○岸
最高裁判所
説明員 ただいまの
お尋ねの点でありますが、まず逮捕状請求の要件は法律の百九十九条に
規定されております。またその
規定を受けまして刑事訴訟規則の百四十二条が、逮捕状請求書に記載すべき要件、さらに刑事訴訟規則においてその際添付すべき疎明資料等を
規定いたしております。そういう要件が備わ
つていない逮捕状はそれだけで却下されるのは当然であります。問題は、逮捕状を発付します際に裁判官がどの程度審査するかという範囲の問題になりますが、これは法律の百九十九条に、逮捕状請求の要件としまして、「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」ということをあげております。従いましてその法律上の
規定から言いますと、
犯罪の嫌疑あることを疑うに足りる合理的な理由があるかないかということが、逮捕状発付の要件であるというふうに、論理的に
解釈されるわけです。この点は法律の第六十条が勾留状の発付要件として
規定いたしております要件と非常に違
つております。勾留状の方の要件としましては、「被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」のほか、罪証隠滅のおそれがあるとか、あるいは逃亡のおそれがあるという要件がほかにも加わ
つておりますが、逮捕状の場合にはそういう要件が附加されておりません。そこで逮捕状発付の要件の法律上の
解釈としまして、裁判官がそういう請求を受けました場合に、逮捕状をほんとうに発付すべき必要があるかどうか、あるいはそれが妥当であるかどうかについての判断権がないのだという
考え方が出るわけであります。それとまた反対に、憲法が裁判官の令状主義をと
つたということは、
捜査について裁判官のいわゆる司法的抑制ということを
規定しておる。裁判官は逮捕状発付の際にそのような抑制をしなければ
意味がないではないか、裁判官はさような際に必要性、妥当性についても判断する権限を持
つておるのだ、こういうふうに学説上は対立いたしております。
ところでこの学説上の対立でありますが、これをしさいに見ますと、判断権があるという学説も結局、
捜査の
性質ということを
考えまして、
捜査の中でことに
捜査手続の冒頭である逮捕手続の
段階においては、裁判官というものは
事件の全貌についてそう詳しく知
つているものじやない。
従つてその被疑事実が
犯罪になるかどうかについての判断は慎重にやるべきであるが、逮捕状を出すことが必要であるかどうかの判断はかりに裁判官にその判断権があるとしても、十分に
捜査機関の
意見を尊重しなければならない、そういうふうに学説上は言
つております。従いまして学説上判断権ありということになりますと、実際の運用としては必要性の判断については、相当
捜査機関の
意見を尊重しなければならないということになるわけであります。しかしながらこの点について裁判所としましては、この法律施行以来たびたびこの問題を
考えておりまして、全国の裁判官の東京における会同はもちろんのこと、
各地方で行われる会同の場合にも常にこの逮捕状の発付について問題にしておるのでありまして、法律上の
規定の正面から言うと、被疑者がま
つたく逃亡のおそれがないとか、あるいは罪証隠滅のおそれがない。まあ逮捕しなくても、任意の出頭のような形で調べてもいいんじやないか。そういうようなときに逮捕状を出すということは、どうもぐあいが悪い。そこでただいまの
考え方としては、明らかにそれが逮捕権の濫用と認められるようなときには、いかに百九十九条で
規定する要件を満たしてお
つても、それは逮捕請求権の濫用として却下すべきである。そういう
考え方をずつと持ち続けておりまして、だんだんとそういう
考え方が強くな
つております。
しからばどういう場合にそのような逮捕請求権の濫用というべきかと申しますと、これも裁判官が経験しましたこれまでの実例をいろいろ集積して出した結論でありますが、その
一つは、最初から判明しておる数個の同種の
犯罪がある場合に、まず
一つの
犯罪について逮捕状を請求しておる。そしてその
事件で被疑者が釈放される見込みが生じて来ると今度別なな
事件で逮捕状を請求する。つまり昔のたらいまわしというようなかつこうになりますが、こういうような場合は明らかに逮捕権の濫用であ
つて、これは請求を却下すべきである。ほんとうの
一つの事実を調べておるうちに新たな余罪が出た、こういう場合。なら格別有れ
ども、そうでない場合にはこれは濫用として請求を入れるべきでない。それから次に事案が非常に軽微で罪質の情状にかんがみて最初からそれ自体では
起訴に値しないような場合、あるいは身柄を拘束する必要がないのではないかということが明らかな場合にも、これも逮捕状請求権の濫用である。こういう逮捕状の請求は却下すべきである。このような
考え方をと
つております。従いまして逮捕状の請求に際して相当性について、あるいは必要性についての判断権があるかないかという理論上の問題、これは別としまして、こういう
考え方から行きますと実際上は解決されることになろうと思うのであります。
ところで、しからばこのような裁判官の逮捕状発付についての権限、あるいはもつと広く申しますと、
現行法の逮捕状の制度によ
つて、はたして憲法が期待しているような裁判官の
捜査についての司法的抑制が十分に全うされるかどうかと申しますと、これはやはり
一つの大きな問題であろうと思うのであります。御承知のようにこの逮捕状の制度は、これはアメリカの逮捕状の制度を受継いで来たわけであります。この逮捕状の制度によりまして旧法時代のような違警罪即決処分を利用し、あるいは行政執行処分を
犯罪の
捜査に使うということはできなくな
つたわけであります。しかしそれだけではたして十分であろうかと申しますと、同じ逮捕状の制度をと
つておりますが、日本の逮捕状の制度とアメリカの逮捕状の制度とはま
つたくその
性質が異な
つております。日本のこの制度は、申し上げるまでもなく日本の
捜査手続そのものがま
つたく英米式にな
つておるわけではない。やはり逮捕という
段階があ
つて、
警察で逮捕しまして
警察で四十八時間調べ、それから
検察庁へ
事件を持
つて行
つて、そしてそこで二十四時間調べる。
検察官は二十四時間以内に勾留の必要があれば勾留状を請求する。そして勾留状をと
つておれば、十日間、あるいは延長すればさらに十日間。そういうふうな
捜査の仕組みというものは、これは英米流の裁判官の司法的抑制ということを
考えておる仕組みではないので、この点についてはやはり形の上だけでなく、実質においても依然として旧法時代の
捜査手続が受継がれておると思われます。ところがこのアメリカの逮捕状は、やはり裁判官が出します。その出す要件は、日本のこの百九十九条の
規定とほとんど同じようであります。州によ
つて違いますが、やはり罪を犯したと疑うに足るべき合理的な理由があれば出す。しかも出さなければならない、それが義務であるというふうに
解釈しているところがあるのであります。ところがそのアメリカの逮捕状はどういう
性質かと申しますと、その被逮捕者を
警察へ連れて行くという逮捕状ではなくして、裁判官のもとへ連れて来いという逮捕状なのであります。つまり被逮捕者を裁判官の面前に連れて来て、裁判官の前でこの男が実際これこれの
犯罪を犯したということを一応証拠をあげさせる。場合によ
つてはそこへ証人を連れて来て裁判官の前で立証するのであります。そのときに裁判官がこの
事件は将来有罪になる見込みはないと
考えるときにはただちに釈放を命ずる。これは有罪になる見込みがあるとなりますと勾留して、そして
事件は今度すぐ
検察官が
起訴することもありますし、また例の
起訴陪審になり、それから公判手続に行く、こういう仕組みにな
つておる。このように裁判官が
起訴前に
事件の
内容を、将来有罪になる見込みがあるかどうか審査してその見込みのないときには釈放を命ずる、これこそほんとうのジユデイシヤル・チェック、つまりアメリカで言います
捜査についての裁判官の司法的抑制の制度であろうと思います。ところが日本の逮捕状制度はそういうものではございません。御承知のような手続、その冒頭の
段階で
事件の全貌を知らない裁判官に多くを期待することは、あるいは無理ではなかろうかというふうに思います。それでたとえば公判手続後の勾留の場合ですと、裁判官がその
事件について審理をして、
事件の実態がよくわか
つておりますから、裁制官自身の判断でこの被告人の身柄を押えておく必要がある、あるいはもうその必要がないから保釈していい、執行停止にしていいというふうに、裁判官が
事件の
内容にわた
つて審理すればできるのでありますが、その前の
段階で、十分にそれを行わせようとするならば、よほどこれは制度的な問題として
考えなければならないのではなかろうか、さように思うのであります。
ところでこのように申しましても、しからばアメリカのその最初出される逮捕状の発付のぐあいはどうかと申しますと、やはりアメリカでも逮捕権の無差別な執行ということが非難の的にな
つております。アメリカで最初に出します逮捕状は、これは大体日本の百九十九条と同じようでありますが、しかし州によ
つてはそこで裁判官が証人を調べるというところもあるようであります。またたいてい
例外なく逮捕状を請求する者には宣誓をさせる。自分の請求は誠実にこれを行
つておるのだという宣誓をさせた上で逮捕状を出しておる。そういうことをや
つておるにかかわらず、逮捕権の無差別執行ということが、アメリカの最も非難すべき刑事司法上の特徴の
一つである、そういう言葉があるのであります。これはアメリカの上院の司法制度調査
委員会が調査してそういう
意見の出たことがあるのであります。そこでそういう現象に対して、しからばどういう対策をアメリカでは
考えておるかと申しますと、これは私のごく限られた調査の範囲であるいは十分でないかもしれませんが、
一つの制度としましては裁判官が逮捕状を書いて身柄を拘束しておく必要がないと思うときは召喚状を出す。アメリカの召喚状は裁判所へ身柄を連れて行く、裁判官の面前へ連れて行くというのですから、召喚状ということになる。この召喚状の制度と、それからもう
一つの制度は、これは今
国会でもいろいろ問題にな
つておるようでありますが、
検察官をしてある程度コントロールさせるということであります。これはそういう立法をしておるところがあるかどうかはつきりしませんが、文献によりますとミズーリ州ではすべての
犯罪について逮捕状を請求するときにはまず
検察官のアブルーヴアルを先に得なければならない、そういうことをや
つておるということが出ております。またイリノイ州では重罪の場合にだけあらかじめ
検察官のアプルーヴアルを得なければ逮捕状の請求をしてはならぬというようなことが
考えられておるようでありまして、御
質問の
趣旨に沿いますかどうか、もしこの原案にありますように、
検察官の同意を得るというふうにな
つたら、はたして今後どうなるだろうかと申しますと、これは何とも予測はできませんが、しかし従来の例から徴しますと、またこれまでのいろいろな会同の際に裁判官の
意見、感想を聞いたところによりますと、やはり何と申しましても日本の現状では
警察官の法律的教養、素養の点が
検察官とは隔たりがある。
検察官の場合に比べると、
警察官の逮捕状の請求というものは非常に乱雑である。そういうことが裁判官の
一般的な感想のようであります。その点で
検察官の手を経るということになりますと相当のコントロールといいますか、
規制をするということになろうと思います。しかしそれだからと申しまして、これも裁判官
一般の
考え方でありますが、
検察官の手を経たからとい
つて裁判所は決してそれをうのみにするものではない。この点については
検察官の手を経ようが経まいがかわりない。そういうようなことを申しております。御参考のために以上申し上げておきます。