○
国務大臣(
大達茂雄君) 先ほど
赤松先生がおつしやいましたが、インドではそういうことはない。非常に少い。これはまあ私もさように聞いておりますし、明らかに宗教の関係であることはもう争うべからざるものだと思います。一体私はアメリカといろ国がどの程度に道義の昂揚された国か私は知りません。私はそれほどどうでもこうでもこれを先生に、手本にするというふうにまでは、私個人としては思
つておりませんが、併しそれにしましてもヨーロッパ諸国、欧米諸国ではやはり
子供のときからの道徳的の訓育というか、
教育というか、やはりキリスト教、殊にやはり宗教というものが土台にな
つていると、これは私見でありますが、そう思
つているのであります。
日本で私は特に
道徳教育が必要じやないかと思うのは、
日本においては、少くとも
現状においては宗教的な要素が
教育の面から、これは何も
学校の
教育というわけじやありませんが、それが欠けて来ているので、戦争前にはいわゆる天皇を中心とした
考え方というものが、これが宗教であるかどうかは別といたしますが、併しやはりこれは大きな
道徳教育の基本にな
つてお
つた、これが失われてしま
つた。そこでまあそういうものを一切投げ棄てて新らしい
教育に入
つて、それでアメリカじや成るほど
社会教育的なことをや
つて、
道徳教育なんというようなものはやらんでも、これはキリスト教国
一般にそういう
道徳教育というものが実は宗教を通じてあると思うのであります。
日本の場合にはそれがないものでありますから、而もアメリカ流の道徳というものが一足飛びに
日本の
社会に期待されても、それが将来熟していわゆる民主主義に立脚した道徳というものが完成ざれる時期が仮にあるとしても、それが今までの伝統的な道徳、そういうものが一挙に投げ棄てられて、少くとも
制度の上からいうとそういうものは投げ棄てられて、
学校では
道徳教育というのはせんほうがいいというような、私から言うと無茶な
考え方が行われておる。こうしてアメリカにどれだけのアメリカ人の道徳というものがあるか知らんけれ
ども、あるとしても少くとも一足飛びにすぐアメリカの
状態に、
日本の国が同じようなレベルに、道徳的な観点から見て進むものだと、ああいう式の
教育をや
つておれば、民主主義国というものはすぐできるのだと、こういうふうに言うことは、私は若しそういうことを簡単に
考えるとすればこれは非常に無理なことである。今、
中山先生のお話でありましたが、どうもこれは何だか逆にそういう破廉恥と言つちや悪いが、そういう自由に自分勝手な振舞いをして、他の人がどんな迷惑をしてもかまわんというような、先ほど姦通云々のお話がありましたが、これは非常にこういうことも自由である、或いは犯罪にならんというだけでなしに、どうも近頃はそれを自慢にしている人があるのじやないかというふうにすら私は
考えているのでありまして、これがいわゆる新時代のあり方であるというふうな勝手なことを
考えている。若しこれが男女同権という見地からいけないのならば、男の姦通も罰すべきであり、人の迷惑になることを刑法から外してしま
つて、そうしてそれが何か新らしい新時代の人間であるかのごとくこれを自慢にしているような風潮も見えるということは、甚だ私はおかしい話だと思う。こういう
一般の
社会慣習というものがあ
つて、それが大して家庭を傷つけたり、割合に平気でそういうことが大した悲劇というものを伴わないで行われるというような
社会慣習というか、
一般の気持がそうであるという
社会ならば、まだいいかも知れんけれ
ども、
日本のように婦人の貞操というものを非常に重大に重く
考えて、それから来る家庭その他の悲劇というものが非常に深刻であるような国柄において、アメリカ流に一挙にそういうものはかまわん。それを自慢にするというようなことを
言つていては、私はひとり今の売春の問題だけではありませんが、あらゆる面において道徳的に混乱した時代だと私は実は思
つているので、その点から言うとまあ今のままでの
教育で一体いいものかどうかということに、私は多大の疑問と言うよりもはつきりいけないとこう思
つているわけです。
中山先生からもいろいろお話がありましたが、これは何か逆コースとか反動とか
言つて一口にそういう
言葉で以て言う。これは中身の問題を別にして、丁度昔のすぐ英米思想だとか、やれ自由主義だとか一口にきめつけてしまうという同じやり方が今日はや
つてお
つて、
内容の論議を待たずに、あいつは反動だとか、あいつは封建的だとか、これはまあ非常に勝手なことを申上げて相済まんのでありますけれ
ども、私見を申上げると、今日反動とこう言う、これくらい悪いことはないということにな
つておる。そうかと思えば占領行政の行過ぎを是正すると、こういう言い方をすれば、これは誠に尤もであるということにな
つているようです。それを占領行政の行過ぎを是正して国情に合わせるということと反動とか逆コースということは
内容は同じことである。つまり今こつちを向いているやつを少しこつちに舵を向け直すということでありまして、逆コースそのものは問題ではないのでありまして、その
内容においていいか悪いかということが問題であるので、それを今の世の中で逆コースということで理も非もなくきめつけてしまう。これは極端な無茶を言うとお叱りを受けるかも知れませんが、地方分権ということを、近頃これくらいいいことはない、封建
制度というとこれくらいひどく悪いものはないと、こういうようにな
つておるようでありますが、これもよく
考えて見ますと大した違いはない。地方分権が強く行けばこれは封建
制度ということだろうと思うのであります。そういうわけで、どうも
言葉の魔術といろか、ものを吟味しないで何でもかでもアメリカ流と言うか、新時代のほうがいいのだ。そうでないやつは頭が古いというか、反動であるか、逆コースであるとか、場合によるとフアッシヨである。こう一口にやりつけてしまうということが今日の風潮であ
つて、何と言いますか、理も非もない
状態である。もう少し極端なことを言うとみんな正気を取戻してもらわんと、正気を取戻してもらわんと、
日本の
社会というものは安定しないと実はこう思
つている。これは国会の席でこういうことを放言すると又いろいろ問題になるかも知れんけれ
ども私はそう思
つている。これは私見を申上げますが、
教育の面において早く正気を取戻すということはなかなか今日の時勢においてはむずかしいことだと思いますが、併し私が
文部大臣をしている限りにおいては、決してえらそうなことを言うわけではありませんが、責任を持つ以上は、私はやはり何とかもう少し世の中が明るくな
つて、そうしてみんな行儀もよくな
つて、悪いことをすることを自慢にするような風潮だけは早くなくしたいものだとかように
考えております。