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天田勝正君 そこで監察制度を如何に強化しようとも、今度は監察すべき人たちを又更に監察しなければならんような始末にな
つて、そこで結局やめてしまえというような極端な
議論にも
一つ発展しているのです。私もそういう事例を幾度か見ますものですから、これは非常に心痛しているわけなんですね。特によく
新聞等でも騒がれるし、国会でもしばしば話題に上るのは、単に平衡交付金にしましても、或いは公共事業費の配分等の問題にいたしましても、曾
つての天狗橋事件のような工合で、わざわざ橋を落して、そうして災害復旧どころか、これですつかり新しい橋にする、こういうようなことが発見された場合に、要するに懲罰とでもいいますか、そういうような意味で、誰に、又どの
機関に責任を負わせるかは別として、責任を負わせて、あとの国費の配分をやめるとか、そういう御
議論はなか
つたのでしようか。まあそういうことでもないと、いつでもいろいろ不在が指摘されるけれ
ども、終いには責任者はいつでもないのですね。私は、少し余談ですが、話が長くなりますけれ
ども、曾
つての空気木炭事件だ
つて、あれだけ五十四億も国費が何処かへ
行つてしま
つた。ところが早船事件のように、たとえ氷上の一角であ
つても、その責任者が明らかにな
つたのならいいけれ
ども、全く責任者がいない。そこがどうも空気木炭事件ということなんでしようが、とにかくそういう始末です。いつでも国若しくは
地方公共団体の不始末の跡を顧みますと、責任者はどこにもいない。たまたま公共団体は同じだけれ
ども、
知事がそうでないところへ移るくらいで、今度復活するときには、やつぱり元のところにさつと戻
つて来るというようなことで、何らそういうところはかまわない。こういう
現状なのですが、私は、自分の
私見ですけれ
ども、今度いろいろな行事をやりますけれ
ども、これは例を挙げますと、私は言いにくいのですが、埼玉県庁なんかだ
つて、あの
通り第一期、第二期、第三期の工事のありますたび毎にお祝いをや
つておる。私は馬鹿々々しいから行かないけれ
ども、第三期だから、終
つたときだからと思
つて行つて見ますと、第一、第二は、確かに選挙目当と思われるけれ
ども、いろいろな豪華なものを配る。第三期工事は選挙に遠いものだから、今度は何もない。(笑声)そこで、その何もないとき、こつちは行
つたわけだが、そうしたら、今度更に議事堂を新らしく造り直す、第四期工事が済んで、本当のお祝いだというようなことで、実に馬鹿げた
費用が出ておる。こういう例を挙げれば、各
委員とも随分御
承知の
通りだと思いますけれ
ども、とにかく道義の問題なのです。その道義の問題は、やはりただ刑法ということだけでなく、さつき言う次の国費の配分について、何か按配する、こういうようなことでもしなければ処置がないのではなかろうか、こういうようなことにも
考えられるのですが、それらの点でどうなんです。少数
意見なんか見てみましても、別にそういう
意見は出ておらない。まあこれは
機構の問題でや
つているのですから、出ておらないのは無理もないのですが、学識経験者のほうからは何かそういうような指摘がありましたですか。これは
機構とは
ちよつと違うですが。