○田邊
説明員 未帰還者の消息につきましては、従来とも政府としましては努力を重ねて参
つたのでありますが、昨年の三月中央からの第一船が帰還いたしましたに引続きまして、今年三月までの間にソ連地域から千二百三十一名、中央から二万六千百二十七名の同胞を迎えることができたのであります。この機会に政府としましてはこれらの
方々からいろいろの
資料をとりまして今日まで調査を続けて参
つたのでございますが、一応本年の五月一日付をもちまして調査の成果をとりまとめましたので、ここに御
報告申し上げた次第でございます。お手元に印刷物をお配りしてございますので、これにつきまして順次御
説明申し上げたいと思います。
まず、ソ連、中共地域における未帰還者の
状況でございますが、どういうふうにして調査を実施して参
つたかと申しますと、
関係の官公署、つまり中央におきましてはわれわれの方にございます未帰還調査部、地方におきましては都道府県の主として世話課でございますが、そういうところで、未帰還者として氏名の登録されておる者について、帰還者のあるごとに上陸地舞鶴において、あるいはそれらの
方々がそれぞれ定着地にお帰りに
なつた後その当該都道府県において、またはそのあとで都道府県ないしは中央から家族に対する通信による照会を行い、また特に中央地方において
計画しました合同調査へ帰還者をお呼びすることによ
つていろいろ調査をしておるのであります。これらの帰還者から広く残留者、死亡者に関する
資料の提供を受けまして、これによ
つて逐次未帰還者の
状況を明らかにするようにいたしたのでございます。このほか未帰還者から留守宅にあてました通信も調査上重要なる
資料といたしたのであります。今日まで調査しました概数につきましては、そこに書いてございますので
説明を省略いたしますが、未帰還者として氏名の記録されている者というのは、留守宅からの届出、軍人軍属につきましては当時の部隊の名簿その他を基礎といたしております。また帰還者の証言または現地からの通信をもそれに加えて照合いたしまして、でき得る限り正確を期しておるわけでございますが、留守家族がないか、あるいは留守家族があ
つても、たまには届出をいたさないのがありますので、現実に未帰還者でありながらその集計表の中に含まれない者もあるのでございます。現に昨年の中共、ソ連からの
引揚げの場合には、それらの
方々が、ここに書いてありますように、ソ連の場合には一六%、中共からの場合には約二三%の未帰還者が、いわゆる未掌握と申しまして、われわれの記録に載
つていなか
つた者があ
つたのでございます。
次に、本年の五月一日現在におきまする未帰還者、各人月々の消息判明の
状況について申し上げますと、大体三つに分類することができると思うのであります。
一つは、ある時期の生存の
資料のあるもの、第二は、生死の
資料のないもの、第三には、不確実な死亡の
資料のあるもの。ある時期の生存
資料があるものと申しますのは、ソ連の参戦の時期以降において一度でも生存の
資料のあ
つたというものを集計したものでございます。今日までの間現地からの通信であるとか、あるいは帰還者からの記号であるとか、あるいはソ連赤十字社から渡された名簿に登載されておる、こういうことによ
つてこれをつかんでおるのでございますが、先ほど申し上げましたような部類はまずまず現在においても生存の確実性を信じられるものでございますが、数において全体の過半数を占めております
終戦後の二、三年の間における生存
資料しかないものにつきましては、当時の
状況がそのまま今日に及んでおるとはいいがたいのでありますので、最も調査究明を必要とするものと
考えるのでございます。次に、生死の
資料のないものと申しますのは、ソ連参戦時以降において当該未帰還者について何ら
資料のないものというのでございます。これもまた重点的な調査究明を必要とするものであります。次に、不確実な死亡の
資料と申しますのは、ソ連の参戦時以降において死亡
資料はあるけれ
どもそれをも
つてただちにその人の死亡を確認するに至らない程度の
資料であります。これも今後におきます調査究明によ
つて明らかにしなければならないものと思いますが、死亡と判明する者が多いと
考えられるのでございます。
以上のように、今年の五月一日現在において氏名の
はつきりわか
つております未帰還者、その内容は先ほど申上げました
資料の区分によりまして、さらにその
資料区分をその
資料の得られた年次ごとにこれを区分し、そうしてこれを集計いたしましたものが一番最初に掲げております未帰還者集計表でございます。従
つて、これはすでに死亡の確認されております者二十五万二千八百八十一人はこれに含まれておりません。また同一人が二つ以上の欄に計上されているということはございません。またある時期の生存の
資料のあるものといたしましても、その生存の
資料の得られた後における
状況の変化というものを考慮いたしますと、これがこのまま現在の生存者であると
考えるわけには参らないのでございます。なお、ソ連から中共に渡されましたいわゆる戦犯者九百六十九名につきましては、名前がわからない
関係上、ソ連の欄に掲上してあるのでございます。現実には中共の方にいるに違いないのでございますが、それがだれであるかわからない
関係上、その人の最後の消息の得られた場所がソ連である
関係上、ソ連の欄に掲上されておるわけでございます。従いまして、この表を簡単に申し上げますれば、名前のわか
つている未帰還者の総数は
状況不明者を含めまして七万一千百六十五名になるということでございます。
しからば、現在ソ連及び中共地域において生存残留しておる者の数はおよそどのくらいであるかという観察でございますが、現存未帰還者とな
つている方は実体的にはすでに死亡してしま
つているかあるいは現に確実に生きているかどちらかでございますが、しかし、現在いわばこうい
つたカーテンを通して見ているわけでございますので、
日本側だけでその各人について正確に判定するということは不可能でございます。ただ、最近における生存
資料のあ
つたものは現在においても生存が確実であろうという推定がつくというだけでございまして、それを精密に
はつきり示すことはこちら側だけでは不可能であろうとみられるのでございます。しかしながら、生存残留の
状況は留守家族の最も
関心をよせておるところでございますので、昨年来の帰還者の多数についてこれらの帰還者が現実に目撃し、あるいは他から聞知した生存残留の
状況を、名前がわか
つている者わからない者にかかわらずこれを収集して総合審査したものが残留に関する
一般資料となるわけでございます。これが、先ほど申し上げました未帰還者集計表とは別個に、現在生存残留している人員やその
状況を観察するものとして、われわれとしてはこれを重要視しておるわけでございます。但し、
一般情報でありましても、帰還者のなか
つた地点や他から隔絶されているような環境における残留
状況については、これをうかがい知ることができない、これは当然でございます。
そこで、まずソ連地域における残留
状況の観察でございますが、赤十字名簿に載
つております者の監察でございます。これは全部で一千四十七名登載されておるわけでございますが、そのうち三名はすでに帰還いたしております。一名は最近の帰還者の証言によ
つて昨年死亡と判明いたしております。結局千四十三名が現在生存する者と認められるのでありますが、このうちで現地から通信のありました者が九百六十六名でありまして、通信のない者は七十七名でございます。なお、これらの
方々の残留地点は、赤十字名簿には書いてございませんが、先ほ
ども申し上げましたような通信によ
つて、あるいは帰還者からの証言によ
つて現実の残留地点を調べてみますと、大
部分はハバロフスクでございまして、一部はツエーレンツエ、その他はソ連各所に抑留されておるものと判断されるのでございます。なお、赤十字社におきましては、昨年の十一月モスクワにおいて申し合せたところによりまして、名簿登載者の人員に関連いたしまして、ここに書いてありますような、すでに刑期を終
つた百名についての早期
引揚げ、赤十字名簿には載
つておるけれ
ども留守宅に対する通信のない者についての残留地点、赤十字名簿には記載されてないが現地からすでに通信のある者十名についての消息ということについて安否の照会を行
つたのでございますが、まだ回答は来ておりません。なお、本年の七月
一般の安否照会を百名について行
つたのでありますが、これについてもまだ回答は来ておらないようでございます。赤十字名簿登載者以外の残留に関する
一般資料につきましては、附表の第一に書いてあります
通り、樺太を含めまして約二千三百ないし二千五百人でございます。その地点別の
状況は附表の第一に書いてある
通りでございます。各地において抑留されまたはソ連側において市民としての取扱いを受けておる
状況でございます。抑留者は赤十字名簿の登載者及びその他の受刑中の者でございまして、大
部分はハバロフスク収容所に集団受刑についておるようでございます。その他はソ連全土にわた
つて多数の収容所に少数ずつ、ときとしては一名ずつ分散抑留されております。市民として扱われておりますのは大
部分樺太におる邦人並びに樺太及び千島からシベリアに移されてその後刑を終えて指定された場所で生活することを許された者でございます。その大
部分はクラスノヤルスク及び中央アジア附近におるようでございます。
次は中共地域における残留
状況の観察でございますが、昨年の集団
引揚げによ
つて総数二万六千百二十七名が帰
つて参りました。その後個別
引揚げで三名の
引揚げがございました。従
つて、三万人の居留民というその数字と対照いたしますと、残留者は、約四千名弱の居留民と少数のいわゆる戦犯者となるわけでありますが、昨年の帰還者から得た限りの
一般資料を総合いたしますと、残留者は東北地区におきまして約七千名、その他の中共地域におきまして約一千名、合計八千名の残留者がおるのでございます。これも、ソ連の場合で申し上げましたと同じように、名前のわか
つている方もございまするし、名前の判明しない人もここに入
つておるわけでございます。その地点別の
状況は別表に掲げた
通りでございまして、大都市または鉱工業地帯、旧開拓団所在地等に比較的集中しておりますほか、各地に分散いたしておりまして、その範囲は中共の全地域に及んでおるようでございます。しかしながら、別表の分布
状態は昨年の集団
引揚げ開始から終了までのものでございます。その後において相当人員の移動が行われた
模様でございます。すなわち、昨年の十一月から旅順、大連、安東地区の残留者のうち約千五百名が承徳、石家荘、東京、長沙、重慶、貴陽、昆明、成都付近へ移動させられたことが、その留守家族に対する通信によ
つて判明いたしておるのでございます。その残留者の大
部分は留用者でございます。一部は、戦犯、反革命のゆえをも
つて残留せしめられている者及び国際結婚、孤児等がございます。留用者は中共の政府または軍帰還に留用されておりまして、多くは鉱工業部門、衛生部門、一部は軍の後方兵工廠に留用されておるようでございます。戦犯、反革命のゆえをも
つて受刑または取調べ等のため収容所等におります者については詳しいことはわかりません。ことに
昭和二十五年にソ連から中共に引渡された九百六十九名につきましては、その人名もその後における消息もわからないのでございます。国際結婚は女の方に多いようでございますが、現在その
状況はよくわかりません。孤児もまた国際結婚の場合と同じようにその数等
はつまびらかにわからないのでございます。
次は外蒙地域における残留
状況でございますが、
終戦後外蒙に抑留されておりました邦人は大
部分、数名の受刑者を残してソ連領へ移動せしめられまして、残りの残留者の
状況は不明のままで今日に至
つたのでございますが、最近現地からの通信によりまして、一名の死亡者を除くほか四名が健在であることが判明したのでございます。
北鮮地域におきましては、集計表に見られるように、古い年次における生存その他の
資料のあるものはあるのでございますが、今日はたしてどういうふうな残留
状況にな
つているか、これらの地域からの帰還者がないため、または北鮮から北鮮以外の地域へ移動した者があ
つた関係上、今日まだ不明であります。日赤におきましては、先般残留者に関する通信照会を行
つたのでございますが、まだ
はつきりした返事はございません。ただ、ことしの二月九日、少数の
日本人が残留し、他の外国人と同様の待遇を受けておるが、帰国を欲する
日本人に対してはあつせんの労をとることの返事があ
つたのでございます。日赤におきましては、その後またただちにいろいろの申入れをいたしたのでございますが、まだ今日回答が来ておらない
状況でございます。
なお、以上ソ連、中共地域における未帰還者の消息並びに
一般残留
状況について御
報告申し上げたのでありますが、ソ連、中共地域以外における未復員者等の
状況について、あわせて今日までの調査経過を御
報告申し上げます。これらの地域における未復員者等は、南方地域における戦闘の際に
状況不明と
なつた者、もしくは
終戦前後の時期に離隊した軍人軍属が大
部分でございまして、一部当時これらの地域にお
つた邦人も含められておるのでございます。現在までの
状況は、元軍人軍属で
状況不明にな
つております者は二千二百三十六名、離隊をした軍人軍属千五百六十八名とな
つております。この
状況不明の元軍人軍属は調査究明によ
つて死亡と判明する者が多いと
考えられます。これは戦争中の
状況不明者でございます。また離隊者のうちには相当数現在その生存の確認されている者がございます。邦人は現地において召集されまたは戦闘に協力して死亡した者もある見込みでございます。これらの地域の生存残留者につきましては、
終戦後これらの地域からの軍隊の集団
引揚げのあとにおきましても、きわめて特殊な環境にあるものを除きましては、しばしば個別
引揚げの機会があり、政府も在外公館等を通じて帰国の意思を確かめ、帰国希望者に対してはその便宜を供与して参
つたのでありますが、今年の五月一日現在においてなお残留事実の判明したものは合計七百四十四名で、そのうち三百三十二名につきましては留守宅に通信があ
つたのでございます。残留者はスマトラ、仏印、台湾、ジャワ等に多く、大
部分は各種の職業について、中には相当ゆたかな生活をしている者、国際結婚をしている者もあるようでございます。仏印地域においてはホーチミン政府軍に入
つていた者もあ
つたようでございますが、現在におけるその正確な人員、氏名等は
はつきりいたしません。なお、先般こちらから調査団を派遣しましたフイリピンのルバング島のような特殊のケースが
考えられるかどうかという点につきましては、今日までのところ具体的な事実に関する
資料は入
つておりません。
以上、たいへんそまつでございましたが、今日までの未帰還者の消息につきまして、調査した結果の大要を御
説明申し上げました。