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1953-08-04 第16回国会 参議院 人事委員会 第18号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年八月四日(火曜日)    午前十時四十三分開会   —————————————  出席者は左の通り。   委員長      村尾 重雄君   理事            宮田 重文君            千葉  信君   委員            松岡 平市君            吉野 信次君            溝口 三郎君            岡  三郎君            紅露 みつ君            後藤 文夫君   参考人    東京大学教育学    部教授     宗像 誠也君    東京愛宕中学    校長      野口  彰君    岩手県盛岡第一    高等学校教諭  軽石 喜蔵君    東京小石川高    等学校教諭   成田 喜澄君    東京大塚ろう    学校長     古谷 史映君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○一般職職員給与に関する法律の  一部を改正する法律案衆議院提  出)   —————————————
  2. 村尾重雄

    委員長村尾重雄君) 只今より人事委員会を開会いたします。  本日は一般職職員給与に関する法律の一部を改正する法律案につきまして、参考人の方々から御意見を承わることになつておりますが、時間の都合もありますので、大体お一人十五分くらいでお願いいたします。併し多少の伸縮は御自由にお願いしたいと思います。  最初東京大学教育学部教授宗像誠也さんにお願いいたします。
  3. 宗像誠也

    参考人宗像誠也君) 東京大学教育学を勉強しておる宗像であります。最初でございますが意見を申上げます。  簡単にいたしますと、申します必要もないくらいで、実は意見甚だ簡単なのでありまして、結論を申せば、私は、高等学校中小学校との間に俸給体系といいますか、俸給系統の上の差を付けるべき理由はないと考えております。  その理由でありますが、第一に教育そのもの価値から見まして、高等学校教育のほうが中、小学校教育よりも更に価値が高いというふうなことは、これは絶対にあり得ないことだと思います。これは言うまでもないと私は思うのであります。つまり小さい子供教育よりも少し年長の者の教育のほうが重要であるというふうなことは、これはどうしても言えないことだと思います。殊に近年いろいろな研究が進むにつれまして、幼児教育の決定的な重要なというものがだんだん立証されてはつきりして参りました。人格の歪みというふうなものは案外に、本当にこの物心がつき始める頃にすでに与えられる。丁度木の芽を傷つけましたときの小さい傷が、大木になりまして傷痕が大きくなるというふうに、人間人格の成長においてもそれと全く同様なことが言われると思うのであります。いわゆる三つ子の魂百までということが科学的に立証されて来つつあるということが言えると思うのであります。こういうことが第一に理由になると思うのであります。  第二番目でありますが、これは勤務の状態の上から差を付ける必要があるかどうかという問題、これはやや現実的な問題になつて来ると思うのでありますが、これは、私、申上げるまでもなく、給与法によりますというと、「各職員の受ける俸給は、その職務の複雑困難及び責任の度に基き、且つ勤労程度勤務時間、勤労環境その他の勤務条件を考慮したものでなければならない。」こうありますわけです。で、私の考えでは、これらすべての箇条に照らしまして、高等学校のほうが、中小学校よりも高い俸給表によらなければならないという理由が見出せないように思います。若干その内容を申してみますというと、職務の複雑困難という点でありますが、この点で、高等学校のほうが、教科の水準はもとより中、小学校より高くて、非常に専門化されておりますし、その意味においては職務が複雑困難であるということも言えましようけれども、併し今度は逆に、実際、中小学校先生のお仕事内容複雑多岐さというものも又決して忘れてはならないと思います。小学校では第一には全科を持つのが建前になつておりまして、その準備とか研修も充実させようと思えば、極めて複雑でむずかしうございます。のみならず、中小学校には事務職員の置いてないところが大部分でありまして、全国的に見れば大部分でありまして、そのために非常にたくさんの雑務を背負い込んでおるのでございます。この点は私ども教育研究者としても常々非常に残念だと思つておりますところで、例えばPTA費用とか、給食費用、そういうふうなお金集めが殆んど毎日であるというふうなことのために、先生としての最も重要な研修の時間が非常に食い込まれて行くということ、これは是非なくさなければならないことでありますが、併し現状においてそのことのために教師が非常に疲れているということであります。  それからもう一つ中小学校先生の活動の特徴と思いますのは、つまり地域社会との関係が非常に密接な点であります。殊にPTA仕事でありますとか、それから家庭訪問仕事でありますとか、そういうことが不可欠の仕事になつておりまして、すべての先生がそうしておることは申しませんけれども、昔から最も優れた先生たちは、貧困で学校に来られないような子供とか、それから学用品も買えないというような子供のために、学校で、例えば繩ないですとか、蕨とりとか、浅蜊とりとか、そういうふうなことをやりまして僅かな費用を貯めて、そうして遠足に行けないような子供がなくなるようにするというふうな、そういう実に涙ぐましい仕事をしているわけであります。給食費の払えない子供のために自腹を切つて立替えをやつてやりましたり、それから立替えのみならず、結局持込みになつて自分の支弁になつたりというふうな例も、これは少くないのであります。  それから第二の責任の度ということでありますが、これこそ実はむしろ、小学校、幼稚園などの教師において一層重いとも見られるように思うのであります。民主的な国民の魂を育てるためには幼児教育こそ重要ではないか。而も六十人、七十人というふうな過大な学級がたくさんありますからして、そういう子供たちをたくさん預かりまして、できる子供にも、できない子供にも、それぞれに応じて身心の発達を図つてやるというふうなことがどれほど大きな責任感を要求するか。まして事故なんかが起りまして、まあ怪我をしたり命にかかわつたりということになりますというと、事故がなくて当然、事故がありますというと先生が責められるということになつているわけです。で、私の考えでは、若い人たちが余り教員になりたがらないということの一つ理由は、待遇の問題なんかも勿論ありますが、併し一方では、そういうふうな非常に大きな責任感、精神的な重さというものが、私はかなりその原因になつているということが事実ではないかとすら思つております。  それから次の勤労程度及び勤務時間ということでありますが、これはまあ或る調査によりますと、これは一つ調査に過ぎませんからして、これで全部が確実に事実が捉えられていると申すわけではありませんけれども高等学校中学校小学校教師勤務時間を調べるというと、丁度逆に、小学校が一番長く、中学校がその次、高等学校が比較的短かい。併しいずれも長い。いずれも超過勤務にはなつているのですが、その中でもそういうふうな順序であるというふうな調査もあります。これはすべて確実に事実をつかんでいるとは私は申しませんけれども、そういう調査結果もあります。で、殊に小学校の一年生なんかの先生は如何に重労働であるかということは、これは誰でも、特に調査をしてみなくても理解されるところでありまして、だからして多くの学校では、未経験な新卒の先生や、或いは又、体の弱い先生なんかには、こういう低学年を持たせないというのが実情なんであります。まあここでも又、中小学校の場合に、特に広義の社会教育が非常に大きく教師の肩にかぶさつて来ているということを忘れてはならないと思うのであります。  それから最後勤労環境その他勤務条件という点でありますが、勤労環境の点では、私は特に地域人間関係というものを挙げたいと思うのです。これは御承知のように、教師は田舎に行けば行くほど、まあ無理解な、或いは封建的なと申しますか、そういう村人たちの環視や環境の中に置かれているのであります。男女の先生が一緒に登校下校しただけでも変な眼で見られる。合理的な行動をすればこれがすべて異端だと思われるというふうな環境の中で、而もそういうふうな不合理な慣習を破るということが教育の任務なんですからして、学校で教えることと、家庭で言われることと、その間に非常な落差がある。こういうふうに、非常に重い壁、厚い壁が、この教師の重い精神負担になつているわけです。この点からいつても、要するに高等学校先生は私は荷が軽いと申すわけではありませんけれども中小学校先生がより一層軽いということは言えないということを強調したいのです。こんなふうに見て参りますと、私は、いわゆる教育公務員高等学校中学校小学校先生の間の違いというものはそれほど大きなものではなくて、それより、非常にはつきり印象されますことは、いわゆる教育公務員というものは、一般公務員というか、一般行政職員というものと非常に違つた勤務形態を持つておるという、その点が大きく非常に強く考えられて参ります。これは申すまでもないのですけれども一般公務員の場合には、おおむね、第一には、上司の命を受けて、そうして分業原則によつて、それから規格従つて、従いまして或る意味では没人格的に事務を処理するという仕事形態を持つておると思います。教師はこの点で非常に違うのであります。上司の命に従うには違いありままんけれども、併し責任は究極のところ一人々々の教師に帰するということになつておりますので、ですからして、若い学校出たて教師も、非常に老錬な教師も、すべて本質的に同一な責任仕事を果しておるということ、それから分業ということも極めて本質的でない部面においては成り立ちましよう。例えば校務分担というふうな点では成り立つのでありますけれども、私は、子供の前に立つという場合においては、つまりそれが教師の本質的な仕事なんでありますけれども、その場合においては分業はないので、これは一人の人格を全部ぶつけて子供たちに対するということよりほか仕方がないのであります。生徒との間の人間的交歩になります。ですから規格に従うというわけには参りませんし、分業で、ここから先はおれは責任がないということはなかなか言いにくいという点、それから事務を処理するということも、そういう面もあるには違いありませんけれども、併しここでもやはり教師の本質的な働きは、一般行政職員のような事務処理とは違つて、飽くまで人間相手仕事だという意味において社会すべてのことを考えて見ますというと、教師にとつて研修が本質的に必要だということになります。自己の人格、学識を高めるということなしには、教師仕事は果せないと思いますので、従つて研修に必要な時間ですとか、経済的な余裕というものを与えることが何よりも必要である。それには定員を増し、給与を高くし、事務職員その他を完全に配置し、そうして図書その他の設備を整えるというふうなことが必要であろう。こういう意味で、私の考えでは、高等学校中学校小学校を問わず、教育公務員特殊性に応じて、これを一体としてその待遇改善を図ることこそ重要である。教育公務員の中で小さな区別を立てる必要は本質的にはないというふうに結論をするわけです。  いろいろなことを申しましたが、結論的に申せば、要するに私は、同一学歴で同一の勤務年限を持つている者は、高等学校中学校小学校差別にかかわらず同一給与たるべきであるというのが、私は教育公務員給与問題の原則である、この原則は飽くまでも守らなければならないというふうに思うのであります。で、学芸大学の新卒業生というふうなものを考えて見ましても、その行き道は、待遇の上の差別などに眼を奪われることなしに、おのおのその欲するところに純粋に教育的な意欲に従つて高等学校中学校小学校を使命として選ぶべきである。実は現在でもこの点では理想的ではないと思います。中学校小学校との間に常に或る程度選択が行われておりまして、成るべく小学校を敬遠して中学校へという傾向があるのでありますが、これにもいろいろな原因がありますので、つまり根本的には、やはり小学校へ行けば全科を持たなければならない。中学校では教科分担をすることができる点が一つ。それからもう一つは、やはり一般の間に中学校のほうが小学校よりも何か格が上であるというふうな通念があるというふうな点も一つ理由でありましようが、これすら実は非常に困つたことなんでありまして、そこへ持つて来て、高等学校は、中学校小学校との間に格が違うんだというふうな観念が更にはつきり打ち出されるというようなことになりますと、私は日本教育の上に非常に大きなマイナスになる、甚だ困難な混乱を捲き起すというふうに信ずるのであります。義務教育の低下というふうなことがそれに伴う結果になつてはどうしてもいかんと思います。つまりいわゆる六・三・三制の本旨を考えてみると、六・三・三を一貫した教育計画というものを樹立することが必要なのでありまして、従つて小学校中学校高等学校の間に人事の交流も当然行われるべきでありますし、そういうことを困難にするというふうな措置は私は日本教育のためによくないと考えております。  大体申したいことは済んだのでありますが、ちよつと補いの意味で一、二附言いたしますというと、現在の給与実情において高等学校がやや不利と思われる点がある。これは私もそうだと思うのであります。併し、それは終戦後の切換えの時に勤務年数に重きを置いて行われたという、そういうふうなまずさ、不合理さから来ておるのでありまして、これは合理的な俸給表によつて是正されればよいことである、本質的にはそれでよいことであると考えます点が一つ。それから現在の恩給法高等学校にやや不利になつているということは認めますけれども、これも恩給法を是正すべきであつて恩給法の不利から出発して逆に俸給表のほうに及ぼすということでは逆である、本末顛倒であると思います。  最後にこの法案自体についてでありますが、人事院準則案を提出したにもかかわらず、これを取上げて徹底的に批判審議するということをしないで、突如、給与法改正というものが出て来た理由は、私どもちよつと了解に苦しむ気がいたします。勿論、私も人事院勧告そのままでいいというのじやありませんけれども、併しここではやはり、同一学歴、同一勤務年限は即ち同一俸給であるという原則が貫いておりますので、これを取上げて審議して頂くのが私はよかつたのじやないかというふうに思つております。まだ一、二申したいことがありますが、時間が十五分でありますから、一応私の話はこれで終ります。
  4. 村尾重雄

    委員長村尾重雄君) 参考人に対する質疑は、すべての参考人から意見を聞いたあとで、まとめてすることにいたします。  次に東京愛宕中学校長野口彰君にお願いいたします。   —————————————
  5. 野口彰

    参考人野口彰君) 私は中学校長という立場でこの問題を眺め且つ発言したいと思います。と申しますのは、こうした改正が行われた場合に、自分学校で勤めておりまする同僚、つまり部下の職員が十分納得して職責を尽くすというためには、校長としてどうしたらいいか、いわゆる学校管理立場からこの問題を眺めてみたいと思つております。それで、この一般職職員給与に関する法律の一部を改正する法律案というものを拝見いたしますると、その提出の理由は誠に結構に拝見いたしております。要するに、ここに書いてありますものだけにいたしますると、今日の教職員に対してできるだけ初任給も上げてやろう、又最高号俸も伸ばしてやろう、こういうことでこれを提案されたという御趣旨のようでありますが、その趣旨は誠に結構であります。併しながら、よくこの内容を拝見してみますと、単にそれだけの理由ではないんじやないか、こういつたようなことがどうしても印象付けられるのでありまして、この点につきまして私ども部内職員をどういう工合納得させるかということに実は苦慮しておるわけでございます。まあ学校教職員として日常の勤めに専念一向それに努めて参ります者につきまして、何かその法律案の中に隠されておりまするような、何か意図があるんじやないかといつたような印象を与えますことは、これは教職員にとりまして非常に不幸なことでありまして、どこまでも真つ直ぐに表からその通り受取つて自分職務に専念しておるという、その態度をやはり持ち続けなければならんものと校長としては考えております。そこで今度の改正案にいたしましても、私は、只今宗像先生お話通り、同一学歴、同一動年の者は、その勤める学校が違いましても同じ待遇をするという、この原則で、若し改正の要がありまするならば、その線に沿つて改正して頂きますならば、これは誠に我々はよく真正面から受取つて感謝して受取るのでございますが、従つて人事院勧告を拝見しますと、これは我々のまだ納得のできない点もございますけれども、大体においてこの原則に先ず従つておると我々は考えられるのであります。この程度ならば部内職員によく納得させて勤めさせるということも、これはできるのでありまするが、只今改正案として御提示になつておりまするものには、どうもその原則だけでは説明のできないところがあるのでございます。それは、新しい給与法の四級の一号から小中学校教員高等学校教員の間に先ず一号の差がつく。そこから出発しまして、その開きがで来るということでございます。これに対する説明としては、理由としては、いろいろなかたから伺がつて見ますと、第一に指摘されます点は、高等学校の一級教員免状を獲得するためには、新制大学を卒業した上、更に三年間の経験年数と、それから若干の単位を必要とする、こういうことが、これが非常に有力な理由として述べられておるのであります。従いまして、それだけの高い資格を必要とするところの職域そのもの小中学校職域よりは違つておる。こういうことをよく強調されるようでございます。併し今日の給与原則は、必ずしも一級とか二級とかということに丁度即応いたしまして俸給格付けされるということにはなつていないじやないかと思います。例えば中学校小学校の例にとりましても、普通免許状を持つております者とそれから臨時免許状を持つておる者或いは仮免状を持つておる者との間には格差がございます。普通免許状を持つております者の間におきましては、二級だから幾ら、一級になつたら幾ら、そういう格差は付けてないのであります。従いまして、高等学校の一級になつたから、そこで一つ格差を付けなければならんということは、ほかもそれに相照合するような改正が行われますときは、これは私は異議はないと思いますが、今日ではそれは一つ格付けをするほどの大きな問題ではない。併しそれだけの研修を要する職場であるということでありますれば、その研修に要する費用といつたようなものを適当な方法でこれを支給するということは、これは考えられると思います。併し今のような原則から考えまして、それだけを以て一つ格差を付けるいうほどの理由にはならない。従いまして、そういつた理由から職域差を付けなければならないということは、ちよつと私は承知のできない点であると思うのであります。つまり他の方法でその問題に対する給付はできるのじやないか、そのために一つ格差を付けるほどの開きではないじやないか。  それから、その次の職域差でありますが、高等学校は非常に専門的な知識を必要とするところの教師によつて教育される職場であり、小学校中学校は大体において常識的な知識技能があれば教育のできる職場であります。そこにその職場の差がある。つまり職域差が付くのはそれが一つ理由だ。こういつたような工合に仰せられるかたもございますが、併し今宗像先生からお話もございましたのですが、一体専門的と申しますけれども、例えば私は中学校に勤めておりまするから中学校の例を申上げますと、中学校教育というものは、これはいわゆるセカンダリー・スクールでございまして、中等教育高等学校教育は、同じ中等教育のいわゆるシニアである、中学校はジュニアであるというだけでありまして、中等教育として、いわゆる学課担任、正しくは教科担任と申しますが、学課担任教育をしておるという点におきましては、中学校教師高等学校と同様に専門的な知識を必要とするのであります。殊に、法令にありまする専門的という言葉は、いわゆる高等普通教育という面の専門というのじやなくて、高等学校教育にはそのほかにヴオケーシヨナルの教育をしなければならんのであります。その面の専門ということがあの法令の文に謳い出されておるのでありまして、高等普通教育としての高等学校のいわゆるリベラルコース普通教育、あれを専門教育というのはおかしいと思います。それは高等普通教育です。従つて、この専門的という言葉職域の差である化するならば、リベラルコース高等学校はそれに該当しないことになりはしないか、こうも思われるくらいであります。小学校高等学校を比べてみますと、その点は今宗像先生の仰せられるように相当趣きの違いはありますが、中学校高等学校を比べてみますると、いずれもこれは学課担任でありまして、教室は学課ごとにできております。教師はそれぞれの学課に対しまして専門免状を持つている者でなければ中学校教員にはなれない。高等学校リベラルコース方面専門教育と言いますならば、中学校もその意味においては専門教育と言われるのであります。だから、そこにどういう差を付けますか、ちよつと納得ができないのでございます。  それから、一体、例えば百歩譲りまして、同じくリベラルコース普通学課でありましても、非常に高い教育を、その方面に対する高い知識を、これを専門ということでありますならば、そういう高い知識を持つた者だけが優遇さるべきであるかどうか。一体、今日、教員養成の制度におきまして、いわゆる教職課程というものが設けられております。どんな立派な大学を卒業しましても、教職課程というものを経なければ教員としての資格を与えられない。この教職課程というものはどういうことかと申しますと、これは青少年心理学であるとか、或いはまだ未熟な者を教え導くのに学問の原理そのもの真正面からぶつけるのじやなくて、それを、どう、こなして、その未熟な者をどういうところから導いて行つたならば、その子供たちが、生徒自分の力として身に付けるかというようなことが、教職課程のこれが主眼点であります。従つて、広い意味における教育技術或いはその原理、それから青少年心理発達段階といつたようなことから、これが教職課程として教えて行く、それを獲得することによつて初めて教員としての免状が得られる。単に或る一つ学課について高い知識を持つておるということは、教師たる資格の一部分でしかない。そこだけをとらえて、それが少し高いからということで特に区別をしなければならん、格付けをしなければならんほどの差があるかどうか。従つて自分学課に対して勉強しなければならんということであるならば、先ほど申しました研修費或いは図書費というものを支給する等の他の方法考えられるかも知れません。図書館を整備するとか……。特に教員格付けをしなければならんという理由になるかどうか。これは頗る私は疑問としておる点であります。いわんや、事務量、いわゆる勤務の複雑さ或いは責任の度であるとかいうことにつきましては、宗像先生お話通りでありまして、考えようによつては、却つて、この地域社会学校こそ、義務教育学校こそ非常に複雑な非常に煩瑣ないろいろな事務があり、且つそれに対して直ちに責任を問われ、一挙手一投足に至るまで直ちに責任を問われる。高等学校になりますと、一県に三つか四つの高等学校ならば、まだまだそれほどの責任を問われない向きもありますが、せいぜい大学入学の結果ぐらいしか問われない。小中学校におきましては、一挙手一投足に至りますまで一々批判されまして、そうしてこれに非常に責任を問われるのであります。そういう点から考えましても、そこに何の区別がつけられるのかと考えるのであります。併し只今お話のありました通り高等学校教職員各位が過去においていろいろな不利益な条件にあつた。例えば学歴に対して経験年数と比べて不利益がある、ウエートの置き方が足らなかつたとか、或いは民間事業に従事した者の前歴計算が不利であつたということがありますならば、これは私は適正に是正すべきだと思います。従いまして、これは単に高等学校教員だけでなく、小中学校におります者でも、同一の学歴を持つておる者に対しては、やはりそういう有利な計算をして、是正すべきは是正し、救済すべきは救済すべきだと思います。恩給に至りましては、小学校中学校教員のほうの加算率が倍だ、こう言われるのでありますが、これは俗耳に入りやすい理論であります。実際はそうでありません。一体、将来の先生を目途として論じておるのか、現在の教員を目途にして考えておるのか、現在の校長教員の中には、御承知通り加算率が倍になると申しますのは、昔の師範学校を出ましてただ一筋遂に義務教育だけに勤続した人がこの恩恵を受けるのでありまして、一歩、中等学校に出たり或いは視学をやつたり何か役人をやつてちよつと勤続がそこから外れますと、勤続の切れた瞬間からその恩典は消えてしまうのであります。そういたしますと、今日の中学校小学校教員の中には、この恩典に浴せない者がざらにあります。これは高等学校校長職員だけの現象でなく、小中学校教員にもざらにある。だからこれだけを以ていわゆる三本建の格差を付けなければならんという理由にはならない。これは先ほどのお話通り、それはそれとして、これを是正する独自の方法考えなければならんと思います。ここの点が大分世間に誤解があるようでありますが、中小学校教員の中にその恩典に浴せない者がざらにあるということをよく認識して頂きたいと思います。こういう工合考えて参りますと、いわゆる陥没是正、これは誠に結構であります。それは小中学校高等学校を問わず、これはやるべきであります。  更にこのことによつていろいろな副産物が生れて参りますのは、新制中学校、いわゆる六・三・三制が実施されました当初の事情というものを考えなければならん。新制中学校、新制高等学校が発足いたしました当初というものは、相当の高い理想を持つてこの制度が実施されましたのでありまして、中学校校長並びに中学校教員の中にも、高等学校校長或いは教員として屑ばかりが中学校のほうへ押流されて来たのじやないのであります。相当、中学校教育、新しい制度を守り立てる第一線の先駆者として働いてほしいといつたような、或る程度の使命を持つて出て行つた者も相当にあるのであります。そうしておきながら、ようやく中学校も今日満五周年を経、七年目に入つております今日、突如として、そのほうに行つた者はここで頭打ち、こつちにいる者はここで一号上げるのだということは、これは理屈でなくて、一体、政治というものの、何と申しますか、これは政治というものには、やつぱり何らかの程度においてヒユーマニズムがなければならんと思います。ただ理論だけじやいかん。政治に対して何らかのヒユーマニズムが若し必要であるとするならば、これはヒユーマニズムを全然無視した改正である。その当時のその事情というものに対しては、非常に欺かれた、ペテンに掛けられたと感じておる者が、全国の中学校或いは小学校の中に、なかんずく中学校のほうには多いのじやないか。これは政治のヒユーマニズムの一つ原理から、どうしても救済しなければならん問題だと思います。殊に教育に関する法制というものは特にそれが必要だと思います。  それから、これは私は信じておりません。まともから聞きますというと、みんなそうでないと仰せられますから、私は手放しで信じてはおりませんけれども、今度のこの改正は、いわゆる教員組合に対する一つの対策であるといつたような、これはもう巷間伝える噂でありまして、私はこれを手放して信じているわけじやございませんが、そういう事実がとにかく流布しておるということに対しましては、この改正が出ました暁においてどういう結果になりまするか。なるほどこの法令が出たらみんな挙つて日教組を脱退しようという、噂のように、丁度思う壷に行きますかどうか。或いは、却つて、五十万とか六十万と言われております小中学校教員というものは、それほど日教組に対して、私は失礼でありますけれども、そんなに勉強しておらない。一体、自由労連が何だか世界労連が何だかわからないような者が現場の教師にはたくさんおります。それが今度の改正によりまして、こういう理由でこういうことになつた、これは噂でありますけれども、ということになりますと、却つて反対なことを刺激しまして、そういうことなのか、我々はやつぱりそういう工合に遇せられるのかということになりますことは、却つていわば手垢の付かない教員に或る一つの方向をむしろ与えるような逆効果になりはしないかということを、私は非常に現場の校長として憂えております。そういうことのないようにできるだけ説得するつもりでありますけれども、どうもそういうことにならなければいいがということを非常に憂慮しております。殊に今度のことによりまして、従来、高等学校の、まあ東京の例をとりますというと、高等学校先生方で次席とか教頭あたりまでおいでになりまして、校長になる機会がちよつと近くないというかたが、大分、中学校長に出ておりますが、こういう一つ格差ができました暁において、果してその交流がスムースに行きますかどうか。これは却つて高等学校のために困つたことになりはしないかと思うくらいであります。いわんや何かしら義務教育を軽く見たといつた印象は、これはまあそうでないのでありますが、理由書を見ますと全部優遇しようというのですから……。併しそういう感じを与えますことは、非常に大なる影響を及ぼすのじやないかと思います。この点も非常に憂慮しておる次第であります。   —————————————
  6. 村尾重雄

    委員長村尾重雄君) 次に岩手県盛岡第一高等学校教諭軽石喜蔵君にお願いいたします。
  7. 軽石喜蔵

    参考人(軽石喜蔵君) 御紹介を頂きました岩手県の盛岡第一高等学校の軽石と申します。  多年、高等学校教員待遇の問題につきまして当局に要望して参つた一人でございますので、高等学校教員という立場並びにそういう只今までの経過の立場から、この問題について詳細に申述べさして頂きたいと存ずるものであります。特に今回の提出されました法律案につきまして、私どもの多年の要望からいたしますと、誠に不十分であるというように感ずるのでございますが、一応この段階といたしまして賛意を表するものでございますので、その趣旨について大体先に申上げておきたいと思うのであります。  申すまでもなく終戦以来教育制度或いは機構なり或いは内容なりというものがいろいろと変革を見て参つたのでありますが、その内容的な部面に入つてみますというと、まだまだ前途多難を要する問題が内蔵されておると思うのであります。そういう、平素においてすら教師の責務というのは、先ほどからいろいろなかたが挙げられたように、誠に複雑であり、責任も重大なものでございますが、特にこのような変転極りない段階におきまして、我々教師の責務というものは誠に重大なものである、こういうふうに痛感しておるのであります。にもかかわりませず、教師の受けるところの社会的な待遇或いは地位というものは、いつの時代におきましても誠に薄いのでございまして、ほかのいろいろな部面の給与から比較いたしまして、全く本俸だけが唯一の収入であるというような立場において、教育職員というものの特殊性というものが何としても御当局において考慮されなければならない、こういうお説が先ほどの教育学部の教授のかたも申上げられたように、誠に私どもとしてもそういう感を深くしておるのであります。そういう観点に立ちました場合に、今回の法律案は、いろいろの、或いは細部に亘りましては御批判の点もあるかも知れませんけれども、ともかく教育全体の、小学校中学校高等学校最高号俸も、その他いろいろな点において、これが優遇の途を開いているという点におきまして、先ず第一に賛意を表するものでございます。  次に、昭和二十四年に国家公務員法が制定いたされまして、それ以来、人事院におきましては、これに基いて、教員給与についてのみならず一般の官公吏の給与について速かにそのよりどころの準則を設定すべきであるということが明確に規定されておつたのでありますが、爾来四カ年初めて今回その国家公務員の法律に即応したところの準則が出されたのであります。併しながら、遺憾ながら今国会におきましては、これを全面的に審議をし、これを立法化することが困難であるという事情に鑑みまして、特に最も問題になつておりますところの教員給与の問題について、先ず取りあえずこれを立法化して、少しでも早くこの教員の不満、或いはいろいろな問題を解決いたしまして、この重氏なる時局にあるところの日本教育異に人材を吸収いたし、又現場の教職員の意慾を少しでも情熱を高めるというような施策に出られたのが今回の提案であると存じますので、私どもといたしましては、この成立を一日も早いことを祈念いたすものでございます。  その次に、この法律案内容についてでございますが、これは今回人事院より勧告がございましたこの給与準則の精神に立脚いたしまして、その長所をとり短所を補つたものであると、私どもは信ずるのであります。即ち、この表を大学高等学校と義務制校と、いろいろ表といたしまして、それぞれの最高号俸では若干の差を認めた点は、全く人事院勧告の線によつたのであります。ただ人事院勧告におきましては、初任給並びに昇給規定は同一にいたしておりますので、最高号俸の差だけは設定いたしましたけれども、それに到達することの速度等につきましては何ら考慮が払われておらないのであります。従つて、その途中におきまして一号早く昇給をする、最高号俸は二号の差なのでありますけれども、一号だけは途中より早めるという措置を今回の立法によつて措置されたものであると存ずるのであります。で、一号俸の転換の一部におきましては、いろいろ先ほどお二人の御説の中にも、非常に不合理であるというような、又、小中学校差別待遇にして高等教員のみの優遇を図るような、これは職階制的な措置ではないか、或いは義務教育を軽視するような措置ではないか、こういうような御説がございましたのでありますけれども、私は決してそういういうのではないと信ずるものであります。私は、ここに、何が故に私どもといたしましてはこの大学高等学校、義務制度の教職員の三本建の体系を主張するのであるかということを申述べたいのでございますけれども、その前に一応現在までの最近の給与体系がどのような変転を辿つて来たのであるかということを申上げたいのであります。  戦争前には御承知のように、同じ大学を出ましても、中学校に行けば百十円、或いは小学校に行けば四十五円、五十円というような代用教員にしかなれないというような状態であり、或いは師範学校を卒業されたかたと、高等師範を卒業されたかたの給与の差が非常に著るしい差があつた。これは確かに封建的な組立て方であつて小学校先生方の待遇が是正されなければならない、改善すべきであることは当然であつたと思うのであります。それが終戦後に次第に改善いたされまして、大学から小学校教員までの給与の差というものは、次第に減少して参つたのであります。丁度昭和の二十三年のときには……。併しながら同じ学歴において学校種別によるところの給与の差というものは若干実はあつたのでございますが、然るに昭和二十三年の一月より施行されましたところの二千九百円ベースの切換えによりまして、この立場は全く逆転をいたしたのであります。即ち、当時文部省から、大学、高等専門学校中学校小学校という四本建の給与体系案が片山内閣を通して提出をいたされたのであります。併しながら、これは幼稚園より大学までは一本の給与体系であるべきである、同じ教育労働者としての何らこれには差等を設けるべきではないという日教組の主張というものと、そこにいろいろ交渉が続けられまして、遂に大学高等学校以下という二つの給与体系が設定いたされたのであります。而も学歴の点におきましては、師範学校専門学校卒として取扱われ、師範学校より一年学歴年数の少いものとの差は四号の差を隔つたのでありますが、師範学校より上の学歴に対しては一年に対して二号の差でありまして、師範学校以上の学校に入つても入らなくてもこれは全く同じである、こういうような制度ができまして、而も他の職歴については民間会社等においても極めて不利なような換算率が設定された。当時中学校教員には軍隊に行つたものも相当あつたのでありますが、その軍歴計算についても零或いは五割というような非常に不利な条件であつた。又一方におきましては、師範学校の一部につきましても高等三年から入るべきものであるというので、高等学校三年から入つたものについてもプラス一年の措置をして、スクーリングの年数を増すというような、いろいろな細かいことを申上げれば限りがございませんですが、ともかくそういうような措置をいたしました結果、それまでは若干、例えば八百円とか、九百五十円とか、千五十円というような給与の時代でありましたが、若干高かつた高等学校教員は、その切換えの結果は、一挙に転落いたしまして、高等学校教員の八割以上のものが、一緒に中学校を卒業した、或いは一緒に小学校を卒業した小中学校先生方よりも、二号、三号或いは甚だしきに至つては五号、六号と転落して参つたのであります。なぜかと言いますと、経験年数最後学校を卒業したのちの経験年数によつてのみ給与を決定したので、同じ三十五歳のものが長年勤続しておつて、非常に労苦もございましたでしようが、そのかたが十級で切換えられたときに、或いは軍隊に行つて来たことから、或いは遅く学校に入つたとか、或いは他の職歴に行つておつたからと言つて学歴は高いけれども八級で切換えられ七級で切換えられたのであります。一級の差が即ち三号、四号という差をもたらしておつたのであります。この一本建給与体系を、私どもししては敢えて魔術と申上げたいのであります。これによりまして全国の高等学校教員の不満というものは、全国的に実は広まつたのであります。併しながら当時の混乱しておつた社会情勢のさなかでございますので、そういうようなことも、これはやはり止むを得ない事情ではあつたでありましよう。併しながら、これが果して正しい組合の主張するところの生活給であるか、真に生活給という立場に立つたならば、或いは二十五、六歳では結婚する、或いは三十二、三歳では子供が生れるというような年齢に並行した給与体系でなければならないと私どもは感ずるのでございます。従つて、何が故にこの高等学校教員給与がこのように低くならなければならないのかという疑問が非常に澎湃として起つたのであります。勿論これは高等学校教員ばかりでなくして、先ほど野口先生もおつしやられましたように、中学校でも若干はございますでしよう。併し、高等学校におきましては、学歴は、九五%は学歴の高いものです。而も他の職歴があるものが七〇%にも達する、こういうようなことから、殆んど高等学校教員の全体がこれに該当して来たのであります。そこで、これを是正するためにはどうしたらよいかというので、私どもとしてはいろいろ調査もいたし、又いろいろな各御当局にも御要望を申上げたのでございます。で、勿論根本的な欠陥は、学歴構成或いは経歴構成というものが異なつているところの小中学校教員給与というものと、高等学校教員給与というものを、同一の枠内において同一の物差で規定しようとしたところにある、ということが先ず第一点でございます。そこで、勿論この学歴というものも或る程度有利にし、それから他の職歴というものも有利に換算しなければならないということがわかつたのでございますが、少くとも、この高等学校教員、そういう学歴構成或いは職歴構成から異なるところの高等学校教員については、別枠の何らかの措置がなければ、少くともこの陥没を是正するということは困難であるということを感じたのであります。  このようにして、全国の高等学校教員にみなぎつているところの問題を解消いたしまして、高等学校教育を振興するという立場からも、私どもとしては、三本建の給与体系即ち職域別のおのおのに適切な給与体系を主張して参つたのであります。その後、この不合理な給与体系の中でその根本的な改訂を叫び続けて参つたのでありますけれども高等学校教員の九万人のこの熱願が今まで当局においても遂に取上げられる機会がなかつたのであります。五カ年八カ月後の今日初めて人事院勧告の中にその萌芽を見出しまして、今この立法の問題としてここに御審議頂けることになりましたことは、私どもといたしましては誠に感慨無量のものがあるのであります。日教組の幹部の方々におかれましても次第に認識を深めまして、学歴の差或いは職歴の換算率につきましては、私どもの主張と全く同様な認識を深めて参つたのでありますけれども、今なおこの職域の問題につきましては強力に反対をなさつておるようでございます。そこで、それならば、今はこれは現在の教員問題についてだけ申上げておるわけでございますが、将来の体系については又あとで申上げたいと思うのでありますが、この現実の陥没を救うのに、この現在の一本建の給与体系で果して可能であるかどうかという問題が一つあるわけでございます。聞くところによりますと、去る大会で、日教組のほうにおかれましても、昭和二十三年の二九ベースの当時に遡つて、それから学歴やそれから他の換算率もよくして行き、遡つて切替えを直してやつたならば、これは一本建でいいのではないかという、こういう御決議もあつたように聞いております。併しながら、若しそれを実施するということは、法律的にも或いは予算上もそうでございますが、なかなか至難な問題であるばかりではなく、若しそういたしましたならば、これは当時は若干の職域における差があつたのでありますので、当然そうなりますというと実質的な二本建給与というものが確立し、現在のように一号どころの問題ではなくして、数号高等学校教員が上るというような結果になるのでございます。  以上申上げましたように、過去の教員に対しましては、昭和二十三年以来の陥没を救うためにも、高等学校には適切な別個の体系が必要なのでございます。生活給という立場においてさえ不当な待遇を受けていた高等学校教員が大部分でございます。ましてや生活状態はまだ窮乏の状態ではあると申しましても終戦当時よりはやや我々の生活は安定して参つております。従つて、この生活給というものの上に、職務の実態に即応して、その努力とか或いは能力、能率等に応ずるような給与体制を設定するということが必要であると感ずるのであります。教員給与につきましては、確かにこの設定は困難なる面もあるでありましよう。併しながら困難であるからと申して、ただ長く動続さえすればそれで給与が増して行くという体系だけでは、文化国家を目指して復興途上にあるところのこの日本教員給与としてはとるべきものではないのではないかと私ども考えるのであります。  そこで、然らば大学から幼稚園までの職務内容が同一であるかどうかという点でございます。先ほどお二人の先生方のお話もございましたのでありますが、私どもの見解は全く異なるのでございます。申上げるまでもなく、教育の本質或いは価値という点におきまして、何ら学校種別によつて差別は存しないと、こう思うのであります。又、勤労の度合とか或いは勤務時間とか或いは地域社会との関連というような問題、勤労環境の問題等、或いは訓育の指導という面、これは全く同等であろうと私どもは思うのであります。小さい子供は小さい子供なりの特殊性があり、青年は青年なりの特殊性があり、少年は少年なりの特殊性があつて、各々特殊性があつて、これを一つのスケールによつて、どちらが大きい、どちらが困難であるということはこれは測定しがたい問題であると私は思うのであります。併しながら、その指導するところの教材の内容なり或いは文化財の面ということについて見た場合には、小、中、高、大と、生徒の知性の発達、段階に応じて、複雑にして高度な内容が要求されることは当然でありまして、それに即応した努力なり、能力なり研修が要求されるものであると存ずるのであります。我が国の従来においてもそうでありましたが、諸外国の例を見ましても、初等学校よりも中等学校、或いは高等専門学校大学と、その教員になるためには、より高度の資格を要求し、より教員養成機関も高くなつておるのでございます。この事実は、上級の学校ほど、より高い学歴者を必要とすることを実証しておるものであると私は考えるのであります。確かに終戦後は我が国の教育制度は急転回いたしまして、一応、新制大学を卒業いたした者は小学校にも中学校にも高等学校にも行ける道が開かれておるのであります。併しながら免許法におきましても明らかなごとく、例えば一級免状というものを比較する場合に、小、中学校においては新大卒の程度が要求され、高等学校においては大学院一年終了以上の資格が要求されておるのであります。即ち六・三制度を強化するためには、小中学校職域においては短大卒業の者でも新大卒と同様な研修指導力が要請されております。高等学校においては、新大卒の者でも旧大卒或いは新制大学院終了の程度研修能力が要求されておるのであります。かくのごとく、現在の学歴に安住することなく、更に研修を重ねましてこそ、終戦後とかく学力低下を云々されておりますところの我が国の六・三・三制度が質的にも充実向上するものであると思うのであります。かかる観点より、今回の立法におきましては、高校教員給与体系を別に設けまして、職域に一号の添加措置を講じましたことは妥当であると私は思うのであります。占領政策的、微温的な従来の給与体系に対しまして、日本教育振興上あらねばならん一歩を踏み出したものであると、その意義は極めて重要であると思うのであります。我々は組合人といたしまして、或いは教員といたしまして、ヒユーマニズムの立場から勿論できるだけすべての人々の生活待遇の向上を願い、又この最低生活の保障というものを常に念願し、それに努力いたしておるものであります。併しながら、それであるからといつて差別を設けるということはすべて封建的であり、非民主的であり、反動的であるとする非難は、これは十分実情を検討して判断すべき問題であると思うのであります。私どもは、学歴を大幅につけて教育給与を一生固定するほうが却つて封建的であり、その職域差を設定することによつて却つてこの能力なり適性に応じて、或いは生活事情によつて職域間の交流をなすことが、却つて或いは民主的であり教育の振興にも役立つのではないかと思うのであります。高校に職域差を設けると、中学校に人材が集まらず、六・三制度が破壊されると言われるかたもあるのでありますが、現在の高等学校立場とそれと対照して御検討願いたいと思うのであります。現在の給与体系におきましては、旧大卒業は高等学校へ行くと六級でございますが、大学では助教授におきましても八級であり、教授においては十級から踏み出すのでございます。而も曽つては私どもと同じ同僚として又師範に勤めておつたかたの大部分は現在大学に行つておるのであります。又曽つて朝鮮、台湾或いは満洲等、旧制大学の教授をしておつたかたも現在は高等学校に来ておる人がたくさんあるのであります。大学のほうが別の体系になりまして、かくのごとく高等学校との給与差ができたがために、高等学校教育がそれによつて破壊されるということを、私どもは未だ一度も考えたことはないのであります。中学校高等学校との問題が、高等学校大学にも同じような問題は存在するのであります。差別はなかなか付けにくい、だから差別がないのだというような主張は、私は常に当らないと思うのであります。社会現象には、断続した現象よりも連続した現象のほうが私は多いと思うのであります。昼と夜はどこで区別するかという問題につきましても、何時から昼で、何時から夜だという区別は付けにくい。併しながら、昼と夜の区別は厳然としてやはり我々は付けなければならない。そういうような問題があると思うのであります。今回の立法におきましても、確かにいろいろの社会におきましてはいろいろの問題がございますでありましよう。その問題は問題として仔細に検討を重ねまして、それによつて最も適切な措置を講ずべきものであると思うのであります。そういう部分的な問題が困難であるからという理由によつて、この立法そのものもこれもいけないのだという断定は、私は早計ではないかと考えるわけでございます。確かにこの法律は基準としての規定でありましようから、その特別な場合につきましてはいろいろと今後なお御検討を重ねましてやる必要があるのではないかと、このように私ども考えるのであります。私は、日本の労働組合におきましても、先ほどもちよつと申上げましたけれども、観念的な階級の打破或いは差別の撤廃、或いは伝統の破棄というようなことの観念があまりに強過ぎるが故に、広く世界の歴史的ないろいろな立場、或いは日本の現在置かれておるところの事情というものの現実に即して考えて行くということが、この給与の問題についても私は必要ではないかと、このように考えるのでございます。  いろいろまだございますけれども、又御質問にお答えいたしたいと思います。いろいろお耳障りなことを申上げましたが、以上を以て終ります。   —————————————
  8. 村尾重雄

    委員長村尾重雄君) 次に東京都小石川高等学校教諭の成田君にお願いいたします。
  9. 成田喜澄

    参考人(成田喜澄君) 成田でございます。こうした公聴会でのいろいろな発言というものが、ただ承わり置くというふうな程度に、いつもとどめられておる。そうして、その結果、おもてにおりますものたちは、話をしてもただ喋らせるだけのために喋らして置く、こういうふうな印象を近頃持ちつつあるのではないかということを考えさせられております。そういう点で、只今から申上げます点につきましても、参議院というものの特殊な、国会の第二院としての在り方からも、是非どうぞそうした多数の公述人は、そのことについて反対したにかかわらず、結果においては、その通りなつた、こういうふうな印象が与えられませんことを是非お願い申上げておきたいと思つております。  それから、これは人事委員会ではございますけれども、この問題は明かに大きく日本教育全体の問題に絡まつておりますので、どうぞ議員各位におかれましても、日本の文教政策の百年の策を考える、こういう立場一つ十分にお聞き頂きたいと思つておるのであります。  私は、終戦後の教育において最も意義があつたことは、それは日本の学制体系の複線的なものを単線型に直したことであろうと私は存じております。このことは、六三三四制にいろいろな批判がありましようとも、日本を民主的な国家に進めて行く非常な重要な基盤を築いて来たというふうに確信を持つておるものでございます。それと同時に、教員養成の問題に関しましても、いわゆる複線型の教員養成というものが単線型の教員養成に即応的に改められた、これも非常に大きな日本教育に与えた明るみであろうと考えております。今日、実は軽石君が隣りに座つておられまするけれども、同じ小学校教員をし、或いは中学校で曽つて自分らと同じ経歴である野口校長と軽石君が違う意見を述べたりするようないろいろな事象を今日惹起しておる。その遠因というものはどこにあるかといいますと、それは日本教員養成の私は複線型の産物であろうと思つております。それは即ち、やはりそれは一つの先入的な考え方によつて、先ず小学校教員をやつて、それより若干金のあるものは中学校に行く、そのときに二つに分かれる。片方は専門学校にとられてしまい、片方は高等学校に又は大学に行くということになるが、それは非常に優れた者である。こういうような考え方の一つの指導者養成組織というものが日本にある。これではとても間に合わない。専二、専三の大学で、この専門学校卒の人たち教員養成をして、それが教授になつた。それから大多数を占める義務教育小学校の問題については、師範学校人たちに任せる、これは中学を終つて二年の課程を経たにもかかわらず、これをいわゆる中等教員に限定した、そういう形でこれにそのことをさせる。従つて今日高等学校の中においても問題として残つておる。或いは大学まで行く者と専門学校に行くものが争うということは、そういうふうに分けられ、片付けられたものの反揆がどうしても出て来る。そうして中学校高等学校専門学校大学との間に一つの争いを起しておる。相剋を今日残しておる。それから、現在、中学校の中に、いわゆる教員養成が十分でなかつたために、六・三・三の出発が十分でなかつたために、いわゆる師範学校の卒業の優秀な者を中学に持つておる。そこに専門学校との争いが現実の問題としてある。こういうふうな日本教員の複線型の問題はいろいろな学閥的の問題とか、日本教育のあらゆる暗い谷間というものがそこから出て来る。又、専二の人たち、専三の先生人たち一つの相剋ということがかなりあると私は思う。これは大きく日教組がこの問題に鑑みて、あくまでも教員の養成は大学卒を以てやつて行かなければならない、歯を食い縛つて大学卒でやつてもらいたいということは、自分たちが身近にいろいろな学閥的な情ない争いを知つておるから、そのことに、かつとして、新らしい日本教育、新らしい日本教員を養成したいことは、これは皆さん方よく御承知だと思いますが、大学出の先生というものは気持が一番明るくて、高等学校先生は暗いから面白くないと言うのです。ましてや師範学校出の先生はこちこちでどうしても仕方がないということを言つておる。そういうふうに、日本が曽つてそういう教育をした、それが今日の非常な癌である、その善処を完全にしなければ、日本教育はこれは明るくなつて来ない。今日、巷間叫ばれておるいろいろな映画の二本建、三本建というような、こういう、あほうな言葉というものは、こうした封建的な身分意識というふうなものに対して、スーヴエニールを感ずる、お互いの心の中に残つておる。曽つてお互いに皆苦しい思いをしたにかかわらず、学校種別という言葉によつてこれが今来ておる。その次に来るものは何かということは、はつきりわかつておる。そういう段階を、大きく日本教員全体を掴まえておる日教組として明るい方向に持つて行かなければならない。こういう点を私どもとしては強く考えなければならないと思つております。私は、今日、日教組に直接関係ある者ではございませんけれども、この点は、私は、日教組の進んで行く方向というものについては、十分に敬意を払うべきものであるというふうに考えているのであります。従つて議員諸公におかれましても、確かに私、日教組の政治活動やその他の部分につきまして、議員諸氏の、参議院はそうではないかも知れませんが、衆議院などにおきましては、かなり感情を害する部分があることは、私もわかります。わかりますけれども、そのことによつて日本教育考えるような愚だけは、是非犯して頂きたくない。この点を特にお願いいたしたいと思うのであります。  私どもは、教員の構成がどうあることが望ましいか、この点を考えた場合に、大学を卒業した者が、将来の考え方として、小学校におつて、そこでオーソリテイになつてもいいのではないか、中学校にいてオーソリテイになつてもいいではないか、そうして高等学校大学にそれぞれのレベルを持つた人たちがいて、日本教育全体を進めて行くということができるならば、これに越した結構なことはないと考えるのであります。この点で私は、六・三・三・四制の維持と教員の養成の単線型というものをはつきり確認して進まなければ、日本教育は再び明治以来の愚を犯すということを、はつきりここで申上げることができるのではないかと思つております。  次に中等教育という考え方が甚だ不明瞭に今日なつております。御承知のように文部省の課の編成は、大学学術局、初等中等教育局というふうに、はつきり分けておる。いわゆる高等学校は実は中等学校なんであります。この点、高等学校教師から、てめえ、なぜ参議院などへ行つて言うのだというお叱りを受けるかも知れませんが、事実は明らかに事実であつて、翻訳する場合にはハイスクールと言つておりません。アツパー・セカンダリー。これは高等学校というものが明らかに中等教育であるという点をはつきり考えて頂かなければならない。なお、この教科内容の問題につきまして考えてみましても、明らかに、プライマリー・スクールの小学校に対して、中学校高等学校は、いわゆる教科担任制の昔の中等学校考え方で今日運営をいたしております。この点は、学籍簿すら、義務制と義務制でないのに分けてあるにもかかわらず、いわゆる中学校の学籍簿は全部統一した形で今日私たちの手許に来る。中学校でこういう工合に書き込んだものがまあ高等学校に来る。ただ日本に金がないから、中学校高等学校に分けているに過ぎない。この点は、はつきり中等教育の範疇というもの、それからその教科課程というようなものについて、少し御勉強して頂ければ、直ちに理解できることと思います。私ども中等教育として、日本の制度は少くともそこまでは行かない、これは決して特殊なものではないということをなお証拠立てるものとしては、この具体的な教科の問題に入つて考えてみれば明確であります。高等学校というものは特殊なものではないということ、それは現在定時制高等学校というものを置いております。なお青年学級を最近挙げておられる。いろいろ意見もありますけれども、青年学級で高等学校の段階のものを教えようとする。少くとも日本の国民をそこまでレベルを上げたい。こういう点についてもはつきり私は御考慮を頂く必要があるのではないかと思つております。  それから高等学校の振興ということを先ほど軽石君が言われましたが、私も同感であります。高等学校の振興ということはどういう点にあるかという点をしつかり私は考えて頂きたい。今、私どもが現場におつて一番悩んでおる点は、大学の入学試験で悩まされている高等学校生徒であります。三年間の短い時間に、中等教育前期の教育が十分でなくて、高等学校に送り込まれて来るために、高等学校教師は、その三年の間に、昔の中学校のレベルまで引上げるための苦労、これは並々ならぬものがある。この点が実際高等学校教員の苦労であり、この振興こそが、ここを十分充実することこそが、我々の一番の望みであります。それはどうしたらいいかというと、結局、中学校教育を充実して行かなければ、三年で逆立ちしてみても駄目です。中学校を是非立派ないわゆる中学校のレベルまでに育てたい。その上に高等学校を引上げた場合に、初めて昔の中学校程度まで持つて行けると思うのです。最近、私は、組合から学校へ帰つてみまして、生徒たちが昔の旧制の五年生だけの力を持つていないという点をはつきり感じたのです。それは、やはり中等教育の弱さからです。これは、幸いなことに、今日出発時の混乱は逐次改善されておるのです。それは中学校教師というものが、逐次良質のものによつて置き換えられつつある。こういう段階のために若干ずつ進歩して来ております。そのときに少くとも日本中学校教師を失望せしめるような中学校に持つて行つたら、給与が下る、……上らないということは下ることであります。そういうような印象を与えられた場合に、中学校に行くということについては勇気が要る。これから先どこまで落されるかわからない、こういう形になつたら、中学校に優秀な教師が行かなくなるのは当り前だ。高等学校に人材が集まらないことを軽石君は歎いておられましたが、私どもこれは嘘だと思います。高等学校教師の集まらないということは、例えば東京の場合なんか、教師はあり余つてつておる。校長のところへ履歴書がどんどん集まつている。とろうと思つたら、幾らでもとれる段階にある。高等学校の或る教科については、若干問題があるとは言えるだろう。併しその面だけを考えて、高等学校中学校と比べてみて、高等学校教師が行かないということは絶対ない。これは大学の秀才でも、給料が低くても行くという気持が、やつぱり日本のまだ遅れた封建的身分意識を持つている人たちにはある。高等学校中学校と同じだから行く者がなくなつて来るというような馬鹿なことは絶対にない。このことは、はつきり申すことができると思つております。こういう点、三本建の問題については、よほど慎重に考えて頂かなければならないと思つております。それから次に私は、大分触れている点もあるのでありますが、文部専門員室のほうから頂きました全高教の諸君の出されております意見につきまして、私自身の見解を述べつつ話を進めたいと思つております。  第一点の、高校教員給与は同年令の中学校教員より低いという、こういう説明がなされております。
  10. 村尾重雄

    委員長村尾重雄君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  11. 村尾重雄

    委員長村尾重雄君) 速記を始めて。
  12. 成田喜澄

    参考人(成田喜澄君) 簡単に申上げておきます。この同年令の者よりも低いという問題は、先ほど軽石君のほうから説明がありましたような事情を聞いておりますものでございますが、この点は軽石君もそのとき言葉をちやんと逃げておられましたけれども中学校にも同様な人がいるわけです。現在東京の場合で、中学校大学の卒業生が一五%おるのです。専四が一五%、これは私がこの前説明したときには、大学が一二%で、専門学校の四年制が一一%、専三は六〇%、こういう点は殖えて来ておる。こういう人たちの中に現在問題がある。私のすぐ下の文京区立の学校では、文理大の卒業生がいて、それが給与の問題で非常に困つておるのです。ただこれは軽石君の言葉を引用すれば、一〇%がひどくなつておるのです。これは、高等学校の問題であるということができるけれども、同時に為政者の立場というか、全体の教員から見れば、これは高等学校の問題じやなくて、いわゆるこういう学歴を持つておる人、そういう人の問題として解決をつけるべき問題であつて、これは学校の問題というふうに解釈したならば、これは非常におかしなことになつて来ると私は思つております。  それから高校の校長になる率が非常に少いということがいつも議論になつておるのですが、このことも、考え方によりますと、先ほども野口先生からお話がありましたように、高等学校中学校と、かなり交流がございます。中学校校長高等学校教員からなるということは、東京などには非常に多くなつております。いい傾向だと思います。中学校校長から高校の校長に飛んだ例もございます。これはいい傾向だと思います。こういう点から考えたならば、校長というのは、中学校から高等学校まで免許状は一本だから、どこにでも行けるわけです。若干問題はあるのですけれども中学校校長に交流が若干ある。官立云々ということは、これは必ずしも無理にここのところに理由を求めなければならないものだとするならば、議論があるように私は考えます。  恩給の問題につきましては、私ども不満でありましたけれども、この問題は一応解決は済んでおります。  それから四番目に、高校の教員が通勤の条件が不利ということが述べられております。これは地方によつて状況差があるので、このことを言うと、おれのうちは金持だから米は買わなくても済むのだ、おれは全部買わなければならないという議論に発展する虞れがあるので、全面的に労働者が通勤費を求めて行く、こういう方向で私は解決すべきじやないかというふうに考えております。  高校教員研修費研修旅費がかかる、尤もだと私は思うけれども、これは三本建の理由にならない。これは、私、言われてみると、八本建の理由になるのじやないかと思います。幼稚園と小学校の前期、中期、後期、中学校高等学校大学大学院、これは全部に分けてやらなければ、この問題はなかなか解決がつかんのじやないかと思います。研修費の問題についてはまあそういうふうに考えます。  高校以下の一本建給与体系は、高校教育を破壊すると言われておりますが、これは言い方としては、誠に全高教の諸君はナンセンスな言い方をされておるのじやないかと、私には思われます。それから諸外国の給与が殆んど三本建になつておることは、中学校長、高校の校長が反対を唱えております。これは先ほど申上げましたように、初等教育中等教育、高等教育と、この三つの形に三本建ではあるけれども小学校中学校はいわゆる義務制によつて差があるという考え方をとつておる。それについて、若しそれがあるならば、具体的に実例を挙げて説明をされたらいい。文部省の玖村さんもはつきりこのことについて言つておる。  それから免許法の基礎について問題があると言つておる。これは免許法のほうには基礎はないのだという点は、はつきりと説明された。これで行くのだつたら、高等学校のほうにも一級、二級の別を設けて行かなければ筋が立たない。高等学校のほうに一級、二級と分けて行く。一級、二級はスクーリングが基礎になつおる。学歴差をつけておる。何か具体的な問題の解決がつかなければ、全高教の諸君が述べておる三本建の理由は、七本だとか、八本だとか、九本だとかになるという理由はあると思いますが、三本建として、中期、後期の高等学校のそこだけ取出して行くという考え方は、私は問題があると思います。この点は議員諸公におかれても十分に私は考えて頂きたい。  それじや高等学校の根本要求は何か。これを簡単に申上げておきたい。学校の根本要求はベース・アツプの問題だと思う。これを通して頂かなければ、僅か一号ぐらいの差をつけて頂いても、今日人事院勧告が一万五千円、この一万五千円の内容というものを分析して考えてみると、東京都の食糧の費用、五人分の費用だけしかない。一万五千、その一万五千さえなかなか実施して行けないという状況であります。生活給というものは十分に頂いていない。この点は、我々の給与を五万円でも六万円でも、そのくらいにして頂いて、そのあとで考えてみるというのならいいけれども、今の一万五千円、これも東京都の一月の五人家族の生計費の食糧費にしかならない給与である。そこで私は是非ベース・アツプして頂かなければならない。今、大学先生が十分食つて行けるかどうか、きれいな猿又一つ買えないという状態で、こういうような状況の下に、その大学より低いところに持つてつて、三本だ、四本だと言つても話にならない。そういう点で高等学校教員として、全高教はこの三本建については喜ぶ気持がしない。それよりベース・アツプをしてもらいたい。それから全高教と私どもと、不合理是正については考え方が一致しておる。是非不合理是正をやつて頂きたい。劔木さんも今見えておられますが、劔木さんも、高等学校の不合理の問題は感じておられる。これを片付けるために年次計画でもいいからやつてもらいたい、学歴計算の不十分な点も直してもらいたい、前歴計算も直してもらいたいという要求をした。それで年次計画をやつて頂けば、今日ここに予算として三億六千万円ありますけれども、これは僅かに学歴の一・五を修正するのにまだ足りない。折角これだけの額を出して頂いたのだから結構だが、是非それを私どもが前々から文部省に要求しておる不合理是正の金に切替えて、この点十分やつて頂きたい。今、人事院勧告の中には、三号ぐらいは調整できるという附則が付いておる。それを今一号だけ上げるために、何か非常に日本教育界全体に暗い影を投げるような、明治時代に戻るような印象を与えることは、是非考えを改めて頂きたい。そうして本当に我々が前から要求しておる不合理是正をやつて頂きたい。四号でも五号でも結構だ。こういうところで、ならし一号上るということは、公平のようでありますけれども、必ずしも公平ではない。でこぼこの上に雪をずつと並べたようなもので、是非参議院におかれては、それらの点を給与準則の審議の過程において、並行的にこの点を十分お考え頂いて、日本教育の将来に暗影を投ぜられないように、自分の良心において申上げたいと思います。   —————————————
  13. 村尾重雄

    委員長村尾重雄君) 次に東京大塚ろう学校長古谷史映君にお願いいたします。
  14. 古谷史映

    参考人(古谷史映君) 実は私どものほうは非常に数が少い故を以てか、本日の人事委員会に来て意見を述べよと最初言われていたのでありますが、途中で、やめてくれという電話を頂きました。併し私どものうしろに控えておる僅か約五千の教職員の代表である盲学校長会の会長、ろう学校教育会の会長、これらの人たちが、それは困る、是非、数は少くても、この法律が実施された場合に一番被害をこうむるのはろう盲学校であるからして、何とかして意見を述べるように取計らうから出てくれ、こういうようなお話でありまして、それはそのお話人事委員会に通じたのかどうか知りませんが、ゆうべ八時過ぎになりまして再び出よと言われましたので、私はまとめることができなくて、ただここへ参つたのでございますが、併し数を重んじになるのであるならば、私は今回の法律についてはこういうふうに考えるべきではないかと思うのでございます。即ち、ここに高等学校のほうから出されておる資料にもありますが、高等学校教員は九万と言われております。なお小学校中学校合せて約四十二万でございます。この四十二万の教員に不愉快な思いをさせて、日本教育を混乱させて、而も九万の高等学校教員に一号俸上げてやつて喜ばせて、日本教育が本当に立派になつて行くであろうかどうか。数を重んじられるのであれば、私はこの点を十分考えて頂きたいと思うのであります。実は私は四十四学級を持ち、八十六名の教員を擁しておる東京都立大塚聾学校校長として、又、私は周りに約二十年間住んでおりますので、ここの小学校に私の子供が一人、中学校に一人、高等学校に二人行つておりまして、ここの先生たちが常に私の家へ出入りするのであります。なぜならば、私のほうはこの三つの学校からそれぞれ役員を仰せつかつておりますので、先生方がいらつしやるのでございますが、私がこれから申上げます意見は、単に、特殊学校立場からだけではなくて、小学校の保護者会の役員であり、中学校の保護者会の役員であり、高等学校の保護者会の役員であると、こういう立場で、是非、議員の皆様にお聞き願いたいと思うのであります。私は決して特殊な人間ではございません。普通教育にも経験がありますし、現在、聾盲学校仕事をしておりますけれども、私は皆さんと何ら変つた特別な人間ではございません。今申上げますように、普通の学校の父兄という立場からも是非お聞きとり願いたいのです。それは、今回出されたこの法案は、同一学歴に対しても学校によつて差を付ける、まとめればこういうことであろうと私は承わつておるのでございますが、私は具体的な話を申上げますと、実は中学校に高等師範を出た井口という先生がおります。私はその学校にもときどき参りますが、その井口君は実にさすが高等師範を出ただけであつて、非常に熱心に教育に力を入れて、而もその中学校の中堅どころで、校長の信頼を得て一生懸命やつておる男でございます。若し今回の法案が通りますと、この第十中学校におる井口君の俸給は、高等学校に行つている先生の同級生よりも俸給が一号安いということになる。そうしますと、そこの中学校の雨宮校長は、井口君に、是非まだ中学校に残つてつてしつかりやつてくれ、若し井口君が高等学校に行きたいと言つたときに、そういうことが言えるでしようか。立派な人間であれば俸給には大した関心を持たないでしようけれども、そういう人であればあるだけ、私どもとしましては、私どもじやなくて、議員の皆様方としましては、是非そういう人にこそ一号俸付けてやりたい、これが私は日本教員を優秀に、まじめに働かせるゆえんではないかと思うのです。又ときどき三つの小学校中学校高等学校先生方が、私どもの家へ参つていろいろ雑談をすることがございますが、又、私や家内も実際にどの学校にも行つて見るのでございますけれども高等学校先生職務が複雑で専門知識が余計に要る、責任と複雑、そういう点で高等学校のほうが非常に重いということは、私は言えないと思うのです。なぜならば、中学校先生小学校先生は、二十四・五時間から或いは三十時間の時間を持つて、先ほど宗像先生もおつしやいましたように、而も事務職員がいないのです。ところが高等学校先生方は勉強をしなければなりませんが、大体十八・九時間を受持つて、而も高等学校には東京都におきましては三名乃至六・七名の事務員がいまして、そういう雑務はそれらの事務員がやつておるのでございます。教育内容そのものにつきましても、私はそういう面で研修が必要であるし、そういう面で高き知識が要る、従つて高等学校に一号俸増すのが妥当であるという論は、これは言えないのではないか。小学校には小学校としてのいろいろな苦労や複雑なことやいろいろな責任がありますし、中学校には中学校としてのそういうものがございます。こういうふうに、私どもは現実に目のあたりにこの法律が実施されたときのことを考えて来ますと、この法律は、折角、議員さんたちが教員給与が安いから一号俸でもよくしてやるという、そのお気持に対しては、長く教育に携つておる者といたしまして、本当に感謝の言葉以外にはないのでございますけれども、併し一号俸ずつ陥没しているから余計やらなければいけないという、その方法において、この法律は私はどうしても賛成ができかねるのでございます。なお、この資料にもいろいろ新聞論調とかいろいろなものが載つておりますが、併し、最近の新聞論調、即ち朝日新聞の七月三十一日の社説、又八月三日の社説、これらのものはここには載つておりませんが、これに対するいろいろな批評は、これは人事院給与準則についての批評ではないか、そういうのが非常に多いと思うのでありますが、今回三党が共同で出された法律案に対して、真向から、この法律には賛成しかねる、これは日本教育を破壊するものであると、朝日新聞或いは読売新聞などで論じておるのでありまして、これを判断されるのに人事委員会の皆様にそうした論調も十分尊重して決定して頂けると思いますが、私どもが今申上げましたように、普通教育立場においても、私の現実の身の廻りにある人たちのことを考えてみましても、どうしてもこの法律には賛成ができないのでございます。  なお、数が少いということでとかく軽んぜられがちな特殊教育立場から申上げますと、実は聾学校、盲学校におきましては、幼稚部、小中学部、高等学部、専攻科というように、五つの部と科に分れておりますけれども、併し人数その他の関係で、これはよく附属中学や附属小学校高等学校と同じだというふうにお考え下さるのですけれども、私どもとしては、こういうお考えは実際聾学校でも一つ見て頂けばその違いがよくわかるのじやないか。その聾学校におきましては、一つの屋根の下に、幼稚部があり、小中学部があり、高等学部があり、専攻科もある。而もこの先生方は、学級数が少い関係で、中学部から高等学部、専攻科まで、国語なら国語、社会なら社会、或いは数学なら数学というものを一本に全部を一人の先生乃至二人の先生が教えておつて、これは、高等学校は高等部の先生だ、これは中学部の先生だ、これは小学部の先生だというように、はつきりとは区別ができないのであります。これも、具体的な例を申上げますならば、私のほうの律唱科と言いまして、耳の聴えない子供たちに音楽を教えるのでございますが、その音楽を教える先生、或いは体育を教える先生、そういう先生方が、学級数の関係で、中学部、高等部のほうが、いわゆる高学年の生徒と一緒にその一人の先生が教え、幼稚部、小中学部のほうは低学年として、一人の先生が教える。又、或る学校実情調査しますと、一人の先生が、小学部三年生から中学部、高等学部、専攻科まで、その一人の先生で教えておるというような実情でございます。こういうふうな点で、而も或る定数も、これは高等部の教員だからといつて、定数は、はつきりいたしません。これは中学部の教員だ、これは小学部の教員だというふうな定数が、その部その部によつては、はつきりしていないので、この国立の聾盲学校におきましても、又、都立の私ども学校におきましても、又、都道府県の聾盲学校におきましても、聾学校、盲学校として一本になつておるのでございます。そうしますと、今度の高等学校は、高等部だけは、高等学校に準じて中学部は中学校に準じてこの教員給与を一号俸上げる、こういうふうになりますと、一体誰を高等部の教員として誰から誰まで上げたらいいか。人事院給与準則の法律を、まあ併任すればいい、そうして成るべく多くの人が高等部の教員として併任というようなこともやれるのじやないか、というお話もありましたけれども、併しそういうわけには参りませんので、これが実施には非常に困難を伴うのでございます。なお私どものほうでは、前に皆様方に見て頂きましたこの陳情書について、一人の同じ高等師範を卒業した者でも、その適性によりまして、中学部或いは高等部或いは小学部と、こういうふうにそのそれぞれの適性によりまして、その部に配置しておるのでございますが、一つの屋根の下におつて、高等部の先生は一号俸上るが、中学部と小学部におる先生には上らないということでは、これは私ども教員を指導激励する立場にあるものが、どうしてその中学部や小学部におる先生に、しつかりやつてくれ、しつかりやれば月給も上るのだということが言えるでしようか。又、上つた高等部の先生方にしましても、同じ屋根の下におつて、一方は俺たちは上るが、その人たちは上らないというような状態では、決して私は人間として嬉しくはないと思うのでございます。なお私どもは、高等学校教員が偉くて、中学校小学校先生方はそれより低いのだという印象を子供に与え、又父兄に与え、又、先生方自体としても、小学校におるよりは高等学校行つたほうが月給が上だからというので、だんだん、折角今まで戦争から後、同一学歴は同一賃金だという建前の下に、中学校小学校のほうへも人材がどんどん入つて来ていたのに、今度はそういう高等学校先生になりたい、こういうことになりますと、小学部や中学部の或いは小学校中学校先生方は、腰を落着けて、中学教育なり、小学教育なりに一生懸命になつてつてくれるということができなくなるのじやないか。現在におきましても、幾分か、高等学校のほうが偉いといつたような感じからか、高等学校教員は非常に志望者が多いのでございます。先ほど成田先生もおつしやいましたが、東京都においては、高等学校はもうなかなか教員にはなれない、非常なもう人数が多くて高等学校教員にはなれない。ところが、ろう盲学校におきましては、教員が非常に少いのです。そして教員のなり手が、田舎の、地方の学校では教員のなり手がなくて、校長教員を探すのに非常に骨が折れる。而も折角学校に来て見るというと、高等部の先生は一号俸高くて、中学部、小学部の俺たちは一号俸低いということになりますと、現在日本全国で、ろう学校が九十、盲学校が七十ありますが、これらの学校を、私、全国盲学校長会の役員をしておる立場から、殆んど全国の学校を見て廻つておるのでございますけれども、現在は小学部におろうと、中学部におろうと、高等部におろうと、どの部におろうと月給が同じでございまして、適材適所に配置して、而も皆が心を一つにして、唖の、ものの言えない子供がものを言えるように、目の見えない子供たちに立派な教育を授けているののであります。今回この法律が出ますというと、人の和ができなくなつてしまいます。小学校中学校高等学校においては、各校棟がそれぞれ別でございますから、それほど被害はございませんが、一つの屋根の下におつて、而も同じ学歴であつて、而も同じように一生懸命やつて、而も号俸に差がつくということは、私ども学校長としましてはどうしてもこの措置には堪えられない。そういうことで、この今回の法律が出ることを知つてから、全国のろう学校、盲学校教員校長諸君から、何とかして議員さんたちにお願いをして、こういう法律が出ないようにしてくれ、なお、どうしても何かの都合でどうしても出さなければならないならば、これは学校の格付だ、格付でやれば、ろう学校や盲学校は、高等部はあるし、又先ほど来、仕事の困難性と複雑性、又、高度な学術が要るということでございますが、唖の子供にものを言わせる。盲の子供に目の見える人たちと同じような人格を授け、又学術を授けるためには、これは小学校中学校高等学校に要る学術や技術、これ以上のものがろう盲学校には要るのでございます。而もこれは高等部の先生だけではなくして、中学部も小学部も、むしろその初めである幼稚部や小学部の低学年においてこそ、この高度な学術、高度な技術が要るのでございます。こういうところに差をつけられたのでは、私ども折角我々の先輩が血みどろになつて、又議員の皆様方もお力添えを下さつたと思いますが、昭和二十三年にようやく義務制を実施して頂いて、この敗戦後のいろいろな物資の少いときに欧米の諸国の特殊教育に負けないだけの水準に上げねばならないと、五千の教員が打つて一丸となつて今日教育に従事している、この何といいますか、私の目から見ますれば、誠に感謝に堪えない、敬意を持つているこの五千の教員が、今回この法律が出ますればめちやめちやに破壊されてしまう。日本の折角進歩しかけた特殊教育が奈落の底に突き落されることは、これは大袈裟な言い方ではない。私はこういうふうに考えて、この法案については賛成できませんし、又若し何かの力でどうしてもこれをお通しになつて法律が実施されるようになりますならば、何とか私どもの特殊教育のためにお力添えになつて頂きたい、こういうふうに考えるのでございます。先日赤城先生もこのことは非常に心配いたして頂きまして、高等学校は一号俸上げ、他の小学部、中学部のほうなんかには調整号俸で何とかできないか、こういうようなこともおつしやいましたけれども、私どもがこの法律については、ただ単に経済的な問題だけではなくして、小学部、中学部或いは小学校中学校先生のほうよりも、高等学校のほうが非常に技術や素養が要るから、一号俸上なんだ、それが上なんだという、その精神的なものが、子供や父兄や或いは教員自体に与える影響のほうが大きいのではないか。このことによつて日本の、折角、小学校中学校高等学校等一本に考えられて来た教育、又そこに人事の交流もあつて高等学校先生つて中学校に行き、小学校先生であつて中学校教育に当り、それぞれ小学、中学、高等学校のいろいろな面が融合し、又系統的に教育されておる折角戦後なり得たこの民主的な教育の体系が、高等学校を切離し、中学校以下を安い号俸に置くということは、これらの折角戦後日本の国に教育上出て来た最も良い傾向をここで破壊されることになるように感ずるのでございます。時間が大分たちましたが、そういう意味におきまして、私ども人事院の今回の勧告のものにつきましても、やはり三本建に考えられている考え方には非常に迷惑を感じるのでございますが、なお高等部は高等学校に準じ、中学部以下は中学校以下に準ずればいいというような、免許法とかその他の立場からそういうふうな取扱をされることは、今後のろう盲教育を非常に破壊されてしまうお取扱でございますので、何とかそこらは、学校格付けをするのであれば、最も良いほうに格付けして頂くようにお願い申上げて、私どもこの法案が実施されると非常に困る、この法案に対しては反対である、こういう意見を以上申述べた次第でございます。 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  15. 村尾重雄

    委員長村尾重雄君) 次に、日本育英会理事長関口勲さんが欠席になりましたので、これで予定の参考人の御意見を全部聞いたわけであります。参考人に御質疑のあるかたはお願いいたします。
  16. 宮田重文

    ○宮田重文君 宗像先生にお聞きいたしますが、諸外国の給与体系で大体趨勢はどういうふうになつておるか、どこが一番理想的なことになつておるか、そういうことについて一つ
  17. 宗像誠也

    参考人宗像誠也君) 私、その点、非常に詳しく調べているわけじやありませんけれども、ヨーロツパではそれは明らかに小学校中学校と違うと思います。それは伝統から言つて当然なので、ヨーロッパの中等学校というのは日本の七年制高等学校のような非常に選ばれた人の入る学校ですから、中等学校と初等学校との給与が違うというのは当然だと思います。第一、呼び方からして、中等学校、ギムナジウムの先生はプロフエツサーと呼んで、テイーチヤーと呼ばず、プロフエツサーになつていますから、それは明らかに違いがあると思います。但し同じ中学校の中で上半分と下半分とを分けるかというようなことがあるかどうかは私つまびらかでありません。それからアメリカのことですが、アメリカは各洲で非常に違いますけれども、勿論ハイスクール、セカンダリースクール、エレメンタリースクールとの間で差がついているところはあると思います。けれども、その結果はどういうことになるかというと、アメリカの雑誌を見ても、非常に困るのが小学校先生が足りないということになつています。中等学校先生はむしろ場所によつてはあり余つているところが小学校先生は足りない。そういう事実があるように思うのでありますが、私、非常に細かい点まで存じておりませんので、十分なお答えはできませんけれども……
  18. 宮田重文

    ○宮田重文君 同一学歴、或いは同一の勤務年限、そういうものが同一の者はよろしいがという御意見ですが、そういうことが、社会実情と睨合せて、やはり実際的に見て合致もし、理想的なものであろうかどうかという点について、もう少し御説明頂きたいと思います。
  19. 宗像誠也

    参考人宗像誠也君) それは、あとから諸先生が御意見をお述べ下さいましたが、事実、例えば一つ東京大塚ろう学校の中でもそのことが守られないということになると、学校の中の秩序なり、或いは秩序というより、教育的熱意が破壊されるというふうな、非常に身近かな具体なお話がありましたので、私はそれで十分ではないかと思うのでございますけれども、同じ学校の中で、小学部乃至は中学部を教えているために同一学歴、同一勤務年限の人がたまたま高等学校で教えている人と非常に違つた待遇を受けるということになつては、教育的熱意が甚だしく低下するということは、私には疑いないように思われるのであります。
  20. 宮田重文

    ○宮田重文君 勿論、そういうろう学校のような特殊な、一つの屋根の下に、ずつと小、中学校高等学校まで行つているところは特殊な所である。別別になつた所でどういうふうになるかということを……
  21. 宗像誠也

    参考人宗像誠也君) 例えば私のところの教育学部の学生も、卒業いたしますと、まあいろいろな方面に出ますが、先生になる者も若干あります。或る者は進んで中学校教育をやりたいというので、好んで中学校へ行く者があるわけです。それは、中等教育の下半分の、いわゆる日本中学校の段階が非常に重要だし、そこに自分が非常に興味を持つからと言いまして、そうして高等学校教師でなくて、あえて中学校教師を選ぶ。私ども学校では小学校教員の免許状がちよつと取りにくいものですから、小学校の例は比較的少いのでありますが、中学校高等学校は両方とも取れるのでありますけれども、今のような意味を申出でて、あえて中学校に行く者も今までに相当あるのであります。併し、若しその場合に、高等学校中学校の間に待遇上の違いが出て来るということになりますと、そういうふうな純粋な教育的熱意以外の別な要素からその職業選択を影響されるというふうなことも起り得るように思いますので、これは私は教育研究立場からいつて非常に遺憾なことだと思つております。
  22. 宮田重文

    ○宮田重文君 任用資格に、最初高等学校何級、中、小学校何級という差がありますね。そういうことについてはどういう御感想をお持ちですか。
  23. 宗像誠也

    参考人宗像誠也君) その点は、私、つまりそれをも考慮に入れた中で、同一学歴、同一勤務年限、同一待遇ということが十分できるわけでございますから、それとこれとは別な問題じやないかと考えております。
  24. 千葉信

    ○千葉信君 軽石先生にお尋ねいたします。まあいろいろ給与の問題等を考える場合に当つては、私どもその問題だけを切離して考えると、往々にして間違いをしでかしやすいのです。例えば給与の本質的な持つて行き方は、これは私どもも、能率給体系、労働に対する反対給付の上に立つて問題を捉えて行かなければならんことは勿論だと思うのです。併し今諸外国の例についてお話がありましたけれども、諸外国の例を直ちに日本の場合にそれを参考として決定したり審議したりすることは、非常に危険が起つて来ると思うのです。それは、御承知通り、現在の日本の状態は、家計におけるエンゲル係数の状態なんかを見ましても、まだ都市においては四八・八、農村においては四九・一という恰好でございます。どこかの国の国会で、エンゲル係数が高くなりました、それは非常に結構でございますと言つて喜んだ大臣があつたそうでございますが、(笑声)エンゲル係数に関する限り、これは上つては大変でございます。で、エンゲルの言つておるところによりましても、三〇%以上の食料費の支出をする家計は少くともこれは貧乏人の家計だ、こうはつきり言つておるのです。ところが日本の場合には、今申上げたように四八・八%とか四九%という恰好でございます。従つて、非常に現在の日本の国民の生活水準が低いということ、それから又そういう国民生活の水準が低いということの中に大きな比重を占めておるものに、公務員諸君の生活があります。都市の生活が農村よりも低いという条件の中には、都市における労働者、そうして又労働者の給与水準の回復の中で最も取残されておるのは公務員諸君であります。公務員諸君の昨年四月現在における戦前の賃金の対比を見ますと、昭和九年乃至十一年に比べて四八・一%という恰好が昨年四月現在までの回復の状態であります。従つて、非常に低い給与水準で待遇されておる公務員諸君等の場合、つまり完全なる生活給であるという段階、従つて、御承知のように、今度出ました人事院勧告に対して、人事院はこう説明しております。「我々としてはもう少し厳格な意味の能率給体系、厳格な意味の職階制に移行したかつたけれども、併し、現在の日本のこの低い給与水準の中では、一挙にそこに持つて行くことができないという考え方に立つて、折衷的の給与準則の勧告を行なつた。」これは人事院がそうはつきり説明しております。そういう条件から考えても、私ども若しもこういう低い給与水準の中にあつて格差をつけるという場合には、そのつける格差の対象は、余ほど厳格に、而も厳密に検討される明確な内容のものでなくてはならん。そういう意味から、私ども今ここで問題になつております三本建の給与の問題については、非常に慎重な態度をとらざるを得ないと思うのです。そこでお尋ねしたいことは、そういう考えの上に立つてこの法律案を眺めますと、職域を対象として一号俸いきなり上げるというような人事院勧告から見ても、人事院勧告が到底考えることができなかつたようなやり方をやつておる、まあそれも、あなたがおつしやるように、その方法が、二九ベースに切替えるときに勤務年限若しくは学歴換算等の不利な条件をこの際是正するのだということであれば、その点も我々としては一応考えてもらいたい。併しここで問題になりますことは、高等学校にその該当者が八〇%余もあるにはありますけれども、中等学校にもあるじやありませんか。その中等学校にある教員諸君に対しては、軽石さんの御意見としてはこれはどうすべきであるか。高等学校の場合と同じように、この人々の場合にはこの際是正する必要があるかどうか。お考えになつているのかいないのか。その点を承わりたい。
  25. 軽石喜蔵

    参考人(軽石喜蔵君) 生活給が未だ確立しておらない、従つて生活給の確立ということは、どうしてもこれは先ず最初考えなければならないということは確かにお説の通りであります。殊に生活給というものはどこまでやらなければならないかという限度というものも、これも又なかなか困難な問題だと思いますが、そこで一つは、基本的な考え方として、やはり生活給ということを徹底して行けば、生活給というものは一体どこまで徹底されるかということは、それは、未亡人にしても、それから傷痍軍人にしても、今生きておる権利というものは平等であるということは、皆最低の生活権の確保である。それから私は働く者の生活給という立場から、電産なら電産としての生活給というものが、やはり生活給というものの現実の上では相違があります。それはやはりおのおののベースというものは相違があります。我々はベースというものは当然にできるだけ高い線は確保する必要があるわけでありますが、更に、その低い生活の中においても、現実にお互いに励み合うというような、或る程度のそういうものが合理的に打立てられるならば、これは低い生活においても多少考えて行かなければならない。それが獲得されるまで、今の三倍、五倍になるまでは、余りほかの要素は要らないのだというような考え方ではいけないということが一つ。それから、更に申上げたいことは、この高等学校の、先ほど私が分析したのでありますけれども高等学校職域というものと、それから中学校職域というものの中に、教員学歴構成なり経歴構成の相違があるということを申上げたわけです。それで九五%なり七五%なりの職域構成の相違がある、そこにおける生活給というものの又特殊な考え方もやはり考えなければならない。こういうふうに私は思うのです。例えばまあ高等学校教員に、或る一つの県なら県をとつて見ましても、三十歳の高等学校教員が百名ある。それから小中学校教員が三十歳の者が五百名ある。その五百名の者の平均と、それから高等学校の百名の者の平均とが大体揃うようにすることも、これは総体的な生活給という見地に私は立つておると思います。ところが、それでは高等学校教員は他の職歴のものが皆なるから全部十割にすればいいだろう。ところが他の職歴を十割にやるということは、これはどの工場においても、どの会社においても、他から来た者は前からいた者より低く入るということは当然であります。どうしても十割にするというのは適当でない。そうすれば、勢い、七〇%も高等学校の中に他の職歴がおれば、同じ年令の者を比較したら低くならざるを得ない。そこで何らかそこに特殊的なものをやつて、同じように勤務しておる、全然他の職域のブランクなくしておるものは、高等学校には十何%あるでしよう。中学校には六十何%あるでしよう。そういう今まで全然ブランクのない者については、一号くらいはやはり同じ年令でも上るというような措置をやつて、総平均は同じ年令で同じような待遇ができるということも、これは生活給という総体的な政治的な見地から立つた私は合理的な問題であると、こういうふうに考えるわけであります。そこで、現実の職域の分析というものは、やはりなされなければならない、こういうふうに考えるわけです。で、過去の体系というものは確かに小中学校では適切な給与体系であつたでしよう。併し小中学校では師範学校の卒業のかたが今まで七割、八割を占めておる。ところが専門学校大学の卒業者は何号かそれを引上げて行くことは、余りに小中学校には適切な給与体系でないかも知れない。それで、余ほど高等学校においては、やはりそういう教材的に深みというものもあるので、当然、学歴資格というものを、相当程度考慮する、他の職歴も十分に小中学校に考慮する以上に考慮する。そうして少くとも先ほどの百名の平均と五百名の平均とが同じくらいになるようなことをすることも、これは生活給という原理に立つて私は決して妥当ではないという理論は生れて来ないと思うのであります。
  26. 千葉信

    ○千葉信君 議論をすることは差控えたいと思いますが、御承知のように、現行の給与法の中には、この俸給表は暫定的なものであるから、合理的な改訂を速かに行わなければならないという、国会の修正があります。これは御承知通り、こういう修正ができました理由というのは、独身者を除いては、殆んど現在の給与水準では、各俸給表とも、その他の諸手当を含んで標準生計費を割つている、という事実が判明したところに、その修正を施した理由がある。ですから、現行の俸給表が標準生計費を割つているということになりますと、やはり先ず第一番目に急がなくてはならないというのは、生計費をどうして保証するかという問題が、これが最も大きい問題だと思います。そういう意味から言いますと、そういう問題を処理し、合理的な結論を出す前に、職域の問題、或いは過去に遡つてのいろいろの換算上の不利な条件等を取上げて、そうして殊更に同じ職種の中にある人に差を付けるということは、これは余り感心はできない。そこで私があなたに直接お尋ねしている問題というものは、先ほど申上げたように、一体高等学校のほうのそういう不合理な扱いを受けた諸君の場合には救済するけれども中小学校の場合にはそれは一緒に上げなければならないという御意見なのか。同じ条件の下にある人に対して上げなければならないというあなたの御意見なのか。それはそのままでもよろしいという御意見なのか。その点を私はあなたに承わりたい。
  27. 軽石喜蔵

    参考人(軽石喜蔵君) これは先ほど、どなたかの、成田さんのお話にもございましたと思いますのですが、それから昨日提案者のほうでも御説明があつたと記憶しているのでありますが、今度勧告されました人事院規則において、過去五カ年八カ月に亘つて顧みなかつたこの問題が、今度の給与準則勧告について附則の八項の中に三号までは是正措置をやられる。こういうことを謳つているわけであります。従つて、これは皆さんがそれにどれだけかかるかわかりませんが、全国の教員の実態からの調査を以てそれを出されれば、それによつてこれは是正されることがあるのでありましよう。これは勿論、小中学校を取りあえず人事院として考えておられることだと思います。ところが、これによつて全面的な是正ができるわけではないわけで、先ほど私が申上げましたように、三号低いものもあれば六号低いものもあれば七号低いものもある。その総トータルというものをおのおのの職域について平均したならば、高等学校のほうに、よりこの陥没の平均が大巾になるという事実がある。従つて今度のこの立法化は陥没を小中校共に是正するということが第一の主目標ではなくして、提案者のほうでも話されているように、又、私どもお話するように、やはりこの職域的な職域差というものを明確に打出して、そこに結果的には従つて、なお、その人事院の措置によつて救われないところの陥没が結果的には救われる。而もそれが高等学校としては平均的により深い陥没になつているということが結果的に救われるということであります。
  28. 村尾重雄

    委員長村尾重雄君) 時間を少し無理し過ぎておりますから、簡単に……。
  29. 千葉信

    ○千葉信君 余計なことをしやべつたために感違いされた点があるかと思いますが、要するに私のお尋ねしていることは、簡単な質問なんです。高等学校教員の場合には、過去に遡つてその不利益、それから不利をこうむつた点について救済し、是正をする措置を講じなければいかんと、あなたは言われているのですけれども、それならば、同じ条件にある中学校先生の場合には、この法律は考慮されていないということ、これは一体、あなたはどうお考えになるかということを……。
  30. 軽石喜蔵

    参考人(軽石喜蔵君) その点は、陥没については小中高平等に是正しなければならない。これは二十三年に遡つてやれば随分相当多額の費用を要しますが、それは同感でございます。
  31. 千葉信

    ○千葉信君 その意味ではこの法律には賛成しておらんのですね。
  32. 軽石喜蔵

    参考人(軽石喜蔵君) この法律は、だから、今申上げましたように、陥没を是正するということを主体とした法律ではない。職域差を出し、結果的には、より巾の広い高等学校の陥没が是正されるということになると思います。
  33. 岡三郎

    ○岡三郎君 私は全部の公述人の言つていることを総合して、現実的に予算措置が伴わなければできない、而も現在人事院勧告と、それから給与準則がすでに国会と政府に勧告されているという、今この予算と別会計をどうするかという関連から考えたときに、軽石さんが考えている点よりも、私は高等学校先生方に有利なる方法があると思う。それはなぜかというと、細かい点は省きますが、この法律が若しも可決されたとしても、この発効は明年一月からなんです。そうすると、その前にベース改訂と給与準則が法制化された場合には、この給与法は無効になる、そうするというと、我々は現在、ベースの改訂と給与準則というものが根本的に検討されて、人事院から中立的な立場で出されているときに、これが実施されることがより望ましいか望ましくないかという問題になると思う。而もこれを実施される前に、更に陥没が是正されたら、これは一挙両得だと思うので、そういう点から考えると、改進党の田中さんが当初考えていたところの、高等学校を中心とした残部の中小の同じ資格のある人を救済して行くという、あの三億六千万円という予算ですね、平衡交付金の中の……。これは学歴を一・五、いわゆる経験年数を一とした場合に、同じ一年の学歴の場合には一・五と計算すると、短期大学新制大学では二号俸の差が出て来るのです。そうして前歴計算を〇・五というものを〇・八以上にすれば、これは合せて高等学校先生は一号俸ぐらい是正されると思うのです。現在の、このやり方は、この人事委員会が決議すれば、人事院の細則によつて、我々の努力によつてはできないことはない。それを先ず速急にやらせる金がなかつたら、あるだけの措置をそれにやつて、そうして先ず今の土台を高くしておいて、そうして一刻も早く勧告されているベースを、あなたがたが言つているように、生活給を上げるために、先ず不合理を或る程度予算のあるうちにやつておいて、その高くなつたものから給与ベースの改訂に切換えて行けば、二号俸というものが四号俸にも値いするようなベース改訂になると思う。そういうふうなことをやつて行けば、あなたの言つている陥没を是正すること、それから二号俸高等学校教員小中学校より延びていると言いますけれども、二号俸延びているということは、一号俸上に積むというような方法でなくして、学歴一・五にすればすぐに二号俸は埋まるわけです。そういうことになれば、私は給与ベース改訂の勧告がなされて、給与準則が出されているということになつている現在に、何も無理をして、ベース改訂が実現された暁には役に立たなくなるこの法律、而も職歴によつて一号だけをかぶせるというふうなことに、なぜそういうふうなことについて私は賛成されているのか、ちよつとわからないのですよ。そういう点で、私は全体的の立場で、これは予算措置というものが伴わなければならないので、この法律は、給与ベースの改訂と給与準則が実施された暁には無効になる。而も現実の問題として先生方の問題だけじやなくて、技能職など不合理な問題は一般職の中にたくさんある。だから、今の給与表においては不合理だから早く改訂しろ、暫定的なものだから早く改訂しろ、ということを書いてある。今度の法案にも書いてあるのですよ。そういつた点で、私はそのような方式でやつて行けば、殆んどの高等学校先生資格のある一部の中学校先生が救われると思うのです。それから、私は、職域差を論じてもあながち高等学校先生には損にならんというふうに、現実の利益を直接考えておるのですが、その点どうですか。
  34. 軽石喜蔵

    参考人(軽石喜蔵君) 只今の御説については非常に私ども賛成するところが多いわけです。と申しますのは、五年半も前からこの問題に対しては……。
  35. 岡三郎

    ○岡三郎君 その問題についてではなしに、この職域差というものを、なぜここだけを取出して、それだけを言われるのかということについてお答え願いたい。
  36. 軽石喜蔵

    参考人(軽石喜蔵君) ちよつと…、法律のあれにつきまして意見を申上げているのでありまして、そうじやなくて私たちの組合の基本的な要望がどこにあるかということの御質問でございますか。
  37. 岡三郎

    ○岡三郎君 今言うふうに、私は実際に高等学校先生が今言つたような私のケースでやつて行つたほうが救済が早いし、万一の場合にこれが飛んだ場合でも不利益にはならない上、そういうふうにしてベース改訂を早めてやるということになつて来れば、それでもう利益になるし、そういうふうに今やられている予算ですね、政府の措置によつて只今上程されている……。これは非常にいいことだと思う。三億六千万円を有効に使つて、これを基礎にして改訂した場合にそれをやられたあとで更に職域差の問題について討論しても遅くはないのじやないか。それをなぜここで職域差の問題のみを取上げて討論しなければならぬのか。その点が私はわからないのです。(「議事進行」と呼ぶ者あり)
  38. 紅露みつ

    紅露みつ君 只今の御質問は、やはりこれは参考人にお尋ねするというよりも、立案者に対しての御質問の意味が深いと思うのです。かたがた時間も経過しておりますし、問題は非常にあるのですから……。
  39. 村尾重雄

    委員長村尾重雄君) 只今のは議事進行と同じ意味だと思うのですが、紅露さんの御意見に御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  40. 溝口三郎

    ○溝口三郎君 ちよつと私、質問したいのですが……、時間が非常にないそうでございますから、簡単に宗像先生にお伺いしたいのです。先ほど先生の御意見中の、中小学校高等学校というような職域差をつけるのは余り必要はないようだが、給与としては、同一学歴、同一経験、同一年限というようなものは、これは同一のレベルに……、これについては人事院給与準則を勧告しているのだから、一応それを尊重して考えたらどうかというようなふうに伺つたのですが、人事院勧告給与準則では一応、大学高等学校中小学校というふうにしてありますが、今の御趣旨のように、初任給から始まつて、同一学歴とか同一年限というような幅が、高等学校中小学校とも同じになつている。ずつと長く勤続していると、若干高等学校のほうが多く伸びるような幅を持たしていると思いますが、その内容では人事院の規則等の運営でやつて行くというふうになつているのですが、お聞きしたいのは、一応、現在給与準則で出ている高等学校中小学校との区分は、只今私が申上げた程度で、現在やつておるのだ、学校格付けと言いますか、そういうふうに区分したと思いますが、その準則の区分のあの方法は御賛成になつておられるのかどうか。その点をお伺いしたいと思います。
  41. 宗像誠也

    参考人宗像誠也君) 私、本質的な立場から言えば、大学も一緒でいいと実は思つております。大学高等学校中小学校の現状のままで……大学教師俸給がいいという意味じや勿論ございません。ですから、本質的には、教育方面に全部一本で行くべきである。そうして人事院勧告について、私が先ほど、この給与法改正案より、これよりも正しいと評価をした理由は、先ほど申上げましたような同一学歴、同一年限、同一俸給、この原則ですね、これを外していないという点において、この給与法改正法案よりすぐれておる、そういうふうに申したのです。
  42. 溝口三郎

    ○溝口三郎君 先ほど古谷先生からお話がありましたように、問題は、長い間陥没しておるのだ、だから高等学校は一号上げるというようなことになつた、それはどうかというような御意見のようでございますが、問題は私はそこにあるのだと思います。当初平衡交付金で三億六千万円を計上した、そのときは、陥没が非常に多いから、陥没を救済しようという趣旨で、改進党から出されたように私は伺つたのです。国会の予算委員会等でも、改進党の提案者の一人のかたがそういう説明をしていたのですが、これは提案者、ここにおいでになる赤城先生から、それは改進党の人が言うたかも知れないが、この法律高等学校先生を一号引上げるのだというようなふうで改進党が言うたのは間違つておるのだ、高等学校先生待遇向上のために引上げるので、陥没の救済のほうまではこの法律では届かないのだということに今までなつておるから、私は問題があると思います。そして先ほど皆さんの御意見を伺つておりましたが、殊に成田先生からのお話でも、この法が通れば、全国の教員に非常に大きな影響を及ぼすから、慎重にこの法律については検討してもらつて、こういうようなことをやめてもらいたいというようなお話であつたのでございます。そこで私は宗像先生にお伺いしたいのですが、この法律は国家公務員法の給与に関する法律なんです。国家公務員の教職員になるかたは、大学のかたが二万三千人、高等学校のかたは七百人、小学校中学校の人は三千人、現在、大学高等学校中小学校というものの給与は、大学先生は三万三千円程度高等学校は一万六千、中、小学校のかたは一万二千八百円程度、国家公務員の一般職のかたと大体レベルは同じで、一応、大学高等学校、中、小学校というのは、陥没状態は、国立学校については、そうたくさん六割とか八割とか……文部大臣は四割と言つたが、それもはつきりした統計はないのだと思うが、少くとも私は国立学校教員のかたにはそういうものがないのだ、現在今申上げたような一万六千とか一万二千というようなことで、大体今のベースでは、一般職員、公務員等々と均衡は私はとれている。それは多いか少いか、宗像先生も先ほど、是非全般のレベルを上げよう、それも私ども前から主張もしておるのだし、今度給与ベースの勧告が出ましたのも、大蔵大臣は、物価が横すべりだからどうもそうすぐ上げる必要もなさそうだ、二十七年度あたりから横すべりであるからというようなことを言つておられたが、それは間違つておる。現在の給与のあの不合理性というものが、六級、七級、八級というところが、これは標準生活費を割つておるのだ、七級ぐらいのところは、標準生計費を二割五、六分も割つておるような給与体系になつておる。だから私どもはその不合理を直せということを主張していたので、そういう不合理は是正してもらいたいというので、人事院はそれを主眼点にして今勧告を出された。全体平均しました給与ベースの引上げは一割三分九厘となつておりますが、今、私が申上げたような六級、七級、八級のところは一割八分ぐらい上げてある。それを私は不合理を合理的に是正するのが先ず第一だと思います。それをやれば、今の国立学校教職員のかたの全般を通じたレベルは上つて来る、その一助になつて来る。そこでこの法律は国立学校教職員に適用する法律なんです。地方の職員のかたは数は非常に多いけれども、併し皆さんの御意見を伺つても、地方に陥没もあるのだから、それを是正する必要がある、無論これはあると思います。そのため高等学校は陥没でない人もおるから一級上げるのだということがいいかどうかという問題があると思いますが、それは国家公務員の給与法律ができれば、それを基準にして地方の公務員の給与は定める、各府県の条例で定める場合に、各府県は国家公務員の給与を基準にして、各府県の地方の実情を斟酌してきめればいい。そういうことを各府県で、現在、職級を、二十六年の二月十一日とかまでに教職員の特例法ですか、そういうようなことで特例のようなことになつておりますが、そういうもののはつきりした統計もない。そういう不公平が非常にあつて、大体私は現在の国立学校給与体系というものは、そう不均衡や不合理はないと思うのだが、それに影響する地方の教職員の方々の問題は非常に大きいから、現在そう不均衡でもないし、不合理でもないし、この国家公務員の給与法律を地方を元にしてそれで直せということになつたら、多いか少いかわからんけれども、やらなくてもいいということをやらせられるような気がするので、そこにどうも割切れんところがあるのですが、大体、宗像先生にお伺いしたいのは、国立学校教職員のかたには、先ほど来お話があつたようなそういう陥没状態が非常にあるのだ、そうして現在の給与体系で置いて、国立学校高等学校職員を一級上げなければいかんような理由をお考えになつておるかどうか。そのことをお伺いいたしておきたいと思います。どうも問題がこんがらがつて、地方のために国家公務員法の法律改正しなければいかんような実情になつて来た。先ほど岡先生からお話もありましたが、陥没状態是正の問題は、別途に私は考えられる問題もあるのじやないか。そうして中間階級のいわゆる中だるみというような点については、これは是非とも合理的に改正して、上のほうも下のほうも均衡がとれたような法律にすることを差迫つてやらなければならんと考えておるのでございますが、国家公務員の職員立場からこの法律改正すべきかどうかということをお伺いしたいと思います。
  43. 村尾重雄

    委員長村尾重雄君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  44. 村尾重雄

    委員長村尾重雄君) 速記を始めて。
  45. 宗像誠也

    参考人宗像誠也君) 五分も申上げることがあるかどうか、私はよく知らないのでありますが、お話のようにこの法案が問題になつているのは、国立学校、公立学校職員だけが問題でなくて、これが基準になつて地方公務員たる先生給与が大きく左右されるという点にあると思うのです。で、国立学校教職員に関しましては、その中における高等学校中学校小学校の不合理是正ということよりも、もつと非常に大きく地方公務員たる地方の先生に比べて国立学校先生全体の給与がひどく低いということが、一番の問題だと思つておるのです。私の申上げることはそれだけでございます。
  46. 村尾重雄

    委員長村尾重雄君) 参考人のかたはお忙しい中を有難うございました。  本日の人事委員会はこれにて散会いたします。    午後一時二十四分散会