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説明員(岸盛一君) この百九十九条の第二項に逮捕状発付の要件として消極的な
規定として明らかにその必要のないときは、明らかに必要のないときにはこの限りでないという
規定にな
つたようであります。そこで逮捕状発付についての必要性の判断ということにつきまして、裁判所としての
考え方を御説明申上げて御参考に供したいと思います。
この逮捕状の制度は御
承知のようにアメリカのヴオラント・オブ・アレストの制度と申しますか、アメリカの逮捕状制度をとり入れたものらしいのであります。で
捜査の最初の段階において、裁判官の逮捕状、令状によ
つてでなければ逮捕されない、そういう
意味で非常に
捜査手続における、殊に逮捕
手続における国民の
人権の保障という
ことが
考えられていることは当然であるわけであります。殊に憲法が令状主義、人身の拘束についての令状主義という
建前をと
つておりまして、それを受けてできているのがこの逮捕状の制度である、さように
考えられるわけであります。
ところでこういう制度になりまして、逮捕状は常に裁判官が出すということにな
つて、果してどの
程度国民の、
被疑者の
人権が保障されるかということは、この逮捕状発付の制度だけではなく、これと関連する
捜査手続の全体の仕組、それから逮捕状の
性質というものと関連して
考えなければならない問題なのでございます。同じ逮捕状という名前を持
つておりますけれ
ども、アメリカにおける逮捕状と、それから新刑事訴訟
手続における逮捕状というものは、その
性質がまるで
違つているということが
一つ大きな点なのでございます。この憲法が裁判官によ
つて捜査の行過ぎをチエツクするというやり方、これが新刑訴では、この逮捕の段階では、逮捕状の制度というものとして現われております。これは確かに旧刑訴に比べますと、例の行政検束とか、或いは違警罪即決処分を利用して
被疑者の取
調べをしたというようなことは、この逮捕状制度の下では行われなくな
つたという
意味で、旧刑訴法に比べますと非常に
人権保障の線に添
つていることは明らかであります。鶴が併しながら御注意頂きたいことは、
捜査手続、殊にこの逮捕状を出すときに、裁判官がどの
程度捜査事件にタツチしているかという点なのでございます。アメリカの逮捕状と申しますのは、これは
捜査機関がやはり裁判官に請求して発付を受けますが、この逮捕状の内容というものは、逮捕をしたらその
被疑者を裁判官の面前に連れて来い、
自分の面前に連れて来いという
意味の命令なのでございます。
捜査機関がその逮捕状を受けて、そうして
被疑者を逮捕しますと、裁判官の面前にその
被疑者を連れて行
つて、そこで証拠を出して、そうしてこの逮捕者がこういう
犯罪を犯したということを一応立証しなければならないわけなんです。その
手続は公開の法廷でやる。つまり予備審問というふうに申しております。アメリカでも逮捕状は多くは書面審査で出されている。而も逮捕状発付の要件は、
被疑者が
犯罪を犯したことを疑うに足る合理的な
理由があればそれを出す。州によ
つてはそれが裁判官の義務であるという
規定も置かれている。逮捕状のほうはそういうふうに書面審査で出しております。それは必ずしも書面審査でなくて、証人をそこへ連れて来るということもやれるような
立法の州もあるようでありますが、併し全体的には逮捕状発付の要件は、新刑訴の逮捕状発付の要件として変らないのであります。併しながら大事なことは、裁判官が行過ぎをチエツクする、大事な点は逮捕状発付の点ばかりではなくて、先ほど申しました予備審問です。逮捕状によ
つて逮捕した
人間を裁判官の面前に連れて来て、そこで逮捕した者に対して或る
程度の立証をさせる、裁判官がそこで提出された証拠、これは場合によ
つては証人を連れて来て、そこで証言をさせるということもやるわけですが、つまり公開の法廷でやるわけでありますが、その際に、裁判官がこれは将来有罪の判決を得る見込がないというふうに
考えますと、すぐ即座にそこで
被疑者の釈放を命ずるわけであります。そこで
被疑者は釈放される。でそうでない有罪の見込ありという者、これに対して裁判官が
勾留状を出す、そうなりますと検察官がすぐ簡単な、簡易の起訴
手続による場合もありますし、又更に
事件の種類によ
つては起訴陪審にかける。そうして
被疑者が起訴されて
被告人にかる。こういうふうな仕組でありますから、その予備審問の段階で裁判官が被疑
事件のほぼ全貌を調査して、そうしてこれから先
手続を進めることを許すかどうかということを審査して、そういうことがいかんというときには、直ちに釈放を命ずる。これこそが
本当の裁判官による
捜査の行過ぎを抑制する作用だということができるわけなんです。このように
捜査の機構がそうな
つております。又逮捕状の
性質も、それをつかまえて警察へ行
つて調べていいという日本のような逮捕状ではなくて、先ず裁判官のところに連れて来いという裁判官の命令なのです。そこに大きな違いがあるということを
一つ御留意願いたい。
それからこの新刑訴の
手続は、これは逮捕状の制度というものを取り入れましたけれ
ども、今申上げましたような事情で、これはいわば換骨奪胎してとり入れた制度と言
つても止むを得ないと思います。而も
捜査の仕組みは、先ず逮捕状によ
つて警察で四十八時間
調べる。それから検察庁へ送
つて二十四時間、検察官が更に
勾留を請求して、
勾留状が出ますと十日、それが更に
延長されると十日というふうな仕組み、これは旧
刑事訴訟法時代の
捜査の仕組みとそう大して変
つていない。つまり裁判官が
捜査手続に介入する余地というものはアメリカと比べますと格段の相違がある。日本の仕組みの下では、裁判官はただ令状を出すだけである。そしてその令状がどう使われるかということについては、裁判官は何らそれを、もう一旦令状を出した以上は何ら
捜査手続に介入する権限、余地というものは認められていない。そういう点に大きな違いがあるわけです。ですから逮捕状の
性質というのがアメリカのような制度になりますと、逮捕というものは
捜査の終りなんです。
捜査機関がいろいろ
捜査して、これに間違いないとい
つて証拠を揃えてとにかく逮捕状を得て、そうして裁判官のところに連れて行
つて裁判官の面前で、公開の法廷で立証するという仕組みですから、
捜査の終りと言
つて差支えないと思います。ところが日本のこの新刑訴訟の
捜査手続の仕組みの下ではそうは言えない。むしろ逮捕は
捜査の始まりというふうに見られるべきものじやなかろうか。そこに非常に逮捕状制度についての非常な違いがある。一番憲法が
考えております裁判官によるつまり
捜査の行過ぎのチエツクということ、これが現行刑訴の下では十分に
考えられていないと言わざるを得ないと思うのであります。ただこう申しまして、も果してどういうふうに
捜査手続きをこの際やるかということはこれは又別問題で、これは又大きな問題、
捜査の技術とかそれから
捜査の実態、そういうものがアメリカと日本とでいろいろ事情が違うと思いますから、すぐアメリカ式のものを日本に持
つて来て、それでうまく行くとかと、そういうことは簡単には
結論することはできないと思いますが、併し少くとも
捜査手続の仕組みについて、もつと根本的に
考える余地があるのじやなかろうかということは申上げることができると思うのであります。
そこで、次に現行刑訴の百九十九条を見ますと、逮捕状発付の要件とし凌しては、
被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な
理由があれば逮捕状の請求ができるとだけを
規定してある。つまり逮捕状発付の要件は、
犯罪の嫌疑について相当の
理由があればよいというふうに
規定されておるのです。その百九十九条の
規定から、その際に
犯罪の嫌疑があ
つたということのほかに、つまり逮捕状を出して
身柄までも拘束しなければならんかどうかの判断、つまり逮捕状発付のつまり必要性の判断というふうに呼んでおりますが、その必要性の判断が裁判官にあるかどうかということが
議論にな
つておるわけなんです。その
議論になります
理由は、百九十九条の逮捕状の
規定と六十条の
勾留状の
規定と比較して見ますと、
勾留状の発付要件としましては、罪を犯したことを疑うに足りる相当の
理由のほかに、
被告人が住居不定である、或いは逃走の恐れがある、或いは罪証隠滅の恐れがある、そういう六十条の一項の一号から三号までに
規定されているそういうものが
勾留の
理由として更に附加されている。ところが逮捕状についてはそういうような
規定がない。先ほど申しましたようにただ「罪を犯したことを疑うに足りる相当な
理由」、
犯罪の嫌疑だけしか
規定されていない。そういうような
条文の
規定自体からそういう逮捕状を出す場合に、
被疑者は住居がはつきりしてお
つて逃げる恐れがない、或いは罪証の隠滅もないから逮捕状を出さなくてもいいじやないかというような判断権が裁判官にあるかどうかという、この点が
議論にな
つておるわけなのであります。学説の傾向としましては裁判官に判断権がないという
考えが強いように思います。その反対に必要性の判断権があるという学説、これも無論有力な学説もあるわけであります。併し有力な必要性の判断権があるという学説も、やはり無
条件に必要性の判断ありとは申しません、と言いますのは、つまり裁判官はその段階において
事件の全貌を知ることができないことから、逮捕の必要があるかどうかについては十分
捜査機関の
意見を尊重しなければならない、そういうふうに説明するのであります。これは必要性の判断権があるという学説でも、ただ野放しに裁判官の自由にきめるのだというふうには申しませんで、やはり
捜査の過程においては、
捜査機関の
意見を十分に尊重しなければならない、そういう制限付きの判断権というものを認めておるわけなのであります。これが
本当の裁判官による
捜査の行過ぎのチエツクに果してなるかどうか、そういうことになりますと尊重しなければならん。どうかと疑われる場合には、やはり
捜査機関の意思を尊重しなければならないということになりますならば、事実上必要性についての判断権がないということと同じになりやしないかというふうに思われるわけなのであります。
ところで裁判所の実際も、この点は非常に逮捕状の濫発という世間の声、これはもう常に問題にしていろいろ
考えておるのですが、
規定の正面から言えば、先ほど申しましたような
理由で
勾留状発付のときのような要件まで
調べることはできない。併しながらただ必要性の判断権がないと言
つただけでは、折角憲法が令状主義というものを、
原則として裁判官によ
つてチエツクしようという趣旨が全然無視される。そこで実務の大体の傾向としましては、
条文上の根拠がありませんけれ
ども、明らかに逮捕の必要がないと思われるような場合、これは逮捕請求権の濫用であるという
考えで、逮捕状の請求を却下する、そういう
考え方をと
つておるわけなのであります。
どういう場合がそういう場合に当りますかと言いますと、よく実務の上で問題になりますのは、いわゆる例のたらい廻しといいますか、たくさん、先ず
一つの罪で逮捕状を請求した。それが起訴の途がなくなると、今度又別な罪で逮捕を請求してやるというふうにして、事実上そうや
つて逮捕による拘束の
期間を長引かせるというやり方、そういう疑いのある逮捕状の請求がありますと、これは逮捕権の濫用であるというふうに
考えて却下するのであります。そのほかにも
犯罪の軽重とそれから情状等から見て全然拘束までして
調べなくてもいいじやないかということが明らかな場合にはこれも却下する。実例上はそういうふうにして逮捕状による
捜査の行過ぎというものをチエツクいたしておるわけなのであります。併しそう申しましても、何分にも
条文上の根拠があ
つた上ではないことでございますので、この点が今度
条文の上にはつきりなりますと、裁判官は勇気と決断を持
つてそういう場合をどんどん処理することができる、さようなことになるわけであります。その際に
捜査の仕組みが先ほど申しましたような
捜査の仕組みにな
つております。裁判官が
ちよつとおかしいと言
つただけで、必要性について
ちよつと疑義を持
つたということだけでぼんばん逮捕状を蹴るということになりますと、これは又
捜査を妨害するというような虞れも起きるわけです。そこでアメリカの予備審問における裁判官のように、
事件の全貌をすつかり
調べ上げた上で判断するという仕組みなら格別、そうでない先ほど申しましたようなこの性格の現行
捜査手続の下では、
捜査手続の冒頭の逮捕状だけによ
つて、それだけによ
つて捜査の行過ぎを十分にチエツクできるということは、制度自体から言
つてやはり無理な点があるのじやなかろうか。又こういう仕組みの下で、余り
捜査の段階で裁判官が
捜査手続に介入するということも、今のこの仕組みを前提としては、これはむしろ不可能である、疑問であると言わざるを得ないのであります。そういうわけで、この
但書のようなことがはつきり
条文化されますならば、従来解釈で、裁判官の頭の中の操作だけでや
つたことが、
条文上の担保を得るということになりまするので、この点が非常に改善されることになろうと思うのであります。
そこでなお御参考のために先ほど申上げましたようなこのアメリカの逮捕制度の下においても、やはりアメリカでも逮捕状は無差別に執行されるという非難があるのです。まあ日本で言いますと、逮捕状が濫発されているという非難がアメリカですらあるわけなんですが、それは何を言いますかといいますと、その
捜査の当初の段階においてそう裁判官にチエツクしろと言
つても事実上できないと言う、
捜査の最初の段階ですから……。これが公判
手続のように裁判官が
事件について審理を進めて行きますと、この
被告人の
身柄を釈放していいか、もつと
勾留を継続しなければならんかということが裁判官にはよくわかる。ですから、
勾留中はもう保釈とか執行停止ということは、裁判官の責任において自由にできるのであります。
事件の実体について審理しない、裁判官が審理しない
捜査手続の下においては、そういうことを裁判官に期待するのは、まあ十分に期待は持てないと言わざるを得ないと思うのであります。そこでアメリカでも逮捕状の濫発という非難がありますが、この濫発というのは裁判所が出すという
意味の濫発じやなくて、逮捕権の無差別な執行という言葉でそれを言
つております。
法律上の逮捕権が認められたからと言
つて、それを無差別に執行するのはよくない、そういう
意味の逮捕状の無差別に対する濫発ということが言われておりますが、それに対する対策としてアメリカで
考えられておることは、
一つは逮捕状の請求を受けた裁判官が逮捕状に代えて召喚状を出す、
身柄を拘束しなくても強制的に出頭を命ぜればいいじやないかという
意味で召喚状を出すというやり方でございます。併しこれは先ほど申しましたように、アメリカの逮捕状は裁判所に
被疑者を連れて来いという命令ですから、召喚ということも可能なわけであります。
それからもう
一つの第二の方法としてとられておりますのは、逮捕状の請求をするについては検察官のアプルーヴを得て来い、そういう制度であります。これは
立法として
条文が出ておるかどうかはつきりいたしませんが、まあ文献によりますと、ミズウリー州では、すべての
犯罪について逮捕状を請求するときは、先ず検察官のアプルーヴを得た上で請求しろと、そこでつまり
法律的な教養のより高い検察官の手を経て不当な逮捕状の請求をチエツクするというやり方、それから又或る州ではすべての
犯罪ではなくてまあ
重罪、
重罪については必ず検察官のアプルーヴを得なければならない。そういうふうなことをや
つて、この逮捕状濫発に対する対策ということを
考えられておるのです。
それからもう
一つ、この逮捕状について御注意願いたい点は、この日本の制度の下における逮捕状は、アメリカのように裁判官のところに連れて来いという命令ではなくて、逮捕の権限を付与するという、まあ許可を与える、一種のこれは広い
意味では裁判になりますが、逮捕権があるということを認めてやるという
性質のもので、逮捕しろという命令ではないわけなんです。でありますから、逮捕状を得た
捜査機関がそれを、逮捕状を行使するかどうかということは、やはりその
捜査機関が十分
考えて行使しなければならない。逮捕状を得た当時は逮捕しなければならんような情勢であ
つたとしましても、一週間たち二週間た
つて、逃亡の虞れもなければ、罪証隠滅の虞れもない。
身柄を拘束するほどのこともないということがはつきりした場合には、むしろそういう場合には
捜査機関が令状を行使しないで、自由な任意な
捜査をや
つて然るべきものじやなかろうか。殊に逮捕状についての必要性ということを問題にいたしますが、逮捕状の必要性についての一番大事な点は発付についての必要性、もとよりこれは、必要のないものをどんどん出すということはいけませんが、更にその先の段階の執行のときの必要性、それをやはり
考えなければならん。これは併し
捜査機関の内部のやはり自粛によ
つてや
つてもらう以外にはない。
まあさようなわけで、この同じ逮捕状という制度を持
つて来ましても、その内容というものはまるで違う。
性質が違う。根本的に
捜査手続の仕組みが違うと、そういうことを併せてお
考えの上この
法案についていろいろ御
審議頂ければと、まあ御参考までに申上げたわけであります。