○
委員長(
矢嶋三義君) 最後に私の
視察した分につきまして御
報告申上げます。
私は院議に基きまして、先ほど第一班の
代表である
島村委員から御
報告がございましたように、北九州並びに中国の一部を
調査視察いたしました。その後午前中
報告御了承を求めましたよ了に八月中旬の
災害よ
つて見舞われました
京都、
滋賀、
三重三
府県を
視察して参
つた次第でございます。現在私は総括的なところを申上げますれば、私はこういう
災害方面の専門的な知識を持
つているのじやないのですが、非常に目が肥えて、
災害に驚かないように
なつたということを非常に遺憾に思
つております。次々に
視察して参るというと、これが最後で一番大きいのだろうと思うと、次に又大きい
災害があるというので、非常に
災害に驚かないように私の目が肥えたということは、先般の第十六国会で
治山治水に関する
決議を
全会一致で上げたのでございまするが、非常に考えさせられる点が多いということを痛切に感じております。
全般的に先ず第一点として申上げたい点は、私はこのたび
視察いたしまして、非常に大
災害を受けた所が殆んど危険
状態のままに放置されており、百ミリ、二百ミリ
程度の雨が降れば、更に再
災害が来るという
状況にあるということを痛切に感じました。例えば
佐賀の嘉瀬川の決壊、極めて大なるものがあります。百ミリも降
つたら大変でございます。或いは
福岡県の大福村の筑後川大決壊の跡
始末、
福岡県の遠賀川のこの決壊も同様であります。それから熊
本県の阿蘇山の山崩れ、それから
東近畿一体の山崩れ、これは百ミリも雨が降
つたら、あと多量の土砂が流出して来るでありましようし、これらの応急
措置は何ら施されないままに今日に至
つておるのであります。
京都府の南山城の天井川の決壊のあとの締切りというのは、ほんの膏薬をは
つた程度で、七、八十ミリ雨が降
つても危険じやないか。こういう
状況が放置されていることは極めて重要だと、こういうふうに先ず第一に認識しておる次第でございます。
第二点は、小規模
町村の多いのに驚きました。人口千ぐらいから人口二、三千、
税収入が百万から二百数十万というものが五〇%以上もあるような
状況で、それではちよつとした
災害にも、
地方自治体というものは堪え切れないということに驚いた次第でございます。
第三点としましては、この
災害に見舞われた被災地の国民の皆様が
災害復旧に血の惨むような、涙の出るような努力を続けておられるということには全く涙の出る思いで、敬服いたしました。これは各
代表からも御
報告があ
つておられましたが、例えば農家のかたがたは稲が取れないということがわか
つても、とにかく植え付けなければ、
承知しないという、この農魂というものには全く敬服したのであります。
島村代表から御
報告がありましたが、四回五回と植え付けている。而もその植え付けた稲は大して米が取れない、こういう
状況にあるという、この
災害地の方々の精神力には全く敬服する次第でありますが、
従つてそこまで努力しても何にもならない。だから何とかこれはこの
災害の場合にはお国の力を借りなければという気持に、
災害地の国民の各位がな
つておられるということを、はつきりと私はつかんで帰
つたわけですが、その
一つの現われが今日の午前中の大量の陳情とな
つて私は現われていると、こういうふうに考えるときに、私は非常に心をしめる思いをいたしているのであります。
次に申上げたい点は
島根県でありますが、先ほど
報告がありましたが、余りにも私は痛切に感じましたので、一言触れさして頂きたいのでありますが、それはあの
島根県の宍道湖の斐伊川の
関係、この宍道湖の水位の問題と、田地の高さの問題でありますが、少し客土して高くすれば、二毛作になり、たくさんな米が取れるのにその手を打たない
ために、何百
町歩というものが一毛作すら十分取れないという
状況にあるということは、
我が国の食糧問題などと併せ考えるときに、国策の宙点として
一つ取上げなくちやならんという、政策上の盲点というものがあろような私は感じを持
つて帰
つた次第であります。
これから私が
委員長の責任において
視察し、このたびの
特別委員会の
審議運営上皆様の資に供する
ために、
視察し、更にお見舞を申して帰りました
京都、
滋賀、
三重、三
府県について御
報告中土げますが、
京都につきましては、
只今白井第三班の
代表から
報告がありましたの外、余り触れません。ただ他の
災害地の関連において若干触れたいと思います。この八月十四日から始ま
つて、十五日未明に
災害を起しましたいわゆる
東近畿の
災害について一般的に申上げたい点は、十五日の黎明に一挙に増水して破堤した。この
ために思わぬ
災害を招いた。これは
一つの私は特徴だと思います。それから次には北九州並びに中国の一部これに大
災害があり、その後和歌山県に大
災害があ
つて、建設省或いは農林省の出先機関の機械類例えぽブルトーザー、そういう種類のものが重点的にその地域に臨時的に配置転換をなされてお
つた関係上、この
東近畿の
災害地に、そういう機械力を動員することはできなか
つた。こういう
特殊事情はこの
災害地には気の毒であ
つたと思います。それからこれはまあ公けの席上で余り言うべきことでないと思うのでありますが、併し
一つの参考として申上げてよろしいと思いますが、それは九州、和歌山の大
災害というものが、久し振りに起
つた、この言葉は適当でないかも知れませんが、久し振りに起
つた。
従つて新聞社その他の団体によるところの慰問品の募集、それから慰問金の募集というようなものは、非常に全国民的た同情の下に多く行われて、相当の慰問がなされているわけですが、それが殆んどなく
なつた。そうした頃にこの
東近畿の
災害が起りましたので、心ではお気の毒だとは思いながら、他県は勿論のこと、その県内でも比較的に救援の力を十分出し得ない。これは怠けているという意味ではなくて、もうすでに損金の募集に力を出し切
つた。こういう形が、やはりこの南近畿の災虫の
一つの特徴と、こう思
つております。
それから次に申上げたい点は、
熊本景の
災害で、阿蘇が大きく山崩れをして、その土砂が白川を通じて
熊本市に持ち込まれて、又阿蘇郡の
農地というものを随分と荒したわけでございますが、この山崩れの様相と、
東近畿を襲
つた山崩れの様相は酷似いたしております。
従つて熊
本県の阿蘇のあの山地
災害と、
東近畿の山地
災害というものはよく似ております。それからもう一点は、
京都の玉川、天神川、不動川等のいわゆる天井川の
災害でありますが、これはもう皆さんそれぞれ御専門で御
研究なさ
つている
通りに、山地の
災害と平地の
災害はそれぞれ特徴があるわけでありますが、丁度この天井川の
災害というのは、丁度その地形の
関係上、山地
災害と平地
災害両方を併したような
災害が天井川の決壊による一帯の
災害のようであります。
従つて土砂も流れて来るし、それによ
つて田畑も潰れるし、併せてその近くには平地があるし、家がたくさんあるから建物、人畜を傷つけておる、こういうように認識した次第でございまして、これらが
東近畿災害の特徴として申上げられると思うのでございます。
なお、関西本線、
奈良線、信楽線、これら国鉄三線は、私
ども数日前でありますが、
行つたときまでには、まだ開通いたしておりません。殊に関西本線のごときは、全通には相当期間要するものと認めました。
次に県別に申上げます。
京都府については死者二百二十一、不明百十五殊にこの不明の百十五という
数字が示すように、土砂の
流失というものが、家屋の
埋没というものが激甚だ
つたということを、この
数字が示していると思います。現在なおこの湯船村の方面はトラツクが入りませんで、ヘリコプターで連絡をいたしておる
状況で、一刻も早くこの地域の道を開かなければならない
状況にあります。先ほど
報告ありました井手町の
災害はお聞きの
通りでございます。ずつと奥地に参りまして、その間にたくさん
被害を受けた村があ
つたわけでございますが、大河原村というような村は誠に目を覆うような損害で、この寒村において一村の力でどうにもなし得るものではないというほどの大きな
災害でございました。次にこの
繋ぎ融資は、
京都府は三億五千万もら
つているが、あと四億は緊急にどうしても必要だということを
知事が力説いたしておりました。なお、
京都の蜷川
知事は、
財政金融方面に明るく、極めて適切機敏に
災害以後の
金融方面をうまく取運んでいる点については、敬意を表すると共に、感謝した次第でございます。
最後に一点申上げたい点は、
京都は曾ても平和池が決壊したのでございますが、このたびも天井川の、玉川の上流に大正池というのがございます。で、下流の人は余りにもひどくやつつけられたので、大正池の設計が悪くてこれが決壊した
ために、大
災害を起したのではないか、こういうように言われ、殊にこの部落には共産党が相当入
つて赤旗を相当高く頭上に掲げ、私たちが参
つた日も乱闘騒ぎがあ
つたそうでありますが、他の天神川、不動川、天井川というのが皆決壊しているのを見ますというと、土地の一部の人が話しているように、玉川が決壊して然るのちに大正池が決壊したのだ、時間的にはそうな
つている、こう地元の人が言
つておりますが、そうなのかも知れません。併しながら大正池が決壊したことによ
つて多量の水が流れて来たので、その
災害を非常に多くしたということは、動くことのできない事実だ、こういうように
視察いたした次第でございます。
京都はその
程度にいたしまして、次に
滋賀県について御
報告申上げますが、
滋賀県は
災害を受けたのは、甲賀
地方でございます。要するに八月中旬の雨というのは、
京都府、
滋賀県、三軍県、
奈良県、これらの県境に長時間、
雨量の極めて大きい降雨があ
つた、起
つた次第でありますので、
滋賀県の南部に当る甲賀
地方が
災害を受けた次第でございます。
数字を簡単に申上げますと、死者四十五、家屋の滅失が四十八、損害は三十億六千万、こういうふうに
報告されております。私が一応
視察いたしましたのは、雲井村、小原村、朝宮村、信楽町、多羅尾村、これだけの
町村を
視察いたしました。
ここで是非とも
報告申上げなければならない特異な事柄は、
滋賀県は
災害救助法を出しておりません。皆さん御
承知のように、県によりますと全県的に
災害救助法を出しているわけですが、
滋賀県当局は、特殊の見解を持
つておりまして、
災害救助法を一
町村にも出しておりません。
県当局の
説明によりますというと、
災害救助法は濫発すべきものではないとか、或いは
災害救助法を出さなくても、
災害救助法が出た以上の助成を県はや
つた。それともう
一つは、
災害が起
つたのは非常に僻地で連絡は全然つかなか
つたので、つかなか
つたことが
災害救助法を発動しなか
つた一つの原因にもな
つているのではないか。これは私の憶測であります。ともかくも
災害救助法を一
町村も出しておりません。
従つて開会された
県会で一応問題になると共に共産党の諸君から、非常に一応取り上げられて
災害地で困られたということを聴取いたしました。
従つて県としては
災害救助法は出さなか
つたが、
災害救助法以上の施策は県としてはや
つた。従
つて災害救助法を出していないからとい
つて、
国庫助成を全然やらないというような杓子定規の取扱い方をしないで、国の助成というものは是非仰ぎたい、こういう話をされてお
つたことを御
報告申上げておきます。この
滋賀県で最もひどいのは、多羅尾村という村でございまして、この多羅尾村に行く途中に陶器の産地である信楽町というのがあります。この町、信楽町から多羅尾村に行く間谷を通るのですが、その谷全部が
災害のときに川にな
つたのですね。だから今はどれが川でどれが道か全然わからないのです。それは県道でありますが、よくまあこの一カ月近くの間に道をこしらえたと、「私は敬服いたしました。恐らく延べ万以上の青年団、婦人会、
町村民を動員したようでございます。ともかくもよくもまあこう道をこしらえたと、こういうように私は感じた次第でございます。
従つてジープだけは通れます。この多羅尾村に着いてみますと、村長さんは上京して留守でありました。併しこの村長の村民の指導精神というものは、極めて適切であり、敬服したのでありますが、この直後例によ
つて共産党はここに入
つて相当アジ
つたようであります。併しながら村長の活発な広報活動によ
つて、共産党と村民の間を切り離して、現在村内は極めて平穏でありますが、その村長の指導精神は、我々はこの多羅尾移住民と思
つてほしい。この村に辿り着いたところが、偶然にも使える役場というものがあり、学校というものがある。これから田をこしらえるのだ。水の流れる川もこれから作るのだ。我々の通る道もこれから作
つて行くのだ。こういう気持に村民の皆さんはな
つてほしい。これが村長の指導方針で、そういう掲示を村内至るところに出して、
復興に立上
つておるわけです。人口僅か一千二百、税収のごときは年間僅か百七十万というような寒村でございまして、ここに
行つたときには、本当に私は涙が出た次第でございまして、あの村の
復興並びにあの村に通ずる県道の修理というものは、極めて多額の費用を要する、こういうふうに
視察いたした次第でございます。
で、
滋賀県当局としては、繋ぎ
資金を現在八千万円受けているが、これではどうにもならないので、いろいろ
検討した結果、八、九、十月、この三か月間であと二億は是非とも追加してほしい。そうして取りあえず
道路だけでも早くつけなければならない、こういうような
説明を聞いたわけでございます。
なお
滋賀県の部類で最後に一言申上げたい点は、これは富山県あたりにも例が出て来るかと思うのですが、甲南町という町がございます。ここは全国的に配置売薬の盛んなところだそうです。自分の甲南町は大した
被害を受けないが、全国にその配置売薬をや
つておる。その地域が大
災害で以て、今更
災害地に行
つて、この前納めたお薬代をほしいということを言えない。金額にして三千万円ほどある。これを何とかして頂けないものだろうか。これは非常に大きい問題ですが、
災害地にはそういう問題も伏在しているという立場からお耳に入れておく次第でございます。
最後に
三重県で、ざいますが、
三重県は七月中に
三重県の南のほうの南牟婁方面に
災害があ
つたのでございますが、この
災害はそう大したものではなか
つたわけです。ところがこの
災害復旧に専念しておる折も折、八月中旬に四日市方面とそれから上野市方面、この方面に大
災害が襲
つて来たわけでございます。特にこの上野市方面、この伊賀
地方と言いますが、この
地方の
災害は県全体から言えば、地域は狭いわけでございますが、併しながらこの地域に起
つた災害というものは、私が
視察した範囲内においては、これも言葉は適当かどうかわかりませんが、堂々たるA級の
災害でございます。
数字を申上げますと、死亡は僅かに十七です。それから行方不明が十五でございます。それから損害は
三重県全体として九十七億三千方、こういうふうに出ているのでございますが、以下簡単に
被害の
状況を申上げます。
先ず上野市でございますが、上野市一帯というものは
三重県では非常に米の産地として重要な地位を占めている所と聞きました。ここは丁度木津川の上流に服部川というのが流れているわけですが、全くこの服部川というのは手をつけてありません。全く放置してあります。で、その下流のほうに何か川幅の狭くなる所があ
つて、大きな多量の雨が降るというと、上野市一体に氾濫するのですね。いろいろ聞いて見ますというと、その下流のほうを
水害のないようにする
ために、どうも上野市附近が遊
水地帯の働きをしているような恰好にな
つております。
従つて今度多量の雨が降りましたので、上野市一帯というものは、先ほど映画で見ましたように、お城のある高い地帯を除いて全面的に浸水したわけでございまして、これは米の収穫に非常に大きく響くものと、こういうふうに
視察した次第でございます。特にこの上野市の西山部落、これはもとは村であ
つたわけですが、上野市に合併された村の一部で現在西山部落と言
つておりますが、ここの
災害は極めてひどいものです。全部これは山崩れのもたらしたものでして想像もつかない大きな石がごろころして、道がどこにあ
つたのか、もと潅水用の小さな渓流というものがどこにあ
つたのかさつぱりわかりません。現在、もと美田であ
つた真ん中を大きな川ができて流れているというような
状況で、これからの
復旧ということになりますと、これから水をどこに流すか、田をどういうふうに区切るか、区画するか、それから道をどこにつけるかというところからやらなければならない。石は余りにも大きいですが、これは川の或いは道の石垣用に爆破して使えばいいというようなことを言
つておりましたが、まあ驚くような大きな石が出ておりまして、
農地の潰れたのが全般の九〇%という
状況で、この西山部落の今後の救済というものは極めて困難な問題ですが、併し
農地の九〇%も潰れておりますというと、早速野菜を作るのにも困るという
状況で、よほど強力な手を打たなければならない。こういうふうに
視察した次第でございます。
もう一カ村
視察したのでございますが、それが丁度
京都府との県界に当る島が原村です。ここは山崩れによる家屋、それから田地を潰した点では、更に大きな石が出ているような点では、私が見たところでは一番大きいと思いました。
長崎県の今福町の山崩れ、これは随分大きいものですが、これは大した石が出ていないのと、田地を潰した点は島が原よりは少いように見受けました。更に今福のほうは、今後又山崩れが来るであろうというその危険性が非常に大きいのであ
つて家とか人は余り傷つかなか
つたわけでございます。島ガ原村は南、東、中というふうに片つぱしに山崩れがあり、一挙に家を傷めつけているわけでありまして、非常に気の毒で挨拶のしようもないという
状況です。死者は十五人ですが、そのうちに死体の見つか
つた人は三人しかいない。たがら犠牲者の五分の一しか死体が出ない。それによ
つて土砂の量というものが如何に大きか
つたかということがわかるかと思います。私が参
つた日にも鉄道の暗渠のところに土砂が非常に堆積してお
つたのですが、その中から死体が
一つ発見されるような
状況でございました。その村長にお宅の損害は幾らですか、どういうふうに踏んでいますかと言
つたところが、損害がどのくらいになるか見当が立ちませんと言
つて、まだ算盤も弾いていない
状況でございます。その田地の潰れたのが約百二十
町歩、こういうふうに申しておりました。島ガ原の
報告はその
程度にとどめます。
それ以外にひどい所と言いますれば、丸柱村というやはり
京都府の県界にあるわけですが、これはトラツクもジープも行かないで、ここへ辿りつぐのに約一日かかるというようなことでしたので、
書面だけで
事情を承わ
つて参りました。なおその隣村の河合村もそれに準ずる
災害という
報告書を受領した次第でございます。この
三重県においても
災害救助法は非常に慎重を期して、僅かに二市四
町村だけに出して発動しておりました。
最後に
繋ぎ融資の件でございますが、
三重県は現在まで
繋ぎ融資六千万円を受取
つておるが、早急に三億円を是非とも手配してほしい、こういう強力な
要望があ
つたということを最後に申上げまして私の
報告を終りたいと思います。
ちよつと
速記をとめて下さい。
午後三時二十四分
速記中止
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午後三時四十一分
速記開始