○
参考人(
坂田重蔵君) 私は去る五月の十三日に日産化学の
鏡工場における
肥料出荷に参りました一
農民として、当時の模様並びにその前後の私
どもの
肥料の需要
状況などを申述べてみたいと思うのであります。
私
どもの地方は
熊本県の中におきましても阿蘇地方でありまして、非常に高冷地帯であります。それで田植を相当早目にやりますのでありまするが、昨年来、県の奨励はこの増産のために保温折衷苗代を奨励いたしまして、幸い非常な増収を得ましたので、更に今年はこれを反別を広めましておのおの苗代をや
つておるのであります。その播種期は大体三月二十五日から四月上旬、一日、五日とまあ五日ぐらいが一番遅いだろうと思うのでありますが、そうして、苗代期間は四十日乃至四十五日でありまして、丁度五月の上旬、中旬にかけましてこの苗を植えるわけであります。従
つて丁度五月の中旬になりますると、この早い所は上旬からやるわけでありますが、
肥料を必要とするのでありますが、その上に火山灰地でありまして、これは燐酸分が非常に欠乏しております。例えば同じ
熊本県でも、
熊本市附近の平坦地と比べますと燐酸分が約半分くらいしかないというような状態でありますので、たくさんの過燐酸
肥料を要するのであります。なお増収の
一つの方法として紫雲英の栽培をいたしておる者もありまするが、私
どものほうでは先ほど申上げましたように燐酸分が非常に少いわけで、その紫雲英に四月上旬に過燐酸
肥料を施すのであります。そうしましてこれを田植前に敷き込んで植えるという慣習にな
つておりますので、この分の過燐酸石灰
肥料の需要の時期というものは四月上旬であります。更に、阿蘇郡におきましても山嶽地帯の畑作の地帯では気候が更に寒くなりますので、畑作た
つた一作であります。それにはとうもろこしを植えるのでありますがこれが約四千町歩でありまして、二毛作をいたしません
関係で非常に早目に植えておるのであります。これは五月十日からどんなに遅くても五月いつぱいには植えなければならない、こういう畑地が四千町歩ばかりあるのであります。こういうような同じ
熊本県内におきましても、平坦地特に八代
方面の田植というものはまだ始ま
つておらないと思うのであります。非常に時期が前後しておるのでありまして、そういう
事情が八代のかたにはよく御了解ができ得なか
つたのではなかろうかと、かように考えてお
つたのであります。なお、そういうふうに
肥料は火山灰土であるがために過燐酸がたくさん要る。それから高冷地であるが故に早く田植をするので、相当早目に過燐酸を必要とするのであります。こういう
関係で、而も過燐酸というものは、御
承知の
通り、私
どものほうでは絶対元肥主義でどうしても田植前にこれはやらなければならないという状態に差迫
つてお
つたのでありまするが、その
肥料を註文いたしますためには需要量の約九割は農協を利用いたしまして農協を通じて註文するのであります。
その
肥料の
状況というものは、四月の上旬、中旬までくらいは非常に順調に今年は過燐酸石灰が送られて来ておりましたので、それまでは今年は非常に早く来るぞと喜んでお
つたのでありまするが、四月下旬からそれがば
つたりとま
つたのであります。ところが一方田植はいよいよ迫
つて来る、こういうふうな状態で私
どもは非常に心配をいたしてお
つたのでありまするが、丁度そういう
関係で、県の販購連に対してどういうわけで
肥料を早く田植が迫るのに送らないか、こういうことをそれぞれ督促をいたしましたにかかわりませずなかなか
肥料は送
つて来ない。そのうちに五月の四日に私
どもの地方の郡別
肥料対策会議というものを販購連の主催で行われました際に、このことを追求いたしますると、それは早く送
つて上げたいのだけれ
ども、実は
肥料工場にストライキが起る気配があり、更にすでに起
つておる所もある、こういうようなことも原因して遅れておるというような話もある。併しそれでは困るではないか、そのストライキは
解決の見込があるかどうか、というようなことを尋ねますると、それは我我の方ではわからないが、なるたけ早くそれは
解決してもらいたいということは皆希望しておる。結局非常に困
つた問題だがなるたけ迷惑をかけないように早くお届けしますと、こういうような返答でありましたが、併し連
合会が出すというても向うのストライキが
解決しなければ送りができないというようなことになると、どうもあなたが出すというても非常に困るじやないか、こういうわけで、連
合会に対しても非常に強く
要請をいたしましたのであります。私
どもの方ではそういうことを申入れまして、早くストライキが
解決すればよろしいということを念じておりましたが、そのうちに新聞ラジオなどでこういうものを注意して聞いたり見たりしておりまするとなかなか
解決しそうにない。
そうこうするうちに五月の九日付だろうと思いますが、新聞紙上に
鏡工場の
ピケ・
ラインの記事を見たのであります。我々
農民はこの
鏡工場における
ピケ・
ラインの状態を新聞で見まして、非常に不安焦躁と申しまするか、果して我々の田植に間に合うだろうか、こういうことが心配でたまりませんでした。なお私たちはその記事を見まして考えましたことは、僅か百人くらいの人たちの
ピケ・
ラインのために、我々の大事な
肥料が思うときに手に入らないというようなことは、これは情ないことじやないか、一体
肥料は何のために、誰のために作
つておるだろうか、そういうふうに多少疑いまして、そうして、一日も早くこのストの
解決方を希望いたしてお
つたのでありまするが、どうも
解決の見込みがないような
情報が伝わるのであります。これは困
つたことであると私
どもは心配をいたしておりましたが、その新聞のときにも、
ピケ・
ラインのところに
警察官がおいでにな
つて、そうしてそのままお帰りにな
つたというような簡単な記事を見たときに、一体これは食糧増産をするために大事な元ごえ
肥料を我々は要求しておるのに、会社と
労働者のかたが争
つておられるそのために我々の
肥料の需要の時期をはずすというようなことがあ
つては大変なことである。こういうようなことに対して、一体
警察は何しておるだろうか。こういうふうにも我々考えたり、話し合
つたりいたしまして、それにしましても、私たちはそのうちにはもう
解決するだろう。
こういうふうに考えておりました矢先に、丁度六月十二日の午後に、販購連の支部から単協を通じて連絡があ
つた。と申しまするのは、どうも
肥料の出荷
要請をしてみたけれ
ども、現在の
状況では、このままではとてもむつかしいような状態である、どうしたらよかろうか。ついては明十三日の午前十時三分
熊本駅発の列車で
鏡工場へ過石出荷をお願いに行くから参加をしてくれ、こういうような連絡があ
つたというので、私
どもは明午前六時発の列車に乗りまして、そうして
鏡工場へ参
つたのでありまするが、丁度駅ごとにそれぞれの村から三人四人とお願いに上る人が乗合せまして、それから
熊本駅で乗換えますと、丁度これは飽託あたりの人であ
つたろうと思うのでありまするが、汽車の中で話をしてみますると、皆非常に心配をしておる。新聞に
鏡工場のストライキ
事件が報道されてから、どうも商人のほうがおれのところには
肥料があるからというような話で、買いに行くと十円ぐらいもう高くな
つておる、こういうことでは困りますな、併しこれがますます長引けば更に困るが、我々が今日行
つてお願いすれば片付こうではないか、心配と一縷の望みもかけて、
鏡工場へ参りましたのであります。ところが、
鏡工場へ私たちが駅から降りて参りますると、すでに私
どもよりも早く来ておられる
農民がたくさん
自動車をつらねて来ておりまして、そうして
肥料を渡してくれ、そうしてもう非常に
空気が私どのつきました十一時過ぎでありました頃には険悪にな
つておりまして、
農民のほうのうちからも、お前たちは
百姓に米を作らせぬなら
肥料の団子でも食えというようなことをうしろの方で言
つたりしておる者もある。これはいかんと思
つて、
工場の正門を見ますると、
ピケ隊の人がたくさん坐り込んでおる。私は
ピケ隊というものはどういうものであるか知りませんでしたが、初めて見まして丁度正門の所にぎつしり坐り込んでおられる。それから路傍には赤旗がたくさん立
つておる。そして
ピケ隊の人たちは盛んに労働歌を唱
つて気勢を上げられておるこの状態を見まして、これは困
つたことができたな、我々は
肥料を頂きに来たのだが、来てみると、この我々の仲間であるべきはずの
労働者の人たちと我々の仲間の
農民とが、形の上ではもうすつかり対立をしておる、こういうようなことでは、これは
本当に困
つたものである。それでそのうちに私たちはこの状態をまのあたりに見まして、これはこういう状態は早く避けなければならないと、こういうふうに考えましたが、両方ともその後ますます気勢をそういうふうに張り合
つておりまして、そうしてやがて販購連のマイクからは、道をあけて下さい、
肥料は我々
農民の生命であるから、生産に是非必要なものであるから、そこを
一つあけて下さい、こういうふうにマイクでお願いをしておる。更に、我々にはあなたがたの生活権擁護のためのストライキはよくわかりますけれ
ども、私
ども百姓にはスト権はなくて供出の義務だけが負わされておる。でどうぞお互いが友達じやないか、今日のところは
一つそこをあけて
肥料を渡して下さいというようなことを販購連のマイクは叫んでおります。そうすると
ピケ隊のほうは、いやそれはよくわかるけれ
ども、我々は大事なストライキに入
つてお
つて、これを今あなた方に
肥料を渡せば我々のストライキはこれで挫折する、更に段々マイクの応酬が両方からありましたが、最後には私
どもはこういう
ピケ隊のマイクによ
つてこういうことを聞いたのである。
労組の皆さんは最後まで頑張りましよう。そうして最後の一人までここを死守しようじやないか、更に今日は
農民の皆さん絶対出荷はできないから、皆さん帰
つたらどうか、更に、そんなに必要な
肥料であるならばほかの会社にもあるから、ほかから買
つたらどうですか、今日あなた方にお渡しすると我々のストというものは挫折するから……。こういうようなことも聞えましたが、私たちはこれはますます困
つたことにな
つた、我々は
労働者の人たちとけんかしに来たのじやなか
つたが、こういうことにな
つてこれは困
つたが、何とか
解決の途はないだろうか、それを一縷の望みにいたしておりまするうちに、
農民側のトラツクの第一番目に乗
つてお
つた人たちがおりまして、そうしてそれなら
一つ、話してわからないならそこを退いてもら
つて我々が
肥料を運び出そうと、こういうようなことにな
つて、併し絶対
暴力を用いてはならない、冷静にやろうではないか、それから
ピケ隊のほうへ冷静にやりなさい。
暴力を振
つてはいけませんと、こういうふうな注意の下にその
ピケ隊破りを第一車をおりた人たちがやりまして、一番最後の列をうしろに退けると、それが又すぐ前に行かれると、こういうふうな状態で
農民側ではこれはとても我々の手で破ることはできないのだ、何とか方法を考えようじやないか。
こういうようなことでおりまするうちに、十一時四十分くらいだ
つたと思うのでありますが、
警察隊がおいでにな
つて、そうしてこの
農民と
ピケ隊の間に割込まれて、両方が衝突をしないようにというような意味だろうと思うのですが、その中に割込まれて、
農民は向うへ退け、トラツクも後へ行け、
農民はトラツクの後に皆下れ、こういうようなことで我々もずつと皆後に下
つたのであります。そのうちに勧告文が貼られてそれをマイクは読上げたのでありますが、勧告文が読上げられましたときに、我々これでいよいよ
解決が付いたぞ、
肥料がもらえるぞと非常に喜んだのでありますけれ
ども、一向そういう
ピケを解かれるという様子もないので、又私たちは困
つたと思
つておりますうちに、だんだんそのまま一、二時間過ぎました。どうも一向
警察が来ても
解決は付かないで、
農民のほうから販購連は一体何をしている、会社は
肥料を渡すと
言つておるではないか、それだから俺たちが担いで来るから
警察はそこを退いてもらうように。こういうような
空気になりましたので、丁度そのときに、併しこれは我々の
実情を
ピケ隊の人たちに、直接皆さんにお願いしたなら出るかも知れないというので、私の郡から参りました大和というような者が次のようなことをマイクで懇請したのであります。
私は他の小
組合長
代表と共に、阿蘇から三時に起きて
肥料の出荷懇請に参りました。御
承知の
通り高冷地阿蘇では、保温折衷苗代の導入奨励により田植は著しく早められ、すでに田の八割が耕起され、
肥料の着荷を待
つておる状態です。阿蘇は火山灰土で全面的に農家は金肥に依存し、それ以外には農耕はできません。昨日も一昨日も
農民はこの雨の中をリヤカーや荷車を曳いて
肥料取りに来ますが、農協には一叺の
肥料もなく、濡れて帰る老人子供の姿は見ておれません。私たちは皆さんのストを
妨害しようとか、これに
介入しようということは毛頭考えておりません。皆さんのストと
農民に
肥料を渡すことは別にしてこの
農民の
実情を察して下さい。過燐酸石灰は私たちにと
つては重要な元肥です。今この
肥料が貰えなか
つたら今年一年は捨作せねばなりません。田植は一年一度で来年でなければ取返しがつきません。私たちも自分の飯米のみを作
つているのではなく、皆さんも私たちの作
つた米を食
つていられるはずです。私たちには今年も秋には厳しい義務供出の割当があり、曾ては自家飯米まで供出した苦しい経験がありますので、皆さんがたの
肥料も頂いて、今年も増産に励みたいと思いますので、何とか
肥料だけを渡して下さい。働く
農民は働く皆さんの味方であり、働く皆さんは又
農民とは同志ではないですか。こういうふうにマイクで懇請をいたして、直接
ピケ隊の人に呼びかけたのでありまするが、これもお願いが聞き届けられず、私たちはこうして直接
ピケ隊の人たちと
農民とが
肥料の問題をめぐ
つて相対決することは一番悲しいことであると思うのであります。
そうしてそれから二時間ばかりたちますと、マイクはその両方ともその間というものは鳴りを静めておりました。その間は先ほどほかの
参考人からも申された
通りに、
労組側と
農民側との
交渉、それに
警察も加
つて交渉して下さ
つた時間でありまするが、私
どもの方ではそれを非常に待ち遠しく期待をしてお
つたのです。やがてマイクはその
交渉経過を
報告いたしました。その
経過報告には
交渉は遂に決裂というようなことでありますので、我々は非常な衝撃を受けました。で、そういうことなら
本当に我々は今日は
肥料を頂いて行こう、まさに一触即発の
情勢と申しまするか、非常に危い
情勢になりました。そのときに
警察は最後の勧告をマイクを通じて行われたのであります。いよいよ
実力行使に
警察は移られましたが、それは非常に短い時間に
実力行使が済みまして、そうして我々の
自動車は第一車から第二車、第三車と
工場内に入りまして、この
肥料を頂きに入
つたのであります。そのときに我我の方はこれで
肥料が頂けるのだと非常に歓声を挙げて喜んだのでありまするが、それから夕方までトラツクで先ほど申しました
通りの
肥料を駅まで運んで我々の土地に十四日に送
つて頂いたようなわけであります。
こういうようなことを考えて、私たちは帰りには我々は非常に今日は残念なことであ
つた。事
肥料のことでストライキが起
つて、そうして我々に食糧増産の大事な
肥料を要るときに渡して下さらない。
肥料を渡して下さらないというようなことは一体許さるべきことだろうか。それから私
どもの方では今日田植をするから今日
肥料が要るとい
つて取りに行
つても実際は田植はできないのであります。これは今までもちやんと
肥料を揃えまして、そうして田植に仕かかるのであります。誠にできましたことは、
農民にと
つても
労働者にと
つてもお互いが仲好くして行かなければならないのに、形の上で実際に対立したというようなことは誠に残念でありました。更にこういうことは絶対これから先は起らないようにお願いしたいと思うのと、万一私
どもの食糧増産に是非必要な
肥料が要るときに間に合わないようなことが、
労働者と資本家の争いのために若し起るようなことがあ
つたとするならば、これは
農民としても非常に問題でありますので、そういうところは
一つ何とかなりはせんだろうかというふうな
話合いをしまして、こういうことは
一つ県にも政府のお方にもお願いしようじやないかというようなことを話しながら帰
つたようなわけであります。私たちは好きこのんでこの忙がしいときに参
つたのではありませず、何とかしてストを
解決して我々の手に
肥料を要るときに渡してもらいたい。併しながら長い期間にストライキが続行されまして、そうして我々の大事なときに
肥料が若し万一全然間に合わないようなことが起るとするならば、これは
暴力以上の何ものでもないというふうにさえ私たちは極端に
肥料のことは心配いたすのであります。
百姓で一番心配いたしますのは、御
承知の
通り水と
肥料の問題でございます。この水と
肥料については
百姓はいつでも命がけで争うのであります。この点はどうぞこれから先も、私たちはスト
解決以後今日に至るまで幸いにして何らの事故も起すことなく
鏡工場からも喜んで出して頂いているような
状況でございます。この機会に私たちは更に労農相提携してさように持
つて行きたい、かように念ずる次第であります。