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1953-07-31 第16回国会 参議院 文部・水産連合委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月三十一日(金曜日)    午後二時十七分開会   —————————————  出席者は左の通り。   文部委員    委員長     川村 松助君    理事            木村 守江君            八木 秀次君    委員            大谷 贇雄君            剱木 亨弘君            谷口弥三郎君            吉田 萬次君            高橋 道男君            安部キミ子君            相馬 助治君            深川タマヱ君            長谷部ひろ君   水産委員    委員長     森崎  隆君    理事            秋山俊一郎君    委員            青山 正一君            森 八三一君            菊田 七平君   国務大臣    文 部 大 臣 大逹 茂雄君   政府委員    文部省大学学術    局長      稻田 清助君    文部省管理局長 近藤 直人君   事務局側    常任委員会専門    員       竹内 敏夫君    常任委員会専門    員       工樂 英司君    常任委員会専門    員       岡  尊信君    常任委員会専門    員       林  逹磨君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○教育文化及び学術に関する一般調  査の件  (東京水産大学校舎に関する件)   —————————————
  2. 川村松助

    委員長川村松助君) 只今から文部水産連合委員会を開会いたします。慣例によりまして、不肖私が委員長の席を汚します。先般の連合委員会において関係事務当局から説明を聴取いたしました結果、結論的には次のことを申合せいたした次第であります。本件に関する各種関係の統一を図る当面の責任者である文部大臣から当連合委員会に報告をして頂くということでありました。その時期については今月の末ということでありましたので、水産委員長協議の結果、本日連合委員会を開会いたすことになりました。文部大臣説明をして下さることになつておりますから、どうぞ文部大臣の御説明を先ず聞いて頂きたいと思います。
  3. 大逹茂雄

    国務大臣(大逹茂雄君) 先般の当連合委員会におきまして御質問があり、又御意見のありました水産大学校舎の整備に関係いたしましては、その後関係各省の間で協議をいたしまして、その結果大体次のようなことに政府意見がまとまりました。それを申し上げます。  久里浜にありまする東京水産大学校舎の一部として、品川にある旧海軍経理学校施設の一部を使用することに関しましては、すでに関係当局の間に了解が成立しておりまして、昭和二十九年四月の新学期までに一部移転ができると考えております。要は代替施設建築完成の時期如何にかかつておるのでありまするが、この件は建設省積極的協力が得られる見込みであります。  次に久里浜残存部分でありますが、これは現に保安庁使用しております越中島の元東京水産大学施設並び品川の旧海軍経理学校残余施設のうちで、いずれか早く使用ができるほうへ移転をするように考えております。それで現に保安庁使用しております元東京水産大学施設明け渡しは従来からしばしば交渉を重ねておつたのでありますが、保安庁のほうといたしましては予算の削限等の困難な事情がありますにもかかわらず、庁舎の移転に努力をして昭和三十年三月末までには実現が可能のはずであります。又品川にある旧海軍経理学校残余施設の転用につきましても目下のところその返還の時期は予測し得ないのでありますが、最近朝鮮において停戦協定が成立をいたしましたので、必ずしも遠い時期ではないと考えておるのであります。
  4. 川村松助

    委員長川村松助君) 御質疑のあるかたがありましたならば御発言願います。
  5. 森崎隆

    森崎隆君 品川の一部を充てるというのですが、この一部は具体的に敷地幾らで建坪は幾ら、又ここに収容できる学生の総数並びにこの施設は現在は住宅ですか、宿舎か何かのように聞いておりまするが、これを教室に改修りるための費用、そういうものをできますならばちよつと具体的な数字でお聞かせ頂きたいと思います。
  6. 近藤直人

    政府委員近藤直人君) お答えいたします。品川の元海軍経理学校の一部かこのたび解除になるわけでございますが、その坪数は、敷地といたしまして約一万七千坪、建物といたしまして約四千坪でございます。  なおそれに収容いたしまする水産大学学生は大体後期の二年を予定しておりまして、その数は約五百名でございます。
  7. 森崎隆

    森崎隆君 それでここにいる駐留軍かたがたがどこかへ引越されるために四億でございましたか、の金が必要であるということで、まあ建設省でもすでにこれの建築を実施するというお詰合いができ上つているようでございますが、その四億でやはり改めて駐留軍宿舎をどこかに建てるわけでございますね。それは大体何坪ぐらいをどこに建てるか、これは文部省とは別個でございますが念のためにお聞きしたいと思いますが、おわかりでありましたら。
  8. 近藤直人

    政府委員近藤直人君) その一部分解除に伴いまして代替施設を建てるわけでございますが、これは場所といたしましては大体現在の海軍経理学校附近でございまして、つまりそこに建てますことによりまして将来水産大学があの場所に設備された暁におきまして何ら支障にはならない場所でございます。又その坪数はたしか四千坪と聞いておりますが。
  9. 森崎隆

    森崎隆君 そうしますれば、現在駐留軍がおりますこの宿舎と大体同じ坪数でございますね。それに大体四億ほどかかるわけでございますね。それで文部省におかれましては、当初からいろいろな案もお考えになつたようでありまするが、今の同じ品川の区劃の一部に宿舎建築するということになるわけですね。それを聞きまして非常に心配をいたしたのでございまするが、併しまあ将来そこに水産大学が全面的に移転をいたしましても、何ら支障を来さないというお言葉もございまするので、一応は安心いたしまするが、ただその四億という金は、別に文部省関係のない金ではございまするが、何かこれをもう少し有効な使い方をすれば、別にもう一つの案ができるのじやないかという考えを私持つたのでございますが、そういう、その案はあとで申上げてもいいと思いますが、文部大臣のほうではお考えになつたことはございませんかどうか、伺いたいと思います。
  10. 近藤直人

    政府委員近藤直人君) 当初水産大学移転候補地といたしまして、この東京QM本部つまり元海軍経理学校の跡を着目いたしまして交渉に当つたわけでございますが、それが現在一部使用なつている、それが解除になつた暁には恰好な地であるという判断の下にこの土地を要望して参つたのであります。ところでその代替施設を作らねばならんということになりまして、その代替施設に要する経費が先ほど申上げた四億という話合いが際に、実は事務的に申し上げますと、四億の金がかかるくらいならばこの土地ではなしに、ほかのどこかの場所水産大学校舎を別に新築したらどうかというような話も実は事務的に出たのでございます。併しながらそう申しましても恰好な場所がなかなか得られませんので、又仮に四億がそれでは文部省予算水産大学のためにつくかと申しますと、必ずしもそれが見通しも困難でございますし、一応の話としてそういう話も出たということでございまして、只今のところでは、やはりこの元の海軍経理学校の跡に集約することが一番適当である、その場所柄といい、又位置といい、或いは又将来水産大学の発展のためにもこの場所が適当であるという判断であそこに決定されたのでございます。
  11. 森崎隆

    森崎隆君 この四億という金と、それから坪数生徒人員等考えますると、私は全面的に水産大学校舎というものを全部新築をするという方途が必ずしも困難ではないというような観点に立つわけなんです。これは元は私も学校、小さい学校管理したことがございまするが、戦災で焼けまして生従がニカ所乃至三カ所に、たとえ一つの市内におきましても分れて教育を受けているという姿は、実に悲惨なんです。これは何としましてもやはり一カ所に、たとえ狭まくとも一カ所におりますことは学校長として最も望ましい姿だと私は考えるわけです。これは自分の体験からでも、このことは鉄則として考えても間違いがないという管理上の必須条件だとも考える。そういうことを一つの前提には置きまするが、これまで、現在まで、現在もそうですが、水産大学久里浜で辛棒しています。あそこの坪数はあれは幾らでしたか。やはり四千坪ぐらいだろうと思うのですね。とにかくその中に千人も押し込めて、便所を実験室にまでしまして、四千坪の中にとにかく一千人いる。それでもやはり学校長としましては、やはり五千坪ずつをニカ所に分けて、二カ所で管理するよりも、狭いながらも一つ家で一年から四年生まで一緒管理しておるほうが、管理方式としては最も望ましいと思います。そういう観点に立つて辛棒しておる。ほかに辛棒する理由は随分あろうと思いますが、そういうところで、学校運営も或る程度できるのじやなかろうかと思うのです。そこで今ここで管理局長お話にもあつた、大体六棟で四千坪ほどあけて頂ける、今度そこに後期の二年生五百名くらいが入るので、従つてあとの前期二年生の五百名が久里浜に残る。校舎としてはですから非常にゆつくりいたします。それはわかりますが、併しそういう校舎がゆつくりしても、半面管理上の責任は、学校長として私は絶対に責任は負えない、どんな事態が起きましても負えない、私が学校長であつたら、やはり文部大臣はつきりと断言できると思います。非常に自分責任を逃れるようで恐れ入りますが、絶対できません。これは学校長として当然言うべきだと思います。随分八年間辛棒してやつて来たのでございます。そこで私はこれは一つの私案、或いは思いつきに過ぎないかも知れませんが、この六棟に駐留軍が何百名今までに宿泊していたかわかりませんが、少くともその六棟分におつた駐留軍兵隊が、今度品川の他の一角に、将来水産大学が固まりまして、完成した暁でも、少しもこれをデイスターヴしないという箇所に新らしくバラツクを建てる、その費用が四億要ると、私は何名いるか知りませんけれども幾ら何でも、余りにこれは……、アメリカの文化水準従つて建てるのだろうと思いますが、我々から考えますと、この八年間、とにかく借り放しで、生徒が随分苦労して来て、その暁にやつと或る程度教室をそこにもらうといつた暁には、八年間使い古したその校舎を渡しまして、今度は我々から言えば御殿のようなところに兵隊さんが入つて行く、その金が四億というのは、やはり日本人としては割切れない気持がするのが常識です。同時に、やはり国家予算の四億だと私は考えるわけです。そこで私が考えまするのは、例えば現在四千坪で辛棒しておりまするが、これを少し拡張して、一千人を入れるのにまあ六千坪くらいの建物を提供すると、現在の久里浜よりは二千坪殖える、運動場なんかは又あと考えても、その六千坪のものを、若し水産大学のために建ててやつて、そうして二十九年度以降において逐次少額ずつの経費文部省でとつて頂いて、あとを十年計画ぐらいで、あとに千坪要るとすれば、それを毎年二百坪ずつでも殖やして行くという計画でもすれば、非常にこの金額も少く済むのじやないかと思います。六千坪で、たとえこれが鉄筋コンクリートで、若し三階建に建てるといたしましても、坪単価は七万ぐらいにいたしましても、四億二千万円で、水産大学は完全にこの品川一角鉄筋コンクリートで建てて、そこで全員移転が完了できるように考えられる。そこで駐留軍のところはあとの六棟のところに現在通りつて頂いて何ら支障はない、これまで辛棒していたものが、朝鮮休戦によつてもう辛棒できないという馬鹿なことがあろうはずはない。而もその六千坪を鉄筋にしなくとも、木造で、モルタルくらいでやりまして、半額三万五千円くらいの坪単価でやれば、私は大体建つのじやないか。三万乃至三万五千円、内部の施設を充実いたしましても四万円くらいあれば、大体できるのじやないか、それで一挙にやりますと四万円かかるといたしましても、六千坪で二億四千万円の金があれば、ごつそり明け渡し、二十九年三月三十一日までには、今建設省でやりますと、二億四千万円の金で水産大学学生が全部品川のどこか一カ所、運動場なんかなくともいい、一カ所だけ確保して、全員そこに移つて、統一した一人の学校長の下で、学校長一人ということの裏付としての実質的な教育管理が私はできると思う。こういうところに、できますならば私は文部省として目をつけて頂いて、そういう計画をして頂きたいという気持が実はあるわけなのです。ただこの金が、これは文部省で握つている金じやないし、軍関係の金だし、どうにもならないというところにはいろいろな技術的な、これは折衝の結果、途はあろうと思うのです。これは文部省のやる金ではないと言えば、何とかほかにも、文部省自体にも相当言い分はあるのです。越中島にしても、過去何年間、とにかくああして使つていると、別に国家の大きな機関同志の間だから貸借関係がどうということはなかろうと思いますが、そういうときには貸借関係はないが、予算においては文部省文部省建設省建設省保安庁保安庁ということでは、私どもどうも納得行かない。これからどんどん大きくなつて来て、日本の非常に優位な、中心的な、海洋関係その他の仕事に行くこの若い青年ですね、やはり日本文化国家としての建前から行きましても、学生にはもう少し今と変つた変つたじやない、進んだ文化的な施設の基盤の上に立つて、新らしいやはり教育をそこにさせてやるのが、私はやはり文部大臣責任じやなかろうかと思いますが、今のように考えますと、どうもそういう案を文部省で本腰を入れて御研究頂きまするならば、これは私は筋の通つた話ではないかと思うのです。保安庁にしましても、或いは外務省にいたしましても、それは絶対にならないと若しおつしやるとすれば、どういうところが不可能なのか。例えば、この一万七千坪以外の土地は絶対に学校には譲らないのだ、これは軍の作戦上と言えばそれつ切りでございましようけれども、そんなようなことは私は言うはずはない。一つ兵站基地、非常に遥かな兵站基地、そこに現在一応は戦闘に従事しておる現在でございますから、若し本当に長い間迷惑をかけた大学のためを外務省なり保安庁というもの又現政府考えるならば、何とかそういう途を解決して、まあ土地も確保できるじやないかという気持でやつて頂きまするならば、これは私は途は通ずるのではなかろうかと思うのです。そういう点に顧みまして、これまで御研究されたことがありますか。若しないといたしましても、今後是非私としては、これは一応研究をして頂きたいと実は思うわけなんですが、そういうような私の私見でございますが、これにつきまして、今すぐにどうとは言えませんけれども大臣なり、局長のほうで、何かこの考えについて一つの希望でも持たれるようでしたら、なお一つ考える余地があるとか、全然そういうことは考えられないという、今観点に立つのでしたら、そこにそれ相当理由があろうかと思います。そういう点についてもこれは忌憚なく、必要によりましては速記をとめても結構ですが、お互いにざつくばらんな気持で、要するに、私たちこう申しておるのは別に他意あるわけではない。大学生徒が長い聞苦しんで来ておる。私もそういう気持は実際よくわかつていますので、この際一つできるだけ、これはやはり政府責任上解決して行きたい、我々もそういう意味で一臂の力をお添え申したいという気持以外にないわけで、これにつきまして、これはどうしても不可能だという正当の理由がありますれば、私は引つ込みますけれども、何とか一つ研究をして頂きたいと、実は考えるわけであります。
  12. 近藤直人

    政府委員近藤直人君) お答えいたします。水産大学只今久里浜におつて非常に苦労しておりますということにつきましては私どもも実に遺憾に存じおります。含までいろいろと方策を講じて参つたのでございます。尤も私は昨年からでございますが、いろいろ苦慮して参つたのでございますが、幸いにして旧軍本部つまり元海軍経理学校の跡が恰好の地であるということになりまして、ここへ水産大学移転するのが適当であるという判断の下に今日までいろいろ計画を進めて参つたのでございます。そこで、できますれば一挙に水産大学久里浜から全部ここへ持つて来るということが理想でございまして、実はそういうことで折衝を続けて参つたのでございますが、遺憾ながら只今お話し申上げましたように土地としては一万七千坪程度建物としては僅か四千坪ということにとどまつたので、理想といたしましては土地が約四万坪、建物は約九千坪というものを欲しいわけでございますが、遺憾ながらそういう程度にとどまりましたので、今日水産大学といたしましては全部移るわけには参りませんので、結局久里浜に一部残りまして、一部品川に移るということになるかと思います。従いましてその間学校管理上非常に御苦労が多いことは想像されるのでございますが、そこで只今お話のように、この附近に新たに建物を作ることはどうかという御意見でございますが、それも一つのお考え方ではございますが、併しながらこの地図を見ますると、これは建物配置状況からいたしまして、ここに更に建物を前方の運動場と予定される場所に建てますることは非常に工合が悪いというのでございます。これは専門家意見によつたのでございますが、又将来この地が更に拡張されまして、解除されるという、或いは全面的に解除されるということを予想いたしましても、今すぐここに木造なり鉄筋なりの建物を建てるということは如何にも無駄ではないかという意見もありまして、実はさような御意見があるので一応検討いたしたのでございますが、一応この際といたしましては、それは差控えるべきであるという結論に達したのでございます。併しながら只今水産大学の参りまするこの海軍経理学校建物相当古うございます。実は先般も調査に参つたんでございますが、相当古くなつておりますので、修繕費等相当にかかるのではないかというように考えております。なおその修繕費につきましては只今水産大学に対しましてその予算を要求するように伝えておりますので間もなく出て来るかと思います。それよりまして私どもも更に大蔵省とも折衝いたし、将来予備金なり補正予算でこの予算を取るつもりでございます。ともかくこの一部移転しますこの建物を補修しまして移るということが先ず先決問題ではないかというふうに考えておりますので、お話のような計画につきましては只今は少し差控えたらいいんじやないか、まあ妥当でないんじやないかというつもりでございます。
  13. 森崎隆

    森崎隆君 今の局長さんのお話ではどうも私もはつきりいたさないんです。ただその中ではつきりいたしましたのは、ここに新築をする運動場と予定されておる所は南になるんでございましようね、南方の空地の所を指すんでございましようが、ここが新建築には実情よろしからずというお話がただ一つ理由らしい理由というように私まあ聞いたんでございますが、それもまあそう言われる根拠があるんじやないかと思うのでございますが、ただ私は実は一番心配いたしておりますのはほかじやない、これまで大逹国務大臣その他のかたがたから、この移転問題については何回も公約があつたということは、最近記録を読返して驚くほどでありますが、ただ今日大逹大臣からお話がありましたことにつきましては、簡単なお話でございましたが、これははつきりと実行するという具体的な意図を持たれた回答であることを、私も十分その意味では感謝して信頼している次第であります。ここまで文部省、がはつきり言つて頂いたことに対しては、敬意を表するのでありますが、学校が部分的に移転をいたしますと、あとの半分は昭和三十年の年度末を目途にするというような話もいろいろあるようでございますが、一番恐れますのはここで六棟もらつて半分移転を完了する、第二の計画として、後期に二学年の生徒が更に移る、その計画が二年後に何とかまあ品川とか一部に移るというお話でございますが、これはこう言うと大臣に怒られるか知れませんが、大臣は今はそれをやられるお気持であろうと思います。別にそれを疑う気持はありませんが、こういう計画は、今までいろいろな場合を想定いたしましても、なかなかこれはできるものじやないのです。一応一段落いたしまして、半分移つた、やれやれという気持だけじやないのでございましようが、いろいろな条件がそこにありまして、これは今年は風水害関係なんかも相当予算が要ることでありましようし、将来もそういうことがあつてはならないのだが、いろいろな計画や何かでまあまあ、まあまあで、それから最悪の場合を考えましても、今日まで八年間の苦労が、又二つに分れて更に八年というようなことも、これは考えられるわけであります。如何なる場合でも、これは第二の計画がそのまま強行されるということは、私は三十年といいましても、四、五年の間はなかなか簡単にはできない、できないと私は言い切るのは或いは、お前の我儘じやないかとおつしやるけれども、できないと言つてもいいのじやないか。又大逹大臣にいたしましても、いつまでこうして大臣でいられるわけじやない、いつ又どういう方に迭わるか知れませんが、迭わるたびに方針なども変つて、これを将来そういう環境などを考えますと、この際多少無理しても、やはり大逹さの時代にやはり一挙に移る、移したとき校舎はぼろだつたといいましても、そのぽろについてはやはり悪い校舎学校文部省でじりじり改築なり拡充なりできる、悪くてもその中で、一緒に完全なる管理権の下に学校長として教育して行ける、それは時間的な問題なんです。これが例えば五年経ちますと、今までも大分不自由であつたのですが、その意味で私は学校長は楽だつたと思いますが、これから若し半分移転して、半分久里浜残つて、三年なり五年なりやられた場合に、その間に何千人の学生が卒業して行くかわかりませんが、私はその不便なりいろいろ管理なりその他から来るところの教育上の不完全さといいますか、そういうような影響というものは、子供には私はいろいろにやはり染みて来るのじやないかと思いますね。何とかこれを一挙にここへ持つて来るという、而もそれをやるということが、私の考えから言いますれば、予算経費から申して、大体半額ぐらいでこれはできるということ、これも考えている。四億のとにかく半額ぐらいあれば、これができる段階、三万五千円と大きく出しましたが、木造で今幾らかわかりませんが、たとえ三万円にしても二万九千円にしても、とにかく二億程度の金があれば、ここに一挙に一千名の者が職員諸共ここへ移れるという事実は、日本教育の一環としての水産大学の、学校方式としては一番大きな性格じやないかと思う。特に過去八年間、こうして棚晒しして迷惑をかけた罪亡ぼしにも、一つこの罪をここで回復してもらうという意味でも肚をすえて大逹さんがやつて頂ければ、現内閣の下でも発言力の強い大逹さんがやつて頂ければ、これは木村さんでもどなたでも、相当これは耳を傾けて、何とかそうしようかということになりはしないかと、私どもちよつとあれですけれども、そういう気持もあるんですが、これは研究して頂くわけに行かないでございましようか、そうして研究した上でどうしてもそれはできない、局長言つたのはただここの土地の整理がこういう現実に合わないという、たつた一つだけ、それ以外に何も理由はございません。あと局長が何と言われましても、今言つた発言の中では正当な理由は全然私は聞いていない。ですから、そのほかにもつといろいろ理由があつて、成るほどそれでは困難だということになれば、これは私も引退らなければならんと思いまするが、経費は安くなる、学校は全部一挙に移れる、そうして駐留軍部隊に余り迷惑をかけない。ただ一つ若い学生がスポーツでもやろうとする運動場というものが只今のところない、それを辛抱すれば学校は、生徒はいやと言いますか、やつぱり運動場は欲しい、学校が二つに分れても運動場は欲しいと言いますか、運動場は今は結構だ、何でも自分が運動やろうとすればできるんだから、だからそれよりもとにかく学校は全部一年生から四年生まで、ここに全体が移れるほうが遥かにもう比較できないほどに望ましいことだと言うか、これは恐らくそういうことだろうと私は思う。そういう観点に立ちますると、経費は安くなるし、一遍に移れるし、学校教育その他非常に能率が上り、将来も大体ここでやるときめれば肚もすわります。そうして今から古い校舎を修理するといえば、仮りに経理学校校舎がいつ建つて、何年たつて、そうして今日又教室の修理をするのに幾ら金が要るか、これはまだ幾らかわからない、幾ら出ましようという話ですが、相当の金はかかろうと思う。そうしてかけて教室にしたら、古い六棟というものが、一体これから先何年使えるかという問題ですね。そういうことを考えますると、この私のこうした考えは素人考えのようでございますが、もう一回そういう説があるんだが、一つまじめに考えてみようという気持になれないものでございましようか、一つこれは大臣にお聞きしたい。
  14. 大逹茂雄

    国務大臣(大逹茂雄君) 大変御尤もな御意見だと拝聴しておるのでありますが、御承知の通り、従来越中島保安庁の庁舎、これが元々水産大学校舎でありますから、そこへ移れば一番いい。けれどもこれは御承知の通り今日では狭くて全部収容することが不可能である。そこで文部省としまして、従来の海軍経理学校場所から言つても非常に適当な場所であるし、これが使えれば申し分がない、こういう考え方で今まで来ていたように私は思うのであります。そこで経理学校を何とか早くあけてもらいたい。こういうことに大体目標を置いて、従来関係方面と交渉を続けられておつたかと思うのでありますが、これが又あきそうに見えてなかなかあかん、朝鮮の戦争の模様で今にもあくようにも見えたり、又駄目になつたりして、結局そのほうに多少こだわつてつたという事情があるんじやないかと思います。で、今の代替の建物につきましても、まあ大蔵省としては、これは私が言つていることが或いは間違つている点があるかも知れませんが、その点は間違つておりましたら訂正いたしますが、駐留軍のほうでは五億円ぐらいを必要とする代替建物を建てる。大蔵省のほうでは迚もそれはできんから一億円とか一億五千万円程度のもので一つ勘弁をしてもらいたいということで押問答をして今日まで来た。漸く最近になつて大蔵省も止むを得ず三億八千万円か四億円ということに折れ、そこで漸く話合いがついて今の四千坪六棟のものを開け渡す、こういうことになりまして、実はその初めからの考え方が、それだけの金が初めから予定されているならば、別に考えもし、お話のようになつたかも知れんと思うのですが、これが向うと押問答をして折衝して、結局何カ月でもないでしようが、四億円取られたという話になつちまつたものでありますから、御破算にして、元に戻つてということにならずに、実はそのまま継続して来ていると思うのであります。やはり私ども海軍経理学校というものが将来いずれは戻つて来るものだから、そうすれば一番場所から言つて敷地も非常に広い所でもあるし、これは非常に結構である。こう思つているのでありますが、これは余り遠いものではなかろうと思う。とにかくいつ明け渡しができるものであるか、この点ははつきりした見通しが立たない。そこで取りあえずその四千坪六棟の建物学生の半分を収容する。これは是非来年の四月一日の新学期からは、これはずるずるべつたりにならないで実行したい、それで建設省にもいろいろお願いいたしまして、それであれば来年の二月の末までに大体建築物は建ててやろう。併し非常に営繕関係の仕事がたくさん溜つてつて非常に困難な点もあるから、文部省のほうで技術者を二、三人出して手伝つてもらいたい。必ず二月末までには仕上げるようにする。こういう非常に好意のあると言いますか、はつきりした話合いになりま参して、恐らくそれで来年の四月一日からは二月の末までにできますれば、それから準備もありましようし、それから他の関係もあるかも知れませんが、大体四月一日の新学期からは入れる。それでその翌年の四月一日、つまり三十年の四月一日からはあとの残りの人を入れたい。それが若しそれまでに経理学校のほうがあかなければ越中島校舎、今の保安庁の庁舎にこれを収容する。そこで保安庁のほうも実は初めは是非そうしたいから、こういう話しであつたのです。先般衆議院で予算が修正になりまして、保安庁経費相当行政費節減とかということで削られたので、まあこれは打明け話しでありますが、木村長官のほうから、あれは折角ああいうことに話して置きましたが、どうもむずかしくなつたようだからという実は話があつたのであります。それは困つたものだと言つているうちに保安庁のほうから、いろいろやり繰りされたと言いますか、又その後二、三日してから、あれはあのまま当てにしてもらつてよろしうございますから、何とかやることにしますから、こういう話が実はあつたのです。成るほどこういうことは今お話がありましたように、予定は立てましても、まじめに予定をしておつても、なかなか関係方面のことがあつたりいろいろ予定通りぴちんといかないということはしばしばあることでありまして、絶対に来年四月一日と、あと再来年の四月一日までに全部久里浜を引揚げるようになるということを、今から何と言いますか、請け合うということは実際これはむづかしいと思うのですが、今までのところでは関係方面においても決していい加減なことでなしに話が進んでおりますので、少くとも来年の四月の分は私は先ず間違いなくそうなるのではないかと思つております。再来年のほうも仮にこれも保安庁の庁舎を実は建てるについてはまで敷地も決つておらんそうですということでありますから、どうもその辺は私自身も果して三十年の四月一日から久里浜が全部引揚げられるようになるかどうかは、多少実は私自身はつきりしないというふうに考えております。併しこれは関係方面の協力される気持も、これもいい加減の話をしておられるのではないかということがはつきりしておりますので、できるだけ今の線でやつて行きたい、お話のように私建築費にどれくらいかかるものかよく分りませんが、成るほどお話を承つてみると四億円出すくらいなら、この際一気に別に校舎を造つて入るということも、これもなるほど一案であると思います。ただ敷地関係等今地図を見ましても非常にごたごたしてまああと明け渡しにでもなつてみると非常に変なものになる感じもいたしまして、それと漸く駐留軍との話合いで四億円出すというのがそれをほつちらかして、文部省予算としてそれだけの金が出るものか出ないものか、この点も実はなかなか実ははつきり私としちや必らずそうなるということは自信が実はないわけでありまして、今のところ長い間辛抱されたのでありますが、まあ来年度もう一年経つて、再来年には全部久里浜を引揚げることができるようになるという大体の見通しが立つておりますので折角各省関係のほうで非常に熱心な協力の下に、この話合いが或る程度具体的にできておりますので、又話をもとに戻すということも実は戻すことはうまく行くものか実は自信がありませんので、若しこれは話のようなことがうまく行けばそのほうが早いのですから一番いいと思いますが、その点はなお研究をさして頂きたい、一応は各省の間で相話し合いました線で御了承願いたいとこう思います。
  15. 森崎隆

    森崎隆君 御研究をして頂くということは非常に有難いと思います。今のお話にもありましたように、どうも第二次計画には大臣自身も自信があられないのですね、ましてや保安庁外務省全然これは自信も何も頭から考えてなかつたと思う、保安庁のほうではこれまでは必らず移る、この間予算が削減されたからとてもだめだという話があつた。その後に文部大臣のほうにいい話のようなお口ぶりのようでございますからこれも結構だと思いますが。ここでもう一つ私は大臣にお願いいたしたいのですが、越中島があくにいたしましても、保安隊はよその古い建物に引越しするわけじやないのでしよう、必らず新築を建ててそこに移るのでしよう、そして今まで使い古して取つていたところにお前入れと、子供たちを入れるのでしよう、このすべての行き方を見ますと平和国家日本として文より軍のほうが優先しておる、要るときには取つてしまつて、買うときに、自分勝手のときだけいまして、買いとる金ができたら、もつといい物を建ててぽんぽんと出る、あとは野となれ山となれ、入るならば入れ、こういう行き方なんですね、今度の駐留軍の行き方もそうなんです、返えせ返えせと何年来言つても何とも返事をしないが、今度四億、四億出せばいい物ができるのであります。できれば移つてやろうというので、文部省が要請する、しないに拘わらず、自然の結果としてあいたからやる、それじや頂きますと、文部省のやり方を悪く言つて相済みませんが、そういう気がするのです。これは私はやはり文教の最高責任者としましては軍的なもの、こういうものに優先してやるのでなく、文教関係はもう少し毅然とした態度で、ここを使うなら越中島におりなさい、俺のほうは代り財源を出しなさい、それでどこかに建てるからと、積極的な文教政策の一環としての水産大学の再建というものを考えて頂きたい。その気持をもつてやはり文教の責任者にやつて頂ければこういう問題はもつともつと私はうまく行くのじやないかと思います。今の四億の金は文部省に来ないといたしましても、文部省にもらおうと思えばもらえないことはないと思う、保安庁越中島のものを保安庁の本部を、よそに引越しても予算が要るわけです。その予算保安庁から削ればその削つたものを予備費に入れて、予備費を文部省に流用して、水産大学の新建築費としてやればやれます。それをやろうと思えば途がつく、ただそれをやるかやらないかという意思、熱意、その強さに私は影響されて、いろいろな問題がこうして変つて来るのではないかと思う、やはり文教というものはもう少し今まででも、この間も大蔵省関係で聞いておりましたが、本当に日本教育のことを考えまして、大蔵省の人の顔を見ると嫌になる、ここにおられましたら失礼いたしますけれども(笑声)実際上そう考える。過去長い間いつでもそれなんです、この際大逹文部大臣がそういう積極的な計画を立てて、それじや永久に保安庁越中島でやれ、呉れてやるから、俺のほうはもつといい物を建てるというこれだけの積極的な気構えを日本文教の建設のために持つていてくれれば、こういう問題はあるまい、少くともここ一、二年前には私はこれは解決しておるものじやないかと思う。そこで今の問題は私が坪単価とかいろいろなものを素人考えで申上げたので、建設省関係でもいろいろ御意見ありましよう、技術的の面でとても鉄筋でも危いとか、いろいろお話がありましたが、まさかここに雨が降つたら大水が来るわけでもありますまいし、地震が来ると震動が大きいというわけでもありませんでしようし、やはり近くに建物が建つておるのです、運動場に予定されておるところに家が建てないという筈がないと思う。ですから、この問題は是非とも研究をまじめにして頂きまして、そういう方途が、この途がこれはやれる、いいとなれば文部省は決意をして頂きまして、それを強行して頂きたいと思うのです。どうしてもそこに正当なる理由があつて、それは無理だということになればそれは止むを得ない、現在のような暫定的な措置をとるより外ないと思う、又私のこのような愚案を研究しておる間に、現在折角ここまでまとまつた計画すらだめになると仰しやられるようですが、それはおかしいと思う。それが大概無理をやつてきて、やつとこれまで文部省の主張が通つて来たのに、もつといいものをやろう、金も安くしようと計画して、研究して行く、その研究の過程においてあれも取消しだなんて、それでは全くむちやくちやな問題じやないかと思う、こういうことは実際あり得んと思う、よりいいものの研究はいくらしてもいいと思う、この計画すら瓦解するということは恐らく考えられないと思う、ですから最悪の場合、文部大臣が提示されましたこの問題は、最悪の場合に、外の正当なる理由から他のものができないとすれば、今の段階では止むを得ないと、こう考えますが、今申しましたような私の意見が本当に考えて頂けますならば私は途は通ずると思う、是非とも一つこれは御研究頂きまして、各省その他と折衝されまして、本当に一つ責任をもつて研究をして頂きたい、その研究の結果につきまして、交いずれお聞きいたしたいと思いますが、余り時間もないことですから、そう何日も延びるわけにいきません。早急に一つこれは管理局長の手でまじめの研究をして頂きたい、そして従来についての結果を是非お聞かせ頂きたいと要望いたします。
  16. 相馬助治

    ○相馬助治君 ちよつと速記をとめて下さい。
  17. 川村松助

    委員長川村松助君) 速記を止めて。    〔速記中止)
  18. 川村松助

    委員長川村松助君) 速記復活。
  19. 深川タマヱ

    深川タマヱ君 初めてお見えになつた者にはこの問題は相当複雑でございまして分りにくいのでございますが、今の御説明も私誤解いたしておるか知りませんけれども品川のほうに来年の新学期から一部移転ができまして、あと建設省が優先的に建築を促進してくれることになつておる。三十年度中には竣工されますので、それから全部品川に引越せるとおつしやつたんでしようか。
  20. 大逹茂雄

    国務大臣(大逹茂雄君) 建設省が今代りの建築物の建造については相当はつきりした協力をして頂けるような話合いになつております。それは今久里浜におります学生を約半分だけ品川へ連れて来る、そのために代りの建物が、いるのです。駐留軍の必要とする建物、その建物を提供して、経理学校の一部をあけてもらう、こういうことになつております。その結果、約半数の学生は来年の新学期の始まる時分には、品川へ引越すことができる、あと残り半分というものを保安庁建物が三十年度中にでき上る予定だから、その建物に再来年の四月の一日から入れる、それによつて越中島品川と両方に収容しまして、一応久里浜は全部引揚げることができる、但しそれ以前に駐留軍のほうの都合で、現在の経理学校の残存の建物が引渡しができるということになれば、これは越中島に行く必要がないのでありまして、経理学校のほうに全部収容ができる、こういう順序になつております。
  21. 秋山俊一郎

    秋山俊一郎君 只今大臣のお言葉はちよつとお間違いがありはしまいかと思いますが、三十年度とおつしやつたが、二十九年度でありませんでしようか、その点一つたしかめておきます。
  22. 川村松助

    委員長川村松助君) その通りであります。
  23. 秋山俊一郎

    秋山俊一郎君 二十九年度、つまり三十年の三月三十一日と、こういうふうに承わります、いろいろ森崎委員長から御意見もあり、要望も出ました、我々長いことこの問題について苦労して参りまして、漸くここまで大体の目安がついた、併しまだ大臣のお言葉では保安庁のほうはそうやつてというところまで至つていないことを多少私どもは懸念をいたしますが、これも大体本年度の予算において削減されたと言いながら、建築費が計上されておる以上、恐らく実現可能のものと私には想像いたします。そこで只今森崎委員長から新らしい問題といたしまして、今日までなかつた新らしい問題として意見がでましたが、この意見が若し実現されればこれに越したことはないと私も考えまして、是非その実現をお願いするわけでありますけれども、これは今日新らしくここに出た問題でありまして、果してこれが近いうちに実現するかどうかということは現在の案より以上に私は不安を持つておるものであります。若し御研究をして頂きまして、森崎君の意見のように運ぶとならば、私どもは全面的に賛成いたしますが、ただそれに時日を費して、折角きまりかけた問題が又あと戻りするようでは困る、そこで私ども一つきまつた問題はきまつた問題として推進して頂き、一方別途にその問題を考えて行くようにして、進んで頂くことを要望する次第であります。  もう一つは先ほどから、先般来の御答弁等によりまして、一応半分は来年  の新学期に品川に移る、それから三十年の三月末には越中島があくから、そちらに移ろう、若しその間に品川のほうは今の駐留軍使用しておる分があけばそのほうに移ろう、こういうことでありまして、これも私は了承するわけでありますが。一応越中島移つた、そして品川越中島とで学校を開いて行くということになりまして、その後に品川が余裕ができたという場合には、必らず品川越中島から引越して来るということを、今日大臣の御在職中にきめておいて頂きたい。折角東京に移りましても、先ほど来長い経験を持つた教育の経験を持たれた森崎君からのお話のように、たとえ東京都内でありましても、品川越中島に分れておつては非常に不便な問題である、教育上にも完全を期し難いのでありますから、飽くまでも全校が一カ所に集まるという前提を以つてこの問題は処理して頂くというのでなければ、この問題は我々満足できない、今止むを得ざる改善の処置としてこういうことをお願いしておるわけですが、この際若し進駐軍、駐留軍使用している経理学校跡が、越中島があくまでの間に片付かないとするならば越中島に行くか、若しその後にあそこがあいた場合には必ず大学はあそこに移るのであるということを一つ関係当局に確認しておいて頂きたい。必ずその時期に実行するような手段を講じておいて頂くことを強く私は要望する次第であります。
  24. 森崎隆

    森崎隆君 今私こういうふうに申上げましたが、突然のようでございますが、研究はそう日はかからないと思います。今日で一応打切になれば明日から閉会でございますから、一週間以内くらいのうちに建設省保安庁文部省、そのほかにどこかありますか、それに技術者をつけて、そうして一緒に行つて実地を一ぺん見て、帰つたら全部どこかの部屋に集まつて、この問題を相談して頂いたら一日で片付くのです。それがいいとなつたら切替える。切替えることが望ましいときまつたら今度は大蔵省のほうに皆で行つて、この予算の操作のことを何とかやれんかということで持つて行けば、新らしい分は実行しているわけじやない。これから建設省で青写真を作つてかかろうというわけですから、ここ一週間、十日のうちに一度全部集まつて技術者、文部省から建設省から皆出てもらつて、さつきから管理局長言つているように、二万坪なんですから、ここにはとても建物は建てにくいということが本当であるか、嘘であるか、見る必要がある。そうして将来のために一体どうなのか、保安庁計画なり、外務省の人に見てもらつて将来の計画、あちらの要求もよく聞いておいて、そうして又一日見ておいて、そうして次の日でも集まつて、我々も混ぜてもらつてよく話をして、そこでいけないというならしようがない、いけないならいけないとして我々の納得するような理由が生まれて来ると思う。やめるとすれば、面倒くさいからやめるということになれば私は承知しない。やれるとすればやらなければならん、やるとすれば財源関係の問題が出て来る、そこで大蔵省を一緒に引つ張り出して、皆一緒にやれば解決つくと思う。こんな問題が七年も八年も、僕は久保田君をよく知つておりますが、久保田君が責任者であるとは知らなかつた、知つてつたら頭に一発やつてつたが、僕は管理局長責任ではないけれども、こんな問題を今までほつたらかしておいて、イギリスの反対です。文より軍が優越しているのです。昔の軍部時代とちつとも変らない。今にサーベルで文部省が叩かれるのであります。これは非常に文部省を馬鹿にしている。これに対してじつとしてのうのうとしておるのでは私は文部大臣としての責任を果せないと思う。ですから何とかそういうふうな話になりませんか。是非その努力を川村さん一ぺん一緒に行つてつてみて頂きたいと思います。
  25. 川村松助

    委員長川村松助君) 結構です。今発言なさいますから。
  26. 大逹茂雄

    国務大臣(大逹茂雄君) 御尤もであります。関係各省協議いたしまして研究することにいたします。
  27. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 今森崎君からちよつと責任の問題がございましたが、実は私は最もこの責任ある仕事をやつてつたのでありますが、実は今日私の仕事についての弁解を申上げようとは思いませんが、ただ私としましてはこの二十八年の四月一日には必ず水産大学学生は経理学校の跡で授業を受けるようにするから我慢してくれといつて、実は約束して参つたのであります。その約束も実施されないで、今日やめてからあと文部大臣責任のかたにいろいろ私は言えた筋ではございませんので、私としましては私の約束をどうか果して頂きますように、文部大臣なり、皆さんにお願いする立場でございます。ただ私はここで一言、どうもその時の交渉なり経過なりから申しまして、海軍経理学校は大泉でございましたか、あそこに早急に講和条約発効後建設をして、あそこへ行くという予定の下に、そういう約束をはつきりいたしておつたのでありますが、その後先ほど文部大臣からもお話がありましたように、朝鮮事変の結末が付くかどうかという問題が一つのこの遷延した理由でございまして、移る先の問題、規模の問題等がございまして、今日に至つてつたと思います。然るにいよいよこの朝鮮事変も解決し、調印が終りまして、休戦協定ができたという今日におきましては、相当この前の連合委員会を開きましたあとから非常に大きな客観的情勢が変つて来ていると思います。従いましてその海軍経理学校を補給地として向うはどういうふうにいたして行くかということはすでにその方向がはつきりして来るのじやないか、私はこう存じます。私も早急にしなければならん問題であろうと思います。従つて久里浜品川とで二つに分割したり、又品川越中島教育を分けるという状態は、学校管理から不適当であるということは重々考えます、若しこの海軍経理学校あとに一日も早くこれがまとめてできれば、それにこしたことはないと思うのでございまして、只今森崎さんの、そこに建築するというのも御尤もで結構でございますが、話を聞くと経理学校も早急に二十九年度のいわゆる三十年の三月三十一日というようなことでなしに、或いはそれよりも早くできるというような状況になりはせんかと私ども想像いたしますので、そういうような問題につきましても、若し近き将来におきましておわかりのことがございますればお知らせ願えるような運びにいたして頂きたいことをお願いいたしておきます。
  28. 川村松助

    委員長川村松助君) どうでしよう。大臣から只今言明されましたようにもう一歩、歩を進めて研究をして見る、こういうようなお話がございます。これに並行して委員かたがたから親しく現状を見て認識を深めたい、こういう御意見があるようでございますから、並行二本建でここ四、五日乃至一週間の間努力して見ることにいたしたら如何でしよう。
  29. 相馬助治

    ○相馬助治君 今の委員長のおつしやつたようにして進めることに賛成です。ただ会期の問題がはつきりしない、先ほど申しましたが、これは公的な話で、事実上は衆議院の今の様子では常任委員長会の意見を堤議長は徴して、七日間会期は延長すべしという結論を議長が得て、これを議運に諮つている段階でありまして、現実には若干延びるだろうと思います。そこで私はこの問題について前の関係を知つておりますので、文部大臣に善処方を願うというだけでは、これは満足できないので、日を切るほかないと、こう思うのです。と申しますのはこの話合は余りに長いのである。私もさつきこの議事の取扱上、これよりよい方向に進んで行くために懇談をして、そうしてもう一度文部大臣の御奮発を願おうと発言したのですが、実は同僚の安部さんから、これは生ぬるいことを相馬さんやつているじやないか、こうお叱りを受けた、これは前の委員なり文部当局が知つている通りに、実に激しく面罵する程度に私違はこの問題を今までやつて来たんです。そのたびに善処するということで事が済んで来たので、その限りにおいては大逹文相が本旦言つたことは今までの答弁のうちでは最も具体的なんです。良い悪いは別として、具体的なんです。そこで外務省或いは大蔵省等の係官を呼んでこの問題を聞くと、お説はようわかりましたから善処すると言う。水産学校学生諸君の話なんかを聞くと、陳情に行くと頭から恫喝されてろくな口もきけないような状態に追込まれる。そういう関係上、今までのこの経緯を知つておりますから、どうか今委員長が申されたことに日限を付して、一週間延びておりますから、この連合委員会をこれで閉ずることなく、もう一度開くということ、それから文相に日限を限つて誠に矢礼ではございまするが、もう一度最終的な見解をこの連合委員会でお聞きするということ、言葉は誠に妥当でないかも知れませんが、大臣が結論に到達することをバツク・アツプする意味で、このバツク・アツプするということは妥当でないですけれども、そういう意味合いで委員会が実地の調査をする、そして我々の意のあるところも適当な方法で開陳すると、こういうことにして事を進められることを私は希望いたします。
  30. 安部キミ子

    安部キミ子君 今相馬先生からおつしやいましたのですけれども、私は先ほど文部省の方がいろいろ御説明なさいますのを、詳しい事情がわかりませんので、じつと洩らすまいと聞きましたのですが、あの説明の中から受けます私の率直な感情は、大逹文政の基本はどこにあるか、教育をどのように考えておられるかという、私は基本的な信念というものを伺いたく思うのです。文教が政治に優先するものであるというようなことは曾つて南原総長がおつしやいましたが、そのような手前味噌なことを私は主張するものではありませんけれども、今日の日本の情勢がだんだん先ほど森崎先生がおつしやいましたように、サーベルのほうが重きをなして、ペンや筆が折つて捨てられるような形になつて行くというこの現実が私には淋しい気がするし、八年も耐え忍んで来たあの学生の過去の苦しみと、又日本の今日のこの水産大学に課せられた使命とを考え併せまして、この際私は大臣にしつかり肚をきめてもらわなければならないと思うのです。これはこの問題だけではなくつて、今日基本的な文政行政の大逹大臣の所信、所信というよりもむしろ決意というものを私は促したいと思うのです。それで先ほど相馬先生が提案をしたことに対してあのような答弁をしておられましたのに対していささか不満でありました。本当に日本人であれば先ほどのような説明をよくもなされたなと、又よくも我々日本人としてあのような侮辱的な説明を聞いておられると私は思いました。どうか我々は本当に独立した日本の国民として、今のようなことを全国の国民は承知するでありましようか。私はそのことをはつきり国民にも考えてもらいたいし、又当事者の大臣にもしつかり考えてもらいたいと思つて強く要望する次第であります。それで早速森崎先生及び相馬先生の提案に賛成いたしますから、善処して頂きたいと思います。
  31. 川村松助

    委員長川村松助君) ほかに御発言ございませんか。
  32. 吉田萬次

    ○吉田萬次君 私はこの問題を新らしく聞きまして以来、行きつ戻りつしてそして帰着点へ到達するという見通しについて非常に不安な観念に襲われたのでありまするが、只今森崎さんの話は極めて私は結構なことと共鳴をいたします。併しながら現実の問題といたしまして、会期がたとえ一週間延長されまするにいたしましても、その間に果して具体的の結論に達するかどうかということを非常に私は憂えるものであります。従つて四億円の金というものを、それを保持しておくということができるということであれば、適当な方法も大臣に一任してできることでありまするけれども、併しながら検討を続けるということに時日を費して、そして結論を得ないということは非常に遺憾に思いまするので、それに対する方針を私は承わつたならば結構だと存じます。
  33. 大逹茂雄

    国務大臣(大逹茂雄君) 実は森崎さんの話は私は非常に御尤もであると思うのでありますが、私は素人でありますが、ただ四億円という今の代替建物の建設の費用というものがどこから出るのでありますか、実は弁えないのでありますが、ただそこで不用額になりましたものがすぐ文部省予算という形で支出されるということはむずかしいのではないかと思うのです。何かそれを余つたものは予備費に入れて、予備費のほうから流用するというようなお話がありましたが、私の承知している限りでは、やはり不用額は翌年度の剰余金としてそのまま出て来るので、それを年度中に国会できまつた予算を予備費のうちへ増加繰入をするということは恐らくできないのじやないかと思います。でありますから、その辺がこれは大蔵省としましてすでに四億円の支出を呑んでおるのでですから、だからその辺の財政的な、何と言いますか、支出の処置ができれば必ずしも異論はないのじやないかと思うのでありまして、あと残るところは、敷地の問題とか、或いは将来の水産大学として眺めて見た整備完全したものにするという点が検討されるべきじやないか、こう思うのです。ただこつちで不用になつたから文部省予算の形で出す、ここに難点がありやせんかと思うのです。併し私ども素人ですから、やはり専門の事務的なやり方でそれもできる途があるかもしれん。とにかく取りあえず関係各省もう一ぺん集まりまして、まあ敷地の点についても一度現地を見なきやならん必要もありましよう、改めて。さようなことで各省の意見をよく闘わせ、又相談をしました上で改めて結論を成るべく早く出すことにして、この連合委員会に更に御報告をする、こういうふうにしたいと私は思つております。
  34. 相馬助治

    ○相馬助治君 今の文部大臣のお答えの費用負担分の問題ですね、これはなるほど御就任後具体的な事務的なことを全部聴取なさつていないのでおわかりにならない点は一応御尤もですが、それじや近藤局長にこの問題を確かめておきたいと思うのです。私の承知することが誤つていなかつたならば、この四億円というのはいわゆる一般防衛費のもので、国の当初予算でしたら剰余金が出たときには年毎に切り替えて繰越金の中に投入されるが、この分は投入されずに費目が明示されたまま紐付きで残つて行く金だ、いわゆる軍事予算であると、こういうふうに私どもは一度調べたときに聞かされたのであります。文部省から責任ある答えではなかつたのですが、そういうことになると、そこで四億不用額になつたから文部省の当初予算の中にそのうちの二億なり三億なり或いは全額の四億なりを更正して行くということは、これは予算技術上は殆んど不可能であろうと思うのです。そこで私も先ほど森崎さんが申したことも非常に賛成であり結構だが、現実の問題としてはかなり財政の負担区分の上から問題がありやせんかと思つて、ざつくばらんに話合つての上と、こういうふうに考えたのですが、近藤さん一つこの辺の財政上の問題はどういうことになつておりますか。即ち四億の不要分は文部省の当初予算の中に計上して使うことができるか、又文部省予算に繰入れて使うのでなくとも、何か水産大学の設立に関する議員立法等をすればそれに充当し得るような或る程度の緩みを持つた予備金的な性格を持つておるかどうか、その辺は如何ですか。
  35. 近藤直人

    政府委員近藤直人君) お答えいたします。たしか私もこの代替施設の建設資金は防衛諸費から出ておると記憶しております。従いまして、これから仮りに剰余金が出ましたから文部省の国立文教施設予算に振り替えるということは、ちよつと困難じやないかと思います。私どもの国立学校施設予算は、国立文教施設費といたしまして、これは二十八年度におきましては実際に建設に充当できます資金は約十八億五千万円ございます。これで全国の七十二の国立大学を整備して参つておりますので、若し水産大学のために特別に建設費を要しますとすれば、この国立文教施設費の中に予算計上を見なければならないかと思つております。その間のことにつきましては、なおお話がございますので、研究を進めたいと思います。
  36. 吉田萬次

    ○吉田萬次君 私も質問しようと思つてつたのが丁度相馬さんが質問せられましたが、いわゆる四億円の金というものについての問題でありますが、この前の委員会などで承わると、ただ単にこの問題が簡単に文部省予算としてとつた金でない、これに関しては外務省関係すれば保安庁関係もある、あらゆる方面のいろいろな協議の結果出たように考えるのです。従つてこの問題につきまして、簡単に四億円そのものを文部省のものとして、そうして考えるということは間違つておるし、又この時日が切迫した場合において、かような問題を検討しておる時期はないとも思います。勿論この四億円に対して建設せられるものというものは、燃えてしまうのでもなし、又流れてしまうものでもなし、将来残り得べき性質のものだということから、これが如何なる有用な方面に又利用せられるかも知れないということを考えましたならば、あらがち校舎として進駐軍が入るというふうなことだけを考えてこの問題を解決するということではなくして、将来そのものの利用価値というものも考えてみなければならんと思います。従つてこの四億円の金が進駐軍の方面に併われるというふうなことも、私は考えようによつては無駄でないことにもなりますし、或いは場合によつては非常な有益なことになり、ことの端緒を起す一つの基盤になるかとも考えまするによつて、今日ここまで検討せられ、ここまで苦労してそうしてこの問題をこの点まででつち上げました点から考えますると、私はやはり今までのお考えによつて今日でき上りかかつておるこの問題は、この状態においてそうして考えて頂いたのが最も適切な方法でないかということを考えます。
  37. 川村松助

    委員長川村松助君) ちよつと速記をとめて下さい。    〔速記中止〕
  38. 川村松助

    委員長川村松助君) 速記を始めて。  本日はこれで散会して御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  39. 川村松助

    委員長川村松助君) 本日はこれを以て散会いたします。    午後三時五十二分散会