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1954-05-06 第19回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年五月六日(木曜日)     午後一時五十六分開議  出席委員    委員長 山下 春江君    理事 青柳 一郎君 理事 庄司 一郎君    理事 高橋  等君 理事 臼井 莊一君    理事 受田 新吉君       中川源一郎君    田中 龍夫君       吉川 久衛君    長谷川 峻君       上林與市郎君    村瀬 宣親君       中井徳次郎君  出席政府委員         文部事務官         (初等中等局         長)      緒方 信一君         厚生事務官         (引揚援護局         長)      田辺 繁雄君  委員外出席者         外務事務官         (アジア局第二         課長)     小川平四郎君         文部事務官         (初等中等教育         局中等教育課         長)      杉江  清君         文部事務官         (大学学術局大         学課長)    春山順之輔君         参  考  人         (日本赤十字社         外事部長)   工藤 忠夫君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  海外胞引揚に関する件  委員会調査中間報告に関する件     ―――――――――――――
  2. 山下春江

    山下委員長 これより会議を開きます。  本日は海外胞引揚げに関する件について議事を進めます。中共地区残留同胞引揚げにつきましては、第七次引揚げをもつて集団引揚げは中止され、またソ連地区よりは去る三月二十日の第二次をもつて中止されましたが、なお多数の同胞が残留しており、今後の早急な引揚げ対策を考究する必要が迫つておりますので、本委員会はこれについて検討をいたしたいと思うのであります。本問題について日本赤十字社よりソ連赤十字社当局に対して要請されるとの話も聞かれますので、日本赤十字社における今後の引揚げ対策並びにソ連赤十字社に対する要請等についてお話を願うため、本日日本赤十字社外事部長工藤忠夫君を本委員会参考人といたしたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 山下春江

    山下委員長 御異議なきものと認め、さよう決定いたします。  それでは、工藤参考人より初めに日本赤十字社における引揚げ対策及び要請のことについてお話をお願いいたします。工藤外事部長
  4. 工藤忠夫

    工藤参考人 それでは、御指名によりまして、ソ連関係における今後の引揚げ問題について日本赤十字社としてどうやろうとしているかということを、簡単に御報告いたしたいと思います。  御存じの通り、昨年の十一月十九日にソ連赤十字社引揚げ協定を結びまして、これによりまして千二百有余名の方がお帰りになりました。残るところは千四十七名の戦犯者だけでございまして、ソ連側に対して戦犯者以外の者について帰国要請する何らの資料もなかつたのでございます。ソ連側におきましても何ら資料がないと言いまして、ソ連に対して積極的に持ちかける資料がない。ところが、今回帰りました帰国者がもたらしました情報によりまして、なお相当数日本人が残つているということが援護局の方の調査によりましてわかりましたので、援護局とも密接な連絡をとりまして、ソ連赤十字に対して、具体的に問題を提供いたしまして、これらの問題の解決方をお願いしたわけでございます。前回モスクワにおりましたとき、ソ連赤十字に対しまして戦犯者及び今回帰国を許された者以外の者がどのくらいおるか、何か材料がないかということを聞いたのでございましたが、すでに本委員会報告いたしました通り、何ら資料がないと言つたのでございましたが、ソ連赤十字社との接触印象によりましても、ソ連赤十字社が今後の残留者の問題について協力を拒否するような態度は全然見えなかつたのでございます。帰国者証言によりましても、従前とは違つて最近のソ連態度は非常に親切であるので、われわれの方から具体的な資料を持つて行けば、この資料基礎としていろいろ協力してくれるというような情報もございましたので、去る五月一日ソ連赤十字社に対して具体的な要請をしたのでございます。  それは大体三点あるのでございますが、第一点は、帰国者からの情報によつて刑期を満了したと思われる日本人が残留していることがわかつたが、そのうち百名ばかり明白になつた、こういう者が手続の不備その他で帰国できなかつたように聞いているから、これを調査の上早めに帰すようにしてもらいたいということを申入れたのでございます。それから、第二点といたしまして、千四十七名の戦犯者名簿に記載されていない者で、家族通信を許されている者がございますが、こういう人たち帰国機会を与えられなかつたのでございます。一体こういう人がどういう状況であるのか、はつきりわからない、現に犯罪者として服役しているのか、あるいは自由人としてソ連で生活しているのかわからないから調査をしてもらいたいというわけで、十名の名前を明示いたしまして、ソ連回答方を依頼したのであります。第三点は、千四十七名の名簿氏名が記載してありますけれども、本人から家族通信のないものがございます。そういうものの中からとりあえず十九名を選びまして、収容所番号を知らしてもらいたい、手紙を出そうにも出しようがないから、あて名を知らしてもらいたいということを申し入れたのでございます。  こういう要請によりまして、ソ連赤十字社接触機会をつくりまして、今後この問題を基礎といたしまして、戦犯者リストに所載されなかつたところの人たち帰国の問題、さらにこの情報を明確ならしむるために努力しようと思つているのでございます。  実は、今月の二十日から二十九日までオスロー赤十字社連盟理事会が開催され、本社から島津社長、前駐米大使本社理事でありますところの堀内謙介さんが、本社を代表してオスローに行かれます。その際ソ連赤十字の代表にも会われることでございますから、あらかじめ書面を早目に出しておきまして、オスローで、概略でもよろしい、何か具体的な回答をお願いしたいという趣旨で、大急ぎで五月一日に以上のような趣旨手紙航空便で出しておいたような次第であります。今後これが基礎となつて残留者帰国の問題が進展することを期待しているような次第でございます。  簡単ながら以上御報告いたします。
  5. 山下春江

    山下委員長 引続き政府当局より引揚げ問題調査の結果並びに今後の引揚げ対策について説明を求めることといたします。田辺援護局長
  6. 田辺繁雄

    田辺政府委員 先般ソ連から帰還されました方々から、ソ連地域生存残留者及び死亡者についての覚書を書いていただきまして、舞鶴でそれをとつたわけでございます。この覚書に基きまして、厚生省ではいろいろ調査をやつておるわけでございますが、今日までに得られました結果につきまして、その概容を御報告申し上げたいと思います。  まず第一は、いわゆる赤十字名簿に登載されておりまする千四十七名についてでございますが、この中で、第一次及び第二次の帰還でお帰りになつた方が三名あるように思います。名簿に登載されていると思われる人が三名現実にお帰りになつておられます。それから、帰還者証言によつて死亡していることが確実と認められます者が一名ございます。従いまして、現在生存残留しておられますのは千四十三名と考えられるわけであります。千四十三名の中で、通信のない者――大部分通信が来ておりますが、昭和二十七年以降PW通信のない者が七十八名ございます。七十八名の方につきましては、大部分現在どこにおられるかということが帰還者証言によつてわかつたわけでありますが、十九名につきましては、現在どこの収容所におられるか、その残留地点が明らかでないのであります。今回日赤が、この十九名の方につきまして、先ほどお話のありました通りソ連赤十字あてに紹介をなさつたわけであります。  第二は、昭和二十七年以降留守宅あて通信はあるのでありますが、いわゆる赤十字名籍に登載されていない者でございます。この総数が三十八名ございます。その三十八名のうちで、今回お帰りになつた方が、これは不確かな資料でありますが、死んだという資料を提供してくださつた方が、二人ございます。従つて、現在確実に生存していると認められる方が三十六名でございますが、そのうちで現在受刑中と思われる者が十四名ございます。はつきりいたしませんが、大体受刑中ではないかと思われる者が十四名、満刑者と思われる者が十二名ございます。あとの十名ははつきりいたしません。いずれもシベリヤにおられることは間違いないが、この十名につきましては、どこにおられるのか、受刑中であるのか満刑であるのか、はつきりしないのでございまして、この十名の方につきまして、先ほどお話がありましたように、赤十字社から向う赤十字社照会をされたわけでございます。  第三は、二十七年以降留守宅あて通信もない、また赤十字名簿にも登載されておらない方であつて、第一次及び第二次の帰還者から提供していただきました資料によつて、きわめて最近において生存しておることが確実と認められる方々であります。こういつた方々がどれくらいあるかということを調べてみますと、氏名の具体的にはつきり確認のできる者は四百六十名でございます。シベリヤが三百六十六名、樺太が九十四名でございます。この大部分は、内地にその留守家族があつて留守家族から未帰還者としての届出がある者でありますが、中には留守宅から届出のない未帰還者もこの中には入つております。たとえば、樺太におられて、内地に身寄りのない方等もおられるようであります。この中で、満刑者と大体推定できる者が、先ほどお話がありました通り百名でございまして、この百名につきまして、帰還の促進についてソ連赤十字社あて日本赤十字社から依頼をされたわけでございます。  これは、きわめて最近の機会において生存しているということが確実と認められる者であつて名前が具体的にわかつている人ばかりでございます。もちろん、これだけではございませんので、今後調査の進展によりまして、さらにこの具体的氏名はつきりする者がだんだんふえて来るとは思います。しかし、現在すでにわかつている者だけでもこれだけありますが、いわゆる一般資料と申しまして、具体的に名前はわからないけれども、確かに日本人が何名かここにおつたという証言はございます。これはわれわれの方で一般資料と呼んでおりますが、この一般資料による残留者の数を調べてみますと、樺太及びシベリヤを合せまして約二千二百名ないし二千五百名、概数でありますが、これだけの方々生存数が出ております。この中には、赤十字名簿に登載されている方、及び通信のあつた方、及び先ほど申しました最近の生存確実という証言のあがつた名前はつきりしている者も含めまして、これだけになつておるわけでございます。これは今日までの調査の結果でございまして、今後さらに、未帰還者合同調査その他の機会に集めまして、調査の結果、逐次さらにいろいろと数字がかわつて来ると思いますが、現在まで判明している状況は以上の通りでございます。  簡単でございますが、報告を終ります。
  7. 山下春江

    山下委員長 この際、本件について質疑を許します。中川委員
  8. 中川源一郎

    中川(源)委員 ただいま御説明になりましたうちの残留者名前、たとえば戦犯者として刑務所などに収容されておる人の名前はわかると思うのですが、どの刑務所におられるかということもわからぬものか。あるいはまた、戦犯刑期が何年であるかということなどもわからぬものかどうか。それから、その他の残留者の現在おられる大よその場所なり名前がわかればけつこうと思います。
  9. 田辺繁雄

    田辺政府委員 先ほど申し上げました中で、具体的に残留者として姓名をつかんでおるものにつきましては、その状況をそれぞれ御家族にお知らせしてございます。それで、現在残留しておられる地点につきましても、判明する限りすべて留守家族にお知らせしてございます。ただ、先ほどお話いたしました通り、現在残留しておる地点のわからない方がございますので、これを今度赤十字の方で向う赤十字の方に御照会なさつたのでありますが、この回答がありますれば、どこにおられるかが具体的にはつきりするわけでございます。  それから、刑期の点でございますが、これは確実なことはわかりません。帰つた方々で何年ぐらいじやないかということを証言する人もありますが、この点ははつきりいたしません。
  10. 中川源一郎

    中川(源)委員 まだその刑に服しておられる方につきまして、減刑運動とか、あるいは刑に服しておる方の事情を聞いて、苛酷な刑に処せられておる者はないかどうかというようなことなどについて、その家族に対しても問い合すというようなことで、できましたならばまだ釈放運動などをやる必要があれば大いにやりまして、そういうことにつきましても赤十字を通じて第三国から陳情をしてもらうというようなことも必要じやないかと思うのでございますが、当局の御見解はどうでありまか。
  11. 工藤忠夫

    工藤参考人 戦犯者として刑期に服しておる人たちの今後の問題でございますが、いずれも長期刑に処せられておりまして、たとえば、昭和二十五年に判決があつた者で、長いのは二十年、それ以下でも十年以上の刑に処せられておる人が多いのでございまして、これを刑期の満了を待つておるということになりますれば、何年待つかわからないのでございまして、日本赤十字社といたしましても、モスクワに参りましたとき、減刑釈放についてさらに援助してもらいたい、マレンコフ政権になつて実行したところの寛大な措置をさらに残留戦犯者に適用してもらいたいということを申し述べておきました。それから、先般ナホトカに参りましたときに、書き物にいたしまして、人道的な見地からソ連赤十字の善処をお願いするという趣旨で申し入れておいたのでございます。  それから、戦犯者待遇でございますが、ソ連赤十字接触いたしましたときに、引揚げ協定ソ連赤十字社側戦犯者という字は使わなかつたのであります。日本人俘虜であつて刑期に服しておる者ということを言いまして、最近の情勢によりますと、苛酷な犯罪人扱いはしていないものと見えまして、俘虜扱いにいたしております。従つて服役者に対しては適当な給料を出しておる、こういうような状況でございます。それからまた、労働時間も八時間を原則といたしておるよしでありまして、帰国者証言によりましても、苛酷な奴隷労働に服せしめられておるという印象は受けなかつたのであります。さらにこの問題は調査をする必要があろうと思うのでございますが、今のところ、かつて見られたところの非人道的な待遇は受けていないやの印象を持つておるのであります。  簡単ながら以上お答えいたします。
  12. 中川源一郎

    中川(源)委員 できるだけ減刑釈放運動を続けまして、もうすでに終戦後十年に近くなつて参りまして、戦犯者釈放減刑運動をさらに進めるというような具体的な方法がないものかと思うのでございますが、今日までも相当運動がありましたけれども、これをもう少し強化いたしまして、どの国でもひとついまだに刑に服しておるということのないようにしたいものであると思うのでありますがこの点につきまして、お互いに協力いたしまして運動したいものであると思いますが、御見解を承りまして、そして、さらに、死没者に対する取扱い、これはどういうふうになつておりますか、死没者姓名なり住所がわかりましたならば早く知らしてもらつて、また遺骨とかあるいは遺品があれば、それを送り届けてもらうということが望ましいことであると思うのでございますが、この点はいかがでしようか。
  13. 工藤忠夫

    工藤参考人 死亡者の問題につきましても、またわれわれといたしましては重大関心を持つておるのでございしまして、昨年モスクワに参りましたとき、特に死亡者名前、それから死亡の原因、死亡場所、その他詳細にわたる情報を求めたのでございましたが、ソ連側は、死亡者の一万二百六十七名という数を明白にしたのみでございまして、名前の発表を拒絶したのでございます。しかし、前回ナホトカに参りましたときも。さらに書き物にいたしまして、家族としては死亡者名前を知りたいということを強く望んでおるのであるから、早い機会に通知してもらいたいということを特に申し入れておいたのでございます。終戦直後における死亡者に関しましては、ソ連側資料がないような口吻を漏らしておりましたが、収容所に入りまして以後病死した人、あるいはその他の理由でなくなつた人たちに対しましては、日本人の同僚を立ち会わせ、医師の検診書を添えまして、明白に死亡調書を作成している由でございます。この点はソ連側にも確実な書類があると思うのでございます。従つて、この遺骨も、収容所の附近に適当な墓地をつくりまして、番号によつて埋没している由でございます。ソ連との関係が好転いたしますれば、この問題の処理もやさしく行くのではないかと思つております。今のところではそういうところまでは行かないのでございまして、とりあえず名簿の手交ということを強く要請しているような次第でございます。
  14. 田辺繁雄

    田辺政府委員 先ほど報告申し上げたことに関連しまして、少し補足的に申し上げたいと思うのですが、今回帰られた方はソ連地域方々地点から帰つて来られたわけでございますが、従つて、われわれの得た証言による資料も、お帰りになつた地点に関する資料でございます。従つて、お帰りにならなかつた地点におられる残留者というものについては何ら資料があがつていないわけでございます。その点が一つ。  それから、終戦後今日まで生存資料があつた者というのは一万名を越しております。先ほど、その中で最近において現在生存しておること確実と認められる数字をあげたのでございますが、古い生存資料のある者については、これはいわゆる状況不明者でございますが、これに対する取扱いといたしましては、現在赤十字社ソ連赤十字社に、安否調査を依頼することになつております。留守家族希望によつて、それを赤十字が集めまして向うに問合せをするという段取りになつておりまして、目下各留守家族にそれを照会して希望をとりまして、そのうちに日赤の方でそれを集められまして逐次ソ連の方に照会して回答していただく、こういう手はずを進めて準備中でございます。
  15. 山下春江

  16. 庄司一郎

    庄司委員 私どもの本委員会は、ソ連中共等にいまだに抑留されておる気の毒なるわれわれの同胞を一日も早く相手国了解を受けてすみやかに帰還させたい、その合法的なる運動並びにその遺家族留守家族等を援護して行くことが本委員会使命であることは、あらためて申し上げるまでもないのであります。そこで、あらゆる角度よりわれわれの同胞をすみやかに帰還させたい、それについて、最近においては日本赤十字社が、まつたく政治問題を離れて、崇高なる赤十字精神の旗のもとに、万国相互扶助、相愛の精神の上においてお働きを願つておるということは、これは全国民あげて感謝をいたしておる次第であります。  つきましては、ただいま工藤日赤外事部長よりその後の対策等についても御意見を拝聴したのでございますが、御説明によると、オスローにおいて万国理事会が持たれるというようなお話でございますが、その際に、島津社長ほか役員の方々が全力をあげ、誠心誠意ソ連あるいは中共等理事者に懇請をお願い申し上げることは言うまでもございません。その御対策はただいま伺つた通りであります。しかして、こういうことはいかがでございましようか。この委員会が、もしそれ、本委員会使命達成の上においてそれも一つのよい方法であるなという御納得と御了解があるならば、むろん満場一致の御賛成を受くることができると思いますが、本委員会において決議の上、委員長の名において、あるいは衆議院議長の名において決議の上、オスローにおいて開催される理事会等国会決議要請を御携行願つて国内輿論最高機関である本国会決議文一つの重要なる国民的要請として御提出を願うというような方法がありますならば、委員長より適当な時期において本委員会にお諮りの上、さような決議文をここにまとめまして、島津社長等に御携行願つた上において、国民要請ここにありという一つの証拠として御提出を願えるものであるかどうか、これを参考のために伺いたいと思います。  もう一つは、政府、特に外務省が御列席でありますならば、こういうことをお伺い申し上げたい。最近の新聞報道によりますと、わが国の昔のロシヤ関係、いわゆる北洋漁業関係等において、帝政ロシヤ、その後のソ連の御了解のもとに北洋漁業をやつておりましたその昔の権益、これがただいまはございませんで、いわゆる公海自由の原則によつて漁業がお互い許されるわけでございますが、日魯漁業平塚常次郎氏が、全日本漁業界の輿望を代表して、北洋漁業等関係を一層なめらかにするために、政府了解のもとにソ連にお出かけになるということを新聞で読んでおります。もとより平塚氏のソ連に行かれる主たる目的は北洋漁業関係の緩和あるいは円滑化にあることは言うまでもありませんが、さような場合に、今から約十年前に抑留された同胞のためにも、またその後北洋漁業等に従業中において不幸にして拿捕され、今抑留されておる同胞のために、ソ連に行かれたあかつきにおいて、日本国民の要望をひとつ要請していただく、こういうようなことは外務当局としてお許しがないものであろうか。もしさような御了解があるならば、従来の戦争による――もつともソ連日本は宣戦の布告も何もしておりません。一方的に向う様よりしかけられた戦争ではありますが、終戦後、北洋漁業関係において、ソ連の漁区内に接近したとか、あるいは侵入したとかいう疑いをもつて拿捕されておるわが国の漁船、漁夫の抑留者諸君のために一はだ脱いでもらうというようなことは、外務省としては公にはお許しいただくことができ得ないであろうか。もし公の許可、認可というようなものがないとしても、それを黙認される場合において、平塚氏は特に漁業関係の現在の抑留者等のために発言をなさる信念と勇気があることは、もう聞かずとわかつておることであります。さようなことについて外務省はどういうお考えを持たれておるか。もつとも、御了解の上平塚氏にパス・ポートが出るかどうか、私は知りませんが、常識の上においては、これはお許しなされてしかるべきものである、かような自分たちの心構えの上より、念のためにお伺いを申し上げておきたいと思うのであります。  なお、外務省にもう一点。ただいまジユネーヴにおいては、国連関係の、総会ではありませんから、少数国ではございましようが、幹事国である大国が集まられて、特に朝鮮関係あるいは仏領インドシナ関係等々の、いまだに根本的なる平和回復戦争の終結を伴わない状態に対して、大所高所より国連精神のもとにただいま日夜対策を準備されておるということが、毎日の新聞に報道されておるのであります。しかして、南北朝鮮における捕虜の徹底的、根本的な受渡し、あるいは仏印においてはフランス軍とホー・チミン軍との相互捕虜交換問題がただいま議題となつていることを毎日の新聞が報道しておるのであります。わが日本あるいはドイツあるいはイタリア等の特にソ連関係捕虜抑留者等に関しましては議題にはなつておらないようでございますけれども、朝鮮仏印における捕虜交換問題等について議題が出ておりまする以上は、この際、わが国盟邦諸国を通し、自由主義国家群を通して、わが国及び西ドイツあるいはイタリア等ソ連国内においていまだに抑留されておる同胞のために、何らかの方策について発言をしてもらうように、外務省は何らかの対策をとつておられるであろうか。願わくはそうであつてほしいという信念の上より私はこのことを申し上げるのであります。  以上三点をお伺い申し上げます。
  17. 山下春江

    山下委員長 庄司委員の御発言の中で、第一点について工藤外事部長の御希望なり御意見があれば承りたいと思います。
  18. 工藤忠夫

    工藤参考人 留守家族及び日本国民残留者を早く帰してもらいたいという切なる希望を考慮されまして委員会で御決議になることは、きわめてけつこうだと思うのでございますが、日ソ赤十字関係が最近も円満に進んでおりますので、この決議文ソ連赤十字の代表に手交することによりまして一種の道徳的な圧力を加えるというような結果になりますと、先方の感情を害しまして、非常に悪いことになるのではないかと思うのでございます。この決議文の用語その他については特に慎重に御研究をいただくとともに、会議において先方に接触する方法決議文を手交するやり方等については赤十字の代表におまかせ願いたいと思うのでございますが、そういう趣旨で私はけつこうだと思います。
  19. 山下春江

    山下委員長 第二点、第三点に関しまして、外務省の機構の多少の変更等をも含めつつ小川アジア局第二課長の御発言を願います。
  20. 小川平四郎

    ○小川説明員 ただいまの第二点の、平塚常次郎氏の渡航につきましては、正式に平塚氏が渡航されることに決定して旅券を発給することになつたかどうかについてはまだ承つておりません。渡航されるときまりましたときに、ただいまお話のように、政府として公式に平塚氏を通じて引揚げ問題の交渉をしていただくという点は、御承知のような国交関係にあります現在としてはちよつと困難ではないかと考えます。ただ、平塚氏が行かれまして、人道上の見地からこういう話をされる、――向うがそれを受けるかどうかということは向うの問題でございますが、話をされる点につきましては、十分これは考慮すべき問題だと思いますので、研究したいと思います。  それから、第三点の、ジユネーヴ会議においてこの問題を取上げてもらつてはいかがかという御意見につきましては、この点は、お話通り一つのチヤンスであるわけでございますので、非公式に西欧側の参加国にも打診しておつたのでございますが、御承知の通り、このたびのジユネーヴ会議は、共産側としましては非常に問題を広げまして――広げましてと申しますのは、朝鮮、インドシナ以外に、アジア地域の安全機構というようなものを持ち出す可能性が非常に強い。それに対しまして、西欧側は極力問題を朝鮮及びインドシナの解決に限つて話したいというような立場がございますので、会議におきましてこの二点以外の問題を取上げるということが非常に困難な立場にあるように考えられます。けれども、議場で取上げる以外に、幸いにあそこには西欧各国のほかにソ連、中共の代表も来ておりますので、議場外においてもこういう問題を持ち出せないであろうかという点を研究いたしまして、幸いジユネーヴは国連の捕虜特別委員会関係もありまして、ただいままでの引揚げの問題の経緯をよく承知しておりますので、ジユネーヴの総領事館にも資料を送付いたしまして、機会を見つけて接触するようにということは申してございます。  それから、ただいま委員長の御指示のございました外務省関係引揚げ問題の取扱いにつきまして、最近所管がかわつたのでございますが、三月まではアジア五課のところでやつておりました。ただいまアジア二課に移りました。元来、外務省の機構の立て方は、アジア局、欧米局というふうに地域にわかれておるのでございまして、また局の中におきましても各課を地域別にわけるのが原則でございます。従いまして、この多くの地域にまたがるような問題は最も関係の深い課でやるということが原則でございまして、アジア二課におきましては中共問題及び台湾の関係の仕事を所管しております。引揚げの問題は、現在数字の上から申しましても中共の残留者が最も多うございますし、またソ連関係の者も主として満州から入つた者が多い。そういう関係で、原則にもどしまして、最も地域的に関係の深いアジア二課で扱う。たまたま四月からは国内調査の部面が厚生省に移管になりましたのを機会に、局内の編成がえをいたした次第でございます。
  21. 山下春江

    山下委員長 臼井委員
  22. 臼井莊一

    ○臼井委員 この機会に中共方面のことについてちよつとお伺いしておきたいのですが、日赤の社長がお約束して参りました李徳全女史招聘の問題を実現すべしという決議を当委員会でしたのですが、その後一向政府においてこれを許可するような気配もないのですが、日赤の方ではその後政府とどういう交渉をしておりますか。  もう一つは、おそらく政府がそういうことを好んでいないというようなことが中共方面にも伝わつていて、これがやはり何らかの形で好ましくない方向へでも行つているということであれば、非常に遺憾でありますが、そのことについての何か情報でもございますか。その点をちよつとお伺いしたいと思います。
  23. 工藤忠夫

    工藤参考人 中国紅十字会代表の招請問題につきましては、その後機会あるごとに外務省の事務当局と連絡をとつておりますが、いまだに何ら具体的な御回答に接しないのでございます。ただ、最近、先ほど申しましたオスロー赤十字社連盟理事会島津社長が参ります。中国の紅十字の社長もおそらく来ると思います。その際に、引揚げの問題、紅十字会招請問題なんかも懇談の機会に出ると思いますし、また黙つておくことが適当であるかどうかということもこれは考えものである。出発前に外務大臣の御意向も承りたいと思つております。  それから、この問題に関する中国側の反響でございますが、その後別に私たちの方で入手した情報はないのでございますが、先般広島で世界平和者会議というのがございました。その際に、中京の仏教連盟の会長である北京の広済寺というお寺の管長で巨鎖という方がございますが、この人は中国の政治協商会議の一員でありまして、政治方面においても発言権を持つている方でありますが、この方が、会議の事務局に対して、中国紅十字会招請問題がまだ解決してない今日、自分としては御招待を受けかねるという回答をしたそうでございます。こういうことから見ましても、中国側は日本に来たい意思はあるんだということはわかると思うのでございます。しかも、われわれといたしましては、引揚げ関係もありますので、早くこれを積極的に解決したいという希望にかわりはないのでございます。
  24. 臼井莊一

    ○臼井委員 それで、島津社長があちらで約束して来られ、努力しておるがこうだ、こういうような、紅十字会の引揚げに協力されたことに対する感謝とその後のいきさつというようなものは、島津社長から向うの紅十字会にはもちろん手紙で出してあるんだと思いますが、そうですか。
  25. 工藤忠夫

    工藤参考人 たしか三月の初旬だと思いますが、この問題が未解決で個別帰国が解決しない、こう言う者がありますので、一応中国紅十字会に連絡する必要があると思いまして、紅十字会招請の問題が延び延びになつておる、議会方面でも、衆議院の特別委員会、参議院の厚生委員会等において促進方を決議され、日本赤十字社の代議員会においてもその趣旨決議して、政府筋に了解を求めておるのであるが、実現しないのは遺憾であるけれども、なお自分たちはこの問題の実現のために努力を継続する、他方個別帰国の問題、言いかえれば帰国希望する日本人のその後の状態はいかがになつておるかということをあわせまして、中国紅十字会に電報を打ちました。書面によらないで詳しく電報で申し入れたのでありますが、その問題について先方から何らの回答は来てないような状況であります。なお、その際、ソ連から引渡された九百六十九名の戦犯者状況を知らせてもらいたい、またあわせて中国自体で犯罪のかどで抑留されておる人の状況を知らせてもらいたいということも申し入れたのでありますが、いずれもまだ回答に接しない状況でございます。
  26. 山下春江

    山下委員長 長谷川委員
  27. 長谷川峻

    ○長谷川(峻)委員 一、二点お尋ねいたします。この引揚げ問題について赤十字が非常に御熱心にやつていただくのは感謝にたえません。また国際的な会議によく出まして折衡されているのですが、たとえばこの二十日から二十九日までのオスロー会議、これは非常に注日すべきものだと思うのです。敗戦後の日本といたしまして、引揚げ問題を赤十字あたりに熱心にやつていただいてありがたいのですが、そういう国際会議において日本の代表が話し合つて、一体どういう雰囲気になつているか。国が弱くなつた今日、そういう会議に行く代表の方々の熱意と、それから引揚げに対するいろいろな同情心、また世界に訴えたいという熱情が、私は問題を決定するんじやないかと思うのです。今までそちこちで国際会議が行われておつたのですが、工藤さんなんかもしよつちゆうモスクワなんかにおいでになりますけれども、そういつた会議における各国代表との折衝なり、またその雰囲気における日本の立場というものを一体どういうふうにお感じになつておるか、それをまずお伺いしたいと思います。
  28. 工藤忠夫

    工藤参考人 私の参加いたしました会議は、一九四八年の赤十字会議、それから一九五二年、昭和二十七年のトロントの赤十字会議でございます。四八年のときには、まだ占領治下でございまして、アメリカの占領軍の人がオブザーヴアーで参りまして、その技術的な職員にすぎないのでございますが、他との接触を許されなかつたのでございます。しかし、会議においては、われわれ日本人に対して、他の赤十字の代表のうち、連合国で日本俘虜を持つていた国の代表者は、非常に冷淡な態度をとつておりました。たとえば、オランダの赤十字の代表者のごときは、明白に、自分は日本で慮待されたというようなことを臆面もなく言われまして、周囲におつた人が、われわれのことを見るに見かねて、われわれにお気の毒だというような態度を示しておられたのを記憶しております。いずれにいたしましても、日本に対する感情というのは、そういう俘虜を持つてつた国以外の人は割合に好意的ではなかつたかと思うのでございます。戦争に負けたということだけで、日本に対する悪意とかあるいは軽蔑というようなものは全然感じなかつたのであります。アメリカにおいては特にそういうことを感じました。それから、昭和二十七年の会議では、引揚げ問題の決議を通すために一生懸命働いて来ました。独伊の赤十字の代表者と密接な連絡をとりまして、引揚げ促進の決議を通過させたのでございますが、この年には、もうわれわれに対する差別感とか敵意というものはいずれの国からも見受けられなかつたのでございます。ただ、ソ連と中共は、当時朝鮮問題を契機といたしまして米英その他の自由主義諸国とひどく対立しておりましたので、日本はその飛ばつちりを受けまして、ソ連、中共とは接触することが非常に困難でございましたが、赤十字社連盟の役員の紹介によりまして李徳全女史に会いました。それからまたソ連赤十字社の副社長のパシコフ博士にも会いまして、引揚げ問題を出したのでございますが、まつたくけんもほろろの態度でございました。これはもう、本国の訓令事項外の問題だと見えまして、非常に冷淡な態度をとられたのでございます。ところが、引揚げ問題なんかを主題といたしまして参りました北京、モスクワでは、まつたく自由主義諸国では想像することのできないような歓待を受けたのです。これは中共及びソ連の国の特殊事情から出た歓待ぶりだと思うのでございますが、いずれにいたしましても、非常な歓待を受けたということでございます。政治的な観点から日本人に対してどういう感情を持つておるかというようなことは、代表を通じては看取することはできてなかつたのでございます。ただ、これは昨年の話でございますが、中共においては、一般人が日本の帝国主義を強く攻撃いたしまして、この帝国主義の延長であるところの吉田政府がアメリカと一緒になつて中共に対して敵意を持つている、吉田政府はけしからぬということを異口同音に言つておりました。新聞にも強く出ておりました。はなはだしきは、北京の会談の最初に廖承志団長がそういう声明書を読まれたというようなこともあるわけでありますが、それ以外は、われわれに対しては敵意とか、そういう感じは受けなかつたのでございます。ただ、日本の軍国主義、帝国主義者は憎むべきものであるけれども、日本人民に対しては友好な精神を持つておるということは、会つたすべての人が言つたということを記憶しております。簡単ですが、私の経験を申し上げました。
  29. 長谷川峻

    ○長谷川(峻)委員 そういう苦しい中から、わずかの国際ルートで、あなた方によつてこの引揚げが促進できるように全国民が期待しているのですから、ぜひひとつ一生懸命やつていただきたいと思うのです。  さらに、引続きまして、去年の十一月三十日に国連総会で沢田大使がわが未帰還抑留同胞の実情を報告しております。これは当時公文書で発表せられたところですから、外務省あるいは援護庁はおわかりのことと思います。それを拝見しますと、全部で八万五千四十五名の氏名が判明している、そのうち五万六千二十四名は生存確実である、さらにそのうち一万四千五百名は千島、樺太を含むソ連占領下にある。ところが、昨年の十二月一日から本年の三月までにソ連地区より引揚げて来た者は、御承知のように千二百二十四名であるというようにわれわれは今までの報告によつて了承しております。そうしますと、この千二百二十四名を一万四千五百名から引きますと、約一万三千余者が今日なおかつ中共、ソ連地区に残つていなければならぬ計算になる。ところが、先ほど田辺さんの御報告によりますと、二千二百名から二千五百名が生存確実だというような御説明があつた。そうしますと、この差が約一万一千名ぐらいある。これは一体どういうふうに解釈していいか。昨年の国連総会での発表と本日の発表とでは一万何千名という食い違いがここに出ておることは非常に大事な問題だと思いますので、ひとつ納得の行くように御説明願いたい。
  30. 田辺繁雄

    田辺政府委員 御説明いたします。昨年の八月一日現在で未帰還者集計表というものを政府が発表しております。それによりますと、ソ連における生存資料のある者は一万二千七百二十二名、千島、樺太が千七百八十二名と相なつております。この数字は、統計表の説明にも書いてありますように、終戦後去年の八月一日現在に至るまでの間に生存しておつたという資料のある人すべてを含んでおります。ソ連地域は、御承知のようにわれわれ行つて国内調査をするわけに行きませんので、すべてカーテンを通して見ているわけであります。従つて、一度でも入ソしたという資料のある人は、その入ソしたという資料のところで生存に勘定せざるを得ないのであります。これで現在何名生きておるかということは、推定であり、解釈にすぎないわけであります。そこで、われわれの方は、その人の最後の生存資料をとりまして、その時期にその人の生存資料欄にあげておるわけであります。その生存資料欄を一九四五年から五三年まで年度別にずつとあげておりますが、それはその年にその人の最後の生存資料があつたという資料であります。従つて、その資料を見ますれば、終戦直後において入ソしたという資料があつて、その後何とも資料がない者から、きわめて最近において帰還した人全部を含んでおるわけであります。ですから、これをたとえて申しますれば、まつ白に写つておる人もありますと同時に、黒ずんで写つている人もある。やや灰色に写つている人もある。これが未帰還者集計表の実態であると思います。実態は、生存しておるか、あるいは死亡しておるか、どつちかであると思いますが、これはわからないわけであります。カーテンを通して見るよりほかない数字でございます。この中をよく読んでみますと、二十五年以降に生存しているという数は少うございます。大部分終戦時から昭和二十四年までの生存資料のある者が多うございまして、昭和二十五年以降生存資料がある者というのは少いのでございます。しかも、昭和二十五年度の生存資料ある者は、いわゆる中共渡しの戦犯を含んでおるわけであります。これは資料として現実にあがつている数字でございますから、これは集計表として一つ別に持つておるわけであります。われわれといたしましては、このほかに現在どのくらい生存していると認められるか、こういうことも別途調査を要することでございます。ことに、留守家族方々に対しましては、この前第一次、第二次でお帰りになつたわけでございますので、この方から得ました確実な資料によつていろいろお知らせしなければならない。そこで、最も確実と思われますのは千四十七名でございます。この載つている方々が現在どうなつておるかということを今調べているわけであります。次に、通信は来ておるが名簿に載つていない、こういう方も確実なわけであります。これも先ほどお話した通りになつております。そのほか、ごく最近における帰還者が、この人はどこどこで生存しておるのを自分は確認したという資料を集めておるわけであります。その場合でも、名前はつきりつかんでおる場合と、名前はつきりつかんでない場合とございます。名前はつきりつかんでおる場合には、すぐ留守家族に連絡がとれますので、これは一応調べておるわけであります。それから、名前はわからないが、自分がおつたところには大体このくらいの日本人がおつた、こういう数字をあげております。この数字を集計いたしましたものが、先ほど申し上げた数字でございます。従いまして、先ほどの集計表から見ますと、昭和二十七年以降における生存資料のある者と考えていいと思いますが、それ以前におけるものは、生存資料があつても、生存の確実性という点から申しますといろいろ濃淡があるわけであります。  これらにつきましては、それをどうやつて確かめて行くかという問題でありますが、これは今後帰つた人の合同調査なり、あるいは個人的にいろいろ調べて行くうちに、だんだんそのほかの生存確実という人の名前もつかんで行くことができるかもしれません。これは今後とも大いにやりたいと思います。それと並行いたしまして、ソ連赤十字社に対しまして、日赤から、いわゆる安否調査というものをいたそう。これは、先般島津社長モスクワに行つた際に、安否調査には応ずるということを言つておられたそうでございますので、これをやろうじやないかということで、政府で若干経費を援助いたしまして、日赤が独自の立場で、もちろん厚生省といたしましても外務省といたしましても、いろいろ資料的な援助はいたしますが、留守家族からのいろいろな希望によりまして、一々名前をあげまして向う照会をするという段取りでおるわけであります。従いまして、その数字の差は、大部分状況不明の方であるということになるわけであります。この問題を今後どうして明らかにして行くかということが今後の未帰還の問題の大事な点であると思うのであります。これは、いずれにいたしましても、国内調査はもちろんできるだけやりますが、国内調査によつてすべて明らかにするということはなかなかむずかしいのではないか。ことに古い生存資料のものにつきましては、過去に帰つた帰還者から聞く以外にないわけでありますから、これによつてしらみつぶしに状況を明らかにするのには相当困難性があると推察されますので、結局は相手国の協力を要する問題ではないかと考えておるわけであります。これにつきましては、日赤にも援助いたしまして、日赤の働きによつて問題の範囲をできるだけ狭めて参りたい、かように考えておるわけであります。
  31. 長谷川峻

    ○長谷川(峻)委員 差が状況不明であるということで、われわれが非常に暗い感じを受けるのは、今日の日本の実情からいたしましていたし方ないことと思います。それにいたしましても、こういうものは、少しずつでも、もやを通してものを見るように、お互いの努力でしなければならぬことでありますが、そういう面からいたしまして、私はこの際に外務省などにもう少し強くお願いしたいと思うことがある。先日、長年自分たちがこの運動を自主的にやつて来た諸君の全国の代表者会議の熱心な討議に参列しておつたのですが、そこには田辺さんもおられたし、また中川アジア局長もおられて、これは途中で帰つたようですが、その諸君が一様に心配しておることは、やはり政府などが非常に熱心にやつてもらいたい――これはやつておると言えばそれきりでしようけれども、それをいやが上にもやつてもらいたいというのがみんなの希望だろうと思うのであります。ところが、外務省の中に戦犯室があつても、まだ引揚げ関係の総合的なものがない。引揚戦犯室のような一つの総合機関がほしいという要望があつたのであります。われわれも、それはまさにその通りで、ぜひ外務当局などもそういうふうに希望に沿つてもらいたいと思うのであります。ところが、一生懸命やらなければならぬところの外務省が、しよつちゆう引揚げ問題については、ことにアジア関係においては、しよつちゆう課がかわつたり、機構がかわつたり、人間がかわつたり、熱心になつておる人がどんどんいなくなつてしまう。常に話が新しくなつて来る。新しくなつても熱情を持つてもらえばいいが、それを納得する間にまた情勢が変化して行くというぐあいで、非常に困るのです。大体今まで外務大臣がこの引揚特別委員会に出て来て質疑応答したこともなければ、次官だつて来たこともないというふうなことなどが、やはり民間団体である赤十字あたりがわずかに対外折衝をしてこの引揚げの問題について一生懸命やつているという印象国民に与えているゆえんだと思うのです。私は、こういう意味合いにおいて、今のような数字の不明はわれわれの国情のしからしむるところであるけれども、それを一生懸命やつて行くという形において、外務省がぜひとも、戦犯・引揚室というのですか、そういうものをおつくりくださるか、あるいはまた、機構もどんどんかわらないで、徹底的に協力してやつて行く態勢を政府の方からも示してもらいたいということを、委員の一人といたしまして、そちこちの会合に出席し、またあれだけの熱情に触れて、それを自分の胸の中に入れてこの際に政府に要望する次第であります。これについては次の機会に、具体的に戦犯・引揚室などについてどういうふうなお考えを外務当局が持つておられるか、あるいはまた、それらの問題について今から先の方針について外務省に何かお考えがあるということであるならば、大臣が忙しければ次官くらいでも出て来て、ひとつ方針をはつきりさしていただきたいということをここに要望いたしまして、私の質問を打切りたいと思います。
  32. 山下春江

    山下委員長 ただいま長谷川委員からの御要望につきましては、小川第二課長より省内にお取次を願いまして、次会までに御意見をおまとめ願いたいと思います。
  33. 中川源一郎

    中川(源)委員 先ほど庄司委員から御提案になりました、オスローに行かれる島津社長引揚げ促進に関する要望決議を託したらどうかという御意見がありましたが、私は同感で、賛成の意を表したいと思います。それで、ひとつすみやかに引揚げることができますように、適当な文章を委員長におまかせしてつくつていただいて、委員会決議としておまとめ願いたい。私の希望といたしましては、生存者の姓名なりまた死没者姓名を知らしてもらいたいというようなことも、かつて御依頼をしていただいておるわけでございますけれども、さらにその決議文の中にもおだやかに書いていただければたいへんけつこうだと思います。オスローだけでなしに、ジユネーヴ会議に対しても、そういうことをお願いできる気配があるなら、さらにその結果によりましてこの決議をしていただければけつこうと思います。
  34. 山下春江

    山下委員長 庄司中川委員よりの御発言趣旨、御異議ないと存じますので、決議文の作成は委員長に御一任願いまして、赤十字とも御相談をいたしまして適当な文章をつくりたいと思いますから、御了承をいただきたいと思います。
  35. 長谷川峻

    ○長谷川(峻)委員 なお、この際文部当局にお尋ねいたします。引揚者が長い間外地で苦労してやつと祖国に帰つて来ます。その中には、海外におる間に学業半ばにして、ようやく自分の国に帰つて来て、学力の低下などをくやみながらも、喜び勇んで、内地の学校に入つて一生懸命やる希望に燃えている子弟がおると思います。またそれに対する親の期待も大きいのであります。そういう関係からいたしましてでしよう。従来でも舞鶴まで文部省はいつも人をやつて、何がしかの奨学的な方針なり指導をして来たのでありますが、偶然のように、ここに、ソ連終戦後八年間もおつた子供が今年の三月二十日に第二次引揚げで帰つて来た。服部辰三という青年であります。参議院の引揚げ委員会参考人にさえも出たくらいのまじめな学生であります。これは、向うで旧制の中学校を卒業して、こちらへ来てすぐに、今年の四月の入学試験に東京外語を受けたのであります。東京外語は御承知の通り官立であります。文部省には直接関係のある学校であります。この人は入学試験に受かつたのであります。ところが、予備審査というものをされてなかつたということからいたしまして、入学が取消しにされようとしているのであります。父親が北海道におりますが、親子二人で来て、文部当局にも泣きつきもし、学校当局にも泣きついて、資格はなかつたかもしれないけれども、八年間の空白時代に内地の学制に対応するだけのものはなかつたけれども、試験は受けた、また受けるための書類を受理して学校当局は受けさした、こういうことで、三月に帰つて来た生徒が一生懸命になつて合格できた。ところが、その書類において資格がないということで今日はねられようとしているのです。私は、私立学校ならいざ知らず、公立学校の場合においては、引揚げに対するところの政府の一環としての文部省の対策上、はなはだもつて遺憾な点が出て来るのではないか、祖国において希望を持つて学校に行こうという学生、またこれを援護して行こうとする親、その子供に望みをかけて一生懸命やろうとする親、北海道あたりからわざわざ来て、合格した自分の子供の書類の不備のためにあちこち飛びまわつている姿などを見ると、これはまさに引揚げ一つの哀話ではないかと考えるのでありますが、この際にぜひ、合格した子供でもありますから、文部省直轄の官立大学――願うところは、この一つの生きた実例からいたしまして、私立大学はもちろんのこと、官立学校に対しても、こういう者にはこういうふうにひとつ指導し援助して、なるべく学力があるならば希望沿うてやるようにというふうに、制度のあたたかみを示していただきたいと思うものでありますが、文部当局は、今までどういうふうにその問題が耳に入り、またどういうふうに対処されようとしているか。このことは、この子供を生かし、あわせてこの子供を通じての引揚者の子供たちの進学の問題についての大きな指針となり、激励となり、鞭撻の契機となることであると思うのでありまして、文部当局としても、引揚げの問題がこれほど深刻であり、文教政策にもこれほど関係があるという一つの先例だと思いますから、この点に対する答弁と、あわせて善処されるようお願いしたいと思うのであります。
  36. 春山順之輔

    ○春山説明員 私からお答え申し上げます。引揚者の子弟の大学等への転入学につきましては、一般の入学資格とは別に特別な取扱いをいたして、便利に入学ができるように考えて参つております。国立、公立、私立を問わず、各大学におきましては、そういう方針を了としてくれまして、文部省としましても、円満にこの引揚者の転入学が行われていることと考えております。ただいま長谷川さんから御指摘になりました服部さんの問題、これは私も聞いておりますが、その事情は今のお話といささか違つてはおりますが、結局、新制大学の入学資格というものは、法律によつて、十二年の学校教育を終えた者、つまり新制高等学校を卒業した者か、これと同等以上の学力のある者というふうに規定されておりますのが問題点であります。東京外国語大学においては、入学資格に幾分疑義があつたのだが、入学願書は一応受理したわけでございます。その後において調べて入ましたところが、受験資格がないということがわかつたので、文部省からも申したのですが、本人からも事情を聞きました。それで、この際入学資格を得る方法を至急に考えなければならぬということが眼目なんでございます。入学資格を獲得する方法といたしましては、大学自身が行う大学入学資格認定試験というのがあるわけです。そのほかに、文部省で行つておる大栄入学資格認定試験というのがあります。これを受けるかあるいは高等学校の最上級に編入して、一年間のスクーリングを終えた上で資格を獲得するか、この三通りがあるわけでございます。文部省としましては、東京外国語大学に、大学で行う認定試験をぜひ実施してほしいということを連絡いたしたわけでございます。大学では、いろいろ研究しておりましたが、なかなかめんどうなので、時日が少したちましたが、最近のお話によりますと、近いうちに大学自身が認定試験を行つて、資格を認める方法を考えようということになりましたので、多分この問題は御希望のように円満に解決するのじやないかと想像されますが、それができるだけ早く実現するように文部省として希望している次第でございます。
  37. 長谷川峻

    ○長谷川(峻)委員 この委員会を通じて引揚げの学生に対する文部省の見解を広く全国民了解するように御発表いただいたことは、非常によかつたと思うのであります。この服部君のことについては、さらにまた文部当局といたしましても、一個人の問題でありますけれども、ぜひひとつ志が遂げられるようにお考えあらんことをお願いいたしまして、私の質疑を終ります。
  38. 受田新吉

    ○受田委員 関連して。今引揚げ学生の入学の問題について文部省側の御意見を表明されたわけでありますが、終戦当時学生の身分のままで応召もしくは入営した学生が、その後ソ連とか中共とかに連れて行かれて、最近もどつて来たという場合に、その学生の身分はまだ在学中のままに置かれてあると思うのです。で、最近のこれらの学生が帰つて来た後における大学復帰措置の実例、あるいは目下大学のとりつつある処置等についてお伺いしておきたいのであります。
  39. 春山順之輔

    ○春山説明員 ただいまのお話は、終戦後、昭和二十年十二月から二十六年四月まで、臨時処置として、毎年二回ずつ、集団的に集まつて、その当時に引揚げた学生をまとめて編入をさせる臨時処置の方法をとつて来ております。この方法は、大学の教育が四月と十月にコースが始まる関係上二回ずつやつて来たわけでございまして、その後この特別処置というのはやめたのですが、帰つて来た場合にはもちろん元の学校に入つて行くわけであります。お話の点は、学籍のあるまま応召した者ということであるようでありますが、学籍のあつた学校が、その後の学制改革によりまして、その学校がなくなつた場合があります。しかし、全然廃止された学校というのは一、二の例はございますが、大体新制大学の基礎になつて廃止されておりますので、帰つて来た場合には、その在学年限の程度に応じまして、その学校に復学をいたしております。たとえば、各大学で、専門学校の一年を終了した人でありますれば新制大学の一年に、専門学校の二年を終了した程度でありますれば新制大学の二年目に入るように、基本的な方針がきまつておるわけです。大学は、それに従いまして、新制大学の適当な年次に編入学をさせる手続をとつております。今までに昭和二十年の臨時処置でやつた場合には、文部省で一括してやりましたので、数がよくわかつておりましたが、およそ昭和二十六年までに編入学した者が一万三千人ぐらいでございます。その後各学校に個々に入つた者はどのくらいあるか、ちよつと見当がつきませんが、おそらく二、三千ぐらいの数字ではないかと思います。従つて終戦後、今お話のように、朝鮮、台湾あるいは満州にありました学校から転入学をした者、それから内地の学校に在学中応召した者、合せまして相当数編入学が完了しておると思います。これが問題になつて入学できなくなつて非常に困つたという話は今まであまり聞いておりませんので、おそらく適当な方針に基いた編入学ができているのじやないかと考えております。
  40. 受田新吉

    ○受田委員 今後ソ連中共等から帰つた場合もその規定でずつと続けて行くつもりですか。あるいは適当な機会にこれを打切るような形になつていますか。
  41. 春山順之輔

    ○春山説明員 中共、ソ連からの引揚げにつきてましては、特に最近、四月に各大学に通牒を出しまして、従来の方針に従つて各大学が特別に便宜をはかつてほしいということを言つております。従つて、今後におきましても、引揚げが続く限りにおいては、特別な取扱いをしてやるべきだと思いますし、またそういう方針になつております。
  42. 受田新吉

    ○受田委員 今の点にごくわずか関連すると思うのですけれども、大学、特に私立大学などでは、在籍のまま応召して復学したとき、たとえば一年で出て行つて、今度もどつた場合に、その期間中の授業料等について、前へさかのぼつてとるようなところがあるのじやないかと思うのです。特に病気などで休んだ場合そうした例がいろいろありますので、これはたいていのところでそういう問題が起るのですが、たとえば、一年で病気になつて、二年間休学して、今度また一年に復帰する場合に、ずつと休んだ期間も全部取上げるという事例があるようですから、この点などを考えて、今の応召した学生等がただちに過去の授業料を納めないでその学年相当の授業料で済ましておるかどうか。特に私立大学にはこの点授業料の徴収に非常に不可解な事態がありますので、学校法人としての大学に対する経理関係などの監督の責任を文部省は確立して行かなければならぬと思うのです。この点御所見を伺いたいと思います。
  43. 春山順之輔

    ○春山説明員 ただいまのことは、調査しないと実はわかりかねる点があるのでございますが、応召する場合には、応召期間中は授業料は免除するように、あれは戦争中の通牒でございますが、そういう通牒を文部省から出しまして、各大学にそれを守つていただいておられると思うのでございます。ただ、終戦後におきましては、授業料につきまして文部省は認可権を持つておりませんので、授業料の額をきめるにいたしましても、あるいはまた入学検定料、受験料その他のものは全部大学が自由に決定できるようになつております。従いまして、実情がよくわからないのでございますが、ただ、休学中に授業料をとるかどうかというのは大学によつてまちまちのようです。休学中は授業料をとらない大学が多いと思うのですが、学籍を保持するならばとつてもよろしいのじやないかという解釈をしておる大学もあるようです。本来授業を受けないのですから、半領ぐらいに減額する大学もあるようです。今の点は、大学全部について調べるわけにも参らないと思いますが、事実上、お話のような点を注意して、今後調査するか何かいたして、学生の不利益にならぬように気をつけて行きたいと思います。
  44. 受田新吉

    ○受田委員 今の経理面について、これに対する文部省の監督権がないということですが、これははなはだ遺憾なことだと思う。私立大学などは、学生が応召してもどつて来たところが、応召していた期間中の授業料まで取上げるとか、あるいは今度新しく学校が入学金をとるようになつたから新しい制度の入学金をいただきますというようなことで入学金をとられるというようなことがあるのであります。これは、そういう学校を調査していただけば間違いなくわかると思うのです。そういう点で、大学としては私立学校の場合特に経理面に監督を厳重にするような私立学校法の改正案でも出すとかいうような措置をとられて、特別のそうした困つた人々を救済するような政策をとつてもらいたいと思うのです。これは大事なことです。それをひとつ申し上げておいて終ります。     ―――――――――――――
  45. 山下春江

    山下委員長 この際お諮りいたします。今国会においては、ソ連地区残留同胞の第二次引揚げ、中国紅十字会代表招請の問題、在外資産処理に関する問題等、重要なる問題を調査いたして参り、一応その調査の概要もまとまつて参りましたが、本国会も会期が終了に近づきましたので、本会期における委員会調査経過の中間報告を本会議委員長より報告いたしたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  46. 山下春江

    山下委員長 御異議なきものと認め、さよう決定いたしました。  なお、報告案文については委員長に御一任を願いたいと思いますが、委員各位において御要望がありますならば、御趣旨を案文に盛り込むことにいたします。  本件について他に御発言がなければ、本日はこれにて散会いたします。次会は公報をもつてお知らせいたします。     午後三時三十三分散会