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1953-11-27 第17回国会 衆議院 労働委員会人事委員会運輸委員会郵政委員会電気通信委員会連合審査会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年十一月二十七日(金曜日)     午前十時五十五分開議  出席委員  労働委員会    委員長 赤松  勇君    理事 鈴木 正文君 理事 持永 義夫君    理事 山花 秀雄君 理事 矢尾喜三郎君       池田  清君    黒澤 幸一君       多賀谷真稔君    井堀 繁雄君       竹谷源太郎君    山下 榮二君       中原 健次君  人事委員会    理事 赤城 宗徳君 理事 田中  好君    理事 永田 亮一君 理事 舘林三喜男君    理事 加賀田 進君 理事 山口 好一君       田子 一民君    小山倉之助君       竹山祐太郎君    石山 權作君       櫻井 奎夫君    池田 禎治君       長  正路君  運輸委員会    理事 楯 兼次郎君       有田 喜一君    正木  清君       山口丈太郎君    館  俊三君  郵政委員会    委員長 田中 織之進君    理事 船越  弘君 理事 片島  港君       武知 勇記君    佐々木更三君       淺沼稻次郎君  電気通信委員会    委員長 成田 知巳君    理事 原   茂君       庄司 一郎君    上林與市郎君  出席公述人         東京大学教授  有泉  亨君         公共企業体等         仲裁委員長   今井 一男君         読売新聞論説委         員       白神  勤君         中部日本新聞論         説委員     清水 武雄君         都立大学教授  沼田稲次郎君  委員外出席者         労働委員会専門         員       濱口金一郎君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた事件  公共企業体等労働関係法第十六条第二項の規定  に基き、国会議決を求めるの件(印刷事業に  関する件)  公共企業体等労働関係法第十六条第二項の規定  に基き、国会議決を求めるの件(専売公社に  関する件)  公共企業体等労働関係法第十六条第二項の規定  に基き、国会議決を求めるの件(造幣事業に  関する件)  公共企業体等労働関係法第十六条第二項の規定  に基き、国会議決を求めるの件(国有林野事  業に関する件)  公共企業体等労働関係法第十六条第二項の規定  に基き、国会議決を求めるの件(アルコール  専売事業に関する件)  公共企業体等労働関係法第十六条第二項の規定  に基き、国会議決を求めるの件(国有鉄道に  関する件)  公共企業体等労働関係法第十六条第二項の規定  に基き、国会議決を求めるの件(郵政事業に  関する件)及び公共企業体等労働関係法第十六  条第二項の規定に基き、国会議決を求めるの  件(電信電話公社に関する件)について     —————————————     〔赤松労働委員長委員長席に着く〕
  2. 赤松勇

    赤松委員長 これより労働委員会人事委員会運輸委員会郵政委員会電気通信委員会連合審査会公聴会を開会いたします。  本日は、私が連合審査会公聴会委員長の職務を行いますから、御了承ください。  この際公述人各位に私より一言ごあいさつを申し上げます。  公述人各位におかれましては、本日は御多忙中のところを御出席を賜わりまして、ありがとうございました。ただいまより御意見を拝聴いたしまする、公共企業体等労働関係法第十六条第二項の規定に基き、国会議決を求めるの件(印刷事業に関する件)外七件につきましては、いわゆる仲裁裁定給与改訂問題として、広く世論の対象となつておるのでありますが、これはまた、官公庁百八十万職員並びにその家族にとりましては、死活的重大な問題であります。この際公述人各位におかれましては、十分意を尽されまして、腹蔵なき御意見をお述べになつていただきたいと存じます。  なお、本日の公聴会の議事の順序について申し上げますが、各公述人より意見をお述べになつていただき、ただちに質疑を行いまして、質疑が終りましたならば、お引取りを願うことといたします。  では有泉公述人よりお願いいたします。
  3. 有泉亨

    有泉公述人 御紹介にあずかりました有泉でございます。  このたび下された幾つかの仲裁裁定内容が適切であるかどうか、それについて予算上の措置を講ずることが、国の財政上適切であるかどうかというようなことについては、実は私は発言能力がないのでありまして、私がやりましても、しろうと論に終るにすぎない。私がここに招かれたのは、日ごろ労働法などを勉強しているからだと思います。そこで解釈論を少し試みたいと思います。むろん現行法を一応前提としてでありましてここでは立法論などには触れないつもりであります。  現在行われている公共企業体等労働関係法というのは、実にその内容が混乱をしておりまして、この法律を読みまと、われわれは何となく不愉快になります。それは、内容がどうのこうのというのではなくて、そこで運ばれている論理の筋がなかなか通らない、そこで不愉快なのです。ですから、これを何か明確なもので割切つて行くということは、非常に困難ではありますが、しかし法が法として妥当するのには、一定の体系があつて、それを貫く論理というものがあるべきなので、従つて解釈にあたつても、どういうふうに論理を貫かせたらいいだろうかということが、中心の問題になつて来るわけであります。またその一番かんじんなことは、この法律が、憲法で保障している労働者基本権とどういう関係にあるかということももちろんですが、ここで今違憲論というようなものを展開してみても、それは一応現実の間に合わないと思いますので、まず、かりにこれが憲法に違反しないものとしてこれを解釈する場合、どういう態度で臨むべきかということを考えてみますと、これはなるべく規定憲法精神に反しないように、憲法精神を生かすように解釈されなければならない、これがこの法律を手にした場合のわれわれの心構えでないか、こういうふうに思うのであります。憲法精神を生かしながら、そこで一応の論理を貫いて行くということであります。  それで、この公共企業体等労働関係法の基本的な精神は何だろうか、こういいますと、それは公務員一般争議権団体交渉権を禁止したところからはずして行つた、そういう成立の過程などを考えますと、公務員はとにかく法律でその給与がきまつてしまう、ところが公共企業体等においては、当事者団体交渉によつてそれをきめる、いわゆるネゴシエートができるということ、これがこの法律の基本的な性格だと思うのです。従つて公務員の場合には、人事院の勧告というようなものを通じてそれが給与の面でも立法化されている。ところが公共企業体等においては、当時者の協定によつて行く、協定がどうしてもできないときは仲裁裁定によつて行く、こういう建前なわけです。  このことは、最近の公労法が改正されたときに、五つ現業がその中に加えられたわけですが、その現業の拾い方の中にも現われていると思うのですというのは、かつて労働関係調整法の三十八条というのがありまして、非現業公務員争議行為ができないが、しかし現業の者はできる、こういうことが規定されていたわけですが、そのときに現業言つた場合には、直接国の行政司法に関与していない者が現業だ、ですから、自分のことを言いますと、私は東京大学教授というあれですが、これは直接国の司法行政に関与してもおりませんから、現業であつて、当初争議権はあつたわけです。そういう争議権を認めるかどうかという基準からする現業を考えますと、もつともつとたくさんの現業があるはずです。ところが、公労法の改正の際に、あの五つだけの現業が認められたというのは、結局、公労法団体交渉給与をきめるということ、団体交渉給与をきめることが可能なようなそういう企業官庁現業官庁、そういうところで働いておる者について公労法適用をする、こういう考え方ですから、一応の筋は通る。  むろん学者の中には、どうしてあの五つ現業官庁だけ選んだかということで、これは不当であるというふうに批判なさる方もあります。それは広い意味では正当ではないかと思いますが、公労法立場に立つて考えれば、あの五つ企業官庁が選ばれたということは意味があるわけであります。それは、何といつても、そこで経済的な活動をしていて、ある程度の独立採算制が認められ、収入をはかり支出を節減するということが、国の企業として矛盾しない。普通の官庁ですと、与えられた予算を年末に残すということは、官庁十分仕事をしなかつたという意味合いを持つわけですが、経済的な活動をしているところでは、費用を節約し、収入をはかつて金が残つたということは、そこで能率を上げたということを意味するわけです。そういう意味で、あの五つのものが入つて行つた、そういう立場から考えますと、公労法というのは、一応そこで労働生産性を上げれば、それがそこで働いた者に返つて来る可能性を含んでおる、そういうものを取上げている、こういうものではないかというふうに思うわけです。そこで、そこの経済のぐあい、そこでの企業管理のぐあいというものが、ある程度労働者待遇の中にも出て来る。そういうことを通じて、またそこで働いている人たち十分能率を発揮してもらう、こういう趣旨でできているものだろうと思うのです。そういう公労法精神を貫いて行く、これが予算わくで非常に厳格に押えられるということは、どうも納得が行かない、筋が通らない。それがまたその特別会計わくの中で押えられるという意味なら、その特別会計能率を上げて、収入をはかり、支出を節減するということで、その中でまかないなさい、こういうのなら話はまだわかりますが、そういう全体のわくの上に、なお予算総則における給与総額というもののわくでこれを押えてしまつているということは、これは公労法そのもの精神をまつたく殺してしまつたやり方ではないかと思うのです。その公労法とそういう予算総則との効力関係ということになりますと、私は公法学者でありませんので、少し自信がありませんが、とにかくそういう予算総則できめられることも、公労法とは独立に一応効力があるとしましても、その仕組みそのものが実に矛盾を含んでいる。極端な言葉でいえば、羊頭を掲げて狗肉を売つているとさえもいえない、羊頭を掲げて狗肉さえも売らないという感じを持つわけです。  そこで先ほどの公労法——ひとり公労法だけではありませんが、そういう予算総則などに出て来る規定の仕方などから、憲法精神に会うようになるべくこれを考える、憲法違反にならないように解釈をするとしますと、どうしても公労法建前をできるだけ生かして行かなければならない。これは結局憲法二十八条の理解の仕方からも来るわけですが、憲法二十八条の基本権というものを非常に強く考えて行けば、どうしても公労法精神を生かして行く。とにかく当事者ネゴシエートによつて待遇がきまる、話がどうしても折り合わなければ調停を経て、あるいは仲裁によつてこれをきみる。これは普通の私法上の約束でいえば、裁判と同じことで、仲裁が下りますと、それで当事者を決定的に拘束するわけですが、その仲裁をもつて協定にかえる。このことは、一方で争議権を奪つていることとのバランスで与えられているわけです。協定できまりますから、従つて公共企業体の中で働いている者の給与というものは、八社なら八社が、必ずしもみな平等に行かないのはあたりまえでして、自然そこにアンバランスが出て来ますが、それは枝葉末節でして、アンバランスが出て来るのがおかしいという議論——アンバランスはなるべく調整をはかるということは、立法論としては考えられても、解釈論として、アンバランスが出て来るからどうするという問題にはならないのみならず、たとえば現業官庁ですと、一部の非組合員に当る方は一般公務員適用を受けるので、そことのアンバランスというようなことは問題になるかもしれませんが、これも、振りかえつて、非組合員を非常に広くきめているあの公労法についている別表が、もし批判されるとすれば、むしろ批判さるべきである。そこでアンバランスが出て来るとしても、それも枝葉末節の問題であろうと思います。そういう仲裁裁定で、どうしてきめるかというのは、それを裏返せば、一方で争議権を剥奪しているということですが、この場合に、ものの考え方順序として、公務員の側と比較して、公務員はむろん争議はできない、その公務員と同じような地位にあるのに、公共企業体等で働いておる者には団体交渉権を与えておるというように、ものを考えてはならないと私は思うのであります。むしろ一般労働者の側からものを考えて行かなければならぬ。それは憲法建前がそうなつているわけでして、憲法の二十八条というものがあつて、そのほかには憲法の中に公共仕事をしておる者も争議権団体交渉権を奪うことができるという規定はどこにもないわけです。従つて出発公務員でもだれでも、とにかく働いて生活を立てておる者は労働者であり勤労者なんである。そうしてそれは二十八条により基本的な権利を与えているんだ。そこから出発してものを考えますと、公共企業体等で働いておる人たちも、元来は争議権がある。それを都合によつて公共福祉ということで——それが奪われるかどうか議論があると思いますが、一応公共福祉というこうな観点から、争議権はしばらく遠慮してくれ、そのかわり仲裁裁定というふうに、かわりとして与えられたもの、これはどうもそう解釈するほかはないのでありまして、それを逆に公務員の側から比較して考えるのは、日本法体系というものをすなおに理解している考え方ではないというふうに思うのです。  そこで、そういう争議権を剥奪している代償として仲裁制度が置かれているということになれば、それが争議権剥奪代償に値するかどうかという問題が起るのでありまして、先ほどからの議論に帰つて行きますと、もしそれがまつた狗肉をも売らないような制度であれば、むしろ憲法違反の疑いがある。これを合憲的に解釈をしようとすれば、公労法精神を生かして行かなければならないというように結論せざるを得ないのだと思います。  そこで、ごく大ざつぱな考え方をしますと、とにかく企業官庁なり公社なりで、能率上つたということから、あるいは能率を上げるというような関係からする広いゆとりのあるもの、これは原則としては国会のお世話になつたりして予算措置を講じないでもいいようにあるべきもの。しかし、それがたとえば非常な災害があるとか、経済的な諸事情でどうしても従来の予算でまかないがつかないこういう別な観点から出て来る出費については、予算措置によつて補給をして行く。ですから、最近の風水害などで出て来るものを、公社なり現業官庁企業官庁なりの、すでに与えられた予算の中だけでまかなうというような考え方は、むしろ無理があるのではないかというように考えるのです。このように考えて来ますと、公労法の十六条にいつております資金予算支出可能という範囲も、かなり広く解釈しなければならない、そういう解釈態度が、そこから出て来ると考えるのです。  そこで、その問題に触れますと、思い出されるのは、かつて国鉄の仲裁裁定をめぐつて予算資金上可能なということが、裁判所の問題になつたことがあります。そこで御承知と思いますが、これは東京高等裁判所まで行つて、その後どうなつたか私は知らないのですが、その一番終りごろの昭和二十五年十一月二十八日に出た東京高等裁判所判決でも、この予算資金上可能というのは、大蔵大臣自由裁量にまかされている部分も入るんだ——ちよつと長いのですが、私がかつてなことを言つておるのじやないという意味合いで読ませていただきます。「公共企業体職員は私企業における労働者と異り、事業の高度の公共性よりして一切の争議行為を禁止され、公社との間の雇傭条件に関する紛議は凡て平和的な団体交渉によつてこれを決すべきことを要請され、相互の交渉によつて局面の打開を計ることのできる場合に備えて、調停仲裁等制度を設けられたのであるが、交渉が円満に妥結して協定が成立し又は紛争最終的決定として当事者がこれに服従すべき仲裁委員会裁定が示された場合、これら協定又は裁定の実施は、公社予算給与費目に余裕の存する極めて稀な場合を除いては事実上他費目移流用による外はなく、これが流用を承認すると否とは一に大蔵大臣自由裁量に任され、その政治的考慮によつて左右されるものとするならば、公労法紛争友好的平和的解決を図るため、団体交渉の慣行と手続とを確立し、公共企業の正常なる運営公共福祉を擁護せんとした立法精神は全く没却される結果に立ち到るのである。かくて政府から独立した地位と権能を与えられた仲裁委員会制度も充分なる機能を発揮することはできず、職員生存権の保障も薄きこととなる訳である。」こういうふうに東京高等裁判所判決は言つておりますもちろん、その後先ほどもちよつと触れましたように、給与総額というものが予算総則できめられることになつてしまつた。これは推測すれば、この昭和二十五年に東京地方裁判所及び高裁の判決などが出た。これは困つたことだと考えて、おそらくその公労法のその部分を押えるために、そういうわくをつけてしまつたのだと思われるのですが、しかし、そういうわく効力そのものは、先ほど言いましたように、ここで議論する自信はそうありません。一応そういうわくが既定し事実としてあるものとしても、やはり公労法精神を生かして、そこの解釈公労法で認められておるネコスエート——交渉権というようなものを生かすように考えなければならない。従つてそういう給与総額の制約が加わつたあとでも、今読みました高等裁判所判決精神というものは、やはり生かして解釈しなければならないのではないかというふうに思うのです。  そこで、それではそれは具体的にどういう点に生かされることができるだろうかと考えますと、これはある公社なり、あるいは企業官庁が、予定した収入よりもよけい収入がある、あるいは費用が節減された。それには事業量が増加したとかいろいろなことがありますが、そういう場合には、事業のため直接必要とする経費の支出はできる。そしてその場合には、主管大臣承認によつて給与総額を変更することができるという道が開かれておるのであります。もちろんこれは各公社及び企業官庁予算に関する規定を全部しらみつぶしに調べたわけではありませんが、一応そうやつて出て来たものは特別給与として支給できる、こういう言い方がしてあるわけです。しかし、特別給与といおうと、あるいはそれを一応ベース・アツプという形で払おうと、とにかくそこで働いている職員に払うことができる金があるわけで、そういう金をつくる義務裁定によつて主管大臣に生ずるのではないか。主管大臣はそういう給与総額を変更する義務づけを受ける、そういうふうに解釈しなければならない。これは公社の場合には若干疑問があつたわけで、協定を結ぶとか仲裁裁定効力を受けるのは公社であつて主管大臣はこれらの当事者ではないという事情があつたわけです。これは今井仲裁委員長も、ここでの、この月の初めの公聴会の折りに言つておられますが、現業官庁五つつたことによつて、たとえば郵政をとつてみますと、当事者郵政大臣、そういうことになると、この義務づけの範囲の強さというものが、ずつと明確に出て来る。ですから、使用者として組合交渉する、それから今度は、予算を握つている者として別な態度に出るということは、人格分裂ですか、二重人格的な行為に当るわけでして、許されないのじやないか。主管大臣というのは、裁定当事者または準当事者といいますか、そういうものであり、そして裁定協定とはまつたく同じなんだ、だから自分がある約束をしたと同じ地位に立つていながら、その約束を履行する措置をその部内で講じない、その手続を進めないというのは、これは義務違反になる、こう解するほかはないと考えるわけです。しかし、その範囲というものは、一つの例をあげたのですが、そのほかにどういうくふうがあるか、必ずしも全体を把握しているわけではありません。それでもなお予算資金支出不可能な部分というものがあるかもしれません。どうしても新しい予算を組まなければだめだということが起るかもしれない。そういう場合でも、たとえば、ごく大ざつぱに言いまして、二千円ベース・アツプしなさいという仲裁裁定がかりに下つたとします。そのうち千円までは、実は予算資金上の運営で可能だとしますと、今述べましたような意味合いで、大臣として千円は出す義務がある、そういう措置を講ずる義務が生じている。あとの千円が国会決議にかかつて来る、こういうことになるのではないか。もちろんその理論の前提としては——一体仲裁裁定国会にお諮りする、承認を得る、こういつた十六条の言葉は、若干読みにくい言葉になつておりますが、これは何も仲裁裁定内容をここで審議していただくとそういう趣旨ではなくて、それを実行する上に予算、金が必要だ、そういう意味予算面の審議をしてもらう、こういう趣旨だろうと思うのです。これは先ほどちよつと待つておる間に、労働専門員の部屋でお話をしておつて、そういうことになると、それではきようの委員長労働委員長ではだめで、大蔵委員長でなくてはいけないんじやないか、予算のことだけやるとそういうことになるのじやないかと、そういうじようだんが出たのです。りくつとしてはそうなんで、これは私は明日ここへ来られてお話をなさる峰村教授と一緒に「公労法地公労法」という書物をやつたのですが、その峰村教授はやはりそういう解釈をはつきり言つておられますし、それから、さきごろここでお話なさつた今井委員長も、予算の見地からだけこれを審議していただく、そうなると裁定がたとえば全額は実施できないという場合にも、それはオール・オア・ナツシングということではなくて、予算資金上可能な範囲措置主管大臣としてはとらなければいかぬ、それでとつておいた残りの分がこれである。しかし、ついでにその分をここでおはかりになつてもかまわないでしようが、しかしこれがここで承認されないとしても、予算上覧金上の可能な範囲ではやはり仲裁裁定効力は残るのじやないかというふうに考えるわけであります。もつともそういう議論をしますと、その裁定効力というものは、ここで承認を得られなかつた場合失効してしまうものかどうかというところで、これもまた学者の間で議論がわかれておりまして、ある学者はそれはただ支出ができない場合なんで、裁定のあつた以上は、当事者は最終的にこれに拘束される。記憶があまりはつきりしておりませんが、たしか最初に裁定が問題になつたときに、末弘先生も同じように言われたように記憶いたしますが、そういう説と、やはり承認効力発生要件という説と、説がわかれているようです。しかし国会決議を経なければ出せないようなものを、かりに協定で結んだとしても、それは出せないということが両当事者に了解されておるとすれば、その効力はみな予算上の措置がとられなくてもなお存続するかどうかということになると、若干疑問はありまして、先ほど読みました東京高等裁判所判決では、これはやはり効力が発生する要件だというふうにされております。しかし、これは説がわかれておつて、定説というものがない。しかし、少くとも予算資金上可能な範囲では、当然に主管大臣は拘束を受けているのですから、その範囲ではやはり生きておる。ここにどういうふうな形で承認が求められているか、私はつまびらかにしないのですが、かりに予算上どうもだめだということになつて裁定はできるだけの範囲では払わなければならない。千円払え、こういつたものに対して、五百円分はだれかの承認がいる、五百円分は自分のところで出せる。こういうのであつたならば、千円払え、こういつた裁定は、一部分は履行できるわけですから、効力を持つ。ある一定の行為は、なるべく効力があるように解釈しなければならないという原則からもそうなるものと思います。  大体与えられた時間が一ぱいになりましたので、これくらいで失礼いたしますが、どうも記録や新聞などに出たものなどを見ておりますと、裁定が下ると、さあこれから闘争というのが一般の方式——これは公労法精神に反することおびただしい、そういう慣行が出て来たことは実に遺憾だというふうに考えます。それから同時に、結局先ほど委員長から言われた百八十万か九十万かの人が今どこを注目しているかというと、国会を注目している。闘争の相手が国会だというふうな印象を与えることは、これは決して喜ばしい現象ではない。一方で政治ストは違法だということを言つておきながら、結局労働条件が間接的に矢面に立つのは、これはやむを得ないでしようが、国会が直接に矢面に立つて、ある労働者たちの労働条件というものがきまつて行くということは、どうも喜ばしい現象ではない。これは政治ストは違法、こう言つてもだめなんで、そういうことが続いて行けば、これは政治ストにならざるを得ないというふうな感じを持つわけです。最後の点はただ感想にすぎませんが、私の乏しい知識で公労法解釈いたしますと今言つたような点が出て来ます。  私の公述はこれで終ります。
  4. 赤松勇

    赤松委員長 これより有泉公述人に対する質疑を許します。山口丈太郎君。
  5. 山口丈太郎

    山口(丈)委員 私は今お話になりました公労法の取扱いについて、二、三の点を御質問いたしたいと思います。  今、最後に申されました実は仲裁裁定が出てそれから組合が騒ぎ出す、これは実際は法律上の趣旨から申しますと、何かそこに割切れぬものが存することは事実つでありますが、しかし一方においては、今ここで公労法規定に基いて——政府の申しますのには、十六条二項の規定に基いて、予算上質金上困るから、それで予算の裏づけなしに当委員会に承認を求める、こういうことになつておる。それが実際には実行されぬということを実は意味して来る。こうなれば、憲法の保障します基本権にかわるものとして制定をされました公労法というものが、今の先生の説である所管大臣もこれに拘束されることが建前だという重要な点からいたしますと、完全に公労法に違反して来る行為になる。であるから、むしろその公労法に違反する行為をさせないために、その所管大臣または所管理事者に対しての一つの抗議としてのこういう闘争が巻き上つて来る、こういう結果になつているのが実情ではないかと私は思います。そういう点から行きますと、公労法の取扱いというものに非常な疑念を生ずると思いますが、これは公労法精神から申してどういう結果になりますか、所見を承りたいと思います。
  6. 有泉亨

    有泉公述人 お答えいたします。これはお答えになるかどうかわからない、少しさしさわりがあるかもしれませんが、昔話をいたしますと、田中耕太郎先生が文部大臣をしていたときに、日教組の人たちでしようが、組合の人がしきりにべース・アツプのことなどを要求して面会を求めた。ところが、この田中先生は、予算のことはおれにはできない、これは国会できまるので、おれに会つてみてもだめだといつて会われなかつた。それを聞いて田中一郎という行政法の先生が東大におりますが、それが忠告して、やはり教員としてはどこに苦情を持つて行くかというと、持つて行くところは結局文部大臣に持つて行くよりほかないじやないか。だから、あなたがよく聞いて、要求に賛成ならば大いに努力しましようと言うし、自分の考えでもそれは無理だと思うならば、とにかく会わなければならぬ。交渉の相手は大臣。そこで、かりに努力しましようということになれば、これは道義的な責任を負うわけで、閣議に出ても、教員の給料が上るように努力しなければならない。ところが、協定になりますと、協定は単に努力する。こういうのではなくて、今度はほんとうに約束ですか、もつと強い法律的なあれを負つていると思う。ですから、そういう意味自分でやれる範囲主管大臣がやれる範囲のことは、およそやつてみなければならぬ、そういう義務を持つている。それでなお行かないときは、そういう約束で縛られたのですから、それを国会承認を求めるように努力しなければならないのではないか、そういうふうに考えます。そうすると、その努力をかりに怠つているというふうに一般労働者が考えたとすれば、一面ではその努力をせよという意味での闘争になるわけでしよう。しかし、同時にまた、それを握つているのは国会なんだから、国会に対する一つのデモンストレーシヨンとしての闘争が起るということではないでしようか。それが公労法との関係上どういう建前になるかということは、ちよつとどうお答えしていいかわからないのですが、事実としてそうなつておる。これはどうもしようがない。これを何とか改善しなければならぬということは、立法論になりますけれども……。
  7. 赤松勇

    赤松委員長 委員の皆様に御協力をお願いしますが、なおあと公述人の方が多数おりますし、今井仲裁委員長も公用がございまして、できれば午前中にというようなお話もございます。なお質問の通告もございますから、ひとつできる限り多数にわたつて、短時間に能率的にやりたいと思いますから御協力を願います。
  8. 山口丈太郎

    山口(丈)委員 実は私は今井委員長に御質問をいたしたいのが趣旨であつた。しかし、今先生の意見を承りますと、どうも結論的なものは得られないと思いますし、今後における参考として一、二の点をちよつと質問してみたい、かように考えたわけて、私は今井委員長に質問を保留しておきたいと思います。  もう一点だけ聞きたいと思いますが、法体系から申しますと、どうも先生がおつしやつたように、公労法を制定しておいて、給与準則やあるいは予算総則わくで縛つて行くということは、結果においては公労法がないのも同じことであつて、単に仲裁委員もそれらの当事者も、骨折り損に終つてしまう。それがひいては、やはりこの裁定が出た後に、それを実施しろとかなんとかいうような、公労法がありながら、それによつて公共の福福に支障を来すような行動にならざるを得なくなる。こういう点は、私はひいては幾つかの段階をふんでおるが、しかし憲法基本権から申すと、そういう行為は立法体系から申して憲法基本権に抵触するのではないかというふうに感ずるのですが、いかがでしようか、ちよつと伺いたいと思います。
  9. 有泉亨

    有泉公述人 私は憲法二十八条というのをかなり強く解釈する、あるいは一番強く解釈する一人かもしれません。従つて、御説にまつたく賛成でございます。
  10. 赤松勇

    赤松委員長 それでは次に多賀谷真稔君。
  11. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 先生のお話の中で、特別な給与、すなわち労働者の努力、経費の節減によつて金が余つて来る、こういう場合には、特別な給与を支給することができる、こうあるけれども、その特別の給与というのは、何もベース・アツプであるから、あるいはその他の給与であるからという区別はなくて、特別の給与の中に入るじやないかというお話であつたと思います。そういたしますと、今度出ております裁定の中には、全印刷とかその他において当然労働者の努力によつて収入が増して来ておる、こういう分があるわけでございます。そういたしますと、何も国会にかけなくても、ベース・アツプであるけれども、特別給与として年度内において支出ができる、かように考えておりますが、先生の御見解を承りたい。
  12. 有泉亨

    有泉公述人 そうだと思います。勉強の時間が与えられなくて不十分ですが、たとえば、予定した金額よりも収入がふえた、この予定というのは聞いてみますと公社がきめるんですね。予算がここにかかつていない。ですから、予定したよりも収入がふえたというのは、その予定というのは予算とはあまり関係のないことできめられるものでして、そしてその予定した金額よりも増加した。増加すればいいのでして、一方でどつか災害があつて、その金はそつちにまわさなければならぬという事情があつても、その場合はむしろそつちへまわすべきものではない、まわさないことを主張できるんじやないか。災害などは、それこそここで特別の予算措置を御審議願うという性質のものじやないか、こう思います。ですから、大体いろいろの規定にわかれているようですが、支出を節減すると、その支出が予定されたより節減されれば、そこにある帳簿上の金が浮く、収入が予定されたよりふえる。そうすると浮くわけですから、これでかなり明瞭に出て来るのではないか。そうしてそれは主管大臣義務づけがあると考えますから、主管大臣裁定に従う義務づけがあるとすれば、自分でできることだ、それでやれるわけだ、こういうふうに考えます。
  13. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 そういたしますと、単に主管大で臣なくて公社の場合でも、当然拘束を受け、また大蔵大臣あるいは主管大臣承認は、先生の御意見でも、また東京高裁の判決によりましても、これは予算上不可能だとか、国会にかけるべき性質のものでない、こういうことになりますと、今出ております仲裁の八月以降から実施せよというのは、法律上当然拘束を受けると考えるわけですが、どうでしようか。
  14. 有泉亨

    有泉公述人 事実がそういうことですと、そうだと思います。各公社あるいは企業官庁がどうなつているかということは、はつきり知りませんですが、もしそういうものがあるとすれば、拘束を受けているのではないかと思います。
  15. 赤松勇

    赤松委員長 それではどうでございましようか。有泉公述人に対する質疑はこの程度にしておきまして、次に今井仲裁委員長の発言を求めたいと思いますが、よろしゆうございますか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  16. 赤松勇

    赤松委員長 それではさういたします。今井公述人
  17. 今井一男

    今井公述人 私は仲裁委員長立場として、この席でいろいろ申し上るものも妙な感じがいたすのでございますが、本日は公述人としてお招きをいただきましたので、ただいまこの問題をめぐりまして、いろいろあちらこちらで言われておる点について、断片的に私の持つております個人的な感想を申し上げたいと思つております。  第一に申し上げたいことは、人事院勧告と仲裁裁定というものは、法律的に全然性質の違うものであるという点であります。別の角度からは別の意見も出ましようが、少くとも裁定というものは、若干の例外、若干の疑問はありましても、それでおしまいになるという建前のものであることは、申し上げるまでもございません。もし、これが単なる一つの案をこしらえる、単に国会に勧告申し上げるというようなものでありますといたしますれば、協定仲裁などという複雑な手続は、こしらえる必要は全然ないわけでございまして、その意味からも、国会あるいは予算という建前と衡突するときわめて例外的な場合を除きましては、その仲裁の本来持つておる性質を通さなければ、公労法という建前を離れまして法理的な常識論からいたしまして、おかしいんじやないかということが申し上げられると思うのです。  なお、ただいま有泉教授からお話ございましたが、そういつた建前国会の持つておられる予算に関する最高権威というものをからみ合せますと、十六条の問題が出て参るのでございますが、十六条には協定裁定そのものが国会の御審査にかかるような形になつておる。この文字が、いわばいろいろ論議をかもすもとでございますけれども、先ほども有泉先生のお話のように、もしこれが国会仲裁裁定の審査をもう一度やり直す——人事院勧告と同じ立場に立つわけですが、そうなるということは、先生もおかしいと言われましたが、私もおかしいと思うのであります。もちろん国会という立場から、別の角度におきまして、いろいろ仲裁委員会の機能というものをお調べになる、そういつたことは、これは必要でございましようけれども、少くとも公労法十六条の立場における場合に、仲裁裁定というものは、もう一度国会であらためて見直さないとおしまいにならないんだという形になりますと、極端な例をあげますと、たとえば賃下げの場合、これは予算上の問題は起りません、この場合には、これはもう法律上固まつてしまうわけであります。また現に過去におきましても、幾つかの裁定の中で、三つばかりはそのまま、賃金の問題でございますけれども、確定した例もございます。従いまして、先ほども有泉先生のお話のように、たとえば二千円アツプのうちで、千円は払える、千円は払えないという場合に、二千円全部がいけないということを国会が認定できるような形になりますと、これはまつたくおかしなことになりますので、やはり文字は裁定そのもの、協定そのものでありましても、これはどうしても予算という見地から考えなければならぬということに相なろうと思うのです。  ただ、この場合におきまして私ども特に申し上げたいことは、今の公労法建前——もちろん公労法建前に対しては、批判の余地はございましようが、現行法は、あくまで個別的に企業内において団体交渉を重ねる、その重ねた結果、紛争が解決しない場合に、最終的に仲裁委員会に参るという建前でございますので、個別的にごらんいただく必要があると思うのであります。それを一本のものさしで、ここが払えなければみんな払うな、こういつた式の権衡論は、どう考えても公労法建前とは違う、こういわざるを得ない。もしも一本のものさしではかるためでありますと下手をしますと、団体交渉権を否認するというようなとこまで私は行つてしまうのじやないかということをおそれるものであります。すなわち労使紛争というものは、結局当初両者の自主的な解決を目標といたしまして団体交渉を行い、その団体交渉の中の意見の一致をしない部分だけにつきまして——意見が一致しますれば、その部分につきましては、第三者は何も言うことはありません。もちろんわれわれは何も言うことはできません。意見の一致しない部分についてだけ一つの判断を下すのが、調停であり仲裁であります。従いまして、そういつたものを、全然別のものさしで一つのあるべき賃金というような形からきめますことは、結局におきまして、団体交渉権そのものを否認する結果に終りはしないか、そういう疑いが持たれることになりはしないかという感じを持つのでございます。新聞等で承りますと、一部には今回の裁定なりあるいは人事院勧告なりに、インフレ等の問題からいろいろ御意見もあるようでございますが、御承知と思いますけれども、一種の公務員でございますところの公共事業に所属しておる職員、例の一般職の職種別賃金、俗にPWと申しまする政府の御決定になりまする賃金、この賃金を民間の資料によつてこの一年間に一四・七%すでにお引上げになつておられます。これは今月の十六日の官報に出ております。労働大臣の告示によりまして、昨年十一月決定いたしましたものを、一年間にそれだけお引上げになつた。またお引上げにならざるを得ない。これも政府の賃金政策の一つの明らかな現われであろうと思うのであります。しかもこれもその対象は一種の公務員であります。これは私の法律論とは離れますが、そういうことから申しましても、少くとも組合の諸君はそこに矛盾した感じを抱くのではないか。  また一番簡単な例では、電電公社からこの三月に分離して国際電信電話になりまして、御承知の通り三千七百人ばかりが民間企業として発足いたしました。そういたしますと、きのうまで机を並べておつた諸君の月給が、たちまちにして約三割程度上つたそうであります。しかも、年末には四箇月分の年末手当が出るそうであります。発足後まだ一年にならない会社であります。それが机を並べておつたのが、わかれますとそういう事態が起る。こういつたことは、少くとも残された諸君には、よほどいろいろ説明をしないと、納得のできないことであろう。従いましてもちろん賃金の引上げということは、物価に影響し、インフレに影響することは否認できませんけれども、そういつたことが国策上大事なことならば、そういう手を全面的に打つていただかないと、職員側の方では、なかなか納得ができがたいのじやないか。本論を離れまして、そういう感想を抱くのでございます。  なお、本筋にもどりますが、過去におきましては、たとえば専売の方は、払えるから全体認めた、国鉄の方は払えないからそのままだ、こういう御決議もずつといただいて来たように思つております。ところが今回は、何でも全部一つのものさしでそろえたいというふうにうかがえますことは、私ども過去の建前からも、おかしいのじやないかという感じがいたすものであります。のみならず。もし決算が済みまして、その各個別的な企業において、与えられた事業計画は全部遂行し、なおかつ剰余が残つた、しかし国会ではこれは履行すべからずという決議なつた。現に金は残つた独立採算として一つの企業がそれだけの結果を上げた。私はそういう可能性のある企業は、たくさんあると思うのでありますが、そういつたことが出ました場合に、これは公労法のごく常識的な精神からいたしまして、組合の諸君ははたしてこれを何と見るだろうかという感じを持つものであります。特に予算わくということがございますが、予算官庁予算でございませんで、企業予算でございますので、どうしても収入支出ということをにらんでごらんいただくことが必要だと思うのであります。政府のほかの予算はすべて企業体的にできておりませんで、どちらかといえば歳入と切り離した歳出そのものにおいて議論が展開される場合の方が多いようでございます。しかし、独立採算制をとりましてこういうふうな企業体制を構えます以上は、少くとも収入支出というものを見合つてごらんいただくことが特に必要ではなかろうか。私どもも、すべてそういう角度で裁定は考えておりますので、収入がふえますれば、それに応じて必要な経費のふえることは、これはむしろ当然である。そういうことにごらんをいただかないと、ぐあいが悪いのじやないか、こういうことを感ずるのであります。  ただいま一般に、国営企業は非常に能率が低いということをよくいわれておるのでございます。私どもその点は同感でございますけれども、ややもいたしますと今の予算建前が、私どもの見ておるところによりますと、非常に企業能率性を害するようにできておる。給与総額の問題等もその一つでございましようが、経営の側に当る当局の諸君が民間の経営者のような頭が比較的少いために、民間でありますと、かりに組合の方から賃上げ要求がある、これはある程度どうしても今年は見てやらなければならぬというような情勢にありますと、すぐそのときからそれに対する一応の対策を立てるのが普通だと思います。話はきまりませんでも、極力むだな面を省くとか、金融対策にあらかじめ手を打つとか、予算を節約するとかいたします。ところが国営企業におきましては、国会で認められました予算は、とにかく使うだけは一応使う。そうして仲裁がきまつてしまいますと、それからあらためて必要な財源は、要するに残らず料金の方に持つて行く、こういつた傾向が確かに強いと思います。しかしまたその職務の立場に立ちますと、もしここで下手に物件費を節約つすると、来年度の予算に響く、従つて節約しても損だ、それよりも全部料金に持つて行つた方がいい、こういう気持にもなつて参ります。従つてその点は、むしろ予算全体のわく事業計画、たとえば百なら百の事業計画をいたしますために幾らという建前で、これをお認めになるような方式にお考えいただきますと、その点相当弊害が除去されるのではないか。あまりこまかく単価等で縛りますこと自身が、結局において他力本願的な経営者の考え方を招来するゆえんであつて、国営企業がとかく非能率であるもとになるのではないか。かえつてそういつたわくを認め、しかも労使の努力がありますれば、それによりまして各個別的に自分たちの待遇もそれに従つてよくなつたり、悪くなつたりするという形に持つて行つた方が、国民経済的に見ましても、結果はよろしいのじやないか。かようなふうに、節約をしても、働いても、なまけても、すべて賃金は一本のものさしできめる、こういう形が一番不能率をもたらす原因ではないか。こういつた意味からも、私どもは公労法立場を離れまして、いわゆる国営企業の単なる権衡論的な考え方はいかがかという感じを持つものでございます。  なお、せんだつて労働委員会で申し上げましたけれども、予算わくにつつかかります部分につきまして——この予算わくと申しますのは、私にいわせますと、企業性から見た予算わくのことでございますが、そういつた部分につきまして、国会裁定の不履行を御決定になることは、これは国会の権能上当然のことでございますので、私どもは、組合の一部の諸君が申しておるような、裁定なるがゆえに常に全部実施されなければならぬというような、そういう見方は持つておりません。おりませんが、しかしその場合には、ぜひこういう理由であるということを組合側に納得させるような形でお示しいただきたいというのが、関係者として常に心のすみに抱いておる念願でございます。断片的なことばかり申し上げましたが、一応時間が参りましたので、この程度にしておきます。
  18. 山口丈太郎

    山口(丈)委員 仲裁委員長に二、三質問をいたしたいと思います。今申された中で、公労法建前から申しますと、もちろん私、公労法には多くの矛盾を感じますが、しかし最終的にこの実施金額の予算承認するかしないかということは、国会にありますから、従つて国会がこれを承認をすればいいのでありますが、しかしその予算を出して来ないような裁定ということになりますと、私は裁定の権威というものがまつたく無視されて、そこから公労法というものが全然くずれてしまう結果に相なると思います。もちりん仲裁委員長といたしまして、これたけの裁定を出されます以上は、当然この実施にあたつても、予算資金上の面については可能であると、具体的な調査に基いて出されたものと私どもは解釈をいたすわけです。委員長は、この裁定を出されるにあたつて、今私が申し上げたような条件を具備しておるものと解されておるのか、もう一度お聞かせ願いたいと思います。
  19. 今井一男

    今井公述人 私どもの問題に対する態度は、たとえば中労委等でお扱いになる場合の民間の労使紛争に対する解決態度と、基本的にはそうかわつておらぬ。国営企業であるという意味における特殊のあれは多少ありますが、それ以外のことについてはかわつた考え方はしておらない、こういうふうに申し上げたいのであります。従いまして、支払い能力という面は、時間の許す限り一通りの検討はいたします。しかしあくまで企業の支払い能力として、収入がふえればこれだけ支出がふえてよろしい、こういう考え方に立つております。ところが、予算と申しますのは、御承知の通りその年度初めに一応の見積りでこしらえます。しかも、いずれかと申せば、役人という立場から、収入は少し内輪に見積り、支出は少し多い目に見積るというふうになりやすいのであります。その上に、御承知の給与総額というわくができまして、原則といたしまして、私どもの出します裁定は、全部給与総額わくにぶつかることになります。その意味では、今の十六条からいたしますと、国会で御承認を願わなければならぬという建前に、法律上は相なつております。しかし、企業の支払い能力として、もしこれが民間の企業であるならば、おそらくどなたがおやりになつても、この程度のものは支払う能力がある、こうお考えになるだろうという線をつかまえまして私どもはやつております。
  20. 山口丈太郎

    山口(丈)委員 私も委員長意見である、これがもし民間企業であるならば、そしてこの公共企業体関係をするような経営規模を持つてこれだけのものをやれば当然支払い能力があるという断定を持つのでありますが、特に専売であるとかあるいはその他十分にまかなえる、予算に拘束されなくとも当初立てた予算うといものをさすのではなくて、実施する予算を計上しさえすれば、それでその企業は十分にまがない得るものをも画一的に考えて行くところに、今日の公共企業体関係労働組合紛争の種があるのであつて、これについては、当局に対しても十分なる措置を講ずるよう、委員長としてもう少し強く要望され、あるいはそれに対する努力をすべきではないかと思いますか、どうでしようか。ただ法律という建前だけでは、こういう労使の紛争は解決しないと思いますが、いかがでしようか。委員長として、政府当事者に対してどのように努力をされておるか、お聞きしたいと思います。
  21. 今井一男

    今井公述人 この問題も国会でたびたび皆様方からお話を伺つた問題でございますが、私どもはあくまで各個に労使紛争の解決という立場に立つておりますので、その当事者であります当局、それはときには郵政大臣であり、ときには総裁であると思いますが、そういつたものに対しましては、これはわれわれ審議過程等を通じましても、言うだけのことは申して参つたつもりであります。ただ、今現在起つております好ましくないいろいろな状態、この状態に対して、仲裁委員会はどういうふうな態度をとつたらよいか。これは人によりましてずいぶん意見がわかれるところと思いますが、私どもは、実を申しますと、裁定の問題を労働問題とも政治問題とも考えませんで、これは単なる法律問題である、むしろそういうふうにお取扱いいただかないために、かえつて問題が生じて来るのではないか、かような感想を持つておるものであります。そういつた意味からも、われわれとしては大体政治には関係すべきでないということが一つ。それからもう一つは、仲裁委員会そのものは、調停委員会と違いまして、職権あつせんであるとか職権調停ということは絶対にできない。すべて受身で、問題を持ち込まれた場合、その問題の起つた範囲内だけでしか意見は述べられない、こういつた法律建前から、私どもは極力公労法趣旨を尊重するという建前で、仲裁という拘束力のある法律建前十分意義があると考えられます。従いまして、いろいろ任命の当時のことを回顧しますときに、われわれは主導的な役割をとるべき立場ではない、われわれとしては仲裁という調停委員会でない特殊な受身的な立場法律で課せられている以上、その立場を守ることがよろしいのである。従いまして、こつちからはそういう問題に対して動くべきでないというのが、われわれ三人の現在の考え方であります。
  22. 山口丈太郎

    山口(丈)委員 こういう公共企業体等関係労働組合が、これを実施してもらうために動くことは、経済上の問題でありまして、私は少しも政治上の問題とは考えられないと思います。またその当事者が、国会であるとかあるいはそのときの政局担当者であります場合において、その担当者を相手とする経済問題の解決にあたつて労働組合交渉する、あるいはそれに対するいろいろの行動をとること自体が政治的であるという解釈をされれば、それは何もできないことになる。そうすれば、私はむしろそのこと自体の方が、よほど政治的にものを取扱われておるものと考えますので、もしそういう観点で動きのとれないようなことになりますならば、公共労法に関する限り、私はますます意味を喪失して参り、その存在すら疑わしいものになると思いますから、そういう点については仲裁委員としても十分御考慮をいただきたいと思います。  それから、第二の点としてお伺いしたいのは、なるほど各企業別に仲裁裁定を示されたのでありますが、今日このような企業規模をもつて、しかも相当の収益を上げております企業として、また収益の上つていない企業といたしましても、実際に民間で行つておりますような企業努力をいたしますならば、私も鉄道に従事をしておりますが、実際にはこの程度の賃金ベースというものは実行できないはずがない。私はこういうふうに確信を持つのであります。しかし、その示されました裁定を見ましても、私は他のこの種の規模を有する事業一般労働者の持つておりまする賃金ペースに比べますと、きわめて低いものであると思うのであります。これが算出にあたりましては、一般企業を勘案になつたと申しますが、どの程度この一般企業を考えて出されたものであるか、私はどうもこの基礎が理解できないのでありますが、委員長とつお聞かせいただきたいと思います。
  23. 今井一男

    今井公述人 先ほど申し上げましたように、私どもは各企業別に、各企業の両者の言い分を基礎にいたしまして裁定を出すという筋道をとつておりますので、民間企業との権衡ということを非常に強調するような争いになつた場合には、民間企業というものをよく考えて織り込んでありますし、そうでなくて昔の生産性とどうのこうのというような議論につ対しましては、そういつたようなことを中心にして判断を下します。またそうでなく、生計費というものを中心にして考えるというように、それぞれ言い分言い分によりまて少しずつ角度が違つて来ております。もちろんそんな大きな違いはないと思います。従いまして、その点はどの分かというお示しがなければ、はつきりしたお答えができかねますけれども、総じて申し上げますと、おおむね日本における政府発表の毎月勤労統計等を基礎にした場合におきましての——これは三十人以下の小さな工場もある程度入るものと思いますが、そういつた場合におきましての平均賃金等は、業種別あるいは全産業的に大よそのバランスはとれておる、こう考えております。
  24. 山口丈太郎

    山口(丈)委員 この裁定が実施されれば、大体のバランスはとれるという御趣旨でありますが、この組合の要求というものは、実はこの春要求しておるものでありまして、しかも要求をいたしました当時の民間の企業別の賃金ベースというものを見てみますと、すでにもうその要求額それ自体が、民間企業の現在行われておるべースをあまり上まわつたものでない。それが今日一年もたちまして、まだそれが実行されるかされぬかということで、とやかく問題を生じておるのであります。しかも、政府の方ではこれを一月から実行する、こういうことになりますと、ますますそこに大きな差が生じて来る。一方においては、政府は米価の値上げであるとか、あるいは電燈料の値上げ、あるいは運賃の値上げなどを策しておるようでありますが、そうなりまと、ますます私はこれらの企業におきまする労働者の生活程度というものは引下げられて参ると思います。従つて、これはあまりにも低きに失しはしないのかと思います。今のところ仲裁委員としては、問題が持ち込まれなければ再検討をするというようなことはできない受身の立場にあるのでありますけれども、しかし、常にその用意を整えられておくことが、私は必要じやないかと思いますが、今再検討をされるようなけはいがないのかあるのか、ひとつ委員長の腹を聞かしていただきたいと思います。
  25. 赤松勇

    赤松委員長 今井さんちよつと待つてください。まことに恐縮ですが、ただいま私のところに正木委員、中原委員、さらに郵政委員長田中君から、特に今井仲裁委員長に対する質疑の通告がございました。そこでまだほかにあるかとも思うのでございますけれども、すでに十二時十五分でございまして、自分意見をまだ吐く場合もあると思いますので、なるべく質疑を要約して、要点だけ質問していただくというようにして、質問の通告がある方に対して、今井さんたいへん御迷惑ですけれども、御答弁を願います。
  26. 今井一男

    今井公述人 私どもは、民間賃金を見ます場合にも、あるいは生計費等の高騰を見ます場合にも、これまでにわかります実数を基礎といたしまして、いつでもその年度の半ばまでは見ております。今年で申しますれば、二十八年の九月、十月のその半ばが一体どういうふうになるか——もちろんこれは推定でありますから、相当むずかしいのでありますが、推定する方法としては、一応賃金問題等の場合、あちらこちらで使われる方法がございます。それを勘案いたしまして、すべてそこまでの分は一切織り込んだ考え方でつくつております。従いまして、だんだんしり上りになるという傾向は織り込んでございます。けれども、異常なしり上りになりましたならば、それは不足という問題が生じます。
  27. 山口丈太郎

    山口(丈)委員 この実施にあたりまして、仲裁裁定案を見ますと、たとえば、今井委員長は、予算をとつたならば、それを別個に使うということは来年度の予算にさしつかえるから、従つてそれはそのままにしておいて安易な方法を求める、こういうことですが、それをそのままにしておくのじやなくて、そういつた予算正面についても、その運用のいかんによつてはこれだけの原資が出せるんだという一つの勧告をなさることは、私はごうもさしつかえないことと思います。そういうものがこの裁定書全部を見て、あまり盛り込んでないようですが、これはどういうわけですか。
  28. 今井一男

    今井公述人 私どもは、この賃金がこの支払い能力の中に当てはまるかどうかということは検討いたしますけれども、その当てはめる道は必ずこの方法でやれ、何の費目をこれだけ削つてこつちへやれということは、仲裁委員会としては過ぎておると考えます。従いまして、こういう手もある、ああいう手もある、ここではあれもあるだろう、これもあるだろう、いろいろの要素をひつくるめまして、全体的に見て支払い能力があるというようなことは、私ども行政監察委員会でもございませんので、要するに必要の範囲内しか調べない。そういう建前でやつておりますので、そういうことをやつておりません。
  29. 赤松勇

    赤松委員長 正木清君。
  30. 正木清

    ○正木委員 今井さんに簡単に三点だけお尋ねいたします。あなたの委員会が裁定を下して下された裁定について双方当事者がこれを受諾した。そこで国鉄の場合を申し上げますと、国鉄の責任者がその示達を受諾して、それに伴う企業内の全体の更正予算を組んで、これであれば支払うことができる、こういうことの一切の書類を具備して、当該大臣にこれを提出する。その場合、公社関係は、ひとり日鉄法ばかりではありませんが、国会公社との関係は明瞭になつておるわけであります。また所管大臣としての職務権限も明瞭になつておるわけであります。その場合、法律的に見て、この当事者双方に示達して、国鉄であるならば国鉄としては、この示達を実施するためにはかような企業内での操作でできるという補正予算案を当該大臣に提出した場合、大臣のとるべき任務は一体どういうものであるか、この点について、あなたの御見解をひとつ聞かしてもらいたいと思います。
  31. 今井一男

    今井公述人 どうも私からお答えするのも、あまり適当でない問題ですが、これは私に言わせると、そういう要件は全然ないわけであります。当然義務的に、公社なら公社予算をつくらなければならぬ。予算をつくつて政府へ提出する。政府はそれをどうお取扱いになりますか。結局お取扱いになる前に、ただいまの建前国会裁定そのものの承認、不承認の問題が起る、こういう解釈に今の法律では相なつておりますが、今の公労法が、裁定そのものを国会へかけるという文字になつております以上——私はこの文字ははなはだ不適当だと思いますが、そういうことになつております以上は、国会裁定に対する結論が出てから予算を出すというような措置をとりましても、これは違法とはいえない。法の精神にははなはだ穏当を欠く、そういう感じがするのであります。
  32. 正木清

    ○正木委員 ただいまの今井さんの意見に、私は同感の意を表しておきます。  それからもう一つ、公社が当初の事業年度の予算を作成して、それぞれの監督機関の議を経て国会承認を受けた。ところが、各公社法律にも明確になつておるわけでありますが、緊急やむを得ない事態の予算の変更等が生じた場合に、国会承認を経ることは当然ですが、今回の場合のような水害に伴う経費の増加——これは緊急やむを得ない事態がここに発生した場合、こうした水害に伴う経費の増加が、当該年度で国会承認を受けた予算全体のわくの中で占める予算比率は、非常に大きいわけであります。それでこの仲裁裁定を下して、給与総額とにらみ合せて非常に議論になつていることは間違いないと思いますが、こういう場合の、緊急に起きたやむを得ない経費の増加等についての取扱いについて、お聞かせ願いたいと思います。
  33. 今井一男

    今井公述人 国鉄の本年の災害は、これは異例なものでありまして、例年なら十億か二十億くらいで済みましたものが、七十億、八十億いるこういつたものをその年の運賃収入でまかなうということは無理じやないか。従つて、ほかとのいろいろの権衡——海運事業、ハス事業等との権衡等からいたしましても、少くとも財政資金的な借入れのような援助はなすべきではなかろうか、そういう意見を理由書の中に書いておきました。
  34. 正木清

    ○正木委員 もう一点、これは非常に大切な点だと思うのですが、たとえば給与総額等は国会承認を受ける。但し、能率の向上によつて収入が当初国会承認を受けた以上に増加し、または全体としての企業努力によつて経費を予定より節減した場合は、その収入の増加分または経費の節減額の一部に相当する金額を、所管大臣の認可を受けて特別の給与として支給することができる、こういうように各公社とも法律規定されておる。各公社が非常な企業努力によつて自然増収をした分は、この法律規定によつて、明らかに所管大臣の認可をさえ受ければ、各公社特別給与を支給できるような仕組みになつておる。ところが各公社とも、私の関知する限りにおいては、企業全体としては、あなたのところで下した裁定委員会の裁定を完全に実施することができるにかかわらず、それをしようとはしておらない。しかも、私は当然国会に先にこのことを相談してしかるべきものだと思うにかかわらず、明確な線を出して来なかつた。そこで仲裁裁定委員会としては、この企業努力によつて生み出されたところの自然増収というものに対して、仲裁裁定を下す場合にどのように勘案して下されたか、その点を伺いたいと思います。
  35. 今井一男

    今井公述人 ただいまの企業努力の関係は、われわれが第一次裁定において出しましたものが実を結んで、今年から予算総則の中に入つたわけですが、私どもの国鉄、専売等に示しました考え方は、やはりペースとボーナスとは別に考える方がよかろうという考え方でございます。べース賃金はベース賃金として別に考えまして、さらにプラス・アルフアーとしてそれ以上の——要するに予算というものは、いやしくも最高権威のある国会で、これだけのわくでこれだけの事業をやれとお示しをいただいたのですから、それより以上の収入を上げた、あるいはさらにこれだけ使つてよろしいというものを使わないで節約したというような場合には、ベース賃金以外にプラス・アルフアーなるものを考えることが、国営企業能率を増進せしめるゆえんではないか。そういう趣意でありますので、その点の財源は、一応べース賃金と区分して処理することが、少くとも最初に裁定をいたしました趣旨でございます。
  36. 赤松勇

    赤松委員長 中原健次君。
  37. 中原健次

    ○中原委員 簡単にお尋ねいたします。今回の八社に対する裁定の御結論は、大体それぞれの財源的な内容を御指摘になられて、そしてその財源は可能である、このようにお示しになつておいでになるわけであります。従つて、この財源が可能であるということをお示しになられるためには、それぞれ十分手を尽して、これだけの数字なり、あるいは努力見込みなり等についての御確信の上に立たれておいでになるものと、私どもは理解いたしております。ところが、最近伝えられるところによりますと、政府は一月からこれを実施するかのような、そういう気配を見せておるわけであります。そうなりますと、当然この裁定に伴いまして発生するそれぞれの当局側の義務の問題でありますが、ここでもうすでに義務が履行がなされないことが予想されるような結果になつておるわけであります。もちろん、それについて国会承認を求めるというのですから、国会が妥当な結論を出せばよろしいようなものの、実際から申しますと、大体政府がそういう方針を出しますと、国会の結論というものは、およそ見通しがつくわけであります。そういうことになつて参りますと、せつかくの権威ある裁定が、その辺でいわば台なしになつて来るようなことが思われるのでありますが、これらのことに関しまして、ただ単に国会の御決定にまつというようなお立場にお立ちになるということだけでなしに、仲裁委員長としての責任ある立場から、これに対する何らかの御見解が当然あるだろうと思いますが、そういうことにつきまして、この場合お示しが願えるならば、承つておきたいと思います。
  38. 今井一男

    今井公述人 いろいろおほめのお言葉をいただきましたけれども、私どもは私どもの出しました裁定が、決して完全無欠とは思つておりません。のみならず、八つの案件を三人の委員が八十日ばかりで片づけたのでありますから、これはどなたがおやりになつつて、完璧なものはできないと思います。その点は断言したいくらいであります。しかし、労働問題は早く処理することが必要である。そこで拙速をとうとんで、法律上もなるべく三十日以内にやれという規定ができておるわけであります。賃金の方は、これは一応私どもにおまかせを願わなければいけない建前になると思いますけれども、私どもとしては、支払い能力にも触れております。できるだけの資料を集めまして、できるだけ検討はいたしますけれども、何分限られた時間で、しろうとがやる仕事でありますから、不行届きの点もあるだろうと思います。従つて、その点につきまして国会で御検討いただきまして、理由を明らかにされて、別の御意見が出ることはやむを得ない。私どもの方も、そこまで自信のあるものをつくつたとは申しかねるのでありますけれども、ただそれにいたしましても、一応労働委員会等でおやりになる程度の支払い能力の検討はいたしました、こういう意味でございます。さらに、こういつた問題につきまして、予算はとにかく国会法律建前上一番の権威になつておられるのでありますから、そこで別の御意見が出ましても、これは私どもがとやかく申し上げるのは、私どもの立場ではなかろう。しかし、賃金につきましては、公労法建前からいつて、これを御批判いただいては、かえつておかしいのじやないか、こういう感想を持ちます。
  39. 中原健次

    ○中原委員 大体予算わくを越えるであろうということは、しばしば考えられたのでありますから、当然予算の補正ということもできるわけであります。従つて、一番大事なことは、何と申しましても資金上の措置が可能か不可能かというところに重点があると思うのです。従つて有泉教授も御指摘になつておいでになりましたが、資金予算上可能な範囲についての義務、あるいはまた予算の総則のわくを変更するという義務が、当事者には当然あるわけであります。そうであつてみれば、いろいろ御謙遜なお言葉で御説明がありましたけれども、少くとも仲裁委員会が慎重にいろいろな資料を集められて出された結論を思いますと、今回の五現業公社に関する場合は、それぞれ資金上の措置の可能ということが予想されるわけでありまして、そうであつてみれば、その可能なる部分についての予算化の義務、こういうものは当然あるべきものと私は考えます。従いまして、予算的な措置をする義務があるということであるならば、当然これは予算化の義務を行うてもらいたいということが、これはどのような観点から申しましてもいえるわけであります。そうでありますと、今回の八つの裁定に関しましては、おそらく仲裁委員会の結論が無視されるようなことはないであろう、こういうことは確信を持つて御主張になることができるお立場ではなかろうかというふうに私どもは見ておるわけであります。従つて、これについてもう一応委員長として遠慮のない御見解をお述べ願つておきたいと思うのであります。
  40. 今井一男

    今井公述人 今申しました通り、支払い能力の検討は、一通りにすぎませんけれども、私どもの調べました限りおきましてはもし労使が真剣に考え、またさらに経営者も民間の経営者と同じように熱意をもつてこの問題に当られましたならば、何ら料金等にはね返ることなく、何らよそから応援等を求めることなく、いわゆる手弁当でやれるものが、少くとも半分以上は完全にある、かように私どもは認めておるものです。従いまして、給与総額わくにはもちろん触れますけれども、全体の収支計算的な歳入と歳出をにらんだ意味においてのバランスを本位にして考えますと、これは完璧にやれるものが少くとも半分以上ある。従いまして、公労法精神からいたしましてそういつたものまでが完全に実施されないといたしますと、いかなる場合が完全に実施されるのか、私ども、ちよつと今後裁定を出す場合によほど考えてみなければならぬというようなことにぶつかりはしないかという感想もちよつと頭は浮ぶのであります。
  41. 赤松勇

    赤松委員長 田中織之進君。
  42. 田中織之進

    田中(織)委員 今井さんに二、三点伺いたいのでありますが、公労法十六条の現行の法文上から見ると、どうも裁定そのものを議会にかけるというような形である、こういうのは非常に不都合であるという御見解でありますが、政府はそういうような解釈のもとに、今回もこれをいわゆる予算資金上不可能だという理由で国会に、いわば不承認議決を求めるような形で出して来ておるのであります。その後事情が変化いたしまして二十一日の閣議で、一月一日から実施するということにきめて、来る臨時国会に第二補正予算でこれに必要な予算措置を講ずるように決定したようであります。従つて私は一昨日の連合審査会においても、政府当局に、この裁定国会議決を求めることについて一種の修正をやるのか、あるいは撤回して予算案をつけて出すという形をとるのかという質疑をしたのでありますが、その点は予算が出てからにしてくれというようなことになつておるのでありますが、裁判所判決に相当するこの裁定国会がまた審議し直すことは、公労法精神及び仲裁裁定制度そのものに矛盾すると思うので、やはり法律上この点を明確にしなければならないと思うのであります。法律改正のことになるかもしれませんけれども、今井委員長の御見解を伺つておきたいのであります。公労法十六条を、今井さんの御理解せられるような形でかりに改めるということになれば、どういうように改正した方が適当であるとお考えになつているか。本日は一般的な問題についその公述人としておいで下さつておるのでありますから、その見解を伺つておきたいと思います。  それから、それに関連して、これは裁定の十四号であります。各裁定もみなついていると思いますが、裁定の三番目に「本裁定解釈につき疑義を生じ、若しくはその実施に当り、両当事者意見が一致しないときは、本委員会の指示によつて決める。」こういうようになつているのであります。従つて裁定の後段の実施にあたり、組合側と当局側との間の意見の食い違いが現に起つているわけでありますが、その場合に、委員会としてこの裁定の三項に従つて指示をせられる権限があり、またその指示に従わなければならないものだと思うのでありますが、その点について仲裁委員会として、どういう指示をなされるお考えであるか、まず伺いたいと思います。
  43. 今井一男

    今井公述人 公労法解釈は、仲裁委員それぞれ人によつて違うと思いますけれども、少くとも第一次裁定当時の末弘先生、堀木先生、私のあれでは、三十五条によりまして、そこで債権債務が発生する、そういう解釈をとつておりますし、また現在でも、私はその解釈の方が正しい。但し、民間の場合と同じように考えなければおかしい。予算がないということは、何らそれに対する抗弁にならない、予算の原則からさよように解釈すべきだろうと思つております。しかし、その予算上不可能な、国会承認を経べきものは、国会承認がありますまでは政府は支払わないという正当な抗弁権を有する。普通の場合は、予算がないということは抗弁権にならないけれども、この場合は、法律の明文があるから支払わないという正当な抗弁権がある、さように理解することによつてつじつまを合わす。さように理解いたしておりますけれども、それにいたしましても、十六条の最初には、御承知のように、裁定そのものを出すということが書いてあります。それからいろいろ問題が起るのでありますが、裁定そのものを出すということから来るいろいろな矛盾は、今御指摘の通りであります。従つて、これを直すといたしますれば、やはり予算支出承認を得るという形——支出承認というためには、必要な予算手続が付属して参る、そういう形に条文を直していただきますと、少くとも仲裁制度の本質というものとは、一番ぴつたりして来る。裁定にかけるという形になつておるその文字が、要するにいろいろな議論の紛糾を起す元になつておるわけであります。従つて、第二の御質問でございますが、私どものようないわば一番強い解釈をします者の解釈といたしましても、なおかつそういう国会承認がありますまでは、政府は支払いを拒むという抗弁権は正当に持つておると思いますから、従つてその限りにおいて裁定の実施ができない段階でありますから、裁定の実施ができない間は、その実施について今の指示その他という問題にもわれわれとして移れない、そういつたことに相なります。
  44. 田中織之進

    田中(織)委員 その点についてなお伺いたい点があるのでありますが、なお別の機会もあろうかと思いますから、この程度にします。次に伺いますが、たまたま八つの裁定が先国会に同時に国会議決を求めるような形で下つた関係から、政府は画一的な取扱いをするということになつておるようであります。これは今井さんのおつしやるように、私も画一的に正しく取扱うならいいが、仲裁裁定に、いわゆる数字的なものを加味した形の取扱いは不適当であるばかりでなく、むしろ公労法精神から申しまして不当だと私は考えておるのであります。その点の議論は別といたしまして、現実の問題として、八月一日から実施するという裁定が、一月一日から実施されるように政府の方針がきまつたのでありますが、そういたしますと、八月から十二月までの間、結局実施がずれた関係から、当然裁定によつて受取らるべきものが現実にはとれないような形に現に推移しておるわけであります。私はこれは当然八月から十二月まで政府が予算措置を講じない部分についても、請求権が残ると思うのでありますが、仲裁委員長として、それをはつきり請求権として認められているのかどうかということをお伺いしたい。  それに関連いたしまして、八月から実施されるならば、その間における現行ベースとのいわゆる差額の問題、当然入るべきものが入らないという問題があるわけです。そこで、今度の裁定については、期末手当の問題については、もちろん年度当初に出された問題でありますから、とうてい組合側としても予想しておらなかつた問題でありまして、触れておらないのでありますが、一月一日から実施されるというような形になりまして、八月から十二月分は現実にもらえないということになりますと、勢い労働者の方では期末手当の問題について関心を持たざるを得ないのであります。現在公務員と同様の、いわゆる法律にきまつている一箇月分、これは夏期手当で〇・二五繰上げになつている部分だけの補填しかしない。一般公務員については、政府は勤勉手当〇・二五加えた一・二五出すというように政府の案がきまつたようでありますが、この裁定関係適用を受ける公労法関係職員に対しましては、期末手当は一・〇しか出ないというところにも、裁定実施期のずれの問題と大きな意見の対立の問題になつているのであります。この期末手当の問題と関連いたしまして、八月から十二月までの現実にもらえない部分に対する請求権の関係について、委員長の御意見解を伺いたいと思います。
  45. 今井一男

    今井公述人 これは私個人の考え方になるのでありますが、先ほど申し上げましたように、債権債務は裁定によつて発生すると解することが、少くとも特別な打消しの規定のない限りは、条理上、法理上当然であると思います。予算がないということは決して債権債務の発生を拒むものでないという点につきましては、いろいろのお役所が、予算がなくて民間から物を買つた場合を考えても、はつきりわかることだと思います。ただ、承認があるまで払わないといつた制限条項があるということになると、それとつじつまを合せまして、原則と例外との法理論からいたしまして、債権債務を発生すると解することが、りくつ上当然だと私は考えます。従いまして、国会承認がなければ払えませんが、請求権は従つて残るという解釈にならざるを得ません。従つて私といたしましては、もしその年度の決算において剰余が生じた場合は、法律論としてはきわめてめんどうつな問題が発生するということも、実は内心思つております。
  46. 田中織之進

    田中(織)委員 最後にお伺いしたいのは、政府が一月一日から実施するのには、前提を設けたようであります。それは、もちろん一月からになるか四月からになるかという点の問題はありますが、消費米価の大幅な値上げ、それから首切り、行政整理、さらに裁定の中に国鉄及び郵政関係について、場合によれば、その財源としてのいわゆる不適正な運賃の是正の意味における運賃値上げ、郵便料金の値上げということが指示されておる点に名をかりましての鉄道運賃及び郵便料金——郵便料金は一部のようでありますけれども、特殊郵便物等の値上げを政府は前提として、特に消費米価の値上げをやる建前から見て、これはどうしても裁定なり、あるいは本委員会とは直接の関係はございませんが、公務員のべース・アツプをやる、こういうような形に現実に出て来ておるのであります。これは私は少くとも仲裁裁定が下されるときに、仲裁委員会としては、こういうようなことも行われるということは、もちろん前提とされておらないと思うのでありますが、こういうような形になる場合に、これが次の臨時国会で、この裁定問題についても国会側の最終的の意思が決定されると思うのであります。そこに、やはり労使間における新たなる賃上げ問題に対する紛争の問題が残ると私は思うのでありますが、この点に対する仲裁委員長の御見解を伺いたい。  それから同時に、これもこまかい問題にはなりますけれども、実施が遅れた関係からいたしまして、その間に公社関係におきましても、あるいは現業関係におきましても、定期昇給が行われて来ておると思うのであります。従つて一月一日、年末にも定期昇給が行われるような場合も出ておると思うのでありますが、この定期昇給の関係と、裁定に示されておるべースと申しますか、その基本給との関係については、仲裁委員会としてはどうお考えになつておるか。人事院の関係で、公務員に対するべース・アツプの問題についてわれわれがただしたところによりますと、この定期昇給の関係は、既得権として当然勧告にプラスされるものだ、こういう線が明確になつて来ておるのでありますが、裁定の場合におきまして、定期昇給の関係をどういうように考慮されておるかという、この二点について伺いたいと思います。
  47. 今井一男

    今井公述人 両方関連しておりますので、むしろ一緒に申し上げた方がよいと思うのでありますが、私ども、裁定を出しましたときの考え方は、その当時における職員の構成、その当時における労働条件というものが、一応基礎になつております。従つて、かりに非常に月給が安い人たちがたくさんやめて、高い人たちがうんと入れば、ひとりでにこれは上りますし、また反対の場合にはひとりでに下る。これはベースの性質上当然であります。なお一年を通じましての物価の動きにつきましては、民間賃金、生計費等につきましても、年間を通じて直線的に上つて行く従来の傾向を、そのままずつと引延ばして上つて行くというところを見通しました上で、九月、十月の年度のまん中をつかまえましで、そこにおける民間の賃金、そこにおける生計費、物価というものを頭に置きまして出したものでございます。従いまして、一応は普通のテンポで上ります限りにおきましては、これは問題はないものでありますけれども、もし異常な変更がございました場合には、これは明らかに問題の種になり得ると思います。その点は、あの中には盛り込んではございません。何パーセント異常を生じた場合に認めるか認めないかは、これは両方のお話合いがあつてから先のことで、ここでわれわれとして何パーセントになればということは申し上げかねますけれども、そういたしましても、そういつた程度のものしか盛り込んではございません。
  48. 赤松勇

    赤松委員長 田中君よろしゆうございますか。  多賀谷真稔君。——多賀谷君簡単に願います。
  49. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 今の田中委員の質問に関連してお尋ねいたしたいと思いますが、この仲裁裁定の金額は、調停委員会が出しました調停案の金額とほとんど同じ金額を使つてあります。そこで、これは当然四月から実施を前提とされております。調停案は、二十八年度における、こういう言葉を使つておりますから、四月一日から実施されることを予定した調停案であると思うわけであります。しかるに、その金額をそのまま八月からということにされた理由と、さらに一月からということになりますと——四月から出た調停案の金額が翌年の一月からということでは、相当物価の変動も見ておると思うのであります。そこでお尋ねいたしたいのは、物価の変動によるその後の状態において、もし今二十九年の一月からということになりますと、どの程度上昇するのか。  それから、今話がありました職員構成の問題でございますが、その後昇給、昇格をしております。でありますから、現在すなわち昭和二十九年一月一日から施行するとずるならば、その職員構成では、どの程度べース・アツプになるのか、これをお示し願いたいと思います。
  50. 今井一男

    今井公述人 お答え申し上げます前に、一応御理解を願わなければならぬと思いますことは、われわれの建前は、人事院等と違いまして、あくまで両当事者の言い分、主張の食い違いが根拠でございます。但し、遺憾ながら公労法関係の労使は土俵にもなかなか上りませんし、上つても、いかにわれわれが努力いたしましてもなかなかとつ組まないのであります。しかしそれを何とかいたしまして、ある程度の歩み寄りをさせたつもりでございますが、もしこれが、いはゆるつばせり合いに近いようなところまで議論が接近いたしまして、たとえば民間賃金を標準にしてきめる、その場合にどういつたものを標準にする、あるいはそのうちのどういつた規模の工場に限るというような具体的なこまかい問題になりましたならば、私どもは調停案から二百円や三百円の違いでありましても、おそらく直したと思います。しかしながら太平洋を隔てて大砲を打合うような戦いのままに実は結論を出さざるを得ないのであります。そうなりますと、われわれといたしましては、調停案というものは、少くとも労使の利益代表が直接参画された上でおつくりになつたものであります。その意味におきまして少々の差はこの際むしろいじるべきでないというのが、三人の委員の最後の結論になりまして、結局わずかの差は無視する。その中にはプラスになつたものもマイナスになつたものもございますが、もちろん一つには当局側が全部調停案の額に最終的には御賛成になるということも一つの理由になつたと思います。それで調停案によつたわけでありまして、私どもの考えておることは、私どもが自分つてに案をつくつたならば、決して調停案の額のようになつたとは申し上げません。そういう関係になつておりますので、そこでその辺の物価騰貴云々のことをおつしやられると、ちよつとお答えできないのでありますけれども、なせこれを八月まで引延ばしたかという点でございますが、これは全部の組合とは申し上げかねますけれども、一つ二つの組合を除きますと、大体この問題は四月末から五月ごろになつて交渉がまとまるような形のものが、ほとんど全部でございます。そこでそういつたような形の場合に、あらかじめ労働協約のない限り。少くともバツクするということはおおむね適当ではない、さらに一部には、公労法ではない、直接公務員法の適用を受ける職員もございます。それに対する人事院勧告との関係もございます。また今年は〇・五でございますか、昨年よりも夏期手当をよけいもらつたというような事情等もありまして、そういつたいろいろの事情を検討いたしまして三人の委員で議論した結果、この議論は実は今度のわれわれの調停案のなかで一番もめた議論でありますけれども。その結果これは八月ということになつたのであります。その点は、御批判の余地は十分あると思いますがとにかく含みはそういうところからやつたものであります。  それで昇給、昇格等の関係でございますが、これも私は一概に申し上げかねると思うのです。すなわち、もしも物価というもの、あるいは生計費というもの、そういつたものが非常にけんかの中心になりまして出した場合と、民間賃金等とスライドするというような形で出した場合によりまして、これは裁定趣旨、その当事者の要求とからむものでありますから、従つて民間賃金のアツプ率の中には申すまでもなく昇給も昇格も入つております。それから生計費を議論する場合には、入つておらないと申し上げるよりしようがないと思います。従いまして、一概に全部でどうこうと申し上げることは、かえつて適当ではない。これはやはり問題の起つた際に、個別的にその事情事情に応じて判断を下さないと適当ではない。しかし、それにいたしましても、八、九月以降のCPIの騰貴は、たいへんなものでございます。季節的な変動で見られましたものが、十月以降ちつとも下つておりませんから、このままの足取りで行けば、あるいは来年一月ごろには相当の開きになりまして、先ほど田中委員長お話のように、もし問題が起れば、再検討しなければならないところの差が、あるいはつくかもしれません。
  51. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 仲裁委員会は、受身に立たれる関係で、これをお問いすることはどうかと思いますけれども、仲裁裁定の方はベースで勧告されておる。ところが、人事院の勧告の方は給与表でされておる。ここで当然違つた点が出て来ると思うのであります。ところが、現在政府が考えておりますのは、べース・アツプの方はこれは裁定に見習つて、そうして給与表の方よりも、むしろべース・アツプを一つのわくにしておる。それで手品でなければ、ベース・アツプも、また給与表も、ともに実施することができない。そこで考えたものが、地域給の引下げという問題になつて現われて来ておるわけであります。そういたしまして、われわれが仲裁裁定をなせ実施しないのかと聞きますと、政府は、一部の企業では資金があるかもしれないけれども、国家公務員との関係があるのだ、こういうことを常に申すのであります。ところが、このたびの期末手当の状態を見ますと、なるほど期末手当とは申しておりませんけれども、勤勉手当として〇・二五だけ余分に予算上組む、こういうことになつております。そういたしますと、勤勉手当も給与総額の中に入るわけであります。一般公務員関係ももとよりでありますが、この公労法関係特別会計、あるいは公社関係も、やはり給与総額の中に入ると思うわけであります。そこでこれを変更するためには、やはり議会の承認を得なければならない。そこでわれわれとしては、当然それに関与しなければならないわけであります。そこでお尋ねいたしたいのは、国家公務員に一・二五やり、公社に一・〇やるということになりますと、非常にここにアンバランスになると思うのであります。われわれとしては、アンバランスのことは、企業別であればいいと考えておりますが、政府の考え方を一応是認するといたしましても、非常にアンバランスになるわけでありますが、あなた個人として、一体これをどういうふうにお考えになるか、お尋ねいたしたいと思います。
  52. 今井一男

    今井公述人 この問題は深く検討しておりませんが、今までの歴史的な感じから申せば、確かにおかしいという感じを私どもは持ちます。それにいたしましても、正確には、よほど数字を練りました上で申し上げませんと、どうかと思うのでありますが、ただ歴史的行きがかりから申すと、そういう感想は確かに持ちます。
  53. 赤松勇

    赤松委員長 今井さんに私見を申し上げて、はなはだ悪いのですけれども、一般世間でこの裁定の問題等が議論され、また政府の労働大臣の答弁の中におきましても、これは争議権剥奪代償じやないと、この前も本会議で答弁して、労働委員会で問題になつたことがあります。あなたには一番よく御存じなんですけれども、この法律自身がおかしい法律なのです。この法律は、マツカーサー声明、二・一ゼネストが契機になつて出された。これは明らかに憲法でいう団体行動権を剥奪して、その代償として公共企業体関係労働者法律上の保護が与えられた。ところがだんだんそういう議論が消えて参りまして、今では何か——あなたも先般労働委員会で、裁定は策の下の下だとおつしやつた。私もそうだと思うのです。本来いえば、団体交渉の過程で、マツカーサー声明にもございましたように——彼の意見に私は賛成しませんよ。賛成しませんけれども、あの声明の中には、団体交渉を通じて民主的に平和的に紛争を解決するということが前提とされている。裁定まで行くということは、本来間違つているのです。そこで裁定が出されて来たけれども、しばしば仲裁委員長がおつしやるように、裁定そのものが問題じやない、今問題になつているのは給与総額をかえるかかえないかということです。政府の方は、一般公務員との関係上困るという。あなたの方は、原資は十分あるのだから、従つてもし予算上不可能だとするならば、給与総額をかえればいいのだというが、われわれもそう考えておるわけであります。ところが、ここでわれわれが議会人として一つの矛盾に逢着することは、国会に現にかかつており、国会承認ということになつておりますが、これは一院の承認だけではだめなので、承認、不承認いずれの場合でも、二院すなわち衆参両院一致の議決が必要なのです。そうしますと、前の参議院におきまして審議未了、衆議におきましては部分実施でもつて、これを衆議院の事務当局が内閣に通告した。あとで取消しましたが……。そのときの政府の解釈は、今でもこれは確定しておりませんけれども、両院の議決ができなかつた場合は審議未了だということになりまして、国会承認を得られなかつたというような解釈になつておる。残る債権債務の問題はどうなるか。今あなたの御意見有泉先生の御意見なんかは、当然残るのだということであります。こうおつしやいましても、法律論としては成り立つのですけれども、現実の政治論としては、それならば訴訟を起してどうなるかということになつて来ると、この問題は解決しない。私は、間違つた占領政策の中から出て来たこの公労法という法律は、むしろこの際に廃止するということの方が適当ではないかという意見を持つているわけでありますが、こういう点につきまして、いろいろ議論もありましようけれども、仲裁委員長としては、こういう畸形児的な法律の中で裁定をされるので、ずいぶんやりにくいと思いますが、今後の御奮闘を期待したいと思います。どうも本日は御苦労様でございました。  二時まで休憩します。     午後一時六分休憩      ————◇—————     午後二時三十一分開議
  54. 赤松勇

    赤松委員長 休憩前に引続き公聴会を再開いたします。  この際読売新聞社の論説委員白神公述人の公述を求めます。白神公述人
  55. 白神勤

    ○白神公述人 お断りするまでもないでのすけれども、私は労働法を専攻しておるものではありませんし、また三公社、五現業の経理の内容その他について、別段の研究をしておるわけでもないのでありまして、国民の一人といたしまして、広い常識的立場から、今回の仲裁裁定につきまして一、二の意見を申し上げたいと思います。  まず第一に問題になりますのは、先ほどからの御意見に出ましたように、この公労法十六条の解釈をめぐりまして、仲裁裁定をどういうふうに取扱うのが一番妥当であるかという点だろうと思います。その点につきまして、私は純理的には、政府の公労法制定後におきまして、この公社並びに現業関係裁定につきまして、御承知のような例の予算総則を設けまして、当初予算にきめられた給与総額を越えて支払いをしてはならないという規定を設けたのでありまして、それがいつもこの給与に関する協定なり裁定に関連することは当然なわけであります。だから、そういう給与に関する協定もしくは裁定を拘束するような新しい措置を講じたことは、私は公労法というものを無視しておる、少くとも軽視しておるといわなければならないと思うのであります。ですから、公労法立場からいえば、当然予算資金上、可能か不可能かという問題の判定は、一つ一つの公社なりあるいは現業の経理の実際面を通じまして、あるいは予備費、自然増収の組入れとか、あるいは経費の節約によつて生じたものを充てるとか、そういう予算の組みかえによつてその裁定を実施することが可能な場合は、これは公労法十六条の予算資金上不可能とはいえないと思うのであります。ですから、そういう裁定を下された場合におきましては、その公社におきましては、当事者がそのような裁定を実施し得るような予算の組みかえを行いまして、また現業関係におきましては、主管大臣がそのような予算の編成をしまして、政府はそのような予算承認を求めるために国会に付議すべきことは、これはもう当然なことだろうと考えております。  ただ問題は、この経理の実際面から行きまして、どうしてもそういう措置では裁定を実施することができない。裁定を実施するためには一般会計から新たに繰入れを必要とするか、あるいは料金の値上げを実施する必要があるような場合、このような場合は、明らかにその予算資金上不可能な場合に該当すると思うのであります。ですから、そういう場合には、政府は一応裁定に対して、政府としての独自の見解をとることは当然許されてよいと思いますし、政府はその見解に従つて、あるいは裁定は全面的には実施できないというような予算を組むか、あるいは一般会計から繰入れて、あるいは料金を値上げしてもこの際裁定通り実施することが当然と思えば、そのような措置をとつてそれを国会に付議する、これが純理上、法理上から当然の裁定に対する取扱いではないか、こう考えておるわけであります。今回の裁定につきまて、その一つ一つどれが完全に実施できるか、あるいは最近伝えられておりますように、国鉄や郵政の場合に一部の料金を値上げしなければ、どうしても実施することができないかどうかということは、私は自信を持つて言うことができませんが、少くとも一般的には、先ほど申しましたように、公社なり現業の経理の実際面から検討しまして、裁定の実施が可能な場合は、これはもうあらためてこの裁定がいいかどうかという、実施すべきかどうかの問題ではなく、このような組みかえた予算を政府は国会に出し、国会もそのような場合には、これは原則としてそのまま承認するのが当然だろうと考えております。  ただ一つ、これは私としても最終的な結論は出ていないのでありますが、この純理上または法理上当然のことを貫く場合に、一つ矛盾を感じておるのであります。というのは、そうした場合に、公社なり各現業が大体同じような客観的条件に立たされてやつております場合には、その純理を貫いてその結果によつて非常な不均衡が生じても、これはやむを得ないといえると思うのでありますが、ただいまのところでは、公社なり現業企業体系として、先ほど今井さんからも言われましたように、ほんとうに整備された、独立採算制建前とする民間企業と同様な能率発揮をねらう、そのねらいに沿つたような態勢になつておらないのでありますし、もう一つは専売のように、これはその他の条件が同じとしますれば、人口増加その他によりまして、大体年々自然増収が得られる企業でありますから、そういう企業と、国鉄なんかのように、国鉄の現在の条件が、戦前に比べて値上り方が一番少い。それはどの程度が適当か、これはまた議論がありますが、民間企業と違いまして、採算上成り立たない場合でも、あるいはバス事業を営み、あるいはまたそういう鉄道を経営せざるを得ない。そういう企業と同じように、先ほどの純理で貫いた場合、国鉄では一部しか実施できない、専売その他では完全実施できる。その場合に国鉄の従業員に対して、その純理、法理だけで不均衡を忍べということでは、どうもそこに矛盾があるような感じがいたします。だから、今当面の問題としましては、そういう点を加味して、現在の予算の組みかえだけで実施できない部面に対しまして、やはり特段の考慮が必要だろうと思うのでありますが、少し長い目で見ますれば、大体ああいう公社を設けました趣旨、または最近におきまして、ああいう現業関係公社にしようというような意見もありますが、そういう動きからしましたら、そういう公社なり現業関係建前というものを、もう一ぺんここで再検討してみる必要つがあるのではないか、かように考えております。  ソ連におきましては、全体が公共企業体でありますが、その能率発揮をはかるために、いろいろなくふうをしておるようであります。能率向上その他によつて予算以上に益金が出た場合には、それを公共企業体企業上の基金としまして、従業員に分配したり、あるいは福利施設に使つてもいいというような制度もこしろえたり、いろいろやつておるようでありますが、この際公社を設けた本来の趣旨に合うように、また官業関係につきましても、それを公共企業体と同じような方向に進めるとすれば、やはり各国の事例等も参考にしまして、適正な制度にかえることが必要じやないか。そうした場合には、この仲裁裁定に関する争いは、もつとすつきりしまして、先ほど私が述べましたような、あくまで純理上法理上の見解に従つて処置すれば問題がないのじやないか、こう考えております。  それから、これは直接仲裁裁定関係しないかもしれませんが、先ほど今井さんもちよつと触れられたのですが、最近経済評論家とが、あるいは実業家の一部などに、この際インフレを押えるためには、できるだけ公共企業体職員の賃金なり、あるいは公務員一般給与を上げない方がいいというような議論が、かなりあるわけでありまして、われわれの仲間にもないではないわけでありますが、私は一般的な議論として、この際日本の消費水準が高まり、従つてそれを裏づける——これは単に公務員公共企業体職員だけではなしに、一般勤労者の賃金が上つて行くということと、日本経済の根本のあり方、そこに今一つの限界が来つつある、あるいは来ておるということは、私も了承しております。確かに今年の経済白書に指摘してありましたような傾向は、今年度には一層強く出ておるわけでありまして、そのしりが国際収支に出て、今日では特需とか、いわゆる基地収入をもつてしても、なお補えないというような状態になつて来つつあるわけであります。もちろん、それが消費水準だけではなくして、国力から見て多過ぎる。一部にはいわゆる二重投資というような問題もあるわけで、投資の増大もありますが、しかし消費水準の増大が一つの原因であることもいなめないと思うのであります。ですから、ここで日本の国民がほんとうに独立ということを考える以上は、そういう点について、全般的な反省を要すべき段階に来ておることは、私も認めるわけであります。しかし、これは財政経済政策、その他政治全般の問題でありまして、今回の仲裁裁定、あるいはちよつと違いますが、人事院勧告というようなものは、あえてインフレ政策とは申しませんけれども、過去の政策の結果生じて来たものに対する一つの調整としてなされたものであります。たとえば昨年の九月ごろから今年の九月ごろまでの一年間に、民間の全産業の平均賃金は約一五%上つておりますし、五百人以上の大企業だけの平均賃金を見ましても、やはり一三%程度上つております。また生計費も、御承知のように同じ一年間にやはり七・五%程度の上昇を見ておるわけでありまして、そういうものに対する不均衡を調整するという意味の人事院勧告であり、また今回の仲裁裁定であります。から、この結果として一番遅れて出て来たものを、インフレの懸念があるから、この際それをできるだけ押えるというような議論は、本末の転倒と申しますか、全然筋道が立たないのでありまして、もし今後全般的な日本経済のあり方から、この際インフレを抑圧し、さらにむしろインフレというよりも、真の経済自立をはかるという意味から今後の政策を立てるとすれば、それは当然私は必要だと考えておるのでありますが、これは将来の、といいますか、二十九年度予算その他全般の経済政策、さらにはその他の政治問題にも関係して来るわけでありまして、それは今後において実施して行くべきものであつて、そういう一般的な懸念を過去一年間の跡始末として出て米たこの仲裁裁定や、あるいは人事院勧告に結びつけてこれをできるだけ押えようというような議論は、私は当を得ておらないと考えておるわけであります。はなはだ簡単でありますが、一、二の点について私の見解を申し述べた次第であります。
  56. 赤松勇

    赤松委員長 白神公述人に対する質疑を許します。多賀谷真稔君。
  57. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 白神公述人は、読売新聞社の関係でございますので、一応本年十一月十二日の「国鉄運営の実態」という記事について御質問したいと思います。  これによりますと、人件費が八百十五億組んであるけれども、それは単なる予算面の数字であつて、実際には修理費の中から賃金に流れる額が相当に多く、実質としては人件費が一千百億円に達しようと経理当局では述懐しておる。そこでこの八月現在の職員総数は四十四万六千二百二十六人である。こういうことからその一千百億円を現在の職員総数で割りますと、大体一年に二十四万七千円程度になり、月額にいたしますと二万円程度になる。こういう発表がなされておるのであります。これにつきましては、私たち今仲裁裁定をいかにして実施さすべきか、審議しております者にとりましては、きわめて重大な問題であると思うのであります。そこでお尋ねいたしたいのは、修理費の中に人件費が入つておる、これは確かであろうと思いますけれども、これはよそに注文を出すとか、そういつた人件費であつて、この職員総数の中の人件費ではないと考えるわけです。これを職員総数で割ると二万円以上になるわけですけれども、そこには非常に無理があり、実態とそぐわないのではないかと考えるのですが、この点についてどういうふうに考えられておるか、お尋ねいたします。
  58. 白神勤

    ○白神公述人 読売新聞の記事に関連して、今お尋ねがあつたわけでありますが、私は読売新聞の論説委員をしておるのですけれども——新聞社のことは御承知かと思いますが、紙面の記事につきましては、編集局が全面的な責任を持つておりまして、論説委員会というのは、編集局とは独立しております。記事については、同じ社の者ですから、多少責任をもつてお話しなければならぬじやないかと思いますけれども、当該記事につきまして、直接の御返答はできないのであります。国鉄の経理につきましては、私どもは、ときどきそういう関係者の会合その他で、三公社現業の中で一番経理内容に含みがあると申しますか、ひどい言葉でいえば、相当乱脈といいますか、そういうことは相当その方面に明るい人からも、そういううわさはよく聞いております。けれども、さてそれが実際その記事の通りであるか、あるいはそう言われるように、国鉄の経理というものを洗えば、この裁定を実施するに十分なものがあるかどうかということにつきましては、ここではつきりお答えすることはできません。もし国会でそういうものをお調べになつて、ありました場合は、当然八月にさかのぼつて実施すべきものだとは思つております。
  59. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 実は見出しは「人件費赤字の上にあぐら」となつておるのであります。そして、いかにも実際は人件費はこれだけしか組んでなく、給与総額もこれだけであるけれども、実は修理費から当然横流れをして来て、月額一人当り二万円以上になる、こういう新聞記事から見ますと、われわれは一体何を審議しているのかということで、国会の審議権それ自体も世間から疑われるようにもなりますし、また現在国鉄労組が闘かつておりますこの闘いにも、非常に支障を来す、かように考えられますので、よく調査をして、できれば再度こういうものについて究明していただきたい、かように考えまして終ります。
  60. 赤松勇

    赤松委員長 多賀谷君、論説ですか。
  61. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 論説じやないのですが、かなり大きく出ているのです。
  62. 赤松勇

    赤松委員長 それはしかし今おつしやるように、編集局と論説委員とは違つて、論説委員の方は独立しているのですから……。
  63. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 わかりました。
  64. 白神勤

    ○白神公述人 関連しておし上げておきますが、これは私の方の新聞だけじやなしに、記事はあくまで全体が正確でなければならぬわけであります。こういう場合は、然当糾弾さるべきでありますが、善意でありましても、やはり生きた人間がやつておりまして、間違う場合が往々あるのでありまして、今度のように国鉄の労組あるいは従業員に迷惑がかかるような場合には、その社へどしどし訂正を申し込むというような社会的慣習をつけていただきたい、こう思つております。
  65. 赤松勇

    赤松委員長 それでは、読売新聞に対しましては、別個の方法でいろいろ事実を究明することにし、また論説の場合におきましても、ひとつできる限り正確を期していただくことを希望しておきます。
  66. 石山權作

    ○石山委員 最近の輿論の喚起と申しますか、そういう点につきましては、現在いろいろの報道機関があるうちに、私は新聞記事が一番中心にあるように思うわけであります。特に新聞の場合には、今も言われたように、非常に誤報もあるようでございますけれども、大体中心をついておるような場合が多いと思います。ですから、そういう点では、新聞はやはり信用もあるし、いろいろの点では世道人心の指導的役割を果すというのはもちろんだと思います。ただ最近賃金問題が出ますと、すぐ賃金のみがインフレの要因になるやの表現が多く使われるということは、非常に残念だと思います。それから特に国民生活に直接関係のある塩でも、あるいはタバコでも、鉄道の運賃でも、こういうものが、賃金が上るからそういうふうになるというような報道が間々あるわけであります。それから、これは読売さんというわけではなく、私は秋田から出ておるのですが、秋田の小さな新聞では、自分の地元の産業とすぐ引比べます。たとえば秋田の場合には、製材が非常にあるわけでありますが、これはみな中小企業、そうして賃金が大体八千円でございます。そこで、すぐこちらの最低と結びつけるというようなやり方をして、いかにも公務員の賃金というものは高いものであるというような印象づけをする。しかし片一方においては、もし正しく報道していただくならば、最高をとつておる民間の企業を報告する義務があると思うのでありますが、そういうようなことは伏せておいて、特に問題が起きたら、当面の問題をうまくやつてくれるというよりも、たたきつけるというような印象が強いのであります。そういう点では、非常に残念に思つておりますけれども、一般新聞の世評に対する指導権を考えた場合、これが一番大きな要素をなして来るのであります。今新聞の方々、あなたはインフレに対して、何と何がインフレを呼ぶか。たとえば、来年慶一千億円くらい軍備費をかけるというような意見が出ておりますが、そういうのがインフレの要因になるのかどうか。人件費は、もちろんなるかもしれませんが、どの程度になればインフレを呼ぶのか、こういう点、一般的に見た目のインフレ要素というものを四つか五つくらい説明していただきたい。
  67. 白神勤

    ○白神公述人 お話一般経済面のところもありましたが、最初の点につきまして、私は特に裁定問題その他が出ましてから、それと結びつけて、そういうものを完全に実施すればインフレ要因かというと、そういうことが最近新聞記事に特に多くなつたとは、私見ておらないのであります。もしそういうものが出ておるとすれば、それとこれとを結びつけるのは妥当でないというのが、私が先ほど申し上げた通りであります。それから、いわゆる中小企業などの不当というか、やむを得ざる低賃金、こういうものと公務員給与あるいは今回の仲裁裁定に出されましたような基準賃金、そういうものと比べて、それがいかにも高いということで不当に宣伝をするものがあるとすれば、それは正しくないと考えます。その点は、御承知のように、大体民間企業全産業の平均賃金の最近一箇年の一五%の値上りに対しまして今度の裁定も、はつきり記憶はしておりませんが、約一〇%ないし一五%の値上りでありまして、大体その平均というものを一応参考にするのは、仲裁に立つ者、あるいは公務員の場合の人事院としても当然ではなかろうかと思います。ですから、そういう線に沿つて出されたものに対して、やむを得ざる低賃金のものと対比して、この仲裁裁定は高過ぎる、そういうようなことを一般に広めようとする、そういう宣伝も自由かもしれませんが、そういう宣伝があるとすれば、私は正しくないことだと考えております。  インフレについては、私は公務員給与を上げたことが、そのままインフレになるとは思つておりません。いわゆるかつてドツジがいたしましたような総合的な均衡予算を組めば、私は少くとも財政——そうなるとインフレとは何ぞやという問題になりますから、簡単にいたしますが、私は財政上、金融操作上の不均衡から来る物価騰貴は、これは一応インフレ。そういう意味におきまして、一方で給与その他を上げましても、全体的な予算の均衡を保つ限りは、財政上からインフレは起らないわけでありますし、またそれを補うような金融的措置を講ずれば、インフレというものは起らない。ただ、もちろん御承知のように、インフレが起らなくとも、凶作のために米の値段が上つた、そういうことはありますが、そういうことをもつてインフレとはいえないと思います。ただ、日本の経済の内容というものが、たとえば公共事業費とか、あるいは今後軍備をふやして賃金その他をなるべく低目に押えて行く場合と、そういうものをうんと減らして賃金その他を高くした場合は、内容的にはかなり違つておりましていわゆる消費経済的な性格が強くなるか、あるいは軍事経済的な性格が強くなるか、いろいろの場合がありますが、それと直接インフレとを結びつける必要はないと考えております。この際インフレとか、そういう消費経済のあり方よりも、一番大事なことは、日本の真の独立、つまり今ほとんど各界が日本独立を言いながら、実際においてはだんだん対米依存度を深めつつあるこの日本経済の実情と関連して、将来は、いろいろの施策、あるいは賃金問題もそうでありますが、財政経済すべての政策をやつて行かなければならぬしまた国会の皆様にも、そういう点で、今後あらゆる問題を対米依存性から脱却という点と結びつけてお考えくださることを、この席で希望してやまない次第であります。
  68. 赤松勇

    赤松委員長 他にございませんか。——なければ白神公述人に対する質疑を打切ります。どうも御苦労さまでございました。  それでは引続きまして中部日本新聞社の清水武雄論説委員にお願いいたします。清水公述人
  69. 清水武雄

    ○清水公述人 私も法律はまつたく門外漢ですから、きようここへお呼び出しくださつたのは、やはり新聞関係より見ての意味だと思います。一番常識的な、一般的な意見に近い、こういうわけであろうと考えます。たいへん大ざつぱですが、ただ考えておることだけを申し上げます。  今申しましたように、今度の仲裁裁定の実施の取扱いが問題の要点なんですけれども、これを少し整理すれば、一応法理論といいますか、形式的な面、それからもう少し実質の内容に即した考え方と、両面があると思うのです。法律問題は、今申しましたように、私は苦手だし、また知りもしないし、先ほどから実に専門的な詳細な公労法に対する御解釈お話くださつておるので、私も伺ておつてたいへん得るところが多かつたというよりも、あれで少少自信がついたというていいわけです。しかし、とにかくここへ立つて、何か意見を言う以上は、この問題はやはり公労法を一ぺん通らぬことには、何とも意見がきめようがないということは事実です。もう蛇足を加える必要はないのですが、私もしろうとなりに前から考えてはいたので、ただ私の考えている要点だけを、さつきの有泉さんの意見を聞いておつて申し上げる勇気が出て来たので、申し上げます。公労法といつても、いろいろ問題は多いのでございましようが、ただ今度の仲裁裁定を私たちが常識的に考えてみて、やはり一番問題になるのは、争議権を禁止していることだ。禁止している条項と仲裁規定、これと関連して、先ほどから問題になつております十六条の関連だと思います。それで、争議権を禁止しておる。これは本来基本権の一つとして当然あるべきものが禁止されておるのでありますから、仲裁規定は、むろんこれに対する補いという意味だと私は今まで理解しておつたわけです。そうでないと、公共企業体に従業している人だけは、自分の利益を得る方法が、自分の意思とはまつたく別に阻止されていることになる。そういう法律を、特殊の事情と必要からつくつたとすれば、それの補いとして、ああいう特別の仲裁規定ができたんだろうと思うのです。それだから、あの仲裁規定のところには、最終的決定だということがある。従つて、双方がこれに一応服従しろ、実施を承認しなければいけないということが、かなり強く書いてあるのも、そういう意味じやないかと思うのであります。そうすれば、むろんこの仲裁裁定は、どの道金の問題を伴つて来る問題でありますから、十六条を規定なつたのも無理はないと思います。ただ、十六条をつくつたのは、今のように公労法争議権禁止と仲裁規定関係を、そういうふうに理解すれば、この規定は、元来仲裁裁定をできるだけ値切るために利用するための規定ではないと思うのです。そういう趣旨でつくられたわけではなかろう。むしろそれよりか、組合の方は多ければ多い方がいいので、これは問題はないのですが、たとえば当事者の方は、組合側に対する何らかの理由をもつて特別の譲歩をする、特別弱い態度をとるというようなことから、とんでもない金額がきまつて来る。こういうことはあまりあり得ないことですが、そういう万一の場合を押えるためであつて、常態としては、仲裁裁定はそのまま行われるべきものだということだと思う。従つて十六条の規定は、万一に備えるための用意ではないか、私はそう考えているのであります。そうだとすれば、仲裁裁定は、それ自体が一つの決定事項として、これは当事者双方、政府もむろんそれを実施するのが、公労法精神等から見ても、当然だということになるのではなかろうか。  元来仲裁裁定という以上は、どの道当事者双方からは相当の不満があるはずだと思う。裁定自体が一つの互譲の妥協案であるはずです。それでなければ、おそらく裁定というものは出て来ないのです。裁定の常識的な結果というものは、譲歩の限度がどちらに多いか知りません、その場合場合そのときどきで違いましようが、いずれにしても、双方がある程度不満を残すような譲歩をしいられた結果のものだと思います。それを一つの強制的な形でもつて最終決定とするということは、やはりこれが実行されるということでなければ意味がないと思う。裁定が要求案に合つておるという状態は、私はかなりおかしいと思うのです。これはさつき申しました形式的な面ですけれども、こちらの方は先ほどから非常に専門的なはつきりした御意見が出ておるようですから、これ以上私は申し上げません。  それからもう一つは、もう少し内容に即した面からも考えてみることができるじやないか。先ほどから、十六条の問題で、実際資金上の措置が講ぜ得ないようなものということになつておる。この点になれば、給与総額の問題も出て来ましようし、従つて今度のベースの高さということも問題になると思うのですが、裁定案そのものの比重は、これは別の問題だと思う。今度のベースは、政府も妥当だと考えていただろうと思うのは、これをとにかく一月一日から実施するということです。時間的には八月と一月と違つておりますが、ともかく一月に実施する。そのべースは、今度の裁定と同じベースを使うということは、政府の立場から考えて、この裁定が出したべースを一応妥当だと考えたのだと私は思う。そうでなければ、ベースそのものを一月一日から実施するということは言わないと思う。従つて、ベースそのものが、政府から見てすらも、さほどに不当に高かつたのじやないと考えていいのじやないか。  今平均賃金の高さというものがどれくらいになつておりますか、正確な数字を記憶しておりませんが、私のうろ覚えの範囲では、これは労働省の数字だと思うのですが、この六月に大体一万七千円前後だつたと思います。これはいろいろな業種の総平均、中で高いのはどこだつたが覚えがありませんが、二万円越したのもむろんあります。それから一万六千円を割つておる業種はないのです。むろん労働省の調査ですから、あそこの調査基準がありますので、非常に小さい小企業は入つておらないかもしれませんけれども、これによると、大体において一万六千円以下の業種はあの表には出ていない。そうすると今度の裁定は、それだけ見てもそう不当なものじやない。しかも一方において物価がむろん上つておりますし、それから日本銀行の調査でも、たしかここ一年間くらいに、東京の卸売物価指数だけでも六・〇ぐらいは上つておる。この六・〇上つた一番大きなものは食料費である。これは一一%ばかり上つております。要するに、日銀調査の東京都卸売物価指数の上つた原因の大部分は、もつぱら食料費にある。そういう事実から見ましても、べースそのものがそう高いというのではむろんない。ただこれを予算化するのにそういうことができるのか、できないのかということになると、裁定の方は実施を八月から、政府の方は一月からという。従つて一月以降に予算負担としてその新しいベースの人件費がでるわけだと思います。そうすると、しぼつて行くこと、結局これができないという面は、八月から十二月の五箇月間の問題になつて来ると私は考えております。これがどのくらいになりますか、裁定の理由書を見ますと、これは国鉄の例ですけれども、八月実施として八十億とたしか出ておつたと思います。そこから計算すれば、八月から十二月の費用は、大ざつぱに見て、五十億前後になるりくつになるわけでありますけれども、これが当面のひつかかつている題問だとすれば、どうしても予算化し得ないという数字ではないじやなかろうか、こう思つております。  それから先ほどからもお話がありましたが、事実これはインフレーシヨンの誘因になるという批判は、これは確かにあると思います。が、これは先ほど白神さんもおつしやつておりましたが、これはインフレーシヨンをここで心配してみても、しかたがありませんが、インフレーシヨンは、新たにつけ加わつたものが、とたんにインフレーシヨンを起すのではなくして——ここは一〇というものがあつて、これに〇・五というものがプラスされる。そしてこの〇・五というものがプラスされたとたんにインフレーシヨンを起すことになるという筋合いのものではないと思います。〇・五は、一〇という基礎的な、つまり言いかえれば、日本の財政ないしは経済の現在の内部の組立て方の総体がなければ、そのつけ加わつたものだけがインフレーシヨンの原因になるのではなくて、全体に新たにつけ加わつたものの総計がやはりインフレーシヨの原因となるのです。そうでなければインフレーシヨンの性質から見てもおかしい。そうすれば、かりにここで今度の給与ベースの引上げということは、それ自体だけとればむろん決してインフレに何も影響ないものだとはいえない。しかしこれは今まである日本経済の全体、財政規模の全体の中に吸収され尽してしまえば、これは当然インフレーシヨンは起らない。それがプラスしてということはここにすでにインフレーシヨンを起し得る実態としての日本の財政経済の全体が今までにあるから、インフレーシヨンになるということになるのであります。従つて問題は、これがインフレへの誘因となることをおそれるとすれば、これを解消するような財政措置ないしは経済政策の全般的な措置がとられるべきであるし、またとられなければならぬ。今、日本経済が再度大きなインフレーシヨンに見舞われるということは、今日の場合かなり警戒を要することだと思います。従つていかなるインフレーシヨンを起しても、何が何でもふやして行くのだという形でなしに、これをふやすということは、先ほどから皆さんがおつしやつておられるように、今度の仲裁裁定の完全実施ということは、どの面から見ても一応妥当だとすれば、その結果から来るインフレーシヨンの憂いがもしあるならば、その憂いを解消するような措置を講ずることは、私は当然政府の責任だと思うのであります。それが政治だと思うのであります。そういう意味合いでは、インフレーシヨンというものは、つけ加わつて来る。今現にある既成のものに単にプラスして来るものだけを取上げて、インフレーシヨン、インフレーシヨンと言うことは、これはインフレーシヨンの本質を非常に間違えた見方だと思う。また経済理論の面から見ても、そういうものではない。インフレーシヨンというものは、常に全体の経済がインフレートするのであつて、その限りにおいて今までの一〇プラス〇・五というものがインフレートしたことになる。しかし、インフレーシヨンは〇・五が起したのではない、一〇・五というものが起したのであつて、前の一〇がなければ、これがつけ加わつただけで、決してインフレーシヨンになるのではない。従つて全体としてのインフレーシヨン的な傾向がなければ、そのためにインフレーシヨンが誘発されるということはないと思う。  この議論はまことに都合のいい議論でありますが、そういう意味では、インフレーシヨンの性質をかなり都合よく、しかもこの仲裁裁定ばかりでなしに、ベース・アツプの問題だけ結びつけた、かなり意図的な議論だと思うのです。先ほどからいろいろな御議論が出ております。今度は三公社五つ現業ですが、これを画一的に取扱われておる。画一に取扱わなければならない理由があるのかもわかりませんが、私たちにはそういう理由はわからないのですが、外から見ておりますと、これはかなりおかしいので、この現業の経理内で処理できるならば、ばらばらになつてもいいのではないか。それは組合同士の仁義はあると思うのです。これをやると、国鉄だけとり残されるおそれが出て来ると思う。その間にほかの現業からは、どうも国鉄に済まないという気持が出て出るかもしれないし、国鉄もそういう気持があるがもわからない。しかし、これは組合内部のことで、組合さえその点が割切れるならば——この点は独立採算制を実際にやつて行くほど完全な機構を持つておるかどうかは、先ほど来お話がありましたければも、よくわかりませんが、できるならば、そうして一向さしつかえないのではないか。しいてこれを画一に最低のものに歩調を合せるために、かなり余裕のある会計の方を義理立てさせてしまうという必要はないのではなかろうかしらと私は考えております。こういう点では、今度の期末手当なんかでも、公務員との間に〇・二五違うのですけれども、こういうものも、どうしてそういうふうに違うのか、私にはどうもはつきり説明がわからない。むろんいろいろな理由があると思うのですけれども、こういうふうなアンバランスをつくつておく必要があるならば、やはりこれはだれにもわかるようなはつきりした理由だけは、説明としてつけておくことが、よけいな争議をつくらないで済む一つの方法ではなかろうかと思います。  たいへん簡単でありますが、これで失礼いたします。
  70. 赤松勇

    赤松委員長 清水公述人に対する質疑を許します。
  71. 中原健次

    ○中原委員 ちよつと一点お尋ねいたします。今度の仲裁裁定が出ましたことから、今問題に取上げられましたように、大体この実施の時期の問題は、調停の場合は四月からこれを実施する、裁定の場合は八月、政府はこれを明年の一月から、こういうことになつておるわけであります。ところが組合側が賃上げの要求を提起いたしましたのは三月。従つてこの三月に提起いたしますときにもうすでにこの前の賃金では物価とのつり合いがとれなくて賃金の実態が物価の上昇の状態と比べてかけ離れて来たということから、賃上げの要求をせざるを得なくなつたわけであります。それが、調停仲裁、団交等等に時間を食われまして、結論の出ますのがだんだん遅れて来たわけでありますが、そうして結論が出る時期が非常にずれて参りました。そうすると、その間にだけでも、すでに物価は遠慮なしに上昇しておるわけであります。しかるに、政府がさらに遅れて一月からかりにこれを実施するといたしましても、その間に物価のテンポと賃金の状態とがかけ離れて来るように、おのずからなつて参るわけであります。そうなつて参りますと、ここでかりに裁定の通りが完全に実施されたといたしましても、もうすでに賃金それ自身は、物価とのつり合いを失うておるというのが実情であります。しかるにかかわらず、これの実施が非常に時間もずれて一月からとなるといたしますと、当然そういう関係で、合理的な条件に立つておらないということになるわけであります。そこで、ひとつ御見解を伺いたいのは、大体労働者が賃金の値上げを要求いたしまするその基礎というものが、いろいろな事情を取入れました合理的な科学的な根拠に立つておりますだけに、これが非常にずらされて参りますと、結果は反対のことになつて参るわけでありますから、労働者側から考えますと、今回のような政府の取扱い方に対しましては、当然非常に憤懣を感ずるわけであります。ことに、先ほどからも論議がありましたように、公共企業体等労働関係法によりましてだけ考えましても、当然仲裁裁定に両者が拘束され、また拘束される両者、ことに相手側である公社あるいは政府側は、当然予算的な措置をせなければならない義務を負うておるにかかわりませず、これを十分行おうとせないというようなことから起つて参ります労働組合側の不満が、一つ間違えますと、爆発せざるを得ない。その爆発いたしました結果は、いろいろな形で、場合によれば、国民の多数の人たちにある程度の御迷惑をおかけするような場合も起らないではない、こういうことも想像されるわけであります。そういつた場合に、この好ましからぬ状態が起つたときの責任というものは、このような事情から考えまして、一体いずれの側にあるようにお思いになられるか。いやしくも世論の先頭にお立ちになる新聞の、特に論説委員のあなたのお立場で、この問題についての御見解を承りたいと思います。
  72. 清水武雄

    ○清水公述人 いつも問題になる非常にむずかしい問題ですけれども、先ほどから申しましたように、今の御質問ですか、御意見は、仲裁裁定が完全に実施されなかつた、また今度完全に実施されても、一月からならばこれは完全じやない。そういう形で行つたときというように、一応場合は限定されていられるのだと思うのでございますけれども、その限りにおいて、先ほどから申しましたように、本来理論上も実際上も完全実施されるのが妥当だ。それを実施しない結果ということになれば、責任は実施しない方にあるといわざるを得ない。ただしかし、公企業の関連しておる事業自体の性質からいつて、私も組合側ができる限りの自制はしていただきたいと思う。責任問題をただ追究するならば、むろん妥当であることを実施しなかつた方に責任があるといわざるを得ない、私はそう考えております。
  73. 中原健次

    ○中原委員 御見解のように、私どもも考えております。ここで法理上のりくつを申し上げたり、お尋ねしようと思うわけではありませんけれども、そうなると、たとえば公企労法というこの法律が、そもそも提案されました当時から、違憲立法として非常に有名であります。憲法をまつたく蹂躪するような立法措置でありましたが、とにかく法律として出ておりますために、この法律を一応問題にしなければならない。そこで、この法律によりますと、この公企労法によつて束縛を受けております関係労働組合の諸君は、自分労働力を売る売らぬの自由がないということになるわけであります。一旦売つたが最後、自分労働力をそのような条件ではいやだから売らないということを言わせないで、強制的にその仕事に縛りつけて行く、こういう形にもつながつて来ると思うのです。すなわち、罷業権を与えないということは、そういうことかと思うのです。従つて自分の自由であるべきはずの労働力を売る売らぬの、ことにこれを拒否するの自由というものが奪われておるという関係になつておる公企労法でありますから、それだけに、この公企労法に対する義務を履行するの責任というものは、非常に重いと思うのです。非常な重さをもつてこの履行は迫られておると思うのであります。ところが政府は、実を言いますと、今まで仲裁裁定の実施に関しましては、快くこれを実施するの義務を行うておらぬ場合が多いわけです。これを実施した、しないについても、今日までしばしば議論なつたところであります。政府はこれをほとんど完全にしたように言い訳しておりますけれども、実際はしておらぬのであります。従つて、ただいまのような問題も、今後起る場合がないとは保しがたい。政府がこれまでやつて来たような扱い方をいたしますと、違憲立法が一層違憲立法になるような、この公企労法であるが、一応現在するのだから、この法律を少しでも憲法に背反しないように取扱いをしようという考えをするならば、やはり仲裁裁定の完全なる実施という建前をあくまで堅持するということが大切だと思うのです。そういう点につきまして世論の指導的なお立場にお立ちになられるだけに、この問題は十分御理解をいただけてまことにけつこうでありますが、この問題を一層掘り下げて御理解をいただきたいと思うのです。と申しますのは、新聞の報道が、ときによりますと労働組合側のこの立場を、むしろ曲解せられて、何だかいたずらに労働組合が世を騒がせておる。いたずらに国民の迷惑を誘発するようなことをしでかすというように、すぐに片づけてしまうきらいがよくあるのであります。もちろん労働組合側は、そういう無責任なことをやれと言いましても、やるものではない。下手なことをやると労働組合の信用にかかわる。労働組合の信用にかかわるようなことをやりますと、労働組合は今後世論の支持を受けることができないのでありますから、この点につきましては、決して思い違いはしないであろうと私どもは考えております。これは私の意見になりまして恐れ入りますけれども、せつかくの御理解にさらに蛇足を加えたわけでありまして、この点をひとつ御批判を願いたいと思いまするし、御理解がいただきたいと思います。
  74. 赤松勇

    赤松委員長 それでは清水公述人に対する質疑を打切りたいと思いますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  75. 赤松勇

    赤松委員長 それではさよう決定いたします。  続いて都立大学教授沼田稻次郎氏にお願いいたします。
  76. 沼田稲次郎

    ○沼田公述人 何分急な御指名でございましたので、それぞれのケースについて、経過だとか仲裁裁定内容などについて、検討する余裕を持ちませんでしたので、その意味で、どうしても公労法法律論なり、あるいはそれと憲法との関連における法理論が中心になることと存じますが、御了承いただきたいと思います。  そもそも公労法といいます法律は、私ども法律をやつておる者にとつても、難物中の難物なのでございます。と申しますのは、技術的にきわめてまずいのであります。大体わが国の労働関係に関する法のとらえ方というものは、どつちかというとヨーロツパ大陸的な考え方であります。協約法理を見ても、その通りであります。ところが公労法は、御承知のようにアメリカの、しかもワグナー法系統と同時に、鉄道労働法系統と二つのものをごつちやにませたような交渉体制というものを取り入れられまして、木に竹を継いだようなかつこうになつておるのであります。それで、わけても仲裁裁定というものが、国会承認によつて何らか影響を受ける部分ができた。このことをめぐつて解釈論上も、公労法ができて以来論争されて、まだ帰結を見ずという状態であります。しかもこの法律ができたときは、先ほどから議論がありましたように、憲法違反という意見が強かつたのでございます。憲法違反であるというのも、あのときはポツダム政令二〇一号という超憲法的な法律があつたから、それによつて、いかに憲法秩序内において違憲なものであつても、ポツダム政令なんだからということで、いやおうなしに承服させられたものであります。それを受け継いでできたのが、公労法の主として十七条であります。それでもあの当時は、占領下という状態なんだから、しかたがないというような気持で、これまた憲法秩序内において理解さるべきこの法律が、超憲法的な理解の仕方のまま、うやむやになつてつたのであります。講和後においては、当然十七条は撤廃されてしかるべきであろうと、労働法をやつておる者はひとしく考えたことと私は思つております。そこでこの三十五条、十六条という二つの条項を中心にして考えますにしても、どうしてもこれは公労法全部というよりも、むしろもつと大きく憲法との連関においてとらえなければならないということが明らかでございます。  そこで憲法二十八条に規定いたしております労働者基本権というものが、公共福祉によつてどの程度に制限を受けるのかということが、これまた絶えず論争せられましたが、これはそれぞれの人の世界観によつて非常に帰結を異にする問題のようでございます。しかしながら、憲法立場で考えますれば、公共福祉基本権というものは、まつこうからぶつかる性質のものではないのでありまして、むしろ従来個人の利益というものに対して、国家が無条件的に絶対的に優越するという、わが国の、ことに戦時中非常に鼓吹せられた全体主義的な考え方に対する批判として、この基本人権思想が出たのでございますし、そして戦時中からの例の公序良俗観念、安寧秩序観念というものに対して、パブリツク・ウエルフエアー、公共福祉という観念が取上げられた。つまり基本的人権が十分実現せられていることこそが、同時に公共福祉が実現せられている状態であるという考え方が、底に流れておつたといわなければならないのであります。だから、公共福祉というようなものが観念的に持ち出されて、基本的人権を全面的に否定するようなことがあるとすれば、これは明らかに憲法違反なのであります。これは基本的人権を蹂躪するから違反であるというだけではなく、公共福祉ということに対して理解を誤つた点においても、憲法違反であるといえるのであります。そこで、そのように争議権の全面的禁止が、憲法違反であるというふうに言い得るとするならば、もしこの公労法十七条というものが違憲でないとすれば、どういうふうに理解さるべきであろうかということが、私たちとしてはやはり重要問題であろうと思います。そうしますと、少くとも二つのことが考えられるではなかろうかと思うのであります。これを合憲的なものとして解釈して行くためには、一つは、この十七条で禁止しておる争議行為というふうなものは、これはやはり債務不履行を伴うような、あるいは債務不完全履行を伴うような、ストライキとかサボタージユとかいうような、従来の争議史上争議行為のいわば類型的なものとして出て来た行為を禁止するという意味がある。それだけのものだ。従つて、そういう債務不履行というような問題にあらずして権利の履行をやる、つまり今やつておられる遵法闘争というような形態のものは、本来それに含まるべき筋合いのものではない。たといそれが社会的観念としては争議というふうに考え得られたとしても、また労調法の定義においてこれを争議の中に入れて考えらるべきものであつたとしても、公労法十七条において禁止しておる争議行為の中には入れらるべきものではあるまい。入れて解釈するようでは、違憲のにおいが臭くなるというように考えられるではないかと思うのであります。  その点と関連しながらでありますが、いかに争議行為を全面的に禁止すると規定をいたしましても、憲法との調和において考えるならば、現実に何らパブリツク・ウエルフエアーに対して侵害しておらないというような場合、たとえば小さな私線における小さな駅だけが、ストライキをやるというような場合は、これは東武鉄道だとか東横線などのストライキとは比較にならないほどの貧弱なものでありまして、今日およそどういう争議においても、それくらいの影響がなしには争議は行われないのであります。そうしますと、このようなものまでも、この十七条によつて禁止するというふうには考え得られないのではなかろうか。つまり、そういうような争議を禁止する十七条自身、何らかこういうふうな制限を持つたものとして解釈するのでなければ、合憲的とならないであろう。のみならず、他のもう一つの点は、争議権によつて実現せられる勤労者生存権であります。この生存権を実現する手段である争議行為というものを押えた、つまり剥奪してしまつたのに対しては、それの代償がいるのではないかということであります。これは、先ほどから幾たびか述べられておつたことでございますが、少くも生存権を保障するに足ると客観的に考えられ得るような妥当な仲裁裁定、あるいは真に自主的な形で団体交渉が行われた結果到達する協定というふうなもの、これが厳に守られておるということが、十七条の争議禁止を一応合憲的ならしめ得るための第二の要素であろうと思います。従つて、こういうふうに考えてみますと、この仲裁裁定規定と、それの予算上質金上支出不可能なものについて国会の同意を得るというこの規定だけにひつかかつて、そこだけの次元で議論をしておつては、とうていわからないのであつて、そのような仲裁裁定公労法の全部の中で占める位置、あるいは協定の占める位置を考えますと、やはりどうしても争議権の制限と結びつけてとらえなければ、正当ではなかろうと思うのであります。  従つて、特にここで要求せられますことは、どうしても当局側の実行義務であります。およそ、普通の労働協約というふうなもので見ますと、あるいは民間における仲裁裁定というもので見ますと、これは普通は当事者が同じような程度に、そのきめられたものを守らなければならないというのが当然の要求であります。ところが、この場合考えてみますと、労働者側は絶対的平和義務を課せられておるといつてよいのであります。絶対的平和義務を、民間産業の場合に協約で規定いたしましても、そのような絶対的平和義務は無効と解釈するのが、労働法学界の普通の見解だろうと思います。普通の平和義務というものは、相対的なものだ。つまり、きめられたことだけについてお互いに約束を守つて、ストライキもやらない、ロツク・アウトもやらないというのが平和義務であります。ところが、この公労法における協定あるいは仲裁というものについて見ますと、労働者側に関する限りは絶対的である。つまり絶対的というのは、これは一方においては、内容的に見て、きめた事柄以外のことについても争わない、ストライキもやらないという意味において絶対的であると同時に、この協定が有効である時期だけストライキをやらないというのではなくて、時間的にもずつと絶対的平和義務であります。つまり、争議権の禁止を受けておるのであります。そういう事態に対比して考えますと、労働組合の平和義務に対応するものは、この協定については、常に使用者側の実行義務なのであります。この実行義務の重要性がいかに大きいかということが、わかつていただけるのじやなかろうかと思うのであります。そうして、これこそが近代社会における、いわば交換的正義ないしは平和的正義といいますか、アリストテレス以来の配分的正義に対して私人間の利益のバランスがとれておるという意味での正義が実現せられるのではなかろうかというふうに申し上げていいのではないかと思うのであります。以上のような原則に立つて、初めてこの十七条というものを理解すべきであり、三十五条、十六条というものえ理解すべきであろうというふうに考えていいと思うのであります。  しかも、いわんや、この法律ができるときに、労働組合側は全面的に反対したのであります。しかも、議会におきましても、労働組合側が推薦され、組合が背景となつて推しあげた左右社会党や労農党あるいは共産党というような、いわば労働者を背景とした政党が、常に少数者の立場にまわされて、あらゆる反対があるにかかわらず、これを押し切つた形で成立させられた法律なのであります。というのは、これは政治的な意味になつて参りますが、少くとも現在の政権を握つておる政府は、少数政党を通じて、同時にまた直接的に、勤労大衆に一つの約束を与えたという意味を持つのであります。だから、仲裁裁定はあくまでも守るということを前提としてこの法律は考えて行かざるを得ないのであります。  およそ近来の世界的な労働法の傾向を見ますと、ストライキ権を、公益事業あるいは公共事業だからといつて、全面的に一方的に押えてしまうというのは、ほとんどないのであります。これは大体サルヴアドルとかなんとかいう、そういう二、三の小国において、公共事業あるいは公益事業のストライキを全面的に押えておる国があるだけでありまして、世界的には、きわめてまれなわけであります。そしてたとい争議を制限するという場合におきましても、これに代償を与えるに仲裁裁定だけをもつてするという水準は、少くとももう二十年以上も前のことだろうと思います。今日では、大体それに対する代償としては、労働者の経営参加を与えるという態度になつて来ておるど考えてよいのであります。だから、何分アメリカ以上に進んだ二十世紀的憲法とサルヴアドル等の労働法との調和を考えて解釈するということは、法律学者にとつて容易なことではないのであります。しかるに、この公労法は、団体交渉の対象をそれ自身制限しております。この制限がどこにねらいを置いておるかというと、経営参加を排除するという方向なのであります。経営には一指も触わさせないという形で排除しておる。  それから、さらに、この点はかなり強調しなければならないし、私たち古くから公労法を見ておつた者にとつて、非常に頭の切りかえに困難を来しておる点でありますが、給与総額規定なのでありしなす。この給与総額というものを、法律的に確立したということであります。これによつて予算資金上可能なべース・アツプというものが事実上あるのかどうか、私にはよくわからなくなつてしまつたのであります。けさの朝日新聞だつたか見ておりますと、国鉄の横山書記長の談話か何か出ておりました。その中に池田蔵相の発言だといつて、この給与総額規定公労法を骨抜きにしたということをおつしやつたそうでありますが、確かに骨抜きになつておるのであります。これが公労法のある争議を全面的に禁止する十七条というものを、何とかして合憲的に解釈してみたいと思つておる人たちに絶望させたのが、この給与総額規定ではあるまいかと思うのであります。つまり、給与総額で骨抜きにしてしまつた。その骨抜きになつたものが、おそらくは唯一の可能な合憲的な解釈の足がかりであつたはずであります。それを骨抜きにしてしまつた。確かに、考えてみますと骨抜きにした。私は、むしろこの点については、今までぼんやりしておつた私たちが悪いかも存じません。給与総額がこれほどびつしり押えつけて来るものとも知らなかつた。といつては、ずさんな話でありますけれども、今までの公労法の頭で判例を見たり、そういうことを見ておつた者の感じでは、とうていこんなきびしいものだとは思つておらなかつたのであります。このように骨抜きにしてしまつたということになると、この給与総額規定が生きるか、公労法争議禁止規定が生きるか、どちらかが生きなければならない、同時に、どちらかが死ななければならないということではないかというふうに思うくらいでございます。  以上のような事態に即して、この協定とか裁定とかいうものを見ますと、これは政府も厳重に守らなければならないものだということは申すまでもございません。その協定なり裁定なりというものが、もし生存権保障に非常にかけ離れたくらい低いものであるならば、これをもつて私は労働組合の闘争を押えつけるには足らないと思うのでありますけれども、今日のこの裁定が、そのような意味を持つかどうか。つまり、生存権を保障するに足るものかどうかということについては、私は何とも断定する勇気もございません。というのはかなり幅の広いものでございますし、のみならず、これは一応組合の方も賛成されておることでございますし、それから今井さんの話を聞いておると、どうも当局も大体賛成なさつたような線でございますので、私たち自主的にこの形成されたものについて、あえて多くを語ろうとは存じませんけれども、ただ先ほどの公述人の方もおつしやつたように、これは決して、少くも公労法に含まれておるような規模を持つた、そのような産業における平均の賃金より高いものでないということは、明らかであろうと思うのであります。しかしながら、この点については、あえてこれ以上触れないことにいたします  三十五条と十六条の関係でございますが、この関係は、今までいろいろ問題があつた点も、給与総額で吹つ飛んでしまつた形なんで、と申しますのは、今まではまだ流用したり何かしてどうにか捻出するという道を当事者が持つてつたのでありますが、給与総額でびしやつときめられてしまつては、当事者としては、ベース・アツプをきめられて来る限り、そういう特殊な机の上で考え得る以外には、現実には予算資金上不可能でないものはない。つまり、あとはほとんどボーナスの場合以外はないと思うのであります。  そこで、ここに出て来る問題は、政府は裁定を受けたときに、一体どのような拘束を受けるのかということだろうと思うのであります。ところが、一切拘束を受けないと書いてある。そこに問題がある。一切拘束を受けないということは、どう理解すべきものなのか。いやしくも、これは国家の法律基本権を剥奪する代償として、最も合理的な労使関係を形成するためにというのでつくつた法律が命じておることを、それをまつたく拘束を受けないとは何かということをよく考えてみろと、これは結局、予算が通らなければ、それをのんではいけないというようなことに理解する以外にないのであります。そうなつて来ますと、政府としましては、仲裁裁定だけをぽんと国会に出して、これではどうやら給与総額を上まわりますからよろしくでは、済まないのではないかということであります。私は、今拝見いたしたわけでございますが、この提案されておる事由を見ますと、今申し上げたことに尽きるのであります。つまり、こういうふうに仲裁裁定を下されて、そしてこれはどうも給与総額を上まわる。予算資金上の支出不可能なる部分に属するから、十六条の二項によつて出すのだ、こういうことでありますが、これではいけない。やはり国会に付議するものは、何かといえば、予算を付議すべきものでありまして、その意味で言えば、これは予算委員会の問題であるということも考えられるのであります。追加予算を付議する。それにどんな事由を付するのか、追加予算を出さなければなかつた事由を述べる。その事由は、いろいろの経過を経たけれども、この公正なる仲裁委員会裁定を下したことによつて、労使関係における合理的な線が出たから、それに従つてわれわれは追加予算を出すのだという事由を付するのが当然だろうと思うのであります。あるいは、そのほかに何らかの事由があればそれを出す。とにかく、そういう建前のものなのであります。だから、予算を出さざる事由を大いに主張されるのではなく、予算を出してその事由を説明され、その中の一環として仲裁裁定が出て来なければ、うそであろうかと思うのであります。国会でも、もとよりこれに対応することでございますが、先ほども言いましたように、これは予算委員会の問題だと、極言すればいえるのであります。つまり、国会は決して上級裁判所ではない。国会はこの法律によつて仲裁裁定に対する何らか上級裁判所の機能をやつて裁定がよかつたか悪かつたかというようなことで、いろいろ取消させたりする機関ではないのであります。いやしくも、国家機関の意思が統一あるものとして、われわれに印象つけることが必要であります。とすれば、国会のつくつた法律が命じておるこの仲裁の拘束力というものを、そのまま是認するということ、そしてそれを全部の財政的な観点から予算を示す、こういう建前でしかるべきである。従つて国会は、この協定の中にわたつてまで、これが妥当であるかいなかということを審議することは、決して公労法のねらいとするところではなかつたはずだと思うのでございます。  それから、今実益がなくなつたような議論でありますが、国会承認があつて、そこで初めて裁定効力を持つのかという問題であります。もちろんこれは言うまでもなく予算資金支出不可能の部分についてでございますが、予算上質金上支出不可能な部分について、国会承認を得なければ効力がないのかどうかという問題であります。これはたとい国会承認がなくても効力はあるのだという議論をいくら主張してみましても、実益としてはあまりないのであります。というのは、今日給与総額という問題ががんとして出ている限りは、やりくり算段で片づけることは、一ぺん国会承認しなかつたけれども、ほつとけばそのうち年度末あたりにはもう一ぺん支払い可能になるのだという事態が起りつこはないからであります。そういう実益においては、私は疑がわしいと思うのでありますが、法の建前としていかに理解すべきかということになりますと、やはりどうしても両者を拘束する大原則を明らかにしたものである。そうして、ただその仲裁裁定を履行するについて、国会承認がなければ、事実上ちよつと履行ができない。しかしながら拘束はしておる、こういう精神解釈して行かなければならないのではないかと思うのであります。どちらにしても、この給与総額制度というものが廃止されなければ——公労法が経済統制法の一環としてならば、あるいは出て参るかもしれない、あるいは取締法の一環としては出て参るかもしれないが、労働法としては出て参らないのではないかと思うのであります。  以上のような法の解釈というものは、実は実際に政府のおやりになつていることを見ますと、遺憾ながらくずれていることは、多く申すまでもないと存じます。すでにいろいろ新聞やその他で承つていることでも、もう裁定が八月以降にというのを、来年一月一日からやるのだと言つている。今までも予算案を付さずに裁定だけを議会に付せられたということがよくありまして、その点については、法を守ることにはあまり触れておらないことは明らかであります。組合の主張を見ますと、これは争議権代償であるということを申しておりますが、これは事実であります。これは争議権代償としては、ことに仲裁制度としては弱過ぎる制度なのであります。むしろ今日は、先ほども申しましたように、争議権は原則として制限しない。緊急事態という一定期間を過ぎれば争議権はもう一ぺん元に返るのであります。これが今日の労働法のあり方であります。そうして組合側の主張する代償は、経営参加ということなのであります。ところが、その代償たる経営には触れさせない。給与総額の問題——この給与ということが、実は団体交渉のまつたく中心なんです。この中心のことについては指一本ささせないということになれば、この仲裁制度が、とうてい争議権を押えた代償になるとは考えられません。それでも組合側は謙虚に、争議権を剥奪されたものとして、この仲裁裁定というものを尊重されているようであります。これは実施するのが当然で、実施しないのはもつてのほかであります。また組合が、政府は大いに法を守れと言つておりますが、まつたくそうであります。日本は法治国家であるに違いありません。ただ近代民主主義国家における法治主義というものは、悪法を示されたときに、権利を擁護するのがほんとうであります。少くとも労働運動史を知つている者としては、実に控え目な態度であるということに、むしろ驚かされておるのであります。少くとも近代国家において、憲法基本権を保障しておるにもかかわらず、争議権を押えて、そのかわりに仲裁裁定を出した。その仲裁裁定が政府当局によつて守られなかつたということになつたとしたならば、おそらく気の早い外国の文明国の労働者は、ゼネストをもつてこたえたであろうと思います。それに対して、おそらく市民は同情を寄せたに違いないと思います。権利意識の強い、つまり人格主義の強い国においては、かような現象が起るのではないかと思います。とにかく国家とか政府とかいうものは決して法を軽んじないものであるという信頼が国民の間にみなぎつておるような国ならば、おそらくこのようなゼネストを支持するのが当然であろうと思います。従つて、この控え目な組合の要求というものは近代国家の政府にとつては、最小限度の義務内容だろうと考えられます。従つて、最大限の努力を払つてこれを実現していただくのが、ほんとうだろうと思います。とにかく今日私が申し上げておることは、何か非常に組合の肩を持つておるような、あるいは組合をけしかけておるような気持をお持ちになるかもしれませんが、今日協定裁定を守ろうとしない政府というものは、少くとも文明国においては珍しいことだということを申し上げておきます。それから、二、三の補足を申し上げさせていただきますが、裁定が出てから、さらに組合がその裁定の実施のために闘わなければならないということは、不幸なことであるということは、各組合を代表しておられる方々の公述の中にしばしば見たことであるし、それは私もそう思うのであります。そのことは、使用者側というか、労働組合交渉する当局側の立場から見れば、こういうことでありましよう。つまり裁定というものが争議にピリオツドを打つものではなくて、裁定自身が政府が相手となつ団体交渉の出発点という意味であります。つまり労働組合は、その当局と大いに談判をして、団体交渉をやつて、そうして仲裁裁定裁定を得た、ここでこの問題は片づいたはずである。その片づいたはずのところを、政府として無視しようとするから、今度はここから闘争になつてしまう。ということは、当局は二段、三段に常に闘争の矢面にみずから立たれておるということであります。そうして下手すると、国会までが動員されて来る。つまり、予算案をのむかのまぬかということで、ここまで動員されて来るということになりますと、政府が最もきらいな政治闘争が起るのはあたりまえであります。私もまた労働法というのは、なるべく市民社会の領域で、つまり経済社会の中でこの経済問題を片づけるのが、第一原則だと思つております。ところが、それを不可能ならしめて行つておるものがこの公労法の闘争であります。私はその点労働法のためにも、また国家のためにも非常に案ずる次第でございます。それから、これは各組合の方や、今井仲裁委員長の公述をずつと見ておつたところの私の感想で、一体当局は自主的な解決をお考えなのであろうかということを感じたのであります。というのは、ここで読んでもよろしいのでありますが、こういうことであります。今井委員長の発言されておるのには、当局は組合が要求をつきつけて来ておるのに対して、これくらいならば払えるという提案をなしておらない、つまりカウンター・プロポーザルをなしておらない。団体交渉というのは、どこでも、一方の組合が要求を出せば、これに対応した何らかの提案を持つて臨むというのが、誠意ある団交というものの最も重要なメルクマールとなつておるのであります。団体交渉制度はアメリカでよく発達しておるから、アメリカを引用しますと、アメリカでもカウンター・プロポーザルを持つて来ないような団体交渉は、誠意ある団体交渉として認めない。これは民間産業の場合に、もし組合の方が団体交渉を申し込んで、使用者側がこれに対して、困つたつた、どうもそれはできない、うちの経理が困つたというだけでは、団体交渉といえるかどうか。カウンター・プロポーザルを出して来ないならば、民間産業の場合には不当労働行為になるということは、ほぼ明らかなことだろうと思います。そうすると、不当労働行為は、下手すると公労法にも適用される、場合によつては団交拒否の不当労働行為という問題すら、あるいは考えられるのではないかと思います。もとより私は、ほんとうの団体交渉の実態というものをよく存じ上げておりませんから、一般的に不当労働行為が成り立つとは申しません。しかしながら、今井仲裁委員長の公述をずつと読んでおりますと、ここに仲裁委員長議論が出ております。とともに、やはり自主的な交渉をやるという態度が非常に乏しいように感じたのでございます。自主的な交渉を去つて、すべてを法の領域、法律によつて片づけて行くという態度は、労働法にとつては一番忌むべき態度であります。ラードブルーフの法の三つの究極の理念は、いわゆる法的安定性と正義と、それから法における合目的性というふうなものを掲げているのでございますが、これを労働法についてこれをながめますれば、一つは社会正義の要求でございましようし、一つは自主性の尊重ということでございましよう。そして一つは社会政策目的を実現する、つまりこれは社会政策目的として労使の産業平和ということでございましよう。こうした法の究極目的というふうなもの、それは裁定を政府が忠実に守つて行くことによつて、辛うじて若干の実現を見得るのではなかろうかというふうに思いますので、どうかこの法の理念に照して、合理的な態度で法の運営をやつていただきたいというふうに思います。  私の公述の要点は、以上をもつて終らせていただきます。
  77. 赤松勇

    赤松委員長 それでは、次に沼田公述人に対する質疑に移りたいと思います。中原君。
  78. 中原健次

    ○中原委員 ただ一点だけお尋ねいたします。教授の御指摘からいろいろ推して考えてみますと、日ごろ私どもが、いわゆるしろうとなりに考えておりました考え方が、論理的に裏書きされたような感じがいたすのであります。従つて私がこの解釈から通して結論をつかんで参りますと、公労法の三十五条によつて当然義務の履行を背負わされました相手方、特にこの場合は公社あるいは政府ということになりましようが、この政府の側が、現在の裁定に対する取扱い方のような、そういう誠意のない、いわば言いのがれの——できるだけ言いのがれをして、値切られるだけ値切つて何とか片をつけようという態度に出ます場合、公労法だけのわくで考えましても、仲裁機関をもつて代償を与えて十七条の規定を設けましたそのことが、まつた意味を失うてしまうということになるのじやないか。そうであつてみれば、これを完全に実施するの義務を誠意をもつて行わないならば、その瞬間に十七条の規定というものは効力を失う、いわばこれはおのずから解消せしめられる、こういう論も成り立つのじやなかろうかと思うのですが、これに対して御意見を伺います。
  79. 沼田稲次郎

    ○沼田公述人 今おつしやつた議論は、私は理論としてはそうだろうと思います。ただ、わが国の最高裁が、十七条を無効と宣言するかどうかについては、確信は持ちません。
  80. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 ごく簡単にお尋ねいたしたいと思います。  この裁定国会に付議するということでありますが、少くともここ五日ないし十日という期限が付してある。これは普通民間でありますと、当然争議行為が起る、そこですぐ解決しなければならぬ、こういうことであります。ところが、公労法においては、争議行為は禁止している。禁止しているからといつて、いつまでも審議をしない、あるいは承認もしない、付議もしない、こういうことでは、労使関係を円満に解決する意味において、はなはだ遺憾であるというのが、期限を付した理由であろうと思うのであります。ところが、このたび政府が出して来た出し方は、先ほど公述人も言われましたように、単に給与総額を上まわるからということで、その他のことは何ら政府として統一的な見解を出してないのであります。たとえば、承認をしてくれという承認であるのか、政府として不承認をしてもらいたいというような承認であるのが、一部承認をしてもらいたいというのか、いまだはつきりしておりません。これはこの前の臨時国会に出されたのでありますけれども、いまだ何らの意思表示がないわけでございます。そういたしますと、私たちといたしましては、もしこの裁定のみを単に付議するということでありますと、政府の見解で行きますと、裁定を付議し、国会がある意思表示をする、そうすると、予算を組む政治上の義務を生ずる、こういうわけであります。政府はそう言つておるのであります。そこで政治上の義務を生ずるといたしますと——私たちは法律上の義務を生ずると考えるのですが、かりに政治上の義務を生ずるといたしますと、さらに予算案を付議する、その間に次のような問題が起り得る。それは国会承認はあつた、ところが国会は解散した、そこで予算を提出するのがずつと遅れた。選挙後、さらに予算を組んで出した。そういたしますと、それを審議いたしますと、少くとも六箇月くらいかかる、こういう問題が起り得るのであります。そこで私は、これは当然解釈論といたしましても、十六条の国会承認というのと、さらに十六条第一項の国会による所定の行為というのとは、同じであると考えなければなりません。そうすると、この面から行きましても、予算提出義務が当然あるんだ、かように解釈論として考えるわけですが、先生の御意見を承りたい。
  81. 沼田稲次郎

    ○沼田公述人 今多賀谷さんのおつしやつた通りでありまして、私も同感であります。ただ、政府が承認を求めるのか、不承認を求めるのか、とおつしやつておりましたが、法律上は承認を求める以外には、不承認を求めるために国会に出されてはならない。やはり国会承認を求めるために、予算案を組まれるのが当然だろうと思います。それのみならず、ほんとうは政治的な責任ということまでおつしやるならば、政治的な責任からいえば、当然与党に働きかけて国会の多数をとる努力をなすのは当然であります。
  82. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 次に、政府は国会承認によつて初めて債権債務が発生する形成権だといつておるわけでございます。そういたしますと、両院の意見がととのわなかつた場合、あるいは審議未了になつた場合には、不承認の意思表示を国会はしたわけじやないと考えるのですが、先生はどういうようにお考えになるか、お尋ねいたします。
  83. 沼田稲次郎

    ○沼田公述人 私はそれを形成権と考えておりません。実益として見れば、形成権的な形になつて来ておるが、それがなければ、どうにもならないのであります。その点では、先ほど政治的な——国会が解散したというような場合にも、だからといつて裁判所へ仮処分を求めるわけには実際は参りません。その点で、実益において私はあるとは思いません。建前として考えれば、形成権じやなくて、当然拘束されておる、そうしてそれまで支払いを押えられておる。支払いをするのについては、これは予算を組まなければどうにもならぬのですから、承認にならぬとぐあいが悪い。つまり、不承認の意思表示はしなかつたが、承認の意思表示もしないと、これはどうにもいたし方がないと思うのです。
  84. 井堀繁雄

    ○井堀委員 お尋ねをいたしますが、先生の御説に従いますと、仲裁裁定が履行されない場合には、労働法精神従つて、元へもどつて団体交渉から出発し、さらに両者の争いが新たになるという解釈ですか。
  85. 沼田稲次郎

    ○沼田公述人 いいえ、そうじやありません。そうあつてはいけないのに、そういうことをやられておるから、本来経済的な世界で片づくべきものが、いやでも国会で闘つて行かなければどうにも片がつかなくなつてしまう。つまり、政府の側からいえば、その当面する当局との交渉で片づけるのが、公労法考え方であります。ところが政府はそれに対して、常にいろいろな形で、いや、一月一日からやるとかなんとかいうことを何となくにおわせながらやる。やがて国会に持つて来る。国会において先ほど多賀谷さんからおつしやつたように、承認を求めるのか不承認を求めるのかわからないような状態だから、与党も不承認の方に傾く。こうなつて来たら、労働組合側はここでまつたく片づかず、もう一ぺん国会に持つて来るとなれば、どの組合も目的は同じになつて、ゼネスト態勢をとらざるを得ない。いやでも国会はけしからぬという政治要求を掲げざるを得ない。これは少くとも、いかに経済的に押えて行こうと思つても、どうにもこうにもならなくなつて来る。だから、ここでもつて片づけなければならぬ。労働法できまつておる以上、ここで片づけるべきだ、こういうつもりで申したのであります。
  86. 井堀繁雄

    ○井堀委員 公労法としての体裁は一応整えておるが、内容において、ことに十六条で骨抜きになつておるという事実、この事実と法律解釈の問題になつて来ると思うのですが、もちろんこういう法律については、先生も御指摘になつておりましたように、占領下といつたような特別な事情がこういう法律を生んだという過程的なものは、私ともその通りだと思う。しかし、一応畸形的なものであつても、法律が現存する限りは、それを最も時代に適合したように運営するということは、立場は違つても、義務が国民としてあると思う。こういう意味でお尋ねをするのです。そこで問題は、十六条と三十五条との、裁定が両者を拘束するということは、この法律をわれわれの理解しておるところでは、一般の民間産業と異なつて公共的な利害得失に深いつながりを持つものであるから、できるだけ労資関係を平和的に処理するための立法であることは間違いないと思います。そういう立場からこれを判断するのに、仲裁裁定の一部履行などということは、りくつにも実際にもないと思う。完全履行という言葉もおかしいと思うのですが、仲裁裁定というものは、そのまま両者が履行しなければならぬ。その履行されない場合、ここに問題が実際問題としてあるわけです。私は法律の全体の精神とその矛盾とを実際問題で処理しなければならぬ立場からお尋ねをいたすのですが、すでに法律の上ではそういう矛盾がここに明らかに露呈して来ておるわけです。あなたの御指摘なされましたように、また政府がたびたびわれわれの質問に答えておる中にも明らかになつておりますように、法の全体の精神はさておいて、ただ条文の疑問のあるところへ便乗して隠れて、その責任を回避しておるという態度しか受取れないわけでありますが、こういう態度は許されないわけでありまして、これは国会の勢力は別にして、輿論の監視の中で行われるのでありますから、この点は輿論が解決する男とわれわれは確信しておるのです。そこで、労働法立場から行きますと、第一条にこの法律精神が割合よく現われておる。というのは二項に、この法律で定める手続に関与する関係者は、経済的紛争をできるだけ防止し、かつ、主張の不一致を友好的に調整するために、最大限の努力を要請しているわけであります。私はこの精神は、先ほどのように十六条と三十五条のような関係が出た場合には、この一条に照して、その矛盾を判断し解消して行くのが、この建前ではないかと思うのですが、先生の所見を承りたい。
  87. 沼田稲次郎

    ○沼田公述人 まつたく御意見の通りであります。  なお補足いたしますれば、一条は、団体交渉の慣行を確立するためということを、わざわざうたい込んだのでございまして、目的規定というものを尊重されながらこれを運営して行かれることは、まつたく賛成でございます。
  88. 井堀繁雄

    ○井堀委員 そこで次にお尋ねするのは、仲裁裁定がすでに下つておるわけでありまして、次の臨時国会に政府がどういう提案をして来るかは未知数でありますが、私は、望ましいことは、仲裁裁定をそのまま盛り込んで国会の審議を待つ態度が、この法を守つて行く態度であると思うのです。その予算が他の事情によつて困難であつても、その困難は理由とすべきものであつて、原案にはあくまで裁定内容をそのまま正直に盛り込んで国会の判断を待つというのが、この三十五条の精神ではないかと思いますが、この点に対する御所見はいかがですか。
  89. 沼田稲次郎

    ○沼田公述人 まつたく同感であります。
  90. 井堀繁雄

    ○井堀委員 もう一つお尋ねいたしますのは、労働組合側が最近言つておる言葉の端にもありますように、もう政府が不完全——完全とか不完全とかいう言葉は、法律の上にはないと思うのですが、もう政府が仲裁裁定を守らないで国会の勢力の中に逃げ込んだと仮定いたします。その場合に起つて来る実際問題と法律関係ですが、私はその場合に、労働組合は、仲裁が破れたのですから、第一条の精神に基いて、その責任者に向つて団体交渉を申し入れるという行き方が起つて来るのではないか。法律の上でそう理解ができるのじやないかと思いますが、先生のお考えはいかがですか。
  91. 沼田稲次郎

    ○沼田公述人 もちろん団体交渉は申し込めます。ただ、申し込んで、その団体交渉がまたずつと運んで行くわけですが、その申し込む相手が、あるいは政府である場合もあり、あるいは議長に対して申し込む場合もありましよう。何も使用者にだけ申し込むのが団体交渉ではないのでありまして、団体交渉というのは、労働者の社会的階級的な地位からやらざるを得ない集団的活動として出て来る活動形態でありまして、つまり一人で意見を述べたのでは何にもならない、空に向つて声をあげるだけだから。みんなが集まつて声をあげる、みんなで申入れをして交渉するというのが団体交渉でありますから、当然起つて来ると思います。  ただ、そこで一つ問題があるのは、実際上処理するということになつて来ると、裁判所行つてみても、まさか裁判所で、こういう予算案を出せと言うことはできません。そこでどういうことが考えられるかというと、ただこの公労法関係労働組合が、全部ゼネストをもつてこたえたという場合、このゼネストが違法のストになるかどうかという一つの議論が出て来るかと思います。この点については、今ただちに判定を下しかねると思いますし、また情勢その他によらなければ、こうしたものはなかなかむずかしい。一般的にいえば、とにかく十七条に違反することは明らかでありますが、ただしかしながら、近代的正義の観念から行けばどうなるかは、問題であります。
  92. 井堀繁雄

    ○井堀委員 法律には、団体交渉に対して、あらかじめ委員を労働大臣に届け出すことを両者に命じておるわけであります。その当事者が、今度は政府の意思を代表しているものですから、登録しております委員が、大臣とかあるいは上司の指揮を仰ぐというような口実をもつて団体交渉を拒否するようなことは、他の労働法と同じ意味においてできないものと、われわれは解しておるのですが、先生の御解釈はどうでしようか。
  93. 沼田稲次郎

    ○沼田公述人 それも御説の通りであります。団体交渉というのは、必ずしも自分でみな片づける人だけが応じなければならないのではないので、当局側と考えられる者は、やはり団体交渉に誠意をもつて応じて、自分のやるべき仕事はそこから出て来るわけでありますから、御説の通りであります。民間産業においても、これは重役会に諮らなければいけない、これは株主総会に諮らなければいけないとかいうことで、団体交渉を拒否してはならないということは、一般の原則であります。
  94. 赤松勇

    赤松委員長 先ほどの多賀谷君の質問に関連して、私からちよつと質問いたしますが、きよう今井さんにちよつとお話して、今井委員長もぜひ答弁したかつたというお話でしたけれども、両院が一致した議決をした場合は別ですが、両院が異なつ議決をしますと、少くとも今まではそれを審議未了というふうに一般解釈されておるわけです。それから一院において議決したが、一院において議決しなかつたという場合、これも審議未了——つまり十六条は「国会」というふうにしておりますから、両院の承認を得られなかつた解釈しておるわけです。その場合、承認、不承認議決を得ることができなかつたという事態が起きたとしますと、公労法の十六条の意義というものは消滅しますね。そうして三十五条に返つて、それに当事者双方が拘束されるようになるのかどうかということです。
  95. 沼田稲次郎

    ○沼田公述人 私むしろお伺いしたいのですが、三十五条に返つて当事者が拘束されるという場合に、給与総額がきまつておるときにどうしますか。
  96. 赤松勇

    赤松委員長 そのことは私あとで関連して御質問申し上げたいと思います。ですから、たびたびあなたがおつしやつたように、給与総額はできておるから、議論はいろいろあるけれども、実際問題としては実績が伴わない。この予算問題を処理しなければ、公労法そのものではどうにもならないという議論はよくわかる。私どもも、そう考えております。たとえば、両院がまちまちの議決をした、あるいは審議未了の事態が起るという場合に、これを裁判所に訴えるとしても、さつきおつしやつた最高裁の問題は別としましても、その場合債権債務というものは当然明確に残ると私は思います。それでその場合の政府の義務の問題であります。政府は一旦国会に提出して、承認、不承認のいずれの議決も見なかつたのであるから、もう政府はこれを提出する義務はないのだという解釈も一部にあるのです。そういうことになつて参りますと、これが三十五条のところに返つて来て、予算上可能か不可能かという議決が見られなかつた、そこで三十五条でやろうと思つて給与総額があつてできないという場合には、裁判所に訴えるよりしかたがない。ところが裁判所に訴えても、すぐにはこれは問題は解決できません。その際に、政府としては、公労法の十六条からいえば、給与総額があるから、従つて予算上実施不可能であるということで、もう一度国会に提出しなければならぬところの義務があるのかないのか、この点です。
  97. 沼田稲次郎

    ○沼田公述人 私はあると思います。先ほども言つたように、実績として承認は疑わしいけれども、建前としてはこれは拘束するとして考えるよりしようがない。従つて、そのとき得られなかつたならば、得られるように両院協議会を開いて努力しなければならぬ義務があると思います。にもかかわず、審議未了になつたという場合には、この次の国会の劈頭に出さなければならぬと思います。
  98. 赤松勇

    赤松委員長 きわめて妥当にして明確なる御答弁をいただきまして、どうもありがとうございました。
  99. 楯兼次郎

    ○楯委員 ひとつ簡単にお聞きいたします。政府の答弁もそうでございますが、今先生のおつしやいましたお言葉を聞いておましても、給与総額を上まわるから云々、こういうことをたびたび言われるわけです。私どもこれはどういう意見になるか知りませんが、十六条は、予算上不可能、こういう字句で書き表わしてありますので、それが即給与総額であるというふうには受取れないわけなんですが、予算上不可能ということを、給与総額を上まわるからというふうに解釈すべきであるかどうかという点が一つと、いま一つは、予算総則に、たとえば増収になつた場合には、それに必要なる経費を了備費あるいは予算の流用によつてこれを支出することができる、こういうことがうたつてあるのです。その必要な経費とは、非常に仕事が多くなつた、だから人を余分に入れて人件費を増さなくてはならない、そういう場合も私はあり得ると思います。そういうような関連性から行きますと、必ずしも給与総額を上まわるからいけないといつた理論は成り立たぬ、こういうふうに解釈できるわけですが、この二点についてひとつ……。
  100. 沼田稲次郎

    ○沼田公述人 私は財政法をよく存じませんけれども、私が専門外の一法律学徒としてこの予算総則を読んだ限りでは、先ほどのような解釈しかできなかつた。今おつしやつたように、給与総額を上まわつたからといつて、必ずしも予算支出不可能でないといつた解釈が成り立つかどうか、この点はこれから研究してみます。しかし、なかなかむずかしいので、むしろそれより、あつさりやめてもらつた方が——給与総額制度というもの自体が、問題じやなかろうかと思います。というのは、大体独立した自主的な企業体として一応は認めるわけですから、こういう建前で行けば、総給与額というのは何かと言つたら、きわめて単純なことを言えば、貨幣資本部分をどれくらいにするかということでしよう。つまり、労働力をどれだけ買うかということです。この部分にまで国家が統制を加えて来るということ自体は、何ぼ公共企業体でも、一応自主性を持たせて行こうとするならば、ちよつと問題です。だから私は、確かに骨抜きになさつたことだろうと思います。骨を抜かれているような気がします。
  101. 楯兼次郎

    ○楯委員 私も当然そうであるというふうに解釈いたしております。ただ私がお聞きしたいのは、予算上不可能であるという予算上の字句は、給与総額というふうに、これは十人が十人見たつて、あの法文からは受取れないわけです。それを政府の方では、給与総額を上まわるからいけない、こういうことを言つておるわけです。それならば、十六条の予算上という字句を予算上(給与総額)というふうに直さなければいかぬのじやないか、私はこういうふうに考えておるわけですが、その法律上の文字の使い方についてどうでしよう。
  102. 沼田稲次郎

    ○沼田公述人 研究してみましよう。確かに今おつしやるような面もあると思います。
  103. 赤松勇

    赤松委員長 これにて公述人各位の御意見の公述並びに質疑は終了いたしました。  公述人におかれましては御多忙中にもかかわらずありがとうございました。なお本日の公述人各位の公述は、ほとんど裁定を実施すべしという御意見のようでございます。  本日はこれにて散会いたします。     午後四時三十四分散会