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1953-07-10 第16回国会 参議院 予算委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    公聴会 ———————————————— 昭和二十八年七月十日(金曜日)    午前十時四十三分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     青木 一男君    理事            西郷吉之助君            高橋進太郎君            小林 武治君            中田 吉雄君            松澤 兼人君            堀木 鎌三君            木村禧八郎君            三浦 義男君    委員            伊能 芳雄君            石原幹市郎君            岩沢 忠恭君            大谷 贇雄君            白波瀬米吉君            瀧井治三郎君            中川 幸平君            吉田 萬次君            井野 碩哉君            柏木 庫治君            岸  良一君            新谷寅三郎君            高木 正夫君            中山 福藏君            亀田 得治君            小林 孝平君            佐多 忠隆君            藤原 道子君            湯山  勇君            加藤シヅエ君            棚橋 小虎君            戸叶  武君            武藤 常介君            最上 英子君            平林 太一君   事務局側    常任委員会専門    員       野津高次郎君    常任委員会専門    員       長谷川喜作君    常任委員会専門    員       正木 千冬君   公述人    慶応大学教授  高木 壽一君    企業研究会理事    長       内山 徳治君    立教大学教授  藤田 武夫君    前日本鉄鋼産業    労働組合連合会    副委員長    清水 慎三君    玉塚証券株式会    社常務取締役  関口敬太郎君    東京大学助教授 大内  力君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○昭和二十八年度一般会計予算内閣  送付) ○昭和二十八年度特別会計予算内閣  送付) ○昭和二十八年度政府関係機関予算  (内閣送付)   —————————————
  2. 青木一男

    委員長青木一男君) これより予算委員会公聴会を開きます。  公述人の各位には御多忙のところおいでを頂きまして誠に有難うございます。先ず慶応大学教授高木壽一君の公述をお願いいたします。
  3. 高木壽一

    公述人高木壽一君) 今委員長から御紹介を受けました高木嘉一であります。本日三十八年度の予算に関する一般的のことについて何か意見を述べろという御指示でございました。二十八年度の予算の一般的なことについて申上げます。  二十八年度の一般会計歳入予算の約九千六百八十三億円の中で、前年度剰余金受入が約四百五十六億と計上されてありますが、これを差引きますと当年度内の収入は九千二百二十七億となりますがその中で租税及び印紙収入並びにたばこ専売益金、即ちたばこ税に相当するものを引きますと八千五百六十一億円となりまして、全体の歳入総額の九二%を占めることになります。が併しここで私の問題といたしたいと思いますのは、前年度剰余金が四百五十五億七千万円余りが計上されておりますが、これは三十六年度の剰余金金額によつたものでありまするから、実際には二十七年度から二十八年度に繰越された金額は遥かにこれより多いと存じます。その多い高が非常に多いと思います。去る四月三日の大蔵省の発表によりましても、二十七年度の一般会計収入支出状態は、収入が八千五百二十一億で、支出が六千二百六十億、従つて二千二百六十一億の引揚超過となつております。その後に二十七年度の支出があつたといたしましても、二十八年度に前年度から繰越されたる金額は、予算案に示されたる四百五十五億円よりも遥かに多くなつておるはずであります。内輪に考えましても千五百億を越えておるはずだと私は思います。それは二十七年度の歳入は順調に入りましたが、防衛分担費支出が遅れ、又安全保障費の五百六十億の中で年度末までの工事の契約ができたものは百五十億程度だということでありまするから、そこでこの予算案の前年度剰余金受入として計上されておるもののほかに、二十八年度に使用し得る財源が隠されていると思います。  又二十八年度の予算編成につきましては、この二十八年度予算説明の第一ページの総則のところに書いてありますように、「最近の財政金融情勢からみて、今日必ずしも財政収支総合的均衡に関する従来の方式を固執踏襲する必要はなく、むしろ財政金融を通じて弾力ある運用を図り、これにより財政による投融資を積極的に行うべきである。」とこう明示されておりまするが、その方針に従いまして、財政からの投資及び融資のために資金運用部の保有する国債を百八十億日銀に売却するとか、或いは従来のインベントリー方式を捨てて日銀借入金によるとかいう方式がとられておりますが、一般会計からの繰入額は四百五十三億でありまして、従いまして一般会計から四百五十三億という金額は、丁度前年度剰余金として計上された四百五十六億にほぼ近いのでありまするが、実際には二十七年度から繰越された金額が遥かに多いのでありまするから、せつかく資金運用部で保有しておる公債日銀に売却する等の方法によつて金融を緩和する方針をとられておつても、一方に前年度からの繰越金がこの予算に計上されておる額より遥かに多いといたしますると、予算根本方針効果が相殺されてしまうと思います。申上げるまでもなく日本経済はまだ自立状態に立至つておりません。この現在において一層国際経済的な競争力を強めることに役立つ方向資金供給することを図るべきであります。前年度の引揚超過額を、而もそれが一千五百億を超えておると思いますから、遙かにそれよりも多いと思いますが、その前年度の引揚超過額をそのまま抱え込んでおくべきではないと思います。日本経済はまだ自立状態に達しておらない。まだ竹馬経済で一方の足は動乱特需であり、他方の足は政府融資に依存しておるわけでありますから、この貿易による入超も、貿易外勘定における支払超過も、動乱特需外国軍国内消費による外貨受取によつて辛うじてバランスを得ておるのでありますが、現在輸入増加しつつあります。輸出は昨年の下半期から減退しております。この二十八年度予算説明の三十三ページでありますが、そこに二十八年度の国際収支見込を示されておりますが、これはやや楽観的な見込であつて外貨受取額支払額とが丁度合致するようになつております。併し実際の結果はこのままの現在の状態を続けて行きますれば、国際収支はマイナスになると思います。この数字によりますると、輸出は二十七年度の実績に対して二十八年度の方が輸出が殖えるという見込になつております。これは現在の状態から判断すれば、あり得べからざることのように私は考えます。この外為会計のところの数字でありまするが、この見込は余り楽観的に過ぎている。私は国際収支は今年は支払超過になるものと考えます。輸入は少しは抑えることができましようが、輸出の減退を防がなければならないと存じます。これが急務の問題であると思います。国際市場における競争は一層激しくなりましようし、現在日本輸出商品繊維製品のほかはすべて割高であります。日本輸出商品コスト高原因としては、例えば金利高原料高であるとか、生産設備老朽化によつて能率が低下している等の理由があると存じます。併し国際市場における競争が激しくなれば、輸入原料は少しでも低下する傾向を示すものと考えてよろしかろうと思います。設備改善ということは相当の期日を要します。最も早く効果のあるのは金利高の是正であると思います。日本政府融資を通じて開発銀行その他から低利政府融資がある。七分なり七分五厘の融資資金を使わせるということは、成るほど国内的に言えば確かに低利資金供給であると思います。けれども勿論国際的に言えば国際競争上は決して低利であるとは言えないと思います。例えばイギリスアメリカにおいて三分五厘の金利資金を使うことができるのに、日本で七分或いは七分五厘の金利使つて、そうしてその上、その製品或いは船で国際経済競争をやれば、これは不利な立場におかれるのは自然の結果であると存じます。でありますから、私は国内的に低利政府融資であつてもそれは国際的には決して低利とはならないというふうに考えます。私は国際競争能力を強めるためになお低利融資を図るべきであるというふうに考えます。生産設備改善ということも将来において勿論日本競争能力を高めますが、それは当面の近い将来においては間に合わないと思います。  勿論この低利資金供給ということは、一種の補助金という形になるわけであります。又補助金企業の過去のすでに生じてしまつている損失を穴埋めするという補助金ではなくて、経済安定、又国際経済競争力を強めて行く推進力となる政府低利融資が必要であると存じます。いわば財政資金の生きた使い方があると思うのであります。過去の例を申しますれば、昭和七年から昭和八年にかけて高橋是清大蔵大臣がおやりになつた船質改善施設のごとき、極く僅かの補助金であつて非常に国内雇用量増加し、海運国際経済競争力が非常に増加したという例もございます。御承知の通り船腹が余つてつたときでありますから、古船二艘を解体してそうして政府の規定の優秀船を一隻造る。それに対して補助金最初は一トンについて五十円だつたと思いますが、その後には四十円になつたと思います。比較的僅かの補助金によつて朽船古船を二艘解体してそのスクラツプにするという作業、そうして、新規の優秀船を造る、そういう造船の仕事、或いはそれに対する広範な仕事、それらによつて雇用量増加し、国内仕事増加し、それから日本海運界の世界の海運界における競争力を非常に増加した。まさに一石数鳥の効果のある財政資金使い方であつたと思います。  そのほか今日の状態において日本経済自立への道を進めるということは、この三年間の動乱にする特需が現われたということによつて日本経済自立への道への努力が次々に遷延されて今日まで入ております。今再びその三、四年の時期を空費しないでおくことが必要であろう、是非緊急の要がある。それには日本輸出産業或いは海運業国際競争力を強めなければならんと思います。それには政府からの財政融資一般会計からは僅かに四百五十三億しか繰入れられておりません。而も今申しました財源として、前年度からの剰余金が四百五十六億しか計上されておりません。これは二十六年度に生じた剰余金が、二十八年度の予算に計上されて来るという結果、実際よりもはるかに少いものになるわけであります。日本経済は、先ほど申しましたように、まだ竹馬経済であります。国内産業、殊に輸出関係海運関係では、政府低利融資なくしては競争能力を急速につけることはできないと思います。併し金利が高い。これは日本国内における資本の蓄積が少いという自然の結果でありますが、日本租税構造にもその一部の原因があると思います。で、日本租税全体を考えますれば、国税としてたばこ専売益金も加えまして八千五百六十一億、地方税自治庁の調べでは三十六億、合せて一兆一千六百四十八億でありまするが、それに対して名称は租税となつておりませんけれども、国営社会保険の掛金は実質的には社会保障税でありまするから、これを社会保障税として考えますと、大体社会保障税に相当するものが六百億近くあると思います。従つて総計して国税地方税全部で一兆二千億を超える計算になります。ところがここで国税だけにつきまして、日本国民所得増加すればその増加分のどれだけの部分租税に吸収されてしまうかということを考えてみます。これはいわゆる限界租税函数という問題でありまするが、国民所得がどれだけ増加する、国民所得増加分のうちで租税に吸収される部分の割合である限界租税函数。やはり二十八年度の説明にあります数字を取上げてみますると、前年度二十七年度においては租税及び印紙収入たばこ専売益金と合せて八千百五十八億円でありますが、それに対して若し税法の改正を行わなければ祖税及び印紙収入が八千百八十五億、たばこ専売益金が千四百億、併せて九千五百八十五億になるはずであります。従いまして九千五百八十五億から前年の租税収入八千百五十八億を引きますと千四百二十七億の増加になるはずであります。  一方これは経済審議庁の推定だと承わつておりまするが、国民分配所得は二十八年度は五兆八千二百億、二十七年度は国民分配所得が五兆三千六百八十億、従いまして四千五百二十億だけ国民所得増加となります。それで税法を改正しなかつた場合の租税収入増加見込額を割つてみますと、大体三三%、国民分配所得増加の三分の一は租税収入に吸上げられるという結果になります。これが現在までの日本国税制度構造から生ずる限界租税函数を示すものだと思います。三分の一ということになりますと、そこで四千五百二十億に国民分配所得増加しましても、そのうち三分の一は租税に吸上げられてしまいますから、即ち国民可処分所得としてあとに残るものは少し大まかに言いまして三千二百億であります。国民分配所得として残る三千二百億のうちでどれだけが私的貯蓄として残るかといいますれば、近年の日本限界貯蓄函数、即ち国民所得増加した場合にどれだけが消費されてどれだけが消費されずに残るかというのは、大体四分の一と推定されております。勿論アメリカでは三分の一と推定されますが、日本国民所得水準は低いのでございますから、四分の一と推定するのは決して不当ではなかろうかと思います。そこで国民可処分所得として残る約三千二百億のうちで、私的貯蓄として残るものはその四分の一、八百億しか残らないはずだということに知ります。ところが今度二十八年度には、約一千億余の減税が行われますから、それだけ国民の手に残る部分が生ずるわけでありますから、その一千億のうちでやはり四分の一だけは私的貯蓄として残り四分の三は消費される。限界消費函数は四分の三、限界貯蓄函数は四分の一、こう考えますと、現在の二十八年度の租税制度減税の結果は、私的貯蓄として残るものは一千億か一千百億程度しか残らないはずであります。  然るにこの一般会計歳入を見ますると前年度余剰の繰入は、再三申しまするように四百五十六億と計上されていると思いますが、それは二十六年度の剰余金数字を計上したのでありますから、二十七年度から二十八年度に実際に繰越される金額はこれより遥かに多い。而もその多い金額が一千億以上多い計算になります。先ほどそのことは申上げました。そうすると、私的貯蓄としては一千億か一千百億しか残らないような租税制度であるのに、政府の手に保留されている金は一千億以上ある。私的貯蓄は一千億少しだ。政府の手に保留されている前年度剰余金としてその中に隠されているはずのものが一千億以上であるということになりますれば、これでは日本経済自立への途が妨げられるということはないでございましようか。ですから例えば今申しましたようなわけでありまするから、私は二十八年度の予算には、まだこの予算の表面に現れた計数以外に生じ得る財源があるのでありまするから、これは例えば一般会計からの政府融資の繰入四百五十三億円を増額してそうして有効な輸出増進に役立つような補助金或いは低利融資の方にこれを振向けて、そうして国内扁用量増加し、従つて国民所得増加し、又日本産業国際競争力を高め、日本経済自立への途を進めるべきであると、こういう考えであります。  一般的な問題について何か申述べろというお説でありますから、私の考えておりますことを申述べた次第であります。(拍手)
  4. 青木一男

    委員長青木一男君) 高木教授に対する御質疑がありましたら。
  5. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 国際収支二十八年度の見通しは甘過ぎるじやないかというお話でしたが、輸出の方は或いはお話通りになるかと思いまするが、駐留軍関係収入等々は、ここで見通されているものよりも相当殖えるのじやないか、従つて差引すれば若干もつと殖えれているようでありますが、それらの点については先生どういうように……。
  6. 高木壽一

    公述人高木壽一君) この三十三ページにありまする駐留軍関係収入が、最近二十七年度の実績は八億二百万ドルであるが、二十八年度においては七億ドルというように計上されておりますが、これはなお増加するということでありますればあれでありますから、動乱による特需は殖えないが、例えばMSA援助などの資金及び復興特需動乱特需滅つて復興特需MSA援助によるドル受取が多くなるだろう、こういうお考えかと存じますが、動乱特需が続く間は復興特需は現われて来ないものとこう考えてよろしかろうと考えております。動乱特需が続いている限りはまだ休戦効果がすぐ現われて来ないのでありますから、その場合にそれとダブつて復興特需が同時に現われて来ると、まあそうなれば殖えますけれども、それは動乱特需終つて暫くたつてから復興特需が現れる。或いはMSA援助も仮に休戦になつて動乱特需が減りましても、或いは休戦気がまえで動乱特需が減りましても、それとぴつたりついてMSA援助資金が現われて来るとは保証できないと思います。その間に数カ月ズレがあるのじやないかと思う。そうすると本年度内にはやはり数カ月ズレが全体としては響いて来て減るというふうに考えた方が適当じやないかと私は考えます。
  7. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 もう一つ最初の基本的な財政編成方針でありますが、今先生の御指摘のように、二十八年度から弾力性を持たして従来の収支均衡という考え方を捨てたですが、これは世界的な情勢イギリスであるとか或いはアメリカであるとかの最近の予算編成の根本的な態度、特に今年或いは去年あたりからはむしろ日本と逆な方向に行つているのじやないかと思うのですが、その辺のところはどういうふうにお考えですか。
  8. 高木壽一

    公述人高木壽一君) 私英米の最近の事情の資料を十分に持つておりませんけれども、私の承知いたしますところでは、今お話日本の場合とは逆に行くと言つているということは、均衡方式でなくてやはり公債政策をとらざるを得ない方向へ行く、そういう意味でありますか。
  9. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 いや従来は相当公債を出しおつたにかかわらずだんだんそれを漸減して行く、むしろ緊めて行く方向にある。日本はむしろそれを逆に行くというような形にあるのじやないか。
  10. 高木壽一

    公述人高木壽一君) 実は私の考えは、均衡方式を捨てると明記してはございますが、今申上げましたように、吸上げ超過のままにしておいて資金が相当あるので均衡方式を捨ててと申しますが、実質的には均衡方式を捨てていないのだろうと、少くとも一般会計に関する限りにおいては、均衡方式を捨てていないで、まだ政府保留がたくさんある、こういうふうに考えます。
  11. 中田吉雄

    中田吉雄君 特需によるドル収入日本国債収支に大きな役割を果しているわけですが、併しそれは同時に日本物価水準を非常に引上げる結果になつておりやせんかと思う。そのことがポンド地域等には輸入制限の措置と共に日本貿易不振にも影響していると思うのですが、特需によるいろいろな原材料その他に対する需要が旺盛になつて、それは日本国内物価を高めるように作用しているでしようか、又それはどの程度高めておるか、そういうことはわからないものでしようか、その辺。
  12. 高木壽一

    公述人高木壽一君) 私の考えでは、ちよつと御質問に対して少し廻りくどい説明になりますから悪しからず。特需がなければ、日本の例えば食糧輸入だけに五億五千万ドルは絶対に要ると。それから又輸出を維持するために原料輸入が必要だ、食糧原料輸入海外依存性が非常に強いのでございますから、それで食糧海外からの来方が少くなれば、国内食糧価格が上りますから、だから特需によつて外貨資金が得られているということは、外国から食糧輸入ができますから、それだけ国内食糧価格は抑えているわけです。それから原料つて外国から買わなければならんですから、それが買えなければ国内原料高になりまするから、やはり物が少くなつて上がる場合と、輸入できてそこへ特需が現われてそれで高くなるとの、その兼ね合いだと思うのです。従つて私は特需がなくて外貨資金が得られなければ、これまでの状態よりももつと国内物価が上がると思うのです。
  13. 中田吉雄

    中田吉雄君 それでは特需国内競争力を弱めるようには働いていないと、こういうことなんですな、物価の面だけでいうと。
  14. 高木壽一

    公述人高木壽一君) 国際競争力というときに、輸出の……。
  15. 中田吉雄

    中田吉雄君 そうです。
  16. 高木壽一

    公述人高木壽一君) 若し特需がなくて、原料及び食糧輸入にも外貨資金が足りないということになれば、日本国際競争力も装える……。
  17. 中田吉雄

    中田吉雄君 わかりました。    〔委員長退席理事高橋進太郎君着席〕
  18. 高橋進太郎

    理事高橋進太郎君) どうも有難とうございました。   —————————————
  19. 高橋進太郎

    理事高橋進太郎君) 次に企業研究会理事長内山徳治さんにお願いいたします。
  20. 内山徳治

    公述人内山徳治君) 私内山でございます。今日は企業研究会の肩書が入つているようでございまするが、経済団体連合会日本租税研究協会にも関係いたしております。本拠はむしろ経済団体連合会でございます。本日は時間の関係もございまするので、主として租税政策に少し重きをおいて私の私見を申上げてみたいと思うのでありまするが、併し租税というものは申上げるまでもなく、国家予算の一部になつておるわけで、それだけを切離して租税政策考えるということは技術的な面ではできまするけれども、予算の問題としては少し狭くなり過ぎて適当でない面もいろいろございまするので、最初に多少もう少し一般的な問題に亘つたことを少しく申上げまして、そのあとで多少租税に関する専門的な問題を一、二申上げてみたい、かように考えております。  一般論といたしまして、今度二十八年度の総予算に対する私どもの考え方といたしましては、すでに二十八年度の三分の一を経過した今日、なおそれがきまらないという状態にあることは誠に困つた状態でございまするので、今度の予算案にはいろいろな問題も含まれておるとは思いまするけれども、一番強く望みますことは、これを早く成立させて早く実行して頂きたいということでございます。従いまして私がこれから申上げようといたします若干の批判的な事柄も、その実行については必ずしもこの二十八年度の予算を修正して頂きたいという意味を強く申上げるわけでございませんで、むしろ今後の問題になる点が多いと存じます。併し勿論予算の成立を妨げない範囲で修正できる点を修正して頂きたいという意味が含まれることは当然でございます。  今度の予算或いは今後の予算のあり方につきましていろいろな問題がございまするが、一つの問題は、私はこの二十八年度予算において租税収入の見積をしている、その仕方の中に一つ現われていると思うのであります。私から数字を細かく申上げる必要はもはやないと思いまするが、所得税において源泉徴収による所得は二十七年度に比べますと大体一割見当殖える見込大蔵省では立てておられます。それから申告所得も一割強全体としては大体殖える見込を立てておられます。ところがそれに対して法人税の元になる法人所得というものは一割近く減少する、こういうふうな数字が現われておるのであります。この数字は相当前に立てた予想でございましようから、今日としては細かく言えば若干修正を要する点があるだろうと思いますが併し大体のここに現われている大きな経済界の方向というものはそう変らない。大体この見積のように現在動いておると見ていいんではないか、こう私は思います。  そうしますと、ここに現われておるこの見積というものの意味をどういうふうに解釈するかということでございますが、まあ大ざつぱに考えまして、源泉所得増加しておるということは、源泉徴収をされる賃金の水準がなお上昇しつつあるということを示す、これはもう明白なことであります。ところがそれに対して法人の利益は減少しつつある。これがどこから来ておるかということでございますが、その場合に一つ考えてみなければならぬと思いますことは、申告所得即ち大体において個人事業の所得の面でございますが、これには農業とか山林とかいろいろなものがございまするけれども、この方の見積はむしろ増加を予想されておるのでありますから、国内経済状態が全体として悪いというふうには判断されておらないわけであります。特に法人につきましても生産高は若干ふえるという見込みを立てておるわけでありまして、それに対して価格が大体横ばい、乃至ものによつて幾分下るであろう、それに対して賃金が上り生産費が上るから所得率は減少するだろう、こういう大体の見方であります。大ざつぱに見ましてこういうことから考えますと、国内向けの商品の生産に関する活動、この面は余り悪くない。むしろ相当に数量的にも増加しつつあるし採算の上から見ても悪くない、こういうことが大まかに言い得ると思うのであります。このことは大体私が比較的接触の多い大企業の状況を見ましても大体そういうことが言い得るようでございますが、国内向けの商品は悪くない。ところが大企業においてはそうした国内向けの商品も相当あるのでありますが、それにもかかわらず非常に状況が悪いということはやはり輸出向けが著しく悪いということから来ている、これが非常に重要な意味を持つていると私は思うのであります。輸出が悪いということは一般的には朝鮮事変以来日本国内物価の水準が国際的な水準に比べて高くなり過ぎている。その結果価格競争力において輸出が非常に苦況に陥つている。輸出についてはそのほかにもいろいろな原因がございましようけれども、非常に大きな輸出不振の原因がこの価格関係にあるということが言われているのであります。それではそれは正常な輸出の問題でございますが、特需を含めた国際収支ではどう知るのかということでありますが、これについては先ほど高木先生からお話がございましたように予算案を作る場合の見積としては、国際収支は均衡を得るということになつているようでありますが、現実には本年一月以来五月、六月までの大体の概況を見ましても国際収支は毎月支払超過を続けております。今私ここに数字を持つておりませんけれども、大体において一カ月二千万ドル乃至多いときは四千万ドルくらいの支払超過であります。昨年の今頃は月々ほぼ同じくらいの金額受取超過になつてつたのであります。それが今年になつてからはつきり逆転いたしまして毎月支払超過を辿つているのであります。特需関係外貨収入が非常に減つているのはちよつと判断ができませんので、やはり正常貿易において或いは海運等を含めました特需以外の貿易収支において、形勢が非常に悪くなつているということが考えられるわけでありますそこでこれを直すために、国際収支の面ではMSAの援助資金というようなものが成立すれば、当分の間臨時的ではありますが或る程度補いを付けてくれることになると思いますが、併しその場合にはその援助がなくなつたあとのことが非常に問題である。それから仮にそういうふうになつて国際収支の全体としては一応均衡を維持し得るといたしましても、今後のMSA援助資金による国内の産業のおこる面は大体においていわゆる兵器産業であります。兵器産業は進み得るのでありますが、一般の輸出産業は大体において不振に陥る。この関係は仮に今MSAの援助資金が入りましても変らない関係であります。そうすると、一方では多少よくなるが一方では悪い面が出て来る。こういうことを考えなければならんわけで、それをどういうふうにして解決して行つたらよろしいか、この問題の解決がつきませんとMSAの援助資金も安心して受けられん、将来の計画も立ちにくいということに、一番大きな問題があると思うのであります。この点を根本の考えにおきまして、予算の上で、又助成政策の上においても若干考慮する必要が出て来るであろうということが、私は今後の日本財政政策の上の少くも非常に重要な一つの要点であると考えるのであります。  そこで最近まあ私の接触しております経済界の方面におきましては、輸出第一主義の政策をとつてもらいたい、輸出ができなくては日本経済自立化は到底できない。このままにしておると輸出はむしろ減少の傾向を辿りつつあるので、誠に憂うべき状態にあるから、ほかの方面は或る程度犠牲になるような感じがしても輸出第一主義で行く必要がある。そのためには補給金というような考え方も一部にはございましたが、併しこの輸出競争力をつける意味において、直接の補給金を出すということにはいろいろ問題がございまして、こちらで補給金をつけるとそれが口実になつて相手国で関税を引上げるということになりますと、結局価格競争力においては差引されて、何にもならないということが起るわけであります。すぐにそれが起らないとしても少し時間がたつ間にそういうふうになる可能性があるということになりますと、この政策はよほど考えものである。成るべくならば他の政策による方がよろしいということからして、最近では金利と税制を通じて、若干国際競争力を補強する必要があるのじやないかというふうに言われておるわけであります。その考え方は、結局全体として日本国内物価が割高である。それを国際水準に一致するところまで引下げることができれば一番よろしいのでありますが、それはなかなか一ぺん上つてしまつた物価を下げるということは非常にむずかしい。若しそれを積極的にデフレーシヨン政策によつて引下げる方策をとるということになりますと、どうしてもその間生産が全体として、減少の傾向を迫る、まあ一方においては発展の傾向もありますから、結果においては必らずしも減少するとは限りませんが、少くとも発展すべきものが発展しなくなる。そうすると雇用も自然それに伴つて減少するということになりますから失業者が殖える。その結果は或いは賃金がやむを得ず下るということになるかも知れませんが、併しそれに伴つて社会的な不安がいろいろ起るというような問題もございますから、少くとも積極的にデフレーシヨン政策をとるということは、現在の日本状態では実際問題としてまあ不可能に近いことだと言つて差支えないと私は思うのであります。  尤もこのデフレーシヨンは、現在のままのいろいろな政策を現在のままで推移いたしますると、やむを得ずして結果において或いはデフレーシヨン的に知る可能性があると私は思うのであります。その場合にデフレーシヨンは非常に困るからというので、又非常な救済的な政策をとつて、デフレーシヨンを阻むような方策をとる方がいいかどうかということになると、そこまでは成るべくやらない方が実はいいので、今の日本経済状態からいえば或る程度自然にデフレーシヨンが起るのは或る意味ではやむを得ないので、それを余り変な救済はしない方がいい。勿論全然放つておいていいというわけには行かんが余り変な救済はしない方がいいということになるかと思います。それにしてもなかなか実際問題としてはデフレーシヨンというものは起しにくいのでありますから、物価の割高を是正することは非常にむずかしい。そうすれば一般的に国内物価を引下げるということのためには少し長い目で考えて、数年かかつて徐々にコストを引下げて行く。一方ではその間でき得ればだんだん生産量か高めて行く。そうすることによつていろいろな面から全体の原価が下るような方策を講じて行く。数年掛りで長い目で物価の水準のバランスを回復するように努力する。まあこういう考え方が自然できて来るわけであります。併しそれ存ではなかなか足りないということになると、今度は主なる輸出品、或いは特に産業別に見て困るところに何らかの方策を講じてやりたいというような、実際に個々の産業について見ますると、いろいろな立地条件とか或いは資源の賦存状態関係とかいうようなことからしまして、国際競争というような観点から見ては、なかなか外国価格と同じところまで下げることは殆んど不可能だという物が相当にございます。具体的に申上げますと現在問題の中心は石炭でございますが、この石炭の価格アメリカ並み、イギリス並みに下げるということは日本としては到底できない。普通の行き方ではできないのであります。そうかというて若し重油への転換その他の方策によつてどんどん石炭の価格を下げるということが、果して全体の日本の産業政策上からみて妥当であるかどうかということになりますと、ここにも又いろいろな問題が出て来る一結局国際的に見ましても、本当の自由主義的資源関係、立地関係等から見て、不利な産業はどんどんやめてしまつて、そうして有利なものだけ残すということができれば非常にさつぱりするのでありますけれども、実際問題としてそうは参らんということであれば、やはり或る程度まで産業別に特別の手当をして、少くとも本当の徹底した自由主義を或る程度超えて行くということは、もう今日の世界の大勢としてもそうやらざるを得ない。又そうやつておるのでありまして、日本も当然それはやらざるを得ない。  そこでまあ補給金というような考え方になるわけでありますが、補給金は対外競争力という面から見ればさつきのような点で問題があるというので、税制というところへ或る程度行く考え方が当然であります。金利につきましては、特に生産原価のうちで金利の占める割合が非常に大きなものであります。大体需気と海運がそれに当ると思うのでありますが、電気も今後の電源開発を新らしくやつて行きます場合の原価計算の上から見ますると、電気の最終需要者に渡るときの価格の中に占める金利の負担というものが五〇%以上になるようであります。それから海運については船価のコストだけでありますが、運航費は別にして見ておるわけでありますが、船価だけで見ますと約六〇%近いものが金利で占められております。そういう状況でありますから、少くもこの二つの産業につきましては金利について若干特別の考え方をすることが妥当であり、又必要なんじやないかというふうに考えられます。そのうち電気につきましては、今後開発する分の電力のコストが高まるという問題でありまするから差当り直ぐの問題ではございませんけれども、いずれそれは電力料金の上に表われて来る性質を持つておりますので当然予想されることでありますので、やはり今から今後の新らしい電源開発用の資金については特別の金利考える必要があると思うのであります。それから海軍につきましてはもう直ぐ差当り非常に困つておりますので、これは是非利子の補給を考えてもらいたいということを業界から強く要望されておりますし、大体これはそういう考え方としてはその妥当性が認められておるといつていいと思います。  じや、それをどういう形でやるのかと申しますと、物価政策としては一般的に金利は全部下がる方がいいことは当然なんでありますが、併し全体に亘つて金利を下げるということになりますと、それはやはり今度は一方において全体としての資金の蓄積が、資金の需要に対して供給の方も十分にあるということではないと、少しも現在の経済組織の下では金利を下げるにしても巾が非常に狭いのでありまして、勿論狭くても努力する必要がありますが、又そういう方向に或る程度向いてもいるわけでございますが、併しそれは非常に巾が狭いのでございます。そこで特に金利負担の大きなものであるところの電気と海運については、特に電気につきましては開発銀行資金金利を相当思い切つて引下げることを考える必要があるのではないか。海運につきましてはやはり開発銀行が中心でございますが、そのほかに一般の市中銀行からの借入についても或る程度の考慮を払つてもらいたいということを業界では申しておるのでありますが、それは第二段といたしましても、少くも開発銀行資金については金利の面から重点的に或る程度の考慮が必要ではないかと私は考えます。ところが、この開発銀行金利を下げるということになりますと結局今度は開発銀行が今までの金利で得たところの収入をもう一度又、一遍政府の勘定を通しますけれども、投資に振向けておるわけでありますが、金利を引下げただけその資金が減ることになりまするので、これをどうすべきかということが一般会計予算に繋がつて来ることになる問題でございます。  時間もございませんから金利の問題はそれくらいにいたしまして、次に租税の面から見てどういうことができるかという問題でございますが、これにつきましては勿論一般的にやはり租税負担が非常に重い、これをできるだけ軽減することがコストの低下に非常に役立つ、それができれば輸出品の国際競争力というものにも相当役立つのであるということが当然言えるのでありますけれども、これも又歳出との見合いその他の面から見まして、そうむやみに租税だけを軽減するということはできないわけでございまするので、やはりこれも又重点的に、どうしても必要なところだけ租税の軽減を考えるという考慮が払われなければならないのじやないかと思うのであります。そういうふうな見地から見ましていま一番特に租税の面から考慮が払われる必要があると思いますのは、私は石炭ではないかと思います。尤も石炭の価格につきましては電気の料金のように公定もしておりませんし、どういう販売価格を定めるかということについて今のように全く自由な価格で売らせるということでは、石炭だけについて特別の税制上の特典を与えるということはこれは妥当でないだろうと思うのであります。従いまして石炭或いはその他の金属工業についても若干の類似の問題がございますが、そういうふうな意味からよりも、むしろ石炭はもう現実には供給過剰になつて値段が下りつつあるのでありますから、むしろ石炭の企業の経理状況に応じて価格が下つても差支えないようにしてやるという考え方で、現在の法人税の制度が炭鉱業のような非常な特殊性を持つた事業に対して十分適当で扱いと思われる点が数点ございまするので、それを直すことが先ず先決であろうと思います。それから金属鉱山については事業の性質が少し似ておるのでございますが、これは事情も少し違いまして石炭のように直接価格の問題がそれほど痛切に現れておるわけでございませんが、併し金属鉱山につきましては今後の開発に相当力を入れて行く必要がある。これは電源の開発に似たような意味でその必要が感ぜられる面が相当ございまするので、やはり石炭を含めた鉱業というものに対する税制を変える必要があると思います。それにつきましては具体的にはいわゆる鉱床の減耗控除制度を作つてくれという問題と、それからこれは石炭のほうで強く感ずるわけでございますが、だんだん推進が進んで行くに従いまして生産量は変らないのに投下資本が増加して行くという関係がございますので、この新らしい資本を投資して行くことができるように、いわゆる投下したあとから石炭の価格で回収するということでだんだん石炭の価格を上げて行かなければならないという関係になつて参りまするから、これを先に或る程度引当金のようなものを作るよりにして、そういう形で法人税が実質的に或る程度軽減され得る措置を考えることが私は政策として適当だと思うのであります。租税の理論としてもそれはそうして然るべき十分の理由があるのじやないかと私は思つております。減耗控除制度につきましては一応関係業界から具体案が出ておりますが、私は個人の意見といたしましては従来の生産高比例法による償却、投下資本の償却ということはそのままにしておきまして、そうして新たに開発するための所要資金に対する引当金を作るということが最も適当ではないかと思うております。現在探鉱費その他の開発資金が実際に支出されましたときに大体において大部分は経費でおとすことを実際上認めておるようであります。併しそれでは必ずしも十分でございませんのと、それから自分で探鉱費その他開発費をかけた場合にはそういう便法をとつてもらいたいけれども、ほかの会社なりほかの人なりが持つておる、或いは開発したものを買取るという場合には、どうしてもこれは別途に償却する必要が起りますので、そういうことと、それからみずから開発する探鉱費等につきましては、支出したときにそれを経費に認めるというだけでは利益のあるときにはそれで一向差支えないのでありますが、利益が非常に薄くなつたときには会社としてそれは困ることになりますので、併し利益が薄いからといつて探鉱費をかけないでおると、将来の鉱産物の生産に非常に悪い影響を及ぼすことになりますので、これはやはり引当金を認めるのが妥当であるというふうに私は考えております。この問題は今度の国会では或いは無理かも知れませんが、成るべく近い機会に実現することが必要である。今の日本経済の要請しておる一番重要な政策にも合致するんではないか、こういうふうに考えております。まあ炭鉱についてはそのほか合理化資金その他いろいろな問題がございますが、もう少し石炭の価格につきましては、今経団連においてやや研究に着手しかかつた程度のところでございますので、もう暫く時間を頂きませんと結論が出ませんが、これはもう少し広い視野から見た総合的な対策を立てまして、それと合せて更に租税政策上どの程度の考慮が必要かということの結論を得るようにいたしたいと考えておりますが、恐らく結論としては或る程度租税政策の面からもやや思い切つた措置をしないと、本当には解決しがたいということになるかも知れないというような感じはいたしております。日本の産業としましては、石炭の価格が十分に国際競争上妥当な位置まで引下れば鉄の価格は大体それで解決する。鉄も鉱石については大きな問題はないようでありますから、石炭の価格が下れば大体鉄の価格というものも解決のめどがつきます。鉄の価格のめどがつきますと造船につきましても、それからプラント輸出等の面につきましても大体解決の糸口がついて参りますので、その根本が石炭の価格にあるということで、この点は今後重点的に研究して行かなければならない問題かと考えておる次第であります。  産業別に見た極く重点政策というような点から見ますと、大体そういうふうなことになりまして、石炭それから第二次的に鉄、それからもつと基本的には電力、それから海運というふうなところに十分の政策が立てば、余ほどその面から問題が解決すると思うのでありますが、併し何分にも昨年以来、殊に今年になりましてから、価格面から見た輸出競争力が非常に弱いということが切実に感ぜられるようになつてつておりまするので、この面について、或いは西独がやつておりますように、輸出品に対する特別の減免税措置というものを日本でも考える必要があるだろうと私は考えるのであります。西独では御承知のように生産者に対しては輸出品の価格の三%に当る金額を利益計算の場合、つまり利益から控除して損金に入れるということによりまして、それだけ実質的には輸出品の価格を三%だけは少くも安く売つても差支えないというふうな措置を取つております。それからなおあと合わせまして一応やはり三%でありますが、これは全部利益から差引くのではございません。一応やはり利益から差引いてそれだけ納税しないでも済むようにする。併しその分は積立金にしておきましてあとで十年間に分割してその積立金を崩して利益に繰入れて行く。即ちそれだけ法人税の十年間の年賦延払いというふうな制度を認めております。こういうやり方も租税政策の上から見ると多少の問題があるのでありますが、各国の租税制度も異なつておりいろいろ事業の原価の構成の状況も違つている今日のことであり、又ドイツはすでにそれを実施している。西独では或いはそのパーセンテージを更に高めたいというような動きに見えているというようなことでございまするから、日本においてもそういう制度をだんだん考慮して行く必要があるだろうと思います。或いは今度の予算に積立金は入るのではないかと思われるような形勢で入ることは非常に結構だとは思つておりますが将来の問題としてはもう少しこの面を強化して行く必要がある、こういうふうに実は考えております。  やや根本的な問題として申上げたいのは以上のようなことでございまするが、あともうちよつと時間を頂きまして一、二附加えたいと思いますことは第三次再評価の問題とそれからもう一つは日米租税協定と関連いたしまするところの特許料に対する課税の問題でございます。  第三次再評価の法案につきましては、あの法案を今になつて修正して下さいということを申上げることは、私としては意味が非常に薄いように感じますのでそれは差控えますが、併し今度の案をあのままで実行したのでは又十分の再評価が行われないで資本の食込みという状態が依然として残るのじやないかということを非常に懸念するのであります。それから今度のままで実行される場合に是非考えて頂きたい点を二、三申上げてみたいのでありますが、一つの対策としてまだ恐らく今からでも法案の修正ができるだろうと思います点は、再評価を実行する場合において原案では二年となつておりますが、これをもう一年せめて延長して頂くという点。現在の日本の産業界の状況は先ほど来申上げますように輸出が非常に不振に陥つておりますことからして、その他の兵器産業それから引続いて機械工業等については若干利益も殖えて参りまして、再評価をやつてみようかという空気が非常に強くなつているのでありますが、その他の産業につきましてはかなり状況が悪くなりまして、第三次再評価法案で再評価することを認められても、どうも会社の収益から見て再評価を躊躇するという所が相当にあるようでございます。実はもう少し産業界の状況がよければ或る程度の強制措置をとられても差支えないのじやないかと私も考えておつたのでございますが、だんだん状況か聞いてみますと非常にむずかしいようであります。それでありますからせめて一年再評価の実行の時期を延ばして頂ければ、或いはその間に今の状況では再評価できないと思われる所でも再評価できるようになるかもしれません。こういう意味において一年延ばすことはできれば非常に結構だと私は思つております。併しそれができましてもあとに残ります問題としては、やはりまあそれでも若干評価の低すぎるものが依然として残るであろうということ、これについては或いはその残り方如何によつては将来もう一度再評価ということを考える必要が起るかも知れません。併し若しもう一度再評価ということをやらないとすれば、何かそれを補うことが将来必要になるのではないかということを考えますので、実施は今後の問題でございますので、今後の成行を見ての問題でございますが、まあそういう問題が一つ。  それからもう一つ重要なのは再評価税でございますが、この再評価税につきましては、租税の技術上等から見ますると、或る程度課税することにも理由がないわけではないのでありますが、併しどうも再評価というものの根本の性格から考えますと、再評価税をかけるということは根本的に私はまちがいだと信じております。そのまちがつた課税をするということは結局それだけ法人の経理の内容を悪くするというフアクターになるわけでありますから、これも又今後のいろいろな政策を考えて行きます場合に、やはり考慮に入れておかなければならない問題ではないかというようにこういうふうに考えております。修正できるものならば再評価税を撤廃するか或いはぐつと引下げる。そうして再評価が全面的に行われるような措置をとるということが一番いいのでございますが、できないときはそうした欠陥が残るということをあらかじめ考えておいていいことだと私は思うのであります。それから日米租税協定、まだ調印されておりませんのでこれも調印までに方針を変えることができないわけではございませんが、これは非常にむずかしいと思うのでありますが、問題は特許料に対する課税の点でございます。日本源泉徴収をすればその分はこちらから証憑書類をアメリカに送つてやれば、アメリカの特許権の所有者は、その証憑書類を付けて法人税を納付するときに申告の所得額をそれだけ減らしておけばそれが認められるのだ。従つて特許権の所有者にとつては損得がないのだ、こういう理論になつております。理論的には確かにその通りじやないかと思うのでありまして、実施上の問題はあるかも知れませんがそういうことが円滑に行われますならば、この問題は結局日本で課税をしただけとくということになとますから、非常にいい案だということが一応言えるのでございますが、実際問題として非常に困つておりますのは、アメリカが特許権を他の国に与えます場合に、そういうふうな租税源泉徴収分を差引くという制度をとるのは、実は日本が初めてである。日本だけである。ほかの国に対しては全部そういうことはやつておらない、相互免除か又は特許料については別の考え方をとる。他の所得はとにかくとして特許料については、技術的な進歩を奨励するというようないろいろな意味三からしてそれをやつておらないのであります。そこでよく考えれば同じことであるかも知れないのでありますけれども、一つは面倒であるのと習慣が違うのとで、アメリカ特許権所有者はなかなか日本側から交渉してもこれに応じないのであります。どうも国際的に非常に慣例の違つたものを日本だけがやるというところに一つの問題があるように思います。  それからアメリカの場合特別に少し違うのは、やはり特許権所有者の立場が非常に強いということであります。こちらの導入する日本側が立場が少し弱い。その結果少し無理であつても向うが要求すればその通りになさざるを得ない。こういうので、どうもそれだけ特許料を上げるならよろしいが、ほかの国に与えていると大体似たような水準で日本に特許権を与えて、そして税金は日本で差引くというようなことには応じられないというので、今現にアメリカからの技術導入の話合が非常に進行いたしませんで、行悩んで困つているという事例が相当に出ているような状況でございます。  で私見を申上げまするならばどうもこれは理論的には確かに日本がとくになるのでありますが、金額にすればまあ一カ年五、六億円程度の少額のものでございますから、そういうことを強く考えるよりも、やはり今まで世界の国際的な慣習に従つて、技術の導入が円滑に進むように根本から考え方を改めるのが一番いいんじやないか。こう私は思つておりますが併し国家的な全体の立場から見まして、ヨーロツパの問題もあり、将来の租税協定ということも考えれば、やはり日本源泉徴収をできるようにしておく方がいいんだということにも理由があるわけで、要するに、問題はそれが円滑に行われるかどうかということにかかるわけでございまするから、租税特別措置法でこの三月までは特別な扱いをしておりましたが、今のままでやりますと四月以降には課税されることになつております。そうしますと、アメリカに対しては国内で税金を払うだけ特許料が上つたと同じ結果になるかと思います。  それからなおもう一つ非常に困ります点は、ヨーロツパその他から技術を導入いたします場合には、これは租税協定が全然まだ話も出ておらないのでありますから、四月以降は租税協定ができれば別でありますができるまでは、明瞭に日本側で税を取られるだけ特許料が上つたと同じ結果になるのであります。で、これはいかにも不合理でございまするから、やはり租税特別措置法を改正して頂きまして、この四月に遡つて、ヨーロツパその他アメリカ以外の国に対しては租税協定ができるまでは課税をしないということに改めることが必要ではないか。アメリカについては、せめて租税協定が成立した後六カ月ぐらいの期間やはり課税をしないという措置をしておきまして、そうしてその間にもう少しアメリカとの間によく話合をしてみ、民間でも話合をし政府政府との間でも話合をしまして、それが円滑に実施せられるようであれば日本にとつて利益であることを私どもも認めているのでありますから、そうすればいいのでありますけれども、そのくらいの余裕期間をとることが是非必要ではないかふこういうふうに考えているのであります。大蔵省とは話合をいたしておりますが、まだそこまで大蔵省考え方は実は進んでおらないのでありまするけれども、国会の皆様におきまして、どうぞ私はそれが正しいと信じておるのでありますが、御配慮願いたいと存ずる次第でございます。少し長くなつて大変恐縮でございましたが、これを以て私の公述を終ります。(拍手)
  21. 高橋進太郎

    理事高橋進太郎君) 何か御質問はございませんか……格別御質問がないようでございますから、午前中の公聴会はこれを以て終了いたすことにして、午後は引続き一時から再開いたしたいと存じます。暫時休憩いたします。    午後零時九分休憩    —————・—————    午後一時三十九分開会
  22. 青木一男

    委員長青木一男君) 午前に引続いて公聴会を開きます。立教大学教授藤田武夫君に御意見の開陳をお願いいたします。
  23. 藤田武夫

    公述人(藤田武夫君) 立教大学の藤田でございます。今日私がこの公聴会で申上げようといたしますことは、国家財政と地方財政、まあ国家財政に関連する範囲での地方財政の問題と、この二つの問題についてお話を申上げたいと思います。  時間が非常に制限されておりますので、公述いたしまする内容が重点的になり且つ申上げますことが非常に結論的なお話になりまして、詳しい説明等は省略さして頂くようなことになるかと思いますが、その点はあらかじめ御了承願いたいと存じます。  今回の国会に政府が提出しております二十八年度の予算は、御承知のように、二月に不成立になりましたそのあとを受けて編成されたものでありますが、併しその国会解散から今日に至ります間に、御承知のように、朝鮮の休戦会談、それに伴うところの世界的な軍備拡張の繰延べ、或いはMSA援助の問題等、そういつた新らしい情勢が、その後発生いたしておるわけであります。こういつた新らしい情勢に対応いたしまして、国において、財政経済全体に関する基本的な方針、又その方針に基きまするところの具体的な計画、それらとの関連において今回の予算というものがどういうふうな地位にあるか、又、それと具体的にどういう関連を持つているのかということにつきまして、私たちは今度の予算を見ましただけでは十分に理解しがたいのであります。今度の予算説明書の最初のほうにも、「我が国としては一日も早く特需依存を脱却して、経済自立態勢を速かに確立する必要がある」と、そういうふうなことが語つてあるのでありますが、併しその経済自立態勢を確立するための具体的な計画的な内容と、それと今回の政府財政支出というものが内容的にどのように結び付いているかということが明瞭でないのであります。例えば、御承知のように、今度の予算によりますると、財政投資が二千九百九十三億円の巨額に上つております。又公共事業費が一千二百億円、食糧増産費が四百九十四億円といつたふうに、厖大な経費が計上されているのでありますが、併しこれらの財政投資等の巨額の経費の支出が、昨年からの輸出の不振や特需の減少によるところの不況を糊塗するための一時的な景気対策としての財政支出であるといつたような傾向が強いのであります。そして、これらの重要な支出が、日本の将来の基本的な経済方向又それに基くところの自立態勢の確立するための計画とどういうふうに結び付いているのかというふうなことが明瞭でないのであります。その一つの例といたしまして、例えばMSA援助が、まあこの国会の始まりまして以後、具体的な問題としてとり上げられて来たわけでありますが、勿論、まだこのMSA援助の詳細な内容は決定されておらないわけでありますが、併しこのMSA援助を受けることが、果して将来の日本経済自立態勢というものを確立する上において、一体どういう影響を与えるのであろうかというふうなことが慎重に考えられておらない。ただ今日の経済界の不況をMSA援助が幾分緩和することができるということであつて、直ちにそういう援助を受取ると、そのことが却つて日本の将来の経済自立ということにとつて或いはマイナスの影響があるのではないか、或いはそれがどの程度寄与し得るものであるかということについての詳しい検討が行われていないように思われるのであります。一般に言われておりますように非常に底の浅い日本経済、又非常に乏しい国民所得のうちから九千六百八十三億という巨額の財政支出を行いますについては、先ずその支出されるものが将来の日本経済を、どういう方向にどういう形に持つて行くかということについての不動の基本的な方向が立てられ、又それに対する具体的な計画が立てられて、それに基いて、この巨額の財政支出が行われなくてはならないと思うわけであります。  まあ私の考えを申しますれば、やはり日本経済自立態勢を確立するためには、基本的な方向といたしましては、安易な援助に頼るよりも、やはり正常な輸出の増進又国内の自給度の向上、或いは国内市場の育成というふうなことを、基本的な方向といたしまして、それに基いた経済計画を立て、又その計画を実現し得るような国家財政の歳出、支出をすべきであるというふうに考えるのであります。従つてそのことから考えますると、具体的にはできるだけ防衛関係の経費を削減する、そして生産技術の向上のための科学研究費、或いは後進地域を開発するための経費、又社会保障費といつたようなものを増額する必要があるのではないか。更に先ほど申上げましたように、巨額の財政投資、公共事業費といつたようなものを、もつと計画的に支出する。そうしてそれの効率を高めなくてはならないのではないか。今日のようにそれらの支出が総花的に、一定の確たる計画なしに、支出されるということは今日の日本の苦しい財政状態から見ても、反省を要するように思われるのであります。国家財政の歳出の面につきましては一応それくらいにいたしておきまして、歳入の面の問題に移りたいと思いますが、政府原案によりますると、財政資金の二十八年度における支払超過が一千九十八億円に上るようであります。更にそれに対して改進党が最初に主張しておりました案をそのまま附加えるといたしますると、支払超過が一千五百九十八億円の巨額に上る、こういつた額が今後約八カ日間の間に支出され、更に一方一般会計においては、かなり消費的な財政支出が多いのでありまして、私が一応計算して見ましたところによりますると、大体七千二百億ばかり、予算全体の七四%が消費的な支出のように思われるのでありますが、こういつた消費的支出が更に今後行われるということになりますると、ますますこの両者が重なりまして、インフレを誘発する大きな原因になるのではないかというふうに思われるのであります。  なお減税国債政府の原案では、二百億円というものが計上されておりますが、改進党の案では、それを中止して、インベントリー・フアイナンスによつて三百六十億円を支出するというふうに考えられておるようでありますが、これはむしろ却つて支払超過の額を増大する傾向を持つておる。従つてインフレを促進する要因が強まるように考えられるのであります。  それから政府の原案によりますると過去の財政蓄積資金の食潰しが五百三十二億円でありますが、これに更に最初改進党で提案されましたインベントリー・フアイナンスの三百六十億を加えますると、八百九十二億円とになる。若しこういう状態が続くといたしますると、蓄積資金というものも二年を出ずして消滅するというふうな状態に達しまして、財政支出の上の弾力性が非常に乏しくなると思われるのであります。勿論こういつた蓄積資金を食込んで支出するということも、一方においてそれによつて支出されます歳出が計画的に生産的な支出支払われておりまする場合には、別にこれはそれを否定すべきことではないと思われますが、併し今日のような先ほど申しましたような歳出の状態では、この問題についても慎重に検討を要するのではないかと思われるのであります。  こういうふうにいたしまして、財政資金支払超過或いは過去の蓄積資金の食潰しというふうな状態考えまする場合においては、ますます歳出の面におけるところの計画性を持たせ、そうして日本経済をどういう方向に導いて行くのかということについての確固たる計画を立てて、財政支出をできるだけ計画的に効率的に行わねばならないと思うのであります。そうでなければ遂には過去に見られたようなインフレ財政に突入するというふうなことも心配されるわけであります。  それから税制の問題でありまするが、これは他のかたから税制の問題を取上げられるようでありますので、極く簡単に触れておきたいと思いますが、今回の政府の税制改正案に対しまして、七万円以下の所得階層について減税が行われております。又法人税については特別償却の範囲を拡大するとか或いは貸倒れ準備金、価格変動準備金を拡張するといつたような、かなり手厚いいろいろの配慮が行われておるのであります。併しながらここで私が更に望みたいことは、課税所得額七万円から三十万円程度のいわゆる中産階級に属する人たちの所得税率に手がつけられておらない。勿論基礎控除の関係から幾らか軽減されるかも知れませんが、税率の上では手がつけられていない。百分の二十五乃至三十五という重い税率になつておるのであります。この七万円から三十万円の所得階層というものが昭和二十六年度で見ますると所得税の納税人員全体の七八%を占めております。そういう点から見まするときに、これらの階層の人たちに対しても、この際減税の手を差延べるべきではないか。そうでなければ国民の中堅ともいうべきこれらの人たちの祖税負担が、他の場合に比較して適正になるのではないかというふうに考えられるのであります。それから更に今度の改正案におきましては、高額所得者層の累進税率が少しばかり引上げられておりまするが、そうしてその結果、五百万円以上の所得に百分の六十五という累進税率を附加することになつております。併しながら五百万円と申しましても、以前と比べて貨幣価値の非常に低落しました現在において、五百万円以上の所得階級を一律に取扱い、又それに百分の六十五だけの税率でいいのであるかどうか。又一方において富裕税が今回廃止される案が出ておりますが、そういう関係と結び付けて考えまする場合に、もう少し高額の所得者の階層を五百万円以上においても、更に高い階層を区切つて、もう少し高い税率を附加する余地があるのではないかというふうに考えるわけであります。  次に地方財政の問題に入りたいと思いますが、先ず地方財政の問題につきまして、最初に問題になります点は、まあ地方村政につきましては、大体五項目か六項目ぐらい意見を述べたいと思いますが、先ず第一は地方財政計画の問題であります。現在自治庁において地方財政計画が立てられまする場合においては、前年度の地方財政支出額それを基礎にいたしまして、その上に本年度新たに必要になるべき経費といたしまして、例えば給与ベースの引上とか、或いは目の法令や施策に基いて当然増加すべき額、その他いろいろ本年度において新らしく増加すべき歳出を見込んでおります。そうして蔵入のほうにおいては、地方税計算し、そうしてその上に国庫支出金を兄、そして使用料、手数料とか地方債をみる、そうして足りない分を地方財政平衡交付金で穴埋をするといつたような地方財政計画が大体立てられているようであります。ところがすでに御承知のように毎年度そのようにして歳出と蔵入が一応うまくバランスがとれているわけでありますが、ところが年度末になりますると、非常に地方団体に赤字が出て来るのであります。これに関連いたしまして、地方財政計画の立て方についてもう少し考える余地があるのではないかというふうに思うのであります。御承知のように地方団体と申しましても、約一万の府県、市町村があるわけでありまして、それぞれ経済力、従つて財政力に種々さまざまの開きを持つているわけであります。その結果といたしまして、例えば昭和二十六年度の決算をとつてみましても、地方団体全体といたしましては、歳計剰余が二百四十六億円も黒字が出ているのであります。ところが一方においては、実質的な赤字を出している団体が、府県で十五、市町村で約二千二百近くの赤字団体が出ておる。それで全体のそれらの赤字は百三十億円を越えるといつたような状態であります。全体としては歳計剰余が出ておりながら、そのうちに今申上げましたように非常に多数の赤字団体がでてきている。これは今申しましたように地方団体には非常に異つた、非常に幅のある条件を持つたいろいろの団体が存在している結果であります。従つて地方財政計画を毎年産立てます場合においても、全体としてたとえバランスが合つておりましても、これが実際の各地方団体に金が参り、又経費を支出します結果は、今申しましたような結果が出て参らざるを得ないのであります。従つてこの矛盾を成るだけ解決する必要があると思うのでありますが、それにつきましては、地方財政計画を立てまする場合に、勿論全国の地方団体全部について財政計画を立てるというようなことは、言うべくして行われがたいと思いまするが、財政力の異なる団体について、幾つかの段階を設けまして、府県と市町村によつて段階を設けまして、そうしてその各段階についての地方団体について地方財政計画を立てる。そうしてそこにおいて地方財政計画というものが、果してうまくバランスが合い得るかどうかということを、少くとも一般的な財政計画のほかに併せて、そういつた財政計画を立てる必要があるのではないか。そこまで具体的に内容的に計画を立てなければ、日本の場合のように非常に巨大な都市や巨大な府県がある一方、非常に貧弱な町村や又農村県があるというようなところでは、全体の地方財政計画があつても、赤字がでるということは、これはどうも免かれ得ないところではないかというふうに考えるわけであります。  次に本年度の地方財政計画の内容について、若干申上げたいと思いますが、本年度の地方財政計画を御覧になりますると、地方税収入見積額が三千四十八億円と出ております。これは昨年は二千九百三十四億円であつたのでありますが、或る程度増収をもたらし、二十六年度は更にもつと少く見積られておつたのでありますが、この地方税収入の見積が私の考え方によりますると、少し甘く過大に見積られているのではないかというふうな気がするのであります。今日大体中位にある県におきましても、私の昨年実態調査をいたしました或る県について見ましても、昭和二十六伸度に二十億三千五百万円挙げたのですが、二十七年度には十五億九千万円に落ちておる、約二二%減少しております。他にも農村県において調べたものがございますが、これによつて二〇%前後の減少を見ておるのであります。又市町村の場合は府県の場合ほどには減収は著るしくないと思いまするが、それにいたしましても、やはり人口十万、二十万の都市においてもかなりの減収を見ておる都市もあるのであります。こういつたことから見まして、地方税が昨年に比較して、現在の経済情勢将来の経済情勢等から見まして、勿論これは地方税法の改正も織込んで考えたわけでありますが、三千四十八億円という地方税収入は少し見積りが過大じやないかというふうな気がするのであります。  それからこの地方税の問題に関連いたしまして、一つ御注意を願いたいことがあるのでありますが、これは最近地方税、特に市町村税において非常に大衆課税的な傾向が強まつて来ておるという点であります。これは私が昨年と一昨年の二カ年に亘りまして、シヤウプ税制下の地方財政の実態調査をいたしたのでありますが、その結果によりまして、或る一つの村で、これはこの村だけではありませんが、あそのうちの一つの実例として次のような事実がみられたのであります。これは青木委員長さんの御郷里の近くの村でありますが、所得税の納税人員とそれから住民税の所得割の納税人員とを見てみますると、この村においては、昭和二十五年度において所得税の納税人員は五百五十九人であつた、それが御承知のような所得税の軽減、扶養控除の引上等によりまして、昭和二十六年には三百二十七人に所得税納税人員は滅つております。ところが一方住民税の均等割のほうは、これは勿論全部が負担するのでありますが、所得割の納税人員を見まするというと、五百五十九人から六百四人に殖えております。又税額のほうを見てみましても、所得税のほうは五百三十万一千円から二百八十七万一千円に可なり減少しておりますが、所得割のほうは九十五万八千円から百二十七万三千円というふうに、大幅に増加をいたしております。そうしてこの所得割の税率を見てみますると、五万円以下の所得者が百分の四、それから五万円から八万円は百分の五、二十万円以上の所得者には全部最高率の百分の十を徴収するというふうなことをやつております。この事実は結局地方税において、特に住民税において、非常に低額所得者に負担が重くかかつて来ている。即ち大衆課税化しているということの一つの事例であります。これは貧弱な村におきましては、他に税源がございませんので、どうしてもこういう結果になるのだと思います。これはあながちこの村だけではなくて、ほかもいろいろ調べましたところが、大体こういう傾向を示しております。従つて、国において国の所得税を軽減して社会政策が行われておりましても、地方において地方の住民税で以て、その社会政策が蹂躪されているということが現実に現われているわけであります。こういう点も御注意を願つて地方税の見積りを強くすることが、一そうこういう傾向を強める結果になるのではないかというふうに心配するわけであります。それから地方債の問題でありますが、本年度の地方債の計画は、一般会計関係したものが九百二十八億という数字が出ております。ところが今日地方団体におきまして、地方債の元利の支払いというものは、相当もうすでに大きなものになつておりまして、農村県においてすでに二十八年度に、その県税収入の三〇%又は四〇%近くを公債の元利に当てなければならないというふうな県すらあるのであります。こういうふうな状態考えまする場合に、現在では地方団体側からも地方債を要求することも強いのでありますが、併しむやみに地方債を発行するということは県民の将来の租税負担の増加を来たすゆえんでありまして、地方債を発行することも、あながち排斥すべきではありませんが、その場合に地方債の収入の使途が果して生産的な又投資的な支出に使われているかどうか、それが一体どういうことに使われているのか、消費的な支出に使われているようなことがあるのではないかというふうなことを十分御検討を願いたいと思います。  それからなお地方債に関連いたしまして、最近は地方財政平衡交付金を殖すか、又はそれを殖さなければ地方債の枠を拡げるかという二者択一的なことがよく言われております。併しこれは十分慎重に取扱うべき問題でありまして、地方債というのは申上げるまでもなく、各府県、各市町村の借金でありまして、それはいずれその地方団体が後に返さなければならないもので、今日では重い利子を支払つているものであります。そういうものを国が支出すべき平衡交付金と取替えにするというやり方は、これは目の前では非常に安易なやり方かと思いまするが、併しこの問題はそう簡単に取扱うべき問題ではないのであつて、国としてはやはり支出すべき平衡交付金は支出するという建前にすべきである。そのことが地方団体の財政の将来にとつても非常に有利になるのではないかというふうに考えるわけであります。  地方財政平衡交付金の問題に移りたいと思いますが、本年度の予算では一千二百五十億円と計上されております。なお今日の新聞によりますと、改進党の要求が半分受入れられて、五十億円増加され、一千三百億円になるようでありますが、併しこの平衡交付金の総額も、今後問題になりまするところの公務員の給与ベースの引上げ、或いは西日本の災害の問題、そういつたことをいろいろ考えますと、一千三百億円でも到底平衡交付金としては十分な額ではないと考えられるわけであります。それから御承知のように、平衡交付金の総額の確保について、毎年この制度がまだ必要額を確保するというところまで行つておりませんために、いろいろ問題を起しおりまするが、これについては曾て行われておりました地方配付税の場合に、一定の国税収入に結び付けて、それの何パーセントを平衡交付金に送り込む、そうしてそれを特別会計で操作するというふうなことも、総額を確保する意味においては必要でないかというふうに考えるわけであります。  それからなお平衡交付金の中の特別交付金の問題でありますが、今日この特別交付金は平衡交付金総額の内枠で以て、例えば一千二百五十億円といたしますと、それの百分の八を特別交付金に当てる、百億になるわけでありますが、それだけを平衡交付金総額の内枠からとる、そうしてあとの千百五十億円を普通交付金として交付するという組織になつております。併しこれは純理上から申しますると、少しおかしいのでありまして、この平衡交付金の千二百五十億円というものは、先ほど申しました地方財政計画の中においては、一般的な財政需要というものを満たすために、一千二百五十億円という総額が計上されているのでありまして、特別交付金の中で考えられておりまする特殊な財政需要とか財政窮迫の事情というものは、その一般の財政計画の中には入つていないのであります。従つて一千三百五十億円全体がいわば普通交付金としての役割を持つものとして地方財政計画の中に考えられているのであります。従つてその中から特別交付金を百億内枠でとるということは、理論上から申しますると、少しおかしいのではないか。従つて特別交付金を平衡交付金の外枠として、例えば百分の八というふうなものを追加するということが考えられなければならないのではないかというふうに考えるのであります。勿論根本的には、この平衡交付金の問題は、後進地域の開発とか或いは国内市場の育成という問題を解決しなければいつまでたつても平衡交付金の問題は根本的には解決し得ないわけでありまして、平衡交付金の問題に関連しましても、先ほど私が申上げましたように、国家の財政支出においても、やはり後進地域の開発とか、国内市場の育成ということが考えられなければならないのではないかというふうに思うわけであります。それから先ほどもちよつと申しましたように、西日本の災害は非常に御承知のように、大きなものでありまして、現地の一応集めた統計資料を見ましても、一千六百十四億円という数字に上つております。そうしてそれの関係している地方団体は、県にして六県、それから市町村はまだ正確に出ておりませんが、大体五百から六百ぐらいの市町村が災害をこうむつておるのではないか。従つてこういうものに対する地方の対策、それは単に災害復旧費の問題ではなくて、それ以外に地方財政が、市町村なり県の収入は激減する、むしろ経費は激増する、これをどういうふうにして行けばいいか、この問題をやはり国会においても、臨時国会が開かれるのではないかということが今日の新聞にも出ておりましたが、是非一つ御考慮を願いたい。或いは平衡交付金の中に、曾つて地方配付税の中に戦災地に対する特別の配付税というものが設けられたのでありますが何かそういつたような方法を講じて頂く必要があるのではないかというふうに考えるのであります。  最後に地方財政の問題全体を通じまして、まあ終戦後シヤウプ勧告によつて地方財政制度が立てられ、又地方制度の改革がそれ以前から行われたわけでありますが、現在講和条約発効以後、地方制度をどういうふうにもう一度変えればいいか、又地方財政制度を確立すればいいかということを、地方制度調査会においても検討されているようでありますが、昭和二十七年度の赤字だけでも、堅い数字でも二百六十億を超えると言われておる現在におきまして、成るべく早くこういつた地方制度なり地方財政制度の確立を一日も早く実現されるように強く希望するわけであります。限られた時間でまとまりのないことを申上げたわけでありますが、何ほどかの御参考になれば幸いかと思います。(拍手)
  24. 青木一男

    委員長青木一男君) どうも有難うございました。御質疑がありましたらば……。
  25. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 私遅れて参りまして、お話で触れられたかどうか知りませんが、政府が二十九年度の予算編成の場合に、地方税のことですね、これを二十九年度から実施する目標で地方制度調査会等に諮問しつつあるというのですが、二十九年度はもう実施する意志でやつているようであります。それでこの地方税制に関して一つ御意見おありでしたら、これを承わつておきたいのですが……。
  26. 藤田武夫

    公述人(藤田武夫君) 地方税制をどういうふうに改革すればいいかという御質問なんですか……。これは非常にむかずしい問題でありますが、前提条件といたしましては申すまでもなく、府県の知事なり市町村で担当すべき行政事務の分量というものがきまらなければ、安定した財政制度はできわけでありますが、これは併しなかなか難行をしておるようでありますが、一応現状のままの府県の地位、機能とか、及び現状のままの市町村の事務量というものを前提としてお答え申したいと思いますが、一番問題点となりますのは、御承知のように府県税制の問題だと思います。これは府県の地位、機能を現状のままだといたしますと、これは何とかしなければどうにもならない、むやみに平衡交付金が増大する一方であるというふうな状態でありますが、併し府県税制を改正するために、市町村税の収入を取上げるということも、これは現在の市町村の財政状態から容易にできないのではないかと思います。従つて府県税制を確立するためには、国税のほうから何ほどかの税源を府県へ譲るというようなことが必要ではないかと思うのであります。その前提に立ちまして考えておるわけでありますが、その場合に一つは府県民税の創設が非常にやかましい問題になつております。これは府県が独立の自治体として財政を運営する以上は、やはりその住民が普遍的に負担する税種であり、又その税種が租税力を持つた税種でなければならないということは、これは必須の条件だと思います。そういう点から見まして、府県民税の主張にも合理性があると思われます。併しこれはもうすでに市町村民税で国民は相当の負担をしておりますので、余り過大な負担はむずかしいと思いまするが、これは正確に半分とか何とかという数字はちよつと出ませんが、大体半分程度の市町村民税の半額程度の府県民税を取る。併しそれと同時に国のほうの所得税はそれだけ減少する。これは国のほうでは困るでありましようが、国のほうの歳出を効率的に集中的にやれば或いはその財源が出るのではないかというふうに考えるのであります。  それからもう一つは事業税を農林業にまで拡大するという案も出ております。これは私も前からそういうことを少し言つたことがあるのでありますが、勿論今日の主食は統制されておりまして、公定価格で一般の賞美収益と同じようには扱えませんので、統制がある限りは一応主食の部分を除かなければならないかと思うのでありますが、これも米価の決定如何で動く問題でありますが、主食以外の農産物というものについては、シヤウプ勧告の当時はまだ統制でありました麦には統制も外されておるといつた関係で、或る程度の事業税を農林業に拡げる、主食以外のものから上つた収益に拡げるということは妥当性があるのではないか、併しこれも農林業については勤労的な要素が多いので、一般の営業と同じ税率ではどうかと思いますが、大体半額程度の税率にする。併しそれと同時に若しできれば、農林の所得税の課税について勤労控除を認めるというふうなことをして頂けば、非常にいいのではないかというふうに思つております。ほかにも小さい点はあるかも知れませんが、大体府県税についての大きな点は今申上げたような問題であります。市町村税のほうは、これは今ちよつとどうするといつても……、勿論大都市などからいろいろ要求があるようでありますが、そう簡単に行かない問題ではないかというふうに考えております。
  27. 青木一男

    委員長青木一男君) ほかに御質疑がなければ……。それではどうも有難うございました。   —————————————
  28. 青木一男

    委員長青木一男君) 次に前日本鉄鋼労働組合連合会委員長の清水愼三君にお願いします。
  29. 清水慎三

    公述人(清水慎三君) 御紹介を頂きました総評議会代表の清水でございます。公述に入るに先立ちまして、今次の四日本を襲いました水害に対しまして議員各位から寄せられました御好意に対しまして、総評議会三百万を代表いたしまして、厚く御礼を申上げると同時に、今後とも特に予算委員各位の温い手が同地域の貧しい人たちに差しのべられることを特にお願い申上げる次第であります。  吉田さんが二回目の内閣を組織いたしましてから五年間たつたわけでございまするが、その間私はこのような予算委員会の公聴会にたびたび出席いたしました。衆議院が主でございましたがたびたび出て参る都度感じておつたことは、いつも国家予算に、国際情勢から生まれて来る日本経済への波及、影響、こういつたものに対して何か積極的な意思表示が予算案に盛られていないのではないかということを、その都度感じておつたわけでございます。特に今回の場合のように朝鮮休戦というような、日本経済に非常に大きな影響を投げかける事態が進行中であるにもかかわらず、この予算案を見まして、そうした配慮が非常に貧困なことを非常に残念に思う次第でございます。勿論政府のほうでは、政府政府としてのそういつた国際条件の日本経済への反映を見て、そしてこの中にその意思は出ておるのかも知れません。若し出ておると判断いたしまするならば、それはやはり特需が今後もだらだらと続くであろうと考えておられるのではないか。次にいわゆるMSAの経済効果を特に域外買付の直筆につきまして相当甘く期待しておられるのではないか。そしてもつと私どもとして一番問題にしなければならないことは、恐らく政府のほうとしましても、特需が続くにしても、若干の減少ぐらいは思つておられるのでありましよう。そして、従つて正常輸出を一層増強するためには、個別資本が、個々の私企業が自分の創意と責任においていわゆる任業合理化をうんと推進することを期待しておられるのではないかと思われるわけでありますが、それは勿論従来の私どもの経験から申しまするならば、相当のひどい、いわゆる首切りや労働強化の上に立つ切り抜け方である、このように判断せざるを得ません。特にこの国会におきまして独禁法の緩和が出て、いわゆる大きな資本に対しましては相当合同の自由が考慮されておるのに対しまして、まさにその正反対として労働組合に対しましてはストライキ禁止法を以て報いられておる。この事実から見まして、私はそのような切抜け方を政府として考えておられるのであつて従つて私どもが甘く期待するように、予算面に暖かい配慮が出ていないのはむしろ当り前かとも意地悪く解釈すれば解釈できるわけでございます。  それならば政府が期待しておられまするように、特需やMSAの経済効果はその通りであろうかどうかと、この点につきましては、すでにいろいろの論議が交されております。私どもが申上げるまでもなく、相当の具体的な点等も多くの専門家によつて話されておるわけでありますが、私はただこの席上におきまして、一つの例を引きたいと思うのであります。それは昨日外国から入りました正電報でございまするが、御承知のかたもあると思いまするけれども、アメリカのAFLという労働組合の、ミーニーという会長が国際自由労連の大会の席上で発言されております内容に、今や一九二九年と同じような大量失業が襲いかかつて来る気配が濃厚である。我々は政府に対して失業対策費の増大は勿論のこと、いわゆる公共投資や後進地域の開発についての経費を大いに要求すべきときである。このような意味のことをしやべつておる電報が、手短かにしか入つておりませんが、昨日のニユースとして伝えられておるのでございます。アメリカ国内において、そうしてこのAFLは、御承知のように日本の資本家の方々も余りお嫌いではない。国際自由労連の中でも最も右翼的な立場をとつておる組合でございますが、この組合がすでにそのような発言を世界的な舞台の中でやつておるということは、アメリカ国内事情が相当いわゆる禍剰生産に悩んでおる事態をはつきりと明示しておるのではなかろうか、こう思うわけであります。従いましてアメリカ予算から出る需要がどのようなものであるにいたしましても、その需要の絶対額、これはアメリカ予算の中でどのくらいこちらのほうの買付に廻されるかといつたようなこと以上に、日本国内では調達されないで、むしろアメリカの円内経済の事情から向うで使われてしまう金額が相当多いのではないか。このことを暗示して去るし、又我々としてもそういつたようにくみ取らざるを得ないものがあるのでございます。従いまして特需が長々と或いはだらだらと続くであろうという期待も、MSAの域外買付の期待もそう大きなものに評価することは誤りであろう。又そうに違いないと私どもは確信いたしておる次第でございます。  従いまして私どもの見解からいたしまするならば、今日の情勢におきましては、日本経済自立、この問題を中心にいたしまして、根本的な考え方をあらゆる階層から打出して、そのような熱心な討議がここに展開されなければならない応期に逢着しておると思うのでございます。私どもは勿論アジアの中における平和な日本経済自立、その中における日本経済自立ということに関心を抱き、又その方向に努力しようと思つておるのでございます。過去三年間の日本経済の中におきまして、特需というものが占めた役割、その日本経済の循環の過程におきまして、一例えば物価体系についても、その他の重要な日本経済の指標をとつてみましても、それが特需というものと相当密接な繋がりを持つておるということは論議する必要もなく明白であろうと思うのであります。従いましてその特需の減少が仮に今年度におきまして、一遍になくなつてしまうとか、半分になつてしまうとか、こういつたことに仮にならないといたしましても、僅かの二億ドルか一億五千万ドルか、こういつた減少でも相当に大きな影響を日本経済に与えるであろう。そうしてそれは又我々の労働条件の上に直接にふりかかつて来ることは、日本の労働階級として大きな関心を以てこの事態を見守らざるを得ないものがあるのでございます。このように特需とかMSAの経済効果というものに対しまして、甘く考えないでものを見て参りますると、今度の予算案の前提になつておりまするいろいろの経済現象に対する見通し、考え方、例えば国民所得或いは貿易の見通し、こういつたもの、或いは物価の見通し、このようなものが非常にイージーゴーイングに、安直に考えられ過ぎておるのではないか、このことがこの予算を見る上において第一に気に掛つた点であり、どうも納得しかねる点でございます。丁度この政府原案に対しまして先月の末でございますか、改進党の修正案が出たのを拝見いたしました。又今日の新聞では改進党の修正案と与党の案との間に何か妥協ができそうだということを拝見いたしたわけでございまするが、私は改進党案が出ましたときに、先ほど藤田さんからいろいろ批判がございましたけれども、全体としてみまして政府案よりは感覚がずれていない面もあるのではないか、このような感じを受けたのでございます。特に防衛費を削減する、これは若干でありますが、削減しようとする態度、いわゆる米の二重価格制の問題をここで打出そうとする方針や、減税国債の取やめや、社会保障の問題に対する若干の配慮が殖えておる点につきましては、多少とも朝鮮休戦のもたらす日本経済への影響に対する配慮が政府案よりは出ておるのではないか、従つてそうしたものが起点となつて政府案との妥協でなくて、その反対の方向に問題が進展することを期待いたしたのでございますが、これは今日どうも事実の進行はその逆のようでございます。併しながら今次の予算を見て行く上には、改進党が今日立つておりまする政局の中におけるウエイトから見て、相当の注目をする必要があるのではないか、このように感じておるわけでございます。そういつた気持でこの予算案の中味に多少入つて意見を申述べさして頂きたいと思います。  先ず予算規模でございますが、財政規模の問題でございまするが、今日国民所得の現状、この数字について正確度がどうかといつたような問題はございますにしても、九千六百億という財政規模は大きいか小さいかと言われれば、無論大き過ぎると言わなければならないと思います。併しながら若し年度内に又大きな補正をするとか、そういうことがなくて、又その中味におきまして、先ほど藤田さんが指摘されましたような消費的な支出が非常に多い、こういうことではなくて、その逆であつて主量的な支出が多いこととか、又納税者全般、特に所得の低い層から、乏しい財布から出しました税金が大衆に還元するように効果的に使われるとか、こういつたような条件が具備されるといたしますならば、今日の日本経済の敗戦後の事情から見て、特に雨が降るたびにああいつた災害を起す、仮に今度のように六百ミリも一遍に降れば、それは大変なことかもわかりませんが、今の日本では三百ミリでも四百ミリでも大きな事故を起しておるのが事実でございまするので、このような荒れた祖国の実情からみまするならば、九千六百億という財政規模自体をそんなに神経を使わなくてもよいかと思います。むしろその使い方にある。又その歳入の取方にある。そのように私どもは考えておる次第でございます。  歳出につきましては相当の多額の金額が相変らず防衛費として計上されておることについては、私ども今ここで御説明するまでもなく、基本的な立場の上において強く反対するものであります。特に相当の剰余金を残しておいて、こういつた経費がここで本年度分と併せて裕々と使われるという事態、他方において災害復旧は勿論のこと、いろいろな面でぎりぎりの財政支出が行われるという事態におきましては、この防衛費関係というものは私どもは真先に抹殺したい、こういうふうに考えざるを得ないのでございます。この点につきましては我々の基本的な態度でございまするので、勿論ここでながながとその理由を御説明するまでもないと思う次第であります。次に産業関係への金の使い方でございまするが、この点については改進党の修正案はかなり意を用いられたかのように感じます。併しそれが造船という方面に相当のウエイトがかけられておることを拝見いたしまして、勿論造船というものが、今日の日本経済の中において、特に国際収支改善の面において非常に重要なものであることは十分に承知いたしております。従いまして船を造るのに金を使うこと、或いは何らかの助成をすることについて、原則的に私どもは反対ではございません。ただ今の日本経済の実情から参りますると、先ず船からという考えはどうかと言われるならばそれには相当の疑問があるように思います。勿論開発銀行の投資やその他の点を総合的に見て、どこにどう使われておるかを見なければ、そういつた判断はできないわけでございまするけれども、やはりこれは一般的な、言い方に落ちつくかと思いまするけれども、産業関係から申しまするならば、やはり電力とか石炭の動力ベースの問題は、いわゆる日本の商品のコスト高の問題とも関連して、やはり一番大切な面ではなかろうか。それから又国際収支改善の上から見ましても、農業生産条件を調整して行くため、或いは食糧増産のため、土地改良その他の農業投資については、やはりこれは基本的な問題であろうと思うわけであります。そうした動力ベースと食糧の問題の下に立つて、鉄鋼とか造船を含む機械工業全般の問題、或いは合成繊維の育成、こういつ出たものが必要であろうと思われるわけであります。ただこうしたことが基本的には私企業の資本蓄積を前提にして、そうして開発銀行を通じ、又特に今開発銀行から融資を受けるということ自身がその企業の特権的な地位を保障しているような感さえ受けるのでありますが、そういつたことで何か援助を受けて行くというようなことではなくて、日本経済基盤を培うという見地から総合的に計画的にこういつた問題について対処して行くべきではないか、このように思うわけでありまして、改進党修正案が産業関係に金を使われることに熱意を示しておられること自体に対しては、敬意を表するものでありますけれども、もつと総合的にこの問題を取扱つて頂きたい、こう考える次第であります。勿論このような産業開発に対しまする政府の施策、これと科学振興というものは、勿論並行して考えられるだろうと思うのでありますが、こういう関係についての金の使い方は、この予算面によれば、もつともつと考慮するのが当然であろうと思います。  次に、いわゆる民生の問題、生活安定の問題でございまするが、官公吏の給与ベースというものは、単に官公吏諸君の生活問題であるにとどまらず、今日の日本全体の給与水準といたしまして、極めて重要な役割を持つておるのは事実でございます。従いまして、給与ベースの算定につきましては、十分の科学的な根拠も明らかにして、そうして財政との調整の上に、納得できるだけの資料を示して決定して頂きたい。このことは常々考えておるところでございますが、間もなく人事院の勧告も行われることでございましようけれども、私どもから見まして、今日どのような給与ベースの算定方式をとつてみましても、例えば、政府部内においてお好きな方式、民間企業との均衡をとつて行くP・W方式をとつて計算してみましても、又人事院が当初やつておりました、下のほうに対してマーケツト・バスケツトで一応算定して、その上からいろいろの角度で検討したカーブを引いて出して行く、この方法をとつてみましても、恐らく今日一万六千円ベース以下の数字はちよつと今何かごまかさなくては出ないのではないか、このように考えるわけでございます。従いまして、本予算にその辺を少くとも最低として、いろいろの財源上の計算をしてみても私は可能ではないか、このように考えておる次第でございます。  次にいわゆる二重価格制、米の二重価格制の問題につきましては、私も実は数年間米価審議会の委員を仰せつかつておりましたが、今度改進党のほうであれだけ主張しておられるのでありまするから、是非今度の予算から二重米価の問題が出発するように、是非実現するように、このように私どもは念願いたしておる次第であります。勿論当面の米価を幾らということにつきましての私たちの考え方は、昨年来申しておりまする通り、いわゆる一万円米価の実現であり、そして消費者価格は現状に据え置くという考え方でございます。米の値段は勿論日本経済にとつて非常に重要な問題に違いありません。ただ今日まで米価審議会の経過を見ましても、常に、二重価格制をとるかととらんかというところで議論をして、質疑をするところにとどまる傾向が強くて、そこから先にはなかなか問題が発展して行かないのが事実でございまするが、ここで、我々の主張する一万円米価と、そうして又消費者価格の据置、この点をこの際実現して行く上においても、いわゆる農村の経済条件の向上について、何もかも米麦価格にぶち込んで物を考えるというのでなく、その上に立つて、農業生産条件の調整という面は、別途別の角度において取上げるようになつて来れば、日本の農業政策として一歩前進し得るものではないか、このように感じておる次第でございます。  失業対策費その他社会保障制度の問題につきましては、勿論この原案には不満でございます。特に、先ほど申しましたように、朝鮮休戦日本経済に及ぼす影響というものはやはり何と言つても深刻なものとして考えるのが当然でありまして、余りにこの案ではイージーに思い過ぎておるのではないか、このように考えざるを得ません。先ほど引合いに出しましたアメリカのAFLでさえも、アメリカのあの経済の中においてさえも、この際うんと失業対策をやらなければいかん、それを政府に要請しなければならん、このようなことを大々的に決議しておる。大体におきまして、失業対策というものは腰だめ的な性格のものでありまして、もつと基本的な政策が伴わなければならないということは事実でございましようとも、やはりその腰だめも十分に考慮して頂かなければならないと思います。なお、例えば失業保険の給付の問題等につきましては当然のことといたしまして、私どもが多年主張いたしておりまする最低賃金法の制定とからみ合せて、その額等は恒久的に、又自動的に決定されるように進めて頂きたい。このように思うわけであります。  次に、歳入に関してであります。私どもが今日全国各地を仕事関係でいろいろと歩き廻つていまするが、何と言いましても、租税負担について一番よく聞かされるのは、中小企業の方方からでございます。それから労働者、農民、中小企業を通じて言われること、地方税の問題でございます。私は、先ほど予算規模について、財政規模について、一応その収入の入れかた、支出の仕方によつては、今日の財政規模でも、そうこれを目の仇にする必要はない、そのように思うと申しましたが、従いまして、それなら歳入について今日一遍に思い切つた減税ということ、全体に亘つて減税ということもなかなか困難だということの裏書になつて参るわけでありますが、やはり私どもといたしましては、減税方向は徐々に、そしてできるだけ公平な負担を実現するように、そういう角度でやつて頂いて結構だと思います。勿論労働者の源泉所得税につきましては、今日の段階におきまして、私どもが賃金水準の戦前水準への復帰という旗を掲げておる点から、裏返して申しまするならば、戦前の免税点を今日の物価で引直して、その辺までは税金を出したくない、こういう態度になつて参るわけではございまするけれども、差当りのところといたしましては、その規模を、今日の日本経済の実情から見て相当我慢いたしまして、大体主張といたしましては、年間二十万円くらいの所得の人までは払わなくて済むようにして頂きたい。このように考えておる次第でございます。  それから減税国債の点につきましては、先ほど藤田さんから御意見がありました中には、これをやめてインベントリーのほうから使うのではということから、反対論が出て参つたように伺いましたが、この減税国債をやめてもらい、そしてその金を、それで充てるはずの金をインベントリーの中から引出して来なくまも、ほかに方法はあり得ると私は考えます。そしてこの減税公債がどこにどの層で大きな恩典を与えるかということを考えるならば、やはり全面的に反対せざるを得ないと思う次第であります。  大体与えられました時間が来たようでございまするけれども、結論といたしまして、今日冒頭に申しましたように、朝鮮休戦という基本的な日本経済に振りかかつて来る大きな課題に直面しておるときでありまするので、特に国会におきましては、MSAの問題については勿論、これの本質的な面は経済面ではむしろないと思いまするが、その経済的な効果についても、実質的な十分な御討論を各党のほうでなさつて頂きまして、衆議院のほうでは衆議院性格上その取扱方、そして外交交渉の経過そのやり方等について、各政党の戦略戦術が大きく前面に出て、事態が進行しておるわけでございますが、この点も了解はできますが、衆議院のほうではどうか皆様の子でMSAの問題の経済的な効果、このことにつきまして十分掘下げたご討議をして頂きまして、そして何らかの方法でもつと国民大衆の目にはつきりわかるように御審議して頂きたいとお願いする次第であります。基本的な態度として、総評議会といたしましてはMSAの援助には反対でございます。  時間が参りましたので、筒単でございまするが、公述にかえる次第であります。
  30. 青木一男

    委員長青木一男君) 有難うございました。質疑はありますか。
  31. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 ちよつと三点について御質問いたします。只今改進党の修正案についてやや相当に評価されたお話がありまして、特に防衛費を削つてそれを民生安定費のほうに向けているという点では、政府案よりは朝鮮休戦後の経済変化の事態により多く適応しようという態度が見えるというお話でございましたが、政府案でも予算説明書を御覧になりますと、防衛費を削つて民生安定費に向けるということになつておるのであります。この防衛費の削減については、御承知と思いますが、防衛費関係は繰越しが一千百八十億もある。特にその中で安全保障諸費などが五百三十億くらいある。保安庁費二百八六十億くらい繰越なんです。政府原案ですと、百十億滅つておることになりますが、これは二十九年度に契約を繰越したのでありまして、改進党が防衛費を削減すると言つても、実質的にはこれは計上しても使えないのですね、年度内に。改進党はやはり再軍備賛成なのでありますから、再軍備賛成の党がなぜ防衛費の削減に賛成するかというと、それは実際計上しても使えないということなんで、それがやはり相当朝鮮動乱後の平和態勢にマツチした考え方であると見るのはどうかと思うのですが、その点。  もう一つ財政規模についてお話がありましたが、そう神経を尖らさなくてもいいのじやないかというのですが、実は今減税国債お話がありましたが、それから電々公社、国鉄の社債等も、これはやはり財政規模の中に入れるべきだと思うのです。そうしますと、一兆を超えておるのでありまして、実はこれは赤字公債、こういうことになるのでありまして、実は財政規模は、防衛費とか何とか、非生産的な支出を削らないで、その上にいろいろな要求を積上げて行く段階ですね。そうしますと、今やはり財政規模をやかましく言わないと、どうしてもこの防衛費関係を削らないで、その上に積上げて行きますからインフレになる。それから先ほどお話しになりました減税ができない、そういう意味財政規模というのは相当この段階でやかましく言わなければならない。特に実質的には一兆を超えておるのですから、そういう点で特に財政規模を重要視すべきである。この点についてどうも余り神経を尖らせなくてもいいというお話ですが私は非常にそういう面から神経を尖らさなければいけないと思うのですが……。  もう一点は財政投資について、産業投資、やはり改進党の案を相当評価されたようでありましたが、これは清水さんが御承知のように、今度の財政投資は独占禁止法の緩和というものが裏付になつておるのです。鉄鋼関係で言いましても、今度の独禁法緩和は特に生産分野に協定ができるような、非常な独禁法の緩和をやるのでして、そうしますと大メーカー中心になつて、中小企業が、いわゆる平炉メーカーとか、それから鍛圧メーカーですね、そういうところは整理されて行くのですね。そういう資金をこういうところで合理化資金として出して行くのであつて、やはり金額の如何ではなく、その裏付になるそういういわゆる独占を助長して行く、そういうものであるということをやはり我々ははつきり知つておかなければならん、改進党さんのほうでは、独禁法緩和については認可権をやはり公取に残しておけという点では自由党と違うのですけれども、その他についてやはり同調しておるのです。  その三つについてちよつと伺います。
  32. 清水慎三

    公述人(清水慎三君) 三つの御質問に共通いたしておる点は、私が公述した内容が改進党の修正案を評価し過ぎておる、その観点からの御質問であつたと思います。それぞれにつきましての表現の仕方は非常にまずかつたと思いますが、第一の問題につきましては、これは木村さんなどがむしろ戦術的にお考えになるならば何らかの発展の基礎になつたのではないか、このような意味において考えておつた次第であります。申上げた点は改進党の修正案が出発点となつて、もつとよりよい方向に発展することを期待した、この意味でございます。  第二問につきましては勿論私も防衛費に反対という基本的態度を冒頭に申上げました。そうして皆削つてみて、もう今日財政規模をどの辺に抑えて行けるかということについては、やはり第三問に関連いたしまする産業投資その他の財政投資の面から見ましても、そういうことは日本経済の基盤を培うということになると思いますが、その辺から見ましても、それからいわゆる社会保障の総合的な拡充の面から見ましても、又私どもが多年主張しておりまする最低賃金法の実施の面から見ましても、やはり今日相当の財政規模になることは否定できないのではないか、このように思つておるわけでありまして木村さんの御指摘になつたように、防衛費を認めて、その上にいろいろ積上げられて来るのだ、それからいわゆる建設公債的なものや何かを入れてみると、すでにとつくに一兆を超えておるのだ、この御指摘はよくわかりまするが、基本的な態度として申しました点は、防衛費を削つて見ても、今日日本の産業的な基礎を培う上からも、民生安定の上からも、最低生活の保障の上から見ても、かなりの財政規模は必要なんじやなかろうか、このような考えを持つおる、この意味でございます。  第三の産業投資については、現在のやり方を承認した上でではございませんが、申上げた中にも、まあ簡単に総合的な計画の上に立つてということを申上げたわけでありますが、総合的な計画化という意味にも、いろいろのニユアンスもありますし、範囲も広いわけであります、木村さんの御指摘になつたような現状のやり方を承認したわけではありません。
  33. 青木一男

    委員長青木一男君) 有難うございました。   —————————————
  34. 青木一男

    委員長青木一男君) 次に玉塚証券株式会社常務取締役関口敬太郎君にお願いいたします。
  35. 関口啓太郎

    公述人関口敬太郎君) 財政の専門家のかたがたから広い範囲に亘つての御公述がございました。私は門外漢でございますから、二、三気付いた点と、或いはこうして頂きたいという素人めいたことでございますけれども、希望等を申上げまして責をふさぎたいと考えております。  先ず申上げたい点は、極めて技術的な点でございますが、金融財政との関係で私非常に大切な問題であると思いますので、その問題から説明をさせて頂きます。よくチープ・ガバメントという言葉がございますが、即ち財政の規模はできるだけ小さいことが理想だという考え方もございますのですが、私先ず一般的に考えまして、現実の日本経済に即して見ますと、成るほど一面におきましては、財政、その裏打になつておりまする行政を徹底的に合理化する必要があるということを感じます。半面におきまして、もつと有意義な行政と申しますか、財政規模をもつと大きくして、財政、行政表裏一体になりまして、もつと威力を持たせて、日本経済の安定、延いては再建を促進するというようにして頂きたいというのが、私の一般的な希望でありますが、先ず技術的な面から申上げさせて頂きたいと思います。  先ず申上げたい点は、財政金融との関係でございますが、戦前におきましては、よく政府資金が撤布超過だとか、或いは吸収超過だとかいうようなことは、これは金融の専門家だけの言葉でございまして、例えばビル・ブローカーというような人が、この次は散超だ、この次は吸収超過だというようなことを気にしておつたのであります。昭和七年の数字を御参考までに申上げますと、一般会計だけの数字でございますが、歳入歳出金の月別受払高を申上げますと、昭和七年の実行予算は十七億円という規模のものでございましたが、一—三月では九千三百万円の揚超、四—六月が七千万円の揚超、七—九月が逆に五千八百万円の撒布超過、十—十二月が一億一千万円の撒布超過というように、現在の政府資金の出し払いと同じようにきまりきつた週期があつたわけでございます。ところがその当時の状態を見ますと、財政資金の出し払いの週期はございますけれども、通貨の流通高というものには、そういう財政資金の動きが余り直截には反映しておらんのであります。なぜかと申しますと、その当時は大蔵省証券のような政府短期証券がございました。それを金融機関と日本銀行の間で巧みに運用しておつたのであります。又銀行も現在と違いまして相当資力がありまして、日本銀行に対して預金を持つておる。その頭金を出し入れいたしまして、金融を巧みに調節しておつたということがあつたのであります。従いましてその当時におきましては、政府資金の揚超とか払超というのは、これは金融専門家だけの問題でありまして、単にこの財政資金が出て、そうしてこの一、二カ月はどんどん金が出る、そこで世の中がインフレになるだろう、或いは又半年くらい引揚超過が続くとこれは不景気になる、つまり政府資金が出るのか入るのかということだけで、国民大衆が非常にその経済生活に直截の影響を受ける、びくびくする、こういうことは曾つてはなかつたのであります。  でございまして私の感じといたしましては、現在の経済情勢を見ますと、戦前のようなクツシヨンというものがないのです。でございますから、日本銀行としてもいろいろ御苦心をしておられて、やはり指定、預金をするとか、或いは金をこつちからあつちへ移すというようなことをしておられますけれども、どうしてもこの結果といたしましては、今申上げましたような悪影響が現われておるのであります。でありますから財政全体としての資金の総額がどうだ、或いはこの使い方はどうだということも非常に大切な問題でございますけれども、とにかく例えば税制一つ一とつて頂くにいたしましても徴税或いは納税方法、例えば三、九、十二月と納めるのか、或いはこの税金は下期に大体納めたらいいというような、もつとそういう技術的な点を御心配頂きまして、そうして同じ財政計画でございましても、その運行をもつと円滑にするように、親切に一つ国民の立場になつて御審議をして頂きたいというように考える次第であります。  それから話はそれと関連いたしますが、今年の上半期は御承知の通り政府資金は千六百億円の揚超でございましたし、又七—九の期間も五百億円近い揚超になるというふうに言われておるのであります。ところがこの十月からあとの三カ月で今度の予算がそのまま実行に移されますと、年内の僅か三カ月で二千億円という撒布超過が来るというようなことを金融の専門家が言つておられるのであります。勿論この予算の空白時代というような特殊な事情もございましたけれども、上半期の先ほど申しましたような九月まで計算いたしますと二千億以上の引揚超過になる。そこで日本銀行としては躍起になりまして、民間貸出を殖やして、そうしてバランスをとつているわけです。すでに六月末には三千百四十億円という民間貸出になつておりますが、これはこの年初に比べて一千億円の増加でございます。又この分では九月の終りには四千億円になんなんとするというように見られておるのであります。それでも一応政府資金がこのように引続き巨額の引揚超過ということになりますと、一方において日本銀行その他が一生懸命にバランスをとつて努力をなさいましても、全体としては金詰りというものが響いて来るわけであります。特にその金詰りは中小の弱体企業にしわ寄せとなつておりましてそれが不渡手形の激増というような副作用も招いておるのであります。でありまして中小企業金融公庫というようなものを今度設置なされるようでございますが、いわば非常に失礼でございますが、そういう御苦心も水の泡だ、つまりそういうものをむずかしく考えてお作りになるよりは、政府の金の出入りの波をもつと運用を滑らかにして頂きまして、御考慮して頂くということだけで或いはそれ以上の効果が挙がるのではないかということも考える次第でございます。  ところで話はくどくなりますが、それからあとの年末にかけての財政資金の厖大な撒布超過でございますが、これは如何に金融面から遊資の吸収を図ろうといたしましても、このインフレ効果というものは完全に抹殺することはできないということを金融関係の専門家のかたは私に話されておつたのであります。例えて見ますとインキの出の悪い万年筆のインキを出す。これは振ればとにかく出る。出の悪い万年筆のインキは振れば出るのでありますが、ひつくり返したインキを吸取紙で吸うということは、これではなかなか完全には吸えない。そういうことを考えてみますと、全体といたしまして財政収支が均衡しておりましても、右のような一年間の期間の間の一定の期間をとると、一方は非常に出るが、一方は非常に悪い。こういうようなことがございますと、金融につきましては国民経済全体として非常に悪い影響が及んで来るということをお考え頂きたいと思うのであります。引揚超過の時期には経済界は一般的には停滞いたしますし、その半面におきまして、日本銀行の民間貸出なんかが殖えますから、潜在的な信田インフレが浸潤するわけであります。又撒布超過の時期には、財政インフレ的な効果がどうしてもあとを引く。こういうことになりますから、こういうような同じことを繰返して参りますと、どうしても内外物価の鞘を寄せまして、日本経済再建の一つの前提を作り出すというこの根本的な大前提が崩れる。つまり金を吸い上げるときはその金融の信用インフレでなつておるわけですが、金がどんどん出るときはどうしてもインフレ効果が出て来るのですから、全体としては物価は如何に国際水準に下げようといたしましても、どうしても下期はその傾向として上る、こういうことが私は起るのではないかと考えております。非常に末梢的なことでくどく申上げましたが、その点をいろいろ御考慮を願いたいと思います。  第二の点は非常に生意気な言い方でございますが、財政の合理化をやつて頂きたいということであります。先ほども木村さんからお話がありましたが。予算案の純計を見ますと、一兆九千億円という数字が出ておるのであります。国民所得の五兆八千二百億円の大ざつぱに見ますと三分の一という規模でございます。戦前の昭和八年の予算の純計を見ますと五十億円、そうしてその当時の国民所得は百十八億円でございますから、現在の財政規模が必ずしも過大だということは言えないと思うのであります。併しながら甚だ失礼な申分ではございますけれども、戦後経営の苦しい日本経済といたしましては、この現在の租税などの七千百六十億円の負担というものはどの社会層をとつて見ましても、堪えられるぎりぎりのところだというふうに思うのでありますが、ところがそれでは財政で一体何をしておるのだということになりますと、どれもこれも中途半端というと非常に失礼でございますが、何もかもどうも中途半端じやないか。本当に腰を入れて仕事をしておる仕事一つもないじやないかというのが私たちの非常に失礼でございますが、実感としてひしひしと胸に迫つて来ることなのであります。  更についでございますが、極端なことを言わして頂きますと、或る人の言うことに日本経済の合理化々々々というけれども、この合理化ができない大きな原因は二つある。一つ財政金融にあるのだということを言つておるのであります。これはどういうことかと申しますと、今申上げましたように現在の財政活動の裏打ちになつておる行政のいろいろな点について私たちも二、三感じたことでございますけれども、事業会社などでは到底見逃がせないような能率の悪い仕事が雑然と積重ねられておるというふうに申上げなければならない部面が私は非常にたくさんある。その結果といたしまして財政資金の効率というものは私は非常に低い。途中で、先ほどもお話がございましたが、消費的と申しますか、人件費として消えてしまうようなものが非常に多いのではないかというふうに思うのであります。行政整理が唱えられて、私たちがどうなることかと思つて見ておりますと、思つた通りに行政整理ができない。それはどういうわけかと思つて考えてみますと、要するにこの予算を取りまして、そうして予算仕事というものがあれば、当然そこにこの定員同名というようなのが出て来る。でございますから、私は行政面で失業救済をやるというお考えがあるならばともかく、予算というものをもつと真剣に考え財政の合理化ということを本当に考えるということでございますれば、一つそういう点を徹底的に考えて頂く必要があると思うのであります。これは或る会社の実例でございますが、私はこういう話を聞いたのです。会社の経営を合理化しようということで、差当つて仕事のない人を指定しして、お前たちは会社へ来る必要はない、家で休んでいろと、休んでいても今までと同じように残業手当も給料もあげるということで、出社をやめてもらつているのです。なぜかというと。その人が会社に来れば、やはり給仕がお茶を出したり、又その人は暇でございますから私信を会社の封筒で手紙を書く、それだけやはり経費がかかる。だから本当に合理化をやろうと思えば、仕事そのものを棚上げしてしまい、そうしてその人の給与は給与で別途考える。これが本当の合理化ということだと私は聞いたのでありますが、行政面につきましても、若しこれがそうでなければ私は即座に取消しますけれども、若しそういうことがございますれば、行政面におきましても、そういう意味において徹底的に仕事の合理化を一つつて頂く。これが私は本当の行政整理じやないかというふうに考えております。  それからこの次は金融の問題でございますが、私は特に今日今金融のことを申上げるつもりじやないのでありますけれども、暫くまあお許しを頂きたいのでありますが、よくいろいろな人に聞きますと、日本経済の合理化安定というものを妨げている一つ原因金融だ。金融だというのは一体何だというと、金利が高いということを誰でもおつしやるわけです。なぜ金利が高いかというと、金融機関のかたは、これは資金コストが高いということをおつしやる。ところが金本位制度の時代でございますれば、これは別でありますが、現在のような紙幣本位の制度の時代でございますと、極端なことを申上げますが、紙幣の印刷代というものが、これが資金のコストなんです。そうしてその紙幣が三年間流通するとしますと、印刷代の三分の一は資金コストであつていいというふうに極端に考えるのでありますが、それではなぜ資金コストが高いかというと、これは余りに金融機関の人件費とか事務所費、つまり金融機関の生産費、この原価計算から逆に金利を出しているというところに私は日本金利が高い一つの大きな原因があるというように考えております。勿論この金利水準というものは、資金の需給関係とか、そういうものと非常に密接な関係がございまして、これは厳密に議論いたしますとむずかしい問題になりますが、ただ感じとしてそういうことを私申上げてみたいと思うのであります。そこで金融面におきましても、まあその点は行政機関と同じように仕事をもつと整理すれば、人件費を減らし、そうしてもつとコストの安い資金供給できるという点においては、財政金融とどこか私は共通したところがあるのじやないかというように考えておるのであります。  そこでこの減税国債の問題に関連するのでありますが、現在の社債の発行条件は、御承知の通りまあ大体五年でそうして八分五厘、そこで大体発行利廻りが九分三、四厘というようなことになつております。それを基準にいたしまして今度の減税国債の条件をどうするかということは、私は考えられておるのじやないかと思うのでありますが、これでみますと、法人が若し一ぱい一ぱい減税国債を持つと、一割五厘、個人で一割二分というような利廻りになる。こういうコストの高い減税公債を発行して得た資金、それも僅かに二百億円、そういうような資金で以て産業投資特別会計の資金収入にするというようなことはどう見ても私は不見識だと思うのであります。二百億円ぐらいの金は、これは行政整理で優に出て来ると思いますし、又一割以上のコストの資金収入で産業投資特別会計をやつて行くということは私は根本的におかしいのじやないかというように考えております。でございまして、減税公債は私は裏のことはよくわかりませんが真正面にぶつかつて考えますと、どうしても理解できないというように申上げたいと思うのであります。  それからその次は、先ほどもお話がございましたが、電電公社と国有鉄道の債券のことでございます。このたび鉄道債券が八十五億円それから電電債券が七十五億円の公募というものが計画されているのであります。ところが国有鉄道とか電電公社の全体の特別会計の規模から見ますと、いわばこういう金額は九牛の一毛でございます。でそれが料金問題とどういう関連があるか、いろいろむずかしい問題もあると思いますが、強いてここでこういう公社の債券を公募なさるということの意味を強いて考えてみますと、これは非常な親心でございまして、将来における公社債市場というものを育成する、そういう大局的な狙いがあつてお出しになるということならば、私は非常に意義の深いことだと考えておるのであります。ところがこの両債券に承わるところによりますと、償還期限がまあ二十年乃至七年ですね、そして利子は七分、発行価格は九十八円ということでございますから、大体地方債をまあ基準にして、右へならえで考えられた条件だと思うのであります。で、一部の噂によりますと、日本銀行がこの両債券を社債とか地方債に比べて、どういう日銀の担保掛品の条件で取扱おうかということを考えておられるということを伺つております。ところが私は考えますのに鉄道とか電電の債券というものは、これは事業債と同じく背後に事業がついておるわけです。担保がある。而もその上に政府保証、これは超一流の債券でございまして、まあイギリスでは、ゴールデンエツジド・セキユリテイース、つまり金で縁取られた証券という言葉を使つておりますが、私はまさにそれに該当する証券だと思うのであります。ところが戦後の日本の起債市場、公社債市場を見ますと、御承知の通りマーケツトとは名のみでございましてただ限られた人々が起債条件というものを相談ずくで決めまして、そうして形は社債とか、地方債の形で発行をしております。けれどもそれが大体金融機関に行くところはさまつて、そしてそれの売買市場というものは全然ないのであります。そういう状態でございまして、例えば社債などは月額四十億円とか、五十億円を発行している。そうして条件は先ほど申しましたように、年限が五年で利率が八分五厘、発行価格が九十八円というのが大体の基準のものであります。こういう条件で金融機関が持つておられるのでありますが、それでは若し社債をマーケツトに出した場合に、九十八円の債段が持つかというと、これは非常に疑問です。そういうようなものを幾ら出しましても、日本の長期資金のマーケツトというものは確立しないのであります。そこで何らかの機会にですね、一つこのマーケツトで堂々と値段が維持できるような債券を出す。これが出て初めて日本の長期の金利水準というものがきまるわけです。これがきまりませんと、最近もいろいろ問題がありましたが、借換国債の条件、まあ大体妥協があつたと申しますけれども、それが本当に正しい条件かどうかということは、ただそうだろうということでありまして、マーケツトできちつと判定の下された条件じやないわけです。で私はここで発行された鉄道とか、電電の両債券というものは今後の日本の長期の債券市場の基本的な証券だというように考える次第でありまして、今後続々出ますと、発行総額としても相当強大なものになると思うのでありますが、この二つの銘柄を証券取引市場に上場する。そうして市場価格を出して見る。九十八円のものが九十七円になろうが、九十五円となろうが、それは止むを得ない。そうして例えば九十五円で安定するということでありますれば、そのあとに出す鉄道とか電電の公社債の条件を、そのマーケツトを基準にして決定する。こういうことをしたらどうかというように考えておるのであります。  ところがそういうマーケツトを作つても、そういうマーケツトで誰が売買するかということがすぐに問題になると思うのであります。暫らく前でございましたが、日銀総裁ができるだけ早く一つ割引市場を復興したいということを言つておられる。割引市場というのは何かということを聞いて見ますと、一流の商業手形の再割市場を一つ復興したいということのようでありますが、それを一歩進めまして、もつと大きな構想で割引市場のみならず、コール市場を作り上げるということを私は考えていいのじやないか。そこでこの際電電と鉄道債券、この二つのものを担保として日本銀行が枠外の金をこの二つの銘柄が担保であれば、無制限に枠外に金を出すということになりますと、おのずから電電とか鉄道の債券の市場性というものがついてくる。そうして、一方において、コール市場が潤沢に動き出しますと、先ほど一番冒頭に申しましたが、財政資金のこの影響が直接にお台所まで響く、そういう不手際な金融操作はやらないで済むのじやないかというように私は考えております。  現在鉄道とか電電債券の起債に携わつておるかたがたの意見を聞きますと、どうも消化の見込については自信を持つておられない。なぜ自信がないかというと私は今までのような卑屈な考え方で、ただ今までの社債とか地方債のようにこそこそと条件をきめて、そしてきめた条件のものをきまつたところに紐をつけてはめて行く。そういうことを考えておられるから、私は消化について自信がないと言われると思います。この際証券取引市場で堂々上場して、そして二つのゴールデンエツジドセキユリテイースは、日本銀行がぐずぐず言わないで枠外の金をどんどん出すと、こういうふうにいたしますと金融機関で余裕のある人が電々とか鉄道の公債をどんどん買う。そして金が入ればコール・マーケツトで日本銀行に頭を下げないでどんどんそれぞれが金になつて来る、こういうふうな構想を一つつておられるということでございますれば、私はこの際電電とか鉄道の債券というものを折角お出しになるのでありますから、ただそれで僅かに百数十億の金を集めるというけちなことでなしに、堂々と意義をもつと大きく拡大して、有意義にこれを扱つて頂けないものだろうかということを考える。  時間が少し超過いたしましたが次に財政融資のことについてちよつと私見を申述べさせて頂きたいと思います。このたび産業投資特別会計が設置せられまして、ここに重要基礎産業等に財政資金を流すという方向が見られたことは、私は非常に意義深いものがあるというように考える。ところが中を見ますと掛声は大きいのですが、結局は開発銀行に三百十五億と電源開発会社に百十億円の資金を貸すだけのことなんです。私は財政日本経済の再建とか、復興のために果すべき任務ということは、私は極めて大きなものがあると考えておるのでありまして、折角開発銀行とか電源開発会社というものができたのでありますから、これは言葉を換えて見ますと政府銀行とか政府会社というものがでさたのでありますから、これを大いに活用いたしまして、そして日本の産業の基礎を根本的に固めて頂くということができないものか、ということを考えておるのであります。  そこで補給金の問題とかいろいろな問題に触れると時間がございませんので、私の考えだけを申上げさして頂きますと、日本の産業の再建なり基礎を固めるという、一体どこからやるか。これは根本は私は海運と、それから電力、石炭、鉄、それに強いて申しますと、合成繊維、こういうような仕事を安心してやつて行けるようにしてやるということだと思うのです。これがまあ産業の基礎なんです。そこで最も典型的な電力と海運というものを取上げて見ますと、若し日本の電力が日本海運賃、日本の鉄の値段が、国際的物価に比較して少くとも割高でないということがずつと引続き永久に保証せられるということでございますれば、日本のいろんな産業は安心してせつせといろんな産業の復興なり再建をやつて行くことができるのではないかというように思う。でございますから、私は根本の考え方といたしましては、今までの戦後の海運会社とか或いは戦後の電力会社が設備或いは生産力或いは輸送力の拡充のために資本を投下し、そのために借金ができておる。こういう借金は私は全部政府で肩替りしたらいいじやないかというように考えるのでございます。それから又今後のそういう基礎産業の新投資、新らしい投資資金は、全部政府で出すというふうにしたらどうか。その金はどのくらいあるかと申しますと、二十七年までの累計で海運関係では大体今まで溜つておるのが千百億円程度だと思います。又電力関係では二十六年から開発を始めておりますから六、七年の両年で千五百億円程度でございます。鉄とか炭鉱を入れますと大体五千億円もございますれば、旧債務は全部政府で肩替りできるというように思います。それから今後の資金でございますが、これは大ざつぱに見まして毎年千五百億円もあれば、これは十分に賄えるのじやないかというように計算を立てております。  そこで一体どういう形でこれをやるかという問題でございますが、極めて素朴な形を申上げますと日本銀行の政府貸上金という項目を作りまして、そうしてその項目のお金で、例えば五千億円の金を政府が借金する。そうして借りた金で今まで溜つている基礎産業の債務を全部肩替りしてしまう。そうすればそういう会社はそれからあとは金利も償却も払わなくてもいい。少くとも市中銀行にいじめられなくてもいいということになります。そこで政府は一体どういうことをするかと申しますと、肩替りをしたそういう投資の身代りになつている債務、それについては償却に相当する金額だけを政府を通じて日本銀行に積み立てさせる。そういたしますと適正償却を積み立てて行きますと、元本に達するわけです。元本に達したところで残余財産をその事業会社に払い下げまして、その払下げ金を日本銀行にやりますと、後払いの金利と同じ計算になつて、それは債権債務がきれいに落ちるというように思います。そういうふうに肩替りされた市中銀行の五千億、近い金はどうなるかと申しますと、現在のところもう少しで日本銀行に対して市中銀行が借りておる債務は四千億円になるのでありますから、その四千億円を落してしまえば、市中銀行の資力は潤沢になりまして、そうして今後の金融政策が非常に弾力性を以つてやれる、こういうことになるんじやないかと考えるのであります。  非常に乱暴なことを申上げましたが、私はむしろ先ほどの方々と或いは意見が違うかと思いますが、今後の日本財政が、日本経済再建なり復興に対して果すべき役割は非常に大きいんだ。だから産業投資特別会計というものも、ただ看板だけ大きくて、中に入つてみると何もないということであつてはならない。又先ほどもおつしやつたように、二千億近いものが財政融資に向けられておりますけれども、それは名前は財政融資でございますが、いろいろ中を見ますと住宅の関係だとか国民金融金庫だとかいろんな方面に行くのでありまして、本当の意味の投融資というものは、ばらばらと散見せられるだけでありまして、いろんな方面に対しての投融資というものは、どの程度にこれを整理するかということは別問題といたしまして、少くとも日本の産業が安心して今後の再建をやつて行けるだけの基礎、つまり運賃と鉄とそれから、電力、石炭、この値段が国際価格以下で、而も潤沢に得られるような条件を作る。その前提の下に産業投資の特別会計を根本的に一つ考え直して頂いて、大きくこれを動かして頂く、そういうことができないものかというように、まあ非常に乱暴でございますが、そういうことを考える次第であります。  それから最後に税金のことでございますが、これは一言だけ申上げさして頂きたいのでありますが、私たちのような商人でございますと、まあいろんな商いをいたしますと、その計算書だとか納品書、領収書だとかいうものは、全部私たちのほうで書いて、そうして受渡しに行く。お金をくれなければ又行く、そうして最後になつて手形をもらつてつたもんだの挙句ようやくというわけで、全部民間のほうじや商売人がやる。ところが財政のほうになりますと、予算に計上されておる徴税費というものは、お役所だけの費用でございまして、皆さんも御経験があると思いますが、税務署へ呼出されますと、仕事をしていても行く、電車賃を払つて行く、そうして時間も相当かかる、又納税いたしますときには長いものに自分の住所氏名を四カ所書くわけです。最後には税務署から頂く領収書にまで自分の住所氏名を書いて差出すということをやつておるのが実情でございまして、私は前に申したようなことをお役所でやつてもらいたいとは申しませんけれども、とにかく民間の人たちは自分たちの経費で以て徴税費としての分を負担しておるのが非常に多いということを考えて頂きたいというように思います。いろいろ調べてみたのでありますが日本はチープ・ガバーメントでないということは、少くとも税務関係の徴税費の非常に高い国家であるということについても、言えるんじやないかというように考えるのであります。  私証券会社におる関係で必ずしもそういうことを申上げるわけではありませんが、今度のこの税制の改正案をずつと見ますと、まあ大体において一千億円の減税をするということが根本の御趣旨のように承わつておるのであります。ただこの第三次の再評価に伴つての再評価税、これは特別とは思いますが、すべてが減税時代でございますから新らしく作られる税金はないだろうと、思つておりましたところが、有価証券取引税というものが新設せられておるのであります。減税の際の新税でございますから、よくよく御研究になつて御自慢の税金だと私は思うのであります。ところがいろいろ考えてますと、どうも有価証券取引税というものは、日本租税体系全体の中で一体どういう位置を占めるのだというような考え方から見ますと、とこにもどうもはつきりとはまりつこのない税金のように思うのであります。曾ては有価証券移転税というものがございますた。これは納税義務者は買方でございます。ところが今度の有価証券取引税は、納税義務者は売方になつておる。こういうところから考えますと、これは必ずしもそうではないという御否定の言葉を伺うのでありますが、要するに有価証券の譲渡所得が実際上取れなかつた、取ろうと思つてもどうしても取れなかつた。そこで、これはまあ今度そういう取れない税金だから、有価証券の譲渡所得は課税を廃止するということになつたのであります。どうも何か割切れない、虫が納まらないから身代りに有価証券取引税という名において売方から税金をうんと取つてやろうと、こういうことじやないかと私は忖度するのでございます。ところがこの売方が納税義務者ということは結局はこの有価証券の処分に際して、売方が必ず譲渡利得があるということを前提としてのことだというように想像されるのであります。併しながら売方は必ず譲渡所得を得ておるというようにお考えになるのは、これはインフレ時代の観念の残滓でございまして、経済が安定して参りますと、むしろ売る人は何か都合が悪いことが起る、不如意になつて売るのでございます。でございますから、安定経済の時代になりますと、売方はむしろあわれむべき立場でございまして、買方こそ担税力があるということを私は言えるんじやないかというように思うのであります。まあとにかくインフレ時代で税金を集めなくちや財政が持たぬ、何でもいいから一つ税源を集めよう、こういう時代でございますればともかくでございますが、現在のようは経済がだんだん安定し、経済財政もいろんなものを合理化しようと、こういう時代に新税を創設なさるといたしますれば、少くとも後世の歴史家がなぜこういう税金を作つたんだということで首をかしげられるようなものはお作りにならんほうがいいというように私は考えているのであります。特にこの税金は平年度の税収見込が二十二億六千万円となつておりますが、これは今年の一月から五月の、あの戦後の未曾有のブームの当時の取引高を基準にして計算されているのでありまして、実際の平年度の税収は私は十数億円がせいぜいじやないかというふうに考えております。ところが私たち証券業者がそのためにいろいろ税務署のかたがたに協力して、帳簿とかいろいろなものを整理しなければいけないのでありますが、これは大ざつぱに見ますと、全国に証券業者の店舗が千ございます。一カ所に一人ずつそういう係の人がいるといたしますと、年に一億二千万円の徴税費を私たちが負担しなければいけないということになります。そうすると政府のほうの徴税費が幾らに見積られているかわかりませんが、数十似の金を取るのに、民間で一億二千万円の負担をさせて、そうして一体政府で幾ら徴税費がかかるか、これは私は徴税費のかかる税金のうちの一つの典型的なものになるのではないかと考えているのであります。必ずしも私は有価証券取引税の考え方というものに反対するわけではございませんが、現在の租税体系の位置から考えまして、又その徴税費の面から考えまして、もう少しよく御検討を頂きたいというふうに考えている次第でございます。  どうも長時間まとまらないことを、又大ぼらのようなことを、夢のようなことを申上げましたが、一つ御勘弁願いたいと思います。これにて私の公述を終ります。(拍手)
  36. 青木一男

    委員長青木一男君) 質疑のかた……、ないようですから、有難とうございました。   —————————————
  37. 青木一男

    委員長青木一男君) 次に東京大学助教授大内力君にお願いいたします。
  38. 大内力

    公述人(大内力君) 私東京大学の大内でございます。  この予算全体についてのいろいろな問題はすでに今朝からのそれぞれの御専門のかたからいろいろお話があつたところでございますが、私は財政学を必ずしも専攻にしておりません。むしろ日本の農業問題を専攻にしておりますので、主としてこの農業問題という立場から、特に食糧問題という立場からこの予算について二、三の点を簡単に申上げて見たいと思います。  先ず第一に、食糧問題というところに仮に引つかけてもそうでありますし、或いはもう少し広く予算全体の問題というふうに考えてもいいと思うのでありますが、一見して我々に非常に強く感じられますことは、まあ毎年そうだと言えばそうなのでありますが、予算が、しばしば言われますよう極めて総花式の形になつているという点に、我々は非常に疑問を抱くのであります一で今の日本のいろいろな置かれている条件というものを考えますと、そういう総花式にやつてつて果して問題を解決できるかどうかということに非常に我々は疑問を持つのであります。むしろ予算考え方として極めて超重点的な予算の配分を考える。そうして極く基本的なところから先ず手をつけて行つて、基本的な条件をとにかく三年なり五年なりのうちに整備をする。それからほかのほうへ順次に施策を移して行くべきであつて、何でもかんでも今すぐに一遍に片付けようというような考え方では、今の日本の問題をどれ一つとして解決することができないのであります。こういう疑問を先ず非常に持つたわけであります。これを食糧問題という点にからませて申上げますと例えば公共事業費というものがすぐ頭に浮ぶわけであります。この公共事業費にいたしましても、先ずその総額がほかの経費とのかね合におきまして、かなり窮屈に抑えられているということがありますし、それから公共事業費の中でも、いろいろな部面にかなり万遍なく資金が出される、こういう形をとつておりまして、必ずしも重点的に公共事業費が配分されているというふうには考えられないのであります。ところが今の日本状態というものを考えて見ますと、御承知だと思いますが、年々災害の起る河川、砂防というような面だけを考えましても、大体毎年の損害額というものは一律間に一千億近くのものが出るというふうに言われております。それのみではなくて、これが予算不足のために十分な対策が行われない。つまり災害復旧さえ行われないで繰延べになつているものが、政府の負担すべきものだけでも、昨年度までで千五百億を超えておるというふうに言われております。而も今年の予算を見ましても、そういう災害復旧のための、殊に河川や砂防関係の一番重点的に必要だとされるものは大体二百五十億内外でありまして、これでは今年起ると予想される災害の四分の一ぐらいしか回復できないわけであります。又七百億余りが繰越になつて赤字として積つて来る、こういう状態になつております。こういうことを何年か繰返して参りますならば、日本の国土は荒廃する一方であるというふうに考えられるのであります。そういう国土がますます荒廃しつつあるというようなことを前提として他の施策を考えるということは、私は無意味ではないか、こういうふうに考えるのであります。で、今我々としてなすべきことは、むしろそういう一番基本的な国土の建設というところに例えば重点を置いて行く、そういうふうに施策を持つて行かなけれで、食糧増産という問題も解決できないのではないか。一方では相当多くの食糧増産対策費というものを立て、土地敗長や何かをやりながら、他方ではそれをむざむざと洪水のために流されてしまう。こういうことを繰返しているようでは、実は食糧増産というものも根本的に軌道に乗つたとは言えないのではないか、こういう気がするのであります。こういう問題はその一例として災害の問題だけを申上げて見たのでありますが、ほかの部面でも極めて広く考えられる点ではないかと思うのでありまして、そういう意味から申しますと、予算の組み方そのものにかなり根本的な考え方を転換する必要があるのではないか。こういうふうに私は考えるのであります。先ず最初に申上げたいことはそういうことなのでありますが、その次にもう少し問題を小さくいたしまして、食糧増産という点に焦点を絞つて参りますと、この食糧増産という問題は私は二つの面から考えられていると思うのであります。この予算から考えられるところでは、一方におきましては、それはいわゆる直接的な食糧増産対策費、こういうものとして出て来ているわけでありますし、他方では間接的にその食糧増産をいわば側面から支持するといういろいろな問題が考えられているわけであります。そのいろいろなものの中に、例えば農業共済制度とか或いは特融資金とかいろいろあるわけでありますが、その中でも恐らく最も重要な意味を持ちますのは、広く言えば農産物価格政策、殊に狭く考えれば米麦価政策というものがその側面から増産に結び付けられる政策として考えられると思います。  そこでここでは時間の関係もございますので、そういう直接的な食糧増産対策費というものと、それから間接的な側面からのものの中で一番重要な意味を持つていると考えられます米麦価の問題について一、二の点を申上げて見たいと思いますが、でその前提となりますことは言うまでもなく、現在の日本におきましては食糧増産ということが基本的に取上げられなければならない政策の一つであるということは当然の前提として申上げたいと思うのであります。何故この日本の現状におきまして食糧増産をしなければならないかということまで立入つてここで申上げている余裕もございませんし、又必要もないと思いますのでその点は略すといたしまして、とにかく食糧増産を今後大いにやつて行かなければならない、こういうことを前提として考えて見たいと思うのであります。ところがこの食糧増産ということは一口に言えば筒単なようでありながら、実際考えて見ますと非常に困難な問題をたくさん含んでおるわけでありまして、例えば従来の政府が発表して参りましたような増産五カ年計画というようなものをあの計画通り実行しようということになりますと、実は非常にあれは困難なものだというふうに私には考えられるのであります。というのは、まあ大ざつぱに申しましてあの増産五カ年計画は、例えば今後五カ年間に二二、三%の米麦の増産をする、こういうことを見込んでおるわけでありますが、併し過去の我々の経験から申しますと、恐らく明治の末から今度の日華事変が始まります前までの三十年ぐらいかかつた数字を見ましても、大体国内食糧は一七%ぐらいしか増産をしていないのであります。そういう点から考えましても僅か五カ年問の間に二二%の増産をするということは非常に大きな問題でありまして、そう、なまやさしくできることではない、こう考えられるのであります。而もこの二二%増産をすると申しましても、他方におきましては御承知のような消費人口の増大、それから田畑の老朽化とか、或いは先ほど申上げましたようないろいろな災害の影響とかで減産を見込まれる部分というのがかなり出て来ると思うのであります。そこで若し全然食糧増産をしないとすれば、今後五カ年間ぐらいでなお食糧不足が、現在は約二千万石でありますが、もう一千万石ぐらい殖える、こういう計算になるわけでありますが、仮に計画通りの増産ができたといたしましても、せいぜいそれによつて節約される数量というものは、現在の輸入量の三分の一程度というふうに考えていいと思います。依然として現在の輸入量の三分の二ぐらいまでは輸入に待たなければならない、こういう状態なのであります。従つて若し計画通りの増産が行かないということになりますならば、恐らくは不足量のほうが遥かに大きくなるという傾向のほうが強くある、こう考えられるのであります。そういう点から申しますと、増産という問題は実は極めて重大な問題をその中に含んでいると言わなければならないのであります。  ところがどういうわけでありますか、増産の掛声だけは大変大きいのでありますが、毎年その増産政策として予算的な裏付けが行われるものが極めて貧弱であるというのが実情であろうと思うのであります。本年度の予算におきましても、この増産対策費として計上されておりますものは四百九十四億ぐらいになつておりますが、併し恐らくは農林省の計算によりますと、増産五カ年計画を遂行するための費用としては、大体年額七百億ぐらいのものが必要だというふうに言われておるのであります。而もこの七百億は直接国庫の負担する分だけでありまして、そのほかに地方財政の負担部分というものを含めますと、恐らくは千億に近いものが必要だということになるのではないかと思うのでありますが、そういうこの計画されておりますものに対して予算的な裏付けというものが毎年極めて少いということが一つ特徴的ではないかと考えられるのであります。こういう点から申しますと、私はこの予算の中に果して正面から、今お話いたしましたような困難な増産という問題に取組んでいくだけの決意を政府考えているのかどうかということを疑問に持たざるを得ないのであります。而もこの増産対策費全体が今申しましたように四百九十四億ぐらいというふうに、必要とされております量の約半分ぐらいしか予算的な裏付けができていない、こういうことなんでありますが、その中で更に問題になりますことは、その乏しい食糧増産対策費というものが、又かなり先ほど申上げましたような総花的に使われるという傾向が強く出て来ておるという気がするのであります。その中で私は特に疑問に思いますことは、増産のための開拓の費用として百三十二億七千万円でありますか、約百三十三億円が計上されておるわけでありますが、果してこの食糧増産という問題を中心的に考えた場合に、今の日本において開拓政策というものを遂行して行くことが適当であるかどうかという点はかなり疑問が残るのではないかというふうに考えられるのであります。今の日本におきましては恐らく今後開拓し得る余地というものは極めて限られております。そうして御承知のように戦後かなり無計画的に開拓を進めたということによつて、例えば山崩れを起したり、或いは土砂の流出を起したりして、それが又水害の原因になつて来るというようなところにも非常にあるわけであります。それから実際に、この開拓をして見ても地方のある一、二年間はそこを維持できたといたしましても、地方が枯渇して参りますと、そういう山地で肥料の運搬の困難なようなところは、到底経営を維持することができない、こういう条件を持つておるところが極めて多く出ていると思います。その点を考えまして開拓というものが果してこれが失業救済事業だというのならば別でありますが、食糧増産という問題から行つてどれだけの意味があるかということは私はもつと真剣に再検討する必要があるのではないか、こういうふうに考えるのであります。むしろ開拓に相当大きな金をさくよりは、全体としての資金が取れないならば例えば土地改良事業のような既耕地の生産力を高めて行くというところに重点を移して行くというような考え方が必要ではないか、こう考えられるのであります。こういう点はここの、本院の審議の際に是非御検討を願いたいところなのであります。  それから直接的な増産対策の問題につきましてはそれだけといたしまして、その次に問題になりますことは、米麦価の問題であります。この米麦価の問題の中で最近新聞で報ぜられているところによりますと、衆議院の予算委員会ではいわゆるこの二重米価論というものが取上げられて、かなり政治的に重大な問題になつているように考えられるのでありますが、そこで私も主としてこの二重米価論というものについて多少考えておりますところを申上げて御参考に供したいと思います。それで私の考え方を申しますと、二重米価が必要かどうかということは、かなりこれは複雑な問題をいろいろ持つておると思うのでありまして、そう簡単に結論は出て来る問題ではないというふうに考えられるのであります。というのは先ず第一に考えられるとは食糧増産というところに米麦価の問題も結び付けられて考えられなければならないと私は理解するのでありますが、その食糧増産という問題を考えます場合には、果して今後の日本食糧増産の見込から申しまして、米と麦のどちらを重点的に考えて行かなければならないかということがもう少し反省されて見る必要があるのではないが、こういう気がするのであります。これは私は技術屋ではございませんから、技術的なことはそう正確にはわかりませんが、併し従来から日本の水田農業というものに対しましては、明治以来非常に長いこと農民も苦労をしておりますし、政策的な手も打たれておるわけであります。恐らく戦前までの日本の農業政策と申しますならば、殆んど大部分が米の増産対策ということに捧げられて来たと言つても過言ではない。そうして水田におきましてはすでに日本の農業の許す範囲における技術的な改良もかなり進んで来ております。又品種改良なども或る程度行くところまで行きついているという、こういう感じがするのであります。従つて米の増産という問題は無論私はそれが不可能だというのではないのでありますが、併しこれを如何に努力してみても、恐らく現在の生産量を更に一割とか二割殖やして行くということは相当の困難を伴うというふうに考えておくほうが安全ではないかという気がするのであります。それに対しまして麦のほうは、これは従来日本では割合に農民も熱心ではなかつたと思いますし、又政府の施策としても麦に対する対策というものは米に比べれば極めて弱かつた考えていいと思います。そうして麦に関しましては又技術的に改良する余地が非常に残されております。それから例えば二毛作を拡大するという形で作付面積を殖やすという余地も極めて多く残されておる。そう考えますと、この麦の増産のほうが今の日本におきましては恐らくずつと大きな見込を持てるものではないかというふうに私は考えておるのであります。そういう点を先ず前提としてこの価格政策というものを増産政策に結びつけて行く、こういう考え方をいたしますならば、当然問題は米価の問題よりは、と言つては多少語弊がありますが、米価の問題を考えると同時に麦価の問題というものを十分考える必要がある。そうして米価の問題を米価の問題としてだけ取上げて、二重米価とか何とかいう議論をする前に、米麦価全体を総合的に考えた場合に、どういう問題が出て来るか、こういう考え方をしてみる必要があるのではないかと、こういうふうに考えるのであります。  そこでこの米価のほうから申しますと私は現在のいわゆる生産者価格と言われております七千五百円米価というものは、むろん農家経済のほうから申しますと、或いは農業生産という立場から申しますと、これはかなり低い価格であるというふうに言つていいのではないかと思います。で、どの程度の米価ならば生産者としての農民の再生産が償い得るか、こういう問題は実は非常に困難な問題でありまして、これをどう計算して行くかという点については理論的な問題が残るわけでありますが、一昨年米価審議会の米価算定に関する専門委員会に、私も専門委員として参加していたのですが、その専門委員会の結論として出された一つの、私が主として主張して成立せしめました一つ方式計算をいたしますと、大体昨年、一昨年のデータで一万円を少し超えるというのが日本の農業の再生産を償う米価、こういう結論が一応出ているのであります。むろんこの計算の過程なり何なりについては更に技術的に検討すべき点が残されているようでありますが、併しまあ常識的に農民のいろいろな言い分を聞いてみましても、それから又我々が従来のいろいろなデータから推定いたしましても、大体一万円ぐらいが生産者として適当な米価ではないか、こういうふうに私は考えるのであります。で、その場合に従来のやり方でいたしますと、七千五百円という、それよりもかなり低い水準に公定価格を抑えておりまして、そうして御承知の通り超過供出奨励金とか、或いはその他の形でこれをかなり膨らませて行く、こういうやり方を従来の米価政策でとつて来たわけであります。併し超過供出奨励金その他を加えて米価を膨らませるというやり方は、私は大体においては反対なのであります。で、なぜ反対であるかと申しますと、超過供出をなし得るような農家、或いは超過供出以外の例えばいわゆる自由販売のなし得る農家というものは、御承知の通り極めて限られた上層農家でありまして、そういう事実によつてむしろ御承知のように最近の農村におきましては非常に急激に階級分化が進められて、そしていわゆる富農がますます富むのに対しまして、大多数の農民が非常に急激に窮乏化して行く、こういう結果がかなり明瞭に出て来ていると思うのであります。そういう点から申しますと、私はむしろ米価政策というものは、そういう少数の農家に特典的な利益を与えるというのではなくて、やはり基本米価を正当な水準まで引上げておく、こういう考え方から出発しなければ、農村の問題としても重要な問題を引き起すと思いますし、増産の面からいつても、いい結果を生まないのではないか、こういう気がするのであります。で、そういう点から考えますと、私はむしろこの基本米価を一万円に近い水準に引上げ、その代りに超過供出奨励金その他のものを成るべく削つて行く、こういう考え方で米価の問題を先ず考えてみたいと思います。そういたしますと、昨年度の予算計算いたしますと、大体超過供出奨励金を入れまして、石当り平均にいたしますと生産着価格は七千八百円ぐらいになつていると思うのであります。従つてこれを一万円に引上げるということは、約二千二百円ぐらいの生産者価格の引上げだと、こういうことになるのであります。そこで二重米価にするか否かという問題は、そういう先ず生産者を一応満足させるような米価、つまり現行の価格よりも二千二百円ぐらい引上げた米価というものが消費者にとつて果して堪えられないほどの負担であるかどうか、こういう点できまつて来るわけでありまして、それがどうしても堪えられないということであれば、これは差当り二重米価ということを考えざるを得ないと思うのでありますが、若し堪えられるということでありますならば、必ずしも私は二重米価にする必要はないのではないか、こういう気がするのであります。  そこで一石について二千二百円米価を引上げた場合に、消費者に対してどれほどの影響が及ぶか、こういう問題があるわけでありますが、これは正確に計算するのは非常にむずかしいのでありまして、というのは消費者と申しましても、ピンからキリまである。それから同時に米価が上ることによつてほかのあらゆる物価にどういう影響を及ぼすかという、いわゆるリパーカツシヨンの問題が考えられなければならない、こういうことになりますので、正確にこれを算定するということは極めてむずかしいのでありますが、併し大ざつぱに申しますと一石について二千円余り米価が上がるということは、大体今の配給制度を基準にいたしますと、一家が仮に五人家族といたしますと大体月額にいたしまして六百円か七百円の主食に対する支出増加を招く、こういう程度であろうと私は考えるのであります。そういたしますと結局問題は六百円乃至七百円というものの支出増加が家計にとつてどれほど大きな意味を持つているかという問題でありますが、これも極めて下層の、例えば中小工業の非常に低賃金な労働者とか、或いは生活保護を受けている者、或いは失業者こういうところまで行きますと、この六、七百円というものが決して小さいとは言えないと私は考えるのであります。併しそれ以上の階層にとつては必ずしもこれは耐えられないほどの負担ではないのではないかという気があるのであります。尤もそれが米だけの問題として考えられますならば無論それは負担増加に過ぎないのであります。負担増加ということになるのでありますが、あとで申上げますように麦価の問題とからめて考えますと、私は必ずしも耐えられないような負担ではないのではないかという考えであります。  そこで若しそういう考え方が許されるといたしますならば、米の問題に関する限りは米全体として二重価格制というものを採用するよりは、むしろ今申しましたような、極めて低賃金な労働者、或いは失業者、或いは生活保護者というような、つまり月額数百円の支出増加に耐えられないような階層に対する特別の社会保障的な対策を講ずるという形で問題を解決することができやしないか、こういう気がするのであります。  ところがこの米価の場合はそういうわけで、私は必ずしも二重米価制というものにそれほど積極的には考えられないのでありますが、それに対しまして麦価の場合にはこれはかなり二重麦価制というものが強く考えられる必要がありはしないか、こう考えるのであります。と申しますのは御承知のように昭和二十三年からこの麦の米に対するいわゆる対米比価というものが非常に下げられて来ているのでありまして、対米比価は大体戦争中からずつと引上げられて来る傾向を持つていたのでありまして、終戦後の昭和二十一、二年には御承知の通り小麦について申しますと、大体九一から九二くらいまでに引上げられて参りました。それが少し下げられましてその後は八三ぐらいの程度でありましたが、これが昭和二十六年に一挙に六四まで引下げられたわけであります。そのために従来から麦価がそういうふうに米価に対してかなり有利に定められているときでさえ、麦の生産費計算を厳密にいたしますと、麦の生産というものは農民にとつてはそれほど償わないような性質を持つておりますが、いわんやそういうふうに麦の価格がかなり圧迫されて下げられる、こういう傾向にありますとかなり農家にとつては麦作というものが不利になつて来るわけであります。而も御承知の通り昨年度、或いは本年度もそうでありますが、麦の作付面積というものは大体三、四万町歩は毎年減つて行くという傾向を示しているのであります。昨年は幸いにいたしまして天候に恵まれたために、総生産量はそう減らない、むしろ殖えたわけでありますが、明らかに作付面積は減つております。而もその作付面積の減つているものは菜種とかその他に転換したのでなくて、全然耕作放棄ということで裏作が放棄されている場合がかなり多いと考えられるのであります。  こういう政策のやり方では私は麦の増産ということは到底望めない。先ほど申しましたように日本食糧問題を解決する非常に大きなポイントになつている麦の問題というものを考える場合には、やはり生産者麦価というものはもつとやはり高めてやる必要があるのではないか。どのくらいまで高めればいいかということはいろいろもう少し検討してみないとすぐ結論は出て来ないと思いますが、併し少くとも対米比価を小麦の場合に八〇以上、或いは九〇近くまで引上げてやるということが私は必要じやないかと考えられるのであります。ところがそれに対しまして、今度は消費者の側から麦というものを見ますと、そういう今のような麦の価格関係におきまして、つまり麦価が大体米の六四くらいのところにある。こういう価格関係におきましても、実は麦というものは、消費者にとつては非常に高くつく食糧になるのであります。というのは、言うまでもなく副食費が非常にかかる。そのために消費者のほうから見ますると、麦が自由に買えるにもかかわらず、闇米を買わなければ困難だ。そういうものが家計が窮屈なほど強くなつて来るということがあるのであります。それはいわゆる貧乏人は麦を食えばいいというのでありますが、それは逆でありまして、大体消費の弾力性から言いますると、麦の場合、殊に小麦の消費というものは、大体所得の高いところほど小麦の消費が多いと言つていいと思います。  そこで麦を消費者に対してそういう摩擦なしに消費させて行く。そうして米価が多少上つても、麦に転換することによつて消費者の生活水準を下げないで済ますことができる。こういうふうにいたしまするためには、逆に消費者麦価というものを相当下げる必要があると考えます。これもどのくらい下げたらいいかということも、いろいろ問題でございますが、戦前の統計を見ますと、大体麦価が非常に安かつた昭和五、六年をとりますと、大体対米比価が三三くらいまで行つておるのであります。何が一番適当であるかどうかという点は、私も自信がございませんが、少くとも私の考えでは対米比価を消費者に関する限りは、三〇以下に下げるということが必要ではないかとこう考えるのであります。若そういうことをするといたしますと、恐らく生産者価格も高く液つて、消費者価格のほうが低くなる。こういう形になると思いますので、かなり大巾な二重麦価政策というものが必要になつて参りますが、そういうやり方をすることによつて、初めて米麦の価格政策というものと食糧増産政策というものが結び付いて行くのである、こういう気がするのであります。  なおついでに申上げておきますと、若しそういうふうにして、この麦価を下げるということになれば、麦の消費が殖えることによりまして、輸入食糧の面におきましても、麦の輸入を殖やして、米の輸入を減らすことができると考えるのであります。而も御承知の通り、トン当りにいたしますと、麦と米とはカロリーは殆んど変りないにもかかわらず、米のほうは、今遥かに輸入が高くなつております。大体高い場合には、麦価の倍くらいになる場合さえあるんであります。で、麦価が八十ドルくらいに対しまして、百六十ドルくらいになることがしばしばあるのであります。そこで若し麦の消費を殖やし得て、麦の輸入に切り換えて行くということが可能であるとするならば、少くとも食糧輸入外貨の面から言つても、かなりの余裕ができると考える。かたがたこういう政策的な考え方をしてみることが、この際必要ではないかとこう考えるのであります。  で、特にこの食糧問題に関しまして、私が申上げたいことは、そういう点でありまして今申上げました点についていろいろと今後御検討頂ければ大変幸いだと思います。  それから最後に、これは食糧問題とは全く関係がないのですが、私は農業問題を勉強すると同時に、学校教師を勤めておりますので、学校教師としての立場から一つだけ希望を申し述べさせて頂きたいと思うのであります。それは育英資金の問題でありますが、この育英資金が実は御承知の通り非常に不足しているのであります。で、本年度から特に問題になつて参りましたのは、新制の大学院制度というものが発足したわけですがこの大学院の学生に対する育英資金というものが、大体定員の一割くらいの学生に対してしか与えられていない。而も月額四千円しか与えられないというのが実情でございます。ところがそういうことでありますと、今の学生の生活状態から申しますと、大学院に通いながらなお一週間のうち三日も四日もアルバイトをしなければならん。こういう学生が極めて多いのであります。この新制の大学院というのは、御承知の通り、新たなる研究者を養成するということを主たる使命としているのであります。従つて将来の日本の学術文化の担い手というものは、この新制大学院の学生の中から育成されなければならんものだというふうに私は理解しているのであります。そういう専ら研究に専念しなければならない立場にある大学院学生が、一週間のうち三日も四日もアルバイトをしているという状態では到底十分な研究成果を挙げることができないというふうに私は考えるのであります。で、これは日本の学術文化の将来のために私は非常に寒心に堪えないことと思うのでありまして、せめて学生全体に及ぼすというわけには行かないと思いますが、大学院学生に関する限りは、従来の旧制の大学の特別研究生、これは大体一万五、六千円の研究費をもらうわけでありますが、その程度まで育英資金を引上げて頂くような途を考えて頂くと大変幸いであると思います。  以上思いつくままに二、三の私の希望する点を申上げて御参考に供したいと思います。(拍手)
  39. 青木一男

    委員長青木一男君) どうも有難うございました。御質疑がありましたらば……。
  40. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 麦価をもう少し引上げて、小麦の増産を積極的にやるという御意見でしたが、その場合に、今お話程度に麦価を引上げる場合、国際価格との関係においてはどういうことになるのかとお見通しになるか。特に現在、それから今後数年の間の傾向として、それらの価格関係がどういうふうになるとお見通しであるか。
  41. 大内力

    公述人(大内力君) これは今、私は正確なデータを持つて参りませんでしたので、的確に数字的にお答えすることはできませんが、大体現在の小麦の生産者価格と、それから国際的な輸入価格というものを比べますと、国際的な輸入価格のほうが多少は高いという状態だと思います。併しその差は米の場合ほど大きくないことは御承知の通りであります。従つて私が申上げましたように、生産者価格を引上げるということになれば、当然生産者価格として比べますと、輸入価格よりはかなり高くなるというふうに考えます。併し国際価格のほうは、御承知の通り、最近はだんだん下る傾向を持つているというふうに考えていいのではないかと思いますが、これが長期的にどういう傾向を迫るかということは、世界情勢によつて非常に大きな影響を受けると思いますので、何とも申上げかねますが、仮に朝鮮休戦も成立し、世界的に平和状態になりまして、そしてそれがきつかけになつて、世界的な不況の状態が来るということになれば、恐らく小麦の主要な輸出国であるアメリカその他の国においては、相当大幅な過剰生産が出て来ると言つていいと思います。現在でもアメリカの小麦は御承知の通り非常に過剰生産傾向を持つておりまして、政府価格維持政策によつて漸く価格を維持しているわけでありますが、その価格維持制度がどこまで維持できるかということは、相当疑問だと思うのであります。恐らくは、もつと下げた価格でも輸出をして行くという考え方に変らざるを得ないのではないか。そうなりますと、輸出価格のほうは、かなり下つて来るというふうに考えていいのではないかと思いますので、若しそういうふうに輸出価格が下つて来るということになりますと、逆に国内の生産者価格のほうが国際価格よりも高くなるという問題が出て来ると思いますが、併し国内の麦価も統制いたしますし、輸入麦価も統制しておくという考え方といたしますならば、その問題は、ただ輸入補給金の面で変化が現われて来るだけで、却つて若しそれが下れば日本にとつては望ましい結果を生むのではないか。こういうふうに考えております。
  42. 中田吉雄

    中田吉雄君 これは肥料の問題なんですが、二百万トンくらい硫安ですか、生産があるようですが、国内の消費につきましては、まあ百五、六十万トンとして押えているんですが、それは技術的にももう肥料を増投しても増産しないという限界に来ているのでしようか、或いは肥料価格と農産物価格との兼合いによるものかどうか。むしろまあこういう質問をいたしますのは、もつと国内の消費を、肥料を増投をいたしまして行くほうが、実際肥料を海外に出して外貨を獲得するよりか、そのほうが得じやないかという見解に立つての質問なんですが。
  43. 大内力

    公述人(大内力君) その点は私はこう考えております。現在の百五十万トンという硫安の国内の消費水準というものは必ずしも技術的にもうフルになつていて、これ以上入らないというものではないと思います。ただ地方的には御承知の通り、肥料の過投によりまして、例えばいもちが出るとか或いは倒伏が起るという問題がすでに起つているのであります。地方的にはかなり過投になつているところもございますが、全体としてみて百五十万トン以上に伸び得ないということは私はないのではないかと思います。むしろ百五十万トンという消費水準を押えているのは、やはり硫安価格と農産物価格との関係から来ているのでありますから、こういうふうに私は考えます。又技術的に申しましても、御承知のように、例えば二毛作をやる。或いは水田を少くとも干田化するということになりますと肥料効果が非常に上るわけであります。従つて土地改良事業が進んで来るに従つて、肥料の消費量は技術的には殖えて行かなければならない。こういう性質を持つておるわけであります。そういう点から申しますと、土地改良事業がどこまで進むかということによつて、今後の肥料消費というものはかなり動くというふうに考えていいのではないかと思います。ただ今の御質問が硫安という形で出ましたので、ちよつと私はお答えしにくかつたのでありますが、技術的な問題から申しますとよく私にはわかりませんが、恐らく硫安をますます余計にやつて行きながら農業生産を高めて行く。こういうやり方は日本農業の発展の上から言えばかなり問題を残すのであります。例えば硫安の場合では、土地の酸性化ということが必ず付きものとして付いておる。而もこの戦後日本農業におきましては、有機質肥料の投入が非常に少くなりまして、化学肥料に強く依存するという傾向が強いために、地方がかなり衰えて来ているということをうかがい得るのであります。そういう点から申しまして、硫安だけに頼りながら生産を進めて行くということは、技術的には相当問題を残すのではないかと思います。従つて今後の肥料のほうから言えば、例えば硫安を尿素とか、例えば酸性を持たないような肥料に切替えて行く。こういうことが同時に考えられる必要があると私は信ずるのであります。併しこの単なる消費量という点から申上げますならば、先ほど申上げたようなことを申上げて差支えないのではないかと思います。
  44. 戸叶武

    戸叶武君 米の増産より麦の増産に重点を置いた場合に、農家の収入の面においてはどういうふうになりますか。
  45. 大内力

    公述人(大内力君) これは地方的にはかなり影響が出て来ることは申すまでもない。東北のような場合、単作地帯では如以に土地改良をやりましても、気候的な条件から言つて麦の裏作は殆んど不可能ですから、麦価の問題は直接そういうところの農家経済に響かないということになります。併し先ほど私が申上げましたのは、米価を下げろという意味はちつとも含んでいなかつたのでありまして、米価につきましては農家の再生産を一応償うべきだということを申上げたわけでありまして、それには麦価を引上げて行く、こういう形で麦と米とをさや寄せする、こういう考え方をしたわけであります。従つて単作地帯と言つても、十分な再生産を償うだけの米価を保障される二毛作地帯では、より有利な価格関係を得て、従つて農家経済改善されるということができるのではないかと思います。  ついでに申上げておきますと、最近の農家経済の動向から申しますと、御承知の通り東北地方の単作地帯は戦後皆生活水準が上つて来ているといつていいと思います。それから農家経済もかなり好転しているといつていいと思います。それに対しまして二毛作地帯、殊に関西は割合に生活水準の上り方が違い。そうして生産も割合に伸びない、こういう傾向を持つていると思います。従つて若しこの米麦価をもう少し適正に決定をして行くという考え方をしますならば、そういうこの農業の進歩におけるアンバランスというものも埋め合わせが可能ではないか、こういうふうに考えるわけであります。
  46. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 さつきの麦価の問題でありますが、麦の増産計画をやると、その結果増産されたら麦の生産費、従つて価格というものは相当下る見込があるかどうかという点と、それから先ほどお話だと、相当長期に見ればむしろ輸入食糧のほうが安くなる場合も考えられるというようなお見通しのようですが、そういう情勢になることを見通しても、なお且つ麦の増産をし、自給度を高めることがいいというふうにお考えになるか。いいとすればどういう意味でいいというふうにお考えになつているか、その辺一つお聞かせ願いたい。
  47. 大内力

    公述人(大内力君) 先ず第一の点から申上げますと、麦の作付を殖やすことによつて生産費を下げ得るかどうかという問題でありますが、これは私は二つの作用が働くと思いますので、ちよつと簡単に結論的に申上げられないのであります。二つの作用と申しますと一つは麦の生産力を殖やすと同時に、先ほど申しましたように、麦は技術的にまだ改良しなければならない余地が非常にたくさん残されている。そういうこの技術的な改良によつて恐らく生産費をかなり下げ得るという条件が出て来ると思います。ただ一方ではこの作付を殖やすということは、恐らくは今この作付が行なわれていない地方というのは、かなり限界生産力地に近いところが多いというように考えられるわけであります。これは土地改良事業や何かの進歩によりまして、その限界生産力地の生産力を高めるということも考えられますが、それにもかかわらず、作付面積を非常に殖やせばかなり限界に下つて来る。従つて限界生産費としてはむしろ大きくなるという傾向が出て来ると、こう考えられます。その二つの作用の中でどちらが大きいかということはちよつとすぐ私は結論的に申上げられないのでありますが、ただその限界生産力が下るという問題だけで取出して考えますと、これは麦価政策を適当に考えることによつて或る程度解決つくのではないか。例えば全体としての麦価を、例えば平均的な生産力水準のところできめて行つて、そうしてそれ以下の限界地だけに対して特定の補償金を出すというような形で解決することができはしないか、こういうふうに考えるのであります。この点は将来の見通しとしてはもう少し詳細な資料の検討をして見ませんと自信のあるお答えはできないと思います。  それから第二の点の国際価格が下る見通しがあるにもかかわらず国内の麦作を保護する必要があるかどうかという点は、これは全体としての問題にも関連して来るわけでありますが、先ほど申しました国内食糧増産をせざるを得ないというのが、今の日本状態だというところから、やはりたとえ国際価格が下つてもこの日本の麦作を保護して、生産を殖やして行く、こういう道をとらざるを得ないのではないかと、そういう結論が出て来ると私は考えるのであります。と申しますのは、つまり麦価が下つたといたしましても、今の日本貿易構造から申しまして外貨収支というものが非常に楽になるとは考えられないのでありまして、まあ特需が非常に減つて来るという前提を見込みますならば、恐らく日本外貨収支は数億ドルの赤字を出さなければ納りがつかないというのが現状だと思います。そしてそれでは輸出の増大によつてそれがカバーできるかといいますと、これも今の世界市場の状況、殊に中共貿易が遮断されているとか、或いは日本の工業の生産力水準が非常に低い。そういう問題を前提といたしますると、そう輸出を殖やすという見込もあり得ない、こう考えるわけであります。そこで仮に援助資金によつて、いつまでも日本の若済を繋いで行く、こういうことを考えれば別でありますが、とにかく日本経済自立をするということを前提といたしますならば、やはり輸入をかなり削減するということを考えなければならん、そういう点から考えますと、経済効果としてはまあ落ちるわけでありますが、併し経済効果が落ちましようとも、国内で生産できるものは国内で生産して行く。こういうことが止むを得ないフアクトとして日本の将来の経済に課せられる、こういう考え方を前提として申上げたわけであります。
  48. 戸叶武

    戸叶武君 麦への移行が盛んに説かれておりますが、やはり麦に重点を移すときに、あなたが言われたように副食物というものとの関連性においてこれを見なくちやならんので、そこにおのずから食生活の革命がもたらされなければならないというふうに思います。特に畜産との結付きを考慮せずに麦のほうにだけ移行することは極めて危険で、麦食民族における麦食を中心とした食生活と、東南アジアから日本にかけての米食を中心とした食生活の習慣というものは、長い聞そういう関係で布かれておると思うのですが、そういうふうに麦の増産というところに基点を置く場合においては、畜産というものとの睨合せをどういうふうに考えますか。
  49. 大内力

    公述人(大内力君) おつしやる通り、畜産物の増産と、それからそれによつてこの畜産物の価格殊にバターや牛乳の価格を下げて行く、こういうことが当然麦の消費を殖やす一つの前提として必要だというふうに私は考えます。これをどういうふうにすればできるかという問題はかなり問題だと思いますが、ただ一つの点だけ申上げておきますと、私は日本の畜産殊に酪農経営というもの従来うまくなかなか成功しなかつた。バターやなんかを作りましても御承知の通り輸入のバターよりも却つて高いようなものになつておる。こういう現象が出て来ておりますのは、日本の従来の酪農経営というものが購入飼料に依存するという傾向が非常に強かつたというところにあるというふうに考えるのであります。そこでやはり酪農経営というものはそれが健全に成り立つて而も畜産物の価格を下げて行く、こういうことを前提といたしますと、飼料を自給するような農業経営を考える。こういうことがやはり要求されて来るのでありますが、その飼料を自給するような農業経営というものは、結局今の日本状態から申しますと、水田作だけでは到底酪農は入らない、むしろ水田作に輪作形態を結合して行く、こういう考え方をせざるを得ないと考えます。例えば裏作に飼料作物を入れて行く、こういうことも考えられますし、或いは表作の一部を畑地違えしてそうしてそこに飼料作物を入れて行く、こういうことも考えられるのでありまして、むしろそういう意味において米よりも麦に重点を移して行くということが、畜産を導入する上におきましても却つて有利な条件を作り出しはしないか、こういうふうに私は考えるのであります、まあ畜産の増強そのものにつきましては、まだいろいろ考えられることはあると存じますが、今日は主として米価と麦価の問題だけを申上げたかつたので、その問題は殊更落したわけであります。決して私の真意が畜産を無視していいというところにあつたのではないのでありまして、むしろおつしやる通り畜産を非常に増強することが必要だというふうに私も考えます。
  50. 中田吉雄

    中田吉雄君 食糧生産に対する資本投下の効率といいますか、他産業との関連において日本の現段階において非常に他産業より投下資本に対する効率は少いのだが、情勢上止むを得ないというのでしようか、余り大差がないということになるのでしようか。若し非常に悪いというようなことになると、もつと有利な他産業に資本を投下して食糧輸入したほうがいいというような見解にも変るのじやないかと思うのですが、どうなんでしようか。
  51. 大内力

    公述人(大内力君) そういう投資の効率というものを正確に私も計算したことございませんし、恐らくそういう計算なかなか困難でありまして、的確にはなかなかでできないのじやないかというふうに考えますので、どちらが効率がいいかというようなことは一概にはなかなか申せないというふうに思います。先ほど申しましたように併し私が増産という点に割合に強く考えますのは決して経済的な効率という問題よりは、むしろ日本の置かれている条件からいつて止むを得ないのではないか、こういう考え方のほうが強いと申上げていいと思うのであります。それは先ほどは例えば外貨収入という問題だけを主として取上げて申したのでありますが、そのほかに考えられますことは例えば人口問題というような問題も考えられると思います。御承知の通り、若し工業に投資をいたしまして、そしてそれによつて生産力を高めるということになりますと、今の日本の条件からいえば、かなり多くの人員を整理しなければ企業の能率を高め、生産力を高めることができない、こういう条件が一般的にあるのじやないかというふうに考えるのであります。無論一度そういうふうに失業人口を非常に出しても、それによつて生産力水準を高めることができれば、例えば輸出が増大するというような形で生産全体の規模が大きくなつて、もう一度失業した者が吸収される、こういうことも考えられるわけでありますが少くともその前提として、一度いわば縮むという作用が伴わなければ日本企業の合理化というものはなかなかむずかしいのじやないか。そういたしますと、むしろ企業の合理化ということから出て来るものは、失業人口が非常に殖えるという問題が差当り出て来ると考えられるわけであります。ところが今の失業人口という問題は、統計上は割合に少く出ておりまして、二百万とか三百万とか言われておりますが、併しほかに失業対策事業で養われておる人口というものを加えますならば、恐らく六、七百万は楽にあると思います。そのほかに現在は農村におきまして御承知の通り潜在的失業人口というものを抱えているわけでありまして、これがどのくらいあるかという計算も非常にむずかしいのでありますが、大ざつぱに申しまして三、四百万のものは楽に抱えておる、こう考えていいと思います。かたがた併せまして今の日本の過剰人口というものは労働人口だけで申しまして一千万を超えているというふうに私は考えるのでありますが、そうなりますと、例えば農業を或る程度縮小させる、つまり経済的な効率だけから輸入に主として依存して農業を縮小させる。こういうようなことを考えますと、恐らく一千万が更に殖えるということになりまして、人口問題だけでも日本経済が潰れてしまうということにならざるを得ない、こう考えるのであります。無論農業におきましても本来の合理化という面からいえば、もつと農業人口を減らすということが要求されるわけでありまして、農業人口を抱え込んだままで、合理化するということは非常にむずかしいのでありますが、併しその点は恐らくは資本主義的な経営である工業の場合よりも、家族的な小経営としてやつております農業のほうが、全体としての弾力性は非常に大きいと思います。その全体としての弾力性の大きいところに少くとも差当りは或る程度の人口のプールを作つておく、こういう形で問題を考えて行く以外には、日本経済を維持して行くことは私は不可能だというふうに考えるのであります。従つて効率の点から言えばマイナスであるかも知れない。これもやはり止むを得ざるアクトではないかというふうに私は考えます。
  52. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 もう一つ先ほど土地改良と開拓の関係のことをお話がありましたが、終戦後土地改良或いは開拓に相当の金を注ぎ込んだと思うのですが、それの実績経済効果というようなものが実際にどういうふうに現れているか、対比してどういう感じになつておるか、その辺をもう少しお話願いたいのですが……。
  53. 大内力

    公述人(大内力君) この点も私資料も今持ち合わしておりませんし、非常に不勉強で、数学的に申上げるだけの用意をしていないのでありますが、ただ全く漠然たる感じで従つて申上げるより以外にはないと思いますが、開拓のほうから申上げますと、私は全国の農村をかなり広く歩いておりますが、それで見た範囲におきましては、開拓農家として成功しておる事例というものは恐らく極めて少いと言つていいと思います。そうして開拓地が、一つは大体において自然的な条件が非常に悪い。つまり山地が多い。従つて純然たる開拓地だけで入つた新たなる新植農家というものは、大体において非常に生活水準が低くて、食うや食わずの状態であります。そうして而も自分の食糧だけでできれば大出来でありまして、それさえできないというような事例が非常に多いのであります。それに引き比べますならば、いわゆる増反開墾というつまり既存の農家が経営面積を拡大するという意味で開墾した所は、まだ経営もよく行つておりますし、生産水準も高いと思いますが、併しこれも先ほど申上げましたように地理的な条件が非常に恵まれておる少数の例外は別でありますが、大体において増反をしようとしても、相当離れた山地を開墾しなければならない。そういう所になりますと、実際は農家としては、肥料を運搬しないで、いわば掠奪農業的にやり得る限りでは、経営を続けることができるわけでありますが、排しだんだん肥料がつまつて参りますと、事実上運搬やなんかの労力が非常に嵩んで参りまして、経営が非常に困難になつて来る。そこで結局そういう所を又放棄して木を植えてしまう、こういうような事例も私は幾つか見ておるのであります。そういう印象を綴り合わせて考えますと、開拓というものはなかなか効果が上らないのじやないか。失業救済にはなつているかも知れませんが、大体において自分の食うものだけでもできれば大出来であります。余剰生産物ができて来るというところまではなかなか行かない、こういう気がするのであります。ところがそれに対しまして土地改良事業、殊に暗渠排水をいたしまして、湿田を乾田化する、こういう問題は、これは古くから行われているところでありますが、それを行えばそれだけの生産性の向上、殊に反当収量の向上というものが見られるということは、幾多の事例があるわけでございます。そして先ほど申しましたように、乾田化することによつて、例えば肥料効果を非常に高めて表作の反当収量も高まるし、その上に更に裏作を加えることができる、こういう形でこの生産力を高める上においては非常に大きな効果がある、こういう気がするのであります。先ほど申上げました開拓よりは土地改良に重点を置いたほうがいいのではないかというのは、そういう印象を基礎にして申上げたわけでおります。
  54. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 今の土地改良、或いは開拓について……これは資料の請求ですが、委員長にお願いするのですが、終戦後土地改良及び開拓にどれくらいの資金を注ぎ込んだか、そうしてそれの経済効果が現実にどう現われつつあるかという点の詳細な調査、数字的な実績、そういうものを出して頂きたいと思います。この点は前々国会あたりからたびたび繰返しお願いをしているのですが、まだ一遍も出て来たことがないと思いますので、今度は厳重に御提出を願いたい。今大内先生の御指摘もあつたので、非常に問題を含んでいる点であると思いますので、是非一つ出るようにお取計らいを願いたいと思います。それからなお予算委員会の要求資料一覧表を頂いておりますが、その後いろいろ質問の過程において要求した資料も相当あるかと思いますので、それらのものを全部整理した資料一覧表と、それからすでに出て来たもの、或いは未提出でも話合いがどの程度に進んでるのか、或いは全然出て来る見込みがないのか、そういう点の一応の資料一覧表の整理とその後の進捗状況とを一両日の間に御報告を願いたいと思います。
  55. 青木一男

    委員長青木一男君) 初めの問題は、政府のほうへ要求いたします。第二の問題は、今朝ほど私、当局にその用意を命じておきましたから、成るべく早く実現いたしたいと思います。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時五十二分散会