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1953-07-13 第16回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月十三日(月曜日)    午前十時三十二分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     常岡 一郎君    理事            西岡 ハル君            山下 義信君            千田  正君    委員            榊原  亨君            横山 フク君            林   了君            藤原 道子君   政府委員    引揚援護庁長官 木村忠二郎君   説明員    大蔵省主計局主    計官      大村 筆雄君    農林省農地局入    植課長     和栗  博君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○派遣議員報告 ○第四次帰還船帰還者舞鶴におけ  る実情に関する件 ○参考人の出頭に関する件 ○満蒙開拓団に関する件 ○未復員者給与法に関する件 ○連合委員会開会の件   —————————————
  2. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 只今より委員会開会いたします。  先ず派遣議員報告議題といたします。山下委員榊原委員林委員と私と、四名で七月五日より舞鶴に参りまして、第四次帰還船白山丸白龍丸帰還者お迎え申上げまして、帰還事務調査をいたしたので、その御報告委員長から申上げたいと存じます。  七月六日午前十時白山丸が入港いたしまして、やがて一時間ばかり遅れまして白龍丸が入港いたしました。両船の帰還者は雨の中に上陸をいたしました。両船台せて約千名余りでありましたが、その出迎えに当りまして特に注意すべきことがありました。それは船が岸に着きますときに、出迎え人々は手を振りましてお帰りなさいと叫んでおりましたが、白山丸帰還者は全く無表情でありまして、手も振らない、笑顔もしない、魂の抜けた人のような表情上陸をいたしました。この光景が迎えに出た者にとつては、非常に意外で、印象的であつたのであります。ところが白龍丸帰還者は全然違つておりまして、全員言つてよいほど、手を振つて、岸に近附くまで振つておりました。笑顔上陸をいたしまして、迎える者の心に何だか温いものを喚び起したのであります。同じ帰還者がかくも表情が違つておりますということは意外でありました。ここに船内における違つた指導と言いますか、誘導と言いますか、そういつたものがあつたのではないかこいう感じを受けたのであります。若しそんな策謀と言いますか、そんなものがあつたといたしますならば、これは遠く故郷に帰つた人々の湧き立ちますような思いが押し殺されているという悲しい姿ではないかと考えます。一日も早く祖国の実態を見詰められまして、その気持の柔らぎますことを所つてやまなかつたのであります。  出迎えが終わりましてから舞鶴引揚援護局の中を視察いたしました。翌七日の午前には帰還事務の実務の実情調査いたしたのであります。援護局受入態勢は、これは簡潔に申上げますと、何だか形式的鷹かなり非能率的で、親切味が欠けておるような感じがいたしたのであります。殊にお迎えしますこの環境というものが舞鶴であり、古き日本の残骸といつたような建物の中でお迎えするのでありますから、それを蔽うに余りあるほどの生き生きした表情、行届いた親切というものが、特に必要ではないかと感じたのであります。遺憾ながらそうした環境の不備を補うほどの生き生きしたものが見られなかつたのは遺憾だと思います。長い年月を異郷の土地に残留を余儀なくせられた人々を心からお迎えするという態勢が整つておらないというように感じられたのであります。  調査団として気付きました点を具体的に申上げますと、第一に、食事の件でありますが、或いは質と量は十分であるかも知れませんが、工夫が凝らしてないと言いますか、どうも食慾をそそるような菜なら菜の並べ方とか、そういうものに対して非常に配慮がなされておらないというような感じがいたしたのであります。  第二番日に、配膳の方法も何だが軍隊式であつて、取りに来させるような仕方でありましたが、援護局職員が持つて行つて配つてあげるような、そういう親切が特に欲しかつた感じました。  第三に、何故か生煮え、生米というようなものがあるという不満をあちこちで開いたのでありますが、こういう一点は特に注意すべきだと存じます。  第四番目に、留守宅電報を打つたりします場合に、いつでも受附けられるように親切を尽してもらいたいということを感じました。  第五番目に、帰還手当の支給は帰還者を待たせないで、もつと能率的に支給する方法を工夫したらどうかということであります。  第六に、物資を配給しておられましたが、誠に非能率的なやり方のように感じました。殊に職員方々が、それをもつと能率的にやつてあげて、届けてあげるくらいの親切があつたならば……、非常に重いものを背負つてつております姿などは、実に何だかお気の毒な感じがいたしました。これなども自分の家に届けるようなふうに、何か方法がないものであろうか、本人に持たせないで、相当荷物が多いのでありますから、持たせないで行かせるような方法はないものかと、こういうようなことを感じました。その配給される物資の中には、元、軍で使つてつたものが大分含まれておるようでありましたが、これなども改善する余地がないものかと感じました。  第七番は、マイクをもつと効果的に利用いたしまして、童謡などを放送させるばかりでなく、帰還者上陸したときに、それに温いどんな心もとけるような歓迎の言葉があるはずだ、それを放送してほしかつたと思います。  第八番目に、援護局構内をよく整備して、できるだけ雑草などを前からよく刈るようにしまして、もつと感じのよいようにしておかれたらどうかと考えます。  第九番目には、帰還者に対する職員応待が事務的であり、これを改めて援護局サービス機関であるというり観念を常に忘れないように帰還者に接触してもらいたいということであります。  第十番目は、白山丸白龍丸帰還者一同から舞鶴において只今皆さんのお手許に配付いたしましたような十三項目に亘る要求が提出されておりまして帰国者代表援護局長官との交渉に調査団もオヴザーヴアーとして衆議院調査団と共に臨席いたしましたが、その応答などにつきまして、国会として検討すべきものがあるように思われました。  調査団の気付きました点は大仲次のようなものでありますが、概括して申上げますと、舞鶴における受入態勢は無風流、殺風景、難民救済的だといつたような感じでありましていわゆる平和攻勢というものがやられております時代に、それに対応するだけの準備が見られなかつたような感じがいたします。これは引揚援護庁が一時的な職務であるということと、何だか慣れ過ぎたための緩みであるというような感じがいたしましたが、それでは国民帰国者に対する歓迎の熱情を持つておりますことの反映にならないわけであつて、これは遺憾なことであると感じました。こういう気風がその後の援護の方策においてあるならば、誠にこれは遺憾なことでありますので、国会といたしましては、引揚援護の問題につきましては、今後とも更に引続き調査を進めなければならないということを感じた次第であります。援護局職員職務に対する熱意は充分認められますが、それも種々の工作のため禍いされて充分に発揮できない点も見逃してはならないことであると存じます。  以上を以て簡単ではございますが舞鶴における調査報告を終ります。  なお白山丸白龍丸帰還者一同から提出されました要求項目参考資料として会議録に掲載いたしたいと存じますが、異議ございませんでしようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 異議ないようでありますから、さよう決定いたします。  何か只今報告につきまして御質疑のあるかたは御発言をお願いいたします。   —————————————
  4. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 別に御質疑もないようでございますから、次に第四次帰還船帰還者舞鶴における実情に関する件を議題といたします。先ほど私から報告いたしましたように、白山白龍帰還者一同から十三項目要求があつたのでありますが、この要求実現のために、帰還者の中から七、八名の代表舞鶴における帰還事務を済まさないうちに、国会陳情のために十日上京いたしました次第であります。千田委員委員会代表いたしまして、これらの代表とお会いして下さいましたので、その模様につきましては、去る十一日に早速委員長及び理事打合会を開きまして御報告を頂いたのでございますが、本日改めてこの委員会で御報告をお願い申上げたいと存じます。
  5. 千田正

    千田正君 只今委員長の御報告通りでありまするが、我々委員会一同といたしましては、このたびの舞鶴におきますところのいろいろな、白山白龍丸帰還者集つて日本政府に対しての要求を掲げて、帰還事務に非常に停滞を来しておるということが、新聞及びラジオを通じて皆さんが御承知になり、非常に御心配になりまして、十日の日でございましたか、金曜日でございます。委員長理事打合会を開催したのでありますが、委員長は御家庭に御不幸がありましたために、御参会できずに、山下理事ほか全員理事が集りまして、その問題につきましていろいろ協議したのであります。結論といたしましては、新聞ラジオによるというと、国会陳情のために上京するらしい、であるから、若し上京して参議院面会参つた節は、千田委員が一応各理事に連絡をとつて、一堂に会して、この陳情の趣旨だけを聞くことにしようという申合せをいたしたのであります。ところが当日五時まで待つておりましたけれども、この代表者なるものが参りませんのでありましたが、五時を過ぎたので私も帰ろうと思つていた矢先に、人数は二十五名でありますが、二十五名が白山白龍丸代表として陳情したいというので参つたので、各理事がたのほうへ御連絡申上げましたけれども、すでにお帰りになつたあとのために、私が控室におきまして、これらの人たちに会見したのであります。で、打合会において協議しました通り、私は一応聞きおくという態度で、一応聞いたのでありますが、これはここに皆様のお手許に出しておられますところのこの要求書のうちの「第四次白山丸白龍丸帰国者一同」と印刷したほうのこの十三条に亘る要求であつたのであります。それで私はこの万々にお答えいたしましたのは、この要綱を見て、一条から十三条まで見ても、我々委員会としましては、長年手がけて来た問題が相当多い。而も法律的に直さなくちやならない問題もありますし、予算的措置を講じなければ直ちに実行のできない問題も相当ある。であるから、ここに直ちにあなたがた要求が容れられて解決するものと我々は考えられない。少くとも私自身は考えられない。一応あなたがた要求書だけは拝見して皆様にお伝えする、こういう答えで私は終ろうとしました。  ところがそれならば、その一条から十三条まであなたの個人意見はどうか、こう言うのでありますから、それならば個人としての意見は話せるだけのことを申上げましよう。そこで第一条の「帰還手当(一時金)を大人一人三万円、小人一人一万五千円是非とも支給して貰いたい」こういう要求であります。その要求の根拠は何かと私から質問いたしましたところ、これは損害賠償である、こういう答えなので、どういう損害賠償かと言いましたところが、奥地から或いはほうぼうから中国の大陸のいわゆる日本帰還する、出港するところまで集結した際に、相当の金を持つて来たけれども、日本から船が来ないために自分らの持金を全部失つてしまつた、だからこれは当然日本責任だから、これを日本政府責任として損害賠償要求する。こういうことに対しまして、私はそれは弄が違う、日本国民の全部及び政府共にあなたがたの帰るのを何年間というもの待つてつて配船準備をしばしば行なつたのにもかかわらず、両国の間には国際的な条約もなければ、国交も回復しておらない、あなたがたお迎えするすべもなかつたのだ。併し今度初めてお迎えに上るような方法ができたにもかかわらず、これを遅らしたのは日本政府日本国民のせいではないのだ。それを以てあなたがた損害賠償要求するというのは筋が違うじやないか。勿論あなたがた定着地まで持つて帰る金が不足だということは我々も重々考えるが、損害賠償という要求の下には私個人としては、これは到底問題じやなくて、別個の考え方をしなければならないんじやないだろうか、こう答、えておいたのであります。  第二の「帰郷後三ヶ月間の全国性無料乗車券是非とも支給して貰い度い、但し未就職の場合は期間を延長すること」という要求に対しては、これは国有鉄道が現在いわゆる国家の直接の機関じやない立場の経営の下にあるのであつて国有鉄道のこれは運営の如何に関するものであるから、国会としてこれに対して強制的にどうということは言えない、併し皆さんの希望があるならば委員会においてこういう問題が慎重審議されることでありましよう、こう答えておきました。  第三の、「政府責任を以て住宅を保証し定職を与え、不法解雇は絶対止めて貰い度い」、こういう問題に対しては、政府は現在住宅を建設中であるし、或いは不足な点に対しては予算追加等によつて当然あなたがた要望を満される方向に向つておる。職業の点については、政府の発表と諸君要望との間に相当食違いがあるようであるから、この点については委員女において十分調査もし、政府に対して委員会としても相当皆さん意思を伝えて上げたい、私自身はそう思つておる。  第四の「就職後一ヶ年一切の直接税を免除され度い」という問題につきましては、こういう税金の問題は、日本におざましてはいわゆる収入というものに対応して、それによつて税金を賦課しておる、但し住民税、そういう問題に対しては一応いろいろな問題が論議されておるが、収入のない者は課税の対象にならない、併しながら皆さんのこういう要望に対しても我々としては十分に研究したいと答えておきました。  第五の「開拓団員義勇団員挺身隊員特別手当三万円を支給されたい」、この問題につきましては、開拓団員義勇団員挺身隊員は当時の戦時動員法によつていわゆる動員された人たちであるかどうかというような問題を中心として、今厚生委員会においては恩給その他の問題について、この人たちの身分について慎重審議の最中である、この際、こういう特別手当三万円だけを支給されたいというような問題を提出されて、果してこれはこの人たちのために将来の保証になるかどうかということは、相当疑義があるから、慎重にこれは審議しなくてはならないと思うと答えておきました。  第六の「香港ドル即時全額免換」の問題を要求しておりますが、香港ドル即時全額免換は、この方々にお尋ねいたしたのでありまするが、全然然らば免換できないのかと言いましたところが、金額を限つて免換しておる、こういうのであります。それで全額は全然免換できないのかと言いますると、時日を経過して香港のほうとの十分な手続が完了すれば、何カ月か後には全部が免換できると思うというお答えでありましたので、これはその通りであつて、当初第一回の帰還の場合においては、香港ドル日本円の換算という問題は国際問題であるので、そう簡単には舞鶴ではできなかつた、併し次第にこの問題が解決の曙光を見て来て、今一定金額に限つて許されておるということは、国際的な関係で、日本の勝手で全部を変えるというようなわけには行かないという事情を説明しておいたのであります。  第七の「援護局内民主団体代表を自由に出入面会させて貰い度い」、第八の「援護局内に三団体事務所を設けて貰い度い」、この二つの問題は相関連した問題でありまするが、第一回の帰国船の参つた際に、参議院からの代表お迎えに行つたときに、木村長官折衝したのでありまするが、民主団体代表を自由に出入面会さしてもらいたいという点は、この援護局内におけるところの出入の秩序を守るために、一定人数を割振りして入れておるのであつて、決して全部を拒絶するわけではない、秩序上の問題であつて、これは援護局との相談によつて、或いは打開できるかも知れないし、或いは現在の状況のままで続くかも知れない。「援護局内に三団体事務所を設けて貰い度い」、この問題も第一回以来強硬にいわゆる三団体からの要求であつたのであるが、当時我々が交渉した経過から言うと、援護局長官は、特に三団体事務所というわけには行かないから、何とかして各団体との折合いをつけて共同に使うような方法を考えようと言うておつたから、恐らく現在はそういう共通の事務所として設けてあると思うと、こう答えておきました。  第九の「小松勝子氏に対する入局禁止を撤回し、第五次乗船代表に対する入所制限を撤回して貰い度い」、この問題につきましては、小松勝子なる者は一体どういう人間であるか、どういうために入局禁止をされておるのかということは、詳細に援護局当局からも聞かなければわからないし、我々委員としましても、小松勝子なるものがどういう人間であつて、どういう行動をしたか、どういいために入局禁止をされておるかということも調査をしたいというので、私自身としては即符を避、けたい。  第十の「復員手当は無条件で交付せよ」、この点はどういうことかと聞きましたところが、いわゆる未復員手当というような問題に絡んだ問題であるというのでありまするが、これは軍人軍属以外の人が帰つて来た場合においても、特に軍人軍属と同様な手当を欲しいと、こういう要求でありました。これは未帰還者給与法、或いはそれに準じて軍人軍属以外のいわゆる特別未帰還者給与法なるものを日本におい填は施行しておつた、併し今後こういうのを勘案して、新らしくこうした戦争の犠牲者に対して何らかの方法を立填ようと、これ又厚生委員会において十分検討して新たなる法案を作られることと思うと、こう言つておきました。  第十一の「国立病院内に於ける帰国患者に対する待遇一般患者と同様にし面会を自由にさせて貰い度い」、こういう問題については、恐らく国立病院においてそういう差別待遇をした覚えは私はないだろうと思う、若しもこの面会を断つたとするならば、それは伝染病患者であるか或いは重態の患者であつて面会することによつて病人の病態が変化して行くというような虞れがあつた場合は、当然これは面会を拒絶してあるに違いないのであつて、決してそういう不平等に面会を断つておるとは思われない、こう申しましたところが、それではこの第十一条だけは取消しますということであつたのであります。  それから第十二の「帰国を希望する華僑に対し出国許可より乗船までの生活を保証して貰い度い」、この問題については当委員会においてもしばしば論議をし、又華僑に対してのいろいろな問題を実質的に取上げて来たのであつて、勿論出国許可が下つて、そうして乗船までの間に、できるだけのことを日本政府としては、又日本国民的感情からも、こうした人を、皆さんが送り還されるまで手厚い応待を受けて来ておるのであるから、できるだけこういうことをやろうという考えは、政府も持つておるだろうし、我々委員会としても当然持つておる。この点については、なおその手続問題等もあるであろうから、これは慎重に審議したい。  第十三、「我々と共に帰つて来た日本人の妻どなつた中国籍婦人及びその子供も我々と同様の援護待遇して貰い度い」という要望でありますが、これに対しては、勿論日本人の妻となつた中国籍婦人及びその子供日本人と同様に考えて上げたい、但し日本は法治国であつて、御承知通り外国人を特に待遇するというようないわゆる法律は今できておらない、併しながら法の適用弾力性を持つて日本人の妻となつて日本の国内に生活する以上は、日本人の妻と同様な方法によつていろいろな便宜を与えてやりたいというのが、当然法の適用のいわゆる弾力性如何によつて、なされることであるから、これは将来ともできると思う。  以上の十三項目に対しまして、一応私自身所見を述べて、なお且つ、これは私の所見であるから、月曜日に特別委員会が召集されてあるから、この際各委員のお手許にこの要求事項をお配りしまして、皆さんの御審議に待つほかはないから、一応お帰りになつて、そうして、引揚事務の順調なる促進をお願いするという答えによつて、それで面会終つたのであります。  ところがその際、それは第四次白山丸白龍丸だけの問題じやなく、次に帰つて来たところの高砂興安の二船も加わつて、新たに要望を出したい。こういう言い方でありましたから、それではこれに何か附加えることがあるのかと言いましたところが、ほかに多少違つた点もあるから、明日持参しますと言うてお別れしたのでありますが、くれぐれも私の言うたことは、これはなかなか速急に解決する問題ではない。こういう問題は長い間委員会において研究もし、又法律或いは予算というような、日本ではなかなかそういう問題は、今日要望があつたから、明日これが通過するというような問題ではないということをお伝えして、当日の面会は別れたわけであります。  ところが一昨日土曜日に、又午後の五時頃、第四次帰国者全体の統一要求としまして、高砂丸興安丸、白山丸白龍丸全員決議という要求を持つて、これを委員会皆さんにお配り願いたい。こういうので、代表として、斉藤一夫という人が、ほかの代表方々と一緒に見えられたようであります。私が土曜日でありましたので、午後からは不在でありましたので、私の秘書が面会いたしましたところが、前の要望書と多少変つた点がありますけれども、これを全部委員方々にお手渡し願いたいというので、当日そう申し伝えて帰られたようであります。  以上のことを申上げまして、委員長理事会におきまして協議されて、一応私がお目にかかることにしたのでありますが、面会結論としまして、速急に解決する問題ではないが、委員会においては、十分諸君意思のあるところを各位にお伝えして、慎重に審議しようという結論でお別れしたことを申し添えまして、私の御報告といたします。
  6. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 別に質疑ございませんか……。それでは次に援護庁長官から、現在までの舞鶴における実情の御報告をお願いいたします。
  7. 木村忠二郎

    政府委員木村忠二郎君) 七月の五日に舞鶴に参りまして、七月九日まで舞鶴におつたのですが、その間の事情並びにそこに到りました事情につきまして、若干御説明申上げます。  第四次の引揚船配船につきましては、通常、引揚船がその前の回に帰つて参りますまでに、次の引揚船配船通告が、中国側から三団体のほうにあるのが従来の例であつたのでありますが、第三次の引揚船が全部こちらに帰りましても、先方からこれに対しまする配船通知が全然なかつたのであります。我々のほうといたしましては、この間の事情につきまして、なんとも想像ができなかつたのでありまするが、何か先方におきまする集結の都合かなにかで遅れておるのではなかろうかというふうに考えて、これにつきまして問合せをしなければなるまいというふうに考えておつたのであります。ところが五月の十九日に中国紅十字会から電報がこちらに参りまして、在日華僑中国帰国するについての配船並びにその帰国援護がどういうふうになつておるか、それから帰国を希望する華僑はいつ帰国できるか、それについてなんらの通知がないことは誠に遺憾である、それから華僑中国帰りたい者が何人おるか、それが第四次船に乗船できるかどうかを知らせてもらいたい、これについての返事があつた上で、第四次の帰国の、日本人のための乗船日時と、到着港を通知するという電報が向うから参りましたというので、これにつきまして、華僑帰国についての手続を進めるように御依頼があつたのです。で、これによりまして、政府といたしましては、これは担当をいたしておりまする外務省におきまして、いろいろとその問題等を検討いたしました結果、その後第四次船には、なかなか乗せるとしますれば非常に時間がかかりまして、無理だろうというので、第四次船を先ず出して、そのあとの船で帰すというようなこと等もあつたのでございました。併し、とにかくこちらとしましては、できるだけ早くその点を明らかにしなければならんというので、華僑を向うに帰すことにつきましての諸般の相談をいたしたのであります。かようにいたしまして、こちらから六月の七日になりまして、当方で以て大体話がまとまりましたので、六月七日に第四次船の四船のうち、できるだけ早くやりました場合に、天津向けの興安丸で、日赤が運航する赤十字船として、これは在日華僑を三百乃至五百乗せて帰国させる。それから在日華僑帰国準備の都合があるからというので、第四次船の四船の中国到着日時は六月二十三日から二十八日までということで、こちちで希望するその二十八日に行くのに、興安丸を使いたい。これは華僑帰国は、全然それまでに準備をしてございませんから、それから手続いたしまして、それに対しまする帰国を優先的に行うといたしますれば、これだけの期間が必要であるということで、この帰国の日程を延ばしまして、こういうような日程をきめたのでございまして、これに対する返事を待つたのであります。で、これに対する返事がその後全然ございませんので、華僑に対しまして帰国手続ができるということを通知いたしまするにいたしましても、それが大体きまりませんと、その仕事を進めることができないので、大変心配いたしておりました。ところが、六月の十四日になりまして、先方からそれで以てよろしい、それから出航前に華僑の確実な人数通知してほしいという通知が向うから参りました。実はこの六月十四日という日は、我々としましては、この日の午前中に、若しも電報が来ませんと、その後に先の日程でよろしいと申されましても、その日程では向うに送り返すことができないというぎりぎりの日でございます。そのぎりぎりの日に漸く向うから電報が参りました。これに対しましては我々といたしましては、その以前におきまして、六月の七日の電報を向うに打ちましてから、これの回答が通常の状態で来ると考えられる期間内にこちらに来なかつた場合に、その催促をしてもらうようにたびたび御依頼をいたしたのでありますけれども、その催促はついに三団体においてはいたしてくれなかつたのであります。かようにいたしまして、そのぎりぎりの日になりまして漸く向うから回答の電報が参りました。そこでそれから日赤並びに華僑総会と連絡をとりまして、その華僑の送出の手続を始めたのであります。従いましてこの手続は非常に短かい期間におきまして急速に行わなければならんというような状態になりましたので、この間におきまして、華僑総会等におきまして、十分に華僑のほうにその趣旨、手続等についての徹底を欠き、従つて第四次船ではそのときまでに大体はつきりしている者、華僑総会で把握しておる者だけを帰すというような考えだつたのであります。併しまあ希望する者はできるだけ間に合わせるように努力しようということで以て、十九日に東京を出し、それから関西方面は二十日に出すということで以て、その手続を進めたわけでございます。ところがその後になりまして、華僑の遺骨を向うに送り還すという問題が突然、これは前から問題があつたんでありますが、これを第四次船で還さなければならんという問題がその前後に起つて参りましてやはりこれで以てごたごたをいたしたのでありますけれども、結局いろいろな話で以て、これは最終船に廻したらどうかということで、一応落ちつきかけたのであります。ところがどういうわけでありまするか、これにつきましては突然その前後になりまして、又ごたごたが激しくなりまして、その結果、二団体乗船代表は、これが解決するまでは乗船しないということになりました。そのために六月二十三日から二十八日までに先方に着くということになつておりましたこちらの引揚船四船は、こちらを出航することができないということになりました。その関係でこちらの出航が最初の高砂丸につきましては数日遅れました。白山、白龍は大体予定の日に出航することができるようにはなつたのであります。興安はその後の華僑の送還につきましてのいろいろの問題がありまして、華僑乗船拒否等がございました。その関係で数日これが又遅れて出帆することに相成つたのでございます。かようにいたしまして、先方に参りました船がこちらにはなかなか帰つて参りません。特に高砂白山、白龍等は早く出かけたのでありまするからして、六月の末或いは七月の初めには帰つて来なければならんはずでありますが、これが全然帰つて来ません。どうしたことかと心配いたしておりましたところが、向うからいろいろな電報が参つておるのであります。結局三船が、全部の船が揃わなければ帰さないというような話があつたようなことも聞いておるのであります。かようにいたしまして、七月の六日に白山丸白龍丸が先ず舞鶴帰り、それから八日に高砂が帰るというような電報が向うから参りました。我々といたしましては向うにその出迎えのために出かけているわけでございます。七月六日には只今委員長から御報告がありましたように白山丸白龍丸、この二船が帰わました。午前に白山丸、午後に白龍丸、両方合せまして一千七名の人が上陸をいたしたのであります。で、この日に帰国者全体会議がありまして、そうして十三項目要求が夜中に決議されたようでございます。これを説明して、これに対する見解を聞きたいということで以て、七月七日の午前十時に、帰国者の第一代表、引揚者の代表に私が次長の応接室で以て次長と共に面会しました。そのときには衆参両院の方々の御同意を得まして御出席を願いまして、ここでいろいろと説明につきまして承わりました。午前十時から午後三時半まで、その要求事項につきまして、こちらの見解を説明いたしました。大体の見解といたしましては、先ほど千田さんがお話になりましたと同じような内容でありまして、帰国者方々がこちらにお帰りにはりまして、非常に生活の不安があるという点につきましては、我々といたしまして十分に認めているところであります。そのために各般の援護措置を講ずることにいたしているのでございますこの援助措置につきましては、前から御説明申上げました通りに、今回の中共からの引揚者の先方におきまする生活の状況並びに国内におきます社会事情の変化といつたようなものに濫みまして、従来の引揚げて参りました方々に比較いたしますると、相当待遇を改善するということにいたしたのでございます。これは昨年の十二月の初めに中共地区からの日本への引揚を集団的に行われる可能性が強くなり、三万人の先方に住んでいると称せられる方々の中で、帰国を希望されるかたについては全部これを帰国させるという先方の談話からいたしまして、今回帰られるという方々が三万人に近い数であるというふうに我々としては考えまして、これに対しまする準備をすぐ始めたのでありますが、その際に、我々考えましたことは、従来帰られました方々と比較いたしましてやはり国内事情相当好転している今日、又先方におきまして普通以上の生活をしておられる方々が多い、つまりソ連等に抑留されておりました場合とも違いまするし、又戦争直後の状態とも違うといつたようなことを考えまして、こちらの受入についでは、どういうふうにしたらいいかということについては、いろいろと検討いたしまして、国会におかれましても、この問題についてはいろいろと御討議があつたのであります。これについてその際にいろいろと御説明申上げたのでありますが、政府といたしましては、これに対する方針といたしましては、従来よりも船内の待遇を非常に向上させる、それからそれに伴いまして局内に生きましてもその処遇をよくすることと、それから帰国上の手続につきましても、従来よりはできるだけ簡素化いたします、こういうようなことを考えまして、それを改善することといたしました。又これらの受入態勢といたしましての就職の問題或いは住宅の問題、これにつきましても、従来は就職につきましていろいろと努力いたしたのでありますが、従来よりも更に就職の問題は困難があろうからということで以て、特別な措置を講ずることを労働省と話合をいたしました。労働省におきまして、その特別措置を決定するというようなことであります。住宅につきましても、従来と違いまして、割合にこちらの縁故の薄い人がたくさん帰つて来られるという点から考えまして、住宅建設の割合、つまり帰還者に対しまする住宅建設の割合を大きくする、極力大きくすることにいたしまして、財政当局との話合をいたしたのであります。そういうふうにいたしますほか、新たに帰還者に対しましては、従来全然いたしたことのない帰還手当という制度を設けまして、この帰還手当によりまして、帰りましてから当座の間に生活の不安が薄らぐように、又これらの方々就職いたしまするについての諸種の経費も必要であろうというようなことから、そういう帰還手当というものの制度を考えました。又厚生資金につきましても、従来よりも金額を引上げるとか或いは利子を下げるとふいうような手段を講じまして、相当これに対しましては、現在財政上いろいろ問題があります中に、その内容の改善が行われたのでございます。次にそういうような点につきまして、皆さん方にも非常に御不満を持つておられるし、又今回のその応答につきましては不満を持つておられる、こういうような状況でございましたので、詳細に御説明を申上げました。  で、先ほどお話がありましたように、帰還手当を三万円にするということは相当困難である、皆様方の御希望は十分聞いた上で、これは十分検討して、よく善処すべきものがありましたならば善処するように努力したい。それから全国パスにつきましては、その必要というものについての説明が我々としましては必ずしも十分に納得が行きません。これにつきましても詳細にお話合いたしたのであります。全国パスにつきましては、特殊な人について、特殊な事例があつた場合、或いはそういうようなことでなしに、鉄道の無賃輸送をする必要の場合があり得るということは考えられるのですけれども、帰りました全員にこの全国的な交通機関のパスを出さなければならんという必要は、それはあればこれに越したことはありませんけれども、なかなか実現困難であると考えまして、その趣旨を御説明いたしましたところ、最後の皆様方のお考えといたしましては、こういうどうしても就職のために長距離を移動しなければならないといつたような事例がある、或いは身分的な問題で長距離を動かなければならんという問題がある、そういうような場合に、鉄道の運賃を無賃で以てやつてもらいたいというようなお話があつたのであります。そういうような要求事項と全然違つたことにつきましてお話合も最後にありましたので、これにつきましては、帰りまして十分にそのほうの関係方面と話合いたしてみたいというふうに申上けたのであります。  それから住宅就職の問題につきましては、先ほど千田委員からお話がございました通りでありまして、住宅問題につきましては、現在我々がとつておりまする住宅対策というものが、現在の日本住宅事情から申しますれば、これが相当なものというふうに私は考えておりますので、その点を申上げたのであります。全然無為曲策ではないということについて御説明申上げました。それから就職問題につきましては、我々としましては、労働省と共に、この問題につきまして特殊扱いをする、特別にこれを扱うということで以て、現在まで就職をいたしております者が四五%という、これは六月十三日現在でございまするが、そういう成績をおさめているし、今後も努力したい、これで以て十分とは言えないけれども、日本のような職業関係にある国におきましては、強制雇用ということができませんので、大体こういうようなことでやる以外にはないのじやないかと思う。そのためにはやはり帰国者方々も十分自重して頂きたいということを申上げたのでございます。  それから免税問題につきましては、これは私のほうの所管でございませんので、その関係のほうにお伝えいたしましようということを申上げました。  それから開拓団の問題につきましては、先ほど千田委員のお話のありましたようなことを私のほうからもお話したのであります。それから入植という問題も同様であります。それから復員手当の問題につきましては、私どもはつきりその御説明が呑み込めないのでありますけれども、復員手当は、これは恐らく未復員者給与法によりますところの未払い給与の問題であろうというふうに考えまして、そのことは、どれを出す場合に、或る調査に応じた場合に出す、調査に応じない場合は出さないというような誤解を生じておつたようであります。我々としましては、帰られました方々は未復員かどうかということを明らかにいたしますための調査はいたしますけれども、或いは残留者の状況を明らかにいたしますために、或いは又未帰還者の状況を明らかにいたしますために調査はいたしますけれども、これと今の給与との関係は全然関係がない。未復員者給与法によります給与は、これは未復員者給与法という法律に従つて出すべきものは出し、出すべからざるものは出さないということになるという点につきまして、詳細に御説明をいたしたのであります。これにつきましては、何らか強いられたる情報によりまして非常な不安を持つておられるように承わつたのであります。さようなことは絶対にないということを確言いたしたのであります。  それから国立病院面会の自由制限の問題につきましても、これも先ほど千田委員のお話のありました通り、我我としましては、国立病院でさようなことはしていないはずであるから、具体的な事実があれば知らしてもらいたいということでお語いたしましたが、これにつきましては、何ら具体的な御説明はございませんでこれは単なる風聞のようでございます。この風聞も極めて不確実のもののように承わつたのであります。  それから華僑の問題につきましても、これは千田委員のお話の通りでありまして、これにつきましては、我々といたしましては、華僑先方に送還するにあたりまして、これが帰られるについての援護という問題につきましては、日本政府の従来の立場から申しますれば、華僑帰国は従来から自由でございます。華僑が帰られますることについては自由でございまして、その自由意思によりまする帰国というものは既に相当以前にこれは終つておるが、その場合におきまして、帰りたい人に対しましては、これは全部帰ることについて制限をいたしておらないのであります。つまり中国からこちらに帰還いたして来る今回の帰還と、華僑の今回の向うへ送り帰すことにつきましては、その事情が全然違つておる、併しながら日本政府といたしましては、今回向うからこちらに日本人が帰つて参りまする場合に、丁度それと入れ違いに帰つて行かれますかたも、これが集団的に送られるということでありますに基きまして、又こちらから向うに帰られる華僑方々の現在の日本における生活状態が余りいいかたでないかたが帰られるという事情につきましても、その説明を受けておりますので、人道的の見地から、その帰られる人の援護につきましてはできるだけのことをしなければならんということを考えまして、これにつきましては我々が、在華同胞がこちらに帰られます際に、一般的に受けられました処遇と同一の処遇をできるだけいたしたい。かように考えまして、これらにつきまして我々の持つておる情報を基礎にいたしまして、その情報に基きまして、それに相当することをいたしたのであります。従いまして、我々といたしましては日本政府におきまして、華僑が向うへ帰られますにつきましていたしました処遇は、向うから帰られましたかたよりも、こちらから向うに帰られた方々を、こちらから向うに船でお送りするだけ余分のことをいたしておるというふうに考えまして我々といたしましては、こちらの処遇は悪かつたとは思いません。ただ設備等につきましては、こちらに帰られました日本人の方方を受入れますと同じ設備を使つてつておるのでありますが、これが向うで以てホテルを使つておられるという場合とは、これは違うということはあり得る、これは止むを得ないというふうに考えまして、そういうことを申上げまして、我々といたしてはできるだけの努力をいたしたということを御説明を申上げ、これにつきましても大した意見はなかつたのであります。  それから向うから帰られます日本人と同伴される家族たる華人の方々の処遇の問題でございますが、これにつきましては、全般的にはこの処遇について何等の差別もいたしておらないのであります。だが入国につきましては、無論入国管理令によりまして管理官が置かれまして、入国の手続が若干違うことは当然のことで、外国籍の人が入られるのでありますから、当然違うのでありますが、それ以外におきましてこちらは何等差別待遇をしない。特に援護につきましては一般の待遇をいたしておるのでありますが、帰還手当の問題だけは、これは帰還手当というものを作りました趣旨が、長年向うに滞在せられた方々、即ち日本人で長年向うにおられたかたの御苦労ということを考えまして、それを基礎にいたしまして、こちらに帰られましての就職の問題も考えるということで、当初この帰還手当というものを発案いたしまして、そうして財政的な措置を策そうといたしたのでありますので、そういう趣旨からいたしますと、これが必ずしもそれに当てはまらないということになりますので、これを出すことはちよつと現在では困難であろう。併しこの帰りました方々事情につきましては、十分同情すべきことがございますので、これにつきましては今後検討いたしてみたい、これにつきましては今まで申上げたことと違いまして、十分研究してみたいということを考えましてその旨を申上げました。  それから最後に、民主団体の局内出入の自由を認めるとか、三団体事務所を設ける問題、それから入局の問題、それから第五次の乗船代表の入局の問題、これにつきましては、これは帰られました方々援護に直接関係する問題ではございませんし、援護局内のそういう援護とも関係のない問題でございますので、これにつきましては別の理由で以てこれらの団体と話合いをいたしておる問題であります。そうして話合いの上で、そういう方針をきめたので、局内の秩序を維持いたします上におきまして現在の方針を変える意思はないことを明らかにいたしたのであります。特に団体の入局の問題でございますが、局内におきましては御承知通りに、船から上つて参りまして、汽車に乗せましてお帰しするまでの諸業務及びその諸業務に関連いたしました援護をいたすことにいたしておるのでありまして、従いましてその援護の業務に関係のない人々の出入りが多いということは、その業務を行う上におきまして支障が多い。従つてこれについては制限をいたしませんが、自由に局内への出入りはこれは我々のほうといたしましては、局内の秩序を守る上において非常に困りますので、全面的に局内への出入りは制限をいたしておるのであります。特に民主団体だけを制限するとか、或いは同様団体だけを制限するということはいたしませんで、全面的に局内におきましては、現在局員も非常に少いことでありますから、局内の秩序を維持するために、できるだけ外部の方々がお入りにならないことが望ましいので、ただ従来引上げ援護に関係を持つておられる方々、それから帰られるかたがたの留守家族、それから今度の引揚につきまして、いろいろと中国側と折衝された団体方々、こういう方々につきましては、これは出入りを認めないわけには行きませんので、これにつきましては一定の制限を設けまして、この出入りを認めることにいたしました。これにつきましては、その後の状況によつていろいろ検討いたしておりますけれども、出入りは禁止をいたしておるわけではないのであります。又帰られました方々の局外に出ますることにつきましては、これはその業務を受入れる上におきまして、支障のない限りは何らの制限をいたしておりません。あそこで外に出ますことにつきましては、理由がありますればどんどん出しております。ただ局内は業務を行うところでありますから、その業務を行うことと支障があつては困りますので、その点につきましては御注意いたしますけれども、この局内の出入につきましては、帰られました方々については制限はいたしておらないのであります。そういうようなことにつきましては、十分御説明を申上げたのでございます。  それから三団体事務所の問題につきましては、これは三団体と申しましても実は二団体でございます。二団体から申入れがございました。日赤のほうは強い御要求はないようであります。他の二団体とはいろいろと話合をいたしたのでありますけれども、どうも局内に事務室を作りまして、あそこで事務をとらなければならないという必要は認められません。今後は船から降りて帰られました乗船代表方々との連絡の問題であるとか、或いは今後の引揚の問題に関連いたしまして、或いは局での話合をする必要があるということでございますので、その話合がつきましてそれらの方々が局内に入りました場合に坐るところもないということでは困るということでございますから、いろいろな公式の出迎者、或いは各種団体の出迎者、こういつた方々の控室を作りました。そこでそういうようなことができるような措置をいたしましてこれは解決をいたしておるこいうことをよく申上げたのであります。  それから小松勝子の事件につきましては、小松勝子と阿部行蔵を中心といたしました一つの事件がございました、この事件は我々といたしましては、甚だ非常識な行為であると認定いたしましたので、あとから帰られます方々が、そういつたようなものと同じような事件を起すというようなことがありますとよろしくありませんし、今後の問題もございますので、この御両者の方々に対しましては入局をお断わりいたしましたのであります。こういう点につきましては所属団体を通じて御通告をいたしてあります。局内の秩序維持の問題でございますので、一我々といたしましてはこれを変える意思はないということを申上げたのであります。  それから次回の乗船代表の入局の問題でございますが、これは三団体のほうに連絡をいたしまして、次回の乗船代表方々が局内の援護の業務の内容を知りますために局に来られる必要があるという点につきましては、我々もそれを認めますので、それがおいでになります場合におきましては、誰がいつどのくらいの期間おいでになるかということを連絡してもらう。それによりまして、我々としましては御入局をするように取運びまして、但しその期間は一日、丁度一月一ばい使いますれば、局内の業務がわかりますので、その期間に限りたいということにつきましては御連絡はいたしてあるのであります。今回問題になつておりますの一は、そういう手続を全然せずにおいでになりました方々の問題なんであります。三団体の中央のほうに連絡を十分いたしてありますから、その手続をせずしておいでになりました方々につきましては、我々がお断わりをいたしたということは当然であります。ただその場合に乗船代表であるというふうに言われますと、これに対しては入局を一応お認めしたのでありまするけれども、その制限内で入局を認めたわけであります。然るにその場合、御要求が現地でありましたものにつきましてはお断りいたしたのであります。その件につきましてもお話申上げたわけであります。  大体以上のようなわけでございまして、我々といたしましては相当懇切丁寧に、五時間半に亘りまして御説明申上げまして、それでその日のお帰りになつたようなわけでございます。翌日又もう一度面会に参りました。私としましては昨日十分お話がしてあるから、もう一辺お月にかかつてお話をしても、結果は同じであると思いましたけれども、併したつての御要望でございましたので、お月にかかりまして、もう一度お話申上げました。更にその際に業務を拒否しておられましたので、我々といたしましては自発的に自由な意思でこちちにお帰りになつた方々が、あそこで要求が容れられないからといつて業務を拒否されるということは、これは穏当ではないということを申上げたのであります。この問題につきましては、そういうふうに申したことが、帰国者の帰られることを我々がいやがつているというふうにおとりになつたようでありますけれども、私はそういう言辞は弄したことはないのでありまして、これにつきましては私はただ、自由な意思で帰られた方々が、要求が受入れられないということによつて、あそこで業務を拒否するということは適当でないということを申しただけでございます。そこで七月の七日、八日に亘りまして私はそういうふうにお話いたしました。その後これに対しまする面会はいたしておりません。八日の日に高砂が千八百十九名、興安が千九百十名これが午前午後に分れまして上陸いたしました。高砂興安がこちらに入港して上陸された際におきまして、棧橋の上に帰られました方々が赤旗を持ちまして、相当数のかたが出迎えに出られました。赤旗を振り歌を歌い、歓声を上げて出迎えをされたようであります。従来局内におきしては、引揚者の名前を書きました幟と、それからこれを出迎える県の名前を書いた幟と日の丸の国旗、これ以外の赤旗、幟、プラカード等は局内に持込むことは禁止しているのでございます。我々といたしましては余り制限したくないという気持で、これにつきましては一応お断りしたのでありますけれども、たつてお入りになりましたので、これについて、は何らの措置に出なかつたということでございます。我々としましては、ああいうふうにやられるごとにつきましては、余まり結構なことじやないのじやないかというふうに考えております。併し秩序が乱れるというところまで行つておりませんので、我々としましてはこれに対して特別の措置は講じませんでした。白山白龍丸につきましては、第二日の八日の日に業務をされたのでありますが、第三日目に至りまして先ほど申上げましたような事情で、全面的に業務拒否をされました。そうして郷里にお帰りになる意思帰国者に望むことができないような状態になつたのであります。駐在員や留守家族のかたによりましていろいろ御説得があつたようであります。我々としましては、我々の局内の職員からその業務を受けられるように、いろいろ御説得いたしたのでありますけれども、これにつきましては全然容れられませんでした。それから明くる日の七月九日に興安高砂に対しまする業務を開始いたしたのでありますけれども、この業務措置をいたしましたけれども、これをお聞きなつたところとお聞きにならんところとあつたようであります。これにつきましては全然業務に入らない、興安丸のほうは業務に入るようなお話だつたのでありますけれども、結局後に合流されまして興安高砂も業務に入らないということでありまして、そこでこういう状態で以て便々と長くなつておりますることは、援護局としましては帰られました方々が一日も早く業務を終りまして、待つておられる留守家族のところへお帰りになれないので、援護局としましては、従来集団的にお帰しします方法を固持いたしておりますると、お帰りになりたいかたがお帰りになれないということになりますので、そこで一つの便法を講ずることといたしまして、業務を単独で希望されます方々につきましては、その業務を開始することにいたしまして、その業務をいたしまして、それで本人の御希望で以て帰つて頂くことにいたしたわけでございます。そういうふうにいたしまして逐次そういうような単独の業務が始まりまして、逐次帰られるように相成つたようでございます。その数字は大体七月の十二日の午前中までに千五十五人、その後午後までに帰られます予定が四百三十六人、これはまだ詳細の報告が来ておりませんからどうなつたかわかりませんが、大体千五百名ばかり、四千七百名ばかりのうちで千五百名くらいのかたが一応昨日の夕方までに、晩までにお帰りになつたように私のほうでは聞いております。  大体以上のような状況でありまして、我々といたしましては一日も早く皆さんがたが業務を行われまして、あそこからお帰りになるということを希望いたしております。又そういうふうな措置を逐次いたしたようなわけでございます。なお、その後の情報によりますると、昨日からその業務を再び開始することになりまして、その業務を開始いたしましたので、いずれ本日及び明日の二日間で以て最初の予定の列車のダイヤ通りに十三日の日、つまり本日は白山、白龍、高砂、それから十四日に興安が引揚特別列車によりましてお帰りになるように相成つておるのでございます。  大体以上のような状況でありまして、私が先般参りましていろいろと折衝いたしました結果につきましては、そういうようなことで以ていろいろ問題もございましたけれども、二日間ばかり予定よりも遅れまして、引揚者の方々もそれぞれ郷里へお帰りになることができるように相成つたわけでございます。その後無断で以て援護局から脱出されましてそして東京に陳情に来られたかたが若干あるように聞いております。それらの方々につきましては、援護庁といたしましては、援護局を無断で飛び出した人々に対しましてこちらも折衝するということはできませんので、これにつきましてはお目にかからないようにいたしております。それからなお、二団体代表方々援護局に参りまして、田辺次長といろいろ御折衝があつたようでございます。これにつきましては、やはり御説明申上げることは、私が当初申上げました通りに、援護庁といたしましては現在の段階におきましては、そういうふうにお答えする以外はないのであります。又なお改善すべき問題があるかどうかという点につきましては、十分検討した上で皆さんにお諮りいたしまして、厚生省といたしましては考えておる次第でございます。要するに我々といたしては、引揚援護庁といたしましては帰られまする方々、これが帰られまして、できるだけ不安のない生活を営みますることができまするようにいたすのが、我々といたしましてその本分であるというふうに考乏まするので、ただ日本におきまする現在の各種の社会制度に従いまして、それとの釣合いもとつたものを考えなければならんという二とは当然のことであろうというふうに考えております。そういうことによりましての制約がございますので、十分皆さんが満足が行くということはとても行きかねると思います。併し御満足が行かないにいたしまして、も、生活ができないことのないように、各般の手続ができまするように、今後とも努力いたして参りたいという考えでございます。
  8. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 只今の御報告につきまして、何か御発言があるかたはこの際御発言を願います。別に御発言も……。
  9. 山下義信

    山下義信君 長官の御説明は一応承わりまして、別に我々異議を唱えるという点もないようであります。大体におきまして今日帰還についての事務的な御説明でありましたので、我々が当局の事務の進め方を非難をする点はないように思うのでありますが、一、二不審の点があるのでそれを明らかにしておきたいと思う。それは一体その帰還業務というものの性質というものはどういうものかということが私にわからん。これは先般現地に視察に行つたのでありますから、折角見たのでありますから、そのときに勉強しておけばよかつたのでありますが、まあ地目明らかにしておきたいと思つたのですが、この際私が伺うのでありますが、一体帰還業務というものは、一体あれは何かということなんです。それでかねて帰還者に対しての援護の仕事をやる、それは政府としても一定の、その例えば法律なら法律というものに基いてやつておるのじやない、一つの行政としてやつておる。でまあそれがどこまで国の義務としてやつておるのか、どこまでの幅があつてつておるのかということがよくわからん。平たく言えば懇切丁寧に日本政府の、日本政府と言つちやおかしい、外国人が戻つたようでおかしいが、政府の親切な帰還者に対しての温かい心持をできるだけ援護の手を尽すというので、あそこでやるのだ、お迎えにも出るんだ。一口に言えば親切なサービスをやるのだということを説明では言うのですが、果してそうかどうか。それで帰還者というものは、今度は一方に翻つて言いますと、帰還者というものはあそこに上陸をしてその帰還業務というものを受ける義務があるのか、ないのか、想像して見ると、何ら義務がないようだ。帰還業務というものを受けようと、受けまいと勝手だ。桟橋に上つた以上は自由だ。どこへ行こうと、何をしようと、法律命令に触れない限りは自由である。何人も束縛を受けない。あそこで帰還業務というものを受ける義務が果して帰還者にあるのか、ないのか。若しそういう義務がないと言うならば、あの中で秩序を保持する義務もなけらねば、何をしようと勝手放題、だから東京へ出て来ようと、出て来まいと、出て来たのが脱出だとか、不法であるとか、そういうものには面会をすべきであるとか、ないとかいう建前はとれない。結局若し帰還業務を受けなければならないということになるというと、おのずと規律も必要であろうし、やはり外出その他についても、その業務の遂行上必要な制約を受けるのは当然なんです。でありますから、私はあの帰還業務というものは一体あれは帰還者にとつて、それを受ける義務があるのか、ないのか。例えばです、帰還手当というものは要らない、要らないと言つちやおかしいが、黙つてすつす、すつす、すつすすつす出てくる、帰還手当を受けるというのは帰還業務のらなんで、すつすすつすすつす出て行く。出て行つた政府はその帰還者に対して帰還手当を支払う責任があるのかどうか。具体的に言えばどこまでもおつかけて、その人に渡さなければならん政府責任があるのか。すつすすつすすつす行つちまう。あそこの場所で集結をして、並んで順序よく帰還手当だけを受ければ、自他都合がいいのだが、トランクを提げて、おれは棲橋へ上つた以上は自由だと言つて、すつすすつすくどつかべ行つちやうと、政府帰還手当を本人に支給しなければならないのか。そういうふうに勝手に行つちやつた者はやらないで、ほつたらかすのか。ですから帰還手当というものは一つの帰還業務であつて到着してその業務を受ける。その終了者の間に支給するのであつて、勝手に黙つてどつかべ行つちやつた者には政府は支払わないでいいのかどうか。いつまでも、何年経つても名乗り出たら、政府がやる義務があるのかどうかというような諸点を、私は帰還業務というものの性格を明確にしておく必要があると思う。それが明確になつていないというと、あすこの局内においての秩序保持であるとか、いろいろな事柄に、果してどこまでの義務付けがあるかどうかということが明確でなくなるように思うのですが、これは一つその辺を明らかにしておきたい。
  10. 木村忠二郎

    政府委員木村忠二郎君) 外国から日本へ普通に帰つて来られまして、どうしてもしなければならないというのは、やはり一応入国の査証を受けなければならないことと、それから税関の検査を受けなければならないこと、これはもう当然なことであります。その人が果して正当に出国したものであつて、そうして正当に帰つて来たものであるかということは認定しなければならない。それから持ち帰りました物につきましては、これは当然税関の検査を受けなければならない。如何なる者が外国から帰りましても、この二つのことはどうしてもしなければならないものであります。帰還業務の中で、その二つの事項につきましては、どうしてもこれを受けない場合にはこれはいけないということになるだろうと考えます。特に税関のほうの問題……、日本人帰りまする場合でありまするからして、本当にその者が日本人でありまする場合には、それが確認されるならば、そういう手続をせずに入りましても、これはとやかく言うのではないのでありますが、税関の問題だけは、これは税関の検査を受けずに物を持ち帰ることができないから、物をそこに放擲して入りまする場合はこれは別でありますが、物を持つて入る場合には、その検査の手続は必ず受けなければならないと思います。そういうような業務と援護業務とは、これは全然性質を異にしておるのでありまして、援護業務につきましては、これは受ける義務もありませんし、これを政府といたしまして、そうしなければならないという法律上の義務があつて、そういう権利義務の関係に従つて出さなければならないものではないのでありまして、政府といたしましては、これに対しまして、やるという方針をきめまして、そうしてやつておるわけでございますから、これにつきましては、必ずしも本人が受ける希望がなければ、これは援護をいたす必要はないのであります。諸外国から帰りました者に対しまして特に援護をするというような制度は別にないのであります。  ただ、現在までのところ、他国に抑留されておりまして、抑留され、帰れないという状態にありました者が帰つてつた場合には、これに対しまして援護をしなければならないというふうに国として考えておりまするので、これに対しまする援護をするということになつております。つまり国から与えまするところの一方的なる利益であるとこいうことに考えなければならない。従いましてこの援護を受けるために手続が必要である、その手続帰国業務であります。帰りましてその援護を受ける場合には、汽車に乗ります場合の汽車賃を払えない者であれば、汽車賃を払つてやる、定着した場合におけるその者がそういう状態から帰つた人であるということを示す証明書の交付とかいうような、その者が復員者であれば復員者であるというような、そこで復員したという手続をいたす必要がございますので、そういうような援護業務に関連するようなことを他の法令によりましてやる場合例えば復員手続、これは帰つた者は必ず復員の手続をしなければならない、そういうような援護を受けます場合にいろいろな手続きをしなければならないというのが現在の帰国業務の性質でございます。従いまして本人も援護を受ける必要なし、自分援護を受ける必要もないということで以てお帰りになるならば、これは何らそこで帰国業務をする必要はないのであります。それに対して政府は何も了しない、でその場合におきまして局内なら局内でそういうかたぞれに食事を差上げなければならないということもないし、甚だしきに至つては、船内における船賃の負担、船内における食費等におきましても政府のほうで負担しなければならないものではないということになる。これらにつきましてはやはり船内で以て食べる負担、食事を給与するという二と、或いは局外でみんなそこで援護を受けられれば、従つてそういうようなことに関連する一切の手続というものはやはりやつてもらわなければならないというふうに考えております。  従つて先ほど山下委員から御指摘がありました通り、これは義務ではない。今申上げましたような当然しなければならない、普通の入国の際にしなければならない以外のことはこれはやらなければならないという義務はないのであるから、あすこで以て滞在することも権利でもなんでもない。従つて直ちにあすこから出てもらう、ああいう建物でございますから直ちに出てもらわなければならないということに相成るのでございます。大体以上のようなことが帰還業務の性質ではないかと思つております。
  11. 山下義信

    山下義信君 わかりました。長官に対する質疑はちよつとあるのでございますけれども、あとで詳しく申上げようと思います。  次の問題に移つて頂きましよう。
  12. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 帰還者実情につきまして、取りあえず十三項目の中に名前が見えております小松勝子君を参考人として委員会意見を聞き、何故に郷里の帰還が遅れておるかを調査を進めたいと思いますが、この点は如何いたしましようか、さよう決定してよろしうございましようか。    〔「異議し」と呼ぶ者あり〕
  13. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 御異議ないものと認めます。なお日取り等は委員長および理事に御一任願いたいと存じますが如何でしようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  14. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) それから次に小松勝子君以外に第四次帰還船帰還しました人およびすでに帰還された方方の中からも適当な人を参考人として委員会意見を聞き、調査を進めたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  15. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 御異議ないものと認め、さよう決定いたします。  なお参考人人数、人選および日取り等は委員長および理事に御一任願うといたしまして、適当な参考人の候補者がございましたならば、至急委員長まで御連絡下さいますようお願い申上げます。   —————————————
  16. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 次に、いわゆる満蒙開拓団に関する件を議題といたします。  本件につきましては農林省農地局入植課長和栗博君が見えておりますので、何とぞ御発言をお願いいたします。
  17. 山下義信

    山下義信君 あの俗にいう満蒙開拓団といいますか詳しく正式な名称はわかりませんが、満洲或いは蒙古その他の戦争中に国策としていろいろ開拓団として行つた、それから或いは満洲開拓義勇隊というか、義勇軍というか、あの多くの少年の派遣をした。で、そういうようなかたがたの今次帰還に際しての扱い方というものについて、それから今の援護庁のほうではどういうおかたであろうと、一応援護業務というものをやつておるのでありますが、そういう方々に対して関係した当時のずつと続いておる、今日でいえば役所としての農林省、あなたのほうでは、どういう処遇がなされておるか。満洲において死没した人或いは、具体的に言えば、不慮の、非業の死を遂げた人、それから又非常に惨澹たる状態で内地に引揚げて戻つた人、そういうような人に対して如何なる措置がとられておるかという点についてこの際説明を承わりたいと思います。
  18. 和栗博

    説明員(和栗博君) お答え申上げます。  昔、前に開拓団なり義勇隊というものを送り出しました場所は満洲だけになつております。終戦後その方々が満洲で、あらゆる、これは本当に筆舌に尽しがたい苦心を現地でなめられまして、向うで一部は亡くなられましたかたもありますが、帰つて、その後漸次引揚げて来られましたかたがたと私どもも会いました。当時皆様方の帰つて来られた話では、自分たちは帰つて日本に引揚げて来たあとで以て、日本の国の再建ということに少しでも自分たちで貢献できるという途があるとすれば、それは日本の開拓をやることだと思う。だから自分たちは日本の国内開拓に向つてできるだけの自分たちの余生を捧げてやりたいというのが、大体引揚げて来られたかたの御意見でございます。そこで私どもといたしましては、そういつたかたがたが国内開拓に帰られまして、国内で新らしく又開拓地を建設されますことにつきまして、まあ各府県庁をも督励いたしまして、それに側面からできるだけ協力をいたして参りましたということが本筋になると思うのでございます。  満洲開拓の方々は大体昭和二十二年、三年頃に引揚げられて来られまして、新らしい開拓地に入られましたようでございますが、現在の国内の各開拓地の状況では満洲の引揚者の方々が作つておられます開拓地がやはり一番成績がいい結果が現われておりまして、それ以前に入られた、終戦直後からあちらこちらに入られた各開拓地の建設の進度状況よりも、むしろそういつた満洲の開拓団の方々の国内での開拓のほうが、結果ではいい成績を示しておられるという状況になつております。  なお、その他の問題といたしましては、義勇隊の関係の中で私もその当時の詳しいことはよくわからないのでありますが、終戦時に満洲におきまして、日本軍の何と申しますか、要請によりまして戦闘に参加した者があるというような場合は、これは厚生省のほうにもよくお願いをいたしましてそういつた関係法規をできるだけ適用して頂くというふうなことにお願いをいたしているというような関係に相成つております。そのほかなおあろうかと思いますが、一応その程度で……。
  19. 山下義信

    山下義信君 あのね、今日は開拓団のことで委員部から通知しておいたのですが、連絡が十分でなかつたようですから、今日は開拓団の帰還者に対してどういうやり方をしているかということ、今まで帰つた人の数や、世話をあなたのほうを通じて、世話はあなたのほうでなく都道府県でやるのでしようが、それらの状況のわかるような資料を作つて次回に持つて来て下さい。委員長、お願いしておきます。  それでこの開拓団の向うへ送り出した人の氏名など、名簿など残つておりますか、政府のほうに……。
  20. 和栗博

    説明員(和栗博君) はつきり今お答えはできませんけれども……。
  21. 山下義信

    山下義信君 それも資料があるかないか調べて下さい。それから従つて開拓団であつた人が内地へ引揚げて来るというようなことになつて以来、一体政府は、その関係者は注意しているかどうか。生存した開拓団員が戻つて来ることを、引揚者が帰る都度に注意をしているかどうか、何かするのですか、しないのですか、どういうことをやつているかどうかということ等も省内のほうで関係者に聞いてみて、一括してわかるように次回に説明してもらいたい。それで言い換えれば送り出すだけは送り出しておいて、当時いろいろなケースもあつたでしよう。家財を売らしてその村を出発させて、そうして満洲へ送り出しておいて、それでさんざんな目にあつてつて来た者が、いつ帰つて来たのか、帰つて来ないのか、死亡者がどれだけあつたのか、どのくらい引揚げて来たか。それはいろいろな開拓や入植を申出た者の斡旋やいろいろなことしているでしよう。でしようけれども一体その他の者がどうなつたか、その措置がどうなつたかというようなこと、これは一体農林省で誰か注意してやつているかどうかということを調べて見て下さい。それで最近で言えば今次の第四次でもいい。最近の中共からの一次、二次、三次、四次の約二万近い人の中で開拓団関係者が何人おつたかということを農林省は見ているか、見ていないか、厚生省に聞き合せぐらいするんですか。一向知りません、存じませんで、農林省の関係の役人がたまに新聞を見るぐらいのことじやならないはずだと思います。それで今次の帰還者の中では、二万幾千人、その中で兵隊であつた者が何人、開拓団であつた人が何人、向うの出先の政府職員何人というようなものが援護庁で調べて帰還業務で明白になつたら、政府部内にもそれは資料はあるし、新聞にも出るでしようが、開拓団関係が何名であつたというならば、農林省関係のそれらの関係の官吏の人であつたらばピンと来るでしよう。頭へも来るし、胸へもしゆんと来るものがあるでしよう。そういうものが一体連絡しているかどうか。従つてそういう開拓団員が戻つたからといつて援護庁は金は出せんが、そういう生存して引揚げる者について、農林省は出すときにはああいうふうにして出したのですから、死亡した者に対するその処遇、或いは生存して命からぞれ引揚げて来た者に対する措置、そういうものを一体農林省では何んらかの対策を持つているのかどうかということが聞きたかつたのであります。それを一つ農林省のほうでいろいろ関係等で御調査下さつてそれで然るべき資料と明確な御説明のできるように次回御用意を願いたいと思います。
  22. 千田正

    千田正君 只今山下委員の御要望に附加えて、私もその点を御説明願いたいのは、当時の農林省としましてはいわゆる開拓行政の一環として当時は拓務省があつたでしよう。少くとも南米の移民と違つた意味において満洲の開拓団というものは出して参つたはずでありますので、拓務省との関係においてはどういう趣旨を含んで満洲にそうした開拓団をやつたのか。或いは青年諸君を全国の各村から集めてやつたのかという当時の拓務行政と農林行政との合致点についての御報告を願いたいと思います。というのは今山下委員からお話がありました通り、満洲へ行つての特に北満においての開拓というのは、単なる開拓ばかわではなく、当時の日本の一つの侵略主義の現れ、満洲という建国の意図において、早く言えば屯田兵的な性格を持つた一つの開拓をやらせられた、多くの義勇団とかその他があつたはずであります。この人たちが終戦後においては最も悲惨なるところのいわゆる戦争犠牲者であつたのでありますにもかかわらず、何名かが生残つてつて来たけれど、その所在も十分ではない。現在帰つて来て開拓団の中に入つている者は満洲の開拓団の普通の開拓のために行つた人もあれば、又帰つて来て生残つて今の開拓の中に入つている人もあります。御承知通り開拓自耕会とかいろいろな名前を付けて当時のいわゆる満洲において働いて来た人たちがすでに帰つて入植して一応の暮しは立つておる。併し今の山下委員のおつしやる通り、今次引揚に際して第一次から第四次まで帰つて来た人たちが、殆んど今は日本全国においていわゆる開拓適地というものに対する入植はもう済んでおりますから、今後入るべきところの人たちは、仮に開拓を目指して行つたとすれば、容易ならない苦労とその営農資金というものが必要であるのであつて、そういう点に対して農林省としてはどういう心がまえでこうした人たちを迎え入れるかということも、農林行政の一環として十分考慮しておかなければならん問題だろうと思いますので、その点も附加えて御報告願いたいと思います。   —————————————
  23. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 次に未復員者給与法に関する件を議題といたします。本件につきましては大蔵省大村主計官が見えておりますので、御発言をお願いいたします。
  24. 山下義信

    山下義信君 大蔵省に聞いてみたいと思いましたのは、復員手当のことなんです。一体何年の何月まで復員手当を支給しているか、復員手当というのはやめたのはいつからやめたかということを聞きたいのですがね。未復員者給与法じやないのです。復員手当です。復旧手当ということは、いわゆる軍隊の解散のときに兵隊に出した手当ですね。召集解除のときに出した手当です、終戦に際してですよ。終戦前までには召集解除の手当なんというものはない。敗戦をしてそうして終戦になつて日本の陸海軍を解散するときに手当が出た、その手当をいつまで出したかということを聞きたい。
  25. 大村筆雄

    説明員(大村筆雄君) 御質問の内容が事前によくわかつておりません関係で、本来ならばこれは給与課長が主管しております、給与課長を出せばよかつたのですが、ちよつと私資料を持合せておりませんから、帰りまして給与課長に連絡いたしまして……。
  26. 山下義信

    山下義信君 つまり終戦になつたときに軍隊を解散するに際してその退職手当というものを出した。それでそれを途中でやめちやつた。それで何年までやつたか、何人の人間にやつたか。当時どの程度の金額か、階級によつて支給しているわけです、最近はない、やめた、その退職手当なんです。兵隊の退職手当というものを軍隊が解散するについて日本政府が出しておる。それを一つ資料を出して次回に説明して下さい。そのことであります。それから長官にお伺いしたいことをちよつと秘密会に願いたいのですが、一つ御同意を願いたいのですが。簡単なことなんです。
  27. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 只今の動議に対してまして如何いたします。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  28. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 異議ないものと認めますから、秘密会にいたします。速記をとめて下さい。    午後零時十五分秘密会に移る。    —————・—————    午後零時二十七分秘密会を終る。
  29. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 速記を始めて下さい。これにて秘密会を閉じます。
  30. 千田正

    千田正君 長い間ソ連並びに中共地区におられた我々の同胞の所在が、日本国内においては相当詳細に調査したつもりであつたのでありまするが、今次中共からの引揚が開始されると同時に、国内における調査以外に、いわゆる未だ不明であつた人たち相当つて来られておるようであります。それでそういう人たち並びに今後も恐らく未調査のままに、或いは行方不明或いは死亡等を予想しておつた人たちが生還されて来られるということは、誠に我々国民として喜ばしいことでありますが、なお完全なる調査を持つ意味におきまして、今後当特別委員会といたしましては、政府当局に対し一層の真相の調査要望してやまないところでありますので、この点で各委員皆様の御協力を得たいと思いますが、お諮りを願いたいと思いますので、動議といたしまして提出いたします。
  31. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 只今千田委員の動議に対しましてお諮りをいたします。
  32. 山下義信

    山下義信君 千田委員の動議に賛成であります、なお、その調査の中に、先ほど秘密会におきまして御懇談申上げました事項を含みますことは言うまでもないことでございまして、非常に重大な問題と存じまするので、是非委員会におきましてお取上げになりますように……。千田君の動議に賛成いたします。
  33. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) それでは只今の動議に異議ございませんでしようか。    〔「異議なし」と呼ぶものあり〕
  34. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 異議ないものと認めまして、さよう取計らいます。   —————————————
  35. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 次に、連合委員会に関する件を議題といたします。未帰還者留守家族等援護法案が去る六月二十七日に厚生委員会に付託になつております。本法律案は未だ予備審査でありますが、本特別委員会調査の事項と連絡が極めて深い問題でございますから、厚生委員会に連合委員会を開くことを申入れたいと存じますが、さよう決定することに御異議ございませんでしようか、お諮りいたします。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  36. 常岡一郎

    委員長(常岡一郎君) 御異議ないものと認めましてさよう決定いたします。  それでは今日はこれを以て散会いたします。    午後零時三十一分散会