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1954-10-21 第19回国会 衆議院 運輸委員会 第45号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年十月二十一日(木曜日)     午前十時四十一分開議  出席委員    委員長 關内 正一君    理事 岡田 五郎君 理事 鈴木 仙八君    理事 關谷 勝利君 理事 山崎 岩男君    理事 山口丈太郎君       天野 公義君    岡本 忠雄君       西村 英一君    有田 喜一君       臼井 莊一君    青野 武一君       楯 兼次郎君    正木  清君       中居英太郎君    館  俊三君  出席国務大臣         運 輸 大 臣 石井光次郎君  委員外出席者         運輸事務官         (大臣官房長) 山内 公猷君         運輸事務官         (鉄道監督局         長)      植田 純一君         海上保安庁長官 山口  伝君         高等海難審判庁         長官      長屋 千棟君         運 輸 技 官 水品 政雄君         運 輸 技 官         (中央気象台予         報部長)    肥沼 寛一君         日本国有鉄道総         裁       長崎惣之助君         日本国有鉄道副         総裁      天坊 裕彦君         日本国有鉄道理         事         (営業局長)  唐沢  勲君         日本国有鉄道参         事         (営業局船舶課         長)      篠田寅太郎君         専  門  員 提  正威君         専  門  員 志鎌 一之君     ――――――――――――― 十月二十一日  委員伊東岩男君辞任につき、その補欠として本  名武君が議長の指名で委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  台風第十五号による洞爺丸等遭難事件に関する  件     ―――――――――――――
  2. 關内正一

    ○關内委員長 これより会議を開きます。  台風第十五号による洞爺丸遭難事件に関し調査を進めます。質疑を続けます。臼井莊一君
  3. 臼井莊一

    臼井委員 今回の台風十五号による洞爺丸遭難事故は、ひとり日本ばかりでなく、タイタニツク号以来の第二の惨事といたしまして、世界からも非常に注目せられております。私の聞くところでは、さすがに海運国英国あたり業者からも、その原因等についてわが国の業者あたりへも、間合せが来ているというようなことも聞いておりまして、徹底的にその原因を探究して、今後そういう事故の再びないように万全を期してもらいたいというようなことが、世界海運関係はもとより、世界的に要望せられておることと思うのであります。当委員会から派遣せられました調査団としての報告は、すでに山崎団長よりなされております。私もその一人として参加いたしました責任上、多少個人的な私見を交えて質問を行いたいと思うのであります。  第一に問題になりますのは、すでにいろいろ論じられておりますように、暴風警報下になぜ船を出したかということの問題であります。その次には船が転覆した原因等でありまするけれども、船を出した一番大きな原因は、やはり気象に関する観測を誤つたということのように推定されるのであります。もちろんその誤つた判断と思われる中にも、現在の状況では科学的に処置しがたい、予測し得ないというようなものもありまするし、また設備人員等の問題によつて予報ができなかつたというような問題もありまするが、しかしそのときにもつと慎重に研究をし調査をしたならば、あるいは船長出港決意をせしめないような、あるいはしり込みせしめるようなこともあり得たのではないか、これも推定でありますけれども、そうも考えられるのであります。そこで気象の問題が一番重要であり、今後の対策についても気象という問題が非常に重要視されますので気象台に伺いますが、最大風速発表でありますが、当時の発表において、海上二十五メートルないし三十メートルの最大風速という発表をいたしております。これは気象台としては十分間の平均速度である、瞬間の最大風速というものは別に考えらるべきものであり、七、八割くらいこれに加える、場合によつては倍までも考えなければならぬ場合もある、こういうように伺つておりますが、現在気象台発表しておりまする風速は、みなこれと同じ考えのもとに行つているのでありますか、その点をちよつと気象台の方にお伺いしたい。
  4. 肥沼寛一

    肥沼説明員 気象台暴風その他のときに発表いたします風速は、ずつと過去には二十分間平均を使つておりました。これはいろいろ研究しました結果ぐあいが悪いというので、何年か年号を記憶いたしませんが、約二十年くらい前から十分間平均を使いまして、全部公表をいたして来ております。それから瞬間の問題につきましては、大体船に乗られる方はそういうことを御承知と私ども常識としては考えておりましたが、実際の面のことについては実はよく承知をしておりません。
  5. 臼井莊一

    臼井委員 ところが現地でいろいろ船長あるいは局の方に伺いましても、その点がどうもはつきりしてないようでありまして、報告書には最大風速と瞬間最大風速との区別があるということがはつきり出ておるのでありますが、この点もどうも船舶関係の方が勉強が足りない向きがあつたのではないか。ことに生き残つた阿部二等運転士を非難するわけではありませんが、これはその人の経歴、学歴から言つて無理もないと思いますが、全然そういうようなことは考えていないように話を聞いたのであります。船長あたり専門家としては、その区別は一応考えておるようでありますが、しかし一般の大衆から見ますと、その点が非常に誤解を招くのでありまして、正直に申し上げるとわれわれでさえも、その区別はあちらへ行つて話を聞いてなるほどとこう思つたようなわけであります。そういたしますと、中央気象台発表する場合には、やはりそういう瞬間最大風速はどのくらいになるということを、特に船舶関係漁船等には関係のある問題でありますので、発表すべきであると思います。あちらに行きまして函館海洋気象台発表では、そういうようなことをつけ加えて発表しておられるように聞いたのでありますが、現在それについてどうお考えになつておりますか、ちよつとお伺いしたいと思います。
  6. 肥沼寛一

    肥沼説明員 瞬間風速というのは、地形その他によつて非常にかわりますので、どのくらいというのがなかなか困難であります。それで平均風速はこのくらい、実際には風の息、つまり瞬間風速がどのくらいということをつけ加える方が、親切なやり方だとは思います。しかし実際問題としましては三割増しくらいのところもあります。あるいは十割増しくらいのところもあります。これは地形によつての変化と、それから不連続線などの通過する場合でかなり違います。そのために一般的の基準というのは今つくつてございません。こういう問題がありましたので、この点は今後検討してもし可能ならば、そういうこともつけ加えるような方向をとりたいと思います。
  7. 臼井莊一

    臼井委員 それから運輸当局にお尋ねいたしますが、北海道では暴風警報が出るのは年に二回くらいしかない。ほんとうにまれである。しかも北海道の方へ台風南方から参りますると非常に弱まる。これが従来の常識であつた。こういうふうにいずれの人も考えておるようであります。ところがすでに今から二十年前の昭和九年十勝沖で、しかも月も日も同じ九月二十六日にこの台風と同じような性格の台風があつて、それによつて演習に出た日本艦隊がひどくやつつけられておる。駆逐艦二隻がへさきを折られたというようなことがあつたそうであります。これについて当時海軍は秘密にしていたそうでありまするが、その後発表せられたということを聞いております。これに対して運輸省あたり船舶関係のお方が研究されて、あるいは青函局あたりでもそういうことを知つていたかどうか、その点をひとつお伺いしたいと思います。
  8. 山口伝

    山口説明員 現地の方ではあるいは存じておつたかも存じませんが、私自身は確かに知らないのです。この間一昨日でしたか、ほかの委員からお話がございまして、そのことを調べると、駆逐艦二隻ですか、大湊へ曳航されて来たということを聞きまして、そのとき知つたようなわけであります。
  9. 臼井莊一

    臼井委員 これらは九月の二十六日、日も同じそのころにはそういう台風がすでにあつたというようなことは、船長などの台風に対する判断一般にとつても、これは非常に参考になることでありますが、最近でございますか、いつごろですか聞き漏らしましたが、これが著書になつて発表せられておるということであります。これは軍の秘密のために、これが早くから一般発表せられていなかつたことは非常に遺憾でありますが、すでに本にまでなつているということであれば、当然船舶関係の者は知つていなければならぬと思うのでありますが、その点いつごろパンフレツトになつたか、発表せられたか、運輸省方面で御存じの方はございませんですか。
  10. 肥沼寛一

    肥沼説明員 ただいまの資料は、たしか終戦後その資料の一部は気象台の、これは正式のものではございませんで、当時の水路部関係と個人的に知つていた気象台の人の手に渡りまして、その人の調査があつたはずであります。その公表された報告書の名前は、私は今失念いたしましたが、気象学会報告ではなかつたかと思います。二、三年前じやないかと思います。
  11. 臼井莊一

    臼井委員 この点は航海参考資料その二の台風篇というのにあるということを聞いたのでありますが、図誌課長さんあたりはその点知つていたように聞いたのでありますが、そういう点に対する研究が足りないように思うのであります。これはひとり台風に対する問題ばかりではなく、昨日も話にありましたように、単に経験体験にたより過ぎるということなんであります。しかし三十年も船長があそこに経験があれば、当然正式の発表がなくとも、それくらいのことはある程度、とにかく青森にそういう艦隊が入つていて、すでに当時山崎君などは町長としてそういうことを目撃したということである。そういう点について、どうも漫然とした体験にたより過ぎて、研究をしようという熱心さが足りないように感ずるのでありまして、その点は非常に残念に存じます。  もう一つ昨日お伺いいたしました中で、定点観測の問題、昨日の御答弁では北方定点観測はやるつもりである。従つて日本海側定点観測は置く考えがないというふうに伺つたのであります。ところが北海道方面ではこの四月幾日でございましたか、十勝沖台風漁船が非常にやられたことがございました。あの台風南方から来たのではなくて、シベリア方面から来た低気圧であり、台風であつた。それがために観測が現在便宜がないので、予報が多少遅れていた。あれがもつと早く発表されれば、あの漁船災害ももう少し軽くできたのではないか。そこで札幌の気象台長でございましたか、やはりそういう災害を防ぐ意味においても、日本海側定点観測一つほしいということで、これは時期的にうまくあんばいをすれば、北方定点観測日本海観測とを、一応時期的にかえてもやれるのではないかというふうな意味を当時聞いたのでありますが、その点について何かお考えがありますか。
  12. 肥沼寛一

    肥沼説明員 日本海定点の方は、確かにあれば非常にけつこうなのでございますが、先般の十五号台風について、私ども状況を早くつかんで予報をすることが非常に困難であつたので、問題は北海道通信線の切断の問題でありまして、北海道に現在二十二の気象観測所がございますが、この資料が全部即刻集まればあのようなことはなかつたと思います。通信線の問題の方が先決問題じやないか。北方定点の問題は、あの地域にとにかく観測点が全然ない。全然ないのと一つあるのとはけた違いの差でございまして、一つだけぜひほしいというお願いをしているわけでございます。それから時期的にこれを日本海へ移すという問題、これはあそこのところに全然ないのでありまして、ある時期に移すということでは、将来のいろいろの統計資料に非常な欠陥を来しますので、その点を考えますと、北方ではやはりあそこでずつと継続して行きたい。なるほど日本海も大事ではありますけれども、しかし少し距離を西の方へ延ばしますと、沿海州の資料、これが完全に気象の受信をいたしますと、二時間ごとの資料が入るわけであります。それが幾分の足しにはなるわけであります。
  13. 臼井莊一

    臼井委員 それから、先ほど気象に対する調査研究が不十分じやないかと言つたのは、今の十勝沖昭和九年の問題等もそうでありますが、青函の近くには気象台もあり、それから保安庁もあり、海上自衛隊もある。そこでそういう方面津軽海峡における航海安全性というような問題について、いろいろ討議でもやれば非常に参考になつたのじやないか。ことに保安庁あたりでは、あれは台風の目でないので、第一象限と第三象限との中間無風状態であつた。あるいは副低気圧が現われてその中間であつたかもしれないが、いずれにしても台風の目が過ぎて第一象限から第三象限になれば、第三象限は一番強いのだ、こういうことを保安庁では言つておりますが、そうすると十七時三十分ごろ中沢運輸部長運航司令室から気象台に問い合せたときに、台風江差沖北方を通つている、函館はその南に当る、楽観は許さないというふうな情報北海道の総支配人のところへ、ほかのいろいろな情報とともに持つて行つたということがあります。これはおそらく船長のところにも通じていると私は考えるのであります。そうすると中心は函館だと思つたけれども、それが江差沖を通つているとすれば、それは当然第三象限方面にこれから当るかもしれない、こういう気象上の判断もできるのでありまするが、そういう点についてもどうも研究が少し足りなかつたように私は思うのであります。それともう一つは、ひとりこれは船長ばかりでなく、陸上青函局としては連絡船があるのでありますから、陸上においても十分研究して、そうして船長判断誤りないかどうかということも、私は監督する責任が当然あると思うのであります。青函局長の高見さんのお話でも、昨日も竹谷委員からお話がございましたように、責任は九九%まである。しかし最後の一%が船長出港判断にまかせてあるのだ、こういうようなお話であります。従つて非常に危険なあれを最後の一%だけにまかせたというところに、またそういう習慣でやつていたというところに、私は非常に大きな問題があると思う。ことに船舶従業員職制服務規程というか、これには劈頭に船長の直接指揮者鉄道管理局長である旨が記されておるのであります。従つてことに暴風警報が発せられておるという際には、十分監督すべきであるにかかわらず、会議資料をつくるために始終家におられた。また森船舶部長も家におられた。海務課長は出ておられたようでありますが、そういうときに、船長誤りをもししたとしても、これは陸上の勤務であるから責任なしということは私は考えられないのであります。その点について当局はどうお考えになりますか。ちよつとお伺いしたいと思います。
  14. 唐沢勲

    唐沢説明員 陸上にも気象関係のいろいろな判断をする設備なりを設けて、船長の方を区処したらどうかという問題でありますが、局の方としては、そういう設備をいろいろして、そこまで判断して船長命令するということは、非常に実際問題として問題があるかと思いますが、ただいまの規程なり実際のやり方にいたしますと航海の安全に関する責任も義務も、そういうものは船員法なりあるいは商法関係なりに規定されておりまして、航海安全の責任船長にまかされておるのでありまして、そのために、航海に関する限りは局長もこれを指揮することはできない、こういうふうに考えております。また実際問題としましても、船長が自分の気象なり、あるいは気象といいましても風なり波のうねりなり、いろいろな条件を考えまし判断をするということにするのが、一番適当であると考えるのでございます。ただああいう実際問題の起きました場合には、あんな暴風のときに、どうしたらよかつたかということは、あとから考えれば考えられるのでありますが、あの場合について見ましても、実際どういうのが一番航海としてできるかできないかという判断をするのは、やはり船長が一番適当な者であるというふうに考えます。規程法律建前からいいましても実際としても、そうあるべきであると考えるのでございます。ただ局長部長が自宅におつたという点につきましては、常に司令の方と連絡がとれるという態勢にはありましたけれども、ああいうときに家におつたということにつきましては、指揮の上においてどうかというような点は考えられますけれども、実際の業務の運営の面においては、特にそのために支障があるというふうには考えられないのであります。
  15. 臼井莊一

    臼井委員 私のお伺いするのは、航行に関してはもちろん船長責任があるだろう。しかしさん橋に着いてまだ出港しない前には、これは航行ではありません。私のお伺いするのは、その出港命令であります。これはダイヤに出ていれば、すなわち業務命令であります。そうすれば出港せよという一つ命令であると解釈されます。その命令を出すことは、局としては航海は安全なりという前提のもとに出しているのだ、少くとも危険なりと感ずれば、命令を出すはずはないと思う。ところが、これを受けたときに船長が危険なりと感ずれば、これをもちろん拒否しましよう。しかし局においても危険なりと感ずれば、これは命令を取消すなり、ダイヤ変更をすべきであるというふうに考えるのであります。結局船長が危険なりと言うのを、暴風下においても出て行けという命令ができないのはあたりまえであります。しかしそれを船長はまあよかろうと思つても、陸上において危険だということを感ずれば、ダイヤをとりかえても、いわゆる業務命令をもつて出港停止ということはできると思うのでありますが、この点をひとつお伺いしたい。
  16. 唐沢勲

    唐沢説明員 ダイヤをきめますのは局長でございまして、原則としてはその時間に出るということになつておるのでございまして、それに基いて船長が出て行くのがもちろん建前でございますが、天候その他で航海が不安全と思えば、それを拒否することは当然船長としてはできるわけでございまして、それを出ろということはもちろんできないわけでございます。従いまして出港してもいいかどうか、天候その他の航海安全上から、出港して行くことが適当なりやいなやの判断船長にまかせる、船長権限にあるというのであります。さてその場合に、危険と思うから――船長はどう思うか知らないが、陸の方で危険と思うならとめたらということでございますが、陸上といたしましても、そういう点におきましては、船長が、法律建前からいいましてもそうですし、実際問題からしましても一番的確な判断ができると考えますので、結局所要の伝達なりいろいろな参考資料を提供して、船長の慎重な判断を待つて船長かこれを決するということになつているわけでございます。
  17. 臼井莊一

    臼井委員 今の御答弁で、出港の決定は船長にまかせられているというようにも聞えたし、権限船長にあるというふうにも伺つたのですが、その点はいずれでございますか。
  18. 唐沢勲

    唐沢説明員 船長が持つているというふうに考えております。
  19. 臼井莊一

    臼井委員 それではお伺いいたしますが、もし陸上で、船舶部長なり運航主任なりあるいは局長なりが危険なりと感じても、船長が行くという以上は、これは停止ができませんかどうですか。
  20. 唐沢勲

    唐沢説明員 極端な場合を想像しましてそういうような場合がありましても――一般の場合には、もちろん陸上で非常に危険だと思うようなときには、船長の方も危険だと思うのが一般でございますが、特にそういうような場合におきましては、一応注意するということもあり得ましようし、あるいはまた極端な場合を言えば、何といいますか、ほかの理由なり何なりでもつてやめさせるということもあり得るかと思います。一般にはそういうことはなく、船長の方がむしろ安全について責任を持つておりますから、やめることを申し出るのが一般であります。
  21. 臼井莊一

    臼井委員 これは妙な例を引きますが、最近の映画で「ケイン号の叛乱」というのがありましたが、これらも要するに船長が気が狂つた、こう断定して副長以下が船長を監禁して――これは暴風に出食わした最中ですが、航海の安全をはかつたというのが、これは極端な例のようでありますが、劇としてあります。われわれの考えでは、局長指揮権があるというならば、もし船長ダイヤ通り出るというふうに判断しても、それこそその指揮権を発動してこれを停止することはできるはずであり、ただ出港命令ばかりが命令権でなくして、やはり停止をするという権利ももちろんあると思います。ダイヤ変更をするということは、既定のダイヤで出るのを停止して、そうして新しくまた出港命令を出すというふうに考えるのでありまして、どうもその点私たちといたしましては納得ができないのであります。ことに、そうなるとどうも局側としては船を出すことにのみ熱心であつて、むしろ暴風下においても控えることには不熱心のように聞えるのであります。  これは北海道新聞発表せられたことでありますが、「青函局側船長出港判断管理当局の意見を全然介入したことはないと主張している」、これは今の御答弁と同じでありますけれども、ところが「九月十四日台風十二号のうねりのため貨物連絡船渡島丸欠航する旨を青函局通知したところ、局側ではこれを疑問視して「待つた」をかけ調査上」でやつと納得したということがある。これによるというと、船長うねりがあるので貨車積みができないからというので欠航通知を出したにもかかわらず、青函局船長欠航通知をそのまま承認しなかつたということなんだ。「渡島丸は当日上り六二便(午前十時五十五分発)として出港する予定だつたが、佐々木船長台風十二号の余波と満潮時でうねりが高いため、函館有川桟橋での貨車積みはまつたく不能であるとして欠航を午前九時ごろ青函局連絡した、これに対して森同局船舶部長は青天で風も弱いのに海上うねりが高いというのは疑問であるとして係員を通じて有川桟橋での貨車積込みが可能であるかどうかを調査させ、ようやく了承した。この間の事情について連絡船乗組員の中には「森船舶部長青函航送繁忙期にむやみな欠航慎しんでほしいと佐々木船長に警告したと伝えるものもある。」こういうようなふうに、局としてはなるべく出港することの方に熱心であつて、万一の危険をおもんぱかるということに不熱心のように考えるのでありますが、この点御当局はどうお考えになりますか。また新聞に出たことでありますので、この点について当局においてお調べになつたことがありますかどうか伺いたい。
  22. 唐沢勲

    唐沢説明員 北海道の物資をこちらに輸送するということにつきまして、いろいろと苦労をしておることは事実でございまして、できるだけ送りたいという気持はもちろんございます。実際問題としましては、船の方は航行の安全の全責任を持つておりますから、もちろん不安全なことをするようなわけは絶対にないのでありまして、また仕事といたしましても、少し荒れたようなときには、どちらかといえばもう航行ができても、休みたい、無理をしてまで行きたくないという気持のあることも、おそらく人情としてほんとうだろうと思います。そこで輸送につきまして、送れないとか積めないとかいうようなときには、どういうわけで積めないか、出られないかということを聞くということはもちろんあると思います。しかしこれくらいなら出られるじやないかということを言うようなことは絶体にないと思います。また今御指摘になりました幾日ですかの渡島丸の件につきましては、具体的に調べておりませんが、どうして積めないかというようなことは聞いたりしたことはあると思いますが、無理に出て行け、出港しろといつたようなことはないと確信いたします。
  23. 臼井莊一

    臼井委員 船長責任で、航行中の責任と岸壁に碇泊しているときの責任、これとがどうも混同しているように考えるのであります。あちらの現地で聞きましても、私たちの調べた範囲内においては、陸上における気象研究調査、それから台風十五号についての気象台に対する問合せ等が、十分やつたようにも思われないのであります。また平素から電話は気象台には三本あると申しますが、一番予報を出す予報室というのは日本冷蔵のどこかの部屋を借りていて、電話は公衆電話一本しかないという、その四十二番という電話でいつもかけるのだという話です。ところがこの四十二番は公衆電話ですから、方々からかかつて参ります。お話中の場合にはついそのままになる。また気象台から通報する場合にも、やはり同様であろうと思うのでありますが、そういうように陸上においての気象に対する積極的な資料船長に提供する努力の跡が、どうも十分見られないのであります。それでその点を聞きますると、船が一番気象の材料を集めるのに完備していることを聞くのであります。たとえば出港しようというので海上の模様はどうか、あるいは青森の状態はどうか、大間崎の方の燈台の模様はどうか、こういうことは当然調べるべきでありましようが、それも船に無電があるから、船長からこの点を調べてくれという要請があれば調べるけれども、そうでなければさん橋方面でも電務区あたりでも調べないということなのです。ところが無電はあつても、航海中は打てるけれども、碇泊してさん橋についている以上は、無電は使えないということを聞いたのであります。そうすると、むしろ陸上の無電なり有線電話で積極的に調査すべきであろう、こういうふうに私は考えるのであつて、必ずしも船が一番情報を集めるのに便利な設備が完備しているとばかりは言えないと思うのであります。その点何か船にばかり責任を負わせるわけじやないのでしようが、責任を逃げているように受取れてしようがないのであります。この問題は何も私は責任を追究するということのみではないので、今後こういう点は責任の所在を明らかにする上において非常に重要であり、もしこのままの今のような御当局のお考えであると、今後非常に大きな問題を残すのじやなかろうかと私は思うのであります。そこでこの点はひとつ十分に明確にする必要があろうと思う。  それからもう一つお伺いいたしますが、連絡が非常に不備といいますか、明確を欠いているように思うのであります。気象台と駅との連絡電話も、これは報告書にも要望事項としてうしろに書いてありましたが、一体だれから問い合せて来たのか、だれに答えたのか、この点は気象台側においてもやはり同様な点がありますが、ただ駅からといい、あるいは局からというようなことで、一体局の何のだれがしであるかというようなことがわからない。しかもその内容も、従つて時間も非常に食い違いがあります。大体のことは似ておるのでありますけれども、局でもつてこういうことを聞いたということでも、ちようど電話が込んでいたので、その問合せについては記憶がないというような証言を、気象台からいただいておるような状態です。この点はやはりもう少し規律正しく、まあ軍隊的というと語弊がありますが、もう少しその点規律を厳重にする必要があろうと思う。この間「つばめを繰従する人々」という文化映画をちよつと見たのですが、また昨年でしたか、東海道線の機関車にも乗せていただきましたが、駅の状況を見ると、非常に厳重に、まあ軍隊式にやつているように思う。まあ言葉はわかりませんが、たとえば信号にしても、何々信号安全とか、それからダイヤも、どこそこ通過といつて、映画だから特にやるのかしりませんが、ダイヤのところまで指さして二人でもつて応答し合う。運転士が言えば片一方の助手もそれを復誦する、こういうふうで、ああいうものを見るとわれわれも非常に安心して汽車に乗れるというふうに信頼を持つのです。ところが遺憾ながら青函局のあれを調べてみますと、船については船長がそういう絶対権を持つているのですから、もつと厳重にやるでありましようが、あるいは連絡についても、だれそれが受けたということ、あるいは伝えた場合にも、それをだれそれに伝えたというくらいまで、少くとも重要な問題についてはなすべきであろうと思うのであります。ところが実際いろいろ調べてみますと、その点が非常に明確を欠いているのであります。その一例を申し上げてみますと、これは私のノートによるのでありますから、あるいは書き違いがないとは限りませんけれども、当日の西岡平治郎という運航司令の当直が、気象台気象を十七時四十分ごろ問い合せた。これは中心が通る、晴れたというので問い合せたというわけですが、これは適切だと思います。ところがその気象台側からの回答としては、今は静かだけれどもまた盛り返す、風速は二十メートルから二十五メートル、南西から北西にかわる。この答えを船長に伝えてほしいとさん橋長の部下に言つた。しかしさん橋守衛の中沢氏からは返事が来ないうちに船が出た、こういうようなことを言つておる。要するに言つたけれども、それがはたして船に通じたのか通じないのかわからないうちに出てしまつた、こういうのです。それから気象台にこの点を伺いますと、成田情報官はそのころは電話が非常に多かつたので、これは記憶外だ、こういうお答えをしております。それから中沢さん橋守衛にこれを聞きますと、山本助役が船に行つていたので、土屋というさん橋の係の人でありましようが、十八時ごろに船の方に伝えるように言つたちようどそのとき百二便の船が入つて来て多忙であつたので、土屋氏からの返事を十分聞かなつた。これも返事を聞かないので、はたして伝えたか伝えなかつたかわからなかつた。しかしこれは土屋さんに聞きましたら、船のタラツプまで行つたところが山本助役に会つた。それで今はないでいるが、これから二十メートル、二十五メートルの風が吹くから船に行つて伝えてもらいたいと言つた。ところがこれを山本助役が引返して船に行つて伝えたかどうかわからぬというのが、当日の証言だつた。船に行かずに帰つたらしいというような話だつた。これは非常に重大な問題であるというふうに考えておりましたが、その晩局から電話がありまして、その伝言は確かに船に伝えてある、これは局の責任をもつて申しますというので、一応了承して、翌日山本助役にあらためてその点を確かめましたところが、ちようど船からおりたとき土屋さんに会つた。今はないでいるが、二十メートルから二十五メートルの北西の風が吹く、こういうことが運航から電話があつたということを聞きまして、船に引返して水野一運に本人の部屋の前で伝えた。十八時十分ころのことで、それで水野一運はわかつたわかつたと言つた、こういうことで結局それは伝わつていたということにはなつたのでありますが、こういうふうに出港の決定についての重要な情報に対してすら、はたして伝わつたのか伝わらなかつたのかということが、どうもわからぬというようなことでありますので、この点について船におきましてもやはり汽車と同様に、そういう点を従来ともに厳重にやつているのであるかどうか。たとえば軍隊式に復誦くらいのことまでさせるのであるかどうか。そういう点について局の従来のやり方、これはひとり青函に限らず、四国との連絡船等もございますので、お伺いしたいと思う。
  24. 唐沢勲

    唐沢説明員 今の連絡の問題でございますが、ちようど今例をお引きになりましたたとえば列車の運転のときに、時刻だとかあるいは信号の状況とかをいろいろ口で言い、また復誦するというようなことでございますが、船におきましてもごらんくださればわかりますように、運航しているときにおいて、どこの岬を通つたとか、今何度だとか、お互いに言い合いして、正確に運航しているのでございます。ただいま問題になりました気象関係の通報の連絡でございますが、これにつきましては気象心得によりまして、管区の気象台の方から――ここでは函館気象台でございますが、そちらから参ります警報につきましてははつきりと記録にとどめ、それを電務区から指定されたところ、すぐ定められた方法で流すということになり、これは厳格にやつております。ただ今問題になりました随時の電話によつて問い合せる。それはいろいろ保線区から聞くこともあり、またあるいは車掌区から聞くこともあるし、ただいまの運航司令から聞いたりいろいろするのでありますが、そういう電話でしたときに、自分の名前や相手の名前を書きとめたり、だれだれに聞いてだれに伝えたということが的確にきちつとしておらないということは、御指摘の通りの点があるのでございまして、先ほど申されました出港前の西岡輸送司令が聞きました返事につきましても、お話のございましたような径路をたどつて、船の水野一運までは行つていると確信するのでありますが、何分にどういう内容をというようなことが、記録にまで残つているということにはなつておりません。何分にもああいうあわただしいときでありますので、ついそういうことになつたと思うのでございますが、ことに気象の問題につきましては、そういう点に今後さらに一層注意しなければならないと思つております。ただ船の方におきましては、何といいましても船長気象の本筋をつかむべきでありますので、中央気象台なり、海洋気象台なりの情報によつて、最も根本になる気象のことを判断しまして、それによつて台風の位置なり、大きさなり、速度なり、方向なりを判断する。さらに最も問題なのは海上でありますので、その海上の情勢を判断するためには、龍飛とか大間、その両方から定時の放送を受けておるというかつこうになつております。また接岸しておりますときには、無線は発信はいたしませんけれども、受信はできますので、随時定時の気象台からの放送なり、海上の燈台からも放送を受けておりますし、特に必要と感ずる場合には電務区、あるいはさん橋の方に言つて気象台から連絡をとつてもらうという建前になつておるのでございます。
  25. 臼井莊一

    臼井委員 私は当時の従業員の方々がこういうふうに不的確にやつたということに対して責める気にはなれない。なぜかならば、当時非常に多忙であつたということが予想される。いろいろふだんならば問合せをしないでもよいような問合せを、気象台にもしなければならぬ。また船が出て行つたものが引返して来るとか、貨車を積みかえるとか、こういうふうに非常に多忙であります。そこで問題はこういう暴風というような際に、当然これは非常に忙しくなるというのに、なぜ平常のままの態勢で済ますかということの方の問題であります。この点につきましては何か昨日甲号、乙号という態勢があるというような局のお話でありましたが、われわれあちらに行つて聞いたところによりますと、西田さん橋長の話でも、あるいは川上海務課長の話でも、暴風警報が出たから特に勤務員を増して、それに対する態勢をとるというような規程は別にない。また習慣もない。従つて平常のままでいたというようなことを聞いて、私どもは非常に遺憾に思つたのです。これはたとえがはたして適切であるかどうか別でありますが、たとえば戦争中の敵機が来ると、警戒警報が出るということで、警戒警報に対する準備があります。それから空襲警報が出れば、これに対する万全の策をみなとつております。従つて暴風警報が発令されたならば、全部動員してでも、これに対する万全の態勢をとるべきではないかと思うのです。戦争とこういうものは違うけれども、しかしこれは大自然に対する一つの闘いだと私は考えておる。台風十五号にわれわれは敗れたのだという考えがいたします。当然暴風の中心が来るというならば、これに対して陸上においても態勢をとるべきであり、ふだんからそういう規程等も設けておるべきであろうと思うのですが、この点についてお伺いいたします。
  26. 唐沢勲

    唐沢説明員 お話の通りでございまして、非常の事態に対しましてはもちろん非常の態勢を整えなければならないのでございまして、これに対しましては船舶関係におきましては、日本国有鉄道連絡船救難処理規程というものを定めまして、これに非常の場合の措置並びにそういう場合の準備、そのための訓練ということを規程してございまして、これによつて船舶は十分これをやつているのでございます。先ほど陸上のことにつきまして、甲種警戒とか乙種警戒というお話がございましたが、陸上と船とは多少趣を異にしておりますが、陸上におきましても警報になりますと、線路の見まわりとかいうようなことで保線手が乙種警戒に入る、あるいは甲種警戒に入るというようなことになつておりますが、船におきましては船自体が一つの現場の総合機関でございまして、船としましては天候によりまして船長がそれを一等運転士に言えば、すぐに荒天の準備、警戒態勢に入りまして、当日におきましても、全員がその部署について、船は警戒の態勢に入つておるのでございます。今お話になりました船と船に関連する陸上関係でございますが、あるいはさん橋とかあるいは駅とかあるいは局とかへの態勢でございますが、これに対しましては、いよいよ救難をしなければならぬというような場合におきまして、救難本部をつくつて措置をするという建前はございますが、これに荒天になつたからといつて特に非常召集をして、警戒といいますか、特別の勤務をするというようなことになつておりませんが、今申しましたように、船としましては、船自体が船長命令一下、全員が部署についてやつておるというので、その点は大体陸上の現場と似たようなかつこうになつているのでございます。ただその場合に非常に多忙であるので、もつと召集すべきであるという御意見に対しましては、なお今後考えなければならぬ点があるのじやないかと考えております。
  27. 臼井莊一

    臼井委員 その点は私も非常に遺憾でございまして、すでに海難なら海難が起つてしまつてからでは間に合わないのであつて、自然の猛威に対していかにしてこれを防ぐかという、あらかじめの準備があつてしかるべきである、こう考えるのでありまするが、こういうことについても今のような状態、しかも船長が荒天準備を当然命じて、一運がこれをやつておるだろうというお話でありまするが、これも現場において聞きますと、これは生き残つた二等運転士お話でありますから、ある程度割引して考えなければならぬかもしれませんが、どうも、いいところは私は軍隊式でもよかろうと思うので、たとえば船長が危険を感じて、荒天準備という号令でもかけるかと思うと、そういうことはないのだそうでありまして、一運がかけるのかと思うと、一運の責任ではあるけれども、これもそういうことはなくて、一体貨車甲板のあれはだれが締めるのかというと、まあ水手がやるんですなという、そういう程度なのであります。しかしエンジシ・ルームの換気孔の天蓋等は、水手よりはむしろエンジンを扱う者が、もしエンジンがとまつたらたいへんだというので、当然これは自分から注意すべき問題だと思う。そういう点の、何といいますか、態勢が、めいめいが自発的にやるのがあたりまえであるというふうになつておるように感ぜられたのでありまして、この点はひとつ今後十分調査せられて、けじめをきちんとつけて、荒天準備という命令船長が下して、荒天準備終りという返答か船長のもとまで来て、船長は安心して千二百名の乗客を預かつて出港するというふうに当然なるべきであろうと思うのですが、どうもそういうやり方になつていないようであります。これは今後船を引揚げてからも問題になるでありましようが、石炭取入口へ水が入つたのではないか、あるいは天蓋が開いてしまつたのではないか、こういうような問題になるようであります。  それから陸上の態勢でありますが、この報告書にも出ておりますように、洞爺丸は、すでに二十時十分にLSTがSOSを発した。それで強風のため自由を失い難航中ということが入つておる。それから二十一時二十五分には、エンジン、ダイナモとまりつつあり、突風五十五メートルというような報告が来ておる。このエンジン、ダイナモがとまりつつあるということは、もう船が転覆する可能性が多い。しかも突風五十五メートルというような情報が入つて来ておるのに対して、この態勢が陸上においてはどうも十分とられていないように思うのです。そうして二十二時三十九分、SOSが発せられてから、たとえば自励車の手配をするとか、各さん橋の救命艇が出るとか、こういうようなことをいろいろされたようであります。その後については十分やられておりますが、その間の、いわゆる暴風警報が発令されて、それに対する態勢がとられておらないし、また二十一時二十五分の、こういう突風五十五メートルという際でも、それに対する応急処置ができないということは、まず当初の暴風警報が出ても、平生の態勢でさしつかえないという観念から出発して、SOSが出てからでよろしいということになつておるのではなかろうかと思うのですが、その点について遺憾のない処置をとられたかどうか。この点を御当局の方でお調べになつた資料でもつてひとつお答えを願いたい。
  28. 唐沢勲

    唐沢説明員 SOSが出てから救難態勢といいますか、非常手配をしたというわけではございません。もつと早くにその処置は講じて、救難本部をつくる手配はしておるのでございますが、ただ全般的に言いまして、一般の場合でありますと、あちらこちらに故障が起きて、あるいは坐礁ということになるまでには相当の時間がかかるというのが常であります。また救難するにしましても、どういう手段がよいかというような点を一応考えなければなりませんので、それらをいろいろ問い合せたり、船と応答したりしていた向きもあるようでございます。いずれにしましても、この指揮が不能になりましたころ、司令としましては召集にかかりまして非常態勢に移りつつあつたのでありますが、ちようど電話が故障であつたりしまして、実際にみなが集まつてそこへそろつたのは四十分を過ぎておつたというようなことになりまして、結果から見れば、もつと早くそういう態勢を整えて集まつた方がよかつたのではないかということが考えられますが、当時の事情としましては、SOSがあつてからではなくて、もつと早くから全部を集めるという態勢にはしておつたわけでございます。
  29. 臼井莊一

    臼井委員 今申し上げたように、二十時十分にすでにLSTがSOSを発して、そして洞爺丸函館港外にいる、強風のため自由を失い難航中というような無電が入つて来ております。そうするとSOSが出るまでにちようど二時間半ばかりあるのです。この間にもつと早く態勢がとられるなら、あるいは暴風警報によつての荒天準備が陸上においても一応されていたならば、船がもしあそこで沈む、あるいはボートで出るということになれば、当然七重浜に漂着することが考えられる。ところが七重浜の方にあらかじめ救助の車を向けるとか、あるいは連絡を出すというようなことが、どうもやつてなかつたようであります。そして助かつた阿部二等運転士がやつと岸にはいついて、通りかかつた三輪車に乗つて交番にも連絡し、それから駅へ来て連絡した、こういうような状態であります。あそこらの人に聞きましても、もつと早く七重浜に救助の準備がしてあれば、浜へ流れついた人でもつと助かつた人があるのじやないかと、みな一様に言つておるのであります。私はもつと早く、台風の襲来とともに、風速が加わつて来たというようなことになつて来たならば、荒天準備をすぐとつて、こういう場合にはこう、こういう場合にはこうという手を打てばもつと助かつた人が、あそこに流れ着いてそのまま死んでしまつた。生き残つた者でも、やつとほつとすると眠くなつてうとうとしてしまう、さらにあと水をかぶつてひやつとして目がさめたということを聞いておる。眠れば死んでしまう。中はトラツクががたがたゆれたので、トラツクの上で息を吹き返した人もある。この点については、どうも非常事態が起りそうだという予想のもとでの迅速な手配もなく、荒天準備に欠けていたと思うのでありますが、総裁はどうお考えになりますか、こういう状態がいいのかどうか、お伺いしておぎます。
  30. 長崎惣之助

    ○長崎説明員 遭難に対する事前の準備態勢等につきましては、これを今日において顧みますと、当時もつと早い時期にやりましたならば、お話のようになお十分なることができたのじやないか。この点は今後十分に調査をいたしまして、将来かくのごときことのないようにはつきりした対策を整えなくちやならぬ、かように考えております。
  31. 臼井莊一

    臼井委員 いろいろな話を総合してみますと、もう船に乗つてしまえば船長まかせだ、SOSの助けが来れば何とか心配するのだ、それまでは船長がうまくやつているだろう、出港するにも船長が危険かどうか判断するのだ、こういうようにすべてが船長まかせであるということが、この非常事態を招いた遠因をなしているのではないかと考えるのでありまして、やはり鉄道の延長としての連絡船でありますから、絶えずあらゆる万般の準備をしておくべきであろう、この点私は非常に残念に思うのであります。七重浜に碇泊するというような問題について、あらかじめ船員や船長の間でもつと研究してあればよかつた。というのは、たしか十二青函丸の船長だと思いましたが、自分は以前にやはり七重浜に仮泊して風のために――おそらく南風か何かでしよう、ひどい目にあつたことがある、そこで自分の船は港内に碇泊した。港内にいたかつたのだが、イタリア船のアーネスト号にぶつけられそうで、とうとういかりを引きずつたままで港外に出ざるを得なくなつた、と言つておりました。この船だけが、貨車を積んでいなかつたことも原因つたでしようが、港外で助かつた。それほどに七重浜に仮泊することについては、西南の風が吹くと日本海から吹き通しにうねりがあそこに入つて来る。そうなれば、あそこは非常に危険だということは考えられるのであります。  時間がたちましたので、あと簡単にいたしたいと思いますが、船の構造の問題につきまして――船のことについては私は専門家でありませんから知りませんが、洞爺丸は何メートルぐらいまでの突風に耐えられるかということは、おそらく学理的に設計されているだろうと思う。たとえば浮揚力と重心との関係で、何か海上保安庁から聞きましたところでは、GMの関係というようなことで、いろいろ計算があるのだそうでありますが、洞爺丸は何メートルの風速まではさしつかえないというもとに設計されたのでありますか、この点をお伺いしたい。
  32. 水品政雄

    ○水品説明員 今のお話洞爺丸の復原力についてのお話と思いますが、風が吹きますと波が起ります。その波の週期と船の動揺の週期が同調して風上に傾いたときに一番強い風が当る、そういうのが一番悪い状態でございます。従つて、簡単に風圧がどうというふうには御回答がいたしかねます。実は一言で復原力の問題は説明しにくいので、要すれば詳細な資料で後日御説明申し上げたいと思いますが、ただこの船の復原力は、予想以上によろしいのだということはここで断言できると思います。近海区域の一般の客船等に比して、この船の復原力は非常によろしいということだけははつきりと申し上げ得ると思います。
  33. 臼井莊一

    臼井委員 復原力がよろしいというのですが、あそこに貨車を積むと、重心が上になつて、復原力がよいというふうにはわれわれ考えられないのですが、貨車を積んでも復原力が一般の船よりよろしいのでありますか。
  34. 水品政雄

    ○水品説明員 貨車を積んだ場合においても復原力は予想以上によろしいということを、現在私ども大体計算をして言い得る段階になつております。
  35. 臼井莊一

    臼井委員 その点は、現地で聞いた海上保安庁でしたか海上自衛隊でしたかの意見と、何かちよつと違うと思うのですが、その点はまたあとで伺うことにいたします。  もう一つ青函連絡船がLST型のごとく、うしろの積込み口がとじるようになつてない。この点については昨日何か御答弁がありましたが、その点をもう一度、どういうわけでああいう状態にしてあるのか、お伺いいたします。
  36. 水品政雄

    ○水品説明員 どうしてそういう設計にしたかということは御説明申し上げかねますけれども安全性の観点から御説明申し上げたいと思いますが、船の安全性について、あそこに穴が明いてあるかどうかということの一番の問題は、船内に水が入るか入らないかということであります。たとえば今度も機関室に水が入つたということがあの事故の非常に大きな原因であるように考えられますけれども、そういうふうに船内に水が入ることを防止するということが非常に重大な項目でございまして、それを防止する一つの方法といたしまして、近海以上の航行区域を持つておる船舶には、フリーボードの指定があるのであります。フリーボードというのは、御承知と思いますが、簡単に申しますと、水面上デツキまでの高さと大体言い得ると思います。この船は沿海航路の船でございますから、フリーボードの制限はないのでありますが、しかし実際に国際的な航海をしておる大型の船舶の規定をそのまま適用いたしましても、規定以上のフリーボードを持つておるのでございます。またあのデツキ、つまり車両甲板というのが本船の上甲板でございますが、私どものいう安全上の上甲板でありますが、その上甲板上にエスケープとか載炭口とか、たくさんございますが、そういう口の高さ、縁材の高さと私どもつておりますが、その高さの関係、それからそれのふたの装置の関係、こういうものも、従来の経験に徴しますとあの種の船舶としては十分の高さを有し、かつ完全なる装置を持つておる船でございます。またそのほか両サイドに部屋がございまして、そういう部屋の入口等の入りますところの高さ、あるいは締めつけ装置等も、沿海航路の船舶としては普通の標準以上によくつくられておるのでございます。従いまして従来の船舶の安全性という観点から見ますと、この船はいろいろの構造において十分に満たされた船舶でございました。ただわれわれ考えなければならぬことは、現実にこういうことが起つておりますから、もちろん十分検討しなければならぬと思いますけれども、従来の基準から考えますと、国際的にも遜色のない基準を持つておる船でございます。
  37. 臼井莊一

    臼井委員 その点で一つお伺いしたいのは、LST型のごとく貨車の積込み口を閉鎖しなかつた理由は、占領下の駐留軍の意向で当時トン数を制限されていたので、それで開口部をああいうふうに開いておけばそれがトン数に入らない、要するに甲板であるという点からそういうふうにしてあつたのだ、こういうふうにたしか十二青函丸の乗組員から聞いたのでありますが、その点はいかがでありましようか。
  38. 篠田寅太郎

    ○篠田説明員 あの船は御承知のように、当時占領下でございましたから、進駐軍の許可をもらつてつくつたことは事実でございまするが、トン数を減らすために穴を明けたという事実はございません。これは本船をつくります前に、青函航路に貨車航送をいたしますためにつくりました翔鳳丸という船がございまして、過去ずつと三十数年間使つております。あの構造よりも今度の方がさらに安全性を増すようにはしてあるのでございますが、過去の翔鳳丸においてもあの青函間を走つておるという状態で、今回のような状態は起つておらないのでございます。それであの船を模しまして、今回の洞爺丸をつくつたようなわけでございます。
  39. 臼井莊一

    臼井委員 それでは時間ですからもうやめますが、いずれにしても生き残つた人の話、船員の話をいろいろ聞いても、千二百名の乗員は国鉄を信頼し、あの船を信頼し切つて最後まで静粛にしていて、そうして船長から座礁したのでこれ以上もう転覆の心配がないから静かにすわつていてくれと言われて、それですわつていたというようなことも聞いております。これが船内でよけい犠牲者を出した一つ原因かもしれませんが、何人も局関係の人はあの船が転覆するということを夢想もしていなかつたことは、われわれ調査した範囲でそう考えられるのであります。そこに七重浜に対する先ほどの非常な手遅れの問題も、配備の遅れた点もあつたことと思うのでありますが、いずれにしてもこの千二百名からの乗客、さらに、千名の犠牲者、船員を含めればもつと五割も増しまするが、この信頼に国鉄はこたえることができなかつた。私が国鉄に対していろいろ申し上げたことも、国鉄を信頼し、またあの船を信頼しておるにかかわらず、こういう惨事が出たということについて、国鉄はよほど反省していただかなくちやならぬし、またいろいろな点で不備の点があつたら急速に改めるようにしていただかなければならぬと思うのでありますが、私たちの問答を通じて大臣は、万全の措置で遺憾なくやつていたとお考えであるか、あるいはやはりそこに不備な点があつたとお考えになつたかどうか、その点の所感をひとつ承りたいと思います。
  40. 石井光次郎

    ○石井国務大臣 先日からの皆さん方のお話を承つて、またただいま臼井君のお話を通しまして、ああいう事件が起きたことは、三十何年間の無事な経験で今度も無事であつたろう、何らここに改むべきものもないというような状態ではないと私は思うのでございます。いろいろな点につきましてお話のありました点は、さつき長崎総裁がお答えいたしましたように、いろいろなところのものをこれから一層研究いたしまして、原因を探求してそれを直して行かなくてはならぬということは当然のことだと思つております。いろいろ御注意の点、また私どもの方でもいろいろ調べておる点につきまして、今後の青函連絡につきましての船の問題、運航の問題、あるいは陸上の鉄道関係と私どもの方の気象台との関係その他につきまして、もつともつといろいろ直さなければならぬ、それを直すように努力いたさなければならないと思つております。
  41. 臼井莊一

    臼井委員 最後に私の簡単な所見を申し上げますと、しかし船長は非常な責任感を持つておられたりつぱな人だと私は思う。従つて定時に乗つたお客さんを何とか運びたいということの非常な責任感を持つておられたので、それで気象というものの観測を軽く見たということも考えられるのであります。もう一つは、やはり浅井総支配人以下幹部の方が乗つておられる、これを会議に間に合せてやりたいという気が少くとも潜在意識としてあつたでありましようし、もう一つ大きなことは、ほかの船が待機をしておるのに、洞爺丸がなぜ出港したのかということについてほかの船長から、いや私の方はもう船が弱いので、洞爺丸のような優秀な船ではありませんというようなことを聞いた。これから見ると洞爺丸は自他ともに――ことに陛下のお召艦にもなつたし、自他ともに優秀船であるという、悪く言えばうぬぼれ、自信が強過ぎて、ここに天候の方を軽んじたという点もあろうかと思うのであります。しかしこれにしても、確かに不運の連続だということは言えると思います。だれも予想しなかつたような五十五メートルの風が吹いた。しかもこれが西南の風で、七重浜へ直接入つて来るような波で、また時間も、台風があそこでスピードが落ちて停滞したために、三時間も四時間も吹き続けたというようなこと、こういうふうな非常に不運があつて、この点はりくつばかりで行かないし、またあとから考えてああすればよかつた、こうすればよかつたという考えも出ると思いますが、この貴重な体験を生かして、ああすればよかつた、こうすればよかつたということを今後にひとつ応用されて、再びこういうことのないように私たちは願つてやまないのであります。  以上をもつて私の質問を終ります。
  42. 關内正一

    ○關内委員長 楯兼次郎君。
  43. 楯兼次郎

    ○楯委員 私は重複をなるべく避ける意味において、調査団の一人に加わりまして今日まだ疑問に思つておりまする点が二、三ございまするので、簡潔に質問を申し上げたいと思います。  これは私の個人の考え方でありますが、まず気象関係についてであります。私は内容あるいは諸条件のいかんにかかわらず、当日の気象予報が間違つてつた、そういうふうに考えられてしかたがないわけであります。従つて当時青森以北におきまするところの中央気象台予報というものが、私は予報でありますからぴつたりとは合わないと思いまするが、相当程度食い違いがあつたかどうかという点について、中央気象台にまずお尋ねをしたいと思います。
  44. 肥沼寛一

    肥沼説明員 ああいう場合には、中央気象台からは全国の気象官署に対しまして指示報というのを出して、参考にして、現地では自分のところでとりました資料によつて、その参考の指示報と合せて判断するわけでございます。そういう点で気象台で出しました指示報も関係があるわけでございますが、函館で警報を出しましたときの台風の位置は、能登半島の西方くらいでありました。そのときに出しました指示報としては、これは将来のことでありますので、ある程度幅を持たしておりますが、大体の予想としては、函館の付近を通つて釧路の沖の方へ抜ける、そういうような指示報を出してございます。函館といたしましてはそれに基いて警報を出しましたために、通過したあとでは風は北西になるということが入つていたのはその理由だと思います。そのあとになりましての大体の状況から、この経路はもう少し北に寄るのだということで、洞爺丸出港前後のこちらの指示報では、渡島半島に上陸いたしまして、北海道の内陸を通るだろうという、その見当のことを申しております。従いまして函館で出した十六時でしたか、その情報に、五時ごろ風が一番強く、道南地方に台風が接近して一番強くなる、こういうことを計算に入れてのことだつたと思います。実際の経路は北海道の西岸沿いに北上して参りまして、北海道の一番北の宗谷支庁管内を横断して、オホーツク海に抜けているのが実情であります。その程度の食い違いはございました。
  45. 楯兼次郎

    ○楯委員 これは調査の期間における自分の覚えでございますから、今ここで北緯何度、東経何度ということは申し上げることができぬと思いまするが、現地海洋気象台の問題はあとからお伺いしたいと思いまするが、中央気象台予報と実際の台風の経路についてであります。大体津軽海峡の付近までは予報と実際とが、私の覚えでは完全に一致したということは言えないと思いまするが、やや一致しておつた。ところが遭難の起きました津軽海峡以北におきましては非常にかわつて来ておる。まず方向がかわり、位置がかわり、それから風の速度がかわつております。なぜ今まで大体一致しておつたところの気象台予報というものが、この津軽海峡以北においてこのように相違を来したか、われわれしろうとにはこの点がどうしても納得できないわけですが、もう一回この点について御説明願います。
  46. 肥沼寛一

    肥沼説明員 台風の大体のコースを数時間あるいは十時間以上前に予想いたしますのは、高気圧がどちら側ではどのくらいの強さであるということの検討からいたします。その検討からいたしました早くの予想、これは当日の午前八時に函館で注意報というのを出しておりますが、その基礎になつた中央気象台の指示報では、裏日本に沿つて北東に進みまして、津軽海峡の方から東へ抜ける、こういう予想をしていたのでございます。その予想を少しずつ北の方へ移動させたのでありますが、北海道の方へ近づきましてから、先ほども申しましたように北海道に二十二の気象管署がございますが、この電報は大体観測してから十五分ないし三十分後に気象台の方に入つて参ります。この資料に基いて推定をするわけでありますが、あの当時の夕刻からあとは、大体北海道で数地点の観測しか入つておりませんで、最もひどかつたのが八時ごろで、たしか、二箇所か三箇所の観測しか入つて参りません。このために八時ごろは台風が一体どこへ行つたかということの推定に、非常に困難をしたわけでございます。そのために前のものを修正することもできずそのままで、電報はあとから数時間遅れて、電電公社の線あるいは非常無線の方から入つて参りまして、少しずつ修正して行つたと思いますが、こういうわけで予想と食い違いを来したわけであります。
  47. 楯兼次郎

    ○楯委員 施設の不備あるいは人員の配置が足らない、こういうことになればあなたの意見も私もつともだと思いますが、しかしただそれだけによつてのみ、だから台風の行方がつかめなかつたということでは、われわれ調査をいたしました結果からいつて、どうも納得ができないわけであります。それをここであなたと私とが論争をいたしておりましても、どうかと思いますし、ほかの委員の方から善後対策については御意見が述べられましたから、私はもうここで質問はいたしませんが、現地海洋気象台気象に対する考え方と、あるいは現実に船を運航いたします国鉄の気象のことに関係をする職員との意見が非常に違つておる。そこでもう一回私は中央気象台にお伺いしたいと思いますが、低気圧が上つて来ます。そうすると高気圧によつて速度なり方向がかわる。ところが函館森船舶部長であつたかと思いますが、高気圧予報というものが全然なかつたので、台風の速度であるとかあるいは方向というものを船長自体もつかめなかつたであろう、こういうようなことを私は聞いたことがありますが、この点についても二、三専門の方に聞いてみますと、なるほどそうだというふうにわれわれは確信を今日持つて来たわけでございます。中央気象台がたしか十五時に放送をしております。気象警報でありますが、これにはいわゆる高気圧の所在というものがない。それ以前においては高気圧の所在というものがはつきりしておる。ところがこの放送において高気圧の所在というものがないから、現実に船を運転をいたします船長は、われわれしろうとでわかりませんけれども台風の方向がどうかわるのか、あるいは速度がどういうふうにかわるのかということは、なるほど森船舶部長が言つておりましたように、現実の問題としてつかみ得られなかつたのでにないか、こういうふうに私ども考えるわけでありますが、あなたはこの高気圧を十五時の放送に落したという点について、どういうふうにお考えになつておるか、御意見を承りたいと思います。
  48. 肥沼寛一

    肥沼説明員 あのような暴風が通過して参りますときには、毎時間情報を流しますので、この中にはその台風の位置速度、そういうものに集中した情報だけを流しております。それ以外に気象のことがおわかりになつている船の方、その他一般の方に対しましてはJMC、これは船舶放送でありますが、これで気象の実際のことを放送いたしまして、天気図を描いていただだく、そして自分で判断していただく、そういう建前をとつております。なお気象台でやつております漁業気象放送、これはラジオから出しておりますが、報送局との協定によつて臨時のものはございません。時間の関係と向うの編集権の問題でかつてなことはできませんが、一日三回、この中には概況ということで低気圧の位置、高気圧の位置、そういう全般的のことを申しております。ああいう指示報にはその当面の問題に関し、一番重要な台風に関する動きだけを放送して、それによつていただいております。気象知識のある方には実況からみずから判断していただく、そういう実際の資料を放送いたしております。
  49. 楯兼次郎

    ○楯委員 そういたしますと私どもよくわからないのでありますが、一度高気圧の所在が放送されたら、それ以後においては私ども聞いておる限りでは、高気圧の所在が放送されておらない。しかしながらされてはおらないけれども船長等の専門的な立場にある方たちは、その所在を放送しなくても何ら航海に支障はない、こういうふうなことをおつしやつておいでになるのかどうか、ちよつとわかりませんので、もう一回お伺いしたいと思います。
  50. 肥沼寛一

    肥沼説明員 広い航海をいたしますのに対しましては、先ほど私申したような事情でございますが、ああいう沿岸のところに対しまして、高気圧その他のことも入れた方があるいは親切なやり方かもしれません。しかしああいういろいろと忙しいときに、非常に長い警報を出すということは困る問題だということを、船の気象の講習会などでしばしば聞いておりますので、重点的に大事なところだけを放送しておるわけであります。
  51. 楯兼次郎

    ○楯委員 それでは次にお伺いしたいと思いますが、海洋気象台で十六時に最後気象情報が出されておるわけであります。しかもこの内容は、今私は読み上げませんけれども、非常に現実と相違をいたしております。午後の五時の最も風が強いというときに、現地においては最も風が少かつた。この点については、それは台風の目であるから当然である、こういうこともおつしやるわけであります。ところがわれわれ気象に知識のない人間といたしましては、台風の目ということは私向うへ行つてつたわけでございますが、大半の人たちが錯覚を起す。従つてこういう事態が起きましたならば、訂正なり、さらに警戒を厳にするためにもう一回情報を出す必要があるのではないか、こういうことを竹内台長に申し上げましたところ、まつたくその通りだ、そういう点については申訳ない、こういうことをおつしやつておるわけです。ところが一面専門的知識のある方は、当然そんなことはわかつておる、こういうこともおつしやるわけです。こういう点について私はどうもいまだに疑義が晴れない。あのときにもし訂正の情報が流されておりましたならば、あるいは船長は自分の信念によつて航海をしたでありましようけれども、乗客なりあるいは陸上勤務の人たちによつて、今海洋気象台からこれからすごい風が吹くというような情報があつたからというので、そこで再度船の出港については新たな面から、船長以外の面から阻止できたのではないか、こういう感じがするわけでありますが、現実に相違をいたしておる警報の訂正というような点については、上部機関としてあなたはどういうふうにお考えになつておるか、承りたいと思います。
  52. 肥沼寛一

    肥沼説明員 十五時からあとの函館情報の出し方が少かつた。これは確かにそうでありまして、ことに中心が来て一番風が強くなるだろうと五時ごろ予想しておりましたのに、そのころから風が弱くなつた台風の性質として、中心の目は弱くなるということは、専門知識のある方は知つてつたかもしれませんが、そういうことを知らない方が多いということがむしろ予想されるわけでありまして、そういうことについて親切にもつと情報を流すべきであつたということは、これは確かにそうだと思います。ただこれは言い訳になるかもしれませんが、あの当時函館では三本の公衆電話しか持つていなかつた。そうしてあすこは放送局と気象台との間が非常に遠く、連絡がうまくつかなかつたという点も一つございます。放送局では気象台との連絡がとれないままに、前のものを放送したために、依然として同じ内容のものが放送された。実際そういうことになるということでありますれば、たとえば自転車で放送局に連絡するなりなんなり、他の処置をとるべきであつたと思いますが、その点は多少遺憾だつたと思います。
  53. 楯兼次郎

    ○楯委員 これは順繰りにお聞きいたしますが、瞬間突風に対する解釈が違うのです。と申しますのは、海洋気象台の方では突風は十割増し、あるいは七、八割増しは当然でございます、こう言つてあたりまえのようにわれわれの質問に対して御返事をいただいておるわけであります。さてこれを国鉄の気象関係の方に聞いてみますと、とんでもない、そんなに突風というものは吹くものではない、こういうことです。私はいずれの方にかけひきがあるかわかりませんけれどもほんとう気象台で十割増しのような、倍の突風が吹くということが初めからわかつてつたならば、三本の電話しかない、あるいは人手が足らなくて連絡ができない、そういうことで連絡しないということは私はあり得なかつたのではないか、そういう気がしてしかたがないわけであります。  それはそれといたしまして、次にお伺いいたしますが、鉄道気象の通報であります。これは総裁と中央気象台との申合せによつて行われておるようでございますが、われわれの報告書にも入つておりますけれども、異常天候が発生し、鉄道業務に支障を及ぼすおそれありと予想した場合は、特に鉄道に対して警告をする、こういうとりきめになつておるということがいわれておるのであります。この場合先ほどお聞きいたしましたように、現実に最大の風速のときに、当時としては最低の風であつた。私は異常天候がここに発生をしたと思うわけです。こういうときに鉄道気象通報によるところのこの項目に該当するのではないか、こういう点について総裁並びに気象台の方から、該当するかどうかという点を承りたいと思います。
  54. 肥沼寛一

    肥沼説明員 鉄道気象通報の規程にあります警報というのは、十一時三十分に出しております。この警報という段階は、災害の程度は推定できませんけれども、とにかく災害があるということを警告するのが警報でございまして、十一時三十分に出しております。これはこれ以上の警戒の段階はないのでありまして、これ以後実際の状況が変化して参りますと、それを情報によつて説明する建前になつております。警報を出してあるからという気持が、多少海洋気象台にあつたのではないかと推定されますが、最悪の警戒の段階はとつているのであります。
  55. 唐沢勲

    唐沢説明員 気象台とのとりきめによりまして、特別なる場合には予報をいただくことになつておりまして、今のお話のように十一時三十分にこれを受けております。先ほども申し上げましたように、電務区から所定の船及び現場の陸上の機関に全部流しております。そのほかには特別なものはいただいておりませんが、こちらから電話で個々に任意問い合わすというようなことは、それぞれの現場の機関でやつているというような程度でございます。
  56. 楯兼次郎

    ○楯委員 気象台の方のおつしやいまする最大の警戒というものを行うために、十一時三十分に出しておる、こういうことをおつしやいました。ところが解除になつたのが、今はつきり覚えがございませんが、大分遅れておる。そういたしますと、船舶なり鉄道の列車というものは、その時間中だけ運転、運航しないのが一番安全である、こういうことに私は結論としてなると思います。これは学問的には通るかもしれませんけれども、実際には当てはまらないと思います。なるほど台風が来る警報が出されておる。その間を縫つて運航をし、軍転をしなければならないというところに、私は鉄道の使命があり、困難さがあると思いますから、鉄道気象通報によりまして、われわれ報告書の中にうたつておりますように、そういう中でも天候が異常に変更をした場合には、新たに安全のために通告をする、そういうのがこのとりきめではないか、こういうふうに私は考えるわけです。あなたに御質問をするのはどうかと思いますけれども海洋気象台としては、中央気象台から出した報告によつて判断をして出した結果が、重大なる相違を来したのであつて、異常天候がここに発生をした、こういうことになりますから、私は万難を排してもこれは通告しなければならなかつたのではないか、こういうふうに考えまするが、上部機関としてのあなたはどういうふうにお考えになるか、もう一回伺いたいと思います。
  57. 肥沼寛一

    肥沼説明員 気象台の警報の出し方が、過去においては今よりもずつと不正確でございましたが、そのやり方で一旦警報を出しますと、出したあとは解除が非常に遅れたというのは、過去にはもつとひどかつたのでありますが、最近はそれがもう少し実際に即応しなければならないということで、早目に解除すべきだ、そういう杉をとつて来ております。今回の一報の解除は、一般に出しましたものは、二十七日の早朝に解除して、これを強風注意報というのに切りかえてございます。鉄道気象通報に対しましても、一番強い段階の警戒のほかに、それより二段、三段の内容のものもありますので、それに切りかえるべきであつたと存じます。
  58. 楯兼次郎

    ○楯委員 次にお聞きいたしたいのは、鉄道気象通報と類似したとりきめというのが、ほかの箇所にあるかどうかということです。
  59. 肥沼寛一

    肥沼説明員 気象台ではつきりわかりませんが、約二十年ばかり前に、電力会社が雷のために非常に災害を受けて困るということから出発しまして、電力気象通報というのを今実施しております。これはあてが電力会社が主体でありまして、国鉄の電気部関係もこれに関連いたしております。
  60. 楯兼次郎

    ○楯委員 どうも鉄道気象通報についての異常天候が発生した場合に、海洋気象台から出した警報が該当するかどうかという点については、はつきりした御答弁がいただけないのでありますが、私は個人の見解を申し上げるならば、竹内海洋気象台長がはつきりとこの点を申し上げなかつた、こういうことをおつしやつております点から言つて、当然私は電話が三本しかない、不足である、何々というようなりくつでなく、すでに五十七メートルというような突風が吹く、こういうことが予測されておる以上、電報なりその他の方法によつて伝達をすべきではなかつたか、こういうふうに考えます。たださてそれでは受入れ態勢を持つ方の国鉄側ではどうかという点については、これもいろいろ疑義があると思います。といいますのは、あの場合に海洋気象台からこうした警報が伝達をされましても、はたしてそれがうまく運営をされておつたかどうかという点については、これまた疑問があるわけであります。国鉄側の気象連絡方についても、われわれ調査をいたしました結果感じますのは、非常に形式的な点が多い。新聞等によりまして、山本さん橋助役が洞爺丸船長に何時に気象通報を持つて行つたとか行かないとか、こういうようなことが論議をされておつたのでありますが、私はよしんばあれが船に伝わつても伝わらなくても、当時の出港については何ら左右されておらないというふうに感じたわけです。非常に連絡方が悪かつた。こういうふうに考えますので、この点ひとつ国鉄の方といたしましても十分対策を立てられるとは思いますが、気象台の方でも検討をしていただきたいと思うわけであります。それから十六時の海洋気象台の異常気象の発生という点についても、今確答は得られないわけでありますが、この点も十分検討をして、はつきり鉄道気象通報の中に、こうした場合には通報すべきである、こういうふうに今後はうたい込んで行くべきではないかと思いますので、申し上げておきたいと思います。  それから先ほど臼井委員も強調されておりましたが、突風の解釈であります。突風の解釈がきわめて相違をしておる。先ほどあなたの御説明によりますと、地域によつて異なつて来る、あるいはその他の条件によつて突風の大きさというものが違つて来る、こういうふうにおつしやつておりますけれども、私ども調査をいたしましたのは、同じ津軽海峡であります。同じところに所在をいたします海洋気象台と、国鉄側の船を運航する気象関係の方たちの見解がきわめて違う。ここに一つの疑義を持つわけでありますが、一体突風とは倍あるいは七、八割増し津軽海峡等においてはなるものであるかどうかという点を、お聞きをしたいと思います。
  61. 肥沼寛一

    肥沼説明員 先ほど条件によつて違うと申しましたのは、地形により、あるいは不連続線などの出た条件によつて違うというので、津軽海峡だけに限つてという意味ではございません。一般的に海の上、あるいは瀬戸内海のようなああいう場所、いろいろ違いますので、気象台としてそれをどう扱うかということが、在来きまつていなかつたというわけでございます。津軽海峡、渡島半島、あの付近でどうなるかということは、これは調査してきめておくべきであつたかと思いますが、これは現在のところは、およその推定で五割増しとか七割増しということを言つていたわけでございまして、一般的の調査はできていないという意味で、きまつていないと申したのであります。
  62. 正木清

    ○正木委員 一点たけ中央気象台に私関連で重ねて質疑をしておきたいと思います。私はどうしてもいまだに納得できない点があるのです。前会でも私は実に詳細に質問したつもりですが、海洋気象台が十五時に発表したときの台風の位置は、佐渡島北四百キロにあつて、時速百十キロで東北に進行中だ。ところがそれが十六時、函館海洋気象台発表になりますと、台風の位置は青森県の西方約百キロ、そうして時速は依然として毎時百十キロくらいの速さで進行中だ。ですから十三時の位置が佐渡島であつて、それが十六時になりますと位置は青森県の西方へ来ているわけです。ところかこの進行速度は毎時依然として百十キロであるという点にはかわりはないのです。ところが一番大切な十八時五十五分の発表も、これは当委員会のあなたの答弁ではつきりしたわけですが、この十六時と同じ内容のものを再放送をしているわけです。そうしますと十六時のときに青森県の西方百キロのところで毎時百十キロの速度で走つている風を、それから二時間五十五分過ぎたときも同じ内容の再放送をやつているわけです。あなたから言わせると、一旦発表したものはそう簡単に解除できるものではない、それが従来の慣習だとおつしやるけれども、こういう非常事態、特殊な台風が出たときでも、一体海洋気象台なり中央気象台というものは、学問の上からも、慣習の上からも、こういうものであつていいものかどうなのか。この点を私はこの際はつきりとしておかなければならないと思います。しかも現実に毎時百十キロで進んでいると、あなたの方で発表しておるのですが、海洋気象台から出しておる資料によりますと、なるほど青森のところへ来て百十キロにはなつておりまするが、青森の港を出るころになりますと、この進んでいる速度が七十キロに落ちているのです。それから私どもよくわかりませんが、十六時になりますと、函館の問題の港の上あたりではこれが五十に落ちているのです。二十六日の二十一時ごろの海洋気象台発表の渡島になりますと、これが四十に落ちている。どう考えてもこの点が私には納得できない。だから前回も繰返し繰返し一体この原因はどこにあるかということをお尋ねしたわけです。ですから当然りくつの上から言うと、もう通つてしまつてはるかに北海道の中央部か、あるいは根室か稚内方面に行つているときに、実際の風はこの参考資料ですと函館の港の上をくるくるまわつていたことになるわけです。そうして風圧は依然として一つもかわらない九百六十八ミリバール、これではどんな船だつてたまつたものじやない。ですからこういうように私はしろうとらしく結論が出るわけです。この点を私ははつきりとあなたの方から良心的に納得できるように御説明いただくことは、私は今後再びこういう問題を起してはいけないという上に非常に必要なことじやないかと思う。それは今度の事故については幾多の原因がありますが、それは他の委員から十分に触れましたからきようは申しませんが、どうかこの点を私どもに十分わかるようにひとつ御説明を願いたいと思います。
  63. 肥沼寛一

    肥沼説明員 ああいう暴風雨の場合、前の発表と食い違つた情勢をつかみました場合には、即刻発表すべきだと思います。これはお話の通りだと思います。あの当時先ほども申しましたように北海道の測候所の資料がほとんど入らないで、台風情報がつかめなかつた。そういうことで百十キロという数字を出して、それの修正ができなかつたのであります。今お手元にお持ちの資料は、二十七日あるいは二十八日にあとから資料を集めてつくつた資料でございます。あとからつくつた資料によつて、あの当時は実は七十キロであつた、五十キロであつたという報告をつくり上げたのでございます。あの当時はわかつていたかつたのであります。
  64. 正木清

    ○正木委員 それでわかりました。結論から言うと、当委員会であなたが明確にしたように、気象上の設備の不備という点であろうと存じますが、風の方向もわからなかつたのですか。あなたの方の分は北西にかわるのだと発表しておるのですが、現実には前会私がこの写真であなたに御指摘したように、南々西の風が四時間も吹いておる。これがあの事故の起きた大きな原因一つだと私は確信しておるのですが、この風の方向なども今あなたがおつしやつたようにこれもあとでわかつたのであるが、あのときはわからなかつたのだ、こういうことでよろしいのですか。
  65. 肥沼寛一

    肥沼説明員 あの当時は先ほども申しましたように、台風の経路について予想を食い違えていたわけでございます。実際の位置がわからないために、予想はこちらへ行くはずだ。その予想の位置からいえば、北海道の中央部に台風が行くはずだということでございます。比海道の中央部へ行きますと、台風の性質として函館は北西の方から風が吹き込んで来ることになるわけでございます。西海岸を北上して行きますと、そこの中心へ風が吹き込みますために南風になるはずであります。あの当時、二十一時ころの発表では、たしか現在は南風が吹いておるが、また北西になると言つております。これは現在はまだ渡島半島の西側あるいはそれに上陸した直後であるから南風が吹いておるが、さらに将来は北海道の中央部へ行くから北西の風が吹くはずだ、こういうことを推定していたわけございます。しかし実際は西海岸を北上しましたために南風が吹き続けたわけでございます。
  66. 楯兼次郎

    ○楯委員 先ほどちよつとお伺いしかけたのでありますが、最大風速の解釈です。あなたのおつしやることもわかるわけです。それは日本全国所によつてかわるのだということもわかりますけれども、同じ函館であります海洋気象台と、船舶関係気象関係者の最大突風に対する解釈方が違う。こういう点について、あなた方はこれはあとからの資料でもよろしいのですが――あとからの資料ということになりますと五十七メートル吹いておりますが、そういうことが考えられたかどうか。話によりますと一九一八年以来の何十年来の風です。それを気象台がわれわれが調査行つたときは、当然倍にもなり、あるいは七、八割増しになるということをおつしやつておるわけです。それが予測できたならば、もう少し何とか手が打てておるのではないかと私ども考えるわけです。それはなるのが当然です。それが国鉄の関係者にも当然納得をされておればいいのでありますが、国鉄の気象関係者はそんなことはありません。こういうことを言つておられるわけです。こういう点でどういうふうにお考えになりますか。
  67. 肥沼寛一

    肥沼説明員 函館でこれは当然だと申しましたのは、それは条件がつくと思います。自分たちの常識ではという条件がつくと思います。船に乗つていられる方の大部分はそういうことは知つているのではないか、私もそう思つております。しかし陸上の人々がそういうことを知つておるとば私も思つておりません。そういうことにつきまして、今回のような災害がありましたので、日本各地で、これは方向によつても違いますが、一体その土地ではどちらの方向の風はどのくらいの瞬間の値になるかという調査を、今後は進めておかなければならないと思つております。
  68. 楯兼次郎

    ○楯委員 私の記憶では、こういう食い違いについていろいろ聞いたわけですが、たしか森船舶部長であつたかと思いますが、この突風の原因というものは、中心半径の幅に原因するのが多いのではないか、こういうことを聞いたように覚えております。ところが十六時の海洋気象台の放送では、中心半径の放送というものがなされておらぬ。では一体ずつと前からそれがないかといいますと、そうではない。大体直前のものは海里かキロか、その名称は忘れましたが、二百海里か、二百キロと放送されておる。ところが現実に洞爺丸が遭難をいたしました当時は、四百キロ――か海里かわかりませんが、そのように倍に広がつておる。そういうような点も今までは放送されておつたのであるが、その直前の放送においてはされておらぬ、こういうようなことも言つてつたわけでございますが、中心半径が突風に及ぼす影響といいますか、こういうような点はどうですか。
  69. 肥沼寛一

    肥沼説明員 台風の中心半径と今おつしやいましたのは、暴風雨の区域の広さの意味だと存じますが、これが大きくなれば突風も大きいものが付随することはあり得ると思います。しかしそれは学問的にきまつた問題ではございません。一番問題は不連続線が付近にあるとぎで、この台風はたしか中心から東の方へ不連続線が出ておりました。ちようどあの突風五十何メートルというときには、それが移動してあの付近に来たのではないかと今は推定しております。
  70. 楯兼次郎

    ○楯委員 次にほかの委員がたびたび触れましたので、なるべく簡潔に質問をいたしたいと思いますが、この出港責任であります。これは先ほど来臼井委員の質問に国鉄当局の方がお答えになつておりますが、どうもわれわれ聞いておつても納得がいかない。といいますのは、なるほど航海の全責任船長にあると私は考えております。ところが出港命令はこれは当然、だれが何といつても管理局にある、こういうふうに考えるしか方法がない、こういうふうに思います。逆論でひとつお尋ねをいたしたいと思いますが、出港責任船長にある、こういうことをわれわれが調査行つたとき以来聞くわけでありますが、一体出港責任船長にあるという準拠規定は何によるのかという点をお聞きしたいと思います。
  71. 唐沢勲

    唐沢説明員 これは規定には明確に出港責任船長にあるというふうな明文はございません。商法その他の船長権限あるいは義務というものを定めましたそれらの法律の精神からかんがみまして、航海安全に対する全責任船長にある以上は、航行ということについては船長が全責任を持つている。従つてこの航海につきましては、そういう意味での出港に対しては局長もこの権限に容喙することができない。しかし積荷の関係とか、船の状態とか、船繰りとか、そういう意味において出港をさしとめるということはもちろんできると思いますが、航行の安全という意味において、不安全だからやめろとか安全だから出ろという権限局長にない、こういうふうに考えております。
  72. 楯兼次郎

    ○楯委員 そういたしますと出港責任船長にあるということは、明文はないということですね。明文はないのであるけれども、今までの慣習からいつて当然である、こういうことをおつしやつておるわけですか。
  73. 唐沢勲

    唐沢説明員 ただいま申し上げましたように明文といいますか、鉄道の規定におきまして出港だけは船長がみずからやれというようなことはございませんが、いろいろな法律から今申しましたように考えております。なお船員法におきましても第九条には「船長は、航海の準備が終つたときは、遅滞なく発航し、且つ、必要がある場合を除いて、予定の航路を変更しないで到達港まで航行しなければならない。」こういうような規定も一つの根拠になると思います。
  74. 楯兼次郎

    ○楯委員 今その文句を聞きましても、なるほど船が動いて行くという全責任船長にあると思いますが、岸を離れるという命令権といいますか、責任は、これはあくまでも管理局長にある、こういうふうにしかどうしても解釈できない。今度は逆論からお尋ねいたしますが、では一体今度の場合管理局に責任があるのかないのか、あるとすればどういう責任があるか、こういう点をひとつお答え願いたい。
  75. 唐沢勲

    唐沢説明員 責任という言葉がどういう意味かわかりませんが、いわゆる法律上の責任というようなことになりますと、これはそれぞれの責任の官庁で取調べておりますので、その結果をまたなければわからないと思います。
  76. 楯兼次郎

    ○楯委員 おそらく私が何回お聞きをいたしましても、答弁一つだと思いますのでこの点には触れませんが、私は調査に参りまして高見管理局長にもこの資料によつて御質問を申し上げたのでありますが、船長出港に対する責任ということが非常にあいまいであると私は考えておるわけであります。あいまいにしか解釈ができない。ところが今度は船を動かす方の命令は、はつきりと「青函連絡船運航事務取扱手続」の中にうたわれていると私は解釈している。それは何によるかといいますと、向うでもお尋ねをしたのでございますが、第四条に「連絡船の運用は、句計画による配船表をもつて指定するものとする。但し、天候その他により、当該便の変更を要する場合は、そのつ度指示する。」とあるわけです。この天候その他によつて船の出港変更する場合には指示をするとあるが、しからば一体天候判断はこの規約によつてだれがやるのか、だれが第四条によるところの天候判断をするのかという点をお聞きしたい。
  77. 唐沢勲

    唐沢説明員 この四条にありますのは、そこにありますように配船表によつて旬計画をきめてあるわけでありますが、それがいろいろな都合でその船がそこへ充当できなくなる、あるいはまた天候その他で遅れてしまつて、その便ヘ乗せることができなかつたというような場合には、この船を今度は何便に充てろ、この船は何便であつたのを都合によつてこちらにまわすというように、その都度指示をいたすわけでございます。
  78. 楯兼次郎

    ○楯委員 この字句によると、「天候その他により、当該便の変更を要する場合は、そのつ度指示する。」こういうふうに書いてあるわけです。だからいろいろりくつをつけることはできると思いますが、少くともそれを休止し、あるいはこれは何時に出て行けということも、天候判断というものは、これは船長の意見も入るかはわかりませんけれども、管理局において行われるのがこの第四条をすなおに読んだ解釈である、こういうふうにしかとれないわけですが、もう一回この天候判断は一体だれがやるのか、だれがやるためにここにうたつたのかという点をお聞きしたい。
  79. 唐沢勲

    唐沢説明員 この判断して指示するというのは管理局長でございますが、今言いましたように、これは天候判断してこの便を取消すとか取消さぬとかいうのではなくして、配船につきまして、この船は修繕する必要がある、あるいは天候で予定していた便か遅れたために、すなわちこの船をそちらにまわすとかいうことをやつて、配船表の変更をきめるわけでございます。
  80. 楯兼次郎

    ○楯委員 当日の実情が、この第四条に該当しておるといいまするのは、すでに五つでありまするか、函館の方から四つの船がテケミで休止になつております。青森の羊蹄丸でありますか、これも出航を見合しております。まさに旬計画により配船表はゼロになつておるわけです。だから洞爺丸をもつて新しい配船表の第一歩だ、こういうふうに考えなければ、これは常識上成り立たぬと思う。これは普通のときではない。すでにほかの船は全部運航休止になつてしまつておる。旬計画というものが、いわゆる御破算になつてしまつております。そこへ数時間遅れて洞爺丸出港する。もう旬計画でやつておりました配船表というものは全然ダイヤにない、新たにダイヤを組まなくてはならない、そういう状態のときであろうと思う。従つて当然第四条の、ただいま私が申し上げておりまする項目に該当して来るというふうに考えるわけですが、どうですか。
  81. 唐沢勲

    唐沢説明員 洞爺丸は四便として十二時四十分ですか出港するという配船表になつてつたわけですが、それが天候見合せで遅れておりますので、当然お話のように配船の変更をするわけでございまして、結局遅れの四便としてあの時間に出るというふうにダイヤ変更をしたわけでございます。
  82. 楯兼次郎

    ○楯委員 これもまた水かけ論になると思いますからやめたいと思いますが、この天候判断、先ほど明確な回答をいただかなかつたわけですが、一体天候判断はだれがやるつもりでここにおうたいになつたかということをひとつお聞きしたい。
  83. 唐沢勲

    唐沢説明員 この文字は、確かにいろいろとそういう誤解を招くような書き方になつておるのでございますが、これは出港をする場合に天候が悪いから、その船を見合せて配船をするという意味ではないのであります。天候その他の条件を判断して出港してよいかどうかという判断のことを言つているのでありませんで、機関の故障であるとか、あるいは天候によつて運航が乱れたとかいうような場合のことを予想して、それらの条件を書いたのでありまして、いろいろな事情でもつて配船通り船が所定の便で行くことができないような場合に配船の変更をする、こういうことをうたつているわけであります。
  84. 楯兼次郎

    ○楯委員 これは臼井委員も指摘されておつたのでありますが、船が出港をするまで、いわゆる着岸をしているときは、われわれの調査結果によつてはつきりいたしましたことは、無線を使えないということです。実際はどうか知りませんが、着岸をしているときには船長が独自で無線を使えない、いわゆる盲つんぼであります。その場合、海峡の天候はどういうふうか、ほかの船はどういうふうか、これは管理局以外判断をするところはないわけです。そういう点はどうです。無線が使えない、連絡がないということです。
  85. 唐沢勲

    唐沢説明員 船が着岸しておるときには、無線を発信しないことになつております。しかし受信はできまして、現に、この洞爺丸については調べられませんが、ほかの船の記録をとりましても全部受けておりますので、洞爺丸も当然受けているはずでございます。なおまた大間、龍飛とかいうところの無電も受けることになつております。ただ自分では発信できない。何かどこかへ行くときには陸の方と連絡して、さん橋の方と連結して聞くわけでありまして、ラジオはもちろんありますし、無線ももちろん受けることはできるようになつております。
  86. 楯兼次郎

    ○楯委員 しかしそういう理論が成り立つかどうか。成り立たないと思うわけです。といいますのは、発信はできないが受信はできるからさしつかえない、そういう考え方が成り立つでしようか。実際に航海が非常に危険である、いろいろな情報を収集しなければならない、自発的に発進をしなければ条件が整わないわけです。それを発信はできないが受信はできるから、ただ受信のみによつてつて行くのだということは、私は理論上成り立たないと思いますが、どうですか。
  87. 唐沢勲

    唐沢説明員 この発信を禁じられている、発信できないということは何ですけれども、いろいろな業務関係その他で非常に混乱しますので、着岸しているときは陸を通じて特に情報を集めるということもできるから、そういうときには発信をしてはいけないというふうに、おそらく無電の関係の規定がきめられていると思います。受信につきましては、今申しておりますように常に担当の通信士がおりまして受信する、こういうことになつているわけであります。
  88. 楯兼次郎

    ○楯委員 どうも私ははつきり納得ができないのですが、今度は二十二条を見て参りますと、なるほど天候という字句はうたつてありませんが、そういう無線が使えないというような条件からいつて、管理局の指示はさん橋長を介してすべてやつておられるようであります。内容は違いますけれども、二十二条を見て参りますと、貨物の積載であるとか、あるいは所定列車と接続しないおそれのある場合、そういう場合には船舶部長報告をし、その指示を受けなければならない。この指示の差示しておるところは、私は出港をするかどうかということをここにうたつておるじやないかというふうに考えるわけです。すべてさん橋長を介して離岸をするまでは、船舶部長命令によつて船は動いておる、こういうふうに解釈をしなければならないと思います。この点はどうですか。
  89. 唐沢勲

    唐沢説明員 積荷の関係で時間が、たとえば貨車積みの時間が少しかかりそうだ、あるいは輸送というか、そういう関係で所定通り行かない場合に、指示を仰ぐという意味のことをここでは言つておるのでございまして、そういうものをさん橋長を通じて船舶部長の方へ連絡して来るわけでございまして、実際におきましては海務課長あるいは担当の司令と相談してこれをやつているわけであります。
  90. 楯兼次郎

    ○楯委員 私は二十二条に該当するということは言つておらないわけです。ただ列車の接続あるいは貨物の積込みでさえ、さん橋長を介して船舶部長報告をし、その指示、命令によらなければ船を出港することができないとここに押えておるわけです。ところが当日は列車の接続なんということはもう問題外で、二つも三つも接続をしない、荷物の点についてもたくさん滞貨があるというように、いろいろなもつと大きな条件が重なつて来ておる当日、普通の状態でさえ船舶部長報告をし、その指示を受けて出港しなければならない船が、それよりたくさんな悪条件が重なつて来たときに、船舶部長が船の出港について指示を与えないということは私はないと思う。どうですか、これはこの規程の解釈というものがあなた方の頭の中では非常に違つておるのではないですか。
  91. 唐沢勲

    唐沢説明員 この規程は、今申しましたように積荷の関係とか接続の関係で、所定通りダイヤ通りに動かない場合のことを規程したのでありまして、今お話のように、そういう貨車の問題とか接続の問題ではない。もつと大きな天候の問題について指示を受けないのか、こういうお話のようでございますが、これが一番根本のといいますか、考え方の問題でございますが、ほかのいわゆる輸送といいますか、積荷とか接続とかいうものは、陸の者、あるいは船舶部長なり管理局長、そういうところが判断できますけれども、海の航海の安全というようなことにつきましては、先ほど申しましたような解釈上、船長に絶対責任がある、そういう見地に立ちまして、船長判断によつて動く、こういう建前になつておりまするから、船の方から、そういうものの指示を仰いだり、出港すべきかどうかというようなことを伺つて来たりすることはないわけでございます。
  92. 楯兼次郎

    ○楯委員 荷物、接続という方を私が御質問をしたときには、天候ということをあなたは言われる。ところが第四条には天候判断によつて変更する場合には、その都度管理局長が指示するということがうたつてある。ずつと内容は幾らでもあるのですが、参考までに二十二条をここに出してみますと、今度は天候を度外視して、列車に接続しないとき、あるいは貨物の積込み云々でさえ船舶部長報告をし、その指示によつて船が動かなくてはならないというように、その両方の条件を、ここにはつきりした局の命令によつて動くということを表わしておるわけです。ところが当日の洞爺丸の実情というものは、もうここの規約にうたつてある想像以上の状態であつたということです。そういう場合には、当然これは天候判断においても、あるいは旅客の判断においても、貨物の判断においても、管理局長といいますか、船舶部が判断をして船長出港命令を与える、こういうことが常識じやないかというふうに考えられるわけです。最終的にもう一回、この点についてどういうふうにお考えになつておるか、御答弁願いたいと思います。
  93. 唐沢勲

    唐沢説明員 結局同じことを繰返して恐縮でございますが、その二十二条におきましては、四十両なら四十両積むべきところが、時間までには積めないというようなときに遅らせるようになつているとか、あるいはその他列車の接続をとるために遅延をさせていいかどうか、あるいは着きにくいから少し着岸を遅らせていいかというような場合のことを考えて書いておるのでございまして、今お話のように、積荷とかそんなことよりかもつと大きな問題が当日はあるのだ、従つてそういうときには当然相談すべきじやなかろうかというようなことになりますと、これはあくまでも航海ということの問題になりまして、出港することができるかどうかという判断でございまして、これは船長判断するという建前でございますので、あとで考え、客観的に見れば、ああいう大きなことをなぜ局長がいろいろ指示したりしないのかというわけでございますが、先ほど申しましたような法律上の建前とか、実際の船長経験なり設備なり、そういうものからいいましても、船長判断させるのが一番適当である、こういうふうに考えております。
  94. 楯兼次郎

    ○楯委員 水かけ論になりますので、ほかの委員の質問もありますから、私はこの問題については触れないようにいたしたいと思いますが、これは私は職制上の欠陥であろう、こういうふうに考えますので、ただ一言、こういう職制上の機構の改正でありまするか、そういう面についても今後ひとつ考えていただかなければならぬということを申し上げておきたいと思います。  最後に、時間がありませんので、一つだけお伺いしたいと思います。私どもつて参りますときに、国鉄の組合の役員の方がお見えになりまして、自分たちの窮状を盛んに訴えられておつたわけであります。私は今ここで繰返しはいたしませんが、ただ一つ気になりますことは、遭難いたしました職員が、同じ鉄道におりながら、片方は船舶の職員であり、またほかの方は陸上の勤務者であるというようなことによつて、共済組合法の相違等によつて補償額が非常に違つて来るので、こういう点をひとつ慎重に考慮してもらいたい、こういうような要請を受けたわけでありますが、この点について抜かりはないと考えておりまするけれども、どういうふうな措置によつて調整をとつて行かれようとするのか、お答え願いたいと思います。
  95. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 ただいまお話の通り、鉄道職員の中におきまして、船員法の適用を受けております者とそうでない者ということによつて、法規上の建前から遺族に対する給付というものが相当違つて参るようなかつこうになつております。その点一人々々についていろいろ事情もあろうと思いますし、また法規上の建前等もございますので、それをどういうふうに解決いたしますか、相当幅広い問題でもありますが、実情に即して十分均衡のとれるような措置を考えまして、遺族の方にできるだけのことはいたしたいというふうに考えております。
  96. 楯兼次郎

    ○楯委員 できるだけのことはいたしたいという副総裁のお言葉を聞いたわけでありますが、これはやつてもらわなければ困るのじやないかというふうに私ども考えておるわけでありますけれども、今国鉄の中にありまする共済組合法とか、いろいろなこれらに対する規定があると思います。それらを急に変更するということも困難だと思いますが、特殊な場合でありまするから、ほかの便法によつてつていただきたい、こういうふうに考えますので、やるおつもりかどうかというその考え方を、くどいようでありますが、もう一回伺つておきたいと思います。
  97. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 ただいま申し上げましたように、できるだけ均衡のとれるように実際上措置をいたしたい、かように考えておるわけであります。
  98. 關内正一

    ○關内委員長 二時半に再開することにいたしまして、それまで休憩いたします。    午後一時十九分休憩      ――――◇―――――    午後二時四十一分開議
  99. 關内正一

    ○關内委員長 休憩前に引続き会議を開きます。岡田五郎君。
  100. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 質問の整理をいたしまして、まず運輸大臣からお尋ね申し上げたいと思うのであります。まず非常に簡単なようでございますが、過般洞爺丸の遭難者に対しまして弔慰金五十万円また三十万円、それぞれこういうことに決定になつたようでございますが、あるいは私の間違いであるかどうか知りませんが、閣議決定によつてこの方針がきまつたようにも報じていたかのようにも考えるのであります。また聞くところによれば、閣議了解事項として出したというようにも聞き及ぶのでありますが、いずれの方法をおとりになつたのか、この点をひとまずお尋ね申し上げたいのであります。
  101. 石井光次郎

    ○石井国務大臣 あのときの弔慰金を決定いたしましたことについて、閣議はどういう態度であつたかということのお尋ねでございますが、閣議の決定ではないのでございまして、国鉄としてそういうふうな扱いをするということについて閣議の了解を得まして、そして国鉄において弔慰金を出して行くということに話をいたしたのであります。
  102. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 そういたしますと、大体国有鉄道総裁からの報告に基いて閣議に報告され、了承を得られた、こういうふうに解釈していいのでございまするか。結論的に申し上げますと、私の申し上げることは、この決定は国鉄総裁の意思できまつたのか、それとも政府の意思が加わつたものかということを聞きたいので、実はこの点をお尋ね申し上げておる次第でございますので、さような含みで御答弁をいただきたい。
  103. 石井光次郎

    ○石井国務大臣 決定は国鉄総裁がされるわけでございますが、大体こういうふうな方向でということで、国鉄が関係方面ともいろいろ話合いをいたしまして、この話が私のところにも持ち出されまして、それを私が閣議に話をいたしまして、みなの了承を得たということでございます。
  104. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 国鉄の出します弔慰金につきまして大臣に報告して、また大臣が閣議で報告兼了解を得るという意味においてなされましたことは、このたびの事故が異例中の異例の大事故である関係からいたしまして、私としてはむしろ異例の措置を講ぜられたと思うのであります。かような異例な手続といいますか措置といいますか、講ぜられました裏には、大臣がいつか言つておられましたように、このたびの大事故の善後措置に関して、政府ができるだけ財政的その他について国鉄に協力する、こういう意図もあるからこういう措置も講ぜられたのではないか、かように私は御推察申し上げるのであります。つきましてはこの財政的その他の政府の国鉄に対する協力について、その後すでに一箇月になんなんといたしておりますが、事務的にどの程度まで進んでいるのかということをお尋ね申し上げたいのであります。と申しますのは、国鉄も独立採算制のもとにおいて、しかも最近貨物収入の減その他採算上不利な状態におきまして、日常の経営を続けていると私は推察するのでありますが、かような際でございますので、政府の財政的な協力または援助その他の措置は、一日も早からんことを期待いたしております。その後の政府のこれらの協力態勢の動き方につきまして、私はまず承つておきたいのであります。
  105. 植田純一

    ○植田説明員 この十五号台風によりまして、国鉄といたしましては、ただいま御指摘の弔慰金のみならず、船の関係の問題でありますとか、あるいはまた収入の面の影響であるとか、いろいろ損害と申しますか、被害がございます。さらにこの点につきましては、本年度の予算の執行上、十四号までのそれぞれの台風の被害もございまして、国鉄財政上大きな負担となつているわけでございます。従いましてこの十四号までの財政上の負担も合せまして、特にこの十五号関係の負担につきまして、本年度の予算におきまして国鉄の大きな重圧になつております関係上、計数を出しまして総合的に本年度の予算をどうするかということにつきまして、大蔵省と目下折衝いたしているような段階でございます。現在のところまだ見通しはついておりませんが、特にこの十五号台風関係につきまして、早急にたとえば船の問題であるとか、方針をきめなければならぬ問題がございますので、目下鋭意その点につきまして折衝いたしているような段階であります。
  106. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 今説明員から大体の模様の御説明をいただいたのでありますが、今まで国鉄のこういう暴風害による被害に対する財政的な処置の経過を見ますと、ほとんど全部国鉄の会計の負担において行われていることは、これはもう事実をもつて証明いたしているのであります。このたびの台風の国鉄の被害は、従来の被害に比較いたしまして比較にならない厖大な被害であることは、私が申し上げるまでもないのでありまするが、今までの慣例、今までのしきたりといいますか、大蔵省とのいろいろな折衝の経過からいたしますると、とかく大きなものはそこで負担しろという考え方ではなかろうとは思いまするが、国鉄の独立採算制、特別会計的な性質からいたしまして、負担をさせられておると言つては言葉がどうかと思いまするが、負担をせざるを得ないという状態に相なつておるのであります。従いましてこのたびの被害は、非常に厖大であるということは主張できまするが、今までの慣例と反した財政的な措置を講じてもらわなければならないという、一段の努力を必要とする事項だと考えるのであります。しかも他の一般台風による損害に対する国家的助成補助対策というものが、国会内また政府部内におきまして着々と進められておるのであります。どうかこの一般被害対策に対する政府の処置と並行いたしまして、私は国鉄のこの被害に対する財政的処置もあわせて考えてもらわれるよう、一段の御努力あらんことを切望いたしまして、この問題はこの程度にとどめておきます。  次に高等海難審判庁の方がおいでになつておるかどうか知りませんが、大臣に承りたい。あるいは御答弁できるかどうかわかりませんが……。私から申し上げるまでもなく、海難審判庁は運輸大臣に所属しておるのであります。また海難審判法に基けば、審判庁は独立してその裁決を行う、こういうことになつておるところからいたしまして、海難審判庁の裁決には、たとい直属長官であろうが、運輸大臣の意思の介入を許さないことは、私は明らかだと信じて疑わないのであります。またそうあるべきだと確信いたしておるのでありますが、この点につきまして、世間とやかく批判も紙上に現われておるように私は見受けるのであります。この点につきまして、大臣の信念と言つてはどうかと思いますが、考え方をこの際はつきり承つておきたい、かように存ずるのであります。
  107. 石井光次郎

    ○石井国務大臣 海難審判がどういう立場にあるかということは、ただいま御説の通りであります。私も今岡田さんの言われたような心持を持ちまして、海難審判が独立不羇の立場にあつて、そして公正なる判断を下してくれることを期待いたしております。この海難審判庁がこの問題を取扱うにつきましては、海難審判庁の責任者たちもすでにしつかりした心構えにあるはずだと思つておりますので、これについてどうしろとかこうしろとかいうことについては、まだ一度も話合いもしないのでございます。する必要はないと思つております。適正なる判断を下してくれることを期待いたしておる次第でございす。
  108. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 私は大臣と同じように期待いたしておりまして、たとい大臣といえども、大臣の意向が裁決に微塵だに反映すべきでない、かように考えます反面におきまして、また一般紙上に現われておる輿論と称しまするか、そういうものの影響もまた受けてはいけない。審判庁は最も冷静にして最も冷厳な態度で裁決をすべきだ、かように信じておるのでございまして、またさように期待をいたしておるのでありますが、ここでちよつと承りたいことは、新聞紙上で拝見いたしましたところ、その真偽のほどはわかりませんが、いつか日にちは忘れましたが、函館の地方海難審判理事所でございまするか、名前をあげるのを差控えまするが、海難審判庁の中間報告と称して、中間報告めいた発表が現われて、一時紙上をにぎわした事実があるのでありますが、かような事実が公式に行われたものであるかどうか。またかような事実が個人的に行われたといたしましても、審判庁の理事としてとるべき態度であるかどうかという点につきまして、もし審判庁長官がおいでになつておりますれば、御答弁をいただきたいのであります。
  109. 長屋千棟

    ○長屋説明員 お答えいたします。私も新聞発表を見まして実は驚いたのでございます。当時中央の海難審判理事所長が指揮をいたしますために現地へ参つておりましたので、さつそくそういうことがあつたかどうかということを照会いたしましたら、内容の発表は一切しておらぬ、あれは新聞発表である、こういうことでございました。なおその内容その他について、私も事件そのものにタツチいたしませんので、こまかくはわかりませんが、事情はそういうことでございます。
  110. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 それでは次に大臣に所見を伺いたいのでありますが、このたびの洞爺丸の海難事故は、精神的にまた物質的に、一洞爺丸の海難事故だけでは終つてないと私は考えるのであります。と申しますのは、私が申し上げるまでもなく、この四つの島の日本の国といたしましては、連絡船またその他の定期船によつて、島と島との間の交通を確保し、われわれの経済及び文化の維持と向上をはかつておるのであります。その一端である函館におきましてかような連絡船事故が起りました。しかも最近相模湖の遊覧船の沈没というようなことから行きまして、船に対する恐怖心が国民の間に非常にはびこつておるのではないか。これは私は非常に嘆かわしいといいますか、悲しむべき傾向であると考えるのであります。一方、かような傾向からいたしまして、現実の瀬戸内海の連絡船にいたしましても、その他の定期船の状況を見ましても、交通の安全が確保できておるかどうかということにつきましては、疑いなきにしもあらずと言い得ると思う。ことに、私から申し上げるまでもなく、日本は毎年々々何とか台風何とか台風と、年中この台風に見舞われておるのであります。しかも数日来同僚委員から指摘されておりまするように、現在日本気象施設というものは、言葉は少し極端かもしれませんが、はなはだ不完全な現状にあるわけであります。かようなことをあらゆる角度から検討いたしますると、運輸省におきまして、この連絡船、定期船の安全な航行を確保するという面におきまして、法的にまた施設の面において、その他行政的な措置におきまして、万全の措置をこの際考えなければいけないのではないか。おそらくこのままで進みまするならば、函館洞爺丸遭難事故の善後措置は講じたが、また瀬戸内海の宇高その他公私有の船が沈没するやもしれない。かような不安な状態で四つの島の間のつながりを確保するということは、はなはだもつて遺憾な状態である、かように私は考えるのであります。また船の構造の面におきましては、私は詳しいことは知りませんが、おそらく現在の船の構造は、船舶安全法だとか、あるいはその他の国際条約に基く一つの原理、規定を基礎といたしましてつくられておるのではないか、かように考え合せますと、この日本の年百年中時をきめず台風に見舞われる地勢から考えまして、連絡船、定期船の船舶の安全性というものにつきましても、外航船を基準とした船舶安全基準より以上の安全性を確保した基準を考えるべきではないか、こういうように一船舶につきましても考え合せられるのでありますが、こういうような点につきまして大臣はどういうようにお考えになつておりますか、どういうようなことを考えたいとお考えになり、またこういう問題を取上げるために今後どういう措置を講じたいとお考えになつておるか、この点につきましての所見を承つておきたいと存ずるのであります。
  111. 石井光次郎

    ○石井国務大臣 洞爺丸問題だけでなく、御承知のようにこのごろには相模湖の事件もあり、またそのほか交通事故といたしまして飛行機の墜落あるいはバスの墜落等、非常に大きく目立つような事件が相次いで起りまして、まことに心痛にたえないのでございます。私ども交通機関、運輸機関の監督の地位にありまする者として、今の日本の交通機関等につきまして、こういうことは起り得ることだとじつとほつておけるものでないのであります。おそらくみんな船その他の乗物を使う人たち自身も、非常に注意をされるような機運にあると思います。私どもは運航業者をして十分その責めを全うさせるようにしなければならないと思いまして、今月の中ごろでございましたか、前に事務次官名で船舶交通事故に関連いたしまして特に注意をするようにという通達を、海運局長に出させておつたのでありますけれども、どうもそれだけでは私は気が済みませんので、さらに数日おきまして、こういうのはあまり例がないかもわかりませんが、運輸大臣名で交通機関の事故防止につきまして、交通機関に携わつておる人たちの全部に向いまして安全な交通をするようにということにつきまして、格段の注意を促したわけでございます。また同時に閣議の席上でもその話を持ち出しまして、特に秋は修学旅行の季節等にも入りまして、たくさんな旅行者が出、あるいは遠足に出るというような問題等で、バスあるいは船というようなものに集団的に乗ることの多い時期でもあり、そのために思わぬ災害を起しては申訳ないことでありまするから、ほかの省でも協力をお願いしたいということを申しまして、文部大臣からはほかのものと一緒にこの問題も取上げて、全国的注意をしたように承つております。また警察関係におきまして、現場は、たとえば遊覧船のようなものの検査は私どもの方でやりまするが、毎日々々の運航につきましてそこで監督ができないのでございますから、そこらをいつも警邏しておりまする警察官等によつて、絶えず注意を怠らぬようにしてもらうようにお願いをいたしているような次第でございます。そういうふうなことと同時に、また船の安全問題ということが非常に大事でありまして、造船技術審議会の船舶安全部会も近く第一回を開くことにいたしまして、さらに船の全般的の問題につきまして安全の問題を議し、そうしてその方向にいろいろなものを進めて行く、このため必要でありますれば法規の改正等もいたすようなことになるかもわからないのでございますが、いずれにいたしましても、だんだん人の出まわりが多くなるちようどこのころの時期でもありまするし、特に注意をいたしまするようにそれぞれのところに――この間また私の方の地方の局長会議を開きまして、それぞれその地方々々でたくさんの人が行くような地帯の遊覧船であるとかバスであるとかいうようなものに対して格段の注意と警告をして、問題を起さないようにしてくれるようにいたしている次第でございます。この上とも私ども交通の安全という問題のためにできるだけの注意をし、監督もし、一件でも事故の少くなるようにいたしたいと思つております。
  112. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 今運輸大臣の各連絡船及び定期船に対する行政的な処置その他につきまして承つたのでありますが、私はこの際大臣に要望をいたしておきたい。それはどうか洞爺丸のようなフエリボート式の海難事故が、少くとも日本国内のいずこの地点においても今後再び起らないように、ひいては世界の各地においても起らないように私たちとしては期待いたすのでありますが、少くとも日本の各地において、それが官有船であろうと民有船であろうと、こういうような事故が起らないように、日本全国の要所々々に行政的なあるいは立法的な処置、あるいは船についてのいろいろな法律的な処置を万全を期して講じていただきまして、再びかような事故を起さないことが、せめてもの洞爺丸の遭難者の霊に報いるりつぱな記念搭となるのであります。かように考えますがゆえに、一函館、一青森と言つては言葉がどうかと思いますが、この箇所の前後策ばかりではなしに、全国各地について万全の処置を講ぜられるように、しかもこれを断片的ではなく総合的に着々とその地歩を固められまして、一日も早くこの設備においてまた人的配置において、その他の点におきまして完備するような態勢を、この事故にかんがみてつくられんことを切望いたす次第であります。事故が起りました直後は、なるほど業者も緊張いたしましよう。またお役人の方々も緊張せられるでございましようが、人のうわさは七十五日ではありませんが、とかく一定期間平和な運航が過されますと、また営利的な考え方に走り、安易な方向になれまして、不慮の災難にあうということを私は過去において自分も体験し、考えられることでございます。人の注意はそのときどきによつて欠ける場合があるのであります。そのときどきによつて欠ける人の注意を補うためには、やはり設備の完備を必要といたす、かように考えますがゆえに、この問題について特に大臣に要望をいたす次第であります。  次に、御答弁はごく簡単でけつこうでございますが、大臣にお尋ね申し上げたいのでありますが、この青函間の輸送確保のために、今後できるだけ早く青函隧道をつくりたい、こういうような強い御意思の発表もありましたし、また政府の方からもそういう発表があつたように考えるのでありますが、発表は非常にけつこうでございます。志をお持ちになつていることは私も満腔の賛意を表する次第でございますが、ただ要は実行の問題であると考えるのであります。私が特にこの問題を取上げて聞きますのは、実は私もよくわかりませんが、来年度の予算について、おそらくもう運輸省におきましても、国鉄におきましても、いわゆる草案という数字ができ上りまして、大蔵省とも事務的折衝をお進めになつておると私は考えるのであります。現在予算編成の潮どきであります。一年の計は予算に盛り上げられておるのでありまして、おそらく大々的に着手するということになりましても、この潮どきを逸しますと三十一年度から、こういうことに相なりまするがゆえに、大臣にお尋ね申し上げるのでありますが、このたびの三十年度の予算編成にあたつて、運輸大臣はこのトンネル工事完遂についての強固なる意思の表示をどのように現わしておられるのか。また今までの数字が現われてないとすると、今後どういうように現わそうとされておるのかということをお尋ね申し上げたいのであります。  もう一つは現在、私詳しく調べておりませんが、津軽鉄道から青函隧道というようなものは、鉄道敷設法の別表の中に予定線として入つておるようであります。この敷設法別表に基いてこの工事を完遂されるのか。また聞くところによると何か特別な立法措置でも講じて、特別な会計のもとにおいて、特別な措置においてやろうという――これをしろうと考えと言つては悪いのでありますが、やる意気込みにかられて、そういうようなお考えもあるかのようにも聞き及んでおるのであります。その辺のところは大臣としても今すぐには答弁をされにくいかもしれませんが、意気込みだけでもけつこうでございますから、その三点につきまして御答弁を願いたいのであります。
  113. 石井光次郎

    ○石井国務大臣 青函トンネルについては、この前の委員会のときにも申し上げたように、私はこれはぜひやりたいという熱意を持つておるわけでございます。来年度の予算にもこの問題としては特に触れていないのでございますが、今までは非常にラフな方法での調査が進んでおつたのであります。正式のと申しますか、もう少し突き進んだ調査をやらなければならないのだそうでございます。そのために来年度は約五千万円ほどの予算を組んでおるわけでございます。またどういうふうな方法でやつたらいいかという問題につきましては、これは国鉄全体の新線の問題にも関係することでございますが、国鉄が金をたくさん新線につぎ込んで、その利益が十分上らない一方、金利はどんどん払つて行かなければならないという状態でありますと、国鉄の経営は、新線の仕事が進めば進むほど、非常に困難になつて来るのであります。青函トンネルにはどのくらいほんとうにかかりますか、四百億といい五百億と今申しておりますが、あるいは年限がたてばそれよりもよけいかかるかもわからないのでありまして、これらのものをすぐ国鉄の新線としてその中へ織り込んでもらつて出せるかという問題になると、それもなかなか無理ではないか。新線の問題と合せて、政府の利子補給でやるとか、あるいは政府の出資でやるとかいうような問題等の根本の問題も、ひとつ話合いをつけてかからなければならぬ問題だと考えております。いずれにいたしましてもこの問題を取上げて進めて行きたいと思つております。
  114. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 それでは大臣に対する質問はこの程度にいたしまして、国鉄関係の方に質問を移したい、かように存じます。また国鉄関係に対する質問につきましては、同僚議員から数日間にわたりまして適所を適切に御質問になりまして、いろいろと答弁があつたようでありますから、私はできるだけ重複を避ける意味におきまして、ごく断片的になるかもしれませんが、補足的な意味において質問をさせていただきたい、かように存ずるのであります。  まず第一に、この最初の委員会に御質問申し上げまして、答弁を留保いたしておりました事項、すなわち二十六日の日曜日の出勤態勢、また二十六日の陸上の警報態勢はどうであつたか、また出港にあたつての国鉄及び船長の態度はどうであつたかという質問につきましては、もうすでに昨日来竹谷委員なり、本日臼井委員その他からも御質問がございましたので、答弁はもういただかなくてもけつこうであります。またその後答弁を留保しておいていただきましたが、洞爺丸の優秀性を自信して、また近藤船長が輸送の責任完遂というようなことからして、また旅客の旅を急ぐ気勢にかられて、輸送義務の責任完遂という気持に、船長がなつたのではなかろうかという御質問を申し上げたのであります。これにつきましても、先ほど臼井委員からも御質問があつたようでありまして、これに対する答弁はなかつたようでありますが、大体きよう同僚委員調査報告その他からも推測ができますので、この点については答弁はいりません。従つてかような点を除きまして、一、二簡単にお尋ね申し上げたいのであります。これはごく簡単なことでございますが、最近よく新聞紙上に乗船名簿にないお客の数が相当あつたように記事が出ておるのでありますが、大体常時かように乗船名簿にない人が相当乗つておるのかどうか。また乗船名簿にあつても乗らないようなお客が、常時の運航においてもあるのかどうか。名簿にあつて乗らない人というのは少いだろうと思いますが、乗船名簿になくて乗つておるお客というものが、常時運航の間においてあるのが慣習――といつては言葉はおかしいのでありますが、そういう慣行であるかどうかという点を承りたいということ、乗船名簿に記載するということについての法律的といつては言葉は何ですが、規則の根拠はどうなつておるかということを、まずお尋ね申し上げたいのであります。
  115. 唐沢勲

    唐沢説明員 乗船名簿についての御質問でございますが、船は言うまでもなく定員を非常に重要視いたしますので、名簿をはつきり備えておかなければならないのであります。また定員以上乗つてはいけないので、その点については厳格にやつておるわけでありまして、乗船名簿を出さずに乗るということはないはずと思つております。また普通の場合においてはそういうことはないと思つております。ただこの洞爺丸の場合におきましては、しばらく天候を見合して、あの岸壁についておりまして、あとから参りました十一青函丸の客を乗り移させたり、あるいはその後も客を乗せたりいたしておりますし、またその間タラツプがかけてありまして、おりた方もあるのじやないかということもありまして、乗船名簿には載つておるが、実際は乗つておらないという方があつたり、あるいは乗船名簿には自分の本名を使わずに乗つておるというような例なども出て来ておりますので、実際の名簿と本人とが必ずしもきちつとしていないというような点があるようでございます。この点は実際に当つてはなお調査しております。平時においてはそういうことはないと思つております。  なお乗船名簿は、法律上これははつきり備えておかなければならないことになつておりまして、その様式もきまつておるのでございますが、ああいう短かい区間の連絡船などにおきましては、そういう規定通りの名簿を備えることができませんので、その通りの名簿を備えて一つずつ確認するということは、時間的の関係からもできませんので、それは法律によりまして、船員法の施行規則にあるのでございますが、これに基きまして特別に省略することの許可を得ればいいことになつておりまして、船長から、これは海運局と思いますが、その方へ許可願を出しまして、今のような様式で簡略にやつてよろしいという承認を得てやつておるわけでございます。
  116. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 次に、先ほどまた昨日来いろいろ問題になつておりまして、もう私からお聞き合せする点もないほど詳細に聞かれておる問題でございますが、高見青函管理局長業務命令船長出港責任という問題であります。調査団報告を見ますると、九分九厘まで青函管理局長責任がある、一部は船長出港責任だ、こういうように調査団報告に出ておるのであります。ところが今朝来の御答弁の模様をみますると、九分九厘とまでも言つていないような本庁関係の御意見のようなんです。その点のニユーアンスといいますか、気持が、どうも私聞いておりましても報告と高見君の意見、また本庁の意見が合つてないような気持がいたすのでありますが、そういうことはともかくといたしまして、まずダイヤの設定またダイヤ変更ということは、私はこれは一つ業務命令だと思うのです。これを現場長に見せるということは、業務命令を指示したことだと私は考えておるのであります。従いまして陸上においては、ダイヤ通り大体動くのが原則である、また何ら正当な理由なくしてダイヤ通りに動かさないということは、私は業務命令の違反、言葉は強いかもしれませんがそうなると思う。一面このダイヤ変更にいたしましても、これは海上の場合は船長の出発責任ということがありましてまた多少色合いが違つて来るかもしれませんが、陸上におきましても、おそらく出庫する予定の機関車があるいは水の出が悪い、あるいはかわりの機関車がない、あるいは北海道において暴風雪のために管区から機関車が出にくい、あるいは途中何かあるということで、ダイヤ変更いたしまして動かさない。しかもその変更されるダイヤというものは、機関長が単独で動かすわけではない。要するに機関長なり駅長からの上申に基いて、配車司令なり船舶司令というものが、それじや何時何分発、何分到着の予定でダイヤ変更するという現場長のその事情上申に基いて、局長の命を受けたり、配車司令なり船舶司令というものが命令的な変更ダイヤをつくり上げ、その変更ダイヤに基いて動くものだ、かように私は考えるのでありますが、変更ダイヤについてどういうようにお考えになつておるか、その点昨日来の質疑応答ではつきりいたしませんので、承りたいと思うのであります。
  117. 唐沢勲

    唐沢説明員 お話の通りにダイヤは列車の接続その他を考えたりしまして、客の流れなりその他いろいろ考えまして、本庁で一応原則をきめまして、これに合うように配船計画を局できめるのでございます。従いましてこのダイヤに基く配船によつて動くという原則を立てることは、いわばこれによつて特別のことがない限り動くというのが業務命令考えてさしつかえないかと思うのでございます。そこで、その場合に船繰りの都合とか、修繕の必要があるとか、積荷の関係があるとか、いろいろな都合で管理局長の方からそれをかえるとか、あるいは延ばすとか、変更するということは当然やるわけでございます。ただ航海安全の義務、責任船長にあるということからいたしまして、その天候判断に基く出港命令とか、とりやめとかいうことは局長はできない。管理局長もその一部においては行き届かないところがあると言つたのは、その意味じやないかと思います。以上のように考えております。
  118. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 その点にこれから触れようかと思つたのでありますが、私は青函変更ダイヤ、遅れ六便だとか遅れ四便というこの変更ダイヤは、私はむしろ局長命令だと思う。ただその遅れ四便なり遅れ六便をつくり上げる基礎は何であつたか。これは要するに船長出港に対する安否ということからして、出港しかねるというような意思が、おそらく船舶司令のところへ行つて、そうして船舶司令が現場長である出港責任を持つておる船長の意思というものを、これは重要な参考資料として陸上よりは特に海上においてその要素は強いと考える。また海上において船舶法その他において、法律的に船長責任というものはきめられておるから、重いとは思います。変更ダイヤという、その業務命令を出したということは、参考意見をだれのものをとつたかということは別といたしまして、やはり命令者は青函局長であると考える。と申しますのは出港責任船長である。それでは船に乗り込ませる旅客は、だれの命令によつて船に乗り込ませたか。これは私はその変更ダイヤという青函局長命令に基いて、さん橋駅の助役なりさん橋駅長がお客を船の中に乗せたのだ、何も船長命令に基いてさん橋の駅長が船にお客を乗せるという方法はない、私はかように考える。  またもう一つはこの変更ダイヤに基いて、おそらく私は青森の青函局の船舶司令は、青森のさん橋長か何か知りませんが、遅れ四便か遅れ六便で洞爺丸出港するぞという連絡があつたはずだ、これは要するに局長命令が出ておる。船長出港責任があるからといつても、船長みずからは何も出せない、私はかように考える。この点私は何も高見君の責任を云々しようとは思いません。国鉄の責任を云々しようとは思いません。私が憂えるのは、これから青函間は荒天に向うのに、これからたつた五隻の船で十二運航を確保しなければならない。しかもこの間正木委員がほかの連絡船の高等船員たちに聞いたら、私はわかりませんというくらい航行について不安を感じておる。こういうようなときに、しかもこの輸送を――出荷旺盛な北海道を控えて、出荷をますます旺盛にして輸送を確保しなければならぬ、こういうとぎにあたつて、私はこの点についてはつきりした態度を、また意見を国鉄本庁においてきめられることが、今後において志気を高揚し、また業務の遂行を秩序あらしむるために絶対に必要だ。当委員会における質疑応答において、責任をのがれると言つては言葉が悪いのでありますが、巧拙を考えての答弁だけではいけない。私はその結果、責任がいずこに行くかどうかという問題については触れません。またそういうことを問題にすべきじやない。今後の青函間の運航を確保し、また船長青函局長責任の分界をはつきりすることこそ、今後永久に輸送秩序を保てるゆえんだ、かような考えをもつて、私はよくわかりませんが分析的に考えるのであります。ことに私は、なぜお客を乗せたかということについて、今後の国鉄首脳部の立場、またはかような一時にして多数の旅客を海上に運ぶ連絡船の施設の間に処して、現場の輸送事務の安全をはかるためにどうあるベきかということにつきまして、重点的にもつともつと再検討して完全な状態に置いていただきたい、かような念願からして御質問申し上げる次第でございますので、あるいは私の説が間違つておるかもしれませんが、私の意のあるところをひとつ御推察願いまして、態度を明確にしていただきたいというように考えるのであります。あえて繰返しますが、私は皆さん方の責任を云々ということは毛頭考えないのであります。今後のことを考えての一念でありますので、どうか御答弁願いたい。
  119. 唐沢勲

    唐沢説明員 ただいまの岡田先生の御趣旨はごもつともと存ずるのでございまして、客を乗せるとかあるいはとめるとかいうことは、もちろん局長の方の権限でございまして、ただその船を航行の安全の見地からさしとめるとかいうようなことは、これは船長権限である。こういうふうに考えておるのでございます。従いまして船長天候見合せのためにとめると言えば、その資料判断してとめるということでなくて、もうそれに従つてダイヤの方を局長の方で変更して、これは遅れ四便として出す、こういうことにする。またそれができなくなれば、それに即して変更するというようなことになるわけでございますが、それはいずれにいたしましても私ども法律上といいますか、観念上の問題でございまして、今先生の仰せられましたように、客を乗せる場合にどういうふうにするか、あるいは船長との連絡なりその他を今後どういうふうにするかというようなことにつきましては、今後十分考えなければならぬ点が多いと思うのでありまして、これらの点につきましてはただいまの岡田先生の御言葉の趣旨に従つて、十分私ども考えて行かなければならぬ、かように考えております。
  120. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 この点につきまして、私はあまりとことんまで突き詰めません。また意見の相違があるということは、私の質問についての説明からして御推察いただけると思うのでありますが、そういう考え方の相違はともかくといたしまして、今後の青函間の輸送を確保するという一面、また船舶従事員の志気を高揚し、志気を安定させるという面からいたしまして、どうかひとつ今日の答弁などということにとらわれないて、一つの確固たる方針と分野をはつきりしていただきたい。私から言わせるならいろいろと申し上げたいのでありますが、さようなことは同僚議員からも詳細に申されておりますし、またあまり詭弁的なことになつても恐縮でございますので、この点はこの程度で私は質問を打切りますから、どうかひとつ十二分に再反省、再検討をお順い申し上げます。  次に、これは国鉄総裁にお尋ね申し上げることだと思うのでありますが、先ほども引用いたしましたが、正木委員がほかの連絡船船長なり高等船員に聞かれたところが、どうもこれからよくわからぬというような言葉を弄せられたという話でございますが、これは一面国会議員というえらい方に、まあそううつかりしたことは言えないというような気持で、そういう言葉を言われたのかもしれぬという面も考えられますが、私はそれがほんとう気持だと思う。青函間の船長になつてみれば、何だかんだ、出港責任だと近藤船長のようにかぶせられるような気がする。またこれからどんどん荒れて来る。沈んでしまつて、自分の命もなくしてしまうというようなことになると、そんなことはわからぬという言葉で濁すよりしようがないのが彼らの心情ではないか、私はかように考える。さような船員の気持と、一面その連絡船に乗るお客がどんな気持であるかということを御推察願いたいと思う。おそらく私は、連絡船大丈夫だろうかということをまず乗る前にお客は考えられる。しかも不幸にして今月中ごろ過ぎからあそこは相当波が荒くなる。十二月から、二月、三月というものは暴風雪が襲うのが季節的な行事です。かようなときにあたりまして、そういう志気にある連絡船を、しかも北海道という重要資源を持てる地域との交通を確保するという面から行きましても、私は総裁においてよほどの覚悟をきめて対策を講ぜられないと、その事態の流れるままにまかせておかれるならば、今十二運航だといつて確保しておられますが、おそらく二月ごろになれば五運航、六運航しかできないであろう。そうすると船はなし、青函トンネルは七、八年先だ、荷物はたまる。船をチヤーターするといつても、小樽へ持つてつて積みかえだ。あるいは運賃を補助しろというようなことになつてみれば、結局北海道の資源、北海道の人というものは、北海道にとじ込められざるを得ないのではないか、こういうように私は考え合せ、非常に憂うるのであります。不幸にして数隻の連絡船を沈められ、しかもこの重要な青函航路を、いかにして従事員の志気を高揚し、いかにしてその輸送を確保するかということにつきまして、緊揮一番最善の努力を払われることを私は切に希望いたす次第でございますが、この点につきましての総裁の覚悟と自信というものについて、お尋ね申し上げたいのであります。
  121. 長崎惣之助

    ○長崎説明員 ただいま岡田先生が述べられました話は、一々ごもつともでございます。実はそういうことをここで申し上げると、むしろ逆の効果を呈するかもしれませんが、私も非常に心配をしておるのであります。やはりこういうような大きな事故等がございますと、とくか十二分を越しまして、十三分、十四分の注意と申しますか、怯懦な気持になるということも、人情のしからしむるところであります。しかるに青函間の連絡船というものは、普通のいわゆる客船とはいささか趣を異にしまして、鉄道の連絡、しかも北方の一大資源である北海道と本州とを結ぶという意味合いにおきまして、きわめて重要なる航路であります。それに対してただいまお述べの通り、これからは暴風雪の季節になるというその際に、われわれが計画いたしております十二運航がそのまま完全に履行できるかどうかということについては、われわれは常に留意を怠らず、そして十分なる方途を講じまして、確保しなければならないというように考えております。ことに御指摘の船員の志気の高揚ということにつきましては、私は船員の諸君の、事故が起りましてから今日まで協力してくださいましたあの意気込みを聞きまして、決して志気沮喪してはおらぬと思いますが上にも志気を高揚し、とうとくも先輩が犠牲になりましたあの経験を生かして行くという方向に進むべきではないか、かように考え、御説の通り、まつたくこれには万全の方策を講じて参りたい、かように考えております。
  122. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 それでは質問を次に移しまして、第二次的な善後対策という段階になるかもしれませんが、国有鉄道の財産についての保険の問題でございます。これは青函連絡船の問題でありまするから、船に対する保険の問題について御質問申し上げたいのであります。思い返しますと、数年前同僚議員の満尾君が、国有鉄道の財産についての保険問題につきまして、数時間にわたつて政府当局の意見をただしたことがある。その後、どうもこの問題につきましては、馬耳東風と言つては失礼でございますが、聞きおく程度で、等閑視されておつた。なるほど官有財産の保険という問題につきましては、法規的に相当問題はあるだろうと思いまするが、とにかく今度の損害はほとんど大部分船だというような点から行きまして、また国鉄は公共企業体という体勢をとつて、できるだけ官庁経営の観念を離れた会社経営的な面に進んで行きたいというような思想が横溢しておられるようでありまするが、かような点から考えまして、連絡船についての保険という問題をお考えになつたかどうか。もし保険をかけておられたとするならば、私は、この損害についてのいわゆる還付といいますか、そういうもので、実際上相当金銭的に損害額が軽微で済み得た、かように考えるのでありますが、こういう問題にとつ組まれたことがあるのかどうか、こういう問題を真剣に考えられたことがあるかどうかという点につきまして御質問申し上げたいのであります。
  123. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 ただいま御質問がごさいました船の保険でございますが、まず第一に、船舶に限らず、鉄道の財産につきましては、保険に入つたらどうかという話がございまして、あるいは入れた方が得なんではないかというようなことも一々検討いたしたのでございます。けれども当時の結論といたしましては、これだけ大量な財産を持つておりますと、いろいろな天災等の災害による保険負担――保険をかけると、その掛金の方が非常に高い。結局現在として一つの自家保険のようなかつこうになつておるので、それは採算上も不利だという結論に達したわけであります。  その後、御承知の金剛丸が九州で遭難いたしましたときにも、今度は船舶だけに限つてそういう保険にかけてはどうかということが、実は内部の経営委員会等でも議題に上りまして、相当慎重にその点を検討いたしたのでございます。またそうした話が巷間に出まして、保険業者の方からもいろいろ勧誘があつたのであります。そしてデータをそろえまして、保険料をかけるとすれば一体どれくらいになるかというようなことについて、専門家を聘してそろばんをはじいてもらつたのでありますが、当時も、やはり保険料をかけた方が損したという一応の結論になつて、そのまま今日に至つておるのであります。今回のような災害によつて、五隻も一ぺんになくなるというようなことになりますと、そろばんの勘定の仕方もまたかわつて来るかと思うのでありますが、ただいままでの実情は、数字はただいま手に持つておりませんが、そういうような経過になつております。
  124. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 国有船舶について保険をかけるの可否ということにつきましては、いろいろ御研究になつたようでございまして、私の意見を申し上げるのもどうかと思いますが、私から申し上げるまでもなく、御承知のように船舶には保険あるいは再保険というようなことがあつて、結局英国のロイド・オブ・ロンドンその他の保険会社に保険金の負担がかかるということで、要するに事故の起つた場合、保険金の負担は世界に分散される。日本の保険会社だけで負担するわけではないというようなことも考え合せると、保険は掛金ばかり損するという考え方をしていると、保険に入る人はいない。そういう事故に万々一遭遇した場合、とにかく事故というものはいつ起るかわからぬときに起つて来て、予期しない返付かあるということで、おそらく保険に入られるのは同じだと思うのです。生命保険だつて何だつて、計算してみればあるいは損という数字が出るかもしれない。これは死なないということを前提として計算すれば……。そういうようなことから考えますと、陸上の鉄橋から建物から全部保険に入るということになればたいへんでありましようが、とにかく向うの航路にいたしましてもその他の航路にいたしましても、とにかく事故は二年に一ぺんか起つておるというようなこと、また船舶そのものがもう保険にかける通例なんである。そういうようなものについては特殊な考え方で、御研究なさる方がいいのではないか、私はかように考える次第でございます。これは意見になりますので、私の希望というか、御研究を希望いたすということで、この問題は終りたいと思います。  次に簡単でございますからお尋ね申し上げたいのでありますが、昨日正木委員お話を聞きますと、函館港への風の向きは大体南西の風が多いということであります。大体函館の季節風は南西風だ、こういうように聞き及んでいるのであります。また今度の連絡船の沈没の状況を見ますと、あの狭い函館港内に退避できないから港外へ出て退避した。こういうような退避をしたところがみんな沈んでしまつた。こういうようなところから見ると、そこに函館港外というのでございまするが、有川さん橋に、多数連絡船が往復いたします連絡船のためにするいわゆる港湾施設といいますか、防波堤といいますか、その施設の名前はともかくといたしまして、何らか施設があるべきだと私は考えるのであります。こういうようなことにつきまして、すでに連絡船は三十年の歴史を持ち、今まであれほどではございませんが、たびたび台風に出つくわしておられるので、こういう施設につきまして国鉄は何か要望されたことがあるのかどうか、その点につきましてお尋ね申し上げたいのであります。
  125. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 ただいまお話のございました函館港は、風の向きにつきましては南西の風に非常に弱い。ただあそこは季節風が多いのでありますか、季節風は大体北西でございますので、その点で季節風に対してはまあまあ避難できるというかつこうになつておると私は聞いておるのでございます。ただ、今もお話がございましたように、今回の洞爺丸にいたしましても、さん橋を離れましたが、実は港の中におつたわけでございます。またもし今度の災害に対して、非常に悪い想像をいたしますのですが、十勝丸は青森から函館に向つて参りまして、とにかく港の中に入らずに、港といいましたが、防波堤の中に入らずに、函館港防波堤の外ではありますが、港の中に入つて、まずまず一安心というかつこうでいかりをおろしておつた。その安全であるべき港の中で五はいの船が沈んだ。けさほどもどなたかのお話がございましたように、十二青函丸の船長さんが防波堤の中にいなかつたのだということでございますか、御承知のように西防波堤は完全にできておるのでございまして、そのうち一区、二区でございましたか、そういう地区の船はあの防波堤のためによほど防護されて、安全度が非常に高いのではなかつたかというふうに考えますが、四区と申しますか、有川埠頭の鼻の先の北防波堤は、手をつけましてまだ完成いたしておらぬような姿でございます。その点、防波堤の役目としてはまだ下足なのではないか。従いましてその中の浚渫も十分できておりませんので、水深が浅いために、船をあそこにとめるのについて、いろいろ支障があるというふうに聞いております。従いまして函館港といいましても、西の防波堤、北の防波堤以外に、その外側の地区も、つまり洞爺丸以下五はいの船が碇泊いたしておりました地域も、港として四区、五区、六区ということになつて、あそこの中も十分港としての役割を持つことになつておるわけであります。しかしながら現実にああした場合に、われわれ常識でいいますと、港の中にいるということが安全なように考えられるのでありますが、その安全と思つてつたあの地域は、あれだけの風が吹けば大きな遭難の場になるという危険を感じる場所になつたわけで、これは私どもとして今後大いに考えなければならぬ一つの大きな問題であると考えるのであります。  ただいまお話がございました北防波堤につきましては、有川のさん橋を使いまして、鉄道が連絡船によつてあそこで貨物を扱うことになりまして以来、いろいろ函館市あるいは道庁方面にお願いいたしまして、あの防波堤を完璧にしていただきたい、あるいはさらにもう一つ北の防波堤の外側に、二重の防波堤をこしらえることも考えていただきたいということを、それぞれ要望いたしております。また事実昨年でございましたか、一昨年でございましたか、函館港の北防波堤について、これを三年計画でやつてもらうように予算が組まれかかつたのだそうでございますが、それがいろいろ緊縮のために削減されたというふうに聞いております。
  126. 岡田五郎

    ○岡田(五)委員 大体私の質問はこれで終りますが、ちようど運輸大臣がおられませんので、官房長の山内君にお聞き取りいただきたいと思うのであります。先ほど国鉄からのお話によりますと、函館港内における連絡船の安全を確保する、こういう意味合いからいたしましても、函館第四区の防波堤及びもう一つ今の北防波堤の完成ということが必要のようでございます。何と言いましても、青森及び函館港湾の施設の完備、陸上連絡施設の増強というようなことによりまして、連絡船の安全を確保しなければならないと私はかたく信ずるのであります。どうか国鉄におきましても、地元函館市民の方々と十分意思を通じ、相協力せられまして、その必要性を運輸省に申達されますとともに、運輸省もまた当委員会における国鉄首脳部の意見もお聞き取りになつたと思うのでありますが、港湾修築計画を立てられるにあたりまして、十分かような点をも考慮されまして善処せられんことを、運輸方面関係いたしております岡田五郎といたしまして、一運輸委員といたして切望いたす次第であります。  以上はなはだ駄弁でありましたが、私の質問をこれで終ります。
  127. 關内正一

    ○關内委員長 館俊三君。
  128. 館俊三

    ○館委員 今度の九月二十六日の遭難に対しましては、私三十年近くあの駅で勤務しておつた関係で、非常に大きなシヨツクを受けました。従いましてここで質問をする場合にも、実にいやな気持がするのであります。考えますると、約千六百人の人が五はいの船に乗つてつたことになります。そうしてわずかに二百四十一名しか生還をいたしておらない。但し二百四十一名といいましても、調べたところによりますと、洞爺が出港をぐずぐずしておつたために、船客名簿に書いておつて、しかもおりた人が二十七名おるということになりますと、二百四十一名から引くこと二十七名、二百十四名ですか、それだけしか肋かつておらぬ。これは非常な惨害なのでありまして、言語に絶する次第であります。ことにあそこで鉄道職員として働いておつた私として、身に迫るような感じのいたしますことは、鉄道職員は常に身をもつてあの海峡を守つて来ておるということなのであります。  敗戦がきまつた八月十五日よりわずかに一箇月前の昭和二十年七月十四日と十五日に、アメリカの艦載機グラマンの空襲を受けて、翔鳳、津軽という形の連絡船、今の青函丸という形の連絡船、これが二日であの海峡の所々方方で沈没させられてしまつた。そのときには、職員の努力によつて、乗客はほとんど被害がないというくらいになかつた。八百ないし九百乗つてつた船も、乗客をおろしてから撃沈されておる状態であります。わずかに九十人くらいしか乗客の死傷がなかつたのでありますが、その際における青函連絡職員の殉職は、驚くなかれ四百二十九名に達しておるのでありまして、それが昭和二十年十月の十四日と十五日の惨害でありました。そうして今度また四百三十名の船員諸君と車掌が六名、鉄道郵便が四人、合せて四百五十人くらいの、仕事のために乗つてつた人の中で、生還した者はわずかに船員八十一名、鉄道郵便は一人もなし、車掌が一名、こういう状態になつておりまして、四百二十九名失つた船員が、いままた三百五十何人を失つたのであります。こういう連中と二十何年来寝食をともにして来たのでありますから、私こういう質問の壇に立ちましても、千々に心が砕けるというのはおかしな話ですけれども、言うに言葉なき次第であります。この点において函館の運輸事務所といい、船舶管理部といい、あるいは現在の管理局といつてつたそういう人たちが、こういうときからずつとさしずをしておつたわけでありますが、それらの人の気持も私と同様ではないかと思うのでありますが、しかし長年の職制といいますか、職務の階段といいますか、そういうことについてつくづく考えてみますと、いろいろの点が目について来るのであります。  一番初めに私が不審に思いましたのは、羊蹄丸が八百近くの客を積んで青森で二十六日一ぱい動かなかつた。それなのになぜこの洞爺が、しかも三十年の経歴を持つ船長さんが腰をあげたかということが、どうしても最初からの疑問であり、かつまた今に至るまでその疑問が私には解けない。問題の焦点はここであろうと思います。そこでいろいろの揣摩臆測ができるのでありまして、そういう揣摩臆測についてはすでに同僚委員から、ああであろうか、こうであろうかと、いろいろの話が出ておりまして、私はその問題についてあまり触れる必要はないと思うのでありますが、なぜ私が不審に思うかというと長い経験によりますと、津軽海峡は常に風波がはげしいので、各連絡船船長、職員は、常に警戒態勢を十分に張つておるところのよい習慣を、私は十分に知つておるのであります。その習慣というのは簡単なことでございますが、風波のはげしいときには、青森のさん橋長、函館のさん橋長及び司令室、あるいは碇泊しておるにしろ運航しておるにしろ、各連絡船が十分なる連結をとつたものと私は見ておるし、連絡をとるのが職の体制で確立されておつたのです。それでありますから、風波がはげしいときに、連絡船のどれかが、きようは運航できないということで、腰をおろしてしまつて、いわゆるテケミを発する。天候険悪で出港見合せというような態勢をとりますと、ほかの連絡船も期せずしてその態勢をとつたのが習慣なのであります。われわれ陸におりまして、お客さんを績んだり荷物を積んだ立場から非常にこれがいやなことでございましたが、それほど慎重な態度をとつてつた。それが私の長い経験で頭にありまするから、いわゆる各船が投錨しておるのに、なぜに洞爺が動いたか。長い間の習慣と逆の形が生れて来ておる。これがどうも私に合点行かない、解き得ないところであつたのであります。  そこで私は私なりにこういう考えを持つたのでありますが、やはりこれは青函間の輸送の確保ということが、青常に重大な時期にあつた。それは過ぎ去つた戦争の状態で、総力態勢とか、総力戦とかいう言葉が非常に強く叫ばれてた。その期間を通じてこの青函間の輸送というものが、尋常の形でなくて遂行されなければならないという国家態勢に置かれておつたことは、私ははつきり在職中見ております。われわれはそれによつてさしずをされておるのであります。そういうことで船員としてのよい習慣と慎重さが、いつか国家の必要性のために第二義的にならせられてしまつたと私は見ておるのです。さらに今度はさき申しました終戦直前の大打撃によりまして、青函間の輸送がよくできなくなつてしまつた。輸送力がなくなつてしまつた。しかるにもかかわらず、終戦と同時に終戦時の混乱輸送というものが、青函間を通じて非常に重大な段階に達して来ておる。輸送力はないが、混乱した輸送を確保するためには、やはりどうしても戦時態勢の訓練、あるいは第一義的に輸送を考えるように置かれた精神状態は、それからも終戦後続いたものと私は見ておる。そういうことから、船の安全航海考えることが第一義的でなければならないという長年の船員の精神状態が、第二義的に落ちてしまつた。そういう歴史の変遷のもとに、第一義的には、青函間の輸送ということが頭にこびりついてしまつたのだろう。そういうことで潜在的には気象観測をし、航海の安全を思うところのものはないわけではないのだか、そういうような輸送要請というものが必然的に第一義的に精神状態を左右してしまつたのではないか。そういう形から洞爺が動いたのではないかと私は観察するのであります。  しかも鉄道の教養方針といいますか何といいますか、青函間はレールの延長であるという観念が非常に強く叫ばれておつた。十一月号の中央公論にあるように、いかに科学が発達しても、船というものは沈むものであるという観念を失つてはならないということを言つておりますが、そういう観念が大切であつたのに、レールの延長という言葉がそういう観念をかなり薄めてしまつて、これが何か渡し船の船長であるというような考えが、おそらくこの連絡船の運航を管理する管理面においての観念であつたろうと私は思う。そういう観念が非常に強制されたことと、もう一つは、それと同時に連絡船四千人の職員の精神状態は、他の三十七、八万、四十万のレール職員の精神状態とは、非常に違つた精神状態にいる。これをレール職員並の養成の仕方をしなければならない。はだ合いの違つた鉄道職員でなくして、レール職員並の、手がたいといいますか、そういうものに養成しなければならないという方針が強硬にとられたことは、私は在職中すつかり聞いている。またそうさせられた具体的な例としましては、連絡船船長なり事務長をわれわれ陸の助役は、第一事務長であるとか大船長であるという言葉をもつて表明したものであり、服装がすでに金モールをつけた帽子をかぶり、税関の職員のように金のボタンをつけた。いわゆる船員としての服装までしておつたのでありますが、これを改正して鉄道並の詰めえりの服装に改装したという点も考えられる。ところが船員というものはやはり船員としての気ぐらいといいますか、プライドというか、あるいは習性があるわけでありますから、この服装を非常にきらつて、詰めえりのえりを開いて、陸の職員から見るとだらしのないかつこうですが、えりを開き、あるいは帽子の紋をてつぺんにつけてぶらぶらやつているということを、管理者の立場から非常に不愉快に感ぜられて、そういうものを直そうとしたことがございます。これを直すのは悪いというわけではございませんが、そういういわゆるマドロスタイプを毛ぎらいしたというところに、青函連絡の職員の海員としての要素をかなりそこねてしまつているのではないかと私は考えざるを得ない。そういうところから私が良習慣だと思つてつたことに照し合せて、一船が繋留すると他がみな繋留して、陸の客扱い、荷物扱いのわれわれに歯ぎしりをかましたほど、慎重にかまえておつた習慣があつたのがよかつたのですが、これがそういう歴史的改訂を経て、そういう考え方が第二義的になり、で一義的には輸送確保、ダイヤの確保、そういう形に行つていると私は見るのであります。これはいかに輸送要請が強かつたかということは、あの当時輸送力が足りないで、近くの有川岸壁を急に戦争中にこしらえて、あるいは小湊の連絡設備をこしらえたときには、いわゆる国家総動員法ですか、坊さんの端から小学校の生徒の端まで全部を引出して、埋立工事から強行させた。そういうことから見ても、この連絡船の職員は、その当時第一義的に輸送要請を考えざるを得ない立場に置かれてしまつたことは明らかであろうと思う。こういうところから今度のような場合に処して、海員として処置すべき第一義的な態度が失われてしまつたのではないかと私は考えます。  さらにこの船員を、極端に申しますると、列車に乗り込む乗務員のように、そういう形に連絡船の乗務体制をこしらえたような形跡がないではない。わかり安い例を申しますと、昔の機関士というものは、自分の扱つておる機関車は自分がきまつておる。自分の使つておると言つてはおかしいですが、補助者である機関助手あるいは火手というものは、大体そろつて同じ機関車に乗つてつてつた。今そういう悠長なことはできませんでしようが、それなるがゆえに機関士の奥さんは、お正月になると鏡もちを持つてつて自分のおやじさんの機関車に備えて拝んだというようなことがある。技術職員というものにはそういう点が非常にぼくは大事であろうと思う。
  129. 關内正一

    ○關内委員長 館君、前置きはなるべく簡潔にして、質問に入つてください。
  130. 館俊三

    ○館委員 そういうことを私は聞いてもらいたいと思う。古い連絡船においてはそういう形が十分にあつた。それを列車に乗り込む車掌が、どの列車ということでなく、父代ダイヤによつて乗るがごとく、連絡船の船員をもそうした。そうしてそれがさらにうまくないというので、中間的な現在の立場のような乗務ダイヤにこしらえておる。こういうことも当局として、これからの時代に処するのに、過去を顧みながら十分なる検討をする必要があるのではないか。これはどういうふうな方法をお考えになつておるかを私はお尋ねしたいのです。
  131. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 館委員の御体験から出たしみじみした御批判、御賢察は、私ども非常に有益なお話で、参考になるわけでございまして、今後も十分そういう点考慮して参りたいと考えます。御承知のように輸送といいますものは、結局安全を確保しながらなるべく早く、あるいは要請一ぱいの輸送をどうしてやるかということが、私どもに与えられた問題でありまして、根本的に安全を無視しては成り立たないのであります。といつて動かなくてもいいのだというわけではないのであります。そこで安全を確保しながら、どうして急ぎのお客、急ぎの荷物の輸送にこたえて行くかということなのであります。今お話のいろいろな変遷もございますが、一方ではいろいろの職務分化というのか、一つの個別化された扱い方もやむを得ないという点があろうと思うのであります。また当面急激な変化というような点で、今御指摘になりましたような数々の問題につきましても、十分反省する必要があろうと存じます。ただ今回の原因につきまして、十分そうした精神的な面等も検討いたしました上でこの対策を考えまして、何度も申し上げておりますように、再びこういう問題が起らないようにするには、どうしたらいいかという点に重点を置いて、十分検討いたしたいと考えております。
  132. 館俊三

    ○館委員 そこでこういう問題を将来再び起さないようにする場合に、今の船員区の制度がいいのか悪いのかということについても、十分研究していただきたいと私は考えておるのであります。  そこで話を進めたいのですが、そういう心理状態が第一義的になつておるものでありますから、この四人の人が乗られたために、圧力を自然に受け入れる形が出て来たのではないか。そういう考えも、単に乗つたということだけでなく、従来そういうふうに仕向けられて来た精神状態のもとでは、そういう圧力といいますか、そういうものを受け入れやすい態勢になつてつたからではないかと私は考えます。船長の海員としての自意識が第二義的になつてつた、こういうことから私はそういう影響力があつたのではないかと思うのであります。事実こういうような事柄からではありましようが、九月十四日は十二号台風のときであつたのでありますが、新聞にも出ておりましたし、さつきだれかが質問されたのでありますが、渡島丸佐々木船長だけが出なかつた。そこで森船舶部長がこれを呼ばつて、出ない理由について問いただされたということがあるのであります。巷間では、これは始末書なりそういう形のものをとられたということまでうわさに立つておるのでありますが、その点についてお調べになつたことがございますかどうか、お聞きしたい。
  133. 唐沢勲

    唐沢説明員 この点につきまして青函の局へ問い合せましたところ、ほかの船がみな出るときに、特にあの船が出ない。前にも同じようなことがあつたというので、船の状態が悪いのか、どういうふうなのか、その理由を問いただしたということにすぎない、こういうことでございました。
  134. 館俊三

    ○館委員 問いただしたのが船長の上司なのであります。ですから上司としてその状態を調べるのは当然でありますから、これは決して不自然なものだとは私は思つておりません。また始末書もとつておらないそうでありますけれども、問いただされたものは下僚なのであります。しかも下僚は今申し上げましたような精神状態にずつとなられて来ている人であります、この問いただされた船長が萎縮した状態になつてしまつたかどうかという問題であります。これは十分察知されることであろうと私は考えます。そういう影響力が渡島丸船長にあつたと、私は断言してもよろしいのではないかと考える。これは当然起きる下僚の精神状態だと私は考えます。それと一緒に、上司の人で、下僚の精神状態を十分に察知している人間と察知していない人間とによつては、部下を扱う巧拙の上に、あるいは仕事の巧拙の上に、大きな影響を与えるものであるということも私は考えてみたいのであります。  そこで私は二十六日の日のことを考えますと、渡島丸のこの同じ船長が、函館から出港して青森に強行軍をやつているのであります。針路を大間岬の方にとらざるを得ないような状態に、風で追いまくられたのかどうかわかりませんが、そうして四十五分遅れて青森に到着しておるのであります。その当時のある人の話によりますと、この船長はブリツジの上に立つたきり、必死になつて航海を波と闘つて青森まで入つている。同じ船長だそうです。私は十四日の日と二十六日の日の船長の心理状態に続きがあると申すわけではありませんが、現実にそういう形が出ているのであります。こういう点は要するに船員の独立した考え方を第一義とするよりも、輸送力確保といいますか、上司の統制というものが第一義的になつているので、こういうような運航をしたのだろうと思います。こういう点について管理者としてどうお考えになるか。心構えをお聞きしたいと思うのであります。
  135. 天坊裕彦

    ○天坊説明員 非常にむずかしい御質問でございまして、船長さん、ことになくなられた船長さんの心理の問題のようでありますが、ただ私、館さんがほかの方と違つて、むしろあの地域でそうした方々と一緒に三十年も一緒におられたというお話を聞き、また今回の船長さんも三十年前からあそこにおられた船長さんでありまして、そのよかつた時代というものもあつたというお話も伺つて、一緒にかれこれ考えますれば、館委員には十分わかつていただけるのではないかと思うのでありますが、その当時の船長さんの気持として、それはなるほど監督の上役が乗つているからという点もございましようけれども、それだからといつて航海の安全といいますか、ほんとうに危険だと自分で感じているものを無視して、船長さんが上役が乗つているというだけで出て行くという気持になるかどうか。これはやはり戦争のずつと前の、今お話連絡も非常によくうまくやつてつたという時代からおられた船長さんたちでありますから、ほんとうに危険だと考えているときに、上役が乗つたからというだけで出港を決意するとかいうようなことは、私はないのではないかというふうに考えます。現に私その前後に北海道に参つたのでありますが、私青森で乗りまして、船長さんが私と一緒に話をすることになりましたのは、船が動き出して約二十分くらいあとで、これは非常によく晴れた静かな日でございましたが、そのとき初めて船長さんと話をちよつとしたということであつて、私はああした場合に別に船長さんは、総支配人たちにどうするというようなことをしておつた。それを頭に気にして、そのために圧力をかけられたようなことで、出て行く決意をしたということには考えられないのであります。
  136. 館俊三

    ○館委員 私はこの職制の圧力が現実にあつたということを言つているのではなくて、そういう歴史的な変遷の上に立たされた船長の心理状態が、それを受けやすい立場になつてつたという点、そしてそういう習慣性が第二の天性みたいになつてしまつて暴風時でもまず第一義に輸送を考えねばならぬ。自分としてとつていい立場なんでありますが、陸上職員並な考えに置かれておつたということを言うわけであります。そういう場合の下僚の従業員の心理状態を十分に把握し得るこなれた人間が、上司にいないのではないかということを私は言いたい。私は函館の船舶管理部の上司の人たちが、船舶部の四千人の従業員に対する洞察というか、実務に対してそういうものが十分ではない。少くとも欠けているような心理状態で、指揮監督をしておられるのではないか、こういうことを察していただきたい。そして十二日の渡島丸の運航の時間は、そういう見方からいたしますと、渡島丸が午前の十時五十五分に出港すると同時に、石狩丸が青森から十一時に出港し、日高が十一時二十分に出港し、第六青函丸が函館から十二時四十五分に出港し、第八青函丸が十三時十五分に青森から、十一青函が十三時二十分に函館からというぐあいに、続々として渡鳥の出港と同時に行動を開始しているのであります。渡島の船長がそういうような事情を聞かれたということについては、おそらく各船の船長がだれ言うとなく知つているのではないかと私は考えられる。しかもそういうふうなことを考えますと、最初私が申したように吹雪や暴風雨のときに一船がとまると、期せずして全部が大事をとつてとまつたということと逆に、一船が動き出したから全部が動き出した。そうして惨害に突入して行つた。こういう現象をどうお考えになるか。管理局の船員訓練あるいは指導なり、さしずというものが、全体的に見て非常に欠くるところがあるのじやないかという気がしてしようがないのであります。こういうものの見方をなさつたことがありますかどうか、お聞きしたい。
  137. 唐沢勲

    唐沢説明員 船員の気持を十分洞察して、いろいろ管理局の方で待遇すべきなのに、その点欠けているというような御意見でございました。そういう点につきましては、あるいは完全でないかもしれません。まつたくそういう船員の気持と離れたことをやつているとも私ども考えておりませんが、そういう点につきましてはなお十分調査もしますし、改善されなければならないと思うのであります。今の渡鳥が出かけて難航したことも事実でございます。その他の船も動いておりました。これもそういつた一船が行つたから行くとか、あるいは一船がとまるからとまるというのでなくして、それぞれ船長が、もちろん他の船とも連絡をとつて情報を集めますが、その判断に基いて行動したものと考えます。またほかの船がとまつたときに洞爺が出たのも、他の貨物船よりも従来の経験からしましても、他の貨物船がとまつてもあの客船が動いた例もたくさんあるのでございまして、やはり根本はあの当時の気象判断を中心にしまして、他の発表された情報なりその他を取入れて、自分が慎重なる判断のもとに出る、こういう気持で出たことであると考えております。もちろんこの連絡船は、そういう輸送の任にありますものですから、輸送したいという責任感、任務というものは十分持つているのでありますけれども、それが安全でないというときには、当然航海をやめるのはもちろんであると思いますが、今御指摘のように管理局なりの方の洞察の仕方が足りなくて、かりにそういうような言わず語らずのうちに安全を第二にして、輸送を第一にするというようなことになつてつたとすれば、これは非常な間違いでありまして、毛頭そういうつもりで指導はしておらないのでありますが、かりに無言のうちにそんなことになつたとすれば、これもたいへんなことでございますので、少くとも今後は船員、船の方あるいは陸の管理局の方との密接なる連絡をとり、隔意のない気脈の通じるようなことも考えまして、その辺は間違いのないようにして行くべきである、かように考えます。
  138. 館俊三

    ○館委員 次にお尋ねしたいのは、函館の管理局の船舶部というものはあの管理局の直接の命によつて仕事をつかさどつているのでありますが、あの船舶管理部というものは、現場から信頼されているのかいないのかということについても、従来お考え及んだことがあるかないか。船舶部というものが現場のすべての人から信頼されておるということが一番大事なことなんですが、そういうことについて気をお配りなさつたことがあるかどうか。
  139. 唐沢勲

    唐沢説明員 もちろん船舶部が、船に乗つて実際に働いておられる船員の信頼を得なければならないということは、第一に考えております。また人員の配置等につきましても、信頼されるに足る者を配つてあると信じておるのでございます。その信頼の程度といいますか、そういう点については問題がありますが、私どもとしましては、十分信頼され得る人を配置してあると考えております。
  140. 館俊三

    ○館委員 この船舶部の部長さんは、東大の工科を出られたのですが、船にはちつとも経験のない方であります。そうして二十年ごろと思いますが、函館に船舶部ができて以来、今日までこの仕事をやつておられるのです。あなたが今おつしやつたようなことではなく、現場では非常にいろいろの批判の対象にこの船舶部がなつている。言いたくないことですけれども、私はそれをここで言わざるを得ない。そこで船舶運航の中心である管理局長には、そういういいスタツフがないということは長年いわれておつて、私たちはしよつちゆう耳にしておることなんであります。第一この船舶部そのものといたしましても、その当日において、海務課長が出て来て、連絡船にえらい人が四人乗つておられるから、そこへ二回も三回も行つておられる。そういう仕事は海務課長の仕事ではないはずです。ぼくは海務課長なり船舶部長というものは、実際において船を運航する状態、実務について十分に手入れをしながら見て行かなければならない人が、平常の状態においても常に外部折衝にばかり没頭しておられる。雑務にばかりとらわれるような位置に置かれておる。これが偶然にもこの四人の支配人と局長が乗船された時分に、ああいう形になつて現われて来たのだろうと思う。当然海務課長としても、森部長としても、台風警報が出ておるのであるから、そういうえらい人とのつき合いよりも、ことに船に行つておるのでありますから、なぜにこの航海の状態あるいはさん橋の状態、その他の状態について第一義的に行動せられなかつたかということが、非常に不満足なんです。昔は暴風雨やそういうことがありますと、非番の鉄道職員までがみんな自発的にかけつけて来たものなんです。日曜日であつたとはいいながら、首脳部が家におられた――日曜日は家におられるのは当然なんですけれども、少くとも昔の職員は、そういうときには飛び出して来て、非番であつても仕事についた。それに出て来ておられた人も、実際に海がこういう荒れておる状態のときに、それらの人の応接にのみ行動しておられたということは、現場職員の立場から見ると、非常におもしろくないことである。こういうことが指導精神に欠ける、現場から信頼されないということになる根本原因であります。船舶のことに経験のない部長を置いたから、こういう事故が起きたとは私は言いませんけれども、平生から指導の面においても、実務をよく調べる上においても、こういうようなスタツフを置いておつたのではだめですから、これは函館の船舶運営のために徹底的に検討をされていただきたいと私は思う。そういうことを言うことは、現場の私として非常につらいことでありますけれども、今まで申し上げて来たいろいろの事柄の中で、あなた方が長く官吏として生活しておられたならば、十分に言外に考えを及ぼさなければならないところを私は多分に示唆しておるつもりなんです。そういう点は質問にならない質問のようですけれども、十分に腹に入れておいてもらいたい言葉、入つた言葉が私はあると思う。私はそういうふうに今度のことを大まかに考えておるのであります。ただ船が客を積んで出たのが悪いとか、あるいは沖がかりをしたのが悪いということについては、従来そういうことをやつておるのですから、とかくの批判はいたしません。  その次に私はちよつと聞きたいと思いますのは、さつき岡田さんが言われた問題ですけれども函館の港湾の設備が非常に不完備である。これはさきに質問に対してお答えもあつた通りに、第一の防波堤も半分しか仕上つておりませんし、残りの半分は海面すれすれなのです。あとの二つの第二防波堤、第三防波堤は完成しておらないで、防波の役を勤めておりません。こういうことを運輸省として、予算の関係もあろうが、長く放擲しておいたということは、これは非常に大きな責任問題だと私は思うのであります。地方といたしましても、あるいは本庁といたしましても、これはすでに完成をし遂げておかなければならない問題である。ですから有川の岸壁の前にある第四港区ですか、第五港区というものは、そういう防波堤ですから、西南の風には防波堤が役に立ちません。そこに連絡船をかけるわけに行かない。最も安全な第一港区と第二港区は完成された防波堤の内側にありますし、函館山の真下になりますので、一番繋留していいところにありますけれども、ここには市の繋留ブイが二十七ぐらいついておる。連絡船船長に言わせますと、このブイがなかつたならば、そこへ逃げ込んで港のふところの中で船体を保つことができたと言つておる。しかしブイがそうあるのであるから、この一港区と二港区は入ることができない。函館市がここにブイを置いて商港として使つておるそうですが、この函館港の商港としての建前と国有鉄道の連絡港としての建前の、両方の使い方の整理というものはどういうふうになつておるのか。整理をされようと思つたことがあるのかないのか。どういう問題が懸案になつておるのかということがあるのではないかと思う。そういう点について質問をするのでありますが、常に連絡船のかかるところは、一港区か二港区の安全な地帯にかかることができなくて、必ず三港区あるいは四港区の、港内であるとはいいながら、常に最も西南の風がむき出しのところに碇泊しなければならない。そして風が吹いて来ると、そういう状態で港内で全部の連絡船がかかるということば非常に危険なので、防波堤を越えて七重浜の方へ出なけれぱならないという実情に置かれておる。函館港の完成と、それから港内の整理というものについての御意見を承りたいと思います。
  141. 山内公猷

    ○山内説明員 函館港の問題につきまして、実は関係者が本日来ておりませんので、私からかわつて概略御説明申し上げます。この事件が起りましてから運輸省におきましても、函館港のあの現在のままでよいのかということにつきまして、目下港湾局で調査をいたしております。それで従来から函館港については、先ほど国鉄の方から御説明のありましたようにいろいろの要請もあり、それから御存じのようにあすこは多くの連絡船が入りますし、またただいま館委員から御指摘のように、商港としての役目も果しておりますために、多くの船が入つております。御承知の通り台風の場合、多くの船が港内におりますときには、船と船とが衝突することによりまして、かえつて混乱を起すという点がありまして、一応ただいまお話のように、暴風という場合にはかえつて港から出て行くということも、大きな船で自信のある船にはあることでございます。しかし今度の事件にかんがみまして、そういう避難の仕方というものを将来もとつていいものかどうか。ただいま御指摘によりますと、函館市のブイが相当あつたということでありまして、小さい船はつながれておつたようでありまするが、そういう点につきましても、そういう鉄道専用のブイを確固としたものをつくつた方がいいかどうかというようなことも、いろいろ省内で議論されているのでございます。私詳しい話はちよつといたしかねるのでありますが、その点につきまして目下検討中でございますので、また別の機会に詳細につきましては、港湾局長からでも御説明申し上げたいと思います。
  142. 館俊三

    ○館委員 函館港の問題ですが、港というものは船を安全にするために入れる母親のふところのようなものじやないか、こういうことを現場の職員たちは非常に言う。その通りなんです。開港五十年になるか七十年になるか、連絡船ができてから以来でも相当になるのですが、予算の面でいろいろのことがあつたにしろ、ああいうままの防波堤だけ考えても、放擲しておくということは非常な怠慢であると私は思う。職責上の責任を問われてもいいと思つている。さらにそれなら青森の港内はどうか。あの防波堤をこしらえて内港をこしらえた時分は、千五百トンくらいの船しか操作のできない、そういう見当の港なんです。そういうところへ今二千何百トン、あるいは客船ならば三千何百トンの船があの港から防波堤の中に入つて、そのため非常な苦心をして操作している船長気持というものは、並たいていのものじやない。連絡船十四はいか十五はいというものは、とにかくころがつた上で言うのはおかしいのですけれども、近代的な連絡船をこしらえておつたはずなのに、その両端の港及び港内設備というものが旧態依然としておるということは、実にちぐはぐなやり方だと私は思つている。さらに陸上の施設にいたしましても、駅の設備は極端に言いますと、絶えず冬季間においては旅客が停滞する。両端のさん橋の待合室というものは、五百か六百入れると一ぱいになるため、それが千も二千もたまるのであります。それで駅の者がそれの言い訳と応接にひどい目にあつていることは御承知の通りです。不親切だと言われますけれども、徹夜の駅員が数もふやさないで徹底的にもちくちやになるのですから、駅員の不親切じやない。そういう関係から従来駅の立場といたしましては、荷物と旅客が山のようになる関係から、事務長に折衝してぜひ乗せてくれというやり方をとつたのであります。これもまた荒天の際には矛盾した話なんです。そういうことから考えても、両端の駅舎の徹底的拡張改善、こういうものはやらねばなりませんし、またヤードの改善も徹底的にやらねばならぬということなんです。函館の商港とその連絡港との区別については、函館の第一岸壁、有川岸壁について、本庁と市あるいは道庁との間にやかましいやりとりが十分にかわされておるはずなのに、何といいますか、自主性のない役所は、これに徹底的な裁断を下さないで今日まで来てしまつた。これはもつとしつかりしてもらわなければ困ると私は考えるのであります。  私はその次に、気象台の位置についてお聞きしたいのですが、函館気象台函館の市内から何キロのところにあると思つていらつしやるのですか。
  143. 肥沼寛一

    肥沼説明員 気象台の仕事は、以前は観測をするということを一番の目的にしておりました。従つてまわりにいろいろの影響のない広い地域という趣旨で、位置が選定されてございます。従いまして大部分の測候所は市外の、駅から遠いところでございます。その一番極端な例が函館海洋気象台でございます。気象の問題がだんだんクローズ・アツプされて参りまして、災害に対しての責任がだんだん重くなつて来た。そして出しました予報、警報をできるだけ使つていただきたいということになつたのでありまして、市内のもつと連絡のいいところへ移さなくちやならないという問題が各所に起つております。函館もこれが一番緊急な問題でありまして、終戦後、今はつきり記憶しておりませんが、たしか函館の軍の施設が市内にありましたが、これをぜひいただきたい。そして今の海洋気象台の位置は国の方へ返還してもよろしいから、かえていただきたいということを、今の竹内台長がかなり奔走したのでありますが、これがうまく実現いたしません。やむを得ず今分室を市内につくつてある現状でございます。今のような状況ではあの位置は決していいとは申しません。
  144. 館俊三

    ○館委員 今満足しておらぬということを聞いて私は安心したのですが、そういう位置を変更しようという要求を持つていただきたいと思う。西浜にある日本冷凍の一室を借りて予備室を置いて、それから六キロも離れたところの山の中と言つても過言でないのですが、そこに海洋気象台を置いて、さらにその配下に何そうかの船を持つていらつしやる。そうすると船の着岸位置というものと三点になつて函館海洋気象台が仕事をしておる。これなら人員が足りないのは無理はない。そしてあの当日も台長は、台風の目が現われるよりちよつと前に、西浜の分室へ行つておられるはずであります。そうして大急ぎで帰つて来て、部下に対してこれが台風の目であるかどうか、十分観察しろということを言つておられる。それではああいう函館海洋気象台の機能というものは、現状のままでは完全に上げられないことは無理もない。そういう点について海洋気象台からどういう要求があつたかどうか。あの海洋気象台は、元たしか海岸町の定温倉庫のところにあつたものです。それがそういう静かなところへ移つたということお話になりましたが、あれは私に言わせれば戦争中の爆撃を恐れての疎開という意味で、ああいう遠いところへ持つて行つたのではないかと思つておる。戦争の影響だと思つておる。海の見えない海洋気象台というものは初めて見たのですが、私はおかしいと思う。私は台長を責めるのではなくて、政府の施策においてそういうところへ予算を出しておらない。あるいは台長の要求その他を聞いておらない。これはおそらく要求しておると私は思つておるのであります。そういう政治の悪いしわ寄せの末端にすわつておる管理局長なりあるいは台長なりというものは、それにおるがゆえにこういうふうにして責任を追究されておるということで、気の毒な話だけれども、しわ寄せの犠牲だと思う。そのために全部の災害の犠牲が、また被災害者にしわ寄せになつておると私は見る。そういう意味でこういう問題は徹底的に究明しなければならないと同時に、政治の方向の間違いから、こういう惨害が次々に出るような、そこを究明したい気持がするのであります。  それからもう一つ、緊急にほしいと言つておりましたのは、観測のためにレーダーというものがあるそうですね。そのレーダーを函館山にぜひほしいということを台長は言つておられた。これについてこの間の質問の中で、運輸省でしたか、国有鉄道でしたかから、レーダーを幾つつけるというような話でありましたが、局部的な問題でありますけれども、この惨害を前にして、さしあたつて函館山ということを海洋気象台長が言つておられましたが、その点についてのお考えはどうかということを聞きたい。
  145. 肥沼寛一

    肥沼説明員 函館海洋気象台の現在の位置は、これは今お話の通りもとは市内函館測候所というものがございました。北洋漁業が非常に盛んになりまして、気象台は海の方に相当力を入れるべきだという論がかなり盛んになり、たしか函館市の相当な御援助によりまして、海洋気象台をつくることに決定いたしました。測候所に比べまして、施設がかなり増大いたしますが、市内に適当な土地が得られませんで、あの土地になつたわけでございます。あの土地は実は最初からあまりに遠いという議論はあつたのでありますが、どうしても広い位置が得られないということで、あそこに行つたのでありまして、疎開のためではございません。現在非常に不便をしておりますために、どうしても気象のサービスができかねる、そういうことで、函館の台長からは現在のままでは困る、ぜひ移転してくれというような要望は、中央気象台の方には参つております。これはいずれ本省の方にも御相談しなければならない問題だと思いますが、早急に実現できないために、今の分室という制度をとつていたわけでございます。  レーダーの件は、この委員会でこの前も話が出ました通り、大体全国で十箇所くらいはかなりの距離に到達できるものを置きたい、こういうような考えを持つております。なおそのほか小さいいろいろ地形のかわつたようなところにも、かなりの数を入れなくてはいけない。函館山のようなああいうまわりが海で高いところですと、これは小型のものでもかなり到達して、非常な効果を上げるものだと思います。こういうところはできるだけ優先的にやるべきだと思いますし、今回の惨害のことを考えましても、これは優先さるべきものだと考えます。
  146. 館俊三

    ○館委員 優先さるべきものだと考えていらつしやるのですが、その方法について、政府の予算なり企画のうちにそれを入れるかどうかという問題です。これはどうですか。
  147. 肥沼寛一

    肥沼説明員 来年度レーダーの要求は幾つか入れておりますが、函館はまだ来年度には入つてございません。
  148. 館俊三

    ○館委員 来年度函館が入つていないということをきめられたときには、まだ洞爺の事件が起つておらなかつた。洞爺の事件が起きたのでありますから、少くともそれはやり直して、函館山が適当であるという話なんですが、そこを入れるべきものだと私は思うのですが、そういうふうにやり直していただきたい。これについての御返答を願いたい。
  149. 肥沼寛一

    肥沼説明員 これはただいま台長が中国に行つておりますが。もう数日中にはお帰りになると思いますので、よく御相談して、できるだけ早い機会に決定いたしたいと思つております。
  150. 館俊三

    ○館委員 今のお答えは台長を待つていらつしやるというのですけれども、台長の中国に行かれた日は二十五日、二十六日の洞爺の事件の起きた日だと思います。行つて非常に驚いていらつしやるでしようし、台長は必ず異存はないと思うのであります。今のお言葉は設置するということに私は承つておきたい。運輸大臣のこの点についての御意見はどうですか。
  151. 石井光次郎

    ○石井国務大臣 お言葉は承つて、実現に努力いたします。
  152. 館俊三

    ○館委員 決定になつたものと思つております。  そこでもう一つ気象関係を聞きたいのですが、昨日か一昨日の委員会で、この二十六日の台風のような問題は、函館では非常に珍しい問題であつて、二十年か三十年に一ぺん起るか、起きないかくらいであるというような御回答でありましたが、これは私は函館市民として非常に不服なのであります。函館は昔から非常に風の強いところでありまして、そのために函館の大火というものは、もう有名になつておる。残念ながらそういうところなのであります。四十年の大火は私は知りませんが、昭和九年の大火のごときは、一万人死傷者を出して、そのうち死者は二千人を出しておる。そのときの風の方向なり吹き方というものは、今度の二十六日ほど強くはなかつたそうですけれども、同じ方向に風がまわつておりまして、常に函館を中心として、ああいう方向に風がだんだんかわつて行くということは、もう函館に住んでおる人の一般常識になつておる。そこで気象台としては、函館を中心としたそういうものの記録、そういうものを十分調べていらつしやるかどうかということを私は伺いたい。あなたのこの間の御答弁には、函館一般市民の常識として納得ができない。臼井先生が言われたのは昭和十年の艦隊の遭難ですが、あの昭和十年の遭難と、昭和九年の大火のときの風とは、通路が違うけれども、ほとんど似ておるのであるということを、函館海上保安部の人がしやべつておるし、この観念は函館人の常識となつておる。経験は軽蔑されるかもしれませんけれども、しかしそういう長年の経験を積みながら、科学的にこれを判断して行くのが、気象学の常道ではないか。経験を度外視する気象学はないと思いますが、この辺はどう考えておりますか。
  153. 肥沼寛一

    肥沼説明員 北海道の方に台風が参りまして、暴風雨を起すということは非常に少いのでございますが、しかし御指摘のありました昭和九年三月二十一日の函館の大火のときは、これは冬の低気圧で、旋風と申しますが、これが今回の台風と同じような位置、渡島半島の西側に停滞いたしまして、同じような変化をしておるわけであります。当時の風の強さははつきり記憶しておりませんが、二十一メートルか二メートルかの風であります。今回今お話のありました函館海洋気象台ではかつた風が三十一メートルだと思います。そういう状況で、同じような風のまわり方はしばしばあるというお話でございますが、こういう二十メートル、あるいは三十メートルというような風は、十年か十五年に一回ぐらいの風であります。
  154. 館俊三

    ○館委員 そういうことは議論になりますからやめますが、札幌の気象台の方でも、台長として、台風でなく、北海道気象を完全に予報をして、災害を免れしめるためにどうしたらよいかと聞いたところ、これについては三陸沖の定点が必要であるが、これは北海道の冷害を防ぐための定点として必要である。しかし北海道漁船の遭難も非常に多いのです。そういう北海道特有の災害に対する予報措置を講ずるためには、どうしても能登半島沖の海中に定点一ついるのだ、これは札幌の気象関係函館気象関係も一致した考えなんです。しかもそれが秋から冬にかけての今実際に必要だということを言つているわけなんです。シベリアからの気象観測の通報を受けましても、沿海州から二時間とかこの間台長がおつしやいましたが、その間にもう一つ定点がないと時間のずれがあまり多くて、北海道気象観測陣としては的確につかみ得ないことは事実であるという話がありました。この点こういう証言の仕方について、肥沼さんはどうお考えになりますか。
  155. 肥沼寛一

    肥沼説明員 北方定点は、これはあの付近に正確な観測をするところが全然ないのでございます。従いましてたつた一つでもこれは非常な価値のあるものでございます。先般五月十日にあそこを非常に強い旋風が通過いたしまして、漁船のかなりの遭難を見ました。これもあの辺の正確な資料をもつとつかめば、台風の強さ、進行速度、こういうものをもう少し的確につかめたということは間違いないことだと思うのであります。今回の台風につきましては、日本海定点という話が出て来ておりますが、これは確かに私もある方を希望するのであります。しかし今回の問題は、何といいましても二十二箇所の観測所のうち、二箇所か三箇所しか資料をわれわれ得られなかつた。そして翌日かその翌日になつてから初めて正確な径路図を描いた、こういう状況を一番先に改めなければならない、こう考えております。
  156. 館俊三

    ○館委員 今の肥沼さんのお話は、しばしばここで繰返されることであつて北海道の各観測所が電話線の不通その他で、中央に情報をもたらし得なかつた、だから中央がものを言えなかつた、これはわかるのです。けれどもこういう際には、地方の御測陣が地方的に独立して生きていなければならなかつたと私は思うのです。そういう点において能登沖の定点が必要であり、独自の活動を適切に地域的にやる、この措置に欠けておる。竹内気象台長をわれわれは追究しませんが、そういうことが欠けておると私は思うのです。その点で私の聞いのは、そういう能登沖の観測船が必要であるということ、たとい三陸沖のものがあつても、今のような風に対してはあまり当てにはなりません。今のような風が一風多く北海道漁船なりに被害を与えておるのであるが、それのためにはどうしても秋と冬との間に能登沖の定点御測船が必要である。これを納得されますかどうか。
  157. 肥沼寛一

    肥沼説明員 あそこに必要だということは間違いないと思います。しかし今一番力を入れ、要求しております北方定点の問題が、まず最初に解決しなければならない問題だ。なぜこれを私ども一番力を入れて申しているかと申しますと、台風の径路の決定について、いろいろこの委員会でも御批判を仰いでいるわけでございますが、とにかく新しい方法をつくり出さなくてはいけない。今後経験によるような径路の予想でなく、客観的にもつと結果を出さなければいけない。これについては今数値予報という方法も発達しております。そういうものはかなり広い範囲で、また非常に高いところまでの資料がなければ計算ができないのであります。そういう意味で先ず第一に北方定点がほしい、こう申しているわけであります。日本海はいらないという意味ではございませんが、まずこちらを解決していただきたいとお願いしているわけです。
  158. 館俊三

    ○館委員 今の肥沼さんのお話は、三陸沖の定点があやふやになつて政府がやつてくれない、これをまず完成したい。その次には能登沖だ。これは予算の面からそういうことをおつしやるのであつて、重要な面においては両方ともきわめて重要なものであると私は受取りたい。そう受取つてよろしいですか。ただ政府が予算の支出においてへばつておるから、まず一番先に問題になつてつた三陸沖のものを獲得したいというくらいのお話として私は聞いておきたい。予算の獲得上そういうことなんで、必要度においてはかわつておらないと私は認識したい。  もう一つ函館で聞いた話は、台風江差沖あるいは青森の方に来た時分に、札幌の気象観測所はこれが二つにわかれるということを観測した。中央は一本で、北海道のまん中を通るというような観測をかえなかつた。そういうことでその結果、大事なときの予報が遅れたのではないかという私たちの調査委員の質問がありましたけれども、私はそれを言つておるのではなくて、そういうちぐはぐになつた場合に、一体どう処置するような処置方法を、中央では考えておられるかということを聞きたい。
  159. 肥沼寛一

    肥沼説明員 この問題については、函館も札幌もそういう連絡のことについて、問題にしていないと私は確信しております。中央気象台で出しましたのは、台風が二つに割れたということは申しておりません。しかしその一番もとになつて進んで行つた台風の中心は、依然として一番強くてあそこを通つているのでありますが、あの噴火湾をかかえた地形から申しまして、噴火湾に副低気圧ができるというのは私ども常識であります。私どもはそういうことを言つておりませんが、函館あるいは札幌でそういうことを言うのは、これは当然だと思います。
  160. 館俊三

    ○館委員 そこでもう一つ聞きたいのですが、鉄道電話――これは鉄道と気象台の両方に関係がありますが、私は気象観測所と管理局との間に鉄道の直通電話、専用電話が必要だと思つている。鉄道の人に開きたいのですが、各管理局は、その付近に気象観測所があるとして、鉄道の直通電話がついているところがあるのかないのか、これをお聞きしたいと思う。
  161. 唐沢勲

    唐沢説明員 専用通信線設備のあるところもありますし、公衆電話によつてつているところもあります。大体公衆電話によつているところが少し多いが、専用通信設備のあるところも二十三箇所あります。
  162. 館俊三

    ○館委員 唐沢さんの話がしつかりわからなかつたのですが、管理局が今幾つ、そのうちそばに測候所のある管理局が幾つあつて、その測候所と鉄道専用電話のついている箇所は何箇所か、こういうことを私は聞いている。
  163. 唐沢勲

    唐沢説明員 全部で五十五箇所の連絡箇所がございまして、そのうち三十二が公衆電話によるものでございます。あとの二十三は鉄道の専用電話をつけております。
  164. 館俊三

    ○館委員 今度の災害について、鉄道が電話をかけなかつたとか、かけたとか、気象台からは知らしたとか知らせないとか、ごちやごちやした問題がひつかかつておるのでありますが、その問題の起りは通信が非常に不備だということになつておりまして、ことに船を持つている管理局としては、ただちに鉄道専用電話を――公衆電話じやなくて鉄道電話であれば他人が入りませんから、鉄道電話をただちに布設すべきであると私は思う。ただちにやるべきである。これは鉄道の費用をもつてつて一向さしつかえないと思う。気象台がどうの、だれがどうのとそういうせせこましいことを言わないで、鉄道はただちに専用電話を、函館気象台ですか、設置していいかということは測候所へも聞くべきですが、その間に鉄道電話をつけることを私は望むのであります。これをつけていただきたい。前にはレーダーを函館につけることに切りかえてもらつたのですが、鉄道の電話をつけていただきたい、御返事をいただきたいと思います。
  165. 唐沢勲

    唐沢説明員 気象観測連絡関係につきましては、その他の問題も先日来いろいろ御指摘になつておりますが、それらの点を合せまして、鉄道電話の設置方につきましても、気象台の方とよく連絡して善処したいと思います。
  166. 館俊三

    ○館委員 最後に言いたいことは、国の政治として、港湾設備あるいは気象台設備というような方面に意を注ぐことが、具体的に予算の面においていつも欠除しておつた、そういうことがこういう事件を起さして、そしてみながそのときになつてあれが悪い、これが悪いと言い出すようなはめになり、末端の地方官庁におる者が非常な責任を負うようなみじめな形に追い込まれておる。気の毒だと私は思う。全体的に国の責任である、そういうものの見方で行きたいと私は思つておるのであります。  質問を明日に保留しまして、今日はこれで一応打切ります。
  167. 關内正一

    ○關内委員長 この際お諮りいたします。台風第十五号による洞爺丸等遭難事件に関する件に対しまして、山崎岩男委員より動議が提出されておりますので、その趣旨弁明を求めます。山崎岩男君。
  168. 山崎岩男

    山崎(岩)委員 本委員会におきましては、今日まで収集し得た資料に基きまして、洞爺丸その他の遭難についてきわめて熱心なる討議が重ねられた次第でございますので、この機会に各党共同提案にかかわる決議案を上提いたしたいと存じます。  まず決議の案文を朗読いたします。     決議   本委員会は、洞爺丸等国鉄青函連絡船沈没事件の重要性にかんがみ、現地調査団を派遣して事件の真相、責任の所在等について調査したが、今日までの調査に基き、今回の如き不祥事件を再び繰り返えさない為には、政府及び日本国有鉄道は、左の事項につき速かに必要なる措置を講ずる必要があると認める。  一、洞爺丸等国鉄青函連絡船遭難者遺家族に対し適切なる援護措置を講ずること。  一、気象業務及び施設の整備拡充をはかり、予報の迅速且つ正確を期すること。特に定点観測の整備復活及び新設、レーダーの設置、気象官署相互間並びに関係機関との連絡施設の強化等を速かに実現すること。  一、海上保安庁の船艇を増補し、警備救難の万全を期すること。  一、国鉄当局は、その責任の重大性に思いを致し、益々志気を昂揚し、業務の刷新について特段の措置を講ずること。特に非常時における警備体制の確立並びに訓練、船舶関係職員の再教育と船員の業務配置の適正をはかること。  一、青函間輸送力の増強をはかる為、速かに緊急対策を確立実施すると共に、連絡施設の改善、特に航送船の構造並びに客貨船分離の再検討、函館及び青森における港湾及び陸上設備の改善をはかること。  一、本州と北海道との間の輸送の増強並びに客貨の宏全等をはかる為、北海道総合開発の一環として、青函間海底隧道の実現につき特別法の制定等必要なる措置を講ずること。   右決議する。  以下いささか提案理由の説明を試みたいと存じます。台風十五号による洞爺丸外四隻の青函連絡船の遭難は、ひとり日本国民のみならず、世界の人々をも驚倒せしむるほどの大事件でありました。けだし友邦米国の精鋭五十六士をも失つたのでありまするので、振天動地の凶報として世界の耳目を聳動せしめたことは、まことに当然のことでございます。さもありなん、世界は筆をそろえて、あるいはかのタイタニツク号に次ぐ惨事といい、あるいはタイタニツク号以上の惨事として報道いたしておるのであります。いかにも一九一二年四月大西洋上において突発いたしました同船の遭難は、海運国イギリスの世児に誇る豪華船四万六千トンであり、しかも乗客千五百名を失つておるのでありますから、世界屈指の一大海難であるには相違ございません。しかしながら本船の遭難は、海洋上において氷山に衝突した一大椿事であつたのでありますが、わが洞爺丸、北見丸、十勝丸、十一青函丸、日高丸に至つては、良港として天下に誇つておる函館港内外における、しかも風浪による災害であり、さらに五隻を同時に沈没せしめたという点に特色があるのでありまして、従つてまことに残念ではありまするが、世界海運界における空前の大事件と申さねばなりません。しかして青函連絡船といえば、わが国運輸交通の大動脈とも申すべき国有鉄道の一環をなす重要なる機関であり、しかも本土と北海道とをつなぐ立場にあつて、一日といえどもその機能を失つてはならない性質のものであります。さればこそ、この連絡船遭難に対する国民の不安は、ひいては旅行に対する嫌悪ともなり、物貨交流に対する支障ともなつて、国民経済を脅かす結果とも相なるわけであります。  ここにかんがみるところあつて、本委員会は五名の委員を派遣して、その真相の究明に当つた次第であります。私は派遣委員団の団長として、事の真相に触れ、誤りのない判断のもとに遭難の原因をつかもうと努力しましたが、わずかに五日間の調査であつて、しかも沈没せる五隻の船体を調査することができなかつたので、一応の調査を遂げ、詳細なる究明は海難審判庁その他の機関にまかせて帰院いたしたわけであります。しかしながら私をして率直に言わしむれば、台風十五号による洞爺丸その他の遭難は、まことに意表に出たる天災が七、八割、重大なる過失が二割ないし三割方存在するように考えられます。二、三割方の重過失の中には、気象観測機関の不備、航送船船体そのものの脆弱性、当日の気象に関する判断の過誤に基く出帆等々、本委員会において論ぜられた幾多の問題を含めて申している次第でございます。  そこで申し上げたいのは、人の力でこの種の遭難を未然に防止し得る処置がないか。私はあると考えます。あるならば、この際その処置を講ぜねばならない。それが千四百の犠牲者並びに遺族に対するざんげであり、冥福を祈る功徳であると考えます。もしそれ一九一二年において今日のごときレーダーが発明せられていたならば、よもや大西洋上タイタニツク号の遭難はあり得ないように私は考えます。これ人知が天災に挑戦して人命財産を保護する一つの例であります。この際政府も国鉄も国会も一丸となつて人知と物質を結集し、この種災害予防に万全を期さねばなりません。  ここにかんがみるところあつて各党提案にかかわる本決議案を上提いたした次第であります。何とぞ万場の御賛成をお願い申し上げます。(拍手)
  169. 正木清

    ○正木委員 議事進行に関して……。もちろんこの決議に対して私は反対する者ではありませんし、満腹の賛意を表するものではございますが、委員長に一言お伺いしたいと思います。この決議の各要綱について、私は当然運輸省及び国鉄に対して、具体的に質問をいたさなければなりません数々の点がございます。そこで委員長は次回の委員会に、この決議の内容等について私の質問をお取上げくださるかどうか。その点あらかじめ承つておきたいと思います。これが議事進行の内容でございます。
  170. 關内正一

    ○關内委員長 承知いたしました。  ただいま山崎委員より趣旨弁明のありました本決議案に、賛成の諸君の起立を求めます。   〔総員起立〕
  171. 關内正一

    ○關内委員長 起立総員。よつて本決議案は全会一致をもつて可決、確定いたしました。  この際運輸大臣より発言を求められておりますので、これを許します。石井運輸大臣。
  172. 石井光次郎

    ○石井国務大臣 今回洞爺丸の遭難事件に際しましては、本委員会はいち早く調査団を御派遣に相なりまして、各方面にわたる詳細なる御調査を実施せられ、続いて皆様方の御熱心なる御討議があり、ただいま数々の要綱にわたりまする決議をされまして、拝見をいたしたわけでございますが、まことにこの決議されました一項々々は、こういうことはできないことであるとか、あるいはいらぬことであるというようなものが一つもなく、ぜひ私どもはその各項についての実現に努力しなければならぬということを深く感ずるものでございます。微力ではございますが、この実現に努力をいたすつもりでございます。また皆さん方の御協力を特にお願い申し上げまして、ごあいさつ申し上げます。
  173. 關内正一

    ○關内委員長 次に国鉄総裁より発言を求められておりますので、これを許します。長崎国鉄総裁。
  174. 長崎惣之助

    ○長崎説明員 まことに不幸なる洞爺丸その他青函連絡船四隻の海難に関しまして、過日来熱誠あふるる御討議がございました上に、わざわざ調査団を御派遣くださいまして詳細なる御研究を遂げられ、お帰りの後また多数の時日を費しまして、この結果に基いての数々の御質疑が重ねられまして、ここに一つの決議が成立したのでございます。その一つ一つを先ほど来拝聴いたしておりましたが、まことにごもつともな事項のみだと考えるのであります。なおとくと拝見いたしまして、その実現に邁進するつもりでございます。ただこの中には国鉄だけではできがたい問題が相当ございます。これにつきましては関係方面等の御協力をお願いいたしまして、これをも推進して参りたいと存じます。予算その他の事項につきましても、また今夜いろいろ御協力を仰がなければならぬかと存じますが、私どもとしましては、先ほど山崎団長が申されましたようなざんげの意味においても、また供養の意味においても、この決議の実現に邁進することが、一つの大きな責務であると考えておる次第でございます。
  175. 關内正一

    ○關内委員長 残余の質疑は次会に譲ることといたし、本日はこれにて散会いたします。    午後五時二十五分散会