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団藤参考人 東京大学教授
団藤重光でございます。
委員長のお示しの
内容を含めまして、多少
一般的にいろいろの問題に触れてみたいと存じます。こまかい問題を申し上げますと、ほとんど各条文について問題があるかと思いますが、特に重点的に、大体六点にわかちまして申し上げたいと思います。第一は強制処分、第二は
捜査、第三は
公訴、第四が第一審公判、第五が
控訴審、第六が略式
手続、これらについて順次申し上げます。
まず第一の強制処分の点に関しましては、幾つかの問題があるのでありますが、便宜上その一としまして、
勾留期間更新の問題及び保釈の問題について述べたいと思います。
勾留期間の更新の回数の制限を撤廃するという点につきまして、六十条の第二項の
改正によ
つて保釈に関する
規定を援用いたしておりますので、まず保釈の
関係から申し上げますと、第八十九条の
改正において新しくいろいろのものが入
つて来ております。この中で特に問題として取上げたいと思いますのは、第四号の「多衆共同して罪を犯したものであるとき。」という点であります。こういう
改正案が出されたという趣旨につきましては、わからないわけではないのでありますが、他面においてまた非常に大きな疑問があると思われるのであります。「多衆共同」の意義につきましては、解釈上非常に困難があると同時に、実質的に申しましても、多衆共同して罪を犯す、いわゆる集団犯というような場合におきましては、なるほどこれを調べる方の側から申しましても非常に骨が折れる、身柄を拘束しておかなければならない必要があるということが言えるかもしれませんが、また他面においては、そういう集団
犯罪においては、各自の嫌疑というものが非常にあいまいになるわけでありまして、ややもすれば無実の者がその中に巻き込まれるというおそれも多分にあるのであります。そういう点から申しまして、かりに多衆という言葉をかなりはつきりと限定するといたしましても、私はこの点については賛成いたしかねるのであります。
第六号のいわゆるお礼まわりの
関係につきましては、これは実際の
運用上やむを得ないと思われますので、この点は賛成するほかないと思います。
第一号の短期一年以上の懲役、禁錮にまで拡張しました点については、これまた根本的には賛成するのに躊躇するのでありますが、これも実際上の必要の問題でありまして、積極的に賛成するとまでは申し上げられませんが、実際上の必要がやむを得ないとあらば、これはしかたがないと思います。
この関連において
勾留の期間の点に触れたいと思うのでありますが、大体現行
刑事訴訟法は英米の
刑事訴訟法を大幅に受入れたものでありまして、英米の
刑事訴訟法では、権利保釈の点を十分に保障すると同時に、
勾留期間の点についてはこのような厳重な制限は置いておらないのであります。
勾留期間の制限は大体ドイツ法系の
建前でありまして、これを権利保釈の面と両方の面で制限して行くということになりますと、これはきゆうくつに過ぎることになるものと思われるのであります。従
つて私は八十九条の権利保釈を狭くすることに
反対すると同時に、その反面において六十条の
勾留期間についてある
程度これを広くするということには賛成いたします。但しその更新の回数をはずすはずし方につきまして、はたして八十九条をこのような形で
運用することがいいかどうか。たとえば多衆共同して罪を犯したということによ
つて、
勾留期間が普通ならば一回に限られるところが、何回でも更新することができるということにな
つていいものであるかどうかということについては、なお疑いを持つものであります。
強制処分に関するその二といたしまして、
勾留の
理由開示に関する点に触れたいと思います。法案の八十三条以下のところでございます。これにつきましては、私は根本的に
反対でございます。私も実際上の必要からして現在のような法廷の様子では、とうていや
つて行けないという点は認めるのでありますが、その点ならば、もともと私は
反対でありましたけれども、現在は法廷等の秩序
維持に関する
法律というものができておりますので、これを十分に
運用することによ
つてまかなうべきものではないかと思うのであります。被告人等に
意見を述べさせるのに、書面によるということは、私の考えを率直に申し上げますと、これは違憲の疑いがあると思うのであります。憲法三十四条後段においては、拘禁されました場合には、公開の法廷において、しかも本人及び弁護人が
出席するところの公開の法廷において、その
理由を告げるということにな
つております。これは言うまでもなく英米におけるヘビアス・コーパスの
手続を、少くとも
刑事手続の
範囲において受継いだものであります。ヘビアス・コーパスの
手続は、拘禁されたものがそれについてこれを不法といたします場合に、裁判所に人身保護の
令状を求めて拘禁者とともに裁判所に呼び出してもらうことを求めるのであります。その法廷でも
つて裁判所は拘禁した側の
理由と被拘禁者の
意見とを聞いて、はたしてその拘禁が正当なものであるかどうかということを判断しまして、もしその拘禁が不法なものならば、即座にこれを釈放する、こういう
制度でございます。従
つてそれを受けた
勾留理由開示の
手続にいたしましても、被告人の方に
意見を述べさせるということは、これはどうしても憲法上の要求であると考えざるを得ないのであります。特に弁護人の
出席をも憲法が要求している趣旨は、これは被告人の方の側に
意見を
陳述させることを認める趣旨である、こう見なければ、非常に
意味の少いものにな
つてしまうのでありまして、そのような
意見の
陳述を述べさせないというような解釈は、これはとうていとることができないと私自身は考えるのであります。
意見を述べることが憲法上の要請であるといたしますならば、これは公開の法廷において
意見を述べるのでありますからして、勢い口頭でも
つて意見を述べるということになると思うのであります。従
つて書面でも
つて意見を述べるということについては、これは憲法上の疑義があると思うのでございます。時間がありませんから詳しくは申し上げませんが、実質的に見ましても、
勾留理由開示で十分のことを言わしておけば、
本案の審理の方はかえ
つてそうてこずらないでや
つて行くことができるのではないか。もしここでこの道を封じますと、今度は公判廷でも
つて、たとえば
勾留の取消しを
請求する、こういうことが起
つて参ります。そういたしますと、これは公開の法廷の申立てによ
つて決定をしなければならない場合でありますからして、当然に
意見を聞かなければなりません。その
関係でかえ
つていろいろなごたごたが起
つて来るおそれがあると思います。従
つて裁判所の
立場にかりに立
つて考えるといたしましても、
理由開示については
現行法のままの方がかえ
つていいのではないか。そして先ほど申しましたような法廷等の秩序
維持に関する
法律を適当に
運用するということによ
つてこれをまかなうべきものではないか、かように考えるのであります。
その三といたしまして、鑑定留置について申し上げます。これは百六十七条及び百六十七条の二の
関係でございます。これについてはおおむね私は賛成してよろしいのでありますが、ただここに資料として法務省
刑事局から出ておりますところの逐条説明書によりますと、
現行法の解釈として
勾留中に鑑定留置をした場合には、その期間中
勾留が停止されるのが当然の解釈である、これは
現行法の解釈を明らかにしたにすぎないというような趣旨に読まれるのでありますが、この点は私は
現行法の解釈として
反対でありまして、現行の解釈としては、少くともこの鑑定留置が行われましても、
勾留期間はそのまま進行する、かように考えるべきではないかと思うのであります。従
つてこの案の百六十七条の二というものは、
現行法の正当な解釈に比較いたしますと、不利益になる面があると思われるのであります。しかし実際上かような点は必要かと思われますので、結論としては私は賛成してよろしいのであります。
第二に
捜査の点について申し上げます。その一といたしまして、まず
検察官と
司法警察職員との
関係の問題、すなわち百九十三条及び百九十九条に関する点について申し上げたいと思います。百九十三条の
一般的指示は、これは
現行法でも認められているのでありますが、
現行法では
公訴の
実行のために必要な限りにおいて、
捜査についても
一般的指示をするということにな
つているのであります。これに対してこの案では、
捜査を適正にするためにも
一般的な
指示をすることができるように読まれるのであります。前
国会に提出されました案では、「
捜査を適正にし
公訴の遂行を全うするため」とありましたのが、今回の案では「その他」という字がその間に入りましたので、
捜査を適正にしということが、
公訴の遂行を全うするために必要なということのいわば例示のようにもとられるのでありまして、もし単なる例示であるといたしましたならば、すなわち
公訴の遂行を全うするために、その限度において
捜査を適正にするために必要な事項、こういう趣旨であるといたしましたならば、これは私は
現行法の解釈としても当然であ
つて、それに対して何ら異論はないのでありますが、この点は
現行法の解釈を明らかにするという趣旨であるかもしれませんけれども、この用語によ
つてはたしてその趣旨がはつきりするかどうか、むしろ
公訴の遂行を全うするため以外に、単に
捜査を適正にするためだけの
一般的指示もできるように読まれなくもないのでありまして、そうなると、これは非常に大きな問題にな
つて参るのであります。
検察官と
司法警察職員は、それぞれに
捜査機関の地位を持つのでありますが、少くとも主たる
捜査機関は
司法警察職員であるべきであります。
検察官の主たる任務は、むしろ公判に入
つてからの
公訴官としての任務にあるのであります。従
つて検察官が
捜査の方面にまでこのように立ち入つたことをするといこうとになりますと、勢い公判における
公訴官としての任務がおろそかにされる心配があるのであります。現在においても
当事者主義が十分に
運用されていないように見られるのでありますが、その一つの原因は、
検察官の
公訴官としての働きが不十分であるところにあるように思われるのであります。ましてこのように
捜査の方に一層首をつつ込むことになりますと、これは
当事者主義の
公訴から言
つておもしろくないのではないか。
当事者主義を将来やめてしま
つて、旧刑訴のような方向に行くというのなら別でありますが、
当事者主義の
建前をとる以上は、この行き方は少くも
改正の方向として、はなはだ妥当を欠くように思うのであります。そのような
意味におきまして、私は百九十三条の
改正には賛成いたしがたいのであります。
百九十九条の
関係につきましても、根本的にはこれと同じことが言えるのでありますが、なお、さらに技術的な問題といたしまして、
検察官の
同意がはたしてどの
程度に実質的に行われるかという心配があると思うのであります。おそらくこの
改正がありますならば、最初のうちは
検察官が十分慎重にこれを
運用するであろうことは疑いをいれないと思いますけれども、行く行くこの
同意というものが形式的に与えられるということになりますと、これはかえ
つてこの
改正の趣旨と
反対の方向に行くおそれがあると思います。と申しますのは、裁判官の方では
検察官に対してはまあかなり信用があるでありましようから、比較的楽に
逮捕状を出す。
警察官に対しては、一応まゆにつばをつけてかかるというようなことがあるかと思われますが、それが
検察官の
同意がありますと、これは
検察官の
同意があつたということでも
つて、いわばめくら判を押すような傾向が出て来はしないか。そういたしますと、一方では
責任の問題につきましても、
警察の
責任であるか
検察官の
責任であるかということについて明確を欠く点が出て来ると同時に、かえ
つて被疑者の
立場から見ましても、これが利益であるかどうか問題であろうと思います。のみならず通常逮捕についてこのような厳重な制限を置きますと――これは私の杞憂に終れば幸いでありますけれども、緊急逮捕あるいは現行逮捕という方面にそのはけ口が求められはしないか。通常逮捕が簡単にできないので、そのかわり緊急逮捕をするというようなことにな
つて参りますると、これは現在でも一層大きな弊害が出て来はしないかと思われるのであります。この点については、根本的には憲法三十三条、三十五条の精神の問題になるのでありまして、強制処分については裁判官が司法官憲としての地位においてこれを抑制する、これが憲法の精神であります。いわゆる司法的抑制、ジユデイシアル・チエツクというのがこれであります。もし
逮捕状の
請求の
濫用のおそれがありますならば、裁判官が十分にこれを抑えることができるように、そちらの方で手を打つべきではないかと思われるのであります。
検察官の
同意によ
つてその弊害を押えようというようなことが、憲法三十三条、三十五条の精神を等閑に付するものではないかという感じがいたすのであります。
捜査に関するその二といたしまして、供述拒否権の告知、百九十八条の
関係を申し上げたいと思います。現在では供述拒否権を告知しているのに対して、そういうことをやると、本来ならば自白する者も自白しなくなるという
検察庁側の
意見は十分わかるのでありますけれども、実際問題といたしまして、供述拒否権を行使して始末に負えないというのは特殊の
事件の
被疑者、被告人でございます。そういう人たちならば、何もわざわざ告示しないでも供述拒否権があることを十分知
つているのでありまして、この
改正によ
つてその人たちは何ら痛痒を感じないのでありますが、むしろ問題はそうでない普通の弱い
被疑者たちでありまして、そういう人たちに対して、単に自己に不利益な供述を強要されないということを告げるだけで、はたして十分であるかどうか。場合によりますと、自己の姓名でありましても、特殊な
関係ではそれによ
つて自分が犯人であるということが判明する場合もあるのでありまして、そういう場合に氏名を言わなければならぬのだということを
捜査官が言うといたしますならば、これは
被疑者が当然憲法上持
つているところの権利を十分に行使させないことになりはしないかと思うのであります。のみならず
公判手続に参りますと、三百十一条によ
つて一般的な黙秘権が与えられております。またこの権利については、冒頭
手続においてこれを被告人に告げることにな
つております、実際問題として、供述強要のおそれがありますのは
公判手続に入りましてからよりも、むしろ
捜査の段階においてでありまして、そういう点から申しまして三百十一条との権衡上も、この百九十八条第二項の
改正については賛成を躊躇せざるを得ないのであります。
その三といたしまして、起訴前の
勾留期間の問題、二百八条の二の
関係について申し上げます。起訴前の
勾留期間がこのように延びるということは根本的に賛成いたしがたいのでありますが、これは
治安当局の実際上の要望とあらば、単なる学者の
意見をも
つてすぐにこれを否定することはできないかと思われますけれども、そのかわりこのように起訴前の
勾留期間が長くなるならば、少くとも
刑事補償をこれに与える道を開くべきではないかと思います。
現行法上も、もし
被疑者が起訴されました上で無罪等になりましたならば、これは起訴前の
勾留についても補償がありますが、もし不起訴になりました場合には、これは
刑事補償の
範囲外にな
つております。もしこのように起訴前の
勾留期間を延ばすことになれば、同時に
刑事補償について適当に考える必要があると思います。またこの二百八条の二の
規定の中で、共犯その他の
関係人が多数であるということが一つの要件にな
つておりますが、共犯が多数であるということは、先ほど申しましたように一人々々について見ますと嫌疑の弱い場合が考えられ得るのでありまして、そういう点からも問題があると存じます。
その四といたしまして、差押えに関する緊急処分についての二百十九条の二について申し上げます。これは実際の必要があることは、これまた認めざるを得ないのでありますが、他面において、憲法との関連においてやはり問題が若干あると思われます。憲法三十五条によれば、差押え
令状には場所と差押えるべきものとを特定しなければならないことにな
つております。特にその英訳によりますと、個別的にこれを特定記述することが要求されております。実際の
運用上はある家屋における何々被疑
事件に関する
証拠物件というような
一般的な特定が行われておるようでありますが、これ
自体がはたして憲法の要請に合致するかどうか問題であると思います。しかしその点をかりにおくといたしましても、その場所が、その後移動した場合についてこのような
方法をとることができるかどうかという点は、はなはだ問題であると思います。それはこの
規定の最後の方にあります「その場所を看守する」ということにも関連して参ります。ここで特に「場所を看守する」という文句を使
つて、物そのものを看守するということにしておりませんのは、その場所をただまわりから取巻いているというだけの
意味であるべきであります。そうならば、これは憲法上の疑義もそう大した問題ではなくなると思います。ただ私が心配いたしますのは、これまた資料として出ております逐条説明書によりますと、この場所の看守ということの解釈として、その場所に出入りすることを禁止することもできる、またほかに持ち去られたり、またそれを滅失したりすることを押えることもできるというような解釈がとられているようであります。これはこの
規定ができましたあかつきにおいて、学者としてそういう解釈をとり得るかどうか問題でありますが、もし実務上そういうような
運用になるといたしますならば、これはその物に対して官憲の
管理、すなわち占有が及ぶことになると思います。そういたしましたならば、これは
令状なしにかりに差押えるということとほとんど違わないことになるのでありまして、ちようど三十三条の
関係の緊急逮捕の場合と同じように、三十五条の
関係でいわば緊急の差押えを認めたのとそう違わないことになりはしないか。三十三条の
関係で緊急逮捕を認めることについても違憲の疑いが全然なくはないと思いますが、三十五条の
関係で緊急の差押えを認めるというようなことになりますならば、これはなおさら問題であると思います。これはこの「場所を看守する」、特に看守という言葉の
意味内容に関連いたしまして、あるいは違憲ではないという説明もつくと思いますが、もし法務省
当局の説明書にありましたような解釈になるといたしますならば、これは問題になると思います。実務的にそういうふうに指導されることをもし予想いたしますならば、私はこの
規定にも
反対せざるを得ないのであります。
第三に、
公訴の
関係について申し上げます。この
関係では特に
公訴の時効が問題となると思いますが、これは二百五十四条及び五条の関連においてであります。二百五十四条一項但書が削除されることにな
つておりますが、これは
現行法においては一定期間内に起訴状の謄本の送達がない場合には、
公訴の
提起後
公訴そのものが初めから効力を失うという点からして、これは最初から時効が停止しないという
建前なのであります。この
改正案ではそのような場合に
公訴棄却の決定をするということになりますので、その関連においてこの但書が削られたものと思われるのでありますが、かような場合に
公訴棄却の決定がどのようにして送達されるのでありますか。起訴状の送達そのものができない場合におそらく
公訴棄却の決定の送達もできないと思われます。そういたしますと「確定した時からその進行を始める。」とありますが、その確定がいつまでも延びるのでありまして、言いかえますと、このような
事件についてはいつまでも時効が完成しないでいるということになると思われます。この点については送達
制度を一方において完備しなければならないのでありまして、送達
制度を完備しないでおいて二百四十五条但書を削るということは、はなはだ大きな問題になると思います。同様なことは二百五十五条についても言えるのでありまして、略式命令の告知ができなかつた場合に、二百五十四条の
関係から申しますれば、そのような場合には
公訴の
提起によ
つて時効が停止したままで継続することになります。二百五十五条では略式命令の告知ができなかつた場合のうち、犯人が国外におる場合あるいは犯人が逃げ隠れておるために略式命令の告知ができなかつた場合と特に限定しておりますが、これは二百五十四条と五条との間にギヤツプができることになると思います。これまた略式命令の措置についての、すなわち広く申しまして送達についての
規定が完備しないことから来ると思います。二百五十四条、五条の
関係ではぜひ送達
制度の完備を要望したいのであります。
第四に、第一審公判の
関係で、まずその一としまして被告人の出頭の
関係すなわち二百八十六条の二について申し上げます。これはいろいろの
意味で非常に問題であると思いますが、結論から申しますと、もしこの
規定ができた以上は被告人が予想されるような抵抗もしなくなるのじやないか。この
規定ができることによ
つて弊害を未然に防ぐことができるのではないかと思います。その
意味においてこの
規定は賛成であります。但しそれについてはかような場合には被告人が出頭しなくても
公判手続が行われるということを被告人が知
つておらなければならないのでありまして、その点を被告人に知らせるための何らかの措置が必要であろうと思います。たとえば召喚状の送達によ
つて召喚するときにはその旨を付記するということにしなければ、これは片手落ちになるおそれがあると思います。
その二といたしまして、簡易
公判手続について申し上げます。これもいろいろ問題があるかと思いますが、もし英米のアレインメントの
制度をそのまま取入れるということになりますと、これは憲法三十八条との
関係で違憲問題になると思います。しかしこの簡易
公判手続の趣旨はそうではなくて、有罪である旨の
陳述をした場合に、証拠
関係において一方では証拠調べを簡略にし、他方では伝聞証拠に関する制限をゆるめるということでありまして、これは憲法の解釈としても十分成り立つものであると思います。それも一気にすべての
事件に持
つて行くのではなしに、さしあたり重罪以外の者に限定しておるのでありまして、かような
事件について、しかも非常に簡単明瞭な
事件を一々こまかくやりますよりは、こういう点は裁判所の精力を十分にセーブして、それをほかの
事件に振り向けるのが妥当だと思います。詳細に申し上げませんが、簡易
公判手続については賛成でございます。
第五に
控訴審について申し上げます。その第一点としまして三百八十二条の二の
関係でありますが、
現行法においても三百九十三条第一項但書がもともと最初の原案にはなかつたものが
国会でも
つて入りました。その控訴事実審との
関係で多少疑義が出ていたのでありまして、私はそれを解釈でも
つて補
つておりましたけれども、これを
明文でも
つてはつきりさせるということは、これは至当であろうと思います。三百八十二条の二についてはまつたく賛成であります。
その二といたしまして、三百九十三条の第二項及び三百九十七条第二項、すなわち
控訴審についてある
程度続審的な性格を認めるという点について申し上げたいと思います。現行
刑事訴訟法の
建前は全体として
当事者主義にな
つているのでありまして、その結果として、第一審の
手続は非常に複雑なかつ慎重なものにな
つております。すなわち事実に関する限りは、これは第一審でも
つて大体決定的なものにする。ただもし第一審の判決が誤
つている場合に、これを
控訴審で事後的に
審査して誤りを正す、これが
現行法の根本的な
建前であります。すなわち第一審重点主義ともいうべきものが
現行法の
建前であります。ただ実際問題としまして、特に簡易裁判所等においてはなはだおもしろからぬ事例があるようでありますので、第一審を絶対的なものにするということについては、これは問題があるかと思うのでありますが、これはむしろ第一審裁判所を強化するという方向に持
つて行くべきであると思います。第一審判決の当時において、もしそれが正当のものであれば、それはよろしい。もし第一審判決当時に立
つて見て、それが誤
つているという場合に、それが法令の違反であろうが、事実の誤認であろうが、刑の量定の不当であろうが、これは控訴でも
つて矯正する、こういうことになるべきだと思います。そのようないわゆる事後審の構造を動かすということになりますというと、これは一方において上告審との関連において
控訴審が不当に厖大になるおそれも出て来るのでありまして、この上訴
制度全体としての調和を破ることになると思います。ただこの
改正案の
程度でありますならば、ただちにそれが上訴
制度の調和を破るというところまで行くわけではありませんが、しかし理論的に申しますならば、このような例外を認める必要が一体どれだけあるかということを疑問としたいのであります。実際に問題とな
つて来るのは、第一審判決後の示談であるとか、被害の弁償であるとかいう点であるかと思いますが、解釈論といたしましては、たとえば傷害被告
事件において第一審判決後にその
被害者が死亡した、すなわち傷害致死の
事件に
なつた。そのような場合に、この
規定で申しますならば、
犯罪事実そのものとしてこれを訂正することはできませんから、おそらく事実の認定としてはやはり傷害の点だけを認定することになるかと思います。少くとも法令の適用は傷害罪の
規定を適用する以外にはなかろうかと思います。しかし刑の量定の面において、
被害者があとで死んだというようなこともここに入
つて来ることにな
つております。そのような場合について、
被害者がその傷害の結果死んだということを認めながら、それを事実に認定しないあるいは傷害致死罪の法令を適用しないということは、はなはだ中途半端なことになるのでありまして、理論的にはこの
規定は割切れないと思います。ただだからとい
つてこれをもつと徹底した続審の
制度に持
つて行くということになりますと、なおさら問題がありますので、徹底した続審
制度に比べますというと、まあこれでがまんするほかないかと思います。私個人の
意見としましては、この点も
現行法通りにした方がいいように思うのであります。特に第一審ですぐに示談をすればできるのに、それをしないでおいて、第一審の判決の結果を待
つて、もし執行猶予等で済めばそのままにする、実刑になれば、そこでそのあとで弁償して、
控訴審で争うというようなことも全然予想されなくはないのでありまして、こういう
規定についての弊害の面も同時に指摘しておきたいのであります。なお第三項の
関係でも多少問題がありますが、時間があまりたちましたから省略いたします。
第六点として、略式
手続の点につきましては、これまたいろいろの問題があると思いますが、結論としては私は賛成であります。現在の
手続はかなり無理にな
つている点があるのでありまして、それを一方では、略式
手続の趣旨を初めに十分に
被疑者に告知することにな
つておりますし、また正式裁判の
請求期間が十四日延長されましたので、それらの点を総合して考えまして、略式
手続の
改正には賛成でございます。
なおいろいろこまかい点はございますが、たいへん長く時間をとりましたから。