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1953-11-06 第17回国会 参議院 本会議 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年十一月六日(金曜日)    午前十時五十分開議     ━━━━━━━━━━━━━  議事日程 第五号   昭和二十八年十一月六日    午前十時開議  第一 社会保険審査会委員長及び同審査会委員の任命に関する件  第二 昭和二十八年六月及び七月の大水害被害地域における公衆衛生保持に関する特別措置法等の一部を改正する法律案内閣提出衆議院送付)(委員長報告)  第三 昭和二十八年六月及び七月における水害による被害たばこ耕作者に対する資金融通に関する特別措置法等の一部を改正する法律案内閣提出衆議院送付)(委員長報告)  第四 昭和二十八年六月及び七月における大水害に伴う中小企業信用保険法特例に関する法律等の一部を改正する法律案内閣提出衆議院送付)(委員長報告)  第五 農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助暫定措置に関する法律等の一部を改正する法律案内閣提出衆議院送付)(委員長報告)  第六 建設省設置法の一部を改正する法律案内閣提出衆議院送付)(委員長報告)  第七 自由討議  第八 恩給金庫復活に関する請願委員長報告)  第九 戦犯者釈放等に関する請願委員長報告)  第一〇 日本近海のオツトセイ猟獲事業許可に関する請願委員長報告)  第一一 李承晩ライン撤廃等に関する請願(二件)(委員長報告)  第一二 内水面漁業災害復旧に関する請願委員長報告)  第一三 漁船だ捕事件に関する請願委員長報告)  第一四 山口下関漁港拡築に関する請願委員長報告)  第一五 日中漁業調整促進に関する請願委員長報告)  第一六 金沢駅構内操車場移転に関する請願委員長報告)  第一七 愛知県豊橋市中の郷踏切存置に関する請願委員長報告)  第一八 小型船舶職員養成費国庫補助に関する請願委員長報告)  第一九 船舶職員法中一部改正に関する請願委員長報告)  第二〇 歯ブラシの貨物小口扱特別賃率免除に関する請願委員長報告)  第二一 福岡県門司港田ノ浦臨港鉄道追加工事に関する請願委員長報告)  第二二 立川、国立両駅間に新駅設置請願委員長報告)  第二三 京都北丹鉄道災害復旧費国庫補助等に関する請願委員長報告)  第二四 多治見、春日井両駅間鉄道路線敷設に関する請願委員長報告)  第二五 熱塩、米沢両駅間鉄道敷設に関する請願委員長報告)  第二六 和歌山県紀の川堤防増強に関する請願委員長報告)  第二七 福井県鞍谷川改修工事施行に関する請願委員長報告)  第二八 新潟県早川の災害土木事業助成工事施行に関する請願委員長報告)  第二九 新潟東頸城内地すべり被害防止等に関する請願委員長報告)  第三〇 台風第十三号による災害復旧請願(三件)(委員長報告)  第三一 一級国道三号線中三太郎峠トンネル開さく請願委員長報告)  第三二 岡山県足守川改修工事施行に関する請願委員長報告)  第三三 荒川、中川総合開発促進に関する請願委員長報告)  第三四 台風第十三号による災害復旧促進請願委員長報告)  第三五 砂防施設完備促進に関する請願委員長報告)  第三六 東近畿水害による災害復旧請願委員長報告)  第三七 公営住宅建設等に関する請願委員長報告)  第三八 埼玉県利根川堤防補強工事促進に関する請願委員長報告)  第三九 二級国道秋田盛岡線改良工事促進に関する請願委員長報告)  第四〇 県道豊津伊良原線改修工事促進に関する請願委員長報告)  第四一 京都府由良川治水工事促進に関する請願委員長報告)  第四二 大阪府豊中市立螢池小学校移転に関する請願委員長報告)  第四三 戦犯者釈放に関する陳情委員長報告)  第四四 九州西海域操業漁業者救済対策に関する陳情委員長報告)  第四五 李承晩ライン撤廃等に関する陳情委員長報告)  第四六 内水面漁業振興対策に関する陳情委員長報告)  第四七 定置漁具災害補償制度確立等に関する陳情委員長報告)  第四八 海区漁業調整委員会職員身分確立等に関する陳情委員長報告)  第四九 山口通漁港整備拡充に関する陳情委員長報告)  第五〇 国鉄貨物輸送力増強に関する陳情委員長報告)     ━━━━━━━━━━━━━
  2. 河井彌八

    議長河井彌八君) 諸般の報告は朗読を省略いたします。     —————————————      ——————————
  3. 河井彌八

    議長河井彌八君) これより本日の会議を開きます。  日程第一を後に廻したいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 河井彌八

    議長河井彌八君) 御異議ないと認めます。      ——————————
  5. 河井彌八

    議長河井彌八君) 日程第二、昭和二十八年六月及び七月の大水害被害地域における公衆衛生保持に関する特別措置法等の一部を改正する法律案、  日程第三、昭和二十八年六月及び七月における水害による被害たばこ耕作者に対する資金融通に関する特別措置法等の一部を改正する法律案、  日程第四、昭和二十八年六月及び七月における大水害に伴う中小企業信用保険法特例に関する法律等の一部を改正する法律案、  日程第五、農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助暫定措置に関する法律等の一部を改正する法律案(いずれも内閣提出衆議院送付)  以上四案を一括して議題とすることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 河井彌八

    議長河井彌八君) 御異議ないと認めます。先ず委員長報告を求めます。風水害緊急対策特別委員長矢嶋三義君。
  7. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 これは内閣提出だが、政府委員はどうして出席しないのです。
  8. 河井彌八

    議長河井彌八君) 要求しております。
  9. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 出席さして下さい。不謹慎ですよ。これは災害地にとつては大事な法律です。而もこれは内閣提出です。それを政府委員が来ないで報告できますか。呼んで下さい。これは不熱心な証拠だ。議長、呼んで下さい。大臣でも次官でもおられるはずなんでナ。来られないはずはない。(「どうするのだ」「登壇々々」「予算委員会に出ているじやないですか」「休憩々々」と呼ぶ者あり、その他発言する者多し)内閣提出ですからね。政務次官か誰か出て来て下さい。出ておるのは農林だけです。大蔵もあれば、厚生もあれば、各省の政務次官来なければ無理ですよ。内閣提出ですから……。
  10. 河井彌八

    議長河井彌八君) 政府の出席を求めております。    〔矢嶋三義登壇
  11. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 只今議題となりました昭和二十八年六月及び七月の大水害被害地域における公衆衛生保持に関する特別措置法等の一部を改正する法律案につきまして、特別委員会における審査経過並びに結果を御報告申上げます。この改正法案は、前国会において制定されましたところの昭和二十八年六月及び七月の大水害被害地域に対する特例法のうち、厚生省関係の六件の法律、即ち昭和二十八年六月及び七月の大水害被害地域における公衆衛生保持に関する特別措置法、同災害救助に関する特別措置法、同国民健康保険事業に対する資金貸付及び補助に関する特別措置法、同病院及び診療所災害復旧に関する特別措置法、同社会福祉事業施設災害復旧に関する特別措置法及び同母子福祉資金貸付に関する特別措置法につきまして、その一部を改正するものでありまして、改正要点は次の通りであります。第一点は、右の六件の特別措置法は、西日本及び近畿等の各地方に発生した本年六月及び七月の水害適用するものとして定められているのでありますが、本年の八月に発生した京都地方等の大水害及び九月の第十三号台風によつて発生した近畿東海北陸等行地方風水害にも、同様の特別措置を講ずる必要がありますので、現行法に定められております災害範囲及び期間規定改正して、右の風水害等にもこれを適用しようとするものであります。右の点は、六件の特別措置法全部を通じての改正でありますが、これ以外に、災害救助及び母子福祉資金貸付に関する特別措置法につきましては、別に次のような改正を行おうとするもりであります。先ず災害救助に関する特別措置法につきましては、現行法第二条第一号及び第二号に定められている応急仮設住宅供与費及び救助事務費等についての国庫補助措置が、本年八月三日に公布された災害救助法の一部改正法規定されるに至りましたので、これとの調整を図らんとするものであります。次に母子福祉資金貸付に関する特別措置法につきましては、現行規定では、この特別措置水害による被害を受けない者にまで及ぶ虞れがありますので、この法律立法の趣旨に即応するように、この特別措置対象風水害等により被害を受けた者に限定すると共に、この特別措置実施範囲風水害等を受けた全地域に及ぼし得るようにしようとするものであります。  以上がこの改正法律案要点でございます。  特別委員会におきましては、先ず政府当局から本改正法案提案理由並びに内容につきまして詳細なる説明を聴取してのち、慎重に審議いたし、熱心に質疑応答が行われたのでありますが、その詳細は速記録によりまして御了承を願います。  かく質疑を打切り、討論に移りましたところ、松岡委員から、本案に対する修正の動議が提出され、修正を除く部分に対しては原案賛成する旨を述べられたのであります。修正要点は、改正法案第一条のうち第四条の改正規定中に「と畜場」を加え、政令で指定する被害地域の市町村が、そのと畜場災害復旧に要する費用を支出したときは、国はこれに対し三分の二を補助することができるようにいたそうとするのであります。これに対しては別に異議を申述べる人もなく、討論を終結して、先ず修正案について採決いたしました結果、全会一致を以てこれを可決いたし、次いで修正個所を除く部分について採決いたしましたところ、これ又全会一致原案通り可決いたしました。よつて本案修正議決と決定いたした次第であります。  以上御報告申上げます。  次に、只今議題となつておりまする昭和二十八年六月及び七月における水害による被害たばこ耕作者に対する資金融通に関する特別措置法等の一部を改正する法律案につき、本委員会における審議経過と結果を御報告いたします。  先に本年六月及び七月における大水害に対する特別措置といたしまして、昭和二十八年六月及び七月における水害による被害たばこ耕作者に対する資金融通に関する特別措置法昭和二十八年六月及び七月の大水害により被害を受けた公務員等に対する国家公務員共済組合給付特例等に関する法律並びに昭和二十八年六月及び七月の大水害による被害中小企業者に対する国有機械等譲渡等に関する特別措置法が制定公布せられ、被害たばこ耕作者に対する資金融通を円滑にするため、融資機関に対し、利子補給及び損失補償を行い、国若しくは地方公共団体職員等に対し、国家公務員共済組合法による災害見舞金増額給付又は特別給付金の支給の措置を講じ、又、被害中小企業者事業設備復旧を図るため、国有機械を減額譲渡する等の特別措置が講ぜられたのでありますが、更に本年八月及び九月において生じた風水害につきましても、その被害状況に鑑み、同様の措置を講ずることが必要であると考えられますので、右の三法律改正して、八月及び九月の風水害にも適用することといたしたものであります。なお、被害たばこ耕作者に対する資金融通に関する特別措置法につきましては、融資総額限度を二億円から二億二千万円に改めております。  以上が本法律案内容でありまして、委員会におきましては、閉会中十分審議し、更に本特別委員会懇談会で十分審議協議したものでございまするので、別段質疑討論なく、採決の結果、全会一致を以て可決すべきものと決定した次第であります。  以上御報告申上げます。  次に、昭和二十八年六月及び七月における大水害に伴う中小企業信用保険法特例に関する法律等の一部を改正する法律案につき、本委員会における審議経過と結果を御報告いたします。  本法案は、先に第十六国会において成立しました今年六月及び七月大水害に対する諸法律中、通商産業省所管の三法律につき、これを本年八月及び九月の風水害に対しても適用でき得るよう所要改正を加えるもので、即ち、第一条は、昭和二十八年六月及び七月における大水害に伴う中小企業信用保険法特例に関する法律の一部を改正するものでありまして、特例措置適用対象を、八月及び九月の風水害によつて損失を受けた中小企業者にまで拡大せんとするものであります。第二条は、昭和二十八年六月及び七月における大水害による被害小企業者に対する資金融通に関する特別措置法の一部を改正するもので、特別措置適用対象を八月及び九月の風水害被害小企業者まで拡大し、併せて六月及び七月の大水害と八月及び九月の風水害との再度に亘り被害をこうむつた者に対しては、利子補給優遇措置を受け得る復旧事業資金限度額引上げ措置を講ずると共に、利子補給にかかる復旧事業資金総額を増額せんとするものであります。最後に第三条は、昭和二十八年六月及び七月の大水害地域における自転車競技法特例に関する法律の一部を改正するもので、自転車競技法規定による国庫納付金を納付することを要しない地方公共団体として、八月及び九月の風水害をこうむつた地域内にある罹災地方公共団体を追加し得るよう措置し、今次災害の速かな復旧に資せんとするものであります。  ここに明確に御報告申上げておきまするが、改正前の法律によりまするというと、法の適用を受けるところの地方公共団体は、政令で指定する地域内にある地方公共団体とありましたので、指定する地域内にある地方公共団体であれば、被害を受けない所も納付金免除を受けておつた次第でございますが、このたびの改正は、地域内にある地方公共団体であつて政令で指定するものと改正いたしましたので、指定する地域内にありましても被害を受けていない所は納付金免除適用は受けないということに改正されたことを明確申上げておきます。  以上が改正内容でありますが、本委員会におきましては、質疑並びに討論を省略して直ちに採決に入りましたところ、本改正案全会一致を以て原案通り可決すべきものと決定いたしました。以上御報告申上げます。  最後に、農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助暫定措置に関する法律等の一部を改正する法律案について、風水害緊急特別対策委員会における審議状況及び結果について御報告申上げます。先の六月及び七月の大水害に際しましては、二十四の特別立法が制定され、被害地の復興に万全の措置が講ぜられたのでありますが、今次の八月及び九月の風水害について見ましても、その規模において先の大水害の場合と何ら異なつたところはないのでありまして、そのため、先の六月及び七月の場合と同様に、農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助率引上げ等、特別の措置を講ずると共に、被害農家に対しましては、その農業経営を維持するめに必要な営農資金を円滑に且つ低利に融通するよう措置を講じ、更に被害農業者に対しおおむね、生産者価格によつて米麦を売り渡し、以て被害農家の飯米の確保を図ろうとする目的を以て、この法案が提案されたのであります。  以下本法案内容につきまして、そり概略を御説明申上げます。本法案は二つの部分から成り立つております。先ず第一は、農林水産業施設災害復旧難業費に対する国庫補助率引上げをいたしたことであります。即ち、先の八月及び七月の大水害の場合には、農地等災害復旧事業に対する国庫補助率を九割に引上げたのでありますが、今回の八月及び九月の風水害による農地等災害復旧事業にも同様の高率補助率適用する等の措置を講じ、以てその復旧に万全の措置をとらんとするものであります。第二は、被害農林漁業者等に対し、営農資金融通を円滑にする措置を講じたことであります。即ち、先の六月及び七月の大水害の場合にとりました措置と同様、今回の八月及び九月の風水害の場合におきましても、被害農林漁業者に対し資金融通する金融機関との契約によつて利子補給及び損失補償等を行う都道府県に対し、政府はその費用の全部又は一部につき補助金を交付する等の措置を講ずると共に、前回の水害及び今回の風水害の双方によつて損失を受けた被害農林漁業者等に対しましては、国庫補助にかかる融資貸付額限度を二十万円とし、更にこれに伴いましてその融資総額を従来の百億円から二百億円に引上げる等の措置を講じようとするものであります。第三は、被害農家に対し米麦生産者価格等による売渡し制度を設けたことであります。即ち、先の六月及び七月の大水害による被害農家に対しまして、米麦の低廉な価格同様、今回の風水害につきましても、これによりその生産した米麦を流失した等の被害農家に対しまして、おおむね生産者価格米麦を売渡す等の措置を講じ、以て飯用米麦確保農業生産の維持に支障なからしめようとしたわけであります。  次に、委員会においては小委員会を設け、慎重審議の結果、政府に対し以下申上げるような申入れをいたしました。  一、山村地帯にある被害農家に対して炭窯構築費の一部を国が助成すること。  一、淡水魚等の養殖及び種苗放流費について助成措置をすること。  一、災害農地排水及び除塩については、恒久法である農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助暫定措置に関する法律改正し、排水及び除塩事業補助対象とすべきである。   なお、農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助暫定措置に関する法律の一部改正案については、政府原案衆議院において修正議決されて送付になりました。  その修正点は、附則第三項中にある特例施行期日昭和二十八年六月下旬よりとあるを「下旬」を削除した点でありまして、本問題につきましては、当特別委員会においては当初から議論の最も沸騰した点でございまして、災害の実情からいつて、この下旬を削除すべきであるという主張と、もう一つは、立法当時の筋を通して、飽くまでも「下旬」の字句は削除すべきでないと、こういう意見が対立いたしまして、長い期間亘つて特別委員会においては揉みに揉んだ問題でございます。一方、衆議院側において、政府原案修正議決して送付して参つた次第でございまして、その段階になり、その修正理由について修正案提案者を代表して、衆議院議員綱島正興君より修正経過につき詳細なる説明を聴取し、慎重審議をいたしまして、その段階において質疑応答がなされましたが、その主なるものを申上げまするというと、「下旬」を削除することによつて台風第二号が入ることになるが、台風第二号によつて生じたところの被害総額は幾ばくと把握されておるかというところの委員質問に対しまして、その点は明確でないという答弁でございました。更に農林省の政府委員に対しまして、その金額について質疑いたしましたところが、政府委員においてもその点答弁のできる段階に至つていないと、こういう答弁があつた次第でございます。  更に、このたびの災害復旧国費所要額が、成る時期に千八百億円と政府から説明され、その後にこの国費所要額は千五百六十五億円と訂正されたが、その数字変つた理由一つとして、台風第二号が入つてつたのを、これを削除したので千五百六十五億と減額されたという説明が、或いは緒方対策本部長或いは小笠原大蔵大臣からなされておつたわけで、ございまして、この点について、台風第二号を入れることによつて幾ら千五百六十五億の数字が変るのかと、こういう質問に対しまして、大蔵省石原主計局次長は、台風第二号が入ることによつてそう多額の相違は来たさないと、こういう答弁がありました。で、これに対して重ねて委員から、それでは緒方国務大臣或いは小笠原大蔵大臣が、台風第二号の災害国費所要額との関連を委員会で述べておられるが、それは誤まりと認めるのかと、こういう質問に対しまして、政府委員は、補佐が十分でなかつたので、両大臣説明は不十分であり、正確を期していない。こういう答弁があつたことを申上げておきます。その他の内容については委員会会議録を御覧願います。  かく質疑を終り、採決の結果、多致を以て衆議院送付原案通り可決すべきものと決定いたしました。  以上御報告申上げます。(拍手
  12. 河井彌八

    議長河井彌八君) 別に御発言もなければ、これより四案の採決をいたします。先ず昭和二十八年六月及び七月の大水害被害地域における公衆衛生保持に関する特別措置法等の一部を改正する法律案全部を問題に供します。委員長報告修正議決報告であります。委員長報告の通り修正議決することに賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  13. 河井彌八

    議長河井彌八君) 総員起立と認めます。よつて本案全会一致を以て委員会修正通り議決せられました      ——————————
  14. 河井彌八

    議長河井彌八君) 次に、昭和二十八年六月及び七月における水害による被害たばこ耕作者に対する資金融通に関する特別措置法等の一部を改正する法律案昭和二十八年六月及び七月における大水害に伴う中小企業信用保険法特例に関する法律等の一部を改正する法律案、以上両案全部を問題に供します。両案に賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  15. 河井彌八

    議長河井彌八君) 総員起立と認めます。よつて両案は全会一致を以て可決せられました。      ——————————
  16. 河井彌八

    議長河井彌八君) 次に、農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助暫定措置に関する法律等の一部を改正する法律案全部を問題に供します。本案賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  17. 河井彌八

    議長河井彌八君) 過半数と認めます。よつて本案は可決せられました。      ——————————
  18. 河井彌八

    議長河井彌八君) 日程第六、建設省設置法の一部を改正する法律案内閣提出衆議院送付)を議題といたします。先ず委員長報告を求めます。内閣委員長小酒井義男君。     —————————————    〔小酒井義男登壇拍手
  19. 小酒井義男

    小酒井義男君 只今議題となりましん建設省設置法の一部を改正する法律案につきまして、内閣委員会における再議の経過並びに結果を御報告いたします。  先ずこの法律案提案理由として政府説明いたしましたところを御報告たします。去る九月下旬の台風十三号により東海地区海岸がこうむつた被害は激甚を極め、その復旧及びこれと関連する改良工事施行には約二百億円を要する見込である。併しこの工事は、愛知三重及び静岡の三県にまたがる極めて大規模なものであり、且つ短期間にこれを完了する必要があるが、関係地方公共団体の力のみを以ては工事施行に万全を期し得ない状況であるので、国がこれらの地方公共団体から工事委託を受け、国の手によつて工事施行し、その万全を期したいと考える。而うしてこの委託工事も相当な工事量となるので、臨時に中部地方建設局海岸堤防建設部を設け、工事の企画及び設計並びに工事の指導、監督に当らしめる必要があるので、ここに建設省設置法の一部を改正するためこの法律案を提出した次第である。以上が政府提案理由説明であります。内閣委員会委員会を二回開きまして、この法律案審査に当つたのでありますが、その審査の結果明らかになつた主な点を次に御報告いたします。  その第一点は、この工事所要経費に関する点であります。所要事業経費は、愛知県分百二十億五千三百万円、三重県分八十一億七百万円、静岡県分七千万円、この総額は二百二億三千万円であります。そのうち建設省が受託する区域の事業費は百三十億三千四百万円でありまして、事業費災害復旧費対策費とを含めたものであり、その対策費と申しますのは改良事業費の意であるとのことであります。  その第二点は工事方法に関する点であります。この工事は三カ月で完成目標で行われ、建設省では、三県で行う工事のうちで比較的困難なもの、これは全事業量の六割に当るとのことでありますが、その工事を三県より委託を受けて施行する予定であつて建設省ではこの工事を一流の信用ある業者に請負わしめ、厳重な監督の下に施工せしめる方針であり、又この工事を業者に請負わしめるに当り、施工に支障なき限り、地元罹災者を工事人夫等に使用するような請負条件を付ける方針であるとのことであります。  その第三点は定員に関する点であります。この法律案によりまして中部地方建設局海岸堤防建設部が新設されますのに伴い、建設省の定員の増加は行わないとのことであります。この工事を行うため合計二百名の職員を必要とするのでありますが、そのうち百五十名は、愛知三重静岡の三県より応援を求め、残りの五十名は建設本省及び他の地方建設局の定員を融通して、これに充当する方針であるとのことであります。  内閣委員会は、十一月四日開会の委員会におきまして、本法律案につき討論を省略し採決いたしましたところ、全会一致を以て可決すべきものと議決をせられました。  以上を以て報告を終ります。
  20. 河井彌八

    議長河井彌八君) 別に御発言もなければ、これより本案採決をいたします。本案全部を問題に供します。本案賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  21. 河井彌八

    議長河井彌八君) 総員起立と認めます。よつて本案全会一致を以て可決せられました。      ─────・─────
  22. 河井彌八

    議長河井彌八君) 日程第七、自由討議。  本日の自由討議は本院規則第百四十七条によるものとし、所見開陳の範囲を「最近の海外事情について」といたします。各発言者の発言時間はそれぞれ二十分間でございます。発言時間はこれを遵守せられんことを望みます。    〔寺尾豊君発言者指名の許可を求む〕
  23. 河井彌八

    議長河井彌八君) 寺尾豊君。
  24. 寺尾豊

    ○寺尾豊君 自由党は石原幹市郎君を指名いたします。
  25. 河井彌八

    議長河井彌八君) 石原幹市郎君の発言を許します。    〔石原幹市郎君登壇拍手
  26. 石原幹市郎

    ○石原幹市郎君 私は去る十月八日より十四日まで一週間ワシントンにおいて開催せられました第四十二回万国議員会議に出席の議員団の一人といたしまして、当院の大屋、菊川、相馬、高橋の諸君と共に八月十九日羽田を出発いたしました。その機会に、欧州の諸国並びに米国、カナダの政治情況、経済事情を若干視察する機会を持ち得たのであります。以下時間に制約を受けておりまするので寸感程度のことしか申上げられませんが、感じましたままのことを二、三申述べてみたいと思います。  万国議員会議は昨年度より参加を許されたものでありまして、本年の参加国は三十二カ国、三百五十名でありました。目下、会議の議事録その他を整理いたしておりまするので、まとまり次第、議員団として正式に議会に報告し、資料等もお配りいたしたいと思つております。ただこの際ごく概要を申述べておきたいと思います。  開会式は十月九日に大統領臨席の下に行われました。アイゼンハワー大統領は、開会に当りまして、「通常の国際会議政府が任命した代表によつて行われるのであるが、本会議はそれぞれの国民によつて選挙せられた、いわゆる国民代表によつて会議である。それだけに非常に意義深い会議と思う。又、民主主義、平和の思想も、一国だけでは貫き得ない。志を同じくする国々が互いに協力してこれを守ろう。」との力強い挨拶があつたのであります。本会議におきまする一般討議といたしましては、各国の代表はそれぞれの立場からいたしまして、如何にして国際平和、国際間の意思の疎通を図るべきかというような問題について論議され、我が方よりは芦田衆議院議員より、日本における民主主義の成長、又、大屋議員より日本の経済復興と今後の人口問題等、主として経済問題を論じました。  次に議題といたしましては、技術及び経済に関する国際的援助の必要性と効果、外交問題における国会の立場、国民自決権等の問題が中心でありました。米国代表の或る上院議員は、米国の他国援助は、軍事費に比しまするというと、その四%程度に過ぎないのであるが、その効果は実に偉大であると、これらの金は返済を要求してはならないと論じまして、大いに喝采を博しました。又民族的の問題では、アイルランドと大英帝国、レバノンとイスラエル、パキスタンとインド等、若干の応酬がありました。併し総じてこの会議は和気あいあい裡に極めて友好的に終始いたしました。なお会議ばかりではなく、この場外、或いは視察旅行、或いはレセプシヨン等においての交歓が非常に効果的であつたと考えます。殊にブラジルの代表が極めて親日的でありまして、次の会議も東京において是非開催したらどうかと強く要望するなど、非常に好意的であつたということを特にこの際お伝えしておきたいと思います。  この万国議員会議は、国民の代表会議、或いは国民外交の場という意味におきまして、今後も高く評価してかかるべきものであろうと私は思つております。なお、この会議に当りまして米国議会側の示されました好遇に対しましては、この機会に深く感謝の意を表しておくものであります。  さて次に、欧米を廻りまして感じましたことども二、三を申述べてみたいと思います。これは極めて短時日の間の直感でありまして、間違つておることもあろうかと思います。御叱正を願いたいと思います。  我々は先ずイタリアに参つたのでありますが、この地で感じましたことは、近時ムツソリーニを憶うという声が出ておることであります。ムッソリーニの政治のやり方につきましては、今日もなお厳しい批判があります。ただ、彼が残しました仕事につきましては非常に高く評価されておるということであります。御承知のあの土地改良による食糧の大増産、電源開発と鉄道電化、国内の鉄道を殆んど電化いたしております。結核対策の樹立、或いは国民体育場、ローマ帝国時代のいわゆるカラカラ皇帝が造りましたカラカラ浴場、これを改装いたしまして、約九千人の人を收容し得るのでありまするが、野外オペラ劇場を作りまして、国民大衆にオペラを親しめるに至らしめておるのも彼の着想であります。要するに、政局安定、安定した政権の下に力強い政治家の出現を望んでおる国民感情の現われではないかと見てとつて来たのであります。又ローマは古代の遺跡を実によく保存しておりまして、新都市構築におけるこの都市計画にもそれをよく織り込んでおることであります。遺跡の、極端に言えば「かけら」すらをも残していることであります。さすがフランスと共に観光の国であるということを強く感じました。  次にスイスに参りましたが、これは実に美しい平和の国でありまして、国会を参観して驚いたのでありまするが、休会中ではありましたが、両院を通じて事務局の職員が僅か四人で処理をしておるということであります。如何にまあ平和な国会にしろ、四人の事務局員で休会中の両院を処理しておるということは、相当考えてみねばならぬことと思います。又御承知の通りスイスはいろいろの国際会議の行われる所でありまするが、日本の代表が国内の論争をここにまで持つて来てぶちまけでおる。外国に当りまするときは、挙国一致でやつてもらいたいものであるという話も出たのでありまするが、これも参考とすべきことかと思います。  次に西独に入りましたが、先ず森林の美しいことには誠に羨ましく思いました。治山治水を今更のごとく論じておりまする我が国の現状に比較いたしまして、極めて感慨深いものがありました。又ヒトラーの残したこの自動車専用道路でありまするが、これはヨーロツパにおいて米国に負けないものの一つであろうと思います。で、ドイツの復興にも大きな役割を演じておるようであります。ルール工場地帯の一部も見学いたしましたが、工場の活気のあること、労資が渾然一体となつて、ひたむきに生産の復興、増産に邁進しておりますることは、誠に頼もしい限りでありました。工員六千人を擁する工作機械を作つておりますデマツグという工場を視察いたし、そこで聞いたのでありまするが、この工場などにおいてもストライキというようなことは未だ一回もない。ドイツ労働者の信念は、雇用の増大も賃上げの基盤も生産の復興以外にはないという信念を以て邁進しておることであります。この点は後日オランダにおいても聞いたのでありまするが、比較的低賃金に甘んじまして、先ず生産の復興に全力を注いでおるということであります。なお、一部の産業におきましては、石炭と鉄鋼業であると思いまするが、共同議決法という法律によりまして、労働者に経営参加権が認められるというところにまで進んでおるのであります。  その他ドイツにおいては、言うまでもなく、東独と西独の統一問題が最高最大の課題であります。過般の総選挙におきましても、両独を統一する両独統一の方途、方法につきまして、丁度我が国のあの全面講和か多数講和かと騒ぎました時に似たような論議が闘かわされておつたようでありますが、西欧と提携し、西ドイツを強力にして行くことが両独統一の捷径であると論議しておりましたアデナウアーの率ゆるキリスト教民主党が大勝を博しましたことは、皆様御承知の通りであります。  次いでベルリンに参りました。ベルリンについては幾多申述べたいのでありまするが、時間の都合もありまするので、別の機会に譲ります。ただ私は、ベルリンが東西両国ドイツ国民の互いの通路になつておるのではないかということを感じました。即ち、ドイツ人は身分証明書によつてその境界線を通行できるのであります。家財道具を携帯してまでの通行はできないのでありまするが、身柄だけの往き来はかなり自由のようであります。なお、我我はベルリンの東独地区を瞥見する機会を持つたのでありまするが、この瞥見によりましても、西独の部分のほうの復興が極めて目ざましく、活気があるように看取せられたのであります。この点につきましては後刻同僚の相馬議員より詳細な話があると思うのであります。  次いで私は、デンマーク、スウエーデン、ノールウエーと、スカンジナヴイア三国を視察したのでありまするが、これらの国々はいずれも社会保障制度は高度に進んでおりまして、国民生活水準は極めて高いのであります。小国ほど楽しい国民生活をしておるように感ぜられたのでありまして、ちよつとこの点は皮肉に感じました。  で、スウエーデンは御承知のように今次大戦に中立を守り通した国であります。我々はスウエーデンにおいてスタン外務大臣と会談したのでありまするが、そのときに中立と国防という問題について論じ合いました。スタン外相は、中立は軍備なしではできない、軍備、国防あつてこそ、大国も小国を尊重するのであると、極めてはつきりと割切つておりました。で、スイスについてもその通りのことが私は言えると思うのであります。  なお、人口二四百万のノールウエーが、米国の経済援助をきつかけといたしまして、今日、米英に次ぐ第三の世界海運国となつておるのであります。賃金水準も、米国、カナダに次ぐ高位にあることも感慨深い一事であります。  その他、ヨーロツパ各国とも国防費と社会保障費の財政バランスを如何にするかということが、いずれの国においても非常に苦心を払つておる種のように感ぜられました。又オランダで感じましたことは、同国が国運を賭する覚悟で大干拓事業をやつておることであります。即ち北方のゾイデルゼーを五十年計画を以て干拓に進んでおるのであります。すでにゾイデルゼー湾の入口四十キロ、十里であります。四十キロの締切堤防を完成いたしまして、だんだんと内部の干拓に進んでおります。更にこればかりでなく、引続いて西南方の地帯にも大干拓を行うべく調査中のようであります。インドネシア等を失いましたオランダ国民が、自分の力で、自力で今度は国土を造成して行こうという気魄に燃えておることも学ぶべき点ではないかと思うのであります。  私どもはこのほかベルギー等幾多の国を見たのでありますが。飛行機で一時間前後、汽車でも数時間で国境に抜ける数々の国を見まして、このままではいかない、欧洲連合ということも当然考えてみなければならない問題ではないかということを痛感したものであります。  フランスにおきましては、パリを中心として国を挙げて観光事業へ邁進しておる努力には感服いたしました。なおフランスは当時大ストライキの直後でありまして、幾多の問題があるのでありまするが、これも他の機会に譲りたいと思います。  英国においても国を挙げて、経済の復興、国力の再建に健闘しておりますることは今更申すまでもないことと思います。ストライキに対する各労働組合の態度のごときも、それはその産業内の労使間の経済問題であるとされておりまして、政治運動よりは全く独立しておるのであります。これらの点も深く考えてみなければならん問題ではないかと思います。失業者は極めて少いようでありまして、労働人口の一・五%、約三十万人でありまして、この程度では殆んどこれは完全雇用に近い状態であると言つておりました。併しながらこれが英国の国防産業に極めて深い関連を持つておるということを聞きまして、これもちよつと皮肉のように感じたのであります。御案内のこの英国の耐乏生活についてもいろいろ聞いたのでありまするが、生活水準の平均化と合理化というようなことでありまして、中流以下の階級には何らの影響がないようであります。一例を挙げてみれば、例えばアルコールの使用量が、酒の使用量が三分の一に減じたと言つておりまするが、それは昼の飲酒をやめた、或いは又ウイスキーがビールに変つたというようなことであります。併し輸出へ輸出へという努力は非常なものでありまして、例えば、小さな事例でありまするが、百貨店等におきましても、輸出売場、エクスポート売場がちやんと設けてありまして、そこでは税を引くとか、いろいろ外客に買いやすいようにするなど、小さなところにまで気を配つておるということを感慨深く見て参りました。  さて、米国につきましては、今日まで幾多論じられておりまするので、簡略にいたしたいと思いまするが、私は、欧米、殊に米国の道路を見まして、日本のいろいろのもの、遅れてはおりまするが、それほどでないものもあります。ただ日本の道路というものは、どうして今日かように立ち遅れておるのかということを極めて残念に思い、考えさせられたものであります。で、又アメリカは物量の国と思つておりましたが、敬虔なる国民精神の動きというものにも非常に感動させられました。ワシントンの軍用墓地或いは無名戦士の墓における国民の態度というものは、丁度日本の靖国神社に対するものと同様のものがあるように感じられました。又、初代の大統領ワシントンの残しましたマウントヴアーノンのワシトンの家に対する国民の感情、又アメリカ国旗に対する国民感情も、曾つての日本国民の日本国旗に対する感情に劣らないものがあるように見らたのであります。その他アメリカにおける在外邦人の活動或いはカナダの現状、等についても申述べたいのでありまするが、時間の都合で省略いたします。  これを要するに、欧米の物質文明ついて学ぶことは勿論たくさんあつたのでありまするが、私は、祖国愛、祖国を愛する気持、祖国再建に対する国民の良識と気魄というようなものにつきまして、却つて欧米において深く感じたということを申述べまして、私の報告を終りたいと思います。(拍手)    〔赤木正雄君発言者指名の許可を求む〕
  27. 河井彌八

    議長河井彌八君) 赤木正雄君。
  28. 赤木正雄

    ○赤木正雄君 緑風会は杉山昌作君を指名いたします。
  29. 河井彌八

    議長河井彌八君) 杉山昌作君の発言を許します。    〔杉山昌作君登壇拍手
  30. 杉山昌作

    ○杉山昌作君 私たち自由党の松本君、岡田君、社会党の羽生君、改進党の堀木君、緑風会から私と、この五人に、事務局から宮坂部長が入りまして都合六人、このたび欧米各国を視察して参つたのでございますが、その概況を御報告申上げたいと存じます。  八月の二十五日に東京を出発いたしまして、アメリカ、イギリス、スウエーデン、デンマーク、オランダ、ベルギー、ドイツ、スイス、フランス、イタリアを経まして、予定よりも二日早く、十月の二十七日に帰着いたしたのであります。この間、全日程六十三日間、一同頗る元気で順調な視察旅行を終了し得ましたことを、我々一同非常に喜んでおる次第でございます。で、我々が国会から課せられました調査項目は、「欧米各国における国会の運営状況について」ということが一つと、それから「一般の社会、経済、貿易等の事情の調査」という二つでございまして、私は前半の国会の運営に関する件につきまして簡単に御報告申上げまして、後の問題は羽生君から御報告を申上げる段取りになつております。  で、この国会の運営につきましてということになりますと、運営の基本となるものは、結局、国会の構成、或いは上下両院の権限がどうなつておるかというようなこと、或いは議員の選出方法がどうであるか、或いは政党の間がどうなつておるかということが運営の基本になるわけでございまするが、これらの基本問題につきましては、各国それぞれ長い沿革を持つて順次でき上つておるものでありまして、日本とこれを直接比較し対照するということは非常に困難でもあるし、又やりましても直ちに以て日本の状況にこれを当てはめて見るということもできがたい問題でありますので、こまで深く立入つての運営状況ということは省略いたしまして、差当り現実的に動いているところの事実二、三につきまして、特にそのうちで、我々実際この日本におきまして国会の運営に当つておりまして感銘を深くした点を御報告申上げたいと存じます。ただ一言、この国会の構成についてでございまするが、大体上下両院を以て構成されておりまするけれども、スウエーデンにおきましては、案内をいたしてくれました議員の一人の言うことには、自分のところでは、上院、下院それぞれ権能が同じであるのだ、そうして又選出方法もほぼ同じで、政党関係等も同じであるので、こういうふうな両院制度というものは必要ないので、一院のほうがいいように思うということを頻りに言つておりました。併し又その次に参りましたデンマークでは、この春、両院であつたのを一院制度にいたしまして、丁度我々が参りましたときに、一院にして人数が殖えたから、議場の改造をやつている最中でありましたので、そういうふうな傾向が一部にあるということを申し添えたいと存じます。  もう一つは、議員の、特に上院議員の選挙の問題でありまするが、これは我が国でも、参議院議員の選挙、特に全国区の選挙ということがしばしば問題になつているのでありまするが、これはベルギーの例であります。ベルギーの上院は百七十五人の議員を以てやつております。そのうちの百六人は日本と同じように直接の選挙をしております。それから四十六人は、これは各地方議会からそれぞれ割当てられた員数の選挙をいたしております。で、残る二十三人、これは今の百六人と四十六人と合計百五十二人の選出された者が、お互いに更にあとの二十三人を選挙するという、こういうふうな選挙の方法をやつております。勿論この二十三人は百五十二人が選挙するのでありまするが、実際問題といたしましては、その百五十二人の属している各党派が人員を按分して推薦決定するという段取りになつておるようでありまするけれども、これによつて最も練達堪能な士を選ぶということが非常にできやすいということを説明しておりました。これは今日、日本でも問題になつている点であるだけに、印象を深くして参つたのでございます。  さて、見て廻りました各国会の現実の運営でありますが、先ず第一に、本会議場の運営について申上げたいと思いますが、大体どこの国会へ参りましても、非常にこの本会議場というもの一が、何かもう少し日本よりもやわらかみがある、話がしやすいというような感じを持ちました。これは私一人の印象かも知れませんが、日本の国会は、この議場にいたしましても、非常に何か、かたいような感じを持つております。我々見て参りましたところは、そういうふうな感じよりも、話しよい、話がしやすいというふうな印象を持つたのであります。で、それがどこから来るかということをいろいろ見て廻りましたが、この議場のこしらえ方ということが非常に大きな原因であるように考えております。今日、日本のこの議場におきまして、大臣席がこういうふうに並んでいて、いわゆる雛壇ということで、そこから大臣諸公が議員を睥睨するような形とよく悪口を言つておりますが、こういうふうな議場は、見て参つたのではドイツだけでございます。ほかのところは、日本と同じような、大臣が上の段におりまして、議員と相対して並んでいるという議場は一つも、ございません。ただイタリアにおきましては、やはり大臣席は議員と向い合つておりまするが、それは、ここに見るような相対しているという、或いは睥睨しているという恰好でありませんで、丁度この速記者席くらいの高さのところに大臣の席がずつと並んで、その大臣は議員のほうに向いておるというような恰好をとつておりまして、これはむしろ大臣が議員を睥睨しているのじやなしに、議員のほうが大臣を監視しているかのごとき丁度高さの関係にありました。これは相向い合つております。その他の所は、特に大臣席というふうなものが設けられておるというふうなことはなかつたように見て参りました。ベルギーにおきましては、議員席の一番前、本議場で申せば演壇のすぐ前の只今空席になつている二列、そこに大臣は居並んで、議員の発言を謹聴するという仕掛になつておりましたことは、ドイツと全く対照的でありました。  それから、この演壇の問題でありまするが、これもイタリアの国会、丁度上院の開会中でありましたが、演壇がございません。演壇がないので、大臣或いは政府委員というものは、今の向い合つた席で答弁なり演説をする。議院はどこでするかというと、議員はいずれも自席からやることになつておりすす。従つて、あそこは傍聴席は議席のうしろに、この日本のこの議席と同じような恰好にありますので、説明に立つた議員が曰く、ここでは傍聴者をうしろに置いてやるので、議員が傍聴席目当ての大演説をぶつわけには行かないのだ、こういうふうな非常に皮肉な話をしておりましたことを申し添えたいと思います。  それからもう一つ、議場の造り方の問題といいますか、飾り付けの問題でもありまするが、多くの、殊にヨーロツパの議場におきましては、議場の正面或いは側面等に、その国の歴史的か事件の大きな絵画を掲げてございます。いずれもその国の非常な有名な画伯の描いたものでありまするが、或いは戦争の絵であるとか、或いは戦争を前にしての重大閣議をやつたときの絵であるとか、こういうふうなものを掲げてあります。これは一つには歴史的な意味もありましようけれども、美術的に、非常に立派なものであるというふうに見て参りましたし、そのほか議事堂に彫刻が相当ある。こういうふうな所に、この上の所に彫刻がある。裸体の美人の彫刻もあるし、或いは少女の裸体の群像というふうなものを描いたものもあるというふうなことでありまして、これらのことは、議会がただむずかしいことを言うだけでなしに、その国に伝わつている一つの文化を象徴するという意味もありましようし、又それがために、議場の何となしに入つたときの空気がやわらかく、こういうふうなことにも貢献しておるのではないかというふうに見て参つたのてございます。  それから次は委員会の問題でございます。日本のように委員会中心主義でやつているところもありますし、やはり本会議が第一読会から第三読会までやつておるところもありますけれども、併しやはり委員会というものは議案の本当の意味の審議をするという意味では、各国ともこれを重要視しているようであります。従つて委員会室というふうなものは日本のようにちやんと揃えてございまして、これもやはり中には今言つたような彫刻、絵画等を以て飾つている所も多うございました。  この委員長の選任はどうするかというふうな問題でありまするが、これも大体今の参議院と同じように与野党それぞれ委員長を按分して出すというふうな所があります。或いは与党だけで出すという所もあつたようでありますが、ただそのいずれの場合におきましても、委員長はむやみに代えない。大体委員長に失態がなければ、或いは特別な事故がなければ、委員長は代えないということを大体モットーにしているように見受けて参りました。で、これにつきましては、説明者曰く、委員長は大体その委員会委員長を長く心つているので、非常にその事務については精通している。従つてこれは大臣は代つて委員長は代らないこともあるので、むしろ大臣よりも委員長のほうが知識も上だし識見を持つているし、力が大きいのだというふうなことを言つておりまして、これは国会政府の関係においては相当吟味して味わうべき言葉であつたかと感じて参りました。(拍手)  それから委員会の議事につきましては、これは傍聴を許さないのが殆んど例外なしでございます。で、それにつきましては、傍聴人がおりますると、特にその議案について利害関係を持つている傍聴人がおるときには、議員は、選挙の弱さから、とかく何か奥歯にものの狭つたような気持になるのが普通であろう、従つて委員会というものは、何も見栄をきるところでもないし、或いは選挙民に見せる場所でもないので、何が本当にいい結論であるかということを見出すための、本当の相談室であるからして、これは傍聴を許すべきものでない、議員が本当に自分の良心に従つて論議をし合うべきところであるというふうなことが主となつているように見受けて参りました。で、これにつきまして、全然傍聴を禁じているところ、或いは新聞、通信記者等はいいというところ、それから一番ひどいところはベルギーでございましたが、ベルギーでは、軍事委員会と、外交委員会は、議員であつても当該委員以外には入れないということを言つておりました。これは軍事及び外交が非常に機密を要するという点から来ているのかと存じまするが、かくのごとく、いずれの国でも委員会の傍聴はさせないので、本当に親身の相談、論議をするという態勢をとつていることも、これも私、今日の我が参議院のやり方等に鑑みまして、深い感銘を持つてつたのでございます。  それから次は、議院内外の静謐と言いますか、静穏と言いますか、静けさの問題でございます。実は今日我が国では、国会の外からしばしばデモをかけられておりますので、これがために窓から音が入つて、やかましくて論議ができないということも議運等で話合いも出たことがありますので、その点につきまして、果して外国でも国会の議決に影響させようという意図を以て国会にデモをかけるというようなことがあるかというようなことを疑問に思つて、若しあるとするならば、それをどうして防ぐか、どうしてその場合の静穏を保つことができるか聞いて参つたのであります。初め、アメリカ、イギリスの二国でこれを聞きました。聞きましたところが、向うは一体そういうことを日本では心配しなければならないのかなあというような顔つきをして答弁をされた。そんなものは、まあないのだという答弁ですが、答弁の顔つきがそういう顔つきでありましたので、実はこちらが気恥しくなりまして、それ以後の国会見学のときには、これは正面に出して質問することは遠慮して参りましたが、間接にいろいろ聞いてみましても、こういうことはないということでありますので、従つてそれに対する対策等も聞くを得なかつたのでございます。  更に、今度は国会内の問題でありますが、今日我が参議院におきましても、陳情、面会が非常に多うございまして、或いは控室に或いは廊下にと、非常に国会の中がごたごたいたしておりますので、これにつきましては、フランスでは衆議院の開会中でありました、イタリアでは上院の本会議開会中でありましたが、入りましても、廊下、控室と非常に穏かでありまして、人が余りおりません。休会中であるかと思うくらいの静かさでありましたので、一体この国では、面会、陳情というものはないのかということを附いたのであります。で、多くの国におきまして、無論、選挙した選挙民、一般国民が議員に対して面会を求め、陳情することはありまするけれども、これはいずれも、自分が選挙した、自分が信頼している議員に対して陳情をし、面会を求めるということであります。従つてその数は非常に少い。日本のように、自分が選挙した人でもない人に隊を組んで面会を求めて行く、或いは文部関係の事柄につきましては、知ると知らずにかかわらず、文部委員を片つぱしから面会して歩く、こういうふうな陳情はないので、自分が選挙して自分が信頼した人にだけ陳情する。従つて陳情を受ける議員も、本当にまじめにその陳情を聞き、その陳情の実現に努力するというふうなことに相成るかと思うのでありまして、これは陳情の成果を挙げる意味から行きましても、国会内の静けさを保つて議事をうまくやるという上からいつても、これは非常に傾聴に値するところの例であるかというふうに考えて参つたのであります。  その他、食堂或いは談話室、控室というふうなところを見て参りましたがこれも今申上げましたように、陳情、面会の人が少いから、いずれも静かでありまして、今回この参議院でやつたように、食堂を議員食堂と同伴者も一緒の食堂というふうにわざわざ分けなくても、議員が食事をし或いは議員同士懇談をするのに妨げられるような情勢にはなつておらないというふうなことでありまして、又控室等も実は各党の控室というふうなものがないところもありました。各党各派にかかわらず、控室というふうなところで、お互いに立話をする或いは連絡をするというふうなことになつておるところが多かつたように考えて参つたのでございます。  まだ若干の御報告申上げたらと思う事項もございまするが、時間もありすせんので、以上、私が特に今日の我が国の参議院のやつておることと比べまして印象を深くした点の二、三を御報告申上げた次第でございます。(拍手
  31. 河井彌八

    議長河井彌八君) これにて休憩をいたします。午後一時三十分から開合いたします。    午後零時十六分休憩      ——————————    午後一時四十分開議
  32. 河井彌八

    議長河井彌八君) 休憩前に引続き、これより会議を開きます。    〔荒木正三郎君発言者指名の許可を求む〕
  33. 河井彌八

    議長河井彌八君) 荒木君。
  34. 荒木正三郎

    ○荒木正三郎君 日本社会党第四控室は、自由討議発言者として羽生三七君を指名いたします。
  35. 河井彌八

    議長河井彌八君) 羽生三七君の発言を許します。    〔羽生三七君登壇拍手
  36. 羽生三七

    ○羽生三七君 私の視察の報告は、成るべく客観的な事実を述べたいと思うのであります。二、三カ月の旅行で何か決定的な意見を述べることは、非常に過ちを犯しやすいので、実は向うへ、松本、岡田、杉山、堀木の同行議員諸君と一緒に参りましても、先ず在各国大使館と一日乃至三日間の政治、経済、外交等全般に亘るレクチユアをやりまして、そのあと、必要な人々、或いは場所を見るという方針をとりました。併しそういうやり方をいたしましたりいたしましても、短時日のこの視察では決定的な意見は非常に慎むべきことでありますが、併し又同時に僅かな視察でも言い得べきこともあります。何年たつてもわからない人はわからないということを、私、感じて来ところの一つであります。そういう意味で御報告申上げますが、与えられた二十分の時間で御報告申上げることは非常に困難なことで、先般、党の議員総会でも報告した際に、圧縮してもやはり二時間以上かかつたのでありますが、併し本当の要点だけをかいつましで御報告してみたいと思うのであります。  アメリカ、イギリス等、約十カ国を見たのでありますが、アメリカでは政治の問題はここでは省きます。経済について感じたことは、つまり朝鮮動乱に基く軍需生産のピークはすでに過ぎ去つた。これがアメリカ経済に今後どのような影響を与えるかということは、私どもの最大の関心事であつたわけであります、そこで事実、耐久財の生産は頭打ちになりました。又下向かいになつております。併し消費財の生産には殆んど変化はありません。ただここで私どもは、そういう朝鮮動乱の中止に伴うこの耐久財生産の頭打ちという、或いは物価の若干の下向かい傾向という特殊な事情はあるにいたしましても、現地の諸君の意見を聞きますと、新らしいアメリカの技術の発展に伴う新らしい需要がこれに代りつつある。だから次々と技術革命が行われておりますから、これに伴つて新らしい需要が非常に起つておる。だから一般的に、急激な、朝鮮休戦が起つて、非常に画期的な経済変動はアメリカには今すぐ起るという可能性は先ずなかろう。こういうことを現地の各方面の人から聞いたわけであります。  もう一つ注目すべきことは、恐らく今度の議会で多分……これはアメリカの議会で言つたのでありますが、それは原子力の民間産業への応用問題であります。これは事実アメリカの各大工場、或いは会社等が秘密の研究機関を持つて、全力を挙げて原子力の民間産業への応用を研究しておるのであります。従つて今後何年のちかわかりませんが、これが実際上議会の承認を得て実施される場合には、恐らく第二次の産業革命が起るであろう。これは非常に注目すべきことだと思います。恐らく世界の産業界の様相は、その姿を変えるほどの決定的な問題になるのではないかと思うのであります。ただ併し専門家筋では、それは実質的に商業生産としてペイするかどうか。これが問題だろうと思います。コストの点で実際上ペイするかどうか。これは確かに専門家筋では相当な議論がありましたが、併し現にその後ヨーロッパを歩いた際にも、ベルギー或いはスイス等において、アメリカと提携しての民間産業への応用を目途とするであろう原子力の研究機関が今や設立されんとして着手しつつあります。こういう事実から見まして、私はやはり次に来たるべきものは第二次産業革命であろう。これを私、痛切に感じて参りました。これは時間の問題であります。こういう事実が一つ我々としてアメリカで非常に注目されたことであります。  その次には、アメリカの過剰農産物をどうするかという問題であります。あの富める国アメリカすらもこの問題では非常に困つておるのです。日本とは逆な意味の悩みであります。曾つてブラナン氏が有名なブラナン・プランを作りまして、農産物価格新政策を作つたことは余りにも有名であります。私も農林委員在任中しばしば議論をしたことがあります。ところが今度新らしい政府ができてから、ブラナン氏が退任して、代つた農務長官が、これではアメリカの財政負担が続かない。農産物価格を支持するので相当な財政負担を伴うから続かない。従つてこれは速かに変えなければならないと声明したところが、全アメリカから猛烈な反撃に出会つて、遂にアイゼンハワー大統領は、その政策変更を一年間延期しなければならないという声明をしたようであります。これによつて辛うじて農民の反対を抑えた。そのアイゼンハワー大統領の声明にもかかわらず、近い将来に必ず農産物支持価格を適用しておるその種目を減らすか何とかしなければ、アメリカの財政負担には、あの富めるアメリカにおいてすら困難である。そういう事実に直面しておるのであります。その代りMSA援助というような形で、国外でこの過剰農産物を処理するとか、いろいろな政策をとつておるようであります。  それからアメリカにおける二重価格制度は、日本と違います。日本は消費者と生産者との関係でありますが、向うは国内のものと外国へ出すものとの関係の二重価格であります。これは新聞で二重価格という文字を見ましても、内容は非常に異なつておるので、その点も併せて御報告申上げておきます。これなどはアメリカの大きな問題ですが、実はこういう問題をアメリカについてのみ時間をとるのは非常に惜しいのであります。むしろヨーロツパについて申上げたいのであります。ただアメリカはビジネスとしては学ぶべきものがある。これはイギリス、フランス等各国とも、ヨーロッパの先進諸国すらビジネスについては学ぶところがあるとしておる。政治、外交等については、現地の人は余り多く語らなかつたし、率直に申上げて我々余り多く語る機会を持たないので、むしろ内地におつて客観的に見たほうが賢明ではないかという印象を受けて参りました。  次にイギリスでありますが、イギリスで興味深く感じたことは、我々が想像しておつた通りに、非常に現実主義的な国だということであります。私は、併しその場合、現実主義という言葉を使うのはどうかと思います。主義という言葉を使うことすらどうかと思うほど現実的である。これは永年のイギリスの民主主義の歴史から来た落ちつき、私はこれなんかは、いぶし銀という言葉を使つたのですが、そういうものではないかと思うのであります。危な気のない政治、つまりアメリカの政治をみると危くて見ていられない、そういうことはおれのほうは訓練がよく積んでおるという気がまえでありましよう。だから、そういう非常に落ちついた考え方に接したのでありますが、ソ連に対してどう見ておるか、マレンコフの最近の平和攻勢に対してどう見ておるかということについては、例えばバトラーの秘書格の人、或いは保守党の政調会長などと会見して、併せて労働党首領とも会見したのですが、これは私、単独ですが会見いたしましたが、殆んど共通した意見であります。それはソ連の政策にどういう変化が現われようとも、それは根本的なものではない。ダクテツクスで、ストラテジーの問題、結局戦略のほうには殖んど変化はなかろう。タクテイツクスの変化に過ぎないだろう。だからこの基本方針を変える必要はないであろう。併し相手が何らかこちらに利益のある提案をした場合に、これをソ連の共産主義イデオロギーの故に拒否するということは実に馬鹿げた話である。保守党もそう言つた。こういう点も非常に現実的で、相手の国がどういう思想の国だからその国と取引をするとかしないとか、そんな馬鹿なことは全然思つておらんようであります。或いは中国との貿易であります。これは特に私の会見した労働党の領袖連中は、極力日本は中共と貿易をやれと奨めておりましたが、ただ我々の考えることは、決してそれはイデオロギーではないということであります。それはシンガポールから先はおれらの貿易圏だ、お前たちは手近いところの日本でやつてくれ、こういう極めてリアルな意味でありますけれども、日本は中共と貿易をして、そうして自立経済の基礎を作るということを極力慫慂しておりました。  そのほか、例えば日本については、率直に申上げて余りいい感情を持つているかどうか、私、若干疑問に感じました。これはマンチエスターの業者、或いは陶磁器業者、或いは又その他の繊維業者、こういう人たちの気持というものが政治家に非常に反映している。だから前のチープレーバー、ソシアルダンピングの時代のことをまだ考えて、今も非常に恐れておりますので、この点はもつと理解を深める必要があるのではないかと思います。たまたま私どもが参つた際に、スイスでガツトの会議が進められておりましたが、イギリス代表の意見というものも、大使、公使等を通じていろいろ聞きましたが、今私が申上げましたようなことが非常に大きな影響を与えますので、これは十分英国あたりの理解を我我深めて、ソシアル・ダンピングというようなことは、もはや日本には起らないであろうということをよく了解してもらい、又向うで立派なものができたら、すぐイミテーシヨンのものを作つて簡単にどこかへ売出すというようなことは、やはり信義上避けないといけない。東南アジアに対する日本の貿易伸張というようなことも向うは極めて警戒的である。こういうことを痛切に感じたわけであります。  もう一つイギリスで感じたことは、あれほど食糧問題に悩んでいる、莫大な、日本よりも遙かに多い輸入食糧を入れて、それで食生活の問題を解決しているイギリスの、あの国の粗放農業の甚だしいことであります。我々日本人だつたら、もつと邊かに数倍の生産を挙げ得るであろうと思うほど非常な粗放農業をやつている。広大な耕地がそのまま草ぼうぼうと生えて牛が遊んでいる。確かに飼料とする点もありましようが、実にもつたいないことをやつている。どういうわけでこういうことが起るかということは、統計を聞いたときにすぐわかりました。農漁業人口は全イギリスの国民の僅かに〇・五%でございます。九五%は鉱工業、商業、サービス業に吸収されている。だから、イギリスで感じたばかりではなしに、ベルギーでも感じましたが、話がちよつと横へそれますが、ベルギーは僅か東京都ほどの人口すらないにかかわらず、昨年度の貿易の総額は二十四億万ドルであります。向うは、ベルギー大使館は輸出と言つておりましたが、ちよつとこれは輸出総額では多過ぎるのではないかと思いますが、仮に貿易総額といたしましても二十四億ドル。人口一人当りの貿易額は日本は二十二ドル、ベルギーは実に三百二十五ドルであります。日本の十分の一或いは十分の一以下の人口を持つて、貿易総額は日本の倍乃至三倍である。これを見まして、今のイギリスの〇・五%の農漁業人口で以て、あの、今日やや昔日の面影を失つたにいたしましても、大英国を支えている、これは鉱工業の発展であります。だから人口問題の解決は、結局において私は鉱工業の発展の度合と並行する、こういうことを痛切に感じました。  もう一つは、イギリス経済は、バトラー蔵相になりましてから、今建て直しをやつております。現に一九五一年に三十五億万ポンドの輸入を、バトラーになりましてから二十九億万ポンドに削減いたしました。一年間で六億万ポンドの輸入削減をやるほどバトラーは実績を挙げましたが、併しここで注目すべきことは、何でこういう事実が起つたか、バトラーによつて。これは決定的な問題は、三年達成計画の軍備拡張計画を四カ年間に繰延べしたことてあります、これは私、随分いろいろな質問をやりましたが、それ以外にはない。決定的な意見というものは、三年達成の軍備計画を四年間に繰延べて、それによつて相当支出を減らして、それで貿易振興政策をとつたのであります。その内容は、時間がないので省きますが、これによつて初めてイギリス経済が大きな貿易、輸入の削減を可能ならしめた。こういう問題がやはりイギリス経済の非常な特徴と見受けたわけであります。  本当の要点だけを申上げますが、次にドイツであります。ドイツ、特に西独の隆々たる復興振りは世界の驚異になつております。恐らく、世界の人、特に日本の方は、お帰りになると必ず、ドイツにストライキの起らない理由は……。ストライキが起らないからドイツ経済は発展した。又学者も政治家も、皆それを新聞に書いておる。或いは新聞に発表する。或いはいろいろの席でお話になる。併し、なぜストライキが起らないのでしようか。一年に件数にすれば極く僅かなストライキはありますが、日本で言うような大きなストライキはない。確かにありません。併し、なぜストライキが起らないというなら、それはそれだけの理由があるのであります。聞いてみますと、資本家は、あの敗戦後の惨澹たる廃墟の中からドイツが今日まで立直つて来た。我が工場は一応復興した。併しこの我が工場が、今日これだけの利益を得、復興したのは、労働者諸君の努力のたまものである。労働者諸君の努力のお蔭で我が工場はこれだけに復興した。その金を使つて、本来ならば新らしい機械を入れて、アメリカの能率的な生産と競争することをしたいのだ。併し今日までの労働者諸君の努力を見た場合に、私は、その機械を入れることは少し延ばそう。それで諸君の待遇改善に本年度の利益の一部を使おう。これが一貫した各工場を通じての資本家の態度だそうであります。だからストライキが起るはずはない。このことを見落して、単に労働者の精神的な理解だけでストライキがないというような考え方は非常な過ちを犯しやすい。もう一つは、労働者の経営参加ということがよく言われますが、あれは訳の間違いであります。経営監査というのが本当らしいのでありますが、殆んど社員重役ということであります。株主総会は、日本では総会をやりまして、成績が悪くても何でも、とにかく大体異議なし異議なしでやつてしまう。ところが西独では、一年間の実績で成績の悪い重役は全部総会で馘になつてしまうそうであります。殆んど社員重役である。だからヒトラー時代にとりました経営と資本の分離、あれはヒトラーの考え方は困りますが、併しあの経営と、資本の分離の考え方が一貫してドイツ経済の底を流れておる。これは非常に大きな問題であります。  もう一つは、ドイツ経済の復興の理由にマーシヤル・プランを挙げる方があります、何十万ドルと。併しそれならば、イギリスやフランスはマーシヤル・プランをもつと受けておる。それだけの理由でドイツが復興するなら、イギリスやフランスはもつと受けている。ドイツ経済の復興の理由がどこにあろうかと思つていろいろ検討してみますと、ドイツの経済的立地条件であります。例えばルール地方の鉄鋼業者は自分の製鉄工場の敷地内で石炭を掘れる。日本のようにインドとかアメリカなど遠い所から船賃をかけて石炭を運んで来るのではない。非常な産業立地条件に恵まれておる。それから貿易網が周辺に張りめぐらされておる。こういう立地条件がドイツの復興に非常な大きな役立ちをしておる。それと旺盛な民族の再建意欲であります。現にヨーロツパの支払同盟に対しまして、ドイツは六億万ドルの貸越しになつておる。全世界に対して。メキシコとウルグアイ両国に僅かな借方勘定だけで、日本初め全世界に貸方勘定になつておる。ヨーロツパ支払同盟だけに六億万ドルの貸越しであります。フランスは逆に戦勝国家でありながら八億万ドルの借越しになつておる。  時間がありませんから話がどんどん飛んで行きますが、フランスは、私が見まして、これは頂点に来た国家である、どうやつてこの復興をやつて行くだろう、そう感じました。事実その通りだと向うの人は言つております。これはフランスの悩みであります。そこで、この赤字財政のフランスが、なぜあれだけの経済的な基盤と蓄積を持つておりながら乗り切つて行けないのかという決定的な理由についての誰彼の差別なく一致した意見は、それはインドシナの戦争であります。これは年々八億万ドルくらい食つてしまう。だからフランスの革新派と言われる方々は、インドシナを独立させて、その金を以て社会保障制度に使わない限り、もはやフランスの外国と太刀打ちできるだけの経済的基盤は作れない、これは恐らくフランスの心ある人たちの一貫した意見でありました。これは私のドグマではありません。これは若し皆さんがおいで下すつて御調査下されば誠にはつきりするほどに、フランスは徹底的にインドシナ戦争で経済的打撃を受けておる。今申上げた点以外にフランスの生きる途はないということを、私どもはこの目で見、又耳で聞いて来たわけであります。  このほか特にスウエーデンについても感じましたが、スウエーデンは、やはり東京都程度の人口がおりまして、非常な隆々たる、社会保障ではむしろイギリスよりも進んでおる。例えば羊の社会保障のことは皆様よく御研究になる。その財源をどこから持つて来るかということに私は興味を持つたのであります。一八〇四年来戦争をやらないということも大きな原因であります。併し決定的な問題は、やはり一昨年、この参議院、衆議院も通しましたが、森林法、あれと同じ法律を数十年前に通しております。それであのスウエーデンの森林というものが計画的に植林されまして、その一ブロツクを輪伐して行くならば無尽蔵にスウェーデンの森林資源が出て来る。これがパルプ材になつて輸出の王座を占めておる。これによつて、我々の見たホテルのボーイの居間の設備すら、国会議員としての我々が恐らく今後何年かかつてもできそうもないほどの立派な設備を持つておる。そういうふうに生活を豊かに楽しんでおる。結局やはり計画的な経済の結果ではないかと思うのであります。  このほかイタリアその他まだ非常に興味あることがあるのでありまするが、与えられた時間がこれで終りますので、残念でありますが、これを以て割愛さして頂きます。(拍手)    〔松浦清一君発言者指名の許可を求む〕
  37. 河井彌八

    議長河井彌八君) 松浦清一君。
  38. 松浦清一

    ○松浦清一君 日本社会党第第二控室は、自由討議発言者として相馬助治君を指名いたします。(拍手
  39. 河井彌八

    議長河井彌八君) 相馬助治君の発言を許します。    〔相馬助治君登壇拍手
  40. 相馬助治

    ○相馬助治君 先ほど同僚石原幹市郎議員から報告になりましたが、私も列国議会同盟参加のために、石原氏らと同行いたしまして、八月十九日に羽田を出発し、十月二十一日に帰着いたしました。その間、大会に出席いたしました残余の大部分を欧米各地の事情調査に当りました。私は、自分が幾分なりその方面に興味を抱き、且つ又見得る素地を持つておると思われまする労働事情及び文教事情に関しまして、特に、注意を向けて見て参つたのでありまして、これらを一々申上げますことは、限られた時間内においてはできがたいことでございまするので、最も印象的であつたことを極めて随筆風に申上げまして御参考に供したいと、かように存ずるのでございます。  先ず第一に感じましたことは、欧州といわず、アメリカといわず、世界は激しく動き、立上りつつあるという現実でございます。内政については激しい議論が各階層において取り交わされておりまするけれども、事、一旦対外的な政策に関しましては、おのおのが大人となつて、労働組合、政党、これらは打つて一丸として、大同に就き小異を捨てて、国の運命を担いつつある気魄に燃えているという姿を私は各所に見て、学ぶべき点の第一点として考えたものでございます。  第二には、婦人尊重という言葉を聞かせられて参りましたけれども、単にエレベーターに婦人を最初に乗せるとか、或いは女の子の荷物を持つてやるというような問題でなくて、先ずアメリカといわず、各欧州における台所は特に整備されている。日本の場合とは誠に違うということを見せつけられまして、日本の女性の不幸をしみじみと私は見た感じがいたしたのでございます。  第三の問題は、民族的な立上りが、実に何の会釈もなく、教育の面においても且つ文社会教育の施設の面においても取上げられつつあるのであつて、日本が今のような形のものの考え方をしているならば大変であるということを目の当り教えられた感じがいたしました。特に御報告申上げたい第一点は、八月二十九日に私どもはデマツグ会社を訪れました。この工場視察中、私はドイツ語を知りませんので、通訳を通じて一人の労働者と会話を試みました。無造作に選んだこの労働者と私との会話は次のようなものであります。「あなたは労働組合員であるか。」「私はドイツ総同盟に所属している労働組合員であります。」「君の工場の給与はよいか。」「十分満足とまでは行かないが、今の場合止むを得ないと存じます。」「ストライキの必要を認めるか。」その職工は驚いたような顔をして私の顔を見ながら、「ドイツは非常に貧しいのです。お互いに働かなければならない段階です。給与も、厚生施設も、希望はたくさんあります。併しながら、私たち職工は、この工場で働かされておるというよりは、この工場において不可欠の存在として働くことを誇りとしております。年四回の株主総会には損益表を見せてもらい、利益の配当を受けております。利益の配当を受けていることは、同時に損をした場合にはその損失をも我々は負担する義務感を裏付けるものだと、かように存じます。ストライキのことは今考えておりません。」「共産党をどう思うか。」「私は共産党を信用しません。ロシアがどんなやり口の国であるかは、戦争を通じて私たちはよく知つております。第一、あなたに申上げたいことは、東ドイツから西ドイツに百万人もの人々が自由を求めて逃げ出しております。鉄条網を設けて東ドイツは西ドイツに人々を逃さない工夫をしております。」かように申したのであります。私の質問は愚問であつたと思うほど、この職工の答えは割切つておりました。只今、同僚羽生議員の発言にもございましたように、これは何と申しましても労働者の覚醒ということが第一でありましようが、労働者をしてかく覚醒せしめたのは、やはり相共にドイツの運命を自覚したところの資本家、そうして労働者、そうして経営参加権というものを先の国会で通過せしめた。それらのもろもろの条件が、無造作に選んだ一職工をして私にかかる発言をなさしめたものであるという意味合いにおいて、私は多くの教訓を得、厳粛に襟を正す感じに打たれたものであることを御報告したいと思うのであります。私どもはベルリンに着きまして、記録部長の小野寺君並びにいろいろと今度の旅行でお世話をかけました緑風会の高橋議員、このお二人がベルリンのホテルに着きますと、実は、自動車の運転手が、ちよつと危険であるけれども東独に入ることができると、方法によつては東独の地区に入ることができると言うのだがどうするかということでありました。左派社会党の菊川君と私とは、言下に、是非見たい、但しパスポートなんか取上げられて国会議員の良識を云々されるようなことがあつては、甚だこれは迷惑を留守中の皆様にまでかけるからというので、ちよつと考えたのですが、その運転手に聞いてみますると、あなたたちは大体支那人と同じ顔つきをしているから、面倒なときにはまあ黙つていたらいい。私は、チヤイナだということを、こういうことを言うから、間違つてつたようにして、無造作にパスポートから何からちやんと持つて自動車に乗り込んだらいいだろう。こういうことで、私どもはいささか冒険ではあると思つたのでありまするが、大屋団長初め一同その車に乗りまして東ドイツを見ました。そうして私はこの旅行を通じて最も深き教訓と申しますか、感銘を受けたのであります。西ドイツの非常に復興した、豊かな、そうして人々が自由を享受しているそこから、車が一旦東独地区に入りまするというと、そこにあるものは、実に、一言にして言うならば荒涼という表現に尽きます。成るほど店は画一的に小さな店が同じ形で復興し、そこには日本の統制経済時代を思わせる品物の貧しきものが並んでおります。通る人も少い。ちよつと感心したのは、病院のような公共施設が非常に立派であるということ、それ以外には、感心したものは、この宣伝的なものが大々的になされている。「カール・マルクスの名に栄光あれ。彼の名は不滅である。なぜならば彼の教義は古今を通じて誤りがないからである。」というようなでかでかとペンキで以て字が書かれてあるという、そういう意味での華やかさ、スターリン広場前の華やかさ、これはありますけれども、一般に東独に見られるものは、何とも言えない非人情的な淋しさであるということ、この一言に尽きると思うのでございます。先の暴動によつてめちやめちやにこわされたという百貨店の前を通つたときにも強くその感を深くいたしたのであります。勿論これは一面からの見方であると人は言うかもしれません。私もそれを否定いたしません。極く短かい期間に一面からこれを見たのでありますが、少くとも西独と東独とをあそこの面において見た限りにおいては、共産党が幾ら講釈をしても、私はあの現実の教える教訓として、共産党に加担し得ないということを現実の教訓としてこの眼を通じて学び取つて来、諸君にこれを率直に報告する義務感を今日持つているということであります。(拍手)  いろいろこのドイツにおいては深く感じましたが、時間もございませんので話を飛ばして参りますが、特にこの西ドイツにおきましても、今日教育の問題に関しましても、歴史教科書の編纂に関しましてどのような資材をどのような角度から取上げるかというような問題が、真剣に討議されている現実を見て参りました。日本の文部省あたりもこういう問題を先ず解決する地道な努力なしに、歴史教育の復活などということをただ単に先行して解決をしようとすることは、非常に危険であるということを、私は強く感じて、それらの討論を見て参つたものであります。  スウエーデンに参りまして強く感じたことは、どだいスウエーデンであるとかノールウエーとかいう、ああいう北の国にあのような立派な国があろうなどとは私も想像もいたしていなかつたのでありまするが、実に立派な社会保障制度がここにおいては実現されている。社会党あたりが演説をすると、夢みたいなことを言うなと野次られそうな現実が、現にあの国には現出している。これはどういうことかと申しますれば、これは説教がましく私なんかが申すまでもなく、いろいろ立地条件も違うと思うのであります。その地域社会に占める人口の密度の問題、或いは産物の問題、或いは国際紛争から回避されるところの地理的条件、こういうものからであろうと思いまするけれども、私はそのスウエーデンで筆をとつて先ず同僚議員の加藤シヅエ女史に書いたことは、あなたが曾つて唱えて来た人口問題ということが、特に日本の運命を考える場合に、基本的な、重大な問題であることを、私はこの北欧に来て感じたということを書いたのでありまするが、今日も又私はその考えを捨てておりません。なお、強く感じたことは、養老年金が六十七歳になると一人一万五千円、富める者も貧しき者も養老年金をもらわねばならない。もらうというのではなくてもらわねばならない。財産やなんか持つておる者は別に税金として出す。併し「私はせがれがよくできたから養老年金は要りません」なんと言うことは国が言わさない。必ずもらわなければならない。実に国民の心理を把握した立派な政治だと私は思いました。こういう社会保障制度がなされておる。然らばその財源の面としては、勿論、日本にそれをそのまま移し植えることは困難でありましようが、こういうことも一つのスウエーデンのよさだなあと思つたことは、外務大臣のウンデル氏、上院議長のブランデン氏と会いましたが、外務大臣のウンデル氏に会うにしても、我我が玄関で名刺を出すと、玄関番が一人いて、外務大臣が待つておりますというので、部屋に通されると、その部屋の入口の所に誰もいない。ボタンを押すというと一人の三十がらみの男の人が出て来て、「どうぞ」という、部屋に入つて行くというと部屋の中にぽつんと一人のおじいさんがいる。これが外務大臣です。そして、さつき出て来た男がお茶を入れる、話して終るというと、さつきの男の人が我々を送り出す。外務大臣に会いに行つた私たちが行き会つた人間は、玄関番を加えて僅か三人であつたということであります。こういういろいろなことからして、私は暗示的に多くのものを学びとつたと私自身は考えたのでございます。  いろいろ申上げたいのでありまするが、最後に一点、劈頭に申上げたことを敷衍して申したいと思いますことは、イギリスの教会に参りますと必ず戦歿者の名簿が先ず入口にある。各国の議会に参りますと玄関に必ず戦残者の名簿が備えられておる。登院する議員はそれに敬礼して議場に入る。こういう事実。フランスの議席を見ました。フランスという国は議会が非常に喧嘩をする国だと聞いておりましたが、その議席の所に真鍮板が打ちつけてある。私、フランス語がわかりませんので、これは何と書いてあるのかと言いましたところが、「誰々君。曾つてドイツと戦つて勇敢にどこどこの戦争に斃れた。而も誰々君、曾つてここに議席を占む。」こういうことが書いてあるんだそうです。そういう名誉ある真鍮板の張りつかつた議席で、これは議員も居眠りはしずらいだろうというようなことを(笑声)私は考えながら、感慨深くこれを見て参つたものであります。アメリカにおいても然り。工場には入口に皆戦歿者の名前が書いてある。学校においても、その学校の卒業者の国のために生命を失つた人の名前が、そして写真が飾られておる。私は、とつて以て日本が直ちにこのままどうしようというのではなくて、現に国家に対する忠誠心、或いは民族としての自覚というようなことが、厳粛に、教育の面においても、或いは社会の各種の機構においても、地域社会における各種のこのシステムに、明確に、何の遠慮もするところなく現われておるこの事実は、私どもに実に多くのものを教えると、かように考えて参つたものでございます。  議会の運営の問題について、その他、又アメリカにおいて強く感じたこと等もございまするが、与えられたる時間が参つたので、私の報告は以上にとどめたいと存じまするが、要しまするに、残念ながら、外国の政党も、労働組合も、議会の駆引も運営も、日本よりもいささか大人である。我々も及ばずながらもう少し勉強し努力しなければならないということを、皆様に言つて聞かせるのではなくて、私は私の胸に今日言い聞かせておるということを結論としたいと思うのであります。(拍手)    〔寺本広作君発言者指名の許可を求む〕
  41. 河井彌八

    議長河井彌八君) 寺本広作君。
  42. 寺本廣作

    ○寺本広作君 私は改進党を代表いかしまして笹森順造君を指名いたします。
  43. 河井彌八

    議長河井彌八君) 笹森順造君の発言を許します。    〔笹森順造君登壇拍手
  44. 笹森順造

    ○笹森順造君 去る八月二十一日から同二十九日まで、デンマークのコペンハーゲンに開催せられました第五回世界連邦総会と第三回世界連邦国会委員会との合同世界大会に、我が国会議員の有志からなる世界連邦日本国会委員会を代表して十名の代議員が出席しました一行に、私も加わりました関係上、その大会の模様の一端と若干の卑見を申述べたいと思います。  同大会の主題は、全世界平和確保のために一九五五年を目指す国際連合の組織改造案を作成することでありました。現代政治の要諦は戦争の恐怖と生活物資の欠乏からすべての人を解放するということでございましよう。すべての国民は、戦争の惨禍から逃れて平和の幸福を享受しようと望む点においては一致しております。併しながら、平和と戦争に対しまする世界観を異にし、これに基くところの平和確保の手段方法の撰択において、又国際情勢判断において、国々により、人々によりまして異なつたものを持つておりまするが故に、その相違する相互が相剋するというところに問題解決の困難性があると思います。この困難性を調整いたし、不安の現実を平和の理想に直結せしめて、今日の実際政治から明日の建設政治へと進む努力の一つが、即ち世界連邦政府建設の運動であります。  今日、世界各国は如何なる方法手段を以てその平和安全を確保しようとしているか。第一段階は、自国防衛の軍備強化拡充であります。第二は、二カ国安全保障条約形態であります。第二は、数カ国相互安全保障条約形態であります。第四は、国際連合加入形態であります。第五は、世界連邦の実現であります。現代科学兵器の最も近代的な殺人破壊力と、交通、通信機の急速なる発達は、戦争と平和の禍福の運命を全世界に共通ならしめて、孤立する一国を無力にして、国家主権至上主義の過去を反省せしめて、全世界共通の平和安全工作に万人の参加することを余儀なくせしめている事実は見逃すことができません。広島、長崎の名称は、原子爆弾第一弾投下の残虐なる犠牲の悶えの叫びの上に、特別に日本民族史の悲劇の称呼となつたばかりでなくて、全人類歴史の究極の国際的合言葉となつて、すべての外人に通じていることを、世界をめぐつてつたのであります。原子爆弾、水素爆弾の恐怖は、過去数世紀に繋がる指導的政治家たちが理想とした一つの世界政府の実現を、一朝にして緊急実現の必要に追い込んでしまつたのでありました。そうして、その即答は、東京からコペンハーゲンまで二十数時間で到達する航空機の発達によつて、せつかちに求められているわけであります。これがこのたび世界連邦会議と世界連邦国会委員会との合同世界大会の開催となり、世界全人類の平和と安全と繁栄のために協力せんとする各国多数同志の参加となつたわけであります。  会議議長は、イギリスの国会議員でイギリスの自由党総裁クレメント・デーヴイス氏でありました。会議は、強大国家、強大民族代表者の勢力に対するよりは、弱小民族代表者の主張に対して熱烈なる拍手を送つたのでありました。用語は英語と仏語でありました。八月二十四日午前十時から大会本会議が始まりまして、日本代表の宣言も朗読せられたのであります。その宣言を繰返して申上げますならば、  一、日本国憲法の非戦非武装の原則は全人類に通ずるものとして連邦に採入れられなければならない。  一、一九五五年に発足するであろう国連憲章再審議会議においては、未加盟八億六千万人を構成する国々をも含めた全人類が発言し得る適当な措置がとらるべきである。  一、世界連邦政府は、その権限において、単に戦争の防止に限られることなく、基本的人権が尊重せられ、万人の自由と繁栄とが確保せられるような経済的社会的問題に対しても、必要且つ適当な考慮が払われるべきである。  当日の総会席上、日本代表の発言が求められ、私が代つて演壇に立ちました。そうして日本民族の平和愛好の特徴と意欲を述べたのであります。日本は飽くまでも戦争を防止し、平和安全を守り抜き、広島、長崎の戦禍を再び見舞わさぬために、ただに日本のみでなく、全世界を守らなければならない。そのために我々は、全世界の同志と共に、世界連邦政府建設に最大の努力を払う決心である。その順序として、一九五五年に行わるべき国連組織改正の時期に、一挙に世界政府を実現する理想案よりは、その現実の可能性からして、今日は国連を認め、これを尊重し、着々前進する実行案を支持することを述べたのであります。即ち、世界を一つにする世界連邦を実現するのには、今日この運動の埓外にあるソ連とその衛星国を無視することは至難であるから、現在ソ連が加入している国連に、現在除外せられている世界の他の国々が加入し得る途を開く方向に、より前進するほうが、もつと可能性があるから、その方式を選ぶべしというのが我々の主張であつたのであります。そのために、一九五五年の国連組織改正に当つて、五大強国の拒否権を廃止して、すべての国がその希望において加入し、一切の国が脱退を禁止せらるべきだというのが、私どもの主張であつたのであります。  考えてみまするに、日本は、平和条約が締結せられて、この国連加入の希望を持ち、又他の多くの国々がこれを支持するといたしましても、五大強国の一つがこれに拒否権を発動することによつて、この加入が妨げられておる現実は、皆様方がよく御承知のことであります。この二十に余る加入を妨げられておりまする国がこれに加入し得る道を開くことが、今度の私どもの重大なる主要論点であつたわけでございます。一つの国が消極的なる独裁権を持つということが、この国連の民主性を傷付けておる点であると信ずるのであります。  次に、同じく八月の二十六日に、午前十時から又本会議が開かれまして、「冷戦の終局と建設的平和に対する行動の開始」という主題が討議せられたのであります。その際に、英国の国会議員のマグレスター氏が、国際連盟のウィルソン氏の十四カ条を引用いたしまして論じたのであります。その後に、私は日本の代表として立つたのでありますが、御承知の通りに、国際連盟のために当時のウィルソン大統領が崇高な理想を以てこれを説いたにもかかわらず、その所属しておりまする民主党が、その当時、米国上院における過半数を有し得ないために、遂にこれが否決せられたことは、皆様方御記憶でございましよう。彼がヴエルサイユより帰つて参りまして、米国至るところの主要都市を廻つて報告演説をいたしましたときに、私は直接彼からその演説を聞いたのでありました、併し遂に米国が政治の情勢によつてその将外にされましたが、併し国際の圏外に立ち去ることができなくて、御承知のごとくワシントン会議をその後に招集して、軍縮会議をやつたことは、皆さん方御承知の通りであります。その際にも、私、偶然ワシントンに出向きまして、その会議状況を聞いたこともございました。越えて一九二七年には第二次の軍縮会議が起りましたが、いわゆる米国の大鑑主義と英国の小艦主義とによりまして、その議が分裂したということも、皆様方国際史上において体験し、御承知のことと思います。その後のロンドン会議において若干の成功は認めましたけれども、遂にこれ又第二次世界大戦を防止するに至らなかつたかくのごとくでありまして、我らが、結局するところ、最後段階まで進まなければ、到底この冷戦を防止し、真の平和を確保するための道に到達することができない。従つて、この主要論点に対しまして、私ども日本の国会を代表しました者が互いに会議しまして、三つの提案をしたのであります。  第一は、米ソ不戦条約の締結。米ソ間に不戦条約が結ばれ、それから各国がこれにならうことによつて、冷戦から火砲戦になる恐怖が除かれる。従つて冷戦もとどまることになるであろう。  第二、南北朝鮮の統一と東西ドイツの統一。この二つのそれぞれの分裂、同一民族が異なる思想の上に分裂しておりますることが、現在の世界が二つに割れて冷戦を進めておる最大の癌となつておるのでありますから、先ずこの統一が考えられて、賢明なる方式によつて、この二大陣営の対立が友好に進む道を切り開かなければなりません。この二つの分裂をそのままに任しておくならば、一つの世界を作る上における期間が永久に切り開かれないだろう。ここに世界の政治を考える者が互いに協力して、これが解決の道を進まなければならんというのが第二であります。  第三、各国の憲法改正による全世界の戦争放棄。日本の戦争放棄は平和の小さな拠点でありますが、各国が国家至上主義を主唱するその憲法を変えて、互いに信頼して戦争放棄を決意する以外に、世界連邦政府の実現の道はない。世界の社会秩序維持のためには民主的な警察で足りる次第である。  以上の三点を、この本会議において主題として取上げることを主張し、これが又論議せられたのでありますが、かくの、ごとくにいたしまして、このコペンハーゲンにおきます世界連邦政府運動が、ソ連並びにソ連の衛星国を除くそのほかの多くの国々の代表によつて熱心に討議せられたのであります。  私は、欧州並びに他の国々を廻りまして、前段の報告者のお話の、ごとく、各民族がその民族意欲と愛国心に燃えている現実をも一面において認めているのであります。それと同時に、又、国際意識としてそれ以上に高揚した大きな力の動いておりますことも見逃すことはできない。我々は、国際常識、国際判断というと、日本から見た世界の情勢、日本から見た国際の情勢を判断しておつたのであります。併し、私どもが国際の全体の状況から日本を見、国際の意識から他国と他国との関係を処理するところまで、日本の政治を考える者がその意識を高揚するのでなければ、日本人としての外交、或いは政治の根本を誤まることになりやしないか。我々は飽くまでも愛国的でなければならない。我々は飽くまでも民族のために努力しなければならないと共に、又、他の大きな面における日本民族としての、日本国家としての、国際の大きな政治に対するところの負担をもする決意をすることが大事と思うのであります。  その他、北大西洋条約の問題、或いはヨーロッパ防衛の問題等いろいろありまするが、時間の都合上、私は主にこの主題について御報告申上げて、御参考に供す次第であります。(拍手
  45. 河井彌八

    議長河井彌八君) 諸君にお諮りいたします。次は、無所属から御発言があるはずでありますが、只今予算委員会に行つておるのでありまして、この議場におりません。よつてその次に移りたいと考えますが、御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  46. 河井彌八

    議長河井彌八君) 御異議ないと認めます。    〔田中啓一君発言者指名の許可を求む〕
  47. 河井彌八

    議長河井彌八君) 田中君。
  48. 田中啓一

    ○田中啓一君 自由党は池田宇右衞門君を指名いたします。
  49. 河井彌八

    議長河井彌八君) 池田宇右衞門君の発言を許します。    〔池田宇右衞門君登壇拍手
  50. 池田宇右衞門

    ○池田宇右衞門君 我々一行七名は、去る八月二十五日、空路東京を出発、二十四日間に亘り、東南アジアの諸国、フイリピン、インドネシア、シンガポール、タイ、香港及び台湾を視察し、九月十九日東京に帰着いたしました。極めて短かい期間でありましたが、我が国と深い関係のあるこれらの諸国の政治経済等の状況を視察すると共に、我が国とこれら諸国との友好親善関係の促進にいささかながら努力して参つたのであります。以下簡単に我々の視察状況を、訪問した国の順に報告いたしたいと存じます。  最初にフイリピンのマニラに参りました。フイリピン国民の対日感情はどうかと申しますと、時の経過と共に対日悪感情も漸次好転しつつあるとのことで、キリノ大統領の日本人戦犯釈放も、まさにこの現われであると思います。この戦犯釈放につきましては、本院における感謝決議の次第もあり、比国朝野の要人と面会いたしました節、深甚なる謝意を表すると共に、未だ巣鴨刑務所に収容中の戦犯釈放について一層の厚意をお願いいたしたのであります。御承知の通りフイリピンはサンフランシスコ平和条約に調印いたしたのでありますが、未だ批准を了しておりません。従つて我が国との間には正常な外交関係は開けていないのであります。この批准を阻む根本的な原因は何かと申しますと、言うまでもなく賠償の問題であります。対日平和条約の成立よりも賠償問題の解決が先決問題であるというのが、比国朝野を通じての輿論の声のように見受けられました。我々が面会いたしましたネリ外務次官も、野党であるナシヨナリスタ党の総裁で比国上院議長であるロドリゲス氏、更に比国新聞記者諸君等の意見に徴しても明瞭であります。経済面では、フイリピンは農業国で、全国民の七割がこれに従事しております。工業は未だ十分に発達しておりませんが、同国政府は、アメリカよりMSA経済援助等を受け、保護政策をとり、工業の育成に努めております。貿易の方面では、関税免除の関係上、現在アメリカとの貿易が圧倒的優位にあり、我が国との貿易は五千万ドルに及ぶ日比貿易協定が成立し、日本からは鉄、銅製品、トタン板等を輸出、比国からはマニラ麻、銅鉱石、コプラ等を輸入し下おりまして、アメリカに次ぎ二位であります。この貿易上の関税差も近く撤廃されるとのことで、そうなると地理的関係から、日比貿易の将来は有望と思われます。  次いで我々一行はインドネシアのジヤカルタに参りました。日程の都合上、インドネシア政府の当局者と面会することはできなかつたのでありますが、折柄開会中の同国々会を訪れ、難事を傍聴すると共に、議長の紹介によりまして各党各派の有力者と懇談する機会を得たのであります。インドネシアの国会は、連邦時代二院制でありましたが、単一のインドネシア共和国となつてから一院制となり、連邦時代の上下両院の議員、最高諮問会議々員等より構成され、近く施行予定の総選挙までの過渡的臨時的なものであります。議員の数は現在二百十八名で、我我が議会を傍聴いたしましたときは、サストロアミジヨ現内閣の施政方針発表に対し、盛んに質問演説を行なつてつたのであります。インドネシア政界の特色は、驚くべき小党分立で、その数、十九を算し、内閣は常に連立で、政局は不安定のように見受けられました。現内閣は第二党であるインドネシア国民党を中心とするもので、サンフランシスコ条約に調印をいたしましたマシユミ党は現在野党に廻つております。インドネシアはサンフランシスコの対日平和条約に調印はいたしましたが、未だに議会の批准を得られないままで今日に至つております。ここでも賠償問題の未解決が批准を妨げる根本的原因をなしているのであります。インドネシアは日本軍の占領によつて生じた全損害賠償を要求し、総額にして百五十億米ドルという巨額を考えている模様でありますが、先般岡崎外務大臣は、インドネシアにおいてもこの問題について折衝したようでありますが、今後とも両国は何回となく交渉を重ねる必要があると思います。我が国との貿易は、日イ通商協定の成立により、日本からの輸出五千五百万ドル、日本への輸入四千万ドル、出超額千五百万ドルはスイッチ取引で決済しております。日本からの主なる輸出品は繊維製品、鉄鋼、機械類、雑貨等で、主なる輸入品は、ゴム、錫、コプラ、原油等であります。  我々が東部ジヤワのスラバヤから、更に東部にあるマラン市に参つたときのことであります。そこで現地に残留した日本人たちと面会し、懇談したのであります。これらの日本人は元日本軍人で、日本降服後、インドネシア独立軍に参加し、相当の功績のあつた者であります。中には現在各種の事業を経営し、成功している者もあります。これらの日本人は、大部分現地婦人を妻とし、すでに一家をなしております。  スラバヤにおいては省長、州長、市長等に面会いたしました。東部ジヤワは、一体に独立意欲の旺盛なところで、対日感情が最もいいところであると感じました。日本の技術者の派遣を強く要望し、又同地の人からは、日本から小型精米機、脱穀機、繩むしろ製造機、搾油機、小型トラック等の輸入を欲していると聞かされたのであります。インドネシアは我が国の四倍以上の面積があり、天然資源も豊富であり、而も容貌、体位等、日本人とよく似ておるのであります。  次にシンガポールに参りましたが、言うまでもなくイギリスの直轄植民地であります。シンガポールの滞在日数は極めて短かかつたので、シンガポール政庁の要人と面会することはできなかつたのであります。華僑が経営しているゴム工場を見学いたしましたが、ゴムは御承知のごとく、生産過剰、朝鮮事変終結に伴う需要の減退、人造ゴムの出現等により、ゴム価格が暴落し、シンガポールの経済の将来に暗影を投じているのであります。曾つて中継貿易港として東洋一の繁栄したシンガポールも、香港等にお株を奪われ、昔日の面影は漸次失われつつあります。  タイ国は、御承知の通り、太平洋戦争中我が国と日タイ同盟条約を締結し、更に対日平和条約が発効するや、いち早く我が国と正常な国交を回復する等、親日的な国であります。タイ国は立憲君主国で、現行憲法によりますと、主権は国民にありますが、国王は元首として、人民代表議会を経て立法権を、内閣を通じて行政権を、裁判所を通じて司法権を行使しております。議会は元二院制でありましたが、現在は、第一種民選議員百二十三名、第二種官選議員百二十三名、計二百四十六名の議員で構成される一院制の議院であります。一九五一年の無血革命以来、政党の結成は禁止されております。官選議員は勿論、民選議員中にも八十名までは現首相ピブン派で占められております。我々はタイ国議会を訪問、議長、副議長及び事務総長と面談、議会人としての親善に努めたのであります。現首相ピブン氏は七度首相をして、前後十年間も首相の地位を保持し、元気であります。現内閣の閣僚の顔ぶれは大部分純粋の軍人乃至警察官出身者で占められておるのが特色で、軍警独裁の傾向が強いのであります。  我々は大蔵大臣或いは経済大臣兼外務大臣らと面会し、種々意見を交換したのであります。日タイ貿易は一九四八年以来、ドル建オープン・アカウント制度によつて実施され、年間輸出入それぞれ五千六百万ドルの貿易が予定され、日本からは繊維製品、機械類、車両、建築資材、金属製品、雑貨等が輸出され、タイ国からは米を筆頭としてゴム、ひま等が輸入されております。殊に米については、我が国は年間約二十万トン以上に及ぶタイ国の米を買付けておるのであります。実際、米の買付けに従事する日本の商社間の無理な買付競争によりまして良質でない米を買わされるような傾向があり、政府はタイ国米の買付けに当つてもつと厳重な監督を加うべきではないかと考えたのであります。  次に香港に参りました。香港は御承知の通り香港島と九龍半島より成り、イギリスの永代租借地であります。イギリスの総督の統治の下にあり、その補佐機関として約三十の行政各部、行政参事会、立法審議会等があります。香港政庁は中共政府並びに中華民国政府の間に立つて厳正中立の態度を持しております。現地筋では、中共政府は香港を西欧諸国に対する唯一の窓口として、そのままにしておくのであろうという見方が有力であります。現地英国人の中共に対する考え方は、その政策には賛成しないが、ビジネスはビジネスだと、極めて現実的であります。住民の大半は中国人で以りますが、大ざつぱに言つて中共支持者は漸次減つて、全体の約二〇%ぐらいであると申します。中共政府並びに中華民国政府の情報宣伝活動が相互に火花を散らしているとの話でしたが、中共紙大公報の売行きは最近余り芳ばしくない模様と聞かされたのであります。中共が支那本土制圧後、約百万人ぐらいの中国人が香港に流れ込んで来たために、香港の人口は過剰となり、香港政庁は難民救済に努力しております。香港は太平洋戦争中日本軍によつて占領はされましたが、戦争による被害が殆んどなかつたのが影響してか、住民の対日感情は漸次良好に向つております。日本との経済協力の面では、九龍半島における鉄鉱石或いはタングステン鉱山の開発、野菜の栽培等について、日本との提携を要望する声が高いのであります。日本の繊維製品の輸入制限、日本製家庭用具、自転車等の輸入停止等の措置を最近解除するに至つたので、日本一香港間の貿易の規模の拡大が望まれるのであります。我々は香港政庁の民政長官バーネツト氏を訪問し、この解除措置に対し感謝の意を表すると共に、中継貿易を一層盛んにされるよう要望したのであります。  台湾を訪問いたしました。台北市中に入りまして先ず眼につきましたのは、各種の宣伝のスローガンが市中の至るところに掲示されていたのであります。いわゆる準戦時体制と申しまするか、台湾の人口は終戦当時は六百万人でありましたが、蒋政権が支那本土から撤退後、二百万の人口が大陸から移住して来たので、高率の人口増加のため、現在九百万といわれております。在来の台湾の本島人は大陸から来た人々を外省人と呼ぶのであります。中華民国政府は目下その融和に努力しておりますが、ただ気の毒に思うのは、政府は現在中国語を国語としているのでありますが、日本の領台五十年間の日本語教育を受けて来た現在二十才以上の本島人は、日本語は漸次忘れてはおりますけれども、中国語は未だ十分でないという状況に置かれてあるのであります。併し日本のラジオ、日本の雑誌等も輸入して広く読んでいるのであります。我々は王総統府秘書処長、葉外交部長、張立法院長、干監広院長、兪台湾省政府主席、黄台湾省議会議長等と面談いたしました。これらの人々は、過去の日華の関係は誠に遺憾であると思われる。今後は日華相互に親善提携の関係を一層密にして行かなければならないと強調しておつたのであります。  日台貿易の現況は、一九五二年日本向け輸出総額は六千四百八十六万ドル、全輸出額の五〇%以上を占め、米及び砂糖が大部分であります。一方、日本からの輸入総額は四千九百八十六万ドルで、全輸入額の四五%に達し、品目としては、肥料、小麦粉、金属、機械器具等が重要輸入品目になつております。綿糸布の輸入が意外に少いのでありますが、これは台湾の繊維工業保護政策によつて紡績錘数を近く十七万五千錘まで拡大し、国内需要の充足を狙つているからで、注意すべきことと思います。  以上で我々が訪問した東南アジア諸国の概観を終るわけでありますが、我々はこれらの国々の将来の発展を国民と共に祈るものであります。我が国とこれらの国々との間の経済提携が強く叫ばれております。然るにかかわらず、これらの国々の中には、我が国との間に正常な国交の回復しない国があります。この根本原因は賠償問題であります。ここで申し添えたいことは、或る意味では、太平洋戦争の結果として、長年の外国支配から脱して自主独立した東南アジア諸国が、今や新興の意気に燃えて営々として国力の充実を目指して努力している姿であります。同じくアジアの一角に位置を占める日本国民としては誠に同慶に堪えないところであります。我々はこれらの国々の将来の発展を国民と共に祈る次第であります。  現在我が国民の大多数は欧米を尊重する傾向が未だに濃厚であります。今後の日本としては、独立自主の早急実現化を目指して、東南アジア諸国と固く手を握り、経済の安定化、人口問題の解決に乗り出すときであると痛感した次第であります。  以上御報告申上げます。(拍手)    〔赤木正雄君発言者指名の許可を求む〕
  51. 河井彌八

    議長河井彌八君) 赤木正雄君。
  52. 赤木正雄

    ○赤木正雄君 緑風会は小林政夫君を指名いたします。
  53. 河井彌八

    議長河井彌八君) 小林政夫君の発言を許します。    〔小林政夫君登壇拍手
  54. 小林政夫

    ○小林政夫君 私は九月十五日夜羽田を出発いたしまして、インドのカルカツタ、マドラス、ボンベイ、デリー、パキスタンのカラチ、セイロンのコロンボ、ビルマのラングーン、タイのバンコツク、香港、タイペイ、それぞれの地を視察しまして、十月の六日夜羽田に帰つて参りました。タイ、香港、台湾については池田班と重複をいたしますので、多少の見解の相違はございますが、省略をさせて頂きます。又、ラングーンに立寄りましたが、飛行機の都合で深夜のラングーンにちよつと滞在しただけでございますので、ビルマの事情については多く語るだけの視察をいたしませんでした。御了承を願いたいと思います。  インドは民主連邦共和国で、人口三億六千万、面積は我が国の約九倍であります。全人口の七割弱が農民であるにかかわらず、食糧は自給できない。年々二百万トンから五百万トン近い食糧を輸入に仰いでおる状態であります。耕作農民は全く土の家に住み、家具らしい家具も持たず、はだしで、衣服は夏物一着の着たきり雀であるというような、全くの貧農であります。都市には、はだしで半裸体の住むに家なき貧民が多数横行し、乞食が非常に多い。カルカツタのごときは二三百万人の無籍者がおる状態でありますが、一面、富裕者は我々の遠く及ばない豪壮な邸宅に住み、自家用車を乗り廻している。非常に貧富の差が甚だしく、而も貧者の数が圧倒的に多いのであります。パキスタンの独立に伴い、パキスタン領から着のみ着のままで逃げて来たレフユージーが千万人に達するということも、この状態に拍車をかけておるのでありますが、その避難民救済はインドの重要問題の一つとなつております。都市の周辺に新らしい四階建、五階建のアパートの建築が見られまして、中央政府、州政府の努力の跡が窺われるのでありますけれども、なかなか前途遼遠に見受けられるのであります。読み書きのできる者は国民の一六・五%、一割六分五厘であるにもかかわらず、大学卒業者は年々二十万人に達し、このホワイト・カラーの失業問題が起つている状態であります。  インドはいわゆる第三勢力のリーダーとして、国際政界において花々しい活躍をしておりますが、国内は以上のような状況で、共産党活動の好個の温床と思われるのでありますが、為政者は共産党の破壊活動に対しては断固たる措置をとり、早期若芽の間に摘みとつておる趣きであります。  中央政府は一九五一年から五六年に亘る五カ年計画を樹立し、五カ年間に日本の金に直して一兆五千億円の資金を投入して、そのうち外資に依存する分が約七・五%の百十七億円程度でありますが、その一兆五千億円の資金を投じて食糧自給と工業化を推進することにしております。綿紡は千二百万錘に達し、老朽設備の更新が問題になつておりますが、つとに綿製品の輸出国に転じ、ビルマ、インドネシア、アフリカ市場においては、我が国の競争者であります。のみならず、紡機、織機自体をすでに或る程度国内にて製作し、それらの輸入を禁止しております。人絹糸は未だ製作に着手の段階ですが、人絹織物はすでに自給をしておる状態です。従つてインドは、高級繊維製品は別として、一般普通の繊維製品の市場ではすでになくなつておる。軍化学工業製品の市場になり変つておるわけであります。独立日なお浅く、指導者は建国の意気に燃えてナシヨナライゼーシヨンの熱が非常に高いのであります。外国法人又は個人の在印支店、出張所は、高級従業員の半数、下級従業員の三分の二以上はインド人を雇用すべし、こういう条件で開設が許される。合弁事業はインド側の出資五一%以上という条件を附して許可する。  一般的な対日感情は良好で、識者の対日関心は高まりつつあります。ボンベイにおいては、財界、政界、報道界の有力者を以て目印文化協会が結成されるに至りました。目印平和条約において日本人の在印財産の無条件返還を約してくれたことは、我々の大いに徳としたところであり、国際会議等においてインドの日本に寄せてくれた幾多の好意も我々の多とするところであります。我々は日本国民を代表して、副大統領兼上院議長に深甚な謝意を表明いたしました。併しながら、在印財産は今日まで返還されず、最後に至つてその実行がインド人の在日財産の補償の履行を条件とされるに至つたことは、残念至極なことであります。のみならず、日本人の在印財産はすべて換金されておつて、現物としては還つて来ないのであります。又、今日までの税金等も差引計算されて、実質的に余り還り分はないやに聞いたのであります。インドはインドのためのみを考えでいるのであつて、我々に対して慈善的か好意を持つているのではないのであります。  カルカツタ・ボンベイには、我が一流商社はおおむね社員を駐在せしめている。併し正式に支店を開設してやつているものはカルカツタにある東京銀行の支店一カ所であります。船会社も、カルカッタ、ボンベイにおのおの三社社員を駐在せしめておりますが、商社、船会社は二重課税を慣れて、取引は日本の本社とインド側とが直接契約を締結する建前をとり、駐在員はその斡旋役に過ぎないという立場をとつております。併し第十六国会において我々は、所得税法、法人税法を改正し、二重課税の救済措置を講じ、所要政令も公布されて、八月七日から施行されておりますので、その旨を伝え、堂々と支店、出張所を開設して、腰を据えて活躍されることを要望しておきました。これらの商社、船会社の駐在員はおおむね各社の中堅社員であり、活動的ではありますが、勢いの赴くところ、日本側の無用の競争、即ち安売り高買い競争を誘引しているのみならず、社内における地位の関係で、現地駐在員の本社への献策がすなおに用いられず、あたら商機を失しているような事例もあるようであります。  インドの為政者の強調する目下のインドの最重要問題は、カシミール問題であります。そのために、本年度中央政府歳出総額四千四百億の四五%を軍事費に使用している。インド側は、カシミールは、ソ連、中共に境を接する国際的要衝であり、住民は回教徒が多いけれども、経済的にはインドに帰属するほうが住民のためであり、パキスタンに渡せば圧制をやり、何をしでかすかわからないと力説するのであります。カシミールはネール氏の出身地でもあり、多少の感情もまじつているようでありました。  パキスタンは英国自治領であり、英女王が形式的に任命する。パキスタン人の総督によつて統治されております。人口七千五百万人、面積は我が国の約二倍半であります。憲法制定のための制憲議会が設けられておりますが、これが国会のできるまで国会の働きをすることになつております。  パキスタンは東西に分れ、而も現在喧嘩をやつているインドを中に挟んでいるわけで、陸の交通が遮断されております。東西の海上距離は千三百海里、西パキスタンの中部の都会で首都カラチに次いでの都会であるラホールから東パキスタンの州都ダツカまで飛行機で六時間かかる。東パキスタンは一州でありますが、人口は四千二百万人であります。西パキスタンは四州であつて人口は三千三百万人であります。かかる事情がパキスタン憲法の制定を非常に困難ならしめているのであります。  民主連邦共和国とすることは決定したのでありますが、第一の難点は国会の構成であります。上下両院制をとるといたしまして、下院議員の選出を人口比によることとすれば、東パキスタンが下院の過半数以上を占めることになり、上院議員を州単位で選出すれば、上院議員の五分の四は西パキスタン側が占める、この上下両院議員の数の調整に困惑をしておる状態であります。第二の難点は、中央政府と州政府との管轄事項の配分であります。東パキスタンはそのように西パキスタンから海上千三百海里も離れておるような事情もあり、成るべく中央政府の権限を少くし、州政府の権限を多くせんとしておるのであります。第三の難点は、回教の教義を如何に憲法に顕現するかであります。パキスタンは回教の教義に背反する政治はやれないのであります。以上の難点のために、制憲議会は開会の都度かなり紛糾しております。来年の五月頃までには、どうにか、ものにしたいと言つておる状態であります。  全人口の八割強が農民でありますが、食糧はやはり自給できない。昨年度は米国から百万トンの小麦の贈与を受けたようであります。インド側から七百万人の回教徒がこれ又着の身着のままで逃げて来、避難民救済のパキスタンにとつても重要問題の一つであります。教育程度はインドよりも低く、全人口の一四%が読み書きできる程度であります。中央政府は、一九五一年から六カ年計画を樹立し、千八百二十億円の資金を投じて食糧自給と工業化を推進しております。千八百二十億円は、その後の物価高等によつて、現在の評価に直すと三千五百億円、その四分の一程度を外資に依存する計画のようであります。綿紡は現在八十五万錘でありまして、年末までには八十七万錘になる。人絹織布工場もできておりまして、製品のでき栄え等は、インド、日本とおおむね変らないように見受けました。これらのプラントは日本から輸出したものが多く、技術者のみならず作業員まで日本人が招聘されて指導しているところもあります。農業方面でも日本の実践的技術指導が要望されておるのであります。外国人の在パ支店出張所の従業員については、インドと同様の原則的制約があります。即ち、高級社員の半数以上、その他の従業員の三分の二以上がパキスタン人でなくてはならない、こういうような制約があるわけであります。合弁事業は、政府指定の十三業種のみがパキスタン側の五一%以上出資ということが条件になつておりますが、その他の事業については条件はありません。併し外国人の資本投下はパキスタン人との合弁でなければ許されない。実際問題として許されておらない。百二十万人のカラチの街は砂漠の中にできた街であるが、今では大きな樹もあり、かなり緑に蔽われている。砂漠といつてもあの辺は砂地ではないのでありまして、水さえあれば植物は生長するのであります。農業開発は灌漑用水の確保に重点が置かれております。工業化政策は積極的であり、カラチにも工業地帯を設けておりますが、国策として取上げた産業に民間の投資が出て来ないという場合は、政府が直接みずから経営をやり、軌道に乗せて民間に払下げる。民間がやる場合は工場敷地を九十九カ年間無償で貸与し、税法上の減免措置を講じ、金融上の助成もなし、生産が軌道に乗つて或る程度の国内需要を充足するに至れば、該当品の輸入を禁止する。そうすると自然に価格が上る、そうしてその工場に儲けさせる。利潤を与えて二、三年で建設費等は償却することができる。償却ができた頃を見計らつて適正価格に品物の値段を抑えて行く。こういう筆法をとつておるのであります。日本はパキスタン国にとつて輸出の相手国としては第一位であり、輸入の相手国としては第二の地位を占めておりますので、インドに比べて対日感情は非常によろしいのであります。我々に対する歓待も全く至れり尽せりでありまして、丁度我々がカラチに到着をした日が制憲議会招集日でありました。議長主催の歓迎リセプシヨンを開いて、制憲議会議員の全員、総理大臣以下各省大臣次官出席して、大いに歓待をされたのであります。又、総理大臣、外務大臣、情報宣伝大臣、産業大臣、法務大臣等も快く面接をして、率直な意見の開陳をなし、日パ提携を力説しておられました。これら政界指導者はいずれも建国の志士であつて、信念と見識を持ち、非常な人間的な迫力を感じさせられたのであります。  在留邦人の活動状況はおおむねインドと同様でありますが、合弁会社が二社作られており、東銀の支店が開設されております。合弁会社に対する日本側の監督が甚だうるさい、具体的には毎月大蔵当局がバランス・シートの提出を要求しているというようなことで、全く常軌を逸しているのじやないかと言つて、甚だ現地の在留邦人が憤慨をしておりました。これは速やかに改められるべきだと私も思うのであります。在留邦人が異口同音に言われることは、合併のよい相手を見付けるのに非常に苦労する。必ずしもパキスタン人は言行一致はしないのだ、商業道徳もかなり低い、こういうことを言つております。パ国も五カ年を出でずして日本の一般繊維市場ではなくなつて、重化学工業市場に転換するだろうと私は思います。パキスタンの為政者の強調する。パ国の最重要問題は、やはりインドと同様にカシミール問題であります。そのために、本年度、中央政府歳出総額約千億円の六〇%を軍事費に使つている。カシミールはパ国の水源地であつて、これがインド側に帰して水を押えられたら、その水がパキスタン側へ幾ら来るか、その来る量によつて農作物の豊凶がきまるので、完全に死命を制せられるという状態であり、更に住民の大多数は回教徒である。こういうような理由から、パ国としては、何ものにも制約されない、住民の自由なる意思で、その帰属がきめられることを望んでいるのであります。インド側は、パ国はヒンズー教徒に暴虐を加え非常に圧制をやる、こういうことを言つておりましたが、制憲議会議員七十九名のうちに野党たるヒンズー教徒が十名おりまして、かんかんがくがくの論を戦わしておりますけれども、別に生命の危険は感じておらないようであります。パ国も少数の富裕者と多数の貧民で、共産党の温床ともなりかねないのでありますが、共産党活動は大したことはなく、制憲議会議員のうちに一名のピンクがいると言つて、総理大臣が茶化しておりました。むしろパ国はインド国内における共産党の潜行活動の危険を指摘しておつたのであります。  セイロンは英国自治領で、英女王の任命する英人の総督によつて統治されております。上下両院を持つている。人口は七百五十万人、面積は我が九州と四国を合したくらいの大きさであります。大部分が仏教徒で、米を食べております。米は三割は自給できますけれども、他は輸入に待たねばならない。ゴムと茶はセイロンの特産であります。コム園、茶園は最高度の農業技術水準に達しております。ゴム樹や茶の栽培から製品まで一貫作業をやつている。併し、米作は水田ではありますけれども甚だ幼稚で、殆んど植え放しの状態である。日本農民の実践指導を期待しております。工業化はこれからで、綿紡三万錘を設備したいということで、我々に会つて産業大臣が提案したような状態でありますけれども、何分、繊維市場としても市場は狭いということが言えるわけであります。セイロンはMSA援助を受けることになつてつたのでありますが、中共ヘゴムを売つて米を買う取引を始めたということで、米国の逆鱗に触れて援助を止められた。セイロン側は、アメリカにゴムを売るのと中共に売るのとでは倍の値開きがあり、アメリカのように安く買い叩かれては食つて行けない、思想と通商は別だと言つているのであります。セイロンの対日感情も割合によくて、当時の運輸大臣で現総理大臣、サンフランシスコ会議で日本のために非常に好意ある演説をやつてくれた大蔵大臣、上院議長、上院の領袖で農林産業大臣等に面接をいたしましたが、いずれも気持よく応接し、率直な意見の開陳がありました。歳出の三割を占めておつた米の補給金を削除したために米価が一挙に三倍強の値上りをして、我々のコロンボ到着二週間前に米騒動が起きたのであります。向うではストライキと言つており、官公労働者が一斉ストをやり、電信、電話、鉄道がとまり、戒厳令を布いて軍隊が出て鎮圧をしたのであります。上院領袖である農林産業大臣は、このストライキは共産党員の煽動によるものとし、我々のミツシヨンの中の保守派の対共産党政策を尋ねました。セイロンは、日本の再軍備を危惧するオーストラリアに対して、日本が強くなるよりも共産党の侵略のほうが恐いのだの言つて強調しておるのだということを言つておりました。  以上三国、それぞれのおおむね特異の状況を御報告いたしたのでありますが、これから三国の共通の事項について私見を述べさせて頂きます。  第一に、これら地域は二百年間英領植民地であつたので、英国経済の一環として開発されて来ておる。第二に、政界、経済界の指導者は、いずれも英国で教育を受け、独立までは英国と争つたが、独立の目的を達した今日においては、言語等より英国に親近感を持つておる。第三に、英国は政治的にはこれら地域から後退したが、経済的には後退をしておらない。積極的に経済勢力の維持を図つておる。コロンボ・プランは相当の恩恵をそれぞれの三国に与えておる。パキスタン外務大臣は、本員の率直な質問、即ちあなた方は熾烈な反英闘争をやつて独立をかも得たにもかかわらず、依然として英連邦の一員にとどまる理由はどうか、むしろ東南亜連盟、或いは回教連盟のほうが重要ではないか、こういう質問に対しまして外務大臣は、英連邦はクラブみたいなものである、英連邦への加盟といつても、我々の政治行動に制約を受けるものではない。抜けようと思えばいつでも抜けられる。情報交換程度だ。東南亜諸国或いは回教諸国共通の問題は随時話合えばよいので、組織化する必要はないのだと言つておりましたが、たまたま仏印のほうへ話が飛んで、仏印三国が仏連合にとどまることを条件に独立を与えられるということであれば、我々は完全な独立とは思わない。完全な独立をして、然る後にそれら独立国の自由意思で仏連合に加盟するならば差支えない。こういうことを言つてつた。即ち、インドにしても、パ国にしても、セイロンにしても、自発的に英連合の一員にとどまつているわけがあるので、自発的にとどまるには、とどまるだけの理由があるはずであります。食糧自給、工業化等の政策を推進し、英経済圏の域を脱して真の自立経済を達成するまでは、英連合の一員としてとどまることを要するのであろうと思うのであります。  かかる三国であつてみれば、我々が声を大にして経済提携を叫ぶことは、徒らに英国を刺激するのみであります。幸いにこれら三国は、英米の技術よりも日本の技術のほうが受入れるのに手頃であると考えており、又技術者等も日本人のほうが安い。従つて、我々日本人がこれら三国の人となつて経済開発の一役を担うということ、投資の果実を持つて帰るという型でなしに、端的に言えば、サラリーで雇傭されて向うの人となつてその国の国富の増進に寄与する立場をとるならば歓迎されるのであります。目前のリターンを度外視して、十年、二十年、否、百年の将来に期待をかけて、黙々として抜本的な策をとらねばならない。三国は、もはや初等教育はそれぞれの自国語でやつております。映画等は自国製のものは自国語で話す。英語は使わない。学校において英語は選択科目となつているのであります。今でこそ、これら三国は英語が普遍的であり、インドは国会においても英語を使つているが、近い将来、英語は一般的通用語とはならないのでありましよう。我々が真に強く堅い経済提携を望むならば、三国向けのそれぞれの専門家を養成しなければなりません。然るべき学校の科目に東南アジア科を設けるべきであります。又一面、港湾修築、地下資源開発のための鉄道の敷設等、これは向うの資産となるものであり、輸出入銀行の枠を超えた、貸借を超えた大きな投資を積極的に敢行すべきでありましよう。当面の問題としては在外公館に経済エキスパートを配置し、又、一、二年で転勤をさせず、長期に滞在せしめて、現地に多くの友人知己を作らせることが必要であります。大公使も戦前の形式的序列を重んじて、欧米優位の惰性を打破し、第一級の人物を布石すべきものと思います。又民間も、骨を現地に埋める覚悟の人で、又、部内において重んぜられる人物を派遣すべきであり、輸出入取引のためには独禁法の適用を大幅に排除しておるのでありますから、共同行為について特段の工夫をすべきであろうと思います。  どうも甚だ時間をかけまして、急ぎましたので、お聞取りにくかつたと思います。(拍手)    〔羽生三七君発言者指名の許可を求む〕
  55. 河井彌八

    議長河井彌八君) 羽生三七君。
  56. 羽生三七

    ○羽生三七君 日本社会党第四控室は自由討議の発言者に高田なほ子君を指名いたします。
  57. 河井彌八

    議長河井彌八君) 高田なほ子君の発言を許します。    〔高田なほ子君登壇拍手
  58. 高田なほ子

    ○高田なほ子君 私は六月五日からコペンハーゲンで開かれました世界婦人会議並びに七月二十五日からオーストリアのウイーンが開かれました世界教育者会議に出席いたしまして、約二カ月の間、デンマーク、イギリス、オーストリア、ドイツ、スイス、イタリア等の西欧諸国に、これは勿論、公的な機関の視察というのではなくて、民間団体の一員として、各国の婦人団体或いは教員組合、我が党に繋がる社会主義インター各国の方々の御協力の下に、外地の自炊生活なども実際体験しながら、なかんずく婦人の問題、子供の問題或いは教育の問題等、こういう点に主力を置きまして視察をして参つたわけでございます。従つて公的な機関でありませんから、民間の多くの方方に接し、而も世界婦人会議には、世界の七十カ国の婦人代表、教育者会議では四十八カ国の教育者の代表などのいろいろな懇談がありましたので、そういつたような面から御参考になる点を少しく御報告したいと思うのでございます。  先ず第一に、日本の婦人や子供の生活、こういうことは殆んど世界の婦人たちは知つておらない。なかんずく講和安保両条約並びに行政協定締結後の軍事基地周辺に起つております風紀の問題を中心とする日本の大きな教育環境破壊、いわゆる政治的な或いは社会的な問題について、非常にこれは世界に衝撃を与えた問題でございます。こういうような問題は、お互いに話合つて参りますると、例えばアメリカの婦人代表にいたしましても、こういう国際的の問題は、どうしても各国の婦人が提携しなければ解決できない問題だから、是非こういう日本の婦人たちの困つているような問題については、どうぞこまごまと知らしてもらいたい、国際的な友情はお互いの深い理解の中からきり生れないのだ、どうか今後も我々と是非提携をして、子供たち又母の問題については国境を越えて協力しようじやないかというような談合がなされたわけでございます。  更にこのたび考えさせられました問題は、日本の長い鎖国政策と繋がつております誤つた軍国主義教育の結果、非常に他民族に対する蔑視の観念が、どうしても我々大人の日本人の頭から消えないこと、なかんずくアジア諸民族に対する蔑視の考え方というものは、どうしてもこの際一掃しなければならないということでございます。アジア諸民族、なかんずく例えば「ちやんころ」と言われた今日の中国の婦人の目ざましい活躍と発展振りというものは、本当に私たち婦人同士として誤つた考え方を持つていたということについて、深い反省を持たざるを得なかつたのでございます。各国婦人の自覚は、我々日本婦人が国内で考えておりますよりも邊かに大きな自覚と、教養と、高い民族的な感情と、そうして国際的には世界の平和に対する欲求というものが、どのように強いものであるかということを、非常に考えさせられたわけでございます。  主な各国で受けた日本に対する質問を要約いたしますと、日本の農村における政治意識はどういう程度であるかということ、第二としては、一般の常識人の対米感情はどんなふうなのか。更に中共貿易を日本はどういうふうに考えているのか。日本の失業者はどのぐらい、どういうふうに今なつているのだろう。日本の子供たちはどういう環境の中で生活をしているのだろう。日本の今後における平和経済自立についてはどういう計画を持つているのだろう。こういうような極めて高度な質問がたくさんの人たちからなされたということを、私どもは御報告をしてみたいと思うわけであります。  特に各国、なかんずく欧州の婦人たちの生活というものが、我々日本の婦人の生活から比べてかなりに仕合せな程度にあつたということは、何と言つても蔽うことのできない事実でございました。生活安定のための社会保障制度は、当然政治の常識としても考えられていることであります。私たちは社会保障制度と申しましても、昔からそういう制度が全然行われておりませんために、何が何だかわからないのでありますが、デンマークにしても、イギリスにしても、スイスにしても、西欧諸国の社会保障制度というものが本当に常識化され、而もそれが当然婦人解放の一つの方策として考えられているということは、大いに私ども考えさせられた問題でございます。例えばデンマークにおいては、どんな細い道路でもきれいに鋪装せられ、而もその道路が清掃夫などを置かなくても非常にきれいに掃除されている。これは別に誰が掃除するわけでもないが、デンマークの道路はデンマーク人がきれいにするのは当り前だという、こういう意味の愛国心というものが常識化されている。緑したたる公園或いは森、誠にうらやましいことでございましたが、なかんずく、婦人は六十歳、男子は六十五歳以上になれば、殆んど養老院に入る権利を持つているし、養老院は希望者の百パーセントの収容力を持つているわけで、即ち老人ホームと称せられる建物は、とても我々が想像するような、日本の養老院とは異なつておりまして、一人についても約八畳敷くらいの広い、陽当りのよいガラス張りの部屋、ベッドもあればラジオもあれば、本棚もあれば又ソフアーもある。そして食堂もあれば応接間もあれば、図書の閲覧室もあれば、まことに老人の楽園でございました。非常によい環境の中に、楽しそうな老人のこの有様を見まして、私は院長さんに、ここでは老いらくの恋が結ばれるでしようかと尋ねてみました。ここでは老いらくの恋がこういう環境の中で結ばれるのだそうでございます。このためにデンマーク政府は、地方財源と共に、一人の老人に対しまして、一カ月、邦貨に換算すると約二万四千円というような多額な費用が出されているわけであります。でありますから、何も老後の心配がないし、入りたくない者は年金制度でいい。  又託児所がたくさんございましたが、これは極めて完備されており、働く婦人が、非常に安定感を持つているということでございます。けれどもこの託児所が足りないというので、婦人団体は運動を続けておりました。なかんずく特殊児童の教育の問題でありますが、真に環境のすばらしい所に、完備された施設によつて教育され、一人の児童に対して、政府は、年額、邦貨に換算すると三十五万の投資をしているということは、デンマークの教育の一面を物語るものとして、誠にうらやましい限りでございました。然るに、教育施設費の増額、こういう問題については、教員組合の皆さん方が非常に大きな要求として掲げておりますが、最近、北大西洋条約軍事同盟に加入したデンマークが、軍事基地提供の要求に対して、社会党が真先になつて反対すると共に、静かな環境を要求する国民はこの運動に参加していることを聞いております。  イギリスにおきましても、殆んどデンマークに優るとも劣らない社会保障制度が実施されておるのであります。完全雇用の線が確立しておりますから、働けば誰でも食べられる。六十五歳まではみんな働くことができる。歳を取れば養老院に入れる。年金制度によつて老後の保障がされる。失業保障がされる。病気になれば医療が国営によつて何ら療養費の心配がない。こういうような状態でありますから、婦人たちがヒステリーになることが非常に少いのではないか。結局、生活が安定した中に、婦人は神経をいらだたせることなく家庭を守つて行かれるところに、幸福な婦人の生活を見出したのでございます。  更に、働く婦人の場合でも、婦人の職場の地位が確保されておる。小学校の婦人校長は、全校長の約六〇%を占めておるし、産前産後の休暇は、産前六週間、産後十三週間という、理想的な休暇を取つて補助教員がこの休暇中の教授に当つておるということを聞いておるわけであります。又イギリスの国会では、奨学資金の問題が問題となつておりましたが、育英制度のかなりに完備したイギリスにおいても、育英資金制度の充実のために、これを削減する方向に対して、イギリスの教員組合が熾烈な闘いを展開しておるのを見て参つたのであります。すばらしい学童給食の施設があり、而もその経費の負担というものは殆んど父兄にかからない。更に教科書も無償、四年の国語の時間には四通りの教科書が自由に駆使されている。こういうような中においても、教育費の確立のために、イギリスの大婦人団体が本年度の努力目標として、教育費の確立を掲げておつたということは、誠に注目に値するところではないかと思うわけでございます。  こういう中で、婦人は、又働く人たちは、生活すると同時に生活を楽しむ社会機構ができているということでございます。即ち、お店屋さんも五時になれば全部おしまいになつてしまう。役所も工場も全部おしまいになつてしまう。日本の男性の方のように十二時までも一人でお酒を呑んで騒ぎ廻つて歩くというようなことは、もう社会機構からできなくなつて来ておる。このことは、誠に家庭を中心にする、一つの建設的な生活を行おうとする場合に重要な問題ではないかと思うし、町の中の騒音も殆んどこれがなくなつておるし、男も女も共に楽しめるような一つの施設が町々にできておるということ、全くうらやましい限りでございます。  イギリスは食糧の一部分が統制されておりますから非常に不自由だと言うような方がありますが、イギリスの食糧は、たとえ統制でありましても、例えばバター、チーズ、お砂糖のようなもの、牛肉のようなもの、これが統制になつていても、統制で不自由しないように、羊の肉でも或いはその他のいろいろな食糧が、これに匹敵する廉価で売られておりますから、統制経済でも苦痛がない。これは一つの婦人の生活、働く者の生活を基調とした社会主義政策がこういう生活の面にも十分損われていることを察知いたしまして、誠に愉快に堪えない次第でございました。  更に西欧における国際問題は、何と言つてもドイツの統一問題でございます。イギリスの労働党のベヴアン氏に、私はイギリスの国会で、テームズ河の川風に吹かれながらいろいろとお話をし合つたのでありますが、このお話を要約いたしますと、最近の二つの世界の対立は依然として微妙な立場の中で発展しているのであるが、アメリカや、アデナウアーは、この空気をむしろ軍事的に利用しようとしておりますが、この情勢をどういうふうに処理するかということは実に重大な問題である。これに対する答えは、資本主義国と社会主義国とでは根本的に違つておる。資本主義国家は平和を戦争と同じように恐れて考えているが、社会主義者はドイツの統一を望み、世界の軍縮を希望しておる。ドイツの統一と独立の姿は、どうしても中立でなければならないということを強く希望するし、ドイツの問題は、一つの問題の終点であると同時に、他の問題の始まりであつて、いわゆる平和恐慌に対する対策の樹立こそ世界平和への重要な方策であると述べておりまして、誠に二時間に余りまして、こうした世界平和への、いわゆる平和生産の方式について語り合つたわけでございますが、時間の関係上これは省略をいたしまして、結論として、西欧諸国の陸続きの国国においては、とても日本では想像のできないほど、平和への要求が、或いは関心が非常に強くございまして、二つの世界の対立の中で、どうぞして世界の五大国はお互いに話合いを続けて、話合いの中から平和の方途を見出すべきであるという、このヨーロツパ諸国の多くの方々の意見には非常に傾聴させられました。最近エリザベス女王が、話合いによる国交の調整のメツセージを出しておるようでありますが、私もこの西欧の平和を望む強い空気を思い出しまして、さもありなんということを考えさせられたわけでございます。  最後に、これはどうしてもお伝えしなければならないことでございますが、私はたくさんの中国の婦人或いは中国の教員の各位と会いまして、どうぞ、この話は日本の皆さんに間違いなく伝えて下さいということでございましたから、伝言という意味ではありませんが、御参考までにお伝えをしたいと思うわけでございます。即ち中国のんたちは、何と言つてもアジア人はアジア人同士が提携しなければならない。我々中国人は過去の日本のいわゆるあの軍国主義政策というものについては非常な強い批判を持つておるけれども、今日の日本の皆さん方に対しては、何の恨みや何の憎しみも持つどころか、むしろ日本に対しては、深い友情と、深い理解と、深い提携への望みを私たちは持つておるのです。併しながら、今日、日本には七百に余る軍事基地があると聞いておりますが、その軍事基地にしつらえられている大砲の筒の先はどちらのほうを向いているのでしよう。私どもはそれが非常に心配です。とにかく中国は、長い封建制の中から、貧困と、無智と、病気と、不潔と、それらの中から、本当に中国の国民の一人々々が、どうして中国を再建しようかという熱意の下に、どうにか中国の再建は成つた。その国民が必死になつて築き上げた中国を、我々は戦争で再び壊そう、荒そう、そういうことは少しも考えておらない。むしろ私たちはどうぞして戦争をなくさなければならない、してはならない、こういう気持を持つておるけれども、伝え聞くところによると、日本の方々の中には、中国或いはソ連が攻めて来るから再軍備をしなければならないということを言つておられますが、これは中国の我々の真意を甚だ御了解にならない悲しいことでございます。どうぞ日本の方々こそ我々を攻めないで下さい。どうぞ機会があつたならば、一人でも多く中国においで下すつて、我々の気持を、本当に中国の国民の平和を望む気持を一人でも余計に御理解頂いて、共にアジアの振興のために尽すことができるよう、どうぞこの一点だけは間違いなく伝えて下さい。こういうことでごさいましたので、私は、ヨーロツパ諸国の方々が本当に心から平和を望んでいるという声と、更にアジアの国民がどのように平和を望んでいるかということを、ここにお伝えいたしまして、私の報告を終ります。(拍手)    〔松浦清一君発言者指名の許可を求む〕
  59. 河井彌八

    議長河井彌八君) 松浦清一君。
  60. 松浦清一

    ○松浦清一君 社会党第二控室は自由討議の発言者として田畑金光君を指名いたします。
  61. 河井彌八

    議長河井彌八君) 田畑金光君の発言を許します。    〔田畑金光君登壇拍手
  62. 田畑金光

    ○田畑金光君 私は、外国の視察報告にはならないと思いまするが、先般、奄美大島を視察して帰つて参りまして、政府に緊急質問をしたいと思いましたけれども、遺憾ながら自由討議に一括されましたので、いささか現地の模様を報告申上げまして、各位の御批判を仰ぎたいと考えております。  今回私が日本社会党を代表いたしまして、奄美大島に参りましたのは、現地視察並びに八年間の長きに亘り占領下にありまして大変苦労された住民の人がたに対し、心からの激励と慰問を贈るために、一週間旅行して参つたわけであります。奄美大島は、本来我が国古来の領土の一部でありますことは、歴史上、又、血縁上から見ましても明らかな事実でありまして、侵略手段によつて獲得された地域では断じてないのであります。然るに、敗戦の結果、昭和二十一年の二月二日、連合軍総司令部のいわゆる二・二宣言によりまして、我が国の行政権から分離をされました。対日平和条約第三条は、我が国のこれらの地域に対する潜在主権は認めておりまするけれども、実質上、行政権から離れて参つたのであります。爾来、内地本土との交通、貿易、通信関係等は殆んど遮断されまして、長い歴史的な交渉を通じ、文化的にも、民族的、経済的にも、本土、殊に鹿児島県の一部として生存して参りました本島にとりましては、母国復帰こそ唯一の生きる途として、全島を挙げて署名運動、血書歎願運動、断食運動となつて、悲壮なるその叫びが国民の共感を呼び、アメリカ側の反省を促す大きな機会を作つたと存ずるものであります。  国会におきましては、昨年の十二月、衆議院会議において奄美大島に関する決議案が満場一致可決され、引続き本年の七月七日、同じく衆議院会議におきましては、領土に関する決議案の採択を見るまでに至つたのであります。このようにいたしまして、八月八日のダレス声明を迎えるに至りましたが、本声明こそは国民にとりましても近来にない朗報であり、なかんずく奄美大島の現地の住民にとりましては、実に血涙を呑む悲願がかなえられたその声明であつたと存ずるものであります。併しながら八年間の空白期間というものは奄美大島の産業経済を種本的に破壊し去りまして、民生、教育、地方自治行政等におきましては破滅一歩前に来ておるという実情であります。  少しくこれらの部門につきましてその現状を御報告申上げたいと思うのでありまするが、奄美大島の戦争前における主要産業は、その移出額におきまして約九〇%近くがいわゆる特産物であるところの大島紬、黒砂糖、鰹節、こういうものの生産によつて占められ、これが住民所得の大宗をなしていたのであります。然るに、戦災による産業諸施設の破壊、金融の逼迫等は、これら産業の復興を阻みまして、曾つて奄美群島総移出額の五六%を占め、年平均二十八万反を生産しておりました大島紬は、今日は生産額におきまして約四万反、一四%の復興振りに過ぎません。又本島第二の重要産業である黒砂糖は、戦時中、食糧増産のため甘蔗作付面積が縮小され、加うるに戦災によりまして製糖施設が破壊消滅いたしまして、戦前の作付面積三千六百三十五町歩、生産量におきましては三千三百万斤生産いたしておりましたが、昭和二十六年度漸くこれが二七%の八百九十八万斤の回復振りに過ぎません。又更に本島第三の特産物である節製品等は、戦前平均年六万貫の生産がありましたが、昨年度漸くこれが三五%の二万一千貫の生産に戻つた状況であります。奄美大島は元来戦争前におきましては移出入は均衡を得ておりましたが、戦後におきましてこういう基本産業の復興が停滞いたしまして、勢い毎年輸入超過々招き、経済は後退の一途をたどり、わずかに軍政府の復興予算補助金及び沖縄に対する木材、家畜の輸出によつて経済を支えて来たのであります。併しながら一九五三年以降この補助金は打切りとなり、貿易面の赤字を補うことができず、経済は一九五二年後半期以降急激に悪化し、輸入超過は一九四八年以降一九五二年までの間に約二十三億に上り、通貨の枯渇を招いておるのであります。而もこの輸入物資中には生活必需物資である主要食糧がその大部分を占め、而も軍政府補助金はこの六年間僅かに六億六千万に過ぎません。この差額約十六億は民間資本の吸収となつて資金の枯渇をもたらしましたが、更に昨年の四月以降現地にある琉球銀行は金融引締めを強行し、経済活動はいよいよ逼迫して参りましたが、更に先般八月八日のダレス声明以降はこういう傾向が顕著となつて参りまして、奄美群島における産業活動の機能は全く今日停止されておるという状況になつておるのであります。  このように、産業の沈滞、金融の逼迫、住民所得が低下して参りましたにかかわらず、租税負担は年々増加し、消費税、物品税と、間接税中心の課税体系が大衆課税として勤労大衆にのしかかつております。一九五二年当初予算における奄美群島政府時代の算出いたしました住民所得は一人当り五千二百円、税負担が四百三十円でありましたが、一九五三年琉球政府治下に入りましてからは、住民所得が一人当り一万五百円、租税負担は八百五十円となり、二倍に殖えて参つたのであります。地方財政の状況を見ますると、行政権の分離以降、機構の整備とか事務分量の増大、学制改革に基く諸経費は膨脹いたしましたが、民力は戦災のため徹底的に破壊され、財政窮乏はその極に達しております。而も戦前の予算に比較いたしますると、現在の予算額は大よそ二〇乃至二二%、即ち四分の一乃至五分の一に圧縮された財政規模によつて市町村財政が賄われておる始末であります。而も年度予算の中に占めておりまする徴税額の比重というものは年々加わつて参りまして、一九四七年の徴税額は歳出予算のうち一六%でありましたが、一九五二年には実に六八%が税金によつて地方財政が賄われておる、こういう状況であります。御承知のように、内地における市町村歳入の主なるものは、平衡交付金、国庫補助金でありまするが、奄美群島におきましては租税負担によつて地方財政が賄われておる。こういうような状況でありまして、住民生活の窮迫を招いて参りまして、島民の中には甘藷や蘇鉄だけで露命を繋ぐという者が日に日に増加して参つておるのであります。而も本群島の産業別就業者数は、その八四%が農業就業者でありまするが、農業の現状を見まするに、全島面積が十二万八千余町歩のうち僅か一四・六%が耕地面積であり、二戸当り三・八反、全国の平均は八・六反でありまするが、一戸当り三反八分という、こういう極く零細農でありまして、顛落農家、失業者群の増大となり、主要食糧の配給を受けることさえ困難となつて、受配人口の五〇%が、甘藷、蘇鉄に頼つておるという状況なのであります。このような生活困窮者と零細農の多くを抱えながら、本島におきましては生活保護法の適用がなく、官庁の統計によりますると、八千五百名が要援護者として計上されておりますけれども、これに対する援護金というものは、琉球政府の下におきまして、僅か一カ月現地のB円にいたしますと六十円、日本円では百八十円という、文字通り天井より目薬の域を出ず、児童福祉法は本年七月以降実施されましたが、見るべき何らの施策もなされておりません。内地並みの生活水準を基準に考えますると、要援護者の数というものは恐らく二倍乃至三倍に達する状況になつて参ります。全産業を通じまして、生産活動は未だ戦争前の五〇%前後に過ぎない状況でありまするが故に、雇用の機会が乏しく、勢い、内地、沖縄方面への労働力輸出となり、今日沖縄にある五万に上る生産労働者の存在こそ、失業者問題と関連いたしまして、明日の重要な社会問題の大きな原因となつておる状況であります。  又教育行政について見ますると、現在、教育は琉球教育法によりまして実施され、教育委員会制度が行われ、教育委員会には独立の財源として教育税が賦与されておりまするが、ただですら過重な税負担の上に更に教育税を強いられた住民は到底これが納入に堪え得ず、殆んど市町村が教育税の徴収か停止しておるという状況であります。学校建築は琉球政府の財政逼迫のために遅々として進まず、教室も一人当り坪数は小学校〇・三三坪、中学校は〇・二七坪、高校〇・五七坪という状況でありまして、使用中の教室自体が間仕切り教室とか掘立小屋、こういうような状況であります。  これらの諸般の窮乏せる環境をじかに視察し、そうして我々が率直に感じましたことは、一日も早く奄美群島対復帰することがこれらの問題解決の第一歩であります。ダレス声明は、成るほど全島民に明るい希望、民族の独立、民族解放の雄大な理想達成に欣喜雀躍たらしめましたが、当時の予想に反し、十一月一日説が遅延し、今日、住民を非常に失望させているのであります。然るに、このような重大な問題というものを、今日、政府はどれだけの熱意を入れて、どれだけ真剣に外交交渉において取上げておるかという問題であります。昨日も地方行政委員会におきまして外務大臣質問し、明らかになりましたことは、奄美群島の領域に関する問題、軍事基地設定等に関する重大な問題は、日米両国の話合いによつて意見の一致を見たけれども、現在は事務引継ぎに伴う技術的な問題がなお残されて、十一月一日が十二月一日に延び、更に十二月一日も確信ある返還期日ではないような答弁振りであります。私たちは、こういう重大な問題こそ、総理大臣、外務大臣は先頭に立つて、アメリカとの交渉によつて、現地二十余万同胞は勿論、国民の待望であるところの奄美大島の返還の実現を図ることこそ、不平等条約改訂、国土に対する主権の回復を図る第一歩であると考えまするけれども、遺憾ながら、今日の政府のとつておる態度は、この重大な奄美大島返還の問題を一外務省の事務官に任しておる始末なのであります。あたかも日韓会談が決裂いたしましたのも、即ちこの重大な国際的な交渉を一外務省の事務官に任しておる、こういう態度の中に大きな原因があることを我我は忘れることはできませんが、奄美大島の問題に関しましても、この返還期日がこのように十一月一日から十二月の一日になり、更に若干遅れる見通しにあるということは、誠に遺憾に存ずる次第であります。而も現地におきましては、十一月一日に返還になるものという予測の下に、沖縄の軍政府の司令官は十月末までの予算措置をとりまして、琉球政府におきましては十月末までの人件費は配分いたしておりまするが、千九百五十三年の七月以降の事業費等は、皆目、令達されていない状況なのであります。先ほど申上げましたように現地の琉球銀行は今、金融引締めにかかつておる。又経済界におきましては、B円と日本円の交換を前にいたしまして、債権債務の関係の処理に追われて、経済活動は、まるつきり停止しておる。こういうふうな状況でありまして、奄美大島の返還が一日延びるということは、奄美大島群島における地方行財政の困難を招き、経済活動を混乱させ、住民生活を一層困窮の中に拍車をかける状況にあるのであります。而も奄美群島は、戦争前におきましても、内地本土から離れ、辺鄙な地域であり、年々数回の台風に見舞われている。こういうような地理的な条件からいたしまして、例えば昭和十年から奄美群島復興十カ年計画を立てて、当時の金で四十億の支出を政府は約束いたしたのでありまするが、この奄美群島が八年間の空白期間を本土から切り離されて、而も活かさず殺さずというような、こういうみじめな行政下にあつたというこの事実こそ、我々は忘れてはならぬ重大な敗戦の犠牲であろうと存ずるのであります。    〔議長退席、副議長着席〕  私は今回の視察を通じ痛切に感じさせられましたことは、この奄美群島の返還を一日も速やかに実現すること、そうして又奄美群島の今後の復興計画を促進することこそ、やがては平和条約第三条に基くところの琉球諸島、小笠原、南千島等、我が国本来の領土権を回復する第一歩であろうと考えているものであります。こういう意味合いにおきましても、我々は政府当局に対しまして、少くともMSAに払う努力の何分の一でも奄美群島返還問題に努力いたしますならば、アメリカ側といたしましても、我々の公正な主張に、或いは外交交渉を通じ、速かな返還に適切な措置が図られるものと期待いたしているものであります。願わくは政府当局におきましても、又本議会におきましても、奄美群島の実情を更につぶさに検討されまして、返還並びに復興に適切なる今後の施策あらんことを要望申上げまして、私の御報告を終ることにいたします。(拍手)    〔鈴木一君発言者指名の許可を求む〕
  63. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 鈴木一君。
  64. 鈴木一

    ○鈴木一君 無所属クラブは千田正君を指名いたします。
  65. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 千田君の発言を許可いたします。    〔千田正君登壇拍手
  66. 千田正

    ○千田正君 同僚小林議員からすでに東南アジアの現地報告があつたと思いますので、私は簡単でありまするが、同じく東南アジアでありまするが、別の面から私の感じた点を御報告を申上げます。  我々の参りましたインド、パキスタン或いはビルマ、タイ、セイロンというような国々は、曾つて数百年の間、イギリスの力強い、いわゆる東南アジアヘの資本的な攻勢の下に、長い眠りを続けておつたのでありますけれども、第二次世界大戦と同時に彼らの目が覚めて、今や英国の覊絆から脱しようとするあらゆる行動を起しているのであります。一九四七年、インドは共和国としてイギリスからの桎梏の手を逃れて立ち上り、続いてセイロン、パキスタン或いはビルマ、タイと、この曾つてのユニオン・ジヤツクのひるがえるところ、日の没する所なしと豪語したところの、この英国の植民地が、次から次へと独立或いは独立せんとするこの姿が、只今の東南アジアの現実であります。インドは御承知の通り、ネール首相が先ず先頭に立つて、数十年におけるところの対英抗争によつて漸く立ち上りました。今年の正月、ネール首相が国会において、彼が国民に告げたいわゆる「大国というものはどういうものか」という定義の言葉を我々は引用して、今後の東南アジアというものを考えた場合に、このネール首相の言葉こそが将来アジアの大きな問題になるのではないかということを示唆されたのであります。それはどういうことかと言いまするというと、「世界の大国というものは、領土が広くなければならないということと、国民が多い、いわゆる労働力が豊富でなければならない。第三点はナシヨナル・リソーセス即ち国家の資源が豊富でなければならない。この三つの条件を備えたものこそが世界の大国と言うべきであつて、現世界の情勢から見るというと、アメリカ合衆国、ソヴイエト・ロシア、中共、同じくインド、この四つこそが世界における大国である。次の時代をリードするのは、この四つの大国でなければならない。而もソ連であるとか或いはアメリカというのは、おのおのその思想的な面から言つて相対峙しておる。インドこそは、いずれにも属せずに、アジアのための先頭に立つて、そうしてこの世界の相争うところの焦点の真中に立つて、世界平和を唱道するのが、我々インドの理想であり、又我々と共にするところの日本も、或いはその他のアジア諸国も、インドと共に手を結んで今後の世界平和に寄与するであろう」ということを、彼ネールは国民に訴えたのでありすす。そういうような指導者であるところのネールの気持が、全インド人の気持となり、或いは税関の官吏或いは鉄道の職員、隅々に至るまで、少くともインテリゲンチアである者は、このネールの思想に感化されつつ、世界のいわゆる平和運動の先頭に立つて、アジア民族の指導者たらんとする気概は至る所において我々は看取することができたのであります。  更に東南アジアを廻つて特に考えなければならないのは、長い間、隷属の地であつたということの結果、経済にも、文化にも、或いは教育にも、その底辺をなすものは何かと言いますると、これは宗教である。いわゆる仏教より古いところのヒンズー教、或いは仏教或いはフイフイ教、キリスト教、こういうような宗教が国民生活と結び付いて、一方には、只今申上げましたようなネールのように世界のリーダーたらんとする高道なる理想を持つてつて、国民がそれに唱和しながら、実生活は相変らずのいわゆる宗教の迷信の下に、いろいろな残された古い跡を辿つておるという現実も、又偽らないところの姿なのであります。  でありまするから、将来の日本の東南アジアヘのいわゆる進出ということを考えてみましても、英国というものの勢力を除いて我々は考えることはできないのであります。一例を申上げまするというと、インドは現在、軍備が、陸軍が六十万、海軍も空軍も相当持つておりまするが、海軍の総司令官、空軍の総司令官は、二人ともこれは英国の軍人を雇つて、そうしてインドの総司令官としておるのでありまして、現実はやはり英国というものの力が強い影響を持つておるということを考えなければなりません。  更に、先般以来、吉田首相は、日本の国策として日本の自主経済を自立するためには、どうしても東南アジアに向つて貿易を開始しなければならないと、こう何回となくこの壇上から叫んでおられたのでありまするが、現実はどうかといいまするというと、イギリスは、少くとも英植民地、曾つての英領であつた国々に対しては、どうしても日本の商品を入れたくない。昨年一月以来、イギリスは日本に対して対日商品の輸入禁止という一つの楯を作つて、日本の商品を防いだのであります。その結果はどうであるか。曾つて我々は、スターリング・工リア、この英領方面に輸出したところの金は、昨年の初めは半期において約三億八千万ドルに及ぶところの厖大なる貿易をしておつたのでありまするが、本年は僅かに一億五千万ドルに低下しておるのであります。このように、英国側がどうしても日本の商品を東南アジアには入れたくない。こういう門戸を閉ざされた中に日本の商社は苦労しつつ闘つておるというのが現状であります。併しながら、誠意を以てそうして我々が説けば、必ずこの門戸は開かれるであろうということは、日本に対して悪い感情を持つておる国はどの国もない。インドにおいても、セイロンにおいても、パキスタンにおいても、或いはビルマにおいても、タイにおいても、日本に対する感情は決して悪くない。ただ長い間のいわゆる習慣から、抑えつけられておつた習慣からまだ抜けきらないで、やはりイギリスのほうが力が大きいんだ、経済力が強いんだ、物を買うならばやはり英国の製品は少しくらい高くても英国のものを買いたいというのは、長い習慣からの考え方であるように我々は見受けられました。こうした伝統的な考え方を打破して行くためには、日本の商社の人たちは、やはり道義的に考えて、いいものを安く売つてつて行かなければならない。ところが、残念ながら現在の状況ではコスト高である。そこで先ほども私は予算委員会において各大臣質問したのでありまするが、日本の貿易政策は転換の時期に来ておるのじやないだろうか。たとえて言いまするというと、ボンベイにおきましては、イタリアの商人或いは西ドイツの商人がたくさん入り込んでおります。そうして日本の商人と競争をしております。併しながら、この競争をする場合においては、イタリアはイタリアなりのコーポレーシヨンを作り、ドイツはドイツなりのコーポレーシヨンを作つて、価格を統制して、決して日本の商品に負けないように、仮りに一梱百万円というものを日本が売り出したならば、我々のほうは八十万円でよろしい、マイナス二十万円は本国においてカバーしてやろう。いわゆるイタリアもドイツも総力を挙げて、東南アジアの市場開拓のために、あらゆる保護政策を以て闘つておる。併しながら日本の現状はそうでありません。行つておる商社は自由競争である。国内においても自由競争、海外においても自由競争であつては、到底この強力な相手に向つて我が商品が進出することは無意味であると同時に容易でないということを考えた場合に、私は今後のいわゆる貿易政策は、すでに転換の時期に来ておるのではないだろうか。少くとも日本のこういう面に携るところの経済審議庁の長官なり或は通産大臣なり或いは大蔵大臣なりは、十分にこの状況を考えて、日本の政策を転換しなければならないだろうと、私どもは痛感して参つた次第であります。  時間もありませんから、最後に申上げまするが、東南アジアどの国も日本に対して好意を持つておる。ただ私どもは残念に思うのは、インドとパキスタンの間に、宗教的な争いから、いわゆるカシミール問題、カシミヤのいずれに帰属するかということを中心にして争つておることは誠に遺憾に考えたのであります。御承知の通りパキスタンは新らしく独立国としてスタートしたのでありますけれども、あの沙漠地帯にどうしても水を引いて来なければ、いわゆる農産物の増産ができない、或いは電力の補給ができない、こういうので、ヒマラヤの峯続きであるところのカシミールからこうした水を引こうとするのに対して、インド側は逆に、カシミヤの経済力の……、カシミヤとパキスタンとに分れたために、カシミヤを自分のほうの国に引入れなかつたならばインドの経済は危い……。この二つの国が、曾つては対英抗争に血みどろの闘いをして来た人たちがお互いに分れて、昨日の友は今日の敵となつておるこの姿は、誠に残念至極に我々は感じたのであります。パキスタンの首相モハメツト・アリが我々に向つて、「日本の皆さん、よく聞いてもらいたい。ネールは昨日までは我々と共に対英抗争のために牢獄の中に血涙を搾つた同志である。然るに今日は我々の敵となつてカシミール平原に二十万の軍隊を派遣して我々と戦おうとしておる。若し世界第三次大戦が起きる原因がいずこにあるとするならば、東洋においては朝鮮三十八度綿或いは仏領インドシナ、このカシミール、イタリアとユーゴースラヴイアのトリエステ、更にベルリンの東西ドイツと、この五つの箇所が、第三次世界大戦が勃発するとするならば、その発火点であろう。我々はこのインドとパキスタンの争いを第三次世界大戦の序幕にしたくはない。曾つての同志であるから、愛を以て、人道のために、この我々の水の資源に正しい判断を与えてもらいたい」という、悲痛な叫びをあげておるのであります。若しも世界大戦がカシミール平原を中心として起るならば、それはインド側の責任であると彼らは言うのでありますが、モハメツト教数億のアラビア沙漠を背景とした月と星のマークを掲げたこの新らしいパキスタンが、第三次世界大戦の発火点にならないように、心から祈りを捧げて我々は帰つて参りましたのでありますが、どうか東亜の平和のためにも、我々の貿易の市場の同志のためにも、この東洋においてそうした不幸な事態の生じないことを祈つてやまないのであります。  以上簡単でありまするが実情を御報告申上げまして、皆様と共に、この日本の独立の経済のためにも、又東亜の新らしい時代に対するところの息吹きを更に増進するためにも、皆様の正しい判断の下に御協力を得たいと思う次第であります。誠に簡単でありますが、右御報告を申上げます。(拍手
  67. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) これにて自由討議を終ります。      ——————————
  68. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 日程第八、恩給金庫復活に関する請願議題といたします。  先ず委員長報告を求めます。内閣委員長小酒井義男君。    〔小酒井義男登壇拍手
  69. 小酒井義男

    小酒井義男君 只今議題となりました恩給金庫復活に関する請願につきまして、内閣委員会における審査経過並びに結果を御報告申上げます。  この請願は、過般改正せられた恩給法の規定中には一応恩給金融の途が開かれているが、この恩給金融は、現在の金融機関が片手間に処理し得るような程度のものでなく、真に受給者の利用に便であつて、その福祉に寄与し得るものであるがためには、別途独立した金融機関を設くる必要があるから、この際、恩給制度の完全を期するため恩給金庫を復活せられたいという趣旨のものであります。  内閣委員会におきましては、この請願の趣旨は、恩給法の改正された今日、多数恩給受給者の切実な要望でもあり、又その実現を期することが受給者のため緊切な問題であると認めまして、又、他方におきましては、これと大体同一趣旨の請願が先に第十国会におきましても本院に提出されまして、当時本院においてこれを採択し、内閣に送付すべきものと決定いたしましたので、この請願もそれと同一の取扱をなすべきものと決定いたした次第であります。  以上御報告申上げます。(拍手
  70. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 別に御発言もなければ、これより採決をいたします。本請願委員長報告の通り採択し、内閣に送付することに賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  71. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 総員起立と認めます。よつて請願全会一致を以て採択し、内閣に送付することに決定いたしました。      ——————————
  72. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) この際、日程の順序を変更して、日程第九の請願及び日程第四十三の陳情を一括して議題とすることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  73. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 御異議ないと認めます。先ず委員長報告を求めます。法務委員会理事小野義夫君。    〔小野義夫君登壇拍手
  74. 小野義夫

    ○小野義夫君 只今上程されました請願及び陳情に対する委員会における審査経過並びに結果について御報告いたします。  請願第五十号は戦犯者釈放等に関するもので、平和条約が発効して一年有余を経過した今日、なお受刑者がいることは誠に遺憾であるから、二日も早くこれら全戦争受刑者が釈放されるよう折衝せられると共に、戦犯刑死者及び獄死者の遺族に対しても戦歿者遺族同様に公的援護の措置をとつてもらいたいという趣旨のものであります。  陳情第一号も同じく戦犯者釈放に関するもので、終戦以来八年余に及ぶ今日、多数の人が戦争犯罪人として憂苦焦慮の生活を余儀なくされ、その家族が苦難の生活を送つていることは、日本国民として忍び得ない悲惨事であるから、政府及び国会は速かにこれら戦争犯罪人を釈放する措置を講ぜられたいとの趣旨のものであります。  以上の二件につきまして、政府の所見を聞き、慎重に審議いたしました結果、いずれもこれを採択し、院議に付して、内閣に送付すべきものと決定いたした次第であります。  以上御報告いたします。(拍手
  75. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 別に御発言もなければ、これより採決をいたします。これらの請願及び陳情委員長報告の通り採択し、内閣に送付することに賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  76. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 総員起立と認めます。よつてこれらの請願及び陳情全会一致を以て採択し、内閣に送付することに決定いたしました。      ——————————
  77. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) この際、日程の順序を変更して、日程第十より第十五までの請願及び日程第四十四より第四十九までの陳情を一括して議題上することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  78. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 御異議ないと認めます。先ず委員長報告を求めます。水産委員長森崎隆君。    〔森崎隆君登壇拍手
  79. 森崎隆

    ○森崎隆君 只今議題となりました請願七件、陳情六件につきまして、水産委員会における審議経過並びに結果を御報告申上げます。  請願百五号、日本近海のオットセイ猟獲事業許可に関する請願、これは海上におけるオツトセイの猟獲が、終戦と同時に連合軍の命によりまして許可を中止し、爾来九年間放置されて、業者の困窮甚だしく、よつて速かに国際間のオットセイ保護条約を締結すると共に、海上猟獲を解禁し、いるか漁業船を対象に許可制限の原則を規定せられたいという請願でありまして、委員会におきましては政府委員と応答を重ねまして慎重審議をいたしたのでありますが、委員からも、一方において水産資源の保護が叫ばれている今日、日本国土外に嘆息している動物によつて日本近海の重要魚族が食害せられ、漁業上に重大な影響を与えており、而も無条約状態のため、保護の義務のみをまじめに履行して、これに関する権利は何ら主張されていない現状は、甚だ不合理であり、殊にオットセイの繁殖がまさに飽和点に達しておる今日、徒らに困窮せる漁民から密猟の犯罪者を出すごときは、全くの愚策であり、速かに条約を締結して猟獲を許可すべきである等の意見も出まして、政府委員からは、調査中の資料を一日も早く取りまとめ、条約締結の方途に進みたい旨の答弁があり、この請願は願意極めて妥当としてこれを採択することにいたしました。  次に、請願百十一号、百七十二号及び陳情十四号の李承晩ライン撤廃等に関する請願並びに陳情請願百十三号、内水面漁業災害復旧に関する請願、百二十二号、漁船だ捕事件に関する請願、百八十五号、山口下関漁港拡築に関する請願、二百二十三号、日中漁業調整促進に関する請願、次に、陳情八号、九州西海域操業漁業者救済対策に関する陳情、十六号、内水面漁業振興対策に関する陳情、十七号、定置漁具災害補償制度確立等に関する陳情、十八号、海区漁業調整委員会職員身分確立等に関する陳情、十九号、山口通漁港整備拡充に関する陳情、以上の請願陳情等も、願意妥当としてこれを採択し、議院の会議に付し、内閣に送付することを要するものと決定いたした次第であります。  以上御報告を終ります。(拍手
  80. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 別に御発言もなければ、これより採決をいたします。これらの請願及び陳情は、委員長報告の通り採択し、内閣に送付することに賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  81. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 総員起立と認めます。よつてこれらの請願及び陳情は、全会一致を以て採択し、内閣に送付することに決定いたしました。      ——————————
  82. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) この際、日程の順序を変更して、日程第十六より第二十五までの請願及び日程第五十の陳情を一括して議題とすることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  83. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 御異議ないと認めます。先ず委員長報告を求めます。運輸委員会理事入交太藏君。     —————————————    〔入交太藏君登壇拍手
  84. 入交太藏

    ○入交太藏君 只今議題となりました日程第十六より第二十五までの請願十件及び日程第五十の陳情につきまして、運輸委員会における審議経過並びに結果を御報告申上げます。  日程第十六は、金沢駅構内操車場移転に関する請願でありまして、その趣旨は、金沢駅中橋踏切は一日十三時間余に亘り交通が遮断され、人車の交通、物資の輸送に多大の支障を与えており、又この踏切を中心とする地域は都市計画上工業地帯に編入されておるから、現在の金沢駅構内操車場を速かに移転して欲しいというのであります。  又、日程第十七の愛知県豊橋市中の郷踏切存置に関する請願の趣旨は、東海道線中の郷踏切が廃止されると、鉄道を挾む東西両市街の交通が遮断され、市民の受ける不便が甚大であるから、同踏切を存置して欲しいというのであります。以上の二件は、都市の交通発達並びに住民の利便の上から踏切の改善を考慮するを要するものと考慮いたし、いずれも願意を妥当と認めました。  次は、日程第十八の小型船舶職員養成費国庫補助に関する請願であります。請願の趣旨は、日本海員掖済会が小型船舶職員となる者を養成するに必要な諸経費を国庫で補助されたいというのでありまして、予算措置を講ずべきを妥当と認めました。日程第十九、船舶職員法中一部改正に関する請願は、船舶職員法改正して、一定の学校を卒業した者には学術試験を免ずること、漁船のみに効力ある甲種免状制度を設けること、一定の海上実歴を有する者に対し学術試験を免除して乙種船長免状を授与すること、同法附則第二項の経過規定の期限を延長することにせられたいという趣旨で、願意はおおむね妥当であると認めました。  日程第二十は、歯ブラシの貨物小口扱特別賃率免除に関する請願でありまして、その趣旨は、歯ブラシは生活必需品であり、石けん、歯みがきと同様、物品税の課税の対象となつたこともないので、貨物小口扱特別賃率を免除して欲しいというのであります。  次に、日程第二十一は、福岡県門司港田ノ浦臨港鉄道追加工事に関する請願でありますが、その趣旨は、田ノ浦臨港鉄道敷設工事は、当初の計画通り目下施工中でありますが、その後、同鉄道活用のためには、運転、操車等の諸点から見て、当初の計画線のほかに更に大久保地区及び外浜地区線路を増強し、留置線及び通過線とする必要があり、門司港の代替施設としての機能を発揮するためには、これらの両地区の線路を整備しなければ事実上運転が困難であるから、両地区の鉄道整備を安全保障諸費による代替施設工事に追加して欲しいというのでありまして、委員会におきましては、願意を妥当と認めました。  日程二十二、立川—国立両駅間に新駅設置請願の趣旨は、立川駅と国立駅の中間地帯が急激に発展し、又官衙学校等もあるから、その中間に東立川駅を新設して欲しいというのであります。委員会におきましては、附近住民の利便を考慮して、願意を妥当と認めました。  日程第二十三は、京都北丹鉄道災害復旧費国庫補助等に関する請願で、その願意は、今次の十三号台風によつて全線十二キロが軌道面上四メートル乃至六メートルの濁水に没し、鉄道開設以来の致命的な大損害を受け、その後一部は開通しているが、資金の関係上全線を開通せしむることが甚だ困難であるから、国庫の補助並びに特別融資をして欲しいというのでありまて、委員会においては、民生の安定上、又風水害特別措置法の主旨を考慮し、願意を妥当と認めました。  次は日程第二十四、多治見—春日井両駅間鉄道路線敷設に関する請願でありまして、その趣旨は、岡崎—春日井両駅間の現在の線は十二キロの間に十四のトンネルがあるので、旅客サービス及び輸送力増強の見地から、多治見駅より坂下町を経て春日井駅に至る新線路を敷設して欲しいというのであります。又日程第二十五の熱塩—米沢両駅間鉄道敷設に関する請願は、沿線の地下資源及び林産資源の開発、並びに青森、秋田、山形、会津と東京を結ぶ最短距離としての鉄道の一部として、本区間に鉄道を敷設して欲しいというのであります。委員会におきましては、以上の二件につきまして、利用者の利便、輸送力の増強、資源の開発、民生の安定等の見地から、いずれも願意を妥当と認めました。  最後に、日程第五十の国鉄貨物輸送力増強に関する陳情でありますが、その趣旨は、最近、国鉄の貨物輸送状況は急激に悪化し、駅頭在貨も激増の傾向にあり、産業活動及び民生の安定に重大な影響を与える結果となるから、貨車の新造整備計画を強力に進めると共に、当面の対策として貨車の運用効率の向上に努力して欲しいというのであります。委員会におきましては、最近の国鉄の輸送力の現状から見まして、願意を妥当なものと認めました。  以上の請願十件、陳情一件は、いずれも議院の会議に付するを要し、内閣に送付するを要するものと全会一致を以て決定いたしました。  以上御報告申上げます。
  85. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 別に御発言もなければ、これより採決をいたします。これらの請願及び陳情は、委員長報告の通り採択し、内閣に送付することに賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  86. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 総員起立と認めます。よつてこれらの請願及び陳情は、全会一致を以て採択し、内閣に送付することに決定いたしました。      ——————————
  87. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 日程第二十六より第四十二までの請願を一括して議題とすることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  88. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 御異議ないと認めます。先ず委員長報告を求めます。建設委員長石川清一君。    〔石川清一君登壇拍手
  89. 石川清一

    ○石川清一君 只今議題となりました日程第二十六号和歌山県紀の川堤防増強に関する請願ほか十八件の請願について、建設委員会審議の結果を報告いたします。  これらの請願中、河川に関するものは、和歌山県紀の川ほか五河川の改修工事施行促進と、中川、荒川の総合開発促進に関するものでありますが、このほか新潟県下の地辷り対策、長野県下の砂防施設に関するもの、並びに台風第十三号による京都府、長野県、三軍県下の災害東近畿水害による災害復旧促進に関する請願であります。  次に道路に関するものは、熊本県下、三太郎峠のトンネル開鑿のほか二路線の改修工事促進の請願であります。  これらのほか、公営住宅、産業労務者住宅及び住宅用地に関する請願と、大阪府螢池小学校について駐留軍の行為による特別損失補償に関するものであります。  以上いずれも国土の保全開発、道路の発達、住宅問題の緩和、並びに教育施設に対する補償等、願意おおむね妥当なものとして、院議に付し、内閣に送付すべきものと決定いたしました。  右御報告いたします。(拍手
  90. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 別に御発言もなければ、これより採決をいたします。これらの請願委員長報告の通り採択し、内閣に送付することに賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  91. 重宗雄三

    ○副議長(重宗雄三君) 総員起立と認めます。よつてこれらの請願は、全会一致を以て採択し、内閣に送付することに決定いたしました。  本日はこれにて延会いたします。次会は明日午前十時より開会いたします。議事日程は決定次第公報を以て御通知いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時四十八分散会      ─────・───── ○本日の会議に付した事件  一、日程第二 昭和二十八年六月及び七月の大水害被害地域における公衆衛生保持に関する特別措置等の一部を改正する法律案  一、日程第三 昭和二十八年六月及び七月の水害による被害たばこ耕作者に対する資金融通に関する特別措置法等の一部を改正する法律案  一、日程第四 昭和二十八年六月及び七月における大水害に伴中小企業信用保険法の一部を改正する法律案  一、日程第五 農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助暫定措置に関する法律等の一部を改正する法律案  一、日程第六 建設省設置法の一部を改正する法律案  一、日程第七 自由討議  一、日程第八の請願  一、日程第九の請願  一、日程第百四十三の陳情  一、日程第十乃至第十五の請願  一、日程第十六乃至二十五の請願  一、日程第五十の陳情  一、日程第二十六乃至第四十二の請願