○
小滝政府委員 この
戦略地域に対して
閉鎖区域というものを設けましたのは一九四七年で、
安保理事会でもこれは承認せられています。そして
日本に対し特に
外務省を通じて
警告いたしましたのは、
昭和二十七年九月十八日でありまして、在
米日本大使館に対して、最近
日本の
漁船が
アメリカ側の
指定する
危険区域の方へ入
つて来たものがあるが、これは非常に危険であるから、これの
周知方をとりはからうようにという
申出があ
つたのであります。その
地域はもうすでに
新聞などにも出ておりますから御承知と思いますが、それに基いて
海上保安庁の方で、今までも
告示されておりますのをさらにもう一度
注意のために、同年の十一月に
告示をするという経緯でございました。でありますから外交のチヤンネルを通じましての
申出というものは、一昨年の九月十八日だけであります。そして
実験が行われるたびに
通報して来たことはないようでございますが、その
通報の詳細につきましてはこれは
水路部の
関係でございまして、
運輸省の方から、御
説明があるかと存じます。
ところで一体こういうことをや
つていいのかどうか、これが
国際法上さしつかえないもにであるかどうかという点につきましては、過般も
新聞で
横田博士その他がいろいろ論じられておりますけれ
ども、今までの
外務省のとりあえずの
見解といたしましては、クローズド・エーリアを設けることは、これは
先ほども申しましたように、
安保理事会でも認められており、そしてそれはここへ
通報されておるのでさしつかえないものと見ております。ただ現在
日本で問題とな
つておりますのは、
閉鎖区域の問題ではなくして、
先ほども
通報があ
つたのはこれは
危険区域、この問題であります。
原爆の
実験をやるのは
アメリカが
行政権を持ち、支配をしておるところの領土及び領海内だけれ
ども、その危険がそれを越えて公海に及ぶだろうから、あらかじめ
注意してもらいたいという、この
危険区域の問題であるのであります。この
危険区域が、今度は非常に狭くて、ああいう
被害を受けたということに今までの
調査ではな
つておりますが、この
危険区域の
性質というものを
考えてみますと、これは一九四八年七月の
アメリカの
政府の
告示の
趣旨から
考えてみまして、この
爆弾の
実験に伴う危険についての
一般的な
事前の計画とい
つた性質を持
つているものだろうと解します。でありますから第一次大戦中に問題になりましたいわゆる
国際法の本などに書いてある
危険区域のように、
事前の
宣言のみをも
つて、この
区域内で生ずることのある
損害に対する
法律的責任が、全然免除せられるということにならないだろうと
考えております。すなわちこの
危険区域を設定するということは、そこらへ近づくものに対する
警告の第一歩であり、実際に
実験を行うときには、現地において十分の
警告と
予防措置を行うという建前でなければならないと
考えるのでありまして、こうした意味において
危険区域設定そのものは、
事前の
警告であるというように解すれば、それが
国際法上どうこうという
性質のものではなかろうと思います。ところでそれでは一体その都度
通報すべきか、
通報すべきではないかということは、
現実の問題でありまして、この点はむしろ
運輸省の係の方がよく
御存じかと思いますが、それはあるいは
各国の
政府を通じてやる場合もあるし、一部
新聞でも報道いたしておりますように、これが事実であるか、事実でないか、まだ正確な報道は来ておりませんけれ
ども、B36を使い、
無電を
使つて、その界隈全部に
警告を与えて歩いたのだというふうにもいわれております。しかしいずれが最も有効な
措置であるかということについては、個々のケースについて
考えなければならないことでありますけれ
ども、とにかくこれは最終的にまだ何も
アメリカへ
通告したものでありませんし、
外務省として今まで
考えて来ました
見解は、
先ほど申しましたように、
一つの
事前の
警告というような
趣旨に解しておる次第であります。