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1953-07-02 第16回国会 参議院 文部・水産連合委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月二日(木曜日)    午前十時五十九分開会   ―――――――――――――  委員氏名   文部委員    委員長     川村 松助君    理事      木村 守江君    理事      高木 正夫君    理事      荒木正三郎君    理事      八木 秀次君            大谷 贇雄君           大野木秀次郎君            剱木 亨弘君            谷口弥三郎君            山縣 勝見君            吉田 萬次君            杉山 昌作君            高橋 道男君            安部キミ子君            湯山  勇君            相馬 助治君            深川タマヱ君            長谷部ひろ君            三好 英之君            須藤 五郎君   水産委員    委員長     森崎  隆君    理事      秋山俊一郎君    理事      千田  正君            青山 正一君            平井 太郎君            野田 俊作君            森 八三一君            岡田 宗司君            松浦 清一君            菊田 七平君   ―――――――――――――  出席者は左の通り。   文部委員    委員長     川村 松助君    理事            高木 正夫君            荒木正三郎君    委員            大谷 贇雄君            吉田 萬次君            杉山 昌作君            高橋 道男君            安部キミ子君            湯山  勇君            相馬 助治君            長谷部ひろ君   水産委員    委員長     森崎  隆君    理事      秋山俊一郎君    委員            青山 正一君            野田 俊作君            森 八三一君            岡田 宗司君            松浦 清一君   国務大臣    文 部 大 臣 大達 茂雄君   政府委員    保安庁経理局長 窪谷 直光君    文部省大学学術    局長      稲田 清助君    文部省管理局長 近藤 直人君    水産庁次長   岡井 正男君   事務局側    常任委員会専門    員       竹内 敏夫君    常任委員会専門    員       工楽 英司君    常任委員会専門    員       岡  尊信君    常任委員会専門    員       林  達磨君   説明員    外務省国際協力    局第三課長   安川  壮君    大蔵省管財局国   有財産第二課長  牧野 誠一君   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件 ○教育、文化及び学術に関する調査の  件  (東京水産大学校舎に関する件)   ―――――――――――――    〔川村松助委員長席に着く〕
  2. 川村松助

    委員長川村松助君) 只今から文部水産連合委員会を開会いたします。
  3. 稲田清助

    政府委員稲田清助君) 水産大学施設に関しまする経緯につきまして最初に御説明申上げたいと存じます。  かつて水産委員会文部委員会で御説明申上げております今までの経緯全部を繰返すのも如何かと存じますけれども、一応極く簡単に申上げますれば、昭和二十年九月でございます。深川越中島にありました水産講習所の全施設が進駐軍のために接収せられまして、このため一時隣にありまする商船学校建物の一部を借りて水産講習所としては授業をいたしておりました。その後昭和二十二年五月に久里浜にありまする旧海軍通信学校施設を使用することについて第八軍の許可を得まして学校はここに移つたのであります。更に昭和二十五年八月に至りまして警察予備隊を急速に設置するということが起りまして、関東民事部から話がありまして、警察予備隊を駐屯せしめるための施設の明け渡しを要求せられました。爾来学校が使用いたしておりました久里浜所在建物土地の重要なる大都分を取上げられまして、残つた極端に狭い施設で今日も授業を継続して参つて来ているわけであります。文部当局といたしましても、水産大学のこの状況を非常に心痛いたしまして、最初東京所在の適当な土地建物を探すことから出発いたしましたけれども適切な施設が得にくかつたのであります。ての後平和条約締結というような運びになりまして、東京都内に駐在しております外国軍その他の施設が部外に出る見込が十分ございまして、その当時警察予備隊を所管せられた大橋国務大臣の当委員会における成るべく速かに越中島土地学校に明け渡すというような言葉もあつたわけでございます。然るにその後東京都内から駐留軍関係施設が撤去せられるということが進捗しなくなりましたので、そこでまあいろいろ考えましたのが現在までの考えであります。品川所在いたします旧海軍経理学校施設、これは現在駐留軍補給本部として使用せられているようでございますから、これを兼用することをきめて頂いて水産大学をここに入れるように運びたいと考えて参つたのでございます。最初群馬所在土地にこの米軍補給本部施設を移すというような考えもあつたのでございますけれども、それも沙汰止みになりまして、今日のところといたしましては、この旧海軍経理学校土地の一部に代りの建物を建てることによりましてこの旧海軍経理学校施設の一部を空けて頂く、その空けて頂いた六棟ばかりの建物は取敢えず水産大学の一部をここに移して使用するということからまあ出発いたしたいということで、文部省といたしましては大蔵省並びに財務局に対してこうした点についてお願いを出しているわけでございます。今日のところ関係省、それから調達庁においても非常に御協力頂いて研究せられているわけでございますけれども、まだ最終の結論を得るに至つていないのでございます。ただこの点につきましては米軍関係ともしばしば合同委員会を開会いたしまして急速に解決するように努力して頂いておりますので、極く最近の機会におきましては、なんとか只今のこの第一次の計画は実現し得るのではないかと我々は多大の期待を持つているような次第であります。一応経過を申上げました。
  4. 青山正一

    青山正一君 水産大学がこの久里浜移転せられてからすでに四年にもなつているわけでありますが、この校舎り問題につきましていろいろな問題にぶつかつている、今まで十数回に亙りまして文部委員会なり或いは水産委員会或いは両方合同委員会を開きまして、或いは現地に議員が派遣されること度々、而も文部大臣なり、或いはそのときの法務総裁などお出で願つて現在の状態に至つているわけであります。それがこういつた問題を解決すべく努力して参つたわけでありますが、今まで絶対に駄目だ、第一その校舎問題が国内的な問題では絶対にできない、何かこの政治的な外交的な策が必要だ、こういうふうに私どもは常々考えているわけでありますが、学校当局或いは学生側がいろいろに苦労し、いろいろ騒いでいることもこれは当然なことと思います。併し幾ら学校側が苦労しておられようとも、或いはいろいろ騒いでおろうとも今なお解決できないのが、これが現在の状態だろうと思うのであります。  そこで第一に文部当局にお伺いしたいのは、昨年十月だつたか、私が内閣質問書を提出、それに対する吉田総理大臣答弁書を見ますると、群馬県の小泉地区へ旧陸軍経理学校跡を使用している米軍東京補給部隊本部が移りまして、そのあと文部省からの要望もあり、既定方針通り東京水産大学校舎として充当せしめる、それで米軍補給部の一部はすでに移転が開始せられ、部分的には解除されているとの総理大臣からのお答えがあつたわけであります先ほど学術局長お話では、かのように承わつているというようなうさんなお話でありましたが、少なくとも議員に対する質問書議員内閣に対する質問書閣議を開いてこれは返答書が来るのは当然です。これは国会法に定められているわけであります。で、この回答書は私が持つておりますからなんならお見せしてもかまわないと思うのであります。ところが正式に閣議を通つたこの総理大臣からの回答書もこれは反故同様である、今の学術局長お話伺つても反故同様であるということがわかるわけであります。それは小泉地区への移転が行われないようになつている、どうして小泉地区への移転工事が行われないのか、その理由一つ承わりたいと思うのであります。これは責任者として文部当局から意見一つ伺いたいと思います。
  5. 稲田清助

    政府委員稲田清助君) この御回答を申上げた政府部内の中心責任者、これは外務省であります。外務省からお答え頂くのが結構だと思うのでありますが、只今海軍経理学校の一部が解除せられつつあるということをその文章で引いておりますのは、この水産大学希望しております部分でなくて、一連の土地の一部でございます。ただそれをその文章に引きましたのは、恐らくそういうふうに端のほうから解除が始つているからやがて全部小泉地区へ移るであろうという予見を持つたのだろうと思います。ところがその後いろいろ研究いたしました結果、この軍の補給本部というような、現在朝鮮事変に関連いたしまして使用しておりますような施設恒久施設として他の場所に新たに建築するという点につきまして、相当これは研究すべき問題であるというようなことからいたしまして、只今お話がありました群馬県に移転するということがその後沙汰止みになりまして、それにかねて私どもとしては、なんとかここをでき得る限り一部でも使用いたしたいという切な願望を関係省庁に申しました結果、いろいろな御配慮を頂きまして、先ほど御説明申上げましたように、この土地の一部は取敢えず大体建物の中一部を学校に使わせようじやないかというような話に相成つて行つた次第であります。御了承願います。
  6. 青山正一

    青山正一君 少なくとも閣議を開きましてそうして総理大臣名前返答書を書かれて、質問書に対する返答書、こういつたものがこれは外務省関係の書類であるとか、或いはこれは文部省の与り知らんことだということは、これは責任逃れだろうと思います。一事が万事、こういつた校舎問題につきまして、文部省はこう考えておるのだ、これは外務省が考へておるのだ、これは保安庁考えておるのだと、こういつた行き方が、二十年以来八年間引延ばされて来たわけであります。この前の商船大学の問題は、ただ一回、二回の文部委員会努力によりまして決定したわけでありますが、この水産大学に関する限りは、今言つたような思想というものが全部に現われておりまして、総理大臣答えが、これは外務省答えである、これは文部省答えじやないのだと、そういつた思想が恐らくこの水産大学校舎問題を今までぐらつかせた基だろうと思う、そういうふうに考えるのであります。併し文部当局として、只今事情を承わると、これは止むを得ないと、こういうふうに考えておるわけでありますが、それでは、只今外務省国際局からどなたもお見えになつておりませんが、国際協力局関係者と、それから大蔵省一つ承わりたいと思うのであります。私が新聞紙上とか或いはその他のニユースによつて、その新聞は今ここに持つて来てもありますが、そのニユースによつて知り得たことは、小泉地区建設沙汰やみということになつた原因は、先般当文部委員会努力によつて商船大学越中島復帰が確定したのであります。ところが商船大学越中島復帰が確定したので、大蔵省の、これは主計局であろうと思います。管財局ではなかろうと思います。主計局が、この大産大学越中島に復帰したものと誤解して、つまり商船大学越中島へ復帰することを、水産大学越中島に復帰するものと誤解しちやつて、その結果、小泉地区建設沙汰やみになつた、即ち品川の明渡し不要を認めたということが、これは新聞にはつきり書いてあるわけであります。若しこれが本当であるとすればこれは容易ならんことである、大蔵省の内部におきましても、これは統一を欠いておる、文部省大蔵省或いは保安庁あたりが、これはいろいろ意見が合わないということもあり得るかと思いますが、同じ大蔵省の中におきまして、管財局主計局とがお互いに違つた意見を持つておる、或いはそういつた事情を知らない、只今文部省関係者のおかたから、総理大臣答えはこれは文部省は与り知らんことだ、こういつた責任なお言葉を頂いたわけでありますが、こういつたふうで、折角十五国会或いは十四国会におきまして文部委員会が非常に好意的にこの水産大学の問題を、或る意味では一つ希望をまとめて頂いた、そういつた希望は何ら価値付けられないような結果になつた、私はそういうふうに考えるわけであります。その真偽のほどを大蔵省のほうで一つはつきり承わりたいと思います。先ほど委員長に私主計局の係官の出席を認めたのは、そういつた事情新聞にはつきり出ておつたわけでありますからして、その点について承わりたい、こういうわけなんです。
  7. 牧野誠一

    説明員牧野誠一君) お答えいたします。只今お話の、越中島のほうに商船大学が戻る件との関連において何か誤解があるのじやないか、或いは大蔵省の中で意見の食い違いがあるのじやないかというお話のようでございます。それはこういう経過に相成つております。越中島にあります只今保安庁使つております施設は、あれは国有財産といたしましては、商船大学水産大学両方管理をしている財産ということに相成つております。それで大蔵省主計局といたしましては、名前が明瞭にそういうふうになつておりますので、あそこが空けば水産大学商船大学両方が入るのじやないかというようなことを想像いたしましたことが曾つてございました。併しそれは違う、ちよつと面積から言つてどうも無理じやないだろうかという話になりまして、それが只今のところは今文部省のかたから申されました品川の、旧の海軍経理学校あとのところ、それの一部を駐留軍に空けてもらいまして、そこで久里浜水産大学に若干不満足であるかとは思いますけれどもつて頂くということで、先方に、米軍に対して速かにここを空けるようにということを外務省を通しまして話を進めておるということに相成つております。それで大蔵省の中で、主計局管財局意見が違つておるということは現在ございません。
  8. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 先ほどの稲田局長説明では私よくわからない点があるので、若干お尋ねをいたします。説明によると、水産学校校舎の問題について、文部省対策としては、品川海軍学校建物の一部を明渡してもらつて、そこに学生を収容する、こういうふうに説明されたのでありまするが、従来文部委員会でこの問題の処理についていろいろ審議して参りました点は、越中島にある旧の水産大挙を返還すべきである、こういう考え方に立つて従来とも強い要求をして来たと思うのです。そういうこととは全く無関係対策が今日進められているのですが、この経緯がよくわからないのです旧の越中島水産大学に復帰するということは、教育上何か、狭隘で収容できないとか、そういう理由があるのか、或いはその他の理由によるものか、明らかにして頂きたい。そうしなければ、私どもは従来から深川越中島の旧の水産大学に当然復帰してもらうべきである、こういう見解で従来とも当局要請して来たのであります。ところが今日の説明を聞くと、全く違う方向対策が立てられているということは了解しにくい。又当委員会としても、連合委員会としても、この問題の解決に終止符を打つような努力をしたい、こういうことなんですが、我々の意向も焦点がはつきりして来ない、こういう点がありますので、この点は重要な点であると思います。我々は審議を開始する前に明らかにしてもらいたい。
  9. 稲田清助

    政府委員稲田清助君) 只今の点でございますが、先般水産大学の問題について第一次に考えたのは、新らしい土地を探したのが第一次、その次にはいよいよ平和条約が締結せられることになりましたので、越中島におりまする予備隊関係としても、東京都内において、当時において例えば市ヶ谷なり或いは麻布三聯隊跡なり、ああした旧軍施設駐留軍使つてつたものが相当一年以内くらいに空きそうな見込があつたわけでございます。その当時においては、政府部内といたしましても、もともと水産講習所のときに越中島にあつたことでございますから、あそこにある予備隊が相当適当な建物に移ることによつてそのあとを返してもらいたい、こういうことを方針といたしたのでございます。ところがその後都内における適当な建物が空かないという情勢の変化もございましたし、又かたがた水産講習所、当時は三年課程の専門学校であり、現在は四年の大学であつてもと施設へ入りましても決して土地建物は十分広くないのでございます。そこで考えつきましたのが品川の旧海軍経理学校の跡でございまして、こちらであれば土地の余裕もあり、建物その他を将来拡張余地もございますから、まあこちらのほうにということをかたがた考えつきまして、こちらに方針を変えて参つたような次第でございます。
  10. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私のお伺いしているのは、水産大学を元の越中島の旧校舎に帰ることが教育上最も望ましいと考えているのかどうかですね。その点を私は明らかにしてもらいたい。これは学校当局見解も聞いておきたい。我々に学校当局が当初陳情せられたところは、これは元の学校を返してもらいたい、こういうことなんです。而も越中島水産大学の旧校舎は、決して対外的な関係におかれておらない、国内で処理される。保安庁関係が使用しているわけですから対外的な関係もないのですから国内的に処理できるのです。そういう点から考えて、私は学校当局最初から一貫して元の校舎を返還してもらいたい、少くとも衆参両院の本会議における決議はこの趣旨に従つて行われていると私は思う。学校教育施設を速かに返還すべきであるという趣旨にある。こういう趣旨に基いて行われておる。だからそういう点一番望ましいのは深川越中島水産大学の旧校舎に帰るのが一番望ましい。いろいろの事情でそれがむずかしくなつているからほかにやつているのか、そういう点を明らかにしてもらいたい。この問題につきましては、学校当局意向もこの際従来の関係から考えて明らかに私ども明瞭にしてもらいたい、こういうふうに考えております。
  11. 稲田清助

    政府委員稲田清助君) この施設の問題につきましては、文部省といたしましては常に学校当局と御相談いたしまして、意見の一致の上に行動いたしておるわけでございます。今日といたしましてはやはり将来の拡張というようなことを予測いたしまして、品川の旧海軍経理学校土地を獲得することが最も望ましいことだと考えておるわけでございます。
  12. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それでは私は学校当局者意見は私はこの委員会で聞く必要があると思う。私どもは何もだてに聞いているわけではない。当局者から正式に陳情を受けて委員会として聞いたのはもと水産大学に復帰するようにしてもらいたい、こういう要請なんです。この要請を変更されたということは私は一度も聞いておらない。今局長から聞くと、むしろ新らしいほうが拡張余地があつていいのだ、こういうことである。我々はどちらを信じていいのか、今までの陳情はでたらめであつたのか、極端に言えばそういうことにもなる、こういうことは簡単に私は了承できない。
  13. 相馬助治

    相馬助治君 今、荒木君が申しておることはことの経緯に関して極めて重大だと思うのです。私ども大橋、当時の国務大臣に尋ねて、警察予備隊としては、市ヶ谷乃至は麻布に早急に引越すようにする。大蔵当局とも話合いがついておる、こういう大橋国務大臣言明があつたときが、一番水産大学の諸君も喜んだ頂上であつたと思うのです。我々も超党派的にこの問題は取扱つてどこにも異議がなかつた問題であるから、参議院文部委員会においてもことは片附くと見たんです。問題は時間の問題だと見たのです。ところがそれがいろいろ問題になつて、二十七年七月十日の文部委員会の折には、私どもが承知したのは警察予備隊関係の、それも可なり困難であるから、このまま推移しては水産大学としては非常に困るので、取あえず品川の旧海軍経理学校移転することを学校当局も大体止むを得ないとして承知し、文部省としてもその方向に進むので、参議院文部委員会一つ了解してもらいたい、そういう言葉は使わないが、了解してもらいたいというような意味のことと承知して、これは品川のほうの実地調査をし、同時に水産大学がそれを希望するならばそういうふうに努力してやるのがよかろうというので、暗黙のうちにこれを経過措置として認めたようなふうに心得えていたのです。従いましてその後一、二噂として聞きました。あそこへは商船大学水産大学両方では土地が足らん、行く行くは商船大学は引越して来るのだから、水産大学としては先を見越して新らしいところに移つたほうがいいという説もあるとか、ないとかいろいろ聞きましたが、正規の委員会で我々はそれ以上の説明を聞いていなかつたのです。ところが今になると成るほど稲田局長言明によると、品川のほうへ行くことが、学校当局も熱望していて、文部省もその趣旨に副つてつているのである、而もその品川のほうは今度はわけがわからなくなつてしまつた、全くこの問題みたいに最初手掛けたとき簡単だろうと思つて始まつたのに、埒のあかない話は全く我々は他に類例を見ない、初めて来た吉田さんが、事は簡単だとおつしやつたが、全く事は簡単なんです。今までの苦労して来た人以外は、こんなことで合同委員会なんか開いて大袈裟にやつているのは滑稽だとすら思われると思うのです。その経緯を知つているものにして見れば、こういうことをやらざるを得ない段階に追詰められて来ている。我々としても責任上どつちかに結論を出さなくてはならない状態に来ている。従いまして私も今の荒木君の質問是非委員長においては取上げられて、大学側責任ある回答を求めたいと思います。
  14. 青山正一

    青山正一君 この席上、学校のほうの学長はどうしたわけかお見えになりませんが、教授のかたとか、或いは事務局長のかたとか、或いは後援会長もお見えになつております。若し荒木さんなり或いは相馬さんの話に参考になるような面があつた是非とも一つ臨時的に参考人としてお話をお願いなすつたらどうか、こういうことを御審議して頂きたい。
  15. 相馬助治

    相馬助治君 荒木さんにしても私にしても学校当局をとつちめようなどという所存は全然なく、反対なのであつて従つて会議形式上臨時に参考人としてお聞きすることが学校にも迷惑である、委員長としてもその取扱いは可なり困難だというならば、いずれあと機会速記に載せて正式に意見を聞くとして、プライベートの形式でもなんでもいいから、とにかく学校の肚を聞きたいのです。我々は本気になつているのに御本尊様のほうで何か勝手なことで乳繰り合つているのではどうにもならない。そういう意味で、何らかの形で話を聞きたいというのですから、そこは委員長において、詰問しているのではないのですから、事と次第によつて文部省のことは詰問しますが、大学のことは詰問していないのですから、そこをよしなに一つ……。
  16. 青山正一

    青山正一君 速記をとめて一つ……。
  17. 川村松助

    委員長川村松助君) では懇談会に移ります。    午前十一時三十一分懇談会に移る    ―――――・―――――    午前十一時五十八分懇談会を終る
  18. 川村松助

    委員長川村松助君) それでは懇談会を閉じまして、委員会を再開いたします。
  19. 相馬助治

    相馬助治君 今の懇談会中に同僚岡田委員から、この際局長に質したいことがあるということですが、文部大臣見えておるから、私はやはり責任者として一応文部大臣に最近の経過を質して、それからのほうが順序かと思うので、委員長において文部大臣質問を許して頂きたい。
  20. 岡田宗司

    岡田宗司君 私は文部大臣には、経過についてはよく御存じないと思う。そこで私から局長に最近の経過質問して、その過程において文部大臣にも頭へ入れてもらつて、それから文部大臣のお答えを得たい、こういうつもりで私は局長質問を開始しようとしておる。
  21. 相馬助治

    相馬助治君 先ほどの委員長がちよつとおつしやつたことにとらわれているようですが、若しも最近に閣議等においてこういうことについて触れていた点があつたならば私はそれを聞くのが順序であると思つて、そういうことは一切ない、こういうことですと岡田さんのおつしやるように取運んで頂きたい。従いまして是非発言を許して頂きたい。
  22. 川村松助

    委員長川村松助君) 岡田君のほうはそれで差支えございませんか。
  23. 岡田宗司

    岡田宗司君 相馬君にやつてもらいましようか。
  24. 相馬助治

    相馬助治君 この際文部大臣にお尋ねして置きたいのでありますが、かねて懸案となつておりまする水産大学校舎の問題につきましては、参議院においては文部水産連合委員会を初めとして何回か委員会を開いてこの問題について種々審議し、又当局にも助言めいたこともして参つたわけですが、一進一退のような状態で、未だに解決のめどが付いておりません。従いましてこの問題は越中島校舎を明け渡すという場合には保安庁だけの問題ですから、閣議において簡単に話合いができる問題であろうと、こう存じておりますが、ところが品川経理学校の問題が出て来ておりますので、これは外務省に連関を持つて来ると、かように存じております。又これらの関連において国費を使用するという意味で、大蔵当局との連関も又重要でございます。従いまして大臣就任以来本問題に関して、閣議において何らかの形で話合いになつた事実があるかないか、これがお尋ねしたい一点です。閣議において話合いがないまでにも、事務当局をして保安隊或いは外務省或いは大蔵省等に交渉せしめた事実ありや否や、この二点をお尋ねいたしたい。
  25. 大達茂雄

    国務大臣(大達茂雄君) この問題は閣議で話合つたことがあるかどうかというお尋ねでありますが、これは閣議の席上でこの問題を提示して話合いをしたことはまだありません。ただ木村保安庁長官と私との、これは閣議ではないのですが、話では保安庁長官は自分としても一日も早く明け渡しをしたいということを言つておられました。ただこれはまあ行先の問題もありましようし、それに伴うて予算の問題もありましようから、そう簡単に行くものではないと思つておりますが、保安庁長官はそういう意味のことを私には話しておりました。それから事務的には大体私ども承和しておりますところでは差当りもとの経理学校の一部の建物を明け渡してもらいたい、こういう線で事務的に折衝を進めておる、こういうふうに承知しております。
  26. 相馬助治

    相馬助治君 従いまして経理学校の一時的な使用の交渉中であるということを所管事項として大臣は伺つたという程度で、未だ大臣の意思を以てこれが促進するような事務当局をしての取り運びはさせていない、こういうふうなお話のように承わりましたが、この問題は然らば今後はどういうふうに差当りなさる御予定ですか。
  27. 大達茂雄

    国務大臣(大達茂雄君) ただ事務当局から事務的な報告を受けたというだけじやないのでありまして、実はこの問題につきましては水産大学の学長からもよくお話がありまして、とにかく海軍経理学校の一部の、六棟ですか、それだけのものだけでもとにかく使用ができるようにしたいと、こういう学長からの申入れがありまして、その意味で事務当局に命じて関係の方面と折衝させておるのであります。私の受け取りました報告によりますれば、次回の合同委員会ですか、合同委員会の話合いで何とかこの問題も解決の見通しが立つんじやないかと、こういうふうに存じております。
  28. 相馬助治

    相馬助治君 岡田委員からの発言もありますので、その了解の上に立つて私が質問しておりますから、大臣の答弁は了解するという段階に私は参つておりませんが、ここで私は大臣への質問を保留いたしまして質問を止めます。ただ大臣に一言申上げておきたいことは木村保安庁長官との話合いでは行先があるならばここは明け渡したいという意思を持つていると、こういうことで大臣もそれをよい意味において聞かれたと思うのですが、そういう一つの、この政府部内における言葉のやり取りは過去三、四カ年間に亙つて或いは右左と言葉が繰り返えされて参りましたもので、私どもとしてはという予定だ、という善意の意思を持つておるという程度では本日は納まらない段階に来ているという意味合でこの合同委員会を持つておるのでございまして、さような意味合いにおいて一つ大臣のお答を給わりたいと思います。従いまして答弁されたことについて、一々了解はまだしておりませんが、一旦私の質問は打ち切ります。
  29. 岡田宗司

    岡田宗司君 局長にお伺いしますが、あなたがこの問題についてずつと長いこと専門的にやつておられたのですか。
  30. 稲田清助

    政府委員稲田清助君) 文部省といたしましては所管は管理局長でございます。
  31. 岡田宗司

    岡田宗司君 管理局長をどうして喚んでないのですか。
  32. 川村松助

    委員長川村松助君) 喚んでおりますけれども、先方の都合で出席いたしかねております。
  33. 岡田宗司

    岡田宗司君 今日の委員会最初から一番深い関係のある人が一人も出ていない。これで論議するから、今までのようなことになる。だからやはりその一番深い関係のある人に全部出席してもらつて、そこで話をしなければ本当の解決の途は見出せん、こういうふやけたやり方では私は最後の解決までは到底行かんと思います。そこでもう早速今言つた管理局長、それから国際協力局長、それから特調の長官或いは越中島の問題ならば保安庁の長官でなくともよろしいと思います。増原次長でも誰でもいいから喚んで頂きたい。
  34. 川村松助

    委員長川村松助君) 保安庁関係が来ます。
  35. 岡田宗司

    岡田宗司君 誰ですか。
  36. 川村松助

    委員長川村松助君) 窪谷経理局長
  37. 岡田宗司

    岡田宗司君 どうも管理局長が来ておらんと、大臣にどの程度のことを管理局長から報告をしてですね、そうしてこの問題がどの程度重要であるかということについて大臣にどういう話をしておるかということがわからなければ、私としてもどうもその局長に先ずお伺いして、そして具体的に大臣にどのくらいのことを申上げておるのかということに基いての大臣への質問ができない。それで私はそういう人たちの来るまで質問を保留します。
  38. 青山正一

    青山正一君 大臣が御出席なさつておられますもので、大臣にちよつと御意見を承わりたいと思います。先程も大臣の御意見によりますると、木村保安庁長官もこの移転問題について、できるだけ速かにこちらのほうを引揚げて、それを学校側へ渡すと、こういう御意見のように承わつたわけでありますが、学生側から木村保安庁長官に対する質問に対してその回答書が正式に来ておるわけでありますが、その回答書を見ましても、只今の大達文部大臣のおつしやる通り回答書が来ておるわけであります。念のために申上げますと、これは第三の項目にその回答書が載つておるのでありますが、本庁舎の移転問題については、長官以下関係者学生諸君の要望に応えるべく全力を挙げて大蔵省その他関係方面と折衝し、その成果が本国会への予算の提出となつたのである。本国会への予算の提出となつたのであると、こういうふうに書いてあるわけであります。ところが先ほど、これはまあ大臣が御出席のないうちにいろいろ論議があつたわけでありますが、今品川の一部を使用するにいたしましても、それだけではこれは半分しか収容できない。それから又この久里浜両方離れてやるのじや、これはどうしても新制大学として日本にただ一つ水産大学として進んで行く場合においては、これは遠く離れておつたのではこれは困るというわけで、学生などの意見もそこにあつたわけでありますが、そこで只今おつしやつた、木村長官との話合いを、品川ばかりじやなしに、あとの全部として、まだそれに相当するだけの敷地というものが必要であるから、一つそちらも渡そうという御意見がありますかどうか、その点について承わりたいと思います。つまり品川は一部使用である。品川だけではこれは足りつこはないのだ。品川だけでは半分しか使えないのだ。学生の半分しか収容できないのだ。あとの半分を久里浜から移転して使わすのに、その越中島を、いわゆる保安隊の出たあとを使わすという御意思があるかどうか、その点の意見を承わりたい。
  39. 大達茂雄

    国務大臣(大達茂雄君) 私は実は従来のいきさつなり、或いはどつちが希望かということについては、学校側、又学生諸君側の意向を実はよく詳しく存じません。私の考えといたしましては、どちらにいたしましても現在の経理学校の一部をまあ使用することができるとなつた場合に、経理学校あと建物が急速に、早い時期に駐留軍がどくということになれば、それを使うということも一つの方法であるし、それから、そのほうが捗らない、保安庁移転のほうが先に実現するということになれば、越中島学校と遠い距離でもないから、今の経理学校の一部と、これを併用しても、とにかく久里浜を早く引揚げたほうがいいだろう。どつちでなければならんというようなことは、そこまで来てあとの問題で、現状ではとにかくどつちでもいいから空けてもらつて学生諸君が一緒に勉強できるようにする、こういうのがいいのじやないかと思います。
  40. 秋山俊一郎

    秋山俊一郎君 大臣は就任まだ日が浅いので、実情を御承知ないのが当然だと思いますが、先ほどから同僚議員がしばしば発言しておりますように、この問題はもう随分長いのでありまして、合同委員会を、これで水産文部合同委員会を開くことが三回目であるし、水産でも開いておりますし、文部委員会は単独で何回も開いておりまして、この問題を論議しておるのでありますが、常に論議につきまして、今日まで解決を見ないでおります。大橋国務相、天野文部大臣は共に現在の久里浜大学は御覧になりまして、これじやいかん。何とかしなければいかんと熱意をもつてつておる。ところがその熱意も何ら効を奏していないで、いろいろ右往左往しまして、遂に先ほど来お話品川の経理学校跡の一部を使わせようということになつて来たのです。これは決して我々の満足すべき状態ではありませんけれども、現在の状態では到底放つて置けない。まあ止むを得ないから一応そこにでも収容して、又後日現在の経理学校跡の広い敷地の一部が更に使えるようになれば結構でありますが、それが若し長引くとなれば急いで越中島を空けてもらう、こういう方法をとるより外方法ないとして、学校当局学生諸君も熱烈なる運動をして参つておりますが、最近聞くところによりますと、その品川の一部を使わせる、三千坪の校舎を使わせるということも、小泉移転の駐留の計画が一応取りやめになつたために、更にあの一部に駐留軍建物を建てなければいけない、その建物を建てるための経費の問題でいざこざがあつたということを仄かに私は聞いております。先ほど来話がございましたように、一方は四億かかる、一方は一億五千万しか予算がないということで、先ほど大臣のお話のうちの次回の合同委員会に何とか解決する道があろうというお話がございましたが、それはどういうふうに解決するお見通しでありますか、かねがね私は大橋国務大臣にいたしましても、先ほど来話がありますように、講和条約が発効したら九十日を経たら、来年の七、八月頃には越中島が解除になるだろうと期待をしておつたが全く水の泡になつた。又今度の合同委員会におきましてもさような轍を踏むのではこれはどうにもしようがないと思うのですが、只今そういうお話がございましたので、そのお見通しについてお伺いしたいのであります。次回の合同委員会はいつ頃開かれて、大体そのお見通しはどういうのであるかということを大臣から伺いたい。
  41. 大達茂雄

    国務大臣(大達茂雄君) 私の報告を受けております限りではやはりその建物がある、それについて駐留軍のほうですか、調達庁のほうですか、その側と大蔵省のほうとの間に話合いがつかんで今日まで来ておる。それが最近大蔵省のほうで相当譲つたと言いますか、成る程度の所要の建物を建てるという線に話合いが、大蔵省考え方ができまして、その結果次回の合同委員会では恐らく話がまとまるであろう、こういうふうに聞いておりましたので、その意味で申上げたのであります。
  42. 秋山俊一郎

    秋山俊一郎君 大体さような線で解決がつくならば大変結構でありますが、いずれにいたしましても現在それが解決しましても決して満足すべき状態ではないので、今後の問題は残されるわけでありますが、私はこういう問題は学校として文部省に頼る以外に方法はないのであります。文部省が本当に熱を入れてやつて頂かなければ、学生にいたしましても学校当局にいたしましても、外務省に行つた、或いは大蔵省に行つたのでは、どうもしつくりしないりであります。そこで我々としては文部省関係のかたがたが本気になつてつて下さることを熱望いたしますので、それが今日までこういうふうな結果を見ておるということに甚だ私ども不満を持つておる。前回以前におきましては天野大臣がお立場もありまして、強い主張もできなかつた場合もあつたかも知れませんが、大達文部大臣はさようなことはございませんし、強力にこれを、この問題を推進されまして、もう八年も学生は右往左往しておる、久里浜駐留軍から追われたと申しますか、追われまして、そして跡へ当時の予備隊が入り、現在の予備隊が入つた。又久里浜であそこの大学として将来水産の学園として行こうという、学校当局は大きい構想をもつてつたところが、又あれが予備隊が入つて来てぐんぐん追い込められて、隅つこの便所を改造して研究室を造つたり、便所のそばに食堂をおいておるとか、私も当時実地を見ましたが、私は網走監獄を見て帰つて来てあの状態を見まして、網走監獄よりひどいじやないかと言つたくらいであります。そういうようなみじめな状態学生を置くということは我々水産関係といたしまして、今日、日本の食糧問題に非常に貢献しておる状態といたしましても放つて置けない、一日も早く解決をしなければならんという考えをもつてかような合同委員会を開いてやつておるわけであります。どうか一つ所管の大臣といたしまして、これは他の我々が大蔵省とか或いは外務省を喚んでどうかしないでもよいように強力にやつて頂きたいということを強く要望する次第であります。
  43. 岡田宗司

    岡田宗司君 これは文部大臣にお伺いというよりちよつと申上げておきたい、今日こうやつて合同委員会を開いてですね、そしてこの問題について何遍もやつた問題だが、何とか一つ最後の結論を見出して、学校側並びに学生側に満足を与えるような結果を一つ選びたいと、こう私ども考えておる。ところがこの問題の当の責任者が或いはまあこれを担当しておられる管理局長が出て来てないのじやないか。これはあなたのほうの管理局長ですがね、そういうようなことで一体文部省が誠意を持つてこの問題に当つているかどうか。それからほかの関係のところ、まあ私に言わせれば皆逃げてしまつておる。やかましい問題だから逃げてしまつておる。そうして誰でもおざなりな答弁をして、そうしてあとは野となれ山となれ、これが八年間積り積つてこういうことになつた。ですから、私はここで以て余ほど大臣もしつかりやつて頂かなければならんと思う。今秋山君も言われましたように、水産ということは、日本の産業における地位、今後の発展を期さなければならん点から言つて、当然放つておくべき問題ではない。根本的なこの水産教育に対する文部省の態度というものがあるならば、それに基いてもこの問題を解決をしなければならない。それなのにただ右往左往して、やああつちの校舎が接収されておつてだめだ、やあこつちがだめだ、これで八年間暮した。文部省というものは一体こういう問題に対して、責任を持つてものをやる人がいないのかどうか、これを私は考えてみたときに、甚だ文部省の行政力というものが情けない状態にある。これを大達さんは内務省におられて強い行政力を振われたかたなんです。そういう面について一体どういう心構えでこの問題の解決をおやりになるつもりか、先ずそこからお伺いしたい。
  44. 大達茂雄

    国務大臣(大達茂雄君) 誠に御尤もなお話だと思います。今後十分努力をしまして、できるだけ早く解決するようにいたそうと存じますので、又皆さんがたにおかれましても、この上とも一つ御協力、御鞭撻をお願いしておきます。  それから今管理局長のことでございますが、実は明日の閣議にかけなければならない相当長い法律案がありまして、法制局とこの二、三日殆んど夜を徹するようにして間に合わせるためにやつておりますので、それで間に合わなかつたのでありますが、どうぞ一つよろしくお願いいたします。
  45. 岡田宗司

    岡田宗司君 まあ成るだけ努力するということは、これは大臣として言われるのはまあ紋切り型なんで、私どもそういう答弁を期待しておつたのではない。管理局長からあなたのところにすでにこれについて何らかの解決案或いは解決案よりももつと根本的に、水産大学というものは今後どういうふうにして発展さして行くかというようなことについてのお話があつたかどうか。そしてそれに基いてこの現在の水産大学の状況をどうしなければならんかというような案について、管理局長からあなたにお話があつたかどうか。又それに基いてあなたはどう判断を下されておるか。或いはどういうお考えを持たれておるかということをお伺いして、それの実現についてはどういうふうに努力されるかということをお伺いしておるんです。
  46. 大達茂雄

    国務大臣(大達茂雄君) 先ほどお答え申上げましたように、関係局長からこの問題については、すでに報告も受け、又現在文部省がこういうふうにして解決したいという方向につきましても私承知しているのでございますが、私が報告を受けました当時におきましては、只今申上げましたように大体経理学校ですか、それを以て水産大学の将来の校舎施設に当てたい。こういう考え方のようであります。併しこれはとにかく暇がいつてはしようがないことでありますから、私は、とにかく先にどういうふうに整備するということは先の問題といたしましても、目先、とにかく久里浜から引揚げて、同じところで勉強のできるようなことに早くしたい、こういうふうに考えているのであります。駐留軍のほうは、何か朝鮮の事件がすつかり治まつてしまえば、比較的短期の間に引揚げるというような話も聞いております。保安庁のほうも、今度予算に庁舎の予算が出ているそうでありますから、予算が通ればこれは庁舎ができ上るまでというと相当先のことになるかも知れませんが、解決するめどは一応ついているのじやないかと思つておりますが、とにかく一日も早くそれができますように、今後とも一生懸命でやります。
  47. 相馬助治

    相馬助治君 大達文部大臣の意思、それはよくわかりました。ところが問題は、いつでもこれは文部省がふざけていてこの問題が解決しないのではないのです。文部省が弱いために、力がないためにということならば、或いはそうかも知れないが、不誠意なるが故に解決しないということはないのです。そこで私は、具体的に二点どうしてもお尋ねしたい。当然これは岡田委員質問に対して、そういうお答えがあろうと存じて、具体的に差し出がましく、余り執行府である文部省に劈頭からこういうことを言うのはどうかと思い控えていたのですが、お尋ねしたい第一点は、大蔵当局と話合いが進んでいるから、次の合同委員会で解決するようになるであろう。この内容について、数字的なことがあると思いまするから、あなた自身が数字を明確に記憶しないということもわかりますから、これは関係管理局長見えたようですから、管理局長をして答弁させ、大臣がそれを確認して頂きたいことが一点。  第二点は、越中島校舎にいる保安隊を出して、そこに入るのが一つ。或いは品川の経理学校のほうを外務省努力させてそこに入るのが一つとこれだけしか言つていない、実に智慧のない話だと思う。もう一つあるのです。それは新らしく校舎と校地とを創設して、そうして理想的な水産大学を建てるということなんです。恐らくこれに対して賢明な文部大臣は、それは理想案であつて、国家財政の規模からして不可能であるという答弁があるであろうと思う。なければいいです。なくてそうしますということならばそれでいいが、そういうことをおもんぱかつて、私がこういうことを自身を持つて言う理由一つ附加えておきますが、昨年議員立法を以て神戸商船大学が創設されたことは、当時野にあつても大達文相は御存じだと思います。これは会計年度の中途において、議員立法を以て、神戸商船大学を創置するという法律が出て、財政的にこれをどうするかという重大な問題になつたときに、当時文部大臣大蔵当局と大いに折衝をされて、予備金から支出したのです。私ども社会党、これは両派社会党ともでしたが反対した理由は、当時商船大学のできることは結構だが、現に水産大学はもうあのようなみじめな状態におかれているじやないか、こういうことから解決せずして、商船大学を、すでに一校あるものに、又神戸に作るというがごときは本末顛倒も甚だしい、神戸商船大学ができることは結構極りないが、この段階では我々は賛成できない。かように突張つたときに、いろいろ委曲を尽して、この水産大学については、抜本的に解決の意思があると、こういうことを聞いて今日に至りますと、これが不渡手形であつたことがはつきりしました。当時我々はさようなことを考えずに、止むなく賛成して満場一致を以て神戸商船大学を作つたのであります。この経緯に鑑みるならば、この熱意があるならば、これはこの際一つ明らかにして頂きたいことは、その二つの方法に対して加えてもう一つ、その二つの方法が解決しないときには校地、校舎を創設して水産大学をして満足せしめるというのではなくして、日本の水産教育の完璧を期せられたいと思うのですが、これらに対して一つ大臣の明快にして、而も自信のある答弁をこの際伺つておきたいと、かように存じます。御返答によつては次に申したいことが大分ございます。
  48. 大達茂雄

    国務大臣(大達茂雄君) 新らしく理想的な施設の完備した校舎ができる、これは無論結構であると思いますが、ただ目前の問題といたしましては、とにかく現状は久里浜で非常に窮屈な、粗末なバラックで勉強をしておる学生諸君を、何とか東京の適当な校舎に収容したいという、差当つての問題を中心にして考えているのであります。これは御指摘の通りに、非常に結構な案でありますが、併し非常な経費が必要でありましようから、大蔵省がなかなか簡単に同意して金を出してくれるということは、まあ余り期待が持てないだろうと思うのです。特に保安庁のほうではすでに本年度の予算に庁舎の建築費を計上されたそうでありますから、これができ上ればとにかく越中島のはうが空くという理窟になつて来るのであります。今の経理学校のほうにいたしましても、朝鮮事変の収まり如何によつてはこれも比較的短期間に空くという、こういう見込がありますから、取りあえず今現にお話のように、理想案につきましては二十八年度予算には勿論その片鱗も出ておらんのでありますから、早くということになれば今の越中島のほうに早く入るか、経理学校のほうに早く入るか、それが第一段階として、そういう方向にまあ比較的実現性の見込のあるものに力を注いで行こうと、こういう考えでおります。
  49. 相馬助治

    相馬助治君 念のためにもう一言言葉を添えたいのですが、私はこの今越中島の問題、品川の問題等を放棄して新たなる構想に立つて校舎を建てろと言うのじやないのです。それには差当りの問題として、大臣が苦慮しておられる、今後も苦慮され、努力されるということを多としているのです。それが不可能な場合には校地、校舎を新たに求めてやるよりほかにないんじやないかという点から、大蔵省がすぐにうんと言わないことはこれははつきりしております。併し昨年の神戸商船大は予備金を支出してまで学校を作つたのだからやつてやれないことはないと思う。文部省大蔵省が文句を言うとか、言わないは別として、文相の決意はどうなんだ、あなたの政治力が今率直に言つて我々にしては未知数だし、おつしやつても実現するか、しないかはこれは別問題として、ともかく文部大臣としてこういう決意があるということを伺えれば、我々も又おのずから途が開けるような気がするので、御決意を伺つておるのです。
  50. 大達茂雄

    国務大臣(大達茂雄君) 今の越中島なり、経理学校の問題が片付かんということになれば、無論仰せの通り学校を作らなければならんと思います。いつまでも久里浜の窮屈なバラックのような所に学校を置いておき、これが永久に続くものだとは思つておりません。どうも昨年の神戸の大学ができたときの事情は私はよく存じませんが、法律ができてしまえば、御承知のようにこれは法律でそれを是非やらなければならんということが国会の意思として決定いたしますから、政府としては予備金支出であろうと、或いは補正予算を出そうと、何らかの方法でこればどうしてもそうしなければならん。とうも政府の内部において、大蔵省にとうしてもこれを出せという力は甚だ遺憾ながら……。国会の議決というものは決定的なものですからその点は一つ御了承頂きたいと思います。
  51. 岡田宗司

    岡田宗司君 只今文部大臣お話伺つていると、何か経理学校のほうの分が見込のあるようなお話なんです。ところがさつきの学生諸君の話ですと、国際協力局へ何遍か行つたところが経理学校の使用も見込がないというような答えなんですね。そうすると、まあ保安隊の使つているほうが或いは空くかも知れんけれども、経理学校のほうは見込がないということになるんじやないか。朝鮮事変が片附いて、それで直ぐに向うが一部でも返すということは少々甘いような考えかたなんですが、国際協力局のほうを確かめて見られておらないような気がするんですが、この際そこいらは管理局長が折衝に当つておられるはずなんだから、管理局長からその折衝の経過一つ話して頂きたい。
  52. 川村松助

    委員長川村松助君) ちよつとこの際御報告いたします。近藤管理局長と、外務省国際協力局第二課長の安川君が見えてますからどうぞ。
  53. 近藤直人

    政府委員(近藤直人君) 水産大学の問題につきまして、私が昨年一月に就任以来この問題に関係しております。又私が主管局長といたしまして非常に責任を感じておりまして、今日まで八方手を尽して参つたような次第でございます。御承知のように、芝浦の経理学校の跡へ移るということも、実は私が大蔵当局といろいろ話合いましてこの案を提案したようなわけであります。私自身といたしましてこの経理学校の跡を確保するという点につきまして非常に責任を感じているのでございます。只今までの経過につきましては、すでにお手許に資料を差上げております通り、漸く最近に至りまして経理学校の一部が使用解除になるという見込でございます。これも近く日米合同委員会で決定を見るものと考えておりますが、問題は一部ではなくして芝浦の経理学校の跡の使用坪数を水産大学教育をするために必要な使用坪数並びに施設を確保するということにあることは勿論でございます。私といたしまして、外務省とも更に打合わせまして、この問題の速かなる解決につきまして一層今後努力をして参りたいというふうに考えております。(「見込ありますか」と呼ぶ者あり)只今のところは、最近国際協力局のほうの御意向によりまして、昨年の十月五日、参議院議員青山正一先生から質問書が出されまして、それに対する回答通り外務省大蔵省といたしましては、旧経理学校の跡に文部省の要求に応じて使用坪数を確保する。そうして経理学校の跡にある救援本部が入つておりますが、これは群馬県の小泉地区に移るという方針には変化ないのでございます。従いまして只今のところ、やはりこの方針に従つて参りたいと、かように考えております。
  54. 岡田宗司

    岡田宗司君 今のお話を聞いているというと、経理学校のほうへ努力されている、これはよろしい。(「よくないんだ」と呼ぶ者あり)ところが一体経理学校のほうの見込はどうか。只今お話だというと努力をいたします、国際協力局に話をいたします云々ということ、私伺いたいのは国際協力局の第二課長のほうでこの問題を取扱つているのかどうか知らんが、一体国際協力局のほうはアメリカ側と折衝して具体的にどの程度まで進んでいるんです。それで見込があるのか。
  55. 安川壮

    説明員(安川壮君) お答え申上げます。只今管理局長から御答弁がありましたことに補足して申しますが、現在までの折衝経過は省きまして、現在到達している結論を先に申上げますと、現在経理学校を使用しております米軍の補給部隊のおります土地の一部を解除して返還するということはすでにきまつております。その条件といたしましては、ここにあります施設の代替建築を日本側で行なうという条件の下に返還するという話はすでについております。ただこの時期につきましては、すでにその話合いができておりまして、又代替建築をやる費用につきましてもすでに四億円を安全保障処理費から支出して建設するという話がついておりまして、現在米軍から設計図の提出があり次第直ちに工事にかかれる段階になつている。従つて実際この返還の時期がいつになるかということは、結局代替建築の完成の時期にかかるわけでございますが、これもできるだけ来年春の学期に間に合うように建設を進めることを期待しております。それからその他の地域については現在外務省としてはつきりとした返還の見込があるかということは現在のところ遺憾ながら申上げかねます。これは先ほど話がありましたように、将来は群馬県の太田に移転するという方針はきまつているのでございますが、私の承知するところでは現在のところは朝鮮事変と非常に関連があり、従つて朝鮮事変の進行中はあそこを引退くということは米軍としてはできない。従つてこれが他の地域がいつ返還になるということは朝鮮事変の成行きにかかつているというような次第で、現在外務省としてそれについていつ頃返還できるかということははつきり申上げられないということであります。
  56. 岡田宗司

    岡田宗司君 只今国際協力局のほうの人の話を聞いておりますというと、まあ極く一部の代替建築を作るということで、これも来年の春までに云々というので、一部退いてもらうという話と大分違う。それで一部退いてもらつて橋頭堡を設けるというようなこととは全然違うんですな。而もその面積その他から言つて、これが学校の敷地として適当であつて水産大学としての機能を十分に果せるかどうかも疑問があるのです。全くのあわてた、つまり何といいますか、その場限りの間に合わせのやり方なんです。まあ間に合わせのやり方でも或る場合にはいいのですけれども、併しこの程度の間に合せのやり方ではこれは水産大学の機能を果さない、というと、やはり文部大臣にもう一遍その点について十分にお考えになつて、そういう場合についての考慮というものを払われなければならんのじやないかと思うのです。今の実情の報告ですと、大分管理局長の言う希望とはかけはなれているのじやないですか。その点管理局長どうお考えになるか、先ず管理局長にその点をお伺いして、そのあと一つ文部大臣から、そういうようなことでは一体駄目だと思うのですが、その場合における文部大臣のもう一つ考え方、第二案とでもいいますか、とにかくその肚を一つお示し願いたい。
  57. 相馬助治

    相馬助治君 今の岡田委員質問に関連して、文部大臣から答弁のある前の管理局長に要求した質問に附加して私ははつきりお尋ねしておきたい。この品川土地が明け渡されるか明け渡されないかということについて、三人が三様の答弁をしている。稲田局長はまあこれは最初は可能であると思つて進めて来たが、最近かなり困難な状態にある、併し努力する、こういうことを言つている、これが一番正直だと思うが、その点近藤さんのほうになると既定方針通り学校移転し、そうして学校が来れば今の施設が他に当然行くようになると青山議員質問書答えているというのは、それはもう局長よく知らんのであつて青山議員に対しての答え品川のほうの引越をやつて、それができたらば水産学校に明け渡す。話が逆です。これが当然でしよう。そこへもつて来て今度は今の安川課長はなんとも言えないというのですが、なんとも言えないのじやなくて、現在の段階じや極めて困難だという稲田局長言葉が現実に一番適応しているか、適応していないかは別として、近いものであるとして把握するよりほかはない、そこで近藤局長は先ほどの答弁に連関してどういうふうにお考えになつているのか、見込があると思つているのか未だ交渉中で、こういうふうなことであるから見込があると、こういうのか、それとも極めて困難で、この辺で方針を一擲して、もう今度は保安庁でも動かさせるほうに力を注ぐよりほかはないと実は肚の中では思つているのかどうか、そこらをはつきりこの際尋ねておきたいと思います。
  58. 近藤直人

    政府委員(近藤直人君) お答えいたします。  第一点の見込の点でございますが、この点につきまして私は先ほどお話がございましたが、学生の話では云々ということがございますが、私は見込があるというふうに考えております。それで従来の方針に副いまして今後とも外務省と折衝をいたしまして、是非この地域に水産大学を移したいという考えを持つております。それから話は遡りますが、水産大学は当初はこの越中島の旧校舎に復帰するということで実は陳情をして参つたのでございましたが、今日の現状におきましては、水産大学といたしましては、越中島校舎では到底十分ではございません。従つて越中島だけに収まるということは今日の現状におきましては私は十分でないというふうに考えられます。従いましてこの際越中島に優るとも劣らない地域がありますれば、その地域に移るということが最も理想である、かように考えましてこの芝浦の旧海軍経理学校に移るということで続けて参つたのでございます。従いまして幸いにして今日のところでは一部解除というところまで漕ぎ付けたのでございますが、今後とも所要の地域の確保に外務省とも協力いたしまして移ることができるように努力して参りたい、かように考えております。
  59. 岡田宗司

    岡田宗司君 只今の近藤管理局長お話伺つていますと、大臣の言われるのとどうも違つているように思います。成るほど保安庁使つている校舎は狭くてあそこは十分でない。それにも優るいい広いところがあるのだからそれを一つ使いたい、これについてはよくわかる、結構な話である、ところが今近藤局長の言うような話ですと、まあ一部の解除という問題は話が付くそうですが、あとの点はどうも近藤局長考えているような甘い話じやない。第一朝鮮休戦が終るまで小泉に引越せないというような話を今国際協力局の人が話しておる。これはてんであてにならんと思うのです。そうするとそこへ全部を収容するというようなことを今後やろうということは、少々この際見通しがなさ過ぎるのではないか。一体保安庁のほうの使つておる校舎のほうについてはそれじや管理局長はどういうふうにお考えになつておるか、これに対してどういうような処置をとられるのですか。
  60. 近藤直人

    政府委員(近藤直人君) お話のように越中島の旧水産学校建物只今保安庁がこれを使用しております。この点につきましては私といたしましてしばしばその明け渡しの要求をして参つておりますが、保安庁といたしましてはすでにお聞き及びと思いますが、予算はございますが、何分適当な候補地が見付からない、移転先が見付からないということで時間がかかつておるような状況でございます。私といたしましては是非一日も早く候補地を見付けて頂いて移転して頂くということを要求して参つておりますが、事情は申上げたような次第でございます。
  61. 岡田宗司

    岡田宗司君 今のお話を聞いていると、又おかしなことになつちやつている。とにかく保安庁のほうはもう予算を組んでそしてこの予算が通れば建ち始める、だからそのあとですぐ成るたけ早く返す、これはまあ大臣の御答弁です。今の管理局長の話だというと、予算は通つても敷地がないから保安庁のほうは越さない、それでどうも困るようなお話である。それじややはり結局水産大学は行き所がない、こういうことになつちやうんじやないですか。この点大臣は管理局長から如何なる具体的な措置についての御報告を受けたか、これをお伺いしたい。
  62. 大達茂雄

    国務大臣(大達茂雄君) 結局只今まあ見込のはつきりついておるのは経理学校の一部を明け渡してもらう。これも、話合いができても翌日からというわけには参らんのでありまして、代りの建物ができるまで、これもまあ、外務省の方もお話のように、来年の春の新学期に間に合うようにできれば先ず上等というところであろうと思います。あとのほうはこれは結局見込みがあるかないかという点は時期の問題でありまして、極く気長のことを言つていればこれは見込があると思う。(笑声)併し早急にそれじやすぐできるかということになると、これがなかなか簡単に何とも言えない点があるのじやないかと思うのであります。(「それじや具体的な答え」ならん」と呼ぶ者あり)そこで先ほども申上げましたように、私はどつちでもいいから早く片付いたほうへ引越したほうがいいと、こう思つておるのであります。そこでまあ私の今の考えでは、とにかく保安庁のほうは本年度の予算に庁舎の建築費というものを計上しておるのでありますから、予算を計上して敷地がないから予算を執行しないというようなことはあり得ないことでありまして、(「その通りだ」と呼ぶ者あり)従つてこれは先ず一年先か、建築にどれだけかかるか知りませんが、一年先か、おそくとも一年半見ておけばこれは比較的はつきり明く筋合いのものだろうと思う。その前に、朝鮮事変の結末、これば私どもにはよくわかりませんが、そういう関係が先に来て経理学校の必要な庁舎が、必要な施設というものがもらえる、もらえると言つてはおかしいけれども、明け渡してもらえるということになれば、そのほうへはいる。結局まあどれくらい時間がかかるかという問題はありましようけれども、それに対する見込みというものは今はつきりしないけれども、結局いずれは明くものであるということは考えていて、成るべく早く引渡しが受けられるように努力して行く、こう思つています。
  63. 岡田宗司

    岡田宗司君 保安庁の方、来ておられますか。
  64. 川村松助

    委員長川村松助君) 見えています。経理局長です。
  65. 岡田宗司

    岡田宗司君 ちよつと経理局長に伺いたいのですが、一体予算は組んで通つたとして、もうすでに前回のときにこれは出されていたものだと思うのだが、そうすると敷地なんかの物色もしておつたろうと思うし、又予算が通つたらどのくらいかかれば学校もできるかということも経理局長はわかつているはずだと思うのですが、そこいらの細かいことを一つここで述べて頂きたい。
  66. 窪谷直光

    政府委員窪谷直光君) 保安庁の庁舎につきましては、先般の不成立になりました予算の中にも提案をいたしました。今回提案いたしております予算の中にも同額が盛込まれておるわけでございます。それでまあ一番困難な問題は敷地の問題でございますが、これは都心に置く必要がどうしてもございますので、そうしますと国有地を御心配願う以外にはないのでございます。残念なことに今私どもが候補地として考えております土地は、いずれも提供中の土地でございます。二つばかり候補地を考えておりますが、私共が一番いいと考えておりまする所が困難があれば、その第二の候補地でも止むを得ないということで、まあ早急にその解決を関係各省の協力を得てやつてつて建築に着手をいたしたいというふうに考えておりますが、建築の技術的な工程から申しますと、どうしても早くて完成は二十九年末になろうかと思います。従いまして予算も大体そんなような恰好になつておりまして、支払いが年度内にできますのは大体四割程度できる、あとの六割というものほどうしても二十九年度に延びる。それで私共の計画としてはおそくとも二十九年度までにはやり上げたいというようなことで現在考えております。
  67. 岡田宗司

    岡田宗司君 そうすると、二十九年度までは越中島のほうは越せないわけですな。つまり三十年の三月三十一日まではどうにも越中島のほうへは越せない。それじやその片方の経理学校の跡のほうはどれだけの収容能力がある、そうしてこれは一体そのいろいろな折衝を終えてこれができるのにはどのくらいの日数でできるか、これを一つ明らかにして頂きたい。これはどの程度までに折衝が片付いてこれの建築が始まるかということについては、そこまで話が具体的になつておれば、管理局長のほうでも大体のお見通しがあるのじやないかと思いますが、それを一つお話願いたい。それから予算の点についてどの程度になつておるか、その程度をお話願いたい。
  68. 近藤直人

    政府委員(近藤直人君) 越中島の旧水産学校建物が戻りました暁にそこへ復旧する、復旧するにはどれくらい予算がかかるかという御質問かと思いますが。
  69. 岡田宗司

    岡田宗司君 違います。私の質問を聞いていないのです。私はこう言つている。越中島のほうは昭和三十年三月三十一日までは戻る状態にないわけだ。それは別として、そのほうではなくて、一体どのくらいまでに品川のほうのやつができるか。新らしい建物、いや、新らしいじやなく、すつかり直してですね。いつまでにできるのか。これはまあ国際協力局のほうで代替のほうの関係と関連があるのだが、このほうは一体予算がすでに成立しておつて、そのほうの建築の見通しがどのくらいであるか。それがのいた後に直して行かなければならん、学校として使用のできるようになるその計画とその時期、それをお聞きしたい。だから国際協力局のほうの人と両方からお答え願いたい。
  70. 近藤直人

    政府委員(近藤直人君) 実は品川の経理学校の跡の一部解除の施設を視察に参る予定になつております。これは日米合同委員会の決定を待ちまして大蔵省と一緒に参る予定にしております。(「まだ視察もしていないのか」と呼ぶ者あり)見ました上でどの程度修理費に要するかということを検討いたす予定でございます。建物がすでにございますので、要するに修理費でやるということでございます。それから日米合同委員会で決定になりますれば、その只今の地域の附近にその代替施設を設けるわけでございますが、これは多分建設省のほうで受持ちまして工事に着手すると思います。大体先般大蔵省の主計当局の御意向でございましたが、移るということにきまりますれば、その代替施設は規格が殆んど一定しておる建物でありますので、そう長い期間を要しない、早い期間のうちにできる見込であるというお話でございました。代替施設が完成いたしましてそこへ引移つた後に私のほうが修理を開始するという段取になる予定でございます。
  71. 岡田宗司

    岡田宗司君 調達庁の方、来ていますか。
  72. 川村松助

    委員長川村松助君) 調達庁見えていません。
  73. 岡田宗司

    岡田宗司君 それは困るね。これは調達庁の問題でしよう、直す問題は。
  74. 川村松助

    委員長川村松助君) 要求はしているのですけれども、来ないのです。
  75. 岡田宗司

    岡田宗司君 それは揃えてやらなければ駄目だ。
  76. 相馬助治

    相馬助治君 議事進行。私はこの合同委員会を開いて今日中には何とか答えはどうあろうとも結論を出したい、そしてこの際政府側の答弁そのものが不満足な場合には思い切つて新設の運びにでも何でも行くように自発的な努力をしなくちやならないというのが皆の意思だつたと思うのです。ところがやはり正規に閣議でも問題に最近なつていないということでありまするし、各政府委員の答弁を見ましても、いずれもこの問題は他との連関があつて、そちら側と打合せた上でないと明快な責任ある答弁ができないという経緯もいよいよはつきりいたしました。従いまして、誠に残念ではありまするが、もう一回この会を持つことにして、本日は、大蔵、文部、保安、外務及びこれに関係のある各省において早急に責任のある打合せをし、責任のある結論を得、これを閣議の了解事項とされて我々の前にお示し願えるように委員長において政府に申入れ、それを待つて必要の場合にはもう一度この合同委員会を開いて結論に達する、かようにする以外に手はなかろうと存じまするので、委員長において皆さんにお諮り下さつてそのプログラムをきめ、本日の結論にして頂きたいと存じます。
  77. 岡田宗司

    岡田宗司君 ちよつと一つ質問がある。只今管理局長お話を聞いていますというと、これから又見に行くんだ、それから予算もどうもそうするとまだ組んでおらんようなんで、どうも大達文部大臣の言われるような話とは大分違うのですな、てんで逆戻りをしちやつて、今まで何もしていなかつたと同じことなんだ、こういうことじや私仕方ないと思うのです。だから今の相馬君の次回にというのに私も賛成いたしますが、それまでには各関係の省においてはつきりと具体的な答弁のできるように用意をしておいてもらいたい。やはりこれは外務省関係があるし、文部省、それから大蔵省、それから調達庁、皆関係があるのですから、それから保安庁、そういうところのちやんと答えのできる人をお呼び願いたいと思います。そうでなきや今日ここでもつて何時間やつても駄目ですから、そういうような諸君を集めて、そうしてこの委員会をもう一遍開いて頂きたいが、それまでに大達文部大臣においても関係の諸大臣ときちつと話合いをつけて、あいまいでない具体的な返事ができるように、少くとも解決のめどの立つ第一歩が踏み出せるような具体的な御答弁のできるように一つお取計らいを願いたい。
  78. 青山正一

    青山正一君 今岡田さんからもいろいろ御意見もありましたですが、その際にもう一度繰返すというようなことじやなしに、先ほど文部大臣がはつきりおつしやつた、その線ならその線の形で各省ともその意見を一本にしてこちらへはつきり通達でき得るように委員長からそちらのほうに申入れて頂く、こういうことで進んで行つたほうがよかろうと思います。そういうことでないと、こういうことを繰返しておつても仕方がない、各省とも一本になつたものを結論的なものを合同委員会に御発表願う、こういうことにして進んで行つて頂きたいと思います。
  79. 杉山昌作

    杉山昌作君 私はこの次お話を願うときに、さつきから話を聞いて、一番の根本問題がどうもぐらついているように思うのです、というのは、管理局長お話を承わりますと、将来の人数或いは設備の関係越中島は全然問題にならんだろう将来のことを考えると、というふうなことで、大きな理想をもつて品川へやるというふうなことを言つておられる、ところが先ほど後援会の会長さんのお話ですと、越中島が狙いであつて品川へは橋頭堡を築くのだというようなお話なんです。それから学生お話ですと、やはりこれは自分たちの魂の故郷でありましようから、昔から因縁のある、校風の残つている越中島ということが一番の希望であるように伺つております。大達文部大臣のお考えを聞きますと、そんなことはどうでもいいので、取りあえずこの際早急のものを考えたいのだと、こういうことです。そこで、学校をどこへ持つて行くか、どういうふうにするかということは、これは学生にとつて非常に大きな、ただ勉学の便宜というだけの問題じやないので、自分たちがどこの校門をくぐつて来た、そこの校門には何十年来何万の先輩もくぐつたというこの一つの気分、これがやはり卒業してからの精神的な非常に大きな問題になると思うのでありまするが、その根本が今までのお話ですと関係者それぞれ一体それについてどういうふうなことを考えているかということがはつきりしていないのです。そういうことをも併せて、そうして差当りの問題としてはこうだ、将来を考えてこうだとかいうふうなことまでやはりこの際お話願わないと、今までのように話がごたごたになるのじやないかと思いますので、その点をこの次ははつきりさして頂きたいと思うのです。(「異議なし」と呼ぶ者あり)
  80. 川村松助

    委員長川村松助君) お諮りいたします。相馬君の発言に対しまして更に岡田青山杉山君等々から助言がありました。その趣旨に基きまして、文部当局に徹底的な決定案を求むるということに両委員長努力いたします。以上を以ちまして本日は散会いたしたいと思います。御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  81. 川村松助

    委員長川村松助君) 御苦労さまでした。これで散会いたします。    午後一時九分散会