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1953-07-21 第16回国会 衆議院 法務委員会 第19号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月二十一日(火曜日)     午前十一時八分開議  出席委員    委員長 小林かなえ君    理事 鍛冶 良作君 理事 佐瀬 昌三君    理事 田嶋 好文君 理事 吉田  安君    理事 猪俣 浩三君 理事 井伊 誠一君    理事 花村 四郎君       大橋 武夫君    押谷 富三君       林  信雄君    星島 二郎君       鈴木 幹雄君    高橋 禎一君       古屋 貞雄君    細迫 兼光君       木下  郁君    佐竹 晴記君       木村 武雄君    岡田 春夫君  出席国務大臣         法 務 大 臣 犬養  健君  出席政府委員         国家地方警察本         部長官     斎藤  昇君         法務政務次官  三浦寅之助君         検    事         (刑事局長)  岡原 昌男君  委員外出席者         検 事 総 長 佐藤 藤佐君         判     事         (最高裁判所事         務総局刑事局         長)      岸  盛一君         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  刑事訴訟法の一部を改正する法律案内閣提出  第一四六号)     ―――――――――――――
  2. 小林錡

    小林委員長 これより会議を開きます。  刑訴訟法の一部を改正する法律案を議題といたします。  この際申し上げておきます。去る十四日決定いたしました本案についての地方行政委員会との連合審査会は、明二十二日午前十時より開会することといたしましたから、さよう御承知を願います。それでは質疑を続行いたします。鈴木幹雄君。
  3. 鈴木幹雄

    鈴木(幹)委員 この刑事訴訟法改正案が本委員会に付託されまして、今日まで他の同僚委員から幾多の質問がありました。私もこの質問になるべく重複しないように数個の点についてお尋ねをいたしたいと思います。  この委員会審議経過を振り返つてみますと、この改正法案が上程されるに至りました内部的な問題につきましては、検察庁側警察側との間におきまして、完全な意見一致を見ておらないということは、今日におきましては明らかな事実であります。このようなぐあいにして法案が提出されるということにつきましては、やむを得ざる事情は私は了とするものでありますが、でき得べくんば同じ大臣のもとに統轄されまする、しかも犯罪捜査、あるいは公訴提起というような問題に関連しますことにつきまして、この二つ機関が対立するというようなことなくして、この間における意見の相剋を調整いたしまして提案をされていただきたかつたのでありますが、事実におきましては、そのような経過が今日明らかにされ、ここに提案を見ておるのであります一われわれは一この間から改正趣旨治つた点をどこに見出して行くかということに中心を置いて審議を進めなければならないと思つてつておるのでありまして、かような見地からいたしますと、いろいろと究明されましたが、まだお尋ねしたいことが数点あるわけであります。その問題は百九十三条と百九十九条に盛られておる事柄でありますが、この二つ条文を攻正された結果を勘案してみますと、現行法においては、新しい憲法のもとに検察庁法あるいは警察法によつて示された捜査というものは、主として警察が担当する、公訴官としては検査官が当る、そして裁判に持つて行き国家科刑が行われる、こういうような事務の配分権力バランスによつて人権を擁護して行こうという新しい精神が、今度の改正法によつてかわりまして、いわば検察官中心主義になりはしないか、こういうような心配をするのでありますが、その点について大臣の御見解をまず第一に承りたいと思うのであります。
  4. 犬養健

    犬養国務大臣 鈴木委員の御指摘の御心配はごもつともなことだと思います。この問題は、形式的には法制審議会の議を経ているのでありますが、私はそういう表面の、多数決だからそれでいいというような考えのみでなく、十分に実質的に、ここにおられる齋藤国警長官とこの問題について話し合つたのであります。ただ遺憾なことに、法制審議会をもう一度開催し直して審議をお願いするというようなことの適否を考えますと、どうもそれはかえつて事柄を混乱させるように考えましたので、その事情齋藤長官にも率直に述べまして、そして国会の御審議を願うことにいたしたのであります。しかし、これは私の就任前のことでありますが、破防法に関して検察側の間に完全な意見一致を見ずに、その問題を解決しないままに、本国会にこれを提出いたしましたことは、私自身もすこぶる遺憾に考えておりますから、鈴木委員におかれてはなおさらのことであろうと思います。この点は私ももつといい状態で御審議を願いたかつた、その点はまことに遺憾であり、私も残念に思つておるということを申し上げたいと思います。  今お話がありましたが、職務配分を乱すためにこういう改正をいたすわけではございません。何といつて捜査の第一次的責任者警察側であります。ではなぜ条文改正するに至つたかと申しますと、ちようどこのたびスト規制法審議をお願いするときに、法務省側意見を聞かれた際に申し上げたの同じような場合にたまたまぶつかるのでございます。この百九十三条の読み方について、もちろん捜査の第一次責任者警察側でありますが、公訴の完全なる遂行という立場から、捜査の適正について何らかの検察官意見の反映が、第一次的責任者である警察側にあつてよい、こういう考え方に立つているのでありまして、捜査公訴の維持ということと全然切り離していいのだという一部の解釈に対して、そうはとつておらないという再確認というか、解釈をし直す、こういうふうな条文改正とおとり願つてけつこうだと思うのであります。團藤教授が過日の公聴会において述べられました際にも「捜査の適正、その他公訴遂行を全うするため」の「その他」という字が、公訴遂行を全うせしめる目的の範囲内で捜査の適正を願つているという意味らしいから、それならばしいて反対しないが、それ以上に第一次的捜査責任者である警察官職務に、バランスを破つてまで入るということなら反対である、こういう条件付のような意見の開陳があつた。私もその点團藤教授とは同じ考え方を持つておる次第であります。
  5. 鈴木幹雄

    鈴木(幹)委員 今度の改正法によつても、権力配分というかバランスを破つて検察官中心捜査公訴まで一貫してやるという考え方はないのだ、こういう大臣の御意思のあるところは私はよくわかるのです。またそういう趣旨のもとに今回の改正法律案提案されたであろうということも私は想像いたすのであります。ただこの字句に現われた結果を判断いたしますと、必ずしもそういう判断はつきかねると私は思う。それは、先ほど大臣も触れられましたが、昨年の破防法に関してのいきさつがございまして、大臣から通牒をお出しになりました。この通牒が、現行百九十三条の解釈からいたしまして適法なりやいなやということについては、今日に至つて検察側警察側とにおいて必ずしも完全な一致した結論には到達していないと思うのであります。私は警察側にお伺いいたしたいのでありますが、それなら今日この通牒の御趣旨によつた方法が、国警自警を通じて完全に行われておるだろうか、実際警察の面から見ますと、おそらく実情はこれを受取り放しにしておる向きもありましようし、また地方検察庁側においてもこれをそのまま実行しておられるかどうかに疑問の点がありはしないかと私は思うのであります。  この問題は過去のことでございますから、私はそれ以上に大臣にお聞きしたいことはありませんが、今度の改正法によつて、それならばこういうことが適法として解釈されるであろうか。現行法適法であるという解釈をなさつていらつしやるであろうと私は思うのでありまして、また適法でなければそういうものは出すべからざるものでありますし、違法ならば早急に取消さなければならぬということでありますから、当然そういう御解釈のもとにあると思うのであります。ところがこの問題についても、先般来の当委員会における質疑の状況を拝聴いたしておりますが、なるほど公訴提起に必要な捜査影響というようなものが、当然捜査を第一次的に担当する警察に及んで来るということは、私もそうなければならぬと思います。そうしてまた現在の実際の捜査段階においての連絡協力という面において、第一線で齟齬を来しておるとか不都合な事態が生じておるとは私は考えておりません。かえつて円滑に行われておる事情を私は承知いたしておるのでありますが、これは当然百九十二条によつて行わるべきものであり、その根拠があります以上は当然しなければならぬものであります。それを百九十三条を改正してかようにしたということは、百九十九条の改正とあわせて考えて行く場合に、どうしても今言うようにバランスが破れて来やしないかということを憂うるわけであります。こういう観点からお尋ねいたしたいのでありますが、この前も問題になりましたが、破防法指示が出ております。これを適法であるといたしますると、今度は選挙法違反事件あるいは外国人関係する事件、これは国際的な関係があり、人権に重大な影響があるから、こういう解釈のもとに、破防法における指示と同じような方法によつて指示がなされることが可能になりはしないか、そうした意味においては、その当然の結果として今後捜査影響を持つて参りますし、犯罪端緒を発見したならば、その着手から捜査に至るまで検察官承認を受けなければできない。こういうような指示がなされますと、当然必然的に個々の具体的な犯罪捜査にあたつて検察官側から指揮を受け、承認を受けなければできない、こういう結果になる解釈が出て来るのではないか、こういう心配をいたすのでありますが、その辺の御見解を承りたい。
  6. 犬養健

    犬養国務大臣 これもまことにごもつともなことでありまして、鈴木委員の御質疑にあつたような、ちようどその通り内容を、毎日私は委員会が済みますと、あるいは委員会の始まる前に、国警側とも検察側とも話して、まつたく同じ内容心配を私も持つておるわけであります。破防法は私の前任者のときでございますが、破防法に関する検察側の出しました一般指示を違法だということは、私の立場上できませんし、また私個人の感じから言いますれば、あれは真の特殊事情に基く例外的措置だと思つておるのであります。そこで問題は、一ぺんああいう例外的措置のトンネルをあけちやつたんだから、これに準ずるものは、続々今後出て来るのではないか、こういう御心配ではないか、また国警側の、ことに第一線心配もそこにあるのではないかと思うのですが、私はこういうふうに考えているのであります。破防法に関する検察側の出した一般的指示は、真にやむを得ざる特殊事情に基く例外的措置であつて破防法例外がここにできたから、これを前に認めたんだから、これを認める端緒があるぞという態度は、検察側にとらせません。それはそういう覚書みたいなものを書いてもよろしいし、この委員会速記録に明瞭に残してもいいと思います。何といいますか、破防法における一般的指示を前例として今後の検察側警察側の折衝の基礎にしない、こういうことははつきり申し上げるわけでございます。
  7. 鈴木幹雄

    鈴木(幹)委員 大臣のまことに誠意のある答弁と、そういうようなお考えには私は同感でございまして、厳重にそういうことを切にお願いするわけでございます。ただ、今大臣お話になりました事柄は、結局行政措置としてやろう、こういう御趣旨でありまして、これではなかなか安心ができないのではないか、こういう心配があるわけであります。法律論といたしますれば、大臣はそういうお考えを持つていらつしやる、またこういうことを覚書なりあるいは訓令なりを出して、厳にそういうことを戒めたい、こういう御意思を持つていらつしやることを私は疑うわけではありませんが、かりに大臣がそういうお考えを持つていらつしやつても、大臣がかわれば、どうなるかわからぬ、また地方検察庁におきまして検事正がお考えになつて大臣指示とまた違つた方法に出て来るということも、これはあり得ることであります。それだから、私どもはその根拠といたしまして、何か法律的にそういう保証を与えるような事項を考えていただけないか、またこういうようなお考えはないかということを、重ねてお伺いいたしたいのであります。
  8. 犬養健

    犬養国務大臣 これも過去のいきさつから行きますと、鈴木さんの御心配もやぼだと思つておりません。さぞかしそういう御心配であろうと思つております。ただ大臣がかわつたら消えてしまうようなものではないと思います。また数多い第一線のことですから、このくらいかまわないというのもないとは限りません。これは私も心配しております。そのどきは、その検察官は上司の意向にもとるものでありまして、簡単に申せば出世の道もとまるでありまし、懲戒にかけることもありましようし、検察官適格審査委員会に呼ばれるということも十分あり得る、こういうふうに考えておるのでありますが、どうもそれだけでは何だか心配だというお話ならば、これはお互い何も固くなる必要はありませんから、よくひとつ私の方でももつと御安心になる方法があるかどうか、考えてみたいと思つております。
  9. 鈴木幹雄

    鈴木(幹)委員 今国警でありますが、犯罪捜査に関して規範を出しております。この規範がどういう性質のものであるか、これはいろいろな御解釈はございましようが、このものが犯罪捜査に関するところの一つ最高の指針として警察職員は遵守しておるわけであります。この規範を出されるときに、私の聞いておるところによりますと、法務府が最高検側と十分な事前連絡がなされて、協議ができた上で出されたと私は聞いております。これは一つの事例でありますが、破防法におきましては、これは過去の経過において、その点において欠くるところ多大であります。私はそういうような意味から、一般的指示につきまして、こういう問題が起らないように、事前に何かとり得る道があるのではないか、こういうことを御参考にひとつ考えていただきまして、御指示をお願いしたらいいじやないか、かように考えるのであります。  次にもう一つお尋ねをいたしたいのでありますが、大臣はこの委員会におきまして、しばしば具体的な事件目的とするものは、これは一般的指示には入らない、こういうようなお話があり、従つて事件一般についての準則というものは、一般的な原則であつて、具体的な事件目的とするようなものは除外すべきである、改正法もこういう趣旨だ、こういう御説明を拝承いたしておりますが、それならば具体的な事件目的とするということは、だれがこれを認定するものであるか、どの機関によつて認定するか、こういうことをひとつお尋ねいたしたい。
  10. 犬養健

    犬養国務大臣 それは少し専門的になりますので、政府委員に補充していただきたいと思いますが、私の申し上げますのは、一般的指示の名において、このケースのこの事件はこれはこうしろ、そういう言い方は捜査の第一次的責任者に対して少し出過ぎたことになると思います。こういう種類の事案についてはこういうふうにしてもらいたい、こういう大まかな指示であります。もちろん準則でありますから、一つ一つケース影響があります。影響がなければ準則になりませんから間接の影響はありますが、直接個々事件目的として指示はしない、こういう意味でございます。またさつきの御心配について、鈴木さん引続き御質問なさいましたので、お答えの機会を失しましたが、一般的指示をする場合は、今後は警察側と緊密な連絡をいたしまして、平たい言葉で言うならば、抜打ち的なことはことはいたさせません。これも何か明瞭な覚書か何かで、はつきりいたしたいと思つておりますし、また今日の速記録責任をもつて残したいと思つております。
  11. 岡原昌男

    岡原政府委員 ただいま大臣からお答えがございましたので、その通りでございます。一般的指示をする場合に、破防法の場合においては、いわば抜打ち的になされた。それから捜査規範を出すときには十分協議したというお話でございますが、その前の事情も簡単でございますから、一応お聞取り願いたいのでございます。犯罪捜査規範を出す際には、最高検国警側自治警側とは十分協議をいたしましたのは事実でございます。その協議をしましたのは最高検において一般的指示としてこれを出すという方針のもとに最初話が進められたのでございます。それをどこからか横やりが入りまして、結局内容的には同じであるけれども警察から出す、こういうようなことになつたわけでございます。その点一応御了承願いたいのでございます。それからもう一つ破防法のときもわれわれは決して抜打ちではありませんので、忘れもしない昨年七月七日に、私の部屋に国警、それから自治警の代表として警視庁、その他当時の特別審査局、公安調査庁、それから最高検等、全部お集まり願つて破防法運用方針について協議いたしました際に、その内容として今度の指示を出すということについての協議がととのつたわけでございます。その後国警の上部の方から異議が出て、若干のいきさつがあつたことは、これは明らかでございますが、全然さようなことなしに、事前意思の疎通をはからなかつたという事実はないわけでございます。これはまた御了承願いたいのでございます。  それからもう一つ一般的指示というものの性質上、これは準則といつた形で具体的事件に及ぶというのは当然でございまして、事の性質個々事件目的として出さないという御言明があれば、これであとは全部スムーズに行くのではないか、かように考えておるわけでございます。そもそもこの改正を私どもが企てましたのは、破防法の際に、国警が、検察庁捜査には一切タッチできないというふうに判定を下したのが事の起りであります。さようなことが百九十三条の精神ではないというところから事がこんがらがつて参つたのでございまして、私ども現行法規定のもとにおいても当然捜査に関し検察庁から指示がなし得るという、この条文をそのままに読んでちつとも異存はなかつたのでございますが、最近その点については、国警もほぼ私ども意見に同調されておるようでございますが、今度は個々事件に及ぶようなことはいかぬという点を主として問題にされておるようでございます。この点も準則というものは結局個々事件に結果として及んで来る。しかしそれを目的とするのではないという意味において私ども準則というふうに理解しておる、かように御了承願いたいのでございます。
  12. 鈴木幹雄

    鈴木(幹)委員 ただいまの御答弁がありまして、個々事件目的とするものは一般的指示が入らないということにつきましての御説明があつたのでございますが、実際問題といたしまして、一般的な準則個々事件に何らかの形において影響を持つて来るということは当然であると私は考えております〇一例を申し上げますならば、送致書類基準様式というものが出されて、この様式に違反するところの個々事件について、これは様式が違つておるから拒否をされるとかあるいは指示をされる、こういうことは当然であろうと私は思うのであります。けれどもある事件については、この事件ごと承認を受けなければならぬ、あるいはまたこのことについては検察官に一々報告をしなければならない、そういうようなことがはたして準則であると言えるであろうか。ちようど国家総動員法が戦時中にできまして、そうして当然国会が担当しなければならない立法権政府委任をしたのであります。戦争遂行という重大使命のもとに、この総動員法は立法されまして可決をされた。それで国会白紙委任状政府に渡したわけでありますが、一般的準則のもとに、具体的な個々事件について、これは検察官承認を受けなければならない、このことについては報告をしなければならぬ、こういうような準則が定められまして、そうしてこれによつて白紙委任状を渡した、こういうようなことには私は現行法改正法もあるべきものではないと考えるのでありますが、その辺の御見解はいかがでございましようか。
  13. 岡原昌男

    岡原政府委員 これもこまかい問題でございますから私から答えさせていただきたいのでございますが、さようなことになりますと百九十三条の趣旨から一応私の考え方を申し上げなければならぬわけでございます。百九十三条と申しますのは、前の条文、百八十九条以下ずつと受けて参りまして、警察検察庁それから一般あるいは特別司法警察職員がそれぞれ独自の捜査権を持つております。その間の関係をどういうふうに規律するかという最後のところで、百九十二条がまず協力関係ということを書いてあるわけでございます。その次にその協力関係でまかなえない場合、あるいはどうしてもその横の連絡のつくのが困難である場合、たとえば具体的に申し上げますと、各公安委員会のもとにおける警察の組織はそれぞれ独立いたしております。運営機関については中央で統轄するものではございません。従つて各地に散発する同種の事件、そうしてこれが同時に非常に大きな社会的な意味を持つというふうな事件について、これを何かの方法でまとめるところがなければいかぬのでございますが、それが現在もしそのままであるとすれば、百九十二条までとすればこれはないわけでございます。ところが事件というものはすべて警察特別司法警察を通して検察庁に送られて参るわけでございます。検察庁としては事件について、公訴権の実行について、あるものは起訴にし、あるものは不起訴にする、この処理をするについて、各地から送られたその事件というものは、すべて縦横を見まして、間違わないような処理をいたさなければならな。しかしその間にもしもばらばらに捜査れて、あるものは手続が非常に誤つている、あるものは非常に違法な捜査をしているというような場合、これを法律的に統轄することができな、ければ、公訴官としての責任を持つことができないわけであります。そこで事件捜査段階最終結末をつけ、公訴提起しあるいは不起訴処分をする検察官におきまして、それらの全部の事件を、公訴官たる立場から一般的に何らかの規制をするということが考えられて来るわけでございまして、これがすなわち第百九十三条の立法趣旨でございます。従つてこの第百九十三条というのは、第一項におきまして一般的準則を掲げまして、たとえばわかりやすく言いますと、捜査規範みたいなものですが、そういつたような一般的な捜査のやり方その他を予定したものと思います。そうしてその二項において一般的な指揮ということをうたい、三項において具体的な事件についての指揮を掲げ、そうして第四項においてそれらの指示指揮には警察官は従わなければならぬということになつて一般捜査の上下の関係よりも、検察官からの指揮指示というものが上位にあるということを法律的には明らかにしておるわけでございます。しかもその裏打ちといたしまして百九十四条という規定がございます。これにおいて、もしその指揮指示に従わない場合には、それぞれの行政懲戒等の問題が起り得るということがあるわけでございます。そういうような一貫した考え方に立つておるものでございまして、個々事件が結局捜査の面でばらばらなものがそのまま出て来て、検察庁責任を持つて事件処理ができないというふうなことでは困るという最後の押えをそこにしてある、かように私どもは理解をいたしております。
  14. 鈴木幹雄

    鈴木(幹)委員 ただいまの御説明を拝聴いたしておりますと、一つ疑問がある。それは犯罪捜査において検察官上位に立つて警官を支配する、指揮する、こういうようなお考えに立つておるように私は拝聴いたしました。ただいまの御説明によりますと、そういうようなことが、事実の問題といたしまして、第一において警察犯罪捜査するという建前と衝突しないでしようか。また第二に私は、捜査の権限といいますか、責任の所在というものを不明確ならしめる結果になりやしないか、こういうように私は考えるのでありますが、御説明を承りたい。
  15. 岡原昌男

    岡原政府委員 これは上下とかという関係ではないのでございまして、捜査というものは、捜査に着手してからだんだん流れて公訴の実行、それがもし公訴提起ということになりますれば、公判から刑の執行まで行くわけでございますが、この段階において結局最初は第一次責任者たる警察捜査をして参ります。そうしてそれが必ず公訴官であるところの検察庁にも例外なしに送られて来るわけであります。その場合にこれを統合して、もしそれで調べが足りなければさらに検察官が調べをやる、あるいは警察にも手助けしてもらつて一緒にやる、初めから検察庁が調べたものがあればそれを加える。これを総合判断して、公訴提起ある。いは不起訴を決定するわけであります従つてそれは時期的に前後の関係はございますが、機能的に上下というものではないわけでございます。そこで検察官といたしましては、結局自己の責任において起訴、不起訴最後的に決し、公訴の実行を期さなければならぬ。しかも起訴したとすれば、公訴の維持については重大を責任を持つて来るわけであります。さような場合に、もし最初の捜査が適正でなければそれは最後まで、俗な言葉でございますが、たたつて参ります。そこでこれは最初から捜査というものは適正に行わなければいけないという意味において、つまり公訴権の実行の面を、公訴官たる検察官の目から見て、これはこういうふうに調べてもらいたかつた、せつかく公判に係属したが、こういう点がだめだつたためにこれはだめだつたというようなことがあつてはなりませんので、それを規制しようというのが百九十三条の精神だ、かように存ずるのでございます。責任の所在につきましては、これはそれぞれの関与した程度において責任を負うわけでございます。これは当然の話でございます。もしもその捜査段階が検事に移りました後に、検事に何かの違法不当その他のことがありましたら、これは検事の責任でございます。またその前段階において警察に違法不当がありましたらこれは警察責任でございます。それはそれぞれ分離して考えるべきもの、かように考えております。
  16. 鈴木幹雄

    鈴木(幹)委員 ただいまの御説明なら私はわかります。けれども先ほどの説明では、どうも検察官が上級機関として指揮するというようなふうに伺われましたし、お言葉があつたように考えましたので、ただいまの御質疑をなしたわけであります。もちろん公訴提起されるにつきまして必要な捜査が当然なされなければなりませんし、このことを私はとやかく申す意思は毛頭ありませんし、当然そうなければなりませんが、また公訴官立場から見て、いろいろ捜査が適正に行われるために、一般的指示を出される、これも私は必要であろうと思います。ただ問題はこれがために一般的指示の名のもとに個々事件について検察官の許可を受けなければならない、一々具体的な事件について報告をしなければならないということになつて参りますと、百九十三条の精神から逸脱しはしないか。ことに改正法においては、その危険がありはしないか、こういうことを考えるわけでありまして、それがために個々の具体的な事件目的とするものは入らないというような御説明があつたわけであります。そこでもう一つ伺いいたしたいのは、私の考えによりますと、一般的原則といいますのは、個々事件目的としない準則、こういうような意味ではなしに、その一般的な準則個々事件に適用するにあたりまして、検察官の自由意思の判断によつてきめる、認める、こういうようなことをしないで、そのままこれが事件影響して行くようなのが一般的な準則ではないか。検察官が自由意思を働かして、この者はこうせよ、あの者はああせよというようなさしずをするようなことになつて参ります一と、これは一般準則ではないというふうにも私は考えるのでありますが、その辺の御意見を承りたい。
  17. 岡原昌男

    岡原政府委員 おそらく破防法の場合に具体的な事件の開始の場合に指揮を仰げ、しかしあの当時出した一般的指示にはたしか承認という言葉が使つてつたと思いますが、その点の御質問だろうと思います。そこで私ども考えますのは、その事件内容々々によりまして非常に国家的の影響と申しますか、大きな場合もございますし、それから法律的に非常に困難なる破防法のような事件がございます。さような事件に、これを地方の自治体たとえば町村の自治体の警察等のごときが簡単にこの条文を読んで、破防法違反というようなことでこれを取上げては困る。しかもそれをどこか規制するとこつがあるかというと、市町村の公安委員会といつても、なかなかそういう問題について平素から考えておるわけでもございませんでしようし、なかなかこれを全国的に統一的に処理し、あるいは法律的なこまかい面を考える、あるいは政治的な影響まで考えるということは困難である場合も中にはあろう。さような重要な事件、ことに破防方の場合には国会において非常に論議を集中されまして、このような全国的に、十分中央において統制をとつてつてくれという強い御要望もあつたような事件につきましては、これは一般的指示を働かして承認にかけるということはもとより当然だろうということでいたしたわけでございます。しかし自由意思によつてそれが左右される――自由意思というと少し何かかつてに、あるいは何と申しますか専断、専恣によつてというような響きを持つておりますので、私ども少し強く受けたのでございますが、さようなことでなくて薄い意味でこれを受取つたといたしましても、それは当然さしつかえないことだと私ども思つております。と申しますのは先ほども申した通り百九十三条の制定理由がばらばらになつた警察隊、これをどういうふうに統合するかという一つの問題がここに出て来たわけでございます。捜査権はそれぞれ独立でございます。しかもそれは独立しながら結局は検察庁に来る事件でございます。検察庁に来て、あるいは身柄つきで、あるいは在宅でその事件を受取つて、そうしてぜひ検察庁責任を持つてこの事件処理をせよ、こう突然参りましても、こういう点困るじやないか、あるいはこういうように調べたら、もう少し隣の町の事件との連絡がつくはずじやないかというようなことが言い得る、言わなければならぬ、それを事前にやはり公訴官たる立場から見なければいかぬというのがこの趣旨なのでございます。従つて破防法のごときは、大臣も申された通り特殊な例外的な措置でございますけれども、こういうことはやはり法律にも当然予想しておる、かように私ども考えておるのでございます。
  18. 鈴木幹雄

    鈴木(幹)委員 警察が、警察法を新しく制定されましてばらばらになつてその間に指揮命令の関係がない、こういうような立場になつたことは私も承知をいたしております。ただそれなら警察連絡がないかといいますならば、これは自治警国警の間におきましても、緊密な連絡があるべきはずであります。当然なされなければなりません。それで、刑事訴訟法におきましてその間に国家的重大な影響を持つておるからというような理由で、警察捜査権といいますか、言葉がどぎつくなりますが、今の言葉で言うと警察捜査権の上に検察官が、あるいは刑事訴訟法において一般的指示のもとに、こういうような関係をつくるということが正しいかどうかということは別問題であります。私は警察がばらばらになつてつて、そういうふうな問題に連絡が欠けるところがある。あるいは不十分であるということがあるならば、当然警察法の問題として、あるいは警察自身の捜査責任の観点からいたしまして、それは統率をすると言うと語弊がありますが、緊密なる連絡をもつて遺憾なからしめるようにすべきだと思います。一般的指示の名において、公訴官としての適正な公訴ができるように、公訴の実行に当られるようにせられることはけつこうだと思いますし、それは必要であろうと思いますが、それのもとに個々の具体的な問題にまで入つて行くということになりますと、私は現行法解釈からも出て来ない、またそうなつて来るとここに大きな影響を及ぼしますことは、いわゆる警察捜査権という問題に対する上下の関係が出て来やしないか、そして検察官中心主義考え方がそこにありはしないか、こういうことを心配するのでありまして、そのへんにおける御見解を承りたい。
  19. 岡原昌男

    岡原政府委員 警察のばらばらの捜査というものをどういうふうに統合するかという点につきまして、一つ警察法の問題であるということは御指摘の通りでございます。これはある意味において、この前警察法改正の際に問題にされておつた点であり、あるいは警察法改正が企てられた一つの原因でもあつたわけでございます。従いましてこの点につきまして私はそれをいいとか悪いとか言うわけではないのでございまして、それは一つ考え方であると私も申し上げるわけでございます。ただその際に、その捜査というものは結局公訴官たる検事に来るという点から事を考えなければならぬのではないか、そこが現行法の建前からいつて、どうしても解決がつかないわけでございます。そこで百九十三条というのはもとより百九十二条のうしろにございますから、原則として警察その他捜査機関の密接な連絡というもので事が処理できるものと私も考えます。現にそうやつて参りました。従つて大体において百九十二条までの改正でまかなつて来るわけでございます。ところがどうしてもそれがいかぬ場合があり得るというのは、これは観念的にもちよつとお考え願えばわかると思います。そこが百九十三条の制定趣旨になつて来るわけでございます。従つて百九十三条というものは、私どももそうしよつちゆう何から何までやるというふうには解釈いたしておりません。現に今までもすでに御説明申し上げました通り、しよつちゆうこういうものを出しておるわけではないのでございます。そういうふうな意味からいたしまして、特に百九十三条の今回の改正文句を一箇所かえたからといつて、これがすぐにどうこうなるというわけではないのでございます。
  20. 鈴木幹雄

    鈴木(幹)委員 今度の改正案によつて百九十三条の文句がかわつても、その精神趣旨現行法とちつともかわりないのだ、こういう御説明でありますから、この点は了承をいたすわけであります。ただ、先ほど来私の申し上げた一つ見解は、私の見解ですから十分ひとつ御研究を願いまして、もしその中においてとるべき点があるならば、この法案の中に具体的に処置なさる、あるいはその他の方法をもつてお示し願いたいと思うのであります。  もう一つお伺いいたしたい問題は百九十九条の問題でありまして、具体的には、今度逮捕状の請求にあたつて検察官の同意を必要とする、こういう条項になつたわけであります。この問題については、先般来各種の論議が行われまして、ことにその同意というのは民法上の同意と同じではないか、警察が無能力者であるということを認めた見解ではないかという御質疑がありましたが、私は民法上の同意と同じではないというような御説明でありましたから、その趣旨で御質問をいたしたいと思うのであります。同意というのが法律上の要件となりまして、ここにどうしても同意を経なければならないということに今度の改正法案では出ておるわけでありますが、この趣旨は、決して今まで申し上げるような権力の分配というか、国家刑罰権の過程における責任と分担を乱すものではない、こういう御説明を拝聴しておるのであります。ところが私の心配いたしますのは、この改正趣旨は、御説明によりますと、一部の司法警察職員の中においては行き過ぎの逮捕状請求の実例がある、また裁判官が逮捕状の許可に当つてこれを判断するところの妥当適切な機関であるかどうかということについても若干の疑問がある、こういう趣旨のもとにこの同意の要件を附加したというような御説明を承つておるのであります。ところが実際問題として、法律上の要件として逮捕状の請求には検察官の同意が必要であるという条項が加わりますと、結果においてその所期の目的に反することになりはしないか。端的に申しますれば、実際警察の運営から申しましてどういう影響が及ぶか、また検察官側では、同意という法律上の要件を満たすことによつて、どうしても捜査に多大な関心と、これに対する労力、努力を傾けなければならないということは当然になつて来るわけでありますが、こういう点についてはどういうようにお考えになつておるか。具体的に一、二の事例でお伺いいたしますと、第一は、逮捕状を請求したことの責任の帰属がはつきりしなくなりはしないか。第一次の捜査というものは警察が担当するものである、そうして公訴官であるところの検察官は、その公訴の実行に必要な範囲においては当然捜査をしなければならないと思いますが、逮捕状請求に当つて、その法律上の要件として検察官の同意を得たということになりますと、警察側に言わせれば、この捜査の全過程は検察官指揮のもとにやつたのだ、検察官責任だというようなことになりはしないか。また検警官側に言わせると、これは警察の請求があつたからやつたのだ、それだからおれの方では関係が薄いのだ、こういうようなことに相なるのであります。そして迷惑するのはその関係者であるわれわれ一般国民でありまして、責任の帰属もわからないで迷うという結果になる心配があるのであります。そういう点について大臣はどうういうようにお考えになつておりますか。
  21. 犬養健

    犬養国務大臣 ただいまの鈴木委員お話でございますが、同意を得れば、警察官の方の責任がつい薄くなつて、どうせ同意というところでチェックされるので、責任の分担だからという気持が起る、これはりくつの上ではあつてはならぬことでありますが、警察官も人間でありまして、神様でありませんから、そういう副次的作用があろうと思います。結局私ども考えております百九十九条の改正のねらいは、二、三の理由があるのでありまして、その一つは、まことに申しにくいことでありますが、数多くの警察官の中ではごく少数だと思いますけれども、逮捕状の請求の濫発がある。ことにいわゆる民事くずれというような場合もあるからどうにかしてくれという声も、輿論の反映として敬意を表さなければならぬ。そういう場合に、ただいま刑事局長の言つたように、公訴の実行、すなわち起訴するか不起訴にするかというような問題を第二次的に受取るのは検察官でございますから、自己の責任遂行の上からも最初の捜査の適正、逮捕状の請求の適正もお願いしたい。これは意思の反映があつてさしつかえないと思うのであります。私はしばしばこの委員会で申し上げますように、この同意という二字、ことに民法に使われている二字とまぎれやすい同意という字を使つて、世の中で一番適当であるかどうかは私も疑問に思つておる。これはしばしば率直に申し上げておる次第であります。もう一つは、これもたびたび申しましたように、逮捕状の請求を受取る裁判官の側でありまして、今鈴木委員が御指摘になりましたように、裁判官はもちろんその逮捕状の請求が違法であるかどうかの判断はただちにおつきにならぬ場合もあると思います。いろいろ学説的に異論がありますように、それが妥当性を持つておるかどうか、すなわちこのくらいの事件は違法ではあるが見のがした方がよいのじやないか、このくらいの事件は違法ではあるが今すぐに逮捕してよいかどうかというような妥当性につきましては、裁判官は困難な場合もあるのじやないかという学説も相当ある。その場合に、裁判官の立場からいつても多くの角度からの判断の資料というものは必要でありましよう。こういうことからも、第二の理由として検察官がどう思つておるかという意思の反映が裁判官の手元に届く必要がある。この二つ考えから百九十九条の改正を行つたわけであります。この前の国会の際は、警察法改正について全国の警察組織が強くなる、それは民衆にとつてよいことではあるが、同時に民衆は強くなり過ぎる警察心配する、それでは百九十九条をそれにからんでひとつ改正しようというので、打明け話になりますが、国警長官と法務次官と相談して、当時は同意という字へおちついたわけであります。このたび改正案を御審議願うに際しましては、警察法改正が出てないので、同意というような検察官のチェックの強過ぎる字を使うことはどうであろうかという国警長官の意見もありました。これも国警側立場としては一理あると思つております。はたまた同意という字が世界一に適当な字であるかどうかは私も疑問でありますが、当時考えたときの最良の字だというわけで同意という字を用いて御論議をお願いしておる次第であります。百九十九条の改正はそういう精神であります。
  22. 鈴木幹雄

    鈴木(幹)委員 大臣は今度使つた同意というのがりつぱなかけがえのない文字とはお認めにならぬようであります。そのお気持は十分わかる、しかしながらこの実質的に含んでおります問題と、それがために及ぼす影響考えますと、もつと深く掘り下げて考えていただかなければならぬ問題があるのじやないかと思う。私は警察が新しい警察法刑事訴訟法のもとにおいて捜査を第一に担当する権限、責任を与えられましてから、逮捕状の請求に当つて一部の行き過ぎがあつたという事例も承知いたしておりますし、また国民の一人としてまことに遺憾なことであると考えておるのであります。人権蹂躙が行われておるという事実も私は耳にいたしております。しかしながらこれを冷静に考えて参りますと、人権蹂躪だとか逮捕状濫発だとかいう名のもとに非難をされておりますが、実際は犯罪捜査の過程に、正当な手続において行われたものにこういう非難が行われるのでなしに、その間に当つたところの警察官の言動に不穏当なものがあることから、ひいてはこれが人権蹂躪である、逮捕状の濫発であるという非難をされる面も、相当に多いことを私は承知いたしております。そこで逮捕状の濫発、人権蹂躙の問題を考えますならば、率直に、言葉に絹を着せないで申しますならば、過去において、警察検察側も、同じように罪を着なければならぬのじやないかと私は思います。それならばそういうような逮捕状の非難は、過去の刑事訴訟法のもとにおきまして、検察側指揮のもとに行われた場合においてはなかつたかといいますと、それはあつたのです。古い治安維持法であるとか、その他の法制のもとにおきましても、同じような事例があると私は信じますし、またそういう事例を知つております。それならば、今度新しい憲法の一環としてできた法制が、今度の同意という文字を使われて、この条項を改正することによつて一つの大きな変革を来すのではないか。これは私がたびたび申し上げておるように、百九十三条の改正と、今度の百九十九条の改正を、一連のもとに考えて参。ますならば、そこに流れておりますところの考え方、あるいはそれの及ぼして参りまする影響というものは、先ほど百九十九条ではそういうことはないと言われますが、検察官中心になつて上位機関として、警察捜査権に対して指揮をするというような考え方が出て来るのではないかという心配を、われわれはいたすわけであります。そこで先ほどもお話がございましたように、裁判官が逮捕状の請求を受けて、許可をする場合における妥当な機関であるかどうかという問題でございます。法理上の問題はさておきまして、それならば、検察官が同意を与えるということによつてのみしか裁判官の判断を適正ならしめる方法がないかといいますと、私はほかにも方法があるだろうと思うのであります。そういうような方法をとるべきであつて、むしろ同意ということをすることによつて捜査に混迷を来しますし、責任の混迷を来しますし、もう一つ突き進んで私見を申し上げますならば、同時にこれがために、検察官側におきまして予断を抱くようなことになりはしないか。なるほど逮捕状の同意をされました検察官は、その事件を担当されることになるでありましよう。それがまた公平な見地からもそうでありましようが、検察官警察官が一体となつて、同時にまた犯罪について、逮捕状の請求に関して同意を与えるということになつて参りますると、当然その犯罪捜査に対して関心を持たなければならないし、また当然犯罪捜査に関与して来る。こういうことになつて参りますと、たださえ今日忙しい検察官の事務のうちから、その方面に多大の労力と時間をかけて行かれるということになつて参りますと、実際の検察官の事務担当の上から申しましても、これが過剰になりはしないかというような心配もいたされるわけであります。それで同意ということにつきまして、ただいま大臣の御意見もございましたが、先般もこの委員会におきまして、ひとつ適当な方法考えたい、こういうような御意見がございました。これについて、何か御意見がまとまりましたでございましようか。あるいは今度の委員会審議のなるべく早い機会に、その案がお示しを願えるものでございましようか。その点をひとつお伺いいたしたいと思います。
  23. 犬養健

    犬養国務大臣 国務大臣として、同意という字を御審議を願つて、こういう字がいいだろう、ああいう字がいいだろうということは、ちよつと形はまずいのですが、私はかういう形にこだわりません。要するに、申し上げましたように、旧刑訴的な、検察官警察官の上に君臨する、失地回復というような気持ではないのでありまして、そういう影響の起きないような字を、私は選びたいと思います。同時に逮捕状の請求が、警察官からある事件についてありましたときには、やはり検察官はあとの公訴の実行を引受ける役でございますから、逮捕状の請求のあつた事件内容をできるだけ的確に知り、その的確なる資料に基いて、自己の立場意見を、逮捕状の請求を受ける裁判官に意思の反映をさせる、これはぜひとも必要だと思うのであります。さて同意という字がいいか、もつと強い字がいいかもつと弱い字がいいかということになると、私はしばしば申し上げたように、それは必ずしも固執しないのであります。それではお前のんべんだらりと日を送つておるのかというと、そうではないのでありまして、実は齋藤長官とも、いろいろこの点については話し合つておる次第でございます。おそらく齋藤長官も、私の意のあるところが、再び旧刑訴的な検察官立場をつくろうと努力しているとは、思わないでくれていると思います。適当な字ならば――ここで申し上げていいかどうかわかりませんが、適当な処置をいたしたいと思います。
  24. 鈴木幹雄

    鈴木(幹)委員 ただいま大臣の御答弁がございまして、大臣がお考えつておることを十分に御信頼申し上げます。私は人権の蹂躪、逮捕状の濫発につきましては、警察側にも十分ひとつ戒心を願わなければならぬと思います。今日まで民事くずれの事件であるとか、あるいは巡査部長、刑事部長が単独でもつて裁判官のところに行つて、逮捕状を請求して、その結果におきましては、ある一部の者と結託をした醜事件が明るみに出る、こういうような事例を私は耳にいたしております。それだから、どうしても逮捕状を請求する者は、一定の資格と申しますと語弊がありますが、一定の責任を明確にした者が逮捕状の請求にあたり、捜査責任最後まで持つて行かなければならぬ。こういうような規律を、内部的な規律のみならず、法律的にもさせることが必要ではないか、こういうように思うのでありますが、これにつきましては、どういうようにお考えになつておりますか。
  25. 犬養健

    犬養国務大臣 この点も慎重に考えております。つまり、ほかに判断する人が何人もいるから、おれは請求をしても、全然責任を負わなくてもいいのだというような副次的作用が起らないように――これは人間でありまして、りくつでないのでありますから、下手をやるとあり得ると思います。その点も私は十分心得てやつております。また先ほどお触れになりました問題で、警察官側には逮捕状の請求に際していろいろやり過ぎがあるが、検察官側には少しもやり過ぎがないのだ、こういう判断は、私はいたしておりません。数多い中で、ことに年の若い、人生の苦労の足りない人には、やり過ぎがあると思うのです。それは両方にあると思うという観念で、百九十三条、百九十九条を扱つているという気持を、率直に申し上げておきたいと思います。
  26. 鈴木幹雄

    鈴木(幹)委員 最後にひとつお伺いいたしたいのであります。いわゆる人権蹂躪の問題、逮捕状濫発の問題、これを防止しなければならないことは当然でありまして、国民の一人といたしまして、切にこれを念願いたすものであります。それについてお考えを願いたいのは、この百九十三条、百九十九条の改正の問題もさることでありますが、ひとつ別の観点から、今日国家の刑事補償の問題がすでに制定をされておりますけれども、逮捕状によつて逮捕され、後に不起訴になり、あるいは釈放されて、犯罪の嫌疑なしとされるというような者が、相当な数になつておるわけであります。しかもこれに対しましては、今日国家は、刑事補償の責任を持つておりません。またそれについて重大な過失を犯したところの捜査官がもしありといたしましても、これの責任を追究するということは、今日の立場からいたしましては、民事上の問題が、あるいは職権濫用の問題として、附帯私訴の問題としては起つて来るのでありますが、経済的には何にもない。私はむしろこういう面からいたしまして、刑事補償というものをもつと範囲を拡大して、逮捕状を濫発して行き過ぎの行為があつた、あるいは逮捕状濫発ではなくて、正当と思われる事由がありましても、これが釈放すべき事件で、いわゆる見込み違いであつた、こういうようなものにまで、刑事補償の責任を広げられる御意思はないか、この点をひとつ最後にお伺いいたしたいと思います。
  27. 犬養健

    犬養国務大臣 この問題も、私は部内で、具体的に勉強し、論じ合つたことがございます。お考えの筋、そして立場からは、確かにそうあるべきことと思います。ただこれは事務的にいろいろ研究してみますと、すぐ実行するまでには、まだ相当研究の余地があると思うのであります。と申しますのは、同じ不起訴になりましても、ほんとうは罪になるのだが、事情を酌量して不起訴にする場合とか、ほんとうに初めから純粋な不起訴――純粋というのもおかしいですが、不起訴にいろいろの場合があると思うのであります。そういう問題からつつ込んでみますと、詳しくは政府委員から御説明させてもよろしゆうございますが、なかなか事務的にはめんどうなことがありますので、御趣旨は非常によい。私も実はそういう考えを持つておりまして、事務方面に諮問をしておる最中と申し上げるのが一番適当かと思います。
  28. 小林錡

    小林委員長 この際皆さんにちよつとお願いしますが、昨日お打合せをしたようになるべくきよう刑事訴訟法質問は大体終りたいと思います。そして明日地方行政委員会との合同審査会をやりますから、そのとき足らぬ分はまたお願いします。もとより問題のある百九十三条、百九十九条に議論が集中するのは無理ありませんけれども、なるべく重複を避けられて、簡明に短かい時間でお願いしたいと思います。
  29. 大橋武夫

    ○大橋(武)委員 議事進行について……。きよう明日で質疑をできるだけ終了したいという御趣旨はけつこうだと思いますが、私はこの間質問の中で資料の提出を法務当局に要求いたしました。なお資料の提出をまつて質問を留保いたしたのでありますから、これをひとつ御記憶願つておきたいと思います。
  30. 小林錡

    小林委員長 政府はよろしゆうございますね。――花村四郎君。
  31. 花村四郎

    ○花村委員 今回の改正案でありますが、この法案を見てみましても、要するにこれは木に竹を継ぐような感があるのであります。元来新刑事訴訟法は、御承知のごとく大陸法を一面において模倣しておると同時に、反面において米国法を採用しておる。でありますからここに木に竹を継いだような感がいたします。従つていろいろ検討すると異論が出て参りまして、いろいろと議論が闘わされなければならないことは、そういう基本的な観念から出て参りました避くべからざる論争ではなかろうか、こう私は申し上げていいと思います。  御承知のごとくわが刑事訴訟法における検事の建前は、要するに公訴提起して、公訴を維持して行くということが与えられた職責である。しかもこの職責を遂行する意味において、すべての捜査権を使つて行かなければならないことも、これまた当然であります。従つて検事の職能からいたしますならば、検事の思うようにその捜査権の行使を推進して行くということ、そのことがすなわち検事の刑事訴訟法上与えられたる職責を全うするというゆえんに相なろう、こう思うのであります。しかるにその捜査の一部が米国の法制を模倣しておる結果として、警察官の方で持つておるというような事柄で、いろいろそこにこんがらがつた問題が起きて来る。でありますからこういう根本的な問題を清算して、米国法を模倣するならば米国法の建前において、わが国情に適するがごとくやはり改めて行く、また大陸法のごとき立法のもとにわが法制を執行して行こうということであるならば、やはり大陸法的な考え方にわが国情を見詰めて、それに適合した法律をつくつて行くという立法的観念に基いてやらなければ、何人も納得し得るところの法律はできないものである、こう私は申し上げてよろしいと思います。ところが米国の検事というのは、御承知のように日本の検事のごとく起訴権を持つておらない。まず第一に地方検事と称するちようど日本の検事正に匹敵する人が選挙によつて選び出される。そうしてその選挙で選び出された地方検事は、自分の好むところの検事を集めて、検事態勢を整えておる。しかもその検事は必ずしも法律家たることを要しない、いかなる資格を持つた者ですよろしい。しかしアメリカの慣習としては大体において弁護士を検事にするということで、弁護士を地方検事に用いておるのでありますけれども、そういう関係に置かれておりますがゆえに、アメリカの検事はおそらく官吏とは言い得ないでありましよう。従つてその検事は公訴権を持つておらない。起訴権を持つておらない。ところがアメリカにおいては捜査に関する仕事はどちらかといえば警察官が担当しておることになつておる。警察官が全面的に捜査権を実施して、それを検事の方へまわしてやる。検事はその捜査の結論を見て、不足の場合には、こういう点が不足であるからもう少し補うべきであると注意を与えて、そうして法律的見地から見て犯罪たり得るところの資料を整えまして、それを裁判官に渡す。でありますから見ようによつて警察官と裁判官との橋渡しをするような役割をしておる。起訴権を持つておらない。しかも公判に立ち会つて、その原告官としての訴訟行為を遂行する。公判に立ち会つて、訴訟行為を遂行することはただに検事ばかりではありません。捜査関係した警察官もやはり検事と同じことで、法廷に立つて訴訟の進行に参画できる、こういう関係に相なつておりますから、従つてアメリカの警察官が全面的に捜査権を持つておることは、制度そのものが雄弁に物語つておるのでありまして、これは当然なことなのです。アメリカの警察官がさように全面的に捜査権を持つておるから、従つてわが国の警察官もその捜査権を全面的に持つべきだという議論はどこからも出て来ない。また検事はさような次第でありまして、アメリカの検事は起訴権を持つておらない、しかし警察官と同様に捜査をしようと思えば捜査もできる。また捜査をするときに、警察官の助力を得たいと考えれば協力も得られるけれども、こういうことで検事も警察官も並行的に捜査権を持つておるのでありまして、どちらが強弱であるとか、どちらが主でありどちらが従であるというようなことは言い得ないのであります。従いましてこういうアメリカの捜査陣営の姿をそのままわが国の刑事訴訟法に当てはめようというような考えを持つということが無理である。従いましていろいろの議論が出て来る。そこで私をして言わしむるならば、要するに検事は起訴起訴の権限を持つて公訴提起し、しかもその公訴を維持して行かなければならぬという権限を持つておりまするがゆえに、従つて捜査に関することは少くとも検事がすべての権限を持ち、そのすべての行為に対する責任を負うという態勢がやはり望ましい、こう私は思うのであります。しかるにわが国の現在を見まするとそうは行つておらない。でありまするから、検事が自分が起訴権を完全に実行せんとして、その捜査権を思う存分活用したいと考えても、活用ができない、でありまするから、むしろ司法警察は検事の機構につけ加えて、そうして検事がこれを手足のごとくに自由に使い得るという態勢をつくつてやるのでなければ、検事のほんとうの公訴権並びに公訴権の維持という与えられたる職能は果し得ない、私はこう申し上げてよろしいと思うのであります。でありまするから、理論的に申し上げまするならば、検事に司法警察職員はすべて専属させるべきが当然である、こう考えるのでありますが、法務大臣はこういう点に対し、いかなるお考えを持つておられるか。
  32. 犬養健

    犬養国務大臣 お答えを申し上げます。花村さんの長年の御経験による今のお考えは、たしかに一つの徹底したお考えだと存じます。そこでこのたび法制審議会刑事訴訟法改正についての諮問をいたしましたいきさつは、おそらくもうとうに御承知と思いますが、御質問の必要上蛇足ではございますが、おひまをいただいて少し申し上げたいと思います。そういう根本的な改正はもちろん必要と思うが、それは根本からの改革であるから他日に譲る。今花村さんの御指摘になりましたように、新刑事訴訟法が施行されましてから四年半になりますが、いかにも二つ考え方の混合児みたいなことがあり、また咀嚼できない部分もありますので、運用の妙をもつてしてもどうも不便でたまらぬ、運用の点でとりあえず修繕をする場所はないか、こういう聞き方が今度の法務大臣法制審議会に対する聞き方でありました。運用をなめらかにするには、こういう点とこういう点がいいだろうという答申の内容が、すなわちただいま御審議を願つておる改正案内容でございますいます。従つて昨日どなたでしたか、猪俣委員だと思いますが、この改正に思想がないというおしかりを受けたのでありますが、これは花村さんからのおしかりと軌を一にしておると思うのであります。私もさようだと思います。これはほんとうの雨漏りだとか、戸がぎしぎし動いているのを直す修繕でありまして、これで刑事訴訟法の全般の完成をしたとか、見直しをしたとかいうようなことは申せないと私は思つております。これは専門家に対して申し上げるのも失礼だと思いますが、一審、二審の審級制度から考えましても、純然たる英米法的とか純然たる大陸法的とかいうものに徹底さしていいかどうかということにも若干疑問があるようでございますが、すべてそういうことは今後の根本的改正、すなわち新刑事訴訟法改正でなく、新々刑事訴訟法というようなものを真剣に、かつ広範囲にわたつて各界周知を集めてする必要があると思います。とりあえず今回御審議を願つておるのは、それまでほつておけない、運用上困る場所だけお願いをしているわけでございます。
  33. 花村四郎

    ○花村委員 こいねがわくは、そういう根本的な考え方の上に立つてこの法案をよりよく改正して行くという方行へ進めるように御努力を願いたいと思うのでありますが、まあそれにはなかなかいろいろと問題もありましよう。予算のこともありましようし、検察官のフアッシヨ化に関する問題もありましようけれども、しかしやはりやがては立法の基礎を合理化して行くという建前でなければ、いろいろ異論が出て来るばかりでなくして、その実施に当つても好ましからざるものが出て来る、こう私は申し上げておくのであります。  そこで、ただいまのわが国の実情から見て、この捜査に関する職域、またその責任を検察と警察の両方面で分担して行こうという建前のように考えられるのでありますが、それもまた制度いかんによつては必ずしも私は悪いとは申さない、またそういう制度も十分に研究する余地もあり、また研究の結果、相当に認むべきものも出て来るように思うのでありますが、しかし今日の警察制度の上から見て、はたしてこの警察捜査のある部分に対する責任を全面的に負つて、そうしてその仕事を遂行して行き得るかどうかということを考えてみまする場合において、おそらく何人もこれに対しては不安の念にかられない者はないと私は申し上げてよろしいと思う。この法律に現われておりまするところも、また私がただいま申し上げましたことを雄弁に物語つておる、こう申し上げてもよろしいと思う。と申しまするのは、先ほどから問題になつておりまするが、同意の点であります。逮捕状を請求するのに同意がいるということは、警察官の逮捕状だけでは欠くるものがあるのだ、やはりそこに同意という一つの検事の考え方が加わつて、初めてその請求というものが全きを得るのだというような意味考えられると思うのでありまするが、またそういう考え意味で私はこういう文字を使つたのであろうと思う、あるいは政府当局においては、これは警察官検察官とが協力して、この逮捕状請求に関する職責を遂行するのだというお話もあつたのでありまするが、もしそれ協力立場において双方でやられるということであるならば、これは同意などというような言葉は用いずに、協力とすればいい。同意ということは、要するに検事の意見の幾部分かを加えるということになる。でありまするから、やはり警察官の請求書だけでは欠くるものがあるということを認めておる、これは表現である、こう私は申し上げてよろしいと思う。でありまするから、この警察官捜査に関する知識経験等においても、これはもう少しその地位を高めて行くことが必要じやなかろうか、アメリカにおけるFBIの警察官のごときは、御承知のごとく法科大学を出ております。アメリカの法科大学は日本の大学のほかになおかつ四年を費しておる。四年よけいかかつて法科大学を出ておる。その法科大学を出た者のうちで、しかも優秀な者を採用しておる。あるいは鉄道の公安官を見ても、アメリカの公安官のごときは、これまた大学を出た者のうちできわめて優秀な者を採用しておる。でありまするから、これらの警察官の素質というものは著しく向上しておる。むしろアメリカの検事以上であるとすら言うても決してさしつかえがない。こういう学力を持ち、実力を持ち、素養を持つておりまする警察官でありまするから、従つてこの重大なる捜査権をゆだねるということも、これは無理からぬことである。またゆだねなければならないという法制を設けることも必ずしも悪いとはいえない。ところが日本の警察官、これは東京などはそうでもありませんが、地方に行つてごらんなさい。司法に携わる警察官で法律の法の字も知らない者が相当多い。むしろ知らないのが当然である、知つておるのがまれなんである。そういう人に、専門的な知識を持つにあらずんば運用のできないところの逮捕状を出させようとするのであるから、そこに無理のあることは当然である。でありまするから、こういう同意という文字を使つて、不備な逮捕状の請求であるから、検事の意思でそれを埋めて完全なものにしてやらうという意味で、こういう言葉を使つたとするならば、これは私はある程度まで認めるべきものがあると申してよろしいと思う。と思うのではありまするが、さてそれじや実際の面に向つてどうだ、これが立法の精神に基いて運用されるかといえば、おそらくこれはこの文字だけで終るでありましよう。同意ということは、書き直せば盲判を押すということになる。逮捕状を請求するからというて、検事の同意を得にその書類がまわつてつた場合に、検事が盲判を押すということになる。この同意という字は、むしろ盲判を押すことなりと私は思う。実際はかわつて行くに違いないと断言してはばからない。そういうことでありまするならば、これは意味をなさない。それはもうわれわれが三十何年来在野法曹として経験をいたしておるところでありまするが、検察官検察官の職域を守つて行くんだ、それは素養もあり、学力もあり、手腕もあり、りつぱな人も多いのでありますけれども遺憾ながら警察官に対しては弱い。それで私が先ほど申し上げましたように、警察官を自由に使い得ない。検事が公訴提起に関するほんとうの捜査ができぬから、検事に警察官を隷属せしめよ、専属せしめなければならぬという議論もそこにある。お他人様から借りて来た警察官では言うことを聞かない、ああいう点を捜査しなさい、こういう点を捜査して来い、ああいう点がまだ不足であるというてもなかなか言うがままにならない。そこでむしろ検察官警察官にこびるようになる。警察官のごきげんをとる。警察官のごきげんでも損じようものなら、検事は自分の職務遂行することができない。これは実際にそうです。それですから、むしろ警察官のごきげんをとるという意味において、どんなものを持つて来ようが、盲判を押してそれを返してやるというようなことは当然であります。今日までもわれわれは経験によつてよくわかつている。でありまするから、こういう同意を得なければならないというような規定をかりに設けたといたしましても、これは実行のできないことでありまするから、われわれはこういう文字にたよつて警察官の逮捕状請求に関する不満欠陥を検事の手で補うというような考え方は机上の空論であつて、実際においては実施のできないものなりと断定してはばからないと思うのであります。そこでこの点に対しましては、もう少し考え方があるのじやないか、そういう空文に終るがごとき法文をことさらわかつておりながら、そんなことに私は賛成できない。でありますから、政府の方面においては、こういう点において一体どうお考えになつておるか、それを承りたい。
  34. 犬養健

    犬養国務大臣 詳しいことはまた専門家がおりますから、申し上げるのでありますが、花村さんの長年の御経験でいろいろ御指摘を伺つたのであります。実はこの直前までは同意という字では強過ぎるというおしかりをさんざん受けたわけでありまして、今度はまた検事が盲判でこびるからいかぬという反対の方の御感想を承りました。私ども考えておりますのは、従来逮捕状の濫発というような声も相当ありまして、おそらく全体の警官から見ればごく少数と思いますけれども、しかしそういう声があるということは、やはり社会現象としてまじめに考えて行かなければならない。これをどうしたらいいか、かたがたたびたび申し上げますように逮捕状の請求を受ける裁判官の方も捜査内容まで一々詳しくない場合がありますので、それこそこれは盲判の場合も起り得ると思う。従つて公訴官でやる、かつ法律知識については相当経験のある検察官意思の反映がそこにあつた方がよろしいと考えて、この条項の改正を御審議つておるわけであります。同意というのは警察官の能力に欠けるところがあると思えばこそ言うのではないか、こういうお話でございますが、私ども警察官の行為能力をまともの主題として考えてはおりませんが、不同意の場合に抑制がし得るというところが一番実際上大切なところではないか、かように考えているのでありまして、どうもたくさんな検察官の中ですから、おつしやるようなへなへなこびる人もあるのかもしれませんが、連日のおしかりはそうでなく、鈴木さんなどもさんそれ私をしかつたのですが、同意というような強過ぎることでどうするか、こういう御議論があつたのであります。これはいろいろの角度からの御忠告でありますからよく考えてみたいと思います。
  35. 花村四郎

    ○花村委員 それからこれは警察法改正でありますが、警察法改正によつて、司法警察官の地位を向上するその給与、待遇はもちろんのこと、その学力の程度等も高め、そうして米国に劣らざるりつぱな警察官をつくる方途を講ずる意思はあられるかどうか。
  36. 犬養健

    犬養国務大臣 これは私警察担当大臣として実は一番熱心な点でございます。これは花村さんと同感でありまして、私はニューヨークに一番長くいたのですが、その実に親切なこと、心のゆとりのあるところから来る親切な点に実に感心したのでありまして、その原因をいろいろ土地の人に聞いてみましたが、学歴があり、給与がよくて、生活と心のゆとりができておる、こういうことであります。その点で齋藤長官ともしばしば話をし合いまして、警察学校では文化人としての教養を高めるようにやつております。たとえば、外から講師をお招きしていろいろな角度からの話を伺つております。国際事情の話を伺つたりその他人間としての厚みもできるようにしております。結局よい警官というものは、犯罪捜査ばかりではなく、やはり文化を吸収した者でなければいかぬ、こういう考え方で、なかなか予算がとりにくいのでございますが、できるだけのことをしております。ひとつ御協力を願いたいと思います。
  37. 花村四郎

    ○花村委員 それからなお科学捜査に関する問題でありますが、新刑事訴訟法から申しますと、旧来の訴訟法のごとく被告人あるいは被疑者の自由を証拠として使つてはいけないという建前に相なつております関係上、どうしても被告人あるいは被疑者以外の外的証拠によらなければならないという面が強くなつておるのであります。こういう点が強くなればなるほど科学捜査の必要性が感じて来るのであります。しかるにわが国の捜査面を見てみまするのに、科学捜査に関する証拠の収集という面がほとんど行われておらないとまで言うてもいいと思う。これは全然ないわけではなく、大きな事件になれば相当に科学捜査をやられておるようでありますが、すべての犯罪に対してでき得る限り科学捜査が進められるという方途が講ぜられることが、すなわち新刑事訴託法の精神一致するものである、こう私は申し上げてよろしいと思う。アメリカにおいては、御承知のごとくFBIの捜査局の中に科学捜査研究所がありまして、まことに至れり尽せりのりつぱなものであります。私もつぶさに見て感心したのでありますが、これに比較すると、国警本部の九段の辺にあります科学捜査研究所のごときものは、まことに児戯にひとしきものである、子供のおもちやにひとしいものであるとまで私は申し上げてよろしい、こういうことでは新刑事訴託法の精神に沿うに捜査が進められない、人権蹂躙が常に至るところに起きて来ることも当然であると思います。でありますから、こういう科学捜査の面にもう少し力を入れて、検察官なり警察官なりに科学捜査に関する知識を注入する意味に率いて、こういう面の教育を重視して行くということが一つ。そしてただいまの国警本部の所管になつております科学捜査研究所なるものは、実は国警本部が持つておるがゆえに、検察庁においても、あるいは自治体警察においても、どうも人のものを借りるようで使いにくいということを常にいうておる。まことに規模の小さい見すばらしいものではありますけれども、しかしある以上は、あれをどこまでも有効適切に使つて行かなければならぬことは当然であります。しかし国警本部以外の警察職員あるいは検察官というものはとかくそういうことをいう。またそういう事情もあるようにわれわれも推察できる。でありますから、あれをもう少し大きいものにして、米国のFBIは、法務大臣の所管にはなつておりますが、実質においては独立した形になつておりますから、ああいう独立性を持たして、何人でも自分の科学捜査研究所なりとして自由かつてに使えるような今組みにして、こういう面に対する捜査の適正化を推し進めて行く方途を講じたならばよいのじやないかと思うのでありますが、この点に関する法務大臣の御所見を承りたい。
  38. 犬養健

    犬養国務大臣 まつたく御同感でございます。ことに憲法において不利な供述を強要されないということに基礎がございますので、どうしても科学的捜査で傍証主義を発達させて行かなければならぬと考えております。皆さんも名前をいえばすぐおわかりのある事件で、最高検から傍証の方に主力を尽せといつてその事件を解決した例がごく最近あるのでありますが、私はそれを見ておりまして、まことによい道筋をたどつておるとそのとき喜んだわけであります。雑談のようになつて恐縮でありますが、この国会の開かれる直前、私は名古屋、阪神地方に参りましたのは、実は科学捜査という問題をもつと強化したいと思つて参つたのでありまして、御指摘の国警の科学捜査研究所はをだ貧弱でございますが、国警にしろ各検察庁にしろ、科学捜査の機運は私の予期よりも非常に旺盛でございます。各検察庁、それから公安委員などに会つて、こういうよい捜査の機械があるからどうだというと、二、三の公安委員は、私の方はもう急いで買いましたということで、機運としてははなはだ上昇傾向をたどつておると思います。これは花村委員の御精神通りに私もまつたく同感でございます。
  39. 花村四郎

    ○花村委員 もう一点お尋ねしておきたいと思います。この百九十九条の但書ですが、「但し、検察官があらかじめ一般的に同意を与えた事件については、この限りでない。」こうありますが、一般的に同意を与えた事件とはいかなる事件を言うのであるか、そうしてこの種事件は但書で除外をされておりますが、その除外された理由はいかなる根拠に基くか、それをお尋ねいたします。
  40. 犬養健

    犬養国務大臣 これは御希望ならば政府委員から詳しく答弁させたいと思いますが、私の了解している範囲では、一々そんなことを言つてもらわないでいい徴罪の場合だ。一々言われては向うも困るし、こつちも実は困るという一つの範囲がある、それをさしているものと思います。
  41. 花村四郎

    ○花村委員 それでは政府委員でよろしゆうございますから、それはいかなる事件であるか、その範囲並びにそれを除外した理由を伺いたい。
  42. 岡原昌男

    岡原政府委員 当初この百九十九条の改正関係が議題になりました際には、主として在野法曹からの御希望御要望だつたのでございますが、逮捕状の濫発にかんがみて全部検察官が見てくれという御要望でございました。法制審議会においてもこの点についていろいろな角度から検討いたしたのでありますが、どうも現在の検察庁の陣容で、全部の事件について逮捕状をこの際事前に御相談を受けてこれに意見をつけるということは、必ずしも簡単ではない。そういう一から十まで警察の逮捕状の請求について関与するのはかえつてまずい場合があるのではないか、逆から申しますと、警察警察としてやはり独自の捜査権があるという一応の現行の刑訴法の建前から申しますと、やはりわかり切つた間違いのない事件についてまで一々検事の同意にかけるというのは少し行き過ぎではないだろうかという議論も出て参りました。それとこれとからみ合せまして一般的は除外したものはこの限りでないということにして調和をはかろうということになつたのでございます。それでは一体どういうふうな事件一般的に同意を与えるかということになるわけでございますが、この点について法律的に割合にしよつちゆう問題の起る窃盗とか賭博とかいつたようなものは、これは大体いいのではなかろうか。しかしまた逆に今度はそういう除外からはずさないものはどういうようなものかといいますと、たとえば告訴事件、民事事件のくずれ、民事くずれと申しますか、ああいうのも出て参りますので、そういう告訴事件などははずさない。それから選挙違反事件どももちろんである。それから贈収賄等の涜職なども、これは事件が非常に重大な場合もありますので、こういうのははずさないというような大体の考え方で進んでおるわけでございます。  さてただいま大臣からも徴罪という話が出たのでございますが、徴罪というのは普通しよつちゆうあるこまかい事件という意味で微罪というわけでございますが、今度は逆にほんとうにこまか過ぎるような事件に逮捕状を出すというような場合は、これはまた実は困る場合があるのではないか、ごく微罪な事件について逮捕状を出すというような場合には、これは逆の意味でしぼつて行かなければいかぬのではないかという意見を実は持つておるのでございます。しかし大体におきまして現在の運用は在野法曹の御指摘になるのはもちろんごもつともでございまして、そういうような点だけを中心にして考えて、一から十まで逮捕状を同意にかけるというのは、この際遠慮したいというのが、この両方をわけた趣旨でございます。
  43. 花村四郎

    ○花村委員 私はむしろそれは考え方が違うと思うのです。微罪というてもどの程度のものですか、とるに足らないようなものはこれは逮捕状を出す必要はありませんが、とかく逮捕状で問題の起るのは小さい事件なんです。あるいは窃盗であるとかあるいはまたばくちであるとか、傷害事件であるとかいうもので、ばくちのごときはただ遠くの方からながめておつたというだけで逮捕状が出て、ひつぱられて行くという例が往々ある。でありまするから、こういう事件こそ必要なので、除外する理由はちつともない。むしろ強盗であるとか強姦であるとかあるいは殺人であるとかいうような大きい事件は、これはもうほんと問題がないのであつて人権蹂躪などというものはいまだかつて起したことはありません。いつも起すのはばくちだとか窃盗だとかで、窃盗を甲という者がやつたのにそれを間違えて乙をひつぱつてつて乙をぶち込んだ。ぶち込むのも大したことはないというものの、二日でも三日でもぶち込まれるということが普通なんでまかり間違えば二十日間ぐらい置かれる。置いてもただ出しぱなしで賠償金も何もくれない。でありまするからこういう無事の民を一日でもとめて置くということがよくない、そういうことをおそれてわれわれはやはり逮捕状に制限を加えようというわけであります。で、ありますからむしろばくちであるとか窃盗であるとかいうようなこまかい事件についての逮捕状に不当があるので、大きい事件などほとんどないでありましよう。あなたの方で何かそれに関する資料でもあればお出しを願えればいいと思うのだが、なければ私はそれまで申しませんが、大きい事件で逮捕状を間違つて出したのはいまだかつてないでありましよう。けれども小さいものに関してとかくある。ばくちなどはしよつちゆうあります。われわれは体験しておる。遠くの方でながめておつただけで、やつたわけじやない。入口に立つてつたら逮捕状を持つて来られて、お前がやつたのだろうというのでひつぱられて行つてぶち込まれましたといつて訴えて来る人がある。そういうところに逮捕状の合理性を欠く点があるのだから、そういう最も必要な点を見のがして、必要のない大きい事件についてこういう規定を設けるというがごときは、これは悪意を持つてじやないでしようが、しかし当を得たものでないと申し上げてよろしいと思うが、それはどうでしようか。
  44. 岡原昌男

    岡原政府委員 説明が少し簡単になりましたので、御指摘のような点、御疑問の出ましたのはごもつともでございます。私どもが一応考えましたのは、法律的に非常に問題のなさそうな事件というふうなたとえば強盗、殺人なんかもそうかもしれませんが、しよつちゆうやつてつて、いわゆる軌道に乗つておるというような事件については、これはそのままでよかろう。しかしながら確かに御指摘のように、こまかい事件あるいは賭博などでも、ちよつと間違つてそこに見ておつただけの者に逮捕状を出すというのは実際上あり得ると思います。そういうのをどうしてはずさないか。一般のをはずしてそういうのをどうしてはずさないかという点については、かなりいろんな場合を注釈を加えたようなことが出て来るのじやないかと私も思つております。御指摘のような点を十分考慮に入れまして、在野法曹が特に問題にしていろいろ注意をいたされておる点は、これを全部はずさない。なおかつ日常いわゆる軌道に乗つて動いておるような事件については、これをはずすというような運用方針で実は行きたいという、非常に抽象的な御説明でございますが、実はそういつたような気持で立案したような次第であります。
  45. 犬養健

    犬養国務大臣 これは私も御返事が簡単なために、さらに質問を受けたのでありますから申し上げますが、ちようどこの委員会がひけまして、いろいろな問題を研究しましたときに、花村さんのおつしやる通りの問題が起りました。小さい事件にかえつて問題があるのじやないかというので、先ほどの言い方はたいへん穴がございます。運用に問題のない点、だれも文句がないという事件をはずす、こういうふうに訂正をいたしたいと存じます。
  46. 小林錡

    小林委員長 時間が大分たつておりますが、岸説明員が来ておられますからちよつとお伺いしたいのですが、警察から、裁判所に逮捕状を請求して来たときに、どういう手順、どういう方法をもつて判事が逮捕状を出しておるか。これまでの実情の大略を説明していただきたい。特に判事に逮捕状を出す妥当性があるかどうかということの審査権がないというようなお話がありましたが、そうなると警察から形式の整つた書類さえ出せば、判事はいわゆる盲判同様に逮捕状ぼんぼん出す。検事の場合も同様でありますが、そういうことであると、逮捕状を出すという手数は刑事にかけておりますけれども、実際は警察官や検事がみずから逮捕状を出すのと同じ形式になる。そういう点はどうなつておりますか。さらに進んで、もしそういう妥当性の審査権がないというなら、ここで立法によつて判事に、捜査の途上逮捕状を出していいかどうかという実質調査の権能まで与えることを規定したらどういう結果になりますか。こういう点に触れてちよつと御説明を願いたいと思います。
  47. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 ただいまのお尋ねの点でありますが、まず逮捕状請求の要件は法律の百九十九条に規定されております。またその規定を受けまして刑事訴訟規則の百四十二条が、逮捕状請求書に記載すべき要件、さらに刑事訴訟規則においてその際添付すべき疎明資料等を規定いたしております。そういう要件が備わつていない逮捕状はそれだけで却下されるのは当然であります。問題は、逮捕状を発付します際に裁判官がどの程度審査するかという範囲の問題になりますが、これは法律の百九十九条に、逮捕状請求の要件としまして、「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」ということをあげております。従いましてその法律上の規定から言いますと、犯罪の嫌疑あることを疑うに足りる合理的な理由があるかないかということが、逮捕状発付の要件であるというふうに、論理的に解釈されるわけです。この点は法律の第六十条が勾留状の発付要件として規定いたしております要件と非常に違つております。勾留状の方の要件としましては、「被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」のほか、罪証隠滅のおそれがあるとか、あるいは逃亡のおそれがあるという要件がほかにも加わつておりますが、逮捕状の場合にはそういう要件が附加されておりません。そこで逮捕状発付の要件の法律上の解釈としまして、裁判官がそういう請求を受けました場合に、逮捕状をほんとうに発付すべき必要があるかどうか、あるいはそれが妥当であるかどうかについての判断権がないのだという考え方が出るわけであります。それとまた反対に、憲法が裁判官の令状主義をとつたということは、捜査について裁判官のいわゆる司法的抑制ということを規定しておる。裁判官は逮捕状発付の際にそのような抑制をしなければ意味がないではないか、裁判官はさような際に必要性、妥当性についても判断する権限を持つておるのだ、こういうふうに学説上は対立いたしております。  ところでこの学説上の対立でありますが、これをしさいに見ますと、判断権があるという学説も結局、捜査性質ということを考えまして、捜査の中でことに捜査手続の冒頭である逮捕手続の段階においては、裁判官というものは事件の全貌についてそう詳しく知つているものじやない。従つてその被疑事実が犯罪になるかどうかについての判断は慎重にやるべきであるが、逮捕状を出すことが必要であるかどうかの判断はかりに裁判官にその判断権があるとしても、十分に捜査機関意見を尊重しなければならない、そういうふうに学説上は言つております。従いまして学説上判断権ありということになりますと、実際の運用としては必要性の判断については、相当捜査機関意見を尊重しなければならないということになるわけであります。しかしながらこの点について裁判所としましては、この法律施行以来たびたびこの問題を考えておりまして、全国の裁判官の東京における会同はもちろんのこと、各地方で行われる会同の場合にも常にこの逮捕状の発付について問題にしておるのでありまして、法律上の規定の正面から言うと、被疑者がまつたく逃亡のおそれがないとか、あるいは罪証隠滅のおそれがない。まあ逮捕しなくても、任意の出頭のような形で調べてもいいんじやないか。そういうようなときに逮捕状を出すということは、どうもぐあいが悪い。そこでただいまの考え方としては、明らかにそれが逮捕権の濫用と認められるようなときには、いかに百九十九条で規定する要件を満たしておつても、それは逮捕請求権の濫用として却下すべきである。そういう考え方をずつと持ち続けておりまして、だんだんとそういう考え方が強くなつております。  しからばどういう場合にそのような逮捕請求権の濫用というべきかと申しますと、これも裁判官が経験しましたこれまでの実例をいろいろ集積して出した結論でありますが、その一つは、最初から判明しておる数個の同種の犯罪がある場合に、まず一つ犯罪について逮捕状を請求しておる。そしてその事件で被疑者が釈放される見込みが生じて来ると今度別なな事件で逮捕状を請求する。つまり昔のたらいまわしというようなかつこうになりますが、こういうような場合は明らかに逮捕権の濫用であつて、これは請求を却下すべきである。ほんとうの一つの事実を調べておるうちに新たな余罪が出た、こういう場合。なら格別有れども、そうでない場合にはこれは濫用として請求を入れるべきでない。それから次に事案が非常に軽微で罪質の情状にかんがみて最初からそれ自体では起訴に値しないような場合、あるいは身柄を拘束する必要がないのではないかということが明らかな場合にも、これも逮捕状請求権の濫用である。こういう逮捕状の請求は却下すべきである。このような考え方をとつております。従いまして逮捕状の請求に際して相当性について、あるいは必要性についての判断権があるかないかという理論上の問題、これは別としまして、こういう考え方から行きますと実際上は解決されることになろうと思うのであります。  ところで、しからばこのような裁判官の逮捕状発付についての権限、あるいはもつと広く申しますと、現行法の逮捕状の制度によつて、はたして憲法が期待しているような裁判官の捜査についての司法的抑制が十分に全うされるかどうかと申しますと、これはやはり一つの大きな問題であろうと思うのであります。御承知のようにこの逮捕状の制度は、これはアメリカの逮捕状の制度を受継いで来たわけであります。この逮捕状の制度によりまして旧法時代のような違警罪即決処分を利用し、あるいは行政執行処分を犯罪捜査に使うということはできなくなつたわけであります。しかしそれだけではたして十分であろうかと申しますと、同じ逮捕状の制度をとつておりますが、日本の逮捕状の制度とアメリカの逮捕状の制度とはまつたくその性質が異なつております。日本のこの制度は、申し上げるまでもなく日本の捜査手続そのものがまつたく英米式になつておるわけではない。やはり逮捕という段階があつて警察で逮捕しまして警察で四十八時間調べ、それから検察庁事件を持つてつて、そしてそこで二十四時間調べる。検察官は二十四時間以内に勾留の必要があれば勾留状を請求する。そして勾留状をとつておれば、十日間、あるいは延長すればさらに十日間。そういうふうな捜査の仕組みというものは、これは英米流の裁判官の司法的抑制ということを考えておる仕組みではないので、この点についてはやはり形の上だけでなく、実質においても依然として旧法時代の捜査手続が受継がれておると思われます。ところがこのアメリカの逮捕状は、やはり裁判官が出します。その出す要件は、日本のこの百九十九条の規定とほとんど同じようであります。州によつて違いますが、やはり罪を犯したと疑うに足るべき合理的な理由があれば出す。しかも出さなければならない、それが義務であるというふうに解釈しているところがあるのであります。ところがそのアメリカの逮捕状はどういう性質かと申しますと、その被逮捕者を警察へ連れて行くという逮捕状ではなくして、裁判官のもとへ連れて来いという逮捕状なのであります。つまり被逮捕者を裁判官の面前に連れて来て、裁判官の前でこの男が実際これこれの犯罪を犯したということを一応証拠をあげさせる。場合によつてはそこへ証人を連れて来て裁判官の前で立証するのであります。そのときに裁判官がこの事件は将来有罪になる見込みはないと考えるときにはただちに釈放を命ずる。これは有罪になる見込みがあるとなりますと勾留して、そして事件は今度すぐ検察官起訴することもありますし、また例の起訴陪審になり、それから公判手続に行く、こういう仕組みになつておる。このように裁判官が起訴前に事件内容を、将来有罪になる見込みがあるかどうか審査してその見込みのないときには釈放を命ずる、これこそほんとうのジユデイシヤル・チェック、つまりアメリカで言います捜査についての裁判官の司法的抑制の制度であろうと思います。ところが日本の逮捕状制度はそういうものではございません。御承知のような手続、その冒頭の段階事件の全貌を知らない裁判官に多くを期待することは、あるいは無理ではなかろうかというふうに思います。それでたとえば公判手続後の勾留の場合ですと、裁判官がその事件について審理をして、事件の実態がよくわかつておりますから、裁制官自身の判断でこの被告人の身柄を押えておく必要がある、あるいはもうその必要がないから保釈していい、執行停止にしていいというふうに、裁判官が事件内容にわたつて審理すればできるのでありますが、その前の段階で、十分にそれを行わせようとするならば、よほどこれは制度的な問題として考えなければならないのではなかろうか、さように思うのであります。  ところでこのように申しましても、しからばアメリカのその最初出される逮捕状の発付のぐあいはどうかと申しますと、やはりアメリカでも逮捕権の無差別な執行ということが非難の的になつております。アメリカで最初に出します逮捕状は、これは大体日本の百九十九条と同じようでありますが、しかし州によつてはそこで裁判官が証人を調べるというところもあるようであります。またたいてい例外なく逮捕状を請求する者には宣誓をさせる。自分の請求は誠実にこれを行つておるのだという宣誓をさせた上で逮捕状を出しておる。そういうことをやつておるにかかわらず、逮捕権の無差別執行ということが、アメリカの最も非難すべき刑事司法上の特徴の一つである、そういう言葉があるのであります。これはアメリカの上院の司法制度調査委員会が調査してそういう意見の出たことがあるのであります。そこでそういう現象に対して、しからばどういう対策をアメリカでは考えておるかと申しますと、これは私のごく限られた調査の範囲であるいは十分でないかもしれませんが、一つの制度としましては裁判官が逮捕状を書いて身柄を拘束しておく必要がないと思うときは召喚状を出す。アメリカの召喚状は裁判所へ身柄を連れて行く、裁判官の面前へ連れて行くというのですから、召喚状ということになる。この召喚状の制度と、それからもう一つの制度は、これは今国会でもいろいろ問題になつておるようでありますが、検察官をしてある程度コントロールさせるということであります。これはそういう立法をしておるところがあるかどうかはつきりしませんが、文献によりますとミズーリ州ではすべての犯罪について逮捕状を請求するときにはまず検察官のアブルーヴアルを先に得なければならない、そういうことをやつておるということが出ております。またイリノイ州では重罪の場合にだけあらかじめ検察官のアプルーヴアルを得なければ逮捕状の請求をしてはならぬというようなことが考えられておるようでありまして、御質問趣旨に沿いますかどうか、もしこの原案にありますように、検察官の同意を得るというふうになつたら、はたして今後どうなるだろうかと申しますと、これは何とも予測はできませんが、しかし従来の例から徴しますと、またこれまでのいろいろな会同の際に裁判官の意見、感想を聞いたところによりますと、やはり何と申しましても日本の現状では警察官の法律的教養、素養の点が検察官とは隔たりがある。検察官の場合に比べると、警察官の逮捕状の請求というものは非常に乱雑である。そういうことが裁判官の一般的な感想のようであります。その点で検察官の手を経るということになりますと相当のコントロールといいますか、規制をするということになろうと思います。しかしそれだからと申しまして、これも裁判官一般考え方でありますが、検察官の手を経たからといつて裁判所は決してそれをうのみにするものではない。この点については検察官の手を経ようが経まいがかわりない。そういうようなことを申しております。御参考のために以上申し上げておきます。
  48. 小林錡

    小林委員長 もう一点ちよつと伺います。警察官から逮捕状を請求した場合、判事は形式的にだけ出しておりますか。それからよく巷間で聞くことですが、判事の署名捺印があつて被告の名前は書いてない紙をたくさん持つていて、それで検事が、お前被告を連れて来いと言つてすぐ連れて来させて、ちよくつと名前を書き込んでやる。かういうことはわれわれちよつとありそうに思えませんが、ありますか。
  49. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 それはかつて前にかういうことがありました。それが非常にあとまでも言われておることで、そういうことは絶対にしてならぬ。その点については裁判所は十分……。
  50. 小林錡

    小林委員長 あつたことはあつたでしようか。
  51. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 これは昔の旧法時代にあつたときの話であります。
  52. 小林錡

    小林委員長 何か関連してお尋ねになることがありますか。
  53. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 ただいま詳しい説明があつたのですが、そうすると、逮捕状を出します場合には裁判官には審査権はない、こういう結論でよろしうございますか。
  54. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 この必要性の判断についての審査権があるかないか、これは言葉の問題になりますけれども、先ほど申しましたような解釈からいたしますと、これはやはり審査権があると言つてもないと言つても同じことになるのであります。つまりその請求がその事案から見て非常に濫用と認められる場合、ということは、つまり逮捕することが相当でない、必要性がないというときには却下すべきである、そういう考え方であります。ただ文理の上で六十条と百九十九条の条文規定の仕方がはつきり違つておりますので、そういうことになるわけであります。
  55. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 実際に私は若い判事補さんから訴えられたことがあるのです。大体ただいまの御答弁のようなことで逮捕状の疎明すべきものをつけて提示されたけれども、発付する必要がないということで拒否したことが二度あつた。そうするとあとで所長の方から、そういう場合に拒否すべきものでないという指示を受けたということを私現に承つたことが、名前は申し上げませんがあるのです。そういたしますと単なる形式であつて、日本の憲法によつて保障された国民の自由権に対する問題は、単なる形式的なもので終るということの憂えをわれわれは持つのであります。さような指示をするようなこともございますか。ただそういうような精神でお取扱いになつておるのですか。
  56. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 裁判官が逮捕状を拒否した場合には、所長がそういう指示をしたということは、私どもはおそらく考えられないところでございます。はたしてそれが事実でございますかどうか。その点逮捕状については、先ほど申しましたように、裁判所がそれを濫発しているという非難があつてはならぬ。これは世間でよく問題になりますので、その点を特にやかましく、裁判官同士の会同でそういうことを申しておるのでありまして、そういうことはちよつと考えられないことであります。なお必要性の問題、これは議論になりますけれども、逮捕状の必要というのは、逮捕状発付のときよりも、むしろ逮捕状を執行するときの必要性の認定の方が大事なのであります。逮捕状というのはほかの裁判と違いまして、裁判官の逮捕しろという命令ではないわけでありまして、つまり逮捕の権限を警察官に付与する、これが逮捕状の性質で、裁判になつてどういう執行があるというのではないわけであります。従つてかりに逮捕状が出ましても、逮捕の執行の段階において、もう逮捕の必要がないというときには、検察官はそういう逮捕状を執行すべきではないわけであります。そういう点がまだ十分理解されていないのじやないかと思われます。
  57. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 それ点が私ども非常に疑念を持ち、また本件の改正の要点をなすところだと思うのです。ただいまございましたように、裁判所におきまして、必要性に対する認定をしなくても、妥当であるかどうかという問題に対する認定権を裁判官がお持ちになるということになれば、実は本件の改正は必要がなくなる。ただ事務的に多く来るやつをたくさん却下するというだけの問題になつて来る。本件におきまして、警察側検察側でその問題についての確執と申しますか、いろいろ議論の食い違いが出ておる点は、裁判所における逮捕状の発付は形式的になつておるというところに集約されて結論があるように思われるのです。現在の憲法は努めて基本人権の尊重をしなければならぬという建前から、刑事訴訟法の立法が行われておるという考え方から申すと、相当そこに妥当性に対する考え、裁判官の認定権というものが相当強く働いておらなければならぬと思います。現在の刑事訴訟法で参りますならば、強く働き得ることがないというようなお考えがございますか、どうですか。ただ別個に考えるという点が出て参りますか、その点はいかがですか。
  58. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 その点はつまり先ほど申しましたような考え方をとつて、必要性のない、逮捕をするまでの必要がない場合には、逮捕状を出すべきでないという考え方をとつておりますが、しかしこれは条文の上からはつきり出ていることではないのでありまして、やはり一つ解釈であります。それに対してやはり反対説も成り立つわけであります。今日の実際から申しますと、むしろ学説としては反対説の方が多いのじやなかろうかと思います。ことに検察官の方の考えは、必要性の判断はないというふうな考えが強いのではなかろうかと思うのであります。しかし先ほど申しましたような事情で、全然必要性の判断がないということになると、常に裁判官は逮捕状を出さなければならぬ、これはおかしい。それで先ほど申しましたような権利濫用という考え方を入れて来まして、不当な請求は拒否しておる、こういう実情であります。
  59. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 ただいま改正の問題になつておると思いますのは、濫発が多いので、これを明確にして制約しよう、間違いのないようにしようという趣旨のもとに、改正しようという点が議になつておるようであります。従いまして裁判所等のお考えは、やはりその点を、今は解釈論であると申されますが、明確にしていただくということによつて、その点を防げることになるのでしようか。
  60. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 今の同意の問題の改正でありますが、それと今の必要性の判断の問題とは直接関係はないと思うのです。検察官の同意を得るということにしますと、これは先ほど申しましたように、従来の実際経験から申しますと、警察官の逮捕状の請求の実情は、検察官の場合に比べると非常に問題にならない。と申しますのは、検察官の場合の方が、はるかに法律的に整備されておる。そういう点で検察官の目を通るということになりますと、警察のそういう欠点はある程度是正されるということになります。そういう効果は非常にあると思うのであります。ただその場合でも、裁判官が出すか、出さぬかの問題、これは別個の問題であります。そういうことになります。
  61. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 もう一つ最後の問題ですが、検察官自身は直接捜査事件には関係を持たないわけです。ただ持つというのは、同意ということになつて来るわけであります。さように副次的といいますか、間接的になつて参りますので、むしろ私ども第一線捜査官が考えたことを尊重する精神によつて、逮捕状が出されるというのならば、それを尊重すべきものであつて、もしそこに濫発の弊があるならば、その人々の素質を改めるということの方が筋が通ると思うのです。
  62. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 これは実際上の問題かと思いますが、同意される以上は、検察官はやはり被疑事件内容にわたつて審査しなければならない。そうでない、ただそこを素通りするということだけならば、こういう改正をしても無意味だと思います。
  63. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これは大事なことですから、明白にしておきたいと思うのです。先ほど必要ないということが明白である場合は却下する、こう申されましたが、そういう場合は事実ありますか。
  64. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 そういう場合は――これはいろいろこまかい例になりますが、裁判官の経験から、そういうふうにやつておることも聞いております。また妥当でないというのでやる方が妥当でない。これは東京の事件ですから皆さん御承知と思いますが、例の寿産院のもらい子殊し事件は、初めは殺人という罪名被疑事実の逮捕状ではなくて、配給米をごまかしたどいう被疑事実で、その方が確実なので、その段階では非常に確実な事実であつたらしいのですが、そつちの詐欺でそういう逮捕状を請求した、ところが裁判官は、その事件捜査はそこにねらいがあるのじやないじやないかと話したところがそれを取下げたということです。なお逮捕状の必要性の問題等について、統計の上で逮捕状の却下の数、これは全体から申しますと非常に少いのですが、統計に表われない、そういうふうに、これはちよつと変じやないか、無理じやないかというふうに明らかのときは却下しますが、聞いてみなければわからぬというときには捜査機関警察官を呼んでよく説明を求めておりますと、自発的に取下げる、そういう場合が非常に多いそうです。
  65. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうすると、実質的の審査権がなかつたらそういうことはできぬわけです。あるからこそそういうことができるのです。そこで問題は、あるのだが、事実上において捜査をしておらぬじやないか。それで実際においては、捜査官の意思に従うことが多いのではないか。けれども審査権はあるのじやないか、こう解釈しなければ、今の議論はちよつと出ないと思いますけれども、その点はどうですか。
  66. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 法律の規定の上から申しますと、罪証の隠滅のおそれがあるからとか、あるいは逃亡のおそれがあるからという判断、そういう点についての審査権、逮捕状の場合ではないのでありまして、法律の六十条、百九十九条の勾留状の場合に比べると、ですから非常に限られた、つまり百九十九条では「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるときは、」とありますが、それ自身を百九十九条の要件としては規定しておりません。ですから法律の形式的な議論としますと、形式的に、つまりそれを出すことが妥当かどうかという判断ではないかという議論が成り立つけれども、それでは不当だというので考え出されたのが権利濫用の考え方、これは考え方の問題になろうと思います。
  67. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それではそれだけでも検挙はあたりまえだということになると、そこで聞きたいのは、事実上においてそういうことを調べる機関がないから、捜査官の意思に従うことが多い。しからば裁判所でそういうことを調べる何らかの方法があつたらいいのじやないか、こういう議論におちついて来ると思うのです。
  68. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 これは先ほど申しましたように、捜査手続における裁判官の介入の余地をどの程度にするかということで、日本とアメリカの大きな違いがあるのであるのであります。逮捕状発付の最初の段階でそういうことを考えるということも考えられますが、しかしアメリカでもそこまではやつていないようであります。アメリカでも同じような問題があることは、先ほど申し上げた通りであります。
  69. 花村四郎

    ○花村委員 一点伺いたい。逮捕状を請求するときに、請求書の中に犯罪の要旨を記載せなければならぬという規定があつたように思いますが、犯罪の要旨というのはどの程度のものですか。  それからもう一点、訴訟規則第百四十三条に「資料を提供しなければならない。」という規定があつたと思います。その資料の提供というのは、今の犯罪の要旨とにらみ合せて、いかなる資料の提供であるか。
  70. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 逮捕状の請求の記載要件として、罪名及び被疑事実の要旨――被疑事実というのは、つまり犯罪の事実を法律的に書けということなんです。
  71. 花村四郎

    ○花村委員 それですから、犯罪事実というのはどの程度に書いておりますか。
  72. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 それはいろいろあるので、裁判官が非常に困つたりするわけです。何を書いているかわからぬようなものがある、そういう場合に裁判官が警察の司法顧問のようなことをやつちやいかぬ、だめなものはだめなものとして却下しろというのが裁判官の考え方なんです。
  73. 花村四郎

    ○花村委員 そうすると裁判官としては、どの程度にそれを解釈しますか。抽象的に言えば、犯罪事実の要旨はどの程度のものを書けばいいというのであるか。裁判官として判断の基準は、裁判所で大体きめてあるわけでしよう。
  74. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 これは法律の百九十九条を受けております。「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるとき、」が逮捕の要件になつております。犯した罪を具体的に裁判官にわからせるためには、書かなければならぬと言わざるを得ない、そういうことになります。
  75. 花村四郎

    ○花村委員 そうすると、たとえば窃盗事件としてどういうことになりますか。
  76. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 たとえば窃盗で、やはりただ構成要件ばかりでなく、日時、場所、従来の司法警察官意見書で書かれておりましたようなああいう乱脈なものでなく――全部乱脈と言つては語弊がありますが、よくありました。そうじやなくて、少くとも起訴状に記載される、それが検察官ほど正確には行かなくても、あの程度に近いようなものは書かなければならぬわけです。
  77. 花村四郎

    ○花村委員 大体起訴状に検事が書かれるのに近いようなものを書く必要がある、こういう考え方ですね。
  78. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 そういうわけでございます。
  79. 花村四郎

    ○花村委員 そこで今お尋ねした資料を提供しなければならないというのは、その犯罪事実に関するどの程度の資料を意味するのであるか、それをお尋ねいたします。
  80. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 この資料は、「罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由」、つまり犯罪の嫌疑があつたということを裁判官に認めさせることのできる程度、犯罪の相当な嫌疑というのは犯罪の証明ほど強いものでないことは、これは捜査段階ですから当然ですが、一応合理的な判断によつて、これだけ資料があれば罪を犯した嫌疑があると考えられる程度の資料でございます。
  81. 花村四郎

    ○花村委員 そうすると、資料というのは大体文書ですね。今まで実際資料として出しておる文書はどういうものですか。被告の供述調書とか、捜査官の捜査調書とかいうものでしようが、そういう書類のどの程度のものが実際に出ておりましようか。
  82. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 今まで出ておりますのは、被疑者の供述調書もあれば、――それは当然でありますが、それから被害届のようなものが前もつて出ておれば、そういうものも出るわけであります。大体文書によるものが多いのであります。しかしこれは必ずしも文書だけでなくて、必要とあらば捜査機関からどの程度の捜査をしたかを聞いておるのでございます。
  83. 木下郁

    ○木下委員 同じことをほかの方面から聞くことになりますが、最高裁判所か大審院で逮捕状を却下したとか、あるいはこれが直接、間接のケースになつて判例になつて、裁判所の意見として出た例はありましようか。
  84. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 逮捕状については、裁判例はまだ出ておりません。
  85. 木下郁

    ○木下委員 それに対する損害賠償とかなんとかいう意味で……。
  86. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 不当逮捕の損害賠償ですか。
  87. 木下郁

    ○木下委員 そう。
  88. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 民事の方はどうなつておりますか、私今存じません。
  89. 木下郁

    ○木下委員 それに関する最高裁判所の判例というものは……。
  90. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 逮捕状そのものについては、刑事訴訟法の逮捕状請求についての最高裁判所の判例は出ておりません。
  91. 木下郁

    ○木下委員 もしありましたらお知らせ願いたい。  さつきの説明にもちよつと出たのですが、判事が却下するとか、逮捕状を発付する、この性格はやはり広い意味の裁判ということになるのですか。
  92. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 広い意味では裁判でありますが、しかし普通の意味の裁判と申しますのは、裁判所の命令を含んでおるわけであります。そして裁判があつた場合には必ず執行させなければならないわけです。裁判所の裁判を検察官指揮によつて執行する、これが普通の裁判所であります。ところが逮捕状の性質は、そういう意味では被疑者を逮捕すべしという命令ではなくて、警察官に逮捕権を付与する、そういう性質のものであります。
  93. 木下郁

    ○木下委員 そういう意味で行けば、却下というものは広い意味では裁判になりますね。
  94. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 広い意味では裁判と言つてもいいと思います。
  95. 木下郁

    ○木下委員 今の実質的審査権があるかないかの大きな根拠は、勾留状のときには逃亡の危険証拠隠滅の危険ということが要件になつております。それは条文にもありますが、逮捕状を判事が許さぬ場合も、一つの考慮としては、やはりそういう問題も法律的な要件はないが自分が許さぬというときには、これだけ顕著な社会的信用のある男なんだ、逃亡の危険はもちろんなし、また罪名から見ても証拠隠滅の余地はありはしないじやないかというときには、そういう点は自分の広義の判断の資料に当然すべきものだと思う。
  96. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 そういう考え方が根底にあるものですから、明らかに逮捕するには及ぶまいというときには、逮捕権の濫用だという考え方が出て来るわけであります。
  97. 木下郁

    ○木下委員 それを濫用という言葉で片づけて、さわらないようにするのが私には気に食わぬ。濫用は、自分の判断で、その事件に関する広い意味の判断の資料として、判断としての広い意味の裁判である、こういうふうに解釈するのが一番妥当じやないかと思います。
  98. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 そういう法律上の意味での妥当性、必要性があるかという議論になりますと、これは両方の説が対立しているくらいで、ことに捜査請求に関する事項について、裁判官の一方的な判断だけできめるということはなかなか問題があろうと思うのです。ことに裁判所は条文、文理によつて一応考えなければならぬわけです。といつて、まつたく必要性の判断を捜査機関にゆだねるということは、逮捕状の制度から言つておかしい。そこで必要のないようなものを請求して行く場合は請求権の濫用だ、初めから請求すべきものでないのだ、そういう意味の請求は却下しておるという実情であります。
  99. 田嶋好文

    ○田嶋委員 議事進行。実はきのうの理事会で、今後の議案の取扱いの概略をおきめ願つたのですが、その後地方行政との合同審査という問題が新しく起きて来ております。当然きのうの理事会の申合せを一応検討し直さなければならぬ。幸い今各党の委員が御出席でございますから、午後理事会を開いて、今後の議事進行について方法をあらためて御決定を願いたい、これを提議しておきます。
  100. 小林錡

    小林委員長 この間合同審査の話合いをしましたが、大体かわりないと思います。
  101. 田嶋好文

    ○田嶋委員 きのうは、合同審査の意見は出ておりません。
  102. 小林錡

    小林委員長 いや、前から出ております。
  103. 田嶋好文

    ○田嶋委員 いや、きのうは出ておりません。
  104. 高橋禎一

    ○高橋(禎)委員 ちよつと一言聞きたいのですが、これは法務大臣と岸さんとお二人にお尋ねいたしたいのです。今逮捕状の問題について改正案が出でいますのは、結局裁判所で逮捕状をお出しになるときに、今までの例からすると、率直に言えばどうも信用できないといつたようなことが、私は非常な動機になつておると思うのです。警察官がみだりに請求をしても、裁判所がしつかりしていらつしやれば、そこで人権というものは擁護されるのです。ところがそれがどうも結果から見て思わしくないというところに、私はこれを改正しなければならぬという理由が出て来たんじやないかと思うのです。そこで裁判所側としましては、一体今の刑事訴訟法をどういうふうにしたら裁判所が権威ある処置をなし得る、国民の要望にこたえ得るかということについて、御意見があればそれを承りたい。  それからいま一つは、私ども一つ事件を担当して非常に不愉快に思いますことは、被疑者もしくは被告人というのは、被判所に対しては表面だけの主張しかできない。ところが検察官と裁判所というのは、やはり同じかまの飯を食つたといつたような個人的な知り合いなり、結びつきがあるものですから、裏で、法廷外の弁論というのが相当あつて、かつそれが相当数果があるのではないかということを、被告人側は非常に不愉快に疑う場合があるのです。そういう問題について、これは裁判所側も検察庁側も、十分お考えを願わなければならないと思います。いわゆるやみ取引のない、法廷外の弁論なんというものをしないようにしなければ、私は裁判なり検察の威信というものは保てない、こう思うのです。しかし現実の問題としましては、やはりそういうことが私はあるんじやないかと思えます。そういたしますと、むしろ裁判所がしつかりしておらなければ、検察官意見がその逮捕状の請求に入るということになれば、今申し上げましたような意味で個人的にいろいろの結びつきがあり、今までの伝統というものもあるから、警察官が請求して来たよりは、どうも検察官関係しておる方が、裁判所は検察官側の意向をあまりにも尊重し過ぎて、誤まつた処置をとられるようなことになるんじやないかという危険があるのです。それを思えば、むしろ比較的関係の薄い警察官が請求して来た方が、裁判所としてはまつたく公正な、個人的な感情を少しも入れないでなし得る、こういう面も私はあると思うのです。
  105. 小林錡

    小林委員長 さつきそれは答弁があつたようです。
  106. 高橋禎一

    ○高橋(禎)委員 私飛び入りをしたので、そこのところを答弁つたそうで恐縮ですが、簡単でけつこうなんです。これは結局、この問題を解決するのはそこが要点のように思えるものですから、席をはずして知らないで、再び御答弁願うことは恐縮ですけれども、簡単でけつこうです。まだ速記録を見ることもできませんから……。
  107. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 まず第二の点、これは刑事訴訟法全体の問題でなくて、捜査の点についての御質問でございますか。
  108. 高橋禎一

    ○高橋(禎)委員 今の逮捕状の問題だけでけつこうです。
  109. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 この点も先ほど申し上げたのですが、要するに現行捜査手続というものにおける裁判官の介入の余地というのは、英米流の制度と非常に違うので、憲法で裁判官のジユデイシヤル・チェックというものをうたつている規定があつても、捜査手続の仕組みはやはり依然として従来の手続を受継いで来ておる。そういう制度のもとで、裁判官に捜査をチェックさせるとしても、それにはやはり限度があるということを考えなければならぬ。しからば捜査手続をどのようにするかということは大きな問題でありまして、ちよつとやそつとの思いつきで申し上げる問題ではありませんので、ただそういう点に問題点があるのだ、逮捕状の問題も結局そこに来るのだということを、ちよつと先ほど申し上げたのですが、その要旨だけをここで申し上げておきます。  それから第二の点、これもやはり同じようなことで、アメリカあたりでも逮捕状が無差別に執行されるという非難がある。それに対する対策の一つとしては、ある州では検察官がアプルーヴアルをとつてつておるところもあります。ミズーリ州あたりではそうであります。そういうような法律的な教養の高い検察官の手を経るということは、やはりある程度のコントロールの作用を持つのです。そういうことからだろうと思うのです。今度の場合も、従来からの例を見まして、やはり検察官の逮捕状の請求と警察官の請求、これは今までは警察官の請求の方が九〇%以上で、多いのです。ほとんどです。従つていろいろ問題のある請求も多くなるとは思いますが、請求のされる状態が非常に隔たりがある。つまりずいぶん乱雑な請求が警察官の方に多いというのは、これは全国的の裁判官の観測であります。でありますからこれが検察官の手を経るということになりますと、ある程度規制されることになる。しかし結局は、先ほどお話がありましたように、逮捕状を出す裁判官がしつかりしていなければならぬ。その点につきましては、警察官から来た場合とあるいは検察官から来た場合とでも、検察官から来たといつて特に裁判官がそれに拘束されるということもないわけであります。その点は結局裁判所の問題になりますが、それは第一の問題に返つて行きますけれども、その程度の捜査における裁判官の介入ということでどの程度のことがあげられるかということは、一つの大きな制度の問題として検討していいのではなかろうか、こういうふうに考えます。
  110. 田嶋好文

    ○田嶋委員 さつき私が提案しましたのは正式の提案ですから、おはかりを願いたい。質問も整理してもらわないと……。
  111. 小林錡

    小林委員長 あれは委員長に一任してあるのだから……。
  112. 田嶋好文

    ○田嶋委員 そうじやない。私の話をよく聞いてください。今後の議案の取扱いについて午後理事会をお開きになつていただいて、あらためて法案の審議について理事会で御検討願いたいというのです。
  113. 小林錡

    小林委員長 田嶋君の動議に御異議はありませんか。     〔「異議なし」「賛成」と呼ぶ者あり〕
  114. 小林錡

    小林委員長 それでは午後二時半から再開することにし、質疑はこの程度にとどめて、休憩いたします。     午後一時五十分休憩     ―――――――――――――     午後三時二十二分開議
  115. 小林錡

    小林委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  刑事訴訟法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。古屋貞雄君。
  116. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 大分委員から詳しく質問がございましたし、釈明がございましたので、要点だけお尋ねいたします。  第一に法務大臣に承りたいのは、今回刑事訴訟法改正する大きなねらいはどこにあるか承つておきたい。
  117. 犬養健

    犬養国務大臣 お答えいたします。先ほどもほぼ同様な御質問があつたのでありますが、このたびの刑事訴訟法改正は、根本的な改正は他日に延ばしまして、運用面で補つても、どうにもむずかしいという部分的な修繕なのでありまして、従つて昨日ですか猪俣委員から、この改正に思想がないというおしかりがあつたのですが、私は率直に言つてそうだと思います。ほんの運用面の技術的是正とか補填ということがおもな点になつているのであります。従つてそういう御不満はわれ人ともにあると思います。
  118. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 運用面の問題らしいのですが、そこで承りたいのは、戦争に負けましてから日本が今日まで思想的にも経済的にもいろいろ混乱を来しまして、国民の帰趨はいずれにあるかというような非常な混乱状態に置かれた中に、過去の日本の国の歩み方において一応反省をいたしまして、民主憲法がここに制定せられまして、われわれ国民の目ざす道がはつきりと規定された。特にこの民主憲法の基本をなすものは、国民の人権を尊重するというところに重点があつたわけであります。従いましてこの憲法のものとに置かれた法案、特に刑事訴訟法、国民の人権に直接関係を及ぼしまする法案というものは、その基本の観念としまして努めて基本人権を尊重しなければならぬ。但し一面におきましては公共の福祉を守るという一つの制約がございましよう。この調和の問題が本件の問題の根本になつておると私は存じております。従いましてせつかく制定されました当事者主義を中心とする日本の刑事訴訟法が、数年ならずしてこれを改めて行かなければならない、またただいま法務大臣の御説明のように、根本の、思想的にこれを改めるのではなくて、数年間の経験に基いてこれを補つて参りたいという目的のために、というような御答弁がございましたが、私どもは単なる便宜的な改正にあらずして、せめて現行法において尊重し得られる基本人権であれば、多少の不自由は感じても、これを一応国民の法律として運用していただいて、どうしても改めなければならぬというときにこれを改めていただきたい、かように考えます。特に本件の改正の重点は、大体勾留日数の引上げあるいは逮捕状の発付の問題あるいは黙秘権の問題というように、現行法を非常に制約するような行き方に持つて行かれた。そこで私どもはどうしてもこの程度の改正はしなければ、現在の刑事訴訟法の運用ができない実情にありまするならば、その具体的な事実を御指摘願つてお教え願いたい、かように思つております。
  119. 犬養健

    犬養国務大臣 詳しくは政府委員から申し上げたいと思いますが、古屋さんの御心配のような点がしばしば法制審議会の幾たびかの会同議題となりまして、却下すべきではないか、真にやむを得ないというその真の必要性がどこにあるか、いろいろ議を経ました結果、まずまずここにおちついたのでありますが、御心配の気持はよくわかります。しばしば申し上げますように、この改正案では、控訴審の事実の取調べを広げたとか、警察の方の立場としては問題がありますが、逮捕状の請求を丁重にするとか、そのほか正直に申し上げて、大体人権を少し束縛するような面が多いのであります。これは、そういうおしかりを受ければ、ごもつともと言わざるを得ないのでありますが、ただ当局としましては真にやむを得ないという立場をとつておりまして、この真にやむを得ないという点も昨日来いろいろ議員の方からおしかりがありました。そこが認識のボーダー・ラインになるのだろうと思いますが、詳しくは政府委員から御説明申し上げます。
  120. 岡原昌男

    岡原政府委員 具体的に困つた実例と申し上げますと、各条文についてそれぞれ困つたことができたわけでございますが、そのおもなる点を二、三例示的に申し上げてみますと、たとえば八十九条の権利保釈の点につきまして、多衆共同の事件を除外されたというのは、たとえばメーデー事件等のごときは参加人員約六千名、検挙人員約千二百名、そのうち起訴しましたのは二百四十九名でございます。あるいは吹田事件のように、参加人員千二百名、検挙人員百八十一名、あるいは名古屋の大須事件のように、参加人員一千名、検挙人員二百八名というような大きな事件になりますと、個々の人に対して証拠隠滅のおそれなしという具体的証明ができない場合がかなり出て来るわけであります。そういうふうな大がかりな事件になりますと、犯罪をみなの者が共同してやつたという半面、証拠等についても一緒に隠滅するという可能性、蓋然性がかなり強いということが言われて参つておるのであります。従つてそういう点も加味いたしまして、たとえば八十九条の四を加えた、またこまかい点になりますが、七十二条の勾留状の執行の関係ども、実際にその該当事件が年々数十件ございます。東京管内でも実際に調べました結果、かなりこれがないために不自由をかけておるという実例が報告されて来たというようなことがそれでございます。あるいは八十四条の勾留理由の開示の手続についてこれを申し上げますれば、先般のメーデー事件あるいはその他の公安事件について、共通の現象でございましたが、いわゆる勾留理由開示の本来の建前を逸脱するような、法廷を混乱に陥れるような事態が頻発いたしたわけでございます。その関係をいろいろなことで難しようとしたけれども、どうしても解決がつかなかつたというので、かような点に手当をいたした。それから権利保釈の点ですが、強盗が権利保釈になる、ところがさらに保釈中にまた強盗を犯す、これは実際新聞紙にも数回載つたことがございまして、あの当時非常に問題がございました。実例としては東京だけでも二、三十件あつたのじやないかと思います。その他緊急収監の九十八条関修について申し上げますと、これはたしか大分の方にもありました。新潟にもあつたのじやないでしようか、何かそういうふうな事件がございましたが、実際に文書頒布事件などについて非常にこれが不便を来した事案が報告されて参りました。また百五十三条の証人の勾引の場合の手続等につきましても、全国で年に百件くらいこういうのがまかない切れないで困つておるという報告が参つております。それから証人に対する費用前払いの百六十四条につきましても、現在全額前払いした例がほとんどないというような実情でございます。今度これを改正いたしますと証人に対してまつこうから前払いができるということがはつきりして参りますので、証人に対して利益になるだろうというような点、その他たくさんございますが、たとえば二百八条の起訴前の勾留期間延長につきましても、ある商法違反特別背任事件、これは東京の浮貸し関係事件でございますが、浮貸しの金額二億三千五百万円、犯罪、約九箇月の間に六千八百九通の小切手を使つてつたという実情がございまして、これも全力をあげて検察庁でやつたのでございますが、もうちよつとというところで二十日の期限が切れて、非常に困つたという事例が報告されております。その他埼玉県の飯能の分村問題にからむ暴行事件等も、被疑者二百八十四名、うち起訴された者五十二名、大きな事件でございます。近隣から検事が全部応援に行きましたけれども、なおかつ二十日の勾留期間では確定することができなかつた、かような具体的な例がたくさんございますので、それを今回の改正で何とか解決しようという趣旨なのでございます。
  121. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 ただいまの事例につきましての御説明は、具体的に各論に入つてから承りたいと思います。  なお法務大臣にお伺いしたいことは、私どもから見ますと、当事者訴訟主義の原則に対する精神が、どうも国民に徹底していない、特に刑事訴訟法のごとき問題は、関係する一部のものにおきまして理解されておつて、国民には理解されておらない、ことに現在の運営について当事者、関係者におきましては、非常にこれは不便だと言つていらつしやるかもしれませんが、国民から言いますれば、もつと人権を尊重してもらいたい、こういう空気も強いわけであります。先日ここへ参りました関係者以外の文化人、学識経験者の方々の意見を総合いたしますと、むしろ改正に反対されておる意見が多いのであります。もう少し関係者が、この運営に熱意を入れて努力する、あるいは指導教育をいたして参りまして、しかる後にその欠陥を改めて参るというような行き方でありませんと、むしろ改正をいたしましたが、日本の国が現在のように時々刻々と民主主義化されて参りまして、人権の尊重がいやが上にも高まつて参ります。国民の常識も高まつて参ります。さらに混乱いたしました経済状態も平静に復して、国民生活が安定されるというようなことになりますと、むしろ現在のような制度を、さらに進めて参らなければならぬ時期が来るのではないか、これは私どもの善意な希望かもしれませんが、さような時代の早からんことをわれわれ政治家としては考えて、従つて現在かように改正をいたしますが、またしばらくいたしまして、あともどりをしなければならぬ、もつと人権を尊重しなければならぬというような時代が参りますことを私ども考えますときに、いましばらくの間現行のまま運営していただいて、特にこの中でわれわれが研究をいたしております特殊な点だけを取上げる、そうしてその特殊の問題だけを改めて行くというようなことにいたすことに対しては、法務大臣のお考えはいかがでございましよう。
  122. 犬養健

    犬養国務大臣 古屋さんの根本のお考えに対しては、私贊成であります。そういうことを含めまして、かつ大陸法的な点と突然近ごろ入つて来た英米法的なものの新しい注入、これをどう整理するかというような法律学的の大きい問題もあると思うのであります。それは根本問題として、やはり今度技術的に改正したから、当然寝ころんでおるというようなことでは私いかぬと思います。法律もやはり時代の、文化の水準の反映でございまして、おつしやるようなことがあれば、もちろんこれは喜ばしいことでありまして、たとえば先ほど花村委員が品をすつぱくしておつしやつたように、警察官の素質が将来非常に高まつて、これを私ども望んでおりますが、そうすれば、一般的指示も、逮捕状の請求の場合の検事の意見の開陳もいらないような時代もあると思いますので、現在の現実は残念ながらどうもそこまで行つてない、根本の大きい改革をする間の不便も何ともこれはたまらぬ。この不便がたまらぬ、不便を忍べ、これは両方りくつがあると思うのでありまして、要するに冒頭に古屋さんがおつしやいました人権の尊重と社会公共の福祉というものの調和をはかつて、良識がどこにおちつくか、こういう問題になると思います。以上の点はお互いにお立場立場で、りくつのある議論があると思うのでありますが、文化人などもこの改革をいやがつておるということは、お示しの通りであります。また一方に一部の学者などは、無理もないと言つておられる方もあるわけで、これは双方のりくつを御勘考願いたいと思うのであります。それはいろいろ抽象的なことを言つて政府は逃げないで、具体的にいろいろ申し上げて御批判を仰ぎたいと思つております。
  123. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 ただいまの法務大臣の御答弁、まことにけつこうだと思います。ただ本改正案が二回とも審議未了に終つております。こういう事実もある。  それからさらに大事な捜査権を実際に運営しております警察検察庁との間にも、しつくりと行かないので、行き違いもあるような関係もございます。これをあえて断行することによつて改正することによつて、むしろわれわれの考えてない想像しないような、複雑な支障を実務上に来すおそれがあるかどうか、私どもはこの点を非常に懸念いたすのでありますけれども、この点に対する大臣の見通しを伺います。
  124. 犬養健

    犬養国務大臣 担当大臣としてここまで申し上げるのはどうかと思いますが、飾つて答弁することはかえつてよくないと思いますので、この警察対検察の問題もまことに遅ればせで恐縮なんでありますが、私にとんど朝夕そのことが念頭から離れないようなわけなんでありまして、これも率直なお話になりますが、私の知つている限りでは、検察側警察側もこの議会で承認できるような妥結ならら妥結をしておきたい、こういう考えのようでございまして、また何しろ法律の字句と申しても、御承知の二字か三字かにつづめることでございますから、私ども改正案の文字として提出しておる字句が一番世の中でいい字だとも思つておりません。そういうことは私ども少しも我を張らない考えでございまして、そういう点で実は大分歩み寄りができておるので、この点は今後も気をつけて行きたいと思います。
  125. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 なお総体的にこの改正を拝見いたしまして、特に捜査機関がもう少し勉強して参りまするならば、と申しまするのは、しばしばこれは他の委員からも申しておるようでございますが、科学的な能率的な捜査をいたしまするならば、勾留期限の延長などのような問題につきましても、そんな必要はないじやないかということが、私ども実際に扱つて参りまする立場から考えられるのです。むしろそれよりも司法警察官並びに検察官が自分自身の仕事が多過ぎて、それがためにほつたらかしておいて捜査をやつていない、こういう場合にしばしば私どもは出くわすのでございます。こういうことを考えますと、捜査官並びに公訴を維持する検察官のその仕事の能率が上らないために、尊い人権が束縛されるという実例がございますので、むしろ一方において捜査官の科学的な捜査の訓練あるいは人員の増加というような面においてこうした問題の解決がつくと私は信ずるのでございますが、その点は法務大臣いかがでしようか。
  126. 犬養健

    犬養国務大臣 これも、捜査当局の方針としてはお説のようでなくちやならぬと思います。午前中も花村委員から科学捜査をどう考えておるか――実はこの国会の始まる直前阪神地方に行きました際に、日本の科学捜査の機械の進歩状態を見に行つたようなわけでありまして、それは十分やつて行かなくちやならぬ。大体自由を中心とする考え方はいかぬと思います。勾留期間延長の問題も、私は古屋さんと同感の点がありますので、御承知のようにいきさつから申し上げますと、最高検が万全を期する意味から言うと十日ということでやつた。しかしそこを私は勉強してもらいまして、最小限度五日、それも大じかけな、騒擾的公安事件か、非常に全国にまたがる詐欺事件とかいうものに限りたいと思います。それは限るといつたつてお前の代だけじやないかという御不安があると思いますから、これは速記録に残し、かつ何かの一番確かな方式でこの勾留期間五日のわくをおはめくださるのは、私も賛成でございます。
  127. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 どうも大臣は実務の関係を御存じないようなんでして、実は大体現在検察官が二十日なら二十日勾留できる規定になつておりまするので、ほとんどそれまでは調べずにほうつておくというような傾向が多いのです。実際はそうなんです。従いまして五日延長いたすということになりまして、特にただいま仰せのような特殊の事件にのみこれを適用するんだ、かように速記録に残したり、さような条件がついておりましても、こういう法律に条件をつけるわけに行きませんので、必ずこれは実施されるわけであります。私どもは三十年から弁護士をやつて参りまして一番痛感いたしますことは、非常に簡単な事件で、それが警察官との感情の関係上勾留されて、検察官の手元に事件がまわつて来る。検挙されてから二十日の間ほとんど調べずに、一時間か二時間ぐらい調べてそれで済ます。調べてみたところが起訴できなかつたという例がたくさんある。この点を非常におそれるわけであります。従いまして今回の改正の要旨の説明を承りまして承知いたしますることは、特殊な事件中心になつてその改正が行われた。しかし特殊な事件が起きて、これを円滑に処理するために他の一般事件というものも捲き込まれて、それがために多数の国民が人権を尊重されないという姿に持つて行くことに対しては、まことに私どもは反対せざるを得ないのであります。従いましてただいま岡原政府委員から御説明のありましたような特殊な事件については、私どもは実務家といたしましても考えなければならぬ点がある、これはもちろんあると思います。しかしこれがために一般事件を全部右へならえにやられて行きますと、そこに人権の尊重が非常に軽んじられる、これを私ども非常におそれるわけなんです。これに対して、ほかに特別に処置する方法があれば、これはまことにけつこうと思いますが、やはり本件のような改正を行われなければならない必要性があるのかどうか、この点も承りたいと思います。
  128. 犬養健

    犬養国務大臣 一々ごもつともでありまして、特殊な事件のために普通の多数の民衆が巻添えを食うというようなことは、決して本意ではございません。実は仰せのように私は検事をしたこともありませんので、その点はここにいる経験者から十分お聞き願いたいのでありますが、ひとつどうでしよう、こういうふうに――私どもの勾留期間延長というのは、多衆――多数でなく、多衆でやつている騒擾事件、大がかりの全国をまたにかけた偽造事件だとか、そういう詐欺事件だとかいうことが主なんです。主といえば、もうそれ以外にほとんど今考えがないので、御不安ならばひとつ附帯決議で縛る、そうして国会意思を尊重して、大臣通牒を出したり、検事総長が訓令を出したり、何かわくをおはめくださることは、多少はつきりする意味で私は喜んでおるわけであります。何ゆえにこういう特殊な事件には五日の延長がいるかということは、政府委員から申し上げさしたいと思います。
  129. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 なお特に多衆であり、大衆が被疑者になり、今の期間中にはいかなる捜査をいたしましてもなかなか捜査ができないというような事件だけを列挙主義とするようなお考えがあるかどうかという点。それからもう一つは、特に多数なるがゆえにというようなことが一つの表題となつて参ります場合には、列挙主義と申ましても、犯罪の数などが非常に問題になつて、複雑になつて参りましようが、単なる附帯決議では刑事訴訟法改正は私は断行できないと思う。列挙主義的にかくかくしかじかの場合はどうするかということの御考案があればまた格別、私ども考え直す点もあると思いますが、その点はどうでしようか。
  130. 犬養健

    犬養国務大臣 これは政府委員から実情を申し上げたいと思いますが、私は趣旨としていいと思つております。私も委員をしたことがございまして、いろいろな法律で列挙義にして見ると、結局等という字を入れないと、万一のことがあつてはたいへんだというのが事務の通例でございまして、その等がだんだんふくらんで行くということの危険がある。ですから結局私が言明をし、委員側で、差出がましいようでまことに御無礼でありますが、附帯決議で縛る。この附帯決議も、とにかく国の最高機関の決議でありますから、これは通牒を出さなければならないというようなことが一番いいんじやないかと思つております。これは逃げておるわけではないんで、もつといい知恵があれば喜んでいただきたい、採用したいと思つております。
  131. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 なお法務大臣にもう一つ最後に承りたい。だんだんと人権が尊重される習性が高められて参りまして、その反面には国民の法律に対する知識がもう少し高められて参りまして、現在ありまする法律そのものがよく理解されて、これに従い、その運営に協力する、かような情勢がだんだんと高まつて参りまする場合には、やはり今日改正されましても、またそのときになると改正をしなければならぬ時代が来ると思う。この点は、もちろん御質問するまでもない話でありますが、ただ私は、近い時間にまた改正するというようなことがあると、朝令暮改のおそれがあつて、国民が遵法の精神がなくなるという点を、実は恐れるわけであります。大体大臣のお見通しでは、今回改正になられるような問題については、朝令暮改のおそれが出ないような見通しでおられるかどうか、この点を伺いたい。
  132. 犬養健

    犬養国務大臣 これは私の気持を申し上げますと、この改正が、日本の民度が高まり、検察官の素質が高まり、警察官の教養が高まつたために、古いからのようになつていらなくなつたという時代が来れば、いくらおしかりを受けても、これはかわることをほんとうに祝わなければならぬと思いますが、どうも国民、検察官警察官の今の現状では、平たい話が、当分こんなところじやないかと思います。しかしいつかは根本的改正、つまり大陸法的にするか、英米法的にするか、根本的な改正に着手しなければならないと思つております。
  133. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 これから各論に入つて少し承りたいと思います。これはしばしば他の委員から御質問がありましたのですが、例の八十四条の勾留理由の開示の問題に対して、書面によつて片づけて行きたいというような改正でございますが、これのねらいはどこにあるか御説明願いたいと思います。しばしば御説明がございましたけれども、簡にして明を得た御答弁をいただければたいへんけつこうだと思います。
  134. 犬養健

    犬養国務大臣 これも、ここに専門家がおりますので、あとで詳しく申し上げたいと思いますが、ごく簡明に申し上げますと、私も勾留理由開示の法廷のいろいろな現状を、蓄音機のレコードで聞いたことがあるのでありますが、法廷という概念が大分抜けているいるように思うのでございます。ああいう尊厳がない法廷というものは、法廷ではないと私は思うのであります。いくら民主的でも、神にかわつて人を裁くという尊厳さがどこかになくちやいけないじやないか。謙虚な気持もなくちやいけないじやないか。それに欠けていると、私は常識的に思うのであります。それで勾留理由開示手続において、意見の開陳が憲法三十四条の要請であるかどうか、この問題があるのでございますが、私も間違うといけませんので、いろいろな学者の説を分類してもらつたことがあります。きのうも政府委員から申し上げたと思いますが、それが憲法の要請であるという説もございます。この間皆さんがお呼びになつた團藤教授はそうでございます。それから同日ここへ見えました早大の江家教授は、それほど強くありませんが、違憲の疑いがあるという程度で、やはりほぼ同意見であります。これに対して憲法上の要請ではないという考え方の方が、宮澤教授、兼子教授、一橋の田上教授、成蹊大学の高柳総長、前の東大教授小野博士、それから法制局長官は、政府関係があるからのけて置いた方がいいと思いますが、そういうようなふうでありまして、どうも憲法上の要請ではないという意見も相当あるのであります。しからばああいう法廷と思えないような騒ぎを、現実上防止するには書面でいいじやないか――裁判側でこれは反対論もあると思いますが、裁判官は書類によつて頭に十分入れるくせがついているから、書面の方が便利だなどと、法制審議会で述べられた最高裁の裁判官もありました。これはいろいろ問題があると思いますけれども、どうもこのことはやむを得ないじやないかというのが、われわれの考え方でございます。
  135. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 お説ごもつともでありますけれども、実は万やむを得ないという点については、どうも承服できないのであります。法廷等の秩序維持に関する法律によりまして、相当法廷の取締りはできるのではないかと私は思う。それから例の共産党事件の問題のごとく、あまり長く陳述をする場合には、裁判長の指揮権において、これは相当制限することができるのではないかと私は思うのであります。特に憲法の問題について疑義があるような場合には、つとめて私は善意な解釈をして、国民の人権を尊重する解釈をして、しかもそれで格別な支障のない場合においては、さような運営をいたしますことが、基本人権を尊重するゆえんであり、また国民に対する親切なやり方であるように私ども考えますので、さような点は別な方面の、法廷取締りにおいて十分な対策をお講じ願いたいと思います。それで従来は、勾留されますまでの被疑者の取扱いにつきましては、ほとんど秘密主義的に一方的に調べておりまして、現在の当事者訴訟主義に対する原則には反している。捜査中におきましては、被疑者は原則的に当事者主義的な態度がとれませんので、せめて勾留に対する開示を要求して、真実な状況がこの開示によつて明らかになります場合には、これは取消しをされる場合が出て来るということに対しても、いわゆる書面よりも口頭をもつて直感的に裁判長に判断する資料を差上げる、かように考えることが大切ではないかと私どもは思うわけであります。この点について、特に改正をするということには、相当な理由がなければ私は改正しない方がいいと思うが、改正するには、運営上かような利益があり、かように大事なことであるというような、相当理由がなければならぬと思うが、その理由についてもう少し、政府委員からでもけつこうですが、御説明願いたいと思います。
  136. 犬養健

    犬養国務大臣 ちよつと補足して申し上げることになると思いますが、もちろんこの問題は、裁判所が適当と認める場合には、口頭の陳述を許すことを妨げるものではないのでありまして、私の知つている限りでも、十分そういうことを聞いております。詳しいことは政府委員から申し上げます。  もう一つ、先ほど申し上げましたやや違憲の疑いがあると申しておられる早大の江家教授も、これは直接伺つたのでありますが、本人と弁護人は口頭が必要だろうが、あとは書面でしても憲法違反ということはないと思うというようなふうで、反対論であられても、よほどその辺は実情をくんでおられるように思つたのであります。結論としては、古屋さんも御承知と思いますが、法廷というものではないような程度まで行つていて、法廷等の秩序維持に関する法律がありますけれども、事実制止するということはできないじやないかと思います。これは結局観念論じやなく現実問題じやないかと思うが、その点でなお御教示願いたいと思います。
  137. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 法務大臣の御説明ですが、どうもその点は私は納得が行かないのであります。さようにいたしますならば、これは公判廷においてもああいうようなことをやりたければできるわけでありまして、勾留に対しては、勾留理由がなくなるのみならず、捜査をいたしたけれども無罪になるという場合が相当出て来るのじやないかと思います。無罪になるものならば、勾留開示のときにその理由をほんとうに裁判官の頭に打ち込んで、そして一時も早く勾留を解いてもらう。勾留を解いても捜査は十分にできる、かような認識を裁判官に与えるということは、これはまことに大事なことではないかと私は思いまして、くどく承るようでありますけれども、できるならば私どもは――それまでほとんど被疑者としてみずからの意見の開陳をする機会がない。書面で出せとこうおつしやいますけれども、書面で出しまする感じと、口頭によつて述べまする感じは直感が非常に違つて参りまして、私は被告人、被疑者の利益を守る建前からいたしまするならば、やはり口頭で陳述させることが最も民主的であり、人権を尊重することになると考えておるのでございます。ただ一、二の特殊な例のために、これまた一般の普通の人々がこれによつて守らるべき人権が守れなかつたということになりますと、私どもはこの点を非常に懸念いたします。特に私どもが一番おそれることは、かような関係に置かれまして、一旦白ときまりました場合に、長く勾留を受けましたけれども、結局の結論は白になつた起訴されなかつた、そこでその当時における取扱いのやり方について国民が非常な反感を持ち、官憲に対する反抗心を持つ、かような点でありまして、従来、かつての旧刑事訴訟法におきまして、長く勾留をされており、予審制度がありましたような場合には、免訴になりましても、半年も長くおつて、それがために、そのときは官憲に対してはさほどに悪感情を持たなかつたけれども、残りの一生悪い感じを持つて、一生涯はつきりしなかつたという方たちが多くあるのです。それがために一命まで失つたというのがわれわれの友人におります。われわれは過去においてこういう苦い経験を持ちましたので非常に小さい点のようでありますけれども、この点は国民に与える影響が大きいと思うのです。従つてこの点は他の権利保釈の問題とも関連するのでありますけれども、裁判所の運営が不自由でございましても、がまんができまするならば、努めてどうにかこうにか運営ができまする姿に他の方法でお考えができまするならば、やはりこれは従来のように口頭陳述をさした方が非常にいいのではないかと思いまして、重ねて御質問を申し上げる次第でございます。
  138. 岡原昌男

    岡原政府委員 御質問の点まことにごもつともでございます。と申しますのは現在御承知の裁判所法の中にも、法廷の警察権あるいは法廷の秩序維持についての裁判長の権限が列記してございます。それから昨年通過いたしました例の法廷秩序維持法という武器もございます。さような法律を極度に利用、活用いたしまして法廷の混乱を避け得ることができるのではないかというお説、ほんとうにわれわれも一部まことにその通りと思います。さような意味におきましても、先般来いろいろ会合などを催しまして、いかにこの法廷の秩序を維持するかということについて、現地の実際にこの種の事件で苦しんでおる裁判長たちが集まりまして会議をいたしまして、その結果相当この法廷秩序維持の法律をこれから活用するぞというふうに気合いをかけまして、一、二件でございますが、中にはすでに現にあの行政罰を加えた事件もございました。ただ全般的に、わが国の現状においてこの法廷秩序維持法というもので、いわるアメリカのコート・コンテンプト――裁判所侮辱と同様に、何があるとすぐ罰を加えるというふうな行き方は、これはかえつて今の実情ではどういうものであろうか、向うではたとえばちよつと言葉の使い方が悪いとか、あるいはこちらの提出命令にゆえなく従わなかつたということが、一つずつ罰になるわけでございます。急にそのような行き方になつても、どうかというような考え方もございまして、なかなかそれが簡単に行かない。その法廷秩序の面を裁判所法並びに秩序維持法で行くことも、ずつとただいま申しました通り考えておるようでございますが、一番最近問題になりましたのは、この勾留理由の開示の手続でございました。これも機会がございましたら、今大臣が申されました開示手続における混乱状態をレコードで再現してお聞かせする機会を一度持ちたいと思います。それは非常にすごいものでございまして、あの通りの状況になりますと、いくら裁判長が声を張り上げましても結局何にもならない。そこでこの勾留理由開示の手続の意見の陳述というのは、御承知の通り一人十分と限つてございますが、これも十分が二十分、三十分、五十分と、いくら静止しても本人がしやべるのをとめないのでございます。従つてこれはいくら静止しても手続きがだらだら続いて来たという実情が録音にも入つております。結局この八十四条二項を改正いたしますと、理由はこの通りということを告げまして、もしその際本人が何か意見を述べたいということであれば、じや書面でひとつ出してくれということになり、もしその際に裁判長自身がもう少し聞いてみたいという場合には、これはもとより裁判所が自由に発言を許して詳しく聞くこともできるわけでございます。でございますから、実際にそのような制度を悪用といいますか、濫用と申しますか、そういう人に対してはこういう強い手で行けるけれども、またそのために一般の人の権利を奪うというわけではないのでございまして、そういうふうにほんとうにこの勾留理由について合点が行かない、そして特に手続について混乱させるような意図もないという人については、裁判所の方から進んでそれはどういうわけだといつて聞くこともできる、こういうふうな建前にしてあるわけでございます。
  139. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 ただいま御説明がありましたような特殊な事件についてはさような手続をとり、普通の事件については裁判長がやれるということにあの改正案文でも解釈ができるものでしようか、今御説明にありましたように原則としてはこう改正するけれども、その他の処置については裁判長の任意にできるという解釈になるのでしようか。     〔委員長退席、鍛冶委員長代理着席〕
  140. 岡原昌男

    岡原政府委員 今回「書面」でというふうに入れますと、書面で意見を陳述することが権利として認められる、現在のままでございますと、口頭で陳述することが権利として認められておる、この点の違いが出て参るわけでございます。
  141. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 実は私どもも、いろいろ人生観が違い、考え方が違い、権力に対する考え方が違う方たちが、被疑者になつた場合あるいは被告になつた場合、公判廷でもおかしなことになるのではないかと思うのでです。それで他にこれに対する御処置をお考えになる必要はないか、かように考えるのでありまして、どこまで行きましてもさようなことでこれは議論が尽きませんので打切りますが、他にいい方法をお考えになつていただくことの希望だけ私は申し上げておきます。  次は権利保釈の問題であります。結局これとも関連をして来るような権利保釈の問題になるのですが、この権利保釈の問題について、特に制限をせなければならないというように今回附加された事項と大体私ども解釈するものに二つぐらいございますが、この中でどれもこれも、――私どもがこれを検討いたしますると、保釈は権利保釈として許すけれども、むしろ許す方は許すが、取消しをする方の面もやかましく規定されて行く、許すべき権利保釈は権利保釈として現在のままにしておいて、権利保釈で保釈された者の取消しをやかましく規定をこまかくすることによつて、この目的を達せられるように思われるのです。この点はいかがです。
  142. 岡原昌男

    岡原政府委員 保釈という制度もいろいろお考え方があるわけでございますが、要するに逃亡あるいは証拠隠滅のおそれがない場合に、本人を出してやるわけでございます。これをある場合には当然の権利としてこれを与える。それからその場合には権利としてではないけれども、自由な裁量でこれを与えるという二つの場合が出て来るわけでございます。今までの権利保釈の除外事由として掲げられたものの実際の運用と申しますか、結果をこれで見ますと、この前にお話しました通り、たとえば強盗が保釈になつてまた強盗をするというような場合がかなり多い。またの礼まわりなどをするといつてひどく意気込んでおる者がおる。そうして現に保釈になると、お礼まわりに出るというような事例が頻発いたしたわけでございます。かような場合にかかような保釈期間中に悪いことをしたならば、これを取消したらどうか、これはごもつともでございまして、取消すべきだと思います。たださようにすでに悪いこと――悪いことと申しますか、ある場合にはお礼まわりをし、ある場合には別の犯罪を犯すということがあつた後では、ある意味ではおそい。場合によつては九十六条の関係でも問題になると思いますが、すでに証拠隠滅をする、あるいは逃げちやつたというような場合には、いくら取消してもおつつかないというのと同じような関係でありまして、やはり、これを事前段階においてさようなおそれのあるときには保釈にしない。保釈にしないことによつて、ある場合にはこの審理を促進させまして、身柄を拘束されておまりすから、なるべく結末をつける。また他の意味におきましては、さような事件の真相がくずれて行くような、あるいは曲つた方向に行くようなことをこれによつて防止するというようなことが、権利保釈の除外事由に掲げられておるわけでございます。従いまして従来の権利保釈の除外事由なるものが、そういう観点からやや狭きに失したという点を是正しようとするものでございます。
  143. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 ただ私どもがおそれますのは、せつかく裁判所でお調べを願つた場合に、無罪の判決を受ける場合があるわけであります。率はどのくらいの率があるかわかりませんけれども、少くとも無罪の判決を受ける場合があります方たちに対して、特にそんなに長く勾留しておくということになりますと、その過程において取返しのつかないような大きな障害が発生する場合がしばしばある。一家の支柱となるべきおやじがひつぱられてしまう。裁判を受けたところが無罪になつた。しかしながら長い間勾留されておつたので家計が成り立たなくなつて、今度はほんとうに貧すれば鈍するということで、悪いこともしなければならぬような状況に追い込むということが、たとい数千人の中に一人でもあるというならば、まことにこの法は私は悪法といわざるを得ない。そういう改正になるということをわれわれは憂えるのでありますけれども、この点はいかがでございましよう。どうしても今回やらなければならぬ。たとえば第四号として加えられた事項あるいは第六号として加えられた事項などは、むしろ私は保釈は保釈で許して、そうして取消しをする面に厳重に規制しておきますならば目的は達せられるのではないか、かように考えますし、第一号につけ加えられました「短期一年以上の懲役若しくは」というものを考えますと、ほとんど権利保釈はなくなるような関係になるんじやないかということを私どもはおそれる。この点も私どもなるべく今回の当事者主義に基きまして、ある程度まで自由な身として、そうして一方においては生活の問題その他いろいろな自己関係、自由権の問題あるいは海産の問題というような問題に対する問題を一応整理させ、一方においては十分に当事者主義的に自分の行動に対する事実認定の資料も出せる、かように考えていただかなければ、病身など、特別な病人ではないけれでも病身であるというような意味で、保釈を許されないということならば、やむを得ないからこの事件を片づけなければならぬ、片づけてどつちかに処置してもらつた方がいいというような考えを持つ方が、特に最悪の場合でも執行猶予になると思われるような事件の場合においては、やはりそういうことになりがちなのであります。千人か百人のうちに一人でもさよう関係者をつくるということを、まことに私どもは憂えるのでありまして、この点は念を押して御質疑申し上げる次第であります。
  144. 岡原昌男

    岡原政府委員 今度の権利保釈の除外事由としての、たとえば第一号の点から申し上げますと、これは短期一年以上でございますので、われわれとしては、かなり重い、いわゆる從来重罪と言われておるものだけを取上げたわけでございます。長期一年あるいは三年になりますと、これはかなり軽いものでございます。短期一年以上でございますので、これは別途資料として短期一年以上の表を差上げておきましたが、短期一年以上はかなり重いものであります。  それから第四号でございますが、この考え方といたしましては前金もちよつと申し上げました通り、集団的な犯罪というものは、犯罪を敢行するときに、集団的にあるいは通謀的にやるという性質を持つております。その反面そういう人たちがまた出た場合には、証拠隠滅等もみんな一緒にぐるになつてやられる。犯罪事実についてすでにそういうことを共謀している以上は、そのままずつと意思連絡をとりまして証拠隠滅をするという蓋然性がきわめて商いわけでございます。さような場合に、しからば現在の第四号の証拠隠滅の疑いに足りる理由があるときというので間に合うのじやないかという御疑問も出ようかと存じます。なぜこれを区別しておいたかと申しますと、相当の理由があるということは、一応その事実を明らかにする材料がなければなりません。ところが具体的にさような証拠を隠滅するというような材料がない場合が多いわけでございます。しかもその犯罪性質上、さような犯罪については、その蓋然性が高い。一人一人についてはわからぬけれども、どうもこれは蓋然性が高いという事実からいたしまして、そういう面からこれ窃取上げたわけでございます。従つて逆から申しますと。今お話のような一人一人の事件を見たところが、本人はたとえば病身である、家族のめんどうを見なければならぬ、逃げる心配はない、非常に恐縮しておつて証拠隠滅のおそれもないというような場合には、当然これは権利としての保釈にはならぬでも、その次の条文の九十条等で当然裁量保釈が許されるわけでございます。でございますから、一応最もひどいような新たちがのがれられないというだけの手当でございまして、具体的にかわいそうな人、保釈すべき人というのは権利保釈になるわけでございます。従来の統計から見ましても、裁量保釈が約三十何パーセント、相当多数出ております。従いましてこの点については、大体裁判所の運用が間違つていないと私ども考えております。  それから第六号の関係でございますが、第六号には保釈になつて出て来た後にお礼まわりをしたならば、そのときに取消したらいいではないか、これも一つ考えであろうと私も考えます。ただすでにしてお礼まわりをしてしまいますと、お礼まわりを受けた方は非常に恐怖心を抱きまして、今度裁判所に出て参つてもうつかりしたことを言えばえらい日にあうかもしれぬということで真相を吐露しなくなるのですから、そういうものは証拠を保全するという意味も加えまして、そういうものが事前にわかる者は保釈をしない。これは権利として保釈をしないだけで、裁量保釈にはなり得る。なおこの点につきまして条文に若干苦労をしてある点お続み願いたいと思いますのは、お礼まわりをすると「疑うに足りる充分な理由」という文字を使つております。これはほかのものは相当の理由と書いてあるのとことざらに区別してあるわけ。ございます。これはそういうふうな具体的なことが証明される、こういうふうなことでございます。これはきのうでしたか、どういうふうにしてそれを証明するのだという御質問がございましたので、ちよつとお答えいたしておきましたが、たとえばあいつけしからぬやつだ、おれのことをいろいろしやべりやがつて、もし出たら考えがあるというようなことが具体的に出て参つたような場合を予想しておるわけであります。その資料をつけて裁判所に出す、かようなことになるわけであります。
  145. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 ただいま御説明がありましたが、私はこう思うのです。現在の規定の中の四号によつて、十分私は二つ目的が達せられると思う。特に今回挿入しようとする四号のごときは、しばしば他の委員から御質問がございましたように、まことに関係のないものであるけれどもそこに居合せた者、あるいは何らかの、他の組合関係であるとかあるいはいろいろな関係関係者なりと言われるために嫌疑を受けて、そうして起訴されるというようなことがありまする場合に、しばしばこういう多衆共同して罪を犯したものの中にはいろいろ関係のない者がまき込まれ、巻添えを食つて起訴される場合が多いのであります。従いましてかような保釈の問題につきましては特に権利保釈ができないということになつて覆りますが、これは第六号と両方を脅せまして、現存の第四号の規定に基いて、証拠を隠滅すると疑うに足りる相当な理由というところで、両方をくるめてその用を足しているように考える。むしろ今側新たに加える第四号のごときは、ただいま申し上げましたような弊害が起きて来る。弊害が起きて来るおそれがあるものを特に加えるには、相当の理由をここにはつきりとせなければならない。しかるに私ども考えでは、今回挿入いたすことになりまする四号と六号は、むしろ現存の第四号の規定に基いて、総括的にこれが検事の意見といたしまして裁判所に申し出ることができるようお私は考える。従いまして今回挿入する四号、六号は、現存の四号では十分に主張し得られぬだろうか、疎明し得られぬだろうかどうかということを御質問申し上げます。
  146. 岡原昌男

    岡原政府委員 新たなる四号と、もとの四号との関係でございますが、なるほど現在の四号の「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき。」というのは、権利保釈の除外規定にいたしております。これは「相当な理由があるとき。」ということがわかれば、もちろん権利保釈の除外になつて参ります。これは当然でございます。ただこの集団犯罪の場合になぜかようなことを問題にしたかと申しますと、相当な理由というのは、一人一人についてそれが証明されなければならないわけでございます。ところが集団犯罪というのは、御承知の通り数十名、数唐名というふうな多数の者がやつたのでございまして、その間にいろいろと事情がそれぞれ違つて来るでありましようが、その一人々々について現在の四号が要請してあるような資料を集めることは、かなり困難になろうかと存じます。しかのみならず新しい四号で予定する集団犯罪というものは、さような多数の者が協議をして犯罪を犯す当然の帰結といたしまして、その多数の者が、やはり相談をしてあるいはまた証拠を隠滅するのではなかろうか、これは当然蓋然性をもつて論証され得るものでございます。さような場合に、多衆犯罪ということからその結論が来る以上は、その点について別段の一人々々たの証明がなくとも、これを一応権利保釈の除外事由にするということにしなければまかなえないのではないかということが、これを加えた理由なのでございます。ちようど逆から申しますと、何でもかんでも現在の四号で証拠隠滅のおそれがあるというふうな結論を出すのは、間違いではないかということなのでございます。ですから蓋然性を持つ、一応その点を合理化いたしまして、ただそれで御心配のような、ちつともそういう証拠隠滅のおそれのないようなものまで入つて来るのではないかという点につきましては、あとの九十条以下の裁量保釈でもつてこれを許す。そういうふうな点が具体的に証明される嫌疑者、被告人については裁量保釈でそれをまかなうという考え方でございます。つまり権利として当然出されるというわけではないけれども、具体的な事件に応じて別に考えることができる、こういう裏打ちをしてあるわけであります。新しい六号は、これは別途の観点から――別途の観点と言うとおかしいですが、出たものでございまして、証人の保護という建前が主として出ておるわけでございます。証人の保護、鑑定人の保護、証拠の収集、ひいては審判の目的を確保するというふうな点からこれを取上げたのでございまして、必ずしもこの証拠の隠滅というものと、概念がぴつた一致はいたしません。そういう関係からこれを取上げた、このような次第でございます。
  147. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 アメリカあたりでは、死刑になる者以外には保釈は許しておるということを承つておるのですが、やはり現在の日本の憲法で保障しておりまする基本人権を尊重しつつ、なおかつ公共の福祉を守つて行かなければならぬという建前から考えましても、私どもは、大体死刑になるような重要犯罪以外は権利保釈を許して、そうして取消しの規定を最も厳重にする、かようにした方が刑事訴訟法の制定の本旨にもかなうような気がいたしますので、この点については当局でも相当お考えを願いたいと思いまして、この点はかような希望を申し上げまして他に移りたいと思うのであります。  午前中にもずいぶん問題になりました例の百九十三条の問題であります。この点については、法務省当局の御解釈では、従来行われておつて多少疑義のあつたものを、解釈的な規定のような考えで明確にしておくのだというような御答弁のように承つたのでありますが、そういたしますと第一次的には司法警察官捜査権があり、公訴維持並びに今回加えられました字句では捜査の適正を期するということが一つ加わつておるわけです。かようなことになりまして、捜査並びに捜査指揮する者、それから二次的に公訴を維持する者というものの関係が明確になつた、かようなことに御解釈がなつておるようでございますが、私どもが憂いますのは、御説明通り解釈され、実施されて行きまするならば私ども相当納得が行くわけなのでございます。ただ問題は、それが遂に従来の日本における封建性と申しましようか、検察官警察より偉いものであるという一つの封建的な考え方上位にあるものであるという――現在力がどちらにあるかないかという問題を申し上げるよりも、さような観念が強いのみならず、従来的刑事訴訟法におきまして、検察官の方においてこれを指揮した、補助機関として扱つてつたという遺風が残つておりまして、午前中も問題になつたのですが、いろいろの通達などによつて、実際の運営においては検察官オール・マイテイという形が出されることを私どもはおそれるわけであります。この点について私ども伺いたいのは、検察官は御承知の通り検事一体の建前から来ております。しかし現在の警察は、過去の非民主的な警察と比べまして民主主義化されておりまして、現在の警察制度におきましては、警察一体の関係にはなつておらない。国警と自警が独立しておる。かような関係上、警察は各自独自に捜査権を持つておるというような形になつておりますから、もしも実際の運営において私どもの憂えるようなことになつてはならないというので、各委員からもやかましく御質問が出ておると思うのでございますが、実際に御説明のような実施ができますならば、私どもも納得が行くのでございますけれども、この点はいかがでありましようか。先刻も法務大臣からも御説明がありまして、大体御自信があるように思われるのでございますが、警察、検事一体の建前から検事の承諾を得、同意を得なければ逮捕状発付の手続がとれないというために、それがよつてつてあらゆる方面に演舞されまして、検事が指揮官であり、司法警察は補助機関になるということをおそれているものでありまして、実は前回の当委員会におきまして、齋藤長官並びに田中警視総監に、あなた方の御不満の点はどうかという質問をいたしましたときに、私が申し上げましたように、やはり独立した捜査権がなくなつて、補助機閥あるいは協力機関であるような取扱いを実際受けることはわれわれ不満であるということをおつしやつていましたが、その点について、さような点がないように実施できる御自構があれば私どもも格別不平はないのでありまして、先刻法務大臣は、さような自信がある、かように申しておられましたが、その点はいかがでございましようか。どこまでも独立した捜査機関として分離されており、ただ公訴維持のため、あるいは捜査の適正を期するために一般的な指示権を持つ、こういうことになるのですか。要するに、検察官におきましては、現行法におきましても、司法警察官に対する指示権と指揮権と協力を求める権利と三つあるわけです。ただ現行法のままの状態に置かれるだけであつて、従来もやつて参りました指揮権、指示権、協力権に関する関係の事項を単に明確にしておくのである、混乱に陥るようなことはない、下部組織として運営するようなおそれはないということが法務大臣から御説明がありましたが、重ねて私は御質問申し上げるのですけれども、その点はさようなふうに承つておいてよいのか。
  148. 犬養健

    犬養国務大臣 この点は、今お話のありましたように、たびたび申し上げた次第でございます。結局、これは一般的指示を出すときにどうやるかというところに煮詰まつて来ると思うのです。それでこれもあるいはすでに申して、抜打ち的に出さない。これははつきり速記録にも残しますし、速記録だけではどうもあてにならぬ、お前の代だけではないだろうかという御疑念がありますならば、国会においてしかるべく政府を制約していただきたいと思うのです。
  149. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 今度は黙秘権の問題でございますが、今回現行法を改めて、憲法に定められておるような字句をそのまま持つて参りましたが、こういうように改めた言葉を使わなければならない理由がどこにあるかということです。私どもから申しますならば、黙秘権が国民にあるのだということは、国民の大多数は現在存じておりません。そしてまたそれが指導されておりません。特殊な被告人として常費被告のようになつております人々がかような問題を存じておるばかりでございまして、一般の国民は存じておらない。従いまして、司法警察官並びに検察官から親切丁寧な告知を受けましても、実際にどういう権利であるかということが解せないような状況に置かれておるのが日本の現実ではないかと私は思うのです。倣いまして、今回改正されるようなことになりますならば、さらに一層知らしむべからざる結果になるのではないか、これを私はおそれるのでございます。特に改正をしなければならない理由はどこにあるのか、それを承りたい。
  150. 犬養健

    犬養国務大臣 これは古屋さんや岡田さんなどと一番考え方の違う問題だろうと思うので、それだけに十分御意見を伺いたいと思います。これは雑談で恐縮でありますが、黙祕権というものは相当過去より広がつておる。吉田総理大臣が黙つておるとすぐ黙祕権だとかなんとかいつてやじが出るということは、やはりいろいろな言葉、英語などと一緒に相当広がつておるのじやないかと思うので、これはよいことだと思つております。それはさておきまして、要するに憲法三十八条では、自白の強要はできないという意味のことがうたつてあるのでございますが、ここからがあなた方と少しく意見の違うところだと思いますが、何でもかんでも不利益でないことまで黙つてがんばることが一種の独立した権利だというようなことになると、これは私は少し行き過ぎじやないかと思います。住所、氏名というような問題にも触れたのでありますが、それを言うことによつて不利だという場合は、言わないでもよいのじやないか。たとえば十九と思つてつたのが案外成年で、すぐ罪にひつかかる、だから生年月日は言わない、こういう場合は私はよいと思うのでありますが、当然言つてよい場合でも氏名を言わないでがんばるということは少し行き過ぎじやないか。従つてこの文章も大分問題になつたのでありますが、やはり憲法の三十八条をここでもう一度写し直して本来の考え方を現わすということの方がよいのじやないか、こういうような考えを持つております。     〔鍛冶委員長代理退席、委員長着席〕
  151. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 私ども現行黙祕権の問題については、まことに当を得た法律であると思う。といいますのは、黙祕することによつて、みだりに拷問を受け、あるいは言うべからざることを強要されるということから守られ、るわけで、そのためにどうしても必要な規定である。従来の現行法におけるような告知義務を調べ官に持たせることは必要だと思つております。言いかえますならば、売られたけんかをどうして防ぐか、こういう問題です。私どもの一番おそれますのは、ほんとうに自己が行つた行為ではないのに、それを強要されて行つたように述べなければならないということ、すなわち拷問を受けるということで、この点は憲法においてやかましく禁じております。禁じておりますが。現在の日本におきましては、いわゆる泣く子と地頭にはかなわない、お役人さんの建前と民間の人間との間に封建性といいますか、非常な区別がございまして、自分たちが雇つておる警察でありましても、警察が来るということで子供まで黙る、非常におそれるというようなことがしばしば行われておる現状であります。従いまして私どもは、拷問を防ぐために、拷問をみずから立つて防衛するための武器といたしましては、これほど大事な条文はないと思います。ただいま法務大臣が仰せられたように、これを濫用されるという弊害もありましよう。しかし私は、濫用をおそれることよりも、むしろこの黙秘権によつて基本的人権を保護される程度が相当大きいという面において、改正する必要はないのじやないか。私どもの経験によりますと、起訴されて一審が有罪になり、二審で無罪になつたような事件もございますけれども、司法警察官からだまされて、ここでかように言つておけばお前は早く帰れる、家族にもさような説明をして無実の罪をかぶせられるようなことがしばしば行われておりますので、私はその点につきましては、どうしても現在のような日本の実情におきましては、多少の行過ぎ、多少の濫用はございましようけれども、むしろこの規定によつて保護される多数の国民があることを考えますときには、ぜひこのままで残しておいていただきたいと考えておる。言いかえますならば、九十九人の有罪者をおつ放してやつても、なおかつ私は一人の無実の人間をつくるのが恐しいのでありまして、相当な行き過ぎ、濫用がございましてもぜひ残しておくべき規定であると考えておるのであります。いわゆる一人の無実に泣く人を救うために多少の行き過ぎはしんぼうを願えぬかどうか。こういうことでございますが、御所見はいかがでしよう。
  152. 岡原昌男

    岡原政府委員 もとより一人の無実の罪に泣く者を出しては、私どもは国民に対して済まないわけでございます。従いましていやしくも虚偽の陳述をいたすような状況において調べをするということは、厳に慎むべきものでございます。憲法第三十八条もさような趣旨考えられておるのでありまして、その第一項において「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」しかもそのあとに、第二項で「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。」しかも第三項で「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」というような趣旨が出て参つたわけでございます。これを刑事訴訟法がほとんどそのままの形で受けて参つたのが、御承知のように証拠に関する三百十九条の規定であります。この三百十九条におきまして「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない。」第二項で「被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない。」というふうな規定を置いて参つたわけでございます。その趣旨とするところは繰返して申しますと、拷問、強制等、とにかく不都合な状態において調べがされたために本人が思わざる自白をする、虚偽の自白をする、あるいはそれがほんとうの自白であつたにしてもその手段が悪いときにはこれまたいけないという二つの面を規定しておるものでございます。従つて自己に不利益な供述を強要されないというものは、自白の証拠力の問題という面から考えらるべきものでございまして、それと同時に取調官においても無理な調べをしちやいかぬという、いわば訓示的な趣旨も織り込んであるわけでございます。そこでわれわれ考えましたのは、現在の百九十八条の文言が供述を拒むことができる。積極的にいわゆる拒否権というものがあるかのごとく条文に書いてあるのでございますが、被疑者の地位というものがそういう権利を持つておるという説はむしろ少いのでございます。権利ではなくてそういうふうな地位にあるのだ、本人は強要されないという地位にあるのだ、逆から言いますとそういうことを調べ官は強要してはいかぬのだということになるわけでございます。従つてこれを権利として表現することは理論としても間違つておりますので、これに拒否権が権利としてあるという書き方はどうもこの点行き過ぎではないだろうか、それが一つ。  それからもう一つは、実際の問題として取調官が心理的な一つの矛盾を感ずる。これは取調官だけのことでございますから、どつちでもいいようなものでございますが、逆から申しますと、この前実例をおあげしたので、あるいはお聞及びと思いますが、さような供述拒否権があるということを告げたところが、本人がそれならば何でおれを呼んだ、そんな聞かぬでもいいのにわざわざ呼んで調べるという法はないではないかと言つてつてかかつたという例で、これは幾つか報告が参つておりますが、さような極端な場合はともかくといたしましても、少くとも供述を拒むことができるということを告げてすぐ直後に調べを開始するということは心理的に非常な矛盾を感ずるのでございます。かたがたもつてさような理論的な面からもいわゆる権利としてこれは必ずしもあるということにはならぬ。そこでこれを憲法通りの自己に不利益な供述を強要されないという趣旨を告げるということで足りるものと改正したわけでございます。
  153. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 私はただいまの例にあります矛盾だということは、関係はないと思うのです。罪を犯した者でございますならば、告げなくてもいいということでございましても、進んでみずから自分の犯したことを明確にするというところに私どもは人間性があると思う。そのように導いて行くことそれ自体が、すでに刑事訴訟法の大きな目的一つではないかと思うのであります。従いましてなるほど一方においては親切丁寧に調べなければならない義務があり、強要してはいけないと禁止せられておりますけれども、日本の現実の姿におきましては、むしろ裁判所、検察庁に生れて初めて出たので、帰つて自分を振り返つてみると、何を言つて来たかわからないということを、私ども検察庁の証人などに呼ばれた方によく聞くことであります。なお裁判所に証人に出て参りまして、述べて帰つた方に、どういうことを証言して来たかということをお尋ねすると、何を言つたかわからない。かくのごとく現在の日本の裁判所、検察官並びに司法警察警察の方々に対する国民の考え方の多数が恐しい、何も罪を犯しておらぬけれども、非常に恐怖の観念を持つておる状態に置かれているのが現状でございます。警察に参りまして司法主任の前に呼び出されて、普通のうちへ遊びに行つたという軽い気持で話ができるような姿にならなければ、私は真実の発見はできないと思う。ところが現在の状況はただいま申しましたように、いずれにいたしましても、何も罪を犯してないけれども、呼び出されまして調べを受けます場合には非常に恐しい。かような場合に、あなたはいやならば言わなくてもいい、こういうようなことを告げられて、そして親切に諭示されますならば、証人にしても被疑者にいたしましても、あるいは被告人にいたしましても、みずからの考えていることをおくめんもなく話せる一つの前提になります。そうして調べられる者、供述をする者の心構えができて来る。かような点で、私は非常に心理作用的に大きな収穫のある条文であると思う。これを権利と認め、権利の濫用者があるから、これはいけないのだ。かように濫用する事実があることもよく私ども承知しておりますけれども、かような人は数千人に何人かという例外的でございます。普通の方たちはやつぱりかような規定がありまして、少し自分の言うたことよりも、そうでもない、こうでもないと無理を言われた場合には、これに対する抗議として黙つてつてもいいんだ、そういう権利があるんだという一つの自信を与えることは、まことに真実発見の上から考えまして竜大事なことだと私は思いますが、いかがでございましよう。これを現存することによつて守られる基本人権の効果、価値と、これがあるために濫用される弊害とを比較いたしまして、いずれが大きいとお考えになりますでしようか。私はやはり現存の規定が最も基本人権が保護せられる利益があると思う。一部の人たちの例外的な権利濫用は大してこの前の利益に比較するならば問題にならないと考えておりますが、法務当局ではいかにお考えになつておりましようか、御所見を伺いたい。
  154. 岡原昌男

    岡原政府委員 実際の濫用の実情をこの前一々読み上げたわけでございますが、同様の事例が非常に多いのでございます。たとえばこの前読み上げました被疑者に有利な事実を言わないために、事実の発見の妨害になつた事例というものだけでも五件ほど多くなつております。あるいは人定事項まで供述を拒否し、非常に困難であつた、あるいは先ほど申しました被疑者に対してこれを告げたところが、被疑者から逆襲を食つた、あるいは矛盾感を生じたという事例は十七ほど多く記録されております。その他具体的にいろいろと取調べの状況が間違つた方向に行く可能性がある。要するに本来の供述拒否権と申しますか、憲法が予定した自白を強要しないという線、これをはみ出したいろいろな運用の実情がかなり出て参つております。憲法の予定しておりますのは、虚偽の自白というもの、あるいは拷問、強制というものを極力押えよう、それを受けて三百十九条が訴訟法になつて来たわけでありますが、そういう面からこの規定は見るべきものであつて従つてこれを被疑者に、たとえば逆から言えばそう言う権利があるとか、あるいは何もしやべらない権利があるというのではないのでございます。自分のしやべつたことについてといいますか、自分が不利益になることについて、どうしてもしやべらなければならぬかというと、それは拷問まで加えられて、そういうことをしやべる義務はない。逆から言うとそういつたような趣旨規定であるというふうに憲法の建前はなつておるものと私ども考えております。で、刑事訴訟法の二百九十一条の例の公判廷におけるいわゆる黙秘権、この方はどうかと申しますとこれは完全に御承知の通り終始沈黙し、または供述を拒むことができる旨、こういうふうに非常に強い権利的なものになつております。この公判における黙秘権と捜査段階における供述拒否の違いというものは、要するに公判においては完全に当事者主義になつております。攻防それぞれ当事者の間ではなそれしく展開されるわけでございますが捜査段階におきましてはその被疑者の地位というものは、いわゆる公益の代表者たる捜査官の地位、つまりこの犯罪事実を確定して行くという地位と、被疑者が悪いことをしたかどうか、これは確定してみなければわかりませんが、そういう嫌疑のもとに一応調べられるのでございますから、その地位との関係が公判と比べてかなり弱くなつておる。それがたとえば弁護権の行使の範囲等についてもおのずから現われて来るわけでございますが、そういう地位の差異が供述拒否権という形で出て来るわけでございます。でございますから百九十八条の方は供述を従来は拒否することができるような規定になつており、片方は黙秘、完全に黙秘というようなことが言われておつたわけでございます。そこで憲法の要請からその捜査段階においても、さような程度までこれを認める必要があるかと申しますと、それは先ほど言つた通り、憲法の必ずしも直接要請しておるところではない。だからこれを憲法に書いてある通りのことを告げる、自己に不利益な供述を強要されないという程度で足りるのではないか、その両方の利害得失という問題になると、これは数字に現わすということはかなり困難でございますけれども、私どもは今度のように改正いたしますれば、実際の被疑者の地位というものが特にこのために動くということはなくて、かえつて調べ官の方では、そういうふうな心理的な矛盾を抱くことが解消されるといつたような感じを抱いておるのでございますが、これは何分にも利害得失をパーセンテージあるいは何かで現わすこともできませんので、漠然とした感じでございます。
  155. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 一応ごもつとものような御説明になりますけれども、利害得失に関する認定はやはり国民がすべきものであると私は思う。先日参りました文化人、学者の方たちが極力この点について反対をされておりますことは、むしろ今回のような改正になりますると、死物に化してこれはほとんど運用の価値がないと私ども考えるのです。消極的に強要をされない、かようなことになつてしまいますれば、調べられる日本人がかような権利のあることを承知しておるものはごく少い、むしろ承知しております方たちは前科何犯というような、裁判所の門を数回もくぐつた方が弁護士から教えられるという以外にはないのだろうと思う。むしろ私ども刑事訴訟法に基く明確に防衛権としての唯一の武器、いわゆる弱いところの被疑者、被告が、権力を持つております公益の代表である人々から調べられる場合の、さような人々の無理に対しての唯一の防衛であり武器であると考えておりまして、さような必要に基いてこの規定現行刑事訴訟法制定当時取上げられたものと確信をするのであります。従いまして憲法三十六条に基く公務員による拷問及び残虐な刑罰は絶対にこれを禁ずるとか、あるいは刑法によります陵虐罪の問題であるとか、かような問題が絶無ではございません。つい先ごろも正木弁護士が摘発いたしました例のバラバラ事件、当時の司法警察官の拷問致死事件のごとき問題は、明確にこういう問題を取上げて考えますときに、この規定の厳存することを痛切に感ずるものではないだろうか。むしろ一方においては拷問し、無理をして調べてはいけない、自白を強要してはいけないということもある。と同時に反面においてはこれを受けて立つべき一つの防衛権というものがなければならない。ことに御承知の通り被害者は非常に弱い地位におります。公判廷におきまするように弁護人が介添えとなり、当事者として相当な権利の主張ができまする地位に置かれておる場合とは違いまして、被疑者の場合においては一方的に司法警察員並びに検察官の有罪判決を維持するための、証拠収集のための捜査を受けておる、かような地位に置かれておりますから、多少りくつはありましても、どこまでもこの規定は厳存すべきものであるということを私どもは固く信ずるものでございまして、この点はただいまのような御説明におきましてはまことに私ども納得ができない。ただいま岡原政府委員から最後お話がありました、われわれ公益を保護する建前から、あるいは公共の福祉を守りまする建前から、このいずれをとるべきかという判断、これは単なる原告官である、あるいは処罰をする立場におきまする検察官並びに警察官において認定すべき問題でありまして、私は全国民の名においてこれを判断すべきものであると思う。国民の名において判断するというような建前からこれを考えますならば、前にこちらに出て参りまして意見を述べられております各学者の方たち、あるいは文化人の方たちは、あげてこの問題は防衛権として保存しなければならぬというようら御意見がありましたことを十分参考にいたしまして私どもはこの改正案を決定いたして参りたいと存ずる次第であります。
  156. 岡原昌男

    岡原政府委員 お手元に配りました資料のうち、「権利保釈に関する世論調査」という中に、黙祕権の関係も触れてございます。これは何分にも少し前の統計でございますので、今必ずしもこの通り信用していいかどうかということは、私も若干疑問は持つておりますけれども、その当時の考え方といたしまして、高等、専門、大学卒業以上の人について検討しましたところ、黙秘権の予告制度は不必要である、全然いらないという意見が約半数でございまして、それから専門程度の学校のPTAの人の六二%ほどはやはり予告は不必要である、さような意見すら述べておるわけでございます。これはただ予告を不必要であるというので、かなり進んだ考え方なのでございまして、私どもはそこまでは現在の段階ではどうであろうか、予告の内容をかえるという程度にしてはいかがであろうか、かように考えたわけでございまして、従つてこういう一部には――一部といいますか、半数、あるいは半数以上の人は予告は不必要だというようなことを考える向きもあるということを一応御参考までに申し上げる次第でございます。
  157. 古屋貞雄

    ○古屋(貞)委員 私どもあれを拝見いたしまして、むしろこの問題が必要であるかないかは、身をもつて体験をされた被疑者であり、前科者の人々の意見を聞くことが一番必要であると思うのであります。先刻岡原政府委員から、調べたときにさようなことを言うのはけしからぬじやないかというような反撃の言葉があつたとおつしやいますけれども、これは私は真正面から正直に受取ることに違つておると思います。今までさんざつぱら拷問をした、さんざつぱら自分をいじめて強制的にいろいろなことをやられ棄て、非常に自分が苦しめられて来ておりながら、今さらさようなことを聞いてあきれるというような反抗心理の現われであるというふうに考えることが正しいとは申しませんけれども、そういう場合が多いのじやないかと私どもは思う。と申しますのは、しばしば私どもの耳に入ります現在の警察の取扱い方、これなどに対しましては相当に問題がございまして、いろいろと私どもの方には保護を申し出て参つております。従いまして、ただいまの学校の生徒などは、そう申し上げるとまことに御無礼かと存じますが、世間を知らない学生でございますから、かつての社会運動家が警察にひつぱられて勾留を受け、あるいは調べられた状況、さようなことを考えますときに、特に現に行われております選挙違反事件の被疑者のごときは、検事の面前で調べまする場合に、錠をはめたまま調べておるのが多いのであります。これは私ども現認しております。さような調べ方をしておりながら、さあお前は言いたくなければ言わなくてもいい、それに対して、まじめにこういうのはおかしいじやないかというような言葉を返すようなことは私は考えられない。ことにただいまいま申し上げましたように、学生諸君が必要でないと言うのは、むしろこの黙秘に対する制度を国民が知らないことの証左になりはしないか。国民はほとんど知りません。お前が不利になり、お前が言いたくなければ言わなくてもいい、裁判所に証人として呼び出され、あるいは被疑者として調べられまするときにさようなことを言つても、まじめに受ける人はおそらくないでしよう。従いましてほんとうにこういう権利が自分にあるということを考えておりますのは、ただいま例にあげましたような特殊な犯罪であり、特殊な嫌疑を受けております人々以外にはないと私は思う。何とぞさようなことを考えられまして、この点につきましてはどうしても維持していただくことを希望申し上げまして私の質問を終る次第であります。
  158. 小林錡

    小林委員長 この際お諮しいたします。明二十二日本案に関する地方行政委員会との連合審査会におきまして、警視総監田中榮一君を参考人として招致する必要が生じました場合には、その取扱いは委員長に御一任を願いたいと存じます。御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  159. 小林錡

    小林委員長 御異議なしと認め、さようにとりはからうことにいたします。それでは明日は午前十時より地方行政委員会との連合審査会を、また午後一時より法務委員会を開会し、本案の審議を続行することといたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後五時七分散会