○
中村(一)
参考人 私
たち千葉県
九十九里浜において働く漁民の数は約二万七千名であります。それで、
昭和二十三年以降アメリカ軍が
九十九里浜の中心部である
千葉県山武県豊海町に駐留して参りまして、その海岸におきまして半径三万一千ヤードの海面を接収いたしまして、当初は月曜日から金曜日まで毎日演習を始めてお
つたのでございます。それから地元の強硬な
反対意見もございまして、午後に変更され、ただいまでは月曜日から木曜日までの正午から午後六時まで、高角砲並びに機関銃による実弾射撃を開始しておるのでございます。
御
承知の
ように、
千葉県の
九十九里浜は、
日本におけるいわしの三大漁場の
一つでございます。そしてあぐり網百統、その従業員約八千人、雑漁船約百二十隻、その従業員約二千名近く、それに約六、七十統近い地びき網がございまして、その従業員は約三千人くらいに上るのじやないか、この点は数字がはつきりいたしませんが、こういうことでございまして、私はあぐりの乗組員がございますので、おもにあぐりの面につきまして申し上げたいと思います。あぐり漁業はまき網漁業でございまして、九十九里の今射撃場のあります豊海町を中心に大体沖合い十マイルから十五マイル以内の海面を主たる漁場として働いておるのでございます。その
理由は、豊海町を中心にした十マイル以上のところは岩礁が多くて、投網することができないことと、水深が深いために、魚が網にかかる率が非常に少い、また漁群は、岩礁には非常に強敵がおりますので、どうしても砂地の方に寄
つて来る、そういう
関係で、
九十九里浜においては大体十マイル以内の海面が、昔から最も魚をとることのできる海面でございました。そこでお昼から午後6時まで演習をぼかぼかやられる、船が操業することができない、こういう
事態が
昭和二十三年から今日まで依然として継続されておるのでございます。われわれは大体午前五時から六時ころ港を出まして、その十マイル圏内のところを右に左に魚群を探し求めて進行して行くのでございますが、ち
ようど魚に当
つて、これからとろう、あるいは一、二番投網したという時期に射撃が開始される。大急ぎで退避しなければ、実弾が当るという
ような危険な操業を続けておるのでございます。
去る十六国会でございますか、この非常に大きい被害に対して
政府当局も考慮いたしてくれましたのですが、何か補償の立法がされまして完全補償をするというふうにはつきり法律にもうたわれておるのでございますが、しかし一昨年の
昭和二十七年度補償の
申請時におきまして、
千葉県の演習による損害を受けた漁
業者は、約三億八千万円の被害
申請をしておるのでございます。しかも被害期間は
昭和二十七年の四月二十九日から同年の十二月三十一日まででございます。ところが
政府はそれに対して、
昭和二十七年四月二十九日から翌年の三月三十一日まで分として二億三百万円を決定したというふうに聞いておるのでございます。しかもそのうちの約一億四千何百万
程度は漁民の手に渡
つたのでございますが、いまも
つて二十七年度の残りの一、二、三月分が渡
つておらないということも、われわれが非常に困る
理由の
一つであります。私は
昭和二十一年から漁夫になりましていろいろ操業をしておるのでございますが、大体
昭和二十三年から今日までの
千葉県下の漁民の損害総額は、二十億を上まわ
つているというふうに私は計算できるのでございます。具体的根拠といいましてもなかなかむずかしいのでありますが、ところがそれに対して行われた補償は、わずか二億ちよつとという
ような数字しかくれておらない。
それから米軍演習による人的被害も、
昭和二十七年講和発効後におきまして、豊海町の亀丸という船に乗
つております機関長がアメリカ軍の機関銃のたまに当りまして、咽喉の下から左わきの下に貫通したという
事故も発生しております。これに対して
政府は何らの処置もしておらなか
つた、見舞金もくれなければ、何もしてくれておらない。生活保障の方は従業員
たちがお互いに出し合
つてや
つた。また医療費については、船主がこれを負担しておるわけであります。この
ような事件がほかにも発生しているやもわからない
状態でございます。また陸上におきましては、アメリカの
兵隊の
自動車の高速度運転によ
つて事故を起した家屋の損害あるいは人命の損害が、家屋が十軒、人間も、死亡とか重傷、軽傷合せまして十人以上に上
つているのでございます。そのほかに無人機を、標的に使います
関係から、十一時五十分くらいあるいは十二時ぴ
つたりかもわかりませんが、飛ばしまして、これを無線で誘導するために、非常に危険なときが多いのでございます。無線機の故障あるいは飛行機自体の故障によ
つてどこにでも墜落して来る。道の上だろうが、屋根の上だろうが、海の上だろうが、どこでもおかまいなしに無人機が落ちて来る。無人機が飛んでいるときは、家の中に入
つていることができない。家に入
つていると、空が見えないから、無人機がどこに落ちて来るかわからない。こういう
ようなことで、その
土地の住民は恐怖の上に恐怖を重ねているわけでございます。そのほか
委員各位のお
手元に私の方から被害の
実情な
ども提出してございますので、御質問があればその都度申し上げたいと思います。
それから二月十一日に新聞紙上に発表されましたアメリカ軍の威嚇射撃のことについて、私は少し
意見を申し上げたいと思います。この日は私は午後の一時十五分ころまで豊海町の隣の白里町にお
つたのでございますが、一時過ぎには射撃が行われておりました。その射撃が威嚇射撃だということでございますが、これは白里、南白亀、白潟という豊海町の隣の町村の船が約四十隻くらい、豊海町真亀沖約八マイルから九マイルの地点において操業中
——操業中とい
つても、網を張
つたのではございませんで、魚群を探しながら帰港する
ような
状態にあ
つたのでございます。そのときアメリカ軍がその方向に向
つて射撃を開始した。私が聞くところによりますと、白里町の五良丸の約二、三百メートルの地点に不発弾が落ちて、大きな水煙を上げている。そのほかにも弾片等も落ちた
ように見受けられたということをほとんど全員が言っております。この
ようにしてたとい私
たちが射撃圏内を通
つたからとい
つて、それをぼかぼか撃たれたのでは、これはどうにもならぬ。それからそれに対して県
当局並びにここにおられる福島長官も、この間現地に視察に来たということを聞いております。長官もいろいろお聞きにな
つて事の真相をおわかりと思いますが、私が基地連絡所にいる須藤という連絡官に聞きましたところでは、アメリカ軍の圧力によ
つて、それをとめることもできなか
つた。そうしてアメリカ軍は撃
つた、こういう
ようなことを私にはつきりと話しております。海上保安庁の「なみちどり」がそのときに圏外に漁船を去らせるために出動してお
つたということをあとで新関紙上で見ておりますが、これについても「なみちどり」ではなくて、あとで「はやぶさ」だという
ように、
政府であるかあるいは県であるか知りませんが、訂正しております。しかもそのときに射撃を受けた漁民は、そういう監視船を見た人は一人もいないということをはつきり私に話しております。しかもそれに対して私
たちが非常に不可解に存じますことは、海上保安庁の船はどういう任務があるかわりませんが、少くとも人命あるいは船体、そうい
つたものの保護に当るのが、海上保安庁の任務ではないかというふうに記憶しておるのでございますが、県庁の知事あるいは水産部長の吉明は、あるいは須藤連絡官の言い分には、海上保安庁の船だけが射撃が始ま
つたらどんどん逃げて行
つてしま
つて、あとの漁船はそのままそこにどうにもならぬでお
つたという
ようなことでございます。少くとも海上保安庁の船がたまに当るのはしかたがない下、私
どもの船にたまが当るのでは、これはやりきれないと思うのでございます。あとは順次もし
委員からこれに対していろいろ御質問があればお話することにいたしまして、このくらいにして私はとどめたいと思います。