○森本
説明員 お答え申し上げます。どうして七割にしたか、あるいは五万円で切
つたか、あるいは二十万円で切
つたか、こういう点でございますが、その前に、一応今までの大体の
日銀券の現状を申し上げてみたいと思います。
日本銀行券は
昭和二十一年の三月三日以後強制通用力を失わせる、これは現在の
日本銀行券預入令の規定によ
つてそういうことに
なつたわけでありますが、その規定によりまして強制通用力を失
つて現在までにまだ引きかえておりませんものが、二十八億八千三百万円ございます。その中で全然行方がわからないと申しますのが十二億四千八百万円、差額の十六億何がしというものは、あるいはすでに現物を処分しておりましたり、あるいは
税関が保管しておりましたり、そうい
つたものでございます。その差引の十二億四千八百万円という行方不明のものの中には、あるいは
外地に流通してお
つてまだそのまま滞
つているものもございましようし、あるいはソ連に接収されたものもございますし、あるいは
内地で戦災その他で焼けて現物がなくな
つておるものもあるかと思います。しかし、いずれにいたしましても、行方のわからないのが十二億四千八百万円、これだけあるわけでございます。
それでは、現在の
税関で
引揚者の方々からお預かりしたものはどのくらいあるかと申しますと、今まで
税関で預か
つて参りましたのは、件数にいたしまして一万九千四百八十八件、
金額にいたしまして二千四百四十三万円何がしでございます。それでは、どうして五万円で切るようにしたか、あるいはその上を七割で切
つたか、こういう点でございますが、
日本銀行券の
整理につきましては、今
外債課長から申し上げましたように、旧
日本銀行券の
整理の一環として考えてお
つたわけでございます。つまり、強制通用力を失わせられました旧券につきまして、その後
税関に保管してお
つたために交換の
機会が与えられなか
つた。——当初の
予定と申しますか、預入令を制定いたしました当時の
考え方といたしましては、少くとも
引揚者の持
つて帰
つて税関に寄託保管しておりましたものにつきましては、交換の道を別に
法令的には開いておらなか
つたわけでございます。どうして今までほう
つておいたかということでございますが、
昭和二十年の九月二十四日以後、当時占領下のせいもございましたが、引傷者の持ち帰りましたものは、すべて
税関でとどめておいて、中へ入れるな、こういう指令に基いてその後の
処理がずつとなされてお
つたわけでございます。
従つて、預入令を制定いたしました当時には、全然、
引揚者の持
つて帰りましたもので
税関にとどめておりましたものについては、預入令自体として、そのとどめました
部分につきまして交換のことを実は考えておらなかたわつけでございます。去年の九月以降、
引揚者の持ち帰りましたものを
税関から返しますに伴いまして、その
処理を始めることにいたしたわけでございます。そうい
つた関係で、今まで実は
法案が出なか
つた、こういうかつこうにな
つておるわけでございます。
それから、五万円の問題につきましては、従いまして、旧
日本銀行券が当時それでは
国内に入りましたならばどう
処理されたかというものとの権衡をと
つて考える、これが
基本の
考え方でございます。従いまして、当時旧券はすべて
金融機関に対する
預金としなければいかぬ、こういうことにな
つておりました。旧券そのままでは流通しなか
つたわけでございます。それではどのくらいが自由に流通することに
なつたかと申しますと、これも今
銀行課長から申し上げましたように、
一定限度は第一
封鎖預金とし、それを越えるものは第二
封鎖にいたしたわけでございます。第一
封鎖になりましたのは一入当り四千円、一世帯当り三万二千円を最高
限度にする、それから人数の少い場合には、一万五千円を下ることはなか
つたわけでございますが、一万五千円ないし三万二千円という制限が一応つけられてお
つたわけでございます。従いまして、三万二千円を越えます分は、少くとも何がしか第二
封鎖になることによ
つて打切りの
措置が講じられてお
つた。それから、そのほかにもいろいろ権衝をとるべき問題はあるかと存じます。たとえば、
戦時補償特別税の非課税の
限度でありますとか、あるいは十万円を越えますものにつきましては、なおそのほかに
財産税がかかりますとかい
つたような点もございまして、一応そうい
つたいろいろな点を考えまして、今までの
限度とそのまま機械的に権衡をとるといたしますれば、三万二千円という数字が最高になるわけでございますが、いろいろこまかい数字をその辺で切りますのもいかがかというように考えまして、五万円というラインを一応引いたわけでございます。結果といたしましては、旧券を携帯して帰りました
引揚者の九九・九%以上が、まるまる
金額の引きかえを受けられることになるわけでございまして、先ほど申し上げました一万九千件あまりのうち、五万円を越えますものはわずか九件でございます。それから、五万円を越えます分につきましては、今申し上げましたようなことで、大体第二
封鎖、これは郵便貯金に対する第二
封鎖の切捨率がちようど三〇%にな
つておりますので、それを一番近い参考にいたしたわけでございますが、二十万円で切りましたと申しますのは、今までの持帰り金の最高実例が十七万五千円でございます。引揚げもあるいは今後ともなお続くわけでございましようが、今までの実績で考えますと、かなり最初のころの
引揚者であ
つたと思いますが、十七万五千円が一番最高である。しかも、
外地の流通その他の
事情から考えまして、それ以上に持
つておることは通常考えられないのじやないだろうか、それから、今申しましたように、十二億何がしという今まで引きかえられないで行方不明の旧円がございますが、その中では何がしか——何がしかと申しますよりも、かなりのものが
外地に残
つておることも考えられるわけでございます。従いまして、この
措置が切らかになりますと、将来の
引揚者が不当に旧円をかき集めて持
つて帰る、そういうケースも実は考えられるわけでございます。従来の実例から申しまして、二十万円と一応の
限度を切れば、大体今までの
引揚者の方々と権衡もとれ、また十分な
限度と考えられるのじやないだろうかということで、一応二十万円という
限度を出したわけであります。それでは具体的に幾ら持
つて帰るだろうかという問題もあるかと存じますが、現に私
ども耳にいたしました報道では、かなりまだ大陸方面には残
つておるようでありまして、そうい
つたものがかなり香港あたりからほかに流れて
行つておるというニュースも実は聞いておるわけでございます。そういう
考え方で、一応五万円を切り、五万円を越えるものは三〇%を切り、それから二十万円を打切
つた、こういうことでございます。