○
説明員(
小倉武一君)
只今委員長からお話の点につきまして概略御
説明いたします。お手許に御配付いたしました「昭和二十八年九月一日、
農業共済制度に関する諸問題とその
対策の
検討資料、
農作物共済について」というものがありますから、これにつきましてお話を申上げます。この
検討資料で目的といたしておりまするところは、国会におきまして、或いはその他各方面におきまして、
災害補償制度につきまして指摘されました各種の問題をできるだけ広汎に網羅いたしまして、それにつきましての考えられる
対策を列挙して、その
対策の可否について或る
程度の検討の結果を加えておるのであります。従いまして体系的な
災害補償制度の
根本対策という案では必ずしもございませんで、先ず
個々の問題につきまして改めて御反省を願い、それによ
つて又如何なる
対策ができるか、こういうことの判断の
基礎資料というふうにお
考えおきを願いたいのであります。ここに書いてあります点は、いろいろの問題、根本問題ということに俗に言われておりますが、それを各種に分化いたしまして列挙いたしておりますので、必ずしも
十分意を尽しておらんように思います。そこであらかじめ蛇足ではございまするけれども、現在の
補償制度のいわゆる根本問題というものについての私見を述べさして頂きたいと思うのであります。
災害補償制度の根本問題は、いつかも御
説明があり、又各方面から御指摘がございまするように、
一つは
農業災害の
特殊性ということがあるのであります。それに
見合つて農業経営の
零細性、この
農業災害の
特殊性は、
農業経営の
零細性の上に
保険制度というものが築かれているところに根本的ないろいろの諸問題が派生して来る原因があろうかと思うのであります。従いまして問題の本質は非常に深いところにあると考えられるのであります。先ずこの
保険制度という点から問題を考えますというと、
保険が成立つためには、申上げるまでもなく危険が存在するということ、それからその危険をカバーするための
需要があるということがどうしても必要であります。なお危険につきましては、危険があるばかりでなくて、危険が偶然性を持
つている。それから
不可抗力的なものであるということと、その他危険に見合う
保険料乃至
掛金が
個別化されるということが根本的に必要になるのであります。
保険の危険と
需要という点の、危険のほうから先ず申上げたいと思いますが、この危険の偶然性と
不可抗力性という点から考えますというと、この
我が国の
農業災害の
相当部分を占め、又ときには超異常になるような、水害、冷害、寒害というようなものは、一体偶然的なものであるかということであります。成るほどいつ起るかも知れんという意味においては偶然でありまするけれども、地域的に考えますというと、相当確定的な要素があるのであります。従いまして
保険の
対象としての危険の偶然性という点から見るというと、必ずしも
保険を
対象としての危険と言うには十分でない性質のものであるように思うのであります。かような水害、冷害、寒害といつたような水との
関係におきまする危険は、相当
地域差があるということが、
災害補償制度の
一つの根本的な
難点とな
つているように思うのであります。
それから危険のもう
一つの要素といたしまして、
不可抗力性ということでございまするが、いつかお配りしました
資料にもありまするように、最近は
病害虫による
災害が相当増大して参
つておるのでありますが、一体
病害虫といつたものの
損害というものは全く
不可抗力なものであるかどうか、防除の
可能性がどの
程度のものであるかどうかという問題でありまして、
病害虫というようなものから考えますと、危険のもう
一つの要素である
不可抗力性ということについて、相当欠けるところがございます。従いまして、
農業災害、
農作物災害から見まする水との
関係における水害及び寒害、冷害というようなもの、それから
病害虫の
災害、こういうものはどうしても普通の
保険の
対象としての危険という点から見ると、いろいろ問題を根本的に含んでおるのであります。
次に、この危険に対処するための
保険料の
個別化、
掛金の
妥当性の問題でありますが、
保険にはいわゆる給付、
反対給付の権衡といつたような
原則がございまして、危険の高い所ほど
掛金が高い、危険の低い所ほど
掛金が安いということは当然の
原則にな
つてお
つて、それが相当
程度行われておるわけであります。ところがこの
農業災害補償につきまして、そういうような
掛金の
等級化乃至は
個別化ができるかどうかということであります。普通の
企業から申しますと、危険の大なるところは大体
特別利潤があるのであります。従いまして、この
特別利潤からは危険の大に伴う
保険料を払うということが可能でありますが、
農業の場合には
災害地はむしろ利潤が少い利益が少い、普通の収量をも期待できないということでありますので、
保険料の高い所が
掛金をたくさん払うという能力が必ずしもないのであります。
従つてこういう
保険料の
個別化、こういうような点から見ましても
保険の
対象とするには必ずしも適しないというふうに考えられるのでございます。これが
農業保険の
対象としての
作物の危険の性質であろうというふうに思います。それから今度は
保険に対する
需要、
農家が
保険にかけたいか、かけたくないか、こういう点についての観察になりますというと、どうしても
日本の
農業経営の
原則というものと
関係があるのであります。普通の
企業経営でございますれば、
保険の
需要というものが
相当大でございまして、
企業の多少の利益或いは経済的な動向ということで、どこまでも
需要に対しての、
需要力と申しますか、そういうものは余り変らないのであります。それを
弾力性が少いといつたような言葉で言い現わしておるようでございますが、利益があろうと、なかろうと、
保険はかけるものであるということが
企業経営の
保険に対する
考え方であります。ところが
農業経営の場合には
保険に対する
需要というものの
弾力性が非常に大でございまして、必ずしも危険があ
つても
保険を
需要せんということが
日本の
農業経営の実情ではないか、かように思うのであります。と申しますのは、
日本の
農業経営の場合に、この
作物災害に対する
抵抗力が
経営内部に備わ
つておるということが或る
程度考えられるのであります。と申しますのは、
一つは
自給労働の問題、
自給生産物の問題、或いは昔ながらの予備的な貯蔵でありますとか、自己の
経営方式、耕地の
危険分散であるとか、或いは更に甚だしくなれば、
消費生活を切下げる、
質量ともに切下げたというようなことで
災害に対処する、こういう
抵抗力が他の
企業に比べると大でございまして、必ずしも
貨幣支出を
伴つたような
保険の
需要とな
つて現われないということがあろうかと思うのであります。これが相当自給的な色彩の強い
企業経営の特質としての
保険に対する
考え方になろうかと思うのであります。もう
一つは、
農業経営の
関係から申しますと、
農業所得が少いということであります。特に
貨幣部分が比較的少い零細な
経営になればなりますほど、概論的に申しますと、自給的な収入が多く、
貨幣支出が少いものでありますから、
従つて貨幣的出費を必要とする険保、こういうものに対する
購買力がおのずから少い、かようなことになろうかと思うのであります。
こういう三つの点から申上げますと、
保険そのものの性質と、それからその中に含まれる危険、又
保険に対する
需要、こういう三点から考えまして、
我が国の
農業災害につきまして、
保険的な
制度で考えることについての根本的なむずかしさがあるのであります。ところがなぜこういう
保険的な
制度を考えなければならないかと申しますと、それにはいろいろ理由があるように思われるのであります。と申しますのは、
一つには計画的に
財政資金を
災害対策として農村なり、
農業に導入するためには、やはり
保険的な設計に基いて計画を立てておる法案がより効率的である、
財政資金を導入するためにより効果的であるということが最も大きな理由であろうと思います。それからもう
一つは、
我が国の農村が自給的の部分が相当多く、
経営が非常に零細であると申しましても、それがだんだんと
近代化されて行くという傾向は否定さるべくもございませんし、又そういう方向で行くのが一般的に考えまするというと望ましいのでございまするので、そこに
保険といつたような近代的な
制度を取込んで
農業経営、
農業全体の
制度の
近代化を図
つて行くということがやはり政策としては考えられなければならんと思うのであります。
経営自体が零細であり、自給的であり、又村の
内部が近代的以前であるということからして、必ずしも国が考える
制度がそういうものに妥協したようなものでなくて、そういう一歩進んだ
制度を取入れるということが望ましいことであるということは言うまでもないのであります。そういう結果、恐らく二点から非常な困難であるにかかわらず、
保険といつたようなシステムで以て
災害補償制度が成立
つておるのであります。ところがその結果どういう結果を来たしておりまするかというと、御指摘のような
制度全体の仕組みが非常に複雑難解になな
つておる。又
制度全体がいわば国だけで以て細部に至るまで決定をされておりまして、運用に
弾力性が欠けておる。この
制度が複雑難解であり、運用が機構的に定ま
つておる、こういう点から
農家、農村のほうはどういうふうにそれに対応しておるかと申しますと、村なり、部落に参りまするというと、実施上の面においてそれが歪曲されるという結果をもたらしておるように思うのであります。国が狙
つている
制度そのものが
現実の農村には妥当せずに、それが大幅に村なり或いは部落なりにおいて歪曲されておる。そして村の
むしろ実情に合うように或いは変えて行く。よく言えばそういう結果にな
つておるのであります。これが
制度全体に内在する大きな問題であろうと思うのであります。こういう、而もむずかしい問題を当初運営する場合に
制度が五年前に発足いたしまする場合に、十分の行政的の措置がとられたかと申しまするというと、その点が甚だ不十分であ
つたのであります。第一は
共済組合等の人員についての整理が甚が立遅れておりまして、二十五年までに職員が一人しか補助されておらなか
つたのであります。
地方庁の
監督につきましても甚だ不十分でありまして、二十六年までに
共済制度に関する職員は一
府県当り二人に過ぎなか
つたのであります。然るにこれも途中で
平衡交付金に編入されるということになりまして、
監督指導という面につきましても甚だ不十分であつたということは申すまでもないと思います。第三番目に
共済金の
支払いが的確に行われるということが
保険制度運用の
一つの要諦でございまするが、その点について欠けるところがございまして、その点につきましては、
基金制度というのが当初から実は考えられなければならなか
つたのに、最近に至るまで
基金制度が整備されておらなかつたというような点が、これが主として
制度の発足当時にそもそも準備しておくべきことが、相当問題を醸して、徐々に初めて整備されて来たということでありまして、
制度の円滑な運営に十分対処できないようなことにな
つたのであります。のみならず
制度の開始以来今日までの状況を見ますというと、
社会経済一般の
条件が必ずしも
共済事業の運営に資するような好都合な
条件ではなくて、むしろ逆
条件にあ
つたのであります。
一つは、
共済団体を戦後匆匆の間に設立し、なければならなかつたというような点、或いは
損害評価の
基準となりまする
基準収量につきましては、
供出制度の甚だ苛酷と申しますか、厳重であつたときのことでございまする沿革もございまして、
基準収量が実は歪曲されて、実態に合
つておらないというような
関係もあ
つたのであります。それから又インフレがだんだんと高進して参りまして、
共済金の
支払いということが時期が遅れるということと相待
つて、その経済的な効果を著るしく減殺された、こういうこともございます。それから又
制度の発足当初、法律の制定が遅れました
関係上、遡及して適用する、
共済の
関係を遡及して適用するということがございましたので、
掛金の徴収が甚だ遅れるという
関係がございまして、その惰性が実は今日まで続いておる。こういつた
制度発足以来の
条件も、必ずしも
共済制度の円滑な発展のためには十分でなか
つたのであります。のみならず更に
共済事業の
運営自体についても甚だ不満な点がございました、と申しますのは、この
保険の
制度が一種の
相互保険と申しますか、
共済関係、県の
保険関係は被
保険者が
保険する、こういつた
関係にな
つておりまして、この
共済団体が
保険者の意識ということよりも、被
保険者の意識が強くて、利益代表的な色彩が非常に濃化されて参
つたのでございます。
保険をするといつた者の立場の関心が比較的薄れて参るということに相成
つて来たように思われます。そういう点が団体の
内部のいろいろの事業乃至経理の統制の面、或いは本部、支部、
共済組合といつたような
関連におきましても遺憾の点があつたように見受けられるのであります。それからもう
一つは、
農業共済事業全体につきましての
指導と
監督の混同と申しますか、
監督の貧困といつたようなことがあ
つたのであります。
保険事業を初めまして以来、相当年限が経
つているのでございますが、終戦直後
災害補償制度という
制度に切替えられましたそのときに、
指導という面に余りに十分の力を注いだために、必ずしもそれが十分な成果を得なかつたと思いますけれども、そのために
監督的な面が薄らいだ、
監督の面が欠除したということであります。即ち例えば
農林省で申しますならば、国の再
保険事業をやるところが又みずから
指導をやり、
監督をするということで、
直営事業と、それから
監督の面とが混同されておつたようなこともございまするし、又
地方庁の
関係におきましては、
共済団体と
府県庁との連絡乃至
指導、或いは
監督ということが、先ほど人員の点に触れましてお述べいたしましたように甚だ不十分であ
つたのであります。他のいろいろの
農業行政とは違いまして、
保険制度はこの点について特別の特色を持
つているように思われます。
府県庁との
関連が甚だ薄い仕事に実は最近までな
つてお
つたのであります。
大体以上申上げましたような点が、この
保険制度を取りまく、或いはその
内部に潜む根本的な問題でありまして、大体以上のような観点に立ちまして、
個々の問題にそれを仕分けしましての問題についての考え得られる
対策についての一応の
考え方を列挙したのが、
只今お配りいたしました
資料でございます。
次にこの
資料につきまして概略読みながら御
説明を申上げます。
第一は、
引受の
単位でございます。
現状は、
農作物共済については
筆ごとの
引受、
蚕繭共済については
農家単位の
引受とな
つている。なお
農作物共済についても
農家単位の
引受を実験中である。これは
現状でも御承知の通りであります。又Bの
難点として掲げてあることも、もうすでに先刻御承知と思いますけれども、次の
対策との
関連において読上げます。「
農地改革後の自作農を中心とする
農業経営の
現状からすると、現行の
一筆単位共済には次のような
補償内容の不合理がある。
1
筆別には三割以下の被害が広汎に発生した場合、
農家経済上は相当の打撃があるにもかかわらず、
補償できないこと。
2 1とは逆に、
農家経済上打撃の少い被害を
補償することが起り、
保険経済上無駄があること。
3 反当
共済金額が町村一本に定められており、
平均反収の比較的多い筆については、
補償の
限度が少くなること。」
この最後の点について申上げますと、二布以上が例えば七千六百円、二石から一石が六千円、一石以下が四千四百円というふうに
原則として村一本にきめられておるのであります。本年度から
府県階級別に或る
程度の
弾力性は持たしておりますけれども、
原則は村一本に、二石以上、二石から一石、一石以下という三本のうち、どれか一本にきめておるのであります。このような
一筆単位の
現状に対しましても、その
難点に対する
対策として考えられます点は「(1)
共済金額を
石建とし
引受は
一筆とする。1
共済金額が合理的となる。2
損害評価上
好影響がある。3
希望収量を
基準反収とすることが可能となるが、
引受石数が実態と遊離し
保険経理の
安全性がおびやかされるおそれがある。4
共済掛金が現在よりも高くなる。」、これは
引受けを
一筆単位とする
現状の建前を維持しながら
共済金額を反
当り幾らということでなくて、その一反から何石とれる、その
一筆のうちから何石とれるということを見まして、その
石当りの金額をきめまして
一筆の
共済金額が定ま
つて来る。こういう
やり方でございまして、こういう
やり方をいたしまするというと、
共済金額は合理的となる、
損害評価上も先ほど申しました
基準反収というものが実情から離れるということがございませんから
好影響がある。こういう二つの点に
好影響があるのでございますが、次に申上げます点が
難点となるのであります。
一つは、
現実の
一筆々々の
石数を克明に
現実に合わすということは困難でございまするので、
農家の希望を容れるというようなことになりますると、そこで
引受石数と
現実とが遊離いたしまして、
超過保険に
なつたり、或いは
過少保険に
なつたりいたす虞れがあるのであります。それから又申上げるまでもなく、
一筆から
石建に直します結果、
共済金額が上れば
農家の面から見ましても、国庫の面から見ましても、
共済掛金の負担が多くなることは申すまでもないのであります。
次に
一筆を離れまして「
農家単位とする。」ということであります。その
利害得失でございますが、「1、
補償の内容が合理化される。2、
掛金の
個別化が必要となるが、
個別化には限界がある。3、
増減収を相殺する
損害評価は、
損害評価上及び
農民心理から実施が困難である。4、必要な
補償限度と
損害評価の
技術的限界との間にギヤツプがある。5、
一筆に比較すると
劣等地の
生産維持効果が弱い。」ということでございまして、この特に「3」について御
説明をいたしまするというと、「
増減収を相殺する」というのは、
農家単位から見るというと当然のことのようでございますが、現在実行いたしておりまする実験においては
増減収を相殺するという
やり方はいたしておりません。併し
増減収を相殺するということになりまするというと、こういう
損害評価上も非常に事務的にむずかしい問題が起るし、又
農民心理からも遊離するといつたような虞れがあるのでございます。それからその前の
掛金の
個別化が必要になるということは、いずれの場合でも
掛金の
個別化ということはできるだけするということが当然でございまするが、
農家単位の場合の
掛金の
個別化を申しますのは、
一筆単位とは若干様相を異にいたしまして、
階層別に
掛金の
個別化が必要となりはしないかというふうに思うのであります。これは常識的に考えて見ましても、相当耕地を持
つている
農家におきましては、おのずから自己の範囲内で
自家保険がしてある、或いは
自己保険をしてある。自分で危険を分散しておる。ところが
零細農家では自分の
経営内部で
危険分散する
程度が非常に低いのでございます。
危険率が階層によ
つて異な
つて参る。従いまして
農家単位ということを基礎にして
掛金を考えまする場合には、その
筆別の危険ということでなくて、
農家の
階層別の
危険率ということが問題になるのであります。そこが
農家単位に伴う一番大きな
難点であろうと思うのであります。ただこの点につきましては、更に発展さして考えて見ますというと、
農家単位ということから発展して、若しこの
作物の
保険ということから、或いは
社会保障といつたような
考え方を取入れるということを前提にして考えて見ますというと、
農家の
経営規模には或る
程度の
限度をおきまして、徒らに大きな
農家につきましても全部の
経営面積を
補償の
対象とするということは考えないで、その割合を考える。五十万円の米の所得があるというふうな
農家につきましても、三十万円を
限度としてしか
補償制度の
対象としては考えない、こういうふうに考えますというと、成る
程度この
階層別の問題は解消し得るかとも思いますけれども、そこにはなお問題があろうかと思います。(三)は、
村単位乃至
郡単位とするということでございます。これにつきましては、「
損害評価の客観的な
基準をつかみ得る。」という利点がございますが、
難点といたしまして、「
個別農家の
災害の
補償との
関係に工夫が必要となるが、困難である。」、なお
経営の主体が個別である限り、
個々の
農家の
災害の実態と遊離すると、
共済金の配分に
努力関係がからみ、配分が不適正化するおそれがある。」、
村単位といたしますことは、一応
個々の
農家は別に考えまして、村として例えば千石とれる村がございますれば、平年千石とれるという村につきまして、成る年に二百石減収したということならば、その二百石を
保険の
対象とするという
考え方であります。
従つて村単位の実収さえ或る
程度わかりますれば、
損害評価に伴うむずかしい問題は或る
程度解消することができはしないかという
考え方であります。この点につきましては、「2」、「3」に書いてありますように、個個の
農家の
災害補償と村の
損害とをどういうふうに
関連付けるかという点に大きな
難点があるのであります。ただ
日本全国には勿論通用して考えることはむずかしいのでありますけれども、他の工夫を併せてやればなお打開する途がありはしないかということも考えられます。又
個々の
農家と併せて有機的に
関連を付けて考える場合にも、この
作物の栽培の
条件が非常に同質的な均一的な地帯においては、
個々の
農家の
損害と村の
損害とは一致するということが考えられますので、そういう村、そういう地帯には、こういう
やり方が妥当しはしないかということも考えられるのであります。
次は
共済の
対象、特にまあ
農作物を中心にして見たのでございますが、御承知の
通り現状といたしましては、「水稲、陸稲、麦それぞれの
災害による
損害の
補償を行い、これ以外の
特殊農作物は、任意
共済の
対象作物としている。」、これについての
難点でございますが、
対象作物を拡げることによる
危険分散の拡大、又これに伴
つて期待される
掛金の低下が図られていない。個別にやりますものですから、
個々の
危険率が
共済金に反映して、
対象作物を拡げることによる
危険分散が行われず、
掛金が
従つて高くなる。こういう問題であります。「2、
特殊農作物中には地域別、
階層別にみて
農家の現金収入、
農業経営上重要な
作物があるにも拘らず、再
保険措置が欠けているため、実際には殆んど採り上げられていないこと。」、この
難点に対しましての
対策でございますが、(1)は「総合
作物共済とする。」、ちよつと聞き馴れない言葉で、便宜作つた言葉でございますが、英語で申しまするとマルチプル・クロツプ・インシユアランスという言葉があるのでございますが、
農家が作付をしておる各種
作物を総合しまして、その収穫高を見計ら
つて、それを
共済金とし、又全体としての減収に対して
保険をする、こういう
考え方であります。こういたしますると、「
掛金負担の軽減を期することができる。」、ところが
難点といたしましては、「総合
作物共済は、
企業的
農業に適応するものであり、わが国の如き小農
経営には適合しないおそれがある。」、どうも総合
作物共済と申しましても、冬作と夏作を一本にするということは、これはなかなかむずかしいことだと思うのであります。併しながら夏作のものは、
日本の場合は殆んど稲だけですから問題にならんと思うのでありますが、冬作でございまするというと、大麦、小麦、裸麦というのがございまして、現在でも一種の総合
作物共済にな
つておるのでございます。それに「なたね」を加えれば冬作だけの総合
作物共済ということが或る
程度考えられることができはしないか。夏と冬とを総合するといつたようなことはちよつとむずかしかろうというふうに存じます。「3、わが国の小農
経営は、一部の水稲単作地帯を除き、多角的に
農作物を栽培することにより資金繰りをつけ、
経営を維持しているのであるから、総合
共済を実施すると、
農家の資金繰りに大きな影響を与えることになり、別途の金融措置が必要になる。」、この点も今申した点から出て来るのであります。「4、総合
共済の
対象となる
農作物にもおのずから限界があるから、完全な意味の所得保障は期待できない。」、
農家単位から更に総合
作物共済となりますることは、進んで考えまするというと、
社会保障といつたような意味を含めた所得保障といつた意味に近いものにも感得されるのであります。併しながら米、麦或いは蚕繭というもの以外に、「いも」、雑穀というものを加えるということはなかなかこれは、雑穀は……、「いも」の問題は次にも出て参りまするが、むずかしい問題がございまするので、
考え方としましてはできるのでありまするが、
現実に総合
作物共済から
社会保障的な意味を持つたものにどういうふうに発展させるかということについては、実際問題としていろいろの
難点があろうというふうに思います。
次に、「
特殊農作物を
農作物共済の
対象とする。」、この場合の
農作物は全国的なものでなければならないから、「なたね」、「いも」、類雑穀が考えられる。これについての
難点でございますが、「いも」類は根本的に
損害評価に
難点がございます。「なたね」については一応加えるということが考えられますけれども、被害統計が未整備でございまして、未整備であるという前提で以て考えなければならんと存じます。4は、
掛金の負担を伴うことは勿論でございますが、
農家の負担も、それから又財政負担も増加することは申すまでもございません。次は雑穀のことでございますが、雑穀の
対象はどうしても北海道でございまするので、国内の府県の雑穀を取入れましても、全体の
保険経済というものは北海道の作況に完全に支配される、こういうことになるのであります。
次は、「
特殊農作物間の再
保険段階におけるプールを行う。」、
個々の
作物は
農家が
保険をするのでありますが、再
保険段階では全体を
一つのプールと考えたらどうか、そうすれば
現状よりは
特殊農作物の
共済は安定をいたしまして、地方的に
特殊農作物を
共済の
対象とすることができるようになりはしないかと考えます。併しながら
特殊農作物でございますので、全面的な強制加入ということは恐らく殆んど不可能である。そうしますというと、逆選択、危険の多いほうが
保険に入
つて、危険の少いところが入らないというような問題がございまするので、それをどう防止するかということが問題になります。この点を特に重要に考えまするというと、
特殊農作物の再
保険を考えるということは実行上極めて困難であると、こういうように申さなければならんと思うのであります。
第三番目に、
損害評価の問題でございます。
現状は、「市町村の
損害評価委員をして
一筆毎に実収高の検見を行わせ、これを
農業共済組合連合会がチエツクする。別に県は
基準組合の調査
資料に基いて適正評価の
指導を行う。政府は統計調査部の府県別推定実収高に基いて審査し、決定する」、これが
制度の建前でございます。これについての実行上乃至
制度上の
難点でございますが、第一は、「
農作物の被害を正確に把握することは本来的に困難であるから、殊にこれを一
筆ごとに捉えることは困難があり、過大評価の危険を内包しておること。」、一
筆ごとの
農作物或いは一般的に
農作物の被害ということ自体が非常にむずかしいから、過大評価の危険というものは
損害評価ということ自体に含まれておるということであります。2は、「完全
引受が行われていないこと。」、強制加入ですから、全部が
引受けられておるかと申しまするというと、そうではなくて、水稲については殆んど完全
引受に近いのでございまするが、麦、陸稲の順位に
引受の率が下
つて参
つております。従いまして、そこにいろいろこの
保険経済上或いは
災害補償上
難点が生じて参ることは容易に予想されるところであります。3は、「
基準収量が供出その他の要因によ
つて事実と食い違
つておること。」。
基準収量と申しますのは、
損害評価の基礎になる、
基準になるのでございまして、これが的確にな
つておらなければ
補償すべき
損害も
補償されないし、又
補償すべきでないところに
補償するということになります。るので重要な問題でございまするが、これがどうも事実と非常に食い違
つていやしないかというように思われるのであります。4は、「
農家負担の
関連もあ
つて、料率改訂によ
つて農民の過大評価をチェックすることが困難であること。」、これは過大評価をすれば、そこの被害だけは大きく出ますから、
従つて掛金率が高くなり、料率改訂のときにうんと
掛金率が上るから、それによ
つて農家の過大評価がチエックできそうなものであるということが当然考えられますし、又
制度としてもそこを狙わなくてはならんのであります。併し、冒頭に申上げましたように、被害が高いからとい
つて、そこでそのまま料率を上げるというわけには参らない事情が、農民経済なり
農業経済の特質として、そもそも存在しておる点があるのであります。その点がさように簡単に参らないということであります。5は、「県の
損害評価の査定に統計調査部の推定実収高を用いているが、そこには無理がある。統計調査部の被害調査は、
共済の査定
資料に用いることは困難であること。」、現在は統計調査部の推定実収高と、それから
共済関係の
損害評価と、両面からこれをおのおのマッチするようにそれぞれ加工いたしまして、それによ
つて連合会の
損害評価が適正であるかどうかという査定をいたしておるのであります。言葉が違いますように、一方は推定実収高でありますし、一方は一種の被害高でありますので、違つたベースに立
つておるものを比較してやるものでありますから、両方共正確であるとしても、そこには若干無理があることは当然考えられるのであります。ところが、直接比較対照すべき作報組織の被害統計は現在のところまだ未整備でございまして、それを以て直接に
損害評価の査定に供するというわけには参りません。6といたしまして、かような実情でございまするので、査定に伴
つていろいろの不正が誘発される危険性があるということと、それから画一的査定にからまり、実際の被害より過小に評価する虞れがある。県の段階で査定をいたしまするから、それがその比率で以て郡、町村に下りて行くと、そういたしまするというと厳正に
損害評価をしたものにつきましても、一律の査定を食うといつたようなことになりまして、そこに過小評価といつたような問題も逆に生じて来るということであります。それから統計
資料の不備は、その入手の時期が遅れるということから、
損害査定の確定の時期が非常に延びるということであります。従いまして、
共済金、再
保険金の支払が延びるという
難点があるのであります。この
対策として考えられますることは、(1)は、「査定を行はないグループ(都道府県)を作り、逐次段階的に正常化を図る。」、我々の見るところ、大体統計調査部の
資料から見まして、ほぼこの
保険連合会の
損害評価は適正であるというところにつきましては、統計
資料でございますから、いずれにいたしましても何%かの誤差は当然あり得るのでございますので、そういう誤差の範囲でございますれば、フリー・パスをするということによりまして、だんだんと査定といつたような煩を省くといつたようなことに目標をおいて、団体のほうにおいての
損害評価の適正化を期待して行くと、こういう
やり方でございます。この
やり方は、従来の経験乃至経緯に鑑みまするというと、いわば正攻法でございまするけれども、これを正面切
つてやるということでございますれば、悪用されるという虞れもあることは、申すまでもございません。(二)は、「町
村単位の推定実収高で町
村単位の
基準収量に対する
損害評価を行い、
個々の
農家の
損害評価は町村
内部に委ねる、」。この点は先ほど
引受のときに、
村単位にしたら、町
村単位にしたらどうかという点がございましたが、それに対応するのであります。この意味の町
村単位の
損害評価は統計調査部の要員と経費の点の解決を前提とすれば可能である。2は「
個々の
農家と
制度の結びつきの
関係を切らないためには、
個々の
農家の
損害評価の問題は依然として残る。」、
村単位の
損害につきましては、或る
程度の適性差の負担ができるといたしましても、それを
個々の
農家の各筆ということになりまするというと、その繋ぎが当然出て来ませんから、
個々の
農家の
損害を如何に査定するか、問題は依然として残
つて未解決、いわば問題が逃げるという方向に近くなるわけであります。(三)「郡段階の
資料を整備し、郡段階で推定実収高及び被害調査により査定する。
1、
資料を整備するとしても、郡段階における推定実収高のみで
共済の
損害評価を査定することは、理論的にも実際的にも無理である。
2、
程度別被害調査を併せ用いれば可能であるが、郡段階で信頼度の高い
程度別被害調査を得るには、統計調査部の要員と経費の問題がある。」、1のことは推定実収高が現在県で県の段階についてや
つておりますように、郡の段階で推定実収高がありますれば、それで査定をしたらどうかということでございまするが、郡の段階になりまするというと、県の段階で
只今や
つておりますことをそのままやりまするというと、非常にここにいろいろ問題が派生をして来る、被害調査と推定実収との質的な相違というようなものがどうしてもございまするので、それをいろいろ加工して査定をするのでございまするので、下に行けば行くほどそこに無理が如実に出て来るわけであります。そこで実収高ばかりでなくて、被害調査、特に
程度別被害調査がございまするというと、それによ
つて郡段階のことを加味して連合会の
損害評価を査定することができるのでございます。併しながら、この
程度別被害調査を郡段階でやるということにつきましては、統計調査部、特に府県段階或いは郡段階におきましての被害調査のための職員と、そのための費用というものの問題が生ずるのでございます。これが確保できますれば、郡段階の被害調査に基いて郡段階で或る
程度的確な
損害評価の査定ができはしないか、かように思うのであります。
四、「郡段階で推定実収高と被害調査を併せ用いて被害総額を
制度的に枠付し、郡内の配分は、別体系で
現状と同じ方式の
損害評価を行い、その結果により枠付けられた支払
保険金を按分する。」、これは前段で同として申していることと近いのでございまするが、国は
制度としてはとにかく、下から上
つて来るものを査定するとこうあります。(四)はそうでなくて上からそれできめてしまう、下はその範囲内でやれと、こういうことで、そこで
制度の仕組としての違いがあるのであります。実際運用した場合はどういう違いが出るかということになりますと、これは必ずしも判然たる相違はないかも知れませんけれども、
制度の建前としては(三)は下からのものを査定する、(四)は上からきめてしまう、こういうことです。1、この点につきましては行政上の限界としては理論的に考えられるけれども、実際問題としては下からの
損害評価というのは全く無視して、一方的に上から枠付けするということは実際的にはなかなか困難であろうということであります。次は信頼度の高い被害調査を得るには国と同じように、統計調査部の要員と経費の問題が生じて参る。
第四番目は
掛金の問題であります。「
現状、
共済掛金中の約六割を国庫が負担し、残りを組合員から徴収する。」これが
現状の
制度の建前であります。全国平均の問題でありますが、この点についての
難点は、先ず次に申上げるような種々の理由によりまして、
掛金の徴収に非常に困難があるのであります。先ず「
農作物の
災害発生の態様」これは先ほど申上げましたような地域性があるということが水との
関係において特別の
特殊性でございまするが、
従つてこの地域性に応じた
掛金率の
個別化を行わなければならないということになるのでありますけれども、而も
掛金の
個別化はできない、高被害地は特殊利潤を生まないという
農業の
特殊性から、そういう
個別化ができないということであります。次は小農乃至零細農が
掛金を負担するということは経済上の限界がある、要するにこれは
農家の貨幣所得の問題であります。ハは
保険方式をとる以上は、いわゆる
掛金が掛捨てとなる場合のあることは当然であります。当然ということよりも、むしろ掛捨てとなるのが一般的に当然でありまするけれども、このことが
農民心理にぴつたりしない。一般の
保険でございますれば、掛捨てということがむしろ
原則でありまするけれども、掛捨てといつたような
保険方式がどうも農民の心理にぴつたりしないのではないかということであります。即ち
保険の方式が
日本の農民経済に妥当しないということであります。二は常習的被害地と無被害地との
掛金率のバランスがとれていない。この点は最初に申上げました
災害発生の態様並びに地域性があるということを具体的な問題として列挙したのと同じことでございます。
掛金の徴収にはこういう理由によりまして、いろいろ問題があるばかりでなくて、
掛金の納入の時期の問題がある。現在は植付時期に納入することにな
つておりますが、それが
現実には行われておりません。先ほど申上げましたように、
制度の発足のときに法律の成立が遅れまして、
掛金の徴収が事後的に
なつたといつたようなことが
監督の不十分と共に慢性化して参りまして、
掛金の納入が実は
制度通りに行われておらないのであります。それから又
制度的に行うにつきましては、いろいろ問題がございます。植付時期に丁度農民の貨幣の
需要が、現金出費が多いときでございまして、そういうときに納めるということが、初めからどうも無理もあるように考えられるのであります。
以上のような
難点に対しまする
対策として考えられることは、「料率の
個別化を推進する。」ということであります。町村内では地域別に或る
程度の差を設けることは可能であるが、これによ
つて農民の完全な納得を得ることは困難である。部落によ
つて差を付けるというようなことは、実際問題として或る
程度のことはできようけれども、これによ
つて全面的な
掛金に対する理解を得ることはむずかしかろうということであります。次は「
掛金中の国庫負担を増加する。」ということも
一つの方法として考えられるのであります。これは併し最も安易な方法でございまして、言うまでもなく、財政負担が増加すると共に、
掛金の国庫負担を増加しても、それによ
つて掛金に対する
農家の不満の根本的な解消にこれは役立たないというふうに思われるのであります。三番目は、供出米については供出代金から差引くということが考えられます。これは供出米についての
掛金は、食管の会計から再
保険の会計に繰入れるということが考えられるのでございますが、勿論こういうことをやりますれば、
農家の供出代金に対する手取りが減るということがございます。それから供出についてはよろしうございまするが、自家保有分の稲作につきましての
掛金についてどうするか、こういう問題が依然として残るのであります。ただ考えようによりましては、この自給部分についてまで
保険制度で考えるということは非常に困難であるというふうなことを考えまして、そういうものについては、別途に処置を考えるといつたようなことになりまするというと、
保険制度としては、いわば商品化作付部分についてだけ考えるというようなことになりますというと、
供出制度の
関連ということが或る
程度やはり考えられて然るべきではないかと思いまするけれども、これは実際問題としては、実行がなかなかむずかしかろうと思います。(四)は「
掛金を目的税とする。」ということであります。国民健康
保険が町村営でや
つております場合には、
掛金を目的税といたしておるのでございまするが、そういう
制度にならん場合には、勿論末端の町村の段階では町村営にする必要が生じて来るのであります。勿論これが目的税にするために公営にするといつたようなことは、いわば逆でありまするけれども、目的税とするということが先ず考えられるというと、公営という問題が生じて参ります。それから「被害によるこの
掛金負担と異
なつた負担をすることもあり得る。」、これはどういうことかと申しますると、
保険でございまするので、被害の
保険率によ
つて掛金がきま
つて来ることが当然でございまするけれども、公営とするといつたようなことから、更に進んで
社会保障的な観点を加味するというと、危険に応じないで、
掛金者の所得といつた面も考慮されて負担割当することが当然に問題になる。
農業災害保
補償度を発展させて
社会保障制度的な要素を加味するということも考えまするならば、公営
制度に並んで
掛金の負担についても所得割といつた点が可能になりはしないか。これは理論的な問題でございまするが、さようなことがあるのであります。国は、今申しました点と多少逆行の気味がございまするが、物納制ということも考えられます。現金はいやだけれども、現物であればという
農家は村によ
つてはあり得るのでございまして、考えられるのでございまするが、併し米については
供出制度とどういう
関係を受けるかという問題がございます。米については供出との
関連を考えれば一応解決は付くでございましようが、その他の
作物になりまするというと、その処置が一体どうなるか。協同組合等との
関係などが十分考えられてからでないと結論はなかなか容易に出し得ないように思います。それから六番目といたしまして、
掛金、
保険の
掛金、こういつたような
保険料という色彩を或る
程度脱却いたしまして、備荒貯蓄的な要素であるとか、現在勿論補助金的な要素もございますけれども、補助金的な要素、
保険的な要素、この三つを加味したらどうか。現在の
掛金は国庫負担もございますが、補助金的要素と
保険的な要素と加味されるとするならば、更にそこに備荒貯蓄的な要素を加味したらどうかということが考えられるのでございます。いわば、簡単に申しまするならば、
掛金に貯金的な要素を加味する、
考え方としてはこれはあり得るのでありますが、こういたしますれば、或る
程度農民心理にマッチする、
農民心理に適合しはしないか。又
掛金の徴収も現在よりに多少容易になる
可能性がありはしないかということも考えられます。又無事故の場合には無事戻しを一部するということも考えられますが、併しながら、無事戻しをするということになりますれば、これはどうしても一定の基金が必要になるのであります。そこで農民負担なり、或いは財政負担という問題が新らしく生じて参ります。そればかりでなくて、こういう物納でありますとか、備荒貯蓄といつたような
制度を取込むことが果して
農業政策として好ましいかどうか、こういうことは更に検討を要する根本問題であろうというふうに思います。なお、ここに書いてございませんが、先ほどの目的税とすることに
関連して、
制度全体に
社会保障的な要素を加えるということでございまするというと、純粋の
保険料といつたような色彩を脱却することができるのであります。簡単に申しますれば、
保険料的な要素と税金的な要素を加味するということができるというように思います。
次は掛捨の問題でございまして、
現状でございまするが、これは国会でもいろいろ論議がございましたので、おわかりのことと思いまするが、現在では、
制度上は剰余金の配分方式といたしまして、三年無事故でございますれば一割の無事戻しができるという
制度にな
つておるのであります。ところがこの
制度は全く殆んど動かないのでございまして、その理由といたしましては、剰余金の出る
可能性がないということ、それから又剰余金がたとえ多少出るにいたしましても、その
程度の配分では無事戻しに額の上で非常な限界があ
つて、掛捨ということに対する
対策としての効果は
現状の
制度では甚だ薄いと申さなければならんと思うのであります。そこで
対策でありまするが、
一つは、県の連合会に無事戻奨励金を財政で以て支出して、現行の無事戻方式を補強するということが考えられまするけれども、無事故の
農家に
財政資金を出すということは、これは甚だ困難があるように思います。
災害のあつた
農家に対する救済と申しますか、
共済すら勿論十分でないのに、無事故の
農家に財政負担で以て金を出すということは若干疑問があるように思います。(二)は「無事故を事故とする
保険方式の採用」、これは純粋の
保険理論から出たものでありまして、無事故を事故とする
保険方式が考えられるのでありますが、これは理論的に走つた嫌いがございまして、勿論
農家負担乃至財政負担がそのために増加しまするし、そういうことが農民の
考え方なり、或いは一般の常識の
考え方の許すところかどうか甚だ疑問でございます。尤もこうすれば無事戻しは最も確実になることは申すまでもございません。(三)は「安全割増の半分を調整料として組合に留保し、必要に応じて
農家に還元する。」、現在連合会の通常
共済掛金の標準率の範囲内でのそれに見合う責任分の支出につきましての安全を見るために安全割増部分というのを
掛金に加えておるのでございますが、その半分を調整料として組合に保留して、必要に応じて
農家に還元するという方法でございまするが、これは安全割増が連合会の
保険の経理の安全ということを見込んでや
つておりまするので、それの半分をとるということは連合会の経理に悪影響がございまして、不足金といつたような問題についての解決にむしろ逆効果があるのであります。2は「
農家負担を増加せず、現行無事戻
制度を補強することができる。」、安全割増が現在本年度から復活いたしまして、実行に入
つておりまするので、その半分を調整料としてやるということになりますれば、国庫負担をそれ自体として増加しないということになるのであります。四番目の
対策といたしましては、「無事故
農家の
掛金を逓減する。」、これは
個々の
農家に当りまして、一定の
条件の下に無事故
農家の
掛金を
個々に低くする、こういう
考え方でありまするが、こういたしますというと、
農家の負担は総額としては、これは変えないという前提にしまするというと、却
つて被害
農家の負担が増加するということになります。それから利点といたしましては、こういう過程を通じて
掛金が個別的に
妥当性を得て来るようになるだろう、即ち
掛金の
個別化が行われて来るようになろうということが考えられます。併しながら無事故
農家に
掛金を戻すわけではございませんで、ただそこに
掛金を下げるということでありますので、半面被害がない状態が続きました
農家では、
現実的な給付があるわけではないのであります。次は「無被害組合の解散を認める。」、相当長期間無被害であつたような組合については、一定の
基準の下に解散を認めるということも
一つの方法であろうと思います。ところがこの解散の
基準の設定をどうするかという問題については、やはり多少問題があるように思います。それからどの範囲まで解散を認めるかということにも
関係いたしまするが、
危険分散の範囲が非常に狭くなるのであります。
農業災害でございまするので、
危険分散は地域的にもできるだけ広範囲に、又時間的にも相当長期をとらなければ
危険分散ができないのでございまするが、こういう解散を認めて行くというと、
危険分散が少くなることは申すまでもございません。それから当該組合内の被害
農家を
補償の
対象外とする結果になる。無被害
農家と申しましても、中には僅かの被害
農家があることはあり得るのでございまするので、そういう
農家を
災害補償制度の
対象外にするという結果になることが如何かと思われます。ただ
農業災害の態様とマッチするといつたような、全く被害がないといつたような、統計的にも、或いは
農家の人々の
考え方からも被害がないというような場合には、組合がなくてもいいではないか、ということになりますれば、そういうことは今の実態とは或る
程度マッチしたようなことになろうかと思います。(六)は、「無被害
農家の組合からの脱退を認める。」、今のは組合自体の解散でございまするが、(六)は組合から
個々の
農家の脱退を認めるということであります。この点の
利害得失は、組合の解散を認めるということとほぼ同じであります。(七)は、「備荒貯蓄的要素と特殊金融的要素を加味した定期積金方式。」、これは全く
保険という
制度から離れるのであります。従いまして、ここに書くことは如何かと思いまするが、
農業災害の
補償と或は
農業災害対策というものを広く考えました場合に、こういう
制度も考えられるということであります。定期積金というのを協同組合等でや
つておりますけれども、これに
災害等加味いたしまして、
災害がございましたならば、普通の定期積金ならば戻さないのですけれども、
災害がございましたならば積立てて来たものに利子を加えて戻す。なお定期積金と、保管額とその差額は低利で貸付けて行ける、こういう
やり方であります。こういう貯蓄的な方式では十分な
災害対策となることはできないことは申すまでもないことでありますけれども、一部の補強策と申しますか、先ほどちよつと申上げましたような、若し
農家単位といつたようなことを考えて、その
共済に
社会保障的な点を加味するようなことになりますると、その補強策として、こういう
制度があ
つてもいいのじやないかと思うのであります。又
災害補償制度を離れましても、こういう
制度を考えることが
保険制度全体の補強策としても成り立ちはしないかというようにも思います。ただこういう貯蓄方式でございますので、
災害対策として極く部分的であるというばかりでなくて、零細農と申しまするか、そういう定期積金をするといつたような経済のゆとりのない
農家については
妥当性がないことは申すまでもないのであります。
六番目は「
補償の範囲と時期」でございまするが、
現状は、「
共済金額は、
農作物別に
単位当り収穫量別にその
農作物の価格の二分の一を標準として定める額を各筆の面積に乗じて定め、
補償は各筆の三割以上の被害について被害の
程度に応じて定める。」、ということにな
つておるのであります。
補償の時期は要するに
災害保険金、
従つて保険金が行く時期になりまするが、それは
農林省が行いまする
損害評価の査定がきま
つてからということになりまして、時期が相当ズレるという問題があります。これについての
難点でございまするが、前述のときならば、そこでとれる平年作のいわば二分の一が
限度であるのであります。従いまして
災害対策として十分でないということがあります。それから又これはやはり
我が国の
農業経営の特質から来ているものでありまするが、
農業経営の特質から
損害評価というものを立毛の中にやらなくちやならんということがございまするので、この
損害を十分見るわけには勿論参りません。然るに
損害評価の誤差というものが当然ございまするので、何割しかできないのでございます。のみならず立毛時の査定でございますので、品質という問題についてまで考慮を払うことが立毛の
損害評価である以上は技術的に不可能に近いように思うのであります。3は、査定といつたような
関連において
共済金の
支払いが
現実的に遅れるという問題が、こういう問題が
難点でございます。その
対策でございまするが、先ず
共済金額の
限度を上げるということでございまして、
一つは
農作物の価格の七割とする、で、
共済掛金がこれによ
つて高くなるということは勿論であります。従いまして
共済金額だけをただ上げるという点から見ますれば、この
制度の不満が解決されんことは申すまでもございませんのみならず、又
農家負担ばかりでなくて、財政負担も増加することは申すまでもないのであります。次は「
農家単位共済とし、
損害評価に質の低下を見込む。」ということであります。
損害評価の方法が
一筆の立毛検見による限り質の低下を見込むことは技術的に非常に困難でございます。この点は先ほど申上げました通りであります。
補償の内容は
現状よりは充実するけれども、
災害農家単位のところで申上げましたような、二、三の
難点、特に
階層別の
危険率という問題は残るのじあります。(三)は
共済金額を
石建として
引受は
一筆単位とする。これは
引受のときに申しましたので省略いたします。
第七番目に防災施設との
関係でございます。
現状といたしましては、
共済四体は、植物防疫、
病害虫の防疫でございますが、なお家畜の診療所のこともございますけれども、ここで主として言
つておりまするのは、植物の防疫のことでございまして、その実践的な団体として植物防疫法の体系の内又は外で自主的に病虫害防除活動を行な
つております。この点についての問題でございますが、病虫害の防除事業と
共済事業の
関連について欠くるところがある。これはもう先刻御承知の通り、病虫害防除事業と
共済事業についてはいろいろの
難点があるのであります。
制度的なものが付いていないという点もございますし、又病虫害を
保険事故とする以上は、モーラル・リスクを防除するという意味から言いましても、防除事業を徹底しなければならんのでありますけれども、そういう薬或いは動力噴霧機といつたような資材の購入というようなことを伴う事業を十分やることが妥当かどうかということについても若干問題があろうかと思います。それから又防疫事業を徹底しても、必ずしも現在の
現状としては、病虫害による
保険の事故は減少して参りません。そういう問題もございます。その点についてもなおもつと詳細な統計
資料を具体的に検討しなければ、いろいろな推測を加えることは如何かと思いますが、そういう問題もございます。それから的確に防除に努めた。防除に努めたけれども、防除費はかかつたけれども、防除費が一向
補償されない。防除を或る
程度サボ
つておつたほうが
共済費をもらえるというような、考え過ぎかも知れませんが、問題もあるのであります。そこでその
対策としては、
一つは「防除費を
共済の
対象とする。」ということも考えられます。併し防除費というものは、いわば
保険の事故とし得る危険かどうかという根本的な問題がある場合には、
損害評価或いは防除費というものについての、これまでの十分な統計的な
資料が整備されておりません。
次は事業主体の問題であります。
現状は、これはもう御承知の通りでございまするから省略いたします。
現状についての
難点についても御承知と思いますから読上げるだけにいたします。事業主体の構成が公益的な性格或いは公共的な性格と必ずしもな
つていない。「自主的組織といいながら事業運営方針の大半は、国が決定し実質的な自主性を欠いているため、
経営原理を導入する余地が乏しく、役員に
経営者意識が生れず、これと現行の超過再
保険方式がからみ、ややもすると、農民の利益代表に走りやすいおそれがあること。」、現行
制度は超過再
保険方式がからむと申しますか、異常、超異常の分は全部国持でございますので、異常、超異常になるような事態についての
損害評価その他の問題について、自己犠牲的な被害が少いということであります。要するに
保険者という立場が多過ぎるという問題であります。「3、現行
制度は、県段階の
農業共済団体に一定の
保険責任を課しているが、
現実には不足金が累積しているため、
制度の運営が不円滑になり、殊に
共済金の支払が遅延しがちであること。4、農民の自主的団体である
関係上、
掛金の徴収につき困難があるため、これに伴い
保険料と
保険金、
掛金と
共済金の相殺が行われやすく、
制度の完全な運用が行われがたい。」、これは「農民の自主的団体である
関係上」と書いてありますけれども、そういうものだけとは限らないのでございまして、ちよつとこの点は言葉が足りません。
次に、以上のような
共済事業乃至
保険事業の施設としての
対策の問題でございまするが、
一つは、「主体は現行通りとし、
農作物蚕繭についても歩合再保とし削減を認めず、県の出資による基金施設を設ける。」、これは
超過保険でございますので、ここ
経営者意識が生れない。歩合
保険として超異常についても成る
程度責任を持たすということになればどうかと思う、こういう問題であります。併しそうすることにつきましては、別に不足金の問題が起りまするので、
基金制度が県段階に移るという問題が生じます。「
経営者意識が生れ、
損害評価が厳正になるようにも考えられるが、
農業災害の態様からみると、無理な責任を強制することになる。」ということになりまして、県段階でそういう責任を負わすことが、一体県の財政或いは県といつたような
単位の経済地域におきまして可能かどうかという問題が生じます。次は、今申しました点から
関連いたしまして、県財政に実質的な負担を課すということになるわけであります。融資ということを一応考えましても、それについて必ずしも長期的な
保険でございますので、償還は相当長期を要するでありましようし、
保険金の
支払いということにも県が一部責任に任ずるということになりますれば、財政負担がそのままかか
つて来るということは申すまでもないのであります。「組合段階についても削減を認めないことになるから、県段階に
農業共済基金類似施設を設ける必要が起る。」、現在
共済組合では一割の責任を持
つておるものでございまするが、それは削減を認めておるのであります。そこで末端の組合員は削減を認めないということになりますると、先ほど申しましたように、県段階の末端組合員の一割の部分の足らん部分を融資をする
制度が必要にな
つて来るということであります。(二)、「末端まで公社制とする。」、これは団体
制度或いは国の再
保険或いは連合会の
保険、組合員の
共済ということを離れまして、全体を公社といつた仕組にするということが一応考えられるのであります。事業運営の標準化、計画化、総合化が可能となり、地方的利害が絡まることが比較的少くなり、
損害評価が
保険者評価となるが、
従つて損害評価が一応厳正になるということが期待できまするけれども、そのことが逆に地方的な利害からの
損害評価の
やり方に対する抵抗と申しますか、圧力或いは不平というようなものが増大をするであろう。次に、「末端職員の身分が安定し、公益的意識が強くなり事業の運営に
好影響がある。」というようなことが期待できはしないか。次は、業務費的な経費の財政負担が現在の段階よりも恐らく増加するであろう、少くとも形式的にはそうであります。次は、「都道府県、市町村との
関係が全くなくなる。」一応府県或いは市町村というものの
指導監督とか、或いは財政負担というようなことと切離して、すつきりした形の機構の仕組として考えられるということであります。(三)、「県段階まで国営とし、末端は市町村営として、市町村に一定の
共済責任を課する。」、この
やり方でございますが、
掛金を目的税で徴収するということができるようになる。町村営でありますから、そういうことも可能であろう、それから「
損害防止の責任の主体が同一となる。」、要するに
災害の防止ということについて国乃至市町村ということが若し主体であるとするならば、そういうものの
保険をするのも又ここで国又は町村というふうになりますので、主体が一体となるということであります。「市町村の財政に圧迫を加えることとなるおそれがあるが、この面から
損害の過大評価をチェックすることができる。」、村の財政に一定の
共済責任が参りまするから、村自体が、村民が言うからとい
つて過大評価をそのまま放置しておくようなことはなかろうではないか、これは一種の期待であります。これが実際問題としてそうなるかどうか、甚だと申しますか、多少疑問であります。次は、「業務費的経費の財政負担が増加する。」、これは国なり町村なりといたしますれば、業務費と申しまするのは、一種の事務費的なものでございますが、こういうものの財政負担、人件費といつたようなものが
現状よりは恐らく増加するであろう、少くとも国家が支出しておる部分は増加するであろうと思われます。それから
損害評価の問題は、公社制に比べると恐らく低いであろう、というのは、末端が町村営であるからであります。次は、「都道府県は市町村を
監督することができる。」、県段階は、要するに
保険再
保険のものを一括してなり、或いはそれを別にしてなり、国営といたしますけれども、末端は町村営でございますので、府県の行政として市町村の
共済事業を
監督ができる、こういうことであります。
最後に、現在の
共済団体に更に公的色彩を加えるという問題であります。例えて申しますれば、役員の選任の認可制をとるとか、或いは罰則を強化するとか、こういつたことについて、昔で言えば一種の公法人的なものにする、こういうような
考え方であります。そういうことにいたしますれば、おのずからいわゆる農民の自主的な団体として自主性が弱くなることは申すまでもないのであります。ただこのことが
災害防止といつたような公共的な性格から見て、団体も当然そうあるべきじやないかということが言えるかどうかということであります。それからその点が若干問題でございまするが、ただ事業の運営の厳正、適正ということを
現状よりは比較的には期することができはしないかというふうなことが考えられると思います。
概略でございますが、一応御
説明を終ります。