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説明員(和栗博君)
農林省の
引揚者に対する入植
関係の問題につきまして御
説明申上げます。今度
引揚が始まりますときに
農林省といたしましては、前に満洲に開拓民或いは青年義勇隊の
かたがたを送り出した
関係もございますので、当然今度の
引揚者の中にもそういつた
かたがたが帰
つて来られるであろうというふうに想像もいたしましたし、又そうでなくても、又帰
つて来られたかたぞれの中に、内地へ帰
つて来て開拓地へ入りたいという御
希望のかたがあろうというふうに
考えましたので、これをどういうふうに受入れたらいいかということにつきまして研究をいたしました。簡単に申しますと、私どもの
考えは、
引揚げて来られた
かたがたに対して、とにかく温かい気持で接するということが一番大切だという
考え方でございます。
方法といたしまして私どもが
考えました
方法は、
只今申しました
引揚げて来られる
かたがたの中で、曾
つて満州に開拓民なり青少年義勇隊として送り出した
かたがたがお帰りになりました場合は、すでに今までにたくさん満州の開拓なり義勇隊の
かたがたでも帰
つて来られまして、内地の各地で開拓地に入られまして、もう組合を結成して大分開拓が進んでおるというような所
がたくさんございます。成績も国内の開拓の各地区に比較いたしまして、非常に成績がいいのであります。そういうようないい所へ、満州で一緒に生活をしておつた人が先に内地へ帰にて来て、そういう開拓地を建設しておる所にあとから帰
つて来た人が入
つて行きますと、これからあとの生活の安住なり、営農の確立ということが非常に楽だと思います。それから内地のもうすでに帰
つて来ております満州の
引揚の開拓者の
かたがたにもこの話をいたしましたが、皆喜んで、満州で苦労したかたが帰るのだから、
自分たちは喜んで迎えるというので、皆手を拡げて待
つておるというようなのが現状でございます。そこで私どもは、まあそのほうが一番いいだろう、それで成るべく満州で一緒に開拓に従事しておつた
かたがたが入
つておる所へ、できるだけ今度帰つたかたも入
つてもらうようにしたらいいという
考え方でおりますが、そのときにまあ土地に余裕があ
つて、どんどんそれじやそういう所に入れますと、非常にうまく行くわけでありますが、万一土地がなかつた場合には、その附近に開拓適地がございますれば、追加買収をいたしましてでも、成るべくその附近に入れて行くという
考え方を先ず第一に立てます。第二の
考え方といたしましては、必ずしもそういう追加買収も、或いは満員であり用地も追加買収できなくて、どうしてもその附近に土地が得られないというような場合、それから満洲開拓の
関係のかたでないかたで、
引揚げて来られてから国内の開拓に従事したいという
考えのかたに対しましては、やはりできることならば
自分の、そのかたの出身県内の開拓地であ
つて余裕のある所へ入られたほうが、今後の営農の進度なり安定という面で立直りが非常に早いわけでございますので、成るべく出身県内の開拓地へ入る、まあ簡単な言葉で申しますれば、
自分の出身した町村の附近にある開拓地へ向
つて入
つて行くことが、やはり親類縁者なり或いは同郷の
かたがたの援助ということも
考えられますので、非常にやりいいのだというふうに
考えまして、そういう方策を第二段に
考えます。それでも、その一、二の
方法をとりましても、なおどうしても入る場所がないという
かたがたにつきましては、現在中央指定地区と申しまして、甲なら甲という県の人が
自分の県内に入る所がない場合に、乙なら乙という県内に土地があつた場合に、甲の県の人が固ま
つて乙の県に入
つておるということがございます。よく分村とかいうような形で甲県の人が乙原に入
つておるという所がございます。そういうところであれば仕方がないから第三段目の手として、
引揚者のかたが甲県のかたであつた場合には、そういう所を県のほうで世話をするということがまあ第三段目としていい
方法だろう。その三つの
方法を
考えてもどうしても入る所がないのだという場合は、これは帰
つて来られたかたには大変お気の毒ではございますが、新規の地区に入
つて頂くより仕方がないという結果になるのでございます。新規の地区は、御承知のごとく開拓と申しますものは、とにかく原野を拓きまして、家を建てたり、畠を作つたり、
一つの村作りをこれから何にもない所にや
つて行くわけでございますので、新らしい地区へ入
つてこれから開拓をやるということは、これは並大抵の
努力ではできないわけでございます。又土地がございましても、その土地へ行くのにまだ道路がついていないとかいうようなこともございますし、とにかく新らしい所へ入りますと、初めは労力的に申しましても非常な苦労がございます。資金的にも非常に苦しいわけでございます。そこで成るべく
只今申上げましたように或る程度できておる開拓地であ
つて、そういうような所へ入りますと、いろいろな道路の問題であるとか、或いは共同の加工施設であるとか、或いは電気の施設であるとか、いろいろなものも或る程度もうできております、そういうような所へ入るほうが、帰
つて来られた
かたがたとしては非常に今後の安定なり、営農の確立という面から見ました場合にはいい、そういう
考えで入植される
かたがたの今後の問題を中心にいたしまして、そういうような方針を打ち立てまして、県のほうにその準備をするように通牒をいたした次第でございます。なおその場合に入植者といたしましては、適格者を開拓地に入れるという制度にな
つておりますが、その適格者を選定いたします場合も、
引揚者の
かたがたの場合は或る程度やはり特別な考慮を加えるということも附加えました。それから開拓者としての助成の場合も、現在の開拓のやり方は、或る程度住宅の
予算であるとか、或いは開墾作業の補助金であるとか、或いは営農資金の貸付であるとかいうような制度がございます。その場合に
引揚者のかたで入植の適格者であるというふうにきまりまして、開拓地に受入れられました場合には、先ず優先的にそういうような助成なり、融資の制度をその
かたがたに先ず先に廻すというふうにするようにという通牒を流して準備をいたした次第でございます。
その後いよいよ
引揚が始まりまして、私のほうからも人を
舞鶴のほうに出しまして、
相談室のほうへ詰めておるわけでありますが、その場合もさつき申しましたように、先に満州の開拓で渡られたかたで同じ所におつた人がそれじや内地で今どういう所に入
つておるかというようについて全部調べました帳簿も全部
舞鶴へ持
つて行きまして、その
相談室に入られた
かたがたには御覧に入れまして、あなた
がたと一緒にや
つておつた
人々はどこどこにお
つて、今どういうふうにな
つておるというような
説明を今いたしておる次第でございます。
そこで
舞鶴で調べました
状況を申上げますと、その
相談室のほうに開拓の
希望の
かたがた、或いは
希望でなくても満州開拓民として渡られたかた、或いは青年義勇隊として向うへ渡られた
かたがたも見えております。大体四百人足らずのかたが
相談室においでになりまして、いろいろ
状況を開いてお帰りにな
つております。その
状況を概括的に申上げますと、参つた者の話を結論的に総合いたしますと、満州の開拓民なり或いは義勇隊で行かれた人が
引揚げて来た場合に、義勇隊というのは、これは私ども専門的にそんなことを申しますが、大人の移民と青少年の移民というふうにお
考え願つたほうがいいと思いますが、若いぼうの移民の
かたがたは現在は大人に成長されているわけでございますが、その
かたがたの大体の
考え方なんかは、うちへとにかく僕は帰るという
考えの人、それから向うにおる間に或る程度
自分は腕に技術をおぼえたから、その技術を活かしてや
つて行きたいので、内地へ帰
つて開拓を必ずしもやるという
考えもないというような話もございます。とにかく必ずしも若い、いわゆる青年義勇隊の出身の
かたがたは、私どもの見ておりますところでは、余り内地の開拓については現在のところそう大勢の人が入植したいというふうに
考えておられるようには見受けられないのでございます。それから大人のほうの
一般の満州開拓民として渡られて帰
つて来られた
かたがたとの話合の
状況の結論を申上げますと、いろいろ日本の国内の
状況なり、さつき申上げましたようなリストの
状況を申上げますと、まあそれじや一遍
自分の郷里へ帰
つて状況をよく見た上で
自分たちの態度を決しようということで、郷里にお帰りにな
つておるかたが大部分でございます。そこで各
府県から今度の
引揚者の中で開拓地に入る
希望があるという
数字が
農林省のほうに報告がございましたのは、五月中旬までで三十六世帯しかございません。尤もこの帰国者の入植世話人会のお調べでは百三十四世帯あるという
お話でございますが、各都道
府県からの
農林省への報告は三十六世帯しかないという
状況でございます。併しこの
数字は
只今御
説明を申上げますように、大人の開拓民の
かたがたは一遍郷里に帰
つてから内地の諸情勢を十分に検討した上で
自分の態度を決したいというお
考えでございますので、今後は或る程度
希望者が出て参るように
考えられる次第でございます。その
只今までの報告によりますと、各
府県から速報を私のほうにはとるようにいたしてあるのでございますが、この三十六世帯のうちもう開拓所に入
つておりますのは、五世帯は入
つております。なおあと大世帯ばかりはもう入る見通しがついておるということにな
つておりますが、東京都に二十五世帯ばかり現在かたま
つておられるようなことにな
つております。そういう現在の
状況でございますが、帰
つて来られた
かたがたと三回ばかりお会いいたしまして、いろいろ代表の
かたがたとも
お話合いをいたしておりますが、私どもは当初受入れる場合にはそういうような受入方を
考えておつたのでございますが、帰
つて来られた
かたがたの
お話では、特に東京におられるかたがその代表にな
つておいでになるわけでございますが、
お話をいたしますと、
自分たちはできれば一緒の船に乗
つて帰
つて来たような
関係もあるから、できるだけ集団入植をしたい、今の
農林省の話のように、三戸なり五戸なりに分れて入
つて行つたほうが、将来のためには楽かもわからないけれども、まあ一緒に帰
つた人たちは、できれば苦労でも新らしい土地へ集団的に入りたいのだという御
希望もございます。いろいろ集団で新らしい土地へ、新らしいと言いましても、集団と言いましても大きさにはぴんから切りまでございますが、余り大きな地区ということになりますと、北海道のほうでも探しませんとないわけでございますが、内地の
府県ではそう大きなたくさんの戸数を受入れるような、一遍に同じ所に受入れる所はそうはないのでございますが、内地のまあ開拓地の
実情等を
お話を申上げて、なるべく
農林省の
考えておる線のほうが、入られる
かたがたのことを
考えると、そのほうがいいからということをしばしば申上げておるのでございますが、やはり中には、いやそういうこともいいけれども、又一緒に帰
つて来た連中が一緒に入りたいから何とか集団で、二十戸程度でいいからとにかく固ま
つて入るような所を
考えて欲しいというような、た
つての御
希望があるわけなんでございます。従いまして、この新規の地区につきましては、大体内地の現在の開拓地の
状況から申しますると、新らしい地区がこれから開拓地になります場合は、大抵その附近の農家の二、三男のかたが相当に二、三年前からそこの開拓について計画を立てておられますので、そう簡単には参りませんけれども、
引揚者の
かたがたがそういうような御
希望もございますので、
只今農林省で空きのあるような地区を探しまして、県に照会をいたしておる
状況でございます。
次に、
委員長のほうから御質問ございましたが、特別に何か
予算措置をと
つておるかということがございましたが、私どものほうといたしましては、別に現在のところ特別な
予算措置はと
つておらないのでございます。その理由というようなものを申上げることになるわけでございますが、大体
予算は流産はいたしましたが、二十八年度の当初
予算のときに、二十八年度の入植戸数として大蔵省の
予算案に計上されました戸数は八千戸でございます。従いまして、この八千戸の
予算でとにかくその
中共の
引揚者の中の開拓地へ入る御
希望のかたは、できるだけ優先的にこの
予算を廻して行くというふうなな
考え方でございます。できますことならば、それは
引揚者のかたで開拓地へ入る御
希望の数が、先に御
説明を申上げましたように、非常に小さい
数字でございますので、これが相当の数が出て参りますれば、これは補正
予算なり別途
予算の追加の
措置を講じてもらわなければならんということは、私も大蔵省へ申入れはいたしてありますが、
只今のような
数字の
状況では、この八千戸を更に上廻
つて追加的な
予算を出すのも
ちよつとむずかしいように
考えられますので、
引揚者の中の入植の御
希望があ
つて、適格者ときまつた場合には、この
予算は優先的にそちらのほうへ先ず廻して、あとはどうしても地元の二、三男のほうになりますから、多少遅れてもそのほうはやりくり
はつきますので、その
状況を見まして補正
予算なりその他の
予算措置を講じて参りたいというように
考えております。一応簡単に一
通りの御
説明を申上げました。