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1954-02-03 第19回国会 衆議院 外務委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年二月三日(水曜日)     午前十時二十四分開議  出席委員    委員長 上塚  司君    理事 富田 健治君 理事 福田 篤泰君    理事 並木 芳雄君 理事 穗積 七郎君    理事 戸叶 里子君       麻生太賀吉君    北 れい吉君       中山 マサ君    岡田 勢一君       喜多壯一郎君    須磨彌吉郎君       細迫 兼光君    河野  密君       加藤 勘十君  出席国務大臣         外 務 大 臣 岡崎 勝男君  出席政府委員         外務政務次官  小滝  彬君         外務事務官         (アジア局長) 中川  融君         外務事務官         (条約局長)  下田 武三君         厚生事務官         (引揚援護庁次         長)      田辺 繁雄君  委員外出席者         参  考  人         (日本赤十字社         外事部長)   工藤 忠夫君         参  考  人         (ソ連地区引揚         者)      長谷川宇一君         参  考  人         (中共地区引揚         者)      宮崎 堅三君         専  門  員 佐藤 敏人君     ————————————— 二月二日  日本国インドネシア共和国との間の沈没船舶  引揚に関する中間賠償協定締結について承認  を求めるの件(条約第二号)  第二次世界大戦の影響を受けた工業所有権の保  護に関する日本国とデンマークとの間の協定の  締結について承認を求めるの件(条約第三号) 同月一日  韓国抑留漁船対策確立に関する請願(吉武恵市  君紹介)(第三〇一号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  ソ連及び中共地区邦人に関する件について参  考人より意見聴取     —————————————
  2. 上塚司

    上塚委員長 ただいまより会議を開きます。  本日は、ソ連及び中共地区邦人に関する件を調査するため、参考人より意見を聴取することといたします。  本日参考人として御出席を求めましたのは、日本赤十字社外事部長工藤忠夫君、第一次ソ連地区引揚梯団長谷川宇一君、第六次中共地区引揚者宮崎堅三君であります。  議事に入るにあたりまして、参考人各位に対しごあいさつを申し上げます。本日は御多忙中のところ、遠路わざわざ御出席をいただき、厚く御礼を申し上げます。当委員会といたしましては、国政調査一つとして、ソ連及び中共地区における残留邦人に関する諸問題について調査をいたすこととなりましたが、今回現地の実情を伺う必要を生じましたので、特に参考人各位の御出席をお願いいたした次第であります。  本日の議事の順序について申し上げますと、まず参考人の方々よりおのおの御意見を開陳していただき、その後において委員より質疑がある予定でございます。なお御発言の時間は一人三十分程度にお願いいたします。念のため申し上げておきますが、衆議院規則の定めるところにより、発言委員長の許可を受けることとなつております。また発言内容意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになつております。なお参考人委員に対し質疑をすることはできませんから、さよう御了承を願います。
  3. 並木芳雄

    並木委員 議事に入る前に、それとも関連するのですけれども、ごく最近起りましたソ連代表部書記官ラストボロフ氏の失跡事件というものは、日本主権にも非常に関係があり、当外務委員会としても放置できない問題でありますから、緊急質問の形においてこの際政府委員質問を許可していただきたいと思います。それではお許しを得まして、私外務当局にただいま申し上げました緊急議題について質問をいたしたいと思います。  新聞、ラジオその他の情報によりますと、ラストボロフ書記官失跡をしたとか、あるいはまた脱走したということが伝えられております。これが個人の任意的な意思でもつて出たものならばいざ知らず、もしソ連代表部の方で発表しておるように、アメリカの方でこれを拉致した、あるいは不法監禁したというふうな事態であるならば大事件であります。日本主権にも関する問題でありますが、現在までのところ外務当局として得た情報は、どういうふうになつておりますか、まずそれをお伺いしたいと思います。
  4. 小滝彬

    小滝政府委員 昨日来の新聞に、元ソ連代表部書記官失跡したという記事が出ておりますし、いろいろそうした情報が巷間にありますので、外務省といたしましては、こうした関係に常に留意しなければならない立場からいたしまして、在京米国大使館に昨日これを問い合せたのでありますが、在京米国大使館の方では、現在何らの情報を持つていないようであります。しかしながら、もしこれに関連した何かの情報があるならば、さつそくこれを外務省へ通報しようということを確約いたしております。
  5. 並木芳雄

    並木委員 もしこれが、アメリカ方面からの外電も伝えておるのでありますが、米当局によって誘惑された、あるいは不法監禁をされたというような事態はつきりいたしました場合には、外務省としてはどういうような処置をとるつもりでありますか。
  6. 小滝彬

    小滝政府委員 ただいまのところ、まだこの事実がいかなるところにあるかわかりませんので、そうした措置については何ら決定したところはないわけであります。
  7. 並木芳雄

    並木委員 もしそういう事態なつたならば、どういう処置をとるつもりであるかということをお尋ねしておるのであります。
  8. 小滝彬

    小滝政府委員 米国側からの回答が参りました上で、向後の事態によつてとるべき措置も違って来るわけでありますから、ただいま仮定のもとにいろいろな措置を研究するということはいたしておらない次第であります。
  9. 並木芳雄

    並木委員 これは一説にはまたソ連代表部の方のデマであるということなんかも伝えられております。つまりいたずらアメリカを陥れるために、こう仕組んだ芝居であるということも伝えられておりますけれども、そういう点についても外務省としては何ら調査が行き届いておらないのですか。
  10. 小滝彬

    小滝政府委員 国内問題についてのいろいろな調査というものは、警察当局ででもなければ行い得ないことでありまして、そうしたいろいろな調査の上で事実が判明いたしましたならば、その事実に従つて対処いたしたいと考えております。
  11. 並木芳雄

    並木委員 しかし、ソ連代表部から日本政府に対して、保護をしてくれという申出が出て来ておるのでありませんか。
  12. 小滝彬

    小滝政府委員 警視庁に対して捜査願いが出ておるだけであります。
  13. 並木芳雄

    並木委員 外務省としては、それに対しては非常な関心を寄せて、警視庁連絡をとつておるべきはずであります。現在までどういう連絡をとつておるか。
  14. 小滝彬

    小滝政府委員 警視庁の方では何ら手がかりがないと見えまして、われわれの方へは何らの報告もよこしておりません。先ほど申しましたように、米国大使館へ照会しているような次第であります。
  15. 並木芳雄

    並木委員 一体こういう問題が起るたびに私どもは疑問を抱くのですけれどもソ連代表部部員地位というものは今どうなつているのですか。ソ連代表部というものは日本政府が認めておらないはずであります。そうするとソ連代表部員地位というものも、その取扱いは非常に微妙なものがあると思います。これを一般外人として取扱つておられるのか、あるいはまた不法滞在しておるけれども日本政府としては黙認をしておるのか、その辺のところをお伺いしたいと思います。
  16. 小滝彬

    小滝政府委員 御承知のように、ソ連は、平和条約に調印しなかつたので、この平和条約が発効いたしまして、一昨年の五月三十日に日本にありましたソ連代表部公的地位が消滅した旨を代表部に通告したわけであります。その結果、代表部員日本国内法に従いますれば、外国人登録令従つて登録しなければならぬというような関係もありますけれども、事実上ソ連平和条約を無視しております関係上、そうした措置をとつておりません。従いまして元代表部部員地位というものは、特殊な形態になつているわけであります。しかしその後だんだん帰国するものがありまして、その数は現在は非常に減つて家族を合せて三十三人というようになつております。こういう関係でありまして、日本国内法からいえば、もちろん特別な外交官としての地位を認めるものでもないし、普通の外国人であります。今のような特殊な経緯をたどつて、事実上日本滞在しておる外国人という関係になるというふうに考えております。
  17. 並木芳雄

    並木委員 一般外人である場合と事実上滞在しておる場合、その関係はよくわかりませんけれども、その間に何らかの差異がありますか。法的の保護を受ける取扱いにおいて、どういう違いが出て参りますか。
  18. 小滝彬

    小滝政府委員 法的にいえば何らの差異がないわけであります。普通の外国人としての保護を与えれば十分だと思います。
  19. 並木芳雄

    並木委員 そういたしますと、やはりアメリカ側によつて拉致されたり不法監禁ということになりますと、日本政府としては、日本の領土の上においてこういう不法行為が行われるのでありますから、当然米国側に抗議を申し込む段取りになると思うのです。ですからお伺いいたしますが、もしそういう事実があつた場合には、条約あるいは国内法、そういうもののどの点に触れて来るか、不法監禁とか、拉致された場合には、どういう点触れて来るかということを、お伺いしておきたいと思うのです。
  20. 小滝彬

    小滝政府委員 先ほどから申し上げおりますように、いろいろの場合も仮定せられるでありましようが、そういう場合に応じての措置というものは、これまでの慣例もありますし、今ここでそうした仮定の問題で、どういうような措置をとるように外務省として決定しておるかということは、申し上げかねるわけであります。
  21. 並木芳雄

    並木委員 ただいまの私の質問措置ではなくて、もしそういうことが起れば、条約または法に照して、どういう違反になるかという一般問題を聞いておるわけです。
  22. 小滝彬

    小滝政府委員 もしそういうことがあれば、行政協定に違反するということになるわけでありますから、それに従つてわが方の措置をとらなければならないだろうと思います。
  23. 並木芳雄

    並木委員 行政協定に違反するということになりますと、問題はまた微妙になつて参ります。そこでお尋ねいたしますけれども、もし伝えられるように、これがソ連スパイ網の一環であるということがはつきりいたしますならば、これはどういうふうになつて参りますか。行政協定の上でアメリカとして当然これを逮捕するというような権利が出て来るかどうか、そういうふうな微妙な点について、この際お尋ねをしておきたいと思います。
  24. 小滝彬

    小滝政府委員 アメリカ日本におる外国人に対して司法権は持つておらないのであります。ただ逮捕するという場合は、施設の内部で軍の安全に非常に危害を与えるというようなものがあつたならば警察権を行うということは、十七条の警察当局措置として規定してあるはずであります。しかしそれもただちに通報し、引渡さなければならないので、その限度のことしか行われない。しかもそれは軍の施設内において緊急の必要があつたときに逮捕するということだけの権限しかない、これが行政協定の規定であります。
  25. 並木芳雄

    並木委員 ですからその場合でも、司法権というものは日本にあるのですから、当然日本政府アメリカの方から交渉をして来るべき筋合いのものであると思いますけれども、その点はいかがです。
  26. 小滝彬

    小滝政府委員 その通りであります。
  27. 並木芳雄

    並木委員 それがいきなり向うで直接行動に出るというところに、つまり日本側政府としてもソ連代表部に対する主権が及んでおらないというギヤツプがそこにあるのではないでしようか。私どもはただいま小瀧次官が説明されたような意味合いであるならば、どしどし日本主権特に警察権のようなものは行使して、ソ連代表部というものをわれわれの主権のもとに置くべきであると思うのです。それがどうなつておりますか。やはり治外法権的な存在になつているのではないですか。新聞などではいろいろ納むべき税金なども納めておらないというようなことなんです。ですからそんなことではとても日本政府頼むに足らず、そういうところから案外アメリカの方では直接行動に出ているのではないかという節もうかがわれないわけではないのです。その点はつきりしていただきたいと思います。
  28. 上塚司

    上塚委員長 並木君にちよつと申しますが、時間も大分過ぎましたから、この程度において質問を……。
  29. 小滝彬

    小滝政府委員 並木君の議論はもう拉致されたというようなことを前提のもとに議論をされておるように感じますが、その事実というものがはつきりしなければ、そうした問題もはつきり検討することはできないわけであります。
  30. 並木芳雄

    並木委員 法律上の問題は、……。
  31. 小滝彬

    小滝政府委員 法律上の問題は、先ほど申し上げた通りであります。日本司法権を持つておるのであつてアメリカは持つていないということは、先ほど申した通りであります。なお元ソ連代表部が税を納めてないというようなお話でありましたが、これは日本でも租税を納めておるそうであります。
  32. 並木芳雄

    並木委員 それはどういうふうに日本主権代表部に及んでおるかということをお尋ねしておるのです。全然手をつけてないのじやないですか、治外法権的なものとして……。どうなつているのですか。そのために日本政府は無視されたような状態が出て来るのです。はつきりしてください。
  33. 小滝彬

    小滝政府委員 ただいま申しましたように税も払つておりますし、日本側としては普通の外国人という取扱いをしておる。ただ従来の行きがかりがありますので、事実上外国人登録もしていないというような、向う外人としてやらなければならない義務に違反しておる点もなきにしもあらずであるけれども、これは外交上の機微の関係もありますので、ある程度黙認せられておるという点もあることは事実であります。
  34. 並木芳雄

    並木委員 それではまだありますけれども……。
  35. 上塚司

    上塚委員長 関連質問を許します。が、参考人各位もすでに長くお待ちを願つておる次第でありますから、きわめて簡単に質問を願います。
  36. 穗積七郎

    穗積委員 次官に簡単にお尋ねいたします。アメリカ大使館との連絡またはそれからの情報についてお答えございましたが、ソ連代表部から日本政府または警視庁捜査願が出たりあるいはいろいろな情報が来ていると思いますが、それらの関係から出ております情報について、すべて明らかにしていただきたい。
  37. 小滝彬

    小滝政府委員 私どもの方は警視庁から何らの情報を受けておりません。それが事実であります。
  38. 穗積七郎

    穗積委員 ソ連代表部からの情報内容はどうですか。
  39. 小滝彬

    小滝政府委員 元ソ連代表部からは個人捜査願が出ておるだけであります。
  40. 穗積七郎

    穗積委員 それは捜査願といいましても、単なる捜査願の文句だけでなしに、こういう事情、こういう経過をもつて本人が拉致または失跡をしたので、それに対して捜査願が出ているのだろうと思います。そのソ連代表部からの申入れの内容について明らかにしてもらいたい。
  41. 小滝彬

    小滝政府委員 これが出ておりますのは、警視庁少年課家出人係に出ているのでありまして、警視庁へ届出でられたのは、新聞に発表せられている程度のもののようであります。
  42. 穗積七郎

    穗積委員 それでは委員長にお願いしておきますが。この問題はあとでまたゆつくりお聞きしたいと思います。
  43. 戸叶里子

    ○戸叶委員 簡単に一点だけ伺いますが、先ほどの外務政務次官お話を伺つていますと、まだ何ら情報が入つておらないから、仮定なことに対しては、お答えできないというふうに並木委員お答えのようでございましたが、それではこれもまた仮定でおつしやるかもしれませんが、もしもアメリカの方で保護をしていたといたしましたならば、そのときにはやはり日本の国においての、しかも日本の国に向うから捜査願を依頼して来られたのですから、日本主権侵害ということになると思いますが、そういうふうに考えてもいいものでしようか。
  44. 小滝彬

    小滝政府委員 仮定いたしまして、それでは向うが進んで米軍当局の方へ出て一緒に働いているというような場合には、何ら日本主権侵害にもならないと思います。今捜査願との関係をおつしやいましたけれども捜査願を出したのは第三者から出したのであつて本人自由意思でそこへ行つているということになれば、主権侵害というような問題は起らないだろうと思います。
  45. 細迫兼光

    細迫委員 関連いたしましてお尋ねいたします。いまだ事実が確定しないから方針を表明すべきものがないとおつしやるが、そういうことは政治家として私は責任ある態度としてはいけない態度だと思います。あらゆる事態の発生に対応して、こうなつたからこうしよう、ああなつたからこうしようといあらかじめ方針が立てられていないと、常に後手々々にまわることになるのであります。そういう態度はお改め願いたいのですが、その問題は別といたしまして、さきに並木委員から申されましたように、元ソ連代表部日本滞在の本質的な性質、これは政府の御解釈とは違うのではないかと思います。これはソ連との間には講和条約ができない、いわゆる戦争状態継続だと見ねばならぬ、その占領軍の対日理事会のメンバーでありましてそういう性質継続として滞在しておる、こういうふうに法律解釈をせねばならぬと思うのですが、これも別問題といたします、時間がありませんから。そこで一つ聞きたいことは、先ほど並木委員への元ソ連代表部滞在性質なんですが、それに関連いたしまして同様のケースとしまして韓国代表部ですね。あれは一体どういう法律上の根拠に基いて日本韓国機関があるのか、その滞在性質はどういうものであるか、関連してこれを明らかにしていただきたい。
  46. 上塚司

    上塚委員長 細迫君に注意しますが、きようは参考人を呼んでいるときですから、その問題であれば、さらに日を改めて御質疑をお願いしたいと思います。
  47. 細迫兼光

    細迫委員 今のは並木委員も申されましたように、ソ連代表部日本滞在性質を明らかにするためには、韓国の場合も当然比較研究せねばならぬ問題だと思う。時間はとりませんから、ただ一点簡単にお答え願いたい。
  48. 小滝彬

    小滝政府委員 韓国とは公文を交換いたしまして、向う代表部を認めるということになつております。相互的に日本の方も向うのあれが来たならば日本代表部も認めてもらうという条件のもとに、代表部を置くことを正式に認めている次第であります。
  49. 細迫兼光

    細迫委員 条件付承認ですね。
  50. 上塚司

    上塚委員長 それではこれより参考人の御意見を拝聴いたしたいと思います。たいへんお待たせいたしました。日本赤十字外事部長工藤忠夫君にお願いします。
  51. 工藤忠夫

    工藤参考人 それではお許しを得まして、中共に在留している日本人、それからソ連に在留しております日本人帰国の問題につきまして、中国赤十字社並びにソ連赤十字社交渉いたしました経緯を、簡単に御報告いたしたいと思います。  御存じ通り、一昨年の十二月一日に北京放送で、中国に在留している日本人は約三万人いる、これらの人たちは平和な生活を営んでいるけれども帰国を希望する日本人に対しては、中国紅十字会は喜んでこれを援助する、しかしこの帰国を実現するにあたつて、船の問題が今までの難関であつたのであるから、日本側船舶の準備さえすれば、日本人帰国は容易である、こういう問題のために、両国の適当なる機関または赤十字社において協議することができるという放送がありましたので、私たち中国紅十字会と連絡いたしまして、結局日本赤十字社のほかに日中友好協会アジア太平洋地域平和連絡委員会、この三団体で北京に参りまして、昨年の一月の末から三月の五日まで交渉いたしまして、結局三万人の帰国の問題について一つのとりきめをこしらえたわけでございます。このとりきめに従いまして大体三月の下旬から一回ごとに約五千人の日本人帰国せしめたのでございます。従来七回目まで行つたのでございますが、五回、六回、七回目ごろになりましてだんだんと人の数が減りまして、一回は大体五千人という計算でございましたけれども、それが多少減りまして七回で三万六千人の日本人が帰つたことになつております。従つて中国側の発表によりましてもなお四千人の人が残つているのでございますが、日本政府統計によりますと、交渉の当時におきまして約五万八千人の日本人残つてつたということになりますので、政府統計に従いますれば、さらに三万人以上の日本人残つていることになりますが、これらは二万六千人の日本人が帰りまして、いろいろの在留日本人に関する情報を提供されまして、あるいはその数は相当減じておるのではないかと思いますが、残留者の実数についてははつきりしていないのでございます。いずれにしてみましても、最小限四千人の日本人残つております。従つてそれ以上の日本人残つていることは明白なのでございまして、中国紅十字会は、これらの人たちが個個に帰国を希望する者に対してはそれを援助すると言っておりますけれども、昨年の十月以後におきまして、日本人帰国は全然板についていないような実情でございます。他方また旅順大連地区日本人が奥地の方に移動させられているという情報もありまして、われわれといたしましては、これらの人たちが早い機会帰国できるようにとりはからいたいのでございますが、いまなおこの問題について中国紅十字会と積極的に交渉する段取りなつていないのでございます。御存じ通り、この問題は、昨年の三月中国紅十字会を招請するために日本赤十字社は努力する、集団帰国が終りましたころにおいて、中国紅十字会の代表者が来日できるように努力をすると言つております関係から、その問題とも関連しておりまして、いまなお延び延びになつている次第でございますが、中国紅十字会の来日が実現いたしまして、これを機会に懸案になつております在留日本人帰国の問題が、円滑に実現することを希望しているような次第でございます。  それからソ連に残留しております日本人のことでございます。この問題も中国残つております日本人の問題とあわせて、日本国民並びにわれわれ赤十字社の者の重大関心事でございまして、昭和二十五年に大量帰国の問題が一応済みました後におきましても、なお相当数日本人残つておりますので、たびたび国際赤十字を通じ、あるいは直接にソ連赤十字社に呼びかけまして、ソ連政府交渉して、何とか残留者帰国が早期に実現するように努力ありたいということを、しばしばソ連赤十字に申し入れたのでございます。ところがソ連赤十字からは何らの回答がなかつたのでございます。一九五二年の赤十字のトロントの国際会議におきまして、日本赤十字社は一の決議案を提出いたしまして、終戦後いまなお帰国できない人たち相当数おる。これは日本のみならず、ドイツ、イタリアにも相当おるのでございますが、これらの人たちができるだけ早く帰れるように努力すること、もし帰国が延期するならば、これらの人たちは故郷の人たちと文通をし、またこれらの人たち慰問救恤品を送るように努力するということが、当該赤十字社義務であるという決議を出しまして、これが全会一致で可決されたのでございます。こういう決議の次第もありましてこの決議によりましてわれわれは即日ソ連赤十字代表、副社長のバシコフ博士でございましたが、その人にも会いますし、また中国紅十字会の会長である李徳全女史に会いまして、いろいろ帰国の問題を話したのでございますが、その当日は、朝鮮戦線に関する細菌戦の問題で、東西の二大ブロックが非常に白熱戦を演じた直後でございまして、非常に空気が悪うございまして、この問題が全会一致通つたにもかかわらず、われわれの両赤十字社代表者から受けた回答はきわめて冷淡なものであつたのでございます。ところが中国紅十字会の方はその年の暮れに先ほど申し上げましたような問題が着々と実現いたしましたし、ソ連の方はその後何らの音さたもなかつたのでございますが、昨年の七月二十一日に大山さんとモロトフの会見の情報日本に伝わりまして、残留している戦犯者の帰国の問題は、赤十字の正常なる径路によつて解決することができるという新聞情報に接しましたので、われわれはただちにこの情報をもつてソ連赤十字連絡したのでございます。しばらく回答がございませんでしたが、九月の二十日ごろに至りまして、ソ連赤十字から連絡がありまして、日本人の戦犯者を送還することができる、刑期を満了し、または特赦の恩恵に浴した日本人を帰還せしめる、その実施のために交渉したいから、代表団をモスクワによこしてほしいというような電報が参つたのは、いろいろ電報の往復をした末、十月の初旬であつたのでございます。これに従いまして私たち代表団は、島津社長を団長として即座に、東京を発しまして、十月の二十八日から十二月の二日までモスクワに三十五日間滞在しておつたのでございます。ソ連赤十字のわれわれに対する待遇はきわめていんぎん丁重でございまして、会議の空気もわれわれの予想以上に友好的であつたのでございます。結果は御存じ通り満足すべきものではありませんでしたけれども、われわれの統計によりますと、日本人残留者は一万四千五百名おることになつておるのでございますが、そのうちで今回帰国せしめる者が千三百七十四名と向うは言つたのでございます。これらのうちで俘虜で戦犯者である者が四百三十名、一般人で犯罪者である者が八百五十四名、合せて千二百七十四名の日本人を帰す、これらの者は刑期を満了したか、あるいは昨年の三月二十七日ですかのソ連の閣議の決定による特赦によるものである、あるいはソ連の最高裁判所の再審理の結果釈放される者であるといつて、千二百七十四名を返すことになつたのでございます。そのうちで御存じのように八百十名はすでに第一回の帰国によりまして帰りまして、あと四百六十四名が第二回として帰ることになつております。この第二回は、第一回終了後十五日ないし三十日の間に実現すると、ソ連のホロドコフ社長はわれわれに口頭で約束してくれたのでございましたが、なかなか実現しないので、昨年の十二月二十四日に催促の電報を打ちましたところ、各地に散在しておる人たちで集結にひまどるからしばらく待つてほしい、集結さえ終ればあらかじめ送還の日取りを通知するという回答に接したのでございます。その回答が一月八日でございまして、さらにもう二十五日間も経過しておるのでございますが、まだソ連からの通知がないというわけで、鶴首してこの通知を待つておるような次第でございます。  それからこの千二百七十四名の帰国すべき人のほかに、千四十七名の戦犯者がまだ残留しておるということをわれわれに伝えてくれたのでございます。これらは刑期の満了次第、今回と同じ条件によつて帰すということを先方は共同コミュニケの中に言つたのでございますが、刑期の満了といいますと、短かきも十年くらい、長きは二十五年の刑に処せられておりますので、これらの人たちが刑期の満了を待つて帰るということになりますれば、さらに二十年以上待たなければならぬということになりまして、先行きはきわめて暗澹たるものといわなければならないのであります。そういたしますと、大体わかつておるものは、今回帰ります千二百七十四名と戦犯者千四十七名でございまして、これを合せましても約二千三百名でございまして、残留しておる総数の一万四千五百に比較いたしますと、一割五分にも満たないような数でございます。一万二千人くらいの人がまだソ連残つておることになります。従つてソ連におります日本人帰国の問題は、まだまだその最初でございまして、これらの帰国の問題は大きな問題として、われわれはこの早期帰国のために、最善の努力を尽さなければならないという次第でございます。  この帰国の問題に関しまして、ソ連赤十字といろいろ交渉いたしまして、死亡者の問題、それから北鮮、外蒙古に在留している日本人の問題、それから中国に引渡されたいわゆる九百七十一名の戦犯者の問題について、ソ連赤十字社質問を発したのでございましたが、死亡者の問題は、かねがねタス通信で発表しておるのであるが、死亡者は一万二百六十七名であつて、その名前は、終戦直後におけるものは自分たちはわからないということを言つて、何ら通知してくれなかつたのでございます。  それから北鮮及び外蒙古におる日本人帰国について、ソ連赤十字社に仲介の労をとつてもらいたいと申し入れたのでございましたが、これはソ連赤十字社の管轄事項ではないのであるから、どうかそれぞれの当該機関と直接連絡ありたいというような回答に接したのでございました。私たちは今年に入りまして、北鮮の赤十字社と蒙古人民共和国政府に対して催促の電報を打つたような次第でございます。  それから、中国に引渡さるべき、いわゆる九百七十一名の戦犯者について一体引渡されたのかどうか、もし引渡されないにしても、その名前をとにかく知らしてもらいたいと申し入れたのでございましたが、これらは二人の死亡者を除いて一九五〇年中に中華人民共和国に引渡した、その名前は発表することはできない、中国紅十字会に聞いてもらいたいというような、きわめて否定的な回答があつたのでございまして、われわれの要請にもかかわらず、十分の効果を上げることはできませんでした。ともかく、この人たち昭和二十五年−一九五〇年中に中国側に引渡されたということは、今回の訪問によつて明確になりましたので、われわれは今後中国側と交渉いたしまして、これらの人たちの名前なり、またこれらの人たち帰国の問題について、最善の努力をするつもりでございます。  それから簡単でございますが、モスクワに満在中にせめて抑留されておる日本人の収容所を訪問する機会を与えてもらいたいということを申し入れました。申入れを一応聞き置きまして、数日たちまして、収容所の訪問も可能であるという回答に接しました。私たちソ連側との帰国の問題の協定ができまして、これが十二月十九日でございましたが、十二月二十四日にモスクワより三百キロのイワノヴオという大きな町でございますが、その町の郊外に収容されておる日本人の高級戦犯者山田大将以下三十八名の収容所を訪問したのでございます。ここはドイツ人の高級戦犯百名と一緒に収容されておるところでございまして、人里離れたというよりは、むしろ、コルホーズの事務所のあつたところを改造した場所と見えまして、場所は、七、八百坪の周囲は農家でございましたが、そういう人家に包囲された白樺の森のかたわらにあつたのでございます。われわれの訪問については、山田大将以下みなあらかじめ通報を受けていないと見えまして、非常にびつくりしておられましたが、われわれの訪問を喜んでお互いに感激の場面であつたのでございます。ソ連側の監視人もついておりました関係から、十分意を尽すことはできませんでしたけれども、お互いに意見の交換もいたしました。それからその待遇状況につきましても、具体的な観念をつかむことができたのでございますが、食糧、衣料ともに待遇は悪い方ではない、健康状態もああいう収容所におる人としては、悪い方ではないというような印象を得ましたが、いずれにしても、いわゆる戦犯として行動の自由を束縛されておりまして、まだ帰国がいつ実現するかわからない、こういうような精神的な苦労がありまして、収容者の意気が沮喪しておつたということは、確かに看取することができたのでございます。これらの人たちに対しまして、できるだけの慰問をするということを約束いたしまして、今後この人たちに慰問品を送るとか、また精神的な慰めとして、いろいろな書物を送るとかいう問題について、われわれは今考慮しておるような実情でございます。  これら中国残つておる者、さらにまたソ連残つておる者、こういう者の帰国の問題は、単に赤十字の問題ばかりでなく、国民全体の問題でありますので、どうか国民の代表者として皆さんの御援助をお願いしたい次第でございます。簡単ながらこれで終ります。
  52. 上塚司

    上塚委員長 ありがとうございました。     —————————————
  53. 上塚司

    上塚委員長 岡崎外務大臣より、MSA交渉に関し発言申出があります。この際これを許します。岡崎外務大臣。
  54. 岡崎勝男

    ○岡崎国務大臣 いわゆるMSA交渉に関するその後の経過の大要を御報告いたします。  まずMSAの本協定に関しましては、概括的に言いますと、各国との協定に見られるようないわばMSA協定の標準規定と申しますか、これを中心といたしまして、これにわが国の実情に沿うような諸点を織り込んだものが協定の本文になるわけであります。  協定本文は、大体において十二箇条ないし十四箇条くらいでまとまるものと考えておりますが、まだ条文の整理を行つておりませんし、どういう項目が第何条になるかということについては決定しておりません。ただ協定文に入るようなおもなる項目を申しますと、第一には援助供与の規定であります。第二は援助物資の有効なる使用、第三は特許及び技術に関する情報の利用、第四は第五百十一条の援助要件の受諾、第五、原料及び半加工品の有償による対米便宜供与、第六、援助物資の差押え禁止、第七、協定実施に関する広報、第八、機密保持、第九、不用となつた援助物資の返還、第十、顧問団、第十一、援助物資の免税、第十二、細目とりきめの規定、第十三、安全保障条約及び憲法との関係、その他に協定に当然つきます改訂の規定とか、あるいは発効期日、有効期間、批准手続、こういうものがあります。また協定には付属文書をつけるはずでありまして、付属書の中に予定されている項目は、援助の範囲、規格の統一、顧問団の身分及び行政費等となろうかと考えております。従いましていわゆるMSA協定は、協定本文と付属書とこれに伴う議事録とか細目とりきめとか、こういうものから成り立つわけであります。  今そのおもなる問題点に対する政府の立場を御説明いたしますと、第一にはMSA援助の性格についてであります。今回の協定による米側の援助は、いわゆる完成装備の供与を主としたものでありますが、装備等の供与は、わが国の国費の節約となることはもちろんであると考えております。一方MSA援助の実現ともなりますれば、域外買付の増加等付随的に経済効果をもたらすようなこともあるはずであります。この点に関連しまして、政府はMSA本協定と同時にMSAの第五百五十条による米国農産物の購入についても、とりきめの成立に達したいと思いまして、交渉中であります。第五百五十条の規定は、米国が過剰農産物を総額一億ドルないし二億五千万ドル程度まで、MSAの予算によつて米ドル資金で購入しまして、被援助国に対してその国の通貨で売却し、これら被援助国通貨をMSA援助目的に使用せんとするものでありますが、政府としましては総額約五千万ドルの農産物を購入し、その内容は、小麦五十万トン、大麦十万トン程度を予定しております。そして右五千万ドルに相当する円貨の一部は、日本政府に贈与されることとしまして、日本の防衛産業の振興に使い、残余の円貨は日本における域外買付に使用するという条件をもつて米国側とただいま折衝中でありますが、小麦等の買付協定及び円貨の使途協定の両項目について、三つの協定をつくろうとして話合いをいたしております。このとりきめが成立をいたしますれば、多量の食糧輸入が実現し得るほかに、基幹産業の強化、域外買付の増大等が期待されるわけでありまして、いわゆる経済的の効果も相当に発揮するものと考えております。  それから第二に、まだ決定しておりませんので、前の重要項目のうちには掲げておりませんでしたが、いわゆる平和を脅威する国との貿易統制の問題があります。最近の米国が他の自由諸国と結んだ協定の中には、この平和を脅威する国との貿易統制について、明文を掲げることを通例といたしておるのでありますが、わが国としましては、可能な範囲で中共等に対する統制品目の緩和をして、その貿易増進をはかるようにして来た次第もありますし、またこの貿易については、本院の決議の次第もありますから、こういう事情も十分考慮に入れることを本旨としまして、他方、自由諸国家との歩調を合せる趣旨を表明することも一案かと考えておる次第でありますが、この問題はまだ研究中で決定には達しておりません。  それから第三に、MSA第五百十一条(a)項に掲げられましたいわゆる六条件に関してでありますが、これらの資格条件は、MSA援助を受ける国がすべて受諾しておる義務でありまして、わが国も協定により受諾してさしつかえないものと考えられますし、また何らわが国の法規等を逸脱するものではないと思いますが、一部には本条の解釈について、特に憲法との関係において議論をされる向きもありますので、念のため、MSA協定の実施が憲法の条章に従つて行われるという趣旨を協定中に盛り込んで、わが国の特殊事情に対する考慮を織り込みたいと考えております。申すまでもなく、政府の考えておりますところは、独立国として自衛力を漸増するということでありまして、MSAの援助を受けることによつて、憲法にいわゆる戦力を持つというものでもなければ、また海外に部隊を派遣する等のことを約束するものでもないのであります。第四に、いわゆる軍事顧問団につきましては、各国の例にならつて、その身分を大使館員として、大使の指揮のもとに行動するようにとりきめる所存でありますが、その構成とかあるいは員数に関しましては、現在なお交渉中であります。顧問団には装備の供与とか使用方法の訓練等の援助実施事務に携わる者のほかに、多少の管理要員もこれに付随するものと考えられますが、わが国としては最も効果的に技術と勧告を取入れられるように、ただいま折衝を進めております。  MSA交渉の今後の見通しにつきまして一言しますと、まずわが国に供与せらるべき援助の具体的内容に関しましては、ただいまアメリカ側交渉中でありまして、わが方の希望は、装備のうちには米側において供与困難のものもあるいはあるかもしれませんが、当方としては昭和三十九年度の防衛計画に見合う程度の援助を期待しているわけでありまして、米国側としても十分わが方の意のあるところを了承することと考えます。従いましてこの話合いについては、さほど長い時日を要しないであろうと考えております。  次に援助の総額に関しましては、右の援助内容がきまつた上で決定される問題であり、また援助物資の評価方法いかんにもよることでありますが、現在まだ何ほどと御報告するまでには至つておりません。  最後に協定調印の時期でありますが、政府といたしましては、援助その他の具体的内容の大綱を話し合つた上で、協定の調印を了し、国会に提出して御審議を得たいと考えております。大体本月中には調印することを目途として、目下交渉を進めている次第であります。  以上簡単でありますが、御報告を終ります。
  55. 須磨彌吉郎

    ○須磨委員 ただいまの御報告に関連して、一点お尋ねをいたしたいと思います。外電の伝えるところによりますと、このMSAの調印と同時に、さらにトン数の多少多いところの艦船の借入れについて、また協定をするというような報道があるのでございますが、さような事実がございますか、それが一つ。それから小麦その他に関する協定も、本協定と同時に御調印になるのでありますか。この二点を伺いたいと思います。
  56. 岡崎勝男

    ○岡崎国務大臣 ただいま交渉しておりますのは、二十九年度の地上部隊の増強、海上及び航空の部隊、この計画に基きまして、必要な援助を求めるべく交渉いたしております。その範囲を出ないのでありまして、それ以外には、ただいま交渉しているものはございません。  それから、今申しました五百五十条の農産物の買入れに対する二つの協定でありますが、これはできる限り本協定と同時に協定に調印したいと思いましてやつておりますが、あるいは時期的には多少ずれることもあるかもしれませんが、ただいまのところは、同時と考えております。
  57. 須磨彌吉郎

    ○須磨委員 ただいまのお話でよくわかつたようでありますが、その地上部隊以外の海上のものについて、トン数の多少多いものは、この贈与と申しますか、軍事援助の中に入つておらない。それについては別に協定をするというような米国側の消息があるわけでありまして、それによつてお尋ねをいたしておりますが、さようなことはございませんでしようか、もう一ぺんお伺いいたします。
  58. 岡崎勝男

    ○岡崎国務大臣 大体MSAの協定に基づく援助というのは、船につきましては千五百トン程度のもの、あるいはその以内のものと考えております。従いまして、もし保安庁側におきまして、千五百トン以上のものを来年度の防衛計画に見合つて必要とする場合には、別の協定を必要とする、こう考えております。
  59. 喜多壯一郎

    ○喜多委員 今大臣の報告の中に、平和を脅威する国との貿易統制については目下研究中というお言葉がありましたが、概括的でいいのですが、大体現在よりも緩和されますか、それともむしろ強化されるものか。  そしてこれはまた別個に一つ協定になりますか。全体的なMSA協定の今月末に締結されるものの中に入りますか。その二点だけをお尋ねいたします。
  60. 岡崎勝男

    ○岡崎国務大臣 その平和を脅威する国との貿易の統制につきましては、もしこれを入れるとしますれば、今月中に調印したいと考えております協定の中に入りますが、おそらく協定本文でなくして、付属書の方に入ることになるかと考えております。しかし、つまり私の申しますのは、本院の決議等もありますし、今までの日本政府方針は、できるだけ必要でないものについては条件を緩和して、今後とも貿易の増進をはかろうという考えでありますから、よく考えれば何らさてつかえないことでありますが、ちよつと見ると何か矛盾するような規定とも思われやすいので、これを入れるかどうかということについてはまだ決定をいたしておりません。  第二の点につきましては、政府としては今後とも諸外国というか自由諸国と協調を保ちつつ、大体同じような立場でもつて貿易をやつて行きます。というのは、不必要のものについては漸次統制を緩和して、貿易増進の方に向う、こういうつもりであります。
  61. 上塚司

    上塚委員長 ちよつと申しますが、大臣は予算委員会から出席を求めておるのですから、簡単に願います。
  62. 喜多壯一郎

    ○喜多委員 大臣は次の機会に、付せられる条件について何か具体的に示されんことを私は希望しておきます。     —————————————
  63. 上塚司

    上塚委員長 それではお待たせいたしました。次はまた参考人の御意見を聴取いたしたいと思います。  第一次ソ連地区引揚梯団長、元関東軍報道部長長谷川宇一君にお願いをいたします。
  64. 長谷川宇一

    ○長谷川参考人 私は昭和十四年以来関東軍の報道部長をしておりまして、終戦とともにソ領内に連行されまして、昨年十二月一日舞鶴に上陸いたしました。私が向うで二十四年の八月に刑に処せられました経緯は、関東軍の報道部長として関東軍内の軍の移動があつた際に、これをまつたく無言に付して、ソ連軍の背後に関東軍が急襲するに容易ならしめたというかどが一つ。独ソ戦間に、報道部長の報道は、独軍に有利にしてソ軍に常に不利であるという、この二点から、かの刑法の第五十八条第四項のブルジヨア援助という罪名で二十五年に処せられたのであります。それまで御承知のように捕虜として大量の帰国があつたのでありますが、二十五年四月の最後の引揚げまでには、現在向うで刑を受けております人に比ぶれば、常識上当然残つて刑を受けるべき人、そういう範囲の人が多量に帰つておりまして、現在、たとえば特務機関の給仕をやつてつたというかどで、若い兵隊さんが十五年の刑に処せられて、いまなお残つておる。これを考えますと、捕虜時代に、すなわち二十五年の四月までに向うで帰しました見当と、あとに残つた者を刑に処しましたその法的根拠というものとが、われわれにはまつたくいまだにわかりません。私たちは刑を受けましてから八箇月の間、まつたく囚人の給与に服したのありますが、二十五年の二月になりますとどういうわけでありますか、再び俘虜の給与に返りました。囚人給与を受けながらも、強制労働に服しました期間は、相当悲惨な状況でありまして、この間体力の弱い人は大量に死亡いたしました。それから以後三年間たちましたけれども、その間の消耗は、囚人の給与の時代に比ればきわめて微々たるものでありまして、この見地から考えますれば、今後残つておられます人々も、あまり消耗はないと存じます。しかし概括的に申しまして、あとあとから新しい世代が入つて来るような状態でありません。入ソいたしましたときの状況をもつて八年ないし九年の年をとつた人が、同じ労働をし、同じ賃金を受けなければ自活できない姿でありますから、若い人も年寄りの人も、すべて十年の歳月を、その間の体力というものを背負いながら仕事をしているのでありますから、この点すべての人に大きな負担がかかつておりますことを、御当局の方はお忘れ願いたくないのであります。  労働の関係は俘虜時代と同様でありますから、皆さん御承知と思います。  衛生状態を申しますと、どういうわけでありますか、すべての人が血圧が高く、用便が非常に近くなりまして、歯がむやみと抜けます。病気の関係は前申しましたように、大した病気は出ませんけれども、一時的な病気に対しまするソ側の取扱いは、きわめてしやくし定規的でありまして、いわゆるノルマ式でありまして、熱は三十八度、しかしある一定の数に達すると休養させないというようなことから、病気におきましても若干の苦労をしております。しかし残つております人たちは、二十五年までに日本人同士が演じましたような、ああいう見苦しい闘争を回想いたしまして、また少くとも十年、長いのは二十五年の間、帰国を断念せざるを得ない状態に置かれました関係から、おのずからものを静かに考え、ソ連状態を静かに観察するという機会を得まして、私たちは逐次日本人的な姿に返りました。その後の生活は、物は乏しくありますけれども、ゆたかな気持をもつて生活をしていますが、先ほど工藤さんのお話がありましたように、前途暗澹たるものがありますることから、その精神的影響がからだに反響いたしますことはやむを得ないと思います。こちらへ帰つて参りまして、ただちにフィリピンの関係の五十二名の方の釈放、または巣鴨におられます人々——われわれの常識から言いますれば、向う残つております。まつたく家庭との通信もできず、いわんや家族の人と会うこともできず、いつ釈放されるかもわからない吹雪の中で闘つております若い人々に比べますれば、あるいは戦犯という性質からいつて重いのではないかというような方方が、御家族と会い、あるいは自由外出ができるということを見せられまして、私はあそこに残つております一万の人々がまことに気の毒で、どういう生れ合せでああいう不幸な目にあつておられるのか、きようは二月三日でありますが、もうすぐ二月十一日が参ります。昨年の二月十一日には、私たち同僚はすべて南を向いて、子供のとき歌いました雲にそびゆるという紀元節の歌を歌いました。おそらく一週間たちましたこの二月十一日には、一万の人々は、同じくあの雲にそびゆるという歌が、祖国においても歌われるだろうということを考えまして、歌うだろうと思います。そして私自身もそうでありましたし、また現にこの前高良とみ女史が病院においでになりましたときに一人が言つたのでありますが、われわれがなぜ残ったかわからないが、もしわれわれが日本国の何らかの利権というものに代償として利用される、その際にわれわれが死んだ方がいいならば死のうと思いました。われわれを帰すために日本のとうとい利権がどこかへ行くのでありましたならば、われわれは喜んで死のうと思つておりました。そういう気持でもって、あとの人々はこの吹雪の中におるのであります。また帰りましてから、八百名の人たちは、あとへ残つた人々を一日も早く帰してくれということで、帰環促進の会を結成いたしまして、現に活動しておるのでありますが、そこに毎日々々留守家族の方がおいでになり、また五、六十通という問合せが参りますが、それに附加して参ります遺家族の方の切々たるお手紙、ことに、お父さんなぜ帰つて来ないのかということを鉛筆で書いて参りまするお子さんの手紙を見まして、私たちはなぜこれを救つてくださらないのか、なぜ手を打つてくださらないのかそんなぐちを言つてみたこともありますが、これは前に帰りました私たち義務と思いまして、今ない知恵をしぼりましてごの運動をしておるわけであります。向うにおります人々は、一人として当然あの国へ残されているべきであるということを考えておりません。当然帰り得るものが帰れないということを考えております。そういう状態に考えておる人々が一万もおるときに、命を捨てて国を守れ、自衛のためと言いながら、国を守れということを申しましても、はたしてどれだけの力があるのでありましようか。私自身は疑問に思うのであります。向うにおります人は、私たちが想像いたしましたところ、新聞で御承知になりましたように、われわれ八百名が会いました者は千六百名、死んだとわれわれが確認いたしましたのが五百名、その実数からあとに残つている人々は、大体一万くらいではないかということを考えて参りました。ところが今工藤さんのお話を承りますと、やはりこちらで計算されたのが一万余だそうでありまして、これは私たち八百名の想像も一万程度、少くとも一万であります。私たち向うで、祖国の人人が二十五年の刑期満了を待たずして、必ず救い出してくださることを確信をし、前に申しましたように、事ありますたびに、祖国を向きまして祖国の行事を行つております。どうぞ法的に言いましても、からだの状態から見ましても、何ら向うに残るべき理由もなく、また一日遅れれば一日遅れるだけ、とうといこの人々のからだが消耗して来ますことをお考えくださいまして、あらゆる機会にあらゆる手段をもちまして帰還促進を御実行になり、また私たちがやつております仕事を、直接間接に御援助くださることを、この席をお借りいたしましてお願いいたします。  簡単でありますが、これだけで御報告を終ります。
  65. 上塚司

    上塚委員長 ありがとうございました。  次は第六次中共地区引揚者、宮崎堅三君にお願いいたします。
  66. 宮崎堅三

    宮崎参考人 私は第六次の高砂丸で、天津から帰つて参りました宮崎堅三であります。  私は一介の会社員でありますが。召集将校としまして昭和十三年中国に渡りまして以来、現地で召集を解除せられまして、そのまま当時の汪精衛政権の財政部の塩務関係の仕事を受持ちまして残つてつたものでありますが。終戦時再び召集されまして、上海で終戦を迎えました。当時家族が北京におりました関係上、終戦後北京に移りまして、以来帰国するまで北京に約二箇年間、天津に約六箇年間在留いたしておりました。北京で当時国民党政府北京市市会議長をしておりました某という党の有力者の懇望によりまして残つたわけであります。その後帰国する機会はたびたびあつたのでありますが、どういうわけか、帰国することを許されませんで、遂に昨年まで帰ることができなかつたのであります。  ここでひとつお願いをしておきたいと思いますことは、私がこれから申し上げます話の中に事実を証明するために出て参ります人の名前でありますが、この現在なお中共地区へ残留しておられる人々の名前あるいは中共地区におる中国人の名前が、もしも私の話として中共側に漏れますと、この人たちにたいへんな迷惑を及ぼすということをおそれますので、報道陣の方々の良識に訴えまして、どうかこれから申し上げますそういう名前については、発表を差控えていただきたいと希望する次第であります。
  67. 上塚司

    上塚委員長 宮崎さんにちよつと御注意いたしますが、もし氏名の発表が都合が悪いというならば、仮名を使われればよろしかろうと思います。
  68. 宮崎堅三

    宮崎参考人 はい。  私どもが残留いたしましてからの向うの生活状況というものは、各人の環境、その人たちが残つた地域また各人の生活力の相違によりましてそれぞれ差異があります。満州地区に残られた方々は、たいへん精神的にもまた物質的にも種々の御苦労が多かつたと思うのでありますが、私自身は北京及び天津という大都会に残された関係上、さほど苦しい生活をいたしませんでした。しかしながらただいまも申し上げましたように、これは各人々々の環境の相違でありましで、私が苦しくなかつたからといつて、ほかの人々もそうではないだろうというふうには言えないのでありまして、満州あるいは北支の山岳地区に残留された方々はたいへんな苦労をされておられます。これは私その人々からじきじきにに伺つた話であります。  大体私ども集団帰国が始まります前までは、個別引揚げというふうな処置がとられたわけでありますが、これは内地におられる近親、友人、だれでも身元を保証することのできる人々から政府に申請をすれば、政府の方で船賃を立てかえて帰国することができるという便法でありましたが、それがいつごろから実施されたかということは、全然われわれにはわからなかつたのであります。向うには満州で発行しております民主新聞という日本新聞もありましたけれども、この日本新聞は一向そういうことは取上げませんでした。そのためにいろいろのつてを求めてそういうことを知つた人々で、あるいは内地の近親、友人そのほかの方々から手続をされた人々の総数が、私が昨年天津から引揚げます直前に、天津のバターフィールドの代理店に参つてその名簿を見せてもらつたのでありますが、約四百八十名くらいあるのであります。そのうちで実際に個別引揚げでもつて帰国のできたという人々はきわめてわずかでありまして、その実数はむろん引揚援護庁の方ではつきりおわかりになつていることと思います。しかしきわめてわずかであつたということを申し上げておきたいと存じます。  その後十二月一日になりまして、中国新聞赤十字社を通じてわれわれの集団帰国という問題を取上げるという発表がありました。しかしその後十二月中には何ら具体的な処置はとられませんで。一月に入りましてから、再び日本人居留民に対する全般的な調査が警察の手をもつて行われまして——これは毎年々々一回ずつあるのでありますが、私ども天津におります者は、大体昨年の三月に再び居留証、在留許可証でありますが、在留許可証の書きかえの調査があるはずでありましたものを、一月にその調査が行われましたので、われわれもいよいよ帰国が近いというふうに思つたのであります。  二月に入りましてから、いよいよ帰国の申請を警察の方で受付けるということになりましたが、この帰国の申請を受付けるということも、別段公表をするわけではないのでありまして、ただ警察の方から各個人々々に指名をして来るのであります。指名のない者は警察へ行きましても帰国の手続ができないのであります。警察の方から指名があつて初めて手続ができる。またいろいろの事情のもとに帰国したくないという人々がありますが、そういう人たちに対しても、警察は手をかえ品をかえ、この人をと警察が一旦指名した人間に対しては、手をかえ品をかえ、中には半ば脅迫的に帰国手続をとらせる。また帰国を希望するけれども、警察の方から一向通知がない、指名がないというような場合には、いかに警察に日参をしても許可の手続をとらしてくれないというふうな実情でありました。それで帰国の順序、だれが先に帰れるかといつたような問題も全然わからないのでありまして、私は一番初めの警察からの指名によりまして、二月二十何日に手続を終つたのであります。そうして警察から、すぐにでも帰れる用意をしろというので、家財道具を売り払い、あるいは仕事関係の申送り事項を完全に引継ぎ、そのほかもういつでも出立のできるというふうな態勢に入つたのでありますが、その後三月の第一回の帰国にも指名されず、二回、三回、四回、五回と、とうとう何らさしずはなかつたのであります。それでたびたび警察へ行つて、一体いつ帰してくれるのか、あるいはどういう理由で遅れるのかというふうなことを尋ねに行きましても、そういうことはわからぬ、いつ帰れるかそんなことは知らぬ、どういう理由かわからぬ、ただ上級機関から指示が来ないからわからぬというふうなことでもって、とうとう第六回まで待たされたのであります。この第六回に私が帰れたというのも、私しびれを切らしまして、向うの内閣総理大臣である周恩来に手紙を出したのであります。一体どうして帰さないのか、こうこうこういう事情でわれわれは準備をすつかり完了したのに、どうして帰さないのかという手紙を出しましたが、その後一箇月後に私に直接でなしに、警察の方に周恩来首相から指令が来たらしいのでありまして、私にすぐ出頭しろというので、警察に参りまして、それから取調べが始まつたのでありますが、約一箇月間かかりましてきびしい取調べを受けましたが、とどのつまり帰ることになつて、第六回の船の出る直前にきようすぐ出立しろということで、帰つて来ることができたわけであります。  私ども一番心配いたしておりますことは、現在残留している人々は一体どうなつているかと、あるいはいつ帰れるかということでありまして、この人人——むろん私が向うに残されておりました期間でもそうでありますが、たまにいろいろな径路から入つて参ります新聞雑誌の内地の報道を見まして、中共政府に与えるいろいろな印象というものを考慮いたしまして、一喜一憂をしておつたのでありますが、われわれ第一回から第七回まで帰つて参りました人々の言動ということも、非常に大きな影響があるのではないかと思いますので、良識ある人たちは遠慮して口をつぐんでおるのであります。向う新聞にはこちらのいわゆる共産党に同調する人々のいろいろな動静は、でかでかと書き立てられるのでありますが、そういうことが続いていさえすれば、向う残つている人間はやや愁眉を開いてほっとしているわけでありますが、反対に共産党、あるいはそれに同調する人々がいろいろな迫害を受けたとかなんとかいつたようなことが載りますと、非常に憂慮するわけであります。第四回の帰国の場合に、ちようど一箇月遅れたのでありますが、私は自分の住居が天津の集結所の国民飯店のすぐそばにあつたものでありますから、毎日のように行つて、ここでその人たちの動静を見、また及ばずながら援助もしたのでありますが、その間の焦慮だけは、実にはたで見ていられないほどの焦慮であります。また事実家財道具を整理してしまつて、なけなしの金を持つて集結をしているのでありますから、自分たちの日ごろの交際範囲を越えた遠い天津で、いよいよ金がなくなるといつたような事情から、その苦しみ方というものはまつたく言語に絶するものがあつたわけであります。  それで、一体今残つておる人たちがどういうふうになつておるかというような事柄でありますが、新聞の報道によりますと、旅大地区に残つてつた人たちが、ずつと重慶方面、あるいは太原、漢口というふうな方面に移動をしておるということを新聞で承知をいたしておりますが、これらは帰国の前提条件をつくるためというふうに書かれておりますが、そういうことがはたしてほんとうであるかということは、はなはだ疑問であります。それは元ハルピンの鉄道工廠長をやつておられました某さんという方でありますが、この方は鉄道の技術屋さんでありまして、あるいはお帰りになつたかもしれませんけれども、相当年輩のりつぱな技術屋さんであります。この某さんを初めとして、約一千名近い人たちが、帰国をさせるという名目で、満州地区から天津地区に移つて来たことがあります。これは一九五一年ごろだつたと記憶しておりますが、はつきりした日にちを覚えておりません。一九五一年の末ごろでなかつたかと思うのでありますが、約千名近い人たちが、むろん女も子供も含みまして、天津地区へ集結したことがあります。天津へ集結をしましたところが、この人たちに新しい任務の命令がありまして、それぞれ太原あるいは南京、漢口その他の華北、華中の各地区に分散をして新しい仕事につけという命令が出たそうでありまして、最初の帰国の約束と違うというので、たいへんもめたのであります。某さんは、これは東北帝大の工学部を出られた某という、やはりハルピンの鉄道工廠の技師でありますが、この人たちや何か四、五人連れられて私の宅へ見えられて、ここでどうしても帰せという闘争を起すのだ、それが成功して、われわれが配置につかず職業を離れた場合に、何とか帰るまでの職業の世話をしてくれないかというふうなお話があつたのでありますが、その当時天津にそれほど大量の人々をただちに収容できるような工業施設はないのでありまして、そのことの無謀をいさめまして、特殊な事情の人たちだけ帰るということを要請をせられて、大部分の人たちはおとなしくその任務におつきになつた方がいいのじやないかというふうな忠告を申し上げましたが、その直後、ほんの二、三日あとでありますが、突然の命令によりまして、強制的に全部大原、漢口、南京、北京方面にばらばらに分散させられたのであります。その後沓として消息がないのでありまして、そのうちの何人かは永年の強制収容所に収容されたということを風のたよりに聞いております。これもハルピン地区から出て来るときには、帰国させるということで出て来たのでありますが、事実はそうでないのでありまして、帰国させるのでなしに、奥地の方にやつてしまつたという事実がございます。それからまた。これは高知県の越知町付近の人でありますが、某という五十幾歳かの年輩の方でありますが、この方は人民解放軍、いわゆる中共軍の中に無線の技術者として——兵隊待遇でしたか将校待遇でしたか、その点は私はつきり知りませんが、中共軍の中におられました。この人は天津のある部隊の通信方面を担任しておられまして、ひまなときにはしばしば私のところにも遊びに見えたのでありますが、常日ごろ、自分はもう年をとつておるし、除隊をしたい。早く帰りたいということを言つておられたのであります。そうしてまた上級機関に対しても、帰してくれということを常々盛んに嘆願をしておられたのでありますが、この人が一九五二年に突然行方不明になつたのであります。その前に私のところに見えられての話では、近く帰してやるから、帰る人たちの集結しているところへ転任をさしてやろうという話があるのだということを言つておりましたが、ところがその後突然行方不明になりまして、消息が全然ないのであります。これは一九五一年の暮れか一九五二年の初めでありまして、この集団帰国など全然まだ話も何もなかつた当時のことであります。その後にいろいろな情報を総合してみますと、この人も永年の強制収容所に入れられたらしいということがわかつたのでありますが、その後はたして今回の帰国で帰られたかどうか、これもわかりません。それからまた、これも同じく中共軍に参加をしまして、自動車の修理工として勤務しておつたまだ若い人でありますが、一人は大阪府の出身で某という三十才前後の人であり、一人は某という人、この人は出身はわからないが、私ども親しくつき合つてつたのでありますが、この人たちは——一九五二年に大部分の者を中共部隊から出しまして、各地方の、あるいは国営、公営工場機関に全部を分配したことがありますが、そのときに天津市の市営の自動車会社に修理工として入つたのでありまして、この人は、一九五三年の三月の四日でありますが、第一回に帰るべき人として指定されたのであります。私どももそのときに、帰国、乗船、集結等の注意を開くために一緒に集まつたのでありまして、この二人はいよいよ帰れるのだといつて喜んでおつたのでありますが、集結の直前に取消しになりまして、その理由がはつきりわからない。どうして帰してくれないことになつたのかわからないと言つておりましたが、そのうちに第一回も出、第二回も出ましたけれども、この人たちはまだ帰されなかつたので、毎日ただぶらぶらしておつたのでありますが、そのうちに、自分たちは朝鮮戦争に参加をしたことがあるので帰してもらえないのだということを私に漏らしました。ところが昨年の何月ごろでありましたか、ちよつと失念いたしましたが、第四次の帰国が終つたころか、あるいはその前後でありますが、突然行方不明になりまして、この二人とも天津で姿を見かけることができなくなりました。むろん第六回、私が帰りますまでには帰つておりません。第七次にも帰つていないということを私は友人から聞いております。はたしてどこへ行つたか、これも全然わからないのであります。大体この集団帰国が終りました後どういうふうになつているかということは今わからないのでありますが、第七回で帰りました私の友人から一昨日私が聞きました話では、第七次の出発する直前に河南省の汲県というところに十数名集結をしたということがわかつております。これが帰国のために集結をしたのか、あるいはそのほかの理由によつて、集結をしたのかわからないのでありますが、その人たちが第七次の出発の直前にどこかへ移動していなくなつた。この中には内科の医学博士である某という老人のお医者さんがおられます。私も一、二度面接したことがあるのでありますが、この人は一九五二年に河南省の汲県に配属がえになりまして行かれまして、そのあと帰国を希望されなかつたということを聞いております。そのまま汲県の方におられるものだと思つておりましたが、一昨日友人から聞きました話によつて、初めて汲県からまたどこかへ移された、どこへ移つたか、これはわからない、その中になお元の島津製作所の北京の出張所の社員でありました某という人も入つておりました。これはレントゲンの方面の修理工でありますが、この人も某さんと一緒にどこかへ行つてわからなくなつた。それから第七次の出発後、私どもの知つておる範囲で天津に残りましたものはたつた一人でありますが、これは熊本県の出身で某という私と同年の男でありますけれども、これは中国人を妻にいたしまして、その間に子供が五、六人できておりまして、帰るのについて非常に苦慮しておつたのでありますが、生活も非常に困難でありまして、たいへん苦しかろうと思うのでありますが、これが第七次の出発までには確かに天津にいたのでありますが、いまなおいるかいないかこれははつきりいたしません。しかし通信のあるべきはずでありますが、その通信が来ないのであります。こちらから手紙を出しましたけれども向うから返事が来ないのであります。あるいは熊本の国元の方に通信があつたかどうか、その辺ははつきりいたしませんけれども、今のところ、これはどこにいるかわからなくなつております。あるいは旅大地区の例に漏れずに天津地区におりましたそういう人たちも、どこかへ移されたのではないかという危惧もあるわけでありますが、これも確証をつかんでおりませんので、ただ私の想像を申し上げるのであります。それから旅大地区から一人も帰つて来ないというのはまことに奇怪でありますが、この旅大地区に某という五十年輩の御婦人がいらつしやいます。相当の教育を受けられた方でありまして、中国人と結婚をされまして、ことし二十歳くらいの男の子と十六、七になる女の子と二人あるのでありますが、この方は、かねがね帰りたいというので、ずいぶん大連の警察にも、そのほかの機関にも猛運動をされたのでありますが、いかに繰返し再三再四申請をしても、どうしても帰国が許可にならないのだ、こちらに妹さんが残つておられまして、現在九段高校の先生をしておられますが、この方もたいへん心配をされまして、たびたび手紙もお出しになりますし、いろいろな方法をとつたのでありますが、どうしても帰国がきない、そして旅大地区から天津地区にせめて移動させてくれ、天津におればまた帰る機会があるからというので、天津に移動させてくれという願いも出されたのでありますが、それも許可にならないので、この方も現在どうなつておるか、お帰りになつていないことは確実でありまして、どうなつておるか——御主人は戦犯、いわゆる漢奸でありますが、漢奸というので嶽につながれたままでありまして、生活も非常に逼迫をしておられる、きわめて困難なおかわいそうな状況にあつたわけであります。  大体今度の帰国はどういうふうにして行われたか、どういう動機で日本人を帰したかというようなことがまつたくわからないのでありますが、ただ私は現在の久大塩業公司の総経理でありまして、今の華北行政委員会の副主席をやつております某さんと懇意であります。そのほか私が奉職いたしておりました会社の社長というのが天津市の協商会議、といいますと日本でいえばちようど市会に当るわけでありますが、市会の秘書長の某という男が私の社長でありまして、それが私の帰国問題についていろいろ苦慮いたしまして、某とも相談して政府の意向を開いて来るといつて北京行つたのでありますが、それが帰つて来て昨年の二月私に話した話でありますから、ただの想像や何かではないと思うのでありますが、日本人を帰すということは今の政府の政策である。だから君一人を残すというふうなこともできなくなつた。これは政府の政策だ。むろん政策で帰したに違いないのでありますが、その中で某が私に漏らしました言葉の中に、現在朝鮮の捕虜の交換問題が非常に紛糾しておる。われわれの方ではこういうふうにきれいに日本人を帰すのだというふうなところを見せなければならぬ。それはちようど朝鮮の捕虜問題の非常に紛争しておつた当時であります。これは事実を事実として申し上げるのでありまして、私想像や創作で申し上げておるわけではないのでありまして、この某という男は、向う新聞をごらんになりますとわかりますが、天津の新聞には毎日名前が出る有名な名士であります。某はむろん昔の日本の実業界の方々にもおなじみの深いこれまた実業界の名士でありまして、現在今申し上げました通り華北行政委員会の副主席という地位についております。たびたび天津に参りますので、私も仕事の関係上始終面接いたしましていろいろなことも御相談した仲であります。この人たちがそういうことを言つたのでありますから、この点は私は間違いはない、こう思うのであります。  この集団帰国が打切られましてから、あとは個別引揚げについて、赤十字社は努力をするというようなことを言つておるということを新聞紙上で拝見いたしましたが、この個別引揚げという問題が先ほど私が申し上げましたように、技術的に非常に困難でありまして、個別引揚げがいつ開始されたかというようなことも、全然向うでは通知してくれないのであります。あるいは今回は赤十字社がそういうふうに責任を持つてやるというのでありますから、赤十字社の方から各人に通達があるかもしれませんけれども、以前にはそういう方法が全然とられておらないのでありまして、そのために知らない人がたくさんあります。船賃はそれで解決つくのでありますが、中国の各地に分散しております人たちが、その船の出る場所まで出て来るその旅費、あるいは天津で船が出るまで滞在するその滞在費、こういう点も非常に問題になるのでありまして、今まで個別引揚げでお帰りになつた方々も、天津での生活で非常に苦労をされたのであります。奥地の方の警察では、船の名前と船の出る日がわかれば、許可してやるというようなことを言うのでありますが、これは北京の警察でもそうでありますが、実際は船が入つてみなければ、船の名前もわからなければ、出港の日にちもわからない。どこにも公表するわけでもなければ、その予定をどこにも発表しないわけでありまして、実際問題として不可能なことなのであります。それらの人々からどこをどうして連絡をとられるのか知りませんが、私が天津にいるということがわかつて、私のところにたびたびそういう船の調査あるいは出港予定あるいはいろいろな電報あるいは予算関係といつたようなことを尋ねて来られるのでありますが、私もできる限りのことは調査をしてお答えを郵便でしたのでありますけれども、うそいうことをするのはスパイ活動であるというので、私は帰国の前一箇月間警察で取調べを受けまして油をしぼられたのでありますけれども、大体船の運航状況というものは一向発表しないのでありまして、私はたまたま貿易業者に友人がおりまして関係があるからその方面から入りますそういつた予測を知らしてやつたのが、スパイ活動であるというふうに言われるのでありまして、こういつた問題も、これから先の個別引揚げというふうな問題について技術的に非常に困難な問題になつて来るのじやないかと思います。  まとまらないお話を申し上げたようでありますが、限られた時間でいろいろなことを盛りだくさん申し上げることも不可能であるから、ただ思いついたことを、特に現在まだ残つておられる方々に対するいろいろな点を考慮いたしまして、御参考までに申し上げた次第であります。(拍手)
  69. 上塚司

    上塚委員長 ありがとうございました。  これにて参考人各位意見の陳述は終了いたしました。  これより通告順によりまして質疑を許します。但しすでに正午を過ぎておりますから、質問はなるべく簡単にお願いをいたします。
  70. 穗積七郎

    穗積委員 議事進行について。予定はいつまでおやりになりますか。
  71. 上塚司

    上塚委員長 今質疑者が七名でございますから、これが終了するまで続けるつもりです。ですからきわめて簡単にお願いいたしたいと思います。それでは富田健治君。
  72. 富田健治

    ○富田委員 私簡単にお尋ね申します。ただいまいろいろ参考人からお話を承りまして、日赤の方にはいろいろ御尽力くださいまして、またその他の引揚げの皆様の御労苦に対しまして、心からお礼を申し上げます。それにつきまして、多数の今ソ連中共地区に残留されておる人の留守家族と申しますか、その父兄なりまた妻子が、早く帰つてもらいたい、帰してもらいたい、どうなつているのかということをわれわれ個人にも聞くのであります。これはもう皆さんがもつと痛切にそういう体験をお持ちになつていると思いますが、そこで私考えますのに、どんなことをしても、これらの抑留されている方の一日も早く帰られることに努力しなければならぬ、こう思うのであります。そういう趣旨でひとつお尋ねをいたしますので、お答えを願いたいと思います。  ソ連は、先ほど工藤部長からお話になりましたが、トロントの世界赤十字大会でございますか、これでいろいろ決議もあり、発言もありましたのに、向うから一向返事をしない。ところが七月でございますか、大山郁夫氏が行かれてモロトフと会談があつて、それから今回の帰還というようなことの曙光が見えたというふうに聞いておるのでありますが、一体あちらへその後おいでになりましていろいろ交渉をされたのでありますが、なぜそういうふうにソ連が、今まで一向取上げなかつたものを帰すというようなことをしたのか。先ほど申したように、何とかしてわれわれはどんな手段を尽しても、一日も早く多数の人の帰られるようにしたいということを念願いたしますがゆえに、何かそういうことでひとつ動機とか理由とか、今後の参考のために聞かしていただきたい。これが第一のお尋ねであります。
  73. 工藤忠夫

    工藤参考人 私たち赤十字決議があつたからといつて、この決議のためにソ連が従つたというような甘い考えを持つておりません。この決議にあたりましても、ソ連赤十字は賛成しましたけれどもソ連政府は賛否を表示しなかつたのであります。こういうふうな関係でございまして、赤十字決議があつたからどうこうということは存じませんが、昨年の三月マレンコフ政権にかわりまして、一般的な政治問題としてソ連の政策がかわつたとでも申すのでしようか、その後のいろいろの経過を見ましても、国際問題におきましてもいわゆる平和攻勢というようなものが起つております。対内的にもまた従来のようなやり方がかわりまして、国民の福祉を増進するような消費経済の方に向いておるような話も聞いておつたのですが、そういう具体的な問題の一環といいますか、この春過ぎから何月か存じませんが、東独のグロテヴオール首相とモロトフ外相との間に友好条約ができて、その条約の中に戦犯の釈放問題がきまりました。それはソ連に対する重大なる犯罪人以外は戦犯者を釈放するというようなことがきまつて、どんどん帰されることになるという情報を聞いたわけです。それより前にオーストリアの戦犯が六百人釈放にきまつたという情報がありましてこれは単に何も日本人に対してのみ戦犯を釈放するような態度に出たわけじやない。日赤関係という観点からだけ考えたのではなく、ソ連の世界的な政策の一環として、日本人帰国の問題が出現することになつたのだと思つております。たまたま赤十字決議もありましたし、それからまた赤十字が政治問題、思想問題、こういうものに超越いたしまして、中立的な立場で人道問題に献身しておりますような関係から、われわれがソ連に公武の旅券を持つて行けるようになつたのだろうと思うのでございます。  こういうようなぐあいでありまして、今回わずか千二百七十四名の者が帰つた以後、日本人帰国は戦犯者は刑期を満了したら帰す、その他一万人についてはソ連側は黙しておるということで、非常に前途は暗澹としておるのでございますが、この残つておる日本人につきまして何か材料はないか、いわゆるシヴイリアンの犯罪人だけ帰すと言われるならば、犯罪人で刑期を満了しない者もまだあるのではありませんか、また犯罪人がおるばかりとも思えません、犯罪人でない日本人相当数あるのではありませんか、そういう問題について何かの情報を提供してもらいたいということをホロドコフ社長に申し入れたのであります。先方はこれを聞き取りまして回答は後刻するということで延び延びになつておりました。協定締結された後にもなお回答しない。目下資料がない、資料入手中ということで延び延びになつておりましたが、おそらくソ連赤十字はこの問題について権限を持つております政府筋と連絡したことと思いますが、十一月二十八日の最後の会見で、日本人がいないということは言わなかつたのであります。何ら資料がないというような回答でございまして、この回答は裏を返せば結局日本人がいないとは言つていないのでございます。必要があれば日本人ががおるということを言える余地は残してあるのでございまして、引揚げ問題の円滑なる実施の後に、国際関係がうまく行くようになれば今後の引揚げの問題も続々行われるのではないかというような考えを持つておるような次第でございまして、絶対に悲観した状況ではない。ただソ連が世界の緊張の緩和というような方向に非常に努力をしているようでございます。私たちがモスクワに参りました印象で、私たちの身辺に感じましたことでも、非常に国民の気分が明るく、顔を見ても非常に明るいように見えます。それから食糧、衣料というような問題を見ましても、日本人のレベル以上の生活状況のようなぐあいでございまして、すべてが明るくなつておる。その後新聞情報なんか見ましても、ベルリン会議情報でも、東西の接触がスターリン時代以上に明朗に行われているというような情報にも接しておりますので、皆さんの御援助で日ソの関係が多少でもうまく行くということになれば、引揚げの問題も解決されるのじやないか、こういう趣旨のもとに皆さんの御援助をお願いしたいと思うわけでございます。
  74. 富田健治

    ○富田委員 今度のマレンコフの政権以来の世界政策の転換と申しますか、平和的な態度なつたということでございます。われわれもさようなことは想像できるのでありますが、それにつきまして大山郁夫氏が行かれましたのも一つの転機になつたかと思うのであります。これは非常に微妙なお尋ねなのでありますが、大山氏あたりが行かれたことが非常に大きな原因をなしたということであるなら、将来もそういうことが考えられるかどうか。と申しますのは、そういうことであるならばまた大山郁夫さん、あるいはああいう方にお願いをして、ひとつぜひ帰還が促進されるようにするのも一つの手段であると思いますが、これをひとつお尋ねいたしたい。  それから共産党はソ連と一番お話合いのできる間柄であるとわれわれは思ううのでありますが、共産党は一体今日まで抑留邦人引揚げについて、どういう態度なり行動をとられたのでありますか。今度ソ連へおいでになつて、日本の共産党が何かそういうことに骨を折つた、帰還のために努力したというようなことを聞かれたかどうかということをちよつとお伺いしたい。
  75. 工藤忠夫

    工藤参考人 私は赤十字に奉職しておりますので、政治的な意見の発表は差控えさせていただきたいと思いますが、先ほど申しましたように、この帰国の問題はマレンコフ政権の既定方針としてきめられたものであると思うのでございます。たまたま大山さんがスターリン平和賞をもらいにモスクワにおいでになりました。またこの日本人帰国あるいはその他の外国人の戦犯者の帰国というような問題も、ソ連政府の平和政策の一環だということをホロドコフ社長が言われましたが、そういう趣旨から大山さんがあそこにおいでになつたのが、ちようどいい機会で話されたのではないかと思うのでございます。(「何も関係がないのか」と呼ぶ者あり)あるかないかということは、皆さんの御想像にまかせまして、大山さんがそのとき話されたというわけでございます。それから赤十字同士の交渉でございまして、すでに百年近くの伝統で持つております赤十字でありますし、ソ連にも厳たる赤十字があります。戦争犠牲者の保護ということは赤十字の鉄則でございまして、この戦争犠牲者の保護ということは、世界各国共通の事業でございまして、赤十字の経路によるということが最も常識的であると思うのでございます。政治的な問題を離れて、人道問題として処理することがきわめて適当なのでございまして、政治的な要素がこういう問題に入ることは、われわれの方から見ますと、問題外ではないかと思います。
  76. 富田健治

    ○富田委員 ちよつと誤解があつたかと思うのでありますが、私何も共産党がどうとかいうのでなしに、あちらにおいでになつたときに、共産党が尽力したというようなことが影響したとお聞きになつたかどうか、感得されたかどうかということをちよつとお聞きしただけのことであります。事実をお伺いいたしたい。何もお聞きにならなかつたならば何もそういう感じはなかつた、これでけつこうなのであります。
  77. 工藤忠夫

    工藤参考人 そういうことは全然聞きませんでした。
  78. 富田健治

    ○富田委員 次に長谷川参考人にお伺いいたしたいと思います。先ほど切々たる体験をお話になりまして、終りになお抑留されておる邦人の帰環促進のために、国民の皆様の絶大なる援助をお願いするというような意味のことをお聞きいたしたのでありますが、われわれもぜひこれはやらしていただきたいと思うのでありますけれども、どういう方法をお考えになつておりますか、こういうことを希望するあるいは今どういうことをなさつておりますか、それをお伺いできれば非常に好都合かと思います。
  79. 長谷川宇一

    ○長谷川参考人 今度帰りましたことについての動機、われわれが考えています動機からそういう方法が生れると思うのでありますが、それにつきまして、私たちが集結を各地から始めましたのが六月の初旬であります。全部ナホトカに集結を終つたのが、主力が七月の十一日樺太から入りまして、七月十五日に全部終りました、それから以後大山さんがおいでになりましたのが七月二十一日でありまして、私たちはその当時は全部集結を終つておりました。従つてたちはそういう態勢が私たちを帰してくれたと確信して参つたのでありまして、それまでにそういう情勢をかもしてくださいました主なるものは、私たち赤十字の御努力だと思つておりました。従つてこういう態勢をつくるということが私たちが帰る動機と考えておりますわれわれは、結局は、なまぬるいかもしれませんけれども、国をあげての輿論と、これが国連等を、それから各種の世界的な団体を通じました声となつて、たまたまマレンコフの掲げます平和的な諸施策に反映をいたしまして、それからやがて第二、第三の帰国が可能だと存じております。従つてたちは、政府の方々にいろいろと交渉をしていただく、またその糸口といたしまして赤十字社の方に交渉していただきますことは、依然として強くやつていただきますとともに、国会全体をあげましての輿論として、これがほんとうの平和の第一歩であることを一声を大にしていただきまして、マレンコフの平和施政にこたえ、それからこの輿論を裏づけるものをびしびしと向うに響かしてもらいたい。たとえば国民全部が、帰してほしい帰してほしいと言いながら、引揚げに関するいろいろな具体的な——ただちにこれに関係あるかないかは存じませんけれども、一方に引揚げの促進ということをやりながら、これに関する予算が減つて行くというようなことが、向うにどんなふうに響きますかことに向うにおります人々にはどんなふうに響きますか。こういう輿論を裏づけるような態勢というものがありましたならば、この輿論というものはほんとうであるということが、うなづかれるのではないかと私たちは思っております。それから直接の、政府の方々、あるいは日赤の方々以外に、個人の力というものが非常に大きいことを考えまして、留守家族の方々には、直接に向うの人、マレンコフ、ヴオロシーロフにあてて嘆願書を出していただくことをお願いしたい。これは続々と出ておるようでありますが、それがほんとうに直接人を打つ気持として響くのではないかと思います。さらに私たち考えますのには、私たち向うにおりまして、日本人に接しましたソ連人というものと、日本人を今まで見なかつたソ連人との感じか全然違うのであります。私たちの作業を監督し、接触しておりますソ連人というものが、だんだん日本人というもの、われわれの気持を理解しておりますことは顕著でありまして、こういう点から見まして、あらゆる面を通じていろいろな交渉、文化的な交渉、スポーツの人々。学者の人々、文芸映画の人々の折衝、こんなものが一つでもできましたならば、われわれといたしまして、向うとの国民同士の理解というものができるのではないかと思います。その意味においてあらゆる機会をつくつて向うとの交渉が、単に公の以外にできましたならば、日本人の気持というものがわかるのではないかというような気がいたします。要点は、私たちの努力は、国内全力をあげて大きな輿論をつくることを心がけて努力しておる次第であります。
  80. 富田健治

    ○富田委員 ちよつとこれは工藤さんにお伺いしたいのですが、死亡者は一万何ぼですか。
  81. 工藤忠夫

    工藤参考人 一万二百六十七名であります。
  82. 富田健治

    ○富田委員 その氏名が一名もわからぬということはないと思いますが、少しでもわからしてもらうような方法はないものかどうか、これが一つと、いま一つは、ほかの自由主義諸国では戦犯等につきましても、内地で服役というようなこともだんだん認められておるわけですが、こういうことは向うにおいでになりましたときに、お話合いになりましたかどうか。またその可能性がありますかどうか。そのお見通しを伺いたい。この二点だけで終ります。
  83. 工藤忠夫

    工藤参考人 死亡者の問題につきましては、特に先ほど報告がありましたように、先方は一万二百六十七名という数を持つて来たのでございますが、これはタス通信で発表いたしております俘虜の総数から、現地釈放、それから残留しておる戦犯者、それから既往の帰国者数を加えたものを、五十九万何ぼの総数から引いた残りでございまして、先方が確実にその氏名を持つておるかどうか疑問なのであります。ソ連は死亡者及び終戦直後における行方不明者の方は材料がない。あとの方はどうもあるようなんでございまして、あとになればなるほど向うは資料も明白なようであります。しかしいずれにしても、氏名の発表はできないということを言うておるのでございますが、今後いい機会を見まして、さらに先方に問い合せるつもりでございます。  それから戦犯者の内地服役の問題でございますが、留守家族からも要望がございまして、書き物にいたしまして、先方に内地服役の見込みはないか、できれはそういうようにしてもらいたいという趣旨の申入れをしためでございますが、赤十字社の方は、この問題は赤十字社の権限外であると言つて婉曲に拒絶されたような実情でございます。
  84. 富田健治

    ○富田委員 ありがとうございました。
  85. 上塚司

  86. 喜多壯一郎

    ○喜多委員 もう時間もございませんから、私は簡単に題目をあげて三参考人にお尋ねいたしますから、お手数ですがお書取り願いたいと思います。  第一は工藤参考人にお尋ねしたいのですが、赤十字社赤十字社で、ある程度引揚げの問題が好転するかと思つておりましたが、御苦労ではありましたが私どもは国民として期待したほどでないと思います。しかも先ほどおつしやつた数から行くと、中共においても、ソ連においても、残された者の方が非常にパーセンテージが大きくて、来た者がその何パーセントしかすぎない。そこで赤十字社赤十字社といういい取組みではあると私どもは期待したのですが、これはあなた方の努力が足りないとか、それがいまだしだという批判の意味でなく、力が足りない、むしろ無力だ、こう考えますが、その点のお考えはいかん。そこで、国交は回復しておりませんから、正式に政府政府との交渉はできないということでありますけれども、できなければ、特に中共のような場合に、紅十字社以外に、いわゆる日中友好協会、平和運動協会ですか、ああいう民間団体のようなものを入れた方がよいと向うは言うのですから、日本でもそれを入れて赤十字社一つのサポーターにしたらまだこれが好転するかどうか。その意味で特に伺いたいのは、工藤参考人は今後の中共の集団引揚げは、今度が終止符であつて、今後あらため行い得る余地がないかどうか。  もう一つ、あなた方がおいでになつて感じたソ連態度は、友好的だというお言葉があつたが、あるいは中共にしても、私どもは、どうもこの引揚げに対して全面的に友好的だとは解釈できない。あなた方がいらしたときはごちそうもしてくれる、と言うと語弊がありますが、いろいろな意味で非常に友好的だけれども引揚げ全体の図から見ると、そこに友好があるかないか。なければ——これは政治的意見じやないのです。もしあなたの感覚が、はなはだ失礼だが鈍ならばお感じにならない、もしあなたが鋭ければ、この点をこうすればこうなるだろうというヒントを、工藤参考人から伺いたい。  それから工藤参考人から、中共の示した数字及び日本赤十字社が持つている数字——同時にこれは政府委員にお尋ねします。政務次官は御承知あるまいと思いますからアジア局長でけつこうですが、その数字が日本政府の持たれる数字とぴつたり合しているかどうか。  それから工藤参考人は、集結に時間がかかると言う。一万四千五百名からの概算数をお示しになつた。そしてこの間帰られた。しかも大山郁夫氏が行かれて非常に好転したと言われるが、そんな個人的なことにデイペンドすることは間違つていると私は思う。これは国と国の問題であつて大山氏が行こうが小山氏が行こうが中山氏が行こうが、正しいことについては正しく解釈されるようにできなければ、今言うようにそれじや大山さんが行くのがいいのかという富田委員のおつしやることには、私は国民の一人として少々不服なのです。だれが行つても正しい要求なんだから、正しく帰すというふうに行けるかどうか、そこに行かなければ、容共的な人がいいのだ、さらに共産党の人がいいのだということになると、実は国民と国民との引揚げではなくなるのです。この点に関する工藤参考人の感じを政治的意見でなく伺いたい。  それからさつき長谷川参考人からお話のありました国民的輿論なり国民の要求なりをもつと大きくしろということですが、何せ不都合千万なことには、国家と国家とが国交の修好をいたしておりませんから、国民の声を大きくするのには、外務当局なりその他の者が、のろしを上げるなりかけ声をかけるなりすれば一番いいのですが、今の吉田内閣はMSAに対してはずいぶん大きな口をききながら、この問題に関しては非常にしり込みしておつて、私は国民の一人として不服なのです。そこで長谷川参考人及び宮崎参考人あたりからもつとこういうふうにしたらどうだということ——きようは引揚げられない方の気持をるるおつしやつたが、概括的に政府はこういう手が打てぬかということを、あちらでお話合いになつたことがあるかないかということを伺いたいこと、それから特に宮崎参考人に伺いたいのですが、天津に一度集結した、しかも旅大地区の一番近いところの人が、一番引揚げやすい港に集結していながら、遠い揚子江中流の漢口だとかあるいは山西の奥の太原だとかあるいはもつとひどくなつて重慶まで行くということは、中共が誠心誠意そういつた引揚げということに対して、友好的でないという一つの事実と私は聞いたのですが、そう解釈してよろしゆうございますか。  順序がはなはだ複雑でありますが、一々参考人からお話願いたいと思います。
  87. 工藤忠夫

    工藤参考人 この引揚げ問題が赤十字だけで十分であると思うか、他の団体が参加した方がいいと思うかという御意見でございますが、中国との関係におきましては、中国側は日本赤十字社のほかに他の三団体を指定いたしまして、三団体でなくては交渉しないという立場をとつておるので、日本赤十字だけが今後出て行こうと思つても、中国側は交渉に応じないと思います。こういう問題において中国との関係におきましては、いやおうなしに三団体で行かなければいけないと考えるのでございます。  なおソ連との関係におきましては、先方は日本赤十字社を指定して来ております。国際赤十字及び国内赤十字のプロパー・チャンネルによつて、この問題を容易に解決することができる、こう言つておりますので、この引揚げの問題は赤十字社同士で話合うことができると思うのでございます。いずれにいたしましても、赤十字はその基本観念におきまして、戦時、平時を問わず、政府の足らないところを国民の篤志組織によつて援助するというような人道団体でありまして、引揚げの方針を決定するとか、どういう者を帰すということは、結局ともに政府の権限に属する事項でございます。こういうような意味におきまして、単に赤十字のみならず、政府筋が、政府の力を百パーセントに使われて、国内的輿論を起し、あるいは国際機関の利用、その他国際輿論を起す方法について、いろいろの措置を講ぜられることによりまして、われわれの仕事が一層円滑に行くのではないかと思うのでございます。  ソ連赤十字のわれわれに対する態度がきわめて友好的であつたということは、これは単に待遇のみではありません。この引揚げ全般の問題につきまして、いろいろ質問条項を出したのに対しましても、十数項目出したのでございましたが、きわめて丁寧に書き取つて、そうして慎重に検討いたしまして、最後に一括して回答してくれましたが、否定的回答があつたにもかかわらず、ソ連赤十字としては最善の努力をしてくれたと思うのでございます。今後ソ連赤十字政府の今のような態度が続く限り、この問題も現在の範囲のみならず、さらに協力の範囲を拡張して行くことができると思うのでございます。いずれにいたしましても最終的な決定権は政府にあるのでございますから、赤十字のみならず、政府筋、また政府をバックしている国民全体の支援がなければ、この問題は円滑に行われないということをつけ加えておきます。  数字の問題でございますが、赤十字社は未帰還者の家族から個々に参りました手紙を調査しているだけでございまして、未帰還者全体に関する数字は持つておりません。数字は政府の慎重調査せられたあの数字に依頼しているほかはないのであります。
  88. 中川融

    ○中川政府委員 政府で従来調査いたしました数字といたしましては、昨年の八月一日現高で三万九千四百七十七名まだ残存しておる、こういう数字になつております。その後第五次、第六次、第七次と三回の引揚げかありましたので、その総数六千八百四十一名をこれから引きますと、残存の数字が三万一千大百三十六名ということになつております。ちよつとこれについて御説明いたしますが、生存と推定する数は、終戦後今日に至るまでの現地からの通信あるいは帰還された方の報告等から、生存ということが確認された人を数えたわけでありますが、人によりましては、終戦直後に確認されまして、その後さらに消息がない人も含まれておりますので、この三万九千四百七十七という数の中には、相当数死亡者もあろうかと思います。的確な数は推定以外にはわからないわけであります。
  89. 喜多壯一郎

    ○喜多委員 一々答弁をいただきたいのですけれども、他の方の御質問もあるようですから、答弁はひとつあとでまとめていただいてもよいのです。ただ一つ工藤参考人からの御意見にも触れておりますし、私自身も考えることなので外務当局にお尋ねしますが、今度李徳全女史が日本に来たいということに対して、外務省というよりも、外務大臣個人が、何か感情的に来なくてもよいのだというふうなことで、もやもやしている形なんです。今工藤参考人から言われるように、赤十字対紅十字でやるよりも、政府が介在した方がむろんよい。ただ政府が介在できないからあと二団体というものをつけてやる意思があるかないか。そこでこれは少々感情を殺しても今いいと言つていただけば——向うは平和攻勢でやつて来たので、向うにそんな友好的な計画はないと思う。いい人間をつかまえて、お前の手柄だというふうにして帰して来る、共産主義的思想の上に立つてやるというふうなことであれば、そこのところを逆にとつて芝居を打つくらいでないと、日本外務省だなどと国民に対していばつていられませんよ。私はそこで今度李徳全女史が来れば、あるいはだれが来てもやはり手がかりがあると思う。来ないより来させた方がよい。悪ければまだ国交は回復していない、帰れとやればよい。りつぱに力を持つておるのに食わずぎらいで、来たら変じやないか、やつつけられるのではないかと考えるというようなことは、国民の引揚げに関する外務省態度ではないと思う。この点あなたのもつと率直な御意見を、外務省代表しなくてもよいから、ひとつお聞かせ願いたい。
  90. 小滝彬

    小滝政府委員 中共との人間の交流につきましては、原則といたしましては、われわれの方ではなるべく現状のもとにおいては制限しなければならぬ、こういう立場に立つているわけであります。しかしながらこれが人道的な立場から、もし李徳全女史一行が見えて、そのために引揚げが非常に促進されるということが明瞭であるならば、必ずしもこの原則を固執しないということを申しておるわけであります。従いまして、これは再三再四議会でも質問がございまして、そうした趣旨を答弁し、日赤の島津社長も大臣に会われたはずであります。最近は大臣のかわりにここにおりますアジア局長が三団体の代表に会つたはずであります。従いましてこの問題は非常に重要な問題でありますので、外務大臣が決裁せられることになりまして、委細を付しまして大臣の決裁を仰ぐ段取りなつておりますが、今まで承つたところによると、はたしてこれがほんとうに最善の策であるかどうかというような点について、まだはつきりしない箇所もあるように思います。今のところはまだこれは考慮中であるというような現状であります。
  91. 上塚司

    上塚委員長 中山マサ君。
  92. 中山マサ

    ○中山委員 今の問題に関連してちよつと日赤の方にお尋ねいたしますが、私が引揚げの委員長をやつておりましたときの記憶をたどりますれば、タス通信の発表によりまして、戦犯以外の日本人は一人もいないという発表が私は確かにあつたと記憶しておるのでありますが、昨年、ここにもあります一般人八百五十余名の中で八百五十名が帰つて来た。これについてソ連側はどういう説明を加えたのでありましようか。日赤の方がもしこの点でお聞きになつたといたしますれば、御説明願いたいと思います。私はそういう記憶を持つております。戦犯以外に一人もいないのだということを確かにタスは言いました。
  93. 工藤忠夫

    工藤参考人 私の記憶では、戦犯者以外の俘虜は一人もいないと言つたというふうに記憶しておりまして、俘虜以外の日本人については何ら言及していなかつたように思うのでございます。そういうわけで、私があちらへ参りますときも、俘虜は一人もいないというふうに開いているから、それでは俘虜でない人間もおるのではないかというふうに切り出そうと思つたら、向うからシヴイリアンがおるということを言いまして、俘虜とシヴイリアンの二つにわけて来ましたので、非常にやりよかつたのです。タス通信がどういう言葉を使つておりましたか、今はつきり覚えておりませんけれども、いずれにいたしましても、向うの方から今度帰す口実をシヴイリアンに持つて来たのでございまして、タス通信がたとい自己矛盾のようなことを言つても、向うが帰す糸口をつけるのにシヴイリアンという言葉を使つてくれたので、あまり言葉のせんさくはしないで、喜んでシヴイリアンという言葉に乗つてどんどん帰国を催促したような次第であります。
  94. 中山マサ

    ○中山委員 そういうお話でございますれば、私がここで押しておきたい点といたしましては、タス通信のときには俘虜とかシヴイリアンとか区別をつけないで、日本人はもうこれ以外に一人もいないのだということを確かに言つたのでございますから、私は今政府が考えておりますところの、向うの発表以上にまだ日本人がおるのだという点で、ぜひひとつシヴイリアンの数をはつきりしてくれということを、日赤からソ連の方へ申し込んでいただきたいのであります。また中共の側におきましてもそういうことがいわれるのではないか。さつきからのいろいろな御報道を聞いておりますと、非常にいろいろな発表に間違いがあるように——これまでの発表でございますが、間違いがあるように私は思うのであります。私はタスの報道を絶対に信じないと叫んで来たものでございますから、ここにシヴイリアンがおつたのだというて新しく発見してくれたことはまことにありがたいことで、一人でも帰つてもらいたいという気持でございますが、中共の方のこの間の発表にも、希望者はみな帰すと言うておきながら、希望した者もなかなか上帰れぬということが、今日長谷川さんの報道によつてはつきりわかつたのでありますから、あるいはシヴイリアンという点をこの方面でももつと押してもらいたい。非常にいい窓口を向うがつくってくれたのでありますから、この点をどうぞ精一ぱい押してやつていただきたいと思うのであります。
  95. 上塚司

    上塚委員長 穗積七郎君。
  96. 穗積七郎

    穗積委員 私は引揚げ問題は、人道的な立場に立つて、かの国あるいはこちら側の思想的、政治的な判断を入れないで処理すべきものだと考えております。従つてソ連中共日本人を帰還せしめました政治的意図なんということを臆測いたしまして、そうして今後の促進のために、いろいろな手を打つために判断するなら別でございますが、そういうことを考えて国民に宣伝するというようなことは、これはかえつて引揚げ問題を混乱せしめる以外の何ものでもないと考えます。およそ一国の政策というものは、すべて政治的目的を持つたものにきまつております。たとえばアメリカがいわれなくして講和条約後におきましてもなおかつ日本の戦犯その他を押えている。それからフイリッピンあるいは濠州が先般釈放いたしましたのも政治的意図を持つているのにきまつている、ところがわれわれはそういう問題には触れないで、人道的立場に立つて、超党派の立場で、帰還を許したことに対しては、これは正当な措置としてそれを認め、これを感謝するということで当然処理して参る心構えで参りました。そういう意味で、日赤の工藤さんあるいは島津社長等の方々が、人道的な立場に立つて思想、政治にとらわれることなしに、いかなる国におります日本人でありましても、公平無私な立場で処理されたことに対して感謝をいたしますと同時に、今後ともそういう立場でぜひ御協力いただきたいことをお願いいたします。その観点に立つて実は工藤さんにお尋ねいたしたいのでございます。  それはごく公平客観的な御判断として私はあなたの御意見が伺えると思いますので、有力な参考意見としてお伺いするわけでございますが、実は昨年中国の紅十字の代表者日本に来てもらうということをお約束なさつたわけでございます。その後政府は、ついこの間の委員会におきましても、岡崎国務大臣はこれを非常に政治的に曲解されている。政府が当然国民のために引揚げ問題を促進すべきであるにかかわらず、その無為無力を赤十字社におつかぶせてしまつて、赤十社は一体何をしているのだ、何を考えているのだというように、政府あるいは与党の諸君が言うことは、私ははなはだ奇怪だと思うのです。岡崎さんがおられぬので政府代表としての小瀧政務次官に申し上げておきますが、政府代表しましての岡崎さんのお話によりますと、紅十字の代表日本に呼ぶことを申請する申請があつたから許すとか、あるいはなかつたから許さぬなんという態度は、政府としては無責任な態度だと思うのですが、それは別といたしまして、この申請があつた。その中の理由に、初めはお礼を兼ねて礼儀として呼びたいという趣旨であつた。ところがそういうことであるなら必要ないではないかということを言うと、今度は別の理由として、呼ぶことができれば引揚げ問題を促進するに有効だと判断するということをつけ加えておる。そういうことで実はその許可をする申請の理由または動機が非常に不統一または不明確である。そういうことで政府の判断としてはこれは必ずしも呼ばぬでもいいという判断をしている。お礼だけなら手紙だけでもよろしい、あるいはまた何かプレゼントを贈つてもよろしいというばかばかしい話をしております。  そこであなたにお尋ねしたいのは、この問題に関して二点ございますが、一点は代表者日本にお呼びすることに対してお話をされましたときの経緯を明らかにしていただきたい。第二点はお呼びすることができますならば、この引揚げ促進のために非常にプラスになると御判断になつておられるかどうか。特にこれは集団引揚げが中止状態なつておりますので、そこで政府がやるべきことをやり切らぬで、赤十字社が何か責任者のごとく取扱われておりますが、その赤十字社の御判断から行きますと、中止になつておるこの集団引揚げの糸口をつけるには、ひとまず李徳全氏その他代表者をお呼びする、そうして日本実情を示し、日本の善意もお伝えする、そうしてあらためてげたを預けて持つてつてもらつて引揚げを促進するように努力してもらう、こういうようにすることが有力なる糸口であるとわれわれは判断いたしますが、あなたの御判断はどうでありますか。それからもう一つそれに関連いたしまして、そのほかに引揚げ問題を促進する糸口として、どういう問題を外交的に取上げたらよろしいかどうか、その点もあわせてお教えを仰ぎたいのであります。
  97. 工藤忠夫

    工藤参考人 お答えいたします。われわれ三団体が北京に参りまして、三万人の引揚げの問題を交渉いたしまして、大体一回五千人ずつ日本人を送り返すから、六回あれば三万人は帰れる、それが大体七月の中旬までには終るということは、中国紅十字会も見ておつたような次第であります。こういうようなぐあいで、会議の終りごろになりまして中国紅十字会の方も日本を見たいというようないろいろな希望もありましたし、島津社長におきましても、とにかく日本中国とが国交が断絶しておるとか、あるいは政治的の見解が違うとかいうことは別にいたしまして、とにもかくにも俘虜ではない一般人を三万人も集めて帰してくれるということは人道的な仕事である。われわれはこの中国紅十字会のやつたことを、決して過小評価してはならないと思いまして、しかしそうかといつて招待するということは完全には言えない。何となれば入国の許可の権限は政府にあるものですから、三万人をいよいよ帰してもらうということについて、日本赤十字社としては感謝をする、ついては感謝のしるしに集団帰国が終つたころを見はからつて中国紅十字会が来日できるように、最善の努力をいたしますという趣旨を、島津さんが言われたのでございます。これはほんとうに日本赤十字社が三万人の日本人を帰してもらうことについての、人道的立場からの感謝の気持に基く意思表示でございまして、何ら他意はなかつたのでございます。ところがこの問題は帰りまして即座に政府筋にお伝えいたしたのでございましたが、集団帰国の問題がしまいになりましてだんだん数も少くなりまして、二万六千人になりまして集団帰国が打切られてしまいました。まだわれわれの予期以上に残留者が非常に多くなつたのでございます。中国紅十字会も初めは三万人と言つてつたのでございましたが、後に新聞情報なんかによりますと、帰国の希望者が順次少くなりますので、三万人に達しないという北京情報もあつたのでありますが、いずれにしましても二万六千人しか帰らないで、四千人以上の人が残されたような結果になつたのでございます。しかも残つた人たちが帰るために集結されているのかというと、どうも奥地へ行くというような情報があつて、非常にわれわれの期待に反するような情報にも接しております。こういうようなぐあいで初めの予期に反しまして帰国の未解決の問題がだんだん大きくなりまして、どうしてもこの中国紅十字会の招請問題も早く実現して、そうして趣旨は感謝の気持で呼ぶのであるけれども、早く中国紅十字会に約束した、紅十字会の人を招請する問題を解決して、残存の未帰還者の問題も早く解決したいというようなことで、残留者の問題解決もつけ加えられたような次第でございます。しかし中国紅十字会に対しましては、決して残留者の問題を解決するために中国紅十字会を招待するというような態度はとつておりません。依然として北京で申しました中国紅十字会を感謝の気持をもつて招待するという趣旨でございます。あわせてわれわれの約束を果すことによつて残留者の問題を一層円滑に解決したいという気持でおりますので、われわれの人道的な気持に基きますこの気持を政府筋でくみとられて、いろいろの事情もあると思いますけれども政府が強い態度で出られて、紅十字会の招請だけは、何とか早く実現するように御援助を願いたいのでございます。こういうことによりまして、われわれも国民の希望に沿いまして、早く残留者帰国の問題を解決したいと思つているようなわけでございます。
  98. 穗積七郎

    穗積委員 御交渉のときは今伺いますと、集団引揚げが完了することを予定してこれが完了したら、ひとつお礼のために呼ぼうということでやつたと思います。その趣旨が今でも消えていないのは当然でございますが、途中で事情がかわつて集団引揚げが中絶している。だからといつて謀略的に呼んでげたを預けようという趣旨ではないにいたしましても、中絶されているというように事情が変化しているわけです。そこでお礼のためであつても、呼ぶことはこの際何らかの意味において——そういう交渉をする、しないは別にいたしまして何らかの意味において、今後の引揚げ促進のために、非常に有効なインフルエンスを持つと御判断になるかどうかということをお尋ねしたのでございますから、その点あらためてもう一ぺん御判断を伺いたいと思います。
  99. 工藤忠夫

    工藤参考人 この点は先ほど申し上げましたように、島津社長が紅十字会を呼ぶということを言っております関係から、この約束を果さねばなりません。今後の招請問題と帰国の問題が観念上違うといえば言えるのでございますが、この約束をかりに果すとしても、未解決の問題だけを切り離してどんどん進めるということは、礼儀上なかなかやりにくいのでございます。われわれといたしましては、どうしても呼びたい。そうして招請が実現すれば、この引揚げの交渉もきわめて友好的に進むものと確信しているような次第でございます。
  100. 穗積七郎

    穗積委員 そこで政府にお尋ねいたしますが、政府が当然やるべきことをやらぬで、そうして国民を代表して日本赤十字が非常に御努力を払つておられる。その御努力を払つた経過並びに今までの判断からされまして、呼ぶことが礼儀でもあると何時に、いやしくも代表者同士の間において約束いたしました招請を実現しなければ、あとの口がきけない。しかもその後引揚げが中絶されている事情にあるので、今後引揚げを促進するためには、ひとまず呼ぶことが必要である。呼ぶことが引揚げ促進の少くも糸口になる。どういう結果になるか——先ほど次官は明確なる証拠が出て来なければ呼ばぬのだというばかばかしいお話をされましたが、すべて交渉取引というものは、初めからそんなことを予知してできるものではない、見込みでございます。従つて政府にかわつて責任を持つておやりになつた責任者の方の公平無私なる客観的な判断が、呼ぶことが話を進める糸口になるという、つまり非常に有効なインフルエンスを持つておるということでございますが、それに対してなぜ許可上ないのか、しかも相手は中共の政治的立場を持つた人ではございません。国際的に万国に共通なる人道主義的立場に立つた紅十字会の代表者を呼ぶのに、なぜ一体やぶさかであるのか。これを否定する理由を納得が行くように明確にしていただきたい。
  101. 小滝彬

    小滝政府委員 この問題につきましては、しばしば議会でも論ぜられましたし、本日は参考人の皆さんからの御希望も出ましたし、すべて委細外務大臣によく報告をいたしまして相談するつもりであります。ただ、今仰せになりました点について、自分の意見でも言うようにということでありますから、二、三の点を申しますならば、李徳全女史はなるほど紅十字の関係でおられるけれども、私どもの承知しておるところでは、党においても相当重要な地位を占めておられるようであります。また日赤の方でお約束なさつたということは、これはそのために最善の努力をするというように約束されたように理解しておりますので、それに対してただちに日本赤十字の方で食言であるというふうにはならないのではないかというふうにも考えられます。またこの問題につきましては、三団体の方では、特に他の三団体の方では、これを政府がイエスと言わなければ、さらに引揚げを促進するについての電報を出さないのだということを非常に強く言つて来られるところを見ると、あるいは他にこの問題を離れての御意図もあるやにも考えられないわけでもないし、また参りまして、非常に長く御滞在を願つて、自由にいろいろなところをまわつていただくということになればけつこうでありますが、あるいはそれが十分できないということになれば、せつかく日本にお見えになつても、好ましからざる印象をお与えするというようなことになりましたならば、この交渉にあるいは反対の結果を招来することもなきにしもあらずというような点も考えられるわけであります。しかもまた先ほど参考人の一方のお話では、個人引揚げといえども、決してこちらの希望というのでなしに、向うの考え方一つでどうにでもかわるというような点を聞きますと、李徳全女史はりつぱな方でありましようけれども、この方のインフルエンスでもつて特に向う政府の考え方がかえ得るかどうかというような点についても、さらに検討を要する点があるのではなかろうかと存じます。こういう問題はすべて人道問題であると同時に、政治的な考慮もあるのが当然であるということを穗積委員みずからがおつしやいましたが、そういうような点あわせ考えてみまして、よく検討するように大臣にも進言いたしたいと考えております。
  102. 穗積七郎

    穗積委員 それでは政府代表意見は、大臣に報告し、協議をした上で、あらためて近く責任のある御答弁をいただきたいと思っております。  それで、ただ一言注意を申し上げたいのは、先ほど私が冒頭に申し上げましたように、この問題は政治的に取扱つてはいかぬということでありますけれども、われわれの印象から行きますと、日本政府の方がすべての問題を政治的に取扱おうとしておる。そういうふうにとらわれるから向うもよけい政治的になる。ですからその点はひとつとらわれることなしに御処理をお願いいたしたいと思つております。  そこで、時間がございませんから、あと二点だけちよつと伺います。一つ政府に、一つ宮崎さんにお尋ねいたしたいと思います。  政府にお尋ねいたしたいのは、この問題に関連いたしまして、アメリカを初めとする自由主義諸国の戦犯その他のまだ釈放されない者がおりますが、それに対して最近どういう交渉をされ、どういうことになつておるか、どういう見通しであるかを明らかにしてもらいたい。そしてそれを向うが許さない理由は、どういうところにあるのか、その点をあわせて明らかにしていただきたい。  それから宮崎さんにお尋ねいたしたいと思いますのは、宮崎さんのきようの御報告は、われわれたいへん貴重に伺いました。特にあなたの身をもつて体験された事実についてお話をされましたことは、感謝にたえません。ところで、あなたをお呼びいたしましたのは、あなたの経験を中心にしてごらんになつ中国における未帰還日本人全体の状況について、参考意見を同時に求めることができればということで選択してお願いしたのだと思います。しかしながらそのほかの一般の未帰還在留邦人の生活状態、あるいは仕事の状況、そういうものについて、少し公平客観的な御報告をいただくことができなかつたので、中国における最近の未帰還邦人の仕事の関係とか生活状態、こういうことについてごく簡単でよろしゆうございますから、お話をいただきたいと思います。
  103. 小滝彬

    小滝政府委員 先ほど答弁いたしましたところでおわかりくださつたと思いますが、これが人道上の問題であるから、その趣旨に沿うように考えることにやぶさかでないということは申し上げたつもりであります。御質問の戦犯に関しましては、関係各国に対して、絶えず大公使館を通じて、いろいろの申入れをしておることは、これまでも報告した通りでございます。また、今山下委員長もここに見えておられますが、有田さんがゼネヴアに参りました際にも、関係国に対しまして、この申入れをせられましたし、また土田前公使もこの問題で各国をまわつたことも、新聞などで報道せられておる通りであります。ただ今関係各国の方では、個別的に勧告を出し、そしてそれを審査するというような態度をとつておりますために、大量に一時的にこれを解決することができないのは非常に遺憾でございます。しかしフランスの方の残つておる者も近く解決せられるようでありますし、フイリピン政府の方は全部解決したというような関係もありますので、こうしたいいニュースがございますたびに、またそれに関連して各関係国に駐在しておる大公使に訓令して、向うと話合いをさしておるのであります。しかし、今申し上げましたように、イギリスとかオランダ、アメリカ等いずれも、個別的な審査をいたすという建前をとつておりますために、非常に長引いておりまして、関係者の方には非常にお気の毒にたえないわけでありまして、外務省といたしましては、今後もあらゆる機会をとらえ、またでき得れば重要人物の往来があります際に、もつと政治的にも解決して行く方策を講じようと、目下そうした措置を進めておるような次第でございます。
  104. 工藤忠夫

    工藤参考人 ちよつと申し添えさせていただきたいのですが、中国紅十字会を招請するために最善の努力をすると言つたのは、実は招請しても最終的な入国許可の権限が政府にあるので、ただ招請するといえばかえつて食言するのではないかと思いまして、最善の努力をすると言いましたので、結局招請することでありますからどうぞ御了承願いたいのでございます。それから李徳全女史は共産党には入つていない人でございまして、クリスチャンでございます。(「次官何だ、有力な党員と言ったな」「取消せ取消せ」と呼ぶ者あり)しかも保健大臣をやつておりますので、もし来られれば引揚げ問題についても、相当有力な発言権があるのじやないかと思いますので、何とか御考慮を願いたいと思います。特にお願いする次第でございます。
  105. 小滝彬

    小滝政府委員 私が申し上げましたのは、政府の重要なる地位を占めておられるという意味で申しましたので、党員と申しましたのが間違つておれば取消します。しかし今工藤参考人も言われますように、政府の重要なる地位におられる人であるということを私は申し上げるつもりだつたのであります。だから用語が違つてつたら訂正いたします。
  106. 宮崎堅三

    宮崎参考人 ただいま喜多さん、中山さんそれから穗積さんから御質問がありましたことに対してお答えいたします。最初にお断りしておきたいことは、時間が限られておりましたので、すべてのことを皆様の御満足の行くように御説明できなかつたことは遺憾でありますが、この点は疑問の点がありましたら、どしどし御質問くださいまして、それを一つ一つについてご説明したいと思います。  喜多さんから今後どういうことをやつてもらいたいかというお話がございました。これは先ほど申しましたように、向う残つております人は、自分の体験でもそうでありますが、日本で動いておりますいろいろな事態について、まつたく一喜一憂しておるのでありまして、それが中国関係筋に好印象を与える、あるいは悪印象を与えるということに対しても、実に敏感に憂慮しておるのであります。それで、私ここでこういう手を打つたらいいのじやないかというような具体的な方策は、まだ帰つて間もありませず、日本の事情もあまりよくわからないのでありまして、そういう方策を考えておりません。しかし可能であることはすべてやつていただきたい、こういうふうに強くお願いしたいと思います。  それから喜多さんの御質問の中に、一旦天津へ集結したものが奥地へ行つたという御質問がありましたが、これについて向う政府が、日本人帰国に対する熱意があるとかないとかいうというふうなことに関連した御質問でありしたが、天津にいわゆる帰国を前提として集結をした者が奥地へ行つたことはないのでありまして、先ほど私の話の中にハルビンから一旦天津へ集結したというのは、この帰国問題が起るずつと前でありまして、ただ向うを出て来る場合に、帰国をさせるということをその機関人たちが言つて、天津まで連れて来たということであります。これは私は某さんから直接聞いたのでありまして、帰国させてやるからということでここへ来たのに、また奥地で任務につけというから帰してくれというので今あばれているんだという話をされたのであります。今回の帰国で集結しておつた者を、さらに奥地へまわさせたということはございません。私のおります第六回まではそういう事実はなかつたのであります。  それから集結した者が奥地へ行つたという一つの例は、河南省の汲県の場合でありますが、これは帰国をさしてやるからという集結であつたか、あるいは別な名目であつたか、この点はわかりません。これは私にそのことを話してくれた人間も、どういう条件で集結をしたかということは聞いておらないと言つておりました。ただ第七回の帰国の直前に、そういう河南省の汲県といういなかに十数名集まつたという事実があり、第七回の船が出る前にそれがどこかへ行つたという事実があつたということであります。  それから中山さんから御質問がありました、現在中共に残留している人たちのことでありますが、天津だけの例から見ましても、この中に相当数中国人と結婚をして向う残つておられる婦人方がおられます。自分の感情からいえば日本へ帰りたいのはやまやまであるけれども、結婚して子供がある、その子供を連れて帰つてはいけない、子供は残して行け、お前一人帰れということを警察の方で言われますので、子供の愛に引かされて帰りたいのはやまやまであるけれども帰れないというふうな、気の毒な方々がずいぶんたくさんおられるのであります。一体どういう人たち残つてどういう人たちが帰つたかということは、帰つて来たわれわれでも判断がつかないのでありまして、これはまつたくこちらでもつて推測をすることのできないことであります。私の感じたところでは、向うに何らかの理由があるのだろうとは思いますけれども、帰る帰さないというようなことは、直接警察の外事課が担当しておりまして、それの指示に従つて動くだけであります。どういう方が残つてどういうふうなことをしておられるかというようなことは、まつたくわからないのであります。  ただいま穗積さんの御質問にありました未帰還者の一般人の生活と仕事の面でありますが、大体向うのいろいろな企業、工業なり商業なりというものが、ほとんど国営になつておるということはすでに御存じ通りでありますが、そういうところに勤めております日本人の生活、職業、これは安定をしております。そうしてそれ以外のいわゆる一般社会人がいないかといえば、やはりそうではなくて——私も何もそういう方面に関係なくただ一般市民として、まあ市民と同等の立場で天津で働いておつたのでありますが、そういう人間は自分の責任において生活するのでありまして、特別に向う政府から保護あるいは保障を与えられてはおりません。それで現在残つておられる方の中にも、そういう立場の人たちがないとは限りませんけれども、しかしほとんど大部分の人たちが国営の諸企業の中で仕事をしておられますので、その点は、まず生活をするということについては心配はないと私は考えております。それは例外の問題として失業をした人、あるいは自由人として社会の中におられる人、こういう人はいるわけでありまして、そういう人々はその人々の能力に応じて楽な生活をしている人もあり、あるいは非常に苦しい生活をしなければならない人もおるわけでありますが、ただいま申し上げましたように奥地の方に移転させられたという、たとえば旅順、大連地区から重慶あるいは太原そのほかの地区へ移動させられたというようなことが載つておりますが、そういう場合には必ず新しい土地において仕事を与える、そうして生活のめんどうを見てやるというのが向うの行き方でありますから、その人々の生活については別段の心配はなかろうと私どもは思います。  これで私に御質問のあつた項目は御答弁したと思うのでありますが、足りませんところがございましたら……。
  107. 上塚司

    上塚委員長 戸叶里子君。
  108. 戸叶里子

    ○戸叶委員 時間がありませんので簡単に伺いたいと思います。先ほどの李徳全女史の招聘の問題は、外務次官もお聞きの通りでございますし、ぜひともこれは実現をしていただきたい。ことに李徳全女史がどんなに政府の重要な役についておられたといたしましても、紅十字の代表としてお呼びになることですから、その点はぜひ外務大臣にもお話なつて、一日も早く招聘されることを希望いたします。  そこでもつと根本的な問題になるのですけれども、どうも政府は日ソ、日中との関係となりますと、ややもしますと、そこにカーテンを置くような傾向に私どもはうかがえるのですが、その友好交歓というものは決して引揚げだけの問題でなくして、国交の親善にまで非常に影響のあることだと思います。ですから単に紅十字の人たちだけでなしに、もつと文化団体の人とかあるいは国の代表人たち一つのグループにして交歓を行う、交流を行うということまで考えるべきだと思いますが、そういうふうな積極的なお考えはないかどうか承りたいと思います。
  109. 小滝彬

    小滝政府委員 もともとこちらの方でカーテンをかけたのではなくして、サンフランシスコでも結局ソ連の方が平和条約にも加わつてくれなかつたのであります。今後ソ連の方で平和条約を認めまして、あるいはこれに類したような、あたかもインドとの間にあるようなあるいは中国政府との間にあるような条約でもできるということになれば非常にけつこうなことでありまして、私どもはイデオロギーが違うからその国との国交を開かないというような考えを持つているわけじやございません。ただ直接の問題は、おそらく学術会議があるときに人を出すとか、また日本へ来てもらうとかいう点をもう少し緩和したらいいじやないかというお考えだろうと存じますが、単純なスポーツの会合につきましては、過般もスケートの選手が日本に参りましたことは御承知だと存じます。ただ今後相互に人の往復を認めるということになりますと、実は現在の旅券法などでもいろいろ技術的に困難な点もございまして、今の情勢下におきましては急にこれを開放的にするということは、いろいろ困難な事情がありますので、これから先情勢の進展に応じては考えなければならない点であろうと存じますけれども、現在はそうした困難もあるので、急に積極的な措置はとり得ないというように考えている次第であります。
  110. 戸叶里子

    ○戸叶委員 その問題はまた別の機会に伺いたいと思います。そういつた困難な場所があるならば、旅券法なり何なりをいい方に改正していただきたいと思いますが、今日考えておられます旅券法の改正というものが、ややもするとそういう道をもつと封じようとするかのように私ども感じられます。今日の参考人の方々からのいろいろのお話をお聞きになつていましても、いろいろな面での交流が必要だということがおわかりのことと思いますので、どうかその道を進んでお開きいただきたいと思います。  次にお伺いしたいのは、先ほどソ連から引揚げていらつしやいました長谷川さんがお話なつたことですが、いろいろな輿論を起したり、あらゆる手をもつて残留の人たちを帰していただくようにしたい。私どももほんとうに一日も早く皆さんがお帰りになることを望むものでございます。先ほどちよつとおつしやいましたが、留守家族の人がマレンコフ氏に手紙を書いて送ろうとしたり、いろいろしているということでございます。そこで政府の方からは、マレンコフ政権と正式な国交は回復しておりませんから 公式には手紙を送つたりなんかすることはできないかもしれませんけれども、今日の政府のよくとられている外交で、非公式の公式というようなことをアメリカ側とはしていられますので、そういうような形で何かこのマレンコフ氏への交渉というようなことも考えてみていただきたいと思いますが、そういう点はお考えにならないかどうか。
  111. 小滝彬

    小滝政府委員 個々の引揚げについてのとりはからいについては、日赤の方でおやりになつていることは、先ほどから述べられておる通りであります。政府としてやつておりますことは、これはお言葉にもありましたように、日本は正式の国交がないから、こうした問題に最も重夫なる関心を持つておる国際連合を通じて、常にソ連側にこの趣旨を伝えようと努力しているわけであります。もう何回となく捕虜特別委員会には日本から代表も出しておりますし、また報告書は第三委員会にかけられ、第八回の総会にもかけられて決議がなされておりますけれども、不幸にしてこれに直接関係のあるソ連その他の国が、これに反対をするというような状態でありますので、こちらの方ではこの人道に関する問題について世界の輿論を喚起し、かつこうした正当なる機関を通じて、相手国がそのメンバーになつておる機関を通じて、そうした要請をいたしますのにもかかわりませず、先方の受答えの方が全然反能がないというような実情で、これははなはだ遺憾であります。しかし政府といたしましては今後ともこうした機関を通じて、引揚げ問題については最善の努力をいたしたいと考えております。
  112. 戸叶里子

    ○戸叶委員 長谷川さんにお伺いしたいのですが、先ほど留守家族の方からマレンコフ氏あてにたくさんの手紙を書かせているというようなお話でありましたが、そういうものは赤十字をお通しになるのでしようか、それが一点。  もう一点は、これはあるいはお話しにくいかとも思いますけれども、いつかの雑誌の座談会で読みましたが、最近のソ連の政治のあり方は大分かわつて来た、マレンコフ政権になつてからのソ連の全般の空気がかわつて来たというようなことを読んだのですけれども、長いこと抑留の身にあつてたいへん御苦労をなさつていらつしやつたのですが、その間に最近何か特に非常にかわつて来たと思われるようなことがおありになつたかどうかを承りたいと思います。  それから、時間の都合でついでに宮崎さんの方にもお伺いしたいのですが、私どもは、中共からお帰りになりました方々が、いろいろ中共の変化について述べられた点を通したり、あるいは本を通して、日本の国としてもある程度考えさせられるようなことが、いろいろあるように思います。中共においでになりまして、あなたの目でごらんになつて、中共の政治のあり方に対して、こういう点がよいとかいうふうに、特にお感じになられたことがありましたら、おさしつかえなかつたら承りたいと思います。  それからもう一つは、旅大でですかどこかで、婦人が非常に帰りたくていらつしやるのに、どうしても帰られないというのですが、その方はどういうお仕事をしていらつしやるのか、何かお仕事と関係がおありになるのかどうか、その点も承りたいと思います。
  113. 長谷川宇一

    ○長谷川参考人 留守家家族からマレンコフ首相、ヴオロシーロフ議長にあてました手紙は、現在は御承知の小畑夫人がやつておられますところで集めておられます。あそこから出すようにその会では言つておられますけれども、一部工藤さんの方にも行つているかもしれません。それから先はどうなつているか、単独にお出しになることはありますけれども、別に別口からそつちへ行つているか、これは存じません。マレンコフ政権になりましてから物が安くなつたとか、あるいは物が豊富になつたとかいう具体的な面は、いまだその現われを見ずして帰つて参りましたから、わかりませんけれども、われわれの感じます寒気は、きわめて明るくなりました。彼らの表情におきましても、作業場におきます言動におきましても、またあのことがありましてから以後のメーデーの際も、今までは黙々としてデモンストレーシヨンだけやつて、大きなスターリンの旗を立てて、黙つてつてしまつて、あとはひつそりしておりましたのに対して、今年のメーデーのにぎやかであつたこと等がこれを反映しているように思います。
  114. 工藤忠夫

    工藤参考人 嘆願書の話でございますが、今回私たちがモスクワに行きましたときマレンコフ首相あて、モロトフ外相あての嘆願書をずいぶんもらいましたが、モスクワの赤十字社に伝達方を願いましたところ、赤十字社から拒絶されまして、これは赤十字の径路で受付けるべきものでないから、自分たちの方では遺憾ながら受諾しかねる。どうかしかるべき方法でやつてくれと言われたので、やむを得ず郵便箱の方へ投函しておいたような次第でございます。赤十字の径路ではどうも政府筋にあてた手紙は受付けないのじやないかと思います。御参考までに申し上げます。
  115. 宮崎堅三

    宮崎参考人 ただいまの御質問でありますが、中共の政治のあり方、これについて一口に申し上げるのはなかなか困難でありますので、先に旅大の某さんの件を申し上げます。  この方はたしか五十数歳かで、東京の女高師をお出になつておるように聞いておるのでありますが、御主人は前に日本向うにおりました当時安東市の副市長をやつておられた方で、姓は某というのでありますが、姓だけで名前の方は知りません。その御主人が漢奸で勾引されましたのが、一九五二年の初めか一年の終りごろだつたらしいのでありまして、私どもが知りました動機というのは、先ほど申し上げました二十歳前後になるむすこさんでありますが、これはお父さんが中国人でありますので、当然中国の国籍を持つておりまして、この人がお母さんを日本へ帰らしてあげたい一心で、中国人は自由に旅行ができますので、まず大連から天津へ参りまして、天津である悪い人間にだまされまして持金をなくしたりいろいろ危険な状況にありましたのを、私の知人が私の家へ連れて来ましたことから実はわかつたのでありますが、端的に申しますと、この某さんという方は、御主人が勾引されて以後職業がないのであります。むすこさんが学校へ行くかたわら、いわゆるアルバイトして糊口をしのいでおつたのでありまして、向うではいろいろ奔走してもどういう理由が知りませんが、なかなか職にありつけない。それで天津の私の友人、中国人の宅でありますが、そこで女中に使つてくれないかということで、そういうかわいそうな方ならば女中に使つてもいい、そうして帰られるまでめんどうを見て差上げてもよろしい。場合によつては旅費を差上げてもよろしいというふうな話だつたので、天津へ呼んであげたいと思つたのでありますが、そのことを詳しく言つてやりましていろいろ向うで折衝さしたのでありますけれども、どういう理由からかそれも許可になりません。それで大連の近所の城門外に住んでおられますが、そこからどこへも一歩も動くことができない。許可にならない。おそらく今度も帰つておられませんので、その後生活の方も非常に苦しいのじやないかと、こう思います。  それから中共の政治のあり方でありますが、これは受取る側の人々の階級によつて大分違うのでありますけれども、一般的に申しまして、国力がぐんぐん伸びて行つておる、建設なり何なりの方面で積極的にどしどし伸びて行つておるということは、これはどなたがごらんになりましてもわかるところであります。それがどういう理由によるかというようなことは、いろいろ批判の仕方もあるだろうと思いますけれども、私どもも一介の市井人として天津市内で生活して感じました感じから行きますと、何でもが非常に統制されておる、型の中にはまつておるという感じを非常に強く受けるのであります。たとえばメーデーのデモンストレーシヨンあたりにしましても、各機関——まあ日本流に言えば役所でありますが、そういう役所とかあるいは工場とかそういつた集団的な単位をなしたところの従業員が団体を組んで出て来る、これはあたりまえなのでありますが、そのほかに一般市井人、たとえば小さい商店であるとかあるいは町工場に働く人であるとかあるいはただの住民であるとか、そういつた人々を動員するというのはこれは派出所の仕事でありまして、まことに妙な話でありますが、何々派出所管内住民動員大会といつたようなものでおまわりさんが戸別にまわつて歩きまして、一軒の家は一人だけ留守番を残して、あとは全部出て来いというので、腰の曲つた六十、七十のおばあさんまで出て来るといつたようなこともあるのであります。昨年度のメーデーのときにはそれが多少緩和されまして、あまり強制的に出させようというようなことはなかつたのであります。けれども、それでもまだ何々派出所管内の住民動員というので、おまわりさんが一人つきまして、何百人かの一集団をつくつて行進するというようなことも見られる。そういうことのよしあしということは私批判は差控えますけれども、そういうことの事実があるということであります。  また隣組の組織といつたようなものも、中共が入つて来ましてから非常に厳重にやられるようであります。日本人の隣組とほとんどかわらないのでありますが、たとえば知人でも何でも、その家に寄留の戸籍のない者を夜十二時過ぎてとめる場合には、必ず派出所に報告しなければならない、これを報告を怠りますと、隣組五軒なり六軒なりは連帯責任で処罰される。われわれ外国人の場合にはことにそれがめんどうなのでありますけれども、十二時を過ぎて届出をしないといつたようなことになりますと、ひどい処罰があるわけでありまして、友達が来て話し込んでつい十二時を過ぎると、あわてて外事課まで行かなければならぬ、これは派出所では間に合いませんので、本署の外事課まで行かなければならぬ、向うは当然休んでおるのでありますけれども、一旦受付に行つたという事実を証明してもらつておきませんと、あとで弁明が立たない。何だか非常に束縛されたような面だけのお話をするようなことになつてしまうのでありますけれども、市井で生活しておりまして、そういうことをひしひしと感じるのであります。全般的にいろいろなお話を取上げて申し上げれば、それほど強くお感じにならないと思いますけれども、時間が許しませんし、そういうことを一々ここで思い出してお話して行くわけにも参りません。私は市井人として生活しておつたのでそういうことでありまして、機関に勤務をしておつた日本人あたりになりますと、その点は非常にルーズでありまして、また警察の方でも大目に見てくれますので、そういう立場におられた方々の感じは、むろんわれわれとはよほど違うのであります。御質問の要点に合つておるかどうかわからないのでありますけれども、こういうことは個々の問題をとらえて座談的にでもお話しなければ、なかなかほんとうの意のあるところはお伝えしにくいのであります。どうぞ御了承願います。
  116. 上塚司

    上塚委員長 並木芳雄君。
  117. 並木芳雄

    並木委員 そこで端的にお尋ねしますが、今まで聞いておりますと引揚げの問題は複雑怪奇であります。そこで私は政府に責任ある言明をしていただきたいのですが、ソ連の第二船というものは来る見込みがあるのかないのか。今まで政府はずいぶん努力しておられると言いますけれども、内地における残留家族としてはそれが何よりも知りたいところなのです。もし来る見込みがあるならいつごろか、またほとんど見込みがないのかどうか、それらの点についてまずはつきりした言明をこの際いただきたいと思います。
  118. 小滝彬

    小滝政府委員 はつきりした言明ということは非常にむずかしいことでありまして、向うで結集に時間がかかつておるというふうに言つておることは、工藤参考人も述べておる通りであります。われわれとしては、これができるだけ早く実現することを熱望し、そのためには日赤とも協力いたしたいというように考えております。
  119. 並木芳雄

    並木委員 田辺さんに聞きますが、今の次官お話以上にその後の進展は見てないのですか。
  120. 田辺繁雄

    ○田辺政府委員 別に進展を見ておりません。私の方といたしましては、いつ通知が参りましても、船が出せるように、興安丸を今繋船しているわけであります。
  121. 並木芳雄

    並木委員 なかなか楽観を許さないのですが、先ほども参考人の方から、朝鮮における捕虜の問題とからみ合せて、集団引揚げをやらせたような形跡も見えるという重要な御発言があつたわけなのですが、捕虜の問題が一段落を告げた今日、そういう観点から見ると、前途はすこぶる悲観的になつて来ます。そこでこの捕虜の問題は、立場の違うものの間で、日本の中でも明らかに相対立する二つの論争がかわされておりますが、政府はいかなる見解を持つておられるか、朝鮮の捕虜問題についてはつきりした見解をこの際お伺いしておきたい。
  122. 小滝彬

    小滝政府委員 政府の見解と申しましても、これは国連側と中共、北鮮側との間、また中立国俘虜送還委員会との間で意見が違つておるわけでありまして、政府の見解を述べる筋合いじやないのですが、私どもが今まで調べたところによりますと、あの休戦協定の条項の中には、中立国の俘虜送還委員会がその管理を引受けてから百二十日以内に何らかの合意に達しなかつた場合には、俘虜の地位から解放するというような文字もあるようであります。これがアメリカ側のとつた見解だろうと思います。しかし中共の側から行きますと、結局これを解放するということは、政治会議の決定にまつべきものであると言い、一方また説得工作の方も、国府とかあるいは韓国あたりから特別な文書を入れておるためにかえつて妨害されていて、この説得が十分効果を奏していないから、九十日間だけ説得期間をさらに延長するように要求しておる。双方の主張が対立し、またテイマヤ議長の方も必ずしも米国側の見解に賛成はしなかつたけれども、とにかくあの俘虜を関係交戦国の方へ引渡すということで、この責任を解除されたという関係に立つたわけであります。あとになりますと、いろいろ込み入つた関係に陥るために、そうした中立国の立場も考えたためでありましよう、引渡した、ところがそれに対して国連側の方では、反共俘虜を一方は韓国の方、一方の大多数は台湾の方へ輸送したというような関係なつて紛糾しております。しかしこれは日本といたしまして直接関係のないことでありますので、政府の見解じやありませんが、今後デイーンが帰つて参りまして、予備会議が進行し、政治会議が開かれるようになれば、共産側の方はいろいろの言いがかりをつける材料に使うかもしれませんけれども、とにかく俘虜の問題は一段落ついたというかつこうで、これから先は政治会議でいかに取扱われるかが問題になるだろうというふうに考えております。
  123. 並木芳雄

    並木委員 これが引揚げに及ぼす影響を政府はどういうふうに見ますか。
  124. 小滝彬

    小滝政府委員 ただいまの参考人お話では、非常に関係があるようにも述べられましたし、事実間接的な関係は全然ないとは申せないでありましようが、直接的に非常に大きな関係があるというようには、見られないのではなかろうかというように考えております。
  125. 並木芳雄

    並木委員 もう一点だけお尋ねいたします。私は、やはりこの共産陣営というものが平和攻勢に出ておるならば、日本もその力に乗つて、たとえば向うがどういう攻勢であろうと、今までデッド・ロックにぶつかつてつた共産陣営との国交の打開に、この辺でそろそろ一歩を踏み出すべきときじやないかとも思うのです。先ほど来小瀧次官は、カーテンをおろしておるのは向う側だと言つておりましたけれども、これは何も必ずしもこちら側からカーテンを上げるように仕向けてはならぬということにはならないと思います。何か日本政府に対して外部からの圧力がありますか。
  126. 小滝彬

    小滝政府委員 まず最後の点から申しますと、何も日本が他の国からの圧力によつて逡巡しておるというようなことはございません。しかし今並木君のおつしやる御趣旨は、私もよくわかるところでありまして、現にベルリンで開かれておる会議にいたしましても、原子力に関する米ソの話合いにいたしましても、アメリカの方も警戒しつつではあるけれども、平和的なチャンスをつかみ得るならば、そうしたものをつかもうという態度なつておる。ことにイギリスやフランスなどはそういう関係にありますし、インドシナの問題にいたしましても、フランスあたりはそれを希望しておるだろうと思います。こういうふうに情勢がだんだんかわつて来ておるということは私は否定いたしません。従いましてこうした情勢に応じた策がとられなければならぬということを、先ほど戸叶委員の御質問お答えする意味で触れておきましたが、この並木君の御趣旨はまことに了解のできる点であります。ただしかし、具体的にいつどういうふうにやつて行くかということは、個々の問題に応じて十分検討しなければならない。これがほんとうに平和を希求してあくまで両陣営が一緒になるという動きでないことは、改進党でもお認めになつておる通りでありますから、この点は警戒しつつ、しかしそれかといつて平和的な雰囲気を築き上げるチャンスがあるならばそれを見のがさないように、政府としては最善の努力をしなければならないというように考えておる次第であります。
  127. 並木芳雄

    並木委員 たとえば平和条約にいたしましても、先方から申し込んで来るのを待つているという従来の消極的な態度から一歩前進して、こちらから向うにもう一度考え直してもらうように、直接ぶつかつて行くのがいいのじやないかと思うのです。われわれもそういうふうにしてみたらどうか。先ほども国府と同じような条約が結ばれるようになればという次官お話もあつたのですが、これからだんだんそういうふに仕向けて行くように希望するのですけれども次官の所見はいかがですか。
  128. 小滝彬

    小滝政府委員 私は日本の動向というものが世界の情勢を動かすようになるということは、非常に望ましいことではあるけれども、今の日本の国際的地位とか、日本の実力というものを考えて、日本がそうした国際情勢の全般を動かすようなゼスチユアをすることが、はたして正しいやり方であるかどうかということに対しては、多少疑いを持つておるものでありまして、今そういう主張をするということは、かえつて乗ぜられるおそれなきにしもあらずというように考えられます。これは慎重に考えなければならぬ問題であると思います。
  129. 並木芳雄

    並木委員 日本の実力ということを言われましたけれども、実力ということは具体的には何を示しますか。
  130. 小滝彬

    小滝政府委員 どうも愛国心とはどういうものかという話と同じことでありまして、実力というものは、総合的に日本の国力を申しまして、経済的とかあるいは文化的とかすべてのものを総合した意味で申し上げたのであります。
  131. 並木芳雄

    並木委員 今のは論争になりますから私やめますけれども、そういう議論では、実際日本国民としては四等国と言われても私はしかたがないと思う。最後のところの国府と同じような条約を結んだらというお話がございましたけれども、それでは中共政府との間でこういう話が起つたらどうするのですか。国府は国府のままで台湾の国民政府としておいて、別個に中共政府との間で、日本の満足行く条件で二国間の平和条約が結ばれる、政府はこういうことを将来予見して先ほどの御発言をされたのかどうか、またそういう意思があるかどうか。将来国府は国府としておいて、中共と二国間の平和条約を結ぶということがあり得るかどうか。平和の国交再開の打開の一つの方法としてであります。
  132. 小滝彬

    小滝政府委員 先ほど申し上げましたのは、ソ連との関係で申し上げたのでありますが、しかし中共につきましては、ま本はまだ承認もいたしておりません。今後中共がどういうふうに国際社会に入つて来るかということは、非常に大きな問題でありまして、その問題の解決には、もちろん国府の地位がどうなるか、これがいかなる地位に立つか、またそれが両立し得るようなフォーミユラを考え得るかどうかというようないろいろな点が、今後の情勢によつて決定せられるものでありますから、今からそうしたものを予言することはできないと思います。ただ最初の点に返りまして、日本の方からなぜ手を出さないかというふうにおつしやいますが、本日のこの会議においても参考人からるる申し述べられましたように、ソ連は何も日本政府を相手にしない、そうして大山郁夫さんをつかまえて意思表示をする、あくまで日本政府はボイコットしてかかるという態度に立つておるのでありまして、この際日本の方から、そういう態度に出ておるソ連に対して、何か政治的にものを請うというようなやり方が、現実の国際政治において成功するものではないというように、私は信じておるものであります。
  133. 上塚司

    上塚委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には長時間にわたり、種種有益なる御意見を陳述いたしていただき、まことにありがとうございました。委員長より厚くお礼を申し上げます。  なお宮崎君の陳述中には具体的に人名を指摘せられましたが、聞いておりますと、このまま発表せられることになりますれば、たいへん微妙な関係を生ずるものもございますので、この点に関しましては特に私よりも報道関係各位に対して御善処をお願いいたしたいと存じます。  それではこれをもつて本日は散会いたします。    午後二時十五分散会