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1954-09-06 第19回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年九月六日(月曜日)     午後一時五十八分開議  出席委員    委員長 山下 春江君    理事 青柳 一郎君 理事 臼井 莊一君    理事 柳田 秀一君 理事 受田 新吉君       逢澤  寛君    木村 文男君       花村 四郎君    長谷川 峻君       福田 喜東君    並木 芳雄君       村瀬 宣親君    福田 昌子君       山口シヅエ君  委員外出席者         総理府事務官         (北海道開発庁         次長)     谷田 明三君         外務政務次官  秋山俊一郎君         外務事務官          (アジア局長) 中川  融君         大蔵事務官         (主計官)   大村 筆雄君         厚生政務次官  淺香 忠雄君         厚生事務官         (引揚援護局         長)      田邊 繁雄君         厚生事務官         (引揚援護局引         揚課長)    坂元貞一郎君     ————————————— 九月六日  委員吉川久衛君及び町村金五君辞任につき、そ  の補欠として並木芳雄君及び村瀬宣親君が議長  の指名委員に選任された。 同日  山口シヅエ君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  委員派遣に関する件  海外胞引揚に関する件     —————————————
  2. 山下春江

    山下委員長 これより会議を開きます。  本日は海外胞引揚に関する件について議事を進めます。初めに引揚者住宅の問題について質疑を許します。主として予算関係について大蔵省大村主計管に対する御質問からお始め願いたいと思います。
  3. 柳田秀一

    柳田委員 議事進行について。この引揚者収容施設ですが、先般当委員会から派遣せられまして御視察願つたと思いますから、まずその視察の結果を御報告していただいて、その結果かくかくとの御判断が出ると思いますから、これに基いて質疑をやつていただいたら、その方が順序として適切ではないかと思いますが、さようとりはからいを願いたいと思います。
  4. 山下春江

    山下委員長 柳田委員のお申出でありますが、実は視察をして参りまして七月の十四日に委員会報告をいたしましたけれども、御出席にならない方もございましたので、当時出張いたされました長谷川委員及び受田委員より、北海道の現地における疎開住宅の現況を簡単に御説明願えればよろしいと思います。
  5. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 私は委員長受田君と三人で北海道を五日間ばかり歩いて来たのですが、そのときは、疎開住宅の問題、それから樺太、千島に本籍を有した遺族の公務扶助料の問題、その他援護の問題について、開拓地引揚寮その他を徹底的に歩いて来まして、途中から電報を打つてつて来て、五日ほどおいてすぐ委員会を開き、北海道開発政務次官、それから恩給局次長、防衛庁の経理局長、民事局の第二課長外務政務次官、外務省のアジア局長厚生政務次官引揚援護局引揚課長建設政務次官あるいは住宅局長等に御出席願いまして、行つて来た模様について御報告すると同時に、われわれが向うで見た資料に基いてるる説明するとともに、今後の対策について考慮してもらうように申し上げておきましたけれども、その中におきまして、ただいま委員長から言われました疎開住宅の問題につきまして、その当時の速記録の若干を引用いたしまして、ほかの委員方々の御参考に供したいと思います。  第一は、北海道引揚げ縁故者日本が戦争に負ける前からどんどん入れたところであり、さらにまた負けたあとでも今度は無縁故者集団収容して今日定着しているというのがあすこのほとんど大部分であります。また最近の経済不況等からいたしまして苦しくなつている者もあるので、これは今の日本引揚げ縁故者生活状態一つの苦しいモデルになつているのじやないかと思つているのです。そのうちにおきまして最もわれわれが考えなければならぬ問題は、引揚げ縁故者集団収容施設の非常に悪い面であります。これを何とかしなければならぬということは、国会に籍を有するわれわれといたしましては、北海道であるとか、どこどこが選挙区であるとかいうことを抜きにして、徹底的に考えなければいかぬ。たとえば、今度見て来た札幌郊外豊平町、旭川、帯広近郊音更あるいは函館における引揚寮状況を見ますと、これらの大部分明治三十四年に建築されたところの軍用建物の兵舎、うまや、倉庫あるいは戦時中のバラツクの工員宿舎が充てられておりまして、ここへ行つて来たとき、受田君などはほんとうに涙を流しておつたのでありますが、非常な惨状であります。その一つの例といたしましては、函館引揚者港寮中心とする保育園においては、驚くなかれ満六歳以下の園児百四十名のうち三割が結核の初期の状況を呈しておりまして、これにツベルクリンの反応が出ておつても、またレントゲンもとれないでいるという惨状ぶりであります。こういうことがなぜ起るかと申しますと、その原因は結局疎開住宅建設計画予定通り進んでいないというところに原因しておると思うのであります。一方住宅ができて独立している者は、衛生設備がいいし、働く気持はつきり出ておりまして、これは独立生計を常んでりつぱにやつている。しかしながら、何さまこういう明治三十四年来の惨状のところに五人も六人もいる。終戦当時引揚げて来た子供も十才以上になつておる。そのとき七才の子供はもう年ごろになつておる。それが親子六人も七人もいるということになりますから、思想的には悪くなるし、また衛生的にも悪いというところが根本の原因じやないか。  そこで、われわれが見て来た結論といたしましては、北海道にはこのような要疎開世帯は現在一千七百九十五世帯あるのであります。ところが、北海道防寒住宅建設促進法によりまして、簡易耐火住宅をつくらなければいかぬことになつております。また、内地から見ますと建設費が高くつく上に、無縁故者集団収容施設疎開住宅は二十八年度より第二種公営住宅として補助率が従前の七割から三分の二に減らされたために、地方財政が受ける負担はきわめて多いので、各地においてこの補助率を八割に引上げ、残りの二割を起債に求めるようにという陳情が非常に盛んなのであります。由来、無縁故者集団収容は、終戦前より国が北海道を通じて割当てたものでありますから、国がその責任を負うのが当然と考えられるのであります。なお、完全に疎開が終了するまでの暫定措置といたしまして、昭和二十七年度以来打切られた補修費国庫補助を復活して危険な状態を一時的に救済する必要もありましよう。特に、去る五月の風害で破壊された十一戸を擁している音更の場合においては、その必要を痛感したのであります。  今日議題となつております問題といたしましては、厚生省建設省関係において、ただいま私が申し上げた通り一千七百九十五世帯のこの疎開すべきところの住宅対策が、建設省厚生省責任のなすり合いから来年度の模様はつきりしないというところに私は不安があるのじやないかと思う。この点について、きようは建設省並び大蔵省主計官はつきりした御答弁を願うことが、私は北海道について困つている方々に対する何よりの福音だと思います。もうよけいなことは申しません。現状はその通りです。結論は、厚生省責任において昭和二十七年度までやつたことを、建設省に譲り渡して、それが今日千七百九十五世帯上つて、そうしてブロツク建築法律ができて、補助率が安くなつて建物建築費は高くなつている、そこでできにくいということになつているこの対策を一体どうすべきかということが問題なのでありまして、私はその点についてのはつきりした統一ある御見解を示していただくことが、北海道住宅問題の何よりの解決である、こう思つておる次第であります。
  6. 山下春江

    山下委員長 長谷川委員よりの御報告に基いて御質問があると思いますが、厚生省がここに出席される時間がちよつと遅れます。それで大蔵省大村主計官に対して予算面から見たこの問題に対する御質問にいましばらくのところ局限していただきたいと思います。
  7. 臼井莊一

    臼井委員 先般また本日長谷川委員の御報告を伺いまして、非常に疎開住宅が遅れている。また北海道田中知事の同様な要望書が出ておりますが、それによつても急速にこの対策が実施されなければならぬと思うのですが、これらに対して予算面大蔵当局がどういうふうに考えていられるか。また北海道開発庁次長さんがいらしているそうですが、開発庁関係におかれてこの対策にどういう御計画があるかを伺つてみたいと思います。
  8. 谷田明三

    谷田説明員 お答えいたします。北海道における引揚者集団住宅現状につきましては、ただいま長谷川委員から詳細に御説明になつた通りであります。また先般の本委員会におきましても非常に詳細に御説明がありまして、現状つたくその通りであります。私ども北海道開発一つの部門といたしまして住宅政策を担当しておりまする者としまして、何とかしなければならぬということを非常に考えております。ところが、ただいまの御説明通り、従来引揚者疎開住宅といたしまして厚生省におきまして二十七年度まで非常にぐあいのよろしい計画を立つてつた。どういう関係か突如といたしましてこれがかえられまして、今度は二十八年度からは一般公営住宅の面においてこれを救済すべしということになつて非常に困つたのであります。お手元に資料等ございますと思いまするが、やむを得ず、この公営住宅を担当いたしておりまする開発庁といたしましては、二十八年度には引揚者疎開のために百八十戸の予定をいたしました。けれども補助率等の問題でなかなか地元えの市町村が喜んでくれません。二十九年度には三百戸のわくを持ちました。これは、私ども地元は非常に苦しい財政状態でありますので、ぜひ道営をもつてつてもらうことにしております。ただいまの御説明通り、問題は、残る千七百九十五戸をいかに処置するかということでありまして、これは長谷川委員のお説の通り今日もはや議論をして日を費す時期でないと考えます。私どもといたしましては、ただいま申しました通り、もつぱら公営住宅の問題を考えておりまするので、これはまだ決定をしておりませんが、三十年度の予算には引揚者疎開のために約六百戸のわくを持ちたいと考えまして、目下いろいろ作業中であります。もしこれが大蔵省において認められるならば、この要望書ちようど合致するわけでありますが、約三箇年間でこの問題が解決されるということになるのであります。ぜひひとつ、もし従来の厚生省のやつておりました方針がどうしても通らずに一般公営住宅でこれ解決しをなければならぬということになりまするならば、どうしてもこの六百戸は要求通りに獲得いたしたい、かように考えます。
  9. 大村筆雄

    大村説明員 引揚者住宅につきましては、昭和二十七年度まで予算の中で極力簡易木造住宅の改築を促進しております。内地部分につきましてはほとんど大半終りまして、北海道残つたのでございますが、公営住宅法との関係もございまして、公営住宅につきましては建設省所管でやるべきだ、それからまた北海道につきましては簡易耐火住宅中心にしてやらなければいかぬ、そういうふうに方針がかわりまして、第二種公営住宅中心といたしまして北海道引揚げ住宅疎開して行くという方針になつたのでありまして、二十八年度は百八十戸という非常にわずかな戸数しかできなかつたのであります。幸い本年度は全体としてただいま三百戸と申されましたが、私の方としては建設省にもつと相当な数の疎開住宅をやつていただくようにお願いしておりまして、できるだけ御要望の趣旨に沿いたいと考えております。
  10. 臼井莊一

    臼井委員 今の大蔵省お話ですと、三百戸以上建設省にやつてもらえるというようなお話ですが、しかし、建設省の方でそれをやつても、大蔵省の方で予算の査定がどうなのでございましようか。それは、大蔵省あたりではそれ以上と言つても、予算としてはどれくらいまではひとつやろうというお考えがあるのでございましようか、その点をお伺いいたします。
  11. 大村筆雄

    大村説明員 全体の第二種公営住宅予算わくがございます。その中でできるだけ北海道に重点を置いてやつていただくようにお願いするつもりでおります。
  12. 臼井莊一

    臼井委員 それから、もう一つ北海道は、法律がかわつて防寒簡易住宅でございますか、それにかわつたということですが、それは確かに防寒耐火住宅であれば理想に違いないし、法律もそうかわつたのでしようが、名前は防寒でなくても、実際には、北海道の冬は私は経験がありませんけれども北海道あたり見ても必ずしも一般住宅がみな防寒耐火になつているというふうにも見えないので、もちろん暖房の施設ストーブ等でやると思うのですが、理想にばかり走つているよりは、応急の千七百九十五世帯というものを、もう少し簡易な住宅でもいいから急速にする方が当を得ているのじやないかと思うので、その点開発庁の方のお考えはどうでありましようか。もう少し簡単な住宅にして急速にやる方が限られた予算の面においては適切じやないかと思うのですが、その点をちよつとお伺いしたい。
  13. 谷田明三

    谷田説明員 この問題は、この速記録を拝見いたしますると、この前の委員会におきましても非常に問題になつた事柄であるように承知しております。当時建設省政務次官並びに私の方の政務次官が、いろいろ矛盾を感じているけれども建前上やむを得ないというような御答弁があつたように承知いたしております。まことにその通りでございまして、国がいやしくも国費をもつて、あるいは地方公共団体等の金もこれにつくのでありまするが、今後北海道住宅考えまするとき、その耐用年限の問題、あるいはそれよりも増しまして燃料費の問題、——御承知の通り非常に石炭を使い、材木の濫伐が行われているのであります。こういうような関係から、どうしても防寒住宅でなければならぬということになりまして、皆さんお力によりましてああいう特別の法律ができました。おそらくこの建前をくずすことはできないだろうと思うのであります。もしくずしてもよろしいということになりますれば、議員立法でありますので、やはり皆様のお力によりまして特別の措置を講じられなければならぬように思うのであります。ただ、私ども考えまするのに、一応従来の簡易木造建築ならば、とりあえずは安く建築ができまして、従つて家賃等も安いように考えられますが、耐火住宅簡易木造住宅との耐用年限は非常に違うのであります。従いまして、これを年あるいは月にいたしますると、必ずしも簡易木造建築の方が非常に安上りということにはならぬようであります。またこれに住むに要しますところの燃料費におきましては非常な差がありまして、——多少の出費は耐寒住宅に住むことによりまして多くなるのでありまするけれども、必ずしも著しく住まう人の負担が重くなるということにはならぬようでありまして、一応ああいう法律ができました以上は、法律建前といたしましては簡易耐火住宅でやらなければならぬのではあるまいかと思うのであります。その方針の変更につきましては、私どもも研究いたしまするが、議員立法をされました皆さんの方におかれましても、ひとつ御研究を願わなければならぬと思うのであります。
  14. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 問題はそこなんですよ。ということは、簡易木造住宅建築費が安くて建つなら、早くこれが解決するというのが一つ。もう一つは、議員立法をされておりまして、りつぱな防寒住宅をつくらなければならぬ。ところが、町村起債わくがないから、ほとんど北海道町村はお返し申し上げておるというふうな実情なんです。一体今までの簡易住宅なら今の値段でどの程度でできるものか。われわれ見て参りましたが、あのりつぱな耐火構造住宅にわれわれでも入りたいくらいだ。そうして非常に住み心地のいいもので、だれにもああいう家を与えることが国家の設計ですけれども、一面においては暗い三畳の板の間に五人も六人も住んでおる者がいるのです。この貧乏国でありますから、早く私は解決してやる方がいいのじやないかと思う。そういう人々は一軒の住宅に入ることによつてまた自立の精神が出て来るのです。そういう意味合いからして、現在の金において簡易住宅の場合はどれだけ、それから今の耐火建築物の場合はどれだけというふうな大蔵省の大体の目安がありますれば、お互い経済のことも考えなければなりませんし、ただむやみやたらに責めるようなことがあつてはなりませんから、それを聞かしてもらいたいと思います。
  15. 大村筆雄

    大村説明員 住宅の方は私のところでございませんので、資料を持ち合せておりませんから、いずれ次の機会に資料を持つて参りましてその点御説明申し上げたいと思います。木造の方が早くできて問題解決にいいのではないかという点、ごもつともの点もあると思いますが、法律建前もございますし、私どももそれぞれの意見を聞きまして事務を運びたいと思います。
  16. 受田新吉

    受田委員 疎開住宅の問題は、引揚者疎開住宅として厚生省計画したものが二十七年に打切られたという関係があるので、全国的に、北海道のみでなくて、木造でけつこうですけれども、当然疎開住宅をつくるべきところがまだ残されている。これは北海道だけではないのです。ただ、北海道は特別の法律をつくりまして、簡易耐火住宅ブロック建築で出発をしたわけであるのですが、さしあたりここで問題にしたいと思うのは、その疎開をするまでに、今の家が雨漏りしたり風に吹かれたりする、これを補修する工事、もうこの冬も越せないというような当面の問題については、開発庁としてはどう考えておりますか。この点次長から御答弁願いたいと思います。
  17. 谷田明三

    谷田説明員 ただいま事務の者に聞きますると、国有の建物につきましては大蔵省補修をしているのであります。それから、市町村の方になりましたならば、それぞれの市町村がやつておるようでありまして、私どもの方の計画並びに予算は通らない。
  18. 受田新吉

    受田委員 開発庁としてその問題に結局関与する立場でない、これでよろしいかどうか。ただ疎開住宅だけを計画して、当面の問題として目の前のこの冬が越せないようなものに対する処置には関与しないのですか。この間視察してみても、雨戸を直してあげたり、壁の穴をふさいであげたりしなければ、まだ二年も三年も先でなければ疎開住宅計画できないようなところでは、この冬が越されない。それは開発庁として大蔵省市町村にまかしてあるというような簡単なことで、開発庁存在意義があるかどうか。そんな開発庁ならない方がいいのではないか。むしろ総合開発立場から開発庁がこの重大な問題に関心を持たないということは片手落ちじやないかと思うのでありますが、この点について次長より高い観点から見たこの問題の御答弁、それから大蔵省として、この補修工事については二十七年からと思うのでありますが、打切つたようでありますけれども、この引揚者住宅補修費厚生省所管であつたこの大事な引揚者生活根拠を直して、当面の最低の住宅生活をさせるようなそうした基本方針をさらに継続してやるというような意思はないのか、この問題についてあわせ御答弁いただきたいと思います。
  19. 谷田明三

    谷田説明員 お答えいたします。ただいまお答えいたしましたのは、現に事務上私の方の予算を通らない問題であるということを申し上げたのでありまして、こういう現状に対して関心を持つておることにつきましては、ただいまお話通り北海道総合開発立場から非常に深い関心を持つておるのであります。その意味におきまして、先年私も皆さんの御調査になりました一部の集団住宅惨状を拝見いたしたのでありまして、非常に深い関心は持つております。従いまして、私の方の直接の事務ではございませんが、ただいまお話通り高い観点に立ちまして今後厚生省並び大蔵省等に対しまして十分これが修理を完全にいたしますように、そして少しでもすみやかにこの冬だけでも越すことができますように努力いたしたいと考えております。  次に、もう一件、先ほどのお尋ねに関連することでありますが、これまた事務上の問題であります。開発庁といたしましては公営住宅の問題を担当しておるのでありまして、もしこの引揚者住宅問題が公営住宅の面において解決しなければならぬということに相なりまするならば、やむを得ず耐火住宅の問題になるというのであります。しかしながら、二十七年度までに厚生省あるいは引揚援護庁でやつておられましたああいう方式で行くということになりまするならば、私ども双手をあげて賛成いたしたいと考えるのであります。
  20. 大村筆雄

    大村説明員 建物補修費の点でございまするが、これは引揚者住用に限定いたしませずに、原則論として申し上げますと、借家の場合は、借りた人が借料払つて、それで所有者がその借料で家を修繕するのが建前でございます。従いまして、二十六年度までどういう形で出しておつたのか今はちよつと思い出せませんが、これは十分検討してみたいと思います。おそらくは、相当北海道引揚者住宅はひどいものですから、国としてもほうつておけないという立場から見たんだろうと思いますが、ただいまお話通り相当ひどいという実情でありますので、これは過去の例も調べまして、どうするか十分検討してみたいと思います。
  21. 長谷川峻

    長谷川(峻)委員 大村主計官ちよつとお尋ねしますが、北海道疎開住宅については建設省厚生省に従来の関係があつたわけですが、三十年度の予算ももうそろそろどこの省でも出しつつあるわけです。しかもこれは大きな政治的問題、社会問題を含んでおりますから、今のところは建設省関係があるわけですけれども、今まで建設省とどういうふうな話合いになつておりますか。建設省から全然話がありませんか。あなたは先ほどなるべくよけい希望に沿うというお話でありましたけれども具体的折衝として建設省の方から話が来ておるかどうか、それを承りたい。
  22. 大村筆雄

    大村説明員 先ほど、できるだけ建設省にお願いすると申しましたのは、私実は建設省を担当していないものですから、私としましてはもちろん引揚者住宅を極力疎開したいという気持はございますので、建設省予算担当官を通じまして、できるだけ北海道引揚者住宅疎開促進してもらうようにということを頼んでおるわけでございます。
  23. 福田昌子

    福田(昌)委員 当面の問題といたしまして、今ある家に居住いたしております人たちは冬を迎えるにあたりましていろいろと補修が必要である。その補修の費用というものは、これまで、ことに二十七年度以降のごとき、はつきりどういう形で出されておるかわからないが、研究なさるというお話でありましたが、非常に心もとない気がいたすのであります。三十年度の予算もほぱ腹案があることと思いますので、はたしてどういうふうにこの補修費を出すかということをもう少し具体的に御説明願いたいと思います。
  24. 谷田明三

    谷田説明員 三十年度の予算要求の数字はまだはつきりしておりませんが、しかしながら、先ほどの長谷川さんのおつしやる通り、千七百九十五戸の問題は、公営住宅わくを年々約六百戸とりまして、三箇年間でこれを解決いたしたいと考えております。すなわち、私の方の心組みでは、この住宅解決のために三十年度には約六百戸のわくを持ちたいと考えまして今積算中であります。近く大蔵省に向つて要求しなければならぬと思つております。  なお、先ほども申したことでありまするが、この問題が大分前から起つておりまして、私の方といたしましては、その当時、今から七、八箇月も前でしようか、すなわち、二十七年度から従来援護庁並び厚生省の方でやつておられました疎開住宅方針がかわつたということにつきまして大いに不服を持つたのであります。ひとつ援護庁厚生省も引続きこの問題を君の方の問題として考えるべきじやないかと、それぞれの省の責任者に個人的に折衝したくらいでありまして、その惨状につきましては私非常に同情し、何とかしなければならぬということをその当時から考えておりますることを再び申し上げたい。
  25. 福田昌子

    福田(昌)委員 そのお話は何回も聞かせていただいた御答弁であつたわけでございますが、私どもがお伺いさせていただきたいと思つておりますのは、この千七百九十五世帯人たち措置として、三箇年間に簡易耐火住宅を建設して、それに引越してもらうということももちろんですが、そのほかに、三十年度、三十一年度引越さない間に相かわらずそのボロ家に住んでいなければならぬ。その間の補修をどういう形でしてくださるのか、そのごくこまかな当面の問題をお伺いしたわけなんです。
  26. 山下春江

    山下委員長 厚生省はいま少し遅れると思います。今引揚課長だけは見えておりますが……。  そこで、私は委員全体にお諮り申し上げたいのですが、こういう問題は役所の考えることでなくて、この委員会が、第二種公営住宅で行くよりも、あの惨状はもう見ていられないから、法律も修正しても、とりあえず疎開さす木造住宅でも建設せしめるようにするためには、法律の修正がいると思うのであります。そういうことが適切であるかどうかを本委員会結論を出して、そうしてその結論によつて、しかるべき委員会に申し出て、その修正をしてもらうということが大切ではないかと思います。それで、開発庁次長ちよつと承りたいのですが、新聞で見たところですが、棟方長官から北海道開発に関する予算はばらばらでなく一本にまとめてもらいたいということの申入れが大蔵大臣にあつたと新聞に出ておりますが、こういう問題をも含めてお話なつたものかどうか。そうであれば、またこの委員会としても考え方がありますけれども、そうでなければ、この委員会が一番専門家がそろつておりますから、ここで、あの惨状をあのままにしておけないから、とりあえず北海道ではあるけれども、簡易耐火第二種公営住宅でなく、木造疎開住宅を建設すべきだという結論が出れば、法律を修正する必要がある。
  27. 福田昌子

    福田(昌)委員 私どもも、ただいま委員長のご発言と同じ気持ちを持つていて、そこまでこぎつけるための内容を知りたいと思つて質問申し上げたわけです。従いまして、そこまで行く段階にいろいろ私お伺いしてみたいと思うのですが、厚生省の方がお見えになつていらつしやらないということでありますから、大蔵御当局の方だけでもけつこうでございますから、まず三十年度のこの第二種公営住宅予算——まだもちろん御決定のわけでもありませんし、ごく概略のことしか伺えないと思いますが、その予算の総額、そしてまたそれによつて建て得る戸数、そしてまた各地方から要望いたしておりまするところの需要度、少しずれておるかもしれませんが、そういうものをまず伺わせていただきたいと思います。
  28. 大村筆雄

    大村説明員 ちようど私が担当しておりませんが、かりに担当いたしておりましても、まだ建設省の要求が参つておりませんので、もちろん詳細に申し上げられないと思いますけれども、ただ考え方だけを申し上げますと、大体予算の規模といたしましては、今のところ予想いたされますのは、ことしの予算程度のものが踏襲されるのじやないかと考えておりまして、その中でやる工事でございますから、そう飛躍的なものを期待できないかと思いますけれども、私ども気持といたしましては、北海道引揚者住宅惨状にかんがみましても、できるだけわくはふやして行きたい、そういう気持でおります。
  29. 臼井莊一

    臼井委員 今委員長からもお話の、結局耐火構造の法律通り建物で行くか、あるいはそれを直しても木造でもつと数をふやす方がいいかという、この問題なんです。先ほど開発次長にお伺いしましたのも、木造建物でも、なるほど燃料あるいは耐用年数等は非常に違いましよう。従つて償却というような面も違つて来るかもしれませんが、しかし要望書に出ているのを拝見しますと、坪当りに見ても、木造であれば三万六千二百四十円で済む。これが耐火構造になると相当高額になつて来て五万一千円以上になつている向きもあるようです。また家賃などを見ても非常に高額になつているようです。でありますから、燃料費や何かは多少よけいかかつても、家賃が安ければ住まう人もいいでありましようし、第一には現在住んでいる寮の修繕費さえも十分でないというような状態でありますので、理想をあまり追うよりも、とりあえず疎開住宅については限られた予算の中で数をつくるという方向に行くのがむしろ適切ではないかというふうに思うのであります。そういう点を先ほど次長に意見を伺つたのですが、次長としては、法律ができているので、現在の耐火で行くよりしようがない、国会の方でそれが不適当だと考えてこれを改正すれば別だがというようなお話でありましたが、私の伺いたいのは、木造でも十分いいんだ——十分ということでなくても、不十分ながら数は十分できるからその方がいいというふうにわれわれは考える。その点のご意見をもう一度伺つて疎開住宅に限つては一応木造でもよろしいというような改正のことも、いいとなればできますし、また場合によつては政府の方からそういう提案を出してもいいんじやないかと私は思うのですが、その点を伺いたい。
  30. 谷田明三

    谷田説明員 お答えいたします。御承知の通り北海道住宅、これは個人住宅でありますが、たくさんの木造がございます。これがために特に燃料等の問題が起つております。従いまして、私どもはいかなる理由があつて北海道住宅はことごとく防寒耐火でなければならないとは考えませんが、しかしながら、いやしくも国がああいう法律をつくりまして、国費あるいは地元の公共団体の費用をもつてその団体あるいは国の財産として今後住宅政策をやつて行くということになりますれば、ああいう法律があります以上は、それに手を加えずして、便宜主義による木造建築というものはできないのであろうということを考えるのであります。ただ観点を別個にいたしますならば、非常に緊急でありますし、また住まう人々の生活程度等も考えまして、自由な立場から考えますならば、私は何も耐火でなければならないとは思いません。しかしながら、どこまでも現行法の建前を申しているということを御了承願いたいと思います。
  31. 受田新吉

    受田委員 大村主計官厚生省の御担当でありますか。——しからば質問をさせていただきますが、厚生省引揚者疎開住宅については年次計画的に予算の要求を大蔵省にしていたはずです。従つて建設省公営住宅の一本化をはかろうとして、厚生省が毎年立案して出したその問題を建設省によつて踏みにじられたという歴史を持つておりますことは御承知と思います。この問題について、引揚者疎開住宅のような、当面木造で簡易な住宅をつくつて、さしあたつて最低生活のできるような住宅をつくるというようなこの問題さえも、建設省が権限を大いに振りまわそうという、あまりにも横暴をきわめた考え方に対しては、大いに反省の要があるのではないかと思う。従つて、今私が質問申し上げ、福田さんからの御質問があつて主計官も何とか検討したいという御答弁があつた。来年、再来年——まだ新年度の計画に入つていないのですが、疎開されざる住宅補修というような問題もあわせて、いま一年間ぐらいはこの問題に関心を呼び起さぬというと、とても処理できない。最低生活ができない人さえいるわけですから、ここで大蔵省として指導的観点から、厚生省が多年考えて来て、まだ完成していない木造引揚者疎開住宅については、今臼井さんが御質問なつたように坪一万五千円も低い単価でできるのだから、これを多数つくるようにしてもらいたい。しかも家賃の負担も安くて済む。これは北海道だけでなく全国的のものでありますから、こういう点について北海道に限定しない高い観点から見た木造建築をしばらくの間——多年ではございません、この数年間これを続行し、補修もあわせて続行してもらいたい。この補修というのを削つただけでも、たいへんゆゆしい厚生問題が全国的に起つております。こういう点について大蔵省において再検討して、いま一度この予算わくを新らしく別わくをつくるかどうかして復活させるような御措置相なるように御研究いただきたい。臼井さんの御説のように、政府提案の法律改正という形でもいいから、そういうものを速急にお出しになるように政府も御研究いただく、その問題についわれわれ国会側としても研究して行く、こういうふうにして当面困つている人々を一刻も早くさしあたり救つてあげる措置が必要だと思いますが、その点について大蔵省は私の説に賛成かどうか、御答弁いただきたい。
  32. 大村筆雄

    大村説明員 ただいまの御質問の点につきましては、私ども十分慎重に検討さしていただきたいと思います。
  33. 山下春江

    山下委員長 それでは、ただいまの問題は、ここで結論も出ないと思いますので、本委員会終了後理事会を開いて、理事会で結論を出したいと思いますが、御異議ございませんか。
  34. 山下春江

    山下委員長 さよういたしたいと思います。
  35. 臼井莊一

    臼井委員 次長さんがいらつしやるので、ついでに伺いたいのですが、引揚者の就職の問題でございます。これがどうなつておりますか。これから中共あたりから引揚げて来る方を目の前に控えて、就職問題が一番帰つて来られる方に関心もあるし、またわれわれとしてもそういう点を非常に心配しているのですが、何か優先的に引揚者に対して勤め口なりあるいは開墾の便宜を与えるとか、そういうことを開発庁としてやつておられるのでございましようか。もし御計画があれば伺いたい。
  36. 谷田明三

    谷田説明員 お答えします。引揚者に対しましては特別に就職あつせんの業務は開発庁としてはいたしておりません。しかしながら、特に樺太の引揚者等特殊の技能を持つている者につきましては、北海道開発の建前から、相当強く援助し、またあつせんをしているのであります。たとえば、名前は非常にわかりにくい名前でありまするが、私ども予算をごらんいただきますと魚田開発という予算がございます。これは主として沿岸の漁業民の入植の問題であります。これらは樺太その他の引揚者にして従来現地において漁業に専念しておつた者を大部分その方面に入植さしております。また一般農業の入植におきましても、特に希望者等につきましてはそれぞれの開拓地に入れまして助成をしておる現状であります。ただ、一般引揚者個々人に対しまして、それぞれの適性に応じましてこまかい職業の補導をするとか、あるいは就職のあつせんをするとかいうことは、私どもの仕事としてはいたしておりません。
  37. 臼井莊一

    臼井委員 そうすると、そういう補導あつせんというのは、北海道庁としてはおそらくやつておると思うのですが、その点は次長の御観察では大体十分やつておるのでございましようか。その点をお伺いしたい。
  38. 谷田明三

    谷田説明員 お答えいたします。その実情をつまびらかにしておりませんので、よくわかりませんが、しかしながら、道庁にはそれぞれ職業あつせん、補導の機関がございまして、特に非常に気の毒な引揚者の就職あつせんにつきましては、やつておると想像いたします。
  39. 山下春江

    山下委員長 厚生省の田邊局長がほどなく見えますから、局長より説明をしてもらいますが、北海道開発庁次長に対する御質問はこの程度でよろしゆうございましようか。——それではどうもありがとうございました。ちよつと速記を中止してください。
  40. 山下春江

    山下委員長 速記を始めてください。この際厚生省当局より特に国連捕虜特別委員会に提出の資料に関して発言を求められておりますので、これを許します。淺香政務次官
  41. 淺香忠雄

    ○淺香説明員 私は淺香忠雄でございますが、今度政務次官の更迭に際しまして不肖私が厚生政務次官に就任をいたしました。もちろん浅学非才でありまして、その器でもございませんが、皆様方の御協力なり御援助をいただきましてその責めを果したいと思います。どうか、今後とも何かとお世話になることと思いますが、よろしくお願いいたします。  なお、ただいま委員長より発言のお許しを得まして、今回の発表につきましてその趣意を私から申し述べたいと思うのであります。  未帰還問題につきましては、かねて当委員会の格別の御尽力を賜わり、私はあらためて深い敬意と感謝を払うものでございます。今回ソ連、中共地域等におけるわが同胞未帰還者の集計と、これらの者の消息の現況の一応のとりまとめができましたので、国会にこれを報告いたしたいと存ずるのでございます。  未帰還問題には二つの面があると思慮いたすのであります。一つは生存残留的について早期帰還を促進することであり、いま一つ状況不明者についてその安否を調査究明するということであります。帰還促進については、昨年から本年にかけまして中ソ両赤十字社のあつせんにより一部その帰還が実現し、今後ともなお一応明るい見通しが得られる状況にあるのでありますが、政府といたしましても、あらゆる機会にさらにその成果があがるよう努力して参る所存でございます。帰還者中最近における状況の判明しないいわゆる状況不明者については、政府といたしましては過去八年間少からぬ困難を排してその状況を明らかにするよう努力して参つたのであります。しかし、お手元に配付いたしました資料をごらんいただければおわかりのように、ソ連、外蒙古、千島、樺太、北鮮、中共の各地域を合計し、ある時期において生存資料のある者、四万六十三百十四人のうちで、比較的古い時期における資料しか得られない者が大部分を占め、このほか終始生死の資料のない者が八千名余り、不確実な死亡資料しかない者が一万六千余名あるのであります。これらの者の消息が一日もすみやかに明らかにせられるよう、今後とも努力を重ねて参る所存であります。  この集計表に掲げてある数字は、すべて一人々々の人間の生死にかかわるものであり、従つて、未帰還問題はすべての主義主張を越え、錯綜する現下の政治経済等の国際問題と切り離し、純粋に人道の問題として扱わるべきものであります。政府が今回このような発表をいたすことといたしましたゆえんは、広く国民にこの問題についての全貌を御理解いただくことを期しますとともに、全世界にわれわれの表情がアツピールし、関係当事国にもくみとられんことを希求したのでございます。細部にわたる詳細につきましては引揚援護局長より説明いたさせることとし、以上私は今回の発表の趣意とすることを述べるにとどめる次第でございます。今後とも各位の一層の御支援と御協力をひたすらお願いをする次第でございます。
  42. 山下春江

    山下委員長 それでは、ただいま淺香政務次官の御発表に対する補足説明を田邊引揚護局長よりお願いいたします。
  43. 田邊繁雄

    ○田邊説明員 未帰還者の消息につきましては、従来とも政府としましては努力を重ねて参つたのでありますが、昨年の三月中央からの第一船が帰還いたしましたに引続きまして、今年三月までの間にソ連地域から千二百三十一名、中央から二万六千百二十七名の同胞を迎えることができたのであります。この機会に政府としましてはこれらの方々からいろいろの資料をとりまして今日まで調査を続けて参つたのでございますが、一応本年の五月一日付をもちまして調査の成果をとりまとめましたので、ここに御報告申し上げた次第でございます。お手元に印刷物をお配りしてございますので、これにつきまして順次御説明申し上げたいと思います。  まず、ソ連、中共地域における未帰還者の状況でございますが、どういうふうにして調査を実施して参つたかと申しますと、関係の官公署、つまり中央におきましてはわれわれの方にございます未帰還調査部、地方におきましては都道府県の主として世話課でございますが、そういうところで、未帰還者として氏名の登録されておる者について、帰還者のあるごとに上陸地舞鶴において、あるいはそれらの方々がそれぞれ定着地にお帰りになつた後その当該都道府県において、またはそのあとで都道府県ないしは中央から家族に対する通信による照会を行い、また特に中央地方において計画しました合同調査へ帰還者をお呼びすることによつていろいろ調査をしておるのであります。これらの帰還者から広く残留者、死亡者に関する資料の提供を受けまして、これによつて逐次未帰還者の状況を明らかにするようにいたしたのでございます。このほか未帰還者から留守宅にあてました通信も調査上重要なる資料といたしたのであります。今日まで調査しました概数につきましては、そこに書いてございますので説明を省略いたしますが、未帰還者として氏名の記録されている者というのは、留守宅からの届出、軍人軍属につきましては当時の部隊の名簿その他を基礎といたしております。また帰還者の証言または現地からの通信をもそれに加えて照合いたしまして、でき得る限り正確を期しておるわけでございますが、留守家族がないか、あるいは留守家族があつても、たまには届出をいたさないのがありますので、現実に未帰還者でありながらその集計表の中に含まれない者もあるのでございます。現に昨年の中共、ソ連からの引揚げの場合には、それらの方々が、ここに書いてありますように、ソ連の場合には一六%、中共からの場合には約二三%の未帰還者が、いわゆる未掌握と申しまして、われわれの記録に載つていなかつた者があつたのでございます。  次に、本年の五月一日現在におきまする未帰還者、各人月々の消息判明の状況について申し上げますと、大体三つに分類することができると思うのであります。一つは、ある時期の生存の資料のあるもの、第二は、生死の資料のないもの、第三には、不確実な死亡の資料のあるもの。ある時期の生存資料があるものと申しますのは、ソ連の参戦の時期以降において一度でも生存の資料のあつたというものを集計したものでございます。今日までの間現地からの通信であるとか、あるいは帰還者からの記号であるとか、あるいはソ連赤十字社から渡された名簿に登載されておる、こういうことによつてこれをつかんでおるのでございますが、先ほど申し上げましたような部類はまずまず現在においても生存の確実性を信じられるものでございますが、数において全体の過半数を占めております終戦後の二、三年の間における生存資料しかないものにつきましては、当時の状況がそのまま今日に及んでおるとはいいがたいのでありますので、最も調査究明を必要とするものと考えるのでございます。次に、生死の資料のないものと申しますのは、ソ連参戦時以降において当該未帰還者について何ら資料のないものというのでございます。これもまた重点的な調査究明を必要とするものであります。次に、不確実な死亡の資料と申しますのは、ソ連の参戦時以降において死亡資料はあるけれどもそれをもつてただちにその人の死亡を確認するに至らない程度の資料であります。これも今後におきます調査究明によつて明らかにしなければならないものと思いますが、死亡と判明する者が多いと考えられるのでございます。  以上のように、今年の五月一日現在において氏名のはつきりわかつております未帰還者、その内容は先ほど申上げました資料の区分によりまして、さらにその資料区分をその資料の得られた年次ごとにこれを区分し、そうしてこれを集計いたしましたものが一番最初に掲げております未帰還者集計表でございます。従つて、これはすでに死亡の確認されております者二十五万二千八百八十一人はこれに含まれておりません。また同一人が二つ以上の欄に計上されているということはございません。またある時期の生存の資料のあるものといたしましても、その生存の資料の得られた後における状況の変化というものを考慮いたしますと、これがこのまま現在の生存者であると考えるわけには参らないのでございます。なお、ソ連から中共に渡されましたいわゆる戦犯者九百六十九名につきましては、名前がわからない関係上、ソ連の欄に掲上してあるのでございます。現実には中共の方にいるに違いないのでございますが、それがだれであるかわからない関係上、その人の最後の消息の得られた場所がソ連である関係上、ソ連の欄に掲上されておるわけでございます。従いまして、この表を簡単に申し上げますれば、名前のわかつている未帰還者の総数は状況不明者を含めまして七万一千百六十五名になるということでございます。  しからば、現在ソ連及び中共地域において生存残留しておる者の数はおよそどのくらいであるかという観察でございますが、現存未帰還者となつている方は実体的にはすでに死亡してしまつているかあるいは現に確実に生きているかどちらかでございますが、しかし、現在いわばこういつたカーテンを通して見ているわけでございますので、日本側だけでその各人について正確に判定するということは不可能でございます。ただ、最近における生存資料のあつたものは現在においても生存が確実であろうという推定がつくというだけでございまして、それを精密にはつきり示すことはこちら側だけでは不可能であろうとみられるのでございます。しかしながら、生存残留の状況は留守家族の最も関心をよせておるところでございますので、昨年来の帰還者の多数についてこれらの帰還者が現実に目撃し、あるいは他から聞知した生存残留の状況を、名前がわかつている者わからない者にかかわらずこれを収集して総合審査したものが残留に関する一般資料となるわけでございます。これが、先ほど申し上げました未帰還者集計表とは別個に、現在生存残留している人員やその状況を観察するものとして、われわれとしてはこれを重要視しておるわけでございます。但し、一般情報でありましても、帰還者のなかつた地点や他から隔絶されているような環境における残留状況については、これをうかがい知ることができない、これは当然でございます。  そこで、まずソ連地域における残留状況の観察でございますが、赤十字名簿に載つております者の監察でございます。これは全部で一千四十七名登載されておるわけでございますが、そのうち三名はすでに帰還いたしております。一名は最近の帰還者の証言によつて昨年死亡と判明いたしております。結局千四十三名が現在生存する者と認められるのでありますが、このうちで現地から通信のありました者が九百六十六名でありまして、通信のない者は七十七名でございます。なお、これらの方々の残留地点は、赤十字名簿には書いてございませんが、先ほども申し上げましたような通信によつて、あるいは帰還者からの証言によつて現実の残留地点を調べてみますと、大部分はハバロフスクでございまして、一部はツエーレンツエ、その他はソ連各所に抑留されておるものと判断されるのでございます。なお、赤十字社におきましては、昨年の十一月モスクワにおいて申し合せたところによりまして、名簿登載者の人員に関連いたしまして、ここに書いてありますような、すでに刑期を終つた百名についての早期引揚げ、赤十字名簿には載つておるけれども留守宅に対する通信のない者についての残留地点、赤十字名簿には記載されてないが現地からすでに通信のある者十名についての消息ということについて安否の照会を行つたのでございますが、まだ回答は来ておりません。なお、本年の七月一般の安否照会を百名について行つたのでありますが、これについてもまだ回答は来ておらないようでございます。赤十字名簿登載者以外の残留に関する一般資料につきましては、附表の第一に書いてあります通り、樺太を含めまして約二千三百ないし二千五百人でございます。その地点別の状況は附表の第一に書いてある通りでございます。各地において抑留されまたはソ連側において市民としての取扱いを受けておる状況でございます。抑留者は赤十字名簿の登載者及びその他の受刑中の者でございまして、大部分はハバロフスク収容所に集団受刑についておるようでございます。その他はソ連全土にわたつて多数の収容所に少数ずつ、ときとしては一名ずつ分散抑留されております。市民として扱われておりますのは大部分樺太におる邦人並びに樺太及び千島からシベリアに移されてその後刑を終えて指定された場所で生活することを許された者でございます。その大部分はクラスノヤルスク及び中央アジア附近におるようでございます。  次は中共地域における残留状況の観察でございますが、昨年の集団引揚げによつて総数二万六千百二十七名が帰つて参りました。その後個別引揚げで三名の引揚げがございました。従つて、三万人の居留民というその数字と対照いたしますと、残留者は、約四千名弱の居留民と少数のいわゆる戦犯者となるわけでありますが、昨年の帰還者から得た限りの一般資料を総合いたしますと、残留者は東北地区におきまして約七千名、その他の中共地域におきまして約一千名、合計八千名の残留者がおるのでございます。これも、ソ連の場合で申し上げましたと同じように、名前のわかつている方もございまするし、名前の判明しない人もここに入つておるわけでございます。その地点別の状況は別表に掲げた通りでございまして、大都市または鉱工業地帯、旧開拓団所在地等に比較的集中しておりますほか、各地に分散いたしておりまして、その範囲は中共の全地域に及んでおるようでございます。しかしながら、別表の分布状態は昨年の集団引揚げ開始から終了までのものでございます。その後において相当人員の移動が行われた模様でございます。すなわち、昨年の十一月から旅順、大連、安東地区の残留者のうち約千五百名が承徳、石家荘、東京、長沙、重慶、貴陽、昆明、成都付近へ移動させられたことが、その留守家族に対する通信によつて判明いたしておるのでございます。その残留者の大部分は留用者でございます。一部は、戦犯、反革命のゆえをもつて残留せしめられている者及び国際結婚、孤児等がございます。留用者は中共の政府または軍帰還に留用されておりまして、多くは鉱工業部門、衛生部門、一部は軍の後方兵工廠に留用されておるようでございます。戦犯、反革命のゆえをもつて受刑または取調べ等のため収容所等におります者については詳しいことはわかりません。ことに昭和二十五年にソ連から中共に引渡された九百六十九名につきましては、その人名もその後における消息もわからないのでございます。国際結婚は女の方に多いようでございますが、現在その状況はよくわかりません。孤児もまた国際結婚の場合と同じようにその数等はつまびらかにわからないのでございます。  次は外蒙地域における残留状況でございますが、終戦後外蒙に抑留されておりました邦人は大部分、数名の受刑者を残してソ連領へ移動せしめられまして、残りの残留者の状況は不明のままで今日に至つたのでございますが、最近現地からの通信によりまして、一名の死亡者を除くほか四名が健在であることが判明したのでございます。  北鮮地域におきましては、集計表に見られるように、古い年次における生存その他の資料のあるものはあるのでございますが、今日はたしてどういうふうな残留状況になつているか、これらの地域からの帰還者がないため、または北鮮から北鮮以外の地域へ移動した者があつた関係上、今日まだ不明であります。日赤におきましては、先般残留者に関する通信照会を行つたのでございますが、まだはつきりした返事はございません。ただ、ことしの二月九日、少数の日本人が残留し、他の外国人と同様の待遇を受けておるが、帰国を欲する日本人に対してはあつせんの労をとることの返事があつたのでございます。日赤におきましては、その後またただちにいろいろの申入れをいたしたのでございますが、まだ今日回答が来ておらない状況でございます。  なお、以上ソ連、中共地域における未帰還者の消息並びに一般残留状況について御報告申し上げたのでありますが、ソ連、中共地域以外における未復員者等の状況について、あわせて今日までの調査経過を御報告申し上げます。これらの地域における未復員者等は、南方地域における戦闘の際に状況不明となつた者、もしくは終戦前後の時期に離隊した軍人軍属が大部分でございまして、一部当時これらの地域におつた邦人も含められておるのでございます。現在までの状況は、元軍人軍属で状況不明になつております者は二千二百三十六名、離隊をした軍人軍属千五百六十八名となつております。この状況不明の元軍人軍属は調査究明によつて死亡と判明する者が多いと考えられます。これは戦争中の状況不明者でございます。また離隊者のうちには相当数現在その生存の確認されている者がございます。邦人は現地において召集されまたは戦闘に協力して死亡した者もある見込みでございます。これらの地域の生存残留者につきましては、終戦後これらの地域からの軍隊の集団引揚げのあとにおきましても、きわめて特殊な環境にあるものを除きましては、しばしば個別引揚げの機会があり、政府も在外公館等を通じて帰国の意思を確かめ、帰国希望者に対してはその便宜を供与して参つたのでありますが、今年の五月一日現在においてなお残留事実の判明したものは合計七百四十四名で、そのうち三百三十二名につきましては留守宅に通信があつたのでございます。残留者はスマトラ、仏印、台湾、ジャワ等に多く、大部分は各種の職業について、中には相当ゆたかな生活をしている者、国際結婚をしている者もあるようでございます。仏印地域においてはホーチミン政府軍に入つていた者もあつたようでございますが、現在におけるその正確な人員、氏名等ははつきりいたしません。なお、先般こちらから調査団を派遣しましたフイリピンのルバング島のような特殊のケースが考えられるかどうかという点につきましては、今日までのところ具体的な事実に関する資料は入つておりません。  以上、たいへんそまつでございましたが、今日までの未帰還者の消息につきまして、調査した結果の大要を御説明申し上げました。
  44. 山下春江

    山下委員長 以上発表されましたことは、終戦以来政府が初めて発表した結果でございますので、非常に重大でございますから、厚生大臣、外務大臣等より政府の今後のこの問題に対する所信を承りたいのでございますが、それぞれの大臣は会議中で出席不可能のようでございますので、政務次官に対して御質問を願います。——本日はただいま資料を受取つたばかりでございますので御質問もないようでございますから、先ほど問題になりました住宅問題に対して厚生省の所見をただして、おきたいと思いますので、その点御質問があれば……。
  45. 臼井莊一

    臼井委員 先ほど厚生省の方がいらつしやいませんでしたので、重ねてこの点をお伺いしたいのですが、先般引揚委員会北海道へ調査に行つたのであります。その御報告を先般の委員会並びに本日も重ねてお伺いいたしましたし、また北海道田中知事の名義で要望書が出ております。それは引揚者集団収容施設疎開住宅の建設に関してでありますが、現在の寮に住んでおるあれが非常にその設備が不完全で古い、この冬を越すにも非常に困難が伴う状況である、これに対してとりあえずの修繕を一つやるべきであろう、それに対する計画、それから、もう一つは、この世帯に含まれております千百九十五世帯というものの疎開住宅を少くとも三箇年以内にこれが完成するように促進すべきであろう、また北海道としてもこれを促推してもらいたいという、こういう要望書でございます。それについては、これは議員立法でできたのだそうでございますが、北海道公営住宅でございますか、これは簡易な防寒耐火構造にすべしということになつて、それがために非常に金額もかさんで来る、従つてまた補助率も引下げられた、こういうことでは、まかなかその促進が望めないで、むしろ木造でやつた方がいい、その法律議員立法なりあるいは政府提案ででもした方がよかろうという意見もあるのでございますが、これに対する厚生省の意見をひとつお伺いしたいと思います。
  46. 田邊繁雄

    ○田邊説明員 北海道引揚者集団住宅のことでございますが、それにつきましても、われわれといたしまして、まことにお気の毒でございますので、この処置につきましては鋭意努力をして参つたのでございます。実は、終戦直後多数の引揚者があつたのに、国内における状況から一々住宅を新設して提供するということは困難な状況でございましたので、やむを得ずあいておりました兵舎その他の集団施設にそれらを収容したのでございます。そのままずつと終戦昭和二十五、六年まで至りまして、あまりにも実情がひどいので、しかもその状況北海道だけに限らず全国各県にあつたので、この問題を特に取上げまして、内閣に設置されております引揚同胞対策審議会において研究いたしました。この審議会には関係各省の方々も全部網羅されておりますので、総合的に検討いたしたわけでございます。その際、集団住宅につきましては、基礎堅牢で当分の間使えるものにつきましては、この際であるので、補修をするということになつて、しばらくの間これを活用して行く、腐敗しておるものにつきましては、衛生上その他の関係上危険でございますので、すみやかにこれを疎開する、つまり新しい住宅を建ててそこに移しかえるということを決定したわけでございます。その計画に基きまして、昭和二十六年度と二十七年度に厚生省では全国の各都道府県から一切の資料をとりまして、この機会に全部を片づけたいということで、大蔵省とも折衝いたしまして、所要の予算を計上していただきまして、全面的に実施をいたしたわけでございます。ところが、北海道はその数があまりにも大きい関係上、とうてい二箇年間で実施できなかつたという内面的な事情もあつたのかと思いますが、われわれの方に要疎開住宅として届け出られたものの中から漏れたものも相当あつたようでございます。そこで、われわれといたしましては、北海道につきましては、先ほど申上げましたように、終戦直後に帰つて参りまして集団住宅の特殊性が残つておるという事情から、さらに前と同じ考え方をもちまして大蔵省に対しまして所要の予算の要求をいたしたのでございます。二十八年度は、すでに過ぎましたが、公営住宅の一部のわく内に見よう、二十九年度も同様の方針によつて公営住宅わく内で特別の処置をしようということになつたのでございます。それで、実は引揚者住宅、特に集団疎開をした住宅というものを建てた跡をずつと見て参りますと、われわれの建てる住宅はどうしても応急的な住宅でございますので、そまつでございます。その結果、三年、四年、五年とたちまちと、だんだん損耗して参りまして、またその集団住宅を何とかしなければならぬという事態に立ち至るのではないかというふうに心配されるものがものがあるわけでございます。特に北海道はああいう寒冷地帯でございまして、特別な防寒工事をしなければならぬ、しかも一方の北海道については防寒住宅のために特別な措置法ができた関係上、拙速主義で行くか、あるいは少し時間がかかつても一定の計画のもとにりつぱな基礎の堅牟な住宅を建てる方がいいかということは、これは考慮を要する問題でございますが、大局的に見た場合には、建築基準のしつかりしたものを建てる方がいいのではないかという考えで、われわれ大蔵省の意見に賛成して、建設省公営住宅わく内で特別のひもをつけてそれを北海道に流す、こういう方針に賛成をいたしたわけであります。そこで、問題は、これがいつまでに完成するかという計画はつきりいたして、その通り実施するということが大事でございます。地元の財政負担もございますので、一挙に中央からこれだけの家を建てるからといつても、それだけのものが建たなかつた例が過去においてもずいぶんございます。北海道については、なぜもつと建てないかというふうに勧奨した例もございます。また、せつかく割当てられた住宅が、地元負担関係上流された例もございます。そういつた事情を考えまして、一挙にやるということも財政的な事情からできませんので、そういう点をにらみ合して、一定の計画のもとにやるということが必要でございます。ただ、残る問題は、そういう単価の高い住宅を建てますと、家賃が高い関係上入れないという方が出て来るわけでございます。しかし、これも、たとえば千戸の建物疎開させるために二、三百人の人が家賃の関係上入れないということになりましても、集団住宅その他で残つている引傷者に振りかえる考慮を加えるならば、つまり家賃を払える人をそとに入れて、そこへ残りの者を振りかえて持つて行くという考慮も必要でございまして、北海道につきましてはそういう点をもつとこまかく検討して行く必要があると思つております。従いまして、われわれといたしましては、厚生省で全部の引揚者住宅を建てるのにも一長一短、建設省で建てるのにも一長一短がある、そこで、建設省でそういうしつかりした住宅を建てて、入れる人をそこに収容する、残る人についてはまた別に考慮する、こういう考え方をとつております。来年度におきましても従来通り建設省住宅建設省の方関係で行くことをわれわれも望んでおります。家賃が高くても入れる方はけつこうでございますので、全部それをそまつな小さな住宅に切りかえる必要はなかろう、こう考えるのでございまして、われわれの方でもそういう面について推進して参りたい、こう思つております。
  47. 臼井莊一

    臼井委員 今の御説明によりますと、やはり現在は法規通りに耐火構造で防寒にも適しているものをつくろう、ただそれに入れない者は入れる者に振りかえて行くということでございます。その振りかえがうまく行けばけつこうですが、従来入つていた人はそれを他に売つちやつて今度のところに入るということになると、これは今度はせつかく疎開したいと思う人が入れないということになるので、それらの点については十分周到に御計画されておると思いますが、ただ問題は、その数が現在千七百九十五世帯ですか、そうすると六百戸づつ建てて行けば、これが三箇年で行く。何とかそれくらいできるような方法で御尽力いただきたいということを特にお願いいたします。
  48. 山下春江

    山下委員長 次に、今般中共地区に残留する約五百六十名の同胞の引揚げについて、その経緯並びに援護について政府当局より説明を聴取いたします。
  49. 田邊繁雄

    ○田邊説明員 中共方面に入つておりまする戦犯者の一部が釈放になつて近く帰るという朗報は、先般中国を訪問いたしました日本の代表の方々からもたらされたのでありますが、その後日赤その他の関係機関から先方にいろいろ問い合せをいたしたようでありまするが、その後四百十七名の者が釈放になつて近く帰るということであります。また、その後、それにさらにつけ加えられまして、一般邦人であつて、この機会に帰る者が百四十数名、合計五百六十名前後の者が帰つて来るということがわかつたわけでございます。そこわで、われわれといたしましては、さつそく配船の手配をいたしまして、興安丸をこれに向けることにいたしました。今月の十二日に舞鶴を出発いたしまして、門司に十三日寄港し、十五日に門司を出発して、十八日早朝塘沽に着くということを計画いたしたわけであります。この旨をさつそく先方に三団体より打電をされたわけであります。順調に参りますれば、従つて興安丸は本月の二十四日に舞鶴に入港することに相なる予定であります。なお、先方からは五百六十名前後の者が帰るということでございますが、目下手続中の者もあろうかと思われますので、われわれの方としては、九月十日に最終の人員をお知らせいただくならば、食糧その他の積込みに間に合うので、御回答を願いたいという気持を持つておりますので、その旨を日赤に伝えまして、日赤その他関係団体からその旨を向うに打電されておるようなわけでございます。  受入れ後につきましては、おおむね昨年中共から帰還いたしました方の場合と同じようにいたしたいと考えております。ただ、今度は四百十七名の氏名が向うのラジオによつて発表されております関係上、事前に家族等におきましてそのことがわかり、またわれわれ準備をするにつきましても好都合の点が多いことは御承知の通りだと存じます。  定着の援護につきましては、約五百六十戸の住宅を用意してございますが、これは帰還人員五千名と見まして、それに対応して約五百六十戸というふうに見込んでございますが、今度はわずかな数でございますので、あらかじめ各都道府県、各市町村にこれを配付して建てて待つているということが困難であります。せつかく建てましても、その町に帰らないという場合は、その住宅がむだになりますので、帰つたらすぐにその定着状況を見ましてその家を建てるつもりでございます。ただ東京都のような場合は相当数の者が定着することが予想されますので、少し早目にその家をつくるようにいたしたいと思つております。  更生資金につきましては、毎年相当額の償還額が見込まれますので、その中から引揚者の中の希望者に対して優先的に貸付をするようにいたしたいと、関係方面と連絡をとつておる次第であります。  なお、一番心配をされますのは就職の問題でございますが、昨年度の状況を見ますると、ソ連及び中共の場合は、困難な事情にもかかわらず、関係各省及び公共職業安定所の非常な御尽力によりまして相当の成果をあげているようでございます。しかし、昨年より一層就職の問題は困難になつている状況考えられますので、その点につきましては、今後関係機関とも連絡を緊密にいたしまして努力いたしたいと考えております。御参考に申し上げますと、昨年の場合は、中共関係が約七七%の就職率を示しております。これは、公共職業安定所に申込みをして、そこであつせんをしたものに関する統計でございます。ソ連関係は約六〇%と相なつております。もつとも、これは帰還してから再就職した者もあろうかと思いますが、そういうものを一応含まずにそういう状況になつております。数もわずかでありますので、地元あるいは関係機関ができるだけ努力して何とか受入れて行けるのではないかと思います。  はなはだ簡単でございますが、右のような次第でございます。
  50. 山下春江

    山下委員長 御質疑はございませんか。——他に御質疑がなければ、この程度にいたし、明日午後一時より開会することといたし、本日はこれにて散会いたしたいと思いますが、その前にお諮りいたしたいことがあります。本月二十四日に中共地区より残留同胞が舞鶴に引揚げて参りますので、本委員会より委員を派遣して、その援護状況等を調査いたしたいと思いますが、議長の承認を求める手続、派遣委員等についてはすべて委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
  51. 山下春江

    山下委員長 御異議なければ、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後三時四十七分散会