事実はなるほどその通りでありますが、しかし同じものでも北に育てば何とか、南に育てば何とか、名前もかわるという状態で、同じ事実でも環境によつてその影響、また来す結果は違うのであります。いわんやその事実が違えばなおさらであります。すなわち同じMSAを受けるといいましても、日本のように七百数十箇所の基地を持ち、四国に匹敵する面積を提供しておるというような状態のところは、私寡聞にして世界にその例を見ないのであります。こういう状態におきまして、やはり同じアメリカの規格の兵器を持ち、多くの顧問団をかかえ、あらゆる経済上の生殺与奪の権を握られる。外交におきましても常に制限を受け、言いなりになつておらなくちやならぬという状態にあることは、世界でも特殊な事例だと思うのであります。こういつた違う事例においては違う結果を予想して、もつと慎重に考えねばならぬのではないかという考えを持つのでありますが、内海主幹にはどうお考えか、お伺いいたします。
  103. 内海丁三

    ○内海公述人 簡単に申し上げますと、その通りでありまして、日本日本で特殊の事情があります。そうして何十箇国が同じような協定を結んでおるといつても、それぞれの国で事情が違うのでありまして日本は何十箇国のうちでは、最もひどくドイツと並んで負けて占領された、独立の度合いをひどく失つた国だつたのでありまして、その独立の度合いが少しずつ回復されつつある、こういう過程でありまして、今基地日本にたくさんあるというのも、駐留軍がおるということから来るのでありまして、これは占領の継続であつて、その中で幾らか日本の独立が回復された。そうして文句を言つたり、だだをこねたりできるようにある程度なつておるのが現状であります。さらにこれが基地もなくなる程度になりたい。そうする順序としては、日本実力部隊を何かしら持ちたい。こう専門家は考える。私しろうととしてもそう思います。そうしてそれを持つのには、今の場合援助を受けたがいいという意味でありまして、日本の特殊事情にかんがみて、日本の特殊事情を根拠にこれからますます独立を回復する方に向いたい。こういう念願から実は賛成をいたすのであります。
  104. 上塚司

    ○上塚委員長 戸叶里子君。
  105. 戸叶里子

    戸叶委員 大平教授に二、三点伺いたいと思いますが、まず第一に、先ほど大平教授は、この協定の九条の二項は非常におかしい、こうおつしやいました。私どももそう考えるのですが、そのおかしいという考え方が、私と大平教授との間に違いがございます。大平教授の御解釈によりますと、九条の二項というのがこの協定の全般にかかつていて、そうして特にこの協定をあとから批准するというようなことならわかるけれどもということもつけ加えておつしやいました。全体にかかるとおつしやいますからには、この八条にも当然かかると思いますけれども、その点はどうであるか。もし八条にもかかるものとすれば、憲法と矛盾するものではないかどうか、その点を承りたいと思います。
  106. 大平善梧

    ○大平公述人 憲法第九条は、午前中から議論があつたようでありますが、私は、これはきわめて幅のある解釈をとらなければならない規定であると考えております。というのは、憲法規定で国際関係を規定したのは、憲法第九条しかございません。国際情勢というものは、日本一国の意思のみによつて片づくものでありません。東条のように、清水の舞台から飛びおりれば解決するというような問題ではないのであります。従つて、これは計画規定という法律上の言葉がございますが、なるべく計画的な規定で、日本はできるだけ非武装的な国策をとらなければならないという抽象的な規定であると私は考えておるのであります。従つて第八条の新しく設けた自衛力を増強するという軍事的な義務は、これは憲法第九条の精神には反する。しかしながら精神に反するけれども、具体的に憲法第九条に正面から違反するものであるとは言えない、こういうふうに考えているのであります。言いかえると、陸海空軍その他の戦力を持つてはいけない、こういう戦力というようなものの解釈は、これは幅があるのでありまして、もし戦力というものをウオー・ポテンシヤルというような原語のような意味にいたしますと、あらゆるものが戦力になつてしまうのでありまして、日本の生産力というものは、全部戦力になるのでありますから、これは潜在的な戦力、可能的な戦力というようなものでなくて、結局陸海空軍のような具体的なものを意味するものである。従つてこの軍事的な義務から、国際的な目から見ますると、アメリカは日本戦力を持てということを望んでいるのだろうと私は思います。しかしながら受ける方の立場におきまして、これは戦力でないというふうに言うならば、そのくらいのところは持つておいてもよかろう、こう思うのであります。従つて憲法解釈は、これは憲法学者におまかせいたしますが、私の考えは、前に行政協定のとき、ちようど戦力問題もありまして、そこで申し上げたことがあつたのでありますが……。
  107. 戸叶里子

    戸叶委員 国際法的に国際法学を御研究になつていらつしやる教授でいらつしやるならば、たとえば戦力という言葉ども、もつと国際的にいろいろいわれている定義と同じように解釈してもいいのではないか、こういうふうに私は思うのです。今の御答弁を聞いておりますと、どうも今の政府の考えておりますところの、日本特有の定義をつくつているのと同じようなお考えを持つていられるものとしか私は考えられませんが、この点は、きようは論議ではなくして、御意見を承るときでございますから、大平教授がそういうふうに解釈するのだということを私は了承しておきます。  次に先ほどからおつしやつていられました集団的自衛体制とか、あるいは集団的自衛義務とかいうことは、一体具体的にどういうことを意味するのか承りたいと思います。
  108. 大平善梧

    ○大平公述人 先ほどの質問に対しても、私はやはり一言わしていただきたいのであります。これは私独特の意見でございますから言わしていただきたいのですが、軍縮会議におきまして、軍備制限をするときに、戦力を持たないというような定義を下しましても無意味でありまして、戦艦とは何ぞやというようなことを具体的にきめまして、大砲はどれだけ持つてはいけない、駆逐艦はどうだというような定義をちやんとはつきりしてからでなければ意味がないのであります。従つて日本憲法において戦力をほんとうに持つてはいけないということが法律的に具体的な義務である。すなわち施政方針でないという意味ならば、これはもう少し具体的にきめるべきものである。それがきまつていない以上は、特に講和条約においてそういうことがきめられていない以上は、一般的な施政の意見である、施政計画的な意見である、こういうように考えるのであります。  第二の点でありますが、これは国際連合に初めて集団的自衛権という概念が生れたのであります。この集団的な自衛権というのは、共同をして安全保障を守つていようというような国家群においては、一国が攻撃を受ければ、他の国がいまだ攻撃を受けなくとも、防衛に参加することが国際連合憲章上できる。従つて安全保障理事会の許可がなくてもよろしいという意味から集団的自衛権というものが出て来たのでございまして、この自衛権解釈として、日本の市谷裁判などでは自衛権を狭く解釈しようとしておる。アメリカその他の自由主義諸国が逆に、この憲章の集団的自衛権という規定におきましては、非常に広い、新しい概念を持つて来たのであります。従つてこれは国際連合憲章が一応認めている権利であり、その認めている権利を講和条約において日本にも認める、こういうことにして、その結果として、いわば古い言葉で申しますと、軍事同盟的だ態勢がそこにできておる。こういうことを申し上げることができるのであります。
  109. 戸叶里子

    戸叶委員 ただいまのお考えはわかりましたが、それでは今の日本の場合、現行憲法のもとではそういうふうな義務は負うことができないということがはつきりいえると思いますが、その点はいかがですか。
  110. 大平善梧

    ○大平公述人 憲法第九条二項の規定自衛権を含むか含まないかということは、むしろもう争いがないと思いまして、戦争放棄の際は、国際紛争解決する手段として戦争をしないというのでありまして、自衛のため及び国際連合のような共同制裁のためにおいては、そういう戦争をするということもあり得るという規定であります。それから第二項におきまして、それを制限するような規定があるわけであります。従つて集団的自衛権を持つということは憲法違反ではない、こういうふうに私は考えます。
  111. 戸叶里子

    戸叶委員 そうしますと、先ほどの軍事同盟的なものに日本は参加できる、こういうふうに解釈するわけですか。
  112. 大平善梧

    ○大平公述人 その軍事援助の関係でありまして、軍事同盟でありましても、たとえば経済的な意味の――武器じやありません、経済的なものを提供するとか、あるいは通過権を認めるとか、あるいはまた現在の基地とは言わないけれども、地域とか何とかいう形においてアメリカ軍を駐留させておるわけであります。これも集団的自衛権に基いて安保条約ができたという建前になつておりますし、またそういう解釈でよろしいと思いますが、これが国会において認められておるわけでありまして、国策としては決定しておるのでありまして、従つてこれは憲法違反でないというふうな承認のもとに批准されたと私は了承しております。
  113. 戸叶里子

    戸叶委員 今おつしやつたような内容のものでも、軍事同盟というふうに呼んでさしつかえないわけですか。
  114. 大平善梧

    ○大平公述人 私は旧式な意味における軍事同盟であるというふうに申したのでありまして、国際連盟ができましてからは、軍事同盟という言葉はほとんど使いません。しかし実質においては軍事同盟であると私は考えます。軍事同盟であるものを、憲法第九条で認めるか認めないかということは、これは政策の問題でありまして、非常に幅のある憲法第九条の解釈いかんの問題だろうと思います。これは文字を非常にきゆうくつに解釈いたしますれば、あるいは憲法違反というふうに判定ができるかもしれませんが、先ほども鈴木さんが言われましたように、憲法裁判所でもあるならばそれが最終的に、行政府なり国会がきめた条約が違反であるということをきめることができると思うのでありますが、今日の日本の司法の機関におきましては、条約の違憲審査権というものは裁判所にないということになりますと、政府並びに国会がきめたところの意思によりまして、憲法違反かどうかということを認定するわけであります。従つてこれは文字の点からいいますれば、憲法違反の疑いは多分にある、こういうふうに考えますが、解釈の幅におきまして、だれが認定するかというならば、政府及び国会がこれを認定する、そういうふうに考えております。
  115. 戸叶里子

    戸叶委員 もう一つ簡単にお伺いいたしたいのですが、アリソン大使のあいさつと岡崎さんのあいさつ、ああいうものは国際法的に見て何らかの拘束力があるものでしようか、ないものでしようか。
  116. 大平善梧

    ○大平公述人 外交は非常に手続を重んずるのでありまして、条約という正式なる形、及び批准をつけた条約というようなことで初めて国家意思が決定されるのでありまして、単純な調印式におけるあいさつというようなものは、国際法上の効果はありません。単に輿論に対して何らかの道義的責任を持つというだけであります。
  117. 上塚司

    ○上塚委員長 穗積七郎君。
  118. 穗積七郎

    穗積委員 私が最後の質問者になりまして、きようは時間も大分とりましてたいへん恐縮でございますが、あとしばらく大平教授にお教えをいただきたいと思います。内海さんには私質問ございません。学者意見というものは、常に時の権力または財力に屈することなしに、客観的に真実に向つて意見を吐かれるというのが当然なことでありますし、それなるがゆえに学者意見というものが、党派を超越いたしまして耳を傾くべき価値のある原因だろうと信じております。従つて一般的に申しまして学者意見というものは、政策論よりはむしろ法律でございますならば法理論、あるいはまた政策学でございますならば、客観的にあらゆる事象、動きを網羅した総合的、統一的判断をされるところに価値があるというふうに私は考えております。大平先生は先ほど来いろいろ政策的な御意見もございまして、われわれにとつて有益な御意見もございましたが、大平先生は政策についても達識を持つておいでになりましようが、今申しましたような理由によりまして、私は政策のことについてはお尋ねいたす所存はございません。そこで先ほど来他の委員から重要な点についてお尋ねがございまして、多少同じ問題に触れますが、しかし途中で腰の折れておる大事な問題も、ございますので、関連いたしまして、前に進む意味で、別の角度から少し御質問してお教えを受けたいと存じます。  まず第一にお尋ねいたしておきたいのは、国連憲章によつて認められて、しかも今度の条約の冒頭に書かれております集団的自衛権の問題でございます。これは午前中公述になりました安井教授に私はお尋ねいたしまして、その結果私ども解釈と同一の解釈であることを確かめ得たわけでございますが、集団的自衛権の問題につきましては、特に当該国間におきまして軍事的なとりきめなくして、その集団的自衛権発動し得るんだ、固有の権利であるというふうな解釈も、国際法学界におきまして相当有力な教授によつて展開されておることは、御承知の通りでございます。従つて政府の考えは、この集団的自衛権発動につきましては、特別なとりきめが必要である、すなわち今度の例で申しますならば、海外派兵の問題はこの協定だけでなくて、日米間において、その他の国が加わつてもけつこうでございますが、少くともそういうような共同防衛の軍事的協定なくしては、この集団的自衛権というものは発動できない。従つてここにうたわれておる、条約文に出ております集団的自衛権は、わが国にとりましては潜在的な権利にすぎないのであつて、これは行使できない権利であるという御説明でございましたが、教授は一体どちらの解釈をおとりになりますか。これはあとあとのために非常に重要な部分でございますので、その点からまずお尋ねいたしたいと存じます。
  119. 大平善梧

    ○大平公述人 学者は学説を変更しないものである、しからば政治家はいかんということを穂積さんにお聞きしたい点もあるのであります。それで私は憲法ができましてから私の考え、少くとも防衛に対する考えはかわつておりません。比較的国際法学者で、戦前戦後を問わず大体考えが同じであるというもものの一人であると思つております。その点だけは申し上げておきます。それから集団的自衛権の固有の権利で、ございますが、これは国際連合憲章第五十一条できめましたのですが、非加盟国でも集団的自衛の固有の権利を認めるべきであるということが、大体国際法学者の通説と考えてよろしゆうございます。従つてたとい地域的な安全保障条約、そういうものを締結しなくても、集団的自衛権の固有の権利を持つておると考えられるのであります。ただ集団的自衛権発動する義務、言いかえると甲国が攻撃を受けて、その隣の乙国がこれを援助して共同防衛に立つという義務、これは地域的安全保障条約をあらかじめ甲と乙が締結していなければならない、こういうことになります。日本が海外に派兵するというならば、集団的な自衛の権利があるからといつて派兵する可能性はある、しかしながら義務はない。こういうことになる。
  120. 穗積七郎

    穗積委員 私も御注意をいただきましてたいへんありがとうございましたので、一言大平教授に申し上げておきますが、私は戦時中以来当面の政治目的としておりますものは、アジアから英米仏その他の先進帝国主義支配権力を排除して、アジア民族国家同士が搾取、被搾取の関係ではない、当時の言葉を使いますならば、ほんとうの共存共栄の非搾取の友好関係をつくつて、アジア経済の工業化をはかつて、アジア諸民族共通の自立の基礎をつくりたいというのが私の一貫した念願でございます。さらにまた私が法律上の話を申し上げましたので、憲法のことに触れておられるのかもしれませんが、私は昭和二十一年の憲法議会におきまして特別委員の一人として、共産党の五人の諸君のほかに、私とただいまはからずもまた同僚になつております細迫兼光氏と七人が反対をいたしました。反対をしたのに今日改正に賛成をしないのはどういうことかということが、あなたの言葉の中に含まれておるかもしれません。しかし私の反対の理由というのは、第一章について、天皇の象徴たる地位について問題を残している点。第二の今問題になつております九条の解釈につきまして、これは正しくはあるが、それを実行するためには、こういう条文を書いただけではだめである。少くとも米ソを含む国際連合の安全保障体制をつくるなり、あるいはまた米ソ対立の間に立つた日本が、今後どういう民族建設の方針をとるか、その基本的な方針を明らかにすることが必要である。それなくしてこれは行い得ない。第三点は、第三章の基本的人権につきまして、基本的人権が法律上の基本的人権としてうたわれておりますけれども、経済における民主化が行われていないから、これらの多くの条章は空文になる危険がある、従つて経済の民主化をうたうような、すなわち基本的人権の基礎を確立する経済民主化のための規定なくしては、第三章の多くの規定は空文になるであろうという趣旨で、私は現憲法に賛成しないのでございまして、現在の第九条がまさに民族独立の自主的な意思ではなくて、アメリカの意思によりまして改正せしめられるという事態に対して、私が反対するのは理の当然でございますので、はなはだこのとうとい時間を使いまして恐縮でございますが、一言誤解を避けるために申し述べておきたいと存じます。  そこで本論に入りますが、集団的自衛権解釈につきましては、今の御解釈へもう一歩つつこんでお尋ねしたい。私のお尋ねいたしましたのは、それを行使する権限でございます。あたかも憲法の九条におきまして、軍隊並びに戦争放棄した日本国は、自衛権放棄したのかどうかという論争が、当時の憲法議会における第一の論争でございました。そのときに、固有の自衛権そのものはある。しかしながらそれを行使する力と手段放棄したのであるから、これは空文というか、自衛権なきにひとしい潜在的な権利にすぎないのであつて行使の方法と手段を全然認めていないのだというのが、当時の吉田総理の初めの解釈でございましたし、当時多くの憲法学者が、またそういうようなことを説明しておつたわけでございます。従つて私が聞いているのは、そうではなくして、今の集団的自衛権というものが、国際法上固有の権利として認められつつあるということを私は伺つたのではなくて、それを行使しますのに、特にMSA協定以外に軍事的な協定なくして立ちどころにこれを行使することができるかどうかという点を実はお尋ねしておるわけでございます。その点をもう一度明確にお教えが仰ぎたいのでございます。
  121. 大平善梧

    ○大平公述人 平和条約の第五条に集団的自衛権日本が持つておるということを連合国は承認するという言葉があるわけでありまして、連合国、つまり講和条約批准した国につきましては、日本が固有の集団的自衛権発動して、権利を行使しても当然であろうと思うのであります。別にその点について、あらかじめ集団的自衛権行使するということについての権利の制限はないと思うのです。ただそれを発動する義務日本にはない、こう思うのであります。
  122. 穗積七郎

    穗積委員 そうしますと、MSA協定以外に日米間に特別の軍事的共同防衛協定というものがなくても、日本義務はないけれども、権利として自主的に集団的自衛権の名によつて、つまり具体的に言えば海外派兵でございますが、そういう可能性がある。不正緊急の直接侵略に対する対応策だけでなくして、それ以外に、集団的自衛権を確保するために行使することができるというふうに解釈をしてよかろうかとお聞きいたしたわけでございますが、そうなりますと、現憲法の中におきまして、この行使がはたしてできるであろうか、どうであろうか。そのことについては、大平教授は、そういうことも含んだ上で現憲法のわく内において可能性がありという御解釈のようでありますが、私は憲法制定当時からの論争を聞いておりまして、当然そういうことは考えられないと実は思うのでございます。大平教授は、政府または安井教授と違いまして、集団的自衛権行使の可能性について、非常に先まで出て行く解釈をなさいましたが、そうなりますと、その限界として、憲法との境界線を引いて参りますと、はるかに憲法の限界は、もつとこつちの方にあるというように思うわけですが、いかがなものでございましようか。
  123. 大平善梧

    ○大平公述人 憲法第九条二項の解釈につきましては、国会における議論、特に提出者である政府当局の議論というものは、その後発展はしておるのですが、そういう議論から申しますれば、日本憲法第九条は海外派兵というものは全然考えていないと思うのです。しかし私の見解を聞かれるならば、これは憲法解釈には幅があるので、立法当時の解釈が必ずしも固定するものではない。私は独得の考えを持つておるのであつて、交戦権という言葉も、これは絶対に戦争をしない、交戦能力がない、無能な国に日本がなつてしまつたというのではなくして、具体的な個別的な交戦権がないというわけであります。たとえばA国が日本攻撃を加えて宣戦布告をすれば、日本戦争能力がないといつても、国際法上の関係におきましては、ここにちやんと交戦関係ができるのであります。そうしますと、日本が権利能力を放棄して無能力になつたといつでも、それは意味がないのでありますから、向うが戦争をしかけて来て宣戦布告をすれば、一方的に戦争になつてしまう。だから能力はやはりある。それで結局個別的な交戦権を持たない。封鎖をしたり、拿捕したり、そういうことはしないということ、従つて不法侵入者がある場合には、自衛権によりまして行動いたしまするから、その場合におきましては、相手方に対して投入するという形におきましては、交戦権と同様の関係が起つて来る、こういうように解釈するのであります。従つて日本が積極的に戦争をしかける、宣戦布告をする、こういうことはできない。しかしながら向うからしかけて来るというような場合に、向うが宣戦布告をする場合には、国際法上そこに国際法上の戦時関係が起つて来る、こういうふうに考えるのであります。
  124. 穗積七郎

    穗積委員 交戦権の問題は後にお尋ねしようと思つてつたので、それを切り離してお答えをいただきたいのですが、すなわち憲法のわく内におきまして、今の大平教授の解釈するような集団的自衛権行使ができるかどうかということを、イエス、ノーをもつてお答えいただきたいのでございます。
  125. 大平善梧

    ○大平公述人 私の意見は、憲法学者でありませんから、国際法学者として、今までの国際連合憲章、平和条約、安保条約、そういうもの全体としてイエスです。憲法解釈はこれは別なことで、ただ国際法上の見地から憲法解釈すればそうなるということを言う。それを憲法学者がとるかとらぬかは別です。穗積委員 しかし国の内外の法体系というものは、いやしくも国の基本法を中心にして、その国の権利義務規定すべきであります。従つて国際法学者であるからといつて軍隊を持ち、戦争の権利を放棄してない国と国の間における国際法関係というものをそのまま援用いたしまして、その世界の中のどこかに住んでおる日本であるから、当然日本もその権利を持つているのであろうというふうな類推解釈をされまして、日本の交戦権または戦争解釈をされるということは、はなはだ学者としては意を得ないお答えでございまして、逆に国の基本法、これは条約憲法との関係にいたしましても、条約憲法改正手続等を無視するような、そして条約によつてすぐ憲法を改廃できるような、そういう条約締結するということは当然考えられないことでございますから、従つてその考え方は、まあ現政府の代表的法解釈意見として見ていいと思いますが、法制局長官等もそういう考え方を持つておるわけでございまして、私の申しましたのは、そういうことでなくて、あなたが憲法学者であるとかないとか、講義をしておる、おられぬではなくて、日本国際法関係というものは、日本憲法との関係において別個に論議することはできないだろうと思うのです。そういう意味で私は伺つているのであつて国際法上見れば、日本といえどもそういう戦争をする権利があるのだ、自衛権行使があるし、個別的または集団的自衛権行使は、特別な共同防衛の軍事協定を結ばなくてもできるんだということを言われることは少しいかがかと思うのでございますが、そういう意味で、私は憲法を講義しておられる、おられないは別といたしまして、その憲法解釈からごらんになつて、そういう国際法上の解釈日本にも当てはまるかどうかということをお尋ねしておるのです。
  126. 大平善梧

    ○大平公述人 私はやはり憲法を講義したこともありますし、憲法を大学において講義してもよろしいという資格審査も通つておるのであります。しかし憲法学者ではございませんで、ただ国際法学から見てきわめて日本憲法は国際性に富んでおるし、国際関係を規定した第九条を解釈するには国際関係、その基本的な国際法的な観念を入れて解釈しなければいけない、こういうことを言つているわけであります。
  127. 穗積七郎

    穗積委員 これは大いなるあなたの認識違いでございまして、実は古い国際法の体系の中で日本憲法ができておるのではございません。そうではなくて、前の戦争の反省の中から、まつたく従来の国際法関係における権利義務という狭い範疇の中から割出して憲法体系というものを考えたのではなくて、今までの古い体系の中からは全然思いもよらない新しい一つの平和主義的な考え方からこの憲法が出て来たわけでございます。従つてそういうことを――少しあなたも学者らしくなく、感情的になつておられるようですから多く質問をいたしませんが、先ほど来新しい権利義務、新しい軍事的義務、海外派兵の問題、顧問団の問題、または経済的な問題であるとか、駐兵の引揚げであるとか、こういうような問題についていわば側面的な点からごらんになつて、このMSA協定の不備、いわば欠陥を指摘されたわけですが、最後になつて、この協定を現憲法の中において受諾することが法理的に可能であるし、政策的にもその方がいいと思うという結論に飛躍されたので、実は前の説明とあとの出されました結論との間において私は非常なギヤツプを感じたわけでございます。そこで今の問題は、法理上は、一点は憲法との関係が重要でございますからお尋ねいたしましたが、私は今お述べになつたような解釈をされるとすれば、これ以上議論いたしましても無益であると思いますので、法理上の点はやめますが、政策上の点においてかくかくかくかくの疑点または欠点、危険を蔵しておるこの協定であるという御説明をいただきまして、最後の結論にこれを受諾する方がいいと思うという結論に飛躍されます場合に、踏台としてお使いになつたのは、かつてソ連が中立条約放棄したとか、朝鮮に熱い戦争が起きたとか、国連加入を拒否した国は一体だれだというような数点をあげられまして、一ぺんにこういう危険な――さつき言われたような、あなたがごらんになつてすら非常に危険な、そして不利益を伴つておる協定の中に飛び込むということについては、少くとも教授の御意見としては、少しその理由が薄弱であるように聞えるわけでございますが、その飛躍の点を、もう一ぺん政策的な点で言われることについて非常に関係がございますので、ちよつとその飛躍の根拠といいますか、数点でよろしゆうございますから、科学的に一ぺん明らかにしていただきたい。
  128. 大平善梧

    ○大平公述人 全部をお答えすればまた時間がかかりますから、簡単に申し上げますが、一つだけ申し上げます。先ほどあげましたところで申し上げますが、この相互防衛協定の附属書Dで、共産圏との貿易を制限されているのではないか、これは日本の今度の点につきまして、若干あるいはもつとフリーと考えられるわけでありますが、しかしこれについて私はこういうふうに考えるのであります。それによつて、共産主義の経済態勢をとつている国は重工業にならざるを得ない。しかるに日本が中共貿易を願つているのは関西財閥が中心で、軽工業的なものである。今後ああいう国家国営の貿易態勢をとつているところでは、経済的な関係というものは伸びない。たとえば向うの必要に応じて北京から自転車が千台なら千台注文が来る。ところが来年は来るかどうかということが疑問である。ソ連から修理船が来る。しかし来年は来るかどうかは疑問である。コマーシヤル・ベースというような形において自由な貿易態勢をとる必要がある。そういうふうに考えますと、私は大陸との貿易を盛んにすることは必要だと思う。しかし今までの貿易の割合から見ましても、日本に必要とするところの食糧とか、石油とか、ゴムとか、綿花、羊毛とかいう重要な物資を大陸から買うことができない。こういうようなものを獲得するためには、自由主義諸国と提携して産業立国というか、できるだけ貿易を盛んにしなければいけない。こういうようなことがいろいろな点があるのでありまして、確かに中共貿易に対する制限というようなことがあるが、われわれの期待するほどには伸びないだろう。むしろ東南アジアというような方面について伸びるために、私はMSAも利用した方がいい、こう考えるのであります。
  129. 北昤吉

    ○北委員 ただいま大平教授のお話をお聞きして、私も大部分共鳴するものでありますが、大平教授は国際法並びに国際法の精神から出た国際協定に非常に重きを置いているのですが、私もその論者です。日本明治憲法では、御承知のごとく国際条約尊重規定はなかつた。ドイツの旧憲法もなかつた国際法は一片の紙片にしかずという言葉があつた。このごろは――ドイツのワイマール憲法でも第四条かと思いますが、国際条約憲法の一部と見なすという解釈、今度の憲法にも国際条約尊重規定が九十八条かにあるようです。私は日本のようなあまり強くない国は、国際条約並びに集団保障条約のあるものに防衛してもらわなければならぬと思うのです。それであるから、大平教授の論は、国際法の見地から広い立場から述べたんですが、私はやはり横田喜三郎博士のごとく、国際法と国内法と矛盾というわけじやないが、違いがあつた場合には、国際法を優先的に解釈するというところまで徹底しているのです。それはどうお思いでございましようか。
  130. 大平善梧

    ○大平公述人 実はその問題は、国際法違反のイランの石油国有化という問題に実際に関係する問題でありまして、私も若干の意見がある雑誌に出ることになつておりますが、私は国際法基本的なものと考えられるものは、たとえば国際連合憲章あるいは不戦条約、そういうようなものは憲法に優先する。また事情によりまして、降伏文書のような屈伏するようなものは、これは勝者と敗者ですから、それで日本憲法もある程度修正を受け改正までされたというような形、そうしてポツダム条項を実施するマツカーサーに従属するというような形になります。そういうような場合には、国内法の上にあるというような条約ができて来る。結局一般的に申しますと、国際法基本的な原則をきめたものが国内法に優先する。こう考えるわけであります。
  131. 北昤吉

    ○北委員 私もまつたく同感であります。実は戦力問答についていろいろ議論があつたときに、当時閣僚の一人であつた本多市郎君に私は言うた。ところが本多市郎君は閣議でも主張したようですけれども、法制局長官は、国内法優先というような思想を述べているのですが、実はこの憲法の成案ができたときに、私は自由党の憲法改正委員長でありました。せんだつて憲法調査会で金森さんを呼んで来歴を聞いたんです。金森さんはやはり四月ごろに大臣になつて、初めての原案を日本で発表したのは三月六日でありまして、それから議会で審議したのは四月十何日からであります。金森さんも来歴をよく知らぬが、三分の二はアメリカの来歴である。ことに前文はアメリカから押しつけられたものである、こういう考えであつた。どうも前文は翻訳口調がたくさんで、誤訳が非常にあつて、大体私が直した。今でもなお相当誤訳があります。これは何と言おうと、三分の一アメリカがつくつたというのは事実であります。やはり前文の精神も今までの日本憲法学者よりはみ出ておつて憲法学者は、日本憲法学はあつて世界憲法学というものはあり得ない、上杉慎吉さんなどはその主張者です。ところが今度の憲法前文では、できは悪いけれども、国際道徳の基本原理をたてにとつて、この趣旨によつて憲法をつくつた憲法の精神は、今大平教授の言われる通りに、国際条約基本概念、それから国際道徳の基本概念が優先する形で憲法ができていると私は思つている。それだから第九条は、芦田君がアメリカに交渉して、第二項をかえてもらつた不戦条約の精神によつて面した。第二項のこの「目的を達するため、」というのを改進党の清瀬一郎君は「国際紛争解決する手段」のところにかけている。それと、現行憲法でも軍備ができるという説を「国際紛争解決する手段」というところにかけたのは、もう一つ安全保障条約、国際連合憲章から来ているのです。やはり条約をたてにとつているのです。ところが御承知のように憲法第二章には、章の名前にすでに「戦争放棄」とある。これは侵略戦争放棄という意味ではありません。侵略戦争放棄するということを憲法に書いている国は、世界八十何箇国のうち一国もありません。これは常識上悪いことはわかつている。ところが国際紛争解決の前に「国権の発動たる戦争」という言葉がある。戦争発動まで持つて行くのは国家主権の活動ですから、侵略戦争防衛戦争も全部禁止していると私は思つている。それだからこの憲法から言うと、きゆうくつで、いかに自衛権があつて自衛力を十分に持てないようになつているということは、大平教授もお認めだろうと思います。自衛権を認めているというのですが、私は認めてもおらぬし否認してもおらぬ。これは自然権です。国家自衛権というものは、自然権であるということは、認めても禁止してもおりません。ただ自衛権行使する武力を禁止しているのが今度のこの憲法の方針である。現にマツカーサーの最高顧問であつたコルグローブ教授は、私は昭和十四年にアメリカへ行つたときに大山君の紹介で二日間お客さんになつておりますが、マツカーサーの顧問として私は三度も会つておりますが、それが今より四、五年前、日付は忘れましたが、武装解除の憲法は初めから反対だ、早く武装ができるようにしなさい、こういう勧告を私は古田さんにも見せました。せんだつて岸君にも見せたら驚いておつた。アメリカの識者の考えじやないのです。マツカーサーがちようど上院の審問を受けたときに、幣原さんが頼んだと言う。これはうそですよ。これは朝鮮の戦争が起きて、日本にすぐに七万五千の警察予備隊を設けさせたから、マツカーサーの自己弁明です。マツカーサーが言い出したことは事実で、幣原さんが賛成したのです。ところが幣原さんが、老人が来て泣きの涙で願つたから私はやつた。それはこう詰問されたから弁明としてやつたんだと思う。このいきさつは私は相当知つている。そうでありますから、これはどうしても強制的なものだ。国家学会雑誌から出た憲法改正の手続という文書でごらんになつたと思うが、宮沢君が解説して、あと報告しておる。そうして至上命令が三つマツカーサーから出ておるのです。すなわち天皇象徴、国民主権というこの一箇条。それから戦争放棄、武装を持たぬということ。第三箇条は皇室財産をなくすこと。これは幣原さんが私に、禁止事項であるから君質問してくれるなと言つた。私は党代表の演説をいたしましたが、武装問題を述べなかつたのです。当時の議会の空気を見ますと、戦争に負けて、つまらぬ戦争をやつた、悪いことをしたという空気が一般でありました。そうして宗教的ざんげ的の気分があつたのです。そうして議場では、畜類の食うような食いものをくれても感謝決議をしたような周囲の状態です。再び戦争をやるような武力を持てるというような日本人の観念もなかつたし、アメリカも押しつけたのです。それで私は一言も言わなかつたのですが、今顧みれば、国際情勢がかわつたのです。それでソ連とアメリカと一致した極東委員会でも、マツカーサーでもいかんともすることができない状態です。そうしてその事情のもとにできたので、今事情がまるで違うから、私は大平教授の御意見のように国際連合憲章、それから日米安全保障条約に調印したのですから、これは言いかえてみると、日本の国防力を漸増して、アメリカが同時に帰るようになるということをすでに約束しておる日米安全保障条約の延長としてMSAの援助をもらうのは、私は少しもさしつかえない、むしろ歓迎すべきものだと思うのです。これをいまさら憲法問題で問題にするならば、日米安全保障条約のときに問題にしなければならぬ。私は証文の出し遅れではないかと実は思うているのでありますが、大平教授の御意見を承りたい。
  132. 大平善梧

    ○大平公述人 二方のお話を承りまして、たいへん教えられてありがとうございました。実は先ほど申し上げました勁草書房の「新しい日本の進路」というところに、憲法第九条と国際法という題で私が書いておりますのも、大体先生のお言葉の通りであろうかと思います。この箇条も、大体これは公然の秘密として出ておるのであります。
  133. 北昤吉

    ○北委員 どうもありがとうございました。
  134. 上塚司

    ○上塚委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位には、御多忙中にもかかわらず長時間にわたり種々専門的意見を開陳していただき、まことにありがとうございました。委員長より厚くお礼を申し上げます。  本日の公聴会はこれをもつて散会いたします。    午後五時二十四分散会