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1953-07-20 第16回国会 衆議院 法務委員会 第18号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年七月二十日(月曜日)     午後二時十六分開議  出席委員    委員長 小林かなえ君    理事 鍛冶 良作君 理事 佐瀬 昌三君    理事 田嶋 好文君 理事 吉田  安君    理事 猪俣 浩三君 理事 花村 四郎君       大橋 武夫君    林  信雄君       高橋 禎一君    中村三之丞君       古屋 貞雄君    細迫 兼光君       木下  郁君    佐竹 晴記君       木村 武雄君    岡田 春夫君  出席国務大臣         法 務 大 臣 犬養  健君  出席政府委員         国家地方警察本         部長官     斎藤  昇君         検     事         (刑事局長)  岡原 昌男君  委員外出席者         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 七月十八日  戦犯者釈放に関する陳情書  (第九七五号)  刑事訴訟法の一部を改正する法律案中一部修正  に関する陳情書  (第一  〇〇八号)  戦争受刑者全面的釈放海外抑留同胞の急速  引揚に関する陳情書  (第一〇〇九号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  刑事訴訟法の一部を改正する法律案内閣提出  第一四六号)     ―――――――――――――
  2. 小林錡

    小林委員長 これより会議を開きます。  刑事訴訟法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。質疑の通告があります。順次これを許します。猪俣浩三君。
  3. 猪俣浩三

    猪俣委員 今度の刑事訴訟法改正は実は私の方は大体の傾向としてあまり感心できないのであります。私ども改正しなければならぬと思つておりますよう規定は、さつぱり改正になつておらぬ。たとえば裁判やり方でありますが、裁判をある事件に集中し、かつこれを継続的に審議する。これは口頭弁論主義当事者主義真実先見主義から見て、最も有効適切な制度だろうと思うのです。それは旧態依然して、ぽつりぽつり、一箇月も二箇月も期間を置いては裁判をやつておるようやり方であります。これではほとんど書面審理になつてしまつて口頭弁論主義の長所というものは何もない。そういうものに対する改正のくふうは何一つなされておらなぬ。なおまた訴状一本主義というものに対しましても、相当疑問があるのでありまして、日本の現在のよう弁護人の事務所が貧弱なところにおきましては、この起訴状一本主義が妥当であるかどうか、十分に防禦権を尽されるかどうか、これは私どもこの法律の制定の際進駐軍に対しまして極力意見言つた点でありますが、こういつた点についてもちつとも改正が加えられておらない。あるいは三百二十二条の問題についてもしかりであります。そうして問題は大体において勾留期間を延長するとか、あるいは勾留開示方法を簡略にするとか裁判を簡略にするとかいうような面にばかり重点を置き、最後には警察検察庁のなわ張り争い的な規定に全力を集中しているように見えますので、大体法務省考えておられる方向というものが私どもはあまりすつとしないのであります。これは法制審議会審議の結果ではありましようが、どうも何かほんとうの真実発見人権擁護立場からの改正が見られない、これは遺憾に存じます、しかし現に出ておりますこの改正案につきまして一、二お尋ねしたいと思うのであります。  第一は捜査権中心といたしました警察と、公訴権中心といたしました検察庁との権限の問題が出ております。法務省側としては、これは何も新たになわ張り争い規定したのじやないのだ、従来の刑事訴訟法を明確にしたのだという説明でありますが、それならこんな改正の必要はさつぱりないのじやないかと思われるのでありまして、私どもはそこがはつきりしないのであります。そこでこれは私警察にも検察庁にも言いたいのでありますが、先般の大橋委員の質問に対しまして、同意権を与える問題について、法務六日は、率直に言つて、実は警察捜査権というものが不完全であるから、やはり同意という必要があるのだというふうな答弁をなさつたのでありますが、これは私は非常に容易ならぬ問題だと思うのであります。どうも大橋君の民法中心とした不完全行為論に引きずり込まれてしまつて妙な答弁をなさつたのじやないかと思うのであります。どうもそんなわけのものではなかろうと思います。これは責任論から出て来るのじやないか、常々私ども警察法に基く自治体警察国家警察、こり最高責任公安委員会にある。これは国会と全然関係のないものである。国家刑罰権実行について国会関係のないものが最高責任を持つておるということが、民主政治のあり方としてどうであろうかという疑問があるのであります。この意味から、法務大臣頂点といたします検察陣は、法務大臣において国会に対して責任を負われる立場にある。そこでその責任を負われる立場にあるがゆえに、やはり捜査につきましても同意、報告、そういうことが出て来る。むやみに警察官人権蹂躪的なことをやられて、その責任は、法務大臣頂点とする検察庁責任を負うというような形では検察庁としてもお困りだろう、こういう責任の帰趨からこの同意というようなことが出て来るので、民法の妻の能力や少年の能力同意なという意味とは私は意味が違うと思うのでありますが、法務大臣は先般の大橋委員説明ように、やはり警察官が不完全なるがゆえに、これを「同意」ということにおいて充足するのだ、という民法的解釈を今でもおとりになるつもりであるか、そうなりますと、警察側に対しまして新たなる問題が出て来ると思うのであります。その点なお明らかに願いたいと思います。
  4. 犬養健

    犬養国務大臣 お答え申し上げます。ただいまの責任論お話はごもつともでありまして、責任論の観点から心えることの方が私は正しいと思うのであります。ただ当時私が言葉を添えて申し上げましたように、「同意」というのは民法上の同意とは違う。しかしそれにしても、同意を得なければ完全なる逮捕状請求の形にならぬと思わぬかという議論がだんだん進みまして、それでは不完全行為であるかどうかということに限定して法務大臣ただいま返事をしろという御要求ならば、その限りにおいては不完全行為ということになるのであるが、警察が不完全とは思わぬが、さるも木から落ちるというたとえもあるから、その意味において、不完全行為を防止するという意味で「同意」という字を使つたともあなたの議論のわくだけで言えば言えるでありましよう、こう申し上げたのであります。従つてそのあとでかかる議論が起こりやすいことであるから、私は「同意」という字が、表現する場合に世の中で一番適当な字であるかどうかは実はまだ自信がない。しかしまあ知が本法案を提出するまでに下僚とともに考えたうちでは、これが一番かどが立たないのじやないか、こういう意味で「同意」という字をつけました、こういうふうに前後に申し上げたのであります。猪俣委員のおつしやるように、まん中の三、四行はそういうことになつておりまして、その限りにおいては、責任論から法律論になる方が私は正しいと思つておるのであります。
  5. 猪俣浩三

    猪俣委員 民主政治下における国家刑罰権実行に対する国会に対する責任という意味において、検事の主張することも一理あるというふうに考えられるのですが、齋藤国警長官に先般質問いたしましたら、それは警察法改正にまつべきものであるという御議論でありまして、そこがはつきりいたしませんが、もう一度その点について齋藤さんに御答弁を願いたい。
  6. 斎藤昇

    斎藤(昇)政府委員 警察監督に関する事柄は、警察法改正なり、運用なり、あるいは他の法律にまつべきものであつて、もちろん検事監督をさせるということも一つ方法でありましようが、刑事訴訟法検事監督をさせるということになりますると、旧刑事訴訟法ような形になつて行くおそれがあるから、それは望ましくない、かよう考えておる意味から私は申し上げておるのであります。警察監督するために別の監督方法手段考える、あるいは警察法自体で国が必要な限度において監督のできるようにするとかいうことは、これは必要があれば私は必要である。手段方法は、そういうように縦わけして考えるべきじやないだろうかということを私の意見として申し上げたのであります。
  7. 猪俣浩三

    猪俣委員 警察における最高責任公安委員会であり、これは国会と何らの関係に立たない機関である。そこに元来国家の固有している国家刑罰権実行に関して、その最高責任者に対して、国会が何らの関連を持つておらないところに、理論的にも、実際的にも私ども問題があると考えあなたに質問したのでありますが、あなたは、やはり現行公安委員会最高責任者とする警察運営をなお考えておられるのであるか、あるいはそうじやない、国会に対して責任を負うよう警察にするというようにお考えになつておられるのであるか、その点をお聞かせ願いたい。
  8. 斎藤昇

    斎藤(昇)政府委員 先般の警察法改正として政府提案をせられました案は、御承知通りであります。あのときの主要な理由は、警察に対する政府責任を明確にするという点が一番大きな改正一つであつたわけであります。で公安委員会を存続しながら政府責任を明確にするようやり方、あるいは公安委員会を、この前の案のよう公安監理会というような形にかえて、そうして別の角度から政府責任を明確にする、いろいろ方法はあるのだろうと考えております。先般政府提案せられました案は、私はさような目的を達する一つの案だと考えておりますが、これが唯一であるかどうか、まだ研究余地があると考えている次第であります。
  9. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで一体この刑事訴訟法改正案として出されておりまする捜査権及び公訴権をめぐりましての検察警察関係、これは元来警察法改正案が出るときに一緒に出すべき問題じやないか。警察法は現在のままにしておいて、この点だけ改正ようとするところに無理があるのじやないか。これは今回はおやめになつて警察法改正案と同時にこの問題を提起なさる意思がありやいなや、法務大臣にお尋ねいたします。そして一体これを警察法と関連せしめて提案し、警察法と関連せしめて審議することが妥当と思われるやいなや、それを妥当と思うとするならば、何がゆえに警察法審議をそのままにしておいて、この法案改正だけを提案せられたものであるか、これをお答え願います。
  10. 犬養健

    犬養国務大臣 その点を率直にお答え申し上げたいと思います。警察法改正というものは非常に根本的な重大な問題でございますから、あらためてわれわれの既成観念外のよい考え方があるかどうか、あるいは過去においてわれわれには反対せられた向きの方方も、だんだんこの前の国会審議の一箇月を通じて、なるほどそういう意味つたのか、それなら表現を少し直せばよかつたかもしれぬというよう向きもあつたかのように思われますので、かれこれ慎重にさらに再検討をやつて行きたいと思う次第であります。そこでこの捜査を適正にし、その他公訴実行を全からしめるという問題は、実は私は事の起こりをいろいろ考えましたら、占領時代のことでありまして、もつと後日誤解を招かないよう表現方法があつたのじやないか、この点を法務当局にも私は自分でただしたことがあるのです。こういう文句にしておくことが今日間違つていたのじやないか、それは占領時代のことであつて特殊事情でいかんともすべからざる問題であつた。それではやはり公訴実行を全からしめるためには、捜査の適正についても何かの検察側意思反映というものがあつて検事警察官から犯罪事件受取つてから調べ直しをするというようなことになると、また勾留期間を長く使うというようなことにも響いて参りますので、その問題は警察法と別個にひとつ解決しようじやないかということになつたわけでございます。これが百九十三条について今度提案をいたし、御審議を願  もう一つ百九十九条の方は、どうも数多い警官うちのごく少数とは思いますが、選挙違反あるいはいわゆる民事くずれその他で、大分逮捕状濫用というようなことを世間から言つて参りますので、これも警察法改正と別個に解決しよう、但し先日申し上げているように、これについては警察立場とが、猪俣委員すでに十分御承知ように必ずしも融合しておりませんので、この数日来特に私も両者の間に立ちまして、大体感情的にも理論的にも見るところまでこぎ着けました。この点はなお努力をいたしたいと思つておるのでありますが、かたがた右様の次第で、警察法改正と別個にここで改正をお願いして、御審議を願うということの方がどうも時宜に適しているのじやないか、こういうふうに考えた次第でございます。
  11. 猪俣浩三

    猪俣委員 先般齋藤国警長官の公述によりますと、破防法に対しまする検察庁側通牒というか、指令といいますか、これは自分たちは不満である、一般的支持というものがこういうものであるならば承服いたしかねるという意味の供述がありました。そこでこれは齋藤さんにお伺いいたしたいのですが、先般私申しましたように、この破防法は実に文化団体その他多くのインテリ階級を中核といたしました、労農団体が一斉に反対いたしました法案であることは申すまでもない。その心配中心は、この法律ができると、第一線に働く人たち人権蹂躪をして、昔の治安維持法ようになるのではないかということでありました。法務大臣はしかる方向にはならない、絶対に基本的人権を侵害するようなことはしないのだということを再三申されております。そこで私どもはもし公安委員会最高運営管理責任のある警察において、捜査権は独立なりとしてこの破防法なんかの捜査をかつてにやる逮捕請求をやるということになりますと、国会に対して責任を負いまする法務大臣は非常に窮地に陥るだろうと思うが、それを一体どういうふうに打開したらいいと国警長官はお考えになつておりますか。国会に対して責任を負う者は法務大臣、そして法務大臣は確和をやつております。ところがどんどん検挙するのは警察がやつておる、そして捜査権は独立なんだ、こういうことになりますと、だれが責任を負うか、それは公安委員長でもなく公安委員会だということになりますと、政治上はともかくといたしまして、法制上からわれわれは追究することができない。これに対して一体法務大臣国会に対して負いました責任を果すには、警察とどういう関係に立たねばならぬのであるか。ああいう破防法に関する犯罪捜査については検事同意を得てもらいたいという通牒に対して、あなた方は非常に反対しておる。そうすると法務大臣国会に対する言責をどういうふうにして持つことができるか、その対策があつたら御説明願いたい。
  12. 斎藤昇

    斎藤(昇)政府委員 私はこの破防法違反事件捜査の慎重でなければならぬということにはまつたく同意見でありまして、警察側は全部さよう意見があります。従いまして私当時申しましたのは、こういうものを法律上の指示として出さなくとも、警察申合せで十分実行できる、過去の例から考えてみましても、ただいまお述べになりましたような特高の職権濫用というものは、警察がかつてにやつてその結果濫用が起つたというのではなくて、むしろ中央の指示事件着手をした、その事件着手の仕方が悪かつたというのが、一つ人権蹂躪として言われている点で、いま一つは、取調べにあたつて現実に物理的な人権蹂躪を加えたというよう事柄が問題なのでありまして、もしさようだといたしますならば、――ことに警察官取調べにあたつて物理的な人権蹂躙を加えるというよう事柄は、これだつてその責任が負えないのであります。ただ着手をしてよろしいかどうかというだけの事柄であります。最も心配をせられるのは、調べにあたつて人権蹂躪的事柄をやるということがこういう事件にえて伴いがちである、それを御心配になつておられるのだろうと考えますが、そういう問題は、この指示をもつていたしましても法務大臣責任をお負いになることができないのであります。こういつた事件検事だけの手で調べ警察がタッチしないとか、あるいは警察自身法務大臣監督させなければならないというのであれば、この法律なり他の法律でそういう立法をしなければならない。現在の法律をそのよう解釈をされるならば、これは警察監督を厳重にやらそうと思えば、何でも監督をさせられるというよう解釈ができますから、この条文の解釈としてそれを持ち出されることは将来に大きな禍根を残す。だから、現実ようでないように、国会の御要望に沿うように、一つ検事側に対しては法務大臣責任を持つておやりになる、他の方は、法務大臣警察官監督大臣として政治力を持つておやりになるという以外には現行法ではやり方がない、かように私は考えておるのであります。
  13. 猪俣浩三

    猪俣委員 イギリス法制検察警察関係ちよつと調べてみますと、たとえば日本における破防法とかいうように、大なる犯罪については検事指揮権がある、警察検事指揮従つて活動する。しからざる軽微な犯罪警察が独自の見解でやるというよう制度になつているようであります。アメリカ状態は、あまり法律的に規定されておらぬようでありますが、警察は主として捜査をやる。検事と称するのは日本検事というのと非常に観念が違つているようでありまして、これはまあ警察法律顧問、あるいは州とか国のようなこういう公共団体法律顧問よう立場で、ちようど日本におきまして、行政事件なんかに対しまして法務省の訟務局がその行政事件の国の弁護人ような形になつて出ているような形で、検事は法廷の論告官として起訴官としてやつておるというよう慣習的制度になつておるようでありますが、但しアメリカ警察官というのは、たいていその教養において大学卒業生で、日本検事と同じよう経歴資格の持主である。そうしてその俸給も、日本大臣くらい俸給をもらつておるというのでありますから、そのアメリカ警察官という言葉をただちに日本警察に移し植えるということは私はできないと思うのであります。日本警察官の中には相当おそまつな者があると思われるのでありまして、法務大臣不完全行為論も出て来ると思いますが、しかしそれはどうも法制上の民法同意権よう意味で言われるとこれはたいへんな弊害が生ずると思うのでありますが、実情としてはアメリカ警察官というものとそれとは素質が違うのではないかと思うのであります。  そこで私は法務大臣にお尋ねいたしますが、ある特殊な犯罪、相当全国的にまたがるような、あるいは思想犯罪ような特別の犯罪限つて検事に全面的に指揮権をゆだねる、それからある犯罪警察が独立して捜査権を行うというような、イギリス流制度にすることがいいのじやないかと私は思いますが、法務大臣の御見解を承りたい。
  14. 犬養健

    犬養国務大臣 これは十分研究余地があると思うのであります。但し、当面の主題としてどうするかという問題になりますると、今それをただちに決行するだけの決心が私にはつきかねるのであります。  もう一つは、日本警察官素質の点でありますが、今猪俣委員の言われましたように、私もよくアメリカの街頭で見て実にいいおまわりさんだなあと思うことがしばしばあつたのでありますが、あれくらい素質養もあり、それから第一俸給も非常にゆたかで、安心して日常生活をしている、心のゆとりもあたたかさも出て来ている。日本警察官もそういうふうになれば今のお話ようにした方がいいのじやないかと思いますが、それ以前においては――今齋藤長官が一生懸命で警察学校教育であるとか、名士の講演をお願いしたりして非常に苦心して警察官教養高めようとしておるのでありますが、それが私どもの、あるいは猪俣委員の脳中にある水準まで行つているかというとまだ行つておりません。従つてこの問題は将来の問題として十分真剣にこの目標について勉強してみようと私は思つております。
  15. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで、先ほど申しましたように、これは警察法改正問題と同時に審議すべきものだと思う。それから今言つたように、アメリカ制度や、あるいはイギリス制度に比べると研究余地が多々ある。だから、一体今急にこの問題を解決せねばならぬ必要があるのかどうか。これはもつとよく研究してみたいと大臣もおつしやるのであるから、御研究の上確固不抜の信念に基く改正案として提出なさる考えはないかどうか。そう急にこれを解決するということはむずかしいかわりには、今回はこの問題はひつ込めなさつて、もう一ぺんよく議を練つた上で、警察法などと一緒に――これはどうしても相関関係でありますから、一緒提案される意思はないか、それを念のためにお確かめいたします。
  16. 犬養健

    犬養国務大臣 これは新刑訴法の根本的改革にもなりますので、将来の問題になりますことは今申し上げた通りであります。それでは将来の問題として根本的改正をして、小細工な改正はやめておいた方がいいのではないかというお話でございますが、先ほど申し上げましたように、新刑訴法施行されて以来四年有半、どうも運用の上で思わしくない、まあ、ある部分は早く言えばバタくさいところがある。そこで、どうも運用にさしつかえるというところだけでも改正をして、他日の根本的改正は別のこととして、お互いにうまずたゆまず勉強しようというのが、法務大臣の元来の法制審議会に対する諮問の要求の仕方であつたのでございます。従つて法制審議会としても、根本の問題は根本問題として、さしあたりの、運用の妙をもつてしてもどうもさしさわりの多い点だけとりあえずやりましよう根本改正というものがすぐできるかどうか、いろいろ研究すればさらに深い問題が起るから、さしあたり運用にさしつかえる面だけやろうというのが今回の改正でありまして、その限りにおきましては、一番初めにおいて、猪俣委員が言われましたような、どうも根本問題に触れていないというお話は私は至当だと思つております。ただ趣旨がそういうことでありますので御了承願いたいと思います。
  17. 猪俣浩三

    猪俣委員 警察官の言うところの、警察逮捕権がある、これは独立しているのだというよう考え方もはなはだおかしな考え方である。また検事勾留権限あるいは逮捕権限がそのままあるように普通考えられているが、しかし厳密に法律的に言うならば、この逮捕勾留する権限判事にしかないのであります。何も逮捕権警察にある道理はない、逮捕権のあるのは判事でありまして、勾留権のあるのも判事であります。それをそのままにしておいて、警察検事だといつてつておられる。それは現在の状態をありのままに反映している議論にもなる、だから、今の判事にさよう勾留権逮捕権を与えておるということまで実に妙なことになる。権限法律上ありながらさつぱり実体はない。検事逮捕請求勾留請求する、あるいは警察官逮捕請求する、そうするとほとんど盲判でみなやつている、こういうばかな制度はないと思う。これをどうするかということに対してこの改正刑事訴訟法は少しも触れていない。こんなことではおよそ意味がないのであります。もし検事同意権を与えるというと検察フアッシヨになるおそれがあるという疑い、これは決して一笑に付すべき問題ではありません。権限のあるところ人間は知らず知らずそれにおぼれるのが古今東西歴史の証明するところである。それでありますから、一切合財検事同意権を振りまわして逮捕、拘禁の実権を握るよう制度というものは権力集中に相なりまして、警察側が反対する理由があると私は思います。これはまた逆の場合にも同じごとである。されば権力分立立場から齋藤長官の御説明にも私ども同感するところが多々ある。これは両者権限を持たせるべきであるが、それが濫用されるかどうかという調和点は、警察に求め、検察に求めるものにあらずして判事に求めなければならぬ。判事権限がある。それを盲判を押させておいて、警察にやれば濫用になる、検事にやれば濫用になるという議論はできません。それならば判事権限というものをやめて、検事が一元的に逮捕権勾留権をお持ちになつたらよかろう、持たせた以上はその権限にふさわしい内容を持たせなければならぬ、しかるに今の判事諸公の態度というものは大体盲判である。また判事にわれわれがこれは勾留する必要がないのだと説明しても、その必要があるかないか自分たちは審理する権限がない、材料かないから、検事の言つた通り認めるよりしようがない、形式的なことで審査するよりしようがない、内容もわからない、予算もない、やりようがないのだ、こういうところが私はこの刑事訴訟法根本的弱点であると思います。そういうばかげた制度を今日まで温存して、それに対して検察庁もお気づきにならぬ。四年半実施した結果、いろいろ欠陥が出たというので改正案を出しながら、自分たちに都合のいいところはお気づきにならぬ。これも私は疑惑がある。それは判事が盲判を押してくれた方が皆さんは都合がいいでしよう。しかし逮捕状の濫発ということをおそれるならばこの点にメスを入れなければならないから、私はそれをまず劈頭第一に大臣に御嵩申し上げた。われわれはもし検察警察逮捕権勾留権の争いがあるとすれば、一切こんな争いはやめて、判事のこの実権に内容を付するということが、まず中心的に考えるべき問題ではないかと思う。そこでそれにはどういう方法があろうかということまでよく考えなければならぬ問題であります。当法務委員会におきましても、寄り寄り話が出ておるのでありますが、この判事に実質上の勾留の必要、逮捕の必要があるかないかを判断せしめることが妥当でありやいなやということにつきまして、御意見があつたら承りたいと思います。
  18. 犬養健

    犬養国務大臣 この問題は猪俣委員同様、私も国会に入りましてから、しきりに苦慮している問題でございますが、まずちよつと時間がかかりますが、国会に入る前のいきさつを一、二分申し上げたいと思います。  法制審議会に先ほど申しましたように諮問いたしまして、法制審議会では一応警察官逮捕状請求をする場合は、検察官の同意を得るくらいならばいいだろうということで、法制審議会が一応同意という字でまとまりましたが、その後どうも同意という字以上にいい字はないかということが――率直に内輪話でありますが、私及び下僚のところで起りました。さりとてもう一度法制審議会にかけますと、同意以上のまた別の意味で強い言葉が出て来ないとも限りませんし、私は法制審議会を尊重する建前もとつておりますので、同意という字においてただいま御審議を願つておるのでございますが、大体猪俣委員のお考え方が新刑事訴訟法のこの条文の正しい考え方だと私は思います。さりとて御指摘になりましたように現在の判事に判断の全責任を負わすということは、実際上は当てはまつていない。そこで警察官逮捕状請求裁判官に向つていたす場合に、判事が多くの角度から、逮捕上の請求が妥当なりやいなや、適法なりやいなやの判断をする資料をさらに発するようにするという方が現状に適する、こういう意味において検察官の同意を要すると書いたのでありまして、しばしば申し上げますように、この同意という字が世の中において一番適当な字かどうか、重ねて御質問がありますと、実は私は一番いいとは申しかねるのであります。要するに猪俣委員の百九十九条に対する御解釈は、大体において正しく、また私も同感に存じておる次第でございます。
  19. 猪俣浩三

    猪俣委員 実は判事逮捕あるいは勾留に対する盲判に対しては、われわれはぼう然たらざるを得ないようなこともあるのであります。裁判所側から出ていただいて私どもお尋ねしたいくらいでありますが、昨年当法務委員会で私は問題にしたこともあります。人権擁護の面で取上げました人違いの勾留の問題であります。ある会社の専務取締役が公務執行妨害、殺人未遂で起訴された、これはラジオで放送され、全新聞に出ました。それがためにこの会社はたいへんな恐慌を起しました。ところがその専務は全然逮捕なんかされておらない、人違いなのであります。それで警察に人違いだ、現在自分はこうやつてここにおるのだ、だから何とか取消してもらいたいと言つて行きますと、警察答弁はこうだ、いやあれは自分たち責任ではない、判事さんが印を押したのだから判事さんのところに行つてくれ、こういうのであります。判事のところに行きますと、いや警察で来たもので、そのまま押したのだ、こういうような始末で、まつたく人違いの人間がラジオにも放送され、全新聞に書かれた。全国の会社のお得意さんからひんぴんと照会状があり、その人は三日間ばかり自動車に乗り詰めで東京中の銀行を、この通り自分はおるのだと説明して歩いた、これが問題になりました。かよう判事の現状というものはまつたくの盲判でありまして、何ら審査もやつておらぬというのが実情だと思います。そこでどうしてもこの際判事がもう少し実質的な審査をするように私ども改正したいと思つておるのでありますが、法務大臣も賛成だとおつしやるのでありますから、これはその程度にとどめておきたいと思いますが、私どもがさよう改正をいたしますならば、予算の実現に努力していただかなければならない。ただ権限を持たれたつて判事は神様でも何でもないのでありますから、予算が伴わなければこれは実施できません。判事の数をふやすなり何なりいたしまして、実質的審査ができるよう大臣からその予算措置を深甚なる考慮をもつて御配慮いただきたいことを要望しておきます。  それからなお警察に独立の捜査権があるとかないとかいう問題で、いろいろ議論があるようであります。法務府の人権擁護局から出しました「逮捕状運用に関する調査」というのを見ますと、昭和二十六年十月一日から同月の三十一日までの一箇月間においての全国の警察捜査の対象として取扱つた人員に対する統計が出ておりまして、これは七万九千八十八名である。そのうち現行犯で逮捕した者が二万五千百六十八名です。緊急逮捕した者が七千十四名、合せて三万二千百八十二名、これは検事あるいは判事勾留状も何もなくて逮捕しておるのです。現行犯、これはいらない。緊急逮捕、これはいらない。そうすると七万九千ばかりのうち三万二千何ぼというものは判事勾留状も逮捕状も何もなしに勝手に警察逮捕している、こういう事情になつておる。ですから今検事同意云々を警察がたいへんなことのようにおつしやるけれども、半分ばかりというものは判事も素通りでやつておる。私はこの緊急逮捕などというものは非常に問題があると思う。それから一昨年でありますか、当法務委員会選挙違反事件の調査で鹿兒島県へ調査に行つた。私はそのとき行かなかつたが、そのときに行つた委員の報告によると、あきれ返つてしまつた。鹿兒島県あたりは緊急逮捕するのがあたりまえだと思つて判事逮捕状なんていうのを持つて行くのは例外のよう状態で、警察官がそんなものいるんじやかなあというような話だ、こういう実情なんです。そこに法務省心配する点も出て来る。そこでどうも法律というのはよほど慎重につくりませんと、一旦つくると例外が原則になつてしまう、役人というのは便利な方に使つてしまうんだ。緊急逮捕というのは例外中の例外なんです。大体において判事逮捕状勾留状によつてやらなければならぬことは、憲法の大原則からも来ている刑事訴訟法の大原則だ。しかるに一度これが法律を出して下部に流されるや、いつとはなしにその例外が原則になつてしまつて、ははあそんなものがいるのかなという巡査が出て来る、これは非常に問題であるのであつて、そこで今逮捕状請求するのに検事同意があるかないかという問題よりも、その前に検事の手も判事の手もてんでかからないこういう緊急逮捕というようなものが相当数行われておる。それから現行逮捕と称するものにも相当あいまいなものがある、こういうことを徹底的に人権擁護立場から調査をしないといけないと思う。こういうことをそのままにしておいて、ただ警察検察だと言つたつてらちが明かぬのでありまして、私どもはこの緊急逮捕事件につきまして法務大臣からもつとよく調査していただきたいと思う。しかし今言つたよう警察は独自の捜査権があるというようなことで、実際の法務省のひいきなど一切受けないというようなことになつてしまうと、法務省としてもやりようがないかもしれませんが、幸い犬養大臣警察所管の大臣でもありますがゆえに、この緊急逮捕の実情についてもう少しお調べ願いたいと思います。これを濫用いたしまして、例外が原則になりましたら、検事同意を得なければ出してはいかぬとかなんとかいいましても、百の説法へ一つになつてしまつて何もならぬ。この点につきましては今ここで要望だけにしておきまして、あと緊急逮捕の実情についてのことを、他日でもよろしゆうございますが、よく御報告いただいて、考えさせていただきたいと思うのであります。  それから警察官検察官の問題につきましてはなお多々論ずるべき点がありますが、当法務委員会におきましても相当の代案がおいおい出て来るようでありますから、私はこの程度にとどめておきまして、なお二、三の点について質問をいたいと思います。  これは、岡原政府委員はこの当時おいでになつておられなかつたかどうか知りませんが、第二国会におきまして刑事訴訟法の全面的な改正法律案現行法ができましたときに、私はこの検察庁の一般指揮権と司法警察官の身分につきましての関係を詳細に質問いたしております。時の法務総裁は鈴木義男君であつて自分の党の大臣でありました。説明を読んでみるとまことに興味模糊とした答弁をやつておる。ところがやはり自分の方の大臣つたので私もあまり追及をやらぬでおつたのですが、まことにわけのわからぬ答弁をやつておるのであります。しかし私はすでに今日かようなことが起るのではないかと思いまして詳細な質問をやつておりますが、不幸にしてそれが今問題になつて来ておる。ですから法務委員会の論議を熱心に聞いておいでになる方がずつと継続してこの衝に当つておられるならば、こういう問題はすでにこの刑事訴訟法をつくるときに出ておるのであります。私もこの点に対しては相当質問をやつておるのでありますが、それに対して何らの明快な態度がとられないで今日まで来たのでありますが、これはなお法務大臣もよく御考慮いただき、当委員会においても委員の諸君において何らかの考えがおありのようでありますので、当委員会と隔意なき懇談の上にこの問題を解決していただきたいということを要望して、この点につきましてはこれで切上げたいと存じます。  次に「第八十四条第二項中「請求者は、」の下に「書面で」を加える。」書面でやるというのであります。今般の改正案を見ますと、どうも口頭弁論主義から書面審理に向うようなところが往々出て来ておる。口頭弁論主義というのむはずかしいかもしれない。しかし書面審理という方に移行せられるということは私どもはなはだ感心できない。八十四条のごときもその一つの現われではないかと思います。どういう理由で書面ということにしたのでありますか。もう一度、岡原さんにお尋ねしたいと思います。
  20. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 いわゆる勾留理由の開示手続につきましては、憲法の要請するところと、それから実際に運用されておる実情とがややそぐわないものがあるのではないかということが、最近いろいろ事件勾留理由の開示の手続を通していわれるようになつたのであります。そのおもなる点は、憲法で御承知の三十四条の後段におきまして、「何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。」というふうに規定いたしてありまして、要するにこうこういう理由勾留がなされたのであると勾留理由を告げるだけでいいということになつております。その点を刑事訴訟法におきまして、やや丁寧に口頭で意見を述べる機会を反対に与えたわけであります。ところが実際に事件運用の実情を見ますると、どうも一部の人たちに法廷闘争の具に供せられ、いわゆる極度に濫用されるという傾向が著しくなつて参つたわけであります。そこでこれは憲法の要請するところが必ずしもこの程度まで行つてない。従つてこれを口頭で意見を陳述させる必要がないのではないか。中には全然憲法の要請からいうと意見の陳述の機会も与えなくてもいいというふうな意見すら多いのでございます。それでこの点に関しまして、実は法制審議会におきまして団藤教授が憲法との関連で問題があるのではないかという疑問を提出されましたので、その当時宮澤教授とそれから金子教授と田上教授、高柳総長、それから小野元教授、佐藤法制局長官等、憲法の専門家の御意見を徴したのでございますが、いずれもこれは違憲の疑いはないというふうな御解釈でございましたので、それならば安心して法案として出すことができる、しかもその点について従来の口頭で意見を陳述するというところを、その濫用の面と、もう一つ憲法でその後の必要のないという点を折衷いたしまして、書面でこれを陳述させる、意見を出すというふうなことにしたならば、急激にその本人の権利を奪うことにもならないし、よかろうというのがこの立案の趣旨なのでございます。
  21. 猪俣浩三

    猪俣委員 これは実際の裁判に臨んで考えてみますと、結局判事勾留理由説明する、それに対してこちらは、弁護人なら弁護人意見を出すわけですが、聞いた上でなければ意見が出せないわけだ、そうするとどういうことになりますか、公判を開いて判事勾留理由説明する、即座にそれに対して文書をつくつて出す、こんなことはよほど神様でもなければできないです。神様でなければできないことを法務省側の方では要求なさつているのかどうか、その実務についてひとつ御説明願いたい。
  22. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 この点は私どももいろいろ議論をいたしまして、猪俣さんの御心配になるような点も確かにあるのではないかというようなことを論じ合いました。結局その勾留理由開示手続というのは、一面においては本人が納得するかしないかは別といたしまして、どういう理由で本人が勾留されたかということを一応本人が知るという機会を与えることが一つでございます。それからその半面においてさよう理由を告げている際に、あるいは裁判官が本人の顔を見て、場合によつたら取消した方がいいという場合も起らぬとも限らない、これは副次的な理由でありまして、勾留理由開示のねらつているねらいではないのでございますが、もちろんそういうふうなことも考えられるわけでございます。その前者につきましては、これはいわば言いつぱなしでいいわけでございます。一応こういう理由でお前が勾留されたのだと言い、それで本人は納得する場合もありましようし、あるいはどうも自分は覚えがない、あるいはそういう勾留理由がないから困るというような気を起すかもしれませんが、それはともかくとして、本人の了承を完全に得しむるだけの手続規定でないのでございますから、それはいいのでございますが、その後段の点につきましてはやはり一応本人にどういう気持でおるかということを告げ、意見を書面で述べさせるということは、やはり若干の意義を持つのではないか、これが従来は口頭でやらせるということになつておりましたが、口頭でということになると、先ほどから御説明いたしました通り、かなり濫用の面がございまして、結局裁判官の退廷をはばんで、まだ意見が終らない終らないといつていろいろやつておる、そういうようなことがございますので、これを書面によるというふうな形にしたわけでございまして、勾留理由の開示がある、すぐその場で書面に書いて出すという場合ももちろん考えられますけれども、そうではなくて、とにかくその理由についてあとででもいいから本人から考えが到達するということをねらつたものでございます。
  23. 猪俣浩三

    猪俣委員 私どもいわゆる法廷闘争と称するのははなはだ不愉快で賛成いたしかねる、共産党の諸君がよくそういうことをやります、それは冷静に静かに裁判官を尊重して、その公正なる審判を受けるということが民主政治の根幹でなければならぬ、ただ裁判所でわめきちらし、そうして裁判官に圧迫を加えるような態度をとるということは許すべからざることと考えておるのであります。そういう一派があるために、せつかくの民主的な運営がだんだんと狭められて行くということは実に私は遺憾でありますが、また考え方によれば、そういう二、三の者のために一体法務省なり裁判所がそれらに引きずり込まれて、だんだんきゆうくつにして行くということは、これは結局負けたのではないかと思う。原則は原則として尊重し、それを妨害するものはいろいろな手段によつてこれを防ぎとめる、彼らがあばれるからといつて、一般人の権限をだんだん狭めるようなことをしたのでは、一般の人たちはばかを見た話になる。結局戦いにおいて負けてしまうのではないかという考え方も出るのであります。私どもとしましては、もしそれが非常に弊害があるならば、法廷の秩序維持に関する法律もありますし、いろいろ裁判所法に。規定があるし、あるいは裁判官の威厳によつてもできる、そういう手段によつて防ぎ得られると思う。これはいろいろの方面に、勾留開示のときのみならず、公判廷の場合も同じであります。そこでこの弊害を防ぐために、今裁判所の規則では十分となつておりますが、もし十分ではどうも弊害があるというならば、多少時間を縮めるということは考えてもよいだろうと思いますが、これを書面でなければならぬというようにしてしまうということは、どうも私どもは賛成いたしかねます。これは意見の相違でありますから、りくつは言うてみてもしようがないので、意見意見として申し上げて、これはこれでとどめますけれども、こういうふうにして、結局書面審理を便利なりとして、すべて書面審理に移すということは、ほんとうの口頭弁論主義の破壊であるから、たとい小さな点なりといえども、私どもは十分に考えなければならぬと思うのであります。その意味において、私どもはあまりこの規定は賛成いたしかねるのであります。  次は八十九条の保釈の問題、今度の改正案で「被告人が多衆共同して罪を犯したものであるとき。」こういう規定があります。これは裁判所の小林判事も指摘されたように、非常にあいまいな規定であろうと思います。多衆共同ということになると、共犯関係のものはみな入るのじやないか、刑法上の共犯とこの多衆共同した罪というのは、どういう区別が出て参りますか。
  24. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 この八十九条に考えました多衆共同と申しますのは、単に数名の者が共謀したというのとは違うつもりでございます。多衆という文字はいろいろ従来も使われておるのでございますけれども、この際八十九条で考えましたのは、数十名という程度以上のものが同時に犯罪を犯したというような場合も考えておるわけでございます。従いまして単なる共犯という意味よりはるかに狭いと申しますか、限定せられた場合だけに限るわけでございます。
  25. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると共犯というのよりも意味が狭いが、しかし多衆共同という以上は、必ずこれは共犯関係ですが、共犯関係に立たざる多衆共同の犯罪というものがあるわけですか。
  26. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 これは若干問題がございますが、たとえば片面的な意思によつて犯罪が成立する場合がございます。たとえば一つの内乱罪を犯す、相当の者が中核体になつて動いております。これに対して片方の者と、その中核になつておる者は、新たに入つて来た者がどういうことを考えておるかちつとも知りませんけれども、新たに入つて来る連中は、その内乱の中に自分一緒にやろうということで入つて来る場合があるわけでございます。さような場合もいわゆる共犯になるかというふうなことが言われておりますが、さような場合も一緒にやるという意味においてはこれに入つて来るのであろう。従いまして、厳密に共謀、あるいは完全なる共同正犯という場合以外に、同時に同じ場所で同じよう犯罪をといつたような場合も考え得るわけでございます。しかしこれは考え得るというだけで、大部分は猪俣先生のおつしやるような共犯の場合であろうかと思います。
  27. 猪俣浩三

    猪俣委員 ある交番の焼討ちがあつたというような場合に、それを共同でやつた、これはわかりますが、そういう謀議をどこかの静かな一室でやつた人間、多衆共同して罪を犯した人間が、現場に行かないでどこかの部屋におつた、おつたけれども、そこで相談をやつた人間、こういう人間はやはりこの中に入るわけですか。
  28. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 実際に現場にはいない。しかしその関係のいわゆる中核的な人物であるというようなことが考え得るわけでございますが、このような場合に、これをどの程度に入れるか、あるいは全然入れないかという点についてもわれわれ議論をいたしたわけでございます。結局この点につきましては、通謀したその連中も共犯の中に人つて参ります。それで多衆共同してやつたというような中におのずから入つて来るものである。その場合、最初五人なら五人でやつた。実際にその後現場に行つたのはたとえば十人くらいにすぎない、ほんのわずかであるというような場合はもちろん問題は起きません。それからあとで非常に大きくなつた、いろいろ調べてみたら、本人は現場にはいなかつたけれども、中核的な人物であるという場合には、どうせ一緒に、あるいは相前後して検挙されることになる場合が多かろうと存じますので、さような場合にはやはり入つて来る、かように解するわけでございます。
  29. 猪俣浩三

    猪俣委員 今御存じのようにスト規制法が出ております。炭労、電産のストライキを制圧する、ストライキそれ日体が犯罪になるという法律案、これはこの多衆共同の罪というものにまず当てはまる。そこで私どもはどうもあのスト規制法と刑訴法の改正というものは両々相まつて考えなければならないというふうに心配するものであります。そして労働組合にはそれぞれ委員長あり、副委員長あり、執行委員あり、それらの間でいろいろの人に対する相談をして、それから炭労でも電産でも現場でストをやる。現在におきましては大体現場の人だけが問題になつておるようで、中央本部の委員長とか、執行委員長であるとかいう最高の方針を決定した人はその中に入つておらぬようでありますが、あなたの御説明だと、そういう謀議をした者までもこの中に含めて共犯であると認定するのみならず、保釈もさせないような取扱いができると思うのですが、それに対してそういう心配があるのかないのか、説明を願いたいと思います。
  30. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 従来、いわゆるスト規制法と申しますか、公共事業令あるいは電気事業法違反等によりまして幾つかの事件があげられております。そのうち本件に該当するような数十名というのは、ちよつと今まで事案がございませんでした。一番大きいのが、広島管内でたしか八十何名か問題になつ事件がございますが、これは全部身柄不拘東でございます。それから長野の管内、岐阜の管内、松山、高知の管内等において若干ずつ問題になつておりますが、これまた勾留処分を受けましたのは、それぞれ一、二名程度のようであつたと思います。従いましてこういう問題につきまして、私どもは従来とても非常に慎重な態度をとつてつたのでございますから、今度この改正があつたといつて、ただちに勾留が多くなるとも存じませんし、従いまして権利保釈の問題等も、この点に関する限りは問題がなくなつて来る、かよう考える次第でございます。
  31. 猪俣浩三

    猪俣委員 この問題も、今あなたに幾ら質問してみてもしかたがない問題でありますが……。
  32. 田嶋好文

    ○田嶋委員 関連して。これは八十九条の権利保釈の点で関連しておりますが、端的に言つて、「無期若しくは短期一年以上の懲役」に改めるということになると、四、六を入れなくとも改正のねらつている点は目的を達せられるんじやないですか。結局四、六を入れないと改正のねらつている目的を達せられないのですか。
  33. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 第一号で「短期一年以上」といたしましたのは、直接問題が非常に頻発して困つたというのは、この前御紹介いたしました強盗でございます。しかしその他の犯罪につきましても、強姦、人身売買、営利誘拐といつたような非常に重い事件等について、やはりこれが悪性の非常に強いものについて保釈が権利として許されるというのは、考え方としていかがであろうかというので、この点を直そうとするものでございますが、新たなる第四の集団的な犯罪、新たなる第六号のお礼まわり、これはそれぞれちよつと違つた観点から物を見たわけでございます。と申しますと、新たなる第四号、いわゆる集団犯罪の場合には、大体において、さよう犯罪を多数の者が事前に共謀をして犯す、従つてみんなで一緒にやる犯罪については、みんなでまた証拠隠滅をしたり、相互に逃げることを相談したりする可能性が非常に強いのではないか、それを現行法の証拠隠滅の理由があるということでやつたらどうかということになるわけでございますが、それを認定するには認定するだけの相当な理由がなければできません。ところが相当の理由が見つからぬにもかかわらず、実際には蓋然性が非常に強い、従つて多衆犯罪については、さような観点からこれを権利保釈の除外理由に加えようというところにちよつと違つた面を考えたわけでございます。  もう一つ、新たなる第六号のお礼まわりの方でございますが、これは証人あるいは関係人等の証言する場合を保護するという面を持つておるのでございまして、事件の適正なる判断を裁判所にさせるためには、やはり関係人が正直に事件の真相を吐露してもらわなければいけません。ところでかようなお礼まわりをするような者が保釈になるということになりますと、どうもこわがつて真相を吐露しない、従つて事件のほんとうの調べができないし、結果もまた間違つた判断が出る可能性がある、さような点からこれを加えたのであります。  それからもう一つ両方に通じていえることは、この短期一年以上の刑というのはかなり重い刑でございます。いわゆる重罪犯と従来いわれておつたのでございまして、別に資料として短期一年の刑法並びに特別法における法定刑を並べられたものを差上げたわけでございますが、特別法にはほとんどないといつてもいいくらい重いものだけでございます。従つてそれと四号と、新たな六号とは別個の面を規定した、かよう関係でございます。
  34. 田嶋好文

    ○田嶋委員 それは前々からもわかつていたところですが、私が端的に聞きたいというのは、多衆共同して罪を犯したものということは、結局騒擾罪、簡単な言葉で表示しますと、宮城前のメーデーによつて起つた事件等が代表的なものであつて、そうした事件は当然無期もしくは短期一年以上の懲役で目的を達せられるのであります。そうするとわざわざ誤解を招くような、多衆共同してというようなものは、実際上坂扱う上において必要がないじやないか、これがあるために選挙違反とか何とかいつて委員会でも騒がれている、実際上やむを得ない範囲にとどめる必要があるということを聞いておるのです。それからいま一つは、六は保釈の取消し条件にも同じようなのがありまして、これは保釈を許さないという規定と取消しと両方含む必要があるのか、むしろ取消しの条項だけで実際やつたときに取消すということになつているんだから、それで目的が達せられるんじやないか、おそれがあるということではいくらでも主観的解釈で拡げて行けるし、保釈はいつまでも許されない。具体的に取消すという事実が世の中に生れているときは、これは明らかになければならないが、これで権利侵害の範囲は狭くなるのですから、主観的な検事の判断で行くということは、権利の侵害を一番恐れる点でありまして、これは重複している点ですから一によつて目的が達せられる、こういうことです。
  35. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 新たなる第四号は、ちよつと設例といたしましては、集団的な騒擾罪といつたようなものを並べたわけでございますが、暴力行為などは短期一年じやございませんので、ああいう事件になるとやはりこの第四号の方で行かなければならぬということになろうかと存じます。従つてそのほかにも若干あるかと存じますが、最も典型的なのは暴力行為じやないかと思います。これは数十名でよくあばれますから。それからもう一つ新たな第六号の保釈の取消し事由との関係はどうかという御質疑ごもつともでございます。九十六条に現にお礼まわりをしたときにはこれを取消すということを首尾一貫して出したわけでございますが、その方は現にお礼まわりをしたという事実を基本にして取消すわけでございます。ただ新たなる六号の方はそういうことがかなり具体的にはつきりして来た。放せば必ずこれはお礼まわりに行くだろう、しからばこれは何で認定するか、これを主観的な判断で判事または検事が勝手に認定しては困るという御意見はほんとうにごもつともでござい。その点はわれわれも実際の運用はどうなるかということについて議論したのでございますが、その点については大体本人の所属する団体あるいは本人の平素からの性格、ことにその事件が起つてから、たとえば警察署、検察庁あるいは公判廷等におきまして、よし覚えておれ、おれがあれしたらちやんとあいさつしてやるからといつたようなことをよく口走ることがございます。さようなことを資料といたしまして、それから平素の行動などをちやんと報告を徴しまして、それを裁判所に差上げて判断を仰ぐ、かようなことになろうかと存じますので、大体主観的にだけでなくして、客観的な証拠を差上げる、かようなことになると思います。
  36. 田嶋好文

    ○田嶋委員 整理する意味において大臣に一言お尋ねいたしますが、今専門家の立場から刑事局長からお答えがありました『刑事局長のお答えを聞いておりますと、今の八十九条で一番問題になつておる四と六はさして必要ないじやないか、主観的な判断の点もすべて証拠隠滅に入るわけなんです。証拠隠滅の解釈をたとえばこういうふうに解釈するのだというよう解釈規定を設けられたようにもとられる。証拠隠滅ですべて目的が達せられるのではないかというように私たちは聞えるのです。しいて誤解を招くようなものはいらないというよう考えられますが、この点はどうでしよう。どうしてもなければ目的を達せられないものでしようか。私は八十九条は、短期一年以上の懲役でちやんと今お述べになりましたようなことを考えるときに目的は達せられるのではないか、こういうように思いますので、どうしても必要になりますか、お尋ねしておきます。
  37. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 確かに一面は田嶋さんのおつしやる通り解決される面がございます。ただ短期一年というのは相当重い犯罪でございますので、ほんとうに限られた場合だけなのでございますので、その他の四号と六号とは必要やむを得ざるものとして入れたものと御了解願いたいのであります。ことに証拠隠滅のおそれあるという点において実は用語を若干かえてございます。と申しますのは、今度のお礼まわりの点につきましては「これらの者を畏怖させる行為をすると疑うに足りる充分な理由」という言葉を使つてございます。これは今までの証拠隠滅については「相当な理由」ということがございましたが、非常にこの点書きわけまして、この点については十分なる具体的な理由があることを必要とするということ、従つてそういうはつきりしておる場合、それを証人保護の立場からということで実は書いたわけでございます。
  38. 田嶋好文

    ○田嶋委員 それでは大臣答弁はよろしゆうございます。
  39. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 この間も聞いたのですが、四号の「被告人が多衆共同して罪を犯したものであるとき。」これを表から解釈すれば選挙違反は当然入ると思うが、この点はいかがなものでしようか。
  40. 犬養健

    犬養国務大臣 これは私からも田嶋委員に申し上げる必要があると思います。私もこの点は大分苦慮いたしまして、短期一年以上の懲役もしくは禁錮にあたる罪、第四号、それから第六のお礼まわり、これだけでは国会で御心配になるのは無理もないと思います。率直に申しまして私は、これはほかの場合とあわせまして、もし幸いに御審議で可決を願いましたならば大臣通牒を出し、さらに具体的なものは検事総長から訓令を出したいと思つております。きわめて具体的に解して弊害のないものですから、その必要があると痛感いたします。
  41. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それはまことにけつこうですが、大臣の訓令では裁判所を拘束するわけに行きません。起訴をするときにはそれはどうか知りませんが、往往にして訓示や何かありましても、無視されたからといつてけんかにならない。ことに大臣が永久に大臣をやつておられればたいへんいいのでありますが、そうでなかつた場合、無視されたからといつて方法はないのですが、この点はいかがなものでしようか。
  42. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 実はただいまのような問題が出るだろうと思つて、この多衆という文字をつくり出すときにたいへん苦労したわけでございます。多衆という言葉、これは多数と違いまして、現場において群がつてという感じを出したつもりなのでございます。従つて暴力行為のときも同じような問題が出るわけでございます。現場において群がつてという感じをこの衆という言葉で出しました。従つて選挙違反というのはこれに入つて来ないというふうにわれわれは考えておるわけであります。
  43. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それでは、多衆というのはその場合該当しないという明文上の規定は別段ない。たとえば先ほどの暴力行為等処罰二関スル法律の場合にも、これは確かにあるのです。「多衆共同」という字句が出ているのです。こういう場合には、先ほど岡原政府委員答弁によると数十人というよう言つておられますが、これは数十人というばかりじやないのであります。これはちよつと私忘れておりまして、必要があればあとで具体的に調べてもいいのですが、多衆共同ということで二人以上が処罰の対象になつた例はある。そうなるとあなたの言われている数十人というのとは全然違つて来るので、そういう点、単なるここでの答弁技術で適当にうまく言われても、あと実際法律が通つてしまつてから、いやあれはそうでありませんでしたがと言われたんじや、たとえば法務大臣が訓令一本出したくらいでは話にならなくなつて来るので、やはり法律上の解釈だけは厳密にやるべきではないかと思う。そういう点明確にやつていただきたいと思います。
  44. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 「多衆」という言葉につきましていろいろ問題があることは確かにお説の通りでございます。暴力行為等においても数名で足りるという判例も現にあります。本条におきまして「多衆」という言葉を用いましたのは、要するに多衆の者が共同して罪を犯したということから出る反面、それが性質上証拠隠滅する可能性がたいへん強い、あるいは逃亡する事情がかなり強いということを理由にしてこの条文に書いてあるわけであります。従つてそれが三名、二名ということは普通の共犯の場合であります。これはとうてい考えられない。そこで多衆という文字はほかの場合にも、たとえば騒擾罪、あるい選挙騒擾、ああいう場合に使つております。騒擾の犯罪につきましては、一地方の静穏を害するに足る程度という言葉が使われております。それから選挙の騒擾につきましては、投票所でどうもうるさくて投票手続ができないという程度のものでなければいかぬ、こういうふうに解釈されておるわけでございます。それを同じように、同じ文字が使われましても、場合場合によつてつて来ることはやむを得ないのでございますが、少くともこの条文の解釈といたしましては、数十名というふうに考えておるわけでございます。これは条文の持つ意味から当然来るとわれわれは考えておる次第であります。従いまして騒擾の場合と選挙騒擾の場合とは人数が違つて来るわけであります。
  45. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 今の説明でも必ずしも私は十分だとは思えないのです。ということは、岡原さん聞いておいてくださいよ、必ずしも私は十分だとは言えないと思う。たとえば暴力行為に対する処罰令に該当するという場合は先ほど言われましたですね。そうすると、判例としてそういうものが出ておれば、そうじやないということを、これによつて法文上明確に証明するものは、何ら出て来てないと思うのです。これが一つ。それからもう一つは、多衆共同と言つた場合に、今も言われた通り、例をあげれば罪証隠滅の関係から多衆共同の場合には権利保釈の対象にならない、こういうことになるでしようが、罪証隠滅と多衆共同とにおいて直接的な因果関係はないと私は思う。それならば、罪証隠滅が理由であるとすれば、刑訴法の六十条の二号をもつてしてもやり得ると思う。それよりもむしろここで問題になつて来るのは、そういうような集団犯罪――二名以上という場合については先ほど申し上げましたが、特に問題が出て来るのは数十名の場合です。たとえば五十人、八十人という人を仮定して、それが多衆共同であるというために権利保釈の除外になるとすれば、その中には全然罪にならない人が含まれる場合もあり得る。これを一体どういうふうにしてそういう手段に対して保障をされるかという問題です。そういう点を考えてみると、多衆共同という形を権利保釈の対象にすること自体が誤りなのであつて、むしろそれは罪証隠滅の点でこれを問題にして行くべきだと私は考える。この点、あなたの概念的な御説明だけでは、それからその法案説明するのに都合のいいような事例をもつて説明することだけでは、私はこの問題は解決しないと思うのです。
  46. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 暴力行為等処罰二関スル法律によりますと、「団体若ハ多衆ノ威力ヲ示シ、団体若ハ多衆ヲ仮装シテ威力ヲ示シ又ハ兇器ヲ示シ若ハ数人共同シテ」云々とありまして、この「数人共同シテ」について、二人以上でよろしいという判例があります。多衆の点については何名ということはございませんけれども、ただ暴力行為という事の性質上、多衆というからには相当多数の者が背後に控えておつて、それの威力で本人がかかつて来るというふうなことを予想した規定でございます。従つてこの条文の感じといたしましてはどうなるか、十数名となるか二十名となるか知りませんけれども、その程度のところが予想されるというのが、暴力行為等処罰二関スル法律の構成要件から来る当然の範囲と申しますか、説明になつて来るわけであります。それからこちらの第四号の方の新たな「多衆」というのは、いわゆる権利保釈の除外事由としての観念でございますので、この犯罪の構成要件と若干違つて来るのはお認め願えると思うのでございます。そこでそのように全般的に一応の網をかぶせる。個々の人間で罪証隠滅のおそれもあり逃亡のおそれもあるけれども、まじめなやつまでひつかかつてしまうのではないかという問題、ごもつともでございます。そこでさような場合には、第九十条、第九十一条に職権保釈の場合がございますので、それで裁判所は具体的な事件を見てやつて行ける。つまり権利として当然保釈にならなければならぬということはないけれども裁判所がこれを見て、なるほどこれはもつともだ、これは放してもちつともさしつかえないという場合にははずせるという趣旨なのでございます。
  47. 高橋禎一

    ○高橋(禎)委員 今盛んに各委員からお尋ねになつておる点について、ちよつと関連して岡原政府委員にお尋ねいたしますが、一体この第八十九条の権利保釈の場合に、われわれの経験した実情から言いますと、第一号ないし第三号、第五号等に当らない場合は第四号が非常に働いて、罪証を隠滅する疑いがあるということで実際はもう権利保釈になる場合は少いのです。そこでこの改正案は、一体法文の体裁を整えるために机の上で考えてこういう場合に権利保釈を許すことはよろしくないであろうというので改正を企てられたのであるか、あるいは実際上の弊害があつてそれに基いてこの改正を用意されたのであるか、そこのところをお尋ねしたいのです。私どもはとても権利保釈をやり過ぎたというようなことの経験を持たないわけです。ですから今の刑事訴訟手続に関する根本的な方針としては、むしろ保釈を許さなければならないものが相当保釈を許されないでおるから、それをいかにして救うかというところに大きな問題があるのであつて、保釈をこれ以上許してはならぬというところにそう力を入れる必要は実際上ないと思えるのですが、何か実際にこういうふうな法律改正をしなければならぬというような弊害があつたかどうか。この権利保釈に関する世論調査なんというものは、日本の国民はまだまだ自分の力で憲法を守るというだけの実際の力がないと思うのです。だから、人のことはどうでもいいというよう考えで、罪人であるからまあそのくらいなことは当然だといつたような、憲法を守り得ない国民の姿がこの輿論調査に現われておるのだ、こう思うのですが、それについてひとつしつかりとした御答弁を願いたいと思います。
  48. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 私の方の相当の根拠になつておりました輿論調査をまつこうからつぶされましたので、実はいささかがつかりいたしておるのでございますが、あの当時相当のいわゆるインテリ階級と見られるような高専あるいは大学卒業以上の人たち、あるいは学校の関係人たちなどを集めてやつた輿論調査でございまして、かなり信憑力があるのじやないか、ある程度憲法の趣旨あるいは刑事訴訟法についても理解がある人たちの結論ではないかというふうに考えたのが事実一つの根拠でございます。それによりますと、現在の権利保釈という制度はどうも行き過ぎである、権利保釈なんというのはやめた方がいいという極端な議論も十三、四。パーセントございますし、また権利保釈はもつと狭める方がよろしいという意見が六〇%前後ございます。なお現行制度通りでよいというのが約一八%ございました。権利保釈をもう少し広げる方がよろしいというのがちようど四%でございます。そういうふうな関係からいたしまして、私どもは一般のそういう有識者等は、現在の権利保釈の法律のあり方について相当な疑問を持つておるのじやないかということを考えて、実はこれが一つの根拠になつておるわけでございます。  それからもう一つ、証拠隠滅が八十九条の第四号にございますので、それを活用すればあといらないのではないかという意見もごもつともでございます。但し、これを逆の方からちよつと考えてみますと、ある事件、ことに多衆共同のよう事件につきまして、一体権利保釈を除外する理由がどこにあるのか、それは証拠隠滅のおそれがあるからだ、どこにそれがあるというふうなことが問題になつて来るわけでございます。ところがこの具体的な権利保釈の除外理由としての証拠を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるときというのは、個々の一人々々について証明することはかなり困難になつて来るわけでございます。しかるにかかわらず、こういうふうな多衆の犯罪につきましては、犯罪をやるときに一緒にみんな共謀してやるということと同時に、やはりそれがたとえば出るなら一緒に証拠隠滅に狂奔するということが、蓋然性よりも、むしろあたりまえのこととして考えられておるのでございまして、そういう面から蓋然性の非常に強いものについては一応原則として含める、ただ具体的にそれのおそれのないものは、九十条以下でこれをはずすというふうにした方が理論的ではないかということが、これを考えたゆえんでございます。
  49. 高橋禎一

    ○高橋(禎)委員 今の御説明を伺つて、大体改正案の根拠というものがきわめて薄弱なものであるということを私は承知したのです。というのは、輿論調査というのは、警察へ一度も出たことのない、犯罪捜査の対象にならぬような人の意見というのはまつたく無価値であると私ども考えておるのです。およそ一般国民は、われわれは警察には関係はないのだ、われわれは検察庁には関係ないのだといつて犯罪捜査に関する人権擁護の問題を非常におろそかにしておる。対岸の火災視しておるのです。そこでこれは、この意見を述べられた方々にははなはだ失礼ですけれども、そういつたよう意見が集積されたものと私は経験上確信を持つて申し上げるわけです。  それから第八十九条第四号の運用は、裁判所がとてもきびしくて、しかも検察官の意見も非常に峻厳でありまして、御心配になるようなことは絶対にないのである、むしろそれから起る弊害を救うために、われわれ国会においては努力しなければならないということを私は痛切に考えておるわけなのでありますが、これについて私の考えはきまつておるのであるということであれば、しつかりした根拠の御指摘をお願いしたいと思いますし、それでなければ御答弁をされる必要もないわけですが……。
  50. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 ここでお答えしませんと、認めたことになりますから立ち上つた次第でございますが、考え方といたしましては、現行法の第四号を、活用といいますか、ある意味では非常に強めに運用いたしますれば、あるいは運用できるかとも思いますが、しかしそういうふうに少し広げてかような場合にも相当な証拠隠滅の理由があるのだということ不在面からわれわれは認めるわけには行かないのでありまして、従いましてさような場合には、やはり合法的に事を処理する意味においても、さような蓋然性のあるものについてはこれは正式に法文の上にあげるのがよかろう、かよう考えであります。
  51. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 今の答弁の中でちよつと聞きたいところがあるのですが、輿論調査をせられたと言われたが、その輿論調査をしなければならなかつた根本理由はどこにあるかということをお聞きしたい。  それから先ほどのお話を伺つておると、短期一年以上でも当然入れてもよい、これは当然だというように聞えるのだが、これは重大な問題であります。短期一年以上も入れるということは、たいへんな拡張です。拡張をしなければどうしてもいけないという理由はどこにあるか、それを伺いたい。
  52. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 総理府に国立世論調査所というものができまして、各省でいろいろ国民の声を取上げようということになつたのが昭和二十三、四年ごろであつたかと思います。その後刑事訴訟法運用をいたして、これが一体国民どう響いておるかということについて、法務省はかねて関心を持つてつたのでございますが、その一つの面といたしまして、単に刑事訴訟法の八十九条関係のみならず、広く犯罪捜査等についての問題を取上げまして、それらについての輿論調査をしたわけであります。項目を一応簡単に申し上げますと、最近の犯人の検車成績について、社会の治安に対する不安の有無について、捜査裁判における犯罪容疑意に対する人権蹂躪の懸念の有無について、それから新刑事訴訟法改正に関する賛否、その次は権利保釈制度の存廃とその保釈条件について、それから捜査機関の行う黙秘権の予告に対する賛否について、それから新刑事訴訟法改正の賛否と権利保釈、黙秘権の予告に関する意見との相関関係についてというようないろいろな問題がございました。その一つとして先ほどの問題が出ておるわけでありまして、特に刑事訴訟法改正ということで始まつたわけではないわけであります。  それから二番目の御質問の短期一年以上と申しますのは、いわゆる重罪事件と称せられたもののみでございます。短期一年以上を重罪事件言つておるのでありますが、さような重い犯罪にいつて事件として上つた場合には、有罪の場合どうしても懲役一年目上というよう事件について、なおかつ保釈が権利として許されるというふうなことはいかがなものであろうか、逆から申しますと、そういうふうな非常な重い犯罪を犯したものは必ず原則として一年以上懲役あるいは禁錮に行かなければならぬという面から、逃亡または証拠隠滅をはかるということが考えられるというのがその趣旨でございます。具体的に申しますと、たしか最初の逐条説明の際にも触れたかと思いますけれども、強盗の事件を起訴されて保釈中に、権利保釈で出ている間にまた強盗をやつた。これは権利として当然与えられておるのでございますからして、一応保釈をしなければいけません。しかしそれをさらに悪用して犯罪をするというふうなことはたいへんおもしろからざることであるというふうなことが、去年、おととしの新聞紙上に非常にやかましくなりました。それも一つ理由になつておるわけでございます。これと並行して、先般強姦とか、人身売買とかいつたような相当重い犯罪につきましても女買い等につきましては、よく保釈をされるとすぐほかの女をどこかに売り飛ばすということを職業にいたしておる者もございますので、そういうものをこの際防ぎたいという趣旨でございます。
  53. 猪俣浩三

    猪俣委員 私うちで人が待つておりますから少しでやめますが、また長々とやるのじやないかなんと思つて心配なさらぬように前もつて申し上げておきます。先ほどの岡原政府委員の御説明ちよつと私は矛盾を感ずるのです。多衆共同という言葉の中に現場に大勢の者がごたごたおるという意味を表わしておるのだ。だから選挙違反は、これは多衆共同という観念には当てはまらぬという御説明でありますが、そこで私が質問しましたのは、その現場におらないでどこかにおつて謀議に参画した者はこの中に入るかと言うたら、あなたはそれがそこに入ると言われた。それが入るなら選挙違反も入らなければならない。選挙違反の場合には入らないという観念からいうと、多衆共同の観念の中にどこかの部屋でただ二、三人だけで相談したというものが入らないということにならないと、あなたの説明は矛宿すると思いますが、それはどうなりますか。
  54. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 ごもつともな質問でございます。私ども考えましたのは、要するに多衆という観念で、現場で少くともある程度の大勢の者が集まつて犯罪しておるということは、これは絶対要件でございます。たとえば奥座敷で何も外部に行為を起さずに、数十名が話し合つておる。しかし内容は犯罪の謀議であるというふうな場合で、何も犯罪に現われてないというふうな場合は、これは当然入つて参りません、そこで現場にある程度以上の者が、多衆と見られるところの数十名以上の者がごちやごちやとやつて何かの犯罪を犯した、たとえば騒擾その他の犯罪を犯した。それをあとから糸を引く者がある。これはその事件の共犯として当然入つて来るものでございます。従いましてそういう多衆の者が一緒にやるという犯罪形態に籍口したという意味において、それはやはり多衆の中に入れますというと、たとえば謀議では猪俣先生のおつしやる通りに若干の疑問が出て来ると思いますが、扱いとしてはこれはやはり同じように扱うべきであろう。多衆共同してなす犯罪について共犯的な立場にある者、こういう意味でございます。
  55. 猪俣浩三

    猪俣委員 岡崎外務大臣の運動員が選挙違反したという事実は、何か五、六百人かの人を集めてごちそうをやつたというのですが、あれは一堂に多衆が集会してあの選挙違反行為をやつたことになる。そういう計画をめぐらしたのも、また選挙事務長かなんかがあるということになりますと、これは共犯になる。そうなりますと、選挙違反にだけは適用しないということをあなた方は言われるが、ここはみんな選挙に関係のある連中ばかりだからそう御説明なさるのも無理もないと思うのだが、それはどうも多衆共同した犯罪ということになつて選挙違反とほかのものと区別――選挙違反はやらぬが、労働組合のストなんかはやるんだぞという意味かもしれませんが、しかしわれわれは逆なんだ。選違挙反はやつてもらいたい、労働組合のストなんかはやめてもらいたいというふうに考えるのだが、これを平等にしてもらわなければならぬ、違反ならば両方違反でなければならぬ。選挙違反は多衆にならぬが、あとの労働運動みたいなのは多衆になるような御解釈だというと、犯罪の階級性みたいなことになつちやつて、私どもは賛成いたしかねる。今の岡崎さんの場合、岡崎さんがそれをやりなすつたかどうか、これは法務大臣に聞いてみなければならぬが、これは別問題として、あの場合は多衆の犯罪になりませんか。
  56. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 実はこの多衆の衆という字につきまして、私どもが最初考えましたのは、あのむずかしい聚という字を考えたわけでございますが、これは制限漢字で、ございませんので、普通の簡単な衆人の衆という字に直したわけでありますが、感じといたしましては、多くの者が雑然とむらがつて事件を起すといつたような、そういうふうな感じを実は相当苦労してつくつたわけでございます。そうして選挙違反はどうなるかというお話でございますが、実際問題といたしましては、選挙違反の者を、ことにそういうふうなごちそうを食べておるという現場に踏み込んで、数十名を一度に警察にあげるということは、これはあり得ないことでございますので、これは実際問題としては起らないと同時に、私どもが多衆という語義に付した考え方と申しますのは、犯罪をやるについて多衆の者が共同してやるというふうな感じをあの二つの字に持たせるのは、あるいはかなり問題があるとお考えになるのもごもつともだと思うのでございますが、従来の暴力行為とかあるいは騒擾とかあるいは内乱とかの用語例からいいまして、そういうふうな語義がおのずから出て参るわけでございます。そういうような観点から実は多衆という非常に簡単な文字でございますが、意味慎重に考えたわけなのでございます。
  57. 猪俣浩三

    猪俣委員 これはどうも、あまり意味慎重な御説明であつて選挙違反だけをこの中から、抜くということは、これはどうもぼくら納得できない。これは町村長、あるいは町村会議員、市会議員の選挙なんかで多々あることで、町内全部の者が集まつてそこで飲み食いをやつて、ひとつだれだれに入れようじやないかという相談をやるというふうなことは、これはひんぱんにある。まさに多衆集合して犯罪行為をやつておるのです。だからどうもあなたがいくら説明なさつても、そういうものとそうじやないものとを区別する基準がはつきりしません。そこでこれが法律として出るならば、いくら法務大臣が詳細なる通牒を出されても、それは法務大臣監督される検事さんに威力はあるかもしれませんが、警察にはあまり威力がないし、裁判所にはもちろん全然無価値ですよ。法務大臣通牒なんというものは。どうも拘束力がないわけですから私どもは危険性があると思うのですが、これはそれまで承ればあとは委員の考え方になるでしようから、その程度にして切り上げまして、なお一、二点。  百九十八条の、不利益なる供述はしないでもいいというように、黙秘権についての改正があるのであります。実はこれも法務省としては実情をお知りにならないかもしれませんが、地方の警察官というものは、御心配になるようなものではないんです。黙秘権なんというものはてんで問題にしないでどんどん調べておるのです。先般北海道の教職員組合の選挙違反事件弁論に参りましたところが、ある警察官意見書にこういう文句がある。身、教職の身にありながら、黙秘をするがごときことはその人格下劣にして、教育の任にたえざる者と思考す。などという意見書がついておりまして、黙秘権を行使するなどということはまことに非国民で、人格下劣な者だ。とても先生の風上に置けぬ者だ。そういう意見書が堂々とついて出るくらいでありますから、調べに際しましては、口ぎたなくののしつてつたのであります。これは私は問題だと思うのでありますが、さような実情であります。そこで黙秘権の濫用などというふうにお考えになるかもしれませんが、実際はそんな状態ではありません。相当自白を強要されておる。それがどうも年々そういう態度に警察がなつて来ておるのでありまして、これを妙に改正しますと、またこれも法務省考えておられるようなことと違つて、前線においては、黙秘権というものが今度改正されたなんていう頭で、どんどんやらかすのではないか。住所、姓名などは不利益なことではないから、供述さしてもいいという意味から、こういう改正が出たのではないかと思うのでありますけれども、住所、姓名も利益、不利益に大いに関係がある。これはことに思想犯罪についてある。思想犯罪というものはないと言うかもしれませんが、あるいは労働組合運動なんかの犯罪についてあると思うのであります。そうすると、こんな文句を使いましても、住所、姓名も利害に関係があるとすれば、結局同じことになるのでありまして、私はこれは意味がないし、悪用されると考えまするが、あなた方は実際これをどういうふうに考えておるか、こういうふうに改正しなければ非常に不都合な点があるというふうな、何かたくさんの例でもお持ちでございますか、ちよつと御説明願いたい。
  58. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 この百九十八条の二項の改正につきましては、法制審議会におきましてもいろいろな意見が出たのでございます。その中には、かようなことを告げる必要もないじやないか、憲法にちやんと書いてあるじやないか、あたりまえの話だといつたよう議論もあつたのであります。しかしわれわれといたしましては、憲法がさようなことを明定いたしておりましても、調べられる本人がそれを知らない場合ももとより多かろうし、調べる者といたしましても、さようなことを復調することによつて自分取調べの態度について慎重になり得る。さようなことから、これはやはり告げなければいかぬというふうなことで、この案を決定したわけでございます。それでは現在の制度といいますか、供述を拒むことができるということを告げるのはどこが不都合かという点でございますが、これは簡単に申しますと、お前は何もしやべらなくてもいいということを言うことになるわけであります。場合によつては、拒否権がある、しやべらなくてもいい権利があるのだというようなことまで告げることになるわけでございますが、さようなことになりますと、一面では本人はああそういうものか、何もしやべらぬ方がいいのかということで、最初から最後まで一言も言葉を発しないという場合があり得るわけでございます。ところが実際の問題といたしてこういう場合がございます。被疑者が元の雇い主とけんかをした際、そばにおつた元の雇い主の妻君を殴打して、全治三週間を要する傷害を負わせた。こういう事案につきまして、司法警察員が拒否権を告知したため、最初から最後までもう何も言わない。結局現場に居合わせた被害者の妻君とその夫の供述のみによつて事実を認定しなければならぬ。三人よりそこにおらなかつたわけであります。そこでそつちの方だけの証拠によつて認定することにならざるを得ないことになつたわけであります。その際たまたまいいあんばいに、被疑者の近親者の方から、この傷害は被疑者が殴打したためにこうむつたものではなくて、けんかの現場に入つて来た被害者みずから転倒した、その際に生じたものであるということが、ほかの証拠から間接に出て参りました。それで結局事件としては、幸い検察庁で不起訴に付したという事件があつたのでございます。これなども、もし捜査の途中でそういう傍証が出て来ないということになると、二人に一人で、しかも一人は全然黙秘しておりますから、その二人の証言をとつてあるいは起訴したかもしれぬというふうな危険性があつたわけでございます。それからあと四つほど、さような被疑者に有利の事実の発見に妨害となつた事例が報告されております。その他人定事項についても、供述を拒否した例がたくさんございます。その次には、これも逐条説明の際にお話申し上げましたが、供述拒否権を告知したすぐあとで取調べを開始するというふうな、心理的な矛盾を感じて来たというのは非常に多いのでございまして、これはある被疑者に対して、冒頭に検事から供述拒否権を告げたそうであります。そうしたところが被疑者が、検事は私に言いたくないことは言わないでもよい権利がある旨告げていながら、私に尋ねるということは、検事の態度が矛盾しているのではないかと、逆襲されたという事案があつたそうであります。これは言われた方とすればごもつともの話でありまして、お前は言わなくてもいいと言う口の先から、時にこういう点はどうなのか、こう言うのでございますから、逆襲されても無理からぬことになろうかと思います。かような例が非常にたくさん、十七ほど報告されております。その他そういうふうな例がたくさんございまして、かような点については、やはり本来の供述拒否権というのは、本人が、いわば罪を犯した者として、それを自分から進んで言わなければならぬ義務がないといつたような程度において考えらるべきであつて、これを権利として、しかもその権利があるということを告げるというふうなことは、少し行き過ぎではないだろうかというのが、この改正の趣旨でございます。
  59. 猪俣浩三

    猪俣委員 何千何万とあるうちに、非常に特別なのが四つや五つ出て来ることは、いかなることでもあり得ると思います。そこで、結局そういう事例がちよつとでもあると、取調べる方の便利の方にそれを採用して、すぐ改正にかかるということになるのですが、しかしその改正の弊害というものもお考えにならないといかぬと思う。名前を聞く、答えない、そうすると必ずこれはしかられる。お前の不利益のことじやないじやないか、どこがお前に不利益だ、こう言うて、自己の不利益な供述を強要されることがない旨を告げると、あとからの調べは必ず、これは、お前の不利益じやないじやないか、不利益じやないものをなぜお前拒むか、不利益じやないものを拒む権利はお前にないのだぞというふうに言うことは、これは火を見るより明らかだ。今のよう規定でも、今言つたように、黙秘権を使うやつは人間の風上に置けないというよう意見書を書くよう警察官が大半なんですから、黙秘権のほんとうの趣旨を体得しておらぬ。そこでこれをまた改正してこういう文句を入れますと、これを口実にして、これはお前の不利益じやないじやないかというように自白を強要する一つの道具になりやしないか、これはわれわれの心配するところなんです。必ず第一線の連中は、今の法律は不利益の供述を強要されないだけであつて、そうでないものはしやべらなければならぬ義務があるのだ、なぜお前黙つておる、こう責めるに違いありません。調べられる方は専門家じやない。どの点が利益でどの点が不利益だという分別がつかない場合がある。われわれから考えて、これは非常に本人に不利益なことだと思つても、本人はそれを平気でおる場合もあるし、本人の非常に利益だと思うことを不利益と考える場合もあるのでありまして、利益、不利益によつてある点は供述しなければならぬ、ある点は供述しなくてもいいというようなことを被告人に選ばせて、二、三にするというようなことは、相当程度の低い被告人に対しましては、ここに私は無理なことが起るのじやないか。そうして黙秘権を使う者をそれこそ乱臣賊子のごとくののしる根拠がこの改正案の文句から出て来るという心配があるのでありますが、法務大臣はこれをどういうふうにお考えになりますか。
  60. 犬養健

    犬養国務大臣 猪俣さんの御心配の点も多少あろうかと思います。ただ今局長のお話いたしましたような実例もいろいろ私も聞きまして、結論においてはこの程度の字句ならば、運用はよほど気をつけなければなりませんが、やむを得ないのじやないか、こういう結論を出したわけであります。なお十分この点について考えて参りたいと存じております。
  61. 猪俣浩三

    猪俣委員 もう一点だけでやめて、あとはまた他日聞きたいと思いますが、これば二百八条の二の改正であります。勾留期間延長の件であります。この是非はまず次にいたしまして、私は大臣がおいでになることですから実情を一つ申し上げますが、同じく北海道の教職員組合の選挙違反事件の弁護に参りまして発見せられましたことば、十日間ある学校の校長をぶち込んでおきまして、その間二十分しか聞いておらぬのであります。そうして結局釈放しています。こういう実例がある。それからやはりある被告を留置いたしまして、ほとんど何も事実について聞いておらぬのです。それこそ人定尋問くらいで、あとほつたらかして十日間入れておいた。それが問題になりまして、公判廷で私は検事に質問いたしました。検事の答えは、いやこの男を留置したのは、事実を調べるのじやなくて、この男の証拠隠滅を防ぐため、他と通謀せられては困るから十日間入つていてもらつたのだ、こういう答弁をされました。一体今の刑事訴訟法の建前から犯罪事実そのものを調べずして、それが甲乙に連絡をとつて証拠隠滅しては困るということだけで十日間も入れておく権利が出て来るのか来ないのか、もしそういう権利が刑事訴訟法にあるとすれば、どこから出て来るのですか、私は非常に疑問なんであります。こういうふうに勾留状態というものは相当濫用されておる。それこそ検事の頭一つで煮ても焼いてもかつて次第というような状況で、実際の問題としては濫用せられております。私どもはもう五日間の延長なんてとんでもない話だ、ほつたらかして調べないのですよ。そうして身柄だけ入れておくのだ。それには今言つたように、そいつが策謀するのを防ぐ、証拠隠滅をするのを防ぐという口実で入れておく場合もある、こういうことが一体あなたの法律解釈として出て来るか来ないか、出て来るとすれば、刑事訴訟法の何条から出て来るのですか、お伺いしたい。
  62. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 その本人について犯罪一つもないのにかかわらずさようなことをしたということになると、これはちよつとゆゆしいことだと私も考えます。ただ本人について何らか犯罪がありまして、その容疑のもとに調べるということはあり得ることでございます。ただその場合におきましても、十日の間に二十分ということは私はきわめて不穏当だと考えます。現場の事件の内容を知らずに弁解するのもいささか無責任な話でございますが、ただこういう場合だけでございます。本人がたとえば当初黙秘をした。しかし傍証が二、三出て来ている。この二、三の傍証ではまだ心証がとれないので、なお心証を固める場合、二、三の調べをつけて行く間本人にしばらくごしんぼう願つたというふうな事例はございますが、いずれにいたしましても、さような場合においては本人についてさらに調べをいたしまして、本人が黙秘するのはその出た程度の証拠について認めることになるのかならぬのかということについて調べを進行さして行くのが親切なやり方だと私は考えております。
  63. 猪俣浩三

    猪俣委員 今の事案は、選挙違反の嫌疑をかけられて、逮捕勾留されたのであります。その点については二十分くらい調べられただけで、事案にあまり直接関係しておらぬ。あとで釈放されてしまつたんです。それを証拠隠滅――その男はほかとの連絡をとるよう立場にあつたもんですから、それを心配して留置した。だから犯罪捜査というよりも、その男があちこち連絡をとることを防ぐために留置しておつた。これも犯罪捜査責任者から見るとあり得るわけでございまするけれども人権擁護立場からすると、その人自身の犯罪事実そのものを調べ意味において留置するというのは、意味はわかりますが、それがある教員組合のあるポストにいるために、いろいろな方面に連絡しやせぬか、それを防くためばかりに十日間も留置しておくということは私は違法だと考える。そういう事案もあるということを大臣も御記憶願いたい。  いま一点、岡原さんでもいいんですが、これも具体的にある事実です。これは金沢における演職事件ですが、ある甲の事実によつて逮捕した。逮捕状には甲の事実が書いてあるが、実はそんなものには実際関係のないということがはつきりわかつている。わかつておるが、ぶち込んでおいて、実は乙の事実を知りたい。ところがその乙の事実については逮捕状を出すだけのはつきりした証拠がつかめないために、その人間にはあまり関係のないということがわかつておる甲の事実で逮捕した。そして甲の事実は何も調べないで、乙の事実ばかりほじくり出して、甲の事実の逮捕状によつてそのままずつと二十日間勾留を継続した。これは私は違法だと主張しましたが、検事は、違法ではないという説明をやつているんです。これはあなたはどういうふうにお考えになりますか。
  64. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 事件の当初から、たとえば甲、乙二つの犯罪が予定されている。初めからわかつているなら、その両方の事実を書いて逮捕状請求すべきものでございます。それを捜査の都合だからといつて、問題にならぬような甲なら甲というものだけをとりあえず掲げておいて、そしてそれをきつかけにして乙の方の調べを進行させるというのは、非常に妥当を欠くものと私も思います。実はさような事例は私もちよちよい耳にいたしまして、心痛いたしておる次第でございます。さような場合に、おとといでございますか、岸刑事局長から実際の運用の状況の話がございましたが、初めからそういうことが予定されているということがわかつておれば、裁判所としてもこれは妥当でないといつてける場合もあり得るわけでございます。ところが実際問題としてその甲の犯罪はちやんと書いてございますから、これは逮捕状を出さざるを得ないことになります。そして身柄を取込んでから、乙のものだけつつくという場合がまさにありまして、これは本来の逮捕状の性質とは行き方が全然違つていると私も考えます。この点はたびたび私どもの会同の際にも問題にいたしまして、さような方針がもしとられるようなことがあれば、さようなことのないように厳重に戒心してくれということを私の方からも申してございます。この点について検察研究所あるいは法務研修所等においても、猪俣先生の言われたのと同じ結論に達しておりまして、さような点については平素から私どもも目を光らしている次第でございます。
  65. 猪俣浩三

    猪俣委員 実はこれはあまり公にすることはどうかと思いますが、ことに私の話をこういうところへ出すのはどうかと思われるのですけれども、実は佐藤検事総長といろいろ雑談をしたとき、私この事例を出して話をしたら、佐藤さんは、それはどうもある程度しようがない、やはり捜査をするためにはやむを得ないことだというふうにおつしやつておつた。あなたの今の答弁と非常に違うのだ。そこでこれは検察庁法務省とよくお話して、少くとも乙の事実によつて逮捕を継続しなければならぬならば、逮捕状の切りかえくらいのこと、勾留状の切りかえくらいのことをやらぬで、ずるずるべつたりにやるということになりますと、検察庁あるいは警察自体が法律を恐れざるものだ、脱法をやつている、遵法精神がないのだという非難を受けてもしかたがないことになる。昔のたらいまわし、承諾同行ということで強制力を使つておつたと同じ脱法行為を、法をつかさどる者がやることになる。逮捕する場合にはちやんと犯罪事実の要旨を告げなければならぬことは法の要請するところでありまして、告げざる犯罪で留置するというようなことはどこからも出て来ない。それをやむを得ないことなんだというふうにいたしますと、千里の堤もありの一穴からくずれるのでありまして、私どもこれを憂慮するのであります。そこで現在の法務大臣のお心持はよくわかるのでありまして、おそらくこういうことは反対であろうと思いますが、第一線にいる方々は必要性に迫られて、原理原則を必要のために曲げるというようなことが起つて、非常にそこに危険性があるのであります。どうしても原理原則は堅持して働いていただかぬと、角をためて牛を殺すような、本体を殺すことが起つて参ります。世にいわゆる検察フアツシヨの風がそろそろ吹いて来たといううわさがありますが、親愛なる犬養大臣がその職にあられるときにそんなうわさが出ることは、犬養大臣のためにとらざることでありまして、こういうことに対し第一線に働く方々と十二分に御協力願つて、かような権力の濫用のないように御努力願いたいと思います。私まだ質問がありますけれどもちよつと用件がありますので、私の質問はこの程度にしておきます。
  66. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 ただいまのお言葉ありがたくちようだいいたしまして、今後ももとよりその方針で行くつもりでございます。ただ検事総長のお話が出ましたので一応横から弁明いたすわけでありますが、おそらくこういう意味でおつしやつたのではなかろうかと思います。それはある犯罪が起きて捜査をしておる、甲の令状が出て捜査をしておるときにまたまた乙の事実も出て来たというときは、これは当然調べてもいいのでありますから、そういう場合はやむを得ない、ほんとうからいえば、もう一つ新たに逮捕状を出してということになるかもしれませんけれども、その程度は実際上やむを得ないのではないか。ただ先ほどから申し上げましたように乙の目的で甲の令状を出しておるというようなことは私もいかぬと思いますし、検事総長としてもそこまで承認されたい御趣旨とは私は考えられないのでございます。
  67. 高橋禎一

    ○高橋(禎)委員 百九十八条の改正の点について、岡原政府委員にお尋ねいたしたいのです。この第二項中に供述を拒むことができるという規定が今ありますが、これは、憲法の第三十八条に規定してある「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」という憲法が国民に対して保障しておるところの権利を守るためには、訴訟手続の上で捜査の段階においては供述を拒むことができるのだ、こういう保障が必要だというのでできておる法律だと私は理解するのですが、憲法に書いてある文句をそつくりそのまま持つて来て自己に不利益な供述を強要されることがないなぞということを告げられたのでは、ほんとうの憲法の理想としておるところのものが私は実現できない、守り得ないという気持がいたします。それについては猪俣委員からもいろいろ御質問がありお答えがあつたのですが、私はまだその点について疑問が解けませんし、またこの字句の上からいつても、取調べをする者が取調べを受ける者に、自己に不利益な供述を強要されることはないのだぞというようなことを言うのはこつけいです。その供述を強要するかしないかは、取調べをする人が憲法を理解しておつて、強要しさえしなければ問題が起りはしないのです。それをあなたは私から不利益な供述を強要されませんですぞと言うのは、こつけい千万なことだと私は考える。この点については、供述を拒むことができるんですぞと言つておいても、その口の下からただちに供述するよう取調べをして行くわけですし、ここの文句がどういうふうになるかは私は実際は大した問題ではないと思うのです。こういうことを書いても書かなくても、強い者は自分の権利を守り、弱い人は守り得ない、こう思うのです。この字句の体裁からいつて現行法規定の方が筋が通つてつて正しい。これを改正するのは実にこつけいなことになる。それはあなた自身に考えてもらいたい点ですよとおそらく言うであろうと思うのですが、それについてはどういうふうなお考えをお持ちでございますか。
  68. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 百九十八条について告知の字句を訂正いたしました趣旨は、先ほどちよつと申し上げました通り心理的な矛盾を感ずる、しかもそれを調べを受ける者から追究されるという面が一つ大きく取上げられておるのでございます。なお憲法の要請しておるところは現在の刑事訴訟法でも、公判の手続におきます二百九十一条におきましては、いわゆる黙秘権の告知の規定がございますが、この場合と捜査の段階におけるものと現行法でも違えておるわけでございます。その趣旨はおそらく公判において純然たる対等関係に立つておる場合、それから捜査段階において検察庁があるいは警察官がいわゆる公益の代表者たる地位において犯罪事実の具体的内容を確定して行こうとする、この場合における被疑者との地位の違いから若干出て来る、これが二百九十一条の書き方と百九十八条の書き方の違いになつて来るのだろうと存ずるわけでございます。いずれにせよ憲法の予定しておりますところは、要するに無理に調べられるようなことはないのだ。逆から申しますと、自白を強要されて、場合によつては虚偽の自白をしあるいは拷問その他を誘発しやすいというところを防止しようとするところにあるのだろうと存じます。従つてそれは半面から見ると、確かに高橋さんのおつしやるように、取調官が自分から戒心すればいいことであつて自分に言い聞かせればいいことであつて、被告人に言わなくてもいいことではないか、これはごもつともでございます。ただその半面といたしまして、その被告人の地位というものを供述を拒否する権利があるという程度まで捜査段階においてこれを告知する必要があるかないかという問題が一つあるだろうと存じます。つまりお前は一切言わぬでもいいという、裁判所の公判手続における一つの対等な地位、原告と被告との対等の地位で、こちらが全然言わなくても、こちらは証拠調べでいろいろのこと固めるという段階、それから捜査の段階でこれから事件をある程度固めてという段階において、御承知通り弁護人をつけることにいたしましても、あるいは書類の閲覧その他につきましては、若干制限があるわけでございます。そういうふうな当事者の地位の変化といいますか、地位が違うということに伴つて、やはり供述拒否権というものの内容あるいは憲法三十八条一項の告知の内容というものが違つて来てもいいのではないか。しかも憲法では無理に言わせないという趣旨を盛つてある。その程度を本人にも知らせ、あわせて取調官自身についてもそういうものだぞということを心に銘しながら調べを始めるということでいいのではないだろうかというのが、この改正の趣旨なのでございます。
  69. 高橋禎一

    ○高橋(禎)委員 私は現行法の供述を拒むことができるという言葉で、取調べを受ける人の権利を国権の侵害から守ろうとするこの理想は、私はいいと考える。犯罪捜査の場合においては本人の供述というものにたより過ぎてはいかぬ。それからこれにたよるから強要ということが起るのである。だからできるだけ傍証を固めることに努力し、しかも犯罪捜査方法としては科学的犯罪捜査方法によらなければならない。本人の供述なんかを問題にすべきものではないのだという理想をここに現わしておるのだと思うのであります。ですから取調べを受けるものには供述を拒むことができるという権利を認めて、そうして今改正の案文としてここに掲げてあるのは、不利益な供述を強要することはできないのだということを、取調べをする人がむしろ取調べを受ける人の前で、神にでも宣誓をして取調べをするところに、ほんとうに人権を尊重しつつ犯罪捜査の目的が達成されるのだ、こういうふうに思うのです。だからあまり供述ということを重視しない行き方が刑事訴訟法の理想であり、それによつて人権が保障されるのだという憲法の精神が具現できるのだ、こういうふうに思うのです。捜査はどこまでも傍証を固めること、捜査は科学的方法によるべきだということを普及する意味においても、現行法の方が私はむしろ理想的であつて、強要するかもしれない人間が、あなたは強要されないんですよなんて言うことの方が今よりもつとこつけいなことになると私は考えるのですが、それについて御所見があれば承りたい。
  70. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 不利益な供述を強要されるのではない、これを平たく申しますと、無理に言わせるのじやないのだぞというような趣旨になろうかと思います。今の傍証を固めて、そうして科学的捜査によつて事件を固めて行く、これはもちろん必要でございます。その意味において自白を強要してはいかぬということは、これまた当然でございます。ただ自白を強要してはいかぬということと、供述を強要してはいかぬということと、用語としては若干違つて来るわけでございます。自白というのは、本人に不利益な犯罪事実の内容ずばりをいうわけでございます。供述と申しますと、たとえば自分の有利な事情等もそれに入つて来るわけでございます。従つてたとえば、それは事実でございます、こういう事情がございます、あるいはその事実でございますは言わぬでもいいのですが、実はそれについてはこういう事実がございますということも、これは当然言わない方がよかろう、それを全般的に初めから言わぬでもいいぞというふうなことを言つてしまうということになると、実はそのほかにもたくさん例がございますが、先ほども読み上げましたような、結局本人は何もかもわからぬから、一切供述をしない、自分に有利な陳述までやらないというような場合がかなり多くなつておるのであります。実際に報告が参つたのは実は六、七十件いろいろな具体的な例が報告になつております。さような趣旨で考えられたものでございます。
  71. 高橋禎一

    ○高橋(禎)委員 今お示しになつような例は私は想像がつくのですが、これは法律改正しても、今度またやはり同じようなこつけいな事例が起つて来るに違いないと私は考えます。相手に供述を拒むことができる権利があるから、あなたに権利があるのだということを告げてやるのですけれども、ところが不利益な供述を強要されないのですよと調べる人が言う必要はないので、本人が強要しなければだれも強要しないわけですから、そこのところがどうもこつけいだと思いますし、そういうふうに利益な供述はしなさい、不利益な供述はしなくてもいいのですよということは、取調官が親切であれば、利益なことは言つた方があなたのためになるのですよというくらいの忠告はもちろんしなければならないので、ただ法律をこういう文句に書きかえなければそれができないというような問題じやないと私は思うのです。捜査上供述を拒むということにしておいたのでは不便だからというところに私はあるのじやないかと思うのです。しかしそれは結局文句をかえても同じようなことになる。先ほど申し上げましたように、かえればかえるほどなおかえつて法律自体がこつけいなことになる。今までであつたならば、取調べをしておる間にこつけいな事態が起つたが、法文自体が非常にこつけいなものになると私は考えるのですが、その点についてお考えがあれば承りたい。
  72. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 先ほども申し上げましたように、本人に供述を拒否する権利があるかないかという点については、争いがあることは御承知通りでございます。そこで権利としてのそれを真正面から出すということは、心理的な矛盾を捜査官に与える、これは一つの大きな理由になるわけでございます。しからば書きかえたらそういうことが全然なくなるかというと、その点は若干緩和されて来るものだと存じます。というのは、利益な点はしやべつてもいいが、不利益な点は別に無理に言わせるのじやないぞ、逆にいえば、無理に自白させるのではないぞ、平易に言えばそういうことになるわけでございます。ですからその点について、弁明あるいは、たとえば犯罪事実を認めるけれども、正当防衛の弁解をいたすあるいは緊急避難の弁解をいたすということを、もちろん捜査官としては言つてもらいたい、それを事前にはつきりしなければならないわけでございます。ところがそれを、供述を拒む権利があると一本でかぶせてしまいますと、ともするとそういう点が事実現われなくなつてしまうという心配を私ども非常に持つておりますので、読み方によつては、なるほどおかしな改正だというふうな考え方はごもつともでございます。私ども法制審議会審議過程を通じ、あるいはわれわれが法文をつくるときにも、いろいろな角度から議論をいたしまして、ただいま高橋さんのおつしやるよう議論もいたしました。その上でどうも現在のわが民度の程度においては、全般的に供述拒否権としての権利があるということをまつこうから告げる、それによつて全部行動させるというのは、かえつて被告人にも不利益な場合が生じ得るし、取調官としても心理的な矛盾を感ずるということで、憲法程度のことを告げる。憲法にこう書いてある。それと高橋さんがおつしやるように、それは取調官が自分で戒心すればいい問題である、そういうふうにおつしやられればその通りでありますが、ただ三十八条は、お話通り自由を無理に強要するんじやないぞということを最初にいいまして、なお有利な点は何ぼでも言つてもいいんだし、言つても言わぬでも、条文上は書いてありませんけれども、そういうようなことになるんじやないか。これがわれわれの立案しました当初の考え方でございます。
  73. 大橋武夫

    大橋(武)委員 ちよつとその条文に関連して伺いたいのですが、今度は不利益な供述を強要されることがない旨というと、利益なる供述は強要してもよろしいように聞える。これはどうも作文としても非常にまずいと思うのです。おそらくこれは、利益であろうが不利であろうが、およそ捜査官の立場として被疑者に対して陳述を強要する、この強要がいかぬ、こういうふうな精神でお書きになつたのじやないかと思うのですが、いかがでございますか。
  74. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 まつたくお話通りでござい示す。自白を強要しないという趣旨のもとに考えたのでございますが、憲法の三十八条の第一項にちようど「不利益な供述を強要されない。」という文字がございますので、それをそのまま告知するということにいたしたわけでございます。その反面それでは有利な供述は強要してもいいかという御疑問が出るのは当然でございますが、いろいろみんな議論をいたしましたが、この条文からはそこまでは出て来ないだろう、こういうふうにとつておるわけでございます。
  75. 大橋武夫

    大橋(武)委員 そこまで出て来ないと言われますが、そこまで出て来ると読むのが普通の日本語の読み方なんで、現にあなたの方の逐条説明を拝見しますと、「犯罪事実とは全く関係のない氏名、住居、年齢等のいわゆる人別事項の供述すら拒否し、捜査機関の取調に対して一言も発せず、これをもつてあたかも一種の独立した権利であるかのよう考える風潮がかなり広まつている」こうありますけれども、これは憲法の条文の趣旨からいえば、それを独立した権利として考えるのが、憲法の正しい解釈じやないか。名前は不利益にならぬだろうから、貴様早く言わぬかというような強要的態度で尋問するということは、やはり従来の条文の書き方がまずいから直すんだということでなく、新たに従来の精神をかえようというものじやないか。特に私が疑問に思いますのは、捜査段階においては不利益な供述を強要されることはない旨を告知する、そうして公判段階においてはすべての陳述に対して拒否できる旨を告げる、こうありますが、もしこういうふうに言うならば、逆にすべきものじやないかと思う。なぜかというと、捜査段階においては、大体そこに弁護人が立ち会つているのじやなくて、検事あるいは警察官と被疑者のただ二人だけの問題である。ですから、法律の知識のない被疑者が、一体何が自分の利益であり、何が不利益であるかということは、往々にして知らぬ人もあるわけです。あるいはまた現に不利益なることを利益なるがごとくに誘導して尋問しようということも一般に行われておることは、あなたもよく御承知通りであります。たとえば早く保釈になりたければ、これを言つたらいいじやないか。それでそれを言うと、また新しい罪だというのでこれまた保釈にならぬ。これはもう一般に刑事訴訟手続の常識になつているわけです。そういう点において不利益とか、利益とかいうことは、法律家が考えるのと、しろうとたる被疑者が考えるのと大分違う。むろん常習的な犯人は別ですけれども、普通の場合においては、かなりその辺は違うのであつて、むしろ憲法の趣旨を生かす意味からいえば、捜査段階においては現行法通りにする、公判段階においては、弁護人もついておることですから、不利益なことは言わないでよろしいという趣旨だ、こういうふうに言つてもいいかもしらぬ。これはむしろ考え方が逆じやないかと思うのですが、いかがでしようか。
  76. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 一応そういう考え方も成り立ち得ると思います。と申しますのは、こういう考え方であります。公判におきましては、完全に当事者制度がとられておりまして、被疑者の被告人側と、従つて被告人と弁護人が一致したその側と、それから原告官の側とが、ほんとうの当事者になつて、それぞれの証拠その他を出し合うわけでございます。ところが捜査段階におきましては、そういう事実が非常に影が薄くなりまして、従て弁護人の関与する程度も少くなります。捜査という、いわば公益の代表者としての検察官、あるいは警察官のなすその権能については、やはりそれ相当の一つの行き方を与えなければできないわけでございます。そこで同じ憲法三十八条から出る二つの流れでございますが、その一つは、現行法百九十八条におきまして、あらかじめ供述を拒むことができる旨を告げるというふうなことになつて参り、一方の公判における完全に当事者対等のところに参りますと、黙秘または供述しないことができるという、いわゆる黙秘権といつたような強い権利で現われて来るわけでございます。従つて捜査段階におけるそれと、公判段階においては、ちようど今お話のと逆に、弁護人がついているからという点ではなくて、公判における当事者としての地位というものから、当然そういうふうな完全なる権利が現われて来るという考え方をとるのが、自然であろうと存ずるのでございます。  しからば不利益と利益の区別をどこでするか、この点は確かにごもつともでございます。われわれは一応平易に考えまして、犯罪事実の自白、犯罪事実の内容そのものを認めることが不利益であることは当然でございまして、かようなことをもちろん不利益と申しておるのでございますが、しからば保釈になりたいならば、この事実を言つたらどうかというふうなことは、犯罪事実の自白を強要することになりますので、不利益な点というふうにわれわれは考えております。ただ御心配になる点、たとえば、一般の何もわからぬ人たちが、一体これが不利益なのか、利益なのかちつともわからぬ、そういうことになつたというふうなことは、ままあり得るのでございます。その点は率直に認めるわけでありますが、ただ立案といたしましては、不利益というのは大体自白という点を中心考えまして、その他の事情、たとえば詐欺はしたけれども、弁償したといつたような有利な事情だけは、ぜひその際に明らかにしていただいて、その点を起訴、不起訴を決するときに、しんしやくしたいというふうなことから、別に強要するわけでございませんが、言つてもらいたいという趣旨をこの条文に盛り込んた、かような趣旨なのでございます。
  77. 大橋武夫

    大橋(武)委員 そうなると、不利益な供述を強要されることはないということは、法律的には自白を強要されることはない、こういう意味だというふうにお述べでしたが、その場合において氏名とか年齢とか、そういうものは一体不利益な事項に入るかどうか、たとえば未成年者ならば、これは罪にならない。成年者ならば、生年月日を述べることは確かに不利益である。そういう点について……。
  78. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 大体最も典型的な場合を中心にして御説明いたしましたので、自白の場合と、こう申し上げたのでございます。単に自白のみならず、たとえば先ほど猪俣先生からの御質問でございましたか、名前を出すこと自体が本人の不利益になるという場合も確かにあろうと思います。さような場合は、もちろん本人もそれを拒み得るわけでございまして、さような場合は、供述を拒んでよろしい、かようなことになろうと存じます。
  79. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 今の点でもまだはつきりしないと思うのですが、不利益であるか、利益であるかを判断するのは、一体だれがするのですか。
  80. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 不利益、利益を判断するのは、抽象的、告知の場合には、もちろん捜査官が言うことでございますが、その判断は被疑者側、かようなことになろうと思います。
  81. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 当然利益不利益の判断は、被疑者がすると思うのです。ここで、告知という場合に、その判断を拘束するよう取調べの告知をやることは、これは実際上に、その判断をあやまたしめるような結果になると私は思う。問題は、判断をすべき被疑者自体は、不利益な供述を強要されないのだということになれば、その心理的な効果としては、利益になることは述べなければならないのではないかという、先ほども質問があつたようなことが当然出て来ることになろうと思う。こういう点は、むしろ先ほどからのあなたの御答弁の要旨を全うさせるとするならば、むしろ現行法通りに、供述を拒むことができるということで、当然これはやり得るのであつて、ことさら、不利益な供述を強要してないのだ、こういうことを言うこと自体は、運用上、いろいろ逆用するような結果を与えると思う。むしろこの不利益な供述を強要されないということは、先ほど高橋君からも、お話のあつたように、これは、ことさら判断をすべき主体である被疑者自体に言うべきことではなくて、むしろ取調べをすべきもの自体がこれは考えるべきことなのである。被疑者に対して、これを言うことは、現行法通りで、運用は当然全きを期し得ると私は思う。ですから、あなた自身が運用上の点においてと、こういうようにいわれるけれども、むしろ条文の方から現われて来るのは、逆用される場合のみが出て来るのであつて、今あなたのお話なつような点は、現行法において、私は十分達し得ると思う。
  82. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 私どもはそうは考えないのでございます。この不利益な供述を強要されない、要するに自白を強要しないという趣旨を告げることによりまして、確かに一面では、この取調官が、自分の心覚えとして、こう言つた以上は、おれもそういう気持で取調べなければいかぬのだなというところに、一つの大きなねらいがあります。もう一つは、被疑者の方としては、自分の方では目白を強要されないのだという心構えを最初に与えられたことになるわけでございます。そこで、逆に、有利な点は、強要されてもいいのかという点が生ずるのでございます。私どもといたしましては、そういう反対の点までは、この条文では読み得ない。かよう考えておるのでございます。これは普通の用語例の呼び方なので、いわゆる反対解釈、類推解釈、いろいろございまますれども、われわれとしては、そういうふうなところまでは、この条文からは読み得ない、かよう考えておるわけでございます。
  83. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 これは条文上から読み得ないにしても、こういう運用上の規定をする場合には、運用が悪用されないように、厳格に規定すべきものだと思う。そういう限りにおいては、この条文をそのまま運用した場合には、かえつて悪用される弊害がむしろ具体的に出て来る可能性があるだけに、そういう点は明確に規定しておくべきだ、この文章自体においては、あなたの言う通りに逆用――いわゆる利益になる供述は強要してもいいんだということは、この文章自体には出て来ないかもしれません。しかしこれを運用する立場に立つた場合に、それの出て来る可能性が前よりももつと強く出て来るということ、それからもう一つは、そういう形をとることによつて判断すべき主体である被疑者に与える影響というものが前よりももつと強くなるということ、この点が問題だと言つておるのです。ですから、この条文それ自体においては、そのまま反対解釈は出て来ないことは、それはもう私もわかる。問題は運用のための改正であるだけに、われわれの審議の主たる目標も、運用面においてこれがどのような効果を及ぼすかということが、われわれの審議の重点になつて来るのですから、この点からもあなたの御答弁を願いたいということを私は申し上げる。特に先ほど大橋君も言われた通りに、そのような実例は、何も大橋君が言われて初めて出て来た問題でなくして、そういう実例はたくさんある。枚挙にいとまないほどある。あなた御自身が取上げられた例は、むしろ特別な例のような場合だけお話になつているけれども、むしろ常識的にあり得るような例は、もうそんな十枚や二十枚の紙くらいじやない、それこそ何百何十とある。その例をあげろといえば、私はあげてもいいと思う。それだけにこういう点は慎重にやつてもらわないと、事実において黙秘権を拘束するような結果に私はなつてしまうのではないかという点を心配している。こういう意味で、あなた御自身は、法律の字句の上の御答弁としてそういうことであるというならば、大臣から実際の運用上の面から――こういう点は事実の問題として私はあり得ると思うので、こういう点をひとつ御答弁願いたい。
  84. 犬養健

    犬養国務大臣 その問題、いろいろ観念論的になりますと御心配もありましようが、事実の問題として、私は少し行き過ぎていると思う。
  85. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 どういうふうに……。
  86. 犬養健

    犬養国務大臣 黙秘権の濫用が、その線を越えている点だけを直すという意味でこの字句を訂正したのですが、高橋さんの言われるように、体裁のおかしいところもあるでしよう。しかし問題は、結局不利益にもならないのに、名前も言わずに、とにかくがんばる権利があるんだといつて、初めから取調べがまるで敵討行為みたいになるその行き過ぎの点だけを良識をもつて直すという意味でありまして、御心配の点は、私も十分もつともな点もあると思いますが、これこそ運用の場合に十分気をつけたいと思います。ただ私は今のままでいいとは、どうしても思つておらないのであります。なお皆さんの御意見をよく伺いたいと思います。
  87. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 どうも今の答弁を伺つておりましても、不利益だとか利益とかいう判断を何かこちら側の方で判断するというような感じが出ておる。それからこの逐条の説明、先ほど大橋君も引用されましたが、これなんかを見ると明らかに私は出ておると思う。氏名、住居等は、これは不利益に関することではないのだということが逐条説明としてあなたの方で説明されておる。これは一方的にこういうことを押しつけるということ自体が実は誤りなので、先ほどそうでないという実例も相当出ておりますから私はその実例は申し上げません。すでに氏名、住居の問題についても、本人にとつては不利益な場合もあり得るのですから、そういうこと自体の判断は被疑者本人にさせるということが根本的の点なのであつて、それを何か拘束するような条文上の改正をし、その拘束によつて運用されるような悪弊が出て来るとすれば、これはそれこそ改正ではなくて改悪になつて来る。こういう点を私はさつきから言つておるのです。ですからそこの点が今のお話だけでは必ずしも明確であるとは私は言えないと思う。
  88. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 大橋先生が先ほどお読みになり、またただいま御質問のありました住居、氏名の点でございます。この逐条説明書を最初からずつとお読み願いますとおわかり願うと思うのでございますが、さような場合もあつて濫用される、こういうことで始まつておるわけでございます。具体的には、それが本人の不利益になるような場合には、先ほど大橋さんにもお答えいたしました通り強要されない、かような趣旨なのでございます。その点については矛盾はいたしておらないのでございます。
  89. 小林錡

    小林委員長 田嶋好文君。
  90. 田嶋好文

    ○田嶋委員 これは結論を出したいと思つたが、時間がありませんから一点だけ確かめておきます。強要という言葉なのですが、これが問題になつて来ると思う。私は強要の代表的なものは拷問であると思う。拷問して言わす。しかし拷問以外の強要というと、一体どんなものが含まれるのですか。
  91. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 まつ正面からそういうふうにお尋ね願うと、私もちよつとお答えしにくいのでございますが、大体拷問もしくはこれに準ずる程度のものといつたような気持でございます。今度は逆から申し上げますと、どうせ捜査官がときには若干大きな声も出して調べるのでございますから、若干の心理的な圧迫を受ける、これはある程度やむを得ないことだろうと思います。ただそれが程度を越しまして、いかにもにらみつけるがごとく、場合によつては手の飛ぶがごとくといつたようなことで調べることになりますと、これはすでに強要の部類に入つて来るのではないだろうか。これは具体的な事案で、かなりむずかしくなつて来るのじやないかと思います。その点は非常に抽象的でございますが、この辺で……。
  92. 田嶋好文

    ○田嶋委員 これはあしたに譲ります。これが一番大切だと思うのです。  あと一つだけ伺いますが、一例を引きますと、不利益なことは、供述を強要することができないということで言わない。そうすると保釈を許さないで、いつまでもとめておく。そのうちにつらくなつて言う。これも強要になりはしないかという疑いがあるわけであります。それはそれとして、問題があるのは、強要されましたと立証するのは本人なんです。ところが拷問ですと傷がついたりして何かわかりますが、拷問以外の強要は、立証の権利はあつても立証ができない。結局立証不可能なんです。文字にはそう書いても、実際には何ともならない。手の下しようもない。そこでお聞きしたいことは、強要されて調書をつくられた場合、拷問以外の強要による調書の効力というのはどんなものでしようか。
  93. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 刑事訴訟法の三百十九条の「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない。」という条文によりまして、いろいろ事案が出たことが現にございます。判例も取調べの経過、それから拘禁の期間あるいは調書に表われた答のしつぷりその他に徴しまして、たといほかから何か傍証が出なくても、この程度で強要または不当拘禁の疑いがあるというので、証処力を認めなかつたということが数回あつたと承知しております。
  94. 田嶋好文

    ○田嶋委員 さつきから大臣の岡田君に対する答弁、それから大橋君に対する御答弁を承つておりまして、黙秘権の行き過ぎがあるというのですが、本来黙秘権は行き過ぎでなくして、憲法の規定にある以上は、被告として当然なことをしているのではないかと思うのです。黙秘権の行き過ぎがあるというところにちよつと問題がある。一体百九十八条は憲法の改正をしてから出すべきである。憲法の改正もしないで出すからそこに非常な矛盾が生れて、答弁も苦しくなるし、本人にも不明朗なものができ、あいまいな点が出て来る、こういうように私は考えるのですが、どうでしようか。これで私の質問を終ります。
  95. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 ごもつともな御議論でございまして、確かに淵源するところが憲法の三十八条でございますので、三十八条の読み方によつていろいろ議論がわかれて来るわけでございます。ただ現行憲法の考えからいたしまして、自白強要しないというのが一つの大きな建前になつており、それに若干一項、二項、三項とわけて説明してあるわけでありまして、それを捜査段階、公判段階によつて、どの程度まで本人にこれを認めたらいいかというのが訴訟法の問題になつて来るのではなかろうかと存じます。憲法の問題はいずれゆつくり研究させていただくことにいたしまして、今回はこの辺のところで御了承願いたいと思います。
  96. 木村武雄

    ○木村(武)委員 この法案とも関係がありまするし、過般の委員会で中村高一委員から出席を願われながら、保留になつておりまする福永官房長官の出席を要求しておきます。委員長はすみやかに官房長官と連絡をとられまして、なるべく早く出席せしめくださるようにお願い申し上げます。
  97. 小林錡

    小林委員長 今刑事訴訟法審議をやつておりますから、それが一応終りましてからにしたいと思います。  高橋禎一君、なるべく簡単に。
  98. 高橋禎一

    ○高橋(禎)委員 岡原政府委員にいま一点お尋ねするのですが、今の百九十八条の改正のところを見まして、取調べを受ける人が自分責任において供述をして、その結果有罪になるということはやむを得ないと思う。ところが先ほどもお話が出たのですが、自己に不利益な供述を強要されることがないと告げられて、それを告げられたときには、取調べを受ける者の心理状態は非常に複雑なことになると思う。だから利益の供述をしなければならないと思つて供述する、それが法律知識等の乏しい者は、自分は利益だと思つたのが案外不利益な場合があります。そういうふうないわば法律規定から、取調べを受ける人が一つの迷いに陥つて自分の決心しないことについて最後に責任を負わなければならぬということにするのは、法律としては避けなければならぬことだと思うのです。法律が不十分なために取調べを受ける人が一つの迷いを起して、それが事実に反して責任を負わなければならぬことになつたとき、私はそれがりつぱな法律だとは言えないと思う。ところが供述を拒むことができるぞと告げた場合には、供述したことについては責任を負うという覚悟をしておることなんです。ところが不利益なことを利益だろうと間違つて供述したら、あにはからんやそれが有罪の証拠になるというようなことになると、法律自体が取調べを受ける人を一つの迷いに陥れて、覚悟せざる責任を負わすということになるのは、法律としては一つの罪悪を犯すことになる。そういう法律は、りつぱな法律でないのだ。そういうことから、私はこの改正については大きな疑問があると考えるのですが、その点はいかがでございましようか。
  99. 岡原昌男

    ○岡原政府委員 立論が、そういうふうに予想しなかつた点に結果が出て来るという意味におきましては、その通りの場合があり得るということは、確かに御指摘の通りでございます。ただそれを法律の罪悪ということまで言つていいかどうかということになりますと、私どもは若干異論を持つておるわけでございます。本来事実については、一応しやべつた以上は、しやべつただけの責任を負わなければならぬ。しやべらなくとも、やつたことについては責任を負わなければならぬわけでございます。しやべつたことについては、証拠とかなんとかいう問題が出て、責任といいますか、一つの結果が出て来るという意味においては、確かにお話ような点があろうかと存じます。ただ憲法第三十八条をすなおに読んでみますと、一応不利益な供述を強要されないという憲法の精神は、自白を強要しない、自白を強要するために拷問とか長期の抑留が起ることを防止するのが、三十八条の制定の趣旨でございます。自白するのを防ぐという趣旨まではもちろん入つていないわけでございます。従つてみずから進んで自白をする場合、その他については、これは結果としてはもとより当然のことでございまして、それをもつて、結果が法律の予想しなかつた面を含んでおるといつて、ただちにこれを憲法の趣旨に反するというふうに結論をいたすのは、どうかと思うのでございます。その点は私どももいろいろ議論はいたしましたお話よう意味では、一つの思われざる結果が出るということは確かでございますが、それをそういうふうに罪悪というまでには見ずに理解したい、かよう考えておるわけでございます。
  100. 小林錡

    小林委員長 次会は明日午前十時三十分より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後五時二十三分散会